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昭和初期抒情詩と江戸時代漢詩のための掲示板

196やす:2006/11/27(月) 12:49:06
「田中克己散文集」
 さて今回、詩集の部とは別に「田中克己散文集」といふ題目のもと、詩人の小説や批評、エッセイ、また同時代人による詩人評なども合はせて公開してゆけたらと考へてをります。さきに紹介致しました小山正孝の「初期短編小説群」を読んだひとなら分るでせうが、詩人の散文といふのは若書きであっても(むしろ若書きのものが)たいへん面白かったりします。将来小説家になるならうと考へてゐたかどうかはともかく、否それが潰えるものだったからこそ、未熟な部分とともにそっと伏せられた、当時の赤裸々な心境も窺はれるからです。初期の田中克己におけるさうした、不安なモラトリアムの心情を綴った散文といふのは、大岡信氏が中公版『日本の詩歌』で巻末解説を書いた際に引いてゐますが、コギトに掲載した「多摩川」、またそれを変奏した「冬の日」といった小品にみることができます。
 今回手始めにこれら二篇と、またこれは刊行された文集ですが、『楊貴妃とクレオパトラ』のなかから「始皇帝の末裔」の一篇をテキスト化して上しました。いづれもページの余裕さへあれば潮流社版の『田中克己詩集』に収めておきたかった、詩人の出発期と少壮期が偲ばれる作品であります。
 後者の「始皇帝の末裔」は、叙述において鹿爪らしく装ふコギト流の歴史高踏派ぶりがうまい具合に出てゐるエッセイです。北支侵攻中の当時、日本人がどんどん偏狭な民族観に傾斜してゆくなか、自らの出自を故意に秦の始皇帝にまで溯って説いてゐるのが面白く、取って返して敷衍するうち、現在の日本人で大陸・半島と血縁上無縁の者などゐさうもないことを、嫌でも再認識させてしまふといった一文。詩人はこの時期、同時に『大陸遠望』に収められる皇国史観を背景にした詩を書いてゐる訳ですが、「西康省」「詩人の生涯」等の長編詩にもみられるやうな彼の、アジアを広範に視野に収めた民族主義が、盟友保田與重郎とは少しく視点を違へて散文では如何やうに語られるものか、伺ひ知るには好個の読み物と思ひます。

「しかしわたしは何も好んで大名や貴族におのが同族を求めてゐるのではない。ただ島津氏や宗氏がその明らかな系図や史料にも拘らず、これを抹殺し隠蔽せんとした始皇帝の血統を私の家は決して隠さうとしなかつたことに興味が惹かれるのである。(始皇帝の末裔より)」


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