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直観音楽アンサンブル とりあえず2

1Tausendhaender★:2007/07/03(火) 01:19:52
リフレッシュのため1を倉庫に入れました。
こちらで元気よく再開しましょう。

118pentatonics:2008/03/20(木) 00:06:32
先日のアンサンブルの際、アリスさんから意見を求められて、うまく答えられなかった
Pentatonicsです。
僕はあのとき、決していい演奏になったとは思いませんでした。
しかしながら、どうもうまく言えないのですが、あの場でアリスさんが言わんとしていたこと
の背景にある「アンサンブル」観にも、うまく言えない「ちょっと違うんじゃないかな・・・」みたいな感じを持っていました。

今になってもうまくはいえないのですが、僕自身の感じとしては、
  「アンサンブルはみんなで『つくりあげる』もの」ではない
というのがあったのだと思います。もちろん、これは普通の合奏のコンセプトではないですよね。
合奏は、みんなで気を通わせながら作り上げるものです。
これはあくまでも僕自身の感じなのですが、直観音楽においては、音は僕らによって調和的に創り出されるというより、
それに先んじて「そこにある」という風に感じるのです。
私たち自身が自由にコントロールできるもの、を越えた音が確かにそこに現れていて、それに触れて帰ってくる、
それに触れて、自分自身の音をその場に置く、という感じをもっています。
これが直観音楽のあり方としてどうか、というようなことは、僕には分かりません。
でもあの場において、音は、われわれがルールによって創り上げる、というところを越えたところにいる、というのは確かなような気がするのです。

音そのものを命を持っているものとして聴くとき、この「先んじてある」感じは不可避のものなのではないかと、僕は思うのです・・・

119千手:2008/03/20(木) 00:47:48
>>118
先日の演奏、pentaさんの演奏は非常によく聞こえました。

上の直観音楽におけるアンサンブルの説明は、申し分のないものに思えます。

さらに付け加えるなら「濃密なもの」というような観点です。
その生きてそこにある音の濃密さを捉えるという点。
これは「突破」の先に、ある明敏さとともに見えてくるものではないでしょうか。

120毛蟹:2008/03/20(木) 09:25:15
>>118
>直観音楽においては、音は僕らによって調和的に創り出されるというより、
>それに先んじて「そこにある」という風に感じるのです。

僕もそう感じます。でもそれ(「そこにある」)は直感音楽の演奏に固有な感覚だとは思いません。グレングールド(明らかに彼の演奏は「それ」に触っている。「それ」に触ることを「エクスタシー」と表現している、と僕は思います)、ジミ・ヘンドリックス(彼もそう)も直感で演奏していると思います。彼らはフットワークが軽い。探す必要がない、創る必要もないのですから。反対にダメな演奏家は自分のシッポを追い回すことを仕事にしている人たちです。。

121毛蟹:2008/03/20(木) 09:38:33
「そこにある」ものに触れること、それがコミュニケーションの真髄ではないかと僕は思っています。

122毛蟹:2008/03/20(木) 09:56:46
>>121
訂正.

全員で「そこにある」ものに触れること、それがコミュニケーションの真髄ではないかと思っています。

123毛蟹:2008/03/20(木) 12:33:15
>>118
>音そのものを命を持っているものとして聴くとき、この「先んじてある」感じは不可避のものなのではないかと、僕は思うのです・・・

「先んじてある」に導かれないと「ES」の演奏に於いて音を弾くことはできないでしょう。

124千手:2008/03/30(日) 20:45:55
突然だがぼくの一番好きなグールドはベートーベンの32番だ。
最初にきいたのもこの曲だった。この、疲れの果ての果てにたどり着いての演奏。そこからこの上ない歓喜が見出されてくる。

125千手:2008/03/30(日) 20:55:53
>>120から>>123の毛蟹さんの意見ではっとするのは>>122だ。

>全員で
ということ。シュトックハウゼンの『短波』はまったく全員が音のいのちを共有している。
>>119で言った「濃密」というのは、全員による(できるだけ多数による)共有から生まれるものなのか。
それとも、「覚醒」の深さによるものなのか。
いずれにせよわれわれの演奏も、全員による音のいのちの共有を作ってゆかなければならない。
より深い覚醒も、そこからさらに感取されてゆけばよいのだ。
しかし、もっとも、誰かが本当の覚醒を知っていなければならない。

126千手:2008/04/05(土) 00:57:15
次回、直観音楽録音のための演奏会を
4月20日(日)18時から、造形大陽陽館で行ないます。
「無限に」のCD化のための演奏会です。
精神を研ぎ澄ませてご参加ください。
後日メールでも案内をさし上げます。

127千手:2008/04/28(月) 17:22:01
2008年4月20日の第三回「無限に」のcd-rが5つできました。陽陽館入ってすぐ左のケースに入れておきます。
まずは演奏参加者のみで、ひとつずつもっていって聞いてみて下さい。
そして感想をお願いします。
当面非公開ということにしておきます。

128千手:2008/05/05(月) 03:31:26
以前メールで回したように5月11日に、ニールセンさんの友人のハンスさんが京都に来るはずです。
そろそろ連絡をとらないといけないと思っていますが、コンサートに行ける人はどのくらいいますか?
私は行こうと思っていますが。

129Pentatonics:2008/05/07(水) 00:59:15
私は行けません

130千手:2008/05/08(木) 23:11:57
>>129
承知。

131千手:2008/05/12(月) 07:22:53
昨日ニールセンさんから紹介してもらったハンス・フェルスタッドさんの音楽を聴きに行ってきました。
素晴らしい!
http://25237720.at.webry.info/200805/article_1.html
に感想を書いておきました。

132Pentatonics:2008/05/12(月) 19:24:50
ハンスさんの音はこちらで試聴できます。

http://www.myspace.com/hansfjellestad

133千手:2008/07/02(水) 22:33:09
明日から花巻。その打合せで大学に行った。メールボックスにDellの宣伝冊子ともう一つ何やら黄色い冊子。普通ならすぐゴミ箱に捨ててしまうところなのだが。
家に帰って、さっきバッグの中を整理していると、その黄色い冊子にMusikTexteとドイツ語が書かれているのに気づく。117号、Mai 2008。あ、あれだ、という感じだった。今年の1月に書いたシュトックハウゼンについての小論だ。
「音楽の大道無門」。それから何の連絡もなかったので、ボツになったのかと思っていたが、こうして出版されていたのだ。英語で書いたわたしのテキストは"Daido Mumon der Musik"とドイツ語訳されて掲載されていた。さすがに漢字は省かれていたが。Pp.58-59。とりあえずシュトックハウゼンについて何か語る人間として国際的にデビューしたことになるのだろう。もっとも、前にフランス語で書いて自分のホームページにのせた、「カオスモスの変身装置」は、以前シュトックハウゼンの公式ホームページからリンクされていたこともあり、国際的にちょっとは知られていたのだが。あのニールセンさんも、それを読んでコンタクトをとってきてくれたのだ。
 ともあれ嬉しい出来事だ。捨てなくてよかった、と思う。

134千手:2008/07/18(金) 18:25:58
YouTubeからシュトックハウゼン関係のものを幾つか拾ってきて、トポイポイねっとの方に貼っておきました。
1972年のスピーチは重要です。

135千手:2008/07/19(土) 01:41:34

たとえばこれです。
http://blogs.yahoo.co.jp/nametokogenmai3gou/22804934.html

136千手:2008/07/31(木) 00:29:21
次回直観音楽録音演奏会は8月24日(日)18時から陽陽館で。
"Unbegrenzt"の演奏、この日で決めたいと思っています。
7月13日のUnbegrenztの演奏CD−R、参加者分だけできました。陽陽館に取りに来て下さい。

上記の件、後日メールでも回します。

137千手:2008/09/02(火) 19:41:52
次回直観音楽録音演奏会は9月28日(日)18時から陽陽館で。
演奏予定"Unbegrenzt"他一曲。
前回は中川さんという強力な人が参加してくれました。今後メンバーとして参加してくれます。

138千手:2008/10/10(金) 00:19:33
連絡が遅くなってしまいました。
次回直観音楽録音演奏会は10月13日18時から陽陽館です。
「無限に」と「結合」を予定してます。
ご参集下さい。

139千手:2008/10/14(火) 04:26:46
10月13日の演奏はよかった。とりわけ最後にやった「無限に」が。
過飽和状態から、さらに先へいって、一つの「場」を作れたからだ。
わたしの念の中にあったことで「常不軽菩薩」と名付けたい場所だ。
「浄土」ではない。法華経巻20に説かれるこの菩薩の実践の場のようなことだ。
確かにこれまでの演奏より一歩進んだ。

140毛蟹:2008/10/16(木) 00:36:00
>>139
>確かにこれまでの演奏より一歩進んだ。

半歩なら同意します。まず75点というレベルでしょう。ケルングループに比べたら25点は負けてます。
メンバー全員まだまだ無駄が多くて冴えが足りません。
次回11月15日 18:00からで如何ですか?

141千手:2008/10/16(木) 09:01:30
>>土曜日はたいてい楽心荘で子供向きの武道の練習があるようなので、できれば避けたいと思っています。

142千手:2008/10/16(木) 09:04:52
>>140
「過飽和状態」から直観を先へ一歩進めるということはできていないのですが、「過飽和状態」で得られてリズムの直観を落とすことなく、変形でしてゆくことができたという点で見ればかなり大きな前進だと思います。

143千手:2008/10/22(水) 15:38:54
次回の直観音楽録音演奏会
11月15日(土)18時から陽陽館で。
今回は土曜日になりますのでご注意ください。
また、陽陽館周辺の状況も未知のところがありますが、臨機応変に進めたいと思います。ご参集ください。

144千手:2008/10/26(日) 00:31:03
8月24日の「正しい長さ」「無限に」の演奏を聞いた。
演奏はどちらのものも今日のわれわれが達成している水準を示すものでしょう。
録音の方が不安だったのですが、どうでしょう?
録音がこれで十分ならば、これをIMEの公式バージョンにしたいと思いますがどうでしょう。

145毛蟹:2008/10/26(日) 11:11:32
>144

手数をお掛けして申し訳ありませんがCDRを焼いてください。
それを聴いて判断したいと思います。

>演奏はどちらのものも今日のわれわれが達成している水準を示すものでしょう。

その水準が井戸の中なのか外なのかをケルングループの演奏水準をもって測らねばなりません。

146毛蟹:2008/10/26(日) 11:28:05
>144

失礼しました。前回の演奏と勘違いしてました。8月24日のバージョンですね。
8月24日のバージョンは相当いいと思いました。ただ一般的な再生装置で伝わるかどうか、かなり怪しいと思います。

回を重ねる毎に演奏のレベルは向上しているという手ごたえがあります。
次回の演奏はもっといい演奏ができるはずで、またできなくてはなりません。
次回の録音に期待したいと思います。

147千手:2008/10/27(月) 09:32:50
>>146
ヘッドホンで聴いていたのですが、それだとなかなかよく聞ける、という感じでした。
ともあれあの内蔵マイクはマイクの志向性をよく活かせないようなので(無志向性マイクのような音響)になるので、
内向き90度での使用はもうやめようと思います。
次は僕もまた奏法を考えて参加したいと思います。

148千手:2008/10/31(金) 22:25:08
ニールセンさんからここを見ろというメールが来ました。
http://hjem.get2net.dk/intuitive/iquote.htm
この11月にロンドンで、ということらしいのですが。
ちゃんと読んでいる時間(語学力)がありません。
あとでメールの方も回したいと思います。
わかる人があったら教えて下さい。

149千手:2008/11/10(月) 00:32:20
11月7日、「コンサートジェネシスIII」という演奏会に行ってきた。演奏会の第二部で
「追悼 シュトックハウゼン」として「京都で作曲された作品二題」というものが組まれていた。
曲は『リヒト--暦年』から3曲、そして『自然の持続時間』から4曲。
『自然の持続時間』は大井浩明さんのピアノ演奏で、質の高い演奏が聴けることははじめから期待できた。
意外だったのは和楽器による『リヒト--暦年』の演奏。これが素晴らしい。
最初の「百年の時間のための音楽」でその龍笛の演奏に驚いてしまった。
次の「一年の時間のための音楽」でも、とりわけ琵琶と箏の掛け合いのところが素晴らしかった。
そして三曲目の「十年の時間のための音楽」も篳篥がすばらしく、また鞨鼓の弱まってゆく音の入りもよかった。
何に驚いたかというと、あのシュトックハウゼンの音楽の特質である内的なリズムが、しっかりと掴まえられていたとことだ。
これが驚きだった。シュトックハウゼンの演奏指導なしに、この水準まで内的リズムが聴きとれている演奏が出来るということが稀有なことに思えたのだ。
これならシュトックハウゼンの音楽が継承されている。
この「内的なリズム」とわたしがいうものは、生命ある音の作ってゆくリズムのことで、直観音楽以来シュトックハウゼンの音楽の目指したものはこの内的なリズムの発見と定着以外のことではない、ということを改めて気づかせてくれた。
後で木戸敏郎さんの解説をみると、龍笛と琵琶をえんそうした芝祐靖氏はこの曲の初演以来の演奏者で、シュトックハウゼンの指導を受けた方だという。
芝さんのまわりで、シュトックハウゼンの本質が高品質に継承されていることを知って、わたしはとても嬉しい。

150千手:2008/11/10(月) 00:43:56
大井さんの演奏についてひとことだけ言っておくと、こういう堂堂とした演奏によって、音の自然減衰を最後まで聞き届けさせるということの偉大さだ。
こういう演奏によって、確実に聴衆の耳が育てられてゆく。これはジョン・ケージの4'33''よりもずっと効果的に、そして深く、「音」を聞かせることが出来る。
大井さんは、聴衆の耳を育っているのだ。ここから、そうして育てられた耳をもった人たちの間から、新しい流れが出来てゆくかもしれない。
その耳をもった人達は、わたしたちの直観音楽のよき聴き手にもなってくれるはずだ。
そしてまた奏者にも。

151千手:2008/11/17(月) 00:28:42
http://jp.youtube.com/watch?v=qB76jxBq_gQ&feature=related
音が見えているということ。

152E嬢:2008/11/18(火) 00:48:59
グールドの演奏、とても興味深かったです。
これまで、実際の演奏を観たことが無かったので、「鼻歌を歌う人」
って、程度の認識でした。

ピアノを右手で演奏しながら、左手でコンタクト(?)を取り、
鼻歌を歌っているあたりまでは、特に興味は無かったのですが、
一度、ピアノから離れ、窓辺にたち、再び演奏する姿をみて考えました。

彼は、一定の音域しか使用していません。(たぶん)
ピアノが88鍵あると仮定するならば、中央部分しか使用していません。(そう見えた)
もそこで、彼が一定の鍵盤しか使っていないと推測して、
そこへ、アルファベットを並べたら、なんらかの文章ができるのではないかと思いました。

文章とい表現は、適切ではないと思うのですが、
いまの私には、この表現しか思いつきません。(日本語能力不足ですみません)

なぜなら、音…音楽が12音を基準としているのであれば、
アルファベットと同じ数の鍵盤だけを使用すれば文章ができると考えるからです。

ピアノをタイプライターと見立てたとき、それは可能だと思ったのです。

いまの私には、グールドの使用した言語がなにかわかりませんが、
仮に英語であれば、26鍵盤だけを使用しているのではないかと思うのです。

千手さんがいう、『音が見えているということ。』を、
私はこのように考えたので、ご報告まで…

153千手:2008/11/18(火) 15:26:22
間の取り方、タッチのちょっとした違いはほとんど無限に選択肢がありえます。
グールドはタッチ(間)のちょっとした違いを修正しているんですね。
自分に音(楽)が見え(観え)ているからこの修正ができる。
そんなことに感心したんです。

154千手:2008/11/18(火) 15:30:51
先日の大井さんの演奏で感心したことのひとつは、左手の表情なのです。
たいてい目をつぶっていたので見ていないのですが、左手が音楽の内的リズムを捉える感覚器官になっている。
いいですよ。

155毛蟹:2008/11/19(水) 01:19:51
>152
お久しぶりです。お元気でしたか?
あなたの思考回路は極めてユニークですね。
思考がユニークだと言っているのではありません。

>153
>自分に音(楽)が見え(観え)ているからこの修正ができる。

芸術家ってそういう人間なんじゃないんですか?

156千手:2008/11/20(木) 11:28:54
次回の直観音楽録音演奏会12月14日(日)18時から、陽陽館
「無限に」の演奏は次回で決めたいと思っています。

157千手:2008/11/20(木) 11:31:18
グールドはあそこでなぜ立上がったのでしょう?

158千手:2008/11/20(木) 11:42:30
そして立ち上がる前「なぜあそこで」やめたのでしょう?
時間の「未来」にかかわる何事かであるように見えるのですが。

159E嬢:2008/11/20(木) 15:46:51
>155

お久しぶりです。
回路がユニークってコトですか?
脱線の仕方がユニークってコトかなぁ・・(笑)

160毛蟹:2008/11/21(金) 00:58:26
>159
あのビデオを見て、聴いた者の想像力が「ピアノをタイプライターと見立てたとき」という方向(回路)には普通流れませんからね。だからユニークだと言ったんです。

>ピアノをタイプライターと見立てたとき、それは可能だと思ったのです。

そりゃ可能です。でもね、あなたの見つけたその池で釣りをしても魚は一匹もいませんよ。

161E嬢:2008/11/21(金) 23:26:16
私の行く池には、いつもお魚さんは居ないようです。
仮に、釣れても、お魚さんを針から外すことさえ出来ません。

ところで、毛蟹さん。
音楽は、12音です。(12音という表現が適切か、どうかは別にして。)
なにの音楽は対象物を、12音で表現するということが、抽象的だと思うのです。
たとえば、ひらがななら、50音。
英語のアルファベットなら、26音あります。


音階のある楽器なら12音といえますが、
音でいうと、正確な数はわかりません。


ピアノも、タイプライターも、両手を使います。
人差し指の人もいますが・・

ピアノでない他の楽器だと、何も考えなかったと思います。

パソコンについているキーボードも、
鍵盤のついている楽器もキーボードなのは、なんでかと・・

あぁ・・ここから、脱線が始まっているのですね・・

162千手:2008/11/22(土) 01:47:44
"Etwas über sich hinaus schaffen"「みずからを超えて何かを創造すること」
ツァラトゥストラのこの言葉に含まれていること。
シュトックハウゼンの1972年のスピーチもこれを念頭においている。
ドゥルーズの『差異と反復』もこれを主題にしている。
「かつてあった」でもなく、「わたしはこれだ」「わたしはこれができる」でもなく、
未来の尖端が語りかけてくること。

163毛蟹:2008/11/22(土) 02:17:45
>161
>音楽は対象物を、12音で表現するということが、抽象的だと思うのです。

抽象的?「肌理が粗い」ということですか?でも一つの音が弾かれるためには音の高さのみならず長さと強さと音色が必要です。そして音の高さ以外の3つは全部アナログなんです。つまり絵具みたいなもので無限のグラデーションがあります。
それとね、確かに12音は少ないかもしれないけど、音は碁石みたいなもんなんですよ。単語の中のひらかなやアルファベットとは違うんです。
さらに付け加えると、文字はデジタルなんです。誰の筆跡であれタイプであれ同じ内容が伝わる(少々乱暴だけど)、これデジタルなんです。
ピアノは弾き手が変わると伝わるものが変わってしまうでしょ。「伝送系で情報が変化する」これアナログです。
僕もだいぶ脱線しましたね。

164毛蟹:2008/11/22(土) 09:54:34
>162
>「かつてあった」でもなく、「わたしはこれだ」「わたしはこれができる」でもなく、
未来の尖端が語りかけてくること。

音楽とは「非在」として「今ここに生まれつつあるもの」です。
「今ここに生まれつつあるもの」は過去にも現在にも未来にも属しません。
過去と現在と未来が「今ここに生まれつつあるもの」の中に在るのだと思います。
脱線しましたかね?

165E嬢:2008/11/22(土) 10:28:39
>163 文字はデジタルなんです

E嬢的理解能力では、カワイイ表現なので、グッときました。
(バカにしてるんじゃないですよ)

> でも一つの音が弾かれるためには音の高さのみならず長さと強さと音色が必要です。
 そして音の高さ以外の3つは全部アナログなんです。

音の高さはデジタル・・ってコトだと想定して書きますが、(勘違いならスミマセン)
音の、『高い』、『低い』だけでは、アナログなのではないでしょうか。
西洋的な楽器で、『ド』とか『レ』とか名前が付いている場合は、
「デジタル」であるかもしれませんが、
民族(俗)楽器のような、音階をもたない楽器や、音の名称を持たない楽器は、
「デジタル」になるのでしょうか?

毛蟹さんが叩いている太鼓の音階はわかりませんが、
小鼓だと、「高い」か「低い」、そして「真ん中」の三つしかありません。
すると、「デジタル」というよりも、「アナログ」な感じがするのです。

ピアノの場合、「デジタル」というのは相応しい感じがするのですが・・


> つまり絵具みたいなもので無限のグラデーションがあります。
 
わたし、ここの解釈は違うんです。
「ド」とか「レ」とかは、「絵具」みたいなものだと思います。
チューブを叩いて、押し出されて、「赤」とか「ド」が飛び出す・・
そんな感じをイメージしています。

でも、「無限のグラデーション」は、
「赤」と「他の色」をグネグネして作り出すものだと考えると、
「ド」と「レ」は、なんぼグネグネしても、他の音は出ないからです。(ピアノの場合)
「ド」と「レ」のあいだに存在する音はグラデーションですが、
絵具と一緒だとは思いません。
「ド」とか「レ」などの名前の持たない楽器にしかないと考えるからです。

音の高さは「デジタル」で、音色は「アナログ」・・

ピアノの場合、音の高さは「デジタル」、音色も「デジタル」
例えにあげた小鼓の場合、音の高さは「アナログ」、音色も「アナログ」
って、なりませんか?(できれば、一億歩ぐらい譲って同意できないですか?)

166千手:2008/11/23(日) 00:40:28
>>164
>過去と現在と未来が「今ここに生まれつつあるもの」の中に在るのだと思います。
これは反復が存在している、と言っているだけのことに見えます。
未来が反復されるということ、そういう出来事があるということが言いたいのです。
浄土とは未来の反復ではないでしょうか?
そこには現在も過去もない。
浄土、それは「好きなだけ多くの時間と空間をもっているという確信」の開く場所そのものではないでしょうか。

167E嬢:2008/11/23(日) 08:28:42
>166
未来が反復されるということ

わたしは、未来は、「いま」と「かつて」だったものが、
再び「そういう出来事がある」につながることだと思います。
「そういう出来事がある」は、再生性なものではないかと。

「かつて」→このあいだにリサイクル→「いま」→次の可能性→「未来」
みたいな感じです。

反復だと
「過去」→同じ→「現在」→同じ→「未来」→やっぱり「過去」?
って感じがします。

168毛蟹:2008/11/23(日) 11:21:20
>166
ありがとうございます。

>そこには現在も過去もない。

未来であると認識した(している)ということは、わたしはそのとき現在に身を置いていた(いる)ということではないのですか?
どうも僕にはここで千手さんがおっしゃっている「未来」という言葉が理解できないんです。

169毛蟹:2008/11/23(日) 12:03:55
>165
>でも、「無限のグラデーション」は、
「赤」と「他の色」をグネグネして作り出すものだと考えると、
「ド」と「レ」は、なんぼグネグネしても、他の音は出ないからです。(ピアノの場合)
「ド」と「レ」のあいだに存在する音はグラデーションですが、
絵具と一緒だとは思いません。
「ド」とか「レ」などの名前の持たない楽器にしかないと考えるからです。

どう言えばいいのか・・・
僕が絵具に喩えたのは音高・強さ・長さ・音色の4つのチューブを混ぜ合わせないと一つの音は出せないってことです。この4つのチューブの混ぜ具合で同じドの音にも無限のグラデーションがあると言いたかったのです。
タイプで印字した文字の濃度が濃くても薄くても、黒でも青でもあんまり重要じゃないでしょ?でも音の場合は重要ですよね。
譜面どおりに鍵盤を叩いてもタイピストはグールドの代わりにはならないってことはピアノに限らず生楽器の音は全てアナログだっていうことです。

>ピアノの場合、音の高さは「デジタル」、音色も「デジタル」
例えにあげた小鼓の場合、音の高さは「アナログ」、音色も「アナログ」
って、なりませんか?

どうも音の高さも音色もそれ自体では音にならないってことを理解していないようですね。

>(できれば、一億歩ぐらい譲って同意できないですか?)

できない。1ミリも。

170E嬢:2008/11/23(日) 23:06:39
>169

毛蟹さんのいう「音」を、私は理解できていないようです。
理解するためにも、もう一度、トライしてみます。
(1ミリでも、わたしが近づけるように・・)

①音の要素として、「音高・強さ・長さ・音色」がある。

②グールドの表現は、グールドにしか出来ない。

③生楽器の音が全てアナログである。

ってコトはですよ、生演奏において、
一瞬、一瞬に生成される音は全てアナログであって、
それは、その演奏者、もしくは表現者の解釈によって再構築されるものだから、
その音(の概念)は演奏者、もしくは表現者によって違う・・
ってコトですか?

アカン・・やっぱりアホを認めたほうが早いですが、気になります。
(もちろん、アホなんですけどね)

171千手:2008/11/24(月) 11:17:57
>>168
日常生活の説明をしたいわけではないので...。
ドゥルーズとシュトックハウゼンの1968年はなかなか越えられない。
「未来」の時間については後で少し説明します。

172毛蟹:2008/11/24(月) 20:17:02
>171
>そこには現在も過去もない。

そこが「未来」だと認識するためにはわたしが「現在」にコンタクトしている必要があると思います。

173毛蟹:2008/11/24(月) 20:23:47
168,172で使用した「現在」はもちろん「日常」を指しているのではありません。

174千手:2008/11/26(水) 02:59:17
時が流れている限り、時の構造として「過去」「現在」「未来」の三つの次元は、つねに総合されて存在しています。

175千手:2008/11/26(水) 03:03:16
ただ、その総合の形には、過去を基にした総合、現在を基にした総合、未来を基にした総合、の三つの違った形式があると思います。

176千手:2008/11/26(水) 03:31:30
"Spiele einen Ton"
という命令法の下にある時、ひとはつねに「未来を基にした総合」の形でみずから(の演奏)を形成しなければなりません。

『七つの日より』の演奏指示の中に、"du bist"(おまえは・・・である)という表現は出てこないと思います。
もちろん従属文中で"du ... hast"という現在時制の表現は出てくるのですが、それは
1.命令法による指令の下位に位置すること、
2."bist"と"hast"との間にはずれがあって、"hast"は"bist"の存在の現在からは常に逃れているように見えます。

>そこが「未来」だと認識するためにはわたしが「現在」にコンタクトしている必要があると思います。

「未来」と認識する必要があるとは思いませんが、未来を基にした総合がされている必要はあると思います。
総合の中には現在の契機も過去の契機もあり、それゆえ現在とも過去ともコンタクトはあります。
ただ総合を生みだす源は未来のものでなければならない。よき現在は明確に把握された(直観された)未来から来る。

多少は説明になっていますでしょうか?

177毛蟹:2008/11/28(金) 00:11:41
>176
ありがとうございます。

グールドの演奏では、次に弾かれる音と全体(曲といったらいいのか?)が互いに存在を与え合っているように感じられます。作品全体を見通しているといえばそれまでですが、最初の一音からそのように感覚させるところがグールドのすごいところだと思います。

>よき現在は明確に把握された(直観された)未来から来る。

むつかしいことですが、そうあらねばならないと思います。

178毛蟹:2008/11/28(金) 00:53:14
11月15日の「無限に」のCDRを聴きました。
やはりマイクはこちらのほうがいいと思いました。
アンサンブルとしての演奏は65点くらいでしょうか。
個人的にはもっと垂直に切り立つ音を出さねばと反省しました。これは他のメンバーの演奏にも共通する課題だと思います。空間を慄かせるような音がもっと必要です(後半の中路さんのタムタムの打撃は良かったです)。それと一つのリズムの探求が長い割には切れ込みが足りない(全員で寄ってたかって棒でめった打ちにしている感じ)。それから、リズムの芽をずいぶん逃しています。

179千手:2008/12/01(月) 23:50:42
今日、授業が終わって研究室への帰り道、山の上の能舞台の隣の屋上で岩下(徹)さんが踊っていた。ひとりで踊りの練習に体を動かしていたということなのだろう。あのいつもの黒い上下の練習服で。
お会いするのも久しぶりのことで、二三言葉を交わして、邪魔ではないというのでドラをもっきて、遊んでいた。
私の意識では演奏していたのは「正しい長さ」。身体の動きのアーティキュレーションに合わせるのは、楽器を使えば容易なことだ。はじめはまず合わせて、そして動きの方も音色に応じて新しい展開に入ってくれる。
そのうち合わせる必要がなくなって、たとえば靴の動きだけを見て、あるいは目の動きだけを見て、そして自分の音の論理をきいて、新領域へとめざす。屋上のざらざらな表面もあたらしい音素材をもたらしてくれる。
そのうち私の携帯が鳴り出したりもしたが。
やがて共演者が増えてくる。南の方で鳴く鳥が、対話をしてくれる。
また、何かの工事中の音か、何の音かわわからないが、北の方からも呼応した音が出てきてくれる。わたしの方が呼応させているだけかもしれないが。ともかくそのリズムが掴める。
岩下さんのステップが非常に不思議なリズムをもつようになる。同じくり返しではなく、微妙に短くなるのだ。このずらしは演奏で経験したことがない。
だが確かにそうやって攻めてくるのだ。私もそのリズムを把握しようとして追いかける。やがて把握する。
その後また鳥たちとの交響の世界。鴉も鳴き出すが、これはまた合わせにくい。なかなか把握しにくい。
そのうち岩下さんの動きが終了する。
このダンスとの共演。新しいリズムのヒントがあった。

180E嬢:2008/12/02(火) 23:30:17
>179

興味深い内容です。ありがとうございます。
第2回ラ・プリマヴェーラ賞を受賞することはできなかったので、
明日の岩下先生の公演に行こうと思います。

181千手:2008/12/04(木) 00:49:06
>第2回ラ・プリマヴェーラ賞を受賞することはできなかったので、
何か応募していたんですか?

>明日の岩下先生の公演に行こうと思います。
どうでしたか?

182E嬢:2008/12/04(木) 21:23:17
>181

第2回ラ・プリマヴェーラ賞は、京都造形大で行われている、
ニューヨーク研修のオーディションです。
「間について考える in New York」で応募したのですが、
ダメでした。受賞者の発表がまだなので、合格者は誰かわかりませんが・・

京都芸術センターで行われた、「放下21」という即興舞踏を見ました。
私が想像していた感じとは全くちがう、言葉にならない体験でした。

なんというのでしょうか・・
ある到達点に、舞踏で誘導されているような・・
この、感覚の表現が難しいのですが、なにかの糸を一本、
背中から抜き取られるような感覚です。

う〜ん、音でも、言葉でもない、身体表現・・
言語化できないですが、間についても考えてしまう内容でした。

183毛蟹:2008/12/06(土) 17:43:18
このところシュトックハウゼンのCDを聴きながら自宅のスピーカーの鳴り方に不満を囲っていました。本日処方箋を決めて手を入れ、フリッチェ、ゲールハール、アルシナ、ジェニークラーク、ドゥルーエ、ポルタル、シュトックハウゼンの7名による「強度」のCDを聴きました。

これは凄い演奏でした。完璧に垂直な演奏でした。彼方に在る無限ではなく胸を圧迫するほど近くに無限が「降りて」くる、そして演奏開始から終わりまで一度として去ることがありませんでした。
時間も無く、生成も無い場でした。「無限に」の演奏の大きなヒントになりました。
CDを聴き終えてからライナーノーツを見るとこう記されていました。

In this way the most vertical music of AUS DEN SIEBEN TAGEN arose as if of its own accord, through my function as playing conductor.The "Intensity",which I at first interpreted as the purely physical one of hammering and sweating, tuned suddenly into a spiritual one,into rhythmic polyphony.

「無限に」の演奏の大きなヒントになりました。

184毛蟹:2008/12/06(土) 18:06:50
「無限に」のベスト・パフォーマンスの記録は、直観音楽アンサンブルのためにシュトックハウゼンが取っておいてくれたのだと思いたい。

185千手:2008/12/07(日) 04:37:41
>>183
聴きたい。

186毛蟹:2008/12/07(日) 09:21:44
>185

聴きに来てください。

187千手:2008/12/09(火) 18:13:09
>>186
行かせてもらいます。

188毛蟹:2008/12/13(土) 12:39:52
昨日千手さんと「強度」のCDを聴きました。

「変化しなければばならない」とか、「旅行に出掛けなければならない」という意志がこの演奏の奏者にはありません。
「いま、ここ」を肯定する音、「どこにも行く必要がない、ここが最高」という確認のための音だけで出来上がった音楽だと感じました。
これほど楽しく(シュトックハウゼンの演奏が可笑しい)、暖かい直観音楽の演奏を体験したのは初めてです。

この「強度」の演奏は同時に「無限に」と「それ」の演奏でもある。

個人的に次のことを確認した。

直観を捕まえることはできない。直観に捕まえてもらうしかない。
どのような音からでも開始できるが思考を開始点にしてはならない。
「考える」ということをやめたときが直観音楽の開始点である。
直観は表現されるべき対象ではなく、弾くことの唯一の根拠である。
したがって実際の演奏において奏者が最低限なすべきことは音を弾くことではなく、音を弾かないことである。
急かすと逃げてしまう。リズムが自らの外と内にとどまるための最小限の音を出すだけでよい。転換点は自らゆっくりと近づき、一気に訪れる。

189千手:2008/12/20(土) 00:09:23
大井浩明さんのコンサートに行ってきた。いろいろと魅力のあるコンサートだった。
だが、家に帰ると何故かホロヴィッツのクライスレリアーナが無性に聴きたくなった。
そして今聴いている。とりわけその終曲なのだが。

190千手:2008/12/20(土) 00:10:54
訂正:終曲ではなく、その第七曲だった。

191千手:2008/12/20(土) 00:15:19
聞きたかったのが終曲なのかその前(第7曲)なのかわからなくなった。多分その両方だった。

192千手:2008/12/20(土) 23:35:43
演奏会の後でプレイエルのピアノを少し触らしてもらいました。
とても自然な音。

193千手:2008/12/22(月) 23:44:56
次回の直観音楽録音演奏会の案内
2009年1月18日(日)18時から 京都造形芸術大学陽陽館にて
 横笛奏者の方が来てくれる予定です

194千手:2008/12/30(火) 18:52:11
お薦めCD:
『天平琵琶譜「番假崇」』(ALCD-2001)
芝祐靖さんの音の作りが聴けます。
一番の気に入りは二番目の曲。アンサンブルの作り方。大音量時の「間」の緊迫。
琵琶、篳篥に後から笙が入り、そして龍笛が入る。たくさんのリズムを逃している、と言えるかもしれないが、しかしリズムの種は沢山捉まれている。
7分7秒の龍笛が最高にいい。
10分20〜30秒の響きもこの曲の構えでは最も切なくていいところだ。

195千手:2009/01/20(火) 23:07:36
1月18日の演奏はおもしろかった。ミワさんが参加してくれて、「正しい長さ」二回と「無限に」一回。
ミワさんの自信をもった演奏。これがすごい。その笛を聞いていると、僕の演奏がまるで蛮族の音楽に見えてくるときがあるのだ。
「無限に」で能管を使ったときはなおそうだ。能楽が怨霊を鎮めるというのがどいういう音組織、音世界によるものなのか、ということが非常によく分かった。
まあこちらも頑張って演奏していたのだが、最後には能の鎮めの力をもった音を超えて、直観音楽に入って来てくれたのだが、それはすごかった。
ビブラートを超えて、まるで不整脈のような高音のとぎれとぎれの振動、こんな笛の音は聞いたことがない。
 次回から参加してくれるかどうかは分からないが、シュトックハウゼンにはとても興味をもってくれている。
 強力な音楽感をもっているひとだ。
 思いがけない新鮮なひとときだった。

196千手:2009/01/22(木) 23:35:28
直観音楽はまさに戦争機械ではないか?
 ドゥルーズのクライストについての次のような叙述「戦争機械」『千のプラトー12』

>なぜクライストの方にこそ最も奇矯な現代性があるのだろうか? その理由は、彼の作品の構成要素が秘密と速度と情動であるからである。秘密は、クライストにおいてもはや内部性の形式のうちに取り込まれた内容ではなく、反対に、それ自体形式となって常にそれ自身の外部にある外部性の形式に一致する。同様に、感情は「主体」の内部性から引きはがされて純粋な外部性の環境に投射されるのであり、この外部性の環境によって思いがけぬ速度と発進(catapulte;引用者注)力を与えられるのである。愛情にせよ憎悪にせよ、それはもはや感情ではなく情動なのだ。しかもこうした情動は戦士が〈女性になること〉〈動物になること〉(熊、牝犬)でもある。情動は矢のように身体を貫く。情動は戦争の武器なのだ。情動の脱領土化の速度。ホンブルクの王子やペンテジレアの夢でさえ、戦争機械に属する中継と分岐、すなわち外的連結のシステムによって、外部化されているのである。数々の砕けた円環。

197千手:2009/01/22(木) 23:46:13
つづき
>クライストの全作品を支配するこの外部性という要因は、彼が文学の領域で最初に発明したものであり、時間に新しいリズムを、すなわち緊張または失神、閃光または加速の果てしない継起を与えることになる。緊張とは、「この情動は私には強烈すぎる」という場合であり、閃光とは、「この情動の力が私を運び去る」という場合である。いずれの場合にも、〈自我〉は、一人の登場人物にすぎないのであり、その身ぶりや感動は脱主体化されている。そのために〈自我〉は死ぬかもしれないとしても。いかなる主体的内部性も残存させない、死に物狂いの疾走と凝固した緊張の継起、---これがクライスト独自の方式である。
(河出書房新社)

いかがでしょう?

198千手:2009/02/05(木) 01:31:39
次回の直観音楽録音演奏会の案内
2009年2月22日(日)18時から 京都造形芸術大学陽陽館にて
 「無限に」をやります。
 今回こそ決めたい。
 希望者、ご参加を。

199Pentatonics:2009/02/10(火) 22:15:26
 残念ながらNPOの仕事で東京に行っており、欠席させていただきます。
良きものが生まれますようお祈りいたします。

200千手:2009/02/23(月) 23:19:54
2月22日の録音演奏で、一応2008年度のデモテープづくりを完了します。
次回の直観は3月22日(18時から)京都造形芸大陽陽館にて。
練習演奏会として、少し枠を広げてゆきます。新人参加者歓迎で。
デモCDは近々製作します。
デザインなどを進んで担当してくれる人があったら名乗り出て下さい。

201千手:2009/03/11(水) 12:29:55
二週間ほど前ですが、大井浩明さんからこんな案内が届きました。

●3月10日(火) ソナタ第27番・第28番・第29番《ハンマークラヴィア》、有馬純寿氏による新作
●3月17日(火) ソナタ第30番・第31番・第32番、福井とも子氏による新作
●3月25日(水) リスト編:第9交響曲、ウィンクラー編:大フーガ、野村誠氏による新作等
(すべて京都文化博物館別館ホール、午後6時半開演)

わたしは3月17日の演奏会に行く予定です。
皆さんもどうぞ。

202千手:2009/03/11(水) 12:31:22
以下は上記演奏会についての大井さんの解説です。


>  ベートーヴェンのクラヴィアソナタ、特に中期から後期作品を演奏する際、そこで使われている音域が楽器選択の基準の一つとなります。気まぐれで例外的な「はみ出し」を度外視すれば、《告別》以前は5オクターヴ半に、後期ソナタ6曲は6オクターヴ(CC-c4)に収まります。ただし、《ハンマークラヴィア》第1楽章では、最高音域(c4-f4)が繰り返し用いられるため、作曲当時の楽器を使用するとなると、どうしても都合2台のフォルテピアノが必要となります。

>  3月10日(火)の公演では、イギリス式アクションのジョン・ブロードウッド(1816年ロンドン製)、ならびにウィーン式アクションのマテウス・シュタイン(1820年ウィーン製)を並べ、楽章毎に楽器を換えながら演奏致します。また、「ウィーン(18世紀)vsロンドン(19世紀)」という好カードをより刺激的に味わうために、ベートーヴェン自身によってオーサライズされた「ロンドン初版」(楽章の順序が交換されている)を採用します。恐らく、そこまで酔狂な演出を《ハンマークラヴィア》ソナタに施すのは、世界初の試みになるんじゃないでしょうか。当時の楽器では、いわゆる「ウナ・コルダ」は、まったく別世界の、まさに彼岸の音色とでも喩うべき響きを醸し出しますが、通常の全弦打鍵のトゥッテ・レ・コルデ、その中間状態であるドゥエ・コルデといった「距離感」の変容を、ベートーヴェンが指定した通りに明確に区別出来る点にもご注目下さい。新作を御提供頂く有馬純寿氏は、日本を代表するサウンド・アーティストとして、八面六臂の活躍をなさっておられます。

>  3月17日(火)の第12回公演では、ソナタの最後の3曲を、ジョン・ブロードウッド一台で取り上げます。十数年ぶりに譜面を見ると、以前はいかに「シューマン目線」で解釈していたか、ということに愕然としました。例えば作品109にしても、ロマネスカで開始されるエマヌエル式ファンタジアだと思えば、第1拍を見失うことも無い、という具合です。委嘱作曲家の福井とも子氏との協働作業は、17年目を数えるに到りました。

>  3月26日(水)のオーラス公演では、ベートーヴェンの「即興精神」の結実ともいえる《第九》を後半に据え、その縮図である《カヴァティーナ》→《大フーガ》を前半に配しました。この「即興精神」を足掛かりに新作を書いてくれるのは、「赤のあいのてさん」としても知られる畏友、野村誠氏です。コンサート副題「踊れ!ベートーヴェン Jogetlah! Beethoven(インドネシア語)」は、ガムランと児童合唱のための、不羈奔放な野村作品から採りました。

203千手:2009/03/19(木) 03:00:35
>>201
3月17日の演奏。1816年製のブロードウッドのピアノを使って、一貫して音を一つ一つ優しく、美しく響かせようとしていると感じた。
ソナタ30番ではきゃしゃな楽器だという気がしていたが、31番を聞くとなかなか強い音も出る。
31番は大変な名演奏だったと思う。

204千手:2009/03/23(月) 14:37:57
3月22日の演奏は、
「無限に」「それ」「太陽に向かって帆を上げよ」の三曲。
「それ」も「太陽」をデモ水準の演奏が出来ました。

次回は4月26日(日)18時から京都造形芸術大学陽陽館で。

安定した水準が維持できるようになったので、
今年は外(外部会場)での演奏をしてゆきます。

205毛蟹:2009/03/23(月) 19:00:52
「無限に」(2月22日バージョン)のCDRを聴きました。
千手さんの仰るように録音レベルは若干低めでしたが問題無いと思います。その分タムタムの強打でも音割れは皆無でした。
IMEの演奏水準を示す録音であり、どこに出しても恥かしくないものだと思います(編集でカットするポイントは18分付近もしくは18分30秒付近あるいは17分頃の目の覚めるようなタムタムの強打で終わらせても面白いかと思います。千手さんにお任せします)。
この録音でやっと雲海の上に抜け出た感じがしました。3月22日の演奏は力を抜いて楽しめました(「それ」と「太陽に向かって帆を上げよ」の演奏は2月22日の「無限に」を超えているかもしれません)。
日程が合わずなかなか一緒に演奏できないメンバーの方もぜひ次回は一緒に演りましょう。

206毛蟹:2009/03/31(火) 12:25:27
エントリー183で紹介しましたシュトックハウゼンのライナーノーツをもう一度。

In this way the most vertical music of AUS DEN SIEBEN TAGEN arose as if of its own accord, through my function as playing conductor.The "Intensity",which I at first interpreted as the purely physical one of hammering and sweating, tuned suddenly into a spiritual one,into rhythmic polyphony.

突然「spiritual one」に同調した(tuned)、と述べられています。

音楽というものは(もしかすると他のカテゴリーもそうかもしれませんが)、天岩戸伝説に登場する八百万の神々とアマテラスによる演劇のようなものではないでしょうか。
八百万の神々を演奏者に、アマテラスをリズムに置き換えたというわけです。そうしておいて更に強引に、

音楽とはパトス(演奏者)とゲシュタルト(リズム)による演劇である。

と言いたい欲望に駆られています。パトスについてヴァイツゼッカーは著書「ANONYMA」で次のように定義しています。

「私が何かをしたいという場合、それはその私のしたいことがまだ存在しないという確認を含んでいる。私はすることができるという場合にも、私のできるそのことはまだ存在しないことが含まれている。その他すべてのパトス的言表についても同様である。そこでわれわれはパトス的な言表は非存在者にかかわることを確認できる。一般に言って、パトス的なものとは存在的でないものである。」

またゲシュタルトについては「GESTALT UND ZEIT」で次のように定義しています。

「ゲシュタルト的なものとは、ひとりでに生じてくるもの、否応なくやってくるもの、つまり[われわれが能動的に]求めるものではなく、[受動的に]受け取るものである。」

ついでにこうも言っています。
「ゲシュタルトは、客観的にはもはや存在しないものと客観的にはまだ存在しないものとの、現在における同時性を要求する。つまりゲシュタルトは客観的時間の法則に逆らい、客観的時間の中では無に帰する。」
「自然とはほかでもない、ゲシュタルトのないものをゲシュタルト化するいとなみなのだから。」

パトスはゲシュタルトがどのようにして生じるのか、いつ生じるのか知ることができず、ただ「突然に」受け取る(蒙る)ことしかできないと思われます。

207千手:2009/04/04(土) 05:03:50
4月26日、金沢の人も来てくれるそうです。
ピアノをやっていた人ですが、太鼓の演奏を聞いて、真ん中のきちんと音の出る場所を打っていないことに怒りを覚えていたようです。
その話を聞いて共感したものです。サヌカイトをいろいろ打っていて、石片の全体が丁度響く点というのがあるんですね。
きちんとした奏法というものがやはりある。もっともそれだけではもっと先へは行けない気がするが。

>>206
アマテラスの話、面白い比喩だと思う。

208千手:2009/04/27(月) 14:09:40
4月26日の演奏は、
「下に向かって」、これは今後も続く。


次回は5月10(日)18時から京都造形芸術大学陽陽館で。

209千手:2009/05/15(金) 02:13:12
次回の直観音楽演奏、6月7日(日)18時から、陽陽館。

パワー増強と、曲の指示に厳密に従おうとすることが必要だと感じている。

210千手:2009/05/26(火) 10:49:43
2008年7月13日の「無限に」の演奏ビデオ、DVDを数枚作りました。当日参加者と中川君にはお渡しします。

211千手:2009/05/26(火) 14:09:23
デモテープは2月22日の「無限に」と3月22日の「それ」でいいんでしたね。

212毛蟹:2009/05/28(木) 18:48:24
>>211
>デモテープは2月22日の「無限に」と3月22日の「それ」でいいんでしたね。

はい。お手数ですがよろしくお願いします。

213千手:2009/05/30(土) 16:52:40
>>212
5月27日に編集をして、マスターCDをつくりました。
両方で約一時間。
今日、CD一枚作りました。
これは松平さんにお送りするつもりです。
AMQRを使った高品質版と使わない普通品質版を作ってみようと思います。
感知できるほどの差がないなら、普通品質版で量産してゆきます(20枚ぐらい)。

214千手:2009/06/04(木) 23:31:58
ニールセンさんから次のようなメールが来ました。来月始めに来日するようです。ぜひ一緒に演奏をしましょう。
in July I will come to Japan and I will stay in Kyoto during the first days
of that month, with Kumi and Yu Wakao.

Will you and your intuitive group be there? I hope we could meet!

Maybe the 3. 4.(afternoon) 5. ... could be good days. What do you think,
please?

と思ったけど、7月3−5はちょうど授業で花巻です。
日を変えてもらえないか聞いてみます。

215千手:2009/06/07(日) 18:04:05
ニールセンさんの件、7月8日(水)18時から陽陽館で一緒に演奏をします。

また前日7月7日(火)の夕方から、会って話をしようということになっています。

こぞってご参加を。

216千手:2009/06/08(月) 02:52:01
ニールセンさんから連絡あり。
7日は芦屋に泊まることになったので、7日に会おうと言っていた話は1日に変更できないか、ということです。
1日18時頃京都駅付近でなら行きやすいと伝えましたが、確定はまだです。

8日の演奏は予定通りで変更なしです。

217千手:2009/06/09(火) 00:01:55
ニールセンさんのこと、
結局、まず7月1日にお会いして、
次に7月8日に演奏会をすることになりました。
1日の方の詳細は、アリスさんと連絡をとって、決めてゆきます。
新しい情報はここに書き込みます。


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