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無差別級

86闇夜の鮟鱇★:2011/07/13(水) 09:40:54 ID:???0
  ●●●宇宙の外側に何があるのか?●●●(3/4)

実をいうと、そういう旧式な脳味噌を持っていて、
間違った考え方をする人は、一般の素人だけでなく、
偉い哲学者にもいる(いた)分けですね。
例えば、カントという哲学者は『純粋理性批判』という書物の中で、
空間というものを『先験的存在』と考えました。

つまり、彼の場合は、神の存在を信じて疑いませんから、
経験に先立って神が存在すると考える分けです。
それと同じレベルで『真っ直ぐに広がる空間』がある、
と主張する分けですが、そういう脳味噌で考えると、
当然『丸い宇宙の外側には何があるんだ』ということになりますね。

その点『我々の経験の外には何もないのだ』ということを、
イギリスの経験主義哲学では主張する分けですが、
私もそれが正しいと思います。
その意味で、平らな空間という概念にしても、
『我々がオギャアと生まれて以降、経験した全ての事象』
から生み出される仮の認識に過ぎないと言えます。


似たようなことで言うと、数学においては、
『1たす1が何故2になるのか』という問題がありますね。
これは経験に先立つ普遍的真理なんでしょうか!?
私は、これまた生まれて以来の経験の総体から生み出される、
経験則の一つに過ぎないと思います。

例えば、小学校の先生が生徒に算数を教える場合、
『林檎がここに一つあり、隣にもう一つある、
この一つとあの一つを合わせると二つの林檎になる、
だから1たす1は2だ』という教え方をしますよね。
結局、それが全てなんですね。

そうした経験を何度となく繰り返し、
膨大な記憶がわれわれの中に蓄積される中で、
『1たす1は2である』という確信が、
われわれの頭の中に生まれてくる分けです。


これは実は『数学は自然科学であるか否か』
という哲学上の大問題とも関係する分けですが、
少なくとも私の立場では『数学は間違いなく、
自然科学の一部である』ということになります。

数学が自然科学ではないと主張する人は、
結局『1たす1が2である』ということを、
経験に先立つ絶対的な真理とみなすわけですから、
カントと同じ先験主義の過ちを犯すことになりますね。
因みに『真っ直ぐに広がる空間が、
経験に先立つ宇宙のあり様である』という主張は、
歪んだ宇宙という観測的事実によって、具体的に否定されます。

例えば、ブラックホールの回りでは空間が歪むので、
星の光がレンズを通すように曲がって届くという話は、
最近のニュースではもうお馴染みですよね。
それに対し『1+1=2が経験に先立つ真理である』
という主張を否定する場合、それなら、
『1+1=2でない世界』があり得るのか、
という疑問が生じると思います。


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