したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

無差別級

82闇夜の鮟鱇★:2011/06/01(水) 11:17:19 ID:???0
  ●●●大和三山歌1200年の疑問と論争に決着をつける道●●●(2/3)

但し、第二反歌の末尾については様々な読み方があって、
これまた混乱を極めているようです。
古典講読では、ここを『さやけかりこそ』と読んでいましたけど結局、
何が問題かというと、いわゆる万葉仮名というのが徹底していなくて、
その大半は表音文字なのに、一部では表意文字を使っている分けなんですね。

最初から全て表音文字で統一すれば、こんな混乱は起こり得ない分けですが、
今更、万葉人に苦情を言っても始まりませんかね。(^^;)
具体的にいうと、元の表現は『清明己曽』となっていて、
後半の『己曽』は表音文字で『こそ』となるのに対し、
前半の『清明』が表意文字なので、読み方が人によってまちまちな分けです。

次のサイトでは斎藤茂吉の文章を縦書きで表示していますが、
制×F3キーで検索窓を開き『とよはたぐも』を入れると詳しい解説が出ます。
あとはマウスのグリボタン(第三ボタン)で前後に流せますよね。
  万葉秀歌 斎藤茂吉
  http://www.utakura.com/textworks/manyoshuka.htm


その場合、先ず第一反歌は『播磨国風土記』という古文書にある逸話で、
『出雲の阿菩大神(あぼのおおかみ)が、大和三山の争いを仲裁しに行った所、
印南国原に差しかかる頃には争いが終わったので、その場所に鎮座した』
という言い伝えを踏んでいると解釈するのが通例のようです。

そして、第二反歌は、それだけ独立しても良く知られていますが、
例の『朝鮮半島の百済を助ける為に日本が出兵し、
唐と新羅の連合軍と戦って敗れた』という白村江の戦にあたって、
中大兄(なかのおおえのおうじ)、即ち後の天智天皇が、
出陣前の船上で詠んだというのが、今では定説になっているそうです。

問題は、先の長歌と第一反歌が大和三山の話を扱っているのに、
どうして突然、こんな海の歌が出てくるんだという点にあって、
そもそも、万葉集にこの歌を採録した人自身が理解できずに、
『二つ目の反歌は、反歌として相応しくない』とか書いている分けですね。


でも……第二反歌が出陣の歌であるとそこまで分かっているのなら、
後は素直に読めば、簡単に解決がつく問題のように私には思われます。
つまり、長歌と第一反歌に重心をおいて、
第二反歌を解釈しようとするから、分けが分からなくなる分けですね。

ここはむしろ、第二反歌に重心をおいて全体を見直せば、
三つの歌の関係は、自ずから明らかになるのではないでしょうか。
というのも、第二反歌が白村江の戦に向けて出帆する時の歌であるとすると、
最初の長歌は戦争肯定論、ないしは戦争不可避論として読めますよね。

つまり、朝鮮半島への影響力をめぐって日本と中国が争う構図を、
畝傍山を巡って香具山と耳成山が争う構図に重ねて見ている分けですね。
そして『こういう争いは昔からあったのだから、現代においても、
この戦いは不可避なんだ』と主張していると解釈できる分けです。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板