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オリロワA part3
1
:
◆H3bky6/SCY
:2025/09/11(木) 20:30:10 ID:JNBTOVCA0
登場人物全員悪人
【wiki】
ttps://w.atwiki.jp/orirowaa/
【したらば】
ttp://jbbs.shitaraba.net/otaku/16903/
【地図】
ttps://w.atwiki.jp/orirowaa/pages/10.html
【過去スレ】
part1
ttps://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/otaku/12648/1737876475/
part2
ttps://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/otaku/12648/1743597975/
947
:
結び目
◆vF6Pm5BH/6
:2026/03/27(金) 20:41:48 ID:CK7L/mMY0
「だが、何故答えを直接教えてやらなかったんだ?」
メリリンから詳細を聞いた時点で、エネリットには答えの輪郭が見えていた。
メリリンの現在地と、征十郎が先ほど示した『エネリットへ繋がる線』の方角が重なっていることには、エネリットだけでなく征十郎も気づいている。
それはアビスに不利になる情報を、あからさまに伝えたくなかったからでもあるが、それだけではない。
「カンニングした答えを、そのまま告げるのも無粋でしょう?」
その返答に、征十郎はくつりと笑い、それから視線を岩山へ戻した。
「――さて。それより、近づいてきたぞ」
「近づいてしまいましたねぇ」
嬉々と口元を歪める征十郎と対照的に、嫌そうため息をつきながらエネリットもまた前方へ目を向ける。
中腹では、世界の歪みが夜空をわずかに揺らしていた。
征十郎はその異形の空を見上げる。
エネリットもまた、それに倣う。
草の匂いは、もう薄い。
乾いた岩の匂いと、目には見えない破綻の気配だけが、冷たい夜気の中に満ちていた。
二人の悪童は、改めて世界の歪みに向かって歩き出した。
【F-6/岩山中腹/一日目・夜中】
【征十郎・八柳・クラーク】
[状態]:疲労(大)、全身にダメージ(大・処置済)、超力第二段階、ヴァイスマンのタグ除去
[道具]:デイパック×2、ルメス=ヘインヴェラートの首輪(使用済)、漆黒の喪服風スーツ、メモ帳、ジェイ・ハリックの首輪(未使用)、被験体の首輪(未使用)、銘のない贋作の刀(永遠)、日本刀×2
[恩赦P]:100pt
[方針]
基本.――まだ、斬れるものはあるだろう?
1.まずは世界を斬る、そして呼び出した『永遠のアリス』を斬る
※ブラックペンタゴン3Fの機密資料を殆ど閲覧していませんが、要点だけ目を通しているかもしれません。
※タチアナの魂はこの世界から消えています。新世界であろうと、彼が齎した結末は変わりません。
【エネリット・サンス・ハルトナ】
[状態]:疲労(中)、全身にダメージ(中)、超力『殺人の資格(25%)』
[道具]:マシンガン(弾倉残り1)、リモコン爆弾×1、デジタルウォッチ、通信機、コイン一枚、黒いコート
[恩赦P]:50pt
[方針]
基本.ひとまず氷月に協力する
1.征十郎の世界斬りを見届ける。
※現在の超力対象は以下の通りです。
【徴収】などが対象に発覚した場合、信頼度の変動がある可能性があります。
①マーガレット・ステイン(刑務官)
信頼度:80%(徴収時の超力再現率40%)
効果上限:徴収(相手の同意なしの超力借り受け。再現度は信頼度の半分)
超力:『鉄の女』
②〜④ジョニー・ハイドアウト、メリリン・"メカーニカ"・ミリアン、只野仁成
信頼度:全て5%前後(10%→5%に減少)
効果上限:献上(双方の同意による超力の一時譲渡。再現度は信頼や忠誠心に比例)
超力:『鉄の騎士(アイアン・デューク)』、『補え、私の愛する人工物質(モルデオ・アルティフィシアル)』、『人類の到達点(ヒトナル)』
⑤スヴィアン・ライラプス
信頼度:50%(徴収時の超力再現率25%)
効果上限:徴収(相手の同意なしの超力借り受け。再現度は信頼度の半分)
超力:『鉄火の印(マメルティニ)』
⑥ディビット・マルティーニ
信頼度:100%(徴収時の超力再現率50%)
効果上限:徴収(相手の同意なしの超力借り受け。再現度は信頼度の半分)
超力:『4倍賭け』
⑦氷月 蓮
信頼度:50%(徴収時の超力再現率25%)
効果上限:徴収(相手の同意なしの超力借り受け。再現度は信頼度の半分)
超力:『殺人の資格』
■
948
:
結び目
◆vF6Pm5BH/6
:2026/03/27(金) 20:42:35 ID:CK7L/mMY0
通話を終えたあとも、メリリンはしばらくその場に立ち尽くしていた。
耳元から機械音が消え、灯台最上部の灯室には、再び静寂だけが満ちていく。
窓の外では、夜の海が黒くうねっていた。
灯室の中央には巨大なレンズ機構が静かに鎮座し、月光を受けた硝子の稜線だけが、冷たく青白い光を返している。
吹きつける風は冷たいはずなのに、今の彼女にはそれすらひどく遠かった。
意識の大半が、たった今与えられた言葉の方へ向いていたからだ。
『何があるかではなく、なぜそこにあるのか』
エネリットの助言が、今も頭の中で静かに反響している。
メリリンは深く息を吸った。
乱れた呼吸を押し込み、無理やりにでも思考を整える。
焦りに呑まれたままでは駄目だ。
ここから先は腕力でも勢いでもない。頭で切り開くしかない。
制限時間は、もうほとんど残っていない。
ここに何もなければ、それで終わる。
脱出の道も、サリヤの仮説も、安理が命を懸けて繋いだ可能性も、すべてここで潰える。
ならば、前提そのものを置き換えるしかない。
『ここにある』
それを疑うのではなく、そうだと決めて考える。
ここになければ敗北は確定するのだ。
今は、その仮定に縋るしかない。
ここにあるとするなら――なぜ、ここなのか。
ブラックペンタゴンのような中央施設なら分かる。
あれほど異様で、あれほど露骨に『何かある』と主張している場所なら、秘密が眠っていても納得がいく。
だが、この灯台は違う。
巨大なレンズ。古い機構。海へ光を投げるためだけの設備。
どこをどう見ても、機密を隠すための施設には思えない。
島の先端に建っていても何ひとつ不自然ではない、ただの灯台だ。
だからこそ、最初は重要そうに見えない場所へ、あえて重要なものを隠したのではないか。
思い込みの裏をかくための逆張り。
それは十分あり得る発想だった。
けれど。
もし、そうではないのだとしたら。
メリリンは目を閉じる。
脳裏に、ここまでの断片を一つずつ並べていく。
灯台という場所。
岬の先端。
島そのものの異様さ。
刑務作業のために構築された、閉じた世界。
「ここでなくてはならない事情があった」
もし、そうだとしたら。
何が『ここ』を必要とした?
メリリンの思考が、ひとつずつ可能性を弾いていく。
単なる目印か。
監視地点か。
転送座標の基準点か。
外部との通信補助か。
あるいは――。
そこで、はっと目を開く。
胸の内で、何かがかちりと噛み合った。
949
:
結び目
◆vF6Pm5BH/6
:2026/03/27(金) 20:43:23 ID:CK7L/mMY0
「そうか……」
小さく漏れた声が、灯室の中で薄く反響する。
監視なら、もっと露骨な装置があるはずだ。
通信施設なら、もっと機械が残る。
転送の中継点だとしても、設備がなさすぎる。
なら、灯台そのものに意味があるわけではない。
別の何かが先にあって、それを覆い隠すために『灯台』という形が与えられたのではないか。
「……逆、なんだ」
灯台に重要な『何か』を置いたのではない。
重要な『何か』は、最初からここにあった。
それを覆い隠すために、岬の先端にあっても不自然ではない建造物として、灯台が建てられたのだ。
その発想に至った瞬間、それまで噛み合わなかった断片が、芋づる式に繋がり始めた。
この島は、ただの島ではない。
刑務作業のために構築された、『創られた世界』だ。
ならば、その世界にも、創られた痕跡があって然るべきではないか。
メリリンは自分の掌を見下ろした。
そこには、首輪を外した時の感触がまだ残っている。
あの首輪と同じだ。
どれだけ継ぎ目がないように見せかけても、継ぎ目そのものが消えたわけではない。
人が作ったものである以上、組み上げた痕跡はなくならない。
繋ぎ目はなくなったのではない。ただ、見えなくされているだけだ。
見えなくされているだけで、確かにそこにある。
それは、この創られた世界だって同じではないのか。
世界を作った際の始点か終点か。
あるいは、閉じた構造を閉じるための一点か。
全体をどれほど滑らかに偽装しても、風船の結び目のように、どうしても消しきれない痕跡。
それが、ここにある。
「……推測は、できた」
そこまではいい。
問題は、その先だった。
推理の輪郭は見えた。
だが、見えたからといって、すぐに手が届くわけではない。
問題は、それをどう見つけるかだ。
目に見えない世界の縫い目、空間の繋ぎ目。
そんなものを、どうやって探せばいい。
壁の継ぎ目のように指でなぞれるわけではない。
床を剥がせば出てくるようなものでもない。
そもそも空間そのものの境界を、どんな理屈で感知するというのか。
メリリンはその場で静かに瞼を伏せた。
思考は自然と、ひとつの答えへ辿り着いていた。
950
:
結び目
◆vF6Pm5BH/6
:2026/03/27(金) 20:44:51 ID:CK7L/mMY0
『鼓動を打て、機械仕掛けの魂(コラソン・デ・イェロ)』
人工的に製造された物質の『意志』を掴み取る力。
形ある人工物の『そう作られた理由』を捉える異能。
ならば――。
メリリンはゆっくりと顔を上げた。
灯台を見るのではない。
その向こうにある、この島全体を俯瞰するように、視線を遠くへ向ける。
ここにあるのは既に構築された世界の完成物。
サリヤとの戦いでメリリンが干渉したのはあくまで異世界構築機構(システムB)の制御装置に対してだ。
完成物に対してではない。
だが、できるはずだ。
ここは人工的に製造された世界だ。
メリリンの超力は、完成した人工物にも作用する。
ならば対象を、この灯台だけでなく、この世界そのものへ広げればいい。
何より、この力はシステムを壊すためにサリヤが求めた力だ。
ならば、届かないはずがない。
メリリンは目を閉じた。
己の感覚を、いつもよりずっと深く沈めていく。
灯台の歯車、レンズ、階段、壁材――そうした分かりやすい人工物を踏み台にして、その外へ、そのさらに外へと意識を拡張していく。
建物ひとつを見るのでは足りない。
この空間全体を、ひとつの構築物として認識しろ。
世界の輪郭そのものを、人工物として捉えろ。
自分だけしかなかった閉じた世界。
その殻を壊して、外側へ、もっと押し広げろ。
「私の中の世界を、もっと――――」
誰に言うでもなく、そう呟く。
自分自身へ命じるように。
己の中の世界を――――拡張しろ。
指先が、そっと空気へ触れた。
視るのではない。
触れるのでもない。
世界に組み込まれた『理屈』へ、自分の感覚を滑り込ませていく。
風が鳴る。
レンズが軋む。
石壁が冷えている。
そうした個々の感触が、ひとつの大きな構造の中へ溶けていく。
だが、メリリンが求めているのはそこではない。
灯台はただの覆いだ。
手を伸ばすべきは、その下にあるもの。その外にあるもの。
この場所でなければならない理由。
それを支点にして、見えない線を逆算していく。
感覚を広げる。
灯台の輪郭から零れ落ち、床下へ、壁の向こうへ、空間そのものへ。
頭の奥がじんと熱を帯びた。
息を吸うたび、胸が焼ける。
無理に感覚を押し広げているせいで、視界の端がわずかに揺れる。
それでも止めない。
ここで止まるわけにはいかない。
すると、不意に。
「――あ」
そこには何も見えない。
けれど、感じられる。
ごく微かな、けれど決定的な『引っかかり』があった。
違和感というほど大きくはない。
だが、均一であるはずの空間の中で、そこだけ何かがわずかに滞っている。
綺麗に塗り潰された絵の上で、最後の一刷毛だけがまだ乾ききっていないような。
何も見えないのに、『そこにある』としか思えない奇妙な手触り。
951
:
結び目
◆vF6Pm5BH/6
:2026/03/27(金) 20:45:55 ID:CK7L/mMY0
メリリンはゆっくりと目を開いた。
「……見つけた」
思わず、声が漏れる。
灯室の中央から少し外れた位置。
メリリンの背丈では、わずかに届かない高さの空間。
本来なら、ただ空気があるだけの場所。
そこに、見えない継ぎ目がある。
世界を閉じた痕跡。
風船の結び目のような、誤魔化しきれない一点。
現実の表面に、見えない縫い目が走っている。
「さて……どうしようか」
思わず、そんな言葉が漏れた。
目に見えない空間の縫い目を前にして、メリリンは初めて困ったように眉を寄せる。
見つけたのはいい。
だが、その先が問題だった。
そこにある以上、触れる方法はあるはずだ。
けれど、まだその具体的な手段が見えていない。
首輪のように工具を差し込める相手ではないし、物理的な構造物のように分解の手順を辿れるわけでもない。
『鼓動を打て、機械仕掛けの魂』で干渉までできるか。
分からない。
試すこと自体は、できるだろう。
だが、これはいつもの機械いじりとは違う。
対象は、世界そのものだ。一手を誤れば、何が起きるのか見当もつかない。
繋ぎ目に触れた瞬間、灯台ごと崩れるのか、空間そのものへ裂け目が走るのか、それとも別の何かが噴き出すのか。
博打を打つには、まだ少しだけ早い。
メリリンは、見えない継ぎ目の位置を目に焼きつけた。
中央レンズの台座から何歩。
窓枠の鉄骨からどれだけずれているか。
灯室内の配置と重ねて、正確な位置関係を頭へ刻み込んでいく。
成果はあった。
繋がるものは見えた。
彼らの命に報いるだけの発見かどうかは、ここから先の自分次第だ。
ならば、ひとまずこの発見を持ち帰り、トビたちの別班との合流を考えてもいい頃合いかもしれない。
自分ひとりでは見えない打開策を、彼らが持っている可能性はある。
問題は、襲ってきたジョーカーだ。
安理と相打って倒れた、などという希望的観測はするべきではない。
奴はまだ生きていると考えるべきだろう。
そして、奴がジョーカーだというのなら、被験体だけでなく、奴にもこちらの現在位置が知れていてもおかしくはない。
下手に外へ出れば、待ち伏せの危険がある。
とはいえ、ここへ引きこもっていてはトビたちと合流もできない。
彼らはまだ首輪に囚われている。
首輪を外すためにも、接触は必須だ。
そのためには、奴との再戦は避けられそうにない。
先の戦いで手持ちのストックは失われた。
けれど、ローマンが送ってくれた武器がある。
あれを材料に、新しい兵器を組み上げることはできるだろう。
「……リベンジといきましょう」
その時、胸元の流れ星のアクセサリーが、かすかに熱を返した。
まるで『そこで立ち止まるな』とでも言うように。
メリリンはその熱を指先で確かめると、もう一度だけ見えない継ぎ目を見上げた。
「待ってなさいよ。必ず暴いてみせるから」
小さく、けれど確かな声でそう言い残し、メリリンは灯台の階段へと足を向けた。
そして、螺旋階段を下り始めた。
【A-1/灯台/一日目・夜中】
【メリリン・"メカーニカ"・ミリアン】
[状態]:疲労(大)、全身にダメージ(小)、薄黄色のボイラースーツ、帽子とゴーグル、流れ星のアクセサリー(R)、首輪解除
[道具]:デジタルウォッチ、銀鈴・宮本麻衣・ドンの首輪(使用済み)、ジェーンの首輪(未使用)、北鈴安理の首輪(解除済み)、エンダ・Y・カクレヤマの首輪(未使用)、デイパック×2(催涙弾×2、食料一食分、幾つかの食糧と酒)
[恩赦P]:50pt
[方針]
基本.ローマンの想いと共に、生き延びる。
1.トビたちと合流。成果を共有する。
2.ジョーカーの男(氷月蓮)と決着をつける
※サリヤ・K・レストマンの遺体から「流れ星のアクセサリー(R)」を中心とする物資を回収しました。
北鈴 安理の魂を回収し過去視の超力を使用可能です。
※大金卸 樹魂の破損した首輪の解析、および超力第二段階への覚醒によって、首輪を解除しました。
他の受刑者の首輪も同様に解除できるようになりました。
※超力の第二段階に至った『到達者(プレシード)』です。
形ある無機物に対する極めて高度な解析・改造を行う超力『鼓動を打て、機械仕掛けの魂(コラソン・デ・イェロ)』が使用可能です。
952
:
結び目
◆vF6Pm5BH/6
:2026/03/27(金) 20:46:06 ID:CK7L/mMY0
投下終了です
953
:
◆vF6Pm5BH/6
:2026/03/31(火) 21:40:27 ID:F9QDF3VQ0
投下します
954
:
春のポイントフェア
◆vF6Pm5BH/6
:2026/03/31(火) 21:41:43 ID:F9QDF3VQ0
あたしが超力に目覚めたのは、3歳のときだったらしいです。
らしい、っていうのは、そんな昔のことまでいちいち覚えてないからです。
3歳ですよ、3歳。覚えてるわけないじゃないですか。
でも、たぶん、全部そこから始まったんでしょうね。
兄弟の中で、あたしだけ、なんとなく扱いが違ったんです。
別に、殴られたとか、閉じ込められたとか、そういう見るからにひどいことをされたわけじゃないんですよ。
ごはんは出るし、家にもいさせてもらえるし、服だって一応ある。
外から見たら、たぶん普通の家庭でした。
でも、怒られもしないし、褒められもしない。
何かを期待されることもない。
何かやらかしても、『ああ、まあ、この子だし』で終わるし、
逆に何かうまくやっても、『ふうん』で終わる。
まあ、楽っちゃ楽だったんですけどね。
干渉されないし、うるさくないし。
でも、子どもでもわかるんですよ。
あ、自分って『どうでもいい枠』なんだなって。
いてもいなくても変わらない。
失敗しても痛くないし、うまくいっても嬉しくない。
そういう存在。
親って、普通は子どもの将来に何かしら思うものじゃないですか。
この子はこうなってほしい、とか、せめてちゃんと育ってほしい、とか。
でも、あたしには願い(それ)がなかった。
口に出されたことは一度もありません。
けど、言われなくてもわかることってあるでしょう。
この子には、別に何も求めてない。
この子に、別に何も期待してない。
そういう空気です。
子どもって、そういうのに妙に敏感なんですよね。
たぶん、大人が思ってるよりずっと。
誰かの期待を受けて育つって、どんな感じなんでしょうね。
ヤミナにはわかりません。
だって、一度もそんなものを向けられた覚えがないから。
その辺は学校でも、だいたい同じでした。
先生って、けっこう露骨に贔屓する生き物なんですよ。
見込みのある子には熱心だし、問題児には問題児なりに手をかける。
面倒でも、そこに意味があると思った相手には、ちゃんと関わるんです。
でも、どうでもいい子には、びっくりするくらい何もしない。
あたしはそのどうでもいい子でした。
成績が飛び抜けて悪いわけでもない。
問題を起こすわけでもない。
かといって、わざわざ褒めるほど優れてもいない。
忘れ物をしても、『次は気をつけようね』で終わる。
提出が遅れても、軽く注意されるだけ。
まあそれはそれでラッキーってかんじだったんだけど、優しいっていうより、どうでもいい。
見捨てるほどでもないけど、向き合うほどの価値もない。そういう扱い。
だからあたしは、放っておいても勝手に隅のほうで生きてる子、みたいな存在になった。
何かを相談したところで、先生だって困った顔をして終わりだったと思います。
けど友達は、それなりに多かったと思います。
むしろ、そこそこ上手くやれていたほうなんじゃないですかね。
適度に茶化されて、適度にいじられて、適度に笑われて、大事なところは踏み込まない。
一緒にいると気楽なんだよね、と言うのが友人たちからのあたしの評価。
誰も本気で取り合わないし、誰も本心なんて明かさない。誰の特別にもならない。
重くない。責任がいらない。雑に扱ってもいい。後腐れがない。何処までも、軽い。
ぬるくて、浅くて、なあなあで、なんとなく続いている。
それが、あたしにとっての友人関係。
955
:
春のポイントフェア
◆vF6Pm5BH/6
:2026/03/31(火) 21:42:21 ID:F9QDF3VQ0
誰もヤミナと向き合いません。
誰もヤミナを大事にしません。
でも、まあ、そんなもんかって思ってたんです。
世界って、そういうものなんだろうって。
それが当たり前で育ったあたしは、その世界を受け入れるしかなかった。
だから、自然と思うようになりました。
自分を大事にできるのは、自分だけだって。
あたしを雑に扱う連中を、あたしがわざわざ大事にしてやる必要なんてない。
だったら最初から、自分を一番にして生きたほうがいい。
自分本位に。
好き勝手に。
欲しいものを欲しいって言って、
手に入るなら手に入れて、
せめて自分くらいは、自分をまともな人間扱いしてやろうって。
そう思って、まず最初にやったのが、自分を着飾ることでした。
可愛いものを持つ。
ちゃんとした服を着る。
流行りのものを身につける。
最初に手を出したのは、バーグラーの新作でした。
笑っちゃうくらい高かったです。
でも、すっごく可愛かった。
あれを持ってるだけで、自分が少しだけマシな人間になれる気がしたんですよね。
ちゃんと価値のある側に寄れる気がした。
そのときは、本気で払えると思ってました。
だって、みんな平然と買ってるみたいな顔してたし、
店員もにこにこしてたし、
あたしだけが無理してる感じなんて、全然しなかったから。
だから、ああ、これくらい普通なんだって思ったんです。
でも、全然普通じゃなかった。
リボ払いって、ほんと何なんですかね。
いや、あれ考えたやつ終わってるでしょう。
払いやすい顔して近づいてきて、気づいたら逃げられなくなってるんですよ。
意味わかんなくないですか。
払ってるのに減らないんですよ。
ちゃんと払ってるのに、全然終わらない。
あれ、だいぶ詐欺寄りでしょう。
借金って、もっと派手なものだと思ってました。
取り立てが来て、怒鳴られて、人生終わる、みたいな。
でも実際は静かなんです。
びっくりするくらい静かに、でも確実に首を絞めてくる。
昨日より今日、今日より明日、少しずつ息が苦しくなる。
財布の中身より先に、頭の中が削られていく感じでした。
でも、あたしには、真面目に働いてコツコツ返すみたいな根気もなかったし、
そんな生活を立て直すだけの学も余裕もありませんでした。
だから、もっと手っ取り早いやつに飛びつきました。
『ホワイト案件』って言われたんです。
難しくない、危なくない、すぐ稼げるって。
そりゃ信じますよ。
だって困ってたんだから。
びしっとスーツ着た人も大丈夫だって言ってるし。
そんなの、信じるでしょう。
っていうか、信じたいに決まってるじゃないですか。
でも、まあ、普通に騙されました。
都合よく使われて、
切るところで切られて、
最後に捕まるのは、末端のあたしだけ。
最悪ですよね。
956
:
春のポイントフェア
◆vF6Pm5BH/6
:2026/03/31(火) 21:42:56 ID:F9QDF3VQ0
それで懲りればよかったんですけど、懲りなかった。
というか、懲りたところで、もう普通の道に戻れる感じでもなかったんです。
一回転ぶと、次はもっと簡単になるんですよ。
いい話に引っかかるのも、
言い訳するのも、
人のせいにするのも。
そうやって、似たようなことを何度も繰り返してるうちに、借金は400万を超えてました。
400万ですよ。ここまでくると笑えるでしょう。ぜんぜん笑えませんけど。
普通に生きるって何だっけ、って感じでした。
朝起きて、働いて、食べて、寝て、たまに好きなもの買って、みたいな生活が、急に遠い世界の話になるんです。
でも、世の中ってそうじゃないですか。
知らなかったでは済まないことばっかりで、
知らなかった人間から先に沈んでいく。
そうしていつの間にか、犯罪教唆だの、強盗だの、国家転覆未遂だの、
字面だけはずいぶん立派なことになっていました。
中身はただ、転がる先を間違え続けただけなのに。
短い間に何度も捕まって、
しかも内容はどんどん悪くなっていって、
その末に、あたしはとうとう行き着いたんです。
最悪の、そのまた先。
掃き溜めの底より、さらに下。
ヤマオリ記念特別国際刑務所
あたしはそこへ、『悪人』として放り込まれました。
でも――――それって、本当にヤミナが悪いんですかね?
だって、誰も教えてくれなかったじゃないですか。
身の丈に合った買い物をしろ、とか。
リボ払いがどういう仕組みなのか、とか。
甘い話には裏がある、とか。
困ったときに頼っていい相手と、近づいちゃいけない相手の違い、とか。
誰も、ちゃんと教えてくれなかった。
まともに叱ってくれる大人もいなかった。
本気で止めてくれる大人もいなかった。
守ってくれる大人もいなかった。
あたしの人生には、最初からずっと、そういうのがいなかったじゃないですか。
だったら、悪いのはあたしじゃない。
あたしに、こんな超力が宿ったのが悪い。
こんな超力社会を作った連中が悪い。
こんな世界を放っておいたやつらが悪い。
じゃあ、それは誰なんでしょうね。
ヤマオリのやつらですか。
GPAのやつらですか。
それとも、神様ですか。
誰でもいいですけど。
少なくとも――あたしは、悪くない。
■
957
:
春のポイントフェア
◆vF6Pm5BH/6
:2026/03/31(火) 21:44:55 ID:F9QDF3VQ0
生存者の現在位置を示す光点が、デジタルウォッチの地図上で明滅していた。
AG-1のハッキングによって強引に解放された、本来ならジョーカーにのみ許されるはずの特権機能。
薄青い画面の上には、なおこの地の底を彷徨う者たちの名と座標が、無機質な記号として並んでいる。
だが、その光景が最初に突きつけてきたのは希望ではなく、あまりにも露骨な現実だった。
「……減ってやがるな」
走りながら、トビ・トンプソンが低く吐き捨てる。
視線が地図の上を滑り、ひとつ、またひとつと移り変わる反応を追っていく。
安理。ローマン。脱獄同盟(オーシャンズ)の生存反応もまた、確実に数を減らしていた。
刑務は、もう最終局面へと雪崩れ込みつつある。
ここから先は、一瞬の遅れも、一つの見落としも、そのまま致命傷になりかねない。
「ヤミナの反応は、相変わらず見えやしねぇな」
ジョニーが苦々しく呟いた。
本来そこにあるはずの光点が、地図のどこにも見当たらない。
ヤミナ・ハイド。
あまりにも弱く、あまりにも小さく、だからこそ誰も脅威として数えなかった女。
その歪みきった概念干渉は、ついに機械の認識すら狂わせ始めている。
人の目だけではない。探知機能さえも、あの女を『追う価値のないもの』として切り捨て始めているのだ。
こうなれば、ヤミナ自身を直接追跡することは、ほとんど不可能に近い。
「ヤツの狙いはメリリンだ。メリリンを目指せば、必然的にヤミナとも出くわす」
舌打ち混じりに、トビは断ずる。
ジョニーは何も言わず、ただ頷いた。
それが最短であり、そして唯一の正解だった。
只野仁成が、死の淵で血を吐きながら遺した情報。
あれがなければ、今ごろ二人は完全に闇の中でヤミナを見失っていたはずだ。
もっとも、状況を楽観できる余地などどこにもない。
かなりの先行を許している。
とはいえ、ヤミナ自身の身体能力は高くない。
純粋な走力勝負であれば、追いつけない相手ではないはずだった。
だが、いまのあの女は、もはや『弱いだけの女』ではない。
何を手札に持っているのかも分からない、得体の知れない存在へと変貌している。
強力な移動手段を持っていたとしても、何ひとつ不思議ではなかった。
『システムA』の本体により認識阻害の解かれた彼らは彼女を侮る事はない。
「ここから追いつけるか?」
問いというより、思わず漏れた愚痴に近かった。
だが、すぐ脇を並走する鋼鉄の騎士は、視線ひとつ寄越さずに答える。
「問題ねぇ。平原に達すりゃ、こっちのもんだ」
どういう意味だ、と問い返すより早く、岩山が途切れた。
ごつごつとした足場が終わり、視界の先がゆるやかに開けていく。
岩山から平原へ。
風の抜け方が変わる。
そこに広がるのは、遮るものの少ない草地だった。
足を取る障害物は消え、月光が地表を均一に照らしている。
ここから先は、もう山岳ではない。走るための地形だ。
そして、その平原へ足を踏み入れた次の瞬間。
鋼鉄の騎士の全身が、唸るような駆動音とともに変形を始めた。
肩が割れ、腕が折り畳まれ、胸部装甲が滑るように前方へ展開する。
脚部は重厚な骨組みを保ったまま再構築され、鋼鉄の塊が一台の異形へと組み変わっていく。
人の輪郭を残したまま、しかし明らかに人ではない。
前面のライト部分に顔面の意匠を残した、不気味で、それでいて圧倒的な質量感を持つ鋼鉄のバイクが、そこに現れた。
「――――オレに乗りな」
世紀末なデザインのバイクから低く響いたその声に、トビは一瞬だけ眉をひそめる。
「趣味の悪ィデザインだぜ」
「うるせえ、急ぐんだろ」
「へいへい」
軽口を叩きながらも、トビは即座にその車体へ跨がった。
次の瞬間、ジョニーバイクは音もなく地を滑り出す。
958
:
春のポイントフェア
◆vF6Pm5BH/6
:2026/03/31(火) 21:46:08 ID:F9QDF3VQ0
爆ぜるような加速だった。
エンジン音はない。排気もない。
あるのは鋼鉄の駆動音と、地面を削る勢いで回転する機構の唸りだけ。
要するに、推進力の正体はジョニー本人の馬力である。
端的に言えば実質手漕ぎだ。
だが、それでも車輪による駆動は、生身で走るのとは比較にならない速度を叩き出していた。
「ッ、は……!」
風圧が容赦なくトビの頬を打つ。
視界の両端で、地形が流線のように溶けていく。
草地を裂き、力任せに呑み込みながら、鋼鉄の巨体は凄まじい勢いで加速していった。
これなら追いつける。
いや、この速度なら先回りすら可能だろう。
もっとも、相手が通常の移動手段しか持たないのなら、だが。
トビは片手で車体を押さえ、もう片方の手でデジタルウォッチを開く。
地図上に残った光点が、淡く脈打っていた。
メリリンの現在地は、禁止エリアとなった灯台。
それは彼女が首輪解除を成し遂げたことの証でもある。
あとは、彼女が生き延び合流できればいい。
「目的は変わらねぇ。メリリンの保護だ」
風に声を裂かれながらも、トビははっきりと言った。
メリリンの保護。それだけは、何としても成し遂げなければならない。
「メリリンが脱獄に繋がる確かな情報を得ていれば、後はオレ様の超力でなんとかできる」
その言葉に、ジョニーの車体がわずかに揺れた。
「……どういう意味だ?」
風を裂きながら、バイクと化した鋼鉄の騎士が問う。
その声色には、隠しきれない怪訝さがあった。
無理もない。
ジョニーの知るトビの超力は『軟体』だ。
脱出、潜入、離脱に向いた、いかにも脱獄王らしい異能ではある。
だが、どんな状況でも最適解になり得るような万能の力には見えない。
「アンタの超力は軟体だろ。メリリンが持ってる情報次第じゃ、使い物にならねえ可能性だってある」
妥当な疑問だった。
この男が自信満々なのはいつものことだ。
だが、こと脱獄に関して、現実を無視した大言壮語を吐くような男でもない。
だからこそ、その断言には引っかかるものがあった。
しかしトビは、風の中で不敵に口端を吊り上げる。
「確かに、軟体(スラッガー)はオレ様の超力だ。そりゃ間違っちゃいねえ」
そこで一拍置き、トビは続けた。
「だが、正確にはありゃ前回の名残だ」
「名残?」
「ああ」
前方の闇を睨んだまま、トビは続ける。
「オレ様の本当の超力は、そんな単純なもんじゃねえ」
吹きつける風の中、その声音だけが妙に明瞭だった。
「オレ様の超力はな――脱獄に最適化した超力を得ることだ」
風の音が、一瞬だけ遠のいたように感じられた。
数秒、ジョニーは返答を失う。
その沈黙こそが、驚愕の証だった。
「……最適化?」
「そういうこった。状況ごとに、脱獄を成し遂げるのに一番都合のいい力へ辿り着く。軟体は前回、脱獄が成立した時の残滓に過ぎねえ」
夜の平原を、鋼鉄のバイクが駆け抜けていく。
その背で語るトビの声音は、熱を帯びるでもなく、ただ当然の事実を告げるように響いていた。
「もっとも、好きな時に好きなだけ使える便利な代物じゃねえ。ちと面倒な発動条件がいくつかあってな」
「条件……」
「その一つが、脱獄条件の確定だ」
そこでトビは、ぐっと目を細めた。
「つまり、メリリンが掴んだ情報が本当に『ここを出るための道』に繋がってるなら、その瞬間にオレ様の超力は次の段階へ進む。この刑務をぶち破るのに必要な形へ、な」
ジョニーは黙ったまま、さらに速度を上げた。
草原を切り裂く風圧が、二人のあいだを唸るように吹き抜ける。
脱獄条件の確定。
どこへ、どうやって、何を突破すれば外へ出られるのか。
その道筋が現実のものとして定まった時にのみ、脱獄王の異能は真価を現す。
959
:
春のポイントフェア
◆vF6Pm5BH/6
:2026/03/31(火) 21:46:41 ID:F9QDF3VQ0
「メリリンが掴んだもんが本物なら、ここから先は一気にひっくり返せる」
灯台に辿り着いたメリリンが、この刑務を覆すための『何か』を本当に手に入れていたなら。
その瞬間、トビ・トンプソンは、この世界に用意された牢獄そのものに対して、最適の答えを引きずり出す男になる。
「だから守る。何があってもな」
トビの声音は、驚くほど静かだった。
ジョニーは返答の代わりに、鋼鉄の車体をさらに低く沈ませる。
平原が続く。
遠く、夜の向こうに次の地形が見える。
まだ距離はある。だが、止まる理由はなかった。
只野仁成が命を賭して繋いだもの。
灯台で仲間たちが掴んだかもしれない希望。
それらが確かな『脱獄条件』として結びついた時、トビ・トンプソンという男は、真の意味で脱獄王となる。
「だが、いいのか? 切り札を口にしちまって。ヴァイスマンのタグは外れたにせよ、別口の監視がないとも限らねぇだろ」
「ここまで来りゃ構わしねぇよ。何せ――」
トビは口の端を歪めた。
「何が出るかは、オレ様にも分かんねぇんだからよ!」
ならば、なおさら遅れるわけにはいかない。
ヤミナが何を企もうと。
灯台側に待つものが救いであれ罠であれ、そこへ辿り着けなければすべてが終わる。
ヤミナが普通の徒歩で移動しているなら、追いついていてもおかしくない。
だが、いまだ影すら踏めていない。
やはり何らかの通常ではない手段で移動しているのだろう。
「どっかで足止め食ってることを願うしかねぇな」
「そんな都合のいい話なら助かるがな」
軽口としていってはみるものの。
ここまで生存者が減った状況では、そんな紛れが起きている可能性は高くはない。
「急げよ、ジョニー」
「言われるまでもねえ」
鋼鉄の怪物が、さらに加速する。
闇を切り裂くように。
死者の遺志を背負うように。
最後の希望が待つ場所へ向かって、鉄の騎士は草を踏み潰し、脱獄王を乗せたまま夜の平原を疾走する。
その先に待つのが救いか、更なる地獄かは分からない。
だが少なくとも、灯台には答えがある。
そして、その答えの先にこそ、脱獄への道があると信じて。
【E-3/道路/一日目・夜中】
【トビ・トンプソン】
[状態]:健康、侮り解除、タグ解除
[道具]:H&K SFP9(12/20・永遠付与)、ナイフ、デジタルウォッチ、デイパック、只野仁成の首輪(未使用)
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.脱獄する。例えそれがヴァイスマンの思惑だとしても。
1.灯台へ向かった者達と合流し、成果を共有する。
2.システム攻略へと挑む。
※デイパックの中に北西ブロック3階中央の部屋等から持ち出したものが入っているかもしれません。
※システムAに触れ、受けた超力の影響を一時的にリセットされています。
ヤミナの脅威も今は正しく認識していますが、時間経過によって再び侮りが発生する可能性があります。
※ヴァイスマンのタグ付が解除されました。
※会場を監視するアビスの眼であるAGと接触し、協力を取り付けています。
※AG-1の支援により、生存者の現在位置が把握可能です。ヤミナを除いて。
【ジョニー・ハイドアウト】
[状態]:疲労(小)、ヤマオリ、永遠、侮り解除、タグ解除、バイク
[道具]:デイパック、紗奈のシステムAの手錠
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.受けた依頼は必ず果たす
1.灯台へ向かった者達と合流し、成果を共有する。
2.怪盗(チェシャキャット)の依頼を果たす。
※ルメス・ヘインヴェラートが掴んだ情報を全て伝えられています
※ヤマオリの遺物を取り込みました、永遠が付与されています
※右腕には脇差、サバイバルナイフ、剣ナタ、スレッジハンマーが取り込まれています
※左腕の銃器の弾数はグレネード(0発)、ハンドガン(5発)、アサルトライフル(20発)、スナイパーライフル(0発)
※システムAに触れ、受けた超力の影響を一時的にリセットされています。
ヤミナの脅威も今は正しく認識していますが、時間経過によって再び侮りが発生する可能性があります。
※ヴァイスマンのタグ付が解除されました。
※会場を監視するアビスの眼であるAGと接触し、協力を取り付けています。
※AG-1の支援により、生存者の現在位置が把握可能です。ヤミナを除いて。
■
960
:
春のポイントフェア
◆vF6Pm5BH/6
:2026/03/31(火) 21:48:05 ID:F9QDF3VQ0
全ての終わった戦場跡は、ひどく静かだった。
つい先ほどまで、この場では災厄そのものが荒れ狂っていたはずなのに、今はもう何ひとつ動いていない。
大地は幾重にも抉られ、かつて草原だった名残は、焼け焦げた黒土の底へと沈んでいる。
金属が引き裂かれた痕。炎が舐め尽くした痕。何か巨大なものが幾度も叩きつけられたような陥没。
それらが無秩序に折り重なり、この場所が単なる戦場ではなく、破壊そのものの通り過ぎた跡であることを物語っていた。
焦げ臭さ。鉄臭さ。
それから、ぬるく淀んだ血の匂い。
夜風に薄められてなお消えきらない死の残滓が、静まり返った焦土の上に、澱のように重く沈んでいる。
その中心には、三つの亡骸があった。
ひとつは、若きギャングスター。
ひとつは、清廉なる焔の聖女。
ひとつは、解き放たれた闇の帝王。
同じくこの地で朽ちたヤマオリの巫女は、すでに肉体すら残していない。
この場に残されているのは、戦いの果てに倒れ伏した三者と、その決着の凄惨さだけだった。
どれもが、この地獄の終着点を象徴するかのように、無惨な姿で沈黙している。
何も知らぬ者であっても理解できるだろう。
あれほどの怪物同士が、ここで殺し合ったのだと。
その事実は、周囲一帯に染みつくような傷痕となって刻まれていた。
本来なら、軽々しく踏み入っていい場所ではない。
覚悟もなく、敬意もなく、ましてや品性の欠片もない者が近づいていい場所では、決してなかった。
だからこそ、そこへひょこりと顔を出した女は、あまりにも場違いだった。
「…………」
ヤミナ・ハイドは、焼けた地面の向こうをそろそろと見渡した。
忍び足で、音を殺して、腰を引いたまま近づいていく。
怪物たちの死地に現れるには、あまりにも頼りない影だった。
およそ戦場というものに相応しくない、薄っぺらく、小賢しく、そして妙にしぶといだけの女である。
ジョーカー特権の現在位置表示で、この近辺に生存反応がないことは確認している。
だが、それはそれとして普通にこわい。
こんなところ、好き好んで来る場所ではない。
ただ、誰もいないなら、何か残っているかもしれない。
その程度の打算が、この女の震える足を前に出させていた。
恐怖と打算を両手にぶら下げたような顔で、ヤミナは闇に慣れた目を細めた。
散乱する荷物。
倒れ伏す死体。
その首元に残された首輪。
数秒の沈黙。
それから、彼女の目がかっと見開かれる。
「うひょおおお、宝の山じゃあーっ!!」
場違いな歓声が、しんと冷えた夜に甲高く響いた。
この死地に似つかわしくない、あまりにも軽い声だった。
まるで荒れ果てたフリーマーケットにでも迷い込んだような調子で、ヤミナは小走りに駆け出す。
ほろよい気分もあって妙なテンションだった。
英雄の死も、巨悪の最期も、宿命の決着も、この女の前では中古品セールの陳列棚と大差がない。
つい先ほどまで怪物たちが殺し合っていた場所だというのに、彼女の関心は、その残骸にぶら下がった値札にしか向いていなかった。
そういう意味で、ヤミナは恐れを知らないのではない。
ただ、ものを知らないのである。
無知と浅薄さが合わさると、時に勇気に似た顔をするものだった。
「うわぁ。これ、全部この人たちの遺品ってことでしょ? うわー……重い。重すぎる。でも貰うね!」
貰うね、で済ませるなよ、と。
もし誰かがその場にいたなら、たぶん真っ先にそう思っただろう。
しかし、ヤミナは本当に貰っていく。
この女にとって、死人の遺品とは、重みのある遺志ではなく、持ち主のいなくなった拾得物にすぎないのだから。
死体のあいだを縫い、焼け焦げた地面をぴょんぴょんと避けながら、まずは一番近くに倒れていたジャンヌのもとへ向かう。
その場にしゃがみ込むと、血に濡れた地面の上で、さっそく荷物の仕分けを始めた。
いるもの。
いらないもの。
妙に生活感のある手際で、振り分けていく。
聖女と帝王が殺し合った決戦の跡地で、やることがそれなのか。
いや、この女にそれ以外を期待するほうが間違っているのだろう。
墓場荒らしに献花の作法を求めるようなものだ。
961
:
春のポイントフェア
◆vF6Pm5BH/6
:2026/03/31(火) 21:50:11 ID:F9QDF3VQ0
「いやー、助かるぅ……あたしのために置いといてくれるとか、聖女優しすぎない?」
もちろん、誰も置いてなどいない。
激戦の果て、回収する者もいなくなり、そのまま放置されただけだ。
だが、そんな当たり前の事実すら、この女の軽薄な言葉の前では妙に歪んで聞こえる。
医薬品などの、使えそうなものを片っ端からバッグへ詰め込んでいく。
「イヤホン? んもー、この状況で緊張感のない。けどイヤリングはかわいからつけちゃおっ」
欲しいものを取って、不要品をぽい、と放る。
デジタルウォッチは自分のものがあるから要らない。
何か複数手錠もあるがそれもいらない。
死者の想いも、因縁も、背負ってきた物語も、そんなものは一切知らない。
知ったところで、たぶんこの女は同じことをしただろう。
もともと、他人の大事なものを大事だと思えるような、まっとうな育ち方をしていない。
そして何より、この場に転がっているものは、いまや拾った者勝ちである。拾わない方がバカだろう。
少なくとも、ヤミナ・ハイドという女は、本気でそう思っている。
「え、なにこれ、マジで? 首輪まであるじゃん!? いいの? 本当に? 嘘でしょ?
うっひょう! さっすが聖女様……! ありがと……!」
ありがと、という言葉が自然に出た。
誰に向けた感謝なのか、本人にもよく分かっていない。
目の前にあるのは死体だ。感謝を返すことなどない。
それでもヤミナは、宝くじの当選番号でも見たような顔で、両手に掲げたそれを小躍りしながら見つめていた。
荷物の中から出てきたのは、未使用の首輪だった。
獲得ポイントは、満額の100pt。
さらにジャンヌ本人の首輪も合わせれば、合計200pt。
とんでもないボーナスステージである。
ヤミナは躊躇なく死体の首元へ手を伸ばし、首輪からポイントを回収した。
首輪のまま運用しよう、などという発想は最初からない。
ヤミナの思考はもっと単純で、もっと刹那的だ。
使えるものは今すぐ使う。換えられるものは即座に換える。
それだけだった。
首輪をポイントへ変換し、表示された数字を見た瞬間、その頬が引きつるほどに吊り上がる。
「うわ、やばい、やばい、落ち着いて、落ち着こうあたし……。いや、落ち着けるわけなくない? 無理でしょこれ……!」
まったく落ち着いていなかった。
弾んだ呼吸のまま、今度は次の死体へ飛びつく。
そこに転がっているのは、首輪をすでに奪われた死体だった。
凄まじい力で打ちのめされ、無惨に転がされた若きギャングスター。
顔には見覚えがある。
ブラックペンタゴンで空気も読まずいちゃついていた、あのバカップルの片割れだ。
いかにもコンビニ前にたむろしてそうな、典型的なヤンキー。
ヤミナの嫌いなタイプである。
いや、別に好きなタイプの人間なんて、ほとんどいないのだけれど。
「取り残されちゃって、すっごい、かわいそ」
そう言いながらも、その声音に痛みはなかった。
適当に読んでいた漫画の脇役が死んだときに漏れる、紙みたいに薄っぺらい感想だった。
残された片割れは、今からヤミナが狙う標的である。
だからといって、そんなことはヤミナには一切関係がない。
因縁も、悲劇も、復讐も、誰かにとって大事な何かも、この女の前では何の価値もない。
誰も彼女に価値を感じないように。
荷物もない。首輪もない。
ヤミナにとっては、何の価値もない死体でしかなかった。
しかも微妙にグロい。
彼女はさっさと視線を逸らし、次の獲物へと向き直る。
哀悼が薄いのではない。最初から存在していないのだ。
そこに転がるのは、見覚えのある悪人面だった。
ルーサー・キング。
この刑務作業で二度も遭遇し、ヤミナの中にしっかりと恐怖を刻みつけた、かの闇の帝王。
かつて欧州に君臨した巨悪の亡骸を前にしているというのに、ヤミナは飄々としていた。
生きているときのこいつは、本当に怖かった。
目の前にいるだけで失禁しそうなほどの威圧と威厳を放っていた怪物だった。
だが、その怪物も今は物言わぬ死体だ。
そうなってしまえば、ヤミナ程度の人間にも無碍に扱われる。
そういう割り切りだけは、彼女は妙に早かった。
962
:
春のポイントフェア
◆vF6Pm5BH/6
:2026/03/31(火) 21:50:40 ID:F9QDF3VQ0
「うは、しょっぱ!」
キングの首輪から獲得したポイントは10pt。
ヤミナよりショボい刑期である。
闇の帝王だの何だの大層な肩書を背負っていたくせに、この期待外れな数字はどうだ。
彼女はふうとため息をつき、まあ貰っておいてやるか、とでも言いたげに妙なニヒルさを気取る。
そのままキングの荷物を漁っていき、次の瞬間、ぱっと顔を輝かせた。
「こっちにもある! ラッキーぃ!」
キングの荷物の中にも、首輪がひとつ紛れていた。
それを見つけた瞬間、ヤミナは両手で高々と掲げる。
まるで玩具売り場で掘り出し物を見つけた子どもみたいなはしゃぎようだった。
もっとも、子どもならまだ無邪気で済む。
この女の場合は、浅ましいだけである。
「ポイントは〜〜、ジャン! 15ポイントぉ! やっぱショボぉ!」
ぶつぶつと文句を垂れながらも、その声は明るい。
少ないなら少ないで、ないよりマシ。
どうせ誰も助けてくれない世界なら、落ちているものを拾ったやつが得をする。
それだけのことだと、本気で思っていた。
あまりにも本気で、疑いすらしないあたりが、いっそ安っぽく清々しい。
キングの遺品を漁り、使えそうなものを次々と回収していく。
けれど、ときおり、ふと視線が亡骸の顔に触れる。
そのたびに、ほんの一瞬だけヤミナの表情が引きつった。
さすがに、死体が並ぶさまは怖い。
惨たらしい戦いの余熱は、まだこの場に残っている。
何が起きたのか詳細を知らずとも、本能が悟ってしまう。
ここは、ただならぬものが潰えた跡なのだと。
自分みたいな軽い人間が、うっかり足を踏み入れていい場所ではないのだと。
それは正しい理解だった。
少なくとも、この場においてヤミナは明らかに格下であり、闖入者であり、場違いな拾い屋にすぎない。
怪物たちの残した墓場に、たまたま生き延びた小悪党が潜り込んでいる。
客観的に言えば、それだけの話である。
けれど、その恐怖さえも、彼女は甲高い笑い声で塗り潰した。
「えへ、えへへ……すごいなぁ、みんなすごいなぁ。
けど、生き残ってるのはあたしだもんねぇ……」
にたにたと笑う。
嬉しそうに。
心の底から幸運を喜ぶみたいに。
その姿は、戦場に迷い込んだ小動物にも見えたし、
死体を漁る墓荒らしの亡霊にも見えた。
ただし、どちらにしても、ここで倒れた怪物たちと同じ舞台に立てるような器ではない。
彼女はただ、舞台袖に落ちていた小銭を拾っているにすぎない。
これだけの破壊をもたらした怪物たちも、みんな死んだ。
ヤミナは生きている。
それが誇らしいわけではない。
ただ、そういうものだと思っているだけだ。
963
:
春のポイントフェア
◆vF6Pm5BH/6
:2026/03/31(火) 21:51:42 ID:F9QDF3VQ0
強いやつも死ぬ。
立派なやつも死ぬ。
すごいやつも死ぬ。
だったら、べつに、自分が生き残っていたっていいだろう。
むしろ、生き残った人間が回収するのは当然じゃないか。
そんなふうに考えられるのは、ある意味では才能かもしれない。
惨劇の重みを理解できない鈍さ。
他人の最期に敬意を払えない薄さ。
そして、自分だけはうまく立ち回ったつもりでいられる安っぽい図太さ。
ヤミナ・ハイドという女は、そのへんの質がひどく悪かった。
静まり返った焦土の上で、死者たちは何も言わない。
ここへ来るまでの道すがら、森でも首輪をひとつ拾っていた。
実はめちゃくちゃ寄り道していたのである。
合わせて300ptを超える戦果だった。
まさしく、ポイント取り放題の春のポイントフェアである。
英雄譚の結末を、ここまで安い販促文句に落とせるのは、もはや才能ですらあった。
「これ、ひょっとして、働かなくても全然恩赦いけちゃうんじゃないのぉ?」
そう言って、彼女は笑った。
ヤミナの懐は潤い、ほくほくだ。
ここで獲得できたポイントで、余裕で恩赦に届く。
もうジョーカーの仕事なんて無視してもいいんじゃないか、という考えすら頭をよぎる。
けれど、まあ命令を無視したあとが怖いので、やりますけども。
主体性のない忠実さだけは、こういうとき妙にしぶとい。
ヤミナは立ち上がり、動き出す。
ジョニーたちは、おそらく追ってきているだろう。
だいぶ寄り道が過ぎたが、獣の足で駆けたアドバンテージがある。
相手が人の足ならまだ余裕はあるはずだ。
たぶん。きっと。知らないけど。
夜の戦場跡には、もう風の音しかしない。
だからこそ、その女の弾んだ声だけが、いつまでも不気味に残り続けた。
怪物たちの断末魔が消えたあとに残ったものが、よりにもよってこんな女の笑い声だというのは、
あまりにも安っぽい、けれど歪んだこの世界らしい結末だった。
【C-4/草原/一日目・夜中】
【ヤミナ・ハイド】
[状態]:健康(気分悪かったけど行動に支障はない)、ワールドハッキング、ほろよい
[道具]:ハンドガン、警備員制服、デジタルウォッチ(システムC)、デイパック(食料1食分、エンダの囚人服、資料・書籍類)、只野仁成の左腕
流れ星のアクセサリー(破損)、治療キット、応急処置キット(幾らか残量あり)
[恩赦P]:332pt(+100pt:恵波 流都の首輪、+100pt:ジャンヌ・ストラスブールの首輪、+100pt:葉月りんかの首輪、+15pt:ネイ・ローマンの首輪、+10pt:ルーサー・キングの首輪)、特権50pt
[方針]
基本.強い者(アビス)に従って、おこぼれをもらう
1.刑務官の指示に従い、刑務に反抗する者の殺害に協力する。
※ヤミナはアビスの用意していた最初のジョーカーでした。今後デジタルウォッチに指令が届きます。
以下、課せられたノルマ。
・刑務に反抗する者に12時間同行し、記録を刑務官に転送する(達成済み)。
・第三回定時放送の発令まで生き残る(達成済み)。
・刑務参加者を3名以上殺害する(1/3)。
※ヤミナのデジタルウォッチには超力構築機構<システムC> 子機が内蔵されています。
ブラックペンタゴン(システムC親機)に登録された超力(死亡済み参加者のもの)をインストールし、一時的に使用可能です。
能力の発生源はあくまで子機であり、ヤミナが直接使用しているわけではないようです。
※システムCの恩恵を受け、超力の強度に補正が掛かっています。
※超力によるジャミングが発生しており、現在位置表示に引っかかりません。他にも何かしらのハックを起こしているかもしれません。
964
:
春のポイントフェア
◆vF6Pm5BH/6
:2026/03/31(火) 21:51:54 ID:F9QDF3VQ0
投下終了です
965
:
◆vF6Pm5BH/6
:2026/04/10(金) 20:11:56 ID:akjpmZ6E0
投下します
966
:
番外戦
◆vF6Pm5BH/6
:2026/04/10(金) 20:12:52 ID:akjpmZ6E0
それは、一人の少女が胸に抱いていた、ささやかな願いでした。
愛する故郷が、いつまでもそのままであってほしい。
ただそれだけの、誰にでもあるような願いから、すべては始まっていました。
けれど、その願いは救いにはなりませんでした。
やがてそれは、静かに破滅へと姿を変えていったのでした。
その少女は、かつては純粋無垢なアリスでした。
けれど、その純白は大人たちによって踏みにじられ、穢され、少女の心には深い痛みが残されました。
その怖い家から逃げ延びた少女が、最後にたどり着いたのは、山奥にひっそりと存在する小さな村でした。
そこは、壊れてしまった彼女を拒むことなく、ただ静かに受け入れてくれた優しい場所でした。
だからこそ、少女はその村を誰よりも深く愛していました。
自分を救ってくれたその場所は、彼女にとってかけがえのないものになっていたのでした。
だからこそ、村が終わってしまうという現実だけは、どうしても受け入れることができませんでした。
すべてが死に絶え、村そのものが崩れ去ったあとも、少女はなお、村を終わらせたくないという妄執に囚われ続けました。
失われたものを、失われたままで終わらせることができなかったのです。
壊れた心のまま、彼女はただひとつの願いに、必死にすがりついていました。
そしてその果てに、彼女は決めました。
村を永遠に残せるのなら、何もかも犠牲にしてもよいのだと。
かつて結んだ大切な絆も、愛した人と歩むはずだった未来も。
そして、自らの命さえも差し出して、彼女は『永遠』を願いました。
そうして生まれたのは、失われた幸福だけを閉じ込めた理想郷でした。
それは、生きる者が明日へ進むための世界ではありませんでした。
死者たちが終わることなく踊り続ける、停止した夢の国。
それは美しく、優しく、そしてどこまでもおぞましい。
一人の少女の愛と執着が、世界の理さえねじ曲げた果てに生まれてしまった、歪んだ『永遠』でした。
そして、少女が生み出したその『永遠』は、やがて世界そのものを侵していったのです。
967
:
番外戦
◆vF6Pm5BH/6
:2026/04/10(金) 20:13:15 ID:akjpmZ6E0
■
これより始まるは、黒幕たちの思惑すら外れた番外戦。
一つの村の結末にして、一人の男が至る剣の極地。
そして、一人の少女の妄執が辿り着いた永遠の果て。
その結末を、どうか見届けて欲しい。
■
968
:
番外戦
◆vF6Pm5BH/6
:2026/04/10(金) 20:13:49 ID:akjpmZ6E0
岩山の中腹は、夜だというのに妙に明るく感じられた。
月光が差しているわけではない。
目の前の空間そのものが、そこだけ薄く裏返っている。
闇の膜の向こうへ、別の空が貼りついている。
そんな錯覚を覚えさせる奇妙な明るさだった。
征十郎とエネリットは、その異様な境目を前に足を止めていた。
眼前に広がるのは、かつてメアリー・エバンスが夢見た世界の残滓。
死してなお現実に噛みつき続ける、何者かの悪意の死骸だった。
禍々しい歪みを境に、世界の理がわずかにずれている。
岩肌は同じ場所にあるはずなのに、輪郭だけが遅れて揺れる。
風は吹いているのに途中で向きを失い、空中でほどけて消える。
砕けた石片のいくつかは地に落ちず、眠ったように宙へ留まり続けていた。
「……死してなお、ここまで世界に爪痕を残すとは。才能とは恐ろしいですね」
エネリットが呟く。
世界最高峰の超力強度を持つ、新世界の寵児。
その残滓ですら、なお現実を侵し続けている。
「領域の拡大は止まっているようですね」
エネリットは中心を見たまま言う。
メアリーの死とともに、侵食の拡大は止まっている。
残されているのは、悪意と超力の残滓だけだ。
だが、それでもなお、この場は十分すぎるほど脅威だった。
征十郎は答えない。
ただ、歪みの奥をじっと見据えていた。
やがて、試すように一歩、前へ出る。
エネリットが止める間もなく、そのつま先が境界を越えた。
その瞬間だった。
征十郎の足裏から、重さが消えた。
いや、消えたのではない。
上下そのものが、唐突に意味を失ったのだ。
地面が遠のき、空が足元へ滑り込む。
岩壁はあり得ぬ角度に折れ曲がり、遅れていた風が刃の群れのように襲いかかる。
踏み込もうにも足場がない。
空間そのものが捩れ、前後左右の距離感までもが狂っていた。
白い光が頬を掠め、服の裾が音もなくほどける。
斬られたのではない。形そのものを書き換えられたのだ。
この世界は、踏み込んだ異物を拒み、あるべきでないものを削ぎ落とそうとしている。
「――っ」
次の瞬間、黒い髪がしなった。
鞭のように伸びた髪束が征十郎の脚へ絡みつき、そのまま領域外へと引き戻す。
征十郎の身体が、転がるように境界の外へ叩き出された。
逆巻いていた重力が途端に元へ戻り、肺に冷たい空気が流れ込んだ。
「なるほどな」
逆さになった体勢のまま、征十郎が呟く。
遅れて、髪を戻したエネリットが肩をすくめた。
「迂闊に踏み込まないでくださいよ」
「体験せねばわからんだろう」
短い応酬の後、征十郎は体勢を戻し、もう一度あの歪みを見た。
不条理な世界を体感しても、そこに怯みや狼狽はない。
むしろ、納得したように静かに頷いている。
征十郎はゆっくりと立ち上がると、準備するように首を鳴らす。
969
:
番外戦
◆vF6Pm5BH/6
:2026/04/10(金) 20:14:20 ID:akjpmZ6E0
「もう手伝いませんよ」
「構わん。大体わかった」
短く答え、征十郎は刀に手をかける。
鯉口が、静かに鳴った。
「外縁は、ただ溢れた滓に過ぎん。端を斬っても大した傷にはなるまい」
征十郎の視線が、歪みの奥へと向かう。
捻じれた光、遅れて揺れる岩、宙に止まった砂礫。
そのすべてが、ある一点へ向かって、わずかに傾いでいた。
夢の残り香が最も濃く澱んだ中心。
死んだはずの世界が、なお世界であろうとしている核。
斬るのなら、そこだ。
残留する歪みは、直径およそ五十メートル。
中心までの距離は二十五メートルほど。
近くはない。だが、届かぬ距離でもない。
征十郎は境界を見据えたまま、静かに呼吸を整える。
斬るべきものは、そこに在る。
「では、どうぞ」
背後でエネリットが言った。
「軽く世界でも斬ってきてください」
征十郎は答えず、ただ前へ出る。
その足が、再び境界を越えた。
足裏から重さが消え、踏み込んだはずの地面が遠ざかる。
頭上にあった夜空が、ぬるりと足元へ滑り込む。
岩肌は垂直を失い、壁であったものが水面のようにたわみ、次の瞬間には牙を剥いて迫ってきた。
征十郎は刀を抜く。
体は動く。より悪意に特化したからだろう。
身体操作は違和感がある程度でさほど難しくはない。
月光を弾いた刃が、まず眼前の岩を断つ。
裂けた岩は、遅れて、別の方向へ滑っていく。
斬ったはずの断面すら、この狂った世界では素直に崩れない。
横合いから風が殺到した。
ただの冷気ではない。
刃のように細く尖り、明確な殺意を帯びた風だ。
無重力じみた空間の中、征十郎は半歩身を沈め、そのまま滑るように駆けた。
風の軌道を見切り、岩の間を縫う。
捩れた重力に足を取られる寸前、逆にその浮力を踏み台にして跳ぶ。
一息で数メートル。
だが、中心はまだ遠い。
空間が、鳴った。
次の瞬間、征十郎の周囲だけ時間がわずかにずれる。
踏み込んだ先の足場が、遅れて消える。
その隙を狙うように、宙に浮いていた砂礫が唐突に収束し、一本の槍のように尖って胸元へ殺到した。
刀が一閃される。
砂礫の槍は粉々に砕け散った。
だが、砕けた破片は落ちない。
無数の星屑のように征十郎の周囲へ滞空し、その一つ一つが再び刃の角度を取ろうと蠢く。
それでも、征十郎は前へ出た。
崩れた重力の流れすら足場に変え、異常そのものを渡っていく。
中心が迫る。
歪みの密度が増す。
世界全体が、そこを護るように唸っていた。
征十郎はゆっくりと息を吐く。
宙に浮いたまま刀を正眼に構えた。
捩れた空間の中で、ただ一人、静かに沈む。
征十郎の口元が、わずかに歪んだ。
970
:
番外戦
◆vF6Pm5BH/6
:2026/04/10(金) 20:14:40 ID:akjpmZ6E0
「見えているぞ」
目に見える世界の歪み。
そのさらに奥。
中心の空間が、まるで一枚の布を無理やり捩じ切ったように、薄くめくれ上がっている。
岩と岩の境目でも、空と地の境でもない。
夢が世界へ喰い込んだ、その縫い目。
本来交わるはずのない二つの現実が、無理やり縫い合わされている、その継ぎ目。
剣士としての直感が告げる。
――――あれは斬れる。
そう理解した瞬間、征十郎の中で世界は変わった。
ただ狂って見えていた異常が、一つの太刀筋として収束する。
無限に拡散していた歪みのすべてが、ただ一箇所を断てば崩れる織物として立ち現れる。
夜空そのものが断崖のように征十郎へ倒れ込み、遅れていた重力が一気に牙を剥く。
全身を核へと圧し潰そうとする、世界そのものの敵意。
常人なら、その場で押し潰されて終わっていた。
だが。
征十郎は刀を引いた。
呼吸を一つ、肺の奥まで吸い込む。
それは、ただの斬るためだけの構えだった。
その切っ先が向いているのは、岩でも風でも空でもない。
この場に残された『夢の切れ目』そのものだった。
「――――断つ」
振り下ろされた刃が、虚空を斬る。
空間に、黒い線が走った。
それが何を成したのか、世界の方が一瞬理解できなかった。
まず、音が裂ける。
次に、光がずれる。
そして中心の一点から、夜の景色そのものが真っ二つに割れた。
それは、現実の狭間へ無理やり押し込まれていた傷口だった。
この世に存在してはならぬ継ぎ目が、征十郎の一太刀によって暴かれたのだ。
裂け目は、みし、と鈍い音を立てて広がっていく。
周囲の歪みが一斉に悲鳴を上げる。
まるで、死んだはずの少女の夢が、今度こそ致命傷を与えられたようだった。
「世界切り……お見事でした」
境界の外でその光景を見守っていたエネリットが、乾いた拍手を送った。
その視線は、確かに裂け目へ釘付けになっている。
多くの人間が決死を賭してようやく攻略できた、メアリーの世界。
あの時とは条件が違うとはいえ、その残滓をこうも鮮やかに断ち割ってみせた。
それだけで、十分に称賛に値する偉業である。
征十郎は異界の只中から跳び退る。
切れ目の入った空間を背に、岩の上へ着地した。
これほどの偉業を成し遂げた直後だというのに、その表情に大きな変化はない。
世界を斬るなどという狂気じみた離れ業すら、彼にとっては通過点にすぎない。
この一太刀は、ただ次の敵へ至るための前段にすぎなかった。
裂けた世界の奥から、冷たい闇が滲み出してくる。
それは夜の色よりも濃い、どこか湿った気配を孕んだ闇だった。
ただ暗いのではない。何かがこちらへ滲み出ようとしている、そんな予感を伴う闇だった。
征十郎は、裂け目の奥を見据えたまま立つ。
その双眸には、達成感よりも先に、来るべきものを待つ静かな昂りだけがあった。
■
971
:
番外戦
◆vF6Pm5BH/6
:2026/04/10(金) 20:15:07 ID:akjpmZ6E0
世界を断たれた裂け目は、なお空中で脈打っていた。
黒い線として走った傷は完全には閉じず、夜の只中に縦一文字の亀裂として残っている。
その周囲だけ、光がわずかに遅れていた。
風が吹き抜けるたび、裂け目の縁は紙のように薄く捲れ、向こう側にある何かをちらつかせる。
それは、現実の色ではなかった。
夜よりも暗く、闇よりも黒い。
底も奥行きも知れぬ深淵が、裂け目の向こうで静かに揺れている。
覗き込めば視線の方が吸い込まれそうな、輪郭を持たぬ淀み。
生でも死でもなく、時間すら停滞した場所の色だった。
征十郎は、その前に立つ。
乱れた呼吸をひとつ、静かに鎮める。
礼服の裾が風に揺れ、乾いた血の匂いが夜気の中へ薄く溶けた。
やがて征十郎が、すう、と息を吸う。
そして腹の底から響く声で、名乗りを上げた。
「我が名は征十郎・八柳・クラーク!! 八柳新陰流開祖、八柳藤次郎が血を継ぐ者にして、その名を継ぎ、その業を継ぎ、その剣を継ぐ者である!!」
その声が、岩山を打つ。
真っ直ぐに言い放たれた言葉に裂け目の縁がびり、とかすかに震えた。
征十郎は一歩も退かず、裂け目の奥を睨む。
そこに誰かがいると信じるのではない。
いるのなら、届くように叩きつけるだけだ。
「我こそが八柳流最強――その自負に一点の曇りもない!
この声が聞こえているか虎尾茶子! 永遠にしがみつき、怪異に堕ち果てた今でも、まだ貴様の内に八柳の矜持が残っているなら、出てくるがいい!!
貴様が最強を騙るつもりなら、この場でその力を示せ! 最強は二人もいらん。どちらが上か、今ここで決めようではないか!!」
征十郎の声だけが、黒い裂け目の奥へまっすぐ沈んでいった。
呼びかけを終え、征十郎はただ裂け目を睨み続ける。
夜が静まり返る。
岩肌に張りついていた冷気すら、息を潜めたように動かない。
草も、石も、裂け目の向こうに覗く白い深淵さえ、一瞬だけ耳を澄ませたようだった。
果たして、挑戦状は届いたのか。
それともこの裂け目は、ただ世界に刻まれた傷口でしかなく、呼びかけは空しく闇へ落ちていったのか。
数秒。
何も起きない。
裂け目はなお空中で脈打っている。
漆黒の深淵は揺れている。
だが、それだけだ。
エネリットは何も言わなかった。
だが内心では、ほとんど失敗だろうと冷静に見なしていた。
無理もない。
世界に穴を開けるところまでは成し遂げた。
だが、その先はあまりにも曖昧だった。
呼びかけが届く保証もなければ、狙った相手だけをこちらへ引きずり出せる道理もない。
この裂け目は、ただ世界に刻まれた傷口でしかなかったのかもしれない。
征十郎は微動だにせず待ち続けている。
その精神に微塵たりとも揺るぎはない。
沈黙が、さらに一拍落ちる。
だが――その時だった。
裂け目の奥で、何かが蠢いた。
972
:
番外戦
◆vF6Pm5BH/6
:2026/04/10(金) 20:15:43 ID:akjpmZ6E0
深淵がぴたりと静止する。
波も、うねりも、濁りも、すべてが一度だけ息を止めた。
次の瞬間。
ずるり、と。
白い闇が、裂け目の奥からこちらへ滲み出した。
零れた、というより、向こう側の世界そのものが押しつけられてきたようだった。
それは煙のようでもあり、霧のようでもあり、泥のようでもある。
形を持たぬまま、白く濁った何かが、裂け目の奥からこちらの現実へにじり寄ってくる。
夜においてなお白い。
清浄だから白いのではない。
他のすべての色を嫌い、独善的に塗り潰して白く見えている――そんな色だった。
裂け目が、みしり、と鳴った。
風の流れが遅れる。
草の揺れが半拍ずれる。
世界が、彼女を迎え入れるために、時間の方をためらったようだった。
白い闇は地面へこぼれることなく、その場に澱み、絡まり、少しずつ輪郭を結んでいく。
その中に、人の形が浮かび上がった。
「――――まったく。無茶をするわね」
声が、した。
この場に似つかわしくない、ごく当たり前の少女の声。
その声音とともに、白い闇の中からひとりの少女が足を踏み出す。
小さい。
あまりにも小さい。
世界を侵す災厄。
山折の残滓。
永遠のアリス。
そうした名から思い描くものとは、あまりにもかけ離れた、小さな少女の姿だった。
真白いドレス。
月光を吸い込んだような銀白の髪。
手には、白と黒、聖と魔、そのどちらにも見える奇妙な均衡を湛えた一本の西洋剣。
月下に現れたのは、幼い少女だった。
エネリットは一瞬、そこにエンダを思わせる雰囲気を感じた。
その立ち姿だけを見れば、悪夢めいた災厄ではない。
童話から抜け出してきた、どこか儚げな少女にすら見える。
だが、その少女が音もなく地面に足先を付けた瞬間、周囲の空気が変質した。
空間が、彼女を中心にゆっくりと白み始める。
空気は冷えるのではなく、温度そのものが止まった。
岩肌の影が淡く濁り、草の先から色が抜け、時間の流れがひどく鈍くなる。
存在しているだけで周囲の現実を侵す災厄。
その現象が、目の前の少女が紛れもない怪異であると告げていた。
現れた少女は裂け目を一瞥し、軽く眉をひそめた。
「開きっぱなしにするのも危ないわね」
まるで窓でも閉めるような気軽さで、空いた方の手をひらりと振る。
すると、世界に刻まれていた裂け目が、音もなく閉じた。
黒い線が細まり、縫い合わされるように塞がっていく。
世界に穴を開けるという離れ業の果てに生じた傷を、彼女は何でもないことのように閉じてみせたのだ。
「その力は……」
思わず、エネリットの口から声が漏れる。
流石の彼も驚愕を隠せていなかった。
世界を斬る征十郎も規格外なら、それを閉じるこの少女もまた、常識の外にいる。
少女――永遠のアリスは、そちらへちらりと視線を流し、肩をすくめた。
「ああ、これ? これは君たちに宿った異能――今はネオスだっけ? 名づけはハッセさんかなぁ。相変わらず微妙なセンスしてるねぇ。
ともかく、これはその超力の大元になった『魔法』の力。今の世界でこれをまともに扱えるのはあたしと……まあ、ウイルスの元になったあの男くらいでしょうね」
怪異とは思えぬ余りにもあっけらかんとした口調だった。
それが、あまりにも不気味だった。
征十郎の眉が、微かに動く。
973
:
番外戦
◆vF6Pm5BH/6
:2026/04/10(金) 20:17:04 ID:akjpmZ6E0
「茶子姉、なのか…………?」
口をついて出たその声に、困惑が滲む。
確かに面影はある。
だが、その姿は征十郎の知る姿よりあまりにも幼い。
その呼びかけに、少女はにこりと笑った。
「ええ。お久しぶり。大きくなったね、征くん」
それは、征十郎が知る以前の姿。
彼の前にいるのは、幼少期の姿をした虎尾茶子だった。
彼女がまだ穢れない『アリス』であった、ただひとりの少女としてそこにいた頃の、遠い名残。
「たしか、6歳のときにアメリカへ行っちゃって……最後に会ったのは、何歳のとき以来だっけ?
可愛いハーフショタだったのに、ずいぶん厳ついおっさんになっちゃってまぁ」
幼い姿の茶子は、征十郎を頭の先から爪先まで眺めると、呆れたように小さくため息をついた。
まるで親戚のおばちゃんのような物言いだった。
征十郎は眉一つ動かさず、険しい顔のまま返す。
「最後に会ったのは10歳の帰郷の時だ。忘れもしないさ、あの大地震の日だ」
「そうだったかしら。忘れてたわ。いろいろありすぎたから」
あっさり頷いてから、茶子はふと思い出したように首を傾げる。
「そう言えば、椿姫さんはお元気?」
「さてな。壮健だとは思うが、私も逮捕されてここしばらくは母には会っていない」
「逮捕って、何やってんのよあんた……」
茶子が本気で呆れたように眉をひそめる。
征十郎はそんな反応を鼻で笑い、言い返した。
「何をやっているかはこちらの台詞だな、茶子姉。怪異にまでなって、あんたは何をしている?」
その問いに、茶子は躊躇いなく答えた。
「決まってるでしょう。山折村を永遠にする。滅びそうな故郷を護るなんて当たり前の話でしょう? だからここも、ヤマオリ(そう)してあげる」
言葉とともに、彼女の足元から白い泥がじわりと溢れ出した。
それはただの泥ではない。
山折村を埋め尽くし、すべてを『永遠』へと沈めた汚泥。
白く濁ったそれは岩肌を這い、草を呑み、周囲の空気までも鈍く染め上げていく。
この白泥はやがてこの世界を飲み込み、この泥に呑まれた死体たちもやがて起き上がるのだろう。
ただの亡骸ではなく、永遠に囚われたまま動き続ける何かとして。
『永遠』が、今こうして眼前で形を持っている。
その気配だけで、エネリットは背筋に薄い悪寒が走るのを覚えた。
征十郎は冷めた目で白泥を見下ろし、吐き捨てるように言った。
「永遠、ね。こんな馬鹿げたことをいつまで続けるつもりだ? 数億年経って地球が滅んだら永遠もないだろう」
「ガキの屁理屈ね」
「ガキの屁理屈はそちらだろう」
白い泥の向こうで、二人の視線が真正面からぶつかる。
征十郎はゆっくりと刀の柄に手を置いた。
「こちらの呼び出しに応じたということは、私と最強を競うつもりということでいいんだな?」
「まさか」
茶子は心底くだらないとでも言うように鼻で笑った。
「あの痴呆ジジイの作った流派の最強なんて、微塵も興味ないわ」
「では、何故こちらの呼び出しに応じた?」
茶子の瞳が、征十郎の腰の刀へと落ちる。
「その刀。ジジイの刀の贋作ね」
「ああ、やはりそうか」
その一言で、征十郎の中に妙な納得が落ちた。
祖父が持っていた刀が、たしかこんなだった。
古い記憶の断片が、そこでようやく繋がる。
974
:
番外戦
◆vF6Pm5BH/6
:2026/04/10(金) 20:17:39 ID:akjpmZ6E0
茶子は聖魔剣デセオの切っ先をわずかに下げたまま、冷えた声で続ける。
「あたしがあの馬鹿みたいな呼び声に応じたのは、最強決定戦がしたいからじゃない。あのジジイの全てを根絶やしにするためよ」
その声音には、先ほどまでの親しげな響きはもうなかった。
虎尾茶子は怪異となった今なお、八柳藤次郎を赦していない。
永遠に囚われ、世界を侵し、怪異へ堕ち果ててもなお、その怨みだけは腐らずに残っている。
その血脈である征十郎もまた、赦しの外にあった。
「根絶やしねぇ。その割には、哉太兄を侍らせていたらしいではないか」
タチアナから聞いたヤマオリの顛末。
そこから得た情報を思い返した征十郎は口元を歪め、わざとらしく肩をすくめた。
「聞いているぞ。アニカとかいう少女に寝取られたそうじゃないか」
「――――――あ?」
空気が変わった。
茶子の声が、一瞬で底冷えする。
双眸に宿る熱が、殺意へと反転した。
「口を慎めよ、クソガキ――――殺されてぇか?」
白泥がぶくりと脈打つ。
周囲の空間まで、ぴしりと張り詰めた。
直接向けられてもいないはずのエネリットですら、皮膚の上を氷が這うような感覚に身じろぎする。
怪異としての圧ではない。
もっと個人的で、剥き出しで、幼稚なまでに生々しい怒り。
その殺意を真正面から浴びた征十郎は、むしろ愉快そうに口元を吊り上げた。
「はっ。やる気になったか、姉弟子」
その言葉で、茶子は挑発に乗せられたと気づく。
熱くなりかけた頭を、小さく息を吐いて冷ます。
瞼を閉じ、肩の力を抜く。
次に目を開いた時には、先ほどまでの剥き出しの激情はひとまず引っ込んでいた。
「……はぁ。まあ弟弟子相手に本気になるのも大人気ないか」
言って、デセオを軽く振るうと、周囲の泥が払われた。
いまだ白泥は際限なく溢れており、世界への侵食は止まっていない。
それでも二人の間だけは白泥は晴れ、今この瞬間に限って決闘の場として切り分けられた。
「いいよ。あんたに合わせてこの剣だけで遊んであげる」
その言葉が落ちた瞬間、場の空気がまたひとつ変わる。
災厄と剣士。
二つの顔を持つ虎尾茶子が、今だけは後者を前へ出したのだ。
白と黒を宿したはずの聖魔剣は、今はただの細身の剣として月光を返すだけだった。
応じる様に、口元を歪めた征十郎は無言で祖父の刀を抜く。
白泥の滲む岩山の上で、二人の間合いが静かに定まっていく。
その緊張の中、征十郎は懐へ手を入れた。
取り出されたのは、月光を鈍く弾く黒い首輪。
征十郎はそれを振り返ることなく、背後のエネリットへ放り投げた。
黒い首輪は緩やかな弧を描き、エネリットは片手でそれを受け止める。
「成功報酬だ」
茶子を呼び出すという目的は、これで果たされた。
これでエネリットの役割は終了である。
「ここから先は手出し無用。後は好きにしろ」
エネリットは手の中の黒い首輪を一瞥する。
それは確かに、依頼完了の証だった。
975
:
番外戦
◆vF6Pm5BH/6
:2026/04/10(金) 20:18:10 ID:akjpmZ6E0
「では、お言葉に甘えて好きにします」
エネリットは微笑を浮かべ、黒い首輪を懐へ収めた。
そして、動くことなくその場にとどまる。
それは、ここに残って、勝負を見届けるという意思表示だった。
征十郎は小さく鼻を鳴らす。
拒絶も、歓迎もない。
好きにすればいいと、そう無言で告げていた。
エネリットは周囲を見る。
この擂台以外の周囲は白い泥に取り囲まれている。
元より逃げ場はなさそうだ。
自然体に聖魔剣を構える虎尾茶子。
刀を携え、静かに間合いを測る征十郎。
その二人の間に、夜風が一本、細く吹き抜けていく。
境界の外に立つエネリットは、わずかに肩をすくめた。
山折の呪いを背負った怪異。
地の底で進化を遂げた剣鬼。
八柳の名を継ぐ者同士が、今、同じ月の下に立っている。
これはただの殺し合いではない。
怪異討伐でもなければ、私怨の清算だけでもない。
これは――八柳の剣、その最強を決める戦いだ。
静寂が落ちる。
白泥が、ぬるりと岩肌を這う。
征十郎の刀身が、わずかに月光を返す。
茶子のデセオが、冷えた光を帯びる。
そして、夜の舞台に見えない幕が上がった。
八柳新陰流・アメリカ分流――――――
征十郎・八柳・クラーク
対
八柳新陰流、免許皆伝・虎尾流開祖――
虎尾茶子
山折に始まり、山折に呪われ、山折に終わるはずだった因縁が、今ここに結実する。
八柳流最強決定戦。
――――ここに開幕。
■
976
:
番外戦
◆vF6Pm5BH/6
:2026/04/10(金) 20:19:12 ID:akjpmZ6E0
静寂が、先に裂けた。
先に動いたのがどちらだったのか、境界の外から見ていたエネリットには判別できなかった。
ただ次の瞬間には、二つの刃が月下で交錯し、遅れて甲高い金属音が岩山へ弾けていた。
征十郎は、地を這うように駆けていた。
大地へ身を沈めるような低い踏み込みから、足元を払うのではなく、掬い上げるように刃を跳ね上げる。
『這い狼』から変形の『跳ね鯉』へ。地を舐める低さと、そこから一気に喰らいつく跳躍。
八柳流の起こりとしても鋭いが、その一撃に宿る本質はただの膂力でも斬撃でもなかった。
万物切断の超力――『斬』。
受ければ、受けた剣ごと真っ二つに両断される。
まともな防御など成立しない。
刃を合わせた時点で終わる。
それが征十郎の剣だ。
にもかかわらず。
その一撃を受け止めた茶子の聖魔剣は、征十郎の刀に砕かれなかった。
刃と刃が正面から衝突したのではない。
噛み合う寸前、茶子の切っ先がほんのわずかに角度をずらしていた。
茶子が受けたのは刃の芯ではなく、その僅かに外れた側面。
斬線の中心を、紙一重で外していたのだ。
自らが通った次元斬の痕跡から、その力を推察。
ほんのミリでも見誤れば、受けた刀ごと身体を持っていかれていたはずの一撃を、茶子は呼吸ひとつ乱さず流し切る。
細い手首が、くるりと返る。
八柳新陰流、防御技――『空蝉』。
ただ防ぐための技ではない。
殺すために受け流す技だ。
流した軌道のまま、茶子のデセオが翻った。
「……っ」
返しが、速い。
銀の線が、征十郎の喉笛へ走る。
征十郎はそれを半歩の引きで外した。
だが、茶子の攻めはそこで終わらない。
喉を狙った切っ先が、次の瞬間には手首へ、さらにその次には脇腹へと変わる。
斬り込む角度、踏み替え、呼吸、重心の置き方。
そのすべてが淀みなく連なり、まるで初めから百手先まで定められていたかのように、一分の隙もない。
幼い姿に似合わぬ、いや、幼い姿だからこそ異様な、完成された猛攻だった。
これにはさしもの征十郎も、受けに回らざるを得ない。
火花が散る。
日本刀と西洋剣が、夜の中で何度も噛み合った。
茶子の狙いは明快だった。
征十郎の超力は、斬撃に宿る。
万物切断は、攻めてこそ十全に振るわれる力だ。
打ち込ませなければ、その断絶は機能しない。
ならば、攻撃の隙すら与えず押し込めばいい。
答えは単純。
だが、それを征十郎相手に成し遂げるには、どれほどの卓越した技術が要るのか。
「ほらほら、どうしたの征くん」
その声の軽さとは裏腹に、茶子の剣は軽くない。
一歩。半歩。さらに一歩。
前へ、前へと責め立てる。
その細腕から放たれる連撃は、ただ速いだけではなかった。
防御を一枚ずつ剥がし、呼吸の置き場を奪い、これから生まれるはずの反撃の芽まで先回りして摘み取っていく。
八柳流の理に従った、苛烈にして精密な攻めだった。
977
:
番外戦
◆vF6Pm5BH/6
:2026/04/10(金) 20:20:05 ID:akjpmZ6E0
征十郎の刀が横薙ぎの一閃を弾く。
そのまま下から跳ね上げるように切り返そうとした瞬間、茶子の剣が蛇のように潜り込み、刀の峰を叩いて軌道を殺した。
直後、顎を狙った突き。
征十郎は首を傾けてそれを外す。
頬に浅い線が走り、血が一条、夜へ散った。
「っ…………!?」
僅かな驚きが、今度は茶子の方に浮かんだ。
隙間なく流れ落ちる瀑布のような攻め。
その只中に、征十郎はねじ込むように一撃を差し込んできたのだ。
『秋津狩り』による最小限の動きで防ぎ、最小限の動きで返す、八柳流の切り返し。
征十郎はあえて回避を半歩遅らせ、頬を切らせるだけで済む位置に顔を置き、そのわずかな被害と引き換えに軌道を見切った。
茶子がさらに踏み込もうとした、その重心移動の先まで読んでいたからこそ成立した返しだった。
「へぇ」
感心したような声。
茶子の眸が、わずかに細まる。
ごつい体躯に似合わぬ、繊細な駆け引きだった。
「見た目に反して、ずいぶん細やかじゃない」
「それはどうも」
吐き捨てるように返し、征十郎が一歩踏み込む。
今度は、征十郎の攻め番だった。
上段からの振り下ろしと見せかけ、途中で手首を切り返す。
斬撃の軌道が変わる。
本命は肩口ではない。
茶子が『空蝉』で流しやすい角度を、あえて餌として晒し、そのさらに外を刈る一閃。
茶子がそれを読んで身を捻る。
だが、征十郎の刀はそこで終わらない。
返しのまま足運びが滑り、今度は『乱れ猩々』による乱撃が舞った。
速い。
重さを削ぎ落とし、ただ斬るためだけに最適化された剣。
その太刀筋は、茶子の知る山折の八柳流とは微妙に違っていた。
八柳流の技の中でも、とりわけ使い手の性質が色濃く出るのが、『乱れ猩々』による乱撃である。
開祖・八柳藤次郎の猩々は、定められた軌道を強力な斬撃が豪快に踊った。
哉太の猩々は、格子を描くように規則正しい軌跡を刻む。
茶子の猩々は、相手が嫌がる箇所へ斬撃の濃淡を的確に落とし込んでいく。
そして、征十郎の猩々の特色は――隙間のないほどの手数。
開祖たる八柳藤次郎の薫陶を山折で受けた茶子たちとは違う。
征十郎は幼くして山折を離れ、その後に剣を仕込んだのは、開祖の娘にして征十郎の母、八柳椿姫だった。
そこへ異国での実戦が積み重なり、その剣はもはや我流に近い変質を遂げている。
そして何より、その剣は超力を前提としていた。
万物を断てるのなら、腕力はいらない。
断てるのなら、要るのは速さと、当てるための技だけだ。
必然、その剣は通常の八柳流よりなお鋭く、速く、狡猾になる。
茶子の笑みが、少し深くなった。
「なるほどね」
さすがの茶子でも、この手数すべてを芯を外しながら受け切るのは不可能だ。
できても数度。
ならば、その一度を最大効率で使う。
細かな乱撃の流れを見切った茶子は、あえて前へ踏み込み、『鹿狩り』の強烈な一打で流れそのものを叩き潰した。
火花が弾ける。
力いっぱい弾かれ、征十郎の刀が浮く。
その隙間へ、『抜き風』の足運びから茶子の剣が滑り込む。
風のように、起こりすら見せず間合いへ入り込んでくる。
だが、征十郎は防御に回るのではなく、そこに斬撃を合わせた。
弾かれた刀の浮き上がりをそのまま利用し、大地を踏みしめ、『天雷』を落とす。
強引な対応だったが、超力が乗る以上、征十郎にとって攻撃そのものが最良の防御になる。
この斬撃と真正面から噛み合えば、こちらが断たれる。
一瞬でそう判断した茶子は剣を引き、身を躱した。
天雷が地面に落ち切った事を確認し、茶子が再び攻めに出た。
978
:
番外戦
◆vF6Pm5BH/6
:2026/04/10(金) 20:20:36 ID:akjpmZ6E0
攻防が、目まぐるしく入れ替わる。
刃と刃が噛み合うたび、夜の空気が震えた。
茶子が攻め、征十郎がいなし、征十郎が斬り込み、茶子が流す。
一手ごとに主導権が移り変わる。
間合いの奪い合い。呼吸の奪い合い。起こりの読み合い。
それはもはや尋常の立ち合いではなかった。
八柳流という一つの流派が持つ技術の限界を、互いが互いにぶつけ合っている。
達人同士でなければ成立しない、地獄じみた精度の応酬だった。
征十郎の刀が大きく弧を描く。
茶子も同時に横薙ぎへ移る。
剣の起こりは、ほぼ同時。
だが、届いたのは征十郎の剣が先だった。
茶子の瞳が、わずかに細くなる。
最初の数合では誤魔化せていた。
だが、読み合いの密度が増し、互いの技が噛み合えば噛み合うほど、その差が露骨に浮かび上がる。
それは技量の差ではない。
純粋な体格差に伴う、間合いの差だった。
征十郎の一太刀を『空蝉』で流し切った、その直後。
さらに半歩、征十郎が前へ滑り込む。
幼い肉体では、どうしても八柳流本来の間合いを維持しきれない。
『空蝉』で流し、捌き、読み勝ってなお、最後の半歩だけ、届く前に噛まれる。
攻め切る前に征十郎の間合いが先に成立してしまう。
届く。
次の一撃は、技で外せても、距離で食いつかれる。
その事実を、茶子は誰より早く理解した。
だから、そこで素直に大きく背後に下がった。
す、と間合いの外へ退き、くるりとデセオを回す。
月光の下、幼い少女の姿のまま、彼女は小さく肩をすくめた。
「少し、征くんを嘗めてたよ」
声音は明るい。
だが、その奥には先ほどまでより一段深い真剣味が混じっていた。
「流石にこのリーチ差はキツイ」
その言葉と、ほとんど同時に。
ごきり、と。
最初に鳴ったのは首だった。
細い骨が内側から軋み、続いて肩、背、腰、脚へと、乾いた音が連鎖していく。
幼い輪郭が、見えない手に引き延ばされるようにほどけていった。
白い肌の上を、成長というにはあまりに無遠慮な変化が走る。
腕が、脚が、すらりと伸びるたび、その存在そのものが塗り替わっていく。
首筋が伸び、鎖骨が開き、胸元と腰の線が少女のものから年頃の娘のものへと滑らかに移り変わる。
白いドレスが、膨張する肉体に裂けることなく寄り添い、その輪郭だけを静かに変えていく様は、成長というより変態に近かった。
まるで、最初からそこに在った別の茶子が、薄皮を脱ぐように現れてくる。
やがて、音が止んだ。
月下に立っていたのは、もう幼い少女ではない。
山折を離れる前、征十郎が見上げていた頃の虎尾茶子。
彼にとって最も見覚えのある、女子高生時代の虎尾茶子の姿だった。
茶子は新しい身体の具合を確かめるように、軽く首を鳴らす。
長くなった髪が、肩の上で揺れた。
そのまま、くるりとデセオを弄ぶ。
そして、試すように空を切る一振り。
鋭い風切り音を立て、夜に線を刻む。
その鋭さは、先ほどまでとは明らかに違っていた。
「うん。やっぱこっちの方が技が手に馴染む」
それだけで分かる。
ただ手足が伸びただけではない。
八柳流が最もよく馴染むよう、身体そのものを合わせ直したのだ。
すらりと伸びた手足。
踏み込みの幅。
そして何より、八柳流が最も美しく、最も凶悪に機能する間合い。
茶子はようやく、自分の剣が最も自然に届く位置へ戻ってきたのだ。
茶子が、静かにデセオを構え直す。
先ほどまでの軽さは、まだ残っている。
だが、その奥に潜む圧は、もはや別物だった。
「――さ。ここからは、ちゃんと斬り合おうか、征くん」
979
:
番外戦
◆vF6Pm5BH/6
:2026/04/10(金) 20:21:28 ID:akjpmZ6E0
茶子がゆっくりと一歩、前に踏み込む。
それだけで、戦場の空気が変わった。
攻めさせてはならぬ。
その直感に従い、征十郎が先手を取って動いた。
征十郎の刀が走る。
この状況でも無駄な力みはない。
ただ斬るためだけに最適化された一閃。
万物両断の超力を宿した刃は、あらゆる受けを否定する。
真正面から受ければ、それで終わる。
だからこそ征十郎は、ここまで押し切ってきた。
だが。
茶子は受けなかった。
半歩。
いや、それよりさらに僅かな重心移動だけで、刀身の通る線から身体を外す。
刃は白いドレスの胸元だけを浅く裂き、その奥の肉には届かない。
裂けた布片が、ひらりと月下を舞った。
完璧な見切りだった。
その軌跡を眺めながら、茶子の口元がわずかに笑う。
だが、征十郎は止まらない。
初太刀の回避先を刈るように、返しの横薙ぎが奔る。
避けた先まで含めて断つ、合理の一閃。
それすらも、茶子はするりと抜けた。
避けるというより、最初から斬線の外にいたかのような動き。
征十郎の刀がどこを通るかを見てから動いているのではない。
起こりの時点で、その先の流れごと読んでいるのだ。
刀の風圧が頬を撫でる。
その目前を掠めながら、茶子の身体は水のように、征十郎の攻撃の隙間を流れていく。
「足りないねぇ」
声が近い。
いつの間にか、茶子は征十郎の間合いの内側へ滑り込んでいた。
『抜き風』の足運び。その滑らかさは先ほどまでの比ではない。
デセオの切っ先が、征十郎の喉へ真っ直ぐ伸びる。
征十郎は首を沈め、ぎりぎりでそれを外した。
切っ先が黒髪を数本、夜へ散らす。
だが、茶子は止まらない。
腰を捻り、独楽のように身を回す。
その回転のまま、横薙ぎの二撃目が走った。
「くっ……!」
征十郎は刀で受け止めながら、たまらず数歩退く。
その様子を見て、茶子がくすりと笑った。
「ダメダメ。今のは『抜き風』から『蠅払い』に繋げるのを読んで、初撃を避けるんじゃなく『空蝉』で返すところでしょ」
言いながら、さらに一歩。
突きが払いへ、払いが逆袈裟へ、逆袈裟が柄元を狙う絡めへと変わる。
技が連なっているのではない。
呼吸そのものが剣になっている。
あまりにも自然に剣劇が舞うように変化していく――『三重の舞』。
征十郎はそれを捌く。
『三重の舞』である以上、大枠の流れは読める。
刀の角度を変え、身を捻り、最小限の動きで致命だけを外していく。
だが、その読みを嘲笑うように、茶子の剣質がさらに切り替わった。
横一文字が、途中で袈裟へと変わる。
肩口が浅く裂け、黒い礼服が音もなくほころぶ。
「『三重の舞』を放たれたら派生を警戒すべし。こんなの、基本中の基本なんだけどねぇ」
男と女の体格差。まして欧米の血を引く征十郎の体躯は大きい。
間合いによる優位は、なお征十郎の側に残っている。
だが今、押しているのは確実に茶子だった。
茶子の間合いが戻ったことで、技の切れそのものが増している。
それだけでも脅威だったが、茶子が先を取っている理由はそれだけではない。
980
:
番外戦
◆vF6Pm5BH/6
:2026/04/10(金) 20:22:40 ID:akjpmZ6E0
征十郎が踏み込む。
両断を狙った大振りではない。
デセオへ刀身を引っかけるように振り下ろし、そのまま絡めて抑え込む。
合気の理で相手の武器を封じ、同時に二本差しにしていた腰の刀へ手を伸ばす。
初撃で相手の動きを縫い止め、本命を別の刀で差し込む。
抜刀による変則の『朧蟷螂』。
だが。
「『秋津狩り』と見せかけて、変則の『朧蟷螂』」
茶子が、征十郎の動きを言い当てる。
そのまま抜刀しかけた柄頭へ、指先をそっと添えるように押さえた。
たったそれだけで、抜き打ちが殺される。
その一瞬の滞りを逃さず、切り返された茶子の剣先が胸元を裂いた。
黒いスーツが裂け、浅い血が滲む。
「実戦はそれなりに積んでるみたいだけど、足りない。対八柳流の経験がまるで足りていない」
征十郎の眸が、わずかに細まる。
同門との戦いなら、手の内が読まれるのは当然だ。
だが、その読みにも深さの差がある。
茶子は山折の八柳道場で、哉太や他の同門と幾千、幾万と打ち合ってきた。
それに対し、征十郎は異国の地で母から基本を継ぎ、あとは実戦の中で他門相手に削り出してきた。
技の起こり。癖。見せ技。虚実。呼吸の置き方。
流れのどこで人が欲を出し、どこで誘いを入れ、どこで我慢しきれず切り返すか。
茶子はそれを、頭ではなく体と経験で理解している。
対八柳流の経験値の差。
それこそが、この同門対決において、先読みの深度に違いを生んでいた。
だから、征十郎の剣がどれほど速くとも。
そこに八柳流の文脈が残っている限り、茶子には読める。
読める以上、後の先を取れる。
「姉弟子のご高説、痛み入る」
征十郎は一歩退き、刀を中段へ戻した。
呼吸は乱れていない。
だが、このまま正攻法では押し切れていないことは自分でも理解していた。
「お返しに、こちらも一つ教授してやろう」
茶子が、面白そうに片眉を上げる。
「へぇ、何を?」
お前如きが何を説くのか。
その表情は如実にそう語っていた。
征十郎の口元が、ほんの僅かに歪んだ。
「何が飛び出すかわからない――――超力を前提とした現代戦をだ」
「!?」
次の瞬間。
征十郎の刀が、一閃された。
斬られたのは、茶子ではない。
足元の岩盤だった。
音もなく、岩山が裂ける。
さらに二閃。
今度は背後の岩壁。
周囲の地形そのものへ、万物両断が叩き込まれる。
砕けた岩が宙へ舞い、砂塵が噴き上がる。
月光を受けた破片が、ばらばらと夜空へ散った。
崩れる足場の上で体勢を整えながら、茶子は素早く視線を走らせる。
周囲は舞い上がった砂塵で、一時的に視界不良。
足場崩しか。
目くらましか。
あるいは退路封じか。
幾つもの意図が、瞬時に脳裏を走る。
だが、その程度の陽動に対応できない虎尾茶子ではない。
剣先が静かに持ち上がり、どの方向から来ても捌ける位置へ収まる。
その刹那。
砂塵を切り裂き、天より征十郎が降った。
981
:
番外戦
◆vF6Pm5BH/6
:2026/04/10(金) 20:23:13 ID:akjpmZ6E0
現れたのは上。
散った瓦礫を蹴り台に、征十郎の巨躯が猿のように空中を渡っていた。
空中に散った瓦礫を利用した『猿八艘』。
常人なら着地のたびに勢いを殺すはずのその動きが、征十郎の脚ではむしろ加速へ変わっている。
だが、茶子の反応も早い。
『雀打ち』による対空迎撃までは間に合わない。
だが、『空蝉』で受け流すだけなら辛うじて間に合う。
瞬間的に、茶子はそう判断した。
だが、その目がわずかに見開いた。
征十郎が振るったのは、刀ではなかった。
巨体が、空中でしなる。
刀を振り下ろすと見せかけ、そのまま腰を捻る。
次の瞬間、征十郎の脚が鞭のように跳ねた。
斬撃ではなく、流星めいた飛び蹴り。
これは中国武術の流れを汲む八柳流体術の一つ。
高地から相手を不意討つ『流燕脚』。
「っ……!」
咄嗟にデセオを盾にそれを受ける。
だが、防いだところで質量そのものまでは殺し切れない。
衝撃が細い両腕を貫き、そのまま茶子の身体が弾かれるように後方へ押し飛ばされた。
茶子は空中で身を翻し、即座に体勢を立て直す。
だが、翻ったその瞳が、その先にあるものを見て大きく見開かれた。
押し流された先にあったのは、空気の色が違う空間。
踏み込めば、あらゆる意味が失われる、壊れた世界の残滓。
なお色濃く澱む、メアリー・エバンスが残した歪んだ領域だった。
茶子の体が境界を越えた瞬間、その身体がふわりと浮く。
同時に、蹴りの勢いのまま征十郎自身も異空間へ踏み込む。
瞬間。周囲の異界が、侵入者へ牙を剥いた。
風が刃の群れとなって殺到する。
浮いた瓦礫が槍のように収束する。
空間そのものが異物を削ぎ落とそうと、無数の死を一斉に押しつけてくる。
これに対して茶子は慌てることなく対処する。
無重力の中、身体を反転させ、重心のない空間でなお最短の軌道を選ぶ。
侵食の理不尽を一瞬で読み、風をいなし、瓦礫を斬り、空間の捩れに自分の軸を合わせていく。
その適応の速さは、圧倒的だった。
無傷のまま全ての対処を終えた茶子は、そこで同じく世界に侵入した征十郎を見る。
征十郎が世界に翻弄されているのなら、次の一手は茶子が速い。
だが、その予想は外れた。
吹きすさぶ風に征十郎の服や頬が裂ける。
脇腹を掠めた砂礫が肉を抉り、血が無重力の中で赤い珠となって散る。
征十郎は、世界に対するあらゆる対処を捨てていた。
ただ、刀を振りかぶっていた。
世界への対応の早さでは、圧倒的に茶子が上だ。
だが、全ての対処を捨てて一撃だけを通すなら――速いのは、征十郎だ。
982
:
番外戦
◆vF6Pm5BH/6
:2026/04/10(金) 20:23:56 ID:akjpmZ6E0
彼の目に映っていたのは、茶子の身体ではない。
その背後にある世界の歪み。
メアリーという少女の夢と、どこかの誰かの悪意が無理やり縫い合わされた、夢と現実の境そのもの。
――――目に見えるのなら、征十郎は斬れる。
茶子の身体が、その縫い目の上へ重なった。
瞬間、征十郎の中ですべての雑音が消えた。
あるのはただ一つ。
己が世界へ引く、斬撃の音だけだった。
空間に一本の黒い線が走る。
それはもはや斬撃ではなかった。
境界そのものを、あるべき位置からずらす行為。
世界に刻まれる、断層そのもの。
――――――次元斬。
それは、世界そのものに生じた傷だった。
「……あ」
茶子の目が見開かれる。
それは驚愕か。
あるいは、自分が今まさに断たれたのだという理解そのものか。
斬られたのは肉体ではない。
茶子が立っていた『座標』そのもの。
彼女の背後に広がっていた異界ごと、世界がそこで二つに割られたのだ。
白いドレスが、黒い線に沿ってわずかにずれる。
上半身と下半身が、ほんの僅かに噛み合いを失う。
だが肉はまだ、切断の事実に追いついていない。
斬られたという結果だけが、現実より先にそこへ立っていた。
征十郎は、その壊れた世界から跳び出した。
地へ着地した瞬間、膝がわずかに沈む。
世界から受けた傷は浅くない。
頬は裂け、脇腹からは血が流れ、礼服の黒をさらに濃く染めていく。
それでも、その眼だけは揺らがなかった。
肉を断った感触ではない。
もっと深く、もっと硬いもの。
人ひとりの命ではなく、その者が立っていた次元ごと斬り裂いた、確かな手応えがあった。
空間に残る黒い線もまた、その一撃が幻ではなかったことを告げている。
それを見据えながら、征十郎は静かに息を吐いた。
肺の奥に残った熱を、ゆっくりと逃がしていく。
だが、残心は崩さない。刀も、まだ下げない。
征十郎の視線は、黒い断層の向こうへ据えられていた。
断ったはずの座標。裂けたはずの空間。
その奥にある闇はなお閉じず、じっとこちらを見返しているようだった。
脇で立ち会うエネリットの表情もまた、険しいままだった。
むしろ、何かを見極めようとするように目を細めたまま、微動だにしていない。
周囲に溢れる白泥の侵食は止まっていない。
茶子を断ったはずの一撃のあとも、白濁は途絶えることなく岩肌を這い、世界へ滲み続けている。
まるで、斬られた当人だけが不在で、現象だけがその場に残されているかのように。
静寂が落ちる。
そして。
ぱちん、と。
小さく、指を鳴らす音が響いた。
その瞬間、裂かれていたメアリーの残滓そのものが、硝子のように一斉に砕け散る。
黒く濁った空間がひび割れ、闇の破片となって月光を弾く。
砕けた破片は夜の中へ溶けるように消え、その奥から、何事もなかったように一人の女が歩み出てきた。
983
:
番外戦
◆vF6Pm5BH/6
:2026/04/10(金) 20:24:51 ID:akjpmZ6E0
それは永遠のアリス。虎尾茶子。
永遠を振りまく世界の災厄。
肩を竦めるように、茶子が呟く。
「あーあ。油断したわ。穴を塞ぐだけじゃなくて、ちゃんと消しておくべきだったね」
切断されたはずの身体が、巻き戻るように繋がっていく。
裂けた肉も、骨も、衣も、時間を逆再生するように元へ戻る。
ずれかけていた上半身と下半身が音もなく噛み合い、白いドレスの裂け目さえ、最初から傷などなかったかのように回帰していった。
ルクレツィアや銀鈴を思わせる異常な再生力だが、あれらとも違う。
これは再生ではない。まして治癒でもない。
断たれたという結果そのものを、世界の側から否定している。
それは『治る』のではない、最初からそうではなかったことにされるかのような、不条理な巻き戻しだった。
征十郎の眉が、わずかに動く。
茶子は自分の肩を軽く払うような仕草をした。
「確かに、山折でのたった一日しか知らないあたしと、それが当たり前になった世界で生きてきたお前たちとじゃ、経験が違うか」
白泥が、彼女の足元でぶくりと脈打つ。
岩肌を這う白濁が、呼吸に合わせるようにわずかに揺れた。
その声音に、もはや先ほどまでの軽さはない。
感心と警戒が、同じだけ混じっていた。
姉弟子としての気安さは薄れ、強敵を見る剣士の目がそこにあった。
「認めるわ、征くん。あなたは、人間だった頃のあたしより強い」
征十郎は答えない。
刀を下げず、ただ静かに呼吸だけを整えている。
血が袖を伝い、地に落ちる。
メアリーの異界で受けた裂傷も浅くはない。
それでも、その眼だけはむしろ先ほどよりなお鋭く、深く研ぎ澄まされている。
「随分と、あっさり認めるのだな」
「言ったでしょう。あのクソジジイの流派の最強なんて興味がないと」
茶子はその視線を受けて、今度ははっきりと笑った。
だが、その笑みはもう年長者の余裕ではない。
強敵を前にした者だけが見せる、愉悦と歓喜の笑みだった。
白泥が、彼女の足元から静かに広がる。
戦いの舞台だけは払われていたはずの白泥が、再び周囲へ滲み始める。
時間そのものが淀み、腐り、停止へ向かっていくような圧が、じわじわと空間へ満ちていった。
「けれど、それだけ。カビの生えたジジイの考えた棒振りで最強気取ったところで――私(アリス)には届かない」
タチアナを囚えていた『永遠』の元凶。
彼女の存在は、ただの怪異ではない。『永遠』そのものだ。
体を両断したところで、滅びるはずがない。
彼女を滅ぼすには、茶子という存在をこの世に固定している『永遠』そのものを切り裂く必要がある。
それは征十郎も理解していたはずだ。
そこへ刃を届かせるには、まだ一段深く、核を見抜かねばならない。
「懐かしい顔を久しぶりに見たから、少し遊びがすぎた」
声が変わる。
幼さを含んだ高さが消え、静かに響く、よく通る女の声へと沈んでいく。
茶子の輪郭が、ゆっくりと変わり始めた。
先ほどのような、骨が鳴り、肉が伸びるような露骨な変化ではない。
もっと静かで、もっと不気味な変質だった。
少女が大人になるのではない。
今ここに在る『虎尾茶子』という存在そのものが、ひとつ先へずれていく。
征十郎は、その変化を真正面から見据えた。
ここから先は、もはや征十郎の知る姉弟子ではない。
征十郎の知らぬその先にある、より成熟し、より完成され、より深く壊れていた頃の虎尾茶子。
剣士として最も鋭く。怪異として最も濃く。
永遠に囚われた『永遠のアリス』という災厄の、完成形。
茶子は、わずかに首を傾ける。
長くなった髪が肩を流れ、その白さが月光を押し返した。
白いドレスが、彼女の変質に合わせて形を変えていく。
童話めいた柔らかさは失われ、死装束にも似た静かな威容へと変じていく。
布の裾は重く落ち、胸元と腰の線は研ぎ澄まされ、立っているだけでひとつの完成された存在に見えた。
伸びた手足は、もはや華奢ではない。
しなやかさの中に確かな強度を宿し、重心は深く、地を噛むように落ち着いている。
今ここで最も自然に人を殺せる身体があるとすれば、間違いなくこの形だった。
怪異、永遠のアリス。
その皮の下に眠っていたもの。
剣士としての全盛。
そして、永遠へ執着する怪異としての全盛。
二つが、今ここで完全に重なった。
「さぁ、サービスタイムは終わりだよ。ここからはあたしも、本気でいかせてもらうわ」
984
:
番外戦
◆vF6Pm5BH/6
:2026/04/10(金) 20:25:17 ID:akjpmZ6E0
それは、剣技以外の力も解禁するという宣言だった。
茶子は自らの指を軽く開き、閉じる。
そのまま、デセオを握り直す。
ただそれだけの動作で、周囲の世界が変わった。
いや、空気だけではない。
風向きが変わる。
白泥のうねりが止まる。
月光さえ、彼女の周囲だけわずかに鈍る。
空気そのものが、茶子の呼吸に従い始めていた。
エネリットの喉が、無意識にひとつ鳴る。
征十郎の肌にも、研ぎ澄まされた刃を首筋へ突きつけられたような緊張が走った。
征十郎は覚悟を決め、刀を構える。
「――――来い」
呼び声に応じる様に、茶子が日常の一歩のように前へ出た。
来る、と理解した次の瞬間には、茶子は既に征十郎の真横にいた。
「……っ!?」
動きの起こりすら見えなかった。
消えた――そう錯覚するしかないほどの速度。
踏み込みも、加速も、重心移動すら存在しなかったかのようだった。
距離という過程そのものを、何か別の理で踏み潰して現れたようだった。
ここまで茶子が剣術のみの勝負につき合ってきたのは、古い馴染みにつき合ったただの遊びである。
身体能力すら、現代人の枠に収まる程度へ合わせて調整していたのだ。
その制限を外し、魔法を解禁し、怪異としての全力を取り戻したならどうなるのか。
理解した時には、もう遅い。
征十郎の身体が、横へ流れた。
遅れて脇腹が深く裂け、血が夜へ扇のように散る。
「が……っ」
斬撃が通ったあとに初めて、斬られたと追いつく。
そんな領域の速さだった。
そこに虫でも払うような気軽さで、デセオがもう一度振られる。
征十郎は本能だけで刀を差し込み、辛うじて受けた。
瞬間、征十郎の巨体が宙に浮く。
「な――」
ただの膂力ではない。
斬撃の衝突に合わせ、見えない何かがまとめて征十郎の全身を打ち上げていた。
その場にある質量そのものを、まとめて弾き飛ばしたような一撃だった。
そこへ茶子は片腕を、すっと掲げる。
すると浮いた征十郎へ向け、炎が走った。
紅蓮の奔流。
だがそれは単なる火球でも火炎放射でもない。
帯のように捻じれて喰らいつく、意志を持った灼熱だった。
征十郎は目を見開き、空中で刀を振るう。
万物両断。
炎の核を断ち、軌道を裂き、迫る魔法そのものを切り開く。
だが、断ったはずのその直後。
征十郎の身体が、不意に横へ引かれた。
「――っ!?」
見えない何かが、体を鷲掴みにしていた。
次の瞬間、征十郎の身体は岩肌へ叩きつけられる。
「がはっ!?」
轟音。
砕けた岩が爆ぜ、衝撃が中腹を揺らす。
茶子の魔法は、現象ごとに名前を分けて対応すること自体が無意味な、万能の力だった。
それらすべてが、ひとつの呼吸の中で同時に成立している。
征十郎は、この刑務作業の参加者、いや世界でも指折りの強者だ。
正面からなら、並び立つものなどそうはいない。
その征十郎が、手も足も出ない。
悪夢のような光景だった。
存在としての次元が違う。
抗うかどうかという発想そのものを置き去りにした、完成された災厄だった。
985
:
番外戦
◆vF6Pm5BH/6
:2026/04/10(金) 20:27:24 ID:akjpmZ6E0
「懐かしいわねぇ。こうしていると征くんが道場にいた頃を思い出すわ」
茶子が、ゆっくりと歩く。
その一歩ごとに、白泥が彼女の足元で脈打った。
まるで大地そのものが、女王の機嫌を窺っているようだった。
「そう、だな……あんたは、小学生にもなってないガキにも容赦なかった」
咳き込みながら、征十郎が返す。
幼少時代の道場で、一方的に叩きのめされた記憶が脳裏を掠める。
だが、今の力量差はあの頃以上だった。
それでも征十郎は諦めていなかった。
その眼だけは、少しも死んでいない。
負けん気を剥き出しにした、噛みつく獣のような眼で、真正面から茶子を睨みつけている。
茶子はそんな征十郎を見て目を細めた。
「その目。それもあの頃と変わんない。ほんと、ムカつくガキだよ。お前は」
次の瞬間、征十郎が地を蹴った。
万物両断の斬撃。
どれほど格上の怪物であろうと、当たれば終わる絶対の一太刀。
世界そのものを斬るに至った、剣鬼の極致。
だが、その一撃は届かない。
「遅すぎる。止まって見えるわ」
茶子は、事も無げに言った。
速さに特化し、技の冴えを極めた征十郎の剣。
その極致へ至った刃を、茶子はまるで飛んできた木の葉でも摘むように、指先で白刃取りしていた。
征十郎の目が見開かれる。
止められたことだけではない。
摘ままれた剣先が、かたかたと震え始めたのだ。
それは征十郎の震えではない。
ましてや茶子の指先でもない。
刀そのものが、恐怖するように震えていた。
「あたしが全力を出しちゃったからでしょうね。どうやら『永遠』の属性を持つものは、あたしの出現に強く影響を受けるみたいなの」
永遠の大元。
『永遠』という概念そのものに最も近い怪異。
その完成形たるアリスが、今ここに本気で顕現している。
その結果、同じく『永遠』に侵された存在は、存在の根から圧を受ける。
「まずは――あのクソジジイの刀から壊してあげる」
茶子の指先に、ほんの僅か力が籠もる。
たった、それだけで、永遠を付与された日本刀に、ぴし、と細い亀裂が走った。
次の瞬間には、その亀裂が蜘蛛の巣のように刀身全体へ広がっていく。
耳障りな、悲鳴のような音が響き、耐えきれなかったように刀が砕け散った。
誇り高くあったはずの刃が、自ら恐怖に震えた果てに耐久そのものを失ったかのように。
破片が月光を弾き、夜へ散る。
征十郎の呼吸が、一瞬だけ止まる。
だが、それでも意識は止まらない。
咄嗟に征十郎は腰の刀へ手を伸ばした。
だが、それよりも早く。
ずぶり、と。
デセオが腹部を貫いていた。
まるで最初から、その場所に剣が存在していたかのような、あまりにも自然な動作だった。
次いで、引き抜かれる。
血が噴き出し、礼服の黒をさらに濃く染めた。
熱いはずの血が、夜の寒さに触れてやけに冷たく感じる。
「ぐ――が、っ」
征十郎の身体がぐらりと揺れる。
茶子は、もはやその一撃に何の感慨も抱いていないように、すっと視線を外した。
まるで、征十郎への興味は尽きたと言わんばかりに。
986
:
番外戦
◆vF6Pm5BH/6
:2026/04/10(金) 20:28:42 ID:akjpmZ6E0
岩山の中腹から周囲を見下ろす。
白い泥は、ここからブラックペンタゴン近くにまですでに広がっている。
岩肌を這い、谷を埋め、島そのものを白く塗り潰していく。
この島全体を呑み込むまで、あと一時間とかかるまい。
人より先に、この閉じた世界そのものが終わろうとしていた。
「よそ見を…………するな」
征十郎が、血を吐きながら声を絞る。
鞘から引き抜かれた刀は振り抜かれることなく、杖代わりのように地へ突き立てられていた。
腹を貫かれた傷口から溢れた血が刀身を伝い、柄を握る手からも少しずつ力が抜けていく。
それでもなお、征十郎は倒れまいとしていた。
呼吸のたびに、胸の奥で血の音がした。
喉の裏には鉄錆の味が広がり、視界の端は断続的に明滅する。
誰が見ても明らかな致命傷の積み重ねだった。
普通の人間なら、とっくに何度死んでいてもおかしくない。
茶子は呆れたように溜息をつく。
その眼には、わずかな苛立ちと、どうしようもないものを見るような冷たさが宿っていた。
「まだ立つんだ。素直に倒れれば楽でしょうに」
吐息混じりのその声には、先ほどまでの剣士としての昂りはない。
あるのは、なお足掻く人間を見下ろす災厄の、高みからの静けさだけだった。
「安心なさい。ここで死んでも、あなたは終わらない。あなたもあたしの『永遠』に加えてあげる」
白泥が、彼女の足元から音もなく広がっていく。
それは慈悲のようでもあり、どうしようもない死の宣告のようでもあった。
だが実際には、そのどちらでもない。
人を踏み潰す嵐に善意も悪意もないのと同じだ。
そこにあるのは、ただ抗いようのない災厄の論理だけだった。
「永遠、か」
小さく呟き、征十郎は血に濡れた口元を拭う。
かつて一人の少女が囚われたもの。
笑いながら嫌悪し、刹那に溺れてなお、最後まで胸の奥から追い出せなかったもの。
それを思えばこそ、なおのこと征十郎は問わねばならなかった。
「茶子姉――いや、永遠のアリスよ」
血を吐きながら、それでも征十郎は顔を上げた。
腹を貫かれ、脇腹を裂かれ、刀を杖のように支えにしてなお立ち上がるその姿は、もはや人の執念そのものだった。
白泥が足元を這う。死の気配を孕んだ濁流が、音もなく彼の靴先を舐めていた。
「お前の言う『永遠』とは、何だ?」
茶子は眉をひそめる。
そんなことを今さら問うのか、とでも言いたげな顔だった。
だが、征十郎の眼が本気であることを見て取ると、彼女は薄く息を吐き、まるで当然の理を語るように答えた。
「老いも、別れも、後悔も存在しない。もう何も奪われない、何も失われない世界。そんな理想の永遠の国(ネバーランド)として、山折は残り続けるのよ」
素晴らしきものを語るような、静かな声。
だが、その静けさの奥には、少女の中で煮詰められた執着の澱がある。
白い泥が呼応するようにぶくりと脈打ち、周囲の岩肌へ白濁した膜を広げていく。
征十郎はそれを見下ろしながら、低く言った。
「そんなことをせずとも、残るものはあるだろう。ここに八柳の剣が残っているように」
開祖が死に、山折が沈み、道場が朽ちてもなお、剣の理は征十郎の血肉の中に生きている。
だが、その言葉を茶子は鼻で笑った。
「そんな形のないものは、いつか失われる。そんなものは『永遠』じゃない」
「いいや。それは違う」
征十郎は即座に断じた。
血に濡れ、今にも崩れ落ちそうな身体から発せられたとは思えぬほど、その声には奇妙な強さがあった。
「永遠は、目に見えずとも、そこに在るものだ。お前はそれを、物理的な形にしなければ信じられなかった」
ぴしゃりと言い切られた瞬間、茶子の眉がぴくりと動く。
人も。土地も。約束も。
形を失ってなお、人から人へ渡り、記憶に宿り、技に宿り、想いとして残り続ける。
それを信じられなかったからこそ、茶子は泥で埋めた。
村を。死者を。思い出を。別れを。変わっていくすべてを。
閉じ込めなければ、『永遠』だと信じられなかった。
征十郎の目が、まっすぐ茶子を射抜く。
987
:
番外戦
◆vF6Pm5BH/6
:2026/04/10(金) 20:29:31 ID:akjpmZ6E0
「お前は『永遠』を愛しているんじゃない。ただ喪失を受け入れられなかっただけだ。
失われることへの恐怖を、変化も、別れも、死も、全部同じ場所に縫い止めて誤魔化しているだけだよ
お前のそれは、閉じ込めているだけで何も残らない。どこにも続かない。それのどこに『永遠』がある?」
茶子の笑みが、すっと薄くなる。
まるで呼吸を忘れたように風が止み、白泥のうねりがわずかに硬直した。
征十郎は、白を汚すように血の混じる唾を吐き捨てる。
茶子は山折を永遠に残したかったのではない。
ただ、失いたくなかっただけだ。
残すのではなく、腐らせぬよう凍らせた。
継ぐのではなく、閉じ込めた。
生きたまま次へ渡すのではなく、死んだ標本として保存した。
腹の傷口から血が溢れ、礼服の黒をさらに濃く染めていく。
だが、征十郎は続けた。
「お前のやってることは、終わるのが嫌で駄々をこねてるガキの我儘と変わらないよ。いい年なんだ。いい加減大人になれよ、茶子姉」
正面から、少女の『永遠』を否定した。
茶子の目から、温度が消える。
その表情から、笑みが完全に失せた。
「――――ほざけよ、村を捨てて出て行った裏切り者が」
声は静かだった。
だが、その静けさは、もはや余裕の静けさではない。
踏み込まれたくない場所へ踏み込まれた者が、感情を押し殺すときの静けさだった。
「形がなくても残る? 違うね。形がないから、簡単に失くなるのよ」
その眼が、征十郎をまっすぐ射抜く。
そこにあるのは憎悪だけではない。
胸の底で長いあいだ煮詰められ、どれほど時を経てもなお冷えきらなかった、諦めきれない痛みだった。
「人は忘れる。土地は朽ちる。家は潰える。名前は掠れる。約束は反故にされる。どれだけ綺麗事を並べたところで、失くなるものは失くなるのよ」
声は次第に熱を帯びていく。
怒鳴っているわけではない。
それでも、静かだからこそ、その怨念はむしろ濃く響いた。
征十郎の言葉を、茶子は真正面から切って捨てる。
やがて彼女は両手で顔を覆った。
指の隙間から覗く口元に、ふたたび笑みが浮かぶ。
だがそれは先ほどまでの柔らかなものではない。
裂けた傷口のように、痛々しく歪んだ笑みだった。
「そう。あたしは嫌だった。失うのが、終わってしまうのが、どうしようもなく嫌だった。せっかくここにあったものが、どこにも行けず、誰にも届かず、ただ消えていくのが耐えられなかった。
語る人間が死ねばそこで終わる。覚えている人間が壊れれば、そこで途切れる。どれだけ立派な文化でも、どれだけ尊い記憶でも、人間なんていう脆い器にぶら下がっている時点で、そんなものは『永遠』でも何でもないのよ」
白泥の中から、白く濁った手がいくつもせり上がる。
誰かの腕であり、誰かの指であり、誰かだったものの名残。
それらは祈るように、あるいは救いを求めるように、茶子の周囲へと伸びていた。
「だから残すの。閉じ込めてでも、止めてでも、変わらない形にしてでも。朽ちないように。忘れられないように。誰にも奪われないように。――『永遠』にしてしまえば、それはもう失われない」
白泥の照り返しを受けて、茶子の瞳が異様な光を宿す。
ふっ、と茶子は嗤った。
その笑いには侮蔑と、どうしようもない絶望が混じっていた。
「消えた方はどうなるの? 置いていかれた方は? 忘れられて、薄れて、最後には誰の中にもいなくなる。それが当たり前だから受け入れろって? 冗談じゃない」
吐き出した言葉の端に、押し殺していた激情が滲む。
「失った後にも何かが続くなんて言葉は、失った側が自分を納得させるために口にする慰めに過ぎない。あたしは違う。失わせない。終わらせない。何ひとつ、誰ひとり、取りこぼさない」
白泥が一斉に脈打つ。
まるで彼女の言葉を肯定するように、周囲の白濁がどくん、と生き物めいて膨れ上がった。
「――――私は『永遠の少女(アリス)』。山折の子よ――――貴様は何故、この美しき永遠を否定する?」
失われたものを、仕方ないと割り切って、切り捨てる大人になどならない。
『永遠』に揺蕩う災厄の少女。
問われ、征十郎は何でもないように肩を竦める。
そして、血に濡れた口元をわずかに歪めた。
「永遠の停滞――そんなもの、つまらんだろう?」
いつかと同じ答え。
征十郎は刀を支えに、なお一歩踏みとどまる。
その瞳には、茶子の白とは真逆の熱が宿っていた。
「それでも俺は明日を求める。なにせ停滞なぞ、気持ちがアガらん」
そこで一度、征十郎は息を吐く。
茶子は過去を現在(いま)に縛り付けて、それが『永遠』だと嘯いている。
だが、征十郎は強敵(だれか)に出会える明日を求める。
未来へと続く『永縁』が欲しい。
988
:
番外戦
◆vF6Pm5BH/6
:2026/04/10(金) 20:30:10 ID:akjpmZ6E0
「爆ぜるからこそ、次へ届くものもある。燃え尽きるからこそ、誰かに焼きつくものもある。そういう一瞬のきらめきを、何と呼ぶか知ってるか?」
人は永遠には生きられない。
未熟で、青く、脆く、二度とは戻らない。
だからこそ、今この一瞬に賭ける。
完成していないからこそ熱がある。
失うからこそ前へ進む。
終わるからこそ誰かに届く。
その一瞬の名は――
「――――――青春だ」
「……は?」
初めて、茶子の顔から完全に調子が外れた。
馬鹿げた答えに茶子が絶句した、その一瞬。
征十郎は血に濡れた口元を歪めた。
その青い瞳は、もう茶子だけを見てはいなかった。
茶子の背後。
白い泥の中から、無数の糸が伸びている。
白い。
白すぎて、かえって闇のように暗い。
過去も、死者も、村も、時間も、記憶も、未練も、後悔も。
あらゆるものをひとつに縫い止め、留め、固定し、茶子という存在へ束ねている無数の糸。
怪異として手札をすべて晒している今だからこそ、そのすべてが目に見える形で露出していた。
そのすべてが、彼女の胸の中心――さらにその奥にある、見えない結び目へと収束している。
怪異『永遠のアリス』をアリスたらしめる、願望機が生み出した魔力の渦。
失われぬようにと、終わらぬようにと、ただ純粋に願った少女の妄執。
それらが係留ロープのように彼女を繋ぎとめていた。
征十郎は、それを観た。
「その妄執を――――この剣が断つ」
杖代わりにしていた刀を、地から引き抜く。
赤く濡れた刀身が、月光を鈍く返した。
血で滑る柄を、骨ばった指が無理やり締め上げる。
征十郎は刀を下げた。
構えとも呼べぬ、ぼろぼろの下段。
今にも崩れ落ちそうな姿勢。
もう、これが最後の一太刀だと、肉体のすべてが物語っていた。
だが、それでも征十郎は笑った。
今日は実に――――死ぬにはいい日だ。
征十郎の足が、大地を蹴る。
八柳新陰流の踏み込み。
血飛沫が背後へ散る。
常人なら一歩目で倒れている。
二歩目など踏めるはずもない。
だが、征十郎は走る。
この一瞬の輝きを、世界へ刻みつけるように。
駆けながら刀を後方へ振りかぶる。
牽制も、虚実もない。
ただ一撃を放つためだけの、無骨な予備動作。
「八柳新陰流・奥義――――」
剣が奔り、奥義が放たれる。
自らの超力と、自らの人生と、自らが見てきたすべてを乗せた、征十郎だけの奥義が。
だが、その太刀筋は、あまりにも遅い。
今の茶子にとって、人間の剣など止まって見える。
だからこそ茶子は、油断ではなく確信として見下ろしていた。
989
:
番外戦
◆vF6Pm5BH/6
:2026/04/10(金) 20:30:41 ID:akjpmZ6E0
すべてを見極め、茶子が聖魔剣を振り下ろす。
今度こそ終わりの一撃。
後の先でありながら人の域を超えたその一太刀は、当然のように先に届くはずだった。
だが。
刹那。
征十郎の刀が、爆ぜた。
まるで刀身に付着した血そのものが、爆炎へ変わったかのようだった。
一太刀の中に収まりきらない熱量が、刹那へ凝縮され、破裂する。
二度と戻らないからこそ価値がある。
完成していないからこそ熱く爆ぜる。
失うからこそ前へ進む。
終わるからこそ、美しい。
永遠とは真逆の理。
一瞬しかないからこそ輝く、青く未熟な命の爆発。
それは永遠という停滞を断ち切る刹那。
「――――煌き☆青春爆斬(セツナ=アオハル)」
刃が、閃く。
茶子の目が見開かれる。
その一撃は、一瞬のうちに生まれ、燃え、砕け、それでもなお届く、命そのもののきらめきだった。
茶子が咄嗟にデセオを差し込む。
だが、その刃が触れた瞬間、白と黒の聖魔剣が一息に両断された。
永遠の理に寄りかかって在る剣が、刹那の熱に耐えられない。
刃は止まらない。
その奥へ潜る。
胸を通り越し。
白い糸の束へ。
さらにその中心――結び目へ。
――――――――――――斬。
音はなかった。
ただ、茶子の背後に広がっていた無数の白い糸が、一瞬遅れてぶつりと震えた。
次の瞬間。
びん、と。
世界のどこかで張り詰めていたものが、まとめて千切れる音だけが響いた。
「……あ……あぁ…………」
茶子の唇から、かすれた声が漏れる。
その瞳が、信じられないものを見るように揺れた。
胸の奥で、何かがほどけていく。
固定していたはずのすべてが留め具を失い、ばらばらと浮き上がる。
茶子は胸を押さえ、後ずさった。
だが、喪失は止まらない。
押さえた指の隙間から、白い光がこぼれ続ける。
990
:
番外戦
◆vF6Pm5BH/6
:2026/04/10(金) 20:31:10 ID:akjpmZ6E0
「こんな、こと……そんな、バカな……いや、いやよ……っ」
永遠のアリスを成立させていた理が、確かに崩れ始めている。
彼女の声は、もう先ほどまでの完成された怪異のものではなかった。
失うことを恐れる、ただひとりの少女の声だった。
溢れていた白泥が止まる。
岩肌を這っていた泥が、乾いた土のように固まっていく。
山折を縫い止めていた永遠が、形を保てず、ほどけていく。
止まっていた時間が、ようやく息を吹き返し始める。
永遠のアリスという災厄の終わり。
その結末を見届けて、征十郎の身体がゆっくりと前へ崩れた。
全身の傷は深すぎた。
最後の一撃を放った瞬間、彼の命はすでに尽きていたのだ。
ようやく断つべきものを断てた剣士は、倒れながらかすかに笑う。
それは、ここにいない誰かへ見せつけるような、自慢げな勝者の笑みだった。
【征十郎・八柳・クラーク 死亡】
【永遠のアリス 消滅】
■
991
:
番外戦
◆vF6Pm5BH/6
:2026/04/10(金) 20:31:53 ID:akjpmZ6E0
山折に始まり、山折に呪われ、山折に終わるはずだった因縁は、ここでひとつの断絶を迎えた。
茶子の中から、『永遠』が失われた。
『永遠のアリス』という災厄は、この世界から確かに消滅した。
夜風が吹く。
白泥は、もう動かない。
永遠は、断たれた。
――――だが。
茶子は、なおそこに立っていた。
胸を押さえ、呆然としたまま。
『永遠』を失い、その核を断たれてなお、完全には消えない。
怪異として積み重ねてきたものは、もはや『永遠』だけではなかったのだ。
喪失に歪み、幾重にも澱み、世界のあちこちを渡り歩いてきた災厄の残滓が、なお彼女という存在をこの世へ繋ぎ止めている。
『永遠のアリス』は消滅した。
だが、虎尾茶子という少女の妄執は、『永遠』を失ってなお怪異として残った。
茶子は、倒れた征十郎を見下ろす。
その顔に、怒りも嘲りもない。
ただ、何か大切なものを初めて失った者の、空白だけがあった。
喪った胸の奥を埋めるように、茶子の指先がゆっくりと震える。
その震えは、痛みから来るものではない。
まして、敗北を認めた者の狼狽でもない。
胸の奥に穿たれた空洞。
『永遠』を断たれたことで剥き出しになった、どうしようもなく深い欠落。
それを前にしてなお、彼女の内側に残っていたものは、あまりにも単純で、あまりにも醜悪な欲望だった。
欲しい。
失いたくない。
埋めたい。
奪ってでも、満たしたい。
その渇きに形を与えるように、足元で固まりかけていた白泥が、今度は黒く染まりながらじわりと動き出す。
『永遠』という秩序を失ったそれは、もはや山折を保存するための泥ではなかった。
ただ周囲から色を奪い、温度を奪い、意味を奪い、喪失そのものを喰らってなお飢え続ける怪異の残滓へと変わっていた。
岩肌が黒く染まる。
砕けた石片は、触れた端から色を失い、乾いた殻のように脆く崩れていく。
草の先はしおれ、夜の冷たささえ、そこへ吸い込まれるように鈍っていく。
何を呑んでも埋まらない。
何を喰らっても満たされない。
失われた『永遠』の代わりを求めて、周囲のすべてを奪い続けるだけの怪異。
虎尾茶子は、もはや『永遠のアリス』ですらなかった。
永遠への執着だけを焼け残らせ、その喪失を埋めるためだけに世界を侵食する、新たな災厄へと変わろうとしていた。
そこに、パチパチという手を叩く音が響いた。
「お見事でした、征十郎さん。この勝負は間違いなく、貴方の勝ちだ」
その怪異の残る舞台へ、ひとりの男が歩み出る。
倒れ伏した征十郎を一瞥し、わずかに目を伏せる。
決闘を最後まで見届けた立会人、エネリットは静かに舞台へ上がった。
ゆらり、と。俯いていた茶子の首が、不自然なほどゆっくりと持ち上がる。
その顔が回り、エネリットを睨みつける。
『永遠』を断たれたことで剥がれ落ちたはずの威容の奥から、なお腐らず残っていた怨念が、じっとりと滲み出した。
992
:
番外戦
◆vF6Pm5BH/6
:2026/04/10(金) 20:32:28 ID:akjpmZ6E0
「背景でしかなかったモブが、今更しゃしゃり出てきて、何のつもりだ?」
その声は低く、濁っていた。
聞くだけで耳の奥へ黒泥を流し込まれるような、不快な重さがある。
だが、エネリットはいつも通りの調子で肩をすくめた。
「尻ぬぐいですよ。あなたには、ここでご退場願おうかと思いまして。
勝負が終わった舞台に、敗者がいつまでも居座るのは見苦しい」
あまりにも平然とした口調で言う。
茶子の目が苛立つように見開かれた。
「嘗めるなよ、クソガキが……っ。お前如きが、私をどうにかできるとでも思ったか?」
空気が一段、濃く淀んだ。
その怒気に呼応するように、黒泥がぶくりと脈打つ。
如何に願望機の力や核たる『永遠』を失おうとも。
剣の技量も、生体としての性能も、怪異としての密度も、なおエネリットを遥かに上回っている。
冷静に数値へ置き換えるなら、勝率などほとんどないに等しい。
エネリットはその圧を真正面から受けながら、それでも表情ひとつ変えない。
「確かに、あなたは私より強いでしょう。ですが――」
淡々と、事実を認める。
その海の様な瞳が、まっすぐ茶子を捉えた。
その眼に宿るのは、氷月から借り受け、日月の死によって再び己へ還ってきた超力――『殺人の資格』。
相手を殺せる可能性が一片でもあるのなら、その方法を提示する力。
「――勝ち目は、あるみたいですよ?」
エネリットの口元が、酷薄に歪む。
25%分という不完全な状態ゆえ、その線は薄く、細い。
それでもなお、今の茶子に対して、霧の向こうに灯る針穴ほどの勝ち筋が確かに見えていた。
「ほざけっ!」
それを挑発と受け取ったのだろう。
征十郎の亡骸の傍らに落ちた日本刀を乱暴に掴み、茶子が怨嗟に濁った咆哮とともに襲いかかる。
すべてを超越する災厄『永遠のアリス』と比べれば、動きは確かに落ちている。
それでもなお、一流どころか超一流。
人の域に留まる剣士では到底反応しきれぬ踏み込みで、黒い残滓を引きずるように一直線にエネリットの喉元を穿ちにくる。
だが、その足元が不意に取られた。
黒泥の底から絡みついたのは、鋼鉄製の鎖だった。
「――――――『恐怖の大王』」
その声と同時に、彼の手元で重い鉄の音が生まれる。
否。現れたのではない。
それは貴族服の裾に隠れ、最初からずっとそこに在った。
それは叔父セルヴァインから奪い取った超力の残骸。
『徴収』による簒奪は、対象の死後も維持される。
信頼度が地に落ちた今となっては再取得こそ叶わないが、解除しない限り、この徴収は残り続ける。
エネリットは、あの戦いから一度たりともそれを手放していなかった。
じゃらり、と鎖が鳴る。
ぎゅん、と足を引かれ、茶子がわずかにバランスを崩す。
咄嗟に体勢を立て直し、茶子が前を見上げる。
その瞳が、見開かれた。
その一瞬、彼女の身体が強張るように止まる。
そこには、視界を埋め尽くすほど巨大化した鉄球があった。
『永遠』を失った虎尾茶子に、もはや以前のような絶対的な不死性はない。
ならば、今なら単純に――物理的に叩き潰せる。
993
:
番外戦
◆vF6Pm5BH/6
:2026/04/10(金) 20:33:07 ID:akjpmZ6E0
叔父セルヴァイン・レクト・ハルトナより徴収した、鎖鉄球を生み出す『恐怖の大王』。
刑務官マーガレット・ステインより徴収した『鉄の女』の髪が、鎖へ絡み付き、強度と制御を底上げする。
ディビット・マルティーニより徴収した『四倍賭け』が、腕力を限界まで増幅する。
そして氷月蓮より徴収した『殺人の資格』が示した、唯一の綻び。
四重の超力が、一撃へ収束され、鉄球となって振り下ろされる。
岩山そのものが呻いた。
その一撃は、全てをまとめて圧し潰した。
衝突の瞬間、空気が圧し潰され、黒泥が四方へ吹き飛ぶ。
まるで処刑台へ落ちる鉄槌のような、情けも救いもない一撃だった。
轟音が夜へ弾ける。
跳ねた黒泥が、ぼたぼたと地へ落ちる。
そこに、もう人の形はなかった。
その場に残った黒く濁った泥の塊が、ひとつ脈打ち、ふたつ脈打ち、そして――
ごぼり、と。
中央から、裂ける。
『あああああああああああああああッッ!!』
喉という器官を通したとは思えぬ、濁流じみた咆哮が夜を引き裂く。
黒泥の山が内側から盛り上がり、砕け、裂け、その中から茶子が這い出してきた。
全身がひび割れ、片腕は半ば潰れ、顔の半分は泥と化してなお、その目だけが濁った光に爛々と輝いている。
潰された怪異の残滓が、最後の執着だけを燃料に無理やり形を取り戻していた。
死に損ないの怨念が、壊れた器の中で暴れていた。
黒泥が周囲から一斉に茶子へ集まり、砕けた腕を補い、潰れた半身を繋ぎ止める。
その姿はもはや人ではなく、喪失そのものが立ち上がった何かだった。
それを、エネリットは感心したような目で見下ろしていた。
「凄まじい執念だ。故郷を想うその気持ち自体は美しものでしょう。ですが――」
山折を『永遠』とする災厄の恐るべき執念。
帰るべき祖国と言うものが存在しない彼にとって、茶子の抱える狂う程の望郷の念は羨ましさすらあった。
「――周りに迷惑をかけるのはよくない。目的を果たすのであれば相互利益がないと。そこは失敗でしたね」
激情の怪物を合理の怪物が諭す。
この二人はどこまで行っても対極だった。
じゃらり、と鎖が唸る。
鉄球が再び持ち上がる。
今度は先ほどよりも確実に。
『あたし……のヤマオリぃぃいぃいいいいいいッ…………!!!!』
茶子が潰れた喉で叫び、黒泥の腕を幾重にも伸ばす。
だが、それらは届かない。
『殺人の資格』が示す最短の死線から、一歩も外れられていない。
妄執の残滓。
少女の夢の残骸に向けて、結論を告げる。
「明日を求める世界に、停滞を是とするあなたの『永遠』は必要がない」
それが結論だ。
悲劇でも、惨劇でも、間違いを生み続ける世界でも。
征十郎のように明日を求め続けることこそが正しい。
その結末も、その決着も、もう終わっている。
今ここで蠢いているのは、喪失にしがみつく残り滓に過ぎない。
ならば、必要なのは慈悲ではない。
終わりを告げる一撃だけだ。
エネリットは、先ほど以上に容赦なく腕を振り下ろした。
994
:
番外戦
◆vF6Pm5BH/6
:2026/04/10(金) 20:33:26 ID:akjpmZ6E0
鉄球が、茶子の残骸を真正面から叩き潰す。
黒泥の腕が千切れ、怨念の叫びが砕け、核を失ってなおしがみついていた執着そのものが圧壊する。
砕けた黒泥が、夜空へ弾け飛ぶ。
その一片一片が、月光の下で小さく震え、次の瞬間には灰のように乾いて崩れた。
もう、戻ることはなかった。
静寂が戻る。
虎尾茶子という怪異は、完全に消滅した。
世界を『永遠』へと停滞させる災厄は、明日を望む一撃の前に、ここで完全に終結したのだ。
エネリットはようやく自らの超力を解き、その場に立ち尽くす。
夜風だけが、決闘の終わった岩山を静かに撫でていく。
やがて彼は空を見上げ、ふぅと小さく息を吐いた。
周囲を見渡せば、そこかしこに黒く染まった泥の残骸がある。
『永遠』を失い、怪異ですらなくなり、ただ汚れだけを残した成れの果て。
足場は悪く、ここから移動するのも容易ではない。
残り時間も、もうほとんどないだろう。
これで、エネリットの刑務作業も終わりだ。
残った他の連中がどうなるのかは、彼には与り知らぬ話である。
「明日か…………」
エネリットはぽつりとつぶやく。
地の底で尽きる運命だったこの身が、本来体感できない多くの経験ができた。
その中で、思ってもみなかったものまで幾つも見ることができた。
思えば本当に、色々あった。
ディビットとの出会いと別れ。
メアリーを巡る攻略戦。
ブラックペンタゴンでの動乱。
叔父への復讐という当初の目的も果たせた。
そして、そのすべてをひっくるめた上で。
最後に胸へ残った感想は、驚くほど単純だった。
「ああ――楽しかった」
その呟きだけが、夜の終わりへ静かに溶けていった。
【虎尾 茶子 死亡】
【F-6/岩山中腹/一日目・真夜中】
【エネリット・サンス・ハルトナ 刑務作業終了】
995
:
番外戦
◆vF6Pm5BH/6
:2026/04/10(金) 20:33:38 ID:akjpmZ6E0
投下終了です
996
:
◆vF6Pm5BH/6
:2026/04/10(金) 21:10:37 ID:akjpmZ6E0
埋まりそうなので新スレです
オリロワA part4
ttps://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/otaku/12648/1775822938/
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