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鬼和尚の仏教講読会 別館2

1避難民のマジレスさん:2020/09/21(月) 19:36:15 ID:WJISoscI0
前々スレ:https://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/
前スレ:https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1539697204/l50

現在:狂雲集(一休宗純)講読会・開催中であります。

751避難民のマジレスさん:2021/09/06(月) 00:10:39 ID:q09fDcSk0
くま訳改
第三句:その字脚などは客の盃に写った弓影と見るのだ。
第四句:そうでなければ生身で矢の様に早く地獄行きなのだ。
(´・(ェ)・`)b

752避難民のマジレスさん:2021/09/06(月) 20:40:11 ID:wYm5/Zhk0
くま訳(750)訂正
第4句:そうでなければ生身で矢の様に早く地獄行きなのじゃ。→削除→詩ごころとしては、一晩が十年の 
    様に感じられるような、話である
(´・(ェ)・`)b

753鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/09/07(火) 22:48:43 ID:1d4drIFg0
大体そんな感じじゃな。

 黄檗の棒を三頓なのじゃ。

 棒で修業中の僧の頭を打つのじゃ。
 痛い所に針を押すような絶技能なのじゃ。
 あたかも桃李の春に閨の簾外の月を見て
 吟魂する一夜をてらす十年の燈のようじゃ。

754避難民のマジレスさん:2021/09/08(水) 00:08:42 ID:/.kdcULo0
522 
賛法然上人   法然上人を賛す
法然傳聞活如來 法然傳へ聞く活如來
安坐蓮花上品臺 安坐す蓮花上ほん台
教智者如尼入道 智者をしてに入道の如くならしむ
一枚起請最奇哉 一枚の起請最も奇なるかな

大角修先生のブログ 訳
法然上人は生き仏だったと伝え聞き、
今は極楽の蓮華の最上席に坐しておられる。
学僧でも在家・無知の人のようであれという
一向念仏の一枚起請文は
まったく奇跡のような書である。

くま訳
法然上人を賛す
法然は生き仏であったとの伝説である。
極楽の蓮華の花の最上台に安坐してるらしい。
教える立場の智者も、在家の尼さんのよな愚鈍なものと自覚しなければならないそうだ。
一枚起請とは最も奇なる文章である。

*法然(1133-1212)は、平安時代末期から鎌倉時代初期、はじめ山門(比叡山)で天台宗の教学を学び、 
 1175年)、専ら阿弥陀仏の誓いを信じ「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えれば、死後は平等に往生できると 
 いう専修念仏の教えを説き、のちに浄土宗の開祖と仰がれた。
*尼入道: 在家のまま髪を剃って仏門に入った女性。尼女房。
 ※一枚起請文「たとひ一代の法を能々学すとも、一文不知の愚どんの身になして、尼入道の無知のともが
 らに同して、智者のふるまひをせずして」
*一枚起請文:法然の作。念仏の要義を1枚の紙に平易な文章で書き,釈迦・弥陀に偽りのないことを誓っ 
 た文。〈一枚消息〉ともいう。1212年,つねに法然のもとで仕えてきた源智が,師の命終が近いことを
 知り,没後に門人たちの間で異義の生じることを恐れ,浄土宗の安心起行(あんじんきぎよう)の肝要を 
 懇望したので,法然がこれに応じてみずからしたため源智に授与した。浄土宗では法然の遺訓として最も
 尊重する。京都の金戒光明寺に真筆と伝えるものを襲蔵する。
(´・(ェ)・`)つ

755避難民のマジレスさん:2021/09/08(水) 00:11:31 ID:pxS9a12E0
*750のおまけ
サワラ君の日誌 「漢詩名句400選」(有岡 しゅん崖 編著者/東京堂出版)より選句
黄庭堅(こうていけん) 寄黄機復 黄機復(こうきふく)に寄する
我居北海君南海 我 北海に居り 君 南海  
寄雁伝書謝不能 雁に寄せて書を伝うる能(あた)わざるを謝す  
桃李春風一杯酒 桃李 春風 一杯の酒  
江湖夜雨十年燈 江湖 夜雨  十年の灯(ともしび)   
持家但有四立壁 家を持するに但だ四立の壁有り  
治病不蘄三折肱 病を治すに三たび肱(ひじ)を折るを蘄(もと)めず  
想得読書頭已白 想(おも)い得たり書を読んで頭(こうべ)已に白く  
隔渓猿哭瘴煙藤 渓(たに)を隔て 猿は哭く  瘴煙の藤  

わたしは北海におり君は南海
雁に便りを頼んでも断わられるだろう
桃李の花の下で 春風に吹かれて一杯の酒

江湖の夜雨 別れて以来十年の灯火
家にはただ四方に壁があるだけ
いまさら苦労して成功しようとは思わず

思うに君は読書に励みながら白髪になっていようか

谷を隔てて猿が啼いていることだろう 毒気のある谷の藤葛


くま質問
 「あたかも桃李の春に閨の簾外の月を見て
  吟魂する一夜をてらす十年の燈のようじゃ。」
 とは、
 「あたかも、桃李の花の下で遊里の閨の窓外に月を見て
  詩情を誘われた一夜を照らした月明かり、あれからもう十年も経ってしまったようだ。」
 みたいな訳でよいのでありましょうか?

これは、悟りを得る切っ掛けを得た事態から、もう十年も経った、みたいな意味でありましょうか?
(´・(ェ)・`)b

756鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/09/08(水) 23:10:11 ID:1d4drIFg0
↑ それは黄檗の賛であるからのう。
 黄檗は十年法灯を守り、一撃で修行者に悟りを得させたという意味じゃな。
 それはあたかも一夜の楽しみは、十年間照らし続けた燈明のおかげであるが如しというのじゃ。
 黄檗が十年法灯を守り続けた故に、僧も悟りを得たというのじゃ。

757鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/09/08(水) 23:17:38 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

 法然の賛なのじゃ。

 法然は活きた如来と伝聞されているのじゃ。
 蓮華の上品の台に座すのじゃ。
 智者を教えて尼入道の如くするのじゃ。
 一枚起請は最も奇とすべきものなのじゃ。

758避難民のマジレスさん:2021/09/08(水) 23:50:14 ID:BZf28ne.0
くま質問
「智者を教えて尼入道の如くする」とは、どのように理解すればよいのでありましょうか?

523
貴人財     貴人の財
龐老棄錢誰擧楊 ほう老ぜにをすつ誰かこ楊す
曾撞玉斗亦何妨 かつて玉斗をつくもまた何ぞ妨げん
庭有梅花窓有月 庭に梅花有り窓に月有り
鐵檠紙帳五更霜 鉄けい紙帳五更の霜

くま訳
貴人にとっての財
ホウ老が銭を棄てて、誰が拍手喝采するのだろうか?
わしは、宝石をちりばめた柄杓で、酒を飲んだりしていたが、何か問題になるであろうか?
庭に梅あり、窓に月あり。
鉄の燈火台、紙のかや、風流な道具立ての部屋、明け方の霜

*龐居士:150(https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1539697204/ >>919
 309(http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1600684575/ >>259
     395(http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1600684575/ >>458
 の詩 参 元曲(元代に隆盛した雑劇と散曲を総称したもの。)「来生債」参
*挙揚:賞賛をするために演技の後で拍手をするまたは声を張り上げる 誉め讃える
*玉斗:斗は酒を酌む七杓の類なり。それを玉を以って作れるものをいふ。史記の項羽本紀に「玉斗一叟亞 
 父に與へんと欲す」と。(大成脚注)
*鐵檠:燈火の臺架をいふ。。
*紙帳:紙で作ったかや(防寒具にも用いた)
(´・(ェ)・`)つ

759避難民のマジレスさん:2021/09/08(水) 23:55:15 ID:BZf28ne.0
*おまけ「来生債」の内容。 『有福詩人』と元曲「来生債」 徳田武先生 より抜粋
〔楔子〕襄陽の李孝先は商人となろうとしたが、元手を欠いているので、龐居士に二個の銀を借りて商売を
する。が、元手も利息もすってしまい、借金を返せない。彼は県の役所で負債人を拷問して追徴していると
ころを見、自分もそうされるかと苦にして、病んで寝込んでしまう。
 龐蘊は・・・娘は霊兆。・・・霊兆は善知識たちからその聡明と仏性の明らかなることを保証されている。
龐居士は大金持で、友人の李孝先が彼に返すべき元手と利息は銀四個になっている。龐は行銭(雑役の用人)
をつれて、李孝先の様子を見に訪れる。
 龐は李孝先から、借金を返せないので官から追徴されるかと苦にして病気になったことを聞き、「我当初
本做善事来。誰想倒做了冤業。」(私は元来善い事をしようとしたのであって、どうして人を苦しめる事を
しようなどと思ったろうか。)と考え、李孝先の借金契約書を焼き、その上に二個の銀を与える。李孝先は、
来生では驢にも馬にもなってこの恩を返そうと、厚く感謝する。

*楔子(けっ‐し):1 くさび。かすがい。2 物事の最も重要なところ。

〔第一折〕
 ・・・
 龐は、「大地衆生、皆有仏性。則為這貪財好賄、所以不能成仏作祖」(この世の衆生はいずれも仏性ある
も、・財を貪り賄を好むために仏祖となれない。)と説く。
 龐は行銭に文書を焼かせる。妻下児は、そのわけを問う。ところへ、上界の増福神が秀士曽信実に扮して、
文書を焼くわけを問いに来たる。龐、「業上に業を作(な)さざる」ようにすると答える。曽、「這銭是人之
胆、財是富之苗」(金は人の心の支え、財産は富の基礎)、銭無ければ満腹の文章も貧を済わず、という。龐、
世人は有限の時と身を思わずに富を追求し、貧人や朋友の依頼には相手にならない、我は財布を傾け尽して
人に恵みたい、そして世に隠れて悪業が身にまとうのを免れよう、という。曽、「富与貴人之所欲」(富と
貴とは人の欲する所)、魯褒の「銭神論」にも「危可使安、死可使活、貴可使賤、生可使殺。」(危きも安ら
からしむべく、死も活かしむべく、貴も賤ならしむべく、生も殺さしむべし。)とある、という。龐、銭の
持づに値せぬことを様々にいう。
 曽が帰るに当って、龐は金と馬を与える。曽は決してこれを受けず、二十年後に再会せんと述べて、別れ
る。
 龐は、夕暮になったので、行銭と一緒に香を焚きに廻り、粉ひき小屋に行く。粉ひきの歌を聞き、「心中
必然快活」なる者と思い、呼び出して、定めし楽しかろうと聞く。粉ひきは、労働の大変で苦しいことを説
く。龐は粉ひきの負担を取り除くこととし、また「自今日為始、蒋這粉傍油房磨房都与我関閉了者、再休要
開。」(今日より粉小屋・油小屋・磨(ひ)き小屋をすべて閉じて、二度と開くまい。)と定める。粉ひき、そ
れでは仕事が無くなって、凍死か餓死かしてしまうという。龐、粉ひきに銀を与える。龐は、粉ひきへの報
恩として銀を与えたのであり、龐が願うのは「善縁を結ぶ」こと、である。


粉ひきは、銀を懐中にしっかと押しこみ、「誰知道我懐裏有銀子。」(俺が懐に銀を持っていることを知る
者はいない。)といって、寝る。が、夢に、大道でスリに銀を取られる様を見、眼を覚す。今度は「竈窩
(そうか・かまど)」中に銀を慝し、「誰知道竈窩裏有銀子」(カマドに銀があることはわかるまい。)とい
い、眠る。また、火事の夢を見て、眼を覚す。今度は「水鵠」の中に銀を悪し、「誰知道水短裏布銀子」と
いって、眠る。しかしまたもや洪水の夢を見て醒め、今度は「門限児」の下に銀を慝して眠る。「他怎麼
知道我門限児底下、埋着這銀子。」(敷居の下に銀が埋めてあることは知れまい。)と思うが、夢に賊来って
自分を砍るを見、眼をさます。
 粉ひきは、大金を持つ福分が自分には与えられてないことを悟り、銀を龐居士に返しに行く。「我那命裏
則有分簸麦揀麦淘麦、打羅磨麺。我可也消受不的這個銀子罷。」(俺は麦を簸(ひ)いたり選んだりより分け
たりし、麦粉をふるったり挽いたりするのが分なんだ。俺にはこの銀は使いこなせないのさ。)というのが
粉ひきの感慨である。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

760避難民のマジレスさん:2021/09/08(水) 23:56:16 ID:BZf28ne.0
〔第二折〕
 龐・下児・霊兆.鳳毛・行銭登場。龐居士、仏道は自ら修めて自ら得るものであると説く。また、貧人に
施与するのは自分だけだ、と唱う。
 そこへ、粉ひきが銀を返しに来る。龐居士は「這銀子呵原来分定也是前生注」(銀というものは前生に分
が定められているのか。)と嘆ずる。そして、一両の銀子を粉ひきに与えようとするが、粉ひきは受け取ら
ず、商売しに行く。龐居士は、後槽(厩)に行く。中では驢・馬・牛が話している。馬は、前生で十五両を龐
に返さなかったため、馬となって労働し返債している。驢と牛も同じ事情である。これを聞いた龐居士は驚
いて、「我当初本做善事来。誰想弄巧成拙。兀的不都放做来生債也。」(私は元来恵みを施そうとしたのに、
意外にも善かれと思ってしたことが悪しくなって、すべて来生までの負債を与えてしまった。)という。そ
して、文書を焼いて、もう人に銭を惜し与えない決心をする。龐居士の願いは「一世児清聞」(この世の静
謐)を得ることだけである。妻は強く焼かないように注告する。龐居士は、奴僕にすべて従良(解放)の文書
と二十両の銀を与えて自分の家に帰させ、家畜を鹿門山に放たせ、家財を海に沈めさせようとする。妻は子
供の将来を思って、強く反対する。が、龐居士は、家を放棄する決意を変えない。
〔第三折〕
 東海竜王、水卒をつれて出で、龐居士の船の来たるを待つ。龐居士、下児・霊兆・鳳毛・行銭と共に財宝
を積んだ船を東海に沈めに来る。その行為は「世人重金宝、我愛刹那静、金多乱人心、静見真如性」(世人
は金宝を重んずるも、我は刹那(このよ)の静なるを愛す、金多ければ人心を乱すも、静は真如の性を見(あ
らは)す。)という考え方に基づく。
 が、船は沈まない。龐居士は行銭に船底に穴をあけさせるも、なお船は沈まぬ。
 天使は東海竜王に命じて、龐居士の家財をすべて竜宮海蔵に収め入れさせる一天にわかにかき曇り、雷鳴
とどろき、船は沈む。
 龐居士は妻に、自分には笊籬(ざる)を編む腕がある、一日に十把の笊籬を編んで、それを霊兆に売らせて、
生計を立てようという。
〔第四折〕
丹霞禅師(嚢陽の雲岩寺の長老)は、毎日、寺に笊籬を売りに来る霊兆を気に入っていて、それを沢山買って
いる。この日、禅師は霊兆にちょっかいを出して、霊兆に逃げられる。ために禅師は、笊籬を買わなかった
ので、霊兆のために一百文を落としておく。霊兆はこれを見つけ、思案のあげく、銭を拾い、そのかわりに
十把の旅籠を代償として置いておく。
 龐、下児・鳳毛登場。霊兆は父親に一百文と笊籬をとり換えたことを報告する。青衣童子が彼らを迎えに
来、彼らは兜率宮霊虚殿に到り、石洞門に入る。そこに註禄神が現れる。それは生前の李孝先が変じた神で
ある。註禄神は増福神を引き合わせる。これは、曽信実が変じた神。増福神は、龐居士が今日「功成行満、
証果朝元」(功成り修行も終えて、神仙に昇る。)ことを告げる。曽信実が二十年後に再会しようと述べた言
葉は、ここに果たされた。龐居士は上界の賓陀羅尊者、.下児は上界の執幡羅刹女、鳳毛は善才童子にそれ
ぞれなり、霊兆は特にまさって南海普陀落伽山七珍八宝寺の自在観音菩薩となる。
龐鹿居士は「人世官員(このよのやくにん)」に「莫恋浮銭、只将那好事常行、管教你一個々得道成仙。」
(はかない金を求めずに、ひたすら善事を行うならば、必ずすべての者が道を得て仙とならん。)と勧める。

(´・(ェ)・`)
(おわり)

761鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/09/09(木) 23:40:02 ID:1d4drIFg0
>>758 法然は浄土教の者であったからのう。
 賢い者に念仏を教えて男女を尼や僧のようにしたということじゃな。

762鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/09/09(木) 23:44:30 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

 貴人の財というのじゃ。

 ?居士は銭を捨てたが誰が誉め讃えたじやろうか。
 かつては玉杯で酒を飲んだが何の妨げになったじゃろうか。
 庭に梅花あり、窓には月が在るのじゃ。
 鉄の燈火台に紙の蚊帳、明けに霜がおりるのじゃ。

763避難民のマジレスさん:2021/09/10(金) 07:17:00 ID:gNt.YYHs0
くま訳改
第二句:かつては玉杯で酒を飲んだが何の妨げになっただろうか。

524
松窓 齋名   しょうそう 齋めい 
茅廬竹閣與難窮 ばうろ竹閣興きわまりがたし                                     
臨濟栽來功不空 臨濟うゑ来たって功むなしからず
枕上愧慚有閑夢 枕上愧慚す閑夢有るを                                                                                                    
夜來驚起屋頭風 夜來驚起す屋頭の風

くま訳
松窓 齋名 
萱葺き屋根の竹閣の住まいの楽しみは、窮め尽くせないのである。
臨濟が遺した功績は偉大である。
夜寝ていて夢を見てしまうことは、恥じ入るばかりである。
夜来、屋根の上を吹きぬける風音に驚き飛び起きてしまうのである。

*茅廬(ぼうろ):茅葺(かやぶ)き屋根の家。粗末な家。転じて、自分の家をへりくだっていう語。
*竹閣:竹で作った建物
*臨済栽松、         師、松を栽うる           
 次黄檗曰、深山裏栽許多松、 次(つ)いで、黄檗問う、「深山裏に許多(そこばく)を栽えて、
 作甚麽、          什麼(なに)をか作(なさ)ん」。
 師曰、一与山門作境致、   師云く、「一つには、山門の与(ため)に境致と作(な)し、
 二与後人作標膀、      二つには、後人(こうじん)の与(ため)に標榜と作(な)さん」。
 道了将钁頭墾地三下、    道(い)い了わって、钁頭(かくとう)を将(もっ)て地を打つこと三下す。 
 檗曰、           黄檗云く、
 雖然如是子己喫吾三十棒了也、「然(しか)も是(かく)の如くなりと雖も、子(なんじ)已に吾が三十棒を喫  
               し了われり」。
 師又墾地三下、嘘一嘘、   師、又钁頭を以て地を打つこと三下し、嘘嘘(きょきょ)の声を作す。
 檗曰、吾宗到汝大与於也。  黄檗云く、「吾が宗、汝に到って大いに世に興らん」。』

 萬福寺住職 福場宗康和尚訳
 ある時、臨済禅師が境内に松の木を植えていると、
 師匠の黄檗禅師が来て言いました。「こんな山奥に松を植えて、
 どうするつもりか」。
 臨済禅師は、「第一には寺の境内の景観をよくするため。
 第二には後の修行者がこの松を見て、松を植えた私の心を感じて、自分の生き方の糧としてくれたら」。
 と返答して、鍬で土を三度掘り起こしました。
 そこで黄檗禅師は追い打ちをかけます。
 「なるほど、そういうことか。だが境内に松など植えたところで、それがどうだというのだ」。
 しかし、臨済禅師の態度は変らず、また鍬を三度振り下ろすと大きく息を吐きました。
 黄檗禅師は、鍬をとって黙々と仕事に励む臨済禅師の姿を見て、
 「我が宗門は、おまえの代で大いに興隆するだろう」。と言い残されたそうです。
(´・(ェ)・`)つ

764鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/09/10(金) 23:01:32 ID:1d4drIFg0
 それでよいのじゃ。

 松窓の齋名なのじゃ。

 茅廬竹閣の興は極めがたいのじゃ。
 臨済が植え来たってその功は空しくないのじゃ。
 閑にあかせて夢ばかり見ているのを枕上に恥じるのじゃ。
 夜来、屋根にふく風に驚いておきるのじゃ。

765避難民のマジレスさん:2021/09/10(金) 23:27:52 ID:0ulgyI.g0
くま質問
 「閑にあかせて夢ばかり見ているのを枕上に恥じる」とは、ありのままを観ることをせず、妄想に耽るこ
とでは、悟りには至らない、みたいな事を言おうとしてるのでありましょうか?

525
讓羽山新剏一寺  讓羽山に新に一寺をはじむ
山名虚堂寺扁大燈 さんをき堂寺と名づけ、大燈と扁す、 
因述一偈     因って一偈をのぶ

茅屋三間起七堂 ぼうおく三けん七堂を起こす
狂雲風外我封疆 狂雲風外我がほうきょう
夜深室内無人伴 夜深うして室内人の伴ふ無し
一盞殘燈秋點長 一さんの殘燈秋點長し

柳田聖山先生訳
虚堂山大灯寺
わずか三間の茅葺の小屋を建て、七堂伽藍とし、
これを世捨て人、狂雲子の住む別天地とした。 
夜が更けても、この住いに自分以外は居ない。
燭台の残り火が秋の夜長を照らすのみなのだ。

くま訳
讓羽山に新しく一寺を始めたのである。
山名を虚堂寺、扁大燈と扁したのである。
因って一偈を以って述べるのである。

茅葺屋根の間口三間(約5.5m)の寺院である。
野宿暮らしの狂雲の住処としたのだ。
夜更けて、室内にはわししかいないのだ。
残灯の下で、一人で一杯飲む、秋の夜長である。

*七堂:七堂伽藍(しちどうがらん)伽藍はサンスクリット語 saṃghārāmaの音写である僧伽藍の略。イン
 ド本来の意味は,修行者たちが住する園林のことであるが,中国,日本では一般に僧侶の住む寺院堂舎の
 称。後世,一つの伽藍には7種の建物を備えなければならないとし,これを七堂伽藍という。
*一盞(イッサン):① 一つのさかずきや皿。② 一杯の水や酒。また、それを飲むこと。軽い飲酒。
(´・(ェ)・`)つ

766鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/09/11(土) 23:40:32 ID:1d4drIFg0
↑そのようなことじゃな。
 作務も禅では立派な修業だというのじゃ。
 怠けていてはいかんのじゃ。

 それでよいのじゃ。

 山に新しい寺を作って一偈をのべるのじゃな。

 三間の茅屋を起こして七堂となすのじゃ。
 わしが風をよける家とするのじゃ。
 深夜になれば誰もいないのじゃ。
 一杯飲んで秋の長夜を残灯が照らすのをみるのみなのじゃ。

767避難民のマジレスさん:2021/09/11(土) 23:51:12 ID:BIGPSRTI0
526
聾       ろう
掛拂遭呵百錬金 ほつをかけてかせらる百錬の金
天生懐海耳根深 天生ゑ海じこん深し
眞聞眞箇在何處 眞聞眞箇いづれのところにか在る
爲鼓無絃一曲琴 爲に鼓す無絃一曲のきん

青柳仁先生訳・解説
馬祖さんのところで、払子を壁に掛けていた時、百丈さんは一喝されてね、三日もの間耳が聞こえなくなっ
たんだよ。
馬祖さんの一喝は根源的な真実を開示してくれる百戦錬磨の鍛え抜かれた金言なんだ。
その真実の言葉にはっと気づいた百丈さんは、聞こえない真実の言葉を聞き取る力を持っていたんだね。
いわば弦のない琴の音を聞き分けることができたので、馬祖さんは無弦の琴を奏でたんだよ。

※払を掛け、呵に遭う:『伝燈録六』にある。馬祖道一さんに一喝された百丈懐海さんが、三日間耳が聞こ 
 えなくなったという話。

くま訳

百丈は馬祖と同じように払子を曲彔(きょくろく)に立て掛けえたので、馬祖から百戦錬磨の金言の喝を受
けて悟ることができた。
百丈懐海は生まれながらにして聞き取る能力が高かったので、
真実を真に聞き分けることができたのであろう。
馬祖はそれがわかっていたので、無弦の琴で一曲奏でたのだ。

*爲鼓無絃一曲琴:無弦の琴、無孔の鐵笛、鼓吹し得て之を不聞裡に聴き来たって、始めて真箇の消息を七
 得るなり(大成脚注)
*聾:水上勉解説:百丈懐海が払子をかけて馬祖に大喝されて耳が三日もきこえなかった故事を下敷きに、  
 天性百丈は耳根がふかかったゆえに真聞真箇が悟れたとされる。
*真個・真箇:まことであること。事実であること。虚偽のないこと。また、そのさま。真正。しんか。ま
 ことに。実に。はたして。
(´・(ェ)・`)つ

768鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/09/12(日) 23:37:39 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

 払子をかけて呵に遭う百錬の金なのじゃ。
 天が生み、海が抱いていた耳根は深く心に根ざしているのじゃ。
 真聞、真個はどこにあるのじゃろうか。
 鼓を打つのは弦のない琴で一曲演じる為なのじゃ。

769避難民のマジレスさん:2021/09/12(日) 23:59:28 ID:d9q5xzjA0
くま質問
 「呵に遭う百錬の金」とは、耳が聞えなくなったが、真理を悟ることができた。
 「天が生み、海が抱いていた耳根は深く心に根ざしている」とは、天性の理解力の深さによるのである。
 「鼓を打つのは弦のない琴で一曲演じる為」合の手を入れるのは、自力で悟りを得るように導くため、い
 たいな理解で良いのでありましょうか?

527
病中還人送曲椂 病中人の曲ろくを送るを還す  
法座上禪名利基 法座上の禪は名利のもとゐ
諸方竪拂與拈鎚 諸方じゅほつとねんついと
圓悟金山遭大病 圓悟金山大病にあふ
苦吟小艶一章詩 苦吟す小艶一章の詩

くま訳
病中に、人から曲椂(寺での説法の時に使う椅子)を贈られたが、返したのである。
法座上の禪は名利を求めるものである。
諸方の師家は、払子をたてたり、鎚をひねったりし見せて指導する
圓悟は金山に行って大病を患ったのであるが、(圓悟にとって、苦はそこには無く、)
一章の小艶詩を吟じる中にあったのだ。 

https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1539697204/  >>889
*圜悟克勤(えんご こくごん、1063-1135宋代の禅僧圜悟禅師、仏果禅師、真覚禅師と敬称される。
 諸処の高僧のもとで修行し、最後に五祖法演の弟子となった。のち金山に行き病を得て、再び五祖法演の 
 もとに戻り、法を嗣いだ。
 碧巖録に垂示・著語・評唱を加えた。
*『五灯三元』十九にある禅宗史話。圓悟は金山で罹った大病が治って、師の五祖法演のもとに帰ると、五
 祖は陳提刑に小艶詩を提唱していた。それを耳にして園悟は大悟した。
(´・(ェ)・`)つ

770鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/09/13(月) 23:59:09 ID:1d4drIFg0
↑それは十分に実践して来た者が大喝にあったといことじゃな。

 人に拠るが聴覚に拠って自我を保つものも居るのじゃ。
 それが百丈であったのじゃな。
 そのために一喝を受けて悟れたのじゃ。

 本来無我の者にそれを悟らせるために、大喝をしたということじゃな。
 鼓は大喝であり、弦のない事とは衆生本来無我の仏であるということなのじゃ。

771避難民のマジレスさん:2021/09/13(月) 23:59:52 ID:fdObWdiE0
528
亂裡工夫
毎朝高叫甚忙忙 毎朝高く叫んで甚だ忙忙
受敵機先當八方 敵を受けて機先八方に当たる 
観法坐禪休度日 観法坐禪日をわたることを休めよ
但須勤跋扈飛揚 だだ須らく勤めてばっこひようすべし

くま訳
混乱の中での工夫
毎朝大声で叫ぶ、はなはだ気忙しい
真先に攻撃を八方から受ける
徹夜して坐禅をするのはやめておけ
ただ、当然為すべきこととしては、常識など無視して、勝手に振舞うことである。

*忙忙(ぼうぼう、せわせわ)せわしくて落ち着かないさま。せかせ
*坐禅観法:坐禅を組んで、心中に悟道を黙想すること。
*飛揚跋扈(ひようばっこ):思うまま横暴に振る舞うこと。または、臣下が好き勝手に振る舞い、君主の力
 をこえること。「飛揚」は猛禽類の鳥が舞い上がること。「跋扈」は魚を捕まえるための竹垣の罠を飛び 
 越えて逃げること。悪人などが、常識や規則などを無視して好き勝手に行動することをいう。

772鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/09/14(火) 00:09:08 ID:1d4drIFg0
琴じゃな。

そんな感じじやな。

 病中に人から曲禄を送られるが還したのじゃな。

 法座の上の禅は名利の基なのじゃ。
 諸方の僧は払子を使い、槌を捻ったりするがのう。
 圓悟は金山で大病にあったが、
 小艶一章の詩の苦吟を聞いて悟ったのじゃ。

773避難民のマジレスさん:2021/09/14(火) 00:17:27 ID:fdObWdiE0
>>770
鬼和尚、くまにも分かる解説を、いつもありがとうであります。
(´・(ェ)・`)つ

774避難民のマジレスさん:2021/09/14(火) 00:22:30 ID:fdObWdiE0
くま訳改
第三句:(圓悟にとって、苦はそこには無く、)削除
第四句:小艶一章の詩の苦吟を聞いて悟ったのだ
(´・(ェ)・`)b

775鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/09/14(火) 23:11:55 ID:1d4drIFg0
>>773 どういたしまして、まおい゛てなさい。

776鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/09/14(火) 23:14:42 ID:1d4drIFg0
>>771 それでよいのじゃ。

 乱の中での工夫じゃな。

 毎朝高く叫んで忙しいのじゃ。
 敵を受けて機先を制して八方に当たるのじゃ。
 観法坐禪は日をわたることを休めるのじゃ。
 ただすべからく勤めて自らを跋扈飛揚させるのじゃ。

777避難民のマジレスさん:2021/09/15(水) 00:27:12 ID:NAZeRgmA0

くま質問
 「乱の中での工夫」とは、戦乱の中での工夫と言う意味と、仏道修行の中での心の乱れという意味をかけ
 てるのでありましょうか?
 「毎朝高く叫んで忙しい」とはどの様な状況でありましょうか?
 「敵を受けて機先を制して八方に当たる」とは、常に注意深く、周囲の状況や溢れ出す思考妄想に気付い 
 ていなさいみたいな意味でありましょうか?。
 「日をわたることを休める」とは、どの様な意味でありましょうか?
 「勤めて自らを跋扈飛揚させる」とは、常識や規則に囚われないで、自由に意識を飛翔させなさいみたい 
 な意味でありましょうか?
529
利欲忘名  1/2 利欲名を忘る 1/2
利欲農夫商女情 利欲の農夫商ぢょの情
絶交美譽與芳聲 交わりを絶つ美誉と芳声と
梅花雪月非我事 梅花雪月我が事に非ず
貪着米錢忘却名 米錢を貪じゃくして名を忘却す

くま訳
利欲は名分を忘れさせる
自分の利益を得ようとする農夫や商売女のような情や
名誉や名声とは縁を切花雪月は我事ではないのだ。
食い扶持を稼ぐことに執着すると、守るべき名分を忘れてしまうのだ。
 
*美誉:よいほまれ。立派な名誉。
*芳声:よい評判。名声。
*名:守るべき分際。名分
(´・(ェ)・`)つ

778鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/09/15(水) 22:43:17 ID:1d4drIFg0
>>777 そのような意味じゃな。
 戦と心の中の雑念の働きをかけているのじゃな。

 人々が戦で朝から争うのと心の働きが朝から騒ぎ出すのをかけているのじゃな。

 戦で敵から目を離さず注意深く防衛するのと、心を油断せず観察する事をかけているのじゃな。
 
 夜には休むべきというのじゃな。

 戦で全力で戦うことと、自らの心を練磨して修業に励むことをかけているのじゃな。

779鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/09/15(水) 22:58:19 ID:1d4drIFg0
>>777 それでよいのじゃ。

 利欲は名を忘れさせるのじゃ。

 利欲は農夫や商人や女子の感情なのじゃ。
 それで美誉や芳声と交わりを絶ってしまうのじゃ。
 梅花雪月を我が事に非ずとして、
 米銭に貪欲に執着して名声を忘れてしまうのじゃ。

780避難民のマジレスさん:2021/09/16(木) 04:10:22 ID:duC0Z0a20
くま訳改
第三句:梅花雪月を我が事に非ずとして、

530
利欲忘名  2/2 利欲名を忘る
賣弄深藏貪欲心 まいろう深くかくす貪欲の心
心中密密要黄金 心中密密に黄金をもとむ
詩情禪味風流譽 詩情禪味風流のほまれ
秋思春愁雲雨吟 秋思春愁雲雨の吟  

くま訳
利欲忘名 2/2
優れた者のように振る舞っていても、貪って飽くことの無い思いを深くかくしてるだけの者は、
心の奥底では黄金を求めているのである。
そんな俗気を離れた味わいのある詩情が、風流の誉である。
秋のもの悲しい思い、春の愁い、雲雨情交等を吟じるのだ。

*売弄(ばいろう):自慢すること。すぐれているようにふるまうこと。
*禅味:禅の趣。禅の、俗気を離れた味わい
(´・(ェ)・`)つ

781鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/09/16(木) 21:41:19 ID:1d4drIFg0
 それでよいのじゃ。
 よくできたのじゃ。


 また利欲で名を忘れるのじゃ。
 
 売弄する者は貪欲の心を深く隠しているのじゃ。
 心の中には深く隠しているが黄金を欲しているのじゃ。
 詩情の禪味、風流の譽を知らんのじゃ。
 秋思春愁に雲雨を吟じるのじゃ。

782避難民のマジレスさん:2021/09/16(木) 23:55:24 ID:LKUxK5AY0
531
紅葉題偈以呈多欲之僧 紅葉に偈を題して以って多欲の僧に呈す
滿庭落葉無僧掃 滿庭の落葉僧のはらふ無し  
南陽擁來猶落草 南陽擁し來たる猶ほ落草  
自悔成欲界衆生 みづから悔ゆ欲界の衆生と成るを
君子愛財是何道 君子財を愛す是れ何の道ぞ

くま訳
紅葉に題をとって偈頌を作り、欲深い僧(養叟宗頤)に呈するのである。
庭いっぱいに落葉があっても、掃除をする僧はいない
南陽慧忠を擁し(円相を説いても)ても、山賊になったようなものである
欲界に生れたことを、自分で後悔しているのであろう。
君子財を愛すとは、これのどこが仏道なのだ。

*南陽慧忠(なんよう えちゅう、675-775年、唐代の禅僧。諡は大証禅師。禅宗の六祖慧能の直弟子であ
 る。粛宗・代宗と2代の皇帝の参禅の師となり、慧忠国師と称せられた。ウィキペディア(Wikipedia)
(´・(ェ)・`)つ

783鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/09/17(金) 23:28:57 ID:1d4drIFg0

 それでよいのじゃ。

 紅葉の題の偈を多欲の僧に呈するのじゃ。

 万庭の落葉、払い清める僧はいないのじゃ。
 南陽が擁し来たのは猶落葉なのじゃ。
 欲界の衆生と成ることを自ら悔いるべきなのじゃ。
 君子が財を愛するとはどのような道なのじゃ?

784避難民のマジレスさん:2021/09/17(金) 23:57:26 ID:.9jQ8Mx60
*落草:動詞 ((宋元明清時代の話し言葉の上に形成された書き言葉)) 盗賊の仲間に入る,山賊になる.

くま質問
「南陽が擁し来たのは猶落葉なのじゃ。」とは、南陽慧忠を擁し(円相を説いても)ても、山賊になっ
たようなものであるという解釈で良いでありましょうか?

532
題靈山塔贈正傳庵僧 りょうぜんの塔に題し、正傳庵の僧に贈る
看來眞箇正傳庵 看來たれば眞箇正傳庵
不説宗乗唯世談 宗乗を説かずただせい談
凛凛威風逼人冷 凛凛たる威風ひとにせまってすさまじ
當機覿面有誰参 當機てき面誰有ってか参ぜん

くま訳
霊山塔と題して、正伝庵の僧に贈る
見に来てみれば、真に正伝の寺院である。
自宗の教義は説かず、一般的な共有できる話をする。
凛とした威風がすさまじく圧倒してくる。
臨機応変な対応できる、参って見ようかという勇者はいないか

*霊山:=徹翁義亨(てっとう ぎこう)1295―1369。臨済(りんざい)宗。京都建仁寺で出家,宗峰妙超の法   
 をつぐ。大徳寺1世となり,法度(はっと)を制定する。のち徳禅寺をひらき隠居
*大徳寺 - 徹翁義亨の塔所正伝庵もある。(乱により焼失した徳禪寺を一休が大徳寺内に再建)
*宗乗:自宗の教義。もと禅宗で、禅門の宗義や禅の極致をいった語。他の教えを余乗といって区別した。
(´・(ェ)・`)つ

785鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/09/18(土) 23:00:01 ID:1d4drIFg0
↑ 落草じゃった。
 そのようなことじゃな。
 その法もまだ足りないところがあったということじゃな。

786鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/09/18(土) 23:05:32 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

 靈山塔の題を正傳庵の僧に贈るのじゃ。

 看来たれば真個の正伝庵なのじゃ。
 宗乗を説かずただ世間話をするのじゃ。
 凛々たる威風は激しく人に迫ってくるのじゃ。
 機に当たって正面から参禅できるものがいるじゃろうか。

787避難民のマジレスさん:2021/09/18(土) 23:25:15 ID:AK2QRmX60
くま訳改
霊山塔と題して、正伝庵の僧に贈る
第二句:宗乗を説かずただ世間話をするのだ。

533
佛眼遠禪師三自省曰  佛げんをん禪じ三自省に曰く
報縁虚幻不可彊爲   報縁虚幻しひて為すべからず
浮世幾何随家豊儉   ふせいいくばくぞ家の豊儉に随ふ
苦樂逆順。道在其中。 苦樂逆順。道其のうちに在り。
動静寒温。自媿自悔  動じゃう寒温。みずからはじ自ら悔ゆ

自悔自慚温與寒 自ら悔ゆ自ら慚づ温と寒と
看看三界本無安 看よ看よ三界もと無安
愚迷正是衆生樂 愚めいはまさにこれ衆生の樂  
嘗蜜猶忘井底難 蜜をなめて猶ほせい底の難を忘る

くま訳
仏眼清遠禪師の顕した三自省に曰く
幻想的な仏縁を強いて求めてはならない。
浮世での在り様は、家の豊かさ貧しさにある程度関係するのである。 
苦あれば樂あり、楽あれば苦あり。仏道は其中にあるのである。
動と静、寒と温。自らを省みて愧じ、悔いてみるのである。

温寒を自省してみれば、
見よ、元から、現世は、心安らぐことがない。
愚迷で真理を知らぬことが、衆生の楽というものだ。
蜜をなめて、井の底の困難を忘れようとしているのだ。

*仏眼清遠(1067-1120) は五祖法演の法嗣で北宋末期の僧、仏果克勤・仏鑑慧勲とともに東山の三仏と称さ
れ、仏眼派の派祖。三自省:おまけ 参
*法縁:仏法に会う縁。仏縁。法を縁とする慈悲。
*虚幻(中国語):形容詞 〔非述語〕幻の,幻想的の,実体のない.
*浮世(ウキヨ・ふせい)1《もとは「憂き世」の意》仏教的厭世観から、いとうべき現世。つらいことの 
 多い世の中。無常のこの世。2 死後の世に対して、この世の中。現実生活。人生。3 つらいことの多い 
 男女の仲。4 《漢語「浮世(ふせい)」を「うきよ」と解して》定めのない、はかない世の中。はかない 
 世なら、浮かれて暮らそうという俗世の気持ちを含む。5 《近世初期から、現世を肯定し、享楽的な世 
 界をいう》遊里。また、遊里で遊ぶこと。6 他の語の上に付いて、当世風・今様の、または好色・風流 
 などの意を表す。[補説]本来は、形容詞「憂(う)し」の連体形「憂き」に名詞「世」の付いた「憂き世」 
 であったが、漢語「浮世(ふせい)」の影響を受けて、定めない人世や世の中をいうように変化し、「浮き 
 世」と書かれるようになった。はかないこの世の中。うきよ。
*随家豊儉:暮らし向きが豊かなら豊かなりに、貧しければ貧しいなりに。
*三界無安(さんがいむあん):現世で生きることは、苦しいことや悩むことが多く、心が落ち着いて楽になる 
 ことはないということ。「三界」は欲界、色界、無色界の三つの世界のことで、現世のことをいう。
「無安」は心が安らぐことがないこと。
*愚迷(ぐめい): 真理の道を知らず、愚かで迷いの多いこと。また、そのさま。
(´・(ェ)・`)つ

788避難民のマジレスさん:2021/09/18(土) 23:30:09 ID:AK2QRmX60
おまけ1
*仏眼清遠(長谷川昌弘先生解説抜粋) (1067-1120) は五祖法演の法嗣で北宋末期の僧、仏果克勤・仏鑑慧
勲とともに東山の三仏と称され、仏眼派の派祖
禅風は静的で言句にとらわれることのないものであったことが窺われる。一方で古来より彼の「坐禅銘」が
禅門では著名であり、坐禅を重視したことも明らかである。これらの点で既に虎丘派や曹洞宗との思想的近
似性は充分感じられるのである。・・・・

仏眼の「坐禅銘」は・・・「標指六偶井叙」に・・迷悟」、「坐禅」、「入道」、「見聞」、「水月」、
「語黙」の六篇の内の一つであり、元来はそれ自体独立したものではない点である。さすれば仏眼の「坐禅
銘」はやはり他の五偶とともに総合的に理解されるべきものであろう。しかるに「坐禅」においては・・
分別心の起滅は自然のままにせよという悪くいえば無事禅的雰囲気も感じられるが、起滅は「自心」より現
ずるとして「自心」の追求に重点が置かれている。・・・
仏道は元々きずが無いとして本来仏であるからあらゆるものが悟りのあらわれであるという本覚門的な現成
公案を強調し、言句に対して否定的態度を表明している。そしてそれは徹底した「自心」において可能であ
るとしている。・・・
仏眼の六偶の主眼は本来仏であるが故の「自心」の徹底肯定であり、それは頓悟によって可能なことであり、
またそれが故に仏法はあまねく目前に現成しているということにあると考えられる

佛眼三自省(読み下しなどは、今回は断念)
是身壽命,如駒過隙,何暇閑情?妄為雜事。既隆釋種,須紹門風。
諦審先宗,是何標格?道業未辦,去聖時遙。善友師教,誠不可捨。
自生勉勵,念報佛恩。惟已自知,大心莫追。報緣虛幻,不可強為。
浮世幾何,隨家豐儉。苦樂逆順,道在其中。動靜寒溫,自愧自悔。

*おまけ2「南禅院参道彫刻」石畳に彫られた仏教の教えである万物のもととなる、地・水・火・風・空の
 5つのシンボルの彫刻。(詩の解釈とは無関係である。幾何・禅でヒットしたのである)
 https://blog.goo.ne.jp/mimoron/e/9a9b7c96c8d9d0589cba7bd9e05bfd38
(´・(ェ)・`)b

789鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/09/19(日) 22:59:22 ID:1d4drIFg0
 
 それでよいのじゃ。

 仏眼遠禅師の三省に曰くなのじゃ。

 報縁は虚幻であるから強いて成すべからずなのじゃ。
 浮世の生活は家の豊貧に随うのじゃ。
 苦楽順逆、道はその中に在るのじゃ。
 動静寒温、自ら愧じ、自ら悔いるのみなのじゃ。

 自ら悔い、自ら愧じる、温と寒なのじゃ。
 見よ見よ、三界は本から安心はないのじゃ。
 愚にして迷うは正にこれ衆生の楽しみとするところなのじゃ。
 蜜を嘗めてなお井戸の底の苦しみを忘れるようなものじゃ。

790避難民のマジレスさん:2021/09/20(月) 02:34:17 ID:E.CBLgGI0
くま質問
「報縁は虚幻であるから強いて成すべからず」とは、仏道に縁があるとなどということは幻想であるから、
その縁に酬いる為に修行をしようなどとするべきではないというような意味でありましょうか?

534
各見不動
水流四念不同心 水は流る四念不同の心
佛界魔宮亘古今 佛界魔宮古今にわたる
寒窓風雪梅花月 寒そうの風雪梅花の月
酒客弄盃詩客吟 酒かく盃を弄し詩客は吟ず 

くま訳
各見解ゆるぎなし
四種の修行法は、説明は違っても、固定されない心に気付く為の法である。
仏界でも魔界でも、古今にわたって、
寒窓から見える風雪梅花月は、
酒客の盃をすすませて、詩客に詩を詠ませるのである。

*四念:四念所、又は四念住ともいひ、三賢位のうち念所の位に於いて修する観法。身念住、受念住、心念 
 住、法念住、吾人が浄、楽、我、常の四顚倒の盲見を起こす対象は、身、受、心、法の四法なり、今此の
 盲見を破せんがために、能観の知を以って身は不浄なり、受は苦なり、心は無常なり、法は無我なりと観
 ず、別想念住位にては別々に之を観じ、總想念住位に於いては、すべて同一時に之を観ず。(大成脚注)
 四念処(しねんじょ)四念住ともいう。仏教で 37種の修行を7つの部類に分けたものの第一で,この部
 類に属する4種の修行をさす。念処とは記憶をとどめおくことで,真剣な思いを意味する。 (1) 肉体の
 不浄 (身念処) ,(2) 感覚の苦 (受念処) ,(3) 心の無常 (心念処) ,(4) 法の無我 (法念処) に思いを
 凝らす観法。7つの部類の一つとして明確に位置づけられたのは後世であって,原始経典中には,上記の
 4種を独立の修行法として説く場合が多い。
*水流元在海、月落不離天。 水流れて元海に在り、月落ちて天を離れず
水はどこを流れても結局は海に帰り、月は落ちても天を離れることはない
種々に説示のしようは異るとも本分から離れはせぬ
(´・(ェ)・`)つ

791鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/09/20(月) 23:51:30 ID:1d4drIFg0
↑そのような理解で善いのじゃ。
 俗世の慣習であるから囚われてはいんのじゃ。

 それでよいのじゃ。

 各見不動なのじゃ。

 四念は水流の如く不同の心なのじゃ。
 仏界も魔界も昔から今まで常にあるものじゃ。
 冬に窓を開ければ風雪にも梅花が月の下に咲いているのじゃ。
 酒客は盃を弄び、詩客は詩吟するのじゃ。

792避難民のマジレスさん:2021/09/20(月) 23:58:56 ID:DDCdnTZ20
535
賛大應國師
看看佛日照乾坤 看よ看よぶつにち乾坤を照らす
天上人間唯獨尊 天上人間唯独尊
禪者如無渡東海 禅者もし東海を渡る無くんば
扶桑國裡暗昏昏 扶桑国裡暗昏昏 

柳田聖山先生訳
看よ仏の光は天地を照らす 
この人間世界にはただ独尊
老師が海を渡らなかったら
この日本に夜明けは見えず 

くま訳
大應國師を賛す
看よ仏の光明が天下を照らす 
天上界人間界でただ一人尊い 
大應が修行僧として東海を渡らなかったら 
日本国は暗黒の中にあったであろう。 

*天上人間(てんじょうじんかん)天上界と人間界のこと。または、絶対に通ずることのなく、遠く隔たって 
 いることのたとえ
*↓大応国師の木像を安置しています。この像は一休さんが63才の時につくられたものだそうである。
 http://www.ikkyuji.org/keidai_annai/kaizandou/kaizandou.html"
(´・(ェ)・`)つ

793避難民のマジレスさん:2021/09/21(火) 00:16:59 ID:aNaEJB1A0
>>790
くま訳全面改
各見解ゆるぎなし
第一句:四念は水流の如く不同の心なのだ。
第二句:仏界も魔界も昔から今まで常にあるものである。
第三句:冬に窓を開ければ風雪にも梅花が月の下に咲いているのだ。
第四句:酒客は盃を弄び、詩客は詩吟するのだ。
(´・(ェ)・`)b

794鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/09/21(火) 23:01:10 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

 大應國師の賛なのじゃ。

 見よ見よ仏の光が世界を照らすのじゃ。
 天上人間の中でただ独りの尊者なのじゃ。
 その禅者がもし東海を渡らなかったら、
 この国は昏昏として暗いままだったじゃろう。

795避難民のマジレスさん:2021/09/21(火) 23:16:52 ID:6ksfPKqo0
536
拾馬糞修斑竹 1/2 馬糞を拾ふてはん竹を修す 
煨芋懶殘舊話頭 わいうはらい殘の旧話頭
不求名利太風流 名利を求めずはなはだ風流
相思無隙此君雨 相思げき無しし君の雨
拭涙獨吟湘水秋 涙をぬぐふて獨り吟ず湘水の秋

くま訳
馬糞を拾って肥料にして、観賞用の斑竹を育てる  1/2
芋を焼いた、懶瓚和尚の古い公案
名利を求めることなく、はなはだ風流である。
雨に濡れる竹について思いをめぐらす風流さのように、自然な教として隙が無いのである。
身を投げた屈原を偲び涙を拭い独り吟じるのである、湘水の秋について

*懶殘:懶瓚和尚なるべし(大成脚注)
 https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1539697204/  >>864 >>863
*斑竹(はんちく)稈の表面に黒褐色の斑紋がある。観賞用にされ,竹材は家具材にされる。
*隙なし(げきなし・ひまなし)①すきまがない。②絶え間がない。ひっきりなしである。③心のすきがな
 い。油断がない。
*此君(シクン):「晋書」王徽之伝の、竹を賞して、「何ぞ一日も此の君無かるべけんや」とある故事か
 ら》竹のこと。
*雨竹風松皆説禅  雨竹風松皆禅を説く(大慧普覚禅師語録)
 はあさん先生訳
 雨に濡れた竹も、風に揺らぐ松も、皆これ禅の大説法なり。大自然の営み、あらゆるものが説法だ。
  大慧普覚禅師は圜悟克勤の法嗣で,大慧派の始祖。大慧宗杲(そうこう)(1089-1163)。
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1539697204/  >>850
(´・(ェ)・`)つ

796鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/09/22(水) 23:56:32 ID:1d4drIFg0
 
 そんな感じじゃな。

 馬糞を拾って斑竹を修めるのじゃ。

 懶殘の芋の話は古い公案なのじゃ。
 名利を求めずはなはだ風流なのじゃ。
 隙間なく互いに愛し合うこの君の雨なのじゃ。
 涙を拭って一人吟詠する湘水の秋なのじゃ。

797避難民のマジレスさん:2021/09/22(水) 23:59:18 ID:Vo0l78pI0
537
拾馬糞修斑竹 2/2 馬糞を拾ふて斑竹を修す
看看我養鳳凰心 看よ看よ我が養ふ鳳凰の心
燕雀鳩鴉山野禽 燕雀きうあは山野の禽
臨濟栽松一休竹 臨濟は松をうゑ一休は竹
三門境致後人吟 三門の境致後人の吟

くま訳
馬糞を拾って肥料にして、観賞用の斑竹を育てる 2/2
見よ、我が霊鳥のような心を
燕や雀や鳩やカラスは、山野の禽獣である。
臨濟は松を植え、一休は竹を植えるのである。
将来の境内の景観と、門人の指針とならんがために。

*三門境致後人吟:臨済栽松 524の詩 参
(´・(ェ)・`)つ

798鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/09/23(木) 23:09:13 ID:1d4drIFg0

 それでよいのじゃ。

 また馬糞を拾って斑竹を修めるのじゃ。

 見よ見よ我が養う鳳凰心なのじゃ。
 燕雀鳩鴉は山野の禽獣なのじゃ。
 臨済は松を栽培し、一休は竹なのじゃ。
 これも三門の境を後人に吟詠させるために致すのじゃ。

799避難民のマジレスさん:2021/09/23(木) 23:36:32 ID:yO5CiIXo0
538
宗春居士下火 行年三十七 宗春居士のあこ 行年三十しち
彌勒釋迦也馬牛 彌勒釋迦また馬牛
春風脳亂卒何休 春風に脳亂してつひに何ぞ休せん
六六元來三十七 六六元來三十七
一聲念讃起鐘樓 一聲の念讃鐘樓より起こる

くま訳
宗春居士火葬式 行年三十七歳
彌勒や釋迦、また馬牛
春風に悩み苦しんで、ついにどうして休むのか
六六元來三十七、不生不滅のまじないである
仏徳を讃える念讃の一声は、この、鐘楼上より起こるのである。

*下火:下炬に同じ、松火を以て火を点ずること、火葬式最後の作法にして、遺骸を焚焼する燃料に火を点 
 ずるなり、今は引導師、偈文を唱えて擬炬を拋ち 、点火の態を為すのみ。(大成脚注)
*行年:この世に生まれて何歳まで修行したかを意味する満年齢
*悩乱:悩み苦しんで心が乱れること。
*六六元来三十七:一声の念、讃合して卽ち六六三十七、形骸滅して却って一を増す、卽ち不生不滅なり。
*念讃:念仏奉讃のことで、心に仏を念じ口に名号を誦し、仏徳を讃えまた報恩感謝をあらわす言葉
(´・(ェ)・`)つ

800鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/09/24(金) 23:17:11 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

 宗春居士という者の葬式じゃな。
 行年三十七だったというのじゃ。

 弥勒も釈迦ももとは牛馬だったのじゃ。
 春風に悩乱し休む暇もなかったのじゃ。
 修業して六六は元來三十七で不生不滅の悟りを得たのじゃ。
 一声の念賛は鐘樓より起こるのじゃ。

801避難民のマジレスさん:2021/09/24(金) 23:54:08 ID:JrSta6iA0
くま質問
「弥勒も釈迦ももとは牛馬だったのじゃ。」とは、修行により悟りを得た人と凡人との違いは、人と牛馬と
の違い以上に大きい、みたいな意味でありましょうか?

539
制戒
貪看少年風流 貪り看る少年の風流
風流是我好仇 風流は是れ我が好仇
悔錯開爲人口 悔ゆらくはあやまってい人の口を開くことを 
今後誓縮舌頭 今よりも後誓って舌頭を縮めん

くま訳
戒を保つのだ・おしゃべりは慎むのだ。
少年の風流を貪るように能の舞台で観劇する
風流は我が良きつれあいである。  
後悔しているのは、うっかりして、人の噂になるような事を言ってしまったことだ。
今後は誓って口を慎むのだ

*制戒:ヨーガ修業法の8段階のうち,最初に実践される方法で,不殺生,不妄語,不偸盗,不邪淫,無執 
 着の5戒を保つこと。
*一休さんの偈頌や詩には、能を題材にしたものがある。(金春座者歌・475等) 
 田口和夫先生によると、一休詩集には、志津賀、「風流艶色少年春」、「初めて発く風流美少年」等と詠 
 まれている詩がる。 file:///C:/Users/USER/Downloads/KJ00004252359%20(8).pdf 16 14
*好仇(こうきゅう) (「仇」は、つれあい、相手の意) よい相手。よい仲間。また、似つかわしいつれあい。 
好逑(こうきゅう)。
(´・(ェ)・`)つ

802鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/09/25(土) 23:44:40 ID:1d4drIFg0
↑ それは如来ももともと輪廻をさまよう衆生の一人に過ぎなかったということじゃな。
 修行をすれば凡人でも悟れるというのじゃ。
 実践がすべてなのじゃ。

803鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/09/25(土) 23:48:20 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。


 戒を制するのじゃ。

 貪欲に少年の風流を見るのじゃ。
 風流は我が好むところの仇なのじゃ。
 後悔するのは誤って人のために口を開いたことなのじゃ。
 今後は舌頭を縮めてそんな話はしないと誓うのじゃ。

804避難民のマジレスさん:2021/09/26(日) 00:02:15 ID:uuKEcQjE0
540
迷悟
無始無終我一心 無始無終我が一心、
不成佛性本來心 不成佛の性本來の心
本來成佛佛妄語 本來成佛佛の妄語
衆生本來迷道心 衆生本來迷道の心

くま訳
迷いと悟り
悟りに、始めも終りも無いのだ。始めから一つなのだ。
成佛する、悟ると言う事も無いと言うのが真理である。
本來成佛しているのだ、と言うのは、佛の妄語である。
衆生は本來、悟りを求める道に迷っているだけなのだ。

*迷吾:凡聖、佛衆生不二を説くなり(大成脚注)
迷悟一如:迷いや悟りといったものに、囚らわれることはないという意。迷いも悟りも本来は同一のもので、
たどりつくところは一つであるということ。
わが心は始めも終わりもなく、成仏などしないのが心の正体だ。

くま質問
「悟り」という特別の境地など無い。迷いがそのまま悟りと言ってるのでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

805鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/09/26(日) 23:36:34 ID:1d4drIFg0
↑今迷っている心が悟りへの入り口ということじゃな。
 迷うことが出来る心に気付けば悟りが起こるというのじゃ。
 それもまた今ここにある心の働きであるからのう。


 そんな感じなのじゃ。

 迷悟なのじゃ。

 始まりも終わりもない我が一つの心なのじゃ。
 仏には成るのではなく本来の心に戻るだけなのじゃ。
 衆生も本来仏であり、仏に成るというのは妄語なのじゃ。
 衆生の本来迷う心が道心なのじゃ。

806避難民のマジレスさん:2021/09/26(日) 23:57:39 ID:Vo1wDGXs0
541
示延壽堂僧   延壽堂の僧に示す
無常殺鬼現前時 無常の殺鬼現前の時
末期牢關説向誰 末期の牢關誰にか説向せん
百事難休五欲閙 百事休し難うして五欲いそがし
六窓欲鎮八風吹 りく窓とざさんと欲すれば八風吹く

くま訳
延壽堂(涅槃堂)の僧に示す
今際の際(いまわのきわ)の、
修行の最終局面で、誰に対して説くか
多方面にわたり忙しく、五欲にまみれている
六つの感官能力を閉ざそうとすると、八つの修行を妨げる出来事が起こるのである。、

*無常殺鬼現前時:臨命終に到るの時なり(大成脚注)
*六窓欲鎮八風吹:六窓は根にして、八風は人の心を動かす風の如き、八種の法、曰く、利、衰、毀、 
 譽、稱、識、苦、樂の八を云ふ。
 八風(はっぷう)とは、仏の教えに基づいた修行を妨げる8つの出来事の事。
 人間が求める4つの出来事 四順(しじゅん)と、
 人間が避ける4つの出来事 四違(しい)とからなる。
 四順: 利い(うるおい)‐目先の利益
     誉れ(ほまれ)‐名誉をうける
     称え(たたえ)‐称賛される
     楽しみ(たのしみ)‐様々な楽しみ
 四違: 衰え(おとろえ)‐肉体的な衰え、金銭・物の損失
     毀れ(やぶれ)‐不名誉をうける
     譏り(そしり)‐中傷される
     苦しみ(くるしみ)‐様々な苦しみ
*延壽堂:武田鏡村先生解説「盲女森侍者、情愛はなはだ厚し、まさに食を断って命を殞(おと)さんとす。
愁苦のあまり、偈を作りてこるを云う」
この「情愛はなはだ厚し」は、肉欲の情というものではなく、一休がしばしば病気になっていたことから
して、森女が食断ちをして回復を祈ったものであろう。この前書きにつづく二首には「一日作ざれば一日
食わず」の百丈和尚が生涯作務をやめなかったのに、自分は働くこともせずに涅槃堂で禅をしているとう
たっている。涅槃堂は延寿堂ともいわれて、病気になった僧が養生する部屋のことである。
一休と森女の出会いを文明三年とすれば、一休は七十八歳である。それから十年、一休は存命するが、た
びたび重い病にかかったことは一休の詩や『年譜』でもうかがえる。一休は目が不自由でありながらも献
身的に自分の世話をする森女に深く感謝した。そして、そうした森女を理想的な女性として偶像にまで高
め、それを詩とした。
*末後の牢関:特定の公案があるわけではなく、修行者に宗旨の最後を尽くさせるという意味のものです。
「末後の牢関」のさらに後に、「最後の一訣」を置く場合もあります。具体的には、「臨済一句白状底」、
「白雲未在」、「百丈野鴨子」などの公案がこの段階の公案として使われることがあるようです。「末後の   
牢関」は、「布施位」と呼ばれることもあります。
(´・(ェ)・`)つ

807避難民のマジレスさん:2021/09/27(月) 00:08:57 ID:v1y86gyc0
>>805
くま訳
鬼和尚、くまにも分かる解説をいつもありがとうであります。
↑今迷っている心が悟りへの入り口。
 迷うことが出来る心に気付けば悟りが起こる。
 それもまた今ここにある心の働きである。
で、ありますね。
(´・(ェ)・`)b

808鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/09/27(月) 23:14:05 ID:1d4drIFg0
↑そうじゃ、今ここにある心の働きが見られれば悟りもやってくるのじゃ。
 それが迷いの心であっても迷いの心と見られればよいのじゃ。

809鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/09/27(月) 23:17:42 ID:1d4drIFg0
 
 それでよいのじゃ。

 延壽堂の僧に示すのじゃ。

 無常の殺鬼が目の前に現われた時
 末期の牢で誰に何を説こうというのか。
 百の仕事は休むのが難しく、五欲も忙しいものじゃ。
 六根の窓は欲を鎮めようとしても、八風が吹いて困難なのじゃ。

810避難民のマジレスさん:2021/09/27(月) 23:49:39 ID:Dkperbv60
542
戒参玄僧名利  参玄僧の名利を戒む
迷道衆生劫外愚 迷道の衆生劫外の愚
人人涙不識窮途 にんにんなんだ窮途をしらず
諛官只願佳名發 官にへつらって只だ願ふ佳名の發するを
眞菩提心一點無 眞の菩提心一點も無し

京都はんなり旅HP訳
禅の玄奥に参ずる僧(禅の奥深さに入ろうとする僧)が名利を追うことを戒める
道を見失い迷いつづける人々(僧)は、何と愚かなことか、
人々(僧)は涙を流して道を探すが、解決のためのてだてに行き詰まることを知らぬ。
(なぜなら)役人にへつらって、ただ自分の名声が上がることだけを願っている(からだ)、
本当に悟りを求めようとする心などひとかけらもない。

くま訳
玄妙な仏法を求める僧に対して名利を追う事を戒める
道に迷う僧は、窮めつけのバカである。
僧は涙するが、道が行き詰まることを知らない。
役人にへつらって、ただ名利を得る事だけを求めているようでは、
本当に悟りを求める心など少しも無いのである。

*参玄:玄妙な仏法に参ずること
*劫外:この世界の、発生・安定・変化・消滅という、四つの劫の期間、原理を、超越した、
*窮途(きゅうと)① 行きづまりになった道。② せっぱつまって、どうにもならない困難な状態、または立 
 場。困窮している境遇。
(´・(ェ)・`)つ

811鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/09/28(火) 23:36:27 ID:1d4drIFg0

 そんな感じじゃな。

 参玄僧が名利を求めるのを戒めるのじゃ。

 迷い道の衆生は永久に愚かなのじゃ。
 人々が涙する困窮の道を知らないのじゃ。
 官に諂いただ名声を願うのみなのじゃ。
 真の菩提心は一点も無いのじゃ。

812避難民のマジレスさん:2021/09/28(火) 23:57:24 ID:yUGrJKF.0
くま訳改
第二句:人々が涙する困窮の道を知らないのだ。

くま質問
「迷い道の衆生は永久に愚か」この衆生とは、修行者のことでありましょうか?
「人々が涙する困窮の道」とは、その修行者が、大衆の生活困窮の状況を知らない、知ろうとしないことを
言ってるのでありましょうか?

543
大慧禪師焚碧巖集 大慧禪じ碧巖集をやく
妙喜老人千歳名 妙喜老人千歳の名
宗門潤色太高生 宗門の潤色太高生
子胥曾受呉王戮 子しょかつて呉王のりくを受く
可惜髑髏無眼睛 惜しむべし髑髏の眼睛無し

くま訳
大惠禪師碧巖集を焼く
大慧妙喜禪師の芳名は永遠に語り継がれるでありましょうが、
衆門は上辺を取り繕い、お高く止っているだけである。 
子胥はかつて呉王に自害を命じられて死んだ。
惜しむべきは、その恨みにより、頭蓋骨に目玉が無い事である。

*大惠禪師:南嶽夏大十五世の祖、園悟克勤に嗣ぐ
*妙喜老人:大慧禪師をいふ
*太高生:高く止って居る意、向上一色邊に止り居る者を評する語なり。
*子胥曾受呉王戮:楚人なり、名は員、呉王に仕ふ、呉王齋を伐たんとす、子胥之を極諫す、王遂に之に劍
を給ふ、自ら剄れ死す、舎人に告げて曰く、「我が眼を抉り、呉の東門の上に懸け以て越寇の入りて呉を滅
すを観せしめよ」と
(以上4*大成脚注)
*大慧宗杲(だいえ そうこう、だいえ しゅうこう、1089 – 1163年、宋代の臨済宗楊岐派第5代の僧。諡号
は普覚禅師ふかくぜんじ、賜号は仏日大師、大慧禅師。公案を用いて悟りに至る「看話禅」(公案禅)の大
成者として知られる
*極諫(きょっかん):言葉を尽くして厳しくいさめること
*潤色:うわべや表現を(面白く)つくろい飾ること
(´・(ェ)・`)つ

813鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/09/29(水) 23:37:31 ID:1d4drIFg0
↑名利を求める僧じゃな。
 せっかく僧になれたのに名利を求めるのは迷い道に入っているのじゃ。

 それは現世では名利を得るかもしれんが、後には地獄行きの道なのじゃ。
 誰もが涙する困窮の道なのじゃ。
 人を欺いているのであるからのう。
 それを知らないのは愚かな者なのじゃ。

814鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/09/29(水) 23:42:23 ID:1d4drIFg0

 それでよいのじゃ。

 大慧禪師の碧巖集を焼いてしまったというのじゃ。

 妙喜老人の名は千歳も伝えられるじゃろう。
 宗門では甚だ高く止まっていると潤色しているのじゃ。
 子胥はかつて呉王に死を賜ったのじゃ。
 その髑髏に眼が無かったのは惜しかったのじゃ。

815避難民のマジレスさん:2021/09/29(水) 23:55:41 ID:4pZ7Co5c0
544
看妙荘嚴王品  妙荘嚴王ぼんを看る  
妙荘嚴昔日因縁 妙荘嚴昔日の因縁
瞎禿道光輝我前 かつとくの道光我が前に輝く
閻老不吟玉堦月 閻老は吟ぜず玉堦の月
黄泉後悔碧雲天 くわうせんは後悔碧雲の天

くま訳
異教徒だった王が息子達の諌めを受け入れて仏法に帰依して菩薩になるという法華経の一節を見る。
妙荘嚴には昔の因縁があったのだ。
盲目の禿げ坊主を仏道へ導く光がわしの目の前に見えるのだ
閻魔大王は宮中の女官が月を眺めて感じる満たされぬ思いみたいなものは吟じたりはしない。
死後に晴れ渡る青空を思っても後悔するだけなのだ。死んでからでは遅いのだ。

*妙荘厳:『法華経・妙荘厳品』に出る菩薩の名。もと国王でバラモン教徒だったが、夫人および浄蔵・浄
 眼二子の諫めにより法華経を聞いて仏法に帰依したという。浄蔵も浄眼も仏道修行して神通力を得ていた 
 という
*「玉階」は白玉(大理石)の階。階は宮中で、庭から室内へ上がる短い階段。
(´・(ェ)・`)つ

816鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/09/30(木) 23:36:01 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

 妙荘嚴王品を看たのじゃ。

 妙荘嚴は昔の因縁があったのじゃ。
 盲目禿頭の道光がわが前に輝いているのじゃ。
 閻魔も月への玉階を吟詠しなかったのじゃ。
 黄泉の国で碧雲の天を後悔しても遅いのじゃ。

817避難民のマジレスさん:2021/09/30(木) 23:57:33 ID:5pA3np3w0
545
佛涅槃
滅度西天老釈迦 滅度す西天の老釈迦
他生出世到誰家 たしょうに出世してたが家にか到る
二千三百年前涙 二千三百年ぜんの涙
猶洒扶桑二月花 なほふそう二月の花にそそぐ

くま訳
入滅した、インドのお釈迦様、
どこかの家に生れ変ってきてほしいものであります。
二千三百年前の涙は
今もなほ、日本の二月(涅槃忌)の花にそそがれるのであります。
(´・(ェ)・`)つ

818鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/10/01(金) 23:08:37 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

 仏の涅槃なのじゃ。

 インドのお釈迦様が滅度したのじゃ。
 他生に出世すれば誰の家に至るじゃろうか。
 二千三百年前の涙なのじゃ。
 なお日本では二月の花にそそぐのじゃ。

819避難民のマジレスさん:2021/10/01(金) 23:55:08 ID:t5BjxHsk0
546
約彌勒下生 1/2 弥勒の下生を約す
盲森夜々伴吟身 盲森夜々吟身を伴う、
被底鴛鴦私語新 被底のえんのう 私語新たなり。  
新約慈尊三会暁 新たに約す慈尊三会の暁、
本居古仏万般春 本居の古仏万般の春。

茶の湯に親しむHPの先生訳
盲目の森女が夜な夜な歌い身に相伴し、
掛け布団の下のおしどりのようにひそひそ話を繰り返す。
未来仏の弥勒菩薩が衆生救済の三回の大法会の暁を新たに約し、
本来の古仏は万楽の春を約す

仁訳
目の見えない森公は、夜々、唱うように体をときめかせて身を寄せてくる、
鴛鴦のように寄り添い合ってぼくらは愛を語らい合うんだよ。
朝になるとまた新しく約束し合うんだ、弥勒さんのように蘇って、何度も何度も愛し合おうね、と、
森公は、ほんとうにぼくにとって、いつでも春をもたらしてくれる弥勒菩薩さんなんだよ。

くま訳
弥勒の下生を約す
盲目の森は毎夜詩を吟じるわしの側にいるのだ。
布団の中でおしどりのように、囁き合うのだ 
二人は約束するのである。弥勒下生を約したように、
仏陀が、万般の春を約したように。

*弥勒下生:弥勒菩薩は、五十六億七千万年の後に、地上に降り来り、成仏し、釈尊の後を継いで人々に法 
 を施すとされる。
*被底(ひてい):布団の中。
*鴛鴦(えんのう・おしどり)
*慈尊三会=弥勒菩薩が衆生救済の為に開く三度の集会のこと。
(´・(ェ)・`)つ

820鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/10/02(土) 23:24:53 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

 弥勒下生に約束するのじゃ。

 盲目の森女が吟詠するのに夜夜付き合うのじゃ。
 布団の下で鴛鴦の私語を新たにするのじゃ。
 新たに弥勒の三会の暁に会うと約するのじゃ。
 本居の古仏が万般の春を経たようにのう。

821避難民のマジレスさん:2021/10/02(土) 23:52:39 ID:qFMCRaWg0
94 約彌勒下生2/2 
木凋葉落更回春 木凋み 葉落ちて更に春を回らす
長緑生花旧約新 緑を長じ 花を生じて旧約新たなり
森也深恩若忘却 森也が深恩 若し忘却せば
無量億劫畜生身 無量むりょう億劫おくごう畜生の身 

木の葉が枯れるように、朽ちかけてていた我が身に、春が廻ってきたのだ。
青葉茂り花咲く春が。昔の約束が、新たに果たされるのだ。
森や。君から受けたこの深い恩を、もし忘れるようなことがあれば、
わしは、永遠に畜生の身のままとなろう。
(´・(ェ)・`)つ

822鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/10/03(日) 23:38:28 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

 弥勒下生の約束なのじゃ。

 木は凋み葉は落ちても又春は回ってくるのじゃ。
 緑を長じ、花は生じて古い約束も新たになるのじゃ。
 森女の深い恩をもし忘却すれば
 わしは無量億劫も畜生の身になるじゃろう。

823避難民のマジレスさん:2021/10/03(日) 23:58:57 ID:UBsisTfc0
547
陋居      ろうきょ
目前境界似吾癯 目前の境界わがやせたるに似たり
地老天荒百草枯 地老い天荒れて百草枯る
三月春風沒春意 三げつ春風春意なし
寒雲深鎖一茅盧 寒雲深くとざす一ばうろ

碇豊長先生(イカリ トヨナガ)訳・解説抜粋
わびずまい
眼前の境遇はわたしのやつれたさまのようである。
地上の光景は(冬枯れで)老いさらばえたさまで、天上の空模様は、荒れすさぶっており、諸々(もろもろ)の草は、冬枯れである。
春も終わりの月の)三月であるというのに、春風には(全然)春の気配がない。 
寒々とした冬の雲が(わたしの)粗末な庵(いおり)に深く立ち籠めて閉ざしている。

*陋居:狭くて穢(きたな)い住居。わびずまい。自分の住まいを遜(へりくだ)っていうことば。
*似る。…のようである。ごとし。 
*癯:やせる。やつれる。減る。
*地老:地上の光景は(冬枯れで)老いさらばえたさまで。
*天荒:天上の空模様は、荒れすさぶっている。 
*三月:陰暦では、春の終わりの時期。
*沒:〔ぼつ〕無い。「有」の対義語。「無」(打ち消しの意)が相応。
*春意:春の気配。
*一:とるにたらない。とある。一つの。
*茅廬:〔ばうろ〕萱(かや)や藁(わら)などで葺(ふ)いた粗末な庵(いおり)。自宅を遜(へりくだ)っていう。前出・「陋居」のことと同 義。

くま訳
わび住い
目前の境界は、私の痩せ細った姿そのままである。
地上は枯れはて、天候は荒れすさんでいる。 
三月だというのに、春の気配は感じない。
冷たい雲が、わしのちっぽけなあばら家にたちこめて閉ざしている
(´・(ェ)・`)つ

824鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/10/04(月) 21:45:23 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

 ぼろ家なのじゃ。

 目の前の世界はわがやせた姿に似ているのじゃ。
 地は老い、天は荒れて百草枯れるのじゃ。
 三月でも春風はなく、春の感じもしないのじゃ。
 寒雲が日の光を深く閉ざすわが一つのぼろ家なのじゃ。

825避難民のマジレスさん:2021/10/04(月) 22:18:11 ID:G8vTfqjc0
548 
盡梅      尽梅
目前春樹屬孤山 目前の春樹孤山に属す  
上苑一枝無客攀 上苑の一枝客のよづる無し
七寶青黄𤾡紅白 七寶の青黄はな紅白
淡烟疎雨祖師關 淡えん疎雨祖師の關

くま訳
梅尽くし
目前の一枝は、 林逋が住んだ孤山の梅の木の枝のように、風流だ
神々しさに、苑の花見客にも枝を折るものはいない。
七宝焼きなら青黄、花なら紅白の梅が好ましい。
けむるように小雨ふる祖師の関である

*孤山:[1]一つだけぽつんとある山。また、人里はなれたさびしい山。[2]浙江省杭州の西湖の中にある島
の名。梅を愛した隠者林逋(りんぽ)が住んでいた。
*林 逋(りんぽ、967-1028)北宋の詩人。刻苦して独学する。恬淡な性格で衣食の不足もいっこうに気にと
めず、西湖の孤山に廬を結び杭州の街に足を踏み入れぬこと20年におよんだ。妻子をもたず、庭に梅を植え
鶴を飼い、「梅が妻、鶴が子」といって笑っていた。
(´・(ェ)・`)つ

826鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/10/05(火) 23:59:42 ID:1d4drIFg0

 そんな感じじゃな。

 梅尽くしなのじゃ。

 目の前の春の樹は狐山に属するのじゃ。
 上苑の一枝によじ登る客も居ないのじゃ。
 七宝の黄青は金銀にも値するのじゃ。 
 微かな煙に疎らな雨は祖師の関なのじゃ。

827避難民のマジレスさん:2021/10/06(水) 00:00:04 ID:34whNYSA0
549
踈壁齋     そ壁齋
楊岐天下老禪翁 楊岐は天下の老禪翁
從此大興臨濟宗 此れより大いに興る臨濟の宗
紅塵紫陌我乍住 紅塵紫はく我れたちまち住す
山舎半吹黄葉風 山舎半ばは吹くくわうえふの風

くま訳 
踈壁齋 
楊岐方會は天下の老禪翁である。
楊岐により臨濟宗は大いに隆盛を誇ったのだ。
栄光ある活気に満ちた都の大通りのような臨濟宗門の我等は今まさに門徒なのである。
しかし山小屋の辺りでは既に秋風が吹き始めているのである。

*踈:うとむ/うとい/人を遠ざけるなどの意味をもつ漢字
*楊岐方會(ようぎ ほうえ)992-1049:宋代の臨済宗の僧。後世五家七宗の一つに数えられる楊岐派の祖と
して知られる。日本に伝えられた臨済禅のうち、栄西によるものを除く全てがこの楊岐派に属する。
石霜楚円の門下となる。石霜山へと移り大悟した。
*紅塵紫陌(紅塵しはく);中国語;幻想的な栄光の比喩を意味する。「紫」とは、道路の両側の植生の色を 
指す。「陌」はもともと畑の小さな道を指し、ここでは道を指します。紫陌:皇帝の道; 紅塵:ほこり。 
北京路の活気に満ちたほこりっぽいエリアを指します。幻想的な栄光の比喩。
(´・(ェ)・`)つ

828避難民のマジレスさん:2021/10/06(水) 00:17:36 ID:34whNYSA0
くま質問
『盡梅』は、林 逋のことを詠んだ詩でありましょうか?
 「微かな煙に疎らな雨は祖師の関」とは、どのような意味でありましょうか?
(´・(ェ)・`)b

829鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/10/06(水) 23:35:01 ID:1d4drIFg0
↑ 林 逋ではないじゃろう。
 寂しい山じゃな。
 
 何かそのような公案があるのかもしれん。
 あるいはただ目の前の光景がそのまま公案ではないかと、言いたいのかもしれん。
 自ら解釈するのじゃ。

830鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/10/06(水) 23:39:09 ID:1d4drIFg0

 それでよいのじゃ。

 踈壁齋なのじゃ。

 楊岐は天下の老禪翁なのじゃ。
 この人に拠って臨濟宗は大いに盛んになったのじゃ。
 その繁栄の上にわしも住んでいるのじゃ。
 山の家は半ば黄葉の風が吹いているがのう。

831避難民のマジレスさん:2021/10/06(水) 23:45:24 ID:gGjuz4Ec0
550
菊 羅漢楊妃同瓶 菊 羅漢楊妃同びゃう
楊妃爛醉一籬秋 楊妃らん醉一籬の秋
茶褐相交爲好仇 茶かつ相交りて好仇を為す
失卻神通居下界 神通を失卻し下界に居す
應身天寶辟陽公 應身は天寶の辟陽公

柳田聖山先生 訳
赤い楊妃菊は垣根で酔いつぶれる
黒い羅漢菊と相まみえる姿は夫婦
神通力を失った羅漢が下界に来た
まるで漢の辟陽侯といったところ

くま訳
菊 羅漢と楊妃が同じ瓶に挿してある 
楊貴妃が爛醉したような真赤な菊が垣根に一輪
茶褐色の羅漢菊に交ってあるのは、似つかわしいつれあいといるようだ。
神通力を失って、下界に下りてきたのか、
天寶の辟陽公(后妃と大臣が私通していた 審 食其(しん いき))と言ったところか。

*瓶(びょう):仏教で法具として用いられる主として真鍮製の水や香水を入れる器。もとはインド人一般が 
 水,油,塩などを入れ日常生活に用いたもので,梵天や千手観音などの持物とされている。
*爛酔・乱酔:正体がなくなるほど酒に酔うこと。泥酔。
*酔楊妃(すいようひ): 菊の一種か。花は淡紅色という。
*籬:まがき。ませがき。竹や柴(しば)などをあらく編んだ垣根。「籬垣(リエン)」
*好仇:好對といふに同じ(大成脚注)。よい相手。よい仲間。また、似つかわしいつれあい。。
*茶褐:羅漢菊 451の詩参
*応身:仏の三身の一。世の人を救うため、それぞれの素質に応じてこの世に姿を現した仏。釈迦など。
*天宝:唐の玄宗の治世後半に使用された元号。742-756年。
*天寶辟陽公:審 食其(しん いき、? - 紀元前177年)
辟陽の寵:后妃と大臣が私通する事。(苟太后のwiki)
(´・(ェ)・`)つ

832鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/10/07(木) 23:41:41 ID:1d4drIFg0

 それでよいのじゃ。

 菊の羅漢と楊貴妃が同じ瓶に入っているのじゃ。

 楊貴妃は酔って垣根にもたれる秋なのじゃ。
 茶褐色の菊は相交わり、好仇になっているのじゃ。
 まるで羅漢が神通力をなくして下界に落ちたようじゃ。
 応身は天宝の辟陽公の如くなのじゃ。

833避難民のマジレスさん:2021/10/08(金) 00:18:52 ID:aBAvqbq.0
551
覧松源和尚塔名 松源和尚の塔名を見る
冶父住持功不空 やほ住持功むなしからず
抜貧作富甚家風 貧を払ひて富となすなんの家風ぞ
看來省數錢猶在 看來たり数を省すればせんなほ在り
不識脚跟絲線紅 識らず脚跟し線の紅

くま訳
松源和尚の業績を見る 
冶父山住持としての功績は素晴らしい
貧を除いて富となすとはどんな家風であろうか
見てきたところによれば、運命を省みれば、銭はまだあるのである。
どんな赤い糸で結ばれているのか分からないのである。 

*松源崇嶽(しょうげんすうがく)1132-1202年 南宋時代、臨済宗虎丘派。松源派。
*数:はかりごと。世のさまの動き。運命。
(´・(ェ)・`)つ

834鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/10/08(金) 22:51:46 ID:1d4drIFg0

 それでよいのじゃ。

 松源和尚の塔名をみたのじゃ。

 冶父住持の功績は空しくないのじゃ。
 貧乏を抜いて、富を成すとはどのような家風であろうか。
 看来たれば数を減らせば銭もなお余りあるほどなのじゃ。
 脚跟の糸の赤いのもしらないのじゃ。

835避難民のマジレスさん:2021/10/09(土) 00:01:48 ID:kMDUEK2.0
くま質問
「数を減らせば銭もなお余りあるほど」とは、無料奉仕と寄付とかしてたのでありましょうか?
「脚跟の糸の赤いのもしらないのじゃ。」とは、お金持ちのご婦人に惚れられたりしてたのでありましょう
 か?

552
認譬作實    たとへをとめて實となす
野老劫來日用今 野老劫來日用こん
私車公案誤睛陰 私車の公案睛陰を誤る  
昨夜打窓零落葉 昨夜窓を打つ零落の葉
蕭蕭聴作雨聲吟 蕭蕭として聴いて雨聲の吟をなす

くま訳
比喩をしっかりと見分けて、実際のことを理解する。
わしは長年野にあって、日常生活の中で活用してるのだ。
初めて車を作った 奚仲の公案について、その意味するところの微妙な違いは誤解されやすい。
昨夜窓に当たっていた落ち葉の音、
それを聞いて、雨の降る音を聞いたと吟じるようなものである。

*晴陰:晴れと曇り。晴天と曇天。
*私車公案:?・・無門関『奚仲(けいちゅう)造車』奚仲という車造りの名人がいた。その奚仲があるとき、
 車の車輪を外し、芯棒を外し、あれを外しこれを外し、バラバラにして考え込んでいた。奚仲は何をやっ 
 ていたのだろうという公案。この場合車というのは自分のこと。
*蕭蕭:物寂しく風が吹く、または雨が降るさま。
(´・(ェ)・`)つ

836鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/10/09(土) 23:28:36 ID:1d4drIFg0

 買うものの数を少なくしたのじゃな。
 節約なのじゃ。
 節約すれば金も余るというのじゃ。

 このような表現は公案にもあり、一休の詩にも時々出てくるのじゃ。
 結局婦人との縁を断ちきっていたというのであるから、もはや淫欲もなくなっていたという意味じゃな。

837鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/10/09(土) 23:38:21 ID:1d4drIFg0

 そんな感じじゃな。

 譬えを認めて宝とするのじゃ。

 野老は大昔から日用を今とするのじゃ。
 私車の公案は晴陰を誤っていたのじゃ。
 昨夜は零落する葉っぱが窓を打っていたのじゃ。
 蕭蕭として聴けば雨音も詩吟のようなのじゃ。

838避難民のマジレスさん:2021/10/09(土) 23:54:37 ID:v15d1gT20
くま質問
「日用を今とす」「私車の公案は晴陰を誤っていた」とは、どのような意味でありましょうか?

553
婬水
夢迷上苑美人森 夢に上苑美人のしんに迷ふて  
枕上梅花花信心 ちん上の梅花花信の心
滿口淸香淸淺水 満くの清香 清浅の水 
黄昏月色奈新吟 黄昏の月色新吟をいかんせん

碇豊長(イカリ トヨナガ)先生訳・解説抜粋
婬水
夢で上苑の美人の森に迷ってしまい。
枕辺の梅の花(女性)は、はや、花が咲いたと知らせたい思いのようである。
口いっぱいの(梅の花の)清らかなにおいの、清くあわい水で。
たそがれの月の色よ、新たな吟声をどのようにしたらよいのだろうか。

くま訳
婬水
夢で上苑の美人森に迷ってしまい 
枕元で、既に花が咲いたと知らせたいようである。
口いっぱいの清い香の清水
黄昏月の光よ、次の一句・・森の声を、ははてどうしたらいいものやら。

*婬水:川のあふれた水。氾濫する水。・婬:みだら。ほしいまま。=淫。
*夢迷:心が迷う。夢中になる。
*上苑:天子の庭園。宮中の庭園。
*花信:花が咲いたという知らせ。花だより。
*月色:月の色。月のさま。女性の頬をも謂う。
*奈:どうしよう。処置を問う。いかん。いかんせん。
*新吟:あらたな詩歌。新たなうめき声。

(´・(ェ)・`)つ

839鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/10/10(日) 23:45:45 ID:1d4drIFg0
↑日常の一つ一つに集中していることじゃな。
 今ここにあることなのじゃ。

 晴れと曇りとは裏表であり、主客といえるじゃろう。
 車と奚仲のどちらが主であり、客であるのか誤ってはいかんというのじゃな。
 なかなか難しいがのう。

840鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/10/10(日) 23:48:19 ID:1d4drIFg0
 それでよいのじゃ。

 淫水なのじゃ。

 夢に上苑美人の森に迷うのじゃ。
 枕上の梅花は花信の心のようじゃ。
 滿口の清い香りは清浅の水のようじゃ。
 黄昏の月色新吟をいかにせんと思うのじゃ。

841避難民のマジレスさん:2021/10/10(日) 23:59:37 ID:RwbytKqk0
554
爲悪知識警策  悪知識の為に警策す
因憶玄都千樹桃 因って憶ふ玄都千樹の桃
劉郎醉語許多豪 劉郎醉語許多の豪
利名知識極驕功 利みょうの知識極めて功に驕る
堯帝土堦三尺高 堯帝の土堦三尺高し

くま訳
邪法を説く悪知識の為を思い、警告するのである。
そこで思うのであるが、劉禹錫は、何故都の千本の桃の木の詩を詠んだのか。  
劉さんは、酔っ払って暴言を吐きまくる見掛け倒しの豪の者だったのである。
名利のために知識を得たものは、その知識をひけらかしたくなるものなのだ。
堯帝の宮殿の階段は土で作られ、高さ三尺。聖者は慎ましくあるべきなのだ。

*悪知識:悪法、邪法を説いて人を悪に誘い入れる邪悪な人、また、悪い師友
 警策の意味
*警策:禅堂内で警策は文殊菩薩の手の代わりであると考えられている。警策で打つという行為は、坐禅修 
 行が円滑に進むようにという「文殊菩薩による励まし」という意味を持つ。
*玄都千樹桃:武陵の桃源を云ふ、晋の大元中、武陵の人、魚を捕るに縁つて行けば、桃花両岸を挟み、落英 
 繽紛たり、其の林を窮めんと欲すれば水源盡く、便ち一山あり、小口を入れば土地平廣良田美地あり、男 
 女皆外人の如し、秦の嵐を避けて妻子を率いて来ると、漁人帰って太守に説く、人をして更に行かしむれ
 ば、迷ふて道を得ず、南陽の劉子驥高尚の士なり。これを聞いて行かんとしていまだ果たさず、尋で、病
 んで終ふ、後遂に之れを問ふものなしと。劉郎醉語云々は又晋書に『劉伶嘗つて醉ひ俗人と相忤(さから)
 ふ、其の人袂を攘ひ拳を奪ひて行く、伶徐に曰く、「鶏肋以て尊拳を安んずるに足らず」と。其の人笑ひ
 て止む』と。(大成脚注)
*玄都千樹桃:劉禹錫[りゅううしゃく]が政争で失脚し、十年後に都に戻った際に、詠んだ絶句の一節。
*尭階三尺(ぎょうかいさんじゃく):君主がつつましい生活をすることのたとえ。古代中国の伝説の聖天子 
 の宮殿は、土を固めただけの階段があり、高さは三尺ほどしかなかったということから。君主の生活の理
 想とされている。

*おまけ:玄都千樹桃:中唐の詩人劉禹錫[りゅううしゃく]は新進官僚となって間もないうちに政争で失脚
し、
十年後に都に戻った際に、「元和十年(八一五)、朗州より召を承けて京に至り、戯れに花を看し諸君子
に贈る」という長い詩題をもつ絶句の一節。
 紫陌紅塵払面来  紫陌[しはく]の紅塵 面を払いて来たる
 無人不道看花回  人の花を看て回[かえ]ると道[い]わざる無し
 玄都観裏桃千樹  玄都観裏[げんとかんり] 桃千樹
 尽是劉郎去後栽  尽[ことごと]く是れ劉郎の去りし後に栽[う]う

 帝都の大通り、にぎわいの粉塵が顔にふりかかる。
 誰も彼も花を見ての帰り道だと言う。
 玄都観のなかには桃の木が千本。
 すべてこれは劉さんが都を去ったのちに植えられたもの。

 長安にあった道教寺院の玄都観、そこは今や爛漫と咲き誇る桃の花に埋め尽くされている。自分の知る十
年前とは一変した光景であった。桃は仙界の果実なので、道観に植えるにふさわしい。「劉郎」は六朝の志
怪小説などで漢の武帝劉徹を指す語だが、ここでは劉禹錫は同姓の「劉」を使って自分をまるで物語の登場
人物のように言う。
 その劉郎は花の名所ができたことを喜んでいるわけではない。この詩は明らかに寓意を含んでいる。かつ
て劉禹錫が加わった二王(王伾[おうひ]と王叔文)を中心とする改革派は政争に敗れ、一斉に放逐された。
政治犯として十年を地方に追いやられたのは異例に長い冷遇であった。やっと呼び戻された今、朝廷の人間
模様はまったく様変わりしていた。埋め尽くす桃の花が、栄華を誇る新たな権力者たちを皮肉っていること
は明らかだ。そのために朝廷を誹謗したとみなされて、劉禹錫は再び遠くに追いやられる。
(´・(ェ)・`)つ

842鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/10/11(月) 23:10:52 ID:1d4drIFg0

 それでよいのじゃ。

 悪知識のための警策なのじゃ。

 因って思うに玄都の千樹の桃なのじゃ。
 劉郎は醉語を多く許す豪のものだったのじゃ。
 それは利名のための知識であり極めて功名に驕ったものだつたのじゃ。
 堯帝の真の功業には遠く及ばないものだったのじゃ。

843避難民のマジレスさん:2021/10/12(火) 14:41:20 ID:zbbxxrJ60
くま訳改
第四句:堯帝の真の功業には遠く及ばないものだったのだ。

555
鸞輿盲女屡春遊 らんよの盲女しばしば春遊す  
鬱鬱胸襟好慰愁 鬱鬱たる胸襟愁を慰むるに好し
遮莫衆生之軽賤 さもあらばあれ衆生の軽賤することを   
愛看森也美風流 愛し看る森や美風流  

水上勉先生訳・解説(プラネットワーク ブログより)
美しい車にのって 盲女しばしば春遊び
鬱したる気分にはいい 愁いが慰む
どうでもいいよ 人々が下にみるとも
わが愛し看る森よ はんなりしてるよ

くま訳
天子の乗るような輿に乗り、しばしば盲女が春遊にでかける
鬱々とした思いは、かえって、愁いを慰めてくれる。
どうでもよいことであるよ、世間から軽蔑されることなどは。
愛おしくてたまらず見つめてしまうのである、美しくて風流な森を

*鸞輿(らんよ):天子の乗る輿(こし)。
(´・(ェ)・`)つ

844鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/10/12(火) 23:41:54 ID:1d4drIFg0

 それでよいのじゃ。

 盲女は天子の使うような輿に乗ってしばしば春遊するのじゃ。
 鬱々とした胸襟を開き愁いを慰めるのによいのじゃ。
 衆生の軽蔑があるなにばあるとよいのじゃ。
 森女の美風流を愛し看るのじゃ。

845避難民のマジレスさん:2021/10/12(火) 23:46:16 ID:xNu8Iv460
556
重題靈山和尚  重ねて靈山和尚
示榮衒徒法語後 榮衒の徒に示す法語の後に題す

李下従来不整冠 李下従来冠を整へず    
奔馳世上豈諛官 世上に奔馳してあに官にへつらはん 
江山風月我茶飯 江山風月我がさはん、   
自咲一生吟味寒 自ら咲う一生吟味さむし 
 
くま訳
李下に冠を正さずは、言うまでも無い。
あわてて役人にへつらう事はすべきではない。
山河風月を愛でるのは我が日常のことなれど、
自嘲する、万事を厳しく吟味してしまうこと。

*奔馳(ほんち):走ること。奔走
*吟味:1 物事を念入りに調べること。また、念入りに調べて選ぶこと。2 罪状を調べただすこと。詮議
 3 詩歌を吟じてその趣を味わうこと。
(´・(ェ)・`)つ

846鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/10/13(水) 23:22:18 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

 重ねて靈山和尚なのじゃ。
 法語の後に題して榮衒の徒に示すのじゃ。

 李の木の下で冠を正さないのは従来疑われないための用心なのじゃ。
 世の中を走り回れば官にへつらう疑いをうむじゃろう。
 江山風月を楽しむのはわが日常なのじゃ。
 一生厳しく吟味することを自ら笑うのじゃ。

847避難民のマジレスさん:2021/10/13(水) 23:42:57 ID:nIKmXuXQ0

くま訳改
第二句:世の中を走り回れば官にへつらう疑いをうむであろう。5

557
不殺生戒
李廣将軍一片心 李廣将軍一片の心
多年石虎識情深 多年の石虎識情深し
殺人端的不眨眼 人を殺す端的眼をさつせず
敢忍燈前夜雨吟 敢て忍ばんや燈前夜雨の吟

くま訳
不殺生戒
李廣将軍は一本気な心の持ち主であった。
長年、虎と信じて射れば石をも貫く精神力をもっていた
人を殺すときには瞬きをしない。
無理矢理にでも忍ぶ心を、夜分灯りの前で歴史書から学ぶのである。

*李廣将軍:李黄は漢の武帝の時、右北平の太守に拜す、匈奴號して飛将軍といひ、之れを避く、景帝の時、
驍騎将軍となる、後匈奴を撃ち道に迷ひて、長吏の責に遇ふ、廣遂に自殺す、孝壮ために皆涙す(大成脚注)
*石虎識情深:漢書に李廣人と為り、猨臂長く、其の善く射る亦天性なり、廣、出獵して艸中の石を見、以
て虎と為し、而して之れを射る、石に中り、矢を沒す、之を見れば石なり、他日之を射、終に入る能はずと。
又楚の雄渠子、出でて寝石を見る、以て伏虎となし、将に去らんとして之を射る、矢其の衛に沒す。或曰く、
養由基寝石を見、以て兕となし、之を射れば矢、羽を飲むとあるに類す。心に依りて境の變ずるをいふ(大成脚注)
*識:意識、生命力、心、洞察力との意味。認識対象を区別して知覚する精神作用を言う。
*七情:喜・怒・哀・楽・愛・悪(お)・欲をいう。
*一片心:ひとつの心。
一片氷心:俗塵ぞくじんに染まらず清く澄みきった心、また心境のこと。名利を求めず、汚れなく清らかな
品行のたとえ。ひとかけらの氷のように清く澄んだ心の意から。
*眨(さつ)す。:瞬き
*敢えて:1 やりにくいことを押しきってするさま。無理に。2 (あとに打消しの語を伴って)
㋐特に取り立てるほどの状態ではないことを表す。必ずしも。㋑打消しを強める。少しも。全く。
(´・(ェ)・`)つ

848鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/10/14(木) 23:30:23 ID:1d4drIFg0
大体そんな感じじゃな。

 不殺生戒なのじゃ。

 李廣将軍は一片の慈悲心を持っていたのじゃ。
 多年の石虎は深い識情をもっていたのじゃ。
 殺人虎であると目付けしなければ矢を刺さなかったのじゃ。
 わしも燈前夜雨の吟をあえて忍ぶのじゃ。

849避難民のマジレスさん:2021/10/14(木) 23:52:17 ID:k8Ljyz3.0
くま質問
 「多年の石虎は深い識情をもっていた」とはどのような意味でありましょうか?
 「殺人虎であると目付けしなければ矢を刺さなかった」とは、ただ虎であると言うだけで、殺すことはな
 かったと言う意味で在りましょうか?
 「燈前夜雨の吟」とはどのような意味でありましょうか?

558
虚堂和尚三轉語 虚堂和尚の三轉語
龍門萬仭碧波高 龍門萬じん碧は高し
天澤面前誰畫牢 天澤面前誰か牢を画す
生鐵鑄成三轉語 しょう鉄い成す三轉語
作家爐鞴煆吹毛 作家のろはいすい毛をきたふ

くま訳
禪門修行の目的地への航路は遠く波は高い。
虚堂の面前で誰が地面を区切って、牢となすような事をするというのだ
生鉄を鍛えるのが、この三転語である。
禪師のふいごは生鉄を 吹毛の剣に鍛え上げるのだ

*虚堂和尚三轉語 https://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/ >>972
*仭(じん):はかる/深さをはかる/ひろ/高さや深さをあらわす単位
*炉鞴(ろはい):鍛冶が用いるふいごのこと。転じて禅門では師家が弟子を鍛練する道場のことをいう。
*吹毛(の剣):吹きかけた毛も断ち切るほどの、よく切れる剣。
(´・(ェ)・`)つ

850鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/10/15(金) 23:20:17 ID:1d4drIFg0
↑それは石の虎が多年を経て命が宿っていたというのじゃ。
 もののけじゃな。

 そのような意味なのじゃ。
 李廣将軍が石の虎に矢を刺さなかったのは、石と気付いたからではなく、人を殺さぬ虎と気付いたからというのじゃな。
 
 
 誰かが雨の夜に詩吟していたのじゃな。
 李廣将軍のように一休もそれを忍ぼうというのじゃ。


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