したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

非武装信仰板

1616シャンソン:2019/03/01(金) 18:33:15
       あるがまま

 物質文明が過渡期を迎えると、人は精神的な充足や成長を求めだします。
それはとても素晴らしいことですが、いくつかの落とし穴があります。
例えば、精神性の高い人を生きようとする傾向です。

 目覚めやさとりを経験すると、どんな人になると思いますか。例えば、
「穏やかで感情の起伏が少ない」「誰にでも優しい」
「いつもほほ笑みをたたえている」「落ち込むことがない」
「物欲がない」「性の衝動を超越している」「常に寛容的」

 その他もろもろ.....。
 多くの人は、目覚めやさとりに対してこのようなイメージ・先入観を持っています。
そして無意識に、そんな人間になろうと努力するのです。なれるのなら努力してもいいですが、実際には僕たちはそのような人には
なれませんし、なる必要もありません。

 なぜなら、さとったらこのようになるであろう、というイメージ・先入観そのものが間違っているからです。
もし、さとった人に共通する部分があるとしたら、それは「変な人」くらいだと思います(笑)。人の評価にあまり関心がなくなり、
自分の心のままに生きだすので、多くの場合変人に見られます。言いたいことを言い、やりたいことだけをやりだすと思います。
しかしそれも個人差があり、こうなるとは言いきれません。少なくとも、高潔で聖なる存在でないことだけは確かです。

 それじゃあ目覚めても意味がないじゃないか、尊敬できないじゃないかと思うかもしれませんが、そのような考え方が既に「人間とはこうあるべき」という観念に陥っています。
そもそも、僕たちの感情やメンタル状態は一定ではないのです。それが生きるということであり、生きるとは絶えず変化している、ということです。
あるときは優しく穏やかでも、あるときはちょっとしたことに腹を立てたりもします。それでいいのです。

 感情を一定にして、常に穏やかな人であろうとすれば、不自然になるだけです。
精神性の高さとは、そんな人間的な面がなくなることではありません。いくらさとった人でも、新しい物が欲しくなったり、性の衝動が体中を駆け巡ったりもします。
生きていれば当たり前のことです。

 それなのに自分の精神性を高めるために、高潔な人格になろうと奮闘する人がいます。
行動を律し、身を厳しさのなかに置き、正しい生き方、正しい座り方、正しい修行法、正しい生活態度、正しい....。
そして、いつの日かさとろうというわけです。でも、決してさとれないと思います。

 だって、さとろうとして努力しているということは、「いまのままの自分ではダメだ」ということが前提になっているからです。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板