したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

創価学会の功罪を考える

1管理者:2002/03/08(金) 17:18

ここから、このスレッドの過去レスを見る事が出来ます。

http://kamakura.cool.ne.jp/gomoyama/keijiban/kouzai.htm


板東様、アネモネ様、いちりん様から、スレッドテーマの提案が有りました。突っ込んだ議論をよろしくお願い致します。

提案文は以下の通りです。

名前: 板東 投稿日: 2002/02/10(日) 21:25

要するに公明党が政権与党になっている点,マスコミを抑えてしまった点,有り余る財産で銀行を掌握してしまった点,また,金にモノを言わせて,嫌がらせ裁判をたくさん起こして反対勢力を弾圧している点,完全に日本を支配している,これは問題ではないんですか.

名前: アネモネ 投稿日: 2002/02/10(日) 21:34

思い切って、「創価学会の功罪を考える」(仮題)といったようなスレッドを立ち上げてみてはどうでしょうか。私も、宗門サイドの半ば偏重的なアナウンスではない正しい認識として、過去も含めた事実を知っておきたいです。

名前: いちりん 投稿日: 2002/02/10(日) 22:02

「創価学会の功罪を考える」っておもしろそうですね。きっと活発な論議になるとは思いますが、たぶん荒れる可能性もありましょうね。でも、やってみないとわからないか。

1528一字三礼:2005/02/21(月) 10:41:08
横レス失礼します。
愚鈍凡夫さんが挙げてくださっている「富士一跡門徒存知の事」の一文ですが。
これは、本尊を形木に刻む事を禁じているというより、本尊を不信の輩に授与することの方を禁じている、というように読めませんか。

1529愚鈍凡夫:2005/02/21(月) 11:15:01

一字三礼さん、レス有り難うございます。
「一分信心の有る輩に忝くも書写し奉り之を授与する者なり。」
とありますから、「形木に彫み」「不信の輩に授与」の二つを禁じたものと思いますがいかがなものでしょうか。

1530名無し@富士門流:2005/02/21(月) 17:41:15

何時の間にか話題が「本尊模刻」に移っていますね。

保田の客殿安置の日興上人書写の模刻本尊は、赤沢朝陽でやってもらったようですね。

1531一字三礼:2005/02/21(月) 22:01:11
愚鈍凡夫さん、仰るとおり二つを禁じたのでしょうね。

しかし、何故本尊を形木に刻むのを禁じるのでしょう。日本では経典さえ「百万塔陀羅尼経」(770年)以来、木版印刷されているし、蓮祖使用の法華経も「春日版」。
仏像に開眼供養する法華経は印刷でもOKで、曼荼羅本尊ではダメという理由がわかりません。

1532愚鈍凡夫:2005/02/21(月) 23:17:29

一字三礼さん、どうもです。
漫荼羅=本尊と言いいますか、この頃には既に漫荼羅正意が主流になっていて、滅多なことでは授与しないのが通例になっており、書写数もそんなに多くなかったから「書写し奉り之を授与する者なり。」と堂々と言えたんじゃないでしょうか。
そういう意味では、当時の信者にとって漫荼羅を授与してもらえるというのは、今以上に価値のあることで、模範的信心の証(富士門にとって)となっていたのかも知れないと思ったりしています。

1533彰往考来:2005/02/22(火) 07:48:18
>1526吉祥仙人さん

なぜあなたはいつも“パンドラの箱”を開けるのでしょうか。
もちろん徹底した議論を避けるつもりはありませんが、現時点で達師の過去
のご発言を部分的に引用するのは不適切と考えます。
達師の弁を借りるなら、「今後、模刻事件での一切の議論を禁ずる(要旨)」
とのご発言をどう考えますか?

1534愚鈍凡夫:2005/02/22(火) 10:39:09

これは、「本尊模刻事件」の個人的な感想ですが、

小生は、秋谷会長の
「明快ですね。学会本部常住の御本尊をはじめ、他の御本尊についても、日達上人は昭和四十九年の段階で明確にご存じだったわけだ。まったく光久も無責任な発言をするものだな。」

との発言を受けて、赤沢氏が
「本当にそう思います。こと御本尊のこととなると日達上人は厳格で、必ずそばにだれもいない時に話をされていました。それが役僧であろうと側近であろうと、だれかいる時にはそうした話は一切口にされませんでした。」

と、答えていることに注目しました。赤沢氏の言う、御本尊に厳格な日達師が

「御本尊は受持した人のものですから、信心の上で大切にするのであれば、板御本尊にするのは自由です。他の人がとやかく言うものではありません。紙幅(しふく)を板御本尊にするということは、以前からもあったことです。特段、問題にすることではありません」

「と言われていた」という秋谷会長の発言は矛盾していますよね。
それと気になるのは、日達師と赤沢氏のやりとりには証人がいないと言うことです。
もう一つ、赤沢氏が「池田大作授与の御守本尊昭和二十六年五月三日」の漫荼羅彫刻について触れていないのが気になります。長年日蓮正宗の漫荼羅彫刻を請け負っていた仏師なわけですから、当然、御守本尊の意義は承知していたはずです。それなのに、板に彫刻したのはどういう了見でしょうか。そういう意味で、小生は、この赤沢証言に信憑性を感じません。

1535吉祥仙人:2005/02/22(火) 11:23:31
 彰往考来さんへ

 よけいなことですみませんでした。

1536彰往考来:2005/02/22(火) 12:29:25

>1535吉祥仙人さん

どんな機密文書でも一旦コピーされるとひとり歩きします。
それと同じで一旦箱が開いて中身が出てしまうと、閉じる
だけではすみません。
私も1534の愚鈍凡夫さんとご意見と同じです。たしか赤沢
氏の話は全く創価学会側の証言と反する内容もあったと記
憶しています。今日の夜でも古い資料をひっくり返してみ
ましょう。

1537真実 探求者:2005/02/22(火) 17:41:34
1533 彰往 考来 さん、、失礼します。 小生は、当該方の問題提起によりまして、「ウロ覚えの過去の記憶」が 愚鈍 凡夫さんの明快なるお答えにより、とても参考になりました、。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                 お答えのご面倒の時は、過去の〇〇スレッドをご参照下さい、だけでも勉強になります、、。 ドーカ、投稿・発言するという「機会均等の平等性だけは、今後も御維持」して戴ければ幸い、と存じます、が、、、。 御免下さい、、。 早々。

1538真実 探求者:2005/02/22(火) 17:59:54
ドーモです、、。 追加させてください、、。 悪意に満ちたような「ネット荒らしや、口汚く暴言だけの逆切れ文言以外は、、」何卒御穏便にお取り計らい下さいませ、、。 早々。

1539彰往考来:2005/02/23(水) 07:28:26

>1537,1538 真実 探求者さん

ご指摘の点は
①自由な発言を封じてはいけない
②冷静に対応しなさい

ということかと存じます。
ご指摘を肝に命じます。今後ともご指導のほど
お願い申し上げます。

彰往考来

1540彰往考来:2005/02/23(水) 07:36:10
本尊摸刻事件については『創価学会の偽造本尊義を破す』(平成9年、大日蓮編集室)の87頁に水島師が日蓮正宗の主張を書いています。色々な資料を冷静に読み比べると、私は水島師の弁が一番説得力があると考えます。水島師の要旨は、
(1)日達上人が昭和49年の秋に了解されていたとすると、わずか三、四カ月後の昭和50年1月に失念されていたはずがない。
(2)日達上人が七体の摸刻を昭和49年の段階で承知されていたというのは赤沢氏ひとりの証言で他の証言と矛盾する。
(3)摸刻された七体の紙幅御本尊の中にお守り御本尊がある。
というものです。
特に(3)については、「本宗においては古来、個々に授与される鎮護御本尊は、本人が死亡した場合はお寺に納めることが原則であります。これを、かりそめにも板本尊として彫刻し、他人に拝ませることなど絶対に許されることではありません。宗門において許されざる行為を、山法山規を厳守された日達上人が、これを承認したり黙認されることなど、ありえません。」(95頁)とあります。

なお、同書104頁に昭和49年9月2日の「藤本メモ」についての記載があります。雪山坊における学会と宗門との連絡会議の記録であり、7番目に「7.本部3階の御本尊の件−板本尊にしたい」というのに対し「7の件−OK」とあります。本部3階の御本尊とは学会本部の日昇上人の紙幅御本尊(昭和26年5月19日に御書写)です。
宗門側の見解は、新たに日達上人に板本尊の御下附を願い出ると思っていた(日昇上人の御本尊を板本尊に摸刻するのを許可したものではない)というものです。これに対して学会側の主張は、『地湧からの通信第26巻』(1993年、はまの出版)の176頁にあるように摸刻OKと解釈しています。どちらの主張が正しかったのかわかりませんが、少なくとも解釈の違いがあったのでしょう。そうすると、学会が主張しているような“日達上人が失念した、それを学会がかばった”というのではないと思います。ただ宗門側の主張もちょっと無理があると思います。この御本尊は創価学会として意義深い御本尊で創価学会重宝としたためられています。それを手放して替わりを、と創価学会側が考えたとは思えないからです。参考までにこの御本尊は柳沢宏道師の『石山本尊の研究』(平成9年、はちす文庫)の第32番目に入集しています。

赤沢氏の証言としては二次資料ですが、『継命』昭和55年9月15日号に「五十三年の一月に、赤沢朝陽さんが経営難などの問題の背景もあって、猊下にお目通りしています。そのとき学会の諦法の実態に耐えきれず、多数摸刻したことを告白なさったんじゃないかと思います。猊下は「なに!」と驚かれて、大宣寺さんに「お前行ってこい」と調査を命じられて、事実が判明したんです。」という原島氏の証言を載せています。同様の内容が『大日蓮』の平成5年11月号に菅野慈雲師(大宣寺住職)の話として載っていますので、原島氏の談話の出処は菅野慈雲師でしょう。 

http://the49.hp.infoseek.co.jp/emyo_t/shuki.htm

赤沢氏本人は平成9年10月18日付けの聖教新聞の自由座談会で、この話はつくり話として否定されています。これもどちらが正しいのか分かりかねますが菅野慈雲師の話が信憑性があるような気がします。

創価学会による本尊摸刻事件。これは私が池田氏をセンセイと呼べなくなった原因です。当時死ぬほど苦しんだことでした。そして、「一切の論議を禁ずる」という日達師のお言葉とともに自分自身の心の中に封印したのでした。今この封印が解かれてしまったわけですが、改めてあの問題が自分自身にとって解決していなかったことに気がつきました。さあこれからどうしようかと思案中であります。

1541彰往考来:2005/02/23(水) 07:51:26
>1530 名無し@富士門流さん

ご存知とは思いますが、自由座談会で赤沢氏の以下の発言があります。

>赤沢 そんなことはありません。現に学会本部の御本尊以外にも、保田の

妙本寺では十体、日向(ひゅうが)の定善寺では七体ほど、それぞれお寺の

御本尊の写真を撮り、謹刻しています。何より日顕自身、広島・正教寺の客殿の

御本尊が大きすぎて御厨子(ずし)に入らず、住職に「赤沢に言って、写真を撮

ってもらって小さくしろ」と指示を出していたことがあります。

http://ranhou.hp.infoseek.co.jp/mokoku.htm

1542犀角独歩:2005/02/23(水) 08:28:15

1531 一字三礼さん、横レス失礼。

> 法華経は印刷でもOKで、曼荼羅本尊ダメという理由がわかりません

わたしは、こう考えます。
法華経は万人に開かれたテキストだけれど、漫荼羅は個人宛の允可証のようなものだから。
法華経のなかで五種法師の修行で書写が奨励されていますから、複製は、むしろ是で、その修行を末法不相応と停止(ちょうじ)するはおかしいと、わたしには思えます。ということで一字三礼さんのお考えに賛成。

一方、漫荼羅複写にはわたしは反対の立場です。何故ならば、これは各個人宛、特定用途をしてしたものだからです。個人宛の処方箋、自分が取得した権利書、免許証などは、コピーして他人が使っても、何の意味もないのと同様です。

万人向けの仮本尊を大量生産するなどという発送は、考案者である日蓮その人になく、それを継いだ日興にもなかった。その精神がまた継承され重須文書になったという脈絡を見るべきと、わたしは考えますが、如何でしょうか。

1543犀角独歩:2005/02/23(水) 08:47:58

模刻に関する石山・学会双方の言い分は、どちらに軍配を揚げるかと考えた瞬間に事実は見えなくなるでしょう。それぞれ、勝手な言い分があり、嘘があり、事実もある。それぞれの主張から事実部分を如何に抽出できるか、です。

また、歴史的に、近視眼的な視点で謗法、法外云々を語るのはナンセンスでしょう。
漫荼羅を本山に許可を取らず板に刻むのは、蓮興二祖の感覚からすれば、そもそも彫刻、複製はNG。影師頃から近代に至るまで、漫荼羅を末寺、石山から離れた地方の住職が、そもそも書写をしていたのだから、板に刻むことで大騒ぎするのは、おかしな話。明治大正昭和戦前で、模刻は別段、本山の許可など取らずに行われていた模様で、それが学会勃興以降NGになった歴史を看過するのはどうか。あと、学会成就本尊の入仏式は『聖教新聞』一面トップで報じられていたのに、それをあとあとまで石山坊さんが知らなかった、そんな馬鹿なとわたしは、思います。

もう一点、石山・学会双方、模刻本尊は7体だ、8体と言っていますが、これは嘘でしょう。
わたしが20代の頃、学会本部に副会長指導を受けに行ったとき、銀舞会館で(あったと記憶する)待っているとき、仏間で唱題しようと、漫荼羅本尊を見ると、正本堂建立時に学会幹部に頒布された、所謂特別御形木本尊を彫った板本尊でした。たぶん、この手のものは、ほかにもあったのではないでしょうか。学会には一貫して紙幅しか下付しなかったのに、法華講やら、他の団体には板本尊が許可されていた、面白くないという空気が当時の石山周辺にはあったように思います。その反動で、学会施設その他で板本尊へ取り替える風潮が、池田さんの鶴の一声で始まったのではないのか(これは当時の雰囲気からの推察ですが)

さらに、もう一点、石山が本尊模刻で怒ったのは、実は語られないもっと大きな理由があったと、本山勤務の執事職から訊いたことがあります。それは、なにか。要は、板に彫るとき、その傍らに「池田大作」という本人のサイン(あの独特の字)を一書に刻み込んだ。これが本山の逆鱗に触れたということでした。

結局のところ、学会本部入仏を新聞で見ても黙認したけれど、その他よくよく聞き調べたら、池田さんのサインが模刻本尊に彫り込まれていることを知り、激怒し、「そんなみっともないもの、宝蔵にでもしまっておけ」というところまでなったというのが、真相ではないのか、とわたしは考えています。

1544一字三礼:2005/02/23(水) 11:25:42
犀角独歩さん、レスありがとうございます。
仰ることに賛同いたします。

私の意見は非常に表面的なものでして。
興師ではなく蓮師の法華経の扱いは、佐渡に書写して送る約定を反故にしている経緯から「濫りに分布せず」であったのではないか、と考えます。
しかし蓮師在世当時にも、すでに印刷された法華経があったわけです。となれば、人から書写したものを入手できなければ、印刷版を手に入れる事も可能であったかもしれません。印刷技術の発展自体が、蓮師の「濫りの分布せず」のスタイルを実質的に空しいものにしたのではないか、と考えます。
蓮師の大曼荼羅の扱いも法華経に準じたもので、相手の信行の度合いを測って授与したものと理解しております。そうなるとやはり、コピー技術が発達した現代では空しいように思います。
勿論、ご指摘のように大曼荼羅には相貌の違い、信心の認可的な意味合いから条件は法華経とは全同ではありません。
しかし、現実的には大曼荼羅のコピーは、止めようの無いことでもあり、書写に限定すれば坊さんの飯の種にしかなりません。ちなみに私は、ボロボロになった経でも捨てるまでに強い精神的な抵抗があります。

1545愚鈍凡夫:2005/02/23(水) 12:32:11

見方を変えれば、「経」は何れが本尊であるかの指南書、本尊は信仰の対象。と言う違いがあるのではないでしょうか。だから、「経」は一字一句間違いなく伝わることが重要で、修行としての書写とは、また違った意味を持っているのではないでしょうか。
形木の延長線上にある発想とはいえ、本尊に関しては、現代のように印刷技術が驚異的な発展を遂げるとは誰も想像してないかったでしょうね。
また、鎌倉・室町時代の人が試し刷りの漫荼羅サンプルを見たら、皆さん、家に帰って「一身上の都合により・・・・・」なんて書状を認めたりするんでしょうね。 (^^;)
それに、寺院に多大な貢献をした御仁に賞与として書写漫荼羅を授与するといった理由付けも出来ますしね(こっちの解釈が本筋だったりして)。

ただ、今では「富士一跡門徒存知の事」のこの文は、富士門一同にとって、踏んではならない地雷のような存在になってしまいましたね。

「一、御筆の本尊を以て形木に彫み不信の輩に授与して軽賎する由諸方に其の聞え有り所謂日向日頂日春等なり 。日興の弟子分に於ては在家出家の中に或は身命を捨て或は疵を被り若は又在所を追放せられ一分信心の有る輩 に忝くも書写し奉り之を授与する者なり。本尊人数等又追放人等、頚切られ、死を致す人等。」(「富士一跡門徒存知の事」学会版P1606)

1546愚鈍凡夫:2005/02/23(水) 12:37:33

考え事をしながら、キーボードを打ってたら、変な文章になってしまいました。
m(_ _;)m ゴメン!!

1547犀角独歩:2005/02/23(水) 12:41:30

一字三礼さん、仰る御意、一々に賛同できます。

書写行からすれば、開版法華経を使うのも不謹慎なんてことになるのでしょうか。
しかし、書写行は、いわば複製流布の薦めですから、今日的には、たしかに印刷は可ということになりますでしょうね。

>
現実的には大曼荼羅のコピーは、止めようの無い

まったく仰るとおりであろうかと存じます。
わたしは蓮師の祖意から観れば、という限定で反対と言いますが、それを謗法などという気は毛頭ありません。また、漫荼羅を本尊としたければするも是と思います。
ただ、祖意の如きに振る舞おうとする人を却って謗法などという認識不足者には異を唱えるばかりです。

> ボロボロになった経でも捨てるまでに強い精神的な抵抗

お気持ちはわかります。

これは一字三礼さんのことではなく、石山圏の話ですが、他と比べて、勤行に勧請がないのは変。これには賛同します。同じようなことですが、尊体本尊その他に入魂・脱魂という法義がないために区切りがつかないという欠陥があると考えています。脱魂という所作がないために、仏のままで、火にくべる、仏教的にはげにも恐ろしいことをやってのけてしまうのでしょうね。それは「謗法払」に留まらず、自宗の本尊の回収処分でも同様のことになっています。

1548犀角独歩:2005/02/23(水) 12:48:17

愚鈍凡夫さん:

> 本尊を以て形木に彫み

というのは、結局のところ、「形木に刻んで刷った紙幅」、「模刻した板本尊」の、どちらなんでしょうかね。

変な文章は、愚鈍凡夫さんのではなく、そもそもこの文面です。

1549名無し@富士門流:2005/02/23(水) 13:02:50

皆さん今日は。

大石寺のように、当代貫首書写の漫荼羅を御形木(コピー)にして配布するのは、門下内では異例ですよね。

普通は御形木・模刻は宗祖漫荼羅を行うのが普通で、稀に歴代が尊敬する先代などの書写漫荼羅を模刻(保田では伝師が郷師書写漫荼羅を模刻した)するケースがあるくらいだと思います。

自分の書いた漫荼羅を御形木あるいは模刻して配布するのは、「楽して金儲けしたい」だけじゃないんでしょうか?
それとも「当代貫首」=宗祖と同等ということでしょうか?石山では日寛師の代から、自分で書いた漫荼羅を御形木にして配布しているようですね。

1550愚鈍凡夫:2005/02/23(水) 13:08:04

犀角独歩さん、どうもです。
言われてみれば、漫荼羅を板に刻む事を禁じているのか、それとも、その形木を使って印刷する事を禁じているのか分かりかねる文章ですね。
しかし、どちらにも採れて、言い逃れができるように意図的に書かれた文章なのでしょうかね。

「知的犯罪の指南書として使われたらどうしよう」(by 独り言)

1551一字三礼:2005/02/23(水) 13:42:14
犀角独歩さん

> 尊体本尊その他に入魂・脱魂という法義がないために区切りがつかないという欠陥があると考えています。
まったく仰るとおりで、如何に便宜的・形式的なインチキくさい儀式であっても、所詮、崇拝物自体は紙や木の信仰的付加価値部分ですから、入魂・脱魂は必要不可欠なのでしょうね。

やはり、蓮師の大曼荼羅授与という行為は、蓮師の法儀からしても特別なものだったのではないでしょうか。
現代のように一家に一本尊などではなく、蓮師の考える弟子達にとっての本尊とは、寺院本堂に奉られる一尊四士を想定されていたのではないでしょうか。
信者達は本堂に参詣し、一尊四士に拝復し、その後に僧侶の説法を聞いて帰る、自宅での勤行儀は東方に向かっての唱題・読経、そんな形式想像します。

蓮師の時代には、まだ仏壇という概念がありませんし、有力信者が持仏堂を所有していても仏壇というよりは、寺院のように使われています。
やはり、「一家に一本尊」の考え方が間違いなのではないでしょうか。

1552彰往考来:2005/02/23(水) 22:48:52

形木本尊について、最古の資料は中山三世日祐師の「本尊聖教録」(康永3(1344)年)にある「形木本尊 二鋪 三枚」(『日蓮宗宗学全書第一巻上聖部』昭和43年第二版、山喜房佛書林、407頁)でしょう。この形木本尊は「本尊聖教録」の記載内容から明らかに紙に刷ったものです。中山初祖日常師の「常修院本尊聖教録」(永仁7(1299)年)に形木本尊は記載されていませんが、日常師の収集以後にもたらされたか、この形木本尊が法華寺分ではなく本妙寺分であることからもともと日常師の手元になかったかのどちらかでしょう。なお、「常修院本尊聖教録」の宗学全書本は錯簡があり、寺尾英智師の『日蓮聖人真蹟の形態と伝来』(平成9年、雄山閣出版、349頁)に修正記載されています。
「本尊聖教録」の記載では授与者などは不明です。正徳2(1712)年頃の「堀之内妙法寺目録」(『御本尊鑑 遠沾院日亨上人』昭和45年、身延山久遠寺、196頁)は中山法華経寺が日頂授与之漫荼羅の形木を一幅所蔵していたことを伝えていますが、天正19(1591)年の「日俒御手前ニ有之御霊宝」(『日蓮教学研究所紀要 第14号』昭和62年、立正大学日蓮教学研究所、<資料紹介6頁>)や天正20(1592)年の「中山霊宝之注文」(『日蓮教学研究所紀要 第14号』、<資料紹介9頁>)に記載がなく、慶長3(1598)年の「正中山御霊宝目録」(『日蓮教学研究所紀要 第14号』、<資料紹介20頁>)に「従上方持下日頂授与三枚次之大曼荼羅 一幅 当山江令寄進之」とあることから「堀之内妙法寺目録」記載の日頂授与之漫荼羅の形木は天正20年から慶長3年の間に奉納されたものと考えます。中山から流出し、このとき還流した可能性もあるかと思います。

また身延山久遠寺においても形木本尊を旧蔵していた記録があります。慶長8(1604)年の「身延山久遠寺御霊宝目録(乾師目録)」(『昭和定本日蓮聖人遺文 第三巻』昭和63年改訂増補版、総本山久遠寺、2747頁)に「建治ノ御形木 弘安ノ御形木 合二幅」とあり明らかに紙幅です。『御本尊鑑 遠沾院日亨上人』は主として身延旧蔵御本尊の遠沾院日亨上人による模写で第21番(42頁)に日頂上人授与御本尊が入集しています。編者の影山師は、乾師目録にある形木とし「無年号であるが授与者の名とその位置讃文その他の形式から見て、清水市海長寺所蔵の日頂上人授与の分(立正安国会御本尊集第五三)と殆んど一致する。故に恐らくこれは海長寺所蔵の曼荼羅を原型とした形木であろう」としています。

いずれにせよ、「富士一跡門徒在知事」に「所謂日向日頂日春等」とあるうちの「日頂授与之漫荼羅の形木」が記録にあったことは興味深いことです。

日春師の形木は、『日淳上人全集下巻』(昭和57年改訂分冊、日蓮正宗仏書刊行会)の1544頁(「富士一跡門徒在知事書聞」)に「第四条中日春といふ人は岡宮光長寺の開山で日法師の先輩に当る人であつて模刻の御本尊が郡内に現存する。」とありますが詳細は不明です。淳師の文章では板本尊のようですが、そうではなく紙幅であったかもしれません。

by 彰往考来

1553犀角独歩:2005/02/24(木) 00:40:43

1549 名無し@富士門流さん、まったく、お考え賛同します。

1550 愚鈍凡夫さん、本当に変な文章ですよね。

1551 一字三礼さん、わたしは、仏像奉安と漫荼羅奉懸とは、まるで違う化儀堕と思っています。
また、一尊四士は、取りあえず、興師の考案で、また、漫荼羅を本尊とするのも、その確定は興師。しかし、その奉安と奉懸は、別義であると考えています。

1554名無し@富士門流:2005/02/24(木) 01:54:51

>1553
彰往考来さん、

日淳師が仰るものは、伝日法作の日春供養板曼荼羅のことを勘違いされての事ではないでしょうか?

http://fujigoko.tv/furusato/bunka/act08.html

かつて犀角独歩さんから指摘されましたが、日法師は「門下歴代大曼荼羅本尊集成」掲載の写真によれば、首題の下に「日法(花押)」あるいは「沙門日法(花押)」と書かれていますが、この板曼荼羅は首題の下が「日蓮大聖人」と書かれて(彫られて)おり、本当に日法師の彫刻かは疑問ですけどね。

なんとなく『日淳上人全集下巻』の記述をみますと、この板曼荼羅のことを勘違いされてのご発言かと感じられます。

なお、他門においても当代貫首の漫荼羅を御形木にする例はあるのでしょうか?
普通は御形木といえば、宗祖図顕の漫荼羅ではないかと思うのですがいかがでしょう?
この点ご教授戴けますと幸です。

1555名無し@富士門流:2005/02/24(木) 02:00:04

>1553
犀角独歩さん、

ご賛同戴きありがとう御座います。

以前このスレッドで、学会員の三鳥派に関する論考について、関心をお持ちのようでしたが、「つぶやきすれっど2」の>1362 のご投稿を拝見しなんとなく納得しました。

菅田師の講義内容を、是非お教え戴ければと願うものです。

1556犀角独歩:2005/02/24(木) 07:52:35

1555 名無し@富士門流さん:

菅田師のお話は多岐に亘り、実に「濃密」でした。
ご承知であると思いますが、『中外日報』平成元年1月25日1面に(上)、同26日1面に(下)が載った、同師の文・『日蓮異端・三島派にみる古神道的要素をめぐって』に沿った内容でした。
大見出しを拾えば、

(上)・創始者日秀はじめ玄心・玄了らは遠島に
    ・富士派大石寺の異端
    ・幕府 芽生えを徹底弾圧
     教義 未だ明確には判明せず

(下)・富士宗学の神道的部分の突出が三島派か
    ・行法にちらつく影 神道
    ・遠島で絶えた“邪宗”
     八丈島 日本宗教史の謎遺る

でした。講義はもちろん、堅樹派、完器講にも及びました。

菅田師は、現地見聞の強さ、話題にする場所場所を、実際に訪れたうえでの話であるだけに、それだけでも聞き応えのあるものでした。講義内容をここに簡便に述べることは、とてもできません。

1557犀角独歩:2005/02/24(木) 09:11:35

1551 一字三礼さん、昨晩は酒も入っていましたので、簡潔に書きました。
重ねて、記させてください。

以下は、問答さんとも議論をさせていただいた点ですが、法華経そのもののコンセプトからすれば、この塔内に置かれるべきは法華経典であると類推されます。これを妙法蓮華経の五字と見た着想は蓮師の考案であろうと思えます。しかし、七宝塔を南無妙法蓮華経七字に見立てるという真偽未決に見られる着想を蓮師が果たして懐いていたか、わたしは懐いておられなかったであろうと思えます。

これまた、過去の議論の延長になりますが、釈迦仏と題目五字、どちらが末法本尊かという議論はしばしばなされました。いまは、この議論を繰り返すのではなく、さらに違う視点から言えば、蓮師にとって、妙法蓮華経の五字は一念三千宝珠を裏むが故に尊いという考えが本尊抄に見られる点のみを挙げます。

以上雑駁な概観ですが、わたしは、蓮師の本尊観は一貫して久遠実成の釈尊である、しかし、行ずる観法は一貫して一念三千であるという二面性をそこに窺います。蓮師が仏像に「魂」を入れる所作として考えお出でであったのはその御前に法華経典を置くことで梵音声に代え、ここに三十二相具備するととらえたことは、もちろん、疑問の余地はありません。漫荼羅正意論者は、しかし、晩期、蓮師は以上のような本尊奉安から漫荼羅に移行したと言います。しかし、わたしはその点は納得できません。何故ならば、興師『宗祖御遷化記録』に至るまで、蓮師が一体仏を随身されていたことは紛れもない事実だからです。つまり、入滅のその日まで蓮師が拝んでいたのは、この一体仏であることにも、疑問の余地がありません。(しかし、墓所にそれを置くこといい遺したのは、本尊が漫荼羅となっていたからだというのは、短絡以外の何物でもありません。墓所という道場とは別の用途からでしょう。墓所の様式は三宝奉安、すなわち、仏=一体仏・法=註法華経・僧=蓮師遺骨となっており、別段の意義がそこにあったからでしょう)

「では、漫荼羅は?」という疑問が沸くわけですが、わたしは漫荼羅は、妙法蓮華経の五字で奉懸の場を道場たることを示し、一念三千を裏むことを十界勧請で表し、さらに漫荼羅奉懸の場所を戒壇たることを四大天玉の勧請で示し、祈祷・護という密教的要素を不動・愛染の勧請で補完し、授与者名・日付を記すことで允可・免許の意義も備え、さらにそれら図示によって、蓮師教義の規模もそこで尽くすという、複合的機能があったのであり、つまり、これは釈迦仏像本尊という機能とは別段のものであったのではないのかと考えています。

1558犀角独歩:2005/02/24(木) 09:11:59

―1558からつづく―

しかしながら、重須文献、殊に伝・順師文など、あるいはまた、京で考案されたという一塔二尊四士という奉安、現代で言えば、延山久遠寺の漫荼羅図に基づく仏像配置など、一貫しているのは、漫荼羅を仏像配置図と観るという点であろうかと存じます。

わたしも以上のように、実は考えてきました。
しかし、最近は、これは少し雑駁な発想ではないのか、と考え直すところがあります。

蓮師は漫荼羅を奉懸し、かつ、それに向かって読経・唱題をしたのだろうか?
そんなことをずっと皆で語らってきたのですが、わたしはこの可能性は限りなく少ないと考えます。蓮師が拝まれていたのは、釈迦一体立像であることは疑問の余地がありません。

また、一尊四士という様式の着想は、たぶん、蓮師その人に既にあったように窺え、これを自身の義としたのは興師であったと言う点は重須文書から窺えるわけです。その後の発展で、漫荼羅図を戒壇本堂奉安の仏像配置の、いわば設計図のように見なすに至ったことは、想像されます。いきおい、戒壇本堂奉安の様式をそこに見たのであろうと思えます。

このような考えは、たぶん、京方でも同じで(もしくはどちらかが影響を与えあって)一塔二尊四士を生じた時代背景はあったのであろうと推測されます。
余計なことを記せば、一塔二尊の造立は、法華経の文意、もしくは本尊抄の記述から見ても甚だ不可であると主張してきました。何故ならば「塔中」となっておらず、釈迦・多宝の二仏が塔の外に置かれてしまっているからです。つまり、蓮師の祖意をそれら造立形態は尽くしていないとわたしには思えます。宝塔内に法華経典を置き、左右に釈迦・多宝であれば、法華経の文意、それを五字に置き換えれば、蓮師の着想を忠実に再現したことになろうかと思います。

しかし、仏像奉安と、漫荼羅奉懸はしかし、元来、別段の意味を有して蓮師は確立されたのにも拘わらず、一体仏の遺失、さらに漫荼羅書写における特権性(仏像は仏師という芸術家が作るが、漫荼羅は法義を司る僧侶が書ける)という実利面から、漫荼羅は仏像と同義と見なされるにいたり、現在に至っているのはないかと思えます。

諄い文章になりましたが、以上のことから、仏像と漫荼羅は、その用途を別にすると、わたしは考えています。

1559一字三礼:2005/02/24(木) 11:46:50
犀角独歩さん、レスありがとうございます。

> 蓮師の本尊観は一貫して久遠実成の釈尊である、しかし、行ずる観法は一貫して一念三千であるという二面性をそこに窺います。

私などでは、はっきりとつかめないのですが、「久遠実成の釈尊」と「一念三千」とはどのような関係にあるとお考えですか。

「一念三千」はいわゆる「倶の十界」を機軸として十如是を三世間を加えて説明される、地獄から仏までの、言わば循環の理論ですよね。私の中では、この「一念三千」理論が法華経の内容と結びつかないのです。法華経の中心になる教説は言うまでもなく「二乗作仏」と「久遠実成」。「一念三千」が法華経の法門であれば、どこから導きだされたのでしょうか。

> 妙法蓮華経の五字は一念三千宝珠を裏むが故に尊いという考えが本尊抄に見られる点のみを挙げます。

妙法蓮華経の五字は宝塔であり、且つ妙法蓮華経の五字は一念三千を含む。という事は「一念三千」は宝塔内の釈迦・多宝ということになるのでしょうか。

> これは釈迦仏像本尊という機能とは別段のものであったのではないのかと考えています。
曼荼羅と仏像がまったくの別儀であったとの結論、賛同いたします。

> 蓮師は漫荼羅を奉懸し、かつ、それに向かって読経・唱題をしたのだろうか?

ここに関してはいつも真偽論に突き当たるのですが、例の「本尊問答抄」の最後に、

「其の旨をしらせまいらせむがために御本尊を書きをくりまいらせ候に、他事をすてて此の御本尊の御前にして一向に後世をもいのらせ給ひ候へ。」

これをどう読むかという事で変わってくるのではないか、と思います。私見では、授与した弟子達には大曼荼羅に向っての唱題・読経を勧めていたのではないでしょうか。

> 一塔二尊の造立は、法華経の文意、もしくは本尊抄の記述から見ても甚だ不可であると主張してきました。

このご見解もまったくそのとおりであると思います。一塔両尊四士という奉安形式は、なにか大曼荼羅とも一尊四士とも付かぬ中途半端な感が拭えません。

1560彰往考来:2005/02/24(木) 12:20:50
>1554名無し@富士門流さん

日春供養板曼荼羅のご紹介ありがとうございます。
淳師の件はおっしゃるようなことと思います。

残念ながら私は他門流についてはほとんど知識が
ありませんので、存知あげていないということに
なります。

1561犀角独歩:2005/02/24(木) 14:23:53

1559 一字三礼さん:

>「久遠実成の釈尊」と「一念三千」とはどのような関係

蓮師教学の掌握としては、

本門本尊…「久遠実成の釈尊」(脇士・四菩薩)
本門題目…妙法蓮華経…「一念三千」

という関係であろうととらえています。
蓮師の認識とされては、開権権遠、もしくは顕本遠寿以前の釈尊は迹仏の域であり、これでは真の一念三千とは言えないという廃立ではないでしょうか。寿量では三妙合論で、‘本’因・果・国土が、ここに明示されるととらえるわけですね。生(因)仏(果)国土はもちろん迹門以前でも揃うには揃っていますが、この頭に付く、‘本’がポイントですね。本の因果国と、それ以前では、その意味は天地雲泥であるからこそ、台学を踏襲して開目抄に典型を見る本迹義を蓮師は孕んだのであろうと存じます。(ただし、その教義をわたしが信仰するという意味ではありません)

> 「一念三千」…地獄から仏…循環の理論

なるほど。このように整理されていらっしゃるわけですね。
妙楽の成句である一念三千は、言うまでもなく天台説・章安記の三千不可思議境で、三千而非三千、不思議一というところでしょうが、わたしは参禅、観心法の実践論、つまり、禅を組んでいるときに、己心に地獄から仏を三千に観察する行法であろうと、本文から考えています。この三千はしかし、羅什が九如是として挙げたところを敢えて十如是とし、その乗数を三千としたのは、三千大千世界という吉数への語呂合わせとも思え、わたしは承伏しかねます。


> 「一念三千」理論が法華経の内容と結びつかない

まったく、同感です。上述したとおり、台学では法華経の説くところは一念三千と言いますが、わたしはまったくそうは思えません。天台は、むしろ法華経を通じて、そのような参禅中の観察心法の行法としたわけで、それが法華経の至極であるという考えには、わたしも納得できません。

> 法華経の中心になる教説は言うまでもなく「二乗作仏」と「久遠実成」。

さらに正確を期せば、二乗までの記別(未来成仏予言)と仏になることによって得られる量り知れない長寿という功徳というのが、そのコンセプトで、だから、未来成仏を信じて、五種法師行に専念し弘教すれば、六根清浄を得、死後は極楽世界の蓮華から化生できる、四安楽行もある(安楽とは羅什以前のスカバティー(極楽)の訳語)というのでしょうね。

1562犀角独歩:2005/02/24(木) 14:24:28

―1561からつづく―

> 「一念三千」が法華経の法門であれば、どこから導きだされた

華厳・般若のモチーフを採り入れて、というところでしょうか。
法華経中では、方便の十(九)如、寿量の三妙合論でしょうか。


> 妙法蓮華経の五字は宝塔であり、且つ妙法蓮華経の五字は一念三千を含む。という事は「一念三千」は宝塔内の釈迦・多宝ということになるのでしょうか。

いや、そうではないと思います。
まず、前提として、蓮師の着想に題目=宝塔はなかったであろうと、わたしは窺います。では、宝塔をどう解釈されたのかということになりますが、日女御前に

「宝塔品はいづれのところにか只今ましますらんとかんがへ候へば、日女御前の御胸の間、八葉の蓮華の内におはしますと日蓮は見まいらせて候」

と書き送っておられるわけですね。この書は、しかし、浅井師「八葉蓮華説」は偽書という捌きからすれば、一体、どうなるのか、真跡鑑定の能力はなく、わたしは決し得ませんが、いずれにしても、妙楽が何故か、「一念」と解釈し直した台説・章記の「一心」にこそ、あると思えます。多宝出現は、法華原本から蓮師に至るまで、一貫して真実証明(しょうみょう)を意図するものではなかったでしょうか。しかし、その久遠釈尊は、もちろん観心の本尊であるというのが、台学を踏まえた蓮師の着想でした。

> …「本尊問答抄」

大胆な管見を陳べれば、わたしは同抄は(興師の?)偽書であると思います。

> 弟子達には大曼荼羅に向っての唱題・読経を勧めていた

こう決断するのに、それを指示する真跡・事跡は、わたしはあまりに乏しいと思います。なにより、蓮師は随身仏は、遷化録にも現れるのにも拘わらず、では、蓮師が常時勤行・唱題をしていた随身漫荼羅は?となると、そんな形跡も事跡もまったく見られません。

師匠と違う勤行作法を、果たして弟子にさせるのか、わたしはこのようなことはあり得ないであろうと思います。

そのことから類推すれば、各弟子檀那も、それぞれ釈迦木像を所持し、常の所作に勤行・唱題をしていたのであろうと思います。

1563名無し@富士門流:2005/02/24(木) 14:30:36

皆様、今日は。

犀角独歩さん、彰往考来さん、ありがとう御座います。

話を戻すようで恐縮ですが、北林氏の「饒舌の故に」に出てきます、正信会伝法寺住職の浜中和道師の回想録というのは信憑性のあるものなのでしょうか?
全文をどこかで閲覧等できるのでしょうか?

http://www.heianbooks.jp/zenbun/jyouzetu/index.html


テープの公開については、正信会HPにもコメントが出ていました。

http://www.fujimon.or.jp/siryou/cmnt0003.html

北林氏は原稿用紙1800枚に及ぶ「浜中回想録」を手にされたようですが、「饒舌の故に」では学会側にとって有利な個所だけを引用していると思いますが、妙信講問題から久保川師とともに一連の問題の渦中にあった人物と聞きますから、この回想録にはチョッと興味が湧きました。

1564一字三礼:2005/02/24(木) 21:00:07
犀角独歩さん

一念三千の丁寧なご教示ありがとうございます。

> その乗数を三千としたのは、三千大千世界という吉数への語呂合わせとも思え、わたしは承伏しかねます。

摩訶止観は緻密に深く考えられているとは思いますが、を読んでいると、十境やら十法門やら足したり掛けたりしてとんでもない数字になったりしますね。

「所破かくのごとし、能破もまたしかり、所能合すれば一十八万八千五百六十八句あり。自行かくのごとし、化他もまたしかり、合すれば三十七万七千一百三十六句の止観あり。」

って、言われたって私にはもう数が追いかけきれまへん。

> 天台は、むしろ法華経を通じて、そのような参禅中の観察心法の行法としたわけで、それが法華経の至極であるという考えには、わたしも納得できません。

仰るとおりで、天台には”始めに止観あり”ですね。様々な経典から切文しては、自身の禅法に結び付けているようにも思えます。
逆に言えば、法華経ではさほど三昧(禅・止観)を重視してはおりませんね。法華経で尊ばれるのはまず「信」であり、仏に逢い、また法門を聴聞した時の「歓喜踊躍」であり、寿量品に至れば一品の中で繰り返し3回も使われる「恋慕・渇仰」などでしょう。総じて法華経で褒められるのは皆、躍動的・情熱的な印象を受けます。

> 師匠と違う勤行作法を、果たして弟子にさせるのか、わたしはこのようなことはあり得ないであろうと思います。

なるほど、確かにそのとおりですね。私も自身の意見を取り消して、犀角独歩さんのご見解に賛同いたします。

1565愚鈍凡夫:2005/02/24(木) 21:09:46

最近疑問に思うことなのですが、一念三千は無限の静寂の中に沈み込むような禅定独特の緩やかな呼吸法をイメージさせますが、逆に唱題行はトランス状態まで精神を高揚させていく過呼吸のようなイメージがあります。
蓮祖はこの一念三千の観法と唱題行の何処に類似性を見いだし、唱題行を民衆に奨励したのだろうか。そんな疑問を感じています。

御遺文を拝すると、蓮祖は正像末といった時機に拘っていたと思います。
小生の場合、唱題行と言えば、学会員当時のストイックなイメージがついて回るのですが、ちょっと学会の場合、唱題が攻撃的過ぎるのでしょうかね。

1566大盛り:2005/02/24(木) 22:15:30
天台を読んでいなければ成り立たない会話でついていけない。すごすぎ。

1567一字三礼:2005/02/24(木) 23:11:34
愚鈍凡夫さん

> 蓮祖はこの一念三千の観法と唱題行の何処に類似性を見いだし・・

同感です。
一念三千を末代幼稚の為に妙法蓮華経に包んだという事は、

一念三千の観法(像法)=南無妙法蓮華経(末法)

となりそうですが、時機により唱題行の方が何故か優れているんですよね。
また、観心本尊ではあっても、観心題目ではありません。

正・像・末の三時の分け方も、法華経では在世・正法・像法と説かれます。
まあ、本門に入れば三時の別も権帯でしょうが。

1568犀角独歩:2005/02/24(木) 23:34:09

このような議論を出来る方がいらっしゃることを嬉しく思います。

一字三礼さん:

> 摩訶止観…とんでもない数字になったり…

たぶんなんですが、天台と言う人は、禅を組みながら、いまでいう数学の数取りみたいなことをやっていたのではないでしょうか。いまでは小学生が九九とかやりますが、数字の羅列主義みたいなことは案外、瞑想行に含まれていたのかも知れません。
正確な計算は日蝕・月蝕など、天体の運行を予測することもでき、いまでは天文学に属することを、計算から予測すれば、世の尊敬を集めることも可能であったでしょう。ですから、数学に類することが瞑想・参禅に含まれているのは、むしろ当然ではないのかという感覚をわたしは持っています。

岩本師だったか、論釈などに現れる数字の羅列主義をインド、また、中国の特徴に挙げていましたが、こういう整理整頓は、瞑想と関連して行われていたと見ると、仏教社会が違う感覚で見えてきますね。

> …天台…止観…様々な経典から切文…自身の禅法に結び付けている

さすが。曹洞宗の中野東禅師という方があって、お話をした折、「天台は総合学問みたいなもの」という表現をされ、「ああ、なるほど」と納得したことがあります。
それまで、涅槃経が優位であった風土で、華厳、般若などを統合し、理論構築をした、換言すれば、自分なりに再構成をしたのが、天台学ですから、仰るような側面は当然あって、しかるべきであろうと存じます。

> 法華経ではさほど三昧(禅・止観)を重視してはおりません

さすが。そうなのです。
けれど、漢訳でいう「一心欲見仏」は禅定体験、「不自惜身命」は実践布教という二側面を書き表したものであると、わたしは読みます。

> 法華経で尊ばれる…「信」…「歓喜踊躍」…「恋慕・渇仰」

なるほど。このご賢察は納得できます。
法華経では、その根底には「経典崇拝」という、それまでの舎利、仏塔崇拝を継承した新たな側面も持っていますね。

> 躍動的・情熱的な印象

これもまた、一字三礼さんのお人柄を染み出るような法華経観ですね。
わたしは、法華通読で、驚嘆したのは、わたしが最大の苦手の不怒という側面です。法華菩薩の特徴は、決して怒らないという点です。それを、わたしは冷静沈着という、いわば冷めたように看取していたのですが、仰るような躍動・情熱、そして怒らないとすると、法華経が創作されたアフガニスタン?周辺の風俗が、彷彿とされます。
漢訳仏典で、もっとも失われてしまっているものは踊りと音楽というダイナミズムであると常々思ってきました。まさにその点を一挙に補完してくださったようで感激すら覚えました。


愚鈍凡夫さん:

> 一念三千は無限の静寂…唱題行はトランス状態まで精神を高揚させていく過呼吸…蓮祖…一念三千の観法と唱題行の何処に類似性を見いだし、唱題行を民衆に奨励したのだろうか

これまた、達観ですね。
仰るギャップは、止観をよく読むようになって已来のわたしの感想と同じです。
蓮師の台学受容というのは、まったく瞑想参禅的なニュアンスを感じられず、むしろ、当時、流行りだしていた念仏称名という、お言葉を借りれば過呼吸(貫名師の言葉で言えば有酸素運動)に重点を置いた折衷形式であったのでしょうか。
このような視点から分析、興味が惹かれます。
名僧・称名・唱題時の脳波を取って研究した影山教俊師の分析をお聞きしたいものです。

大盛りさん:

はじめまして…、ではないような気がします。
止観その他は、なかなか面白いですよ。
もし、お読みになっておられなければ、お薦めします。

1569犀角独歩:2005/02/24(木) 23:36:45

【1658の訂正】

誤)名僧・称名・唱題時
正)瞑想・称名・唱題時

1570愚鈍凡夫:2005/02/25(金) 10:26:56

>>1567:一字三礼さん、レス有り難うございます。
>>1568:犀角独歩さん、レス有り難うございます。

法華経のエッセンスを抽出すれば一念三千となり、その一念三千は法華経の題目に集約されると蓮祖は確信されたのではないでしょうか。
また逆に、「五五百歳」に四菩薩が宣布する妙法とはなんぞやとの設問を立てたこと。ここに蓮祖のオリジナリティがあったのかも知れないと思います。
そして、唱題行に結論づけたことで龍樹・世親・天台・伝教という先人たちと肩を並べる自分を想像し、一人ご満悦だったのかも知れませんね。内心、ご自分が上行菩薩の再誕であると確信されていたのかも知れませんよね。

ただ、1565にも記しましたが、一念三千の観法と唱題行が同じ結果をもたらすとは思えないのです。精神的には逆の作用があるように思えてなりません。

1571犀角独歩:2005/02/25(金) 12:41:08

愚鈍凡夫さん:

> 一念三千の観法と唱題行…精神的には逆の作用

わたしも‘いまの’、特に‘学会の’題目の‘上げ’方だと、この対比はその通りだと思います。

ただし、唱題は蓮師時代も、本当にいまと同じようにされていたかどうか。
この点では、考証の余地はあります。中世文献などを見ていても、「題目三返」とか「五返」とかいう記述は目にしますね。わたしは、このような唱題の一返は、かなり長い時間(短くても1分以上)ゆっくりと、引き題目のように唱えていたと思います。

歌舞伎なんかの台詞回しのスピード、あれは中世の人が集まって話すスピードだそうですね。
昔はスピーカーがなかったので、大きな声で、明瞭にゆっくりと発声していた。その名残だそうです。これはたぶん、仏事の勤行・唱題でも同様ではなかったでしょうか。

わたしはこの点に気付いていてから、唱題のスピードを石山丑寅勤行の引題目並にゆっくりと唱えるように変えました。すると、それまでの、感じと打って変わって、むしろ、参禅のときのような心地に変わったので、自分でも吃驚した記憶があります。

「お試しあれ」と申し上げておきます。

1572犀角独歩:2005/02/25(金) 12:59:56

なお、創価学会の超特急唱題、あの起源は、石山の寒経のやり方という話ですが、この実否は如何に?

これまた、余談ですが、蓮師の時代、唱題するのに太鼓を叩いていたかどうか。
学会は、あっさりと、これは廃したのは何故か、けっこう、唱題一つでも考証の余地はたくさん、残っていると思います。

余談ながら、石山では、学会の「題目の上げ方」を「ナメコ題目」などと言います。「南無妙法蓮華経、…」と聞こえず、あまりの早口に「ナメッコッ、ナメッコッ…」と猛烈に繰り返して聞こえるところから、こんな悪口が生じました。このスピード、しかし、太鼓で和するという石山ほか、一般門下の唱え方であれば、絶対に不可能。あんなに早く太鼓はたたけないでしょうし、多少、スピードを落としても、サンバ・ドラムのような感じになるでしょうから。

ま、しかし、気分の高揚、唱題の功徳も語られるわけで、石山、もしくは蓮祖以降、中世と違っても、今風の「上げ方」、さらにSGI勤行なるもので、満足、功徳の体験もあるのでしょうね。一概に悪いとは言えないのかも知れません。

1573通りすがり:2005/02/25(金) 20:11:47
私は元はナンミョウなのかナムミョウだったのかも気になります。

1574とゆうか:2005/02/25(金) 22:11:50
私には、みょーりぎょー・みょーりぎょーとか、みょーりげげる・みょーりげげると聞こえる。
かなりシュールですだ。

1575犀角独歩[TRACKBACK]:2005/02/25(金) 22:21:39

通りすがりさんが疑問に思われている点は『素朴な疑問』スレッドで'02年5月頃に話題になったことがあります。


その時、さらに拡大して、わたしが投稿しました。

*** 以下転載 ***

独歩 投稿日: 2002/05/17(金) 15:27

…古来の日本語には「はひふへほ」の音はなかったと大野晋博士が書いていましたね。では、どんな音であったかというと「ぱぴぷぺぽ-pa・pi・pu・pe・po」であると言います。それが中世には「ふぁふぃふぅふぇふぉ」になり、「はひふへほ」に変化してきたと言います。「んな、馬鹿な」と思いたいところですが、たとえば「か」と「が」を発声する時、口唇咽喉の形状は同じです。他のか行の音もそうです。これはさ行・た行も同様。しかし、は行だけは清音の発声では唇を開いたまま、濁音を発声する時には閉じていた唇をはじくように開いて発声します。ところが半濁音である「ぱぴぷぺぽ」を発声する時の口唇咽喉の形状は濁音と同様。このことから、は行は本来、P音であったと言われるわけです。

そうなると南無妙法蓮華経は「なむみょうぽうれんげきょう-Nam・Myou・Porengek・you」となってしまうわけです。しかし、これは一概に否定できないのです。なぜならば、真蹟のない『御義口伝』ですが妙法蓮華経の梵語を「薩達磨芬陀梨伽蘇多覧」とあります。これは現在、「さだるま“ふ”んだりかそたらん」と訓読みされるのですが、「芬陀梨伽」は梵語の pundarika の音写ですから、プンダリーカ。通じていえば、sad-dharma-pundarika-sutra 、これを日本語的に読めば「さだるま“ぷ”んだりかすーとら」となり「ふ」ではなく「ぷ-pu」であるからです。

さらに定着しませんでしたが、日本語の旧仮名遣いでは「きょう」は「けふ」となりますが、平安文学の研究などでは、この旧仮名遣いは文字どおりに読んでいたのではないのかといわれています。「なむみょうほうれんげきょう」を旧仮名遣いで記すと「なむめうほふれんげけふ」となるのでしょうか? すると Nam・Mehu・Pou・Renge・Kehu という音に近いことになるようです。

また、古代人は現代人よりはるかにゆっくりと話していたと言われ、たとえば歌舞伎のあのゆくくりとした発声のスピードが標準的なものであったのではないのかとも言われていると教えてくれた先生がおりました。

700年の時間の経過は文語的な変化ばかりではなく、それ以上に口語的変化があったことは否めません。

ここで素朴な疑問です。いったい、聖人が唱えられていたお題目は、如何様なものであったのでしょうか。

あと、よく言われることですが、座法も、正座ではなく、胡座であったことは御影像からも間違いのないことであるようですね。

ここでも、素朴な疑問です。しかし、女性はどうであったのでしょうか。ここら辺はよくわかりません。ご存知の方、いらっしゃりましたら、ご教示ください。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1014180269/r55

*** 転載おわり ***

真跡遺文で拾えば『妙法尼御前御返事』(弘安元年(1278)07・14)に

「御消息に云く めうほうれんぐゑきやう(妙法蓮華経)をよるひる(夜昼)となへまいらせ、すでにちかくなりて二声かうしやう(高声)にとなへ、乃至いきて候ひし時よりもなほいろもしろく、かたちもそむせずと云云」

とあります。当時、川蝉さんが指摘されていました。それに対して、

> めうほうれんぐゑきやう

の「ぐ」は編集の段階でよみの便宜に濁音を補ったのでしょうね。「ゑ」は既に失われた母音なので、実際はどのように読まれていたのでしょうか。大野晋説を敷衍すれば

「 Meu-Pou-Rengu“e”-Kiyau 」

とでもなるのでしょうか。
編集段階の表記の改めというのは、けっこう、ありますでしょう。聖人は吃音を「ん」で表記されていたと読んだ覚えがあります。となれば、「思って」は「おもんて」などとなり、実際のところ、当時はそんな発声であったのであろうと私は想像しています。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1014180269/r64

と応じたことがありました。

注目すべきことは、ここで唱題は、わずか2回となっていることです。

1576犀角独歩:2005/02/26(土) 18:15:02

―1575からつづく―
はひふへほ<ぱぴぷぺぽ につき、興味深い、ページを見つけました。

大野晋説とわたしが即断していたことは、上田万年説が先行していたようです。(もちろん、大野晋師も書いています)

ひよこがぴよぴよ
http://homepage2.nifty.com/kawahara0309/hiyoko.html

1577愚鈍凡夫:2005/02/27(日) 00:31:06

犀角独歩さん、どうもです。

「忙しいったらありゃしない」(by 独り言) ε〜( ̄、 ̄;)ゞフー

ふと、思ったのですが、
昔の唱題が引き題目よりもゆったりとしたものであったら、みんなで唱和するときは困ったでしょうね。
人によって、それぞれ長さが違ったりなんかして。 (^^ゞ

1578吉祥仙人:2005/02/27(日) 06:21:29
 実体験から

 学生部当時、「グループ長の勤行・唱題のスピードについていけない」と部長に言ったところ、

 「勢いのある題目も大事なのだから、あわせるように」と指導されました。
 
 
 ついでに、学会では今、引き題目は行いません。

1579犀角独歩:2005/02/27(日) 08:56:44

愚鈍凡夫さん
吉祥仙人さん

わたしの投稿のポイントは、要は、いまの勤行・唱題が、蓮師と同じと思ったら大きな間違いだろうということです。

1580彰往考来:2005/02/27(日) 11:53:26

>1575 女性はどうであったのでしょうか。ここら辺はよくわかりません。

玉沢妙法華寺蔵『日蓮聖人像』は左下隅に曽谷教信夫妻を描いています。
この図が初期教団の姿を表すものと仮定しますと曽谷教信は胡座であるの
に対して夫人は正座です。当時女性は正座だったのではないでしょうか?

なお、日本では女性はまず胡座をしませんが、タイでは女性も胡座をして
いる姿をみて文化の違いを感じました。

この画像は2003年に東京国立博物館で開催された『大日蓮展』に出展
されていましたのでごらんになられた方も多いと思います。そのときの目
録に掲載されています。同じ画像が宮崎英修著『日蓮とその弟子』(昭和
46年、毎日新聞社)にも掲載されているのですが、こちらは肝心の箇所
が切れていて確認できません。画像では夫妻は数珠を片手に聴講されてい
ます。

ご参考まで。

1581犀角独歩:2005/02/28(月) 08:38:50

1580 彰往考来さん、有り難うございます。

この像の、制作年代はいつ頃なのでしょうか。

正座、これが正しい座という呼称自体後代に属すると思います。
以前、聞いた説明では、この座法が定着したのは、武家の勃興に関係するということで、つまり、直ぐに立ち上がれ、抜刀できるからであるなどという説明を石山の僧侶から受けたことがあります。

となると、この座法自体、男性によって定着したことになるわけで、その意味からすると、曽谷妻(女)像が、そうであるという説明と食い違っていることになります。

その点からも、なかなか興味深い資料ですね。

1582パンナコッタ:2005/02/28(月) 17:24:41
横レス失礼します。
正座に関しては、神道の影響が大きいと以前聞いたことがあります。ここでも神本仏迹論の
影響があると思われますが、女性の服装の変遷をみると奈良朝の女官辺りから「重ね」が
主流となり、座って胡座をかくことはまず出来ません。
一般の民のおかみさんなら違ったかも知れませんが、鎌倉期の武士の夫人なら他人がいる所で
裾をひろげるようなマネは絶対しなかったでしょう。

ズレますが隣国韓国では古来より、罪人の座らせ方として一般的ではなかったようです。
キリスト教の布教時に、神に跪く姿勢をとらせるのに苦労したようです。

1583彰往考来:2005/02/28(月) 22:23:47

>1581
>この像の、制作年代はいつ頃なのでしょうか。

玉沢妙法華寺蔵日蓮聖人説法図について坂輪宣敬師は、
「玉沢手鏡草稿中の日昭の譲状に
一、生御影、絵は大蔵也、居子ニテ御説法、曽谷夫婦聴聞問之体也、御経第六巻ノ初、宗祖御筆也、授与法名法蓮、蓮華比丘尼、文保十一年十六日
とあるので、この書を信ずるかぎり、本画像の聖人在世中の成立ということも十分考えられる。」(昭和46年、大崎学報第125・126号(「日蓮聖人画像について」、126頁)としています。
また、田中豊蔵師は、「余は玉澤の説法図をも矢張り佐渡以後、身延の初期、即ち教信の剃染するすぐ以前假定すれば建治元年から三年迄のものと考えたい。」(『日本美術の研究』1960年、二玄社、197頁)としています。しかしながら田中師は同書で、十界曼荼羅を書かず一尊四士を書いているのはそのほうが絵画的であるとか、この道場は身延であるとされていますが、その見解は疑問であると私は考えます。坂輪師も「(田中)氏の論文にはやや賛同しがたい点もある」(『日蓮と法華経 講座日蓮第1巻』1972年、春秋社、222頁)と指摘しています。
樋口誠太郎師は「この妙法華寺御影は、迫力はあるがおそらくずっと後の世のものかと思われる。その理由は前に記したごとく、日蓮が禅宗様式のみなりをしていること、曽谷夫妻の姿も鎌倉時代の風俗ではない。まず、曽谷法蓮の侍鳥帽子は、室町時代の他の絵画に見られる様式と共通の方式で描かれているし、服装も(直垂姿)室町時代ぐらいまでくだるのではないかと思われる。それらに加えて、曽谷法蓮の妻の服装が腰巻姿といって、室町時代武家女性の正装で描かれていることから、これらはだいたい室町時代の作品とみて良いのではないか。これを南北朝期にまで作期をあげるのも問題であろうと考える。」(『日蓮 房総における宗派と文化』昭和55年、千秋社、239頁)と指摘しています。
また宮島新一師は、「妙法華寺本日蓮上人画像は、十四世紀初めに描かれたもので・・・鎌倉時代後期に、曽谷教信の子(傳浄、?〜一三五九没)が製作させたものと考えるべきであろう。」(『肖像画』平成6年、吉川弘文館、170頁)としています。
以上のことから、玉沢妙法華寺蔵日蓮聖人説法図は鎌倉時代から室町時代の作と考えてよさそうです。
私はこの説法図もしくはその原画は文応元年の松葉ヶ谷の法難のあと下総の富木常忍の持佛堂で実施された百日説法を描かれた画ではないかと考えています。どうみても描かれた蓮祖がお若い。40歳前後にしか見えません。身延期であれば50歳以後です。また右下の履物がいかにも来客を思わせる描き方からそう考えるものです。この絵で十界曼荼羅を書かず一尊四士を書いているのも文応元年の描写であれば納得できます。

1584犀角独歩:2005/03/01(火) 01:52:32

1583 彰往考来さん

緻密なご教示、有り難うございます。
恐縮ですが、もう一点。

> 一尊四士…文応元年…納得

とは、どのような意味でしょうか。

1585彰往考来:2005/03/01(火) 07:30:53

>1584

蓮祖在世中に文字漫荼羅が本尊であったのかどうかは過去のスレッドで議論され
ているように大きな問題です。
この問題に触れるのではなく、単純に日蓮聖人図として見た場合、後世のものは
日蓮聖人涅槃図で臨滅時の漫荼羅が掲げられているように、文字漫荼羅が描かれ
る例が多い気がします。後世のものから見ればそのほうが“もっともらしい”と
か“絵になる”ということでしょうか。
ご案内のように、山中喜八師の『御本尊集』では最初の文字漫荼羅が登場するの
は文永8年です。史実かどうかは別にして龍の口法難の後ですので第1番漫荼羅
も事実上佐後期に属すと考えます。
文永8年より前の文字漫荼羅はどれひとつとして真筆はありません。すべて偽筆
です。このことから、文応元年の状況を描写していると考えられる本図で文字漫
荼羅が描かれていないのはむしろ妥当なことであると考えている次第です。

1586犀角独歩:2005/03/01(火) 10:21:39

1585 彰往考来さん

重ねて御礼申し上げます。
有り難うございました。

> 文応元年…描写…文字漫荼羅が描かれていないのはむしろ妥当

これはたしかに、漫荼羅が描かれていないのは妥当ですね。

蓮師門下の漫荼羅・本尊の変遷は、伊東流罪以降、一体仏、仰るように文永期以降に漫荼羅の図示が始まる。ここまでが蓮師在世の出来事であろうかと存じます。
その後、興師は、一尊四士を自義とし、追って漫荼羅本尊正意がやがて定着しますね。いつの頃と査定されるのか、わたしは存じ上げませんが、その後、一塔二尊四士の奉安様式が京都方面で生じ、それが全国に広がっていた。そんな変遷があろうかと存じます。

一尊四士の仏像奉安は、その理論的原形を文永10年の『如来滅後五五百歳始観心本尊抄』に求められるでしょう。となれば、文応元年からは13年も以前のこととなります。また、伊東流罪は弘長元年か3年のことですから、伝承の如く、この頃かから蓮師が一体仏像を随身されたとしても、係る史実はそれ以前のことです。ただし、脇士を持たない一体仏は、特に蓮師に係る奉安とは言えないと思えます。

つまり、文応元年の段階では、それまでの仏像奉安、たとえば、一体仏、もしくは、脇士に文殊・弥勒などを置いた形式はあっても、四菩薩(士)を置く奉安が成立していたとはとうてい思えません。

以上のことから、文応元年時点で一尊四士を充てることは、まったく不適時であると思いますが、如何でしょうか。

1587彰往考来:2005/03/01(火) 12:27:02

>1586 文応元年時点で一尊四士を充てること…不適時

そうですね。私は文字漫荼羅が描かれていないのがむしろ妥当
なことであるという観点でして、いわれてみれば一尊四士でも
ちょっと変ですね。

1588犀角独歩:2005/03/01(火) 21:02:55

1587彰往考来さん:

> 文字漫荼羅が描かれていない…妥当

御説敬服します。

> 一尊四士…ちょっと変

この点、コンセンサスが採れたことを嬉しく存じます。

1589愚鈍凡夫:2005/03/06(日) 00:16:32

済みません。話題を創価学会に戻しますが、
小生は、創価学会が社会貢献したことで最大のものは、在日問題や同和問題による不満の捌け口のクッション的役割を果たし事ではないか思います。
「信仰は役に立つか」スレで人種差別の問題が議論されようとしていますが、創価学会は表面的に差別のない互助的組織としての役割を果たしてきたように思います。
但し、これは表面的なことで、創価学会員でも酒に酔うと、関西弁特有の口汚い言葉で罵る人も少なからずいます。
まぁ、これは関西の際だった特徴かも知れませんが、これらの人々の中には必死に努力して、社会的成功を収めている人が少なくないから、一種の妬みでしょうね。
悲しいかな、本音と建て前がはっきりしているのが創価学会の特徴でもありますね。

1590愚鈍凡夫:2005/03/22(火) 14:19:30

創価学会は、
「季札といひし者は心のやくそくをたがへじと王の重宝たる剣を徐君が墓にかく王寿と云いし人は河の水を飲んで金の鵞目を水に入れ公胤といひし人は腹をさいて主君の肝を入る此等は賢人なり恩をほうずるなるべし、況や舎利弗迦葉等の大聖は二百五十戒三千の威儀一もかけず見思を断じ三界を離れたる聖人なり、梵帝諸天の導師一切衆生の眼目なり、而るに四十余年が間永不成仏と嫌いすてはてられてありしが法華経の不死の良薬をなめて・種の生い破石の合い枯木の華菓なんどならんとせるがごとく仏になるべしと許されていまだ八相をとなえずいかでか此の経の重恩をばほうぜざらん、若しほうぜずば彼彼の賢人にもをとりて不知恩の畜生なるべし、毛宝が亀はあをの恩をわすれず昆明池の大魚は命の恩をほうぜんと明珠を夜中にささげたり、畜生すら猶恩をほうず何 に況や大聖をや、」(「開目抄」学会版P203)

「夫れ老狐は塚をあとにせず。白亀は毛宝が恩をほうず。畜生すらかくのごとし。いわうや人倫をや。」(「報恩抄」学会版P293)

などの文証を引用して、「報恩」、「報恩」と捲し立てていますが、
れいの「香峯子抄」には、仲人の小泉隆氏や、白木家の折伏の親である原島夫妻のことはまったく記されていないらしいですね。まして、原島精子初代婦人部長には個人的に世話になっていると思うのですが。池田さんの戸田さん亡き後の戸田家に対する態度など、「報恩」を盾にする教団とは思えないのですが、所詮、「報恩」とは創価学会が受けるものであって、他に報ずるものではないというのが学会の理念なんでしょうか。

1591吉祥仙人:2005/03/23(水) 09:02:16
 愚鈍凡夫さんへ

 おりしも、3月度座談会拝読御書は「報恩抄」の上記の部分でした。

 まあ、創価学会の功罪を考えるうえで、批判されてしかるべきところは当然あるでしょう。
 それも含めて、それを補って余りある功績があると、私は思います。

 事実を述べれば、「個人的リアリティー」と言われることを覚悟で、自身の体験をあげます。
理論がどうの、社会的にどうのと言われるより、個人にとっては、個人の体験こそが、
自身の人生経験こそが、最も重大な根拠となりえるのではないでしょうか。
 その寄り集まりが、創価学会の最大の功績であり、実力であり、存在意義でしょう。

 まして、悪口罵リ(でてこない・・・)されることが、「実証」とする学会においては、
「勇者は喜び、愚者は退く」とばかりに、ますます勇猛精進するでしょう。

 正直言って、「世間から賞賛されたら、学会の歴史的役割はおわる」とさえ指導する
学生部幹部がいたほどです。

 ま、私としては、「創価学会幹部か、りっぱですね」と言われるほうがうれしいですが

1592犀角独歩:2005/03/23(水) 09:08:19

> 世間から賞賛されたら、学会の歴史的役割

では、170の称号・勲章で学会と池田さんは終わったんですか(笑)

1593犀角独歩:2005/03/23(水) 09:14:42

> 個人の体験こそが、自身の人生経験こそが、最も重大な根拠

これはそうでしょう。しかし、それをもって、自分たちが最高で、他が間違っていると、自分たち以外の‘個人的リアリティ’を認めないうえで、「邪宗」だなんだと排撃してきたから、創価学会の社会的批判があったことを忘れてはならないでしょう。

創価学会が共生を模索し、他の「個人的リアリティ」を認めるようになれば、そんな批判はなくなります。しかし、では、何でも一緒かと言えば、そうではなく、「自分たちの会はいいですよ」と言えるものを、他者攻撃無くして、如何に構築できるかという次段階に創価学会は入るべきでしょうね。

池田さんの対談なんか読んでいると、案外、そんなストーリー展開になっているのに、当の学会員は、そうは見えないギャップに、また批判があるということです。

進むべき、方向性は見えていると思えますが。

1594犀角独歩:2005/03/23(水) 09:42:34

やや横道ですが、3月19日オウム真理教地下鉄サリン事件10周年集会に参加してきました。

この事件でご主人を亡くされた高橋シズヱさんがアメリカから9・11テロ被害者の会のメンバーを招待された、実に重要且つ有意義な会合でした。

オウム真理教の信者は、もっとも脱会をさせるのが難しいというのが、支援者の経験則です。その理由は何か。彼らが神秘体験という強固な個人体験を有しているからです。
神秘体験・個人体験、換言すれば「個人的リアリティ」ということです。
そして、彼らが脱会しないメカニズムは、1591に吉祥仙人さんが記述されたのとほとんど同様である点が注目されました。

9・11に世界貿易センタービル、またペンタゴンに突っ込んだ旅客機を操縦していた実行犯、また、日々報道される自爆テロに命を捧げる人々、また、いま、この瞬間に神の名の下に武器を手にして、殺戮を繰り返す人々を強く支えているものは何でしょうか。
それは彼らの信仰に基づく「個人的リアリティ」です。

1595パンナコッタ:2005/03/23(水) 11:13:51

〉個人のリアルですか。  
 オウム事件の時、司馬遼太郎さんが
「・・・光が見えたとかの、生解脱。そう生解脱がいちばんあぶないんだ・・」
と、盛んに指摘していたのを思い出しました。
更に体験談などを聞いてカタルシスを感じるのも個人のリアルの一つでしょうね。

1596犀角独歩:2005/03/23(水) 11:34:08

しかし、宗教団体というのはいいですね。
その団体が半世紀で、膨大な資産を構成して、幹部連が大金持ちになったわけです。一般の企業であれば、三波春夫さんじゃありませんが「お客様は神さまです」とか言って、感謝されるのはお客さんのほうです。ところが金を出し、無償労働をした会員のほうが、お金持ちにしてやったほうに「報恩」しろと言われるわけなんですね。

これはけっきょく、会員が「個人的リアリティ」で幸福感を味わったからだというのがその根拠のわけですか。創価学会員がお人好しだとおもうは、こんなところですね。

まあ、関係ないですが、神仏はお金は要らないわけです。食べるものがあるとすれば、法味でしょう。
会員と神仏の中間に組織・指導者がいます。そして、会員が出した金は、その中間の組織・指導者が手中に収めます。神仏には決して届くことはありません。それなのに、御利益を与えるのは、その上にある神仏です。

わたしはこんな構造を宗教の中間搾取と呼んできました。

1597愚鈍凡夫:2005/03/23(水) 12:29:24

吉祥仙人さん、どうもです。

> 理論がどうの、社会的にどうのと言われるより、個人にとっては、個人の体験こそが、
> 自身の人生経験こそが、最も重大な根拠となりえるのではないでしょうか。

小生は、創価学会が社会に果たした最も大きな役割は、在日問題・同和問題を吸収したことだと思っています。具体的に言えば、本来なら左翼に流れたであろう人々を吸収して、暴動が起きないように防いだことだと思っています。

個人の体験、個人の人生経験が重要であるならば、他の宗教であっても、極端な話、無宗教であっても別段問題はないのではないでしょうか。生きていれば自ずと何らかの体験・経験は付いてくるものですから。

> まして、悪口罵リ(でてこない・・・)されることが、「実証」とする学会においては、
> 「勇者は喜び、愚者は退く」とばかりに、ますます勇猛精進するでしょう。

勇猛精進と言いますが、結局は寄らば大樹の陰で、数の論理が働いているからでしょう。いざ、個人となれば、弱者の集まりですよ。「独りの時に強き人」は、経験上、創価学会ではあまり見かけませんね。
真に強き人は、静寂の中に生きていますよ。まるで大地を鷲掴みするようにしっかりと根を張ってね。そういう人は、執拗なまでに己を鼓舞する必要などないのですよ。

大きなお世話ですが、学会の公式ホームページに仏法用語(と言うよりは学会用語)のIME登録辞書がありますよ。パソコンのIMEに取り込んでみられてはどうですか。入力が楽になりますよ。

> 正直言って、「世間から賞賛されたら、学会の歴史的役割はおわる」とさえ指導する

池田さんは、世間から賞賛されたがっているでしょう。白木さんや竹入さんが国から勲章を貰ったときなど、賞賛するどころか、無視していたのではないですか。
小生は、創価学会の宗教団体としての歴史的役割は既に終わっていると思っています。今までとはまったく違う方針を打ち出さなければ、自然に衰退していくのではないでしょうか。とは言っても、昭和30年代、40年代の入信者が全員いなくなるまでは、そうもいかないとは思いますが。

以前、「全ての学会員が幸福になれば、広宣流布はあっという間に達成されますよ。」と言ったことがあります。そろそろ、学会員の善意や使命感を搾取するのを止めて、学会員に「報恩」の誠を尽くしてはどうでしょうか。

1598パンナコッタ:2005/03/23(水) 13:09:09

よく学会は「一人立て」なんて鼓舞させますが、『御義口伝は偽物である』なんて
言う人物は反逆者として罵詈雑言浴びせるでしょう。 なんだかな〜。
 事実は事実として受け止められないんでしょうね。 先日学会は、英語版の
御義口伝を出しました。聖教紙上で「大聖人の講義を日興聖人が書写したと伝え
られている・・」と、説明が載っていました。恐らくは確信犯なのでしょうね。

1599パンナコッタ:2005/03/23(水) 13:12:38
〉1598  日興上人ですな。すんません。

1600愚鈍凡夫:2005/03/23(水) 13:33:04

「日興上人が書写したと伝えられている」と言うのが渋いですね。
何か突っ込まれたら、「だから、日興上人が書写したとは言ってないだろう。ちゃんと、伝えられていると言っているじゃないか。文句があるなら、日蓮正宗に言ってくれ」ってかぁ〜。 (-"-;A ...アセアセ

今更、いままで創価学会が得意げに引用していた文証が悉く偽書からの引用だったなんて言えないでしょう。これからも、「日蓮大聖人の御聖訓」と言い張るのじゃないでしょうか。
「日蓮大聖人の御聖訓を偽物呼ばわりする魔の眷属め! 成敗してくれる」なんてヒステリックに叫びながら。 ∫(TOT)∫ムンク

1601パンナコッタ:2005/03/23(水) 16:18:24
>1600  ええ、愚鈍凡夫さん、そうなんですよ。
こういう言い回しで、お茶を濁すやり方が罷り通っていますから、止めて欲しい
ですね。 
文章の証拠付けに使われる『遺文の切り張り引用』もよく見ると、明らかに偽書
や、かなり怪しい物も平気で引用していますね。やはりあの御書全集が全てと考えて
いるからなんでしょうかねぇ。
 御義の英語訳はそれなりには評価出来るかもしれませんが、英語ネイティブの仏教
研究者はいったいどう思っているのかな。 あんまし相手にしてないような・・・。

1602愚鈍凡夫:2005/03/23(水) 20:44:52

「う〜ん、これは日本古来から伝わる言葉遊びか? 訳分からん」
なんて首を傾げたりして。

「アヤヤほど可愛くありませんが」
って言うかなぁ・・・・・。 (*^。^*)

1603吉祥仙人:2005/03/24(木) 05:48:21
 「つぶやき」になるかもしれませんが。

 日蓮正宗の教学(富士宗学全集・要集)を創価学会が継承し、阿部管長も偽物と
鑑定した「大石寺の大御本尊」を擁護する。
 戸田先生への義理立てだけではないでしょう。まして、教団維持のためだけとは
思いたくない。


 学会員は言う。「宗教を金儲けに使う邪宗教と一緒にするな。」
 皆さんは言う。「なぜ、創価学会がそういう宗教でないといえるのか。」

 どうも、このへんをドウドウ巡りしているような気がします。

1604犀角独歩:2005/03/24(木) 11:18:22

金儲け宗教だ=莫大な資産を構築して、特権幹部は法外な給与を取っているから=外部
そうではない=各人が組織・指導者を通じ、実証を示し、幸福感を得ているから=内部

という両面があるからでしょうね。会は会員が幸福感を味わっている限り、収益が成り立つから、会員にだけ満足感を与え、その見返りを得て資産を形成するという閉じた生態系が構成されているのでしょう。外部からすれば、会員が感じる幸福感など、まったく関係ないわけですから、上述の部分しか見えない。反面、会員は自分たちの実証に判断基準を置くから社会的批判には目を向けない。それがまた、外部から批判となるという堂々巡りでしょう。

1605& </b><font color=#FF0000>(fEkpAFto)</font><b>:2005/03/24(木) 12:47:56

> 学会員は言う。「宗教を金儲けに使う邪宗教と一緒にするな。」

金を集めすぎている創価学会に、「一緒にするな」と言う方が無理なんですよ。
世界規模で広がる被災民や難民に、その有り余る資金力で、惜しみない支援をしているというのであれば、誰もそう思わないんでしょうけど。
毎年数千億円も集めて、広宣流布は金で買えると思っているんだろうかと、小生なんかは見ていますけどね。 ( ̄Д ̄;;

1606愚鈍凡夫:2005/03/24(木) 12:55:57

済みません。
>>1605の投稿は小生です。ブラウザの調子がちょっと変です。 m(_ _)m

1607パンナコッタ:2005/03/24(木) 16:29:29

都合良く、英訳御義の訳者、元コロンビア大教授バートン・ワトソン博士の特別寄稿が
大百蓮華4月号に載ってましたので以下抜粋。 しかし、なんか変なんですけど・・。

『インドの人々は、中国人とは違って、古代においては史実の記録にほとんど興味
を示さなかったようである。彼らはヴェーダ聖典やウパニシャッド、また、いくぶん
後代になる仏教やジャイナ教などの、歴史的・哲学的作品の伝承にには多大な関心
を払った。しかしそれらは口述形式で伝承したものであった。
 インドの人々はおそらく、この世を不確かな有為転変の領域と見て、俗世の出来事
を記録するのをむなしく感じていたのであろう。』

1608パンナコッタ:2005/03/24(木) 16:30:15

続き

『1998年、私は「法華経」の英訳作業を開始した。 これは、池田会長と
私の会見の中で検討されたプロジェクトであった。鳩摩羅什の漢訳「妙法蓮華経」
にそっての英訳である。  
 漢訳の「法華経」は数種類あるが、中国・朝鮮・日本で最もよく知られている
のが羅什訳である。古代の漢文で書かれた羅什の文章は、流麗で、意味が不明で
あったり、論議の争点となるような表現は、まず見当たらないという名訳である。
 そのため、翻訳者として直面した問題は、原文の意味をどう捉えるかではなく、
それをいかに平明で滑らかな英語にするかであった。
 仏教書の翻訳者の中には、古風な聖典の響きの言葉を使って、崇高で宗教的な
トーン(格調)をもたらそうとする者もいる。
 しかし私は、自分の翻訳文に決して古風な英語を使うことはない。むしろ、
できるかぎり分かりやすく、最も心地よい響きの現代英語にするよう心がけている。
この方針こそ、私が英訳版「法華経」で目指した目標であった。釈尊自身、仏教の
教えは大衆が日常使う言葉で表現すべきだと語ったと伝えられているからである。
 この翻訳書が1993年にコロンビア大学出版局から出版されて以来、「御書」
に引用されている「法華経」の英文は、この書が用いられるようになった。』

1609パンナコッタ:2005/03/24(木) 16:30:54

続きの続き

『私が取り組んだ長期的なプロジェクトの一つが「御義口伝」の英訳であった。
 池田会長の著作を頼りにして、翻訳に励んだ。1990年代、私はこの仕事に
忙殺された。この翻訳書は最終的に2004年末に、英訳《御義口伝》
〈The Record of the Orally Transmitted Teachings〉という題名で、創価学会
から発刊された。
 一般に、仏教を論じる中国や日本の著作家や講演者たちは、好んで「即今」
(今まさに)という言葉を使う。彼らがこれによって表現したいのは、「仏教の
教えは、あなた個人にとって、たんなる教義上の理論としてではなく、あなたの
人生そのものの中で、”今まさに”どんな意味をもっていますか?」ということ
である。
「御義口伝」で日蓮大聖人が言われていることは、本質的にこうした性質
のもののように私は思われてならない。
 大聖人は、釈尊の生涯や時代というコンテクスト(背景)から、法華経に
説かれた物語や思想を取り出して、それらが聴衆の人生や時代にどのように当て
はまるかを示そうとした。聴衆とは、末法と呼ばれる鎌倉時代の日本人であり、
同時に場所と時代を問わず、”今まさに”いたるところにいる、あらゆる人々
なのである。
「御義口伝」へのこのような捉え方が私の翻訳の基本である。私はそれが間違い
ではないこと、そして私の翻訳が英語圏の読者たちにこのことを正しく伝え得る
ことを、心から望んでいる。』

1610パンナコッタ:2005/03/24(木) 16:31:35

続きの続きの続き

『私は、かなり前からコロンビア大学で教鞭を執らなくなったため、残念ながら、
私の翻訳への学生達の反応を聞く機会はなくなってしまった。
 しかし、私が創価学会のために翻訳した書物は、どうやら売れ続けているよう
である。これは、どこかにその真価を認める読者層がいることを示すものであろう。』
  大白蓮華4月号 池田SGI会長とともに歩んだ30年の翻訳人生 より引用

如何だったでしょうか。自分は???????の連発だったのですが・・・・。

1611犀角独歩:2005/03/24(木) 16:46:01

法華経を英訳するのであれば、梵本のテキストを使えばよいわけで、翻訳したものをまた翻訳するような愚(これじゃ、伝言ゲーム)をするのか、それをまた、コロンビア大学で教鞭を執った人が行った?というのは、驚きというより、呆れた気分になりました。

まあ、しかし、什の妙法華を使う日本と英語圏では意味がある?ということでしょうか。

さらに冗談にも程があると思ったのは、「「御義口伝」で日蓮大聖人が言われている」と、その資料の分析もなしに、よくぞ書いたという驚きで、これまた、呆れた気分に近いものがあります。

しかし、御義口伝では、日蓮本仏はまったく説かれていないわけで、久遠釈尊の顕彰になっているわけですが、ここら辺は、どうやって「解釈」を付けるのか、興味深いところがあります。

翻訳の質そのものは、わたしの云々できるところではありません。
名訳や、意訳、違訳かどうか、伝言ゲームのように、どんどん事実から離れていなければいいのに、と願うばかりです。

1612愚鈍凡夫:2005/03/26(土) 03:38:32

犀角独歩さん、どうもです。
スレを間違って投稿したので、こちらに移動します。
嘗て池田さんは、立正佼成会の庭野さんが国会の証人喚問に呼ばれた時、戸田さんがそれを羨ましがって、自分の処にもこないかなぁっと感想を述べたというエピソードを紹介して、これこそが真の言論であると学生部の会合で指導したそうですが、いざ、自分がその立場になった時、逃げ回ってなんとか証人喚問を阻止しよう画策したと聞いています。
言行不一致が池田さんの際だった特徴と言えるでしょうね。 ムカッ( ̄∩ ̄#

1613犀角独歩:2005/03/26(土) 08:49:47

愚鈍凡夫さん、それでも、池田さんて、1回は証人喚問に立ったことがありましたよね。たしか、証人台に50万円入りの財布を置き忘れたというやつです。証言に立っているとき、その財布をずっとなで続けていた。あとで理由を聞かれたら、「そうすると、気持ちが落ち着く」。そんな話ありませんでしたっけ?

1614愚鈍凡夫:2005/03/26(土) 12:11:54

それって、池田さんにとっては漫荼羅よりも日本銀行券の束のほうが御利益があるということでしょうか。
厄よけの御守りとして財布に入れていたなんて言い訳すると笑えるのにな〜。 (^O^)

1615犀角独歩:2005/03/27(日) 00:34:42

愚鈍凡夫さん、なんだか、みんな引いてしまいましたね(笑)

1616愚鈍凡夫:2005/03/27(日) 01:16:44

犀角独歩さん、そういえば・・・・。最後の追い込みで忙しいんでしょうか。 (;^_^A アセアセ…

多くの人の犠牲の上に自身の栄光を築き上げた池田さんが、人生の最終章に何を綴のか、みんなが注目している思うのですが、ただ一つ、日本国の王となる儚い夢が消え去る瞬間、どんな人生だったと総括するのでしょうね。
最期まで己以外の人を信じることが出来なかったことから生じた、深い孤独を悔やむのでしょうか。 (..;)

1617犀角独歩:2005/03/27(日) 16:56:34

愚鈍凡夫さん、どうも。

> …最後の追い込み

自分が書いた原稿が載る本2冊がそろそろ出るはずなんですが、それが遅れているのを忘れるぐらい、仕事がたまって焦っております。なのに昨日は横須賀で、明日は、午前中に浜松に行く用事がありと、どうも、出歩くことが多いのです。

> 池田さん…悔やむ

いやぁ、このお人は「悔やむ」という精神作用とは無縁と思えますね。

1618想定 予定者:2005/03/28(月) 21:18:48
1617 さん、、。  視点を思考いたすご無礼ゴメン下さい。 時に「、何を、? どう、? 悔やむ、?」、のでしょうか、、? 御本人(I氏)」、が、、「反省・吐露されても、結果的に活字になるか、、? ならないか、、?」、、「、、イワユル公人、??、」、としての、、発言、?、も、会内の反対者勢力が、?が、、封殺、するかも、?=イワユル、、ニギリつぶす勢力、?、の存在は??は、、想定、、しておくべきでしょうか、、?? または、、想定の外、、でしょうか、、??
、、?? 、、マー、、某団体さんは、、「、次期都議選、、??、、」、、を控えて、、「、、行け、、行け、ドン、!!、ドン!!、」という、??、、「、、実利、一辺倒、、??」、、でしょうか、、?? 庶民イジメのコワイ団体の真骨頂、、が現存、、??、、でしょうか、、???

1619犀角独歩:2005/03/29(火) 08:58:25

想定予定者さん、ちょっと、ご質問がはっきりとわからないのですが、池田さんに反省とか、悔悟なんてないだろうという50年ウオッチャーの印象を記しました。また、あの手の組織は、反省を活字化すれば、件の如く、非を論われるだけですから、言論問題で一回、そして、第一次紛争で一回、以降、そのようなことはしなくなったと思います。今後はしないだろうと思えます。

1620想定 予定者:2005/03/29(火) 21:08:08
、、ドーモです、、。 I氏が反省も悔悟も皆無、? という件は? でしょうか、、?? 小生としましては、、「ご本人は、ヤハリ一度は国会証人の喚問、?」に対しては、、「、、一度位は国会証人の喚問に出る、?、」という、、度量の大きさ、? を示す事が、 最良、? だったことは、?、、「、ご本人自身が、一番に、? 後悔しておられる、、??」、かと、、自己判断した、次第で御座います、、。 ゴメン下さい、、。
出来なかった、、?」、、「、、この件は、出ておくべき?

1621犀角独歩:2005/04/04(月) 13:14:13

殊勝な方がいらして、以下の画像をわたしに送ってくださいました。
参考にサイトにおいて見ました。ご参考に、ご覧いただければと思います。

まあ、こういっては何ですが、なかに登場する女子部の会合その他、わたしはひどい違和感というか…、批判と採られては困りますが嫌悪感を覚えました。かつて、この手を見聞して、感動していたのかと思うと、我ながら、複雑な気持ちになりました。

久本雅美体験談
http://www.geocities.jp/saikakudoppo/hisamoto_taiken.wmv

1622犀角独歩:2005/04/04(月) 13:30:04

1621、ジャンプしない場合は、アドレスバーにコピペしてください。

1623犀角独歩:2005/04/05(火) 22:19:01

いま『折伏教典』を読んでいます。
この本が絶版になったあとは『創価学会入門』が取って代わったのでしょうか。
その後、石山と袂を分かったあと、いまは上述の二書に取って代わった本は何でしょうか。どなたか教えてください。

1624三学無縁:2005/04/06(水) 12:57:54
独歩さん
『創価学会入門』は絶版ではないようですが、その他に小冊子がでています。
『新会員の友のために』全三冊。
必要でしたら買っておきましょうか。
一冊、一〇〇円か二〇〇円だったと思います。

1625犀角独歩:2005/04/06(水) 22:19:48

> 1624

三学無縁さん、有り難うございます。
よろしくお願いいたします。

質問です。『日蓮正宗方便品寿量品精解』(P203)に載る『教学問題の解説』はお持ちでしょうか。

1626愚鈍凡夫:2005/04/07(木) 00:16:26

公明党三重県本部の意向を無視して市会議員に無所属で立候補する創価学会員もいるんですね。いやはや、時代も変わったものだ。 ぴぃす((^へ^)v

**************************************************
◆風穴

 「無所属、無党派で出馬する」。結婚した時、仲人を務めてもらった、旧青山町の公明党市議が引退すると聞いた今年1月下旬、伊賀市高尾の会社員、岡山丈洋(45)は、そう決心した。
 現在、同党の議員は4人。しかし、今回の選挙戦では、同党の公認候補は旧上野市2人と旧伊賀町1人の計3人に絞られ、「高齢」を理由に旧青山町の市議だけ外されたのだ。旧上野市など旧6市町村での合併が進められる一方で、名張市との合併問題に翻弄(ほんろう)された旧青山町。同党支持者には、伊賀地域南部の立候補予定者がいなくなる党の決定に「旧上野中心の考え方で、地元軽視だ」などと反発する人もいたという。こうした中、同党県本部に抵抗して立候補を予定する岡山の動きは、固い組織票で知られる同党関係者に波紋を投げ掛けた。
 岡山は「創価学会員だが党員ではない」と強調する。出馬の経緯から組織選挙は難しいが、学会員個人の支持には期待している。加えて選挙戦のカギとなるのは、在住する地元や、旧青山町の桐ケ丘団地に住む同世代の無党派層からどれだけ応援してもらえるかだ。
 旧同町の他の立候補予定者は現職市議ばかり。地元の将来を訴えて当選し、風穴を明けることが出来れば、「市議の仕事に純粋に取り組みたい。二足のわらじは履けない」と、会社を辞める覚悟だ。(敬称略)

〔伊賀版〕

毎日新聞 2005年3月17日
**************************************************

MSN-Mainichi INTERACTIVE 都道府県ニュース
http://www.mainichi-msn.co.jp/chihou/mie/archive/news/2005/03/17/20050317ddlk24010657000c.html

1627吉祥仙人:2005/04/08(金) 05:47:29
 横から失礼します。

 政治参加は国民の権利ですから、他人がとやかく言うことではないかもしれませんが、

 周りから「あと1期待ったら、現職が引退するから」と言われても待てない方も
いるようです。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板