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【バンパイアを殲滅せよ】資料庫

146麻生 結弦 ◆GM.MgBPyvE:2020/10/04(日) 20:23:41
昏い客席を隈なく埋める観客たち。
息を潜んで待っている、その眼が舞台の照明を猫のように照り返している。

そんな中、居心地悪そうに足を組みなおしたのは魁人だ。
……だね。君はあまりクラシックに興味ないよね。護衛兼秘書として付いてきただけだよね。
でも、そんな君に選んでみたんだ。トリッキーで、楽し気な曲をね。ラヴェルの組曲「鏡」から、「道化師の朝の歌」。
行動的で、どこかネジの外れた思考、でも飛びぬけた才能。
ほんと、音がぴょんぴょん飛び跳ねるんだ。短調だからちょっぴり切なげでもあるけどね。
……君は首を傾げるかも知れないな。現代音楽ってほら、解釈が難しいっていう……。抽象画みたいな?
せめて寝ないで聴いてくれると嬉しいよ。

マイペースという意味では朝香先生もそうですよね。ほら、もうそんな……あくびを噛み殺したりして……
断言しましょう。貴方に選んだ曲を弾けば、確実に貴方は寝る。賭けてもいい。
……いいですけどね。あなたには随分と振り回されましたけど、助けられもしました。何度も眼が覚めました。
実際貴方が居なかったら、僕はこうしてここに居ない。ありったけの感謝を込めて弾きますよ。ラヴェルから、「夜のガスパール」の第1曲、「オンディーヌ」を。
オンディーヌって、妖しく男を魅了する水の精なんです。優しく、しっとりと方々に流れる水のような……艶めかしい曲でして。
えぇ、先生をイメージしたらこれしか。

宗くん……こうして見ると、ほんとうに局長そのひとですね。
いえ、その眼、事実そうなんでしょう。
元は司祭だと後から聞きました。言われてみれば、あのストイックさは確かに。
ヴァンパイアであるからこその容赦ない扱き、指導。でも決して僕達を殺しはしなかった。遊び半分に嬲ったりも。
感謝しています。尊敬しています。人ではないその身を制御できたのは局長ならばこそ。
貴方にはショパンのエチュード、作品25の11を。
「木枯らし」を思わせるあの……高音部から流れ落ちる情熱的な旋律。それを、楽譜の指示通りに。
ショパンが与えた指示記号はrisoluto(リゾルート)。
それが意味するのは「lamentabile――哀し気に」でもなければ「appassionato――情熱的に」でもない、「決然と」。まさに貴方を表す言葉だ。

菅さん。貴方は凄い人です。
ヴァンパイアの伯爵が、人間と手を取り合って生きていく道を選択するなんて、普通じゃあ有り得ない。
相当の苦労だったと思います。精神的にも、肉体的にも。
あはは、貴方はら「不老不死の身体にはそんなの苦労のうちにも入らないよ!」なんて笑って言いそうだなあ。
僕は当時、伯爵という存在を憎んでいたから気付かなかったけど、貴方は相当「大らか」だった。
何事にも動じずへこたれない、少々の事は気にしない。
……そうじゃなきゃ、大臣、なんて職は務まりませんよね。
まるで大陸を囲む大いなる海原のよう、なんて気障な言い方になりますが、そう名付けられた曲があるんです。
僕の好きなショパンが作曲したエチュード、作品25の12。
ナンバーを見れば気付くでしょうが、先ほどの「木枯らし」の次曲でしてね?
かつて貴方の僕だった局長と、奇しくも隣り同士ってわけで。
両手同時のアルペジオ(分散和音)が、まるで大海の波のうねりを感じさせる、というのが命名の理由だそうで。
けっこう好きなんですよね、この曲。主旋律が「絶望的な状況における決意」のようなものを感じさせるんです。
高波に呑まれながら、遠雷を聞く。迫りくる嵐、不穏な空気。ついに投げ出され海は暗く、何処までも深い。
けれど次第に凪ぎ、立ち込めていた暗雲は晴れ渡り、大いなる大団円にて幕を下ろす。
どうです? 貴方の身の上にぴったりだと思いません?

最後になりましたが……田中さん、お声をかけて下さってありがとう御座います。
僕はこんな日を待っていた。いつか特別な誰かの為に、最高の音を聴いてもらう、そんな日を。
あの時あなたは言いましたね、人を持て成す、その為の技を磨くが僕らの悲願だと。
あの地下道で、歩み寄って来た貴方に対し、僕はわざと思わせぶりな態度を取った。
そんな僕を信じた貴方を僕は裏切った。その僕に……。
政治的な意味あいに疑問を持つ権利は僕にはない。「顔合わせ」なんて、僕に取っては名目に過ぎない。
ただ同じ道を歩むものとして、貴方の「望み」が叶うなら僕も嬉しい。
貴方にはシューベルトの即興曲、作品90の3を。
一見静かで単調で、でもその旋律は……とても深い。リストに「最も詩情溢れる作曲家」と言わしめたシューベルトの傑作。
人生そのものを綴った曲だと、そんな風に評した人も。
500年の時を生きた貴方なら、思う部分が必ずある。そんな風に思いまして。

……向こう袖で、彼女がサインを送ってる。
え? 照明がきつくないかって?
大丈夫。眼をしっかり閉じて弾くから。

147佐井 朝香 ◆GM.MgBPyvE:2020/10/14(水) 17:05:14

パリッと糊のきいた黒いタキシード。
麻生君、相変わらずそういうカッコ、似合うわねぇ……

あたしは彼をぼんやり眺めてた。
マイク片手に、「お忙しい中ようこそ」とか、「癒しとなれば幸い」とか言うのを。そして「5曲続けてお聴きください」って。
舞台袖からトコトコ歩いてきた秋桜ちゃんが、彼からマイクを受け取って。
「続けて」って事は、一曲弾くたびに拍手しなくてもいいって事よね?
うっかり寝ちゃっても怒られないって事よね?

え? どうしてそんな事って……ほら、クラシック、しかもピアノの曲とか……ついウトウトしちゃうじゃない?
しちゃうわよ〜
知らない曲は特に。別に退屈とかそんなんじゃなくて、子守唄にしか聴こえないから?
小さい時からそう。
起きてる自信なんかこれっぽっちも。
ほらね、初っ端からこれだもの。透き通るような硬質の……キラキラした音。それがもう……こんなに……遠い。

気付いたらあたし、湖の畔に立ってた。
……また来ちゃった。
あの時。桜子さんのピアノの音を、舞台袖で聴いた、あの時。
灰色の空に、一面の湖面。深い……どこまでも深くて青い湖。
ぐるりとあたしを囲む水平線。もしかしてこれ、湖じゃなくて……海?

どこか遠くで鳴るピアノの音。
音に合わせて、ひとつ、ふたつと重なる波紋。
波間から垣間見える水の底で……誰かが呼ぶの。
ここがあたしの帰るべき場所だって。
足を踏み出す。
あの時は、柏木さんに肩をギュッとされて我に返ったっけ。

触れた水は冷たくなんかなくって。あたたかで。
どんどん身体が沈んでいくのに、まるで抵抗がない。
すっごく馴染む。まるで、自分自身の体液にでも漬かってるみたいに。

でもね、あわや首までって時に、ぐっ! っと左手を掴まれたの。
気付いたらあたし、びっしょり汗をかいて座ってた。
眩しい舞台のライト。
ここはコンサートホール。
光の粒を照り返すグランドピアノ。
座ったまま、手を膝に置く麻生君。

隣を見れば……あたしの手を握りしめたまま……じっと前を向いてる田中さん。
どういう状況かしら。
あたしが居眠りしてる間に、終わっちゃったのかしら。
にしてはおかしいわ。
誰も拍手しようとしないもの。
感動しすぎて……って理由にしても、タメが長すぎない?

そう思って見回せば、座る人達がみんな、舞台を見たままボーっとしてる。
田中さんの向こうに座る、宗とハムくん、そのまた向こうに座る魁人も同じ。
まるで人形みたいに、眼を見開いて。
あの時と同じだわ。
あの時も、桜子さんの音を聴いた人達がこんな――

『音ってもんは……恐ろしいもんや……』

ボソリと呟いた田中さんが、そっとあたしの手からその手を離した。

148如月 魁人 ◆GM.MgBPyvE:2020/10/18(日) 07:04:55
――いったい全体……どうしちまったってんだ?
俺ぁ目ん玉だけ動かして、あっちこっちを見回した。
だれもかれも、身じろぎしねぇ。気味悪ぃぐれぇに静まり返ってんの。
結弦の奴ぁ……座ったまんま。拳握って膝に乗せたまんまだ。5曲目弾き終わってから、かれこれ1分は経つぜぇ?
なんて思ってりゃあ……チラチラこっちを見てやがる。んでもって菅が肘で俺の右腕つっつくわけ。ほらほらって感じにだ。

え……俺? 俺がなんかすりゃいいの?
したら結弦もダメ押しでチラ見して来たんで、こんな場に不慣れな俺もようやく気付いたのよ。
招待された客は俺らだけだってな。俺と菅、司令に田中に女医。そん中で一番の格下は俺。俺が動かなきゃ誰も動かねぇ。

「bravo (ブラボー)!」

腹ん底から思いっ切り叫んでやったぜ。
したらすげぇの。まるで訓練された軍隊みてぇに、客が一斉にスタンディングしやがった。
もう絶叫マシーンにでも乗ってんの? ってくれぇの大歓声と割れんばかりの喝采よ。
……解るぜ。マジで凄かったからな。気迫っていうの? 音がよ、もうガンガン腹に来るのよ。胸とかもう揺さぶられ過ぎて、オーバーヒートだ。
俺らに充てた曲もどれだか解ったしな。(結弦の奴、弾く前にきっちり相手のカオを眼で指してたからな!)

菅も立ち上がって手ぇ叩いてら。だからよいしょって俺も付き合った。
んでギョッとしたのよ。菅が泣いてんの。初めて見たぜ、大の男がよ、だっくだくに涙流してんの。
って気付きゃあ……俺もだ。
止まんねぇのよ。涙もだが、胸ん中に滾る何かもだ。
……なんだ? なんだこりゃあ!?
哀しいんだか嬉しいんだか怖ぇんだか、「別」のつかねぇ感情が一度に襲う。張り裂けそうだ。叫ばずにはいられねぇ。
結弦も立った。良くみりゃ汗だく、びっしょり濡れた前髪が顔に張り付いてやがる。
片手を得物の楽器に置いて、一度気取った礼をしたと思ったら、手で誰かを招くのさ。
したら出て来たぜ、まるで真打ちって井出達で、白いロングドレスの女がよ。

秋桜。いや今は桜子か。忘れもしねぇ……あん時も、そうやって結弦と弾いてたっけ。
そういや、そん時も客が俺らみてぇに泣いてたっけなぁ。

徐に座る桜子。その左に腰かける結弦。あん時とは逆位置だ。
ザァ! と客たちが一斉に座ったんで、俺も座る。
静まり返る客席。
だが胸ん中の滾りはそのままだ。鼓動が暴れてやがる。中からドンドン胸板を叩きやがる。
舞台の2人が、膝に置いた腕を持ち上げて……弾いた。
やっぱりだ。あの時のアンコールと同じ曲だ。ラ・何とかって――

ヤベぇ。
いま俺ん中で何かが「立った」。
理性が警鐘鳴らしてんぜ。これ以上弾かせるなってな。
こんな俺でもこんなだ。音楽好きならイっちまう。

駄目だ。
これ以上はアウトだ。
絵とか彫刻は眼ぇ逸らしゃあ済むけどよ? 音ってもんは容赦がねぇ。勝手に中に入って来やがる。
菅が胸押さえてるぜ。左隣の奴もだ。司令も、田中も。客がみんな必死に何かを抑えてるのさ。
こりゃ弾けるぜ?
胸が、心臓が、器(うつわ)そのものがよ!?

「やめろおおおおおおお!!!!」

この必死こいた叫びは届いたか!?
届く筈がねぇ。それ以上のでっかい音に負けちまったからな!
まるで500の銃弾が一度に打ち込まれた音にな!

ゆらりと菅が立った。その向こうに座ってた司令も。田中も。前と後ろの奴らもみんな。
だらりと下げた手首。その足元にぁ……なんてこった。ずたずたに引き千切られた銀の腕輪が転がってんのさ。
俺の手はすでに銃のグリップを握ってた。が……この数相手にどうしろって――?

149菅 公隆 ◆GM.MgBPyvE:2020/10/24(土) 05:55:41

純粋に楽しむつもりだったさ。
こう見えて、クラシックには明るいんだ。
学生時代、壁一面に収納された父のコレクションを片っ端から漁ったくらいにね。
田中さんが面倒ごとを持ち出す事は予想がついてたけど、それはそれ。
渾身の麻生が聴けるんだ。こんな機会は2度と無い。存分に堪能しようじゃないか……ってね。

周囲に眼を向ける余裕もあった。
落ち着かず、実に行儀が悪い魁人。
(駄目だよ、そんな風に足なんか組んじゃってさ!)
じっくりとプログラムを眺め、丁寧にたたんでしまう宗(柏木)。
(わたしはそんなの見ないね! 何が来るか解らないから面白いんじゃないか!)

そんな中、曲は唐突に始まった。
一番手はフランスもの。
へぇ……これを持ってくるのか。

モーリス・ラヴェル。
現代音楽の先駆け。
荒唐無稽で、完全には調和しない和音や、不思議な音の羅列を多用する。
どクラシック趣味のわたしからすれば、実に「不思議ちゃん」な作曲家さ。
≪道化師の朝の歌≫――これもそうだ。
加えて素早い連打、素早い旋律。
上へ下へと行ったり来たり。
曲調自体はユーモラスかつリズミカル。
旋律は非常にノスタルジック。
「ああ、これは魁人か」なんてすぐに解った。
銃の腕は言わずもがな、柏木仕込みのアクロバティックな体捌き……あの時はほんと、してやられたっけなあ……
結構な昔気質だしね。言い回しもね、「しゃらくせぇ」とか、彼の祖父の影響だろうけど。
そんな魁人本人は、自分宛だって気付いてるのかどうなんだか。
気には入ったらしい。小刻みにリズムを取ったりしてる。
会場の受けも上々だ。

始まりと同じく、唐突に迎えたラスト。間髪入れずに次の曲。
また……ラヴェルだ。
2曲続けて……どういうつもりだい? まさか全部……

無いだろう。
無い事を願う。

しかしまあ……翌々聴いてみればいい曲だ。
水の妖精「オンディーヌ」
曲調を一言で言えば「流麗」。
……流石。「水の流れ」を書かせたら、彼の右に出る者は居ないってね。

斜め前の女性がうっとりと聞き惚れている。
なるほど、献呈先は女性(朝香)か。
……いい度胸じゃないか。
仮にもわたしの連れ合いを……夜な夜な男を誘惑するような女に準(なぞら)えるなんてさ。

……え?
……間違ってない?
……いいけどね。
……ふん。
プレゼントにはいいチョイスなんじゃない? 

ここまでは良かった。「いっぱしに」評価する余裕すらあった。
柏木あてのショパンが始まった頃から雲行きが妖しくなったのさ。

150菅 公隆 ◆GM.MgBPyvE:2020/10/25(日) 06:35:14
「木枯らし」と、そう誰かが名付けた曲。
本当の曲名はエチュード(練習曲)作品25の11番。
やっと来た。そう来なくては、「ショパンの申し子麻生」の名が廃れるってものさ。
耳を傾ける。
丁寧に……まるで、触れば壊れるのかってほど……この上なく「優しく」奏でられる丁寧な和音。
この胸にしっくりと来る、完璧な協和音。そして一度、不安かつ物憂げな和音を打ち、動きが止まる。
なんという長い「間」だろうか。

いいさ。長いタメほど期待は膨らむ。本題がいかに素晴らしいか知ってるからね。
突如として木の葉をまき散らす、寒空の秋の風――木枯らしの風。
小刻みに音を散らしつつ駆け降りる、哀し気な右の旋律。堂々と自己を主張しつつ奏でられる左の主線。
初めてこの曲を聴いた時は、すっかり色づいた公園の一角に佇む自分が見えたものさ。

だが――突然に叩きつけられたフォルテ。
なんだこの木枯らしは!
駆け降りる高音部が凄いのさ! 幾度となく降りかかる……災難? いや神の啓示と称しても過言じゃない。
左も負けず、むしろ主役の貫禄。
右と折り合いをつけつつも、幾度となく対峙、つかず離れず展開する……音。音。音。
なんという躍動感! なんという情熱!

ひどくゆっくりと流れる時間。運命に翻弄される感覚。
眼を開ける事が出来ない。ここは何処だ。わたしは今……何をしている?

両膝に押し付けられる硬い床。
床につく手の平には、ザラリとした木の感触。
唐突に告げられた死の宣告と共に、突きつけられる銃口。司祭姿の柏木が背後に立っている。
突如――音が止む。

終わったのか。
誰にあてた曲だったのか。
じっとこちらを見つめる麻生が、微かに頷く。
そうか、次はわたしの番なのか。
ならば今のは柏木あてか。故郷の民を奪われ、復讐を誓う。そんな過酷な使命を負った、柏木への。
なるほど右隣から、ギリリと拳を握りしめる音。
見ればその拳の隙間から、真っ赤な血があふれ出している。わたし以上に「音の洗礼」を受けたのか。

麻生が構える。
力強く打ち出された出だし。
これもショパンだ。エチュード作品25の12。
木枯らしのような別名があったような気がするのだが思い出せない。
右と左がピタリとシンクロしている。駆け上がっては降りる事を、最初から最後までひたすらに繰り返すアルペジオ。
かと言って単調かと思えば、そこはショパン、抜かりが無い。緻密に音を変化させ、情感籠る情熱的な曲調に仕上げている。
それを麻生が弾くと……こうなるのか!

絶望と歓喜。
月光の第3楽章に似た焦燥感。
鼓動が鳴る。
運命に翻弄され、足掻く人間がふと活路を見出し、解決への道を歩んでいく。そんなストーリーさえ思い描ける。
すごい……この高揚感。覚醒しコントロールを失ったあの時を思い出す。

震える手を組み合わせ、眼を閉じる。
鼓動が音に共鳴しているのが解る。
自分だけじゃない。
左に座る魁人の鼓動が、それとまったく同じリズムを刻んでいる。
魁人だけじゃない。
柏木も、田中さんも。会場の人間すべての。

再び訪れた静寂。
呪縛が解けたかに弛緩する身体。
しかし胸の中は熱いままだ。ついに最後か。残るは……田中さんの――

いっとき眼を閉じ、徐に麻生が弾き出した、その曲はわたしの愛するシューベルトだった。

151菅 公隆 ◆GM.MgBPyvE:2020/10/25(日) 08:27:22
フランツ・ペーター・シューベルト。極貧の天才作曲家。
彼の作る曲が聴きたくて、学友たちはこぞって紙とペンを……え? 前にも聞いた?
ごめん。ファンだからつい…………そうだね。自重するよ。

麻生が田中さんの為に選んだ曲は、即興曲。作品90の3。
断言しよう。何の情感も込めずに弾けば、これほどつまらない曲もないと。
構成自体、ひどくシンプルだ。
静かにゆっくりと奏でられる主旋律。
それを終始にわたり追いかける伴奏。
試しにこれを息子に聴かせた時も、こう言ったのさ。

『父さん、この曲つまんない。楽しいのか哀しいのか良く解らないし』

5歳とは言え、流石はもと(?)柏木。言い得て妙。
たしかに! この曲は楽し気な長調と、哀し気な単調がしょっちゅう入れ替わるのさ!
木枯らしのような難曲ではない。決して音符は多くないがしかし、和音の響きが深い。ひどく胸に沁みるのさ。
平和に過ごす日々、かと思えば直面する隣人の死。家族の不幸。
哀しみに打ちひしがれ、しかしそれは乗り越えられる。人は生きている限り、生きなければならないのだ。
そんな曲だ。故にこの曲に共感する子供は子供じゃない。

会場が凪いでいる。眼を閉じずにはいられない。
耳を……身体を……音に委ねるのがこれほどに……心地いい。
時折胸が締め付けられる。ひどく苦しいがしかし、じきに済む。山は越えればいい。次の試練が来たら、また――
生きていくとはこういう事だ。たかが40年そこそこのわたしが言うんだ。
500年の時を生きて来た田中さんなら……何と言うだろう。

そういえば麻生……田中さんの何を知ってるんだろうか?
何処で生まれて、何をして生きて来たのか。
この会合が無事に済んだら、思い切って聞いてみようか。
小出しでいいから、せめてその生い立ちだけでも。いや出来れば……人となりも解る程度に。
彼は大いなる先輩だ。現在もっとも老いた……ヴァンパイアの長老なんだからさ。

優しい。限りなく優しい。そんな音が、会場をじんわりと包み込む。
限りなく小さいがしかし、凛とした音。弦の震え。それが遠くに消えていく。鍵盤に指を添えていた麻生が、そっと手を離す。



終わったのか。
……残念だ。もっと聴いていたかった。
そんな時、いまだ余韻に浸るわたしの耳に、こんな声が届いたのさ。

『音ってもんは……恐ろしいもんや……』

……そうか。田中さんはこれを「恐ろしい」と。
必死に押さえ込もうとしている荒い息遣い。相当の衝撃を受けたのだろう。

会場は静まり返ったまま。
座った姿勢を崩さない麻生。
ああそうか。曲目はすべて……弾き終わった。
けれど会場の反応はない。誰も手を叩こうとはしない。
……だね。これほどの演奏に、ただの拍手で返すのは味気ない。
はっきりと、「言葉」で讃えるべきだ。あれだ、日本語の「イイネ!」に相当する、あの言葉を叫ぶんだ。
……誰が? やはり主賓のわたし達ってことは、代表であるわたしか?

肘で魁人の腕を小突く。
……だってさ。いま声なんか出したら泣きそうだったからさ。裏声で変なコールする訳には行かないだろ?
魁人は「え?」なんて顔してこっちみてたけど、すぐに納得顔で座り直した。
……理解が早いな。大丈夫かな。た〜まや〜〜とか叫んだりしないかな。
だけど、彼は見事にシュプレヒコールのトリガーを引いて見せた。流石は魁人だ。ハンターだ。
なんてね。

152菅 公隆 ◆GM.MgBPyvE:2020/10/25(日) 08:54:38
流石にこれは訂正が必要かな!


行間を除く12行目

×哀し気な単調
〇哀し気な短調

153菅 公隆 ◆GM.MgBPyvE:2020/10/26(月) 05:16:48
喝采の嵐。
立ち上がった麻生。
っと……大丈夫か? フルマラソンでも走り切ったランナーみたいだけど。
きつく閉じていた眼を薄く開け、手慣れた優雅な礼をした麻生。
更なる喝采。
見れば、隣に白いドレス姿の秋桜が立っている。すらりと伸び切った背に手足。今の彼女は桜子だ。
……オーラが凄い。まさに往年のピアニスト! って貫禄だ。
輝くような笑顔を観客席へと送り、彼女が麻生の腕を取る。そして椅子へ。……なんと2人並んで腰かける。

歓喜のどよめき。
息を呑む。
……いや、待て。
2人?
いやいや、アンコールに答えるの、早すぎないか? 休まなくて……ていうかさ、こっちの準備がまだ出来て……

座る観客。気づけば自分も椅子の背にもたれている。

霞む視界。
頷きあう二人、黒い服の麻生と、白い服の桜子。光り輝くグランドピアノ。
それらが……ぼんやりとした輪郭に変わっていく。
しばしの間。
一瞬だけ、麻生の視線がこちら側に座る誰かと合った……のは気のせいだろうか。

している。
確かに……「音」はしている。
鐘の音だ。沈む意識の中で……耳だけははっきりとその音を捉えている。

さわさわとした波が指先に触れる。
ピリリとした痺れと共に、指先、足先から手足を伝い、背筋を撫で、髪の毛一本一本に染み渡っていく。
繋がっている。
ホール全体が一体になって……すべてが溶け合っている。
座っている筈だが、座面も、肘掛けもそこには無い。
座っている筈なのに、すでに身体は無い。
……いや?
自分という存在を確かに感じる。

寒い。
さっきから酷く寒い。
苦しい。
ずっと前から、呼吸が出来ていない。
無数の……針より細い何かが身体を通り抜ける。
前後左右。
わたしは今、攻撃されているのだろうか?
酷い痛みだ。
だが逃げる事も、身体を捩ることすら出来ない。

攻撃は一向にやむ気配が無い。
叫んでみる。
しかし、纏わりつく鐘の音がどうにもそれの邪魔をする。
手足の痛みはやがて、胸の中心へと集束していく。
熱い。
溶けた金属を流し込まれたようだ。
苦しい。
いったい……いつまで続くんだ?
堪らない
どうにかなってしまいそうだ。

≪もうすぐだから! 頑張って!!≫

……朝香?

154菅 公隆 ◆GM.MgBPyvE:2020/10/27(火) 06:44:26
確かに朝香の声を聞いた、その直後だった。得も言われぬ衝撃が身を貫いたのは。
ライフルを装備した小隊の一斉射撃を受けた事がある人なら解るだろう。
頭部に手足、胴体すべてが四散、かつ各組織から細胞の分子に至るまで、散り散りになるような……そんな衝撃だ。
魁人が何か叫んでいる。
同時に耳を焼いたのは、鉄を引き裂くかの破裂音。

感覚が消えうせる。
どこまでも静まり返った深い闇。
わたしは……この世から消えてなくなってしまったんだろうか。

≪よく見てハムくん! 眼をあけて!≫

またもや朝香の声。
ハッとして眼を開ける。
ここはコンサートホール。さっきから、ずっと同じ場所でわたしは……

試しに力を入れると、フワリと足腰が動いた。手足が、特に手首のあたりがやたらと軽い。
不審に思い手首を見れば、そこにいつものアレがない。赤い轍(わだち)に似た痕が3つ、刻まれているだけだ。
ブレスレットの痕跡。
能力の大きさに応じ、二重、三重と重ねる……怪力や吸血衝動といった危険な力を封じる枷であった……それがない。
……あ……有り得ない。
もしや……床に散らばる破片が……それなのか?
……さっきの音は……これが?
どういうことだ。わたしは……覚醒してしまったのか?

辺りを見回し、さらにぎょっとする。
皆が皆、わたしと似たポーズを取っていたのさ。
自由となった手首を茫然と眺めるポーズをね。

想定外だ。
わたしを含め、500あまりの「ヴァンパイア」の頸木が解かれてしまった。
麻生と秋桜(桜子)の2人が共同作業で弾いたせいか、あの旋律にその手の効果があったのか。

「おい」

魁人に呼ばれ、振り向けば銃口がこちらを向いている。
……約束したからね。もしわたしが覚醒するような事態となれば、直ちにこの心臓を撃ち抜くと。
ここは覚悟を決めるべきだろう。わたしの代わりなど幾らでもいる。

両手を腰のあたりで後ろに回し、向き直ったわたしの眼を魁人が睨む。
射抜くような黒い視線が、しばしわたしのそれと絡み合う。そして――

「……撃たないのかい?」
「ああ。てめぇは人間だからな」
「なぜ言い切れる」
「眼を見りゃ解らぁ。俺様を誰だと思ってやがる」
「……そう……なんだ?」

わたしは魁人を、正確にはその眼を信頼している。魁人がそう言うのならそうなのだろう。
……ひとまずは良し。が、深刻な状況には変わりない。今現在、多勢のヴァンパイアたちに取り囲まれているんだ。
魁人と柏木がいかに強力な騎士(ナイト)でも、太刀打ちは不可能だ。が、諦めるのはまだ早い。
魁人が狙いをつける。右の銃口はわたしの背後。
……だね。牽制すべきは田中さん。この場のヴァンパイア達の長(おさ)。彼が命じなければこの群衆は動かない。
だが左の銃口はどういうわけか9時の方向――舞台上に向けられた。
その眼が怪訝に眼を細められている。額から流れ落ちる一筋の汗。
田中さんはと見れば、いつもの落ち着いた佇まいで立っている。いつもの……その柔らかな視線を前方に――舞台上に向けたまま。

「……うまくいったんですね。田中さん?」

小さな秋桜を横抱きにした麻生が、うっすらと張り付くような微みを浮かべていた。

155菅 公隆 ◆GM.MgBPyvE:2020/10/28(水) 17:10:20
麻生に抱かれたまま、ぐったりと身を預ける秋桜。
気味の悪い笑みを湛えたまま、じっとこちらを見降ろす麻生。そんな彼に、満足気な微笑を返す田中さん。
つまりはそういう事なのか?
……この……最悪の事態を引き起こしたのは彼等だと?
最初からそのつもりでわたしをここに? 両者、結託して?

衝撃に軽い眩暈を覚える。
わたしは魁人同様、麻生の事も信頼している。常に冷静に物事を判断、分析できる、ヴァンパイアハンター「麻生結弦」をね。
もちろん田中さんのことも。
彼は一度もわたしの意見に逆らったことなんかない。
節介を焼いたり、行き過ぎた言動を諫める場面はあるものの、それはあくまでわたしや仲間を思っての事。
共存案に心からの理解を示し、奔走してくれた……あれは全部嘘だったと?

曲がりなりにも、わたしは国家の代表。「内密に」と話しを持ち掛け、わたしと魁人を孤立させる。内閣府は表向きとは言え、わたしを無視できない。
ともすれば強引に条件を呑まざるを得ない状況に置かれる事になる。その為のフェイクだった言うのか?

「アハ……アハハハハっ!……」

気でも狂ったかに声を上げ笑う麻生。桜子を抱いたまま、さっきまで疲労困憊だった筈なのにだ。
舞台ライトの照り返しも相まって、実に悪役のそれらしい。
……OK。話が通じるか否か、試してみてもいいだろう。

「これは……君の仕業なのかい?」

さも可笑しそうに笑っていた麻生がピタリとそれを止めた。
そしてニンマリと……「悪い顔」をして頷いた。わたしの意見を肯定したんだ。
そうか。やはりそうなのか。
じゃああれか。議事堂の一戦で……田中さんに噛まれた……あの効果が、今頃になって出て来たのか。
朝香のワクチンは「元伯爵」の血には勝てなかったという事だ。
……信じすぎた。麻生を。田中さんと言う人間を…………

「君たちは……何をしでかしたか解ってるのか?」
「もちろんですよ! どうすれば貴方が来てくれるのか、どうすれば出し抜けるか。……えぇ……とても……苦心して!」

感極まったかに言い放ち、唐突に麻生が歌い出した。
良く通る、飛び切りのテナーでだ。
彼はピアニストにして歌い手。リサイタルの日は必ずこの手のパフォーマンスを欠かさないと聞く。
曲は交響曲第9番から、「歓喜の歌」。
ワンフレーズ後、観客席の客たちも一斉に口を開く。
550を超える人員が奏でる、壮大なる混声四部合唱。差し詰め、祝勝歌と言ったところか。
その歌声、規模、共に素晴らしい。状況が状況ならば、感動に打ち震えていた事だろう。

……魁人がピリリと頬を痙攣させている。そりゃ……彼はそれを楽しむ筋合いはないだろうからね。
でもまあいいさ。
打ち合わせには絶好の機会だ。

「魁人。表の宇南山に連絡するんだ」

ピタリと身体を寄せ、耳元で囁く……そんなわたしに魁人はむず痒そうに顔をしかめ。

「あ? なんて言やぁいいんだ?」
「このホール全体に仕掛けたアレを作動させるのさ。ブツを乗せた車も用意させてる事だしね」

そうさ。わたしだって、何の対策も講じなかった訳じゃない。
アレ。つまりは改良型高周波発生装置。それを昨日のうちに仕掛けてたのさ。
言うまでもないが、ブツとは手に付けるブレスレットのこと。
自分の開発したそれを信じない訳じゃ無かったけど、想定外の事態に対処する準備は怠るべきじゃないからね。

「……で? その後は?」
「決まってるだろ。無抵抗となった彼等は人形同然だからね。人手を集めて装着すればいい」

156菅 公隆 ◆GM.MgBPyvE:2020/10/28(水) 17:11:13
だが魁人は動かない。装着してるインカムのスイッチを入れようとしないのさ。

「……どうしたのさ。異論でもある?」
「ああ。もっといい方法があるぜ」
「どうするのさ」
「こう……するのさ」

何食わぬ顔で、くるくるっと左手の銃を回して見せた魁人が、ストンとホルスターにそれを仕舞う。
その空いた手が伸びてきて、わたしの左腕をがっちりと掴む。

「悪ぃな。俺ぁハナからてめぇが嫌いでな」

驚く暇もない、気付けば背に銃口を押し付けられていた。魁人はこの左腕を捩じりあげ、背後を取っていたのさ。
二の句を告ぐのに、数舜を要した。
歓喜の歌が高らかに鳴り響いている。

「嘘だろ魁人……! 君もなのか!?」

返答はない。押しつけらる銃口に、否応なしに前へ――舞台のある方向へと向かわされる自分。
どうやら舞台の上へ追い立てられるらしい。
そう言えば朝香は……? 柏木は何をしている……?

絶句する。無理矢理に首を捩じり眼を向けた……柏木が立っている筈の場所に彼は居ない。
いや……居た。田中さんの向こう隣り。
朝香の膝の上に彼が乗っている。柏木ではない……5歳の息子の姿に戻り、眼を閉じている。
その息子を膝に乗せた朝香がチラリとこちらに向け、しかしそっと眼を逸らす。

「……朝香?」

朝香は返事をしない。

「朝香!? どうしてだ!?」
「恨んでんだとよ、てめぇをな」

問いに答えたのは朝香ではない、この背を押していた魁人。

「……恨んでる?」
「田中から聞いたらしいぜ? てめぇが佐伯をやったってな」
「――な……」

わたしは口を噤んだ。黙るしかなかった。
確かにその件については、あえて話さなかった。
朝香が噛まれるという事態を避けるためにした事だ。
が、「嫉妬」という感情が少しも介在していなかったか?
そう問われれば嘘になる。

「登れ」

言われるまま、階段に足をかける。
一歩、一歩と、懸命に足を持ち上げる。
……重い。ついさっきのはこれの予兆か……?

舞台上へと続く段には、真っ赤な絨毯が敷かれている。
赤い血のイメージ。
ロザリオがチャリンと音を立てる。
赤い血。キリストの血。
頭を振り払う。が、イメージが拭えない。柏木がわたしに与えた宗教観が、この胸に根付いているのか。

ようやくに登壇した舞台。指揮をしていた麻生が、その片腕を横に伸ばし、止める。
歓喜の歌が……途絶える。

157菅 公隆 ◆GM.MgBPyvE:2020/10/29(木) 07:08:19
「そこに立ちな。……そこだ。みな皆サマがたから……良く見える所によ」

トン、と背を押され……観客席に向き直って立てば、一様に見上げる群衆の眼。
その眼は……金でも赤でもないが……表情が一切ない。怖いくらいに。

舞台下に近づいてきた田中さんに、麻生が秋桜を手渡している。
魁人がホルスターのコルトを抜き、ポンと麻生に放って渡す。

わたしを挟み、5mほどの距離を置いた麻生と魁人。
シリンダーをカチャリと外し、パラパラと弾薬を取り出す音、そしてカチリとひとつだけ、はめ込む音。
両者、一発で決める気だ。
つまりは、手足を撃ってどうこうというのではない、問答無用でわたしを殺すという事だ。
この身(総理)を餌に、内閣府に交渉を持ちかける、そんな腹積もりかとも思ったが――

群衆の眼がうっとりとしたものに変わる。期待に満ちた……眼。
いつでも覚悟は出来てるつもりだけど、いざとなると恐ろしいね。自分という存在がこの世から消え去るのがさ。
恐ろしいし、寂しい。
ただの1人も味方が居ないんだ。
あの時はまだ朝香や田中さんがわたしの側に居たけど、今は違うからね。
……わたしなりに、結構頑張ったつもりだけどね。

これは私刑(リンチ)だ。あってはならない事だ。正当なる裁判もなく、第3者も交えず。
まず釈然としないのは……理由だ。何故わたしを始末する必要があるのかって事だ。
……制裁か?
わたしが彼等を裏切ったと……そう認識されているのか?
……そう考えればそうかも知れない。
伯爵ならば、「仲間」の事情を第一に考えるべきなのに、あんな「手枷」を強いたんだ。
あの枷は「獣」を封じるだけじゃない。暴力とは無関係な能力まで削り取ってしまう。
ヴァンプに対する風当たりも相当と聞く。
それを苦にした田中さんに、「自治区」を設けたらどうかと言われた事もある。
ヴァンパイアが自由に生きていける楽園――ユートピアの実現だ。

……それも考えたさ。
だがそれって……本末転倒じゃない?
そんなものは「共存」じゃない。自治区という名の隔離場だ。
仮に国の何処か、或いは無人の島でも誂えて、そんな場所を作ったとして、たぶん問題になってくるのは食糧問題だ。
いまはいい。
冷凍保存じゃない、生の新鮮な血液パック(出来れば採取後24時間以内)なら何とかなるって解ったからさ。
全国の赤十字血液センターと連携して、安定して供給できるシステムが出来あがってる。
日本国民も納得してる。
ヴァンパイアはこの国に貢献してる。
何て言っても夜に動けて不老不死。事故や災害時の貢献度が高いのさ。
だが枷を外した彼等を、「囲い」の中で放し飼いにしたらどうなる?
まず労働の提供が皆無となる。
そんな彼等に国民が血液を供給するだろうか?
となると再び、生きた国民が襲われる事態になる。

わたしは両者が共に生きる、その最善を尽くしたつもりだ。
だがここにいる彼らに取ってはそうじゃない。彼等の「隷属を良しとせぬ矜持」を踏みにじった事は確かなんだ。
だから――

いやいや、勝手に1人で納得してどうする。あくまでわたしの推論だ。
納得も得ず、この世からおさらばなんてまっぴらだ。
ここははっきりと彼の――田中さんの口から聞いておくべきだろう。

「田中さん。訳を……わたしを殺す理由(わけ)を教えてください」

無視されるかとも思ったが、田中さんが視線を返して来た。両腕を組み……口を開く。

「今宵は……何の日かご存知ですかな?」

「……え?」

158菅 公隆 ◆GM.MgBPyvE:2020/10/31(土) 06:54:52
「何の日か……ですって……?」
「然様。さすれば、おのずと答えが見えましょう」

聞き返したわたしに、ニィ、と笑った田中さん。
……実にイヤらしい笑みさ。田中さんも、こんな嗜虐的な顔をするんだ。

「今日は……10月31日。臨時国会の初日。わたしに取っては……初めての所信表明を行った記念すべき――」
「ばーか。てめぇのコトは聞いてねぇよ」

シャリン! とシリンダーを回し、魁人がコルトを構える。麻生も同じモーションでそれに続く。
銃の的になるのは何度目だろう。
いい気分じゃないのは変わらすだ。向けられただけで胸の辺りがヒリヒリする。

「(答えを)外したら撃つ。それがルールです」

感情の籠らない麻生の言葉。
外す? 違う答えを言うたびに撃つと?
いいさ。撃てばいい。どうせ何を言っても最後には撃たれるんだ。
ただ初発から弾が出るかどうかは運次第。
さっきのが聞き違いじゃなければ、コルトには弾丸が1発ずつ装填されているはずだからね。
あのシリンダーの装填数は6発。つまり、出る確率は6分の1。

左右から、撃鉄(ハンマー)のコッキング音がカチリと響く。同時にシリンダーが回る音。

――撃たれる!

そう感じた瞬間、耳に届いたのは、ハンマーが打ち付けられる2発の乾いた打撃音。それだけだ。
一瞬だけ、目を閉じたかも知れない。
浅い息が漏れている。トクトクと心臓が鳴っている。
なるほどこれは……来るものがある。これこそがロシアンルーレットの醍醐味だと言うが……心臓に悪いね。
満足気に眼を細めた田中さんが、ゆっくりと口の端を吊り上げる。

「……ほう……再びお答えを聞く機会(チャンス)が……頂けましたな?」

数歩、距離を詰める魁人に麻生。
答え(理由)は知りたいが、どうせやるならとっととやって欲しいというのも正直なところ。
真剣に考えるか否か。

「さあ、答えを頂けますかな。元……伯爵どの?」
「もと……」

その呼び方は少し……ひどくない?
……確かにそうだけどさ。裏切者認識されてるこのわたしに、伯爵と呼ばれる資格なんかないって解ってるけどさ。

「わざわざ口に出してそんな風に呼ぶなんて……人が悪くありません?」

思わず零した文句に、ぐっと眉を寄せた田中さん。
再び構える2人。撃鉄の立ち上げ音と共に、引き金が引かれ――

眼を閉じる。2発目も不発。
不満を訴えても撃たれるのか。
なら適当でも答えるべきか。何かヒントは? 田中さんの顔に、何か書いてやしないか?

「旧暦で……クリスマス、とか?」

恥ずかしながら、ほぼ山勘。
今日の田中さんの羽織の柄が、ヒイラギ(クリスマスに良く飾る、棘のある葉っぱのあれ)だったからさ。
田中さんもその意図を察したのか、自身の肩の模様に眼をやって、でもやれやれと言った風に首を振り。

「……なるほど。しかし今日は……旧暦9月15日と記憶しておりますが?」

159菅 公隆 ◆GM.MgBPyvE:2020/10/31(土) 06:57:43
チャキ! っと銃を構える音。発砲に至る再度のモーション。

――カチン!

またもや不発。
3度目だが、この感覚に慣れるという事は無く、むしろ緊張度は増している。
浅い呼吸しか出来ない。顎を伝い、ポタリと垂れる脂汗。

「かように難しく考えずとも宜しい」

……って言われても。
……ん。
朝香が……何か言ってる。……なんだろう? 
ア? タ? オ、リ……?
え? なに? ア? いや、タ? ……オ…………

「わかった! 誕生日! 彼女の……朝香の誕生日だ!」

一部の人間にはヤケクソに聞こえたかも知れない。だが確信ありだ。
読唇を習ったことがあるわけではないが、あの動き、間違いない。
そして、少なくとも自分自身のそれではない。
なら必然的に彼女の、となる。
きっと田中さんが朝香に聞いたんだ。誕生日の贈り物は何がいいかと。
朝香は答える。
このわたしの命が欲しいと。
何しろわたしは……佐伯の命を奪った(奪うよう命じた)……何より憎む仇、らしいからね。

流石の田中さんも呆気に取られた顔してる。
やはり……そうか。
いや……あの朝香の顔……え? ちがう?
……ごめん。いやその……その眼……怖すぎるからやめてくれるかな?

田中氏が顎をしゃくる。2度。
2度……引き金を引けと?
仕方ない。不正解に加え、彼女の誕生日を覚えていないという失態に対するペナルティか。

――カチン!
もう一度、カチン!

……次こそはと覚悟を決めて身を硬くするも、またもや不発。魁人と麻生、どちらもだ。
ここまでくると、読めて来た。6発目が当たり、そういう事なんだろう。
ギリギリまでわたしの反応を愉しむ気なのさ。
無論操作は簡単だ。2人は折り紙付きのハンター、「プロ」だからね。
シリンダーを回す塩梅ぐらい、心得てるって言うわけだ。

……いいさ。
このバイタル(心音や呼吸、血圧など)は官邸内に届いてる筈だからね。
異状の可能性に気付いた沢口たちが、色々手配してくれている。
ヴァンパイアの弱点も把握済み。例えあの装置が作動しなくても、このホールごと水に沈めることだって出来るんだ。

そう思い、顔を上げたその時だ。
見てしまったのさ。
ついさっきまでわたしと魁人が座っていた客席。
その後席に沢口が座っているのをね。その隣には宇南山もいる。
沢口の秘書官である日比谷麗子もね。彼女は旧姓使用者だけど、今や魁人の細君だ。
あろうことか、5歳になる息子まで連れている。腕に包帯を巻いたその子は……宗や秋桜同様眠っているのか。
しかしそうか。
そうだったんだ。
国会の会期中に、こうもすんなり事が運ぶ(フラッと出歩くとか)と思ってたけど……そうか。沢口も噛んでたのか。

160菅 公隆 ◆GM.MgBPyvE:2020/10/31(土) 06:59:53
「如何されました? そろそろ降参、ですかな?」
「いいえ」

かぶりをふる。沢口の意図は解らない。ヴァンパイア達と手を組み、何を仕出かそうとしているのか。
このわたしを吊るしあげ、秘密裏に抹殺するくらいだ。良からぬ事には違いない。
撃鉄の起きる音を遠くに聞く。
頭の中のCPUは……まだ回っている。
どうせなら答えてもいいかとも思う。無論、この事態とは何の関連もないだろう。正解である可能性はこれっぽちもない。
わたしとはついぞ無縁の行事。だが街はその喧騒で溢れていた。
今朝がたにベッド脇で鳴っていたラジオでも、大半のコメントはそれだった。(国会中継の内容なんかそっちのけでね!)
一歩、足を踏み出す。自然と……背筋が伸びる。

「今日は10月31日。ハロウィンです。しかもハロウィンにして満月。実に……四十数年ぶりだそうですね?」

カッ! っと眼を見開く群衆。
フッと笑う田中さん。それに合わせるように、会場も忍ぶように笑いだす。
……いいさ。笑いなよ。馬鹿な事を云いだす首相だと。

1人、1人が立ち上がる。またぞろ……まるで大海原が波立つように。
皆が皆、あのジャックオーランタンのような笑みを浮かべている。
今頃は渋谷のあの場所も、思い思いの姿に扮した若者で賑わっているだろう。
各地の大勢も。我を忘れ、この日、この夜を大いに楽しんでいる筈だ。愉しんでくれているようで何よりだ。
ああそうさ! 大いに楽しむといい! その眼で見届けるがいいさ! 「元伯爵」の惨めったらしい最期をね!


ついにその時は来た。
今度こそは不発じゃない、正真正銘、火薬の炸裂する破裂音だ。
パッと散る血の飛沫。照明を受けやたらとキラキラ光っている。
強く眼を閉じる。
……がおかしい。撃たれた実感が無い。

自分自身の経験はないが、柏木やその他のハンターは良く言っていた。
胸部に受けても、急所を外れていれば反撃が可能だとか。
32口径の弾を腹に受けた時、殴られるような衝撃はあったが痛みはほとんど感じなかった……が、意識はすぐに無くした、とか。

2人の使用している弾は35口径(9mm)のマグナム弾。
ライフル弾ほどではないにしろ、もう少しこう……衝撃があってもいいんじゃないのか?
それともあれか? 見栄えが悪いとかそんな理由で、火薬の量を加減しているのか?

足元を見下ろす。
自分はまだこの舞台に2本の足で立っている。腕も無事。
撃たれた事は確実だ。だってこの床に散っている赤い……赤いテープ…………??

「おい」
「……え?」
「いつまでそうしてんだ? いい加減、気づけっつーの」
「え?」

魁人が向けている銃口に、ヒラヒラした何かがぶら下がっている。
短冊のような何かだ。
何か文字が書いてある。T、R、I、C、K……

振り向く。麻生の向ける銃口に似たものが。それにも……T、R、E、A、T……。

「トリック……オア……トリート……ってか?」

魁人が腹をかかえて笑い出す。

「え……は? いや……ええええええええええええ!!!!!???????」

161佐井 朝香 ◆GM.MgBPyvE:2020/11/02(月) 17:30:09

ハムくんの絶叫がホールいっぱいに響き渡って。
それを見た魁人がまたまた笑って。

――ああ! もう我慢できない!!

「ちょっと! いくら何でもやり過ぎよ!!」

矢も楯もたまらず彼の傍に駆け寄ったわ! 舞台の上にぴょんと飛び乗って!
とうぜんじゃない?
彼……顔色も唇もすっかり青ざめちゃて、尻もちついたまま口をパクパク。

そりゃあ……あたしも率先して協力したわよ?
普段頑張ってる彼を喜ばたい、なんて田中さんが言うから? 
真っ先に賛成したのはこのあたし。
でもなに? みんな、あんなに真に迫っちゃって。魁人なんか本気しか見えなかったわ!
ほら、桜子さんのお屋敷で、ハムくんに憑依された麗子に同じことされたでしょ?
あの時の恨みを今こそ晴らすつもりじゃないかって、実は実弾籠めたまんまなんじゃないかって、気が気じゃなかったんだから!
田中さんも田中さんよ! あんなに意地悪い引っ張り方しちゃって!

……ハムくん、見た目は平静を装ってたけど……魁人たちがトリガー引く度に心臓が跳ねてた。
血圧もガクンと下がったり、逆に上がったり。
ほんとよ! 手に取るように解るんだから! いつ倒れてもおかしくなかったんだから!

手首を取って、脈を診て。おでこで熱を確認して。仕上げにその瞳を覗き込んで。
そんなあたしの仕草を、彼は熱に浮かされた顔して……じっと見上げて。
黒い瞳の……さらに奥……
ほんと。魁人の「見立て」は間違いない。沢山居た……あの「眼」はもう……何処にも居ない。

「完璧ね」

え? って顔して顔を上げる彼。明らかに不振の色を浮かべてる。
そっか。そうよね。上手く行って喜んでるのはあたし達だけ。彼にはまだ気付いてない。

「ハムくん、良く聞いて?」

取った手は、じっとりと汗ばんで……とっても冷たくて。

「あたしの能力は知ってるでしょ? 触れるだけで、生き物の身体を治す……そんな力」
「うん。田中さんからも聞いてるよ。それこそゲノムの改変にも至る可能性のある力だと」
「でね? ハムくん前から言ってたじゃない。ヴァンパイアの弱点克服の為に、ゲノム自体を組み替えちゃえばいいって」
「……言ったね。でもそれは無理なんだろ?」
「そうね普通は無理。数十兆個はある細胞を、全部作り替えるなんて出来っこないもの。でも――」
「でも?」
「やってみたら出来ちゃったの」
「まさか」
「それが、ほんとなのよ!」
「……じゃあその人に会わせてよ」
「いるわ、そこに」
「そこ?」

ハムくんが右と左をきょろきょろ見て。

「どこ?」
「そこ。ハムくん自身」
「わたし?」
「そう」
「このわたしが?」
「そうだってば! ハムくんは人間になれたの! それこそ遺伝子レベルで!」

162佐井 朝香 ◆GM.MgBPyvE:2020/11/03(火) 06:43:27
ハムくんは一瞬ポカンとして、手をにぎにぎしたり、顔をペタペタしたり。

「わたしのゲノムを……弄ったってこと?」
「いじくるなんて! 大昔に組み込まれていたヴァンパイアのゲノムを……意味のない配列に置き換えただけよ?」
「さらっと言うね。それってそんなに簡単なことかい?」
「そりゃ簡単じゃないわ。うまく説明は出来ないけど……『あるべき姿』をイメージすると、『それ』が『そう』なるって言うか?」
「たしかに良く解らないけど、つまりもう『覚醒』する心配はないってこと?」
「そうよ。仮に誰かに噛まれたとしても『発症』には至らないわ!」
「いつやったんだい? もしかして麻生達の……演奏の最中に?」
「うん。あたし、クラシックを聴くと簡単にトランス状態になれるから」
「じゃあこの手首のこれも……それのせい?」

ハムくんが両手首をこっちに向ける。うっすらと……赤い痕が残ってる。

「たぶんそれ、全身の細胞が抵抗した反動ね。彼等に取っては恐るべき事態だった筈だから。あちこちチクチクしなかった?」
「……チクチクどころか、経験した事もない激痛だったよ。千枚通しで身体を突き通されたらあんな感じかもね」

足を組みかえて、胡坐の姿勢になったハムくん。ちょっと考えて、口を少し尖らせた。

「こんな手の込んだ事しなくても、『治験』するならするって最初から言ってくれれば良かったんじゃない?」
「……ごめん。言えばすぐには「うん」て言ってくれないと思ったの」
「そんな事ないよ。わたし1人の施術に『機関』の許可は要らないさ」
「……違うの。治験対象はハムくんだけじゃなく『みんなも』だったから」
「みんなって?」
「だから、ここに居る人達み〜んな」
「はあ!!!??」

ハムくんがひょいと腰を上げて立ち上がった。
トットッと駆けだして、舞台上を行ったり来たり。立ち止まっては客席をゆっくりじっくり、隅から隅まで眺めまわして。
そしやら客席のみんなは、げらげら、くすくすって。たぶんあの……キリっとして自信たっぷりなハムくんしか知らないから?
でもハムくん、「……そういう事か! 魁人まであっさり裏切るとか……おかしいと思ったんだ!」なんて叫んでる。
そして真面目な顔してあたしの方を振り向いて。

「しかし信じられない。……この規模を……ぜんぶ……君1人で?」
「ううん。麻生君と桜子さんも」
「彼等の――音の力を借りた?」
「そうよ。だんだんと……みんなの心がひとつになるように……だっけ? 麻生君?」
「えぇ。シンクロナイゼーション(同期化)です。それを意識して選曲しました。心と鼓動がひとつになるように」
「……そうよ、それそれ!」
「菅さん、脅かしてしまってすみません。どうせ今夜を選ぶなら、一発かましてやろうなんて、魁人が――」
「あ? なに自分だけいい子ぶってんだ? てめぇこそノリノリだったじゃねぇかよ」
「……菅さんもそういうの、好きかと思って……でもちょっと……あれはやりすぎたかなぁって」
「いいんだよ。何なら手足に一発ぶちこんでやっても良かったぜぇ俺は」
「そんな口きいて……今日は(国会の)初日だから体力持つか〜とか、明日の質疑大丈夫か〜なんて一番心配してたの魁人じゃない!」
「こいつじゃねぇ、てめぇの心配だっつーの! 苦労すんのは秘書の俺だからよ! よりによって満月に初日かって――」
「……満月? ……あ! そうか!」
「そういうこと! あたしやみんなの――ヴァンパイアの力が最大になるのは満月の夜だから!」
「ハロウィンも、ですよね?」
「そう! 地球のみんなの……高揚感? それがこう……手伝ってくれて、もう……ブワッって。こう……ブワッて。わかる?」
「わかんねぇよ」
「とにかく凄かったの! ときどき田中さんが手をギュッとしてくれなかったら、制御不能になってたかも!」
「……うおぃおぃ。俺ぁもともと半信半疑だったからよ? 手首のあれが吹っ飛んだ時ぁ、マジで青くなったんだからな!」
「結果的にはオーライだったじゃない!」

「そうですとも。これを僥倖と言わずなんと言いましょう?」

優しく笑いながら立ち上がったのは、今まで腕組んで眺めてた田中さん。
ゆっくりと会場を見回しながら手で差して。

「総理。今の言葉で『サプライズ』というらしいですな。日頃の貴方への感謝の意を伝えたかった」

163如月 魁人 ◆GM.MgBPyvE:2020/11/03(火) 06:48:39
大先生が、うえ見上げたまま、眼ぇ閉じてやがる。
「感謝」、ねぇ……
まあ……そういうこった。

俺が計画を持ち掛けられたのはつい今朝方だ。
沢口の野郎が、あだ暗ぇうちに官邸の俺の部屋(詰所)に来やがってよ?
「菅総理に、ひと泡吹かせてみないか?」なんて言うんだぜ。
「あの時の恨みが少なからず残ってるだろ?」ってさ。
だから言ってやったぜ。「忘れた」ってな。
奴ぁ奴なりに最善を尽くした。たまたまその相手が俺だっただけだってな。

……らしくねぇが、ほんとのこった。
毎日こうしてべったり張り付いて……見せつけられたからよ。
じっさい総理ってのは大変な仕事なんだな。
新聞雑誌ぜんぶ読むのはとうぜん、閣議に議会、挨拶の出張、災害がありゃあ飛んでいく、なんて公務をこなす傍らで……
馬鹿丁寧に地元や地方の陳情って奴を聞くわけよ。アメリカや中国の要人から電話がくる、その合間にもよ?
ほんと、いつ寝てんだか。不平も言わねぇ。デカい事と小せぇ事を区別しねぇ。
妖しい勧誘はきっぱり断る、大臣どものお誘いすらノーサンキューだ。
少しでもヒマがありゃあ……家帰って家族サービスってな。
清廉潔白が過ぎるきらいもあるにはあるが、俺ぁこんな奴とやり合ってたのかと思うと、な〜んかどうでも良くなっちまってな。

したら沢口の奴、それならそれでいいって言うんだ。
とどのつまり、サプライズがしてぇって事なのよ。
どんなサプライズだ? って聞けば、ヴァンプ達を集めて人間にしちまう計画だって言うから驚くじゃねぇか。

「……はあ。田中が首謀か。決行はいつだ?」
「急で悪いが、今夜さ」
「マジで急だな。場所は?」
「麻生結弦のリサイタルの会場だよ。チケット、届いてるだろ?」
「あ! あれかぁ?! 菅がやたら愉しみにしてたぜ!」
「君は総理を確実に会場に連れて来るんだ。途中で邪魔が入らないとも限らない」
「……それはいいが……菅の奴、頼まれごとに弱ぇからな。急用がっつってどっか行っちまうかもしんねぇぞ?」
「心配ない。午前も午後も閣議に本会議、取次を受ける暇などない。昼の休憩も……他との接触がないよう引き付けておくよ」
「じゃあそこは予約しとくが…………ほんとのほんとに大丈夫なのかよ」
「……なにがだ?」
「あの女医、ちゃんと仕事できんだろな? しくじってヴァンプに囲まれんのは御免だぜ?」
「そうならないよう、今日という日にわざわざ決めたそうだ」
「ハロウィンに……満月……ねぇ」
「その事はあちらに任せて、自分の仕事に専念するんだ。成功するか否かは君の腕にかかっている」
「腕ぇ? 演技のかぁ?」

直前まで気が進まなかったってのが本音だ。沢口はああ言ってるが、術式とやらが成功する確率は100%じゃねぇからな。
だから菅の眼ん玉の奥確認した時ぁ……心底ホッとしたんだぜ。
これで司令も浮かばれるってな。
もちろん、菅に取っても悪くねぇ。
……相当悩んでたからな。
今の防衛大臣、実は結構なタカ派でよ?
ヴァンプを兵隊として活用したらどうか、なんて言いだしやがってよ?
いざとなりゃ激戦区に送り込める特殊部隊ってな。遠隔で操作できる腕輪やら、銀のチップやらを心臓に埋め込むってな。
むろん菅は反対するわな。人権侵害も甚だしいだろ。
したら奴め、ネットの掲示板やらSNSやら駆使して強引に「国民の総意」なんてもん取り付けて来やがった。
同意する国民も国民だが……まあヴァンプを毛嫌いするのは当然っちゃあ当然だが……
とにかくあの菅が「参ったな」なんて零してよ? 憲法何条だかを掲げても、いまいちインパクトが弱ぇとか?
いまいち対策も十分じゃねぇ状態で、明日の本戦(本会議)、奴と真っ向勝負する予定だったのよ。
……そのヴァンプが、綺麗さっぱり居なくなっちまった。
――へへっ! ざまぁ! 無い袖は振れねぇってな!!

終わりよければすべて良しってな。
ちょい手荒だったかも知んねぇが、楽しませてもらったぜ。
やり過ぎなんて思わねぇ。てめぇはそんな……小せぇ人間じゃねぇ。この程度でファビョるわけがねぇからな。

164菅 公隆 ◆GM.MgBPyvE:2020/11/08(日) 08:14:15
「総理。今の言葉で『サプライズ』というらしいですな。日頃の貴方への感謝の意を伝えたかった」

そんな事を呟いた田中さんの声がしゃがれている。
何か……込み上げる何かを堪えている、そんな声だ。

「感謝など……なぜわたしに?」
「皆、貴方を認めております。共存を前提とした政策、その為に身を粉にして来られた貴方の努力、そして誠意を」
「……買い被りです。わたし自身ヴァンパイアだったからね。法整備云々はそのための手段に過ぎない」

ふ、とため息をつく田中さん。
草履が擦れる音と、絹布が擦れる音。足を踏みかえ客席に向き直った姿が目に映る。

「いいえ。貴方は表向き人間となった後も、意見を曲げなかった。貴方はこの5年間、常に『伯爵』であった」
「伯爵? さっきわたしの事を、『もと伯爵』って――?」
「今の貴方は完全なる『ヒト』ですからな。私も含め、『もと伯爵』でありましょう?」

再びこちらに向き直った彼が、こちらに手を差し出して来た。
その手首にも赤い輪の徴がうっすらと残っている。

「みな心の底から、貴方様を敬い慕っとる。ただの1人も欠けず、己の意思で駆け付けたのがその証拠ですわ」
「え? 田中さんが命じたわけじゃ――」
「一言、案内文(ぶみ)を送ったのみにて。『完全なるヒトとなり、伯爵様をあっと言わしたい者これへ』と」

いつの間にか関西のイントネーションになっている田中さん。
両の手でわたしの手をがしりと掴んでさ、その力の強いことと言ったらないのさ。

「痛たた……それって……悪戯心が背中を押しただけでは?」
「それもあるやも知れませんな」
「もって、他にもあるんですか?」
「大いにありますやろ。元々の『お達し』や」
「え? わたしが何か?」
「仰いました。ヴァンパイアゲノムを解析し、ヒトのそれへと組み替えるが悲願と」

トン、と胸を突かれた気がした。
そうだ。わたしはずっと……伯爵になってから……そのワードと最終的な目的として掲げて来た。
ゲノム治療なんてあまりに先が見えないから、実を言えば言った本人がさほど期待してなかったんだ。
それを――
そう言えば、朝香を紹介してくれたのも――

「如何です?」
「……え?」
「今宵の趣向。演奏も含め……楽しめましたかな?」
「えぇ。とても。三日三晩、生死の境を彷徨ったくらいに」

満足気に眼を細める田中さん。
そして今更ながら、その変わりようにハっとしたのさ。
白く染まった髪に、目尻や口端に刻まれた深い皺。
彼はすっかり歳を取ってしまっていた。おそらくは人であった時の、その時の年齢に。
ならば残された時間は、あと少し。ほんの……僅かなのでは?

そんなわたしの思いを察したのか。田中さんがくしゃっと顔を綻ばせた。

「御案じ召されますな」
「でも貴方は――」
「十分生き申した。70に届くだけでも天寿であろうものを……かようにも醜く、永く、生きさらばえ申した」

わたしに取って「岳父」とも呼ぶべき男の手。
その大きく、厚ぼったい手がそっとこの手を離れ、羽織越しにその腹を撫でたから、わたしには解ってしまったのさ。

「その羽織の色、利休茶、ではありませんでしたか? その袴も確か――」

165菅 公隆 ◆GM.MgBPyvE:2020/11/08(日) 08:18:24
田中さんの瞼がピクリと持ち上がる。
流石にこの質問は唐突だっただろうからね。
けど70という年齢と、その仕草。かねてからの推測を裏付けるに十分すぎる。
およそ500年前、寿命は50とも言われていた安土桃山のあの時代に、「かの人」は70まで生きたとされている。
秀吉の怒りを買い、武士でも無いのに「切腹」を命ぜられ、周囲の嘆願むなしく命を落とした茶道の筆頭、「千利休」。
実名を千与四郎(せんのよしろう)。その元の姓を……田中。

ずっと、もしかしたらと思ってた。
彼の庵の設え、名前、背格好、すべてがあまりにそうだったしね。
でもまさかってね。聞くのも何だか怖くてね。
利休茶。やや緑を帯びる――その抹茶を思わせる明るい色合いは、千利休が好む色だったとか。

田中さんはしばらくわたしの顔を見て、そして豪胆に笑ってね。溢れた涙を袂で拭いながら言ったのさ。

「……袴の方は利休鼠(ねず)、ですな。如何なる色かと江戸に出かけ、手に取ればこれがなかなか。以降、愛用しております」

どんな事情で田中さんが人ではなくなったのか。
最期を見届けた武将の1人がそうだったのか。それとも最初から人ではない――真祖であったのか。

時間が許せば聞いてみようか。
信長や秀吉が、どんな人間であったか興味があるしね。

もちろん……深い詮索はしないさ。
天下人達が何をしてどうやって人を動かしたのか知りたいだけさ。
後学の為だよ。

166佐井 朝香 ◆GM.MgBPyvE:2020/11/08(日) 08:20:31


これって……ハッピーエンドよね?
何が面白いのか解らないけど、田中さん、涙が出るくらい笑ってたし、ハムくんも嬉しそう。

……で。お話も終わったみたいだし、そろそろ……
って麻生君を見れば、眼を真ん丸にして明後日の方を見てるじゃない。
つられてその方を見て……あたしまで眼を奪われちゃった。

再後席の、あの一番高いところに、桜子さんと柏木さんが立ってたの。いつもの白いドレスと、黒のスーツを着て。
うっすらと後ろの扉が透けて見えてて。二人とも笑ってて。
振り返ればまだスヤスヤ眠ってる宗に秋桜ちゃん。
で、もう一度そっちを見れば……もうその姿は何処にも無くて。

眼がキュッと熱くなって……でも堪えたわ。まだ仕上げが残ってるもの。

『麻生君! ほら!』

合図に気付いた麻生君が、噛みしめてた唇をフッと緩めて、そして――両腕を斜め上に持ち上げて――

始まったわ! 大合唱の続き!
凄い音量! ホールの壁がビリビリしてる!
もう我慢なんかしなくていいわね?! 泣いちゃってもいいわね!!?
ガシッと宗が腰に抱き付いてきて。
あはっ! 流石に起きたみたい!
そしたらハムくんがこっちに手を伸ばして、宗を軽々と持ち上げて。
魁人も、子供さん(陸翔くんって言ったかしら?)を肩車とかしてて。
見れば麻生も、娘ちゃんを腕に座らせてる。

そんなあたし達を、歌い手たちにあっと言う間に囲んで。手を繋がれたりして。
あはっ! もう一緒に歌うしかないじゃない!

ほんと凄い!
天を劈(つんざ)くってこのことよね! そして最後の……ほんとに最後のクライマックス! 



余韻が唸る大ホール。
ハムくんが、差し出された花束を受け取って。囲まれた人達に握手とか写真とかせがまれちゃって。
可愛い〜! ハムくんったら、すっごく照れてるの!
たぶん、初めての経験なのよね!
でもやっぱりハムくんはハムくんだった。すぐに我に返った顔して叫んだの。

「沢口はいる!!?」
「ここです! すぐ後ろに!」
「記者会見の準備だ! いますぐ現状を国民達に伝えるんだ! 急げ! 閣僚たちを招集しろ!!」
「それについて、たった今、二木元総理から連絡が入りました!」
「え!? 二木さんが、なんだって!!?」
「会見内容についての閣議書はすでに回し終えたと! あとは総理の花押(閣僚の署名)を頂くだけだと!」
「ず……随分手回しがいいね! もしかして報道陣への手配も済んでる!?」
「すでに官邸に集まっています! 明日の朝刊の差し替えに間に合うかと!」

群衆を押し分けながら、舞台袖に向かうハムくんたち。

「待ってハムくん! ひとつだけ、言っておきたいことが!!」

でも駄目! ぜんぜん聞こえてない!
ほんと……ハムくんたちのお仕事って……息つく暇も、ないのよねぇ……。

167佐井 朝香 ◆GM.MgBPyvE:2020/11/08(日) 08:25:00
『本日を持ちまして、ラミア発症者――いわゆるヴァンパイアと呼ばれた存在が、日本において撲滅した事を宣言いたします!』

画面に大写しになったハムくんの顔に、パシャパシャっと焚かれるフラッシュが当たってる。
あたしは……リモコンのスイッチを押した。
プツン、とブラックアウトするモニター画面。

「もう……ハムくんったら。ほんと早とちりなんだから」
「宜しいのではありませんか? 『一応の区切り』と、そう考えればいいのです」
「柏木さんったら、随分と丸くなったんじゃない?」

あたしは腕を組んで、椅子の背中に寄り掛かった。ギシッ、と軋む背板のスプリング。
出入口の扉の傍に立ってるのは、黒スーツの柏木さん……の幽霊。
……驚かないわよ。
死んだと思ったら生き返ったり。消えたと思えば当然のように出て来たり。柏木さんったら、いつもそうだもの。

「大勢に影響はないでしょう。なにしろ貴方には通常のヴァンパイアが持つ悪しき特徴が何一つない」
「血を吸わなきゃいい、迷惑かけないからいいって話じゃないわ。情報が正確じゃないって事が問題なのよ」
「まあ……そうですけどね」
「そうよ! あたしはまだヒトじゃない! ヴァンパイアのままなんだから!」

そういう訳! あたし自身は治ってなんかいないの!
あたしは医者であって患者じゃないもの。自分で自分は治せないもの。

「ですが貴方の力はまだ必要です。この世のすべての人間から……ヴァンパイアゲノムが消え去らない限り」
「わかるわ。真祖はいつどこで出現するか解らない。そういうことよね?」

柏木さんが何も言わずに頷いて。でもあたしは複雑。
そりゃあ……もともとのあたしの願いは叶ったわよ? ずっとこの仕事を続けていたい。それがあたしの望みだもの。
でもあたし……宗やハムくんとお別れしたくない。
宗やその子供たちや孫たちが、歳をとって死んでしまっても……あたしだけが若いまま。それって凄く――

「あたし……この先ずっと……先に逝ってしまうしまう人達を送らなきゃならないの?」

柏木さんが哀しそうな眼であたしを見て。
あたし、また「あの言葉」を言われるのかと思って胸のあたりがキュッとして。
でも柏木さんは言わなかった。「ヴァンパイアの道は永遠の闇」だと。

「いつか貴方も見つける筈です。田中さんが貴方を……見つけたように」
「そうかしら」
「そうです。田中さんも言っていました。ヴァンパイアは決して滅びない。滅びないわけがあると」

すっかり葉が枯れ落ちて、オレンジ色の柿もぜ〜んぶ?がれちゃって。
でもそのてっぺんに、しがみついてる柿の実がひとつだけ。
来年も沢山実がなりますように。無事にすべて済みますようにって。
あたし……そんな御役目を果たせるかしら。
たった一人で。田中さんみたいに。

「貴方らしくもない。差し当たってやるべき事がおありでしょう?」
「え?」

コンコン、とノックの音。
ドアの摺りガラス越しに映る黒い人影。あたしを呼ぶ苦しそうな声。
そうよね、ここは診療所で、あたしは診療医だもの。やるべき事は……決まってる!

カチャリとドアを開ける。廊下には点々と散る赤い血痕。

「またあなたなの? 無茶しないでってあれほど――」


ヴァンパイアを殲滅せよ――FIN――

168佐井 朝香 ◆GM.MgBPyvE:2020/11/08(日) 08:35:39
あらら、柿の実をもぐの「も」が文字化けしちゃったわね!
最後の最後まで詰めが甘いんだから!

169 ◆GM.MgBPyvE:2020/11/08(日) 08:47:57
ようやくの終了です。

水流先輩には心からの感謝を!
始まりのきっかけを与えて下さり、しかも桜子という素敵なキャラまで頂いて……
近いうち、自分の書いた分をそれらしくまとめ、しかるべき場所へ投稿しようかと目論んでおりますが……あくまで目論みですが……


いままで読んでくださったり、応援くださった方々には心よりお礼申し上げます。
ありがとうございました!

170名無しさん:2020/11/16(月) 10:28:23
おつかれさま
読んでたよ

171名無しさん:2020/11/17(火) 01:03:31
お疲れ様
無事完結おめでとう

172 ◆cGQ3.aXF/Q:2021/05/29(土) 23:09:13
ようやく「しかるべき場」への投稿が完了しましたのでご報告いたします
(18禁要素を出来るだけ削除しております)

https://ncode.syosetu.com/n3265gw/


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