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「のと」本編

179shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/06(土) 10:24:29
「可能性が一番低いのは、中東か・・・」
梅津がつぶやく。
「ああ、あまりにも米国から遠い。地中海を通っていては、その前に阻止されてしまう。インド洋から回り込もうにも、英国を味方につけない限り、周りに中継地点が取れない。」
「フィリピンを拠点としてのオランダ領インドネシア、満州がターゲットとなるな。」
二人は考え込む。
「紛争を起こすなら、満州の方がやりやすいだろうな。米国資本もかなり入っており、米国系市民の保護と言う名目で、停戦監視団の増員も可能だ。」
「しかし、その場合は、日英のみならず、ソ連・中華も巻き込む大騒動になるぞ。
まあ、インドネシアの保障占領が良い線だろう。」
梅津が呆れたように言う。
「判らん、そこまで追い詰められたら、何をするか・・・」
そこまで、話して、ふと、井上が顔を上げ、梅津を見る。
「うん、何だ?」
「いや、先走り過ぎたかなと思ってな。」
そう言われて、梅津も苦笑いを浮かべる。
「ああ、そうだな。まだ机上の空論なんてレベルじゃないな。」
「まあ、先を見るのは悪くないが、今はまだ・・・早いな・・・」
「留意はしておくさ、とにかく、総研でのランドン調書に対する意見をまとめよう。」
「ああ、そうだな・・・」
井上も頷き、二人は部屋を出て、総研の研究員との打ち合わせに向かう。
数年後、二人ともこの時の会話を痛いほど思い出す事になろうとは、その時は予想もしなかった。

180shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/06(土) 10:25:01
「ううっ、まだ寒いなあ・・・」
欧州を走り抜ける豪華列車から降り立った高畑は、着ていたコートの襟を立てて、辺りを見回す。
3月に入ったとは言え、まだまだウィーンは冬だった。
「高畑さんでしょうか。」
突然大きな声を掛けられ、高畑はびっくりして振り返る。
「ああ、君は、迎えの?」
「ハッ、榊し・・・、榊です。」
手を額に持って行こうとするのを辛うじて堪えたのが、見ていても判る。
これじゃ、軍人だって丸判りじゃないか。
直立不動の体勢は、どう見ても、帝国軍人そのものだった。
着ている背広がまるで似合っていない。
まだ、若く、真面目そうな顔は緊張に歪んでいる。
「うん、まあ、とにかく、行こうか。」
「ハイ!ご案内致します。」
コチコチに緊張したまま、辺りを警戒しているのが、いかにも判りやすい。
これじゃ、防諜もあったもんじゃないなあ。
呆れ返ると共に、不安になるが、ふと気が付くと、もう一人付かず離れずについてきている。
相手が東洋人でなかったら、全く気が付かない所だった。
ははあ、こっちが正式の護衛か。
高畑は、妙に納得しながら、駅の出口に向かった。
外には、ロールスロイス ファントムⅢが止まっており、思わず高畑も口笛を吹くように、口をすぼめる。
榊が、緊張したように、後部座席の扉を開く。
高畑が中に入ると、既に先客が待っていた。
こちらは、貫禄があり、背広が良く似合っている。
これで葉巻でも咥えれば、米国のギャングの親玉と言っても、信じてしまいそうだった。
「佐藤さんかな?」
「高畑さんですね。宜しく。」
扉が閉まり、車は音も無く走り始めた。
前後に一台ずつ護衛の車が付き、三台はウィーン郊外目指す。
英国の最高級車の乗り心地は流石で、高畑はそれを堪能するように目を閉じた。

「高畑さん、着きましたよ。」
「ああ、すまん。寝てしまったようだ。」
車は、広大な森の中を走っている。
着いたと聞いたのに、辺りは森と言うのは、どう言う事だ。
「ここは、もう敷地の中なんですよ。」
高畑が怪訝な顔を浮かべていると、佐藤が呆れたように言い捨てる。
やがて、その先には宮殿かと思うような大邸宅が見えてき、車はその正面に停車した。
建物からいかにもバトラーと言う感じの男が駆け寄り、車のドアを開けてくれる。
流石に高畑も少しは緊張しながら、建物の中に入った。

181shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/06(土) 10:25:39
佐藤ともう一人、併せて三人だけで、控えの間を通り抜け、正面の部屋に案内された。
「ほおう、流石に欧州の大富豪、凄いものですな。これを見れば東洋の帝国なんぞ、本当に貧乏国だと思い知らされますね。」
暫く待つ間、佐藤が辺りをゆっくりと見回しながら、話しかけてきた。
「ああ、まあ世界一の金持ちの一族だからね。比較は出来んよ。」
高畑も気軽そうに答える。
きっと、どこかで誰かが三人の様子を伺っている筈だった。
幾ら、英国のネイサン・ロスチャイルドの紹介とは言え、当然警戒はしているだろう。

バトラーがお茶を運んでくると、漸く扉が開き、この館の主人が現れた。
「あなたが、高畑さんですか。一度はお会いしたいと思っておりました。」
にこやかに微笑みながら、手を差し出されたが、流石に高畑も緊張が隠せなかった。
ルイス・ロスチャイルド、オーストリア最大、いや欧州一の大富豪との面会である。
握手する手が、震えそうになるのを何とか抑えるのが精一杯だった。
連れの二人の紹介が済むと、ロスチャイルドは正面に腰を下ろす。
「それで、ご用件はなんでしょうか?ネイサンからは、話を聞くようにと言われていますが、出来れば手短にお願いしたいのですが。」
いかにも、人を見下したような言い方に、あきれ返る。
そう来るなら、要件はとっとと済ましてしまうに限る。
「三日後、3月13日に、ナチス独逸が、オーストリアを併合します。予定では、貴方は明日、イタリアに向かって脱出しようと考えてられるでしょうが、それでは遅すぎます。」
流石に驚いたのか、ロスチャイルドの眉が上がり、先を促す。
「我々の車に乗って、このままスイスに向かって頂きたい。その為の用意は出来ております。」
佐藤がその先を引き継いで、話し始める。
「そうですか?あなた方の話が本当だと信じる理由はないんですがね。」
「信じていただかなくても、我々は気にしません。同行願えないなら、無理やりでもお連れするだけですから。」
そう言いながら、佐藤は何処に隠していたのか、背中から、短機関銃を取り出し、ロスチャイルドに突きつけるのだった。
これには、ロスチャイルドも驚き、手にしていたティーカップを落としそうになる。
「これは、玩具のように見えますが、立派に機能します。少なくとも護衛の方が来られる前に、貴方に怪我をさせる事ぐらいは出来ます。」
「ら、乱暴な・・・」
「あ、あの、この男の失礼はお詫びします。一応、ネイサン氏にも了解はとっております。」
高畑が、余りにも短絡的な佐藤の行動に驚いて、慌てて声を掛ける。
「な、なんですか。」
「えっ、いや、言う事を聞かない場合は、無理やりでもお連れするように、頼まれましたので。」
高畑が、頭を掻きながら、仕方なさそうに、答える。
全く、これだから、情報部の軍人は、困るんだよな。
ロスチャイルドはそんな様子に、目を白黒させるが、それでも直ぐに決断したようだった。
「判りました。それでは参りましょう。ネイサンがそこまで言うならば、信じるしかないでしょうしね。用意する時間はありますか?」
その質問に、佐藤が首を左右に振って答える。
「す、すみません。既にナチスの監視が付いています。我々も余り時間の余裕はないと考えていますので、直ちにお願いします。」
なんで、俺が答えなきゃいけないんだ、本当に。
高畑は頭が痛くなるようだった。

182shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/06(土) 10:26:18
「仕方ないですね。まあ、銃器で脅されている立場では、従うしかないですな。」
ロスチャイルドは立ち上がり、それでも執事を呼んで、事情を説明する。
流石に、ロスチャイルド家の執事である。
佐藤が銃を突きつけているにも関わらず、一切それを見ようともせず、主人の話を聞いていた。
「それじゃ、まいりましょうか。」
そう言って、ロスチャイルドは自分が先頭に立って、部屋を出ようとする。
「あっ、その銃のようなもの。本当に弾が出るのですか。」
佐藤が軽く頷く。
「それじゃ、一寸試しに、そこの花瓶を撃って見てくれませんか。」
ばばっと軽い連射音が響き、花瓶は粉々に崩れ落ちる。
「ほう、凄いもんですね。私も一つその銃が欲しいですな。」
「残念ながら、これは売り物では無いので。」
佐藤がそう言うと、ロスチャイルドは、残念そうに首を振りながら、二人を引き連れるようにして、部屋を出て行く。
高畑も慌てて、その後を追う。
しかし、あんな銃、どっから取ってきたのだ。
いや、聞かなくても判る。
少なくとも、背広の後ろに隠せるような機関銃なんて、この世界何処を探しても、手に入る場所なんて他にある訳も無かった。

183shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/10(水) 00:06:58
 スエズ運河は、言葉とは裏腹に、結構広い川のように見える。
日本郵船が誇る2万5千トンの最新鋭の豪華客船、新田丸でも、両岸までは十分な距離がある。
「なんだかなあ・・・」
その豪華客船でも一際豪華な、特別船室のテラスに腰を下ろし、良く冷えたジントニックのグラスを燻らせながら、高畑は、大きく溜め息をついた。
目の前を通り過ぎてゆく、いかにも異国情緒溢れる中東の風景も、彼には目に入っていなかった。
「疲れるなあ・・・」
高畑は、何度目かの溜め息を吐き出し、グラスを口に運ぶ。
「おや、ここにおいでだったのですか。イーデン氏が捜しておられましたよ。」
断りもせず、彼の船室に入ってきて、更にテラスまで高畑を探しにずかずかと入ってくるこの人物が、高畑を疲れさす原因だった。
「あまり、勝手に部屋には入って欲しくないんだけどね。」
「ああ、これは失礼しました。しかし、本官の仕事上、それも止む終えないかと。」
絶対そんな事思ってもいないくせに。

二ヶ月前、オーストリアでルイス・ロスチャイルドを拉致同然に連れ出し、監視していたナチスの特務、所謂ゲシュタポと激しいカーチェイスを行い、挙句の果てには銃撃戦まで演じて見せた統合本部情報部総務課の佐藤大佐だった。
本来ならば、高畑の役割はスイスの某所にある日商が手配した山荘まで、ルイス・ロスチャイルド氏を届ければ終るはずだった。
しかしながら、山荘に到着すると、既にネイサン・ロスチャイルド氏も駆けつけており、その場でロスチャイルド家の緊急会議のようなものが開かれ、その結果が出るまで足止めされてしまった。
会議は三週間近く続き、その間には独逸のロスチャイルド一族のフランク・ゴールドスミスまでやって来て、夜遅くまで何やら話が続いているようだった。
元々、今回のルイス・ロスチャイルド氏の救出劇は、ネイサン氏からの依頼だった。
英国政府筋より、ネイサン氏にナチス独逸のルイス・ロスチャイルド氏が拘束されようとしているとの情報が伝えられ、同時にその救出には、英国政府としては動くことが出来ない旨と、代理に日商の高畑を通じて、帝国政府に依頼してはどうかと言うアドバイスも含まれていた。
まあ、この辺は「のと」情報から、ルイス・ロスチャイルド氏の救出が必要であるとの判断が日英の首脳陣でなされた結果の表上の筋書きである。
ネイサン氏も裏に何かあるとの事は気が付いているだろうが、それには触れず、正式に高畑に依頼をとってきた。
その結果、予め情報部より派遣されていた佐藤大佐以下のメンバーが準備を整え、高畑が、ネイサン・ロスチャイルド氏の紹介で、出向いた訳である。
本来ならば、これで高畑の出番は終了の筈が、足止めをくらい、スイスにある日商の支店から各種指示を出しながら、滞在するしかなかった。

184shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/10(水) 00:09:05
そして、高畑がスイスを離れられないとなると、情報部も部隊のメンバー全てを他に移す訳にも行かず、佐藤大佐以下、四名の要員だけが、スイスに残る事となった。
結局、この四名に対する対応で、高畑が振り回される事となる。
佐藤大佐は、何故かルイス・ロスチャイルド氏に気に入られたようで、会議を行っていない場合には、良く呼び出されて食事を共にしている。
そして、困ったことにそのような場には必ず高畑も招かれる。
佐藤大佐は、英語はそれ程得意ではないようで、言葉数は少なくなるため、会話を繋ぐのが高畑の役割だった。
佐藤大佐の部下もそれぞれが、個性豊かな連中であり、何かしらトラブルを引き起こすと、それに対しての対応も、高畑がするしかない。
英語の殆ど話せないくせに、酒が好きな坂口特務曹長は、町に出て酒場で喧嘩をしてくる。
まだ若い榊少尉は、高畑の護衛任務は継続していると言い張り、何処に行くのでもついてくる。
しかも、あからさまに、周りを警戒する態度を示すので、否でも目立ってしまう。
比較的健全そうに見えた、仲村少佐にしても、あの騒動の最中にどうやったのか、独逸製の武器を多数手に入れており、帝国に持ち帰る方法を相談してくる始末だった。
三週間も経つと、慣れない対応にいい加減疲れていただけに、ネイサンらロスチャイルド家の連中から、相談を持ちかけられた時は、ほっとしたものだった。

「で、私に英国政府に対する仲介を頼むと。」
高畑は更に、頭が痛くなるように思えた。
ロスチャイルド家のお歴々が集まっているかと思うと、代表してネイサン氏が話し始めた内容は、唖然とするような話だった。
どうして、俺なんだ!
高畑は心から叫びたくなる。
要は、ロスチャイルド家は、その家を上げて、ヒトラー打倒に力を貸す事に決めたと言う事を、英国政府首脳に話して欲しいとの事だった。
そんな事ぐらい、自分でやれよと言いたくなるが、よくよく話を聞けば、その裏があった。
要は、英国民としてネイサン氏が話すと、単なる国内での協力関係が主であり、一国と言うレベルを超えた協力となると、仲介者が必要だと言う説明だった。
しかも、痩せても枯れても彼らは商人である。
それだけに、協力には見返りがつきものだと言うのだ。
その交渉を高畑にお願いしたいと言う事である。

185shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/10(水) 00:09:59
本当に油断も隙もありゃしない。
高畑達が、英国とどのような交渉を行ったか、まるで知っているような口ぶりに、脱帽するしかなかった。
帝国は、英国側に立って、来るべき対独戦を戦う事を英国政府に表明していた。
勿論、それは密かにであるが、その為に武器の共同開発から、軍隊レベルでのすり合わせまで既に実施している。
しかしながら、英国を見方につける為だけに、「のと」情報の開示まで行い、その見返りを求めない程帝国も愚かでは無かった。
今回の対独戦への参戦にて、直接的なメリットは、中東における石油資源の開発がある。
「のと」情報より、イラン及びエジプト南部、のと世界では、クゥエート及びサウジアラビアと言う国になっている地域での優先的石油開発権を認めさせていた。
ロスチャイルド家がその辺りの事情をどの程度まで理解しているのかは、流石に聞くわけにも行かない。
それでも彼らが、少なくとも日英の間で石油資源に関する取引が行われた事を知っているのは間違いなかった。
なぜなら、ロスチャイルド家としての対独戦に対する全面支援の見返りも、新たな石油資源の開発に関してだったのである。

それから一ヶ月、高畑は再びロンドンに戻り、総研の情報班と検討を加えながら、英国政府に対する交渉を行う羽目になった。
最終的に、イタリア領リビアで発見されるであろう油田の開発権を、「今後発見される新たな油田に対する第一開発権をシェル石油に認める」と言う形で、交渉を纏め上げた。

そして、漸く日英の最終交渉が行われるインド洋に向かうために、英国代表のイーデン外相と最新鋭の日本郵船の豪華客船に乗っているのだった。

186shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/10(水) 00:10:43
「で、なんで、貴方が一緒にいるのですか?」
うんざりした顔で、ずかずかと部屋に押し入ってきた佐藤大佐に対して、高畑は問いかける。
英国に戻った後は、ようやく開放されたと思っていたのに、船に乗り込んだ途端、彼らがいたのだった。
「お忘れですか、我々の任務は、高畑さん、貴方の護衛ですからね。」
おそらく、堀さん辺りの差し金だろう。
護衛と言うのは嘘ではないだろうが、監視の役割も兼ねているに違いない。
最近、総研の情報班と、統本情報部の間で、色々確執が増えて来ている。
まあ、情報を扱うと言う意味では、両者が反目するのは仕方ないのだが、ここまで来ると流石にうんざりする。
今度、情報班の班長に会ったら、良く言っとこう。

「で、イーデン氏は何と。」
「はあ、高畑さんは何処にいるかと聞かれまして。アデンに着いてからの予定の確認だと思われます。」
「それじゃ、行かなきゃな。判った。」
徐に立ち上がり、テラスから部屋に戻る。
しっかりと、仲村少佐と、坂口曹長まで控えている。
うんざりしながら、部屋を出ると、ご丁寧に直立不動で、榊少尉が挨拶をしてくる。
本当に、軍人ってやつは。
高畑は頭を左右に振りながら、イーデン氏の部屋に向かうのだった。

結局、新田丸がアデンに着くと、高畑、イーデン等は随行の数名を引き連れ、密かに下船する。
しっかりと佐藤大佐の案内で、暫く車で海岸線を移動すると、停泊中の四発の大型飛行艇が待ち受けていた。
彼らはそれに乗り込むと、飛行艇はすべるように動き出し、やがて海岸からは見えなくなっていった。

187shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/13(土) 17:15:58
 チャゴス諸島、ディエゴガルシア島、2年前に、帝国が緊急展開軍のプロトタイプを初めて英国に開示した場所である。それ以来、この諸島は日英の秘匿活動の拠点として大きく変貌していく事となった。
 島から、本来の住民は全て他の諸島への移住を強制され、代わりに各種軍事施設が急ピッチで建造されており、今もその建造は続けられていた。
最終的には、4000メートル級の大型滑走路を初め、一度に5万人の兵員を収容できる各種施設、大量の武器弾薬を備蓄する倉庫群、そしてこれらの諸施設を維持管理するための荷揚げ能力の有する大規模港湾施設に至るまで、それはここがインド洋に浮かぶ孤島群だとは想像も出来ない程の充実が目指されていた。
そして、建設が進むこれらの施設を横目に、既にここには大量の物資が運び込まれつつあった。
いや、物資のみならず、多くの軍人さえも、集結し始めていた。
大きく弧を描く岩礁の中には、多数の輸送船が停泊しており、そことは少し離れた所には、帝国国軍の艦艇や、英国海軍の艦艇すらも停泊している。
 現在集積しているのは、対独戦に向けた第一陣であり、帝国、英国からの兵員を抽出した二個兵団であった。
本年に入り、日英は対独戦に向け、機動兵団の本格編成に突入していた。
帝国は、九州管区の機動兵団がその第一陣に選ばれ、旅団毎に移動を開始している。
彼らは、連隊規模で、輸送船団に組み込まれ、密かにオーストラリアに向かった。
秘匿と言っても、九州管区の兵団3万人近くが丸々一個移動する訳だから、完全に隠蔽する事など不可能である。
その為、兵団の将校達には、半年の特別機動訓練を英国軍と実施するため、オーストラリアに向かうとの情報が与えられていた。
明らかに、来るべき欧州大戦の準備と丸判りであるが、それは覚悟の上である。
要は、参戦時期を見誤ってくれればそれで良いのである。
指定の港湾まで、列車で運ばれた兵士達は、背中に一杯の装備を背負い、船に乗り込んで行く。
良く見れば、船の大きさに対して、乗り込む兵士の数が少ないのは判るはずだが、別に乗船港がここだけと限られる訳では無い。
実際に同じような船が、日付をずらして他の港湾に現れており、それを裏付けている。
これと呼応するように、英国でも、本国師団が丸々二個、オーストラリアに派遣される事となり、その準備は盛大に実施されていた。
こちらは、逆に独逸等に対してのアピールの意味合いが強い。
即ち、英国はいざとなれば参戦出来る体制は整えようとしているが、師団をオーストラリアに送る以上、その時期はまだ先であると。
オーストラリアに到着した、日英の兵団要員は、その地に集積された機動用車輌を提供され、一ヶ月程の合同訓練が実施される。
彼らに関しては、元々本国にいる時から、分隊レベルでの機動訓練は優先的に実施されていたのでその期間は比較的短い。
むしろ、第二陣、三陣となる兵団の訓練期間が長くなるのが、仕方ない事であるが、厳しかった。
訓練の終了した彼らは、再び輸送船に乗り込み、ディエゴガルシアまで渡って来ていたのである。
第一陣は、ここで装備を完全充足し、用意が整い次第、南アフリカに向かう。
その頃には、第二陣がここ、ディエゴガルシア、第三陣がオーストラリアに展開される。
そして、作戦命令が発令されるまで、そこで待機することとなるのだった。

188shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/13(土) 17:19:11
「壮観なものですね、輸送船が60隻、護衛艦隊二個群、空母が4席もこの狭い岩礁に待機しているのは。」
「ああ、ある意味無茶ですね。事故でも起こったら目も当てられない。一体いくら金が掛かっていると思っているのか。」
高畑は、イーデン氏の言葉に、嫌そうに相槌を打つ。
狭い岩礁内だけに、停泊できる場所も限られてくる。
結果として、10隻以上の輸送船が、串刺しのようにくっつき合って止まっているのは、結構怖いものがある。
しかも、その船の中には弾薬が満載されており、ここに一発でも爆弾が落ちたらと思うと、落ち着いてろと言う方が無茶だった。

「しかし、その為のロスチャイルド家でしょう。高畑さんも努力なされたじゃないですか。」
イーデン氏は笑いながら、話しかけてくる。
「のと」資料では、この年の三月にチェンバレン首相の対イタリア宥和政策に反対して外相を辞任している筈だが、現在でも英国外相の地位に留まっている。
そう、のと資料が、彼の経歴も大きく変えつつあった。
同盟国日本との共闘体制が確立されると、宥和政策は、39年までの時間稼ぎではなく、38年までと一年早まっている。
既に開戦時期は、独逸のチェコスロバキア侵入時と決められており、これに対してはイーデンも異議を挟む事なく、結果として外相の辞任までには至っていない。
しかも、今回のロスチャイルド家の取り込みにより、彼の立場は更に変わっていた。
ルイス・ロスチャイルドの救出により、一族を挙げての英国支援を決定したロスチャイルド家が、戦争指導者として強く望んだのが彼だった。
そして、ロスチャイルド家が望む以上、他の財界要人に対する根回しは終了しており、チェンバレン首相や、政府関連者もその方向での政策策定に向けて動き出していた。
当初、帝国は「のと」資料も含め、各種情報分析から、チェンバレンーチャーチルでの推移を予想していた。
特に、チャーチルはロスチャイルド家とも親しく、当然ながら、ロスチャイルド家は彼を推してくるものと思われていた。
ところが、現実にはチャーチルではなく、イーデンを推薦したのだった。
流石に高畑も、ネイサン氏と二人きりの時に、その事を聞いてみる誘惑には勝てなかった。
ネイサン氏の答えは短的だった。
「彼は、米国に近すぎる。」
これがその回答だった。
ロスチャイルド家は、日英の戦争準備を独自のルートで調べ上げ、彼らなりの結論として、米国抜きで対独戦を戦い切れる、いや、自分達が資金援助すれば、可能であるとの結論に達したようだった。
また、それ故、独逸の財閥である一族のゴールドスミス家も、日英側に立っての協力を申し入れてきている訳ではある。
 戦争には金が掛かる。
日英併せて六個の完全機動化兵団の武装、100隻以上の輸送船の手配など、どれ一つとっても、膨大な金額が必要となるのは言うまでも無い。
「のと」世界では、米国がこの戦費を肩代わりし、そして第一次大戦時よりも更に情け容赦無く取立て、大英帝国は没落している。
それが判っているだけに、戦費の調達を米国に依存するわけには行かなかった。
そして、それ以外のスポンサーとして日英が目をつけたのが、ロスチャイルド家を筆頭とする欧州の大富豪達だった。

189shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/13(土) 17:19:54
「いや、戦費調達の目処がある程度立ったのは、嬉しいんですが、やはりこれだけのものを用意したのが、戦争となると消えて行くのが何ともねえ。それにきれい事かもしれませんが、やはり人死にが出るのはやり切れませんね。」
「ああ、成程、判りました。それならば、私もきれい事にしか過ぎないでしょうが、こう返すしかありませんね。つまり、我々が努力しないと、更に被害は増えるのです、と。」
「確かに、おっしゃる通りです。きれい事、だけどそれが人生ですね。」
「ええ、それじゃ、そろそろ行きましょうか。」
「そうですね、参りましょう。例え建前だけでも、「より良き明日を作るために。」」
「より良き明日を目指して。」
英国の次世代の指導者イーデンと、帝国の影の財務長官と言われる高畑は、ここ数ヶ月の活動を通じて、お互い相手を認め合う存在となっていたのだった。

190shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/13(土) 17:21:26
 1938年5月24日、欧州での戦乱の気配が濃厚になる中、彼らはその部屋に集まっていた。
大英帝国全権大使イーデン外相、駐英全権大使吉田茂、カニンガム陸軍中将、サマービル海軍中将、山口多聞中将(役務)、栗林少将(役務)、英国情報部マッキンレー部長、帝国統合本部情報部堀貞吉部長、特別情報担当、ケインズ、クラーク、そして総研井上、高畑らであった。
誰がどこで気を使ったのか、日英の主要メンバーの比率は丁度一対一に設定されていた。
公式にはイーデンは、インド独立問題を検討するため、スエズを越えてインドに向かう船の上であり、吉田茂は、逆に英国に向かう船の上にいる事となっていた。
 他のメンバーも何らかの理由を付けて移動中と言う名目で、彼らは密かにディエゴガルシアに集まってきていたのだった。
「全員揃ったようですね、それでは始めましょうか。」
イーデンと高畑が揃って部屋に入り、席に着くと、井上が話し始める。
「本会議は、公式には来るべき対独戦に向けた日英の最終打ち合わせ会議です。それ故、今回設立された、日英統合軍欧州派遣司令官であるカニンガム中将に会議の進行はお願いすることとなります。」
井上は、カニンガム中将に軽く頭を下げる。
「そして、まあ、今更ここにいる皆様には隠す必要も無いのですが、これは「のと」情報に関する最初の日英共同会議である点もご認識頂きたい。」
「それは、どう解釈すれば良いのかな。」
イーデンが怪訝そうに井上に尋ねる。
「つまり、ここで話された内容のかなりの部分が議事録から抹消される可能性があると言う点を、お含み置き願いたいのです。」
「ああ、そりゃそうだね。表に出せない内容がかなりあるだろう。」
吉田がいかにもと言う顔で頷く。
「そう言う事です。では、カニンガム中将、宜しくお願いします。」
井上が頭を下げると、日英統合軍欧州派遣司令官、カニンガム中将が徐に立ち上がった。

そう、カニンガム中将の司令官と言う立場は、決して二つの国家の別々の軍隊を運営する連合軍の司令官ではない。
あくまでも、日英両国が一つの軍として組織された統合軍の司令官だった。

191shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/13(土) 17:22:18
1936年より始まった日英の武器共同開発に端を発した一連の、両国の武装の共用化は、一年もしない内に、全ての分野にまで広がった。
何しろ、満州地区では武装監視団の名目で、英国将校の下に、帝国将兵が配備についている。
東南アジアでは、艦隊指揮権は英国にありながら、その艦隊そものは帝国が運営すると言う状況が、既に数年に渡って続いていた事もあり、少なくともアジア方面での武装を共用する事に関しては、何処からも異議は出なかった。
そして何よりもコストの問題がそれに拍車を掛けた。
満州、オーストラリア、インドに作られた、公称トラクター工場、実質戦車工場での戦車生産は、部品の共用化、最新鋭の製造機器、そして徹底した生産管理の手法の導入で、誰も予想すらしなかったほどのコストダウンをもたらした。
何しろ、帝国内では、大村にある工廠と、三菱重工静岡工場、帝国車輌群馬車輌部の三箇所、日英共同出資による満州、オーストラリアの工場、その上に、ロールスロイス社の本国工場とインドのニューデリー工場の世界計7箇所で二年間強の期間、同一車種を生産し続けたのである。
しかも、大村の工廠と、ロールスロイスの本国工場以外の生産ラインは、その設計から、冶具に至るまで全て同じものが使われている。
工場により生産ラインの数は、4本から6本であるが、戦車生産に使われたのはその半分のラインである。
それでも全部のラインを合わすと、20本近い同一ラインによる同一機種の生産と言う、かって無かった生産方式である。
「のと」資料を縦横に活用し、戦後のマスプロダクションの考え方を全面に押し出し、どこかでトラブルが発生したならば、全生産ラインに直ちにその対応策が通達されると言うシステマチックな対応は、これまで存在した、いかなる生産方法も太刀打ち出来ないものだった。
その結果、1937年中に、年間生産台数は6千台にも達する。
むしろ、エンジンや主砲、砲塔の生産が追いつかず、急遽同様の生産方式が導入された程だった。
エンジンは全てロールスロイスマリーンエンジンのディ・チューンバージョンであるが、英国ロールスロイス社での生産だけでは到底足りず、帝国では、三菱重工と中島製作所がライセンス生産を実施している。
両社とも、航空機エンジンとしての需要も高いため、三菱は岡山に、中島製作所は、栃木にそれぞれ専用のエンジン工場を新たに建設し、その需要に対応することとなった。
しかしながら、主砲と砲塔、特に鋳造砲塔は、最後まで生産に追いつかず、結局生産された97式シリーズは、1万台を超えたが、その1/3が様々なバリエーションの車輌として完成している。
 ともかく、これだけの車輌を生産した結果、そのコストは、関係者全てを唖然とさせるものだった。
何しろ、最終的に、一台辺りの単価が3万円を切るまで下がってしまったのである。
戦車、それも現在では最強の一つに十分数えられる中戦車の値段が、装甲車程度まで落ちたことに、両国の軍事関係者が狂喜乱舞したのも頷けよう。
少なくとも、多くの陸戦関係者の頭の中に、大平原を駆け抜ける、機甲師団の勇姿が浮かんだことは間違いない。
おかげで、両国政府とも、軍部からの機甲部隊増設の要求に四苦八苦する羽目になった。

192shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/13(土) 17:23:10
 値段はともかく、主要陸戦兵器の戦車のこのような状況が明らかになった37年には、戦闘機に関しても、両国での共同開発・生産が本格化する。
帝国側が、当初からマリーンエンジンを戦闘機開発の主要エンジンに据えていたことも、この開発を推進した。
英国側では、既にプロトタイプの完成していたスピットファイヤを、帝国側では97試戦闘機「疾風」を持ち寄り、量産型の検討を行った。
元々、ある程度スピットファイヤを意識して作られた97試である。
帝国側も、97試そのものにそれ程のこだわりは無い。
スピットファイヤのプロトタイプに幾つかの提案を行い、量産型を決定している。
最も、この影で、帝国において、何人もの技術者が自棄酒に浸ることになったのは別の話であるが。
とにかくこうして、英国側ではスピットファイヤ、帝国名称疾風改の共同生産も開始された。
その後、更に共同開発・生産項目は増加し、各種野砲、高射砲、兵員輸送車、更には戦艦まで共用設計が行われるに至る。
 流石に、戦艦そのものの生産に関しては、共用部品の多様化で落ち着いたが、この結果、両軍の意識はかなり変化した。
即ち、帝国軍の装備には認めるべき点があると、しぶしぶながら英国側も認め、また帝国側も、「のと」資料から時代に先行した武装体系を展開しようとしていたが、かなりの部分で検討課題がある事を気がつかされることとなった。
例えば、将来の小銃弾が小型化する事が判っているため、帝国は6.5ミリより大きな口径の携帯兵器に消極的であった。
しかしながら、小隊レベルでの火力支援の減少に繋がるとの指摘により、英国製の携帯型の機関銃、と言ってもかなりの重量であるが、を採用している。

193shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/13(土) 17:24:06
そして、「のと」資料の存在が、一部英国首脳陣に開示されると、英国内で一大パニックが発生した。
帝国が、所謂未来技術を手に入れており、しかも、それを9年近く秘匿しながら、展開していた。
このことが、一挙に帝国脅威論に発展するまでに、それほど時間は掛からなかった。
一国だけ突出したアドバンテージを有しており、しかもそれが黄色人種であると言う、人種論まで飛び出す始末だった。
しかしながら、「のと」資料の自由閲覧が許可された、ケインズ、クラークらが帰国すると、それは終息して行った。
ケインズは、自らの経済的な視点から、帝国の政策の的確さを評価し、クラークはまだ若いながらも、その可能性に着目し、首脳陣を説得して回る。
最も、ケインズにすれば、自らの経済論がある程度実践されている事実、及び「のと」世界では米国に経済を牛耳られていると言う資料を提示されれば自らその方向も決まろう。
二人は、今更帝国の脅威を訴えるより、英国がそれに乗る事の方が、メリットが大きい事を説いて回ったのである。
とにかく、全てが遅すぎた。
既に、英国は、武装の共同開発・生産の面で帝国との連携に抜き差しならないレベルまで踏み込んでいた。
こうして、あるものは積極的に、そして一部はしぶしぶながら、帝国、即ち総研の打ち出した建策に、英国は乗ることを決めたのだった。

こうなると、英国の対応は素早かった。
早々に、軍の共同運用の打診を打ち出してきた。
即ち、これまでの計画では日英は連合軍と言う形で、それぞれの運用を行い、作戦レベルでのすり合わせを行うと言うものだった。
これに対して、英国側の新たな提案は、それを更に一歩踏み込み、指揮系統の統一から、部隊運用・補給に至るまで一つの軍として運用しようと言うものだった。
これまで、アジア地域においては、英国仕官による帝国軍の武装監視団の運用等は行われていたが、この提案は、更に逆の場合も含んでいた。
いや、とにかく帝国軍、英国軍と言う区分ではなく、統合軍として一つにしようとい言う提案だった。
具体的には、本国警備の軍はこれに含めない。
逆に、地球レベルでの軍事活動においては、日英は一つの軍としての組織を形成すると言うものだった。
指揮系統に関しても、アジア地域、太平洋に於いては、帝国政府の主導を認める。
欧州、大西洋、インド洋地域では英国政府の主導を認めると言うものだった。
勿論、通常は両国政府の合意が前提であるが、緊急を要する対応を行う必要が生じた場合、両国とも事後承諾を認めると言う事であった。
英国側が、正式にアジア・太平洋地域を帝国の勢力範囲と認めた事は、ある意味喜ばしい事であるが、逆に言えば、それ以外では英国の権益を優先すると言う事である。

194shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/13(土) 17:25:05
今度は、帝国側が一大パニックに陥った。
アジア地域以外での軍の指揮権を移譲せよと迫っているようなものだと、憤慨するものもいれば、帝国の権益を確保できると単純に喜ぶものもいる。
そして、この海外活動における統一軍の形成を置き土産に、濱口首相は10年近くに及ぶ、政権の座から降りる事を表明したのだった。
最も、この辺りの内容は、政府及び国軍、そして野党政治家の一部のみが知っている事実であり、国民への発表は、本年10月頃に予定されている欧州大戦の開始まで伏せられている。
とにかく、英国の大胆すぎる提案に対して、濱口首相は身体を張って、それに答えて見せた訳であり、反対意見も自ら封じられる事となった。

所長も含めた総研主要メンバー達は、濱口首相も含めた秘密会議の席上でこの結論を採択していた。
全員が、気がついていた。
「軍の統一運用」、これが何をもたらすかを。
「宜しいのですか?」
結局、誰もそれを口にする事が出来ず、所長にその質問をぶつけたのは、濱口首相だった。
「何がだね。私は賛成だが?」
所長は落ち着いた口調で、言葉を返す。
「し、しかし、軍の統一運用は、始まりにしか過ぎません!」
堪えきれず、梅津が思わず叫んでいた。
所長は、黙って頷く。
「軍の統一運用により、両国の垣根は一層低くなります。そして、それにより両国政府間での調整事項は、膨大なものとなる。」
井上が、誰に言い聞かせるでもなく、話し始める。
「統一運用が上手く行けば行くほど、両国の恒常的な調整機関の設立が必要となり、それは外交問題一切に関する権限がいずれ必要となる。そして、その調整内容は、直ぐに軍事レベルだけではすまなくなり、行政機関としての権限が必要となる。その行き着く先は・・・、連邦政府。」
井上が話し終えても、暫く誰も何も言わない。
皇居に隣接する、今では総研の分室になっているこの部屋は、9年前に、井上と梅津が始めて所長にあったその部屋でもあった。
小さな部屋に、井上ら五人、それに所長と濱口首相の七人も入ればもう一杯である。
静まり返った部屋の中で、全員が所長を見つめ続ける。
「四方の海 みな同朋(はらから)と 思う世に など波風の 立ちさわぐらん」
徐に話し始めた所長の口から出てきたのは一遍の歌だった。
「これは、「のと」世界の私が、英米開戦に至る御前会議にて、詠んだ明治帝の歌です。この中にはご存知の人もいるでしょう。」
全員がその歌を知っていた。
八木や高柳ら調査班のメンバーにしても、英米開戦に至る経緯は確認せざるを得ない事項だった。
それ故、御前会議の内容に関しては、ほおっておいても、行き当たる。
「あちらの世界では、これをして、私が非戦主義者だったと言う理由にしております。
しかし、今の私はそうは思っておりません。
「のと」世界の私は余程悔しかったのでしょう。
何も戦争を望んでいたとは思いませんが、明らかに私自身の政策の失敗を理解していたと思います。
自らは、平和を望んだ筈です。
そして、その為に、果敢にも中華出兵を早期に片付けようと、展開兵力の増強も行ったのでしょう。
しかし、上手くいかなかった。
中華問題を片付けられるように、東条ら陸軍の首脳陣を政権につけさえしています。
「のと」資料を読むと、あたかも私は関与していないように書かれていますが、この私がそんないい加減な君主ではないと言うのは一番良く判っています。」

195shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/13(土) 17:25:46
そう言って、所長は全員の顔を一人一人眺めて行く。
完全に硬直したような表情を崩さない梅津。
少し斜めに構えたポーズを崩さないが、それでも真摯に話を聞いている井上。
本人はそれを隠そうとしているが、これから何を言うのか、興味を隠し切れない高畑。
研究者故か、冷静そうな表情だが、感銘を受けたような八木。
驚きを隠しきれず、視線を辺りにさ迷わせている高柳。
真っ直ぐに、こちらを見つめ、次の言葉を待っている、剛直そうな濱口。
「のと」資料が無ければ、これ程のメンバーを集められたのか、それとも、資料があったからこれほどのメンバーに化けたのかは判らないが、全員が本当に頑張ってくれている。
「諸君らの協力で、ここまで何とか私の希望するような世界を目指してこれました。
本当にこれには感謝しています。」
そう言って所長が頭を下げると、流石に全員が困りこんでしまう。
いくら、所長と言う立場に慣れているとは言え、やはり相手は主上である。
「諸君には、これからも頑張って頂かないといけないのですが、今後を考えた場合、一つ問題があります。」
「1945年・・・ですか?」
高畑が、驚いたように、声を発する。
成程と頷く、井上や濱口首相であったが、他のメンバーは訳の判らない顔である。
「総研は、1945年8月15日に解散するんだよ。」
井上が、所長が微かに頷くのを見届け、そう言った。
「戦後を考えなければいけません。」
所長の言葉に、全員が頷く。
「私自身、立憲君主制をどうこう言う訳ではありませんが、制度としてみた場合、何時までもこの体制で良いとは思ってはいません。
責任の所在が非常に曖昧になる現行の制度では、やはり安定に欠けています。」
立憲君主制の元では、政府首脳や軍の行為の最終責任は、君主にある。
しかしながら、君主に責任を取らせる訳にはいかないため、自ら、責任の所在を曖昧にしてしまいがちだった。
「勿論、くにぬし(国主)として、祭ごとを行うのは室の勤めであり、それは今後も続けていかねば行けないと考えていますが、終戦後は政治からは身を引くべきと考えています。」
「しかしながら、所長がそのように決断されても、おいそれと、体制の構築は出来かねます。」
梅津が悲鳴に近い言葉を発する。
「そう、ですから、外圧が必要となるのです。」
部屋の中に、うめき声とも何とも言えない声が響く。
為政者が、その責任を国民に対して全うする上で、民主主義と言うのは、最良とは言えないかもしれないが、決して悪い方法ではない。
しかしながら、日本では明治以降立憲君主制を取ってきた為、責任の所在を曖昧にすると言う手法が確立されてしまっている。
その為、例え「のと」世界のように、純然たる民主国家に変貌したとしても、慣用として、責任不在の政治手法が生き残ってしまう。
これを防ぐのには、外圧、即ち、英国との連邦政府の可能性と言うのは、非常に有益であろうと言うのが、所長の言いたい点だった。
今はまだ、その可能性まで気がついている人間は少ないであろう。
しかしながら、この先八年近くの期間を統合軍として戦い抜いて行けば否応でもその可能性に気がつく人間は増えて行く。
何時になるかはまるで判らないが、少なくとも政治を行う人間が、それを意識して政権を維持する限り、曖昧な責任所在は取れるものではない。
そんな事をすれば、統合政府どころか、逆に英国に飲み込まれてしまう可能性すら出てくるのである。
「判りました。陛下がそこまでお考えならば、不肖濱口、命に代えても英国との統合軍の設立を承認させます。」
最早老齢にさしかかっている濱口首相が立ち上がり、それだけ言うと、頭を深々と下げる。
激情家の濱口、その二つの眼からは、止め処も無く涙が溢れていた。

196shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/20(土) 10:13:34
「英日統合軍欧州派遣司令官のカニンガムです。それではこれまでの状況を山口の方から説明致します。」
「日英統合軍欧州派遣艦隊運営司令山口です。統合軍欧州派遣部隊、以降は統合軍と略させて頂きます、の現状を説明させて頂きます。」
Chif-Commander of Allied Force of Great Briten and Japan for Europa とカニンガムが言ったのに対して、山口は、わざわざChif-Commander of Control for Navy Division of Allied Force of Japan and Great Briten for Europaと言いなおしている所に、お互いの意識の違いが見える。
これにはカニンガムも苦笑を浮かべて座り込むしかなかった。
現実には、文章では日本語、英語の両方が作られるため、英語表記ではカニンガムが言ったように、英国が先に来て、日本語では日本が先に来ている。
まあだれも、正式名称を口にすることもなく、最終的には書類上からも統合軍と言う部分しか残らなくなるのだが、まだ出来たばかりではこれも仕方なかった。

「統合軍は、6個兵団、兵力18万、後方支援7万人、総員数25万人からなる軍組織です。」
部屋の明かりが消され、大型のプロジェクターを使い、組織図が示される。
「それぞれの兵団は、三個旅団及び工兵、輸送のそれぞれの大隊からなる総勢2万8千人の部隊です。
兵員、物資、燃料輸送用の車輌は、約5600台、戦車などの戦闘車両は約500台を擁する機動兵団となります。
更に、計画では兵団には、指揮艦として巡洋艦1、防空用の空母2、船団護衛の為の駆逐艦8、上陸支援用の強襲艦12、輸送船24隻、油槽船3隻が所属する事となっております。
現在、この兵団の編成を急ピッチで進めておりますが、完全充足に達しているのは、ここディエゴガルシアに滞在している、第一及び第二兵団までです。
第三、第四兵団に関しては、既に兵員は充足されオーストラリアにて練成中です。
第五、第六兵団については、現在、オーストラリアに向けて集結中です。」
スライドが変わり、オーストラリアに向けて航行中の船舶が指し示される。
航路は、インド、満州地区、そして日本からオーストラリアに向けて伸びていた。
「また、第三兵団以降に関しては、強襲艦、指定エリアに海岸から展開するために、特に作られた専用の艦艇ですが、そのものの絶対数が不足しており、配備は見送られる予定です。」
山口は、一旦話を止め、会議室を見渡した。
「ここで、問題となっているのが、残りの四個兵団、現在オーストラリアにて練成中の、第四以降の輸送船の割り当てです。
現在、輸送に割り当てる事が出来る輸送船は、ここディエゴガルシアにて出動待機中のものを除き、60隻程度であり、これは四個兵団を完全充足状態で輸送するのに必要とされる船舶の半分でしかありません。」

197shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/20(土) 10:14:30
統合軍の編成にて、一番の問題は船の手配だった。
六個兵団を完全充足する場合、巡洋艦6隻、駆逐艦48隻は目処が立っていたが、その他の艦艇は厳しい限りだった。
空母12隻は、正規空母ではなく、当初よりそのために建造されていた自動車輸送船の改装による、所謂護衛空母が当てられる予定だが、現在稼動しているのは8隻にしか過ぎない。
残りの4隻については、既に2隻が習熟訓練中であるが、残りはこれから習熟訓練が開始されるありさまだった。
問題は輸送船である。
既に徴用された輸送船の数は、108隻に達しているが、これでも4個兵団を輸送するに足るだけであり、更に60隻が必要とされている。
船そのものは、日英の商船隊からの徴用で不可能な数ではない。
帝国は、当初から護衛空母や輸送船の拡充に力を入れており、既に30年代初頭より商船の大増産を開始していた。
全国の造船所に対する技術指導と、政府系の超優遇融資の提供により、5万トン以上のドックが20箇所以上で建造され、当初は1万5千トン、32年からは「のと」とほぼ同じクラスの輸送船が大量に増産されていた。
同一船型の艦船の大量生産であり、竣工に要する期間は、年々短くなり、今では一隻辺り、1年程度となっていた。
最も、これは戦車等の製造と同様に、量産体制が確立されているせいである。
船体等の鋼板は、予め製鉄所の側に作られた工場で大量に量産されており、ドックでは、運びこまれたこれらの鋼板を組み立てる作業が中心となっているせいだった。
電気溶接等の技術開発や、ディーゼルエンジンの耐久性や生産性もかなりのレベルまで達している。
造船所そのものも、政府推奨以外でも大型ドックを備える所も増えていた。
長崎造船所などは、1号から7号までのドック全てが、5万トン以上に拡大され、しかもそれらが全て稼動していると言う近年まれに見る活況を示している。
結果、2万トンクラスの輸送船船そのものは38年の時点で、300隻近くまで膨れ上がっていた。
そして、現在ではこれらの造船所では高畑が欧州から乗ってきた新田丸ような、2万5千トンクラスに拡大された輸送船の生産が開始されている。
当初計画では、2万トンクラスの輸送船が、戦時体制下徴用される事を見越して、より大型の艦船に置き換える事で対応して行く予定だったのである。
全て、当初計画を上回る規模で拡大しており、英国における生産も加味すれば、必要船舶は余裕でクリアできる筈だった。
しかしながら、これらの2万トンクラスの大型輸送船は、現実には世界中の主要航路で活動中の船だった。
そして、帝国の予想を遥かに上回る好景気が、徴用を困難なものにしてしまっていたのである。
高畑らが画策したのは、輸送船の大型化による、輸送費の大幅なコストダウンであり、これは見事に成功した。
特に、戦車と同様に、同一艦形の大量生産と言う発想は、これまでに無く、生産コストの面でも他国を圧倒した。
米国や欧州各国の不況が逆に幸いし、欧米の輸送会社は軒並みその規模を縮小するなか、帝国系の日本郵船等の運送会社はそのシェアを伸ばし続けた。
そして、35年前後から、米国を除く他の列強が、景気回復局面に入りだすと、需要は一気に膨らみ、帝国系の運送会社の船舶需要はうなぎ上りに増加している。
現在統合軍に組み込まれている、108隻の輸送船にしても、その六割が、元々日英の軍用の輸送船として押さえられていた船舶であり、新たに徴用出来たのは、50隻にも満たない数でしかなかった。

198shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/20(土) 10:15:39
「平時においては、強制的な船舶の徴用は、防諜上の理由からもなるべく避けたいと考えております。
この結果、作戦案に一部修正を加え、これに対応する事となります。」
スライドが入れ替わり、アフリカが大写しになる。
「当初計画では、南アフリカのケープタウンが最終待機場所の予定でしたが、現在ここシエラレオネ、フリータウン近郊に、新たな集結拠点を建築中です。」

今回の対独戦の開始にあたっては、「のと」資料の分析から得られた二つのコンセプトが作戦計画に組み込まれていた。
一つは欧州において、独逸が対仏戦にて展開した、電撃戦の考え方。
そして、もう一つが、米国海兵隊と言うコンセプトである。
電撃戦に対しては、様々な資料があり、それらを分析した結果、独逸軍の機動化は不十分であるとの結論に達していた。
即ち、正面装備である戦車の充実には力が注がれているが、それらに付随する歩兵の機動化、更には段列、所謂補給部隊に対しては、資源の配分の問題があるにせよ、殆どなされていない。
結果が、対仏戦におけるダンケルクの撤退戦を引き起こし、更には対ソ戦での敗北に繋がったとの分析だった。
ダンケルクにおいて、あれだけ狭い地域に英仏の軍を追い込んでおきながら、最後は取り逃がしている。
対ソ戦においては、確かにソ連側の戦車が優秀ではあったが、全体の兵力の展開、作戦指導、その他総合力では独逸が遥かに勝っており、それぞれの局面では見事勝利を修めている。
しかしながら、補給が不十分なため、個々の勝利を継続する事が出来ず、ソ連側に退却戦を実施する時間的な余裕を与えてしまった点が対ソ戦開戦の一年目の状況であろう。
少なくとも、ソ連の戦争指導の稚拙さを考慮するならば、「のと」世界のヒトラーは、機甲師団の増設よりも、補給部隊の機械化を重視した方が、初年度での勝利の可能性は高かったと分析されている。
要は、短期での制圧を目指すには、独逸の機動力が不十分であったとの結論である。
その為、統合軍では、部隊全体の継戦力も含めた機動化を目指し、正面戦闘に従事する、戦車部隊、歩兵部隊のみならず、砲兵、工兵、燃料弾薬、燃料の輸送に至るまでの機動力の充実に力が注がれている。
 そして、この機動部隊に更に米国の海兵隊を参考に、航空戦力、海上輸送戦力を組み込み、一つの兵団として編成が行われていた。

199shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/20(土) 10:16:27
もっとも、短期間での機動兵力を海に面してさえいれば、任意の地点に展開出来る部隊として編成された訳であるが、問題が無いわけでは無い。
長期的な船舶輸送では、兵員の質の低下、即ち、船酔いが大きくクローズアップされたのである。
何しろ、大洋を越えての部隊の展開であるから、輸送される期間はどうしても、長くなる。
一ヶ月以上に渡って、船に乗せられた兵員が、海岸から陸に上がって、直ぐに戦えと言っても、流石に無理がある。
想定では、2割が戦闘正面に展開出来ず、4割が展開できても、殆ど戦力とならず、実質的に4割程度の正面戦力まで減衰してしまう。
最も、「のと」資料によれば、陸軍は、太平洋戦争の緒戦において、東南アジア方面の展開において、実際にこれを成し遂げている。
日本から一ヶ月以上掛けて、アジア各地域に兵員を輸送し、見事緒戦の勝利を得たわけであるから、どれ程日本軍が精強であったのか、あるいは敵が弱かったのか判ろうと言うものである。
そして、困ったことに、統合軍は日英共同であり、今回の敵は精強なる独逸軍である。
いくら帝国軍が精強と言っても、統合軍として戦う以上、それを考慮する必要は十分すぎる程理由があった。
結果、出された結論が、船舶による輸送は、二週間、船の居住環境を改善したとしても、20日間以内の展開が望まれる事となった。
ちなみに、当初の帝国軍の見積もりでは、30日であったが、流石にこれは、英国側将校から却下されている。
最終的に、ディエゴガルシアで1次集結を行った部隊は、南アフリカに設けられた、集結地点で、十分な休息を取り、開戦三週間前に、現地から出動する。
一旦兵団は、スコットランド北方の秘匿湾まで一気に前進し、その場で待機、そして欧州上陸を目指すと言う作戦に決定されていた。

200shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/20(土) 10:18:04
しかしながら、ここに来て船舶の不足が明らかになった。
その為、限りある輸送船の使いまわしを考える必要が出てきたのである。
その場合、南アフリカでは、中継拠点として余りにも遠く、更に欧州に近いデポの選定が必要となったのである。
結果、中部アフリカ西海岸にある、シエラレオネのフリータウンがその地として選ばれた訳である。

「フリータウンは、勿論英国の植民地ですが、欧州に近い分、防諜上のリスクは大きくなります。」
山口は続けた。
「また、気候的にも熱帯地域に属し、兵の疲労も南アフリカより大きいかと考えますが、統合軍としては、許容範囲と考えています。
何よりも、戦闘正面に、十分な兵力が展開出来ないよりは、良いとの結論に達しました。」
ここまで話すと、山口は席に戻る。
部屋の明かりが戻ると、再びカニンガムが口を開いた。
「以上が、統合軍の状況です。何か質問は?」
「色々あるぞ、まずは、勝てるのか?」
吉田茂駐英全権大使が、単刀直入に質問し、全員があっけに取られる。
「いや、勝つための算段を行っている積りなのですが。」
カニンガム中将は、微苦笑を浮かべながら答える。
この帝国次期首相は、一体全体、何を言い始めるのだ。
「ああ、それは判っている。諸君らがその為に努力しているのも承知している。
しかしだ!対独戦の勝利条件は非常に厳しいぞ。
個々の戦闘では、負ける事はまずないと言うのは、良く判っているが、本当にベルリンまで辿り着けるのかね?」
全員が改めて、納得した表情を浮かべる。
カニンガムは、さりげなくマッキンレーに顔を向ける。
英国情報部部長は、帝国側のパートナーである堀部長と視線を交わす。
「それに関しては、情報部からお話しするのが適切でしょう。英国情報部のマッキンレーです。」
軽く頭を下げ、マッキンレーが話し始めた。
「本作戦の最重要点は、ナチス独逸にどこまで気付かれずに、部隊展開が出来るかに掛かっております。
現在の所、独逸側が我々の動きに気付いていると言う兆候は全くありません。」
マッキンレーはそれだけ告げると、黙り込んでしまう。
会議室に困惑が広がる。
「マック、それじゃ皆さんが納得しない。もう少し詳しく説明してくれないか。」
流石に、困った様子でイーデンが口を添えた。
「本作戦の最重要課題は、どれだけ早くベルリンまで辿り着けるかにあります。」
マッキンレーは仕方なさそうに、話し始める。
「軍事作戦そのものは、統合軍の皆さんの方が、詳しいでしょうから、それは省きますが、要は、上陸予定地点から、ベルリンまでの間で、どれだけ独逸軍の戦線が構築されるかに掛かっていると認識しています。」
あってますか、と言う風にマッキンレーはカニンガムに目線を向けた。
カニンガムが頷くのを確認し、更に言葉を続ける。
「現在の独逸軍で、我が方の統合軍に対抗できる可能性のあるのは、現在練成中の独逸陸軍機甲師団ですが、これはグーデリアン少将の下、二個師団が編成中であり、場所は東独逸である事は確認済みです。」
「それ以外の部隊で、即応可能なものは、今の所見受けられません。」
どうだ、十分説明したぞと言う顔で、マッキンレーが再び黙り込む。

201shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/20(土) 10:18:42
仕方なさそうに、溜め息を付きながら、カニンガムが口を開いた。
「まあ、吉田大使が危惧されるような、ベルリンをいち早く制圧すると言う勝利条件を阻害する可能性のある部隊で、即応可能なものは、今の独逸には無いと言う事が判っております。
また、それ以外の地域拠点の部隊は、我々が的確に判断さえすれば、対処可能であろうと考えております。
そして、何よりも、現在独逸国内には、英国情報部を初め、帝国統合本部情報部、そして総研情報分析班も含め、日英の情報収集の専門家が張り付いており、これから半年間、独逸側での通常と違う活動が行われれば、いち早く情報が伝わる体制を構築しており、不足の自体に備えております。」
一気に、まくし立て、カニンガムは吉田大使の顔を見る。
全く、どうして司令官の私が説明しなきゃ行けないのかと思うが、この会議のメンバーでは他に方法は無かった。
「うむ、良く判った。可能な限りの対応は取られていると考えるべきだな。それでは、次に懸案だった補給はどうなっている?」
吉田大使は、休む間もなく、突っ込んでくる。
実は、日本を立つ前に、総研で梅津から散々レクチャーされているのだが、全員の意識合わせは必要不可欠だった。
「はい、確かに。作戦そのものは、短期決戦を想定していますが、それでも最悪の場合も考慮し、潤沢な補給が絶対必要であるのは言うまでもありません。
従いまして、陸戦部隊は、エルベ川沿いに、ベルリンを目指します。」
今度は山口が答える。
流石に、カニンガムばかりに答えさせては申し訳無いと思ったのであろう。
「幸いなことに、ドイツ国内では河川輸送路が発達しており、エルベ川はチェコスロバキアが、航行権を有しております。
予め、数隻の油槽船が、チェコを目指して南下する予定ですし、開戦後は、航空支援も行えます。
また、河川砲艦も手配しておりますので、補給路の確保は出来るものと考えております。」
「そうか、では米国、ソ連の動きはどうなんだ?」
これは情報部マターである。
全員が、マッキンレーを見るが、彼はイヤイヤと手を振り、堀を指差す。
「統合本部情報部堀です。それについては、小職から答えます。」
少しげんなりしながらも、堀が話し始める。
「ソ連については、昨年のカンチャース、満州の北部を流れる国境ですが、での全面敗北を受け、アジア方面での策動は、暫く延期される模様です。
しかしながら、欧州方面での活動がその分活発化しており、「のと」資料の対フィンランド戦が早まる可能性があります。」

202shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/20(土) 10:19:12
昨年のカンチャースでの国境紛争は、ソ連側が予期したよりも、中華北辺軍及び、帝国主体の停戦監視団の展開が速く、紛争に関与したシベリア方面軍は、少ない部隊ではあるが、徹底的に敗北している。
この結果、アジア方面への進出は、ある程度大規模な攻勢以外は無理であるとの結論が出されたようで、シベリア方面軍の活動は、減少している。
これに対して、欧州方面、ポーランドからチェコスロバキア、ルーマニアに対する部隊の強化、及びフィンランド方面での部隊の増大が伝えられている。
帝国政府は、密かにトルコ政府、フィンランド政府と交渉を持ち、対ソ監視網を構築していた。
帝国が偵察用の機体を提供し、トルコ、フィンランドが滑走路と補給・整備施設を提供するとの条件で、二個偵察小隊が、それぞれ一個ずつ、トルコとフィンランドに展開している。
トルコを飛び立った真っ黒に塗られ、国籍マークも消した双発の偵察機が、ソ連領内を縦断する形で、フィンランドまで、そして、フィンランドからは逆方向に飛んでいる。
まだ配備の少ない機上電探を搭載し、いざとなれば、大概の戦闘機を振り切れる性能を持つ、最新鋭の機体により、ソ連軍の活動は克明に写真に納められているのだった。
ちなみに、撮影された写真は、情報部の分析も添えて、同じものが両国政府に渡されており、対ソ連に関してだけで言えば、両国とも帝国の同盟国と言って良かった。
ただ、帝国の最新鋭の偵察機に関しては、両国とも興味津々のようで、着陸するたびに、見慣れない軍人の質問責めにあうのは困りものだった。
とにかく、「のと」世界では、張鼓峯、ノモンハンと言う一連のアジア方面の国境紛争の後、ソ連は独逸のポーランド侵攻に合わせる形で、ポーランド、そして英仏と独逸が睨み合っている隙をつくようにフィンランドへの侵攻を行っている。
現実には、アジア方面での策動は早々と見切りをつけたようで、フィンランド国境付近への部隊の集積が既に開始されていた。
どうやら、スターリンは、本年度中にもフィンランドとの「冬戦争」を開始する積りのようだった。

203shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/20(土) 10:19:44
「それは、承知している。と言う事は、特に大きな変化はないと言って良いのだな。」
わざと、むっとした顔を浮かべ、吉田大使は答える。
この辺りの分析結果は、当然両国政府首脳にも伝わっており、今更言われるまでも無い内容である。
現実に、帝国から様々な情報を提供されているフィンランドからは、支援要請が寄せられており、日英両国は、密かに支援策を打ち出している。
戦闘車輌80両と、航空機120機が10月までに、第一陣としてフィンランドに売却される事となっていた。
ただ、今の時点で対独戦用の、97式中戦車や、疾風を売却する訳には行かないので、提供されるのは、97式の車体を利用して作られている、突撃砲と、帝国側で増加試作された、疾風のプロトタイプであった。
日英共に、米国との戦争は出来れば避けたいと考えているが、ソ連とは戦わざるを得ないと考えていた。
米国は、何と言っても大洋が国家そのものを隔てている。
あちからユーラシア大陸に関与してこない限り、大きな問題にはならない。
それに対して、ソ連は違う。
思想そのものが違う上に、陸続きで侵攻出来る所に、両国の権益が山ほどある。
それ故、衝突は避けて通れないものと考えられていた。
また、「のと」資料からも、超大国が二つもあると言う情況は非常に好ましくない。
何せ、その二つの超大国の間に挟まれているのが、日英そのものである以上、少なくとも片方は無くなって貰いたいものである。
「のと」世界では、英国がフィンランドを援助しようにも、対独戦の戦争準備の為、十分な装備が割けなかったようだが、現実には日英の同盟により、ある程度までは可能となっている。
ただ、やはり対独戦の開始に向けての準備が急がれている現状では、それにも限りがあるのは仕方が無かった。

204shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/20(土) 10:20:24
「それで、米国の方はどうなんだね。」
吉田大使に代わって、イーデン外相が先を促すように、声を掛けた。
「はい、米国は何か感ずいているようです。オーストラリアに向かう船団から米国の駆逐艦との遭遇情報が増えております。
また、大西洋での米国海軍の活動も以前より活発化しております。」
「うーむ、何時までも隠しおおせるものでもないか。」
堀の答えに、イーデン外相が呻く。
「まあ、仕方ないですな。チャーチル卿にもうひと働きしてもらうしか無いでしょう。」
吉田大使が、嬉しそうに言うので、イーデン外相の顔が少し強張る。
「のと」情報が、帝国から王室を通じて英国政府に伝えられた時、チェンバレン首相はその情報をチャーチルから隠したのだった。
井上達からの働きかけもあったが、現実問題として、「のと」世界では次の首相となるチャーチルは米国とのつながりが大きすぎた。
その結果、少なくとも開戦までの一年間は、「のと」情報の開示者のリストからは除外されていた。
最も、チェンバレンのチャーチルに対する評価は高くなく、彼自身もその結論に異論はなかった。
その結果、昨年の統合軍設立の話では、一時はチャーチルが海軍卿を辞任するかと言う騒ぎまで行った経緯すらある。
今では、チェンバレンとチャーチルの仲は険悪と言っても良く、その影響を受ける形で、イーデンの地位が上昇しているとも言えた。
これまで、チャーチルの下で働いてきたイーデンの立場は、同等、いや、ロスチャイルド家の支持が明確になった今では、チャーチルよりも上位に来ている。
実際、イーデンが、昨年来「のと」情報の閲覧が許されているのを見ても、王室がどちらを支持しているのかは明確であった。

205shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/20(土) 10:21:05
イーデンにしてみれば、非常にやりにくい事おびただしかった。
チャーチル自身も、自分に隠れて関係者が何か画策している事は気付いており、色々探りを入れているが、結果ははかばかしくない。
逆に、それが更にチャーチルの立場を悪くしているのが判るイーデンには何ともやり切れないと言うのが正直な感想だった。
「で、米国はどの程度気付いていると、情報部のお歴々は、考えているのかな。浅学の私どもに、説明してもらえるかな。」
これさえなければ、吉田も悪い人間ではないのだか。
堀は溜め息を殺し、無表情で離し続ける。
「はあ、日英で対独戦を始めようとしてるのには、明らかに気がついております。
米国海軍艦艇の整備状況、備品の購入情況等から、戦時体制への準備に入ったものと推測されます。」
「問題は、どちらに付くか?だな・・・」
イーデンが気を取り直して呟く。
「ハイ、ルーズベルトが大統領ならば、独逸を叩くと言うので間違いは無いのですが、ランドン大統領の場合、選択肢が十分にあります。」
米国内の、独逸支援勢力は、意外と多い。
勿論、ナチス独逸自身が、そのプロパガンダの為に、かなりの資金を投入していると言うのもあるが、何を言っても、白人系の移民の三分の一近くが、独逸系なのである。
最も、彼らの場合は、好意的中立が精々で、自分達から積極的に欧州での戦争に加わろうと言う意識は無かったが。
「どちらかと言えば、独逸側での参戦を狙っているものと思われます。」
始めて、井上が口を挟む。
流石に、総研の主要メンバーである彼の言葉に、全員がその先を待ち受ける。
「政策的には、民主党よりの共和党の大統領ですが、ルーズベルトと大きく違う点は、ソビエト政府の影響が少ない事です。
特に、労働問題でルーズベルトを破って大統領になっただけに、その方面のスタッフは排除されており、代わりに米国の大手資本家の息のかかった連中が入っております。」
「そして、彼らは独逸に大きく投資している、そう言う事か。」
井上の言葉を吉田が引き取る。
「更に、「のと」世界では、ルーズベルト大統領の下、独逸に対する重金属の禁輸措置、中立法の改正等で、独逸に対する締め付けを行ってたようですが、ランドン大統領はこれらの措置を一切実施しておりません。」
「むしろ、対独貿易は徐々にですが、拡大傾向にあります。」

206shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/20(土) 10:21:44
「それで、総研はどう考えているのかな。対米戦の可能性はあるのかね。」
「まあ、当面は大丈夫かと。米国の戦争準備は全く整っておりません。」
井上が、まさかと言う顔で答える。
「ただ、明らかに独逸側に立った動きをしてくるものと考えられます。」
「具体的には?」
「まずは、情報の提供からでしょうね。独逸に対して、日英の艦隊がどこにいるかの情報を伝える。
さりげなく、独逸の輸送船の航路上に駆逐艦が展開し、偶然にも出くわした国籍不明の潜水艦を追い払う位はやるでしょうね。」
「統合軍の対応は?」
「大西洋を北上する時点で、米国に察知される可能性はゼロではありません。」
今度は山口が答えた。
「しかし、艦隊には電探も搭載していますし、航空機の護衛もついております。
そうやすやすと、米軍の艦艇を近づける事はないと考えております。」
「ふむ、そうか、少なくとも最低限必要な期間の秘匿は可能か。」
「ええ、まあ、それでも気がつくものがいないとは限りませんが、それだけでは判断材料としては不十分かと。」
「よし、判った。ここまでの準備は概ね順調である訳だな。イーデン外相、何か他に質問はありますかな。」
イーデンも首を横にふり、特に何も無いことを示す。
「それでは、作戦は、予定通り進めると言う方針で宜しいですかな。
で、開戦時期は?」
吉田はイーデンに話を振る。
「九月末から10月初頭、ナチス独逸のチェコスロバキア侵攻の時点となる。
後四ヶ月を切った訳だ。最早、我々は引き返す事は出来ない。」
「また、引き返す積りもないですな。」
吉田が口を挟む。
「ええ、ナチス独逸は何としても、叩き潰す必要があります。」
「しかし、独逸を叩き潰す必要は無い。」
今度は井上が、ぼそりと呟く。
「そう、その通りです。」
イーデンは、口を挟む連中に戸惑いながらも、気を取り直して話し続ける。
「諸君らも、今更ではあるが、この点を留意して作戦指導を心がけてくれたまえ。」
統合軍の首脳陣を一人ひとり見つめながら、イーデンは、言葉を選ぶ。
「本年10月までに、日英統合軍は、独逸に戦闘を挑む。しかしながら、これは戦争ではない。
いや、我々はこれを国家間の戦闘とは位置づけていない。
我々は、あくまでも独逸帝国におけるナチス政権の打倒を目指し、独逸に侵攻するのである。
結果、単なる軍事行動よりも更に困難な役割を諸君らに要求することとなる。
この先、侵攻までの作業は大変なものであろうが、それは序章にしか過ぎない。
統合軍の役割は非常に重大である。
今後の日英の行方が君達の行動に掛かっていると言っても言い過ぎではないだろう。
月並みな言葉しか浮かばないが、本当に、宜しくお願いする。」
イーデンは深々と頭を下げ、話を締めくくった。
カニンガム司令官を筆頭に、山口、サマービルら統合軍首脳は一斉に立ち上がり、見事な敬礼を返すのだった。

207shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/27(土) 13:22:47
会議が終り、高畑がイーデン外相と話していると、井上が呼びかける。
「それじゃ、また。」
挨拶もそこそこ、井上の後をついて廊下を歩いて行く。
「何ですか?」
「うん、情報分析班の班長が来てるんで、挨拶にな。」
高畑が回れ右して立ち去ろうとするが、井上にがっしりと腕を掴まれ、離さない。
「離して下さい、あの人と関わると、ろくなこと無いんですから。」
「まあ、そう言うな。我々で選んだ人物なんだから。」
井上がニヤニヤ笑っているだけに、余計に癪に障る。
「そうは、言いますがね、お蔭でオーストラリアまで行かされ、挙句にはゲシュタポに追いかけられたの私なんですからね。」
「ああ、聞いてる。お手柄だったじゃないか。」
ずるずると引きずられるようになりながらも、高畑は辛うじて抗議を続ける。
「私はね、軍人じゃないんですよ、これでも立派な実業家なんです。どうして、あんな目に会わなきゃ行けないんですか。それもこれも全部あの人のせいでしょうが。」
「いや、軍人でもあんな危険な事は、普通やらんぞ。」
「なーにが、ちょっとオーストラリアまで頼まれて欲しいですか。護衛は堀に頼んで、優秀なものを付けるですか。ほんとに・・・」
まだ、ぶつぶつ言っているが、高畑も観念したらしく、自分で並んで歩き始める。
「まあ、そう言う不満は、本人に言うんだな。お蔭で、欧州の大富豪をこちらに引き寄せる事できたんだし。良かったじゃないか。」
「あのね、言えると思います?井上さんだって苦手じゃないですか。」
「そりゃ、仕方ない。何せ階級はあちらが上だからな。軍隊は階級が全てさ。」
絶対そんな事、井上が思ってる訳無い。
高畑は、確信を込めて言えるが、皮肉そうに笑っている井上の顔を見ると、もう何も言う気にならなかった。

208shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/27(土) 13:26:14
「入ります。」
ディエゴガルシアに建てられた、統合軍司令部とでも称すべき建物の中には、日英のそれぞれの部局の支部が設けられている。
二人が入ったのは、帝国統合本部の情報部の部屋だった。
既に何度も来ているのか、井上は幾つかの机の間を通り抜け、奥の応接室の中に入る。
正面に、堀部長が腰を下ろし、向かい合う形で、問題の人物が座っていた。

「おう、今噂してた所だ、良く無事還ってこれたな。」
男が頭だけ、回して高畑に言った。
「あのねえ、山本さん、他に言う事あるんじゃないんですか。本当に・・・」
「おお、すまん、すまん、頑張って貰って、本当に悪かった。」
高畑が、文句を最後まで言わない内に、山本が真剣に謝って来た。
そう下手に出られると、それ以上文句も言えない。
矢張り、この人は苦手である。
申し訳なさそうな顔に、嘘は無い。
心のそこから悪かったと思っているのは間違いない。
本当に部下思いのいい人なのだが、仕事に関しては、冷酷になれる人でもあるんだよなあ。
そう思いながら、高畑は横のソファに腰を下ろした。
「おお、井上君、久しぶり、元気にしてたかね。」
黙って反対側に腰を下ろす井上に、今度は元気そうに声を掛ける。
「はい、おかげさまで、何とか元気にやっております。」
「そうか、うん、それは良かった。」
山本は一人で納得し、ウンウン頷いている。
「おい、イソ、何が良かったんだよ。単なる社交辞令じゃないか。」
堀が呆れたように山本に声を掛ける。
「いや、何を言う。帝国の明日を担う井上君が、元気なんだぞ、こんなめでたい事ないじゃないか。」
「あー、判った、判った、そう言う事で良いよ。」
「いや、堀、お主は判ってない、」
「ハイハイ、判った判った。」
堀は、適当に相槌を打って、話を打ち切ろうとする。
今や帝国の防諜を代表する二つの組織、統合本部情報部と、総研情報分析班の二つの長が、こんなに中が良くて、良いのかと高畑は思ってしまう。
「あっ、そうだ、堀さん、山本さん、現場での軋轢は、何とかして下さいよ。」
二人とも、話を止め、うん、何かと言う顔で高畑を見つめる。
「今回、山本さんの依頼で、オーストラリアまで行きましたが、護衛に付けてもらった情報部の方、佐藤さん達ですよ。」
「うん、佐藤からは無事任務を勤め上げたと報告はここで貰っているが、あいつらが何かしたのか?」
堀の表情が一気に真剣になる。
流石に長年、情報部の長を務めているだけはあり、その顔には凄みさえ滲み出ていた。
「いや、そうじゃないです。佐藤さんたちは良くやってくれました。」
高畑は慌てて、堀の心配を打ち消す。
「ただ、今回は長期間に渡って、護衛をして貰ったんですが、その間何かと、情報班について、探りを入れてこられるのに、閉口したんですよ。」
「なんだ、あまりびっくりさせんでくれ。これでも気は小さいんだから。」
どこをどう見たら、気の小さい人に見えるんだと、言いたくなる。
「いや、とにかく、情報部と総研情報分析班同士の現場での確執は何とかならないですか。」
「そりゃ、無理だろう。そう言うもんだから。」
山本が仕方ないよなと言う顔を堀に向けると、彼も頷いている。
元々、軍が主導する情報部や、公式情報中心の外務省に対して、全く独自のルートでの情報入手、分析の為に設立された総研情報分析班である。
現場での仲が良い訳なかった。
「ですが、情報分析班の班員の多くが、わが社の社員であり、殆ど素人ですよ。情報部のように荒事に対処できる連中なんていないでしょう。」
「そこで、情報部に目の敵にされたら、いざと言う時に、助けて貰えない事もあり得るでしょう。」
「いや、それは無い。と言うかね、そんな事、私が許さない。」
堀にそこまで断言されると、それ以上高畑にも言えない。

209shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/27(土) 13:28:55
「しかし、現実問題として、堀さんが許さんと言っても、徹底できるもんでもないでしょう。」
その代わり、井上が切り込んできた。
「元々、情報分析班の存在そのものを秘匿してきた事が全ての原因です。何らかの方策を考えるべきでしょう。」

総研の情報分析班は、情報の重要性を痛いほど痛感している井上ら総研メンバーが独自に作り上げた情報収集組織である。
別に、非合法のスパイもどきを大量に抱え込んでいる訳では無く、組織と言ってもやっている事は、非常に地道な情報収集・分析作業を行うだけである。
ただ、高畑が絡んでいるだけあり、そこには大量の資金が投入されていた。
主要国それぞれに、情報分析センターが設けられ、そこにはその国で可能な限り手に入る全ての情報が集められる。
雑誌や新聞はもとより、市井の酒場等で聞きかじったゴシップさえも、情報として処理されるのである。
それぞれの情報分析センターは、日商系と判らないように、現地で別法人を立てられ、それが各国の同様のセンターと提携している形態が取られている。
元々、合法的な情報と、市井のゴシップ程度を集めているだけであるから、各国の首脳陣もそれ程注意を払わない。
しかしながら、ここに、「のと」情報で得られた、各種統計手法等の分析手法が用いられている為、驚くべき精度の情報が集まるのである。
単なる既存の情報ソースから、軍の動向まで判ると言われれば、普通は笑い飛ばす。
実際、「のと」世界でも、米国株式市場の薬品会社の株価の動向から、米国が南に向かうのか、北に向かうのか分析した者もいたのである。

このことが、統合軍情報部との軋轢の元となっていた。
要は、同じような情報が政府に届けられても、総研情報班の方が、精度が高いのである。
勿論、堀以下情報部の首脳陣でも、「のと」情報にある程度閲覧許可を得たものは、その理由が判っている以上、気にはしない。
しかし、現場は違う。
また、判っていながらも、堀達は、それを組織の発奮材料に使うのは仕方の無い事だった。
結果、情報部の現場にすれば、情報班には何か特別な情報入手ルートがあるのではないかと、要らない軋轢が生じているのである。

210shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/27(土) 13:31:31
「しかしなあ、井上、そうは言っても、納得させる方法なんか無いぞ。」
どうやって情報を入手しているかを明かせば、どこからそれが他国に漏れるか判らない。
現在は、警戒されていない為に、ある程度自由に情報が収集出来る訳であるから、これは死活問題にも繋がりかねない。
山本は、それを指摘したのだった。
「その為の、山本閣下じゃないですか。」
井上が、掛かったと言わんばかりに、山本に詰め寄る。
ありゃ、またこの人、ろくでも無いアイデア思いついたに違いない。
高畑は、井上のこの表情を見るたびに、対象にされた人が可愛そうになるのだった。
「おい、また禄でもない事考えてるんだな。否だぞ、俺はやらんぞ。」
山本がそっぽを向いても、当事者でない、堀は気楽なものである。
「うん、井上君、何か良い方法があるようだな。」
この二人が揃うと、碌な事ない。
高畑は、悪友が頭を抱えているのを嬉しそうに見つめている堀と井上の顔を交互に見つめ、新たに確信するのだった。

山本五十六、「のと」世界では、開戦時の連合艦隊司令長官を務めた人物である。
帝国内では、交通事故で死亡したと思われているが、実際には総研情報分析班の班長として、主に欧州方面で、活動を続けていた。
「のと」情報によって、山本が開戦時の連合艦隊司令長官と知らされ、一番驚いたのは、誰を隠そう、堀部長その人だった。
確かに、若い頃には日露戦争にも従事し、実戦経験もあるが、指揮官として見た場合、アイツ程信用できない男はいない。
それが、堀の印象だった。
とにかく、賭け事が大好きで、人当たりも良い。
部下の面倒見も良く、人には好かれるが、悪友として言わしてもらえば、余りにも危ないのである。
乾坤一擲の大勝負が大好きなばくち打ちで、人情に熱いあまり、人事に感情を挟みかねない。
非常に徹するべき司令官が、それでは堪ったものではない。
「のと」資料を調べても、対米戦初頭の真珠湾攻撃等は、いかにも彼がやりそうな作戦だった。
しかも、彼はあちらの世界では、戦争半ばで戦死している。
堀は頭を抱えたくなった。
友人だけに、堀は彼の人となりを良く知っている。
そのまま、当時の海軍大臣辺りを勤めていれば、優秀な行政官を勤め上げるであろうが、艦隊司令官には向いていない。
だが、そう考えているのは、堀一人であり、「のと」資料を見ただけでは、そこまで判る筈も無い。
案の定、評価は二分したが、山本は統合軍と国防省の中で、頭角を現してきた。
そして1934年4月の人事で、彼に統合作戦本部作戦本部長の話が出たのである。
昭和維新からこの方、人事に先例なしとは言われているが、現実に前任者の永田本部長は、国防省長官に内定している。
確かに、そのまま四年間無事勤め上げれば、山本が国防省長官になると言うなら、問題は無かろう。
少なくとも、実戦司令官に就く事は無い。
しかしながら、4年後の38年は、大戦の一年前である。
当時は、本当に4年で人事異動が行われるのか疑わしい限りだった。
場合によっては、そのままの布陣で戦争突入とも考えられる。
現実に、本年の人事では、濱口首相の退陣が予定されているため、現在も大きな変動は行われていない。
後継と目されている、吉田大使が新たな構想で人事を検討出来るようにと言う配慮であった。

211shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/27(土) 13:35:43
とにかく、34年の時点では、彼が作戦本部長に就任するならば、最悪第2次世界大戦での作戦指導は、山本が行うこととなる。
悩んだ末、堀は結局、自分の思いを山本に打ち明けたのである。

堀が滔々と自分の危惧を打ち明けるのを、山本は幾分気分を害したような顔をしたが、それでも言いたい事は理解してくれた。
そして、困ったことに山本自身、その危惧を納得してしまうのだった。
確かに、山本自身も「のと」資料に対するアクセス権は高い。
基本的に、「のと」世界で戦死している人物に対しては、完全秘匿か、高い権限を付与し、自分のやるべき事を考えさせる方策が採用されていた。
元海軍では、南雲、山口等が高い権限を与えられ、かなり自由に「のと」資料の閲覧が許可されていた。
山本もこの一人である。
そして、山本自身、考えれば考えるほど、自分が連合艦隊司令長官と言うのが上手く当て嵌まらないと感じていたのだった。
勿論、山本本人は、そのギャップを埋めるべく努力はしてきた積りだが、改めて堀に指摘されると、さも有りなんと思ってしまうのだった。
とは言え、今回の人事で、統合作戦本部、作戦本部長になれるのではないかと期待していたのは嘘ではない。
上手く行けば、四年後には国防総省長官であるから、その席は魅力だった。
しかし、堀に指摘されように、人事異動が行われないで戦争に突入した場合、どうなるのかと考えると、正直気が重い。

今更内定が出てしまったら、辞退するのは難しい。
いくらなんでも、山本自身、そこでキャリアを止めてしまう気も無いし、下手に動けないのも事実だった。
結局、二人は悩んだ末、井上を呼んだのだった。

「丁度よかった。山本さん、良い役職があります。」
簡単な説明だけで、井上が喜んで提示したのは、総研情報分析班の班長だったのである。
総研分析班は、一応梅津、井上、高畑らで可能な限り、運営していたが、流石に4年も経つと、全員が片手まで出来るレベルを超えていた。
彼らも適任者を捜していたのである。
班長である以上、政府首脳にも対等に口が聞けて、ある程度押しの強い人物。
かと言って、謀略を得意とする堀のような人物では、危なっかしくて任せられない。
ある程度語学の才能も必要であり、井上自身山本少将が適任だと思っていたとの事だった。
「それに、戦争指導に関しては、私も貴方を信用していないですから、ここで、こちらに移って頂くと、非常に助かります。」
あからさまに言われ、山本は気分を害するが、井上は頓着しない。
「それに、もう一つ、陛下の信任厚い総研のしかも班長にしか出来ない任務がございます。」
井上が、そのあらましを語ると、最初は渋っていた山本も、情報分析班班長就任を内諾する。
まあ、井上にすれば、山本が就任をごねたなら、所長にお出まし願うだけであるから、何とかなるとは思っていたが。

「しかし、それにしても、本当に作戦本部長に内定しているならば、それを蹴って総研に入るとなると、色々差し障りは無いのか?」
堀が、心配そうに聞く。
いくら、山本では心もとないとは言え、彼の経歴に傷が付くのは、悪友とは言え申し訳ない。
「なあに、俺の評判が落ちる位、どうでも良いよ。」
山本は、そう言うが、ある程度強がりであるのは堀だからこそ判る。
「いい方法が御座います。」
井上が嬉しそうに言い、情報部の堀は恐ろしいと言う評価が当分確立することとなったのである。

212shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/27(土) 13:41:10
暫くして、連合艦隊の解散の話が、統合本部内に広まり、これに対して国防本部の山本航空担当部長が、異議を唱えているとの噂が一挙に広まる。
そして山本が、国防総省加藤長官や、統合本部作戦本部長永田部長にねじ込んだと言う事が広まり、軍部内は騒然となった。
1934年3月末、山本が交通事故に合い、亡くなったとの話が広まる。
しかも、その時、情報部の堀部長は、「そうか」と一言言って黙ってしまった。
総研の井上は、事故にあったと聞いただけで、「最近車が増えたからなあ。」と平然と答えた。
等の噂が広まる。
誰も事実を確認できないまま、四月の人事異動が発令され、統合本部作戦本部長には、豊田副武が抜粋される。
首脳陣は、一切山本には触れない。
それどころか、部下には声を潜めて、
「その話をするな。私は「情報部」に睨まれたくない。」
と言う始末だった。

ここに、目出度く山本は、総研情報分析班班長として、新たに本部の置かれたスイスに赴任したのであった。
それから四年、山本は主に欧州で情報班の組織化と、様々なコネクションを作るのに精を出してきた。
表向きは、総力研究所、欧州所長と言う肩書きで、欧州の様々な人物に会う。
総研の費用で一流の身なりを整え、様々な社交場に出入りしては、顔を売って行った。
ちなみに、大好きなギャンブルも、仕事の一環として顔を出せるので、こんなに嬉しい事は無かった。
お蔭で、出入り禁止の店が更に増え、Yamamoto Fifty Sixと言えば、一流のギャンブラーとしてその筋では結構有名になっていた。
勿論、自分を知っている日本人に会えば、
「お上のお仕事だから、内緒だよ。」
と口を塞ぐのも忘れない。
まあ、髪も伸ばし、英国セビルロー仕立てのオーダーメイドのスーツに身を包んだ山本を見て、本人だと直ぐに気が付く日本人はめったにいなかったが。

213shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/27(土) 13:44:00
「で、井上、今度は俺に何をさせたいんだ。」
山本が諦めたように、井上の顔を見る。
「十分欧州でのコネクションも御作りになられたようですから、そろそろ本業の方の準備に掛かるべきかと。」
「うん?アラン・ダレスなら既に面識を持ったぞ。今度はスイスに赴任すると言ってたぞ。」
そう、総研所長から山本に託された重要な役割は、いざと言う時の米国政府を含む列強各国との非公式な交渉ルートの確立だった。
総研の存在は、既に各国も掴んでいた。
その欧州所長と言う肩書きから、列強も非公式な帝国の窓口である事は、察しが付く。
しかも、本人が様々な会合に顔を出していれば、なお更である。

「いや山本さん、確かに、表上の肩書きは皆さんご存知でしょうが、統本情報部もその情報ルートに興味を示している以上、列強各国もその情報入手方法に興味を持っているものと思われます。」
「そりゃ、そうだろうな。しかし、それがこの山本と繋がるのか?」
総研情報分析班、班長と言う立場と、欧州所長では明らかに役割が違う。
「ですから、それを繋げるのです。いや、繋げて下さい。」
「ふむ、表は総研欧州所長、しかしてその実態は欧州列強間を暗躍し、密かな秘密を奪い去る、総研情報班、班長。おいおい、何だが活劇に出来そうだぞ。」
堀が、どうやら井上が考えている事を察したように、楽しそうにコメントを加える。
「馬鹿言え、おれは活劇はやらんぞ。ふうむ、言いたい事は判った。単なる所長と言う立場だけじゃなく、欧州方面での情報入手の総元締めと言う立場だと示す事で、更に相手の気を引こうと言うのか。しかし、それが、情報部との軋轢とどう繋がるのだ。」
「情報分析班、班長として、新たに組織を作ってください。いや、表上の第二の情報部として、周りに判るように、情報収集組織を作るのです。」
「なんだって、おいおい、井上、お主、組織を作るとなると大変だぞ。」
「いや、本当に情報部を立ち上げる訳ではありません。あくまでもそれらしく見えれは宜しいのです。列強各国からすれば、丸判り、いや少しは隠蔽が必要でしょうが、ばれても良い組織です。」
「ふむ、戦争が始まれば、真っ先に潰されるか、逆情報を流す為に使われるようなものか。逆に、それらしいものがあれば、各国とも信用するな。そして本来の情報分析班を隠してしまうのか。案外いけるかもしれんな。」
堀が納得したように、解説を加える。
「しかし、それらしい組織と言っても、作るとなると事だぞ。金も必要だ。」
「組織そのものは、これまでの総研情報班の中から、幾つかの情報源となっている地元の顔役等を丸抱えにしてはどうでしょう。現地組織のリーダーとしてそのまま採用してしまうのです。資金の方は・・・」
あっ、何か前にもあったような・・・
高畑は、井上がこちらを向いたので、少し後擦りさる。
「そうか、高畑君が協力してくれれば、問題は無いな。」
山本が納得したように、頷く。
頼むからそこで納得しないでくれ。
高畑の心の叫びは誰にも聞こえずに、欧州での新たな組織作りが行われる事となった。
それは、欧州での開戦まで、あと四ヶ月を切った時点だった。

214shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/27(土) 13:47:39
「で、井上、お前がわざわざこんな所まで出向いてくる以上、何か理由があるのだろう。」
「ええ、やはり独逸の動向が気になります。今の所は、チェンバレン首相が率先して、戦争回避の為に、走り回っていますが、独逸がそれをどこまで信用しているのか。
それと、独逸の国内情況は、どの程度まとまっているのかと。」
書面による情報は、国内にいても一応は届いていた。
しかしながら、細かいニュアンスとでも言うべき内容は、実際に現場にいる人間に聞くのが一番である。
今回、日英の所謂統合軍戦略会議に、井上も同行した一番の理由が、これだった。
「信用はしてないな。だけど、利用しているよ、ヒトラーは、」
山本が端的に答える。
「国内情勢は、ヒトラーのいない所では、批判も出る。だが、彼の前に出て批判する勢力は無い。
ありゃ、一種の神がかりだな。俺も一度パーティーに出たが、確かに人を引き付ける力はあるぞ。」
波に乗っていると言うのであろうか、今のヒトラーは本当に圧倒的な存在感で、場を支配していると言っても良かった。
山本自身、レセプションで端のほうで見ていただけだが、身体が震えるようにすら思えた。
独逸語があまり得意でなく、「のと」情報を知っているだけに、構えられたと言う点も大きい。
忙しいヒトラーが、会場にいたのは、ほんの短い間だったが、その場にいた全員が、彼の一挙一動を見つめていたと言っても良かった。
「それだけに、今の独逸で彼に逆らうのは大変だぞ。「のと」情報のように、戦争で負けが込んでくればまた話は違うだろうが、今の所そんな事も無いしな。」
「そうですか、やはり難しいですか。」
井上が残念そうに言う。
彼が、情報分析班に分析を依頼していたのは、独逸での反ナチス勢力の組成の可能性だった。
開戦ともなれば、早期に独逸軍を撃破すべく、作戦は検討されているが、その後の展開も重要だった。
単に、勝てば良いと言うのでは、「のと」世界の帝国と同じである。
最も、あちらの帝国は勝つことすら出来なかった訳であるが。
「で、ヒトラーは英国の宥和政策を利用していると言うスタンスは、「のと」世界と変わらないのですね。我々の対伊太利亜政策の変更や、米国の動向等の影響はそれ程見られないと言う事で、宜しいのですか。」
「うむ、分析班では予測とあまり大きな違いは出てない。動員は続けられているが、その動きに大きな変化は無い。少なくとも彼らが当面戦争にはならないと考えているのは、違いは無い。」
「堀さんの方で何か付け足す事はありますか?」
黙って聞いていた堀に、井上が話を振るが、彼は首を横に振るだけだった。
「それでは、この先は、英国の連中も呼びましょう。」
井上は、部屋の隅にある電話に向かう。

215shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/27(土) 13:53:30
暫くして、部屋に三人の英国人が入ってくる。
井上たちは、会話を英語に切り替え、検討内容を告げる。
「海軍のレーダー提督、先ごろ首になった、フリッチェ上級大将、この二名を押さえられるかです。」
最初に口を開いたのは、マッキンレーだった。
そして、それだけ言うと、もう十分とばかり黙り込んでしまう。
「もう少し、説明しろよ。だいたい君は、言葉が少なすぎる。さっきの会議でもあの態度はまるで子供じゃないか。」
ケインズが真剣に怒っているのを、若いクラークは我関せずと何か一心に考えている。
「ケインズさん、貴方の意見は?」
井上が話題を変えるように、ケインズに振った。
英国側の三人は、昨年から「のと」資料の閲覧を許されている者達である。
ケインズとクラークは、総研側から指名した人物であるが、マッキンレーは違う。
ケインズとクラークの報告を元に、英国側が新たに送り込んで来た人物だった。
最初は、「のと」資料にも名前が上がっておらず、総研側もかなり警戒したが、どうやら、王室関係者らしい。
偽名の可能性もあるが、とにかく「のと」資料室に入ると、日本語の資料にも関わらず、彼は殆どその部屋に篭もりっきりで、目を通していた。
そして、二ヶ月間資料を調べると、その足で急ぎ帰国していったのだった。
それから再び、帝国の要人の前に現れた時には、今度は英国情報部と言う新設の組織の長としてだった。
正確には英国王室情報部であり、位置づけは総研と同じである。
即ち、英国王室の私的機関であり、政府に対しては建策機能を持っている。
どうやら、マッキンレーはかなり有能な人物であるようで、帝国にいる間に、「のと」資料だけではなく、総研の仕組みも理解して帰ったようであった。
あれだけ口数が少なくて、どうやって英国首脳陣を納得させたのか、不思議に思えるが、とにかくそこまでやり遂げる才能は持っている。
それだけに、独逸の戦後を考えた場合、押さえるべき人物に対する見解は適切だった。
レーター提督が、ヒトラーを含めたナチス幹部と中が良いわけでないのは、「のと」資料でも記載されている。
フリッチェ上級大将は、スキャンダルをでっち上げられ、先ごろ罷免された国防軍№.2の陸軍総司令官である。
両人とも軍内での人望は高く、それ故フリッチェ上級大将は首になっている。レーダーが生き残っているのは、海軍の勢力が弱小であり、また海軍内を見た場合、他の首脳陣も似たようなレベルでナチスを嫌っていたからである。

216shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/27(土) 13:57:05
「うむ、独逸の戦後を見越した場合だが。」
ケインズが、マッキンレーを睨みつけながら話し始めた。
「人に関しては、マッキンレーの言うとおりだろう。私はそれよりも、戦後の復興策を上手くやる必要を訴えたい。」
流石に経済の専門家だけはある言い方だった。
まあ、逆に言えば、やはりそこかと言う気もしないでもない。
「少なくとも、ナチの政権下よりも悪化させては見も蓋も無い。直ぐに第二、第三のヒトラーが現れるぞ。まあ、今度はわが国の政府も賠償金をどうこうなどという馬鹿なことはするまいが。」
「しかし、英国もそうですが、わが国も戦闘となれば、それ相応の出費が必要となります。勿論、計画では短期決戦にて費用を最低限に抑えようとはしていますが、現実にはどう転ぶか判りません。」
「最悪の場合も考える必要は、あるな。」
堀がそう答えると、山本が付け加える。
本当に、この二人はピッタリと息があっていた。

「そりゃ、判る。戦費の回収は政権にとっての死活問題であるからな。まあ、それも両国政府には暫く我慢してもらって、回収は五年後位からとして予算を組んで貰うしかないだろう。」
ケインズが楽観的に言い放つ。
そうは言っても、国家予算を食いつぶす戦費であるだけに、誰も軽くは扱えず、沈黙が広がる。
「何、そんなに悲観する事はないだろう。上手く投資を行えば英独日の経済圏での経済成長は加速するぞ。そうすれば、負債なんて何とでもなる。
クラーク君、彼らにアレを見せてやれ。」
「ハア、」
どこかに意識が飛んでいるのか、クラークは生返事で、ポケットから紙を取り出す。
「ええっと、合成ゴム、冷鋼圧延処理、赤外線、光学ガラス、電子顕微鏡、電気回路遮断器、極性を持ったリレー、風洞、アセチレンガス、エックス線管、セラミック、染料、テープレコーダー、ディーゼル・エンジン、殺虫剤、カラーフィルム加工、バター製造機、まだありますが、続けますか。」
もう良いとケインズが首を振る。
「少なくとも、独逸では、これらの新規技術が開発中だ。これらに適切な投資と技術援助を行う事で、莫大な富を生み出す。それさえ間違えなければ、負債の回収なんか、簡単なものだろう。」
「のと」資料では、戦後、米国はペーパークリップ作戦と銘打って、これらの技術を殆ど強奪して行く。
この結果、あちらの世界では米国の戦後の繁栄が始まると言っても良かった。
それを、独逸の技術と認めて、日英が支援すれば、新たな経済拡大が待ち受けている筈である。
しかも、こちらには「のと」資料まであり、彼らに適切な助言を行う方策はどのようにでも取れる。
また、同時に共同特許と言う形も形成出来る。

217shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/27(土) 13:59:59
「はあ、それはおっしゃる通りだと思いますが、その場合の問題は、どこがそれをするかなんですよね。」
高畑が口を挟んだ。
「うん、そりゃ、君とこだろう。日商の看板は伊達ではあるまい。世界に冠たる総合商社なんだから、それ位当然だろ。」
ケインズが不思議そうな顔で高畑を見つめる。
「のと」資料の使い方から、実際の技術指導、共同会社の設立まで、帝国内で散々行ってきた日商ならば、ノウハウも蓄積されており、そんなに難しい事では無い筈だった。
「いや、確かに、私の会社ならば、やれと言われれば幾らでも出来ます。しかし、一応、私企業ですよ。英国側はそれで良いんですか?」
高畑が慌てて反論する。
「今更、何を言っているんだね君は。ロスチャイルド家のネイサンが二ヶ月もスイスで君を拘束した理由もわかっとらんのか。」
ケインズが呆れたように、高畑の顔を見つめる。
「えっ、いや、そ、それは・・・」
一体、どこからそんな情報が漏れたのかと高畑は蒼くなる。
ちらっとマッキンレーを見ると、普段から無表情の顔であるが、確かに目が笑っていた。

「何かあったのか?」
井上が怪訝そうに、高畑を問いただす。
「いや、まあ、帰ったら相談しようと思ってたんですが。ロスチャイルド家からは、日商に対する資本参加の申し込みがありました。」
「どの程度?」
「全株式の30%です・・・」
ヒュウッと、山本が口を窄める。
それはそうである。
日商は、現在世界最大の総合商社である。
その実態は、非常に上手く隠されているから、殆どの者には判らないが、総資産は天文学的な数字となっていた。
関連会社は数知れず、ブリテッシュオイルカンパニー、ロールスロイス、ロイズ保険会社等の英国系大企業との合弁会社等も多数立ち上げており、その影響力は米国国内にも及んでいる。
高畑に言わせれば、「のと」情報等と言う卑怯なものを使う以上、これ位は誰でも出来ると言う事になるが、やはり彼の手腕が無ければここまでには至らないであろう。
毎年二回、高畑から、日商の経営報告的なものが、総研内部で行われるが、その度に、メンバー全員が唖然とせざる得ない世界が広がっていた。

218shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/27(土) 14:02:36
「井上・・・、金があるって、素晴らしいな・・・」
実際、梅津が漏らしたこの言葉が的確に、全員の意識を示していた。
とにかく、日商が運営している現金類だけで、帝国の拡大し続けている国家予算を上回っているのである。
梅津らにすれば、それだけでも十分過ぎる程だった。
巧妙に分散され、隠されている各地の資源地帯の土地所有権等の資産を含めると、その金額は最早理解できるものではない。

そして、日商の恐ろしいのは、その株主だった。
資本金100万円にて立ち上げられた日商だが、1929年に総研経由の出資で、資本金は500万円に引き上げられていた。
そして、新たな株式が発行され、全発行済み株式の8割が、総研所有とされた。
言わば、日商は総研の経済上の看板なのである。
しかも、それの意味する所は、皇室所有の総合商社と言う前代未聞の会社だった。
昨年、「のと」情報が英国側に開示された時点で、総研所有の株式の25%、発行済み株式の2割に当たる株式が、英国王室に譲渡されている。
勿論、代価は払ってもらっているが、それは破格ともいえる格安のものだった。
お蔭で、現在の日商の株主は、皇室6割、英国王室3割、民間1割と言う構成になっている。
ちなみに、英国王室の残り一割は、高畑ら民間から別途買い上げている。

そして、この日商に対して、ロスチャイルド家が、資本参加を申し込んできた訳であるから、高畑も即答できるものではなく、帰国して相談する積りでいた訳である。

219shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/27(土) 14:05:00
「ロスチャイルド家は、欧州大富豪、言わば欧州経済界の代表としてそれを申し入れているんだ。
それ位、高畑君も理解していよう。」
ケインズが続ける。
「ええっ、それは理解していましたが、しかし良いんですか、日商で。」
高畑にすれば、英国王室の資本参加はあっても、日商は帝国の企業だと言う意識はある。
最も、現在の社員は日本人でない者の方が遥かに多い、多国籍企業となってはいるが。
しかも、欧州と言う先進国家群が、帝国と言う後発国家から派生した企業を、その代表と認めるなんてありえる話とは思えないのだった。

「いまさら、日商のまねをしても始まらん。それに、間に合うものでもない。」
ケインズがにがにがしく言う。
「私個人としては、得体のしれんアジア人の作った会社なんてと言う意識に同調したいのが本音だが、君達がやってきた、十年のアドバンテージをひっくり返そうとするならば、
中に入って、内側から食い破るしかないだろうな。」
「はあ、そう言うもんですか。」
そこまで、あからさまに言われると、逆にいやみに聞こえないから不思議である。
油断すれば、何時でも取って代わってやると正面から言われるている訳であるから、腹も立たない。
少なくとも、外から訳の判らない謀略や暴力的な手段で対応されるよりは遥かにましだろう。
「とにかく、ここ五年間近く、戦争準備と言う形で、独逸経済はかさ上げされている。確かに、戦争でもしない事には、この景気は崩壊し、独逸は再び長い不況に陥るのは目に見えている。」
ケインズが、如何にも経済学者らしく話を続ける。
「それを、素早く侵攻し、更に経済を発展させる事により、我々の側に立たさなければならない訳だ。」
「追加投資と、新たな戦争目的の提示ですね。」
井上の口から漏れた言葉に、皆が驚く。
「新たな戦争目的と言うのは良く判るが、井上の口から追加投資と言う言葉が出てくるとは。
時代が変わったな。」
山本が呆れた顔で、言った。
「そう言う山本さんも、その言葉の意味が判っているじゃないですか。我々は最早軍人ではないんですよ。」

220shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/27(土) 14:07:33
「そこ!ごちゃごちゃ言っとらんで、人の話をちゃんと聞きたまえ。これだから、軍人は始末に終えん!」
ケインズが釘を刺して、話を続ける。
「今回の独逸侵攻は、君達軍人には単なる軍事行動にしか過ぎんと思っているだろうが、実際はその後の我々経済人の活動が重要なんだよ。」
更に、嫌味を言うのを忘れないのが、如何にも英国人だった。
「侵攻直前までに、英国に、帝国の生産管理の専門家も含めた技術者集団、ナチス独逸の迫害から逃れてきた科学者を中心とする研究者集団を待機させる。」
「戦闘終了と共に、彼らは予め決められた拠点に駆けつけ、工場ならば、新たな生産計画の立ち上げ、研究施設ならば、研究の現状の確認と、新たな方向性の提示を行う。
特に、兵器生産に関しては、現状の独逸兵器の生産の継続と、新しい設計に基づいた生産、また生産施設の改装も行わなければいけない以上、大変なものとなる。」
「日商は、平行してシーメンズ、マン、クルップ社等の独逸企業に対する新たな融資、資本参加等の交渉を行う。この辺りは、ロスチャイルド家とも話を通してあるので、交渉がまとまる事を前提に、現場を先行させねばなるまい。」
「サイズの問題もあるぞ、インチ・ヤードではなく、メートルなんだからな。その辺りも上手くやらないと、偉い事となる。」
ここで、ふとケインズは話を止めた。
「そう言えば、八木とも話したのだが、高畑君が行った、亡命科学者達の確保は見事だな。あれにはほとほと感心させられたよ。」
「はあ、ありがとうございます。」
ケインズの話し方が教授の講義に近いせいだが、何だか、本当に学生の頃に戻ったような気がする。

221shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/27(土) 14:09:56
核兵器の開発に関して、「のと」資料を分析していて気がつくのは、その科学者達の出身地である。
純粋に米国生まれの学者もいない訳ではないが、アインシュタインを初め、多くの学者は欧州から渡ってきているのである。
それも、30年代に入ってきてから顕著となっている。
勿論、帝国も国家として情報部を通じて、これらの学者に接触を図り、可能ならば帝国に来て貰う為、色々努力もし、成果も上がっていた。
しかし、彼らからすれば、辺境のアジアに移動するのは躊躇いが大きい。
この事に、早期から気が付いていた八木は高畑に相談を持ちかけ、総研として他の対策を講じたのである。
31年に、英国王室に話を通し、新たに皇室から信託財産が英国王室に預けられた。
エジンバラ郊外にある王室領の一部が敷地として用意され、そこに王室理化学研究所が設立されている。
一応、英国王室が、亡命科学者達に、生活と研究の場を提供すると言う建前で、多くの科学者達がそこに留まっているのである。
ケインズ自身も王室理化学研究所の設立は知っていたが、それが高畑らの画策である事は全く気が付いていなかったのだった。

222shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/27(土) 14:12:11
「とにかく、もう、余り時間が無い。そちらの帝国側の準備は、日本にいる間に、八木君達と詰めて来たので、後は英国側での準備だ。まあある程度は、話は通してあるので、間に合うとは思うが、総研や日商には更に働いて貰わなければいけない。」
講義終了、と言う形で、ケインズは一気に話を締めくくる。
全員が少しあっけに取られ、暫く沈黙が広がった。
「他に、何かあるかな?」
違う意味で毒気が抜かれたように、井上が全員に聞いた。
「クラーク君は、何かあるのかな。」
堀は、先ほどから話を聞きながらも、全員の様子を注意深く観察していた。
全員が、ケインズの独断場にあっけに取られている中で、一人クラークだけが、何か他の事を考えているのが判っていた。
彼は、この中でも飛び抜けて若い。
まだ二十歳そこそこなのだから、他に心配事でもあっても不思議はない。
それでも、一応気になり、彼に話を向けてみたのだった。
「あっ、いや、べ、別に・・・」
「うん、クラーク、何か忘れてたかな?」
ケインズも少しは、気になるのか、クラークを促す。
「はあ、実は、一つ・・・」
彼は、また、口ごもる。
「クラーク、君はまだ若いから、このような場では、躊躇いが出るのも仕方ない。しかしだな、少なくとも我々のメンバーに入っている以上は、疑問があるならば、はっきりと言う必要があるぞ。」
ケインズに怒られ、クラークは覚悟を決めたようだった。
「実は、独逸とソ連の関係なのです。
「のと」資料でも、確かに三年後、1941年には独ソ戦が開始されています。
このことから、我々は独逸とソ連が決して心から信用していない、いや、言い方が悪いかな。
中が悪いと考えすぎてないかと言う事なのです。」
「うん、少し意味が判らないが、独逸とソ連が、中が良いと何か問題があるのかな。」
山本が、話しあぐねているクラークに声を掛ける。
「す、済みません。上手く説明できないのですが、独逸に開戦した場合、ソ連がどう動くのかが気になって・・・
何か、良く判らないんですが、自分でも見落としているような感じがするんです。」
そこまで話してクラークは黙り込んでしまう。
彼自身、何か判らない、予感のようなもので、もやもやしているだけなのか、本当に困ってしまっている。

223shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/27(土) 14:14:38
「うーむ、確かにソ連は、フィンランド侵攻の為に部隊を集結している最中だな。」
山本が堀に確認するように、話を向ける。
「先ほどの会議で話したように、今のソ連は完全に、北欧を向いている。フィンランドからバルト三国へとその食指を伸ばしている所だ。」
堀は、クラークの疑念に否定的だった。
「ソ連が、我々の動きを察知して、同時に独逸に対する侵攻を行う可能性?
無理だな、間にポーランドが挟まれている。」
「あっ、でも、もしナチス独逸が、ソ連に対して救援を求めたりしたら・・・」
「いや、それは無いだろう。幾らなんでもそこまではできんだろう。」
山本が否定する。
「しかし、その可能性はあるかもしれませんね。」
井上がここで始めてクラークの危惧を肯定するように答える。
「独逸とソ連が、仲が悪いと考えているのは、我々の常識です。
しかしながら、今の時点で、果たしてスターリンとヒトラーの仲は険悪なのでしょうか。
確かに、スペインでは敵同士として戦っていますが、あれはあくまでも内戦ですから。」
「ふむ、実際の所は判らんな。
でも確かに、ソ連と独逸の仲が険悪になるのは、もう少し後だな。」
「ええ、今の所、資源の輸出はしていますし、石油も融通していますよ。」
「そうか、独ソ戦に関する詳細を「のと」資料で見てしまっている以上、我々にも先入観があると言う事だな。
クラーク君、良いところに気がついた。この先は、情報部で検討して貰えば良い。」
ケインズは、やはり先生であった。
年の離れたクラークをまるで生徒を見るように扱っている。
「はあ、ありがとうございます・・・」
「うん、まだ何かあるのかね?」
「えっ、そうじゃないですが、まだ何だか納得出来なくて・・・」
「そうか、それは良い事じゃないか。納得するまで悩みなさい。」
うんうんと一人頷いているケインズに、周りがしらけてしまう。

「まあ、とにかく、あと四ヶ月で全てが始まる。
私も、スイスに戻ったら、クラーク君が気にしている内容について、もう少し調べてみよう。」
山本がそう言うと、クラークは嬉しそうに頭を下げる。

「それでは、一応方針の確認も出来ましたし、以上ですかな。」
全員が頷くのを井上が確認する。
「では、皆さん、これからも頑張ってください。」
閉会の挨拶ぽいものを井上が発し、全員が堀の部屋から出ようとする。
「あっ、高畑!お前、逃げるな!」
一緒にこっそりと高畑が出てゆこうとするのを、井上は目ざとく見つける。
「お前なあ、ロスチャイルドの事、どうしてさっさと言わないんだ!」
「えっ、いや、事が事だから・・・」
閉まった扉の向こうで、二人が言い争う声だけが、かすかにこぼれていた。

224shin ◆QzrHPBAK6k:2007/02/02(金) 10:07:25
 1938年9月12日、ヒトラーがナチス党大会でチェコ領ズデーテン地方合併要求を高らかに宣言した。
4月にズデーデン・独逸党が、ズデーデン地方のチェコからの分離と独立を叫んで以来、それはほぼ勝利宣言に近い内容だった。
「始まったか。」
「ああ、これでヒトラーも今更撤回する訳にも行かない。」
梅津の質問に、手渡された電信記録を見ながら井上が答える。
「大英帝国の方は?」
「予定通りらしい。チェンバレン首相も待ち望んでいたとの連絡が高畑から入っている。直ぐにベルヒテスガーデンに向かうだろう。」
「いよいよ始まるのか。」
「ああ、戦争だ。」
暫く二人は何も言わない。
「上手く・・・行くかな・・・」
梅津がポツリと呟いた。
二人とも、いや総研に関わる全ての人々がこの先に待ち受けている、第2次世界大戦での滅亡を避ける為に努力してきた。
国力を増大させ、力を蓄えてきた。
「満を持して打って出る」
それならば、どれ程楽だろう。
「乾坤一擲の大勝負」
それならば、どれ程気分が高揚するだろう。
二人は目の前にある独逸との戦いを見ているのではなかった。
独逸の先にある、ソ連、そしてその先に待ち受けているかもしれない、米国を見ているのだった。

帝国内には、10年前には考えられなかったような一大重工業施設が広がり、経済は毎年20%以上の伸び率で伸張している。
二年後には、東京で、オリンピックと万国博覧会が同時に開かれる。
人々は、今からそれを期待し、東京のホテルに予約が入る位である。
中島製作所が、満を辞して発売した、普通乗用車「昴」は、飛ぶように売れている。
トラックを専門に作っていた、豊田自動車の発売した高級車、「クラウン」ですら、その売り上げは確実に増加している。
国民は、希望に満ちており、今日より明るい明日を目指して、明るい未来を夢見れる社会が広がっているのだった。
日商は世界最大の総合商社であり、系列企業は軒並み成長を続けている。
帝人が発売した、化学繊維、所謂ナイロンは、爆発的な売れ行きを示しており、世界市場を席巻している。
日輪ゴムは、帝人と共同で始めた合成ゴムの開発を皮切りに、今や合成樹脂メーカーに生まれ変わろうとしていた。
丸善石油部は、丸善石油と社名を変更し、大慶油田の開発だけではなく、中東でも石油資源の開発を行い、石油メジャーの一角に食い込もうとしている。
播磨造船所は、東洋一の造船施設と言う看板を、三菱重工長崎造船所と争っている。
しかも、両造船所そのものが、年々規模を拡大しながらである。
日商系列以外の企業も、年々その規模を拡大していた。
乗用車生産に乗り出した中島製作所や豊田自動車等の製造業から、所謂チキンラーメンとして、今やアジア中に名前が知られ始めている日新食品、東洋製麺等の食料品加工業、世界中に航路を維持している日本郵船、コンテナ輸送と言う画期的な方策を採用し、シェアを伸ばし始めた帝国輸送等の輸送業に至るまで、成長企業は数え切れない程である。
「のと」情報と言う起爆剤と、英明な君主、稀代の名宰相と呼ばれるに値する首相による組み合わせが、未曾有の繁栄を帝国に齎していた。

225shin ◆QzrHPBAK6k:2007/02/02(金) 10:10:08
米国との戦争は、これら全てを無に帰す可能性を秘めていた。
勿論、戦争を回避するため、帝国を崩壊させないための努力の成果として現在の帝国の繁栄があるのだが、それでも十分ではなかった。
それ程米国は巨大な国家である。
帝国内での自動車生産が、年間50万台を越えている今ですら、米国では350万台近い自動車を生産している。
米国が最早慢性的と言ってよい長期不況から抜け出せない状態ですら、こうである。
帝国が、10年掛けて国力を増大させたと言っても、米国に比べればまだまだ小さいと言うしかなかった。

彼らなりに考えているシナリオはある。
それが上手く行けば、米国との対決は回避できる筈だった。
そして、そのシナリオの第一段階とも言えるのが、今回の対独戦なのである。

「上手く・・・行かすさ・・・」
長い沈黙の後、初めて井上が口を開く。
「なあに、少なくとも英国を巻き込んでしまっている以上、「のと」世界のようにはならん。
否、それだけは絶対させん!」
梅津は井上の熱い口調に、唖然とする。
「あ、ああ、そ、そうだな。」
今まで、皮肉屋、毒舌屋と言うのは、いやと言う程見ているが、このような井上は初めてだった。
「とにかく、対独戦だ。」
柄にも無い姿を見せた井上だが、少し照れるのか、慌てて話題を反らす。
「ヒトラーもここに来て中止は出来まい。こちらも準備は整っている。後ば計画を実行に移すだけだ。梅津、頼むぞ!」
「了解した。では、行って来る。」
梅津は、今の統合軍の挨拶ではなく、旧陸軍式の敬礼を返す。
それに対して、井上も旧海軍式の敬礼で答礼した。
暫く、黙ってお互いを見つめていた二人だが、梅津はそのまま踵を返すと、部屋を出て行く。
これから、所長に会い、その足で厚木から、待機している航空機を乗り継いで、欧州に向かうのである。
それは、欧州参戦、それが本格的に始動した、最初の日のアジアの辺境での小さな出来事にしか過ぎない。
しかし、二人とも十分過ぎる程理解していた。
昭和4年8月9日、長崎 野母岬沖に、「のと」が出現してから今日までの、長い準備期間がついに終わりを告げた事を。
これから、本格的な戦いが始まる事を。

ただ二人が、気がついていない、些細な偶然もそこにはある。
それは、9年前の今日、初めて二人は陛下の前で合間見えたのだった。

226shin ◆QzrHPBAK6k:2007/02/02(金) 10:13:42
ベルヒテスガーデン近郊の駅に、英国の政府専用列車が着陸し、見守る儀仗兵に挨拶をしながら、一人の男が降りてきた。
ネビル・チェンバレン英国首相である。
車に乗り込む前、彼は一呼吸置くように、辺りを見回す。
独逸国防軍のダークグリーンの制服を纏った、兵士達の前で、更に誇らしげに直立不動の姿勢で彼を見守る黒い制服の列。
やっと、こいつらから解放されるのか。
チェンバレンは、この黒い服が大嫌いだった。
そして、彼はこの黒い服を着た連中を指揮している眼鏡を掛けた小男が更に嫌いだった。
世間でどう思われているかは知らないが、彼自身ヒトラーは悪い男だとは思っていない。
そして、それは「のと」資料の抜粋に目を通しても変わらなかった。
可愛そうに。
それが、ヒトラーに対する彼の本心だった。
あまりにも、ヒトラーはスタッフに恵まれていない。
弱小政党から、ここまでナチスを大きくした手腕は大したものだと思うし、実際に会って話している限り、非常に理性的な男だと評価できる。
政治家としてみた場合、多分一流の部類に入るであろう。
ただ、本当にスタッフに恵まれていない。
「のと」資料を見ていて気がつくのは、彼に渡る情報が歪曲されているのではないかと言う疑いだった。
勿論、政治家である以上、嘘もつくし、はったりも使う。
だが、本質的な所では、信用できると言うのが、チェンバレンの印象だった。
それ故、彼は独逸との交渉を続けたのだし、宥和政策を続けて来た訳である。
最も、英国の戦備が整っていないと言う方が、大きな理由ではあったが、少なくとも相手がヒトラーである限り、戦争は回避出来るのではないかと言う思いはあった。
それ故、大日本帝国と組む事で、戦争準備が38年中に完成すると判っても、彼は宥和政策を捨てようとはしなかった。
しかしながら、「のと」資料がその前提を大きく崩してしまった。
このまま推移すれば、来年ナチス独逸はポーランドに侵攻する。
そうなれば、宥和政策は崩壊せざるを得ない。
自分は騙されていたのか。
ちょび髭の男は自分よりももっと腹黒い男だったのか。
そう考えてみても、どうしてもヒトラーの印象と一致せず、結局辿り着いたのが、彼のスタッフだった。
情報が操作されている。
ヒトラー本人は、まだ気がついていないようだが、彼に渡る情報は、その前にヒムラー、ゲッペルス、ボルマンらによって、微妙にニュアンスの変更が加えられていると言う疑いだった。
勿論、彼ら自身別にあからさまにヒトラーを操ろうとしている訳では無いだろう。
ただ、自分達に都合の悪い情報は隠し、良い情報は強調する程度であろうが、それでもバイアスが掛かった状態では、ヒトラー本人の政治的判断も変わろうと言うものだった。
その可能性に気がつくと、過去のヒトラーの行動に腑に落ちる点が多々出てくる。
最近の一連の国防軍の罷免にしても、彼には正確な情報が渡っていない為に、起こった事が丸判りである。
まあ、仕方あるまい。
ベルヒテスガーデンに向かう車の中で、チェンバレンは自分に言い聞かせる。
自分は、大英帝国の首相であり、ヒトラーは大ドイツ帝国の総統でしか過ぎない。
これから、あの黒い服の連中に、そのつけを払わせる事になるのだから、ちょび髭の叔父さんには可愛そうだが、お互い国を背負っている以上、覚悟はしているだろう。

227shin ◆QzrHPBAK6k:2007/02/02(金) 10:28:02
ベルヒテスガーデンでの両国首脳会談は、短時間で終了した。
チェンバレンは、挨拶もそこそこ、短く告げただけだった。
「英国政府及びその同盟諸国は、独逸のズデーデン地方の併合は、認めない」と。
そして、
「独逸がズデーデン地方に侵攻した場合、独逸と、英国及びその同盟諸国との関係に、重大な結果を招くであろう。」と。
それだけ告げると、チェンバレンは、簡単に会議の終了を告げ、部屋を出て行ってしまう。

会議室に残された、ヒトラーは、茫然自失の状態で立ちすくむのだった。

「総統・・・」
シーンと物音一つしない会議室で、恐る恐るヒトラーに声を掛けたのは、副総統のルドルフ・ヘスだった。
「彼は、何を言ったのだ。」
「えっ・・・」
「彼が、何を言ったか聞いておるのだ!ボルマン!」
「ハイ。」
側に黙って控えていたボルマンが素早く返事をする。
「彼は、ズデーデン地方の割譲を拒絶したのだな。間違いないな。」
「ハイ、私にもそう聞こえました、総統。」
「調べろ!」
「ハイ?」
ボルマンも、ヒトラーが何を調べろと言っているのは理解していたが、決して自分からそれは言わない。
「すぐさま、どうして英国があのように、強気に出るようになったのか?
たった一月で、何が変わったのだ?
イギリスの特命大使と、アメリカ大使がチェコに入り、ズデーデン割譲の交渉を持ったのは、先月だぞ!」
悲鳴に近い、ヒトラーの叫びで、独逸第三帝国首脳陣は、ある種のパニックに襲われることとなった。

228shin ◆QzrHPBAK6k:2007/02/02(金) 11:07:10
どうして、英国が突然掌を返したのか。
そうするだけの理由が何処にあるのか。
情報部が資料を洗いざらい分析し直し、新たな防諜部隊が英国に送られる。
しかしながら、捗々しい結果は出てこなかった。
いや、誰もそれに目をつけようとしなかったと言う方が正しい。
情報の中には、大西洋での英国海軍の活動が活発になっているとの報告もあった。
英国本土、特にスコットランド北部での警察活動が以前よりも厳重になっているとの報告も上がっている。
米国からは、インド洋、大西洋において、英国海軍の防諜体制が遥かに強化されているとの報告すら伝わって来ていた。
しかしながら、それらの情報が、国防軍情報部や、親衛隊情報部を通じて、総統官邸に上げられても、首脳陣は誰もそれをヒトラーに告げようとはしなかった。
ナチスの首脳陣の誰もが、猫の首に鈴を付ける気にはならなかったのである。
「英国が活動を強化するのは当然の事で、総統に報告するまでも無い。」
このような形で、ヒトラーが、英国の本心に気が付く機会は流れ去っていった。

これまでの大英帝国の融和政策によって、強気一辺倒で政策を実行してきた独逸首脳陣、特にヒトラーに取り、この態度がはったりなのかどうかが問題だった。
しかしながら、総統秘書のボルマン、親衛隊長官のヒムラーらは、ここでナチスが国民に対して、弱気な態度は取れないと言う事を一番気にしていた。
また、国防軍最高司令部総長のカイテルに、意見を言う度胸は無かった。
そして、彼らが待ち望んでいた、いや見たかった報告がもたらされる。
大英帝国の本国にある4個機械化師団の内、二つは既にフランスに派遣されおり、残りの二つは現在中東からオーストラリア方面に展開中であり、本国にいない事が確認されたのである。

「それでは、やはりチェンバレンの態度ははったりと見て良いのだな。」
「ハッ、総統閣下、間違いございません。彼らが動かせる軍隊は、本土近辺にはいません。」
流石にヒトラーは、そのような言葉を信じる程、お人よしではなかった。
「間違い無いのか?」
「ハイ、ウェールズにある兵営、現在オーストラリアに展開中の部隊の本拠地ですが、ここには現在留守番部隊しかいないとの報告です。」
「しかし、本当にオーストラリアに彼らはいるのか?」
「ハイ、オーストラリアからの報告では、英国部隊が、現在も現地で訓練しているとの事です。」
「判った。それでは、英国の態度をブラフと見て、我々は更に態度で占めそう。」
「カイテル!」
「ハイ、総統!」
「国防軍に、作戦開始を命ぜよ。わが国はズデーテン地方を編入する。作戦開始は、一週間後、10月7日とする。」
「ハイル・ヒトラー」
ヒトラーは知らなかった。オーストラリアからの報告が一ヶ月以上も前のものであることを。
 そして、「のと」資料から遅れる事一週間、10月7日早朝、独逸はズデーテン地方へ侵攻を開始した。

229shin ◆QzrHPBAK6k:2007/02/02(金) 11:10:47
大英帝国の対応は素早かった。
午前中に、欧州各国のラジオ局が、独逸のズデーテン進駐のニュースを伝えるのとほぼ同時に、今晩7時に、チェンバレン首相が、英国国営ラジオ放送を通じて、特別放送を行うとの報道を一斉に行ったのだった。
 勿論、独逸国内ではそのような報道はされなかったが、フランスやオランダを初め、デンマーク、ベルギー、ポーランド、チェコスロバキア、スイス等のラジオ局から流される放送は止めようもない。
 チェコスロバキアに至っては、通常よりも出力の高い電波で放送が行われていた。
 ヒトラーを含む独逸首脳は、戸惑いを隠せなかった。
ズデーテン地方に侵攻した独逸国防軍は、抵抗らしい抵抗に会わないまま、前進していた。
それどころか、侵攻したどの地域でも、独逸系住民が、歓呼の声で出迎えてくれる。
しかしながら、奇妙な事に、軍関係は言うに及ばず、チェコ政府関係者が一人もいないと言う情況が広がっていたのである。
そこに来て、欧州の独逸以外の国の一般放送が同じ内容のニュースを話している。
何か、とてつもない事が起きようとしている。
それが、どう言う事かは、残念ながら判らないが、少なくとも独逸に利するとは思えない。
ヒトラーが側近に当り散らす中、直ちに近隣国家のラジオ局に対して調査が行われる。
隣国の中で、辛うじてチェンバレンの演説開始までに情報が上がって来た内容は、どこも同じだった。
朝一番に、ラジオ局の出資企業や個人から直接ニュースソースを渡されたとの事だった。
そして、二つのラジオ局から手に入れたその文面の複製は、全く同じ文面だったのである。
「直ちに、フランス、ポーランド国境に軍を送れ!」
流石に、ヒトラーもここまで来れば、英国が、何事が企んでいた事は容易に察しが付く。
それが、戦争と言う可能性は、ヒトラー自身、一番避けたいケースであるが、どう考えても、それ以外に考えられない。
間に合うのか。いや、戦いとなったら、叶うのか。
ヒトラーの頭の中に、最悪の予想が次々と浮かんでくる。
しかしながら、同時に、「どうやって」、そして「何処から来るのだ」と言う答えられない問いが浮かび上がってくる。

230shin ◆QzrHPBAK6k:2007/02/02(金) 11:14:34
「失礼します。」
ヒトラーが落ちつかなげに歩き回る、広い執務室の扉が開き、国防軍の連絡将校が入ってくる。
「陸軍参謀本部からの連絡です。」
ヒトラーは、なるべく落ち着いている振りをするが、それでも慌てているのは隠せない。
普段なら、ホフマンか、秘書の誰かが受け取り、ヒトラーに手渡すのだが、今はつかつかと歩み寄り、自分で受け取る。
食い入るように、文面に目を通すと、側に控えていたヘスに渡す。
「フランス国境は、特に変わった動きは見られない。
ポーランド軍にも大きな動きは無い。
ベルギー、デンマークでは軍の動きすら見られない。
プリマスやホーツマスの英国海軍に普段と違う動きは見受けられない。
ドーバー海峡を渡る英国軍の動きは無い。
どこだ、どこにいるのだ!
何があるのだ!」
しかしヒトラーの問いに答えられるものは誰もいなかった。
ヒトラーは知らなかった。
英国軍の二個機械化師団が半年前から行方が知れない事など。
インド・オーストラリア・カナダからそれぞれ一個連隊以上が消えている事を。
そして、プリマスの英国海軍泊地には、半年程前から、常に戦艦部隊の1/3以下しか停船していない事を。
更に言えば、今までアイルランド北部や、ウェールズ西部に位置していた多数の航空隊が、この瞬間にも、エジンバラ、ドーバー等の比較的独逸に近い海岸沿いの臨時飛行場に着陸している事や、スコットランド北部、バイナキールと言う誰も聞いた事のない湾から、大量の艦船が出撃して行った事を。

231shin ◆QzrHPBAK6k:2007/02/02(金) 17:59:24
その頃、デンマークにある日系企業の所有地に、何台かのトラックが到着していた。
トラックから多数の民間人が降りてくる。
いや、身なりは何処にでもいる民間人そのものだが、動きは統制の取れた兵隊そのものだった。
彼らは、その非常に統制の取れた動きで、瞬く間に、トラックに詰まれた箱を下ろし、手早く広げ、組み立て始める。
雷除けと言う名目で建物から少し離れた所に建てられた、高い鉄塔、やけに土台や骨組みが丈夫そうな鉄塔に群がると、素早く部品を取り付けてゆく。
周りを取り囲むように、荷物を積んできたトラックが並べられ、何人かの兵士はそこからケーブルを繋いで行く。
一時間程度の工作で、全ての準備が整ったのか、トラックは一斉にエンジンを吹かしぎみに、アイドリングを始める。
「準備出来ました。」
「ご苦労、間に合ったな。良し、エンジンを止めろ。」
再び静寂が辺りを包む。
「開始まで、20分か、ギリギリだったな。」
「ああ、今度はもう少し、早くできるように努力しよう。」
将校らしい、二人はそのまま、頷きあう。
「武器を受け取り、配置に付くか。少なくとも8時間は守らなければいけないのだからな。」
手早く、屋敷から大量の武器弾薬が運び出され、彼らは武装して行く。
また、別の荷物が開けられると、更に服装も着替えて行く。
武器を手に、配置に付く彼らの姿は、何処から見ても、独逸親衛隊そのものだった。

7時になり、英国の短波放送が、総統執務室に流される。
英国国家が鳴り響き、アナウンサーが首相の特別放送を継げた。
通訳が待機し、ヒトラー含め、ナチス高官が待ち受ける中、チェンバレンの肉声がラジオから聞こえ出した。
「世界中の平和を愛する市民諸君、大英帝国首相チェンバレンです。」
「通常より、出力が上がっています。」
ヒムラーがヒトラーに告げる。
「今宵は、皆さんの貴重な時間をこの放送に割いて頂き、本当に感謝します。多分、この放送は、世界中、そう、独逸の国民の皆さんも聞いているでしょう。そう、私達英国国民と同様に、平和を愛する人々です。我々、平和を愛する国民は・・・」

「た、大変です!」
執務室の扉が突然開かれ、親衛隊の将校が飛び込んで来た。
「何事だ!」
ボルマンがヒトラー総統の機嫌を損ねるのを慮るように、すぐさま声を張り上げる。
「国内の、ら、ラジオ局が襲撃されています。」
「なに!」
「なんだと!」
一斉に執務室内が騒然となった。
全国の主要なラジオ局が、ほぼ一斉に電波を発信出来なくなっていた。
突然のぼや騒ぎで、職員が建物から避難したようなケースから、送電が止まってしまったケース、放送機器が突然動かなくなったケース等、止まり方は様々だが、少なくとも独逸東部では殆どのラジオ局が、西部地域でも主要なラジオ局は一斉に放送が停止していた。

232shin ◆QzrHPBAK6k:2007/02/02(金) 18:01:42
そして、そのタイミングを見計らったように、主要な周波数では、臨時放送が始まっていた。
「番組の途中ですが、ここで、英国チェンバレン首相の特別放送をお伝え致します。」
図ったようなメッセージが伝えられ、ワンフレーズだけ、チェンバレン首相の肉声が英語で流れた。
そして、その声がやや小さくなり、それに被さるように独逸語に翻訳されたアナウンサーの声が流れ出したのだった。

チェンバレンのメッセージは明確だった。

「第一次世界大戦と言う前時代的な君主による紛争の結果、独逸国民は塗炭の苦しみを味わう羽目に陥たった。
莫大な賠償金が課せられる事となり、独逸国民の皆さんは、それを懸命に支払おうと努力された。
それは、我々他国の国民が見ても、非常に立派な行動でした。
しかし、それにも限度があった。
世界的な不況に巻き込まれ、独逸では急激なインフレが発生し、国民の皆さんは、明日の生活の保障すら持てない、辛い苦しい時代に直面したのです。
このような非常に厳しい状況に追い込まれたとき、誰が目の前にあるものに縋ろうとするのを止めることが出来るだろうか。
例えそれが、皆さんのような理性的な独逸国民であっても、止むを得ないとしか言えないであろう。
そして、独逸国民、皆さんの前に差し出されたのは、国家社会主義ドイツ労働者党だった。
確かに、ヒトラー総統は、優秀な政治家であろう。
独逸にとって、「今何をすべきか」を決断出来る政治家。
国家にとって信義とでも言えるお互い同士の約束事を破り捨て、自分は正しいと言える政治家はそういる者ではありません。
結果、独逸は優秀な国民の手で、驚異的な回復を見せます。
元々皆さん、独逸国民は優秀な人々なのです。
それが、不当、そう、何時の時代でも、借金は「借りた方にとっては」不当としかいい様がないでしょう。
そう、その借金を棚上げにすれば、優秀な独逸国民が貧困に喘ぎ続ける訳は無いのです。
それに着目し、国家再建を成し遂げた、ヒトラー総統は、優秀な政治家でしょう。
しかしながら、私は国家社会主義ドイツ労働者党に関しては、このような評価すら与えられません。

ワイマール条約と言う停戦条約によって、独逸は領土を割譲させられました。
これは、当時の独逸政府が敗戦を認め、その賠償として土地の提供を要求され、それに対する対価として割譲されたものです。
そして、そうである以上、国家としての独逸が異議を申し立てる事は「フェア」ではない。
しなしながら、そこに住む住民が、独逸への帰属を要求すなら、例え国家であれ、それに逆らう事は出来ません。
オーストリアに対しても同様でしょう。
国民が「フェア」な情況で、統合を望むならば、ヒトラー総統の出身地でもあるオーストリアが、
独逸と統合するのも他の国家が異議を挟む筋合いは無い。
しかしながら、チェコスロバキアに属するズデーデン地方はどうでしょうか。
確かに、独逸への帰属を望む人々もいよう。
だが、反面、新たな国家への帰属を望む人々もおり、今の国家社会主義ドイツ労働者党のやり方は「フェア」と言えるでしょうか?
徒に、独逸系の住民を煽りたて、ズデーデン地方に国家社会主義ドイツ労働者党の党員が送り込まれています。

233shin ◆QzrHPBAK6k:2007/02/02(金) 18:03:52
独逸の国民よ、良く考えて頂きたい。
あなた方は、優秀な政治家としてのヒトラー総統を得た代わりに、何を得たのかと。
本当に、国家社会主義ドイツ労働者党は、あなた方の最良の選択なのかと。
少なくとも、我々、英国を含む幾つかの国家はそうは考えていません。
そして、独逸周辺国にとって、国家社会主義ドイツ労働者党は、害悪でしかない。
ここに至り、我々は一つの決断を迫られました。
そう、本日ただ今を持って、我々、英国を含む諸国家の連合勢力は、国家社会主義ドイツ労働者党を独逸国から排除するための軍事行動を発動します。

これは、国家間の戦争とは我々は考えていません。
我々の目標は、あくまでも国家社会主義ドイツ労働者党と言う政党であり、決して独逸国家ではないのです。

独逸の誇りとも言うべき国防軍の諸君、あなた方は国防軍最高司令官であるヒトラー総統の命令に逆らう事は軍人として出来ないのは我々も承知しています。
それが、例え敬愛する将軍が国家社会主義ドイツ労働者党により、相次いで失脚し、国防省が何故か廃止されたとしても、最高司令官に就いた人物は、立派な人物である事は、我々も承知しています。
我々が派遣するのは軍隊であり、諸君らも軍人である事は言うまでも無い。
そして、我々は、これから貴国に侵攻する訳であり、諸君らはなんと言おうが、それを排除する義務がある。
戦おう!
我々は全力を尽くして、国家社会主義労働者党を貴国から排除する為に、戦う。
そして、諸君ら国防軍は、独逸国を守る為に、戦わねばならない。
ただ、ただ、一つお願いしたい。
この戦いで、我々が国家社会主義ドイツ労働者党を排除した暁には、諸君らは速やかに、独逸国を守るために、立ち上がって頂きたい。
外敵の侵入を防ぐ為だけに、国防軍がある訳ではないのです。
国家の維持、治安の維持も国防軍の重要な任務である。
それを忘れないで頂きたい。

独逸国民の皆さん、ご清聴感謝します。
1938年10月7日、大英帝国首相、アーサー・ネヴィル・チェンバレン
アウフヴィーダーゼン」

234shin ◆QzrHPBAK6k:2007/02/02(金) 18:06:11
放送が終り、ラジオは何も言わなくなる。
そして、雑音だけが激しくなり、慌てて秘書が駆け寄り、摘みを回すが、何処を選んでも、雑音しか聞こえてこない。
「消せ!」
総統執務室に、ヒトラーの鋭い声が響く。
ヒトラーは、そのまま部屋にいるナチス高官を眺め渡す。
「どう言う事だ?」
誰も何も答えない。
「誰も何も言えないのか?」
ヒトラーが尚も問い質す。
「残念ながら、見事な謀略放送です。」
ゲッペルス宣伝相が、辛うじて答えた。
額には汗か浮かんでいる。
「直ちに、逆宣伝の放送準備を。」
ゲッペルスはそのまま部屋を飛び出そうとする。
「まて!多分無駄だろう。」
ヒトラーは冷静に告げ、ゲッペルスを押し止める。
「諸君らも聞いたであろう。あのラジオの雑音を。英国は何らかの方法で放送を妨害する手段を開発したようだ。
多分・・・
ラジオ局が放送再開可能になっても、電波は届かないだろう。」
その時、ヒトラーの予言を証明するように、扉がノックされる。
「入れ。」
総統官邸に詰める、国防軍の連絡将校が、感情の無い顔で部屋に入ってくる。
「国防軍最高司令部より、連絡です。
現在、広範囲に渡り、電波が妨害されており、ラジオ放送、通常の無線共に一切不通との事です。」
連絡将校は、国防軍式の敬礼をすると、秘書官に書類を渡し、部屋を出て行った。

「見たか、彼の態度を。」
ヒトラーがポツリと言い、全員が怪訝そうな顔を浮かべる。
「彼は、我々NASDAP式の敬礼ではなく、陸軍式の敬礼をしたんだぞ。
君達はそれすら気が付かないのか!」
かん高いヒトラーの声が執務室の天井に響き渡る。
勿論、ナチス党員であれば、「ハイル・ヒトラー」と言う形式の右手を高く挙げる敬礼が当然のものとなっており、総統官邸では、多くの国防軍将校もこれに倣っている。
しかしながら、全員が全員とも、それを行う訳では無いが、今のヒトラーには、彼がわざとそうしなかったとしか思えなかった。
総統執務室には重い沈黙が垂れ込め、暫くは誰も何も言えなかった。

235shin ◆QzrHPBAK6k:2007/02/03(土) 11:56:32
 スコットランド北部、バイナキール、大ブリテン島のほぼ北の果て、住民も近所のダーネス辺りに少しだけしかいない、本当の僻地である。
しかしながら、この静かな小さな湾が騒がしくなったのは、半年程前からだった。
三隻程のやけに平たい貨物船が湾に入ってくると、その内の一隻の艦尾から、大発、帝国の上陸用舟艇、と思しき艦艇が次々に現れる。
それらの小型舟艇が、海岸に乗り上げると、平たい艦首がそのまま手前に開き、キャタピラの騒音を撒き散らしながら、ブルドーザーが出てくる。
海岸で待ち受けていた、数名の兵士が誘導するまま、ブルドーザーは通路を広げて行く。
別の大発からは、大きなローラーが付いた重機や、シャベルカーのようなものも現われ、たちまちの内に、海岸から内陸部の小高い丘陵地帯に向かって、簡易道路を建設し始める。
道が通じると、更に輸送船から、多くの重機が現われ、丘陵地帯を平坦な土地に変えてゆく。
砂利を満載したトラックまで登場し、平坦となった土地に、均一に砂利を敷き詰め、ローラーが踏み固めてゆく。
そしてその上に、細かい砂が敷かれ、最後には、コンクリートミキサーまで登場し、そこにコンクリートが敷き詰められて行く。
ここまで来ると、今度は長方形の大きな箱が船から陸揚げされ、待機していたそれ専用のトラックに載せられると、次々と敷き詰められたコンクリートを避けながら、その箱を丘陵地帯まで運び上げて行く。
既に、土台らしいものが用意されており、順番にクレーン車がその箱をその台の上に並べて行く。
素早く、箱に何人もの兵士が駆け寄り、土台と接合させる作業に取り掛かるもの。
箱そのものが分解され、台座だけ残し、他へ運ばれるもの、様々な作業が効率よく実施されて行く。
 一月後には、バイナキールに緊急着陸用の滑走路と簡易宿舎が完成していたのである。
その後更に工事は続けられ、今では浮き桟橋から、補給用のパイプラインが伸び、主滑走路と横風用の滑走路まである立派な航空基地が展開していた。

チェンバレン首相のラジオを通した演説が行われる三時間前、新たなバイナキール航空基地の首滑走路の片隅に、彼らは待機していた。
既に、作戦に関する打ち合わせも済み、これから各機に向かう所だった。
「いいかぁ、お前ら、気合を入れて行けよ!」
「おおっ!」
四十人程の搭乗員達が一斉に大声で返事をする。
その様子を遠巻きに、英国人搭乗員達が面白そうに見ているので、総勢は100人程度であろう。
「これらか、独逸帝国へ出入りだからなあ!抜かるんじゃ無いぞ!」
「おおっ!」
全員が、右手を大きく上に伸ばし、大声で返事をする。
「それじゃ、いくぞ、いいかぁ!」
「はいっっ!」
「帝国総軍はァ!」
「帝国総軍わアッ!」
全員が一斉に大声で唱和する。
「誰にも、負けない!」
「誰にも、負けなぁい!」
流石に、うるさいのか、苦笑いを浮かべながら、英国搭乗員がおどけて耳を塞ぐ。
「我々わあ!強い!」
「我々わあ!強い!」
「必ず、敵を倒してぇ!」
「敵を倒して!」
「帰ってくるぞぉ!」
「帰ってくる!」
「よおーし、行くぞぉ!」
おおっと言うどよめきと同時に、全員が思いっきり右手のこぶしを空に突き上げる。
そして、そのまま待機しているジープに向かって走り出していた。

236shin ◆QzrHPBAK6k:2007/02/03(土) 12:13:08
「メジャー、ノナカ!」
全員の先陣に立ち、搭乗員を鼓舞していた将校も、愛機に向かおうとした時、後ろから声が掛かる。
振り返った野中五郎少佐は、素早く敬礼した。
統合軍バイナキール臨時駐屯地司令官、フィリップ・ヒックス大佐だった。
「今のは、やはり、ヤマトダマシイと何か関係があるのかね?」
そう聞かれ、野中も言葉に詰まる。
「いやっ、直接的には、違うと考えます。どちらかと言えば、シキコウヨウ、ええっと、何と言えば良いのか、全員の意識を高める為に行っている行動です。」
将校たるもの英語が話せないでは話にならない。
そのために、野中も結構勉強したが、やはり難しい単語は直ぐには出てこない。
「ふむ、スピリチュアルイマジネーションかな?
やはり、あれか?
オリエンタル・ゼン・ムーブメントの一環か?」
ヒックス大佐に、誰が余計な事を吹き込んだんだ、一体。
野中自身も聞いた事無い単語が出てくる。
しかも、ヒックス大佐はそれが日本語の言葉の英訳だと思っているらしい。
「はあ、ゼンの思想にシンクロさせて、精神の緊張を高める、日本古来の詠唱法の一つです。
我々は、これで全員の士気を高めております。
大佐、申し訳ございませんが、出撃ですので。」
「おお、そうだな、また帰ってきたら、詳しく教えてくれ。
Good luck!」
そう言って、敬礼して、見送る。
野中は慌てて、自分の愛機の乗員が待ち受けているジープに走りよる。
後部座席に飛び乗り、手で指図すると、すぐさま車は走り出す。
振り返りながら、敬礼をまじわし、やっと溜め息を吐き出した。

「少佐、司令官と何かあったんすか?」
「いいや、何も無いよ。どこかの馬鹿がいい加減な武士道を大佐に教えたようだ。」
「あっ、それ唐沢大尉ですよ。ほらここの建設を指揮した。」
「うーん、あいつか。帰ったらとっちめてやる。」
「大尉、もうそこですよ。」
野中は、慌てて走るジープの後部座席に立ち上がる。左手一本で身体を支えながらも、ビシッと敬礼する。
目の前に、四発のエンジンで大型のプロペラを回し始めている97式重爆撃機が並んでいた。
滑走路に面して、両サイドに10機ずつ並んでいる間を、野中を載せたジープが走り抜ける。
彼に近い方に並んでいるのか、帝国側、向こう側は英国側の搭乗員が乗り込んでいる。

237shin ◆QzrHPBAK6k:2007/02/03(土) 12:19:15
97式重爆、満州ボーイング社が生産している95式輸送機、通称ボーイング輸送機と言われる大型輸送機をベースに、帝国航空廠で改造を加えられ、重爆撃機にされた機体だと言われている。
しかし、野中は知っていた。
これが、米国ではB17と言われている機体とほぼ同じものである事を。
しかも、どちらかと言えば、同じB17でも、「のと」資料にあった、後期のB17以降に近い機体である。
1931年に、米国でボーイング社が設立された時、その出資者にロイズ保険会社の系列会社が入っていた事は、殆ど知られていない。
ましてや、その会社が日商のダミーだとは、絶対に知られてはいけない事実だった。
全体の出資額の1/3近くを出資したロイズ社は、役員を送り込み、ボーイング社の開発計画を、最初は日商に、そして今では英国にも提供している。
そして、33年ごろから、将来の満州地域での航空機輸送の増大が見込めるとの報告を受けた、ボーイング社は、丁度開発を開始していた、米国軍向けの四発爆撃機の派生型としての輸送機の設計を開始した。
図面が出来上がり、試験機が出来上がる頃には、満州航空機株式会社がその機体に非常に興味を示し、輸送機としての受注は確実に見込めそうな勢いであった。
しかしながら、価格面での交渉が進捗せず、このままでは契約には至らないと言う情況に、陥り、役員達は、頭を抱える。
そんな時に、ロイズ社から派遣されている役員が、現地生産での対応を言い出したのである。
他の役員達にも異議は無かった。
大幅なコストダウンが見込め、満州航空機は、その値段ならば、更に発注台数も増えると通達してきたのである。
しかも、満州航空機から話が伝わったのであろう。
日本帝国の統合軍が、適切な輸送機を探しており、ボーイング社の機体に興味まで示しているとの情報も伝わって来る。
早速政府に対して、現地生産での工場の立ち上げを申請するが、今度は米国政府が難色を示しだした。
余りにも、新型爆撃機との共用部分が多いのである。
その為、そのまま満州で生産された場合、容易に日本に、爆撃機として利用されかねないと言う理由だった。
頭を抱えたのは、ボーイング社だった。
大量発注が手に入るかどうかの瀬戸際の時に、そんなありえそうも無い理由で輸出を禁止されては堪らない。
必死に政府と掛け合うが、埒が明かず、役員達は再び頭を抱える。
最終的に、ボーイング社は、同じ部品を使いながらも、全く形状の違う輸送機を何とか作り上げた。
輸送機は、荷物の積み下ろしが楽なように、翼を機体上部に持ち上げ、胴体も一回り大きくなっている。
確かに、搭載量はB17より飛躍的に増加したが、速度、航続距離等は大幅に後退している。
胴体後部は、後ろに大きく開き、積み下ろしも楽であり、輸送機としては申し分ないものが出来上がったのである。
これには、米国政府もしぶしぶ納得を示し、無事満州における航空機生産工場の設立が認められた。

238shin ◆QzrHPBAK6k:2007/02/03(土) 12:22:43
満州航空機からの受注も得られ、生産工場も、満州航空機と合弁での立ち上げも決まり、役員全員がホッとした時に、更に難問が持ち上がったのだった。
今度は日本帝国だった。
折角現地での生産が決まった輸送機だが、これでは発注できないとの事だった。
彼らが求めたのは、B17そのものであり、その航続距離と速度に魅力を感じたのであり、搭載量が増えても、これでは採用できないとの通達だった。
最早、役員達は、精も根も尽き果てたように黙り込む。
帝国政府からの内諾時の発注台数は、初ロット100機であった。
満州ボーイング社での生産施設は、これを見越して投資している。
ここに来て、帝国からの受注がキャンセルされると、ボーイング社は潰れかねない。
この危機に、悪魔の囁きを呟いたのは、ロイズ社から派遣されている役員だった。
造ってしまおう。
ロイズ社としても、ボーイング社が潰れるのは困る。
こうなれば、部品を送り、現地で組み立ててしまおうと。
政府にばれた場合は、日本政府と交渉し、あくまでもボーイング社が提供した輸送機を改造したと言って貰えば良い。
それに、いざとなれば、他の役員が知らない所で、英国出身の役員がやった事にすれば良いと。
全員が、何も言えず、その役員の顔を見つめるだけだった。
役員会議の決は採られず、会議はそれでお開きとなる。
そして、ボーイング社は、帝国政府から新型輸送機100機の受注を無事得る事が出来たのだった。
36年から機体の引渡しが開始され、当初の100機は37年中に完成し、ボーイング社は高配当を株主にもたらした。
そして、嬉しい事に、帝国政府からは、エンジン強化型の本当の輸送機タイプの発注があり、密かに心を悩ましていた問題も目出度く解決でき、ボーイング社は全米でもトップクラスの航空機生産会社にのし上がってゆくのだった。

239shin ◆QzrHPBAK6k:2007/02/03(土) 12:28:04
そして、帝国は手に入れた輸送機(B17型)に、自動機銃の搭載、新型照準器、尾翼強度の強化を施し、新たな重爆撃機を必要台数確保する事に成功していた。
80機が爆撃機仕様であり、残り20機は、電子偵察・司令機に改造されている。
今回の統合軍には、その内、爆撃機60機、電子偵察・司令機20機が提供されていた。

今、野中の目の前に展開しているのは、その内の爆撃機20機である。
既に、電子偵察・司令機はその半分が飛び立っている。
機内に、電子専用の専用発電機を持ち、対地、対空レーダーから、強力な無線傍受、電波妨害機能も持つ、爆撃機4台分の金が掛けられていると言われている電子偵察・司令機は、この97式重爆撃機改良型と、「のと」世界では一式大艇と呼ばれていた97式飛行艇の二つのバージョンが作られていた。
高高度、高速偵察が本領の97式爆撃機改と、長距離、長時間隠密行動が旨の97式飛行艇の二つの機体で、欧州戦での目となり、耳となる飛行機群であった。

野中は待機していた愛機に走り寄り、機体に乗り込む。
通路を通り、操縦席後方に置かれた、航法員席に腰を下ろすと、素早く出撃指令書を確認して行く。
片道三時間、現地行動時間を含めると、トータル七時間近い飛行である。
天候は晴れ。
これは、幸いな事に、目的地付近も同様との気象報告が上がってきている。
今回の出撃は、無事帰還してから、再度簡易整備後の飛行が予定されている。
最初の攻撃は、夜間爆撃であり、少なくとも敵の迎撃がある訳ではないのが、助かる。
まあ、その代わり、爆撃精度は落ちるから、良し悪しであるが、少なくもと二度目の出撃は、明日の真っ昼間である。
どちらかと言えば、二度目の出撃の方が危険性は高い。
前方展開している支援空母、護衛空母からの援護がある事となっているが、微妙なタイミングの問題も発生するかもしれない。
そして、何よりも簡易整備での二度目の飛行を行う以上、全ての機体が十全の状態で飛べる訳ではない。
不良が発生して、万一墜落と言う事となれば、下は敵地である。
野中は頭を振って、どんどん膨らむ妄想を消し去ろうとする。

「機長、準備完了です。」
「良し、それじゃ、野中隊、行くぞ!」
野中の掛け声に合わせるように、機体のエンジンのうなり声が更に多きくなり、大型獣爆撃機はゆっくりと動き始める。
主滑走路に出ると、一台ずつ、一列に並び、発進の順番を待っている。
「バイナキール、バイナキール、ディスイズノナカ、レディトゥフライ!」
管制塔と連絡を取る副操縦士の声が漏れ聞こえてくる。
と言っても、機内はエンジンとフロペラの騒音で、音が聞こえるレベルではなく、耳につけたヘッドフォンからではあるが。
やがて、副操縦士が、指を上に立てると、機体はガクンと前のめりになりながら、猛然と加速して行く。
夕闇が迫り来る、スコットランド北方の海が目の前に広がる中、野中少佐率いる、統合軍戦略爆撃部隊、20機は夜の闇に消えて行った。

240shin ◆QzrHPBAK6k:2007/02/03(土) 12:35:12
「ここらでいいのかなあ。」
「良いんじゃないですか、そこにありますよ。」
「おおっ、あった、あった。それじゃ、仲村君、頼むね。」
「ハイハイ。」
溜め息を付きながら、仲村少佐は、リュックの中から珪酸粘土とニトログリセリンの混合物を取り出す。
手早く、柱の根本に、それを据え付け、信管をセットし、時計を合わす。
手配が整うと、その上から、手早く辺りの雑草をそれらしく配置し、立ち上がった。
「ハイ、出来ました。次行きましょうか。」
「おう、流石、仲村君は早いなあ!」
「何馬鹿なこと言ってんですか、後三箇所に設置するんですからね、急ぎましょう。」
二人は、来た道を引き返し、車道に出る。
如何にも怪しげな中国人二人組みだが、二人は車道の端に止まっている、最近発売されたばかりの独逸の国民車に近寄る。
「良し、次行くぞ、次。坂口、飛ばせ!」
「大佐、無茶言わないで下さい。下手に見つかったらどうすんですか。」
「大丈夫、私は中華民国政府派遣の梁大佐だ!
盟邦独逸帝国のお忍び視察だから、良いんだ!」
「へいへい。」
フォルクスワーゲンは、猛烈な加速で、アウトバーンを走り去って行った。


 独逸帝国は直ちに、全土に対して国家緊急令を発し、国土防衛の体制を整えようとした。
しかしその発令が末端に到達するよりも早く、ラジオ放送から30分後には、ハノーバー地方の有線通信までが不通になり始めた。
ベルリン郊外から、キール、ハンブルグ、ブレーメン一帯での通信が、十分に行えなくなってきているのだった。
勿論、全部が全部では無いのだが、明らかに使える回線が急激に減少している。
無線は、ラジオ放送以降、殆ど使えない。
強力な妨害電波が国境の向こう側から発せられているのは判るが、それ以外にも、どうやら高高度を航空機が飛んでおり、そこからも妨害電波が発せられているようだった。
電波探知器等で、発信源を探る試みは、確かに何かを捕まえたりするのだが、目標が複数個あり、しかも、それらが、巧妙にシンクロされているため、特定が中々出来ない。
辛うじて、連絡のついた航空基地から、夜間に関わらず、戦闘機が発進するが、補足出来ずに、引き返すしか無かった。

241shin ◆QzrHPBAK6k:2007/02/03(土) 12:39:15
 ヴィルヘルムハーベン、キールに次ぐ新生独逸海軍の第二の軍港である。
夜にも関わらず、軍港内には多くの兵士が走り回っていた。
チェンバレンのラジオ放送の直ぐ後に、キールの総司令部から、警戒警報が発令されたのが無事届いた事が大きいが、非番のものも、放送を聞いて駆けつけていた。
「戦争が始まる。」
ラジオ放送を聴いた、兵士達の不安を表せば、その一言に尽きた。
放送終了後、どこの放送局も何も言わない。
電話のある所に言ってみれば、長だの列が連なっており、様子を聞くと、中々繋がらないとの事である。
フランス軍が国境を越えたらしい、英国海軍が、ダンチッヒに上陸した、いや、キールが砲撃されたらしい・・・
デマがどんどん大きくなり、いてもたってもいられないまま、多くの将兵が軍港に集まってきていた。
「一体、どうなっているのだ!」
偶々、ティルピッツの建造情況の視察に来ていた、リッチェンス少将は、集まっていた将校に、当り散らす。
「今の所、具体的な報告は入っておりません。ただ、兵士の間でデマが飛び交っており、通信状態が最悪の為、確認できない事が、更に不安を拡大しています。」
「ええい、その位、判っておる!レーダー大将からの指示は無いのか。」
余りにも情報が不足しており、リッチェンスも具体的な方策が立てられない。
「とにかく、集まっている兵士達は、防衛体制の構築に当たらせろ。する事が無ければ、土嚢でも積ませておけ!それと、稼動出来る艦艇は全て緊急出航準備を急がせろ。」
殆ど同様の情況が、キールでも起こっている事をリッチェンスは知らない。
国防軍に至っては、それぞれの駐屯地から動けず、ただ基地の守りを固めるだけだった。
参謀本部そのものが、混乱の中にあった。
チェコに侵攻した二個師団を引き返さすべきなのか、それともチェコから攻撃が開始されるのか今の時点では判断出来ない。
フランスやポーランド国境周辺の情況も正確には伝わってこないだけに、国内の師団の移動先が決められないのである。

リッチェンスの執務室から急遽伝令となった仕官が走り出ようとした時、辺り一帯に警報が鳴り響いた。
「なんだ!」
「空襲警報です!」
「バカヤロウ!それ位判るわ!」
「あっ、いや、済まん。悪かった。司令部に行って、何か詳細が判るか調べてきてくれ。」
思わず怒鳴りつけてしまい、恥ずかしくなる。
そうだ、空襲だ!
リッチェンスは慌てて建物から走り出る。
急いで退避壕を探すが、まだそんなものは、ここには無い。
結局、他の将兵と同じように、ドッグの基盤近くのコンクリート壁面の隅に固まるしかなかった。
港の方からは、空に向かって探照灯が伸びている。
確かあそこには、グナイゼナウが停泊していた筈だ。
直ぐにでも動き出せるように、朝から機関は暖めていた筈だった。
しかし、それでも出港命令が出されていなかった為、動き出したのは多分ほんの少し前だろう。
くそっ、こんな所でグリーネマリーネの船がやられて堪るか。
ふと、辺りが静まり返り、その中で微かな爆音が聞こえてくる。
「来た!」
誰かが叫ぶ。
探照灯の光が機影を追い求めるように、音源の方向に動いて行く。
しかしながら、何も見えない。
いた!
思ったより小さい。
かなり高度は採っているようである。
それでも真っ直ぐ港に向かって飛んできている。
探照灯の明かりで一瞬だけ浮かび上がったが、総数は三機程度しか見えなかった。
ヒューンと言う金切り音が響き、その小さく見える航空機から何かが落下し始めた。

242shin ◆QzrHPBAK6k:2007/02/03(土) 12:44:55
「よーし、どんぴしゃ、流石だな。」
真っ暗闇の中で、司令機に言われるまま搭載してきた小型爆弾を落とし始めると、その内の幾つかが、爆発し、地上の様子が一瞬明らかになった。
見事、港湾らしい地点に爆弾は落ちている。
「何とまあ、良く場所を特定出来るもんだ。」
野中は感嘆したように、つぶやく。
海を越えている間は、方向と高度、そして速度に対する大まかな指示だけだったのが、目的地に近づくと、細かい修正がイヤフォンから流れて来る。
それに併せて操縦士は微妙に舵を切り、そして言われたタイミングで投弾手はレバーを引く。
信じがたいが、しっかりとそれは目標上空だった。
地上局数箇所からの誘導波、それを三機の電子偵察・司令機が、野中の機の位置と併せながら、
目標の緯度・軽度に乗せて行くのだ。
精密な誘導が、夜間での精密爆撃を可能にしていると理屈では判っても、実際にやるとなると、いつも感嘆してしまうのは仕方ない。
「投下終了!」
「よし、野郎伴、引き上げだ!」
北方から進入した野中達が乗る97式重爆は、ゆっくりと反転し、海の方へと返して行く。
明日は、本番か。
夜間爆撃は、案の定迎撃機も出て来なかった。
これから基地まで戻り、二時間後に再出撃、その時は敵も出てくるだろう。

243shin ◆QzrHPBAK6k:2007/02/03(土) 12:48:13
「なんだあ!」
落ちてきたのは、大型爆弾ではなかった。
野球ボール程の小さな爆弾が、大量にばら撒かれている。
しかも、幾つかは爆発しているような音がするのだが、全部ではなさそうだった。
あれでは、艦は沈まん。
どうやら、航空機はあの三機だけだったようで、後続はなさそうだった。
怪訝そうな顔をしながら、リッチェンスは建物に戻ろうと歩き出す。
「うわっ!」
突然横の方から爆風を受け、地面に叩きつけられた。
一瞬めまいを覚え、左肩から腰に痛みがあるが、何とか立ち上がれる。
全身を触ってみるが、特に外傷もなさそうだった。
「どう言う事だ?」
慌てて、爆風のした方を見ると、何名かが立ち上がれずに呻いていた。
「衛生兵はいるか!」
大声で叫びながら、リッチェンスも他の者と同じように、倒れている将兵に駆け寄る。
「何だと、おい、落ちている爆弾に近づくな!時限爆弾だ!」
あいつら、何て事を。
ヴィルヘルムスハーフェンの港一帯に、いくつばら撒かれたのかは判らないが、千や二千で利くかどうか。
とにかく、見えるだけでも数個の爆弾が転がっている。
ドーンとどこかでくぐもった音が響く。
あれでは、船は破壊できない。
しかしながら、柔な物はそれだけでも十分破壊されて行く。
そして、港で一番柔なのは、辺りを歩いている人間だった。
少なくとも、これで数時間は確実に出港出来る船はいない。
そして、これらの爆弾を処理しても、また夜になって次の攻撃が行われたら。
間違いなく、ヴィルヘルムスハーベンは軍港としての機能を失う。
リッチェンスは呆然と立ちすくむのだった。

同時刻、ヴィルヘルムスハーベン沖合いで、一隻の飛行機が海上を走っていた。
「よし、許可が出た。突っ込むぞ。」
沖合いを走る飛行機、そんな事が出来るのは飛行艇だけである、が速度を上げて海岸を目指す。
予定の地点に着いたのか、飛行艇の後部のドアが開き、両手で抱えられそうな、丸い固まりが海に落ちて行く。
「おーし、三往復したな。まだあるか?」
「終了でーす。」
後部から返事が返って来る。
「そんじゃ、とっとと逃げましょうかねっと。」
飛行艇は沖合いに向かって、速度を上げると、海面すれすれの高さを維持しながら、
瞬く間に飛び去っていった。
独逸海軍が機雷の存在に気が付くのは、翌朝、魚雷艇が触雷した時だった。

その夜、日英統合軍は、英国軍の助けも借りて、40機の重爆撃機と、10機の司令偵察機、そして4機の97式飛行艇で、少なくとも三箇所の港湾、五箇所の飛行場、8箇所の国防軍駐屯地を機能不全に陥れたのだった。
そして、独逸国防軍は一睡も出来ないまま夜明けを迎える。
あいも変わらず、無線は通じないまま、伝令が直接行き来すると言う状況の中で、黎明と伴に、独逸将兵が、そして多くの独逸国民が目にしたのは、独逸国内に向かって侵入してくる多数の航空機だった。

244shin ◆QzrHPBAK6k:2007/02/10(土) 09:44:23
「フロムイーグルリーダー トウ チヤールズ ツウ、フロムイーグル・・・」
「This is Charles two, to Eagle leader, no enemy appeared yet, all directions are cleared, forward on your destination, over」
「へいへい、オール ディレクション アー クリアードってね。」
まだ、敵は現れないようだった。
後方の空母を経由して一時間、既に独逸領内は直ぐそこである。
攻撃第一波に属する彼らは、鷹部隊、コールネームはイーグルと名づけられた大隊だった。
四機で一小隊を形成し、それが三編隊で中隊、中隊三つで大隊と言う名称は中々慣れない。
それでも、通信を全て英語でこなさねばならない事よりはまだましだった。

イーグルリーダーは、無線機のボタンを押して、会話を編隊内に切り替える。
「全機、独逸領内に入るぞ、敵に備えろ。」
「鷹一、了解」、「イーグルに、らじゃ」、「鷹さん、ラジャ」、「了解、鷹四」
それぞれの中隊長から連絡が帰ってくる。
彼が指示するのは、中隊長までであり、そこから先は、中隊長の役目であり、彼はそれぞれの小隊の動きは追ってない。
双方向の無線機が出来てからは、便利は便利なのだが、全体指揮が非常に難しいものになったのも現実だった。
まあ、信頼するしかないんだがな。
編隊48機全てが無事ついてきている事を祈りながら、彼は前方に注意を集中する。
「イーグルリーダー、こちらチャールズ2、敵機だ、12、3000、11、80、10分」
「ラジャ、イーグルリーダー、オーバー」
数字の羅列を頭の中で素早く勘案する。
12機の敵機が、高度3000フィートで、11時の方向から接近中、距離は80キロ、会敵まで10分との情報である。
「二番、三番、上昇、4000、四番、下降2500、1時」
彼の後方にいた機が、あっという間に前に出る。
そのまま、二番、三番隊計24機が上昇して行く。
一番隊は、そのまま前に出て直進、そして四番隊は、微妙に進路を変えて横に展開しながら下降して行く。
「リーダー、変わらず、五分」
「タリホー、2、3」
二番隊三番機が視認したようだ。
「リーダー、グッドラック」
視認情報が入った以上、司令機の役割は終了である。
後は、現場の仕事になる。
キラッと光ったと思うと、上空11時方向から、敵機が逆落としを掛けてくる。
こちらが、進路を変えないので、ほくそ笑んでいるだろう。
機数はこちらが倍だと見えているだろうから、先に一番隊を狙い、そのまま二番に向かうのが常套手段である。
しかし、ダメだよ。
半分も進まない内に、更に上空から、二番隊が逆落としを掛けた。
敵機の半数が一撃で火を噴いた。
中には当たり所が悪いのだろう、爆発する機体まである。
散会しようと広がった残りの敵機に、三番隊が突入する。
戦闘はそれで終わりだった。
旋風は格闘性能も素晴らしいのだが、それを披露する暇も無い。
「イーグルリーダー、チャールズ2だ、おめでとう。多分君達が最初の撃墜記録となる。」
「ありがとう、チャールズ2、しかし、イーグル隊だけじゃない。イーグルとチャールズ2が最初の撃墜記録だ。帰ったら祝杯を挙げに来てくれ。」
暫く通信が途絶える。
「ありがとう。伺わせて貰う。リチャード少尉です、宜しく」
「ああ、待っている。飯田大尉だ、宜しく」
「オールクリア、グッドラック、大尉、オーバー」
チャールズ2の管制域に入ってから始めて、飯田は相手の名前を知ったのだった。

ふと、無線機のランプが光っている。
誰かが編隊内通信を入れたがっているのだ。
「何だ?」
「大尉、おごりですか?」
「当たり前だろ、英国さんも来るんだからな。」
一斉に歓声が上がるのを、飯田は聞いたような気がした。

245shin ◆QzrHPBAK6k:2007/02/10(土) 09:47:38
海軍には様々なポストがあるが、一番気分の良いのは、戦艦、それも艦長職だろうなあ。
大英帝国本国艦隊、司令長官フォーブス大将は、改めてそう思うのだった。
今のようにCommanding Information Centerに詰めていると、特にそう思ってしまう。
まあこれが好きなやつもいるだろうが、やはり艦橋で全体を眺めながら、艦の指揮を取る方が遥かに楽しそうだった。
正面に大きなアクリル板が立てられ、そこには様々な数字や、艦の形をした樹脂製のボード等が張られている。
確かに、艦隊全体の動きは、明瞭に理解出来る。
中央左にあるのが、本艦、大英帝国本国艦隊旗艦ネルソン。
その上下に少し遅れて進んでいるのが、リヴェンジとラミリーズ。
左手、後方に位置するのが、ヴァリアント。
巡洋戦艦のレナウンとレパルスは、その快速を行かす為、右手前方に展開している。
それよりも遥か前方、上下に大きく離れた所に位置するのは、Imperial Japan Army の二隻の統制戦艦金剛と比叡である。
その周りに二隻の巡洋艦と8隻の駆逐艦が、対潜警戒も兼ねて展開している。
スカパ・フローを出航した時は、二列戦隊だったが、ここに来て艦隊は展開を始めている。
確かに、プロットボード、いわゆる戦況表示板で艦の位置、距離関係を正確につかめるのはありがたいが、やはり面白みに掛けると言うのが、フォーブスの正直な感想だった。
これでは、まるでシミュレーションと変わらないではないか。
司令長官である以上、艦橋に位置取り、硝煙の匂いを嗅ぎながら、戦いたいものだ。
まあ、そう思う以上、自分も古い海軍に属しているのかも知れない。
「失礼します。1艦、網の外にこぼれたようです。」
そんな事を夢想していると、情報将校が、小走りに走りより、紙を渡す。
紙を見るよりも早く、プロットボードの前に広がる北海からバルト海までの海図が広げられた大きなテーブルに目をやると、赤い艦形の模型が、デンマーク海峡を抜けた辺りに置かれている。
赤は、敵艦、この場合は独逸艦である。
艦形は戦艦であるが、色がややピンクであり、それが俗に言う独逸のポケット戦艦である事が判る。
最も、独逸には第一次大戦前の練習艦ぐらいしか戦艦は無いが。
味方の艦隊も地図上に置かれているので、大体の方位、距離は一瞥で把握出来た。
まあ、確かに便利ではある。
「金剛、レナウン左舷より回りこめ、レパルスと比叡が反対側だ。包囲するぞ。」
相手が電探を持っているか、どうかが気になる。
気付かれて、逃走されては厄介だった。
「報告します。独逸のポケット戦艦は、キールにドイッチェランド、ヴィルヘルムスハーベンに、アドミラル・シューア、アドミラル・グラフ・シュペーが待機していたと思われます。」
情報将校がまとめた紙を見ながら、報告する。
「昨晩の封鎖以前に港外に出た可能性は三者ともありますが、コースを見る限り、キールのドイッチェランドと思われます。」
「恐らく、ヴィルヘルムスハーベンの2隻と合流する予定でしょう。」
ドイッチェランドか、独逸には悪いが、新式の射撃管制システムの実験台にさせて貰おう。
「敵は電探を用いているのか?」
「まだ、電波は出しておりません。」
ふむ、レーダーはまだ装備していないのかな。
「念のため、各艦に連絡、電波を捉えたら速やかに、妨害電波、ああ、単一波長で良い、の発信をする事。会敵予想時刻は?」
「先行している巡戦隊が、およそ2時間半、我々本隊が3時間となっております。」
「ふむ・・・、本隊は増速、巡戦隊は減速し、タイミングを合わせろ。会敵予定時間は・・・」
うん、丁度良い、上手く行けば、上陸開始時間と重なる。
「07:00」

246shin ◆QzrHPBAK6k:2007/02/10(土) 09:50:56
一体誰が、こんなややこしい所を上陸地点に定めたのだ。
スミスは、強襲上陸艦シマネマルの作戦艦橋で地図を眺めながら、悪態をつきたくなる。
独逸侵攻作戦「ストライクイーグル」、その中でも初日の敵前上陸の為に、用意されたのは新たに形成された英日統合軍、欧州派遣部隊、第一及び第二兵団だった。
その中でも第一波の強襲上陸部隊は、英国及び大日本帝国拠出部隊の中でも精鋭を集めた、第一兵団であり、イクウェル・スミス少将率いる部隊もその中に含まれている。
但し、スミスが率いる第一兵団、第三旅団は主正面のブルンシュグッテル(Brunsguttel)周辺ではなく、側面であるノルドホルツ(Nordholz)への上陸部隊だった。

作戦は、前夜の主要拠点に対する爆撃、独逸の二大軍港であるキールとヴィルヘルムスハーベンの機雷封鎖。
作戦当日、午前六時より、黎明の中で航空攻撃が開始される。
第一波の航空攻撃は、主に地上部隊の移動を拘束する事が主任務だが、一部スミスの部隊に関連する攻撃隊もある。
そして、六時半にズデーテン地方に侵入した独逸軍に対して、チェコ領内で待機していた機動部隊が攻撃を開始し、地上戦が開始される。
同時に、仏蘭西マジノ戦線から砲撃が開始され、それは一時間続けられる事となっていた。
ポーランドからの攻撃は特にないが、少なくとも独逸国防軍参謀本部は、疑心暗鬼に陥るであろう。
東のポーランド国境付近以外では、その手法は違えども、三方向からの同時攻撃である。
どの方面が主攻なのか、少なくとも一日は混乱して貰えば良い訳である。
現実には、チェコスロバキアからの攻撃で主攻を勤めるのは、戦車大隊一個、97式中戦車36台にしかすぎず、これは陽動である。
仏蘭西は、砲撃だけで、実際の侵攻は行わない、と言うか出来るだけの戦力は無い。
そう、主攻は、スミスらの統合軍欧州派遣部隊、第一兵団の仕事だった。

七時を期して、統合軍はハンブルグ目指して上陸を開始する。
主上陸地点は、キール運河の北海側の出口、ブルンシュグッテル周辺。
当初は、海軍の本国艦隊に出っ張って貰い、戦艦による砲撃で、独逸軍の拠点を叩き潰し、強襲上陸と言う案が有力であった。
しかしながら、この海域は遠浅で、戦艦が行動出来るエリアが限定されており、英国海軍から難色が示された。
航空攻撃を主体にするべきか、いや、戦艦の1隻や2隻ぐらい座礁しても、と議論は割れたが、この地方の偵察が進むにつれ、大規模砲撃案は、却下された。
要は独逸軍がいないのである。
第一次大戦時からのものが中心であるが、幾つかのトーチカが設けられているが、そこに満足な兵士は配置されていない事が明らかになった。
元々、上陸作戦に適しているとは決して言い難い地域である。
現在、編成途中である独逸国防軍にとって、この地方からの攻撃が当面予想されていない以上、そこに多数の兵士を配置する余裕は無かった。

247shin ◆QzrHPBAK6k:2007/02/10(土) 09:54:17
そうと判れば、徒に被害の大きい敵前強襲上陸の必要性も無く、統合軍は作戦を見直し、強襲上陸ではなく、浸透上陸へとその戦法を切り替えていた。
方針が浸透上陸と決められてからは、英国側の独断場だった。
彼らは、使える兵器、人員を見定めるや、帝国側将校達が思いも着かない作戦案を立案して行く。
特に、所謂第五列を大規模に投入する後方攪乱、通信遮断や欺瞞情報の配布等の作戦は、帝国側に、英国を敵に回したくは無いと思わせるほどのものだった。

その結果、スミス少将率いる第三旅団は、ノルドホルツ沖合いの海域で、頭を抱える羽目に陥っていた。
エルベ川河口から北海までの海域に関しては、海底の情況も含めて詳細な海図が用意されていた。
これは過去三年間に渡って、日本郵船等の日英海運会社の船舶で、ハンブルグや、更にエルベ川を遡ってチェコスロバキアまで行く船の多くには密かな改装が行われていたせいである。
最新鋭の音波探知機を艦低に取り付ける改装を実施し、通過したエリアの海底の地形を記録して行く。
中には、わざと通過可能な水域を外れる船まで用意し、海域の調査を行ったのである。
結果、第三旅団を乗せた上陸船団は、本隊から離れ、別の進路から侵入しているのであるが、その侵入路が複雑だった。
十隻以上の大型船が、辺りに散らばっているとしか言いようの無い情況が、スミス少将の乗船する旗艦の後ろに広がっている。
それも、座礁を避けるため、速度は極端に落ちいているから、操船の事がまるで判らないスミス少将がイライラするのも仕方なかった。
こんな所で攻撃を受けたらと思うと、スミスならずとも、暗澹たる予感に苛まれるのは致し方無い。
辺りがまだ暗い為、陸上からはレーダーでも使わない限り視認される危険性は無いと自分に言い聞かせながら、スミス少将は何度も時計を見てしまう。
下手に操船している艦隊運営の連中に声を掛けるのも憚れる。
第一、彼らは彼らなりに必死に仕事をこなしている。
それに、シマネマルと言う名前でも判るが、強襲上陸艦は、帝国側しか用意出来てなく、その運営に関わっているものの多くが日本人だった。
スミス少将には彼らを馬鹿にする気は無い。
あまり高等なジョークが通用しないのは玉に瑕だが、少なくとも彼らは真面目に自分の仕事をこなそうと言う連中である。
傍から見れば、丸分かりであるが、それでもスミス少将は、苛立ちを必死に押し隠し、自分の出番を待つだけの分別はあった。
「予定海域に到達致しました。」
流石に、安堵の色が隠せないのか、報告する艦長の声は弾んでいた。
「ご苦労、直ちに各艦にて上陸準備。予定時刻まで余り余裕が無いが、慌てずに展開を図れ。」
時計をちらりと見ると、まだ5時10分である。
彼らは十分に仕事を成し遂げた。
ここから自分の出番だった。

248shin ◆QzrHPBAK6k:2007/02/10(土) 09:57:54
各艦での動きが慌しくなる。
兵員が疲れてしまわないように、搭載艇への乗船はギリギリまで控えていた分、用意された時間内に、乗り移るのは容易ではない。
それでも、待つ事一時間弱、予定通り殆どの船から多数の大発が、発進準備を整え終える。
「よし、全部隊に通達、6:00を持って、予定通り突入せよ。」
微かに足元から振動が伝わって来る。
シマネマルも機関の回転音が高まる。
他の輸送艦から飛び出した多数の大発も、一斉に前進を開始した。
その中にあっては、シマネマルの大きさのみがやけに強調されてしまう。
強襲上陸艦シマネマル、基準排水量15600トンのこの船は、他の輸送艦と並ぶと幾分小さめで目立たない。
しかしながら、周りが大発ばかりでは、流石に良く目立つ。
平型甲板を有し、偵察機程度ならば離発着が可能なこの船は、敵前上陸も視野に入れて作られた新たな艦種である。
モデルシップのシンシュウマルは、まだ輸送船然とした艦橋を持っていたが、二番艦以降は、シマネマルのように平甲板に改められ、汎用性を拡大している。
精々、六ノット程度までしか出ない大発と違い、シマネマルは徐々にその速度を上げ、大発を引き離して行く。
時計を見ると、もう直ぐ攻撃開始時間である。
「接岸しまーす。」
「後進全速!」
突然、船はスピードを落とし、海岸が迫って来る。
ガクンと言う衝撃が伝わり、全員が何かに捕まりその衝撃に耐えた。
「よーし、機関反転、全速!」
再び、前に進もうとするが、明らかに、艦主は海岸に接地している。
それでも、機関全速は伊達ではない。
ゆっくりと、艦は抵抗を排除するように、前進する。
やがて、その動きも止まり、機関室から、警告の連絡が入った。
「機関停止、バラスト注入。トリムを併せろ。」
複雑な操作が続いているが、スミス少将は、そんな事には構わず、双眼鏡を構え、艦橋から必死に周りを眺めていた。
周辺警戒の兵員は配置してあるが、やはり気になるのは仕方ない。
前方に、延々と連なる堤防が見えているが、その向こう側での動きは見られない。
「どうやら、本当に独逸軍はいないようですね。」
作戦将校として付けられた、ロバーツ大佐が、安堵したように呟く。
「心配しなくても、我々が上陸すれば、いやでも集まってくるよ。」
スミス少将は、自分も安堵しているのを知られないように、顔を双眼鏡に充てたまま、返事をしていた。

249shin ◆QzrHPBAK6k:2007/02/10(土) 10:00:38
「よーし、艦長、準備は整ったようだな。」
「ハイ、直ちに、前部上陸用扉を開きます。」
そう、シマネマルは、平底の船で、そのまま海岸に上陸出来るように、艦首に扉までついているのだった。
陸側から見れば、巨大な船の艦首部分が前方へと倒れて行くのが見えるだろう。
その中から、エンジン音を響かせ、車輌が飛び出してくる。
最初に現れたのは、97式重突撃砲だった。
97式中戦車の車体を流用し、旧海軍の40口径8サンチ砲を搭載した、化け物である。
口径76.2ミリの主砲は、陸上兵器ならば打ち抜けないものが無いと言われている。
エンジン音を高らかに、響かせ、あたりを睥睨するように、と行けば聞こえが良いのだが、実際は、非常にゆっくりと前方に倒れた艦首部分を確かめるような動きだった。
何せ、重突撃砲はひたすら重い。
97式の足回りを強化し、エンジンをチューンアップして、辛うじて走れると言うとんでもない代物である。
重さも、40トン近くに達するため、大発に載らない事は無いが、運用上の制限がかなりある使いづらい代物だった。
数名の整備員達が、艦首の周りを気にするように、足回りを覗き込んでいる。
敵がいないと判った以上、慌てて艦を傷つけても仕方ない。
勿論、その横をかいくぐる様に、何名もの兵士が、飛び出して行き、前方の堤防へと海岸を駆け抜けて行った。

250shin ◆QzrHPBAK6k:2007/02/10(土) 10:03:56
艦橋に、安堵の空気が流れている間も、偵察に飛び出した兵士達は、必死の形相で、海岸線を駆け抜けて行く。
目指すは、前方にある堤防である。
いくら、敵がいないらしいと判っていても、全くいないかどうかは判らない。
そして、一発の銃弾でも、当たればその効果は一緒である。
先頭を駆け抜けるロビンソン軍曹に負けずと、他の数名も必死に堤防まで辿り着く。
上陸時と言うか、軍隊である以上、戦闘用に携帯する武器弾薬類は、10キロ近くはある。
それを抱えたままの全力疾走なので、堤防に辿り着いた時点で、全員が呼吸を整える。
「よし、だれか手を貸せ。」
軍曹が命令すると、たちまち足場が組まれていく。
部下達を踏み台にして、軍曹は二メートル程の堤防の上にそっと顔を出す。
幸い、待ち伏せも無く、堤防の内側はかなり低くなっており、そこを道路が走っている。
その向こうは草地が広がり、その先は小麦畑が広がるのどかな田園風景が連なっているだけだった。
軍曹は、道路の右手100メートルの程の所に車が止まっているのに気がつき、警戒を強める。
直ぐに、車から人が降りてきて、ゆっくりとこちらに向かって歩いてくる。
手にした自動小銃を向けながら、軍曹は後方に合図を送る。
他の兵士達も堤防をよじ登り始める。
小銃を向けられても、その男性の歩みは止まらない。
それどころか、両手を大きく広げ、害意が無い事を示しながら更に近づいてくる。
どうやら、東洋人らしい。
「ストップ!」
声が届く範囲まで近づいて来た男を停止させる。
背広姿の民間人のようにも見えるが、如何にも怪しげである。
男はニコニコしながら、話しかけてきた。

「グッドモーニング、ジェントルメン。第三旅団だな。」
「ハイ、そうであります。そちらは?」
彼も伊達に軍曹になった訳ではない。
このような状況で、そのような質問をして来る以上、友軍、それも諜報関係の連中である事はまず間違いない。
東洋系なので、日本人かもしれないが、黄色人種の区別はつかない。
それでも、階級はきっと自分より上であろう事は、想像がつく。
まあ、階級が下でも、丁寧に接しても損は無い。
「帝国総軍、佐藤大佐です。現在、5キロ四方には独逸軍はいません。哨戒は、あー、片付けたので、最低2時間は、安全です。司令部へお伝え下さい。」
佐藤も丁寧に答える。
何せ相手が銃を構えて、上陸作戦の真っ最中である以上、下手な刺激はろくな事にはならない。
「ハイ、了解しました。第三旅団、ピーター・ロビンソン軍曹です。暫くお待ち下さい。」
軽く略礼を交わし、ロビンソンは後ろを振り返る。
「通信士!」
堤防の下から返事が聞こえる。
「本部へ連絡。5キロ四方に敵軍はいない。2時間後に敵の哨戒部隊が接近する模様。先行偵察のJapan Imperial Army Captain Sato より通報あり。」
返答を待つ間に、佐藤大佐が、車を手招きする。
部下達が、思わず小銃を向けようとするのを、ロビンソンは、手で制した。
「本部より連絡、了解した。直ちに佐藤大佐には本部までお越し頂きたいとの事です。」
通信士の声が、堤防の下から聞こえてくる。
「宜しいですか。」
「ハイ、了解しました。」
既に、車から二人の東洋人が降りてきて、何やら後部座席から取り出し始めている。
なんとまあ、あんなものどうやって積んだんだ。
手回しの良い事に、折りたたみ式のはしごが後部座席から出てきたのだった。
二人が、はしごを立てかけ、佐藤大佐が当然のように、それを登って堤防に上がってくる。
「では、参りましょうか。」
「ハイ、そこ、ヘイズ、本部まで案内しろ。」
「イエッサー」
ふと、爆音が響き、全員が一斉にそちらを見た。
少なくともそれは海の方から聞こえてきた以上、敵の可能性は少ない。
それでも、全員が直ぐに飛び降りれるように、身構える中、流麗なフォルムの戦闘機が数十機、上空を駆けて行った。

251shin ◆QzrHPBAK6k:2007/02/10(土) 10:07:11
「よーし、目的地だ、一番全機、四番第一、第二、きっちり決めて来い。」
眼下には、滑走路が広がっている。
どうやら、迎撃に上がれたのはあれだけだったようで、無事目的地、ノルドホルツ(Nordholz)の独逸空軍航空基地まで辿り着けた。
遅まきながら、対空砲火が上がってくるが、弾幕は薄い。
早速に、一番隊が上空より打ち上げてくる対空砲火に向かって突っ込んでゆく。
どう見ても、こちらの速度を読み間違えているので、一発も当たらない。
たちまち、銃座が潰され、対空砲火は下火になる。
それを確認したように、四番隊が今度は滑走路横の建物目指して突っ込んでゆく。
狙うのは、格納庫である。
それらしい建物が次々と爆発して行く。
「一番、四番第一、第二、そのまま帰還せよ。二番は上空警戒、三番は下だ。」
一番隊、四番隊の半数が翼を揺らし、次々に離れてゆく。
部隊は半分強に減ってしまったが、敵機が現れるようなら、司令機から連絡が入るから何とかなるだろう。
「そろそろかな?」
笹井は時計を見る。
あれから二十分、基地内で、動くものがあれば、三番隊のどれかの機がそれに向かって、短く機銃照射を掛けるので、今は、下は静かなものだった。
大きな動きがあれば、四番隊の残りの二小隊が爆撃する手はずだが、どうやらそれも無駄になりそうだった。
下の独逸軍も、冷や冷やもんだろうな。
どうして戦闘機が去らないのか、不思議に思っているだろう。

252shin ◆QzrHPBAK6k:2007/02/10(土) 10:09:38
「イーグルリーダー、チャールズ2だ、後5分ほどで、輸送機が到着する。敵影は見えない。」
「了解、護衛する。」
輸送機が来たと言う事は、既に上陸は始まっているのだろう。
そうすると、我々が失敗する訳には行かない。
全く、こんな緻密な作戦、成功する訳ないと思ったが、ここまでは上手く行っているようだった。
「イーグルリーダー、こちらアルバドロス、イーグルリーダー、こちらアルバドロス・・・」
「アルバドロス、こちらイーグルリーダー、宜しく。」
「滑走路、クリア、予定通り、左右から護衛する。グッドラック。」
全く、こんな無茶を請け負うのはどんなやつか、後で顔を拝ませてもらいたいものだった。
「二番、輸送機に向かえ。」
輸送機が見えてき、そのままアプローチに入る。
二番隊から、二機飛び出し、それに併せるように左右に展開する。
残りは更に左右に広がり、地上を警戒している。
三番隊は念のためだろう、何機かは機銃照射を加えると、上空に逃げた。
真っ直ぐに、滑走路に向かう輸送機は、そのまま脚を出し、着陸態勢に入る。
独逸軍も、何が起ころうとしているのかは気がついたようだが、二番隊の戦闘機が、順番に両脇を固めるように飛びすぎる為、何も出来ない。
ここで、砲撃でもされれば一撃なんだが、それも杞憂で終ったようだった。
輸送機は無事、滑走路の端まで辿り着き、機首を巡らし、停止した。
すぐさま後方のアプローチが開き、兵員が飛び出してくる。
本当に、やっちまいやがった。
「よーし、一番機無事着陸、二番機が来るぞ。」
地上では、早速戦闘が開始されたようだった。
遊軍となっている三番隊が、地上部隊の連絡を受け、指定された敵陣へ銃撃を加えている。
その間に、二番隊は再び、接近してきた二番機に向かい、護衛に入る。
一番機と同じように両サイドに護衛の戦闘機を従え、二番機も着陸態勢に入る。
その時、明らかに大口径の砲撃が、輸送機に向かって打ち出された。
「やばい、何処だ!」
飯田の顔に焦りが浮かぶ。
機を巡らして、砲弾が飛んできた方向を目で追う。
「いたっ!」
滑走路から離れており気がつかなかったが、高射砲陣地がそこにはあった。
ほとんど砲を水平にするようにして、次々と砲弾が飛び出している。
Falk88、散々作戦説明時から、写真まで見せられた独逸軍の高射砲である。
とにかく、この高射砲を見つけたら、最優先で潰せと言われていたのに、見逃していた。
なんで、さっき打ってこなかったんだ!
恐らく、何らかの機械的故障だったのだろうが、今は動いている。
それが問題だった。
くそっ、間に合うか。
「四番、第三、小隊全部で潰せ!」
上空待機していた、四番隊の内、三機が目標めがけて突っ込んで行く。

253shin ◆QzrHPBAK6k:2007/02/10(土) 10:13:35
「アアッ!」
滑走路に脚がつくかつかない所で、不幸にも二番目の輸送機に着弾する。
幸い、爆発はしなかったが、明らかに、バランスが崩れている。
「く、くそっ!」
機を操りながら、飯田は悔しそうに呻く。
脚が折れ、機体は片翼を地面に擦り付けそのまま左に旋回したかと思うと、滑走路を飛び出し、崩れ落ちる。
畜生!
幸い火は出てないが、あれでは中の兵士はどうなっている事か。
突然、機体後部の扉が跳ね飛ぶように開き、中から一両の車輌が飛び出してきた。
「戦車?」
いや、砲塔も無く、小型の兵員輸送車のようなものだった。
ユニバーサルキャリアと呼ばれる英国製の兵員輸送車だとは、飯田も知らない。
その車輌は、そのまま全速力で一号機の方へ向かってゆく。
少なくとも、車輌一台は助かったようだった。
「よーし、次が来るぞ、二番隊用意はいいか」
飯田は素早く、気持ちを切り替える。
ここで戸惑っている訳にはいかない。
既に、高射砲陣地は、四番隊の第三小隊が叩き潰していた。
三機の旋風から、小型爆弾を続けさま投げつけられて、攻撃が続けられる訳無かった。
三番目の輸送機が接近して来て、飯田は更に高度を稼ぐ。
少なくとも、あれ以外に砲撃出来るような敵は見当たらない。
海のある方を、期待を込めて捜してみるが、まだ友軍が進撃してくる気配は無い。
天気が良い為、遠方のあちこちに、黒い煙が上がっているのは、統合軍の攻撃の印だった。
「アルバドロス、3、着陸態勢に入る。」
三番目の輸送機は、二番目が被弾したのを見て、一旦大きく旋回していたが、再び滑走路に向かってきた。
「二番隊、レディ」
短い連絡が、イヤフォンから聞こえてくる。
再び輸送機が、銃撃が続いている滑走路にアプローチして来る。
二機の旋風を護衛に付け、今度は無事着陸する。
今度も兵士が後部から飛び降り、その場に散って行く。
「後、一機か・・・」
「イーグルリーダー、三番隊第三、一、白旗が揚がってます!」
「三、三、一、どこだ!」
「滑走路四時方向の建物です。」
「了解した。全機打ち方止め、警戒態勢に入れ。」
どっと疲れが押し寄せてくる。
どうやら、地上の友軍にも確認されたようで、先ほどまでの銃撃が止まり、恐る恐ると言う感じで、独逸兵が両手を上に上げ、現れだした。
完全に制空権を奪われ、一機は大破させたが、次の輸送機が着陸するのを見て、戦意を喪失したようだった。

飯田は安堵のため息を吐きながら、再び高度を取る。
海側を見ると、こちらに向かって動いているものが辛うじて見えた。
「全く、遅いよ・・・」
黎明に上陸した兵団の先遣隊であろう。
少なくとも、これで、空母に着艦しないで済む。
「よーし、全機ご苦労。我々はこのまま待機、燃料の確認忘れるな!降りれる所は出来たが、
直ぐに飛べるとは限らんからな!」

少なくとも、今はホッとしていて良いだろう。
まあ、これで統合軍は、独逸本土に航空基地を確保出来た訳だから。

254shin ◆QzrHPBAK6k:2007/02/17(土) 13:55:22
「まだ、連絡は取れんのか!」
独逸海軍パウル・ヴェネッカー海軍大佐は、イライラと海図を睨みつけながら叫んだ。
既に、夜は明けかけている。
昨年のスペイン内乱で受けた損傷の修理も終え、新式装備を艤装するため、北海経由でヴィルヘルムスハーフェンに向かう途中だった。
そこで、全てが始まった。
一週間前、チェコスロバキア、ズデーテン地方に対する侵攻作戦実施が決定されると同時に、海軍総司令部からは、警戒警報が発令された。
既に、キールからヴィルヘルムスハーベンに、向かう途中だったドイッチュラントにも、一旦キールに引き返すように、命令が飛んだのもその時だった。
パウルも、これは戦争になると思い、独逸海軍の前途を考えると、頭を抱えたくなった。
どう考えても現有勢力での戦争は自殺行為に近かった。
勿論、英国海軍に艦隊決戦を挑めるとは夢想もしていなかったが、通商破壊戦を実施するにしても、使える艦艇が少なすぎる。
戦艦は別格にしても、パウル自身が指揮するドイッチュラントの他、アドミラル・シューア、アドミラル・グラフ・シュペーの三隻以外に使える艦艇が無いのである。
潜水艦に至っては、漸く二桁に達しようと言うレベルでしかない。
とりあえず、巣に篭もって、暴風雨が納まるのを待つ以外、新生独逸海軍が出来る事は何も無い。
通商破壊を考えた場合、新式装備であるデゲレートが装着されていれば、かなりの事が出来るのではないかと、パウルも考えていたが、そのために、ヴィルヘルムスハーベンに行く筈だったのである。
とにかく、戦争になるかならないかの見極めがつくまで、キールに留まると言うのは、非常にまともな判断であると思ったものだった。
ところが、一週間の間に、命令が二転三転する。
キール運河経由で、至急速やかにヴィルヘルムスハーベンに行けと言われたかと思うと、翌日には取り消し命令が届けられる。
その次には、一旦バルト海に出て、待機と言う命令が発令されたかと思うと、それも翌日取り消された。
そして昨日、改めて北海経由で、ウィルスへルムハーベンへ向かえと言う命令がレーダー大将直々の発令で届けられたのだった。
しかも、レーダー大将自ら艦まで訪れての命令である。

255shin ◆QzrHPBAK6k:2007/02/17(土) 13:57:42
「良い艦だな、これは。」
艦長室までわざわさ尋ねてきたレーダーは、待ち受けるパウルにそう言った。
「ハイ、ありがとうございます。」
従卒がコーヒーを運んできたので、二人はソファに向かい合って腰を下ろした。
「戦争になると思うか?」
コーヒーを運んできた従卒が出て行き、扉が閉められると、レーダーは、徐に切り出した。
「えっ、いや、判りません。」
その答えに、ジロリと睨まれ、パウルは慌てて付け足す。
「しかし、戦争になると考えて行動したいと考えます。」
レーダーは、軽く頷き、コーヒーを口に運ぶ。
暫くは、何も言わないので、パウルも黙って待ち受ける。
「わが国の海軍の問題点は何だと考える。」
突然、レーダーが質問を投げ掛けてきた。
「ハッ、艦艇が少ない事ですか?」
「艦は今作っている。」
と言う事は、違うらしい。
「政府の無理解ですか。」
「ふむ、それもあるか・・・」
レーダーが考え込むような顔を見せる。
しかし、これも正解ではないようだった。
「それとも、人員の問題ですか。」
レーダーがじろりと睨むが、正解だったらしい。
「人員の何が問題なんだ。」
「まずは絶対数ですか。余りにも要員が少なすぎます。」
これは期待した答えだったようで、レーダーも頷く。
「それで、」
先を促され、パウルも慌てる。その先までは何も考えていなかった。
「次は、その質ですが、いや、質と言っても将校や兵員としての質ではなく、層の薄さです。」
レーダーが興味を示すように、頷く。
何だ?層の薄さって。
自分で答えながらも、パウルは必死に頭を巡らす。
「正面戦闘要員に人を取られてしまい、補充が利かない。」
ダメだ、これではない。
「また、補助要員が絶対的に不足している事です。」
レーダーの顔が、吾が意を得たように、頷くのを見、パウルは確信した。
補助要員が鍵だ。
そう気がつくと後は簡単だった。
「海軍として整備を進めて行く上で、キール及びヴィルヘルムスハーベンの二大軍港を持っていますが、そこでの整備体制、また補給物資の充当、艦船建造の為の工員、全てが不足しています。これが、我が独逸海軍にとり一番の問題と考えます。」
答えに満足したように、頷くレーダーの姿を見ながら、一番安堵しているのはパウル本人だった。
さあ、一体何のテストなんだこれは。
「そうすると、最初の質問に戻る事となるな。」
最初の質問?
戦争になるかと言う事か、そうすると。
パウルは独り納得する。
いや、納得した振りをしたのだった。
「理解したか。」
「ハイ、最善を尽くしたいと考えます。」

256shin ◆QzrHPBAK6k:2007/02/17(土) 14:00:48
あの後、出港準備は整っていた為、レーダー大将が離艦するや否や出航した。
英国首相の演説をラジオで聞いたのは、出航直後だった。
その後、周辺警戒を行いながら、慎重に海峡を通過し、北海に抜けた。
そのまま急げば夜半にはヴィルヘルムスハーベンには着くのだが、余りにもタイミングが悪い。
この情況で、夜間に味方の港とは言え近づくのは同士討ちの可能性すらある。
ある程度、速度を調整し、今に至っている訳である。
昨夜来、無線通信は不確かで、まともな通信は届かない。
しかしながら、切れ切れであるが、キールとヴィルヘルムスハーベンは空襲を受けたようだった。
パウルは、自分の判断に安堵したが、それでも、英国艦船に出くわしたときに、何をすれば良いのか、悩み続けていた。
要員や艦船が貴重だと言うならば、さっさとユーターンして、バルト海奥に逃げてしまえと取れる。
ところが、レーダー大将の謎賭けはそうではない。
艦よりも、港とその付帯設備、要員が大事だと取れる。
と言う事は、ドイッチュランド一隻が助かるだけでは意味が無い。
何か、何か裏がある筈である。
判らない。
それだけに、自分の行動方針が決められない。
くそっ、はっきりと言ってくれれば良いものを。
そこで、ハッとパウルは気がついた。
はっきりと言えない。
これが鍵だ!
「今、何時だ?」
吹っ切れたような顔で、パウルは航海士に聞く。
「ハッ、06:58です。」
「よし、巡航速度でヴィルヘルムスハーベンへ向かうぞ。」
艦の速度がやや上がり、落ち着いた顔のパウルに艦橋の将兵は少し勇気付けられたように、動き始める。
「前方に、艦影」
「後方から、艦が接近中」
ほぼ同時に、見張りの声が響く。
ほら、現れた。
独り、パウルだけが、自分の謎解きが正しい事の確証を得られたように、微笑むのだった。

257shin ◆QzrHPBAK6k:2007/02/17(土) 14:04:22
「レナウン、レパルス双方から、視認報告が上がってきました。」
「時間は?」
「両方とも7時丁度です。」
フォーブスはそれを聞いて、ニヤリと笑みを浮かべた。
「装甲艦ドイチュラントで間違いないようです。」
さて、どう料理したものか。
戦力は十分過ぎる程ある。
敵に話が通っている可能性も無い訳では無いので、威嚇射撃から始めるか。
「レナウン、レパルスに連絡。レナウンは敵後方、レパルスは敵前方に、それぞれ一発だけ主砲発射。」

「前方、レナウン型戦艦、更にもう一隻、艦種不明」
「後方、レナウン型戦艦、他一隻、不明戦艦」
ふむ、両方とも同じ陣容か、完全に待ち伏せされているな。
パウルは独り納得する。
ここまで綺麗に待ち伏せ出来ている以上、情報が漏れているとしか考えられない。
やはり、レーダー大将に何か話しが通っているに違いない。
となると、どうする。
パウルは頭を悩ます。
かと言って、簡単に降伏する訳にもいかないし、大体それなら、レーダー大将の指示があのような曖昧なものになる訳ない。
何か理由があるはずだが、何をすれば良いのか。
再びパウルは悩み始めた。
「敵艦、発砲!」
前方からの、発射炎が浮かび上がる。
一発だけと言う事は、威嚇射撃か。
声はダブっていた以上、後方の艦からも射撃があった模様だった。
パウルは、微動だにせず、着弾を待ち受ける。
不意に、前方一キロ程度に大きな水しぶきがあがった。
「後方の着弾点との距離しらせろ!」
「後方一キロです!」
艦橋内にほおっと言う声が上がる。
それはそうである、両者の距離がほぼ、同一と言う事は、彼らはそこを狙って打ってきたと言う事である。
「怖気づくな、威嚇射撃だ!」
「右舷、新たな艦、ね、ネルソン級戦艦です!」
見張り員の声は悲鳴に近かった。
ふん、チェックメイトか、まあ、ネルソン提督ならば、海軍軍人としても恥ずかしくはないな。
「ネルソンより発光信号です。停船せよとの事です。」
「機関停止、停船する。」
艦橋にホッとした雰囲気が流れる。
ここまで圧倒的な戦力を見せ付けられ、それと戦うと言うのは自殺行為だと言うのは全員が理解していた。
しかしながら、艦長の決断一つでその自殺行為も起こりうるのが軍隊であるのだから、当然と言えば当然だった。
同時に、パウルは部下の間に同情の気配もしっかりと気がついていた。
開戦初頭に、戦艦を売り渡した艦長、そう思われているのが判るだけに、なんとも言いがたい。
違う、そうじゃないと大声で叫びたいのをじっと我慢する。
とは言え、確約がある話ではないだけに、冷たい汗が背中に広がる。

258shin ◆QzrHPBAK6k:2007/02/17(土) 14:16:04
「ふむ、止まったか。」
フォーブスは残念そうにつぶやく。
これで逃走でもしてくれたら、新しい射撃管制システムのテストに丁度良かったのだが、仕方ない。
「ムラサメに連絡、後は宜しく、以上。」
フォーブスはつまらなそうに、机上の地図を眺めるのだった。

後方に控えていた、駆逐艦が一隻、前に飛び出して行く。
30ノットの速度で、前方のドイチュラントに向かうようだった。
「独逸装甲艦に発光信号、協力に感謝する。これより貴艦に向かう。だ」
さて、ここまでは何とか辿り着けたな。
さてはて、上手く行くかどうか。
梅津は、駆逐艦の艦橋で、双眼鏡を構えながら、独り呟くのだった。

ジリジリとした待ち時間が過ぎ、漸く近づいて来た駆逐艦から、カッターが下ろされ、こちらに向かってくる。
既に、パウルの命令で、全員が礼服に着替えている。
全員が怪訝な顔をしたが、彼は降伏勧告の為に、わざわざ駆逐艦を近づけて人を遣すとは思っていなかった。
何かある以上、それ相応の対応をして、こちらの気概を見せ付ける必要がある。
カッターが横付けされ、代表らしき東洋人を先頭に数名の?
うん、何で英国人じゃないんだ。
パウルは怪訝に重いながらも、それでも登舷礼の合図を出す。
笛が鳴らされ、一列に並んだ乗組員が一斉に敬礼する中、その人物が甲板に現れた。
陸軍軍人。
東洋人でしかも陸軍、多分大日本帝国だろうが、どうしてこんな所に現れるのだ。
それでも、パウルは一歩前に出て、歓迎の言葉を述べる。
「日英統合軍、欧州派遣部隊、梅津少将です。」
何と、提督じゃないか。
パウルは顔が引きつるのを感じたが、それでも何とか敬礼を維持した。
「独逸海軍、ドイチュラント艦長、パウル・ヴェネッカー海軍大佐です。乗艦を許可します。」
副長以下を紹介しながら、相手の紹介も受けてい行く。
英国人は一名だけ、ロバート・アッカート少将、彼も陸軍軍人である。
二名の護衛がついており、それ以外のトミオカ大佐のみが唯一の海軍将校だった。
一体、何か起こっているのか。
パウルは混乱しながらも、彼らを艦長室に招き入れた。

259shin ◆QzrHPBAK6k:2007/02/17(土) 14:18:31
コーヒーが出され、人心地つくと、いよいよ本題である。
「さて、一体何が起こっているのですか。」
ここで我慢出来たら、俺も大人なのだが、流石に最早耐えられない。
「ご存じない?」
「わが国の総統が、チェコスロバキア、ズデーテン地方へ侵攻した。
チェンバレン首相が、独逸に対して宣戦布告した。
キール、ヴィルヘルムスハーベンに攻撃が行われた。
以上が小官の知っている事実です。
きっと今頃は、わが国の領土に英仏軍がなだれ込んでいるのでしょう。」
「うーん、少し違いますね。チェンバレン首相は独逸に宣戦布告してませんよ。NSDAP(国家社会主義ドイツ労働者党)に対して制裁を加えると表明しただけです。」
ロバートが答える。
「同じじゃないですか。」
「貴方も、同じと考えているのですか?」
梅津の言葉にパウルはぐっと口を閉ざす。
確かに、あいつらのせいで、どれ程海軍が苦労しているかと思うと、腹が立つ。
全く、新造艦を作るのに、第一次大戦の廃船から部品を回収するまでしなきゃいけないのは誰のせいなのか。
「いや、国家社会主義ドイツ労働者党の党首が、独逸帝国の総統を務めている以上、同じ事です。」
パウルは辛うじてそう答えるのが精一杯だった。
畜生、なんで俺がこんな話をしなきゃいけないんだ。
俺は軍人だぞ、外交官じゃない。
「そうかもしれませんね。いや、そう取られても仕方ないですね。それが公正な選挙で選ばれた以上、独逸国民にとって、そう捉えるのは当然でしょう。」
おいおい、そこで頷いて良いのか。
逆にパウルの方が心配になる。
「しかし、独逸の法体系に不備があるとしたら、そして、その不備の為に問題が発生しているとしたらどうされますか。」
ロバーツがそう突っ込んでくる。
こいつら、絶対ここに来る前に散々教え込まれている。
それに対して、俺はレーダー大将のいい加減な指示しか無い。
パウルは暗澹たる気持ちに陥るのだった。

260shin ◆QzrHPBAK6k:2007/02/17(土) 14:20:36
「独逸の国民が選んだ政権与党ですから、その不備を外国から指摘するのは内政干渉に当たります。これは我々も理解しています。
しかしながら、その被害が、国外に及んだ時は、どうでしょう。」
ロバーツはじっとパウロの目を見つめながら続ける。
「国家間の紛争解決と言う話ならば、外交から戦争まで様々な対応方法が考えられます。ですが、今回のNSDAPの件はこれに当たりません。
独逸国民が選んだヒトラー総統の政権与党が、チェコスロバキアと言う他国で、不当な活動を実施している。
この情況に対して独逸国内では裁く事が出来ない。かと言って、国家間の戦争を引き起こす事態とは考えられない。
そこで、我々は、国家と言う枠組みを超えた組織を形成し、これに対応しようとしているのです。」
一気にまくし立てたロバーツは、コーヒーを一口口に運ぶ。
顔をしかめる点は如何にもきざな英国人らしい。
いや、そんな事思っている場合じゃない。
「そ、それは・・・詭弁だ!」
辛うじて、パウロは言い返せた。
「そうですよ、で、それが何か?」
平然と嘯く、ロバーツを見ているとむらむらと悪意が湧き上がってくる。
こいつ、一発殴りつけてやろうか。
「理由は、後でもどうにでもなる。事実を見て欲しい。」
梅津が絶妙のタイミングで口を挟んだ。
本当に、この人は普通の戦車師団を任されるべき立場の人なのか。
いや、これが普通の英国人だとしたら、本当にそら恐ろしい。
梅津は気を取り直して、パウロに声を掛ける。

261shin ◆QzrHPBAK6k:2007/02/17(土) 14:23:11
「各国は、明らかに現時点での我々統合軍の活動を戦争とみなすでしょう。しかしながら、我々はこれを制裁と呼び、戦争とは認めない。
この先、何年も法律家達が議論し続けようが、英国及び今回の制裁に参加した国家は、決して認めない。
この事実を考えて欲しい。」
何を言っているのだ、この東洋人は。
パウロは混乱の中にいた。
戦争と制裁などと言う言葉遊びに何の意味があると言うのか。
どの道、我々軍人は、戦って死んで行く。
「国家間の戦争ならば、勝者が敗者に対して、見返りを求める。紛争原因となった土地、条約、賠償金の請求、その他諸々の活動が開始される。」
パウロは真剣に梅津の言葉に耳を傾ける。
「ところが、我々の想定している「制裁」では、このような活動は一切発生しない。賠償金も無ければ、土地や条約の締結等の事象は起こしようが無い。
ただ、目的である国家社会主義ドイツ労働者党を貴国から排除すれば全て終る。」
こいつ、本気なのか。
いや、本気らしい。
東洋人の表情は判り難いが、少なくとも嘘をついているようには見えない。
「勿論、見返りはありますよ。わが国においては、欧州における脅威の排除、そして、こちらの梅津さんのお国には、強力な同盟国の確保と言う切実な見返りがね。まあ、これはわが国にも利益を齎しますが。」
「ま、待ってくれ。」
パウロは、混乱している頭を整理するように、下を向く。
じゃ、何か、独逸と戦争しても賠償金も国土の割譲も要求しない?
しかも、その条件が英・日との同盟国化?
独逸にとって、願ったり叶ったりの条件じゃないか。
仏蘭西は、英国の同盟国であり、結果として独逸は西部での軋轢を気にする必要が無くなる。
海軍は、世界三大海軍の内、二つまで見方に出来れば、怖いものは無い。
しかもヒトラー叔父さんにはお引取り願える。
これで、NASDAPの横槍が入ることは無い。
しかし、しかし、そんな、虫が良すぎる話なんて。
パウルはがばっと顔を上げた。

262shin ◆QzrHPBAK6k:2007/02/17(土) 14:25:35
「ソ連・・・」
二人が、感心したようにお互いを見やり頷いている。
大日本帝国は、アジアの果てで、ソビエトと対峙している。
そして、欧州では、ポーランドが間にあるとは言え、独逸がソ連と対峙すれば、大日本帝国に対するソ連の圧力は弱まる。
二つの海洋国家と、一つの大陸国家、いや、中国も含めれば二つか、完璧なソ連包囲網が形成できる。
パウルはそこまで考え、唖然とした顔で二人を交互に見つめた。
「ヒトラー総統も、同なじようなシナリオを描いてられたようです。しかしながら、NSDAP、国家社会主義ドイツ労働者党の党首では、駄目です。オーストリアを併合した結果、それは決定的になりました。」
ロバーツの言葉に、パウルは怪訝な顔をする。
一体、オーストリアで何があったのか。
「ご存じない?NSDAPは、オーストリアの財閥を殆ど全て党の配下に納めたのですよ。結果、欧州の資本家は、ロスチャイルド家も含め全て反NSDAP陣営になりました。まあ、この情況で資本主義国家たる英国や大日本が、ヒトラー総統のシナリオに付き合うのは不可能となりましたね。」
パウルは曖昧な表情で頷く。
彼らならやりかねない、いや、NSDAPの嫌がらせを受けている海軍軍人としては、絶対やってると確信できてしまう。
しかし、しかし、どうして。
「どうして、そのような話を一介の海軍軍人たる、独逸海軍パウル・ヴェネッカー海軍大佐にお話になられるのですか。」

263shin ◆QzrHPBAK6k:2007/02/17(土) 14:27:03
パウルも覚悟を決めていた。
その証拠に話し方から表情も変わっている。
質問の形式をとっいてるが、相手も判っていよう。
この二人、いや英日統合軍とやらが、自分に何をさせたいのか聞いているのを。

「それは、貴方が、第一次大戦後最初に作られた戦艦、装甲艦ドイチュラントの艦長であり、大佐だからです。」
この梅津と言う少将は、また回りくどい話をする気なのか。
パウルは自分がここまで全面的に同意しているのが判らないのかと少し怒りを覚える。
「いえ、全ての最初に行動を起こすのは、将官では無理があります。将官が指示を出した場合、それは単なるクーデターにしか過ぎません。」
パウルの表情を読むように、梅津が急いで説明した。
「それに、ドイチュラントと言う独逸国民全てが馴染んでいる戦艦がその最初となる事は、宣伝効果は格段に高いですよ。」
ロバーツも慌てて付け足す。
あっ、なんだ勘違いだ。ちゃんと理解されている。
パウルは居住まいを但し、自分の間違いを謝るように、軽く頭を下げた。
「それで、小官は、何をすれば宜しいのか。」
「ドイチュラントの独逸海軍からの離脱と、統合軍への参入を宣言して頂きたい。」
「そして、ヴィルヘルムスハーベンへ向かい、リッチェンス提督を説得して頂きたい。」
パウルは二人の言葉に、唖然となるのだった。


「それで、上手く言ったのだな。」
「ハイ、パウル海軍大佐は、速やかに行動に移るとの事です。」
ドイチュラントを離船し、ロバーツは、ネルソンに乗艦していた。
既に、ドイチュラントは速度を上げて、視界から消えようとしている。
「ヴィルヘルムハーベンは、取れそうか?」
「7割の確立ですか、リッチェンス提督があそこに来ているとは予想してませんでしたから。」
「ふん、何でも思う通りには行かないのが、海軍だろう。おっと、君は陸軍出身だったな。」
フォーブスは、揶揄するように、彼の顔を見つめる。
「ええまあ、まさかこんな船の上で仕事をするとは思いませんでしたよ。」
「何を言っとる。大英帝国は、海軍国だぞ。例え陸軍将官と言えども、艦に慣れなくてどうする。」
「はあ、そうですね。」
心、ここにあらずと言う表情で、返事を返す、ロバーツに、フォーブスが怪訝そうな顔を浮かべる。
「気になるか?」
「そりゃ、勿論です。短い時間ですが、パウロ大佐は、中々の人物ですから。死なすのは惜しい。」
そう言えば、ウメヅは、パウロの事を最初から買ってたが、その訳はなんだろう。
「ふん、所詮我々は軍人だよ。戦場で死ねれば満足だ。それにな、」
フォーブスはニヤリと笑みを浮かべ、内緒の話をするように、彼に語りかけてくる。
「上手く行かなければ、我々は丁度射撃訓練に適当な装甲艦三隻を手に入れるだけじゃないか。」
本心から楽しそうに、手を合わす、フォーブス本国艦隊司令官を見て、ロバーツは、ひたすらパウロの成功を祈るのだった。

264shin ◆QzrHPBAK6k:2007/02/24(土) 10:09:47
キャタピラ付きの車輌が、高速道路のインターチェンジを普通の規則通りに登って行くのを見るのは異様としか言い様が無かった。
広々とした高速道路の合流地点に向かって、四両の戦車が進んで行く。
後方には、更に多数の戦車が並び、辺りには偵察用であろうか、小型のジープが走り回っていた。
戦車は本線に入ると、暫く進み、左側の路肩に寄り、停車する。
先頭車の砲塔に取り付けられたハッチが開かれ、暫くして男が顔を出した。
六車線の馬鹿でかい道路には、他の車は時折友軍の軽車両が走り抜けるくらいで、他の車輌は見えない。
男は双眼鏡を取り出し、進行方向の道路を見つめる。
長い直線は、かなり先で緩やかにカープを描き消えて行く。
両側は緩やかな丘陵地帯が続き、小麦畑だろうか、畑が広がっている。
天候は快晴、時刻はまだ午前11時、晩秋の日差しが心地よい位である。
「隊長」
通話用のヘッドホンに部下の声が響く。
「何だ?」
「四時方向から、友軍機が接近します。」
「了解」
男は、手にした双眼鏡をそちらにかざし、暫く動かす。
いた。
キラリと光る数機の機影は、疾風、いやスピットファイヤか、とにかく友軍である。
「通信士、友軍機は、どちらだ?」
「ええっと、暫くお待ち下さい。」
「疾風です。兵団航空部です。」
待つほど無く、返事が返ってくる。
「なんだ、繋げるか?」
「ハイ、繋ぎます。符丁は、ニュートンです。」
「上空の、ニュートン、こちらはシーザー1-1、応答願います。」
兵団での今日の符丁は、空を飛ぶ連中が、科学者・哲学者、陸がローマ皇帝である。
全く、オクタビアヌスなんて符号を与えられなくて良かった。
舌を噛みそうである。
「こちらはニュートン1-2-1、シーザー1-1、良く聞こえます。」
ニュートンは、航空部の第一大隊、第二中隊、第一小隊所属の航空機である。
すると、知っている人物である可能性がある。
「秘話通信は可能か?」
「準備出来ました。」
「こちらも大丈夫です。」
上空と、部下の通信士から同時に返事が返ってくる。
「島田少佐ですか、こちらは山田中尉です。ご無沙汰しております。」
佐々木は、思わず笑みを浮かべてしまう。
訓練中に、何度か中隊までやってきては、戦車との共同攻撃について聞いてきた、研究熱心なやつだ。
わざわざ戦車に乗っかって、どのあたりが狙いどころかまで確認して行く奇妙なやつだったが、少なくとも気心は知れている。

265shin ◆QzrHPBAK6k:2007/02/24(土) 10:11:19
「山田か、元気にしてたか。」
「ハイ、少佐もお変わりないですか?」
全く、戦場で交わす会話じゃないな。
この辺りの友軍の多くが聞き耳立てているだろうから、ほどほどにしとかないと。
「情況を教えて欲しい。」
「ハイ、前方10キロの所で、敵が集結を始めています。何度か航空攻撃を加えていますので、集結度合いは低いですが、それでも陣地らしきものが出来始めています。」
「了解した。戦車はいないと聞いたが、間違いないか。」
わざわざ増強中隊が出張ってきたのも、それが理由だからだが、実際に上空から観察した報告を得られるならば、その方がありがたい。
「ハイ、戦車は見当たりません。付近に集まって来た車輌に関しては、上空から潰せるものは、ほぼ潰しております。野戦陣地と思われますが、事前に掩蔽されたものがあるかどうかは、航空からでは判断できません。」
的確な判断だろう。掩蔽されている可能性もあるために、野戦陣地攻撃に、戦車中隊11両が借り出されている。
「他に、何か気がついた点はあるか。」
「いえ、特にこの敵に関しては、以上です。」
と言う事は、他もあるのかな。
「了解した。その他の敵情は何かあるか。」
「ハイ、更に後方5キロの地点で動きが見られます。これは、確定していないので、まだ確認中ですが、小職は、戦車ではないかと思うのです。」
「何故、そう思う?」
「前に少佐が言われた条件に合致しています。そこから森が広がっており、高速道路はその中央を横切っております。ですが、後は勘としか言い様が無いです。上空を飛ぶ時に、何とも言えない気配ですか、そのようなものを感じたとしか言えません。」
ほう、こいつ伊達に何度も中隊に質問に来ていた訳でもないんだ。
「判った、注意しよう。報告感謝する。」
「言え、惑わしてしまわなければ良いのですか。」
「なに、何も無くても、警戒は必要だ、心配はするな。ところで、全体情況で何か知っている事はあるか?」
「ハイ、ノルドホルツの航空基地が10時過ぎから稼動を始めました。我々もこれからそちらに向かいます。」
「へえ、それは凄いじゃないか。」
第三旅団が確保に向かう事は知らされていたし、八時に基地を占領したというのは、30分毎の戦況報告で聞いていた。
しかし、稼動が10時過ぎと言うのは、素晴らしい僥倖である。
「ええ、幸い備蓄燃料が無傷で確保できたと言う事です。あちらさんも、かなり混乱していたみたいで、誰もその破壊を指示していなかったみたいですね。本当に幸運です。燃料のオクタン価は少し下がるようですが、航空支援に関しては問題はありません。」
「良かった、助かる。ところで、ヴィルヘルムスハーベンの方は何か変化があるのか。」
「いえ、こちらは何も動きが無いようです。、今の所異様な程静まりかえっているとの事です。」
いくら無線妨害が行われているとは言え、ノルドホルツを占領したと言う情報はヴィルヘルムスハーベンに伝わっていないとは思えない。
現在ハンブルグに向かって侵攻している第一兵団に対して、横合いからの急襲を考えると、ここの奪還は独逸軍にとって急務の筈だ。
まあ、それ故第三旅団そのものがあちらに向かった訳だが。
まだ混乱しているのか。
それならば、自分達の前に立ち塞がろうとしている独逸軍は何なんだ。
島田は頭を振り、取り合えず正面の問題だけに意識を集中しようとした。
所詮自分は、前線指揮官であり、本部幕僚ではない。
「ありがとう、貴官の協力に感謝する。以上だ。」
「いえ、どう致しまして。少佐の武運を祈ります。通信終り。」
上空で、旋回していた戦闘機が、翼を振り南へ向かって行く。
直ぐに次の支援戦闘機が来るだろう。

266shin ◆QzrHPBAK6k:2007/02/24(土) 10:13:14
「通信士、全体通信に切り替えてくれ。」
「準備出来ました。」
「よーし、話は聞いたな。10キロ先に敵の応急陣地、その更に五キロ向こうに、お楽しみの戦車部隊らしきものだ!少し狭いが、中隊突撃隊形にて突っ込むぞ。」
島田はそこで、一旦間を置いた。
「前方の応急陣地を抜いたら、後は後続に任せて、2キロ前進、そこで再度体制を整え、警戒地点を急襲する。第一小隊、前へ!」
島田が見守る中、一斉にややかん高いエンジン音を響かせ、後ろの三台が前に出る。
その後ろから、第二小隊が対向車線へと踏み出し、やや速度を上げて、第一小隊と並ぶ。
三角形を成した第一、第二を先頭に、第三小隊及び中隊本部車2両が横一列に並び、一応中隊突撃体制を構築する。装甲の施された兵員輸送車両が三台、やや下がり気味ながら、五両の間を占める。
その後ろに、兵員輸送車が続き陣形が完成した。
道路上なので、お互いの車間距離が異様に狭いがこれは仕方ない。
「前車、前へ。」
増強戦車中隊は轟音を立てて動き出した。

「全車一旦、停止!」
島田の号令で、部隊は停止する。
時速30キロで、12分、六キロ進んだ計算になる。
「全車最終点検、異常は無いか?」
直ぐに、全車異常なしとの報告が上がってくる。
よし、幸先は良い。
戦車はこう見えてもデリケートなものだが、幸いまだ故障らしい故障は発生していない。
「ここからは、全速で、敵陣まで突っ込む、散会したいが、地雷の可能性もあるので、道路から外れるな!弾種は榴弾、各自任意に発砲、全車、前進!」
一斉にエンジン音を高めた車輌が動き始める。
島田は全車が動き出したかどうか、素早く四方を確認する。
六車線の高速道路も、戦車が11両、兵員輸送車等も含めると、30両近い車輌が、徐々に速度を上げて走り出すのは、圧巻である。

267shin ◆QzrHPBAK6k:2007/02/24(土) 10:15:25
そろそろいいな。
「よーし、全車全速、突っ込むぞ!」
上部ハッチから身を乗り出した身体が、ぐっと後ろに引かれるほどの加速で、戦車が飛び出す。
キャタピラが、コンクリートを擦る音に、ちらっと道路が無茶苦茶になるだろうなと思うが、知った事じゃない。
前方に、敵陣らしいものが見えてくる。
双眼鏡を構えると、土嚢を積んだ簡易陣地で、独逸兵が走り回っている。
閃光を目にして、島田は慌てて車内に身体を滑り込ませ、ハッチを閉じる。
敵も馬鹿じゃない。
突然の戦車の突進に、慌てていても、中には素早く対応するものもいるものである。
カーンと言う音が、車内の轟音を通しても、はっきりと聞き取れた。
敵の発砲が、誰かに当たったようである。
しかし、島田はニヤリと笑みを浮かべる。
やっぱり貫通は出来ない。
37ミリ対戦車砲では貫通できないように作ってあるとは聞いていたが、それでも誰も試したいとは思っていなかった。
「第一小隊、敵陣に突入します。」
「全員、衝撃に備えろ!」
土嚢の山を乗り越えるようにして、戦車が突入する。
第一と、第三小隊が走り抜けながら左右に発砲しているのが判る。
この情況では、当てる必要も無いので、誰も停止しようとはしない。
ガクンとつんのめるような衝撃が襲うが、それでもここまで走ってきた慣性が勝ったようだった。
島田の指揮車も速度を落とすことなく、駆け抜けて行く。
「第一小隊、左に旋回、第二小隊は右、本部及び第三は、そのまま旋回し停止、随時敵陣攻撃!」
後方に飛び出した戦車部隊が、左右に展開し、後ろから敵陣を叩き始める。
中央に飛び出した、兵員輸送車からも、兵士が飛び出し、急いで散会して行く。
「おーし、打ち方止め!」
歩兵にも聞こえるように、外部スピーカーもつなぐ。
時間にして10分も掛からなかった。
独逸軍の陣地は壊滅しており、数名の歩兵が両手を上げて降伏して来ていた。

268shin ◆QzrHPBAK6k:2007/02/24(土) 10:18:05
「報告します。第一小隊、二号車、第三小隊、一号車、三号車、計三両が駄目ですね。」
「ふむ、小隊が一個だめになったか。やっぱ無茶かなあ。」
11両の戦車中隊が、1回の戦闘で8両に減少、被害率3割近い。
中隊戦闘としては、被害が大きすぎるが、その代わり、敵の陣地を30分で抜いた。
しかも、戦車は潰れたが、味方の人的被害は殆ど無い。
スピードと質量を直接陣地にぶつけた訳であるが、戦法として認められるのかどうか。
難しいところだなあ。
このまま、五キロ先の森に強行突入するつもりだったが、本隊を待った方が良さそうである。
「よし、警戒態勢を構築し、本隊の到着まで待機。それと、前田大尉はどこか?」
あちらにいらっしゃいますと、方向を聞いて、戦車から降りる。
ポケットからタバコを取り出し、口に咥え、火をつける。
ふうっと吐き出すと、心地よい疲労が全身に広がる。
コンクリート舗装の道の両側に構築された陣地の方まで歩いて行くと、独逸軍の対戦車砲の残骸の所に、前田大尉はいた。
「前田大尉!」
呼びかける島田に気がつき、作業をしている部下に声を掛け、小走りにこちらに走ってくる。
「少佐、何か?」
「ああ、ここで本隊の到着を待つ。その間に偵察班を編成して、前方の森を見ておきたい。何名か選んで送り出してくれ。」
「了解しました。少佐?」
島田は話しながらも、大尉が走り寄ってくる前に行っていた作業を見つめていた。
「うん、ああっ、何やってるんだ?」
「はあ、あそこにあった、37ミリ、壊れてないみたいなんですよ。で、うちの支援火器の充実に役立って貰おうと。」
島田は、ニヤリと笑う。
「まあ、ほどほどにしとけよ、部隊の移動が遅れるようだと、破棄させるからな。」
「りょーかい。」
まあ、あれは、我が軍の戦車には役に立たなかったが、多分敵の戦車には有効だろう。
全く、歩兵ってやつは・・・
戦車部隊に同行している意味が判ってるのかなあと思いながらも、自分の戦車に戻って行くのだった。

269shin ◆QzrHPBAK6k:2007/02/24(土) 10:19:29
「中隊長!中隊長!」
「おーい、こっちだ。」
上から声を掛けられ、島田は戦車の下から顔を出した。
時間があったので、自分の戦車の整備を手伝っていたのだった。
「本隊が来ました。」
「おう、そうか、今行く。」
手の油をぼろ切れで拭い、島田は道路に向かった。
道路の向こうから、何両もの戦車が進んでくるのが見える。
大隊長の事だから、先頭に立っているだろうと思って見ていると、案の定、一番前の戦車だった。
砲塔のハッチから身を乗り出し、まるで閲覧式の戦車兵そのものである。
全く、狙撃でもされたら一発なんだがなあ。
ところが、不思議と危険な局面では、あんな真似はしていない。
お蔭で、大隊長がああしている時は、安全だと言うへんな神話らしいものが出来上がっている始末である。
大隊長が、こちらを見つけたようで、島田は慌てて額に手をやった。
大隊長も、答礼を返すが、悔しいほどその姿が様になっている。
全く、騎兵将校あがりの貴族様と言うのは、何をやっても様になるようだった。
いやそうでもないか、あの人が特別なのかもしれない。
まあ、英語、フランス語、独逸語がペラペラで、オリンピックの乗馬で金メダルを取るなんて、普通の人間に出来る事では無い。
全く、パロン西と言われるのも当然なのかもしれない。

270shin ◆QzrHPBAK6k:2007/02/24(土) 10:22:49
「で、島田、どうしてここで止まっている。」
戦車から降り立ち、待ち受けていた島田の側まで来ると、第一兵団第一旅団付、増強戦車大隊長、西竹一大佐は、直ぐに聞いてきた。
「ハイ、戦術の具申をさせて頂きたく、お待ちしておりました。」
西大佐の繭が上に上がる。
「以前申し上げさせて頂きました、戦車及び機動歩兵による突撃戦術を今回ここに陣を構築していた独逸軍に対して試したところ、存外に効果がありました。」
「ああ、聞いている。30分で突破したと言う事だな。良くやった。」
「しかしながら、相応の被害も発生しております。」
「何両やられた?」
「ハッ、3両です。1両は修理可能でしたが。」
「そうか、中隊11両に対して3両は大きいな。」
「はあ、幸い人的被害は無かったのですが、この調子で続けると、同様の陣地に対しては、後一回が精一杯です。」
「それと、この先五キロ程の地点に、独逸軍の機甲部隊、それ程大きなものではなさそうなのですが、少なくとも戦車を主体にした中隊規模の部隊が、潜んでいます。」
「そうか、判った。」
西大佐の頭の中で、どのように展開するか、検討しているのだろう様子が伺える。
「我々は、増強大隊である以上、その戦力をすり潰す覚悟があれば、いけそうだな。」
「ハイ、問題はないかと。」
流石に、頭の回転が速い上官は助かる。
「よし、第二中隊を付ける。おい、長井少佐を呼んで来い。」
西大佐は素早く側の従兵に声を掛ける。
「しかし、突撃戦術、まあ突撃を戦術と言う時点で、おかしいな。とにかく、非常に危険な戦法ではある点は、十分に留意しろよ。」
「ええ、それは当然だと。あくまでも今回のような急造陣地に対する戦法です。」
西は尚も話し続けようとする島田を遮るように、手を振る。
「いや、貴様の心配をしているのではない。これが戦訓として蓄積される事を心配しているのだ。」
ああ、なるほど。それは理解出来る。
島田自身も、結構目茶苦茶な方法だと思っている。
今回のように、戦略的な奇襲に近い情況で、敵が十分な防備体制が整っていないからこそ有効なのであって、「陣地攻略には、戦車による突撃戦術が有効である」等と、評価されたら目も当てられない。
第一、前面に地雷原でも作られただけでおしまいである。
「まあ、戦車による一点突破は、元々旧陸軍の浸透突破戦術の応用とも言えないことはないが、その辺りは、十分留意して報告書をまとめろよ。」
「ハイ、了解しました。」
こりゃ、下手に死ぬ訳には行かない。
戦闘中に死亡でもすれば、確実に戦車による突撃戦術を編み出した軍神なんかに祭り上げられ、後の連中が苦労しそうだった。

長井少佐がやってきて、簡単な打ち合わせが行われ、島田は自らの中隊の所へと戻る。
小隊指揮官を集め、作戦を指示すると、すぐさま発進である。
大隊が前方の森に対して攻撃準備を整えている間に、島田が指揮する事となった2小隊は、20両の戦車及び随伴歩兵を伴い、高速道路を外れていった。

271shin ◆QzrHPBAK6k:2007/02/24(土) 10:27:25
「くそっ、増援部隊か。」
島田達の潰した独逸軍の陣地から三キロ程離れた少し小高い地点に腹ばいになって、双眼鏡を眺めていた男が毒づく。
双眼鏡の向こうでは、味方の陣地を潰した英国軍が更に増強されつつあった。
ここからでは全体が見渡せる訳ではないが、それでも二桁の戦車やそれに伴う支援車輌が走り回っているのが見える。
男は、一両の戦車に焦点を合わせて、その細部を更に見つめた。
主砲はそれ程大きなものではない、37ミリ程度であろうが、砲身は味方の対戦車砲より長い。
全体にコンパクトにまとまっているが、明らかに、友軍の試作三号戦車より強力そうな戦車である。
何時の間にあんな戦車開発してたのだ、英軍は。
男は先程からの疑問に再び戻ってしまう。
少なくともOKVから出されている列強兵備概況では一切触れられていなかった。
英国の戦車開発は、巡航戦車MarkⅡで開発が停滞していると言う話はなんだったんだ。
それに支援車輌の量と質は、グーデリアン閣下が目指していた装甲部隊そのものじゃないか。
強力な機動力の持った戦車と、それに随伴できる機動歩兵の組み合わせによる機動戦術。
くそっ、一体何なんだあいつらは。
男は、腹ばいのままゆっくりと後ろに下がり、敵陣から見えなくなって初めて立ち上がる。
足早に、背後に隠れている数台の車の所まで戻ると、偵察を続けるように部下に指示し、車に乗り込んだ。
「閣下、僭越ですが、あまり危険な事は。」
「判っている。直ぐに戻るぞ。」
助手席に座る参謀らしい将校の言葉を手で制し、言い放った。
車は猛烈な速度で走り出し、わき道を通りぬけ森を目指して行く。
くそっ、全部台無しじゃないか。
早朝よりの英軍の策動に、彼は可能な限りの部隊をかき集め対応しようとしていた。
無線が通じない為、部隊の集結一つ取っても、単なる伝令では兵が動かず、結局上級将校をいちいち派遣せざるを得なかった。
お蔭で、英軍の上陸作戦に気がついた時は、既にかなりの部隊が上陸を済ましており、水際での防衛は最早不可能だった。
それでも彼は、この地点に、集めた部隊を集結し、前進防御拠点の構築と、後方の森にかなりの部隊を集結させる事までやってのけたのだった。
訓練用の一号戦車や、試作戦車まで動員し、何とか装甲大隊程度の戦力を構築した。
これを混乱の続く国防軍の中で、たった三時間でやり遂げたのだから、十分自慢できる筈だった。
英軍が、前方の仮設陣地に拘泥している隙に、森に隠した装甲大隊を両翼から突入させ、少なくともここで、敵の進撃を止めてやる積りで準備した筈だった。
敵航空機による偵察も利用し、前方の陣地が精一杯のものであるとの印象操作も上手く行ったと考えていたのに、それが何だ、たった三十分で、我が軍の防御陣地を抜くなんて。

272shin ◆QzrHPBAK6k:2007/02/24(土) 10:28:32
森の中に設営した臨時司令部らしいもので、突入のタイミングを図っていた筈が、あっという間の陣地の崩壊に、我を疑った。
結局、部下の将校からの報告に、信じられない思いで、危険を冒して自分で前線まで見に来る羽目になっていた。
この目で実際に見た英軍は、はっきり言って、彼が予想していた敵とは全く別物だった。
我が軍が構築中の装甲部隊の主力となる三号戦車よりも強力な火力、そして歩兵支援戦車である四号戦車よりも軽快な走行性能。
四号並、いやあるいはそれ以上の火力性能と、三号戦車並みの快足性を持つ戦車が主体の装甲部隊。
恐らく、現在チェコに展開中のグーデリアン閣下の第16装甲軍団よりも、火力、機動力も上であろう。
そして、第16装甲軍団よりも強力な戦力は、独逸帝国には無い。
支援砲兵と強力な陣地、トーチカ等を構築すれば、膠着に持ち込むのも不可能ではないだろうが、ハンブルグ郊外のここにはそんなもの無い。
いや、それどころか、東プロセインのポーランド国境付近、あるいはルール地方の仏蘭西国境あたりに配備されているだけに過ぎず、残りは全てズデーテン地方にある。
とてもじゃないが、それらを再び内戦防御に配備し直すのは時間が足りないし、自分の権限では不可能だ。
その上、上空には英国の戦闘機が飛びまわり、独逸空軍は、端から叩き落されている。
少なくとも、朝から何度か寄せられている報告では、独逸空軍も壊滅的な打撃を浴びているらしかった。
そして、自分が指揮する寄せ集めの装甲大隊が撃破されれば、ハンブルグへの突入を防ぐ戦力はまるでないに等しい。
いや、一応部隊はある程度いるが、それらにこの強力な英軍を撃破出来る戦力は無い。
ハンブルグは間違いなく占領される。
そして、そこから250キロ先にある首都ベルリンまでは、ここにあるようなアウトバーンが真っ直ぐに伸びている。
男は暗澹たる思いに駆られるのだった。

273shin ◆QzrHPBAK6k:2007/02/24(土) 10:29:39
車が、森の中の野戦司令部に到着し、男は仮設テントの中に足を踏み入れる。
数名の将校が、期待の篭もった顔で、自分を見つめている。
くそっ、俺はこの間少将になったばっかりで、貴様らと大きな違いは無いぞ。
そうは思っても、自分は将官であり、彼らは佐官でしかない。
「モーデル閣下・・・」
ついに、一人が指示を仰ぐように、黙りこくっている男に、声を掛ける。
「地図を、いや、もっと大きなやつだ。」
正面の机に広げられていた付近の地図の上に、彼の指示で広域地図が広げられる。
「下がるぞ。現有戦力では、英国軍に対抗出来ない。」
「それでは、ハンブルグまで後退して、そこで防衛ですか?」
「いや、ハンブルグでは市民に対する被害が大きすぎる。それに、敵の進撃速度を考えると、防御陣地の構築の時間が取れない。」
彼は、全員が注目する中で、ベルリン−ハンブルグ間の拠点を見つめてゆく。
「ここだ、ここまで全軍は、速やかに後退する。そして、ここに強固な防御拠点を構築するのだ。」
多分、独逸はこの戦争には勝てない。
それは理解している。
それでも、ヴァルター・モーデル少将は、たたき上げの軍人だった。
指先は、Besenthalと言う小さな村を指差していた。
ハンブルグからベルリンに通じる24号線を50キロ程言ったところにあるLauenburgischenSeen(ラウエンブルク湖沼自然公園)の西端である。
彼が指差したのは、独逸北部に今でも国立公園として残されている、森林地帯だった。
少なくとも、あいつらに、真っ直ぐベルリンまで行かしてなるものか。
独逸軍人が如何にしぶといか、たっぷり教えてやる。

274shin ◆QzrHPBAK6k:2007/03/03(土) 08:22:30
ベルリン、総統官邸、総統執務室。
「なんだ、これは!」
昨晩殆ど眠れなかった第三帝国総統は、OKVから上がってくる情況報告を机の上に叩きつけ、イライラと歩き回る。
「英国軍が、未明にブレーメン地方に上陸した模様。
キール及びヴィルヘルムスハーフェンは、機雷封鎖され、艦艇の出動は当面不可。
チェコスロバキアに向かっていた第十六装甲軍団は、チェコ軍の反撃で、移動出来ない。
ルール地方、プロセインに展開中の師団は、両国境での不穏な動きに対応する為、動かせない。
ないないづくしじゃないか!」
側に控えているNASDAP首脳陣は、何も言えず、立ちすくむだけだった。
「ハルダー参謀総長は、まだ来ないのか!」
「そ、それが、総統・・・」
国防軍最高司令部総長のカイテルが、おずおずと切り出す。
「ハルダー参謀総長は、参謀本部幕僚と、現状把握の為に、今朝一番にベルリンを離れており、まだ連絡がついておりません。」
「な、なんだと・・・」
ヒトラーの顔が硬直し、後の言葉が続かない。
「い、いや、直ぐに、連絡は入るものと・・・」
「ばかもん、なぜそれを早く言わない!」
ハルダー参謀総長がベルリンにいない。
いや、ハルダー一人だけではなく、幕僚も一緒にいないとなると。
クーデターか?
いや、このタイミングではそれは無い。
英国軍が攻めてきていると言う情況では、クーデターを起こして更に混乱させる意味が無い。
いや、逆に混乱しているからこそクーデターがやりやすいと言う考え方も出来る。
しかし、ベルリンを制圧出来る部隊がいない。
主力はズデーテン地方に出払っているし、ベルリンにはNASDAPの親衛隊もいる。
少数での首都の制圧には対抗できる。
となると、やはり考えられるのは、英国軍との裏取引か。
確かに、余りにも都合が良すぎる。
英国軍の動きが、まるで掴めなかったと言うのもそれならば理解できる。
部隊配置自体が、北海に面したブレーメン地方からハンブルグに掛けてはがら空きである。
陸軍、恐らく海軍もこれに加担している可能性は高い。
ヒトラーは執務室を歩き回りながら、思考を巡らす。
となると、効果的な反撃なぞ出来る訳ない。
第一、効果的な反撃が出来たとしても、今の独逸に大英帝国とその同盟国との戦闘に勝てるだけの軍備は無いのは痛いほど判っている。
どうする。
頭の中に亡命と言う言葉が浮かぶ。
しかし、どこにと考えると否定するしかなかった。
伊太利亜では余りにも頼りない。
ソ連は、相手が悪すぎる。
少なくともスターリンでは、こちらの意思が通るとは思えない。
米国。
ここならば、今後の可能性もあろう。
ランドン大統領を焚き付けて、独逸奪還の為の軍を起こし、大西洋を攻め上る。
ヒトラーは頭を振った。
確かに、可能性はあろうが、そこまで落ちぶれたくは無い。
第一、私は独逸を愛している。
国土を荒廃に導き、粗野な米国人の傀儡になる気は無い。
どうする、いや、何をすべきなのだ。

275shin ◆QzrHPBAK6k:2007/03/03(土) 08:28:19
ヒトラーは、側に控えているボルマンやヒムラーをちらりと見る。
こいつらを切り捨てるか。
昨晩のチェンバレンの演説は、NASDAPに対する非難中心であり、ヒトラー個人に対する攻撃は無かった。
ヒトラーを持ち上げながらも、NASDAPが悪いと言わんばかりの内容である。
確かに、ヒトラー自身、党と軍、そして経済界の微妙なバランスの上で政権を維持してきたのは事実であり、その中で党がその勢力を拡張する為に、表に出せない事も色々行っているのも事実だった。
知らなかったで通るか。
無理だ、幾らなんでも党首たるヒトラーが知らなかったと言うたわ言を真に受ける独逸国民は多くない。
知っていたとしたら、どう言い訳が出来るか。
いや、気がついたからこそ、自分の身を犠牲にしても、国家社会主義ドイツ労働者党を排除するために、英国軍を呼び込んだと言うのはどうだ。
ズデーテン地方への侵攻は、独逸国防軍と、英国軍との無用な軋轢を防ぐ為。
国防軍と、党の紛争を避けるために、英国の手を借りた。
うん、これなら行けそうだ。
ピタリと、ヒトラーは立ち止まり、黙って控えていた首脳陣を振り返る。
「カイテル、参謀本部に行く。」
「それは、危険です。」
カイテルが返事をする前に、ヒムラーが叫ぶ。
ヒトラーは改めて、ヒムラーを見つめた。
この眼鏡の小男は、本当に自分の事を気に懸けてくれているのだ。
他の党の首脳陣と違い、彼はヒトラー個人に対して忠誠を誓っているが痛いほど判る。
しかし、彼も切り捨てねばならない。
NASDAP親衛隊そのものが、どう考えても党を象徴するものであり、ヒトラー自身が助かる為には、親衛隊指揮官の犠牲はどうしても必要だ。
「ヒムラー、君の気持ちはありがたい。しかしながら、私は独逸第三帝国総統なのだよ。」
ヒトラーは、諭すようにヒムラーに言う。
「であるならば、この火急の折に、独逸国防軍の指揮を取らないで、何が出来よう。私は行かねばならない。」
「しかたありません。それでは直ちに準備致します。」
「いや、それは必要ない。参謀本部に親衛隊を連れて行くのは如何にもまずい。彼らも落ち着かないだろう。ロンメルを呼べ、総統護衛隊だけで行く。」
「ボルマン、君は党の各支部へ通達だ。英国は、我々NASDAPを独逸から切り離そうと画策している。これに対して国防軍と無用な軋轢を生む事は敵に付け込まれる隙を作るようなものだ。」
「いいか、決して党独自での活動は行うな。間違っても党員だけが攻撃されるような事態は好ましくない。最悪の場合は、党員は国防軍の指示に従うように通達を出せ。」
「ハイ、総統。」
ボルマンは何を考えているのか判らないが、素直に頷く。
「そして、ヒムラー、君には重要な役割がある。武装親衛隊の部隊を全て召集し、そうポツダム、あそこに部隊を展開させるのだ。私は、参謀総本部で防衛の指示を出し次第、そちらに向かう。
英国軍との交渉が必要になるのだ。その時にある程度の力を見せねばならない。」
「ハイル、ヒトラー」
ヒムラーの敬礼を後ろに受けながら、ヒトラーは総統執務室を後にした。

276shin ◆QzrHPBAK6k:2007/03/03(土) 08:33:41
机の上には、独逸全土の地図が広げられ、ハルダーはそれを見入っていた。
情報は不完全であり、半日が過ぎても独逸国防軍、いや独逸全土での混乱は続いていた。
無線は相変わらず不調で、電話は回線を確保していても、途中で切れてしまうと言う有様である。
それでも、ここには情報が集まりだしており、今回の英日統合軍の概要が独逸国防軍でも把握出来るようにはなって来ていた。
そう、英国軍ではなく、統合軍と言う事も把握されていた。
夜明けと共に、キール運河の北海側の出口、ブルンシュグッテル付近に上陸を開始した統合軍は、一時間もしないうちに、強力な先遣隊をハンブルグに向かって発進させていた。
大量の戦車を含むこの部隊は、途中に築かれたモーデル少将の防御陣地を蹴散らし、昼前にはハンブルグに到達している。
モーデル自身が、ハンブルグよりも内陸の地点での防御を選択した為、独逸有数の大都市であるにも関わらず、まともな防御施設は何も用意されていなかった。
それどころか、統合軍の戦車は、中世から続く石畳を駆け抜け、あっという間にハンブルグの市庁広場まで到達していた。
 その後この部隊は、後続の歩兵部隊と共同で、ナチス党支部の占領、党員の検挙を始めている。また一部部隊は、北方へ展開したようで、キール方面に対する防御陣地の構築を始めているとの事であった。
どうやら、先遣部隊の役割はここまでのようで、更に第二派として上陸した部隊が、現在ハンブルグ目指して進撃中であるようだった。
 多分、ハンブルグからベルリンに向けての進撃は、この第二派が対応する事となる模様である。
また、ノルドホルツ沿岸に上陸した別の部隊が、ノルドホルツの空軍基地を占領し、ここを中心に防御陣地を構築している。
先遣部隊が、一時間程で空軍基地を占領すると、その後も上陸が続き、現在は旅団規模の部隊が、ここで防御陣を構築している。
彼らは、純粋に防御部隊のようで、ブレーメン地方やヴィルヘルムスハーベン等に対する攻撃の素振りは全く見せない。
それどころか、部隊から特使がヴィルヘルムスハーベンの海軍基地に派遣されたと言う情報も入っている。

 ここまでの情報を整理しながら、ハルダー参謀総長は大きく溜め息を吐いた。
無線通信が妨害されているにも関わらず、異様な程正確な情報が伝わってきている。
いや、情報が正確すぎるのである。
それもそうである。これらの情報の大部分は、直接統合軍から手に入れているのだから。
ハルダーはあきれ返るしかなかった。
統合軍は、進撃正面の国防軍や陣地に対しては攻撃を加えてくるが、敵対意思を示さない部隊には一切何もしないのである。
統合軍の進撃速度が速すぎて、小隊程度の部隊が、ブルンシュグッテルからハンブルグの間に幾つか取り残されてしまっていたが、彼らが降伏の意思を示すと、送り返してくるのである。
識別の為に、小さな白いリボンを渡され、それを肩の所に取り付けられれば、後は開放されるのである。
流石に、手にした重火器の弾薬は、取り上げられるが、火器類はそのまま持って行くように指示され、小銃や、中には対戦車砲すら馬匹に牽引されたまま、ハンブルグ郊外まで戻ってきた部隊すらあった。
侵攻してきた部隊が、英国軍ではなく、英日統合軍と言う名称で、英国、日本、そしてインド・オーストラリアの部隊からなると言う情報も、これらのリボン付き将兵がもたらした情報だった。
そして、彼らの目的が、ナチス党の排除であり、その為にベルリンを目指している。
既に、独逸海軍は、統合軍に対する敵対を行っていない等の情報が、国防軍将校に再三告げられていた。
これでは、将兵に戦意も湧こうはずが無い。
実際、モーデルのような将軍が指揮する部隊以外では、中隊規模で、移動を止めてしまった部隊すら出ている。
 その上、デンマークとの国境付近で、武装したナチス党員が、不穏な動きを示し、外務省を通じてデンマーク政府から抗議が上がっていると言う情報すら伝えられていた。

277shin ◆QzrHPBAK6k:2007/03/03(土) 08:34:54
これでは、戦争にならない。
ハルダーは何度目かの溜め息を吐き出した。
まあ真剣に敵対しようと言う気もないか。
グーデリアンが率いる最精鋭に近い第16装甲軍団は、ズデーテン地方で、チェコの戦車部隊の攻撃を受け、苦戦していると言う情報も上がってきている。
これまでハルダーは、グーデリアンの唱える装甲部隊と言うものに非常に懐疑的であった。
しかしながら、独逸が抱える装甲軍団よりも遥かに機械化が進んでいるらしい、統合軍の進撃速度と攻撃力は、ハルダーに彼の考えが間違っていた事を気がつかせるには十分過ぎるものだった。
それを認めてしまえば、この師団クラスの装甲部隊に対抗できる戦力は非常に限られているのはハルダーでも判る。
一応、ハルダー自身は参謀総長と言う立場から、東プロセインにあるケンプの第四装甲旅団に諸々の部隊を組み込めば、統合軍に対する反撃は不可能ではないと考えてはいる。
しかしながら、彼自身、その指示を出す積りが無い以上、ベルリンまでの進撃を阻止する上で、使える装甲兵力は無い。

彼は、二週間程前のベック大将の言葉を思い出していた。
「英国及びそれに与する勢力が、総統がズデーテン地方へ侵攻すれば、独逸に侵攻してくる。彼らは、ヒトラー及びナチス党の排除が目的であり、我々はそれを阻止すべきではない。」
まさか、ヒトラーとその一党の排除の為に国を売るのかと思ったが、それでも、ベック大将が反ヒトラー派の将校を集めて作り上げた「黒い礼拝堂」に対してクーデターの中止を宣言した以上はどうしようもなかった。
「これは、確かに大きな賭けだ。しかし少なくもと諸君らが反逆者として後ろ指を指される事は無い。」
ベック大将はそれ以上語ろうとしなかった。
クーデターが中止になった以上、ハルダーに出来る事は少なかった。
今の独逸に、英国及びその同盟軍との戦闘が起これば勝てる道理が無いのは、参謀総長と言う役職についてなくても判る。
それ故、正面対決の姿勢を打ち出すヒトラー排除の為にクーデターまで計画した筈だったのに、ベック大将自らそれを否定してしまったのだから、何が出来ようか。
このまま行けば英国との開戦は避けられない。
そうなれば、独逸はおしまいである。
それが判っているのに、何も出来ないまま、日々を過さなければならない。
しかも、それを参謀総長と言う立場で、である。
結局、ハルダーに出来たのは、英仏の侵攻を防ぐ為に、ルール地方の防御の強化の為の部隊の移動だけだった。

むしろ、チェンバレンの演説を聞いて、ハルダーは逆にホッとしたと言うのが本音だった。
少なくとも、あれこれ悩む必要は無い。
ただ、英国軍の侵攻に備えれば良いと言う立場は、全ての悩みから開放してくれる救いとすら思えたのだった。
ところが、それもたった半日で、覆されてしまった。
英国、いや統合軍と言う名前の侵攻軍の侵入経路は、ハルダーの予想を完全に裏切っていた。
遠浅が続き、それでなくても航海が困難な北海からの侵攻である。
少なくともハルダーの知っている戦争では、このような馬鹿げた行動は考えられなかった。
大量の部隊の上陸は困難であるし、展開出来る正面も少ない。
これまでの軍隊ならば、戦線を構築し、持久戦に持ち込めば、間違いなく手詰まりになる筈だった。
それが、たった一時間程度で部隊を展開し、半日で50キロ先のハンブルグに達している。
しかも、更に後続部隊が、そこからベルリンに向かって動き出そうとしているのだった。
ハルダーはこの日何度目かの大きな溜め息をついた。
このような機動性に富んだ部隊に対して、効果的な反撃手段が無い以上、彼に出来る事はそう多くない。
むしろ、先日のベック大将の言葉に期待を掛けるしか方法が無いのである。
まあ、今の所上がってくる情報は、ベック大将が言っていた内容そのものである。
となれば、今はひたすら、「何もしない」と言うのが一番正しい選択なのであろう。

278shin ◆QzrHPBAK6k:2007/03/03(土) 08:38:08
「参謀総長」
一人の将校が駆け寄って来て、ハルダーの耳元に囁きかける。
「何、それは本当か。」
ヒトラー総統が、参謀本部に向かったとの事だった。
それも、親衛隊を連れずに、総統護衛隊だけを伴ってである。
NASDAPの首脳陣も連れていない。
どう言う事だ?
ヒトラーが何を考えて、参謀本部に向かったのか理由が判らない。
何か、総統しか手に入らない情報があるのか。
「戻るぞ。」
ハルダーは、幕僚に告げると、テントの覆いを捲り上げる。
外は目が眩む位明るい日差しが溢れていた。
そう、そこは、完全な野戦司令部だった。
ベルリンから50キロ北西に築かれた、臨時の参謀本部、ハルダーはそこにいたのだった。
侵攻軍の情報をいち早く入手する為。
そして、同時に、「何もしない為」に。

279shin ◆QzrHPBAK6k:2007/03/03(土) 08:40:08
辺りには、大量の戦闘車両が一斉にエンジンを始動させた為に、きつい排気ガスの匂いが立ち込めていた。
しかしそれも、アランに取れば、戦場音楽の前奏曲にしか過ぎない。
ハンブルグ郊外に集結した第一兵団第二旅団、第一戦車増強大隊が今まさに、進撃を開始しようとしていた。
戦車だけでも、72台、同行する砲兵大隊の自走砲や、兵員輸送車も含めれば、300台近い戦闘車両の集団である。
上陸作戦時は、第一旅団が、中隊規模の戦闘ユニットを組み上げ、順次前進して来たが、ハンブルグに達した今は、戦法を変更出来るのだ。
そのため第二旅団は、ハンブルグを迂回するように走り抜け、1号線と24号線の交差する地点に集結している。
既に、全車の集結も終り、一通りの整備点検・燃料補給も受けた。
そして、この戦闘集団を率いてベルリンを目指すのは、アラン・アデア少将、この私である。
第一旅団の上陸が上手く言った為に、アランの率いる第二旅団は、ブルンシュグッテルよりも遥かな上流、ハンブルグ近郊まで、輸送艦を侵入させる事に成功していた。
結果として、多くの戦闘車両の走行距離は、第一旅団よりも少ない。
お蔭で、これからの踏破に期待が持てる。
西大佐の率いる第一旅団の戦車大隊は、午前中だけで50キロ前進していた。
それを考えれば、これだけの部隊で前進するのだから、上手く行けば今日の午後だけで80キロはいけるだろう。
時速30キロを維持し、途中での給油と整備に一時間掛けたとしても、3時間は走れる。
途中での戦闘に一時間、夕方6時頃までにベルリンまでの距離の最低1/3は踏破出来る。
そうなれば、明日は第一旅団が先陣を務めるから、うん、やはりベルリン突入はこの私が行えそうだ。
西には悪いが、この先で待ち受けているらしい、モーデル将軍率いる独逸装甲部隊との戦闘も、私の勝利で終るだろう。
既にスケジュールは、半日以上前倒しとなっている。
当初計画では、相応の被害も発生する事を見込み、ハンブルグ攻略で本日の予定は終了する筈だったのが、独逸軍は予想以上に脆い。
特に、独逸空軍は、たった半日で排除されてしまっている。
制空権は、完全に統合軍のものであり、お蔭で進撃路も、当初予定のエルベ川沿いではなく、アウトバーンを一気に突っ走ると言う冒険的なものに変更されている。
ハンブルグが無傷で手に入った事で、燃料補給の制約もかなり解除された事も大きい。
よし、後は思い切って突っ込むだけである。
アランは、マイクのスイッチを入れる。
「アランから、全車へ、発進。目標ベルリン!」
一斉に、エンジン音が高まり、待機していた300両の車輌が動き出していた。

280shin ◆QzrHPBAK6k:2007/03/10(土) 02:31:54
「敵が接近中です。」
通信士が、テント内の全員に聞こえるように、大きな声で叫ぶ。
モーデルが新たに野戦司令部とした、大きなテントの中に一斉に緊張が走る。
「慌てるな!距離は?」
「ハッ、前進監視哨の2キロ前方かと。」
机の上に広げられた一帯の地図上に、敵を示すマークが置かれる。
「よし、前衛の戦車部隊が通過した地点で、攻撃開始!前進監視哨からの合図で、攻撃。」
ハンブルグ郊外に集結した敵は、戦車だけでも、50両以上を抱える強力な部隊である。
本来ならば、こちらの偵察部隊等は、敵の警戒線に引っかかる筈だが、敵はそんなもの何も用意していなかった。
どちらかと言えば、圧倒的な戦力を見せ付けるように、前進して来る。
くそっ、完全に舐められている。
モーデルはそれが判るだけに、悪態の一つも付きたくなるが、司令官がそんな馬鹿な真似は出来ない。
「敵、前衛が通過し始めました。」
通信士が、監視哨からの報告を続ける。
前進監視哨は、高速道路から500m程離れた地点に設けられている。
少し地面を掘って、一人が腹ばいになれる程度の場所であり、有線電話がそこからここまで延びている。
一撃でも食らえば、おしまいだが、偽装は効果的に働いているようだった。
「戦車3両通過、更に後続します。」
全員が息を呑んで、報告に聞き入っている。
「6両通過・・・9両・・・12両・・・」
くそっ、まだ続くのか。
「21両、後4両です。」
「アントンに連絡、最後の4両を狙え。」
「通過、今!」
「攻撃開始!」

281shin ◆QzrHPBAK6k:2007/03/10(土) 02:33:44
ハンブルグから一時間強、そろそろ、モーデル将軍が潜んでいると目されている、巨大な森が視野に入ってきた。
「よーし、第一、第二中隊、突撃体制を構築、他の車輌は速度を15キロまで減速。支援歩兵は前進し、所定の位置に付け。」
高速道路が森の中を横切る地点まで3キロ、ここで隊形を整え、後は突撃である。
戦車の装甲を生かして、敵の防御陣地を食い破り、砲撃支援と戦車の機動力で、敵が構築していると思われる陣地を食い破る。
まあ、以前ならば絶対出来ないような危険極まりない戦法だが、巡航戦車MarkⅢには、それが可能なだけの装甲がある。
「左方、10時、発砲炎!」
「何!」
アランが手にした双眼鏡を向ける前に、後方の戦車が爆発する。
「全車、散開、止まるな!敵は大口径砲、叩き潰せ!」
アランは咄嗟に全車に指令する。
陣形を整えつつあった戦車小隊が、左右に広がって行く。
左には、森を背にして、農家がある。
多分あの中から撃ってきたに違いない。
しかし、二キロ以上の距離からMarkⅢを一撃で、破壊できるとなると、うわさに聞く、88ミリ高射砲か。
「更に、発砲炎」
後方に着弾音、また一両やられたようである。
くそ、どうやって、大砲を隠したんだ。
ここから見る限り、普通の農家そのものである。
確かに、建物自体は大砲よりは大きそうだが、あの中から打ってくるなんて。
第二小隊が射撃を開始する。
建物の一部が吹き飛ぶのが見える。
しかし、相手もしぶとい。
その中から、三発目の発砲炎が見え、今度は建物に直進していた戦車が火を噴く。
「敵の射角は狭い!回り込め!」
一両の戦車が、森側から回り込もうとして、爆発に巻き込まれる。
くそっ、地雷か。
その位は予期すべきだった。
森側から回り込もうとしていた小隊が、そのまま回転するように、方向を変える。
「アッ、いかん。」
その途端、森から幾つかの発砲炎が広がった。
前方や側面ならば、敵の砲撃に耐えられても、後方は弱い。
独逸の37ミリでも何とかなる。
案の定、小隊の残り2両もその場で動かなくなる。
「第一砲兵連隊、目標、前方の農家、それと森だ!準備出来次第、支援砲撃!全車、煙幕展開、後退せよ。」

282shin ◆QzrHPBAK6k:2007/03/10(土) 02:37:32
一瞬の攻撃で、五両の戦車がやられていた。
「やはり、88ミリ高射砲です。」
既に、戦闘は終了していた。
砲兵連隊の砲撃により、農家は廃墟となっている。
また、森の方も入り口付近は砲撃で掘り返され、かなり見通しが良くなっていた。
しかしながら、砲撃終了後には、近辺には生きている敵はいなくなっていた。
砲撃が全て破壊したのではなく、独逸兵は、多分その前に後退していたのであろう。
まだ遠くまで行っていないのは間違いないだろうが、現状では直ぐに追い掛ける訳にも行かなかった。
戦車五両の損害で、3キロの前進、あと200キロ強だから、350両程度の戦車があれば無事ベルリンまで辿り着ける。
アランは頭を振って、馬鹿な考えを振り払う。
ハンブルグからここまで敵がいなかった事を考えれば、ここでのいやらしそうな戦闘を済ませれば、同様の規模の敵部隊が二つ、精々三つ程度であろう。
しかし、果たしてここを抜けられるのか。
アランは前方に広がる森を見つめる。
森そのものを焼き払うならば、それも不可能ではない。
しかしながら、あくまでも現在の活動は、ナチス党に対する制裁活動である以上、極端な破壊は望まれていない。
また、航空支援を受けて、敵陣を叩くにも、これだけ深い森では、場所の特定が難しい。
最も順当な戦法は、後続の第一旅団が追いつくのを待ち、後衛として残して迂回してしまう事であろう。
だが、それはアランが一番取りたくない選択だった。
いっそ、被害を省みず、24号線を走り抜けてやろうか。
アランはまた頭を振る。
駄目だ、流石に愚将として名を残したくはない。
精々、警戒態勢を密にし、敵が攻撃して来たら叩きながら、前進するくらいか。
多分敵の88ミリは一門だけではあるまい。
ある程度部隊が前進したところで、森の奥から一撃、混乱に乗じて、迫撃砲等も用いて来るであろう。
これも却下。
まてよ、これだけの森の中に、大口径の高射砲を運び込んでるなら、どこから入れたんだ。
アランは地図を取り出し、目で追う。
詳細な地図ではないが、それでも森の中に入って行く道は幾つかある。
そして、それらの道はそれ程広そうには見えない。
うん、何とかなりそうだな。
「よーし、中隊長、集合!」

283shin ◆QzrHPBAK6k:2007/03/10(土) 02:40:25
「敵、動き出しました。中隊規模の戦車と歩兵部隊が、二つ本隊から分離して南北に移動中。」
テントの中に、通信士の声が響く。
どうやら、敵は三方向から進撃してくる積りである。
「よし、予定通り、それぞれの地点での待機部隊に連絡。戦車は狙うなよ、あくまでも兵員輸送車、軽車両が目標だ。」
37ミリ対戦車砲では、正面からの攻撃では敵の戦車は撃ち抜けない。
先程の前哨戦では、側面や後方をこちらにさらけ出したからこそ撃破出来ただけである。
それだけに、彼らに戦車に向かえと言うのは酷である。
重苦しい沈黙がテントを満たす。
防衛戦であるだけに、敵が攻撃してこない事には、こちら側にやることは無い。
「南方に移動した敵中隊、隊列を組み直しております。」
通信士からの報告が届く。
森の中の数十箇所に、簡単な偵察拠点を築いてある。
勿論、側道の入り口付近だけに、こちらも警戒は怠らない。
「北方の部隊も隊列の変更を実施中。」
「よし、くるぞ、各部隊に、距離300にて発砲、三正射後、直ちに後退」
先程の攻撃では、上手く退避出来たが、今度はどうだろう。
モーデル自身、圧倒的な英軍を撃破する等と言う大それた事は考えていない。
大型獣を倒すのに、じわじわと出血を強制し、出血多量で倒れてくれるのを期待するしか、今の国防軍には対応する術が無い。
まあ、少なくとも何両かの戦車を葬った。
「北方、戦闘開始。」
「南方、戦闘開始」
敵も少しは考えているようである。
少なくとも左右同時攻撃らしい。
と言う事は、次は正面の敵主力の動きがどうでるか。
「正面の敵主力、動き出しました。真っ直ぐ突っ込んできます。」
「何!」
こいつら、何考えているのだ。
あれだけ、見せつけたのに、何も考えずに正面から突っ込んで来るか。

284shin ◆QzrHPBAK6k:2007/03/10(土) 02:42:28
「第二中隊、第三中隊、戦闘に突入、対戦車砲にて、兵員輸送車を狙ってきました。」
ふむ、側道には配置する88ミリは無いのか。
と言う事は、この正面で何門か待ち受けているだろうな。
「よし、速度を上げて、突っ切るぞ、各自打ち方自由!突撃!」
結局、馬鹿みたいに突っ込む羽目になっているが、驚くなよ。マークⅢは今までの戦車じゃない。
隊列全体が、地響きを立てて走り出す。
速度が見る見る上がり始める。

「敵本隊、速度を上げて突っ込んできます。は、早い。」
「撃て、逃すな!」
高射砲大隊の仕官は、慌てて部下達に叫ぶ。
しかしながら、時速60キロでアウトバーンを疾走する戦車など誰も予想すらしておらず、弾はむなしく通り過ぎて行く。

「右、一時方向、発砲炎。」
「よし、砲兵連隊に座標を連絡!」
高速で走り抜ける1個中隊24両の戦車に追いすがるように、大口径の弾が飛来するが、一つも当たらない。
瞬く間に、戦車は通り抜けてゆく。
「な、何なんだ、一体。」
高射砲大隊を指揮していた士官が唖然としていると、突然空から聞きたく無い音が響いてくる。
「退避!」
彼は、必死に飛び出そうとしたが、身体が吹き飛ばされるのが、最後の記憶だった。

「さあて、何処まで行けるか。」
既に、高速で走り始めて10分が経っている。
距離に直せば、10キロを走り抜けた計算になる。
敵の縦深がどれだけあるかであるが、そろそろ抜けるだろう。
「全車、この先右手にサービスエリアがある筈だ。予定通り、そこに突入するぞ。」
こんな速度で走り続ければ、直ぐにお釈迦になるのが戦車だ。
それでも、敵弾でお釈迦にされるのと違い、修理可能の筈だ。

24両の鉄の塊は、道路を一部破壊しながらも、本線を逸れ、サービスエリアに突入する。
少なくとも上空の偵察では、敵部隊はここにはいない筈であるが、周辺警戒は怠らない。
一番緊張する瞬間が過ぎ、戦車隊は、漸く円陣を組み、凶暴な走りを納めた。

285shin ◆QzrHPBAK6k:2007/03/10(土) 02:44:39
アランが、考えた戦法は、こうだった。
戦車が怖いのは88ミリ砲だけであり、それ以外は大した事は無い。
勿論、先程のように油断すれば、後方から撃たれて破壊される戦車も出よう。
その88ミリ高射砲は、遠距離射撃に向いているが、近距離では使いづらい。
となると、道路を狙って配備するにしても、森の奥から狙う形であろう。
それならば、高速で走り抜ければ、当たらない。少なくとも被害はかなり抑えられる。
何せ、森の中からの射撃だけに、射角も限られている。
逆に、撃って来てくれさえすれば、ある程度の位置の特定が出来る。
そうすれば、野砲の射程内である以上、上から潰せる。
だが、どの程度の数を、この深い森の中に隠しているのだろうか。
それを確かめる為に、また陽動の意味も含めて、三方向からの攻撃だった。
幸いな事に、側道の方には88は配置されておらず、独逸軍の集められた高射砲の数が少ない事を示していた。
20門以上用意できるのなら、側道にも1、2門配備してくるであろう。
それが無い以上、上限は限られている。
中隊規模の戦車を突入させ、敵の射撃を誘う。
野砲で敵陣を叩いて、そこに後続の部隊を突入させる。
うん、今の所は上手く行っているようだった。

286shin ◆QzrHPBAK6k:2007/03/10(土) 02:47:27
あいつら、なんて戦争しやがるんだ!
モーデルは、他の将校がいなければ、帽子を投げつけていたであろう。
三重に張り巡らした、Flak88の壁をあっさり突破しやがった。
空軍高射砲大隊を脅してまでして手に入れたなけなしの大口径砲があっという間に無力化されてしまった。
発砲したばかりに、位置が露出してしまった砲は、すぐさま統合軍の砲撃を浴びせかけられ、兵士達は慌てて逃げ出すしかなかった。
二個戦車中隊が高速で走り抜けそれを補うように、残りの戦車、兵員輸送車が前進して来る。
そして、この連中が、破壊された砲兵陣地を占領し、更に後続部隊の安全を確保する。
非常に統制の取れた上手いやり方だと認めざるを得ない。
あれだけ無茶な走りをした先行の戦車中隊は、動けなくなっているかもしれないが、それは足回りの故障であり、砲撃力に支障を来たしている訳でもない。
これでは、すり減らした敵部隊を前方で待ち構える予定の虎の子の機甲部隊を突入させる事等出来る訳ない。
「閣下・・・」
野戦司令部に詰めている、参謀代わりの佐官連中が困ったように問いかけてくる。
モーデルは、周りを見回して、溜め息の一つも吐きたくなった。
彼自身も含めて、ここにいる連中の多くは、この前の大戦で、塹壕戦を戦い抜いたもの達である。
当時と比べれば確かに、兵器は格段の進歩を遂げているが、それに合い等しい戦法が確立されていない。
これに尽きた。
今なら、モーデル自身もグーデリアン閣下が唱えていた機動戦術の意味が身に沁みて判る。
午前中の遭遇戦で、理解したと思っていたが、まだまだ甘かったようである。
後知恵ならば、道路上に何らかの障害物を用意すれば、彼らの進撃を止められたのは明らかであるが、作戦計画時点では、逆に敵が警戒して砲撃を加えてくる事を恐れたのだった。
それが、なんてざまだ。
こうなった以上、次の手を考えなければいけなかった。

287shin ◆QzrHPBAK6k:2007/03/10(土) 02:50:37
自分も含めここにいる連中は、全て新しい戦争の体験者である。
それは最前線で実際に戦っている兵士達も当然含まれる。
この体験を生かして、軍を再編成出来れば、独逸は多分最強の軍を持つ事が出来るだろう。
あのような機動兵器を我々が準備できれば、攻撃にも防御にも可能性は限りなく広がる。
しかし、この先そのような機会があるのか。
このまま、我々が下がれば、ベルリンまでまともな防衛線を築ける部隊は無い。
統合軍は、どのような編成であるかが、国防軍に漏れる事を一切気にしていない。
それどころか、積極的に情報を流している節すら見られる。
それだけに、自分達が下がれば、彼らがベルリンに辿り着くのを防げるものは無い。
いや、ハルダー参謀総長が、ベルリン郊外に野戦司令部を設置し、陣頭指揮を始めている。
だが、ハルダー閣下は、統合軍の機動力、攻撃力がどれ程のものか、判っていない。
時間が足りない。
この勢いで、統合軍がベルリンを目指せば、一週間も掛からずに、到達してしまう。
いや、その半分、三日もあれば可能だ。
幾ら兵を集めても、満足な塹壕の準備すら出来ていない状況で、こいつらの突進力を受け止めたら、あっという間に防衛陣は崩壊するだろう。
遅滞戦術でどれだけ時間が稼げるか。
元々、ここでの戦闘も、モーデル自身その積りで部隊を展開した筈なのに、一日も掛からず抜かれてしまっている。
この先、ベルリンまでラウエンブルクのような自然の要害として使える地形は無い。
そうなると、敵の進軍速度を考えると、出来る事は本当に嫌がらせレベルまで落ちてしまう。
幾つかの地雷を仕掛ける。
道路上に障害物を設置する。
88を農家を解体してまで組み込んだように、適切な地点で、戦車の何両がを撃破して行く。
しかし、モーデルの頭の中にあっという間にその対抗策が思いつく。
軽車両による偵察小隊を多数配置し、常に幅5キロ程の範囲を掃討しながら前進。
更に、航空機による支援があれば、こちらの遅延行動等たかがしれている。
どう見ても分が悪すぎる。

288shin ◆QzrHPBAK6k:2007/03/10(土) 02:57:42
統合軍が自ら表明している目的は、昨晩のチェンバレンの演説と同じであった。
独逸からNSDAPを排除する。
その為に、首都ベルリンを目指す。
妨害するものは排除するが、静観するならば手を出さない。
その証拠に、国防軍の兵士達は、捕虜となっても、直ぐに解放されている。
一応、弾薬だけは取り上げられるが、武器そのものは保持したまま、統合軍のエリアから部隊ごと生還した連中すらいる。
このような連中も、配下に組み入れ再び弾薬を補充して戦線を形成しているのだが、たった半日で、兵士には動揺が広がっている。
それはそうである。
統合軍の装備は、国防軍よりも遥かに優れている。
特に、戦車は脅威としか言い様が無い。
一旦、敗れた連中にすれば、それに再度立ち向かえと言われて、平然としていられるものではない。
一番良いのは、総統以下首脳陣が、ベルリンを離れ、ミュンヘン辺りを臨時の首都としてしまい、このまま統合軍をベルリンに突入させる。
その間に、国防軍が包囲してしまえば、敵がどれだけ打撃力を持っていても、いずれ殲滅出来る。
幾ら、兵装に優れていても、弾薬や燃料に限りがある以上、時間を掛ければ対応は可能である。
問題は、民間人である。
いくら、総統の人気が高いといっても、首都を捨てたとなると、そのイメージはどうしてもつきまとう。
NSDAPにそこまで思い切った政策が出来よう筈がなかった。
それに、統合軍の援軍の可能性も大きい。
国防軍情報部は、英国がこのような部隊を作り上げている事に全く気がつかなかった。
戦車自体もそうであるが、大量の車輌をどのように隠していたのか、全く判らなかった。
そうとなれば、果たして統合軍とやらの戦力が、これだけなのかどうか。
第二派、第三派と増援部隊が送られてくれば、間違いなく独逸は崩壊する。
「ヤーパン・・・」
モーデルは思わず口に出していた。
先の大戦では独逸に敵対して戦い、列強の一つと認められている国。
我々白人社会の中で、唯一の黄色人種。
露西亜との戦争を引き分けに持ち込んだ国家。
英国の同盟国。
陸軍は、対戦前の独逸を真似て作られたと聞く。
それ以上の知識はモーデルには思いつかなかった。
しかし、統合軍と言う英国の同盟軍の中ではかなりの比率を占めているらしい。
明らかに英国人とは違う将校が、数多く見られたと報告されており、これは多分植民地軍と言うよりも、日本人であろう。
これらの戦車も、英国が密かに日本に作らせていたものがかなりある筈だ。
全く、東洋の果ての国家が、英国に上手く乗せられて、態々欧州まで出てこなくて良いものを。

289shin ◆QzrHPBAK6k:2007/03/10(土) 03:00:34
「閣下」
黙りこんでいたモーデルに、いつの間にかテントに入ってきていた副官が声を掛ける。
「うん、なんだ。」
「奇妙な連中が、警戒網に引っかかりまして、閣下に会わせろと言っているのですが。」
「何だ、民間人か?スパイならとっとと捕まえて、引き渡してしまえ。今は戦闘中だ、胡乱なものに用はない。」
「し、しかし、その人物が、このようなものを持っていましたので。」
副官が、モーデルに書面を手渡す。
苛立ちを隠さないまま、モーデルは書面に目を通した。
「判った、会おう。何処にいる。」
「ハイ、外に待たしております。」
モーデルは少し繭を潜めるが、彼もこの手紙に目を通した以上、仕方ない事かも知れない。
モーデルは、息を潜めて待機していた佐官達を振り返る。
「部隊は、待機。敵が攻めてこない限り、こちらからは手出しをするな。」
それだけ言うと、モーデルはゆっくりとテントから出て行く。
渡された手紙には、こう書かれていた。
「この書面をもつ者を、速やかに最上級前線指揮官に面会させる為に、便宜を図って頂ければ幸いである」
そして、その署名は、ヴェルナー・フライヘル・フォン・フリッチュ、前陸軍総司令官だった。

290shin ◆QzrHPBAK6k:2007/03/10(土) 03:03:07
車止めの所まで歩いて行くと、モーデルは目を丸くした。
そこに止まっていたのは、グロッサーメルセデスSSK770である。
独逸国内でも、殆ど見られない超高級車、いや、それよりもヒトラー総統の愛用車と言った方が判りやすい。
こんな車で来られて、しかも前陸軍総司令官の手紙付きとなれば、余程の事が無い限り、上まで話は伝わる。
車の前には、二人の人物が立っていた。
片方は、どうみても東洋人、そしてもう一人は多分英国人であろう。
二人とも高級そうなスーツに身を包み、東洋人の方は、白い手袋まで着用している。
モーデルは、徐に歩み寄る。
「私が指揮官のヴァルター・モーデルだが。」
「モーデル閣下、初めてお目にかかります。私は、大日本帝国総力研究所、欧州所長の山本五十六です。」
「私は英国王室情報部所長マッキンレーです。」
モーデルは、暫く絶句するしかなかった。
目の前で繰り広げられている戦いの、敵側の人間が二人。
しかも、彼らがあっけらかんと語った肩書きは、どういうものか判らないが、どう見ても国の機関としか言えない。
情報部と言う肩書きからすれば、スパイの親玉みたいな連中ではないか。
本当かどうかは疑わしい限りだが、どうしてそんな連中が、敵陣の真ん中に姿を現すのだ。
今ここで、この二人と話しこんでしまえば、多分自分は反逆者になってしまうのだろう。
NSDAPの党員でもいれば、間違いなくこの戦争が終れば自分の立場は無い。
しかし、この二人、フリッチュ前陸軍総司令官の手紙を持っていた。
それは明らかに、国防軍内の反NSDAP一派、否、国防軍の主流派とつながりがある事を示している。
どうする、拘束するか、話を聞くか。
「独逸は勝てない。」
殆どモーデルにしか聞こえない程度の声で、マッキンレーと名乗った男が呟く。
「少なくとも、今の独逸軍の装備では、この戦いの勝利はありませんな。」
横のヤマモトと名乗った日本人もぼそぼそと呟いてくる。
誘っている。
はっきりと、モーデルにも判った。
この二人、ここで殺されても文句も言えないのに、正面から自分にぶつかって来てる。
「ど、どうして・・・」
辛うじて小さく呟くのが精一杯だった。
「独逸国防軍が、打撃を受ける事は、日英両国が望んでいないからですよ。」
「我々だけではソ連と戦えない。」
二人が更に呟く。
モーデルは溜めていた息を一気に吐き出した。
そして、すっと背筋を伸ばす。
「判りました。話を聞きましょう。こちらにおいで下さい。」
くるりと二人に背を向け、すたすたと歩き出す。
モーデルは、後ろで二人が同じように、溜めていた息を吐き出すのには、全く気がつかなかった。

291shin ◆QzrHPBAK6k:2007/03/17(土) 12:18:02
太陽の光がここでは、まだまだ厳しいようだった。
明るい日差しが、高い天井の豪華と言って良い執務室を更に輝かせていた。
大きな机に向かって座っている人物は、やや小柄であるが、瞳は鋭い。
しかし、その表情には決して表では見せない疲れが表れていた。
ドゥーチェ、偉大なるイタリア帝国の独裁者、彼は手にした書面を見ながら首を左右に振るだけだった。
彼も昨晩のチェンバレンの演説の内容は、聞いている。
ヒトラーは調子に乗りすぎ、流石に英国を怒らしてしまった。
独逸国内では既に戦闘が始まっているようで、英国は本気であるらしい。
となると、今自分が見ているこれも本気なのだろう。
独逸と伊太利亜、両国に対してこれまでの融和政策の仮面を脱ぎ捨て、冷酷な大英帝国の表情が全面に出てきたと言う訳である。
 彼は、机の上に今朝一番で、英国大使からチアノ外相に手渡された文章を投げ出した。
文章は、英国側からの、今回の独逸NSDAPに対する制裁実施についての説明であった。
伊太利亜が何ら係争問題を抱えていないならば、英国の外交方針の変更を受け、それに併せて今後の国策を検討して行けば良いだけの筈である。
しかしながら、国際政治はそんなに甘くない。
ここ数年間の懸案事項であるエチオピア問題が、ここに来て暗礁に乗り上げている。
三月位までは、英国も黙認の方向で落ち着こうとしていたのが、その辺りから雲行きが怪しくなって来ていた。
英国のイーデン外相が、改めて、エチオピアからの伊太利亜兵力の撤兵を要求したのが、五月の事である。
その時点では、特に軍事制裁等には触れていなかったが、ここに至ればそれも判る。
英国は、独逸をターゲットに、いや、独逸から対応しようと決めていたのだ。
そしてそれが今始まろうとしている。
独逸の件が片付けば、次は伊太利亜であろう。
彼は、本気になった大英帝国に、今の独逸が敵うとは夢想だにしていなかった。
第一国力が違いすぎる。
そして、独逸が幾ら軍備を増強したとは言え、まだまだ規模が違いすぎる。
数ヶ月もあれば独逸帝国は、いや、ナチス独逸は崩壊するであろう。
そして、伊太利亜は、独逸よりも更に弱い。
これがスペインの内戦に、介入していなければ、まだ何とか手の打ち様もある。
更に言えば、エチオピアに軍を派遣しなければ、否、そうなると、英国に付け込まれる原因すらなくなる。
伊太利亜に残された時間はどの位だろう。
半年程度か、いや場合によってはもっと短いかもしれない。
これまでの協調政策を捨て去り、如何にも強権な帝国らしい政策を英国が実施し始めたとすると、独逸の目処が立った時点で、わが国に向いてくるかもしれない。
その間に、何が出来る。
どのような体制が構築できるか。
英国と独逸の紛争が始まった日、明るい執務室の中で、ベニート・アミルカレ・アンドレア・ムッソリーニは、独裁者としての孤独の中にいた。

292shin ◆QzrHPBAK6k:2007/03/17(土) 12:39:40
部屋の中は暗い。
いや、明かりは十分にあるのだが、重厚な作りの室内は、ひたすら重苦しく感じられる。
巨大な宮殿の奥深く、そこまで入り込むには、幾つもの警備を潜り抜けねば辿り着けない。
そんな奥まった一室が、彼の執務室だった。
猜疑心の塊のような男が、この国の最高権力者になりおおせたのは一体何故だったのだろうか。
誰も信じない、誰にも頼らない、全て自分で判断し、命令を下し続ける。
それが彼だった。
それ故、赤軍の中で自分に対するクーデターが企てられているという話に、彼は躊躇うことなく、高級将校の八割を罷免した。
その殆どのものが銃殺刑に架せられ、そして不幸にも生き残ったものは、シベリア送りとなった。
そう、銃殺刑で死亡した者達はまだ幸運なのである。
政敵を葬り去り、失策を冒したものは容赦なく消えて行く。
恐怖が支配する体制。
それが、今のソビエト社会主義共和国連邦だった。
気のせいだろうが、この部屋に入ると温度まで二三度下がるような気がする。
目の前の人物、ヨシフ・スターリン、我が国の最高権力者は、座ったまま手渡した書類に目を通している。
その姿を直立不動の体勢で、他の者達と同様に待ち受けるモトロフは、そう思わざるを得なかった。
「で、どう言う事だ。」
スターリンに渡したのは、英国大使より手交された、独逸侵攻の説明文書だった。
「ハイ、どうやら英国は半年前に、インド方面に派遣した二個師団を呼び戻して、今回の侵攻に用いたようです。」
内務人民委員部のニコライ・エジョフが、寒い筈の部屋の中で汗をかきながら、弁明を始めている。
昨晩のチェンバレンの演説放送―英国はその放送をわざわざ短波放送でも流し全世界に対しても表明していた、以来、内務人民委員部の外務課び外務省の役人達は殆ど寝ていない。
英国駐在のソ連大使は、英国高官に探りを入れるべく、昨晩から交渉にかり出されている。
これは英国の同盟国仏蘭西でも同じだった。
国外での共産党の活動を支援している委員部外務課も同様である。
「今回の英国の対独戦には、同盟国としては、仏蘭西よりも日本が関わっているようです。」
モトロフも必死だった。
スターリンの質問は、何が起こっているのかではない。
どうして、英国の独逸侵攻の予兆を事前に知りえなかったのかである。
外務省の怠慢を挙げ連ねられ、シベリア送りや銃殺なんぞの目には遭いたいとはだれだって思わない。
内務人民委員部は、スターリン直属である以上、責任追及と言っても多可が知れている。
それよりも、外務省の失策として追及されるのは何としてでも避けなければいけない。
「大日本帝国は、昨晩の内に、大英帝国に対する支援声明を発表しております。このことから察するに、今回の侵攻には、英国本土からではなく、インド、オーストラリアの植民地からの軍と日本軍からなる部隊を編成し、一挙に独逸本土に上陸させたものと考えられます。勿論、基幹となっているのは、インドに送られた英国本土師団かと思われますが。」
モトロフの言葉にスターリンの顔に、興味深げな表情が浮かぶ。
ここが正念場である。
この情報は、十中八九、スターリンは知らないと読んでいたが、間違いなさそうである。
かと言って、スターリンの知らない情報を必要以上に握っていると邪推されれば、薮蛇である。

293shin ◆QzrHPBAK6k:2007/03/17(土) 12:47:43
「日本の重光公使から、聞き出しました。まあ、あちらは我が国のアジア方面の活動を気にしていましたが。」
スターリンの眉毛が更に持ち上がる。
少なくとも、これでスターリンに対して、モトロフ自身の情報源が何処かははっきりと示せた。
更に、日本が知りたがっている情報が何かまで開示でき、興味も引き出せた。
「それで、何と答えた。」
「ハイ、我が国は国外に対して、何ら領土的野心はもっていないと。」
それを聞いてスターリンが笑い出す。
部屋の中には追従の笑いが起こる。
「そうか、日本は我が国を恐れているのか。」
モトロフは心の中でホッと安堵のため息を吐く。
しかし、ここで気を抜いては生き残れない。
「ええ、どうやら、日本は英国に対する隷属的な同盟の義務として軍を差し出したようで、その結果としてアジア方面の我が国に対する備えがおろそかになる可能性があるものと思われます。」
「本当に、そうだと思うのか。」
「えっ、い、いや・・・」
あたふたと、慌てふためいた感じが上手く出せたかどうかが気がかりだが、俳優でない以上これは仕方ない。
モトロフ自身、重光公使の本音は違うと見ていた。
第一、今の満州地域に攻め込めば、列強全てを敵に回す危険性すらあり、ソビエトにとっての利益は少ない。
どちらかと言えば、対独戦に手を出すなと言う事であろう。
英国、仏蘭西、そして日本と、列強三カ国が対独戦でまとまっている以上、ソビエトが火事場泥棒的な活動を行えばそれ相応の対応が行われると言う言外の含みだとは推測できる。
しかし猜疑心の強い独裁者に仕えるのは疲れる。
そこまで判っていても、決してその素振りは見せてはいけない。
ある程度、仕事が出来る必要はあるが、出来すぎるのは良くないのだ。
「で、では、日本は何を目論んで。」
「うむ、我が国に対する牽制であろう。手を出すなと言う事だな。」
独裁者が、無事同じ推論に辿り着いた事に安堵はするが、まだまだ不十分である。
「しかし、牽制にもならないのでは?」
「モトロフ、卑しくも外交官たるもの、もう少し裏読みができねばいかんな。」
「はあ・・・」
「彼らは、英国、仏蘭西だけではなく、日本も参戦している事で、対独戦が早期に片付くと見ているのだ。まあ確かに、先の大戦の戦勝国が再び、独逸を叩くのだから、順当な判断であろう。」
「はい、それはそうですが。」
「そうなると、この間に我がソビエトが日本や英国、更には米国の権益まである満州奪還に動いたら、どうなる?」
「なるほど、対独戦が早期に終了するならば、全力で反撃してくると言う事ですか。」
「そうだ、如何に赤軍が精強とは言え、相手にするには少し時間が必要だ。」
少なくとも、苦労して築き上げた日本との良好な関係が、崩れ去る事はなさそうであり、モトロフは更に安堵する。

294shin ◆QzrHPBAK6k:2007/03/17(土) 12:57:17
「しかし、そこまで彼らの言いなりになるのは、革命の遂行には宜しく無い。」
得意げに話すスターリンの言葉に、水平線に湧き上がる雨雲を見たのは気のせいではなかった。
「諸君、この機会にソビエトは、失地回復に向かう。」
スターリンは改めて、その場に集まっていた綺羅星の将軍連中に向かって命令する。
「北欧奪還作戦を更に一ヶ月前倒しして、開始する。」
いや、このタイミングで、大英帝国を刺激するのは、最悪の事態を招きかねない。
慌てて、言葉を挟もうとしたが、スターリンの睨むような顔が目に入る。
「うん、モトロフ、まだ何かあるのか?」
「あっ、いえ、事は慎重に運ぶ必要があります。」
「それぐらい、私が考えないとでも思っているのかね。ニコライ!」
蒼い顔を浮かべて、悄然としていた内務人民委員部の局長がはっと身を固くする。
そう外務省は、この事態を予測できなかった責任は上手く免れたが、彼は違う。
「フィンランドとの開戦理由を明らかにするのだ。英国が納得するような理由をな。」
ニコライの蒼い顔が更に、青くなる。
「し、しかし・・・は、ハイ!」
ぎろりと睨みつけられたニコライはそれ以上、反論等出来る訳無かった。
これで、彼も終わりだな。
得意そうに、こちらを見るスターリンに軽く頭を下げながら、何も言わずに退出する。
モトロフにはこれ以上独裁者を刺激する気にはなれなかった。
頭の中に湧き上がる暗雲を振り払えないまま、モトロフは執務室を後にするのだった。

295shin ◆QzrHPBAK6k:2007/03/17(土) 13:00:36
「大統領が執務室に入られます。」
警護の海兵隊員の声を後ろで聞きながら、ランドン大統領は、久々に明るい笑顔を浮かべ、執務室に入った。
すぐさま横の扉が開き、秘書がコーヒーを持って現れる。
朝のコーヒーが上手いと感じたのは、何ヶ月ぶりだろう。
何せ、欧州で戦争が始まったのだ。
一月前の、チェンバレン首相とヒトラーとの会談が決裂した時点から、欧州ではきな臭い雰囲気が漂っていた。
海軍から、大西洋において、英国海軍の活動が活発になっていると言う報告も上がっており、これは何かあるかと思っていた。
それが、一昨日、突然英国より、全権大使としてチャーチルが派遣されて来た時には、確信に変わっていた。
欧州で再び戦乱が巻き起こる。
それは、合衆国にとって、果たしてメリットに繋がる事なのかどうかの判断は難しい所だった。
中立法がある以上、戦争になれば、英国や仏蘭西、そして独逸に対しての貿易は制限される。
まあ、その分第三国経由と言う方法もある訳であり、列強がその生産を軍需物資にシフトすれば、米国製の民生品の売り上げは上がる。
これは既に先の大戦で経験済みの事であり、その意味不況から抜け出せない合衆国には福音とも言えよう。
しかしながら、国内の資本家達にとっては、大きな痛手となる。
米国資本が投入されている二大地域の内の一つが戦場となる訳だから、彼らの投資が無駄になる可能性は大きい。
資本の損失を、需要が埋めきれるかどうか、否、埋めきれるだけではなく、更に上回るかどうかが問題だった。
もっとも、その分、もう一つの投資先満州は、今回は日本も最初から参戦すると言う事なので、米国系の企業は潤うであろう。
この辺りは更に、詳しい分析を誰かにさせねばと思いながら、チャーチルの話を聞いていると、どうやら少し違う展開であるようだった。
チャーチルは、英国及びその同盟国による統合軍を設立し、独逸国内からのナチス党の排除を行うと言う事を伝えに来たと言うのである。

296shin ◆QzrHPBAK6k:2007/03/17(土) 13:05:04
「これは戦争ではありません。我々はあくまでも「軍事制裁(Military sanction)」をナチス党に対して行うのであり、独逸国家に対する国家間での所謂「War」とは一線を画す行動なのです。」
得意げに語るチャーチルは、如何にも回りくどい英国人らしいと思うばかりだったが、どうやら違うらしい。
「それは、つまり、英国と独逸は戦争状態には無いとおっしゃるのですね。」
ここまで黙って聞いていた、スティムソンが、口を挟んだ。
「そうです。まあ国際法の解釈は、今後何十年も続くでしょうが、少なくとも大英帝国、仏蘭西、大日本帝国は、戦争状態だとは認めませんな。そして、アメリカ合衆国が同意して頂けるのなら、これは国際慣行として通用するでしょう。」
それで一体何が変わるのだと思っていたが、実際大きく変わるのである。
中立法!
これが適応されないのである。
アメリカ合衆国は、戦争を続ける両国に対して、民生品のみならず、兵器ですら販売する事が出来る。
戦争、いや軍事制裁が長引けば長引くほど、米国の利益は大きくなる。
ハッとして、スティムソンを見るが、彼も僅かに頭を下げ、同意を示していた。
チャーチルのいる前で、これ以上動揺を見せる訳にも行かず、なるべく平静の振りをしながら会談を終らせたが、多分あのしたたかな政治家には気が付かれただろう。

「ヘンリー、本当に中立法は適用されないのか。」
チャーチルを追い返すと、直ぐに国務長官と話し込んだ。
そして、二人の結論は、限りなく黒に近いグレーだが、今回はそれで押し通せるだろうという事だった。
いずれ、議会が何か法律を作ってくるだろうが、少なくともそれはこの制裁とやらが終ってからである。
そして、それまでは英国、独逸両国に対して、合衆国は、軍需物資を吹っかけて販売する事が可能となるのだ。
二人とも大人なので、絶対に外には見せられないが、それでも思わず、年代もののボトルを開き、乾杯したのだった。
そして、昨日の正午に、悲痛な表情を浮かべ、短波放送によるチェンバレン首相の演説を聞いた。
内心では小躍りしたい程なのだが、他のスタッフもいる中で、大統領たるものそう感情を表してはいけない。
この戦争、否、制裁が長引けば長引くほど、合衆国の景気は良くなる。
そして、次の選挙まで丁度一年。
上手く景気が回復すれば、殆ど諦めかけていた、再選の目も出てくる。
大西洋の向こう側での動向なので、状況把握には手間取るが、それでもどうやら独逸は大混乱に陥っているようであった。
しかし、ヒトラー総統率いるナチス独逸がこのままで終わる訳はない。
昨晩は、大統領になって以来、初めてぐっすりと眠れたのだった。

297shin ◆QzrHPBAK6k:2007/03/17(土) 13:07:53
椅子に腰を下ろし、朝のコーヒーを十分に堪能していると、国務長官が、昨晩以来の状況報告を持って部屋に入って来た。
「ヘンリー、状況は?」
「統合軍がハンブルグを占領した。」
ヘンリー・スティムソン国務長官の顔は、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていた。
「なんだって、まだ一日も経っていないのに、そこまで行ったのか。」
「ああ、予想したよりも、独逸は軍備が整っていないようだ。」
「うーむ、そうか。そうすると、思ったより早くかたが着きそうなのか。」
期待が音を立てて崩れて行く。
たった一日で、主要都市が占領されてしまうなんて、なんて不甲斐ないのだ。
全く、ヒトラーは何をやっているのだ。
「いや、まだ判らない。少なくとも独逸陸軍、海軍とも抵抗らしい抵抗をしていると言う感じではないらしい。」
ランドンは怪訝な顔で、スティムソンを見つめる。
「ハンブルグにいた大使館員が直接、こちらに電話を掛けてきた。良く判らんが、無線は通じないようだが、国際電話はちゃんと繋がっている。」
スティムソンは書類を見ながら、続ける。
「独逸軍は、ハンブルグでは戦闘らしい戦闘もせず、後退したそうだ。統合軍は、戦車を先頭に殆どハンブルグを通り抜けて行ったらしい。これは、昼過ぎだから、今から三時間位前の話だな。ああ、ナチス党支部は占領されたとの事だ。ちなみに、砲撃らしい砲撃も無かったとの事だ。」
更に、書類を捲りながら、スティムソンは話し続ける。
「噂だけは、凄いぞ。仏蘭西との国境が破られた。チェコでは独逸精鋭部隊が壊滅した。ヒトラー総統は国外逃亡、ああこれは、ベルリンからの報告で、デマだと判っている。飛行機はバタバタ落とされている、まあ、こんなところだ。」
スティムソンは、書類の束を、机の上に放り投げ、座っても良いかと目で聞いて来た。
ランドンが軽く頷くと、ソファに深々と腰掛け、頭を抑える。
「どうやら、思った以上に、英国の用意は周到だったようだ。最もまだベルリンまでは200キロ以上あるから、何が起こるかは判らない。」
スティムソンが顔を上げて、真っ直ぐにこちらを見つめて来た。
「しかし、少なくもと我々はこの制裁とやらを当てにはしない方が良さそうだ。」
「そうなのか?」
「ああ、そうだろう。やはり他人の手を借りるのではなく、自分達で何とかしないと・・・」
ランドンは、黙ってスティムソンの次の言葉を待ち受けた。
自分は大統領で、彼は国務長官にしか過ぎないが、キャリアはスティムソンの方が長い。
頭を上げたスティムソンは、真っ直ぐにランドンを見つめる。
「我々は再来年、オーバルオフィスから追い出される。」
朝の清々しい空気は、一気に氷河期に突入したようだった。

298shin ◆QzrHPBAK6k:2007/03/24(土) 11:41:31
ポツダム、ベルリンから26キロ離れたこの地は、フリードリヒ大王が建設した宮殿がある。
そんなプロセイン王国時代の宮殿郡が散在するこの地で、二つの軍事勢力が相対していた。
モーデル率いる国防軍部隊が、初日の防御戦闘を突如停止し、撤退に入ってから既に一週間が過ぎていた。
モーデルは、近隣の残余部隊を吸収しながら、ゆっくりとベルリン方向に下がって行った。
一方、統合軍の方も戦闘らしい戦闘は一切行わず、それに追随するように、ベルリンを目指して行く。
結局、初日に80キロ近く前進したのにも関わらず、二日目以降の統合軍は、一日30キロ程度の前進に留まり、現在はベルリン郊外のポツダム付近まで進んで来ていた。
部隊は、統合軍第一兵団がほぼ全軍、と言っても3万人程度の兵力である。

299shin ◆QzrHPBAK6k:2007/03/24(土) 11:43:51
「本当に、大丈夫なんだろうなあ。」
アランは、一緒に偵察に出てきた西大佐に話し掛ける。
結局、アランのベルリン一番乗りと言う夢は、作戦の変更により遭えなく潰れてしまっていた。
「さあ、どうでしょうね。まあ最悪でも我々第一兵団が犠牲になれば何とかなるんじゃないですか。」
いや、俺は犠牲にはなりたくないのだが。
アランは心の中でつぶやいた。
西大佐はそんなアラン少将の心情も知らず、前方に広がる独逸国防軍の野戦陣地を望遠鏡で眺めている。
全く、独逸、いや欧州はなんて平なんだ。
ポツダム辺りには特に高い山も無く、ここも精々小高い丘程度の地点である。
双眼鏡で、見ようとしても、そこかしこに広がる小さな森に遮られ、独逸軍陣地の全容は全く掴めない。
ただ、望遠鏡には、その陣地の一部らしい地点が映っているだけだった。
それも、そこで兵士が塹壕を掘っているからそれが判る程度であり、彼らが居なければ、全く見つからなかっただろう。
戦線、いや戦線と言って良いのだろうか、独逸国防軍は、ここに来て、持久陣地らしきものの構築を始めていた。
しかしながら、それも非常にゆっくりとしたものであり、まるで目の前の統合軍の存在を無視しているかのようである。
統合軍の偵察部隊が、側まで行っても、攻撃を仕掛けようとはしない。
どうやら、上から発砲は禁じられているようであった。
そして、その状態が暫く続けば、兵達にとって、最早戦争は終わったも同然である。
兵達は、上のものが思うより、遥かに情勢に敏感である。
どうやら、上同士の話がついたようだと、素早く察知し、声を掛けて来るものさえ出始めている。
これが後二三日も続けば、お互い同士で糧食の交換等が始まる事が予想された。
このような状況に陥っている為、アラン少将と西大佐は、誘い合わせて最前線まで出てきたのである。
既に何箇所かを巡り、今は休憩も兼ねて、少し小高くなった丘に車を止めて独逸国防軍の陣地を眺めている所だった。
全面に展開している独逸国防軍は、兵力5、6万に近い大部隊である。
どうやら、ハンブルグからベルリンの間で、集められる限りの兵士をここに集結させたようであった。
栗林中将率いる、第一兵団司令部からは、発砲禁止と現状維持の指令が戦車大隊にも降りてきている。
それ故、第一旅団及び第二旅団の戦車大隊の指揮官二人が仲良く敵陣偵察なんぞに出て来れる訳である。
二人とも、お互い同士の戦車運用が気になり、話したかったと言う事もあり、二人はそんな話をしながら、ここまで出向いていた。

300shin ◆QzrHPBAK6k:2007/03/24(土) 11:54:19
とは言っても、目の前に広がる6万の独逸国防軍が脅威でない訳ではない。
機動力、砲撃力、防御力どれをとっても、今の統合軍の方が上回っているとしても、現実に6万の兵士が築城した陣地に篭もられては、それもかなり減衰する。
確かに、戦車中隊をすり潰す覚悟で1点突破を図り、そこから部隊を流し込めば、まだ何とかなると言う西の意見には、アランも同意しているが、今更それをやるのはかなり勇気が必要だった。
張り詰めていた気が緩んでおり、同じように作戦を実行しても、被害が大きくなるのは予想できたからである。
「うまくいくのでしょうか。」
双眼鏡を眺めたまま、西がポツリと呟く。
「ああ、きっとね。」
アランも気の無いような声で返事を返す。
全く、戦争がこんなに厄介なものになったのは、何時からなのだろう。
これまでは、素直に目の前の敵を叩きのめせば良かった筈だった。
しかしながら、この戦争は違う。
日英首脳陣に、独逸を取り込むと言う命題があり、その為に、両国の諜報関連の部門が精力的に動き回っていた。
勿論、統合軍は、軍と言う「力」で独逸を叩きのめせると言う自信はあるのだが、その方針には逆らえない。
それは判っているのだが、目の前に敵がいる状況で平然としているのは困難である。
しかも、独逸国防軍は、陣地構築と言う形で、時間が経てば経つほど強力になっているのである。
こちら側は、上陸した全軍を率いてここに来ている訳であり、とてもじゃないが持久戦等出来る状況ではない。
何しろ、ハンブルグに駐留した部隊や、ヴィルヘルムスハーベンの抑えの部隊すら連れて来ている。
最悪の場合は、第二兵団が上陸するまでここに踏みとどまる以外に道は無いと言う何とも恐ろしい状況に追い込まれている訳である。
こんな事は、独逸国防軍と話が通じていると言う状況でもなければ行えるものではない。
そして、二人ともその理屈は判っているのだが、軍人としては耐え難い状況であるのは間違いなかった。
二人はどちらとも無く、立ち上がり、軍服についた埃を払う。
「そろそろ・・・うん?」

301shin ◆QzrHPBAK6k:2007/03/24(土) 11:59:30
前方の森の中の小道を車が走り出てきた。
それはどうやら真っ直ぐこちらを目指してくる。
護衛の兵達に緊張が走るが、西は手でそれを押し止める。
四角いオープンカータイプの軍用車には、運転手と後席の将校が一人いるだけである。
「どうやら、進展があったようだな。」
「ええ、そうでしょうね。あれは将官ですよ。」
二人はどちらからとも無く、笑みを浮かべ、迫り来る車を待ち受けた。


「独逸国防軍陸軍少将ヴァルター・モーデルです。」
「英日統合軍少将アラン・アデア」
「日英統合軍大佐西竹一」
車から降り立った将官が、国防軍式の敬礼をしながらそう言うのを、二人は驚きを隠しながらも、返答する。
モーデルの方も、まさかここに将官がいるとは思っていなかったようで、少し驚いたような顔を浮かべている。
「どうやら、この戦争は終わりだな。」
気を取り直して話し始めた、モーデルに対して、二人が興味深げに見つめる。
「総統は、先程無くなった。」
全く悲しそうな顔も見せずに、モーデルは淡々と続ける。
「参謀本部での会議の後、出てきた所を武装親衛隊を引き連れたヒムラーに襲われ銃殺された。」
このような時期の、ナチス党内部での武力闘争は容認できるものではない。
事態を重く見た国防軍は、ベック参謀長の命令で、すぐさま戒厳令を発令し、ナチス党員の拘束を行なった。
幸い、党員の多くが、ここから目と鼻の先のサンスーシ宮殿に集められていた為、それは迅速に行われた。
急遽、暫定首相として、前陸軍総司令官フリッチュ陸軍大将が任命され、現在ポツダム郊外に展開する統合軍との交渉の為、こちらに向かっているとの事だった。
「それで将軍は、それを上層部に伝える為にお越しですか?」
それにしては、護衛も付けず、身軽な格好が気になり、西は尋ねる。
「いや、それは既にしかるべきものが、そちらの本部に向かっている。私は、まあ、個人的な用だ。」
二人は顔を見合わせる。
モーデルと言えば、一週間前に、それぞれの部隊が戦った国防軍の指揮官である。
彼が何を求めているのかは、二人でなくても興味がある。
「それで、閣下の個人的な用件とは?」
「諸君らの機甲部隊、いや、先日ハンブルグ手前で、我が方の仮設陣地を突破した指揮官、それとラウエンブルクの森をあんな馬鹿な速度で突ききった指揮官だ。彼らに会いたい。
いや、別に意趣返しを考えているのではない。幾つか質問したいのだ。」
二人は、更に顔を見合わせる。
最初のは、西の部下の島田少佐だし、ラウエンブルグは、ここにいるアラン少将本人である。
「これが終わって、指揮官が国に戻ってしまっては、聞きたい事も聞けない。しかし今なら、こちらに居る筈だ。ぜひ会わせて欲しい。」
「そ、それで、閣下、会えたら何をお聞きになるおつもりですか?」
「あの戦法だ!戦車等の機動車輌を敵陣に突っ込ます。作戦と言えるかどうかは判らないが、少なくとも相手が十分な防御を持っていない場合は有効だと思う。
あれは、予め考えた戦法なのか、それともその場の思いつきなのかだ。」
「あれは、島田が以前から考えていた戦法ですが、そう度々使えるものではないですが。」
「島田と言うのか、彼に会えるだろうか?」
やはり、独逸軍は恐ろしい。
自分が相手にした統合軍の戦法を理解しようとして、ここまで単身やってくるなんて。
十分な兵力を与えて敵にはしたくない。
二人とも考えている事は同じだった。
「案内致します。島田少佐は私の部下ですし、ラウエンブルクの森に最高速度で突っ込んだ、向こう見ずな指揮官は、こちらのアラン少将です。」
モーデルが驚いた顔で、アランを見つめる。
アランも少し照れるのか、軽く頭を下げた。
「あ、ああ・・・、色々話を聞かせて欲しい。」
三人は車に乗り込むと、部隊の待つ陣地へと向かっていった。
たった一週間の戦争、いや実質的にはハンブルグが落ちた時点で終了した戦争。
「のと」世界では、五年近く争った英独であったが、少なくともこちらでは信じられない程の短期間でそれは終了したのだった。

302shin ◆QzrHPBAK6k:2007/03/24(土) 12:04:13
 第一兵団の栗林司令官と、独逸暫定首相フリッチュ大将の会見は、非常に手短に終了した。
ヒトラー総統の暗殺と言う事態を受け、両軍とも停戦するのは何ら問題が無かったのである。
それに、統合軍の目的である、NSDAPの排除は、既に独逸国防軍が始めており、統合軍にしても、それを独逸国内勢力で実施して貰えるならば、異論は無い。

直ちに、停戦協定が締結され、第一兵団は、事態が安定するまで、ポツダムに滞在する事となるが、これは仕方なかった。
NSDAPの政策は上手く行っていた側面もあるため、国防軍の政策に反対する勢力に対しては、統合軍の存在は、非常に重要な意味を持つのである。
即ち、NSDAPを排除するか、英国と戦争を行うかの見本を突きつけられれば、正常な国民にとって、どちらを選択すべきかは、少なくとも表面上は選択の余地は無かった。
統合軍が提供するプロパガンダも徹底していた。
「悪いのは、拡大主義に走ったNSDAPの横暴であり、独逸国民は、その被害者である。」
と。

303shin ◆QzrHPBAK6k:2007/03/24(土) 12:07:58
即日、イーデン外相が、統合軍の代表として独逸に入る。
すぐさま、独逸周辺国の大使が集められ、独逸暫定政府との交渉が開始された。
イーデンが表上要求したのは、独逸政府、地方自治体からのナチス党員の排除と、総選挙による新たな政権の樹立だけである。
領土問題等は、各国政府と個別に交渉して欲しいと言うだけで、統合軍としては一切関与しないと表明する。
おかげで、勝ち馬に乗る積りで独逸に対して要求を述べようとした仏蘭西や波蘭大使は、拳の下ろし先に戸惑うばかりであった。
勿論、英国や、帝国は統合軍とは別個に、独自の代表を送り込んでいるのだが、彼らが余計な要求を挙げる事は一切無かった。
結局、各国の不満はあったが、これらの交渉は全て新政権が樹立されてからと棚上げされたのである。
 そして、表上の交渉事が終わると、イーデンは爆弾を投下する。
それは、チェコスロバキアが、日英を主体とする統合軍に対して、部隊の拠出を申し出ているとの発言だった。
これは、対独戦開始前に、チェコスロバキアのエドヴァルド・ベネシュ首相と山本・マッキンレーが纏め上げたシナリオだった。
ズデーテン地方の領有は、チェコスロバキア政府である事は、実際に独逸軍を苦しめた結果、チェコ政府が手に入れたトロフィーだった。
しかしながら、独逸の政権が変わったにしろ、この地方に対する脅威がなくなる訳ではない。
これに対して、安全保障として統合軍の存在は非常に大きい。
何を言っても、チェコスロバキアのベネシュ首相は、目の前で統合軍の戦車がグーデリアン率いる独逸装甲軍団の戦車を撃破しているのを見ているのである。
軍の何割かがチェコ政府の支配から外れるにしろ、それを補ってお釣りが来るのが統合軍だと言う認識は揺らぐものではなかった。
そして、この発言を受け、さりげなくフリッチュ暫定首相が、独逸海軍の即時編入と、事態が収束し、新政権の承諾が得られれば国防軍の一部も統合軍に参加すると発言すると、会場に動揺が走った。
イーデンは、それはありがたいと発言するだけで、何のコメントも発せず、会議を終了に導く。
招聘されたオランダ、ベルギー、仏蘭西、波蘭、瑞西の大使達が、真っ青な顔で本国と連絡を取る為に、殆ど駆け出さんばかりだった。
部屋を出しな、デンマーク大使が、イーデンに話し掛ける。
「我が国も、統合軍に参加する積りですが、何せ軍人が少ないのが申し訳ないですな。」
「イヤイヤ、デンマークの参加は欠かせません。ありがとうございます。」
そう、最悪の場合、キール軍港に対する攻撃も視野に入れていた統合軍は、独逸周辺国ではチェコスロバキア及びデンマークに対しては、戦前から交渉を実施していたのである。
結局は、誰も予期しなかった程、短期間で終わってしまったため、活躍の場は少なかったが、独逸に対する電波妨害や、NSDAPの悪行の証拠作り等、表に出ない部分で協力は大きかった。
イーデンは、去り行くデンマーク大使に頭を下げ見送ったのである。

304shin ◆QzrHPBAK6k:2007/03/24(土) 12:12:17
対独戦が、初日のモーデル少将の自主的な停戦から、一週間も掛かった理由がここにあった。
独逸海軍は、ヴィルヘルムスハーベンの説得が上手く行った時点で、統合軍への参加をキールにいるレーダー提督も受け入れていた。
しかしながら、国防軍に対する説得に時間が必要だった為、当初の予定とは違い、それは公表される事なく、今日に至った訳である。
結局、山本・マッキンレーのコンビは、独逸国防軍首脳陣を順番に説得せざるを得ず、その為に一週間近い日数が必要だったのだ。
独逸軍は、多分欧州で最強の軍足り得た。
しかしながら、それはどのような形であれ、周辺諸国の脅威とならざるを得ない。
これに対して、英国との完全な同盟化を選択する事は、この脅威を大きく減ずる事が出来る。
実際に理屈としては、判らないではないのだが、そう簡単に実現できるものではない。
また、お互い同士の不振がある限り、そうそう頷けるものではなかった。
日英のように、曲がりなりにも立憲君主が存在する国家、また両国の首脳陣のように、「のと」情報から大英帝国の没落や太平洋戦争の結果を知ってしまった国家ならば、このような決断も出来よう。
しかしながら、独逸には国王も居なければ、「のと」情報も開示されていない。
その中で、統合軍への参加を納得させるのは、山本やマッキンレーにとっても至難の技だった。
独逸海軍のように、沿岸海軍から本格海軍への脱皮を目指す、小規模組織ならば選択はそれ程難しい問題ではなかった。
海軍は、常に陸軍の下に見られ、世界三大海軍の内の二つとの共同軍と言うのは、現状よりも遥かにより良い待遇が待ち受けている。
これに対して、世界最大の陸軍国を目指す国防軍は違う。
現場で、戦闘を行った将軍、モーデル少将等の指揮官は、長期的な視点ではなく、今ここにある敵軍と同等の装備を持てるだけで、十分参画する価値があると考えた。
だが、後方で、ハルダー参謀長のように、実物を見ていない将軍、更には将来を考慮する将軍連中の説得には時間が掛かるのも当然だった。
独逸国防軍が、独逸の利益ではなく、日英の利益の為に活動する可能性がある以上、簡単に納得する訳には行かないのが、彼らの立場である。
しかしながら、彼らのも統合軍の装備の充実ぶりを目にし、そして、何よりも東の大国の脅威を指摘され、最後には強権の可能性、即ち実際に戦闘にてけりをつけると言う脅しまで含めて説得されれば、どうしようもなかった。
時間は掛かったが、最後は頑固な将軍達も納得し、そしてヒトラー総統は、ヒムラーの凶弾に倒れたのであった。

1938年10月15日、独逸第三帝国は、独逸共和国として、新たに統合軍への参画を宣言したのである。

305shin ◆QzrHPBAK6k:2007/03/24(土) 12:14:20
「山本さん、あなた、一体何をしたんですか!」
ベルリン郊外の豪邸の一室で、大きな声が響く。
戦闘が終了したと聞かされ、イーデンの搭乗する特別機に紛れ込んで独逸に来た高畑は、部屋に入ってきた山本の顔を見ると、大声で叫んでいた。
「うん、私は私の仕事をしただけだが?」
少し遅れて入ってきたマッキンレーに軽く会釈すると、山本は徐に、ソファに腰を下ろす。
「まだ、二つもの軍隊が、海の上なんですよ、彼らをどうするつもりですか。
梅津さん達軍の人や、英国政府の連中なんかもう大変な目に会っているんですよ。
一体、何をしたんですか?」
「独逸国防軍のクーデターだよ。
我々は、それに手を貸しただけだ。」
説明終わりと、マッキンレーがテーブルに置かれたカップに手を伸ばす。
苦笑いを浮かべた山本が話し始めた内容は、高畑を驚かすには十分だった。
「のと」資料にも記載されていた、独逸国防軍のクーデター計画は、殆ど完成していたのである。
ただ、「のと」世界では、チェンバレンら融和派と呼ばれる勢力の働きかけで、彼らのクーデターは未遂に終わり、その後第2次世界大戦になだれ込んで行く。
しかしながら、実際は違った。
英国の強硬政策のお蔭で、クーデターは実行に移されようとしていた。
国防軍の精鋭部隊が、ズデーテン地方に侵攻する事で、ヒトラーの関心はチェコに向く。
その時点で、プロセイン地方で編成中であった第4装甲旅団がケンプ少将の指揮の下、首都ベルリンを占領し、ヒトラー総統以下、NSDAP首脳陣を拘束する。
「元参謀総長のベック大将が計画の首謀者だ。我々はそれに手を貸しただけだよ。」
山本の話す内容に、高畑は唖然とする。
「そ、そんな事ご存知ならば、統合軍に連絡すれば。」
「いや、我々がそれを知ったのは9月に入ってからだ。そこから軍事作戦に介入は百害あって一理なしだ。
それに、マッキンレーも私も政府の人間じゃないからな。」
平然とそう嘯き、山本もコーヒーを口に運ぶ。
「まあ、井上あたりは、我々は保険の積りだったようだかね。」
「井上さんは、知ってたんですか!」
「ああ、英国側にも何名かに伝えてあるぞ。」
「全く、軍や我々は、良い様に踊らされていただけですか。」
「いいや、そうではない。軍が全うに作戦を実施してくれたから、こうまで短期間に成功したようなものだ。これが馴れ合いだったら、ヒトラーも気がつく。」
そう言われれば、高畑も頷くしかない。
「しかし、何で山本さんの所にそんな情報が入ったのですか。国防軍のクーデター計画が外部の人間に漏れるなんて考えられませんよ。」
「ああ、それか、フリッチュ大将に教えて貰ったのだ。」

306shin ◆QzrHPBAK6k:2007/03/24(土) 12:17:25
彼らは、チェコスロバキアのベネシュ首相の説得の為に、八月から独逸、チェコスロバキアでの活動に入った。
一国の首相を動かすのには、それ相応の人物でなければならず、その点山本は、総研の欧州所長と言う肩書きが役に立った。
また、各国での情報収集組織の編成を始めていた点も大きい。
変な言い方ではあるが、表立っての諜報組織と言う前代未聞の組織であるため、下部組織はそれぞれの国にある、地場の顔役や、反政府系の団体等をそのまま採用すると言う無茶を行っている。
この結果、他国の諜報機関関係者も紛れ込んでいるが、それは判っていて利用している。
そして、独逸においては、NSDAPのスパイもいたが、同時に国防軍の関係者もいた訳である。
日英が、罷免されたフリッチュ大将を戦後の独逸側の交渉相手と定めたため、山本達が、彼に接触する。
そして、フリッチュ大将はクーデターには参画していなかったが、計画は知っていた。
そう、この二点から、山本達がクーデター組織「黒い礼拝堂」との接点を持つに至った訳である。

「そうなんですか、了解しました。まあ、少なくとも戦争が長期化するよりは遥かにましな結末ですからねえ。」
高畑は尚も理解できないと言うように、首を振りながら溜め息を吐き出す。
「しかし、アフリカにいる軍と、船に乗っている第二派の連中はどうするんですかね。
まあ、私はここで独逸経済界の方々と打ち合わせですけどね。」
余りにも対独戦があっけなく終了してしまった結果、第二兵団と第三兵団が中に浮いてしまっていた。
あの連中に掛かる費用も政府には頭の痛い問題となる。
勿論、戦争が長期化すれば、誰もそんな事は言い出さないのだが、たった一週間で終わってしまえば、そうも思いたくなるものだった。
「いや、それは問題ないだろう。第二はフィンランド、第三は伊太利亜に送る予定だと聞いたが。」
マッキンレーがぼそりと呟く。
高畑が飲みかけたコーヒーを危うく噴出す所だった。
「どうして、あなた方は、そんな情報まで知っているんですか!」
「そりゃ、君、我々は諜報機関の長だからだよ。」
山本は悠然とコーヒーを飲みながらそう答えるのだった。

309shin ◆QzrHPBAK6k:2007/04/04(水) 23:33:39
「どうやら、独逸は落ち着きそうだな」
「ああ、裏で色々問題はあったようだが、フリッチュ暫定首相の暫定は取れたよ」
ニヶ月半ぶりに帰国した梅津が井上の問いに答える。
「で、報告では上手く行ったとあるが、産業界の方は問題はないのか?」
「一応、ゴールドスミス家が音頭を取って、クルップやシーメンスと話は付けてくれたからね。既に、生産ラインの改変は始められている。年明け早々にも最初の戦車がラインアウトする見込みだよ」
こちらは高畑が、答える。
彼も二ヶ月間、独逸での交渉を纏め上げ帰国したところだった。
「英国の状況はどうなのか?」
それまで、黙って聞いていた総研所長が、口を挟んだ。
久しぶりに、宮城内にある総研の会議室。
所長以下、井上、梅津、高畑、八木、高柳ら、総研の主要メンバーが全員集まるのは何ヶ月ぶりであろうか。
全員が集まるのも珍しいが、今回は、それ以外にもう一人、いや通訳を連れているから二人か、メンバーが増えている。
ケインズだった。
「チェンバレンの人気は凄いものですよ。開戦時は落ち込みましたが、あれ程鮮やかに、戦争が終結しましたので、長期政権化は間違いないでしょう。ああ、英国王室の方からも、叙勲の話が出ています」
ケインズは、答えながらも、違和感を感じずにはいられなかった。
正面には、大日本帝国の君主が座わり、自分の言葉に満足そうに頷いている。
そして回りは、自分以外全て日本人である。
英国人の自分が、ここにいること自体、違和感の塊である。
だが、これが、総研と言う組織の長が望んだ事である以上、おかしな事ではないのであろう。
総研の重要な会議は、英国の総研と対になる組織に対しても案内が出される。
結果として、ケインズ自身か、クラーク、もしくはマッキンレーの誰かが可能ならば参加すると言うルールが出来ていた。
勿論、日本がそう来る以上、英国側も同じように、オブザーバーとして、総研のメンバーに対して出席案内が出され、大概は高畑がそちらには出席している。

「ソ連は結局動かないままか?」
「ああ、部隊は北に張り付いたままだが、まだ動かない」
梅津が困ったように、溜め息を付く。
ソビエト連邦は、統合軍が独逸に侵攻する以前から、部隊を北欧方面に集め始めていた。
もっとも、それは帝国やトルコ、フィンランド等の周辺国家間の、継続的な諜報活動の結果として浮かび上がったものであり、ソ連側はそれを秘匿しているつもりであった。
しかしながら、対独戦が開始されると、部隊の移動はあからさまに行われるようになり、フィンランド側の緊張は否が応でも高まっていた。
ソビエトが、フィンランドとの冬戦争を開始しようとしている。
「のと」資料を知るものは、一年早いが、誰もがそう思った。
結果、独逸上陸予定だった第二兵団は、そのままバルト海に入り、フィンランドへと向かった。
フィンランドのカッリオ大統領は、急遽国軍総司令官に任命されたマンネルヘルム元帥の進言を受け、これを受け入れる。
更に、第三兵団は、対伊太利亜政策の実施を延期し、11月中旬には、スコットランド北部に作られたバイナキール統合軍基地での待機に入り、ソ連の侵攻を待ち受けた。
ソビエトが、フィンランドに侵攻すれば、防衛陣地帯、通称マンネルハイムラインにて展開した第二兵団がフィンランド軍と共同でこれを防ぐ。
そして、必要ならば第三兵団が遊軍としてソ連軍の後方に上陸、展開する。
ここまでの作戦計画を策定し、これを実行可能にすべく、大童で、準備が進められていた。
特に、冬季兵装は不十分であったので、満州方面での備蓄を取り崩して、英国へと送る事すら行っていた。
11月下旬までには、これらの手配も済み、誰も望んでいる訳ではないにしろ、日英そしてフィンランドの準備は、ほぼ整ったと言えよう。
ところが、ここまで来てソビエトは開戦しなかった。
それから一ヶ月、ソビエトは国境付近に40万以上の軍勢を貼り付けたまま、動こうとしない。
何か外交的交渉の圧力として使われるのかと言う見方もあったが、それも無いままである。

310shin ◆QzrHPBAK6k:2007/04/04(水) 23:35:17
「バルト三国、エストニア、ラトビア、リトアニアに対しても何も行動してないのだな」
「ああ、そうだ、まあ軍事的な圧力は物凄いが、それを何ら結びつけるような行動を起こしていない」
「理由は、不明のままだな」
「ああ、堀、山本さん、マッキンレー、英国陸軍情報部も何も掴んでいない」
ケインズもその話を聞いて頷く。
確かに、何かが行われているとしたならば、それはかなり上層部で決定された事に違いなかった。
「英国政府はどう見ていますか?」
「困りこんでいますな。臨戦態勢のままで軍を維持するにはコストが掛かりますからな」
英国は、統合軍に派遣している四個師団以外に、本国師団を二個仏蘭西に展開していた。
対独戦が終了した以上、これらの二個師団は、大急ぎで本国に引き上げられていた。
本来ならば動員体制を解除し、通常レベルまで戻すべきなのだが、北欧の情勢が情勢だけに、英国政府も、帰国した二個師団と、新たに練成中の四個師団の体制を崩す訳には行かなくなっていた。
元々、英国は海軍国であり、平時の陸軍師団の兵員は少ない。
また、予算配分も海軍重視である。
帝国のように、平時から陸戦部隊をある程度維持し、しかもその展開先が限られている国家ならば、その維持コストも予算内に組み込まれている。
しかしながら、大英帝国は、世界国家であり、各地に派遣される軍の規模も帝国よりも遥かに大きい。
結果として、本国に統合軍も含め、八個師団もの軍を維持するのは、無駄以外の何者でもなかった。
戦闘が始まれば、臨時予算なりが組まれる為、問題とはならない。
しかしながら、戦闘が開始されないまま、数ヶ月に渡って、軍を維持し続けるとなると、それは別だった。
「このまま年を越す事となれば、来年予定されている軍の兵器更新が遅れる可能性すらあります」
ケインズが憂うような表情で答える。
「そうなると、独逸の装備改変も遅れるか」
「ええ、そうなりますな」
部屋の中に、困惑が広がる。

311shin ◆QzrHPBAK6k:2007/04/04(水) 23:37:22
対独戦は、第2次世界大戦を防ぐ為に行われた訳ではない。
戦勝国の英国は、戦後の経済破綻による没落を阻止する為、そして帝国は、国家の維持の為に行った戦いである。
戦闘自体は、両国首脳があきれ返るほど、早期に終結したが、そのために帝国は足掛け九年、英国も、三年の準備を経て行われているから、これも当然と言えば当然だった。
そして、対独戦の一番の目的は、陸軍国独逸の取り込みだった。
日英とも、海軍国であることは言うまでも無い。
「のと」資料以前の帝国は、中国進出、そして満州国と言う領土を得た為に、島国であるにも関わらず、陸軍の拡充を進めざるを得なかった。
結果として、国家戦略が政府、海軍、陸軍全てがバラバラと言う泣くに泣けない状況に陥った訳である。
これに対して、英国はその歴史的経験から、海軍国である点を維持し続けていた。
海がある以上、陸軍が幾ら強くても、海軍さえ維持できれば、その領土を維持できる。
要は幾ら強くても、海を渡らせなければ問題とはならないのである。
同時に、大陸の陸軍国を味方に付ける事で、必要な兵力を確保して来た。
ところが、「のと」世界では、その味方とすべき陸軍国仏蘭西があっけなく敗退してしまう。
あの世界で、その代替となったのが、米国であるが、困った事にこの国は、陸軍国であるが、ユーラシア大陸からは、遠く離れていた。
その結果、米国は、海軍国としての側面も持っており、最終的には大英帝国の利権を全て奪う事となる。
その事が解っていれば、英国の選択は限られてくる。
また、帝国にとり、米国はこの時点では、パートナーとしての選択は無かった。
米国はあくまでも海軍国のライバルであり、決して陸軍のライバルではなかったのだから。
日英両国にとり、独逸は倒すべき敵ではなく、陸軍国のパートナーとして味方に引き込むべき国家となったのである。
そして、その障害となるナチス独逸の排除の為、対独戦が開始され、それは成功裏に終わった。

次の計画は、独逸国防軍の強化であった。
日英は、兵装の共有化、共同での兵器生産により、両国の生産性を格段に高めている。
これに、独逸も加え、三カ国で必要な兵器を生産する事により、更に効率を上げようと計画されていた。
最終的には、日英独三カ国の、兵器生産企業同士の競争となるのは仕方ないが、少なくともそれぞれ独自の開発費は削減される。
それに、日本では日商を窓口に、英国ではロスチャイルド家、そして独逸にはその一族であるゴールドスミス家があり、それぞれの国家間の企業の調停はある程度は可能である。
実際、この二ヶ月の間に、高畑が独逸企業との交渉を纏め上げられたのは、ロスチャイルド家自身が、高畑をその代理人と認めた事も大きかった。

312shin ◆QzrHPBAK6k:2007/04/04(水) 23:40:07
「どれだけ時間があるかが、問題か・・・」
井上が呟く。
ここまでは、計画通りであるとも言えよう。
しかしながら、既に計画には大きな齟齬が発生している。
そこには、二つの要因があった。

一つは、対独戦が余りにも早期に終了した事による問題だった。
それは、鮮やかな勝利であり、欧州全域を覆っていた、新たな戦争への恐怖を払拭したと言う効果は大きい。
しかしながら、実際に戦闘は、ハンブルグ周辺及び、チェコスロバキアのズデーテン地方における小競り合い程度しか発生していない。
勿論、その正面に立たされた、グーデリアンやモーデルは、彼我の戦力差を痛感しているが、それは独逸国防軍全体と言う訳ではない。
せめて、もう少し大きな戦闘が発生し、その結果、独逸国防軍の1個師団程度が、壊滅してくれていれば、その教育効果は大きかったであろう。
勿論、第一兵団は、今年一杯は、ポツダムに滞在し、独逸国防軍にその装備を見せつける予定であるが、それでも戦闘による教育効果とは、比べ物にならない。
その為、独逸国防軍の新兵装への転換は、ゆっくりとしたものとなる。

そして、もう一つの要因は、ソ連の動向だった。
「のと」世界でのソ連が、本格的に動き出すのは、ナチス独逸と連動し、39年、それもポーランド分割からである。
アジアにおける軍事的な小競り合いは、それ以前から起きているが、「のと」世界での帝国陸軍とのノモンハン事変、バルト三国、エストニア、ラトビア、リトアニアの保護国化も1939年に発生している。
ソビエトの動向は、様々なルートを通じて、かなり正確に把握していたが、実際に赤軍上級将校の粛清も発生しており、この世界でもほぼ同様の道筋を辿っているものと思われていた。
もっとも、総研にしても、独ソ間の緊張関係の推移次第では、ソ連が今回の対独戦開戦により、動き出す事はある程度予想はしていた。
その為、フィンランドに対しては、かなり早い時点から、帝国が対ソ同盟的な動きを開始している。
実際、虎の子の97式中戦車を百両程度ではあるが、直接フィンランドに販売している。
航空機にしても、試作増加型ではあるが、英国はスピットファイヤ、帝国は疾風を供給している。
しかしながら、対独戦開戦後の二週間の間での、赤軍の急激な北欧シフトは、日英の予想を上回るものであった。
その為、両国は、対独戦の終了と共に、急遽第二兵団を直接フィンランドに送り込む事すら実施したのである。

313shin ◆QzrHPBAK6k:2007/04/04(水) 23:42:17
ところが、ここに来てソ連は、「のと」世界で呼ばれていた、冬戦争を開始していない。
既に、12月も中旬まで過ぎている今の時点で、開戦していない以上、今年度中の開戦は無いかも知れず、そして、来年になれば雪解けまでの期間が短い為、開戦する可能性は益々低くなる。

かと言って、開戦が無いと言う事で、ここで警戒態勢を下げると言うのは、フィンランドには到底出来ない事であり、また展開している統合軍の第二兵団にしても、引き上げる訳にはいかない。
そして、この中途半端な状況が継続すればするだけ、日英両国にとって、その負担は大きくなるのだった。
日英両国とも、政府があり、官僚がいる。
実際の経費が発生し、それを処理するのは官僚である。
戦争が始まらないのに、費用が発生すると言う状況は、これらの名も無き人々の反発を買うのは十分過ぎる事態であり、その処理に対しての軋轢はどうしても大きくなる。
それに、対応するにしても、政府も戦争と言う特別な事態が発生していない以上、大幅な予算の増額も難しい。
対独戦と言う事での、特別予算枠が確保されていた訳であるが、それも戦争が早期に終了した事で、取り崩されており、新たな予算枠の確保が出来ない以上、通常の軍事予算内で処理せざるを得ない。
結果、次年度における装備更新予算が、圧迫される事となるのである。

勿論、このような問題は、あくまでも短期的な軋轢でしか過ぎない。
翌年になれば、新たな予算組が可能であり、その中での吸収も不可能ではない。
しかし、井上が言うように、時間が問題なのだった。

314shin ◆QzrHPBAK6k:2007/04/04(水) 23:44:26
総研調査班による分析によれば、第2次世界大戦、「のと」世界でそう呼ばれている一連の戦争は、決して一つの戦争ではなかった。
列強各国の覇権競争による幾つかの戦争が組み合わされたのが、世界大戦の実情である。
仏蘭西と独逸の軋轢、英国と独逸、独逸とソ連、ソ連と帝国、帝国と米国、帝国と中国、米国と独逸、そして、この間で振り回されたその他の国々、これら一連の戦争が合わさったものが第2次世界大戦なのである。
中国と米国の朝鮮戦争、ソ連と米国の冷戦と言う名前の戦争まで含めてしまえば、第2次世界大戦は、ソビエトの崩壊まで続いた、60年以上もの戦争なのである。
それを理解しているが故に、日英はまず独逸を叩いた。
ここで独逸を、味方につけてこそ、初めて日英にもこの長きに渡るサバイバルレースにて、勝者として生き残れる可能性も、出てくると言うものだった。

ここまでは良い。
その為の方策を巡らし、最初の戦いにて勝利を納めた。
しかしながら、この競争はまだ始まったばかりである。
今後、ソ連、そして米国と言う競争相手が躍り出てくる前に、どれだけ差がつけられるか。
いや、どれだけ差を縮められるかと言うべきか。
とにかく、日英独の連合を、一つのものとしなければ、どちらの列強に対しても対抗出来るものではない。
その為の時間は、短ければ短い程良いのは、判りきった事である。
むしろ、その為の時間があるのかどうかが、一番不安な点だった。

「とにかく、現状では、ソ連の出方を伺いながら、こちらの準備を整えるしかないな」
梅津が、まとめるように言う。
そう、まだまだ始まったばかりであり、今後の行方は混沌としている。
「ああ、ミスターケインズ、英国首脳にもこの事は良く理解してもらって欲しい。我々は独逸を押さえる事は出来た。しかしながら、第2次世界大戦は、まだ始まっていないと」

その事を理解するのを確認するように、井上は一人一人の顔を見て行く。
所長も含め、全員が厳しい顔を向けている。
大丈夫、我々はここまで辿り着いたのだ。
そう、このメンバーならば、この先も進んで行ける。

316shin ◆QzrHPBAK6k:2007/04/07(土) 16:05:08
1939年、「のと」世界では第2次世界大戦が始まった年が明けた。
「眠いね」
高畑が、如何にも疲れたと言う顔で、呟く。
時間は朝の八時過ぎ、それも一月一日である。

何せ、所長が新年の挨拶をしたいと言い出したため、全員が朝の五時から宮城にある総研の会議室に集まっていたのだ。
年頭の公式行事が山積みの所長のスケジュールを考えると、元旦の朝五時と言う非常識な時間に、集まらざるを得なかった。
それでも、所長の気持ちが判っているだけに、誰も否な顔せず喜んで集まっていた。
それに、三が日が過ぎれば、今度は高柳が、他の多くの科学者・研究者を率いて英国に向かうのである。
これまで国内での調査研究に勤しんできた彼も、流石に英・独との共同研究の推進役として、動かざるを得ない。
高畑も、再び欧州に舞い戻り、経済協力の基盤作りに邁進する。
そして、留守番役を梅津に代わり、今度は井上がユーラシア大陸を一巡りする予定となっていた。
それだけに、所長も激励したいと言う気持ちに嘘偽りは無く、全員が正月だけに、燕尾服に身を纏い待ち受ける中、一人の女性を伴って、所長が会議室に入ってきたのである。
流石にこれには井上でさえ、硬直したように固まってしまった。
皇后陛下である。
後から入ってきた侍従が、ワゴンに積んだ朱塗りの器を運んで来、全員の席に鮮やかな漆塗りの盆を置き、その上に並べてゆく。
侍従が下がると、淡いピンクの洋装に身を纏った皇后自ら、お神酒であろうか、それらしいものが入った器を取り上げると、順番に注いで行く。
流石に、梅津が恐れ多いと止めようとするのを、所長が軽く遮る。
全員が、硬直して見守る中、皇后は、全員の盃にお神酒を注ぎ終わると、所長の斜め後ろに下がる。
ケインズと入れ替わるように、帝国にやってきたクラークは、この女性が誰だか判る筈も無い。
それでも、全員の態度から、察する事は出来、彼も固まったままだった。
所長は、皇后に軽く頷く。
「こうして君達と無事新年を迎える事が出来、本当に嬉しい。この十年間の君達の働きには、感謝しても仕切れるものではない。」
所長は、言葉を切り、一人一人を見回す。
「ここでは、私は総研所長と言う立場で、君達と接して来たし、これからもそうして行こうと思っている。
しかしながら、そうである以上、諸君らに感謝の念を示すのに、適当な方法が無い。」
ここで、所長は少し照れたような顔を浮かべ、皇后を振り返る。
「そこで、皇后、いや、ええっと、家内と相談し、このような形を取る事とした。」
流石に、所長も言葉に詰まる。
「これでも、かなり異例の事であるのは、重々承知しているが、他に適当な方法が思いつかなかった。
とにかく、諸君、あけましておめでとう。そして、これからも宜しくお願いする。」
所長の音頭で、全員が盃を持ち上げ、頭を下げる。

317shin ◆QzrHPBAK6k:2007/04/07(土) 16:06:20
総研は、陛下の私的機関である。
それ故、ここでは陛下は所長と言う肩書きで、表の儀礼を無視するような行動を取る事が出来た。
しかしそれは、非常に危険な事でもあった。
陛下に直接意見が言える場であり、陛下のご意向であると言う言葉が総研メンバーから、外に発せられればどうなるのか。
それでなくても、総研の意見は政府の指針となっているものが、完全に新たな権力中枢となってしまう。
勿論、井上以下、総研のメンバーはその危険性を認識しており、分をわきまえる事に力を尽くしていた。
最初の出だしが粛軍と言う形で始まっている以上、一歩間違えばどうなるのかは、良く判っているだけに、尚更だった。
そして、陛下もその事は判っている。
それだけに、陛下もメンバーに対して、感謝の意を尽くす事が出来ない。
表の肩書きを使い、メンバーに叙勲やそれ相応の待遇を与える事は簡単であるが、それが出来ないのである。
それをやってしまえば、総研と言う曖昧な機関に、権威を与える事となってしまう。
結果として、異例尽くめの元旦の挨拶に繋がった。

それ故、最初の高畑の言葉に繋がる。
所長の気持ちも判る。
感激屋の梅津等は、まだ感極まったような顔を浮かべている。
高畑も所長の気持ちに、熱いものを感じてはいるのだが、流石に元旦の朝の五時からでは、疲れてしまうのは仕方なかった。

318shin ◆QzrHPBAK6k:2007/04/07(土) 16:08:21
「で、結局ソ連は動かずに年が明けた訳だが?」
高畑が、気を取り直して梅津に問い掛けた。
「ああ、あれか。困ったもんだ」
梅津が苦りきった顔で、答えた内容は次の通りだった。

結局、ソ連は日英統合軍のフィンランド展開に気が付き、北欧諸国への戦闘へ踏み切れなかったと言う事らしい。
一番大きな理由は、対独戦がたった二週間で終わってしまい、その影響で、空いた第二兵団をフィンランドに展開出来た事だった。
スターリンにしても、フィンランドとの戦争だけならば、躊躇わないのだが、そのまま日英との戦争は避けたい。
そして、ソ連が手に入れた情報は、ここでフィンランドに侵攻すれば、日英はソ連を攻める可能性が高いと言う事だった。
それも、独逸に展開中の部隊がポーランドを通過し、満州国境からは、帝国軍及び中華北辺軍がなだれ込むと言う情報である。
「ええっ、そんな計画あったのですか?」
八木が驚いたように言う。
それはそうである、少なくとも総研では、そのような戦争計画があるなどと言う事は、全く話題にも上がっていない。

「いんや、無いよ」
井上が、切り捨てるように言う。
しかしその顔は、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていた。
「堀さんとこだ」
梅津が続ける。
「近衛さんに付きまとっている、ゾルゲがいるだろ。彼にそのような情報を、わざと流したそうだ」
リヒャルト・ゾルゲ、独逸の新聞記者と言う事で、帝国に滞在しているが、「のと」情報から、彼がソ連のスパイだと言う事は、判っていた。
「偶々、山本さんとこも、その線で動いていたらしい」
「それは、統合本部と、総研情報班の連携と言う事ですか?」
流石に、総研メンバーが知らない所で、そのような連携が取られるなら、これは問題である。
確かに、堀と山本は、海軍時代の同期であり、仲も良い。
だからと言って、そんな事が許される訳は無い。
「いや、流石にそこまでは無かった。山本さんは山本さんで、陽動作戦の積りだったらしい」
井上が困ったような顔をする。
山本が行っている、本来の情報活動は、情報収集が中心であるが、列強に対する隠れ蓑として、現地雇用の情報機関も抱えている。
これは、列強各国に、ばれてしまう事を前提とした、いわば隠れ蓑なのだが、それがかなり上手く機能している。
対独戦が早期で片付いたのは、この機関の活躍による結果であるだけに、喜ぶべきか、悲しむべきか、悩むところである。
あからさまの活動であるが故に、独逸国防軍の反ナチスグループにも渡りが付けられた訳である。
しかしながら、山本が、保険の積りで、その現地組織に、ポーランドからソ連までの地理情報の収集を下命しただけで、ソ連の動きが止まると言うのも、何だか情けない。
井上にすれば、まだ一年も満たない、みえみえの組織の筈なのに、どうしてそんな簡単に、ソ連が引っかかるんだと言いたい所である。
「とにかく、表と裏の連携方法を何か考えないと。独逸にしろ、ソ連にしても、偶々上手く動いたが、逆の場合も出てくる」
梅津が、溜め息を付く。
「ああ、山本さんとこには、マッキンレーも絡んでいる。あの二人とは上手く連動させないと、今後の展開が、更に複雑になるかもしれんからな」

319shin ◆QzrHPBAK6k:2007/04/07(土) 16:10:41
「うん、何かあるんですか?」
高畑が、井上の言葉に、含みを感じて問うた。
「バルト三国ですか?」
八木が、確認するように答えた。
「ああ、米国が動いている」
それは、頭の痛い話だった。

米国は、11月の時点で、日英統合軍による行動を、しぶしぶながら追認した。
最もこれは、帝国、英国、そして仏蘭西が、認めている以上、反対しても仕方ないと言うニュアンスであり、「今後は、我が国にも知らせて頂きたい」と、チャーチルが散々嫌味を言われて帰って来ている。
しかしながら、12月に入ってから、米国のスタンスが微妙に変わってきていた。
国務長官が、談話の中で、
「国際政治では、あのような行動も、必要となる場合もあろう」
と述べたり、
ランドン大統領が、
「民主主義が、蹂躙された場合、民主的な手続きを取らすために、強権を発する必要もあるのではないか」
とのコメントを述べたりしている。
そして、これらの表上のコメントと連動するかのように、バルト三国やポーランドでの米国大使の活動が活発になっていた。
大使が頻繁に、それぞれの国の大統領府を訪れたり、米国からは、通商交渉と言う名目で、国務省の次官クラスが派遣されているのだった。

「大統領の年頭調書は、四日でしたか?」
「ああ、そうだ。そこでどんな発言がとび出すのか」
「「のと」世界ですと、中立法の廃止、軍備拡大、反全体主義国家ですか。反全体主義国家はなさそうですね」
高柳が資料を見ながら言った。
「ああ、それは大統領がルーズベルトだったからな。今のランドンだと、反共産主義ぐらい言いかねん」
「対ソ戦でも始めるつもりなのでしょうか?」
「いや、さすがにそれは、無理だろう」
「ああ、いくらなんでも、米国から中継国もないままで、バルト海の奥までは厳しいぞ」
「まあ、可能性は低いが、四日の年頭調書で、ランドン大統領がどんな発言をするかだな」
全員が暫く考え込むように、黙り込む。

320shin ◆QzrHPBAK6k:2007/04/07(土) 16:14:00
「やはり、第2次世界大戦が始まるのでしょうか?」
それまでは、あくまでもオブザーバーとして黙っていた、クラークがそれを口にした。
「ああ、可能性はあるな。だが問題は、何処と何処の国が、その口火を切るかだよ」
「ソ連が、ポーランドを攻めるのか、それともフィンランドか」
「やはり、始まるとしたらソ連でしょうか?」
クラークが、半信半疑で問う。
「我が国も含め、日本、独逸の三カ国が一つにまとまった状態で、ソ連が欧州諸国に手を出すでしょうか?」
高畑や八木達が、クラークの問い掛けに、一瞬固まってしまう。
それはそうである。
今の今まで、ソ連がどう動くかが、全ての始まりであると考えていただけに、それは意表を突く考えだった。
「いや、ソ連は今年、正確には今年の後半には、戦争を始めざるを得ない。このまま行けばだが」
井上が、確信があるように答える。
「それは、どうしてですか」
クラークだけではなく、全員が興味深げに聞いてくる。
「天候の問題だ」
「農業問題・・・ですか?」
高畑が、怪訝そうに問い返す。
天候と言えば、世界的な不作に結びつくのは判るのだが、それがどうソ連と繋がるのかが、判らない。
確かに昨年は、世界中が天候不順で、不作だった。
そして、あくまでも「のと」世界では今年も、天候不順が続く。
最早、歴史は大きく変わっているが、唯一「のと」情報と、同じようにように推移しているのが、天候だった。
こればかりは、いくら未来の技術があろうとも、確かに大きく変更出来るものではない。
しかしながら、帝国は「のと」資料を利用し、不況を克服したのと同様に、天候不順に対しても備える事が出来ていた。
具体的には、満州地域における地元農家の育成と、国内の農業改革である。
満州においては、中国中心部の争乱から逃げて来た人々を、大規模農場を作り雇用していた。
資本を拠出し、中国人の手による大規模農場を経営させる。
これは、大豆等の農作物の増産と、共産匪賊化する人々を減少させると言う効果もあり、満州地域の発展に大きく寄与していた。
また国内では、小作農の地位向上の為の法整備を進め、同時に所謂地主層に対して、機械化の為の低利融資を実施し、これまでの労働集約的な農業から、大規模農法へと切り替えさせていた。
重工業の著しい発展に伴い、必要とされる労働力の確保の為でもあるが、同時に農業生産の増加を齎していた。
ちなみに、「のと」世界で行われていた、所謂農地改革のような、徒に小規模農家を作るような政策は実施されていない。
この結果、単年度的な不作が発生しても、一家離散、身売り等の悲惨な事態は、回避されている。

321shin ◆QzrHPBAK6k:2007/04/07(土) 16:15:02
「確かに帝国では、農作物の不作を見越しての政策が可能であるが、ソ連はそんな知識は持っていない」
井上が説明を続ける。
「結果、今年から来年に掛けては、ほおって置けば百万単位の餓死者が発生する事となる」
「そうなると、スターリン体制そのものが、傾きますね」
「そうだ、その可能性は高い。そして、それを避けるためには、何らかの方策が必要となる」
「それが、戦争ですか・・・」
「ああ、残念ながらね」
「為政者の失策の為に、戦争に走る・・・救われませんね」
「そうは言ってもな、帝国にしても、その可能性は十分にあったのだぞ。
それに、米国も長期の不況が続いている状況では、スターリンを嘲笑えん」
梅津が付け足した。
「ソ連に、米国、両方とも戦争を始める十分な理由がある訳ですか」
「そうだ、それ故、独裁政治に近いソ連が、第2次世界大戦を巻き起こす可能性は遥かに高い」
「今年中に、スターリンは何らかの行動を起こさざるを得ない。我々はそれに対する対策を考えねばならないが、その中に、戦争を回避する為の方策は含まれてない」
井上が断言する。
「確かに、回避できたとしても、ソ連にすれば、何の解決にもならない訳ですね」
クラークが納得したように、頷きながらつぶやく。
「ああ、そうだ。餓死者の大量発生をごまかす為に、戦争を欲している連中に対して出来る譲歩等無い」
「そうですね、我々は避けることは出来ない。ならば、立ち向かうしかないのですね」
「そう言うことだ・・・」
そう、それが我々の役割なんだから。

322shin ◆QzrHPBAK6k:2007/06/17(日) 20:43:20
「アメリカ合衆国は、自由と民主主義の担い手として、それを阻む如何なる勢力、国家に対しても断固たる態度を示さねばならない・・・か」
「ああ、偉く勇ましいもんだ」
梅津が手にした書類、四日のランドン大統領の年頭調書の写し、を机の上に投げ出し、溜め息をつく。
「中立法の撤廃、軍備の拡大、公共事業の縮小、ここまでは判りますが、この民主監視団の設立と言うのはなんなんでしょうね」
高畑が、書類を見ながら怪訝そうに言う。
「民主主義を守る為の、国家間の監視組織だそうだ。早速大使が、勧誘に来た。ああ、英国にも来てる。」
井上が、むっつりとしたまま、答える。

全く、悪い冗談としか思えなかった。
米国では、毎年年頭に、大統領が議会に招かれ、そこで今年の方針を演説する事になっている。
その中で、ランドン大統領は、民主監視団(Democratic Gurd)の設立を宣言したのだった。
年頭調書は、最初から昨年の日英による対独戦に触れて来た。
それは、べた褒めと言って良いほどの賛辞から始まった。

「皆さん、貴方方のお住まいの隣の家から、煙が上がっていたらどうされますか?」

隣の家から火の手が上がっている。
ほって置いたら、隣家が焼け落ちる。
しかも、それは下手すれば、裏の家に燃え広がる可能性がある。
貴方の家と隣の家は、庭があるので火が燃え移る可能性は少ない。
だけど、ほっておく訳にはいかないでしょう。
貴方は、直ちにバケツを持って隣家に駆けつける。
ドアを叩くが、家人からの返事はない。
そう、そうなれば、燃え上がるのを無視する訳にも行かず、貴方はドアを蹴破っても、火元に駆けつけるでしょう。
英国の行動は、まさにこれを行ったに過ぎません。
民主主義と言う大切な家が、燃え落ちようとしている時、それを消す為に、何ら躊躇う理由がどこにあるでしょう。

英国や、日本のように、国王や皇帝を掲げる国家ですら、民主主義を守る為に、そこまでの行為を実施したのです。

このように、言いながら、ランドン大統領は、欧州の民主主義国家の行動を正当化し、聞いている方が恥ずかしくなるくらいに、褒め称えたのである。

そして、民主主義の担い手である、米国もこのような流れを傍観している訳には行かないと、議会に対して、いや、欧州列強に対して、民主監視団の設立を訴えたのである。

「英国の反応は?」
梅津が、井上や高畑に顔を向ける。
「いや、まだ今の時点では、何とも。まあ、相手にしないでしょうね」
「順当に考えればそうだが、何か裏があると見た方が良いだろうな。どう見ても、同盟を言い換えただけにすぎんぞ」
井上が、不満げに言う。
「満州の停戦監視団と似たような組織だろう。いや、それよりも、あれを真似したもののように思えるが・・・」
梅津も、何か考え込んでいるように答える。
「ああ、そうかもしれんな、とにかく、堀さんや山本さんには、特に注意して情報を集めて貰うように、一言言っとこう。梅津、それに高畑も、注意してくれ」
「判りました、しかし厄介ですね。何かとてもきな臭い匂いしかしませんね」
高畑も、米国の出方に、不安を感じるが、今は特に何も出来る訳でもない。
他の二人も、何とも言えない不安に、重く押し黙るだけだった。

323shin ◆QzrHPBAK6k:2007/06/17(日) 20:44:43
その日、井上は、早朝からの今後の戦略の、見直し等も含めた、総研での打ち合わせを終え、夜遅くに帰宅していた。
妻は、まだ起きており、遅い夕飯を取り、漸く寝ようかとした所で、それは起こった。

リーンと鳴り出した電話に、否な胸騒ぎを覚え、妻が受話器を取ろうと言うのを制して、自ら電話を取る。
「ハイ、もしもし」
「井上さんですか」
「ああ、そうだが。君か?」
「そうです。大変です。米国が、民主監視団の設立を表明しました。」
「うん、あれは、年頭調書の話じゃ無いのか」
「いや、国際組織として、立ち上げを表明したんです。バルト三国、エストニア、リトアニア、ラトビアが、それに加盟しています」
電話の向こうから、総研所員が更に、加盟した国家を告げているが、井上は最早聞いていなかった。
バルト三国と米国が、同盟。
「のと」資料では、本年土中にソ連に飲み込まれていく筈の弱小国家が、米国の後押しを受けた。
頭の中で、今までの戦略が音を立てて崩れてゆく。
欧州情勢は、劇的に変化する。
あの位置、欧州の最も奥深い場所。
いや、海に面している限り、米国にすれば、距離的な差異は無い。
少なくとも、ユーラシア大陸に、米国が橋頭堡を築いた事は間違いない。
対ソ戦が勃発するにしても、あそこに米国の橋頭堡があれば、どう変わるか・・・

「井上さん、井上さん!もしもし!」
「ああ、すまん、判った。電話ではこれ以上詳しい話は出来ないな。すぐさま総研に戻る」

これも一つのゆり戻しなのかもしれない。
我々は、「のと」資料により、列強に対して、非常に有利な体制を構築する事が出来た。
対ソ戦の戦略も、その後の対米対策、そして世界の有り様まで検討していた筈だった。
それが出来るか、出来ないかの問題は、これからの推移を見ながら、検討していけば良い筈だった。

井上には、米国の戦略が、判った。
それはそうである。
総研が主導し、帝国が行った満州政策の焼き直しそのものである。
民主監視団の名の下に、米国が監視員と言う戦力を欧州に派遣してくる。
まだモンロー主義が幅を利かせている米国であろうから、送られてくる、その戦力は微々たる物であろう。
しかし、そこに、米国兵がいると言う事実は、揺ぎ無い。
万一、攻撃を受けたら、否、攻撃が受けたと言う事実だけがあれば、米国大統領が派兵を躊躇う理由は無い。
バルト三国は、あくまでも対ソ連を見据えての同盟、であるのは間違いないだろう。
しかし、米国から見ればどうか。
建前は、対ソ連であろうが、その橋頭堡は、ソ連以外にも使える。
そう、米国は、対ソ連だけではなく、対英、対独、そして帝国に対しても使える切り札を握った訳である。

迎えの車に乗り込んだ井上は、大きく溜め息を吐く。
「戦略の見直しか・・・」
ポツリとつぶやくと、井上は、シートに深々と座り、堅く目を閉じるのであった。

324名無しさん:2015/08/28(金) 20:01:51
9年経過


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