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昭和初期抒情詩と江戸時代漢詩のための掲示板

147やす:2006/06/17(土) 18:02:13
岡鹿門『在臆話記』より
 小川萬甫のこと、(第二集巻十二)に記載を見つけたものの、素気なく遺稿集序文の内容を出ませんでした。安積艮斎から、(学資なき者は食客として遇したといふ)羽倉簡堂の許に転塾した模様にて、文才については「さすが拙堂門下の素養なれば文章はやや見るべし」と一言。
 むしろ記事検索中、旅中に訪ねた石野雲嶺や小原鐵心、張紅蘭について興味深い逸話を拾ふ。

【石野雲嶺】(第三集巻一):(藤枝にて) 刺を通じて見を求めるに意、客に在らず。けだし東海道にありて一々遊歴書生に応接せば、これ日足らざる也。吾が聖堂に学ぶと聞き、手書きの小冊を検す。(松本)奎堂の言を記したる中に吾が名姓あるを見て、頓に礼容を致し坐上に延く。これ「その人を知らずしてその交はる所を見る」の謂なり。

【小原鐵心】(第三集巻三):(酒宴中) 鐵心、美人に蘭を作るを教ゆるとて、坐中の絵を善くする者に蘭竹の手本を作らせ、(その美人を)細香女史の替人となさんと。それには雅号が必用。此は遠来の珍客、此詩を贈る者の責任と云ふ。美人(作画後に困って)奉書紙を折り捧出拝請。余、尊名を何と問ふに「をよう」と答ふ。すなはち「某姓第幾女」、次行に「夭々女史」。これを毛詩桃夭之篇にとる。年月落款せしに満坐拍手、妙を称ふ。余、鐵心の人物に推服。

【張紅蘭】 (第四集巻四):(星巌没後京都に訪ねるに) 此時、余当惑せしは紅蘭、陽明全集を持ち出して、読めぬ所分らぬ所一々質問せらる。吾は伝習録の何の書たるを知らざる学者なれば、紅蘭の分らぬ所は吾も分らぬ。紅蘭も余の虚名に失望の様子也。
:(また岡本黄石の談とて、大槻磐溪とともに京都で懐旧談に興ずる際に) 紅蘭出て見、何が不興か容貌顔色の意外なるに磐溪も当惑の様子。少頃ありて其の言に「磐溪サン、あなたの江戸に在りし時は美男子の立派なる色男と思ひしに、何ぞ料らん御一新の今日となり、満面皺皴(しわしわ)短髪白頭の醜悪極まる見ともなき老人とならんとは。」此一言には磐溪も一言の答ふべきなし。紅蘭、此一言の外更に無言なれば吾も側に在りて此意外な挨拶に当惑し匆々にして辞出せりと。
「・・・・・。(^△^;)」


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