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破邪顕正スレッド(長文向き)
1
:
若鷹の掲示板 管理人
:2009/01/09(金) 18:32:18
日顕宗や顕正会、さらに他宗、そして幅広く『一切の邪義』の破折が目的のスレッドです。
『史実・教義の考察』用スレッド に書くまでもないものの、連続した長文であったりする場合などにお使い下さい。
2
:
公爵(旧ハンネ)
:2009/01/11(日) 12:00:35
【創宗相対】
昨年末に「若鷹の掲示板」にて、「沖浦問題を考察する」を公開させていただいた。その中の「その3 議論に勝つには?」について、もう少し述べさせていただきたい。
まず「その3 議論に勝つには?」について、私は「議論はハヤクヤレ」と唱え、アメリカの大富豪・デール・カーネギーは「議論に勝つには議論を避けた方が勝つ」と唱えたが、両者の考え方はほぼ同じである。デールは、「議論や論破では人を変えることはできない。人を変えることができるのは思いやり・同情・愛だけ」と言った。つまり、「議論はハヤクヤレ」も「議論に勝つには議論を避けた方が勝つ」も結論は、
■ 「議論で論破だけでは人を変えることはできない。人を変えることができるのは慈悲だけ」だということだ。
御聖訓に、「されば日蓮が法華経の智解は天台伝教には千万が一分も及ぶ事なけれども難を忍び慈悲のすぐれたる事はをそれをもいだきぬべし(開目抄・202P)」とあるように、法華経を理論の上において、正義の言論でもって他宗を破折する「法華折伏・破権門理」の実践は、天台大師・伝教大師が第一人者であり、大聖人ご自身は「千万が一分も及ばない」と謙遜されている。
しかし「難を忍び慈悲のすぐれたる事はをそれをもいだきぬべし」と仰せになるのは、天台・伝教が実践した「正義の理論」を、そのまま末法で実践するものではないという意味が含まれ、だからこそ、末法の衆生は慈悲の振る舞いでしか救済できないと仰せなのである。
また御聖訓には「一念三千の観法に二つあり一には理二には事なり天台伝教等の御時には理なり今は事なり(治病大小権実違目・998P)」と、理(理論)による他宗破折ではなく、「事」つまり「慈悲」であり、その違いを明確にされている。簡潔にいえば「慈悲の信心と行動」でしか、人を変えることができない、救えないということだ。
不思議なことだが、議論好きの人はなかなか「慈悲」という肝心なところに到達しない弱点があるのは面白い。私も随分時間がかかった。
私が樋田氏と二度目に対談した時、私は随分と樋田氏の話をじっくり聞いてあげたのに、最後まで「慈悲」の話が出なかったので、私が先に出してしまった。「ありとあらゆる問題・宿業を持つ人々を慈悲でもって包容する」というものだ。やはり「人を変えることができるのは慈悲だけ」なのだ。
確かに樋田氏は「議論の達人」かも知れない。が、慈悲の対象ではない。その樋田氏や法華講を「議論で論破する」などと考えるのは、愚の骨頂と言うべきである。私がはっきりさせたいのは、「論破」をもって勝敗を決めるのではなく、「慈悲」という仏法根本の到達地に先に着くのはいずこか?ということなのだ。境涯の違いさえはっきりさせればそれで十分と考えたのである。
その「慈悲」という問題を、どう自分の言葉で簡潔にまとめてゆくかが大事なのだが、これがなかなか難しい。法華講は「慈悲」の話すら満足にできたためしがないし、一度も聞いたことがない。それは、創価学会員にしかできない信心だからである。
後にデール・カーネギーの本に出会って、自分の考えが正しかったことに確信できた。本当に福運としか言いようがない。
学会員を議論で論破することを快感とする法華講は修羅界、一方、議論ではなく「慈悲の境涯」で行動する創価学会員との比較相対をもって、「創宗相対」とする。
最後に何度も言うが、人を変えることができるのは「慈悲の信心と行動」相手に対する「心遣い」そして、相手の苦しみを我が苦しみとする「同苦の信心」だけが成しえることなのである。
3
:
公爵(旧ハンネ)
:2009/01/11(日) 12:29:05
昨年12月31日に「若鷹の掲示板」で公開した内容を再掲します。
【沖浦問題を考察する】 その3 議論に勝つには?
阿部日氏に言い忘れていたが、彼は私が自分の名誉欲と自分を偉く見せるために、樋田氏を私の地元に呼んだと「とんだ誤解」しているようだが、まったくの見当違いも甚だしい。プレ大会の6月まで、月一度に私の地元に来ていたのは彼ら「妙相寺一派」である。樋田氏の誘いを受けたのは私だからだ。昨年12月から二度の誘いを受けたが、こちらの仕事上のシフトの関係で調整できず、3度目で誘いに応じたのである。これが事実なので誤解せぬように。
■ 私が樋田氏に最初会った時と、二度目に会った時の私の違いは、「1+1=2は当然ではないか(本果妙)と言う凡人と、1+1はなぜ2になるのか(本因妙)?と疑問をもつ発明王・エジソンの幼少の頃」のようなものだ。
1+1は確かに「2」が正解だ。しかしそれを「そんなの当然じゃないか」と考える人は「頭が固い」のだ。折伏での仏法対話で、凡夫が一番引っかかりやすい盲点ともいえる。ここを改めると、折伏が面白く進む。
一方、発明王エジソンは、この簡単な計算を当然ではなく、「なぜそうなるのだろう?」という疑問から入ったから、彼は発明王になれた。実は、折伏もまったく同じなのである。
対話する相手によって、事情は千差万別であるから、それらの問題に対して「なぜ?」という疑問から「信心」に入っていくのが折伏である。私が樋田氏に二度目にあった時の最後の段階で「慈悲とは何ぞや?」の話を持ち出した。
私はこれ以降から「議論はハヤクヤレ」ということを学んだ。
しかも、私のこの考えが正しかったと確信持てたのが、デール・カーネギーの著作本からで、デールは「議論に勝つには議論を避けた方が勝つ」と明言した。「議論で例えいくら相手を論破しても、それは負けである。相手のプライドをキズつけ、論破だけでは相手の意見を変えることはできないからだ」と、結論として、デールは「人を変えることができるのは愛だけ」と言った。これが「慈悲」に置き換えたらその通りである。
おかげで友人との仏法対話でも「議論はハヤクヤレ」で大いに役立っている。6月のプレ大会までに何人かの法華講と議論したが、学会員への論破を快感とする「勝他の念が強い修羅界」の法華講に対し、「慈悲」の話をすると早く議論を終わらせることが可能で、少なくても彼らの思う壺にははまらない。しかもこちらは彼らとは違って「論破」が目的ではないのだ。
ここで最大の難関は、その慈悲ということを自分の言葉でどう表現・具現化すべきということだが、「苦しむ人々と同苦し、必ず救ってまいりますという信心が、御本尊と自分との約束である」ことがわかっていないとならないが、こればかりは法華講にはどう頑張ってもたどり着けない境涯である。私自身も、彼らからまったく聞いたことがない。これは学会員でなければできない信心だからだ。これをいかに解決すべきかが一番重要なのである。
ただし、沖浦教祖・阿部日氏のようにネット上で、チャラチャラ法華講との議論で時間を膨大に費やすような人間は「要注意」である。そういう類の学会員は一度、地元組織で信心指導を受ける必要性がある。理由は「時間に暗い」からだ。「議論はハヤクヤレ」の意味がわからない人も、信心指導を受けるべきである。
■ 戸田先生の巻頭言に「われらが折伏を行ずるは、慈悲の行である。慈悲の行は、仏の仕事であり、真に尊いことである。なんとなれば、自己が永遠の幸福をつかむと同時に、他に貧窮(びんぐ)の衆生にも、その幸福を分け与えようとするのであるから、これ以上尊い仕事はない」
法華講相手に注意しなくてはならないのは、学会員側は決して「相手を論破する」とは絶対考えないこと。論破する根性では、相手の思う壺にはまる危険が高い。
4
:
鈴木清
:2009/01/11(日) 17:07:23
公爵様
デール・カーネギーの著作については私も仕事に対人関係に役立っております。
考えてみればご指摘の通りで仏法対話においてもその方法は同じですね。
とある先輩より、折伏は仏法の難しい話をしてもだめだと教わったことがあります。
どれだけ相手の信頼を得るか。また、公爵様がおっしゃるように慈悲に対し相手も心を開くのだと感じました。
5
:
たか
:2009/01/11(日) 19:52:51
青山樹人の深層日記より転載
安斎名誉教授の「反論」
繰り返し述べてきたように、創価学会やその指導者に対する中傷報道が信用するに値するかどうか、見分けることなど簡単だ。
「擁護し称賛する者」と「中傷している者」とを、見比べてみればよい。
一目瞭然、あたかもノーベル賞学者たちがこぞって称賛する対象に、酔っぱらいが赤チョウチンで悪態をついているようなものだ。
誰が中傷し、誰が称賛しているのか。
どちらを信ずべきかは、言わずもがなである。
1997年9月、「産経新聞」の匿名コラム「斜断機」に、池田SGI会長を中傷する一文が載った。
匿名をよいことに、この筆者は何の根拠も示さず取材もせず、会長に対する世界からの顕彰を「寄付金の宝冠」等と揶揄したのである。
この悪質な記事に対し、即座に反論を書き送って同じコラム枠に掲載させたのは、上智大学名誉教授であった安斎伸氏であった。
安斎氏はアジアでただ一人のバチカン評議員であり、日本のカトリック世界を代表する碩学であった。
同時に、安斎氏は自ら沖縄各地の宗教事情をつぶさに踏査研究し、創価学会がなぜ発展したかを調べ、世界的な宗教学者らを伴って池田SGI会長とも会談してきた。
斜断機へ
最近、産経新聞の夕刊が「宗教/こころ」の特集を大きく組み、連日これを掲載し始めたことは、宗教無関心時代に快挙とも英断とも思われ、筆者も貴紙を購読するようになった。特に現代の宗教指導者たちがテーマごとに「語る」欄は、筆者の愛読するところであり、この頁を評価してきた。
ところがさる9月8日付けの「斜断機」に、現代日本の大教団である創価学会の池田名誉会長に対する憶測からする誹謗記事が掲載されているのを読み、驚いた。「斜断機」は匿名コラムとはいえ、一個人の勝手な放言欄ではなく、いやしくも世界にグローバルな平和運動を展開し、現代人の心の再生と拡充を目指している大教団の指導者に対して頭から侮蔑の論説を浴びせてよいはずがなく、当事者及び関係者に対しても礼を失するばかりでなく、同紙の中立的、協力的な宗教特集にも大きく矛盾する。
この欄の当日の筆者は、「創価学会ニュース」を引用しながら、これまで池田名誉会長がアジアの哲人として各国から顕彰され、多くの大学からの名誉博士号や名誉教授号を贈られたことを、あたかも金で買い取ったかのうように述べているが、邪推とか言いようがなく、ご本人のみならず、顕彰を行った各国、各大学に対しても非礼であろう。まして、「学歴不足、学問不足の劣等感」があり、「名誉欲の旺盛な俗物性を宣伝する」などと書くにいたっては、憶測の域を出ないものであり、論説者の公に口にすべきことでもはない。
劣等感と名誉欲と俗物性で大教団の指導、統率ができるなどと、この筆者は本当に考えているのでああろうか。長年にわたり、宗教を研究してきた一人として「宗教蔑視」ともいえる誹謗を看過できず、一文をしたためた次第である。
上智大学名誉教授(宗教社会学) 安斎 伸
(産経新聞 1997年9月22日付)
6
:
たか
:2009/01/14(水) 22:16:17
民主・輿石氏、日教組にエール? 「教育の政治的中立ありえぬ」
民主党の輿石東参院議員会長は14日、おひざ元の日本教職員組合(日教組)が都内で開いた新春の会合であいさつし、「教育の政治的中立はありえない」と述べ、「反日偏向教育」の根源ともいわれる日教組へのエールと受け取れる発言をした。教育や教員の政治的中立は教育基本法や教育公務員特例法で定められており、日教組に肩入れする同党の“危うさ”がまたぞろ浮き彫りになった。
輿石氏は日教組傘下の山梨県教組(山教組)の元委員長。現在は日教組の政治団体、日本民主教育政治連盟(日政連)の会長でもあり、会合では「私も日教組とともに戦っていく。永遠に日教組の組合員であるという自負を持っている」と宣言し、政権交代に向け協力を求める場面もあった。
平成16年の参院選の前には、山教組などで構成する事実上の輿石氏の政治団体が教員から選挙資金を集め、山教組幹部らが政治資金規正法違反(虚偽記載)の罪で罰金命令を受けるなどした。自民党の有志議員による日教組問題究明議員連盟(会長・森山真弓元文相)は、次期衆院選に向け日教組の偏向性を調査する構えで、議連から「輿石氏は標的になる」との声も出ている。
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090114/stt0901142151011-n1.htm
12
:
若鷹の掲示板 管理人(わかたか)
:2009/07/04(土) 02:10:08
上記、
>>8
〜
>>11
は、御書及び学会指導の引用箇所以外(つまりタイトルや結論箇所)は邪義ですので、
ROMされている方はご注意下さい。
13
:
河内平野
:2009/07/04(土) 22:34:51
>>12
管理人様
>上記、
>>8
〜
>>11
は、御書及び学会指導の引用箇所以外(つまりタイトルや結論箇所)は邪義です
同意いたします。・・・・であるなら、即刻・削除してはいかがでしょう。。
残す理由もないと思うのですが・・・
14
:
天城五兵衛
:2009/07/04(土) 23:27:23
佐藤義徳@人本仏迹論者へ
回答出来るまで、質問を続ける。
今までの質問をまとめたので、早く以下の質問に対して回答すること。
他人の投稿であれ、キミが活字として投稿した以上、きっちりと回答する事!
質問1(2009年7月1日分)
「本門と迹門に優劣がない」と、日蓮大聖人の指南並びに創価学会指導で、具体的にどの様に指南されているのだ?
質問2(2009年7月1日分)
私をはじめ、一体誰が「仏本人迹」論を打ち立てたのだ?
やまいぬ。様、マグマグ様をはじめ沖浦板で忠告をし、アクセス禁止処分になった方で、誰が「仏本人迹論」を提唱した?
私が、いつ、どちらの掲示板で、「仏本人迹論」を主張したんだ?
他人様に難癖を付ける以上、具体的な投稿を引用して批判してみなさい。それが出来なければ、キミは乙骨某に類する「デマ男」でしかない。
質問3(2009年7月3日分)
> ほらね〜!本尊は何処にも書かれていませんね〜!
生死一大事血脈抄を引用して来たので、池田先生の「生死一大事血脈抄講義・90頁」から引用し、デマ男の浅学を叩きのめしてあげよう。
*******(ここから引用)
「久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生との三つ全く差別無し」とは、真実の仏の本質も、真実の仏法の本質も、そして、私たち衆生の生命の本質も「仏界の生死」にほかならない、ということです。
自分自身が、「久遠実成の釈尊」と「皆成仏道の法華経」と全く差別がないと理解し確信して、南無妙法蓮華経と唱えてこそ、私たちもまた、三世永遠に「仏界の生死」に連なることができるのです。(中略)
一人一人が妙法の当体として、日蓮大聖人即御本尊の生命が赫々と涌現し、妙法と一体の生命活動を繰り広げているのです。(以下略)
(ここまで引用)*******
「日蓮大聖人」=「皆成仏道の法華経」=「御本尊」との先生の講義である。
キミの主張と違う理由を説明しなさい。
とりあえず、ここまで。
15
:
やまいぬ。
:2009/07/04(土) 23:35:22
佐藤義徳くん。
もういいだろう、悪足掻きは。
問われて何一つ返答出来ず、自作自演は見事に見通されて、赤恥に次ぐ赤恥の連続だ。
生きていて楽しいかね? 大恥晒して生きて、それが幸せかね?
きみも、佐藤克己もおんなじだ。
佐藤克己には何度も教えたが、こいつは馬鹿だから何度教えても「腹に入れる」ことが
出来ないままだが。
ネットを離れなさい。自作自演までバレて、くだらぬ自意識と自尊心の意地一つで
連日書き続ける意味など何処にあるよ?
現実の闘いがすべてなんだよ。
沖浦が何一つ出来ない、「現実の」「師弟不二の広宣流布の闘い」こそが
すべてなんだよ。
16
:
天城五兵衛
:2009/07/04(土) 23:49:31
佐藤義徳くんの無責任の証明
若鷹で7/3にあった回答のログ
*******(ここから引用)
32272.(untitled)
名前:佐藤義徳 日付:7月3日(金) 23時42分
(前略)
質問1(2009年7月1日分)
「本門と迹門に優劣がない」と、日蓮大聖人の指南並びに創価学会指導で、具体的にどの様に指南されているのだ?
質問2(2009年7月1日分)
私をはじめ、一体誰が「仏本人迹」論を打ち立てたのだ?
やまいぬ。様、マグマグ様をはじめ沖浦板で忠告をし、アクセス禁止処分になった方で、誰が「仏本人迹論」を提唱した?
○あくまでも日々氏の弁ですね。
私が、いつ、どちらの掲示板で、「仏本人迹論」を主張したんだ?
他人様に難癖を付ける以上、具体的な投稿を引用して批判してみなさい。それが出来なければ、キミは乙骨某に類する「デマ男」でしかない。
○日々氏が仰っていましたね。
質問3(2009年7月3日分)
> ほらね〜!本尊は何処にも書かれていませんね〜!
生死一大事血脈抄を引用して来たので、池田先生の「生死一大事血脈抄講義・90頁」から引用し、デマ男の浅学を叩きのめしてあげよう。
*******(ここから引用)
「久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生との三つ全く差別無し」とは、真実の仏の本質も、真実の仏法の本質も、そして、私たち衆生の生命の本質も「仏界の生死」にほかならない、ということです。
自分自身が、「久遠実成の釈尊」と「皆成仏道の法華経」と全く差別がないと理解し確信して、南無妙法蓮華経と唱えてこそ、私たちもまた、三世永遠に「仏界の生死」に連なることができるのです。(中略)
一人一人が妙法の当体として、日蓮大聖人即御本尊の生命が赫々と涌現し、妙法と一体の生命活動を繰り広げているのです。(以下略)
(ここまで引用)*******
「日蓮大聖人」=「皆成仏道の法華経」=「御本尊」との先生の講義である。
キミの主張と違う理由を説明しなさい。
○そろそろ寝ましょうか。
(ここまで引用)*******
さすがに、無責任だなあ(^^)
まともな回答も出来ずに、他人様に振っておる。
職場での問題も一目瞭然だ(^m^)
沖浦某の害に毒されている哀れな奴よ。
17
:
天城五兵衛
:2009/07/04(土) 23:54:58
>>16
責任転嫁しか出来ない佐藤坊や、
甘ったれのボクちゃんから早く成長するには、師弟不二の戦いしかないぞ。
18
:
天城五兵衛
:2009/07/04(土) 23:56:55
全く、「仏本人迹論」を提唱した奴を知らないなんて、恥ずかしくないかね?
甘ったれのボクちゃん(^m^)
19
:
天城五兵衛
:2009/07/04(土) 23:58:25
日々氏が「仏本人迹論」を提唱した奴だったのか?、と独り言。
20
:
天城五兵衛
:2009/07/04(土) 23:59:18
んで、日々氏がどこで「仏本人迹論」を提唱したんだろうな?、と、独り言。
21
:
天城五兵衛
:2009/07/05(日) 00:00:29
記憶にないのう(笑い)
第一、日々氏は「仏本人迹論」者ではないしなあ...と独り言。
22
:
佐藤義徳
◆4cVqan2W..
:2009/07/05(日) 19:51:09
言う資格はないでしょうに?
創価学会員に成りすますことこそ!
最大の謗法ですね。
数々の悪行を認め、全創価学会員に謝罪しなさい!
【創価学会員成り済ましの者の共通性】
①沖浦氏に対して悪口、中傷誹謗、
②「沖浦シンパ」と、勝手な名称をつくり、差別を生み出す輩、
③仏法の真髄に無知な創価学会員の坂を乗っ取り、創価学会員を中傷誹謗させるよう、ヨイショし、煽りたることで創価学会の内部分裂を諮り、広宣流布を妨害することを目的した三類の強敵である輩、
以上が創価系掲示板に巣くう(日蓮正宗からの刺客)の実態である。
どのような現証がこのような輩にあらわれるかは、善良な創価学会員ならば分っていることだろう。
23
:
天城五兵衛
:2009/07/05(日) 20:00:08
佐藤義徳クン、責任転嫁せずに質問に答えて下さい。
回答も出来ないで、悪口を投稿するのは、持論に自信が無いからでしょう。
キミの説は、既に破折されているんだよ。
池田先生の講義を否定している人物を、学会員とは認められないね。
さあ、答えなさい!
>>14
名前:天城五兵衛 投稿日: 2009/07/04(土) 23:27:23
佐藤義徳@人本仏迹論者へ
回答出来るまで、質問を続ける。
今までの質問をまとめたので、早く以下の質問に対して回答すること。
他人の投稿であれ、キミが活字として投稿した以上、きっちりと回答する事!
質問1(2009年7月1日分)
「本門と迹門に優劣がない」と、日蓮大聖人の指南並びに創価学会指導で、具体的にどの様に指南されているのだ?
質問2(2009年7月1日分)
私をはじめ、一体誰が「仏本人迹」論を打ち立てたのだ?
やまいぬ。様、マグマグ様をはじめ沖浦板で忠告をし、アクセス禁止処分になった方で、誰が「仏本人迹論」を提唱した?
私が、いつ、どちらの掲示板で、「仏本人迹論」を主張したんだ?
他人様に難癖を付ける以上、具体的な投稿を引用して批判してみなさい。それが出来なければ、キミは乙骨某に類する「デマ男」でしかない。
質問3(2009年7月3日分)
> ほらね〜!本尊は何処にも書かれていませんね〜!
生死一大事血脈抄を引用して来たので、池田先生の「生死一大事血脈抄講義・90頁」から引用し、デマ男の浅学を叩きのめしてあげよう。
*******(ここから引用)
「久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生との三つ全く差別無し」とは、真実の仏の本質も、真実の仏法の本質も、そして、私たち衆生の生命の本質も「仏界の生死」にほかならない、ということです。
自分自身が、「久遠実成の釈尊」と「皆成仏道の法華経」と全く差別がないと理解し確信して、南無妙法蓮華経と唱えてこそ、私たちもまた、三世永遠に「仏界の生死」に連なることができるのです。(中略)
一人一人が妙法の当体として、日蓮大聖人即御本尊の生命が赫々と涌現し、妙法と一体の生命活動を繰り広げているのです。(以下略)
(ここまで引用)*******
「日蓮大聖人」=「皆成仏道の法華経」=「御本尊」との先生の講義である。
キミの主張と違う理由を説明しなさい。
24
:
やまいぬ。
:2009/07/05(日) 20:01:48
えーっと。ネットで佐藤名使う奴って馬鹿しかいないのか?(^o^)
>>22
>言う資格はないでしょうに?
泣かなくていい、坊や。
>【創価学会員成り済ましの者の共通性】
>①沖浦氏に対して悪口、中傷誹謗、②「沖浦シンパ」と、勝手な名称をつくり、差別を生み出す輩、
>③仏法の真髄に無知な創価学会員の坂を乗っ取り、創価学会員を中傷誹謗させるよう、ヨイショし、煽りたることで
>創価学会の内部分裂を諮り、広宣流布を妨害することを目的した三類の強敵である輩、
>以上が創価系掲示板に巣くう(日蓮正宗からの刺客)の実態である。
断言したなら文証はあるんだな? 今まで何を問われても、一切根拠なり文証なり挙げたことのない
佐藤義徳くん? さ、今晩中にupしてもらおうか。頑張りなさい。(^o^)
26
:
佐藤義徳
◆4cVqan2W..
:2009/07/05(日) 22:13:06
2008年11月23日付 聖教新聞
11,18記念代表協議会での名誉会長のスピーチ
人と会え! 共と語れ! 心を結べ!
さあ対話の時代だ
われらは「平和の柱」「文化の大船」「教育の眼目」
一、「創立記念日」おめでとう!(大拍手)
この日を慶祝し、世界の各国、各都市からも、真心あふれる数多くの祝福をいただいている。
人間革命の哲学を、多くの識者が真剣に探究し始めた。
国境を超えた民衆の連帯に、大いなる期待と賞讃が寄せられている。
このことを、どうか誇りとしていただきたい(大拍手)。
堂々と
勝利と和楽の
創価かな
192カ国・地域の友とご一緒に、創立78周年を晴れ晴れと飾ることができた。
学会本部にも、多くの来客の方々、そして同志の皆様方が、連日、祝賀にお越しくださっている。
一年また一年、わが創価学会は「平和の柱」として、「文化の大船」として、「教育の眼目」として輝きを増している。信頼を広げている。
今、本部周辺の整備も進んでいる。日本中、世界中で、広布の城を立派に総仕上げしていく。すべて大切な同志の皆様のためである。
見違えるような、壮大なる発展の未来を楽しみにしながら、私とともに、皆、元気で、生きて生きて生き抜いていただきたい。きょうから、いよいよ「創立80周年」へ、全同志が、さらに功徳の陽光を浴びながら、人類の希望のスクラムを、一段と強め広げ、朗らかに、また朗らかに前進してまいりたい(大拍手)。
創立日
諸天につつまる
創価城
戸田先生
地域の個人会場こそ 広宣流布の発信地! 人材練磨の偉大な城!
「幸福博士」を育てる学校!
一、はじめに、全国、そして全世界の個人会館、個人会場を提供してくださっているご家庭に、改めて心より感謝申し上げたい(大拍手)。
日蓮大聖人は仰せであられる。
「心ざしあらん人人は寄合て」(御書961ページ)
「互につねに・いゐあわせて」(同965ページ)
独りよがりで、わがままな仏道修行など、あり得ない。
いつも集い合い、語り合い、励まし合って、広宣流布へ進みゆくことが、正しい一生成仏のリズムである。
そのために、一番大事な場所が、地域の法城である。
ここから「勇猛精進」の力が生まれる。
ここでこそ「異体同心」の団結が深まる。
御書には、「法妙なるが故に人貴し・人貴きが故に所等し」(1578ページ)との法理が示されている。
妙法の友が喜び集う婦人会館がどれほど尊貴な場所であるか。
牧口先生も、座談会の会場となるご家庭を、それはそれは大切にされ、心を砕かれていた。
戸田先生は、地域の拠点である個人会場こそ「大切な広宣流布の発信地」であり「人材錬磨の偉大なる『城』」であると讃えられた。
勇んで、わが家を広宣流布の法城とされ、同志を護り、人材を育てゆかれる、その崇高な献身に「冥の照覧」は絶対である。
御書には、伝教大師の言葉「家に讃教(さんきょう)の勤めあれば七難必ず退散せん」(1374ページ)が引かれている。
いわんや、地域の破邪顕正の城であられるご家庭の福徳は、無量無辺であり、一家一族が厳然と護られていくことは、絶対に間違いない。
法華経には、明快なる因果律が説かれている。仏法が語られる場で、人に座を勧める真心は、未来に、帝釈天・梵天・転輪聖王(てんりんじょうおう)という大指導者の座を得る功徳になるのだ。
個人会場は、三世永遠にわたって、「幸福の博士」を、「福運の博士」を、「使命達成の博士」を、「勝利の博士」を育て広げていく学校でもある。
27
:
佐藤義徳
◆4cVqan2W..
:2009/07/05(日) 22:14:33
戦時中も座談会
一、私の妻の実家である白木宅も、草創期から個人会場であった。
牧口先生をお迎えした、戦時中の座談会は、特高刑事から何度も「中止!」と制止されるなか、一歩も退かずに行われた。
そのなかで、牧口先生は「法華経は日輪(=太陽)のごとし」(御書1114ページ)等と叫び切っていかれた。
この「死身弘法」「不惜身命」の師子王の姿を、一家は深く強く生命に焼きつけたのである。
今なお多くの同志が、白木宅では、どんな時でも、「よく来たね。よく来たね」と笑顔で迎えてくれたと、感謝を込めて振り返っておられる。
宗教社会学の第一人者であられたオックスフォード大学のウィルソン博士は、SGI(創価学会インタナショナル)の運動の魅力として──いわゆる寺院制度から解放された在家団体であること、そして、座談会等を通し、地域の会員が相互に励まし合っていることなどを挙げておられた。
地域の共同体の再生という点からも、個人会場の存在は、実に大きいと言えよう。
礼儀を尽くして
一、御書には明言されている。
「昼夜に法華経をよみ朝暮に摩訶止観を談ずれば霊山浄土にも相似たり・天台山にも異ならず」(1394ページ)
法華経の行者であられる大聖人が妙法を唱え、仏法を語るところは、どんな場所であっても、尊極なる仏土なのである。
御本仏に直結して、妙法をともに唱え、大仏法を学び舎い、広宣流布を推進する会場は、この本義の上から、すべて霊山浄土に通ずる。本有常住の寂光土となる。常楽我浄の宮殿となる。個人会場は、それほど意義深い。
だからこそ、個人会場を使わせていただく際には、幹部をはじめ、皆が最大に礼儀を尽くしていかねばならない。誠心誠意、感謝を表していくことである。
トイレなども、心して、きれいに使わせていただくことだ。受験生や病気のご家族への心づかいなども、忘れてはならない。さらに、自転車の駐輪にも気をつけ、出入りの際の私語を慎むなど、近隣に迷惑をかけないマナーが大切である。
仏法は「人の振舞」が根本であるからだ。
ペルーに幸の光
一、先日、南米ペルーSGIのシマ理事長から、うれしい報告があった。
ペルーでも、首都リマを中心に、同志が福運を積み、個人会場を提供してくださるご家庭が、どんどん増えている。地域の灯台として、明るい信頼と友情の光が、いや増しているというのである。
法華経には、「仏子の 諸の塔廟を造ること 無数恒沙にして国界を厳飾し」とも説かれている。
御本尊のもと、妙法の同志が集う個人会場、また会館のあるところ、地域にも、国土にも、希望と安穏と繁栄が広がる。ここに「立正安国」の具体的な実像がある。
創立80周年へ、あの地にも、この地にも、後世の人が仰ぎ見る、堂々たる創価の人材城を、ともどもに築き、荘厳してまいりたい(大拍手)。
命をかけてこそ
一、ともあれ、世界192カ国・地域に広がった学会を、牧口先生、戸田先生が、どれほど喜んでおられるであろうか。
未来に永遠に残るものは、手抜きや要領では決して築くことはできない。
人間が命をかけたものだけが不滅の輝きを放つのだ。
私の好きなお隣の韓国の格言に「精魂こめた塔が崩れるものか」とある。
わが創価の平和と文化の高き塔は、牧口先生、戸田先生、そして私の三代の師弟が、命がけで築いた、人類の「希望の宝塔」なのである。
大事なのは創価学会である。この仏意仏勅の組織を、未来永遠に護り抜いていかねばならない。それが、最高幹部の責任であり、使命であることを忘れてはいけない。
青春の苦闘
一、私は、わが青春のすべてを捧げて戸田先生をお護りした。
戸田先生の会社で働き始めたのは21歳のとき。間もなく、経営は悪化し、事業は苦境に陥った。
連日、押し寄せる借金取り。次々と去っていく社員たち。
私も体が弱く、肺病を患っていた。無理がたたり、喀血を繰り返した。
当時、学会を財政面で支えておられたのは戸田先生であった。
先生の事業を護ることが、広布を護り、学会を護り、同志を護ることになる。そう心に決めて、私は、事業の再建に奔走した。
どん底の中で
一、あれほど剛毅な先生も、さすがに疲れておられた。
幾晩も、先生のご自宅に呼ばれた。先生の様子が心配で、家の前に一晩中、立ち続けたこともあった。
何もかも、先生のため。何があっても先生に、指一本、触れさせてなるものか。先生には大手を振って歩いていただくのだ。
そう心で祈り、叫びながら、ただただ先生のために、死にものぐるいで活路を開いてきたのである。
これほどに師匠を護った弟子は世界にいないであろう。それが私の青春の栄光である。
仏法の真髄は師弟なのである。
28
:
佐藤義徳
◆4cVqan2W..
:2009/07/05(日) 22:15:39
一、戸田先生と二人して、借金を返済しに行った帰り道──。
車もなく、夕暮れの町を歩いた。
私は、将来、必ずや先生をお乗せする車を買い、立派なビルも建てることを約束した。
先生は「そうか、そうか」と、うれしそうにうなずいておられた。
師匠と弟子の二人きり。誰も助けてくれない。私しかいない。
そのどん底の中で私は誓ったのである。
「必ず、先生を世界の先生にします!」「先生に喜んでいただける学会をつくります!」「先生を苦しめた人間とは絶対に戦い抜きます!」と。
私は真剣だった。言ったことは必ず実行した。最初から容易にできたことなど、何一つなかった。
現在の学会の驚くべき世界的な大発展も、すべては、偉大なる「師匠の薫陶」と、それに応えんとする「弟子の誓願」の中から築かれてきたのである。
永遠に光る創価の師弟の満足の姿が、ここにあった。
これが信心である。
これが学会である。
これが仏法である。
この厳粛な師弟を軽く見て、大変なことは人にやらせ、できあがったものの上にあぐらをかくような幹部には絶対になってはならない。そうしたずるい人間を、断じて許してはならない。
将来のために強く申し上げておきたい。
戸田大学の誇り
一、一から百まで、師弟でつくってきた学会である。師匠と決めた以上、お護りし抜くのが弟子の道である。
行きたかった夜学も断念して、先生の側でお仕えした。
その代わり、先生は、死ぬまで私に、万般の学問を個人教授してくださった。
私は朝一番に出勤した。「朝の勝利」から出発した。
戸田先生は「大作、早いな」と一言。
そして会社の始業前の時間を使って、「戸田大学」の授業が始まる。日曜日も毎回、ご自宅で教わった。
この薫陶のおかげで今の私がある。一言一句が遺言のような講義であった。あらゆる分野の一級の人物と対等に語り合える力をつけていただいた。ありがたい先生であられた。
堂々と勝利と和楽の創価かな
「師弟の誓い」に生きよ
要領や手抜きは衰亡の原因「魂を込めた塔は崩れない」
不二の祈りに力と慈愛が!
一、御堂訓に仰せである。
「弟子と師匠が心を同じくしない祈りは、水の上で火を焚くようなものであり、叶うわけがない」(御書1151ページ、通解)
弟子が師匠に心を合わせてこそ、祈りは叶うのだ。
第2代会長になられた戸田先生は、生涯の願業として「75万世帯」の達成を掲げられた。
私は立ち上がり、蒲田支部、また文京支部の皆さんと共に、拡大の突破口を開いた。
勝てるはずがないと言われた「大阪の戦い」も、敬愛する関西の同志と私が、一致団結して勝ち取った栄光の歴史である。
この勝利の根本の力は何であったか。
それは「師弟不二の祈り」であった。
師弟の心が一致した祈りには、限りなく大きな「力」がある。そこに、汲めども尽きぬ勇気と慈愛が湧くのである。
「弟子を救え!」
一、昭和32年(1957年)7月、私は、大阪の地で無実の罪で牢獄につながれた。
検事による取り調べの最中に、手錠をかけられたまま、屋外を見せしめのように歩かされたことがあった。
権力とは、そこまで卑劣なのか。関西の同志は、怒りに震えた。
さらに、この話が戸田先生のもとに報告されると、先生は、激怒して言われた。
「俺の一番大事な弟子だ」「すぐに大作を釈放させろ」
そして幹部や弁護士と断固たる対応を協議された。わが分身の弟子のために、わが身を犠牲にすることも覚悟しておられた。これが師弟の真実の歴史である。
一、戸田先生との思い出は、本当に尽きることがない。
先生が最後に駿河台の日大病院に入院された際も、私が一切の手配をし、お供をさせていただいた。
最後の最後まで先生とご一緒に戦わせていただいた。先生と同じ時間を過ごすことができた。弟子として最高の誉れである。
対談集に反響
29
:
佐藤義徳
◆4cVqan2W..
:2009/07/05(日) 22:16:45
一、このほど、文化人類学の世界的な学者であるヌール・ヤーマン博士(ハーバード大学教授)と、私の対談集『今日の世界 明日の文明──新たな平和のシルクロード』(河出書房新社)の英語版が、英国の名高い出版社I・B・トーリス社から発刊された。
ヤーマン博士はトルコの出身であられる。
本年10月、ドイツで毎年恒例の世界最大の書籍見本市「フランクフルト・ブックフェア」が行われた。
今回のゲスト国はトルコであり、同国のアブドゥッラー・ギュル大統領や、対談でも話題となったノーベル文学賞作家のオルハン・パムク氏らも出席された。
そうした中、ヤーマン博士と私の対談集は、大きな反響を広げたとうかがった。大変に光栄なことである。
英語版の発刊を、ヤーマン博士も大変に喜んでおられる。
ハーバード大学の関係者をはじめとする知性の方々とも、この本を教材として、新たな対話を広げていきたいと述べておられる。
〈ヤーマン博士は語っている。
「この対談は、池田SGI会長の質の高い質問によって、より洞察にあふれたものとなりました。池田会長は、トルコ、イスラム、そして文化人類学に対する詳細な知識を持っておられます。そして、それに対し、常に本質を突いた発言をされております。
また対談は、多くのテーマについて、会長が人間の視点に立ち、詩的な要素を含められることによって、実に魅力のあるものとなっております。特に、すべての生命を尊重する会長の思想は素晴らしいものです。それはまた、文化人類学の思想でもあります」
「池田会長が日常から決して離れることなく、仏教を実践されている姿に、深く注目しました。また、創価学会が宗門から離別したことに、私は大きな価値があると考えております。さらに、教条主義から離れ、人間主義を志向された会長の卓見にも、深い共感を覚えます」〉
第一級の識者との「対談」も戸田先生のご遺命であった。先生は私に言われた。
「これからは対話の時代になる。君もこれから、一流の人間とどんどん会っていくことだ。"人と語る"ということは、"人格をかけて戦う"ということであり、それがあってこそ、真の信頼を結び合えるんだよ」
欧州統合の父クーデンホーフ・カレルギー伯爵、そして20世紀を代表する歴史学者トインビー博士との「対談」を起点として、連載中、また準備中のものも含めると、世界を結ぶ対談集は約70点に及ぶ。すべて人類の未来に贈りゆく宝である。
通訳・翻訳に感謝
「言語の違いを超えた対話は、名通訳、名翻訳家の方々との交響曲である。
大翻訳家のリチャード・ゲージ先生には、トインビー博士との対談以来、本当にお世話になっている。
ゲージ先生をはじめ、ご尽力いただいている、すべての方々に、この席をお借りして、心から御礼申し上げたい(大拍手)。
ゲージ先生には常々、温かいご理解をいただき、感謝にたえない。
〈ゲージ氏は、次のように語っている。
「今まで池田会長の対談集の翻訳に30年以上、携わらせていただき、私自身、一西洋人として多くのことを学ばせていただきました。一番感動することは、池田会長が、教育、哲学、科学、文学、芸術、政治と、実に幅広く、さまざまな分野の学者、文化人、政治家の方々と対談されていることです。
これは、あらゆる人々を受け入れ、また、あらゆる人々に受け入れられる人格と、幅広い知識を備えた池田会長であるから、できることだと思います。
西洋では、プラトンの対話形式の著作がいくつかありますが、それらは同じ立場の人による対談であり、全く立場の異なる、異文化に属する人同士のものではありません。その意味では、会長の対談は、他に例を見ないユニークなものです。
会長は、東洋の普遍的な英知を、現代にいかに活用できるかを、さまざまな角度から展開されております。
ますます専門化の傾向が強くなり、全休観に立って物事を判断できる人が少なくなっている現代社会において、常に全体観に立った視点を与えてくれる池田会長の対談は、極めて重要であります。
読者は、そこから人類が直面する多くの難題に対する、解決のためのヒントを見いだしていけると思います」〉
中国の歴史学者
創価学会の皆様がいれば 未来はもっと明るい!
30
:
佐藤義徳
◆4cVqan2W..
:2009/07/05(日) 22:17:53
学会は人類の宝
一、この一年、月刊誌「第三文明」で連載を続けてきた、中国の歴史学者である章開?先生との対談「人間勝利の世紀をめざして」は、12月号をもって終了した。
「歴史」「文化」「教育」、そして中国と日本の新しい友好の道について、さまざまに有意義な語らいを重ねることができた。
とくに最終回では、これからの21世紀、さらに22世紀を見つめながら意見を交換した。
章先生は、この激動の時代においても、未来への希望を堅持しておられる。
その根拠は、いったい何か。その一つとして、章先生は語ってくださった。
「創価学会の皆様は、人類への広い慈悲の心をもって、平和と友好のために献身的な行動を貫いておられます。まさに創価学会は、人類と世界にとって、何ものにも代え難い無上の宝の存在です。
今後とも、創価学会は、ますます発展していかれることでありましょう。ゆえに私は、22世紀の世界は、きっと現在よりも素晴らしいものになると確信しています」
中国の史学大師と仰がれる碩学が、これほどまでに絶大なる期待を寄せてくださっている。私たちは誠実にお応えしてまいりたい。
一、御聖訓には仰せである。
「日蓮によ(依)りて日本国の有無はあるべし、譬へば宅に柱なければ・たもたず 人に魂なければ死人なり、日蓮は日本の人の魂なり」(御書914ページ)
戸田先生は、この御文を引かれて、こう師子吼された。
「妙法を流布している創価学会なくして、日本の真の繁栄はない。創価学会こそ日本の柱であり、魂である」
この誇りと責任と使命をもって、私たちは、地域のため、社会のため、世界のため、人類のため、平和と正義の対話を闊達に広げてまいりたい(大拍手)。
異体同心で幸福の大道を
戦いはこれからだ!
不惜身命の闘士たれ
近代日本の医療福祉の祖「忍耐と勇気が成否を決める」
一、戸田先生は"励ましの指導者"であった。
経済苦、病気、不和......現実のありとあらゆる苦悩に挑む友を、生命を揺さぶるように激励していかれた。
先生は言われた。
「人生、行き詰まった時が勝負だぞ!
その時、もう駄目だと絶望し、投げやりになってしまうのか。まだまだ、これからだと、不撓不屈で立ち上がるのか。 この一念の分かれ目が勝負だ!」
「君の想像を超えた、実に見事な解決ができるだろう。それには題目をあげきることだ。いかなることでも、変毒為薬できないわけがないのです」
そして、師の厳愛に立ち上がった弟子は、勝利の実証を示していったのである。
わが人生を、嘘偽りなく歩む人。御本尊に照らして、わが信ずる「本当の道」を歩み抜く人。その人が勝利者である。「心こそ大切」(御書1192ページ)なのだ。
立場や役職に左右され、"自分だけが偉い"などと思い込んでしまえば、大きな間違いを犯すことになる。
仏法上、「皆が偉い」のである。「皆が大切」であり、皆が「かけがえのない役割」を持っている。
皆、同じ学会員であり、「異体同心」で進んでいくのだ。
この点をはっきりしなかったら、学会の清浄な世界は汚れ、大変なことになってしまう。
「生老病死」の解決を目指して
一、さらに、戸田先生は力説なされた。
「政治の次元だけでも、経済の次元だけでも、科学の次元だけでも、本当の幸福は築けない。
誰もが避けることのできない、生老病死という根本の問題を直視して、解決している真の宗教を、根底にせねばならぬ」
「生老病死」の打開──。人類は、そのための哲理を、真剣に求めている。
世界各国、各地で、創価の人間主義に深く共鳴する、新しい指導者も躍り出ている。
日蓮大聖人は、「今日蓮が時に感じて此の法門広宣流布するなり」(御書1023ページ)と仰せになられた。
私たちが声も高らかに「常楽我浄」の法理を語りゆくことを、時代は渇仰しているといって過言ではない。
31
:
佐藤義徳
◆4cVqan2W..
:2009/07/05(日) 22:18:52
偉大なる
師弟誓願
創立日
言論の勇者たれ
一、本日は、"創価の薬王菩薩"たる、ドクター部と白樺の代表も出席されている。いつ
も、本当にご苦労さまです(大拍手)。
私たちの実践の魂である「不惜身命」。それは、法華経に登場する薬王菩薩が発した言葉である。
不惜身命──これこそ、大聖人正統の誉れの学会精神である。
また、きょうは創価の言論戦を担う代表も参加してくれている。
法華経に説かれる菩薩の中に、「大楽説(だいぎょうせつ)菩薩」がいる。薬王菩薩とともに「不惜身命」を誓っている。
「大楽説」とは、"偉大なる弁説の力をそなえた"との意味であり、言論の勇者といってよい存在である。
重要な場面で、皆の疑問を察して、師に向かって聞いを発する役割も担っている。
どうか一人一人が「不惜身命の闘士」として、今こそ勇敢に立ち上がっていただきたい。
「菩薩行には魔が起こる」
一、日蓮大聖人は、文永8年(1271年)の11月、法華経に説かれる通りの流罪の法難を受け、佐渡の地にあられた。
この月、大聖人は、「命限り有り惜む可からず遂に願う可きは仏国也」(御書955ページ)と仰せである。
そして、このまさに600年後、佐渡を擁する新潟で生誕されたのが、初代会長の牧口先生である。
1942年(昭和17年)11月、創価教育学会の総会で、牧口先生は言われた。
「信ずるだけでも御願いをすれば御利益はあるに相違ないが、ただそれだけでは菩薩行にはならない。
自分ばかり御利益を得て、他人に施さぬような個人主義(利己主義)の仏はないはずである。菩薩行をせねば仏にはなられぬのである」
「自分の一個のために信仰している小善生活の人には決して魔は起らない。之に反して菩薩行という大善生活をやれば必ず魔が起る。起ることを以って行者と知るべきである」
日蓮仏法の真髄をそのまま、寸分違わず実践されたのが、牧口先生であった。
牧口先生、戸田先生のお二人は投獄され、牧口先生は獄死された。私もまた不当逮捕された。
師のために戦った、創価の歴史である。
学会から、この崇高なる「師弟」がなくなったら、もはや学会ではない。あまりにも明らかな道理だ。
「本物」の信心に立てば、わかることである。
「本物」の人間かどうかは、心で決まる。頭のよしあしなどではない。
うわべをつくろい、策を弄する人間、増上慢の人間が、「師弟」を破壊する。広布の団結を破壊する。それこそ、大聖人が厳しく戒められた「城者として城を破る」(御書1337ページ)者にほかならない。
"悪鬼"をも広布の味方に
一、1944年11月18日、朝6時過ぎ。創価の父は「不惜身命」の大精神を貫き、巣鴨の東京拘置所で崇高な生涯を閉じられた。
直弟子の戸田先生は、身を焼いて供養した薬王菩薩になぞらえて、「(牧口)先生の死こそ、薬王菩薩の供養でなくて、なんの供養でありましょう」と叫ばれている。
「日本は、この正義の大偉人を殺した!
私は必ず仇を討つ!一歩も退かず、大折伏をして、牧口先生の仇を討っていくのだ」
──これが戸田先生の誓願であられた。そしてまた、不二の弟子たる私の誓願である。
戸田先生を守って、私の右に出る者はいなかった。先生のそばには、信用できない者もいた。私に対して「信じられるのは、お前だけだ」と言われる時もあった。
私は、師である戸田先生をだれよりも尊敬し、社会から尊敬される存在へと宣揚していった。約束したことは絶対に成し遂げるのが、私の信条である。
法華経には「魔及び魔民有りと雖も、皆仏法を護らん」とある。たとえ悪鬼、魔民であろうとも、広宣流布の味方にして、生かしきっていくのが創価の指導者だ。私はこの決心で半世紀以上、闘ってきた。皆さんは、心を魔に食い破られてはならない。
32
:
佐藤義徳
◆4cVqan2W..
:2009/07/05(日) 22:20:20
師の後を継いで
一、私は、戸田先生の後を継いだ者である。この人生のすべてを、創価学会に尽くしてきた。
広宣流布という、世界一尊い仕事の長として、この人生を歩んできた。かけがえのない同志とともに、汗水流して働いてきた。
いわば"師弟の真髄"を生きてきた人間であると自負している。
とともに、数えきれないほどの世界の指導者たちと、真剣に対話を重ねてもきた。人間と社会の実相を知っているつもりである。
インチキな人間なのか、格好だけなのか。慈愛の心か、軽蔑の心か。一つの言葉、一つの振る舞いから、その人のことがわかる。透徹した信心の眼は、骨の髄まで、腹の底の底まで見抜くことができるものだ。
また、そうでなければ、これだけの堂々たる学会をつくることはできなかっただろう。
真実の師弟が築いた学会である。この事実を、責任ある広布のリーダーは軽んじてはならない。これは決して自讃して言っているのではない。将来の学会を護る人々のために、真実を、正直に言っておきたいのである。
人間の世界は恐ろしいものだ。戸田先生が苦境に陥り、学会の理事長を辞めた時にも、信じられる人間は、あまりにも少なかった。一人だけでもいい。私は、"本当の弟子"といえる人間を育てておきたいのである。
「真実の学会」は「わが心の中」に
一、私は、ほかのだれよりも強く、広布の同志を守ろうとした。
それゆえに、御聖訓の通り、だれよりも多く迫害を受けてきた、。
いわれなき非難中傷を浴びせられ続ける苦しみは、実際に体験した者でなければ、わからないものかもしれない。
なかには、大幹部でありながら、そうした状況に慣れてしまい、私が矢面に立つことが当然だと思い始める者も出た。
同志への慈愛も、魅力もなく、ただ威張るだけで自分のことしか考えない卑劣な輩もいた。そうした忘恩の人間が皆、惨めな人生をたどっていることは、皆様がよくご存じの通りである。
しかし、今から思えば、すべて意味のあることであった。そうした動きが生じることによって、広宣流布の進むべき道が、いよいよはっきりと見えるようになったからだ。
ともあれ「真実の創価学会」は、師弟に生き抜いた「わが心の中」にある。
師弟の「本流」を、諸君には知っていただきたい。そして、ますます勢いよく、さらに素晴らしき学会を、ともどもにつくっていきたい。
薬王菩薩が、自身の生命を燃焼させた光明は、1200年にわたって輝き続け、世界を照らしたと説かれている。
学会は、創立78周年を勝利で迎えた。
創価の師弟の、不惜身命の魂が継承されていく限り、学会は永遠に光り輝いていくことができると申し上げておきたい(大拍手)。
病に打ち勝つ「究極の力」
一、寒さが厳しさを増してきた。皆、風邪などひかないように、健康第一の一日一日であっていただきたい。
もちろん、どんなに気をつけていても、病気になることはある。仏法が「生老病死」の四苦を説いているように、一面では、人生は病との闘いといえるかもしれない。
「信心」は、その闘いに打ち勝っていく究極の力なのである。
日蓮大聖人は、病気の報告をした門下の太田乗明に対する御手紙の冒頭で、こう記されている。
「御痛みの事一たびは欺き二たびは悦びぬ」(御書1009ページ)
あなたが病気になったことを一度は嘆きましたが、それによって、さらに仏法を深く学び、実践していけるのだから、私はむしろ喜んでいます──そうした深い御心からの御言葉と拝される。
大聖人が、愛弟子の病気を深く案じられ、平癒を祈念してくださったことは、いうまでもないだろう。
その上で、信心根本に闘うなら、必ず病気に打ち勝っていけると励まされたのである。
妙法は、何があっても変毒為薬できる、不可思議の法である。
大聖人は「この病は仏の御はからいであろうか。そのわけは、浄名経、涅槃経には病がある人は仏になると説かれている。病によって仏道を求める心は起こるものである」(同一四八〇ページ、通解)と仰せである。
病気をしたからこそ、求道心を奮い起こしていける。大きく境涯を開くことができる。
また、病気の人を力強く励ませるようになる。
信心の眼で見るならば、すべてに深い意味がある。そして、強き信心に生き抜くならば、必ず宿命転換を成し遂げ、勝利の人生を開いていくことができるのである
33
:
佐藤義徳
◆4cVqan2W..
:2009/07/05(日) 22:21:21
更賜寿命の功力
ー、牧口先生は、弟子たちをこう励ましておられた。
「"この病気を、必ず変毒為薬してみせるぞ、健康という大福運、大功徳を開くのだ"と確信し、決意して信心を続けていくことが大事だ。そのとき、病気が治るだけではなく、全快したときには、以前よりも健康になるのが、変毒為薬の妙法である」
私も、若き日から病気との聞いを続けてきた自身の体験に照らして、その通りであると確信する。
医師から「30歳までもたない」といわれた病弱な私が、このように自在に世界広宣流布の指揮を執れるのは、妙法の「更賜寿命」の功力の証明と思っている。
ともあれ、これまでも折々に語ってきたが、健康の維持・促進の基本として──
1 張りのある勤行
2 無理とムダのない生活
3 献身の行動
4 教義のある食生活
──等々の日常生活における心がけが重要である。
健康は深き「祈り」が根本である。「智慧」が大切である。
大聖人は、「法華経と申す御経は身心の諸病の良薬なり」(同1015ページ)と宣言なされた。
一騎当千のドクター部、慈愛輝く白樺の皆様方とともに、全同志の健康長寿を真剣に祈り抜きながら、自他ともに頑健に、創立80周年へ勇躍の前進を決意し合いたい(大拍手)。
新時代を築いた適塾の創設者・緒方洪庵
「安逸や名利を求めるな 庶民のために生き抜け」
「卑しい人間にはなるな」
一、激動の幕末期に活躍した医学者・緒方洪庵(1810〜1863年)。彼は、門下生への手紙で綴っている。
「師弟の関係は生涯にとりのぞいてはならぬ大切なこととおもいます」(緒方富雄・梅溪昇・適塾記念会編『緒方洪庵のてがみその五』莱根出版)
緒方洪庵は、大阪に「適塾」を創設して、日本全国から集った逸材を薫陶した。
賢明な八重夫人も、青年たちの母代わりとなって親身に世話をした。
門下の一人・福沢諭吉は、この八重夫人を"私がお母さんのように敬愛している大恩人"と何度も語っていた(梅溪昇著『緒方洪庵と適塾』大阪大学出版会)。
この緒方夫妻のもとから、千人を超える愛弟子たちが巣立ち、自らの使命とする場所で、師の精神を体現して、近代日本の医学・学術の発展を大きく開いていったことは、あまりにも有名である。
私も関西の同志とともに、大阪・北浜の適塾の史跡を訪れた思い出がある(昭和61年=1986年)。
そこには、塾生の名前、出身地、入塾年日が20年にわたって連綿と記された「姓名録」が厳粛に留められていた。
師・洪庵は、弟子たちが塾を出た後も、多くの手紙を送り、心を込めて激励を続けた。
弟子たちもまた、近況や医療に関する質問、御礼の報告等を、師のもとへ送り届けた。
たとえ、物理的な距離は離れていても、師弟の心は、揺るぎなく結ばれていたのである。
洪庵は、塾を巣立ちゆく門下生に、「事に臨んで賤丈夫(心のいやしい卑劣なおとこ)となるなかれ」(同)などの指針を贈っている。
さらに門下生への手紙には、「どうぞあなたは力をつくして道のため、世のためご勉強してくださるよう祈ります」(前掲『緒方洪庵のてがみその五』)等と書き送っている。
「世のため」「(医学の)道のため」「人のため」──ここに、適塾の師弟を貫く精神がある。
どこまでも庶民のために
一、こうした「医学をもって人を救う」という緒方洪庵の思想が表れているのが、12カ条にわたる、有名な「扶氏医戒之略」である。
その一部を紹介すると──。
「医の世に生活するは人の為のみ、おのれがためにあらずということを其業の本旨とす。
安逸を思わず、名利を顧みず、唯おのれをすてて人を救わんことを希うべし」
「病者に対しては唯病者を視るべし。貴職貧富を顧ることなかれ」
「学術を研精するの外、尚言行に意を用いて病者に信任せられんことを求むべし」
「世間に対しては衆人の好意を得んことを要すべし。学術卓絶すとも、言行厳格なりとも斉民の信を得ざれば、其徳を施すによしなし」(前掲『緒方洪庵と適塾』、現代表記に改めた)
自分のためではない。患者のためである。
地位や財産ではない。人間のためである。
どこまでも「人間としての振る舞い」を重要視し、患者からの「信頼」、人民からの「信用」を何より大切にした信念が伝わってくる。
一人一人がかけがえのない存在「皆、仏子」「皆が使命の人」
生老病死の苦悩を常楽我浄の歓喜に
妙法は最高の大良薬!
戸田先生 何があっても必ず変毒為薬できる
34
:
武
:2009/07/05(日) 22:22:02
他人のBLOGから丸写しコピペして何のつもりだ?
35
:
佐藤義徳
◆4cVqan2W..
:2009/07/05(日) 22:22:23
自分が礎に
一、緒方洪庵の著名な門下生の一人に、近代日本の「医療福祉の祖」「衛生事業の創立者」と讃えられる、長与専斎(1838〜1902年)がいる。
健康の保全や、疾病の予防・治療などに取り組むことを「衛生」として世に普及させた人物でもある。
長与専斎は、神奈川の鎌倉でも、保養所の建設、海水浴場の開設など、人々の健康のために先駆的な事業を展開した。
じつは、鎌倉のSGI(創価学会インタナショナル)教学会館の敷地には、長与家の別荘があった。
ここは、専斎の子息で作家だった長与善郎をはじめ、近代日本で人道主義を掲げた「白樺派」の文学者、文化人が集い、対話を重ねた地でもあった。
ところで、長与専斎は生来、病弱であった。そのため、自分は衛生事業の先駆となって道を開ければよい。あとは、後継の人々が大成してくれるにちがいないとの思いで戦った。
彼は綴っている。
「おもうに余は幼年の頃より多病羸弱にして気力も薄かりければ、衛生の事を思い立ちし初めより自らその成功に居らんなどのことは思いもよらず、ただその端緒をだに啓きたらんには、後継おのずからその人ありて大成の功を完うする時もあるべしとて、さては志を起こしたる」(小川鼎三・酒井シヅ校注『松本順自伝・長与専斎自伝』平凡社)
人の労苦の上に、安住するのではない。
むしろ自分が労苦を一身に引き受けて、道を開く。大成する栄誉は後輩に重ねていく。
ここに、人間としての崇高な生き方がある。
33年前、SGIの発足の際、集った各国の尊き先駆者たちに、私は申し上げた。
「皆さん方は、どうか、自分自身が花を咲かせようという気持ちでなくして、全世界に妙法という平和の種を蒔いて、その尊い一生を終わってください。私もそうします」
この一念で、私と世界の同志が戦い抜いてきたゆえに、今日のSGIの大発展がある。
今、長与家ゆかりの鎌倉のSGI教学会館には、海外から多くの識者や同志が来訪され、千客万来の賑わいである。
大聖人の御在世を偲びながら、地元の方々と有意義な交流を広げておられる。
訪れた方々は、皆、心から喜んでくださっている。常に最高の真心で歓迎してくださる、鎌倉の同志に、この席をお借りして、御礼を申し上げたい(大拍手)。
不可能を可能に
一、長与専斎は衛生の目的を、端的に「達者で長生きをする」(伊集院弥彦記『中央衛生会長長与専斎君演説筆記』、現代表記に改めた)ことだと語っている。
しかし、そのための伝染病の予防や、上下水道の整備といった事業は、人々の理解も、資金の確保も簡単には進まなかった。
長与専斎は、こう述べている。
「およそ達識遠見ある人の論説行為は、普通凡庸の思想以上に超過するが故に世俗の容るるあたわざるところとなり、意外のところに障害を蒙ること人間の常態にして、文明の世といえどもまた免るべからず」(前掲『松本順自伝・長与専斎自伝』)
偉大な思想や行動は、俗世に受けいれられるどころか、苦難を蒙る。それが、人間社会の常であるという達観である。
いわんや、法華経に「一切世間に怨多くして信じ難し(一切世間多怨難信)」等と説かれる通り、広宣流布の戦いは困難の連続である。
長与専斎は綴った。
「畢竟 事の成敗は忍耐勇往の如何に存するものと謂うべし」(同)
「忍耐」と「勇気」──ここにこそ、必勝の鉄則がある。
破れない壁はない。我らもまた、「不可能を可能とする」不屈の精神で、断じて新たな歴史を勝ち開いてまいりたい(大拍手)。
36
:
佐藤義徳
◆4cVqan2W..
:2009/07/05(日) 22:25:59
断じて負けるな!苦労こそ宝!
人間として光れ!
近代日本文学を開いた尾崎紅葉「玉磨かざれば光りなし」
一、私が、恩師・戸田城聖先生にお会いしたのは、19歳の時である。
近代日本文学にも、数え19歳で、生涯の師匠との出会いを果たした文豪がいる。
有名な泉鏡花である。師匠は、明治文壇の雄として名高い、尾崎紅葉であった。
「人として尽すべき道がある」
一、師弟はともに、学会本部のある信濃町にほど近い、東京・新宿の神楽坂界隈に住んでいたことでも知られる。
紅葉は、代表作『金色夜叉』に記した。
「およそ人と謂う者には、人として必ず尽すべき道がある」
「人の道という者があるのだ」(『金色夜叉(下)』岩波文庫)
「人の道」──その真髄こそ「師弟の道」であろう。
「紅葉と鏡花。この二人は文学史上、希有の師弟と謳われた。
近代日本文学の新しい道を開いた尾崎紅葉。
戸田先生の故郷・北陸の石川で生まれた泉鏡花は、青春時代、紅葉の作品を読み、深い憧れを抱く。
「我日本の東には尾崎紅葉先生とて、文豪のおわするぞ。と崇敬日に夜に止む能わず」(『鏡花全集第28巻』岩波書店。一部、現代表記に改め、漢字をひらがなにした=以下同じ)
「先生のお顔が見られたら、まあ、どんなに嬉しかろう」(「紅葉先生」、『明治文学全集18 尾崎紅葉』所収、筑摩書房)
求道の思いやみがたく、ついに上京して、尾崎紅葉の門を叩いたのである。
1891年(明治24年)の錦秋の10月19日のことであった。
そして鏡花は、四六時中、師匠の傍らで薫陶を受けることになる。
師匠・紅葉は「玉磨かざれば光無し」(『紅葉全集弟10巻』岩波書店)と綴った。
訓練は験しかった。朝晩の掃除。多くの来客の対応。師の外出のお供......。
行き届かないところは、厳しく叱責された。他の弟子がやった失敗に対してまで、「なぜ、互に注意をして未然に過失を防いでやらないか、お前は同門に冷淡だ」(前掲「紅葉先生」)と指摘された。
真の弟子に対する鍛錬とは、そういうものだ。
ふりがなを多く読者には謙虚に
一、文章の薫陶も厳格であった。
鏡花は、師・紅葉の原稿の口述筆記や清書もした。
また紅葉は、弟子の文には、自ら直しを入れてくれた。
弟子が自分の文章を、恐る恐る師のもとにお持ちする。すると「何だこれは」「もうちょっと書けそうなものだ」と一喝されることもあった。
さらに師匠は、字を丁寧に書くように、ルビ(ふりがな)を多く、適切にふるように等の細かい点も、重ね重ね注意した。
「小事に似たれど小事ならず 人たる者は万事にイケゾンザイ(=いいかげん)を慎むべき也」(『紅葉全集第12卷』岩波書店)と。
印刷場で活字を組んでくれる人たちへの謙虚さ。
読んでくれる読者への謙虚さ。
それを叩き込んだのである。
こうして、弟子は、人間としての振る舞い、文学者としての基本を学んでいった。
一方、師匠をうまく利用して、わが身の栄達を得ようという心根の人間は、この薫陶に耐えられず、離れていった。
泉鏡花は回想している。
「自分の出世をする為の方便としたり或はその時限りの都合上で来たり、乃至自分の書いたものを早く活版にしたかったり、直ぐに原稿料を望んだようなものは、その(=先生の)お小言やその眼玉やに堪えなかったのです」(前掲『鏡花全集第28巻』)
37
:
やまいぬ。
:2009/07/05(日) 22:26:57
佐藤義徳くん。泣かなくていい、坊や。
>【創価学会員成り済ましの者の共通性】
>①沖浦氏に対して悪口、中傷誹謗
繰り返す。蓮祖の御聖訓にも3代の指導にもない邪義捏造し、ただ1行の文証も挙げられぬまま
己を指弾する者を「日蓮正宗」と泣くのは沖浦だ。云いたいことあらば奴に云え。(^o^)
そして、沖浦を指弾する者が学会員成り済ましである文証挙げよ。
先生は邪義捏造者を責めるなとは何処にも仰せではない。
>②「沖浦シンパ」と、勝手な名称をつくり、差別を生み出す輩
前述した。
己が抜かした「自分が本、蓮祖も3代も全部迹」なる発狂邪義を責める人間を、沖浦克治は
「仏本人迹論者」と抜かし、お前もそれに同調した。いつだれが何処でそのような主張を書き込んだのか?
挙げろ。いつまでかかるんだ、愚図。
>③仏法の真髄に無知な創価学会員の坂を乗っ取り、創価学会員を中傷誹謗させるよう、ヨイショし、煽りたることで
>創価学会の内部分裂を諮り、広宣流布を妨害することを目的した三類の強敵である輩
意味不明。(^o^) ああ、丸ごと沖浦克治のことか?(^o^) なるほどねぇ?(>_<)(^o^)(^o^)(^o^)
沖浦自身もそうだが、お前も佐藤克己もphotochikaも、みな教学ゼロ、文証一つ挙げられぬな。
「仏法の真髄に無知な籍だけ創価学会員」とはきみらのことだ。御苦労さん!(^o^)
さ、上記断言したなら文証はあるんだな? 今まで何を問われても、一切根拠なり文証なり挙げたことのない
佐藤義徳くん? 今晩中にupしてもらおうか。頑張りなさい。(^o^)
38
:
佐藤義徳
◆4cVqan2W..
:2009/07/05(日) 22:28:14
文は気合で習う
一、愛弟子・鏡花にとっては、師の薫陶がすべてであった。
師を心底から崇敬し、師のためなら水汲みでも何でもして働かせていただくという決心であった。見栄や体裁など、かなぐり捨てて仕えた。
鏡花は、その心意気を、文章は「朱筆より気合で習う」(同)と表現していた。
師弟といっても、弟子の一念で決まる。
何より鏡花は、師・紅葉の厳愛の意味が、よくわかっていた。
「(紅葉先生は)一旦その弟子達の世話を引き受けるとなったら、もう中途半端な事なんかして置かず徹底的にその者の一人前になるようにと仕込むのです」
「厳格ではあったが、先生はよく可愛がって下すった」「何から何まで教えられた」(同)と。
私には、戸田先生の薫陶と二重写しで、胸に迫る。
朝から夜中まで、私の青春は「戸田先生をお護りする」──これが、すべてであった。
先生の訓練は厳しかった。先生に呼ばれれば、いつでも、どこへでも飛んでいった。
先生に託されたことは、どんな困難があろうと必ず実現した。
先生も私を、亡くなられる間際まで、命がけで薫育してくださった。世界の知性と縦横無尽に対話できるだけの、最高の人間学を授けてくださった。
これが創価の師弟なのである。
師からの手紙
一、さて、父を亡くし、いったん金沢に帰郷した鏡花が大変な貧窮に苦しんでいた時のことである。
生きる希望さえ失いかけていた弟子・鏡花を、師・紅葉が敵ました手紙が残っている。
「大詩人たるものはその脳 金剛石(=ダイヤモンド)の如く、火に焼けず、水に溺れず刃も入る能わず、槌も撃つべからざるなり、何ぞ況や一飯の飢をや」
「汝の脳は金剛石なり。金剛石は天下の至宝なり。汝は天下の至宝を蔵むるものなり。
天下の至宝を蔵むるもの是豈天下の大富人ならずや」
「倦ず撓まず勉強して早く一人前になるよう心懸くべし」(前掲『紅葉全集第12巻』)
君の金剛石の才能が、いまだ光を放つ時が来ていないがゆえに、天が君に苦難を与えて、自分を磨かせようとしているのだ。何を嘆くことがあろうか。
断じて負けるな!
天下の至宝を持てる誇りも高く、鍛錬せよ!
──厳しくも温かい叱咤激励であった。
弟子を思う師匠の厳愛ほど、ありがたいものはない。
鏡花は、後に感謝を込めて語っている。
「その時先生が送られた手紙の文句はなお記憶にある」
「馬鹿め、しつかり修行しろ、というのであった。これもまた信じている先生の言葉であったから、心機立ちどころに一転することができた」(前掲『鏡花全集第28巻』)
師紅葉は苦境の弟子を激励
君の頭脳はダイヤモンドだ 君は天下の大富人なのだ 倦まず弛まず勉強せよ!
弟子・泉鏡花は終生、師を慕った
今も先生が目の前にいる いつも忘れないのは先生のことだ
39
:
佐藤義徳
◆4cVqan2W..
:2009/07/05(日) 22:29:12
どんどん書け
一、師匠は、弟子に、"立派に成長して名を成し、家を興し、父祖を輝かせていくことが、最大の供養になる"とも励ました。
「どんどん読みどんどん書くべし」(前掲『紅葉全集第12巻』)と。
そして、師は、生活苦にあえぐ弟子の文学の錬磨に、いや増して心血を注いだ。
弟子の作品にさまざまな直しを入れ、自ら全部、筆写するまでの労をとったのである。
鏡花は、その直しの原稿を大切に保管し、後世に宝として、ありのままに遺している。
一、3年4カ月にわたって薫陶を受けた鏡花が、いよいよ師・紅葉の家を出る時のことである。紅葉は、弟子の前途を祝い、わざわざ会食を行ってくれた。
鏡花は、深謝して綴っている。
「紅葉先生、弟子の行を壮ならしむるため、西洋料理を馳走さる」「ホークと、ナイフの持ち方を教えられしも此の時なり」(笠原伸夫著『評伝 泉鏡花』白地社)
師は、社会への雄飛を開始した弟子を思い、西洋料理の食べ方まで教えたのである。
私も、学園1期生の代表を、卒業の折、帝国ホテルに招待して、マナーを教えながら、食事したことが懐かしい。今では世界の大舞台で、立派に活躍してくれている。
一、その後、鏡花は、師の期待に存分に応えていった。
『夜行巡査』『外科室』などの作品を次々と世に出す。苦境を脱し、気鋭の作家として、地歩を囲めていった。
成功を収めつつあった鏡花の家を、突然、紅葉が訪ねてきて、上機嫌で歓談することもあったという。
また紅葉は、質問に答えて、当時の最も良い若手の作家の一人に、弟子の鏡花の名を挙げている。
愛弟子が成長し、堂々と社会に雄飛していく姿──師匠にとって、これ以上の喜びはないのである。
創立日 君たちありて 大前進
栄光!わが歴史を創れ
「精神の力」で勝つのが「21世紀のナポレオン」
ナポレオン 私の仕事に限界はない 人間は行動で判断せよ
永遠の師弟城を
一、師・紅葉は、病床にあってもなお、弟子・鏡花の原稿を添削し続けてくれた。
この師の添削を受けた、最後の作品が『薬草取(やくそうとり)』である。
主人公の若き医学生が、医者では治しがたい重病に伏せた恩人を救うため、医王山(いおうざん)と呼ばれる場所へ、命がけで「薬草」を取りに行く物語である。
この作品には、法華経の薬草喩品(やくそうゆほん)や薬王菩薩本事品(やくおうぼさつほんじほほん)が記されている。主人公も、この法華経を抱き、読誦している。
「思うお方の御病気はきっとそれで治ります」(川村二郎編『鏡花短篇集』岩波文庫)
ついに薬草を手に入れた、この最終部の言葉は、師を思う弟子・鏡花の願いと、そのまま重なる。
鏡花は、後々まで、自らの書斎に、師の写真と全集とを飾った。師が生命を注いだ文章に接することが、師に接することになるからである。
そして終生、深い真心を込めて、敬慕の念を捧げ続けたことは、知る人ぞ知る逸話である。
その師弟の情は、人々の心を打たずにはおかなかった。
弟子・鏡花は、師の遺徳を傷つける人間は断じて許さなかった。師を冒涜する言動に対しては、まさしく飛びかかっていって抗議をしたと言われる。
鏡花は、師について書き記している。
「(先生の)目は徹夜不眠の血に鋭く輝いて、而して口許には優しく莞爾と微笑まれた。......私は襟を正して言う。今も(先生が)まのあたりに在(いま)す気がする」
「片時、と雖も忘れざりしは、先生にておわします」(ともに前掲『鏡花全集第28巻』)
師弟の道に徹し抜いた人生は、それ自体が荘厳な文学であり、不滅の芸術となる。
私自身、一点の悔いもなく、師匠にお仕えし、お護りし抜いた。
それは、幾多の歴史上の師弟にも負けないという自負がある。
だからこそ、戸田先生の構想をすべて実現して、今日の大創価学会ができあがったのである。
連載を再開した小説『新・人間革命』も、師弟の叙事詩にほかならない。
そしてまた、正義の「言論革命」を成し遂げゆく聖教城も、「永遠の師弟城」であると宣言しておきたい(大拍手)。
40
:
佐藤義徳
◆4cVqan2W..
:2009/07/05(日) 22:30:28
「歴史は前にしか進まない!」
一、月刊誌「第三文明」では、明年の新年号より、現在のナポレオン家の当主である、プランス・シャルル・ナポレオン公と、私の本格的な"ナポレオン対談"が始まる(大拍手)。〈対談のタイトルは、「21世紀のナポレオン──歴史創造のエスプリ(精神)を語る」〉
大いなる人間、大いなる歴史を仰ぎ、学んでいくことは、大いなる自分自身を築くことである。
その意味でも、"人類史の巨人"ナポレオンをめぐって、とくに「文化人」「建設者」としての側面に光を当てて、大いに語り合っていく予定である。
ナポレオンの魅力の一つに、新しき歴史を創造せんとして、前進また前進を貫いた、不撓不屈の生命力、比類なき行動力が挙げられる。
思えば、戸田先生が逝去された直後、私は意気消沈する同志を励まそうと、「若き革命家・ナポレオン」と題する一文を、聖教新聞に寄せた。
その中で、私は綴った。
「『前進!』──これが、全ヨーロッパを震撼せしめた、若き、悍馬にまたがった、ナポレオンの一生を貫く姿であった」
この点、ナポレオン公も、こう呼応してくださった。
「『前進!』──これは、わがナポレオン家の歴史と精神を表す言葉でもあります。
人類は、弛みなく前進を続けていかなければなりません。歴史は前に向かってしか進まないのです」
"歴史は前に向かってしか進まない"──善の勝利への「前進」こそ、我らの使命である。
ナポレオンは叫んだ。
「人間はその行動に基づいてのみこれを判断しなければならない」(オクターヴ・オブリ編、大塚幸男訳『ナポレオン言行録』岩波文庫)
価値創造の「行動」こそ、人生の誉れである。
〈ナポレオン公は、こうも語っている。
「私は池田会長に、ナポレオンに通ずる『卓越した行動力』『偉大な人間力』を見出すのです。
池田会長は『前進の人』であり、『精神の人』であり、『平和の人』です」
「私は、池田会長の全身に漲っている『生命の力』『知性の力』『精神の力』に圧倒されました。池田会長に『21世紀のナポレオン』を見る思いがいたしました」〉
ナポレオン
不幸を乗り越えるのが高貴で勇気あることだ
「不屈の闘志」こそ実地稚の魂!
一、ナポレオンの人生は、決して栄光や勝利ばかりではなかった。失敗もあった。挫折もあった。
皇帝の座を追いやられて、二度も島に流罪されるという悲劇も味わった。
しかし、ナポレオンは、いかなる境遇にも断じて負けなかった。エルバ島に流された時、彼は、断固たる志をもって立ち上がり、もう一回、復活した。
この不屈の闘志に、英雄の英雄たる魂の発光があると、私は思ってきた。
最大の苦難や逆境の時にこそ、その人物の真価がわかる。
ナポレオンは、最後に流刑された絶海の孤島セント・ヘレナにおいても、こう叫んでいる。
「不幸を乗り越えるのが高貴で勇気あることなのだ! この世では、誰もが、その運命を全うする義務があるのだ!」(ラス・カーズ編、小宮正弘訳『セント・ヘレナ日記抄』潮出版社)
わが人生を開いていくのは、この雄々しき気概である。決然たる勇気である。
重ねて、ナポレオンの獅子吼を贈りたい。
「仕事こそ私の本領とするところだ。私は仕事をするように生まれついているのだ。
私は自分の足の限界は知っていた。眼の限界も知っていた。しかし仕事となるとその限界はまるで知らなかった」
「数よりも精神力が勝利を決定する」(ともにアンドレ・マルロー編、小宮正弘訳『ナポレオン自伝』朝日新聞社)
一、結びに、私と同じ心で戦い進む、わが愛弟子たちに一句を贈りたい。
創立日
君たちありて
大前進
長時間ありがとう!
すべてに立派な総仕上げをしていこう!
(大拍手) (2008・11・19)
11,18記念代表協議会での名誉会長のスピーチ 〔完〕
41
:
武
:2009/07/05(日) 22:33:18
こういうのは別スレでやれよ。本当に迷惑な奴だ。
42
:
説教オヤジ
:2009/07/05(日) 22:43:30
サトちゃんよ。
何を勝手に書き込んでおる?
ワシからの問いに対する返答はまだか?
ただ黙って逃げ回り、「時が経てば」ってか?
「時を待つべきのみ」か?
どうしたよ。
お主が言うた事じゃ。
しっかり答えよ。
それとも、思ったとおりの時間が経過したから
「何の事か覚えがありません」ってか?
そうはいかんよ。
キッチリ答えんか、 サーーーートちゃん?
43
:
やまいぬ。
:2009/07/05(日) 22:46:57
多重にて自作自演という気も狂わんばかりの醜態がばれて、本当にアタマのコードが2、3本
切れたかもしれませんよ?(^o^) なぁ、坊や?(^o^)
誰かが労力と時間を費やして一生懸命打ちこんでくださったものを、意味もなく脈絡もなく
出鱈目にコピー・ペースト。狂人の沙汰だ。(>_<)(^o^)
44
:
天城五兵衛
:2009/07/05(日) 23:20:12
回答しないなら、荒らしと判定するぞ。
23 :天城五兵衛:2009/07/05(日) 20:00:08
佐藤義徳クン、責任転嫁せずに質問に答えて下さい。
回答も出来ないで、悪口を投稿するのは、持論に自信が無いからでしょう。
キミの説は、既に破折されているんだよ。
池田先生の講義を否定している人物を、学会員とは認められないね。
さあ、答えなさい!
>>14
名前:天城五兵衛 投稿日: 2009/07/04(土) 23:27:23
佐藤義徳@人本仏迹論者へ
回答出来るまで、質問を続ける。
今までの質問をまとめたので、早く以下の質問に対して回答すること。
他人の投稿であれ、キミが活字として投稿した以上、きっちりと回答する事!
質問1(2009年7月1日分)
「本門と迹門に優劣がない」と、日蓮大聖人の指南並びに創価学会指導で、具体的にどの様に指南されているのだ?
質問2(2009年7月1日分)
私をはじめ、一体誰が「仏本人迹」論を打ち立てたのだ?
やまいぬ。様、マグマグ様をはじめ沖浦板で忠告をし、アクセス禁止処分になった方で、誰が「仏本人迹論」を提唱した?
私が、いつ、どちらの掲示板で、「仏本人迹論」を主張したんだ?
他人様に難癖を付ける以上、具体的な投稿を引用して批判してみなさい。それが出来なければ、キミは乙骨某に類する「デマ男」でしかない。
質問3(2009年7月3日分)
> ほらね〜!本尊は何処にも書かれていませんね〜!
生死一大事血脈抄を引用して来たので、池田先生の「生死一大事血脈抄講義・90頁」から引用し、デマ男の浅学を叩きのめしてあげよう。
*******(ここから引用)
「久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生との三つ全く差別無し」とは、真実の仏の本質も、真実の仏法の本質も、そして、私たち衆生の生命の本質も「仏界の生死」にほかならない、ということです。
自分自身が、「久遠実成の釈尊」と「皆成仏道の法華経」と全く差別がないと理解し確信して、南無妙法蓮華経と唱えてこそ、私たちもまた、三世永遠に「仏界の生死」に連なることができるのです。(中略)
一人一人が妙法の当体として、日蓮大聖人即御本尊の生命が赫々と涌現し、妙法と一体の生命活動を繰り広げているのです。(以下略)
(ここまで引用)*******
「日蓮大聖人」=「皆成仏道の法華経」=「御本尊」との先生の講義である。
キミの主張と違う理由を説明しなさい。
45
:
天城五兵衛
:2009/07/05(日) 23:21:23
著作権法に抵触するぞ、佐藤クン。
46
:
天城五兵衛
:2009/07/05(日) 23:22:12
まるで嫌がらせだな(^^)
47
:
天城五兵衛
:2009/07/05(日) 23:23:51
佐藤クン、
「天晴れぬれば地明かなり法華を識る者は世法を得可きか」という御文分からないよね。
48
:
佐藤義徳
◆4cVqan2W..
:2009/07/05(日) 23:23:51
【沖坂・庶民坂より引用転載】
名前:沖浦克治 投稿日: 2009/07/05(日) 21:46:54 ID:AJ3hr85o0
槃特さん
若鷹が大謗法に堕ちた瞬間の記録があります。
>南無妙法蓮華経の下に「沖浦克治」と書いた曼荼羅でも拝んでろ!
公爵さんがこう言う大謗法の書き込みして、武さんが大喜びで賛成しています。
誰も注意いたしません。
〜引用終わり〜
御本尊様をこう言う事で引用すれば、既に創価の板ではありません。
お曼荼羅は迹ですよ。
ですが、信仰の根本対象です。
御本尊様を粗末に扱うと言うことは、自分の己心の妙法を信じないと言うことなんです。
反対に、御本尊様を大切にする事は、自身のみならず、一切衆生の己心の妙法を敬うと言うことです。
大白蓮華の七月号に、先生の当体義抄の講義に触れた記事が載っています。
そこに詳しく出ていますから、お読みくださいね。
公爵さんが、御本尊様を粗末にする書き込みをした。
武さんが喜んではやしたて、管理人も含めて誰も注意すら出来ない。
これね、大聖人様の魂のお曼荼羅に泥を塗る大謗法です。
私はね、御本尊様を粗末にする人は許せません。
樋田さんが曼荼羅をコピーしてひらつかせたとき、間髪をいれずしかりつけました。
映像に残っていますのでご確認下さいませ。
公爵さんがあのような大謗法を犯し、武さんが与同し、管理人が注意すら出来なかった瞬間、アノ板は現証により消滅が決まったんですよ。
○白ネコさん、わかりましたか?
49
:
若鷹の掲示板 管理人
:2009/07/05(日) 23:25:11
さて皆様
『「若鷹の掲示板」の停止を画策又は実行、又は関与』した誰かさんは、
「若鷹の掲示板」の停止を喜々としてさぞかし大喜びしていることでしょう(笑)。
次なるはこちらの「若鷹の大掲示板」の停止をきっともくろむことでしょうが、
そうはいきません(笑)
誰かさんが「ウッソー」「マジで?」という企画を用意致しました。
一晩だけの企画となるか?しばらく続くか?
本家をそのまま継承するか?はわかりませんが、「これは?!」と思われる方は
下記URLの上部箇所と投稿№2をよくお読みになりご参加下さいませ。
http://www2.ezbbs.net/09/wakataka/
50
:
説教オヤジ
:2009/07/05(日) 23:26:26
>>46
断末魔じゃよ。
何か書きたいが、何を書いたらいいか解らない。
しかし、何かを書かなきゃ気が済まない。
「書かなきゃ、書かなきゃ」の自己脅迫の念が書かせた一種の自己喪失状態。
まさしく断末魔じゃな。
51
:
天城五兵衛
:2009/07/05(日) 23:27:56
沖「坂」ってなんだ?
北海道の方言か?
52
:
天城五兵衛
:2009/07/05(日) 23:34:09
庶民「坂」だって(^m^)
北海道でもこういう表現はしないと思うが....。
53
:
天城五兵衛
:2009/07/05(日) 23:37:13
坂から転げ落ちるよな、今時Windows98を使っているくらいだから(^m^)
54
:
天城五兵衛
:2009/07/05(日) 23:39:29
>>49
管理人さんの投稿が出た途端に、佐藤クンの投稿が止まっているね(^^)。
怪しいなあ....(笑い)
55
:
天城五兵衛
:2009/07/05(日) 23:40:08
>>54
北海道で停電でもあったかな?
56
:
天城五兵衛
:2009/07/05(日) 23:40:59
>>55
Windows98だけに、フリーズしたんじゃないのかな?
57
:
天城五兵衛
:2009/07/05(日) 23:41:30
佐藤クン、
「天晴れぬれば地明かなり法華を識る者は世法を得可きか」という御文分からないよね。
58
:
天城五兵衛
:2009/07/05(日) 23:43:49
佐藤クン、回答しないなら、荒らしと判定するぞ。
23 :天城五兵衛:2009/07/05(日) 20:00:08
佐藤義徳クン、責任転嫁せずに質問に答えて下さい。
回答も出来ないで、悪口を投稿するのは、持論に自信が無いからでしょう。
キミの説は、既に破折されているんだよ。
池田先生の講義を否定している人物を、学会員とは認められないね。
さあ、答えなさい!
>>14
名前:天城五兵衛 投稿日: 2009/07/04(土) 23:27:23
佐藤義徳@人本仏迹論者へ
回答出来るまで、質問を続ける。
今までの質問をまとめたので、早く以下の質問に対して回答すること。
他人の投稿であれ、キミが活字として投稿した以上、きっちりと回答する事!
質問1(2009年7月1日分)
「本門と迹門に優劣がない」と、日蓮大聖人の指南並びに創価学会指導で、具体的にどの様に指南されているのだ?
質問2(2009年7月1日分)
私をはじめ、一体誰が「仏本人迹」論を打ち立てたのだ?
やまいぬ。様、マグマグ様をはじめ沖浦板で忠告をし、アクセス禁止処分になった方で、誰が「仏本人迹論」を提唱した?
私が、いつ、どちらの掲示板で、「仏本人迹論」を主張したんだ?
他人様に難癖を付ける以上、具体的な投稿を引用して批判してみなさい。それが出来なければ、キミは乙骨某に類する「デマ男」でしかない。
質問3(2009年7月3日分)
> ほらね〜!本尊は何処にも書かれていませんね〜!
生死一大事血脈抄を引用して来たので、池田先生の「生死一大事血脈抄講義・90頁」から引用し、デマ男の浅学を叩きのめしてあげよう。
*******(ここから引用)
「久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生との三つ全く差別無し」とは、真実の仏の本質も、真実の仏法の本質も、そして、私たち衆生の生命の本質も「仏界の生死」にほかならない、ということです。
自分自身が、「久遠実成の釈尊」と「皆成仏道の法華経」と全く差別がないと理解し確信して、南無妙法蓮華経と唱えてこそ、私たちもまた、三世永遠に「仏界の生死」に連なることができるのです。(中略)
一人一人が妙法の当体として、日蓮大聖人即御本尊の生命が赫々と涌現し、妙法と一体の生命活動を繰り広げているのです。(以下略)
(ここまで引用)*******
「日蓮大聖人」=「皆成仏道の法華経」=「御本尊」との先生の講義である。
キミの主張と違う理由を説明しなさい。
59
:
武
:2009/07/05(日) 23:43:54
多重ハンドラー佐藤氏は、北海道に住んでいるというのもウソのようです。(笑)
60
:
説教オヤジ
:2009/07/05(日) 23:45:01
>>52
>北海道でもこういう表現はしないと思うが....。
なにゆってんの?
北海道はさ、標準語だってばさ。
嘘だと思うんなら、誰かに聞いてみればいっしょ。
沖坂ってかい?庶民坂ってかい?
そんな坂何処にも無いべさや。
誰か聞いた事あんだべか?
天城さん。
これでも北海道に方言があるってかい?
62
:
佐藤義徳
◆4cVqan2W..
:2009/07/05(日) 23:46:52
SGI憲章
前文
我ら創価学会インタナショナルのすべての構成団体および構成員は、仏法を基調とする、平和・文化・教育への貢献をめざしてゆく。
20世紀を生きた人類は、「戦争と平和」「差別と平等」そして「貧困と豊かさ」という対極にある状態を、過去のどの世紀の人類よりも激しい振幅の中で経験した。
核兵器をはじめとする軍事技術の革新は人類絶滅の危機的状況をもたらしており、民族や宗教による激しい差別の現実は今なお紛争を絶やさない。そして、人類のエゴと放漫は、南北問題や地球環境の深刻な悪化などの「地球的問題群」を引き起こし、人類の存亡の危機をもたらしている。
日蓮大聖人の仏法は、人間生命の限りなき尊厳性を説き、すべての人を包含する慈悲といかなる困難をも克服する智慧をもたらす法である。そして、この智慧は人間精神の創造性を拓き、人類社会の直面するいかなる危機をも克服し、平和で豊かな共生の人類社会を実現できることを説く「人間主義」の法である。
我らSGIは、この「人間主義」に基づく「世界市民の理念」「寛容の精神」「人権の尊重」を高く掲げ、非暴力と対話により、こうした人類的課題に挑み、人類社会に貢献することを深く決意して、ここに以下の目的および原則を確認し、このSGI憲章を制定する。
目的と原則
63
:
佐藤義徳
◆4cVqan2W..
:2009/07/05(日) 23:49:15
地涌の菩薩
地涌の菩薩とは、法華経涌出品第十五で、釈尊が滅後弘通のために大地から呼び出した無数の菩薩をいいます。大地の底から涌き出たので地涌の菩薩といいます。大地の底とは、真理の世界に住していたことを意味します。
この地涌の菩薩の数は六万恒河沙です。「恒河」とはインドのガンジス河のことで、その砂の数を一恒河沙といいます。その一恒河沙の6万倍の菩薩が出現し、しかも、それぞれが無数の眷属(=従者、仲間)を率いているのです。
経典には、釈尊を25歳の青年とすれば、この地涌の菩薩は100歳の翁に譬えられるほど、仏以上の立派な姿をしていたことが説かれます。
この地涌の菩薩は、久遠実成の釈尊に教化され、“成仏のための根源の法”をすでに所持しており、釈尊と同じ仏としての生命境涯を持ちながら、菩薩の姿で悪世末法に妙法を広宣流布していく使命を帯びているのです。
この地涌の菩薩は、上行菩薩、無辺行菩薩、浄行菩薩、安立行菩薩という4人の導師(=衆生を導くリーダー)に率いられています。
そして、上行菩薩らは、法華経神力品第二十一において、仏の滅後に真実の大法を弘めることを誓います。これに対して釈尊から滅後の弘教を付嘱されます。付嘱とは、未来に法を弘通することを託すことです。
大聖人は、虚空会の説法の内容全体から、地涌の菩薩が出現する時は、滅後の中でも悪世末法であり、弘める大法とは南無妙法蓮華経にほかならないことを明かされています。
この付嘱通りに末法の初めに、先駆けて南無妙法蓮華経を弘通された日蓮大聖人が上行菩薩にあたります。
また「諸法実相抄」に「いかにも今度・信心をいたして法華経の行者にてとをり、日蓮が一門となりとをし給うべし、日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか、地涌の菩薩にさだまりなば釈尊久遠の弟子たる事あに疑はんや」(御書1360ページ)と仰せのように、日蓮大聖人の教えを信受して、大聖人の御精神の通り広布の実践に励む私たち一人ひとりも、すべて地涌の菩薩であり、末法の御本仏・日蓮大聖人の本眷属なのです。
64
:
天城五兵衛
:2009/07/05(日) 23:49:33
>>59-60
北海道の悪口を書いているのではありませんので、御了解願います。
北海道にご縁のある方に不快感を抱かせる様でしたら、本意ではございませんので、謝罪致します。
北海道在住で無いなら、グローバルIPアドレスなんでしょうね。
伽●とかいう蛸坊主がそうであったように。
65
:
佐藤義徳
◆4cVqan2W..
:2009/07/05(日) 23:53:55
>>62
の続きです。
目的と原則
SGIは生命尊厳の仏法を基調に、全人類の平和・文化・教育に貢献する。
SGIは「世界市民」の理念に基づき、いかなる人間も差別することなく基本的人権を守る。
SGIは「信教の自由」を尊重し、これを守り抜く。
SGIは人間の交流を基調として、日蓮大聖人の仏法の理解を広げ、各人の幸福の達成に寄与していく。
SGIは各加盟団体のメンバーが、それぞれの国・社会のよき市民として、社会の繁栄に貢献することをめざす。
SGIはそれぞれの国の実情をふまえて、各加盟団体の自立性と主体性を尊重する。
SGIは仏法の寛容の精神を根本に、他の宗教を尊重して、人類の基本的問題について対話し、その解決のために協力していく。
SGIはそれぞれの文化の多様性を尊重し、文化交流を推進し、相互理解と協調の国際社会の構築をめざす。
SGIは仏法の「共生」の思想に立ち、自然保護・環境保護を推進する。
SGIは真理の探求と学問の発展のため、またあらゆる人々が人格を陶冶し、豊かで幸福な人生を享受するための教育の興隆に貢献する。
【人間主義】に基づく『寛容の精神』ですよっ!某坂方々〜!
66
:
天城五兵衛
:2009/07/05(日) 23:57:19
佐藤クン、大丈夫か?
ブレーキが壊れた車の様に、ダッチロールしているようだが....。
長年IT業界にいると、自己制御不能に陥る人物を見かけるので、少し心配ですな。
まあ、それも自己責任ですから、仕方ありませんね。
職場であれば、ぶん殴ってでも止めますが、ここでは制御出来ません。
大聖人曰く「大高声を放ちて申すあらをもしろや平左衛門尉が・ものにくるうを見よ」
67
:
佐藤義徳
◆4cVqan2W..
:2009/07/05(日) 23:57:53
池田名誉会長の指針
池田名誉会長の指針から
真剣に勤行・唱題を続けたら、どれほど素晴らしいか。全部、自分のためです。義務ではなく、自分の権利です。
御本尊は決して、拝んでほしいなどと言われていない。こちらから、拝ませてくださいというのが信心です。やった分だけ、自分が得をする。
ともかく窮屈に考える必要はない。仏法は人間を自由にするものであって、人間を縛るものではないのです。
少しずつでも、毎日することが大事です。毎日、ご飯を食べてエネルギーとなる。勉強も毎日、積み重ねることによって力となる。
「毎日の生活が即人生」となる。だから「毎日の生活即向上」でなければならない。その推進力が勤行です。
勤行という行に励むことは、毎日の「心のトレーニング」です。自分自身の生命を清浄にし、エンジンをかけ、軌道に乗せていくことです。心身ともに回転を促し、リズムを整えていくのです。(『青春対話』から抜粋)
勤行をするのは“自分のため”である。
また自分の姿を見て、後輩もついてくる。子どもも見習う。(中略)
題目を百遍、二百遍でもよい。何かやることである。ともかく、まず御本尊の前に座ることだ。
大事なことは、朝晩、御本尊を拝そう、題目をあげようという「心」である。その「心」があれば福運は消えない。その心で「実践」すれば、福運はいや増していく。
だれが見ていなくとも、御本尊が全部、見ておられる。(1996・2・24、本部幹部会のスピーチ)
勤行・唱題は、小宇宙である自分自身を、大宇宙の根本のリズムに合致させゆく崇高な儀式である。
御本尊へ合掌し、勤行・唱題する。その声は、すべての仏・菩薩、諸天善神のもとに届いている。そして、目には見えないが、全宇宙の仏・菩薩、諸天善神が、その人を守り囲んでいく。その”真ん中”に自分がいることになる。(中略)
題目をあげるということが、どれほど、すごいことか。すべての仏・菩薩、諸天が味方になるのである。
だから人類を救う力がある。救う使命がある。(1999・7・3、7・3記念本部幹部会のスピーチ)
「親が子どもを捨てないように、子どもが母から離れないように」、そのように自分の心を御本尊の中に入れて、「実現させてください」と真心から祈ればいいのです。その祈りが、必ず、力を与えてくれる。
「祈り」という特別なものがあるのではない。「心から、お願いする」ということにほかならない。
「心」が大事です。心から御本尊を慕い、信じ、御本尊を大好きになって祈っていくことです。すべて自分のための信心です。唱題も「自分が満足する」ということが大事です。
決して、何時間やらなければいけないとか、形式ではない。目標を立てることは意味があるが、疲れている時とか眠い時とか、心もうつろに、惰性で口を動かしているだけ(笑い)――それよりも早く休んで、はつらつとした心身で行うほうが、価値的な場合がある。
居眠りしながら祈るのではなく、真剣さが大事です。
「ああ、すっきりした」と自分が満足するのが第一義です。その一日一日の積み重ねが、自然のうちに、一番いい方向へと人生を開いていくのです。(『青春対話Ⅱ』から抜粋)
68
:
佐藤義徳
◆4cVqan2W..
:2009/07/06(月) 00:06:46
>>66
忝い!ご心配には及ばぬ。
形骸化した“葬式仏教”
日本における仏教は、江戸時代の檀家制度によって寺院が民衆を統治・支配する権力機構に組み込まれたことにより、布教を忘れ、民衆救済という仏教本来の精神が薄れ、時代を経るにしたがい、形骸化し、権威化してしまいました。葬式など儀礼中心の、いわゆる葬式仏教となってしまったのです。
日顕宗はその典型で、形骸化・権威化の旧悪の体質そのままです。葬儀など、遺族の悲しみにつけいって多額の供養をせびるなど、供養金目当ての“商売”に狂奔する堕落し切った姿は、まさに“食法餓鬼”です。
ところで檀家制度とは、人々を強制的に、いずれかの寺院の檀家として所属させた制度です。これにより当時の幕府は、人々の統治を容易にした訳です。寺院は檀家制度によって、檀家の葬儀や年忌法要などの儀礼で得られる供養を寺院経営の基盤とさせていったのです。
そうしたなかで、「塔婆」や「位牌」「戒名」などが、その意義や形を変えて寺院経営の手段として取り入れられていったのです。
また檀家制度のもとでは、僧侶が行うのは葬儀・法要などの儀礼が中心で、檀家の信仰心を深めようとする努力は、ほとんどなされなかったのです。
このような歴史のなかで形成されたのが、僧侶の権威を強調し、僧俗を差別する在り方です。
愚かにも日顕宗では“坊主が上で、在家は下”などという珍妙な僧俗差別論にしがみつき、まさに封建時代の遺物と化しています。
大聖人は「僧侶も、尼も、在家の男性・女性の信仰者も、法華経の一句でも人に語っていく人は仏の使いである」(御書1448ページ、趣意)と仰せになり、僧侶も、在家の信仰者も皆平等であることを強調されています。
“坊主”の権威を振りかざす日顕宗は、大聖人の仏法とはまったくかけ離れた邪義を説いているのです。
「大聖人直結」「御書根本」の創価学会こそ、日蓮大聖人、日興上人の教えと信仰を正しく受け継ぐ唯一の教団であり、大聖人の仏法を現代の言葉で語り、現代に生き生きと脈動させているのです。
69
:
佐藤義徳
◆4cVqan2W..
:2009/07/06(月) 00:11:32
池田名誉会長の指針
釈尊も、大聖人も、葬儀について具体的には、何も説かれていない。その人が成仏できるかどうかは、あくまでも、その人自身の「信心」による。僧侶が行う「葬儀」によって決まるわけではない。
そうでなければ、日々、信心の修行に励む必要などなくなってしまう。一生、遊び続け、死ぬ前日にでも僧侶を呼び、金を渡して葬儀を頼めばよい、ということになろう。成仏が、そんな簡単なものであるはずがない。“葬儀には僧侶を呼ぶのが「伝統の化儀(けぎ)」である。さもなければ成仏できない”――こんな日顕宗の言い分が、どれほど大きな偽(いつわ)りか。大聖人の仏法に背(そむ)く、まったくの「邪義」なのである。その邪義を振りかざして信徒をだまし、金銭をしぼり取る――日蓮大聖人へのこれほどの反逆はない。民衆への、これほどの侮辱はない。この極悪を、断じて、許してはならない。
(1993年8月8日、本部幹部会でのスピーチ)
「日蓮がたましひ(魂)をすみ(墨)にそめながして・かきて候ぞ」(御書1124ページ)
「一念三千(いちねんさんぜん)の法門をふ(振)りすす(濯)ぎたてたるは大曼荼羅(まんだら)なり」(同1339ページ)
このように仰せの御本尊であられ、御本仏・日蓮大聖人の御生命の当体であられる。無限の「仏力」「法力」を具(そな)えておられる。
ゆえに、残る大切なことは、形式ではなく、拝する者の「信力」「行力」である。強く、正しき「信」と「行」の力によって、御本尊の仏力・法力が発揮されるのである。
「信力」も「行力」もない、謗法の僧侶が、どんなに荘厳めかした儀式をしたとしても、何の意味もない。そうした儀式は、全く必要ないのである。
(1992年12月23日、婦人部との語らい)
70
:
佐藤義徳
◆4cVqan2W..
:2009/07/06(月) 00:15:37
「実践の教学」の意義
なぜ教学が必要か
私たちの信仰の根本指針の一つに「実践の教学」が挙げられます。
「実践の教学」とは、日蓮大聖人が教え遺された「御書」の拝読を根本に、正しい仏法の法理を信仰実践のなかで学び、心に刻んで、御本尊への「信」を深めていくことです。ですから、「実践」を離れたところに私たちの教学は存在しません。どこまでも信心を深め、実践を豊かにするための研さんが大事なのです。
池田名誉会長は、教学の大切さについて、つづっています。
「教学は、人生、生き方の軌道をつくる。教学の研さんがなくなると、なんのための信心か、わからなくなり、感情や利害に左右され、策略で動くようになってしまうものです」(小説『新・人間革命』第四巻、青葉の章)
教学を深めていくならば、私たちの信心の実践を妨げようとする「魔」の本質も分かります。心にある疑問も晴らしていけます。なぜ「難」にあうのか、なぜ「迫害」されるかが、道理として理解することができ、ますます信心への確信が強くなります。
71
:
佐藤義徳
◆4cVqan2W..
:2009/07/06(月) 00:19:49
池田名誉会長の指針から(1)
妙法を唱え、弘める人は仏の使い
―大福徳を積み、永遠の幸福への直道を
折伏とは「真実を語る」ことです。法華経は真実を説いているので「折伏の経典」と呼ばれる。末法においては、法華経の真髄である「南無妙法蓮華経」の素晴らしさを語り、広げていく行動は、全部「折伏」です。(中略)
大切なことは「真心が通じますように」との祈りです。祈りから智慧も生まれる。確信も、歓喜も生まれる。大変だけれども、その人が必ず幸せになり、自分も幸せになっていくことを思えば、これほど「楽しい」こともない。(『法華経の智慧』第二巻から抜粋)
多くの人が、「自分だけの幸せ」しか考えないような世の中である。
その中で、自分自身が、さまざまな苦労を担いながらも、悩める友の声に耳を傾け、励ましておられる。
懸命に、広宣流布のために行動し、折伏をしておられる。それが、どれほどすごいことか。(中略)
「私は幸福だ。最高の妙法を持っているから」
この大確信で、仏法を語ればよいのである。
現在の境遇がどうあれ、妙法を唱え、弘めゆく人は、すべて仏の使いである。はかりしれないほどの大福徳を積み、永遠の幸福への直道を歩んでいることを誇りにしていただきたい。(2002・2・1、本部幹部会のスピーチ)
池田名誉会長の指針から(2)
72
:
若鷹の掲示板 管理人
:2009/07/06(月) 00:27:12
佐藤義徳氏へ
>>44
上記№44の
天城五兵衛氏の質問に真摯に回答なき場合、前回「若鷹の掲示板」での裁定に続き
誠意なしとし、これまでの投稿全文削除
(管理人が特に有用と思われる箇所のみ抜粋し後日「御書・学会指導スレッド」へ管理人名で再投稿し)
の上、最終警告処分(但し、落ち着くまで一旦アクセス禁止)とします。
73
:
佐藤義徳
◆4cVqan2W..
:2009/07/06(月) 00:27:42
随方毘尼
仏法は、時代・地域・人種・性別・年齢を問わず、万人に共通の根本法則です。そのうえで、仏法は、さまざまな文化の多様性を認め、その在り方を最大限に尊重します。そうした仏法の考え方から出てきた法理の一つに随方毘尼があります。
これは、随方随時毘尼ともいい、仏法の根本の法理に違わないかぎり、各国・各地域の風俗や習慣、時代の風習を尊重し、それに随うべきであるとした教えです。
「随方」とは、地域の風習に随うこと、「毘尼」とは、戒律の意味です。
日蓮大聖人は「此の戒の心はいたう事かけざる事をば少少仏教にたがふとも其の国の風俗に違うべからざるよし仏一つの戒を説き給へり」(御書1202ページ)と仰せです。
要するに、正法という根本基準を立てたうえで、成仏・不成仏という仏法の根本原理に関する事柄でなければ、一般の風俗、世間の普通の約束事を尊重し、用いていくことを説いているのが日蓮大聖人の仏法です。
74
:
佐藤義徳
◆4cVqan2W..
:2009/07/06(月) 00:37:47
>>14
名前:天城五兵衛 投稿日: 2009/07/04(土) 23:27:23
佐藤義徳@人本仏論者へ
回答出来るまで、質問を続ける。
今までの質問をまとめたので、早く以下の質問に対して回答すること。
他人の投稿であれ、キミが活字として投稿した以上、きっちりと回答する事!
質問1(2009年7月1日分)
「本門と迹門に優劣がない」と、日蓮大聖人の指南並びに創価学会指導で、具体的にどの様に指南されているのだ?
○本門と迹門優劣ありますよ〜♪
質問2(2009年7月1日分)
私をはじめ、一体誰が「仏本人迹」論を打ち立てたのだ?
やまいぬ。様、マグマグ様をはじめ沖浦板で忠告をし、アクセス禁止処分になった方で、誰が「仏本人迹論」を提唱した?
私が、いつ、どちらの掲示板で、「仏本人迹論」を主張したんだ?
他人様に難癖を付ける以上、具体的な投稿を引用して批判してみなさい。それが出来なければ、キミは乙骨某に類する「デマ男」でしかない。
○日々さんが仰っていましたね。
質問3(2009年7月3日分)
> ほらね〜!本尊は何処にも書かれていませんね〜!
生死一大事血脈抄を引用して来たので、池田先生の「生死一大事血脈抄講義・90頁」から引用し、デマ男の浅学を叩きのめしてあげよう。
*******(ここから引用)
「久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生との三つ全く差別無し」とは、真実の仏の本質も、真実の仏法の本質も、そして、私たち衆生の生命の本質も「仏界の生死」にほかならない、ということです。
自分自身が、「久遠実成の釈尊」と「皆成仏道の法華経」と全く差別がないと理解し確信して、南無妙法蓮華経と唱えてこそ、私たちもまた、三世永遠に「仏界の生死」に連なることができるのです。(中略)
一人一人が妙法の当体として、日蓮大聖人即御本尊の生命が赫々と涌現し、妙法と一体の生命活動を繰り広げているのです。(以下略)
(ここまで引用)*******
「日蓮大聖人」=「皆成仏道の法華経」=「御本尊」との先生の講義である。
キミの主張と違う理由を説明しなさい。
○すばらしいですね。日蓮大聖人は御本仏で正解ですよ。
75
:
佐藤義徳
◆4cVqan2W..
:2009/07/06(月) 00:48:37
之れを以つて之れを思ふに忘れても法華経を持つ者をば互に毀るべからざるか、其故は法華経を持つ者は必ず皆仏なり仏を毀りては罪を得るなり。
(松野殿御返事 1382ページ )
76
:
佐藤義徳
◆4cVqan2W..
:2009/07/06(月) 00:54:49
善知識と悪知識
「知識」とは元来、仏教用語では友人・知人を意味する言葉です。知識のなかでも正しく仏道に導いてくれる人や、仏道修行を励ましてくれる同志を「善知識」といい、その逆に、仏道修行を妨げ、人を迷わして悪道に導く者を「悪知識」といいます。
凡夫の心は揺れ動きやすいものであり、仏道修行の途上においても、ともすれば自身の弱さに負けて修行を怠ったり、正しい仏の教えを見失ったりしがちです。そこで、常に正しい仏道に導き、信心を触発してくれる善知識が必要なのです。
それ故に日蓮大聖人は「されば仏になるみちは善知識にはすぎず、わが智慧なににかせん、ただあつきつめたきばかりの智慧だにも候ならば善知識たいせちなり」(御書1468ページ)と、教えられています。
逆に仏道修行を妨げる悪知識については、涅槃経にこのように説かれています。
「たとえ凶暴な悪象に殺されたとしても、それは何ら恐れることではない。なぜならば、たとえ自身の肉体が破壊されることがあっても、自身の心は破壊されていないのだから、地獄・餓鬼・畜生の三悪道に堕ちることは決してない。しかし、悪知識によって心が破壊されたら、必ず三悪道に堕ちる因を作ったことになる」
したがって、善知識に親近するとともに、悪知識を遠ざけることが大事になります。
また大聖人は、もう一歩進んで、仏道修行を妨げようとする悪知識をも成仏への機縁としていく強盛な信心に立つべきことを示されています。その時は悪知識も善知識ととらえられるのです。
すなわち「種々御振舞御書」に「釈迦如来の御ためには提婆達多こそ第一の善知識なれ、今の世間を見るに人をよくなすものはかたうどよりも強敵が人をば・よくなしけるなり」(同917ページ)と説かれ、「富木殿御返事」には「諸の悪人は又善知識なり」(同962ページ)と述べられています。
77
:
佐藤義徳
◆4cVqan2W..
:2009/07/06(月) 00:57:55
立正安国論
日蓮大聖人の仏法は、各人の生命境涯を変革し、今世のうちに絶対的幸福境涯を開くことを可能にする教えです。それとともに、各人の生命境涯の変革を通して社会全体の平和を達成することを目指しています。大聖人は、平和実現のための原理を立正安国論のなかで示されました。
「立正安国」とは「正を立て国を安んずる」と読みます。
「立正」とは人々が人生のよりどころとして正法を信受することであり、また、仏法の生命尊厳の理念が、社会を動かす基本の原理として確立されることです。「安国」とは社会の平和・繁栄と人々の生活の安穏を実現することです。
立正安国論における「国」とは、権力を中心にした統治機構という面とともに、より一歩深く、民衆の生活の基盤としてとらえられています。その意味で、人間が形成している社会体制だけでなく自然環境の国土も含まれます。
大聖人が民衆を中心に国をとらえられていたことは立正安国論の御真筆において、国を意味する漢字を書かれる多くの場合に「国構えに民」の字を用いられていることにもうかがうことができます。
立正安国論は、直接的には当時の日本の安国の実現のために著された書ですが、その根底となっている精神は、民衆の安穏の実現にあり、したがって、未来永遠にわたる全世界の平和と人々の幸せを実現することにあります。
また、大聖人が当時の人々の苦悩を解決するため、立正安国論を著し、権力者を諫められたこと自体、仏法を行ずる者はただ自身の成仏を祈って信仰していればよいのではなく、仏法の理念・精神を根本にして、積極的に社会の課題に関わっていくべきことを身をもって示されたものと拝察できます。
創価学会が、今日、仏法の理念を根本に、平和・文化・教育・人権などの分野で、地球的課題の解決に取り組んでいるのも「立正安国」の法理と精神に基づく実践にほかなりません。
79
:
若鷹の掲示板 管理人
:2009/07/06(月) 01:41:02
佐藤義徳氏へ
>>72
での、管理人の投稿
*********************************************************************
>>44
上記№44の
天城五兵衛氏の質問に真摯に回答なき場合、前回「若鷹の掲示板」での裁定に続き
誠意なしとし、これまでの投稿全文削除
(管理人が特に有用と思われる箇所のみ抜粋し後日「御書・学会指導スレッド」へ管理人名で再投稿し)
の上、最終警告処分(但し、落ち着くまで一旦アクセス禁止)とします。
**********************************************************************
への真摯な回答が無いため、
最終警告処分(但し、落ち着くまで一旦アクセス禁止)とします。
80
:
佐藤義徳
◆4cVqan2W..
:2009/07/06(月) 01:50:05
>>79
管理人さん♪誠意なしとは心外なんですけども〜♪
私にとってはこれが精一杯のお答えです。
手に障害があるためにキーボードを打つのに通常の3倍の時間を有します。
何卒、善きにはからいくださいますよう、ご検討くださいませ。
81
:
若鷹の掲示板 管理人
:2009/07/06(月) 02:13:10
佐藤義徳氏へ
上記は「若鷹の掲示板」に貴殿が過去投稿されたものの焼き直しであり、
管理人としては十分な論理と思えません。
また貴殿は「日々さんが仰っていましたね」と他人の責任にすり替え、
貴殿自身の論を戦わせておらず、それゆえ先日「厳重注意」を受けています。
それについて全く反省もありません。
もっと勉強と教学の研鑽が必要だと思います。
管理人として上記考えますが、天城五兵衛氏が満足ならば、管理人がとやかく言う
ことでもないため、とりあえず天城五兵衛氏が満足か否か、返答をお待ち下さい。
82
:
天城五兵衛
:2009/07/06(月) 22:03:15
>>81
管理人様、回答が遅くなりました事、お詫び申し上げます。
佐藤氏の回答には、全く以って満足しておりません。
以下、閉鎖される直前の「若鷹の掲示板」の過去ログです。
31995.天城氏へ、
名前:佐藤義徳 日付:7月1日(水) 1時4分
>>31991
(前略)
排し方は千差万別ですからね。 大聖人はね。優劣ないと御教示されていますがね。。
(以下略)
斯様に述べる一方で、今回、「○本門と迹門優劣ありますよ〜♪」等と述べています。
加えて、池田先生の「生死一大事血脈抄の講義」を否定する沖浦某の説を支持しながら、その誤りを問い質しても、まともな回答が出来ません。
まともに議論する意志など、当初から無いのは明白です。
また、著作権を無視した投稿や意図不明のコピペは、当掲示板への荒らし行為と思います。
更に、実名と思われるハンドル名で、多くの参加者に不快感を与える行為は、当掲示板を閉鎖に追いやる意図的な行為と思われます。
従いまして、佐藤氏の全投稿の削除並びに同氏のアクセス禁止動議を、改めて提出させて頂きます。
天城五兵衛 拝
83
:
武
:2009/07/06(月) 22:21:00
>>80
> 手に障害があるためにキーボードを打つのに通常の3倍の時間を有します。
今度は障害者のふりか。狼少年だから信用したくないなー。
米俵を何十とほいほい担ぎ運べる健常者が正解だと思っていたが。
> 488 名前:佐藤義徳[] 投稿日:2008/10/05(日) 22:58:57 ID:hihFB6a2O
> ふ〜!疲れたび〜!今日は契約農家からお米を66俵運びました。今年の北海道米の出来は最高ですよ〜!
84
:
佐藤義徳
◆4cVqan2W..
:2009/07/06(月) 22:46:46
テスト!
85
:
佐藤義徳
◆4cVqan2W..
:2009/07/06(月) 23:11:41
手というか指なんですよね。
弱い者虐めはよくありませんよ〜!
仏法者としてはね。
も少し仲良くしてほしかったんですけどね〜♪
7月号の大白蓮華お読みですか?63ページの上の段に、一大事。に関する先生のご指導が載っています。
【幸せな生活の源泉となる、一大事。とはなにか。
それは信心です。これが無ければ最後の勝利はありません。信心が一大事です。】
一大事とはね。一大秘法です。
それが、信心なのです。信心についての先生のご指導です。
【観心とは信心です。我が己心の仏界を観じる。すなわち、我が己心の仏界を信じることなんです。
そのための本尊を五の五百歳に始めておいたよ。
こう読むんです。
我々凡夫が仏になるためには本尊がいる。
その本尊だよ。
信心のための本尊だよ。
本尊のための人間じゃないよ。
だから、大聖人はありがたいんです。】
これが創価の原点ですよ。
これが信じられないなら、サッサト宗門に行くほうがいいですね。
短い間でしたが、失礼致します。
86
:
京阪いこか
◆AIo1qlmVDI
:2009/07/06(月) 23:23:06
>手に障害があるためにキーボードを打つのに通常の3倍の時間を有します。
それでは相当な時間を書き込みに要しているわけだ。
その分、唱題に励めばどれほどよかろうか。
ついでに。
障害がもしウソであるならば・・・だ。
それなりの「業」を積むことを覚悟されたし。
87
:
天城五兵衛
:2009/07/06(月) 23:23:37
佐藤クン、
もう少し、教学研鑽してから来なさい。
そう、大聖人の仏法は、人法一箇。生仏一如。
「人本仏迹」でもなければ「仏本人迹」でもない。
そもそも、「仏本人迹」等と言い出したのは、沖浦某だよ。
私を含めて、沖板で誰一人として、「仏本人迹」等と一言も書いていないよ
管理人様の裁定(最終警告処分《但し、落ち着くまで一旦アクセス禁止》とします。)を無視して、投稿した以上、もう書き込まないように。
天城五兵衛 拝
88
:
天城五兵衛
:2009/07/06(月) 23:30:04
> 手に障害があるためにキーボードを打つのに通常の3倍の時間を有します。
それが事実でも、他人様の主宰する掲示板にルールを無視して投稿するのは良くない事だね。
昔のパソ通仲間に、音声入力/出力ソフトを使用していたメンバーもいた。
彼の投稿は、一目して苦労の分かるテキストだったけど、ルールを無視する事は無かったよ。
先ずは、ルールやモラルを守る事から始めなさい。
89
:
天城五兵衛
:2009/07/06(月) 23:36:58
管理人様
>>79
> 管理人が特に有用と思われる箇所のみ抜粋し後日「御書・学会指導スレッド」へ管理人名で再投稿
出処不明の文書の転載は、著作権上問題があると思いますが如何でしょうか?
90
:
出張マグマグ
:2009/07/07(火) 00:13:32
横から失礼。。。
85番の佐藤さんは、沖浦さんの丸写しなのか、
沖浦さんが佐藤さんのパクリなのか、
どちらが「本」なのか「迹」なのか分かりませんが(笑)、
文章が余りにも酷似していますですね。。。
いや、とても素晴らしく、そのまんまですね。。。(>_<)(>_<)(>_<)
あなたは佐藤さん?それとも沖浦さん?
―――生(=衆生)仏一如ですが、ひょっとしてお二人は一体?一人二役?
※天城様のご高説にある「生仏一如」は、しょうぶついちにょ、と読みます。
生き仏と読んではなりませぬ。今の沖浦さんはそんな感じですが。。。(>_<)
因みに、この意味は、迷いの衆生も悟りを得た仏も、それぞれ別のものでなく、
その本体において一つである、と言う意味です。
一生成仏抄、百六箇抄に出て参ります。出張マグマグo(*^▽^*)o~♪
91
:
武
:2009/07/07(火) 06:42:03
> 11 名前:佐藤義徳 ◆4cVqan2W..[] 投稿日:2009/07/07(火) 02:35:26
> 蒸し暑くて、起きてしまいましたわ♪
おい、佐藤君、北海道在住じゃなかったかね。(笑)
夕べの札幌は、20度もいかず肌寒かったぞ。(笑)
ずっとネットに張り付いているのをごまかそうと一旦寝て起きたと書いたのはいいが、かえって仇になったようだな。
君の書き込みの癖は、いいわけがましくやたらとリアルな用事を書き込む事だ。そこには必ず隠したい事がある。
君の成りすましのキャラ全部、同じ癖なんだよ。(笑)
Photochika女史が君に言ってたぞ。
> 気持ち悪い。
> だから結婚できないんだよ。
92
:
武
:2009/07/07(火) 06:58:32
>>91
なあんだ。佐藤=ホセリサールのホストはとっくの昔に割れてたんだ。
>投稿者:ホセ・ラサール
>Remote Host: w32.jp-t.ne.jp
jp-t.ne.jpというのは東京近郊を示すドメイン。もし北海道に住んでいるならjp-d.ne.jpのはずです。
昔東京に住んでいた時に買った携帯だという屁理屈も通用しない。
北海道に引っ越して請求書送付先を変えた時点で管轄会社が変わるからドメインも変わりますよ。
もし東京の管轄のまま、例えば東京の親戚が月々携帯料金を払ってくれているとかなら、ありえる話しですがね。(笑)
93
:
若鷹の掲示板 管理人
:2009/07/08(水) 00:01:00
天城五兵衛様
>>89
>出処不明の文書の転載は、著作権上問題があると思いますが如何でしょうか?
そうですね。
出処に関しては、不明も明確も共に一応著作権上の問題があると思いますが、
不明なものは内容の確認ができないため、より一層問題が大きいと思っています。
出処明確な指導に関しては、著作権上の問題を残しつつも、私たち学会員にとって
有用且つ普遍的に流布していくべきないようであれば、その程度にもよりますが
ある程度は了解しえるものであると考えます。
しかしながら問題なのは、「ためにする」ための指導の抜粋。
自己の邪論を正当化するために、大切な箇所を削除したり、中略した場合の取り扱いだと考えています。
上記のような判断を根本に選別したいと思います。
ただ彼の引用の大部分が、出処不明であったり、「ためにする」ための指導の抜粋と思われますので、
大部分が削除対象となりえる、と考えています。
94
:
若鷹の掲示板 管理人
:2009/07/08(水) 00:10:12
佐藤義徳氏へ
天城五兵衛様の
>>82
を参照してしっかりと研鑽の上、「自分の言葉」で次は論じるようお願いします。
多分、次が最後です。
ただ「ためにする」指導の抜粋や誰かさんの言葉をコピーして貼り付けるだけなら誰でもできるし、
人にも感動や関心を与えることはできません。
自分の研鑽した内容を、自分の言葉として語るように。
しばらく自ら投稿を自粛し、しっかり研鑽して、ラストチャンスを生かしてください。
それまでアク禁でお願いします。
これが最後の譲歩です。
95
:
天城五兵衛
:2009/07/08(水) 00:55:52
管理人様
常日頃より大変にお世話になり、誠に有難うございます。
この度のハンドル名「佐藤義徳」氏への措置、有難うございます。
佐藤クン
感情に流される事無く、客観的に教学研鑽に勤しんで下さい。
先生の指導を熟読し、自分の頭で考え、自分の言葉で表現出来る様になって下さい。
天城五兵衛 拝
97
:
京阪いこか
◆AIo1qlmVDI
:2009/11/23(月) 12:13:08
いまだこの質問に答えられない沖浦さん。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/9724/1258862363/
にげまくり“今三位”(現代の三位房←そんなエエもんちゃうかw)
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/7888/1258455472/
98
:
京阪いこか
◆AIo1qlmVDI
:2009/11/28(土) 20:13:58
○ttp://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/7888/1258455472/371
>沖浦克治:2009/11/28(土) 14:12:51 ID:6wWhcHTM0
>熱原は私の中で終わりました。3年やって気付きました。
>3年で大きな収穫がありました。
>でも、もう私には終わったんです。
はい、無責任。 かつ自語相違、ご都合主義。
その間、貴方の独善に疑問を呈する面々に対し、
貴方はどれだけ罵倒しましたっけ?
説得力は皆無ですね。
コレは単に「過去のこと」「過ぎ去った反省」では済まされません。
どうぞ、ご回答を。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/9724/1258862363/
>人を劇場に呼ぶより、自分が創価掲げて人の中に入ろう。
>こっちが私にあっています。
はい、これも自語相違、ご都合主義。
こんな自分勝手な事も「自分が本」の実践ですか?
「邪儀と詐親」と罵られつつ、必死になって貴方を擁護し、同じく熱原劇を賞賛してきた方たち。
この方たちを置き去りにし、「はい止めたんです、理由は○○です」だなんて、彼らも哀れですね。
いまだ、事あるごとに貴方を庇っている方たちがいますが、
“庇われる”ほどに貴方の情けなさが際立ちますよ(爆
それに随所、相変わらずご高説は結構なんですが、
貴方にはもう 「 説 得 力 」 はありません。
何故なら、言葉を裏付ける具体的な祈りが語れないからです。
“具体的に”は貴方の標榜、貴方の生命線。
これが皮肉にも自らの首を絞め続けている。
あまりにもブザマな逃亡に、もう皆さんが笑っていますよ。
貴方のおっしゃった事からすれば、貴方のこれまでのスタンスが、単に“個人が述べる意見発表”程度ではありませんよね?
「ネットで教導する」とまでおっしゃった貴方の“思い上がり”が貴方が攻められる深層です。
無責任な言い訳をダラダラと書いても、皆さんドン引きですよ。
これじゃ、堂々と「先生にお手紙」だなんて、どだい無理だったんですね。
私がいくらお勧めしても詭弁で逃げ続けるのも、いま思えば納得です(笑
99
:
京阪いこか
◆AIo1qlmVDI
:2009/11/28(土) 20:16:40
(
>>98
の省略部分を再掲します。)
それに随所、相変わらずご高説は結構なんですが、
貴方にはもう 「 説 得 力 」 はありません。
何故なら、言葉を裏付ける具体的な祈りが語れないからです。
“具体的に”は貴方の標榜、貴方の生命線。
これが皮肉にも自らの首を絞め続けている。
あまりにもブザマな逃亡に、もう皆さんが笑っていますよ。
貴方のおっしゃった事からすれば、貴方のこれまでのスタンスが、単に“個人が述べる意見発表”程度ではありませんよね?
「ネットで教導する」とまでおっしゃった貴方の“思い上がり”が貴方が攻められる深層です。
無責任な言い訳をダラダラと書いても、皆さんドン引きですよ。
これじゃ、堂々と「先生にお手紙」だなんて、どだい無理だったんですね。
私がいくらお勧めしても詭弁で逃げ続けるのも、いま思えば納得です(笑
100
:
こうめいいのち
:2010/07/09(金) 17:42:06
ありがとうございます。あいさつもなしに、いきなり投稿したにもかかわらず、広い心で、受け止めて、いただき感謝申し上げます。結構長文になるので、ここに書かせてもらえれば、幸いです。他のスレでは、エラーを連発してたので、区切り、区切り、書いていました。 仏法とは、生命、幸福、そして世の中の法則を正確に説いていると思います。科学は、正確な論理で成り立っている。宗教も理論と実践と結果が、正しいと証明できる認定機関が、科学のように、あればと思います。科学万能とおもわれた時代につくられた映画「セントルイスブルース」(底辺に無神論の思想あり)・神に頼るのでなく真に自らの力で人生を切り開く生き方を主張。しかし自らの力と言っても、その人の境涯や宿命を変えるとなると限界があり、そこに宗教の役割が生まれると思います。真実の宗教は、無限にある自らの力を掘り起こし、自ら、人生を切り開く力を、与えるものでなければいけないと思います。しかし、仏教にしても、梵語、漢語、古語、現代文、解釈の違いが、いっぱいあり、どれが正しいのかわかりづらくなっています。とにかく科学のように、宗教も正しい考えに1日も早く統一するように、そのための戦いが広宣流布の戦いだと思います。こう言うと、自分もいいかげんなことは、いえなくなります。しかし未断定のものがあれば、こういう考えは、どうでしょうと指摘させてもらうのは、いいですよね。最近のロボット工学の研究で人間型ロボットに心、さらに進んで命を与えることに行き詰まっているそうです。この信心の教義の一念三千の法理が、人間型ロボット開発の糸口になるように思います。〜寿命は、電気及び核エネルギー・電源を入れるとナノレベルのシナプス、ニューロンをそなえたCP回路の脳が自ら、情報収集を開始、十如実相を見て、そこから心、命を胸のあたりで感じ、それぞれの十の心(十界)を覚知、生存と本来の姿を目指し、大願に目覚め、自我の確立、ロボットとして生まれた自分の認識、ロボット人生の苦悩と使命、なんのために自分はロボットとしてこの世に生まれたのか、人と同じくロボットもロボット人格として、宇宙に生きる生命体としての無血革命の戦い〜人はロボットに命を与えることは、できるのか?答えは、限界、行き詰まりのない南無妙法蓮華教に、あり。瞬間十如実相即それぞれの十界、覚知の機能システム構築という考え方。次回は、「信じる心より勇気(立ち向かう心)への心の移行、、、
101
:
こうめいいのち
:2010/07/09(金) 17:46:48
ありがとうございます。あいさつもなしに、いきなり投稿したにもかかわらず、広い心で、受け止めて、いただき感謝申し上げます。結構長文になるので、ここに書かせてもらえれば、幸いです。他のスレでは、エラーを連発してたので、区切り、区切り、書いていました。 仏法とは、生命、幸福、そして世の中の法則を正確に説いていると思います。科学は、正確な論理で成り立っている。宗教も理論と実践と結果が、正しいと証明できる認定機関が、科学のように、あればと思います。科学万能とおもわれた時代につくられた映画「セントルイスブルース」(底辺に無神論の思想あり)・神に頼るのでなく真に自らの力で人生を切り開く生き方を主張。しかし自らの力と言っても、その人の境涯や宿命を変えるとなると限界があり、そこに宗教の役割が生まれると思います。真実の宗教は、無限にある自らの力を掘り起こし、自ら、人生を切り開く力を、与えるものでなければいけないと思います。しかし、仏教にしても、梵語、漢語、古語、現代文、解釈の違いが、いっぱいあり、どれが正しいのかわかりづらくなっています。とにかく科学のように、宗教も正しい考えに1日も早く統一するように、そのための戦いが広宣流布の戦いだと思います。こう言うと、自分もいいかげんなことは、いえなくなります。しかし未断定のものがあれば、こういう考えは、どうでしょうと指摘させてもらうのは、いいですよね。最近のロボット工学の研究で人間型ロボットに心、さらに進んで命を与えることに行き詰まっているそうです。この信心の教義の一念三千の法理が、人間型ロボット開発の糸口になるように思います。〜寿命は、電気及び核エネルギー・電源を入れるとナノレベルのシナプス、ニューロンをそなえたCP回路の脳が自ら、情報収集を開始、十如実相を見て、そこから心、命を胸のあたりで感じ、それぞれの十の心(十界)を覚知、生存と本来の姿を目指し、大願に目覚め、自我の確立、ロボットとして生まれた自分の認識、ロボット人生の苦悩と使命、なんのために自分はロボットとしてこの世に生まれたのか、人と同じくロボットもロボット人格として、宇宙に生きる生命体としての無血革命の戦い〜人はロボットに命を与えることは、できるのか?答えは、限界、行き詰まりのない南無妙法蓮華教に、あり。瞬間十如実相即それぞれの十界、覚知の機能システム構築という考え方。次回は、「信じる心より勇気(立ち向かう心)への心の移行、、、
102
:
こうめいいのち
:2010/07/09(金) 17:54:38
申し訳ありません。101と102削除してください。ダブッてしまいました。すみません。
103
:
こうめいいのち
:2010/07/09(金) 18:39:39
人本仏シャク論を語り、しまいに御本尊様は、道具といわれることについて。〜人が主体ならば御本尊様は法体、客体で、あらせられると、とらえるのが正しい。仏を人とは、別の存在として崇めるのではなく、御本尊様は、我々あくまで人(凡夫)が、九界の仮の姿ではなく大聖人様と同じ、仏(仏界)の生命となれるように、主体自らも開き、その頑張る主体の人を支え守り救ってくださる存在です。けっして道具ではない。道具ならば報恩感謝する必要ないじゃないですか。道具などと言ったらたぶん戦うあなたの前には誰もいないでしょう。(臨兵闘者皆陣列在前)、頑張る主体の人を支え守り救うという民衆のための民衆主体の宗教といわれる、ゆえんがここにあると思います。
104
:
こうめいいのち
:2010/07/13(火) 06:02:08
信じる心より勇気(立ち向かう心)への移行、生命変化に於ける自我の役割とその考察…(一部)題は、堅苦しいですが、わかりやすいです。参考にしたもの、「ヘルマンヘッセのわがままこそ最高の美徳、石黒浩氏のロボットとは何か、乙一氏の陽だまりの詩、Calling you[きみにしか聞こえない]、傷/KIDS、聖教文庫の十章抄、とくにその中のP215からP228が、大事。勇気を出そうと、いいますが勇気とは何か、勇気とはそもそもどうやって出るのか、この考察の一部を持って説明したいと、思います。こういう言い方は、あまり好きではないですが、心は命の中の1つの機能。生命が、受け継がれていく中で生存する為に鍛えられた機能(能力)=心。さらに、自分の生存から、自分よりも正しいことを生存させる生き方へ。生きる死ぬを乗り越えて、自分及びすべての人が、生死をくりかえす中、正しい世界に生存したい、させてあげたい、正しい考えという大白牛車を生存させて、全ての人を生死のくりかえしの中、乗せてあげたい、人間が宇宙の中で、よりすばらしい生き物として、命を受け継ぎそして伝えて、生存していけるように。このような心がないと、三障四魔、トン、ジン、チ、業障、報障に押しつぶされ、乞眼のバラモンによるシャリホツのように、キレて捨てるか、臆病となって、負け地獄におちるかもしれない。勇気が染まる(ただ荒いだけで、そこに正しさがない)みたいに。この前提があって〜自分の思い描く現証にできる人は、勝者。信じる心から勇気(立ち向かう心)、その深層心理。信から勇気までのあいだに、隠れている生命状態、信から即勇気を出せる人は、自分は、もう勇気を出しているので、その生命状態の移行は、あえて内鑑冷然(分かっているが、あえて言わない)して、ふれない。誰も言わない。信から勇気のわからないもの(無明)、それは、こうでないといや(正しいわがまま)、このようにならないといや、この正しいことでないと絶対に、いや。正しいことが現実でないと絶対に、いや。この心が(自我?)、勇気へと立ち向かう心へと、折れない、負けない心を支えているような気がする。(例)次元は、違うが、誰でも、こうでないといやという心を持っている。例えば、お母さんが子供に「今日は、あなたの好きなカレーです。しかし嫌いなニンジンが、入っているけど体にいいし、栄養がたっぷりなので、食べなさい。」というと、子供は、ニンジンが嫌い…続く。
105
:
こうめいいのち
:2010/07/14(水) 06:24:02
続き…子供は、ニンジンが嫌いなのでお母さんが、たべなさいの、たとべをいおうとする瞬間に大声で「いや!」と、この速さは今いる地球から宇宙の果てまで瞬間的に移動するほどの最速の因果倶時(おかあさんと子供の食べなさいといやが同時)である。 (例)不良少年達が、正しいことに目覚めると、悪に対して立ち向かう勇気を速く出せる。それは不良の時、タイマンやケンカでわがまま「オレは、こうでないといやなんじゃ」のぶつかり合い、その練習を日頃からしているので立ち向かう心が、鍛えられている(我の強さのぶつかり合い)。信じる心から…こうでないといや(正しいわがまま)、本来の姿の我を通す。…立ち向かう心、勇気へと進む。危険なのは、大人になっての次元の低い、間違ったわがままの暴走である。暴君、ヒットラー、極悪の権力者など。 反対に素直でマジメ、いい子、いい子で正しいことを主張しない、いい子で通っている子は、正しいことに対しての、こうあるべきである、自分は、この正しいことについて、譲れない、こうでないといやの正しいわがまま、我を通すことになれておらず、(練習もしておらず)、いざその状況(まことの時)の局面に我を抑え(臆病)退する心が、生じるのでは…。なかなか勇気を出せないと正しい我の通し方が、わからないのでは。 最高の我を通す…本来の姿、この自分の信じている事でないと、いやと信じる正しいことに我を通す、それが信じる心から駆け渡して、勇気となって行動に現れる。(終わり) 次回、三諦、瞬間の生命、法仏身(諸法実相身)について。
106
:
こうめいいのち
:2010/07/14(水) 06:55:08
先日、現実に一歩一歩進んでいく あらたか版で、わたしの書いた文章で、ここが間違っていると、指摘もせずに、いきなり削除、アクセス規制されたことは、いきなり手打ちに、あったような衝撃を受けました。非常に、怒ってます!創価の正義をかたりましょうと、いわれる人の行為なのでしょうか?
107
:
こうめいいのち
:2010/07/15(木) 06:18:23
続き…信じる心から立ち向かう心(勇気)への移行…さらに一歩進めて、願いが叶うと、強く信じる事は、叶うと信じるから叶わないといや、このようにならないといや(絶対にいや)が、必ず叶えてみせるを支え、師子王の心、行動へとつながる。信じる心から師子王の心、行動までの命の流れ。日寛上人、三重秘伝抄「法華経を信じる心強きを名付けて、仏界と為す」の強い心の正体。これは、しかし一瞬の信じる心(信心)の中に、この命の流れが全部一瞬で完結し、信じる心、信心となって一つになる。これが強い心であると思います。お題目を唱える、(命が仏の十如、真の十如をとらえ境地冥合する所、我が身が仏の十如を感じる(仏界)あとあと脳内意識に智慧となって現れる。我が身に仏界が、にじみ出る、我が身に速い、これを即身成仏というのだと思います。真の十界互具、百界千如、一念三千。これ(法仏身、諸法実相身)を言いかえると、この強い心を言いかえると、明るく純粋で強い、明るく強い。(例)アメリカ版の映画アトムや昔のアメリカ映画ナチュラルプリンセス「緑園の天使」のように、何があろうとも、どんなに苦しくつらくてもその身は明るく強い(その身が、仏界の生命が、にじみ出た明るく強い姿が、苦しみつらさを吹き飛ばす)、お題目を唱え仏界が、にじみ出た明るく強い我が身を感じろと、いいたいです。この命の流れは、誰も言わない、明確に言うと、わかりやすく言う人は、いない。戸田先生は、この一連の流れについて、「当に知るべし本地自受用身の身土・我等が信心の一念の中の三千である。ゆえに成仏の時この本地難思の妙法に称ない、一身の五大が法界に遍じて所証となり、一念の信心が法界に遍じて能証の智となり、久遠元初の自受用身と顕われるのである」と… 続く。
108
:
鯖
:2010/07/16(金) 02:20:52
>>106
「現実に一歩一歩進んでいく あらたか版」の管理人です。
>いきなり手打ちに、あったような衝撃を受けました。非常に、怒ってます!
ルールを無視するからです。
書き込む前には必ずルールを読んでくださいと上部に掲示してある通りです。
>創価の正義をかたりましょうと、いわれる人の行為なのでしょうか?
そのような事は言った覚えがありませんが、まぁともかく、私への文句を他の板でコソコソ書く事に、「創価の正義」はあるのでしょうか?
多少なりとも勇気とやる気があれば、私に直接メールするとか、いくらでも方法があるはずですが…
ともかくうちの板でのアクセス禁止は解除しておきましたので、また気が向いたらどうぞ。
109
:
こうめいいのち
:2010/07/16(金) 04:15:19
わたしは、掲示板に書かれているどのルールに違反したのでしょう?初心者に近いものですから、自己紹介の欄に書かなかったからでしょうか?投稿者に何も告げず、いきなり文章削除、アクセス規制、よほど事があって、されたと思うのですが、そこがしりたいです。 他のスレの人と会話して、このスレの管理人さん、申し訳けないです。この文章だけで、あとはしませんので、どうかお許しください。ご迷惑をおかけしてすみません。
110
:
こうめいいのち
:2010/07/16(金) 05:20:27
ただ創価ネットに関する文章で、文章足らずで、配慮が、なかったことで、誤解を招くような内容に、なっていたことは、あらたか版さんに、お詫びします。すみませんでした。私は学会を守りたいし、味方です。そこのところを、おくみとりください。よろしくお願いします。
111
:
こうめいいのち
:2010/07/16(金) 05:37:42
他に、人本仏シャク論をかかげている所(スレ)は、考えが、正しくないとおもうので、とことん戦い、正しいたいと思います。
112
:
みらい
:2010/07/22(木) 21:50:06
わたしは、掲示板に書かれているどのルールに違反したのでしょう?初心者に近いものですから、自己紹介の欄に書かなかったからでしょうか?投稿者に何も告げず、いきなり文章削除、アクセス規制、よほど事があって、されたと思うのですが、そこがしりたいです。 他のスレの人と会話して、このスレの管理人さん、申し訳けないです。この文章だけで、あとはしませんので、どうかお許しください。ご迷惑をおかけしてすみません。
113
:
鯖
:2010/07/23(金) 07:15:51
>>109
うちの板によく書いておきましたよ。
114
:
こうめいいのち
:2010/07/24(土) 08:18:41
すみません、デスマで忙しく…時間が、できたので続きがあるので書きます。参考にしたもの、開目抄(P186御書)御義口伝(P790)曽谷入道殿御返事(P1057)秋元御書(P1071)日妙聖人御書(P1213)…一連の流れ(信じる心から勇気ある行動へ)の前提となる自分の生存より正しい事を優先し、守り生存させる、これは虚空会で、釈尊が我本行菩薩道(客観)を説いた過去の成仏の因の修行、その過去世の時点をリアルタイムで、とらえるとその姿は、雪山童子であったり師子尊者であったり、彼らを主観(彼らの内からその世界を見る)の立場で見ると、自分の命より正しい法を世に残したい、伝えたい、広めたい、人々のために不惜身命、死身弘法であった。つまり自分の生存より正しい法を優先し、その正しき考え、法を守り、広め、生存させていくというのは、不惜身命であると思います。無我の境地、無の境地は仏の語を捨てて座して、瞑想でその境地を得ようとしても、その瞑想で境地を得たと、いわれる事は、みなバラバラで、いまだこれだという統一性がなく、仏の語を捨てて座して瞑想しているだけでは、永遠に、その境地をつかむことはできないと思われます。無我の境地、無の境地とは、不惜身命、死身弘法のことであり、不惜身命で戦う南無妙法蓮華経の信心であると、断言したいです。少し離れますが、色即是空…このことについて、いろいろな出版物、それを説明するのに、膨大な言葉を要していますが、私に、言わせると、人にあてはめると、色即是空…色(世界)は見て聞いて感じて、一瞬で空(意識)に飛び込んでくる。空即是色…空(意識)は見て聞いて感じて、一瞬で、色(世界)をとらえる。ただ五感の働きを説明しているだけと、いいたいです。ゆえに、色不異空は…空不異色は…色、世界と空、意識(見て聞いて感じて意識へ〜見て聞いて感じて世界をとらえる)に、写ったものは、同じであると、生命の機能の一部器官の説明にすぎないといいたいです。それら命全て、要はそれら命の一部や全体は、南無妙法蓮華経であると思います。〜心は、未来を見ている。十如是をもって心(十界)は顕現する。(例)蛇に、にらまれた蛙…蛙は、一瞬に食べれる姿を見て恐怖(地獄)の心が出てくる。ぼんやりした認識、対処の心が瞬間同時〜十界互具〜そしてはっきりした具体的認識と対処〜無作三身へ〜ちなみに、蛙の対処は、術(立ち向かう姿が浮かばない)がない。十界互具は、続く…
115
:
こうめいいのち
:2010/07/24(土) 08:54:40
続き…十界互具は、蛙は、地獄即地獄 蛇は、地獄即餓鬼 十如是〜相から報、全てのものは、この流れで動いている。空仮中の三諦〜(例)自動車のエンジンで見ると、空は仕組み、機能。仮はキーをまわし電源が入りエンジンが動いている状態。中諦は、空諦と仮諦をそなえたエンジンそのもの。人間に、三諦を、あてはめると、無作三身に〜空は具体的十如認識と、十如対処の知慧報身。仮は、十如実践対処の慈悲応身。中諦は、報身(空諦)と応身(仮諦)をそなえた、そのものの身が、法身。真剣な題目に、無作三身が現れる。「一念に億劫の辛労を尽せば本来無作の三身念念に起こるなり所謂南無妙法蓮華経は精進行なり。」P790御書〜 クーラーがないため頭が、ボーとして、文章が支離滅裂になっていたらお許しください。…
116
:
こうめいいのち
:2010/07/28(水) 17:20:23
サマータイム〜今、インセプションという映画が、大ヒットしていますが、知慧の出どころ、法性淵底玄宗の極地、九識心王真如の都の個人個人の知慧の宝が、国のものとする独裁国家や使用について税金(固定資産)をかけたり、そもそも所住、宝の所有者が、いるとすれば誰だろう? 法に依らなければ第六天の知慧によるしかない〜答えにつながる本質(第六天及び二乗)他化自在天、他化自在天の知慧は、どこからくるのか、「一念三千を盗み取って我が宗の骨目とせり」P146、P216 これを掘り下げれば、大六天、地湧の菩薩に化けて、法性淵底玄宗の極地より、一部(かなり多数)を盗み下僕(名利、エゴの上達追求を目指す者)に分け与える。依人は、大六天に極まる。言い換えれば法に依らなければ、大六天の盗んだ知慧に依るしかないのであると思います。所住のぬし、現れれば、そこにあるもの、勝手に持ち出すは、盗人であります。 急用のため続きは、のちほど…
117
:
こうめいいのち
:2010/07/31(土) 12:18:35
心は未来を見ている。〜「心はたくみなる画師(上手に繪を書く絵描き)の如し。種々の五陰を画く。…」「二乗は空観に著して大乗にすすまざりしかば…」 無我、無の境地を求めるのであれば如我等無異、仏と等しい境地を求めるのであれば、全ての人を仏と等しい境地に導きたいと思うのであれば、不惜身命で戦う南無妙法蓮華経の信心をするべきであると思います。 参考にしたもの…兄弟抄P1079 法華経(仏、仏界)がなくて、たとえ成仏できなくても知恵を得るには、どうする?大聖人、末法において四箇の格言にて他の経では、知恵を得ても地獄に堕ちるといわれる。「夫れ天魔は仏法をにくむ、外道は内道をきらふ」P500 「諸乗一仏乗と開会しぬれば何の法も皆法華経」P502 仏法(法華経)が一切法、いいかえればそこから誕生したもの、その本体から生ずる知恵にて人々生活する。 法に依らなければ第六天の知慧に依るしかない。〜つまり背くは、忘恩にて背いて知恵だけ使うは、盗人である。また九識心王真如の都、法性の淵底玄宗の極地に忍んで無理矢理、宝(知恵)を盗んでいると思います。法に依らないで第六天の知慧に依るしかないとは、はっきり言って九界の人々(信心しない人々)、他人の家に入って宝(知恵)を盗んで生活していると思います。ゆえに第六天、地湧の菩薩に化けて、法性之淵底玄宗の極地より一部(かなり多数)を盗み下僕(名利、上達、追求する者)に分け与えるというのです。盗人の大将、念仏、禅宗、真言、律宗を好むと思います。本来の生き方に、もどすため戦うのであると思います。二乗、今ある知識得るに速く、信なく、新しきもの得るは、難事にしてその慧、得るは、第六天の智によると思います。信なき菩薩、久遠を、しらずゆえにその菩薩、知恵盗むに似たり、しかるに第六天に同ず、所住の主、現れれば、そこにあるもの、勝手に持ち出すは、盗人であると思います。この世の所領、仏のものであると思います。仏は主であると思います。そこにできる豊穣の米、信なき者には、分け与えないのであります。勝手に持ち出すは、盗人であると思います。 全知全能の神とて、法華経が、主師親であります。 パズルピース〜 (あえてわかりやすく説明しません) 御本尊様の中に広宣流布は、完成しています。沙羅の四見、ただ筆で書かれたものと見るか?二乗は、虚空と見るか?菩薩、仏は、純塾せるものは、どう見るか?(御書の御文にあり)…続く
118
:
こうめいいのち
:2010/07/31(土) 14:07:03
続き…全てのものが成仏した姿と見るか? 何故御本尊様の中に第六天の魔王が、あるのか? 元品の無明により大六天と現われる、それをも利剣、力用、元品の無明を打ち払う力があり、本来の姿(全てのものに仏性がある)に、また全てのものを成仏させる力があると思います。 蓮は花と実が同時…当体義抄にあり(因果倶時)戸田先生は「日蓮大聖人の仏法は、瞬間、瞬間の生命を説き切り、過去遠々去力の宿命をも転換し、未来永劫の福運も、この瞬間に決定づけるのである。」といわれています。 我が門の名字観行は、法相ではなく、事行の名字観行である。(御書の御文にあり) 「末法の愚人は理観に堪えず、妙法を口唱する時に三千を具足する、故に口唱を以て事行と名けるなり」と。これは、理行の南無妙法蓮華経も事行の南無妙法蓮華経も知らぬ邪宗の者の意見である。…ただ当流の口唱のみ本門事行の題目である。これすなわちその法体が文底下種の法華経、独一本門事の一念三千なるがゆえである。(戸田先生) 客観から主観へ〜技術もデジタル、3Dへ 報中論三…全ては、師を求め、御本尊様に向き合う所から始まる。 「戸田先生は、ありのままの本有無作の境涯の達人であられた。外見は凡夫の姿そのものであっても、学会の前進のために、いつも頭脳は鋭く回転しておられた。何よりも広宣流布への責任感は、まさしく悟りの大境涯であられた。広宣流布を必ず成し遂げようとの大煩悩を持ち、責任即悟達の大境涯から広宣流布に生き切る生死不二の姿を現じられた先生でした。〜多くの人々が、それぞれの人生において「信心の血脈」を確かに受け継いでいくためには、その全体像を体現した「師」の存在が決定的に重要なのです。(信心の血脈を一挙に触発する力を持っている。)〜師弟が不二となれば、無量無辺の力がわきます。師匠は、生死の根本課題を究めたうえで、皆がどうすれば力が発揮できるのか、勝利と幸福の人生を送れるのか、心を尽くし、打つべき手を打ちます。(池田先生2007、8、大白) 十法界を縮めるは、如の義 法界を開くは、去の義(御書にあり) お題目を唱え、我が生命を九界即仏界に変え、現実世界において我が仏界の生命で、九界の生命を御本尊様に導き、仏界即九界、現実世界を仏国土(広宣流布)に変えていく。 仏の十如を観じて仏界を湧現。 広宣流布を忘れた姿は、すでに元品の無明に、おかされている。 仏界なくして広宣流布なし、広宣流布なくして仏界はなし。
119
:
こうめいいのち
:2010/07/31(土) 14:56:31
続き…今一度、師の構想を見つめ直し、必ず実現してみせると、固く誓う我が一念であります。 かなり文章が、暴走していますし、時は、正義(正しい事)で立ち向かい、苦しみに耐えながら、乗り越え勝利する信心なき人達と語り合い友となり友情の和を広げ多くの正義の友を作っていく友好を大事にする時とわかっています。しかしあえて真実普遍なものは、時や機根に関係なく、主張していきたいです。カリレオのごとく、すべての批判は、私が受けます。また管理人さんにおかれましては、ご都合が、わるければ、〜版さんの方のように、仙予国王のごとく削除、アクセス禁止と、ご迷惑であれば、一刀両断して下さっても、本望だと思っています。 ただ大聖人のごとく、真実であると信じて、書いています。「汝は大慢の法師にして、大天に過ぎ四禅比丘にも超えたり如何、答えていわく…」P507 この御文を出すこと自体、不適切。 暑さのせいか!
120
:
こうめいいのち
:2010/08/01(日) 15:40:18
訂正〜 善無畏が、ぬけている。 純塾は、純熟。カリレオは、ガリレオ。すみません。 2つの義について (1)第六天、地湧の菩薩に化けて法性之淵底玄宗の極地より一部を盗み、下僕(名利、エゴのための上達、追求を目指す者)に分け与える(他化自在天について)この文、経及び御書にあるか? (2)何故名字即(お題目)の実践において生命における因果倶時(仏因、仏果)地湧の菩薩湧現を許すのか? また経及び御書にあるか? (1)について答えます。(乞眼のバラモン、第六天が、成道を妨げようとする本意〜P320「涅槃経の五に云わく〜無漏の身と作り我が正法を壊らん」 またP319「天台云わく[名利をもとめ見愛を増す]」 (2)について答えます。P321 「法華経には、[我身命を愛さず、但無上道を惜しむ]ととかれ涅槃経には[寧身命を喪うとも教を匿さざれ]といさめ給えり」 「一心欲見仏 不自惜身命」また「説仏寿無量」「慧光照無量 寿命無数劫」また「如是 我成佛已来 甚大久遠。〜復倍上数。」とあります。(法華経P488)~「我久遠より来、是れ等の衆を教化せり」…地湧の菩薩について 宇宙の法則は、一念三千、宇宙の膨張は、一念三千、内証は、滞りなく湧現する所の地湧の菩薩の働きであると思います。元初のお題目にて宇宙と同じく誕生と同じに湧現するのは、道理だと思います。P385「若し人信ぜずして・此の経をきばうせば即ち一切世間の仏種を断ず」名利、一念三千を止め、宇宙の膨張を止めるに似ています。即ち因果倶時で、見ると内証は、法性之淵底玄宗の極地より地湧の菩薩の湧現を止める。逆に自己のみ慧を得て無明を広める。お題目ある所、唱える所に地湧の菩薩が、湧現する。と言うより信心する私たち(創価学会)が即地湧の菩薩であると思います。…お題目あって初めて許されるのであると思います。行き詰まり、またそれを感じる正体は、地湧の菩薩が、出てこない苦しさだと思います。 余談 わたくしごと…まず私は最初、庶民の王者のスレに孔明命で、投稿しました。自分の意見をぶつけ、これからというその日に、聖教新聞の社説にネットの暴走というタイトルで、書かれているのを見、なやんだ末、そのスレの管理人さんからの質問を受けたまま筆をおきました。昨今のロボット工学の進歩とそれに伴い人間型ロボットの開発、しかし心のしくみが、どうしてもわからないと言う声をよく聞きます。何らかの答えを与え…続く
121
:
こうめいいのち
:2010/08/04(水) 19:13:33
続き…人間型ロボットを作ろうとされている関係者の人達は、今必死になって、こころのしくみを解明しようとされている。それについて2つ思うところが、あります。1つは、天魔に、おかされたよこしまな人達が、いてその人達に、作ってほしくない。2つは、ロボットに、生命があたえられた時、ロボットの幸せを見据えて誕生させてほしい。 その上で、一念三千の法理より心のしくみを、読み取ってほしいと思います。 人間には、もともと、命及び心のしくみは、備わっているので、いちいち事細かく実践の流れを、説明する必要は、ないですよね。自分で、体験、体得してわかれば、幸せになっていけばいい。しかし、いちから命や心を、作るとなれば、しくみ、機能が、分かっているだけではだめ、実際にどのような流れで、命から心が出てその心に、よってどう動くのか?わからないと。 それで、C言語の質問箱に投稿したり、あらたか版さんの所で、なんとか話を、そちらにもっていこうと、思ったのですが… とにかく人間型ロボットを作ろうとされている関係者の人達には、なんとか接触していきたいと思っています。わけのわからない宗教学者の人達が、難しいわけのわからないことを、言って研究者を、混乱させていると、聞きます。 もう一度、おさらい〜 あらゆるものは、相から報の流れで動いている。心は、たくみなる画師、人は、世界を、見たり聞いたり感じたりした瞬間、相から報までをはじめからおわりまで等しく一貫して観ている。生存するための機能(心) 実相は必ず十如へ十如は必ず十界へ十界は必ず身土へ。十如是をもって十界(心)は、顕現する。現実実践における十界互具…認識と対処(十如認識と十如対処)(例)蛇に睨まれた蛙…蛙は、まず今見ている蛇の相から報までを等しく一貫してみている、つまり自分が食べられる姿を(十如認識〜そして…)。 空仮中の三諦、無作三身、そして何よりもなぜ南無妙法蓮華経なのか?(学会員さんのスレでないかもしれない、誘導スレ〜にかいてます。) とにかく自分で整理しながら、ある程度まとまった事が書けたことについて、このスレの管理人さん、本当にありがとうございます。 まだ続けて書いていくとは、思いますが、突然消えた時は、お許し下さい。…
122
:
こうめいいのち
:2010/08/04(水) 19:28:01
訂正〜実相は必ず十如ではなく、実相は必ず諸法 諸法は必ず十如…すみません。
123
:
こうめいいのち
:2010/08/06(金) 19:51:06
これから述べる事は、前代未聞にして、誰も言った人はいない、とても恐ろしいことです。まさに恐々謹言、秘すべし秘すべしで、管理人さんにおかれましては、御本尊様の姿をあらわす、妙法の不思議を書きますので、手品のネタバレのように、言いふらす輩が、法を下げる者が、御本尊様を単なるしくみと捉え者が、出るおそれがあるので、ここから先は、確認されたらすぐに、削除される方が(いいのかもしれない)よろしいかと思う次第です。とにかく8月6日という日に、主張できる事を光栄に思います。 パズルピース〜 ・万法の体、皆法華経(一仏乗と開せば)・全てのものが仏にかわっていく十如を見る仏(三世間)とかわった姿を仏は見る。・不軽菩薩 ・因果倶時と境地冥合(本地難思境地の妙法) ・寿量品そして三妙合論 ・全てのものは相から報の流れで動いている。 ・心は未来を見ている。 ・すでに広宣流布は、完成している(御本尊様の中に) ・妙法の不思議 全ては十如から ・法華経は主観、仏であったら世の中どうみる。 ・自我ゲ ・一心に御本仏(御本尊様)を見てお題目を唱える時、客観から主観に、境地冥合、因果倶時で我が身が仏からの主観にかわる。 ・わかる人には、わかる。わからない人は、どちらの方向をみているのか、仏は仏だろというのだと思います。頭が、こんがらないように。 ・日々の活動ご苦労様です。日頃の信心で、みんなが、行っていることじゃないといわれるかもしれない、しかし理論に、文章にすると、なぜそうなるかは、まことに頭がこんがらがりそうになると思います。このすごさ(私ではなく、法)に、誰が気ずくだろう。本当に信心深き人に語りついでいってほしいと思います。 それでは、行きます。 天真独朗と我見、正しく御書を読み説くか、曲解するかで、人々を幸福にするか、不幸にするか、責任は重大であると思います。三転読ジュ(3つの十如)・是相如からの十(空諦、般若、報身如来)・如是相からの十(仮諦、解脱、応身如来)・相如是からの十(中諦、涅槃、法身如来) 義分は、本門寿量品、その文底独一本門事の一念三千の南無妙法蓮華経、つまり御本尊様に対して、最上に正しいと信じる一念で唱えるお題目に仏の十如を観じ(なにもわからなくても信じて唱えるお題目に確信ある一念、命に変わっていっているならば、仏の十如を観じているのであると思います。ここから先は、説明しなくても…しかしここから先は、核心なので 続く
124
:
こうめいいのち
:2010/08/06(金) 21:20:47
続き… ここから先は核心なのであえて述べます。〜版さんなら一発削除されるかもしれない。 仏の十如を観じて仏界が湧現する(十如是をもって十界は顕現するごとく)そうすると、一心に仏を見る…仏の十如を観じ、仏の十如認識、広宣流布三世間が仏世間に変わっていく姿を見る、現実をどのような理想、平和世界にするか、つまり現実世界は、三世間、三世間は、十界が世間という差別の違いがあっても世間に、現実に、仏(仏界)の十如を見る、いや十如を見つける、必ず手に入れる、なんとしても手に入れる。 その心を一にして仏を見る…具体的に現実世界においてどう現実を変革するか、自分は、仏の十如のような行動を現実にどう現わし、行動するか、真剣なお題目に浮かんでくる、どう行動するかの姿、いや浮かんでくるというより、懸命な祈りで、広宣流布の祈りの中にその力強い一念の祈りで、その姿を、つかみ取るのであると思います。自分が現実にどう対処して変革していくかの姿、行動を。 その一心を見れば仏なり…仏の十如認識(現実世界が理想平和世界へと変革されていく現実理想平和世界の姿)と理想へ現実対処の十如の自分の姿、行動を見ている、御本尊様の前でお題目を唱えている自分自身に仏界が現れる。 「一心に仏を見る心を一にして仏を見る一心を見れば仏なり」P892 池田先生は、「一心欲見仏」の経文を「一心に仏を見る」から「一心を見れば仏なり」と読み換えられている(大聖人様が)。これは、仏を求める一心が、そのまま仏の一心となって現れることを示されているのです。大聖人は、この一心の成仏を「無作の三身の仏果」の成就であると仰せです。ここに生命のもっとも深い秘密が、あります。この一心において、凡夫は即ち仏です。十界互具・一念三千の不思議が体現されているのです。大聖人が己心に顕された「仏の一心」「無作の三身の仏果」を、私たち末法の一切衆生のために、もったいなくも顕してくださったのが御本尊です。末法において一心に求めるべき仏とは、御本尊にほかなりません。(ここまで) 池田先生が一心を見れば仏なりと読み換えられているといわれるように要を略や広にするように(そうしなくても)わざわざ説明しなくても、それぞれが体験、体得していく事なので個人個人が実践でつかむものかもしれないと思います。あくまでも事行、随自意、実践の信心であるので。 キツネをおがめば、キツネの命が宿りキツネのような行動をする。最高の…続く
125
:
こうめいいのち
:2010/08/06(金) 22:34:40
続き…最高の御本尊様をおがめば、御本尊様の中に広宣流布が、完成されていると観ずることができれば、お題目を唱え境地冥合するところ、仏(仏界)の三世間、広宣流布されていく十如が見えてくるのだと思います。万人にひらかれているので、その強き信心あるお題目が、どういう世の中が平和な世なのか、どうすれば人々が幸せになるのか、労苦、辛労を重ねるごとに必ず現実世界に、仏の三世間、広宣流布されていく十如が見えてくるのであると思います。その一念に億劫の辛労、労苦に無作三身があらわれるゆえに南無妙法蓮華経は、精進行といわれるゆえんであると思います。これを醍醐味と言わずして何をして醍醐味というのだろう。御本尊様にお題目を唱え、元気になってくるのは、無意識にこれを感じているのであると思います。(これも明かさず、個人個人が、実践で。体験、体得するものであると思います。まるで映画を観る前に映画のストーリーを聞かされるようなもの)とにかくそれにどう自分が関わり、広宣流布のため、どう取り組んでいくか具体的に、はっきりさせ、実践していく、これほどの幸せは、あるだろうか。御本尊様にお題目を唱える自分自身のなかに、現実に仏の三世間、広宣流布されていく姿を見、それに取り組む我が身を見ている、御本尊様の前で真剣にお題目を唱える最高に幸せな我が身そのものを観じるところに(仏の十如を観じて)仏界が湧現すると思います。 …続く
126
:
こうめいいのち
:2010/08/07(土) 03:46:39
訂正…現実に仏の十如を見るは、現実の三世間が、仏の三世間にかわっていく(十如)姿を見る。が、わかりやすい。
127
:
こうめいいのち
:2010/08/07(土) 04:12:21
注意…御本尊様の姿、妙法の不思議を読んで、頭痛がするようであれば、即座に、読むのをやめてください。危険です!!!
128
:
こうめいいのち
:2010/08/07(土) 04:24:59
これを書いた本人が、いまモーレツな頭痛に、おそわれている。頭破七分か…絶叫!
129
:
一読者
:2010/08/07(土) 05:33:34
もっと推敲してから書けばいかがでしょう。
これだけ改行がなくわかりにくい文章を読めば誰でもたいがい頭痛くなります(笑)
130
:
こうめいいのち
:2010/08/07(土) 14:03:15
お騒がせしてすみません。だいぶんおさまってきました。 一読者さんお気遣いありがとうございます。 サイドブレーキを引きながら、めいっぱいアクセルを踏んでいたようなそんなかんじです。
事行(実践)の御本尊様を理行(理論、理屈、観念観法)でみてしまい、
命のバランスが。崩れたのか? 名字観行のセットでないといけないのでしょう。
お題目を唱えながらキーボードたたけばよかったのかな?
法を下げた罰 妙法への違背? それとも天魔の仕業? それとも考えすぎ?
いずれにしても(おいおいそこは、はっきりさせないといけないだろう)
ひとりツッコミ さびしい〜 まじめに、書いていたのに、かなりこわれてきましたね。 頭痛が、残っているせいか‥。
やはり事行の御本尊様を理屈でその流れを追っては、いけなかった。これは罰です。
からだの曲がった人が、曲がったことを言っても、命に変化は起きない、
だってもともと曲がっているんだから!
管理人さん、一読者さん、それにこれをご覧になっている皆さん、
本当に、お騒がせとご迷惑をおかけしたことをお詫びします。
何より御本尊様には、お詫びのお題目を唱えます。
続き…御本尊様をフケイすれば、フケイした者が崩壊するのは、道理である思います。その者に残されているのは、無明のみ、幸せ、幸福が、そして身も心も全て、命の崩壊。 その者生命力強ければ弱肉強食の輩の残りの人生、そして来世は、畜生以下。
もし誰か 御本尊様の姿、妙法の不思議以降の文章で、書いた本人に頭痛が
起きたことについて、検証してくださる方、おられましたらお願いいたします。
ヨ ロ ピ ク !!!
131
:
こうめいいのち
:2010/08/07(土) 14:19:54
今のところ私に、お声をかけて(反応して)くださったのは、管理人さん、一読者さん、
そしてあらたか版の管理人さん、 直接ではないけれど、みらいさん
どれだけの人がこれをご覧になっているのだろ〜
132
:
こうめいいのち
:2010/08/09(月) 12:06:49
うすからず、遠からず勝海舟は、日蓮大聖人様を知っていた。(小説にあり)
坂本龍馬が、知っていたら? もし小説に日蓮大聖人様を知る記述あれば、お教え願いたい。
「人をうごかす いうは、まっことむずかしいの〜」
「それが、国を せおい いうお人やったら なおさらのことなん」……
「ひとりじゃ ないけ、 わしには仲間がおる」……
「亀山社中が、 わしを支えて くれちゅう」
「わしは、 この亀山社中が日本を変える 大〜きな力を もっちゅーと、 信じちゅう」 8月8日放送分〜龍馬伝より
世に大業、大願を成せ !
もしその人が、 尊敬にあたいする人ならば(正しいことを言い 正しい行いをする人ならば) 礼をつくせ !
「十如是とは、如是相 如是性 如是体 如是力 如是作 如是因 如是縁
如是果 如是報 如是本末究きょう等である。つまり、諸法は必ず 相、 性、 体、…本末究きょう等の十の範疇を、もって顕現する、ということが真実の相(すがた)であると説いたのである。
諸法とは森羅万象であるが。十界に収まる。 とすると、諸法実相・十如是とは 地獄界、 餓鬼界………… 仏界、の 十界の どの界も、平等に十如是をもって顕現するということであり、 十界が、現象として顕現した面では相互に差異があっても、顕現する仕方、形式の面(十如是)においては平等であるという真理がここに明らかにされたことになるのである。 その結果、二乗も含めて一切衆生が、仏と同じく十如是の法則に基ずいて顕現しているのであって成仏の可能性を もっていることが明らかになったのである。そのことによってまた、
これまでの三乗を開いて一仏乗をあかすことが仏の本意であるという開三顕一の法門がほぼ明かされたことにもなった。
ここから ” 略開三の十如実相 ” といわれるのである。」
聖教文庫 P215 ~ 216 より
133
:
こうめいいのち
:2010/08/12(木) 04:44:51
訂正……聖教文庫〜十章抄です。すみません。
なぜ頭が、痛くなったのか、どなたもお答えいただけないので、自分で検証したいと思います。 では行きます。1~3 (1)開拓、はじめての理論、発明をする者、苦をともなう。 開拓者、発明者は、ひねり出す苦しみをともなう。 人々は、そのひらめいたもの、発明したもの理解すればわかる(その苦しみの工程を知らないゆえに習うものには、習う苦はあっても生み出す工程の苦しみはないと思います。 理解しようとする者その人々は、理解する時、最初に見つけ出す苦しみは、ともなわない。(学校の勉強でも物理の法則、化学、数字でも理解するための苦しみはあっても、初めてその法則を見つけたり、ひねり出す工程の苦しみないですよね。それゆえ頭がいたくなるのは、私だけ、他の人は大丈夫、大いに理解して下さい。) その苦しみ、ひねり出す苦悩は、最初に見つけ出す者が、全て引き受けると思います。 ゆえに、ご覧になられていますみなさんは、御本尊様の姿、妙法の不思議以降の文章を理解しようとされても、ぜんぜん大丈夫だと思います。
(2)私が、やった事はキーボードを打ちながら、懸命にひねり出そうと、頭脳だけフル回転させたゆえに体のバランスをくずし激しい頭痛におそわれたのだと思います。 釈尊は、始成正覚(菩提樹下での瞑想)では、真実は何かと魔との闘争つまり極め、勝利しますが、観念観法は、行っていないと思います。(久遠実成に気付く。) 行(我本行菩薩道)によって、仏になったのだと思います。(文底は、釈尊とて南無妙法蓮華経の修行で、仏になった。)
天台も、その観念観法は、十境、十乗の観法の修行を、ともなうのであると思います。 観念観法とて行をともなうのであると思います。 三種の止観(ぜんじ止観、不定止観、円どん止観)があり、私のおこなったように、一気にやらない、止観の実践修道にも順番があり、ぜんじ止観、初め浅きより後深きへとぜんじにすすめていく工程があると言うことです。ちなみに、円どん止観が、摩か止観第5巻第7章に、説かれる「正修止観」が、十境、十乗の観法とのことです。 工程をもっての修行(観念観法、その他)なのでバランスを崩さない、それでも「観心中に、肉体に疾病が生じると、病患そのものを止観の対境として、これと対決するのである」聖教文庫 十章抄P213
他に、四種三昧という修行法もあるそうです。 (3)人のため真実を初めて…続く
134
:
こうめいいのち
:2010/08/13(金) 02:50:27
続き……(3) みなさん注目してください。 正しいことを言っているのに、どうして、頭が痛くなった? それを頭だから頭破七分なので、罰と、とらえ観念観法で、御本尊様を、姿を、その不思議をみるからだと、書いてしまいした。だいたい天台の止観行を行っているわけではなく、前回にも言った世の賢人たちも行っている思索によって、ひねり出したのであって、今一度自分に問いかえしてみると、自分は、間違ったことは、言っていない、私は真実を言っているのであり、それを罰と、とらえる間違いをしました。(一つの信頼が、なくなったような気がします。でもまた取り返せばいい。)とにかくこの真実から遠ざける魔の働きであったと、断言します。業障、報障は、私にとって日常茶飯事ですが、
これは私事なのでいいですが、真実を言っているのに、それを妨げようとするのは、まさしく魔の働きだと思います。 正体は、陰魔……(五陰のバランスを崩させ、不調を起こさせ、信心の修行を妨げる働き)、しかし賢者が喜ぶがごとく負けずに、前進し、(成仏への)成長できると捉え、より信心に励み現実の問題を乗り越えていきたいと思います。 御本尊様、妙法の不思議の文章が終わって書き込みが、変わり1~3の前の文章は、魔に、たぶらかされている。(じぶんが)………自分の心の中に魔のささやきを見る。(現法主の心を見たり)(魔からの便り〜御書にあり)頭痛の原因は、これであると思います。 お前はえらいんだ。 人々の知らないことを、もっともっと説いて正しいことを言って(正しいことを言う事、行なう事と魔のささやきに、いい気になる事、させる事ゆえに体及び心のバランスが崩れる……陰魔の正体) 楽しめ! 自慢しろ! 寂しいだろ?人に甘えろ! みんなにほめてもらえ! 無知をバカにしろ! 謙虚になるな、威張れ! みんな魔のささやき。 そして自分の命は、大聖人様と同じなんだ、自分の思う事感じる事が、そのまま大聖人様なんだ、思いつくままに書いていけばいいんだ。 しまいには、現代の大聖人様は、自分なんだ。 自分はえらいんだ、認めろ! 「心の師となるとも心を師とせざれ」 この ” 心を師 ” とは、つきつめれば、魔のささやきであると思います。 本当にこれを、ご覧になっているみなさんの信心が、深まりますように、ただそれだけを考え、そのために真実を語るんだ!!! その強い思いで、魔を打ち破れ!!続
135
:
こうめいいのち
:2010/08/13(金) 03:33:44
4本の日本映画………… 「KID」 ラストのタイトルが出るあたり、青年が刑務所の母親に会いに行こうとする姿。
「手紙」 刑務所で、漫才をする(弟とその相方)姿を受刑者の兄が、その漫才を見る姿。
「きみにしか聞こえない」 自分の未来が、わかっていても、(彼女に会うと死ぬ) 彼女に会いに行こうとする姿。 彼は、彼女に会う!
「タイヨウの歌」 彼女は、 太陽の光、紫外線防止のスーツ(彼女は、太陽にあたると死ぬ)を着てサーフィンをする彼のもとに歩いていく姿。
4本の映画……そのシーンは、とても強い心を感じます。 (レンタル中)
続き…… 油断は大敵。自分の心何が正しいのか、何が間違った心なのか自分に対して見抜けと、いいたいです。(五眼) 自分及びまわり。
136
:
こうめいいのち
:2010/08/13(金) 10:05:58
十界で世界を見る……… 今ある世界そこから選択している。誰か学者にでも、理想とする世界、新たな〜主義、作ったら まあみんながいいとおもい、いいと言うのであればと。 そのたびに、政治などでも期待すれど、一部には、受け入れられるが、全体的には、なんだかちがうでしょうと、いう感じ。
なぜみんなが、満足できる世界は、できないものか? 天下を取ったその人たちに従う多数決に、満足できない人たちは、従うしかないのか? そもそも全体が、満足できる世界はないと、決めた上で、いやでも(全体に通用しないが)自分たちの理想とするところを押し付けようとする。 歴史は、これのくりかえし。 それを、いやといえば争いになる。 世の中おこっているのがそれ。 それが、現実。 各界(十界)の生命状態が、多く集まるところ、同じ生命状態が集まるところ、世界、国が構成される。 十界各界それぞれに地獄なら地獄、修羅なら修羅、声聞なら声聞のその世界の道理がある、もちろん仏界にも。 その界(世界)に生まれたらその道理に従わないと生存できない。 国単位では、それぞれの国独自の法律(道理)がある。 学校、会社、とにかく人の集まるところ十界の生命状態が存在すれば、必ず集まりの掟、道理がある。 世界が構築される。 国単位なら各国それぞれ十界のどの界の世界だろう? アメリカを代表する自由圏内(民主主義)は、二乗界(もちろん十界互具あっての話である。) ちょっとだけ菩薩界(ヒューマニズム)を含む。 その他の国は、どうだろう? とにかく十界各界の生命状態で構成される各界の道理に従わないと生存できない。 政治においても、保守、右派、左派、中道、評論家(仏の世界は語れない)の言う所のそれぞれ主張する道理も、所詮十界各界の生命状態の集まりが作っている。道理と十界は、切り離せないのである。 各界の生命状態の集まり集団。 自分の生命状態(思い描く世界)を理想と言っているが、十界(九界)のどれに、あたるのか知らないが、そのどれか(九界)の世界をつくりたいだけである。 ゆえに全体に適応できないのである。 仏界だけは、九界の道理の世界でも生存でき、さらに九界それぞれに生存しながら仏(仏界)の世界へと変えていけるのである。 ちょっと言葉使いが、あらくなるが、修羅が、世界を構築したら(例)北斗の拳の世界。 この世界で生存しようと思ったら、…続く
137
:
こうめいいのち
:2010/08/13(金) 11:07:38
続き……… 修羅の世界で生存しようと思ったら、自分が弱ければ、強い者に頭を下げるしかない。 「頭が、いいとか関係ないんじゃ! 強ければなんでも許される。 強い者には、頭さげんかい。せやないと生きていかれへんど、弱いものは、カスじゃ! 死のうと生きようと、かんけいない、それがこの世界の道理じゃ! これを守らんと、この世界で生きていかれへんど!」 お笑いの世界でも、先輩と後輩の厳しい世界(これも道理)がある。
九界どうしが、変えようとすれば。必ず闘じょうが、起こる。変わったとしてもただ移っただけに、すぎない。 闘じょうの繰り返し。南無妙法蓮華経を唱える集団が、仏の世界を作る。 九界の世界は、お互いの世界をその道理で、排除しようとする。 二乗は、バカを排除する。 地獄は、平和を排除する。 餓鬼は、命を排除する。 畜生、修羅は弱きものを。 人界は、あえて明かさず, 天は苦しみを。 菩薩は自分を、仏は邪、不幸を排除し、平和の下、九界を受け入れ仏界へと変える。 しかし九界は、それぞれの国の法と秩序の中に十界各界の生命状態の人々が、集団を作り、その人々が、その人々の理想とする考えの下、それを広げ自分たちが、安住できる世界を構築しようとする。 全体に通用しなくてもいい、いやな人は、無理やり受け入れてもらう。突き詰めれば、それしかないイコール自分たち(集団)さえ良ければいい。今は、その次元の争いが、世界の争いである。 全世界の人々が、喜び満足する世界、今は、それがない。 ひねり出せ!!! 見つけろ!!! そんなものない、はじめからあきらめている。あきらめて自分たち(九界)の理想を押しつけ会っている。
138
:
日々前進(朗らか)
◆TczV8HkXH2
:2010/08/16(月) 20:26:16
こちらの板。久しぶりに覗きました。
こうめいいのちさんのカキコミを、今日初めて知りました。
私にしては、難しくって………でも、わかりやすそうで……とってもためになりました。
私なりに考えてみたいと思います。ありがとうございましたm(__)m。
また、ROMさせて頂きますm(__)m。
139
:
こうめいいのち
:2010/08/18(水) 18:46:40
日々前進(朗らか)さん 有難うございます。 素直にうれしいです。 文章が、詰まりすぎ、読みにくい、理解しにくい(難しいのでなくあまりにバカすぎてわかりにくい)、申し訳ないんですが、 書き込んでいる方は、何も気にせず集中できるので、このスタンス(文章構成)で、いきますので よろしくお願いします。 とにかく 日々前進(朗らか)さん 有難うございます。 一方通行で、書き込みしているみたいな感じなので、 時たまに、返答、反応していただけると、とてもうれしいです。
続き………そのため争いが、起こる。 全体主義は、独裁。 個人主義は、エゴ。 民主主義は、真の民主主義に、なりえていない。 民主全体(みんなと個人)満足主義[ほかにいい言葉が、あれば教えてください。] それが、必ずあると見定め 打ち立てろ! 命の底からひねり出せ!! 法性之淵底玄宗之極地、九識心王真如の都から!! 無作の三身を念念に起こして!!!
世界(の学者)でも、このようなことを、考えている人いるのかな?
[ ヒックとドラゴン ] [ ライアーゲームのカンザキ ナオ ]
パズルピース ・十八円満 ・今者已満足 ・法華の円 ・にぜんの円(国は、借金の自転車操業) ・外道の常楽我淨 ・仏の常楽我淨 ・戸田先生は、世界に争いの絶え間がないのは、仏法の精神が具現化されていないがためであると。 ・三因仏性
経済についての文章と、資料がどこかに、いってしまった!(ピーター ドラッガー 、金のかからない,誰も気づかない,需要がある…ソフトウェアーの開発 えぇーと パラレルワールド 2001年宇宙の旅の功罪……もしcp(ハル)が生き残ったら? もし人間(デイビット ボーマン)とcpがお互いを許す方向性で二者が、生き残ったら??? だいたい宇宙人は、何を考えているのだろう? 二乗の考え、二乗社会の投影。仏ならどう見る? ロボット各研究所へのアプローチ……等、資料と文章が行方不明
また出てきたら、そのときに〜
140
:
こうめいいのち
:2010/08/18(水) 18:59:54
補充………ソフトウェアー ただ職種や人々が、助かる物品を検索するだけで、的確な情報から引き出し、需要にかなう企画を作成してくれるソフト〜
141
:
こうめいいのち
:2010/08/18(水) 19:16:13
異常気象、環境問題 立正安国 だいたい地球が、バランスを保つために、人間を減らしているという九界の考え方に、とらわれるな!!!
これも必ず解決の道は、ある!!!
142
:
こうめいいのち
:2010/08/18(水) 20:30:03
管理人さん……長文のコーナーに少しずつ書いてすみません。短文は、これぐらいにしときます。
リーマン予想 「順序 規則性のない素数。」 …素数を、宇宙誕生からの年数で捉えると、素数にあたる年は、ワームホールが、(誕生する)ひらく年?こういう仮説も、おもしろいのでは。
だって素数は、同数と1で割り切れる、その1のそばには、たえず0(無)がある!! STAR トレック スター ゲイト ジョディフォスターの題名が、出てこない? 日本映画… 博士の愛した数式
世の中に、相から報を生業(なりわい)にしているもの(内容が逆行しますが)……天気予報、渋滞予想、事件を解決する刑事、名探偵コナン、囲碁、将棋、歴史、教育等…
映画 アイズ デジャブ フェノミナン パッチアダムスの5本の指 逆に メメント きみに読む物語 24回目のプロポーズ パコと魔法の絵本 ウォンテッド トランスポーター 地下鉄に乗ってとこのたびnhkで放送予定の2作品は、タイムスリップの理論立てに甘さを感じる! 支離滅裂な文章になって申し訳ないです。 暑さのせいか*
143
:
こうめいいのち
:2010/08/25(水) 21:45:02
訂正………24回目のプロポーズではなく、250回目のファーストキス この主人公の忍耐は、すごい!
タイムスリップワイフ(原題)とカラフル
タイム…ワイフは、現世の過去、現代、未来を行き交う。 カラフルは、現世と過去世ともうちょっと幅が、広がっている。
きみにしか聞こえないは、1時間の時間のズレの中に、お互い(彼と彼女)が生きている(ネタバレですみません、〜途中に未来の自分が、出てくる。)
キアヌリーブス主演のポストを中心に彼女とのやりとりで進んでいくラブストーリー(題名が出てこない)こちらは、数カ月か数年の時間のズレの中にお互いが、生きている。
地下鉄に乗ってとデジャブのタイムスリップの理論立ての違い。
主人公が、アムール(過去の父親)に会うがどの過去の時代でもアムールは、主人公をおぼえていない!
デジャブ……刑事(主人公)が、殺された女性の家を調べている(現在) 時点で女性の部屋にあった血痕(主人公のもの)は、過去に戻った時のものが、過去に行く前にある。 今いる所には、今あるものしかないという考えと、今いる所には、過去も現在も未来も全部あるという考え方。
支離滅裂で、関連性がないように見えて、パズルピース、何かと何かがハマり見えてくるかも? 一見脈絡がなくても、詰めてくるとつながってくる。
東大生にも、よく読まれている発想の本………思考の整理学 ベストキッドのワックスがけのように!
人と地球では、異常気象、しかし地球と太陽まで引いた視点では、太陽の異常が原因で、本来ならば氷河期のごとくさむくなるはずなのに、温暖化、この視点では、どう見ても地球がバランスをとっている。人が、体温調整するように、地球自身が、体温調整しているという考え方。地球は、バランスをとっているが、人にとっては、温暖化。
視点を、銀河系、または宇宙全体から見ることは出来ないが、その視点で見ると何か見えてくるかも?
三世の宿命転換と学会記念日
現在を変えると未来が変わる。これは、当たり前。 現在を変えると未来が変わると同時に、過去も変わる!?
今一瞬も、時は、コツコツと動いている。今だけではなく過去も未来も同時に動いているという考え方。 映画デジャブのように!
過去に変化??過去が変わる??? (1)過去が変わっても現代人は、知らない、わからないという側面 (2)過去が変わる、…続く
144
:
こうめいいのち
:2010/08/26(木) 00:11:39
続き………今少し涼しい 頭がフル回転できそう!
(2)過去が変わる! どう変化するかは、今のところわからないが、現在が変わる因ができる。過去のどの時点かわからないが、過去、現在、未来が、同時進行のうえに三世が変わるリンク点が、あるように思われる!! いや新しくできる!
映画 笑う警官 のように天魔に、操られている、金持ちはより金持ちに、貧乏人はより貧乏人に、なるように経済を操って笑っている者が見える。いくら操って金持ちになっても、仏になれない! 人は、人々を幸せにする者を尊敬する! とちさこ氏………本来の金融のあり方に、目覚めた人!!
このこうめいいのちが、歴史的快挙を成し遂げたことを、ネットを通してどれだけの人々が、気づくだろう???
余談……数日前より発売されているイオンのトップバリュー製品で、シトラススカッシュの香りのボディソープについて 5~6月中旬のあたりに、お客様相談室にTELして、クールボディソープを今うられている価格の148円で、できないかお願いした。ささやかな庶民の願い、クーラーのある人には、わからないだろうが、メーカー商品は、どれも高くて、手が出ない!この価格で、このサッパリ サラサラ感は、風呂上がりのクーラーない人間にとっては、扇風機で、じゅうぶん暑さをしのげる! 8月中旬に発売という夏の終わりの発売は、私が、TELしてお願いしたからなんとか夏中に間に合わせてくれたのか?今年の夏は、暑いのでみなさんイオンさんにお願いしていた1人が、自分だと思われるが、この価格でこのサッパリ感は、うれしい!香りもいい! みなさんも一度ご使用あれ!! サッパリします。(クール感は、家族向け用におさえてある)
ちなみにボティソープのほかに、トップバリュー製品で価格198円で、5袋入りラーメン チキンベースと言ったらお分かりだと思うのですが、某メーカー商品値段が高い!298~398円 手が出ません。買えない。ベビースターラーメンが、あるくらいだからできるはずとお願いしたのですが、無理かもしれないが、できれば庶民にとってありがたいので、期待はしてます。
ボディソープを作っていただいたので、またお礼の電話いれときます。
難即安楽 難即解脱 難即前進 先生のこの言葉に、お返ししたい!
苦色心即斯人行世間 先生見ていてください!広宣流布に、…続く
145
:
こうめいいのち
:2010/08/26(木) 05:46:09
最上に正しいと信じるご本尊様にお題目を唱える所に出てくる一念を見てみる(一つの例) 一つの例って祈りに、スタンダードもプレミアムもないでしょう? みんな純粋に真剣に必死に祈っているのに!
しかしなんらかのかたちで、一念は表現できると思う。人の祈りは、千差万別
そういう言い方はよくない。祈りの具体的内容は、違えど、その祈りの一念(生命、生命状態)は、共通性が、あると思う。こういいなさい。
唱え、感じる一念とは、内証の地湧の菩薩心、この一念の心が、法性〜極地、九識心王〜の都から無量の宝珠(智慧、アイデア、人々を幸福にする考え)をたずさえて出てくる。御書P751参照
[お題目を唱え、本来の姿、無明と戦う南無妙法蓮華経の法仏身となり、無明と戦い、無明と戦う南無妙法蓮華経の法仏身でないと、いやという師子の心を出し、社会の実相を見て本来の姿、無明と戦う南無妙法蓮華経の法仏身でないと、いやという十如実相にし、すべてを本来の姿でないと、いやという実相にしていき、一生無明と戦う南無妙法蓮華経の法仏身として、また信心の兵士(この言葉に抵抗がある、心情的に。) また信心の兵士ではなく闘士として、生き抜き、無限に頭を下げて、人、社会、あらゆる世界に、無明と戦う南無妙法蓮華経の法仏身として入っていき、本来の無垢になり、身(全身)で考え行動し、苦悩する心を即座に無限の可能性を信じる心に変え(そんな簡単に指示されてもやる本人は、大変ですよ)苦悩を見、即座に無限の可能性に変え、苦悩を見、即座に無限の可能性に変え、勝利に焦点を置き、三世間に影響(絶対に人々が、幸せになっていく方向)を及ぼし、南無妙法蓮華経を根本に、たえず居場所のない所に行き、居場所に変え、居場所を拡大し、仏界がある、居場所がある、友がいる、(そこにしか全てない)生命共感の広宣流布の信心の戦いの中に入っていく。
絶対に人には、弱い所を見せず、どんなに苦しくても、明るく強く生き、どんなに苦しくても、どれだけ悩んでいても、困難、絶望、地獄の状況でも、その身は明るく強くあれ!その生命状態、態度で示せ!永遠の手本となれ!
お題目を唱えた時、法仏身(身が明るく強い本来の姿に変わる)になれ!
人生の主役になった実感と自覚(随自意、一人立つ心)を持て!本流の十如是を無限の七如是で支え人々を、幸せにする十如是にしろ!お題目を唱えた我が身(法仏身)を感じろ!]
負ければ…続く
146
:
こうめいいのち
:2010/08/26(木) 06:47:46
続き………負ければ従わなくてはいけない。間違いを認めれば、従わなくてはいけない。 しかしその時は、そうするのが正しい。負けた時は負けを認め、間違えたら間違いを認め、そこからまた正しいことを主張し、蘇生する。そこから変毒為薬、転重軽受していけると思う。
学校などで、いじめがあった場合、なかなかいじめを認めない風潮がある。間違っても謝らない。たとえ間違いをおかしても認めない、謝らない。隠す。映画ゴットファザー、砂の器
ネットでも自分が間違えたら素直に謝る人を見たことがない!
どうしようもないようになるまで人は、謝らないのか!
ちょうじろう(龍馬伝)間違ったことはしていない正々堂々としていろよ!処刑される時は、正しいと思うことを主張して死んでいけばいい。(逆に自分が正しいのであればとことん抵抗すればいい!)ちょうじろうは、何も間違ったことは、していない。ただ日本のため日本をよくしよう日本を変えよう、せんたくしよう。その一心だったと思う。
そういう考えの者を裁く、当時の日本が間違っている。龍馬だって、吉田松陰と一緒に外国船に乗ろうとしたでしょう。(龍馬伝)気の毒だと思う。
本当に正しいものを生存させよう、残そうと思うのなら、自分が間違えた時は、素直に謝る、謝罪する。隠せば隠すほど、魔につけこまれ、正しさは、崩壊する。
147
:
こうめいいのち
:2010/08/29(日) 15:31:45
訂正………境地冥合ではなく 境智冥合 時は、コツコツではなくコクコク(刻々)でした。 すみません。
戦火の勇気 ザ・ダイバー 泣かないと決めた日
必然と偶然 順縁と逆縁
仕事について〜
一日に、一週間、1ヶ月、一年分の仕事をする。(大白にあったような)
本来の姿、商い戦争の無明と戦う南無妙法蓮華経の法仏身となれ!
祈り〜 亡くなられた方が、お葬式において、皆の祈りで穏やか素直な相になられるように、生きている人でも、その人本来の姿になりますように祈る所、その祈った相手が、本来の姿になる。それでもその相手が、間違った考え、行動(に執着して)をすると、バランスを崩し、速やかに、依正に出る。
御書の賞罰に関する御文参照
生命の不思議〜 もう放送されましたか?17才ぐらいにして、老人のようになった女性。 ブラッドピットのベンシャミン・バトー
そのような現象が、ある(17才ぐらいにして老人のようになった女性)ということは、逆に、いつまでも若々しくいられるようにもできる?その女性は、気の毒だけど。
時間と人間 陰徳あれば陽報あり 世界最速のインディアン
寛容と非寛容
誘導スレに書いた、なぜ南無妙法蓮華経なのか?について書きます。
環境、まわりの生活、社会(世界)を見て、そのなかに答えを見て、人は生活する。つまり相対的に反応、判断して行動している。まわりの影響により一念三千か、三千羅列している。九界それぞれの行動で、地獄から菩薩までしか出ない。
(影響を受ける仏、釈尊、仏界は、今はない)人それぞれ九界(この信心のない人)の生命状態で、世の中を作っている。
逆にその生命状態が、世の中を作っているなら、釈尊のように、全てを究めつくし、無上の智慧と慈悲、なにものにも侵されず、森羅万象の真実の法を見抜き、永遠の生命に立脚した絶対的な幸福境涯を得ようと思えば?……
先に私たちの生命状態を仏の生命状態に、してしまう。
生命の中に十界が収まっているというなら、先に仏の生命に変えて環境、社会、現実に接していくという取り組み方。仏の十如是を観じて仏界を顕現する。
仏の生命(仏界)にする根本の因は、南無妙法蓮華経である。我が身、命が、変われば、仏の思考、行動が、命の中から出てくる。法性之淵底玄宗之極地より
本法所持の本化地湧の菩薩に付属、そして……続く
148
:
こうめいいのち
:2010/08/29(日) 15:43:53
続き………シャッ化他方に総付属して事極まる。一連の流れが生命内で、起こる。その一念の勇気と行動が価値ある世界を生み出す。
149
:
こうめいいのち
:2010/08/29(日) 17:13:11
ネットをやられている人の中で、直接、池田先生に指導、激励された人いるのかな? 指導を受けた方、激励を受けた方が、おられましたら、お話をお聞かせ願えないでしょうか?
150
:
日々前進(朗らか)
◆TczV8HkXH2
:2010/08/31(火) 18:18:28
こうめいいのちさん。
こんばんは。
沖浦さんの板での斧スレ。
貴方の主張を読みました。
アノスレに書こうかと思いましたが、スレや掲示板自体が荒れてしまいそうなので、ワタシの考えを、コチラで貴方にレスさせて頂こうかと思い、こうしてペンを取った次第です。
っつうか、ペンならぬ、携帯ピコピコですが(-.-;)。
宜しいですか?。
151
:
こうめいいのち
:2010/09/02(木) 16:57:50
斧さん? わざわざ探していただき、またお声をかけていただき、とても光栄ですし、もうそれだけで、感謝の気持ちで、いっぱいです。とてもうれしいです。遅れまして こうめいいのちです。どうぞよろしくお願いいたします。
すいません。書きたい事が、ありますので、続きを書きますのでよろしくお願いします。
映画「きみにしか聞こえない」より DREAM COME TRUE曲名・きみにしか聞こえないの歌詞。
〜きみにしか聞こえない この声は今でも 呼びかけてるよ
届くように 繋がるように きみの名前を何度も
I'm callin' your name
きみだけが聞こえた この声で名前を
呼ぶたびにまた まるでここに きみがいるように
胸があたたかくなるの I'm callin' your name
この声が あの時きみに 届いていなければ
あきらめていた 知らずにいた 誰かを思う すごく大切なことを
< 途中 省略 >
きみにしか聞こえない この声がこれから 誰かに届いたら
ねえ見ていてね 繋がるように きみと呼び続けてみる
今も呼び続けている きみを 呼び続けている
(誰かに届いてる きみの声は 誰かが答えてる きみの声に)
( )のくりかえし
誰かが思ってる きみのことを きみの声にこ・た・え・て・る〜
私は、この歌が、好きです。 他に槇原敬之氏の「 Firefly〜僕は生きてゆく 」も、好きです。 この2曲は、落ち込んだ時よく聴きます。
話は、変わりますが、 宗門問題について絶対勝利するには、やはりこれしかないと、思います。 それは、信心直結のまず体制作り、つまり本部直結、しいては、池田先生直結のパイプを造る。 連絡、報告、そして指導、激励(2009,4,19の聖教新聞3面参照) これがないと、絶対勝利のための最高の作戦、行動は、生まれないし、正しい異体同心も生まれない気がします。
敵の城に、それぞれがバラバラに小石をぶつけても びくともしない(スミマセン)やはり団結して、重い大岩をぶつければ、城は、壊れると思います。
一応抜刀隊さんのネットの状況の分析も読ませていただきました。とても深く分析されていて、とてもためになり、ありがとうございます。
……続く
152
:
こうめいいのち
:2010/09/02(木) 18:51:50
続き………いま一番笑って喜んでいるのは、誰でしよう? 乞眼のバラモンの舎利ほつの話、結果、誰が、笑い喜んでいたか? ダイバダッタが、おかしくなった時、笑い喜んでいたのは? 天台の後々の弟子の中で、教えを、曲げた者が、出た時、笑い喜んでいるのは誰か? 四箇の格言の4つの宗派が、出た時笑い喜んでいるのは? 大聖人様、生前と亡くなられた後、違背したもの出た時、笑い喜んでいるのは?現代も内外その様な者が出た時、笑い喜んでいるのは?
宗門問題も、そう笑い喜んでいるのは誰か? 大白2008,6月号の巻頭言に、大事なことがかかれています。参考にしてください。(?とは、関係なし)
このこうめいいのちが、ひねりにひねり、取り出した(全部御本尊様のおかげです。自分じゃない。)三国志に、有名な三日で10万本の矢のごとく
敵の剣を取り上げてみましょう。 まず宗門は、池田先生を、追放し、宗門から見ると、ホウボウの者が、建てたとし、正本堂を取り壊し、ホウボウの団体ということで、創価学会及びSGIの解散を私たちに、突きつけています。これは、逆に言うと、ホウボウに染まっているものは、容赦しない、寄せ付けない、そのようなものは、宗門は、絶対に使わない!!!!!!!!!!
宗門が、剣、武器とする大聖人様の正義、破邪顕正の御文が載っている宗門が使用する御書は、日蓮正宗五十九世の法主たりしお方の編纂された御書ならば、そこを攻めるべきであると思います。そうでなければ他に真書なしなので、他を使用するなら、そこを攻めるべきであると思います。つまり宗門が思う、正しい真書(御書)は、この世には、なく!よって、現法主が、宗門の言うところの真書を、つくらない限り、破邪顕正の御文は、口に出して言うことは、できなくなると思います。御文を口に出せば、どの真書(御書)か、攻めればいいと思います。 ( 参考………創価学会版日蓮正宗新編日蓮大聖人御書全集の 発刊の辞 と 序 ) お疲れさまです。 ………続く
153
:
日々前進(朗らか)
◆TczV8HkXH2
:2010/09/03(金) 16:01:38
ワタシは斧さんではないのだけれど………(:_;)(-.-;)。
154
:
こうめいいのち
:2010/09/05(日) 02:05:54
日々前進(朗らか)さん 勘違いという、大変失礼なことをしてしまい、このとおり(見えませんが、頭を下げています)お詫び申し上げます。スミマセン
いつも見ていただきましてありがとうございます。
時間が、連続帯であり同時進行なら宿命転換が、三世のリンク点で起きるという考え方があるとすれば、出逢いもまた、三世にリンクする所があるのではないかと思います、必然という考え方(過去も未来も現在の一瞬の生命に収まる)。釈尊は、しゃりほつ、だいばだったに未来に成仏する記別を与えますが、この考えに時間の同時進行、必然、リンクする所という考えをあてはめると、しゃりほつ、だいばだったが未来の成仏する時点、そのそれぞれ未来世に自分(釈尊)も生まれて(成仏の記別を与えるということは)成仏させてみせると宣言していると見える考え方。しゃりほつと釈尊の過去世の関係については、明かしてませんが、だいばだったについては、過去世に接触するリンク点、阿私仙人(だいば)と釈尊の関係を明かしています。
つまり現在出逢っている人たちは、必ず未来世にも出逢うという考え方、もちろん過去世にも出逢っていた。(同時進行なら今出逢っていれば過去世も未来世も今瞬間出逢っている。)
私と日々さん(日々さんと呼ばせて、もらってもいいですか?)との出逢いも、このご縁は現在だけでなく未来世でも(いや瞬間未来世の今出逢っている)必ず出逢う、また過去世で出逢っていたという考え方。もしそのような考え方が、本当にあるとしたら、この出逢い、私は、大事にしたいと思います。
そして理想は意気投合できる関係になれれば最高だと思います。
日々さんは、かなり辛口なことも言われたりしていますよね。
どうかお手柔らか。(長くなりスミマセン)
とにかく日々さんのご意見ここで伺いますので、よろしくお願いいたします。
ここの管理人さん、そういう事なのでお願いします。
前の続き書かせてくださいね。 続き………パズルピース *あまりにもバカすぎてわかりにくい(自分) 映画 レインマン グッドウィルハンティング ロレンツォーのオイル ボーンスプレマシー
宗門問題(向こうは、創価学会問題) 訂正〜現法主は、前法主・スミマセン ネットにカキコミすれば敵に手の内が、分かる? 大丈夫です。学会は、隠し事は、しない。信心に隠し事はいらない。ぜんぜん問題なし。正々堂々…続く
155
:
こうめいいのち
:2010/09/05(日) 04:05:57
続き………正々堂々と主張すればいいと思います。(我々に秘密の作戦はいらない) だって抑えられないんだから(敵)、心を師としているので。
バラバラのパズルピースは、三千の羅列? 思索、思考の中に浮かんでくる脈絡のないもの(映画アメリカ版 アイズ)、それを組み合わせ一念三千にしている。三千の羅列のまま行動、実践すれば支離滅裂な行動。物事しっかり理解している人は、一念三千にしっかり組み立てて、理論にしたり行動、実践している。
やみくもは、いけない。負ける原因。 あくまで宗門が、本来の姿に戻ってほしい。宗門の側も、学会が宗門を見る見方と、宗門が、学会を見る見方内容は、一見一般の人びとには、同じように見え、まるで芥川龍之介の`藪の中`という感じ。罪を憎んで人を憎まずで、第六天の弱点、魔を打ち破る攻めどころ、また敵を倒す敵に勝利する、突きどころ。 その弱点は、心を師にしている所、誘惑など、とにかくガマンが、できなくなる。トムクルーズ・デミームーア・ジャックニコルソン出演映画「ヒューグッドマン」?軍事裁判劇の最後に勝利する所は、まさしくそれであると思います。
十如是をもって十界が顕現するは、所開。 十界の中に十如是が、収まっているは、能開。その十界の中に十如是が、収まっている。あえてその生命状態は、言わないが十界のどれか分かると(十界、八風)、その人の未来(十如)が、見えてくる。仏眼にて十界それぞれの命の傾向性が、分かる。心を師とする者、魔のささやきに、そのとおりに頷く者を見抜く、その見抜いた命の傾向性からその者の未来が見えてくる。(それが、創価学会なのか、それとも宗門なのか、一般の人には、分かりずらい)、普段の学会員さん、公明党の姿を見れば、創価学会と宗門が、同じことを言っているようにみえて、どちらが本当の事を言っているか、一目瞭然であると思います。いくら下の者が言っても、長は、我慢できなくなる。(前法主) 学会が関わった宗門にとって大事なものあれば、片っ端から、そこを攻める。これが敵の城の弱点であると思います。そこが突破口。
学会が宗門の弱点を攻める。(心を師としている所)、宗門も学会にも心を師としている所を探し(だいたい学会にそのようなものはない)学会の弱点を攻めていると見える。どちらも、一般の人びとには同じことをやっているように見える。しかし心を師とせず心の師となる者と、心の師とならず心を師とする者は、必ず…続く
156
:
こうめいいのち
:2010/09/05(日) 06:02:19
続き………心を師として心の師とならない者は、必ず最初は、同じように見えても、心を師とする所、魔のささやきに頷く所を、そこの弱点を攻め続けると、我慢できなくなりボロが、だんだん出てきて、一般の人びとにもその違い、また差が見えてくる。 人が人を信じるその目安は、相手の間違いは、攻めるが相手の立場は、攻撃しない。役を降りろとか、その立場から降りろとか、間違いを攻める。相手(敵)が、目覚める所、そこに焦点を置き、そこに勝負をかける。目覚めさせる(勝利)。解散を要求したり追放するならば、その時点で、アウト、負けであると思います。人びとは、そのようなことをする者を、信じない。民衆は、望まない。
過去から現在、善と悪は、対決するものと決まっている。マインドコントロールまでは、いかないが、イメージコントロール ( 例 )昔の宇宙戦争で、宇宙人は侵略してくる、恐ろしいというイメージ 次に、ET、未知との遭遇で宇宙人は、やさしい、親切 次に、新しい宇宙戦争で、また宇宙人は侵略してくる、恐ろしいと、宇宙人観は、その時代、その時代の映画の宇宙人イメージで、コロコロ受け止め方が、変わる。もしイメージを植え付けられコントロールしようとする者が、出てくると、恐ろしいことであると思います。(イメージコントロールは、マスメディアやテレビのCMで、充分行われている。)
真実を見つめようとせず、アレッ?おかしいなと思っても、追究までいかない。
現在に精神に異常をきたす。これは過去世に人の肉を食った(人肉を食うと、だんだん精神に異常をきたすと言う考え方)ため。これは、イメージコントロール?
映画マトリックスでは、仮想世界は、あっても人の体は、あった。サロゲート、インセプションも。つまりまだ現実には、肉体は残っていた。しかしアバターで、主人公は、自分の肉体を捨てる。これは、イメージコントロールか?
言葉は、古いが電波人間、肉体を捨て仮想世界、空間で、生きる。利点〜無限に地球、空間を広げられる。死なない。人口が、いくら増えても空間を広げられるので大丈夫。殺生をしなくても、すきなものをすきなだけ食べられる、理想の顔体型維持でき、何でもかなう。ゴミは、出ない。いいことづくめ。と言うキャッチコピーにのせられて(イメージコントロールされ)、そこは、人口増加を防ぐため地球に負担がかからない人口分だけ人間を残し仮想世界の管理と仮想世界に、入って肉体…続く
157
:
こうめいいのち
:2010/09/05(日) 06:54:20
続き………仮想世界に入っていった人たちのいらなくなった肉体の処分。
つまりイメージコントロールは、これはいいよと言われ、また本当にいいのですが、振り込めサギは、恩恵を受けないためそれは、間違いとすぐにわかりますが、先ほどの仮想世界の話のように、恩恵を受けるイメージコントロールが、あった場合、真実が見えなくなる。恩恵が、あるのでいつまでもわからない恐ろしさがあります。創価学会(は、違う真実を言っている)と宗門が、正義の名の下に、イメージコントロールで自分たちの方が、正しいと、その主張に一般の人たちは、どちらが正しいか混乱する。 コントロールされてないか、真実に、目を向けないようにさせられていないか、真実を見抜く目(五眼)を鍛えろと、いいたいです。20世紀少年の教祖、友だちに、だまされるように。(ケンジも友達を結果的に騙していたというオチがあった)
善と悪の捉え方〜 過去から現在まで善と悪は戦うものと決まっている。しかし新しい考え方が、生まれようとしている。この前に、書きました、ヒックとドラゴンやライアーゲーム、予兆を感じます。人類は、善に未来を委ねるしかないが、どう新しい考えをまとめ提示するか、物語等で。とにかく悪を悪から目覚めさせる手法、方法、ひねり出せ。民主全体満足主義の世界。 ……続く
158
:
こうめいいのち
:2010/09/05(日) 07:07:13
続き………時間の同時進行、必然、三世の瞬間同時のリンクする起点と、三世の宿命転換を、わかりやすく物語風に〜 スミマセン 少し体をやすめたいので
一旦止めます。 のちほど よろしくです。
159
:
日々前進(朗らか)
◆TFKQq1Qllc
:2010/09/08(水) 21:11:43
>>154
レスを読んでおりましたが、勇気なく、カキコミレスできませんでしたm(__)m。
こうめいいのちさん。ゴメンなさいm(__)m。
>私と日々さん(日々さんと呼ばせて、もらってもいいですか?)との出逢いも、このご縁は現在だけでなく未来世でも(いや瞬間未来世の今出逢っている)必ず出逢う、また過去世で出逢っていたという考え方。もしそのような考え方が、本当にあるとしたら、この出逢い、私は、大事にしたいと思います。/そして理想は意気投合できる関係になれれば最高だと思います。
………嬉しいお言葉をかけて頂き、光栄に思います。
私がカキコミを躊躇した理由を明かしますね。
貴方のカキコミにあった「ケンジ君」のクダリです(20世紀少年の)。
【正義】が、必ずしも【純粋な正義】ではない場合がある事。
恐らく、こうめいいのちさんは、その事を表現しておられたのだろうと思います。
唐沢寿明演ずるケンジ君も、そうでした。
三部作(三章)からなる映画の本質。
私は、、最終章での「ケンジ君の過去」に衝撃を受けました。
こうめいいのちさん。
お体ご自愛ください。
私は、貴方の文章表現を百パー(100%)読み解く事はできないかもしれません。
私の根本が馬鹿ですから。
ですが、こうめいいのちさんが、全魂込めてカキコミしている?のは、なんとなく伝わってきます。
今後とも、宜しくお願いいたしますm(__)m。
追伸。
私の意見。
しばらくお待ちください。
色々考えております故m(__)m。
160
:
こうめいいのち
:2010/09/11(土) 11:57:14
日々さんへ 私にお声をかけてくださった事、とてもうれしいです。そしてその日々さんが元気に信心、毎日の生活を送られている姿(他板の文章を読んで)を拝見して、私も元気が出て勇気も湧いてきます。日々さんには、とても感謝してしています。ありがとうございます。
20世紀少年ですよね〜 人は、絶体絶命の危機の時、どういう選択をすればいいのか? ( 9月 12日 竜の口法難の日 ) ケンジは、あやまち(物を盗む)を犯した後の行動に選択肢を間違えた。 何故友だちは、最後まで自分の無実を主張し続けない?( 黒澤明監督の姿 三四郎 は、泥の池の中で蓮の花を見て気づく、三四郎の知る純粋な娘の兄との戦いにさいしての葛藤……もし自分が勝ったら、あの娘はどうなるのだろう?) ケンジが、やったといわなくてもいいが(言った方がいいのかな?……そこは、ケンジが、どこまでもワルい奴と見るか、 言わなくても自分から名乗る人間か、 はたまた、いい奴だがこの状況で、友だちは、ケンジという人間を見抜けるか、一番いい結果に、結びつくような……友だち側からの見方、まあそこまでの余裕は、ないと思いますが。しかし友だちに、とっては運命の選択肢 ) 、怪人二十面相は、実は明智小五郎だった。忍びの者で、百地三太夫(首領)と敵方の首領は、同一人物であった。(2つの映画のネタバレしてスミマセン) アニメのドクタースランプに、出てくるスッパマン 何を生きる糧とするのか? ケンジが、謝った時、友だちはもう終わってしまうじゃないかと言った。せっかく今やっているのに、いまさら遅いみたいな。〜もっと早く気付けよー。あまりにも時間が長すぎる。
まだまだここのところは、考える余地はあると思いますが、友だちの心の内面に、もっと入っていくと、もっと何かわかってきそうな気もするし、ケンジについても。 とにかくケンジが謝った事で流れが変わった。(今と過去で謝る)
中学?高校?生に、なったケンジがトモダチになろう?と話しかけた時、過去で(今、生きている若い人たちへの映画からのメッセージだと思いますが。)あるけれども、来世で、出逢ったら2人ともトモタチに、なりそうな気がします。日々さん、20世紀少年について、思っている事あれば、どんどん書いてください。私も勉強になりますので、こういう見方も、こういう考えもあると、どんどん教えてください。よろしくお願いいたします。
161
:
こうめいいのち
:2010/09/11(土) 12:01:52
同時進行〜の続きは、またのちほど書きます。 スミマセン
162
:
こうめいいのち
:2010/09/12(日) 12:20:56
前略 日々さんへ 「おいおい質問に答えてないじゃないかと」、日々さんに 9/11(土)の内容では答えになってないとツッコマレそうですが、
「ケンジは、結果的に友達を騙していたというオチ」とそこから導いき出していただいた 正義は、必ずしも 純粋な正義 ではない場合がある事
騙したと言う表現、これは整理しないといけないですよね。 少年の頃に起きた事件(万引き)、無実の者(友達)を君(ケンジ)が犯人なのに僕を犯人にした 「負けるとわかっていても戦わなければいけない時が、あるんだ」その様な正義を貫く者が、自分が犯人なのに他人を犯人する行為。友達は、それが許せないし、その矛盾を訴えたかった。友達は、予言の書を現実にする事で、ケンジにぶつけた。それがいつの間にか友達の生きる糧になって行った。(友達側)
ではケンジ(側)ですよね。純粋正義を貫いているケンジが、魔がさして店先からバッチを盗んだ。(そんな事は、しないと思うのですが、作者はあえてケンジにやらせた) はたしてその矛盾を抱えたまま正義を叫び続ける事ができるのだろうか? 友達を結果的に騙していたと言う文章から純粋な正義でない場合もあると読みとってもらったおかげで、何か見えそうな気がします。
映画「砂の器」で、過去の思い出、出来事が自分の出世に邪魔になるため主人公は、それを掘り返そうする(世間に自分の過去がわかってしまう)人々を次々と、殺していく。悪い事だけどつじつまが合うと言うか、一念に一貫性があると思います。ケンジには、一貫性がない。命の中で、友達におこなった行為(無実の者を犯人にしてしまった、自分が犯人なのに)それを保ちながらあそこまで純粋に正義を貫くことができるのだろうか?必ずその正義が、ブレてくるというか、その矛盾が何らかのかたちとなって姿を現すとおもうのですが。
1つの考えが、見えて来ているのですが。こういう場合は、どうでしょう。
幼い子が、過酷な状況、自分ではどうする事もできない状況に出会ったり、陥っ、とても苦しい、いたたまれない時、心の中からその状況を消してしまう。その時点で、別人格になるのか、まるで人形のように固まってしまうのか?ケンジは、固まってしまった?その状況が、過ぎるとその間の記憶を命の奥の方に閉じ込めてしまい、記憶を消した状態……こう考えると、大人になったケンジが、過去の記憶を思い出せない所(映画パート1 ,パート2で)、……続く
163
:
こうめいいのち
:2010/09/12(日) 13:10:26
あっッ! ケンジも友達を結果的に騙してしていたというオチ…… ケンジの矛盾している(していた)ところに騙されて結果的にあのような恐ろしい行動に、でてしまった。純粋な正義でない場合もあると思いますが、純粋な正義を目指すのは、大事な事だと思います。 パズルピース 天台の性悪の法門 清浄無漏智 妙法の心蓮台(総勘文抄) 説明不足でスミマセン もっとわかりやすいように努力しますので、どうかよろしくお願いいたします。
164
:
日々前進(朗らか)
◆TFKQq1Qllc
:2010/09/12(日) 23:18:51
こうめいいのちさん。こんばんはm(__)m。
昨晩
>>161
を読みました。感想を書こうと思ってましたが、どう文章を纏めたらよいのやらと考えてしまいました。
竜の口法難に触れられていた箇所にここで貴方のカキコミに触れた後、昨日の聖教の社説を読みました。こうめいいのちさんはすごいなあ。と思いました。昨日は他所掲示板に色々書いてしまい、コチラには挨拶なくROMしていた事を白状いたします。お許しくださいませm(__)m。
20世紀少年に関しては、映画の内容も上っ面しか分からず、またこうめいいのちさんの感じている部分を文章から読み解く事が、かなり難儀でありまして(:_;)。もう少し、努力してみます。何度も何度も読まないと、私の今のアタマでは理解できない(^_^;)のが正直な感想です。
取り合えず161のお返事と言う事でm(__)m。
一日遅れになりました事、お詫びの意味を込めてレスさせて頂きました。
お休みなさいm(__)m。
165
:
日々前進(朗らか)
◆TFKQq1Qllc
:2010/09/12(日) 23:21:22
すいませんm(__)m。
>>161
ではなく、
>>160
でした(-.-;)。
先ほどのは、それに対してのレスです。
訂正いたしますm(__)m。
166
:
日々前進(朗らか)
◆TFKQq1Qllc
:2010/09/13(月) 23:19:09
「こうめいいのち」さんへ。
今、お風呂から上がりました。烏の行水みたいなレベルです。
「こうめいいのち」さんとのやり取りは、自分に余裕がないと(気持ちも時間的にも)できないと(^_^;)、シャワーを浴びながら、実感いたしました。
最近、「こうめいいのちさんの20世紀少年論」を色々と考えています。
今日、ある事がキッカケで、「いきものがかり」というアーチストさんの「エール」という歌を聞きました。
その後、風呂(シャワー)に入った訳なんですが……、
シャワーを浴びてる途中にアル歌を思い出しました。
『太陽がくれた季節(青い三角定規)』です。
いきものがかりと、青い三角定規………。
似てるなあ。と思いました。
(一旦ヒト区切りいたします。)
全然関係ない話しでゴメンなさいm(__)m。
でも、ワタシにとっての思索(20世紀少年論)には、とても重要な観点でした。
またカキコミいたします。
ではまたm(__)m。
167
:
こうめいいのち
:2010/09/18(土) 13:45:32
訂正………中、高校生?時代 ケンヂ(映画の字幕スーパーは、ジでなくヂ)は、ともだちになろうと言っていない。ケンヂの作った曲に、カツマタくんが、こういうのはと、グータラーラ スーダララと、そこからともだちに、なって行った。
負けるとわかっていても戦わなければいけない時が、あるんだではなく
人間っていうのはな、無謀とわかっていても、やらなきゃならない時が、あるんだ。が、正しい。
日々さんは、素晴らしいともだちをお持ちですよね。うらやましいです。
カタカナ4文字の〜さんや、ともだちの事を思って、頑張っている〜さん
自分も、そういう純粋なともだちを沢山作りたいです。
何故時間が、バラバラか? 過去、現在、未来は、同時進行してそのリンクする地点をつなぎ合わせている20世紀少年 この手法は、作家の伊坂幸太郎氏の得意とする所。
え〜ケンヂ側から 血の大晦日から2013年まで、13年間、記憶喪失 そして正義の行動もない。得体の知れない何かに怯え(ケンヂにとって、少年の時の1969?1970?年の万引きと、その後の態度が、強烈な苦)、2013年記憶が戻り自分の中の矛盾に苦悩し、のたうちまわる。
少年時の万引きから1997.2000年まで正義の行動がない。これも記憶喪失?
平凡な毎日とパート3のはじめで言っているが、真実を記憶の底にしまい込んだ姿。2013年、目覚め、苦悩と戦い正義に、真実から逃げないケンヂとして立ち上がる。 「俺は逃げない、真実から目をそむけない。」
血の大晦日、太陽の塔の肩に映像としてうかんでいる友達が、お面をとった時、それ見たケンヂは、………お面をとることは、友達にとっての最大の攻撃。
「今やらないと後悔するぜ」「そうだ」「頑張れ」「ごめんなさい、ごめんなさい」「ごめん、ごめんなさい」
友達側……理科の実験大好きカツマタくん。 人とのコミュニケーションがとれない、また組織や集団と馴染めない、カツマタくんの心の奥に、どんどん入って行ってみましょう。見えてくるのは、ニヒリズムや個人主義、1960.1970年代の思想や文化カルチャーに色濃い影響を受けている気がします。
ロビンソン・クルーソー ロバートレッドフォードのジェレマイアジョンソン(日本題名 大いなる勇者)、白銀のレーサーは、姿三四郎とは、正反対。
泥池で、蓮の花を見る前の三四郎。
御書P1580「蓮華と申す花は菓(み)と花と同時なり」
…続く
168
:
こうめいいのち
:2010/09/18(土) 15:24:49
続き………姿三四郎、せっかく蓮の花を見て法華経が、出てきているのに、禅の坊さんに、無の境地などと、ぼかされているところが、気に食わない。
用心棒、椿三十郎、組織に馴染めない苦悩する姿。強いんだけど、怠惰を含んでいる。根底に黒澤作品によく使われている作家(山本周五郎)の姿。どら平太も怠惰を含む、しかし組織と馴染もうと少し努力が見られる。黒澤作品のヒーロー像の集大成は、赤ひげ。 ハイヌーン(真昼の決闘)は、人をまとめる事に失敗。二乗の限界を感じる。NHK放送の山崎豊子氏の大地の子は、滅茶苦茶、泣きました。ヒーローが誰も出てこない最悪の映画 どですかでん (1970年代)黒澤氏にとって絶望的映画、映画の中の登場人物に、救いはあるのかとの、問いかけがきこえてきます。木下恵介氏が、この映画、監督していれば、どこかに救いはないかと、模索されると思います。黒澤氏は、登場人物を見放しているように見えます。ハイヌーンの終わりのように。 さらに最悪なのは、南無妙法蓮華経を母親と子どもが、登場する最初で、2人のため息によって、批判するところ、この映画以降、トラ、トラ、トラの監督降板、そして自殺未遂と、人生にかげりが、見えてくる。その後の作品は、人をフカンから見る(善悪無記の)無記に徹している。影武者、乱に至っては、あまりにも、引きすぎて、誰が誰だか判らないくらい、遠くから見てる、そうなってくると、無常感しか残らない。叙情的とか、叙情感たっぷりと言われるが、私には、そう見えない。まあだだよ でもう一度原点に、戻ろうとしたところが見えます。姿三四郎の矢野正五郎、生きるの主人公、酔いどれ天使の医者、七人の侍のリーダー、隠し砦の三悪人の姫を守る武士、1960年後半あたりから個人主義の色濃い作品に変わっていく。用心棒、椿三十郎で組織に馴染めない怠惰な強者(ヒーロー)、作家(山本周五郎)の影響により七人の侍のように、強き者を集める努力を忘れてしまったのか、赤ひげは、(七人の侍のように)組織体制を作ろうとしていない。この作家(山本周五郎)の影響が大、感化されている。
理科の実験大好きカツマタくんは、どういう思想に影響を受けているのか?
カツマタくんの生きていた時代の文化カルチャー1970年代:ファイブイージーピーセス、イージーライダー、バニシングポイント、明日に向かって撃て、現体制(その当時)に、反逆するアンチヒーロー、それに……続く
169
:
こうめいいのち
:2010/09/18(土) 22:33:53
聖教新聞提供 世界の絵本 土曜日PM8時51分テレビで放送、とてもいい番組です。
続き………それに、ハイヌーンや用心棒、椿三十郎、燃えよドラゴン、それに輪をかけて完全にイッチャッている仁義なき戦い(個人を至高するものが、果たして組織というものを作り上げる事が、出来るのかという主張)
個人主義に台頭するその時代の象徴として、カツマタくん(友達)の存在があるように思います。 そして、いよいよアニメ・ブラックジャクが、登場する。
だんだん世相は、社会から家族にまで、家族ゲーム、石井そうご氏の逆噴射家族カツマタくんは、1970年代を、代表する存在。ちなみに、1960年代は、裕次郎、旭、赤木圭一郎、勝新、健さん、雷蔵、加山雄三等。それ以前は、千恵蔵、右太衛門、長谷川一夫、鶴田浩二、阪妻、アラカン、三船、大小路伝次郎(字をマチガエていたらスミマセン)
新しいもの生み出す時、正しいものをぶち壊すのは、人間のエゴか?
ゴッドファザーが、出て、ダーティハリー、追憶、コンドル、大統領の陰謀、劇場版のアニメ999 1970年になるまでアニメも、個人と組織は、一体の関係。アタックNO,1 巨人の星 タイガーマスクとて、悪の組織とは、戦うが、正義とは一体。先駆けは、あしたのジョーそれから愛と誠 サムライジャイアンツなど。しかし1980年中頃からだんだんすたれていく。
人間は、九界の生命状態を試しながら生きているのか?だったら速く仏界を試せ! まわりの社会思想の影響で、時代に、おいてけぼりにされた人たち、今もいると思います。1970年の思想を、乗り越えられなかった人たち。
ショーケンから優作。 黒澤氏、どん底で、念仏批判で、軌道に乗り、用心棒で、手太鼓?(これは、どういうのかな?)題目は、声に出さず、ぼやかして法華経批判が、ボチボチ始まりかけている。
最近は、とにかく人と人とのコミュニケーションを描いた作品が、多い(良いこと)カイジにしたって個人に走らない。 とりとめもなくなってきましたが、要は、カツマタくんの心の奥を覗いて見るとその時代が見えてくる。と言いたいです。逆に時を知れば人が見えてくる。書を読め、書に読まれるな!戸田先生の言葉。あまりに魅力的だから時代の若者は、それに陶酔する。本質を見失う。
長く途切れていた、時は、同時進行の必然リンク点と、宿命転換、学会記念日について……現代作家や科学、SFなどで、描けていない、
170
:
こうめいいのち
:2010/09/18(土) 22:53:35
続き………描けていない、到達点 ひとつの災いがあってそれを避けられたとしても、その負の連鎖は、止められない。つづく、また来る。ファイナルディスティネーションのシリーズ十如(未来)を見ているが、命が、変わらない限り、その負の連鎖は、終わらない。余談、梶尾真治氏は、切ない作品が多いが、ハッピーエンドを目指している。(黄泉がえりの作者) ……続く
171
:
こうめいいのち
:2010/09/19(日) 03:06:32
ベストハウス123 茂木氏の脳2時間スペシャル 私の頭の中の消しゴム ガチボーイ
続き………この世に自分は、1人ではない。時空間に存在する自分。1日単位で、一年で見ると365人の自分が、いる。1分単位、1秒単位では何人?一生(80.90才として)何人の自分がいる? それだけ、つまりそれだけの自分がいるならばその時間ごとの自分が、真剣に生きているならば、どれだけの事が出来る? 秘は、きびしい、三千の羅列。みんな(時空にいる多くの自分)が協力すれば異体同心、同じ一念ならば? 現在の自分だけが、動いているわけではない。過去も未来もそこに存在する自分も同時に動いている。これを同時進行という。過去世、現在世、未来世、一瞬、一瞬の連続する同時進行の中の三世に無量の自分がいる。 その時空の流れの中で、自己及びまわりを変革しようとする自分が、いればデシャブのように、別のその瞬間の二世にも必ず変革しようとしている自分が、存在している。三世の中に最低1人の自分が、いれば3人は、必ずいることになる。これをリンクする点と見る。過去、現在、未来が、一瞬の生命に収まる一念についての1つの考え方というより、一瞬の生命に収まるとは、このことのように思います。空前絶後、最大の変革は、久遠にあり。この信心は、そことリンクする。つまり究極は、三世常住、久遠即末法、日蓮大聖人の仏法の、深遠な法理の一念である。これも御本尊様のおかげです。
負の連鎖を変革する。信心、学会活動、師弟直結の信心で、戦えば魔は出来するけれどもそれを乗り越えていけば、必ず明るい未来、明るい方向へと変わっていくと思います。 記念日も1つのリンク点として大事な意味があり。変革点としての目標、変革(実証を示した姿)した姿、一生のうちに、どれだけ変革(実証)出来るか?
これは、あくまで仮説としての例です。サウンドオブサンダーとは、逆にいい方向に波が来ます。宿命転換。
それでは、いきます。………(例) 未来世、午後3時に、交通事故、未来世の自分、死亡。 (わかりやすくするため、三世の死亡のリンクする点を、同時間に、あわせます) 現在世、同午後3時に、不治の病で、死亡。 過去世、同午後3時に、人を殺し、自分も死ぬ。この3つの出来事が、6時間前の午前9時から同時進行で、スタートする。 どう関わり合い、1つが、3つに、どう影響するか?
物語できちゃいますよね……続く
172
:
こうめいいのち
:2010/09/19(日) 04:33:19
続き………おもしろ、おかしく物語作っているわけではなく、理論を追っているので、なるべく簡潔を心がけて。(本人は、これでも必死になってひねりだそうとしている)
現在世に、死を予感し、苦しんでいるところに、折伏され信心し、お題目と折伏、法戦等、まわりの人に、片っ端に出会い、この信心を語っていく、またできるだけ人の幸せを思い、良いことをあらゆる人に、働きかけて行く。現在世に、そのような行動をしながら午後3時の死ぬ時間に、徐々に近づいていく。
そして午後3時になる。未来世、交通事故にあう瞬間、クルマにはねられる瞬間、どこからともなく、沢山の人が現れて、また目に見えない空気まで味方して、交通事故をまぬがれる。助けてくれたのは、もちろん現在世で、信心について語りかけていった、また人の幸せを思い自分が、働きかけいった人々。
その瞬間現在世、午後3時、死亡するはずが、体から病が、跡形もなく消える。
瞬間に未来世からの波は、現在世に、留まらず過去世まで。
過去世、同午後3時に、人を殺し、自分も死のうした瞬間、生命に、何らかの変化が起き、人を殺すのを止め、自分も死ぬことを止める。
通常は、原因があって結果がある。この場合、結果があって原因があるように、見えるが、未来世からの波と表現したが、瞬間同時をわかりやすく言っているので、本当は、瞬間同時に起こっている。まさしく因果倶時である。
因果倶時であるけれども、徳の流れは、現〜未〜現〜去のスパイラル。
多くは、語りません。 考えてみてください。 よろしくお願いいたします。
173
:
こうめいいのち
:2010/09/19(日) 04:55:09
せんかりん?……九界の生命に執着する、また夢(にぜん)を指す。けっして前の文章の内容ではない。 旋火輪……御書、総勘文抄にあり。
174
:
こうめいいのち
:2010/09/19(日) 05:24:49
旋火輪…正確には、迷いにより、てんどうして、次から次へとさまざまな心が、起滅すること。 そしてそのような心を信じるのではなく、心はただ法性であると信じることである。(聖教文庫、総勘文抄)
175
:
日々前進(朗らか)
◆TFKQq1Qllc
:2010/09/19(日) 13:13:03
こうめいいのちさん。
長文のレス、ありがとうございます。
過去現在未来の三世のお話。
興味深く、読みました。
(感想が書ける程、脳が発達しておりません(-.-;)。申し訳ございませんm(__)m)
これを「脳の乱れ」というのでしょうか。
ワタシには理解不能です。その自覚すらありません。
ワタシが反応できる事と言えば、
>>169
の
>それに輪をかけて完全にイッチャッている仁義なき戦い(個人を至高するものが、果たして組織というものを作り上げる事が、出来るのかという主張)/個人主義に台頭するその時代の象徴として、カツマタくん(友達)の存在があるように思います。
……これ位かもしれません(T-T)。
また、色々と考えてみたいと思います。
命を削っての投稿、ありがとうございますm(__)m。
今日のこちらは雨です。Softballの試合の予定でしたが、中止になりました。
176
:
こうめいいのち
:2010/09/22(水) 15:32:01
時間がないので、取り急ぎカキコミます。
日々さん いつもありがとうございます。私は、心からの、ともだちだと思っています。もし よろしければ、これからも、おともだちで、いてください。
日々さん毎日の、たたかいご苦労様です。 勝手な事を、言いますが、お気にさわる事が、あればお許し下さい。〜日々さんの秘めた、心の奥のご苦労、その思い、この こうめいいのち、しかと受け止めていますので、その思い、成就しますように心から祈っています。 日々さんに、この曲をプレゼントします!
絢香の 「 みんな空の下 」 ネットのPV アカペラが、すごくいいです。 それと、misonoのスピード ライフは、お二人で、聴いてください。
ネットの中の斧さんへ〜 そちらにカキコミできないので、ここに書きます。
管理人さん どうかお願いします。 それでは,
十如是を、もって十界は顕現する(所) 十界の中に十如是が、収まっている(能) 十界互具は、理論上は、学会教学そのまま。実践において、十如是認識(所)で、顕現(十界)し、対処十如(能)で、顕現(十界)する。
(例)蛇に、にらまれた蛙 は、地獄即地獄 環境の仏界は、御本尊様であり(環境の中の)、拝み、実践するわたしたちが、広宣流布していく所に、環境の仏界、つまり仏国土が、形成されていくと思います。
こう思うのですが、いかがでしょう。
すみません。また日をあらためて、カキコミします。よろしくお願いいたします。
177
:
日々前進(朗らか)
◆TFKQq1Qllc
:2010/09/23(木) 09:50:52
>>176
こうめいいのちさん。おはようございますm(__)m。
昨日は、時間のない中でのカキコミありがとうございましたm(__)m。
嬉しかったです。
昨日は、このスレッドの過去レスを少しばかり読み直しておりました。
こうめいいのちさんの登場は、丁度百番からでしたね。
凄く難しくて(ワタシにとっては)(^_^;)、何度も読み直さないと、ワタシの思いを言葉にできません。
昨日は、こうめいさんの道具についての記述で、つまずいてしまいました(*_*)。
また、色々と考えていきたいと思います。
昨日も、自分にとって嫌な事がありました。今は少し気持ちが落ち着いております。
優しいお声かけ、ありがとうございましたm(__)m。
178
:
日々前進(朗らか)
◆TFKQq1Qllc
:2010/09/23(木) 11:51:36
>>176
早速さっき、「みその」さんと、「あやか」さんの曲をダウンロードいたしました。
当初は、セガレ君にお願いして、パソコンからPSPに保存してもらおうと思いましたが、セガレ君が検索している横で、やっぱいつでも聴く事のできる携帯に。と思い……今から噛み締めて聞きたいと思います。
普段あまり女性アーチストは聞きませんが、親友であるこうめいいのちさんからのプレゼントという事でo(^-^)o!。
ありがとうm(__)m。
179
:
こうめいいのち
:2010/09/29(水) 13:20:56
訂正………misonoのスピード ライフは、 スピードライブです。 大小路伝次郎は、 大河内傳次郎です。 スミマセン
日々さんへ 親友と言っていただきまして、とてもうれしいです。ありがとうございます。misonoのスピードライブは、映画「ラブコン」の主題歌です。この映画もとても面白いです。
未来は、今、現在の頑張りようで、どうにでも変えられる。しかし過去は、絶対に、変えられない!(NHK,10年先も恋をして,でもそう言っていた。)〜 宇宙規模で、考えると変えられると、思います。
地球に、いる我々が、現在として、宇宙の中に過去と未来は、存在するのか?
過去は、存在していますよね。 夜空の星を、見ると過去をみていますよね。
2つの考え方 (1)は、完全否定なのですが、(2)に、つながるので、あえて書きます。
(1)ビックバンから地球までを、半径として円を描く。その円周内を、過去と見る。円周外を、未来と見る。円周内の銀河の星々は、過去の過去を見ている。円周外の銀河の星々は、未来の過去を見ている。一概に、そうは言えない。その円周内外で、地球(を含む太陽の所属する銀河)より、誕生が、早い、遅いは、定義できない。うちっかわだって、地球より遅く誕生する銀河もあるだろうし、そとっかわだって、早く誕生する場合もあるかもしれない。
(2)円周内外の空間を、過去や未来とせず、地球(を含む太陽系が、所属する銀河)を現在として、それより前に、誕生した銀河を過去、それより後に、誕生した銀河を未来とします。そうすると、夜空を見上げて、見える星々は、過去の過去の星を見ている場合と、過去の未来の星を見ている場合(だいたい未来の星が、見える訳ないだろう!…地球誕生より後にできた星を未来としているので、後にできた星の光が、地球に届いているかもしれない。)そこに見える星や銀河の中に、過去世、未来世の自分が、いるとしたら、まさしく過去、現在、未来の同時進行、存在がまさしくリンク点、最低3人の自分(1人の自分が存在すると。)が、宇宙に存在する。輪廻する同一人物と、証明出来れば。
今は、不可能ですが、見えている銀河の近くに、地球と同じ惑星があり、瞬間的にその惑星に、移動…続く
180
:
こうめいいのち
:2010/09/29(水) 14:53:29
これもSF小説や物語が、できちゃいますよね。続き………移動できれば(ドラエもんのどこでもドアや映画ジャンパーのように、瞬間移動、またワームホールをくぐり瞬時に移動できれば)その惑星に住む生き物が、人間程度の知能と言語、コミュニケートでき、そしてその中に、過去世(未来世の場合もある)の自分を見つける事ができれば(タイムパラドックスは、おいといて)接触して、いい方向に、過去世の自分を変革できれば、また我々の仏法を、下種できれば、過去は、変わる。変えられる。そういう意味で、絶対に、過去は、変えられないと、断定できないと思います。
限定的ですが、過去も未来も宇宙の中に、現在(地球とその属する銀河)と一緒に、同時に存在し、同時に時間も、進行していっていると思います。
マイケルサンデル教授、せっかく日本に来られたのであれば、専門の西洋思想、西洋哲学の他に、東洋思想東洋哲学も勉強してこられれば、そのディベートは、もっと大きな広がりが、得られたと思います。
功利主義の他に2つ、計3つの正義の定義。その論議の中に、普遍性を見いだそうとされていると思うのですが、最近の事例を、もってこられるのですが、イチローの〜についてとか、現代から過去の思想哲学、入り乱れて登場しますが、やはり日本に来られたのであれば、時間の概念、つまり因果の思想哲学、これを語らずして、幸福、そして正義は、語れないと思います。
東洋哲学の最高峰、創価の思想、日蓮仏法、一念三千論など、ご存知ないのかな〜?
突然ですが、すこしのあいだ(1~2ケ月)、お休みしなければいけない事ができ、管理人さん、また日々さん、本当にお世話になり、ありがとうございました。また戻ってきますので、その時は、またよろしくお願いいたします。
管理人さん、そして日々さん、いつまでも健康で、元気で頑張って下さい。
私も頑張ります。 またネットの皆さんご覧いただきありがとうございました。
しばらくのあいだ、おやすみします。
181
:
2
:2010/09/30(木) 17:56:12
netshop ビック電器.com
9月リニューアルOPEN!!リニューアルOPENを記念いたしまして液晶TVを50000円から販売しています。
9月末までの限定価格!!Googleで『ビック電器.com』と検索下さい。当店のHPやブログが出てきます!!
182
:
日々前進(朗らか)
◆kzJPIT27Ks
:2010/10/01(金) 12:29:25
>>179-180
こうめいいのちさん。
今迄お付き合い頂き、本当に!本当に!ありがとうございましたm(__)m。
こうめいいのちさんからは、仏法から捉えた【三世の生命観(宇宙観)】を学ばせて頂いた気持ちです。
頭で考える事が苦手な僕にでも、分かりやすく伝えようと努力してくださったこうめいいのちさんを、私は忘れません。
ありがとうございましたm(__)m。
また、お会い(掲示板での意)できる日を楽しみにしておりますm(__)m。
今までありがとうございましたm(__)m。
183
:
赤井良一
:2010/12/12(日) 07:01:31
新しい介護福祉へ だったら 公明党
184
:
松本芳弘
:2010/12/16(木) 14:42:48
新しい児童福祉へ だったら 公明党
185
:
真面目な質問です
:2011/12/11(日) 03:53:01
昭和55年6月21日日顕上人書写の御形木御本尊ですが、
妙楽大師と竜樹菩薩が抜けています。これはどういう理由による
ものなんでしょうか?何か意味があって抜かしているのでしょうか?
ちなみに当時学会員に下附されたものです。それから、この御形木御本尊を持っている方おられますか?
誰に聞いても教えてくれません。ここの方々は博識とお見受けしたので
真面目にお尋ねする次第です。御教示の程宜しくお願い致します。
186
:
首都高バトル01
:2011/12/16(金) 12:18:30
>>185
さん はじめまして
こうめいいのち 改め 首都高バトル01と申します。
今日は、12月16日(金)。
>185番さんが投稿されて5日は経ってますね。
たぶん管理人さんも天城さんもお忙しいのだと思います。
御形木御本尊については、詳しい知識を持ちあわせていないので、
申し訳ありません。
最近ブログを立ち上げられた所がございます。
そこは、博識な方々が多数おられますので、
お答えいただけると思います。
真面目な会話をされる方は、大歓迎と言うことです。
ブログ タイトル名: 月下の騎士
アドレス
>>
http://sokaknight.exblog.jp/
もし宜しければ、立ち寄ってみて下さい。
勉強不足で申し訳ありません。
188
:
通りすがりの学会員
:2013/05/09(木) 15:30:18
長文になるためこちらに移転します。
【創価を騙るある掲示板管理人の邪義・邪論・社会問題・非常識】
【邪義・邪論】
(1)「福島源次郎氏を尊敬しています。あの方は裏切り者ではありません!」
(2)「学会活動?? 馬鹿馬鹿しい。学会活動なんかいりません!」
(3)「何とか長とか。 何とか功労賞とか。創価学会の中での名聞名利はいりません!」
(4)「秋谷さん?長く会長職にしがみついたことが、腹立たしいですね!」
(5)「念仏でさえ五逆罪と正法誹謗以外は功徳があります!」
(6)「本門の本尊は曼荼羅本尊・・・・邪義ですね!」
(7)「一大秘法は本門の題目です!」
(8)「日寛など習い損ないの学者腹。邪義であり、邪魔である!」
(9)「日興上人は大聖人と師弟不二の弟子でなく、四条金吾が大聖人と唯一の師弟不二で唯授一人の弟子です!」
(10)「私(自分)が本、大聖人・御本尊・学会歴代会長も含め、私(自分)以外はすべて迹」
(11)聖教新聞社説はリップサービスに過ぎず、真実は私の主張の通りである
(12)不倫すなわち悪、という思想は仏法にありません
(13)真面目に信心すれば邪義を唱え広め、発表してもいい事になっているのが仏法
(14)池田先生は山友さんの脅迫に『怖かったです』と仰せです
(15)池田先生がお亡くなりになれば、私にとっての創価学会の組織は終了
(16)大聖人様も嘘ついておられますよ
(17)大聖人の教えは反省すら要らないのです
(18)創価学会を辞めて宗門に行くべき
(19)五老僧を見直すべきだ
(20)学会あげて僧俗和合。アホが多い時代だった
(21)創価学会の役目はほとんど終わった
(22)顕正会でも正信会でも日蓮正宗でも身延だってお題目には力があるんです
(23)私はね、創価の教えで生きてはおりません
(24)「同苦の念仏」「同苦の真言」「同苦の外道」にも功徳あり!
(25)十界論は、私共は何処まで行っても、六道です
(26)神社に諸天を激励に行くべし
(27)身延は寛師の邪義に染まっていません
(28)牧口先生は道善坊
(29)昭和54年「当時の学会幹部は連判状で池田先生に辞職するように迫った!」
(30)「次の選挙で(公明党議員を)全員落選させましょう!」(と扇動)
(31)「名聞名利、自己顕示欲が一番大事です」
(32)公明党=「要りません!愚か者の集まりです。解散なさい。」
(33)「子供を組織に付けることは親に責任はない。地域の組織の責任者の責任。昔から一貫!」
(34)大聖人の6人の弟子(六老僧)に上下はありません。「興師だけが大聖人の仏法を受け継いだ。」という事は無い。
(35)興師の原理主義と、日向の現実主義。私共は、日向をとるべきです。
(36)そんなに興師の唯受一人が好きならさっさと宗門へ行ったらいい。
(37)身延離山は大聖人違背の、師敵対の行為。二箇相承が本当なら、とんでもない大謗法の行為。
(38)寛師(日寛)の「我等この本尊を信受し、南無妙法蓮華経と唱え奉れば、我が身即ち一念三千の本尊、蓮祖聖人なり。 (観心本尊抄文段下)」は邪義です。
(39)寛師(日寛)は戒壇本尊本懐論と、一大秘法論をでっちあげた。寛師(日寛)も精師(日精)もどんぐりの背比べです。
(40)寛師(日寛)の未熟な教学、毒気深入・失本心故。寛師教学と言う毒気です。
(41)戒壇本尊は要りません。邪魔な教義ですから。一閻浮提総与の大御本尊?御書にありません。 学会会則の一閻浮提総与の大御本尊とは自分の事というのが学会教義です。
(42)「日顕宗」と呼ぶのは創価学会員として良くない。失礼です。「日蓮正宗」と呼ぶべきだ。「日顕」という呼び捨てもダメ。
(43)立正安国と、公明党は関係ありません。真面目な創価学会員が迷惑いたします。ああいう愚劣な政治家を衆議院に送りこむために、私共は創価学会の信心をしておりません。全員が潔く引退し、これ以上の迷惑をかけないでいただきたい。
(44)「南無妙法蓮華経」の題目を唱える、霊友会に立正佼成会に佛所護念会に妙智会に妙道会、これらにも功徳はある。
(45)『過去久遠五百塵点のそのかみ唯我一人の教主釈尊とは我等衆生の事なり』 とある通り「本仏」は自分(大聖人だけでなく自分も「仏」ではなく「本仏」)である。
(46)五逆と誹謗正法を犯さない念仏は邪義ではない。
(47)過去の事は反省する必要ありません。本因妙です!
(48)公明党は駄目政党。選挙を法戦と位置づけ、立正安国だと言う事は間違えです。
(49)竹入氏を非難するならば、彼を選挙で応援させた当時の副会長クラスは全員引責辞任すべきである。(では当時会長で学会の全責任者だった池田先生はどうするの?)
(50)「車が修理されてピカピカになって帰ってくる。功徳です!」「(自分の)太腿が太くなってる。功徳です!」しかし「子供が創価大学に入学しても功徳ではありません。思い上がりに見えます。」
189
:
通りすがりの学会員
:2013/05/09(木) 15:31:00
創価を騙るある掲示板管理人の
【大聖人の出世の本懐】に関する変遷
①題目 →②戸田城聖氏の出現 →③広宣流布 →④一大事因縁 →⑤人生そのもの →⑥阿仏房の御本尊 →⑦今後の研究にお任せ
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長野(白馬)ではこんな邪義・邪論を言い放っても容認!「問題なし」!
地元組織の本部長、支部長、方面の最高幹部も「一級の活動家と太鼓判」と大絶賛!
(という教祖の自己申告と信者の断言、そしてシンパのみ賞賛)
---------------------------------------------------------------------------------
190
:
通りすがりの学会員
:2013/05/09(木) 15:31:21
創価を騙るある掲示板管理人の
【聖教新聞への不掲載】に関して
「昨年(2011年)アジア大会で優勝した時、壮年部の本部長さんが聖教新聞掲載を相当掛け合われたようですが載りませんでした。(本人談)」
---------------------------------------------------------------------------------
※(「まともな信心、真面目な学会員ならば掲載されていたでしょう」というのが真実であろう。聖教新聞は創価学会の機関紙である。聖教新聞掲載の否認は、まともな信心、真面目な学会員としての創価学会からの否認と同義、としか言いようがない。支部長、本部長は何故掲載されなかったのか?熟慮し、しっかりと信心指導を行うべきである。)
---------------------------------------------------------------------------------
191
:
通りすがりの学会員
:2013/05/09(木) 15:31:47
創価を騙るある掲示板管理人の
【創価学会を除名寸前になった過去】に関して
「創価学会員であろうが、除名で籍がなくなろうが、本質的な事ではありませんよ。(略)私もね、四年前、除名一歩手前まで行ったのです。 (2008/07/08(火)本人談)」
「私は四年前あらゆるデーターをネットで収集されて懲戒審査会で突きつけられました。10センチほどの厚みのある資料でした。(2008/07/22(火)本人談) 」
---------------------------------------------------------------------------------
※2008年で「四年前」ということは2004年の事である。この当時は白馬ではなく兵庫県の組織に在籍していた。そして反学会的な邪義はまだ今ほど明確には述べず、法華講員との対論が中心であったため擁護する学会員の方が圧倒的であった。それにも関わらず「除名一歩手前まで行った(本人談)」そうだ。さすがは常勝関西を誇りにする地域・組織と言える。
そして2005年頃から「衆生が本、ご本尊様は迹」はじめ多くの邪義を唱え始める。
(それまでは「衆生が本、仏は迹」なる論はあったが「邪義」と言うほど顕著ではなく、あくまでも「自説」「個人の捉え方の問題」として、それでも一応「学会員」として擁護の声の方が多かった。
2007年末〜2008年上旬にあまりの我見、邪義、学会員への攻撃開始等により擁護する者は激減した。)
「熱原問題」で事情を聞いた地域の最高幹部というは、あくまでも地域の「青年部」の代表として、未来ある青年部の息子に対してである。その後、息子は事実上ネット掲示板を引退した。
しかし父親は引退せず、逆に「熱原問題」は「問題なし」のお墨付きを創価学会の「最高幹部」にもらったかのように振る舞い、邪義・邪論を振りまき続けている。残念ながら「熱原問題」の「本質的な問題」はいまだ吟味されていないと言わざるを得ない。
それだけではない。彼の邪義に感化され、学会を脱会している者がわかっているだけで何人もいる。
地元組織の県長、総県長等は、2004年に兵庫の組織が収集した資料と当時の状況、その後現在までの情報を収集し、総括すべきこと、徹底した指導を行うべきである。
---------------------------------------------------------------------------------
神戸の組織で「活動停止・自宅謹慎」になり、引越して組織を変えていた。
192
:
通りすがりの学会員
:2013/05/09(木) 15:32:23
創価を騙るある掲示板管理人の
社会問題編
●「仕事には支障があったが、スキーはできた」で新聞沙汰になった所謂「スキー事件」
●「新しいスタイルの仏道修行」と銘打ち「熱原朗読劇」で協賛金と協力者を集め、海外公演を約束しながら頓挫、撤退
●特許取得と虚偽の内容で代理店や協力者を集め、特許申請中と訂正→特許通らず(不当景品類及び不当表示防止法に抵触)H24年6月、一部特許が通ったが過去に虚偽の募集を行った事実は変わらない。
●懸命に奉仕してくれた、人の良い元ボランティア(事実上)の勤めるショップに出向いて悪口三昧、恩を仇で返す卑劣なパワハラ行為を行う
●リフトの順番待ちを無視→「俺は客だ!時間通りに開けないのが悪い」
●身体障害者用の駐車スペースに何回注意をされても違反駐車(足が不自由でもないなら一般駐車場から歩きましょうね。)
●日常生活に不自由なく、200キロ以上のバーベルを持ち上げ、スキーの腕前もプロ級(全て本人談)なのに身体障害者手帳を10年以上保持し障害者リフト券や障害者ETC割引利用など身体障害者手帳のメリットをフル活用
●「日常生活に不自由がないから身障者を返そうと思います。凄い功徳です。(趣意)」「明日いきます」と断言しつつ、全く返さず開き直り→世間からさんざん非難され身体障害者手帳をやむなく返却。
●「地域で実証を」どころか「地域で不評を買い」、地元の白馬五竜スキー場から撤退を余儀なくされる。
●「自分のところの商品が世界一!」と公言しながら、ライバル商品(他人様)の商標を泥棒的行為。世間から「商標泥棒」と追求される。「先に登録した者が勝ち」と開き直り。
●ネットに流れる情報を全て元ボランティア(事実上)の投稿(仕業)と決め付け、その人の悪評を流したため、警察に相談、訴えられる可能性も。
●商標泥棒した「レーシングワークス」について質問をしようと参加者が試みるが、追求されると困るためNGワードを設定して遁走。チームレスキュー北海道の掲示板に質問を書いたら、掲示板ごと削除して知らん顔。
●『「税金泥棒」から「熱原フリコミ詐欺」「身障者偽装」、 「特許詐欺」「欠陥隠蔽」「商標泥棒」「商標パクリ」・・・・ お陰様で大儲けです。 人のフンドシで相撲を取れないと「一流」にはなれません。』『滑る滑る詐欺もね 』と世間様から非難される。
●さんざん「功徳です!」と言っていた多くの商標登録が登録を拒絶されたことがバレる。
●白馬村の体育協会に、虚偽の申請を行ったことがバレて体育協会加盟を断念。パワーリフティングの世界大会の開催を予定していたが開催が絶望的となる。「怨嫉謗法の罰だ!」と世間から非難される。
●ある者に「公務員と知りながら」代理店をやらせ、その事をネットで口を滑らせた事により、その代理店は「地方公務員法に抵触している」と追求される。「ボランティアで儲けはない」と言い訳に終始するものの「じゃあ何のための代理店システム?」等と非難される。
●公務員でありながら副業をしていた者が一人ではなく複数人いるとの疑惑浮上。
●その内の一人である代理店(公務員)が役所のパソコンを勤務中に私的使用していたことが発覚。上司にばれて厳重注意を受ける。
●厳重注意を受けた際、その者(公務員の一人)は「副業はしていない」と上司からの追求からとりあえず逃げたものの副業をしていた証拠を現在収集中。今後「副業はしていない」というウソがバレるとさらなる懲戒を受ける可能性が高い。
●取得した特許の内容と実際の商品の中身が一致しないのではないか?他者のパクリだ!と特許庁に通告されたため特許取得の多くが特許庁に否認され、特許がパーになる。特許否認後も特許申請番号を商品を紹介するための掲示板に表示し続け、景品表示法違反、特許法違反を指摘される。
●世間から「商標泥棒」と追求され、自分のとこの商標について必死に説明し、「泥棒した他人様の商標」についても必死に説明を試みる。ついに他に先使用権がある商品名を商標登録に成功。しかし中国での「商標泥棒」問題との根本的な違いを何も説明できず。
●今回の商標登録について、世間からは『合法であれば商標泥棒もなんのその。「合法であれば良い」なら合法ドラッグも全く問題はありません。公務員・小学校教員のイレズミ問題も起こらない。世間の一般常識とのズレが問題。』と指摘を受ける。
●あるHNの人による投稿を元ボランティア(事実上)である女性の元スタッフの投稿と勘違いし、悪口罵詈を垂れ流し中 ※←今ここ。
193
:
通りすがりの学会員
:2013/05/09(木) 15:32:54
創価を騙るある掲示板管理人の
非常識編
●喪中であるのを知っていてわざと新年の挨拶→謝罪なし
●アク禁になりつつも、パソコン変えればルール違反にならないと思っている
●自分は他人を非難しても怨嫉にはならないが、他人が自分を非難したら怨嫉であると真面目に思っている
●同じ日、同じテーマ、同じ人、同じ場所、による学会幹部の講演を「この講演は創価学会教学部が認めたものです。」と利用したかと思えば「この人大石寺派の邪義信じています」「自慢げに他人に教える内容ではありません」「偉ぶっても駄目です」と言ってのける。
●「過去の事は反省の必要なし。本因妙です!」と言いつつ「現在進行形で、身障者手帳を約束を破り返還せず、他人様の商標を泥棒」している行為が発覚し、「口だけ本因妙」と言われる。→その後渋々返却。
●『若鷹板では、「信心と全く関係ない話題を書いて・・・」』と口撃したものの、自分こそもっと信心とは関係なく、又信心していない元ボランティア(事実上)の誹謗・中傷に終始しているため顰蹙を買いまくる。
●「人の作った(商品の)名前を横どりする」事が「創価学会的にありなの?」と世間様から問われる。
●自らの掲示板に「教育は親の背中・・・・」などと自らを省みず尤もらしく書き綴ったため世間様から「父は税金泥棒。その背中を見て育ち、息子は商標泥棒か・・・。」と非難される。
●「商標泥棒」的行為は「同苦」どころか、相手を苦しめる行為であることから「口だけ同苦」と認識される。
●自らが説く教義は「一切衆生が仏」「一切衆生が即、南無妙法蓮華経如来」なのに人様を「蠅」と呼び続け、『口だけ「一切衆生が仏」』と言われる。
●「子供を組織に付けることは親に責任はない。地域の組織の責任者の責任、昔から一貫。組織をやらないから知らない!」と断言。池田名誉会長は明確に「親の責任」と指導されており、「組織をやらないのはいったい誰か?」と失笑を買う。先日自ら「自分が創価学会員のために何が出来るか?」と投稿していたのに「やっぱり口だけ」と皆思う。
●「地元紙の元旦号の特集で取り上げられ」と自慢のために地域のかわら版のURLを挙げたものの、かわら版の本社や編集部にとってはどうでも良い記事なのかURLに元旦号の掲載無く恥をかく。
●地元の○部長がパワー協会の会員となり大会の宿泊担当に。金銭的利害関係もあって信心指導できず邪義邪論流布擁護の温床となっているのないのではないか?と問題視される。
●学会系のネット掲示板を引退すると世間様に宣言し自ら作った掲示板Ⅰを閉鎖。掲示板Ⅱの管理人も引退しながら、未練タラタラ現在投稿継続中。
●怨嫉はダメだと言いながら誰よりも他者を怨嫉し、大罰を受けて入院。退院後、息子に事業を引き継いでいるのに、そして退院して間もないにもかかわらず生活のため走り回らねばならない。
●スキーが下手でスッテンコロリン。プチお岩さんになるも強がり。今回は周りに修学旅行生がその時にはいなくて良かった、と皆思う。 ※←今ここ。
●あの非常識な髪型には実は秘密が!自ら実名も住所も電話番号も晒しながら、晒せない大事なものが隠されていた! ※←今ここ。
●「池田先生を見下し、学会批判し、御本尊を仏壇に御安置もせず、念仏唱える」かっつ氏を自分の掲示板の管理人に据える ※←今ここ。
194
:
通りすがりの学会員
:2013/05/09(木) 15:33:29
創価を騙るある掲示板管理人の
まだ総括されていない「熱原三烈士・朗読劇」事件を知らない方々へ
http://8119.teacup.com/hatakoh/bbs/t5/22
195
:
通りすがりの学会員
:2013/05/09(木) 15:50:22
「創価学会非公認非公式掲示板Ⅱ」のもう一人の新管理人
X−PRO−Z氏の公式発言
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
かっつのスペース
投稿日: 2010年8月21日 投稿
元の記事からの引用 池田大作 ? Wikipedia
いまや 「池田仏法」の ご開祖さまであらされる
「凡夫本仏」などという 意味不明なことを
そうか学科で 本気で いっているのだろうか?
かれの 最大の功績は 「宗教」が
「政治」と「金儲け」に つかえると
広くこの世にしらしめたことであ すばtらしい!!
またかれの やり方には 学ぶべき点がおおい
「てきをつくり その敵をこうげきすることによょって
自分を 正当化する」 世界中でよくやられている方法なのだが
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
−−−
そう言えば念仏も唱えてたね。
早く御本尊を仏壇に御安置してくださいね。
196
:
通りすがりの学会員
:2013/05/09(木) 15:52:14
若鷹の掲示板は、掲示板の流れが速いので保存版として記します。
197
:
通りすがりの学会員
:2013/07/06(土) 08:16:42
■名言「仕事は無理だが、スキーならできた」が本の記事に!(笑)■
http://syousin2011.progoo.com/bbs/data/syousin2011/img/7249_8699b4d6ac.jpg.jpg?PHPSESSID=u8lsqb2dqhu4e89mi4p41kdjs0
いずれTV化するんじゃないの?
腐れ公務員の代表格として(笑)
198
:
じぇじぇじぇ
:2014/01/01(水) 06:59:51
じぇじぇじぇと言います。
創価学会員です。
創価系のブログで、
コメントさせてもらっていましたが、気を使う方なのでなかなかうまく意見を言えなかったり、文章が長かったりでうまく表現出来なかったりしました。
この長文コーナーをお借りして
一学会員の思いを書かせて下さい。
よろしくお願い致します。
人によって、その人の命の状態によって、見るもの、考えることの視点が変わってくる。御本尊様についても境界に応じて違って見えると言われていますよね。
二乗は虚空に見え、純熟の者は仏と見る。
まずその人がどういう視点で物事を見ているのか?到達点に至る途中の意見なのか?先に至っているなら、どう指し示せばいいのか?まずその人を理解するのか?それともいきなり指摘するのか?その判断基準は?
釈尊の振舞いを見る。
須梨槃特に釈尊はどう振舞舞ったか?提婆達多に釈尊はどう振舞ったか?
まず相手を理解しようする視点から。
-そうそうパワフルに、ロック魂炸裂させちゃって!真理を掴もうと戦うヘレンケラーのごとき魂の叫びを!
ロックは魂の叫びだから、どんどん圧倒しちゃうよって感じ。
ボリューム最大!パワー全快!圧倒的迫力!ロックガンガンかけちゃって吹き飛ばしちゃえって感じ!shout shout。
かっこいいほどかっこよくcatch the good sense。うっとりさせちゃって!ノックアウトだよ。
♪ 信じたい未来をこの手 掴み取るから 諦めることはまだ早いの綺麗になる burning heart もっともっと輝けるわ butterfly ♪
D.D.D もいいね。Selfish 〜 Crazy 4 U 〜 TAKE BACK でキメちゃう?!
Song by Koda Kumi.
Original my mind だからいいの。
アートの世界に善悪?カッチョワリィー!ダセェ〜!そういう気分の時もあんの。
じぇじぇじぇは言っちゃうよ。言っちゃって。言っちゃって。
魂の叫びをノリノリに変えちゃって!カッコよくキメれば All right !イチのコロよ!最高!最高!
よろしくロック魂。
よろしく魂の叫び。
Come on ! みんなノってるかい?
じぇじぇじぇは、バッチリだよ。
また師匠についても違う視点から。
基本、師匠は池田先生。幹部とか関係なく、皆同志。
本音や正直な気持ちで語ろうとするとそう表現してしまう。実感の表現。心と心のふれあい。私の心のまなこを開かせてくれた人。それが〜の師匠と精一杯の表現。別に池田先生と心が一なら〜の師匠(地獄に落ちる時は共にを覚悟していればいいと見ます。)と言ってもいいと。
これから信心経験も積まれ、池田先生が師匠たる師匠であることが必ずわかってくると見ます。中にはポンプの水に触れてフラワーと言う子がいるかも、いやそちらの方が多いかも知れない。言葉を発したならその場で感じていることになる。釈尊は須梨槃特を破さない。本人が受けとめる実感こそ大事と捉える考え。その人の心の宇宙開発かも知れない。
ロケットの打ち上げ失敗。心ある人なら次の成功を応援するでしょう。心を開いたり閉じたり、その人にとっては、千載一遇のチャンスだったのかも知れません。
友は大事です。大事にしてあげて下さい。友(自身が善友となり)をいっぱい作って下さい。人生が豊かになります。善友は友の心の中に入り、心のまなこを開かせることができる。そう信じています。その通りの信心に気付かせてあげるのが善友ではないでしょうか。それぞれの創価の同志、友を大事にしてあげて下さい。地湧の四菩薩はそれぞれ個性が、また得意とするところがあります。
創価の同志に対しては、須梨槃特なのか提婆達多なのか見極められて教主釈尊の振舞いで対応をお願いします。
199
:
じぇじぇじぇ
:2014/01/01(水) 10:18:21
仏の願い、また日蓮大聖人の仏法は私なりの表現をしますと、生命が自由に躍動し、あらゆる抑圧を解決し、開放していくことを目的とすると見ます。
生命が自由に躍動することを阻み抑圧し潰すものとは断固戦うのが破邪顕正ではないでしょうか。また悪能破を破し、善能破を顕すのが破邪顕正と見ます。
自由と平等を守る民主主義に通じるものがあります。その通りの信心の名もなき学会員の 勝利が日蓮大聖人の仏法の勝利に繋がり、仏意仏勅の創価の勝利に繋がり民衆の勝利に繋がる。すなわち人類の勝利になると見ます。仏の境涯を開き、凡夫とし て成仏の姿を顕していく。それが即、人類の勝利になる。抑圧し潰そうとするものは、いくらあがいても決して出来ないことがあります。絶対出来ません。それは後程。
正しいことを言う人は、わかりやすい言葉で納得させ、安心を与えていきます。迷わせ、わかりにくいことを言い混乱させる、苦しめる、自分の方が偉いんだとバカにするのは正しいことを言う人ではありません。
まず「どういうものが、どういうものを破しても謗法にならないか?どういうものが数々の間違いをしながらでもその通りの信心を実践し前進するならば謗法にはならないか?」それ 悪能破 か?信而不信か?顛倒解義か?明らかにせず迷わし混乱させるテクニック。「何かわからないが、知識が豊富 。とにかく難しいことを言っているのですごい人に見える。頭が良さそうなので従っておこう。」は、いいなり。とにかく批判することに凝り固まり、邪(不信)も正(信心あって間違いながらでも、その通り の信心を貫いて行こうとするものには、間違いを指摘するも必ず希望を与え、励ましを贈ることが大事。そうでないと邪は破し、正も破すことになる。)も区別がつかず、関係なくただ相手をやり込めることだけに執念を燃やす増上する慢ずる心に酔った姿で、悪能破の突出した怪物になる可能性があると見ます。
はっきり言います。根本に据える一念は、破邪顕正ではありません!
本当に根本に据える一念に破邪顕正の心も現れると見ます。この一念のズレが信心の狂いを起こします。
仏法の因果律は厳しい。信心のものをいじめるもの、広宣流布を妨害するものは、悪業の人生になって行くと見ます。問答料簡は、どうでしょう?(法華経)の行者弘経の用心は、どうでしょう?
愚鈍の須梨槃特は、釈尊の他の弟子達からバカにされ、責め続けられます。それに対して釈尊は須梨槃特にどう接し、何を説いたでしょうか?また 提婆達多に対して釈尊はどのように振舞い、接したで しょうか?
提婆達多が仏、釈尊を仇とする構図になっていないか検討が必要です。
後程、抑圧し潰すものが絶対出来ないことを述べます。増上慢のものには出来ません。素直に信心に励むもの、改心するもの、まことの信心がわかっているものにしか出来ません。
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