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非武装信仰板

1668シャンソン:2019/04/11(木) 01:35:57
      本当の祈りを覚える

 自然を賛美する。当たり前のことに感謝する。
それは「祈りを捧げる」ということでもあります。
自分を超える大きな力との絆を育てるとは、言い換えるなら、祈りを覚えるということ
でもあるのです。

 多くの人は、祈るということを「助けて下さい」「願いをかなえて下さい」
「思い通りに物事を計らって下さい」と神頼みすることだと考えています。
でも、それは祈りの小さな部分です。

 祈りとは、命の大本である存在を讃え、感謝すること。それは神様の愛を受けとめ、
みずから愛を返すということなのです。与えられる愛は、人間を通してやって来ます。
そのため、必ずしもわかりやすいかたちではないかもしれません。

 自分の期待通りではないかもしれません。
人間は見える世界に気を奪われます。自分に都合のよいかたちでなければ、不平不満を感じます。
悲しみや苦しみも感じます。このような心のままでは祈ることはできません。

 祈るためには、見える世界から心を離し、見えない世界に深く心を沈める訓練が必要なのです。

祈りを覚えれば、他人のために生きられるようになります。
他人との関係をよくしていくことができます。どのような状況にあろうと、他人の歓びをわが歓びに変え、
感謝を捧げるようになります。

 それが本当の祈り、究極の祈りです。
深い祈りを見せて下さったひとりに、渡辺昇一先生がいます。
日本に知的な刺激を与え続けた、上智大学の名誉教授です。
がんに侵された先生は、治療にモルヒネを使うことを最後まで拒みました。

モルヒネを使うと頭が朦朧としてしまい、自分の頭で考えることができない。それは受け入れられない。
苦しんでもいいから、はっきりと自分の人格を保っていたい。日本をよくするために考え続けたいと、先生は
おっしゃったのです。

 しかも、想像を絶する苦しみの中、先生は「ありがとう」と言います。
「ありがとう」と言いながら、苦しみを乗り越えようとします。亡くなられる直前の、先生の言葉です。

「この年になって、この苦しみを味わって、やっとわかったことがひとつある。人間はこの深い命によって
みなつながっている。だから、自分がこの苦しみを捧げれば、どこか知らないところで、誰も支えてくれる人のいない人が、
楽になれるかもしれない。母親が子どものために何化するように、私も自分のこの苦しみを、本当につらい思いをしている人のために捧げたい。
自分のことも、きっとどこかで誰かが祈ってくれていたに違いない。だから自分は今日まで命を保つことができたのだ」

 死に際してなお、誰かの命を思う。祈りとは他に深い愛を捧げることだと、先生の言葉は教えているのです。

これほどの祈りができなくても、いいのです。祈りを知らなくても、生き物や花などを大切にするだけでもいいのです。
自分の部屋に花を一輪、置いてみましょう。しばし不満を忘れて、「きれいに咲いたね」とやさしく声をかけましょう。
 自分以外の他を思うことから、祈りは始まります。

   『世界でたったひとりの自分を大切にする』 鈴木秀子 著


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