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無差別級

105闇夜の鮟鱇★:2012/03/30(金) 11:32:16 ID:???0
  ●●●書き言葉の衝撃と万葉人の責任感●●●(2/6)

他方では、笠金村を調べている最中に、とんでもないものを見つけました。
旅の途中で見かけた美女を一夜妻として迎えた、という長歌ですが、
もし本当なら、現代の男から見ても垂涎の体験でしょうね。(*^^)v
  平成万葉歌仙三十「秋の百夜」の巻〜起首
  http://blogs.yahoo.co.jp/seisei14/60718606.html

  三香の原 旅の宿りに 玉桙の 道の行き逢ひに
  天雲の よそのみ見つつ 言問はむ 由の無ければ
  心のみ 咽(む)せつつあるに 天地の 神事依せて
  敷栲の 衣手交へて 己妻と 恃(たの)める今夜
  秋の夜の 百夜の長さ ありこせぬかも
  (美香の原で旅宿した折り、道中で偶然見かけた美女を、
  遠くから見るばかりで、何もできなかったのを悔いていた所、
  天地の神々の御加護か、一夜の妻として迎えることが出来た。
  この春の短夜が秋の百夜分あれば、と願ったことだった。)

但し……この旅というのが個人的な旅ならともかく、
実は、天皇の行幸にお供した時の話のようですからね。
本当にそんなうまいことが出来るのか、と疑問が生じるのも当然で、
『この歌は、あくまで夢想の産物である』と見なす説がありました。


でも、ドン・ジョバンニのレポレッロとか、光源氏の惟光とか、
昔の貴族には、その意を受けて働く部下がいた分けですからね。
こういうおいしい話が絶対なかった、とも言い切れないでしょうね。
ですから、この歌を味わう現代人の立場としては、やはり素直に、
書いてある通りの事実として、受け取りたいような気がします。(^^;)

以前の記述に関する話で、もうひとつ言うと、
例の霧の歌の連作に関しては、その作者が一体誰なのかが気になりました。
というのも、もし遣新羅使の歌群が特定の人物の歌日記なのだとすると、
万葉集の大歌人の一人として、彼の名を加える必要がありそうですからね。

それで、後から読み直す内に気づいたんですが、仮にこれが歌日記なら、
その作者は、3589番歌の作者として名が見える人物、
つまり、秦間満(はだのはしまろ)ではないんでしょうか。
  万葉集 巻15-3589夕さればひ… | NipponArchives 万葉集
  http://www.podcast.tv/video-episodes/%E4%B8%87%E8%91%89%E9%9B%86-%E5%B7%BB15-3589%E5%A4%95%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%B0%E3%81%B2%E2%80%A6-13404631.html
  夕されば ひぐらし来鳴く 生駒山 越えてそ吾が来る 妹が目を欲り
  (夕方になるとひぐらしが鳴いてうるさい生駒の山々を、
  私はとうとう越えてきてしまったよ、あの子の目を見たいばっかりに。)


当時の遣亜使の船旅では、正式な出航前に何日か海上に出て、
訓練のようなことをしたと講師が言っていましたね。
そうした訓練期間中に、二人の間で取り交わされたのが、
例の冒頭の11首の贈答歌だったと思われます。
で、この3589番歌はその贈答歌の直後にある分けですが、
作者はその訓練の途中、抜け出して家に帰ったみたいですね。

『こんなに時間が余るのなら、もっと彼女と一緒にいればよかった』
なんていう歌も3594番にはありましたしね。
  潮待つと ありける船を 知らずして 悔しく妹を 別れ来にけり
  (潮待ちで船が出航できないことを知らなかったばっかりに、
  私は残念にも、あの子と早々に別れて来てしまったことよ。)

ここ以外には彼の名は一切、出てきませんが結局、この位置に名前を出せば、
後は繰り返して書く必要を感じなかった、ということではないんでしょうか。
因みに、ひぐらしが鳴くのは6月下旬から9月中旬と言われますから、
『春に出て秋には帰る』という当初の旅程からすると、
何かの事情で随分、出発が遅れていたということになりますかね。


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