[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
メール
|
1-
101-
201-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
無差別級
95
:
闇夜の鮟鱇★
:2011/11/04(金) 10:38:04 ID:???0
●●●万葉集の極彩色●●●(2/6)
と言うわけで、この例ひとつとっても『大切な書物というものは、
たとえどんなことがあっても、それを支持する人々により、
時代を越えて残されていく』ということが良く分かりますよね。
その意味で、ある文献が残るか残らないかという問題には、
単なる偶然性という以上に、後世の評価というものが、
多かれ少なかれ関わってくると私は思う分けです。
ですから、遣亜使の資料の残り方についても、
それと全く同じように考えて良いのではないでしょうか。
つまり、遣亜使がどれだけ沢山あったとしても、
彼らが残した歌が後世に残るかどうかという問題は、
結局、その中にどれだけ優れた歌があったかによって、
決まってくると言えるような気がします。
その意味で、遣新羅使の歌が万葉集に一括して残っているとすれば、
それは、その中に優れた歌人がいたからに違いないんですね。
その遣新羅使の歌ですが、万葉集第15巻の前半にあるのがそれですね。
訓読万葉集 巻15
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/manyok/manyok15.html
その場合、冒頭に並ぶ11首の贈答歌について、講師がそれを、
『編者によって意図的に編集されたもの』としていたのも引っかかりました。
その末尾には『右の十一首は、贈答』とハッキリ書いてありますし、
私としては、それを素直に受け取っても良いんじゃないかと思った分けです。
一体どういう理由で、敢えて『贈答歌を装って編者が作り上げたもの』
と見なすのか、その点が説明不足というか納得が行きませんでした。
私は、この11首は文才に長けたある男女の贈答歌そのものと見なせるし、
後に出てくる関連歌2首(3615-6)にしても、私の考えでは、
同じ作者(男)によるものと考えて、間違いないだろうと思います。
と言うのも、才能のある歌詠みがそんなに沢山いるはずがないですし、
霧を恋人の息と見立てる点も、余人の思いつかない独創的な発想ですからね。
それにも関わらず、この男女の名前が一切記されていないというのは、
恐らく、よほど身分が低い人物だったんでしょう。
例えば、貴族の乗組員の下の世話をする下男とかね、
そういう人物なら、敢えて名前を記さないのも当然でしょうね。
実際の船上に、そんな下男がいたのかどうかは良く知りませんが……。
もう一つ付け加えると、この遣新羅使の特殊性があるかもしれません。
というのも、遣唐使などに比べると、その路程はずっと短い上に、
海路での難所も、玄界灘を渡るところだけですからね。
その意味で、遣唐使などに比べれば遥かに安全で、
気楽な旅だったのではないかという気がします。
その意味で案外、物見遊山の気分が強く、あちこちで道草したり、
宴会ばかり開いたりして、タラタラ旅したんじゃないですかね。(^^;)
何しろ、出かける時は『秋にはまた会える』とか歌っているのに、
実際のその秋には、まだ往路の九州にいたようですからね。
人麻呂の歌を沢山、引用しているのも気の緩みとも見えますし、
それで、自分たちが歌を作る余裕もたっぷりあったんでしょう。
運悪く、壱岐の島で使節団の一人が病死してしまい、
彼を悼む挽歌が沢山作られていますが、その後も、
対馬の『竹敷の浦』という所に長逗留して、
遊女を呼んで宴会をやったりしている分けですね。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板