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生長の家政治連合と「今の教え」を考える
88
:
山ちゃん1952
:2011/07/01(金) 10:37:55
義春様
大東亜戦争の勃発時の国民の状況というのは凄まじいものを感じます。
当時の新聞や雑誌等は非常事態を煽り、国民は疲弊していたのにも拘らず
それを推進していた部分もあります。
また、食糧難や物資の配給等戦前でもありました。しかし、戦争は駄目だとは
簡単に言えます。だが当時の状況下で果たしてそういうことが言えるかどうかは
が難しい所であります。
国民は騙されていたということも簡単に言えます。だが、国際的にもそうした国
が多かったのも事実であります。
私も近世の歴史をあらゆる部分で見た時に「15年戦争」とかいう大学教授はいますが
決して歴史というのはそういうスパンではみれない。
たとえば、明治時代の「岩倉使節団」からの日本の脅威の発展は江戸時代の優れた技術
というのがあればこそなんです。
それを無視して日露戦争や日清戦争は語れないのです。それこそ江戸時代は未開の
地であった日本が何の技術もなく、たとえイギリスやドイツの技術者を呼んでも
そこまで到達するかは疑問であります。
そこには”文字書き”が出来る要素があり、語学を学べる要素があったからなのです。
「逝きし世の面影」は渡辺京二著の大著であります。江戸時代の後期の日本人の人物像
を探るには欠かせない書物であります。
また「江戸という幻影」という書物も見ごたえがあり、いかに日本人が生きたか
また現在とあまり変わらない生活にびっくりされると思います。
また、大阪では町人の町ですが、だからと言って武士の人数はどうだったのかしっかり
判別できていません。だが武士と商人との格差というのを感じなかったというのが
判明している所です。
戦後66年、どれだけのことを私を含め知っているのでしょう?
自虐的史観だけでは到底歴史はわかりません。
今は「生長の家」からそうした専門的な分野で博識な人は
いません。
まだ、私が青年会時代は歴史に詳しい人は何人もいました。勿論
憲法についても同じです。
運動もやりながら必死に勉強していた人ばかりです。
千葉県教化部長を歴任された安東先生は博識であり勉強家でありました。
家には蔵書といわれるものが30数年前でも2万冊はあるといわれていました。
森田先生もそうですね。一度聞いたことがありますが「数えたことが無い」と言われましたが
大宰府では家に書斎を作られています。
私も天皇陛下の関連書物は1000冊は超えます。憲法や歴史や大東亜戦争
そして生長の家の本と1万冊は軽く超えます。だがいつも勉強不足を痛感
致します。
とりとめのない話になりましたが、歴史をある一点だけで見ないことが大切
です。
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