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破邪顕正スレッド(長文向き)

168こうめいいのち:2010/09/18(土) 15:24:49
続き………姿三四郎、せっかく蓮の花を見て法華経が、出てきているのに、禅の坊さんに、無の境地などと、ぼかされているところが、気に食わない。
用心棒、椿三十郎、組織に馴染めない苦悩する姿。強いんだけど、怠惰を含んでいる。根底に黒澤作品によく使われている作家(山本周五郎)の姿。どら平太も怠惰を含む、しかし組織と馴染もうと少し努力が見られる。黒澤作品のヒーロー像の集大成は、赤ひげ。 ハイヌーン(真昼の決闘)は、人をまとめる事に失敗。二乗の限界を感じる。NHK放送の山崎豊子氏の大地の子は、滅茶苦茶、泣きました。ヒーローが誰も出てこない最悪の映画 どですかでん (1970年代)黒澤氏にとって絶望的映画、映画の中の登場人物に、救いはあるのかとの、問いかけがきこえてきます。木下恵介氏が、この映画、監督していれば、どこかに救いはないかと、模索されると思います。黒澤氏は、登場人物を見放しているように見えます。ハイヌーンの終わりのように。  さらに最悪なのは、南無妙法蓮華経を母親と子どもが、登場する最初で、2人のため息によって、批判するところ、この映画以降、トラ、トラ、トラの監督降板、そして自殺未遂と、人生にかげりが、見えてくる。その後の作品は、人をフカンから見る(善悪無記の)無記に徹している。影武者、乱に至っては、あまりにも、引きすぎて、誰が誰だか判らないくらい、遠くから見てる、そうなってくると、無常感しか残らない。叙情的とか、叙情感たっぷりと言われるが、私には、そう見えない。まあだだよ でもう一度原点に、戻ろうとしたところが見えます。姿三四郎の矢野正五郎、生きるの主人公、酔いどれ天使の医者、七人の侍のリーダー、隠し砦の三悪人の姫を守る武士、1960年後半あたりから個人主義の色濃い作品に変わっていく。用心棒、椿三十郎で組織に馴染めない怠惰な強者(ヒーロー)、作家(山本周五郎)の影響により七人の侍のように、強き者を集める努力を忘れてしまったのか、赤ひげは、(七人の侍のように)組織体制を作ろうとしていない。この作家(山本周五郎)の影響が大、感化されている。 
理科の実験大好きカツマタくんは、どういう思想に影響を受けているのか?
カツマタくんの生きていた時代の文化カルチャー1970年代:ファイブイージーピーセス、イージーライダー、バニシングポイント、明日に向かって撃て、現体制(その当時)に、反逆するアンチヒーロー、それに……続く


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