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生長の家政治連合と「今の教え」を考える

65トキ:2011/06/29(水) 21:24:50
>>64

 「プランゲ文庫」というものがあります。終戦後に検閲された資料がここに集められています。

 http://ja.wikipedia.org/wiki/プランゲ文庫

 この資料の中に、大阪青年会の会報があるみたいです。業者がマイクロフィルムをコピーし、有料で頒布して
いた時期もあったみたいです。その中に、「生長の家大阪青年会の会報」という文字があったのを記憶しています。
 とにかく、量が異常に多いので、探すのが少し大変かもしれません。しかし、オリジナルの資料が残っているのは
ここぐらいでしょうね。

 大阪青年会の歴史をまとめられたとは、すごいですね。吉倉先生もご健在ですから、記憶しておくとし
たら、今ですね。

 余談ですが栗原得二先生は、その後、どうなったのでしょうか?(つまらない質問をして、すみません)

合掌 ありがとうございます

66トキ:2011/06/29(水) 21:26:38
「Wikipedia」より

プランゲ文庫(プランゲぶんこ)とはゴードン・ウィリアム・プランゲ博士(Gordon William Prange)によって占領下の日本で検閲された出版物が収集されたコレクションである。

米国メリーランド大学の歴史学教授に籍を置きつつ、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)の参謀第二部(GII)で戦史室長の任を勤めていたゴードン・ウィリアム・プランゲ博士によってGHQにより検閲された資料がメリーランド大学に移送された。当時、発禁となった刊行物も多数含まれており、占領下の日本の資料として他に類を見ないものである。
当時の時局を反映して紙質が悪く、更に空調設備のない書庫により資料が経年変化で劣化していることから、80年代よりマイクロフィルム化が進められてきた。早稲田大学の山本武利教授を代表とするプロジェクトチームは、2007年にデータベースを完成させ、現在はその修正作業を行っている。(占領期新聞・雑誌情報データベース)

(ご参考まで)

67ブログ「雅春先生に訊け」管理人:2011/06/30(木) 08:57:12

 トキさんすみません・・・ブログコメント欄不調のため、こちらに掲載さ
せて頂きます。

>茉莉香さま

 返信が遅れてすみません。しかしながら驚いたことを一点。
 貴女が弊ブログに寄せられた「盲亀浮木」の故事でありますが、これ、ち
ょうど一週間前に知ったものでありました。貴女が投稿してくださらなけれ
ばあやうく失念するところでした。ありがとうございました。
 本当にこの故事は、含蓄に富んだものですよね。素晴らしい例え話だと思
います。また貴女さまと関心の所在が一致しておりまして、嬉しく思う次第
です。今後もよろしくお願いします。
 なおコメント不調の件ですが・・・管理人直接投稿以外はOKです(笑)
ですんでガンガンにお願いします。(返信はこちらになるやもw)笑える話
がありまして、先日貴女さまへ返信を書きましたらいきなり、投稿記事が乱
れまして、そして掲載していた写真がなぜか「藤原敏之先生」に代わってし
まい(爆笑)「もう、先生・・・そこまでファンを(貴女のこと)大切にな
さるのか」とツッコミを入れた次第でした(笑)

>商人さま

 上記のような次第でありまして、コメント返信遅れを深くお詫び致します。
さて最近、感動したお話など。
 栄える会に所属される方が、電話で教えてくださったことなんですけどね、
なんと神は、会社創業の際に(   )までも同時にお創りになられておられ
るとかで・・・で、この(    )内に入る言葉、お解かりになりますか?
 まあ多分、この話・・・たぶん私と貴殿しか「おおお!」と感動できぬと云
う、そんな話になりますけどね、ですんでこの答えですが、あきんどの方以外
はあまり期待されない方がよいのですが・・・やや余談を述べますと、なんせ
かのドラッカー先生ですが「どんな聖人君主でも天使でも、ひとたび彼がCE
Oの座についたその30秒後には・・・ 利 益 の こ と を考えざるを得
ない」なんておっしゃってます・・・まあ、こんな世界に生きている人しか感
動できぬ、そんな話になりますが。

 で、カッコ内の答えなんですが、これ、「顧客」らしいです。

 おお、神は会社創業の際、顧客までもお創り給うておられたか(!)いやー
バンザイ三唱でも足りないくらいのお話しですね。南京攻略時の熊本第六師団
なみの大音声で「バンザーイ」と叫びますかね(ちなみにわが祖父、六師団で
すたw)
 私はこの言葉で、だいぶ気持ちがラクになりましたよ。「事業に於ける有
効な定義は唯一つしかない。それは『顧客の創造』である」(ドラッカー)
なんて云われ、そしてあせりまくっております昨今ですが、雅春先生ならド
ラッカーさんに対し「・・・もうそれは、創造済みなのでありますよ」とお
答えになろうかと(笑)

 追伸

 でもまあドラッカー先生ですが、この人はやはり、天才だと思います。私
は同先生を「日本的経営を肯定している点」で評価します。非常に好きな人
なんですがね。ただ高校野球の女子マネには、経営よりも「男ゴコロを」学
んで欲しいですが。

68ブログ「雅春先生に訊け」管理人:2011/06/30(木) 09:00:50

>トキさま
>山ちゃん1952さま

 有益なる御話をありがとうございます。なお以下は、生長の家「〝偉大な
る〟先輩談」の呼び水として、そして一方的ではありますが、「我が家の先
祖供養」を兼ねましての、そんなお話になります。お付き合い頂けますと幸
いです。

 我が祖父は、かの熊本第六師団――司馬遼太郎談「日本最強の師団」の基
幹連隊・都城二十三連隊におりました。支那事変では、杭州湾上陸戦に参加
しまして「演習の時のほうがたくさん死んだ」という(どんな演習だ、それ?!)
圧勝を以ってかの地へ上陸した模様です。支那軍は、この祖父所属連隊の数
字「23」を見るだけで潰走したらしいのですが、まああんな「祖父みたい
なイキモノが何万人も来れば、そりゃ逃げるわ」と同情する次第でもありま
す。その後この六師団ですが「鹵獲兵器20余万点」という、空前絶後の戦
史レコードを作っています。個人的には「当時の支那人に生まれなくてよか
った」と思えるほどの、そんなオソロシさです(笑)
 そして以下は、まああまり戦史に記録されていないことですが、祖父現場
談を述べますと、「三菱は鬼畜である」と(笑)
 なぜといって蒋介石軍陣地を占領しますと、なんと多数の日本製兵器があ
ったとかで・・・ああこれ、あまり話すとヤバイんでしょうかね(笑)まあ
三菱ですが、敵方にも兵器を売っていたんですね(笑)ですんで就職活動の
時、祖父は私に「三菱に行ったら孫に非ず」と厳命してましたが(笑)

 その後の祖父ですが昭和16年開戦時に、比島リンガエン湾上陸戦に参加
します。あの小林よしのり氏『戦争論』にて、高村氏という方の戦場記録が
描かれておりますが、あの上陸地点で照明弾を上げたのは・・・なんと、我
が祖父の小隊でありました(笑)
「上陸前日、なーぜーかーオレの部隊だけ、食事に『梅干』がついていた。」
「他は米だけだった」「だから『あっ、明日は命日だ』と思った」とかで(笑)
いやー、ヒューマニズム欠如の日本陸軍ですが、まあ、照明弾を上げる部隊
に「梅干をサービスする」くらいの配慮は、あったんですね(笑)
 ・・・「梅干を食べたから」かどうかは知りませんが、まあ予想どおり祖
父小隊は「照明弾をあげよ」と命じられます。そして上陸した祖父は照明弾
を上げたのですが、その後「 重 機 関 銃 !!!ババババババババ!
!!」(口調、祖父のソレそのままw)の猛射を受けます。もうそれは「大
便をもらしたゾ」てな位の脅威であったらしく、さすがの祖父も「ここで死
ぬ」と思ったようです。しかし「ここで逃げたら先祖に申し訳ない」とのこ
とで、祖父、ここで部下に「前進撤退」を命じます(笑)いやー、この前進
撤退ですが、ヤンキー共は度肝を抜かれたらしく・・・なぜか祖父は生存し
ます。しかも部隊全員生還だったとかで(笑)島津家は関ヶ原でほとんど戦
死しましたが、祖父は強運でしたね・・・しかし迫ってくる、その帝国陸軍
中尉には、ウンコ(梅干入り)ついているだから、なにも逃げなくてよかっ
たのに、米軍(笑)
 
 ・・・その後コレヒドール要塞攻略戦に参加し、「マッカーサーを捕り逃がし
た!」(祖父談)が勝利しまして、そしてあの捕虜護送「バターン死の行進」
にも参加しております。『東洋の凱歌』という記録映像にバッチリ映ってい
るらしいんですが、どれだか判りません。

 その後祖父はマラリアに罹患し、野戦病院で母方祖父の上官(軍医)に出
会います。軍医だった母方祖父(野球の名手でもありました)とはここで縁
ができまして、そしてその後、肉体の私が誕生した次第です。まあ肉体の私
がここにいるのも、マッカーサー菩薩様のお導きと云えようかと(笑)

 祖父も11年前に亡くなりましたが、亡くなる前日の言葉は「マッカーサ
ーを捕り逃がした・・・」でしたが、いやー祖父にも御教えが入っていれば
・・・(中略)・・・まあ、まだまだオモシロイ話があるのですが、本日は
このあたりで。

69ブログ「雅春先生に訊け」管理人:2011/06/30(木) 09:23:37
「我が家の先祖供養」を兼ねましての、そんなお話になります。

 ・・・なんて云いながら「ウンコもらした」はないですね(笑)ごめんなさい、
おじいさま(笑)

70ブログ「雅春先生に訊け」管理人:2011/06/30(木) 09:28:49
追伸

 大切なことを云い忘れておりました。補足です。テーマは「愛国心」にな
ろうかと。
 愛国心とか申しますと、なんか祖父のような系統の、そんな武勇伝がメイ
ンになりがちです。でも私は、「これは少し違うぞ」とも思うのです。
 そんな気持ちを込めまして、先日こんなブログ記事をアップしました。こ
の「筑前の正助」ですけど、こんな一見地味な行為の積み重ね・・・これぞ
真の愛国者の姿ではなかろうかと。

●利己心を死に切る
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65562827.html

71山ちゃん1952:2011/06/30(木) 09:54:52
トキ様
名前は占領史のなかで聞いていましたが実際の資料は見ていませんでしたので
本当にありがとうございます。
ただ、会社ではこのブランゲ文庫は開封することが出来ません。
財団法人でその資料のコピ−等を行っているのですね。

当時の生長の家は進駐軍の所在地から近くあり、当時の上六(上本町六丁目)
付近で都ホテルが焼け残っていたと聞いています。たぶん目立ったのでしょうね。

吉倉先生は草創期の青年会のメンバ−です。御著書にはそうした当時のご様子も記入
していますが、詳しくは残っていないです。
さて、我らの大先輩である吉倉修三先生のお宅に訪問してみます。

72トキ:2011/06/30(木) 10:29:59
ブログ「雅春先生に訊け」管理人様

 どうぞ、どうぞ、どんどんご利用下さい。

 ところで、昔の陸軍では、九州の部隊は強かったみたいです。東北の部隊は粘り強く、関西の部隊は計算をする、と読んだ事があります。

>>「演習の時のほうがたくさん死んだ」という(どんな演習だ、それ?!)

って、その通りですね。今なら、大問題になるでしょうね。w
 しかし、こういう貴重な英霊の犠牲の上に、今日の平和と繁栄があるのですから、私達は心からの感謝と尊敬の気持ちを護国の英霊の皆様に
表しなければいけないと思うのです。

 愛国心についても、ご教示の通りだと思います。
 昔は、よく戦争をしておりましたから、戦争で闘うのが愛国心である、という発想でも通用しましたが、これからは、もっと地道で目立たないが
コツコツとした行いをし、それを継続する事が、大切であると感じます。

 いつもすばらしいご投稿に感謝申し上げます。忘年会の件も、関心の有る方は、「挨拶」板へご投稿をお願い申し上げます。

合掌 ありがとうございます

73トキ:2011/06/30(木) 10:42:35
山ちゃん1952様

 生長の家の歴史を調べる時に、どうしても部内の資料を集めるとうい発想をしますが、部外の
資料を見る発想は出て来なかったです。『社会運動の状況』は、左翼運動に歴史を調べる人には
常識なのですが、生長の家の運動が記録されていたとは思わなかったです。

 他には、古い「生長の家」誌(緑色の表紙)を読むと、各地方道場のいきさつが連載されていて、面白
かったです。こういうのも貴重な資料ですね。

 他には、信徒さんや講師さんが、自費出版で回顧録を出しているのを、古本屋でよく見受けます。
以前は見逃していたのですが、少しずつ、集めてみようかと思います。

合掌 ありがとうございます

74商人:2011/06/30(木) 12:37:13
我が尊敬するブログ「雅春先生に訊け」管理人さま
 今日もとてもすばらしいお話しありがとうございます!!
今日もまた幸せな気持ちになりました。
只今、藤原先生のご本を繰り返し繰り返しよんでおります。
とてもよいご本を紹介していただき感謝しております。

6月も今日でおしまいですね。7月もよい方へ善い方へ進めますようにがんばります。
我が尊敬する管理人さんのブログとてもためになります。 ありがとうございます。
いろいろ教えていただけるすばらしい!私の先生です。

トキさん 
ここの掲示板もすばらしい内容ばかりですね。
どんどん増えていきますね、過去の記事が埋没するのがもったいないくらいですね。
 
すばらしいですね トキさん

75トキ:2011/06/30(木) 12:44:50
商人様

 過分のお褒めのお言葉、恐縮いたします。商人様を始め、すばらしい投稿者ばかりですから、素晴らしい掲示板になったのです。
本当に感謝申し上げます。藤原先生も、きっとお慶びでしょう。ご存命中に会う機会がなくても、藤原先生は、きっと皆様のそばに
おられます。目は鋭かったですが、暖かい先生でしたから。

 では、今後ともよろしくお願い申し上げます。

合掌 ありがとうございます

76ブログ「雅春先生に訊け」管理人:2011/06/30(木) 17:32:49
>商人さま

 最近流行っている言葉があるようですね。それは幻冬舎社長の見城さんの
言葉らしく、サイバーエージェントの藤田社長経由で広まっている言葉らしい
のですけど、その言葉とは、

憂鬱でないのは仕事じゃない

 なんて言葉らしいのですwこの言葉、確かに迫力ありますし、「流行るのも
頷ける」次第ですし、たくさんのビジネスマンが「感動しました」と意志表明
するのも分かります。けど・・・
 我々は良かったですよねwなんせ我々にある言葉は「憂鬱でないのは仕事じゃない」
なんて言葉ではなく、「自壊作用」「向こう倍力」なんて(強力な)言葉です。
「ああ早く、皆に雅春先生の御教えを届けてやりたい」なんて思う次第です。

77山ちゃん1952:2011/06/30(木) 19:35:58
トキ様
栗原得二先生は『人間性の解剖』昭和24年二月一日発行の場合、著作として出版されておられます。
後ほどに編者として名前が出てきます。
はたして、どういうことか今では分からないが、三通り考えられる。
まず、谷口雅春先生が執筆追放のため著作を栗原得二様にて出版なされたのか?十分にありえます。
もう一つは栗原得二先生がそのまま編集のみ行っておられたのか?
次に栗原先生の文章を谷口雅春先生が校閲されたかです。今ではわかりません。

さて質問にあった栗原得二先生ですが、大阪に住まわれたのか知りません。

ひょっとすると、栗原保介先生ではありませんか?

昭和11年頃には東京下落合の相愛会の責任者です。
その後大阪の豊中に移られ、萬成書房の出版責任者として活躍されます。
その当時は本部講師役職です。
昭和30年代にはその名前は消えていきます。
以前に大先輩に聞いたのですが、控えていなかった為、忘れています。

78義春:2011/06/30(木) 19:47:59
♪またも負けたか第8連隊
…っと大阪から、こんばんわ。
上記の節は婆ちゃんから習いました。

先祖供養がてらに私が聞き及ぶ話を一寸書いてみますか。

私の家は代々、海軍の一家で何代か前の先祖は海軍大将となった様です。今も母方の本家に海軍大将の正服があります。

私が昔語りするのは曾祖父の事です。

何から話すか悩みますが戦前の大事なところを観た人なので長文ご容赦下さい。

曾祖父は(恐らく明治末期から)大正時代及び昭和初期に海軍に属してました。呉の海軍兵学校卒業後に世界一周に出るのですが、アメリカには寄港しなかった…との事。大東亜戦争開戦よりだいぶ前だった筈ですが…アメリカにはオレンジ計画があったので、お互い仮想敵国として観ていたのかもしれません。

帰国した後、閑院宮の侍従武官として宮中にも出入りし、大正天皇様の俗に言う『丸眼鏡事件』も現場で観ていたそうです。

大正天皇様の資質が問われる事件だったので、私自身、衝撃を受けたものです。(※私は大正天皇様の漢詩に飛行機を詠みあげる作品とか好きなんで)

…で、此処からは私には血の繋がりを感じさせる話なんですが・・・曾祖父…或る時、閑院宮様を連れ出して呑み歩いたそうですw

ひいじいちゃん、あんた、何してるんですか!?(汗)な話ですが…本当の話なんで質が悪いw

で、宮さん、お土産に饅頭買っていって宮家の人に『これは預からせて頂きます』と言われて没収された…らしい…ホント、何やってるんですかw

ちなみに、どっちが金を出したかは知りませんw

(続きます)

79山ちゃん1952:2011/06/30(木) 19:49:45
ブログ「雅春先生に訊け」管理人様
私も大阪出身ですから陸軍のことは父から聞いています。
『またも負けたか八連隊 それでは勲章九連隊」
(京都の歩兵第9連隊 「くれんたい=もらえませんよ」のもじり)」

大阪の陸軍は弱いという定説が広まりましたが、実際は違うようですよ。
それは「西南の役」にその噂が始まったとされます。『近世日本国民史』徳富蘇峰がその
一躍を買ったといえます。

だが、噂というのは今も確証なしに語られています。

80義春:2011/06/30(木) 20:09:11
それで海軍の教官等をし軍歴の最後は戦艦武蔵に乗って終わったそうです。
退役の際に昭和天皇様に拝謁し銀杯を頂いたそうです。これも戦火を逃れて母方の本家に残されています。

これから話すのは歴史の闇になる事ですが、曾祖父の娘である祖母から聴いた通りに書きます。

廬溝橋事件というものが支那の国民政府と起こりましたが、その時、現場にいた兵士が祖母の担任にいました。

それで授業中にこういったそうです。

『あの事件は日本側から発砲した』

と・・・勿論、政府や軍部の発表とは全く違います。

戦前に於いて、これは非常にヤバかったのは言うまでもありません。

それだから(その頃、都島で地主をやっていた事から町内会長をしていた)曾祖父は担任や校長に口止めし担任が憲兵に捕まらない様に世話をしたそうです。

それで・・・大東亜戦争の開戦。
曾祖父は『この戦は負ける。だが、これは戦わねばならぬ戦である。』と言ったそうです。若い時に世界を観てきた曾祖父は全てを悟っていたのかもしれません。圧倒的な工業力・国力の差、白人支配の世界の恐ろしさ…その全てを…。

で、戦中の大阪大空襲…。
祖母が今でも言ってる事ですが…
『絶対に米軍のパイロットは私達が見えてたよ。だって私、米軍のパイロットを見たよ。あいつらは私らが逃げられないように淀川に焼夷弾を落として焼いて逃げられんようにしよった。』

『おばあちゃんの一番仲の良かった子も撃たれてね、死んだ。夜になると蛆が死体を喰ってる音がしたよ。だから、今でも鬼畜米英と思うよ。』


…焼け野原になった都島ですが曾祖父は進んで朝鮮人の世話をしたそうです。大半は世話をしても知らん顔でしたが、時折、恩を返しにくる人がいて喜んだとの事です。

81義春:2011/06/30(木) 20:27:11
…曾祖父の最期ですが…私は曾祖父の逸話の中で一番感動し、又、その曾祖父を誇りとする話です。

曾祖父も私と同じ様に直腸癌で死にました。まだ昭和30年代。

私も身を以て知っているのですが末期になると手をつけれない痛みに苦しみ、人格すら崩壊する激烈で凄惨な痛みに襲われるのですが、曾祖父は一言も『痛い』とは言わなかった…それどころか人格を保つ為にモルヒネすら使わなかった…そして看護婦さんに凄く気を遣っていた…と。

病状を知ると…ただ、『●●君に頼む。』と知り合いで小さな頃から世話をした医師の名を挙げ、淡々としていた…と。

私は、身体は癌に侵されても、心や魂までは病に負けず、己の生き方を通した曾祖父を誇りに思う。

だから、人工肛門を観た(曾祖父の娘である)祖母が『お父さんも苦しんだ人工肛門がお前にまで・・・』と涙にくれたのを観ても、曾祖父が守ってくれてる様な気がして、逆に嬉しくなった…母方の一族が苦しんだ大腸の病、我が代で必ず、勝ってみせる、そして黄泉でまみえた時に胸を張って会いに行こう…と。

その曾祖父も黄泉から私を助けてくれている様で、前回の闘病後に買った家の引っ越しの折り、祖母の心に『水回りの道具持っていかんでどうする!』と叱ってきた…そうです。俄に信じられないけど、買った家も有り得ないくらいのタイミングで手に入ったりで、先祖達の助けがあるのだと思わざるを得ない。

…そんな、とある一族の歴史でした。

82義春:2011/06/30(木) 20:33:17
>>79
山ちゃん1956さま
そうなんですよね〜結構強かったりするんですけど、都市部出身者は弱兵だというイメージが強かったみたいですね。

そういえば、私が異常に歴史に詳しいのを以てド阿呆な事を書いていた輩がいましたが…一言言うなら『こっちは先祖達の想いが詰まってるんだよ!そんなそこらの奴と一緒にするな!あんたらはどれだけ先祖達と共に生きたかった分かるか?どれだけ先祖達の想いを後世に遺したいか分かるか?』とだけは言いたいかな。

84トキ:2011/06/30(木) 21:20:59
>>77

山ちゃん1952さま

 栗原先生で勘違いをしておりました。申し訳ありませんでした。
栗原保介先生と栗原得二先生を混同しておりました。

 私が、古い信徒さんから聞いているのは、以下の通りです。

 大阪の栗原先生は、青年の育成に努力をされ、大阪の青年会を大いに発展させました。
が、その後、野心を起こされ、独立して別派を立てられました。そのときは、生長の家の青年を
大勢、引き抜いたと言われています。谷口雅春先生は、たいへん悲しまれました。その時に
生長の家に残った数少ない幹部が、吉倉先生という事です。

 戦前からの本部講師経験もある方から聞いた話では、当時の本部講師は薄給で、栗原先生はお子様
が多数おられたので、生活のために、やむを得なかったのではないか、と話をされていました。

 ただ、独立後は、噂をきかないので、どうなったのかなあ、と思っています。

 一般論として、別派を立てた人は、長く続かないみたいです。幸福の科学の善川さんと、白光の五井さん
ぐらいしか、続いた人はいないみたいです。

合掌 ありがとうございます

85トキ:2011/06/30(木) 21:24:13
 義春様の先祖はすごいです。きっと、指導霊として、正しく導いていますよ。

>>大正天皇様の俗に言う『丸眼鏡事件』

 すごい現場におられたみたいですね。やはり、素晴らしいご先祖様がおられるから、義春様も素晴らしいと
思います。これからも、期待しております。頑張って下さい。

合掌 ありがとうございます

86義春:2011/06/30(木) 21:41:31
>>85
トキさま
絶対にそうだと思います。

曾祖父も和籍・漢籍に詳しかったのですが、私も小学生時代から普通に読んでました。何か趣味とか色々なエピソードが似てるんですよね…で、困った事に俗に守護霊の1.5割増くらい強烈に影響されるというので、この困った性格も曾祖父の影響なんだと思います(笑)

まっ、嬉しいンですけどね(笑)

ちなみに生長の家は現象的には父方から受け継いだのですが、曾祖父の嫁さんの曾祖母も戦前、未だ初期の頃に生長の家を信仰していたみたいです。

でも曾祖父が『軍人の嫁たる者が宗教信じるなんて赦されん』という事で止めたらしいです。

その曾祖母は私が3歳の時に亡くなりました。(あぁ雅春先生と同じ年に逝ったのかな?)

曾祖母に母方の一族は男子が居なくて大変可愛がられたとの事なので、たぶん、霊的には母方の方から伝わったのだと思います。

何故かと言うと、何故か生長の家に関しては色々口では言い表せないのですが上手くいかなかった…だけど、国の事を学び始めてから自然と上手くいく様になった…それだから、黄泉に於いて、曾祖母が曾祖父を説得なされたのと、曾祖父は私の根性がマシになったのを御覧になられ私の信仰を許されたのだと想うのです。

だから、信仰は四代目にして活動は初代という滅茶苦茶な感じになってしまいました。

87山ちゃん1952:2011/06/30(木) 21:43:43
トキ様
そうですね。たしか別派を立てられて出て行かれましたね。

青年会の一部を引き連れてです。

栗原保介先生は『白鳩』誌の創刊号に掲載されていますから有名です。

だが急遽に本部講師になると駄目ですね。勉強はしていないし、理屈のみで対処
するからいけません。やはり伝道や家庭訪問を通して育った人は筋があります。

それと歴史観と国家観が熟成していないと無理でしょう。

88山ちゃん1952:2011/07/01(金) 10:37:55
義春様
大東亜戦争の勃発時の国民の状況というのは凄まじいものを感じます。
当時の新聞や雑誌等は非常事態を煽り、国民は疲弊していたのにも拘らず
それを推進していた部分もあります。
また、食糧難や物資の配給等戦前でもありました。しかし、戦争は駄目だとは
簡単に言えます。だが当時の状況下で果たしてそういうことが言えるかどうかは
が難しい所であります。
国民は騙されていたということも簡単に言えます。だが、国際的にもそうした国
が多かったのも事実であります。

私も近世の歴史をあらゆる部分で見た時に「15年戦争」とかいう大学教授はいますが
決して歴史というのはそういうスパンではみれない。

たとえば、明治時代の「岩倉使節団」からの日本の脅威の発展は江戸時代の優れた技術
というのがあればこそなんです。
それを無視して日露戦争や日清戦争は語れないのです。それこそ江戸時代は未開の
地であった日本が何の技術もなく、たとえイギリスやドイツの技術者を呼んでも
そこまで到達するかは疑問であります。
そこには”文字書き”が出来る要素があり、語学を学べる要素があったからなのです。

「逝きし世の面影」は渡辺京二著の大著であります。江戸時代の後期の日本人の人物像
を探るには欠かせない書物であります。
また「江戸という幻影」という書物も見ごたえがあり、いかに日本人が生きたか
また現在とあまり変わらない生活にびっくりされると思います。


また、大阪では町人の町ですが、だからと言って武士の人数はどうだったのかしっかり
判別できていません。だが武士と商人との格差というのを感じなかったというのが
判明している所です。

戦後66年、どれだけのことを私を含め知っているのでしょう?
自虐的史観だけでは到底歴史はわかりません。
今は「生長の家」からそうした専門的な分野で博識な人は
いません。

まだ、私が青年会時代は歴史に詳しい人は何人もいました。勿論
憲法についても同じです。
運動もやりながら必死に勉強していた人ばかりです。
千葉県教化部長を歴任された安東先生は博識であり勉強家でありました。
家には蔵書といわれるものが30数年前でも2万冊はあるといわれていました。
森田先生もそうですね。一度聞いたことがありますが「数えたことが無い」と言われましたが
大宰府では家に書斎を作られています。

私も天皇陛下の関連書物は1000冊は超えます。憲法や歴史や大東亜戦争
そして生長の家の本と1万冊は軽く超えます。だがいつも勉強不足を痛感
致します。
とりとめのない話になりましたが、歴史をある一点だけで見ないことが大切
です。

89トキ:2011/07/01(金) 10:46:14
>>86

 昔の軍人さんの中には、生長の家とか信仰を毛嫌いした人がいたみたいです。
硫黄島守備隊関係者の回顧録に、部隊長が「生命の実相」に感激し部下に配布しようとしたら、
副官が反対して止めさせた、という話が書いてありました。

 でも、霊界で、ご先祖様も、きっと真理を勉強されています。
義春様のご活躍も、ご先祖の導きによるものでしょう。

 今後とも、宜しくお願いします。

合掌 ありがとうございます

90トキ:2011/07/01(金) 11:23:08
>>87

山ちゃん1952様

 生長の家の講師で、たまに分派をされる人がいますね。
谷口雅春先生は、秘密主義ではなく、何でもオープンにしますから、
やる気の有る弟子だとすぐに上の方に行けます。
 特に、ある種の霊感がついてきた人は、独立をされたり、ある種、
勝手な振る舞いをする人が多いです。しかし、そういう人が続くのは
あまりないみたいです。栗原先生は、どうだったのでしょうか。

 幸福の科学の善川三郎さんとか、白光の五井昌久さんなどは例外的に
続いています。生長の家から信徒を引き抜いて独立する人もいます。

 生長の家の幹部や講師の中には、夜郎自大になり尊大な人がたまに
います。救済力はあるのですが、危ないな、と感じるときがあります。
谷口雅宣先生の尊大な態度も、こういう教団の風潮と関係がないとは
言えないと感じます。

 あと、榎本先生が、晩年、回顧録を書いておられて、信頼の出来る人
だけに配布してた、という噂を聞いた事があります。自分の気持ちを理解
してくれる人だけに渡していたみたいです。

 とりとめもない感想を書いて、すみません。
また、ご教示のほど、お願いします。

合掌 ありがとうございます

91義春:2011/07/01(金) 11:37:28
>>88
山ちゃん1952さま

先ず、お名前間違ってしまっていた事、お詫び申し上げます。(何となくですが、書き込みを拝読しながら私、山ちゃん1952さまを存じ上げてる様に感じました。)

勿論、歴史は川の流れみたいに途絶える事がなく、又、色々な立場により色々な見方がある・・・そう感じ、理解してます。
(自虐史観はその流れを絶ち、断絶的に観るから断絶史観と自分では思ってます)

細かいところになりますが・・例えば、江戸時代の手拭いのデザイン等は今と何ら遜色がないというより…むしろ斬新さがあり観る度にはっとさせられたり、大坂では今と同じ様に先物取引が開始されたり…又、曾祖父の生きた大正時代の東京を調べると大変華やかで洗練された都市だなぁ…と感じます。

確かに、道はアスファルトではなく良くて(『盲目のアッピウス』以来のローマ時代から使われていた)石畳ですが、それすらアスファルトにはない味すらあるなぁ…と感じました。

正直、今の大阪の青年会には・・・最早、歴史に詳しい方は殆ど…数人くらいしかいらっしゃらなくなりました…ね…尊敬する先輩方も次々に卒業なされました・・・ですが、今ほど勉強したいとって想える時はないです。(※曾祖父の話に出てきた廬溝橋事件等は私自身は資料を漁ってると八路軍の工作によるものしか思えないから、何でそんな発言が出てきたか…と少しずつ調べてます。そもそも教員に復職出来たのか?とか色々疑問点があるので…。)

森田先生のいらっしゃった頃にもう少し勉強しとけば良かった…と思いっきり反省してます。

重ね重ねのご教示、真に有り難うございます!

92義春:2011/07/01(金) 11:46:04
>>90
トキさま
大川隆法の『谷口雅春の霊言』は善川三郎の著作みたいですね。善川自身は生長の家の組織を手本にしたかった…と聴いてます。(ちなみに能力的には大川の兄、富山(故人)の方が高かったらしい)

で、此処だけの話、アレの元は幹部限定の講話資料を本部より…したという事だと聞き及んでいます。

そういえば・・・雅宣総裁に苛められ辞めた人が幸福の科学に入り、幹部となり、この前の衆院選で幸福実現党の幹部になってました…。

93ブログ「雅春先生に訊け」管理人:2011/07/01(金) 11:50:53
>山ちゃん1952さま
>義春さん

<「またも負けたか八連隊」の件>

>大阪の陸軍は弱いという定説が広まりましたが、実際は違うようですよ。

 同意です。「大阪朝鮮高ラグビー部」を例に出すまでもなく、あの大阪人
が、ヘタレなわけがない(笑)
 以下は祖父談を元にした類推なんですけど、まあ、かの帝国陸軍ですが・
・・都市部の連隊の扱いには「非常に困っていた」様子ではありますね。ど
う困っていたかと申せば(祖父曰く)「戦死者出ると、大量の未亡人が出る
だろ?」「都市部未亡人は、身を寄せるところがないだろう?」てなお話し
でありました。日露戦後の日比谷焼き討ち事件に見られるが如く、まあ、都
市部連隊で戦死者が大量発生しますと、政情不安を喚起するとかで・・・

 で、そこで登場するのが九州ですよ(笑)ここの連隊は非常に〝便利〟で
す。いくら死のうが政情不安になりません(笑)むしろ「○○さあんとこ死
んだ?」「ああ、名誉なこって、かっこよかー!」てな連中がゴロゴロおり
ますし、家計も長男が死のうが「次男三男・・・八男」まで、豊富に取り揃
えております。さらに戦争未亡人を支える共同体まで、完備されているとい
う(笑)ですんでまあ、九州連隊、「強かった」のは確かでしょうけど、
「運用されやすかった」ゆえの、そんな強さだったのではなかろうかと。
「他と比較して実戦経験が尋常ではなかった」なんてところが、要因なので
はないでしょうかね(笑)

追伸

「戦争未亡人が 大 阪 で 大量発生したら」なんてイフ話・・・おそろ
しくで想像できません(笑)おそらく日比谷焼打事件を、軽く超える規模の
暴動に・・・(中略)・・・ゆえに「またも負けたか八連隊」ですが、誰か
が、仕掛けた話なのかもしれませんよね。「またも負けたか八連隊」である
限りは、まあ、「大阪連隊の投入・・・今回は見送りましょう」てな空気を、
会議席上で醸成しやすかったでしょうからね。

余談・・・

 書きながら思い出した、祖父戦場談などを。なにかの小ネタにお使いくだ
さい(笑)
 この、連隊に於ける〝強さ〟の定義なんですが・・・日本陸軍には特殊事
情があった模様です。その特殊事情のキーワードは〝武器の故障〟であり、
連隊の強さとは「故障修理のうまい兵隊が、どれだけいるか」なんて部分が、
大きかったとか(笑)
 これ、山本七平さんも述べておられましたけど、「射撃の名手とは、修理
の名手なのだ」というのが実情だったようで・・・要するに日本陸軍、「武
器の故障に悩まされたつづけた」のが実態のようです。そんな視点を入れれ
ば田舎連隊、強かったでしょうね。都市部よりは九州連隊、手先の器用な兵
隊がワンサカいたでしょうし、そしてそれゆえの「九州連隊最強」神話、な
のかもしれませんね。

 ところで我が祖父、「三菱が兵器に〝菊の御紋〟を入れるから、現場から
苦情が言えなかったのだ」なんていう、ミモフタモ無いストレートを投げて
ましたが(笑)「あの〝菊の御紋〟は、メーカーのクレーム回避術だったの
か!」と気づいた次第です(笑)陛下からタマワッタなんていうことにしと
けば、これ、現場はクレームつけられませんもんね(笑)ですんで祖父は、
戦後も日本製、あまり信用してませんでしたね。「余程怖い思いをしたんだ
ろ(日本製品で)」てな私見を持っている次第です。

>義春さん

 あんたの祖先、おもしろい(笑)あとでツッコミます(笑)

94義春:2011/07/01(金) 12:08:47
>>93
ブログ「雅春先生に訊け」管理人さま
うちのひいじいちゃん、オカシイ過ぎるw
何で皇族連れて呑み歩くんだ…と色々、あの世に逝ったらツッコミたいw今から死ぬのが愉しみになってきましたw(ヲイ

ちなみに、実際に聴いた私はその場で茶噴きましたw

ってか閑院宮…たぁ〜ぶん年齢や行状からすると最後の閑院宮だと想いますけど、閑院宮って軍籍は陸軍なんですよね・・・で、曾祖父は海軍。侍従武官になれんかと思ったりしますwもしかすると閑院宮が軍籍に入る前かもしれませんけどw

(戦艦武蔵は戦前の物みたい、戦艦も代替わり(?)していたみたい)

大阪で未亡人大量発生したら大阪城の駐屯地がエライ事になってたと確信しますよ、考えたらだけで恐ろしい。
(・・・そういえば、薩摩出身の父方の婆ちゃんの弟、海軍で戦死なさってました。)

95ブログ「雅春先生に訊け」管理人:2011/07/01(金) 12:15:52
>義春さん

 へえ、戦艦武蔵って戦前にもあったの?知らなかったよ(笑)
しかし宮様と交流なんてすごいわ(笑)

 うちの祖父は近衛連隊、受験してオチたらしいんだけど、あとで他の方に
聞いたら「近衛は美男子でないと」とのオチがあり(笑)でも孫のオレ
はなんで、福山雅治ソックリなんだろう・・・(中略)・・・

96義春:2011/07/01(金) 12:39:51
>>95
ブログ「雅春先生に訊け」管理人さま
何処かは知らんけど母方の一族、たぶん、(曾祖父の)植田家ではなく、曾祖父の嫁さんの方が華族の出だったみたいで、こうなったみたいです。

まぁ…こっちが驚きですわなw
ホント、何やらかしてんの!?と冷や汗流れます。

戦艦武蔵は私も嘘だろーと思ってましたよ。そうしたら友人から『これの事か?』と写真送られてきました。巡洋艦みたいな武蔵でしたよ。

そういえば、友達に憲仁親王殿下とお付き合いがあるんですが、靖国神社について某国には触れず『(賊軍として)西南戦争や戊辰戦争で亡くなられた方々も祭らないといけない』と仰っていたそうです。

なるほどと納得しました。
西郷さんも祭られる日がくる事を祈ってます。

97義春:2011/07/01(金) 12:53:34
…やっぱり気になったから調べてみたけど、やっぱり武蔵はレイテ沖海戦に沈んだものしかないんだよなぁ・・・ひいじいさんは昭和30年代前半に64歳で亡くなってるから、1942年の着水に軍籍があった…と言えば疑問なんですが・・・まぁ…あの世逝ってから聴いてみますか…この辺り、知りたくて仕方ないのですが、婆ちゃん呆けて聴けないのが痛いです。

98トキ:2011/07/01(金) 14:47:28
>>97

 日本海軍では、軍艦の名前は襲名して使用しておりました。

 有名な戦艦大和や戦艦武蔵も2代目で、初代は明治時代に建造されましたと
読んだ事があります。初代が除籍後に、2代目が誕生した訳です。

合掌 ありがとうございます

99義春:2011/07/01(金) 21:47:50
>>98
トキさま
レスを乗っ取ってしまって申し訳ありません。それから御教示有り難うございます!
じゃあ、曾祖父の話は本当だったみたいですね・・・嬉しかったです!本当に有り難うございます!

100トキ:2011/07/04(月) 21:21:59
トキです。「生長の家」誌の昭和42年11月号の「明窓浄机」に興味深い記事がありましたので、
ご紹介申し上げます。

 藤田組という建築会社が、那須高原の百万坪を整地して都市づくりを始めるので、そのうち二千坪
を谷口雅春先生に寄付をしたい、との申し出が、藤田組の副社長からあったそうです。谷口雅春先生
は、

「忙しい生活を送っているから、別荘を作って避暑にでかけるほどの贅沢ができる身分ではない
けど、かねがね日本の若い人達に日本精神を少年時代から養って、将来、日本の国の柱となる人物を
養成するために高等学校を建設したい思っていたので」

 その場所を別荘ではなく、学校建設をしたいとお考えになり、その調査を本部の教育局に命じられた
そうです。が、調査の結果、別荘には良い場所だが、傾斜がきつく学校用地としては不適当である事
や、避暑には良いが、冬は摂氏マイナス20度にもなる事から、冬期の生活が大変だ、という理由で
計画を断念し、土地もそのまま藤田組に返却をしたそうです。

 藤田組の副社長は、「先生は欲がないなあ。やっぱり神様だ。」と驚いたみたいです。


合掌 ありがとうございます

101トキ:2011/07/05(火) 10:55:11
 余談ですが、今度、生長の家本部が行く八ヶ岳あたりは、おそらく「坪」単位ではなく、「反」単位で
購入が可能な土地の値段が安い場所だと思います。それなら、「学ぶ会」の人達も「本部移転反対」ばかり
叫んでいないで、本部移転地の近所に土地を買って簡単な家を建てて、住民のみなさんに布教をする、本部
職員をオルグする、とか発想の転換をすればいいのに。私が「学ぶ会」の人間なら、そうしますがね。
 看板も「谷口雅宣被害者の会」とか看板をかけて、本部職員の悩み相談も受けたりして。
 でも、学ぶ会も、正直、私は反省してもらいたい点はあります。

 反対に、教区の人間から見たら、本部が地元で布教をしない、という覚え書きをしたのは、教区にすごく失礼な話だと
思います。これが事実なら、あなたたち、もう教区にエラそうな事を言うな! と思いますね。これで、
「生命の実相」裁判の最高裁判決が出て対応を間違えば、教区の怒りは爆発する可能性はあります。

 教区の人間として、少し言わせてもらうと、喧嘩というのは、いつかは和解しなければいけないのです。
本流派も教団も、頭に血が上り、その点を忘れているのではないの? と感じます。
 だから、このスレッドでも良いので、お互いに言いたい事をどんどん書いて、その上で、どこかで
話し合いを始める必要があると思いますね。

102緑の意思:2011/07/05(火) 12:37:20
なぜ現総裁が環境や森に真理そっちのけ?で執拗にこだわるのか自分なりに考えたら、彼は「このままじゃ説得力がないでしょ」っていうことをいつも言ってるんですよね。
これも断片的情報の浅はかな一推測ですが、早くから家族にも違和感を持っていたような発言があるし、信仰による神との一体感を感じられなかったと思われる総裁には、自然の中に置かれたときの一時の一体感を、自然との共存という主張の根拠にしたい節があるようにも見えますね。
信仰の体験を持たないので、真理は本当には語れない。環境問題からなら知識で共存を語れる。真理はわからないから布教は関係ない、森に暮らせば、自然との一体感を味わえると思っている、みたいな。
本当は神との一体感を感じる人間は、住む場所なんか執拗にこだわらないですよ。
どうしても自分に「説得力」を、持たせる必要があると思っているんじゃないでしょうかね。
森のオフィス構想は彼の人間知の生真面目さが産んだ生長の家の悲劇の一つに思いますよ。

103トキ:2011/07/05(火) 14:47:47
 緑の意思様、トキです。鋭い考察に敬意を表します。説得力のある意見だと思いました。

 総裁の頭の中では、論理は完結しているのでしょうが、外部の人間にとっては、何の話だろう? という世界です。
講習会で蜂に殺虫剤をかけた話をしていましたが、蜂ぐらいでビビっていて、森の中に住めるのかしら? と思います。
 私のごとき程度の幼い信仰でも、家に蜂が巣を作っても、襲われたりしません。まあ、基本的に真面目な人で、彼な
りに理想とかビジョンとかがあるのはわかるのですが、残念ながら先行きが見えているのですね。本業そっちのけで、
余興に走っている昔の若旦那みたいなもので、信徒も、そろそろ気がつきだしています。

 では、今後ともよろしくお願いします。

合掌 ありがとうございます

104トキ:2011/07/07(木) 14:18:25
本流掲示板の

赦されべからざること『霊性の目覚め』のこと (3187)

の件で、少し書き込みをします。実は、あの文章を読んだ後、書き込みをしようと考え、法律に詳しい身内に確認を取りました。

 先ず、「お山」を谷口雅春先生の死後本部へ寄贈する内容の遺言書を登記所に登録する話です。
登記所とは法務局ですが、遺言を登記する事はありません。しかし、類似の方法としては、法務局で登録する場合、
法律上の手続では、「始期付所有権移転仮登記」という方法があるそうです。普通は、遺言書を公証人役場で作成するのが
一般的だそうです。しかし、両方とも遺贈者が、その後、意思を変更したら、変更登記が可能です。

 この場合、遺贈者は谷口雅春先生ですが、遺贈を受ける人は生長の家であり、総裁は当時谷口雅春先生ですから、
仮登記あるいは遺言書でも変更は可能です。おそらく、発言当時は谷口雅春先生はそのようなご意志だったと拝察しますが、
その後、谷口清超先生、あるいは別の親族の方のご要請を受けて、ご意志を変更された可能性はあると思います。

 その件との整合性をとるために、著書の一部を改定したのではないか、という話でした。

 ですから、一連の谷口雅春先生の著作の絶版とは、意味合いが違うような気がします。


合掌 ありがとうございます

105トキ:2011/07/07(木) 20:53:10
私の書き込みが続きますが、お許し下さい。

本流掲示板で

>>
赦されべからざること『霊性の目覚め』のこと (3187)

について、思い出した事を書きます。

 谷口雅春先生が、聖典を出版されても、その後、改定された事はあったようです。
私も、古い信徒さんから具体的な例をあげて、聖典が改定された話を聞いた事はあります。

 具体的な部分は差し障りがあるので書きませんが、東山半之助先生の「ざっくばらん」の
中に、信徒の問い合わせに応じて、谷口雅春先生が聖典を改定された事実を書いておられます。

 ですから、基本的な部分に差し障りのない場合は、改定自体はしばしばされていたみたい
です。しかし、基本的な部分を改悪、改竄する事は前代未聞みたいです。

 以上は、ご参考まで。

合掌 ありがとうございます

106山ちゃん1952:2011/07/07(木) 23:15:47
トキ様
谷口雅春先生の著書の修正や改定もしくは検閲、焚書があります。
勿論、先生自ら修正に応じたり、出版されなかったりすることは多くあります。
この項目に関しては私なりにかなり詳しく自分のブログで掲載しております。
それでは本の修正や発禁や削除はどのようにして行われたか記載します。
① 国民総動員法による自主的な出版停止
『生長の家光明叢書』
① 生長の家の経済学(最初はこの本)S10.4.01
② 現代に機會ありや S13.6.5
谷口雅春先生自ら経済的分野の論文を出されています。こうした本は叢書として
10冊あるのですが、全て発禁になる可能性がありますので自主的に取替えをやられています。有名なのは『秘められたる神示』の大聖典『生命の實相』における掲載され
なかった。
② 内務署警保局による削除や修正命令
たとえば『天皇絶対論とその影響』は初版発行のみです。これはかなり内務署警保局の圧力がかかったため、限定販売されております。
昭和15年頃から今まで出版されていた『生命の實相』に削除命令が出されます。
大聖典を購入出来なかった人の為に(本来非売品と記入されていますが、実際は販売されております。また御揮毫入りとそうでないものとに販売価格は異なります。)に菊装版『生命の實相』は削除対象となり本の見返り部分に「削除済」という判子が押されています。
③ 戦後GHQによる検閲と修正と焚書
「生長の家」は占領後の焚書(検閲)に対して占領軍にどのような対策をしたのであるかは『生長の家30年史』に詳しい。P155に山口悌治先生のお言葉に
「谷口先生の著書のリストをGHQに提出することになったが、危険と思われるものは、資料焼失として省いて提出したんですが、向こうは実に精密に調べてあって閉口しました。それでもGHQの中にも好意的な人もいて、旧版『生命の實相』の第十六巻(『日本国の世界的使命』が収録)は不問にして『慨世血の書』とかその他の単行本のみを発禁にして、全集の刊行は許可になったんです。そこで戦後版の全集は第十六巻を「戯曲篇」に変更されたんですよ。やはり占領期間中は低い姿勢でいく以外やむを得ない面が多分にあったんです。」
④ 時代背景の違いによる修正(自主修正)
これも結構沢山あります。
一項目全部無くなっている部分があります。先生みずから校訂され修正された本は意外と多いのです。はしがきに記入している本もあります。
⑤ 本が違う人の翻訳がいろいろ校訂が加わり、谷口雅春先生著作になっている本。
⑥ 戦後GHQによる執筆追放による著作者の変更
 田中忠雄先生か服部仁三郎先生か忘れましたが著作者となっている本が實は雅春先生が書かれていた本がある。

だが今回は理由があるとはいえ「谷口雅春先生の講演筆記」です。そういうことを度々言われていたことを存じ上げていますので、著者と異なる人が修正する場合はやはり説明責任が必要であります。付箋をするなりすればいいことであるのに、内務署警保局のような遣り方には違和感があります。当時の状況を知らないとか言っていますが、方法がおかしく、方策が間違っています。そのように思われても反対に悪く思ってしまう。
また愛国書の絶版とは全く関係ありません。
また年に二冊発行されるというのは4年程守られていますが、それからはあまりまもられていません。

107無関係な人間:2011/07/08(金) 10:20:47
>>106

山ちゃん1952様

 詳細なご教示、ありがとうございました。なるほど、こういう感じだったのですか。
戦前を知る信徒さんとはよく話しましたが、過去の困難な時期、例えば戦争中とか
生長の家政治連合時代の話は、話をされませんでした。個人としての信念は感じましたが、
それが逆に組織へ教訓が残らない結果になったと感じます。

 余談ですが、元憲兵隊関係者で作っていた「憲友会」からは、「日本憲兵正史」
「日本憲兵外史」などの本が出版されています。この本は、自分達に都合の悪い話も
掲載されています。憲兵の汚職や不祥事なども書いています。

 内務省警保局の検閲官は、当時の帝国大学卒業者で、高等文官試験に落ちたような
人が就職していたそうです。軍事関係の事は、憲兵が出向していたようです。

 他にも、谷口雅春先生の執筆内容に間違いがあり、それを信徒さんが指摘して改定
された事はあったようです。

 今後とも、ご教示のほど、お願い申し上げます。

合掌 ありがとうございます

108山ちゃん1952:2011/07/08(金) 15:34:48
無関係な人間様へ
ありがとうございます。よく御存知なので驚きました。
そういえば、信徒からの指摘で直されたというのは聞いたことあります。

私は大変難しい問題を御提示頂いております。それは「年史」というのは悪く
は書かない。
そこの点ですね。だいたい悪いことは簡単に経歴のみで掲載する。
とりわけ信徒数や講習会の入場者数などがそうですね、受講券だけカウントする
という行いですね。
だが、私はある面「年史」とか仕方がない部分もあるのを認めています。

よくない部分は承知です。今後の教訓にもならない事もわかります。それも
承知で記しています。

それではどうするのかであります。一部幹部のみに総括や反省の「実務ノ−ト」
を作成することだと思っています。それには主宰者の高等な判断が求められます。

それは反対に必要だと思っております。それが出来るかどうかは実務者の能力であると
理解しております。

109トキ:2011/07/08(金) 17:15:01
 無関係な人間様、ご投稿ありがとうございます。
今後ともよろしくお願い申し上げます。

 さて、組織の歴史の扱いは難しい問題です。
共産党など、指導者が変わるたびに歴史の評価がコロコロ変わります。
どの組織でも、そういう問題はあると感じます。

 もし、現在の谷口雅宣総裁が失脚し、別の指導者が総裁になり、方針を
一変したとしましょう。その時、谷口雅宣先生の評価をどうするか、という
問題があります。極端な話、学ぶ会が教団の指導部に就任したら、おそらく
は、谷口雅宣総裁の時代は全否定し、抹殺すらするかもしれません。

 しかし、組織文化が続くと、同じ失敗を繰り返す可能性はあります。
その意味で、失敗じたいも正直に記録する度量が必要かもしれません。

合掌 ありがとうございます

110ブログ「雅春先生に訊け」管理人:2011/07/10(日) 14:33:39

>本流宣言掲示板ご投稿中の方々

<本流復活とはなんですか?>

 長々語ると読んで貰えないでありましょうから、シンプルに問いかけを致
します。

● 貴殿方の申される「本流復活」とは、これ、なにを指すのか?

 まずこれが疑問なのです。貴殿方がなにを以って、つまり「どのような状
況の出現を以て」その理想実現の瞬間と捉えられるのでありましょうか?ま
た「それは現総裁の引退だ」と申されるのであれば、「引退後、なにをされ
るの?」と問いかけ致したいものだ、と(つまり「総裁引退」とは、どんな
目的のための「手段」なのでありましょうか)


● 理想のための手段は、有効機能しているのか?

 ・・・ここでは「引退が目的だ」との前提で疑問を呈しましょう。この「現
総裁の引退」を目的とした場合、貴殿方が採用されておられる戦術はこれ、有
効機能しているのでありましょうか?
 たとえば、身も蓋もないストレートな質問をするならば「日本中のトイレに
雅宣総裁の悪口を書くと、その理想は実現されるのか?」と云ったものになり
ましょうか。
 懸念点を挙げるならばこれ、少なくとも愚生の如き信仰歴五歳児にとっては
「雅宣総裁、可哀想」との印象にしかならぬと思うのです。つまり、貴殿方が
批判対象を批判すればするほど、雅宣総裁への同情が寄せられてしまうという
・・・そんな感じなのです。
 ここ、理解できますか?普通、「『生命の實相』を読むくらいの読書階級な
ら」ですよ、トイレの落書きレベルのことを言われると、なにか自然と「そこ
まで言わなくていいじゃないか」な方向に脳みそが働いていくのです。そして
脳内で自然に「雅宣総裁を擁護する方向へ」思考の舵が切られてしまうという
・・・


 うーん・・・運動を知らないんでなんとも言えませんが、まあ、一、教団部
外者から診れば貴殿方のご印象、ほぼ斯くの如しであります。どなた様かお相
手くださると助かります。どうぞよろしくお願い致します。

追伸

 以下は本来、議論後半で提出すべき(細かな)疑問になりますが、まあ、
「現信徒へ覚醒を促す」戦術に関して。

 これにはやや、取り越し苦労とでも称するべき懸念点があります。まず、
貴殿方の戦術が機能し、そして現信徒が動揺したと致しましょう。そして聖
使命会員費(?)が大幅に集まらなくなり、現総裁が財務的にピンチを迎え
たと致しましょう。こうなりますと・・・ここからが既述の「取り越し苦労」
は話なんですが、教団が財務的に追い込まれますとこれ、それこそ生長の家
の聖地等々が、銀行管理下に置かれる事態を招きますぞ。

 まあそれでも「神殿は『生命の實相』である。その事態もやむなし」の合
意が取れれば良いですが、「掲示板雰囲気からはそうは思えない」んであり
ますがねぇ・・・あまり財務的に追い込むと〝角を矯めて牛を殺す〟ことに
なったりせぬかと、懸念するものです。

111ブログ「雅春先生に訊け」管理人:2011/07/10(日) 14:39:35
<修正>

110投稿駄文、終わりから7行目

(○)ここからが既述の「取り越し苦労」な話なんですが、
(×)ここからが既述の「取り越し苦労」は話なんですが、

112義春:2011/07/10(日) 15:32:33
>>110
ブログ管理人さま
自分も一寸感じた事を書いてみますね。
正直なところ、上が変わらん限り、どうにもこうにもならんだろうなって思います。
中心帰一を前提にした組織である以上、活動方針にどうやって逆らえのるかって話です。残ってる人達も分かって残ってる人が、かなりいるのです。

だから、私はやはり、生命の實相の出版権問題が片付かない限り、身動き取れないと思います。まっ、法的には、どっからどう見ても教団が負けると思いますよ。現に裁判官も教団の扱いに困っていたと聴いてます。(※困っていた…というのは、それだけ…残念な感じだと思って下さい)

それだから、向こうさんには、今は組織を温存させる方が、後々再建するのが早いと想うのですけどね。(攻撃してると、今、残ってる人達の反感を買い、後々、又、同じ事に繋がりかねない…というか既に反感を買っている。現に、その流れで義春突貫につながってるのですから。)

113ブログ「雅春先生に訊け」管理人:2011/07/10(日) 16:02:26
>義春さあ

 思い出したうちに書いておきたいことを「書いておこう」以下はそんなネタ
です。

 彦左さんが言及されておられた「本流掲示板・閲覧者」数に関してだけど、
同氏は「500」と観ておられるようだが・・・まあ、愚生私見では「そんな
にはいない」と云えようかと。
 この主張根拠はね、私があそこを追放される前と後からの、ブログ訪問者数
からの類推になるのでけれども・・・大凡、かの掲示板から弊ブログに来られ
る方々は「100前後」なのよ。しかも追放前、後もそんなに変化、見られない
んだよなあ・・・

 かの本流掲示板は、私見を述べれば「10,000人が100回見た掲示板」
なのではなく、「100人が10,000回アクセスした掲示板」になろうかと。
まあそんな影響力と云えようか・・・

以上、余談でありました。

114山ちゃん1952:2011/07/10(日) 16:28:07
ブログ「雅春先生に訊け」管理人
次の質問に答えます。
ただし、答えになっていないかもしれません。

● 貴殿方の申される「本流復活」とは、これ、なにを指すのか?

1.谷口雅春先生の教えを根本にして「拡めていく」ことが正しき正統なる教えだと思います。
2.今の教えとか言う言葉は実際はありません。そのようなことをすると真理が歪められるから
です。「般若心経」が漢文でわからないから「今」の言葉に変えるとどうなるでしょう。
言葉は響きです、言霊から解釈すればいいのであります。だから本流という言葉も正解でしょう
が、やはり「正統」という言葉のほうがいいのではないでしょうか?
3.『古事記』や『日本書紀』そして歴代天皇様の事をいうのが「生長の家」の役目では
ないかと思っています。

ただ復活というのは違うとおもいます。「正統」に戻すだけです。

● 理想のための手段は、有効機能しているのか?

 ・・・ここでは「引退が目的だ」との前提で疑問を呈しましょう。この「現
総裁の引退」を目的とした場合、貴殿方が採用されておられる戦術はこれ、有
効機能しているのでありましょうか?
 たとえば、身も蓋もないストレートな質問をするならば「日本中のトイレに
雅宣総裁の悪口を書くと、その理想は実現されるのか?」と云ったものになり
ましょうか。<

これは難しいですね。何回も言うように「雅宣氏」は宗教家として失格の烙印
を押していますが、悪口を書いてばかりは空しいですね。
それより、正しい事を発言する方が大事になります。
たとえば、皆さんが言われる「谷口雅春先生」の御著書を再販しないとか
兄弟の争いとかは誰が書いても、生長の家と矛盾しております。

だから『七つの燈台の点燈者』の神示を読誦するように勤めましょう。
『懺悔の神示』を読誦しましょう。

そうした、本来の生長の家を実践する事を勤めることが大切です。
手段は敵対しても何も生み出さないように思います。
何れ『生命の實相』も語れない生長の家になります。その時が運命を
定める大事な時期と思います。
いまこそ『生命の實相』を語り!
実相研鑽出来るような誌友会が本来の生長の家です。

それと本当に拡大してから「いろいろなこと」は考えた方がいいでしょう。

115ブログ「雅春先生に訊け」管理人:2011/07/11(月) 06:40:07

>山ちゃん1952 さま

 貴殿のような御仁からまさか、ご回答を頂戴できるとは思ってもおりません
でした。誠にありがとうございました。

 「本流復活とがなにか」に関する貴殿ご投稿文章1〜3ですが、「もう全く
同意」する次第です。本当にこれらを無視して本流復活などないですよね。
(そしてそれ〝復活ですらない〟とのご主張ですが、そこも同意です)

 私はかつて、本流掲示板にて「運動を定義しませんか」と呼びかけました。
http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=471その後の反応は
・・・「あーあ」てな感じのものでありました。まあでもこのトキさん掲示板
であれば、こんな話題も良質のやり取りが可能と見ています。

 今後もよろしくお願い致します。

追伸

 なお精読の上、さらに質問など浮上しましたらその際は、再度ご教授頂け
ますと幸いです。よろしくお願い申し上げます。

120「訊け」管理人:2011/07/12(火) 15:47:22
>トキさま

<削除要請>

116〜119の駄文でありますが、削除を要請致します。

 やはり、榎本恵吾先生のご命日に、このような駄文はふさわしくない
と考えました。よろしくお願い致します。

合掌

121トキ:2011/07/12(火) 16:17:40
>>120

 了解しました。

122「訊け」管理人:2011/07/12(火) 16:22:46
>トキさま

 聡明なる管理人様のご慧眼に感謝致します。

 礼拝













 あっ、ここで笑ってもらわないと、
ほか笑うとこないですよ皆さん。

123トキ:2011/07/12(火) 16:26:34
>>122

「訊け」管理人様

 いえいえ、とんでもないです。脂汗をタラタラ流しております。(笑)

124「訊け」管理人:2011/07/12(火) 17:08:03
(またしてもコメント欄が爆発しています。こちらにて返答しますこと
お許しください)

>茉莉香さま

 いつもコメントをありがとうございます。貴女へ返信しますと前回は、
なぜかブログ記事が「藤原先生写真集」になってしまいました。今回は
アウシュビッツの画像がなぜか突如・・・

 いやさて本題に。着眼点をお褒め頂き光栄です。まあなにか、貴女と問題
意識が似ているのでありましょうね。今後もよろしくお願い致します。

>広大なる慈門さま

 いつもありがとうございます。貴ブログの営業マンになりますので、
返信の不手際をお許しください。

【同氏ブログです】
http://volvo.white.coocan.jp/

>らん..♪ さま

 六文の定やん・・・あれは本当に感動しますよね。書き写していても
笑いと涙が止まりませんでしたよ(笑)またよろしくお願いします。
 ちなみに藤原先生を「ライヴで」ご堪能されたのですか・・・嫉妬します。

>マダム・カラスさま

 ああ、あの歌は「堅信歌」というのですか。素晴らしい歌ですよね。
あの歌は何度か聴いていたんで、暗記しちゃいました。他にも生長の家の
歌ですけど、youtubeにアップされると良いですよね。また、よろしくお願い
します。

125トキ:2011/07/13(水) 11:20:16
 理想世界の昭和46年7月号を読みました。

 第23回青年会全国大会が5月3日に台東体育館で開催されました。
その記事が掲載されているので、紹介させていただきます。

 2日目の5月4日の午後から、当時、青山学院大学1年生だった谷口雅宣先生が
初講話をされています。昨年のブラジル訪問と大学生活の話をされたとあり、
「少し上気気味」で「ユーモアを混じえた素晴らしいお話」とだけで、具体的
な事はわかりません。

 ただし、 理想世界の昭和46年5月号には、世界にのびる生長の家青年会と
題して座談会があり、徳久日出一氏(徳久克巳先生のご子息)、ブラジル青年会会長の
本田諌雄先生(故人)ご夫妻、井脇ノブ子氏(元衆議院議員、小泉チルドレンで有名)
と交えて谷口雅宣先生が座談会をされています。
 この座談会で、目立つのはやはり井脇ノブ子氏で、率直に申し上げて谷口雅宣先生
は一番、存在感がないのです。(これをご覧でしたら、お詫びします。)彼女は当時、
大学院生ですが水泳教室を開き、マスコミでも取り上げられていたようです。
 谷口雅宣先生は、

「僕は、生長の家青年会会員について考えてみた時、青年会というのは誰の事かと言えば
僕の事なんですね。」

と言われていまして

「生長の家の運動と自分の生活を2つに分けておいて、自分の生活に都合良い時のみに
それを表明し、悪かったら隠しておく ーそういうのではいかんのじゃないかと思うので
す。(P65)と書かれております。

とも言われています。

 ここから先は憶測ですが、谷口雅宣先生が大学生になったので、後継者として講話や
座談会にデビューされたのですが、御本人はいまいち、乗り気でないというか、
戸惑っている、という印象が残る誌面でした。

 以上、ご参考まで。

合掌 ありがとうございます

126山ちゃん1952:2011/07/13(水) 11:49:09
トキ様
懐かしいですね。
初めて全国大会に参加したのが「台東体育館」です。昭和45年と昭和46年は参加
しています。
前年の日比谷公会堂での日の丸運動での「雅宣」氏の話の方が憶えています。
その時はまともでした。(失礼)

127トキ:2011/07/13(水) 20:48:59
>>126

山ちゃん1952様

 若い頃はまともだったのですね。年齢が行ってからおかしくなる、というのは珍しく
ないですが、やはり若い頃にやんちゃをしても、年齢が行ってからは落ち着かないと。

 しかし、昔の理想世界を読んで感じるのは、生長の家政治連合もそうだし、百万運動
もそうだけど、正しいとか間違っているとかの問題ではなくて、こういう運動に命をかけ
た人達がいる、という事実を、ありのままに記録に遺すべきだと思います。

 これは、当時の運動方針をそのまま、現代に再現するという主張ではないです。
当時は共産党や共産主義が跳梁跋扈しておりました。しかし、現代では共産主義の間違い
は周知の事実です。違う脅威が登場しておりますから。

 ある意味では、あの時代の「業」が、今日の混迷の背景となっているとも思います。
否定的な意味ではなく、肯定的な観点からも、どんどん体験者の方の投稿を期待したい
です。

合掌 ありがとうございます

128山ちゃん1952:2011/07/14(木) 12:08:59
トキ様

そう思います。
だが、現在の活動との乖離があり今の人では引いてしまうと思います。
中には感動する人も多く存在します。
100万運動当時の活動指針や方策や報告書は現在では残っていないと思います。
だが活動状況などはある人が所有されていると聞いていますが、総括として記録
に残すのかどうかはわかりません。

たとえば『燃ゆる青春』『燃ゆる青春 第二』など貴重な体験集です。
そういうのは破棄されたと聞いています。

それと隠れ蓑としての共産主義の台頭があります。たとえば「九条の会」などは
まさしく「白い共産主義」でしょうね。また今の「反原発」に象徴するような
主義はまさしく「国家」よりも「個人」という主張が正しいという誤解がります。

民主党政権となり国家に対する瓦解がおきています。
”日の丸”か赤旗か-それが聞きたい という谷口雅春先生の御著書をもう一度振り返らないと
いけません。

129トキ:2011/07/14(木) 18:31:45
>>128

山ちゃん1952 様

 『燃ゆる青春』『燃ゆる青春 第二』は、貴重な資料です。評価は別にして、保存して欲しいです。

 共産党の元活動者と最近、お酒を呑む機会がありました。
民青からの生え抜きで、永年、共産党と共産主義の理想を信じて活動をしてきた人です。
 その人がしみじみと話していました。

 「私の青春は、民青だった。が、私の青春には、何も楽しい事はなかった。」

 どうやら、組織の道具とした利用されていた実態に気がついたみたいです。

 省みて、私は生長の家青年会で活動をしてきて、確かに不合理な事も、嫌な思い出もありますが、
それでも、後悔はないです。どうしてか、というと、多分、「情」というものがあったからだと
感じます。学べた事、経験した事は貴重な財産ですし、得難い友人を得た事も感謝しております。

 こういう経験を今の青年会の諸君ができているのか、気になります。

合掌 ありがとうございます

130山ちゃん1952:2011/07/14(木) 23:16:09
トキ様
『燃ゆる青春』に私は掲載されています。
あの当時の青年会は今も友達です。
いろいろな苦難もあり、喧嘩もしました。ほとんど寝ないで活動しました。
でも、私は誇りをもっています。
いまだに動員とか成績では破られた事のない記録があります。
練成会では当時高校生では10名〜20名の数でした。中学生では30名がやっとでした。
それを150名動員したり、小学練成では参加者は100名程度でしたが最高
350名参加して教化部のほうから怒られました。人数多すぎで怒られました。

たった一人の誌友会を常に20名超える誌友会にしたり、最高50名参加して
これも多すぎのため怒られました。(笑)

そうした活動に誇りを持って行っていました。

132トキ:2011/07/15(金) 11:53:23
山ちゃん1952様

 本当に、青年会の頃は寝食を忘れて活動をしていましたね。よくやったと思います。
たぶん、山ちゃん1952様の頃だと、ものすごい活動をされていたと思います。
 あの頃の仲間は、ほんとうに生涯付き合える人です。
あー、懐かしいです。と、懐古趣味に走ってはいけないので、頑張ります。

合掌 ありがとうございます

133緑の意思:2011/07/15(金) 13:24:10
トキ様
うーん、個人的な想いで色々あって書き込んでしまいましたが、統〜のあたりは失言でした、
>131削除願います。

134トキ:2011/07/15(金) 13:38:00
>>133

 気にされるほどではないとは思いますが、御希望通り、削除しました。

合掌 ありがとうございます

135緑の意思:2011/07/15(金) 14:16:28
トキ様、お手数おかけしました。そうなんです、気にするような重要発言はなんにもないんですが、個人的に。
私は組織の歴史を知らなくて、トキ様や山ちゃん様のような先輩の話で勉強させて頂いています。
表面的な活動だけして組織のアラがみえれば、それらしいことを言って非難することはやめよう、と思いまして。
でも昔の活動や生長の家の歴史を知る方々に、いまの組織の中で教授指導頂いたら、どれだけそれを知らない若い人たちが燃えるだろうな〜と、本当にもったい想いが強くあります。
なので、私も勉強して頑張ります。これからも学ばせて下さい。

136緑の意思:2011/07/15(金) 14:17:58
◯山ちゃん1952様
×山ちゃん様

137トキ:2011/07/15(金) 15:17:47
>>135


緑の意思様

 こちらこそ、宜しくお願い申し上げます。

 余談ですが、かぴばら様ならぬ、動物の「カピバラ」のサイトがありました。
存在を初めて知ったのですが、かわいらしいです。

http://capybara.eek.jp/
カピバラ大好き

合掌 ありがとうございます

138山ちゃん1952:2011/07/15(金) 15:22:26
緑の意思様

組織の歴史というのを学ぶというのは大変大切な事です。その歴史を知らない
ため、そこに生きた人物やその土壌に這えた人脈などわかりようがありません。
これは何回も申し上げているのですが、現在”社会運動の状況”という云って
みれば反生長の家です。それがどのように生長の家を見ていたのか等は重要な
歴史資料であります。生長の家では”30年史””40年史””50年史”と
歴史の編纂を行って来ました。

しかし、生長の家では教勢などは書かないでいたり、人事における左遷なども掲載していま
せん。悪くは書きません。
そうして教えられるのもいいのかもしれませんが、事実は隠してはいけない箇所もあります。

よく云われる講師が病気にかかると”それに対して云わなくなる”
「あの人は”病気はない”と言っていたんじゃないか”と蔑まれるのじゃないかと
ある意味、戦々恐々としているのです。

そうした事、は真理に対しての本人との思いが乖離しているのです。あまりにも
”他人に云う”のと”自分の行い”とが乖離している。

それが平気になるのです。平気になるのはいいのですが。自分に枠を作り
”こうでなければならない”と勝手に思い込むのです。

生長の家で講師と言われる人の御子息は”生長の家”に無関心であったり、
反発さえしている。だからほとんどが生長の家を継ぐような人はいません。

そこが非常に問題なのです。緑の意思様はどう考えますか?

139緑の意思:2011/07/15(金) 18:07:47

真理と行動の乖離は、往々にしてあることですが、例えば、病なし、を日頃講話されていた道場の講師が病気で入院されましたが、一般練成員はもちろん、職員にも、亡くなるまで徹底して病気を隠していたのを知った時、何か…痛々しいものを感じました。また青年会でも親が幹部活動者で、ウチに帰るといつも組織の悪口を言っていたから、絶対活動はしない、と言ってる人もいるので…講師や幹部ほど、そうした面が露わになりますね。
教義と人の行ってきた組織の歴史の乖離を、残せないものがあることは理解しました。

何というか、今は先人の想いまで消してしまう雰囲気が組織にいると感じるので、それが悔しくはなります。

歴史を学ぶというのが、難しい面があると理解しました。
しかし、人類光明化の歴史を受け継ぐという意識を持てると持てないとでは、全然違いますので、そういう想いまで消されて欲しくはないなと思います。

140志恩:2011/07/16(土) 08:26:40
(私も学ぶ会には,行きません。義春センセイ同様,私も次回もユーチューブでの放映を失礼ながら期待しています。今、復興G様ご推薦の村上和雄先生著書「奇跡を呼ぶ100万回の祈り」を読んでいるところです。
本流宣言掲示板が、見誤って追い出した皆様、トキ様の集会所へ集結されてますが、実はとんでもなく優秀な方々ばかりですのに。あちらの宣言管理人様の眼は、まったくもって節穴です。)

「生長の家政治連合」を立ち上げるにあたり雅春先生のご指示により素案を作成したお方は、雅春先生のご指名により、最初は、一人でされてたので存じています。
そのお方の作った素案が、雅春先生のご許可を得て完成し、政治局を立ち上げ政治局局長となり、政治について最後の最後まで携わって全国指揮をされていたお方は、元企画局の大狭 麗三(おおはざま れいぞう)先生というお方です。
(ずっと後に、大狭先生は、裝道(礼法きもの学院)へ講師としてヘッドハンティングされ、礼法の著書も出されました)

政治に手をつけられたのは、何年だか、わかりません。s37~40頃。大狭先生は、当時30代後半。(私は20を過ぎたころ)最初は、先生は、一人で素案作りを始められましたが、下準備下調べがまた大変でね、
厚生省、国会参議院議員会館・衆議院議員会館。その他、、、、、、行きました。優生保護法、その他の法制化をめざしていたので。
私も雑用係で、大狭先生にたのまれて先生と二人で行きました。これという書類を手分けして、一日かけて書き写すために。(コピーもない時代)
当時は、お給料も安い上に、残業手当も0。なのに、先生は,毎晩遅くまで残業されてました。
雅春先生の想いをどのように政治にこめて行くか,どのように全国の組織に発信してゆけばいいのか、試行錯誤の連続でおられ、私は、ささやかながら全国の組織に発信する書類を和文タイプに打つ,お手伝いもさせて頂いていました。

大狭先生は、とても優秀でいらして、情にも厚く、企画力・判断力・統率力の全てを兼ね備えておられた総合的バランスに長けた先生でした。
先生が、政治局を立ち上げてからは、私は、関わっておりませんし、その後のことはわかりません。
理論的なことは、トキ様がお調べのようですから、トキ様の方がお詳しいと存じます。
生長の家には、現在ももちろんおられますが、目にみえないところでお金に関わり無く、命がけで、人類光明化運動をされておられるお方が、たくさんいらっしゃるんですよね。ですからね、私は、信徒の一人として
こういう先達の方達のあのころの貴い想いを思い出し考えますと、本来あるべき姿に、、、と強く期待して,ついつい身分不相応な生意気なことを申し上げてしまって。すみません。

142志恩:2011/07/16(土) 09:19:12
目に見えないところで命がけで光明化運動されておらる方々が、「今もおられる」と書きましたが、
それは、この集会所における トキ様・義春様 情報によるものです。
私は、いまのことは、末端信徒ですので、存じ上げないのです。

143志恩:2011/07/16(土) 09:20:49
トキ様
すみません。141を削除、おねがいします。

144トキ:2011/07/16(土) 09:25:46
>>141

 了解しました。

145トキ:2011/07/16(土) 21:47:16
>>140

志恩 様、貴重なご証言をありがとうございます。大狭 麗三先生の事は初めて知りました。
こういう事は本当に記録しないとダメですね。公式の歴史では知る事のない証言です。
理論的な事も他の方のほうが詳しいと思います。本当に勉強になりました。
感謝申し上げます。

裝道(礼法きもの学院)の山中先生も確か生長の家の方でしたね。
青年会活動の経験があると聞いております。

 今後とも、貴重なご証言を期待しております。

合掌 ありがとうございました

146トキ:2011/07/16(土) 22:05:59
中公新書クラレ 歴代陸軍大将全覧(昭和編/太平洋戦争期)
半藤一利、横山恵一、秦郁彦、原剛 共著 P179より抜粋

*この本は4名の歴史家の座談会形式でまとめた本ですが、生長の家
が登場したので、ご紹介します。

田中静壱大将の部より

 田中大将は、フィリッピンを守備する第14方面軍の司令官として赴任
しましたが、セブで発熱し病状が悪化します。

(原)18年5月初旬、東城(首相)がマニラに来て田中の病気が重いのに驚き、参謀
本部付の発令になります。(中略)そのまま第1陸軍病院に入院しますが、衰弱は増す
ばかりでした。天皇は田中に特に葡萄酒を下賜し「とくに大将に進級せしめよ」と言われ
田中は9月に大将に親任されるのです。

(横山)10月になると、血圧、体温が極端に下がり、軍医もサジを投げました。その
月末、夫人が信仰している「生長の家」の中島講師が面会謝絶の病室を訪れ、この宗教
の基本聖経である「甘露の法雨」を枕頭で読み始めます。中島が読み終わると、田中の
瞳に希望と歓喜の光が溢れ、その夜、寝汗をかかずに安眠し、翌日から食欲もまし、体力
を回復していったそうです。

(半藤)本当は死ぬはずの人が治っちゃうのでしょう。なんとも不思議な話ですよ。
田中を調べていくと「生長の家」が出て来るので、書きづらくて書きづらくて。
「そんな事があるのか」とも書けないし。

(以下、略)

ちなみに、病気が奇跡的に回復した田中大将は、東部軍司令官になり、終戦時の
近衛師団の反乱を見事に鎮圧したあと、責任をおい自決されています。この田中
大将がいなければ、クーデターは成功し、戦争はあと数ヶ月継続した可能性が高
いと言われています。

 以上、ご参考まで。

合掌 ありがとうございます

147ぼるぼ:2011/07/17(日) 23:20:24
本流の伝統さんのスレッドに初投稿してみた。

ただし、雅春先生の詩集スレッドだから余計なメッセージは省略した。

古い生政連の小冊子にあった護国の神剣の歌詞である。

ここにもコピペする。

護国の神剣ー生政連讃歌=NEW (3403)
日時:2011年07月17日 (日) 22時12分
名前:広大なる慈門

釈尊出でてわが国に
聖王うまれ天が下
すべての民を救うぞと
弥勒下生の聖経に
預言し給ひし時いまぞ

また黙示録は預言せり
されど其の日の来るまでに
サタンと呼ばるる赤き龍
暫し檻より放たれて
四方の国民まどわすと

古事記の預言に照すれば
このサタンなる赤き龍
八岐遠魯智と称されて
瑞穂の国の稲田姫
ひと呑みにすと身を構う

この時姫を救わんと
須佐之男神いでたまい
天授の神剣うち揮ひ
赤き龍をば寸断し
姫を危機より救いけり

この須佐之男の神剣は
実相真理のつるぎなり
剣は神人両極を
真釣り合わせる神政を
奉じて起ちし生政連

この神剣のある限り
如何なるサタン窺うも
鉄壁の護り堅固なり
この聖使命受けて起つ
天使の集団生政連
護国の使命受けて起つ
天使の集団生政連


     <日本の政治と宗教ー護国の神剣ー、谷口雅春より>

生政連という理念は、今日の日本においてなおさらに現実化する必要があると思う。

戦後日本がアメリカの占領下にあり、今もなおその重石の下で国民が呻吟しているのである。

そもそも、占領下で発布された日本国憲法という作文に原因があることは明らかである。

ならば、さっさと日本国憲法を閣議で無効宣言し、帝国憲法の改正により時代の要請にあった法体制にすればよいのに、これが遅々として進まない。

すなわち、戦後の日本政府が売国奴に牛耳られているからである。

自民党も民主党も同じ穴のムジナである。

なぜ、サンフランシスコ講和条約で国連との和解をして戦後日本がスタートしたのに、足を引張て、東京裁判の呪縛に国民を縛りつけるのか。

昭和60年の中曽根内閣の時、国会における土井たか子の質問と外務省の小和田氏の出来レースが元凶であるという指摘を渡部昇一さんがしている。

中曽根は大勲位、小和田氏は皇太子妃の父という見せかけの権威で国民を騙し続けてきた。

中国と韓国になんで不自然にペコペコしている理由が、ここにある。

今日見たYouTubeを紹介します。

http://www.youtube.com/watch?v=VA1H2x9L_gs&feature=youtube_gdata

148河本:2011/07/18(月) 04:32:50
先生方、
愛国「本流☆生長の家」でも
ぜひ、いいお話を御投稿下さい。

http://bbs7.sekkaku.net/bbs/415415.html

149志恩:2011/07/18(月) 08:11:47
「護国の真剣ー生政治讃歌」をお載せ下さって、ありがとうございました。生政連という言葉もとても懐かしいです。
大狭 麗三先生(愛称ーおっぱ さん)もご生存中で、これをご覧になられたとしたら、涙目で懐かしがられると存じます。


それから、別途 佳い新スレッドもできたのですね。拝見しました。ネーミングもいいですね。
愛国「本流☆生長の家」


トキ様のところは、次回は、どんなネーミングをされるのでしょう。たのしみです。

150志恩:2011/07/18(月) 08:13:46
生政治→生政連

151ぼるぼ:2011/07/19(火) 11:13:21
古い生政連の小冊子「日本の政治と宗教」をめくっていっていると、志恩さんが書かれた大狭氏の名がありました。

昨年の暮も押し迫った12月29日のこと、福田赳夫さんが、お山に尋ねて来られたのであります。総選挙の分析と今後の政局の動向にについて暫く話し合ったのですが、共産党の進出によって政局はいよいよ多難となり、49年の参院選では与野党の差が逆転するといふ非常な危機が予想される、ということをお話になりました。
インナ
発表しても差し支えないと思われる部分の話の内容を要約すると次のようになります。

福田さんは選挙前の観測では共産党がこれまでの14議席から20台に乗るかどうかと思っていたと言うんですが、38議席を占めるに至ったことに、自民党としても反省しなければならないということ、共産党員の熱心な隣人に対する日常活動の成果と、田中内閣の日中国交樹立が共産党に対する恐怖心を取り除かせる結果になったこと。

自民党が中国ブームに乗って日の丸ワッペンからパンダワッペンに切り替えた事への批判、日本列島改造論への批判等々、選挙の分析と反省はいろいろありましたが、これらのことは「生政連ニュース」1月1日号に生政連本部の大狭君が詳しく書いている、云々


という箇所で、大狭氏の名前が出てきました。志恩さんが書いているので目に止まった次第です。

なお、政治は昔から、権力闘争であります。今日の日本は、当時福田さんや雅春先生の危惧した事態になってしまいました。

政界は大浄化されなければなりません。

新しい生政連を担う若者によって、生長の家の再建と同時進行で生政連も再建される必要があります。

152トキ:2011/07/19(火) 13:30:16
ぼるぼ 様

 貴重な資料のご呈示、ありがとうございました。

 当時の熱い雰囲気がうかがわれます。あの頃は、共産党が政権党になる可能性を
共産党自身も考えていた時期でした。あの時代の事は、きちんと記録されなければ
いけません。
 具体的な政治状況は当時とは違いますが、その精神は学ばなければいけないです。

 新しい資料や当時の思い出など、今後も投稿をお願いします。

合掌 ありがとうございます

153志恩:2011/07/19(火) 19:58:31
ぼるぼ様

そうでしたか、古い生政連の小冊子に、生政連本部の”大狭先生”のお名が記されていましたか。うれしいです。お知らせ下ってありがとうございました。

谷口雅春先生が政界の清浄化を思い起たれたのは、信徒だけでは、日本の真の清浄化はできない。やはり、政界に宗教も出て、強い愛国の念から発しられた自主憲法制定や、いのちを護る中絶防止の優生保護法などなど、國として
法制化されなければ、國及び政界の清浄化は、絵に描いた餅に過ぎず実現しないと思われたからだと,当時、うかがっておりました。生長の家から玉置和雄先生が参議院選挙に立候補され、そのときは、本部講師、全職員、
そして全国の組織を挙げて
選挙運動も活発に行われ、玉置先生は、見事トップ当選され、喜びに沸いたことを覚えています。玉置和雄先生の秘書は、当初二人おられて、男性は村上先生、女性は、寺内様でした。のちに村上先生も国会議員になられましたね。
玉置和雄先生は、谷口雅春先生のご意思を実現するため頑張られましたが、法制化には、国会議員の過半数の賛成票が必要で、それが得られず、法制化には、至らなかったのですよね。

それをもって、政治運動したことは、まちがいであったと結論ずけるのは,愚かであると存じます。雅宣先生は、そう結論ずけましたが。なにごとも、無駄はなかった。よい経験だったのはないでしょうか。

福田赳夫先生は、私が本部在職中、まだ彼は総理大臣ではなくて、自民党の幹事長時代でしたが、本部にいらして、小道場で本部講師・全職員を集めて、講演をされたことがありますよ。なんのためにいらしたかは、おぼえていませんけれどW

鳩山一郎先生(元総理大臣)の奥様の ”鳩山 薫様(教育者・元共立女子大学学長)”が、私の本部在職中、2度 原宿本部にお忍びでお越しになられ、谷口雅春先生・輝子先生ご夫妻とお話合いにこられたことも覚えています。
2階の会議室でご歓談されてました。1時間半〜2時間ずつでしたよ。鳩山薫様は、クリスチャンですが、生長の家の熱心な信者でもいらして、文京区音羽のご自宅「音羽御殿」の離れで、毎月白鳩会支部も開いておられたほどでした。

私は、平の職員ですが、お山係の一人でもありましたから、(雅春先生ご夫妻担当の)会議室へ鳩山様をご案内したり、途中、ご歓談中の合間にお茶のことで、室内に入ったりしましたから、とても和やかにご歓談されてる様子も見ています。

雅春先生時代は、このようにトップの政治家さんたちも、雅春先生にご相談にこられていた訳です。それだけ、人間的にも絶対の信用がもたれていたからだと存じます。

154志恩:2011/07/19(火) 20:12:48
あの生長の家に熱心でいらした気品がお着物を召されておられるような”鳩山 薫”様のお孫様でおられる
鳩山由紀夫様・邦夫ご兄弟。

特に,兄、由起夫様の情けなさ!!信じられません。
あのお方も戦後教育・日教組によって毒されてしまった最左翼の思想家ですからね。フリーメーソンともいわれていますよね。

育て方が、どうのとかいう問題じゃないと思います。
悪徳 教師軍団によって、毒されたんです。!!!

雅宣先生とおんなじ大○○な男です。!!!!!!

155義春:2011/07/19(火) 20:27:23
>>154
志恩さま
激しく同意します!ポッポみたいな…ポッポみたいな奴がいなかったら、中川昭一先生も死なんで済んだのに…こんな事にならんかったのに…いや、中川(酒)先生のお葬式に参列して、お子様の姿見て泣いた口なので。

中川昭一先生の奥様からの御礼状を今も持ってますが、たどたどしくて練れた文ではないけど、その分、奥様の心が籠った御礼状でした。

…ふと思い出した事を書いてみました。

156志恩:2011/07/19(火) 20:56:51
義春様

激しくご同意くださって,サンキューです。義春様が、中川昭一先生のお葬式に参列されてたとはね。

最近の生長の家の教えは、『ノーミート」が、全面にでていますが、できれば、あのはとぽっぽを、焼き鳥にして、喰ってしまいたいくらい腹立たしいです。

157義春:2011/07/19(火) 21:09:23
>>156
志恩さま
友達に自民党の兵庫県議の学生秘書がいて、誘われましたんですよ。良い漢が志半ばで死んだんだから、弔いたくなって、バスに飛び乗ってました。

…あの鳩の丸焼き食したら、宇宙人になるので食べたくないですね(笑)むしろ、浄心行の浄火の炎で、浄化して下せい…と。

158トキ:2011/07/19(火) 21:24:00
>>155

 中川昭一先生に関しては、ジャーナリストの上杉隆氏の著書で、こんな事を読んだ事があります。

 朝日新聞の本田某という記者が、「中川昭一先生がNHKの番組に圧力をかけて改編させた」という報道をしたのですが、
上杉氏が中川先生に取材をするときっぱりと否定されました。そこで上杉氏が中川先生の行動記録を調べると、中川先生が
NHKに国会内で圧力をかけたとされた日の前後には、中川先生は国会にいなかった、という事が証明されたのです。これは
国会の公的な記録です。しかし、上杉氏がいくらその事を主張しても、朝日新聞は全く謝罪しなかったと言います。自社の
メンツを守る為に、ウソを突き通す姿勢に上杉氏は激しい憤りを感じたと言います。

 他にも、例えば、相撲の貴乃花親方が暴力団と関係しているという報道をし、それが否定されても訂正記事を出さないなど、
どうかと思う姿勢があります。

 谷口雅宣先生ご推薦の朝日新聞ですが、あまり推薦を真に受けないほうがいいみたいです。

合掌 ありがとうございます

159義春:2011/07/19(火) 21:55:55
そういえば中川昭一先生の葬列に並んでいると、私の前に猪口邦子さんがいましたよ…落選されていたからして、遠慮なされて一般の列に並ばれてました。堅い表情で、何度かお迎えがありましたが、最初の方は、断られてました。

思想は全く合わないですが、一般の列に並んでる姿は立派なものだと感じたものです。

160山ちゃん1952:2011/07/19(火) 22:29:05
『GHQ焚書図書開封』西尾幹二著という本を以前に読みましたが、焚書というのは昭和3年1月1日から昭和20年9月2日までの期間に刊行物が公刊されたのが22万タイトルの発行である。
それを審査して、7769点に絞って「没収宣伝用刊行物」に指定して焚書を行った。
そうしたリストを作ったのは占領軍ですが、実際没収作業を行ったのは日本政府です。
確かに、戦後の出版物に対する規制は検閲です。そうしたことも占領軍はおこないつつも焚書行為も行ったのであります。現在の教育現場で墨塗り教科書などは教えられたりします。実際検閲ということは以前から知っていました。また皇国や大東亜戦争や聖戦などそうした言葉などの規制も実際行っています。だが、そうした歴史が封殺されようとしている。GHQの検閲に携わる人の募集は英語の翻訳ができ、知性があり大学の教授や専門的知識のある人も多かったと思います。戦後まもない職もない、大変な時期でしたから同情も出来ます。だがそうした人は革新自治体の首長になったり、大会社の社長や有名なジャナリストであります。それに携わった人数は8000人〜1万人ともいわれ、ほとんどの人が口を閉ざしたままです。
こうした検閲という自国の歴史を裁いた人達は平然として暮らしているのです。
歴史を裁き、人をも裁き社会を裁いているのです。
発禁書の多くは新聞社が発行した書物が多いのも皮肉である。国威掲揚とはいえ、今の変わり身は哄笑するしかない。

161志恩:2011/07/20(水) 04:59:17
山ちゃん1952様は、なんでもよくご存知でおられますね。

詳しい情報、ありがとうございました。戦後、日本政府は、GHQとつるんで、このような膨大な図書を焚書にし、売国奴行為をやっていたんですか。
それで,政府のみならず、それらを行った知性のある一般人達も、今は、上部の人間として平然と生きているとは、ひどい話ですね。


それから
トキ様がおっしゃるように、朝日新聞は「捏造記事」が多いということも、よくいわれていますよね。例えば「南京大虐殺」にしても小説から歪曲して事実であるかのように記事にしたり、「爆撃された上海駅・1937』の写真も「捏造写真」と証明されているのに、
嘘の写真を続ける。
一番問題にされているのは、国内の問題をわざわざ外国に出向き、その半分は捏造とも言える内容を外国人に焚き付け、故意に外交問題に発展させるようにしたりしてる事実。そこまでして金儲けしているメディアは,朝日新聞しかないそうですね。
国賊新聞ではないでしょうか。

谷口雅春先生は、朝日新聞 = 赤旗(共産主義の新聞、最左翼新聞)と、公然とおっしゃっておられました。

なのに、雅宣先生は好んで 朝日新聞、日本経済新聞から様々な記事を引用されてブログに載せています。その思考回路もやはり、最左翼頭脳の証ですね。

162トキ:2011/07/20(水) 19:52:50
<口上>

証言 村上正邦 ー我、國に裏切られようとも (魚住 昭 著、講談社 2007年10月10日)

の一部を紹介します。村上氏は、言うまでもなく、生長の家政治連合の当事者のお一人であり、
その証言は、貴重なものです。以下、数ページを使いますが、ご了承のほど、お願い申し上げ
ます。

163トキ:2011/07/20(水) 19:56:41
(以下は村上氏の著作からの引用です。生長の家政治連合から出馬していた玉置和朗氏の動向
から始めます)


ところが、二月に入って思わぬ事態が起きた。玉置が参院から衆院へのくら替えを表明した
んです。玉置は生長の家の組織票で過去三回の参院全国区に当選してきた男です。それが衆院
にくら替えするということは、生長の家との関係を断絶させることを意味していた。
 そうなった理由はいくつかありますが、結局のところ、生長の家と玉置の間の溝が埋めよう
がないほどに大きくなってしまったということでしょう。

 直接のきっかけは、前年八月に参院全国区制度改革のための公選法改正案が成立したことで
した。全国区の選挙には大変な金がかかる。候補者は全国をかけずり回って体力を極端に消耗
させる。これではいけないというので全国区をやめ、比例区を導入したんです。
 この制度改革の旗を振ったのが玉置でした。それを教団側の一部の幹部が「玉置は自分の利
益のために勝手に制度を変えたんだ」と誤解したんです。
 それに比例区の名簿順任は候補者が獲得した党員数や党への貢献度で決まるので、当選させ
るには、生長の家の誌友(信徒)を自民党の党員にしなくてはならない。信徒が党員になれ
ば、生長の家は自民党の下部組織になっていく。それは教団側にしてみれば宗教組織の根幹に
関わる問題だったわけです。
(p157~158)

164トキ:2011/07/20(水) 19:58:47
玉置が教団と絶縁した理由はもう一つあります。これは教団の三代目である谷口雅宣さんの
玉置に対する不信感なんです。
 二代目総裁の清超先生は初代の雅春先生の実子ではありません。若いときに肺結核にかかり
『生命の實相』を読んで救われたのをきっかけに生長の家に入られて、教団の雑誌、出版物の
編集をしておられた。
雅春先生の原稿を毎日取りに行く。そのとき玄関に出て応対されたのが、雅春先生の長女で
ある恵美子先生なんです。お二人が結婚されて雅宣さんが生まれた。雅宣さんは青山学院大を
卒業して産経新聞の記者になった。
 ところが雅宣さんは支局勤務のままで、すぐに本社の政治部に上げてもらえなかった。それ
が玉置の差し金じゃないか、雅宣さんが政治部に果て玉置の政治的動きを全部知られたら困る
から、玉置が圧力をかけて本社に上げないようにしたのではないかという俗っぽい話になって
いるようだと、当時、玉置がぽやいていました。
 もちろん玉置はそんなつもりは毛頭ないと弁明したが、そのうち雅宣さんは産経を辞め、教
団に帰ってしまった。まもなく私と玉置は教団の全国教化部長の会議に呼ばれて、
「なぜ勝手に選挙制度を変えたんだ」
 と幹部たちからやり玉に挙げられ、雅宣さんからもお叱りを受けた。その時、私が前面に立
って、
「そうじゃないんですー・」
 と弁明しました。玉置自身は制度改正をよかれと思っていたし、私もそう思っていた。独断
でやったわけではない。生政連で機関決定して進めたことなんです、と説明しても教団の不信
感をぬぐえなかった。
 ちょうどそのころ、かつて玉置がつかえた早川崇先生が病死して、和歌山二区の後継者の話
が持ち上がった。それで玉置は、
 「生長の家からそんな糾弾を受けるくらいなら、俺は衆議院に行く」
 と決心して、その直後に衆院選で無事当選を果たした。
(p159~160)


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