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「のと」本編

79shin:2006/11/21(火) 23:52:04
 軍閥同士の紛争及び新たに勢力を拡大しつつある中国共産党との戦いで、中国本土が疲弊する中、関東省以北の満州地区は、別天地の様相を示し始めていた。中華民国政府の支配する地域でありながら、軍事行動は、帝国軍を中心とする停戦監視団により最低限に抑えられている。
結果、中国本土から流れ込む豊富な労働力と、大慶油田を含む各種資源開発の為の列強の資本投下が、上手く重なり、経済は拡大し始めている。
張学良も完全に帝国に取り込まれており、満州地域の各種交易拡大に伴い流れ込む資金の中から自分の取り分を確保するのに全力を尽くしている。また、彼が抱える軍は、既に帝国停戦監視団の下に組み込まれ、彼らを訓練する事で、帝国は更に中華方面への派遣軍の縮小を目論んでいた。
 全体としては、高畑ら日商グループの活躍で、経済は拡大し、政治面では英米を始め、列強との軋轢も無く、ソ連すら不可侵条約を結ぼうとしていた。満州を中華及び列強のバッファーゾーンにする総研の計画は上手く行っているといって良かった。少なくとも帝国史上最大の安定を維持しており、お陰で、濱口内閣は完全に長期政権化を示し始めている。

80shin:2006/11/21(火) 23:53:45
 一見すると全てが順調なように思われた。しかしながら、井上や梅津の顔は厳しい。
「大英帝国の動向だな。」
「ああ、そうだ。どこまでこちらになびかせる事が出来るかどうかだ。」
 「のと」発見から3年経ち、総研もその組織を大きく変貌させていた。以前から宮城内に置かれた、「のと」資料分析班の施設はそれ程大きく変更されていないが、それ以外に資料研究班が、九州大村地区、情報分析班が霞ヶ関に置かれていた。特に霞ヶ関の情報分析班は、これまでの外務省、陸海軍の統合作戦本部情報部とは切り離した国内外の情報収集組織として秘密裏に設置された部門であり、日商グループを通じた情報収集と、密かに列強各国に独自の情報収集ルートの構築に向けて動いていた。そう帝国は、情報管理に対して以前とは比べ物にならないほど力を入れており、その為の第三の情報機関として総研が使われ始めている。これらの情報全てに目を通した上で、総研のオリジナルメンバーは新たな政策を打ち出しているのである。

81shin:2006/11/21(火) 23:55:35
 そして、これらの情報収集・分析の結果、判って来た事に、大英帝国の今後であった。
 現在生きている総研メンバーからすれば、大英帝国が後、10年も経たない内に崩壊してしまうと言う「のと」資料は衝撃的だった。それ故、英国の帝国としての衰退がプラス10年は引き伸ばせれば、帝国に取ってプラスに働くとの分析結果によって、親英政策を打ち出して来たのだった。
 しかし、資料を検討し、各種情報を入手すればする程、果たして更に10年持たせられるのかどうかが大きな問題として浮かび上がってきたのだった。
 既に第一次世界大戦の結果、英国はかなりの権益を米国に譲り渡している。それが、次期大戦では更に加速され、結果として戦争に勝った途端に大英帝国は崩壊するのである。その最たるものが、米国との武器貸与法だった。英国に対して、各種戦争に必要とされる物資を無条件で貸与すると言う趣旨だが、その裏で貸与する物資を英国が輸出するのを禁止していた。しかも、この法律は戦争が終了した2日後に停止され、その結果英国は払いきれない負債と経済破綻に喘ぐ事になる。

82shin:2006/11/21(火) 23:58:22
 のと資料によれば、38年に戦争が始まった時点での英国の対外負債は、7億6千万ポンドであったのに対して、45年の終戦時には33億ポンドに膨れ上がっている。しかも、米国は大英帝国から全て奪う為、これらの負債に対する新たな資金供給に対して、37億5千万ドルを2%の利息で貸し出し、対ポンドレートを39年度の高い水準に固定、そして帝国特恵関税の撤廃も含む、英米金融協定の締結まで一連の金融政策を実施してくるのである。これによって、スターリング圏と呼ばれる英国の経済圏は全て米国のドルに置き換えられる訳である。
 ちなみに、現在の為替レートでは、1ポンド4円前後であるので、33億ポンドの負債は、日本円で132億円、帝国の国家予算の2年分強の金額となっている。
英国経済が、のと資料よりも遥かに良好に推移しているとは言え、その事を思うと、二人とも頭が痛い。

83shin:2006/11/21(火) 23:59:30
「高畑は、気楽に考えているようだがな。」
梅津が何気なくそう言うと、井上は怪訝な顔を向ける。
「聞いてないのか?」
「いや、最近会ってないな。」
「彼に言わすと、その為の合弁会社や資本提携だそうだ。」
「うん?」
「今のうちに、英国系の企業を大量に作り、その企業を成長させる。そうして戦争に突入した時点で、その株式の何割かを売却する事で、対外負債を回収できると言うだよ。今は、日商グループや運用資金の貸し出しで短期的な利幅を稼いでおき、必要になれば株式購入を持ち掛け、企業そのものを買収する事が可能だとさ。」
「ふうん、そんなものなのか。」
「私も良く判らん。しかし、彼はかなり自身を持っているようだぞ。中国に設けたフリー・トレード・ゾーンと、「のと」の各種知識を使えば可能だと言っていたよ。」
「それじゃ、俺たちは精々、大英帝国が一刻も早く、第二次世界大戦で勝利出来るように頑張るしかないな。」
「ああ、所詮軍人には経済は良く判らないからな。」

84shin:2006/11/28(火) 12:50:45
茫漠たる大地、見渡す限りの地平線・・・
「さ、寒い・・・」
その頃高畑は、厚手のコートに身を包み、防寒用の耳充て付きの防止を被り、着膨れした格好で、震えていた。
「ど、どこが、悠久の大地なんだ、全く・・・」
見渡す限り凍てつくような堅い地面が続いている。
「まあ、あんた方、地方人は鍛錬が足らんのだよ。」
そんなガタガタ震えている高畑を横で見ていた男がニヤニヤ笑いを浮かべながら言った。
こちらは、軍服姿に、軍支給の厚手のコートと言う姿だが、少なくとも背筋を伸ばし、寒そうには見えない。
「そ、そんな事言ったって、さ、寒いもんはどうしようもないですよ、東条さん。」
「そんな事でどうする。ほんの五分もかからんのに、日本男児たるもの、これ位我慢できんで、どうする。」
東条は嬉しそうに、声を上げる。
普段は、高畑に言い負かされてしまう事が多いだけに、余計に喜びも一塩という感じがありありと見えて取れる。
そう、11月に既に寒さに震える地域、中国は満州地方大慶油田に二人はやってきていた。
昨年(1931年)の油田発見の発表から1年で、大慶油田は稼動を始めようとしていた。
元々、「のと」資料の中にあった地図を頼りに、場所を特定しており、原油が出るのは判っていた。
試作井を掘ると、一発で油田が見つかっていた。31年9月に発表されるや否や、直ちに本格油井プラント一式を設置し、油田開発に取り掛かったのだった。
お陰で、僅か一年程で、満州の原野のど真ん中に小型ながら精製設備まで備えた、本格的な石油開発施設が出来上がっていた。
32年の5月からは、米国から輸入した中古の工作機器を利用し、ハルビンからの鉄道及び道路建設、更には飛行場の建設まで行われたのだった。
全て豊富な資金力にものを言わせた日商グループがその裏で動いていたのだが、その中の仕組みは複雑怪奇であり、事実東条自身も、高畑本人から説明を受けても、理解するのに苦労する程だった。

85shin:2006/11/28(火) 12:51:29
 満州地域の非武装地域化に伴い、ソ連が所有していた東清鉄道は、帝国の満州鉄道と同様に、それまでの、治外法権的な権益から、純粋な企業体としての取り扱いに変更されていた。そして両者を併合した、新満州鉄道株式会社が設立され、鉄道関連施設がその所有となり、付属地等の租税権は、中華民国政府に返却されている。勿論、帝国政府もそうであるが、ソビエト政府がそのような権益を見返り無く中華民国に返却する訳も無い。
そのため、両鉄道は、満州鉄道が1億2000万円、東清鉄道は、1億4000万円で、一旦皇室が買い取っている。そして改めて、皇室100%出資の新満州鉄道株式会社が設立され、中華政府に対しては、皇室から内々の賠償の意味を含め、その株式の20%と5%が、蒋介石、張学良それぞれに無償で譲渡されていた。
 更に、皇室は日露戦争時に、多大な迷惑を掛けた事へのお詫びとして、米国政府を通じて、ハリマンの所属するクーン・ローブ・グループに10%を無償譲渡し、英国王室と、米国政府に対してそれぞれ20%ずつの購入を勧めた。勿論英国王室は即座に購入、米国はモルガングループが購入した。これにより、中国に於ける排日運動は一挙に声を潜め、帝国の輸出は好調な伸びを示していた。
 そして、満鉄は新規事業として台湾銀行からの融資を受け、ハルビン・大慶間の新たな鉄道敷設、道路建設を行っている。勿論台湾銀行には、日商グループがバックファイナンスを行っているのは言うまでもない。
 石油関連の施設は、アングロ・丸善・チャイナ・オイル・カンパニーがその施設の建造を行っていた。油井は、既に5箇所で建設されており、大慶にある精製施設以外に、大連及びウラジオストックに大型の精製施設が建設されていた。石油に関しては米国資本と英国資本の競合が続いている関係で、精製施設の発注のみ米国に対して行われただけである。そして、表向きは英国資本が投入され中国北部に大規模石油施設が建設されているようにしか見えないが、実質は日商グループの資金による建設であるのは疑いない。
 東条にとって、この辺りの資本関係についてだけは、何度高畑に聞いても良く判らない部分であった。

86shin:2006/11/28(火) 12:52:17
「いよいよ積み出しだな。」
施設の左手に、タンク車が何台も連なり二列に並んでいた。その端には本土で見かけるよりも大型の蒸気機関車がそれぞれ繋がれている。
既に、敷設された鉄道により、初めて原油及び一部精製石油が、大連及びウラジオストックに向かって出荷されようとしていた。
「しかし、これを守らないかんのか。」
東条は、目の前に広がる最先端施設を見ながら呻く。
統合作戦本部運用部次長として、満州における戦時のロジスティックの確保が彼の今の仕事である。ほんの1年半前までは何もない、原野であったこの地に、帝国の生命線と言ってよい石油資源が現れた訳である。
東条も総研メンバーとして、起こりえた歴史に目を通している。現在は懐柔政策を取られているが、それでもソ連が主敵であるとの認識は変わっていない。しかも、ここから更に西に向かえば、38年に発生するであろう日ソ紛争の地、ノモンハンに行き着く。
 3個師団、5万人以上の死傷者を発生する一大決戦に、帝国は敗れる。変な言い方だが、この結果北進論はその勢いを失ったと言っても良いだろう。勿論原因は、兵装の不備に尽きた。東条自身が書いた戦陣訓がどうのこうのとも書かれていたが、精神論で勝てるなら誰も苦労しない。帝国に金が無いため、十分な戦備の用意が出来なかった点が全ての敗因である。
確かに、天からの贈り物か、悪魔の囁きかどうかは知らないが、「のと」により、帝国はその進路を大きく変えた。
5年あれば、十分な軍備の用意が可能であろう。勿論、戦本としては、少なくとも独逸を叩き潰すまではソ連と戦う気も無い。また、そのために、様々な懐柔策を取っている。
だが、それらの懐柔策が弱気と見られたら、ソ連が小競り合いのつもりで中華国境を越える事は十分に考えられる。
東条は改めて辺りを見回した。
現在帝国軍として中国に派遣されているのは1個師団にも満たない。それ以外は、武装中立地域の監視団として国軍の指揮系統から外れた部隊が各地に駐留している。監視団は英米から派遣された監視団将校の下に、組み込まれており、現地雇用の将兵の鍛錬が中心となっている。
そう満州地域では、停戦監視団の主な兵力は、元中華民国国民政府東北辺防軍そのものであった。彼らは3ヶ月間の訓練と、6ヶ月間の停戦監視業務に付いた後、その半数が除隊して行く。そして除隊した中国人はそのまま国民政府軍に再雇用される。
実態は、中国人将兵を帝国軍が日英米の武装を供給し戦闘訓練を施しているのだった。
蒋介石にすれば、4年前の政変で、帝国の国家方針そのものが変更したと言う事実を認識出来たのは、これが実際に稼動し始めてからだった。
張学良は、自らの権益が帝国軍によって保証されている現状に満足しており、蒋介石は、何よりも正規の軍事訓練を受けた兵隊を受け取る事が出来、帝国製あるいは英米製の武装が安定的に供給されると言う現状は十分に満足行く状況だった。
しかしながら、これを帝国軍から見れば、かなりどころか、途轍もなく勇気のいる行動だった。「のと」資料に目を通している一部将校ならば、どの道中華大陸から叩き出されるならば、感謝されて出て行くと言う方針は理解できないことは無い。
ところが、事情を知るわけも無い下級将校、下士官にすれば全く持って晴天の霹靂であった。最も、陸海軍の統合から始まる一連の改革に、一般将兵は最早諦めの境地に近いものがあり、それでも訳の判らないまま、彼らは日本人らしく与えられた職務を忠実にこなしてゆくのだった。
このようにして成立した停戦監視団が、満州各地に駐屯しており、大慶油田はその辺境に位置している。
そのため、流石に帝国も、蒋介石政権の了承の下、最低限の防衛部隊として正規の帝国軍が一個連隊ここに駐屯しているのである。

87shin:2006/11/28(火) 12:53:00
持つかな・・・
東条自身、いくら帝国風に鍛えた将兵と言っても中国人の軍隊をそのまま信用する程お人よしではない。映像で見たような強力なソ連軍が、国境を越えて攻め寄せてきた場合、辺境警備についている部隊は一瞬で壊滅するだろう。
その後は、帝国軍の出番となる。しかし、ここにいるのはたった一個連隊にしか過ぎない。
まあ、逃げる事は出来るが、許される事じゃないな。
少なくとも派遣部隊の数が減った分、機動性は十分過ぎる程確保されている。
6千人程の部隊に対して、移動用の車両は、1千両近く用意されている。
まだ、装甲車両や戦車は殆ど見られないが、必要な時期には手配出来る筈である。
機動防御だな、最前線からここまでに幾つもの防御拠点を構築し、次々と移動しながら、敵の進撃速度を限りなく落とし続ける。
その為には、大量の火砲と武器弾薬の準備が必要となる。
しかも、本土に控える緊急展開軍を直ちに移動させ敵後方の兵站を攻撃、その後に編成の済んだ機動兵力を本土から展開させ、敵陣の一点突破、イヤ、補給路が伸びたときに叩くべきか・・・
東条は辺りが大慶であることも忘れて、頭の中に来るべき兵器を思い浮かべ、シミュレートを続ける。
「東条さん、東条さん、そろそろ戻りましょうよ。」
高畑に言われ、東条ははっと我に返る。
そういや、今頭の中に展開した兵装は何一つ存在していない事を思い出し、苦笑する。
「ああ、戻ろう。やる事が一杯ある。」
「そうですね。私も無理行って連れて来て貰ったんですから、早く帰らないと。」
「しかし、君も忙しいのに何で、わざわざ大慶油田まで見に来たのかね。」
「はあ、一度は見ときたかったんですよ。普段は書類上のものばかりですからね。」
高畑はそう言って、再びあたりを見渡す。
「ここにあるもの全てが、私たちの意志で作られているんですよ。「のと」が無ければこんなものまだまだ先にならなければ出来なかった。そう、自分がやっている事をちゃんと見ときたかったのですね。」
東条が驚いたように繭を吊り上げる。
「日商の高畑ともあろうものが、そんなにロマンチストだとは思わなかったな。」
「イヤイヤ、ロマンチストなんかじゃないですよ。私はあくまでもリアリストです。それだけに、紙の上のものじゃないものを、確認したかったんですよ。」
そう言って、高畑は車に戻ろうとする。
リアリストか、そうは言っても、やっぱりロマンチストに思えるが・・・
東条も同乗すると、車は舗装された二車線の道を快適に走り始める。
東条は、これから飛行場まで戻り、飛行機の乗り継ぎで本土に戻る。
高畑は、上海に向かい、新たな資金運用の指示管理に戻る。
帝国本土では、梅津が、井上が、永田、小沢、山口、阿南ら軍人が、濱口首相以下の政府要人が、そして八木、高柳らを中心とする技術者達が、新たな仕事に取り掛かろうとしていた。
彼らの目指す方向は唯一つ、帝国を生き残らせる為だった。
そう、それこそが、明治が望み、日露戦争までがむしゃらに取り組んできた帝国の国策だった。

88shin:2006/11/28(火) 12:53:48
「流石に内地と比べると、暖かいな。」
「長官、暖かいは無いでしょう、明らかに熱いですよ。」
副官の神重徳少将(役務)は、苦笑いを浮かべ、小太りの長官を見つめる。
合流予定の艦隊を迎えるため、中央指揮所から、対空監視所に上がってきたのだが、エアコンの利いた艦内と違い、露天に近い監視所は流石に熱帯の熱気が直接肌に触れてくる。
「ほおっ、さすがロイヤルネービー、見事だな。」
大英帝国派遣艦隊司令長官山口多門大将(役務)は、双眼鏡に写し出された、戦隊が一斉に回頭するのを楽しそうに見つめた。それぞれの艦の間隔は400メートル前後であろう。それだけ距離を詰めながら、戦隊の旗艦とおぼしい軽巡につらなる四隻の駆逐艦が綺麗に回頭して行く。
勿論帝国海軍でも、あの程度の事は出来る自信はある。
しかしながら、英国艦隊の躁艦レベルが高いのは否定しようもないし、それはそれで楽しみでもある。
「今回は、船団護衛の合同訓練も兼ねていますから、軽巡まで持ち出してきた以上、英国も真剣ですね。」
「当たり前だ、海上護衛こそ海軍の基幹だからな。」
昭和維新と呼ばれる陛下自らの軍政改革から既に6年になろうとしていた。その間の帝国総軍に対する意識改革は徹底しており、それは旧海軍においても手抜きはされていなかった。総軍設立に伴い、佐官級以上の将官は、陸海問わず、三ヶ月に一度の研究会への参加が義務付けられている。そこでは、総研にて作成された今後登場すると予想される各種兵器を使った新たな戦術の検討が行われていた。当初は、旧陸軍軍人と、旧海軍軍人の考え方の違いのすり合わせがその目的の主要な部分を占めており、時には掴み合いの喧嘩にまで発展する事も珍しくなかった。しかしながら、それも二年三年と続く内に、真剣な戦術・戦略の検討会へと変化していた。
そこで提供される資料は「のと」情報に基づいた具体的なものであり、時には一部「のと」の兵器ですら、極秘試作品として提示される。これらの現実を突きつけられ、精神主義や艦隊決戦等と言う机上の空論を振り回している事は出来るものではなかった。また、検討会は総研主導で実施されていたが、参加者には必ず統合作戦本部からの要員も参加しており、検討された内容が、実際の戦技・戦術に反映され始めると、更に真剣さが増すこととなった。
そして、その中で、陸戦においては、火力、機動力の徹底した重視、海戦においては、艦隊決戦の否定と、輸送路の確保が軍の主要命題として確立されて来たのである。
「それに、今回は各種新兵器の顔見せだからな。」
二人の後ろから声が掛かり、神少将が振り向きながら目礼する。
いつの間にか上がってきたのか、そこには統合作戦本部情報部の梅津少将が立っていた。
「しかし良いのですか、我が軍の最新兵器を同盟国とは言え、このようにさらけ出してしまって。」
このことにかなり不満を抱いていた神は、ここぞとばかり梅津に問いかける。
「ああ、仕方ない。戦争が近づいているからな。今から習熟して貰わないと、間に合わん。」
「やはり、始まるのですか。」
「総研では、2年以内と予想している。情報部もほぼ同じ結論に達している以上、時期は判らんが、も1回起こるのは避けられそうに無いな。それに、今回は、高みの見物は出来ん。」
そう言われると、神も不承不承頷くしかない。
「それにな、最新兵器と言っても、既に量産が可能となったものばかりだからな。なーに、本命は大事にしまっとかなきゃ。」
ニヤリと微笑む梅津に、神はあっけに取られる。
山口はそんな二人を見つめながら、何とも言えなかった。
「のと」情報にアクセス可能な山口と違い、神は戦略の裏の意味を知る由も無い。

89shin:2006/11/28(火) 12:54:43
全ては半導体だった。
当初は歩留まりがあまりにも悪すぎ、最高機密に位置づけられていたが、昨年辺りから漸く生産の目処がたってきた。
それどころか、今年になると完全な量産体制が確立出来るようになり、結果として帝国総軍の電子儀装は、格段の進歩が見込まれている。真空管と違い、小型軽量小電力消費の半導体の導入で、電波探知機、所謂レーダーは、戦闘機ですら搭載の目処がたっていた。
通信機器は三年後にはデジタル化(とは言っても山口もどういう意味かは理解していないが)され、通信の確実性、暗号としての強度は格段に飛躍すると言われている。
列強各国では漸くメートル波による電探が実用化されようと言うのに、帝国は既にミリ波、マイクロ波まで実用化しようとしていた。
ここで問題となったのが、機密漏えいとそのコストだった。
兵器として使われる以上、戦場で鹵獲されるのは避けられない。
一時は電子兵装に自爆装置をつけることすら真剣に検討されたが、確実性と危険性から(使っている最中に爆発したら最悪である。) それは見送られた。
そして、生産コストの問題があった。
軍人ならば、コストはあまり考えないが、総研はそうではなかった。政府も勿論、投資分の回収どころか、莫大な収入が見込める以上、民生品に転用したいと言う意見は根強い。
勿論民生用への転用は、世界情勢が落ち着いてからと言う方針が出されているため、表立っては言われないが、英国への兵器として販売する事に対しての圧力は大きくなる一方だった。
何しろ、半導体そのものに対する研究費用、そして量産の為の工場を一から作り上げたのだから、その費用たるもの生半可なものではなかった。戦争でも起こらない限り、帝国総軍での使用分だけではその費用の回収は覚束ない。そして戦争が起これば、今のままでは帝国の国富がむやみに消費されるだけとなってしまう。
そこにきて、運用の問題が持ち上がってきた。
既に「のと」資料から、電探と電信の効果的運用による情報の一元管理、戦力の局所的優位の確立等のコンセプトは理解されていたのだが、実際に試してみても中々上手く行かない。
それはそうである。第一、航空機の性能がまだまだ不十分であった。それに数も揃わない為、要はシステムが無くても、迎撃できてしまうのだった。つまり、帝国軍だけでは、十分な戦訓の積み上げが出来ないと言う問題だった。
また、海上護衛に関しても、敵潜水艦に対する効果的な機動の研究、新たに開発されたソノブイによる潜水艦の発見と迎撃体制の確立も急務であった。
それやこれやの意見を検討し、統合作戦本部と総研は、当初の予定より前倒しでの半導体利用兵器の大英帝国への公開を決定したのだった。

90shin:2006/11/28(火) 12:55:40
 欧州では、独逸においてヒトラーが台頭してきており、大英帝国はその対応に苦慮し始めていた。独逸の拡大政策は、明らかにフランスとの衝突を予想させており、その場合にフランス側に立って英国が参戦する可能性は高い。「のと」情報では、二年後の1938年には欧州大戦が勃発するとなっているが、総研の分析では、それが早まる可能性も出てきた。
 それも全て「のと」情報の影響だった。帝国政府による満州地区の自由貿易圏の確立と、日商グループを中心とした米国資産の買収が上手く行き過ぎたのだった。
 満州地区の治安が確保され、帝国資本、大英帝国資本、そして米国資本が大量に流れ込み始めていた。当初は日商グループによるダミーであった大英帝国の資本流入も、直ぐに他の投資家が追随して本格的なものとなっていた。米国はモルガングループに対する満鉄株式の譲渡が呼び水となり、グループの本格参入から、多くの資本家が資本投下を本格化させた。
それはそうである。29年の大恐慌以降、世界中で唯一経済成長が対前年比2倍以上の伸びを示している地域である。投資は確実に回収でき、それが更に新たな投資を呼び込む好景気が満州を支配しており、勿論帝国経済もその結果、爆発的な勢いで成長を続けていた。
 それに加えて、米国の各種生産施設の買収が大きな効果を発揮していた。米国の大恐慌のおかげで、たった三年で帝国内に各種重工業、化学工業のインフラが確立されたのである。32年に発見され開発が開始された中国大慶油田からのエネルギー供給も安定して増加しており、また「のと」資料の活用による、世界に先駆けて開発された絹に代わる人造繊維、「ナイロン」の登場もあり、帝国はそれまでの軽工業中心から、重化学工業中心の国家へと大きく変貌を遂げようとしていた。
結果、割を食ったのが米国だった。日米貿易は、32年までは綿花、くず鉄、石油が米国からの主要輸入品であったが、綿花は既にその比重を落とし始めていた。石油、くず鉄は現在も輸入量は増加しているが、それは帝国経済の拡大に伴い、国内生産に対する不足分の輸入へとその価値を減じていた。そして最も大きく変化したのは帝国からの主要輸出品目であった生糸だった。33年に工業化に成功したナイロンの登場で、生糸の輸出は減少傾向にある。代わりに、化学繊維の輸出は爆発的に伸びだしていた。デュポン社が、化学繊維の開発を打ち切り、東洋レーヨンに提携の申し込みをしてきた事もあり、化繊市場は帝国の寡占状態へと向かいつつあった。
他の工業生産品に関しても、満州地域を通じて、米国への輸出が増加していた。米国の主要産業に躍り出ようとしていた自動車産業においても、帝国からの輸出すら始まっていた。但し、日本フォード社やGM Japanの製品ではあったが。米国からの中古車輸入の為の大量の自動車専用輸送船の建造が、米国と比べ安価な人件費にて製造される日本製米国車の逆輸出すら採算の合うものとしていたのである。
大恐慌は、「のと」資料の状態よりも20%以上悪化し、33年から大統領に就任したルーズベルトが打ち出したニューディール政策も低迷していた。それはそうである。政府が大規模公共投資を打ち出しても、企業がそれに乗ってこないのである。国内に投資されるべき民間資本は、その半分が独逸に、そして残りが満州に投資されており、再編が進む筈の企業は、買収すべき企業そのものが無くなっていた。
このまま推移すれば、本年10月に行われる大統領選挙での敗北も噂されているルーズベルトは、経済浮揚の方策として軍備拡張政策を推進しようとすらし始めていた。流石に露骨な事は出来ないが、独逸に対する政府指導融資の拡大や、軍需生産に必要とされる重金属の優先的な販売に対する指導等が行われていた。おかげでヒトラー政権下の独逸は、驚異的な回復を見せており、それにつれ、周辺諸国に対する要求は過激なものとなっていた。
昨年12月から開催されている第二次ロンドン軍縮会議は、どちらかと言えば、協調軍備拡大会議になりつつあった。これに対して、既に戦艦の価値を認めていない帝国は、軍備増強策に対して必死に抵抗しようとしていた。大幅な予算を必要とし、結果的に国家の財政を傾ける戦艦の建造は帝国のような発展途上の列強にとり、割に合わない。要するにそういう事だった。昭和維新以来6年で、帝国内の意識改革はそこまで進展していた。

91shin:2006/11/28(火) 12:56:15
昭和維新で、大量に将官が予備役に編入された結果、帝国総軍内部の風通しはかなり良くなっていた。佐官クラス以下にとって、これは出世のチャンスであり、その意味での不満は少ない。また、神のような大佐であっても、任務に応じては将官待遇が与えられる、役務制度の導入によって、無能な人間の排除はかなり進んでいた。文句があるならばやってみろと言われる訳である。そして何よりも、「のと」情報による国力の増大の結果、急速に兵装が近代化される現状が、反対意見を抑えていた。確かに戦艦は欲しい、だけど今は先に装備しなければいけないものがあると言う認識が尉官クラスまで徹底して浸透していたのである。
しかしながら、帝国がその生存の為に必要と見なした大英帝国では違う。彼らには「のと」は無く、そしてそれ故、先の第一次大戦の結果に恐怖していたといって良いであろう。大英帝国は欧州で再び覇権を争う存在に成長しつつある独逸、そして大戦以降発言力を増した、覇権国家米国を恐れた。これに対する大英帝国の選択は、米国との協調と独逸に対する懐柔策だった。これにより時間を稼ぎ、その間に十分な体制を構築するというものである。
総研の苦悩もそこにあった。様々な手段を弄したが、大英帝国の方針を変えるだけの力は帝国にはなかった。しかしながら、その結果、大英帝国が崩壊し、帝国がソ連と米国と言う二つの覇権国家に挟まれる事を総研は知っていた。それ故、帝国は大英帝国を助けねばならない。欧州大戦に参戦し、大英帝国の早期勝利に寄与する。これにより、いずれは起こるであろうが、大英帝国の崩壊をなるべく先延ばしする。今のところその先は判らない。米国が早期に参戦する可能性もあり、その場合はやはり大英帝国の崩壊に繋がるかもしれない。しかしながら、帝国に他の選択肢は無かった。そう、それほど米国は超大国であった。

92shin:2006/11/28(火) 12:56:50
既に、帝国は大英帝国との同盟国化を強力に推進していた。33年に、英国のスターリングブロックの一員として組み入れられた見返りとして、アジア地域での大英帝国植民地に対する警備艦隊の提供から始まり、中華民国における大英帝国の租界の警備部隊の派遣から、アジア・オーストラリア、一部インド洋まで含む航路警備艦隊の派遣まで行っていた。勿論これらの派遣は殆どのものが有償であったが、その費用は最低限の費用請求に抑えられており、また各種艦隊の指揮権は基本的に英国海軍が執ることすら帝国は認めていた。大英帝国側にすれば、英国植民地からの資源の安定供給の見返りであり、何ら異論を挟む理由は無かった。中にはここまで帝国が行うことに、その真意を疑う層もあったが、費用対効果が全ての声を抑えた。
帝国側では、当然のことながら帝国の矜持に関わると反論が起こったが、当初は国策としての親英路線の為と言う陛下の声明がそれを抑え、やがて国力の増大に伴い、実利が全てを抑えた。経済圏の維持としての費用は止む終えないとの意見と、最低限とは言え艦隊の維持費が収入として計上される点が反論を封じていた。勿論、帝国総軍内部では、佐官級以上にはその戦略が開示されており、それより下のものには命令として伝えられれば十分であった。ちなみに、派遣艦隊では全ての命令が英語で伝達される。これには当初水兵レベルまでの徹底が大変であったが、現在ではジャパングリッシュと言う日本語と英語が混ざった水兵達の言葉が成立していた。海兵に入団すると、最初にこの言葉が叩き込まれるようになってから、言語での大きな問題は生じなくなっていた。
そして、この派遣艦隊に昨年10月、新兵装として電探が搭載された事が大英帝国を大いに驚かすこととなった。
電探そのものは、「のと」資料から早期に開発が開始されており、試作段階の半導体を使った各種実験が行われていた。既に近衛兵団所属艦隊では駆逐艦レベルまで搭載していたが、漸く半導体量産の見通しが立った昨年10月の時点で初めて派遣艦隊に装備されたのだった。それも旗艦(軽巡阿武隈)だけの装備ではなく、新たな一個戦隊8隻の駆逐艦全てにである。

93shin:2006/11/28(火) 12:58:13
ペナンからスマトラ島間の海域の警備を担当するインド洋方面派遣艦隊第一水雷戦隊は、シンガポールで英国指揮官の乗船を迎えた。シンガポールまで第一水雷戦隊司令官を務めた大森少将(役務)は、ここで英国からの派遣将官にその指揮権を引き渡す。
乗艦してきたのは、二人の参謀を引き連れたサマービル少将だった。
「本艦隊の指揮を引き渡します。」
大森は型通りの敬礼を交わし、その指揮権を英国人少将に引渡し艦を降りた。新たに装備された電探に対して、サマービル少将がどのような顔をするのか見てみたかったが、それは彼の仕事ではなかった。

司令部要員との顔合わせが済むと、サマービルは司令官室に入った。
今回の派遣は、突然だった事もあり、サマービル自身も十分な準備が出来た訳でも無く、色々と聞きたい事はあったが、英国士官として自制する。まあ、おいおい判ってくるだろう。
 これまでは、この方面の日本海軍の艦艇派遣は精々駆逐艦4隻の支隊程度であった。今の所、大きな問題も起こってなく、4隻の駆逐艦を使えば基本的な警備は十分過ぎる程であった。
 ところが、突然日本側から、艦隊の増援の連絡が入ったのである。新兵装の配備に伴い、その運用習熟の為、戦隊を派遣したいとの事だった。勿論、日本側の事情での増援であるので、派遣費用に関してはこれまで通りで、発生した補給物資に関しても請求はしないとの事で、英国海軍側にも断る理由も無かった。それに、日本海軍の新装備と言うのに興味が惹かれない訳でも無く、その申し出は了承された。
 しかしながら、事務方の問題はそれから発生した。支隊レベルであれば、英国海軍側の派遣指揮官も大佐で良かったが、戦隊となれば将官クラスの派遣が必要となる。
英国海軍にも遊んでいる将官がいる訳でも無く、誰を派遣するかは頭痛の種となった。偶々日本側の新兵装が、電波に関する事と判り、その方面で詳しい将官と言う事で、地中海艦隊に配属が決まっていたサマービル少将に決定され、急遽スエズを越えて派遣されてきたのである。
日本海軍との関係は、英国海軍を範に作り上げられているだけに、元々悪いものではなかった。第一次大戦後、オーストラリアや米国からの圧力で日英同盟は解消していたが、それも31年から復活している。サマービル自身も、先の大戦にて日本海軍の艦艇が船団輸送の護衛や航路警備に真剣に取り組んでいた実績は評価しており、新兵装の件も含め、今回の派遣は興味あるものだった。
一時は、列強と張り合う姿勢をとり始めた日本帝国だが、よほど中国での紛争に懲りたらしく、徹底して英国追従政策を打ち出している。事情通に聞いたところ、何でも軍部が中国への侵略を行おうと考えるほど暴走し始めたらしく、それを今のエンペラーが強権にて叩き潰したとの事である。
乗艦時は流石に緊張したが、全体としての英国海軍に対するイメージは悪く無いように思えた。最も、あの何を考えているのか判らないような微笑は少し引いてしまったが・・・
とにかくこの後、新兵装について技官から説明を受けられる事となっているので、それが楽しみだった。

94shin:2006/11/28(火) 12:58:59
「これが、帝国の新兵装として配備が始まった、2号一型電探装備の集中管制室です。」
松田と紹介された技官が、自慢そうにその部屋を指し示した。
副官に配属された日本人将校に呼ばれ、サマービルは連れてきた二人の参謀を伴い、阿武隈艦内の艦尾にやってきたのだった。
「元々は、水偵を積んでいたのですが、そのスペースを撤去してこの管制室を作りました。」
テニスコート半分程度の広さの室内は、奥から1/3程の所を一面の透明のアクリルボードのようなもので仕切られていた。その向こうでは、幾つもの無線機のような機械に取り付いている数名の要員がいる。そして、アクリルボードの中央には船形の紙が貼り付けられており、その下に少し小さめの紙型が、4つずつ、平行に並んでいた。
「これは?阿武隈と、他の艦を示しているのかな。」
サマービルは一体何が行われているのか想像もつかない。それでもどうやらアクリルボードには艦の位置がプロットされているのは想像がついた。
松田と呼ばれた技官はそれでも、その質問に少し驚いたようだった。
「流石に、英国海軍ですね。これが何を示しているのか一目で見抜くとは。」
別にお世辞を言ってもらっても嬉しくない。
少しムッとしかけるが、どうやら松田は本当に驚いているようだった。
サマービルは案内されるまま、ボードの反対側に向かう。
「中央にあるのが、2号一型電探の受像部です。両側それぞれ2台ずつ置かれているのは無線機で、今はそれぞれ駆逐艦2艦ずつと繋がっています。」
「その2号何とかと言うのは何かな?」
少なくとも無線機は理解出来る。唯一判らないのはこれだけだった。
「これが一番重要な新兵装です。電波を発信し、そのエコーから相手の位置を割り出す装置です。この2号一型は艦載型で、通常ならば50〜70kmまでの距離にある水上艦艇の位置の把握と、半径70キロ範囲の航空機の把握が可能です。と言っても、これは水上用の電探と航空用の電探二つをまとめているだけですが。」
「ほお、電波で相手の位置が判るのか?」
「ハイ、電波は直進しますから、前方に何かモノがあれば、それに反射して帰ってきます。その時の時間と、発信する電波をぐるっと回してやれば、そこに何かあればその形状まで把握出来る訳です。電波ですから発見は夜昼関係なく可能ですし、雨天時は若干抵抗が大きくなり距離は落ちますが、それでも目視よりは正確です。」
「それは・・・凄いな・・・」
サマービルはあっけに取られた。
電波で敵を発見できる可能性はサマービルも承知していた。それに関する論文も見た事はある。
しかしながら驚いたのは、日本軍は既にそれを実用化したと言う事だった。
しかも、同盟国とは言え、他国の軍人にその機械を見せている事に衝撃を覚える。
平時である以上、ある程度技術的な優位を確立している自信が無ければそう簡単に出来る事ではない。
「これがあれば、艦隊に対する奇襲は事実上不可能だ。しかし、どうしてこれを我々に見せるのかな。今の所このような装置はわが国にもない。黙っていればその優位は動かないのではないか?」
サマービルは気を取り直して、直接疑問に切り込んだ。
松田は困惑したような顔を向けるだけで、救いを求めるように周りを見渡す。
彼は技官であるから、そのような戦略的な質問に答えられる筈も無かった。

95shin:2006/11/28(火) 12:59:39
「それには、小職がお答えいたします。」
「君は・・・」
確か、統合作戦本部から派遣されている連絡副官と言う説明だった筈だが、名前が思い出せない。
「統合作戦本部作戦部の富岡です。今回の新兵装の説明の為に派遣されております。」
サマービルは頷く。それはそうであろう。同盟国とは言え他国に機密兵装を開示する以上、そのような人物がいない訳は無い。
「仰るとおり、電波探知機は画期的な装置です。しかしながら、このような電子兵装はここ2、3年の間に、列強各国で実用化されるものと思われます。基本的な理論は提督もご存知でしたように、既に既知の情報でしかありません。わが国はこれをいち早く実用化したに過ぎません。」
「それはそうだが、ここでのアドバンテージは大きい。悪いが、私が貴国の将官ならば、絶対に同盟国と言えども開示するような情報ではないがな。」
「そうとも言えるでしょうが、そうでないとも言えます。確かに、電探は画期的な技術ですが、全く新しい索敵手段であるだけに、その運用方法について問題があるのです。」
「それは?」
中々面白い展開になって来たと思いながら、サマービルは先を促す。
「今は帝国が技術的な優位を確保していますが、直に列強各国が実用化するでしょう。問題はその時の使い方です。ご存知のように電波は直進しますから、その電波を感知する装置を作れば、電探を使用している艦隊は、電探を使用していない艦隊よりもいち早く発見が可能となります。」
「しかしそれなら、電波警戒艦でも作り、艦隊から切り離して運用すれば対応できるだろう。」
斥候が、本隊の安全を確保するのは常識に近い。
「ええ、実際、現在航空機への搭載が可能な電探を製作中です。更に、大型の航空機を利用した、艦隊及び航空機の全体管制も検討中です。」
なるほど。ここの設備はそのプロトタイプでもある訳だ。
サマービルは改めて室内を見回す。
確かに、個艦の探索用の電子装備とは思えない程の機材が用意されている。
それに、あの中央のプロットボードとでも言うのか、あれがあれば便利そうだな。

96shin:2006/11/28(火) 13:00:18
「ええ、お気づきのように、ここの装備はその実験施設でもあります。そして、それが問題なのです。」
ここまでは、理解できたが、何が問題なのかはさっぱり判らない。
よくもまあ、東洋の小国がここまでのものを作り上げたものだと、改めて感心してしまう。
「恥ずかしながら、運用方法が確立できないのです。」
富岡は明らかに悔しそうに、その言葉を吐く。
「既に、我が軍は、この設備を近衛兵団に所属する艦船に装備し、各種演習を実施しました。」
「多数の航空機の同時攻撃や、仮想敵艦隊との遭遇戦、戦略的な奇襲攻撃での運用等も試しております。」
富岡の声は更に暗くなってくる。
「相手がある程度、予想通りの動きをしている間は問題ありません。何とか対応できます。しかし、その予想が外れだすと、まず電探と通信の操作員が壊れだします。そして、このプロットボード上に大量の情報があふれ出し、満足な指揮が不可能となります。どこかに、否やり方に何か間違いがあるのです。基本的なコンセプトは正しいと考えています。情報を一元管理し、必要な所に必要な敵情報を伝え、局所的な数の優位を確立する。これが上手く行くならば、彼我の戦力差が倍でも対応可能な筈です。考えても見てください。敵戦艦が迫ってくる時に、ベストのタイミングで一個戦隊の水雷戦隊を敵艦の両弦に移動できたならば、どれ程の事が出来るか。」
吉岡はそこまでまくし立てると、肩で息を吐く。
流石に、サマービルも呆れて何も言えない。
「し、失礼。興奮してしまいました。要は、攻勢勢力の情報収集の手段と分析方法は確立できたのですが、それに対する対応手法で行き詰ってしまったのです。」
サマービルは考え込む。
要は、左舷と右舷からの同時攻撃に対して、どちらを優先するかの判断をどのようにして付けるかと言う事か。
確かに、このようなシステムを構築すれば、攻勢勢力の情報は膨大なものとなるのは仕方ない。情報量が増えればそれだけ精度は上がるが、それ故対応が困難になると言うことかな。
まだ、はっきりとはしないが、サマービルにも問題点がおぼろげながら理解できたようだった。

97shin:2006/11/28(火) 13:01:00
「それで、どうしてこれを我々に見せる。」
このシステムの問題点も理解できた点は非常に有益な情報であり、むしろ、今後英国海軍が同様なシステムを構築するときに大いに参考になる。
「端的に言うならば、「助けてください」と言うことになるのでしょう。」
サマービルは目を剥いた。
「既に、2年以上にわたり、我々はこのコンセプトを検討してき、そしてこの半年は各種演習を繰り返しました。実際の艦隊を用いた演習すら実施しております。それでも効果的な手法が確立できないのです。ここに来て完全な手詰まりに陥っていると言えるでしょう。」
吉岡は改めて、室内を見回す。
「これだけのシステムを構築しましたが、このままでは時期尚早と言う事で、これよりも簡素なシステムが全艦隊に導入される事になります。まあ、廃棄されるならば同盟国の英国海軍に協力をお願いするのも悪くはないとの意見がまとまりました。」
おいおい、そこまで実情を話してよいのか。
サマービルは逆に心配になるほど吉岡の口調はあけすけだった。
「言い方を変えますと、わが国では本管制システムは当面の間採用されません。しかしながら、列強各国が同様のシステムを完成させる可能性はあります。その時に備えて、同盟国にこれまでのノウハウを提供し、共同で完成させたいとのお願いであります。」
それならば、納得出来る。
「小閑の一存で決定できる事ではないが、出来る限りの協力はさせて頂く。」
「ハッ、ありがとうございます。」
艦内であるにも係わらず、吉岡は綺麗な敬礼を決めていた。

この後、サマービル少将の尽力もあり、多くの英国士官、技官がインド洋まで派遣されることとなった。そして彼らは帝国の電子技術のレベルの高さに一応に驚愕する。
しかし、その後は転んでも英国人である。第一水雷戦隊を基幹とする部隊に対して、インド近辺に展開する航空部隊、艦隊を動員して、管制システムの有用性と問題点を自分のものとして行くのだった。
そして三ヵ月後、総研が待ち望んでいた要求が英国政府から届いた。
電探を含む電子兵装の有償供給の依頼と、その他兵装開発に関する共同研究の提案だった。

98shin:2006/11/28(火) 13:01:51
1936年2月、山口多門大将(役務)が大英帝国派遣艦隊司令長官としてインド洋にて英国派遣戦隊と合流したのは、この提案の結果だった。
大英帝国との数度の交渉を経て、帝国は英国向けの大規模な輸送船団を組織した。大型輸送艦4隻に油槽船2隻、航空機運送艦1隻、特別工作艦1隻、そして護衛と称して一個駆逐艦隊まで含めた船団である。欧州にて行われた先の大戦時の輸送船団と比べれば、それ程大きなものではないが、全艦が1万トン以上の大型艦であり、15ノット以上の巡航が可能な艦隊随伴可能な艦艇であることが、特異な船団だった。そして、これらの艦艇そのものも、帝国の所持する新兵装の一つだった。
 輸送船団は、日商グループに属する日商輸送の艦艇がその殆どを占めていた。総研高畑は、新生鈴木商店として旧鈴木商店系列の多くの企業を再び日商グループに取り込んだが、船舶輸送に従事する多くの商船を買い戻すことは行わなかった。帝国の造船産業の底上げと景気浮揚対策の一環としての大量の新規船舶の建造、他の財閥に対するこれ以上の脅威を与えない等様々な理由があったが、それが結果的に新たな高速輸送船団の建造へと結びついていた。高畑ら総研のメンバーが「のと」情報を分析し得た知識は、たった5年で、それを可能とするだけの資金力と技術力を帝国にもたらしていた。

99shin:2006/11/28(火) 13:02:31
「Japan Imperial Forceとの合同が完了しました。」
「ご苦労、日本帝国総軍派遣司令官宛に連絡、乗艦の許可を願うと」
軽巡ドーセット艦橋で船団の後方に位置する軽巡最上を双眼鏡で見つめていた英国派遣艦隊司令官であるサマービル少将は、逸る気持ちを隠しながら、命令を下した。
昨年の日本帝国の突然の情報開示以来、どういう訳か日本担当にされてしまったサマービルは、期待を込めて帝国の新鋭軽巡洋艦に再び視線を向けた。
日本側からは、今回の船団には現在開発中の各種新兵装の内、開示できるものは全て積み込まれていると連絡を受けていた。二週間ほどであったが、インド洋派遣戦隊旗艦阿武隈の管制室での体験が、サマービルの帝国海軍(日本ではこうは言わなくなっているそうであるが、彼にとり海軍は海軍だった。) に対する認識を、大きく変えていた。
どうやら彼らは真剣に、国土の防衛を戦艦と言う武装に頼らないで行おうとしており、そのため、新たな兵器体系の構築に邁進していたようである。彼らなりの理論体系を構築し、それに応じた兵装を開発、そしてその運用方法の研究を重ねてき、そのプロトタイプとでも言うべきものが、自分の目の前にある訳である。
しかしまあ、大胆な事を考えるものだ・・・
何度思い返してみても、彼らの戦略の大胆さには驚嘆する。否、あきれ返るとしか言いようがない。彼らは自らが列強諸国との艦建建造競争に勝てないと悟ると、それをあっさりと放棄した。最も、彼らに言わすと、「昭和維新」と言う革命に等しい政変を経た結論だそうだが、それでも一発の銃弾も飛んでいない。そして、彼らが選択したのは英国追従政策だった。それも生半可なものではない。自らが保持する軍事力の提供まで含む徹底したものである。しかも、一旦放棄された英日同盟に代わるものとして、完全な防御協定である英日安全保障条約を締結した上である。この英日安保には、日本が他国に対して戦闘を開始したとしても、英国に対しては何ら義務が発生するものではない。中立さえ守る必要のない協定だった。日英両国に対して他国が攻勢を開始して初めてその防衛に協力すると言う内容は、日本が英国の援助を望むならば、決して他国に戦争を仕掛ける事が出来ない。いわば外交上の権限である、ある程度の軍事恫喝すら出来ないように規制するものでもあった。

100shin:2006/11/28(火) 13:03:52
第一次世界大戦前後から、アジアにおける軍事プレゼンスを拡大させていた大日本帝国が、自ら英米の傘下に入ると表明するに近い条約の提案に、両国は驚いた。ちなみに、日英安保の当初の提案は、米国も含む三カ国での安全保障条約の提案だった。米国は国内のモンロー主義の影響で、条約締結までは至らなかったが、英日の条約締結には好意的に評価していた。
 そして、締結から五年、昨年の条約延長に伴い、日本は次の一手を打ってきたのだった。五年の間に日本が開発した、新たな軍事ドクトリンによる一部兵装の開示がそれだった。
英国内でも、締結当初は疑心暗鬼と、ある程度の軍事大国に対する遠慮も働いていたが、五年もすると、軍内部でも日本軍の存在をさも当然とする雰囲気が形成され始めていた。確かに、アジア地域での英国艦船の数はめっきりと減ってしまっている。しかしながらそれを埋めるように日本海軍の駆逐艦や軽巡がその任務を忠実にこなすようになっていた。しかもこれらの艦船の指揮権は英国海軍にあり、それはあたかも陸軍のグルカ兵と同様の扱いになるのも当然だった。それに更に輪を掛けるのが、日本の経済好況だった。英国植民地との交易により、日本は未曾有の経済成長に突入していた。それ故、日本帝国軍の奉仕はその見返りと受け取られても仕方のない状況だった。
それを変えたのが、昨年の電探配備の艦船の開示だった。それは単に、英国や他の列強諸国よりいち早く新兵器を開発したと言う事ではなかった。そこには電探の開発に至る日本の新しい軍事ドクトリンが存在した。そう、電探が出来たから配備したのではなく、彼らは電探のような兵装が必要だからそれを開発したのだった。
サマービル少将はそれを理解したからこそ、軍内部のみならず、政府にも働きかけ、電探兵装の供給だけではなく、共同研究の提案まで持って言ったのである。

101shin:2006/11/28(火) 13:04:41
サマービルが双眼鏡を通して眺めている軽巡は、昨年7月に竣工したばかりの新鋭艦「最上」だった。昨年乗艦した阿賀野と違い、最上は日本軍の新たな軍事ドクトリンに則り建造された艦である筈である。その証拠に、阿賀野で感じた後部の管制室の張り出しのような違和感は、感じない。それでも、艦橋基部の膨らみが少し大きいように思える。三連装4基12門の主砲が前後に二基ずつ配置されたレイアウトはオーソドックスとも思えるが、その代わりハリネズミのように装備された20ミリ程度の機銃の多さは少し異様とも言える。
 艦橋と後部第三砲塔の間には、航空機の格納庫だろうか、四角い箱型の設備で覆われていた。主砲の俯角も大きく取られており、それが対空火器も兼ねている事をうかがわせる。そして何よりも、艦橋の上部の左右に張り出す測量儀の辺りに取り付けられた長方形の二枚の羽のように見えるアンテナがこれまでの艦船とのイメージを大きく変えている。
「発JIN、宛本艦サマービル少将、師匠との会合は我が艦隊の誉れである。謹んで本艦へご招待申し上げます。JIA山口大将(役務)」
「よし、行こう。」
サマービルは引率して艦橋を後にした。


登舷礼に迎えられ、サマービルは大英帝国派遣艦隊司令長官山口多門大将(役務)と向かい合う。お互いの幕僚の紹介が済むと、案内されるまま艦内に入る。
「後で、艦内の案内をさせて下さい。」
山口大将はニコニコしながらサマービルを先導する。
いくら他国の将官と言え、自分より階級が上であるだけに、やり難い。
しかし、山口本人はそんな事気にもしておらず、むしろこちらの方が上官であるような対応してくる。
まあ、役務と言う事か・・・
年齢的には、自分の方が10歳年上であり、山口も英国海軍の基準で言えば、良くて少将だろう。それが日本軍の役務制度と言う方式の導入により、派遣艦隊司令となると中将か大将の役付きが必要とすれば、一時的に階級が上がる。結果、山口少将は、英国派遣艦隊司令長官である間は、大将扱いされる事となる。
やりにくいのは、山口の方も一緒かな・・・
そんな事を考えながら、艦内の中央部に位置する会議室らしい部屋に案内された。
サマービル以下英国仕官三名が腰を下ろすと、向かい合う形で、山口と他の二名の日本人仕官も席に付く。
口火を切ったのは山口の右側に腰を下ろした将官だった。
「統合作戦本部より派遣されました、派遣艦隊付き補佐官梅津です。今回の艦隊の概要に関して説明させていただきます。」

102shin:2006/11/28(火) 13:06:27
その名前を聞いて、サマービルの眉が僅かに動く。
英国側も派遣艦隊の内訳が送付されて来た時点で、それぞれの派遣将官、仕官の経歴は調べていた。そして、その中でこの補佐官(Advisory Officer)に関しては俄然注目が集まった人物である。日本で昭和維新と称する政変に深く関わっている陸軍将校であり、かなりのキーパーソンと目されていた。日本がそのような人物を派遣艦隊に組み入れている事が、更にこの艦隊の重要性を保証しているようなものだった。
「本派遣船団は、こちらの山口大将を司令官とする大英帝国派遣艦隊として、組織されております。含まれる艦船は、戦闘艦12隻、大型輸送艦4隻、油槽船2隻、航空機運送艦1隻、特別工作艦1隻となっています。」
「失礼、戦闘艦の内訳は?」
隣の参謀がすかさず質問する。
目の前には一個駆逐艦隊の9隻しか到着していない。ここに現れていない艦艇があるとは聞いていなかった。
「失礼しました。戦闘艦の内、駆逐艦隊以外は、3隻の潜水艦からなる小隊です。但しこの小隊は、この先喜望峰までは同行しますが、英国には向かいません。本船団は秘匿性の為、スエズ運河は通りませんから、アフリカ南端までの前方警戒と途中の船団護衛訓練の為に同行しております。現在は艦隊から50海里離れた海域で周辺哨戒を実施しております。」
日本側のもう一人の出席者、神重徳少将(役務)がすかさず答える。
「艦艇の配置は後で、集中管制室にてご確認下さい。今は、とりあえず梅津からの概要をお聞き下さい。」
まだ何か質問したげだった参謀も、山口大将にこう言われては黙り込むしかない。
梅津は、山口に目礼すると続ける。
「これが、今回大英帝国との運用戦術の共同研究を実施する部隊のプロトタイプです。実戦時には、航空輸送艦は、正規空母もしくは、航空輸送艦を改装し着艦機能を付加した護衛型空母2隻に代わります。また、大型輸送船は、1部隊8隻を想定しており、一隻辺り2000名の兵員とその必要装備を搭載しますので、これでほぼ師団規模の部隊の運用が可能となります。」
梅津はその言葉が理解されるのを待つように、一拍置く。
「既に、サマービル少将には、昨年富岡から説明をさせて頂きましたが、本浸透部隊の戦術は、先の大戦にて生じた前線、所謂戦線の膠着により発生する塹壕戦への対応方法として我が国の旧陸軍にて編み出された、浸透突破戦術を基本としております。敵の強固な塹壕に対する正面攻勢を行うのではなく、彼我の機動力の差を生かし、迂回戦術の実施、このことが基本戦術となっております。」
流石に、陸軍出身の将官だけに、はっきりとそのコンセプトを説明してくる。
昨年富岡と話した時は、あくまでも海軍の戦術と言う意識がまだ垣間見えていたものだった。
「帝国総軍としては、このような浸透部隊を最低3個、出来れば5個部隊の編成を目指しております。基本的な戦術は、他国との戦争状態が発生した場合、敵地に対する三箇所の同時侵攻を実施し、敵の攻勢勢力を拘束、この間に残り2個部隊が、敵策源地を攻略、まあ可能ならば、敵の首都となりますが。速やかに敵首脳陣を拘束し、停戦を迫り、終戦に持ち込みます。とにかく作戦地域までの部隊の秘匿と、急速展開時の機動力が全ての鍵となります。」
「そんなに上手く運ぶかな。」
なるほど、短期決戦にてけりをつけようとすれば戦術的には正しい。敵の弱い所を突く戦術は今に始まった事ではない。ただ、本当に敵の弱い所を攻撃出来るのか、首都攻撃は可能なのか等疑問が山積みである。
「ええ、我々もそれは危惧しております。ただこれはあくまでも基本コンセプトですので、実際にはそこまでの短期決戦が可能な戦争はまず起こりえないでしょう。実際にはこのような機動部隊、我々は機動旅団と名づけておりますが、これを用いて、敵の兵力を逐次削減して行く事となるものと思われます。」

103shin:2006/11/28(火) 13:07:16
それならば、非常に納得の出来る話である。艦船と陸戦部隊の組み合わせにより、兵力の展開についての自由度は飛躍的に増大すると言う事は、海軍軍人であるサマービルにも納得できた。
「一応、その為に必要と思われる電探利用の敵地での探索機能の開発、機動力向上の為の各種戦闘車両の整備開発、制空権確保の為の航空機、対空兵装の開発などを鋭意進めておりますが、この面でも研究課題が山積みしているのが現実です。」
「なるほど、それで共同開発かな。」
「ええ、確かに各種兵器そのものの研究も課題としてありますが、やはり補給とその運用の問題が一番の課題です。」
「補給?」
サマービルは怪訝そうな顔で聞きかえす。
「ええ、我々は補給に関する輸送全般の運用を、ロジスティクと呼んでいます。要は、兵は師団単位でも運用可能なのですが、それに対応する補給物資の増加が問題となっています。ご存知のように先の大戦以降、軍の消費する物資は増加の一途です。特に機動用兵を考慮した場合、兵を輸送するトラックに始まり、大型化する各種砲兵器から戦車までの輸送、そしてそれらを維持するための段列から燃料等の輸送、これらの物流の増加は並大抵のものではありません。そして、これらの物流は今後新たな兵装の開発に伴い、更に増加するものと思われます。」
確かに、一人の兵隊が消費する物資は増加の一途をたどっている。
サマービルも、この話が何処に向かっているのかが、段々理解出来てきた。
「なるほど・・・」
「そうです。問題は常に運用です。連隊規模ならば、物資輸送、いわゆるロジスティックは何とか維持出来ます。しかしながら、我々が考えている浸透部隊は最低でも旅団単位での運用が出来なければ意味はありません。連隊ではすり潰されてしまいます。少なくとも旅団、出来れば師団単位での浸透突破が必要なのです。」
やっぱり。
サマービルは妙に納得してしまう。
しかし、日本人と言うのは途方も無いことを考えつくものだ。
部隊に機動力を持たせて、敵陣の後方に展開させる。その為の大型輸送艦の建造と、各種機動兵器の開発、ある程度の補給物資も一括して機動力を持たせてしまおうと言う事だった。
流石に海洋国家らしい陸軍の使い方ではあるが、発想は、非常に大胆であり、また恐ろしいものであった。
昨年の電子兵装の時も、日本人は精緻なシステムを作り上げていた。しかしながら、それを動かしてみると、上手くいかず、英国に助けを求めてきた。
結局あれも、途中の階層での取りまとめを行う仕組みを確立する事で対応できたのだが、どうも彼らはそのような応用技に対しては弱いようだった。
とことん突き詰める事は凄いのだが、そこでの結果に対して思考が硬直してしまう傾向があるらしい。
「なるほどね、昨年のレーダー管制と同様の問題があるのだな。」
梅津が、いかにも我が意を得たりと言う顔を向けてくる。
「昨年お会い頂いた富岡からも、提督が素晴らしい洞察力をお持ちだと伺っておりました。確かに、陸戦は陸軍の担当でしょうが、何卒ご助力お願いいたします。」
 それで、私か・・・
 そう言えば、ラムゼイ提督が、日本側が喜んでいたと言っていたが、そういう訳か。
しかし、俺は海軍軍人だぞ・・・
陸軍の連中に、このコンセプトを理解させなければならないのは、俺なのか・・・
サマービルは一人ため息を吐くしかなかった。

104shin:2006/11/28(火) 13:07:48
合流を果たした日英合同艦隊は、進路をチャゴス諸島に向けた。
「のと」資料では第二次大戦後、チャゴス諸島の最南端のディエゴガルシアが、米国のインド洋の最重要拠点として利用される事となっていたが、現在はまだ何も無い数千人の住民が暮らしている南洋の島々である。
ただ、英国政府もインド情勢の不安定化に伴い、非常時の一時寄港地としての役割と、インド洋全域を哨戒域とすることが出来る戦略的な位置を理解しており、徐々に整備を進めようとしていた。

「ええか、帝国軍の精強さをエゲレスの軍人さんにたっぷりと見せるんやでぇ!」
松田大佐は、作戦室に集合した小隊長以上の士官、下士官達の前で大声を張り上げる。
「了解しましたア!」
負けじと集まった士官・下士官達から大声が帰る。
「帝国軍は誰にも負けん!」
「帝国軍は、誰にも負けん!」
「我々は必ず勝つ!」
「我々は必ず勝つ!」
「邪魔するやつはなぎ倒せ!」
「邪魔するやつは、なぎ倒せ!」
「帝国軍は、世界一!」
「帝国軍は、世界一―おぉっ!」
全員の雄たけびに、似た歓声が、作戦室内に響き渡る。
「それでは、かかれ!」
号令一下、全員が駆け足で、会議室を飛び出して行く。

「今のが、新しい号令の掛け方なのか?」
目の前を駈け抜けて行く将兵を呆れたように、見つめながら梅津は松田に聞いた。
「ええ、なれるまで大変でしたが、なかなか面白いですよ。まあ、若いやつには結構受けは良いですね。」
梅津は、疲れたように、首を振る。
「私には到底ついて行けんな、いやはや・・・」
陸海軍の統合が行われたからといって、両者が突然仲良くなる訳でもない。このため、総研主導で、用語の統一から始まり、教育・訓練制度の統一等様々な試みがなされた。号令の掛け方にしてもそうである。たまたま、「のと」資料から、DVDとか言う映像資料を見つけた輩がいて、その中に、米軍を題材にした映画があった。新兵の教育から気合の入れ方に至るまで懇切丁寧に実施されているのを見て、気に入ってしまった誰かが、これをそのまま総軍の教育に取り入れようと画策したのだった。
全く、井上のやつ、年甲斐もなく、楽しみやがって・・・
絶対に、陸軍の発想じゃない、いいや、断じて違う・・・
梅津は首を振りながら、作戦室を後にした。

105shin:2006/11/28(火) 13:08:29
梅津を含む日英将官は、予定海域に達するや、旗艦最上からこの輸送艦稲取に移ってきていた。
帝国は、英国との共同研究の実施に当って、単に単体としての兵装の研究開発だけではなく、その運用についての研究を希望していた。そのため、今回の英国派遣艦隊には、英国政府に開示する各種兵装を搭載しているだけではなく、それを使いこなす兵員も乗船していた。
 そう、現在編成中の近衛第一機動兵団、第一旅団がそのまま運ばれて来ていた。と言うより英国に対する新兵装のデモンストレーションに第一旅団が借り出されたと言う方が正しかった。
彼らはこれから、英領チャゴス諸島に対する敵前上陸及び橋頭堡の構築を実施する訳である。

 
「ほう、これが新しい上陸用の艦艇かね。」
後部デッキを望む通路の一角に立ち、英国少将サマービルは梅津に尋ねた。
今回の演習を観戦するならば、上陸作戦指揮艦である稲取の方が良いと言う梅津のアドバイスに従い、早朝から彼らもこちらに移ってきていた。
目の前では、完全武装の兵員たちが、四角い箱のような小型船舶に順番に乗船していく。
「ええ、大発と呼んでいますが、上陸作戦に特化した舟艇です。舟艇は一艦に全部で36隻が搭載されており、一度に一個大隊まで揚陸可能です。4隻の輸送艦で、一挙に一個連隊の揚陸を想定しております。」
「それは・・・凄いな・・・」
なるほど、一個連隊を一度に揚陸されられるのなら、そのインパクトは大きい。しかも上陸場所が地形等の障害を勘案しても、相手が予期していない場所ならばかなりの成果が期待できる事も判る。

106shin:2006/11/28(火) 13:09:09
「始まります。」
輸送艦の船尾部分が上下に開いて行く。扉が十分に開ききらないうちから、最初の大発が、傾斜した船底を擦るようにしながら、艦尾から海面に落ちて行く。
 すぐさまエンジンが掛けられ、大発は、くぐもった音と煤煙を撒き散らしながら、輸送艦から離れて行く。
一台が海面に放たれると、後は流れ作業だった。手際良く、艦尾に移動させられた大発が次々に海面に浮かび上がらせられる。
 相当訓練を積んでいるのだろう、全部で36隻の大発が海上に集結するまで、2時間程だった。
サマービルは、船内から見晴らしの良いデッキに向かう。
「ほおっ、中々の眺めだね。」
四隻の輸送艦が一斉に艦尾から大発を吐き出しながら、展開しているのである。
目の前には四列に並んだ多数の上陸用舟艇が水平線のかなたまで続いていた。
「今回が、初めての連隊規模での上陸演習です。ここまでは特に大きな問題も無く展開出来たようです。時間は?」
「2時間8分です。」
梅津の横にいる士官が素早く答える。
「黎明の内に、上陸想定地点近海まで接近し、二時間で上陸部隊を展開します。そして、夜明けと共に、一斉に上陸となります。ここまでは、個艦単位での演習で、大きな問題は発生していません。上陸部隊の規模が大きくなりますと、問題となるのは、この先の混乱です。」
梅津はサマービルにそう説明し、士官に指図する。
「上陸開始!」
海岸に近い方に並んでいる一列が一斉に陸に向かって動き始める。
その速度は4ノットぐらいであろうか、それ程速いものではない。
「大発そのものの速度はまだ上げられるのですが、統制が出来なくなるので、現状ではこれが精一杯のスピードです。」
サマービルが速度の遅さに気づいた時点で、すかさず梅津が説明する。
「それだと、陸側からの反撃がある場合は、大変な事にならないかね。」
「ええ、仰る通りです。反撃の規模にもよりますが、過去の演習では、海岸までたどり着けたのが半分にも満たなかったケースもあります。」
それでは、役にたたないのでは・・・
「いや、勿論その対応の為に、軽巡、駆逐艦はこのようにギリギリまで海岸に近づき、大発が着上陸するまでの間、海岸線の防御陣地に対して砲撃を継続します。また、空母からは艦上攻撃機を展開させ、射点に対する爆撃を実施し、敵からの反撃を最低限に押さえ込みます。」
「それでは、我々も行きましょうか。」
サマービルが頷くと、全員が用意された舟艇に乗り移り、海岸を目指した。

107shin:2006/11/28(火) 13:09:51
多くの大発を追い抜き、海岸にたどり着くと、既に先頭の大発は兵員を下ろし、後退に入っていた。
「ここからが、一番難しい点です。」
梅津が後退して行く大発を指差しながら、続ける。
「第一陣となる大発は、素早く後退し、後塵に対して場所を空ける必要があります。後続の大発を避けながら、後退し二次補給品を積み込みに戻ります。」
「そこで渋滞が発生する訳だな。」
「ハイ、そうなります。」
実際、狭い地域への上陸を指定された部隊(渋滞を作り出す為に、わざわざそうされていた訳だが)では、既に混乱が始まっていた。
上陸予定地点に向かっていた大発が前の大発を避ける為に、左右に展開し始めている。そして、
本来ならば、大回りして輸送艦に戻るべき大発の進路まで塞ぐようになっていた。
「実戦では、更にこれに、大破した大発等も加わり、混乱は更に拡大します。」
一行の目の前で、一隻の大発が海岸に突っ込んで来る。大発の正面が開き、兵士達が手にした機銃を乱射しながら駆け抜けてゆく。演習なので、そこここに、統制官が配置されており、彼らは一定のルールで兵士たちに駆け寄り、判定を下してゆく。
 見る見る海岸には、その場で座り込む兵隊が増えて行く。勿論、全て空砲である為、死傷者は出ていないが、実戦ならば、彼らはその死傷者の一人となるのである。
「ここでは敵の機銃座が二基残っていたと言う設定です。それだけで上陸時の死傷者はこのように増大します。基本的に、上陸第一陣はどれだけ火力を集中しようとも、ある程度の被害が発生するのは防げません。」
「うーむ・・・」
サマービルは説明を聞きながら黙り込むしかなかった。
確かに、先の大戦での上陸作戦時の死傷者の数の多さは彼も知っていたが、その当時よりも更に進化した武装による正面攻勢での死傷者を考えると、言葉を失う。
更に新たな大発が岸に乗り上げ、今度は戦車を吐き出す。
戦車が、空砲ではあるが、二度、三度と発砲すると、機銃座が沈黙し、兵士は戦車と一緒に内陸部へと展開して行く。
「我々が想定しているのは、あくまでも敵が上陸を想定していない海岸への展開です。ですから、被害はある程度抑えられる事を期待していますが、現実には強襲上陸も起こりうるでしょう。」
「その場合は悲惨でしょうね。しかし、このやり方で行うならば、部隊規模を拡大すれば対応できないことは無いですね。」
上陸地点で待ち受けていた、英国陸軍の将校が始めて口を挟んだ。
彼らは、サマービルらと違い、陸側から観戦する為、予めチャゴス諸島で待ち受けていたのだった。
「ええ確かに、しかし、最初に投入される部隊はひどい事になるので、出来れば避けたい。」
「一時的な制海権、制空権を維持して、一挙に大軍を流し込むしかないか。時間との競争になるな。」
その将官は、演習を眺めながら、問題点を的確に指摘する。

108shin:2006/11/28(火) 13:10:43
「ええ、おっしゃる通りです。少将?」
梅津が突然口を挟んできた将校に、怪訝そうに問う。
「これは失礼、英国陸軍のカニンガムです。」
慌てて、その将官は敬礼する。
そこで待ち受けていた将官も含め、お互い同士の挨拶が済むと、再び全員が上陸演習に目を向ける。
「しかし、これは非常に面白い。わが国もこのような部隊が必要だな。」
英国将官が、目の前で展開される演習に感心したように言う。
「ええ、まだまだ解決すべき問題は色々ありますが、是非とも英国にも同様の部隊を配備して頂きたいものです。」
梅津が探るように答えた。
将官は怪訝そうに彼の顔を見る。
「しかし、ここまでさらけ出す理由は何なんだ。いや、こんな事は我々軍人が言うことではないであろうが、大日本帝国は何を考えているのか。」
「一言で言えば、予算の問題です。」
全員が怪訝そうな顔を向ける。
「お判りになりませんか、戦車、航空機、輸送艦、大発、そして個々の兵士の兵装、全て金が掛かります。」
梅津は海岸を指差す。
「これらの配備にはそれ相応の予算が組める国力が必要となるのはお判りでしょう。帝国は残念ながら貧乏です。ここまで兵装を整えるだけでも師団や戦艦の保有を削減してようやく可能になったと言うところですか。」
梅津は流石に表情を変えないが、他の帝国将校は一様に、悔しそうな表情を隠せない。
「輸送艦にしても、通常は輸送船として使えるように仕様を決めて初めて数を揃えるのがやっとです。」
確かに、最新式の兵装に換装するとなると、予算がいくらあっても足りるものではないのは英国将校団にも理解できた。
「帝国が英国との各種兵装を共有化できれば、この状況は大いに改善されるでしょう。」
「なるほど、数を揃えれば、単価は下がるな。」
「ええ、それに開発期間や、製造期間も短縮出来ます。米国の自動車生産と同じ方法です。」
「量産効果と言うのかな。確かにそれはわが国にもメリットはあるな。」
カニンガム少将は、理解したように頷く。
「しかし、それでも最初の疑問の半分も答えていないのではないかな。」
カニンガムは探るように梅津を見る。
流石に英国の支配階級出身の将官だけあって、それ位ではだまされんぞと目が言っていた。
「確かに、これは理由の半分ですね。」
梅津も苦笑いしながら返す。
どうも、総研として動くようになってから、自分も人が悪くなる一方のような気がする。
「一番の理由は、話さなくてもご存知でしょう。」

109shin:2006/11/28(火) 13:11:26
「どこと戦うのかね。」
居合わせた全員が息を呑んだ。
カニンガムは全員が、薄々気付いているが、それでも誰も口にしない疑問をあっさりと口にしたのだった。
先の大戦からの戦訓を取り入れて開発されつつある各種装備、それを日本が同盟国に内情をさらけ出してでも早急に実戦配備しようとしている。その理由を考えれば、それは戦争準備以外の何者でもなかった。
「多分欧州でしょうね。」
梅津もさらりと口にする。
カニンガムは驚いたように繭を吊り上げる。
「北の熊とお思いでしたか?」
それはそうであろう。
大日本帝国はアジアの強国であり、欧州各国との地域的な利害は少ない。むしろ、国境を接していると言えば、ソ連であり、太平洋を挟んだ米国、そして欧州列強の植民地であるアジア諸国と考えるのが普通である。
 日本が大英帝国と事を構える気が無いのは明らかである以上、欧州各国の植民地における戦闘は自殺行為に近い。となると残るはソ連か米国だが、米国との関係は満州地域での市場開放により良好に推移している。勿論英米対立と言う軸で見るならばまた違う見方が無いわけでもなかったが、今の時点で予想できる範囲では戦闘が発生する可能性は低い。
 これに対してソ連は潜在的な脅威としては日本にとって非常に危険な存在である事は間違いなかった。何しろ、両国の間には満州地域と言うたっぷりと蜜のかかったおいしそうなケーキが横たわっているのである。ソ連が手を伸ばしたくなる理由は十分すぎる程あった。
「かの国との紛争ならば、帝国と満州地区の武装監視団、まあこれは中国軍そのものですが、で何とかなります。いや、何とかします。少なくとも帝国がソ連に攻め込むつもりも無いですし、なんと言っても防御戦闘でしかありません。勿論戦闘は激しいものとなるでしょう。兵力が凄いですからね。」
「それに・・・」
梅津が再び辺りを見渡した。
既に部隊の上陸は、最初の敵前上陸から、後続の部隊の上陸へと移行しつつある。
「このような上陸作戦も可能な部隊が必要とされる戦場でもないでしょう。強固な陣地と、強力な砲火力、これが支配する戦場です。なんと言っても、攻勢に出たくても、補給が続きません。どこまで攻め込めば良いのか判らない戦場にこのような部隊は向きません。」
「勿論、将来帝国が、このような浸透部隊を師団規模で、10個師団も持てばその時は違うでしょうが、そのつもりもありませんし。」
「それで、欧州か。しかし、そうすると、日本帝国のメリットが更に判らなくなる。一体独逸と戦って、帝国にどんな利益があるのかね。」
カニンガムは更に危ない事を平気で口にする。
流石にこれには全員が驚き、ざわめきが広がる。
最も、この島には現在帝国総軍と英国軍しかいないので、防諜上の理由は無いのだが、それでも大胆すぎる発言と言えよう。

110shin:2006/11/28(火) 13:12:01
「確かに、一見すると欧州の戦闘に帝国が参戦する理由は無いように見えますが、果たしてそうでしょうか。」
ここからが、正念場だった。
わざわざインド洋の孤島を選び、帝国総軍の大規模演習までお膳立てを整えて、英国将校団を引っ張り出した理由がこの先の自分の話術にかかっているかと思えば、梅津も思わず脂汗が浮かんでくる。
やっぱり、井上に話さすべきじゃなかったかな・・・
勿論、陸軍将官に納得させる以上自分でなければならないのは梅津も理解はしていた。理解はしているが、なんで俺なんだと思わざるを得ない。
「先の大戦で、一番の利益を得た国がどこかを考えて頂きたい。」
「そう、米国です。そして米国の台頭により、相対的に地位の低下を引き起こしたのが、失礼ながら大英帝国と言えるのではないでしょうか。」
最早、会話の内容は政治に移っている。
「のと」が現れる以前ならば、梅津自身、このような発想は間違い無く出てこなかっただろう。
それを自分が話している事に、何とも言えない皮肉が湧き上がる。
梅津はそんな感情を押さえつけ、話を続ける。
「先の大戦が、不十分な形で終了した結果、現在の欧州情勢を見ていても、再び戦乱が巻き起こる可能性が高いことは、ご理解頂けると思います。」
全員が頷く。
流石に、政治家と違い、軍人は他国の軍の動向を中心に物事を判断する。
独逸がいつ再軍備を始める事になるのかは、全員が固唾を呑んで見守っている事だった。
「結果として再び戦乱が巻き起こったときに、それによって一番の利益を得る国はどこになるとお考えですか。」
「それは、やはり米国であろう。実際戦場から遠く離れており、暫くは欧州各国でお互いが疲弊するまで戦闘を続けさせる。そして最終局面で勝ちそうな国について参戦すれば、利益は莫大なものになろう。」
カニンガムが自分に言い聞かせるように答えた。
「その通りだと我々も考えております。実際に戦闘が始まってしまったら、どちらの陣営も結果が判っていても、その国力を頼りにする以外方法は無いでしょう。」
「確かに、敵に回すと厄介な国だからな・・・」
カニンガムは更に考え込む。

111shin:2006/11/28(火) 13:12:39
「一方帝国は、先の大戦でも英国側に立っていながら、決定的な戦闘に参加する事なく終戦を迎えてしまいました。」
「結果として、最低限の寄与で、アジア各地の権益を得ることは出来ましたが、それでも帝国の根幹とも言える英国の同盟を解消する羽目になっています。」
「しかし、今はこうして・・・」
「ええ、確かに。しかしそれは、非常に危ういところでした。」
梅津は真っ直ぐにカニンガムを見つめた。
一歩間違えば、数年後には目の前の英国将校達と戦う羽目に陥っていたのだ。
それが判っているだけに、梅津も余計真剣にならざるを得ない。
「わが国は、英国との同盟を解消し、全方位外交に移行しようとしました。世界中と仲良くする。それは、非常に聞こえの良い言葉です。だが、現実は違います。誰とも喧嘩しないと言う事は、逆に言えば、誰も助けてくれないと言う事です。」
「世界は、決して仲良しクラブではありません。否が応でも利害が対立する国が現れます。その時、どのように対応するのかが問題です。」
「全方位外交は、孤立政策に陥ると言うことだな。」
「ええ、そうです。大日本帝国は、アジアの列強ではありますが、世界の列強ではないのです。孤立政策が出来る程の国力もありません。一時はこのことを取り違え、後一歩で危険な方向へ向かう所でした。」
カニンガムの瞳が光る。数年前に、何らかの政変で、日本と言う国家が方針を大きく変えた事は彼も知っていた。そして、目の前の将官は、その時の政変の中心にいた人物である。それ故、彼もわざわざインド洋まで派遣されているのだった。
「要はわが国の国力をどのように判断するかの問題でした。列強として独自の政策を打ち出して行けるだけの国力がある国家なのか、そうでないかです。」
「多数意見は、十分な国力があるとみなしたのかな。」
梅津は思わず顔を歪める。
大英帝国も、偉い人物を派遣してきたものである。
流石に、「のと」資料では後の陸軍総長を務めるだけの人物である。
「ええ、残念ながら、おっしゃる通りです。対ロシアとの戦争での勝利、先の大戦での欧米列強の弱体化に、体勢はほぼそちらに傾きました。そしてその結果が、大陸への進出でした。」
これを話すとどうしても苦いものが感じられる。
「のと」資料を分析した後だから、これがどのように愚かな選択かは理解できるが、あれが無ければ、梅津自身も含め、誰も異議を挟むことの無い選択だったのだった。
「中華大陸への進出により、アジア地域での独立勢力の確立、それは十分な国力があるならば、素晴らしい発想だと、多かれ少なかれ、ほぼ全員が考えた事でした。」
「ふむ、非常に興味深い・・・しかし、どうしてそれを諦めたのかな。現実に大日本帝国は、ロシアとの戦争にも勝利しており、列強の一員として遇されていたのではないかな。」
「わが国の中心におられるお方が、唯一異議を唱えられたからです。」
カニンガム以下英国将校団にざわめきが起こる。
君主の一言で、国策が変更されるならば、それはそれで大きな問題を引き起こす事に繋がるのも事実である。

112shin:2006/11/28(火) 13:13:14
「勿論、わが国も立憲君主制を取っていますので、それだけでは国策が変わるものでもありません。」
梅津は慌てて懸念を打ち消す。
「国策の行方に懸念を示されたかの方は、政財界、軍、民間からなる諮問機関の設立を行われました。当時の中堅・若手から選抜された要員から成り立つ総力研究所がそれです。不肖小職も、その一員に任命されたものです。」
「我々に命ぜられたのは、非常に漠然としたものでした。」
梅津はここで言葉を切る。
さあて、どこまで本当らしく見えるか・・・
「将来を占えと言う事でした。」
英国将校団の全員が唖然とした顔を向ける。
「勿論、天星術などの占いではありません。いわば現状分析から将来を予測しろと言うものでした。」
「我々要員は、途方にくれました。将来を予測するなんて出来る筈もありません。結果として編み出したのが、なんと言いましょうか、ロールプレイと言う手法です。」
「それぞれの要員が、可能な限り集めた資料を基に、各国の役割を果たし、政策を実行して行くと言う手法です。勿論、完璧なものではないですから、その結論は毎回違ってきます。唯・・・一つだけ確かな事がありました。」
「現状の中華大陸への進出の結果が、どのような国策を取ろうとも、帝国の衰退を指し示していたのです。そう、誰が帝国を担当しようが、そのプレイヤーは、必ずどこかで他の列強との軋轢に直面します。それはロシアであり、米国であり、時には大英帝国、最悪の想定では全列強との軋轢すら発生しました。」
梅津は黙ったまま、全員を見渡す。
帝国側にも、総研の実際を知らない連中もいる。彼らも唖然として梅津の話に引き込まれていた。
「現状の国力が全ての原因です。要は、この世界で帝国が独自政策を打ち出すには、その規模が十分でないという事でした。」
「それで、英国同盟かな?」
「いえ、事はそう簡単に運びませんでした。」
カニンガムの顔に怪訝そうな顔が浮かぶ。
「一つには、国内の反対勢力の存在、そして、もう一つは米国の存在です。」
「国内の反対勢力に対しては、まあ、あれですが、米国の存在は非常に厄介なファクターとして浮かび上がってきました。」
「ふむ、それは理解できるな。」
「と言うと?」
「そりゃそうだろう、先の大戦でも明らかなように、戦場はユーラシアだ。アメリカは、戦場から遠く離れた後背地として十分な生産拠点の役割を果たせる。ユーラシアのどの国でもそこに攻め込もうと思っても、広大な大洋がそれを阻害する。」
「逆に米国から見れば、ユーラシア大陸での戦乱に乗じるのは容易い。欧州ならば、英国やどこかの国と同盟を結び、そこから攻めあがれる。アジアだと既に彼らはフィリピンを策源地として所有している。」
「おっしゃる通りです。我々の分析でも、米国の存在が全てをぶち壊しました。」
「日英同盟では対抗できないと言うのかな。」
「ええ、まあそれに近いですね。要は米国を同盟に組み込んだとしても、かの国が拡大政策を選択した場合、良くて保護国、最悪の場合、他の列強から攻められて国土は灰になります。勿論、米国が最終的には勝利するでしょうが、その時には、帝国はボロボロになっています。」

113shin:2006/11/28(火) 13:14:05
「地勢上の問題だな。」
「ええ、日本がアジアの端にあり、大洋の向こうには米国が控えていると言う地理上の状況が変わりませんから、どうしてもかの国が拡張政策を取れば真っ先にぶつかります。」
「しかし、それは英国も同様ではないかな。」
「確かにそうです。しかしながら、英国は日本より遙に大国です。それ故、英国がその国力を急激に減少させない限り、条件は違います。」
「あるいは、日本が大国になるかだな。」
「ハイ、しかしその方法としての大陸進出は、早期に潰されます。」
「ふむ、良くそこまで分析したものだな。たいしたものだ。」
「ありがとうございます。」
「で、その結論が欧州での戦乱への早期介入に繋がる訳だな。」
さすがに、切れる。そこまで話してもいないのに、もう結論を言い当てていた。
「そうです。日英同盟の堅持と、欧州での戦乱の早期解決。それも米国が介入する以前に全て終らせる必要があります。」
「ふむ、その先はどうするのかな。」
「それは・・・まだ・・・」
実際には、その先もある程度検討はしているが、まだまだ話せる段階ではない。
「まあ、政治の問題ではあるな。そこから先は・・・」
「で、軍略ではどう考えているのかね。」
「どのタイミングで戦争が勃発するかは判りませんが、その為の準備として、このような軍団の整備を日英主導で実施します。」
ここまで、黙っていた山口が始めて口を挟んだ。
「帝国では、4軍の整備を目指しておりますが、当面の緊急即応部隊としては、二個軍、勿論それ用の輸送艦も同時に整備する予定です。」
「満州地区での停戦監視団で更に一個、ここまでは帝国が独自に整備する軍団と考えております。後は、英国でどの程度の整備が可能かとなります。」
「どの程度を要求するつもりかな。」
「ええ、この先は英国本国に到着してからの相談となるでしょうが、出来れば英国国内で一個、インド方面で一個、そして更にオーストラリア・ニュージーランドでもう一つ、併せて三個軍団の整備が望ましいと考えております。」

114shin:2006/11/28(火) 13:14:38
「全部で六個軍団の整備か、それは凄いな。」
「ハイ、それだけの軍団が用意できれば、緊急対応軍として世界中どこでも2ヶ月以内の対応が可能となります。但し、同時に武器弾薬の集積、最低でも六個軍団が四か月分継続して戦闘できる備蓄も必要となります。」
「損耗率はどの程度、と見ているのかな。」
「人員は月一割、兵装は2割です。」
「妥当な線かな。」
「ええ、そう思いたいのですが、何せ20世紀に入ってからは、消耗率が著しく増加傾向にありますので、もう少し余裕は見ておきたいです。」
「で、本当に日本帝国は、欧州にその部隊を派遣できるのかな。」
「ハイ、動員命令がかかりましたら、そこから2週間で部隊の準備、スエズを通過できれば、40日以内に指定のエリアに部隊を展開する覚悟です。」
「ほお、それは凄いな。」
カニンガムの顔に鋭い笑みが浮かぶ。
「そこまで、英国を信頼できるのかね。」
「いえ、それは違います。」
梅津が再び答える。
「帝国は英国を信頼している訳ではありません。イヤ、勿論信頼はしていますが、どちらかと言えば、失礼ですが貴国にも他の選択肢は無いと考えております。」
カニンガムは怪訝な顔で先を促した。
「帝国が、米国の保護国に堕ちるのを阻止する事は、英国にとっても同様です。勿論英国は簡単には屈服しないでしょうが、長期的には状況は同様に推移するものと考えています。」
「大英帝国も、同様と言うことか。」
「ええ、英国や日本国と米国とでは、国内が戦場になる可能性が全く違いますから。」
「そうか、そうかもしれんな。」
カニンガムは感慨深げに内陸部に侵攻してゆく帝国軍の将兵を眺めながら、頷くのだった。

115shin:2006/11/28(火) 13:15:08
「あそこまで、英国将官に話をして良かったのでしょうか。」
長い上陸演習が終了し、最上に戻ると、神は山口に問いかけた。
「しかたあるまい、我々も含め、軍人は非常に保守的だからな。はっきりと見せてやらねば納得はしないだろう。」
「それは、理解できます。しかし、政治まで含めて話す必要はあるのでしょうか。」
「軍人は政治に口を出すべきではないか。」
「ええ、」
「それは違う。政治に口出しするのは良くないが、政治を知らないのは更に悪い。軍は戦闘に勝てば良いと言うのは、精々下級将校までだ。少なくとも我々将官は軍事と政治の連携を忘れてはいかん。」
「そう言うものでしょうか。」
「ああ、残念ながらね。実際、今回我々は軍として派遣されているが、更に突っ込んだ説明が、ロンドンにおいて、政府高官、経済人に対しても行われているのだよ。」
「エッ、そうなんですか。」
「ああ、井上さんは今、英国にいるはずだ。政財界の要人何人かとね。」
「了解しました。」
神が感銘を受けたように、返事をする。
「おいおい、貴様もいずれはこのような役割を果たす必要があるのだぞ。最早、戦争だけを考えていては、軍人は務まらん。戦闘結果がどのように政治につながるかまで検討できなくては、帝国は生き残れん。」
「は、申し訳ございません。」
神が益々萎縮したように身を固くする。
とは言え、山口自身も素直に納得している訳ではなかった。
ほんの数年前までは、このような世界が来るとは思いもしなかった訳であるが、「のと」資料に目を通して以来、考えは変わらざるを得なかった。
俺も、生意気なことは言えんか・・・
山口は、苦笑を浮かべ、熱帯の夜の闇を見つめるだけだった。

1936年5月、満州地区の大連で、日英共同出資による新しいトラクター工場の起工式が実施された。そして、同タイミングで、オーストラリア・インドでも新しいトラクター工場が設立された事は、殆ど話題に上らなかった。

116shin:2006/12/01(金) 12:24:07
「ルーズベルトが落選したよ。」
「本当か・・・」
高畑にそう言われ、井上は何とも言えない顔を浮かべた。
勿論井上も、その可能性が高い事を知ってはいたが、現実に歴史が大きく変わった事を象徴するような出来事に驚かざるを得なかった。
 米国は1929年の大恐慌以来立ち直れないまま、7年が経過していた。ルーズベルトが大統領となり実施した大規模公共事業は、何らカンフル剤とはならず、それどころか連邦財政を悪化させるだけであった。「のと」資料では本年1936年10月には完成し、選挙戦の目玉となる筈だった、フーバーダムはまだ6割程度の進捗率で、完成は来年以降にずれ込む有様だった。各地で発生する労働争議、所謂ストは益々大きな規模となり、ルーズベルトが打ち出した労働基準法の制定も、逆に労働者の権利を抑制するものと批判すらされるありさまだった。
 総研による米国生産設備の買収と、新たな投資地域として脚光を浴びている満州地区の存在が、連邦政府の景気浮揚策をすべからく無意味なものへと変化させていたのだった。民間の投資家は米国内での新規事業に対する投資よりもハイリターンが見込める満州地区への投資に積極的であり、既存の財閥は争うように新たな市場である中国の生産拠点としての満州で合弁事業を立ち上げていた。
高畑らが主導する総研の政策も巧妙であった。帝国内の既存の財閥を説得し、時にはお上の威光も使い、米国大企業との合弁事業を立ち上げる。そして米国向けの大型輸送船の建造と輸送費の引き下げも行い、米国製品を米国本土よりも遙に安価で生産できる地域として満州を米国財閥に売り込んだのである。
 その結果、例えば最初は日本国内で始められていた帝国フォードによる、部品を輸入し、組み立てるノックダウン方式での乗用車の生産は、あっという間に満州地域に新たに設立された満州フォードに移行していた。そして、その部品ですら米国生産品と同様の品質のものが、本土からの輸入よりも遙に安価で日本で手に入るとなると、部品の殆どの生産は日本に移っていた。それはそうである。米国の工場をそのまま日本に持ってきているのであるから、品質に狂いが生じる事は殆ど無かった。
 表向き、いやその実情も、部品の設計や研究開発機能は米国内にあり、日本の工場は言われるままに部品を製作するだけであり、日本と言う下請けを上手く使い、賢い米国企業が利益を独占していると言う構図が出来上がっていた。
 確かに、満州地区に生産施設を抱える米国企業は軒並み黒字であり、その税収も増加の一途を辿っており連邦政府も何がおかしいのか未だ把握出来ていなかった。
 しかしながら現実には米国内での産業の空洞化が猛烈な勢いで進展しているのだった。そう「のと」資料を縦横無尽に利用した、岸伸介等の若手経済官僚が主導する帝国の経済政策は着実にその成果を上げつつあった。

117shin:2006/12/01(金) 12:24:47
「では、米国大統領は共和党のアルフ・ランドンか。彼に関してはのとの資料でも殆ど触れていない人物だな。」
「ああ、少なくとも選挙方針は「小さな政府」、「古き良きアメリカ」だ。」
「モンロー主義か、これで大戦が起こっても益々アメリカの参戦は遅れるな。」
「いや、そうとも言えないだろう。政策が破綻すれば、それを糊塗する為に海外に目が向くのは誰が大統領になっても同じじゃないか。」
「少なくとも計画に変更は無いな。まあルーズベルトよりはやりやすいか。いや、そうとも言えないな。ランドンに関してのデータが少なすぎるな。」
「そうだな。まあ帝国の政策に変更は無い。この先もどこまでも足掻くしかない。この先の見えない世界でね。」
 既に様々な面で「のと」資料とは違う歴史が展開している事は理解していたが、メインプレイヤーそのものが変わるのはこれが最初の出来事だった。
 二人はその重みを受け止めるように、何時までも無言で佇むのだった。

118shin:2006/12/02(土) 14:17:09
「もうじき、大村第三飛行場です。」
「ああ、ありがとう。」
いつの間にか、狭い後部座席で寝てしまっていたようだ。
旅順で乗り込んだ、新型機の後部座席は狭く、まさか寝られるとは思っていなかったが、相当疲れていたようで、ぐっすりと熟睡してしまったようだった。
時計を見ると、まだ二時間程しか経っていない。
さすがに、新しい飛行機は早い。
たいしたもんだ・・・
緊急の呼び出しに、軍が用意した航空機は、二人乗りの見るからに新しい機体だった。
絞り込んだような胴体から伸びる両翼に付けられた双発のエンジンが如何にも速度の出そうな機体だった。
よほど急いでいたのか、副座の後部座席に高畑が身体を押し込めるや否や、機体は急加速で発進する。
その後も、機体は高速を保ちながら、一路日本を目指して飛行して行く。
「凄い飛行機だね。」
高畑は、大きな声で前の操縦者に話しかけた。
喉のところに付けられたマイクが声を拾うから大きな声を出す必要が無い等と言うのは素人の高畑には判りようも無い。
「ほんま、凄い飛行機でっせ、この新型機は。と言うても、まだ増加試作の段階ですけどね。」
「えっ、そんなに新しいのか。そんな機体に僕みたいな素人が乗って良いのかい?」
「素人と言いはっても、高畑さんと言えば、総研の方でっしゃろ。それもかなり上の。大丈夫なんじゃないですか。」
 大阪弁で話しかけられると、突然、日本に帰ってきたんだなと思ってしまう自分に、高畑は苦笑を浮かべる。
確かに、日商の本社は神戸にあるので、それも仕方ないかなとも思う。
外に出た関西出身者には二通りのタイプがある。
一つは、他の方言と同様に、標準語に切り換える者、そしてもう一つは、頑なに大阪弁で通す者。
この村田と言う大尉も後者の方らしかった。

119shin:2006/12/02(土) 14:18:28
「この先は、お迎えがありますので、驚かんといてください。」
村田大尉が徐々に高度を落としながら、そう話しかけてきた。
すると、それに合わしたかのように、前方上方から、小さな点が二つ迫ってくる。
点と思ったものは、飛行機だった。
先端が尖ったどちらかと言えばスマートな機体が見る見る迫ってくる。
あっという間に大きくなると思うと、そのまま真っ直ぐ突っ込んでくる。
えっ、ぶつかる!
高畑は思わず身を堅くする。
その瞬間、二機の戦闘機は、大きく左右に分かれて、旋回して行く。
「ほんま、あいつら、ここに来る飛行機にはみんなこれをやって、びびらすさかいなあ。」
「何をおっしゃいます、村田大尉、あなたが始めたんでしょう。お帰りなさい。」
突然、耳に着けたイアフォンから誰かの声が聞こえてきた。
「こらっ!坂井、私語は厳禁やぞ、なに言ってんねん。ただいま。」
「お疲れ様です。どうですか、その新型司偵は?」
いつの間にか、左右には二機の飛行機が、並んでいる。
「ああ、中々のもんやぞ。ほんまに早いわ。それに機体自体も素直やしな。」
「へえっ、楽しみですね。おっと、大尉、そろそろ着陸です。先導します。」
「へいへい、宜しゅう。」
並んで飛んでいた二機の戦闘機は、それぞれ前後に動き、高畑の乗る機も含め、一本の線上に並びながら、高度を落として行く。
後部座席なので、前方は見えないが、左右には広大な森が広がっている。
こんなところに飛行場があるのかと、高畑が思っていると、突然周囲からの音が変わった。
えっ、と思い、左右をよく見ると、森がいつの間にか絵になっている。
その絵が流れるように後方に抜けたと思うと、ガクンと言う強い衝撃で、高畑は機が着陸したことを知った。

120shin:2006/12/02(土) 14:19:58
機体は所定の位置まで、自力で走って行くと、すぐさま整備員が駆け寄ってきた。
風防が開けられ、高畑は引き上げられるようになりながらも、機体から地面に降り立った。
まだ地面が揺れているようで、思わず膝が笑いそうだった。
何時間も、こんな状態で、飛び回っているパイロットって一体なんて連中なんだ・・・
漸く、高畑も余裕が出来、辺りを見回す。
確かに、広い飛行場だと納得できる風景が広がっていた。
滑走路は普通の飛行場の何倍もありそうで、延々と続いているように思えた。
それぞれ飛行機をしまったり、整備をしたりしておく建物や、管制塔らしきものも見える。
ただ、それらがの建物が、全て緑を中心としたまだら模様に塗られているのが、異様だった。
迷彩塗装は念の入ったことに、コンクリート張りの地面にまで及んでいる。
高畑が、あきれ返った顔で、辺りを見回していると、迎えだろうか、建物のある辺りから、一台の車が近づいてくるのが見えた。
 何だか、車と言う割には、屋根が無く、トラックかと思ったが、それにしては小さい。確か、「のと」資料で見たジープとか言う車に似ていなくも無い。
屋根が無いので、乗っているのが、運転手一人だけだと言うのが判る。しかも、近づいてくるにつれ、それが誰だか判り、高畑はここでも驚かされる。
「東条さん、何であなたが、車の運転しているんですか?」
「おお、高畑君、久しぶり。元気にしていたかね。」
車が高畑の横に止まると、東条がニヤリと笑みを浮かべ、こちらを見る。
「はあ、何とかやっています。」
高畑は唖然としてそう答えるしかなかった。
確か、今は少将で、統合作戦本部運用部部長についていた筈である。
そんな偉い人が自分で嬉しそうに車を運転して、しかもどうやら高畑を迎えに来たらしい。
「どうして、私の迎えに、貴方が出てこられるんですか?」
ぶつぶつ言いながらも、高畑は助手席に乗り込む。
ガクンと車がノッキングしながら、走り出す。
思いっきりアクセルを踏み込むので、危なっかしい。
「いや、今誰も手が空いて無くてな。幸い、小職が一番余裕があったのでな。」
「はあ・・・」
この人に、こんな一面があったなんて・・・
確かに、前に大慶油田を見に行った時も、自分で率先して動いていたのを思い出す。
「しかし、いつ車の運転なんか覚えたんですか。」
吹きさらしの中、東条に聞かすため、高畑は声を大きくする。
飛行機の中では、高性能の無線機があり、普通に話しても十分聞き取れたのに、それよりも静かな地上の車の中のほうが、叫ばなければならないのが、奇妙に思えた。
「うーん、月の半分位は、こっちに来ているので、その合間にな。なにせここは秘匿基地だから、満足な従卒がおらん。それに、車の運転も覚えてみると、中々面白いぞ。高畑君、君はやらんのか?」
「いや、運転は出来ません。いつか暇になったら覚えましょう。」
「ハハハ、君が暇になることなんてあるのかい。」
どういうわけか、高畑はこの人に好かれているらしい。
良く分からないが、大慶油田の件で気に入られたのかも知れない。

121shin:2006/12/02(土) 14:21:55
そのまま、車は飛行場を抜け、森の中を走り抜けて行く。
暫く行くと、これもまた擬装された、二階建ての建物が忽然と姿を現した。
車は建物の地下へ降りるスロープを下り、入り口付近に止める。
二人が車を降りると、慌てて、兵隊が駆けてきた。
兵士は東条に略礼し、車に乗り込んで行ってしまう。
絶対に、誰もいない筈無いじゃないか・・・
ぶつぶつぼやきながら、東条に続いて中に入ると、エレベーターホールになっていた。
二人が乗り込むと、エレベーターはそのまま下に向かって降りてゆく。
「地下なんですね。」
「ああ、ここは非常時の指揮中枢だからな。」
エレベーターが開くと、長い廊下が続いていた。
「いったい、何があったんですか?」
二人は暫く無言で歩くが、我慢しきれなくなった高畑が問いかける。
「ここで、話す訳にもいかんだろう。なに、もう直ぐ着く。」

高畑も、このような施設を作ると言うのは以前から聞いていた。
しかし、実際にここに来たのは始めてである。
大村産業集積地帯に面した山を越えた一帯は、生物学者でもある陛下が、自然に配慮されて、それらの土地を買い上げ、御料地として保護すると言う事となった。地域の住民が退去させられ、立ち入り禁止の地域の指定がなされると、興味を持つものもおらず、豊かな森が広がるだけだった。
それは建前であり、現実には保護地の中に、「のと」資料の応用研究施設が作られている。否、「のと」に関連する各種兵器・機器類の研究施設を秘匿施設として建築して行くうちに、そうなってしまったと言う方が正しい。
電子機器の研究施設のように産業集積地帯の中に紛れ込ますように作られた研究所もあったが、大概の施設はある程度その施設そのものを秘匿するために、集積地帯から距離を置かれて建設された。
当初は、それらしい建物に、民間企業の施設の名称を挙げる程度の偽装がなされていたのだが、直ぐにそれでは隠蔽できない事が明らかになった。
何しろ、各施設は年々拡張しており、それぞれの施設に通じる道路の建設も必要となってくる。
特に、外部からの物資・人員の輸送等は、日毎に増え始めており、注意すれば直ぐに気がつかれてしまう。
この結果、各施設そのものを完全に隠蔽すると言う方針が採用され、施設への人員や物資の搬入は、少し離れた所に建設される軍の施設からに限定された。
昭和10年にもなると、施設は、現在の水準を上回る工作機器を据え付けた工作場、試験用に張り巡らされた各種電探電信施設、ある程度までは、兵器の試験が可能な試射場、「のと」の船体そのものが設置されている港湾施設、そして航空機の発着が可能な飛行場まで備えた一大秘匿施設へと発展することとなった。
 こうなると、この施設を統合作戦本部がほおっておく訳も無い。
施設の一画を改造し、そこに非常時の指揮中枢の建設が密かに開始されていた。
 ここまでは、高畑も総研メンバーである以上、良く知っていた。それどころか、またぞろその費用の捻出に走り回ったのは高畑自身である。
とは言え、実際にどのような施設になっているのかは、知る由も無く、今回緊急の呼び出しで始めて目にしたのだった。

122shin:2006/12/02(土) 14:22:51
まだ真新しいコンクリートの廊下を抜けると、少し広くなった踊り場に出る。
ここには警備の兵士が待機しており、東条に敬礼してくる。
それでも、彼らは東条の取り出す身分証を見て初めて、道を開けた。
そして、高畑に対しては、横の棚に置かれたファイルを取り出し、高畑と見比べる。
「失礼します。総研所長付きの高畑殿ですね。少し質問させて頂いて良いでしょうか。」
軍人にしては、口調が丁寧だと驚きながらも、軽く頷く。
「高畑殿が鈴木商店ロンドン支店長をお勤めだった当事に、現地で採用された二人目の秘書のお名前は何でしょうか?」
「えっ、あの頃の秘書・・・サマンサ、否、二人目ならばマリアの事かな。」
「ハイ、ありがとうございます。もう一つ。高畑殿が中等部に在籍中の同級の、山咲氏のあだ名をお願いします。」
「あだ名あ・・・デコ・・・か?」
「ハイ、ありがとうございます。お通り下さい。」
二人の兵士は左右に退き、東条が扉を開け、中にいざなった。
「何なんですか、あの質問は?」
「うん、中々良いだろ。本人確認の為の方法としては。」
「いや、そんな事じゃないでしょう。どうして、ここまで入ってきてセキュリティチェックがあるのですか。そんなのもっと前でやるべき事でしょう。」
東条が苦笑いを浮かべる。
「まあ、仕方あるまい。今回は初めての総研主催の全体会議だ。統合の情報部もその存在を示したいのだろう。」
総研の会合に、どうして統本情報部が絡んでくるんだ・・・
ブツブツぼやきながら、高畑は促されるまま、中に入る。

123shin:2006/12/02(土) 14:25:43
東条に連れられて会議室に入り、高畑は息を呑む。
勿論、高畑は会議室にいる殆ど全ての人々と面識があった。
しかしながら、そのメンバーが全員揃っているのを見るのはこれが始めてである。
井上、梅津、八木、高柳らがいるのは当然として、普段は殆ど交渉も無い、濱口首相以下、政府関係者、統合作戦本部の部長クラスを勤める軍人、そう現在の帝国を運営している要員が全て集まっていたのである。
これじゃあ、東条さんが迎えに来るのも仕方ないか・・・
そんな事を考えながら、高畑は促されるまま、会議のテーブルにつく。

「それでは、全員揃ったようですので、総研所長による緊急招集会議を開催致します。進行役は、所長の指名により、小職が勤めさせて頂きます。宜しいでしょうか。」
全員が頷く。
「本日の会議の目的は、二つあります。一つはこの召集が可能かどうかの訓練です。これは、個々におられる皆様方が、無事比較的短期間にお集まり頂けた事で、目的は達成しております。尚、統本情報部の協力の下、全員が密かにここに集まっておりますが、一応対外的にはここにはいないこととなっており、別の場所にいるという、所謂不在証明的な隠蔽工作は行われております。」
井上は、そこまで説明して全員が理解するまで一呼吸置いた。
「良いかな?」
「ハイ、どうぞ。」
濱口首相が口を挟む。
「井上君達、総研のメンバーがそこまで秘匿に拘る理由は何かね。確かに、これだけのメンバーが一度に介するとなると、目立たぬように留意は必要だろうが、ここまで徹底する以上、よほどの理由があると思うのだが。」
「ハイ、おっしゃる通りです。これはもう一つの目的とも関わりがありますが、国内よりも列強に対する情報対策がその主な理由です。」
井上は、堀情報部部長を見る。
「私から説明致します。」
振られた堀は、表情を変えずに話し始める。
しかし、付き合いの長い井上にすれば、堀部長が目で一つ貸しだと言っているのは良く判り、軽く頭を下げる。
「「のと」資料の分析から、わが国の防諜体制が非常に甘いものであった事が明らかになっております。特に、暗号通信に関しては、各部門間での機密の取り扱いの差から情報の漏洩が指摘されておりました。」
「それは、十分に承知しているが、それに対しては、かなり防諜面では厳しくしたのではないのかね。」
幣原外相が、怪訝な顔で問いかけてきた。
何せ、外務省から軍事情報が漏れていたと言う事実を突きつけられた結果、以前と比べてかなり外務省は情報の漏洩には神経質とも言えるくらい気を使っていた
「ハイ、確かに、暗号関係や、機密文章の扱い等は、以前とは格段の進歩が見られており、その方面での防諜レベルは格段の進展が見られております。しかしながら、帝国人は日本語と言う言葉は、他国の人間には判るまいと考えがちで、日本人同士であれば、平気で秘密を話していても大丈夫とすら考えてしまいがちです。そして、この方面の防諜対策は非常に難しい問題を含んでいました。」
多くのものが、怪訝そうな顔で、堀を見つめる。
「文章や通信に関しては、全体の規制の統一で、防諜レベルを上げることは可能ですが、個人間の付き合いの段階、いや、勿論疑わしき人物に対する調査等は情報部に限らず、特高等でも実施していますが、このような段階での情報の漏洩を全て抑えるのはほぼ不可能です。」
「要は、友人まで疑いだしたら、切りが無いと言う事か・・・」
「ハイ、そうです。勿論私も含め、皆さんが「のと」に関する情報を知らない人間に話すことはありませんが、相手が知っている、情報ランクが自分と同じと考えてしまう事は十分起こりえます。」
「情報が漏れたのかね。」
ぼそりと呟くように、核心に切り込んできたのは、吉田茂だった。
現在は、統本の外務省担当として、情報ランクが上位に入りだした人物だった。
「ええ、その通りです。最も、誰が漏らしたとか言う話ではなく、あくまでも各種の情報を総合した結果、「帝国が、何か途方も無いものを手に入れた」と言うレベルですが、列強各国の内、米国、ソ連、独逸、そして英国が真剣に動き出しています。」
会議に出席していた全員が、深刻に黙り込む。

124shin:2006/12/02(土) 14:27:00
確かに、帝国の動きは列強の国々からすれば、信じられない程鮮やかなものに見えるであろう。
何せ、各国が不況に喘ぐ中、好景気に沸きかえっている。
ある程度までは、東洋のミラクル、アジア数千年の歴史等のたわごとで、ごまかせるであろうが、流石に、原因があると考える人間が出てくるのは仕方ない。
「結果として、「のと」に関する総研と外部機関との会合は、可能な限り秘匿すると言う所長の判断で、このような回りくどいやり方を取りました事を皆様にお詫び申し上げます。」
井上が、頭を下げ、堀の言葉を引き継ぐ。
「で、情報が漏れたと言うだけでは、このような大げさな会合が必要な筈もあるまい。本当の理由を話してくれても良いだろう。」
二年前から国防総省長官(本人は嫌がったが)を勤めさせられている、永田が少し、怒ったように問いかけてくる。
それはそうである。
首相や、外相、そして彼本人も含めて、情報の漏洩に関する話は、以前から聞いている。その為に、総研との会合が、このような秘匿方法を取ることとなった事も、了承済みである。
しかしながら、今回の会合に関しては、その直前まで、彼にも知らされていなかったのだった。
自分の足元で、密かに知らない動きが生じていると言うのは気持ちの良いものではない。
しかも、彼自身、陸軍の縮軍に関わっているだけに尚更である。
「英国に対する「のと」情報の開示の可否です。」
梅津が、苦虫を噛み潰したような顔で答える。
会議室にざわめきが広がる。
列強からの詮索が強くなってきている、特に帝国総軍との共同研究から、兵器の共同生産まで踏み込みだした、英国からの詮索は強くなっているのは、ここのメンバー全員が感じていた事実である。

125shin:2006/12/02(土) 14:28:35
最も、英国にとっても、新規開発分野である電子機器関連では帝国が独自に開発していたと言う言い訳は割合素直に受け取られ、高柳や八木が提供した、マグネトロンやアンテナに関しては、素直にその技術を賞賛している。
 しかしながら、問題となったのは帝国が紹介した新型の中戦車であった。

中戦車そのものは、40年に独逸が実戦に投入してくる四号戦車の後期型を参考に、ほぼそれと同等の性能を持つ戦車を目指し、開発されたものである。
何せ、目標のスペックが、30年代初頭に提示されていた事もあり、開発は予想以上に進展した。前面に40ミリの傾斜装甲を持ち、57ミリ長身砲を搭載した中戦車は、英国との共同生産分に関しては、鋳造砲塔の搭載すら可能となっていた。
 その中で特に問題となったのは、エンジンだった。
「のと」資料の分析結果から、総研が主力エンジンとして開発目標に据えたのが、ロールスロイスマリーンエンジンである。
1936年に、その初期型がスピットファイヤに積まれ、「のと」世界の大戦最高峰の戦闘機として位置づけられていたP51ムスタングには、このライセンス生産であるアリソンエンジンが積まれているとの資料を見れば、この選択も頷けよう。
特に、マリーンエンジンは、陸戦用にディチューンされたものが、のと世界では、戦後の英国製戦車に搭載されていたと記されていれば、その汎用性も魅力であった。
このため、32年には総研は日商を通じてロールス社に対して技術提携の契約を交わしていた。
その内容は、年間最低100台の液冷エンジンの購入と、帝国から技術者の研修派遣、そしてその見返りとしての資本提供も含まれていた。
しかも、この契約はあくまでも基本契約であり、購入した100台のエンジンの素性が良ければ更に追加の購入が行われる事となっており、実際に日商は年間500台以上の各種エンジンを購入し、様々な分野に転売していた。
これは帝国側にも、液冷エンジンを整備出来る整備員の長期的な育成と言う目的もあり、三菱や中島製作所等の航空機メーカーに格安で販売され、多くが国産の戦闘機のエンジンとして使われることとなった。
お蔭で、ロールス社も世界不況に関わらず、ある程度の売り上げを維持出来た事もあり、マリーンエンジンは「のと」世界よりも一年早くそのプロトタイプの製造に成功しており、帝国には35年初頭に供給される事となった。
そして、半年後には、帝国独自の改良を加えた車載用エンジンとしての発注が行われ、その初期型が英国派遣兵団の新型中戦車に積まれることとなったのである。
帝国側にすれば、英国との共同生産を目論んでいる以上、全てが帝国製の戦車ではなく、エンジンが英国製である点、また、砲そのものも英国の七ポンド対戦車砲の搭載が可能である等の点が、有利に運ぶものとの発想からこのような戦車を提供した訳である。
しかしながら、この余りにも日本的発想が、逆に英国内で大きな問題として取り上げられることとなった。
勿論、表面上はこのような事は一切出てこない。
実際、英国は来るべき大戦に向け、兵器生産の可能な限りの増大を図らなければならず、その為には、同盟国である帝国側からの提案は渡りに船だった。
何せ、本国以外での生産拠点を手に入れられ、しかも価格が遥かに安くなる等の利点は大きい。
その上、提供された派遣兵団の各種兵装は、新式の自動小銃も含め、英国の製品の水準と同等、あるいはそれ以上の性能を持っていたのである。
それから一年、両国の兵器の共同生産は順調にその生産数を増加させており、目標である六個兵団分の各種戦闘車輌、航空機、自動小銃から補給用トラックまでの整備は36年初頭には整いそうな勢いであった。

しかしながら、その裏で、英国政府首脳は、流石に疑いの目を強めていた。
確かに、帝国側が言うように、戦車のエンジンとして適切なエンジンの開発が遅れたため、たまたま手に入ったマリーンエンジンを流用したと言う説明は思い切った処置だが、あり得ない事はない。
だが、あまりにもそのタイミングが良すぎた。
そう、あまりにも帝国側の対応が良すぎると言う事が、疑問を生んでしまったのだった。
帝国を訪れる英国人は徐々に増加していたが、その中でも国内の情報機関が英国政府筋の諜報員であろうと目される人物の増加は更に著しかった。
これは、情報関係者が把握している人物に関してだけであるのだから、国内の防諜網をすり抜けた諜報員も多々いる事は間違いなかった。
そして、その多数の諜報員を使い、英国は、帝国が何か途轍もないものを手に入れている。
さらに、それが「のと」と言うコードネームで呼ばれていると言う事までどうやら知られてしまっているようだった。

126shin:2006/12/02(土) 14:30:02
「結局、あまりにも上手く行き過ぎたのでしょうね。」
梅津が、これらのあらましを語り終えると、井上が溜め息を吐きながら、そう呟く。
「英国は既に、知りえた情報から、帝国側が何か秘匿しているとの疑いを強めています。これに対して、総研内でも、対応策に苦慮しています。」
「方策は、二つ考えられます。一つは嘘を塗り固めて対応する。この方策には、「のと」の全てではなく、一部だけ発見物として提示し、英国との情報をある程度制限する道も含まれています。もう一つは仲間に引き込んでしまう。ここにおられる「のと」関係者の一員として英国首脳も巻き込み、今後の戦略立案に組み込んでしまう方法です。」
井上は参加者全員を見回しながら、言葉を続ける。
「小職は、後者の案を推しております。理由は、ある程度疑惑を抱えたままでは今後の同盟遂行が難しい点、また、今後の世界情勢への対応を考慮した場合、帝国のみの国策遂行では無理がある点。帝国は大英帝国のような世界帝国の経験も、今後の運営意欲も不足していると考えております。」
そこまで話すと、井上は梅津を促す。
「本官は、前者です。理由は井上とは反対に、大英帝国に「のと」情報を開示すれば、それは帝国の自主性の放棄に繋がると言う点です。これまでのように、帝国独自の政策の遂行は困難となり、更には英国の国策に引きずられてしまうと考えております。」
二人はそこまで話すと、黙り込む。
会議室の誰もがあっけに取られ、暫くは話し声すら起こらない。
「判った、要は総研でも、政策立案が出来ないと言うことだな。」
流石に、全員を代表するかのように、濱口首相が言葉をつないだ。
「はい、残念ながらその通りです。極端に言ってしまえば、総研の設立目的は、大戦による敗北を避けると言う点にあります。英国の取り扱いは、どちらを選ぼうとも、敗戦を避けると言う点では大きな違いはありません。
現時点において、英国が帝国との同盟を破棄する可能性はゼロではないでしょうが、少なくとも「のと」情報の取り扱いによって左右されることはないものと考えます。」
「うむ、戦後のわが国のありようの問題だな。吉田君、君はどう考える。」
濱口が突然、吉田茂に振った。
「私ですか。私ならば、全部開示しますね。そうしながら、まだあるかも知れないと英国には思わせとけば良いじゃないですか。どうせジョンブルの事ですから、誠心誠意の対応を見せても、疑って掛かってくるのは当然ですし、それぐらい交わせないで、国家百年を計れる訳もないでしょう。」
「ハハハ、そうだな。君の言うとおりだよ。よし、英国に開示しよう。総研の諸君や先生方もそれで宜しいかな。」

127shin:2006/12/02(土) 14:30:59
「そ、そんなに簡単に決めて良いんですか。」
高畑が、思わず声を掛ける。
「うん、高畑君は反対かな。何か理由でもあるのかな。」
「い、いえ・・・そう言う訳ではないですが・・・
ただ、これまでわが国は「のと」情報でかなりの利益を叩き出して来ました。
開示するとなると、このからくりが英国に知られますので、これについては一悶着あるでしょうから・・・」
流石に、その資金の殆どを叩き出して来た高畑である。
今でこそ、日商と言う大財閥を指揮しているとは言え、「のと」情報をいち早く活用して、巨額の運営資金を叩き出した過去がロイズ社や他の英国企業に知られるのは非常にまずかった。
「ははは、流石にわが国の影の蔵相も形無しかな。仕方あるまい。そのリスクはどう転んでも避けられまい。まあ、暫くは居心地が悪いが、我慢するんだな。」
幣原外相に、笑いながらそう言われると、高畑も言い返せない。
ホンとに政治家ってやつは、一体誰のためなんだよ・・・
高畑は更に言いたい文句をぐっと飲み込む。
「それでは、帝国の方針は、英国に対する「のと」情報の開示、勿論相手は厳密に選ばせてもらいますが、それで宜しいでしょうか。」
政府首脳がその方向に同意した以上、それ以上の反対も起こらない。
梅津は仕方ないという顔を隠そうともしないが、反論する気は無いようだった。

「方針が決まった所で、それに関連する問題がもう一つございます。これに関しては、総研所長も本会議に出席されます。」
横の扉が開くと、全員が一斉に立ち上がり、頭を下げる。
ゆっくりと、陛下は正面の座席に腰をおろして、軽く頷く。
それに併せて、全員が再び着席する。
総研では陛下は公式の場とは違い、堅苦しい儀礼は略するのが最早当たり前になっていた。
「隣で一通り、議論は聞かせて頂きました。私も、英国に対する情報開示の方針が決まったことにほっとしています。とは言っても、秘匿となっていても、これに対して私の方からどうこう言う積もりはありませんでした。」
一言一言確認するかのように、陛下は話し続ける。
「ただ、英国にどのような情報を伝えるにしろ、私個人としてお願いしたい事があります。」
ここで、陛下は全員をゆっくりと見回した。
そこにはこの八年間、帝国を戦乱から避ける為に必死に走り回っているメンバーが揃っていた。
「それは、核兵器の扱いです。諸君らにお願いしたい。今後帝国の国策は、核兵器を作らない、作らせないと言う立場で立案、遂行して頂きたい。」

128shin ◆QzrHPBAK6k:2006/12/09(土) 13:19:41
所長が井上を促す。
「ここにおられる殆どの方はご存知でしょうが、核兵器とは、ウラニウムやプルトニウム等の非常に重たい原子の核分裂を一時期に発生させ、大量のエネルギーを引き出し、それによる大量破壊をもたらす兵器です。
その破壊力は、通常兵器とは比較にならないほど大きく、「のと」世界では、西暦1945年に広島、長崎に使用され、両市は廃墟と化しました。
しかも、これは初期型の核兵器であり、その後更にその威力は強大となります。
戦後、米国とソ連の両方がこの兵器を手にし、両大国ともその被害想定が途方もないため、外交手段としての全面戦争が使えなくなりました。
何しろ、核兵器数発で、主要都市は灰燼に帰すると言う状況では、全面戦争は自殺行為です。
「のと」世界では、その結果、両陣営の間で核兵器を使わない、小国同士の争いに、それぞれ列強がスポンサーとなる所謂代理戦争が各地で発生しながら、最終的にソ連の崩壊する90年代まで、冷戦、冷たい戦争と書きますが、その冷戦体制が持続します。
ソ連崩壊後は、このような重石が取れた米国は、通常兵器による覇権活動を再開し、中東においては、それまでソ連を後ろ盾に米国の勢力圏入りを阻んでいた国家を叩き潰して行きます。
まあ、アジア地域においては、中華が核兵器を持っている為、米国の覇権活動は依然として制限されたままでした。
更に、大戦後、朝鮮半島の北半分に成立した、独裁国家、北朝鮮と呼んでいたようですが、が核兵器を持つに至り、状況は更に悪くなっていました。
 「のと」の本来いた時代、2015年でも、アジア地域のこの状況は変わらず、北朝鮮は、国内がガタガタになりながらも、依然米国の勢力圏に組み込まれるのを拒んでいました。
 まあ米国にすれば、早い話が、数人の鉄砲玉を抱えた弱小博徒が、近隣の住民を盾に立てこもっているような状況でしょうか。官憲も下手に手出しできないと言うところでしょう。
八木先生、現状での核兵器開発に関して、お願いします。」
「総研調査部の八木です。核兵器に関しては、その被害、破壊力、「のと」世界の兵器体系等の情報は豊富に存在し、また起動方法等の概念的なものは理解する事ができました。しかしながら、流石にこの情報はあちらの世界でも重要情報に指定されているのか、設計や理論等の詳細情報等はかなり乏しいものでした。
ただ、こちらの世界での帝国での研究の第一人者として、京大の仁科教授の名前が上がっており、彼や招聘した海外の科学者の協力も得て、基礎研究は既に完成しています。」
「それは、どういう意味かな。すまんな、私は科学に疎いもので。」
濱口首相が全員を代表して問うた。
基礎研究や理論と言われても、全員が理解できる訳でも無い。
「まあ、簡単に言いますと、どのようにすれば核兵器が作れるか。その為に何を用意しなければいけないか等まで判っていると言う事です。
核兵器では、起爆に関しての、タイミングの制御が非常に難しいらしいのですが、幸いこれに関しても、最近の電子部品と、「のと」のパソコン、電子計算機ですね、これを使えばそれ程困難ではないと言う見込みが立てられています。」
「と言うことは、わが国は明日でも核兵器を持つ事が出来るのかな。」
吉田が身を乗り出すようにして聞く。
「いや、それは流石に・・・」
どう答えてよいものか、八木はちらりと所長の顔を伺う。
しかしながら、所長は顔色すら変えず、そんな八木を黙って見ているだけだった。
自分で判断しろとのお達しですか・・・

129shin ◆QzrHPBAK6k:2006/12/09(土) 13:22:10
八木は覚悟を決めたかのように、興味津々で次の言葉を待っている吉田を真っ直ぐに見つめた。
「総研調査部としては、三年あれば可能であると考えています。
原料の採掘と、必要施設の建設に一年、核物質の抽出に一年、最終的な爆弾の製造に一年程度でしょう。」
室内にざわめきが広がる。
「一つ良いですか。」
黙って聞いていた、永田が遠慮がちに問いかけた。
八木が頷くと、徐に口を開く。
「費用は?三年間で必要となる金額です。
そして、どれ位の量、爆弾とするなら何発ですか。
後、その威力はどの程度を考えておられますか。」
単刀直入な質問に、ピタッとざわめきが収まり、全員の目が所長と八木の間を彷徨う。
核兵器を「作らない、作らせない」を、国策にして欲しいと言ったのは所長、いや陛下である。
所長の言葉ならば、建策であるが、陛下であるが故にそれは命令に等しい。
それでも、誰もが今の今まで、核兵器そのものを遠い将来の課題程度にしか考えていなかった。
ところが、八木の話からすれば、直ぐにでも作れると言っているに等しい。
それ故に、建策とは裏腹に、誰もが永田の質問の答えに注目せざるを得なかった。
全員の視線が自分に集まっているのを感じながらも、八木は流石にそれには答えられず、黙って俯いてしまう。
「予算10億前後で、「のと」世界で帝国に落とされた程度のものなら、5発位は作れます。それ以降は、原料のウラン鉱石の入手と、ウラニウムの抽出に掛かる期間のみで、量産まで可能でしょう。」
梅津が、全く感情を殺したような声で、淡々と答えた。
「おおっ!」
「エエッ!」
「何と・・・」
会議室全体に驚嘆や唸るような言葉で満たされた。
誰もが、気がついていた。
それがあれば、帝国は世界の覇権が握れると。
「のと」資料で、米国が開発したと記録されていた時期よりも、少なくとも五年前に帝国だけが核兵器を開発する訳である。
逆に言えば、「のと」資料の無い他の列強は、後五年は開発出来ない。
いや、それどころか、帝国がその使用をほのめかせば、どこの国も作らせない事は可能である。
核兵器を唯一持つ帝国に逆らうのは、銃を持つ人に素手で立ち向かうようなものなのだ。

130shin ◆QzrHPBAK6k:2006/12/09(土) 13:25:07
大変だ・・・
高畑は、真っ青になりながら、会議室内で広がるざわめきから一人離れ、総研の仲間達を見つめた。
所長は、表情も変えず、端然と座っている。
井上と梅津は、むっつりと黙り込んだまま、八木は顔を上げようともしない。
高柳は青い顔に困惑を浮かべて、視線だけがさ迷っている。
どうりで、こんな緊急召集が行われる訳だ・・・

本来ならば、高畑自身も、あちら側にいた筈である。
幸か不幸か、誰かが、英国との共同生産の状況確認と、資金状況を把握しに行く必要があり、久しぶりに長期出張中だった為、この会合の召集する側から、召集される方に回ってしまったのだった。
核兵器の開発状況の報告が総研メンバーに行われ、その結果高畑抜きでシナリオが検討され、このような発表の仕方に至った訳であろう。
仁科先生って、本当に優秀な方なんだなあ・・・
ふと、高畑はそんな事を思った。
当然、核兵器の問題は「のと」が現れた時以来、メンバーの間でしばしば話題になっていた。
しかし、米国での開発に掛かった費用で、連合艦隊がもう一杯作れると書かれていただけに、そんなに安く作れるなんて思いもしなかった。
最も安くとは言っても、戦艦が、何隻か作れる程度の金は掛かるが。
とにかく、総研の資金に頼らずとも政府がその予算内で何とか作れる金額に収まってしまっている。
あっ、それで緊急会議か。
高畑は漸く、自分がいない間に、シナリオが作られ、会議が開かれた理由に納得がいった。
情報は漏れる。
メンバーに報告が上がった以上、他の総研関係者がその情報を知るのに、それ程時間か掛かる訳ではない。
その結果、帝国としての方針が定まっていない内に、走り出すことは十分に考えられる。
所長の方針が「作らない」だとするなら、一旦走り出した動きは、止めねばならなくなる。
でも、絶対に止められないだろうなあ・・・
そりゃそうである。
帝国の為と考えれば、泥を被る連中は、ゴロゴロしている。
例えそれが、独りよがりで、独善的であっても、正しいと信じているならば、無茶をやる人間には事欠かないのが、悲しい限りだが帝国なんだよなあ・・・

131shin ◆QzrHPBAK6k:2006/12/09(土) 13:26:57
しかし、どうやってこの状況を納める気なんだ。
高畑が、一人冷静になっていく中で、周りでの議論は更に白熱しているようだった。
特に、所長も止めようともしないため、お互い同士で話す声も自然と大きくなっている。
うん・・・
漸く、高畑も自分以外でも何名かが、表情を殺しながら周りの議論を聞いている事に気がついた。
もっともそれは、情報部の堀部長の様子がそうだったからであり、自然とそれ以外でもそうしている連中に注意が行った訳である。
ええっと、堀さんだろ、それに東条さんもか。
首相は、違うな本当に知らなかったみたいだな。
永田さんは・・・
うーん、あの人は判らないな・・・
どうやら、何名かのメンバーには事前に情報が漏らされ、何らかの指示が行われているようだった。
流石に、シナリオが読めない為、それ以上の判断が出来ず、高畑は後で詳しく事情を聞くのが待ち遠しくなってくる。
やはり梅津さんに聞くのが一番かな。
どうせ、悪辣な方法を考えるのは、井上さんだが、あの人にまともに聞いても上手くはぐらされそうだしな。

「もう、十二分に理解できたと思うが、どうかな。」
流石に、所長が口を開くと、全員が黙る。
「改めて、みなさんに言っておきます。帝国は核兵器を作りません。そして、他の国がこれを開発することは全力を挙げて阻止して下さい。」
所長が立ち上がり、深々と礼をする。
全員が慌てて立ち上がり、更に深く答礼して動かない。
そりゃそうである。
今の口調は、総研所長の話し方ではなかった。
それは、大日本帝国君主、今上陛下そのものの口調だった。

132shin ◆QzrHPBAK6k:2006/12/09(土) 13:29:07
「私はこれで失礼します。後はみなさんで考えてみて下さい。」
所長がそのまま退席し、扉が閉まると、流石に緊張が緩むのが判る。
「で、どうするのかね。英国に対する情報開示、核兵器の開発停止。総研としての建策方針は出来ているんだろ。」
濱口首相が、疲れたような声で、井上と梅津を睨みつける。
流石に、「のと」発見直前から首相をしているだけあり、簡単には騙されないぞと言う表情がありありと判る。
「人聞きの悪いことを言わないで下さい。まあ確かに、英国に対する情報開示に関しては、以前から検討課題として上がっていましたが、核兵器の件は、総研でも突然の事です。」
そう井上が代表するように言っても、周りの疑いの目は変わらない。
「あっ、皆さん信用されてませんね。それじゃ、そこにいる高畑君に聞いて下さい。彼はこの三ヶ月程外地に出てましたから、今回の件は全く知りません。」
少しむっとした表情を浮かべ、井上が高畑を指し示す。
あっ、あの野郎、こっちに振りやがった・・・
全員の視線が集まり、流石に高畑も慌てた。
「えっ、はい。確かに、核兵器の件は私もここで初めて伺いました。
最も、研究開発が進展しており、近々報告があるとの事は知っていましたが、ここまで進展しているとは想像もしておりませんでした。」
そう言いながらも、高畑は井上を睨みつけるが、彼は知らん振りである。
「そうか、高畑君が言うなら信用しよう。で、英国に対する情報開示は?」
どういう訳か、こう言う場合には、首相も含め、政治家、軍人達は総研所長付きのメンバーの中で、高畑に対する評価だけが高かった。
金銭に関しては、別の意味で一目置かれているが、このような謀略的な事柄からは、一番遠い位置にいるものと思われているらしい。
まあ、現実にそれは正しいんだけどなあ・・・
高畑は一人、自分だけがこの会合のシナリオに関わっていなかった理由をもう一つ見つけ、納得する。
「はい、英国に対しては、井上さんの言うとおり、ある程度の方策は検討しておりました。」
「で、それは?」
「一本釣りです。」

133shin ◆QzrHPBAK6k:2006/12/09(土) 13:30:28
「一本釣り?」
全員が、困惑した表情で高畑に先を促す。
「ええ、英国に情報開示といっても、英国政府を通しての情報開示は機密漏えいの問題が発生するとの話は出ていました。
もし開示するとするならば、特定の人物を指名して彼を通じて情報開示する形であろうと。
こちらが選んだ特定の人物を介して英国に対する情報開示のルートを構築すべきででしょう。」
こう言う話は余り得意ではない。
勿論、説明だけなら、高畑でも出来る。
お金に関する事なら、幾らでも対応できるのだが、流石に質問が出たら対応出来ない。
ちらっと、井上を見ると、流石に軽く頷きを返してきた。
高畑が話している内容が正しく、彼なりの礼をしているのは、付き合いが長いため高畑にも判った。
しかし、口元の僅かな綻びから、やはり彼が楽しみだしているのまで気がつき、こちらも目で促す。
「その先は、小職が説明致します。」
仕方ないと言う表情を高畑に隠そうともせず、井上が引き継ぐ。
「全面的な情報開示と言っても、無制限な情報開示は流石に実施出来ません。」

134shin ◆QzrHPBAK6k:2006/12/09(土) 13:33:09
英国に対する「のと」情報の開示に関しての検討で、問題となった点は英国が取りうる国策だった。
勿論、英国が「のと」情報の内容を知ったとしても、それが日英関係の解消に繋がる事はまず考えられない。
誰も声を出しては言わないが、両国とも対独戦に向けた日英連合軍の構築に向けて動き出している。
それを、今の時点で破棄する事は、英国にとって何の利益ももたらさない。
しかしながら、梅津と井上の意見が食い違ったのは、英国の対米政策への影響だった。
「のと」情報の中には、第二次大戦中、米国がどのように英国への援助を提供し、そして、大戦終了後いかに取り立てたかについて、詳細な情報が含まれている。
これを知った時、英国の反応をどう見るかで、意見が判れたのである。
井上は、それ相応の対応、即ち米国に対する警戒を強めながらも、その状況を上手く利用しようとする流れで、推移すると考えた。
これに対して、梅津は大筋で合意しながらも、極端な反米政策に走る危険性をも指摘したのである。
勿論、「のと」情報を米国に提供することで、全面的な米国の援助を得ると言う選択肢、即ち親米政策に走ると言う可能性も検討されたが、流石に、大英帝国が没落する事が判っていれば、それはあり得ないと言うのが、総研内での結論だった。
要は、現時点で英国が帝国との同盟をどのように捉えるかの見方の違いだった。
対独戦を考えた場合、帝国との同盟により、何とかそれを遂行できると見るならば、対米政策は、極端に走ることはないであろう。
これからも、国際政治と言うものが判っていない我侭な放蕩息子をあやす積りで米国へ対応して行くであろう。
これに対して、万が一にも帝国との同盟が、十分なものだと考えたらどうであろうか。
しかも、これには「のと」情報の開示まで含まれるのである。
英国が、放蕩息子の我侭を聞かないケースも考えられる。
例えばカリブ海に於ける米海軍による臨検の権利がある。
英国は、これまでの米国のカリブ海洋上での臨検権を認めていなかったが、昨年これを許可している。
これも、欧州での戦乱が近づいているとの認識から、米国に対する譲歩であった。
帝国との同盟の価値を高く評価すればするほど、英国側からのこのような米国に対する譲歩は減少するであろうし、強いては英米関係が今以上に険悪になる可能性すらある。
梅津はこれを恐れた。
少なくとも、英国が米国に対して譲歩路線を放棄するのは、大戦勃発後が望ましい。
それ故、現在での英国に対する「のと」情報の開示は早すぎるとの判断であった。
これに対して、そのようなリスクを勘案しても、英国に対する情報開示が遅れる事による両国の関係の悪化を恐れたのが、井上である。
また既に、日英協調体制が確立されており、両国は対独開戦に向けて走り始めている。
この時点で、現在のように英国が帝国の機密を探る行為にその貴重なリソースを裂くのは惜しい。
それよりも、「のと」情報を活用しながら、そのリソースを対独、対ソに向けて貰いたい位である。

135shin ◆QzrHPBAK6k:2006/12/09(土) 13:37:36
これ以外にも、総研では帝国内に対する影響を危惧する声もあった。
それでなくても、国内には、帝国の国策である親英政策に不満を持つ勢力もいるのも事実だった。
親英政策ではなく、英国従属政策とすら揶揄する連中もいる。
それが、「のと」情報の開示で、帝国が親英追従政策の強化、更には国益さえも売り渡すのかと一層非難を強める事となるであろう。
まあ、この連中は吠えるだけなので、何とでも対応は出来た。
また、具体的な「のと」情報に触れれるレベルでもない。
厄介なのは、総研メンバーと目されながら、政策には反対なのに、それを表に出さず、動こうとする連中が出る事だった。

 最も、過去八年間そのような動きが無かった訳ではない。
国防総省において、他の部門の長が、移動するにも関わらず、統合作戦本部情報部の堀部長が、首相と同じように八年間も移動せずその席に就いている理由がそれだった。
「のと」情報では、開戦時の連合艦隊司令長官であり、堀部長とも個人的に親しい間柄であった人物が二年前不幸な事故で他界した事を知らないメンバーは総研にはいない。
彼ほどの人物でも、不幸な事故にあう事は無い訳ではないが、それだけで、他のメンバーには十分だった。
ちなみに、総研の井上は、事故の一報を聞いた時、
「最近、車が増えたから、危ないからなあ。」
と呟いたとまことしやかに伝えられている。
しかも、それは事故の内容が、交通事故だと誰も知らない時にと言う注釈までつけて広められていた。
 本当の所は決して表に出る事は無い。
それでも、総研と統合作戦本部が、どのような意思で動くのかを全員に知らしめるにはそれで十分だった。

136shin ◆QzrHPBAK6k:2006/12/09(土) 13:39:23
勿論、井上がこのような内容を直接話す訳ではない。
一連の説明の中で、「総研メンバーの方々に於いては、戦略が策定された場合、例え反対でもその遂行を妨げる方はいらっしゃらないと信じております。」
と、わざわざ梅津を見つめながら言っただけである。
まあ、梅津にすれば、良い迷惑でしか無いが、彼もこのような脅しが必要である事は十分に理解しており、それに対してどうこう言う程、修羅場を知らない訳でもなかったが。

「従いまして、英国の国策が極端に走る可能性も否定は出来ませんが、少なくともこの方向性に関しては、日英の協調により、対応は可能であろうと考えております。
いや、全力を挙げて対応する心積もりです。」
何事も無いように、井上は説明を続ける。
「即ち、英国の国策を、帝国の国策と合致させるべく、可能な限りの努力を払う必要があります。何卒皆様のご協力をお願い致します。」
井上は、英国が自らの意思で、帝国が望む国策を打ち出すように、全員で努力すれば良いと、こともなげに言い放つ。

137shin ◆QzrHPBAK6k:2006/12/09(土) 13:41:19
濱口は、苦虫を噛み潰したような顔で、聞いていた。
それは、彼らにすれば、国内で行ってきた活動を更に海外まで広げると言う事にしか過ぎないのだと、理解しているからこそである。
初めからそうだった。
濱口は、総研が成立した頃を思い出す。
当事はまだ、甘さがあり、可愛げがあった。
その為、彼はそのような総研メンバーの建策を理解した上で、その流れに乗っていたと言えよう。
最も、暴漢に襲撃され、死亡と言う事実を突きつけられれば、濱口自身にも覚悟も定まる。
彼から見れば、若造でしか過ぎないこのような男達が、真摯に検討した建策を生意気だと潰すよりも、その流れに沿うように動くことこそ自分の役割だと考え対応してきた積りである。
それがどうだ。
あれから八年、この前の二人、いや高畑も含めれば三人は、大きく化けてしまった。
当事のような甘さは影を潜め、自分達のやっている事に自信を持って対応している。
確かに、井上が言うように、英国の政策すらも変えて行くと言うのは、困難ではあろうが、今の彼らに出来ない事とは思えない。
梅津ですら、それが気に入らないにしろ、不可能と思っているような面ではなかった。
彼らはきっとやるだろう、またその為の組織すら、今は手に入れている。
統合作戦本部情報部も、やはり化けたものだった。
堀は、普段の温厚そうな表情とは裏腹に、着々とその組織を整え、しかも、総研から直接資金提供を受け、国家が表立って出来ない部分すら、対応できる組織を作り出していた。
彼も含めると、四人か・・・
いや、そうではない、彼らに続く人材は溢れかえっている。
濱口はチラッと吉田の顔を見る。
吉田は、真っ直ぐに井上を睨みつけているが、その口元には面白そうな笑みがこぼれだしそうな顔をしている。
危ない・・・
濱口はそこに、大きな陥穽が広がるのが見えたように思えた。

今は問題とならない。
これからも彼らはしっかりと帝国の行くべき方向を策定し続けるであろう。
そして、その殆どが上手く嵌り、それは彼らに更なる自信を与えて行くだろう。
今はまだ良い。
彼ら自身が、それもこれも全て、「のと」情報があってこそだと言う事を見に染みて理解している限り。
だが、何時までそれが続くか。
今後、「のと」情報には無い状況が益々起こってくる。
勿論、彼らは既にそのような事態に備えるため、様々な情報の入手手段や、遥か未来の分析手法等も活用し、準備を進めている。
しかし人間のする事であり、全てを予測するなど、神のみがなしえる業である。
予期できない、予測できない事態の発生が、危機であり、その時にどのように対応するかが初めて試される訳である。
それが、残念ながら陛下が御作りになられた総研には、経験の無い事態である。
自分や井上蔵相が現役の間はまだましである。
いや、自負にしか過ぎないかもしれないが、少なくとも総研の建策に疑いを持って対応し、「上手くいかない」と言う事態も想定して動いている。
しかし、今回の英国に対する情報開示、そして核兵器の制限が上手くいけばどうなるのか。
彼らの評価は益々高まり、同時に自信も更に強まる。
そして、それが慢心に繋がるまでどれ程の時が必要だろうか。
その時に、果たして自分はいるだろうか。
いや、今よりも賛同者を増やした総研と言う化け物に対して、果たして自分は対抗できるであろうか。
濱口はも一度、吉田を見た。
今回は、彼も気がつき、その小さな瞳をこちらに向け、何かと問うような表情を浮かべる。
何でもないと言うように、濱口は首を軽く振り、溜め息を吐いた。
やはり、潮時か・・・
吉田茂、「のと」資料では、後の総理大臣であり、戦後の道筋を付けた人物と記されていた。
非常にあくが強く、毀誉方便の激しい人物。
今はまだ、化けたとは言えないが、既にその片鱗はうかがい知れる。
井上、梅津ら総研に、対抗できるだけの素質は備えている、いや、備えている事を願っていると言う方が正しい。
よし、そうしよう・・・
濱口は、自分なりの方針を固めると、再び井上の説明に耳を傾けた。

138shin ◆QzrHPBAK6k:2006/12/09(土) 13:43:56
「英国と米国の関係で、留意する必要がある点がもう一つございます。」
井上は次の問題に移っていた。

既に述べたように、第二次大戦前の英米関係は、決して良好とは言えなかった。
現実問題として、独逸に対抗する上で米国からの支援が必要不可欠であったが故に、その辺りに目を瞑ったと言うのが実情だろう。
しかし、その割り切り方が物凄い。
「のと」資料によれば、米国を味方につけると決めたなら、その為に必要な手段は国を挙げて実施している。
資源地域の譲渡等の経済面での約束のみならず、技術情報の多くを提供して、米国を見方につけるため、動き回っている。
一部資料では、後のチャーチル首相自ら、米国の秘密結社である「フリーメイソン」にまで加盟しているとすら述べていた。
まあある種の陰謀史観であるが、要は、チャーチルは米国の為に英国を売り渡したとすら、言われているのである。
そこまで言われる程、戦争に勝つ為には手段を選ばない国である。
そのような国である以上、帝国との提携だけで、独逸やソ連に対抗出来ないとなった時の英国は、なりふり構わず様々な情報を米国に投げ出すであろう。
その中に、「のと」情報が含まれていない保証はない。
いや、むしろ最上級の情報として米国に譲り渡す可能性は高い。

「まあ、帝国と英国だけで、独逸に勝てれば問題とはならないのですが、確約は出来ません。
要は、国策の問題と、情報が米国へ流れる危険性があると言う二点を我々自身が理解した上で、情報開示の方策を考えねばならないと言う事です。」
「問題はそれだけかね?」
「ハイ、「のと」情報を英国首脳に開示するとした場合、留意すべき点はこの二点と考えております。」
「それ以外は問題にならない。と言うのだな。発明、発見等の先進情報の活用については、どうなんだね。
「のと」情報を活用し、既に帝国で特許を取得しているものは、様々に及んでいると聞いているが、それは問題にならないのかな。」
井上蔵相が、少し皮肉っぽく聞いてくる。
「まあ、確かに、発明者が知ったら悔しがるものはあるでしょうが、問題になるとは考えておりません。
理由としては、公開可能な発明や発見は、「のと」世界での研究者が思いつくよりも以前に公開されている点があります。
例えば、帝人にて発明された事となっている、「ナイロン」、いわゆる化学繊維と言うものは、本来ならば、米国のデュポン社の発明です。
しかしながら、デュポン社が例え「のと」情報を知りえたとしても、これを証明する方法が無いのです。
ましてや、今現在デュポン社では、化学繊維の研究を行っておりません。
当然、既にあるものの研究開発を行う理由が無いからです。
従いまして、デュポン社は、それが自社の技術者による発見の盗作だと訴えようにも、証拠が無いので、訴える事も出来なくなります。
但し、現在軍事関連等で、機密にされている発明、例えばトランジスタ等では、多分そのアイデアの特許を取得する人物も出てくる可能性はあります。
この場合は、その国の特許収入はある程度制限される事となるでしょうし、将来国家どうしの話し合いで、逆に特許料を払うケースすら出てくる可能性はあります。
しかし、それも「のと」情報を知っていると言う前提ですから、まず起こりえないでしょう。
国家間となりますと、後は外交レベルですか。
従って、この辺りは、対応できる世界ですので、問題にはなり得ないと考えております。」
井上がそつなく答えると、頷くしか出来ない。
「英国の国策に対しての影響と、米国への機密漏洩への対処としての方策として、検討しているのが、先ほど「高畑」から話が出ました、「一本釣り」です。」

139shin ◆QzrHPBAK6k:2006/12/09(土) 13:46:38
「まず、最初に、正規の外交ルートを通して、英国に対して、いわゆる「のと」情報の開示の用意があると連絡を入れます。
但し、開示に関しては、帝国が指名する人物を介して行うとの条件を付けます。
こちら側が望んでいる人物を英国政府に、代表として選ばざるを得ない状況を最初から作る訳です。」
「それで、一本釣りか。」
「はいそうです。勿論英国は難色を示すでしょうが、少なくとも帝国が「のと」情報を開示しようとしていると言う姿勢は示せます。」
「まあ、そこら当たりは外交だな。」
幣原外相が答える。
少なくとも、自分の出番がある点を好意的に解釈しているのだろう。
「で、選んだ人物に「のと」情報全てを開示するのかね。」
「はい、その方が良いかと。
下手に隠し立てしても、信用されませんし、「のと」の船体と内部を見せるだけでは、この人物に対する交渉が出来ません。」
濱口は無言のまま、先を促す。
「情報開示とは言え、帝国内でもある程度の制限は行っております。
その意味で、英国内に情報が広がるにしろ、その情報閲覧ランクが必要となります。
こちらの指名した人物に、この情報閲覧のランク付けを担当して頂きたいと考えております。
あっ、勿論そのランク付けに対して、当該人物に対する拒否権は総研側にあると言うのが前提ですが。」

「なんだ、今の総研と同じ形じゃないか。」
幣原外相が呆れたように呟いた。
「仰るとおりです。「のと」情報を直接政治家に渡すのはあまりにも危険すぎます。」
「それは、我々に対する皮肉かね。」
濱口が嫌そうに顔を歪めている他の政治家を代表して言った。
「いや、別に皮肉でも何でもないと考えています。勿論、我々のような軍人も同様ですが。」
しれっとした顔で、井上は答える。
「現実に、大きな利害関係が生じない人物、また長期的な視点からこれを判断できる人物が最も望ましいと愚考します。
残念ながら我々自身もその基準を満たしている等というおこがましい事は考えませんが、少なくとも英国側にて「のと」情報を管理する人物も、そのような基準に近づく人を探すべきでしょう。」
井上は、一旦言葉を切りかけたが、直ぐに話を続けた。
「あっ、それと、残念ながら英国には所長のように、我々よりも遥かに基準に近い人物はいませんので、それをお忘れなく。」

140shin ◆QzrHPBAK6k:2006/12/09(土) 13:48:28
全員が苦虫を噛み潰したような顔をしている。
それはそうである。
お前たちでは「のと」情報を管理出来ない、帝国は陛下が辛うじてその基準を満たすと言われて、しかも全員が反論できないのだから。
あーあ、井上さん、また敵を増やして・・・
高畑は頭を抱えたくなった。
まるで、一心に全員の恨みを買うような行為をどうして、この人はいつもするんだろう。
皮肉屋であるのは判っているが、あまりにも辛らつである。
根は悪い人じゃないのになあ・・・

「で、それで、総研は候補者も絞り込んでいるのだろ。」
濱口が井上の先を促す。
「ハイ、アーサー・C・クラーク、後の小説家、現在、英国陸軍電波研究施設にて勤務している研究者、少尉です。
それと、こちらはご存知の方もいらっしゃるでしょうが、ジョン・メイナード・ケインズ、経済学者、現在は大蔵省顧問に迎えられ、大戦中の英国の資金繰りを担当する事となっております。
それと、ケインズ氏は、1946年死亡となっています。」
暫く誰も口を開かない。
どう考えても、このような組み合わせに何の意味も見出せなかった。
第一、ケインズだけならば、現在の濱口政権が実施している内需拡大策の基本理論を提供している学者であるから、知らないでもなかったが、クラークとなると、知っている人間すらいない。
「参考までに、教えてもらえないだろうか、どのような基準でこの二人が選ばれたのかね?」
かなり皮肉交じりに、濱口首相は問いかけるが、井上は平気な顔である。
「ハイ、一番の問題は、「のと」情報でも、英国人に関する情報はそれ程ないと言う点でした。」

141shin ◆QzrHPBAK6k:2006/12/09(土) 13:50:50
膨大な資料の塊である「のと」情報でも、それはあくまでも「のと」世界の日本人が、自分達の興味で集めた資料でしか過ぎない。
その内容は、個人が興味を持った事柄に関する情報が多く、結果として興味が行かない分野に関しての情報は極端に少なくなっていた。
英国に対する情報開示において、その適任者を探すにしても、日本人のデータに比較すると、外国人のデータは遥かに少ない。しかも戦時中にどのような役割を負っていたかとなると、
それは殆ど見つからなかった。
ある程度詳しいデータが集まるのは、どうしても主要な政治家、軍人が中心であり、それ以外は名前だけが出てくる程度であった。
勿論、井上の場合のように、本人の伝記がある場合など、あり得よう筈も無かった。
政界に対してある程度顔が利き、政治に深く関与していない人物であり、尚且つ米国に「のと」情報を開示する事に積極的でなさそうな人物となると、探す方が無駄に近かった。
アーサー・C・クラーク博士の名前が上がってきたのは、大戦後、「のと」世界でも一二を争う小説家として、著書もあり、経歴もはっきりと資料の中にあったためである。
しかも、戦時中は軍の電波研究者であり、教官も勤めたと言う経歴がある点も好ましかった。
小説の分野は空想科学小説と言う荒唐無稽な分野であるが、逆に「のと」資料に接しても、拒否はしないだろうとの予測も立てられる。
勿論、クラーク博士の実績の半分以上が科学関係の書籍である点も、単なる無想家ではない事を示していた。
そして、何より戦後死亡するまで、セイロンに在住し、英国から勲章まで受けたと言う経歴が、米国寄りの活動を取るとは思えない点が上げられた。
英国側で「のと」資料の取り扱いを任せるに足る人物であると言うのが、総研での評価であった。
しかしながら、クラーク氏では、年齢が若すぎた。
1917年生まれ、現在まだ20歳にしかなっていない。
せめて、40代ならば、何とかなるであろが、これでは対象としてあまりにも若すぎた。
これに対して、ケインズ氏の場合は、逆である。
現在54歳で、しかも1946年には死亡している。
ただ、生粋の英国エリートであり、実際に第一次大戦後の講和会議では、大蔵省の随員として参加し、正論をどうどうと述べる胆力も備わっていた。
ちなみに、彼は独逸に対する賠償金に反対し、途中で辞表を提出している。
政財界にも顔が利き、第一次大戦後も様々な建策を述べながら受け入れられず、
しかも、その建策がことごとく正しいとの評価も高い。
「のと」世界では、37年の時点では、何度目かの建策が受け入れられず、不遇を囲っている状態となっていたが、現実には大蔵省の顧問となっている。
そう、総研からの働きかけで、英国政府も内需拡大策を実施しているため、その陣頭指揮を任されているのだった。

142shin ◆QzrHPBAK6k:2006/12/09(土) 13:52:05
「ケインズ氏に関しては、既に「のと」世界とは違う方向に進まれているのは間違いありません。しかしながら、典型的な英国紳士であり、大戦時内閣のチャーチル首相とは反発しあいながらも、戦争遂行の為に、全力を尽くします。
そして、それだけの努力を払いながら、45年には、彼の政策が米国には受け入れられず、英国は切り捨てられます。
この事実だけでも、彼が米国側に立って「のと」情報を使う可能性は非常に低いでしょう。」
「しかし、それは逆に、初めらか米国側に立って働いていたと言う見方も出来ないことはないのじゃないかな。」
説明を聞いて、永田が尋ねる。
「ええ、そのような見方も出来るでしょうね。しかしながら、その場合、ケインズ氏にはどのような動機があるのでしょうか。」
「それは、英国内で自分の建策がことごとく採用されない辺りがあり得そうじゃないかね。」
井上蔵相が答える。流石に、同じ経済家としてその辺りは思いつく。
「その場合でも、現在は違います。英国は明らかに内需拡大策を実施しております。この事から、彼が受け入れられない為に裏切る事はあり得ません。
それに、彼は様々な投資活動を実践しており、十分に資産家です。名誉、金銭欲、あるいは脅しから等の各方面からの可能性はまずあり得ません。」
「そうか、君達がそう言うなら、そこは信じよう。しかし、なんでケインズ氏だけではなく、そのクラーク君と言う若手も同時なんだね。」
濱口の質問に、わが意を得たりと井上が続ける。
「ええ、それが鍵なんです。考えても見てください、ケインズ氏にとり、現在この世界で最も重要と思える「のと」情報に無制限でアクセス出来る権限が与えられると言う事は、彼の虚栄心を十分満足させるでしょう。
ただ、同時にその権限が、全く無名の20代そこそこの若造にも与えられると言う事が、ケインズ氏にとって、どのような意味を持つか。」
「とげだな。指先に刺さってしまった、気にはなるが見つからないとげのようなものか。」
「ハイ、おっしゃる通りです。ケインズ氏にとり、常に意識しなければいけない存在として、クラーク博士がいるだけで、彼の独善的な行動はかなり抑えられるものと期待しております。」
「しかし、そんなに上手くいくのかね。私には机上の空論のように思えて仕方ないのだが。」
幣原外相の顔には、疑いしか浮かんでいない。
「ええ、おっしゃる通りです。ここまではあくまでも我々の想定にしか過ぎません。
しかし、英国政府に対して、「のと」情報の全アクセス権を与えるのはこの両者だけと通知し、しかも、両人の同意があり、しかも帝国と、英国の情報部門が許可を与えた人物のみ、分野情報をその人物に提供すると言う縛りを入れれば、かなり違うのではないでしょうか。
少なくとも無制限の情報流出は防げます。」

143shin ◆QzrHPBAK6k:2006/12/09(土) 13:54:56
「それはそうだが、それでも私には非常に危うい理屈にしか思えないのだが。」
濱口が全員を代表するように、述べる。
あまりにも理路整然としているように聞こえるだけに、余計に信用できないと言うのが、ほぼ全員の気持ちだった。

「お疑いはもっともです。我々自身もこれが十全の体制だとは考えておりません。」
これまで黙って井上に説明させていた梅津が始めて口を開いた。
「改めて申し上げますが、本官はあくまでも英国に対する情報開示には反対の立場です。
ただ、本官の反意は、その時期の問題です。
長期的には、英国に対して何らかの情報開示が必要不可欠であると言う点では反対はしておりませんでした。」
梅津は全員がその言葉を咀嚼するのを待つように、暫く黙る。
「「のと」情報をこのままわが国だけで、独占した場合、帝国はこれまで以上の繁栄を謳歌する事が可能でしょう。
しかし、それは逆に列強全部から怨まれる事に繋がります。
全ての発明・発見は帝国発であり、その先取利益を確保するだけでも、帝国には莫大な富が集中するでしょう。
これで、列強との軋轢が生じない筈がありません。
間違いなく、帝国は戦塵に巻き込まれます。
勿論、本官も軍人であり、今の帝国軍の実力、そして今後配備される先進兵器体系を持ってすれば、負ける事は無いと考えます。
しかし、それは何時まででしょうか。
どこかの時点で、いやはっきり言えば、帝国が「のと」情報を実用化しきった時点で、それは終わりを告げます。
そして、列強が追いついて来た時、帝国に対する恨みは考えたくありません。
それ故、「のと」情報の不必要な長期に渡る秘匿に対しては反対するものです。」

144名無しさん:2006/12/09(土) 13:57:36
「共犯者は増やしておくに限りますからな。」
吉田がぼそりとつぶやく。
誰もが、帝国の実力を十二分に理解していた。
以前とは違い、「のと」情報及びそこから派生した総研と言う組織のお蔭で、欧米列強に対する見方も大きく変わっている。
それまでの漠然とした不安を感じる存在から、ある意味現実として認識できるまで降りてきたと言う方が正しいかもしれない。
全てが情報量だった。
帝国の周辺には、欧米の植民地や没落した中華帝国しか存在せず、欧米は遥かに遠い。
米国の巨大生産施設を実際に見学したものは、それを見て帝国が敵う訳はないと思ってしまう。
だが、果たして彼は現在の八幡製鉄所を見学したことがあるのだろうか。
欧米恐れるに足らずと、声だかに叫ぶものは、本当に欧米の生産施設を見てきたのであろうか。
独逸に留学したものは、その良い面だけを見せられ、独逸贔屓となって帰国する。
逆に、フランスやイタリアに行ったものは、その差別的扱いや、退廃的な所のみを記憶に納めて帰ってくる。
そのような情報量の差が、列強に対する過大評価や過小評価を招いていたと言えよう。
それが「のと」の出現により、大きく変わった。
資料を直接目にしたものは、欧米列強と帝国の格差を明確な数字で突きつけられる。
そして、総研が「のと」資料で得られた、各種分析手法を駆使して提供する月例報告や、年次報告では、帝国の状況が列強各国との相対的な比較の上で語られている。
これが数年以上も続いた訳であるから、誰もが見方を変えざるを得ない。
各省庁からの報告も、以前よりは遥かに改善されていた。
何せ、省益を優先したようなレポートは、総研からのレポートで叩き潰されてしまうのである。
「君はそうは言うが、総研からはこのようなレポートが上がっているのだが、どちらが正しいのかね。」
いやみったらしく、大臣からそう指摘されると、官僚も下手な誤魔化しは効かなくなっていた。
結果、誰もが昭和12年現在の帝国の国力をある程度まで正確に把握できるようにはなっていた。
そして、事実を正確に把握すればするほど、米国の巨大さを認識させられる結果となる。
一つの指針である粗鋼生産量を比較しても、その巨大さは認識出来る。
「のと」発現以降、帝国はその生産量を飛躍的に増大させている。
特に、昨年は前年比170%と言う驚異的な伸びを示しているのである。
1936年時点での統計では、粗鋼生産量は、1200万トンと「のと」世界の6倍まで膨れ上がっている。
それでも、漸く独逸と並ぶレベルまで国力が大きくなったに過ぎない。
そして、米国は長期的な不況に喘ぎながらも、楽々この数字を凌駕し、2000万トンに達しようとしている。
しかも、この数字は不況のせいであり、不況以前は3000万トン近い生産を誇り、「のと」資料では40年に戦時体制がフル稼働しだすと、あっという間に4000万トンを超えてしまっている。
帝国がギリギリ限界まで頑張り、「のと」と言う裏技を使い叩き出した数字ですら、米国の半分にしか過ぎないのである。
このような情報が総研を通じて、軍需省だけで留まるのでなく、国防総省を含む全官庁に正確に伝えられている以上、列強と争う事が如何に無意味かは誰もが認識している常識だった。

145shin ◆QzrHPBAK6k:2006/12/09(土) 13:59:39
「本官が適切と考えた開示時期は、来年です。」
再び梅津が話し始める。
「英国が独逸に対して先端を開き、これに対して帝国が参戦するタイミングにて、日英同盟を更に強化すると言う名目も立ちます。
そして、何よりも英国の国策がぶれても、対応は可能となっているでしょう。
帝国が、英国の強力な同盟者である事を示した後ならば、おのずから対米政策は今よりも厳しいものにならざるを得ません。」
「しかし、既に決は取っている。英国への開示は本年実施される。」
永田が冷たく言い放つ。
梅津が今更何を言い出したのか、その顔には少し苛立ちが浮かんでいた。
「失礼致しました。永田長官のおっしゃる通りです。
本官が述べたいのは、「何時開示するか」と言うタイミングの問題でしかなく、その内容は極端に言えばどうでも良いと言う事です。」
梅津がそれだけ言うと、再び黙ってしまう。
井上は、仕方なさそうにそんな梅津を見ていたが、おもむろに口を開いた。
「帝国は、既に「のと」情報を全て分析し、それぞれの分野で必要な記録を完成させております。
しかしながら、この情報は、決して体系だった情報ではなく、様々な欠落もあり、帝国が一夜のうちに未来の科学技術を全て実用化できるものではないのは皆さんも良くご存知の事です。
このような雑多な情報の中で、比較的体系だったものは、電子機器関連及び、兵器体系でした。
他の分野は、様々なヒント、またいずれこのようなものが出来ると言う程度にしか判らない情報ばかりです。
例えば、身近な例ですが、今から53年後に実用化され、帝国も「のと」から直接実物を手に入れる事が出来た、所謂「90式戦車」があります。
この戦車に関しては、この八年間の間、研究班は徹底的に調査し、どのようなエンジン体系で駆動しているのか、砲塔のライフリング等の仕組み、赤外線連動の照準機、更には特殊なサスペンションに至るまで、その仕組みは解明されております。
しかしながら、帝国はこの戦車を生産できません。
まず、エンジンそのものの成型技術がありません。
砲塔の鋳造方法、装甲板は組成まで資料から判っているのですが、それでも製造できません。
更に、電子制御の部分となると、同じものは作れたとしても、戦車に載せる程小型化は不可能です。
勿論、この分析で手に入れた様々なノウハウは、帝国の最新鋭の97式中戦車に反映されています。
要は、八年間掛かって、分析もほぼ終了し、様々な分野で反映できるものは反映させておりますが、これ以上の「のと」資料の分析から帝国が得られる情報が無いと言う事です。」
「それは、「のと」そのものがもう必要ないと言うことかな。」
濱口首相が、憮然と問いかける。
必要ないなら、それを早く言えば、その使い道は様々考えられる。
「いや、そうではありません。
帝国の科学者では、これ以上の有意の情報を得るのは困難だと言うことです。
当然ながら、欧米の科学者は我々とは異なるメンタリティを持っています。
否、別に欧米と限定しなくても、要は新しいメンバーになればまた違う視点で見れると言うべきでしょう。
その場合には、我々が見過ごした資料から、全く違うノウハウを手に入れる事も考えられます。
しかしながら、これ以上のと情報を広く帝国内の科学者に提供することは、機密保持の点で大きな負担となるでしょう。
この意味で、友邦である英国に対して、開示する事は、新たな発見・発明に繋がると考える次第です。」

146shin ◆QzrHPBAK6k:2006/12/09(土) 14:01:23
「従って、開示のレベルは関係ないか。」
「しかし、その場合、英国が帝国のライバルとして巨大化するのを助ける事に繋がるのではないのか。」
誰かがそう言うと、井上は冷たい視線を発言者に向ける。
「お忘れですか、英国は帝国のライバルではありません。遥かに巨大な列強なのです。今更どうしようと言うのですか。
遥かインド洋を横切って、英国まで攻め上がりますか。
手に入れた最新兵器で武装した帝国総軍をすり潰す覚悟で、スエズ運河を占領でもしますか。
小職は御免ですな。」
発言者が身を竦める思いで小さくなる。
「まあ、井上君、君達の言いたいことは良く分かった。
英国が資料を手に入れ、電子部品や、化学製品の作り方を取得しても、既に帝国で実用化してしまっているものに関しては、大きな違いは無いと言うことだな。」
濱口首相がとりなすように話をまとめる。
「いつかは、ばれる。その時に列強から袋叩きにあう前に、相手に喜ばれながら手渡し、その後の友好関係の構築を目指す。
まあ、妥当、いや、最善の策でしょうな。」
幣原外相が続ける。
「その場合は、全て提示し、他の列強からの恨みを一緒に被ってもらう。
しかも、それにより、英国が再び世界帝国に返り咲こうが問題ではない。
少なくとも、帝国が滅亡する事はない、と言うことかな。」
井上蔵相が更にそれを纏め上げる。
流石に、八年に渡って、帝国を運営してきた重鎮達である。
理解は早い。

147shin ◆QzrHPBAK6k:2006/12/09(土) 14:03:39
「それでは、英国への開示は、この方向で政府も動こう。それで良いな。」
濱口がそう言いながら、辺りを見回すと、全員に安堵の雰囲気が広がった。

「それで、核兵器はどうなるのだ?」
そう、英国への開示は、まだ問題の半分にしか過ぎない。
更に大きな問題が、核兵器の取り扱いだった。

「核兵器に関しては、現時点では、所長の方針を遵守し、そのために努力する。
としか答えられません。」
「それは、総研として建策の案が無いと言う事なのかな。」
「いや、そうではありません。
現実問題として、既に統本情報部は動かれている筈ですが、それ以上の対応は、大戦の行方如何でしょう。
今の時点で、建策すること自体、本当に机上の空論に陥ってしまう可能性が大きすぎます。」
「そうか、言うとおりだな。
堀君、現状は特に変化は無いのかな。」
濱口首相が、統本情報部部長に問いかける。
「はい、皆さんもご存知の通り、核開発に関しましては、列強各国の開発を妨害するとの方針で、これまでも動いております。
既に、「のと」資料で名前の上がっていた科学者全員に対して、監視体制が整っております。
また、一部の科学者に対しては、帝国での研究の可能性を提示し、既に数名は国内に入っております。
特に重要なのは、レオ・シラード博士を招聘出来た点です。
亡命ユダヤ人の博士は、「のと」資料ではアインシュタイン博士をして、当時のルーズベルト大統領に核開発を促す手紙を書かせた人物としても有名ですが、
核兵器の可能性に気がついた初期の科学者でもあります。
まあ、彼を含む数名だけでも、米国における開発は若干遅れるものと考えられます。」
「そうか、原子爆弾の開発に関しては、「のと」世界のルーズベルトよりも、ランドン大統領の方が消極的なのか?」
濱口首相は、他のメンバーに聞かせる為に、自分の知っている内容であるにも関わらず、更に堀に問いかける。
「いえ、それはまだ判りません。ただ、少なくとも米国政府から科学者に対するアプローチはまだ始まっておりません。
「のと」資料でも核兵器開発の開始は41年となっておりますので、米国政府がその可能性に気がつくのにはまだ数年は必要だと考えております。
情報部としては、少なくとも今後一年間は、関係科学者の帝国への招聘と、監視に的を絞り動いて行く積りです。」
「そうか、了解した。で、一年後はどうなるのだ。」
「それは、今の所は何とも言いかねます。
今回の「のと」情報の英国への開示によって、英国政府も核兵器の可能性を知るわけですから、英国の出方次第でしょうか。
それと、戦争が開始されるでしょうから、我々のやり方も少し手荒なものにならざるを得ないでしょう。」
情報部の言う「少し手荒なもの」については、誰も聞こうとはしない。
それが、大人の常識と言うものだった。

148shin ◆QzrHPBAK6k:2006/12/09(土) 14:10:34
「少なくとも、今のところ帝国以外に核兵器を開発できる国家は無い。
英国への「のと」情報の開示により、英国での核開発の可能性は大きくなるが、この一年でどうなるものでもない。
来年以降は、次期大戦が開始され、それに応じて状況が変化する以上、今の時点で現在の方針を変更する理由はないと言う事か。」
濱口首相が話をまとめる。
「はい、おっしゃる通りです。
それと、核兵器の研究に関しては、今後も継続します。
しかしながら、核兵器の生産は行わない。
この点はご留意下さい。」
井上が付け足す。

「よし、以上かな。井上君、何か他に議題はあるかね。」
井上が無言で首を振る。
「それでは、この際だから、私から一言皆さんに言っておこう。」
濱口首相が改めて、全員を見回す。

149shin ◆QzrHPBAK6k:2006/12/09(土) 14:12:25
「今回のように、総研の主要メンバーが集まれる機会は当分ないものと思う。
全員で改めて肝に銘じていただきたいのは、この総研そのものの目的を忘れないで欲しいと言う事だ。
井上君や梅津君、そして高畑君や他の科学者の先生方、あなた方の建策は、一重に、次期大戦にて、帝国が滅亡することを防ぐことにある。
だからと言って、何をやっても良いという訳でもないことを忘れないで欲しい。
帝国は、立憲君主制の国家であり、「のと」資料に述べられているような帝国主義、あるいはヒトラーのような独裁国家ではない。
それ故、回りくどいやり方しか出来ず、いらだつ事もあるだろう。
それでも、諸君らには頑張って頂きたい。
そして、どうしようもない時は、首相が責任を負う。
これを忘れないで欲しい。
諸君らの殆どのものが知っているものと思うが、帝国の運営はきれい事だけで済む訳は無い。
泥を被る事もあろう、後ろ指を差される事もあるだろう。
それでも、この八年間の活動の全ての責任は、首相であるこの濱口にある。
これは、形だけではなく、歴然たる事実として認識して欲しい。
諸君、これまで本当にありがとう。
そしてこれからも、この国をより良きものにする為に、頑張って欲しい。」
濱口首相が立ち上がり、頭を下げると、会議室にざわめきが広がる。
それもそうである。
濱口首相の話はまるで、辞任するかのような内容だった。
「あっ、それと最後に一つ。
私はまだ辞めるつもりはない。
少なくとも、後一年は勤めさせて貰う。
しかしながら、来年大戦が勃発すれば、挙国一致内閣を組閣するつもりである。
そして、私はその首相にはなれない。」
多くの者が、異議を唱えようとするのを手で制止ながら、濱口は続ける。
「戦争となれば、果断な決断力が要求される。
そして、その決断の責任は、平時よりも更に重い。
この重責に耐えるには、私は年を取りすぎた。
まあ、自分とすれば後二三年は大丈夫だと思いたいが、流石にこれから45年まで八年間も
続ける事は出来ないだろう。
だから、私はその任を後任に託すことにする。
吉田君、君に戦時内閣の首相をお願いしたい。」
ガターンと大きな音が会議室に響いた。
吉田茂が慌てて立ち上がり、椅子を後ろに倒していた。

150shin ◆QzrHPBAK6k:2006/12/09(土) 14:14:23
真っ青である。
「わ、私ですか・・・」
それまで、吉田は、濱口さんがどうやら辞める積りらしいな、と他人事のように話を聞いていたのだった。
後任は、幣原外相かな、それとも永田さん辺りに振るかな、戦時だしなあ、などと気楽に考えていたにしか過ぎない。
吉田は、イタリア大使から急遽帰国させられ、それ以降は、総研と政府の間で外交関連の交渉取りまとめを中心に実務をこなしてきていた。
時に、皮肉交じりで意見を述べる態度から、幣原外相には煙たがられていたが、何故か邪険にはされなかった。
まあ、帝国も伸張しているし、自分もそれに寄与していると言う仕事上の満足感もあり、後8年もすれば、落ち着いて悠々自適の生活を思い描いていたに過ぎない。
突然の事で、舞い上がってしまい、立ち上がっていたが、改めて周りを見回すと、総研の主要メンバーは、納得の表情を浮かべている。
井上に至っては、ニヤニヤ笑みすら浮かべているのが、癪に障った。
「「のと」資料ですね。」
吉田はその理由に思い当たり、鋭く言う。
全員がほおっと、驚いた顔を浮かべて、また逆に納得してしまう。
これまで、自分もかなり仕事を任されていると思っていたが、その割には、「のと」資料の閲覧ランクが上がらなかった事が、今になって思い当たる。
「そうか、吉田君は、資料は閲覧できなかったんだな。」
「ハイ、流石に、彼に閲覧させる訳にはまいりません。これは所長の判断でもありました。」
梅津が簡素に答えた。
「それでは、所長に閲覧ランクの引き上げをお願いしよう。
これからは、彼もその立場で動いてもらわんとな。」
どうやら、「のと」世界では自分は結構頑張っていたようだ。
そんな事で、弱みなんか見せてなるものかと言う思いに、思わず、自分がやった事を聞きたくなるのをぐっと堪える。
「それでは、来年の開戦を持って、内閣総辞職、後任には挙国一致内閣として、吉田茂を首相指名する。
皆さんも異議はないでしょうな。」
吉田の「のと」世界での経歴を知っているものは、納得したように頷いている。
それはそうである。
戦後の内閣総理大臣を五回も務め、しかもサンフランシスコ講和条約を結んだ人物である。
適任と言えば、彼ほど適任者はいない。
事情を知らない他のメンバーは、濱口首相の言い方に口を挟めるものでもなかった。
本人があっけに取られている間に、次期内閣総理大臣は、あっさりと決まってしまっていた。

151shin ◆QzrHPBAK6k:2006/12/23(土) 21:32:18
1937年6月14日
 所々に低い潅木か生い茂る以外は、目立つものが何もないこの地では、周りから少し高くなった所に設けられた、その建物は結構目立つ。
 逆に言えば、二階建てのその建物の屋上に設けられた四角い監視所に立つ兵士からすれば、近づいてくるものは、かなり早い段階から見えている事になる。
 しかしながら、その兵士は命令された通り、対岸を監視していたため、反対側から近づいてくる幾つかの車輌に気がつくのが遅れたのは、仕方の無い事だった。
 それでも、彼は気がつくと直ちに、下に声を掛け、下士官らしい人物が確認に上がって来、小さな監視所は、慌しい気配に包まれた。
アムール川を挟む川沿いの、渡河可能な地点に、このような監視所が整備されたのはここ数年の事だった。
 施設そのものは、中華政府のものであり、現にそこに詰めている兵隊は独逸軍に良く似た民国軍服を羽織っている。
 対岸からは、ある程度目立つように作られた監視所であるが、その後方は一段と低くなっており、車輌が何台か止まれる空間が確保されていた。
その広場から伸びる道らしきものを通り、高機動偵察車に先導されるように、一台の兵員輸送車が監視所に接近してきたのは、流石に対岸からは見えようもない。
帝国軍では、正式には高機動偵察車と呼ばれている車輌は、オープントップの四角い車体に、相応のエンジンを積んだだけの、四輪駆動の車輌であるが、その手軽さと利便性の為、非常に重宝されている。
プロトタイプは、30年代初頭に早々に作られ、あっという間に、旅団の標準装備になってしまった車輌であるが、ジープと言う通称の由来を知っているものは少ない。
これに対して、兵員輸送車は、一応正面からなら9ミリ程度の機銃弾では貫通出来ないよう装甲も施し、後輪の代わりにキャタピラ駆動の本格的なものである。
帝国総軍でもそれほど配備が進んでいる訳でもなく、近衛教導兵団でもなければ、旅団本部以外では滅多に見られないものである。
 監視所後ろの広場に辿り着くと、ジープからは、二名の将校が降り立ち、後方の兵員輸送車からは、若い将校と兵士達が素早く飛び出し、整列する。
予め、待ち受けていたのであろう兵に、その若い将校が何かを告げると、彼は慌てる様子も無く、監視所の中に戻って行った。
「全く、たるんどる。」
停戦監視団のま新しい制服を纏った少尉が、よっぽど、そんな兵の態度が気に入らなかったのだろうか、イライラと辺りを見回しながら、声高くつぶやく。
「まあ、そういらだつな、なんせここは辺境だ。こんな所で何か起こるなんて、国軍も思ってる訳ない。」
ジープから降り立った将校の一人が気軽に声掛ける。
「そうはおっしゃいますが、中尉、士気の弛緩は重大問題です。帝国軍なら彼らは懲罰もんです。」
「あのなあ、榊なあ。」
それを聞いていたもう一人の全体の指揮官らしい将校が横から口を挟んだ。
「はっ?」
突然指揮官に話しかけられ、戸惑いながら、統合本部作戦部停戦監視団派遣将校榊少尉は、答える。
「お前な、判ってるのか。俺らは帝国軍ではない。停戦監視団派遣将校だ。しかも、彼らは中華民国国民政府東北辺防軍所属のれっきとした部隊だ。帝国軍の基準で物事を判断するな。」
「いえ、そうはおっしゃいますが、軍は軍です。あのような緩慢な動きでは、敵に漬け込む隙を与えます。」
真っ直ぐに、見つめる目が、自分の言っている事に間違いは無いと心から思っているのが判る。
佐藤はうんざりとした顔で、榊の顔を見つめた。
こいつ、本当に、若い、若すぎる・・・
ここ、数年の改革で、士官学校もかなり変わったと聞いているが、それでもこんな坊ちゃんが出てくるとは。
佐藤は同行した、将校を振り返るが、彼は黙って首を左右に振るだけである。
佐藤は頭を抱えたくなった。

152shin ◆QzrHPBAK6k:2006/12/23(土) 21:33:02
統本情報部は、一課から七課までの課からなっており、それぞれが担当地域を担っている。
情報部にはそれ以外に総務課がおかれている。
総務課には、後の世界で、庶務と呼ばれる一般雑務をこなす係もあるが、情報部においては、特別な扱いを受けていた。
通常は、五年前より受け入れが始まった事務系の女性兵士が、総務課より各課に派遣され、雑務をこなしているが、時折、そんな彼女達とは全く毛色の違う将兵が総務課より各課に派遣されてくる。
彼らか派遣されてくると、課長と打ち合わせをし、時には何人かの課員が呼ばれ、必要な情報を入手すると、出て行って暫くは戻ってこない。
否、場合によっては、それきり音沙汰の無い場合すらある。
勿論、課員は、彼らが何者かは判っているが、それは口にしない。
総務課特務班、世界の様々な紛争地域を渡り歩き、時には非合法な活動もこなしながら、情報部の必要とする情報を入手してくる実働要員だった。

佐藤が短い休暇を終え、特務班に顔を出すと、直ぐに班長に呼ばれた。
「体調は?」
「万全です。」
「そうか。この書類に目を通し、一時に部長室に出頭するように。」
班長は、めんどくさそうに書類を渡すと、もう用は無いというように、手で追い払う。
一言なんか言ってやろうかと思うが、罵声ではこの班長には勝てそうに無いので、黙って書類を受け取り、軽く頭を下げ、自席に戻る。
パラパラと渡された書類に目を通す。
一目見て、今度の任地は中華東北区である事が見て取れた。
俗に言う、満蒙である。
挟み込まれた白地図には、現在の満蒙地域の北辺軍、所謂張学良が指揮官の中華民国国軍の配置から、停戦監視団、帝国軍の配置まで全て記載されていた。
そうか、ロシアか・・・
更に地図には、アムール川を挟むように、対岸に位置するソ連軍の配置状況まで記載されている。
しかし、最近何かあったかな・・・
書類に尚も目を通しながら、佐藤は一人で、状況を推測してみる。
ソ連が脅威であることは、今も昔も変わらない。
しかしながら、ここ数年は国境紛争等も起きておらず、おとなしいものだった。
と言うことは、何か起きるのか、いや、起こすのか?
起こすなら、自分がそれを命じられるのは願い下げだなと思いながらも、取りあえず、与えられた情報は全て把握するように、少し真剣に書類に目を向けた。

153shin ◆QzrHPBAK6k:2006/12/23(土) 21:33:39
「失礼します。」
部長室に入ると、既に先客がいた。
「梅津だ。宜しく。」
軽く頭を下げ、指し示されたソファに腰を下ろす。
「資料は読んだな。早速だが、行き先は、乾岔子(カンチャーズ)島だ。」
その名前を聞いても、一体何処にあるのか、佐藤には全く検討がつかなかった。
「アムール川沿い、ハルピンの北西400キロの地点、言うまでも無く中ソ国境だ。」
佐藤は、いやそうに繭をしかめる。
「一応、一個中隊を付ける。身分は、停戦監視団派遣将校。後方支援としては、ハルピンで習熟訓練中の戦車中隊が、演習も兼ねて、国境周辺を警備中だ。指揮官は島田大尉。50キロ程上流の、アイグンで、中華民国北辺軍に引渡し予定の新式河川砲艦が試験中だ。こちらは、木村大佐が試験管として乗船していることとなっているので、いざとなったら、彼の指揮下に入るように。」
佐藤の眉が釣り上がる。
ここまで、大掛かりな準備が整っている以上、事はただ事ではない。
「「のと」情報は知ってるな。」
改めて確認するまでもない。
総務課特務班が派遣される地点は、「のと」情報と呼ばれる丸秘情報からによる場合が多く、その由来は様々な噂があるが、精度の高い防諜情報である。
「今回は、精度はそれ程高いものではないが、アムール川にある中州に、ソ連軍が侵攻を企てているとの事だ。」
なるほど、その為の出動ならば、良く判る。
しかしそれが、特務班が動くほどの事なのか。
佐藤の疑問が顔に現れたのか、梅津が尚も話を続ける。
「現地指揮官の独断ならば、単なる国境での小競り合いで終る。しかし、裏でソ連首脳の意思が働いていたら、どう思う?」
「威力偵察ですか?」
何らかの意図があり、実施されるならば、それはその後の侵攻準備に他ならない。
なるほど、欧州でも徐々にきな臭い雰囲気が漂い始めていると聞く。
ソ連が動くとすれば、東か西か、どちらも可能性はある。
西が慌しくなり、列強がそれにかまけている間に、東で動く可能性、逆に東を固めておき、その間に西で動く可能性、両方とも可能であろう。
いくら、現在は大きな紛争も無く、帝国とソ連、中華の関係が比較的良好とは言え、ソ連が中国共産党を支援しているのは、公然の秘密だし、ロシアはロシアである。
「どちらの可能性が高いと考えられますか?」
「その判断がつかんから、情報部が動かざる得ないんだよ。」
それまで、黙って聞いていた堀部長が、ポツリと言った。
ごもっとも・・・
佐藤は、軽く頭を下げ、部長に敬意を表する。
「まあ、どちらにしても、禍根を断つため、中洲への侵入者は殲滅してくれ。但し、あくまでも中華国軍の手によってだ。」
「それは・・・難しいですね。」
「判っている。しかし、国軍が国境紛争一つ解決出来ないと判れば、ソ連はつけ上がる。帝国が他の地域での紛争にかまけて、動けないと見れば、何をするか判らんからな。」
なるほど、帝国は欧州に参戦する積りらしい。
その位は、ここにいれば、佐藤でも判る。
梅津はその辺りまで理解したらしい佐藤の顔を満足そうに見つめる。
まあ、「のと」資料では、陸軍中野学校の創設者と書かれている以上は、この位は当然か・・・
そんな事を梅津が考えているのは、佐藤幸徳中佐には、判るはずも無かった。

154shin ◆QzrHPBAK6k:2006/12/23(土) 21:34:20
「大尉、田中大尉・・・」
「うん、あっ、俺か。」
生半可な返事を返すと、若い榊少尉の顔に、この人大丈夫かと言う表情が浮かんでいる。
佐藤は、思わず心の中で苦笑する。
今の自分は佐藤ではなく、田中大尉だった。
いかん、いかん、気をつけなければ・・・
と言っても、佐藤がそれを気にしている訳でもない。
40過ぎて、うだつの上がらない大尉役なので、結構気に入っている。
ぼおっとしていても、誰も不思議に思わないし、呼ばれて返事をしなくても、怪しまれない。
結構楽だな、大尉と言うのも。
「で、なんだ。」
「監視所の司令がお見えです。」
「おお、それは如何、挨拶せねば。」
大げさに驚いて、後ろを振り返ると、自分と似たようなやや小太りの少佐が困った顔で、こちらを見ていた。
いかにもぞんざいな敬礼を交わす。
それでも、階級章から、少佐と判るので、相手が手を下ろすまで、ちゃんと待った。
「停戦監視団、田中大尉、二人は、大衡中尉、榊少尉です。」
「東北辺防軍、劉少佐です。何かあったのですか?」
どちらかと言えば、濁音がきついが、それでも流暢な英語が帰ってくる。
昔は、日本語か北京語が使われていたが、最近では英語が共通語になりつつある。
勿論、佐藤も英語どころか、北京語も使えるが、ここはわざとゆっくりとした英語で答える。
「先月、北安郊外で、問題を起こした共産匪賊を追っています。ええっと、ソ連に逃げ込もうとしているとの情報があり、暫くこの辺りで警戒させて頂きたい。」

155shin ◆QzrHPBAK6k:2006/12/23(土) 21:35:01
これは本当である。
蒋介石も張学良も、共産党の暗躍には手を焼いていた。
流石に、大規模な紛争は、治まっていたが、共産党はその代わり、徹底したゲリラ戦法に切り替え、あちこちで小競り合いを引き起こしている。
特に満州地区では、中華本土の腐敗した利権構造の為、逃げ出してくる人々が後を絶たず、お蔭で、紛れ込んでくる共産党員もきりが無かった。
まあ、満州地区では、停戦監視団や、東北辺防軍そのものが、利権構造とは無縁の存在であるので、中国中央とは違い、それほど彼らには活躍の場所は無い。
それでも時折、郊外で爆弾騒ぎなどか起こるのは止められなかった。
何せ、裏ではモンゴル経由で、ソ連製の武器弾薬が流れ込んでおり、幾ら規制しようとしても、広い大陸故、抜け道はいくらでもあった。
 ちなみに、東北辺防軍そのものが、利権構造から切り離されているのは、何も張学良を含む北方軍閥が、精錬潔白な訳では無い。
フリートレードゾーンのせいで、通関手数料である、3%以上の賄賂を要求できないため、通行料や、その他の名目で、軍隊が上がりを掠める事が出来なくなってしまった為である。
しかも、高畑達が、彼らに投資顧問を派遣し、裏技的な金儲けの方法を伝授している点も大きかった。
彼らは、満州地区の治安の維持が、日々増えてゆく資産の為に必要不可欠なものである事を良く理解しており、それ故、東北辺防軍が健全である事が要求されていたのである。

目の前にいる中国人の少佐も、その新しい東北辺防軍を良く表わしていた。
昔の軍閥と違い、この五年間で彼らの待遇は遥かに良くなっている。
しかも、少佐ともなれば、収入はかなりのものである。
制服も自分で誂えたものであろう、佐藤達が着ている停戦監視団のものよりも見栄えが良い。
血色の良さそうな顔に、小太りではあるが、流石に軍人らしく、無駄な贅肉に塗れている訳では無い。
今は、佐藤が手渡した、書類に目を通してるが、その態度も堂々としている。

156shin ◆QzrHPBAK6k:2006/12/23(土) 21:35:45
「判りました、暫くこの辺りで、警戒待機されるのですね。宿舎は、どうされます?」
別に、彼が親切で言っている訳ではない。
いや、劉少佐の場合は、親切心からかも知れないが、とにかく、停戦監視団と北辺軍の間の協定では、北辺軍が提供したサービスには、相応の代価が支払われる事となっており、その請求は、よっぽど無茶を言わない限り、受け入れられる。
「いや、お申し出はありがたいのですが、共産匪賊に網を張って待ち伏せですから、そう言う訳には行かないんですよ。」
佐藤は残念そうに、言う。
北辺軍の少佐クラスともなると、専用のコックを引き連れている事もある。
提供される料理は、後で請求出来る事もあり、かなり豪華である。
「ほう、それは残念ですね。まあ、今晩位宿舎においでになりませんか、食事くらいは良いでしょう。」
「えっ、それは、」
「大尉!」
思わず承諾しようとすると、横から榊少尉が、肘でつついてくる。
「折角ですが、特命ですので、お受けする訳には参りませんよね、大尉」
「えっ、おまえ、な、何を・・・」
「お忘れですか、あくまでも気付かれないように留意を払えと言われたじゃないですか。」
「そ、それは・・・そうだが、しかしなあ・・・」
二人がこそこそ話し出したのを、劉少佐は、少し呆れ顔で、大衡中尉に視線を向ける。
年下の少尉が、うだつの上がらない大尉に諫言している図そのものの構図に、何とも言えない。
大衡中尉が、無駄ですと言うように、首を軽く振る。
「命令です・・・」、「日華友好・・・」とか言う言葉が聞こえてくるが、やがて意見がまとまったようだった。

「失礼致しました。劉少佐、まことに残念ながら、そのお誘いもお断りせざるを得ません。」
大尉は非常に残念そうな、いや未練たっぷりでこちらを見つめてくる。
きっともう一度誘いを掛ければ、今度は喜んで乗ってきそうである。
しかし、横にいる若い少尉は、さも当然であると言う顔で、真っ直ぐに見つめている。
まあそこまで、誘う義理もないし、何よりもそうなった時に、この若い将校のいらぬ恨みでも買いそうで怖い。
「判りました。まあお互い仕事ですからね。それで、食料の方は?」
「ああ、それは、後で兵舎の方に、給食班を向かわせますので、宜しく。」
「そりゃ良い、兵が喜びます。では宜しく。」
敬礼を交わすと、停戦監視団の三人の将校は、まだぶつぶつぼやいている大尉を中尉があやすように、何か言いながら、部隊の方に戻って行った。

157shin ◆QzrHPBAK6k:2006/12/23(土) 21:36:26
あれじゃ、本当に共産匪賊とやらを捕まえられるのかね。
そんな事を思いながら、北辺軍少佐も、監視哨の中に戻る。

少なくとも、これで北辺軍には警戒されることは無かろう。
まだ心配ならないと睨んでいる榊少尉を半分からかいながらも、佐藤は心の中で一人頷く。
最も、中華料理を食べ損ねたのは本当に残念ではあったが。
まあ、食材を交換出来るから、隊の給食班が何かそれらしいものを作ってくれるのを期待するか。

大陸からの撤兵からこっち、導入された新しい制度に、給食班の整備があった。
それまでのような、兵一人一人に、飯ごうを持たせ、自炊させるのを廃止し、給食班による一括調理による配給制に部隊の食事は変わっていた。
食材は予め、補給品として用意されており、現地での略奪まがいの行為は堅く禁じられている。
これは、民衆の恨みを買わないために当然と言えば当然の事なのだが、その代わり、いかにも日本人らしく、食事に凝る給食班の班長達は、物々交換による食材の調達を行うようになっていた。
軍も、最初は便衣隊などの暗躍を恐れ、禁止しようとしていたが、それも今では積極的に奨励している。
帝国が持ち込んだ食材に、意外と人気がある事が判ったせいだった。
缶詰で提供される、鯨の大和煮や鮭や鮪の水煮等は、結構現地でも喜ばれた。
そして、最も人気のあるのが、五年前から食材に導入された乾燥麺だった。
何よりも、長期保存が利き、かさばらない点が、導入の理由だったが、予め味付けし、揚げてある乾燥麺は、お湯に入れて茹でるだけで結構上手いと評判になっていた。
製造元の日新製粉では、増産に励んでいるらしいが、まだまだ中華の辺境では数が少なく、貴重品扱いとなっており、補給班が、設営の準備を始めると、近所の農家から、食材を持って交換に来る程だった。

「それじゃ、少尉、何名か連れて、他の小隊の配置を確認してきてくれ。ジープを使ってかまわんよ。」
佐藤は辺りの地図を取り出し、眺めながら、榊少尉に告げる。
「この辺りが野営地に使えそうだな。取りあえず、この辺りが本部になるか。」
「そうですね、そこなら、隠れるにも適してそうですし、川にも近いですね。」
横から地図を覗き込み、大衡が答える。
「うん、どうした、何かあるか。」
佐藤は、榊がまだ動き出さないので、不振そうに声を掛ける。
一瞬、何か言いたそうな顔を浮かべた榊少尉だが、すばやく敬礼すると、きびすを返して、兵隊を呼び、準備にかかる。

158shin ◆QzrHPBAK6k:2006/12/23(土) 21:37:06
「彼、絶対、大尉が自分のいない間に、大佐の招待を受けに行くんだと思ってますよ。」
馬鹿言えと言う顔を大衡に向けながら、それには気が付かなかったと一人納得する。
まあ、仕事が無ければ、否定は出来ないな。
あいつ、絶対サボらないで下さいと言いたかったんだろうな。
流石に、上官二人に対して、そこまで口は聞けない。
それに兵も見ている。
兵隊の前では上官の悪口を言わない位の教育は受けているようだった。
しかし、あまりに手を抜くとその内には彼もそんな教育も忘れてしまいそうだった。
まあ、二週間も一緒に行動していると、その辺はさっしが着く。
新任の榊少尉にすれば、自分のような上官は許せないのだろう。
偵察車に、三名程の兵隊を乗せ、榊少尉が出発して行くと、佐藤は改めて、残りの兵隊を見回す。
残った兵隊達は、休めの体制のままで、こちらの指示を待ち受けている。
全員がこれからの行動に興味津々であるが、それでも殆どの兵隊がその気持ちを上手く隠しているのに気が付き、佐藤は心の中で微笑む。
兵達の多くは、召集兵ではなく、ある程度熟練兵を選んであるのが判るだけに、安心出来る。
特に、残った下士官は、いかにも歴戦のつわものとと言う感じで、完全な職業軍人そのもののふてぶてしさで待機している。
十分な間合いを取り、兵たちから少し距離を置いて何気なさそうに佇んでいるが、警戒は崩していない。
昭和維新後、大きな紛争も起きていない帝国軍に取り、貴重な実践経験者であろう。
一瞬、視線が会うと、曹長は慌てて目を逸らした。
その仕草に、ふと疑問を感じ、佐藤は曹長を手で差し招く。

159shin ◆QzrHPBAK6k:2006/12/23(土) 21:37:47
「ここの手前500メートル程戻った所に道があっただろう。ここだ。」
地図を広げ、曹長にも見えるように示しながら、佐藤は話す。
「ここを暫く進んだこの辺り、ここに本部を築く。ところで貴様、任務は聞いているか。」
流石に、隊長の自分がそう聞くのもおかしい気もする。
数年前までは、何をしに行くのかが知らされる方がまれだったのだ。
どこかで、引っかかる気がしたため、会話を繋ぐ為に聞いただけだった。
「はあ、一応は。」
曹長も、何か迷っているようで、言い方が曖昧である。
しかし、何か覚悟を決めたらしく、曹長は、ビシッと背筋を伸ばすと、
「失礼いたしました。本職の聞いていますのは、建前だけであります。田中大尉殿。」
やや痩せた鋭い目つきの曹長の、覚悟を決めて、探り入れるような言い方に、佐藤の目が少し動く。
『だいい』、『たいい』ではなく、旧陸軍の呼び方である。しかもご丁寧に『どの』まで付けている。
総軍創設以来、殿は普段は使われなくなった。大尉も陸海共通の『たいい』に変わっている。
ピンと来るものがあり、少し口調を改める。
「貴様、軍に何年になる。」
「ハッ、今年で20年です。先の大戦の折には、歩兵第32連隊でした。」
そうか、あそこにいたのか。それでは隠しても仕方ない。
佐藤は、大衡と目を合わせ、頷きあう。
歩兵第32連隊は、当事佐藤が中隊長を務めた部隊だった。
そして、大衡も、違う名前でそこにいたのだった。
「確か、チンタオだったな。名前は?」
「ハイ、坂口健吾特務曹長です。」
坂口は、あの頃まだ一等兵だった筈だ。それが特務とは、偉くなったもんである。
「そうか、坂口一等兵か、偉くなったなあ。」
大衡も、やっと思い出したのか、嬉しそうに言う。
「はっ、ありがとうございます。」
坂口がほっとした顔で、嬉しそうに答える。
そりゃそうである。
指揮官として、二名の将校が赴任してきた時、坂口は唖然とした。
二人とも、年はとっているが、明らかに坂口が最初に配属された部隊の小隊長と中隊長である。
当時連隊で、佐藤中尉と仲村少尉の凸凹コンビを知らないものはいない程の二人だった。
普段は、将校にしておくのはもったいない程、気さくで、とにかく兵を大事にする指揮官だった。
戦闘となると、人が変わったように、獰猛になるが、それでも、その命令はその後の無理難題を吹っかける天保銭将校とは全く違っていた。
それに、この二人はきっと忘れているであろうが、坂口は中隊長に命を救われたと信じている。
この中隊長がいなければ、そして、自分の属した小隊の指揮を仲村少尉が取っていなければ、あの時生きては帰れなかっただろう。
そんな、軍では珍しい事に、坂口自身が敬愛する指揮官二人組みが赴任してきたのである。
本当ならば、挨拶に行きたい所だったが、名前と階級が合わない。
坂口が覚えている中隊長は、佐藤幸徳の筈だが、田中幸徳と名乗られているし、小隊長は仲村栄一が、大衡栄一となっている。
二人とも、どこかの家系でも継いだのかとも思ったが、それよりも階級が合わない。
確か、中隊長は五年前に中佐になられていた筈だし、小隊長は少佐だった筈である。
何かある。
伊達に、特務曹長と名乗っている訳ではない。
それくらいは、坂口も察しがつく。
ここは、黙っていなければと思うのだが、それでも本人達を目にすると、落ち着かなくなるのはどうしようもなかった。

160shin ◆QzrHPBAK6k:2006/12/23(土) 21:38:34
「それで、坂口曹長、どうして建前と気がついた。」
一通りの歓談を終らせ、佐藤が問いかける。
少なくとも、坂口のような歴戦の曹長が部隊にいるのは安心できる。
まあ、兵隊の経歴を確認しないで、編成を考えたやつには、帰ったらきっちりと落とし前はつけさすが、今はありがたい。
「ハッ、中隊の兵が、古参中心で選抜されております。それに、武装もほぼ充足体制です。」
言う通りだった。
近衛教導兵団ならばいざ知らず、沖縄特選管区所属の監視団派遣部隊にしては、装備が良すぎる。
「ふむ、やりすぎかな。で、それだけか?」
「いえ、戦車中隊が、後方に待機している点も、尋常ではありません。」
坂口が付け足す。
やはり、曹クラスの情報網は侮れない。
特に、任地によっては自分達の命が掛かっているだけに、情報収集は死活問題だろう。
「これは、何かあると思いましたが、やばいのは出来れば遠慮させて貰いたいと、他の連中と話しておった所に、大尉が着任されました。」
坂口が、言葉を選ぶように、話す。
「大尉が、あの当事の中隊長のお知り合いの方ならば、邪険にはされまいと、後は当たって砕けろです。」
「おまえなあ、他の連中だったら、ただじゃすまんぞ。」
佐藤はあきれてしまう。
自分だから、かなり突っ込んでも大丈夫だと言われては、あまり好い気はしない。
「ハッ、申し訳ございません。何分当事の中隊長は、それは型破りの方でしたから。」
隣で仲村が、笑いを堪えて真っ赤になっているのが、余計に気に障る。
しかし、一体どんな話になっているのか。
今回の件が終ったら、聞き出さねば。
「うむ、良く判った。詳しい事は言えんが、露西亜が越境してくる可能性がある。」
とにかく話はそこまでにし、声を落として、要点だけ伝える。
「場所は、一キロ程上流の中洲、乾岔子(カンチャーズ)島が怪しい。場合によっては、河川砲艦がお出ましの可能性もある。」
「河川砲艦ですか、剣呑ですな。」
坂口も、打って変わって真面目な顔で、一言も聞き逃すまいと、顔を寄せる。
「問題は、ここが中華だと言う事だ。撃退、いや殲滅してしまう必要はあるのだが、帝国軍が全面に出る訳にはいかん。」
「それで、三八が多いんですか。」
坂口も、兵員輸送車の中に、普段より余分に三八式歩兵銃が積んであるのは気が付いていた。
歩兵の携帯兵器は、五年前から順次、新式の九二式小銃に更新が進められていた。
40発入りの弾奏を用い、連射の効く小銃は、重宝がられていたが、三八式も、一部程度の良いものは残され、主に狙撃銃として部隊では、射撃の上手いものに渡されていた。
その三八が余分に積んであるのである。
北辺軍に紛れて、三八による狙撃を多用しようと言う考えは、坂口でも思いつく。

こいつ、中々鋭いな・・・
いや、この位は誰でも思いつくか。
佐藤は、少しがっかりしながらも、それは表情には出さない。
「そうだ、北辺軍があくまでも主功で、帝国軍はそれをサポートする事となる。遠距離からの狙撃や迫による砲撃、夜間戦闘、トラップの準備、貴様にやってもらう事は、沢山ありそうだな。」
軍は下士官で持つ。
ばれてしまったのは問題だが、この場合逆に良かったかもしれない。
信頼できる下士官が一人いるといないでは、その後の展開が全く違ってくるのだから。

161shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/01(月) 04:22:46
「大尉、大尉!」
テントの外から押し殺したような声で、榊少尉が叫んでいる。
本部を決め、設営を行ってから五日が過ぎていた。
最初は、部隊にも緊張があったが、それも五日目の明け方近くともなると、少しずつ弛緩した空気が広がり始めていた頃だった。
「なんだあ・・・」
いかにも寝てましたと言う顔を浮かべ、佐藤はテントから出る。
「巡回に出ていた兵からの報告です。対岸で何かおかしな動きがあるとの事です。」
「お前、そんな事で俺を起こしたのか。全く、一体なんだってんだ。で、巡回に出てたのは誰だ。」
ちょっとやりすぎかなとも思うが、少し怒った顔で、榊少尉を睨む。
「ハッ、坂口曹長の分隊です。おい、曹長!」
暗闇の中から、坂口が進み出る。
坂口に分隊を与え、夜間の警戒に行かせたのは佐藤自身なのだが、それは言わない。
二日前に、密かに対岸の偵察に出向いた仲村が、情報を掴んで来ていた。
それによると、戦車数台を含む、大隊規模の部隊が前進して来ていた。
しかも、その後方には更に、数個師団規模の部隊が待機しているようである。
まあ後方の師団は、あくまでも後詰であろう。
師団規模での戦闘となると、最早国境紛争と呼べるレベルを超えてしまう。
第一そこまでの部隊を対岸に渡すための船舶の手配が行われている気配は無かった。
少なくとも大隊規模の部隊で、用意が整い次第、乾岔子(カンチャーズ)島を占領してしまう気であろう。
「対岸で、何やら音が聞こえました。」
「うん、対岸の音?」
「ハイ、夜間ですから結構遠くまで聞こえます。いや、対岸まで聞こえる程ですから、一両や二両の車輌が動いている音ではありません。」
「ふむ、ロシアが何かたくらんでいるのか。匪賊の迎えの準備か?」
自分でも白々しすぎて、声が棒読みに近くなっているのを慌ててごまかす。
「榊少尉、どう考える。」
「ハイ、共産匪賊がロシアと連絡を取っているならば、対岸で何か騒ぎを起こし、その間に、それほど遠くない地点からの渡河かと。」
「うむ、悪くないな。しかし、この辺りで渡河できるのは、我々のいる地点だぞ。その間をどうやって通り抜ける積りだ。」
「はあ、そうですね。あっ、逆に対岸ではなく、カンチャース島辺りで騒ぎを起こす積りでは。そうすれば、我々もそちらに気を取られて、監視哨と配置の間の警戒が薄れるかと。」
坊ちゃんだと思っていたが、榊も割合と頭は働くようである。
それ程誘導する必要もなく、望みの答えに辿り着いてくれた。
但し、ロシアの連中は別に匪賊を迎えに来るのが、その目的ではないだろう。
実際はこちらが予めリークした匪賊の話に乗って、中華領である中州を占領してしまおうと考えているのであろう。
「あっ、そう言えば、小型船舶でしょうか、トラックとは違うエンジン音も聞こえました。」
「あたりだな。で、どうする。」

162shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/01(月) 04:23:23
「はっ、直ちに、我々も部隊をカンチャース島まで前進させ、待ち伏せします。敵の侵攻を阻止し、速やかに現状復帰致します。」
「40点」
「はあ、」
「一つ、ここは中華民国領だ。帝国軍が動く訳にはいかない。二つ、我々は停戦監視団であり、帝国軍ですらない。従って、国境紛争には介入する訳にはいかない。」
「あっ、そうですね・・・ それでは、直ちに劉少佐に連絡、我々は対岸で監視を継続。特に匪賊の渡河に注意を払います。」
「うーん、70点。」
「えっ、と言いますと。」
少しむっとしているのが判るだけに、面白い。
本当に、若いやつは判りやすくて楽しい。
「北辺軍は、大切な友邦である。我々はその辺りも考慮する必要がある。」
「直ちに、戦闘準備を整え、第一、第二小隊は、北辺軍の支援、第三小隊は、匪賊の接近に備え後方警戒に当たる。大衡中尉!」
「はっ!」
いつの間にか、出動準備を終えた大衡中尉が後方に控えている。
「第三小隊を任す。榊少尉!」
「は、ハイッ!」
いつもと違い、突然厳しい口調に変わった、佐藤に驚きを隠せない。
「直ちに、北辺軍劉少佐の元に行き、状況を報告。」
「ハイ!」
「あっ、それから、劉少佐には、「監視団は、表立っては国境紛争には関われませんが、出来うる限りの支援は致します。」とちゃんと伝えるんだぞ。それと、準備が整い次第、こちらから伺うともな。」
最後だけ、いつもの佐藤の口調である。
声を潜め、まるで子供の悪巧みを告げるような、その言い方に、榊は少し憮然とする。
「ハイ、了解しました。」
それでも、軽く答礼すると、急いでジープに走り寄る。

「やけに、丁寧ですね。」
大衡中尉事、仲村がニヤニヤしながら、佐藤につぶやく。
「なに、部下を育てるのも、上官の仕事だ。」
仲村は、口を半分開き、何か言おうとするが、それを飲み込み、頭を左右に振る。
イヤイヤ、この人がそれだけの理由で、これほど懇切丁寧に、状況を理解させた筈は無い。
きっと、榊少尉は大変な目にあうのだろうな・・・
佐藤も、仲村との付き合いは、長い。
何を考えているのかは、判ったが、特に何も言わない。
どうせ、こいつもその辺りは判っているだろう。

163shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/01(月) 04:23:56
「坂口曹長!」
気持ちを切り替え、坂口を側に呼ぶ。
本部用のテントに入ると、仲村が手早く付近の地図を床机の上に広げる。
「迫の小隊は?」
「ハイ、ここに適当な場所がありました。正面は潅木に覆われていますが、十分な射角が取れます。一応、カンチャース島の要所までの方位、距離の計測は済ませました。広さは、不十分でしたので、兵を使い、広げてあります。」
やはり、有能な下士官を持つと楽である。
仲村と連絡を取りながら、既に準備を済ましている。
「移動地点は?」
振り返って、仲村に確認する。
「一応、第三までは、整備してあります。それ以外には、予備として未整備ですが、二つほどは。」
そんなの当たり前でしょと言う顔で、仲村が答える。
時々、無性に腹が立つのは、こういう時だ。
副官としては、申し分ないのだが、態度がでかいのが玉に瑕である。
佐藤は自分の事を棚に上げて、仲村をジロリと睨んだ。
そんな佐藤にびくともしないのが、仲村である。
あくまでも涼しい顔で、次の命令を待ち受ける。
「よし、カンチャース島自体はどうだ。確か中華の役人と、数名の砂金取りの連中がいた筈だが。」
「ああ、砂金取りの連中は、既に昨日退去しています。臨時収入が入ったと町に行くと言っておりました。役人の方は、突然北平からの呼び出しで、慌しく出て行きましたが。」
やはり、その辺りは抜け目が無い。
「ふん、上出来だ。戦車中隊はどこまで前進している。」
「ハッ、後方10キロの地点で待機中です。」
「今は、まだその辺りで良いな。それじゃ、何か抜けはないか。」
坂口は、びっくりしたように、首を振る。
目の前の中隊長は、自分のような曹長をも参謀のように扱っている。
確かに、型破りな人だと思っていたが、良いのかこれで。

「よし、それじゃ、仲村、後は任せたぞ。坂口、貴様の率いる分隊に、渡河の準備をさせろ。渡河用の船は、」
ちらっと仲村を見ると、軽く頷いたので、そのまま続ける。
「場所は、良しここだ。ここで待機してろ。車輌は少し下げて隠しとけ。無線を忘れるな。俺は、監視所に行き、話を終えたらそこに行く。何か質問は?」
二人とも異論はなさそうだった。
「それじゃ、かかれ。」

164shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/01(月) 04:24:39
監視所まで着くと、榊から話が通っているのか、辺りの雰囲気が慌しい。
乗ってきたジープの兵に、そのまま待機するように言い、佐藤は中に入る。
外観は、二階建てだが、コンクリートの床があり、どうやら指揮所は地下に設けられているようだった。
金があるって良いな・・・
ほんの少し前まで、国境地帯の監視所と言えば、塹壕と、簡単なトーチカだったものだ。
それが、ここ数年で、コンクリート作りの立派なものに代わっている。
地下に向かう階段の前で、歩哨に要件を告げると、直ぐに確認が済んだのか、通してくれた。
階段の奥に鉄製の扉があり、中は結構広い指揮所になっていた。
どうやら、地下式のトーチカを先に作り、その上に監視所を設けたようである。
確かに、これなら、上の監視所が破壊されれば、誰もここに指揮所があるとは思わないであろう。
中央のテーブルに地図が広げられ、劉少佐が、それを見ながら部下に指示を出している。
榊少尉がこちらに気付き、軽く目礼する。
佐藤は、劉少佐の側に寄り、軽く頭を下げながら、直ぐに話を始める。

「どんな状況ですか?」
「田中大尉、助かったよ。君の所の部下が知らせてくれたのでな。直ぐに小隊を編成し、カンチャース島に渡らせるよう指示した。帝国軍はサポートに回ってくれると言う事だが?」
劉少佐は、サポートに力を込めて、こちらを探るように問いかけてくる。
少佐も馬鹿ではない。
五日近くも側にいるのだから、佐藤の率いる中隊が、かなり増強されているのは判っている。
それを当てにしてソ連軍に対応するのと、しないのでは全く意味が違う。
「はあ、一応我々は、停戦監視団ですから、表に出るわけには行きません。まあ、ばれない範囲で、可能な限りと言うとこですね。」
「うむ、それでもありがたい。宜しく頼む。」
このおっさん、中々やるな。
最近でこそ、日本人をあからさまに嫌うやつは減ったが、それでもそれまでの態度が態度だけに、反感を持っているやつは、少なくない。
それが、階級が上なのに、素直に頭を下げれるとは、たいしたものである。
「判りました。出来うる限り援護させて頂きます。」
流石にこんな所で敬礼する訳にも行かず、少し姿勢を正して、答える。
「で、早速ですが、小管も、分隊を引き連れて、カンチャース島まで渡ります。榊少尉を連絡将校として、こちらに残しておきますので、何かありましたら、彼を通じてご命令下さい。」
「貴官が、行くのか?」
流石に、劉少佐は驚いたように問う。
「ハイ、ソ連軍の国境警備隊が、匪賊の援護として騒ぎを起こすだけならば、小競り合い程度で、引き上げるものと思います。」
「うむ、そうだろうな。」
「しかし、国境の警備状況を探ろうとしているのであれば、事はそう簡単には済まないでしょう。」
「貴官は、大規模な威力偵察の可能性があると考えているのか。」
「いえっ、今のところはまだそこまでは。ただ、その可能性もある以上、この目で確認しておきたいと考えております。」
「そうか、了解した。しかし、無理はするなよ。私も友邦の士官に怪我でもされたら立場が無い。それに、君にはまだ食事に付き合ってもらってないしな。」
「ハッ、これが済みましたら、是非とも御相伴させて頂きます。」
にやっと微笑みながら、再び頭を軽く下げる。
きびすを返し、二人の会話を、目を丸くして眺めていた榊を招く。
「榊少尉、貴様はここに連絡将校として残れ。ジープの無線に常に一人兵を付けておくのを忘れるな。」
「えっ、は、ハイ、了解しました!」
うむっと頷き、劉少佐に軽く会釈して出て行こうとした。
「あっ、大尉!」
榊少尉が後ろから声を掛けてくる。
「ご無事でお戻りください。」
こいつ、俺が危ない目に会うと思っている。
軽く頷き、指揮室を出ながら、思わずニヤニヤ笑いそうになる。
俺に言わせれば、どう考えても、こっちの方が危なくなる筈だった。

165shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/01(月) 04:25:17
川沿いの、指定地点のかなり手前で、ジープを止めて、辺りを見回す。
おっ、あそこか。
坂口の分隊が乗ってきた兵員輸送車がどこかこの辺りに、隠してある筈だった。
そろそろ夜も明けようか、かなり明るくなってきていたが、直ぐには見つからなかった。
轍も綺麗に消して、半分埋まっているような感じで、上手く偽装してあり、最初から輸送車を見つける積りで見ていなければまず気がつくまい。
ジープから降り、運転してきた兵には、そのまま本隊に戻るように命じ、川に向かって歩いて行く。
この時期、やぶ蚊が多いのは閉口するが、内地と違い、乾燥した地面は歩きやすい。
直ぐに、坂口らが待ち受けている場所に到着する。
「用意は出来ております。そろそろあちらさんも、渡河の準備を進めているようです。」
坂口が直ぐに飛んできて、敬礼もそこそこに状況を報告する。
早く渡河してしまわないと、敵さんに見つかってしまうと言う気持ちがありありと浮かんでいる。
「おお、すまん、直ぐに行こう。」
「ハッ」
2艘のゴムボートを引きずるようにして、川に浮かべながら、全員がボートに乗り込む。
佐藤も乗り込むと、直ぐに小型のエンジンが動き出し、ボートはゆっくりとカンチャース島に向かう。
幾ら川向こうから見えない点を選んで渡河していると言え、くぐもったようなエンジン音に全員が、気が気でない。
こんな所を襲われたら、お陀仏である。
兵たちも、ボートに積んであった、オールだけではなく、小銃の銃把をも使って、必死に漕ぐ。
幸い、弾も飛んでこず、何とか島まで辿り着けた。
全員が手早くボートから降りると、そのままボートを陸の上に引きずり上げる。
何せ、ボートには武器弾薬も積んであるから、全員必死だった。
最も、既に前日までにかなりの弾薬を島に運び込ませてはいたが、弾は大いにこした事は無い。
後の手配は、坂口に任せ、佐藤は二人ほど兵を連れて、島の中央に向かう。
全周四キロ程の小さな島だが、中央部には、中華民国の領土である事を示すように、簡単な詰め所が建てられていた。
一応、気休め程度だが、塀も作られており、普段は役人も詰めている。
佐藤達がそこまで辿り着くと、既に北辺軍の兵士が詰めており、鋭い誰何を浴びせてくる。
勿論、撃たれては堪らないので、ちゃんと目立つように途中から通路の真ん中を歩いてきた。
相手が、停戦監視団の将校と判ると、慌てて敬礼して来るのを軽く制し、責任者を呼ぶ。
建物から走り出てきた将校は中尉だった。
「北辺軍、梁中尉です。」
「停戦監視団、田中大尉だ。劉少佐には話は通してある。で、どうだソ連の様子は。」
手短に話すと、何か言いたげだったが、直ぐに気を取り直して、話し始める。
「ハイ、先ほどから対岸の動きは更に活発になっています。もう直ぐにでもこちらに渡ってきそうです。」
「で、中華北辺軍としては、どう対処するのだ。」
「はあ、一応警告ぐらいはする必要があります。あいつらの事ですから、そんな事聞きはしないでしょうが。」
実に、嫌そうに梁中尉が答える。
警告を発するのは梁中尉自身であり、それの返事が銃弾である可能性は十分あるのだ。
「そうか、で、警告を聞かない場合の対応は、」
「相手から弾が飛んでこなければ、警告射、飛んでくれば応戦です。」
普段はそんな対応を取っているとはとても思えなかったが、それは言うべき事ではない。
少なくとも、停戦監視団がいる所ではある程度お行儀よく対応しようと、努力は認めるべきである。
「そうか、良く理解できた。監視団としては、これは国境紛争なので管轄外であるが、劉少佐とも相談し、万が一ソビエト連邦の国境守備隊が国境侵犯を行った場合、監視団と言う立場は表には出せないが、全面的に北辺軍に協力する。一応一個小隊連れてきている。軽機もある。直ぐに配置に着こう。」
勿論、梁中尉に依存はある筈も無い。
手早く、配置を相談し、兵達を持ち場につかせる。

166shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/01(月) 04:25:57
「大尉、来ました。」
梁中尉と話していると、坂口が走ってくる。
早速、二人は対岸が見渡せる地点まで走りよった。
川向こうから、三隻の小型船舶がこちらに向かって来ていた。
あちらから見えないように、腹ばいになったまま、佐藤は双眼鏡を取り出し、眺める。
「一隻は、河川砲艦だな。後の二隻は武装はなさそうだ。全部で2、30人程度か。」
ふと、横を見ると、佐藤の手にしたカールツァイスの双眼鏡を羨ましそうに、梁中尉が見ている。
高い金出して手に入れた最新式だけに、自尊心がくすぐられる。
そのまま、双眼鏡を渡してやると、軽く礼をして、梁中尉も近寄って来る船を注視する。
「どうやら、やる気満々ですね。でも、あまり警戒しているようには見えません。」
「そりゃそうだろう、こんな早朝からこちらが待ち伏せしているとは思ってもいないだろう。」
二人とも、一旦下がって、話を続ける。
その前に、佐藤が手を出して双眼鏡を取り返すのは忘れない。
梁中尉も名残り惜しそうに、それを返す。
昔なら、戦闘のドサクサに紛れて双眼鏡欲しさに、後ろから撃たれかねないな・・・
物騒な考えが頭をよぎるが、慌てて打ち消す。
「しかし、あれじゃ、警告にのこのこ出て行くのは自殺行為だな。どうする。」
「そうですね。一応警告は発しないと・・・」
梁中尉も困りこんでいる。
「メガホンか何か無いか。それなら陰に隠れて、声は届くだろう。格好なんか気にしている場合じゃないと思うぞ。」
兵の前で弱気を見せる事と、実際の危険を天秤に掛けて、梁中尉はまだ悩んでいる。
「貴官が撃たれたら、指揮系統もあったもんじゃない。ここは格好より、実利だろう。」
そこまで言って、ようやく自分を納得させたのか、梁中尉は頷き、詰め所に戻って行った。

167shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/01(月) 04:26:37
佐藤は、坂口を呼ぶ。
「迫は、あちらまで届くか?」
「はあ、射程はギリギリですが、何とかなると思います。」
「それじゃ、用意させとけ、とにかく今は追い払わねばどうしようもない。」
佐藤は辺りを見回し、暫く考え込む。
河川砲艦は、小型船舶に、76ミリ歩兵砲を搭載して、装甲を施したものであろう。
あれが本格的に撃ってくれば、こちらは下がるしかない。
少なくとも、まともな塹壕すら用意していない状況では、どうしようもない。
迫撃砲の砲撃に、慌てて下がってくれれば良いが、幸運を当てにする訳にもいかない。
対戦車小隊の37ミリが三門あるが、あれは川向こうだ。
こんな事なら、一門位こちらに運ばせれば良かったとも思うが、最初からそんな事まで出来る訳ない。
「坂口!」
「はいっ!」
真横で声がしたので、びっくりするが、隣にいるのだから当然だった。
「あれあるか、ええっと、携帯式の擲弾筒、グレネードとか言うやつ。」
「はあ、一応、小銃分だけは、運んできておりますが?」
あんなもん、使うんですかと、顔が語っている。
最新式の装備と言う事で、派遣される前に渡された携帯式の擲弾発射装置だった。
小銃の銃身に装着し、小型の手榴弾のようなものを500メートル程飛ばせるとの事で、使用実績を報告してくれと言われて渡されたものだった。
そんなうんさくさいものを渡されて、兵が喜ぶ筈も無い。
佐藤自身だって、最初に使うのは願い下げだ。
第一、手元で爆発したらお陀仏だし、銃にどんな負担が掛かるのかも判らない。
技官は、これは大丈夫だと言っていたが、「これは」が気になる。
それでも、この状況ではすがってみるしかない。
「直ぐに、配れ。迫撃砲の砲弾が飛んできたら、各自、そうだな三発発射しろ。方向は大体で良い。」
「はっ、手配します。」
坂口が走り去る。
佐藤も急いで、通信手の待機している所に走る。

「大衡中尉を呼び出せ。」
通信手は、直ぐにダイヤルを調整し、相手と話を始める。
直ぐに、マイクとヘッドフォンを佐藤に手渡す。
「大衡中尉、そこにいるのか?」
「ハイ、大衡です。」
「直ぐに、戦車中隊、島田大尉に連絡を入れ、川沿いまで前進して貰え。それと、排土板が着いた車輌がある筈だから、直ぐにこちらに渡せるように用意しとけ。」
「あー、船が必要ですね。了解しました。」
仲村の事だから、船の手配ぐらい何とかするだろう。
「赤軍の野郎、しょっぱなから河川砲艦を持ち込んできやがった。何とか撃退出来たら、直ぐに排土板着きの戦車と、対戦車砲小隊を一個こちらに渡すんだ。」
「はい、了解しました。で、撃退できない場合は?」
こいつ、本当に嫌なこと聞きやがる。
「その場合は、後は頼んだぞ。」
イヤイヤだが、そう答える。
誰が、仲村なんかに後を頼むもんか。
必ず、還ってやる。
「ハイ、りょーかいしました。」
あいつも、そんな事起きる訳ないと思ってやがる。
一瞬、ここでくたばってやろうかとも思うが、あほらしいので、そのまま通信を切る。

168shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/01(月) 04:27:12
「おい、これアイグンまで届くか。」
「はっ、アイグンですか。」
通信手は、急いで地図を取り出そうとする。
「大体50キロ位だ。」
「ああそれなら、大丈夫です。届きます。」
「それなら、アイグンの木村大佐を呼び出してくれ。周波数は、○○××だ。コードネームは、きつつき、これで通る筈だ。」
通信手は、すぐさま通信機に向かい、呼び出しを始める。
暫く、待っていると通信手がこちらに向かい頷く。
「木村大佐ですか。」
一方は既に入れてあるので、直ぐに出てくれる筈だった。
「おお、さと・・・否、田中大尉か、どうした。」
「ハイ、ソ連が国境を侵そうとしています。」
「うん、それは聞いているが。」
「最初から、河川砲艦を仕立てています。」
「判った。こちらも出動する。」
流石に話が早い。
「驚くなよ、こっちの河川砲艦は凄いからな。それじゃ。」
直ぐに切れてしまい、佐藤は少し唖然とする。
話は早いのは良いのだが、あいつ、大佐に昇格したのに、あんなんで良いのか。
いいのか、あんなに腰が軽くて・・・
無意識の内に、マイクとヘッドフォンを返し、首を振りながら、急いで戻る。
どうやら間に合ったようだった。
先ほどの所に腹ばいになると、まさしくソ連の舟艇が、島に着上する所だった。

何名かのロシア兵が、川に膝まで浸かり、河岸に走り寄って来る所だった。
手にしたロープを引っ張り始めると、直ぐに何名かの兵がそれを補助する。
河川砲艦は、一応、船首を上流に向け、数十メートルの所で流されない程度のエンジン音を響かせ、停止している。
二隻の船が、何とか固定されると、簡単な板が渡され、将校らしい人物が、それを渡って、上陸してきた。

さて、こちらの様子はどうなんだ・・・
「そこの船、ここは中華共和国の領土である。君達は不法にわが国の領土を侵犯している。直ちに退去しなさい。」
どうやら、メガホンレベルではない。
拡声器の設備でもあったのか、かなり通った梁中尉の声が、辺りに響く。
そんなもんまであるとは、佐藤も予想すらしなかったが、これはこれで効果的だ。
梁中尉はご丁寧にも、同じ内容をロシア語で繰返している。
更に、彼が英語に切り替えて話し始めると、突然銃声が響き渡る。
頭を竦めたまま、双眼鏡を向けると、将校の後からついて出てきたやつが、拳銃を振り回している。
あれが、政治将校と言うやつかな・・・
普通の軍人ならば、兵を散開させ、安全を確保してから様子を見る。
もう少し賢ければ、白旗でも立てて、様子を見るため、特使を派遣してくるであろう。
しかし、そんなまともな思考を全て打ち消すように、その男は、将校に何か怒鳴っている。
すぐさま将校は、兵たちに小銃を構え、前進を命じたようだ。
訳も判らず、ロシア兵が走るようにこちらに向かって来る。
このままだと、白兵戦も考えねばならないかと、思ったが、再び先ほどの政治将校が何かを叫んで、その心配を打ち消してくれた。
ロシア兵が一斉に発砲したのだった。

169shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/01(月) 04:27:42
その途端、回り中から銃声が響いた。
真っ先に倒れたのは、将校らしい人物だった。
それも数発の玉があたったようで、ピクリとも動かない。
ロシア兵も打ち返してくるが、既に半数が倒れている。
後の連中は、その場に腹ばいになって撃っているが、このままでは彼らは一人も助からんだろう。
佐藤は、すぐさま双眼鏡を川に停泊したままの、河川砲艦に向ける。
やはり、気がついたのか、船が動き始めている。

「坂口!迫だっ!」
「ハイ、了解しました!」
帝国の下士官は凄い。何処にいるかの確認すらしていなかったが、いつの間にか側に戻ってきている。
返事をすると、すぐさま物凄い速さで、腹ばいのまま後方に進むかと思うと、そのまま後ろに手を振る。
間に合うのか。
再び、双眼鏡を河川砲艦に向けた。
船は、速度を上げ、ゆっくりと旋回している。
どうやら、走りながら砲撃する積りだ。
ロシア兵の被害は出ているが、この程度では、被害の内には入らないであろう。
76ミリで砲撃されれば、今の状況では、弾が当たった辺りの兵は助からない。
その時、微かな音がして、後方から幾つかの砲弾が落下してくる。
その途端、シュポッと言うような音が多数聞こえたかと思うと、目の前に地獄が生じた。

閃光が広がり、爆風と同時に、多数の火の玉が河川砲艦辺りから、ロシア兵のいる辺りまで、一斉に広がる。
しかも、それは暫く続き、辺り一面、白い煙で満たされた。
迫撃砲の砲撃は、まだ続いていたが、それでも少し視界が回復すると、砲艦は既に対岸に向かって、退散し始めている。
「迫撃砲中止!」
佐藤は立ち上がると、後方に大声で叫ぶ。
辺りが静かになると、目の前の河岸には動くもの一つ無かった。

170shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/01(月) 04:28:13
「田中大尉」
ぼおっと、タバコを燻らせ、川辺の清掃を見ていた佐藤に、後ろから声が掛かる。
「我が方の損害は、負傷者が三名、軽症です。ああ、ありがとうございました。」
梁中尉が、少しやつれたような顔をこちらに向け、軽く頭を下げる。
「うん、礼は要らんよ。出来ることをしたまでだ。」
「ハア・・・しかし、凄いですね。」
辺りを見回しながら、梁中尉が溜め息を付く。
全体としては、半時にも及ばない戦闘だった。
日中側には、軽症者が数名出ただけで、対するソ連軍は、半数が死亡、残りは重軽症で、既に後ろの小屋に運び込まれ、治療を受けている。
「こんなもん、単なる偶然だ。連中の事だ、すぐさま体制を整えて、出っ張って来る。」
「それよりも、次の攻撃に備えるため、増援の要請と、塹壕の構築をお願いする。河川砲艦があの砲を打ち出したら、このままではえらい事になる。劉少佐からは何と?」
梁中尉は、一瞬何か言いたそうだが、それを諦め、答える。
「一応、直ぐに増援を連れてこちらに来られるとの事です。」
劉少佐も、ソ連の狙いがこの島の占領だと決めたらしい。
「一応、ソ連の狙いはこの島だろうが、他の地域も・・・いや、良い。お待ちしておりますと伝えて下さい。」
あの少佐なら、その辺りは抜かりなくやるだろう。
あまり、北辺軍に命令っぽく見える言動は控えたい。
「了解しまた。では。」

梁中尉が戻って行くと、佐藤は溜め息を吐き、側に来ていた坂口を促す。
「グレネードですか、あれはダメであります。」
「そうか?こんだけ結果が出れば、喜ぶぞ。」
坂口が首を左右に振る。
「報告致します。個人用擲弾発射装置ですが、12機用意してありまたが、現在使用に耐えるのは三機だけであります。戦闘開始時から、使い物にならなかった。言わば初段から不発のものが三機、二発目が不発になったものが二機、三発打てたが、それ以降動かないのが三機、四発打てたものもあったのですが、それも動きません。一回の戦闘で、計9機の不良ではとても兵に持たす訳には参りません。」
「うん、判った、判った。直ぐに回収して、技研に送り返してしまえ。しかしまあ、お蔭で助かったがな。」
「ハイ、これは望外のものだと思います。ちゃんと動けば、かなり使い勝手はありそうです。」
坂口も素直に頷く。
この上官が、下手に格好をつけるのを嫌うのは良く知っている。
あんな河川砲艦がまともに撃ってきたら、どんなことになっていたかと思うと、つくづく運が良かったとしか言いようが無い。

「とにかく、北辺軍を手伝って、塹壕作りだ。次はああはいかん。」
「ろ助、来ますか?」
「特務曹長殿が、それを聞いてどうすんだ。そんな事は誰とは言わんが新任の少尉殿にでも聞くんだな。」
佐藤が苦笑いを浮かべて、さっさと歩き始める。
少し調子に乗りすぎたと、坂口は反省しながら、その後姿に敬礼するのだった。
20名前後の死傷者で、赤軍がカンチャースを諦める筈もなかった。
今度はああは行くまい。
とにかく、穴掘りだ。
そう思いながら、坂口も駆け足で、兵達達の所に向かう。

171shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/01(月) 04:28:44
戦闘になった河岸とは反対側に目をやりながら、佐藤は通信手の所に向かった。
「あっ、大尉、連絡が入っています。」
丁度、誰かから無線が入っていたようで、すぐさまマイクとヘッドフォンを渡される。
「誰からだ?」
「島田大尉です。川向こうに到着されたようです。」
早いなと、思いながらも、佐藤はマイクに口を向ける。
「田中です、どうぞ。」
「おおっ、田中大尉ですか。こちらは島田です。ご無沙汰しております。今河岸に到着しました。ご無事ですか。」
「ああ、大丈夫だ。ソ連さんは、目くらましに騙されて、一旦引いてくれた。またじきに来るだろうから、至急塹壕を作りたい。貴様の所に、排土板付きの戦車があったろ。あれをこちらに渡してくれ。手はずは大衡に言ってある。至急頼む。」
「了解しました。他の戦車のご用命はないですか?」
「いや、こっちの島の上じゃ、精々土に埋めてトーチカにする位しか役に立たん。それよりも島とそちら側の水路の確保を頼む。」
「判りました。では、ご無事で。」
島田大尉の口調は、少し残念そうであった。
97式の装甲は、37ミリでは貫通出来ない造りになっているが、ソ連の76ミリではどうだか判らない。
まあ76ミリと言っても今では旧式の単身砲だろうから、理屈の上では400メートルも離れればまず大丈夫とは思うが、それでもこんな狭い島で装甲試験をする気にはならない。
それに、木村大佐もじき現れるだろうから、河川砲艦には河川砲艦で対応してもらった方が良い。
マイクセットを通信手に返し、一旦中央の小屋に向かう。

梁中尉と、防御について打ち合わせを済まし、川辺に戻ると、既に対岸からは、大きな筏のようなものが近づいて来ていた。
中央のシートに覆われた大きなものが多分戦車だろう。
連絡が入っていたのだろう、坂口が既に数人の兵を連れて来ている。
河岸までその筏が近づくと、素早くロープが投げられ、兵たちがそれを固定する。
佐藤達が渡ってきた時に使ったようなゴムボートならば引き上げてしまえるが、筏となるとそうも行かない。
手早くシートが取られ、ガソリンエンジンのややかん高い音が響き渡る。

172shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/01(月) 04:29:20
97式中戦車、昭和10年から配備が始まった、帝国が誇る最新鋭の戦闘車両である。
傾斜のついた前面装甲と、丸みを帯びた砲塔は、明らかにそれまでの戦車のイメージとは全く違うものだった。
最初に部隊に配備された時には、どうしてこれが中戦車なのだと言うのが、戦車兵たちのもっぱらの感想だった。
少なくとも、今まで細々と配備されていたこれ以前の戦車と比較すれば、どうみても重戦車である。
しかしながら、部隊の中から特に選抜され、習熟訓練に派遣された特技章持ちの兵や下士官達は、大村総合演習場から帰ってくると、様子が一変する。
彼らは部隊の演習でも、そして勿論たまに発生する小規模な紛争においても、徹底した機動戦術に拘るようになり、停車しての射撃は最低限に抑えようと必死になるのだった。
そう、彼らは大村で、いやと言うほど思い知らされるのである。
97式は、あくまでも中戦車であり、それよりも遥かに強力な重戦車が帝国には存在することを。
現在はほぼ手作りで、制作費が駆逐艦に相当すると言われ、演習に用いるしかないが、いずれ帝国が本格生産に乗り出すであろう、次期、いや次の次かもしれない、強力無比な戦車。
搭載されている砲塔は100ミリ以上でありながら、そのシルエットは、限りなく低い。
演習を行えば、到底自分達の97式が届かない距離から、正確な模擬弾を叩き込んでくる、隔絶した存在。
そんな戦車がいずれ登場すると判れば、戦車兵達もその戦い方からおごりが消えるのも無理なかった。

とは言え、現在では多分最強の戦車の部類に入る、97式中戦車は、慎重に動き出し、河岸に設置する。
筏が傾きかけるが、それでも強力なキャタピラは地面を掴み、何とか無事島に乗り上げることが出来た。
普通の97式と違い、カンチャース島に降り立った戦車には、背後に長方形の鉄板のような物が付いていた。
簡易式だが、排土版がついており、その意味ではトラクターとして使える一台である。

「田中大尉!お久しぶりです。」
砲塔から顔を出して、嬉しそうに佐藤に話しかけてくるのは、島田大尉だった。
「なんだ、結局貴様、来たのか。」
「ええっ、対岸の守りは部下に任せて来ました。あちらより、大尉のいる所の方が面白そうですしね。」
半分、笑いを堪えるような言い方で、島田は茶化すように、言ってくる。
何せ、本土で出動する前に、木村大佐と三人で打ち合わせを行っており、島田も佐藤が変名を使っている事を知っている。
しかも、こいつは恐怖と言う感情をどこかに置き忘れたような漢であり、その行動基準は、面白いかそうでないかに限られている。
「判った、判った。直ぐに排土板を使って、援体壕を作るのを手伝ってくれ。急げ、じきに赤軍さんがやってくる。」
「了解しました。」
エンジンが、一際うなりを上げて、戦車は兵たちに先導されて、作業に向かっていった。

173shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/01(月) 04:30:06
「た、大尉!」
やれやれと首を振っている佐藤に、坂口が声を掛ける。
うん、と首をそちらに向け、佐藤も驚いたように、口を開ける。
幅の広いアムール川の上流から猛烈な勢いで、一隻の艦艇が近づいてくる。
あっという間に、近づいてきたそれは、急激にその速度を落とし、佐藤達が佇む河岸に、停戦しようとしていた。
勿論、艦尾に翻っている旗は、中華民国国旗であるため、誰も慌てることなく、唖然とその船体を見つめていた。
昔、朝鮮に亀甲船とか言う名前の船があったな。
佐藤は、停船した船を見つめてそんな事を考えた。
シルエットは、鋭い鏃型の船体に、上部まで装甲で覆われた突起の少ない形状は、何か悪い冗談のように思えた。
軸船に沿うように、丁度中央に、くぼみがあり、そこからは37ミリはありそうな砲塔が覗いている。
これじゃあ、まるで戦車だな。
そんな感想を覚えていると、船体の中央部のハッチのようなものが開き、将校が顔をだす。
「よう、佐藤!、いや違ったね。田中大尉、大丈夫だったか。」
顔を出したのは、案の定、木村大佐である。
どうして、こいつはこんなヘンな船に乗っているのだ。
佐藤は頭を抱えたくなった。

佐藤は知る由も無いが、木村昌福大佐は、「のと」発見時に、最初に駆けつけた駆逐艦の艦長だった。
それ以来、彼は総研のメンバーとして活動を強いられている。
それはそうである。
なんにせよ、のとそのものを見てしまっている上に、「のと」資料にも、名前の上がっている提督となる人である。
総研メンバーに取り込まれない訳は無かった。
当初は、陸戦隊を率いた大田実中佐らと同様に、警邏の任務が中心だったが、総研の研究施設が整って来るに連れて、彼らの役割も変わってきた。
研究班が、直接実物のある未来兵器を基に、可能な限りの現在技術と、「のと」そのものに積まれていた各種工作器機を利用して試作品を作り始めると、当然ながらそれを試験する必要が生じたのだ。
結局、外部から新たな要員を取り込むよりはと、木村大佐達が実地試験を行うようになるまでには、それ程時間は必要としなかった。
ただ、二人とも海軍出身であり、陸戦兵器はそれ程得意ではない。
当初は陸戦隊を率いていた大田中佐に任されていたが、研究が進み、未来技術を応用した各種試作兵器が作り出されだすとそうも行かなくなった。
結局、1933年には陸軍部より、新たに栗林大佐が陸戦兵器の試験官として招聘されている。
また、航空機の分野まで試作品の製作が進みだすと、35年には、「のと」資料を基に、元陸軍の加藤健夫少佐、元海軍の淵田美津夫少佐、野中五郎中尉等も招聘されている。

とにかくそのような経緯は佐藤には関係はない。
彼にすれば、情報部の仕事で、秘匿兵器の受け取りと講習に大村の特殊ドックに入った時に出会って以来の付き合いである。
秘匿兵器と言っても、ゴムボートに過ぎなかったが、それでも圧縮空気で一瞬の内に展開出来るそれは、使い勝手が良く、今では結構各地の部隊で使われていた。
技官の説明を聞いていた佐藤の側に現れ、同じように説明を聞いていたかと思うと突然話しかけてきたのが、最初だった。
どうやら、佐藤が実戦で使うと言う事で興味を持ったみたいで、どのように使うかを、色々探りを入れてきた。
その時は、任務が任務であり、曖昧に誤魔化していたが、彼もそれに気が付いたらしく、簡単な自己紹介をして離れて行った。
驚いたのは、それから数ヶ月して、任務から帰国した佐藤の元に彼がやって来た事だった。
わざわざ情報部まで来られる以上、彼のセキュリティレベルが高い事にも驚いたが、高々ゴムボートについて、そこまで尋ねてくる事自体に驚きを覚えたものだった。
結局、その事について、尋ねると、訳が判らない顔で、これがあると、いざと言うときに部下が助かるじゃないかと真剣に言うのに、更に驚かされた。
こいつ、いやこの人は、本当に部下を大切にする人だと気付かされ、それ以来佐藤も真摯に彼の質問に答えた。
それ以来の付き合いである。
木村大佐の方でも、佐藤が気に入ったようで、何かあると直ぐに連絡してくる。
今回の任務に関しても、木村大佐本人が希望して参加してくれたみたいで、それはそれでありがたいとは思っていたが、まさかこんな船で現れるとは予想すらしていなかった。

174shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/01(月) 04:30:44
「木村大佐、で、それは何ですか?」
佐藤が、顔一杯に呆れた表情で問いかける。
「うん、これ?中々面白いよ。研究班で、船の船体形状に関して色々作っていてね。丁度英国からマリーンエンジンが幾つか手に入ったので、載せさせてみたら、結構良いものが出来たんだよ。」
ニコニコしながら、そう説明する木村大佐には、佐藤も余計に呆れるしかない。
どう見ても、数百トンレベルの小船にしか過ぎない。
そこに、強力な戦闘機のエンジンを積むなんて、何を考えているのかと、素人の佐藤でも思ってしまう。
「パワーボートと言うらしいんだけどね。残念ながら、速度は凄いんだが、安定性がもう一つだね。結局河川か、湾内位しか使い道はなさそうなんだ。」
木村大佐は、そんな佐藤の呆れ顔に頓着する様子も無く、説明を続ける。
「でまあ、解体するのもなんだから、北辺軍に使って貰えないかとこちらに運んできたんだよ。まあ、丁度手頃な試験になりそうで良かった。で、ソ連軍は直ぐにでも来そうなのかい?」
「えっ、ええ、余り時間は無いと思います。」
「そうか、間に合ったね。もう直ぐ、残りの三隻もやってくるだろうから、何処で配置につこうかね?」
「いや、それでは、一応、こちらにおいで願いますか。」
幾らなんでも、今の自分は田中大尉である。
佐藤は、一応口調に気を使いながら、木村大佐を指揮所代わりに使われている、詰め所までいざなった。

詰め所には劉少佐も駆けつけていた。
木村大佐を連れて、佐藤が中に入ると、流石に驚いたようだが、事情を話すと、納得してくれた。
また木村大佐も、階級には頓着せず、あくまでも劉少佐を立てた事もプラスに働いた。
簡単な打ち合わせを済ますと、全員が忙しそうに動き出す。
それはそうである。
何時再びソ連軍がやってくるのか判らない状況で、ゆっくりと歓談している余裕は無い。
榊少尉も島に来ていたが、この状況では彼の事を、気を使っている暇も無い。
かなり引きつった顔に、可愛そうには思うが、それよりも戦闘準備が優先された。
佐藤も、坂口を引き連れて、陣地の構築状況を見に行くしかなかった。

河岸から少し離れた所で、97式中戦車が後ろ向きに土を押している。
戦車に取り付けられた排土板にしか過ぎないが、それでもあると無いでは全く違う。
見る見る土を盛り上げ、少なくとも前面からの攻撃には暫くは持つ程度の塹壕が出来てい行く。
「全部完成するまで、待ってくれると助かるんだがな。」
誰に言うでもなく、佐藤は呟いた。
とにかく何も無い島に援体が出来るだけでもかなり粘れる。
「大尉、そうも行かないようです。」
坂口が、川向こうを指差して、佐藤を促す。
腰に吊るした双眼鏡をそちらに向けると、今度は二桁以上の船舶が、こちらに向かって動き始めていた。

175shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/01(月) 04:31:28
「で、ソ連は間違いなく、こちらのメッセージを受け取ったんだな。」
「ああ、あれだけやられれば、当分、そうだな最低一年は手を出しては来ないだろう。」
アムール川流域のカンチャース島を巡る紛争から、既に二ヶ月が経過していた。
欧州派遣から帰国した井上に、梅津がカンチャース島事件を説明していた。
結局、紛争そのものは、ソ連の完全な敗北に終った。
木村大佐の率いる、4隻の装甲艇の戦果は凄まじく、ソ連が用意した4隻の河川砲艦は、あっという間に沈められていた。
40ノット以上の高速で走り回りながら、37ミリ速射砲を撃ちまくる小型の船舶に翻弄される形で、河川砲艦が沈没すると、後に控えていた兵員輸送用の小型船舶の末路は惨めだった。
しかも、カンチャース島からは、一台だが、97式中戦車が、小型船舶を狙い打ち、それでも島に辿り着こうとした船舶は、護岸に造られた急増のトーチカからの重機の射撃で、次々と沈められていった。
結局、後退命令が出されないまま、ソ連軍は、大隊規模の部隊を失っていた。
この時点でも、ソ連の極東司令部は、強気の姿勢を崩さず、更に部隊を集結させようとしたが、
中華政府からの国境侵犯に対する正式な抗議と、北辺軍が、カンチャース対岸に、部隊を集結させ、渡河準備を始めると、流石にその動きは終息に向かった。
そしてそれに呼応するように、陸海空軍総司令となった蒋介石が、華北の中共軍に対する攻撃を本格化させると、ソ連は日英政府に対して、中華政府との紛争調停を依頼してきたのだった。
「蒋介石も流石にしたたかだよ。不可侵条約の締結を迫っている。」
「ソ連が支援している中共軍を叩き潰さない代わりに、条約の締結による満州地区からのソ連軍の影響の排除が目的か。」
「ああ、それもあるが、主に帝国に対する牽制が目的だろうな。」
「のと」資料を使い、帝国がその進路を大きく変えた結果、中華大陸での覇権争いも、大きく変化していた。
大慶油田からの収入で、他の軍閥とは格段の資金力を持った蒋介石の支配力は強化されており、最早蒋介石政権に直接反旗を翻しているのは、華北の一部を何とか維持している中共軍だけとなっていた。
「のと」世界では、あくまでも各地の軍閥の合意の上に成り立っていた中華政府であったが、現実の世界では、完全に独裁体制を確立し始めていた。
蒋介石にとって、華北の中共軍も、単なる軍閥の一つでしか過ぎず、力でねじ伏せるのは難しく無い。
そして、このような状況の中で、彼にとって気になるのが、張学良率いる北辺軍と、その後ろにいる帝国の存在だった。
他の軍閥に対しては、蒋介石自らの子飼いの部下を送り込む事により、順次完全な支配下に置きつつあった。
しかしながら、北辺軍に対しては、この政策が中々上手く行かない。
張学良は、蒋介石のそのような動きに対して、決して表立っては反対せず、中華政府からの軍人の派遣と言う形を取っての部下の送り込みも素直に受け入れてくる。
しかしながら、送り込んだ部下達は、数ヶ月以内に贈賄の疑いで告発されて、弾き出されるのが常だった。
北方軍閥の支配地域では、蒋介石自身も含めた、他の軍閥では当たり前になっている、各種賄賂が通じないのである。
フリートレードゾーンと言う仕組みが稼動しているせいで、利権構造が全く異質の体制となっているのだが、中央から派遣された子飼いの部下達は、理屈として言い聞かされていても、それが理解出来ず、馬脚を現してしまうのだった。
そして、更に問題を複雑にしているのが、その背後に見え隠れする帝国の存在だった。
勿論、帝国と中華政府の関係が悪化している訳では無い。
しかしながら、北辺軍を完全な支配下に置こうとして、軍事的な衝突が発生した場合に、帝国、特に停戦監視団がどのような動きを示すかは、蒋介石にとっても大きな問題となりつつあった。

この結果が、蒋介石によるソ連に対する不可侵条約の締結へと結びついていた。
そう、満州地区の支配体制の確立のため、蒋介石は、帝国とソ連を手玉に取ろうとしているのだった。

「華北の中共軍支配を黙認する代わりに、不可侵条約の締結、それによる帝国への牽制か。」
「ああ、そうだ。しかし、大丈夫なのか人事ながら、心配してしまうね。」
梅津は溜め息を吐き出しながら、井上に告げる。
「中国共産党の存在を単なる軍閥の一つと捉えている限り、間違ってはいないんじゃないか。」
井上は、冷たく言い放つ。
「まあ、いずれ痛い目に会うのは蒋介石だ。少なくとも中華本土での利権構造が変わらない限り、足元から崩される危険性は大きいし、それを教えてやる義理はないしな。それに、」
「いずれ、放棄する予定の満州地区だ。痛くも痒くも無いか・・・」
梅津が井上の最後の言葉を奪うように、結論を話す。
少しむっとした井上だが、軽く肩を竦めるだけだった。

176shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/06(土) 10:22:18
1938年、欧州では昨年末、フランコ総統の下にスペイン新政権が樹立されたが、戦乱は納まらず、多くの人々は暗い影を感じ取っており、不穏な空気の中で年を開けた。
一月初旬に、イタリアが海軍増強計画を発表すると、各国ともそれに合わせるかのように、新たな艦船の建造計画を表明し、米国ですら、ルーズベルトに代わって大統領に就任していたランドン大統領が、年頭調書で、海軍の増強を提案する始末だった。
アジア地域では、「のと」資料に記されたような、大規模な日中紛争は発生しておらず、蒋介石中華政府は、華北の共産軍も国軍第八軍として取り込み、統一中華政府としての体制を確立しようとしていた。
しかしながら、昨年10月から開始された、日英米との満州地域の停戦監視団の扱いに対する交渉は、1月を迎えても、一向に進展しないままだった。
帝国も含め、参加国すべてが、フリートレードゾーンの存続を望んでいる限りにおいては、当面の交渉が、暗礁に乗り上げるのも無理もなかった。
蒋介石自身も、交渉そのものが、独立中国の体面だけの問題である事を良く認識しており、強攻策に出るよりは、政権の足場固めに精を出しているのが現実だった。

「イタリアは、「のと」資料とほぼ同じ内容か。」
さっきから資料に目を通しながら、色々見比べていた梅津が、井上に話しかける。
「ああ、帝国の改変の影響を一番受けなかった国と言えるからな。」
「独逸は、空母が無い。その代わり巡洋戦艦が一隻増えている。英国もその影響で、プリンスウェールズ級五隻が六隻の建造に。ソ連はまあ、計画だけは立派だな。」
「おお、中々意欲的な計画だよ。戦艦を四隻も作るそうだ。どんな船になるのか興味はあるね。」
「フランスは、まあ、あれだ。政権のごたごたのせいで、腰が据わってないな。それでも、イタリアに対抗出来る艦船の建造だけは続けているのは、立派だな。」
「で、やはり頭の痛いのは、米国だな。」
二人が顔を揃えているのも、米国のランドン大統領の年頭調書のせいだった。

1936年に、帝国も批准した第2次ロンドン軍縮会議は、各国の軍備拡張に対して、ある程度の歯止めにはなっていた。
その証拠に、各国で建造される戦艦の主砲は軒並み14インチクラスであり、排水量も35000トンと言う枠組みをある程度維持しようとしている。
独逸がビスマルク級に15インチを積もうとしたり、ソ連が16インチを積むとの話もあるが、所詮陸軍国の海軍とあまり誰も気にはしてなかった。
しかしながら、独逸の2艦の戦艦建造により、英国が戦艦枠の拡大を要求し、それが認められた結果、日米はスライド条項により、新たな戦艦建造の枠を手に入れていた。
米国は旧型艦のリプレイスとしての枠も含め、3万5千トンクラスならば代替艦4艦、新造6艦、帝国は代替2艦、新造3艦までは建造可能となった。
帝国の場合、厳密に言えば、対英米5.5割が認められた枠なので、3.3艦となるが、そんな船作れる訳は無い。
そこで、英米に対して、交渉が行われ、代替艦2艦、新造戦艦2艦、2万5千トン級の空母2艦の枠を手に入れている。
戦艦を一隻減らし、逆に空母2艦の追加建造を認めさせたわけである。
この結果、戦艦部隊は、旧型に分類されるが、機関及び電装関係を一新している16インチ砲艦の「長門」、「陸奥」、14インチ砲艦の「伊勢」、「日向」、「榛名」、「霧島」。
31年に代替艦として建造が開始され、34年に竣工した新鋭の14インチ砲艦の「金剛」、「比叡」の計8艦体制から、1939年には、新たに竣工する新造艦としての「扶桑」、「山城」と、現存の「春名」、「霧島」の代替艦を含め10艦体制となる予定だった。
しかしながら、帝国は39年には大戦が勃発している事を予測しており、無条約時代が訪れるのを見越していた。
そのため、「榛名」、「霧島」は、解体と称して大改装が密かに予定されている。
そう、帝国は、戦時に突入する39年には、10艦体制ではなく、12艦体制を密かに計画していたのである。
 勿論、「のと」資料の分析から、戦艦に対して航空攻撃が有効である事は理解していたが、それでも、米国の戦艦14艦体制に対して、新造艦6艦、改装艦6艦の体制は、米国が新造艦を就航させても、暫くの間の安全保障としては十分なものであった。
 特に、欧州大戦に対して積極的に介入を目論んでいる状態では、少なくとも4艦程度の派遣は考慮せざるを得ず、残り8艦が本土防衛として残されている点は大きかった。

177shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/06(土) 10:23:12
 ところが、ランドン大統領の年頭調書が、この目論見を大幅に崩す事となった。
なんと、ランドン大統領は、米国が保有する戦艦建造枠を一斉に行使し、現在建造中の2艦に加え、8艦、計10艦の大量建造計画をぶち上げたのだった。
全ての戦艦を本年度中に起工し、全艦を三年後の1941年には竣工させると言うものだった。
少なくとも戦艦に関する限り、1941年には新造艦を組み入れて20艦体制が確立される。
しかも、帝国が目論んでいる代替艦の改装まで対応されれば、24艦体制となってしまうのだった。

「どうみても、景気浮揚策なんだがな。」
「ああ、国内向けだ。しかし、同時に帝国の戦略の大幅な見直しを迫ることとなるな。」
「迷惑以外の何者でも無いな。」
二人が、いや帝国が、頭を抱えたくなるのも、仕方なかった。
ルーズベルトの後を継いで、36年に大統領に就任したランドン大統領は、共和党とは言え、ニューディール政策そのものを全面的に否定した訳ではなかった。
ただ、その政策が、余りにも共産主義的で、結果として労働争議の拡大をもたらした点を突き、ルーズベルトを破っていた。
このため、大統領に就任してからは、大規模公共投資を継続しながら、対外不干渉の原則を守り、農業保護等の政策を打ち出していた。
しかしながら、米国資本が、好景気を示す満州や独逸に流れ出すのを防ぐ事は出来ず、米国の景気は2年経っても低迷し続けており、40年の大統領選挙では、余程の事が無い限り再選される見込みは無いと言われている。
それに対する起死回生の一打とも言うのが、今回の戦艦大量発注である。
確かに、軍備増強は、非常に判りやすい大規模公共投資だった。
戦艦10艦ともなると、現在のドックでは不足しており、本年中に新たに追加のドックが建造される。
また、新造艦の追加に伴い、海軍そのものが要員確保に走る必要から、2万人程度の増員が必要となる。
造船ドック建築に対する周辺での雇用創出、海軍の増員に対する新規雇用に対する期待感等は、ダムや道路建設よりも非常に判りやすかった。
しかも、戦艦だけ建造する訳ではない。
艦隊を編成する以上、補助艦艇も大量に必要となり、来年以降、それらの艦艇の建造が期待される事となる。
勿論、問題が無い訳ではない。
軍事関連の投資は、完成後の見返りが何も無いのである。
道路やダムならば、その後の公共財としての価値もあるが、戦艦は、そのような価値を生み出さない。
あくまでも一時的なカンフル剤でしか過ぎず、しかも、効果が表れるまで、追加投資、即ち継続的な軍備増強が必要となる。
そして、その行き着く所は、戦争だった。
景気浮揚策としての、投資の回収を目論むならば、旧態然としてはいるが、戦争による資源地帯や市場の拡大が必要不可欠となる。
ある程度までは効果的な景気浮揚策であるが、その反動も大きい劇薬と言えよう。

「のと」世界では、ルーズベルトがそれを行い、見事景気を回復させたとも言える。
しかしそれは、同時に戦争での勝利が絶対条件であった。
もしも、米国が敗戦していたなら、大恐慌と呼ばれる米国の不況が冗談に過ぎないような不況に見舞われていただろう。

178shin ◆QzrHPBAK6k:2007/01/06(土) 10:23:51
しかしながら、現実にはそのルーズベルトは既に過去の人物となっている。
ランドン大統領は、ソ連とのコネクションも無ければ、英国のチャーチルと特に中の良い訳で無い。
「軍備が充実すれば、戦争以外に道は無いか。」
梅津がポツリとつぶやく。
「ああ、「のと」世界とは立場が逆転しているな。あちらの世界では、帝国が分不相応な軍備を持ち、戦争に突入したのに、こちらでは、米国がそうなりそうだ。」
「問題は、米国がどこと戦うか・・・だな。」
暫く、二人とも何も言わない。
やがて、徐に井上が口を開いた。
「帝国と言う選択肢は非常に小さいか。」
「あたりまえだろ、そうなるように我々がどれだけ苦労していると思ってるんだ。」
大陸からも撤退し陸軍を縮小し、戦艦の数も減らしている。
しかも、徹底した英国追随外交まで展開しており、満州への米国資本の導入も積極的に行っている。
少なくとも、米国が帝国に因縁をつける材料は無い。
今の時点で、日米が戦争になると言えば、頭がおかしいのではと思われても仕方ない。
「独逸についての参戦は、それを起こらせないためにも、「のと」世界よりも一年早い開戦を目指している訳だし。何よりも、どこも米国に戦争を吹っかけようとはしないぞ。帝国を締め付けて、開戦に持って行くと言う方法も、今更締め付けられる要因もないしなあ。」
梅津が、ぼやくように、井上に投げかける。
「そうなんだよな。ソ連はさらさらそんな気は無いだろうし、英国ならば係争関係になる事案も無い事はないが、「のと」資料を手に入れた今の英国がそれに乗る訳ない。」
井上が少し考えるようにしながら、話続ける。
「一番良いのは、このまま米国が軍備拡張を続けて、世界最大の海軍でも作って貰い、他の列強がそれを無視し続ける。そして、ある日国家として財政破綻でもしてくれたら。いや、ありえんだろうなあ。」
「そりゃ、無理だ。幾らなんでもそう上手く行く訳ない。その前に、米国が自ら戦争を引き起こすだうろな。」
井上が、はっと何かに気がついたように、梅津を睨む。
「まて、戦争を引き起こすだと!」
「えっ、いや、「のと」世界では、帝国がそうじゃないかと思って。中華との戦争で経済が破綻に近づいた時に、言い方は悪いが、米国に戦争を吹っかけたとも取れるだろう。それと同じ事じゃないか。」
「そうか、そうだよな。米国みたいな大国が、そんな馬鹿な事する訳無いと考えつかなかったが、他の選択肢が無くなれば、その可能性もあるのだな。」
「「のと」世界では、国内の反対を押し切る材料としての帝国からの参戦が必要だったが、それすらも考慮しないで、戦争を吹っかけるとなると・・・」
やにわに、井上が立ち上がり、壁際の棚に向かう。
巻かれて置かれていた世界地図を手にすると、部屋のテーブルに広げる。
「どこで、紛争を引き起こす?どこだ?」
じっと地図を眺め、ブツブツつぶやく井上の横に立った梅津も、同様に地図を睨み考え込む。
暫くして、二人は顔を見合わせる。
「そうなると、可能性はここと、ここ、それとここだな。」
二人は、ほぼ同じ可能性に行き当たり、黙りこんでしまう。
米国が、地域紛争を引き起こして、メリットのある場所は限られている。
その結果、米国が権益を手に入れられる地域として、世界地図を眺めれば、井上が指し示したエリアは、限定される。
また、それ故、梅津も躊躇いなく同意したのだった。
特定地域で紛争を捻出し、米国が大規模に介入出来る地点。
それにより、米国に利益をもたらす資源地域となると、おのずから限られてくる。
一つは、中東の石油資源、次が東南アジア、特にオランダ領インドネシア一帯、そして最後が、大慶油田を抱える満州だった。


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