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鬼和尚の経典解説まとめ
1
:
避難民のマジレスさん
:2024/06/10(月) 12:44:03 ID:v59RPKQA0
・鬼和尚の経典などの解説をまとめるスレです
・『金剛般若経』の解説はこちらにあります↓
"金剛般若経を読んで実践する"
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1701949889/99-133
2
:
避難民のマジレスさん
:2024/06/10(月) 12:46:06 ID:v59RPKQA0
<法華経解説>
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1629215086/
より以下抜粋
303鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8 2021/11/23(火) 23:45:17.54ID:xVLy3Ngq
法華経とは妙法蓮華経の略なのじゃ。
最初に書かなければならないのは、法華経はお釈迦様の説いたものではないということなのじゃ。
それはもはや完全にわかっているのじゃ。
お釈迦様が涅槃に入ってから何百年もたってから書かれたものなのじゃ。
それ故に欠陥もある経なのじゃ。
その欠陥は法華経だけのものではなく、大乗と自称する全ての経や論にもあるものじゃ。
一例をあげれば女性が成仏できないとか、カーストの肯定とかなのじゃ。
お釈迦様が否定した生まれによる差別を、認めているのじゃ。
それ故に法華経も他の大乗経典も実は真の仏教の経典とはいい難いものじゃ。
法華経はその大乗経典の最高経典である故に、大乗の矛盾や外道の論も総て取り入れられているのじゃ。
そうであるから全く実践には使えないのではないかと言えば、そうでもないのじゃ。
法華経にはさまざまな法も説かれているのじゃ。
実践すれば役に立つ、興味深い法もまた説かれているのじゃ。
例えばふぐの調理人が毒のある肝を注意深く取り除いて上手い料理に仕上げるように、この経典もまたおかしなところを取り除いて注意深く取り扱えば善い法も知れるのじゃ。
それは法が心性に合う者には実に役に立つ恩寵となるじゃろう。
よく研鑽して学び、実践するとよいのじゃ。
3
:
避難民のマジレスさん
:2024/06/11(火) 10:52:12 ID:J2M/fDac0
319鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8 2021/11/25(木) 00:02:25.70ID:bzAqND7q
法華経が大乗にとって重要な経典であるゆえんは、大乗の存在理由そのものが書いてあるからなのじゃ。
法華経に拠って大乗とはなにものであるのか、明らかにされるのじゃ。
そうであるから大乗にとって法華経は最も大事な経典なのじゃ。
更にいえば大乗を全体として知るには先ず法華経をよむのがよいのじゃ。
それから他の大乗経典をよむべきなのじゃ。
そうすれば全体を把握した上で理解もできるのじゃ。
では法華経と三部経の概要を示すのじゃ。
法華経は通常法華三部経として流布しているのじゃ。
無量義経と仏説観普賢菩薩行法経なのじゃ。
無量義経は空と言う単語は使われていないが、空の法をといたものなのじゃ。
金剛経と同じ法も示しているのじゃ。
仏説観普賢菩薩行法経は普賢菩薩の観想と懺悔の法を示しているのじゃ。
密教といまよばれている法と近いものじゃ。
さまざまな法を説いている法華経の性質をよくあらわしていると言えるのじゃ。
4
:
避難民のマジレスさん
:2024/06/12(水) 11:12:26 ID:6xiccWTM0
322鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8 2021/11/25(木) 23:37:37.40ID:bzAqND7q
いよいよ法華経に入るのじゃ。
最初の序章でお釈迦様は前述の無量義経を説き終わって、サマーディにはいったというのじゃ。
周りは菩薩や阿羅漢や天人や弟子達が囲んでいたというのじゃ。
すると地震が起きて、お釈迦様の眉間からいきなり光が放たれたというのじゃ。
その光は東の世界を照らして、そこにある仏国土を照らしたというのじゃ。
その光に拠って遠くの仏国土は周りのみんなによく見えたというのじゃ。
その場に居た弥勒菩薩は不思議に思って文殊菩薩に聞いたのじゃ。
すると文殊菩薩はみんなにこれは自分の昔の経験からみて、お釈迦様が法華経をとく前兆であるといったのじゃ。
次につづくのじゃ。
二章にはいるとお釈迦様はサマーディから立ち上がり、仏陀の智慧はすごいとか自慢したりするのじゃ。
菩薩も知恵者も何人束になってもかなわんとかいうのじゃ。
そんなわしがもっている法門もすごいからみんなにはわからんじゃろうとかいうのじゃ。
しかし勧請されて舎利仏を相手に法華経を説き始めるのじゃ。
それによれば今まで大乗経典で説いてきた声聞乗、辟支仏乗、大乗は実は方便であり、ただ一乗の大乗だけがあるというのじゃ。
ここまでが法華経の最も大事なところなのじゃ。
後は付け足しなのじゃ。
5
:
避難民のマジレスさん
:2024/06/13(木) 13:26:28 ID:gf1zVb5U0
330鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8 2021/11/26(金) 21:36:26.41ID:rYiKB8wl
三章ではお釈迦様が舎利仏に授記をするのじゃ。
それは如来になるという予言なのじゃ。
それを受けて舎利仏は喜び、火宅の比喩を語るのじゃ。
火のついた富豪の家から子供達を助けるために、富豪がいろいろな乗り物で子供達を誘うというのじゃ。
そして火宅から逃れてきた子供達に、実際には一番上等の乗り物を与えるというのじゃ。
それが大乗の喩えであると言うのじゃ。
ここまででいろいろなことがわかるのじゃ。
先ず大乗とはただの法だけでなく、世界観から創作されているということなのじゃ。
大乗の世界観から理解しなくては、ここまででも全くわけがわからないじゃろう。
大乗の世界では如来というものが最も重要なキャラクターなのじゃ。
如来とはただ悟っただけでなく、さまざまな誓願により、大きな力を持つ仏陀なのじゃ。
誓願とは修業する時に、自分はこのような力のある仏になるまで悟りを得ないとか誓うことなのじゃ。
すると悟った時にはその力を得るのじゃ。
例えば阿弥陀如来はいろいろ誓願をしたが、その中に自分の名前をよんで帰依した者達を自分の国土に招待すると誓ったのじゃ。
そのために浄土教のように、多くのものが南無阿弥陀仏と名号を唱えて浄土にいけると信じるようになったのじゃ。
それが如来の誓願による力なのじゃ。
6
:
避難民のマジレスさん
:2024/06/14(金) 11:44:30 ID:d8bAAeKA0
331鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8 2021/11/26(金) 21:36:47.05ID:rYiKB8wl
そして如来は仏の国土をもつというのじゃ。
阿弥陀如来の極楽浄土が一番有名なのじゃ。
お釈迦様も清浄な仏国土をもっているが、凡人にはみえないのじゃ。
その仏国土も誓願により、善い所に作れるというのじゃ。
そのようにただ悟っただけの阿羅漢と、さまざまな力と仏国土を持つ如来は違うものだというのが、今までの大乗の世界観であったのじゃ。
そして如来に成れるのは菩薩だけであり、阿羅漢はなれないというのが今までの大乗の設定だったのじゃ。
菩薩ではない阿羅漢は声聞乗と辟支仏乗の小乗のものとして大乗経典では扱われていたのじゃ。
菩薩乗のものが大乗であり、如来になれるものだというのじゃ。
しかし、その大乗の設定がこの法華経に拠って覆ったのじゃ。
実は全部大乗だというのじゃ。
火宅から子供を誘い出すために、嘘をついた富豪のように、実は阿羅漢のものも如来になれるというのじゃ。
7
:
避難民のマジレスさん
:2024/06/15(土) 12:47:43 ID:xTFn.B2A0
345鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8 2021/11/27(土) 23:42:43.30ID:Gblw97Oj
如来と、阿羅漢としてただ悟っただけの者とはどのように違うのかと疑問がわくじゃろう。
如来は一つの国に一人だけ表れ、その国の全ての衆生を教化する絶対的な存在であるのじゃ。
悟った者は国に何人も居て、人に教えないものもいると従来の大乗では説くのじゃ。
如来は大乗仏教のスーパースターなのじゃ。
他の宗教の神にも等しいほとんど全知全能にも等しい存在なのじゃ。
法華経では更に神格化が進んで行くのじゃ。
大乗は創作されたものであるが、このように如来が多くの衆生を教化するという思想は見習うべきなのじゃ。
悟った者は自分はもはや安楽で、観念も無いから他人に教えることは無意味と知るのじゃ。
それで教化にも不熱心だったりするのじゃ。
お釈迦様でさえ、最初は衆生に教えるより速やかに涅槃にいこうとしたからのう。
大乗で修業したはずの後の禅僧でさえ、悟った後に何も教えず終えたものも居ると言うのじゃ。
大乗がこのように如来という存在を前面に出して、一切衆生を教化すべきであるというのは善い事なのじゃ。
それで仏教も広まるのじゃ。
例えば貧乏寺で毎日乞食行をしなければ食えないような多くの僧も、いつかはわしも如来になれるという希望で修業と教化を続けたじゃろう。
それが大乗の存在理由であり、法華経の意義であると言えるのじゃ。
8
:
避難民のマジレスさん
:2024/06/16(日) 11:56:32 ID:ewn5BFxM0
354鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8 2021/11/28(日) 23:42:51.60ID:czxftx85
三章までの本旨が終わったら、もはや付けたしなのじゃ。
四章では須菩提長老たちが、旅に出ていた金持ちの子供が帰宅した比喩を語るのじゃ。
阿羅漢の自分たちも如来になれるとはありがたやと感涙するのじゃ。
五章ではお釈迦様が薬草の比喩を語って、一つの教えも受ける側の性質で異なるとかいうのじゃ。
それで一乗も三乗で説いたというのじゃ。
そして六章では阿羅漢の長老たちがいずれは如来になれると授記をするのじゃ。
七章でお釈迦様は大昔は大通智如来の弟子であったと説いて、化城の比喩を告げるのじゃ。
旅をする商人たちが疲れたら、仮説の城を作って休ませるというのじゃ。
疲れが取れたらまた目的地にまで旅をするのじゃ。
そのように阿羅漢も旅の途中の仮設された城のようなものというのじゃ。
更に如来の境地を目指すべきだというのじゃ。
八章から十章まで五百羅漢や、まだ修行中の者達までいずれは如来になれると授記をするのじゃ。
もはや授記の大安売りなのじゃ。
9
:
避難民のマジレスさん
:2024/06/17(月) 08:43:24 ID:ouTASc2s0
356鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8 2021/11/29(月) 23:28:15.93ID:iX+2BEhg
11章では多宝塔というものが出現するのじゃ。
それには多宝如来が入っていたのじゃ。
お釈迦様が法華経をといたことを賞賛したのじゃ。
多宝如来とは大昔の如来なのじゃ。
将来、どこかの如来が法華経を説いたら、それを賞賛するために出現すると誓ったのじゃ。
そうであるからお釈迦様が法華経を説いたら出現したのじゃ。
それは後に如来の寿命が無限に近いことを示すための伏線なのじゃ。
12章ではダイバダッタでさえ将来は如来になると、授記されるのじゃ。
更に龍王の娘も男になって授記されるのじゃ。
女子のままでは如来になれないからというのじゃ。
そこに大乗の差別体質が現われているのじゃ。
10
:
避難民のマジレスさん
:2024/06/18(火) 12:33:16 ID:/YPbD9fQ0
358鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8 2021/11/30(火) 23:44:29.74ID:MjW2deVS
13章では法華経を護持することの勧めが書かれているのじゃ。
そして14章では法華経を護持するためにはどのようにするのか示されるのじゃ。
ここで犯罪者とセンダラに近づいてはいかんとかいうのじゃ。
センダラとは漁師とかの階級なのじゃ。
カーストなのじゃ。
法華経にはカーストの差別が残っているのじゃ。
それは大乗にヒンドゥー教の影響が有るからなのじゃ。
お釈迦様の教えではないから、そのような差別も残っているのじゃ。
お釈迦様はカーストを否定したのであるから差別はないのじゃ。
比丘尼にも修業をさせて悟った者もいるから女子も悟れるのじゃ。
大乗といいながら、実は女子とかカーストへの差別が残っているのが法華経なのじゃ。
実際には大いなる乗ものではないのじゃ。
むしろ差別をする大乗が賎しい乗り物なのじゃ。
そのような害毒を捨て去って大乗も理解すると善いのじゃ。
11
:
避難民のマジレスさん
:2024/06/19(水) 13:03:30 ID:gqACcHwQ0
361鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8 2021/12/01(水) 23:37:35.25ID:tTW70SAj
15章ではいきなり地面が割れて多数の菩薩があらわれるのじゃ。
それらは全てお釈迦様の弟子だというのじゃ。
地湧の菩薩というのじゃ。
それを見て弥勒は疑問に思うのじゃ。
お釈迦様はいつこんなに多くの菩薩を教化したのかと。
16章ではそれにお釈迦様が答えて、実はわしはもっと長く生きているのじゃというのじゃ。
衆生に実践させるために涅槃を仮に現しているだけで、寿命は無限に近くあるのだというのじゃ。
無量の寿命があるというのじゃ。
如来の神格化なのじゃ。
12
:
避難民のマジレスさん
:2024/06/20(木) 13:09:05 ID:6l8cgHy20
367鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8 2021/12/02(木) 21:55:32.26ID:5/orZ4S1
17章から19章にかけて、お釈迦様の無量の寿命と、法華経を護持することの功徳が語られるのじゃ。
法華経を護持するだけでもものすごい功徳があるというのじゃ。
修業しないでも神通力を得たりするとまで言うのじゃ。
それも宣伝のために記してあるだけなのじゃ。
実際はそのようなことはないのじゃ。
ただの宣伝文句なのじゃ。
この宣伝のために多くの者が騙されたのじゃ。
日蓮もこれに騙されて法華経に帰依する題目を唱えれば成仏できるとか、衆生に教えてしまったのじゃ。
実際にはそれだけで仏になれる筈も無いのじゃ。
信じたぶんだけ病が治ったりするだけなのじゃ。
いわしの頭を信じたものと同じ程度の信仰の力なのじゃ。
13
:
避難民のマジレスさん
:2024/06/21(金) 12:22:42 ID:Y/V2l3pY0
378鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8 2021/12/03(金) 23:22:56.00ID:hVdd5B9G
20章ではお釈迦様の前世として常不軽菩薩がでてくるのじゃ。
会う人みんなをいずれ仏になるとかいうのじゃ。
全ての者に仏になる性質、仏性があることを示しているのじゃ。
21章ではお釈迦様が神通力をみせるのじゃ。
叫んだり、ゆびぱっちんをすると三千世界に響いたというのじゃ。
それもまた神格化なのじゃ。
22章ではこの経をみんなに依属するというのじゃ。
みんなで広めるのじゃと、たくすのじゃ。
それから後は密教的展開になるのじゃ。
14
:
避難民のマジレスさん
:2024/06/22(土) 13:30:46 ID:.S2lonHs0
390鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8 2021/12/05(日) 00:05:53.85ID:vK3Ur6hS
23章からは菩薩や天人たちが法華経を護持する者を保護するというのじゃ。
空海が法華経を推したのもこの後半の密教的な展開があるからなのじゃ。
法華経を護持していれば菩薩や多くの天人たちをよべるのであるから、密教そのものなのじゃ。
23章では薬王菩薩が保護するというのじゃ。
24章では妙音菩薩が保護するのじゃ。
25章では観世音菩薩が保護するのじゃ。
この章だけをとりあげて観音経といったりするのじゃ。
26章では菩薩や天人、夜叉等の妖怪までもが陀羅尼を唱えればすぐに来て保護するというのじゃ。
これが正に密教の真言と同じなのじゃ。
法華経は実践の法が少ないというが、このような真言の法は実践の法としてあるといえるのじゃ。
27章では妙荘厳王菩薩の因縁が語られるのじゃ。
28章では普賢菩薩の陀羅尼と保護が語られて修了なのじゃ。
全体を俯瞰してみれば法華経は大乗の始末をしたといえるのじゃ。
大乗とは実は方便に過ぎないものであると語られ、一仏乗のみ真実というのじゃ。
如来になる乗り物なのじゃ。
そうであるからには本来、大乗ではなく、仏乗とを説くべきであるのに、未だに大乗と名乗る者が多いのじゃ。
実に実学相違なのじゃ。
仏乗では般若の空の法とか、陀羅尼による集中の法などが使える法なのじゃ。
誓願をして衆生を多く教化すべきであるとするのも善法なのじゃ。
後は捨てて善いのじゃ。
そのように択法して実践すると善いのじゃ。
15
:
避難民のマジレスさん
:2024/06/23(日) 11:59:04 ID:SEe0v4a60
<解説・大乗起信論>
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1627742187/
より抜粋
928:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2022/03/18(金) 21:55:22 ID:1d4drIFg0
大乗起信論とはインドの馬鳴が書いたというが、実際はあやしいのじゃ。
もっと後の行者の著作であると言うのじゃ。
あるいは中国で書かれたとさえいうのじゃ。
誰が書いたものでもよいのじゃ。
仏教徒にとって意義のある文なのじゃ。
論とはいうが実際には大乗仏教の概要のようなものじゃ。
今で言うガイドブックなのじゃ。
簡略に大乗仏教の全容が記されているのじゃ。
最初の章は因縁分、この論を何故書いたのかという動機なのじゃ。
二立義分、大乗の二つの大事な教えなのじゃ。
三は解釋(げしゃく) 分、前章の解釈なのじゃ。
四は修行信心分 大乗の実践法なのじゃ。
五は歡修利益分、大乗を信仰して実践した利益の教えなのじゃ。
16
:
避難民のマジレスさん
:2024/06/24(月) 12:22:58 ID:RzbjLcq20
932:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2022/03/19(土) 23:48:22 ID:1d4drIFg0
因縁分には論を表す八つの動機が書かれているのじゃ。
一 衆生を一切の苦から離れさせて、究竟樂、つまりは悟りを得させるためというのじゃ。
二 如来の教えの根本の意味を解き明かし、衆生に正しく教えるためというのじゃ。
三 善根があり、教えを受ける心根の成熟した者に大乗の道から不退転にするためというのじゃ。
四 善根がまだ小さい者には信心を習わせるためというのじゃ。
五 方便を示して、罪悪業を消して、心を守り、愚かさや傲慢を離れさせるためというのじゃ。
六 止観を習わせ、凡夫や二乗をなくすためというのじゃ。
七 念仏を示して、仏の前に生まれさせて不退転にすためというのじゃ。
八 実践の利益を示して、修業を勧めるためというのじゃ。
なかなか立派な動機であるが、実際には止
(ここで切れていた文章の補足↓)
292:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2024/04/04(木) 23:13:12 ID:Z.v0H0mA0
>>289
そうじゃったか。
実際には止観の観察はすでにわからなくなっていたようじゃ。
もはや苦を滅することもできなかったのじゃ。
苦を滅する法は観察によるものであるからのう。
(
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1707228061/292
より)
17
:
避難民のマジレスさん
:2024/06/25(火) 11:51:48 ID:uwdfyntA0
945:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2022/03/21(月) 22:45:11 ID:1d4drIFg0
昔の論文には読む者の疑問を想定して、問答が書かれていたりするのじゃ。
今で言うQ&Aじゃな。
質問者は、仏教の法は経典に書かれているのに、なぜ今又このような論を表すのか聞いたのじゃ。
著者は答えてお釈迦様が居た時は修業者も賢い者達ばかりであり、説法する方も心身が優れていて、
説法も優れてみんな理解できたというのじゃ。
そうであるから論も表さなくてよかったのじゃ。
今の者は自力で広く聞いて解るも者もあり、少し聞いただけで解るものもあり、
或いは自力ではわからないが、多くの者達が論争してわかるものがあり、
或いは覚えていることは少ないが、意味を考えて解るものもいるのじゃ。
このように、如来の法の広大な意味を集めて理解する者もいるから論を説くというのじゃ。
18
:
避難民のマジレスさん
:2024/06/26(水) 10:47:45 ID:UjW1dXDc0
948:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2022/03/22(火) 23:42:14 ID:1d4drIFg0
大乗には二つの説法の方法があると言うのじゃ。
一つは法であり、
二つは義なのじゃ。
その法とは衆生の心だというのじゃ。
全ての法は世間の法も仏教の法も、心で行われるからなのじゃ。
その心で大乗もまた実践されるのじゃ。
なぜならばその衆生の心には最初から真如が宿っているからというのじゃ。
それこそが大乗の本体を示すものなのじゃ。
その心の生滅因縁の相は、大乗の自体と相用を示すというのじゃ。
二つ目の義には三種あるというのじゃ。
一つ目は体大、一切法は真如平等にして増減しないからというのじゃ。
二つ目は相大、如来蔵は無量の功徳をもっているからというのじゃ。
三つ目は用の大、世間と修業においてよい因果を生ずるからというのじゃ。
このように大乗の法は諸仏の本来の乗り物であるから、諸仏は皆大乗で如来になったというのじゃ。
19
:
避難民のマジレスさん
:2024/06/27(木) 10:41:07 ID:GMus6Hts0
949:鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2022/03/22(火) 23:42:59 ID:1d4drIFg0
真如とは涅槃であり、仏性であり、オショーのワンネスでもあり、わしがいう不死の意識でもあるものじゃ。
それは本来衆生の心の中にあるものじゃ。
それを説き明かすのが大乗の法の本体だというのじゃ。
仏になれる性質や、目覚めて至る如来の境地とは、本来悟っていない衆生の心の中にあるものじゃ。
目覚めるとか、仏陀になるということは何か人間ではない別の者になるということではなく、むしろ本来の人間のありように還って行くこととも言えるのじゃ。
そうであるから自分は仏陀になれないのではないかとか、思う必要は無いのじゃ。
衆生は本来仏陀なのじゃ。
このようなことは確かに今までの仏教では説いて来なかったことなのじゃ。
お釈迦様も毒矢の例えで説いた通り、仏教には論はなく、ただ実践によって知ればよいという説き方だったのじゃ。
それでは理解できず実践も出来ないもののために大乗は真如を説いたと言えるのじゃ。
それこそが大乗の本体であり、真髄といえるのじゃ。
そして大乗の存在意義も、衆生の心にこの真如があり、衆生本来仏であると説き明かすことにあると言えるのじゃ。
そうであるからこれからもこの真如はこの論文の至る所に出てくるのじゃ。
宝珠の例えとか、海と波の例えとか、いろいろに例えても説いているのじゃ。
それを知れば大乗起信論を読む意義もあったと言えるのじゃ。
20
:
避難民のマジレスさん
:2024/06/28(金) 12:21:24 ID:jrsIXXHY0
<解説・浄土三部経>
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/psy/1639295737/
より抜粋
782 :鬼和尚 :2021/12/17(金) 21:56:52.44 ID:GBRRuT82.net
今回は浄土三部経について話すのじゃ。
浄土三部経とは「無量寿経」「観無量寿経」「阿弥陀経」の三つの大乗経典を指していうのじゃ。
三つとも阿弥陀如来と、その仏国土である安楽国、いわゆる極楽浄土の話であるから同じ教えとしてまとめるのじゃ。
この三つの経典が浄土宗や浄土真宗では根本経典として奉じられているのじゃ。
お釈迦様が西方の阿弥陀如来について説いたというのじゃ。
しかし、実際には後世に作られた偽典なのじゃ。
お釈迦様はこの三部経を説いていないのじゃ。
お釈迦様の縁起の観察はないのじゃ。
大乗仏典には大抵載っている空の法さえも説かれていないのじゃ。
ただひたすらに阿弥陀如来と浄土の話だけなのじゃ。
そうであるから法として使えないということもないのじゃ。
極楽浄土と阿弥陀如来を観想する法として実用性があると言えるのじゃ。
それは集中の役に立つのじゃ。
密教で行われる神仏の観想と同じなのじゃ。
ただひたすらに阿弥陀如来と浄土をイメージすることで集中し、サマーディに入るための法なのじゃ。
密教に近い法なのじゃ。
実際に日本でも覚鑁が密教に組み入れたりしたのじゃ。
チベット密教でも阿弥陀如来の極楽浄土を観想する法が在るのじゃ。
密教的な法の教えといえるのじゃ。
特に「観無量寿経」では実際に観想する手順も説かれているのじゃ。
最初は夕日を観想して、ありありと見えるようになったら浄土を観想するようにと、詳しく説明されているのじゃ。
無量寿経、阿弥陀経もそのための解説といえるのじゃ。
この三部経によって日々実践に勤めるならば、サマーディも訪れるじゃろう。
それがこの三部経の存在理由であり、正しい使い方といえるのじゃ。
21
:
避難民のマジレスさん
:2024/06/29(土) 16:41:28 ID:ghx06BfQ0
824 :鬼和尚 :2021/12/18(土) 23:27:17.97 ID:I3f/KtXi.net[2/3]
浄土三部経の最初は阿弥陀経についてなのじゃ。
この経典では阿弥陀如来の由来が語られているのじゃ。
阿弥陀如来は前世では法蔵菩薩といい、大乗仏教の修業をしていたというのじゃ。
その時に有名な四十八の誓願を立てたというのじゃ。
それには自分が極楽といえる仏国土を持つ他に、その地に生まれる衆生にさまざまな恩典が受けられるようにという誓願が在るのじゃ。
その中で特に後世に大きな影響を与えたのが、自分の称号を十回念じたら、この極楽浄土に生まれ変われるようにするというものなのじゃ。
この誓願のためにどこに生まれた者でも、阿弥陀如来の称号を十回念じたら、極楽浄土に生まれかわれるという信仰が生まれたのじゃ。
お釈迦様が説いた法では嘘をついたら地獄行きなのじゃ。
よい所に生まれるためには嘘をつかず、ひたすら善事を積まなくてはいかんのじゃ。
これでは俗世間ではなかなか厳しい条件といえるのじゃ。
それに比べてこの阿弥陀経ではただ十回念じるだけで極楽にいけるというのじゃ。
かなり条件が緩和されているのじゃ。
それがために浄土信仰がチベットから中国、日本にまで広まったのじゃ。
しかし、この誓願には条件があったのじゃ。
五逆の者と正法を誹謗した者は除くというのじゃ。
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