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2515a hope:2013/09/03(火) 07:09:42 ID:dyDQLtZQ
(>>2512つづき)

「生命の實相」第11巻 万教帰一篇上 P20 後ろから4行目〜

生命とはこうして自由自在なものである。低きに満足できないものである。しかも偉大な巨大なものである。
しかしまだそのほかに、生命は一にして多、多にして一、その種類において、
大(おお)いさにおいて、色彩において、形態において無限の豊富さを備えていなければならぬ。
大いさとか、色彩とか、形態とかいうけれども、それは物質ではない。神から放射された観念なのであります。
それは無限の豊富さをもっているけれども、その一つ一つは互に完全に調和している。
この世界が「実相の世界」であります。
神と「神より出でたる観念の世界」これのみが「実相の世界」で、唯一の「実在の世界」なのであります。
この世界のほかに「実在の世界」はない。この世界の生き物はすべて美しく、愛すべく、調和した生き物であります。
ひとつして下等動物だとか、低級なものだとかいって軽蔑するべきものはない。
どんな微細な生物もそれ自身において完全であり調和しており、霊妙な生きる力をもっているのであります。
この世界は「神より発した第一念の世界」だというべきでありましょう。
こうして神から発した第一念の世界に住む生物が夢を見る、自分自身が神より発した純粋観念であり、
だから霊的実在であることを自覚せずに、「形あるゆえに自分は物質だ」と第二念を起こして夢を見る。
この第二念の描かれた夢幻の世界、これがわれわれの住んでいる現実世界であって、第一義的実在世界ではないのであります。
それを「実在の世界」だと迷って執着する。
執着するところに苦しみが生じて迷いは迷いを呼び、ここに現実のごとき争闘の世界、生存競争の世界が現出したのであります。
(つづく)

2516a hope:2013/09/04(水) 08:03:17 ID:dyDQLtZQ
>>2515つづき)

「生命の實相」第11巻 万教帰一篇上 P21 後ろから2行目〜

神はその第一念によって実相の世界、大調和の世界、円満具足の世界、
一にして多、多にして一、自他一体の渾然たる霊的実在の世界を創造し給うたのであります。
この神の創造したまえる世界のいっさいの事物は、猛獣のように強いものであっても、
強いなかに必ずやさしさがあり愛があり、美しさがある。
虎や獅子を見ても、その勇猛なうちに美と優しさとを備えているのであります。
もし、われわれ生物が、第二念に捉われない時代が来れば、
預言者イザヤが次のように歌ったような理想世界が実現して来るのであります。

狼は小羊とともに宿り
豹は小山羊とともに伏し
獅子は牝牛のごとく藁を食い
犢(こうし)と若獅子とはともに草を食まん。

牝牛と熊とはともに子供に導かれ
食をともにして相ともに戯れん。
乳呑み児は毒蛇の窩(あな)の上を匍匋(はらば)い
乳離れの子は手を蝮(まむし)の窩(あな)にさし入るるも傷つかざらん。

わが聖(きよ)き山にはいずれの処にも
傷つくる者なく、殺す者なし。
そは海原を水の蔽(おお)えるごとく
大いなる神の知恵この地上に満つればなり。(『イザヤ書』第十一章――六〜九新訳)
(つづく)

2517閲覧者99:2013/09/04(水) 12:02:58 ID:aLdANEEo

 『實相研鑽』第一集 生長の家の健康学
http://blog.zaq.ne.jp/sinseityounoierengou/

2518a hope:2013/09/05(木) 07:48:05 ID:dyDQLtZQ
>>2516つづき)

「生命の實相」第11巻 万教帰一篇上 P23 4行目〜

こんな理想世界が果たして来るのであろうかなどと疑われる方もあるかもしれませんが、
来るとか来ぬとかいうことは、われわれの第二念の世界(映像(かげ)の世界)だけのことでありまして、
神の第一念の世界(実相の世界)においては神の創造の最初から無限の未来を通じて現在にこの理想的大調和の状態にあるのでありまして、
これからいろいろ工夫し改善されて来るというような緩慢(まだる)っこいものではないのであります。
今現に実相世界は完全に大調和の状態にある!
これを悟ることが真理を悟るということなのであります。
この完全な大調和な理想世界が今現にあるということを悟らないで、歪な「迷いの色眼鏡」をかけて眺め、
いたずらに相争い、相犯し、相恐れるものでありますから、真理の光線が屈折して、まん円(まる)いものも、
歪な形を映し出しているのがこの現実世界であります。
結局、これは「迷いの色眼鏡」をかけているがためでありますから、真理の正しい眼鏡をかけて事物を眺めるようにするならば、
実相世界はそのままの大調和の状態がこの映像(かげ)の世界(現実世界)に現出するのであります。
キリストは「み心の天に成るがごとく地にも成らせ給え」と祈られました。
この祈りは天(すなわち霊なる実相の世界)にはすでに神意が実現して大調和の状態にある証拠でありまして、
「実相の世界」がすでに大調和の状態にあるがごとく、現実世界もまた大調和の状態を現出せしめたまえと祈られたのであります。

釈迦は『弥勒菩薩下 生経』において末法の世が過ぎ去れば弥勒菩薩が下生して来たまい現象世界にも
大調和の世界が実現して来るということを予言していられるのであります。
これはキリスト教で予言されているキリストの再臨ということにあたるのでありましょう。
しかし、肉体は「念の映像(かげ)」でありますから、肉体をもった弥勒菩薩が下生して来られるとか、
肉体をもったキリストがこの地上に再臨し給うとかいうことは、真実(ほんとう)ではありますが、
「映像(かげ)すなわち肉体の世界」に捉われず、常に「実相の世界」を観たとき、
現実の世界の不調和が忽然としてわれわれの眼界から消え去るのであります。
そのさまはちょうど『黙示録』の第二十一章に書かれております。―――

○我また新しき天と新しき地とを見たり。
これ前の天と地とは過ぎ去り、前の海も亦(また)なきなり。
我また聖なる都、新しきエルサレムの、夫のために飾りたる新婦(はなよめ)のごとく備えして神の許をいで、天より降るを見たり。
(『ヨハネ黙示録』第二十一章 ―― 一〜二)

このように新天新地というものは天から降って来るのであって、現実世界だけにいろいろ改造運動を施してでき上がるものではないのであります。
天から地へと降って来るというのは「実相の世界」から「現実世界」へ映って来ることをいうのでありまして、
完全な「実相世界」そのままの相を「現実世界」へ映し出すには正しいレンズがいる。
この正しいレンズとはなんであるかといいますと、真理を悟った心――すなわち「サトリを開いた心」であります。
われわれが真理を知り、サトリを開いたときに、忽然「みこころが天になるがごとく地にも成る」
――すなわち新天新地が「実相の世界」から天降って来るのであります。
そのときに初めてわれわれは、「神と人とが一体であり、死もなくすべての悲しみもないのが人間の本来である」ことがわかるのであります。
(以下、略 謹写終わり)

2519a hope:2013/09/08(日) 08:04:22 ID:dyDQLtZQ

☆ 幸福の祈り

私は神の子である。神は私を愛したまう。
私は父母の子である。父母は私を愛したまう。
〝神さま〝 ととなえるとき私はうれしくなる。
お父さんと呼ぶとき私はお父さんの愛を感じる。
お母さんと呼ぶとき私はお母さんの愛を感じる。
私は、神と父母との愛につつまれて幸福である。
ありがとうございます。

「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2520a hope:2013/09/09(月) 08:02:36 ID:dyDQLtZQ

p66

人の喜びをうらやむ者は
 常に苦しいものですが
人の喜びを喜ぶ者は
 楽しいばかりであります

「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2522SAKURA:2013/09/09(月) 22:16:24 ID:j7IGF7Cw
トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【転載編&引用編…】
>>2500>>2501>>2504>>2507の投稿の続きです…。       

【  女性の本質  】             谷口雅春著
――― 女というもの ―――

■他の心を変える祈りは正しいか ・・・・・ その⑤

 すると今まで気がつかなかったところの、お空に漂っている白い雲と
か、或いは、その辺の野原に生い繁っている草花であるとか、林の樹木であるとかが、非
常に美しいものになって、“ここに今天国浄土がある”ということが自覚できるようになっ
たというのであります。

 “今を生きる”ということは、そのように時々刻々瞬々の生命(いのち)の中に、本当の
値打ちを見出し、美を見出し、そして生き甲斐を見出すという生活になるわけなんです。

                             つづく

PS:「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ 
■【今!一瞬を生かす……生活感】が〜〜〜人間としての“使命”にも思えます。
そして、今日の乱れた「広告…」は、何の生きがい?意義?があるのでしょうかと。??
未来ある「若者…達」に■【人生の生きる重要感…】は、「肉体美ではない!!…」と教える事が、
大事ではナイのでしょうかと、思います。
あくまでも…時の流れが醫瞬の中に於きまして【泡の如く消えて行く人生…にならず!!
生かす事!!…人生を生かす!!…生活を生かす!!】この“道理”・“価値観”が大事なのですかと。
肉体美はいずれは〜〜〜滅ぶモノ?見た瞬間に?泡の如く消えゆくモノです。

■【こころに残る瞬間…】とは、『オスカーワイルド…』でも
“愛”…人を生かすやさしの“愛”!!これは「今を生かすことへの道=道徳」にも入って行くように思えます

やりたい放題の自由・肉体は?いずれは滅ぶもの…その「執着心…」は【地獄の切符…】にもつながるよう
にも思えますが!!

あくまでも【宗教観…】とは【人間の律を正しい心へ導くもの】と思います。…が?
今!を生かす一日〜〜過去を振り返ってみて、どれだけ生かしきれているか????唯今!自問自答です。

再合掌

2523SAKURA:2013/09/09(月) 22:18:42 ID:pMLLKHKU
トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【転載編&引用編…】
>>2500>>2501>>2504>>2507>>2522の 投稿の続きです…。       

【  女性の本質  】             谷口雅春著
――― 女というもの ―――

■最後の目的とする真実の願い・・・・・ その①

 さて、マン女史を訪れて来たところの小説を書いた、その婦人の本当の真なる願いとい
うものは一體何であったかと言いますと……よくよくその話を聞いてみると、その人は自
分の現在の家庭生活が面白くないので、その生活から逃れたいという希望をもっておった
わけなんです。

 というのは、その婦人は弟夫婦の家に同居しておりまして、弟夫婦の厄介になっている
ということが、非常に劣等感と言いますか、屈辱感になっていたのです。それで、お金を
儲けて弟夫婦の家庭に居候している生活から、どうしえも逃れたい。それで、お金を儲け
たい。そのために小説を書きたいということえあったのであります。

 そこで、マン女史は“小説家とか音楽家とか、或いは彫刻家とか詩人であるとか……特
殊天分を与えられている婦人は別として、大體、普通の婦人の願いというものは、愛と
平和と調和に充ち満ちた、日常生活に必要な凡ゆるものが豊かに与えられている家庭生活
をもちたいというのが、魂の底なる願いである“ということを指摘されたのであります。

そして、
「そういう願いこそ、あなたの真なる願いなのですから、そんな小説などを書くよりも、
愛と平和と調和に満ちて豊かな恵みをもつ幸福な生活を祈るようにしたらどうですか?
そういう生活ができるなら、あなたはどんな職業をしても良いんじゃないですか?」と
訊いてみたのです。その婦人は、こう答えたのです。
「そういう生活が得られるのなら、どんな職業でも良いけれど、唯一つ嫌なのは、家政
婦みたいな仕事です」

ここに、この婦人の第二の躓きの石がある。マン女史は、こう書いています。

――吾々があることを神に祈ったならば、その祈りの波長に合うところの事物が、例え
ば放送のプログラムのように、神の定め給うた順序を追うて現われてくる。一遍に、その求
めた願うところのものが、パッとその人の前に必ずしも出てくるとは決っていない。それ
には順序がある――

 例えば、富士山なら富士山の頂上へどうぞ登らせて下さいとお願いしたとすると、友達
が旅行に行こうと誘ってくれて、まず富士山の麓の御殿場なら御殿場へ行く。その時に
“私は御殿場みたいな処へやってくれと言ったんじゃない。富士山の頂上へやって下さい
とお願いしたんです“と言って、自分の眼の前に出てきた御殿場を有難く思わない。有難
く受けないことは、その次の善きものを受ける準備ができないという結果になるわけです。

                         つづく
PS;「トキ様」 「観覧者の皆様」 へ
【祈り…】も、やはり〜〜〜思いますには【心の準備期間…】があるようなのですネ??
この意味が、ようやくわかりかけてきました。・・・が?
…ですので、今!【成就が不能の場合〜〜〜?】は??逆にいいますと?
【心の受ける準備…】が出来ていないわけなんです〜〜〜ョネ!!
では、そのためにモット〜モット〜「神様…」にその準備を導いていただかなくては〜〜〜(笑い)

                                     再合掌

2524a hope:2013/09/10(火) 09:34:24 ID:dyDQLtZQ
 
▣ 父母に感謝の祈り

神さまありがとうございます。
常に私たち家族をお護り下さいまして家族皆々健康で幸福でございます。
お父さん、お母さん、ありがとうございます。

お父さんとお母さんの愛は、目に見えない神さまの愛が、
人間という形にあらわれて私たちを愛して下さるのでございます。
神さまありがとうございます。
お父さん、お母さんありがとうございます。

「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2525a hope:2013/09/11(水) 07:38:33 ID:dyDQLtZQ

▣ 感謝の祈り

神さま、あなたは太陽となって私たちに光と熱とを適当に与えて下さいます。
空気も、水も、食物もみな神さまの御生命(おんいのち)のあらわれであります。

だから空気を吸い、水を飲み、食物をいただくことによって私は、生命を得(う)るのであります。
天地すべてのものに感謝いたします。
ありがとうございます。

「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2526a hope:2013/09/12(木) 08:25:41 ID:dyDQLtZQ

▣ 明朗精神の祈り

私は″神の子″である。
神は常に楽しいのであるから、″神の子″たる私も常に楽しいのである。
過去の悲しいことや、腹立つようないやなことがあっても、
そんなことはみなじょうずに忘れてしまうのである。

″日まわり″の花が光の方へ常に向きがかわるのと同じように、
私は明るいことばかり考え、明るいことばかりを思い出して楽しいのである。
ありがとうございます。

「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2527a hope:2013/09/13(金) 07:15:06 ID:dyDQLtZQ

▣ 善き言葉の祈り

私は神の子である。
神の子であるから、神の子らしくない悪しき言葉、乱暴な言葉、腹立つ言葉、
人の悪口を言う言葉などはけっして使わないのである。

私は善き言葉のみを使う。
悪く批評せねばならぬ時にはだまっていて語らない。

「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2528うのはな:2013/09/14(土) 11:19:44 ID:Q5x361sg
      心臓の動悸に和解すること

 心臓の動悸が激しくて、始終それが気になって何時、心臓麻痺で死ぬかも知れぬと恐怖心に悩まされている
婦人が私に指導を求めて態々大阪からたずねて来たことがあった。その婦人は「大阪教化部駐在の栗原保介先生に導いて
貰って子宮疾患と糖尿病と何やらとは治ったが、心臓のドキドキだけはどうしても治らないので、谷口先生に直接指導を受けたら
治るだろうと思って来た」というのである。

 私はつくづくその婦人の顔を見てから、「あんたの心臓のドキドキを治してあげたいと思うけれども、心臓のドキドキをとめたらあんたは
死んでしまうから、治す訳にゆかぬ」といった。その婦人は「栗原先生は、心臓のドキドキを気にかけるからいけないので、そんなものは忘れてしまいなさいと
いわれるのですけれども、忘れようと思うほど思い出して気にかかるのです」というのである。
その時、わたしは声をはげまして、
「あんたは心臓のドキドキのお陰で全身に血がめぐって生きているのですよ。それを忘れようとは何事です。そんな恩知らずの事を考えるから、心臓は憤慨して
〝今もこのように一所懸命に血をめぐらしているんですよ〟だから、一分一秒間と雖も、心臓のドキドキを忘れてはならない。出来るだけそれを思い出すようにして、
〝今も心臓がドキドキして血をめぐらしてくれているのである。ありがとうございます。ありがとうございます〟と思い出す毎に感謝するようにしなさい」と言った。

 すると、その婦人は、翌日私を訪れて「心臓のドキドキはお陰でなくなりました」といって感謝せられたのであった。
この婦人は「心臓のドキドキに和解した」ために、病気が消えたのであった。

 『愛はかくして完成す』p121−122  谷口雅春 先生著

2529うのはな:2013/09/14(土) 15:49:29 ID:sMmtx8Ho

 佐藤栄作首相閣下

 大学生の現体制破壊行動は、国際・国内の共産主義者の示唆や扇動に動かされたからではありますが、
彼らが、その扇動に動かされるような心境にならざるを得なかったのは、現在の自民党政府が、生命を尊重する掛声だけをして、本当は
毎年三百万人も殺されている胎児を見殺しにして顧みないようなウソツキであるからであります。

 ゲバ学生を権力や、自衛隊や、機動隊で「外から押えること」には成功しても、「内から破壊衝動を抑える権力機構との激突となって多数の死傷者を
出すことになり、根本的解決にはなりません。「内から破壊衝動を抑える政策」というのは、第一のものを第一にすることなのであります。
破壊衝動の起る根因を絶滅することなのです。

 〝内〟が鎮まれば〝外〟も鎮まるのです。その〝内〟を鎮めるということは何であるか、あなた様はまだお気づきになりませんか。
現在日本の大人が「昭和元禄」と形容されるくらうの贅沢繁栄の生活をいとなむことのできているのは、毎年三百万人の胎児を虐殺して堕胎するという非人道的犠牲の上に
成り立っているのであります。霊魂の存続をみとめない唯物論者には理解できないかも知れませんが、あなた様なら解っていただけると思うのであります。
おのおのの受胎した霊魂たちは、神から、地上において果すべき使命を受けて宿って来たのであります。

 その胎児の地上生活を断ち切って殺してしまうことは、受胎せる子供の霊魂に対して重大な侵犯を冒すものであります。
そこには民主主義はありません。強制的殺人があるばかりです。弱肉強食主義があるばかりです、そこには道義の確立はありません。
自分さえ快楽を貪り裕かであればよいという御都合主義の利己主義があるばかりです。
物質的繁栄や享楽のために生命を殺すことを何とも思わないのは単に利己主義であるばかりでなく、強盗殺人行為f¥であります。
それを放置されるのはあなたの責任であります。

『占領憲法下の政治批判』  谷口雅春 先生著

2535a hope:2013/09/15(日) 08:13:20 ID:dyDQLtZQ

▣ 素直な祈り

神は素直を好みたまう。
ハイの精神こそ日本精神であるのである。
神は私の″良心″として、わたしのうちに宿っていられるのである。
その″良心″のささやきは神さまの命令である。
だから私は″良心″のささやきに素直にハイとしたがうのである。
けっそて″良心″がとがめるようなことはいたしません。
ありがとうございます。

「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2539SAKURA:2013/09/15(日) 22:06:49 ID:pMLLKHKU
トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【 転載編… 】
>>2500>>2501>>2504>>2507>>2522>>2523 の 投稿の続きです…。       

【  女性の本質  】             谷口雅春著
――― 女というもの ―――

■最後の目的とする真実の願い・・・・・ その②

 ところで、その婦人が家政婦的な仕事は嫌だと言ったのは、何故であるか。マン女史は、
その婦人の精神分析をして、こう解釈しています。

 ――それは、弟夫婦の家に居候して家政婦的な仕事の手伝いをさせられているからであ
る。そういう仕事をしている自分に対して非常な自己嫌悪を感じている。屈辱的を感じて、
自分で自分を軽蔑している。そして、自己嫌悪に陥っている自分を憎んでいるから、従っ
て弟夫婦をも憎んでいるのである。

 大体人が他の人を憎むのは何故かというと、自分自身を自己嫌悪して、自己の惨めさが
あまりに耐えられないので、自分が惨めな状態にいるのは、あの人が悪いからだと他の人
の原因に転嫁しようとしているからなのです。惨めな状態にあるのは、自分が悪いのだと
素直に認めれば良いのですが、それでは余り自分自身が惨めなので、自己嫌悪し自分を憎
む心を他の人のせいにして、あの人が悪いから私はこういうことになったと思って人を憎
むことになる。

 つまり、その婦人は弟夫婦の家政婦的な仕事を居候としてさせられているのは、自分の
心の姿が現われているのだと認めるのが嫌で、弟夫婦を却って憎んでいるわけです。

 自分が悪いのではない。弟夫婦の家族を助けてやる為に自分の青春を犠牲にしているの
だと考えて、“弟夫婦を憎み“こんな家政婦的な仕事は絶対に嫌だ”などと考えるようにな
ったのである――マン女史は注釈しているのです。
 ❤〜 つづく

2541a hope:2013/09/17(火) 08:53:50 ID:dyDQLtZQ

▣ 愛行の祈り

神は常に愛を実行していられるのである。
神の愛によって万物は育ち生長する。
その神のいのちを私たちは宿して″神の子″ として生まれてきたのであるから、
私も常に愛を実行するのである。

愛とはすべての人に物に事に深切なことである。
私はすべての人に物に事にいきとどいて深切をつくすのである。

「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2542かぴ:2013/09/17(火) 10:59:41 ID:kJa/VU7Q

「与えよ、さらばあたえられん」が我々が幸福を得るための黄金率である。それを「与えたら一層大なる御礼が来る」というふうに物質的にのみ考えては間違いである。「与える」ということによって得られる幸福は、「与えている」その行動と同時に感じられるところの、何処から来るともわからぬ言いようのない祝福感である。これは必ずしも「行動と同時」だけではなく、「与えよう」と創造したときからその祝福感はあらわれ、与える実践によってその祝福感は高潮に達し、与え終ってからも長く心の中に反芻するようにその余韻をひいて其の人の魂を悦ばしめるのである。

「人生を見つめて」 谷口雅春先生著

大熊先生が「奇蹟の事務所」を開いてから、支援する多くの人に素晴らしい奇蹟が起こっているそうです。

http://blogs.yahoo.co.jp/panda41415151

2545a hope:2013/09/18(水) 08:46:15 ID:dyDQLtZQ
 
▣ 愛行実践の祈り

神は″神の子″たる私に、無限の力をあらわすことを教えたまう。
神は私を″神の子″として、神の無限の力を受けつぎ、
その力をもって人を幸福にするための深切愛行を行わしめたまうのである。
神は人に深切をし、愛行をし、人々を幸福にするために無限の力を私に与えられたのである。
人に深切をし、愛行をし、人々を幸福にするために無限の力を私に与えられたのである。
人に深切愛行をする程度にしたがって、私の力はふえてくるのである。

「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2548かぴ:2013/09/18(水) 19:11:21 ID:kJa/VU7Q

吾々は「与える心」を起こさなければならない。「与える者のみ与えられる」のであります。

吾々は「物」をもっていなくても、「愛」を与え「親切」を与え「感謝」を与えることが出来るのです。

与える者は、かならず与えられて、豊かな人生を送ることが出来るのであります。

(谷口 清超先生著「愛と祈りを実現するには」)

2551a hope:2013/09/19(木) 09:14:49 ID:dyDQLtZQ

▣ 父母へ感謝の祈り

私は神の子として、神の生命が父母を通して生まれたのである。
私がいくら神の子であっても、人間の父母を通して生まれなかったならば、万物の霊長として、
生き物のうちで最も美しく最も知恵があり最も幸福な生活のできる人間には生まれることができなかったのである。
お父さん、お母さん、ありがとうございます。

「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2553かぴ:2013/09/19(木) 18:12:51 ID:kJa/VU7Q
「あいつは悪い、あいつは悪い」と念ずることは、その思念の力によってその相手の人をして益々悪くならせることになるのである。

念ずれば念ずるとおりにあらわれるのが心の法則であるからである。正義によって憤ると云うことは、「彼は間違っているから、善くしてやりたい」と云う希望から成されるのであるから、「彼は本来あんな悪いことをする人間ではない。善い人間である。だから今後は善い事ばかりをする」と念じてやるべきである。

彼をよくしてやるのは説教ではなく、愛である。

(谷口 雅春先生著 「幸福を招く365章」 )

2554SAKURA:2013/09/19(木) 21:45:00 ID:pMLLKHKU
トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【 転載編… 】
>>2500>>2501>>2504>>2507>>2522>>2523>>2539 の 投稿の続きです…。       

【  女性の本質  】             谷口雅春著
――― 女というもの ―――

■最後の目的とする真実の願い・・・・・ その③

 マン女史は、人生問題について相談に来た人の心の奥底を探るために、ある方面を使っ
ているのです。それは、その人の宗教的及び教育方面の訓練、又は教育を詳しく履歴書に
書かせると同時に、感情の歴史とでもいいうべき憎しみ、恐怖、満たされざる願い、希望、
野心等を詳しく書かせるのです。それを見ると、その人の魂を貫いているところの感情生
活の主流が、どの方面に傾いているかということが解るのです。

 生長の家の個人指導部でも、ケース・カードというものをこしらえて、それに類するこ
とをしておりますが……

 その婦人にも、これを書かせてみましたら、彼女が非常に子供に愛情をもっていること
が解った。その告白によると、弟夫婦は彼女を養ってやらねばならないので、生活費の節
約のために子供を生むことを遠慮していることを彼女も薄々知っていたので、それが厄介
になっている自分を自己嫌悪させる一つの原因になっていたことも解ったのです。

 この婦人は決して小説書きになりたいのではなかった。彼女の「女」としての真なる願
いというものは、子供達を愛をもって世話する仕事がほしいのであったというわけなので
す。金を儲けるために小説が採用されますようにという願いは、手段としての願いであ
る。小説が採用されるとか、金が儲かるとか云うのは、それは手段であって、最後の目標
は何であるかというと、愛と平和と調和に満たされた善き良人と善き子供のいる暖かい家
庭を欲しているのが、一般に「女というもの」の本当の願いであるのです。

 それを欲するならば、その本当の願い、真なる願いを直接に祈って求めれば可いのであ
る。その本当の願いを求めないで、途中の手段としての小説や金儲けを求めるからいけな
い。最後の目的とする「真實の願い」と云うものを本当に祈って、神様の智慧と一致した
ら、途中のことは適当に神様が順序をこしらえて下さるのだとマン女史は訓えたのです。

                        つづく

2555a hope:2013/09/20(金) 07:41:53 ID:dyDQLtZQ

▣ 家庭祝福の祈り

わが家は″神の子″の家である。
わたしの家族はことごとく″神の子″ばかりである。
わたしの家庭には神の愛が充ち満ちているから、みんな調和して仲がよいのである。
わたしの家庭には神の知恵が充ち満ちているから、みんな調和してまちがいをすることはないのである。
みんな″神の子″であり健康で善い人ばかりである。

「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2556SAKURA:2013/09/22(日) 21:56:58 ID:pMLLKHKU
トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【 転載編… 】
>>2500>>2501>>2504>>2507>>2522>>2523>>2539>>2554>> の 投稿の続きです…。       

【  女性の本質  】             谷口雅春著
――― 女というもの ―――

■最後の目的とする真実の願い・・・・・ その④

 そこで、この婦人は、マン女史のすすめに従って“子供達を愛をもって世話することが
できる仕事を与えたまえ“と祈ったのであります。そうしますと、間もなく、その祈りは
きかれて、二人の子供をもった若い検事の家に子供の世話係りとして雇われることになっ
たのです。矢張り女の人は、子供の世話をする愛情の表現のある仕事というものに、非常
に価値を感じ、生き甲斐を感じるものなのです。

 そして、そこで働いているうちに、その検事の宅に出入りする法律家とが仲良くなり、
終いにはその法律家と恋愛関係になって、やがて結婚して本当の魂の願いである愛と平和
と調和との良き良人と善き子供に囲まれた、婦人として、女として真なる願いを満足す
る境遇に入ることができたという話であります。

 皆さんも、女として真なる願いを直接的に求めることにして、“既にそれを与えられて
おります。“有難うございますと毎日感謝しておられましたら、やがて、それが実現して
くるということになるのであります。
                            つづく

PS:「トキ様」 へ ・ 「観覧者の皆様」 へ
私も、やはり!いささか【心のふらつき?】が多かったようにも、この事を反省しております。
モット〜モット〜「神 様」に甘えていかなければ〜〜〜♫ と?深く思うのです。
まずは【祈り…】の捉え方が〜〜〜まだ〜まだ〜【 “我”は ?? われに?? 】でしょうか?

もっと【心の法則…】に従いまして「神 様」へ〜〜〜
【授ける“心…”!!お任せの“心…”】このように展開していける自分自身の【 心…】かと。

すべては「神 様」に向けて、私の“心…”は、アケスケニ〜〜〜“素直な心…”でもって行く感じで
ひたすら「神 様」に向けて【祈り…】ましょうかと。
まだ!まだ!【成就できない…願い】この意味が?「マン女史のお話」で〜〜〜
実に!ほんのり〜♫ ほんのり〜♫ と、解りかけてきましたでしょうかしら〜〜〜ン!!
今回!切なる心の奥底からの“願い…”で【病気が治る】事は、『神様の御心』に叶いましたのでしょうか?

■まだ!まだ!修行中の“心…模様”なので〜〜〜す。
モウ〜〜〜モウ〜〜〜【真剣に!益々と!神様と神地一体!!】です。
                                        再合掌

2557かぴ:2013/09/24(火) 10:56:53 ID:oEnYKIyI
過去の不幸を心の中で繰返すな。過去は既に過ぎ去ったのであり、未来は自分の心の中にあるのである。朝々が新生である。新たなる人生があなたを訪れるのである。未来はあなたの掌中にある。

夜の帳はあなたの過去のすべての嘆きを拭い去ったのである。この朝、あなたは新生したのである。新しき機会があなたを訪れる。これこそが真理である。

昨日までの一切の不幸を嘆くな。一切の病弱を、一切の貧苦を。それは過去のあなたの想念の影に過ぎなかったのである。

過去は、あなたが心でそれを捉えない限りはあなたを最早や苦しめることは出来ないのである。

過去を捨て、現在に生きることが光明生活の極意である。今ここにあなたが、人々の幸福のために何物かを与えれば、未来にあなたの幸福が実って来る。あなた自身が未来を創造りつつあるのである。

(  谷口 雅春先生著 「幸福を招く365章」   )

2558a hope:2013/09/25(水) 08:11:50 ID:dyDQLtZQ

▣ 悦び無限の祈り

神はこの世界を、歓びの心をもっておつくりになりました。
太陽も月も星もことごとく、神の悦びの感情の表現であります。
神の悦びの最高のきわまりの時に、人間は生まれたのであります。
それゆえ、私は常に悦びの感情に満たされております。

私は何を見ても神の悦びの芸術に見え、何を見ても神の悦びの言葉にきこえるのです。
悦びは悦びを呼び、毎日私の悦びはふえるばかりであります。
ありがとうございます。

「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2559かぴ:2013/09/25(水) 10:25:24 ID:oEnYKIyI

すべてのものは先ず心の世界に発生し、それが形にあらわれてまいります。

よき意味の歌を合唱又は斉唱しますと、その合唱又は斉唱の際に於ける精神統一の刹那に、そのよき想念が、潜在意識界に根をおろし、やがて芽を吹き、実を結ぶのであります。

潜在意識の奥底は、深く宇宙意識のの創化作につながっており、潜在意識に印象したことを、宇宙意識が実現してくれるのであります。

( 谷口 雅春先生著 「幸福生活論」   )

2560かぴ:2013/09/25(水) 10:28:34 ID:oEnYKIyI

×創化作→○創化作用 (失礼しました。)

2561a hope:2013/09/26(木) 09:35:11 ID:dyDQLtZQ

▣ 歓喜の祈り

神は神罰の神ではありません。
神は、歓びの神であり、幸福の神であります。
その歓びの神、幸福の神の子が私であります。
したがって、私はつねに幸福であり、歓びであります。

私は常に愉快なうれしい顔をしておりますから、
人から好かれるのであります。
私は常に、ニコニコしています。

「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2562かぴ:2013/09/26(木) 18:09:49 ID:oEnYKIyI

すべての人間は神の子であり、互いに兄弟であるから、互いに理解されることを望んでいるのである。

愛されることと理解されることと、この二つを失った人は真に孤独であり、寂寥感に襲われずにはいられないのである。

しからば愛と理解とを失って、この世に生きる希望を失った人々は如何にすべきであろうか。

愛と理解とを与えられることを求めるな。先ず愛と理解とを与えてあげることを試みよ。人々を愛せよ。憎い人でも愛せよ。

愛すると云うことは必ずしも感情ではない。その人のためになることを隠れて熱心にしてあげよ。本当に愛が湧いて来るに違いない。

( 谷口 雅春先生著 「 新版 幸福を招く365章 」)

2563SAKURA:2013/09/26(木) 21:08:24 ID:pMLLKHKU
トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【 転載編… 】
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【  女性の本質  】             谷口雅春著
――― 女というもの ―――   

■ 肉體・性別は人生劇場の舞台の姿・・・・・ その①

 最近、私は朝日新聞に載っている井上靖の『潮』という小説を読んでいます。この人の
小説は、非常に人情の機微を穿っているので、私は井上靖の小説が好きなのであります。

 この小説の中に伊沙子という女主人公が出て来ますが、彼女は光一という戦災孤児の少
年に、夜学へ行くための学資を一度供給してやったことがある。少年が何かの問題で警察
へ引っぱられた時、警察へもらい受けに行ったりする。ところが伊沙子の良人は、そのこ
とに余り賛成していない。

 けれども子供のいない伊沙子には、子供を愛したい願いというものが矢っ張りある。良人
に内緒で少年に白いセーターを買ってやったりするが、少年は、このセーターに同僚(少
年は会社で給仕をして昼間働いて夜学に通っている)からインクをつけられて、喧嘩をす
る。この時も警察沙汰になって、伊沙子が又貰い下げに行くのですが、家へ連れて帰ると
良人が嫌うので、この時には鳥巣という音楽家の家へ少年を預けるのです。

 鳥巣という男は、前に伊沙子に恋愛遊戯をしかけたこともある人物ですが、少年も預け
たことから二人が又段々親しくなってゆくという筋なのです。

 この少説を読んで感ずることは、良人が嫌っていることを、内証でしようとするところ
に伊沙子の心にすきが出来ている。そこへもってきて、良人の側には、若い宗方律子とい
う女が、人知れず恋愛感情をもっていて、良人に対していろいろ誕生祝いなどと言って贈
物をしているのです。

 家庭の中でこうした三角関係のようなものが始まる微妙な心理は、お互いに秘密をもっ
ていることがもとになっているのです。良人が嫌がっていることを内証でしてみたり、奥
さんの知らない女から、夫が贈物をもらったりするようなところから始まるのです。良人
があんなことをしているんだったら、私もというような気持ちになるんじゃないかと思うの
ですが、兎も角、御婦人というものは、愛されたい、特に良人に愛されたいという願いが
強いものだと思います。

 女と云うものは、一度肉体的関係を結んだところの男性に対して非常に愛着を観ずる
ものなのです。本当の恋愛でなくても、そんな関係の後には強い愛着というものを感じて
離れ離れなるような傾向があるものなのであります。

                            つづく
PS: 「トキ様」「観覧者の皆様」へ
正直申しますと?【女性の認識・本質】此処昨今では?随分変わってきておりますでしょうか?
「雅春先生…時代」は?やはり〜〜〜世間一般で申します〜〜〜
或る意味では【男尊女卑…】という事で封建的な考え方が根強くありましたでしょうか?

さて!かといって?今日の若い女性の或る面での【ドライな考え…】これも?両者を比較しますと
随分考えさせられます点が?ありますネ!
一言云えますのは 最高の“男女間の愛…”とは〜〜〜? 『魂…向上の結びつき!』でしょうか?

■「古事記…」に示されております処の…「日本の国の法則」と申しますか?
『 夫まず唱え、妻これに従う 』というところの大八洲国すなわち日本の国の法則…
男女の役割、男女の生き方の役割とでもいいますか?アメリカの民主主義が入ってきましてから
女性優先〜〜〜或る面では“離婚”を増やす要因になるかと…。亡き「雅春先生」が?
懸念されていました事柄〜〜〜でしょうか?

再合掌

2564a hope:2013/09/27(金) 08:41:36 ID:dyDQLtZQ

▣ 幸福と健康の祈り

私は神の子である。
神は完全であるから健康そのものである。
その神の生命が私に宿って私の生命となっているのであるから、
私は健康であるほかはないのである。
神は常に私を護って私を健康に幸福にしていて下さるのである。
このことを神に感謝いたします。
ありがとうございます。

「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2565うのはな:2013/09/27(金) 16:59:18 ID:mCQxOykY
昭和二十二年五月二十六日 京都より東京へ

       輝子様    雅春

  これは第三信です。第二信は名古屋のヤマトホテルで五円札一枚出して切手をかつて
貼つてもらふつもりで「出してください」と云つて渡しましたが、今日は京都の講習会の三日目です。
京都の講習会の員数は約五百五十人かと思ひますがハッキリした数は唯今わかりません。

 広い相国寺の方丈に一パイになつてゐまして、一日千円の室料であります。
今に相国寺は生長の家の道場になつてしまふと相国寺の信徒総代が云つてゐたさうです。(中略)

  死せるに非ず生けるなりとラザロに云ひし耶蘇のごと現象の奥に実相を見んかな

  善悪総じてもて存知せざるなり、ただ礼拝すべしと教へられける

   『こころの旅路』 谷口恵美子 先生編著

2566 SAKURA:2013/09/28(土) 22:42:12 ID:pMLLKHKU
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こんばんは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【 転載編… 】
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【  女性の本質  】             谷口雅春著
――― 女というもの ―――   
■ 肉體・性別は人生劇場の舞台の姿・・・・・ その②

 その一例として、先夜、林芙美子の『放浪記』のラジオ放送の一節がフッと耳に入って
きたのですが…… それは、林芙美子がアパートの部屋代が拂えないで困っていた頃の話
で、彼女を非常に愛していた青年が、その部屋代にと言って無理に置いて行ってくれた十
円札(今なら五千円程度)を、部屋代に費わずに、それ以前に尾道でカフェ―の女給をして
いた頃に関係のあった男に逢いにゆくために費うという筋でした。

 林芙美子はその中で、“とも角、あの人は私を女にしてくれた人なんだ。だから何とな
く逢いたくてたまらないんだ“というようなことを言っています。こうした感情が「女と
云うもの」にはあるものなのです。實際に恋愛を感じていないでも、一編でも肉体関係を
結んだところの男性に対しては非常に心をひかれる。それはどういう訳かと言いますと、
女性というものは生理的に、普通ならば一年間に一人しか子供を産むことができないから
なのです。

 一年間に一人しか子供を産むことができないから、男をいくら変えてみても何の役にも
立たない。結局、ただ一人なる男性、しかもやがて自分が産むべきところの子供の唯一人
なる父親になる男性を願い求める欲求が、自然に「女というもの」の恋愛感情として出て
くるものなのであります。

 恋愛と性慾とは複雑に交錯していますが、人間の性慾というものは、何のためにあるか
というと、これは人間の魂の欲望じゃないのです。聖書にも“我々が霊界へ行っても肉體
的な夫婦関係があるか“と弟子がキリストに聞いたら、”霊界へ行ったら、そういうものは
ない“と答えたとかかれていますが、結局、魂が地上に降りてきて、ある使命を果たすため
の作業服が肉体なのです。その作業服に、男と女の二種類がある。肉体が「女である」と
いうことは、その女の作業服をつけて人生劇場の舞台に現われたというわけになるのです。

 今、女に生れている方でも、必ずしも、毎回女ばかりに生れるわけじゃないのです。現
在男に生まれている人も、やがて、女に生れ変って、女でなければ體験できない體験を積む
ことによって、魂が、それまで知らなかった経験を通して磨かれるということになるのです。

 そういう訳ですから、我々の肉体というものは、人間そのものじゃなくて、人生劇場で
割り当てられた其の配役にふさわしい人間の衣装である。だから、女の衣装をつけて、この
地上に生まれてきたら、女らしく振る舞うのが、神様のみ旨(こころ)である。人生を劇場に
みれば、歌右衛門のように男であっても、女形として舞台に現れたら、女以上に女らしく振
舞うのが名優であると言われるのと同じことです。女と生まれたら、女らしくなければなら
ないのであります。また男に生まれたら男らしくなければならないのです。

                                つづく

2567 SAKURA:2013/09/28(土) 22:43:54 ID:pMLLKHKU
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【 転載編…&引用編… 】
>>2500>>2501>>2504>>2507>>2522>>2523>>2539>>2554>>2563>>2566 の 投稿の続きです…。       

【  女性の本質  】             谷口雅春著
――― 女というもの ―――   
■ 肉體・性別は人生劇場の舞台の姿・・・・・ その③

 「女らしい」と云うことはその肉體と云う衣装が示していますように、肉體の動作も、言
語も、表情も、柔く温く潤いがあってゴツゴツしていない優美な愛情のあふれた感じをもっ
ているべきなのです。

現代は戦後の反動時代で、女性が男性化しようと云う傾向が強いようですけれども、いくら
女性が男性化しても、“男性そのもの”には成り切らないで、“男性の贋(まが)いもの”が
できるばかりで、贋いものは真物(ほんもの)ほどの価値がないから、女性は女性として男
性には真似のできない優しさの愛の美徳を発揮していただきたいものであります。

                               
PS:「トキ様」 へ 「観覧者の皆様」 へ

最近〜〜〜思うのですが
【 女性化した男性の方が〜〜〜多い!! ニュハーフの時代?? 】を感じる此処昨今です。…が?
見ていますと“動作…”が〜〜〜最近!「女性…」以上に【女性らしい?】と見られる現役の方が?
いますでしょうかと?? これには〜〜〜複雑ですかと。又?この逆もありますモノ…?

例えばです。…が? 「郁子」さん……この方の最初の“イメージ!”は、失礼ながら〜〜〜最初は?
なよなよした感じの“イメージ!”個人的には抱いておりました。
どうかしますと【 男性==>女性化 】なのですが?当初は?まだまだ“荒削り…”でしたでしょうか??
処が???この頃は“磨き…”がかかった彼女?彼氏?と言いますか〜〜〜
最近みました「写真画像…」では、見る限り〜〜〜
■【ワァ〜〜〜!!こんなに、女性らしくなったの〜〜〜ネ!】〜〜〜と、思わず“賛嘆…言葉”
思わず〜〜〜或る「広告…」で見た時の私の感想でありますが、これは〜〜〜
現状の『視覚的…捉え方』となりますが〜〜〜♫ この範囲内での中からの“イメージ”を
「郁子さん・・・」らしく感じた気持です。さらには「男性…」から見た『視覚的な描写…』でしょうか??

ですので、本当に女性らしく?不思議な気持ちなのですが〜〜〜どうしても見えてしまいますかと??
平均的に、男性は〜〜〜外部上の“表面…”を造ろう傾向が?女性より強いように思えます。
その「研究…」と申しますか?「観察…」と申しましょうか〜〜〜(微笑)
ですので、ある面では【男性の眼…からの“女性像…”になるのでしょう〜〜〜ネ!】

そうしますと、やはり“生活感の無い…女性像”にある面では感じてしまいますから〜〜〜果して?
その奥底の❤【女性の特有の母性本能…本質部での“女性らしさ〜♫”】は、ないように見えてきます!!

>贋いものは真物(ほんもの)ほどの価値がないから、女性は女性として男性には真似の
できない優しさの愛の美徳を発揮<<   (一部抜粋)
◆――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――◆

まさに創立者「谷口 雅春先生の言葉」の意味が理解できますかと思う次第です。!!
ここでは〜〜〜?
■□【表 面 に 惑 わ さ れ る 事 の な い よ う に 〜♫ 】と云う事でしょうかと。

                                 再合掌

2568a hope:2013/09/29(日) 07:06:19 ID:dyDQLtZQ

▣ 無限力発揮の祈り

私は神の子である。神は無限の生命(いのち)である。
神の子たる私は神の無限の生命と、
無限の力をうけついでもっているのである。
無限の生命、無限の力をもっているものが、
疲れたり、病気になったりするはずがないのである。
それゆえに私はいくら勉強しても、いくら運動しても、
健康で、疲れるということを知らないのである。

「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2569志恩:2013/09/29(日) 09:21:29 ID:.QY5jUA6
晴れときどき競馬とホークスより

 肺結核と祖国反逆

2013/9/28(土) 午後 0:06

 祖先の霊の念波は、現実世界にいる子孫の運命に影響を及ぼすということであります。

 (1)祖先または自分に関心ある縁者の霊魂の好まないところを子孫が行えば、
    祖先または縁者の霊魂の反対観念を受けて、その人の運命が妨げられます。

 (2)祖先、または自分に関心ある縁者の霊魂が迷いにとらわれ、信ずベからざるを信じ、
    妄執にとらわれていますと、
    現実界の子孫たるわれらがその反対観念の掣肘を受けて、正しいことを行なっていても、
    それがおもしろくいかないことになるから、
    祖先の霊魂にはすみやかに真理を悟らしてあげる必要があります。


 この第一の原理により、われわれは父祖が現世になくなっていようとも
  、父祖の期待に背くということを行なえば、

  その父祖の霊魂の反対観念によって制裁を受けることになるのであります。

 さらに父祖に対して反逆の行動をとるようなことをすれば、
 必ずその子孫の運命はよくゆかないのであります。 

・・・・・ 祖国に対して反逆的行動をとろうとするような思想の人たちの健康を
調べてみると、肺結核にかかっている人が多いということを誰かが発表していましたが、

肺結核の原因は本全集の 『實相篇』 にも述べましたように、
いろいろの原因がありますから、一概にはいえない。 

 概して申せば、肺病は狭量な極端にサバク心、
切る心が自己の肉体にその形をあらわしたのでありますが、

祖国愛するをわれわれの祖先の霊魂の反対観念によって制裁されている
場合が多いことも明らかな事実でありまして、

親不孝の人に胸を患っている人が多いのであります。


                     谷口雅春師 『生命の實相』 生命篇より

2570かぴ:2013/10/01(火) 17:30:46 ID:oEnYKIyI

受ける者よりも、与える者の方が幸福である。与えると云うことには幸福感を伴う。

神の愛は「与えてやまぬ愛」であるから、与える心の中には神の愛が目覚めて来るのである。しかし受ける者があるので与える悦びが完了するのである。

だから受ける者を軽蔑してはならぬ。受ける者を軽蔑したとき、与える悦びは減ってしまうのである。

受ける者を愛し祝福する気持ちになったとき、与えた悦びは増大するのである。

与える喜びも大切であるが、何事にても受けるときに真にそれを神の恵みとして感謝するならば、受けることも大なる悦びに変化して来るのである。

自分が与える悦びばかりに固執していて、他に与えさす機会を与えないのは他の人の魂の進歩を妨げることがある。

( 谷口 雅春先生著 「幸福を招く365章」  )

2571SAKURA:2013/10/01(火) 22:22:03 ID:pMLLKHKU
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【 転載編…&引用編… 】
>>2500>>2501>>2504>>2507>>2522>>2523>>2539>>2554>>2563>>2566>>2567 の 投稿の続きです…。       

【  女性の本質  】             谷口雅春著
――― 女というもの ―――   
■ 愛は一切のものを産み出す母・・・・・ その①

アメリカのステラ・テリル・マン女史のところへ、また別の婦人訊ねてきました。そ
の婦人は、富を実現したい、金持になりたいという願いをもっていたのでした――

 彼女の叔母(寡婦)という人は、大した富豪でありました。それで、その財産の全部を
貰いたいと思った訳じゃないのですが、その叔母さんから三千弗貰って、ささやかな自分
の住宅を建てるか、又は買いたいと思っていたのです。

 ところが、最近になって、その叔母さんが或る法律家と恋愛関係になって、逢い引きを
しているという噂がある。そして、間もなく結婚するんじゃないかと言われている。もし
叔母さんが結婚して了ったら、叔母さんの死後には、その若い法律家が財産全部を後継し
て、自分には一文も入らなくなる。それでは困るので、叔母がその法律家との恋愛が破れ
て自分に三千弗を与えてくれるように、祈って下さいと言って頼みに来た訳なのです。

 そこで、マン女史は、こう尋ねました。

「ところで、あなたはその叔母さんに家を買う金をもらいたいと言ったのですか?」

「いいえ、叔母は、それはそれはけちん坊で吝嗇で何時も機嫌が悪くてとても私叔母にな
んて、そんなこと言えませんわ。言ったって、とても聞いてくれたりなどしませんわ」

「あなたは私に祈ってくれるお願いになる必要はありません」
とマン女史は答えました。
「あなたの祈り――祈りとはあなたがもっとも深く心の中で信じていることです――それ
は必ずきかれるのです。とてもけちで吝嗇で私のいうことなど決してきいてくれないとあ
なたが叔母さんのことを祈っていられる限りは、きっとその通りになるのです……」

 祈りというものはを、“何々して下さい”と泣きついて頼みこむことだと思っている人があ
りますが、常に心の中で深く信じていること、思い続けていることが、本当の祈りという
ものなのです。ですから“あの叔母さんは、けちん坊で吝嗇で、とても私になんかお金を
くれるものか。財産を譲ってくれたりするものか、三千弗も貸してくれるものか“と思っ
ていたら、それが祈りなのです。つまり“叔母さんは、けちん坊でお金を貸してくれませ
んように“と祈っているのと同じことになるのです。

                           つづく

2572a hope:2013/10/02(水) 08:01:31 ID:dyDQLtZQ

▣ 安全の祈り

神は私の魂の親さまである。
父母は私の肉体の親さまである。
魂の親さまなる神は私を内から導いて下さるのであり、
肉体の親さまなる父母は、外からいろいろの助言をして導いて下さるのである。

その導きに素直にしたがっているならばけっして危険なところに近づくことはないのである。
私は常に安全であります。

「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2573かぴ:2013/10/02(水) 11:41:18 ID:oEnYKIyI
   ○
他人が喧嘩をしているのを見るのは、自分の心の中に喧嘩があるから見るのである。

自分の心の中に喧嘩がなくなれば、他人の喧嘩も消滅する。私に対して遠隔思念をして病気を癒してくれと言って来る人があるのは私の心の中にまだ病気があるからである。

  ○
自分ひとりが浄まったなら、世界は浄まるのである。自分の心がきよまらざる故に世界はきよまらないのだ。

自分の心をきよめることによって、全世界を浄めることが出来るのである。

  ○
魂の切なる願いは、かならずかなえられる。というよりも、既にそのことがかなえられているが故に、それが切実な欲求となってあらわれるのであるとも言える。

(  谷口 雅春先生著 「叡智の断片」  )

2574うのはな:2013/10/02(水) 18:00:51 ID:91cj0URY
     カンサス・シティ

 ユニティ本部はカンサス・シティ東郊、車でおよそ30分ほどのところにある。
昭和24年市内にあった本部をここに移して、今日のユニティ・ヴィレッジができた。
1400エーカー即ち5平方坪余りの広大な敷地、中に三つの湖をもち、詩情漂う美しい田園の村を
形づくっている。

 ユニティは、1892年チャールズ・フィルモア夫妻によって創始された「人間・神の子」を説き、
キリスト教の各派の万教帰一を唱道する真理運動である。
 ユニティの発祥は1886年に遡る。その頃マートル・フィルモア夫人は大変健康を害していた。
或る春の夜のことであった。夫人は講演を聞いて帰る道すがら、ある一つの考えが心の中に何度も繰返して閃めいてくるのであった。

 その考えというのは、「私は神の子だ。だから病は本来ないのだ!」ということであった。
自分が神の子であり、神の御心は完全であるという真理が彼女の全存在を満たした。
そして神癒が直ちに始った。そして一時間もせぬうちにマートルの病弱の身体が変ってしまった。
この奇蹟の治癒体験を知った人々が彼女に救いを求めて集まって来た。そして多くの人が神のいのちに
触れて癒された。チャールズはこれを目のあたりに見て心をひかれ、夫妻協力して、すべての人の内に宿る真理キリストを通じ、
人々を健康、繁栄、幸福に導く運動に献げることになったという。

 ユニティのことについては谷口先生が夙に御紹介下さっており、生長の家との提携は久しいものがある。
しかし、谷口先生が実際にユニティ本部を御訪問になり、現教主チャールズ・フィルモア氏(創始者の孫になる)をはじめとする幹部の方々と
親交を深められたのは今回が初めてであった。

 4月13日はカンサス・シティ御到着後、直ちにユニティ・ヴィレッジを御訪問。
本部の塔、本館、年中休みなく続けられる神癒祈願局、コンピューターを導入した印刷、出版、教育部門等を視察され、更にホテル、モテル、宿舎等各種施設を
含む美しい敷地を車でご覧になった。
 更に夜御講演に先立って、教主チャールズ・フィルモア氏、教主の叔父ロウェル・フィルモア氏等にお会いになり親交を深められた。御講演はユニティ本部の講堂で開催された。

 講堂を一杯に埋めて集まった600名の聴衆を前に、先生は、ユニティを讃えられつつ、生長の家の独自の面をお話になった。その内容は浄心行、聖経の功徳、ハワイ日系二世第100大隊、442部隊の偉勲、
『心と癌』所載の奇蹟的治癒体験、中心帰一、夫婦調和と広い範囲にわたり、聴衆ひとしく感銘したのであった。

    『真理は民族を超えて』 P20−21

2575a hope:2013/10/03(木) 09:06:19 ID:Zlo2YeaM

▣ 幸福な家庭の祈り

私の家は神の子の家、神の子の家は神に愛され、神に護られているのであから、
いかなる悪しきことも近づいてこないのである。

父母も兄弟もみな神の子であって、
悪い人は一人もないから争いはけっしてなく本当に幸福なのが我が家である。

「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2576うのはな:2013/10/03(木) 16:39:41 ID:AgGUbAB6
      再開された巡錫 『こころの旅路』 谷口恵美子 先生編著

 戦後の巡錫は、終戦の翌年、昭和二十一年から始まりましたが、交通事情も悪く、長期の本格的な
巡錫が再開されますのは、昭和二十二年の五月からでした。この二ヵ月前に父は福岡に行っていらっしゃいます。

    昭和二十二年三月二十一日  福岡から東京へ
      輝子様      雅春

 昨年の十二月も今年の一月も、そして三月十八日の出発の九州講習会も私が出発する日になると、急に温度が高くなるのである。
私は恵まれてゐる気がする。私はまだ若い気持ちでゐるけれども、既に還暦を過ぎた私は、もつと身体を大事に取扱はなければならないと
深切に誠心をもつて注意して下さる人もあるので、汽車もあまり遠距離は成るべく一気に飛ばないことにしてゐるのである。
私が一日多く長生きしてゐることは、それだけ人類にとつて何等かの貢献をなし得ると信じてゐるからである。

 人間は「生命」であつて物質ではないから、肉体など大切にする必要はないと云ふことはないのである。
人間が念の力によつて、地上生活の営みのための道具として「肉体」を物質的にあらはした以上は、その肉体は或る程度物質界の法則に
支配されるである。足の裏は使へば使ふほどその皮膚は厚くなり、ただの物質の摩滅の法則とは異るやうにあらはれる。

 それは生命が働いて「物質の法則」を超えながら、「物質の法則」を利用して新たに細胞組織を増殖するからである。
しかし「生命」が細胞を新たに増殖することが出来る以上に、足の裏の皮膚を磨滅させたら、皮膚はやぶれ肉は露出し擦過傷を生ずるのである。
例へば、目の疎い鑢で間断なく擦つたら、幾ら部厚い足の裏の皮でも破れて血が出るのである。
肉体はただの物質ではないから、単なる物質の磨滅の法則には従はないが、同時に物質として物質の法則に従ふ面もあるのである。

 だから吾々は食物も食べねばならないし、入浴すれば垢も落ちるのである。
単に精神統一をして「吾が身体は清浄なり」と念じても、一年に一回も沐浴しないでは垢はとれないのである。
何でも心で思ふとほりになると云ふので、物質の法則を全然無視してしまふのは極端な観念論であつて、生長の家の唯神実相論ではないのである。

 唯神実相論と云ふのは、実相界には既に完全な世界(人間及事物を含む)があつて、それが「念」を媒介として自然界(物質界現象界)にあらはれて来ると
云ふのである。例へば私の出発する日になると大寒中でも稍々暖かくなり、旅行しやすくなると云ふ風にである。
「何もしないでただ精神統一して念じてをれ」と云ふのではない。精神統一して念ずることは、一定時間にやるが、それを契機として、現象界には生命の「自然に動きたい衝動」が
起こつて来て、現象界に自然に「行動」及び「生理作用」「自然のめぐり合せ」等としてあらはれるのであり、「念」が正しい程度に従つて吾々の「行動」や「生理作用」や「自然のめぐり合せ」が
順潮に行くやうになるのである。これを私は嘗て「生活の円滑化現象」として
『生命の實相』に書いたことがあるのである。

 自然によき食物が口中の入るやうになり、自然に環境が整ひ、天候なども自然の巡り合はせがよくなるのである。
「何もしないで念じてゐる」のではなく、行動と「発して行ふことが悉く節に中るやうになる。これを自然の和と云ふ」(「中庸」による)
のである。「無量の勝方便は実相を想ふより得」(普賢菩薩行法経による)であつて、何の方便もないのではなく、最も適当な方便があらはれて
来るのである。

 兎も角、現象界の知恵を無視するのが実相智のあらはれではない。現象界の最も勝れたる知恵が湧いて来るのが、実相に一致したときに得られる結果なのである。
だから無理に頑張つて鑢で皮膚を擦り減らさねばならぬことはないと同じやうに、無理に肉体を駆使しなければならぬと云ふこともないのである。
と云つて懶けて労力を惜しむと云ふのも感心しないのである。そんな訳で私は、帰心矢の如き帰京の時以外は夜汽車を使はぬことにしてゐるのである(下略)

2577かぴ:2013/10/03(木) 17:24:34 ID:oEnYKIyI

   ”光は暗(やみ)を消す”

子供は暗を恐れる、

しかし本当は恐るべき何物もないのである。

光をとぼせば暗が消える。

光をとぼさないでいて、”暗を恐れるな”といっても、

それは子供には無理なのである。

人類はまだ子供である、

彼らには光が必要なのだ。

真理の光が必要なのだ。

真理の光をもっているのはあなたではないか。

(  谷口 雅春先生著 「神と倶に生きる真理365章」  )

2581うのはな:2013/10/05(土) 13:38:13 ID:l9K9RG/Y

「身体も国も共に、観る者(主体)から反映せられる世界(客体)である。観る心の要請が身体に於ては脳髄の
存在となり、国に於ては永遠の元首なる、無にして絶対であり、一切の主であるところの天皇の存在を要請するのである。
天皇の神聖性は、人間自身の生命が神聖であるところから来る.......」

 この神示によりますと、観られる対象は、「観る心」の反映であり、その感情想念又は自覚が、対象に移入されて、対象をそのように
感ずるのでありますから、吾々が国家に於ても、「変らざる永遠の中心者」を要請するのは、人間自身の生命に「変らざる永遠の中心者」を
要請する理念があるからであります。

 人間自身の生命に「変らざる永遠の中心者」を要請する理念が宿っているのは、人間生命をつくった「大生命」(神)御自身に、「変らざる永遠の中心者」を
要請する根本要求があるためであって、そのためにすべての造られたる物には「変らざる永遠の中心」が備わっているのであります。
即ち原子には原子核があり、細胞には細胞核があり、樹木には幹があり、人間及び高等動物には脳神経中枢があり、太陽系統には太陽という「永遠に変らざる中心」があるのであります。

 このような宇宙萬物を造った「大生命」の生命を宿し生れている人間の心の中に「変らざる永遠の中心者」を求める要請が宿っているのは当然のことであります。
だから、「観る心の要請が、身体に於ては脳髄の存在となり、国に於ては永遠の元首となる、無にして絶対であり、一切の主であるところの天皇の存在を要請するのである」と
示されているのであります。
 この神示に於て注目すべき点は「無にして絶対であり、一切の主であるところの天皇」とあることであります。

天皇は単に「一切の主」であるだけではなく、「無にして絶対」なのであります。
他の国の色々の人間団体にも中心者や主宰者はあります。しかし「無にして絶対」なる中心者は殆ど全く存在しないのであります。
だから常に権力争いが附き物であり、権力候補が選任争いをするか、実力闘争によって中心者の座を占めようとするのであります。

 ところが日本天皇に限り、権力争いというようなことがない。自己を主張しようとはせられないし、対立がないのであります。だから「無」なのであります。

   『秘められたる神示 神示講義 秘の巻』 谷口雅春 先生著

 (原文旧漢字、旧かな遣い) 投稿者現代字に変更入力  拝。

2582SAKURA:2013/10/05(土) 17:37:29 ID:pMLLKHKU
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【 転載編…&引用編… 】
>>2500>>2501>>2504>>2507>>2522>>2523>>2539>>2554>>2563>>2566>>2567>>2571 の 投稿の続きです…。       

【  女性の本質  】             谷口雅春著
――― 女というもの ―――   
■ 愛は一切のものを産み出す母・・・・・ その②

叔母さんから、お金をも貰おうと思ったら、“叔母さんはとても寛大で裕で恵み深くて、
貧乏人にお金をやるのが好きで……“という風に念ずれば、叔母さんが心広々と豊かな気
持ちになって、お金でもくれることになるわけです。

 マン女史は、続けて、こう言われたのです。

「叔母さんのことなど忘れてしまいなさい。自分の運命は自分で掌中にあり、自分の心
の通りに成就するのです。先ず自分が変ることが必要なのです。受けるためには与えなけ
ればなりません。それが法則です。」

 ここが大切なところです。与えないでいて、受けようというのは、泥坊です。銀行へ行
ってごらんなさい。預けてない金を貰おうと思ってもくれません。だから、買おうと思っ
たら、与えなければならないのです。

 だからマン女史は、その婦人に言われた。

「所で、あなたはその叔母さんに、その叔母さんでなくともこの世界に、何か与えるべき
ものをもっていらっしゃいますか。他の人では与え得ないような、あなたでなければ与え
ることのできないようなものを?」

 これも亦大切な点です。誰でもが、ざらに与えられるようなものでは、本当の値打がな
いのです。神様がこの地上に別々の顔をして、別々の個性をもった人間を生み出されたの
はその人でなければならない価値=値打を創り出して人生に与える使命のためなのです。

 だから、その人でなければ与えることのできないようなあるものをもっていますか。与
えることができますか、マン女史は聞いた訳なのです。

                            つづく

PS:「トキ様」 へ 「観覧者の皆様」 へ

そう〜〜〜ですネ!『 与えよ!さらば与えられん! 』
「生長の家…」では〜〜〜必ず!信者として“真理の言葉…”の代表たる“コトバ…”でしょうか?
「神様…」からの【無現供給をいただく…!】のは、「神様」との“パイプ…”をしっかり……
バトンする事と思うのです〜〜〜ョネ!!

「マン女史」の文章の中から『預けてない金を貰おうと思ってもくれません。だから、買おうと思っ
たら、与えなければならないのです。…云々…』そうなのです〜〜〜ョネ!!

■それと同様に、【 普及活動… 】も今までの“供給…”が枯れていましたら、当然ながら
“普及…”も枯れているわけですから??此処で“元…”をただせば「ステラ・テリルマン女史」の
おっしゃる通りに、先ず!【 銀行に行ったら、預ける事からスタート…!預けることは???
人に与える事と!!】これは?分かりやすい【法則の論理観】を私どもに説いて下さいましたかと。
個人個人の“個性…”もありますでしょう。…が?まず!!〜〜〜♫
『 与えよ!さらば与えられん! 』この“法則の展開”からでしょうか??当に【スタート…!!】

此処で自問自答しながら
❤【私の使命…は???】と今!今!今!〜〜〜私の「ベストフレンド」と?問いかけ中???

 それでは“次回”ヘ…

2583a hope:2013/10/06(日) 08:16:50 ID:Zlo2YeaM

▣ 霊長の祈り

神さま、あなたは宇宙のすべてのものをお造りになりました。
すべてのものは神さまから生まれたのであります。
そのなかで人間は万物の霊長として、最もすぐれた知恵を与えられ、
すべてのものを自分の兄弟として、どんなものでも大切にあつかうのであります。
大切にするものはこわれないで長持ちします。
ありがとうございます。

「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2584かぴ:2013/10/06(日) 17:44:39 ID:oEnYKIyI

    神にこうして導きをうけよ

 人間のなすべきことは空っぽになることである。自分が空っぽになってその中に神の御心を入れ、自分は唯道具になって神の御心通り動くと云うことである。

「借金なら支払ったら好い。お前には支払えないかも知れないが神なら払える。今日からお前の商売を自分の商売だと思わず、神の商売だと思い、お前は神の番頭となれ、そして神のお指図のままに動くのだ。」

このやり方が即ち自分が空っぽになって神の御心通りに動く生活である。神は全智にして全能なるが故にその導きに間違はない。

( 谷口雅春先生著 「新版 幸福を招く365章」 )

2585a hope:2013/10/07(月) 07:48:35 ID:Zlo2YeaM

▣ 神への感謝の祈り

神さま、毎日のお導きとお護りとに感謝いたします。
神さまあなたは私に必要な日光も空気も水も食物も、あらゆる必要ないろいろの物も、
私がお願いする前からゆたかに与えて下さっているのです。
おかげで私はこうして今日まで生かされて生長してきたのです。
感謝がおくれてすみません。
神さま本当にありがとうございます。

「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2586a hope:2013/10/08(火) 09:10:41 ID:Zlo2YeaM

▣ 進歩の祈り

神さま、私は神の子であります。
神は無限の知恵と能力とをもっておられ、それが常に進歩というすがたで形にあらわれてまいります。

私も神の子として、神の無限の知恵と能力を内にやどしていて、毎日それが進歩というすがたで形にあらわれてまいります。
ありがとうございます。


「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2587a hope:2013/10/09(水) 08:43:05 ID:Zlo2YeaM

▣ 努力勉強の祈り

神は私たちの親さまであり、私たちの生命は神より来ったのである。
神は天地万物をつくりたもうてから、
今日にいたるまで常に働きたもうてけっして休みたまうことはないのである。
それゆえに地球は自転し公転し、春夏秋冬はめぐり来たって美しい景色は生じ、
豊かに作物は実るのである。
それゆえ、私も休みなく勉強するのである。

「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2588かぴ:2013/10/09(水) 11:35:03 ID:oEnYKIyI

あなたは何らかの使命を神から与えられ、何らかを神から尽すべく命ぜられて此世に生まれて来たのです。

自分の使命が何であるか、あなたはまだハッキリお判りににならないかも知れません。しかしあなたが今いられる其処にあなたが全力を尽すと云うことが、今のあなたの使命なのです。

それはもっと大なる貴方の使命に比べたら、唯の踏台にしかならないような小さな使命であるかも知れません。

併しあなたはその踏台である使命を通過することによって、更に一層大なる使命の座につくことが出来るのであります。と云って、現状の状態に甘んぜよと云うのではありません。

現在を忠実に尽す者のみ、次の昇進の機会があたえられ、また機会が来たときに、その機会を摑む能力が練成されていることになるのであります。

  ( 谷口雅春先生著 「新版 幸福を招く365章」 )

2589SAKURA:2013/10/09(水) 20:33:08 ID:j7IGF7Cw
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【 転載編…&引用編… 】
>>2500>>2501>>2504>>2507>>2522>>2523>>2539>>2554>>2563>>2566>>2567>>2571>>2582 の投稿の続きです…。       

【  女性の本質  】             谷口雅春著
――― 女というもの ―――   
■ 愛は一切のものを産み出す母・・・・・ その③

 婦人は、こう答えました。
「何ももっていません。私は貧しいのです。私には四人の幼い子供があるんです。叔母は
大きな家に住んでおって、召使を沢山雇っているし、使っても使いきれない程のお金をも
っているんです。所があの狡猾な法律家が叔母に愛情を感じているかのように見せかけ
て、叔母をたぶらかそうとしているんです。叔母は淋しいもんですから、その法律家と一
緒に散歩に出掛けたりなどしているのです……」

「そんな男女的な愛情を別として、あなたはその叔母さんの唯一の生きている血縁なのだ
から、あなたには、あなたでなければ与えることのできない肉親のものからの愛情がある
筈だ。それを与えるのには、金がなかったら与えられないとか、貧しくては駄目だなどと
いうことはない。一文もなくても、叔母さんに対して優しい言葉、深切な行い、親身な思
いやりというようなものは、与えようと思えば与えられる。叔母さんも本当は、そのよう
な愛情を受けたいのが本心なんですよ」
とマン女史は言われました。そして、

「真理の生活をその叔母さんに対して実践してごらんなさい。愛行をしてごらんなさい。
それを実践するのにお金を目的にしたり、何かの種類の助けを求めてはなりません。天と
地とを創った宇宙大生命、そして凡ゆるよきものとよき考えとで満たされている大生命に
求めるのです」
と、 善きことを与えておいたら、それが天の倉に貯えられる、その天の倉なる大生命に
蘄田=蘄の田として貯えられるのだから、叔母さんに対して無条件に、貰おうと思わない
で、天の倉に貯えられるために、叔母さんの求めている、唯一の肉親の者としての愛情を与え
てあげなさいということを教えられたのです。

“愛情讃歌を与えなさい。叔母さんを勇気づけるような優しい讃め言葉で、出来るだけ叔
母さんの善き性質をみつけるように努めてあげなさい。叔母さんも神の子であって凡ゆる
善き性質をもっているんですよ“とマン女史は訓えました。ところが、彼女はこんなこと
を言いました。

「叔母さんが、あんななのに、私が叔母さんにそんなに深切にしなければならない理由が私
わかりませんわ」
                             つづく

2590SAKURA:2013/10/09(水) 20:40:13 ID:pMLLKHKU
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【 転載編…&引用編… 】
>>2500>>2501>>2504>>2507>>2522>>2523>>2539>>2554>>2563>>2566>>2567>>2571>>2582>>2589
の投稿の続きです…。       

【  女性の本質  】             谷口雅春著
――― 女というもの ―――   
■ 愛は一切のものを産み出す母・・・・・ その④   【引用編…】
>>2589投稿の続きです…。

PS:「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ

■今日のお話から〜♫
過去にさかのぼりますが〜♫ 当時!或る「東京の教化部長」の事を思い出します。
❤〜【 その教化部長先生の体験談なのです。…が? 】
それは『青年会の頃…』その時の事です。当時!御年配で、身寄りのいない方でしたでしょうか?
但し、身体が不自由なご様子でしたので、御夫婦二人で…つまり「奥様…」と一緒に【介 護!】を
なされたようです。この時、先生は、全ての介護を〜〜〜したそうです。…が?
今日の【介護…】と同じく、【その全部の介護!!】でしたかと。相手の方は、身寄りがいない事…ふびんに
思われ、更に、寂しく「あの世」に行かせる事は、出来ないと、当時!純粋なる気持で、
『青年会で出会った奥様』と一緒に【介護の日々…】ですかと。その後、とうとう亡くなられて…><
この時に、相手の方(この方…)がなされた“真心…”は、この“お礼…”として、全て〜〜〜
当時でいいますと〜〜〜私が若い頃ですから「昭和40年〜〜50年代」になるのでしょうか??

その頃!【遺産の土地…?お金…?】をいただき!金銭価値として『一億…』いただいたそうです。
この様な事をお聞きしましたが?この頃で❤【 奇 蹟 】と騒いでいましたようです。…が??

■「ステラ・テリルマン女史…」での答弁では〜〜〜??【当たり前…】と言われそうですネ!
当時の私は“スゴ〜〜イ!”と思って、何で?如何して?そのような“大金…”が入るのでしょうか??
…と、ひそかに思いましたので〜〜〜す。…が?今!ようやく分かるようになりました。

【お金…】この希望成就でしたら?当然ながら、その前提として「神様の御心に叶った願い…」である事は?
いうまでもありませんが 〜♫ 当に!
■「与えよ!さらば…与えられん」の法則……にのる事でしょうか??

「トキ様…」は、このお話を御存じですかと思うのですが〜〜〜?尚!このいただいた【お金…】の一部は、
現在の「生長の家…献金」なさったとの事を耳にしております次第です。…が?この先生でも「献金…」後は?
「末端信者・・・」ですから〜♫ 気になりますのは・・・!
今ではこの「教化部長先生」は、何処にいらっしゃいますのでしょうか???知るよしもありません。…が?

                                                                再合掌

2591a hope:2013/10/10(木) 07:58:08 ID:Zlo2YeaM

▣ 堅忍不抜(けんにんふばつ)の祈り

私は″神の子″である。
神の子にとっては、すべての出来事が、自分が向上し進歩し、きたえられる好機会なのである。
悦びが来るときは、私の魂が明るくなる好機会であり、
試合や勝負やテストのあるときには、私の中にある″無限力″が呼び出される好機会であり、
困難が来たり、だれかが圧迫を加える時には、忍耐の力を養成する好機会である。
私は決してくじけることはないのである。

「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2592a hope:2013/10/11(金) 07:56:01 ID:Zlo2YeaM

▣ 感謝の祈り

毎日毎日が″神の日″である。
なぜなら、神はすべての造り主であって、すべての日は神によって造られ、
神によって祝福され、神によって護られ、神によって運行せしめられているからである。
それゆえに毎日毎日は善き日であり、幸福の日であり、成功の日であるのである。
このことを神に感謝したてまつる。
ありがとうございます。

「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2593かぴ:2013/10/11(金) 18:13:26 ID:oEnYKIyI

ある人は毎日必ず五人以上の隣人を祝福してあげることにしたという。その祝福は心の中で、「神よ彼に本当の幸福を与え給え。彼は神の愛に守られて本当に幸福になります」と静かに合掌するような気持ちで一二分間祈ってやるだけのことであるが、それは誰も知らない所の本当に隠れたる愛の奉仕であるのである。

けれども、このような祝福が目に見えないだけにかえって尊いのである。

もし全世界の人間が、このような気持ちで隣人を、そしてどこの国の国民をも祝福してやる気持ちになれば全世界に戦争というようなものは再び起こらないのである。こういう小さい行ないの中に本当の報い求めぬ与えるばかりの愛があるのである。

そしてそれは神の前に大いなるものとせられるのである。

( 谷口雅春先生著  信仰の活人剣【「生活と人間の再建」より】 )

2594かぴ:2013/10/12(土) 14:01:54 ID:oEnYKIyI

他の人を扱うのに冷酷をもってしてはならない。他に冷酷なものは、酷(きび)しく人を縛るがゆえに自分自身の組織を縛られて、組織が硬くなり、血管が硬化して老衰するのである。

老衰しまいと思うならば柔かな温い愛深き心を常に保っていなければならない。愛は潤滑油としてあらゆる部分の摩擦をやわらげ、組織を柔軟にし、生理作用を円満にするのである。

他に対する心は直に自己に帰って来るものであるから、人につめたければ自分の身体も冷たくなり「冷え」に関連する病気を患うのである。

手足が冷えるのは手足(部下とか家族とか)に冷たい証拠であり、腰が冷えるのは夫婦関係がつめたい。お腹が冷えるのは、人々との仲が悪いのである。みんな自分の心の影である。

( 谷口雅春先生著  「新版 幸福を招く365章」より )

2595うのはな:2013/10/13(日) 20:46:46 ID:fKKb1Zok
   金婚、喜寿を迎えて  昭和四十年代

 金婚奉告式 本部にて(昭和四十五年十一月二十二日 谷口雅春先生七十八歳 輝子先生七十五歳)

   金婚の夫婦たたえて 祝福の いのち 花降る 千代に 生きよと
  
                               雅春
                               輝子

《 ・・・・・五十年前の春五月、私たちは婚約をした。
  その時、結婚式はいつにしようかと相談した。相手の人は「僕の誕生日が一番良いですよ」
  と言われた。大安も、黄道吉日も問題ではなかった。当時は、一枚の着物に縄の帯をしめていた
  ような貧しいその人が「僕の誕生日が一番良い」と言われた時、私は不思議な気がしてその人の
  顔を見つめた。大安が良い、仏滅が悪いという世間の常識を無視して、自分の誕生日が一番良いと
  いうこの人は、ずいぶん自信があるのだなあと私は思い、そのまま素直に同意したものであった。
  ・・・・・四十五年十一月の金婚式は、五十年前とは雲泥の差であって、生長の家本部道場で挙式され
  白髪まじりの夫と私とは、新調の紋附を着て、「實相」の掛軸の前に頭を垂れた。
  その二人並んで立った背後には、階下も階上も信徒でいっぱいであり、二階の後方には立っている人も
  沢山居られた。老いも若きも、男も女も、みんな私たち二人を祝福して、清らかな眼を輝かして見つめて居られた。》

 (『人生の光と影より』) 『光を見つめて』 谷口輝子先生九十年の足跡 編集・発行 生長の家温故資料館

2597a hope:2013/10/15(火) 07:19:50 ID:Zlo2YeaM

▣ 完全の祈り

今わたしは自分のいのちが神のいのちを、父母のいのちを通していただいたことを知ったのであります。
だから私は父母の子であると同時に″神の子″であります。
″神の子″というのは、神の生命がわたしに宿っていることでありますから私は完全であります。

「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2598a hope:2013/10/16(水) 07:29:11 ID:Zlo2YeaM

▣ 進歩の祈り

私は神の子である。
だから無限の力が私の内にはやどっているのである。
その無限の力が常にますます多く発揮されるがゆえに、私は常に進歩するのである。
神の力は、学校でも家庭でも、山でも海でも、ますます発揮されるのである。

「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2599a hope:2013/10/17(木) 08:33:06 ID:Zlo2YeaM

▣ 調和を得る祈り

神は愛であります。
神は調和によってまっとうせられます。
調和のないところには争いや憎しみや嫉妬があって愛はありません。
神は愛であり、愛は調和であり、私は″神の子″でありますから、
私はすべての人々に調和してなんでも行います。
他の人が私に反対をとなえれば、その人が調和してくれるように祈ってけっして争いません。
したがってその人もきっとわたしの味方になってくれます。
ありがとうございます。

「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2600SAKURA:2013/10/17(木) 10:39:22 ID:FIUIhwU2
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんにちは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【 転載編…&引用編… 】
>>2500>>2501>>2504>>2507>>2522>>2523>>2539>>2554>>2563>>2566>>2567>>2571>>2582 の投稿の続きです…。       

【  女性の本質  】             谷口雅春著
――― 女というもの ―――   
■ 愛は一切のものを産み出す母・・・・・ その③

 婦人は、こう答えました。
「何ももっていません。私は貧しいのです。私には四人の幼い子供があるんです。叔母は
大きな家に住んでおって、召使を沢山雇っているし、使っても使いきれない程のお金をも
っているんです。所があの狡猾な法律家が叔母に愛情を感じているかのように見せかけ
て、叔母をたぶらかそうとしているんです。叔母は淋しいもんですから、その法律家と一
緒に散歩に出掛けたりなどしているのです……」

「そんな男女的な愛情を別として、あなたはその叔母さんの唯一の生きている血縁なのだ
から、あなたには、あなたでなければ与えることのできない肉親のものからの愛情がある
筈だ。それを与えるのには、金がなかったら与えられないとか、貧しくては駄目だなどと
いうことはない。一文もなくても、叔母さんに対して優しい言葉、深切な行い、親身な思
いやりというようなものは、与えようと思えば与えられる。叔母さんも本当は、そのよう
な愛情を受けたいのが本心なんですよ」
とマン女史は言われました。そして、

「真理の生活をその叔母さんに対して実践してごらんなさい。愛行をしてごらんなさい。
それを実践するのにお金を目的にしたり、何かの種類の助けを求めてはなりません。天と
地とを創った宇宙大生命、そして凡ゆるよきものとよき考えとで満たされている大生命に
求めるのです」
と、 善きことを与えておいたら、それが天の倉に貯えられる、その天の倉なる大生命に
蘄田=蘄の田として貯えられるのだから、叔母さんに対して無条件に、貰おうと思わない
で、天の倉に貯えられるために、叔母さんの求めている、唯一の肉親の者としての愛情を与え
てあげなさいということを教えられたのです。

“愛情讃歌を与えなさい。叔母さんを勇気づけるような優しい讃め言葉で、出来るだけ叔
母さんの善き性質をみつけるように努めてあげなさい。叔母さんも神の子であって凡ゆる
善き性質をもっているんですよ“とマン女史は訓えました。ところが、彼女はこんなこと
を言いました。

「叔母さんが、あんななのに、私が叔母さんにそんなに深切にしなければならない理由が私
わかりませんわ」
                             つづく

2601SAKURA:2013/10/17(木) 10:41:13 ID:FIUIhwU2
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんにちは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【 転載編…&引用編… 】
>>2500>>2501>>2504>>2507>>2522>>2523>>2539>>2554>>2563>>2566>>2567>>2571>>2582>>2589
の投稿の続きです…。       

【  女性の本質  】             谷口雅春著
――― 女というもの ―――   
■ 愛は一切のものを産み出す母・・・・・ その④   【引用編…】
>>2589投稿の続きです…。

PS:「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ

■今日のお話から〜♫
過去にさかのぼりますが〜♫ 当時!或る「東京の教化部長」の事を思い出します。
❤〜【 その教化部長先生の体験談なのです。…が? 】
それは『青年会の頃…』その時の事です。当時!御年配で、身寄りのいない方でしたでしょうか?
但し、身体が不自由なご様子でしたので、御夫婦二人で…つまり「奥様…」と一緒に【介 護!】を
なされたようです。この時、先生は、全ての介護を〜〜〜したそうです。…が?
今日の【介護…】と同じく、【その全部の介護!!】でしたかと。相手の方は、身寄りがいない事…ふびんに
思われ、更に、寂しく「あの世」に行かせる事は、出来ないと、当時!純粋なる気持で、
『青年会で出会った奥様』と一緒に【介護の日々…】ですかと。その後、とうとう亡くなられて…><
この時に、相手の方(この方…)がなされた“真心…”は、この“お礼…”として、全て〜〜〜
当時でいいますと〜〜〜私が若い頃ですから「昭和40年〜〜50年代」になるのでしょうか??

その頃!【遺産の土地…?お金…?】をいただき!金銭価値として『一億…』いただいたそうです。
この様な事をお聞きしましたが?この頃で❤【 奇 蹟 】と騒いでいましたようです。…が??

■「ステラ・テリルマン女史…」での答弁では〜〜〜??【当たり前…】と言われそうですネ!
当時の私は“スゴ〜〜イ!”と思って、何で?如何して?そのような“大金…”が入るのでしょうか??
…と、ひそかに思いましたので〜〜〜す。…が?今!ようやく分かるようになりました。

【お金…】この希望成就でしたら?当然ながら、その前提として「神様の御心に叶った願い…」である事は?
いうまでもありませんが 〜♫ 当に!
■「与えよ!さらば…与えられん」の法則……にのる事でしょうか??

「トキ様…」は、このお話を御存じですかと思うのですが〜〜〜?尚!このいただいた【お金…】の一部は、
現在の「生長の家…献金」なさったとの事を耳にしております次第です。…が?この先生でも「献金…」後は?
「末端信者・・・」ですから〜♫ 気になりますのは・・・!
今ではこの「教化部長先生」は、何処にいらっしゃいますのでしょうか???知るよしもありません。…が?

                                              再合掌

2602a hope:2013/10/18(金) 08:11:30 ID:Zlo2YeaM

▣ 人々に愛される祈り

私は″神の子″である。
″神の子″であるから、″神″なる親さまの″光の心″が宿っているのである。
その光は愛の光である。
私の心は神の愛の光に照らされて、すべての人々のあやまちを赦すことができるのである。
愛の光の行くところ、憎しみの暗(やみ)は消え、すべての人々となかよくなることができるのである。
私はすべての人を愛するがゆえにすべての人に愛されるのである。
ありがとうございます。

「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2603うのはな:2013/10/18(金) 18:03:59 ID:csrtWQ46
   「わたしは金剛不壊である。わたしは不変である。わたしは生命そのものである」

『無限の生命』 浄め

 日本人は早くから海は神聖なものと信じて来た。禊や祓をすれば身のけがれが取り除かれるものだと
疑わなかった。藻塩や塩を浄めのために使うのは、すでにわれわれの中で日常化している。
 われわれ日本人は海から生まれ育ち、海と共に生きてきました。周りを海に囲まれた環境からいって自然のことです。

 その海にみなぎる水は水平に平等に横たわり極まるところがありません。
そして清らかに澄む水に穢(けがれ)を除く神秘さがあると昔から信じられてきました。
 水に身体を浸し、身体についた穢れを洗い流す禊(みそぎ)はその精神を端的に物語ったものです。
海水から生まれる塩にも神聖さがあるとするのは水の浄化力を具象化したものです。

 あるいは海藻や潮水を神前にささげるのは、塩が穢れをはらうと信ずるからです。
所によっては潮水のかわりに海砂や川砂を使います。それが「お潮井」の行事です。
われわれの日常を見回してみましょう。相撲の仕切りの時に力士がまく塩。弔いのあとに五体を清める浄め塩などの
習俗が思い出されます。

 また瀬戸内海や九州の漁村では一家の主人が早朝、浜辺に行き潮水桶に海水を汲んできて神棚に供えたり、門前にまいて
辺りを浄める風習があります。農村の中には早稲の刈り入れの時、最初に刈る稲に潮井をかけ「神の穂」にする儀礼が残っています。
先にふれたみそぎの例ですが、祭礼の前に潮掻(しおかき)といって、潮垢離(しおごり)つまり潔斎をする習わしが、ほうぼうの漁村で見られます。
この「浄」のイメージは、われわれの古典「古事記」や「日本書紀」の中のイザナギ、イザナミの神の物語りに見ることができます。

 イザナミの神は火の神を生んだので黄泉国(よもつくに)に帰りました。
イザナギの神はその后(あと)を恋しく思い黄泉国に行ってみると、そこは暗黒と汚濁の世界です。
イザナギの神は奥へ行き、頭にさしていた櫛の歯の一本を折って火を灯し、中をご覧になるとイザナミの神の体にウジがいっぱい湧き、頭、胸、腹などに
八種の雷神がいる、といったものすごさです。イザナギの神は一生懸命になって、そこを逃げ出されました。

 生と死の戦いからやっと解放されたイザナギの神はいのちの根源である心身を浄めねばなりません。
明かるく健やかな生命こそ、限りない幸せを生み金剛不壊(こんごうふえ)の境涯をささえるものだからです。
イザナギの神は禊(みそぎ)の場所を求めて筑紫(つくし)の日向(ひむか)橘の小戸の阿波峡(あはき)が原に行かれました。

 筑紫は日本文化の発生の地であり、日向はやがてさし昇る太陽を迎えることのできる陽明の方角であり、橘は良き今の続く常世(とこよ)の
めでたさを象徴する霊木であり、その青々として緑なす地帯が阿波峡(檍)が原だったのです。
 イザナギの神は、その神聖な海辺の中つ瀬を選んで身を沈め、体についたけがれを振り落して浄められました。
すると最初はマガツヒノカミなど汚い神々が生まれました。

 禊祓というのは洗濯ですから汚い汁が出るというわけです。最後に生まれたのがウワツツノオ、ナカツツノノオ、ソコツツノオの
三柱の神でした。「古事記」では「三柱の神は、墨江の三前の大神なり」と書いています。
これが住吉の大神で禊ぎという浄めによって天照大御神が誕生されました。

   希望をもて夢を描け そして前進せよ  生長の家 』

○このような全面広告が西日本新聞にも長崎新聞にも出たのである。

 (原文旧漢字・旧仮名 投稿者 現代字に変更)

2606うのはな:2013/10/20(日) 22:32:54 ID:tk5vccSQ

  国のいのち 人のいのち
  http://blogs.yahoo.co.jp/vanon32

2607かぴ:2013/10/21(月) 11:27:29 ID:oEnYKIyI

心と行動に太陽を持て

あなたは一分一秒といえども、暗い想念や陰鬱な感情で自分の心をみたしてはならないのである。常に積極的に、前進的に、物を考え、明るい心をもって、常にいまよりも一層善き状態が顕れて来ることを信じて、勇気を以って仕事に取りかかるのがよいのである。

あなたは、あなたの仕事を金銭の価値をもって考えてはならない。あなたは自分の”生命エネルギー”を情熱をもって献(ささ)げなければならない。

豊かに献げることをもって歓びとせよ。豊かに献げるとき、報い求めずしてかえって一層大なる報いが返って来るのである。

( 谷口 雅春先生著 「信仰の活人剣」より )

2608SAKURA:2013/10/21(月) 21:57:58 ID:A5psoVbE
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【 転載編…】

■□ 今日は、久しぶりに「生命の実相」を“37巻”からの〜〜〜投稿とさせて頂きます。

   二 月 十 日
 
憎みながら叱る心で軽く打つと子供は泣く。同じ強さで打っても愛撫する心で愛慰(あいい)
すような形で打ったら子供はかえって喜ぶだろう。痛さは心にあるからである。

 かって野村義隆さんが道場で指導していた朝のことである。禅家の道場破りを仕事に
しているような物凄い格好の修行者が来た。そしてたずねた。
「生長の家では肉体は無いというんですね。」
「そうです。」
「痛みは心にあるんですね。」
「そうです。」
「では痛みは肉体にはないんですね」。」
「そうです。」
「それではあなたの肉体を打っても痛くありませんね。僕はこれから君を打ってやる!」
殺気がその修行者の眼から一閃、野村さんの方へ走った。そのままいたら野村さん
を殴りでもしかねるまじき姿勢である。

 と、たちまち野村さんの方が起ち上がってその修行者の方へ近づいていったかと思う
と、ピシリとその修行者の頬を打った。痛いか痛くないか冷暖を自知せよというのにあ
ったらしい。やがて野村さんは元の座へ還って来て、何事もなかったように別の修行者
と話していた。

 野村さんが打たなかったら、野村さんは修行者に打たれていたかもしれない。野村さ
んの気魄の方が修行者の気魄に打ち勝ったので修行者がうたれたのあった。
 打つ心は打たれなかったら、野村さんは修行者に打たれていたかもしれない。野村さ
んの気魄の方が修行者の気魄に打ち勝ったので修行者が打たれたのであった。

 打つ心は打たれる心である。打つことを心に描けば、その念(こころ)は形と表れて相手
を打つ。相手の気魄が強ければ、それはかえって自分自身に還ってきて自分自身を打つので
ある。阿難が釈尊に対って人を憎んだ心を相手が受けなかったら、その憎んだ心はどこへ行
きますかと尋ねたときに、釈尊は「お前は贈り物を人に持っていった時に相手がそれを受け
取らなかったらその贈り物は誰のものになるか」と問い返された。阿難は「それは贈った
人に返ってきます」と答えた。釈尊は「人を憎む心もそのとおりだ」とおっしゃった。

 そのころ、道場には夜も指導があって、夜間はわたしが受け持っていた。その同じ修
行者がその夜も来ていて同じようにわたしに問いかけた。
「肉体は本来無いんですね」
「そうです。」わたしは朝の出来事を知らないので何心なくこう答えた。
「痛みは心にあるんですね。」
「そうです。」
「それでは先生の肉体を僕はこれから撲りますが、傷みはありませんね。」
修行者は今にも撲りに来そうな姿勢である。
「それは痛いにきまっている」とわたしはとっさに答えた。
「なぜ痛いんだ、無い肉体がなぜ痛いんだ。痛ければ、今後肉体に痛みは無いなどと言うな。」
 
恐ろしい剣幕で修行者は詰めかける。わたしは静かに答えた。
「肉体そのものは傷まないが、お前の心が痛いのだ。人を譲ろうとするお前の心には痛み
がある。『五官は心の影を見るに過ぎず』と『甘露の法雨』にある。五官は心の痛みを映すものだ」
『ウーム、よし!』と言ったきり、修行者は立ち上がりかけた膝を畳に落ちつけて俯向
いたまま動かなかった。そしてわたしが他の修行者と話しているうちにその修行者はど
こかへ姿を消してしまった。
                          つづく

2609かぴ:2013/10/23(水) 10:38:41 ID:oEnYKIyI

”目無堅間(めなしかつま)の小船”は大乗至彼岸の神秘行

 目無堅間の小船と云ふのは、時間空間の目盛りがなく空間なく、無空間にきしっと堅く詰っている堅間の小船であって、時間、空間十字交叉の十字の中心の時間、空間いまだ顕はれざる「無」の一点の、一点もない超時空の世界ーーそれが竜宮海であって、そこへ運んで行く船が目無堅間の小船であって、それは、「我れ今五官の世界を去って、実相の世界に入る」といふ神想観によって、ズーッと何物も失はれてゐない実相世界に入って行くことです。

 それを入竜宮不可思議境界といふのです。

 つまり、目無堅間の小船に乗るといふことは、塩椎神さまより神想観を教へられて、実相の世界、言ひかへると竜宮海へつれて行かれたわけであります。

 彦火火出見尊が竜宮海へお出でになりますと、そこに一尾の鯛がちか頃、喉に何かひっかかって喉が痛い痛いといってゐるさうであるといふので、「彼を呼んでこい」と、いふことになりまして、その鯛を呼んで来て口を開けてのぞいてみると、ちゃんとそこに釣針があったといふのであります。その彦火火出見尊様が豊玉姫命即ち謂ゆる竜宮の乙姫様と結婚をなさいますことが古事記に書かれております。

( 谷口 雅春先生 神武建国の系譜とその理想   古事記の彦火火出見尊が釣り針をなくしてなげいて泣いておられた時に出てこられた塩土神様の話より )

2612a hope:2013/10/25(金) 07:37:15 ID:Zlo2YeaM

▣ 神と一体感の祈り

神はすべてである。
神はいたるところに満ちみちていられるのである。
私の周囲に、上にも下にも、前にも後ろにも、右にも左にも、
すっかり神が私を包んでいるのである。
私は神の中に生き、神は私の中に生きているのである。
私の生命が神の生命なのである。

「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2613SAKURA:2013/10/25(金) 20:32:48 ID:pMLLKHKU
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【 転載編… &  引用編… 】

■□ 今日は、久しぶりに「生命の実相」を“37巻”からの〜〜〜投稿とさせて頂きます。

   二 月 十 日
>>2608 の投稿の続きです。

■□ 野村さんの捌き方と、わたしの捌き方とどちらも個性が出ていておもしろいと思う。野
村さんが道場に出れば「叱られる、叱られる。野村さんはこわい」と修行者は噂する。と
きには「道場であんなに憤怒の形相をされては生長の家の名にかかわるから一日も早く道
場へ出ないようにしてほしい」と投書して来た人もあった。

 しかし野村さんに叱られて悟ったと喜ぶ人も、叱られて病気が治ったと感謝する人も
たくさんあった。相手を愛しなければ、公な心であんなに思うままに修行者を叱りう
るものでない、損得を考えたらあんなに叱りうるものではないと批評する人もあった。
「そんなに叱ったら生長の家へ修行に来なくなりますよ」と忠告する人があると、「指導
の最中には相手を指導することきり考えない。修行者が増えるとか減るとか、損得のこ
とを考えて指導する奴があるか」と野村さんはその人に一喝したこともあったと噂にきい
たことがある。

PS:「トキ様」 へ 「観覧者の皆様」 へ

>> 打つ心は打たれる心である。打つことを心に描けば、その念(こころ)は形と表れて相手
を打つ。相手の気魄が強ければ、それはかえって自分自身に還ってきて自分自身を打つので
ある。阿難が釈尊に対って人を憎んだ心を相手が受けなかったら、その憎んだ心はどこへ行
きますかと尋ねたときに、釈尊は「お前は贈り物を人に持っていった時に相手がそれを受け
取らなかったらその贈り物は誰のものになるか」と問い返された。阿難は「それは贈った
人に返ってきます」と答えた。釈尊は「人を憎む心もそのとおりだ」とおっしゃった<< (抜粋文)
◆ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー◆

■ほんとうにそうです〜〜〜ネ!!【 贈物 】をしまして、仮に相手が、受け取らない場合?
その時はと?――>その【 贈物 】は、自分に戻ってきますョネ!!
この事は、案外と普段?気付かないものなのでしょうかしら〜〜〜ン??

昨日は【フエス・ブックにシェア―】が紹介されていました。その方の文章から〜〜〜♫

【 相手を変えようと思う前にまず自分が、先に変わらないといけませんですね!!】と…
同感しましたので〜〜〜す。簡単なようで?これも相手に【変・化】を求める前に、此方が
変わらないと〜〜〜何の進歩も見出せないと思えたのです!!ですので【恨む事…】このような
ネガティブ感情は、何の“役…(プラス)”にもならないものでしょうかと。!!まず【恨む前…】
更に【裁く…】前に、相手の〜〜〜【重・要・感・は??】考えますと〜〜〜
此処に人間関係のつながりがみえて来ます。(相手の方から、素敵なメッセージ頂きました…。感謝)

■□昨日・・・「総裁先生…」は〜〜〜しつこく?(微笑)【キノコシリ−ズ…】です。

皆様は、これに関して〜〜“うんざりした事ばかり”の“きのこ…”繰り返し投稿記載が書かれています。
これは?まず!相手を優先に〜〜〜裁いているのです〜〜〜ョネ!
相手を裁く事は〜〜〜その本人がどれだけ裁く事の“人格…”があるのでしょうか?
当然その権利は〜〜〜「神様だけ…?」・・・正直!“人格…”見えませ〜〜ンョネ!
その前に、まず!どうしてこのように【 キノコがエコ運動】に繋がるかを、相手の【重・要・感】を
見る“心の目”がベターのように思います。

私は、昨日〜〜〜【再・発・見…】この気付を頂きましたので〜〜〜す。

                                   つづく

2614SAKURA:2013/10/25(金) 21:24:51 ID:pMLLKHKU
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【 引用編…】

■□今日は、久しぶりに「生命の実相」を“37巻”からの〜〜〜投稿とさせて頂きます。

>>2608>>2613投稿の続きで〜〜〜す。

■【 キ・ノ・コ は“エコ運動=ノ−ミート”で〜〜〜す。 】

【 肉・食 】ではなく!これも【エコ運動】だと!更に【お肉なし??】でも、こんなに
“ボリューム”たっぷり美味しくいただけるョ〜♫ と… そうなのです〜〜〜ョネ!

このように「皆様方」に一つの“提案…お知らせ”をしていただいていると分かったので〜〜〜す。
こうして考えてのいきますと…こちらも【心が豊か…】になりますでしょう。 (微笑)

                                     再合掌
PS:「トキ様」へ  「観覧者の皆様」へ
この投稿の続きは 〜〜〜♫
■□ 更に【ブログ…】にて“一両日中…?”に投稿させて頂きます…。
↓     ↓     ↓     ↓
■ ゆ・と・り・す・と…『真理』SEICHO−NO−IE
http://hert1706-go4snbs3yts.blog.so-net.ne.jp/  ブログ名…・URL…

【徒・然・物・語…】にての“投稿…”とさせて頂きます…。 のんびり〜〜のんびり〜〜♫


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