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昭和初期抒情詩と江戸時代漢詩のための掲示板
102
:
やす
:2006/01/09(月) 21:45:49
和本三昧
この連休は岐阜県立図書館へ日参。郷土漢詩集の精粋『龍山遺稿(左合元鳳)』全一冊、『鼎石詩集(山田鼎石)』全五巻三冊、『濃中風藻(金龍敬雄)』上巻一冊、『臥牛集(赤田臥牛)』全十巻五冊、
それから近代詩集では今後も当分現れさうもない服部つやの遺稿詩集『天の乳』をとりこんで参りました。あとはもうしばらく待っても入手できなかったら『ふるくに』をとりに行かうかな。
とまれ、江戸時代の読書人は孜々筆写して蔵書を増やした由ですが、コピーにせよスキャナーにせよ、今や楽になったものですね(それでも疲れました〜)。
103
:
中村一仁
:2006/01/09(月) 23:51:19
今年もよろしくお願い致します
やす様
改めまして、新年のお慶びを申し上げます。今年もどうぞよろしくお願ひ致します。
12日から休みをとつて北海道に出かけます。苫小牧市立中央図書館で淺野晃の関連
資料を閲覧し、翌13日に穂別入りします。教育委員会の斉藤征義氏と、臨時職員の
本多紀子さんの尽力でかなり整理が進んだやうですが、さらに来簡について精査した
いものと考へてをります。
それと、今年は「天と海忌」開催の年に当たります。具体的に、開催日はいつ頃で、
どこで行ふのか。講師はどなたをお呼びすればよいのか。具体的に話をすることにな
ると思ひますが、一昨年の「天と海忌」の実行委員長がよりによつて「千代子志の会」
のメンバーで、今度はそのへんをどうするのか、難しいところもあります。
手前味噌で恐縮ですが、保田與重郎の直弟子の女性から「あなた達の雑誌は模索して
ゐるところがある。先生が見たら喜んだと思ひますよ」とわざわざ四国からお電話で
「昧爽」へのご声援をいただきました。しかし「あなたの淺野晃の二人の妻について
の文章、面白かつたけど、淺野晃はこの二人の妻に負けてゐますよ。淺野は所詮取り
巻きで、ただ長く生きたから皆があれこれ言ふだけです。連載の時間と労力がもつた
いないですよ」と連載への根底的な批判も頂戴し、かなりヘコミました。この頃、森
鴎外が『北条霞亭』を書いていくうちに味はつた失望感が理解できる時もありますが、
それでも書けるところまで、淺野論を書いていくつもりでをります。
3月刊行予定の第11号は音楽の特集を組む予定です。重ねて、今年もご指導ご鞭撻を
よろしくお願い致します。
104
:
やす
:2006/01/10(火) 21:43:08
御健筆をお祈り申上げます。
『北条霞亭』連載との取り合はせに思はず微笑んでしまった管理人です(^_^)。今年もよろしくお願ひを申し上げます。
しかしながら淺野晃が保田與重郎の「所詮取り巻きで、ただ長く生きたから皆があれこれ言ふだけ」、とは随分な発言ですね。けだし直弟子といってもおそらく信者みたいな歌人の方なんだらうと存じます。詩がわからんのです(尤も私には和歌や俳句がわからんですが)。
「ただ長く生きたから」ぢゃなく、敗戦の世に存ふる運命を背負ったからこそ抒情詩人としての転生を成したのであり、蔵原伸二郎、伊福部隆彦、芳賀檀といった人々とおんなじ道行をたどった文学者として、戦前はあくまでもその前半史なのだと私は思ってをります。むしろその方の仰言るやう、『天と海』の詩人も日常生活では“ぬらりひょん”みたく時化た顔をして妻には一向頭も上がらないといふのが本当だったら(そんなこと言ってない 笑)、そんな風貌にこそ、私は市井に隠れた浪曼派の妖怪たる面目の真骨頂を感じますね。「連載の時間と労力がもつたいない」などといふことがあるでせうか。もはや日本の老人は戦後派ばかりなので、還暦以上の人々に払ふ敬意にも注意が必要です。なにより未開拓の資料とともにをられるのですから、中村様ご自身の目で確かめになって、急がれることなく仕上げてゆかれたらと存じます。妄言多謝。
105
:
やす
:2006/01/13(金) 23:38:57
新刊ふたたび
クリスマスに『三好達治と立原道造 感受性の森』を刊行された國中治氏ですが、続けて
エッセイ集『書く場所への旅』2005.12.31 れんが書房新社刊行 19.5cm, 275p
\2000(ISBN 4846203042)
を大晦日に刊行、此度は年始早々の御寄贈に与りました。
日本語教師体験談、ギリシア随想、文章論、文学漫歩と、種々のテーマ別にまとめられ、
「燈火の領分──大木實『柴の折戸』」など、四季派のことも触れられてゐます。
國中さま、重ね重ねこの場にても御礼もうしあげます。有難うございました。
さて今や独立させた方がいいかもしれないやうな江戸時代郷土漢詩人のコーナーですが、
リンクで紹介させて頂いてゐるホームページ 「従吾所好」に付設されてゐる労作「江戸文学年表」の結構を無断拝借(!)して、リニューアルできないか計画中です(西岡様ゴメンナサイ。いいですか??汗)。
106
:
西岡勝彦
:2006/01/17(火) 18:26:16
おっと
googleアラートに「丹生樵歌」を設定していたら、飛び込んできたのが江戸文学年表アップロードの通知。すわや、パクリかとクリックしてみたら、中嶋さんだったんですね。しかも美濃に特化して濃〜い年表になりそうな予感。
どうぞどうぞ、というか僕のも大してオリジナリティのあるものではありませんので。
年表作りはexcelのHTML化を利用すれば楽ですよ。だいぶ加工しなくちゃなりませんが。
ところで当方も中嶋さんに煽られて(?)、最近ご当地漢詩人に興味が湧いてきまして、去年は高槻の藤井竹外の「竹外二十八字詩」を手に入れました。アラートの「丹生樵歌」も地元詩人の漢詩集で、今のところ究極の探求本なのです。
107
:
中村一仁
:2006/01/18(水) 02:07:41
感動と危機の予感と
やす様
12日から北海道に出向き、淺野晃関係の取材等をしてきました。
12日は苫小牧市立中央図書館を訪れ、生前の淺野が当時の図書館長に託した資料(閉架)を閲覧させてもらひました。先頃、決定版全集に収録された三島由紀夫の書簡2通のほか、保田與重郎の手紙が3通、水野成夫の手紙が3通、変はつたところでは大川周明の手紙が1通、モスクワ留学中の蔵原惟人からの絵葉書が1通…などなど、貴重な来簡がたくさんあるのを眼にして、絶句してしまひました。特に、詩集『寒色』が読売文学賞を受賞した際に水野が書き送つた手紙をこの眼で見た時には、その短い文面に、勇払時代の淺野を励まし続けた水野の歓喜と、2人の長年の友情が凝縮されてゐるやうに思はれて、胸が熱くなるのを禁じ得ませんでした。また、保田の書簡はいづれも淺野から贈られた詩集への礼状で、詩集『草原』への礼状では、佐藤春夫の法要を無事に終へたことや中谷孝雄・平林英子夫妻が参列し、京都の寺めぐりの際に2人が淺野のことを話題にしてゐたことが書かれてゐました。このあたりのことは「昧爽」第11号で詳しく書くつもりです。
13日から15日午前までは、穂別町の資料室の整理を手伝ひました。前にお伝へした、千代子の最後の手紙がノートに写されてゐたといふ話ですが、日記の間に千代子の手紙を写したノートの切れ端が挟まれてゐたといふのが実際のところでした。おそらく実物を苫小牧に送つてしまつた後も、それを読み返してゐたのでせう。淺野がいかに千代子を愛してゐたかが、痛いほど理解されました。また、昭和天皇崩御に際して詠んだ追悼歌の歌稿が見つかり、そこに書かれた歌と、雑誌に掲載された決定稿の間に若干異同があつたのが興味深かつたです。
穂別町は市町村合併で3月に「むかわ町」になるものの、資料室に配分される新年度の予算がゼロで、3月で資料室は事実上閉鎖状態に追ひ込まれることが判明し、愕然としました。小説『風の生涯』で淺野を描いた作家の辻井喬氏や、北大名誉教授で日本浪曼派研究の泰斗である神谷忠孝氏に発起人になつていただく形で、研究団体の設立を急がうといふ声もあり、その話が具体化した時には、やす様や立正大学OBの諸氏にも改めてお願ひさせていただく所存です。それでも、斉藤征義氏はあくまで「天と海忌」は開催する方向で動くとのことで、辻井氏に講師を打診すると言つてをられました。私は斉藤さんの判断に従つて、ついていかうと考へてをります。
寒い毎日が続きますが、くれぐれも御自愛専一に願ひ上げます。
108
:
やす
:2006/01/18(水) 21:15:14
ありがたうございます。
西岡様、おしさしぶりです。こちらよりお伺ひするさきにありがたき御言葉を賜り、感謝に耐へません。有難うございます。年表に付する情報はそのまま、今は亡き郷土漢文学研究の第一人者、伊藤信先生のライフワークからの引写しですが、それでもよいから不取敢どんなものになるのか【明治・大正・昭和初期 詩集目録】と平行してのらくら作りこんでゆく算段です。
『丹生樵歌』といふ詩集は、分らぬままこれも引写した次第です(恥汗)。西岡様の究極の探求本とは存ぜませんでした。はて私は何だらう。さしづめこないだ県立図書館でいろいろ頬擦りしてきたもんなあ(笑)。順次upしてゆきますのでお待ち下さいませ♪(『丹生樵歌』所蔵の京都大学図書館にもスキャナーの持ち込みが許可されるといいですね)。
ところで藤井竹外といへば、高槻のしろあと歴史館で「高槻が生んだ幕末の漢詩人 藤井竹外」といふ展示が催されてゐたみたいです。わたくしは郵便で図録(\500)を購入、また、この度はボロボロの貼交ぜ掛軸を入手したので切り取ってこれだけ額に入れ、机上に飾って雪かきが大変だったこの初春の積雪をしのんでをります(苦笑)。
雪比落花殊不軽 雪は落花に比して殊に軽からず
半庭掃得半庭平 半庭、掃き得て半庭平らかなり
緑芽掀土是何草 緑芽、土をあぐる、是れ何の草ぞ
春自帚痕多處生 春は自から帚痕多き処より生ず
竹外酔士
今年もよろしくお願ひを申上げます。
109
:
やす
:2006/01/18(水) 21:31:42
刊行と時期の予告と
さて、中村さまには遠路まことにお疲れ様でございました。資料室が閉鎖状態に追ひ込まれるとは、つまり穂別町が鵡川町に併呑されるといふことなのでせうか。合併で財政は潤ふ筈なのに、町史への関心は町全体の面積が広がると重心も移動してしまふでせうから。町の「徳」となることも「得」にならんと切捨てられてしまふ世の中です。本当に残念です。
わたくし事ですが、このたび新学社の『近代浪曼派文庫』の田中先生の部の選詩に関はることになり、文庫の概要を拝見させて頂いたのですが、ここでも淺野晃の収録巻がなく、岡倉天心の訳出者として姿を現すだけとは、これまた残念に思ったことです。
田中先生においても、今回収録巻のタイトルが「大東亜戦争詩文集」といふことで、あくまでも戦争詩を中心にとの要請でしたから、詩人の佳品の大半が漏れることとなり、晩年戦争詩を深く恥じてをられた泉下の先生に叱られはしまいか、また事情を知らない読者に対し、他巻の詩人たちに伍して面目を保ち得るだらうか、との心配もあったのですが、こちらの方は詩人と戦争との関係が一通りの流れとして捉へられるやうなものにすることで、これはこれで納得したつもりです。でもやっぱり叱られるな(再苦笑)。この春に刊行されるのではないでせうか。
それから、なるほど北海道には神谷忠孝先生がみえるのですね。心強いですね。>研究団体の設立…お、お金が要るのですか(再々苦笑)。
110
:
西岡勝彦
:2006/01/20(金) 12:29:13
おお
「竹外」とひとこと言えば、図録や掛け軸、詩集イメージまで魔法のように出てくるとは…。僕なんか、展覧会はいちおう見に行ったのですが、墨痕を楽しむところまではとても至り得ません。
「春は帚痕多きところより生ず」いいですね。図録にもこの詩の掛け軸の写真が載ってますが、竹外のお気に入りの詩だったのでしょうか。
「丹生樵歌」の方は、一番近くは大阪の中央図書館にあってコピーもできそうなのですが、なかなか足を運べないでいます。それと国文学研究資料館にもありまして、ここは通信で複写の申し込みができるようですので、試しに電子複写というのを頼んでみるのも面白いかなと思っています。
でもやっぱり、手に入れたいのは実物。まだ辺鄙な山里だった150年ほど前の地元が生んだ、たぶん唯一の詩人ですから、地元の漢詩好きが持ってないでどうする、というわけです。
本年もよろしくお願いいたします。
111
:
やす
:2006/01/20(金) 22:16:26
ああ
「まだ辺鄙な山里だった150年ほど前の地元が生んだ、たぶん唯一の詩人」
よい言葉ですね。濃尾平野も当時は目路をさえぎる何ものもなく、長良川には湊があったと聞きます。
ああ、日のあたる古い民家の縁側で、お茶啜りながら江戸時代の漢詩人の伝記が読みたい。
【江戸漢詩情報】
以前紹介した「創文」連載の「日本漢詩人紀行」(林田愼之助氏)が講談社現代
新書の一冊になりました。
『漢詩のこころ 日本名作選』(ISBN:406149824X). 269p, 2006年1月20日 760円
112
:
やす
:2006/01/27(金) 17:40:30
詩魔詩人同盟主催「学芸講演会」
JINさまより昭和初期の岐阜詩壇、詩魔詩人同盟が催した学芸講演会のチラシをお送り頂きました。このやうなチラシは捨てられてしまふのが常ですから大変貴重です。これまでの何度とないご厚意にあらためて御礼を申し上げます。ありがたうございました。さきに「四季派の外縁を散歩する第9回 郷土詩人素描──岐阜県の詩集から」のなかにおいて、
当時の中央詩人たちを盛んに講演に招いてゐるが、歌詞作者として成功した彼らを呼ぶことが、自分たちの世間的認知の後ろ盾にはなっても文学的な地位を高めることになる筈はなかった。揉み手で迎へられた有名詩人達もまた、全く江戸時代の流行漢詩人達が地方行脚を行ったのと等しく、物見遊山を兼ねたビジネスに訪れたのではなかったか。「詩魔」を存分に検分できたら思ふところを語りたい
と記しましたが、はしなくもこんな資料が証左のひとつとなるかもしれません。
「私達の為事の基金を得るために特に両講師及現代大家にお願ひしてその肉筆色紙、短冊をいたゞきました。これを同好の方々に市價の半價以下にてお頒けいたします。」
「市價の半價以下」ねぇ。どうせなら朔太郎呼んで欲しかった(無理? 笑)。
本日発表の「趣味の古書展」抽選『光の処女』(文学堂書店\8000)はもちろん(?)はずれました。懲りずに今度は「和洋会」を虎視耽耽(笑)。
113
:
やす
:2006/01/29(日) 21:43:55
小山正孝著『稚児ケ淵』
今日はテレビで楽しみにしてゐる「何でも鑑定団」の日(当地では一ヶ月遅れの日曜日のお昼にしか映らないのです)。年末最後の放送といふことで広島県神辺町の廉塾などが紹介されてました。鞆の浦歴史民俗資料館の図録をぐれむん様から贈って頂いたのはさういへばお正月。やっと謎がとけたりして(笑 そんなことはない、か)。
さてやはりこれもお正月に御遺族からお送り頂きました小山正孝『稚児ケ淵』は、閑の折々に読み散らかしてをります。小説については云々できる資質がないので詳しいコメントを差し控へますが、跋文で伊藤桂一氏ほかが言及してゐる初期の「紙漉町」なんかは、はっきり云ったらば大凡私にはもうよくわからないのでした(おそらく大抵の人にも、きっと)。しかし全編こんなドイツロマン派風の主観独白(何故だか昔読んだヴァッケンローダーといふ詩人の小説?を思ひ出した)が続くのかな、と思ったら、さうではなく、表題作や「少年時代」など、青木といふあんまり感心できない少年(笑)の行状・心理を場景とともに客観的に描いてゐる、謂ふところの“青木もの”なんかはとても面白かったです。「少年時代」など、最後に父親に張り倒されるところはカタルシスとして、少年らしい戒心への含みを持たせたエンディングにしたらよほど(彼が立原道造の他に私淑してゐたのではないかといふ太宰治の中期みたいで)読後感がいいのにな、と、こんなコメントは小説を「楽しめたか・楽しめなかったか」といふ映画観客の域を越える感想が書けない仁の云ふことですから御放念下さい。一体主人公の心理描写って小説家の体験にどこまで基づいてゐるのかな〜、と幼稚なこと云ってる時点で小説なんか書けない人間なのですね。
寄贈頂きました御二方にあらためて御礼申し上げます。
114
:
やす
:2006/02/05(日) 19:28:47
遠山雲如の刊行詩集
和洋会目録、『日月の上に』(扶桑書房さん\3000!)は外れましたが、『雲如山人第四集』は我が手に。中には飛騨の山岳風景を歌った「桟雲集」といふのが収められてゐるのであります(ニコニコ)。
ただしこの本、詩人の第4詩集といふわけではありません。現在遠山雲如の別集(個人集)として確認されてゐる最古の詩集は『雲如山人第三集』。第一集も第二集も伝はってゐないのであります。しかもこの第四集の間になほ『雲如山人集』ほか数冊の刊行があって少々ややこしい。特に『雲如山人詩集(詩鈔(七松堂版))』は、今回需めた『雲如山人第四集(夕爽楼版)』と同内容(但し巻の順序が異なる)の由、「遠山雲如の刊行詩集について」鷲原知良氏(大阪芸文研究誌「混沌」23号)に拠りました。下記に一覧。
『寰内奇詠』(文政9年1826)[編] 半紙本一巻[一冊]。74家138首のうち5首を収む。17才の紅顔詩人を得意の絶頂に至らしめたアンソロジー。
『雲如山人第三集』(天保14年1843) 半紙本二巻一冊。「卜居集[著]」「水雲吟社詩[編]」下総寓居時代の作品。
『雲如山人集』(嘉永2年1849) [著] 半紙本二巻二冊。第一冊:七律、第二冊:七絶。
『墨水四時雜詠』(嘉永3年1850) [著]半紙本一冊。中嶋棕隠『鴨東四時雑詞』にならった江戸版。
『湘雲一朶』(嘉永6年1853) [編]特小本。相模厚木時代の詩友19家を集めたアンソロジー。
『湘雲集』(安政2年1855) [著]特小本二巻二冊。相模厚木時代の作品。
『晃山游草』(安政3年1856) [著]半紙本一冊。八王子時代の作品。
『田園雑興次韻』[安政?年] [著]半紙本。范成大『四時田園雑興六十首』に次韻。
『雲如山人第四集』(文久元年1861) [著] 半紙本二巻二冊。第一冊:「京塵集」二巻、第二冊:「島雲漁唱」「相雲嶽雪集」「棧雲集」。星巌を頼っての上京時代、および明石・淡路・近江・越前・飛騨遊歴の作品。
『雲如山人詩集(詩鈔)』(文久3年1863没年)前述。
『三雲絶句(三雲集)』(没後明治3年1870) [著] 半紙本。宮澤雲山、竹内雲濤らとともに七絶各百首を収める。
『雲如先生遺稿(博愛堂)』(没後明治20年1870) [著] 半紙本二巻二冊。第一冊:七律、第二冊:七絶。
なんでもいいや。早く来ないかな。
115
:
やす
:2006/02/18(土) 22:50:08
日録
今月「日本古書通信」は、文学堂・扶桑書房・石神井書林の三古書店主のインタビューを人魚の嘆き様がつとめる第一回目。
扶桑書房・石神井書林の回が楽しみです。
午前中病院見舞、旧友の始めた蕎麦屋 『瑠草』でお昼。帰宅して読書、犬の散歩。夕飯を挿んでふたたび読書。蕎麦は手打ちでおいしいよ(笑)。
116
:
やす
:2006/03/04(土) 22:56:57
(無題)
最近、漢字の修養かたがた再び鴎外の史伝に挑戦を始めました。此度は三部作のうち一番長く未読であった『伊澤蘭軒』です。それで『北條霞亭』のときはずっしり重い全集本に読後の達成感を求めましたが、今度は携帯も出来るやう新書版の選集にあれこれ書き込んでゐます。お供のチャンペラは同じく『鷗外歴史文學集(なんと四分冊あります)』。筋より文体が楽しい読み物ですから、斯様な接し方も許さるべく、いっそのこと富士川英郎の『菅茶山』と平行して、一年一年区切りながら読み進んでゆけないか、などと横着なことを考へてをります。
さて先日、実は手紙にて匿名子より辛辣な御叱正を賜りました。なかに次のやうな件があって、自分が他人さまからさういふ風に思はれてゐることを初めて知って、情けなくなりました。
(前略)わたくしから見ますと、貴兄一人は棒給を得ている身でありながら、懐を痛めることなく、人からお恵みを戴き続けていることを何ら恥じることない、また、インターネットという媒体を通して、大っぴらに自らの探求物の恵みを賜ることを恬として恥じることのない行為を続けている人のように思われます。
さらに、ほぼ流用に近いデータをさらして、網を張り、そして自ら作ったごとく誇り、在野に隠れている無数の詩人の縁者からの連絡を期待するかと思えば、他に追随する者なきを嘆くというイソップの「からす」のような行いを恥じることはないのでしょうか。 (後略)。
「からす」といふのはなんでせう、或は「かけす」の誤りと自ら調べさせてことさら辱めるつもりだったのかな。さらに「よかれと思って、インターネット上で他人の著作物を愚弄するに当っては云々」と続いてゐて、未知既知の方々より寄贈いただく本などに対し、これまで論文一本書いたことの無い自分がいい気になって書評をものしてゐた浅はかさを思ひ知らされました。
顧みますにこのサイトも、いろいろな人々との出会ひによって、これまでモチベーションを高めながら今日を迎へることができたのでした。ことにも稀覯詩集の数々を、頂いたり譲ってもらったり、まるで「古本の神様」でも憑いたかのやうな一時期は、今にしてなほ信じられない気持もし、知識や資金の乏しい田舎棲みの自分が、偶々このサイトを開いてゐたことによって過分の恩恵に与った事実は、確かに匿名子が指摘するやう、側から見たらばまことに独占的な営為に映ってゐたのに相違ありません。それが物質的のことだけであるなら、この手紙を読んでその通りに恥じ入ってしまふところでした。
もとより詩心といふ、曇ったら無一物になってしまふものに縋って活動してをります。おべんちゃらこそ言はないつもりですが、現代詩に慊らないで来訪して下さった同好者に対して不快感を与へるホームページであっては意義がありません。さうして「あいつうまくやってやがらぁ」と云はれないために、私のできることと云へば、結局のところやはり資料公開をはじめいろいろな有形無形の賜りものを無にしないこと、ではないかとも思はれるのです。批判は謙虚に受け止め初心に立ち返り、(圧力でもない限りは)もうしばらく運営を続けてみようと思ひを新たにしてゐるところです。何卒あたたかくお見守り頂けましたら幸甚に存じます…。
といふ訳で、
今週は鯨書房の御主人が編輯に係る地元詩人の詩集『藤吉秀彦詩集』(現代詩人文庫 砂子屋書房2006.3)の御恵贈に与りました。また立原道造記念館よりはヒヤシンス忌の御案内 (このさきなかなか参加も叶ひませんが) を頂きました。この場にても厚く御礼を申し上げます。ありがたうございました。
117
:
やす
:2006/03/06(月) 20:05:00
レファレンス
昨日は県立図書館へ地元夭折詩人の詩集の画像をとりこみにいって参りました。「ふるくに(山川弘至)1943」は酸性化がはげしく既にボロボロ、「伯英遺稿(林伯英) 1801」も綴糸が切れてバラバラの状態なり。事前にその旨を伝へて、却って心置きなくスキャンできたのですが、返却の際にジロジロ睨まれてしまったかも(ごめんなさいね、汗)。 順次upしますのでお待ち下さい。
またメールでレファレンス2件、1件は判る範囲で先程お答へしましたが、次のは何ともならず。通常、メールでの質問はメールでお返しして掲示板には上しませんが、これは発信者の名前もないし、公開捜査としませう。駒場はもとより神奈川にも芦屋にもないなら、図書館員の出番ではなささうです。どなたか分る人がありましたらよろしく(私だって知りたいや)。
雑誌『椎の木』を探しているもの者ですが、第3次第5年(昭和11年)の2,3,5〜8,10冊をどうしても見ることができません。そのうちの1冊についてでも結構です。お心当たりの方、情報をお教えいただけませんでしょうか。
118
:
やす
:2006/03/11(土) 02:00:36
『水彩画を描いたサムライ』
昨日は職場に一冊の画集が寄贈されました。
なかに私の故郷岐阜市長良より高富街道の建物ごしに仰いだ百々ヶ峰[どどがみね]と思しき一枚があって、興味深く拝見。 本の題名は『矢野倫真水彩画集 : 水彩画を描いたサムライ』といふ79p:30cmの、図録様の装幀であります。
作者の矢野倫真(やのりんしん1864-1943)は、抒情味あふれるこれらの水彩風景画が近年遺族の手で偶然発見され、今回出版の運びにまで至ったといふ明治大正期に活躍した画人でありますが、拙ホームページ管理人としましては、同じく旧制岐阜中学(現岐阜高等学校)の先生で、偶々着任したこの土地に根ざして己のライフワークを大成させた、郷土詩人の第一人者殿岡辰雄のことを真っ先に思ひ起こさせました。尤も殿岡辰雄はバンカラ学生達から「マメさん」と慕はれた土佐生れの英語教師でしたが、加賀藩士の血を引く幕末金沢生れのこの図画の先生はまた、学校で唯ひとり綽名で辱められなかった薀藉の風格の持主であったといふことです。明治画壇の潮流が水彩から油彩へ移っていったとき、時好を追はずに出発点の南画に回帰し、教育者としての本分に安んずることを選んだ生き方にも、明治びとらしい処世のいさぎよさは偲ばれて、「水彩画を描いたサムライ」と副題にはありますが、むしろ富岡鉄斎同様、ゆかしき儒者の風韻を感じてなりません。
『矢野倫真水彩画集 : 水彩画を描いたサムライ』2005.8刊行 \2740(送料とも)
購入は倫真の水彩画を伝える会(〒921-8152石川県金沢市高尾2-1-1早瀬氏)へ。以上勝手に宣伝まで。
119
:
:2006/03/19(日) 17:41:18
詩集「シンドロームの街から」
はじめまして。大分、以前にホームページの紹介に伺ったことがあるかもしれません。
宣伝になって恐縮ですが、発売2年目に入る私の詩集を紹介させていただきました。
http://www.bk1.co.jp/product/2516271
http://akira5410.hp.infoseek.co.jp/
120
:
やす
:2006/03/20(月) 22:04:39
『臥牛山人集』
akiraさま、はじめまして。ホームページの楽しい山の写真を拝見させて頂きました。冊子の枠を飛び出したネット上でどのやうに詩を読ませるかは現代詩に限らず、かうしたサイトを運営してゐる管理人の課題でせうが、人それぞれにあるだらう「読む間合ひ」を無視してフレームが勝手に動いてゆくのは(特にそれが作品にとって初舞台となるのは)まづいかもしれませんね。
といふことでこちらでは当分スキャンした画像をぶつ切りに、「冊子再現」とも程遠い「素材提示」でお茶を濁して参ります。本日はやうやう赤田臥牛の 『臥牛山人集』をupしました。晩年は高山在職中の館柳湾とも交流があった詩人ですが、岐阜詩壇が山田鼎石、宮田嘯臺、左合龍山等を中心にさんざめいてゐた頃、彼等とともに龍草盧や江村北海といった、世代的には頼山陽より一世代前の詩宗を仰いだ飛騨高山の漢詩人です。今後も県立図書館禁帯出の貴重な郷土詩集を一冊づつ公開してゆきますのでよろしく。
立原道造記念館より館報No.37ならびに企画展「堀辰雄の構想」の御案内をお送り頂きました。
山川京子様主宰桃の会より歌誌「桃」一月号三月号をお送り頂きました。
ありがたうございました。
121
:
やす
:2006/03/21(火) 08:39:37
インターネット上の古書売買について
「日本古書通信」No.920到着。前回に引き続き古書店主による座談会は後半「扶桑書房・石神井書林篇」。ページ数が限られてゐるので、近代文学雑誌とモダニズム詩集の草分けである名物古書店の歴史も、今回は「垣間見る」といった感じに留まってゐるが、同号「古本講座2」ではさうした市場の歴史的動向が今や、ジャンルではなく環境において大きく変化してゐることについて、つまり具体的にいへばインターネット上での売買「Yahoo!オークション」の功罪についてであるが、座談会で司会を執った川島氏自らによるメスが入ってゐるので、一読されたい。
私見を述べるならば、目下日本で一番充実してゐる古本サイト「日本の古本屋」データベースであるが、即時に全国の在庫現状を一覧検索できる特長に加へ、保存や刷版の状態が問はれる高額本や和本については、さらに客観的な写真情報を複数付与することが可能になったら、古書業界の仇敵「Yahoo!オークション」の魅力は半減するのではないかと思ってゐる。プロの古書店による「日本の古本屋」と、アマチュア出品者による「Yahoo!オークション」が融合されることは、買取システムの位置づけを考へると実際にはなかなか難しいことと思はれるけれども、川島氏の指摘される、稀覯本ジャンルにおける「日本の古本屋」=「最高値」=「売れ残り」といふイメージ、これを払拭することは早急の課題であらう。捻った古書価に苦しんできた愛書家達がまるまるYahoo!オークションへ完全移行してしまふ前に、或は古本業に手を染めたamazonが稀覯本の世界に進出してくる前に、「登録者へのアラート」や「店舗・年代毎の詳細検索」など、システムの課題として組織全体で取り組んだ方がいいんぢゃないか、とも思はれる。事実、このやうなインターネット上の組合を持たない書画骨董の世界は、パソコンをいぢれぬ年配層がゐなくなった時点で全ての顧客が同時に売り手に、一国一城の店主になることも予想される。酷く喩へるなら、ヤクザ社会の権益がなくなってそこら中にチンピラ風市民がのさばりはじめた日本と同じである。先日、バブル期の値段札が付されたままの委託品を大量に陳列してゐる地域の骨董センターに足を運び、その感を強くした。古書店とは異なり鑑識の点では素人売買同様、保証さへない。
学術情報データベースとリンクして、生涯教育にいそしむ国民の資料検索・流通機構としてひらかれるのは、果たして予定通り「日本の古本屋」となるだらうか。その際、初版・復刻毎に古本屋の検索結果も分かれるやうになってゐたら、ポータルサイトはWebCatに移行するかもしれない。数年後が楽しみなことである。
122
:
やす
:2006/03/26(日) 21:15:04
『山川弘至遺文集』
桃の会主宰の山川京子様より『山川弘至遺文集』のご恵送に与りました。ここにても心より御礼を申し上げます。ありがたうございました。
内容は、?ふるさとの四季、?評論、?祭詞集の三部に分かれてゐますが、私には散文詩の趣きをもって故郷への思ひが胸いっぱいに綴られてゐる初期の文章(?ふるさとの四季)に、早熟にして完成された詩人の才能を確信、あはせて昨秋伺った高鷲の旧家や周りの自然を思ひ起こしながら、濃北の風致の素晴らしさを味はってをります。詩人につきましては不日一項を設けてあらためて紹介もしたいのですが、不取敢先日画像をとりこんできた『詩集ふるくに』をupしましたので御覧下さい。
123
:
やす
:2006/03/27(月) 19:11:27
残生随白鴎
最近は漢詩集だけでは物足りず、たうとう掛軸に手を出し始めた恐いもの知らずの管理人。無論しょぼい小遣ひと真贋知識の範囲で、ここでも「状態不問」の方針は変はりません。
とはいふもののなかには分不相応の美品が舞ひ込むことも。これは杜甫の詩句ですが、「白鴎」とは星巌、藤城、細香ら美濃の漢詩人達が一堂に会して鴎盟を訂した「白鴎社」に通じ、また星巌全集巻頭に序文が置かれた蘇峰翁の、最晩年の墨蹟なので格別の感慨をもって眺めてゐます。
余談ながら本日人間ドック再検査の結果、異常なし。「残生白衣に随ふ」にならず良かったです。ちゃんちゃん♪
U^エ^U「くだらないなあ。」
https://img.shitaraba.net/migrate1/6426.cogito/0000215.jpg
124
:
やす
:2006/04/07(金) 17:28:23
『昧爽』11号
山本直人様より『昧爽』11号の御寄贈をかたじけなく致しました。いつも有難うございます。ここにてもあつく御礼を申し上げます。
さて今回は特集記事の「音響の誘惑/日本語ロックの遺産」とは別に、中村一仁様より北海道むかわ町の淺野晃資料室閉鎖予定について【報告】があり、時々の状況は今後も引き続き報告される模様ですが、ともあれ記されるやうに、詩人宛の来簡ほかの貴重な資料について、その行末がたいへん案じられるところであります。
しかし一口に「資料整理」といっても、達筆の手紙はたしかに読み辛いですよね。先日、四捨五入すると早や五十になることを知ってガクゼンとしました私こと管理人も、管茶山・江馬細香と、このところ念願の墨蹟を“天の命ずる”ままに漁り続けてをりますが(贋物傷物を覚悟の上で、笑)、掛軸や漢詩集の序跋などは『くずし字解読辞典』をもってしてもまだまだ読むことは難しいです。といふか菅茶先生の書など、詩集テキストが無ければ私なんぞになかなか読めるしろものではないであります。
「走雨過山彩霓生 残雲洩日翠秧明 欲知詩画無佗趣 出戸呼童視夕晴 茶山旧意」
https://img.shitaraba.net/migrate1/6426.cogito/0000216M.jpg
125
:
ごん太 U^ェ^U
:2006/04/09(日) 17:54:33
本日春満開。
一目千株花ことごとく開き
満前ただ見る白皚皚
近く犬の吠ゆるを聞けども処を知らず
声は香雲団裏より来たる
https://img.shitaraba.net/migrate1/6426.cogito/0000217.jpg
126
:
やす
:2006/04/17(月) 21:38:07
寄贈御礼
多治見の久野治様より新刊『オリベ焼き100選』紹介記事とともに同人誌「宇宙詩人」No.4をお送り頂きました。連載「黎明期の中部地方詩人」は今回、高木斐瑳雄が紹介されてゐますが、限られたページ数のため、さきの著書『中部日本の詩人たち』を出る内容が盛られなかったのは聊か残念でもありました。ともあれ冒頭に拙サイトを紹介頂きまして赧顔の至りであります。ありがたうございました。高木斐瑳雄といへば手許の写真資料など、春山行夫や井口蕉花の生家辺に建った文化のみち二葉館に機会があれば寄贈したいのですが、名古屋で興った「青騎士」運動など、人脈・詩派ともに後裔の喪はれた、現在と絶縁した文学史上の栄光を、アウトソーシング運営の記念館でどんな風に扱って頂けるのかな。久野様も代替はりした高木斐瑳雄の生家に著書を献じたものの、詩人の御先祖を徳に思ふやうな反応は一向返って来なかったとか。
さて久野治翁といへば在野の織部研究家として、またここでは和仁市太郎の評伝『山脈詩派の詩人』の著者としてもとりあげさせて頂きましたが、かつて御宅までお邪魔して伺った回想談は印象深く、「狼少年」と恐れられた皇国詩人時代、戦後一転して労働運動に挺身、さらに引退後の古人顕彰活動を独学で成し遂げるに至った、そのロマン派的人生の道行きについては、(はっきり申上げると連載なんかうっちゃってよいから 笑)、ぜひ自叙伝として一冊にまとめてのこして頂きたいと思ふのであります。さう考へるのは私だけではなかったこと、今回同封の「中部ペンクラブ会報」のなかでも慫慂されてをりました。なにとぞ御身体ご自愛の上、御健筆をお祈り申し上げる次第です。
127
:
:2006/04/24(月) 16:40:11
井口蕉花の資料引用について
初めまして。私は愛知県立明和高校の図書館長をいたしております中山と申します。名古屋市「東区まちそだての会」というグループで活動しております。併せて「橦木倶楽部」(旧井元為三郎邸)の維持・管理、保存に向けての活動もいたしており、その一環として「橦木倶楽部通信」というブログを運営しています。私のブログでは現在、尾張や名古屋に関係のある人物の業績を取り上げています。今日は「岡井隆」を紹介しました。明日は「丸山薫」を紹介しようと思っています。この後、「春山行夫」や「井口蕉花」を取り上げていきたいのですが、浅学にして手持ちの資料がありません。年表や詩集の写真など一部使用させていただければ、ありがたいのですが無理でしょうか。むろん、こちらのサイトの紹介とリンク先を載せさせていただきます。
なお、われわれの仲間の西尾典祐が「文化のみち二葉館」の副館長をしており、文学関係資料の責任者をしております。西尾は毎日新聞紙上に毎週「文化のみち通信」を連載しており、4月11日付けの記事で「春山行夫」「井口蕉花」「折戸彫夫」を取り上げています。一度、二葉館西尾とご連絡頂ければ、寄贈を考えられている資料などの企画展示や常設展示が可能か調整ができると思います。保管庫は空調の完備した蔵造りの立派な代物です。
橦木倶楽部通信
http://gold.ap.teacup.com/syumoku/
128
:
やす
:2006/04/24(月) 23:30:01
管理人です
こちらこそはじめまして。中嶋康博@管理人です。
お申し越しの件につきましては、どうぞ御自由にお使ひ下さいませ。井口蕉花については木下信三氏の論考が詳しく、すでに収集済みかも知れませんが「東海地域文化研究(名古屋学芸大学短期大学部附属東海地域文化研究所編)」に「井口蕉花ノート」(Vol.2, 73-82p / Vol.3, 254-69p)が所載されてをりますので、合せ書き添へます。
「文化のみち二葉館」にはまだ伺ったことがありません(橦木倶楽部ともに素敵な建築ですね)。いづれ拝見に伺ひたく、寄贈の件につきましても、あらためて御相談を申上げたいと存じます。
掲示板にては取り急ぎ用件のみ申上げます。
129
:
masa
:2006/04/25(火) 08:00:28
感謝します。
ありがとうございます。正直なところ、井口蕉花も春山行夫も高木斐瑳雄も、本当に最近その存在を知ったばかりです。自分の暮らしている街に、かって詩や文学を志した青春群像があったということに感激しています。私も高校生の頃、同人誌を作ったりしていましたが、今、井口や春山の事歴を勉強し始めて、大正・昭和期の詩人たちの動向に目が向くようになりました。改めて、お礼申し上げます。
130
:
やす
:2006/04/26(水) 21:18:01
城北古書会展目録
石神井書房さんの出品より四季コギト関係書目。03-3995-7949 Fax:03-3995-1084
1865『雑誌 果樹園』 \10,000 1-36号合本 昭和31年-33年
1874『コギト詩集』 \12,000 函欠 昭和16年 山雅房
1877『父のゐる庭』 \10,000 函日焼 昭和17年 臼井書房
1878『日まはり』 \30,000 帙少痛 昭和9年 椎の木社
1879『測量船』 \25,000 皮背少痛・函少染 昭和5年 第一書房
2015『田中冬ニ葉書』 \2,000 昭和31年
2020『木下夕爾葉書』 \9,000 戦後
今月いっぱいは公務、来月は高校訪問に忙殺。詩を思ふことしきりなれど。
131
:
やす
:2006/05/03(水) 20:42:14
何十年ぶりに金シャチ見学
連休初日。「文化のみち二葉館」を見学。副館長おみえにならず残念でしたが和洋折衷の瀟洒な建物に感銘。帰途、御書物処“永楽屋”に立寄って江戸時代の漢詩集を物色(うそ名古屋城)。藤棚の見ごろはもうすこし先の模様です。
https://img.shitaraba.net/migrate1/6426.cogito/0000223M.jpg
132
:
やす
:2006/05/04(木) 19:41:05
城めぐり
連休二日目。「昨日名古屋で今日岐阜城。あした明後日○○城?」
稲葉山山頂で読む漢詩もまた一興(へとへと)です。
岐府山 金龍道人
古音號稲葉、或稱金華。中古以似中華岐山名岐阜。後至平將軍信長公、移此修覇業、改號岐阜。其地東山右河、山水明麗、爲一都會。信長之孫、信雄黨石田而亡矣。今爲尾州属城、覇業餘風猶存矣。
憶古將縦目 古へを憶へば将に縦目せんとす (縦目:遠望)
城墟聳碧空 城墟、碧空に聳ゆ
路連飛鳥外 路は連る、飛鳥の外
身入亂山中 身は入る、亂山の中
危石徒天險 危石、徒らに天險
老松思國風 老松、國風を思ふ
覇圖雖已矣 覇圖は已むといへども
裁賦欲爭雄 賦を裁して雄を争はんと欲す
又
岐山雨霽碧崔嵬 岐山、雨霽れて碧、崔嵬
上有平公天主臺 上に平公の天主臺あり
路轉七盤登絶頂 路は七盤を転じて絶頂に登る (七盤:七曲登山道)
千村萬落掌中開 千村萬落、掌中に開く
https://img.shitaraba.net/migrate1/6426.cogito/0000224M.jpg
133
:
:2006/05/06(土) 18:47:24
二葉館副館長と話しました。
こんばんは。今日、二葉館の西尾副館長と話をしました。日時を指定していただければいつでもお会いさせていただくそうです。今日の書庫内では、文学ボランティアの方が城山三郎寄贈の資料を整理されていて、本の間から昔の百円札を見つけ皆で懐かしがっていました。
未整理の寄贈資料の中に「小谷剛」のものと「佐藤一英」のものが目に付きました。「佐藤一英」のものは、たまたま二葉館を訪れたご子息が、寄贈されたもので全集や記念展のパンフレット類、記念切手など比較的新しいものでしたが、これからまだ寄贈されると言うことでした。
134
:
やす
:2006/05/07(日) 14:52:40
「橦木倶楽部通信」拝見致しました。
ありがたうございます。今月は高校訪問の出張(三重・新潟)が引き続き、休みはどこにも行く気がおきないかもしれませんが、次回お伺ひする際には事前に御連絡を申上げます。西尾副館長様にはよろしくお伝へ下さいませ。
ともあれバブル崩壊後に出てきた郷土資料を、どこでどう管理するのか、考へなくてはならない時期かもしれません。新たな予算が付き難く、一旦収まってしまった資料はお蔵入りといふ状況は略、図書館と同様なのだらうと拝察いたします。
佐藤一英資料、初期の稀覯詩集や詩人が関はった同人誌の類ひ、これは万一寄贈されればコレクションの核になるかと存じますが、残ってゐてほしいものですね。
http://white.ap.teacup.com/syumoku/124.html
135
:
やす
:2006/05/07(日) 18:01:32
薹立ちぬ
家人に所用あり、われも上京一泊。折角なので土曜日に神保町を回ったのですが…。
連休中、店の半分は閉まってをりました。本はぐろりあ展で300円の本を一冊拾っただけ。
といふか、念願の『故園の歌』が懇意の本屋さんの「放出棚」に出てゐたのに手が出ませんでした。結局恥かしくて挨拶も出来ずに退散・・・・こんなことは初めてです。戦前抒情詩の分野、(現実的な範囲で)もう欲しい本は数へるほどしかない筈なのに、たうとう収集にも焼きが回ったかな。薹が立ったかな。(あとで「そんなに欲しかったら買へばよかったのに」と云はれてさらにショック。)
U^エ^;U 「いや今回の状況下、選択は正しかったんぢゃないかな。」
136
:
やす
:2006/05/11(木) 19:58:51
旅人かへる。
自分が「晴れ男」であることはうすうす自覚してゐましたが、今回の出張はまさに雨を避けるやうに北上、雨をやり過ごしてふたたび晴れ間に帰還。御当地新潟では月別気温の記録更新に与ることにもなりました(笑)。
昨年の担当地区、兵庫・淡路から今年は新潟へ。大地震の痕跡も著しく、と思ったのは、しかしこれは雪害の爪あとでありました。なにしろ三十度近い暑さの中、山間部は道端にもまだ雪が残ってゐるといふ今年の大雪。ゆくりなくも土筆や蕗の薹を摘んで帰るとは思はなかったです。
ともあれ越後もまた詩人たちの故郷であります。高校訪問の際には校庭の碑や玄関に掲げられた校歌の作者をみてゐるのですが、なんと小千谷高校には西脇順三郎の胸像が!これには驚いたです。今度伺ふときには初版本もって行かうかな(笑)。
ただ「江戸漢詩先賢追慕行脚者」としては、良寛さんの史跡は沢山あるものの、館柳湾には故郷とて何もない様子。地元高校の国語の先生も御存知なかったのは…当世仕方ないのかな。
https://img.shitaraba.net/migrate1/6426.cogito/0000228M.jpg
137
:
やす
:2006/05/15(月) 20:34:30
本の紹介『漢文歳時記』
館柳湾の『林園月令』、伊勢で訳出が刊行されてゐたんですね。
『漢文歳時記』館柳湾著 杉野茂訳 伊勢新聞社 112p B5 1500円
わが出張先である伊勢と越後。かたや日本で一番雨の降る地区ならかたや日本で一番雪の降る地区。江戸時代に風流を極めた二人の詩人と昭和初期モダニズムを極めた二人の詩人を生んだ土地。明日からはその伊勢へ参ります。尤も良寛でなく館柳湾を偲んでハンドルを握った旅路は、今回も芭蕉ぢゃなく斎藤拙堂や北條霞亭を偲んで走ります(笑)。
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138
:
やす
:2006/05/15(月) 20:57:23
本の紹介『高森文夫詩集』
調べものできのう県立図書館へ立ち寄った際に見つけた本。
『高森文夫詩集』本多寿編・解説 -- 本多企画, 2005.6 , 218p, 図版[7]p.
生前の集成的詩集『舷灯』に未刊詩篇を付したもの。なので『舷灯』を手に入れられなかった人はもとよりですが、むしろ本冊の半分を割いて書き下ろされた、詩人の伝記ともいふべき本多寿氏の懇切な解説ゆゑに、お薦めしたいです。ことにも中原中也との交渉に関して詩人が折々に記してきた文章をもれなくあつめて紹介してあるので、安原喜弘の他にもう一人、気を許した親友であった高森文夫といふ詩人の目から眺められた中原中也を知るための格好の一冊となってゐます。新たに公表されて話題となった、藁の上に寝転がる中也の写真も載ってます。ISBN:4894451182 \2000
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139
:
やす
:2006/05/24(水) 18:38:26
本の紹介『舷燈はるかに』
「日本古書通信」古書目録(騎士亭文庫)で見つけた本。
『舷燈はるかに』長谷川敬--木食工房, 1999.2 , 410p ; 19cm, ISBN:なし \3000
あとがきに、
「・・・(前略)この書下ろし作品は既存の出版社からの発行が決定していたが、私自身で設立し、 すでに仲間の詩集を数点発刊した『木食工房』での出版を最終的に決めた。作品を汚したくなかったからである。(後略)・・・」
とあるやうに、他にも多く著書はあるのに不思議なことにこの本のみが世に出回ってゐない。大学図書館はおろか公共図書館にも(豊橋市立図書館を除いて)ない様子である。さて何部刷られたものか。丸山薫の評伝は、未亡人による『マネキンガール 詩人の妻の昭和史』の証言が貴重ですが、著者はそれを企画、執筆の協力もされたとのこと。ただし第四期「四季」編集にも与ったといふのに、潮流社のことにあまり触れられてゐないのも不思議といふか残念。同じ1999年には雁行して『涙した神たち』(八木憲爾著 -- 東京新聞出版局, 1999.10, 331p)が上梓された訳ですが、八木会長からもこの本のことやこの方について仄聞した記憶がありません。
生前の詩人から「誤解されやすいから気をつけなさい」と再三にわたり心配された由。しかしこれだけの内容・分量のオマージュが世に知られないのは残念なので、書影を掲げてみました。
読みたい人は図書館に行ってもないですから、直接版元に尋ねてみられたら如何。礼を尽くしてお便りをすれば(残部があれば)頒けて下さるかもしれません。
木食工房 〒351-0105埼玉県和光市西大和団地2-4-501長谷川様方
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140
:
やす
:2006/05/25(木) 20:14:29
今週末は岐阜でも古書展
福地書店、一誠堂、和洋会、浪速書林、落穂舎、などなど目録たてつづけに着。
注目は[玉]睛さんの『聖家族』の初版本\50,000(和洋会No.1117)かな。
ともあれ浪速書林から眼福の一冊を掲げます。
https://img.shitaraba.net/migrate1/6426.cogito/0000234.jpg
141
:
やす
:2006/06/02(金) 21:14:06
和洋会は敗北。
岐阜駅での古書展では地元漢文集を購入(結構な値段でした。up済み)。
今週目録は、古書かつらぎ、誠心堂書店などから。眼福の一冊は『良寛道人遺稿』誠心堂書店
さて近世・近代両聖人の詩集、期せずゼロが一つ違ってゐますが「26」は何か意味があるのかな(笑)。
https://img.shitaraba.net/migrate1/6426.cogito/0000235.jpg
142
:
やす
:2006/06/05(月) 18:22:06
「丸山薫 : ランプの灯りに集う」
豊橋市役所文化市民部文化課より、丸山薫研究会会誌「丸山薫 : ランプの灯りに集う」(第1号99p 2005,3 第2号83p 2006,3)をお送り頂きました。厚く御礼を申し上げます。
この研究会、会長はかつてわが職場の国文学科でも御講義頂いた冨長覚梁氏、御尊父は梁川星巌全集を編纂された冨長蝶如先生にあらせられます。戦後、全国はもとより中部日本の詩人達を鳩合する核にも成り得なかった抒情詩ですが、現代詩全盛時代の波が引いた後に顕彰されることになったのが結局、地域組織の中心で積極的に活動することを意識的に避けてゐたやうにもみられる抒情詩人丸山薫だったことは、彼が他の四季派詩人とは一線を画し、現代詩詩人からも一目おかれてゐたコスモポリタン的な立場を有した詩人であったことと思ひ合はせて何かしら勝慨を覚えます。つまり郷土文化人として顕彰にそぐはない条件と、優れた詩人として顕彰されるべき条件を二つながら持ち合はせてゐた詩人が、田舎とも云へない小都市に隠遁せざるを得なかったことが、没後すぐの顕彰にならなかった理由の状況だったのだ、と云ったら過ぎるでせうか。
通りいっぺんの読者にすぎない私には、どうも山形岩根沢で親しみをもって地元の人々から敬愛せられてゐる詩人の姿と、その後何倍もの年月を過ごしたものの結局は邸宅も残せなかった豊橋における姿との間に落差を、詩人の不運を見ようとする向きがあっていけません。
ともあれこの会がきっかけとなり、詩人があらためて追善されるのは何よりのことであります。また今後詩人の肉声をを知らない世代にバトンタッチされてゆくこれら全国各地に点在する近代詩詩人顕彰活動が、それぞれの地方の単なる観光・町おこしの動機付けに終らないことを祈ってやみません。
【連絡】また明日よりしばらく出張に入ります。
https://img.shitaraba.net/migrate1/6426.cogito/0000236.jpg
143
:
やす
:2006/06/10(土) 12:25:00
「丸山薫の魅力」
今週は週末も土曜開館とオープンキャンパスで出勤です。
愛知大学国文学会と丸山薫研究会が主催する明日の会にも、八木憲爾潮流社会長の講演があることゆゑ、行きたいですが叶ひません。ここにて宣伝のみさせて頂きます。
某目録より念願の長戸得齋『得齋詩文鈔』ほか漢詩集を数点購入。また、むかし集英社が出した富岡鉄斎の掛軸(山荘風雨図 解説は西岡様のサイトにて)を手に入れたのですが、これも複製ながら素晴らしいの一言。
https://img.shitaraba.net/migrate1/6426.cogito/0000237.jpg
144
:
やす
:2006/06/10(土) 22:13:52
西脇順三郎記念室
新潟県出張より帰還。小千谷市立図書館内に併設されてゐる西脇順三郎記念室に立ち寄り見学。壁面を填る貴重本の多くがカラーコピー貼りの“ハリボテ”だったことと、文学アルバムのパンフレット三分冊のうち、肝心の戦前期の一冊目が売切だったこと(再刷未定)は残念でしたが、館員の方の温かい応対に、郷土びとの敬愛を鍾めた詩人の人徳を実感したことでした。
来週は三重県出張。さて北園克衛は郷土詩の詩集を三冊も刊行しながら記念室はありません。帰郷せず、校歌もつくらず、晩年まで若いモダニズム詩人達にかこまれ中央の一線にあったことは、地元資金による記念室設立には結びつかなかったものの、「ふるさとはとほきにありておもふもの」を貫き通した詩人のこれもまたひとつの節操、生家が風景とともに遺されてゐる奇蹟は以前報告したとほりであります。
https://img.shitaraba.net/migrate1/6426.cogito/0000238.jpg
145
:
やす
:2006/06/15(木) 20:55:41
夭折漢詩人
三重県出張より帰還。途次、的矢の北條霞亭一族の塋域に憑弔。墓地は聚落背後の丘の上にありましたが、道も狭いし分り辛い。郷土資料館の司書さんに訊ねなければたどり着けないところでした(懇切に地図を描いて頂き有難うございました)。それからもう一人、このたび遺稿集を入手した小川其瀾(おがわきらん)といふ夭折詩人についても訪ねたかったのですが、こちらは次回にでも。江戸時代の書生は必ず漢詩を勉強しましたから早死にすればみな「夭折詩人」なんですが、現代詩詩人のそれとは大分風格が違ひます。長ずれば必ず一家を成したに相違ない、地元の尊敬と期待を一身に鍾めた選手であります。けだし北條霞亭も長生きとは云へないのですが(44歳)、斎藤拙堂、安積艮斎、羽倉簡堂に将来を嘱望されたこの雋鋭、其瀾小川萬甫は24歳(文久2年)。また最近サイトにupしました郷土美濃の林伯英に至っては、享年なんと19歳。言葉がありません。
https://img.shitaraba.net/migrate1/6426.cogito/0000239.jpg
146
:
やす
:2006/06/16(金) 12:30:11
『其瀾遺稿』
『其瀾遺稿』小川萬甫(粛寛)著 ; 上,下 -- 安田丑作, 1894.8, 2冊.
跋は穴津(安濃津)の茅原治清といふ詩人と面識のなかった後輩が書いてゐるが、序は三島中洲と、署名が無いものの岡鹿門(旧号:天爵)である。『在臆話記』に何か記事があるだらうか。
https://img.shitaraba.net/migrate1/6426.cogito/0000240.jpg
147
:
やす
:2006/06/17(土) 18:02:13
岡鹿門『在臆話記』より
小川萬甫のこと、(第二集巻十二)に記載を見つけたものの、素気なく遺稿集序文の内容を出ませんでした。安積艮斎から、(学資なき者は食客として遇したといふ)羽倉簡堂の許に転塾した模様にて、文才については「さすが拙堂門下の素養なれば文章はやや見るべし」と一言。
むしろ記事検索中、旅中に訪ねた石野雲嶺や小原鐵心、張紅蘭について興味深い逸話を拾ふ。
【石野雲嶺】(第三集巻一):(藤枝にて) 刺を通じて見を求めるに意、客に在らず。けだし東海道にありて一々遊歴書生に応接せば、これ日足らざる也。吾が聖堂に学ぶと聞き、手書きの小冊を検す。(松本)奎堂の言を記したる中に吾が名姓あるを見て、頓に礼容を致し坐上に延く。これ「その人を知らずしてその交はる所を見る」の謂なり。
【小原鐵心】(第三集巻三):(酒宴中) 鐵心、美人に蘭を作るを教ゆるとて、坐中の絵を善くする者に蘭竹の手本を作らせ、(その美人を)細香女史の替人となさんと。それには雅号が必用。此は遠来の珍客、此詩を贈る者の責任と云ふ。美人(作画後に困って)奉書紙を折り捧出拝請。余、尊名を何と問ふに「をよう」と答ふ。すなはち「某姓第幾女」、次行に「夭々女史」。これを毛詩桃夭之篇にとる。年月落款せしに満坐拍手、妙を称ふ。余、鐵心の人物に推服。
【張紅蘭】 (第四集巻四):(星巌没後京都に訪ねるに) 此時、余当惑せしは紅蘭、陽明全集を持ち出して、読めぬ所分らぬ所一々質問せらる。吾は伝習録の何の書たるを知らざる学者なれば、紅蘭の分らぬ所は吾も分らぬ。紅蘭も余の虚名に失望の様子也。
:(また岡本黄石の談とて、大槻磐溪とともに京都で懐旧談に興ずる際に) 紅蘭出て見、何が不興か容貌顔色の意外なるに磐溪も当惑の様子。少頃ありて其の言に「磐溪サン、あなたの江戸に在りし時は美男子の立派なる色男と思ひしに、何ぞ料らん御一新の今日となり、満面皺皴(しわしわ)短髪白頭の醜悪極まる見ともなき老人とならんとは。」此一言には磐溪も一言の答ふべきなし。紅蘭、此一言の外更に無言なれば吾も側に在りて此意外な挨拶に当惑し匆々にして辞出せりと。
「・・・・・。(^△^;)」
148
:
やす
:2006/06/19(月) 19:53:19
『一日集』
「石神井書林古書目録69」到着。めずらしいもので目に留まったのは1362『保田與重郎アルバム』\8400/ 3189『正義の兜 シミ有り』\15750などなど。和本にかまけて最近あまり買はなくなった近代詩詩集ですが、四季・コギト・モダニズム系全国区の詩集で買へるものはあらかた揃ったので、あとはなかなか手が出ない領域に突入した感じです。巻頭の『春と修羅』はもとより高鍬光佑『月に開く窓』1922とか米倉壽仁『透明ナ歳月』1937とか、詩集を集め始めるやうになってからその名だけは知ることになった夭折詩人たちについても、どうやらその詩を知らずに過ごしてゆくことになりさうです。そんななか先日「日本古書通信」から、復刻で諦めてゐた『一日集』の原本が到着(札幌弘南堂書店)。このところのレスが収集運気を呼びこんだのか、初期四作の収集で残った最後のピースでした。
八戸の圓子哲雄様より「朔」158号をご寄贈頂きました。ここにても御礼申し上げます。ありがたうございました。一戸謙三特集(4)は引き続き戦後訳詩の紹介。いづれ坂口氏の編著として、戦前の書影資料などとともに刊行されることを期待したいと存じます。
https://img.shitaraba.net/migrate1/6426.cogito/0000242.jpg
149
:
やす
:2006/06/20(火) 21:00:05
古本屋さんの移転
いつもお世話になってゐる鯨書房さん、長年営業の場所から歩いてすぐの処へ移転。引越しもほぼ完了の様子にて6/26より営業再開の由。これで隣の騒音[ペットショップの倉庫になってゐて、ワンワンギャンギャン、閉じ込められたまま何年も「おがーちゃーん」と叫び続けてる鳥もゐる(^_^;)ゾー。]から開放されますね〜(笑)。あはせて木曜休みから→日曜・祝日休みに変更されるとのこと。ごん太の散歩コースからの告知でした。
【移転先】〒502-0071 岐阜県岐阜市長良191-15
Tel:058-294-5578 Fax:058-294-8461
150
:
やす
:2006/06/21(水) 20:22:27
立原道造記名入り『天文年鑑』
【五反田古書展(6/23-24)古書目録より】
神保光太郎旧蔵本がいっぱい月の輪書林さんから出てゐる。なかでも立原道造記名入り『天文年鑑 昭和3年版』は蔵書整理の際、形見分けとして神保光太郎の有に帰したものなんだらうが、元祖オタク少年の感性を裏付ける嬉しい発見です。クラブさへあったら天文同好会のほか、切手、ラジオ、鉄道、みなかけもちしたことでせう(ちなみに『天文年鑑』が最初に出たのがこの昭和3年版らしい)。
しかし今月の日本古書通信『ルウベンスの戯画』一部本(玉英堂書店)といひ、四季派の発見が斯くにも高額に評価されるべきものか・・・。
151
:
やす
:2006/06/24(土) 11:29:59
2006明治古典会七夕古書大入札会より
珍しいところで今年は殿岡辰雄の処女詩集『詩集月光室』が出てゐました。七夕市に出されるなんて名誉なことですが、印刷所が同じ(神戸長瀬:市川合名印刷所)だからって、海港詩人倶楽部の詩集とカップルにされてもどうかと。
ほかにも名古屋の同人文学雑誌一括19冊が入札最低価格「ナリユキ」(?笑)で。
また、四季・コギト関係では、神保光太郎旧蔵本のよいものがこちらで出てゐました。
『山羊の歌』神保光太郎宛献呈名入
中原中也葉書 神保光太郎宛
『愛する神の歌』神保光太郎宛献呈名入
『詩集 鵲』への礼状は昔、玉英堂書店の階段でみたことがあったかな。
津村信夫 竹下彦一宛書簡
『詩集わがひとに與ふる哀歌』
『四季』創刊〜81号・再刊1〜5号
北園克衛詩稿「四季」(『句集 村』には未収録)。“銀一色”を夏に使ふなんて詩人の句ですね。
「四季」 北園克衛
椽
高僧の山路たどるや春の雨
独居
松も雲も銀一色の団扇かな
散歩
よきほどの風にまかせる萩の原
旅
大淀の時雨れて暗し旅の旅
https://img.shitaraba.net/migrate1/6426.cogito/0000245.jpg
152
:
やす
:2006/06/24(土) 23:11:59
村瀬太乙遺品
本日午後より犬山を散策、お城に展示中の村瀬太乙遺品を興味深く拝観、巻子仕立の「梅荘百年楼記」は『藤城遺稿』にも漏れた村瀬藤城の文にて、撮影を試みるも不首尾。その後城下町をひとめぐり、
『村瀬太乙の世界』犬山市文化史料館1998 47p, 29.5cm \1500
『村瀬太乙名品展』向井桑人監修 岩田洗心館1983 16p, 25.5cm \300
『村瀬太乙とその周辺展』向井桑人監修 岩田洗心館1984 23p, 25.5cm \400
のパンフレットを購入、徳授寺の墓石を展して帰還。
https://img.shitaraba.net/migrate1/6426.cogito/0000246.jpg
153
:
やす
:2006/06/26(月) 21:56:26
『玉振集』
『玉振集』upしました。
頼山陽文化圏による美濃詩壇の再編成が行はれる一世代前、山田鼎石・宮田嘯台・左合龍山といった詩人達の周辺を知る上で貴重な資料です。生憎県立図書館には続巻の所蔵が在りませんでしたが、若き頼春水が名を連ねてゐることも興味を引くところです。
「李杜を左提し王高(王維高適)を右挈し而して左氏司馬二陸(陸機陸雲)三謝(謝霊運謝恵連謝元暉)に旦暮するにあらざるよりは、我は吾が好む所に従はん。 序より」
また本日立原道造記念館より夏季企画展「立原道造の出発」のご案内、および館報38号をお送り頂きました。ありがたうございました。
(草野心平記念文学館の「立原道造展」ポスター、いいなーと思って某館に貼ってあったのを頼み込んで頂いたのですが、なるほど。館報みて理由がわかりました)
154
:
世界名著刊行会
:2006/07/04(火) 08:34:09
羽澄不一詩集
羽澄不一の詩集「裸の魂」、「天鵞絨の天使」を刊行しています。
作家志望者のための小説形式の文章読本「ことばのお花畑」も刊行されます。
詳しくは〒497-0004 愛知県七宝町桂下り戸1086−71 世界名著刊行会までどうぞ。
155
:
やす
:2006/07/04(火) 21:24:40
五百旗頭欣一詩集『故郷』
JIN様より『故郷:ふるさと』五百旗頭欣一第二詩集,1956 光線書房(川崎) /78p/21.5×15.0cm上製函/\250 をお贈り頂きました。厚く御礼を申し上げます。
序文を北園克衛が書いてゐます。八十島稔ほかファミリーはあとどれだけゐるんだらう。『風土』『家』につらなる郷土詩特有の、ぼそぼそに切れる蕎麦のやうな味はひが嬉しい。
山径
小さな
話し声でも
澄んでゐる
山桑の花
うつる
波もんを掬うて
ひよ
ひよ
夏草の
明るみに出た
>「ひよひよ」ってペダルを踏んでゐたのかな。
むべ
むべが
紅く照つてたれてゐるのを
ひとつもらつて
たべた
くろい種子がばらばらつづいて、
なにか冷たい
気がして
よく味ははれなかつた
主人がいかがですと
問うた、
私は何も云へずに
ただうれしかつた。
https://img.shitaraba.net/migrate1/6426.cogito/0000249.jpg
156
:
やす@管理人
:2006/07/04(火) 22:38:39
「近代詩と江戸漢詩のための掲示板」
掲示板の名をホームページの趣旨に沿って変更しました。
恐縮ですが現代詩ほかのよろず報知ごとは他所の板にてお願ひを申上げます。
157
:
やす
:2006/07/07(金) 22:14:13
『昧爽』第12号
『昧爽』第12号をお送り頂きました。岩崎文子氏の保田與重郎にまつはる回想文にこころ癒されました。中村一仁様の浅野晃論、その膨大な著作群を読むこと能はざる者にとって、詩人の力作『楠木正成』を中心に据えた創見に、今後の展開がたのしみなところです。ここにても取り急ぎのお礼まで。ありがたうございました。
158
:
やす
:2006/07/14(金) 12:50:15
汗やす充棟(湿度80%)
暑いですね〜。ただいま図書館は書庫の蔵書を大移動中です。
【趣味の古書展(7/21-22)】出品目録より
1141『在りし日の歌』初版見返切並本\12,000(文学堂)
1947『北の窓』中山仁詩集 函欠\3,000(畸人堂)
2507『映画評論集』杉山平一処女作品集 初版函\10,000(月の輪書林)
https://img.shitaraba.net/migrate1/6426.cogito/0000252.jpg
159
:
やす
:2006/07/15(土) 23:19:19
尾張攻め
本日36度の気温を突いて名古屋へ出陣。定徳寺に高木斐瑳雄大人を展墓、武運祈願して、尋いで古本屋数軒を掃討するうちにもう暑さで頭がぐらぐら。本丸の丸栄古書即売会にたどり着くことなく退却致し候。といふか、軍資金が潰えてしまひました(笑)。ぐったり。されど戦果は赫々、帰途は犬山経由にて、徳授寺太乙墓前に報告は以下の通り。
『柏木如亭集』揖斐高編 限定150部、太平書屋、昭和54年
当時の詩集復刻本五点(別冊解題付)をほぼ当時の頒価で。
『海鴎遺稿』菱田海鴎著 安藤又三郎 昭和3年 \2,000
『美人香草集 下巻』吉田?橘編 明治18年 \600
最後は名古屋の香草吟社なる同人社集の端本。大沼枕山の評あり。
「登天守閣」 (坂嵜[門+良]苑)
第五層の頭(いただき)、眼界ひろし。人、金鯱を兼ねて(凌いで)雲端にあり。この中まさに他郷の人あるべし。二百余窓に面々看る。
枕(山先生)云ふ。天守閣の全存するはただ尾張城となす。しかるにその二百余窓そなはること、土人(地元の者)といへども或ひはこれを知らざる。この詩よろしく天守閣の図にならいて、もって四方に伝へるべし。
近代詩の詩集探索と同様、今は失はれた風景との出会ひが一興です。
https://img.shitaraba.net/migrate1/6426.cogito/0000253.jpg
160
:
やす
:2006/07/17(月) 20:11:16
山川弘至記念館竣工
山川京子様主宰歌誌『桃』7月号(619号)をお送り頂きました。高鷲村の実家の屋根裏から、病気により休学を余儀なくされた山川弘至少年の、通信教育で用ゐられた作文類が発見された由。斯様な紙片類はなかなか残らないものですが、早熟の文才はともかく、これを誰にも告げず保管せられた御母堂の、長男に寄せる期待と愛情が察せられることです。
合せて詩人の記念館の竣工落成をお慶び申し上げます。ちかく地元新聞の記事にて紹介されることでせう。
ありがたうございました。
161
:
やす
:2006/07/18(火) 12:28:51
『海鷗遺稿』
『海鷗遺稿』upしました。戊辰戦争に際して壮絶な体験に触れてあります。
岐阜県警部長久保誠之君に贈る 并びに引
戊辰人日前一日(慶応4年1月6日)、余、伏見の長人(長州)軍営に縛に就く。伍長等と論議、諤諤数刻に渉る。是夜、余とともに同縛の者、十有余名、之を前庭にひき出し壮士輩、抜刀先を争ってその頭を斬る、すでに六名に及べり。余たまたまその次に当り、まさに斬られんとす。是において北に向ひて天位を拝し、従容として詩を賦すに、にはかに免を得る。君、時に年十七、その営に在り、親しく余の状をみる。今茲、君と大垣の嘯東館に逢ひ、談たまたまその事に及べり。乃ち慨然として此詩を作り以って贈る。実に明治癸巳(26年)六月某日也。
我れ囚に就く時、君は少年。快刀争ひ斬る夜営の前。文山(文天祥)死せずして虚名在り。かち得たり丹心の詩一篇。
幕僚を感服させ、死を免れることとなった詩はこちら。
まさに屠腹せんとして自らおくる [明治戊辰(元年)正月七日作、先生時三十三歳]
苦学、君父の恩に酬いんと欲す。一燈空しく伴ふ三十余年。從容死に就くこれ今夕。ただ恨む、丹心いまだ天に徹らざるを。
162
:
やす
:2006/07/20(木) 12:22:27
(無題)
はじめまして。わざわざの御連絡をいただき有難うございました。
時代を異にしたため今は忘れられた詩人たちを顕彰してをります。舌足らずのホームページですが今後ともよろしく御贔屓下さいませ。
163
:
やす
:2006/07/27(木) 21:33:07
小原鉄心
またまた掛軸を買ってしまひました。詩人と呼ぶよりは一藩の重臣であります。小原鉄心。
戊辰戦争の際、諸藩に先駆けて大垣藩の藩論をまとめあげた、傑物にして当路の人ですが、関ヶ原を東西にはさむ地で彦根藩の岡本黄石とともに最も苦しみ、組織の歩むべき道を誤ることなからしめた英雄といってよいのではないかと思ひます。両者ともに維新後早々に役職を辞すところ、いいですね。で、詩句に「理財」なんて、と思ってネット検索してゐたら、山田方谷の理財論にゆきあたりました。
(前略)それ善く天下の事を制する者は、事の外に立ちて事の内に屈せず。而るにいまの理財者は悉く財の内に屈す。(中略)
君子は其の義を明らかにして其の利を計らず。ただ綱紀を整へ政令を明らかにするを知るのみ。饑寒死亡を免るると免れざるとは天なり。(中略)
なほ此の言を迂となして、吾に理財の道あり、饑寒死亡を免るべしと曰はば、則ち之を行ふこと数十年にして、邦家の窮のますます救ふべからざるは何ぞや。(後略)
涙が出るやうな言葉であります。
一首。 ひととなりしのぶよすがの真蹟の許で本読むその先哲の
さて扶桑書房さん目録到着。
『三好達治全集』12巻\3500 『間花集』\4500 ・・・これまた絶句。
https://img.shitaraba.net/migrate1/6426.cogito/0000258.jpg
164
:
やす
:2006/07/31(月) 17:39:04
かわほり堂和本目録
かわほり堂さんから、記念すべき和本目録(壱)号が到着。
地元の漢詩集は今回なかったのですが、好評嘖嘖たる近代文学分野に続き、この分野でも特色を放つ古本屋さんになられることと期待◎です。
(前略)心ある好事家や研究者に渡つた一部の珍籍・稀観本は、その情報が世上に上ることもないではありませんが、個人蔵書にはたとえ天下の孤本であっても顧みられることなく姿を消してしまう場合があります。否、和本いっさいが消え去る命運をはらんでいると言っても過言ではないかもしれません。目力値がつかずに終わる書籍の山を目の当たりにして、いっそうそうした感を強くいたします。一古書肆のできることは至極限られておりますが、書籍の集散地に立ち会う者として、水際で救いあげられる書物・情報もまた尠しとはしません。日々感じる漠としたそうした思いの幾らかでも当目録に反映できていればと今は祈る気持ちでいっぱいです(後略) (目録同封「ごあいさつ」より)
今後ともよろしくお願ひを申上げます。
https://img.shitaraba.net/migrate1/6426.cogito/0000259.jpg
165
:
:2006/08/10(木) 17:16:44
宇田栗園
漢詩にはど素人ですが、宇田栗園に興味があって、書き込みをしました。彼についてご存知の方、ご連絡をお待ちしています。漢詩以外での彼の業績、行動の足跡など。よろしくお願いします。
宇田豊四郎の家族はどこかにおられるのでしょうか。
166
:
やす
:2006/08/13(日) 12:56:33
残暑見舞申し上げます
高橋様初めまして。もとよりど素人の私からは詩人について知るところございませんが、掲示板御覧の方でどなたか心当たりの方にはよろしく御教示御連絡頂けましたら幸甚です。
旅先より御挨拶申し上げます。
167
:
やす
:2006/08/29(火) 17:25:18
夏バテ
旅から帰ってきて夏風邪を引いてしまひました。熱も一度下がったと思ったら今度は首筋(リンパ腺?)が腫れてきて体調すぐれず、折角の残りの夏休も、終日を家でぼうーっと過ごす始末。夏風邪はしつこいですから、皆様もお気をつけ下さい。
加へて二冊の新刊(杉山平一先生の『詩と生きるかたち』と、自分が選んだ先生のアンソロジーがおさめられてゐる『大東亜戦争詩文集』)について何か紹介したいのですが、他の事も書けないまま、掲示板の更新がずーっとお留守になってをります。
少し落ち着いたらまた何か書くでせう。しばらくは夏バテといふことで更新御免・・・。
168
:
やす
:2006/08/29(火) 19:55:52
寄贈書御礼
あはせて『東区橦木町界隈』西尾典祐氏,健友館, 2003.11.7, 266p.の御寄贈に与りました。学生にも読んでもらひたい内容なので大学図書館に収めたいと存じます。厚く御礼を申し上げます。ありがたうございました。
169
:
高坂
:2006/08/30(水) 12:43:21
大東亞戰爭詩文集
やすさん、大變ご無沙汰してをりました。良い本を御寄贈頂きまして忝く存じます。田中克己の詩はやすさんが選ばれたのですね。樂しみにじつくり讀みたいと思ひます。
私の方は『論泉』といふウェブ言論誌をやつてをります。今後、文藝の方面を充實させたいと思つてゐますので、何かありましたらまた宜しくお願ひ致します。
http://www8.plala.or.jp/Kusimitama/ronsen/
170
:
やす
:2006/09/01(金) 23:48:16
『大東亜戦争詩文集』について
高坂さま、今後ともよろしくお願ひを申上げます。
『大東亜戦争詩文集』ですが、献本少数につきお送りできなかった皆様には不義理をお詫び申上げます。ご海容下さい。収められてゐるのは、戦死・自決・処刑された人々による「大東亜戦争殉難遺詠集」を前半に置き、右翼の大物三浦義一、影山正治御両人の歌集、続いて田中克己の戦争を背景にした24編の詩のあと、若手ロマン派詩人の選手であった戦没詩人、増田晃、山川弘至のアンソロジーといった構成で、読んで頂ければわかりますが、前半の歌集部分と後半の詩集部分は若干異なった印象を与へる内容になってゐます。残念なことに編集後記等はありません。といふことで、私が風日社の方から依頼を受けて選んだのは田中克己先生の部分だけですが、それについてあとがきを記したいと思ひ、考へ中であります。しかしこの本について触れるには、選者として戦争詩とどう向き合ったのか、つまりさきの大戦をどう観ずるのか、態度表明を迫られることでもあり、戦慄すべき詞書をもつ遺詠集と一緒に収められてゐますから、所謂靖国問題についても私なりの思ひを述べなくてはならない気が致します。思想的信条に乏しい詩人としては大変な課題であります。
ともあれ、他所の巻に収められた立原道造や伊東静雄など仲間達の作品、或は此の巻に収められた後輩筋にあたる増田晃、山川弘至らに対する選詩の基準にも比して、何かこの文庫叢書では「ベストセレクション」を採られずひとり損な役回りを演じることとなってしまった先生に対しては、今回「戦争詩」といふ制約のもとで却って明らかにされたひとつの世代を代表する詩人の精神史を、作品を通じて理解してもらへるやう、選択と順番に私なりの心配りをしました。それが後年キリスト教に改宗された泉下の先生に対して申し開きになったかどうかは甚だ覚束無いのですが、大東亜戦争を謳った詩人たちに対する先入観が変ってほしいといふ私の願ひが、今回選んだ詩を順番に読んでゆくことでひとに伝はるのなら、またそれを介添へする説明がこれから書けるのなら、嬉しく思ひます。昔に記した『夜光雲』解説の続編のやうなものにできたらと思って、現在あれやこれやと考へてゐる最中です。
171
:
高坂
:2006/09/02(土) 18:06:26
文藝の仕事
>しかしこの本について触れるには、選者として戦争詩とどう向き合ったのか、つまりさきの大戦をどう観ずるのか、態度表明を迫られることでもあり、戦慄すべき詞書をもつ遺詠集と一緒に収められてゐますから、所謂靖国問題についても私なりの思ひを述べなくてはならない気が致します。思想的信条に乏しい詩人としては大変な課題であります。
歴史や政治を踏へつつも、あくまで文藝の立場からの率直な批評を期待してをります。
http://www8.plala.or.jp/Kusimitama/ronsen/
172
:
やす
:2006/09/12(火) 12:39:29
梁田蛻巌遺墨
新村堂書店古書目録到着。No.3679『月光室』(\36,750)は明治古典会で出品された片割れでせうか。
山田翠雨ほか地域の漢詩集もいろいろ出てますが・・・この掲示板で騒いだのが祟ったかな(ごめんなさい)。
このところオークションとかで傷物の掛軸をああだかうだと値踏みしてる方が面白いです。
先日入手したのは四千円で手に入れた二百五十年前のマクリ、わが家最古のお宝を更新しました。
出張続きで原稿書けさうもないのにこんなことばっかりやって・・・。
戯欲寒秀山人諧歌集後 寒秀山人の諧歌集の後に戯せんと欲す
抜去海棠栽芭蕉 海棠を抜き去って芭蕉を栽す
不将穐夕換春朝 穐(秋)夕をおくらず春朝に換ふ
快哉惟有聖咲識 快哉、惟だ聖く咲くを識る有りて
如丈山牕慰寂寥 丈山の牕の如く寂寥を慰む
蛻翁八十一書
丈山は石川丈山? 『諧歌集』って寛延元刊の滝野瓢水の俳書だと合点がゆきます。寒秀山人は別号か。
ならば一句。手に取るなやはり捨て置け『丹生樵歌』(苦笑)
173
:
高坂
:2006/09/20(水) 18:50:46
サイト移転のお知らせ
サイトの移転を行なひましたので、お知らせ致します。
『奇魂』URL
http://kusimitama.net/
『論泉』URL
http://kusimitama.net/ronsen/
今後ともよろしくお願ひ申し上げます。高坂
174
:
やす
:2006/09/22(金) 17:43:48
【情報募集】『高山連月並会狂句柳桜初編』
以前メールにてレファレンスを頂いた、飛騨の文化人について探求されてゐる方から、
「江戸時代の俳諧を研究なさっているような先生、あるいは学生さんで、
興味のある方がいらっしゃったら、資料をお貸しします、あるいは複写を差し上げます」といふことで
文政十三年『高山連月並会狂句柳桜初編』(東都川柳翁社中松鱸大人撰 飛騨圓永蔵板)といふ本について、情報募集のお願ひがありました。
自分も浅学ゆゑ、珍しいものかどうかは分かりません。
郷土の近世文学資料といふことで掲示させて頂きますので、メール転送希望の方はお知らせ下さいませ。
175
:
やす
:2006/09/26(火) 12:51:34
ユリイカ臨時増刊号総特集 稲垣足穂
『ユリイカ2006年9月臨時増刊号』総特集 稲垣足穂でました。ふむふむ新発見作品10篇とな。
ではこちらからも新発見「幻のレターセット」(うそ)♪
https://img.shitaraba.net/migrate1/6426.cogito/0000271.jpg
176
:
やす
:2006/09/30(土) 15:02:03
業務連絡
停電に伴うサーバー復旧作業完了。
177
:
やす
:2006/10/02(月) 20:43:27
新修 筑摩書房版 立原道造全集
立原道造記念館より館報No.39ならびに企画展「立原道造の世界?」の御案内をお送り頂きました。ありがたうございました。今回、館報は小田久郎氏の講演録ですが、いよいよ新修全集も11月に刊行の運びとなる由。別巻(?)に思潮社版『立原道造研究』の改訂版を出してほしいですね。詩人のエピソード満載なのに「誤植がひどいから」といふ理由(本当かな)で復刊されてゐません。
装釘は中原中也全集の轍を踏まず、落ち着いた色合ひの、堅牢な作りの本となる模様です。
https://img.shitaraba.net/migrate1/6426.cogito/0000273.jpg
178
:
やす
:2006/10/12(木) 12:34:44
稲川勝二郎
久野治様より詩誌「宇宙詩人」5号を御寄贈いただきました。
連載「黎明期の中部詩人」では、「青騎士」の時代から名古屋詩壇と関はりを持ちながら、いつも詩史の記述からは敬遠気味が窺はれる詩人、稲川勝次郎(勝二郎・敬高)。木下杢太郎を師と仰いだ、高木斐瑳雄の盟友ですが、如何せんページの制約があり、一般の読者のための、本題に入るための説明文がもったいない気がしてなりませんでした。印象批評のやうなもので結構ですから、さらに久野様しか書き得ない、詩人の風貌や肉声を、エピソードなどを交へて単行本所載の際には書き加へて頂けることを切望してをります。
ありがたうございました。
石神井書林古書目録70号お送り頂きました。
今回の稲川勝次郎の詩集(『大垣の空より』1922.2)など、検索するところ衣笠詩文庫位にしかない稀覯詩集ですが、目録に現れたら一体幾ら位になるのでせうか、見当もつきません。(御店主の最近の活躍は 「scripta」や「月刊Moe10月号」で 笑)
蛙とともに泣く 稲川勝二郎
稲田の蛙が鳴いてゐる
声をかぎりと鳴いてゐる
短かい夏の夜が更けてゆくに従って
その声はいよいよ激しく
ますます悩ましく
私の眠りをかき乱す
眠られないままに起き出でて
机に頬杖をついて
じっと其声に聞き入つてゐると
そぞろに私の瞳は
熱い涙にくもり
蛙のやうに
私の心も泣きつづける
おお 蛙よ鳴けよ
私と共に泣きつづけてくれ
総ては悩みだ――
世の中は苦しいのだ
泣く者はお前達ばかりではない
幾万の若い男女が
幾万の人類が
夜に昼に泣きつづけてゐる
さうして泣きながら
皆死んでゆくのだ
母の胎内から生まれ出る時に
既に泣くことを教へられた人間は
其短い人生を泣き暮らして
淋しく黄泉(よみ)の道を辿りゆくのだ
恋に泣き
親に別れて泣き
子を失つて泣き
自らの衰へたるに泣く
泣くことが人生なのか
おお 蛙よ
私はいま お前とともに泣きつづけてゐる
179
:
西岡勝彦
:2006/10/18(水) 08:25:54
(無題)
こんにちは。
珍しくオークションに江戸の絶句集3種が出てますね。
歴代絶句集はできれば現物を持ってたいものですが、幾らまで行くんでしょう?
私はグッと抑えて、安全な所を入札中です。
丹生の山田の里に秋長けて
跡をとどめぬ木こり歌かな
180
:
やす
:2006/10/18(水) 12:50:19
(無題)
西岡勝彦さま
落札予定の品物を掲示板なんかに載せますと、ここは書痴が覗いてますから知らないですよ〜(笑)
と、おどかしっこは無しで、無事に落札されますことをお祈りしてをります。
当方最近の収穫は後藤松陰、篠崎小竹、梁川星巌、村瀬雪峡の掛軸など。
星巌と太乙は、数ある贋物の少しだけ癖がわかって参りました。
あらたに始められたブログ、相変らず目の覚めるやうな美しい山岳写真であります。
今後ともよろしくお願ひを申し上げます。
丹生の山田の里の週末に
跡をとどめんコギト歌もて
181
:
やす
:2006/10/22(日) 17:10:11
御礼
昨日は神戸松蔭大学会館で行はれた「四季派学会秋季大会」にて、田中克己先生の戦争詩の周辺について熱弁(?)一時間半。
まづは御歳まもなく92歳、矍鑠たる杉山平一先生に御挨拶。関西四季の会の矢野敏行・舟山逸子先輩と久闊を叙し、懇親会の後は今回お世話になった國中治様ほか「泊り組」の人達と傾蓋旧の如く、久しぶりに夜半まで熱く熱く詩を語り合ひました。
只今無事帰還致しました御報告まで。みなさま本当にいろいろと御世話になりました。
ありがたうございました。
182
:
やす
:2006/10/23(月) 23:26:24
御礼2
山本直人様より『昧爽』13号を御寄贈頂きました。特集は「天皇・皇室」といふ直球です。
今回中村一仁様の浅野晃論は休載。次号に思ひの丈をぶつけて擱筆の由、これはこれで少々残念。
とりいそぎの御礼を申し上げます。有難うございました。
183
:
やす
:2006/10/24(火) 22:12:36
御礼3
さきほど中村一仁様からメールあり、けりをつける旨後記に書かれてゐたのは、浅野晃論そのものではなく「伊藤千代子を論じる」ことの由。はじめは不穏なことのやうに思ってましたが、メールを拝見、安心しました。世の中は節操がない人が、まま大きな顔をするやうに出来てゐますが、少なくともメールで伺ったやうな人から、浅野晃のことを節操がないなんて云ってほしくはありませんよね。私は伊藤千代子のことも英霊達のことも同じやうに考へます。思想に殉じた人間の魂を情勢論から救ふことを一番に考へなくては、と切に思ふのです。浅野晃論、「絶対に時間をかけても書き上げ」て下さい。御健筆をお祈り申上げます。
再びの御礼を申し上げます。御自愛ください。有難うございました。
184
:
やす
:2006/10/29(日) 22:34:39
御礼4 山川弘至記念館 新館見学会
本日は郡上市高鷲町にある山川弘至記念館新館の竣工、見学会に推参。京子様主宰の「桃の会」から、大勢の篤志の皆様が馳せ参ぜられるなか、亡き山川大人には詩人冥利につきるに違ひない秋旻の一日を、よそ者ながら満喫させて頂きました。過分なるお土産まで頂き恐縮の至り。とりいそぎの御礼をここにても申上げます。世間知らず且つ人見知りしますので、御挨拶できず失礼申上げた皆様には御海容のほど。追って訪問記をupします。皆様ありがたうございました。
https://img.shitaraba.net/migrate1/6426.cogito/0000281.jpg
185
:
やす
:2006/11/01(水) 12:47:16
『詩集西康省』
田中克己先生の処女詩集『詩集西康省』をupしました。先日の講演録は、いづれ加筆したものをWeb上に載せる予定でをります。その前に基本的な文献を誰もが読めるやうにしておく必要があらうものかと、これまで故意に手をつけてゐなかったデジタルアーカイヴの製作に着手しました。今後順々にupして参りますので御覧頂けましたら嬉しく存じます。
https://img.shitaraba.net/migrate1/6426.cogito/0000282M.jpg
186
:
やす
:2006/11/11(土) 23:30:21
詩集『大陸遠望』
田中克己先生の第二詩集『大陸遠望』をupしました。
文藝文化叢書の一冊として同人諸氏の著作とともに書棚に並べると、先生の本だけ丈がちょこっと短い・・・。
つまらんことにまで目がゆくのは本好きだからか、それとも僻み心ゆゑでありませうか。
さて先の連休は親戚の不幸で潰れたので、明日の休日は大垣市郷土館「郷土の書人展」にゆかうか、家でゆっくり本を読んで過ごすか検討中。皆様もよい週末を。
https://img.shitaraba.net/migrate1/6426.cogito/0000287M.jpg
187
:
やす
:2006/11/12(日) 21:58:13
其無如之何
結局今日は大垣市郷土館で行はれてゐる「郷土の書人展」に行ってきました。そしたらたかだか20点ばかりのなかに、過去に自分が買った掛軸と全く同じ詩を書いたものが何と二本も(汗)。
気を取り直し、過去の図録を買って大垣城見物、さらに小原鐵心の墓がある全昌寺へ。お墓は建て替へられて立派になってゐました。元の石碑は・・・哀れにもボロボロとなり無縁墓石たちと一緒に入口に置かれてをりました。
寺内には彼の別業「無何有荘」の一部も移築されて残ってゐて、「無にして何ぞあらん」とユートピアの意を込めた紅殻塗りの酔狂な庵ですが、築150年だけに流石にこちらも今はもの寂びて映ることです・・・こんな処に住んでみたいんだけど。
さて帰宅後。早速買った図録の印譜と照合するまでもなく、以前オークションで手に入れた鐵心と星巌の書は展示物のまるまる写しであることが判明(笑)。よく見たら鐵心のは裏に「写」とちゃんと書いてあるぢゃないか。掛軸の文句通り「それこれをいかんともするなし」なのでありました。おしまひ。
https://img.shitaraba.net/migrate1/6426.cogito/0000289.jpg
188
:
波江究一
:2006/11/12(日) 23:46:19
字数歌美術館
お久しぶりです。この度ジオシティーズで新たにサイトを開設せしにつき各位へ紹介までと思ひ来てみれば画像掲示板にされてをられたは丁度よい。古今東西の名画にいろはで画賛をつけた趣向です。下記その一例。広告が目障りかと思ひますが、いづれ有料版に移行も考へますのでよろしく。百篇近く収載。追々に追加致しますのでよろしく。名画を楽しみながら国語問題も考へて貰ふ趣旨です。
彌勒佛の指先から
零れ落ちる種はぬめり
西窓へ水仙萌え
絢な腕輪を活けそよ笑む
みろくふつのゆひさきからこほれおちるたねはぬめり
にしまとへすゐせんもえあやなうてわをいけそよゑむ
https://img.shitaraba.net/migrate1/6426.cogito/0000290M.jpg
http://beauty.geocities.jp/jungleroad91/index.html
189
:
野嵜
:2006/11/13(月) 02:48:18
(無題)
>広告が目障りかと思ひますが、いづれ有料版に移行も考へますのでよろしく。
いやあんたの投稿も廣告だらう。
190
:
やす
:2006/11/13(月) 09:11:49
天才は忘れた頃に
竜巻なみの登場ですね♪ お久しぶりでございます。
謹んで“広告”させて頂きます。続けての広告投稿は自粛お願ひ申し上げます。
191
:
波江究一
:2006/11/13(月) 09:31:56
ついでに漢訳も
昨夜紹介の文は漢訳もありますのでご専門の管理人氏にはどんなものかと思ひつつ下記紹介致し置きます。韻だけは揃へても平仄はでたらめなものですが。
彌勒佛の指先から 自彌勒佛指頭零
零れ落ちる種はぬめり 靈種帶潤育上庭
西窓へ水仙萌え 水仙正萌西窓下
絢な腕輪を活けそよ笑む 化爲腕釧微笑屏
野嵜さんにもご光来いただいてお懐かしいですな。
但し以後特にあらはれることはありません。
http://beauty.geocities.jp/jungleroad91/index.html
192
:
やす
:2006/11/13(月) 12:05:29
(無題)
広隆寺の国宝、弥勒菩薩の半跏思惟像は、始皇帝の末裔を自認(?)された田中先生が秦氏の護持仏として尊崇、絵葉書を立原道造の枕元にも届けた仏像です。ありがたうございました。
193
:
てら
:2006/11/22(水) 03:59:09
地球温暖化
はじめまして。エッセイを書いている「てら」と申します。
いま私は、地球温暖化についてのエッセイを連載していますが、その深刻さに驚いています。 一人でも多くの方に、そのことを知って頂きたいと思い、声をかけさせて頂きました。
とくに、私のHPの「エッセイ217」と「エッセイ218」に、私の恐れていることが書いてあります。宜しければ、ぜひ覗いてみて下さい。
すこし場違いのような気もしましたが、今や地球温暖化は、分野によらず全ての人に関係している問題ですので、書き込みをさせて頂きました。
http://www2.odn.ne.jp/seimei/
194
:
やす
:2006/11/22(水) 17:09:12
(無題)
はじめまして。ここでは日本の伝統的な詩精神の絶滅が焦眉の関心事ですが、本当にさうですね。
(過去ログでは消させて頂きます。)
195
:
やす
:2006/11/26(日) 22:40:36
「感泣亭秋報」第一号
横浜の小山正見さまより「感泣亭秋報」第一号をお送り頂きました。『感泣旅行覚え書き』『詩人薄命』『未刊ソネット集』『小説集 稚兒ヶ淵』とこれまでに、選集と呼ぶべき四冊の作品集がまとめられてをります詩人小山正孝でありますが、つまりは作品といふものもただ出されるのでなく、批評をもってはじめて世の中に所を得るものであること、さらにその人物が作品の真実を裏打ちしなくてはひとに愛されることは不可能でありませう。詩人といふ誤解の多い存在については尚更のこと、周辺の空気さへも人物に染められたところのものを取り出して提示することが必要です。そのための証言は、やはり同時代人それから御遺族からしか得られないのではないでせうか。このたびの「感泣亭秋報」はそのための紙媒体による年刊小冊子、例ふるなら「風信子」の小山正孝版、詩人を偲ぶ会会誌の趣きであります。刊行者の抱負にありますやう、今後ホームページ「感泣亭 ・小山正孝の世界」につきましても一層の充実が図られることの切に祈念する次第です。
ここにても御礼を申上げます。ありがたうございました。
https://img.shitaraba.net/migrate1/6426.cogito/0000298.jpg
196
:
やす
:2006/11/27(月) 12:49:06
「田中克己散文集」
さて今回、詩集の部とは別に「田中克己散文集」といふ題目のもと、詩人の小説や批評、エッセイ、また同時代人による詩人評なども合はせて公開してゆけたらと考へてをります。さきに紹介致しました小山正孝の「初期短編小説群」を読んだひとなら分るでせうが、詩人の散文といふのは若書きであっても(むしろ若書きのものが)たいへん面白かったりします。将来小説家になるならうと考へてゐたかどうかはともかく、否それが潰えるものだったからこそ、未熟な部分とともにそっと伏せられた、当時の赤裸々な心境も窺はれるからです。初期の田中克己におけるさうした、不安なモラトリアムの心情を綴った散文といふのは、大岡信氏が中公版『日本の詩歌』で巻末解説を書いた際に引いてゐますが、コギトに掲載した「多摩川」、またそれを変奏した「冬の日」といった小品にみることができます。
今回手始めにこれら二篇と、またこれは刊行された文集ですが、『楊貴妃とクレオパトラ』のなかから「始皇帝の末裔」の一篇をテキスト化して上しました。いづれもページの余裕さへあれば潮流社版の『田中克己詩集』に収めておきたかった、詩人の出発期と少壮期が偲ばれる作品であります。
後者の「始皇帝の末裔」は、叙述において鹿爪らしく装ふコギト流の歴史高踏派ぶりがうまい具合に出てゐるエッセイです。北支侵攻中の当時、日本人がどんどん偏狭な民族観に傾斜してゆくなか、自らの出自を故意に秦の始皇帝にまで溯って説いてゐるのが面白く、取って返して敷衍するうち、現在の日本人で大陸・半島と血縁上無縁の者などゐさうもないことを、嫌でも再認識させてしまふといった一文。詩人はこの時期、同時に『大陸遠望』に収められる皇国史観を背景にした詩を書いてゐる訳ですが、「西康省」「詩人の生涯」等の長編詩にもみられるやうな彼の、アジアを広範に視野に収めた民族主義が、盟友保田與重郎とは少しく視点を違へて散文では如何やうに語られるものか、伺ひ知るには好個の読み物と思ひます。
「しかしわたしは何も好んで大名や貴族におのが同族を求めてゐるのではない。ただ島津氏や宗氏がその明らかな系図や史料にも拘らず、これを抹殺し隠蔽せんとした始皇帝の血統を私の家は決して隠さうとしなかつたことに興味が惹かれるのである。(始皇帝の末裔より)」
197
:
てら
:2006/11/30(木) 02:34:26
ありがとうございます
書き込みを残して頂き、ご協力に感謝します。
>日本の伝統的な詩精神の絶滅が焦眉の関心事です
何となく気持ちが分かるよな気がします。私は、仏教思想やキリスト教思想をすこし齧ったことがあるのですが、人類の思想遺産として、この先何千年も何万年も残ってほしいと思っています。しかし、温暖化によって生態系や人類までもが壊滅的な打撃を受けてしまったら、それも望めません。私が温暖化問題を優先しているのは、そのような動機もあるのです。
http://www2.odn.ne.jp/seimei/
198
:
やす
:2006/12/31(日) 00:11:32
悲喜こもごも
の一週間のできごと一括。
【喜】神奈川近代文学館から、マダムブランシュと椎の木のコピーが到着。第一級品の稀覯資料なので難しいかな、といふ気持で申請したのですが、励ましのコメントつきでお送り下さいました。早速「詩集西康省・拾遺詩篇」に追加♪
【悲】 (略)
【喜】田中先生夫妻の声を収めたテープを御遺族よりお貸し頂き、早速CDRに焼いてコピー。これぞ在りし日の謦咳、十五年ぶりに拝聴。
【悲】 (略)
【喜】御寄贈感謝:山川京子様より山川弘至の同人誌「帰郷者」のことを連載紹介(五十嵐勉氏)してゐる雑誌「文芸思潮ウェーブ」14号、ならびに歌つき詩篇朗読CD第二弾(シャンソン風?)を。彦根の藤野一雄さまよりは年末恒例の「ふーが」33号を。
【悲】 (略)
【喜】ぐれむん様より突如「FAXおてまみ」。お元気でらっしゃいますか♪
またこの週末、いい大人がはまってゐるといふ「風雲児たち」を吾もまた耽読。徳川の世の尊王論者たちが変人に描かれてあるのも御愛嬌なれば、そのうち漢詩人も出てきさうな気配(現在第10巻読了)。
199
:
やす
:2006/12/04(月) 20:47:02
詩集『神軍』
田中克己先生の第三詩集『神軍』をupしました。
詩集は日米開戦直後の昭和17年、文士徴用の第二陣で詩人がシンガポールへ派遣された留守中に、保田與重郎の斡旋によって刊行されました。大変目に立つ『神軍』といふタイトルですが、戦争詩を前面に打ち出した詩集を自ら出版するといふ形をとらなかった、その結果であります。確かになかには同名の「神軍」といふ詩篇がありますが、一巻のタイトルとして掲げるに相応しいかどうかといへば、含羞を旨とした詩人自身は面食らったかもしれません。さりとて晴れがましさが無かったかと云へばさうとも思はれず、保田與重郎が跋文で「『神軍』は大東亜戦争を熱禱した新時代の詩集である」と書いてゐますが、今や得意の絶頂にあった詩人の心を見透かし、これを元気よく後押しする配慮があったのではないでせうか。
その後、詩集は当時の日本出版文化協会の推薦書となり、初版1000部に続いて5000部が再刷されることとなりました。結果的に現在古本屋で一番簡単に手に入る詩人の詩集となってをります。そのため「神軍」といふ言葉は戦後、戦争責任を論ずる際に詩人を一言で片付ける殺し文句、レッテルともなり、キリスト教に改宗した詩人を長らく苦しめる言葉となりました。読んでみればわかりますが、開戦以前の佳品を多く収めてゐます。
https://img.shitaraba.net/migrate1/6426.cogito/0000302.jpg
200
:
やす
:2006/12/06(水) 20:44:56
【最新】公開捜査
現在アーカイヴ作成中の「田中克己詩集」ですが、以下の拾遺詩篇が未だに不詳です。
どなたかこれらの詩篇について御存知の方、御一報頂けましたら感謝に堪えません。よろしくお願ひを申上げます。
千年 (昭和9年11月 鵲[大連] 30号)
山村訪問(昭和11年2月 椎の木 5年2冊)
市井事(昭和14年2月 學藝展望)
風景(昭和14年2月 學藝展望)
老兵士(昭和14年3月 あけぼの)
201
:
やす
:2006/12/10(日) 22:55:17
筑摩書房版 立原道造全集 第一巻
職場の図書館にはもう高額な文学書が入れられないので、県立図書館で借りて参りました。清楚な装釘と意匠、版型は前回より小さく堀辰雄全集と同じになり、大変好感がもてるものです。オフセットのつるつる感・・・・こればかりは致し方ないです。ともあれ中原中也全集みたいなことにはならなかったことに安堵。
私自身は研究者ではないので、やはり活字版でジャンル毎がいい。戦前の山本書店版と第三次角川書店版の評論ノート(4巻)書簡集(5巻)の組合せで満足してゐるのですが、今回新版での建築図集ほか新資料が収められる巻は注目です。この第一巻での見ものは・・・・詩集の寄贈先リストでせうか。田中克己は27番目也。ほかにコギト同人大高関係者では保田與重郎、中島栄次郎、松下武雄、三浦常夫、小高根二郎。
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