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誹謗中傷って、何?

1緑装薬4 </b><font color=#800000>(aL5K3vps)</font><b>:2004/05/29(土) 19:11
最近、よくインターネットでの誹謗中傷ちうことがクローズアップ
されておるが・・・

誹謗中傷って、何?(笑)

1368DR@福岡県民:2005/08/25(木) 23:33:16
うむ。
オタクとしてではなく、一個人として宅八郎はキモイってことですな。
確かに、宅八郎があのまんま会社員とか大工とか雑貨屋の店長とかやってても
キモイもんな。
逆に、速見もこみちあたりが家にドラマやアニメのDVDしこたま持っていたり
プラモデル作るのがムチャクチャうまかったりしても、別にキモくないしなぁ。

1369イカフライ:2005/08/27(土) 10:23:42
>>1338-1343

女性と仕事について。

 一方で「託児所を増やせ」という意見があり、一方で「専業主婦を貶めるな」という声がある。
(後者に関しては、それだけならまあ良いが、そこから女には高等教育も経済進出もいらない、といった女性差別的見地になりがち、まあ劣等感の裏返しと思えるものが大きいが)

 どちらも現状に即していないな、と思える。
託児所の予算もそうだが、今の企業の現状で正社員として働き続けると考えると、単に託児所だけでは不充分すぎる。
実際、ウチの弟の会社は男女平等というか雇用均等法以前から同一賃金だし女性管理職も多いらしい。
けれど、平等ということは仕事も平等ということなんだよね、サラリーマンはほぼそんなものだと思うけれど、定時にながれることは数える程度、転勤も出張もある。
ウチの弟の部下の女性も3歳のお子さんを保育園に預けて働いているけれど、お迎えの都合でぎりぎり6時半が退社のリミット。ご主人も彼女の仕事には協力的なんだけれど、向こうだって仕事はある。
管理職が多い、といっても、そういう女性は、殆どが独身だったり、既婚でも小梨だそうだ。

 保育園があっても子供が熱を出したら預かってはくれないし、逆に小学校に入ったらどうするか?
学童保育とかあるにせよ低学年の頃は習い事の送り迎えも必要だろうし。
そう考えると、ある程度時間が自由になる、比較的休みが取り易いパートタイマーにならざるを得ない(パートだからってそうそう休めるもんじゃないが)。

 公務員が共働きが多いのは、仕事や人員に余裕があるからなんだよね。かといってすべての企業の待遇を公務員並に、とか言ったら確かに潰れる会社、ぞっくぞくだ。
(その良し悪しは別として日本の経済発展は「働きすぎ」が支えてるんだよ今でも)

 一方は経済活動をメインに行って一方は家事や育児を中心に行う、というのは、少なくとも今の日本の現状に即した合理的方法であることは事実なんだよな。
ただ、問題は、家庭労働を担うのは女性と決め付けること、家事は仕事より低い、という意識、この二つだろうね。

この認識を代えるのはなかなか大変だと思う、思ったより根強いからね。

1370DR@福岡県民:2005/08/28(日) 20:47:28
まあ、例外的ではありますが、うちの会社には高校生の子がいる
お母さんが課長をしている部署もあります。
(おそらく今は大学生か社会人になっているでしょうが)
残業もバリバリやって、正月にはノーパソもって帰って仕事して、
子育てもすると言う、すごい離れ業です。
コンサバなうちの会社にしては思い切った人事なのですが、
その人はそれなりに成果も挙げているようです。

1371イカフライ:2005/09/09(金) 21:36:52
>>1368

宅八郎って今イケメンに変身して新宿のホストクラブで働いているそうですね。

 いやいや、その辺をマスコミで取り上げて欲しいな。
「いかにして私はキモいオタを卒業し、イケメンホストに変身したか」
 電車男なんかよりずっと役に立つんじゃない?

 電車男と言えばこんなの見つけました。

キモいものはキモい。
http://web-davinci.jp/contents/tamao/contents/20050802.html

 いやー、いいっすね、さとう珠緒サマ(サマ呼ばわりしちゃいます)。この人、あまり良く知らないんだけど、この文章でファンになっちゃいました。

でも、オタ系の男には好かれないでしょうね、こういう女性って。

1372イカフライ:2005/09/09(金) 21:45:49


>「オタクもいいかな?」って思った時期もあったんです。オタクというか、繊細すぎてネガティブな人。暗すぎて、あまり上手に笑えないような……。「ああ、この人に笑ってもらいたい!」って思っちゃったりして。それで少しがんばって献身的になるんですけど、まあ、すぐ飽きちゃうんですね。最後は「バカじゃないの!?」と気付いてしまって恋が終わる(苦笑)。
>間違ってました、私。今ならはっきり言えます。キモいものはキモいんです! 「萌え〜」ですって!? もう一回、言わせてください。キモい!
> 「女の子はこうじゃなきゃいけない」という幻想に捕らわれすぎてる人が多すぎ。しずかちゃんみたいな女の子なんて絶滅しかけているのに、相変わらずのび太の願望そのまんま。統計なんて取ったことないけれど、私センサー的には日本はロリコン汚染が広がりすぎです。もう、キショい! 

 このあたり上手いところついてますよね。
 オタと付き合って苦い想いをされたのでしょうか? 珠緒サマ。
 「繊細すぎてネガティブ」ここがポイントっすよね、この繊細さが決して他者に向けられることが無いのが、オタに限らず繊細過ぎる人の特徴です。
「自分が」傷ついた、「自分が」こんな酷い事を言われた、「自分が」「自分が」しかない。繊細な自分と比べて他人は鈍感だから自分を傷つけると思って、そんな鈍感な他者には何をしても良い、と思ってる。
 自分が傷つくのだけがいやだから、「女の子はこうじゃなきゃいけない」という幻想にしがみつく。

 2ちゃんで「非処女は中古肉便器」とかカキコミまくってるイタイ厨房も、このテだろうなあ、と。

1373DR@福岡県民:2005/09/10(土) 08:06:48
繊細すぎてネガティブねぇ…

ナイーブなボクちゃんは傷ついちゃったぞぉ。
ボクちゃんを傷つける悪い奴は誰だぁ?

…おるおる、そういう奴。
仕事しくじった奴をどやしつけたら、
「何でそんな言い方するんですか。私だって人間だから、心があるんですよ!」
なんていわれたことあるわ。

そんで、私も人の上に立つには若いので、
「手前の失態を謝りもせずにその言い草は何だ。迷惑をかけた自覚は<以下略」
と、そいつをなだめるどころか叩きのめしてしまったもんだからorz

…苦い記憶がよみがえってしまった。
まあ、良い経験でした。

1374DR@福岡県民:2005/09/10(土) 08:15:46
>>1371のブログから

>私、昔からオタク系からは好かれないんです。
>グラビアっぽいことをしていても、そういうファンがつかなかったんです。
>戦隊モノやっていたのになあ。
>歴代ピンクは人気あったのになあ。私だけダメだったみたーい。
>でも、秋葉系の人たちは見る目があるって証拠ですよね。

…自爆しとるがな。
でも意外だなぁ。あのルックスで戦隊物やってたなら、
小さなお友達よりも大きなお友達にうけそうな気がするんだけどなぁ。
(わしが小さい頃、ピンクは頭数そろえの添え物だったので好かんかった。
子供にとっては、強いか弱いかがすべてなので、小さいお友達に人気がない
のはしょうがないんだけど…唯一例外がモモレンジャーで…<以下オタ自粛)

あと、さとう珠緒のTVでのキャラクターって「萌え〜」と同じくらいキモイ
と思うのは俺だけ?
今更無理かも知れんけど、もうちょっと素のキャラに戻したほうが良いと
思うんだがなぁ。せっかく美人なんだから。

1375番長:2005/09/11(日) 09:28:47
佐藤くらい乳があれば、前科者だろうが朝鮮総連のくの一だろうが、喜んで金出すな。

1376イカフライ:2005/09/14(水) 23:52:20
 「キモい」というのは悪いことなんだろうか?
 
 「キモい」と感じるのは、差別とか言う前の、もっと感覚的、反射的なものなんだよね。
例えば、私は虫とか蛇とかの類って結構平気なんだけれど、人によって、特に女性はキャアキャア言っていやがる人、多いよね。
ああいう感覚っての。鉢植えに毛虫がいたら「キャア、イヤー」とか、あれ。

 これと一緒にしては非難されるかもしれないけれど、「○○は気持ち悪い、穢い」という感覚、それがどこから出るんだろ?
○○に「黒人」(あまり日本では一般的ではないかも知れないけど)とか「部落民」とか「障害者」とかいれると、それは「差別」になる。
けれど、感覚的にそう感じる人は必ずしも差別者なんだろうか? また、だとして「差別だ」と糾弾すれば事足りるのだろうか?

1377イカフライ:2005/09/15(木) 00:10:27
例えば私は「エッタはきたない」とは思わない。
これは私が差別心のない立派な人だ、と自慢するわけではなくて、そもそも「部落」とか「部落民」というもの自体、良く解らない。
いや知識では知っていても、感覚的ピンと来ないんだよね。あの人は部落だ、とか言われたとしても、別に見た目も変わらないし、話し言葉もなんも同じだし、出身地の住所がまあどこだろうが、東京以外はみんな田舎くらしか感じないし(あら、地方差別?)。

そう考えると、社会的スリコミってやつなのかな、とも思うが。

 例えば、電車やバスに乗っていて。
 隣に顔が崩れたような、顔面の半分がひどいやけどの跡がケロイド状態になっていて目鼻の区別もつかないとか、顔中に縫い後があったりとか、大きなこぶがいくつもあって、それが目鼻を押しつぶして変形させていたりとか。
そういう人が隣に座ったら「気持ち悪い顔」と思う人、多いんじゃないだろうか?というか、私だって感じてしまうと思う。
で、その場で幼い子供がいたら、どうだろう?怖がったり、泣き出したりするんだろうか?

 そう考えると、生まれつき、というか、感覚的と言うか、生来人に備わっている感覚なんだろうか?とも思う。

1378DR@福岡県民:2005/09/15(木) 04:58:44
うちの会社に、ひどいアトピーで顔が赤黒く変色し、ゆがんでいる人がいる。
(島田荘司のアトポスに出てくるアトピー患者ってこんな感じか?)

今はさすがに慣れたが、はじめてみたときにはギョッとしたなぁ。

1379イカフライ:2005/09/16(金) 23:43:57
>>1371

これ、ちょっと雑談なんだけど。「電車男」って流行ってるの?
「冬ソナ」ブームは作られた、と良くネットで言ってるけど(それに関しては、ブームなんて多かれ少なかれ仕掛けて作るもん、あとは当たるか当たらないかだ、というのが私の考えなんだけど)
「電車男」ブームこそ作ろうとして作りそびれてる、って気がしてしかたないんだけど。
 
 てのはさ、「電車男」そのものの本(あの、スレまんま乗っけただけで1000円とってるヤツ)をはじめとして関連本も出て平積みされてるし、マンガや映画やドラマにもなっているけど(マンガに関しては3作同時連載だっけ?)
実際に人々の関心はスゴーク薄い、ってのが私の実感なのね。
雑誌でも「スパ」をはじめとしたオヤジ系雑誌では結構取り上げられているようだけど。
  女 性 向 け の 雑 誌 には全くといって良いほど取り上げられていない。
「電車男に見る恋愛の形」「あなたの電車男を探そう」なんて女性誌の釣り広告で見たことありますかあ?

 あれこそさ、少子化対策の為に女に縁のないオタク男と負け犬予備軍の女性をくっつけようとする政府の陰謀じゃないか?と、陰謀史観を借り巡らせてしまう(いや、あくまでジョークっすよ(^^ゞ)。

1380イカフライ:2005/11/03(木) 16:52:48
いい加減、「アストロ」から離れろと言われそうですが、このスレに関係あることをちょっと思ったので。
 
 よく昔のマンガに関して「今はやばいだろうな」ということを言われます。
「アストロ」もドラマ化をきっかけに30年ぶりで読み返しているのですが、そう感じさせるせりふや描写がいくつか見受けられます。
「このドメクラが」「かたわになりたくなければ」「しょせん、女のやることだ」等。
 これは「アストロ」が得に問題が多いということではなく、私が子供の頃読んだ少年マンガには、よくあった。
 その頃読んだものは、ほとんどが床屋やゴミステ場にあった雑誌や貸本屋のもので、今ひとつひとつ検証することはできないが。
「巨人の星」や「あしたのジョー」の時代の少年漫画は、今の感覚でいけが、暴力礼賛、女性蔑視、差別的言質がかなり多かったと記憶する。
なにせ梶原一騎が原作者よして君臨していた時代ですから、そうそ的外れの見解ではないと思う。

 で、良く、メディアのある作品が批判されるときに青少年の影響っていわれるが。
 これらの時代にマンガ読んで育った少年たちが、大きくなって「暴力礼賛、女性蔑視、差別的視点」の強い大人になっているか?
 今の40代のおっさんたち見れば、その回答は一目瞭然でしょうが。

 確かに子供は、判断力に乏しいし経験がない分影響はされやすい。
小学生の頃「ライダーキック」とか真似してたのはウチの弟だけではないだろうし、「太陽にほえる」見て大きくなったら刑事になりたい、とか言い出した子供も多いだろう。
 そういう点では、確かに影響される。
 けれど、すぐ影響される反面、冷めるのも早い。
 冷める、というが、子供は日々変化を学んでいく(と言うか、学ばざるを得ない)のでこの間までライダーキックをしていた男の子も、ショっカーもライダーも所詮子供だましの幻想の世界にしか存在しないことを知る。
刑事と言う職業がどんなものか(少なくとも「太陽にほえろ」ではないことを)知る。
 
 しかし、じゃあ、メディアの影響はまったくないか?といえば、ある。
 ただし、これは子供よりむしろ大人に大なんではないだろうか?

1381イカフライ:2005/11/03(木) 17:39:13
一時期、みのもんたのテレビで「ココアが良い」と言ったので、店頭からココアが売り切れになった、と話題になったけれど、こういうことはホンマ良くある。
健康番組とか医学番組って、何が良いだのなにが悪いだの言われると、すぐ買いに走る人は、思っている以上に多い。

 ドラマが作り事だとわかっているけれど、上記のようなバラエティ系報道番組(っていうのかな?)には大人は見事にはまる。
子供番組と比べれば作りはうまいのかもしれないが、いい加減、テレビもさんざ見慣れてやらせにも敏感になっているはずなのに。
 これは、ウソやヤラセではないけれど、一部の極端な例を取り上げて、それをさも全体のように思わせる手法って野言うのはテレビには結構ある。
 初歩的な方法なんだけどね。たとえば、今の女子高生はこうだ、みたいなファッションを取り上げる。
確かに、渋谷を歩けばそういうコもいる、けれど、近所にはそういう格好のコはいない。
女子高生の中に一部そういうファッションをしているコがいる、それは一校に一人かもしれないし、10校に一人かもしれない。
けれど、それを取り上げればそれが大半だと思うんだ。
 お前は自分の目よりテレビを」信じるのかよ、いい大人が、と思うが、いい大人だから信じるんだな。

1382イカフライ:2005/11/03(木) 17:43:42
「大人ってどうして大人じゃなんだろ」って思ったことが無い大人がいたとしたら、その人は、よほど自分も周囲も大人な人間んばかりの非常にハイレベルは環境にいるか、じゃなけれはよほど鈍感なヤツだ。

大人がなんでも知っているか、というと大嘘で、さして物知りでもない私が「なんでこんなことすら知らないのだ、なんてこんなに考えが浅いのだ」と思う大人はゴマンといる。
けれど、大人はアホでも大人の顔をしなくてはならない。
知らないことでも、わかっているようなふりをしないとならないのだ。
だから、テレビで言われたことをさも真実のように「知ったふり」をする。
そして、そのふりがいつしか「真実」になってしまう。

大人こそ、テレビの影響を考えないといけないのかも知れないな。

1383大神:2005/11/04(金) 01:28:56
>一部の極端な例を取り上げて、それをさも全体のように思わせる手法って言うの
>はテレビには結構ある。
 
 テレビがよく使う先鋭化の手法ですね。

 宮崎勉が犯罪を犯した時は「オタクは危険だ」のような意見とかありましたね。
少年犯罪があった時は「現代の子供はキレやすい」とか(「キレる」という言葉
を真剣に取り上げているのは笑えましたが)。

派手さで売るというのがテレビにはありますからね。見向きしてくれないと困る
ので嘘でも言いから派手なことをいう。

 マスメディアが発達した現代社会では情報が氾濫しているために、一つ一つ
の情報を吟味することが出来ないたに、視聴者は「テレビの言うことを鵜呑
みにしてしまう」というのがありますね。テレビが言うから嘘じゃないだろう
と。それについては子供も大人も無いような感じがします。

1384DR@福岡県民:2005/11/08(火) 18:53:25
そういう意味では、NHK職員のたった一人が
仕事のストレスから個人的に放火したからといって、
NHKそのものに抗議が行ってしまう風潮は
どうかと思いますねぇ。

1385大神:2005/11/09(水) 11:52:16
>>1384

 貶めたいという願望があるのでしょうね。大企業に対しては。

1386イカフライ:2005/11/14(月) 21:41:36
唐突にまとまりのないことを書きます。(まとまらないのは、毎度ですが)
最近、傷つきやすくなっている人って多いのでしょうか?

 70年代のマンガの話を前レスで書きましたね,繰りかえしになりますが,あの当時は今の感覚では問題視される表現や内容が多かった。
これは、マンガそのももの問題と言うよりは,社会全体の雰囲気だったと思います。暴力礼賛やさまざまな差別がまだまかち通って来た。
それが段段に時を経て解決された、それはまごうことなく良いことだと確信しています。
いわれなき差別で苦しむ人がいるよりいないほうがいいに決まっています。

 それは良いのです。
 ただ、最近の状況(というのは漠然としていますが)を見ると,あくまで私の実感として,あまりにも平等や人権があたり前過ぎて,耐えたり,乗り越えたりする力が弱くなってきていないか,と感じるんです。

1387イカフライ:2005/11/14(月) 23:26:53
上手くまとまらないのですが、ぼちぼち書いていきます。
>あまりにも平等や人権があたり前過ぎ。
ここではさんざんいわれている繰り返しかもしれませんが、人間は同じ機会を与えられたとしても,同じ結果にはならないものです。
そして、その結果によって当然差がつきます。
特にわかり易い例として受験をあげますが、同じ学習塾に通って,同じ授業を受けても,東大に入れる生徒と,入れない生徒も居ます。
この差がどこからくるのか?いろいろなケースが考えられますが,あえて二分化すると外的要因と内的要因があると思います。
怪我や病気をした,家庭内で問題がおきた,等々、これは外的要因です。
勉強をサボってしまった,もともと記憶力や理解力が低かった、これは内的要因です。
ここでは二分化していますが、どちらとも言えない微妙なケースはありますね。
適切な例かどうか解りませんが,恋人にフラれた、フラれるというか、恋愛が上手くいかずにその精神的な動揺から受験勉強見身が入らなくなったような場合。
(受験生は恋愛ご法度,はんて古臭いことはここではナシね)
恋愛というのは受験勉強中心に考えれば外的要因のように見えますが,恋愛を成就させるかどうかは,本人同士にかかってきている部分が大きいのではないでしょうか? 
特に,過去に比べて恋愛の軋轢が少なくなったこの時代には,親の反対で引き裂かれたというケース(がないとは言いませんが,ここではそれはない、と仮定します)よりも、自分達自身の要因が大きいように思えます。

 ここで、彼女にふられたせいで勉強に身が入らずに東大に落ちた,ということをどう解釈するか?

 受験と恋愛を両立できなかった自分が未熟だったとか。
 受験のプレッシャーを相手に押しつてけその結果,解れることになってしまった、やはり己の未熟さだ、とか。
そういうように考えられれば人間は成長すると思うのですが,どうも、そうではなくて、それをなにかのせいにする、例えば元恋人だったり、または受験に成功し恋愛も続けている友人だったり,もっと進むと漠然と今の社会のせいだったりにする人,増えていませんか?
別にデータがあるわけではなく、あくまで私の推測なんですが。
 で、せいにする、と同時に感じるのが被害者意識の強さです。受験にも恋愛にも失敗した自分は弱者である、被害者である,みたいな。

 あまりにも簡単におのれを弱者認定しすぎるように思える。

1388大神:2005/11/16(水) 11:52:22
>>1386

 差別に弱くなる。日本だけかなと思ったのですが、他の国でもありま
すね。アメリカだと人種差別とかにえらく厳しくなっていますし。

 平等でなければならないというのはどこの国にも建前として存在して
いますので、豊かになって余裕が出てくると世の中は反差別に動きやすく
なるのでしょうね。

 表現に関して言えば悪いイメージを流布されないように自主規制という
のが一番の原因かなと思います。

1389イカフライ:2005/11/17(木) 00:00:57
>>1388

> 差別に弱くなる。
まず、言っておきますが,私は「根性」とか「精神論」とか大嫌いです。星一徹式教育とか,ぺっぺっぺどぶに捨てろ,とか」思っています。それ、念頭において読んでください。
「自分らしく」とか「ありのままの自分」って言いますよね。
これって本来は,偏狭なカテゴリーに押し込めず個々の適正や資質を受け入れ伸ばすという意味だと思っていました。
例えば,「男の子はスポーツや格闘技、メカが好きなもの」「女の子はお人形やケーキやおしゃらが好きなもの」みたいな区分けがある中で,花やメークや編物などいわゆる女の子的なものに深い興味を示す少年がいた場合
「もっと男らしいことしなさい」「オカマみたいだ」などと言わずに,その少年の興味を伸ばしていくというような(実際,上に挙げたようなジャンルで活躍されている男性は,周囲のそういった理解があって今日の成功がある方がおられます)
ただ、最近、「自分らしく」がそういうこととは違った意味で使われているような気がして仕方ないんですよね。
人間って努力するのって大変だし,出来れば楽したい。でも、目的の達成するためには努力しないとダメなことってあります、受験でもスポーツでもなんでもそう。
でも、努力したくない怠けたい自分を容認して欲しい,みたいな。
「自分らしさ」が努力したり頑張ったりしない、無気力の言い訳になっていないかしら?
そんな風に感じるんです。

1390大神:2005/11/17(木) 12:13:27
>>1389

 「何でも許容できるものなのか」ということですよね。
「社会に「甘え」がはびこっているのではないか」ということですかね。

自由だ、被害者だという聖域に隠れて。

1391イカフライ:2005/11/18(金) 20:43:47
>>1390

>「社会に「甘え」がはびこっているのではないか」ということですかね。

甘え,といいきってしまえるかどうかは、解らないのですが。
 打たれ弱くなっているのかなあ、と感じるんです,老若男女問わず。
 これはいろいろな問題とかかわっているような気がします。

 これについては、いつになるか解らないのですが,自分のブログを作る予定ですので、そちらに書きたいと思っているんですが。
 深くてなかなかまとまりません。

1392大神:2005/11/19(土) 12:00:56
>>1391

 >>1386以降を見て思ったのですが、何かあったのでしょうか?
自主規制の要求される基準が更に厳しくなったとか。

1393DR@福岡県民:2005/11/19(土) 19:08:49
なんか、全肯定か全否定かの2択というのがいかんと思うんだよね。
差別を認めないのであれば、運動会のかけっこで差をつけるのも認めちゃいけないとか、
運動会のかけっこで差をつけるのを認めるのであれば、差別主義者であるとか、
そういう極端な方向に走ると、おかしなことになるんじゃないかなぁ。

先に出ている根性論にしたって、根性論を認めない=根性なくてもOK!みたいに
誤解する人が出てくると困る。
単に「根性さえあれば何でもできる」訳ではないと言っているに過ぎないのだが…

1394イカフライ:2005/11/19(土) 19:38:12
>>1392

>何かあったのでしょうか?

いえ、個人的なことです。

1395大神:2005/11/20(日) 11:11:11
 次の差別は差別反対とともにやってくる(次のファシズムはファシズム反対とと
もにやってくる)。そんな感じですね。

1396うろちい:2006/01/24(火) 19:07:45
さて、K看護士の件ですが

僕はいろいろな人をつたって解放同盟関係の人からコメントを得ようと試みました。
他はことごとく失敗に終わりましたが、1つだけ面白いコメントを得ることができました。
コメントをしたのは解放同盟本部に批判的な解放同盟全国連合会の支持者です。
曰く・・
K看護士は差別の問題を主体的に考えていなかったという点で批判されるべきである。
しかしながら、解放同盟(本部)は今回のような些細とも言える事象をめざとく見つけこれ見よがしに
糾弾会を行い、自己目的化した自らの力の拡大に利用してきた歴史がある。
今回のK看護士の件もその例に漏れないようだ。
・・・そういって過去の他の例も挙げて怒ってたそうです。

みなさん、このコメントどう思われます?

以下復習の為に問題の解放同盟のページを抜粋-------------------
差別を認め謝罪
「四つ足の動物以下」と説明
行田市の病院内で看護師が
「解放新聞」(2005.2.28-2208)

 

 【埼玉支局】県連は、昨年12月20日、行田市地域交流センターで「村越メディカルクリニック差別事件」の糾弾会をひらいた。

自分のなかに偏見があった
 この日の糾弾会には、行田市からは、横田昭夫・市長をはじめ市の幹部職員など42人が出席。解放同盟からは片岡明幸・県連委員長ら116人が参加した。
 差別をおこなったK看護師は、「同僚の看護師や同和地区の人たちに大変申し訳なく思っている」「同和問題や差別問題に無関心だった」「市の研修会をとおして、差別される人たちのつらい思いや悲しさを知ることができた」と語り、謝罪した。また、「同和地区の人たちは、自分たちとはちがう人たち、程度の低い人たちと、自分のなかに偏見があった」とのべ、「今後、差別をなくしていくために努力していきたい」と語った。
 さらに、K看護師は、18年前から行田市に住んでいるが、「これまで一度も研修をうけたこともなく、医療機関でも一度も研修をうけたことがない」と話した。
 なお、「同和問題をどこで知ったのか」という質問にたいしては、「誰かははっきり憶えていないが、行田市に住んでから近所の人か、看護師さんに聞いた」と語り、「その時の印象が強くて、その後、間違った認識のままきてしまった」とのべた。
 行田市の横田市長は、「研修会や啓発活動を見直し、人権宣言都市に恥じないように努力をしていく」とのべた。県連は、「市として、今回の事件の受け止め方と見解を、あらためて文書で示してもらいたい」と要請した。
 片岡県連委員長は、「偏見を植え付けられるのは簡単だが、一度植え付けられた偏見を消すのは容易ではない」「医療機関で研修がおこなわれていないことをあらわした事件だ。地元の医師会や県の医師会など関係機関に問題提起していきたい」と語った。


行田市・村越クリニック差別事件の概要
 この事件は、昨年7月に同医院で患者の一人が、診察を終えて先に帰った男性患者にたいして、4本指を出す行為をおこない、看護師の一人が先輩のK看護師にその意味を尋ねたところ、「この辺の人は、M地区の人にたいして4本指を出して合図するんだよ」と教え、「四つ足の動物以下という意味だそうよ」と説明した事件。説明したのは、行田市に住む47歳のK看護師。

1397イカフライ:2006/01/24(火) 19:59:30
どうも、うろちいさん。

>みなさん、このコメントどう思われます?

 どうって、まあ、もっともだなあというか、まっとうだなあと。

>K看護士は差別の問題を主体的に考えていなかったという点で批判されるべきである。
 これって、この看護師さんが、「四つ足の動物以下という意味だそうよ」との事実報告のあとで
「でも、そういう差別はいけないことよね」と言えばすんだことなんでしょうね。

 問題に関わっている人には、確かに大きな関心なんだと思います。

 ただ、うーん、それよりも、このコメントでも言っているように些細な事を取り上げて力の拡大に利用している事が、開放同盟が批判される一番の問題ではないのでしょうか?

 開放同盟の問題は、組織と言うもののもつ問題性ってのがあると思うんですよね。
部落差別は完全になくなったとはいえないにせよ、かなり解消されてきた。
これについて異論を挟む人はいないと思います。
差別を解消するために作られた組織はそうなれが当然縮小していく筈です。
ところが、一度、出来てしまった組織を縮小していく事は難しい。
特に趣味やボランティアのサークルのように他に仕事や生活基盤を持っている人の集まりならともかく、構成員がその組織に生計を依存する場合は、余計です。

 そうなると、いつの間にか、目的が当初と変容していき、差別をなくすための組織から組織を維持するための組織になっている。

笠井潔の小説「バイバイエンジェル」の中で、「革命は成功した瞬間から腐敗する」というフレーズがあったんですが、それにあたるのかもしれません。

 宗教団体とかもそれ、あるかも知れませんね。

1398大神:2006/01/24(火) 21:05:14
>>1396
>K看護士は差別の問題を主体的に考えていなかったという点で批判されるべきである。

 これを見ると、この看護士だけではなくて、この地域の人全員が同罪
ということになる。

>しかしながら、解放同盟(本部)は今回のような些細とも言える事象をめざとく見つけ
>これ見よがしに糾弾会を行い、自己目的化した自らの力の拡大に利用してきた歴史が
>ある。今回のK看護士の件もその例に漏れないようだ。
>・・・そういって過去の他の例も挙げて怒ってたそうです。

 糾弾という手段が目的化していると考えれば分かりやすいでしょう。

だから、病院とか、看護士とかの吊るし上げに弱い立場の人間を攻撃する。

1399大神:2006/01/24(火) 21:09:23
>うろちいさんへ

 ついでに、

うろちいさんの言う、「差別はいけない!」は分かるが、「論評もいけない」、
「論評ですら糾弾されないといけない」という「解同スタンダード」が
社会の規範というものはうろちいさんのを見る限りありませんでしたね。

 ちなみにうろちいさんの場合は
「一生懸命擁護した」らしい(実際は異音同義語よりもマシで擁護になって
いないので、あの吉岡さんは別として私や番長さんやイカフライさんが異を
唱えたわけですが)ですが、この点

a 論評すらいけない
b 解同スタンダードで吊るし上げをしてもいいというのが社会的規範だ

といのが無いのに、うろちいさんが解同を擁護しようとしたのがおかしな
点だと思いますがいかがでしょうか?

1400番長:2006/02/16(木) 08:46:37
>うろちいさん

連合会って、またヤバそうな人らと知合いなんですね。

1401イカフライ:2006/03/20(月) 19:36:21
舌の根も乾かぬうちのイカフライっす。
や、マジ、ネット議論やってる場合じゃないんっすが(結構、パワー使うんだよね、実は)

なんで、このスレかっていうと。
女帝問題スレでね、ワシの発言が、特定の人(ヤスツさんなり、柏葉さんなりに)あてたもんだ、つー意見が出とるようなんで。
ついでといっちゃなんだが、ワシのブログに書いたネット右翼が、大神さんをあてつけたもんだっつう発言もあるようで。
これ、意外だったな。
言い訳、ととれれちゃしゃあないが、や、マジね、私は、カキコしてるとき、そういう考えって全く浮かばなかった。
はっきり言って、特定の誰かにあてつけてる場合はあるが、そういうときに限って通じないな、ま、それはおいといて。

 女帝論に関してはね、私も多少、サイト検索したのよ。

 でさ、まあ、それなりにいろいろ意見はあるが、ネットの常として「女帝論反対」には、もてない男の女性嫌悪がたかりやすいなあ、と感じたんで、まあ、それいう時には気をつけろよ、程度、だったんだけどね。

 あと、ブログの記事については、オタクとアストロの人(いや、それについては否定しないが)だけじゃなくて、そもそも、なんでネット掲示板での議論なんて不毛なことにいつまでもこだわるのか、っていう私のスタンスは明らかにしたかったてのがあるわけだ。
私のブログ、だからね。
あそこは、ノンポリつうか、ウヨサヨしい政治談議とは違うつながりの人も訪れるだろうから、自分としては、その機会を大切にしたい。


 でまあ、なんで、このスレに書き込みかというと、私の「ネット右翼批判」の発言は、全く間違っていない、と確信している。
サヨクだってそうだろとか、ネットサヨクだっている、ってのに対しては、反論山のようにあるが、それは機会があれば言う。
ひとついえることは、ネット右翼の発言はネット左翼に比べてゴマンと多い。
そして、それは、「もてない故の異性嫌悪」や「コンプの反動のしての知ったか優位」(オタにありがちw)の正当化にすごく利用しやすいな、ってことなんだ。
オタクがどうしてウヨるのか、遅ればせながらやっとこ解ったんだけれどね。

 てわけで、私は自分の発言を撤回する気もないし、ネット右翼批判はこれからを続けると思う。
その考えを180度転換させてくれる事が無い限り。

 で、だ(やっと本題)私がブログや女帝スレで書いた発言は、誹謗中傷では私としては全く無い。
にも関わらず、少なくとも大神さんはヤスツさんや大神さんへの誹謗中傷と受け取ったわけで。

 そこで、このスレのタイトルに繋がる。

「誹謗中傷って何?」
と。

(ああ、ほんと、議論ってる場合じゃないのに)

1402大神:2006/03/20(月) 23:01:32
>イカフライさん

 よく言って「言っている事に悪気は無かった」で、「無神経だった」でしょうが、
どう見てもあれはご自身の 右翼への反感 が議論の最中にポロっと出たという
ものにしか見えませんね。

で、>>1401を見て思うのですが、どう見ても単なる開き直りにしか見えませんよ。
失礼ながら。言っていることには根拠も無いし、論理的な説明も無いし。

 イカフライさん式に言えば、

   「左翼の平等思想は理論武装の陰に貧乏人・乞食のひがみがある」

なんてことも言えますし、

     「男のフェミはモテない男が女受けしたいとしているんだ」

なんてのにも逆用できる訳で(笑)。

 モテルか、オタクなのか、と右翼なのかは全然関係性がありませんよ。
あるのは単なる対立論者に対するレッテル貼りと、封殺の自己満足だけでしょう。

 少なくとも、イカフライさんが「私が言っている事は誹謗中傷ではない」
とは言っても、どう見ても

            「中国人は人間と猿の相の子」

と言っている人間が、

    「私は本気で信じていて悪意のもとの差別・誹謗中傷ではない」

と主張しているだけのようですが。「自分にそのつもりが無い」と言えば
片が付けばそれは物事はとても楽なものだとは思いますがね。

1403ヤスツ ◆0lcRIkF0ks:2006/03/21(火) 10:28:50
珍しいスレが上がってると思ったら(^^;)

どちらにせよ、誹謗中傷かどうかは、その発言をしたものが決めるのではなくて、その発言を「見た(受け取った)ものが決める」ということだと思いますよ。
発言者はよほど意図的に悪口を言おうと思って罵倒語を探した場合(つまりは喧嘩の真っ最中に、攻撃手段としてそうした場合)を除けば、それぞれの当人なりの正義・善意に基づいた言葉選びをしているのだと思います。
その場合、発言の根拠として則っている正義・善意(信奉するもの)は、当然ながら人によって異なります。
ある人にとっての正義・善意が、別のある人にとっては正義・善意であるとは限らない。これは、>>1402で大神さんが仰っていることとほぼ同じことと思います。
であるが故に、「自分は(自分の)善意・正義に基づいて発言したのであり、自分の言葉が誹謗中傷に当たるとはまったく考えていない」というイカフライさんの言葉は、「イカフライさんの正義」に照らし合わせるなら、理解することができます。

ただし、その公式(=自分の正義・根拠に照らし合わせた自分の発言は誹謗中傷ではない)を認めるならば、他の正義・善意を根拠に投げかけられたあらゆる言葉が、自分にとって誹謗中傷のように聞こえたり、また誹謗中傷である反論したくなるような言葉を投げかけられたりした場合も、【それは誹謗中傷だと反論してはいけない】ということになります。
「自分の正義・善意は正しいが、自分以外の正義・善意は認められない」では、その両者の間での正義・善意の価値基準を共有しない限り通用しません。
そして、「正義・善意の価値基準」は、育った環境、風土、世代、地域格差、受けてきた教育や学ぶ意志の度合い、そのベクトルによって、同じ言語を使っていても同一にはなりません。
人間は「正義と善意を完全に共有する」ということは限りなく不可能に近いほど難しい。

ですから、「受け取り手の感性の相違から来る、誹謗中傷という傷つき方」を自分にされたら嫌だと思うなら人にすべきではないわけですけれども、自分がそのつもりでなくても人が勝手に傷つくことは現実にあり得るわけですね。

議論という場においては、あらゆる言葉、あらゆる可能性を検討していかなければ進展は望めないわけでして、選んだ言葉が多少誹謗中傷を孕んでいても気にしないのがよろしいのではと思います。
誹謗中傷だと言われたら、そっちこそ誹謗中傷だと言い返していたらきりがありません。
が、「自分が意図しようがしまいが、それによって勝手に傷つく人間がいる」ということについて、改善できないまでも後ろめたい気持ちを持っておく(=自分以外の正義や善意が存在し、それは自分の信奉するものとは異なる)というのは大切なのでは、と。

いずれ、自分自身の正義・善意と、それと異なる正義・善意とで正面から向き合うことになる、という予告ですから。

正面から向き合って殱滅戦をするのが「結論を求める議論」であり、
決着の付かない議論に多数決などの方法で結論を出すのが「民主主義」であり、
出された結論に従うのが「遵法精神」であり、
採用されない意見であっても主張することは許されるのが「言論の自由」である、と思います。

そして、結論を出せない議題に対して、一時的に棚上げしてその他の合意できる議題で手打ちをするのが「妥協」です。
例えばイカフライさんと大神さんの間であっても、サイド6でアストロの話題なら成り立ちます。私とイカフライさんなら「酒の話」は成立します。
成立できる合意(妥協)を、ひとつずつ何でもいいから増やしていくというのが、「信頼醸成」なのだと思います。G8サミットがリゾート地で開催され、実務的な話よりも首脳同士の懇親に重点が置かれているのと似ています。
信頼醸成を進めることで、合意できない議題であっても全面的な戦争には至らないようになるというのが、「戦争を回避する安全保障上有効な手段」であることは、国際政治の場ではすでによく知られた常套手段と思います(だからこそ、ひとつの対立を根拠にその他の妥協できる議題での合意機会すらも拒絶する中国や韓国の態度は、武力ではなく交渉による安全保障を求める態度としては、非常に稚拙であるとも言えます)。

信頼醸成の場で野暮なことさえ言わなければ、その他の場で多少なりとも独善的なことを言われても別に腹は立ちませんが、「自分が正しいと思っていることは、自分以外の人間にとっては必ずしも正しくない。自分の善意をのみ強要することは、独善の正当化であって、基準が共通化されていない場での議論にはそぐわないということを念頭に置け」というのが大神さんの主張の主旨と思います。
もし、この理解に間違いがあればご指摘をお願いしますm(__)m

1404大神:2006/03/26(日) 21:39:08
>>1403

>ヤスツさん

 遅くなりましたが、丁寧な解説有り難う御座います。

「誹謗中傷は主観に寄るものではない」ということから、「誹謗中傷ではない」
と誹謗中傷ではないと否定するのもまた主観によらないということです。

 例としては ちび黒サンボ の例がありますが、受け手の主観が絶対だと
ちび黒サンボ は差別助長漫画になってしまいます。しかしながら、実際には
受け手が絶対ではないのでこの ちび黒サンボ の絶版についてはとかく
疑問視する声が上がっており、そしてその声に後押しされたのか目出度く復刊と
なりました。

 また、「誹謗中傷ではない」と逆に発言者・表現者の声が絶対視され無い
のも、発言者・表現者が後で批判された時に

         「私はそんなつもりで言ったのではない」

が通用しないのも同じでありましょう。今回のイカフライさんに対して私が
疑問視したのはこれですが。


 今回、イカフライさんに私が言ったのは表現の取り方・受け止め方ではなくて、
ネガティブな言葉が、文の構成から私とヤスツさん(あるいは英一郎さん)に
向かっていたために疑問を呈しました。この場合は主観の問題ではなく、
文の構成ですので立場・スタンス・主観にはよらないものなので。

 勿論、誹謗と中傷は主観だけでは判断できないものであり、そして

「(少なくとも)私には・・・見える(思える)」は相殺される点からもあまり
持ち出すべきではないのは私も思いますね。

1405イカフライ:2006/03/31(金) 18:59:25
>>1402

>よく言って「言っている事に悪気は無かった」で、「無神経だった」でしょうが

いえ、悪気はないですが、無神経だとは全くもって思っていません。
ただ、ネット右翼の定義は違うのかな、と は思いますけれど。
 ところで、大神さんは自分を「ネット右翼」(右翼ではなくて)と思っているのですか?


 ただ、結局、大神さん程度にはもののわかりそうな人にすら通じないのは、私の能力f不足かな?とは思いますが。


            「中国人は人間と猿の相の子」

と言っている人間が、

    「私は本気で信じていて悪意のもとの差別・誹謗中傷ではない」


 「平和を唱えるヤツはテロリスト」
といっているのが、ネット右翼なんですけれどね。

1406イカフライ:2006/03/31(金) 19:12:17
>>1403
>成立できる合意(妥協)を、ひとつずつ何でもいいから増やしていくというのが、「信頼醸成」なのだと思います。

譲れるもの、譲れないものがなんであるか?が、問題じゃないかな?

基本的には、それは生存権だと思う。
精神より肉体が大きいんだよ。
若い頃はそうおいうのイヤなかんじしたけれど、死んじまったらおしまいだからね。
ただ、いきてさえ居ればよいか、というと、それもそんな事ないよね。
例えば、宗教なんてそれを信じていない人にとっては、なんだ、ありゃ?だし、私は無神論、というよりは、宗教は人間が作った方便だという考えだから(まあ、だからこそ時の権力者に都合よく利用されるんだろうが)別に友達なくしてまで信仰する意味なんて全く無い、くらいに思っているが、信者にとっては、まあ、人間より大事なもんなんだろ。


ネットでさ、決裂してしまった人の中には、きっと、譲れない一線が相容れなかった人っているんだと思う。
私個人でいえば、今でもぼーんさんは恋しい(って、別にネット恋愛な意味じゃなくてね)
彼とは考え方が相容れない部分があったけれど、コアにある真摯さみたいなものは、今でも、惹かれる。

 たださ、今更だけど、ネットの議論って一体、なんの意味があるんかな?とか、思ってきた。

1407大神:2006/03/31(金) 20:06:39
>>1405

>いえ、悪気はないですが、無神経だとは全くもって思っていません。

センテンスからイカフライさんが言っている事が私やヤスツさんに向かっている
とことになるとは思いませんか?

この場合は

(I)
・オタク
・女にモテナイ
・女をコントロールしたい
などの言葉は誹謗中傷などのネガティブな言葉ではない と言われるのであれば
成る程、センテンスの構成がどうであれ誹謗中傷にはなりません

また、
(II)
私やヤツスさんや英一郎さんに向けられたセンテンスの構成になっていない

というのであればそれからも私などに対する誹謗中傷にはならないでしょう。

で、イカフライさんは(I)と(II)のどっちで考えているのでしょうか?


>ただ、ネット右翼の定義は違うのかな、と は思いますけれど。
>ところで、大神さんは自分を「ネット右翼」(右翼ではなくて)と思っているのですか

イカフライさんの文からは私もヤスツさんも英一郎さんも内包されているのだろうなと思いましたよ。

>「平和を唱えるヤツはテロリスト」
>といっているのが、ネット右翼なんですけれどね。

そう言っているのは、「平和を唱えるヤツはテロリスト」と本気で思っている人間か、
ふざけて茶化している人間なのかのどちらかでしょう。

 で、「人間バーベキューまだ?」と言っていた不謹慎な言葉を使っている人間は
別に政治的思想がどうかではなくて、単に不謹慎なだけではないでしょうか?
これは散々言っていますが。


 イカフライさんにとっては凄く引っかかるショックな言葉だったかも知れ
ませんが、それとイカフラサイさんの右翼嫌いを結び付けても意味無いですよ。

1408イカフライ:2006/03/31(金) 21:58:14
>>1407

>センテンスからイカフライさんが言っている事が私やヤスツさんに向かっている
とことになるとは思いませんか?

 そう思うならご勝手に、です。違う、といっても、つまり大神さんは、自分がネット右翼だといわれたと思ってむかついてるだけなんでしょうから、私がごめんなさい、するまで辞めないでしょうし、私は撤回する気はありません。

右翼嫌い、と感情論に結び付けたがっていますが、ネットの安全圏に隠れて他者の命を軽視する発言を便所の落書きのごとく投げつける品性の卑しさを嫌ってはいけないですか?
 そういった意見が、ネットの右翼系のサイトにあふれている事実は、変えられないでしょう。
大神さんが、イヤ、そうではない、というのなら、感情的に反発するのではなく、ネット右翼はなぜウヨろのか、納得いく抗弁を痛いしたいですね。

 ただ、最近、私はネット議論には冷め始めてます。
 所詮、ネットじゃ世界は変わりません。
 ネットには非常に優れた部分もありますが、所詮、責任の無い匿名の議論は便所の落書き以上のものにはならないのかなあ、とも思っています。
今更ですが。

1409ヤスツ ◆0lcRIkF0ks:2006/04/01(土) 15:57:37
>>1406
宗教の話は以前さんざんやりましたけれども、宗教の是非を外側から論じるときに、「他人との妥協点をどこに引くか」が見えてくるのでは、と思います。

私は宗教というものを「趣味」の範疇として眺めることを楽しみにしていますが、自分がそれに染まる可能性はあまり高そうにありません。
自分の考えを他の誰かに全依存してしまうことに抵抗感を感じるからでしょうね。
ですから、他の誰かが(例えばそれが自分の家族であっても)、自発的意志で宗教を選び、以後の自分の自発的思考を停止させてそれらの宗教宗旨に全依存するようになったとしても、「それが当人の望み」であるなら、無理に止めようとは考えないかもしれません。
そのときに「優先順位を決めろ。それについての自分の中での優先順位が、何よりも高いというなら止めない。その代わり、それによって起こるあらゆることに対する責任は自分で持て。こちらを頼るな」という付加条件は付くでしょうけれども。
信仰の自由というのはそういうものですし。
加えて、「おまえがそうした選択をすることを最終的には阻害しないが、その選択をこちらに強要したら全力で潰しに掛かるがその覚悟はしておけ」ということでしょうか。

他人が何かをするのは、その他人の自由。
ただし、その他人の自由な行為が自分の自由な行為・意志と衝突するときは、全力でそれを排除する。
自分以外に対して、その他人の自由な行為による障害が発生した場合、被害を被っている側から助けを求められ、かつ、自分がそれに納得するなら応援するが、そうでなければ基本的には不干渉とする。

譲れるもの(=他人が自由に生きる権利)は譲るけれども、譲れないこと(自分に対する干渉)は譲らない。
その線をどこに引くのか、どこまで「覚悟」を持つのかは、その人次第ですけれども。


>ネットの議論の意味。
あると思いますよ。
それは、我々が「一人」であったり「完全な個体」ではないという大前提を思い出し、「一人では出せない答え」や「一人では思いつかない設問」を得るための機会という意味で。
即ちこれ、ヒトは「群体生物」であることの証明かなとも思います。
こうしたネットの議論を経て得た中間的ドラフトのようなもの、イカフライさんは「いずれ放っておけば消えてしまう」とおっしゃいましたが、私は「そうしたものをノートに記録する」と称して、(もちろん主観的な視点からの取捨選択はありますけれども)記録していることはご存じですよね。
そうして記録し、タグを付けて参照/引用可能にしたものは、数年おいてもなお「引用」ができているではありませんか。私以外の方にも自由に引用して頂けるよう、そうしてまとめておりますけれども、例えば「運スレまとめページ」で検索すると実に多くの方からリンクや引用を受けているではありませんか。

議論の渦中にあっては、その経過や経緯にむなしさを感じることもあるかもしれませんが、それをどこかに書き留めておくことで他の誰かを刺激することもありうるということです。
決して無駄ではないのだと思いますよ。

1410ヤスツ ◆0lcRIkF0ks:2006/04/01(土) 16:14:07
「平和を唱える奴がテロリスト」
かどうかはともかくとして、平和を唱えることを「リミットをはずすことの口実・免罪符」としている輩が多いことは、残念ながら認めざるを得ないと思いますよ。
平和というより私は常に「安定と安全保障」をのみ求めているわけですけれども、安定というのは「多数の同意によって変化が少ないことが支持されている状態」=まさに保守でありまして、その状態に不満を唱えている方々が訴える平和というのは「安定を破壊することが前提」になるのだとすれば、それこそ平和を唱える側が安定を破壊する存在だということにもなるような。

さて。

>>1408
ネット議論を続けてきたイカフライさんらしからぬお言葉かと思います。
ネットじゃ世界は変わらないと思っていらっしゃるようですが、ネットは「肉体が伴わないだけの、実在する社会」とお考えになるべきでしょう。
現実の世界では意思疎通をするときに身体がお供に付いてくるけれども、ネットでは意思疎通に肉体という弊害がない(もちろん別の弊害はあるでしょうけれども)ということ。
衝突もあれば誤解も生じるのは、別にネットの特質ではないと思いますよ。

実名至上主義であれば衝突が起きないのかと言えばそんなこともありません。実名で顔つきあわせて、兄弟でつかみ合いの大げんかをしている鞄メーカーもあるでしょ(^^;)

ネットが世界を変えないとのお言葉については、「どこを見てきたのか」と叱咤したくなるほどに残念でなりません。
日本を揺るがすことになった「出会い系犯罪」はネットが犯罪の形を変えた、現実の世界を揺るがした事例です。
Winny+キンタマ+山田は、ネットが情報の扱いに対して大きな警告を与え、また社会を揺るがした事例ですよ。
昨今のテロリストはネットを活用していますね。香田君の最期はネット配信されていました。我々はそれを見て驚き嘆き憤慨したのではなかったですか?
アメリカのラザーゲート事件はまだ記憶に新しいと思いますが、これはblog(ネットの議論)が、従来型のマスコミを壊してしまった一例であると言えます。そのニュースは世界に配信されていますね。

ネットは世界を変えています。
変わっていることに気づかないのは、それを「変化と思わずに受け入れてしまっているから」であり、まさに受け取る側が自分の変化に気づかないからかもしれません。

こうした考え方もまた、ネットの議論を通じて拡散していくものです。
コピー、ペースト、引用、補足。こうしたことの繰り返しがネットの議論でもあります。
もしネットの議論に何も見いだせないのだとしたら、それは「ネットで発言をしているだけで、他人の意見に耳を傾けていないから」に他ならないと思います。
ネットの議論は「言いたいことをいい散らかすだけの場」ではありません。
人の話を聞く場でもあると思いますし、そこにこそもっとも大きな意義があるのだと思いますよ。

1411イカフライ:2006/04/01(土) 19:44:04
>>1409
>それは、我々が「一人」であったり「完全な個体」ではないという大前提を思い出し、「一人では出せない答え」や「一人では思いつかない設問」を得るための機会という意味で。
即ちこれ、ヒトは「群体生物」であることの証明かなとも思います。

私は逆を感じました。
ネット議論に向かう人間が陥りがちな罠は、人が「群生生物」である事を忘れる事ではないか?と、今更ながら思うのです。
ネットって、考えてみると、何年来の知り合いにもなかなか言わない事を、見ず知らずの人間にぼろっと言っちゃうんですよね。
例えば、そういう場だから、と言えばそうですが、普段「従軍慰安婦問題の真偽」なんて話し、しないでしょ?
これは確かに美点でもあるとは思います。
時間的・物理的な理由で規制されざるを得ない行動が、ネットなら可能ですし、情報と言う意味ではネットは非常に有効なツールではあります。
いわゆる大マスコミは多くの人数が要求する情報しか流さないので、私のようにマイナー趣味(自分で選んでいるわけではないですか、なぜか好みが主流から外れるw)の人間がすきなもの、気になるものの情報を簡易かつ簡便に得るのにはよいツールではあります。
(おまけにひきこもり体質にもあっているし)
 ただ、逆に言えばひきこもり促進剤みたいなリスクはネットにあるんですよ、これは物理的なヒキコモリではなくて、精神的ひきこもりも含めて。
 例えば、従軍慰安婦の話を面と向かって肉体のある他者とする場合、自分と180℃考えが違っても、実はそこで感情的になって相手を貶めるのは、ただのガキでしょ。
まあ、アキカン投げつけて怪我させるまでやる右翼なら、それなりに覚悟はあるのかな、とかは思いますが。行動の是非は別にして。
(いや、自分が気に入らない事いったからって相手に暴力ふるうのは悪い事だけどさ)
 でもさ、ネット議論は缶を投げる、または投げられる相手すらいないんだ。
 結局、画面の前で、自分の正しさを証明したり、知識を披瀝することに終始しがちなのは、相手の存在感のなさじゃないのかな?
 これって、やっぱリアルには勝てないよ。

 でさ、ネットの議論って、相手の意見を聞いて、それを自分の考えを向上させるための参考にする、なんてありえるのかな?
 実際、ヤスツさんもここでさんざん議論して、どこの何が変わった?

1412ヤスツ ◆0lcRIkF0ks:2006/04/01(土) 21:01:44
>>1411
毎日いろいろなことが変わってきていますよ。

それはなだらかな変化であって、いついつのどの段階で激変した、ということではありません。
1年前、2年前、3年前、4年前の自分と比べて、例えば自分と違う考え方をする人をどのようにあしらうかなどについて、ずいぶん変化したと思っています。
内面的な問題でもありますから、第三者には気づかれにくいかもしれませんし、自分自身が変化を自覚できるのも変化が始まってしばらく経過し、変化する前野自分と比較して初めて気づくことではありますけれども。

例えば、私がこのような回りくどい(と思われがちな)説明の仕方をしていたのは前と変わらないと思いますが、以前のイカフライさんは耳を塞いでその先を聞こうとはされなかったでしょう?
また、私は昔も今も「辛抱強く」を目標としているつもりなんですけれども、3年、4年前に比べたら辛抱強くもなり、また「思考の転換」は以前より早くなったと感じます。
あるAを主張しているときに、Bを主張して譲らない人が現れた場合、Bの人がB’に移行するまで、辛抱強くこちらもA' A'' A'''と、別の選択肢を上げていくということができるようになったのも、「自分ではない誰か」と思考上対面しているからだろうとも思います。

その中にあって「構成要素のひとつである自分に個を感じる」という感じ方ももちろんありましょう。
が、同時に「構成要素の個々の存在が協力ないしは妥協しあわないと、【全体】の進展もありえないのだ」というように私は感じています。

繰り返されてきたテーマとして「世界平和」などがあるかと思いますが、「世界」という全体を進展させたいのなら、個々が全体のための妥協や協力をする必要もありましょう。
個であると同時に、全体の一部でもあるわけで、実に我々は構造の一部でありながら全体をも体現しているのだな、と思わされます。

例えばごく小さな対人関係の改善方法は、(もちろん複雑な要素は増えましょうけれども)大きな対人関係である国対国の対立関係の改善方法にも役立てられるだろうと期待します。
であるが故に、「国対国の対立改善方法」を、もっとミニマムな(全体の一部)に適用できないのはおかしいのではないかと繰り返し訴えてきているわけで、この主張そのものには変化は今のところありません。

が、いつか、この私の問いについて「これはこうこうで、こうすればこの対立概念は解決できる公式があるよ、これは小は幼稚園児の兄弟喧嘩から大は大国同士、内戦状態の解決にまで援用できるよ」という魔法の公式を示せる方が現れることを祈って、日々新たな出会いを楽しみにしているのです。

そうした出会いを期待する場としても、ネットの議論というものは有益だと思っています。
ネットが利益を生まなくなるのは、私がそうした答え、問いを求めるのを「止めたとき」だと思っています。
だから、ときどき本業が忙しくなったり、疲れてしまったときはネットから距離を置きますし、また別の疑問や質問が生まれてきたとき、そこに誰かがいれば現れるということを繰り返してきました。
そしてそれは今後も変わらないでしょうね。
そういうことを繰り返しながらも、それでも少しずつ自分は変わってきているということを、3年、5年後に実感できたら、それはそれで収穫だと思います。

1413ヤスツ ◆0lcRIkF0ks:2006/04/01(土) 21:04:34
少々ロマンチックな話をしますならば、例えば「恋に落ちる」というの、そのときその瞬間に自覚できるかと言いますと、これは無理なんです。
いつまでが興味で、いつまでが好意で、それがどの段階で恋に落ちるのか。
言うなれば、それはある一点を通り過ぎてしまった後に、後々振り返ることでしか確認できません。今が正にその瞬間である、と自覚して感じていくことは不可能です。

これになぞらえて言うなら、自分が変化しているかどうかはやはり通り過ぎた後に振り返ることで、それよりさらに以前の自分と比較することでしか把握することは出来ないでしょう。

だから我々は、進むことと同じくらいに「ときどき立ち止まって周囲を見回し、自分の歩いてきた道を振り返って、もと来た道を見通してみる」ということが必要なのだと思いますよ。
これが何らかの答えになっていれば幸いです。

1414ヤスツ ◆0lcRIkF0ks:2006/04/01(土) 21:21:18
リアルでもネットでもそうですが、「相手が目の前にいなければ存在感を感じられない」のだとしたら、世界中の人間が一堂に会さない限り、世界平和は望めないと思いますよ。
そこまでではないけれども、目の前に肉体を伴って現れなくても、「自分ではない誰かの声」を感じることができる、というのがツールとしてのネットが、20世紀最大の発明であることの証明だと思うのですが。

20世紀の発明と言えば、「飛行機」「自動車」「電話」「ネット」なのだそうです。
これらの共通点は何かと言いますと、「コミュニケーションに必要な距離と時間を飛躍的に小さくする」ということなんですね。
飛行機、自動車は移動に掛かる時間を短縮することで、直面して行うコミュニケーションに必要な所要時間を縮めています。
電話の前に「郵便(手紙)」というコミュニケーション手段があり、「コミュニケーションには肉体はなくてもいい」ということを我々は潜在的経験的に知っていたわけですけれども、手紙はコミュニケーションの時間短縮にはならなかったわけです。
ところが、電話の登場によって、「飛行機・自動車以上の時間短縮ができ、なおかつ肉体が伴わなくてもコミュニケーションは可能だ」ということを我々は知ることになります。

飛行機、自動車、電話までのコミュニケーションは「1対1」でのコミュニケーションを前提にしています。
これまたそれ以前から我々は「新聞」やまたはその発展形としての「ラジオ・テレビ」という一方向の告知手段を持っていましたが、これは「双方向のコミュニケーション手段」ではありませんでした。

ネットは、肉体を伴わず、しかも1対多の双方向コミュニケーション手段であるわけです。
これまでのところ、人間が求めてきた「コミュニケーション手段の最先端」でもあるわけですね。
より素早くコミュニケーションが取るためには、より短い時間で会いに行けばよく、最速の手段は電話・ネットであり、一対多のコミュニケーション手段を、大きなコストを掛けずに誰でも自由に獲得できるのがネットでもあるわけです。

このネットという【手段】を得た我々は、当初、これを「好き勝手に発言できるツール」として受け入れました。
我々、という言い方をしましたが、私は今年あたりでネット歴がそろそろ18〜9年くらいになるんですが、誰でも最初のうちはそういう使い方しかできないんですよ。
ネットというのは、「特大の拡声器」であることは確かですから。
ツールを手に入れた直後は自分の声だけが大きくなり、大きくなったから誰でも聞いてくれるような錯覚に陥ってしまいます。
ネットというツールを手に入れて間もない人ほど、この錯覚からは逃れられず、またネットを「そういうもの」だと思いこんでしまいます。
「手に入れて間もない」と言いましたが、人の話に耳を傾ける経験を積めない人は、その「間もない」状態が不幸にもずっと続くことになります。
自分の言いたいことを言い散らかすだけで、人の話をまるで聞かない。
その結果、自分の話も聞いてもらえなくなるわけで、「ネットは言い合うだけで誰も自分の話を聞いてくれない」ということになってしまいます。

そうではないのだと思います。
ネットを使い始めて8〜9年目あたりでインターネットの普及が加速していったんですけれども、そうなってからはむしろ「聞くこと」に大きな意義を感じるようになりました。
「正しい知識」というのは、世の中にはないんですよ。
知識が正しいかどうかではなく、「説得力を持っているかどうか」「第三者が検証したときに同じ結果が得られるかどうか」「それを他のケースに援用できるか」という。このあたりが重要なんですね。
そういうことができる知識、公式が「正しい」という評価を得られるのであって、そうした検証を経ずに「正しい知識」を、それこそ最初から正答を見るような形で得ることはできません。まず、疑わなければなりません。
言うこと、聞くこと、疑うこと、検証すること、こういうことを繰り返すのが、「議長」や「決議」が存在しないネットでの議論に、自分が介在することの最大の意義でありまた収穫を得られる機会でもあると思っています。

うろちいさんの招きに応じてここにきてから、私は一貫して「教えを請うている」と申し上げております。
受けた教えを全面的に鵜呑みにすることはありませんし、そういう盲信を避けるためにも「あらゆる側面から検証する」ことが必要でありまして、そのあたりが「執念深くてしつこくて慇懃無礼」に見えるのだろうな、と自戒はしておりますよ(笑)

1415イカフライ:2006/04/03(月) 21:10:48
>>1412-1413

うーん、なんつうのかね。
>例えば、私がこのような回りくどい(と思われがちな)説明の仕方をしていたのは前と変わらないと思いますが、以前のイカフライさんは耳を塞いでその先を聞こうとはされなかったでしょう?

 いや、私は最初から随分辛抱強く聞いてますよ。
それが、アホだった、無駄だったのかな、つーこと感じてるんですよ、今更。
あ、これ、別にヤスツさんへの個人攻撃じゃないっすよ。

 ネットそのものを否定する気はないんです。
 例えば、ネットが無ければ出会えなかった人、知りえなかった世界ってのはあります。
それによって、前向きになれた部分も大いにあります。
ただ、それは「ネットというツール」の有用性であって「ネットで議論する事」の有用性ではないんですよね。

 ネットの議論って、結局は「自分の考えの正しさ」を他人に認めさせる、以上の何があるんだろう、と。

1416イカフライ:2006/04/03(月) 21:16:41
>>1414

>リアルでもネットでもそうですが、「相手が目の前にいなければ存在感を感じられない」のだとしたら、世界中の人間が一堂に会さない限り、世界平和は望めないと思いますよ。

じゃあね、聞きますが、ネットで議論を重ねる事によって、戦争を机上の空論と唱えている人間が(ネット右翼でも軍事オタクでもいいです)、その場に行って人を殺す実感を持てるようになるのでしょうか?
いや、極論ですが。

 確かに、私たちがいかに戦争を語っても「机上の空論」に過ぎませんし、じゃあ、戦場カメラマンや傭兵になって戦場行けよってのも、現実的ではない話です。
 でもね、相手の人としての存在感を感じられるかどうか、ってこれは、やはり大きい事だと思うんですよ。
 ネットの議論ってね、所詮、無責任なんですよね。

1417イカフライ:2006/04/03(月) 21:31:43
 ヤスツさんにしてもね、耳を傾けている、と言いながら、結局、ここに来た時と比べて、主張はなにも変わっていないのでしょう?
 反戦主義者がバカだ、と(いや、これ極端な言い方ですが)思うのなら、じゃあ、あなたは今の反戦運動に変わるどんは方法が望ましいか?を、見つけられたのでしょうか?
 世界は変わらない、って言うのは、そういうことなんです。
 蚊帳の外で批判するのは簡単なんですよ。
 でも、それに変わるなにを見つけられるのか?ってことなんだよね。

 良い例か、悪い例かわからんけど、例えば、今のマンガはつまらん、どういうとこがつまらんとか、どういう体質がだめだ、ってのは、簡単なんだよな。
 ちょっとマンガ読んでるヤツなら、誰でもいえる。
 でも、じゃあ、面白いマンガ作ってみろ、てーと、作れるやつ、何人おるか?
 絵がかけない、とかいう技術的な問題は、いいよ。
 自分が描けないならば、描ける人を探す。
 描き手の個性を伸ばしつつ、自分の望む、といっても、独りよがりじゃなく、多くの読者が面白いと思える方向にその描き手を伸ばす。
 これが出来る人が、有能な編集者と呼ばれるな。
 出版社に勤務していないなら、同人誌作っても良いよ。
 
 結局、ネット議論ってのはさ、無責任な読者の立場で、あたかも編集長気取りで、独りよがりを言ったあげく、自己満足に浸る以上の何があるんだろうね。

 私もね、負けず嫌いなところあるし、ここのサイトで引いたら、「ああ、所詮、反戦主義者なんて」みたいに思われるのはシャクだ、ってのもあったし、うろちいさん(お会いした事はないけれど)と、ライコスの時からずっと一緒だったし、まあ、いろいろな想いがあるサイトだから、結構しつこくいたけれど。
なんか、最近、サイド6だけでよいような気がしてきた。

 てか、議論だけじゃ、なにも始まらないんだよな。

 議論を通じてなにかをやるため、だった筈なんだけど、結局、議論が目的になる。

 で、議論の目的って何よ?
 つーと、結局、おのおのが「自分の正しさ」を証明したがっている以外に何があるんだろ?

 それって、下品な言葉ですけれど。
(そういう表現が嫌いは人は、以下の行、読まないでください)










 セックスではなく相互オナニー鑑賞会、ではないですか?




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