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作品投下専用スレッド2

1管理人★:2011/02/19(土) 12:48:34 ID:???0
新スレです。
作品を投下するためのスレッドです。トリップを忘れずに。 

2音無き世界の果て ◆5ddd1Yaifw:2011/02/19(土) 23:42:23 ID:IXXeC6eU0
「ふう……やっと落ち着けるのれす」
「いや〜、わたしもさっきの攻防で疲れてしまったのですヨ」
「まあ此処なら落ち着けるだろ、とりあえずは休憩としよう」

薄汚れてはいるが白の色を全面に押し出した診療所のとある一室で俺と三枝、シルファは椅子にだらりと座っていた。
数時間前に立華奏の分身体に襲われて、何とか撃退した後どこか休憩できる場所に行こうということになって近くにある診療所を目的地にした。
理由としては治療道具やらがありそれらを確保するため、加えてきちんとした休める場所として最適なためだ。
これでも医者を目指していた身だ、二人と比べてもそのへんの知識は人一倍有るつもりだ。
そうして少し歩き、この場に着いた。

「しかし、いきなり襲われて大変だったろ」
「まったくですヨ! こちとらかよわい女の子二人組だっていうのにっ」
「はるはるは全然かよわい女の子だとは思えないのれすが……」
「何か言ったかなあ、シルシルゥ!」
「う、うきゃあああああああああああっっっ!? ど、どこ触ってるんれすかぁああぁあーーー!」

手をわきわきと動かしシルファににじり寄る三枝に後ろによろよろと後退するシルファ。
こいつらこの島で会ったばっかりらしいなのに仲いいんだな、御世辞にも人と付き合うことが巧いというわけではない俺には眩しく見える。

「う、あっ、そ、そこはらめれすっ! はるはっる!」
「ええのんか? ここがええのんか!」

狙いはシルファの腰……とフェイクして胸。腰からゆっくりと、しかし確実に胸へと迫っていく。
最初はあまり強く揉まずに優しく丁寧に。割れ物を扱うかのごとく慎重に揉みしだく。
緩急をつけ、ある時は強く荒々しく揉み、ある時は弱く撫でるように。
シルファが敏感に感じる部分を一直線に薙ぐ。薙いで終わりではない、まだここからが本番。
瞬時に逆方向から戻すように同じ部分を指が駆け抜ける……ってどうして乳揉んでんだ、あいつは!
俺も冷静に何見てんだか。

「何やってるんだ、お前らは」

名簿を軽く丸めたもので二人の頭を軽く叩く。あまりそういう免疫がない俺にとっては恥ずかしいことだった。
こんな時にボケが出来るほどバカではない、というか生前の人生でも死んだ後の生活でもこういう色ボケ沙汰はあまりないことがそれに拍車を掛ける。
あんまり接してなかったからなぁ、女性と。それを抜きにしても俺がこういうノリが苦手で奥手だろうという理由もあるんだけど。

3音無き世界の果て ◆5ddd1Yaifw:2011/02/19(土) 23:44:29 ID:IXXeC6eU0

「一応、此処に男がいるんだからそういう事はするもんじゃないぞ」
「えー。別に気にしない、気にしない! これぐらいは常識の範囲内っ!」
「どこがだ、範囲内どころか遥か彼方までぶっとんでるってのっ!」
「いやいや〜最近の女の子は進んでるんですヨ〜、これぐらいは当然のスキンシップとして存在するんです。あーゆーおーけー?」
「ノーだ! 第一俺は男だ! 女の子の常識なんて知るかっっ!」
「そんなんじゃモテナイよ、音無くん……ダメダメ……思考が駄目っ……」
「お前のほうがダメダメだよ……鏡で自分自身見てみろよ……」
「はるはるもいい加減離してくらさい! いつまれさわってるれすかぁ……」
「そんなのわたしの気が済むまでー!」
「うひゃああああああっ!」
「誰か助けてくれ……まともな奴はいないのかよっ」

そんなこんなでまともな会話になるまで暫くの時間を俺等は要した。
こいつらと出会ってから気苦労が絶えない。胃薬が欲しいくらいに。
二人ともベクトルは違えど色々とぶっとんでるから、相手をしていて飲み込まれっぱなしだ。

「まず最初にかくかくじかじかでまるまるさんかくな目にあってしかくしかくな危機をくぐり抜けてこうなったというわけです」
「そんな説明でわかるかーーーーっ!」
「やっぱりだめかー、漫画や小説みたいにうまくいかないなー」
「フィクションと現実を一緒にするなんてはるはるは本当に……ごめんなさい、何も言ってないれす」

そしてこんなやり取りが頻繁に続く。三枝がボケて、俺がつっこみ、シルファが話題を切り替える。
この循環が延々とループしていた。正直ここまでリラックスしている参加者は俺等以外はいないだろう。
いたらそいつらに突っ込んでやりたい、真面目にやってくれって。

「まあ、まじめに話してもそんなないですヨ、ただ最初にシルシルと会って一緒に知り合い捜そーってなってですね。
 その後にあの銀髪クーデレ美少女に襲われてあわや黄泉比良坂に首突っ込むぞーってところで音無くんに助けてもらったっ!
 総括としてはこんな感じですネ。助けてくれてありがとう、音無くんっ! 命の恩人だよ!」
「所々なんかおかしい部分はあったけどそれで全部か?」
「そーうでーす」
「最初からそう言ってくれよ……」

俺はもう限界ですと言わんばかりにだらしなく診療所に備え付けの長い椅子に身体を預けた。長距離の深い森の移動、奏の分身体との戦闘、そして二人とのやり取り。
身体と心は疲労を訴えていた。SSSでのやり取りで少しはこんなバカなやりとりも慣れていったが自分で言うのも何だけど本来は真面目一直線な性格だ。
三枝やシルファのような徹頭徹尾おちゃらけた人と深く接していない身としては疲れがでてしまった。

「音無くんってば溜息ばっか吐かないの! そんな疲れた顔してると幸せが逃げていっちゃうよ?」

4音無き世界の果て ◆5ddd1Yaifw:2011/02/19(土) 23:46:32 ID:IXXeC6eU0

まあ、悪いヤツじゃないんだけどな。
初めの印象はそれなりにいいものだった。三枝の騒がしさによりすぐに下方修正することになったが。
だけど、もう一人の同行者であるシルファはなぜか目を合わせようとしない。
疑問には思ったが深く考えても仕方ないと早急に割り切りの精神で対応した。
それにこれからある程度改善されればいいと考えた方が気分も滅入らない。

「ともかく、あんたらこれからどうするつもりなんだ?」
「これからって?」
「いや、何か目的ぐらいはあるんだろ?」
「はい! 私はご主人様とイルイルとミルミルを捜すのれす!」
「う〜ん、あたしは……同じ学校の仲間をね」

三枝の方はありふれた願い。同じ学校でよく遊んでいる仲間と会いたい。
聴いたところによると仲間全員がこの殺し合いに巻き込まれているという稀有な事態だ。
それは俺にも言えること、SSSの主要メンバーがだいたい揃っているからこの場では稀有ではないと思う。

「三枝の方はわかったけど、シルファはそのなんだ……ご主人様ってどういうことだ?」

シルファの目的、ご主人様、イルイル、ミルミルを捜すこと。はぁ? と思わず聞き返したくなるぐらいに奇想天外な言葉が出てきた。
重い重い息を吐いて俺は頭を抱える。いったい何を言ってるんだ、イルイル、ミルミルって誰だよ。というか、ご主人様とか何処のメイドさんだ。
それともそういう趣味……の人と付き合っているんだろうか。
だが、口に出してしまうとますます距離を置かれてしまう、故にやんわりと否定の意を示す。

「メイドとか常識的にないだろ、うん」
「私はメイドロボット、HMX-17c シルファれす!」
「もっとねえよ。現代科学はどこまで進歩してるんだよ、おい!」
「そんなことないれす、常識的に考えてもあるのれす。私が良い証拠なのれす」
「あー、まあいいや。そういうことでいいや……」

結局、メイドロボットが実在するかどうかは先延ばしとした、これ以上聞いてても頭が痛くなるだけだ。
そして、肝心のご主人様とイルイル、ミルミルについての情報は聞くのにそれなりの時間がかかることとなった。
何故ただの情報交換にここまで疲労感を覚えたのだろうか。
理由はわかる、この二人のマイペースさに当てられたということがまず第一に挙げられる。
殺し合いの場だというのに普段どおりを貫き通している。
それともこれは安心させる優しい気遣いならたいしたものだと、感心するんだけどな。
実際に俺は幾分か救われているのかもしれないとりとめもなくそう思った。
ずっと息を張り詰めても後が持たないし。

「堅すぎるんだよー、音無くんはー。ほれ、なんならこれでも揉んで元気出してみる?」
「ふぇ!? はるはる、私に触れていいのは御主人様だけれす! 提供するならはるはる自身でやってくらさい!」
「しょうがないなあー、この美少女はるちんの美乳を特別に触らせてあげようじゃないか! さあ! ハーリー! ハーリー!」

5音無き世界の果て ◆5ddd1Yaifw:2011/02/19(土) 23:47:16 ID:IXXeC6eU0

前言撤回、こいつ馬鹿だ、同じSSSに所属する野田やユイレベルの馬鹿だ!
心の中でそう叫んだ。
何故叫ばないのか? 大声出して危険人物に見つかったらどうする、まだそこまで危機感を失った訳ではない。

「ああ、俺、疲れたよ……」

俺はげんなりとして数分後にはすっかり憔悴していたのであった。

6音無き世界の果て ◆5ddd1Yaifw:2011/02/19(土) 23:47:54 ID:IXXeC6eU0



◆ ◆ ◆



果たしてそれは生きていると言うことが出来るの?



◆ ◆ ◆



……疲れた。ともかく俺は診療所に何か包帯や消毒薬がないかいろいろと探し回っている。他の二人には休んでもらっている。
それなりにSSSとして銃を持って戦っていた日常を過ごす俺とは違って二人はただの学生、できれば体力は温存してもらったほうがいい。
さてと、やっと一人になれた。これで静かな空間で俺がゆっくりと思考できる。

ついさっき出した考察――俺達は生きているか?

それとなく三枝とシルファに聴いてみた。俺個人だけの考えだけで考察を進めるよりも二人のここに連れてこられる前の状況について聴いた方がいい。
固定概念に囚われるな。そう、何時だってこの世界は不確かだから。
本題に入る、三枝は修学旅行の最中、シルファはご主人様(河野貴明というらしい)の家でいつも通りに過ごしている時、この殺し合いに呼ばれたらしい。
さすがにアンタ死んだことあるか? とは聞けなかった。何言ってるんだとばかにされるのがオチだ。

結論として俺達は生き返ったのか?

二人に自分が死んだという自覚はなかった。ということは俺は生き返った?
ただそれは最初の俺と同じように一時的な記憶喪失――俺と同じように死んだ記憶がなかった。
そう捉えられる可能性だってある。結局の所いくら考えても、正しい情報と信頼できる仲間を集めても、真実には雲がかかったままだ。
わからないままの真実を知る方法はただひとつ。優勝すること。優勝して俺は生きているのかを聞くこと。
だがそれはできない。“初音”がそれを望まないから。“初音”がそれを許さないから。
だから俺は殺し合いに乗れない。乗ってはいけないんだ。
そう。



全ては“初音”が願ったから。



だから俺は抗う。

――い。

だから俺は生きていく。

――おい。

俺は今何を思ったんだ? 頭の中で組み立てた思考に対して疑問を浮かべてしまった。
俺の抗う理由。俺の生きる理由。

7音無き世界の果て ◆5ddd1Yaifw:2011/02/19(土) 23:48:16 ID:IXXeC6eU0



“音無初音”



空虚な日々に終止符を打った俺の妹だった人。
初音がいたから生きてきた。初音がいたから医学を志した。初音がいたから死後の世界でも何かを救うために奔走した。
気づいてしまったんだ、そこに、俺の意志はあったのだろうか? 俺の本来の意志――音無結弦は存在していたのだろうか?
俺は本当に生きていたって言えたのだろうか? 俺自身が今ここで何かを救えているのだろうか?
否――断定。俺は生まれた時から空っぽだった、何も、なかった。そこに初音の死の間際に意志が注がれただけ。
生きているのは“音無結弦”ではなく“音無初音の残骸”。
俺が人を助ける理由――ハッピーエンドを目指す理由。過去に誓った決意。俺の人生。

全ては終幕、喪失、絶望、虚無、崩壊、人形、機械。

ああ、なんてざまだよ、直井にお前の人生は本物だったはずだろって言える資格、なかったじゃねえか。
だって俺自身の人生こそ――偽りだったのだから。
全ては借り物で、それをあたかも俺が自分で手に入れたかのように。
だって誰かのためにこの命を費やせるならって願いも。全部初音の意志だったんだ。
なかなかに最低じゃないか、善でもなく悪でもなく無。俺の名前に連なっているように俺自身の生きている音が無い。
だって俺はからっぽだから。音無結弦は。


「最初から消えてたんだ」


張りぼての意志が崩れていく。何もかもがグチャグチャに。
結局さ、生きていた原初の理由も初音。医学を目指した原初の理由も初音。人を助ける原初の理由も初音。
そう。何もかも。
存在、肉体、精神、心臓、理由、人生――――全部が。

初音初音初音初音初音初音初音初音初音初音初音初音初音初音初音初音初音初音初音初音初音初音初音初音初音初音初音初音初音初音初音初音。
初音初音初音初音初音初音初音初音初音初音初音初音初音初音初音初音初音初音初音初音初音初音初音初音初音初音初音初音初音初音初音初音。
初音初音初音初音初音初音初音初音初音初音初音初音初音初音初音初音初音初音初音初音初音初音初音初音初音初音初音初音初音初音初音初音。
初音初音初音初音初音初音初音初音初音初音初音初音初音初音初音初音初音初音初音初音初音初音初音初音初音初音初音初音初音初音初音初音。

8音無き世界の果て ◆5ddd1Yaifw:2011/02/19(土) 23:48:47 ID:IXXeC6eU0

この身体全てのどこをくまなく見ようとも。音無結弦はいない。
そして、俺の全てになっている“初音”を殺したのは誰だ?



お ま え だ ろ 。



あの雪が降りしきるクリスマスでの出来事。俺が無理やり連れだしたせいで初音は死んだ。
立派な殺人だ、そんな手で俺は人を救う医者を目指していたのか? 滑稽だ。三流にも劣る五流喜劇だ。
この心の臓に音は無い。音無き心臓が脈を打つのは“初音”がいるから。

ああ、気づかなければ俺は。“音無結弦”として偽装できたのに。
これから、どうすればいいんだ? 今も休んでいるだろう三枝達とどう接したらいいんだ?
きっと一緒にいることに耐えられないだろう、あいつらが笑顔で。



助けてくれてありがとうって言ってくれたんだ。



違う、違う違う違う違う違う違う違う違う違うっっっっ!
俺にそんな言葉を受け取る資格はないんだ、ただ初音の意志に従って助けただけなんだ、俺の本心から助けた訳じゃないんだっっ!
……こんな時でも伸び伸びと生きている彼女達が羨ましい、借り物の意志で動くロボットみたいな俺と違って自分の確固たる意志がある彼女達が眩しかった。
ふと気づいた、泣いているのか、俺。涙が両の瞳からポタポタとこぼれ落ち、スラックスを濡らす。
救急用具を探すのも忘れ、俺はただ、俯いていた。静寂の空間、時計の針が動く音だけが部屋に響く。
そしてふと顔を上げると壁にかかっていた時計が視界に入る。五時五十九分。
俺のグシャグシャになった内面など気遣うこと無く。
放送が、始まる。



【時間:1日目午後5時59分ごろ】
【場所:F-6 診療所】


 音無結弦
 【持ち物:コルトパイソン(5/6)、予備弾90、水・食料一日分】
 【状況:疲労小】
 【目的:???】


 三枝葉留佳
 【持ち物:89式5.56mm小銃(20/20)、予備弾倉×6、水・食料一日分】
 【状況:健康】
 【目的:佳奈多を探す】

 シルファ
 【持ち物:不明支給品、水・食料一日分】
 【状況:額に軽度のケガ(?)】
 【目的:貴明、イルファ、はるみを探す】

9 ◆5ddd1Yaifw:2011/02/19(土) 23:49:17 ID:IXXeC6eU0
投下終了です。

10名無しさんだよもん:2011/02/20(日) 09:18:58 ID:fKXGXKsQ0
何度もすいませんが誤字の指摘です。
Come with Me!!の「強大なギリアギナ族に虐げられて、諦めていたあの頃と。」の箇所について
ギリアギナ族ではなくギリヤギナ族が正しいのですが…ページの修正お願いします。

11七回目のベルで ◆Sick/MS5Jw:2011/02/20(日) 13:39:47 ID:UxP9Gd1s0

それは声。王の声だ。

「―――さあ、真帆」

隷属者は、だから、逆らえない。
逆らうことを、許されない。

「レッスン2だ」

それは道理だ。支配者と、被支配者。
その二つを並べたときに現れる、当たり前のかたちだ。

「動く獲物を、仕留めてみせろ」

意思とか、感情とか。
そういうものを超えたところにある、『そうでなければならないもの』。

「ナイフでも銃でも、好きな方を使っていいぞ」

朝になれば、日が昇るように。
夏が暑くて、冬が寒いように。

「あのジジイを、殺せ」

それは、崩してはいけない、世界のルールだった。
だから葉月真帆の震える指は、それでも躊躇わずに、拳銃を選んだ。


***

12七回目のベルで ◆Sick/MS5Jw:2011/02/20(日) 13:40:03 ID:UxP9Gd1s0

一発目は、外した。
岸田洋一に背中を押されるように斜面を駆け下りた葉月真帆が言葉もなく発砲した弾は、
着弾の音すら聞こえなかった。まるで見当違いの方へと飛んでいったようだった。
細い目を見開いた白髪の老爺が何かを言おうとする前に、二発目の銃声が響く。
やはり、当たりはしなかった。
どう外れたのかも、分からなかった。
は、は、と息を吸うたびにひきつけのように全身が震えて、まるで照準が定まらない。
刺された左腕がびくりびくりと痙攣する。
地獄の責め苦のように思えた傷は考えていたよりも遥かに浅く、きつく縛られた腕からは
ひどい出血もない。骨まで届いたように感じられたのに、実際には肉を浅く削いだだけだった。
本当に骨まで届くような刺し傷は、ならばどれほどの苦痛だろうと、真帆はどこか他人事のように考える。
他人事のようにしか、考えられなかった。
実感してしまえば、本当に想像してしまえば、耐えられない。
だから、他人事にするしか、なかった。
それでも熱く鈍い痛みは鼓動と共鳴して腕を揺らす。
腕が揺れて心が揺れて、焦って引いた引き金が、三発目の銃弾を無駄にする。

「―――ッ」

息が、苦しい。
肺が壊れて、吐く息の半分ほども吸い込めないように感じられた。
全身が酸素を要求して暴れだす。
膝が笑う。腿が震える。視界が狭まって暗くなる。耳の奥では甲高い音がずっと鳴り響いている。
四度目に引き金を引こうとした瞬間、

「つまらんな」

と、声が聞こえた。
岸田洋一の、声だった。
息が、止まった。
じくりと、縛った布地の下の傷口から赤い血が溢れたように感じられた。
膝の、腿の、肘の、手首の、胸の、首の、目の、震えが収まる。
葉月真帆という怠惰で無能な管理者を無視して放埒に騒いでいた身体機能が、
王の一声を以て統率を取り戻したようだった。
正面に、目標が見えた。仕留めるべき、獲物。

13七回目のベルで ◆Sick/MS5Jw:2011/02/20(日) 13:40:21 ID:UxP9Gd1s0
「―――」

教えられたとおりの姿勢を、全身がトレースする。
流れるように、引き金を引いた。
乾いた発砲音と同時に、目標が揺れた。
深い色のカーディガンを纏った細い腕が、弾かれるように跳ね上がっていた。
外した、と思う前にもう一発、二発。
一度の射撃で三発。これが基本だ。王の声が再生される。
しかし二発目と三発目は目標に命中することはなかった。
王の声は外すな、仕留めろとだけ繰り返されていて、外したときにどうすればいいのかは
命じてもらえなくて、だから真帆は、射撃姿勢のまま、固まる。

ち、と苛立たしげな舌打ちが上から聞こえてきたような気がして、
不興を買ったのだということは理解した。
何とかしなければと焦っても、どうすればいいのかが分からない。
じくりじくりと、腕の傷が何かに咀嚼されているように痛んでいた。

そうして固まっている真帆の前で、目標が動いた。
走るでもなく、逃げるでもない。
ただ、どくどくと血の滲む腕を押さえながら、老爺は真帆に向けて歩いてくる。
足をひきずるようにして一歩づつ近づいてくる老爺を前に、真帆は動けない。
命令のスクリプトはエラーを吐き出し続けていて、肉体の支配権は葉月真帆という
隷属者には存在しなかった。

目の前に、老爺が立っていた。
既に外しようのない距離。
銃口は、老爺の胸の辺りを照準に納めている。
それでも真帆は動けない。

14七回目のベルで ◆Sick/MS5Jw:2011/02/20(日) 13:40:55 ID:UxP9Gd1s0
老爺の目が、至近から真帆を見据えている。
見事な白い髭を蓄えた口が、ゆっくりと開く。

「……お前さんは、どこにおる」

それは、乾いた風のような声。
動けない真帆に吹きつける、荒野の風だった。

「……あ、」
「お前さんは、どこに立つ」

答えられない。
声は身体の領分で、身体は真帆に従わない。

「お前さんは……誰じゃ」

暮れなずむ山道に、静かな声が響く。
耳に入る音と、目に映る光景と、老爺の言葉の意味が、繋がらない。
繋がらないから、葉月真帆はその意味だけを、考える。

誰。葉月真帆。
本当に? 当たり前。
本当に? しつこいな。
本当に? だって、他の何だっていうんだ。

だったらどうして、身体を自由に動かせないの?
……それは、だって、仕方ないから。
どうして仕方ないの?
……そう決まっているから。
誰がそれを決めたの?
……知らないよ。ルールだもの。仕方ないじゃない。

誰が、ルールを、決めたの?
……。

「お前さんが」

15七回目のベルで ◆Sick/MS5Jw:2011/02/20(日) 13:41:20 ID:UxP9Gd1s0
まるで答えのような声が聞こえて、飛び上がるほど驚いた。
実際に飛び上がったりはしない。表情も変わらない。
身体はぴくりとも動かずに、ただ、葉月真帆は、驚いていた。
老爺の言葉が、続く。

「お前さんが歩いとるのはの……誰の道でもない」

道。道ってなに。
何を言っているのか、よく分からない。

「お前さん自身が選んだ道じゃ」

わからない。
わからないけど、違うと感じた。
違う。私が選んだんじゃない。
私は何も選んでない。
私はただ選ばされただけで、何を、何を?
道を。今を。ルールを。
違う、そんなものは、だけど、―――だけど、手にとったのは、誰?

「じゃからの。お前さんが間違ったと思うなら……止まっても、引き返しても、ええんじゃよ」

間違った。
間違えた。
誤った。
何を。道を。手にとるものを。
間違った? 間違った。
今を間違えた。ルールを間違えた。何もかもを間違えた。
止まってもいい? 引き返してもいいの?

……止まりたいよ。こんな今の先は、見たくない。
引き返したいよ。選ばされた時まで。
選び直して、違う道を行きたいよ。
間違った。私は間違えた。私は間違えたんだから。
こんな道は、もう―――

「何をしている、真帆」

声は、すぐ後ろから、聞こえた。

「―――」
「さあ、やれ……真帆」

耳から伝う囁くような声は、甘い。
甘い蜜は、油だ。軋んだ歯車を回す、潤滑油だ。
きぃきぃと音を立てて回りだした歯車が、身体を動かしていく。
止める間も、なかった。
指先が引き絞られるように動いて、それで、終わりだった。

老爺の、枯れ木のような身体が、弾けて、飛んだ。


***

16七回目のベルで ◆Sick/MS5Jw:2011/02/20(日) 13:41:46 ID:UxP9Gd1s0

「ハッハッハ! 爺さん、なかなかのお宝を抱えてたもんだな!」

上機嫌な声が響いている。
射殺した老爺の所持品を調べていた岸田洋一の声だ。
それをちらりと見て、銃の弾らしい、と真帆は確認する。

「これだけあれば後先考えずに戦える! 面白くなってきたじゃないか、なあ!」

本当に上機嫌だ。
だが、その楽しそうな声も、手際よく銃弾の山を選別して仕舞い込んでいく背中も、
真帆の奥には、届かない。

そこには、残響があった。
真帆の心の奥底の、まだかろうじて澄んだ水を湛えている小さな水面に響く、それは波紋だ。

 ―――私自身の、道。

波紋は、消えない。
老爺の言葉が投げ込まれた泉の水は波打って、次第に波は大きくなって、

 ―――間違ったと思うなら……止まっても、引き返しても。

やがて音を立てて、溢れ出す。
すう、と右手が上がった。
そこには一丁の拳銃が握られている。
残弾は充分。距離は至近。震えはない。
グロックに撃鉄はない。ただ、引き金を引けば、それで何もかもが、

「―――ジジイにほだされたか」

ざわりと、空気が変わった。
岸田洋一は、背中を向けたままでいる。
それでも葉月真帆は、動けなくなった。
指一本の自由すら、きかない。
じくりと、腕の傷が、鳴いた。

17七回目のベルで ◆Sick/MS5Jw:2011/02/20(日) 13:42:18 ID:UxP9Gd1s0
それは、圧力だった。
静かな声と、揺らがない背中と、それらが真帆に向ける意思の縒り合わさって生じる、
音と、熱と、粘り気を持つ、無色透明の網だった。
網には棘がついていて、見えない棘は肌を刺す。
血を流さずに刺さった棘が皮膚の下の神経をざくざくと切り刻んで、痛くて、怖くて、動けない。

「まあ、いい」

息ができない。
喉の奥からせり上がるのは吐息ではなく悲鳴と胃液で、渇いた舌は機能せず、
言葉もなく立ち尽くした真帆の眼前で、岸田洋一が、殊更にゆっくりと振り返る。

「撃ちたいんだろう」

そう言った声は、どこまでも甘い。
真帆を見る瞳は、どこまでも慈悲深い。

「殺したいんだろう、俺を」

毒のように甘く、
断頭台の刃のように、慈悲深い。

「さあ、やれよ。今ならやれるかもしれないぜ」

岸田洋一が、立ち上がる。
立ち上がって、一歩を踏み出して、囁く。

「だが……本当にいいのか?」

毒塗りの刃を言葉にするように、笑んで、言う。
向けられた銃口を、一顧だにすることもなく。

「俺を殺したって、お前はもう戻れない。戻る場所のあるはずもない」

両手を広げて、更に一歩。
抱き締めるように。赦すように。

18七回目のベルで ◆Sick/MS5Jw:2011/02/20(日) 13:42:59 ID:UxP9Gd1s0
「何たってお前、もう二人も殺っちまってるんだからなあ。……んん?」

と、そこで何かに気づいたように、岸田洋一が言葉を切る。
大仰な仕草で天を仰ぐと、とびきりの笑顔を作って、真帆に言う。

「おいおい、お前……すごいぞ! 二人か! もう二人なんだな!」

心からの賞賛を述べるように。
満点の答案を見せた子供を、誇らしげに抱き締める親のように。

「この島に来てから、お前はもう俺に追い付いちまった! たったの六時間でだ!」

近づいて。
真帆を、抱く。

「ははは! お前は俺と同じ生き物だよ! 俺なんかと肩を並べてるんだよ!
 どうしようもないな、お前は! 救いようがないな、お前は!
 俺と同じところに立ってるんだ! お前は! 俺と! この岸田洋一と!」

本当に嬉しそうに、真帆を抱き締めながら、その瞳をほんの数センチの距離で見つめながら、
岸田陽一の声が、葉月真帆を切り刻む。
銃口は、その逞しい胸板に押し付けられていた。
それは、真帆にも分かっていた。
撃てば弾丸はその心臓を貫くだろう。
それなのに、引き金は、引けない。
溢れたはずの波は、どこかに消えていた。
痙攣するように吐き出した吐息が、岸田の顔に跳ね返って、生温い。
息を吸おうとした瞬間、べろりと、分厚い舌が頬を舐めた。
たっぷりとまぶされた唾液は、ぬめりながら頬を流れて口元に垂れ、開いたままの口腔に流れ込む。
奇妙な臭いと味がして、それがとても汚らしくて、だけど、仕方ないと、真帆はぼんやりと思う。

「誰も、お前と同じところまで落ちてはくれない」

汚いものが、身体の中に入っても。
それを嫌だと、思っても。
だけど、この身は、もう、その汚いものと、同じものでできている。

「俺だけだ。俺だけが、お前と一緒にいる―――」

だから、耳元で囁かれる甘い声に導かれるように。
舌に絡んだ唾液を、呑み下す。

じくじくと、腕の傷が鳴いている。
じくじくと、滲んだ血が拡がっていく。
じくじくと、傷は膿んで、熱を孕んで、腐っていく。

道は、もう、見えない。

19七回目のベルで ◆Sick/MS5Jw:2011/02/20(日) 13:43:16 ID:UxP9Gd1s0

【時間:1日目午後5時半ごろ】
【場所:F-4】

 岸田洋一
 【持ち物:サバイバルナイフ、グロック19(6/15)、予備マガジン×6、各銃弾セット×300、
  真帆の携帯(録画した殺人動画入り)、不明支給品、水・食料一日分】
 【状況:健康】

 葉月真帆
 【持ち物:不明支給品、水・食料一日分】
 【状況:左腕刺傷】

 幸村俊夫
 【状況:死亡】

20Memento mori/Carpe diem ◆ApriVFJs6M:2011/02/21(月) 22:42:40 ID:Kg0jBYBE0
「珠美……俺達は大変なことになってしまったぞ」
「ほえ? どうかしたのかきょーすけ」

 俺と珠美は昼下がりの森の中を歩いていた。
 決して気温は熱くはないが首元には汗が滲み始めていた。
 それもそうだろう、舗装された道路と違ってうっそうと繁る森。
 そして見通しが悪い上に地面は斜面があり、さらに石や木の根っこででこぼことしてると来たもんだ。
 運動神経も体力もあると自負している俺だったが、想像以上に歩きにくいことで体力が消費されてることを感じ始めていた。
 一方、珠美はというと全く疲れを感じさせる仕草を見せることなくひょいひょいと身軽な動きで山を下っていた。
 本当にサルみたいだった。

「とても大切なことなんだ……心して聞いていくれ……」
「むー、もったいぶらずにはやく話せよー」

 せかす珠美に俺は大きく息を吸い込んで言った。
 そう俺達が置かれている危機的な状況を――

「実は俺達……道に迷ってしまったんだよ! どっちに向って歩いているかさっぱりわからねえ!」
「な、なんだってー!! ってアホかああああああっ」

 どげし、と鈍い音がして珠美の脚が俺の鳩尾に食い込んだ。

「げほっ、おま、何を、ぉぉぉ……」
「じゃあなんで『こっちだ珠美! 俺について来い』なんて言っていかにも道を知ってそうなそぶりで前を歩いてるのさ!」
「俺は肉食系だからな、女を引っ張ってこそ男という物だろう?」

 俺は歯をキラリと輝かせ爽やかに笑った。
 好青年ここに極まれりとやつだ。

「ねえ、きょーすけぇー」

 珠美はニコニコとした笑顔で俺を見つめている。さすが俺の眼力(めぢから)だ……珠美は男らしい俺に心を奪われているに違いない。

「いっぺん、死んでこいやあああああああ!」
「ひでぶっ」

 再び俺の鳩尾に強烈な衝撃が襲い掛かり俺は落ち葉が積もる土の上に崩れ落ちた。

21Memento mori/Carpe diem ◆ApriVFJs6M:2011/02/21(月) 22:44:02 ID:Kg0jBYBE0

「まったく……なんであたしがツッコミ役をやらないといけないんだか……おーい〜きょーすけー」
「………」
「きょーすけー?」
「………」
「きょーすけー! きょーすけー! 変な冗談やーめーろよー!」
「………」
「うそっ! 今の一撃の当たり所が悪くてまさか……」
「………」
「あわわわ……どうしよう……あたし……あたし……きょーすけーを」
「………」
「やだ……やだよぉ……ねえ……起きて……起きてよきょーすけぇ……」


 ぴくりとも動かない俺に慌てふためく珠美。くくく……俺の死んだふり作戦は完璧だな。
 ちょいとばかり脅かしておしおきだ。くっ……こんなロリっ娘におしおきとはなんて卑猥な響きなんだ……っ!
 あー……でも声が涙ぐんできたぞ。しょうがねえこの辺で目を覚ましてやるか。

「そうか……そんなに俺が目が覚まさないことが心配なのか……」
「だって……だって……あたしのせいできょーすけが死んで――あれ?」

 今にも吹きだしそうになりながらも俺は珠美に優しく話しかける。
 そして俺が死んだふりしていたことに気がついてきょとんとする珠美。おもしれえ……!

「やーいやーい! ひっかかったなアホが〜! そんな簡単に俺が死んでたまるかってんだ!」
「あ、あれ……きょーすけ生きて……」
「あたりまえだろ。勝手に殺すな」
「きょーすけぇ……」

 肩を震わせる珠美。ちょっと悪ふざけが過ぎたかな……こりゃ相当怒ってるぜ。
 しょうがねえ蹴りの一発二発は覚悟しておくか。

 そう思った俺だったが――

「ひぐっ……きょーすけ……」
「あれっ?」

 おい、雲行きがおかしいぞ。この展開は予想してねえ
 これが鈴だったら『何アホなことやってんじゃコラぁぁぁ!』ってハイキックが飛んでくるはずだぞ。

22Memento mori/Carpe diem ◆ApriVFJs6M:2011/02/21(月) 22:46:43 ID:Kg0jBYBE0

「うぐっ……よかったきょーすけ……あたし……きょーすけが目を覚まさなかったらどうしようかと……えぅっ」
「珠美……」

 目に涙を浮かべすすり泣く珠美。やべえ……女の子を泣かせちまった……
 完璧に鈴の場合と対応誤ってしまったぞ……
 うう……素直に謝ろう……

「ごめん……珠美。俺の悪ふざけがすぎた。この通りだ泣くのはやめてくれよ、な?」

 ぽん、と俺は珠美の頭に手を置くと優しく撫でた。

「ぷ……ぷぷぷ……!」
「あ?」
「うぷぷぷぷ……もーだめー! 笑いをこらえるの無理無理ー! きゃはははは! きょーすけのその顔さいこー!」
「ちょっ、おま、珠美!」
「やーいやーい! ひっかかってやんのー! さっきのお返しじゃーい」
「うぐ……くくく……」

 何も言い返せず俺は敗北の味を噛み締めるだけだった。
 つーか女の涙って反則すぎるよなあ……?

「ほんとーにきょーすけはアホだなあ」
「うるさいほっとけ」
「顔だけ見たらイケメンなのにのぉ……口を開いたら残念すぎるじゃろ」
「しょーがねーだろ、今さら性格直せるか」
「きょーすけって実はモテそうでモテないタイプじゃないのかに?」
「失礼なこというな! 俺だって……俺だって……あれ?」

 待て、よくよく考えたら俺って女の子と付き合ったことってあったか……?
 いつも理樹や鈴たちと馬鹿やっていたからそんなこと考えたこともなかったぞ……

「ごめんきょーすけ。図星を突いちゃったようだの。大丈夫大丈夫、きょーすけぐらいイケメンならまだまだ春は訪れるって」
「なんだその哀れむような目は!」

23Memento mori/Carpe diem ◆ApriVFJs6M:2011/02/21(月) 22:47:50 ID:Kg0jBYBE0



 ■



「ふぅ……やっと森を抜けられたぜ……」
「おおーっ! やっと姉ちゃんさがせるぜ!」

 深い森の中で珠美と馬鹿なやりとりをしながらも俺達はやっとのことで街に出ることができた。
 かれこれ二時間近く彷徨っていただろうか。頭の上にあった太陽は西に傾き始めていた。

「さすがに歩きっぱなしで疲れたのー」
「だな、どっか休める所探そうぜ」

 しんと静まり返った街に佇む俺達は休めるところを探し始める。
 十分ほど歩いたとことろに白い丸テーブルと椅子が並ぶオープンカフェを見つけそこに腰を落ち着けることにした。

「ふいー疲れたぁ〜」

 珠美はまるで潰れた蛙のように上体をテーブルを投げ出してくつろいでいた。

「おい、ちょっと気抜きすぎだぞ。こんな無防備な状態で誰かに襲われたらどうすんだよ」
「そんときゃきょーすけが何とかしてくれ。忍者セットがあるじゃろ? じゃろ?」

 何とも無責任に言い放つ珠美。こんなクナイや小刀でどないせえと言うんじゃい。

「こんなもんでマシンガンとか持ってる奴に対抗できるかっ」
「大丈夫大丈夫。きょーすけならなんとかできるってー」
「そう言う珠美こそ何か武器らしいもの持ってるのかよ」
「さあ?」
「さあ? って何だよさあって」
「いやあ〜、実はあたしもいまきょーすけに言われるまで自分の荷物のこと忘れてた。それじゃ何が入ってるか確かめてみるかの」

 能天気すぎるだろお前……
 珠美は状態を起こすと足元に置いてあった自分の荷物をごそごそと漁り始めた。

「懐中電灯〜〜っ」
「いや、それは俺も持ってるから。それとどこかのネコ型ロボットような声出さなくていいぞ」
「ちぇー、せっかく場を和ませようとおもったのに」

24Memento mori/Carpe diem ◆ApriVFJs6M:2011/02/21(月) 22:49:37 ID:Kg0jBYBE0

 さらに珠美は荷物を漁る。珠美は筆記用具、コンパス、地図……参加者全員に配られたであろう道具を引っ張り出した後に、
 拳二つ半ほどの長さの白い棒切れを取り出した。

「なんだこりゃ?」
「ちょっと待って。説明書があるね。えー……なになに……ビームサーベルだって」
「なるほどビームサーベルか」
「うぉぉぉ! すげーこれ超あたりだよきょーすけ!」
「ねーよ! なんでビームサーベルが現代に存在するんだよ! おもちゃに決まってるだろおもちゃに!」
「まあまあきょーすけ。説明書には続きが書いてるようだの。『単三電池三本を使用することにより、従来のバックパック式と比べて小型化を実現。かつ出力を50%アップに成功』だって」
「ウソくせー……」
「試しに使ってみるかに? 別に後で法外な使用料を請求されるわけじゃないんだし」
「ああ……使い方は?」
「グリップのところにスイッチがあるじゃろ?」
「おっ、ここか。ポチっとな」

 物は試し。俺は柄のスイッチを押してみる。
 するとヴォンといかにもな音を立てて緑色に輝く刀身が現れた。

「うおっ……マジで本物なのか……?」
「ささっきょーすけ。その辺のテーブルで試し切りをしてみるのじゃ!」
「ようし……」

 俺は隣の丸テーブルに仁王立ちになるとビームサーベルを上段に構え大きく息を吸った。

「いくぞ――エーテルちゃぶ台返しッ!」

 そして唐竹割りに刃を振り下ろした。
 感触は思いのほかあっけなく。丸テーブルは真っ二つに切り裂かれていた。
 切り口は黒く焦げており、相当な熱量で焼き切られていた。

25Memento mori/Carpe diem ◆ApriVFJs6M:2011/02/21(月) 22:50:50 ID:Kg0jBYBE0
 
「うお……っ、マジかよ……」
「すっげー! 超当たりじゃん!」
「アホか! こんなもん人に向って使えるか!」
「た、確かに……あっ、それとスイッチの側にある緑色のランプ、電池が無くなってくると黄色から赤に色が変わるらしいの」
「まあ、とりあえずお前に預けとくよ。あんまりおいそれと使うものじゃないからな」
「へーい」

 俺はスイッチを切ると珠美にビームサーベルを預けることにした。
 しかし――この武器どう考えても現代の技術で作れる代物じゃないよなあ……
 こんな物を俺達に景気よく振舞えるあの翼の男は何者なんだ……?
 果たして俺達はあいつに抗うことなんてできるのか……?

 頭の中に諦めに似た感情が忍び寄る。だが俺が諦めたら理樹や鈴はどうなる?
 あいつらを残して俺は死ぬわけにはいかない。だから俺達はあの世界を作り上げたんだ……!

「ーすけ! きょーすけ!」
「あ……? 珠美……?」
「何ぼーっとしてるの」
「すまん、少し考え事してたみたいだ……」
「しっかりしろよなー」
「ああ……さてと、これからどうする?」
「どうするって……あたしは姉ちゃんや友達を探す。きょーすけもそうじゃろ?」
「まあな、だが闇雲に歩き回ってもなと」

 このまま闇雲に歩いて殺し合いに乗った奴らに出くわしたりでも大変だ。
 あのビームサーベルを使えば人間の身体だって真っ二つにできるだろう。
 だが俺にはそれを使う勇気も覚悟も足りなかった。
 そして――


「そこの音無くんに似てるようで全然似てない人、ちょっといいかしら?」


 背後から女の声がした。

26Memento mori/Carpe diem ◆ApriVFJs6M:2011/02/21(月) 22:52:53 ID:Kg0jBYBE0
 


 ■



「あなた達! SSS(死んだ世界戦線)に入りなさい!」

 開口一番彼女はそうわけの分からないいことをのたまわった。
 新たにやってきた来客者は二人組みの学校の制服を着た女だった。
 一人は俺に向って意味不明な勧誘を行う女。俺と同じ高校生だろう、肩まで伸ばした髪と切り揃えた前髪、そして頭のリボンが特徴的だ。
 もう一人はその後ろでやれやれといった仕草で肩をすくめている小柄な女だった。
 まあなんだ、とりあえず俺は彼女の問いに対し答えることにした。

「だが断る」
「はぁっ? あんた何言ってるの馬鹿じゃない!?」
「初対面の人間にいきなりバカって呼ばれる筋合いねーよ!」

 まさに傲岸不遜といった態度である。自分の行いに一片も間違いは無いのだという根拠の無い自信があふれ出している。
 すげーやり辛え相手だ……

「きょーすけぇ……」

 不安そうな視線で珠美が俺を見てくる。
 くそっ……変にあしらって逆恨みされたら洒落にならん。

「あー……そこのイケメン氏。いきなりでごめんごめん。ちょっとこの娘、頭のネジが数本ぶっ飛んでちゃってるのよねぇ」
「なによまーりゃん。失礼なコト言わないでよ」
「だーかーらー! ゆりっぺはもう少し考えて発言しろっての! これじゃあ怪しい宗教の勧誘だってば。少しあたしに任せんしゃい」
「わかったわよ……」

 見るに見かねたのか小柄な女のほうが助け舟を出す。
 どうやらこっちの女のほうはまだ話が分かるらしい。

27Memento mori/Carpe diem ◆ApriVFJs6M:2011/02/21(月) 22:54:14 ID:Kg0jBYBE0
 
「おい、そこのイケメン! いまあたしのことを話の分かる人間だと思っただろっ」
「あ? ああ……」
「違うねん……違うんやで……あたしは本来ボケ役やねんで……! このゆりっぺがあまりにアレ過ぎて仕方なくフォロー役に徹してるんやで……」
「アレって言うなアレって!」
「とりあえずこいつの名前はゆりっぺ」
「仲村ゆりよ」
「んで、あたしは――」
「朝霧麻亜子だっけ?」
「ちーがーうー! あたしはまーりゃん! 朝霧麻亜子は世を忍ぶ仮の名……真名(まな)はまーりゃんだ!」

 前言撤回。この女もおかしい。
 くそっどうして俺がツッコミ役にならなければならないんだ。
 これ以上ボケにボケを重ねると話が進まないのでとりあえず俺と珠美も自己紹介することにした。

「仲村と朝霧か……」
「朝霧って呼ぶなぁぁぁ! まーりゃんと呼べぇぇぇ! じゃないとお前のことグリーンリバーライトと呼ぶからなっ!」
「なんだよグリーンリバーライトって……わかったよまーりゃん」
「大変結構だぜぃ。きょーちん」
「…………」

 グリーンリバーライトよりはマシだがきょーちんも相当恥ずかしいぞ……

「気にしないで。この娘、人にあだ名付けるのが大好きみたいだから」
「あたしはっ? あたしのあだ名はなんじゃらほい?」

 そして珠美はというとなぜか目を輝かせて自らのあだ名をまーりゃんに聞く。

「そうだねえ……タマちゃん」
「うわっすごく普通」

 がっくりと項垂れる珠美。お前ら同レベルだからな。

「とまあ悪ふざけはおいといて、あたしたちの目的はこうよ『クソッタレのコスプレ男をブッ倒して元の生活に戻ろうぜベイベー。じゃあそのために一人でも多くの協力者を募ろうぜい』ってやつ」
「『元の生活』ねえ……その表現は少しばかり語弊あると思うけど?」
「それを説明すんのが大変なんだよっ!」
「……一体どういうことだよ」
「まあ驚かないでね。棗くんに珠美ちゃんはとっくに死んでいるのよ、そしてここは死後の世界――正確に言うとここはあの世の一歩手前、煉獄とでも言うのかしら」」

 死後の世界――俺の聞き違えでなければ確かに仲村はそう言った。
 そんな馬鹿なと俺は彼女の言葉を否定したいが、否定し切れない事情を俺は抱えていた。

28Memento mori/Carpe diem ◆ApriVFJs6M:2011/02/21(月) 22:56:06 ID:Kg0jBYBE0
 
「な、なんだってー! じゃああたし達は死体なのか! ゾンビなのか! きょーすけぇー!」
「ふん……それを証明する手筈はあるのか? それが証明できなければただの妄言だぞ」
「ですよねー。あたしもゆりっぺから最初にそう言われてパニクったもんですよ」

 俺の問いかけに仲村は不敵に笑うと自信たっぷりの表情で告げた。

「証明も何もあたし自身が生ける死者だからよ」

 なんの根拠にもなっていない。だがなぜそこまではっきり言い切れるか俺には理解できなかった。
 仲村はさらに続けてここに至る顛末を俺達に説明した。。

「じゃあ……あのコスプレ男は神様だったのかっ! あたし達はそんな物を相手にしないといけないのかっ?」
「神そのものか、神に準ずる存在……かしら」
「まあー、普通に考えたらお前頭おかしいだろバカなの死ぬの?だけどきょーちんは意外と冷静なんだねえ」
「まあな……」

 ここが死後の世界だというのは否定する材料にとぼしい。
 あの時のバスの事故で俺達は死んでおり、理樹と鈴のために繰り返される学園生活も所詮は今際の際の夢だった。
 そう考えれば一応の辻褄は合う。だが俺が真に疑問の思うのはここが死後の世界かそうじゃないことなんてどうでもよく、
 仲村曰く、『死後の世界で死んでも時間が経てば生き返る』ことだった。

「だが解せんな」
「何がよ?」
「斬られようが撃たれようが、ここで死んだ人間はみな生き返る。お前はそれを確認したのか?」
「いいえ、まだよ。でもあたしのいた所ではそれが普通だったわ」
「それが普通……か」
「いまいち信用してないって顔ね。いいわよ、それじゃあ確認しに行きましょうか?」
「えっ……マジであそこに戻るの……?」

 朝霧の顔色が悪い。一体何があったんだろう。

「確認って……何を確認するんだよ」
「だから、死体が生き返るか生き返らないかの確認よ? 少し先であたしの知り合いが死んでいたから」
「は? お前何を言って……」

 死んでいたと仲村は過去形で言う。まるで今は蘇って歩き回っていると言わんばかりだった。

29Memento mori/Carpe diem ◆ApriVFJs6M:2011/02/21(月) 22:58:33 ID:Kg0jBYBE0
 


 ■



「ほ、本物の死体だきょーすけぇ……」
「死体だな……」

 俺達はカフェを離れ、仲村が言う場所で一体の死体を発見した。
 アスファルトの道路に広がる赤黒い海の真ん中でうつ伏せに倒れる男の死体。
 死因は横一文字に切り裂かれた首の傷。ぱっくりと切り裂かれたそれは首にもう一つの口が開いているようだった。

 ちらりと仲村と朝霧に視線を移す。朝霧は真っ青な顔で肩を小刻みに震わしている。
 一方仲村はというと、自らの理論の間違いがほぼ証明されていたにも関わらず不敵に唇を歪めていた。

「ふうん……大山くん、『本当』に死んだんだ」

 まるで他人事のように仲村は言い放つ。
 一体こいつは何なんだ……死に対する感覚があまりに俺達とかけ離れすぎている。
 仮にも知り合いが死んでいて、そしてもう生き返ることはないというのにどうして平然としていられるんだ……!

「くっ……くくく……あはっ……本当に死んじゃったんだ。あっはははははっ!」

 仲村は死者を前にして突然笑いだした。
 心底愉快でたまらないといった笑顔で、俺にとっては狂気を孕んだ表情で彼女は嗤う。

「お前――!」

 その態度に見かねた俺は仲村に詰め寄ろうとするが――

30Memento mori/Carpe diem ◆ApriVFJs6M:2011/02/21(月) 23:01:21 ID:Kg0jBYBE0
「どういうことだよゆりっぺ……っ!」

 俺よりも先に朝霧が仲村の胸倉を掴みあげていた。

「あんた何がおかしいんだよ……! なんでこいつが死んでいるのがそんなに愉快なんだよ……!」
「いやあ、まーりゃんごめんねぇ〜? あたしの考え間違っていたわ。くっくっく……」
「おい朝霧! 落ち着けって!」
「てやんでぃっ! これが落ち着いていられるかい! だってさ……こいつ殺したのあたしなんだからなっ」
「は……?」

 おい朝霧、お前も何言ってるんだ。お前がこいつを殺した?

「ああ、棗くんは知らなくて当然よね? まーりゃんったら出会った時にあたしのこと殺すつもりだったのよ? で、大山くんはとばっちりを受けて死んだ。まあ大山くんが死んだのは半分はあたしのせいだけどね。あははっ」
「だから……! 何がおかしいのさ!」
「今まで普通に生きてきたまーりゃんや棗くんにはわからないでしょうね……不本意ながらもようやくあたし達に終わりが訪れるのよ? それが喜ばしい以外に何かある?」

 駄目だ。仲村の言っていることが全く理解できない。
 仲村は俺と同じ姿をして同じ言葉を話す人間のはずなのに、まるで話の通じない宇宙人を相手にしてるような気持ち悪さしか生じない。

「死んでは生き返り、また死んでは生き返る。首を斬られようが頭を潰されようが全身をミンチにされようがすぐに五体満足で復活できる。
 それを何度も何度も何度も何度も何度もあたし達は繰り返してきたのよ。数えることも馬鹿馬鹿しくなるくらい!」
「仲村……」


「ふふふ……Memento mori――『死を想え』そしてCarpe diem――『今を楽しめ』とはよく言ったものね。何度も死んで生き返りながら神に抗う戦いを続けてるとダメなのよ。
 失敗して死んでも次がある。次が失敗してもまた次がある。次があると思ってるうちじゃあ絶対にあいつらに勝てない。
 志半ばで果てた大山くんには悪いけど彼が死んだことに感謝してるわ。死ねば何もかも終わり、だからこそ死者のあたしたちでもようやく生を実感できることを教えてくれのよ!」


「あんた……頭おかしいんじゃねーのッ!? だったら今すぐ殺してやろうか、ああ!?」
「やめろ朝霧! 今の言葉でわかったぜ……仲村は間違いなく『死者』だ。俺達とは死に対する価値観があまりにも違いすぎている」
「きょーちん……」

 朝霧は胸倉を掴む手を放す。今となっては朝霧が大山を殺したことを責めるつもりなど無かった。
 仲村がそうであるように大山もその死の瞬間まで、事実に気付かず後で生き返ると信じこんでいたに違いないのだろう。
 仲村は乱れた服装を整えると、相も変わらず不敵な笑みを浮かべて言った。

31Memento mori/Carpe diem ◆ApriVFJs6M:2011/02/21(月) 23:04:34 ID:Kg0jBYBE0
 
「でも、勘違いしないで。あたしは別に死にたいわけじゃないわよ? 神の喉笛に喰らいつくまで死んでたまるものですか。本当の死が隣り合わせにいるからこそ、真の生を実感できるというだけよ」
「ま、どちらにせよ生きていることが当たり前な俺にとっては理解できん感情なのは変わらんさ」
「理解しろとは言わないわ。ただ協力してくれればそれだけでいいわ」
「断った所で俺たちが不利な状況は変わらん、か。……わかった協力しよう。珠美もいいよな?」

 ずっと静かに状況を見守っていた珠美にも了解を得る。

「それでいいんじゃないかに? 仲間は多いほうが何かと役得だからじゃの」
「朝霧は……どうする?」
「ここにきょーちんやタマちゃんがいなかったら確実にケンカ別れしてたと思うけど……とりあえずはついていくよ」
「だそうだ。仲村」
「大変結構よ! さあ新生SSSの再始動よ!」

 どうやら一触触発の事態は何とか回避できたようだ。
 だがこの島に他にもいる仲村の仲間達はまだこの事実に知らない者がほとんどだろう。
 いずれ生き返ると信じて疑わないからこそ問答無用で手荒なことに打って出てくることは十分にありえる。
 まったく……厄介な連中が現れたもんだぜ……

「おう、ところできょーちんや?」
「なんだ?」
「あたしを朝霧と呼ぶなボケェェェェェェェェ!!!」
「あべしっ」

 俺の側頭部に炸裂する朝霧のハイキック。

「し……しまパン……ぐふっ」
「あわわわ……きょーすけぇ〜〜」

 ああ……そういえば朝霧も珠美ほどじゃないがかなりのロリ……
 そんな想いを胸に俺は地面にゆっくりと崩れ落ちた。
 


 【時間:1日目午後5時ごろ】
 【場所:F-2】

32Memento mori/Carpe diem ◆ApriVFJs6M:2011/02/21(月) 23:05:27 ID:Kg0jBYBE0
 

 棗恭介
 【持ち物:忍者セット(マント、クナイ、小刀、傷薬)、水・食料一日分】
 【状況:健康】


 綾之部珠美
 【持ち物:ビームサーベル(電池状態:緑)、水・食料一日分】
 【状況:健康】


 仲村ゆり
 【持ち物:岸田さんの長剣、水・食料一日分】
 【状況:健康】


 朝霧麻亜子
 【持ち物:オボロの刀、水・食料一日分】
 【状況:健康】

33 ◆ApriVFJs6M:2011/02/21(月) 23:05:51 ID:Kg0jBYBE0
投下終了しました

34 ◆Ok1sMSayUQ:2011/02/22(火) 20:35:55 ID:XHilZQxA0
 芳野祐介が見つけたものは、色々な『残骸』だった。
 ピクニックやお花見で使うようなビニールシートの上に、それらは乗っている。
 つまみ食いしたかのような、虫食い状態のおせち料理。
 ――プラス、穴空きの人間。
 まるで掘削作業でもされたかのように、横たわる少女の、胸部に握り拳ほどもある穴が空いている。
 よくよく見れば、かつて芳野も通っていた学校の女子制服である。
 あの頃と全く変わっていないという懐かしさが半分。よりにもよってというすわりの悪さが半分だった。
 恐らくは即死だったのだろう。死人の顔にしてはあまりにも安らかである。苦痛の一切も感じさせない。
 そういえば、と芳野は思った。
 俺は、俺の殺した人間の死に顔を見てもいない。
 二人ほど殺したはずだ。この娘と同じくらいの年頃の娘と、まだ子供そのものの少女を。
 彼女らの末期の顔を、芳野は覚えていなかった。

「戦の場で」

 首筋に、何かが押し当てられていた。
 視線を横にずらせば、見えるものは、歪な形をした剣であった。
 ギロチンだな、と芳野は感想を抱いた。

「呆けているのは感心しませんわ」

 雪が降るような、ただそこに積もってゆくだけの、落ち着き払った声音は女のものだった。
 何の感情も含まれてはいない。路傍に転がる石ころに向けるものと同質である。
 しかし女は、彼女は、石ころを蹴り飛ばしはしなかった。
 ならば、と芳野は語り始める。

「運試しをしてみないか」

 返事はない。刃が僅かに傾いた。
 処刑の時間に、戯れている暇はないと言いたげに、鈍色の光が芳野の網膜に映る。

「じゃあ、その前に推理をしてみせよう」

35 ◆Ok1sMSayUQ:2011/02/22(火) 20:36:09 ID:XHilZQxA0
 刃は動かない。

「これは撒き餌だ。あからさまに死体を放置し、通りがかり、ショックを受けた人間を殺すための罠だ」
「分かってらしたの?」

 微笑が含まれた声になる。
 だが、刃は動かない。

「だが、撒き餌としては不十分だ。こんな安らかな死に顔に、ショックは受けない」
「冷たいですのね」
「やるなら徹底的にやれ。顔を握りつぶすくらいのことはしたらどうだ、怪力女」
「……」
「怖い顔だ」

 後ろから刃物を突きつけられているため、表情は皆目見えない。
 それでも芳野は、彼女の表情を断言してやった。
 確信はあった。死体の状況を見れば、人間業で殺されたものではないと分かる。
 しかし一方で恐怖を煽り立てるための術を怠ってもいる。
 詰めの甘い人間が、詰めの甘い罠を張った。そこを揺さぶった。

「わたくし、女でしてよ?」

 取り繕ったかのような声。だが顔は笑っていないに違いなかった。

「それがどうした。人を握りつぶせますと言えばそれまでだ。あの羽男がいる時点で、あり得ないことは『あり得ない』」
「案外、迷信を信じる御方だったりしますのかしら」
「理由を言ってやろうか。お前が、あの女を殺した奴と同一人物だという理由を」

 言って、我ながらかみ合わない会話をしているなと芳野は感想を結んだ。

「甘い。この一言に尽きる。女の殺し方にしても、未だに俺を殺さないことにしてもな。これだけで同一人物だと断言できるさ」
「情報を引き出したい……と考えている可能性もありますわよ」
「そら、口に出した」
「……なら、その首級、今すぐ頂いてもよろしいですのよ」
「慌てるな、よく見ろ」

36 ◆Ok1sMSayUQ:2011/02/22(火) 20:36:26 ID:XHilZQxA0
 息を飲む気配が伝わった。
 それはそうだろう。気付かぬ間に、下腹部に拳銃を押し当てているのだから。
 怖い顔、と断言してやった、その一瞬に、芳野はベレッタを取り出し銃口を突きつけていたのだった。
 先読み交じりの言葉も、推理したのもこのため。この均衡状態を作り出すためだ。
 会話というものは意外と集中力を持っていかれるものである。

「そんな玩具でどうにかなると思って?」
「試してみるか? お勧めはしないぞ」
「わたくし、死など恐れませんわ」
「奇遇だな。俺も同じだ。だからここでもう一つ推理だ。自らの死は恐れない。ならどうして殺し合いをするか?
 答えは簡単だ。最終勝者が自分ではないからだ。そうでなければ殺人狂ってことになるが、
 もしそうなら俺は今頃殺されてる。それに」
「情報を引き出したい、とわたくしが言ったからでしょう」

 嘆息交じりに、女が後を引き継いでいた。
 どうやら読みは外してはいなかったらしい。
 その通り、と微笑を含ませて芳野も答える。
 だがここまでも布石に過ぎない。不利な状況からようやく四分にまで持っていった。
 五分五分にするには……ここからが本番だった。

「だから、ゲームをしよう」
「……げーむ?」
「運試しをしてみないかってことだ。実は、仲間が欲しくてな。
 あんたほどの腕っ節のある奴がいれば心強い。けど、あんたにとっちゃ俺はどうでもいいだろ?
 一応察しの良さは見せたつもりだが、それだけじゃ気に入らないはずだ。
 そこでもう一つ。俺の運の良さを示してみようというわけだ。あんたが気に入れば俺と組んでくれ。
 気に入らないなら、まあ好きにすればいい」
「なるほど、最初からそれが狙いでしたのね」
「どうかな。ただの命乞いかもな。何せ、人を拳一本で殺せそうな怪傑だ」
「つらつらと並べ立てておいて、よくもまあ」
「普段はこんなにやかましくないさ」

37 ◆Ok1sMSayUQ:2011/02/22(火) 20:36:45 ID:XHilZQxA0
 肩を竦めてみせ、おどけてやると、そこでようやく刃が動いた。
 取り敢えずは了承してくれたようである。
 首から遠ざかる死の気配に、一先ずは安堵する。だからといって安心してばかりもいられないのだが。

「それで、どのような賭け事をなさるのかしら?」

 どかっ、と座り込む気配。
 あまりにも豪気な行動に、思わず振り向いてしまった。
 本当はもう少し間をおいてから、と考えていたのに。

「な……」

 だが、芳野が本当の驚きを覚えたのはそこからだった。
 姿かたちこそ人に似ているが、一部が違う。
 まるで――いや、動物そのものの耳。体の後ろから見え隠れする尻尾。
 猛獣を想起させるような鋭い眼光や、三日月の形になった口元から覗く鋭い犬歯と合わさって、
 芳野に、改めて、人ならざる者と相対させている感覚を抱かせたのだった。

「あら、いいもの見れましたわ」

 目を細めてくすくすと笑う。
 また、巻き返されたかもしれない。
 無言を返事にした芳野に、女は余裕たっぷりに手持ちの酒瓶を口に運んだ。
 この状況で、飲酒という行動が芳野を揺らがせる。計算のうちなのか、それとも本当に余裕なのか。
 考える間に、酒瓶を地面に置いた女が「カルラ、と申しますわ」と先手を打っていた。

「どうぞよろしく、賭博師さん」
「……芳野祐介だ」
「ヨシノユウスケ……長ったらしい名前ですわね」
「芳野でいい」
「では、ヨシノ様。本日の勝負を」
「……これだ」

 完全に取り返されたと思いながら、芳野はひとつの袋を取り出した。
 武器として使えるかどうかも怪しいものだったが、まさかギャンブルに使うことになるとは。

38 ◆Ok1sMSayUQ:2011/02/22(火) 20:37:02 ID:XHilZQxA0
「あら、お洒落な巾着」
「この中身で勝負する」

 言って、芳野は巾着を紐解き、中からワンセットのトランプを取り出した。

「何ですの、それ」
「トランプだ。知らないのか」
「存じ上げませんわ。占い師が使うものかしら?」
「……似たようなもんだな」

 深く詮索はしない。トランプの存在を知る知らないは、今回の勝負には関係ないのだから。
 ケースを開き、そのうちの二枚を取り出してカルラと名乗った女へと見せる。

「これが裏面だ」

 網目模様の入ったカードの裏面を見せる。
 ふむ、と頷いたのを確認して、芳野はカードをひっくり返す。

「これが、表面」
「あら、これは……」
「そう、一枚は『両方とも裏面』なんだ」

 一枚はジョーカー。奇怪な格好をしたピエロの絵が描かれている。
 だがもう一枚は裏面と同じ。寸分の違いもない網目模様だ。

「この二枚を使って勝負をする」

 言って、カルラにカードを確認させる。
 手渡された二枚を、カルラは注意深く確認しているようだった。
 細工はない。正真正銘、ただのトランプだ。

「ふむ、これをどうするんですの?」

 確認を終えたカルラがカードを返してくる。
 特に不審な部分はないか再度チェックして、芳野は二枚とも巾着袋に放り込む。

39 ◆Ok1sMSayUQ:2011/02/22(火) 20:37:23 ID:XHilZQxA0
「少し話は変わるが、お前『光』と『闇』ならどちらを好む」
「もう少し風情のある二択にして欲しいですわね……そうね、今が昼だから……『光』かしら」
「なるほどな。さて勝負の内容だが、まず俺が袋の中身を適当にかき混ぜる」

 巾着を上下左右に振る。
 カルラはそれをじっと見つめている。

「そしてお前が一枚取り出す。片面だけ見えるようにして、な」
「では試しに引かせていただいてもよろしいかしら?」
「ああ」

 カルラが袋の中に手を入れ、一枚を取り出す。
 網目模様。一応の『裏』だ。

「だがこれが裏かどうかはひっくり返さないと分からない。それは分かるか」
「ええ」
「網目模様か、ジョーカーか。その確率は半々。同じだ」
「なるほど。表裏を当てる勝負ですのね」
「そうだ。もっとも、先に表……つまりジョーカーが出ては勝負にならないから、その時はやり直しだ。
 今お前は『光』と言ったな。だからひっくり返した結果『表』になればお前の一勝だ」
「『裏』なら貴方の一勝」
「先に五勝した方が勝者だ。運試し、だろ?」
「分かりましたわ。ではわたくしが引かせていただきますけれど、よろしいかしら?」
「構わない」

 そして、ゲームが始まった。
 芳野の運命を賭けているとも言えるこの勝負だったが――芳野に焦りはなかった。

「表。わたくしの一勝ですわね」
「まだ一回目だ」

 カードが袋の中に戻される。
 それを十分にシャッフルして二回目を引かせる。

「表。ふふふ、悪くないですわね」
「……」

40 ◆Ok1sMSayUQ:2011/02/22(火) 20:37:41 ID:XHilZQxA0
 その後も、次々と勝負は行われた。

 裏。

 裏。

 裏。

 表。

 裏。

 表。

「四対四……さて、次が最後の勝負ですわ」
「……」
「ふふ、貴方様の天運はどちらに傾きますかしら……さあ、混ぜてくださる?」

 芳野は無言でカードを混ぜ、巾着の口をカルラに差し出す。

「それでは、最後の勝負……それ」

 余裕たっぷりに、酒を口に運びながら、何の躊躇もなくカードを引く。
 網目模様。まだ『表裏』は分からない。

「さて」

 カルラの指がカードを摘み、ゆっくりと、焦らすようにして……ひっくり返される。
 裏。返す前と同じ網目模様。
 芳野の――勝ちだった。

「あらら、負けてしまいましたわ」
「……勝ち、か」

 呟いてしまったことに、芳野はしまった、と思った。
 負けたはずのカルラの口がニヤと笑う。

41 ◆Ok1sMSayUQ:2011/02/22(火) 20:37:57 ID:XHilZQxA0
「勝ったはずなのに、嬉しそうではありませんわね、貴方」

 顔にも現れてしまっていたかもしれない。
 今更取り繕っても遅かった。
 やはり自分は、賭け事には向いていない種類の人間らしい。
 苦笑し、もうこうなっては致し方ないという気分で、芳野はカルラに尋ねる。

「いつから気付いていた」
「あら、何のことでしょう?」
「とぼけるな。気付いていたはずだ」
「偶然ですわ」
「言いたくないならそれでもいい。だがな、これだけは言っておく。
 この勝負、『本来は俺の圧勝』だったはずなんだ」
「どういうことかしら」
「お前が本当のことを言えば、俺も言う」

 そのまま、互いを注視し、沈黙する時間が流れる。
 ざあと揺れる梢の音だけが、時間が進んでいることを示していた。

「……参りましたわ」

 折れたのは、カルラだった。

「ええ。貴方が仕掛けを打っていたことには気付いていましたわ」
「いつからだ」
「三回連続で貴方が裏を出したところくらいかしら。ふと考えたら、すぐに気付きましたもの」
「では、最後に俺を『勝たせた』のは?」
「途中まで完全に術中に嵌ってましたから。全く、大した殿方ですわ」
「嫌味にしか聞こえんが」
「まさか。わたくし、こう見えてイカサマには強いですのよ」

 カルラは屈託なく笑った。今までの薄笑いとは違う、本来のものなのであろう豪放磊落な笑いだった。
 彼女にとっては、最初の一回で見抜けなかったこと自体が既に敗北なのだろう。
 自信家だと芳野は思ったが、その潔さもまた本物であると認めることができていた。
 だから、最後に花を持たせたのだろう。
 その上で、相手を追い詰めてみせたという置き土産も忘れない。
 やれやれ、参ったのはこちらの方だと芳野は苦笑いを返した。

42 ◆Ok1sMSayUQ:2011/02/22(火) 20:38:16 ID:XHilZQxA0
「貴方の仕掛け……それは、この勝負自体半々の勝負ではないことですわ」
「その通りだ」
「単純なことですわよ。この勝負が始まるには、そもそも『裏』が出なければならない。
 『表』が出てしまえば仕切り直し。一方、貴方の『裏』は仕切り直しがない。
 結果、わたくしの勝つ目は『裏をひっくり返して表になる』しかないんですのよ」
「ご明察だ。俺の表裏はあってないようなもんだから、お前には二倍の確率で勝てる」
「とんでもないインチキ勝負でしたわ」
「だが問題は、どうやって俺の仕掛けをひっくり返したかということだ。実際は四対四。完全に五分だった」
「うふふ、わたくしに札を引かせたからですわ。途中で、傷をつけましたの」
「傷……?」
「札の側面にね。両方『裏』の札に、爪で傷を」

 芳野はカードを手に取り、側面に指を走らせる。
 すると、引っかかりはすぐに見つかった。カードの角の部分にへこみがあったのだ。
 触らなければ気付かない程度の傷。だがカードを判別するには十分すぎるほどの傷だった。
 これで勝負を調整した。五分になるように。
 仕掛けに完璧に嵌めたと思っていた自分は、焦るしかなかった。

「……なるほど。してやられたわけだ」
「詰めが甘いのは、わたくしだけではないようですわね」

 そう。カルラに引かせなければ爪で傷をつけられることはなかった。
 芳野の完全な手落ちだった。
 カルラにしてみれば、こうすることこそが狙いだったのかもしれない。

「けれど、よくこんなイカサマ思いつきましたわね」
「たまたまさ。以前読んだ本に、このイカサマが載ってあった。
 そして都合よく、奪い取った支給品の中にこれがあったというだけだ」
「……なるほど。やはりただ者ではありませんわね」
「買いかぶり過ぎだ。実際、こうして見破られた」
「ですが、このイカサマを即興で実践してみせた。並の度胸で出来ることではない。
 それに……殺して奪い取ったのでしょう、それは」

 カルラがトランプを指す。
 その通りだった。殺した少女の持ち物が、これだった。

43 ◆Ok1sMSayUQ:2011/02/22(火) 20:38:31 ID:XHilZQxA0
「誰かを殺してみせる度胸。わたくしをイカサマで嵌めようとした度胸。……とっても、気に入りましたのよ?」

 ずい、とカルラがよって来る。
 酒臭い吐息の中に含まれた、女の匂い。
 今にも零れ落ちそうな胸元と、蕩けたような瞳が、芳野を酔わせようとする。

「……それは光栄だ」

 だが、芳野は冷めた視線を送り返しただけだった。
 元より、伊吹公子以外の女性に対しては興味がない。
 何よりもこの女は食わせ物だ。隙を見せたくない。
 あしらわれたと思ったらしいカルラは、つれないですのね、と肩を竦めて芳野から身を離した。

「まあいいですわ。久々にいい男に出会えましたもの。そう簡単には、逃がしませんわよ」
「組んでくれるのか」
「ええ。言ったでしょう、気に入った、と」

 芳野の考える以上に、カルラという女は好意を持っているらしかった。
 それは獲物としてなのか、或いはもっと別の何かなのか……
 酒という香水を漂わせ、酔いという仮面を貼り付けた表情からは、何も窺えなかった。

「貴方の猛々しい姿……もっと、見てみたいものですわ」

 妖艶に、しかし挑発的に顔を緩めたカルラに、芳野は冷笑を返しただけだった。
 お前にも働いてくれなければ困る。その意味をふんだんに含ませて。

「それでは、参りましょうか」

 歪な形の大剣を、片手でひょいと持ち上げる。
 やはり怪力。自分の認識は間違いではなかったことを、芳野は改めて実感していた。

「わたくしたちの戦場に」

44 ◆Ok1sMSayUQ:2011/02/22(火) 20:38:43 ID:XHilZQxA0



【時間:1日目午後4時00分ごろ】
【場所:F-7】 

カルラ
【持ち物:エグゼキューショナーズソード、酒、水・食料二日分】
【状況:健康】 
※エグゼキューショナーズソード:D&Tより。斬首刑用のとても残虐な剣。心証的によくない、不安になる、寝付きが悪い。両手用

芳野祐介
【持ち物:ベレッタM92(残弾10/15)、トランプ(巾着袋つき)、 水・食料2日分】
【状況:健康】 

45 ◆Ok1sMSayUQ:2011/02/22(火) 20:39:53 ID:XHilZQxA0
投下終了です。
タイトルは『Liar Game』です

46そらに響くは彼女の嘲笑 ◆5ddd1Yaifw:2011/02/24(木) 01:27:34 ID:vX66OzSs0
白光に包まれた世界の中、僕の意識は覚醒した。目がチカチカする。頭がガンガンする。
気分は、最悪だ。最初に僕達の襲撃を予測していたのか閃光弾を投げ入れられて皆ばらばらになってしまって。
そして僕はあの仮面男に一撃を浴びさせられて気絶した。

「……っ、ぉ……」

完璧な敗北。それでも僕はまだ、生きている。あの仮面男は止めを刺さなかったのだろうか、甘く見られたものだ。
今度会った時はその甘さを後悔させてやる。

「装備は……奪われましたか……」

戻ってきた視界には古びた廃村が映る。ざっと見た中では僕が持っていた刀は無くなっていた、あの仮面男が持っていたのだろう。
ただ水と食料の入ったデイバックだけはそのままにされていた。情けをかけたつもりなのだろうか、腹立たしい。

「他の二人は、」

よろよろと起き上がりゆっくりと歩き出す。自分が生きているということは二人も生きているだろう。
渚さん……今までは否定され続けてきた僕の名前を初めて認めてくれた人。嬉しかった。
だから、僕は。渚さんと一緒に戦おうと強く、強く思った。この気持ちに偽りはない。

「渚、さん、待ってて下さい」

彼女も同じようにやられて気絶させられているのなら僕みたいにこの廃村の何処かで倒れている可能性もある。
早急に合流しないといけない。ついでに笹森さんも拾っていかないと。
まだ、ゲームオーバーではない。

「渚さーん、いたら返事をしてください!」
「渚ちゃんはもういないよ」

張り上げた声に対して返ってきたのは本命の尋ね人である渚さんの声ではなく笹森さんの声だった。振り返った先に笹森さんはふらふらと立っていた。
顔は別れた時とは比べ物にならない程に青白く、個人的観点から言うと不気味だった。気のせいかどうかはしらないが眼の奥がどす黒くよどんで見える。
加えて一瞬、誰の声かわからなかった。それ程に笹森さんの声を冷たく感じてしまったのだ。

「竹山くん、無事だったんだ」

本当にこの人は笹森花梨なのだろうか? 余りにも全てが違いすぎる。
今、僕が相対している笹森さんは実は別人なのではないかとさえ僕は思ったぐらいだ。

「僕のことはクライストと……笹森さんその怪我は」
「ああ、この怪我? 銃で撃たれちゃってさあ、痛かったなあ、本当に、痛かった……!」

47そらに響くは彼女の嘲笑 ◆5ddd1Yaifw:2011/02/24(木) 01:28:47 ID:vX66OzSs0
今さらに気づいたことだけど笹森さんの左肩辺りが血に染まっていた。元はピンクのかわいらしい色が今では深い深い赤に染まっている。
でも僕は天使との戦いで戦闘で死んでいく人を見慣れているからそこまで驚きはしなかった。
もっと酷い光景を見た経験があることも要因に含まれる。バラバラ死体とかグチャグチャにひき潰された死体とか。
無駄にバラエティに富んでいるくらいに。

「怪我、大丈夫ですか」
「うん、元気元気。こうして動けているのが何よりの証拠だよ」

そう言って、口を半月にして笑う笹森さんに正直言って恐怖を感じた。何か形容しがたいおぞましさが身体全体に纏わりつくようなそんな恐怖。
足を一歩後ろに進める。この人は仲間であるはずなのに、僕はこの人に関わりたくないと思ってしまった。

「そのさっき言った渚さんはいないってどういう事ですか」
「ん、そんなの簡単だよ。あの女――私を置いて逃げたんだ」

それからは彼女の罵詈雑言の嵐だった。簡潔に纏めると見捨てられた、許せない、など壊れた機械のように繰り返すばかり。
僕から見ると異常といってもよかった。口から出るのは憎悪の言葉ばかり。状況すら話してくれない、これじゃあどう反応していいかわからない。

「ですが渚さんにも何か事情が」
「はぁ? 事情があるから見捨てていいの? 裏切っていいの? 違うよねっ!! そういうものじゃないんよ、仲間って」
「落ち着いてください、まずはその当時の状況を僕に教えてください。でなくてはどう対応していいか」
「対応なんて決まってるじゃん、あの女をメチャクチャにするんよ。たっぷりたっぷり後悔させながら何も考えられなくなるくらいに……! 残酷に殺すだけ」

……狂ってる。何が笹森さんをここまで突き動かすのか。

「だからさ、一緒に殺そ?」
「……え?」

次に出てきた言葉は僕の身体の核を突き刺した。今、何を言った? 渚さんを殺す? 冗談なら勘弁して欲しい。
だけど笹森さんの目は本気だった。憎悪に染まった表情はそれを確信に至らせる。

「殺すんだよ! あの女を! 私の受けた痛みを何重倍にして返してやるんよ!」

笹森さんは尚も狂ったようにしゃべり続けているらしいが聞こえない。僕の頭の中には渚さんの事でいっぱいだった。
最初に出会った時のこと。僕を初めてクライストと呼んでくれた時のこと。あの儚い笑顔を見てつい見惚れてしまった時のこと。
彼女を殺すということはそれらを全てぶち壊すというのと同義。僕はそれに耐えられるか? 無理だ、きっと何かが、とても大切な何かが失われてしまう。
死の価値観よりも、僕の名前よりも。

48そらに響くは彼女の嘲笑 ◆5ddd1Yaifw:2011/02/24(木) 01:29:25 ID:vX66OzSs0

「で、竹山くんはどうするの?」
「だから僕の名前はクライスト……いえ今はいいです。笹森さん、返答はいいえです」

毅然と僕の意志の刃を笹森さんにぶつける。

「どうしてか聞いていい」
「単純なことですよ。貴方の論には客観的要素が見られません、感情で物事を言ってる節があります」
「ふうん、竹山くんもあの女の肩を持つんだ」
「そういうわけではありませんよ、笹森さんの仰っていることは正しいかもしれない、ですが渚さんにも何か事情があったという可能性だってあります」

笹森さんには客観的要素とか感情で物事を言ってるとか言ったが、僕のほうがよっぽどだ。
彼女を信じたかった。ただそれだけの理由で僕は擁護している。

「ですからまずは対話をしてみるのが」
「もういいよ」

その言葉と同時に笹森さんの持っていた軽機関銃の銃口が僕に向き、ああ、これは逃げられない、いや逃げる暇すらない。
僕は殺される、ここで終わりだと悟ってしまった。
至近距離での軽機関銃の掃射を前にして無事に逃れるほどの身体能力も策もない。
絶体絶命? 風前の灯火? そんな言葉で表す状況ではない。あのトリガーが引かれたら僕は消えるんだから。

49そらに響くは彼女の嘲笑 ◆5ddd1Yaifw:2011/02/24(木) 01:30:06 ID:vX66OzSs0

「ほんの少しでも信用した私がバカだったわ」

何処で間違えたのだろうか。
笹森さんと組んだこと? 確かに組まなかったら僕はここで消えることもなかった。
さっきの戦闘で負けたこと? 負けなければ三人一緒にまだやれたかもしれない。
渚さんと出会ったこと? 出会わなければこんなこ――いやだ。
他の全てが間違いでもこれだけは間違いにしたくない。だって僕は。



「竹山くん」



渚さんに――――



「バイバイ」



恋をしていたから。
 


【時間:1日目午後5時ごろ】
【場所:B-2】



笹森花梨
【持ち物:ステアーTMP スコープサプレッサー付き(0/32)、予備弾層(9mm)×7、水・食料一日分】
【状況:左肩軽傷、古河渚への憎しみ】


竹山
【持ち物:水・食料一日分】
【状況:死亡】

50 ◆5ddd1Yaifw:2011/02/24(木) 01:30:30 ID:vX66OzSs0
投下終了です

51袋小路の眺望 ◆Sick/MS5Jw:2011/02/24(木) 23:49:07 ID:Y.pV7zxU0

「―――あなた、誰かを殺したの?」

あてもなく林道をさ迷い歩くひさ子の前に現れた、それが少女の第一声だった。

「なに、え、何を……」

次第に薄暗さを増していく林の中である。
突然目の前に現れた少女は、まるで徐々に濃くなる闇から生まれてきたようにすら、感じられた。
そんな少女に問い質され、思わず口ごもるひさ子に、少女は畳みかけるように言葉を浴びせてくる。

「殺したんでしょう」
「だから、何を言ってんだよ、あんたは!」

言い返す口調がつい荒々しくなるのを、抑えきれない。
もとより即答できる問いではなかった。
考え込めば心が千々に乱れそうなことでもあった。
だから考えないように大声を出して、精神に感情で蓋をする。

「……」
「……っ!?」

声の余韻が林からすっかり消えようとする頃である。
静かな瞳に冷たい光を湛えた少女が、小さくため息をついていた。
その小馬鹿にしたような態度にひさ子が噛み付くよりも早く、少女が口を開く。

「その荷物は何?」

52袋小路の眺望 ◆Sick/MS5Jw:2011/02/24(木) 23:49:25 ID:Y.pV7zxU0
細く白い指が真っ直ぐに指すのは、ひさ子の抱えた支給品のデイパックである。
それも、背負ったそれではない。左の肩に抱える、二つめの荷物であった。
言われたひさ子は、それが猪名川由宇の持ち物であることに気付き、同時に
無惨に砕け散ったその顔が脳裏に浮かぶのを振り払おうとして失敗し、
こびりつくようなその赤に囚われた思考は咄嗟に言葉を紡げない。

「これ、は……」
「支給品は一人に一つ。二つを持っているなら、預かったか、拾ったか、盗んだか……」

言い淀むひさ子をよそに、少女は淡々と続ける。
その言葉尻に、突破口が見えた、気がした。

「あ、預かったんだよ、さっき」
「―――それとも、殺して奪ったか」

幻想だった。
安易な逃げ道に縋ろうとする、ひさ子の言葉を無視するように少女は断じていた。
見下ろされているように、感じた。

「まさか本気で言っているわけじゃないでしょう。預かった、なんて」
「な、何で、さ……」
「やめましょう。時間の無駄だわ」

少女が、冷たく言い放つ。
その瞳には今や、侮蔑と嫌悪の色だけが浮かんでいた。

「わからないはず、ないでしょう―――その格好で」
「え……?」

言われて、見下ろす。
見下ろして、一瞬、本当に何を言われているのか理解できず。
そうして、ようやく気付く。

53袋小路の眺望 ◆Sick/MS5Jw:2011/02/24(木) 23:49:41 ID:Y.pV7zxU0
白を基調に、淡い群青色を配した、改造制服。
神に抗い、天に唾して自らを謳い上げる者たち―――『死んだ世界戦線』の一員である証。
見る者に爽やかな印象を与えるはずのその制服は、しかし、今や見る影もない。
群青色の襟が赤黒い。白かった袖は褐色の斑模様で、スカートは奇妙に黒く汚れている。
乾きかけた、それは血痕だった。
ひさ子の全身に、赤黒い染みと斑模様が、一面にべったりとこびりついていた。
猪名川由宇の返り血だった。

「……ッ!」

慌ててそれを覆い隠そうとした、やはり血に汚れた手には、おぞましい凶器が握られている。
血と肉片とをその先端にへばりつかせたままの、鋭い釘を無数に打ち付けたバット。

「まるで殺人鬼ね」
「……」

沈黙は、答えに窮したからではない。
ただ、驚愕の故だった。
気付かなかった。否。気付けなかった。
返り血に汚れていることが、異常であると。
剥き出しの凶器を持ち歩くことが、異様であると。
そんな、本当は考えるまでもなく当たり前のことに気付けない自分がいることに、
ひさ子は愕然としていた。

血と、肉と、凶器と。
そんなものは、あの学園ではあまりにも日常的に、存在していた。
泥に汚れるのと、変わらない。
少し眉を顰めて、新しいものに着替えて。
それだけの、ただそれだけのものでしか、なかった。
だからそれは、あの学園では、戦線では、あるいはNPCの前ではごく普通のことで、
誰も、おかしいなんて、言わなかった。

からりと、血塗れの凶器が、手から離れて地面に落ちる。

54袋小路の眺望 ◆Sick/MS5Jw:2011/02/24(木) 23:50:02 ID:Y.pV7zxU0
そうだ。
昔は、もう思い出せないくらいの昔には、これを、異常だと、思えていた。
武器を持つこと。血を流すこと。傷つくこと。傷つけること。
いつからこれが、こんなものが、日常になってしまったんだろう?

死を受け入れたとき?
生き直すことを肯定したとき?
神に抗うなんて子供じみた遊びに付き合うことを決めたとき?
それとも、初めて人を、生き返る人を、殺したとき?
いつから、こんな風に、なってしまったんだろう。

「……」
「あなた、誰かに聞いてほしいんでしょう? そうやってこれ見よがしにして」

思索に沈みそうになった沈黙を、どう解釈したのか。
ひさ子を射貫くように鋭い口調で、少女が詰問する。

「だから聞いてあげてるのよ。人を殺したの、って。答えなさい」
「殺すつもりなんてなかったんだ。……本当に」

有無を言わせぬ声音に、思考の淵から引きずり上げられたひさ子が、ほとんど反射的に答える。
それは保身や打算や、そういう余計なもののない、本音であるように、口にしてから思った。
だが少女は冷笑と共にひさ子を断罪する。

「殺すつもりはなかった。だけど結果的に死んでしまったから所持品は有効活用してあげましょう。
 死んでしまったあの人もきっとそう望んでいるわ。……随分と都合のいい話ね」
「それは、ちが……」
「違わないでしょう。あなたは結局、自分が可愛いのよ」

何が憎いのだろう、と思う。
少女はどこか、自分を通り越した遙か後ろの方に見える何かに向かって憤りをぶつけているように、
ひさ子には感じられた。
考えようとして、まるで殺人鬼ね、という言葉を思い出す。

「だからそうやって罪を認めない。殺したことから逃げようとして、そのくせ何もかもを
 なかったことにはできない。仕方なかったと思いたくて、誰かにそう言ってほしくて、
 そうやって被害者みたいな顔をする」

そうだ。返り血に塗れた姿で、何が憎いもない。
少女は罪が憎いのだ。殺人という行為が。殺意という感情が。殺人者という存在が。
実際は自分に殺意なんてものはなかったけど、とひさ子は思う。
だけど、それは常識的な人間として当然の反応だとも、思った。

55袋小路の眺望 ◆Sick/MS5Jw:2011/02/24(木) 23:50:39 ID:Y.pV7zxU0
「反吐が出るわ」

吐き棄てるように、少女が言う。
物静かそうに見える少女には不釣合いな、剥き出しの感情が混ざった声音。
本当に唾を吐き捨てそうにすら、思えた。
心の奥に溜まった油に火がついて、それが口から漏れ出しているようでもあった。

「あなたは人を殺したの。その罪からは逃れられない。
 死ぬまで、いいえ死んだって、あなたは永遠に人殺しなのよ。
 償って、贖って、罰を受けて、だけど罪は消えたりしない。
 人は人の心に罪を負うの。それを忘れるなら……それはもう、人ではないわ」

断じた少女が、ひさ子を真正面から見据える。
生まれた一瞬の沈黙を埋めるように、ひさ子が口を開く。

「生き返る、はずだったんだ……いつもなら」

口にすればそれは、ひどく滑稽だった。
生き返る? 誰が? 殺された人間が。
心の奥に響く失笑から耳を塞ぐように、続ける。

「本当に、そうなると思ってたんだよ」

下手な継ぎ接ぎで穴を繕うような、無様な言い訳に、聞こえた。
だからどうしたと言うんだろう。
生き返るなら、人間を殺しても構わないのか?
何の答えにもなりはしない。反省の色も何もない。
それは全き異常者の思考、殺人鬼の論理だ。
あの楽園の、或いは煉獄の外にあっては。

「……ああ。あなたも、あの野田という人と同じところから来たのね」
「野田を、知ってるのか」
「人を殺して平然としていたわ。あなたもそのお仲間?」
「……」

56袋小路の眺望 ◆Sick/MS5Jw:2011/02/24(木) 23:51:03 ID:Y.pV7zxU0
あいつも、殺したのか。
ここで。生き返らない、人間を。
どう思っただろう。何を感じただろう。
驚いたか、慄いたか。それとも、もしかしたら何も感じなかったか。
こんなことにいちいち戸惑っているのは、自分がガルデモとして戦線の中でも
バックアップを受け持っていたからなのかもしれない。
前線の、骨の髄まで人を殺すことに慣れきった人間は、こんな風に揺れないのかもしれない。
それがどれほど異常なのかも、気付けないまま。
異常と正常の境界。こちら側と、あちら側。言葉遊びだ。
私は昔を思い出してしまって、だからもう戻れないという、それだけだった。

「……それで、だから殺したというの、あなたは。生き返るから」

ああ、それはさっき、自分でも思ったよ。
ひさ子の心のどこかに座っている、無責任な誰かが笑いながら拍手喝采を送る。
そら異常者を責め立てろ、殺人鬼を断罪しろ。
情状酌量の余地はない、執行猶予も何もない。
量刑し、宣告し、執行しろ!

「死ぬなんて、なんでもないことだったんだ。生き返るなら」

口にして、それが飾り気のない本心だと、ひさ子は気付く。
それは、死の肯定だった。
続きがあるから、死を恐れない。
明日があるから、今日は死んでもいい。
眠るように、抗わず。
なんでもないことみたいに、死ねた。

だけど、それはきっと、毒だ。
自分を、自分たちを侵してどろどろに溶かす、摩耗という名の毒だったのだと、ひさ子は思う。
生の無念を訴えるための、抵抗。
終わらない、被害妄想。
それが、戦線の存在意義だったはずなのに。
いつの間にか、死はその存在感を薄れさせていた。
それはきっと、生を、死に対置されるものの価値をも、貶めることだったのに。

57袋小路の眺望 ◆Sick/MS5Jw:2011/02/24(木) 23:51:47 ID:Y.pV7zxU0
今日死んでもいいなら、明日だって死んでもいい。
抗わず死んで、抗わず生き返って。
そうして続ける、滑稽な抵抗ごっこ。
切実さなんて、もうどこにもない。
それはただ、いつか駄々をこねていた自分を忘れないための、儀式じみた日常だ。
もう飽きたと言い出せなくなっているだけの、惰性だった。

岩沢の顔を思い出す。
あいつは賢かったから、そういうことに人より早く気付けたんだろう。
あいつは強かったから、つまらない遊びはやめて家に帰ると言えたんだろう。

「生き返るなら人を殺しても構わないの?」

少女のそれは、当然の疑問だ。
生きる者の、死を恐れ、故に生を謳歌するものの、ごく当たり前の反応。
戦線に残った自分たちが、もう忘れてしまっていた、感覚。

「あなたは罪を認めない。それが罪だとさえ、思えない。罰がないから。
 罪業を誰も責めないから。誰もが等しく、呵責なく人を殺す世界だから」

ひどく真っ当で、どこまでも正しい、それは弾劾だった。
どうしてここまで、私たちのことを言い当てられるのだろうと、ひさ子は思う。
野田が全部を話したのか。この少女の賢さゆえか。
それとも、他に理由があるのだろうか。

「あなた、……いいえ。あなたたち、やっぱりもう、駄目なのよ。
 どうしたって戻れないところまで腐ってしまってる」

少女の言葉は止まらない。
罪を暴き、詰り、責める、正しさを体現するような言葉。
しかし、

「罰のない世界なんて、人の生きる場所ではないわ」

そう口にする少女の顔は、正義に酔う者のそれではなく、断罪の刃を振り上げる者のそれでもなく、
どこか、ひどい苦悩に苛まれているように、見えた。

「楽園は天上にしかないのよ」

少女の言葉は、陶酔でも峻厳でもなく、ただ聖句を口にして救いを求める、
哀れな罪人のそれのように、何故だか、思えた。

「そんなところで生きていたつもりのあなたたちは……どこまでも救われない、死人の群れ」

何が憎いのだろうと、もう一度思う。
思って、

「死人が、生きる者にかかわらないで頂戴」

その言葉で、ひさ子は理解する。
少女はきっと、罪が憎いのでも、罪人が憎いのでもない。
この正しく哀れな少女が憎いのは、罰のない世界なのだ。
そうして、だから、その世界に生きた私たちが、赦せない。

58袋小路の眺望 ◆Sick/MS5Jw:2011/02/24(木) 23:52:07 ID:Y.pV7zxU0
少女が欲しているのは、罰だ。
裁きでも、審判でもなく、そんな過程などではなく、ただ、罰が下されることだけを、望んでいる。
誰に? 誰かに。皆に。すべての罪に。あらゆる罪人に。
それはきっと私ではなく、私たちですらなく、もっと遠い、私の知らないところを見ながら
呟かれる祈りで、だからすぐには気付けなかったのだと、ひさ子は思う。

「……何もわかんないよ、それじゃ」

少女の怒りは八つ当たりで、少女の憎悪は見当違いで、だけどやっぱり、正しいのだ。
人を殺したひさ子は、だから突き返すように、そう言い放つ。

「あなたたちは、皆そういう言い方をするのね」

そう吐き棄てた少女は、おそらく何かを誤解していて、しかしひさ子は、それを改めない。

「そんなに同情が欲しいの? だけど―――」
「ほしいのは、同情じゃない。理解でもない」

代わりにゆっくりと身を屈めて、地面に落ちたバットを拾う。
人を殺した、血染めの凶器。

「あんたらに求めるものなんて、何もない」

つまらないごっこ遊びの、もうとうに飽きて投げ出したかったおままごとの、他愛ない道具。
振れば、人は死んだ。

59袋小路の眺望 ◆Sick/MS5Jw:2011/02/24(木) 23:52:19 ID:Y.pV7zxU0
「あたしたちは……あたしは、生きたかったんだ」

ただ、生きていたかった。

「死にたくなんて、なかった」

だから死を忘れないために、抗った。

「だってそんなのは、不公平じゃないか」

そうしていつからか、そんなことも、忘れてしまっていた。

「なんであんたは生きてるんだ? なんであたしは死んだ?」

それは、いつかの私が持っていたはずの切実で、今はもう喪われてしまった熱で。

「ほしかったのは、きっと、その答えなんだ」

罪を忘れて。苦痛に麻痺して。もう家に帰ると、そんなことも言い出せずに。

「だけどそんなのは、神様にしか答えられない。だから―――」

だから、永遠みたいな死人の楽園に、私はもう、戻らない。

60袋小路の眺望 ◆Sick/MS5Jw:2011/02/24(木) 23:52:34 ID:Y.pV7zxU0

言葉を切って、ひさ子が笑う。
そうしてそれきり、言葉を続けることは、なかった。
血塗れの釘バットをニ度、三度と振り回して、正面に構える。
走り出して、四歩。

「―――」

ひさ子の生を、或いは死を終わらせたのは、一発の、気の抜けるような軽い発砲音だった。


◆◆◆

61袋小路の眺望 ◆Sick/MS5Jw:2011/02/24(木) 23:52:48 ID:Y.pV7zxU0

「神様って、どこにいるのかしらね」

燃えるような茜色の夕暮れの光を浴びながら、片桐恵は小さく呟く。
死体は何も答えない。
何も映さぬ目はただ虚空を見つめている。
半開きになった口から漏れる声はない。
それを見下ろした恵は、誰にも聞こえないような声で続けている。
内心の思いが声に出ていることにも、気付いていなかったかもしれない。

「あなたは私が殺した。私はあなたを殺した。それを忘れない」

手の中のデリンジャーから発する熱が掌を薄く焼いて、鋭い痛みを伝えてくる。
それがまるで咎の刻印のようだと考えて、恵は薄く笑う。
自身を嘲る笑みだった。

「……欺瞞ね」

握り締めれば、焼けた掌は引き攣るように痛い。
痛くて、しかし、それだけだった。

「背負えば赦されるわけじゃない。刻めば罪が軽くなるわけじゃない」

小さな火傷一つに逃げ道を見つけようとする弱さが、厭わしい。
罪と向き合おうとしない、それを責めたのはどの口だったか。

「私はこれまでの倍の罪を犯した。それだけの話」

口に出しても、何も変わらない。
刺すように赤い夕暮れも、踏みしだかれた草の匂いと僅かに混じった鉄錆びのような臭いも、
立ち尽くす片桐恵も、倒れ伏す少女の遺骸も、何一つ変わらない。
独り言は木々のざわめきに紛れて消える。
罰はまだ、下らない。
今はまだ、そのときではない。
しかし何故だか、重力が倍にでもなったように、身体が重かった。
振り払うように、深く、息を吸う。
と、近くの茂みが、がさりと揺れた。

「……おいで」

声をかければ、答えるように小さな鳴き声。
火薬の臭いの染み付いた手を気にした風もなく、猫は恵の肩へと駆け上がった。

62袋小路の眺望 ◆Sick/MS5Jw:2011/02/24(木) 23:53:05 ID:Y.pV7zxU0

 【時間:1日目午後5時ごろ】
 【場所:G-4】

片桐恵
 【持ち物:デリンジャー、予備弾丸×9、レノン(猫)、水・食料二日分】
 【状況:健康】

ひさ子
 【持ち物:血塗れの釘バット、スリテンユシリ(解毒薬)、水・食料二日分】
 【状況:死亡】

63温もり ◆auiI.USnCE:2011/02/26(土) 04:16:21 ID:0M4QzPpM0





――――私は、僕は、その温もりを、知らない。







     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇







「死んでるわね……」
「言わなくても解るだろう。これが動き出すと思うのか? 貴様は?」
「そんな訳ないじゃない。そういう貴方こそ随分と含みのある言い方じゃない」
「…………ふん」

真昼の学校の資料室。沢山の本や教材で囲まれた部屋で、少女が二人死んでいた。
一人は血だまりの中で、栗色の髪を赤に染めながら、蹲って死んでいる。
もう一人は両手で胸をナイフを突き立てたまま、天を仰ぐように、仰向けで死んでいた。
その凄惨な光景を、直井文人はつまらなそうに見下ろしている。
彼の隣では充満する血の臭いに耐えられないのか、あるいは死体を見てしまったせいか、それともその両方か。
二木佳奈多が死体から目を逸らし、綺麗に整った顔をしかめていた。

「まだ死体も其処まで堅くは無いか……当然か。始まってそれほど時間も立っていないしな」

直井はそんな佳奈多をつまらなそうに一瞥して、黒髪の少女の死体を触り何時頃死んだかを確認する。
死体は自分がいた世界で見慣れていた。何故ならばそういう世界だったのだから
死体に触れ合う機会も沢山あった。全く嬉しくも無かったが。
ふざけた世界だったなと思いつつ、直井は状況を俯瞰的に見て呟く。

「殺してしまって……自殺……だろうな」
「まあ自殺にしか見えないけど……だとしたら随分と弱い考えね」
「ふん、衝動的に殺したかもしれんぞ。襲われたから殺しましたなど有り得る」
「……それでも、弱い考えよ」

口元をハンカチで押さえながら、佳奈多は死体を見て直井に応える。
なにかしらが起こって、黒髪の少女が栗色の髪の少女を殺した。
そして結果的に黒髪の少女が自殺した。
その推測に多分大方間違っていないだろうと佳奈多は思う。
変な事を言ったら罵倒してやろうと思ったのに。
佳奈多はそう思い、溜息をつく。
そして、ゆっくりと少女の目を閉じさせた。
その行為に憐れみや不憫に思ったなんて感情は無い。
ただ、何となくだ。見開いた目が気持ち悪かった。
それだけ。
直井が自分を興味深く見つめていたのが凄く気に入らなかったが。

64温もり ◆auiI.USnCE:2011/02/26(土) 04:17:06 ID:0M4QzPpM0

「まあ、いい。武器を回収するぞ」
「ええ、互いにたいした物持っていないし」
「ふん、使えん奴だ」
「貴方だって、くだらない仮面に喜んでいたじゃない」
「何だと……貴様」

そして、互いに醜い罵倒を暫くする。
死んでいる少女を無視するが如く。
目の前の少女達に、二人は特に思う事が無かった。
しいて言うならば、死んだのが探し人ではなくて良かった。
それぐらいだった。
ただ、弱い人が死んだ。
それだけの事で、他に思うこともないはずだ。

「このナイフは……使えるな」

直井は少女の胸に杭の様に刺さったナイフから、少女の指をほどいて引き抜いた。
そのまま、ナイフにべっとりとついた血を部屋にあったタオルでよくふき取る。
そして、置かれてあったデイバッグを開き、中身だけを回収する。
直井と佳奈多は靴の裏に着いた血を近くにあった水道で軽く洗い流し、万全の準備をした。
淀みない行動で、やるべき事をすべて終わらせた直井が佳奈多に話しかけて

「よし、行くぞ。もうこの場には用が無い」
「……弔いとかは……必要ないわね」
「何を馬鹿な事を言ってるんだ。死体でも見て臆病さが増したか?」
「別に。貴方こそやけに急ぐじゃない。死体が怖いのかしら?」
「馬鹿な……気になる事があるだけ……別にお前にいう事ではない……ふんっ」
「……ふん」

お互いに鼻を鳴らして、そっぽを向く。
直井が気になってたのは一点。
ゆっくりしている間に、死体が『動き出したり』しないかだけ。
確かめるのもありだったが、それは少し厄介な事になるかもしれない。
そのリスクを考えると、立ち去るのが一番いい。
直井はそう判断し、血の臭いから部屋を立ち去っていく。
佳奈多は、そのまま直井についていくように、退出しようとして。
一度だけ、振り返り、死体を一瞥して。
静かに扉を閉めた。






     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

65温もり ◆auiI.USnCE:2011/02/26(土) 04:17:38 ID:0M4QzPpM0





「……っ、死んでる……な」
「ええ」

香月恭介と須磨寺雪緒が資料室を訪れたのは、丁度直井達とすれ違うぐらいのタイミングだった。
恭介達が資料室を訪ねたのは偶然ではなく、幾つか要因がある。
一つは廊下にまで漂ってきた血の臭い。
もう一つは接触は出来なかったが恭介が偶然見つけた影。
学帽と長い紫色した髪の少女が部屋から出て行ったのを遠めで確認したからだ。
何かあると慌てて、恭介は部屋に入ったのだが、目の前の凄惨な光景に息を呑むしかない。

「あいつらが……殺した……のか?」

恭介は髪に手を乗せて、唸るように言葉を発する。
目の前の現実が余りにも、酷すぎたから。
殺し合いが始まって三時間足らずのうちに、二人も死んでしまった。
しかもその現場は余りにも凄惨で。
思わず、目を背けたくなってしまう。
けれども、背く訳には行かなかった。
今、目の前にある光景から逃げたら、きっと何もできやしない。
それを恭介は理解して、気を強く持とうとする。
これから起きるであろう困難に負けない為にも。

「でも、冷たいわ」

そう、呟いたのは須磨寺雪緒だった。
黒髪の少女の頬を撫でながら、静かにその顔を見つめている。
雪緒の表情は無く、儚げだった。

「じゃあ、今さっき殺した訳……じゃないのか」
「ええ。多分」
「それでも、殺した可能性は有りえるな……くそっ」

思わず、恭介は舌打ちをしてしまう。
辺りをざっと見回しても、其処に有るべきものが無い。
そう、凶器と殺された人の支給品が入ったバッグがないのだ。
答えは簡単で、あの二人が持ち出した可能性が高いという事。
殺して奪ったと考えるのが妥当だろう。
そう考えると、同じ学校に居て止められなかった事がただ、悔しい。
後悔しても、仕方ないというのに。

「…………でも、この黒髪の女の人。自殺かもしれないわ」
「……はっ?」

悔しそうな恭介の顔を横目で見ながら、雪緒は呟く。
予想外の言葉に、恭介は少しだけ唖然とした表情を浮かべた。

「今は解かれてるけど、何を握ってたみたい。手も丁度胸元の傷の所に」
「それで?」
「血も自分の腕に沢山かかってる。まるで自分で、胸を刺したように」

雪緒は、確認するかのように、呟く。
死んだ彼女を慈しむように。
また、とても羨ましそうに。
とても、その様子は脆く、見えて。

66温もり ◆auiI.USnCE:2011/02/26(土) 04:18:08 ID:0M4QzPpM0

「あなたは、綺麗な世界が見つかった?」

もう、二度と動かない骸に語りかけて。
もう一度、頬を撫でる。
撫でられた顔は、死んでいるのにとても穏やかに見えた。
恭介は、そんな脆い光景が、嫌でしょうがなくて。

「そんなもの……ありやしないっ! あるのはただ凄惨な光景だけだっ!」

強い言葉を吐いてしまう。
この光景の何処が綺麗で美しいというのだ。
充満した血の臭いと、汚れきった赤黒い血で染まった床。
そんな光景は、ただ悲惨で哀しいだけだ。

「そう。あなたはこの光景を見てまだそういうの?」
「ああ。言ってやるさ。二度とこんな光景つくってたまるか」

雪緒は少しだけ怒りを籠めた言葉で恭介に尋ねる。
そんな雪緒を否定するかのように、恭介は言葉を紡いだ。
二度とこんな光景は作らない。
そう、堅く近いながら。

「そう。あなたはそう言うのね……分かったわ。賭けはまだ終わっていないわ」

目を閉じて、雪緒は頷く。
それはこの光景が、綺麗な世界では無い事。
少なくとも、須磨寺雪緒にとっては、これは綺麗なものではないという事。
それだけ、それだけの事だった。
頷いた雪緒の表情がとても複雑で、恭介にはその感情を読み取る事が出来なかった。

「よし……なら」

恭介は、そのまま窓際まで移動して、真っ白いカーテンを力任せに取った。
途端に、日の光があっというまに部屋に充ちる。
雪緒は少しだけ眩しそうにして、恭介の突然の行動に興味深そうに眺めていた。

「今はこれだけしか出来ないが……」

そして恭介はそのカーテンをそっと二人にかけた。
純白のカーテンは瞬く間に真紅に染まっていく。
恭介がおこなった事。
それは、簡易的な埋葬だった。

「このままにしていくには忍びないからな」

少しで、名も知らぬ少女に黙祷する。
どんな人間かは分からない。
けれど、失った命が少しでもやすらかになるように。
恭介は、そう願わずには居られなかった。


「あなたは……やっぱり『そういう人』なのね」

その行為を雪緒は眺めながら、恭介に聞こえないように呟く。
恭介を眺める彼女の視線は今までと少し違って。
何処か温かみのある、綺麗なものを見るような、目だった。

「じゃあ、行くぞ。殺人者が居るかもしれないし、此処は危ないからな」

恭介は黙祷を止め、雪緒の手をとって駆け出す。
急に手を取られた雪緒は驚きながらも、恭介に従いおなじく駆け出した。

恭介としては、自殺したかもしれない少女の傍に。
余りにも近い『死』に。
須磨寺雪緒を置いておきたくなかった。
それだけの事。

雪緒はそんな恭介の想いをしってか、知らずか。
一度だけ、死んだ少女の方へ振り返ろうとして、そのまま止めたのだった。
そして雪緒の前には、手を引っ張る少年の姿が居て。

ふっと、少しだけ、表情を和らげたのだった。






     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

67温もり ◆auiI.USnCE:2011/02/26(土) 04:18:58 ID:0M4QzPpM0





「二木」
「何よ?」
「いきなりむすっとするな。お前はそんな顔しか出来ないのか?」
「あら、他の顔がお好み? 貴方も似たような顔をしてるくせに」
「ふん」
「ふん」

昼下がりの廊下を、二人は相変わらずむすっとした表情で進んでいた。
会話と言う会話は殆ど無く、ただ黙々と。
そして、たまに口を開くとこうである。
互いの気性もあるのだろうが、何度も続くとお互いに鬱陶しく感じてくるのもあったのは事実だった。

「お前は人を殺した事があるのか?」
「……無いわよ。そういう貴方はあるというのかしら?」
「……あると言えばいいのか。無いと言えばいいのか」
「何それ? 頭可笑しいんじゃない?」
「……」
「あら、否定しないのね? 珍しい」
「ふん、お前に付き合うのが面倒になっただけだ」

直井が佳奈多に聞いたのは、殺人の有無。
この殺し合いの場にて、大事な確認だった。
けれど、佳奈多は当然のように不快感を示しながら否定した。
逆に同じ事を問われた直井はとても複雑な表情を浮かべ、何処か遠い所を見る。
頭が可笑しいという侮辱さえも否定できなかった。
何故なら、直井が居た世界は「そんなもの」なのかもしれないのだから。

「まあいい。じゃあお前は差し迫った時……殺せるか?」

核心を突くように直井は言葉を紡いだ。
佳奈多に覚悟があるかと。
直井の眼差しをとても真剣で、そしてとても冷たく。
佳奈多は心が貫かれそうになるが

「……すわよ…………殺すわよっ」

搾り出すように、声を出す。
思い浮かぶのは大切な妹の顔。
憎まれてるけど、怨まれているけど。
それでも、大切な人の笑顔。

「…………あの子を護りたいから」

護りたいから。
護るべき人がいるから。
だから、佳奈多はそう強く言った。言えた。

68温もり ◆auiI.USnCE:2011/02/26(土) 04:19:54 ID:0M4QzPpM0

「そうか、僕もだ」

直井は皮肉そうな笑みを浮かべて、佳奈多の考えに同調した。
其処に嘲りは無く、心からその考えを賞賛するように。
その笑みに、佳奈多も表情を崩し、

「そう、それはよかったわ」

少しだけ、笑った。
少しだけ、少しだけど。
直井との距離が縮まった気がした。
そして、少しだけ解った気がした。
それだけだった。


互いに、少しだけ笑ったその時、


「此処も収穫無かったじゃね……おう、ガキ二人発見」
「ええ、そうですね」

隣の教室からがらっと扉が開いて。
其処に二人の中年の男が立っていた。






     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「じゃあ、おめーらガキ達も学校探索してたって事か」
「ああ……というかガキと言うな」

その中年二人は同じく学校がスタート地点だったらしい。
教室片っ端から探してた所、直井達に遇ったらしい事だった。
話を進めている中年というかそっちの方がガキみたいな男は古河秋生といい。
冴えないいかにも中年の男性と言った風采が、岡崎直幸と言った。

「とりあえず、殺しの方は」
「ええ、乗ってないわよ」

情報交換を平常に直井達はこなしていく。
ここで反抗してもいい事は無いと判断したためだ。

69温もり ◆auiI.USnCE:2011/02/26(土) 04:20:16 ID:0M4QzPpM0

元々、大人の顔色を見続けていた二人だ。
大人が喜ぶ事、大人が嫌がる事。
それくらい解るつもりだ。
自分の都合のいい時だけ、喜んで。
反抗したり、機嫌が悪い時だけは直ぐに手を振るった。
そんな、存在。
でも、さからえなくて。
だから、佳奈多達は従った。
佳奈多は葉留佳の為に。
直井は認められたくて。
自分を消してまで、頑張った。
でも、大人は何時でも冷たいそんな存在だった。
それが大人だと思ってた。

「ふーん。じゃあ、さっき廊下で言ってた事、何だ?」

聞かれていた。
直井達は言葉を交わすことも無く目配せして口あわせをする。
こういう罪を咎めようとして自分達を弾劾するのも大人だ。
悪い事をするなと言葉だけ言って自分たちはすぐ手をあげようとする。
そんな連中だ。

「別に。ただの確認ですよ。襲われた時とか殺さないといけない時だってありますしね」
「ええ。そういう時もあると思うので」

実際、今はまだ乗ってないのは事実なのだ。
言葉だけを捉えて殺し合いに乗ってると勘違いされても困る。
だから、直井達は更に弁明をしようとして

「…………でも、その服についてる血痕は?」

ぼんやりとした口調で直幸に尋ねられた。
直井と佳奈多は焦って服を見る。
佳奈多の腕の服と、直井の足の裾にほんの少しだが血がついていたのだ。
あの資料室の時、ついたのだろう。
迂闊だった、迂闊だったとしかいいようがない。

「それは……資料室に遺体があったからですよ」
「ええ。その遺体を見てたときについたかも」

これは釈明ではなく事実だ。
でも、大人はきっと自分の都合のいいように解釈をする。
だから、きっと直井達が殺した。
そう、解釈するに決まっている。

「……じゃあ、とりあえず連れていって貰うぜ。其処に」
「いいですよ」

直井は偽りの笑顔で微笑んで頷く。
隠し持ったナイフを最悪使う事を考えながら。




     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

70温もり ◆auiI.USnCE:2011/02/26(土) 04:21:04 ID:0M4QzPpM0




「……?」
「どうした?」
「いえ、今学校に人影居たような気がして」
「……どうする? 戻るか?」
「いや……いいわ。気のせいかもしれないし」

校門から走って出てきた恭介と雪緒。
雪緒は学校の方を見て、人影を見た気がするが、気のせいだったかもしれない。
そう、雪緒は結論付ける。
あの学校は綺麗な場所じゃなかったから。
だから、戻りたくないだけ。

「ねえ、あの二人の事、後悔してる?」

雪緒は資料室で死んだ二人の事を思う。
恭介はあの二人を救えなかった事を後悔していたようだ。
仮定の話だが、雪緒に会ってなかったら恭介は救えたかもしれない。
そんな可能性だってあるのだ。

「……まあ、救えたかもしれないのは確かだ。実際ちょっと悔やんでいる」

確かにあの時、恭介が気付いていれば救えたかもしれない。
だから、後悔は少しだけある。
でも、

「それでも、お前を助けられたからいいさ」

結果的に雪緒にあって雪緒を助けられた。
それもまた、事実なのだから。
だから、今は前を向いて。
救えるかもしれない命だけを考える。
それだけだ。

「そう」

雪緒は、その言葉に短く応えて。

ただ、握られた手を少しだけ、強くした。


 【時間:1日目午後3時半ごろ】
 【場所:E-6 校門前】


 香月恭介
 【持ち物:ハリセン+鼻メガネ、火炎瓶×3、硫酸ビン×2、マッチ、水・食料一日分】
 【状況:健康】


 須磨寺雪緒
 【持ち物:不明支給品、水・食料一日分】
 【状況:健康】




     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

71温もり ◆auiI.USnCE:2011/02/26(土) 04:21:48 ID:0M4QzPpM0




「死んでる……ね」

直幸はそう呟いて、手を合わせる。
秋生を黙って、それに追随した。
けど、そんな大人二人を警戒しながら、直井達は少しだけ驚いて遺体を見ていた。
遺体にかけられたシーツ。
それは直井達の後にかけられたもので間違いないだろう。
つまり、直井の後に着た人が居るという事。
推測できるのは、それくらいだった。
ただ、もしかしたら自分達が出て行くことを見られた事も視野に入れながら。

「畜生……まだガキじゃねーか……」

秋生は悔しそうに言っている。
それは本心からだろうか。
それとも、ただの演技?
疑うように直井達は秋生を見つめている。

「おい、お前達が見たときにはもう、死んでいたんだよな?」
「ええ。其処の栗毛の人はうつ伏せに。黒髪の人は自殺してました」
「黒髪の少女が自殺につかったナイフは僕が回収したんだよ。何分自衛に使うものが無かったですから」

見たままの事実を告げるだけ。
嘘をつく必要なんて無い。
でも、と佳奈多と直井は思う。

どうせ

「ふぅーん……」
「疑ってますか? 私達が殺したって」

大人ってそんなものだ。
あざけ笑うように佳奈多は言う。
事実を言ったって、大人はそうやって悪い方に考える。
悪い子供だって、思うんだって。

「そりゃあそうですよね。僕達がやったようにしか見えませんから」

直井も追随して、言葉を紡ぐ。
状況的にもそうしか見えないから。
だから、大人は殺したって思うんだ。
そうして、悪い子供だと。出来損ないの子供だと。
勝手にレッテルをつけるに決まっている。

「そうか」

秋生が二人に近づいて見下ろす。
直井は背後に隠してあったナイフに手をかける。


そして

72温もり ◆auiI.USnCE:2011/02/26(土) 04:22:57 ID:0M4QzPpM0


「悪い子ぶってんじゃねーぞ、このクソガキ共っ!」
「いてっ!?」
「いたっ!?」


秋生は、二人に思いっきりデコピンをする。
力を籠めたデコピンは思いっきり二人にヒットして、二人とも悶絶する。
何が起きたか、解らない。

「何が、疑ってるだ。私達が殺したようにしか見えないだ。バーカッ!」
「……な、何?」
「いいか、よく聞けよっ」

秋生は困惑する二人に向かって、言葉を紡ぐ。


「てめーらみたいなガキが懇願してるように言ってる事、信じてやるのが大人の役目だ。馬鹿野郎っ」


懇願している?
自分達が?
そんな風に見えたのか。

「そんな簡単に殺しなんて、出来るもんじゃねえんだよ。怯えるようにしやがって。
 いいか、てめーらみたいな悪い子ぶったガキはな、もうちょっと大人を信じやがれ」
「信じられる……もんかっ……実際殺してたら、どうするんだよ」
「その時は沢山叱ってやる。そして一杯叱った後許してやるよ」
「殺されるかもしれないのに?」
「しるかっ、そんなもん。第一、てめーらみたいな悪ガキに殺される秋生様じゃねえんだよ!」

食い下がっても、全て否定される。
こんな大人は見た事が無い。
こんな、厳しくも優しい言葉なんて、大人から聞けるなんて有り得ない。
可笑しい、そんな訳が無い。

73温もり ◆auiI.USnCE:2011/02/26(土) 04:23:21 ID:0M4QzPpM0

「全く……ガキみたいな古河さんが言っても」
「なんだぁ? 岡崎さんまで何を」
「でも、直井君、二木さん」

今度は直幸が自分達を見つめてくる。
その瞳は何故かとても優しく温かく見えた。


「子供はもっと自由にしていいんだよ……そんな大人の顔色ばかりみないで……真っ直ぐに自由にね
 ……私は今まで出来なかったけれども……そして、そんな子供の自由を守るのも、また大人の役目だよ」


ぽんぽんと頭を撫でてくれる。

その手が大きくて、大きくて。


とても、温かった。


これが、大人?
こんな温かさが大人だというのか。

じゃあ、自分達は一体今まで……?


「解ったか、ガキ共。ころしてねーんだったら、はっきりそう言いやがれ」


秋生の言葉が響く。

大人の優しい視線が注がれる。

解らない。
解らない。

これが、温かいもの?
これが、優しいもの?

こんな、存在が大人?


解らないけど。

74温もり ◆auiI.USnCE:2011/02/26(土) 04:23:53 ID:0M4QzPpM0


「僕(私)達は、やっていない」


そう言えた。

そしたら、大人たちは。


「じゃあ、信じてやる」


笑ってそう言ってくれた。


それだけの事だった。


でも、確かな変化だった。





     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




「よし、なら少し休むぞ」
「そうだね、死体を見て疲れてるだろうし……」

大人たちがなにやら話している。
子供達は戸惑いながら追随している。

「ねえ」
「何だ?」

最初にあげた三人から四人になっている。
それなのに、そのまま行動している。

「正直……戸惑っている?」
「ああ、僕もだ……ただ……」

直井は何かくすぐったいように、言葉を紡ぐ。

「解らないんだ……今まで、こんな事無かった」
「ええ……私もよ」


前を進む大人を見て、とても輝いてるように見える。


「……こんな時、どうすればいいか…………解らないんだ」
「………………そうね。私も解らない」

笑えばいいのか。
喜べばいいのか。
解らなかった。


「……本当、こんな所まで似てるなんてね」
「……ふん……そうだな」


佳奈多が諦めたように笑い。
釣られるように、直井も笑った。

すこしだけ、互いに親近感が出て。
前を進む大人たちを見て。


また、少しだけ笑った。

75温もり ◆auiI.USnCE:2011/02/26(土) 04:24:10 ID:0M4QzPpM0


 【時間:1日目午後4時半ごろ】
 【場所:E-6 学校】

 岡崎直幸
 【持ち物:バスケットボール、水・食料一日分】
 【状況:疲労】

 古河秋生
 【持ち物:不明支給品、水・食料一日分】
 【状況:健康】


二木佳奈多
 【持ち物:大辞林、水・食料二日分】
 【状況:健康】

 直井文人
 【持ち物:マスク・ザ・斉藤の仮面、不明支給品(有紀寧)、ボウイナイフ、水・食料二日分】
 【状況:健康】

76温もり ◆auiI.USnCE:2011/02/26(土) 04:24:51 ID:0M4QzPpM0
投下終了しました。
このたびは期限を大分オーバーしてしまい申し訳ありませんでした。
気をつけます

77 ◆92mXel1qC6:2011/03/08(火) 04:35:17 ID:Tx.HCEtQ0
少々遅れてしまい、申し訳ありません
能美クドリャフカ、投下します

78 ◆92mXel1qC6:2011/03/08(火) 04:36:14 ID:Tx.HCEtQ0
ぱたぱた、ぱたぱた、ぱたぱた、ぱたぱた

力なく投げ出された手足の上に一つ、影が落ちた。
昼間だというのに、蝶はこの島には不似合いだとでも言いたいのか。
毒々しい目玉模様の羽根を持つ蛾が一匹、少女の回りを羽ばたいていた。
鱗粉を煌めかせ、先客である蠅をけちらし、ぱたぱたと、ぱたぱたと、飛んでいく。
その動きは休まることなく、機械的に、自動的に、羽をはためかせている。
邪魔をするなと何度蠅にたかられようとも、蛾はその場を去ることなく、ぱたぱたと、ぱたぱたと、飛び続け、手の上に影を落としている。
ぱたぱた、ぱたぱた、ぱtapata、patipata、ぱちぱち

「……」

能美クドリャフカは無造作に両腕を投げ出し、ぺたりと座り込んでいた。
木にもたれるでもなく、地に寝そべるでもなく、浅く腰を下ろし、淡く静かに呼吸を繰り返していた。

ぱちぱち、ぱちぱち、ぱちぱち

うな垂れるでもなく、見上げるでもなく、不自然な中空で固定された頭で唯一の、固定されていない部位が音を立てる。
呼吸を続けるためだけに、半開きになったまま微動だにしない口が、ではない。
それは目だ。精気の抜け落ちた少女の顔にあって、目だけが乾燥を避けようと、機械的に、自動的に、瞬きを続けていた。

ぱちぱち、ぱちぱち、ぱちぱち

視線は宙を眺めるようでいて、目の前の地面へと向けられている。
そこには二つの死体があった。
男と女の死体があった。

ぱちぱち、ぱちぱち、ぱちぱち

これで、全部。
少女と虫と、二つの遺体。
他には誰も、人の子一人いない。
それは当然の状況だった。
クドリャフカが殺したのだから。
ついさっきまでそこにいた二人の人間を、少女は殺し、独りになったのだから。

「…………」

長い間、満足に陽の光の届かない闇の中でじっとしていたせいか、クドリャフカの唇は青ざめていた。
血と、涙で濡れそぼったマントを着続けていたことも相まって、スカートから除く足首は鳥肌が立っていた。
表皮だけではない。
寒さは、骨に伝わり魂までもを凍えさせていた。

79 ◆92mXel1qC6:2011/03/08(火) 04:36:50 ID:Tx.HCEtQ0

否。

そもそも最初に凍りついてしまったのは肉体ではない。
魂の方だ。
少女は己が瞳から侵入した悪魔に、その魂を奪われてしまったのだ。

ぱちぱち、ぱちぱち、ぱちぱち、ぱちぱち

穿たれる穴/溢れ出す血/崩れる巨体/浸食する赤/リンパ液/覗く臓器/はみ出す白/痙攣する手足/虚ろな瞳/青白い顔/蒼ざめた馬の嘶き
彼の者の名は“死”
少女がもたらし、直視してしまった不朽の呪い。

ぱちぱち、ぱちぱち、ぱちぱち、ぱちぱち

ならばこれは禊か。
執拗に繰り返されている瞬きは、少しでもあの悲惨な光景を忘れようとしての少女なりの自己防衛か。

それも否だ。

今の少女には何かをなそうという気力は一欠片も残っていない。
そんなものは、とうの昔に使い果たした。
男の死体をゆすり続けたその時に。
生き返るという言葉をわらにもすがる思いで信じこみ、その瞬間を待った間に。
度重なるショックに微塵に砕かれた砕かれた己というものの破片を。
這い集めて、振り絞って、出がらしすら出しきって。
いくら時計の針が回っても、いくら骸を揺すっても、死んだ人間が生き返ったりはしないという現実を前に。
能美クドリャフカは自らの心を使い潰した。

「…………」

とはいえ、それはあくまでも忘我、あくまでも茫然自失であって、精神崩壊というほどのものではない。
少女は、人殺しである自身への恐怖や罪悪感を存分に味わうよりも速く、二度目の人殺しを認識してしまった時点で、放心してしまったからだ。
これは少女の心が、人を殺したという事実に耐えられなくなる前に、強制的にブレイカーを下ろしたのだとも言い換えれよう。
少なくとも現状、クドリャフカの心は、壊れきってはいない。
ほんの僅かの衝撃で、再び我を取り戻すだろう。
自身が犯した罪に泣き、叫び、恐怖するただの少女のそれを。

「………………」

80 ◆92mXel1qC6:2011/03/08(火) 04:38:31 ID:Tx.HCEtQ0

しかしながら、実際には、少女が喪心状態に陥ってから、既に一時間以上が経過していた。
幸か不幸か、何分経とうと、何十分経とうと、何時間経とうと、少女を現実に引き戻す誰かは現れなかったのだ。
少女を殺そうとし、死に追いやる人殺しも来なければ、少女を慰め、生きていてもいいと言ってくれるお人好しも来なかった。
少女はずっと独りのままだった。
生きるでもなく、死ぬでもなく、ただそこにあるだけだった。
故に。

ぱちぱち、ぱちぱち、ぱちぱち、ぱちぱち、ぱちぱち

二つの死体に向けられた瞳もまた、死体を“見て”いるわけではなかった。
死んだ魚のようでいて、宇宙の虚ろささえ覚えさせる瞳は、ただ単に二つの死体を“映し”続けているだけだった。
一切の感情も、一切の主観も入り込まず。涙によるフィルターさえもはや枯れ果て機能せず。
常人なら、目を逸らすはずの、事実を、現実を、死を。
ありのままに瞳に“映す”だけだった。

ぱちぱち、ぱちぱち、ぱちぱち、ぱちぱち、ぱちぱち、ぱちぱち

クドリャフカの瞳が、女の死体を“映す”。
着ていた服は木の枝にでも引っ掛けたのか所々が破けていた。
それがクドリャフカを追う最中によるものか、それ以前のものかは分からない。
いずれにせよ散々な様子で、あちらこちらが千切れてしまっている。
ただ、その程度の破損は、この死体の負った傷の中では些細なものだ。

ぱちぱち、ぱちぱち、ぱちぱち、ぱちぱち、ぱちぱち、ぱちぱち

女の死体には三つの銃創があった。
まず目につくのは脇腹の傷である。
腹壁左外側部を走る腹斜筋が服ごと削り抜かれて白い骨が光っている。
標本のそれとは違い、生の骨はっきりと透明な膜に覆われ、これを栄養していたであろう細い血管が薄く茶色くへばりついている。
見た目だけだとこの傷が一番、ひどいようにも思える。
されど、女の命を奪うことに関して、この傷は、せいぜい出血量を増やした程度の働きしかしていない。
女を殺したのは腹部を貫いた一つ目の弾丸と、未だ胸部に残っている三つ目の弾丸だ。
一つ目の弾丸は横隔膜から後ろの腸を貫いていた。
着弾後に発生する弾頭のタンブリングによる体組織破壊に晒されたからか。
破かれた横隔膜からはいくらかの内臓の物と思われる体組織が極一部まろび出て、腹部を肉片の小花で飾っていた。
いずれにも血管やその他の管か繊維が元はひっついていたようだが、今は全て切れてしまっている。
もっともたとえそれらが繋がったままであっても、三つ目の弾丸が主の生存を許しはしなかったのだが。
女の上着の色が血と同じ濃い赤であることから、一見気づきにくいのだが、三つ目の弾丸は見事、肺を撃ちぬいていたのだから。

81 ◆92mXel1qC6:2011/03/08(火) 04:39:19 ID:Tx.HCEtQ0
ぱちぱち、ぱちぱち、ぱちぱち、ぱちぱち、ぱちぱち、ぱちぱち

どうあっても生きることを許されなかった女の顔が瞳に“映る”。
倒れた際の衝撃で、生え際の皮膚が少しだけ破れてしまった髪に覆われたそれは。
目を見開き、口を強ばらせ、首筋を引き絞った表情は、恐怖などという言葉ですら生やさしい絶意に満ちていた。
かの将門公の如く、今にも動き出し、怨嗟と鬼哭の雄叫びを上げそうなほどに生々しい。
それでも、やはり死体の身では時間の経過には勝てないのだろう。
クドリャフカが“見た”時には、朱が混じった涙が伝わっていた頬も、泡を吹いていた口端も。
今や紫色の死斑に覆われ、精気を大気に散らしていくだけだった。

ぱちぱち、ぱちぱち、ぱちぱち、ぱちぱち、ぱちぱち、ぱちぱち

「……………………」

クドリャフカの瞳が、男の死体を“映す”。
女のそれとは違い、服装の破損は殆どなかった。
男がクドリャフカ達とは違い、落ち着いて行動してきた証拠であろう。
その割には若干、服が乱されていはするが。
これはクドリャフカが男の死後に揺すった時の痕跡であり、男の落ち度ではない。
シャツに妙な乾いた跡があるのも、少女が幾重にも涙の雫を染みこませたものなのだ。
死体は血の他に、涙が含む水分によって濡らされた地面に横たわっていた。
ここには一つとして乾燥した土はなかった。

ぱちぱち、ぱちぱち、ぱちぱち、ぱちぱち、ぱちぱち、ぱちぱち

しかしながら、女と同様、男の服にも欠けている部分があった。
赤い女の服よりも、白い男の制服の方がよりその傷は目立っていた。
その場所は胸部中央やや左寄り。
言うまでもない、人にとって最も大切な臓器である心臓。
生命の象徴である赤き水を汲み上げ、吐き出してきたはずのその器官の傷からでさえ、血はあらかた出尽くしていた。
今や血の通わないその皮膚はやたらと重たく又粘っこく見え、出来損ないのいちごタルトか何かを連想させる。

ぱちぱち、ぱちぱち、ぱちぱち、ぱちぱち、ぱちぱち、ぱちぱち

82 ◆92mXel1qC6:2011/03/08(火) 04:39:45 ID:Tx.HCEtQ0
こうして羅列すると人体と言う物は全くもって物質である。
全体としてべちゃり、ぐちゃりという擬音の似合うことこの上ない。
それを示すように、男の死に顔は安らかでも無ければ、苦悶の表情に満ちていた訳でもない。
どこか偽物めいた、生者が最後に浮かべるには不似合いな空虚な笑顔。
それが何度瞬いても、女のそれとは違って、変化することなく、そこにあり続けた。

ぱちぱち、ぱちぱち、ぱちぱち、ぱちぱち、ぱちぱち、ぱちぱち、ぱちpあtい、ぱtapati、patapata、ぱたぱた













――ふと、モノを“映す”側だった少女の瞳に、少女の瞳が別の瞳に“映されている”自分を捉えた
“人殺し”の自分を“映す”、真っ白な強膜に囲まれた黒い四つの瞳を














「…………………………………………ひ、ぅ」

クドリャフカが再開される。
久方ぶりに口を開いたせいか、両方の唇同士がひっつき、僅かに皮が剥がれた。
小さな痛み。けれど、少女は指でそっと血が滲みだした唇をなぞるような真似はしなかった。
代わりに、凍えるように打ち震え、己を責め立てる瞳から逃げようと縮こまらんとし。

「あ”…………」

それよりも速く、フラッシュバックに襲われた。
少女が瞳に“映し”ていた光景。
それが少女の自意識の回復に伴い、少女に認識されようと怒涛の勢いで脳裏へと“写され”ていく。
濃密に、鮮明に、あるがままに。
時計の長針が一回りするよりも長い時間見続けた光景が一気に、一瞬で、“写され”ていく。
爆発だった。
情報の爆発だった。
だからこそ、少女はまた、この刹那、自己を喪失していた。
考えることを放棄し、ただ感じたままに、例えばそう、暗いくらい闇の底から這いでて、久方ぶりに空を見たその感動を伝えるように。
思ったことを、そのまま自分でも意識せずに口にしていた。

83てぃす・いず・じえんど   ◆92mXel1qC6:2011/03/08(火) 04:40:47 ID:Tx.HCEtQ0
「でぃす・いず・じえんど」




ぱたぱた、ぱたぱた、ぱたぱた、ぱたぱた




 【時間:1日目16:30ごろ】
 【場所:C-2】

 能美クドリャフカ
 【持ち物:不明支給品、水・食料一日分】
 【状況:健康。忘我から回復】

84でぃす・いず・じえんど   ◆92mXel1qC6:2011/03/08(火) 04:42:24 ID:Tx.HCEtQ0
これにて投下終了です
なお、お気づきの方がいるかもですが、地味に最後タイトル間違えました
収録時訂正お願いします

85 ◆Ok1sMSayUQ:2011/03/13(日) 00:13:16 ID:IGiUuJ9s0
 河野貴明は観察を続けていた。
 人間観察だ。小さな挙動にも目を配り、なにかおかしなことがないか、疑う。
 普段ならやろうとさえしてこなかったことだった。
 観察する意味なんてなかったし、そもそも日常の中ではそんな発想さえ浮かばない。
 だが今は違う。ここは日常ではなく、非日常だ。
 死んだ。いなくなったのだ。友達が。
 死体なんて実際に見れば気持ち悪いものなのだろう、なんて普段のぼんやりとした感想は吹き飛んでいた。
 なんでだ。真っ先に浮かんできたのはそれで、それに尽きた。
 空気を濃密に汚す血の匂いも、飛び散って撒かれた肉片も、なんでだという感想で埋め尽くされた。
 けれども誰も、柚原このみも向坂雄二も答えてはくれなかった。事実だけを残し、沈黙して語らなかった。
 そのことが更に腹立たしかった。納得もさせてくれなければ言い訳もしない。
 事実だけを押し付ける死が、理不尽で仕方がなかった。
 だから貴明は復讐することに決めたのだった。
 理不尽なもの全てに。『何故』だけを置き土産にしていった誰かに。
 思いは腹の中で煮え滾り、沸騰し、熱となり、倫理でさえも溶かす。
 今の自分なら、あっけなく人殺しだってできそうなものだった。

 貴明は己を気遣うように一定の距離を置いている芳賀玲子と関根を見やった。
 盾にするとは考えた。しかし自らの復讐に役立つかといえば、今にして思うとそんなことはないと思える。
 この二人は呆れるほど暢気だ。思い出してみるのも煩わしいほどに、危機感がなかった。
 こいつらに出会ってさえいなければとも思う。惑わされなければ、暢気な日常の空気に釣られていなければ、或いは……
 詮無いことだと貴明は思ったが、募る憤懣は抑えきることができなかった。
 そうだ。役立たずじゃないか。盾にしても、鉄と青銅では強度だって違いすぎるではないか。
 彼女らの意味の薄さに気付く。気づいたのが、さっき。
 気付いてもなお、だったら離れればいいじゃないかと思えなかった自分を見つけたのが、今だ。
 貴明は思う。そこまで感じているのに、今すぐ行動にだって移せそうなのに、この二人から離れられないのは何故なのだろう。
 縁もゆかりもない、他人同然の彼女らに同行してしまったのは、何故なのだろう。
 憎らしいと思っているのは確かだ。だから使い倒してやろうと、あの時は咄嗟に考えたのかもしれない。
 しかしそれだけはないのではないか。復讐に対して躊躇のない今の自分が、
 この二人を切り捨てないのは、利用価値以外のなにかを感じているからではないのか。
 貴明はとりたてて特徴のない人生を送ってきた。なにをするのも普通普通で、評価されることも少ない。
 だからアニメであれなんであれ、褒めてくれた二人に対して悪し様にはできないという思いがどこかに残っていたのではないか。
 未だ消し去れない日常の残滓が、復讐の剣を握ろうとする自分を押し留めているのではないか。

(……俺は、まだ人も殺してないからか)

86 ◆Ok1sMSayUQ:2011/03/13(日) 00:13:30 ID:IGiUuJ9s0
 憎んではいても、殺したいほど憎んでいるわけではない。その理由を、貴明はまだ自分は人殺しではないからだと推測した。
 経験してもいないから、多少でも交わりのあったこの二人を殺せない。
 死んでいいとは思っていても、自ら手にかけるだけの気持ちを、まだ持てない。そういうことなのか?
 疑問に対して、貴明は明確な答えを出そうとはしなかった。
 今はまだ手にかけ、殺す必要性がないと思ったからだった。
 殺すべき連中なら、他に山ほどいるのだから。

     *     *     *

 どうしよう、と関根は思っていた。
 二つの死体を見つけたときには動転の余り忘れていた事実が今頃になって呼び覚まされたからだった。
 死人はいずれ起き上がり、動き出す。
 正確に言えば、自分達は既に死んでいるからこれ以上死ぬことなんてないはずなのだ。
 あたしはバカか、と関根は自らの間抜けさ加減に呆れる。
 言い出す機会を失ってしまったお陰で、貴明は意気消沈したままであるし、玲子もなりを潜めてしまっている。
 さりとてこの場で「実はあの二人すぐに生き返るんですよー!」と宣言したところで、
 死んだと信じきっている貴明から非難の視線を浴びるだけであろうし、能天気な玲子だって気休めにもならない嘘はよしなよと言うに違いない。
 ガルデモは後方支援部隊及び陽動部隊という立場ゆえ、前線で戦うことなんて殆どなければ血なまぐさい場面に遭遇することも稀だ。
 だからこそ死体に驚いてしまったのだが、ひさ子やユイといった面々なら平然としているのだろうと容易に想像できてしまい、
 関根は更に暗澹とした気分になるのだった。

 けれども、とどこか心の片隅で引っかかる部分を覚える。
 自分達は、死なない。確かに死なない。
 関根自身、《死んだ世界戦線》に身を置いてから数年という立場になり、そういう環境であることを実感してきた。
 自らが死ぬだけではなく、年月を経るだけでも死なないことは体で分かってくる。
 食事や排泄等は行うものの、身長は伸びず、それどころか爪でさえ伸びない。
 髪を切ったことはないが、恐らくそのまま伸びないか、一夜で元通りにでもなるのだろう。
 変化することさえ忘れ、進むことのない時間に留まったままだった自分達。
 何もかもがすぐに元通りになってしまう中で……あの死体は、まだ動いていなかった。
 『まだ』だった。けれども、それは、いつまでの、『まだ』だったのだろう?
 死んですぐ? 数時間が経ったのか? 分からない。人が死ぬことさえ曖昧になりかけていた関根に、死後硬直なんて無縁の話だった。
 『まだ』は、いつまで続いていたのだろう。
 関根は無意識に死体の方角を振り向こうとしていた。
 死体が見えていないことが、急に怖くなり始めたのだった。

87 ◆Ok1sMSayUQ:2011/03/13(日) 00:13:46 ID:IGiUuJ9s0
「しおりん。ダメ」

 聞いたこともないような静かな声と共に、肩がぐいと引っ張られ、関根は小さく悲鳴を漏らしそうになった。
 喉まで出かかったところでそれが玲子のものだと分かり、すんでのところで我に返る。
 いつになく真剣な顔になっていた玲子は、果たしてあの玲子なのかと思わせる。
 呆然と見返していただけの関根に、ふと苦笑の色を覗かせて、「あたし達、いつも通りでいなきゃダメなんだよ」と玲子が言っていた。

「いつも通りって……」

 戸惑い気味に反駁した関根は、しかしどこかでこれがいつも通りだろうと語りかける自分にも気付いていた。
 死んで、生き返って、永劫繰り返される日常の営み。
 進むことがなくなった代わりに、へらへらと笑っていることが許される、幸せな日常だ。
 何を気に病むことがある? きっと今頃は、あの二人だってひょいと起き上がっているかもしれない。
 そもそも、貴明の沈痛ぶりこそも嘘で、演技で、今にも草むらの影から驚かそうと隙を窺っているだけなのかもしれない。
 玲子はそういうことを言おうとしているのか? 口を開きかけた関根は、しかし先程の苦笑を思い出した。
 どこか悲哀の混じった、元に戻れないことを知ってしまった人間の顔。岩沢が『消えた』直前に浮かべていた、なにかを知った顔……

「ねえ、しおりん。あたしはさ……」

 玲子は、何かを伝えようとしている。関根が感じ取った刹那、ぱん、と軽い音が弾けた。
 は、と口を開く間もなかった。体をくの字に折り曲げた玲子が、関根へとしなだれかかってくる。
 意外と言うには重過ぎる人間の体重を受け止めきれず、支えきれずに共々倒れこんでしまう。
 同時に、手のひらに生暖かい感触があった。独特の粘りが、関根に数年来の生の実感を思い出させた。

「芳賀さん!?」

 崩れ落ちた玲子に駆け寄ろうとした貴明に、関根が咄嗟に「来ちゃダメ!」と叫んでいた。
 予想外の声の大きさに一瞬体を硬直させた直後、貴明の足元で弾けるものがあった。

「Shit!」

88 ◆Ok1sMSayUQ:2011/03/13(日) 00:14:01 ID:IGiUuJ9s0
「外したな。やはり銃はお前の方が良さそうだな、うー」
 聞きなれた声と、酷薄で淡々とした声。方向は、上だった。
 銃撃されたと感じたらしい貴明が、冗談じゃないとばかりに眉を吊り上げ、隠し持っていたらしい拳銃で応射した。
 とても学生とは思えない動作で構え、数発発砲する。撃った瞬間、貴明本人も驚いたような顔をしていたが、
 それも銃撃が回避されたことですぐにかき消される。
 銃弾を回避しつつ木の上に陣取っていた二人がするりと地面に降り立つ。
 そのうちの一人に、関根は見覚えがあった。

「……TK」

 ちらと関根を見やったTKは無言で指を振る。
 話は後だ。そう言いたいらしかったが、構わず「待ってよ!」と怒鳴る。

「なんで芳賀さんを撃ったの! なんで……!」

 続く抗議は貴明の銃撃音によってかき消された。
 拳銃をまた数発撃つが、二人は俊敏に動き回り、銃弾を掠りもさせない。
 当然だ。その謎の人間性はともかくとして、TKの戦闘能力は《死んだ世界戦線》でもトップクラスであり、素人がおいそれと当てられるものではない。
 TKと行動している少女も負けないくらいの素早い動きだった。軽やかに、ステップでも踏むように、徐々に貴明に接近する。

「るーこ! お前……!」
「うー如きでるーを止められるものか」

 るーこ、と呼ばれた少女が唇の端を歪ませる。敵うもんか、と嘲笑っているようだった。
 貴明は近づけまいとして更に銃を連射しようとしたが、カチンと空しい音だけが鳴り響く。
 弾切れ。ホールド・オープンしてしまった事実に慌てて弾倉の交換を行おうとした貴明だったが、その隙を与えるほど敵は甘くない。
 既に貴明の懐にまで飛び込んでいたるーこが腰を深く落として正拳を鳩尾に叩き込む。
 体が折れ曲がり、と口を開いて必死に酸素を取り込もうとした貴明だったが、続く足払いで転ばされて行動する暇もない。
 バランスが崩れたところを軽く蹴り飛ばされ、仰向けに転がったところにるーこが圧し掛かる。
 マウントポジジョンというやつだった。馬乗りになったるーこが勝ち誇った笑みを浮かべる。

89 ◆Ok1sMSayUQ:2011/03/13(日) 00:14:21 ID:IGiUuJ9s0
「無様だな、うー」
「ぐ……! くそっ! どいつもこいつも! 人殺しなんてしやがって!」

 叫びながら暴れるが、その程度で人間の体重を押し返せるはずがない。
 腕をばたつかせる様は、さながら駄々をこねる子供のようだったが、その行動すらるーこは腕を掴んで封じた。

「そうだ。るーは、生き残るために戦っている」
「俺だってそうだ! このみや雄二が死んだんだぞ! こんなところで死ねるかよ!」
「……あのうー達が?」

 声質は変わらないながらも、その瞬間だけはるーこの雰囲気が変わったようだった。
 貴明がるーこを知っていたのなら、共通の知人でもおかしくはない。
 だが動揺の色を見せたのもつかの間、すぐに冷静さを取り戻したるーこは「それは、うーが弱いからだ」と見下す声を出す。

「強くなければ生き残れない。うーは弱い。当然だ」
「なんだと……! お前っ、このみや雄二の……人の命をなんだと思って……!」
「Wait!」

 激昂し、語気を荒げる貴明に静止をかけたのはTKだった。

「聞いてないのか?」

 珍しい日本語だった。るーこが「バイリンガルか」と場違いの感心を浮かべる一方で貴明が「なんだよっ!」と言い返す。
 首をかしげたTKは、ちらと関根を見やった。言っていないのか、と尋ねる視線だった。
 それで意図を把握した関根は「待って……」と震える声を出していた。
 分かってもいないのに。自分達がどれくらい『まだ』の中にいるのか。
 けれども日常の甘さを忘れられず、どこか希望に縋りたい気持ちが声を小さくさせてしまっていた。
 このままだと玲子が死んでしまうという事実を、嘘にしてしまいたかった。

「We are already dead...死んでるのさ、俺達は」
「は……?」
「なんだ、聞いてないのかうー。あっちはうーけーの仲間なんだろう」
「No, my name is "TK". アンダスタン?」
「うーけーはよく分からん言葉の使い方をする」

90 ◆Ok1sMSayUQ:2011/03/13(日) 00:14:43 ID:IGiUuJ9s0
 ふー、と肩を竦めるTKに構わず「ふざけるな! 死んでるとかバカじゃないのか!」と押し倒されたままの貴明が怒鳴る。

「俺はつい昨日まで生きてたんだよ!」
「自覚してないだけだろう。るーもそうらしいからな。うーけーは死んだときの記憶があるらしいが」
「なんだよそれ……!」
「全て事実だ。関根も死んでいる」
「関根……さんが?」

 確かめる視線を寄越した貴明に、関根は無言で目を背けるしかなかった。
 黙っていたわけではない。悪気もなかった。忘れていただけだったのに。
 事実と受け取った貴明は、「じゃあ、これはどういうことなんだ」と呆然とした声で尋ねる。

「死んだのに、殺し合いって……」
「Not understand.だがこれだけは分かる。神の仕組んだGameだ」

 TKはそこから、日本語英語カタカナ英語の入り混じった説明をする。
 既に死んだ世界。納得のいかない人生に抗い、神を倒すことを決めた《死んだ世界戦線》。
 神の手先、天使との戦い。戦いの中で傷つき、死にもするが、いつかは蘇り動き出すこと。
 終わりの見えない戦い。その最中に始まったゲーム。
 一部始終を聞いていた貴明は理解できないという顔をしつつも、否定することはなかった。
 TKの仲間である、自分が何も口出しをしなければ、るーこも無言で頷いている。
 即ち、貴明を除く全員が『死んだ』という事態を理解しているのに他ならなかった。

「じゃあ、なんだよ……このみも雄二も、生き返るのか?」
「Yes.今のところまだ誰も生き返ってはいないが……」
「すぐに生き返ってはゲームにならないんだろう。るーもそれでは面白くない」
「……は、じゃあ、俺って……早とちりしてたのか?」

 るーこに馬乗りにされたまま、は、はは、という途切れ途切れの笑い声が木霊する。
 いずれ元通りになる。その事実に安心し、張り詰めていたものが切れたからなのだろう。
 口にこそ出していなかったが、貴明は二人の友人の死を重すぎるくらいに受け止めていたのかもしれない。

91 ◆Ok1sMSayUQ:2011/03/13(日) 00:14:57 ID:IGiUuJ9s0
「もしかして、芳賀さんを撃ったのもそういうことなのか……?」
「そうだ。うーけーの仲間は取り合えず除外して、うーとそっちを試した。戦えるか知りたかった」

 るーこはあくまでも戦いに勝つことが目的。神様の目的とやらには興味がなく、勝って戦士であることを示したいとのことだった。
 TKはそんな彼女と同盟を結び、共同戦線を張っていた。
 一応《死んだ世界戦線》の人間の立場として戦力の増強を図らねばならないので、スカウトもしたかったのだが、
 るーこの言うところの『戦えない奴』は不要とのことだったので、戦力外の人物に関してはとりあえず退場してもらおうという形になったらしい。

「それで……芳賀さんを、撃ったの……?」
「Sorry.だが一時のGood-bye。またFriendになれる」

 ぽんと肩に手を置いたTKには、関根を気遣うものが見られた。
 ひょろりとした体の割に、意外と大きなTKの手。謎の言動や行動が多いながらも、
 その根底には仲間を思う気持ちがあることを、関根は知っていた。
 この暖かさに身を委ねていればいいのではないか、と関根は思ってしまっていた。
 玲子とよく話していたから今回のことをショックに感じていただけで、これが今まで通りだと納得してしまえばいいのではないか。
 何のことはない。また、『いつも通り』が始まるだけだ。《死んだ世界戦線》の仲間がいて、ガルデモのみんながいて――

「そっか……あたしを撃ったのは、そういうことだったんだ」

 か細い声が、関根のすぐ隣から聞こえていた。
 TKが、るーこが、貴明が、そして関根自身でさえもぎょっとした目でそちらを向いていた。
 薄く目を開け、冷めた笑いを浮かべていたのは玲子だった。
 荒く息を吐き出し、自分で自分を支えることも難しいのか、関根の体を掴んで支えにし、ようやく起き上がっていた。
 唖然とするTKに一瞥をくれると、玲子は「手、どけてよ」と色のない声で言い放った。
 肩にかかっていたTKの手が玲子によって振り払われる。その行動には、強い意志が感じられた。
 自分を撃った者達に対する怒りではなく、この緩慢な空気そのものを嫌ったかのような行動だった。
 さらに玲子が睨むと、TKが後ずさりする。るーこもただならぬ様子を感じてか、「構えろ!」とTKに指示を出す。

「damn it!」
「抵抗なんてしないよ……そんな力、ないし」

92 ◆Ok1sMSayUQ:2011/03/13(日) 00:15:12 ID:IGiUuJ9s0
 銃を構えるTKに軽く笑うと、しかし言葉とは裏腹の強すぎるくらいの力で関根を抱き寄せ、決然と言い放った。

「でも、しおりんはあたしの友達だよ。友達を間違わせたくない」
「……芳賀さん?」

 二の腕を掴む力が強くなる。手放すもんか。無言のうちにそう伝えられたような気がして、関根は何も言えなくなってしまった。
 だって、あたしはみんなに釣られて、なあなあで流されて……

「あんた達、間違ってる。絶対」

 バンダナの下で、ぴくりとTKの眉が動いたような気がした。
 るーこも不快げに視線を受け止め、貴明でさえも、今更、という空気を漂わせていた。

「それがあんた達のいつも通りなら、そんなの間違ってる。楽な方に逃げてるだけだよ。
 いつも通り、ってそんなんじゃないでしょ? ちゃんと自分のままで、らしくいて、でも考えて行動しなきゃ、ダメなんだよ」

 ちゃんと自分のままで。その言葉が関根の胸を突き刺し、軋ませた。
 自分なんてない。流されるがままで、いつだって低い方に流れて、それを当たり前にしてきた自分に、自分なんてない。

「……あたしもさ、いつも通り、でいようとしたんだ」

 自分に向けられたものだと分かり、関根は言葉もなく玲子を見返した。
 あの時の続きだ、と思った。

「殺し合いなんて、怖くて、どうしようもなくて、泣き出したかったけど、
 でも、ほら、ゲームみたいに都合よく助けてくれるわけないじゃん?
 にゃはは、あたしってばオタクだからさ、分かってるんだよ、そんなこと。
 じゃあ何が出来るの、って考えたら、簡単だった。いつも通りでいれば良かったんだ。
 元気しか取り柄、ないけど、そんでもしおりんと話してすっごく盛り上がって、しおりん、元気になってくれたから、
 これがあたしの役目なんだって思えたんだ。そうしたら、ほんの少し希望だって湧いてきた」

93 ◆Ok1sMSayUQ:2011/03/13(日) 00:15:26 ID:IGiUuJ9s0
 玲子はそこで一旦言葉を切る。
 いつも通りは、殺し合いの中にはない。
 これでいいんだ、だけ追ってても安心するだけで、それ以上にはならない。
 現状を維持できるだけで、自分が本当に欲しいものなんて手に入れられない。

「ね、しおりん。誰かがそうしてるから自分もやらなきゃだったら、面白くないよ。
 自分がやりたいことやらなきゃ、人生楽しめないよ。
 あたしは、あたしが終わってるなんて思わない。
 いつだって……たとえ死んでたって、あたし達はこれからなんだから。オタク道はかくあれかし、ってね」

 にゃはは笑いを浮かべると、急激に腕を掴む力が弱くなった。
 予感する。これは命がなくなっていっているのだと、関根は感じてしまった。
 どうしたいのかもまだはっきりしていないのに、関根は「芳賀さん!」と体を抱き返してしまっていた。
 感情に揺さぶられた行為でしかないと分かってはいたが、そうせずにはいられなかった。
 きっと、この人の伝えたいことはこれだけじゃないはず。まだ言っていないことだってあるはずだ。
 いつだってこれからだというのに、自分は何も受け止めていない。何も分かっていないのに……!
 ここで置き去りにされてしまったら、取り返しがつかなくなる。無我夢中な気持ちで、関根は玲子を支える。
 想像以上に冷えた体にゾッとしたが、構わず関根は力を込める。
 僅かに苦笑した表情を浮かべ、玲子は大丈夫だから、と言った。
 何が大丈夫なんだ。空白になった頭はその程度の反論さえできず、頷くことしかできなかった。

「でもね、あたし、いつも通りでいられなかった……
 死体を見たとき、また怖くなって……自分を守ることしか考えなかった。
 本当なら河野クンに声をかけてあげるべきだったのに」
「それは……だって、当たり前じゃないですか! 怖いものなんて、誰にだって……!」
「でも、しおりんは向き合おうとしたでしょ? あのとき、振り返って」

 違う。そう言い返すべきだった言葉は、ショックの余り出てこなかった。
 そんなんじゃない。怖くなったのは同じで、日常が失われているかもしれないということが怖くなっただけの話だ。
 けれども喉元までしか声は浮かび上がらず、無言で見返すことしかできなかった。
 ここで失望させてしまうのも怖かったし、何よりも、失望させた後に、しょうがないと言い訳してしまいそうな自分がいるのが怖かった。
 本当はこうだった。だから、仕方ないよね。無責任に言い散らし、厚かましくぬるま湯に浸かろうとする自分が想像できてしまったからだ。

94 ◆Ok1sMSayUQ:2011/03/13(日) 00:15:41 ID:IGiUuJ9s0
「そういうことができる子だと思うからさ、しおりんは、自分だけがやりたいこと、やりなよ。
 自分で決めて、やり通しなよ。……殺し合い、なんて……」

 本当にやりたいの? 尋ねる視線に、関根はすぐに答えることができなかった。
 考えてさえこなかったこと。黙っていても、物事は進んでくれていた。目の前にあることだけやっていればよかった。
 楽しかったし、今まではそれで満足していた。
 でも。
 今は違う。
 今は、ここは、《死んだ世界戦線》のいた場所じゃないんだ。

「るーは、自分の意志で戦っている」
「Me,too」

 決意が固まりかける直前、冷たい声で遮ったのはるーことTKだった。
 一歩退いていたはずのTKが、今は再び拳銃を片手に玲子に詰め寄っていた。

「違うよ、それ。誰かに動かされてる、だけなのに」
「貴様が決めることじゃない。『るー』の誇りが、分かるものか」
「……戦わなければ、死に続けるだけ」

 後を引き取り、TKが続けた。
 戦わないこと――即ち、自らの死を認めてしまえば、理不尽を許したことになってしまう。
 許すわけにはいかない。戦わなければならない。それが他の全てを軽んじることになるとしても、認めるわけにはいかない。
 拳銃を手に玲子を見下ろすTKの瞳の色は、暗さを通り越して闇と化していた。
 自らの死に復讐を果たすまで、自分達はどんな残酷なことだってやってみせる。
 意固地なまでに固まりきった目を見て、関根は不意に、空しい、と感じていた。
 それは目的のために、心だって捨ててしまうことではないのか。
 あれほど仲間を気遣える心を持ったTKが、復讐という言葉ひとつのために心を捨ててしまう。
 そうまでする意味はあるというのか?

「God is dead.いつも通りと言ったな。It's...Revenge」
「復讐……」

 感応するように呟いた貴明の言葉をスイッチにして、TKが拳銃のトリガーに指をかけた。

95 ◆Ok1sMSayUQ:2011/03/13(日) 00:15:56 ID:IGiUuJ9s0
「あたしだってね……ただで殺されるつもりはないわよ!」

 玲子が腕を突き出すと、その指に嵌めてあった指輪が光り輝いた。
 真鍮製の輪に、翠に輝く珠がついた指輪から風が迸り、引き金を引こうとしたTKの体を軽々と吹き飛ばした。

「What's!?」

 正体不明の風。いきなり吹き晒す暴風に呑まれ、TKが木の幹に体を打ちつけて苦悶の吐息を漏らす。
 隣でぽかんとしていた関根だったが、ふうと息をついた玲子の手が関根を押し出す。

「さ、逃げて逃げて。ここはこの玲子ちゃんに任せなさいって」

 振り払われた関根は所在なさげに指を動かし、「で、でも……」と躊躇った。
 どう見ても玲子は重傷の類であり、一人でどうにかできるレベルではない。
 しかも相手は《死んだ世界戦線》の前線を張るTKだ。殺される姿しか、見えなかった。

「でもっ、あたし! 芳賀さん置いてけない!」
「どうせ死んでも生き返るから大丈夫……なんて言い訳は聞きません」
「そんなんじゃない! あたしが、あたしみたいなのが……!」

 自分はあまりに甘やかされすぎた。
 ロクでもない人生を送り、死んでさえ怠惰な生活を続けてきた自分に、人が持つべき責任を果たせるかも分からない。
 玲子のような考えを持てる自信なんてなかった。
 そんな自らの胸中などおかまいなしといったように、玲子は「まあ聞いて」と話を進めていた。

「あたしはね、しおりんにここをなくして欲しくないだけだよ」

 玲子はとん、と関根の胸を指差す。
 軽く触れただけなのに、不思議と安心させられるものがある。

「自分にしかないものだから、なくしちゃダメだぞ? オタク心は不滅だ!」

96 ◆Ok1sMSayUQ:2011/03/13(日) 00:16:11 ID:IGiUuJ9s0
 最初に出会ったときに話した、アニメやゲームの話が思い出され、関根は続ける言葉をなくした。
 責任を背負うのも自由。けれども、大切なものを好きでいられる心をなくしてはいけない。
 平気で好きなものを裏切るようなことだけは、してはいけない。
 いかにも玲子らしい言葉だと実感して、笑おうとした瞬間――もう一度、銃声が爆ぜた。
 それは関根の脇を擦過し、玲子の胸を撃ち貫き、黒い団長服を更に赤黒く染め上げた。
 か、と言葉にならない声を残して、玲子が崩れ落ちる。
 今度は、支えることもできなかった……
 呆然と内心に呟いた関根の後ろで、むくりと立ち上がる気配があった。
 TKだ。制服についた塵を払い、忌々しげに、今まさに遺体となった玲子の方角を睨んでいた。

「Lucy.手を出すな」
「るーはるーこだ」
「Ha, Your's nickname」
「勝手にしろ」

 短いやりとりを終えた後、改めてTKは拳銃を構える。
 るーこは傍観者の立場に徹するつもりなのか、貴明を押さえたまま微動だにしない。
 貴明も抵抗することはない。視線はTKに注がれている。……何かしらの、期待を含んだ目で。
 玲子の味方はいなかった。いや、《死んだ世界戦線》に対して否定の一語を放ったあの時から、彼女は敵にされていたのかもしれない。
 だから誰も声を上げなかったし、当然だという空気が漂っている。
 どうせ生き返るから、という《死んだ世界戦線》の理由を免罪符にして。

「Seki」
「……なに?」

 TKから名前を呼ばれたのは久々だった。

「Friend? or...Enemy?」

 どっちなんだ。芳賀さんを置いていけないと叫んだ声が聞こえていたのだろう。
 まだ許してやるという意志が感じられる一方、そのつもりなら排除も辞さないと語るTKは、仏であり、鬼でもあった。
 彼にとっての仲間とは、復讐の志を共にする人間だけなのかもしれない。
 まだ仲間だ、と言うこともできた。復讐を仲間の境界にするTKが寂しい考え方なのだとしても、TKの無言のやさしさを、自分は知っている。
 縋るという選択肢は、確かにあったのだ。
 でも、それでも……

97 ◆Ok1sMSayUQ:2011/03/13(日) 00:16:26 ID:IGiUuJ9s0
「……分からないよ。でも、これだけは分かる。ここは、《死んだ世界戦線》のあった場所じゃない!
 あたし達の常識が正しいかどうかなんて、分からない! だから……今のTKには協力できない!」

 そう、何もかもが分かっていない。分かったつもりになるのも危険すぎる。
 凝り固まった考え方で行動するのは危険すぎたし……何より、それで人と対立してしまうのが嫌だった。
 その結果として今、TKと対立しているという矛盾もあったが……それでも、関根はこの選択を望んだ。
 やりたいことをやればいい。玲子の、この言葉に従って。

「...Okey」

 落胆とも嘆息ともつかぬ溜息を残して、TKは銃口を向ける。邪魔だ、と判断したのだろう。
 怖くはなかったが、決別の形があまりに無粋すぎて、関根はやるせない気分になった。
 でも後悔はしていない。後悔なんて、あるわけない。
 やりたいことを、初めてやってみせたのだから……!
 ぐっと拳を握り、TKに立ち向かおうとした直前、死体だったはずの玲子の体がピクリと動いた。

「…………まだだ、まだ! 死んでない!」

 それが最後の絶叫だった。
 まだ数分は生き長らえた命を、この数秒に凝縮して、
 玲子が再び、指輪を青く輝かせた。

     *     *     *

 もうもうと土煙の立ち込める小山の一角で、三人の男女が溜息をついていた。
 結局関根を取り逃がしてしまったTKと、貴明と、貴明を捕まえたままのるーこだった。

「...Jesus」
「当てるのは得意なようだが、トドメを刺すのは下手なようだな、うーけー?」

 肩を竦めてみせ、無言を返事にする。
 普段なら死んでいるはずの人間から手痛いしっぺ返しを貰った。
 今度は確実に急所を狙撃せねばならないことを実感して、TKは貴明を見やった。
 逃げもせず、るーこに捕まえられるがままにされていた貴明は、何か目的があると見るべきだった。

98 ◆Ok1sMSayUQ:2011/03/13(日) 00:16:40 ID:IGiUuJ9s0
「Lucy.コイツは使うのか」
「まあ、見込みはある。るーに躊躇なく撃ってきたしな」
「当たり前だ……なりふり構ってられるか」

 ドスを利かせた喋りに、TKがひゅうと口笛を鳴らす。
 後ろ手にされ、腕をるーこに掴まれているものの、ギラと輝く目の色は獰猛なケモノのそれだった。
 なるほど、見る目はあるらしいとTKは感心しながら、二人の友人のことかと質問を重ねた。

「殺されても生き返るんだったな。それには安心したよ……でも、だからって殺されていい道理はない」
「なるほど、敵討ちか。うーにしては殊勝だな」
「復讐だ」

 低い唸り声に、るーこが珍しくたじろぐ反応を見せた。
 復讐。聞きなれた単語に、TKは親しみの篭った笑みを見せる。
 そうだ。許せないものには相応の手段で応じるしかない。
 報復をしなければ、自らの汚れきった魂を癒す術はないのだから。

「このみなんて、レイプまがいの殺され方をしてたんだぞ……生き返るんだったら、記憶だって残るんだろ?
 だったら、一生消えない傷じゃないか……許せるわけないだろ、そんなの」

 どうやら、自分と似た人種らしいと納得して、TKはるーこに解くように指示した。
 いいのかと尋ねる視線を一瞬寄越したるーこだったが、反論する意味がないと判断したのか、あっさり貴明を解放する。
 ようやく自由になった貴明に、ニヤと笑みを浮かべながら、TKは握手を求めた。

「My name is "TK"」
「……知ってるよ。河野貴明だ」

 握手を終えた後、TKは、もうひとつ、と『ある儀式』を付け足した。

「Woo!」
「……は?」
「るー」
「……」

 じろ、とるーこに続いてTKも睨んだ。
 やれ。やれ。やれ。やれ。
 訴えかけると、貴明も観念するしかないらしいと思ったらしく、万歳に似たポーズを取って、言った。

「うー」

99 ◆Ok1sMSayUQ:2011/03/13(日) 00:16:54 ID:IGiUuJ9s0
【時間:1日目午後5時00分ごろ】
【場所:D-3】

関根
【持ち物:不明支給品、水・食料一日分】
【状況:健康】


芳賀玲子
【持ち物:フムカミの指輪、水・食料一日分】
【状況:死亡】


河野貴明
【持ち物:コルト ポケット(0/8)、予備弾倉×8、水・食料一日分】
【状況:健康】 

ルーシー・マリア・ミソラ
【持ち物:メリケンサック、伝説のGペン、水・食料一日分】
【状況:健康】

TK
【持ち物:FN ブロウニング・ハイパワー(11/15)、予備マガジン×8、水・食料一日分】
【状況:Damageはまあまあマシに】 

100 ◆Ok1sMSayUQ:2011/03/13(日) 00:18:44 ID:IGiUuJ9s0
投下終了です。
タイトルは『Revenge』です。
この度は遅れて申し訳ありませんでした。

101光か、闇か ◆5ddd1Yaifw:2011/03/18(金) 00:43:49 ID:YWS2y7aE0
何をやっているのだろう。そう何度も呟いて。伊吹公子は依然と花畑を離れられずにいた。
手には拳銃。だが、それを向ける相手は今はいない。
公子がこの場に来て最初に思ったことは婚約者である芳野祐介、妹である伊吹風子の無事だ。
隣町の病院で今も眠ったままである妹がどうしてこの島にいるのかがイマイチ謎ではあるが。
もしかすると起きたのだろうか、それとも眠ったまま?
いくら考えても詮なきこと故にこの思考を一旦打ち切ったのだった。
そして公子は結論として個人的な感情を優先――女として、姉として生きることを願った。
本来なら教師として生きるべきなのに。生徒を護る為に行動すべきなのに。
公子はそれを否定した。その手始めとしてこの場で最初に出会った幸村俊夫を撃つ事を決めた。
人を殺したことにより彼女は修羅となりて妹と婚約者の敵を殺戮して回る。そうするはずだった。
しかし現実は、この拳銃を向けることが精一杯だった。それどころか彼に自分の考えの全てを見ぬかれてしまうという失態を犯してしまった。
挙句の果てに情けをかけられて、銃弾の予備までもらってしまった。
彼が自分が殺し合いに乗るという悪評を広める心配がなさそうなのが救いだが。
それでも、公子は沈痛した気分を払えずにいた。

「何をしているんだろう、私は」

このつぶやきも何度目であろうか。同じことを繰り返す機械のように。
延々とリピートしているこの言葉の呪縛から公子は逃れられなかった。
時間はどんどん過ぎ去っていく。天高く登っていた太陽も傾き始めている。
もうすぐ夕方だろう。だがその間もただ立っていただけ。

「どうすれば、いいの?」

疑問を投げかけてもそれに応えてくれる人はいない。
俊夫には自分の生きたいように生きればいいと言われた。
教師として生きて教え子たちを護ることを優先する伊吹公子。
姉として生きて妹である伊吹風子を護ることを優先する伊吹公子。
女として生きて婚約者である芳野祐介を護ることを優先する伊吹公子。
どれも自分の意志だ。

102光か、闇か ◆5ddd1Yaifw:2011/03/18(金) 00:44:09 ID:YWS2y7aE0

「私は、何を優先すればいいの?」

決められない。殺すと決めた、だが殺せなかった。
抗おうと思った。だが、それを行えなかった。
このぐらぐらの意志を固めることが出来ない。
なにかきっかけが欲しかった。
決定的に後戻りが出来なくなるぐらいに強烈なきっかけが。

「ともかく、ここから離れましょう」

この場所にずっと留まっているのは愚の骨頂。
光か、闇か。どちらの道を行くにせよ、行動しなければ何も始まらない。
加えて、自分を変えるモノとの交錯を。
彼女は心の底から欲しがっていた。



◆ ◆ ◆



きっかけは直ぐに訪れた。

「幸村、先生……」

公子の足元に倒れているナニカ。それは生を終えたただの肉塊。
葉月真帆に殺された幸村俊夫だった。

「ゆき、むら……先生……!」

死んでいる、完膚なきまでに。あの最初の出会いの時に交わした言葉はもう二度とは交わせない。
どれだけ語りかけても死体は沈黙したままなのは当然であり、呼びかけても声を返してくることはない。

「……っ、あ……!」

103光か、闇か ◆5ddd1Yaifw:2011/03/18(金) 00:44:35 ID:YWS2y7aE0

公子は漂う死臭に思わず口元を抑える。見知った人の死体を前に冷静でいられる程、薄情ではない。
死体を見たことなんてほとんどないのがさらに拍車を掛ける。
それは恐怖だった。
数刻前には生きていた人がこうも簡単に命を刈り取られるのか。

次は誰? 自分? それとも――祐くん? いいや――ふぅちゃん?

嫌だ、絶対に嫌だ。公子は自分の頭の中に浮かんだ最悪の光景に身を捩らせる。
芳野祐介が腹から心の臓を撒き散らせて朽ち果てている。
伊吹風子が頭に風穴を開けて血にまみれて伏せている。
考えただけで寒気がよぎる。

「そんなことは、ない」

そう言葉を出してはみたが気休めにすらならない。
その考えはあながち的外れではなかった。
この島ではいつ死ぬかわからない、もう既に二人は死んでいる可能性だってあるのだ。
絶対に死んでいないなんて確証はない。

「二人を、護る為に、」

――殺し合いに乗る。

そう言いたかったのだろうか。だが声は最後まで出なかった。

「……駄目っ! 人を殺したくなんてない……!」

公子はまだ迷っていた。
死体を見て知ってしまったから。
人を殺すことはこんなにも怖いことだと。
殺し合いに乗るということはこれらの恐怖を生み出す側に回るということだと。
全ては無知からよるもの。
死体と出会ってなお彼女の行く末は明確にならない。




【時間:1日目午後5時50分ごろ】
【場所:F-4】

 伊吹公子
 【持ち物:シグザウアー P226(16/15+1)、予備マガジン×4、9mmパラペラム弾×200、水・食料一日分】
 【状況:健康】

104光か、闇か ◆5ddd1Yaifw:2011/03/18(金) 00:44:53 ID:YWS2y7aE0
短いですが投下終了です。

105Shattered Skies ◆ApriVFJs6M:2011/03/23(水) 01:23:39 ID:UkU9l6b20
 一体どれくらいの間歩き回ったのだろうか。
 一時間?
 一日?
 それとも一週間もの間ひたすら歩き続けていたのだろうか?
 理樹は空を見上げる。青かった空はいつの間にかに赤く染まっていた。

 ――なんだ、まだ一日も経ってないじゃないか。

 頭上いっぱいに広がる綺麗な夕焼けも理樹は何の感慨も沸かない。
 それは知らない空だから。理樹の知っている空はとっくの昔に壊れてしまっている。
 理樹の空に広がるのは一条の光も差さない赤い闇だけだった。

「クソっ……! お前らがぐずぐずしてるせいで日が暮れてしまうじゃねーかよっ!」

 前を歩く友則の苛立つ声がひどく耳に障る。
 この男にあるのは死への恐怖と恐怖に駆られた人間を支配してやりたいという下衆な欲求のみ。
 手に握られた銃だけが彼の剣であり、彼を守る城だった。

 なんと哀れな人間――
 理樹はくすりと友則に気取られぬよう笑みを浮かべた。

「おいッ聞いてンのかよ直枝ッ!」
「あ……ああ、ごめん……少し考えことしていたから……」
「ああん? んだよ、ここから脱出できる方法でも考えていたのかよ」

 理樹は無言で首を振った。
 友則にとって自分の言葉が無視されたのでも思ったのだろうか、彼は理樹の胸倉を掴みあげ言った。

「てめえ……俺を舐めてんのか……? お前は変なこと考えず俺の言うことだけ聞いてればいいんだよ!」

 そう言って友則は理樹の顎に銃口を押し付ける。
 殺すならさっさと殺せよ、その銃はただの飾りか――?
 理樹は心の中で毒づいた。
 
 友則は理樹に対して暴力を振るうも殺そうとする素振りは一切見せなかった。全部ただの脅しにしか銃を使おうとしない。
 理樹を殺してしまえば支配する対象がいなくなる。
 冷静に物事を考えられる人間がいなくなる。
 責任を転嫁する人間がいなくなる。
 友則は理樹を虐げることで死の恐怖から逃れようとしているのだから。

106Shattered Skies ◆ApriVFJs6M:2011/03/23(水) 01:24:59 ID:UkU9l6b20
 
「ごめん……」
「ふん……」

 友則は掴んだ手を放して歩き出す。
 彼が機嫌を悪くしている時はただ素直に謝ればいい。そうすれば薄っぺらい支配欲を満足させてそれ以上何もしてこなくなる。
 それがこの数時間で理樹が学んだ処世術だった。

 再び理樹は歩き出す。隣を歩いている愛佳がぎゅっと理樹の服の裾を握り締める。
 下手に理樹と会話すればそれだけで友則の機嫌を悪くさせる。
 愛佳ができることは極力理樹と会話しないことだけだった。
 やがて――三人は対岸に街並みを臨む川の畔に辿りついた。

「ははは……やっと街だ! やっと俺達街に着いたんだ!! あはははははは!」

 広い河原で大はしゃぎする友則。近くには対岸へ渡る橋があった。
 どうやら夜になる前に街に行けそうだ。理樹は胸を撫で下ろす。
 だがこの状況は以前として変わらない、陰鬱とする理樹に友則の明るい声が響いた。

「よおし休憩だ。お前ら俺の気遣いに感謝しろよなっ」
「うん……ありがとう」

 素直に感謝の言葉を述べる理樹。ここで友則に歯向かったところで得する物は何も無い。
 友則は河原の手ごろな大きさの石に腰掛けるとぐびぐびとペットボトルの水を呷っていた。
 理樹も歩き詰めで喉がカラカラだ。だが理樹のデイバッグに水は入っていない。友則は身勝手な理屈を並べ立てて理樹の水を奪っていったのだ。

「んだよ直枝、この水は俺のだからな! 水が飲みたきゃそこにいっぱいあんだろ、ぎゃはは!」
「くっ……!」

 川を指差してげたげたと笑う友則。
 理樹は血が出るぐらい唇を噛み締める。

「直枝君……あたしの水を……」
「いいよ……そんなに気を遣わなくても。僕は川の水を飲んでくるから」
「直枝君……」

 理樹は水辺に近づくと靴と靴下を脱いで水の中にちゃぷちゃぷと歩を進める。
 足首に伝わるひんやりとした感覚が気持ちがいい。
 だけどこの水は上流ならともかく中流域のここでは沸騰させて消毒しなければ飲み水には適さないだろう。
 それでも仕方ないと手に水をすくう理樹。
 川は赤い夕日を反射してキラキラと輝いていた。

107Shattered Skies ◆ApriVFJs6M:2011/03/23(水) 01:26:38 ID:UkU9l6b20
 
(あ、れ……?)

 突然視界が歪み水面が目の前に近づいた。
 違う。近づいたのは自分でそれが自分自身が倒れたせいなのだとすぐに理樹は悟った。

「な、んで……こ、んなとき……」

 恐れていたことがついに起きてしまった。
 理樹が持つ回避不能の爆弾――ナルコレプシー。

(だめ……だ……今……意識をなくしたら――)

 必死に意識を集中させるもみるみるうちに視界が闇に覆われてゆく。

(小牧さ――)

 まるで電気の光がぷっつりと途切れるように理樹の意識は世界から切り離され闇に落ちた。



 ■



「直枝君?」

 バシャンと水の音がするのと同時に愛佳は川辺を振り返る。
 夕日を受けて赤く染まった川に理樹の身体が横たわっていた。

「直枝君っ!」

 愛佳は服が濡れるのも気に留めず理樹の元に駆け寄る。
 理樹はぴくりとも身体を動かすことなく目を閉じていた。
 愛佳は理樹の上半身を抱き起こす。息はある。だが死んだように意識を失っていた。

「んだぁ〜? 小牧そんなところで何やってんだよ」

 つまらなそうな表情で友則が立っている。
 愛佳は藁にも縋る気持ちで友則に助けを乞うた。

「お願い早間君……! 直枝君を引き上げるの手伝って……!」
「はぁ? なんで俺がこいつのため何かしねーといけねぇんだよ。生きてるならほっときゃいいだろ」
「…………っ!」

108Shattered Skies ◆ApriVFJs6M:2011/03/23(水) 01:29:11 ID:UkU9l6b20
 
 聞くだけ無駄なのはわかっていた。愛佳は唇を噛み締める。
 理樹は男にしては華奢なほうではあるがそれでも非力な愛佳にとってはかなりの重労働だ。
 それでも愛佳は肩を貸して理樹を引き上げようとする。

「くっ……」

 水を吸った服のせいで余計に重く感じる。
 愛佳はやっとのことで理樹を河原まで運んでいった。

「はぁっ……はぁっ……」

 理樹を仰向けに寝かした愛佳は両手と両膝をついて大きく肩で息をする。
 そんな愛佳の視界に友則の脚が見えた。

「早間……君」

 顔を上げる愛佳を見下ろす友則の顔。
 友則は若干苛立ったような口調で言った。

「んだよ……小牧。お前までびしょ濡れじゃねーかよ。こんな奴ほっとけよ!」
「どうして……? なんでそんな事いうの……?」
「ああ? だって俺こいつの事嫌ぇだし」
「そん、な……」
「こいつ俺の言葉に素直に従ってるように見えるけど眼は常に反抗的なんだぜ? 誰のおかげでまだ生きていられるかぜんっぜん理解しちゃいねえ。そんな奴のために俺がしんどい目に遭うなんておかしいだろ小牧」

 見下げ果てた下衆の言葉。
 なんでこんな男と出会ってしまったのか、そして何もできない自分自身が恨めしかった。

「しっかし、こいつ次も倒れられたら厄介だよなあ〜、足手まといにもほどがあるぜ……よし、ここに置いいくか」
「え……何を……」
「だから! ここに置いていくっつてんだろうがっ!」
「だ……駄目だよそんなことしたら直枝君が……」

 愛佳の言葉に友則の苛立ちが頂点に立ち彼は激昂した。
 これまでにずっと理樹と愛佳に抱いていた感情がついに爆発した。

「直枝直枝直枝直枝直枝直枝直枝直枝ッ! そんなに俺より直枝がいいのかよッ! 俺はこいつよりも強ぇんだぞッ! こいつよりも俺のほうが頼りになるだろ! なんでそれを認めねえんだッ!」

109Shattered Skies ◆ApriVFJs6M:2011/03/23(水) 01:32:07 ID:UkU9l6b20
 
 その姿は駄々をこねる子どものようでもはや正視に堪えられるものではなかった。
 友則はひとしきり喚き散らすと怨嗟を含んだ声で言った。

「……もうこいつ殺すわ」
「えっ……?」

 理樹の頭に散弾銃の銃口が突きつけられる。
 理樹は自分がそんな状況に置かれているのも知らず目を閉じたままだった。

「こいつがいるかぎりお前は俺のことなんて眼中にないんだ。だったらこいつがいなくなればお前は俺だけを見てくれるんだろ?」

 狂っている――いや最初から彼は狂っていたのだろう。
 出会ったときにはすでに常軌を逸した世界に放り込まれていたことで正気を失っていたのだ。
 友則は狂気に染まった瞳で愛佳と理樹を見下ろしている。
 友則は身勝手で独りよがりな恋慕と嫉妬を愛佳と理樹に押し付けて――

「やめて……お願い……それだけはやめて……! 直枝君を殺さな――あぐっ!」

 友則の蹴りが愛佳の肩口に突き刺さる。

「おい小牧、お前まだ自分の立場を理解してねえようだな……? そんなにこいつが大事か? あ?」

 友則はこの期に及んで自分よりも理樹を気に掛ける愛佳が憎らしかった。
 だから――この場で理樹を殺すのは惜しいと思った。
 どうせ殺すのなら自分の立場を嫌というほど思い知らせてからにしよう。
 自分は地面に這いつくばった芋虫以下の存在だということをみっちり教え込んでやろう。

「いいぜ小牧――直枝を殺すのはやめにしてやるよ。だけどその代わり……俺のモノになれよ」
「え……」
「だから、俺の女になれってことだよ。言わせんな恥ずかしいだろ。言葉の意味がわからんほどガキじゃねえだろ」
「く……ぅぅ……」
「さっきからお前のその姿に我慢できねえんだよ……びしょ濡れで服の上からブラが透けてんの見せ付けて俺のこと誘ってんのか? ははは」

 こんなことになるのは予想はできていた。いつかこの男は自分に獣の情欲をぶつけてくると。
 それから愛佳を必死に守っていたのは理樹の存在だった。だがその彼は未だ目を覚ますことはない。
 悔しくて愛佳が目から涙が溢れくる。これからいいように嬲られる自らの無力さ。できるのならこのまま舌を噛み切って死んでしまいたい。
 だが死ねば間違いなく友則は理樹を殺すだろう。そして妹の郁乃を遺して死ぬことはできなかった。
 もう犬に噛まれたと思って諦めるしか愛佳にはできなかった。

110Shattered Skies ◆ApriVFJs6M:2011/03/23(水) 01:34:09 ID:UkU9l6b20
 
「もう一度聞くぜ? 俺のモノになれよ」
「……い」
「あん? 何だって聞こえないなあっ」
「はい……」
「『はい』だけじゃあ何のことかわからんなあ? ちゃんとどうするか言って見ろよ」

 友則は最高の気分だった。自分の目の前で女が屈服するその姿。
 テレビの向こう側でしか聞くことない台詞を口ずさみ酔いしれる。

「あ、あたしは……早間君の女に……なり……ます……」
「俺の女になるのに『早間君』だなんて他人行儀な呼び方はおかしいだろう。『友則』と呼べよ」
「う、ぁぁぁ……あ、たしは……友則の……女になります……」
「は、ははは……言った! ついに言いやがったっ! お前最高だぜヒャハハハハ!!」
「もう……いいでしょ……好きにしてよ……」
「言われなくてもそうするぜっ!」

 そう言って友則は愛佳を強引に押し倒した。
 背中に当たる河原の石がひどく痛い。だが友則はそんなこともお構いなしに制服のブラウスを引き裂きブラジャーを引きちぎる。

「うおお……すげぇ……やっぱ生の迫力は全然ちげえ……! 最高だ……最高だぜぇ……!」

 汚物のような言葉を垂れ流す友則。
 愛佳は虚ろな瞳でただこの悪夢が早く終わってくれることを願うだけだった。
 否――これは悪夢じゃない。罰なのだ。
 卑怯者の自分に対する神様の罰だった。

「どうだ直枝ェ! 見てるか! 俺はお前にできないことをやってのけたんだ! ヒャハハハハッ!」

111Shattered Skies ◆ApriVFJs6M:2011/03/23(水) 01:35:27 ID:UkU9l6b20
 


 ■



「はぁっ……はぁ……もう出ねえ……これ以上やったら赤玉出そうだぜ。へへへ……」

 愛佳に覆い被さっていた友則は愛佳から離れるとごろりと河原の上に仰向けに寝転がっていた。
 悪夢は終わったにも関わらず愛佳はぴくりとも動かずに虚ろな視線を空に向けていた。
 太陽は西の空に頭を少しだけ出して今にも日没を迎えようとしている。
 東の空には夜の帳が広がろうとしていた。


 知らない空だ。あたしの知っている空はどこに行ってしまったのだろう。
 そっか、もうとっくに壊れてしまっていたんだ。
 ここにいるあたしたちはどこにも戻れず宙を漂う儚い欠片を求めて彷徨うだけなんだ。


 虚空を見つめる瞳を少し動かしてみると身体の脇に黒光りする金属の棒が転がっていた。
 無機質な機械の棒。早間友則の剣であり城、彼の支配の象徴。
 行為に耽って手元に置いておくことを忘れてしまっていたのだろう。
 だから自然と愛佳の手はそれを伸ばして立ち上がった。
 友則はこちらに背中を向けて行為の余韻を満喫してるようだった。

 じゃりっと愛佳の足が河原の小石を踏みしめる音が当たりに響く。
 友則は愛佳を振り返ることなく言った。

「おいおいまだ続けるのか……俺はもうへとへとだぜ。でもマグロは勘弁してくれよな。ああ、何なら今度は直枝にもしてやれよへっへっへ……」
「…………」

 さっきまであれほど理樹に執着し嫉妬していた友則とは思えない台詞である。

「よおし今度は直枝も混ぜてやるかな……」
 
 愛佳を見ずに手だけ振る友則
 五月蝿い。これ以上口から汚い物を垂れ流すな。

「俺様の心変わりに直枝の奴泣いて喜ぶぜぇ……そうだろ愛佳、ぎゃっはっは――」

 首だけを動かして愛佳を見る友則。
 視界に。
 散弾銃を構えた。
 愛佳の姿が。

 ぼんっと何かが破裂する音がして振っていた友則の右腕が吹き飛んだ。

112Shattered Skies ◆ApriVFJs6M:2011/03/23(水) 01:37:13 ID:UkU9l6b20
 
「はあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぇぇぇぇぁぁぁぁッぁぁーーーーーーー!!!!!!??????????!!!」
「出すもの出したらここまで注意力散漫になるんだ……男のひとってみんなこうなの?」
「ギャアアアアアアアッッ俺の俺の腕がァァァァァァア!!!」

 半裸でのた打ち回る友則のみじめな姿。
 こんな男に汚されたと思うと悔しくてたまらない。

「少しは静かにしてよ。直枝君が起きちゃうじゃない」

 ぼんっとまたもや破裂する音が響いて友則の左膝から下が弾け飛んだ。

「ウぎゃああああぁぁぁァァァァアアアアあ!!」
「だから、うるさいってば」
「ぎゃぁぁぁぁぁぁああァァ……はごっ」

 愛佳は大きな口を開けて叫び散らす友則のその口に銃身を突き入れた。

「はおおおおお……! ふぉごおおおおお!」

 痛みと恐怖に顔を引きつらせて友則は愛佳を凝視する。

「……なんだ女の子に突っこむのは好きなくせに自分が突っこまれるのは嫌いなんだ」

 淡々と友則に愛佳は語りかける。
 その声に感情の色は見当たらない。
 どこまでも深い闇が広がっていた。

「どうせその傷じゃあ死ぬだけだよね。だからずっと見ててあげる。よいしょっと……」

 愛佳は友則の口から銃身を引き抜くと友則の側に腰を下ろす。
 こんな男、楽に死なせてやるものか。死ぬまで地獄の苦しみに焼かれ続けるといい。
 愛佳は三角座りの姿勢でじっと友則の苦悶の表情を眺めていた。



 ■
 


 意識が形になる。
 闇の中に霧消していた欠片が一つに集まり出す。
 光が差す。電球のスイッチを押したかのように一瞬にして闇は晴れて世界を形作る。
 直枝理樹の意識は再び世界を取り戻した。

113Shattered Skies ◆ApriVFJs6M:2011/03/23(水) 01:38:23 ID:UkU9l6b20
 
「あ……く……僕は――」

 目覚めた視界一杯に広がる夕暮れの薄暗い光。
 太陽は西の空に沈んでしまっている。沈んだばかりの日の光の残滓が西の空を赤黒く染めていた。

「そうだ……! 小牧さん……!」

 勢いよく立ち上がったせいで立ちくらみがする。
 倒れまいとたたらを踏む理樹の背後から寂しげな愛佳の声がした。

「おはよう直枝君……でも……起きるのが少しおそかったかな……」
「小牧さ――ッ !?」

 振り向いた理樹の視線の先に信じられない物が。
 目を覆いたくなる光景が広がっていた。

 右腕と左脚を失った血まみれの男が半裸で呻き声を上げて苦しんでいる。
 その傍らにちょこんと座る愛佳の姿。
 彼女のその無残な姿に理樹は愕然とした。

 ボロボロのセーラー服を纏った少女が座っていた。
 とことろどころ破れた赤いスカート。
 引き裂かれ、上着の体を成していない桃色のブラウス。
 河原の上にある、下着と思しき布の残骸。

114Shattered Skies ◆ApriVFJs6M:2011/03/23(水) 01:39:25 ID:UkU9l6b20
 
「あ……ああ……そん、な……」

 そして転がる半裸の男――早間友則。

「早間ァァァァァァァァァァッッ!!! 小牧さんに何をしたぁぁぁぁぁッ!!!!」

 相手が瀕死の重傷を負っていようが構うものか。
 理樹は呻き苦しむ友則に馬乗りになると何度もその顔を殴りつけた。
 そんな光景を愛佳は膝を抱えて虚ろな視線で眺めていた

「答えろ早間! 小牧さんに……何をしたんだァァッ!」
「へ……へへ、直枝ェ……今頃お目覚めかよ……だけ、ど遅かったなぁ……」
「早間ァッ!」

 さらにもう一発顔面に拳をくれてやる。
 だが友則は不敵な笑みを浮かべるだけだった。

「言われなきゃわかん、ねえ……のかよ童貞野郎……小牧は最高だったぜぇ……」
「黙れ……黙れ黙れ黙れぇぇぇぇぇ!!!」
「熱くてぬるぬるした感触たまんねぇ……けっけっけ」
「っぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああああ!!!」

 何度も何度も友則の顔面を殴りつけるも効いてる様子がない。
 友則は手足を失ったショックで痛覚が完全に麻痺していた。

「小……牧はお前にくれてやるよ……俺のお下がりの中古品だがなぁ……っ」

 もういい。
 これ以上口から汚物を垂れ流すな。

 だから理樹は自然と河原に転がっていた物に手を伸ばした。
 漬け物石サイズで大きさも重さもこいつを黙らすのは申し分のない物だ。

「へへ……へへへ――……へ」
「いいから黙れよ」

115Shattered Skies ◆ApriVFJs6M:2011/03/23(水) 01:40:45 ID:UkU9l6b20
 
 理樹は石を思い切り友則の顔面に振り下ろした。
 ぐしゃあと何かが潰れる音と砕ける音。
 何度も。
 何度も。
 何度も。
 何度も。
 友則が静かになるまで理樹は何度も石を振り下ろし続けた。
 友則の顔が潰れた柘榴か西瓜のようになったころようやく静かになって理樹は振り下ろす腕を止めた。
 
「ううっ……うぁぁぁ……ぁぁぁ」

 河原に蹲り嗚咽の声を漏らす理樹。
 自らの持病のせいで愛佳の心と身体を酷く傷つけてしまった。
 どんな顔して愛佳に顔向けできるのだろう。

 愛佳は友則の死体を座ったままじいっと見つめている。
 そんな空っぽの瞳が動き理樹を見た。

「直枝君は……ずっとあたしを守ろうとしてくたんだよね……」
「僕は……君を守れなかった……!」
「ううん、そんなことない。これはあたしのせいだから。あたしは直枝君の気持ちを知っていながらそれを利用しようとしたの」
「小牧さん……」
「あの車椅子の女の子を直枝君が埋葬しようと言った時、あたしはそんな無駄なことしたくなかったの。死んだ人を埋葬する時間があるなら生きている妹を探したいって
だからあたしは直枝君の邪魔をしたの。ひきょうものはこのあたし。だからこれはひきょうもののあたしへのかみさまの罰なの」
「違う! 違うよ! 小牧さんは卑怯者なんかじゃない! そんなことをする神様なんか神でもなんでもないよッ!」
「なおえ……くん」

 愛佳は虚ろな瞳で理樹を見つめる。
 理樹は涙を袖で拭い立ち上がると言った。

「守るよ君を――今度こそ君を守ってみせる……!」
「………」
「君を守るためなら僕は地獄に堕ちたって構わない……!」

 見上げるた先の理樹が愛佳に手を差し伸べた。

116Shattered Skies ◆ApriVFJs6M:2011/03/23(水) 01:42:20 ID:UkU9l6b20
 
「直枝君――?」
「リトルバスターズだ」
「リトル……バスターズ?」
「あくをせいばいするせいぎのみかた……ううん、違う。君を守るために僕は君の味方であり続ける。君と僕だけのリトルバスターズだ」
「それで――いいの?」
「いいよ、これが僕の……一度は守れなかった君への贖罪だから。小牧さん……まだ僕のことを信じられるならこの手を取って欲しい」

 差し出された理樹の手。
 これを愛佳が取ってしまえばこれまでのリトルバスターズと決別することになる。
 もしかすると恭介や真人や謙吾、そして鈴と敵対することになるかもしれない。
 例えそうなったとしてもそれは目の前の女の子一人守ることができなかったことへの罰だから――
 そう逡巡する理樹の手を愛佳は優しく握り返した。

「……あたしの知ってる空はとっくに壊れてしまっていたの」
「小牧さん……?」
「この上に広がる空は知らない空。絶望の空。そんな空の下であたしたちは壊れてしまった空の欠片を捜し求めるの」

 壊れた空――奇遇なことに理樹も同じ感覚を抱いていた。
 理樹は愛佳と同じ感覚を共有できたことが嬉しくて微笑んだ。

「だったら――いっしょに探そうよ」
「うん……取り戻そうよあたしたちのソラノカケラを」

 今も色を失った愛佳の瞳。
 傷が癒えるまでどれほどの時が必要なのかわからない。
 その時が来るまでずっと彼女の側にいてあげよう。理樹は誓いを胸に秘め、愛佳の小さな手を握り締めた。

117Shattered Skies ◆ApriVFJs6M:2011/03/23(水) 01:42:51 ID:UkU9l6b20
 


 【時間:1日目午後5時45分ごろ】
 【場所:E-6】

 直枝理樹
 【持ち物:レインボーパン詰め合わせ、食料一日分】
 【状況:頭部打撲】



 小牧愛佳
 【持ち物:缶詰詰め合わせ、缶切り、レミントンM1100(2/5)、スラッグ弾×50、水・食料一日分】
 【状況:心身に深い傷】



 早間友則
 【状況:死亡】

118 ◆ApriVFJs6M:2011/03/23(水) 01:43:29 ID:UkU9l6b20
投下終了しました

119spiral ◆g4HD7T2Nls:2011/03/24(木) 01:17:23 ID:h5Mao9VE0



それは特に、前触れが在った訳じゃなくて、
きっと、当たり前の事だったはず。
なのに私は、触れたくなかったんだ。

「……」
「ともちゃん」
「…………」

どうってことの無いはずのこと。
『そんな事にはならない。そうそう悪い事は重ならないはずだ』
そう思っていて、なのに触れない、触りたくなかった。

「ね、ともちゃん」

無意識に避けていたんだ。きっと私は、目を逸らしていた。
だけど、そんな逃げは、やっぱり長くは続かない。
その時は、いずれやってくる。

「ん、どうした、小鞠?」

旅立ちの時。
私達が今にも腰を上げようとしていたはずの、その時。

「そろそろ、見よっか」

彼女は、向き合っていた。

「見るって……何を?」

ついに、私が避け続けていたその言葉を、

「……名簿」

私に、言った。

「…………」

黙り込む私に、告げたんだ。

「いつまでも、見ないわけには……いかないよ」
「……そう、だな」

本当の、『始まり』を。


◇ ◇ ◇

120spiral ◆g4HD7T2Nls:2011/03/24(木) 01:17:56 ID:h5Mao9VE0

木漏れ日が、わずかに降り注いでいる。

森の少し開けた場所。
ゴロゴロと転がる、大き目の石を椅子にした。
私――坂上智代と神北小毬は、隣り合って腰掛けた。

私達のいる森の中では、いまいち時間の流れが掴みにくい。
多分、まだ夕方と呼ぶには早い時刻のはずだ。
そのはずだ。

そんな中で、私は見た。

最初は、愕然とした。
最悪の想像が幾つも浮かんできて、胸の奥底から吐き気がこみ上げてきた。
心が絶望に染まりそうになった。

次に、焦燥に駆られた。
今すぐにでも、ここから走り出したい衝動だった。
でも、それだけはしちゃいけないって、分っていた。

だから、なんとか押さえ込んで、耐えて、耐え切ったとき、
私は、ようやく、無力感に打ちのめされたのだ。
自分がどれだけ、弱く、矮小な存在かを実感していた。

髪を掻き揚げるようにして、手で顔を覆う。
すると、ぐるぐると、真っ黒い渦が目蓋の裏に映る。
目を閉じても逃げ場は無い。気持ち悪い。
悪意の螺旋が見える。
今の私は、そこに飲み込まれそうになっていた。

しばらく、沈黙だけがここにあった。
話さない。口を開かない。
私も、小鞠も、何も言わない。

それでも分った。
きっと、小鞠も、直面したんだろう、現実に。
過酷な現実を、見たんだろう。

私と同じように、かは分らない。
少なくとも私は……これが夢であって欲しいと、心から望んでいた。

「……ともちゃんも……いたんだね」

口火を切ったのは、彼女が先立った。
その口調は断定的だった。
彼女もまた、私の沈黙から、何かを感じたのか。

「…………ああ、いたよ」

私は、ただ小さく、事実を認める。
握り締めた名簿の中にあった、その名前達を心中で反芻しながら。

「友達や、知り合いが、いたよ」
「そっか……私の友達もたくさん、つれて来られてるみたい」
「……どれくらい?」
「10人くらい、かな。みんなみんな、お友達」

どうやら小鞠は、私よりも友人が多いようだった。
確かに、好かれそうな性格をしている。
何事も楽しむ性格で、それでいて、
一緒にまわりを楽しくさせるような、そんな明るさを持っていると思った。

121spiral ◆g4HD7T2Nls:2011/03/24(木) 01:20:01 ID:h5Mao9VE0

「そっか……」

呟いて、私は、空を仰ぐ。
手に持っていた名簿を、ぱたんと閉じる。

「それじゃあ小鞠は……これから、どうするんだ?」

そうして、聞いた。
先ほど一緒に決めたはずのことを、私は聞いた。
彼女の顔を見ずに、彼女の思いを問いかける。
知らず、私の声は震えていた。

「私は……」

けれど、返された彼女の声は、私のように、震えてはいなかった。
ただ、あのほわほわした話し方はなりをひそめ、真っ直ぐで芯のある声。
決意みたいなものを感じさせる。そんな純真な声で、彼女は答えた。

「私はみんなを……私の友達を信じてるよ」
「そう……か」
「うん。だからみんなを、探そうって思うんだ……」

小鞠は、いつもの声の調子で言った。
私を励ますように。

「みんなで力を合わせたら、だいじょ〜ぶ、だよ」

だけど私は、その声に応えられない。
応え……られないんだ。

「そっか……小鞠は強いんだな」

そんな私の言葉に、小鞠が首を振る気配がした。

「ううん。私一人じゃそんなに強くないよ。でもみんなが集まれば、とっても強いから……」

確信を込めて、彼女は言う。

「ううん。それどころか、みんなが集まれば、さいきょーなのです!
 それが、リトルバスターズ!」
「リトル……バスターズ?」
「うん! リトルバスターズ! 正義の味方。私の友達。
 私だって、今はその一人。
 だから私も、戦うんだ。みんなと一緒に、力をあわせて、ね」

その声は、信じていた。
確信していた。
友の強さを、人の強さを。

「それだけじゃないよ。私の友達だけじゃない。ここで新しい仲間を集めるの。
 私の友達、ともちゃんの友達、新しい友達、みんなみんな、たくさん集めて、友情ぱわーでごー、なのです!
 そしたらきっと、なんとかなるよ」

友情を、彼女が言っていた、みなぎる友情というものを。
人の心を、本心から信頼する、小鞠の言葉はやはり強い。
優しく、穏やかで、そして力強かった。
顔を見なくても、ひまわりのような笑顔を想像できた。

「……そっか、それじゃあ……はやく、見つけないとな」

言って、私は名簿を自分のディパックの中に入れる。
ディパックを抱えて一人、立ち上がる。

122spiral ◆g4HD7T2Nls:2011/03/24(木) 01:20:57 ID:h5Mao9VE0

「とも……ちゃん?」

私は、彼女に背をむける。
表情を見られないように。
これ以上、その強さを見ないように。

「ごめんな、小鞠。私やっぱり、お前と一緒に行けないよ」
「ふぇぇぇ!? ど、どうしてなのかな!?」

驚く小鞠の声が背中に届く。
それは、そうだろう。
さっきまでは、一緒に行くことが決まりきってたのに、
急にこんな事を言い出したんだから、驚くに決まってる。
でもごめんな。私には、駄目なんだ。

「私は……小鞠ほど、強くないんだ」
「ふぇ? そんなことないよ、ともちゃんは強いよ。さっきだって私を助けてくれたし……」

その天然っぷりに、ちょっと苦笑いする。
鈍いのか、鋭いのか、案外掴みどころのない子だ。
そこがなんだか可愛いんだけど。
でも、違うんだ小鞠。そういう強さじゃないんだよ。

「……弟が、いたんだ」
「ふぇ?」
「坂上鷹文。きっと、私の弟だ」

『きっと』なんて表現を入れたのは、それが名前だけしか名簿に記されていなかったから。
苗字が伏せられていたからで、
だからきっと小鞠も、一見して気がつかなかったのだろうけど。

「…………あ」

でも、どうやら、これで彼女にも伝わったらしい。

「そういう、ことだ」

黙してしまった彼女へと、私は言葉を続けた。

「駄目なんだ。
 私は……お前みたいに、人の強さを信じることが出来ないんだ。
 あいつだけは……鷹文だけは、私が守らなくちゃいけないから」

私には到底無理なんだ。
名簿にあった弟の名前を、その無事を、無条件に信じるなんて。
降りかかる悪意や敵意を、無いと断言する事なんて。
無事に、生きていてくれる、きっとなんとかなる――なんて、信じきることは出来ない。

「多くの者には、荒れない理由がある。
 小鞠には……それが分るか?」

私は、振り返らないまま、彼女に問いかける。

「……家族や、お友達がいて、そんな毎日が楽しいから……かな……?」

そして、彼女は正解を口にした。

「うん、そうだな。だから大抵の人は、穏やかに毎日を生きていける。でも、私にはそれが出来なかった。
 毎日が楽しくなかった、辛かった。私の毎日を支えてくれる人がいなかった……暖かい家庭が……無かったんだ。
 だから私は、荒れたよ」

123spiral ◆g4HD7T2Nls:2011/03/24(木) 01:22:05 ID:h5Mao9VE0

そう、私は荒れていた。
荒んだ家庭の中を育って、いつの間にか私も荒んで、堕落していた。
毎日を暴力に浸らせて過ごした。
自ら無為な戦いの中に飛び込んで、
毎日毎日、誰かと喧嘩して、喧嘩して、喧嘩して、そして負けなかった。

「数え切れないくらいの人と戦って、そして勝った」

常勝無敗。
正しくその一言を体現した。
ああそういえば私は一度も、本当にただの一度も、敗北した事が無い。
もしかすると私は……心のどこかでは、負けたかったのかもしれない。
そうして、終わらせたかったのかもしれない。
それを望んでいたのかもしれない。だけどそうはならなかった。
なぜなら、幸か不幸か、私には『強さ』があったのだ。

「私は無駄に強かったんだ」

無価値の『強さ』が私にはあった。
それは、ただそこにあるだけの、底なしの、獣の様な、ただただ破壊する事にのみ特化しすぎていた、『強さ』、としか形容できないもの。
才能……なんて呼んでいいような、代物じゃない。化け物じみた強さ。
偶然そういうものが、私の中に在ったという、それだけだ。
とにかく、結果として、私は勝ち続ける日々を生きた。
幾つもの人間を打ち倒して、戦って倒して戦って倒して戦って倒して勝って勝って勝って勝ち続けて。
だけどその戦いで、終ぞ何も、得たことは無かった。

「荒れた家庭。荒れた私。家族はバラバラで、粉々で、もうどうしようもなかった。壊れていく一方だった。
 私には、何も出来なかったんだ」

それでも私は馬鹿みたいな戦いをずっと続けた。
八つ当たりみたいな、無意味で、何も変えられない。本当に欲しいものは何一つ得られない。
そんな戦いと勝利を繰り返して止まらない。止められなかった。
喧嘩なんて表現は、本当は生ぬるい。真実潰しあいの世界の中で私は生きる。
私には、そんなことしか出来なかった。

「だけど……弟は違ったんだ」

坂上鷹文は強かった。
私に出来なかったことを、あいつは一人でやってのけた。

「あいつは自分の命をかけてまで、家族を変えようとした」

実際、その日を境に家族は変わった。
私もまた、変わる事ができた。
死んでいく家庭が、再生したのだ。
弟の怪我みを代償にして、鷹文だけが、傷を負って。

「私は全てを諦めていたんだ。嫌な事から目を逸らしていた。今だって、きっとそうだった。
 幾ら強くたって、幾ら人を傷つける事に長けていたって、それしか出来ない。
 だけどあいつは最後まで信じていた。そして、気づかせてくれたから。
 本当の強さは、鷹文や……小鞠、お前みたいな人が持ってる。他人の心を、変えられる強さなんだ。
 自分を見失わない、そういう強さなんだ。だから私は、変ろうとした。変ろうと、していた」

そのために、一つの目標があった。
私は生徒会に入る。
そして、私も何かを、変えてみせると決めたのだ。

「だけど……私は……私には……やっぱり無理みたいだ」

小鞠のようには、出来ない。
鷹文のようには、出来ない。

124spiral ◆g4HD7T2Nls:2011/03/24(木) 01:23:12 ID:h5Mao9VE0

「私は……鷹文を守りたい」

私はどうしても、それだけは譲れない。
もう二度と、私は失いたくないんだ。
あの日、あいつが家族を変えるために、車道に飛び出した日。
私がかけがえの無いものを失わずにすんだのは、奇跡だった。神様がくれた奇跡だったんだ。

「だけど私には、この状況で、信じられない。
 他人の心を、信じきることが出来ないよ……」

あいつは今、再び車道(死地)にいる。
いつ殺されてもおかしくない場所にいる。

確かに、小鞠が言うように、何とかなるかもしれない。
今あいつの近くにいる誰かが、助け起こしてやるかもしれない。
あいつ自身が、自分で生き抜くかもしれない。

だけど、そこに再び車(悪意)が来ないと誰が言い切れる?
そして今度も怪我で済むと、誰が言い切れる? 少なくとも、私には無理だ。
きっと奇跡に二度目は無い。そう思う。
今度こそ、あいつは轢き殺されてしまうかもしれない。
誰かの悪意によって、今度こそ私は失ってしまうかもしれないんだ。
いま、この瞬間だって、私の弟が死んでいくかもしれないんだ。
そう思うと……。

「耐えられないんだ。家族を失うことだけは、耐えられない。
 今度は私が弟を守る番なんだ。私が家族を守る番なんだ。
 あの日、命をかけたあいつのために、今度は私が……!」

鷹文を守るためなら何でもしよう、そう思う。

「私が、傷を背負わなくちゃいけない……!」

そして、またしても、幸か不幸か。私には『強さ』があった。
人を信じる強さも無いくせに、人を傷つけて、打ち倒す強さがあった。
私の嫌いな、強さがあった。一つの手段を、手にしている。
それでも、私は……例え間違った方法だとしても。
それしか方法が無いのなら……私は……。

「だから私は、小鞠といっしょには行けない。
 一緒には、いられないよ」

まだ決断はできない。
どうすればいいのか、踏ん切りがつかない。
それでも、私は揺れている。
揺れ続けている。そんな弱さに、小鞠を巻き込めない。

「ごめんな」

私は一人で行く。
ここまで言うやつと、小鞠だって一緒にいたくないはずだ。
負担をかけたくも、ない。だからここで、お別れだ。

私は、一歩、踏み出した。
小鞠を残して、その場を後にする。
ここから先は自分ひとりで結論を出して、そして動こう。
そう、思っていた……のに。

「……小鞠」

私は、二歩目を、踏み出せなかった。

125spiral ◆g4HD7T2Nls:2011/03/24(木) 01:23:37 ID:h5Mao9VE0

「放してくれ」
「……だめだよ」

小鞠の腕が、私の腰に巻きついて離れないから。
それ以上、前に行けない。
これ以上、踏み出せなかった。

「放してくれ」
「だめ」
「どうしてなんだ? 私はこれから……何をするかも分らないんだぞ?
 そんな奴といたって――」

私の背中に密着した小鞠の顔が、ぶんぶん振られるのを感じた。

「ともちゃんが居ないと、駄目だよ」

驚いたことに、その声は、力強くも無い。
確信に満ちてもいない。
先ほどまでの小鞠の強さは、そこには無かった。

「言ったよね。
 私だって、一人じゃそんなに強くないだよ?
 みんながいて、みんなでいて、だからみんなを信じられるんだよ」
「だったら、小鞠の信じられる仲間といれば良い。私といたって……」

また、首が振られた。

「いまは……今はともちゃんしかいないよ。
 今、私の隣に居てくれてるのは、ともちゃんなんだよ?」

その言葉はやっぱり力弱くて、だけど真実だった。
確かに、ここには私と小鞠しかいなくて、私が居なくなったら、小鞠は独りぼっちになる。
私はそんな単純なことさえ、分らなくなっていたのか。

「私だって……怖いんだよ」

そう言う小鞠の声は、震えていた。
確かに、彼女は強い。
だけど同時に、彼女は弱かった。
ようやく、私は気がついた。そうか、彼女も、弱かったんだと。
こんな当たり前な事に、いまさら。

「ともちゃんは、言ってくれたよ。『殺し合いなんかしたくない』って。
 そう思って私を助けてくれたんでしょ?
 嬉しかったんだ。すっごく。私は、それで十分なんだから。
 いなくなっちゃわないで、ここにいて欲しいな。一人にされたら……寂しいよ」

他人の強さを信じられない私のように。
小鞠は自分の強さを信じていない。
誰しもが、完全じゃない。
私は……彼女の何を理解した気になっていたんだろう。

「ともちゃん、私には持論があるのです」

おどけたような口調にもどして、彼女は言った。

「幸せスパイラルっていうの」
「しあわせ、スパイラル?」

服越しの背中に、頷きが伝わる。

126spiral ◆g4HD7T2Nls:2011/03/24(木) 01:24:41 ID:h5Mao9VE0

「そう。誰かを幸せにするとね、ちょっぴり幸せになれるよね。
 だから、あなたが幸せになると、私も幸せ。
 私が幸せになると、あなたも幸せ。ずーっとずーっと繰り返して、ほら、幸せスパイラル」

綺麗ごとだった。理想論だった。
なのに彼女が言うと、どうしてこれほどまでに現実味に溢れた言葉になるのか。
優しい響きを感じられるのか。

「だから私は、ともちゃんから幸せを貰ったよ」

ああそうか。
きっと、彼女が私にそれをくれたから。
そのわずかな時間で、彼女は私にほんの些細な幸せをくれて、
彼女はそれだけで、きっと幸せを感じられたのだ。
そういう、力を持った子なんだ。

「……小鞠」

私は、その瞬間に芽生えた思いによって、衝動的に振り向いた。
そうしたらきっと、新たな迷いが生まれてしまうって分っていたのに。
わざわざ彼女の顔を見ないようにこの場を去ろうとした意味が無くなってしまうと、分っていたのに。
気がつけば、目の前には小鞠がいた。

「えへへ。
 やっとこっちを見てくれたね、ともちゃん」
「お前……」

見つめた小鞠の顔は、満面の笑み。
そんな笑みで、呆気なく私は、またしても揺らいでいた。
今度は、さっきとは正反対の、小さな、だけど希望的な揺らぎを感じてしまった。

「ともちゃん。この幸せスパイラルは、一人だけじゃ駄目なんだ。
 私一人だけじゃ、ぜんぜん幸せにはなれないよ。
 強く、明るく、楽しく、歩いて行くには、隣に誰かが居なくちゃ駄目なんだ」

だからね、と。
小鞠は満面の笑みで言う。

「私と一緒にいて、くれないかな?」

その瞬間。私は、思ってしまったんだ。ほんの少しだけ。
信じられるかもしれない、と。
こんな絶望的な状況の中で、一つの希望を抱いてしまった。
小鞠なら、彼女となら信じられる……かもじれない。
彼女と一緒ならば……この笑顔と一緒ならば、私にも信じられるかもしれない、と。

他人の強さを。優しさを。幸せの連鎖を。誰かの無事を。
きっと何とかなる。っていう、そんな思いを。

「私で……本当に私なんかで……本当にいいのか……?」

127spiral ◆g4HD7T2Nls:2011/03/24(木) 01:24:55 ID:h5Mao9VE0

希望を、信じてみる。
この笑顔が共に在る限り、私にもできるかもしれない。
彼女が隣で笑っていてくれれば、私は、間違えずにいられるかもしれない。
間違えないままで、この戦いを乗り越えられるかもしれない。

「うん。それじゃあ、改めてよろしくね。ともちゃん」

そんな不思議な思いと共に私は、
差し伸べられた手を握った。

もちろんそれだけで、状況が変ったわけじゃない。
相変わらず事は絶望的で、私は何一つ前に進めちゃいなかった。
焦る思いも、無力感も、依然ここにある。

それでも、私と彼女の手を取った。
希望を振り払うことも、私には出来なくて。

だから、
押しつぶされそうな絶望と。
ほんの一握りの、錯覚の様な希望。

これが、私にとって本当の意味での『始まり』だったんだと、そう思う。


◇ ◇ ◇

128spiral ◆g4HD7T2Nls:2011/03/24(木) 01:25:19 ID:h5Mao9VE0

歩く。
時刻はもう夕方、と言ったところか。
色の変り始めた木漏れ日の中を、二人で歩いた。

道中。
小鞠は特に前触れも無く、こう提案した。

「ね、せっかくだから。お友達紹介しよっか?」
「お互いの友人の情報の交換か。うん、必要なことだな」
「のーのー。違う。違うよぉ〜」
「え? 違うのか?」
「そういう堅苦しいノリじゃあないのです。私と、ともちゃんは、友達です」
「ん、え? ああ、もうそう言う事に……なる、のか?」

少し早すぎるような気もするが。
この子にかかれば友人関係の構築なんてあっというま、なのかもしれない。

「もちろんだよぉ〜。そして、友達の友達は、もちろん友達。私の友達は、ともちゃんの友達。
 私の友達はともちゃんの友達。お前の物は俺の物!! おーけい?」
「お、おーけい」

おーけい……なのか?

「だからともちゃんには、情報交換とかそゆのじゃなくって、新しい友達の特徴を知る。
 そいうことだから。
 いわばネタバレなわけだから、心して聞きましょう」

ネタバレって……。
まあでも、うん、友達が増えるのはいいことだ。
それは確かに同意する。

「じゃあそう言うことで、第一弾からいってみましょぉう!!」
「というと?」
「まずは私からいくのです」

相変わらずそのノリは独特だけど、彼女の心遣いは素直に嬉しい。
そんなこんなで、まだまだ先の見えない道中のなか、

「でわでわ〜一人目から……」

彼女の、相変わらずほわほわした、緩やかなノリで、
まだ見ぬ友人紹介が始まるのだった。

【時間:1日目午後4時00分ごろ】
【場所:D-2 山中】


神北小毬
【持ち物:エンジェルプレイヤー、水・食料一日分】
【状況:健康】
【エンジェルプレイヤーについて:
 ハンドソニック:使用可能
 ディストーション:使用可能
 ハーモニクス:使用可能】

坂上智代
【持ち物:デザートイーグル.50AE(7+1/7)、予備マガジン×8、水・食料一日分】
【状況:健康】

129 ◆g4HD7T2Nls:2011/03/24(木) 01:25:41 ID:h5Mao9VE0
投下終了です。

130 ◆g4HD7T2Nls:2011/03/24(木) 02:10:31 ID:h5Mao9VE0
神北小毬の名前の表記をミスしていたようです。
申し訳ありません。
wiki収録語に修正いたします。

131真っ直ぐに駆け抜けて/温かい思いで導いて ◆auiI.USnCE:2011/03/27(日) 00:57:31 ID:TVBNxaIo0






―――温かいてのひらが、私をつれていく。












     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

132真っ直ぐに駆け抜けて/温かい思いで導いて ◆auiI.USnCE:2011/03/27(日) 00:58:16 ID:TVBNxaIo0







「ふぅ……大丈夫か?」

高く青い空の下、三人の人間が肩で息をしながら青く茂った草の上に腰を下ろしていた。
その一人である青年、千堂和樹が二人の少女を心配するように話しかける。
時間にすると十分以上だろうか、それくらいの間ずっと走っていたのだ。
和樹自身は男性なりに体力は程々にあったので、これ位の距離は大した事はない。
けれども二人の少女は、見たところとても華奢で運動が得意とはとても思えなかった。
だから、二人の少女を心配するように声をかけたのだが、

「うちはもう大丈夫や……美魚ちゃんはど〜や?」
「……ええ、大丈夫です」

髪をお団子にして纏めた少女、姫百合珊瑚はにこやかに笑って。
日傘をさしながら、目を閉じていた少女、西園美魚はゆっくりと首肯したのだった。
多少疲れているものの、腰を下ろして深く息を吸った後は大分楽にはなったのだ。

「そっか……ならよかった……はぁー」

その言葉に安心してか、和樹も大きく息を吐く。
何か良く解らない二人組に遭遇して、何か良く解らない行動していた二人組から逃げただけのだが。
和樹自身、自分で何を考えてるか解らなくなってくるぐらいだ。
それでも、この殺し合いの場で怪しい人物に会うという事は、やはり危険である事には変わりは無い。
だから、今、三人が無事だった事。それが何よりも和樹にとって嬉しかった。

「せやけど……何者やったんやろ?」
「一人はネコミミでしたよね、コスプレでしょうか」
「なんで、こんな所でコスプレしてるんだ……?」
「さあ……?」

草原に座った三人は顔を見合わせながら、先程会った少女二人について、話し始める。
けれども、何者かは当然のように答えはでない。
唯一言える事と言えば、奇抜な外見といい、奇妙な行動といい正しく変人としか言い様が無かった事位だった。
三者三様に頭を捻るもそれしか答えが浮かばなかった。
実際そうだったのだから、仕方ないかもしれないが。

「まぁ……でも」

和樹はそう呟き、ズボンについた埃をほろいながら立ち上がる。
その手には和樹が扱うには少し長い槍が握られていた。
和樹は真っ直ぐ前を向き、そして槍を持ち空に向ける。

133真っ直ぐに駆け抜けて/温かい思いで導いて ◆auiI.USnCE:2011/03/27(日) 00:59:10 ID:TVBNxaIo0

「大丈夫、オレが二人を護るからさ」

槍の矛先は、真っ直ぐ空へ。
和樹は当然の事ながら槍を上手く扱う事なんて出来ない。
だから、二人の少女を護る事もうまくいかないかもしれない。
けれども、何もやらないより、絶対にマシだ。
自分より弱い女の子を護る、護りたいという意志。
それだけは絶対に無くしたくない、持ち続けたい。

「オレは大した力なんて無い。けど、それでも、二人を護ってみせる。どんなに危険な奴に襲われても、二人を見捨てたりはしないさ」

そして槍を思いっきり振り下ろし、和樹は優しく二人に微笑んだ。
自分自身だってただの同人作家でしかない。
けれども、二人の少女は自分よりもっと弱い。
だから、どんなに自分が頼りなくても、護ってやりたい。

そう、和樹は思ったから。

だから、優しく微笑んで、決意を強くする。


自分の感情に素直に従う。それが千堂和樹だった。



ただ、ただ、真っ直ぐに。


真っ直ぐに、前を向いていた。


「まあ、そういう事だから……頼りないかもしれないけど、オレなりに頑張るよ」


そう言って和樹は恥ずかしそうに微笑んで、頬をかいた。
だから今は自分の出来る事を精一杯に。
そう思えたから、そう言えるから。

そんな和樹の真っ直ぐな姿に、美魚と珊瑚は一瞬だけポカンとした表情を浮かべて。

「あははっ……そんな事言っても和樹変態やしなぁ」
「……ふふっ、そうですね」
「ちょ、ちょっと珊瑚ちゃん!?」

そのまま、我慢が出来ず、珊瑚は噴出しながらも茶化しながら微笑んでいた。
美魚は穏やかにゆっくりと少しだけ微笑みながら、和樹を見ている。
とても、穏やかな空間がそこには存在していて。
先程までの危険だったかもしれない出来事はすっかり忘れられる事が出来ていた。
優しく、自然に笑えていた。
きっと、それは、和樹のお陰かもしれないと二人は思いながら。

134真っ直ぐに駆け抜けて/温かい思いで導いて ◆auiI.USnCE:2011/03/27(日) 00:59:37 ID:TVBNxaIo0


「まあ、頼んだで、和樹」
「ええ、よろしく、お願いします」

そして、何処までも真っ直ぐな青年に、少女は信頼を預ける事にする。
それは些細なものかもしれないけど。
とても小さいものかもしれないけど。

「ああ、頑張るよ」

ただ、真っ直ぐで、輝いていた青年の笑顔を。
心から、信じたかったからかもしれない。


そして、三人はまた少しだけ、輝くように微笑んだ。







     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇






「ん〜〜どないしよ……」
「どうしました?」

歩けるだけの気力を取り戻すくらいの休憩を終えた後、三人は再び歩きだしていた。
逃げる時に道から外れてしまったので、とりあえずは道を探す事を目的に。
珊瑚と美魚を護ると誓った和樹がやや先行し、辺りを警戒する形をとっていた。

「色々考えててなー、まずこれを何とかせーへんといけん」

珊瑚は少しだけ難しそうな顔をしながら、首にぴったり収まっている首輪を軽く弾く。
参加者を拘束している象徴である首輪はコンコンと軽い音を立てただけだった。
けれども、この首輪はいとも簡単に人の首を吹き飛ばしてしまうのだ。
その事を考えて、美魚は少しだけぞっとする。

135真っ直ぐに駆け抜けて/温かい思いで導いて ◆auiI.USnCE:2011/03/27(日) 01:00:17 ID:TVBNxaIo0

「そんな心配そうな顔せんでええよ。うちがなんとかしてみせる」

美魚が心配そうな表情に浮かべたのに珊瑚は気づいてか、胸を張って言葉を告げる。
これは、美魚を安心させるだけの言葉じゃない。

「姫百合さんが、そんな事を出来るのですか?」

少しだけ驚いたように美魚は目を開き言葉を紡ぐ。
ぽけぽけとして日向でのんびりしているような珊瑚が首輪を何とか出来るとは思えない。
けれど、何とかすると笑って言った彼女の眼差しはとても真面目で。

「せや、ウチはこれでもこーいうの詳しいんや」

きっと電子工学的なものなのだろうかと美魚は思う。
信じられないのだが、でもきっとそうなのだろう。
嘘をつくような、つけるような人ではない。
たった少しの交流でも、姫百合珊瑚という人がどんな人間かは何となく解かったのだ。

「凄いですね、姫百合さんは」

そして、純粋に珊瑚が凄いと美魚は思う。
こんな絶望的な状況で、自分がすべき事、やるべき事を見つけている。
この首枷を解くことができるなら、きっと大きく前進するだろう。
それを考えると、珊瑚がやろうとしている事はやはり凄い事なのだろう。

「そんな事あらへんよ〜瑠璃ちゃんの為にもなるし」

瑠璃は珊瑚の双子の妹と聞いた。
互いが信頼し、愛してそ、していつもその存在を忘れない。
それが双子であり、あるべき姿なのだろう。
ならば、それをしなかった、忘却すらしてしまった自分はきっと失格なのだろう。
西園美魚と言う存在は、大切だったはずの人を……

「美魚ちゃん?」
「……いえ、大丈夫です」
「笑顔」
「……?」
「笑う事は、大切やよ?」

そこで、美魚の思考は途切れた。
心配するように、珊瑚が表情を窺うように覗き込んできたからだ。
今、自分はどんな顔をしていたのだろうか。
指摘されて、思わず顔を触ってしまう。
そして、不安そうな珊瑚を見て、美魚は笑ってみせる。
無理にだったかもしれない。不器用な笑みだったかもしれない。

「うんっ! それでええ!」

けれど、珊瑚は万歳して大げさに喜んで笑ってくれた。
その事に美魚は驚くけれども、何故か悪い気はしない。
心が何処かが暖かくさえ、感じる。
彼女のお陰だろうか。

「皆が笑っていられるように、ウチもまずこれを何とかせんと」

首輪をなぞりながら、珊瑚は改めて強く宣言する。

「せやけど……何とかしようとも道具がなきゃいけへんのに……」

けれど、珊瑚はそのまますぐに表情を曇らせる。
首輪を解除しようと何も道具もない。
そんな状況では、珊瑚でも手も足もでないかもしれない。

何か出来ないだろうかと美魚は思って、そしてふと思い出す。
背負っていたデイバックから、美魚は自分が支給された道具を取り出した。
それは手のひらに収まるか収まらないかぐらいの大きさの機械で。
自分には役には立てないだろうとしまってた機械だった。

136真っ直ぐに駆け抜けて/温かい思いで導いて ◆auiI.USnCE:2011/03/27(日) 01:00:42 ID:TVBNxaIo0

「姫百合さん、これは使えますか?」
「おおっ……美魚ちゃんっ、ナイスやっ!」

珊瑚は喜んで、その機械を受け取って、そのまま美魚に抱きつく。
美魚が取り出した機械は、珊瑚にとって手にも足にもなる道具に等しいもの。
それは、

「PDA……これがあればっ……」

携帯情報端末、PDA。
ノートパソコンをさらに小さくした小型パソコンと言ってもいい機械。
コンピューターにめっぽう強い珊瑚にとって、銃や剣よりも最高の武器にもなる存在だった。
これを手がかりに、何かを調べる事ができるだろう。
珊瑚にとって、スタートラインに立てる道具。

「おおきに、おおきな、美魚ちゃん!」

それを、与えたくれた美魚に珊瑚は最大限の感謝を。
温かい優しい笑みと、力強い抱きしめで、珊瑚なりに表現する。

美魚は少し困ったように、それでも穏やかに笑って、それを静かに受けた。
こんなに喜んでもらえるとは思わなかったけれども、それでも助けになってくれたのならよかった。
美魚はそう思い、笑う。
その笑顔は、今度はとても自然で。

珊瑚の笑顔と、美魚の笑顔が溶け合って。

その温かい空間が、美魚にとって。


とても、心地よかった、そんな気がしたのだ。






     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇







「ねえねえ、ちょっと和樹」
「うん? なんだ?」

少し先導し歩いていた和樹に、パタパタとかけてくる足音が後ろから聞こえてくる。
何事かと思い振り返ると、髪をお団子にまとめた少女、珊瑚が胸に小さな機械を抱えながらこちらに向かってきていた。
珊瑚はぽけぽけとした笑みを浮かべ、その機械に書かれた文章を和樹に見せた。

137真っ直ぐに駆け抜けて/温かい思いで導いて ◆auiI.USnCE:2011/03/27(日) 01:01:57 ID:TVBNxaIo0

「『人間を創造した神を打ち倒し、人間を解放した大神』……なんだこれ?」
「ん〜なんかメールが一つだけあってな、開こうとおもうんやけど、なんやパスワードがあるみたいで」
「それを解く為のヒントか暗号……?」
「せや、だから、今でも信仰されてる神とか、ヘラクレス、ゼウス、天照みたいな神話まで一通り入れてみたんやけどね、全然ダメで」
「……うーん」

和樹は頭をひねりながら、もう一度その暗号文を読んでみる。
しかし、どんなに考えても暗号文に該当する神など思いつく訳が無かった。
やがて、和樹は手を大げさに掲げて、降参のポーズをとる。

「御免……さっぱり思いつかない」
「そか……まあウチもできなかったし」
「役に立てなくて、御免な」
「いや、いいんよ」

恐らくパスワードをつけてまで隠したがる情報がそこにあるのだろう。
何故、そんなものが支給品に紛れ込んでいたかは解からないが何かしらのヒントにはなるはず。
この状況を打開するための、何かが。
和樹は、思わず拳を強く握り締めてしまう。
ただ、何となくだが、無性に悔しかった。
ヒントがあるのに、それを解けない自分が。

「和樹、心配せんでええ。最終的にプログラムで、パスワードを破る方法だってあるんや」

その気になれば、プログラムでパスワードを破る事が出来る。
そう優しく言った珊瑚の言葉が和樹にとって頼もしくもあり、申し訳なくもあり。

今、こうしてる間だって人が死んでるかもしれないのに。
自分の知り合いだって、どうなってるか解からない。
こみパの皆、大志、そして瑞希だって。
自分が、何も出来ないうちに、もう居なくなってるかもしれない。
どんなに頑張っても無駄かもしれない。
不意に浮かんだ、弱気の考え。


「……いや、そんなんじゃ、ダメだ」


ぱちんと自分の頬を叩く。
どうしようもないうしろ向きな考えを否定して。
千堂和樹は、真っ直ぐ前を向く。

「なあ、珊瑚ちゃん。珊瑚ちゃん此処に家族って……」
「おるよ、瑠璃ちゃん、イルファ、ミルファ、シルファ……皆、大切な家族や」

目を閉じながら、珊瑚は指を追って数えていく。
どれも、大切な家族だった。
欠けてはいけない、唯一無二の大切な存在達。

「そうだよな……誰だって大切な人は居るんだ」
「和樹?」

138真っ直ぐに駆け抜けて/温かい思いで導いて ◆auiI.USnCE:2011/03/27(日) 01:02:26 ID:TVBNxaIo0

きょとんとする珊瑚を尻目に、拳をまた、強く握りなおした。
そうだ、誰だって大切な人は居るんだ。
だから、

「珊瑚ちゃん。俺さ、頑張るよ。だから珊瑚ちゃんの家族だって護ってみせる」

その大切な人まで、護ろう。
誰かが哀しまない為に。
自分が出来る事を。
そう、思ったから。

「和樹」

珊瑚が、優しく名前を呼ぶ。
けれど、それは子供をちょっとしかるような声で。

「そんな無理しちゃ、あかんよ?」

和樹の強く握られた拳を、珊瑚は優しく両手で包んだ。
あやしつけるように。

「一人で出来るのは限られてるから」

和樹が今出来る事を。
無理せず、やるために。
その真っ直ぐすぎる考えに、押しつぶされないように。

「もっと、ウチらを信頼しいな」

仲間を、信頼してほしい。
珊瑚はそう思ったから。
優しい言葉を紡ぐ。

「……そう……だな」

そして、和樹は珊瑚を見据えて。
ゆっくりと考える。
そう、今は目の前の少女達を。
護らなきゃいけない。
それすらも出来ないなら。
きっと、何も護れやしないのだから。

「うん、わかったよ、ありがとう、珊瑚ちゃん」

だから、今は、護ろう。
真っ直ぐに、自分の思いのまま。
珊瑚や美魚を護ろう。
そう、和樹は思ったから。

「うん、ウチも和樹を信頼しとるからね」

珊瑚はその言葉を聴いて、朗らかに笑った。
優しい笑顔で温かいものだった。


だから、和樹はこの笑顔達を護ろうと思った。


そう、思えたから。






     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

139真っ直ぐに駆け抜けて/温かい思いで導いて ◆auiI.USnCE:2011/03/27(日) 01:03:04 ID:TVBNxaIo0







なんて温かくて、真っ直ぐな人達だろう。
少し前を歩く二人を見て、西園美魚は歩きながらぼんやりとそう思う。
木陰で隠れるように生きていた自分から見ると信じられないくらいに。
彼らはリトルバスターズの面々と似ているのだろうかとも美魚は考えてみた。

けれども、その考えを美魚は首を振って否定した。
似ているようで、少し違うと思う。
千堂和樹と姫百合珊瑚は、リトルバスターズの面々とは違うのだ。
それをどういう言葉で伝えればいいのか美魚はよく思いつかない。
けれど、頑張って言葉を考えるならば。
リトルバスターズは美魚にとって居場所を作ってくれるような存在だった。
その気でもないのに、手を引っ張ってその居場所まで導かれる。
そんな、空間。勿論まんざらでもないが。

かえって和樹達は、美魚を見つけ出してくれるような感じがする。
たとえ、美魚が木陰に隠れていようとだ。
和樹たちは見つけ出して、そして一緒に居てくれる。
そんな感じがするのだ。
それが、美魚が二人から感じた温かさだ。

けれど、

「私にはそんな価値なんてないのに」

自分自身にそんな価値があるのだろうかと思う。
いや、無いだろう。
大切な存在を忘れた人間に。
そして、カゲナシと揶揄されているような自分に。
温かくて真っ直ぐで、常に人に囲まれてそうな和樹達が構う存在には思えないのだ。
自己卑下だろうと構わなかった。
だって、そう感じているのだから。
今、残されているのは罪を贖うだけしかないのに。


「そんな事、無いよ。美魚ちゃん」

不意の言葉に、驚きながら顔を上げる美魚。
少しだけなのに、随分と温かさを感じる笑みをしながら、和樹が目の前に居た。
あの呟きが和樹に聞かれていたのだろうか。
そうなのだろうと思う。

140真っ直ぐに駆け抜けて/温かい思いで導いて ◆auiI.USnCE:2011/03/27(日) 01:03:30 ID:TVBNxaIo0

「どうして、そう言えるのでしょうか?」

美魚は浮かんだ当たり前の疑問を和樹にぶつける。
和樹は美魚の事を詳しく知らないはずだ。
一緒に居た時間なんて、半日に満たないのに。
どうして、そんな言葉を言えるのだろう。

「俺は美魚ちゃんのことは詳しく知らない……けど、価値が無い人間なんて居ないと思う」

当たり前の、何処にでもあるような言葉だと思う。
小説やドラマでも言われるような、浮いた言葉だ。


「でも……そんな事より」


けれど、和樹は踏み込んでくる。


「そんな、温かい笑顔が出来る人が価値が無いなんて、俺は絶対にそう思わない」


私が、そんな笑顔を?
不思議に思って和樹の顔を見てみる。
変わらずに、温かい笑顔だった。

「でも、私は姫百合さんみたいに機械などといったものにも強くありません」

でも、美魚は否定を重なる。
きっと、自分が居てもこの殺し合いを終わらす何の役にも立てないだろう。
それこそ、珊瑚のような人こそ価値があるのだと思う。

「でも、君は君のよさがあるって思うよ?」
「どうしてです?」

そして、和樹は恥ずかしそうに言うのだ。


「オレがそう思ったから……かな」

ああ、なんて真っ直ぐな人だろう。
この人は素直に自分の言葉を言えるんだ。
自分の感じたありのままの感情を素直に言葉に出来る。
それはとても簡単のようでそのじつとても難しい事だと思う。
美魚自身がそうなのだから。
だから、きっと千堂和樹と言う人は。

何処までも、真っ直ぐなのだろう。

そう、美魚は思ったのだ。

141真っ直ぐに駆け抜けて/温かい思いで導いて ◆auiI.USnCE:2011/03/27(日) 01:03:53 ID:TVBNxaIo0

「……きざったらしいですね」

くすっと笑いながら美魚は言葉を紡ぐ。
この人の書いた漫画を読んでみたいなと思いながら。
そしたら、心の温かいものを感じるのだろうか。
そんな事を思ってしまった。

思ってはいけないのに。
罪は贖わなきゃいけないのに。
それが、西園美魚が望む事なのに。

なのに、今は笑っていた。
心から、笑えてしまったんだ。


「ぐっ……それはいいから……それと」
「それと?」
「美魚ちゃんは、美魚ちゃんが誇れる価値を見つけらればそれでいいからさ……ほら、今は、行こう」

白い日傘を両手で持っていたのに、左手を握られる。
そのまま、引っ張られるように歩き出した。
美魚は、少し慌てながらも、しっかりとついていく。
二人で手を繋ぎながら、ゆっくりと、少しずつ。
その和樹の繋がれた手は、とても温かい気がした。
また和樹が伝えた言葉が、心の中で優しく解けていく気がした。

そして、二人は歩き出す。


美魚は何故だか、和樹に光の満ちる方向へ連れて行かれる。


そんな気さえ、したのだ。





 【時間:1日目午後5時00分ごろ】
 【場所:E-5】

千堂和樹
 【持ち物:槍(サンライトハート)水・食料一日分】
 【状況:健康】

姫百合珊瑚
 【持ち物:発炎筒×2、PDA、水・食料一日分】
 【状況:健康】

西園美魚
 【持ち物:水・食料一日分】
 【状況:健康】

142真っ直ぐに駆け抜けて/温かい思いで導いて ◆auiI.USnCE:2011/03/27(日) 01:04:33 ID:TVBNxaIo0
投下終了しました。
この度は大分遅れて申し訳ありませんでした。

143終わりの世界の壊れた少女の小唄 ◆auiI.USnCE:2011/03/27(日) 02:30:21 ID:TVBNxaIo0





――――オワッタ世界で、コワレタ少女がウタウ。













     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

144終わった世界の壊れた少女が歌う小唄 ◆auiI.USnCE:2011/03/27(日) 02:31:20 ID:TVBNxaIo0






「何それ」

目の前で骸を晒す少年。
眼鏡は割れて、顔も原型をとどめていない。
真っ赤な血のシーツの上で、死んじゃってる、いや元々死んでてたんだっけ?
まあ、どうでもいいんよ、そんな事。
とりあえず、今目の前で死んだやつ、竹山。

というか、私が殺したんだけど。

「何、甘い事やってんの?」

こいつが誘ったのに。
もう、死んでるんでしょ、私達。
ねえ、君が言ったんよ。

「死んだって、いったんよ!」

この世界は終わってるって。
死んだ後の世界だって。
だから、もう終わってる世界なんよ?

なのに。
なのに、なのに、なのに。

「なのに!」

どうして、どうして、どうして!


「あんたはあんな奴、信頼したんよ!」


裏切って、逃げた、あの女。
痛いなぁ。
撃たれて、痛いのに。
痛いなぁ、痛いなぁ!

この、痛み何倍にして、返してあげようか?
絶対に苦しましてやる。
泣いたって許さないんだから。
私は泣いたって、助けてくれなかったんだから。

当然の権利だよね?


「いや、それだけなら、まだ許せる」

145終わった世界の壊れた少女が歌う小唄 ◆auiI.USnCE:2011/03/27(日) 02:32:51 ID:TVBNxaIo0


死んだ世界で友達ごっこなら、許せないけど、まだ許せる。
けどね、竹山くん?
これでも、私も女の子なんよ?
短い間でも、一緒に居たら、ちょっと感付くよ?
さっきので、もう完全に解かっちゃったけど
ねえ、あんた、あの女にさぁ


「恋、しちゃってんだよね?」


あの忌々しい女にさぁ。
恋、してしまったんだよね?
本当、恋する少年みたいに。
顔赤くして、どもって。

あはは、


「あはははははははははははははははははははははははっ」


可笑しい。
可笑しい。
何それ、何それ。


あははははははっ。


可笑しいね。
可笑しいよ。



「…………………………ふざけるんじゃないよっ!!!!!」


ぐしゃと、肉がつぶれる音が聞こえる。
それは、私が投げた石が、竹山の顔をえぐった音。

ぐしゃりぐしゃりと、音が続く。

気が晴れるまで、音が響き続けて。

146終わった世界の壊れた少女が歌う小唄 ◆auiI.USnCE:2011/03/27(日) 02:33:18 ID:TVBNxaIo0



「終わってるんだよっ!? もう、私達っ!!」


あんたがいったんだよ?
私達は死んでるって。
ここは終わった世界だって。
死んでるって。
なのに、あんたは。


「終わった世界で、今更、恋なんかして、どうするんよ! 馬鹿みたいっ!」


死んだ世界で、恋?
あはははっ。
可笑しい、馬鹿みたい。
今更、遅いのに。


終わった、壊れた、世界に居るのに。
未練がましい恋とか。


「あはははははははっ」


笑えるね、笑っちゃうね。
私は腹を抱えて、笑ってしまう。
だって、可笑しいもの。

だって、


「もう、君も、私も、世界も、終わってるのにね?」



終わった世界で、私は笑っていて。
何が、可笑しいのか、すべてが可笑しいのが。
私は壊れたように笑い歌った。

147終わった世界で壊れた少女が歌う小唄 ◆auiI.USnCE:2011/03/27(日) 02:33:55 ID:TVBNxaIo0


「いいんよ、もう。じゃあ、あんたが恋した少女も殺してあげるからっ!!」


ねえ、竹山くん
憎いあの女も成仏させたげるよ?
上手くいけば、またどっかで会えるかもよ、竹山くん?
そしたら、お幸せに。

最も。

「傷つけさせた事、逃げた事、死んだ事、たっぷり、たっぷり、後悔させて、苦しませて、泣き叫ばさせて、
 許しを請わして、けど、許さなくて、痛いところ嬲り続けて、絶望に染め上げて、壊して殺してあげるからっ!」


楽に成仏させてあげる気ないけどね?


「終わった世界で、沢山壊してあげる……あは……」


壊れた状態で廻り逢っても、愛してあげてね?

死んだ世界で、今更のように、生きた人のように、恋した竹山くん。


「あははは……本当…………馬鹿みたいいっ!!!……可笑しいね……可笑しいんよ……あはははっ」



そして、私はずっと狂ったように笑い続けていた。



終わってしまった世界で。




歌い続けるように、笑っている。




【時間:1日目午後5時40分ごろ】
【場所:B-2】



笹森花梨
【持ち物:ステアーTMP スコープサプレッサー付き(0/32)、予備弾層(9mm)×7、水・食料一日分】
【状況:左肩軽傷、古河渚への憎しみ】

148終わった世界で壊れた少女が歌う小唄 ◆auiI.USnCE:2011/03/27(日) 02:34:31 ID:TVBNxaIo0
投下終了しました。
タイトルは『終わった世界で壊れた少女が歌う小唄』でお願いします

149 ◆Ok1sMSayUQ:2011/03/27(日) 23:37:49 ID:XVU5EjxQ0
「……またかよ」

 それを見つけてからたっぷり数秒が経過し、搾り出すようにして吐き出された一言も、虚空に紛れて消えてゆく。
 木々の隙間から差し込む陽光は既に赤光と化し、緑がかっていた森は赤茶けた色へと変じていた。
 じきにその色もなくなり、やがて夜には墨を溶かした色が支配する漆黒の森へと変貌するのだろう。
 自然が織り成す闇。動物達の身を隠し、守る闇だが、それはここに転がっている死体の存在も闇に紛れさせてしまう。
 まるで最初から、なかったことにされたかのように。
 藤巻と、《死んだ世界戦線》ではそう呼ばれていた男が、ギリと拳を握る。
 目の前の少女は、既に息絶えていた。
 死因は一目瞭然で、胸を鋭利な刃物で一突きにされた結果、心臓を破壊され即死したのだろうと考えられる。
 恐らくは、理解する暇もなかったのだろう。
 強張ってもおらず、静かに閉じられた瞳と緩く閉じられた口元を見るだけならば、彼女は眠っているのではないかとさえ思える。
 さらさらと涼しげに揺れる短いツーテールも、胸元以外が綺麗で汚れなど見えない衣服も、
 まだ彼女が生きていると錯覚させるには十分過ぎた。
 けれども、触れてみれば分かる。氷のように冷たく、固くブヨブヨとしたゴムの手触りは、人間の肌のものではなかった。
 いや正確には、生きている、人間の肌ではなかったのだ。
 生命維持が行えなくなった結果、体の機能の全てが停滞し、機能という機能を失ってモノと成り果てた人間の末期――
 《死んだ世界戦線》にいたときには感じえることさえなかった、人間の生々しい死体の姿だった。

「なんでだよっ!」

 拳を振り上げ、しかし振り下ろす場所を見つけられずに、藤巻はやり場なく絶叫を吹き散らすだけだった。
 この少女は仲間でも、まして知り合いだったわけでもない。
 それでも、死んでいる、という事実に腹を立てずにはいられなかった。
 恐らくは自分よりも年下でしかないであろう少女の死体を目の当たりにして、
 身体の奥底から湧き上がってくる怒りを抑えきることなど到底不可能だったのだ。
 否応なく、藤巻に先刻の光景を……自身の目の前で生命を空に散らせた幼い少女の姿を思い出してしまうからだった。
 もしあの時、離れてさえいなければ。或いは、一緒に連れて行ってあげていたら。
 取り返しがつくはずもないのに、時間は巻き戻せるはずがないのに、考えてしまうのだ。
 昔のことなんて、金輪際忘れようと決めていたのに。
 後悔が決意の蓋をこじ開け、その中身を無理矢理に引っ張り出してくる。
 思い出したくもない昔。封印したはずの昔が、きらりと光って自分を突き刺してくる……
 うつむけていた顔を上げ、思い出すなと自らに念じようとしたときだった。ふと空気が揺れたのを、肌が感じ取っていた。
 は、と一切の意識を消し去り、藤巻は身体が動かすがままに横に飛び転がっていた。
 直後、空を切る音がそれまで背中があった部分を通過していた。
 独特のヒヤリとした感覚。風に紛れて乗ってくる、人の脂の匂い――!

150 ◆Ok1sMSayUQ:2011/03/27(日) 23:38:18 ID:XVU5EjxQ0
「てめぇかっ!」

 転がった勢いを殺さず、立ち上がった藤巻は襲撃者の方向へと振り向いた。
 眼前で刀を、それも曲がりくねった刀身が特徴の刀を振り向いていたのは、初老の男だった。
 顔中に刻まれた皺、白髪と蓄えられた髭は相応の年月を経たものには違いなかったが、
 身体全体を見れば老人という印象はあっという間に吹き飛んだ。
 血管を浮き立たせながらも、指の一本一本が丸太のように太く、そこから延びる腕はまさに大木と表現するのが相応しい。
 筋肉の塊とも言えるが、余分なものは一切なく、実戦を経て鍛え上げられた本物の肉体だということが直感できる。
 戦という戦を戦い抜き、己を極限にまで昇華せしめた、武そのものを表現するかのような肉体だった。
 右目につけている眼帯は、恐らくは戦いの中で受けた傷なのだろう。それさえも強さの証拠に思えた。

「ほう、よく避けた」

 髭が動き、しわがれていながらも生気の一切を失っていない声が発され、刀が下げられる。
 細められた目はただの小僧ではないと認めているようにも見えたが、受け止めるつもりは毛頭なかった。

「てめぇが、やったのかよ」

 無言のまま、老人は答えようとはしない。
 それこそが返事であるかのような態度である一方、はぐらかすような態度にも思え、
 中途半端さを感じ取った藤巻は、いつもは心の奥底に閉じ込めていた怒りを以って応じていた。

「てめぇが殺したのかよ! あのガキを!」

 ねめつけ、一喝しても老人は微動だにしなかった。
 相変わらずの無言。言い訳こそしないが、どのように受け取られようが構わないという、大人特有の狡さが滲み出ていた。
 またぞろ腹の底が冷えてゆくのを感じていた藤巻は、自身が空手であることも忘れ、老人を睨みつけながら近寄る。
 名前も知らぬ年下の少女の死。菜々子という幼い少女の死。おめおめと生きている自分。身勝手でしかない大人。
 それらが渾然一体となり、煮え滾る熱を沸騰させ、絶叫という水蒸気となって発した。

「アンタがプロだってのは分かるさ。上等じゃねぇ人生を送ってきたんだってのも分かる。
 俺みたいな小僧なんかにゃ分からねえ重みってのもあるんだろうよ。けどよ、それがどうした?
 その重みってやつでガキ殺していい理屈なんてあんのかよ! 大人の癖にガキ殺してんじゃねぇよ!」

 一気に懐まで飛び込んだ藤巻は、拳にありったけの力を込めて老人の横面を殴り飛ばす。
 全力を以って殴り倒すつもりだったその一撃は、しかし頬にめり込みはしたものの、
 身体どころか表情ひとつ動かさせることもなかった。直立不動の姿勢のまま、老人は拳を軽く受け止めていたのだ。

151 ◆Ok1sMSayUQ:2011/03/27(日) 23:38:47 ID:XVU5EjxQ0
「……んだよ……!」

 拳を引き、再度深く溜めてから同じ箇所にもう一撃。
 それも老人にとっては肌を撫でる風でしかない。眉一つ動かさず藤巻の拳を受け止めていた。
 反撃もせず、無抵抗のまま殴られ続けているにも関わらず傷の一切も与えられない。
 それどころか殴った藤巻の手の甲が赤く腫れ上がる始末で、実力どうこうではない絶対的な差を思い知らされるだけだった。
 これが大人と子供か。現実を認められず喚き散らす自分と、現実に従える大人との差だということか。
 そうなのだろう、と藤巻は心のどこかで納得を覚えていた。
 対処が出来ていないのも事実なら、守れる手の内にありながら守ることもできなかった力のなさも事実。
 おかしいと思いながらもその実いつもの日常にどこかで縋り、甘えていようとした己はどこまでいっても力のないガキなのだろう。
 けれども、だからといって自分達の為してきたこと全てが間違っているのか?
 大人のすることは全て正しくて、自分達子供のすることは全てが間違っているのか?
 少々反抗的だからといって蔑み、勝手を押し付けてきた大人の、どこに正しさがあるというのだ?

「認められるか……俺は認めねぇぞ、そんなの」

 殴り過ぎて痺れかかっている拳に再度力を通し、ぐっと握り締めて藤巻は老人を睨んだ。

「何もかもを分かったフリしやがって、自分達だけで事を進めやがって……てめえらの匙加減でしか人を見ようとしねえ」

 老人の姿に、昔、生きていた頃に虐待を続けてきた親の姿が重なる。
 気に入らなければ事あるごとに殴り、叩き、泣こうものなら冬だろうが構わず外に放り出す残酷な親の姿だ。
 無論想像がつかなかったわけではない。成績は芳しくもなければこれといって秀でている部分もない。
 特徴はといえば目つきの悪さくらいしか上がらない一人息子に、エリートで優秀だった父母はさぞ落胆したのだろう。
 だから修正しようとした。これは間違っている。本当の姿ではない。
 このうだつの上がらない息子を私達が再教育してやるのだ、と。
 そこには大人の都合しかなかった。自らを正しいと妄信する大人の身勝手しかなかった。
 誰も助けてはくれなかった。核家族で、とりたてて周囲とも交流していなかった藤巻家に介入しようとする輩はいなかった。
 寂しく、辛く、惨めなだけの毎日だった。
 他の幸せな家族が羨ましかった。
 青春を送っている他人が羨ましかった。
 けれどもその幸せを、誰もが分けてくれない。
 こんな人生に、誰がした?
 決まっている。
 神様とやらだ。
 藤巻が《死んだ世界戦線》に入隊した理由が、それだった。
 大人への復讐。こんな惨めな人生を送らされる羽目になった神への復讐。
 絶対者を気取ろうとする『神』の存在は、かつて自分を虐待していた大人の具現だった。

152 ◆Ok1sMSayUQ:2011/03/27(日) 23:39:28 ID:XVU5EjxQ0
「俺達にだって考えてることくらいあんだよ。俺達だって人間なんだよ……分かるか?」

 ――そう、だから菜々子にこんなに肩入れしていたのかもしれない。
 どこにでもありそうな、仲の良い兄と妹という関係。
 些細な幸せを与え合う、人として当たり前の行為が出来る関係。
 不出来で、とりえのない自分にだってそれなりのことは出来るのだと、
 神に知らしめてやりたかったのかもしれない。
 愚図な子供だって、決して無力なんかではないことを……

「ガキってのはな……アンタら大人が考えた『正しいこと』とやらを押し付けられんのがな、一番大ッ嫌いなんだよ!」

 骨が折れ、肉が弾け飛ぼうが構わない勢いで藤巻は殴ろうとしたが、その一撃だけは、届くことはなかった。
 老人の振り上げた腕が、藤巻の拳を遮り受け止めていたのだった。
 頬の感触よりも更に固い、岩のような筋肉の感触。
 じんとした痛みが走り、顔を歪めた藤巻だったが、引き下がるわけにはいかなかった。
 引いてしまえばそれは敗北でしかない。大人が結局正しいのだという口実を与えるだけでしかない。
 故に戦う。何度だって戦う。たとえ子供の論理でしかなくても、大人なんかに――

「……大人が、皆そうだと思うな、小僧」

 腹の底から発されたのだと思える、重くしわがれた声が藤巻の思考をなくさせた。
 目にも留まらぬ速さで腕を取るや否や、有無を言わさぬ万力を以って身体が宙に持ち上げられる。
 片腕での一本背負い投げだ、と認識した瞬間には、既に身体が地面へと叩きつけられていた。
 臓腑が圧迫され、肉体の全てが命令を遮断した。ビクビクと痙攣するばかりの藤巻を見下ろし、老人が睨んでいた。

「殺すなら殺せよ……ちくしょう」
「そんなに大人が嫌いか」
「当たり前だ……! いつもいつも、勝手に……!」

 戦線に入隊してから、それだけはすまいとしていた涙が、溢れてくる。
 この期に及んで口答えしかできない自分の無力さが、菜々子に対する申し訳のなさが涙となったのだった。

「みっともないだろ、めそめそするガキなんて……」
「いや」

 短く告げ、老人のごつごつとした手が差し出される。
 その行為の意味が分からず、しかし嗚咽でロクに言い返せないまま、呆然と藤巻は見つめた。

153 ◆Ok1sMSayUQ:2011/03/27(日) 23:39:57 ID:XVU5EjxQ0
「泣きもしない奴は、某も好かん」
「へ……それがしなんて、サムライかよ」
「立つなら立て。……大人とて、それほど一辺倒ではない」
「んだよ……殺さねぇなら、俺が殺すぞ」
「やれるものなら、いつでもやってみろ」

 ニヤと意地悪く笑んだ顔に、藤巻は目を潰してみるかという気勢を削がれていた。
 何を考えているのか。大人の考えることを信用するなといつもの自分が言っていたが、
 だからといってここで引き下がるのもそれはそれで負けだと反論する自分もいて、
 藤巻はとりあえず後者に従うことにした。
 大人が、皆そうだと思うな。
 あの時の声が脳裏に残り、異様な印象を植え付けていたのだった。
 自らの使命を捨て切れないながらも、そこだけは自分の意志を貫き通したといった、
 大人でありながら大人であることにどこかで苦悩している人間の声。
 ただ感じただけに過ぎなかったが、あの声色はただならぬものであったのも確かではあった。

「……ついてくだけだからな」
「ついてきてみろ、小僧」

 む、と少し感情を刺激された藤巻は乱暴に老人の手を取り、勢い良く跳ね起きた。

「はっは、威勢がいい」
「るせぇ、小僧じゃねぇ、藤巻っつーんだよ!」
「フジマキ……少々冴えぬ名だな」
「クソジジイ……」
「がなるな。ゲンジマルと申す。呼びたい名で呼んでも構わんがな」

 ジジイと呼ばれるのも想定の内、という言葉にまたもや気勢を削がれた藤巻は内心で毒づくしかできなかった。
 殺してみろと言ってのけ、その上で自らの目的を遂行し続けようとするのだから完敗という他ない。
 恐らくは殺しは止めないだろうし、反抗されることも承知で自分を生かしている。
 何故、何のために、何の目的があってこの大人が自分を生かしたのかは皆目分からない。
 分からない、が……この男から逃げたくないという気持ちは、確かだった。

154 ◆Ok1sMSayUQ:2011/03/27(日) 23:40:34 ID:XVU5EjxQ0




【時間:1日目午後5時30分ごろ】
【場所:E-07】


藤巻
【持ち物:防弾性割烹着頭巾付き、手鏡、水・食料一日分】
【状況:健康。このジジイの正体を見極めてやる】

ゲンジマル
【持ち物:ショーテル、水・食料一日分、立川郁美の支給品(まだ未確認)】
【状況:健康】

155 ◆Ok1sMSayUQ:2011/03/27(日) 23:41:16 ID:XVU5EjxQ0
投下終了です。
タイトルは『負け犬の遠吠え』です

156天に吠える  ◆92mXel1qC6:2011/04/01(金) 04:10:30 ID:emLz8QN60
お待たせしました、投下します

157天に吠える  ◆92mXel1qC6:2011/04/01(金) 04:11:11 ID:emLz8QN60
その姿に、かつての自身を幻視した。
命を弄び戦乱を呼び込む超越者に、かつてのゲンジマルもまた噛み付いた。
それだけの力があるのに、何故人々を護るために使わないのかと。
義憤にかられ、ゲンジマルは何度も、何度も、その存在へとがむしゃらに挑んだ。
その度に地に伏せることとなったのはゲンジマルの方で、かの存在には傷一つ付けることもできず。
それでもゲンジマルは諦めることを吉とせず吠え続けた。
弱者を護るために鍛えあげてきた力が、弱者を切り捨てることを当然とする力に、負けるわけにはいかぬと。
きゃんきゃんと、きゃんきゃんと吠え続けた。
しかしながら、いつからだったろうか。
かの者に挑み続ける理由が変化したのは。
十を数えた時か、二十を数えた時か。
百を過ぎた時か、二百を過ぎた時か。
当初の怒りは消えさえはしなかったものの、それ以上に大きな感情が、心の底から沸き上がっていた。

――楽しい

あろうことかゲンジマルは悪たるかの者に挑むことを、楽しいと思うようになってしまったのだ。
その想いに気づいた時、ゲンジマルは困惑した。
『義』を貫く種族であるエヴェンクルガであることを誇りとして生きてきたゲンジマルにとって、悪と戦うことを楽しむなどあってはならなかったからだ。
ゲンジマルは悩んだ。
悩んで、悩んで、悩んで、自らが抱いてしまった感情を、何かの間違いだと確かめるために、これまで以上にかの者に挑んだ。
挑んで、挑んで、挑んで。
その度に、楽しいという想いは消えるどころか強まってしまった。

思い起こせば、あの頃既に、ゲンジマルは英雄と呼ばれて差し支えない腕を誇っていた。
彼に並び立てるものは、当時のラルマニオヌ皇くらいだったろう。
その唯一のライバルとさえ、ゲンジマルは全力で打ち合ったことがなかった。
『義』を尊ぶあまり、彼は私闘をよしとしていなかった。
ゲンジマルは、かの者に挑むまで、心置きなく全力を尽くせる相手がいなかったのだ。

だから、嬉しかった。
漸く陽の目を見ることができた彼の全力が軽く一蹴されようとも。
自らの全てをぶつけられることが堪らなく嬉しかった。

158天に吠える  ◆92mXel1qC6:2011/04/01(金) 04:11:51 ID:emLz8QN60

超えたいと、ゲンジマルは思うようになった。
『義』の為などではなく、ただ、武人としての一心で、かの者を超えたいとゲンジマルは思うようになった。
いつしかゲンジマルは、エヴェンクルガとしてだけでなく、一人の武人として、胸を借りる気持ちでかの者に挑むようになった。
あいも変わらず負け続きの日々ではあれども。
意外にもかの者は本気でゲンジマルのことを讃えてくれた。
流石だな、やるな、と。
それらの言葉はゲンジマルの励みとなり、より一層彼を奮い立たせた。

それからまた幾年もの時が過ぎたある日。
ゲンジマルはついぞ、自身の願いが叶わぬものであることに気付いてしまった。
彼の年齢は既に肉体のピークに達していた。
これ以上の時をかけたところで、後は老い、弱くなるだけだというのは否が応にも理解できた。
限界だったのは何も肉体年齢だけではない。
心の強さも技の冴えも。
既にゲンジマルは時を重ねることなく極めきってしまっていた。
本来ならば、数十年もの時を経て、ようやっと至れたであろう境地に。
遙か雲の上の絶対者に挑み続けているうちに、彼は時の階段を飛び越えて、辿り着いてしまっていたのだ。

故にこそ、ゲンジマルは悟った。
自身の強さにこの先がないことを。
我が身はかの存在にどう足掻いても勝てないのだということを。
そして悟ってしまったが故に、一つの疑問が胸中に生じた。

何故、あの方は某に付き合ってくださっていたのか、と。

人としての強さの最果てにまで登り詰めたからこそ、ゲンジマルはかの者の果てなき力を正しく理解できるようになっていた。
人如きがどれだけ研鑽を積もうとも触れることすら叶わない存在――それがかの者なのだと。
だからこそ、疑問なのだ。
かの者からすれば最強の武人といえど吹けば飛ぶ塵のような存在だった。
何度もちょっかいを出してくる蟻など、鬱陶しい存在でしかなかったはずだ。
だというのに、これまで一度足りともかの者がゲンジマルを邪険に扱ったことはなかった。
何度でも何度でも、ゲンジマルの挑戦を真っ向から受け止めてくれた。
あの“彼”が。
弱き者を尽く切り捨ててきたあの“彼”が。

その疑問の答えをゲンジマルは程なくして得ることとなった。
敵わぬ存在だと知り、身を退こうと決意し、これまでの感謝と謝意を伝えに行った時、“彼”が予期せぬことを口にしたのだ。

159天に吠える  ◆92mXel1qC6:2011/04/01(金) 04:12:34 ID:emLz8QN60

「そうか……。また友がいなくなるのか。寂しいことだな」

ゲンジマルが得た衝撃は想像を絶するものだった。
友と、何よりも絶対たる存在が、自身のことを友と呼んでくれたのだ。
それは武人としての彼を満たして余りあると同時に、エヴェンクルガとしての彼をも恭順させる言葉だった。
友情もまた一つの『義』。
もはやゲンジマルにかの者と敵対する心意気も、かの者の元を去る理由も、一つもなかった。
ゲンジマルの牙が真に抜かれたのは、まさにこの日この刻のことだった。

こうして、ゲンジマルはかの者と契約を結んだのだ。
御神、ウィツァルネミテアの分身たる“彼”と。
よもやその数十年後に、ゲンジマルの心が揺らぐことになろうとは、ゲンジマルだけでなく、神たる“彼”にも思いもしなかったろう。





他のどのような賢者を前にしても、あの時の誓は揺らがなかった。
他のどのような優しき者に背を預けても、情に絆されはしなかった。
それほどまでに、ゲンジマルがかの者と培ってきた絆は深いのだ。
であればこそ、その絆を揺らがせることができるのは、かの者以外、他にいなかった。
ハクオロ。
白き仮面の皇。
かの者の写し身にして、分かたれし半身。
人類を押し上げるのではなく、人の中で生きることで孤独より解放されし神。
“彼”ではなく、されど確かに“彼”である存在を目の当たりにしたことで、ゲンジマルの心に過ぎ去りし日に置いてきたはずの、迷いが生じた。
いいのかと。このままで、よいのかと。
主の間違いを正すのも、臣下の役目。
絶対者たる“彼”に意見できる眷属など、“彼”に友として認められたゲンジマルを置いて他にいなかった。

――どうする、某はどうしたい?

久方ぶりの葛藤は、ゲンジマルの胸の内で少しずつ、少しずつ、膨れ上がっていった。
家族に囲まれ、友に囲まれ、仲間に囲まれて笑うもう一人の“彼”を目にする度に。
護るべき先王の娘クーヤが、もう一人の“彼”のことを嬉しそうに語る度に。
ゲンジマルの心は、揺れて、揺れて、揺れて、一つに定まらなくなってしまった。

160天に吠える  ◆92mXel1qC6:2011/04/01(金) 04:13:07 ID:emLz8QN60
恐らくは、その葛藤を見透かされたのだろう。
ゲンジマルは主たる“彼”から、何の知らせもなしに、此度の殺し合いに参加させられていた。
彼の首を戒める首輪こそがその証だ。
本来、ゲンジマルにそのようなものは必要ないのだ。
契約を交わし、命に楔を打ち込まれているゲンジマルには、“彼”に刃向かい用がないのだから。
ゲンジマルに契約の履行を促すためだけに、首輪という眼に見える形で戒めたのだ。

“彼”からの勧告は、首輪だけに留まらなかった。
これ見よがしにゲンジマルのすぐ傍に配置された無辜の民。
汝が我が契約を遵守するならこれまでのように罪を犯して見せろとばかりに支給された刃。
未だ“彼”との契約を反故にしようと思い切りていなかったゲンジマルには、先王との約束もあり、殺すしかなかった。
ゲンジマルは、少女を殺した。

次に出会ったのは一人の青年。
いつの日かの自分のように巨大な存在に一歩も退かず、噛み付いてきた一人の青年。
彼はあの頃のゲンジマルに比べても、いと小さき存在で、負け犬だったが、しかし、ゲンジマルとは違い、己が牙は抜かれてはいなかった。
故にこそ、ゲンジマルはその姿勢をよしとした。
ゲンジマルを見極めんとするかのように、今に到るまで一時も、目を離さない彼に、自身がどう映るのか。
その興味と、在りし日への望郷もあって、ゲンジマルは刃を下ろした。
ゲンジマルは、青年を殺さなかった。

そして、そして今。
青年との出会いの直後の、三度目の邂逅にて。
ゲンジマルはかつてのように、天上の存在と斬り結んでいた。

「……ガードスキル、delay」

銀の髪を夕日色に染めてゲンジマルの剣速を上回り、駆け抜けるは一人の少女。
年は孫娘と同じくらいだろうか。
外見もまた、身内贔屓であることを差し引いても、器量よしと認められるサクヤ同様、美しい少女だった。
ゲンジマルが先ほど殺した少女と似た素材の服を来た少女だった。

されど。
果たしてこの娘は、本当に見た目通りの少女なのだろうか?
よしんば少女だったとして、ただの少女がゲンジマルの全速の一撃を回避できると?
身体一つで超兵器アヴ・カムゥを一蹴できるゲンジマルに、ぎりぎりとはいえ戦闘を成立させ得ると?
否、断じて否。
確かに、世には常識はずれの腕前を持つ少女もまれにいる。
幼さの残る少女が剣奴の闘覇者として君臨していたという話を、ゲンジマルも耳にしたことがある。
ゲンジマルが一撃で仕留め切れなかった猛者とて数人はいた。
七度に渡る激戦を繰り広げたラルマニオヌ皇は強さ的には少女を軽く上回っていた。

161天に吠える  ◆92mXel1qC6:2011/04/01(金) 04:13:35 ID:emLz8QN60
だが、それはあくまでも、人としての力に限った話だ。
どれだけ常軌を逸していようとも、彼ら彼女らの力は人間の範疇だった。

この少女は違う。

「――ガードスキル、Howling!」
「ぬるいわアッ!!」

時に目で追うのがやっとの超速で走りぬけ。
時に不可視の障壁で敵刃の軌道を逸らし。
時に背より生やした羽根で吹き飛ばされた衝撃を緩和し。
時に虚空より刃を生み出し。
時に折れた刃を瞬時に再生させ。
時にアヴ・カムゥの一撃さえ片手で受け止められるゲンジマルの豪腕を押し返し。
時に自らの分身を産み出して盾とする。

「ぬあ――――ッ!!」
「……っ! パッシブスキル――Overdrive、フルブーストッ!!」

よしんば、それら数多の防御陣を掻い潜り付けた傷さえも、瞬く間に完治させる。
その所業、到底人のものにあらず。
ゲンジマルは知っていた。
そのような御業を扱える存在をどう呼べば良いのかを。

――神

しかし、この少女は“彼”ではなければ、もう一人の“彼”でもない。
ならば、何者なのか。
神にあらねど、神に近しき者。
ふっと、ゲンジマルの脳裏を一人の少女の姿をした存在がよぎる。
白き髪、巨大な翼、光の剣、不可視の障壁、分身による連撃。
そうだ、かの者は唯一無二たる大神の使いにして、天の子。
よもや――

「よもや、其の方、天使、か?」

思わずよく考えもせず漏らしてしまった問いかけに、ゲンジマルは自嘲する。
そんなはずはないのだ。
それこそ、ゲンジマルは知っているではないか。
大神の直系の娘は後にも先にもただ一人、あの黒翼の少女だけだと。

162天に吠える  ◆92mXel1qC6:2011/04/01(金) 04:14:44 ID:emLz8QN60

「――違う」

それ見たことか。
律儀に殺し合っている敵に答えを返してくれる少女の声を聞きつつ、老いたものだとゲンジマルは苦笑して。
続く少女の言葉に目を見開いた。

「けど、その人達はあたしのこと、そう呼ぶ」

その人達と、少女が――天使が指差したのはかつての自身を思い起こさせた青年、藤巻。
殺し合いを憂いているはずの彼が、迷う素振りを見せてはいれども、この戦いにおいては止に入らないことに幾らかばかりの疑問はあった。
だがその疑問もまた、少女の答えで解凍する。
藤巻は、この天使である少女に、果ては神に敵対し、挑んでいたのでは、と。
そういう、ことなのか。
どこか似ていると思ってはいたが、そういうことなのか?

「くっく、はっはっは、はははははははははは!」

笑っていた。
ゲンジマルは大口を開いて笑っていた。
これが笑わずにはいられようか。
何たる偶然、何たる奇縁。
若き日を思い浮かばせると思っていた青年は、その実神と敵対していた。
若かりし日を思い出した自身は、かつてのように天の使いと矛を交えていた。

「はあああっはっはっはっはっはっはっっはっはっはっはははは!」

いや、もしかしたらこれは偶然でも、奇縁でもないのかも知れない。
神の見えざる手という言葉もある。
天が、“彼”が、ゲンジマルにもう一度初心にかえって、自らを見つめ直せと機会をくれたのかもしれない。
なら。であるなら。

(貴方様の胸、今再びお借り申す)

剣を納刀する。
決してかつてのように、打倒を諦めたというわけではない。
その逆だ。
牙を抜かれるよりも以前、がむしゃらまでに“彼”に戦いを挑んだあの日々に回帰する。

163天に吠える  ◆92mXel1qC6:2011/04/01(金) 04:15:22 ID:emLz8QN60
――勝つ。某は貴方様を超えてみせる。それが、それが唯一の……

カチン。
浮かびかけた雑念を鍔を鳴らして封じ込める。
その念は、あの頃の自分にはなかった想いだ。
なれば、今は不要ず。
今の自身に必要なのはただ一念。
眼前の存在を超えるという想いのみ。

「其方、名を、教えてはくださらぬか」
「……立華奏。あなたは?」
「これは失礼した。某の名はゲンジマル。奏殿、お相手していただけるか?」

こくりと頷くも、少女は構えることもなく不動。
それでいい、それでこそだ。
ゲンジマルは軸足に力を込める。

ゲンジマルから見ても、立華奏は技巧に優れているわけではない。
砲術に秀でているわけでもない。
それでも強い。
ただただ強い。
人間で言えばギリヤギナだとか、獣で言えば槍をも通さない毛皮だとか、そう言ったことではない。
そんな難しい事ではないのだ。
硬くて、速くて、傷つかない。
それだけで事足りてしまうのだ。
絶対者とは、神聖にして不可侵な存在とは、そういうものなのだ。
これより仕掛けるは全力全開正面突破の真っ向勝負。
絶対の防御力を誇る天使に対しては悪手この上なきなれど。
ゲンジマルの迷いを晴らすにはこの一手以外に選択の余地はなかった。

「おぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおお――――」
「……ッ、あ、あッ! ガードスキル、デュアルタスクッ! Delay、Distortion、AngelsWing、HandSonic.ver――ッ!」

雷轟一声。
並みの人間ならばそれのみにて気死しかねる常軌を逸した気合いの一声をあげ、ゲンジマルは大きく踏み込む。
そして刃鳴りの音すら置き去りにして一気に剣を鞘より引き抜いた。
それはいかなる魔技か。
掟破りのシャムシールによる抜刀術。
されどこの戦いにおいては一つの道理でもあった。
天使に挑んでいるのだ。
神業の一つや二つ扱えずに、何が神を超えるだ!

「きえええええ――――――いッ!!!」

164天に吠える  ◆92mXel1qC6:2011/04/01(金) 04:16:33 ID:emLz8QN60
本来計八の剣戟を叩き込む神速の抜刀術。
その八刃がただ一太刀に連なって幾重にも張り巡らされた天使のガードスキルを食い破る。
ディレイで避けうる速度でなく、ディストーションで逸らしうる重さでなく、オーバードライブで耐えうる威力ではない。
咄嗟に展開したエンジェルズウイングも所詮は飾り。
薄紙を破られるが如く、呆気無く引きちぎられた。

それで決着だった。

「――お見事」

そう、決着だ。
たとえその一撃が、幾重もの障壁と、エンジェルズウイングを目眩ましにしたHandSonic.ver4の厚みにより威力を殺されきっていたのだとしても。
同じくエンジェルズウイングを目眩ましにした時に、天使が身を逸らしたが為に、心の臓を外れ、左肩口を深く切り裂くに留まったにせよ。
全ての防壁を剥がれた天使に、再び剣を振り上げ、振り下ろせば止めをさせる状況ではあれど。
ゲンジマルにはこれ以上、天使と戦い続ける意思はなかった。
答えは得た。
過ぎし日は、既に昔日のものにあらず。
この胸に再び、“彼”と歩んだ日々は燃え上がっている。
絶対たる“彼”に仕える喜びも。
これよりゲンジマルは迷うことなく、主命に従い、人を殺す。
先王との約束のために。
いや、飾ることは止そう。
何よりも。何よりも“彼”の望みを叶え、眷属としてでも、共に歩む為に。
“彼”に友と呼ばれたこの身が、胸をはって“彼”を友と呼び返す為に。
ゲンジマルは、これより修羅の道を行く。
だから、今、ゲンジマルが天使に止めを刺さず、背を向けるのは天使への情にあらず。
殺そうとしてでなく、ただ越えようとして、“彼”に挑んだ日々。
その思い出を汚したくなかったから、ただそれだけだった。





165天に吠える  ◆92mXel1qC6:2011/04/01(金) 04:16:56 ID:emLz8QN60
天使に背を向け、去っていくゲンジマルを忘我より回復した藤巻は慌てて追いかけた。
待てと言っても待ってはくれないのは分かっていたから、少々無理をしてでも無理矢理に追い抜く。
目があったゲンジマルはまたあのにやりとした笑みを浮かべて、早速好き放題言い出した。

「浮かぬ顔をしておるな。奏殿に止めを刺さなかったことが気に食わぬか?」
「……っ、そんなんじゃ、ねえよ」
「それでよい。他人の手を借りること自体は否定はせぬ。されど、超えるべき壁は自分の手でこそ超えねばならぬ」
「違うって、言ってるだろっ」

再び藤巻を追い抜いていくゲンジマルの背を見つめながら内心、独りごちる。
そうだ、違うのだ。
天使を仕留め損ねた――藤巻が直面している問題は、断じて、そんな“ちっぽけな”ものではなかった。
ただ思ってしまったのだ。
ゲンジマルと天使の戦いを前にして、自分たちが今までしてきたことはなんだったのだと。

悔しくて口にこそ出さないが、正直藤巻は、ゲンジマルという漢の戦いに掛け値なしに魅入っていた。
ゲンジマルは天使が敵だったからこそ、藤巻が止に入らなかったのだと思っているようだが、それは違う。
この戦いをもっともっと見ていたい、そんな風に思ってしまっただけだったのだ。

すごかった。
あの天使を相手に終始優勢だったゲンジマルの戦いぶりは男なら惹かれて余りあるものがあった。
殺しの技なのに。
やっていることはただの人殺しなのに。

(けどよ、それを言うなら俺達はどうだったんだ?)

藤巻の心を占める暗雲とはそれだった。
ゲンジマルは人殺しだ。
その人殺しの男の戦いぶりに見入ってしまったことを恥じるのは人間にとっては正常だ。
しかし、果たして、自分に、人殺しの男の戦いぶりに見入ったことを恥じる資格はあるのだろうか。
ツーテールの少女を殺したことは許せない。
菜々子を殺した奴は許せない。

なら、天使は?

今回ゲンジマルが殺そうとしたのは天使だった。
でも、それはあくまでも今回の話だ。
これまで。
これまで天使を殺そうとしていたのは、どこのどいつだった?
天使を“殺して”、神を引き摺り出すなり、死後の世界を永遠の楽園にしようとしていたのは誰だったか。

(俺達だ。俺達じゃないか……)

ぎりりっと拳を握りしめる。
何故、今までそのことに気付かなかったのか。
天使が実際に死ぬかなんて分からない。
天使が死ぬ姿なんて想像できない。
それでも、自分達は彼女を殺す気でいた。
剣を向け、銃を向け、殺そうとした。
死ぬかどうかは関係ない。その殺意は本物だった。
本物だった、はずだったのだ。

166天に吠える  ◆92mXel1qC6:2011/04/01(金) 04:17:17 ID:emLz8QN60

(俺達は、“殺す”という覚悟を持っていたのか?)

天使を殺すことを、皆は消すという言い方をしていた気がする。
NPCという呼び方そのままに、ゲームのボスキャラを倒すようにだ。
誰も彼もが天使を命ある存在として見ていなかったのではないか。
“命”を刈取るという覚悟がある分、人殺しのゲンジマルの方がよっぽど“命”に真摯なのではないか。
ぐるぐるとぐるぐると、疑惑が藤巻の脳内を駆け巡る。

何も、天使も生きているんだよなんていうことを言いたいわけではない。
藤巻だって、戦線メンバーの一人だ。
神への反抗心はあったし、その配下なら殺してやりたいとさえ今でも思う。
けれど、それでも。

(俺達の、今までの戦いは、見ている者達を魅入らせるような、そんな戦い足り得たのか……?)

足りえなかった。
断言できる。
もしも戦線の戦いがそれ程のものなら、死んだ世界解放戦線に他の死者たちも参加していたはずだ。
現実はそうはならなかった。
所詮戦線の神への反逆など、ライブに負ける程度のものだったのだ。

(同じ天使相手でなんだよ、この差は。これが大人と子どもの差かよ。本当の戦いって奴かよ。
 俺達の、戦線の戦いは子どもの遊びでしかなかったっつうのかよ。
 ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう!)

嘆けども、嘆けども、無様な気持ちになるだけだった。

ゲンジマルの背中が遠い。



【時間:1日目午後6時ごろ】
【場所:E-7】


藤巻
【持ち物:防弾性割烹着頭巾付き、手鏡、水・食料一日分】
【状況:健康。このジジイの正体を見極めてやる+α?】


ゲンジマル
【持ち物:ショーテル、水・食料一日分、立川郁美の支給品(まだ未確認)】
【状況:健康。契約を守る】

167天に吠える  ◆92mXel1qC6:2011/04/01(金) 04:17:54 ID:emLz8QN60



そして、ここにもまた一人、迷いに囚われた青年がいた。

藤巻と共に、立華奏とゲンジマルの戦いを見届けることとなった青年、岡崎朋也である。
いや、それはお世辞にでも見届けるなどというかっこいい言葉を使えるものではなかった。
紛い物といえど戦場の心得があった藤巻とは違い、朋也は真に素人だった。
そんな青年が、爆撃機並と称された少女と伝説とまで謳われた武人の戦いを、正しく認識出来るはずがなかった。
目で追うのがやっとなどころか、見ているだけで気絶しないのがやっとな程、二人の戦いは激しいものだったのだ。
彼らふたりが駆け抜けた地はぺんぺん草の一つすら残っていなかった。
ゲンジマルの関心が朋也を庇って、初撃の一閃をハンドソニックで迎撃した奏に移っていなければ、今頃自分も荒野の仲間入りだっただろう。

だから、だから、そう。
藤巻が、あのゲンジマルでさえも見過ごした、そのことに朋也が気付けたのは、いくつもの偶然が重なったが故のことだった。

(奏は、明らかに、身体を庇ってた……?)

初めは何となくでしかなかった。
自分を庇う形で戦いをふっかけられた奏を、なんとかして手助けできないか。
そう思って朋也は目を凝らして奏の挙動を追っていた。
その内にふと、奏の動き方に、身体に不備を抱えているもの特有の癖みたいなものが見て取れたのだ。
とはいえあくまでも何となくや、みたいなに過ぎなかった。
自身もまた肩に不調を抱えている身だ。
他人の不備を見抜くことに関しては、健康な人々よりも秀でている自覚はあるが、不調を抱えているからこそ、変に敏感になり過ぎる時もある。
ただでさえ、数時間前に不調の原因となった人物のことを考えたばかりなのだ。
考えすぎだろと、その時点では一度朋也はその考えを脳裏に追いやった。

勘が確証に変わったのは、ゲンジマルの最後の一太刀の時だった。
抜刀と共に発された猿叫。
あの雷轟に、朋也だけではない、奏でも間違いなく飲まれていたのだ。
一瞬、ほんの一瞬だけど、無表情の裏にある少女としての奏の顔から、色が抜け落ちたのを朋也は確かに目にしたのだ。
しかしながら、放心してしまった少女の心に反し、身体は咄嗟に動いていた。
まるで慣れた物事への反射のように。本能の如く染み付いている習慣のように。それだけは庇わねばならないと常日頃から意識していた成果のように。
立華奏の身体は、無我夢中で身体を――心臓を庇っていた。
素人目で見て分かるほど露骨に。
立華奏は心臓を庇っていた。

では、何故このことに藤巻はともかくゲンジマルさえも気付けなかったのか。
これは、朋也が奏という少女のことをいくらかは知っていた以上に、藤巻とゲンジマルが奏のことを天使だと捉えていたことが大きい。
完璧なる超越者の御使い。ならばこそ、その身に欠落などあるはずがないと。天使ならどんな攻撃も冷静に対処するはずだ。
そう思い込んでしまったからこそ、挙動の不審を見落としてしまったのだ。

168天に吠える  ◆92mXel1qC6:2011/04/01(金) 04:18:22 ID:emLz8QN60

思えば派手な効果の数々に誤魔化されがちだったが、今回の戦い、奏は終始、防御一辺倒だった。
ゲンジマル程の強者を前にしては、攻撃に回る隙はなかったのかも知れないが、それにしても、全くその素振りさえ見せなかったというのはおかしいのではないか。
聞いたところによると、奏の超能力の数々は、エンジェルプレイヤーという道具によって生み出したものだという。
エンジェルプレイヤーがどういうものなのか、朋也はよく知らない。
けれど、知らないからこそ、単純な疑問が浮かんでは離れない。

――あれだけ様々なヴァリエーションの防御技を設定できるなら、こう春原あたりが喜びそうな派手な攻撃技も設定できるんじゃないか?

唯一の攻撃に使える技であるハンドソニックすら、ガードスキル――防御技能扱いだ。
それがどうしても朋也には気になった。
ガードスキルに対するアタックスキルがないのは単に奏が人を傷つけるのを嫌う優しい子だからか。
或いは。
アタックスキルが不要なのではなく、ガードスキルが必要なのだとしたら?
過剰とも取れる防御技能が、その実、外敵に向けたものではなく、自身の抱える欠点を補うものだったとしたら?
筋は、通る。

「立華、お前……ッ」

心臓が悪いのか?
そう言葉にしきるよりも速く、朋也の脳裏を一人の男の姿が過ぎり、慌てて口を閉じる。

(馬鹿か俺は!)

もし朋也の想像通りなら、軽々しく聞いていいものではない。
それにたとえ奏が特に気にしておらず、話してくれたとしても、それに対して自分は肩のことを明かせるのか?
一歩譲ったとして肩の不調のことを話すだけならできるかもしれない。
バスケのことは黙っていれば済む話だ。

(けれど、親父の事だけは絶対に駄目だ)

朋也の父親は今この地にいる。
話す必要のないバスケのことと違って、肩の話になれば、話さざるをえないことだ。
それだけは、それだけは嫌だ。
だいたい奏の疾患を知ったところでどうするというのだ。
朋也は無力だ。
女の子に庇ってもらわねばならない程無力で、医術の心得もない。
奏のことを知ったところで何もできないではないか。

「……なに?」
「い、いや。立華、お前、身体は大丈夫か?」
「……ん、痛いけれど、大丈夫。時間をかければ治るから」

突然言葉を切った朋也を、首を傾げて見上げてくる奏に、どうとでも取れる無難な言葉で続ける。
奏は朋也の問いかけの意味に何かを読み取った風でもなく、ゲンジマルとの戦いの傷のことだと踏んで答えを返した。
やはり考えすぎだったのかもしれない。

(そもそも何が筋が通るだ。俺は戦いに関してはど素人なんだ。
 殺し合いにおいて生き残ることは何よりも最優先で、人体にとっては心臓は一番大事だ。
 だったら、ありったけの力で心臓を護ることはおかしくないじゃないか)

朋也はそう思うことにして、そういえばまた助けてもらったことに礼を言っていなかったことを思い出し、礼を口にする。

「そっか。ああ、なんだ。庇ってくれてありがとな」

おかしくない、おかしくないと、何度も何度も、自身を納得させるように、心のなかで唱えながら。

169天に吠える  ◆92mXel1qC6:2011/04/01(金) 04:18:53 ID:emLz8QN60













それが、その理屈が、必ずしも、目の前の少女には成り立たないということを知りもしないで。
何故なら、彼女は死者だから。
既に死んだ人間だから。
生きるために心臓を守る必要がない人間だとも、知りもしないで。

立華奏は天使などではない。
死んだら終わりの唯一存在などではない。
紛れもなく死んだ世界解放戦線のメンバー同様、死者である。
あの死んでも蘇るのだという思想を前提としていた集団と同様の死者である。
否、死んだ世界解放戦線のメンバー以上に、立華奏はその思考に染まっている可能性するある。
彼女は死後の世界にて、特別なNPCと間違われるほどの長い時間を過ごして来た存在だ。
この島と問わず、あらゆる時間軸の中で最も、死後の世界の常識と共にあった人物なのだ。
死んだことを認識させてくれと言った音無を何の躊躇もなく刺したことからも、その一端は伺われよう。
音無だけではない。
戦線の多くのメンバーを、彼女はその圧倒的な力で蹂躙してきた。
なればこそ、おかしいのだ。
心臓どころではない。
死後の住人である以上、立華奏は我が身を護る必要がないのだ。
SSSのメンバーがそうして来たように、自分の命を粗末に扱ってもおかしくないのだ。
生き返るまでのタイムラグを気にしていたのだとしても、それならそれで、再生力を上げる方がよっぽど実用的だ。
わざわざ障壁だの、高速移動だの、対武器用の武器など必要ないではないか。
現状でこそ、バトルロワイアルという一度死ねば、二度目はないという状況に巻き込まれてはいるが。
奏がそのことを覚悟しているかはともかく、既に彼女の完全防御は死後の世界にいた時から完成していた。
つまり、死後の世界でさえ、立華奏には身を守るべき理由があったということではないか。
他の死者のように、命を、身体を粗末にできない理由が、したくない理由があったのではないか。
例えば、そう。

自分に青春をくれた恩人の心臓だけは、“何がなんでも絶対に”傷つけさせないという、そんな自分自身への契約という理由が。

……。
…………。
………………。

天使は黙して語らない。
真実は少女だけが知っていた。

【時間:1日目午後6時ごろ】
【場所:F-07】


岡崎朋也
【持ち物:日本刀、水・食料一日分】
【状況:負傷(切り傷・治療済)】

立華奏
【持ち物:不明、水・食料一日分】
【状況:左肩口負傷(再生治癒中】

170天に吠える  ◆92mXel1qC6:2011/04/01(金) 04:20:08 ID:emLz8QN60
以上、投下終了です

171 ◆92mXel1qC6:2011/04/04(月) 01:51:30 ID:VihEMyfQ0
報告します
拙作『天に吠える』収録につき、放送をまたいだとも取れる時間帯を修正させてもらいました
それでは

172漆黒の羽根にさらわれて  ◆92mXel1qC6:2011/04/11(月) 03:47:35 ID:8AbDIrXI0
――見上げた空に堕ちていく






口から零れ出た空気は、泡となり水の中を空を目指し登っていく。
空の蒼に焦がれて、一心不乱に水の青をかき分けて進んでいく。
叶わぬ夢だ。
泡は、どれだけ頑張ろうとも、水の中からは出られない。
水面の壁を超えて、あれだけ望んだ空へと手を伸ばした時。
割れて弾けて消えて、それで終わりだ。

そんな光景を何度も何度もプールの底から見ていたからか。
あたしは空を最も遠い場所のように感じていた。

その感覚は死んだ後でも変わらなかった。
死後の世界が一般的なあの世のイメージと違って雲の上になかったことも。
死んだ後の自分に下半身があって、浮いたりすることもなく、二本の足で歩かなければならなかったことも。
特に違和感なく受け入れることができた。
……まあ、正直、後者の方はありがたかったのだけれど。
死んでいる身でこんなことを言うのはおかしいかもしれないが、お化けだけは勘弁である。
空なんか飛べなくてもいいから、あたしは足が欲しい。
泡になることを拒んだ人魚姫は、陸地で生きて行くしかないのだから。

それなのに。
あたしは今、水底から見上げているだけだった空を泳いでる。
漆黒の羽根にさらわれてここにいる。

――ああ、これが空か

不思議な感触だった。
飛ぶ鳥はよく自由の象徴だって言われるけれど。
そんなことなんて全然なかったんだなーって、実感する。

まず重い。
身体が軽く感じた水中とは違って、空じゃ身体がすごく重い。
多分、重力という奴に引っ張られているせいだ。
身体が浮く感触が楽しかった水の中とは全く逆だ。

173漆黒の羽根にさらわれて  ◆92mXel1qC6:2011/04/11(月) 03:47:55 ID:8AbDIrXI0

次に痛い。
水の中だと味方だった空気がちょっとだけ痛い。
空気摩擦というものだろうか。
身体の節々が空気の層にぶつかるたびに、熱を帯びる。
目が乾いちゃって、ずっと開けてはいられない。

――ほんと、水の中とは大違いだ。だけど……

「あ、あはは、その、大丈夫? ごめんね、カミュ、あんまり人を抱いて飛んだことなくて。
 待ってって、すぐに何とかするから。ええっと飛翔補助の呪文は、っと」

顔に出てたのだろう。
申し訳なさげにあたしを見て、カミュさんは何やらぶつぶつと唱え出す。
法術というものらしい。
カミュさんが、あたしを軽く両手で抱えて飛べているのも、その力のおかげだそうだ。
多分、今はあたしにかかる空気抵抗や重力負荷を減らそうとしてくれているのだろう。
その心遣いは嬉しいのだけれど。
あたしは口を動かすと舌を噛みそうだったから、無言で首を振って、やんわりとその申し出を断らせてもらった。

だってこの思うようにいかない感覚に懐かしさを覚えてしまったから。
あたしは、泳ぐこともだけど、何よりも、水の中にいること自体が好きだった。
水の中も空と同じで、不自由なものだったけど。
一歩歩くだけで、地上の何倍もの労力を要したし。
慣れないうちはよく水が目や鼻から入ってきて、すごくきつかったっし。
そもそも初めの頃は、浮くことさえできないで、何度も何度も沈みもした。
でも、そのままならなさこそが、あたしに水の中にいることを実感させてくれてたんだ。
ああ、だから、ちょっとだけ、このままでいよう。
寂しく、儚い水底とは対極にあるこの雄大な世界で。
大嫌いな水の色とは真逆のこの赤い夕陽に抱かれて。
あたしは、もっともっと、あの大好きな感覚を感じていたい。



――あたしは、もう少しだけ、空で溺れていたい






174漆黒の羽根にさらわれて  ◆92mXel1qC6:2011/04/11(月) 03:48:20 ID:8AbDIrXI0




腕に抱いたイリエちゃんが切なげにだけど微笑んでくれて、少しほっとした。
初めて見た時、なんでかな、“みんな”みたいだなーって思った。
どこがって聞かれたら、カミュにも分かんないけど、それでも、確信めいた直感があった。
カミュにしか見えない“みんな”。
禍日神『ヌグィソムカミ』って呼ばれるカミュのお友達。

お友達なんだ。

禍日神は、俗に言う邪神や悪霊、妖怪の総称だ。
一般的には、ヒトに仇なし災いを齎すヒトならざる存在だって言われてるけど、みんながみんな、悪い子じゃない。
ただ未練があって成仏できない幽霊や、悪戯好きだけど本当は遊んでほしいだけな妖怪達だって、いっぱいいる。
そんな子達と、お姉さまやムントの目を盗んではよくは遊んでた。
あの子達はカミュと一緒だったから。
世界のどこにも居場所のない、寂しがり屋だったから。
こんなこと、お姉さまに言ったら悲しまれるけど、それでもカミュは、ずっとこの世界に居場所なんてないように感じてた。
大神『ウィツァルネミテア』信仰するカミュ達オンカミヤリューの始祖様。
その力の現れだって、大層ムント達は大喜びしてたけど。
カミュは、みんなとは違う黒い羽なんていらなかった。
この羽根のせいで、お姉さま以外の誰からも畏怖されて、ずっとずっと一人ぼっちだった。
アルちゃんやユズっちと友達になれるまでは。

イリエちゃんはあの頃のカミュにも少し似ていた。
ここにいてもいいのか分からない。
どこにいたいのかも分からない。
水辺を背にしたイリエちゃんは、そのまま流されていってしまいそうな、寂しげで儚げな雰囲気だった。
それを、どうにかしたいって、思った。
放ってなんかおけなかった。
アルちゃんやユズっちが、カミュの寂しさを取り除いてくれたように。
カミュもイリエちゃんに何かをしてあげたかった。
だから、手を差し伸べた。
一緒に行こうって。
友だちになれたらいいなって、心の中で願いながら。
……うん、ほんとはね。
イリエちゃんのためだけじゃなくて、カミュ自身も、独りぼっちは嫌だったから。
あの温もりを知ってしまった今、一人で飛ぶ空は寂しすぎたから。

175漆黒の羽根にさらわれて  ◆92mXel1qC6:2011/04/11(月) 03:48:55 ID:8AbDIrXI0
でもでも、それから後がとっても困っちゃった。
思い出してみれば、カミュ、今まで、自分一人の力で、友達を作ったことがなかったから。
アルちゃんの時だって、とっておきの作戦をおじさまが教えてくれたのがきっかけで。
カミュはおじさまみたいに頭なんてよくなくて。
ぎこちない会話をニ、三言口にしては話が終わるを繰り返すばかり。
あ、あはは、もうどうしよっかな〜って本気で悩んじゃって。
そんな時に、ふとムックルのことを思い出したの。
アルちゃんと、カミュと、ユズっちで一緒によく乗って、色んなところに行ったあの記憶ごと!
ピンときた、これぞ正しく友達の光景だって!
い、いや、まあ、アルちゃんと友達じゃない人には馴染みのないことなのは分かってるんだけど。
と、に、か、く! もう思いついちゃったら行動あるのみ!

「カミュにのってみない?」

そう言ったら、イリエちゃんは顔を真赤にしてすごく慌ててた。
どこか間違えちゃったかなーって胸中では冷や汗を流しながらも、ええいままよと一気にまくり上げて熱弁した。
空からだと知り合い探すのが楽だとか。
害意のある人にも襲われにくいとか。
森や山だって、ぴゅーっとひとっ飛びとか。
言い訳じみた言葉を、とにかく並べ尽くした。

お姉さまやおじさまなら、軽率だってたしなめてくれたと思う。
確かに空の上からなら、人探しには最適だし、敵から逃げるのだっていくらかは簡単だ。
けど、遮蔽物が何もない空を飛ぶということは、他人に見つけてくれと言っているようなものだし。
攻撃だって、剣や槍は届かなくとも、術や弓なら、撃ち落とされる危険性がある。
分かってる、分かってるよ。
それくらい、おじさま達に言われるまでもなく、カミュだって理解してる。
伊達にこれまで、おじさま達と戦場を幾つも渡ってきたわけじゃないもの。

でも、けど、それでも。
カミュは飛ばずにはいられなかった。
さっきまではアルちゃんやユズっちを探すため。
本音を言うと、アルちゃん達の方から、カミュを見つけて欲しいなって思ってた。
そして今は、それに加えてイリエちゃんが居場所を見つけられるように。
ここにいてもいいんだよって。
カミュでよければイリエちゃんの居場所に――友達になりたいなって。

肝心な時に口下手で、変に照れたり慌てたりしちゃって、まだ言葉にはできていないけれど。
その分強く、強く、翼をはためかせる。
透明化の術があいも変わらず使えなくて、晒されっぱなしのその色は、黒。
黒い翼。
カミュを孤独へと追いやった黒い翼。
それを誰かと繋がるために使えるというのなら。



――この翼も、中々捨てたものじゃない、かな

176漆黒の羽根にさらわれて  ◆92mXel1qC6:2011/04/11(月) 03:49:08 ID:8AbDIrXI0
【時間:1日目午後5時ごろ】
【場所:C-5上空】


入江
【持ち物:毒薬、水・食料一日分】
【状況:健康】


カミュ
【持ち物:不明支給品、水・食料一日分】
【状況:健康】

177漆黒の羽根にさらわれて  ◆92mXel1qC6:2011/04/11(月) 03:49:35 ID:8AbDIrXI0
短いですが以上で投下終了です

178ガン×ソード GUN SWORD ◆92mXel1qC6:2011/05/12(木) 03:57:52 ID:/OglDCgg0
お待たせしました、投下します

179ガン×ソード GUN SWORD ◆92mXel1qC6:2011/05/12(木) 03:58:12 ID:/OglDCgg0











色々あった











エルルゥ
 【持ち物:銀のフォーク、水・食料一日分】
 【状況:健康】

ユイ
 【持ち物:UZI、予備マガジン*5、水・食料一日分】
 【状況:尻のフォークは抜きました】

180ガン×ソード GUN SWORD ◆92mXel1qC6:2011/05/12(木) 03:58:38 ID:/OglDCgg0







……いや、うん、あれだ。
察しろ、まじ察しろ。
流石のこのユイにゃんもこれだけじゃあ、駄目なのは分かってるけど、これだけで終わらせたい気持ちを察して欲しい。
色々あった。
本当に色々あった。
具体例を挙げたくないほどにアホなやらかした挙句にアホな結果を呼び込んだ。
っつうかアホでした。
すみません、すみません。
思い出すだけでも馬鹿馬鹿しいほどにようはあたしらはアホだった。
いや、違う。
確かにあたしらもアホだったけれど一番のアホはあの見るからに天使天使した男だ!
だいたい死んでるあたしらを前にして殺し合いってアホでしょ?
あれ、アホしかいないんじゃないですか、この島。

しかもまあ悪いことに。

「こほん。それじゃあ改めて自己紹介からですね。私、エルルゥと申します。トゥスクル國の薬師です」

よりによってあたしの尻にぷすっとやりやがったこいつは医者だっつう。
医者ですよ、医者!
こんなアホ面してアホなことをしておきながらこの獣っ娘は医者だっつうんですよ?
信じられないですよねー。
信じたくないよねー。
いや、うん、まあ、その、信じたくないというのはあたしの願望だといいますか。
正直かなりやりにくい。
なんつうか。
すんっげええ私怨なのは分かってるんすけど医者は苦手なんですよねえ。
これでもあたしは生前病人をやってたわけでして。
しかも重がつく病人で寝たきり生活。
ずっと入院していただけあってお医者さんにはそりゃもう山ほどお世話になりましたよ?
自分で言うのもなんだけどそんじゃそこらの患者とは違う年季の入りようで毎日毎日顔を合わせていたもんさ。
毎日、毎日、毎日、毎日。
あたしは死ぬまで白衣を着た老若男女の世話になった。
そう、死ぬまでだ。
あれだけの数の医者がいたにも関わらず、誰一人としてあたしの身体を治してはくれなかった。
あれだけの医者の手を借りながら、あたしは何一つ恩も返せぬまま、ベッドの上でおっちんだ。
だから医者に対しては、どうして治してくれなかったのよっていう憤り半分と、迷惑を長年かけっぱなしだった申し訳なさ半分で正直苦手。
そういう意味じゃあ最初にアホなことをやってくれたのはちょっとばっかしありがたくはあったのです。
少なくとも気兼ねしないではすんでるし。
ってか医者にため口なんて生前じゃ考えられもしなかった。
恐るべし、ノリと勢い!

181ガン×ソード GUN SWORD ◆92mXel1qC6:2011/05/12(木) 03:59:00 ID:/OglDCgg0

「あ、あたしはユイって言います。ガールズ・デッド・モンスター、通称ガルデモっていうバンドのヴォーカルをやってます。
 ユイにゃんって呼んでください!」

そんなことを意識してしまったからか、先輩達にそうするようについつい敬語で返事を返してしちまった。
でもいっかな、これで。
多分だけどあたしより年上だろうし。

「がーるず・でっど・もんすたー? ばんど? ユイにゃんさんは変わったお役職に就いているんですね」

アホだけど。
バンドを知らないってどこのお嬢だよ、ありえねー!
後変わってるのはおまえのほうだ。
役職じゃなくて姿の方だけど! 何っすか、獣耳にもふもふ尻尾って! 萌えっすか!? 
おのれえ、あたしと対して変わらない胸のくせして、あんなにも飛びつきたくなる魅力的なものをひっさげやがってええ!
ぜーはー、ぜーはー。
いや、待て待て、沈まれあたしの心の声。
そこを突っ込んだら話がいつまでもすすまねえし。
天国があったくらいなんだから獣耳尻尾の国くらいあっても不思議じゃねえぞ、多分!

「それよりもエルルゥさんは医者なんですよね?」
「はい、ただしくは薬師ですけど」

薬師といえば確か医師の古称だっけ。
今までは耳や尻尾にばかり注意が向いてしまっていたけど、そういえば、エルルゥさんは服装からしても古臭い。
これはいわゆるあれですか?
病室のテレビでよく見た童話やアニメに出てきた物の怪って奴ですか?
バンドを知らないのも山の中の隠れ里かなんかに住んでたからって考えれば、おお!
辻褄が合うんじゃ!? 流石ユイにゃん、天才ですな!
となると、となると、もしかするとあたしの都合のいい想像もあたっているかもかも!?

「だったらこう全身麻痺の患者さんも治せるようなすごい薬をばばーんっと処方できたりしない?」

それはちょっとした興味。或いは未練。
エルルゥさんが本当に物の怪かどうかは置いといて、見るからに不思議生物なのは公然の事実!
それなら人類の手ではどうにもならなかったあたしん事故の後遺症もばばーんっと不思議パワーで治せないかなあっと。
……まあ例え治せると答えられたところであたしは死んでるんすけどね。
どころか死んでから対処法が見つかるってそれはそれですっげええ悔しくね?
可愛そうなユイにゃん。
薄幸の美少女という奴なのかあああ! ほろり。
でもどうやらそんな嬉しいのやら悲しいのやらな事態にはなってはくれないみたい。

「……っ。御免なさい……」

エルルゥさんは悲しいような困ったような申し訳ないような、それでいて、その感情を表に出すことを恥じるような顔をしていた。
それはあまりにも見慣れた表情だった。
あの白い部屋で何度も何度も何度も何度も私に向けられた表情だった。
ああ、もう、これだからあたしは医者が苦手なんだ。

「……いいんですよ、別に。お医者さん達が頑張ってくれてたのはあたし、ちゃんと分かってますから。
 だからそんな責めてくださいって顔をする必要も、あたし達を気遣って自分達の感情を殺す必要もないんですよ」

嘘偽りのない本音だ。
一番泣きたいのは確かにあたしなのに、他の人に泣かれちゃったらきついものがあるけれど。
あれはあれ、それはそれ。
悪いのはあたしを轢いたアホですし、そしてどんな理由があれ動けなかったあたし自身なんだし。

182ガン×ソード GUN SWORD ◆92mXel1qC6:2011/05/12(木) 03:59:18 ID:/OglDCgg0

「ユイにゃん、さん? いえ、でも、私は不安な顔をするわけにも、泣くわけにもいかないんです
 私がそんな表情を浮かべちゃったらアルルゥやカミュちゃん、オボロさん、そして何よりユズハちゃんが心配してしまいますから」

どこか胸から込み上げてくるものを抑えるように語るエルルゥさん。
そりゃまあ横でお医者さんが不安がったり、悲しんだりしたら患者さんも不安になったり、悪いなって思ってはしまいますけど。
いや、それにしてはやけに真に迫ってるような。
そもそも幽霊になってからぴんぴんしている今のあたしを見ても、あたしが病人だったってことは分からないわけでして。
となると、あれ、もしかしてもしかすると、この人も不治の病か何かに侵されたあたしみたいな患者を受け持って、た?
はっ、もしかして彼女が死後の世界に来ちゃったのって、その患者さんのことを苦にしての自殺!?
やべ、あたし地雷踏んじまった!?
話からするとそのユズハちゃんってのがあたしポジション!?
そういやあの名簿にも今、エルルゥウさんが挙げた名前が全部載ってたような……。
これってまさか、ユズハちゃんとやらを追って、みんなで心中しちゃったってこと!?
お、重い、重すぎる!
なんとかして空気を変えないと耐えられない!

「んー、じゃあ後学というか来世の為にびしっとこのユイにゃんがアドバイスしてあげましょう!」

ええい、こうなりゃ破れかぶれだ!
来世とかあるかはわかんねえし、その来世に行くことを拒否してるあたしらが言うのもアホ臭い話かもだけど!
そもそも来世でお医者さんになるかもしんねえけど!
それ以前に、あたしがやろうとしてることって戦線の流儀に反しそうですけど!
未練を断ち切らせちゃって、いきなり目の前で消えられちゃうかもしれないけれど!
しかあああっし!
女が一度やるっつったからにはやってやるんじゃあああい!

「アドバイス、ですか?」
「そうですそうです。重い病にかかった女の子を元気付ける方法、それはずばり!」
「それはずばり?」

首を傾げて聞き返してくるエルルゥさんにびしっと指を突きつけて一呼吸。
すーはー。
うっし、気合充填完了、せーのっ!

「お婿さんを見つけてくることだあああああああああああああああああああっ!」
「お、お婿さん!?」

はうっと尻尾を逆立たせて飛び上がるエルルゥさん。
顔が真っ赤っかなところを見るとどうやらエルルゥさんもお嫁さんという言葉に想うところがある様子。
それならこのまま勢いで押し切る!
ノリと勢いで行動するのは反省したばかりじゃないかって?
あっはっは、今ここで熱く語らずいつノリと勢いに任せるっつうんじゃ!

「そんんのっとおおおおおおり! いいですか、女の子の究極の夢、それはずばり! はい、そこのエルルゥさん!」
「わ、私ですか!?」
「そう、エルルゥさんです! エルルゥさんが今一番なりたいものはなんですか!」
「な、なりたいものって、それは、その、立派な薬師に「ちっがあああああう」ひゃっ!」

183ガン×ソード GUN SWORD ◆92mXel1qC6:2011/05/12(木) 04:03:23 ID:/OglDCgg0

はい却下、即却下!
そんなガールズトークらしからぬ夢は今は横に置いておけい!
いるでしょが、お婿さんと聞いた時の反応からして、思い浮かべちゃった男性の一人や二人!

「あるでしょが、エルルゥさんくらいのお年頃ならあるでしょが!
 こうどろどろーっとして、めらめらーっとした熱く暗い情念が! じゃなかった青春が! つまるところラブがあ!」

ぶっちゃけちまうとあたしはそれがどんなんか知らないけど!
寝たきりだったし!
恋愛どころかボーイフレンドの一人もいなかったけど!
でもテレビはいっぱいいっぱい見てたのですよ!
いろんな恋愛も知ってるのですよ!
例えばほら、嫉妬に狂った女がこうぶすっと刺しちゃう奴とか。
いやいやそんなのはあたしの憧れた恋愛には程遠いけれど!
なんだかエルルゥさんに似合いそうだと思ってしまったのは、きっとさっき刺されたに違いないよね!

「え、えう、ら、らぶ? そ、その、確かに私はハクオロさんのことを。
 で、でもそれはその、ハクオロさんからしたら私なんて、私なんて大切な家族の一人どまりですし……」
「ふっふっふ、言質してやったりいいい! つまりはそういうことなのです!」

現にユイにゃんの目の前で指を突き合わせもじもじしている女の子は、そんな切った張ったとは遠い世界の住人にしか見えないし!

「い、言われてみればユズハちゃん、あれやこれやとハクオロさんに気があるような素振りを……。
 いえ、ユズハちゃんには何の罪もありません!
 悪いのは、全部、ぜええんっぶ、誰にでも優しくしちゃうハクオロさんなんです! うふ、うふふ」

み、見えない、よね?
ま、まあ万一そのハクオロさんとやらが刺されちゃっても、どうせ死後の世界。
あたしには何ら一切責任はないのだあ!
だから今はただ熱く、思いのたけを語るのみ!
……うん、実はちょっと女友達とコイバナするのも楽しそうだなーって学園モノ見て羨ましく思ってたしね。

「お嫁さん、それは女の子の誰もが憧れる夢!
 お嫁さん、それは女の子の求める究極の幸せ!
 ラブ&ピース? NON! ラブ・イズ・ピースなのですよ!
 愛が平和をつくるのです!」

ぎゅい〜ん!
なんか今のあたしってすんげえロック歌手ぽくねと自画自賛しつつエアギター。
哀しいかなエアギター。
ああ、くそ、あのくそ天使二号!
やっぱバンドはヴォーカルがギターしょってくせえこと言うのが絵面的に痺れるでしょってことがなんでわかんねえんじゃ、ボケェ!
今さらだけどあたしんギターどこやっ、

「って、うあ、あれ?」

184ガン×ソード GUN SWORD ◆92mXel1qC6:2011/05/12(木) 04:03:58 ID:/OglDCgg0
ぽてんと間抜けな音を立てて、あたしは何故かこけていて、夕焼け空を仰ぎ見ていた。
どうもくそ天使二号への怒りのあまり、エアギター時に仰け反りすぎていたらしい。
てへ、失敗失敗。
くっそお、マトリックス顔負け必須の仰け反り弾きがまだ身についていなかったとは〜。
まっさかこの歳にもなって、ブリッジできないなんてことは……。
ないないあるわけない!

「ぷっ、ふふ、くすくす」

はい、そこ、笑うなあ〜!

「うう、笑わないでくださいよ〜」
「くすくす。ごめんなさい。ユイちゃんのことを笑ったんじゃなくて、その、トウカさんのことを思い出してしまって」

それ、正しくは、ユイちゃんのことを笑っただけじゃなくて、の間違いじゃないですか〜?
しかも気づけばなんか、さん付けからちゃん付けに呼び方変わってるし。
その方が気軽であたしの方もいいですけどー。
って、む、トーカさんって誰だ?

「あ、トウカさんというのはハクオロさんのお側付きの方で。その、ちょおっぴりうっかりな――」

あたしん疑問がエルルゥさんにも伝わったのだろう。
エルルゥさんが、ハクオロさんという人とはちょっと違う感じだけど嬉しそうに語りだしたその刹那、

「そ、某、決してうっかりなどでは! うっかりなどでは!」







なんか出た。




「「え」」




なんかこう鳥の翼みたいな耳をした人型っぽいなんかが後ろから飛び出してきて、目があった。




「あ」



ぱちくりと目があうこと数秒、時間が止まる。
え、ええっと、あたしの傍らで同じく目をぱちくりさせているエルルゥさん。
話の流れからしてこの人がトウカさんでオッケーなのですよね?
だったら、だったらさ。
トウカさんが、腰に突き刺したままの“なんか戦線で見慣れた赤い色”が染み付いた木刀のことも説明して欲しいんだけど。

185ガン×ソード GUN SWORD ◆92mXel1qC6:2011/05/12(木) 04:04:22 ID:/OglDCgg0

「ユイちゃん」

おお、さっきに続いて通じた、通じましたよ、あたしの疑問符!
そうだそうだ、その人にその血はなんなのか聞いてく

「紹介しますね。こちらが先ほどお話に出たトウカさんです」

通じてねええええ!
いやいや明らかに危機感欠けてるよ、エルルゥさん!
そいつの手に持っている木刀、どう見ても血痕ついてるって!
あ、けど、そういや野田先輩辺りはいつでも自分の血で真っ赤なハルバード持ってましたっけ。
このトウカさんって人も相当うっかりみたいですし。
自滅しまくるあのアホレベルなアホな人だというなら、血塗れの木刀を持っていたところでおかしくは、んなわけあるかああああああ!
だいたい今のも明らかに隠れてあたし達を狙ってたんじゃないんかい!?
なのについつい自分の話題だったせいで、うっかり反応してしまったってことなんじゃ!?
あれ、ってことはやっぱり一周回ってアホ?

「こほん。ユイ殿、エルルゥ殿が世話になったようで礼を言わせていただく。某の名はトウカ。
 トゥスクルの皇、ハクオロ殿の御側付にして、エヴェンクルガの武士なり」

いまさらに取り繕ったー!?
アホ確定だー!
もののふなり(キリッ)って全然かっこついてねえわ、ボケ……っ!?






「否、今の某に武士を名乗る資格はないか」






――ボケはあたしの方だった

186ガン×ソード GUN SWORD ◆92mXel1qC6:2011/05/12(木) 04:04:39 ID:/OglDCgg0
「あ……」

と言う言葉が遅れて耳に届く。
気付けば一足で瞬時に間合いを詰めた鳥女にあたしは叩きのめされていた。
後頭部が痛い。
多分そこにあの血塗れの木刀を叩きつけられたのだろう。
何故、鳥女が隙だらけだったエルルゥさんじゃなくて、あたしを先に潰したのかは分からない。
警戒心むき出しなあたしがまだしも油断しているうちに倒そうと思ったのか。
それとも、仲間らしいエルルゥさんには元より危害を与える気はなかったのか。
考えればいくらでも理由は浮かんできそうだけど、あたしはそれ以上考えるのを止めていた。

身体が、だるい。
思うように動かせない。

嫌になるほど懐かしい感覚だと、うつらうつらと夢現に思う。
意識が飛びかけている。

ああ、やだなあ……。

先輩とかはすごく平気そうに死んじゃいまくっていたけれど。
あれもやっぱり慣れだったのかなあ。
あたし、ずっと揺動班だったし。
実戦部隊のみんなと違って実はあの学校で死んだことなかったりして。
えへ。
出血ですよー、ユイにゃん、文字通り、出血サービスですよー。
まあ、でも、大丈夫、大丈夫。
どうせまた蘇りますから。

「ユイちゃん! ユイちゃん、しっかりしてください!」

エルルゥさん、そんな顔しないでよ。

「トウカさん、何故ですか、何故ユイちゃんを! こんなこと、こんなこと、止めてください!」

お母さんのことを思い出しちゃうじゃない。

「従えませぬ! これも全ては聖上の為……。我が忠義の為……」
「そんな! ハクオロさんはそんなこと、望んでません!」

アホトウカ、あんたもよ。

「エルルゥ殿もオボロ殿と同じことを言うのだな」
「当然です!」
「不思議なものだ……。オボロ殿に言われた時は、何故お前の方も殺し合いに載らないのだと怒りを顕にした某が。
 エルルゥ殿、あなたの口から、殺し合いに反抗する言葉を聞けて安心している……」

天使みたいに無表情で刺しないさいよ。

187ガン×ソード GUN SWORD ◆92mXel1qC6:2011/05/12(木) 04:05:03 ID:/OglDCgg0

「きっと、奥方であるエルルゥ殿には聖上と同じ道を歩んで欲しいと願っていたのであろうな」
「お、奥方って、そんな、私は」

そんな、もう届かない夢に手を伸ばしてたどこかの誰かみたいな顔しないでよ。

「否定してくださるな。我等エヴェンクルガの女は、生涯ただ一人の主に仕え、その愛をいただくことが定め。
 されど。もはや血に汚れたこの身ではその愛をいただくことは叶わぬ……。
 ならば、せめてと」
「トウカさん……」

止めてよ、ほんと。
止めてよ、マジで。
あたしはもう死んでんだって。
エルルゥさんもアホトウカも死んでるんだって。
死んでるから、死んでもそのうちひょっこり起き上がるんだって。
だから、だからさ。
そんな真剣に命のやり取りしてますよってやっても茶番なんだって。
茶番なんだから。
だから。

「とはいえ、某にエルルゥ殿を見過ごす気はござらぬ。お覚悟を!」

剣の柄に再び手をかけたアホを前に、あたしは死力を振り絞って立ち上がったのは。

何も目の前で誰かが死ぬのは見たくなかったとか。

あたしを殺した奴に一矢報いたかったとか。

そんな高尚な理由じゃなくて……。

188ガン×ソード GUN SWORD ◆92mXel1qC6:2011/05/12(木) 04:05:28 ID:/OglDCgg0
単に

「あたしの……」

単に

「夢を……ッ」

ぶっぱなしたい程に腹が立っていた、それだけだ!

「穢してんじゃ、ねええええええっっッ!!!!!」

UZIが唸りを上げて無数の弾丸が撃ち出される!
陽動部隊だったからろくに銃を撃ったことのないあたしの弾が当たるはずもなく、あさっての方向にとんでくけど、それがどうした。
あたしがあいつにぶちこみてええのはこんな鉛玉なんかじゃない!

「違うでしょ、このアホ!」

その銃の連射音に負けないよう、大声であたしは叫ぶ!

「お嫁さんっていうのは!」

ちょこざいにも耳を頻繁に動かして弾丸をぎりぎり回避するアホに!

「幸せで、幸せで、幸せの絶頂の時になるもんで!」

銃を凝視して、驚愕の表情を浮かべつつ、後退していく影に!

「女の子の究極の夢でしょうがあああああっ!」

逃がすかと、逃げるなと、叫び続ける!

「だっつうのにオノレはなにやらかしてんじゃああああ!」

このあたしの怒りを! 魂の叫びを叩きつける!

「曇らせてんじゃねえよ! お嫁さんを泣かせてるんじゃねえよ!」

あたしの、夢なんだ! 奥方ってことは、お嫁さんってことで、それならエルルゥはあたしがずっと見続けてきた夢なんだ!
幸せで、幸せで、幸せでなくちゃいけないんだよ!
それにだ、それにお前だって、

189ガン×ソード GUN SWORD ◆92mXel1qC6:2011/05/12(木) 04:05:46 ID:/OglDCgg0

「お前だって軽々しくお嫁さん諦めてるんじゃねえ!
 なりたいんだろが、その好色家っぽいハクオロって人のお嫁さんに!」

死後だけど! 死んじゃってるけど!
それでもあたしだって未だにこの願いを叶えたいって思ってるんだ!
諦めたくないって思ってるのよ!
ほんとのあたしなんて、歩くこともままならない身体だけど。

「お、お嫁さんっ!? い、いや、某はお側付きであってそのようなものではっ!?」
「しゃああああっらああああっぷ! 言い訳するな! 
 何が忠義よ、じゃかあああしいいい!
 お前はハクオロさんとやらが好きだから、愛してるから、死んでほしくないから殺してんだろがああ!
 だったらそんな泣きそうな顔で、鬱陶しい顔で、あたしんこと刺してるんじゃねえええ!」

それを、それを、たまたま当たりそうだったあたしの銃弾を慣れたのか回避出来ちゃうようなとんでもない身体持ってる癖して。
諦めてるんじゃねえよ!
幸せとは程遠い顔して諦めてるんじゃねえよ!

「っ、某に、某に笑って人を殺せというのか!?」
「そうよ、だってあんた好きなんでしょ、その人が! その人のためにって、アホなことやってんだろが!
 なら笑えよ、喜べよよ、そんな仕方無しにやりましたなんつう顔と引換にお嫁さん諦め、るな、よ」

ぐらりと、身体が傾く。
銃弾を撃ち尽くした銃が手からこぼれ落ちる。
あー、やべ、今度こそ、だめだ〜。
再び視界が暗くなる。
なんとか視野を確保しようと、仰向けに寝返ったものの、しめたとばかりに遠ざかっていく影は、真っ先にあたしの世界から追いやられた。
待てよ、おい、待てよ。
まだまだあたし、お前にに文句、言い足りないんだよ。
ねえ、ねえってば。

「――さん、ユイさん!」

ふっと、あたしの上に影が落ちる。
うん、そうだ、そういえば。
あたし、この人にも言いたいこと、まだ沢山あったんだっけ。
どうしてハクオロさんの、お嫁さんなこと、隠してたのかとか。
トゥスクルって國は一夫多妻制なのかとか。
いっぱい、いっぱい、疑問は尽きない。

でも、怪我が治るのを待っていられないくらいに一番知りたいたいことは――

190ガン×ソード GUN SWORD ◆92mXel1qC6:2011/05/12(木) 04:06:07 ID:/OglDCgg0

「ねえ、エルルゥさん。エルルゥさんが取られちゃわないか心配していたくらいですし、そのハクオロって人、すごくいい人なんですよね?」

そのユズハちゃんっていう子の夢が、叶いそうな夢だったのなら、

「じゃあ、じゃあ。例えば、家事も洗濯もできなくて。
 それどころか、歩けなくて立てないような、一人じゃなんにも出来ない迷惑ばかりかけてるお荷物のような女の子でも……」

あたしの夢も、叶わない夢じゃなくて、叶う夢だったのかなーってこと。

「そのハクオロって人はもらってくれるのかな? 結婚、してくれるかな?」
「くれますよ。ハクオロさんは本当に優しい人で。誰にでも優しくて。いつも私が気が気じゃないくらいの人ですから」

即答だった。
それまでの泣いてぐずってた姿が嘘のように、はっきりと芯の通った声だった。
信頼と誇りの詰まった声だった。

なんだ、ほんとにお嫁さんだったんじゃん。
余りにも幸せそうだから、ちょっと嫌味も言いたくなっちゃうぞ。

「そんな優柔不断な人をお婿さんにしちゃったら、お母さんは楽できそうにないなー」
「大丈夫、ですよ。ハクオロさんは、それでいて、やる時はやる人で、頼りになる人で、すごく、すごくかっこいいんですから」
「惚れちゃいたくなるくらいに?」
「はい、惚れちゃいたくなるくらいに、です」

ああ、世界にはそんな人も、いてくれたんだ。
そっか、そっか、そうなんだあ。

「……さん! しっかりして――。――イ……ん!」









よかったぁ、あたしは、まだまだ、夢を、見られるんだ……









【時間:1日目午後5時半ごろ】
【場所:F-5】

エルルゥ
 【持ち物:銀のフォーク、水・食料一日分】
 【状況:健康】

※近くにUZI(残弾ゼロ)、予備マガジン*5、水・食料一日分が落ちています


トウカ
【持ち物:木刀、サクヤの支給品、水・食料一日分】
【状況:健康】

191ガン×ソード GUN SWORD ◆92mXel1qC6:2011/05/12(木) 04:13:11 ID:/OglDCgg0
ユイ
 【持ち物:UZI(残弾零)、予備マガジン*5、水・食料一日分】
 【状況:死亡】

192ガン×ソード GUN SWORD ◆92mXel1qC6:2011/05/12(木) 04:14:04 ID:/OglDCgg0
以上で投下を終了します

193 ◆auiI.USnCE:2011/05/18(水) 01:05:56 ID:gaaR1JdA0
トウカします

194何故か、夕日が眩しいと感じたのだ。 ◆auiI.USnCE:2011/05/18(水) 01:07:59 ID:gaaR1JdA0
「ちっくしょー……」

紅く染まり始めた空を見ながら、河南子は肩を落としてとぼとぼと歩いていく。
勢いよく、診療所を飛び出してどれ位経ったのだろうか。
当ても無く歩いて、その結果誰にも会えやしない。
百二十人も居れば直ぐに会えますなと思っていた少し前の自分をぶん殴ってやりたい。
いや、実際殴ったら滅茶苦茶痛いけど。

「ってか……」

きょろきょろと辺りを見回して。
あれだけ乱立していた雑居ビルはもう姿は無く。
目の前には草原が広がっていて。

「ここ……どこだ?」

そして全く、現在位置が解からなかった。
適当に歩いていたら自分の居るところが解からなくなった。
まあ、誰かに会えばいいかと思ったのが思いっきり裏目った。
河南子は慌てて地図を広げて。

「うむ、当然解かる訳がありませんな」

そして、当然自分の位置など解かる訳がなかった。
地図を見るのを、ものの三秒で飽きて、放り投げる。
現状把握も大事だが、見ても解からないものは解からないのだ。
なら、何故地図を広げたというかというとノリだった。
誰も突っ込みをしてくれる人は居ないのだが。
河南子は疲れたように一つ長いため息をする。
そして、デイバックとは違う、肩からかけた小さなクーラーバックから、河南子の大好きなものを取り出す。

「まあ、こういう時はアイスを食べよう」

クーラーバックの中には、赤、水色、白といった色とりどりのアイスキャンデーが沢山詰めてあった。
診療所を飛び出した河南子が、誰も居ない街を徘徊しているうちに雑貨店だから拝借したものだった。
こんな事態なのだから、好きなものぐらい沢山食べよう。
お金を払わず、持っていくのは少し気が引けたが、この際割り切った。
とりあえず、食べたい欲の方が勝ったから。
そういうことだった。

「おいしっ」

白いキャンデーをちろちろと下で舐めながら、河南子は草原を行く。
誰に会えない事にへこんだが、それはそれ、あれはあれ。
次、誰かにあえればいいかと前を向いて歩いていく。
冷たく程よい甘さがとても心地よかった。

「さてはて、どうしましょうかね」

アイスキャンデーを振りながら、河南子は空を見た。
綺麗な茜空で、思わずずっと眺めてしまいそうだ。
暫く眺めて、いかんいかんと首を振って、考える。
この後、どうしようと。
迷って、まあいいかと思って、前を見て。

195何故か、夕日が眩しいと感じたのだ。 ◆auiI.USnCE:2011/05/18(水) 01:08:37 ID:gaaR1JdA0


「――――っ!?」

見てしまった、光景。
信じたくなかった、光景。

だけど、その瞬間、河南子の身体はもう動いていた。


その光景に向かって、河南子は駆ける。


そして、右手に握られていたアイスキャンデーは、宙高く投げられて。



ゆっくりと弧を描き、そのまま草原にぽとりと落ちてしまった。






     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「っつーてもよ」

のしのしと鎧を纏った男が草原を歩いている。
その後ろには大型犬が警戒するようについて来ている。
そして、男の肩には、既に事切れた少女が乗せられていた。

「埋葬しようにも、ここじゃあ……な」

歩いていた男――クロウは辺りを見回して溜め息を吐く。
大分遠くまで見渡せるぐらい、背丈の低い草が広がっているだけなのだ。
こんな場所に、事切れた少女を手厚く葬れる場所など無いのだから。

何故、名前も知らぬ少女を埋葬としているかと言うならば、それは深い理由がある。
まず、事切れた少女は決してクロウが殺したわけではない。
なら、誰が殺したかと言うと、一言で言えばクロウの身内である。
クロウの戦友であり、高潔なエヴェンクルガの武士、トウカがこの少女を殺した。
本来なら埋葬する必要など無いのだが、自分の仲間が殺してしまったのだ。
殺し合いに乗るとは思わなかった、あの高潔なトウカが。
信じられない気持ちもある。そして、この少女を凶刃から護れなかったほんの少しの後悔も。

196何故か、夕日が眩しいと感じたのだ。 ◆auiI.USnCE:2011/05/18(水) 01:09:11 ID:gaaR1JdA0

だからこそ、クロウは丁重に葬ろうと考えたのだ。
しかし、クロウには今、土を掘る道具も、燃やす炎も無い。
辺りにあるのは背丈の低い草と木ぐらいで、これでは丁重な埋葬など出来るわけがない。
少し、今居る山から下れば里が見えるだろうと考えたのがそもそそもの間違いだった。
そこで、土を掘る道具を探せばいいか、もしくは屋内に安置すればいいと楽をしようとしたのに罰があたったのだろうか。

結果的にクロウは、草原で一人さ迷っていた。
現在位置も解からないのに、地図など見たって仕方ない。
有体に言えば今クロウは迷子になっているのだから。
殺し合いが始まってから気ままに歩いていたのが、仇になってしまったとは考えない事にする。


「バウッ」

そういえば、一人ではなかったとクロウは振り返る。
後ろに居る犬は散々人を押さえつけた挙句、そのまま何故かついて来たのだ。
微妙に警戒しているようにも感じるし、自分がまた悪さをしないか監視するつもりなのだろうか。
そもそも悪さはしていのだが。ただ押し付けられただけで。
この前途多難な道のりに、クロウは思わずもう一度深い溜め息を吐いてしまう。


「さて、どーしようかねぇ」

いつまでも、溜め息を吐いていても仕方がない。
首をコキリと鳴らしながら、クロウはそれで心機一転を図ろうとする。
現状、担いでいる少女を埋葬するのは決定事項だ。
だが、埋葬といっても方法は幾つかに分かれる。
土葬、火葬、水葬などといったものだ。
本来なら儀式に則った埋葬をするべきなのだろうが、事態が事態だ。
略式に出来るものなら言いかとクロウは考え、

「……まあ、結局は里に行かねえといけねえか」

埋葬できる道具がある所、つまり地図に書かれている里のような所に行くべきしかないのだ。
例え、自分の居場所が解からなくても。
歩いていけば、見つかるだろう。
そう、クロウは気楽に思い、亡くなった少女を担ぎなおした。
そして、クロウは一息入れて歩き出す。


だが、その瞬間の事だった。




「何やってんじゃぼけぇええええええええええええええええええええええええ!」



裂帛の気合と、憤激の色を籠めた叫び声が背後から響いたのは。






     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

197何故か、夕日が眩しいと感じたのだ。 ◆auiI.USnCE:2011/05/18(水) 01:09:41 ID:gaaR1JdA0






交差は、ほんの一瞬。


気合と共に、少女――河南子が勢いをつけ、男――クロウの背後に飛び掛る。
未だ気づいていないクロウの頭に狙いをつけての跳び蹴り。
だが、クロウは河南子の蹴りが届く寸前で、横に身体をずらしてそれを避ける。

「ちっ」

河南子は舌打ちしつつも、着地後、直ぐに体勢を立て直しクロウと対面する。
正面から見たクロウの姿はまさに屈強の男そのもの。
両肩に大きな鉄製の肩当、そして左眼に走る刀傷が印象的だった。
クロウは驚きながらも、死んだ少女を地に横たえる。

「おいおい、嬢ちゃん、何が……」
「――――問答無用っ!」

河南子は憤怒したまま、クロウの釈明を打ち切りさせる。
ただ、激怒していた。
今横たえされた少女は死んでいる。
恐らく、目の前の男が殺したんだろう。
そう確信するぐらい、男の眼光は鋭かったから。

そして、河南子は怒っている。
もう、誰かが死んでしまった。
大切な命を散らせてしまった。
この男が奪った。大切な命を。

河南子はその事が許せない。
儚い小さな命を奪った者を。
どんな理由であれ、その行為を許す事ができない。

「覚悟しやがれ」

指を一つずつ鳴らしていく。
今、此処でこの男を逃がす訳には行かない。
ここで逃がしてしまったら、大切な人達が、鷹文が殺されてしまうかもしれない。
とものような小さな子が殺されてしまうかもしれない。
そんなの、絶対に嫌だ。絶対にダメだ。
だからこそ、ここでこの男を、止める。

そう、決めたから。



◇ ◇ ◇

198何故か、夕日が眩しいと感じたのだ。 ◆auiI.USnCE:2011/05/18(水) 01:10:15 ID:gaaR1JdA0




「っておい……だから――――」


クロウが何か告げようとしたが、それを最後まで告げる事は叶わなかった。
何故ならば、クロウの腹部に向かって拳が繰り出されてきたのだから。
二人の空いた距離は、約三メートル程。
少女は、その間合いを大きく足で踏み出して一気につめた。
その勢いのまま、クロウ腹部に向けて手甲を下にした、左裏突きを繰り出す。

「ちっ」

クロウは舌打ちをしながらも、素早く腹に右腕を差し込み、それを防ぐ。
だが、少女は左の拳をクロウの右腕に押し付け、密着しながら、笑う。
何事かとクロウは思った瞬間、顔に襲い掛かる右の拳。

「貰ったっ」

その少女の声を聞きながら、拳が顔に接触する刹那、クロウはぎりぎりのタイミングで、顔を右ににずらした。
瞬間、チッと掠れる音を出しながら、元にあった顔の位置に拳が通った。
少女は追撃が防がれた事に若干驚きながらも、直ぐにバックステップでクロウとの距離をとり、仕切りなおす。
危ない所だったとクロウは思う。
速度を生かした左の裏突きは恐らく陽動。
クロウが防ぐのを踏まえた上で、更に速度を乗せた右の突きが狙いだったのだろう。
密着した状態だから、威力はさほど期待できないだろう。
しかし、ほぼ密着された状態から不意に繰り出される拳を避けるのは難しい。

そして恐るべき事だが、この少女は、そんな不安定な状態でも凄まじい威力の突きを繰り出す事が出来るらしい。
掠れた左頬の痛みを考えれば、どれだけの威力があったか想像するのは難しくないからだ。

つまり、少女は自身の能力と膂力を理解した上でこの連携攻撃を繰り返してきたのだ。
クロウは最初ただの少女だと思ったがとんでもない。
そこらの新兵よりも場数を踏んでいて、それに徒手空拳を極めている。
一番最初にのした少年より、数十倍強いとクロウは感じた。
クロウは気を入れ替え、少女を睨む。
手を抜いて、簡単に倒せる相手ではない。
それをクロウは心の中で認識し、目の前の少女と戦に望む。

(……ん?)

ふと、クロウは自分の心の変化に驚く。
心が躍っているといえばいいのか。
そう、楽しいのだ。今の状況が。
何故か少女に襲われているのに。
とても、楽しい。

それは戦前にも似た高揚感。

強き者と手を合わす事が出来る最高の機会。

それに、クロウは心を震わせているのだ。
こんな機会を楽しまないでどうするというのか。


(へへ……なら、いいじゃねえか)


もう一度、少女の顔を見る。
度胸の据わった、いい顔だった。


(じゃあ、楽しもうじゃねえか、この戦をよ)


なら、もう充分。
今は、この戦いを楽しむべき。
楽しくなりそうだと思い、クロウは強く笑った。



◇ ◇ ◇

199何故か、夕日が眩しいと感じたのだ。 ◆auiI.USnCE:2011/05/18(水) 01:10:38 ID:gaaR1JdA0



(決まると思ったんだけどなー……ちぇー)

トントンと軽くステップを踏みながら、河南子は目の前の男を見る。
一撃で仕留められるとは思っていなかったが、その一撃すら避けられるとは余り思わなかったのだ。
なめていた訳ではないが、少し残念ではあった。
けれど、これも河南子にとって想定の範囲内。
最初の跳び蹴りが外れた時点で、今回の連撃をいなせる可能性は考えてはいた。
この事から、この男はやはりそれなりの戦闘熟練者なのだろう。
一人殺している時点で、並みの男ではないと思ったが。

(まぁ、なら程々に頑張りますか)

河南子は気を入れ替えて、構えを取る。
二人の間合いは先程と同じぐらい。
なら、自分はどのように攻撃を組み立てていくか。
または、どのような攻撃がきて、どのように防御をするか。
河南子は短い間であらゆるパターンを考え、いつでも身体が動けるようにする。

「おい、嬢ちゃん。中々やるじゃねえか」

その時、男から河南子に対する賞賛の声が上がる。
中々やると称されたが当然だ。
というより、まだ序の口だ。

割と適当に気ままに生きている河南子にも、河南子なりの誇りと自負がある。
幼い頃がどんなに辛くても続けていたモノ。
上に、更に上に行く為にずっと鍛錬を続けて、そして掴み取ったもの。
河南子が自らの手で掴み取ったものこそが、河南子の誇りで、河南子が今、ここで立っていられるその所以。


「あったりまえじゃん。なんたって、私は――――」


追いかけた二つの道。
諦めずに、ずっと積み重ねて、そして得た称号。



「公式戦最強――――だからね!」


空手、全国中学生大会優勝。
合気、全国中学生大会優勝。


名実共に、勝ち取った、河南子にしか名乗れない称号。


それこそが、公式戦最強。

200何故か、夕日が眩しいと感じたのだ。 ◆auiI.USnCE:2011/05/18(水) 01:11:28 ID:gaaR1JdA0


「じゃあ、行くよっ!」


その最強の称号を誇りに、河南子は目の前の男に向かって大きく踏み出す。
大地をしっかり右足で踏みつけた上での踏み出しで、男との間合いを一気につめる。
その勢いのまま、左腕を一度引き、脇を引き締めて、そして螺旋を描きながら拳を男の顔面へ突き出す。
加速した勢いを載せた正拳突きは男の顎へ凄まじい速度で、向かっていく。

「ふんっ!」

だが、男は右の手で掌底を繰り出し、河南子の拳に撫でる様に当てる。
掌底には、ほんの少しの力しか籠められていらず、河南子の速度の出ている突きをはじき返す事はできない。
ほんの僅かに拳の方向を変えるだけだ。

「っ!?」

しかし、それでいいのだ。
河南子が放った正拳突きは本来当てるはずだった顎の左脇を通っていく。
それこそが男の狙い。
無理に防御をすることも、避ける事もせず、最小の力をもって攻撃をいなす。

河南子は結果的に攻撃が空振る事となり、隙を最小限に抑える為に放った拳を直ぐに引いた。
だが、その動きに合わせるように男がカウンター気味に拳を放ってくる。
慌てずに河南子は男の動きを見ながら、あくまで冷静に自由に動かせる右手で男が放ってきた拳の手首を取って

「せいっ!」

摺り足をしながら、男の懐に入っていく。
そして男の体を受け流しながら、河南子は背転し、両腕で男の腕を取りその勢いで

「てやっ!」

振り落とすように男の放った拳の勢いをいかしたまま、男を地面に投げ倒す。
合気道の基本的な技の一種を河南子は放つ。
相手の力を殺さず、それを活かす。
合気道の基本ともいえる事を、そのまま河南子は行い、そして

「とどめだっ」

倒れてる男に、とどめをさす為の下段かかと蹴りを繰り出す。
河南子の踵はそのまま、男の首元を振り押されていくが、またしても男はタイミングよく腕を差し込んで防御をする。
しかも、男は防御をしながら、寝たままの体勢で河南子の腹へ蹴りを繰り出してきたのだ。

「ぐっ!?」

河南子は両腕をすかさず差し込んでそれを防ごうとする。
だが、寝ていても男の巨躯から繰り出される蹴りはとても攻撃力が高く、また河南子が技を繰り出した直後でバランスが悪かった。
結果的に、防いでも、防ぎきれず身体が宙に舞ってしまう。

「こなくそっ」

だが、宙に舞った事こそが河南子にとっての僥倖。
蹴り上げられた反動を活かして、後ろへ宙返りをして、一気に距離を放す。
変にその場に踏みとどまっていたのなら、追撃を受けていただろう。

河南子は離れた草原に着地し、息を整える。
蹴りを受けた両腕が未だに痺れていた。
男も立ち上がり、楽しそうに此方を見つめていた。

201何故か、夕日が眩しいと感じたのだ。 ◆auiI.USnCE:2011/05/18(水) 01:12:01 ID:gaaR1JdA0

「拳術、柔術を修めて……いや、極めているといっていいか。いいねぇ……たまんねぇぜ」

強い、と河南子は思う。
此方が攻めているのに、全ていなされている。
必勝パターンを構築するも、未だに勝ちが見えない。
男は防戦というよりも、むしろ此方の実力を図っているような様子だ。
故に男が攻めようと思えば、いつでも攻める事ができるだろうと河南子は考える。
加えて、男はこの戦闘を楽しんでいる節があるのだ。
実力者と戦える事に最上の喜びを感じている。
ただの戦闘狂かと河南子は少し苛々しながら思う。
いや、戦闘狂だけじゃない。少女を殺したただの殺人者だ。
そう思うと、沸々と怒りが湧き出てくる。
けれど、感情のまま怒りに任せて戦えば、負けるのは河南子はよく知っている。
だからこそ、怒りを闘志に、戦う為の力に換えて。
河南子は静かに、もう一度男を見据える。

単純に考えても、男の方が強いだろう。
屈強とした男の体付きに比べて、河南子の身体は鍛えているとはいえ、あくまで少女だ。
体重や純粋な筋肉の量では河南子は遠く及ばない。
一撃でも急所に食らえば、華奢な自分の身体では耐え切らないだろう。
それぐらいまでに、男女の体格差や体重差は大きいのだ。

けれども、

「それが、どうした」

それがどうしたというのだ。
体格差がある? 体重差がある? 力量差がある?
それだから、諦める?

(はっ、そんな訳ないじゃん)

そんな訳がない。
そんな事で挫折するなら、最強になどなっていない。
圧倒的な差? それがどうした。
それを乗り越えたからこそ、最強の称号を手に入れたのではないか。
これ位は、上等だ。簡単に乗り越えてみせる。
それこそが、公式戦最強である者の矜持。

口元は笑いながら、されど瞳は醒めていて。
心に闘志の炎を燃やしてながら。
公式戦最強である河南子は絶対に諦めない。

「いくぜっ、おっちゃん!」

掛け声一つ残して、河南子は瞬時に駆ける。
離れていた間合いを一気に大股で詰め、男に接近する。
間合いは河南子の拳が届くくらいの距離で。
男が河南子の動きに合わせ、顔に向けて右の拳を振るってくるが、それは読めていた。
河南子は身を屈め、その拳を避けながら懐に潜り込む。
そのまま、左肘に体重を乗せ、肘撃ちを鳩尾に打ち込む。
拳での突きと違い、接近した上での肘はいなしにくいのだ。

「ぐっ」

河南子に狙い通りに肘は静かに鳩尾に入り、男の身体は屈む体勢になる。
一撃入ったなら、後は追撃をこなすべし。
河南子は屈んだ体勢になった男に膝蹴りを、素早く打ち込む。
膝蹴りも難なく決まり、そのままの勢いで首刀を首筋に叩きこむ。
そして、そのまま男へ前蹴りを繰り出してそのまま、間合いをとった。

「よしっ」

河南子の繰り出した流れるような連撃。
これこそが河南子の本領発揮である得意中の戦法だ。
一つ一つの攻撃が威力は劣っても連続で攻撃していけば純粋に威力は増していく。
それをスムーズに隙無く繋げる技術に関しては河南子は随一なのだ。
それこそが体格に恵まれない河南子が最強になる為に極めた技術の一つなのだから。

見た所、男にもダメージは入っているようだ。
このまま、合間無く攻めて、決める。
そう河南子は思い空けた間合いをもう一度詰めにいく。

「せいやっ」
「っ」

202何故か、夕日が眩しいと感じたのだ。 ◆auiI.USnCE:2011/05/18(水) 01:12:25 ID:gaaR1JdA0

だが、それを察した男の前蹴りが向かう河南子に対して、迎撃の意味で放たれる。
それを横に間一髪に避けるも、逆に男が距離が詰めてくる。
距離はぎりぎり河南子が拳を振るえるくらいか。
いや、それを狙ったのだろう。
けれど、河南子はその男の狙いに乗って、男の顔面に向けて拳を振るう。
男は予想通り、河南子の攻撃を予期していて、それを弾こうとする。

「ふっ」

が、河南子は寸前で拳を止めて、左足で隙だらけだった右脛に蹴りを打ち込む。
そして、そのまま男の爪先を踏み抜く。
元々男の狙いに乗った上でのフェイントだったのだ。
虚を突かれた男は脛に蹴りを受け、動きを一瞬止める。
脛という部分は足の急所の一つだ。薙刀の試合では其処に決まれば一本をとれる程に重要な下半身の急所の一つでもある。
其処を蹴られた男は少し屈み、河南子はその隙を逃さず、そのまま右足の急所でもある爪先を思いっきり踏み抜いた。
足というのは中々防御への意識が薄くなる部分でもある。
故に実戦にて、下半身への攻撃というのは有効的ではあるのだ。
最も、拳術を極めたり習っているもののならば、その防御も怠らないのだが。

「ぐっ」

だが、この男は戦闘には慣れているとはいえ、格闘技専門ではなかった。
故に不意を狙った河南子の攻撃は、そのままダメージに直結し男は地に足をつけてしまう。
そして、男が地に足を着いた瞬間、河南子は右足を瞬時に限界まで頭上に上げて、その足はまるで天まで伸びるようで。

「どっせい!」

裂帛の気合と共に振り下ろされた蹴りはさながら死神の鎌のようで。
限界まで伸ばした足から振り落とされる踵、それこそが河南子が得意とする技の一つ。
俗に言う踵落しが男の肩に振り落とされる。

「……!」

男は振り落とされる踵を間一髪、身をよじる様に避ける。
河南子の踵はそのまま、草が生えた地面を抉り、周囲に砂塵が舞う。
その砂塵を見ながら、男は大きく間合いを取り、また河南子も一旦距離を取る。

(……あちゃぁ)

河南子はそのまま内心で苦笑いを浮かべる。
正直、今回の打ち合いで終わらせるつもりだった。
体格差がある男でも簡単に打倒出来る河南子の得意技であり、最大の大技の踵落し。
それが不発に終わったのは正直苦しいといってもいい。
実際、男はもう踵落しに対して警戒するだろう。
となると大技の踵落しをそう簡単に出来なくなるのは自明だ。

(……まぁー仕方ないよね)

仕方ないようにはぁと溜め息をつきながら、男を見る。
男は地面に足をつけながら息を整えているようだった。
その仕草にも隙は殆ど無いに等しい。

男も疲れているようだが、河南子自身連撃や大技の連発、それに凄まじく集中しているのもあり、多少なりとも疲労感がある。
そう何度も打ち合いは出来ないだろうと男との体力差も考えて、河南子は戦術を考え、ふーと静かに息を吐いて。

(次で、決める)

次の打ち合いを最後にすると河南子は決める。
ばちんと頬を打ち、もう一度気合を入れて。
そして、そのまま既に掌を握り締め、ファイティングポーズをとっている男に向かって駆ける。

203何故か、夕日が眩しいと感じたのだ。 ◆auiI.USnCE:2011/05/18(水) 01:12:51 ID:gaaR1JdA0

「はぁああああああ!!!!」

男が仕掛けるタイミングも与えずに、上段に右足での回し蹴り。
多少大振りだったので、男には難なく閉じた両腕で防がれる。
だけど、それでいい。
河南子は間髪居れずにそのまま右足で下段への蹴りを放つ。
それも、足で弾かれるが気にする事は無い。
直ぐに軸足を変えて、右脇腹への左足でのキレのいい横蹴り。
それも腕を使われて、防がれる。
河南子はまた軸足を変えて、右足で上段への回し蹴りを河南子が最速で放つ。

「まだまだっ! こんなので終わるかぁあ!」

上段への回し蹴りも男へ弾かれるが、気にせず次の蹴りへと移行する。
膝を上手く折り畳んで左脇へ蹴って、そのまま下段の左足へ蹴りを入れた。
全部、腕と足で防がれるが、河南子の連撃は未だに止む事が無い。
軸足を変え、左での腹への前蹴り。弾かれたと同時に回って、同じく腹部への後ろ蹴り。
それも弾かれるとまた、身体を回して、腹部への左での前蹴り。

「甘いねっ!」

男は弾こうとするが、河南子は寸前で地面に落とし、その勢いで飛び上がる。
そして、反対の足で蹴り上げる、二段蹴りを顔へ浴びせようとするも、やはり寸前で防がれる。
着地と同時に河南子はすかさずしゃがみながら、足へ蹴り上げ、防がれると同時に起き上がり膝蹴りを。
それも、防がれるが、直ぐに右での上段回し蹴りを放つ。
腕で防がれたと同時に、そのまま足でスナップを利かせ、逆回し蹴りを放つ。
それも、防がれるが、河南子の猛攻は止まらない。

「はぁああああああああ!」

上段、中段、下段、中段、下段。
時にはフェイントを入れて、間髪なく蹴りの連撃を放っていく河南子。
これが、河南子が取れる最後の戦法であり、向こう見ずとも言える戦法。
ただ、敵を打破する為の蹴撃による、全力展開。

これは先輩である坂上智代が得意とする戦法だ。
最も智代ならば、自分の蹴りと違って、連発する分無くなってしまう溜めの蹴りの威力もなくならない。
一発が大砲の攻撃のような重い蹴撃を放てるだろう。
そして、どんな蹴りでも、自分の蹴りより、キレのいい蹴撃を放てるだろう。
結果として防がれない、重くて速い一撃を連発する事ができるのだ、坂上智代というのは。
それが、彼女を最強にしてる理由の一つだ。

だが、それがどうしたのだ。
自分は、河南子は、坂上智代ではない。
例え、一発の威力が劣ろうとも構わない。
どんなに、防がれようと構わない。
自分の狙いは別にあるのだから。
結果的に、勝てればいい。
最強の名を持つ者として、絶対に負けられない。

「おおおおおおおおお!」

右、右、左、右、左、左。
出来るだけ早く、出来るだけ重く。
間髪ない蹴りを放て。
全て、腕で弾かれるが、気にするな。

上段への左での回し蹴り。
中段への横蹴り。
そしてまた上段へ。

全て男の閉じられた腕で蹴りは防がれる。
男は掌を握り締め、ずっと腕で防御していうのだ。

(そうだ、全部、防いでしまえっ!)

河南子は内心でほくそ笑む。
いくら、威力が劣る蹴りでも、蹴りは蹴りだ。
少しずつ、どんなに防いでもダメージ入っていく。
いつか、防御はその蓄積されたダメージに耐え切れなくなり、決壊する。
その瞬間の隙を狙うのが、河南子の最大の目的。

204何故か、夕日が眩しいと感じたのだ。 ◆auiI.USnCE:2011/05/18(水) 01:13:11 ID:gaaR1JdA0

「はぁあああああああ!」

さあ、峻烈に、苛烈に、激しく。
攻め手を休めるな。
蹴りを持ちえる力の限り、放ち続けろ。
堅牢な守りをこじ開けてしまえ。

左、右、上段、下段、中段。
短い間に無数の蹴りを。

全ては誇りと矜持の為に。

最強の称号を胸に、河南子は蹴り続ける。


そして、


「はああ――――――!」


何十回の蹴撃の果てに。


河南子が放つ、裂帛の気合と、燃え滾る闘志を乗せた


峻烈で鋭敏なる、鮮やかな河南子の渾身の蹴り。


「ぐっ……!?」


その一撃が、男の堅牢の防御を遂に抉じ開け。


遂に訪れる、致命的な隙。


「これで! 終わりだっっっ!」


河南子は右足を、天まで届くように限界まで伸ばして。
目の前の敵を是非無く狩るように、再び死神の鎌を宙に掲げた。

そして、河南子の必殺である踵落しを放とうして。


今、鎌を、振り下ろそうとした瞬間。



「――――――――うぐっ!?」


河南子の視界を覆う、モノ。
目に、何かが入って。
その次の瞬間。


「がはっ!?」

腹部に強烈な衝撃を感じて。


河南子は何が起きたか、解からないまま、地に転がって、そのまま目の前が真っ白になった。


訳が解からない。

ただ、解かるのは、恐らく。


河南子が負けたという事だった。





◇ ◇ ◇

205何故か、夕日が眩しいと感じたのだ。 ◆auiI.USnCE:2011/05/18(水) 01:13:30 ID:gaaR1JdA0



「あっ……………………ぶっねぇー」


男――クロウは大きく、深呼吸して息を整える。
想像以上に少女相手にてこずってしまった。
防御していた手に大分痺れがきていて、クロウはそれをとる為に大げさに腕を振った。

クロウは襲い掛かった少女をなめていた訳ではない。
むしろ、充分気を引き締めてたはずだ。
だが、此処まで攻められたのはある意味想定外だった。

最も負ける気自体は余りしなかったのだが。
確かに格闘戦だけで戦っていたならば押し切られていた可能性が高い。
いくら戦闘に慣れているクロウだとしても、彼の得意分野は大剣を使っての持ちえる膂力で押していく戦闘。
そして、何より騎兵戦がクロウの最も優れる戦法だ。
格闘も苦手ではないが、武器を使うのよりは劣るのだ。
それでも、修めるレベルなら負ける気はしない。
が、極めたレベル、いわば達人レベルには流石に劣ってしまう。

そして、目の前の少女が恐ろしくもそのレベルに近いという事だった。
小さい身体でも、重たい一発。流れるような連携はまさしく極めたといっても等しいだろう。
そして、柔術も極めているとこれまた厄介な事は間違いない。

故にクロウは攻める事をあえて『捨てた』のだ。

確かに、格闘戦では少女に劣るかもしれない。
だが、彼女の本場に付き合う理由は無い。
クロウは騎兵であり、そしてまた兵士であり、将でもあるなのだ。
勝つ為の力はらはもとより、生き残る為の戦いかたの方がむしろ心得ているといってもいい。
故に、勝つ事に注力した少女の猛攻を耐えて。

防御をあえて、崩させた時に出来るその隙に、彼女を釘付けにしたのだ。
そしてクロウに出来た隙を狙う彼女のその隙を狙ったのだ。
防御を破られ、何も出来ないと思わせて。

クロウは破られた瞬間、手に持った『土』を彼女の目に目掛けて投げつけたのだ。
クロウがしゃがんだのは疲れていたからではない。地面から投げつける土が欲しかったからだ。
そして、戦いの最中ずっと掌を握っていたのも、土を逃がさず、そして彼女に気づかせない為。
別に、正々堂々、格闘戦だけ戦うとは最終的にはクロウは思っていなかったのだ。
彼女は、正々堂々の勝負になれていただろうが、それにあわせる必要も無い。

結果的に想像外の攻撃を少女を受け、隙を晒してしまった。
そこに一撃を彼女に打ち込んだだけ。
最も華奢な少女の身体をダウンさせるには充分であったが。

206何故か、夕日が眩しいと感じたのだ。 ◆auiI.USnCE:2011/05/18(水) 01:13:50 ID:gaaR1JdA0


「はぁー……」

とはいえ、それでも薄氷の上を歩いているような戦いであったが。
最後の土投げも彼女が大技ではなく小技を連発叩き込んでいたら、投げる暇も無く負けていたかもしれない。
それを抜きにしても、苦戦とは言わずとも大分厳しい戦いであった。
けれど

「まぁ……楽しかったぜ」

こんな島でこんなに熱い闘いができた事はクロウにとってとてつもない幸運に感じた。
お陰で随分熱くなってしまった。
そして、とても楽しかったと言える。

格闘を極めた少女との戦いは。

クロウにとってとても満足のいく勝負だったと言える。


「さて……なんで、襲われたかを聞くかね」

最も何で襲われたかは未だにクロウも理解はしていない。
故にクロウはその理由を聞こうと思った。
少女は草原に三角座りをし、少し惚けた表情で空を見上げていた。

「おい、嬢ちゃん……」
「えーいっくそっ……負けたっ…………殺すんだったら殺せよおっ!」

少女は涙目になりながらクロウに向かって吼える。
何か覚悟したように、とても悔しそうに。
けれど、クロウにとって寝耳に水である。

確かに襲われたから自衛はした。
けれど、殺すまでは思っていない。
何より、彼女振るった拳は殺意が無く、それに濁っちゃいなかった。
とても綺麗な拳で殺しをするようにはみえないのだ。

「いや、ころさねえって」
「じゃあ、なんでその子殺したっ!」

彼女が指差すのは、草原に横たえてあった遺体。
蘇る事なんて無く、覚めない眠りについたままだ。

「はぁ……なんでそうな………………待てよ?」

クロウは反論して、ある考えが浮かぶ。
自分は草原を遺体を担いで、運んでいた。
そして、周りには犬っころぐらいしかいない。
尚且つ、自分は非常に強面である事を自覚している。
戦場に出ている歴戦の猛者なのだから、当たり前なのだが。

そして、此処は殺し合いの為の島だ。

207何故か、夕日が眩しいと感じたのだ。 ◆auiI.USnCE:2011/05/18(水) 01:14:09 ID:gaaR1JdA0

「………………あー」

クロウはつい、自分の頭を抱えてしまう。
普通、戦場で埋葬なんて考えやしない。
此処を戦場とするなら、安心して埋葬出来る所を探して、辺りをうろつくなどありえないのだ。
まして強面である自分が遺体を担いで歩き回れば、怪しさは凄まじいものになる。


「あーすまん、俺は埋葬しそうとしてたんだよ。 勘違いだ勘違い」


勘違いして、当たり前だった。
クロウは自分の浅慮に恥ずかしくなってしまう。
少女はポカンとして、それでもなお反論しようとする。

「はぁー!? 信じろっつーの!? それを!?」

信じられないよなぁそりゃあと自分でも思ってしまう。
自分でも味方の不始末でなきゃそんな事はしない。
見知らぬ誰かを埋葬するほど流石にそこまでお人よしではない。
今でも充分お人よしだが。

「いや、信じてもらわないとなぁ」
「はぁー?! じゃあなんであたしは襲った……あーうーがー!?」

更に混乱する少女。
だけど、クロウはそれ以上に少し気になる事がある。

「あーーうーーあー」
「おい、嬢ちゃん」
「何!?」
「見えてるぞ」

三角座りで、全く気にしていなかったのかもしれないが。
足の先に見える、股に黄緑の布切れが。
クロウ自身そんなものに色気など感じるわけでないが。
一応、少女の尊厳として、指摘をしておく。

「っーーーあーーーーーーぐぁーーーーーー!!!!????」


あっという間に顔が真っ赤になった少女。
内股になってその布切れを隠して、羞恥心を抑える事などできそうなど無かった。
混乱し、どんどん真っ赤になっていく少女を尻目にクロウはどう誤解を解こうかと考え、


「あ、おい嬢ちゃん」
「なんだよぉ、恥ずかしいんだよぉ」
「これから、埋葬するから、ついてこいよ」

埋葬する瞬間を見せた方がいいとクロウは思いついたのだ。
少女は、真っ赤になりながらぽかんとしていた。







◇ ◇ ◇

208何故か、夕日が眩しいと感じたのだ。 ◆auiI.USnCE:2011/05/18(水) 01:14:31 ID:gaaR1JdA0





二人して少し歩くと、町が見えてきた。
犬も当然ついてきた。
少女は顔を紅くしながら、それでも黙ってついてきた。
そして、少女が言う穴を掘る道具を見つけて、そして柔らかい地面を見つけると、クロウは穴を掘り始めたのだ。

「………………」

クロウは黙って穴を掘り続ける。
簡易な墓穴だったが、別にそれでいい。
埋葬と言う形がとれるのならば。
身内が殺した少女なのだ。
せめて、安らかに眠れればいい。
それだけは、確実にさせてあげたかった。

大分、穴を掘り進めた頃に。

「………………あたしもやる」

少女もそう言って、穴掘りを何故か手伝う事になった。
何もしない事に何か腹立っている様子だった。
クロウは黙って、その行動を許し二人で、穴を掘る。


そして、日が落ちかけた頃に、穴が掘り終わり、少女を埋める事が出来た。
最後に土をかけ、お互いに黙祷し、埋葬を終える。
クロウはすまなかったなとだけ一言残して。


「………………あたしは、さ」

少女はそして、ぽつりと告げる。
うめた少女だけを見て、表情は見えなかった。


「何も考えなかった。ただ人が死んでるのを見て許せなかった。怒りのまま行動してしまった。ダメだねあたしは」

誤解のまま、怒りのまま戦った事に悔いてるように。
悔しそうに言葉を告げる、少女。
だけど、クロウはそんな少女に言葉を放つ。

「別にそれでいいだろう。死体に無関心や、殺した相手に怒りを見せるのは当然じゃねえか」

死体に何も感じなくなる。
殺した相手に何も思わなくなる。
そうなってしまったら、もう少女は少女ではなくなるだろう。

それは、戦場になれた、人の死に慣れてしまう、哀しい事なのだから。

だから、クロウは少女は今のままでいいと思ったのだ。

けど、

「まぁ、ちょっとは冷静になったほうがいいけどな」

そういって、クロウは笑った。
少女は唖然として、そして同じく吹きそうだしそうになって笑う。

209何故か、夕日が眩しいと感じたのだ。 ◆auiI.USnCE:2011/05/18(水) 01:14:57 ID:gaaR1JdA0


「あはは……何それ…………じゃあ、これ、お詫びにどーぞ」

少女は笑いながら手元の鞄から、氷菓子を出して、クロウに渡す。
無碍に断る事も無くクロウはそれを舐める。
そして、少女も舐め始める。
とても、冷たくて甘かった。
それで、よかった。

そして、少女が食べながら、口を開く。

「あたしは、河南子。 おっちゃん……名は?」
「クロウだ。それにおっちゃんという年でもねえ」
「ふーん、じゃあ、あたしもおっちゃんについていくから、そこんとこよろしく」

一体こんな無骨な自分に、何を感じたのだろうか。
厄介事が増えたとクロウは思い、はぁーと大きく溜め息をつく。


少女――河南子は、あははと笑う。


その満開の笑顔が、夕日と重なり、とても眩しい。


クロウは何故か、そう感じたのだった。


【時間:1日目午後5時45分ごろ】
【場所:F-5】

クロウ
【持ち物:不明、シャベル、アイスキャンデー、ゲンジマル、水・食料一日分】
【状況:疲労(中)】

河南子
【持ち物:XM214”マイクロガン”っぽい杏仁豆腐、予備弾丸っぽい杏仁豆腐x大量、シャベル、アイスキャンデー(クーラーボックスに大量)水・食料二日分】
【状況:疲労(中)】

210何故か、夕日が眩しいと感じたのだ。 ◆auiI.USnCE:2011/05/18(水) 01:15:27 ID:gaaR1JdA0
投下終了しました。
大分時間がかかってしまい本当申し訳ありませんでした

211Monochrome-モノクローム- ◆g4HD7T2Nls:2011/05/25(水) 04:23:43 ID:Y6qXe3Do0



monochrome




 ■ □

212Monochrome-モノクローム- ◆g4HD7T2Nls:2011/05/25(水) 04:24:39 ID:Y6qXe3Do0



黒。



夕闇の下にひとり、黒い少女が立っていた。
土の上、血の飛沫の散らばった草を踏みしめて、悠然と立つその少女は黒い。
暗く、濃い、夜の色をしていた。

長く流れるような髪の黒、風にそよぐ細糸の束は夜を写すベールのよう。
ほの暗い色調で統一された衣服の黒、そこに塗された紅の斑点とリボンがより黒く少女を染める。
そして、光を映さない瞳の漆黒、内にある何かを守るようにセカイを遮断していた。

黒。

少女は染まらぬ黒の色。
少女は染まりきった黒の色。
何物にも交わらず、何物にも交われぬ。
何者にも交われず、何者にも交わることを拒絶する。

そんな色。
だから黒。

凝らされた黒の瞳は、腐り落ちた世界を俯瞰している。
世界は黒く、暗くて、汚れて、穢れて、暮れた、少女の瞳と同じ色をしている。
だから、その少女の瞳は黒かった。


黒、少女、名を、榊しのぶ。


彼女の瞳は今、白を捉えている。



 □ ■

213Monochrome-モノクローム- ◆g4HD7T2Nls:2011/05/25(水) 04:25:11 ID:Y6qXe3Do0



白。



鬱蒼とした林の下にひとり、白い少女が座っていた。
土の上、血の飛沫の散ばった草に腰を落として、呆然と座り込むその少女は白い。
儚く、薄い、昼の色をしていた。

長く澄んだ髪の白、湿った地面にばら撒かれた光沢は土の侵食を許していた。
身を包んだ外套の白、泥と血を塗された斑点は少女の白を汚している。
そして、光を映さない瞳の蒼白、射影機に似たそれは内に何も無いことだけを世界に示していた。

白。

少女は染まる白の色。
少女は染まりきれない白の色。
何物にも交わり、何者にも交われる。
何者にも交わらねばならず、何物にも交わることを受け入れる。

そんな色。
だから白。

風車のように空回る白の瞳は、かつての優しい世界を俯瞰していた。
世界は白く、明るくて、綺麗で、暖かで、晴れた、少女の瞳と同じ色をしている。
だから、少女の瞳は白かった。


白、少女、名を、能美クドリャフカ。


彼女の瞳は今、黒を映していた。



 □ ■ □ ■

214Monochrome-モノクローム- ◆g4HD7T2Nls:2011/05/25(水) 04:26:36 ID:Y6qXe3Do0



白黒。



モノクロームの空の下にふたり、白と黒の少女がいた。
土の上、転がった二つの死体を挟み、見つめ合った少女達の色は白黒。
淡く、霞んだ、灰の色をしていた。

「ねえ、あなた」

血に染まった黒が、口を開く。

「……」

血に染められた白は、音を返さない。

「そう。あなたよ」

しかし繰り返す黒、榊しのぶに音の答えは不要だった。
白、能美クドリャフカの視線はこの瞬間、しのぶを捉えている。
意志は、哀しげに揺れる思いは、確かにそこにあった。
榊しのぶは、それ以上を望まなかった。

「あなたがやったの? これを全部」

しのぶは問う。
赤い草原に横たわる二つの死を指して、咎める罪科を、ではなく事の次第を質した。
正しく求めた答えは、事実、真実、意味。

「…………」

答えはやはり音でなく、頷きをもって返された。
こくり、こくり、こくり。
小さく、けれど紛れもない、頷き。
光の消えた瞳をゆらゆらと揺らしながら、クドリャフカは首を縦に振っていた。
そこに欺瞞はなく、ましてや誇張も見られない。
少なくともクドリャフカにとっては、しのぶの確認に関して何一つ、否定するべき要素は無いようだった。

「そう」

呟くように言って、しのぶは白から視線を切り、灰の空を見上げた。
気がつけばもうすっかりと、夕の刻は過ぎている。
右に来たる闇、左に落ちる光。
真上で煙る、肺を病むような天頂の雲。
幻想的に吐き気を催す世界の形が浮かんでいた。

「かわいそうにね……」

呟きながら視線を地に戻す。
変わり往く空の下で、地には二つの骸が二つ、相も変わらず転がっている。

木に寄りかかるようにして死んでいる少女。
草原の上に仰向けの状態で死んでいる大男。

何があったのか。
答えはきっと、望めない。
しのぶはため息をつくように、一つ息を吐き出した。

「……」

215Monochrome-モノクローム- ◆g4HD7T2Nls:2011/05/25(水) 04:27:51 ID:Y6qXe3Do0

吐き出して、ふと見やる。
ちらりとそれを、
向けられていた銃口を見やって、そこでもう一度呟いていた。

「……かわいそうに」

眉間を寄せ、沈痛な面持ちで、白を、『かつて白だったもの』を、見て呟いた。

「もう、壊れてしまったのね」

かつては白だった少女。
守られるべき存在だった少女。
面影はあった。けれど、今は違う。
純粋で、綺麗で、汚れの一つも無かったのだろう能美クドリャフカの姿は、今や見る影も無い。

震える細腕から続く小さな手に、似合わぬ拳銃は握られている。
ぶれつづける蒼白の瞳は暗く、怯えと恐怖とを全方位に叩きつけている。
小刻みに動く口元は、何故か、薄く笑っているようにも見えた。

青白い頬につたう血は黒い涙のよう。
純白だったマントは赤黒く染められて、夕の暗さを投影する。
白かった能美クドリャフカの体の半分が黒ずんでいる。
血に汚された少女が此処にいる。

価値を奪われ、存在を穢された哀れな存在。
世界の汚濁を浴びて、心まで汚泥に侵された彼女はきっと、もう戻ることは出来ないのだろう。
侵食した穢れは魂にまで染み付いて、美しいものは醜い壊れ物に成り果てる。

「だから不快よ」

見ていることも不愉快だった。
不快感と、悲壮感しか、その光景は齎さない。
いったい誰が彼女をこうしたのだろう。
誰かの悪意か、あるいは善意か。
いずれにせよ独りよがりな誰かの意志が、綺麗だったはずの彼女を壊したのだ。

その光景はどこか、しのぶが守りたい少女に似て見える。
しのぶが守らなければならない存在の、壊された形に思えたのだ。

「…………っ」

見ているだけで、気持ち悪い。
気持ち悪くて、吐きそうだった。

だから踏み出す、一歩。
一つ、握られた銃が、見つめる少女の手の中にある。

だけど踏み出す、一歩。
一つ、黒い銃が、しのぶの手にもあった。

同じ黒。黒い銃だ。
握り締めたそれは、汚れの凝縮した彼女等の汚濁そのものに相当した。
ならば、吐き出す弾丸とは心の内の、最も鋭い思念たる。
即ち、殺意。

やがて闇に染まる世界の中で、少女は二人、向け合った。



 ■ □ ■ □ ■ □ ■ □

216Monochrome-モノクローム- ◆g4HD7T2Nls:2011/05/25(水) 04:28:29 ID:Y6qXe3Do0








黒白。


モノクロームの空の下、銃声ふたつ。


くらりと傾く、小さなからだ。









 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■

217Monochrome-モノクローム- ◆g4HD7T2Nls:2011/05/25(水) 04:30:21 ID:Y6qXe3Do0



黒。

結果を見送ることもなく。
榊しのぶは踏み出した。
長い髪が翻り、夕闇に広がって、幕のように過ぎていく。

ここにはもう、何も無い。
疎むべき罪悪も、尊ぶべき清純も、今はもう、何も無い。
野原に三つ、傷跡がある.
それだけだった。

しのぶは歩みだす。
振り返ることはなく。
前だけを見て、歩んでいく。

「さよなら」

呟くような、言葉を一つだけ残す。
灰色の空の下、黒と白とが交差した。
これはただ、それだけのこと。

けれど背をむけて、歩く彼女の後ろ姿に印はあった。
裂けた、布。
制服の左袖。
二の腕に掠った、痕跡。

ぶつけた思い。
ぶつけられた思い。
ズキリと痛む、それだけを良しとして、右の手のひらで握り締め。
愛でるように抱えながら、榊しのぶは近づく夜に溶けていった。



 【時間:1日目 17:59】
 【場所:C-2】

 榊しのぶ
 【持ち物:草刈鎌、ベレッタM92(残弾14/16)、水・食料一日分】
 【状況:健康、左の二度腕に切り傷】




 □ □ □ □ □ □ □ □

218Monochrome-モノクローム- ◆g4HD7T2Nls:2011/05/25(水) 04:32:14 ID:Y6qXe3Do0



白。


沈んでいく白。
仰向けに倒れ、空を仰ぐ能美クドリャフカの頭上、赤い日が落ちていく。
虚無が過ぎていく。
少女はその間際、一つの後悔を思い出す。


それは誓い。
果たせなかった一つの思い。
成し遂げられなかった、尊い生き方。


―世界の良き歯車となれ―


そんな言葉をかつて、原初の頃から、身に刻んでいた。
崇高な願いを、生まれた頃から、身に込められていた。
大好きだった人から、かくあれと願われて、贈られた名前だった。

クドリャフカ。

名誉ある名前。
気高き礎。

誇らしくて、嬉しくて、だけど出来なかった。
贈られた願いから、込められた思いから逃げ出して。
そうして、大切なモノを失った。

後悔が胸にあった。
ずっと、拭えない悔恨があった。
繰り返したい、もう一度。そう願った。
もう一度があるならば、きっと。

成し遂げて見せるから。
果たして見せるから。
願われたように、生きて見せるから。

もう一度があるならばきっと、『今度』はきっと――

219Monochrome-モノクローム- ◆g4HD7T2Nls:2011/05/25(水) 04:34:37 ID:Y6qXe3Do0



「私は」


クドリャフカは、


「なれたですか……?」


世界廻す歯車に、


「私は、これで、いい……ですか?」


狂った世界をくるくる廻す、血でさび付いた歯車として、もうすぐ止まる。


「私は……」


叶えたかった思いは、刻まれた願いは、これで成し遂げられたのだろうか。
死を運ぶ、無垢なる礎。
それが殺し合いの世界で求められた、良き歯車の形だと言うのなら。


「……っ……っ」


痛む右腕のせいか、涙が溢れた。
胸の奥が苦しくて、辛くて、考えるのをやめて、見上げた空は遠かった。
焦がれた蒼は見えず、灰の雲が頭上で阻む。
手を伸ばしても、その向こうへは届かない。
だから、もういいや、と。


「しーゆー」


明るく綺麗な、戻れないあの場所への、別れの言葉。
素敵で、大好きで、大切な人達へと。
きっと、『今度』は離れないよと、願うように。



そして訪れる夜に、少女はゆっくりと目蓋を閉じた。





 【時間:1日目 18:00】
 【場所:C-2】


 能美クドリャフカ
 【持ち物:CZ75(10/15)、不明支給品、水・食料一日分】
 【状況:健康、右の二の腕に切り傷】

220 ◆g4HD7T2Nls:2011/05/25(水) 04:36:09 ID:Y6qXe3Do0
投下終了です

221出逢ったのなら……仕方ない……よね? ◆auiI.USnCE:2011/05/26(木) 01:37:11 ID:Z6aBykdE0





―――なんか、ふわふわっとした、不思議な感じがしたんだ。そんな気がしたんだよ。 









     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇






ああ、いい日差しだなぁと僕は空を仰ぐ。
空は驚くくらい、青かった。
まるで殺し合う為だけの島じゃないみたいに。
あの日、あの時、見た空もこんなだったっけと思ってしまうみたいに。


「無視するんじゃないですわ!?」


いや、はい。
まぁちょっと現実逃避です。
僕――坂上鷹文は目の前でかなきり声上げるツインテールの少女をつい華麗にスルーしたくなっただけ。
何でかっていうと単純に関わりたくなかったタイプの少女だった。
全力でトラブルしか待ってないような気がしただけ、うん。
…………無視した方が余計にトラブルになる気がする。
……はぁ。

「えーっと……君は……」
「さっき名乗りましたわよ!?」
「荒ぶる獣――」
「だから、ケモノじゃないですわ!?」
「あ、はい。うん。解かってる」
「からかってまして!?」

顔を真っ赤にして耳みたいなリボンを立たして今にも噛み付きそうだ。
この人何回「!?」マークつけたような荒ぶりかたするんだろう。
というか、なんで僕がボケに回ってるんだろう。
…………はぁ、どうにもペースが崩れる。

えーと、はい、次にいこう。

舌を噛んで、僕の鼓膜が破けそうなぐらい叫んで。
そして言えた名前。
えーと、確か……

222出逢ったのなら……仕方ない……よね? ◆auiI.USnCE:2011/05/26(木) 01:38:03 ID:Z6aBykdE0


「笹かま弐式……?」


……うん、無いね。
つい浮かんだそのまま口に出してしまった。
笹かま美味しいよねと、この後の展開を考えたくなくてたそがれる。
しかも、弐式って……まあ多分ゲーム脳の性だろう。

「……貴方……いいですわ、もう一度わたくしの名前を教えてさしあげるわ」

おお、腰に当てた手がプルプル震えている。
明らかに怒りゲージがマックスっぽい。
そして、すうと息を吸って。


「笹瀬川! 佐々美ですわ!」


おお、今度はちゃんと言えた。
思わず僕はぱちぱちと拍手をしてしまう。
名前如き言えないでどうするだが、明らかに噛みそうな名前だからとりあえず拍手しよう。

「おーほっほっほ!」

彼女、佐々美さんはやっぱりイメージ通りの高笑いをし始めている。
ご丁寧に口に手を添えて。 まぁそんな感じだよね。
そして、僕は止め所を失った拍手を続ける。


ぽかぽかとした昼下がり。
誰も居ないビル街で。
響く高笑いと乾いた拍手の音。



「おーほっほっほっほ…………………………何やっているんですの……わたくし達は…………」



御尤もです。




◇ ◇ ◇

223出逢ったのなら……仕方ない……よね? ◆auiI.USnCE:2011/05/26(木) 01:39:33 ID:Z6aBykdE0



何をやっているんだと言われれば正しく何もやってなかった無駄な時間。
ずーんと沈みながら、佐々美さんは高笑いから現実に意識を戻していた。
そして、戻したからこそ、へこんでいた。
僕も何やってたんだろうと思うけど、何もやってなかったんだよね。
冷汗が頬を伝った気がするけど、僕は気にしない。
笑っていれば、いい事あるさ。
……御免なさい、ちょっと泣いていいですか?

「……甘いものも飲めないですしし、最悪ですわ」

うん、まぁこんな殺し合いに巻き込まれた時点で最悪なんだけどね。
ああいや、弱気になっちゃダメだ。さっきそう思ったし。
でも、流石に、まさかこんな子と一緒になるとは。
あっはっは、笑ってみよう。
………………特に何も無かった。いや虚しくなった。

「そうそう、貴方……坂上鷹文でしたよね。鷹が入っているのは珍しいですわね」

うん、僕もそう思う。
鷹が入ってる分、凶暴かもしれないよ?
……いや、まるで鳩のように温厚なんだけど。
温室育ちではないけど室内育ちみたいな。

「貴方、お金持っていませんこと? 何か飲みたいのですのよ」

彼女の細く白い指が指すのは何処にでもある自販機。
紙コップが出てくるタイプじゃなくて、普通の缶やペットボトルとかのだ。
というか、あれお金飲まれたと言われた自販機じゃないか。
またチャレンジするというのかな。
お金は飲まれるけどジュースは飲めない。
と、本当にどうでもいいくだらない事を考えながら、財布を取り出す。

「これしかないけど……」
「充分ですわ、借りますわよ」
「あ、ちょっとそれは……」

財布を問答無用で取られて佐々美さんは自販機に向かっていく。
ああーそれ、お金はお金なんだけど。全く使えないというか……
まさかこういう時の為のこども銀行だったんだろうか。
凄いや、こども銀行。

「さぁて………………って、使える訳ないですわっ!」

ああ、解かりやすいノリ突っ込みありがとう。
使える訳無いに決まってるよね。
流石だね、こども銀行。

「もう、使えないなら貴方言ってもらわなきゃ困るでしょう!?」
「ええーっ」

凄い勢いで責任転嫁されているっ!
ぷんすか怒ってる佐々美さんが可愛いとかはそんな事は毛頭も思わなく。
ただ理不尽な怒りをそのまま、一身に受けていた。
別にMってわけじゃないよ? 多分。

「というか、貴方。もしかしてこれが……」
「想像の通りです」

ああいや、うわっ使えねーみたいな顔で見ないで欲しいんだけど。
実際使えないんだけどね……うん。
いや、まだ使えるかもしれないよ。
…………雀の涙の更に十分の一ほどの可能性でしかないんだけどさ。

さて、なんかこのままだと延々と負のスパイラルになりそうだから、一旦話を打ち切ろう。
というか、さっきから気になってたんだけど

224出逢ったのなら……仕方ない……よね? ◆auiI.USnCE:2011/05/26(木) 01:40:39 ID:Z6aBykdE0

「というかさ」
「何ですの?」
「コンビニ、近くにあるみたいだし、使えばいいと思うよ? 誰も居ないんだし」

目に見える所に何処でもあるような、青と白の看板が真昼間から光っている。
アレって何で牛乳瓶なんだろうと気になって調べて、あんまり実になる情報じゃなかったなと思う。
実際理由を今でも思い出せないし。
まあ、それはおいておいて。
殺し合いの島、参加者以外は無人な此処。
別に食べ物や飲み物以外はとってもいいと思うのに、佐々美さんはそれを選ばない。
何でだろうか?目の前にあって気付かないわけないし。
それすらも気付かない馬鹿なのかと凄く失礼な事を考えたのはあえて伏せておく。
伏せないと悲惨な目にあいそうだし。

「いや、まぁ……それは……そうなのですけれども……」

視線を泳がせて、気まずそうに口を噤む佐々美さん。
流石に、コンビニがあるのは解かっていたようだ。
当たり前ではあるんだけど。じゃあ何でだろう。

「お金も払っていないないのに、お店の物を取るのが……気に引けて……」


…………ああ。

他の人から見るなら、彼女は現状把握してないように見えるのかな。
でも、僕は凄く彼女が『マシ』に見える。
あんな悲惨なの見せ付けられて、ちゃんとした常識倫理を失わないってのはとても大切な事だと思う。
きっといい子なんだろうなと思って、何となく嬉しくなってしまった。
現実が見えてないと笑うよりも、自然体で自分を持っている方がよっぽどましだ。
だから、僕は彼女の戸惑いを、なんだかとても評価してあげたくなってしまう。

僕は笑いながら

「じゃあ、このこども銀行のお金で払って買い物しようか?」
「玩具のお金ですわよ?」
「あの羽の人が用意した島だしコンビニもそう、そしてこれはあの人が用意したお金。別にいいんじゃないかな? 道理はあってるよ」
「それも……そうですわね」

そう言って、佐々美さんは嬉しそうに可憐に笑った。
じゃあ、それでいいかと僕も思い、笑う。
ほら、あった。
雀の涙の程でしかないけど。
実際、別に無くてもコンビニにあるものは取れるけど。

たった一人の少女を納得させるために、役に立ったじゃん。


持っててよかった、こども銀行。


僕たちは笑いながらコンビニに向かって歩き出す。


その時

225出逢ったのなら……仕方ない……よね? ◆auiI.USnCE:2011/05/26(木) 01:41:07 ID:Z6aBykdE0


ぐぅぅぅぅぅと鈍い音が。
佐々美さんから。
具体的には、佐々美さんのお腹から。


「〜〜〜〜〜〜〜〜っ!? 聞いてないですわよね!?」
「いや、無理だから」


……しまらないなぁ。
まあ、それでもいいけれど。

僕は苦笑いを浮かんだ。
佐々美さんは涙目で顔が真っ赤になってた。
ちょっと可愛かった。






◇ ◇ ◇





コンビニで僕らは適当に買出しして。
お握りやらパンやらお菓子やら飲み物をこども銀行のお金にて購入した。
ちょっとそれが滑稽で僕は思わず、笑ってしまった。
そして、そのまま流れで近くの空きマンションの3階ぐらいに陣取っていた。
部屋の鍵が閉まってなかったので凄いラッキーだと思う。
こんな時も佐々美さんは不法侵入じゃないかと怯えてたけど、まあ気にしない。
軽く部屋を探索して、誰も居ないことを確認すると僕らは落ち着いた。
一応、護身用に部屋にあった包丁とシャベル、金属バットだけ回収したけれども。
多分役に立たないだろうなぁと思う。
いや、振り回したって……ねぇ。
僕のやわい腕じゃ……ねぇ。
…………勝手に哀しくなってしまったので、打ち切る事にする。
まぁ、何とかなる。多分。

226出逢ったのなら……仕方ない……よね? ◆auiI.USnCE:2011/05/26(木) 01:41:58 ID:Z6aBykdE0

そして、僕たちはテーブルをはさみながら向かい合って休んで居居る。
よくよく考えれば、空きマンションの一室に男女が二人ずつ……という魅惑的な状況だけれども。
あんまり、そんな感じがしないのは何故だろう。

「そういえば……むしゃ……貴方は知り合いは……はむっ……いるんですの?」

多分十中八九佐々美さんの食い気のせいだろうなぁと思う。
テーブルに並べたサンドイッチを美味しそうに食べてるのは此方から見ても幸せそうだったけど。
けれど、色気と言う観点から全くを持ってゼロである。
どちらかというと餌にありついたボス猫…………

「……何か失礼な事考えてまして?」
「い、いえ別に」

お、恐ろしい嗅覚。
さすが女王猫というべきか。
また自然にケモノ扱いしてるけど、あえて気にしなかった。
間違って言った時には、きっと捕食されてしまう。
僕、温厚だし。

「まぁ、そんな事より……どうなのかしら?」
「……ん、一応ねぇちゃんと……それと……」
「それと?」
「まぁ……別にいいでしょ」
「…………そう、ならいいですわ」

……踏み込んでこなくて、正直助かる。
名前を見た時、僕自身どうすればいいかわからないかったから。
それはきっと、いつまでも続く後悔や失ってしまったモノなんだから。

そう、それは呪いみたいなもんだった。
僕にとってのね。

この島でも晴れない……過去の代償。
そして、思い出に縛られる、呪いだった。


「そういう佐々美さんこそいるの?」
「……顔見知りと憧れてる人ぐらいですわ」
「……佐々美さん友達いな」
「いますわ!」

強い否定の言葉。
ほぼムキになってる事は間違いないと思う。
それが短い付き合いでもわかった佐々美さんのことだ。

227出逢ったのなら……仕方ない……よね? ◆auiI.USnCE:2011/05/26(木) 01:42:17 ID:Z6aBykdE0

「いますけど……でも」
「でも?」

けど、ムキになったまま、そのまましぼんでしまう。
何でだろうと思って、僕は佐々美さんの言葉を待つ。

「別に……巻き込まれなくてよかった……それだけですわっ!」

赤くなってぷいと彼女はそっぽを向く。
けれど、僕は関心というか、納得してしまう。

そりゃあ……そうだよね。
誰も知り合いが居るっラッキーなんて思う方が可笑しい。
だから、きっと彼女は良くも悪くもマイペースで。
そして、当たり前と言えば当たり前だけど、普通の子なんだ。
それも、自分の不幸せより誰かの幸せを願える。
優しくて何処にでもいる普通の子。

あった時は面倒だと思ったけど、まぁこれはこれでいいかと思う。


「そういえば、佐々美さんが貰ったのはなんだったの?」

僕は何となく気恥ずかしくなって話題を変える。
指差すのはデイバック。
僕は本当にくだらなくて、ただ女の子を喜ばすだけだった。
まあ、それはそれでいいんだけど、これで佐々美さんがいいの当てられると……正直へこみそうだった。
というか、当たりじゃなくてもなんか負けそうだった。
………………なんか僕のこれ、特別なアイテムに進化しませんか。
………………無理ですか、そうですか。


「………………あ」


……気付いてなかったのか。
…………やっぱりマイペースだなぁ。
僕は苦笑いを浮かべると彼女は赤くなりながら無造作にデイバックを手繰り寄せる。
……うん、というか。

「そのデイバックなんか、動いてない?」
「う、動いてる……な、何ですの……?」

もぞもぞ動くデイバックを佐々美さんは恐る恐ると言った感じで開ける。
すると、そこから


「にゃーにゃー♪」


虎柄っぽい猫が這い出てきた。
………………これは、うん。

……可愛いな。

228出逢ったのなら……仕方ない……よね? ◆auiI.USnCE:2011/05/26(木) 01:43:11 ID:Z6aBykdE0

「可愛いね……少なくとも僕のよりは当たり……だね、って佐々美さん……?」
「…………………………」

佐々美さんは猫を見ながら固まっていた。
怖がるように、後悔するように。
ずっと見つめてて。

そして、僕が佐々美さんを見てるのと、猫が佐々美さんによってきてるに彼女は気づくと。

「…………猫が苦手ですのよ」
「……アレルギー?」
「いえ、アレルギーは無いのですが……」

猫を見ながら、哀しそうに。
悔しそうに、ぽつんと呟く。


「どれだけ悔やんでも……忘れようと……ふとした事で過去って思い出してしまうものですわね」


過去……。
猫で何かあったのかな。
もしかして、彼女も縛られているんだろうか。
過去と言う名の後悔。
そして、その呪いに。


わからないけど、何処かその姿は。
僕に少しだけ、似てるなと思った。
何故だか知らないけど。


「ですけれど」

佐々美さんは指で猫をあやしながら、気丈に言う。
その表情は笑顔でもなく悲しみでもなく。
何処か不思議そうな顔だった。

「折角出逢ったんですし……置いていくのは………………可哀想ですわよね?」
「……うん」

不思議な、言葉だった。
言ってる事は普通なのに。
篭っている感情は僕にはわからなくて。
だから、僕は頷くしかなかった。


「ですわよね……よろしくですわ……可愛い……猫ちゃん」
「にゃー♪」

猫は知ってか知らずか、返事をした。
佐々美さんは微笑んで。
僕もそれに釣られていた。

229出逢ったのなら……仕方ない……よね? ◆auiI.USnCE:2011/05/26(木) 01:43:39 ID:Z6aBykdE0




そう、誰にだって、縛られているモノがある。
彼女だってそうかもしれない。

それは呪いのようにいつまでも続くのかもしれない。


「ねえ、この後は、どうするの?」
「わたくしは……決まっていませんわ……どうしようもないですし」
「僕はとりあえず状況把握とパソコン探しかな……一応そっちが得意だし」
「……成程ですわ」
「まあ、もうちょっと休憩してから、なんだけどさ……それで、だけど」
「?」


でも、人は前を向いている。
最初はめんどくさい人だと思ったけど。
マイペースな人だけど。
普通のいい子だった。


それに、出逢ってしまったら………………


「どうせなら、一緒に来ない? 一人でいたってしょうがないでしょ」



置いていくのは……可哀想……だよね?



そう、僕は彼女の言葉で自分を納得させる。
まぁ、元々もう見捨てる気はないんだけど。
結構話してて楽しかったし。
女の子一人で置いていくのはなんかやだし。
…………ああいや、まぁ、そういうことで。
うん、そういうこと。

230出逢ったのなら……仕方ない……よね? ◆auiI.USnCE:2011/05/26(木) 01:44:08 ID:Z6aBykdE0


「……それじゃあ、お願いしますわ。一人じゃ心細いしですし」


佐々美さんは笑って手を差出す。
僕はそれに笑顔で手を握った。


まぁ…………なんか、凄いゆったりしたけど、彼女のお陰かな?
…………とりあえず、これから頑張ろう。


――――面倒だし、それでいいや。


「それじゃよろしく」



そして、僕は改めて彼女の名を呼ぶ。



「ささせぐぁさざ……ぐっ」


思いっきり噛んだ。

231出逢ったのなら……仕方ない……よね? ◆auiI.USnCE:2011/05/26(木) 01:44:22 ID:Z6aBykdE0




…………………………し、しまらない。


あ、ぷるぷると彼女が震えている。
や、やばい。


「あ、な、た〜〜〜〜またなんですの〜〜〜〜!?」


ええと、どうしよう?
こういう時の弁明の言葉は……


「どうせなら、笹かま弐式にしない?」
「 大 却 下 ですわ〜〜〜〜〜!!!!」


地雷だった。





…………ま、まあ。


こんな感じで。
僕らのペースで。
いけたら、いいなと思ってます。




……そして、とりあえず、彼女の拳骨は痛かったとだけ追記しておく事にする。






 【時間:1日目午後4時45分ごろ】
 【場所:G-2 北部】

坂上鷹文
 【持ち物:こども銀行券の入った財布&プラスチックのコイン、包丁、シャベル、金属バッド、コンビニの食料品、水・食料一日分】
 【状況:健康】

笹瀬川佐々美
 【持ち物:猫(志麻)、水・食料一日分】
 【状況:健康】

232出逢ったのなら……仕方ない……よね? ◆auiI.USnCE:2011/05/26(木) 01:45:35 ID:Z6aBykdE0
投下終了しました。
このたびは遅れてしまい申し訳ありません。

233 ◆g4HD7T2Nls:2011/05/28(土) 00:59:07 ID:IjXKIlAo0


人が一人、そこにはいた。
立ち並ぶ木々の下で、じっと蹲っている男だ。


「……、ってんだよ」


男が一人、そこにはいた。
男はまだ少年と呼べる年の、相応の若い体躯だった。


「……ん、だってんだよ……」


少年が一人、そこにはいた。
少年はもうすぐ少年と呼べなくなる境目の、思春期を過ぎようとする時を生きていた。


「……なん、だってんだよ……」


走り疲れて、荒い息を混じらせる声が大気へと、熱と一緒に吐き出され。


「なんだってんだよ……」


制服の下に着込む汗びっしょりのシャツが、少年の肌にべたりと張り付き。


「なんだってんだよ」


地についた少年の片手の、握り締めた土が爪の間に入り込み。


「なんだってんだよ!」


もう片方の、地につかない片手が土の上に押し付ける銀色の銃に、汗がぽたぽたと。




「だから、なんだってんだよッッ!!」




少年がいた。
地べたに向って喚き叫ぶ、霧村功がそこにはいた。







234 ◆g4HD7T2Nls:2011/05/28(土) 01:00:41 ID:IjXKIlAo0


「ちくしょおッ……」

絞り切るように掠れた言葉を漏らして、四つん這いだった霧村の体が崩れた。
べちゃり。
音をたてて、顔面から土の下に倒れ伏す。
容易に落とせぬ濃い茶色が、少し着崩した制服にへばり付くのに頓着もせず。


「ちく……しょお……」


ただ溜まり切ったストレスを、垂れ流すことに従事する。
時間の経過で整う息を、それでもまだ吐き出し続けた。


「……っは、く……うぅぐ……、……は、は……、悪い……夢だ」


ああ夢なら良かったのに、と。
徐々に冷静さを取り戻す思考で、霧村は思う。
まるで日常に具現化した悪夢のようだ。
これはとても馬鹿げている。
心底ふざけているとしか、言いようがなかった。

拉致された。
殺しあえといわれた。
彼女もいるといわれた。
拳銃を渡された。
殺そうとした。
殺すことが出来なかった。
逃げ出した。
そしてここで、一人、這い蹲っている男が、他ならぬ霧村功だ。

ああふざけている。ああ馬鹿げている。
そうとも、まったく冗談じゃない。
これが現実であるものか。
よくよく考えてもみればいい、自分がいったい何をしたというのだ。
今日、ここで、こんな、理屈の通らない現実に立たされているそのワケが。
まるきりさっぱり分らない。

そうとも、自分は何もしていない。
霧村は普通に生きていた。
普通に起きて、普通に学校に通って、彼女もいて、普通に日々を生きていた。
そのいったいどこに、果たしてここで蹲る要素を孕んでいたというのだろう。
家に、自室に、学校に、教室に、はたまた掃除箱の中にでも、そいつは潜んでいたとでもいうのか。
馬鹿な。


馬鹿げてはいるが。
だが現にこうして、夢じゃない、と。
意地の悪い理性が全ての言い訳と逃避を打ち切って、霧村へと、そう囁く。


なぜなら、リアルだ。

235 ◆g4HD7T2Nls:2011/05/28(土) 01:01:45 ID:IjXKIlAo0


頬を薄く裂かれた痛みが、神経をヒリヒリさせるリアル。
体が重くなるような疲労が、逃亡の対価として脇腹を襲うリアル。
殺されるかと思った恐怖が、殺そうとしたそれと同等に恐怖となるリアル。
全部、本物(リアル)だ。


そして、なによりも。
目を閉じても、突き刺さる、視線。
耳を塞いでも、聞こえてくる、声。

一つの声、三つの目。

それら全て女性の、霧村へと向けられた、負の念だ。


負と、負と、負。
負に恐怖した。


霧村が最も恐怖したのは、頬を切り裂いた刃ではなく、突きつけられた刃でもなく。
そんな実態のある、脅威ではなく。
ただ、霧村の五体を刺し抜いた、実体の無い、三者の織り成す、敵視の視線だった。


ある者は恐怖。
ある者は侮蔑。
ある者は憤怒。


意味は違えど皆全て、世界の敵を見、そして突き刺す、そういう視線。
霧村の肉体でなく精神を、揺れ動く『人間』の部分を真中から貫いたそれは視線という、曇りなき白刃に他ならず。
では清らかなるそれが刺すのは何か、常識を知る霧村には、既に自明のことだった。

違和たるモノを、異質たるモノを、気持ちの悪いモノを。
それは世界の敵を、例えば陳腐に、有り体に言えばそう、邪悪とか呼ばれるものを穿ち殺す。
人の倫理による、糾弾。


『お前は、間違いだ』
『お前は、愚かだ』
『お前は、悪だ』


あの少女、最も深き念を叩きつけてきた少女の言葉を借りるとするならば。



『あさはか』だ。


何が正しくて、何が悪か、そんなことは分らない。
けれど少なくともあの少女達にとって己は確かにそうであり。
とどのつまり、霧村が逃げたのは、ただ己が『そいうもの』であるという事実に、耐えられなかっただけなのだ。
絶対多数から溢れた、異端。
異端は罪だ。


「だから……なんだってんだよ」

236 ◆g4HD7T2Nls:2011/05/28(土) 01:02:33 ID:IjXKIlAo0


霧村功は、吐き捨てた。
もそり。
もう一度、這い蹲るように体を僅かに起こして、目前の大木を憎憎しげに睨み付ける。
ざり。
地に着いた手が、土を握る。


どうすればよかったと言うのだろう。
どうしたって殺しあわなければならないこの世界で。
理不尽なこの現実を前にして。
霧村を間違いだと、悪だと、そう言うのなら、なら何が正解だだったのだろう。
少なくとも霧村はこれを摂理だと、そう捉えた。
けれど間違いだったというのなら。

「じゃあ、なんだってんだよ、俺はどうして」

どこからやりなおせばいいのか。
殺そうとしなければ良かったと、そう言うのか。
屈すればよかったと、そう言うのか。
あるいは、逃げ出さなければよかったと。

「俺は……」

がりがり。
目前の大木に、爪を立てるようにして、体を起こす。


もう遅い、と。
知っていた。
選んだ後に、選択は変えられない。

それは回収された答案用紙。
後になって違う答えに気づいたところで、だけどもうそれは、決して手の届かない所にある。
諦めて、採点の沙汰を、待つしか無い。

ようやく立ち上がった霧村はおもむろに、手の平を見つめていた。
そこに乗っているものは、銀の拳銃。
ふと考える。
これがなければ、良かったのではないかと。
もっと別な、例えば視界の端に転がった星型の木彫りのような、そんなものが手の中にあれば。
霧村はここで、こうしている事もなかったのではないか。
違う道を選ぶことも、出来たのではないか。

「……っ!」

それはとても苦く、そして甘美なる、責任転嫁。
直情的に、振り上げる腕。
たたき付けるように、振り下ろす手の平の、銀の異物。

そう、これは異物だ。
己を異端たらしめた、最たる元凶。
振り落とすべきモノ。

「……っ! っ! っ!」

だというのに、離れない。
思い切り、理性の加入する余地の無い衝動によって振られる腕。
なのに銀の銃はずっと、霧村の手の中にある。
まるで接着剤で張り付いたかのように、頑として剥がれない。

237 ◆g4HD7T2Nls:2011/05/28(土) 01:03:02 ID:IjXKIlAo0


「…………」

二、三、腕を振り回して、
やがて疲れた霧村は黙し、またじっと銃を見つめ、
そして、
ああやっぱりなと、自嘲気味に笑った。

今となっては離すことも出来ない。
疑いを抱いて、揺れて、迷って、排斥の目で見られて、
それでも今となっては、これの他に縋るべき物は無い。


だから、霧村には目前に広がる道しか選べない。
選び続けることしか出来ない。

たとえ、

間違いで、
愚かで、
悪で、
あさはかであろうとも、


「わかってんだよ」


道はこの一本道以外に、在りはしなかった。
霧村にはもう、この道しか見えなかった。







238 ◆g4HD7T2Nls:2011/05/28(土) 01:04:08 ID:IjXKIlAo0

人が一人、そこにはいた。
立ち並ぶ木々の下で、じっと立っている男だ。


「……、ってんだよ」


男が一人、そこにはいた。
男はまだ少年と呼べる年の、相応の若い体躯だった。


「……か、ってんだよ……」


少年が一人、そこにはいた。
少年はもうすぐ少年と呼べなくなる境目の、思春期を過ぎようとする時を生きていた。


「……わか、ってんだよ……」


走り終えてから時が経ち、落ち着けた声が大気へと、熱と一緒に吐き出され。


「わかってんだよ……」


制服の下に着込む乾いたシャツが、少年の肌から離れていき。


「わかってんだよ」


虚空を掴んだ少年の片手の、握り締めた肉に爪の間に入り込み。


「わかってんだよ!」


もう片方の、銀の銃を握る片手が、大木に叩きつけられてミシミシと。





「やらなきゃいけねえ事くらい、わかってんだよッッ!!」




少年がいた。
天に向って喚き叫ぶ、霧村功がそこにはいた。




【時間:1日目午後15時00分ごろ】
【場所:D-6】

霜村功
【持ち物:木彫りのヒトデ(1個)、スタームルガー スーパーレッドホーク(6/6) .454Casull予備弾×48 水・食料一日分】
【状況: 頬に切り傷】

239 ◆g4HD7T2Nls:2011/05/28(土) 01:06:20 ID:IjXKIlAo0
投下終了です。
タイトルは『少年の主張、あるいは言訳』

240 思い願うこと、貫くこと〜Several Cross-Point〜 ◆5ddd1Yaifw:2011/05/29(日) 03:34:05 ID:UeteJlqI0
「おい」
「どうかしましたか、野田くん」
「ずっと考えていた。俺は、あの女が許せない」

ふと、思った。あの小さい女に言われた言葉。
お前は狂っている。その言葉は俺を怒りに駆り立てるのには十分だった。
紛れもない本物の怒りが頭の中に充満していることを自分でも理解している。

「個人的に気に入らんというのもあるがな」

生命なんて軽い。簡単に、人は死ぬ。それは生きていた時から俺にとって不変の事実として在った。

「殺しの痛み、とあの女は言った。殺しに痛みもクソもあるのか?
 有る訳がない、死ねばそこで終り……それ以上は存在しないんだ」

その考えの中核には俺の過去が基因しているのだろう。人からは壮絶、悲惨、その他諸々と哀れみの目で見られた。
俺自身としてはそれが悲しいのか、苦しいのか、楽しいのか、よくはわからなかった。他人の人生をまともに知らないんだ、当然のことだ。
ともかく、まともな人生ではないらしい。俺からすると“まとも”な人生とは何だ? と疑問を投げかけたくなるものだが。

「何の意志も持たず殺すことを許容するのはおかしい……俺からすると可笑しいのはアイツの方だ。
 意志だの信念だのごちゃごちゃと小賢しい。それらを持っていたとしても殺すということには何も変わりはしないだろうが」

意志がどうした。信念がどうした。そんなモノを伴った殺人と俺の殺人に違いなどあるのか。そもそも人を殺すことに違いなんて有るのか。

「まあ、そんなことはどうでもいい。何よりも俺が許せなかったのは俺等の戦線を狂っているの一言であの女が否定したことだ」

俺等に意志がないだと? ゆりっぺを護ると言う俺の信念をただの狂っているの一言で否定しただと? 
ふざけるなよ、余り俺を、いや俺等の『死んだ世界戦線』を嘗めるな。
復讐、ただこのまま終わることを認められずに神との戦いの道を選んだ集まりだった。
それは決して遊びなんかではなく本物だった。

「俺個人のことはいい、いくらでもバカにして構わん。だが、あいつは戦線を、ゆりっぺを侮辱した」

神への復讐を続けていた俺等の今までを、狂っているの一言で終わらせたあの女、到底許せるものではない。
人は何度でも蘇る。俺等が当たり前と思っていた事実。それをありえないとあの女は言っていた。
だからどうしたというのだ。そんなことで俺の進む道は変わらない。

241 思い願うこと、貫くこと〜Several Cross-Point〜 ◆5ddd1Yaifw:2011/05/29(日) 03:34:36 ID:UeteJlqI0
今まで通り、敵は叩き潰す。ゆりっぺに刃が届く前に俺が全て叩き潰す。
そして。

「俺は次にあいつと会ったら、場合によっては殺すだろう」

あの女の戦線とゆりっぺに対しての侮辱は俺の許容範囲を大きくオーバーしている。もう、我慢など出来ない。
もし次に会う時、同じように侮辱をしたら……その時は――殺す。
あの時は動けなかった。動いたとしても日向達に止められて有耶無耶にされてしまうだろうと考えた結果だ。
それに俺一人であの変な武術を使う女と日向を同時に相手取ることは難しいだろう。
今度は違う。一人ついて行った奴がいるが関係ない。邪魔をするのなら叩き潰すだけだ。

「戦線の前線を張る者として、最初期からいる者として、これだけは譲れない」

今進んでいる道はもう止まれないし、戻れない。
自分は戦線の初期メンバーとして長く戦いを続けてきた。故に俺は、戦線を護らねばならない。
あの女は俺達の戦線の絆を壊す可能性がある。あの女が持つ理想は、毒だ。
俺達に対しては効果抜群な猛毒、その毒が蔓延する前に俺が始末する。

「俺は貴様には勝手にしろといった。だが、邪魔立てするなら容赦はしない、斬る」

こいつはこんな俺に対しても“普通”に接してくれた。
絶対に口に出しては言わんがこいつには助けられた。一緒にいてくれて、嬉しかった。
俺から見てもわかるぐらいなんだ、牧村南は、イイヤツなのだろう。
だからこそ、これ以上俺に付きあわせて危険な目には合わせたくない。

「貴様とは、此処でさよならだ」



◆ ◆ ◆



「お断りします」

私の答えははっきりと決まっていた。
余りにも簡単すぎる問いかけ。こんなの初めからわかっている出来レースみたいなものです。

「なぜだ……」
「なぜも何もありませんよ。お断りします、私はそう言ったんです」

苦々しく顔を歪める野田くんの目を真っ直ぐと見つめる。ここで目を逸らしたら駄目だ。
野田くんは私のことを真剣に案じてくれたんだ、私もそれに対して真剣に向き合わなければいけない。

242 思い願うこと、貫くこと〜Several Cross-Point〜 ◆5ddd1Yaifw:2011/05/29(日) 03:35:04 ID:UeteJlqI0

「俺は貴様を斬るかもしれないと言っているのだぞ!? 怖くはないのか!!!!」
「怖いですよ」
「なら……ここで別れた方がお互いの得になるだろう」
「私は怖いとは言いました、ですけどそれとこれとは別です」

それに私は知っている。言動はガサツで後先考えずに行動する。人を殺すことにも躊躇はない。
だけど、野田くんが本当はとってもいい子だってことを私は知っているんだ。
思えば森の中を歩いている時も歩くのが遅かった私に気を使ってかペースを合わせてくれたりしていた。
そんな粗暴だけど優しい子をこのままほっとける訳がない。

「住む世界が違う俺と貴様では息が合わん」
「そんなの私が野田くんと別れる理由になってません。私は自分の意志で野田くんと一緒に行動するって決めたんです」
「ぐぬぬ……だが、俺はあの女を……!」

一番の問題はそれだ。野田くんの生きた世界を狂っているの一言で否定したあの子――クーヤちゃん。
クーヤちゃんと野田くんの確執を解消しない限り先は見えない。

「そのことなんですが、野田くんと話す前に私とあの子……クーヤちゃんとお話をさせてください」

だから私が間に入ってこの二人をとりなさなければいけない。
あの一緒に付いて行った子は雰囲気を見るかぎりではクーヤちゃん寄りだ。今の野田くんにとっては気を逆なでするだけだと思う。
それに私自身もクーヤちゃんには思うところがある。

「私も野田くんの怒りはもっともだと思っています。野田くんは野田くんなりに精一杯戦ってきたんでしょう?」
「当たり前だ……! 俺等の戦いは狂っているの一言で否定されるものじゃない!!!」

なぜあんな頭ごなしに否定したのだろう。『狂っている』。その一言は野田くんの全否定に他ならない。
そんなことを言われたら誰だってあんな風に敵意を持ってしまう。
もっと中立の立場でものを言えたのではないか。和解の道があったのではないか。
できれば彼女には感情に身を任せずにいてほしかった。

「私もそう思います。例え野田くんの戦いが間違っていたとしてもそれを安易に否定していい資格はありません。
 だから、私がクーヤちゃんに謝るように説得します。それで手打ちにしてくれませんか?」
「ふん、あいつがそんなことをする奴だとは思わんがな」

野田くんはそっぽを向いて鼻を鳴らす。一度張り付いた敵意はそう簡単に剥がれはしない。
態度から見てわかるように野田くんはクーヤちゃんを心底嫌っている。

243 思い願うこと、貫くこと〜Several Cross-Point〜 ◆5ddd1Yaifw:2011/05/29(日) 03:35:36 ID:UeteJlqI0
そして、クーヤちゃんも野田くんを好いてはいない。

「じゃあ、もしクーヤちゃんがきちんと謝ったら野田くんも同じように謝るんですよ」
「むぅ……何故だ!」
「今までの常識で人が生き返るとしてもいきなり殺すのは駄目です。
 ここでは野田くんのいた世界と同じだとは限らないんですから。ね?」
「だが俺は!!!」
「ね?」
「戦線の前線を担っている身として!!!」
「野田くん」
「っ…………………………努力する」

うん、やっぱり野田くんはいい子だ。話したらちゃんとわかってくれた。
これで後はクーヤちゃんと出会った時……私がきちんと説得できるかにかかっている。

「いいだろう、今は貴様を信用してやる。だが、次に奴が戦線の侮辱をしたら……俺は抑えない」
「させませんよ。その時は、私が野田くんを止めちゃいますから」



 【時間:1日目午後5時00分ごろ】
 【場所:G-4】


野田
【持ち物:抜き身の大刀、水・食料一日分】
【状況:軽傷】

牧村南
【持ち物:救急セット、太刀の鞘、水・食料一日分】
【状況:健康】

244 ◆5ddd1Yaifw:2011/05/29(日) 03:36:03 ID:UeteJlqI0
投下終了です

245doll ◆auiI.USnCE:2011/06/10(金) 00:15:32 ID:WFzUCEyk0




――――あたたかな手から生まれた心を持たない人形。 笑うこともなく、話すこともない。








     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇






天上の世界で生まれ、暴走した立華奏の分身。
一度はオリジナルによって消失したはずだが、再びまた、この殺し合いの島にて活動をしている。
今度の分身は、神たるディーによって創造されたものだ。
其処に立花奏が持っていた生徒の為といった意識はない。

ただ、立華奏を模した戦闘機械。

けれど、其処には立華奏の意識と記憶は持っている。
また、アブソーブでは消失しないといわれた立華奏の分身。


そして、ハーモニクスを使えないといった、ハーモニクスならざる立華奏の分身である個体。


全くの模倣ではなく、歪な形で存在しているこの島での立華奏の分身。



そんな存在を作り出し、行動させた天上の神は、いったい、



―――一何を求めたのだろうか? 何を求めているのだろうか? 



そして、


――――何の意味があるのだろうか?







     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

246doll ◆auiI.USnCE:2011/06/10(金) 00:16:24 ID:WFzUCEyk0





「…………ん……あれ……?」

日が沈みかかった夕暮れ時。
草原に横たわる様に気絶していた姫百合瑠璃はむくりと起き上がった。
未だに頭が痛いが、それを労わる様に頭をさする。
それから瑠璃は頭を抑えながら、徐々に気絶する寸前の記憶を手繰り寄せていく。
確か自分は珊瑚の為に、人を殺そうとして。
放送してるバカが居て、そいつを襲おうとして。
逆に此方が撃退されて、殺されたか、気絶させられたかして。
それで、今目を覚ましている。
それならば、今自分は生きているのか。
ほっと胸を撫で下ろして、大きく息を吐いたその瞬間

「あ、起きたわよ」

背後に感じる気配と、聞こえてくる女の高い声。
瑠璃は驚きながら、振り返ると其処には真紅のワンピースを着こなしている気品の高そうな少女が立っていた。
少女の手には大きい無骨なボウガンが握られていて、瑠璃は無意識の内に緊張してしまう。
気がつけば周りにきられた縄が沢山ある。
と言う事はあの後拘束され、この女に拘束を解かれ、助けられたのだろうか。

「…………えーと、それで、名前は何かしら?」
「……そっちから名乗るべきやと思うやんけど」

訝しげに名前を聞いてきた少女に、瑠璃は不安になりながらも不遜に問い返す。
気絶してる所を見られ、助けられたからと言ってイニシアチブを取られたくないと思ったからだ。

「……むっ……まあいいわ。綾之部、綾之部可憐よ」
「……瑠璃」
「はい?」
「姫百合瑠璃や。一度で覚えや」
「……あんたねぇ」

可憐と名乗った少女は頬をひつくかせ、眉をひそめている。
少しだけ話しただけでも、プライドが高そうだなと瑠璃は思う。
この女だけなら、何とか出来るかもと瑠璃は考えを巡らす。
そして、今気づいた事ではあるが、支給されていたはずのリボルバーが無くなっている。
あの二人に取られたか、この少女に取られたかは解からないけど。
だけど、武器が無いなら無いなりにやる手段はあると瑠璃は思う。
そうして、瑠璃は可憐にどうしかけようか、思案しかけたその瞬間、


「――そこまでだ、二人とも」

またしても背後から降りかかる声。
瑠璃が振り返ると長身で引き締った筋肉を持つ男が立っていた。
手に刀を持ち瑠璃達を見つめている。
何時から居たのだろうと瑠璃は内心で驚いている。
気配を消しながら、瑠璃の背後に接近したのだろうか。
それにしても近すぎる。距離にすると数十センチも無い。
これだけで男が只者ではない事が何となくだが理解できた。

247doll ◆auiI.USnCE:2011/06/10(金) 00:16:44 ID:WFzUCEyk0

「って、貴方、声を発すれば直ぐ来ると言ったじゃない」
「む、少し遠くまで見回りをしててな、すまない」

あの可憐の小さな声を拾ったのだろうか。
どれ位遠くにいたかわからないが、少なくとも周りには居なかった。
となると、直ぐに声を拾いそれなりに遠い距離から、来た事になる。
そして、この身のこなし。やはり格闘技を使った少女みたいな化物じみた強さなのだろう。

「それはまあいい。瑠璃と言ったな? 俺はオボロと言う。そして単刀直入に聞く。何があった?」
「何があったって……」
「お前の声と名前を聞く限り、放送の主ではない事は確かだしな、もう一度聞く。何があった?」

オボロの眼光は鋭く、瑠璃を射抜くように見つめる。
瑠璃は、思わず、息が詰まるような感覚に襲われてしまう。
可憐は何とか出来ると思ったが、この男は一筋縄ではいかない。
此処で失敗は出来ない。失敗したら恐らく瑠璃にとっていい結果にはならないだろう。
最悪殺されてしまう可能性だってある。
慎重にこなさなければならない。

「そりゃ……あんた達も聞いてやろ? 放送」

あれだけのでかい音での放送だったのだ。
草原しかない場所で瑠璃を見つけたと言う事は、聞いていた事は確かなのだろう。
それで向かってきたのは間違いないだろう。
しかしあの放送は殺し合いを否定するための放送だった。

だから、瑠璃は

「ああ……そうだな。そしてお前が気絶していた」
「そうよ、なんで貴方は気絶したの……?」
「そりゃ……襲われたからにきまっとるで」

自分が生き残るために、珊瑚の為に嘘をつく。
瑠璃は返り討ちにあっただけで、別に襲われたのではない。
だから、まず簡単な嘘を吐く。実際気絶していたので、危害を加えられたと言うのは事実なのだから。

「襲われた……!?」
「そや、あの女ともう一人おった男にや」
「あの放送は殺し合いを否定する物だったはずだが……?」
「けど、それは嘘やった。仲間を呼ぶ振りをして、寄って来たものを殺すためやったんや」

そして、放送そのものを嘘だと瑠璃は言う。
出来るだけ矛盾がなく、自分の都合のよい為に。
一部始終を見られていたらお仕舞いだが、見る限りそれはないようだから。
だから、瑠璃は生き残るために最善を尽くす。

248doll ◆auiI.USnCE:2011/06/10(金) 00:17:06 ID:WFzUCEyk0

「しかし、それなら疑問が残るな」

だが、オボロは瑠璃の嘘を知ってるかのように、瑠璃に対して疑問を投げかける。
瑠璃は少しビクリとしながらも、オボロの疑問を待つ。

「殺すつもりだったら……なんで、お前は生きてるんだ?」

そう、それはオボロ達にとって当然の疑問。
殺すつもりで呼びかけたら、瑠璃は死んでなければならない。
気絶で済んでいる訳がないのだ。
瑠璃はその当然の疑問について、


「さぁ……よく解からんわ」
「なっ!?」
「拳での一撃を食らって意識が混濁したまでは、覚えてるんやけどそれから先は知らんのや」


涼しげに解からないと瑠璃は言葉を吐く。
実際に何故殺されてないかを説明で取り繕えば繕うほどぼろが出てしまう。
瑠璃自身気絶させられたのだから、その後の事はよく解からない。
気絶していたと言う事実は瑠璃に味方をしている。
だから、取り繕う事もなく、ただ解からないと言う。
そして、

「知らないって……」
「さあ……もしかしたら、あんたらが着たから殺す暇なかったやないの?」
「それは……」

可憐が口ごもり、そっぽに向く。
ありえる可能性を試しにあげてみたら、どうやら当たりだったようだ。
大方去っていく奴らを見たのだろう。
だとしたら、瑠璃にとって好都合だ。
後は

「それだけや、うちの言葉がどれだけ信用してもらえるかわからないけど……せやけど、うちが知ってる事はこれだけや」

語る言葉はない。
内心不安で震えていても、少し強がって被害者を演じていればいい。
弱者を演じて、襲われた女の子と思ってもらえればいい。
判断するのは、彼らに任せればいい。
最も情報も少ない今、彼らが示す答えなんて、解かっている。
どうせ、彼らは瑠璃の思った通りの人たちだろう。
それは、

「解かった。お前の言葉を信じよう」
「オボロっ?!」

きっと、彼らがお人好しだという事。
放送を聴いて訪れる人間は、お人好しかバカか、自分のようなそれに乗じて殺そうと企む人間に違いないのだろうから。
瑠璃は上手くいったと内心でゆっくりと微笑んだ。
最も可憐は信じられないようにオボロを見つめているが。
まあ、可憐なら自分でも出し抜けるだろうと瑠璃は思っている。

「確認するが、お前は殺し合いもすることがなく、そして独りなんだな?」
「そや……不安で仕方ないんや」
「そうか……お前も弱い少女でしかないなら……俺がお前も護ろう」
「おおきに……お願いしてもええかな?」
「ああ、任せておけ」

249doll ◆auiI.USnCE:2011/06/10(金) 00:17:23 ID:WFzUCEyk0

オボロの提案を瑠璃は当然のように呑む。
可憐のような少女を連れていることから、どうせこういう展開になる事は見えていた。
解かった事だが、自分が返り討ちにあった事やオボロの身のこなしを見ても自分は大分弱者に位置されるようだ。
武装もない今、単純に戦っても生き残れないだろう。
だから、オボロのような強い人間に護ってもらって、助けてもらおう。
そして、期に乗じて、オボロ達も殺そう。
それが、瑠璃のような弱者ながらも殺し合いに乗る者の出来る手段だろう。

よって、瑠璃は弱くて、不安に怯える少女を演じて、オボロの提案を呑む。
最も不安に怯えてるのは確かだったが。
けれど、それは自分の身ではなくて、珊瑚の事で。
弱いあの子が殺されていないか……それだけが少し不安だった。

「じゃあ……よろしゅうな」

瑠璃はその不安を隠して、オボロに言葉をかける。
可憐が未だに睨んでいたが、とりあえずは気にしない。
もしかしたら、珊瑚は殺されてるかもしれないという可能性。
それが自身も殺されかけたせいか、どうしても否定できなくて。

何となく、空を見つめる。
憂いの表情を浮かべて、瑠璃は祈る。
どうか、珊瑚が無事でありますように、と。
ただ、それだけを祈りながら。









     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇






「ちょっとオボロ!」
「なんだ可憐? そんなに怒ってどうした?」

不安げそうに空を見上げる瑠璃から、可憐はオボロを引っ張り少し離れる。
そして、聞かれない距離になった所で途端に可憐は怒り出す。
オボロは気づいていないようだが、可憐の言いたい事は決まっている。

「あの子の言葉、信じるの? とても信じきれる段階まで着てないと思うけど」
「ふむ……それはそうだが」

瑠璃を信じるのかと言う事。
瑠璃の言ってる言葉は確実に信じられる段階までとても着ていないのだ。
矛盾点も知らないで通されたのだから。
オボロもその点は承知しているようだ。

250doll ◆auiI.USnCE:2011/06/10(金) 00:18:17 ID:WFzUCEyk0

「だが、それじゃあ疑うのか? 瑠璃の言っている事が間違いだと言い切れるのか」
「いや……それも言い切れないけど」
「それに瑠璃が言っている部分で正しい事もあったのは事実だ」
「それもそうだけど……」

とはいえ、瑠璃が言っている事を間違いだと否定できる材料はない。
それに瑠璃が言っていた、自分達が二人組みを見たと言うのも事実なのだから。
ならば、オボロは

「とりあえず、信じて様子を見る。疑わしいなら、その時はその時だ」

今は信じて様子を見る。
それがオボロの出した答えだった。
可憐は理解は出来るが、それでも納得しきれなかった。

「それに……」
「それに?」
「瑠璃が弱い者ではある事は変わりないだろう? ならば俺は瑠璃も護る。それが俺の役目だ」

そう、それなのだ。
オボロのいい所であり、可憐が少しイラついてる最もな理由だ。
弱者を護るという考えは褒めるべきだろう。
だが、ほんの少しだけ。
少しだけ、自分ひとりだけと言った意識はあったのだ。
だから、それが少し寂しくて、けれどそんな自分に苛々して。

ぽつんと、可憐は小さく呟く。


「……きっと貴方は弱い人なら誰でも助けるんでしょうね」


それはきっと事実だろう。
先ほどの会話で解かっていた。
けど、この割り切れない気持ちはなんだろう。

なんだか、可憐は唐突に自分が孤独のように思えて。
そんな感情に襲われて事に驚いて、オボロを見つめる。

「……うん? 何か言ったか?」
「別になんでもないわ」

聞こえてないならいい。
助けてもらって感謝もしているのは事実だ。
だから、今はオボロについていこうと可憐は思った。
胸を襲った理解できない孤独に思えるという感情はあえて、無視をした。


「そうか、なら後ろで一緒に瑠璃と下がっていろ」
「……え?」
「……襲撃者が、来るぞ!」

突然、オボロの声が低くなる。
そして、その目は途端に鋭くなり、前を向く。
可憐は下がりながら、その襲撃者の姿を見る。


それは、目を赤くした、何処か人形のような、少女だった。










     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

251doll ◆auiI.USnCE:2011/06/10(金) 00:18:46 ID:WFzUCEyk0






「……ちっ! 中々やるな!」
「………………」

人形のような、少女、いや、立花奏の分身である彼女はただ自分に存在する意識のまま戦っている。
それはただ、攻撃せよ、戦えという意識のまま、手甲剣を振るっているだけだ。
目の前の男、オボロといったか。
中々の強者だが、彼女は意に返さず、淡々と剣を振るう。

音無との遭遇の後に、自分の肩の怪我を包帯を巻くなどして簡単に応急処置をした。
此処はもう天上ではないことは知識として知っている。
殺せば蘇られない。わたしはそれを何故か知っていた。
だから、傷はなおさなければならなかった。
銃弾は残っていないから処理そのものは簡単だった。
実際に右腕を楽に動かす事が出来る。
そして、また動き出したら、オボロ達を見つけた。
だから、攻撃の意識のまま、襲い掛かった。
弱者を保護しているようだから、攻撃して煽動するのが目的だ。


そう、戦えばいい。
そう、攻撃すればいい。


それが、わたしの存在理由。


「……っ、ぐあっ!?」


オボロを強化した力のまま吹き飛ばした。
けれど、オボロは意に返さず向かっていく。
ならば、もう一度吹き飛ばすだけだ。
戦えばいい。
ただ、戦っていけばいい。

252doll ◆auiI.USnCE:2011/06/10(金) 00:19:18 ID:WFzUCEyk0
「オオオオオオオッ!」

オボロが地を蹴り、舞うように空を跳んでいく。
凄まじい速さだが、ガードスキルを使えば対応できる。
オボロの跳ぶタイミングを見計らい、天使はそれに合わせる。

「……………………」
「ぐぉ……!」

また、オボロを吹き飛ばした。
けど、直ぐに立ち上がる。
浅かったか。
けど、また攻撃すればいい。
それが、存在する理由。


またしても、オボロの俊足を生かした攻撃。
大丈夫だ、またあわせればいい。
その意識のまま動き、吹き飛ばした。

けれど、また立ち上がる。
怪我をおわせないつもりはないのだが、何故彼は怪我を負わないのだろう。
上手くいなされているのだろうか。
けれど、また戦えばいい。


戦って。
戦って。

戦え。


わたしの存在理由のまま。


それが、わたしだ。




 ◇ ◇ ◇

253doll ◆auiI.USnCE:2011/06/10(金) 00:19:51 ID:WFzUCEyk0



「ぐっ」

なんど、吹き飛ばしたんだろう?
もう、覚えていない。

けれども彼は傷つかない。
切り裂こうと思っても、いなされる。
だから吹き飛ばすので精一杯だ。

いや、戦ってみて解かる事だが、恐らく実力そのものはオボロの方が高い。
けど、彼は何故か実力を抑えている気がする。
それが何故だか解からないけど。
劣勢なのに抑えるなんて、意味不明だ。

オボロはまた吹き飛ばされる。
でも、向かっていく事をやめない。
いっそ殺してしまえばいいのだろうか。

そうだ、殺してしまおうか。
……いや、それはダメだ。

何故だか、解からない。
解からないけど、ダメな気がする。

そう思って、跳んで上から攻撃してきたオボロを吹き飛ばす。
けど、オボロは立ち上がった。


そして、彼は何故か笑う。


「やはりな」

その呟きは何処か確信めいたような感じだった。
何か嫌な感じがする。
早々に片付けなければ。
そう考え、手甲剣を掲げ、切り込む。

「甘いっ」
「……っ!?」

信じられない、予想外の事が起きた。
切込みをオボロによって弾かれたのだった。
有り得ないと思い、もう一度仕掛けるがまた弾かれた。

「もう、お前の攻撃はきかん!」

馬鹿な、何が起きた?
攻撃が読まれたというのか。
いや、わたしが試されていたとでもいうのか。
そこに実力を抑えていた意図があるのだろうか。

いや、そんな事、考える必要なんてない。
そうだ、戦え、戦え。
攻撃して、そんなのまやかしだと振り払え。

254doll ◆auiI.USnCE:2011/06/10(金) 00:20:55 ID:WFzUCEyk0

「きかんと言った筈だっ!」

もう一度仕掛けるが、今度は完全に避けられた。
なんだ、何が起きた?
もう、力を抑える必要がない……?

何故……?


「お前の刃を受け続けて、そして確信した」


何を?
何を知ったというのか?
わたしの刃は攻撃する為だけだ。


「お前の刃は、心が存在していない、空っぽの刃だ」


空っぽ?
心が存在しない。
何を言うの?
当たり前、私の刃は攻撃する為にあるのだから。
そう、

「それがどうしたというの? 私の刃は戦う為だけにあるの」

それが、わたしの存在理由だから。
けれど、オボロは否定する。

「だから、お前は俺には勝てん! 空虚な心の刃で、俺の意志を籠めた刃で勝てると思うなっ!」


だから、何を言うの?
空虚な刃な訳がない。
戦う事がわたしなのだから。
そう思って剣を振るうが弾き返される。

255doll ◆auiI.USnCE:2011/06/10(金) 00:21:32 ID:WFzUCEyk0

「戦う事がわたしなの。空っぽな訳がない」
「なら―――聞こう」

聞く?
何を?


「お前――――何の為に戦っている? 戦う理由は何だ? 答えろっ!」


戦う理由?
そんなの決まっている。


それは――――――それは?


え?


……それは、何?


一度消されて、また蘇って。
そして、また戦って。

ただ、戦う為に。



あれ、じゃあ、わたし、何の為に、戦っているんだろう?


前は……前は何の為に戦っていたのだっけ?


……思い出せない。


いや、違う。戦う事が、わたしだ。


それが、わたしの存在理由……存在理由のはず……なのに。


わたしには、戦う理由が、あったのに。

解からない。
答える事が、出来ない。


ただ、戦えばいい。
それだけしか、思い出せない。
何故だろう、戦う事が、わたしだったのに。

何故……だろう。
戦う理由は必要ない。
そんな気持ちがあるのに。
でも、それが何だか可笑しい気がする。

256doll ◆auiI.USnCE:2011/06/10(金) 00:22:57 ID:WFzUCEyk0


あれ……あれ――――なんだ。




――――わたし、こんなにも、からっぽ、だったんだぁ。



「あぁ…………」


剣が、解除される。
防御が、解除さえる。


自己矛盾が、襲ってくる。


何時の間に、こんな、存在になってたんだろう。




――――わたし、こんなにも、歪な、人形、だったんだぁ。




「わたしは………………何もかも失ったのね……何も無いん……だ」



がらがらと何かが、崩れていく。


それは、わたしのからだ?
それは、わたしの存在理由?
それは、わたしのからっぽな心?



もう、解からなかった。







     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

257doll ◆auiI.USnCE:2011/06/10(金) 00:24:00 ID:WFzUCEyk0





そして、人形は人形である事に気づいて。
何もかも、からっぽだという事に気づいて。
自己意識なんて、とても薄くて。
存在理由なんて、そもそも存在しなくて。


何もかも、崩壊していく。


その、始まりだった。






     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




……なんだ?
人形のような少女が防御すら止めてしまっている。
俺は容赦なくそのまま攻撃を振るが、防御をする素振りすら無い。
いきなり殺すのも忍びないし、仕方なく峰で刀を振るった。
そしたらそのまま少女は受けて、吹っ飛んだ。

「お、おいどうした?」
「…………………………空っぽだったの」

それは、俺が指摘した事ではあった。
だけど、それ以上に何か様子が可笑しい。
なんだ、何が起きたんだ?


「何も無かったんだぁ………………わたしの戦う理由」


お、おい。
なんで、そんなに無防備なんだ。
……訳がわからない。


「わたしは、なんで、この島に、存在したの、かな?」


人形のような少女の独白は続く。
それはまるで、今までの戦いぶりとは比べようも無く。

258doll ◆auiI.USnCE:2011/06/10(金) 00:24:39 ID:WFzUCEyk0


「わたしは、どうして、ここに、いるの?」


自分が自分である事の意義。
自分が居る事への疑問。

それを考えるのは、とても、哀しい事なのだろう。


「わたしは、なーんにも、ないんだぁ…………あぁぁ……あああああぁぁぁあ」


哀しい少女の慟哭。
けれど、少女は涙を流せていなかった。
涙が出ないのか、叫びが地に響く。


「なら、わたしは、どこにいく? どうすればいい? 解からない、解からない……わからないっ!」


少女の絶叫。

壊れたかのように、叫んで。


そして、手甲剣を顕現させ、俺に向かって来る。
まるで死にたがっているように。
殺せと言うばかりに。
暴走したように、襲い掛かってくる。



それに対して、俺はどうする?
どうしたい?


決まっているだろう?
俺は護りたい。
大切な人も、弱い少女も。全部。

今、目の前の少女はどうだ?


――――泣きたがっていたじゃないか。



なら――――決まっている。



「お前を…………たった一人の弱い少女すら、護れないなら、俺は存在する意義が無い」


だから。


「お前を救ってみせるっ!」



俺は、少女を救うために。


地を蹴り――――風になった。

259doll ◆auiI.USnCE:2011/06/10(金) 00:25:07 ID:WFzUCEyk0







     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇








「あ、また……」

戦闘を見守っていた可憐の呟きが漏れる。
不安そうな可憐を見ながら、瑠璃は燻っていた。

(そうだ、これでええんや)

これでいい。理想的な展開のはずだ。
強い人に護られながら。強い人の戦闘を避ける。
それでいい。それが望んだ道だ。

けど、瑠璃は納得がいかない。
これでいいのかと自問する。
胸に浮かぶのは大切な珊瑚の事。
珊瑚を守るために、自分は居るんじゃなかったか。
それなのに、ただ護られてるだけでいいのかと。
心の中でずっと燻っている。
理性はこれでいいと思っているのに、感情がとまらない。

「…………っ、あのバカ! 何で防御しないのよ!」

隣で可憐の叫びが響く。
オボロが防御を捨て、少女に何か言ってるらしい。
オボロが飛ばされるのを見ながら、瑠璃は思う。

(――――あーもう知らんっ! うちはさんちゃんを護りたい。このまま、動けずに居られるわけあらへんやろ!)

自分の気持ちに嘘をつくな。
珊瑚を護りたい。
だから、

「可憐、ちょっと、それかしいっ!」
「あ、ちょっと何処にいくの!?」
「決まってるやろ! 助けにいくんや!」

ボウガンを分捕って瑠璃は駆ける。
護られるばかりは嫌だ。
護られて護られて、それで、納得できるのか?
珊瑚を護る者として、護られるだけの存在は嫌だ。

だから、瑠璃は駆け出した。
ただ、戦場へ向かって。

260doll ◆auiI.USnCE:2011/06/10(金) 00:26:03 ID:WFzUCEyk0







     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇






「あぁぁああぁああああっ!」

言葉にならなかった。
ただ剣を振るった。
何も無いわたしはやはり戦いに頼るしかなかった。
できれば、このまま消えて無くなればいい。
きっとオボロは剣を振るい殺してくれるだろう。
だから、私はただ、闇雲に剣を振るった。

「ぐっ!?」

なのに、オボロは防御せず、吹き飛んでいった。
何故だろう?
何故そんな事をするんだろう。

わたしには、もう何も、残っていないのに。

「聞いてくれ、戦う理由が無いなら、戦わなくていいんだっ!」

戦う理由が無いなら戦わなくていい?
確かにそうかもしれない。
けれど、

「無理よ……だって、わたしは戦う為にしか存在しないから。攻撃する事で自己を保ってられるから。たとえ戦う理由が無くても」


私は戦う為に、存在しているのだから。
戦う理由が存在しなくても。
矛盾だらけの歪な人形でしかない。

「そんな訳が……ないっ! 泣こうと思った少女が、戦う為に存在している……そんな訳が無いっ!」

……ああ、わたしは泣こうとしていたの?
あの叫びに、そんな意味があるの?
前は理解できていたはずなのに。
今は、ちっとも理解できる気がしない。
そして、オボロは言う。

261doll ◆auiI.USnCE:2011/06/10(金) 00:26:41 ID:WFzUCEyk0


「お前は弱い少女だ…………だから、俺が護ってやるっ!」


護る……?
わたしを……?
わたしが弱い?


なんで、そんな優しい言葉をかけるの?
戦うしかない人形に。


「護る……?
「ああ護ってやる! お前だけじゃない戦えない者、弱い心の者……皆護るさ」


護る……かぁ。
何処か懐かしい響きがする。
それに、温かい。

なんだろう、この気持ち。

ずっと前から、存在していたかもしれない。

そんな、気持ち。


こんな、人形に、そんな言葉をかけてくれて、何故か、温かかった。


でも、


「無理よ、わたしは攻撃する事が、戦う事が存在意識としてあるの……護られるだけになんて……なれない……なりたいかもしれない……けど、なれないのよ!」


ただ護られる事は無理なのだから。
わたしという存在が生まれた時点で攻撃する事が宿命付けられてるのだから。
だから、わたしは戦い付ける事を決められてるんだ。



「だから――――」
「それなら――――誰かを護る為にその力を使えばええんや! 誰かを護る、それを戦う理由にすればいいんや!」


不意に響く、別の少女の声。
振り返るとボウガンを持ちながら、此方を向いて、叫んでいた。

262doll ◆auiI.USnCE:2011/06/10(金) 00:27:29 ID:WFzUCEyk0

「瑠璃っ!? 危ないぞ!」
「うちかて、護られてるだけは嫌や! 護りたい人を護りたいんや!」

少女は気丈に叫ぶ。
護りたいと。


「せやけど、うちには力が無いから、護れるかもわからへん……せやけど…………あるんやろ! あんたには護れるだけの力が!」


わたしに向かって叫んでいる。
護るだけの力?
わたしが持つのは

――――ガードスキル。


誰かを護る為に、生まれた力。
オリジナルが使える、護る力。
その力。


「けど、わたしには、護る人もいないっ! 護れるかも解からないっ……いつか誰かを攻撃してしまうかもしれないっ!」


でも、力を持っても護れないものは護れない。
護りたいものもいない。
わたしは攻撃するだけの存在だ。
それを護る力に転化するなんて、


わたしに出来るわけがない。



「なら、試してみればいいさ。俺は出来ると思う」
「……え?」

オボロが、わたしに言う。
何故、散々わたしが貴方を攻撃したのに。
そんな事、何故信じられるの?

263doll ◆auiI.USnCE:2011/06/10(金) 00:27:57 ID:WFzUCEyk0


「だって、お前は俺を殺そうと思えば、殺せた。なのに殺さなかった」
「それは役目だからよ」
「違うな、お前の本質はきっと温かいモノだ。そう、きっとお前は――――」


すうと息を吸う音が聞こえる。
何を言うか解からないのに。
ないはずのものが鼓動をうってるような音が聞こえた。


「優しさ故に――――殺せなかったんだ。だから、お前はきっととても優しい人間なんだ」




―――――あぁ。


それは、オリジナルから受け継いだモノだから、当たり前であるのに。
わたしは、蘇らない事を知識で知っていた。
だから、殺さなかった?


わたしが、やさしい、から?


……あぁ。


わたしは、何故か、その言葉が、とても、嬉しい。

264doll ◆auiI.USnCE:2011/06/10(金) 00:29:43 ID:WFzUCEyk0


「戦う理由が無いなら、見つければいい」
「護る人が居なきゃ、見つければいいんや」

オボロと瑠璃が言葉を紡ぐ。
わたしを優しく見守って。

ねえ、二人とも。


「誰かを護る為に、戦うというのは、それは、とても、優しい存在理由ね」


わたしは、そんな言葉を紡いでいてた。

震える声で、私は彼らに問う。


「―――――わたしにも、誰かを護る事が出来る?」


―――――わたしに、だれかを、護る事が、できますか?


「ああ、出来るさ……例え不安になっても、大丈夫だ。俺たちが、ついてる」


それは、わたしにとって素晴らしく優しい回答。



「あぁ……あぁ」


温かいモノが頬を伝わった。


それが、涙だと認識した時、わたしは泣いてる事に気付いた。


そして、わたしは、護る為に、戦える事に、気付いた。


その事が嬉しくて


「あぁああああああああああぁぁあああああああああ」


わたしはただ、泣いた。


優しい雫が、沢山こぼれた。


ただ、優しさだけが其処にあった。

265doll ◆auiI.USnCE:2011/06/10(金) 00:30:20 ID:WFzUCEyk0




     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





戦うだけの人形は、そうして完全に崩壊した。
その後にに残ったのは、優しさと存在理由を求めている、人形のような、少女だった。


全てが終わって。
新しい何かが始まった。


それは、天上の神が意図した事なのか、どうかは解からない。


けれど、ここに、立華奏のコピーであった、少女は。


――――温かい優しい心を持って、静かに、ゆっくりと独立した彼女として、歩き出した。





     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

266doll ◆auiI.USnCE:2011/06/10(金) 00:31:21 ID:WFzUCEyk0




「なあ、お前の名前はなんだ?」
「わたしの名前?」

オボロに、名前を聞かれた。
わたしは答えようとして、思いつかなかった。
立華奏は今はふさわしくない気がしたから。

「そうね、わたしは―――――わたしの名前を無くしたの」


そう、名前はもう、今は無い。

わたしがわたし自身の存在意義を本当に見つけた時。



――――私にふさわしい名前はきっと、見つかるのだろう。





     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





――――いつか聞いてほしいこの思いも、言葉にはならないけど、力の限りを振り絞って、生きていくことを知るから

267doll ◆auiI.USnCE:2011/06/10(金) 00:31:39 ID:WFzUCEyk0
【時間:1日目午後17時40分ごろ】
【場所: F-5】


 名前を無くした少女
 【持ち物:なし】
 【状況:右肩に銃創(治療済み)】

 オボロ
 【持ち物:打刀、水・食料一日分】
 【状況:肉体的疲労(大)】


 姫百合瑠璃
 【持ち物:クロスボウ,水・食料一日分】
 【状況:健康】

 綾之部可憐
 【持ち物:水・食料一日分】
 【状況:健康】

268doll ◆auiI.USnCE:2011/06/10(金) 00:33:01 ID:WFzUCEyk0
投下終了しました。
このたびは遅れてしまい申し訳ありません。

269例え、届かなくても ◆auiI.USnCE:2011/06/18(土) 03:38:12 ID:/Qy7ayBQ0






―――手を伸ばしても、きっと、届かない。届くわけが、ない。









     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

270例え、届かなくても ◆auiI.USnCE:2011/06/18(土) 03:38:26 ID:/Qy7ayBQ0





出逢いの切欠はなんだっただろう?
今はもうとてもおぼろげな記憶だけど。
でも不思議とウマはあった。
だから、ずっと一緒に居た。
大学まで一緒になった。
あいつの事、何でも理解できてる。
自惚れかもしれないけど。
そんな気がしたのよ。

でも、やっぱり、それは、そんな気でしかなかった。


あいつはどんどん先に行って。
まっすぐ、まっすぐやりたい事だけに一直線で。
前を向いて、ずっと進んでいく。

あたしはそんな、あいつに向かって手を伸ばそうとして。
追いつこうと、縋ろうとして。
でも、あたしは伸ばそうとした手が伸ばしきれなかった。

そのまま、宙を掴んで、ただ彷徨って。

結局、あいつの背には届かないんだろうなと、思ってしまった。


――――あたしの手は、届かないと、そう、感じてしまった。




     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

271例え、届かなくても ◆auiI.USnCE:2011/06/18(土) 03:38:57 ID:/Qy7ayBQ0




     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「さて、もう少しで山道には出るかな?」
「そうですね」

わざと明るく振舞いながら、銃を持って進む瑞希を、遊佐は冷たく観察しながら追随している。
とりあえず、瑞希を盾にしながら、行動をするという手段をとった遊佐は歩きながらも、高瀬瑞希という人間を観察していた。
盾にするつもりでも、どんな人間かは理解しておきたい。
自分の様に裏がある人間なのか、それとも真性のお人好しなのか。
まずそれを理解する為に、彼女を静かに観察し、そして冷酷に分析する。
時には会話を交えて、高瀬瑞希の本質を、知る為に。
いつものオペレーションの様に、見て、そして考え出した答えは。

(言うまでもなく、お人好しでしょうね)

やはり、最初の印象の通り、ただのお人好しだった。
それも筋金入りのお節介。
ぶっきらぼうながらも、気遣いの忘れない優しい女性。
悪い事は見過ごせず、正しいと思った事を行う。
そんな、普通の女性でしかなかった。
悪く言えば、日常というぬるま湯につかった女でしかない。

だから、戦力的期待値など薄いし、遊佐や戦線の価値になる人間ではない。
盾にするのが、一番いい女ではあるのだが。

(けれど――)

一つだけ、引っかかる事がある。
些細な、問題。
気にする必要性が無い……とは言い切れない。
たった、一つの不確定要素。
それが、戦線や自分に仇名す可能性になる。
数パーセントでしかないかもしれない。
けれど、捨てきれない可能性。

「瑞希さん。詳しく聞きたいのですけど……」
「何?」
「貴方が言った『千堂和樹』は貴方にとって一体どんな人物なのですか?」


高瀬瑞希にとって、千堂和樹という存在が。
ただの腐れ縁と彼女が説明した存在が。
どうしても、その説明では納得いかないのだ。
遊佐の直感が、ただの腐れ縁ではないと告げている。

だから、彼女が、千堂和樹という人間に対して、どう思っているのか。


場合によっては、その感情が鋭い刃になる、その可能性を。


遊佐は、オペレーターとして捨てきれないのだ。






     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

272例え、届かなくても ◆auiI.USnCE:2011/06/18(土) 03:39:35 ID:/Qy7ayBQ0





なんとなく。
なんとなくなんだよ。
一緒にいれたらいいなって。
ずっと、出来るなら、ずっと。

そう思ってた。
そうだといいなって。

けれど、そんなは無理なんだなって。
何となく、だけど、そう解かったんだ。

だって、あいつは真っ直ぐに進んでいく。
どんどん先に行って。
あたしは、そんなあいつの背をずっと見ていくんだ。

それでもいい。
いいんだと思い込もうとしたんだ。
だって、あたしじゃあいつを振り返らせる事は無理だから。
あたしの手じゃ、きっとあいつには届かない
あいつが真っ直ぐ行くと決めたら、絶対に止めないから。

だから、それで、いいと思った。



けれど――――それでも――――




     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

273例え、届かなくても ◆auiI.USnCE:2011/06/18(土) 03:39:54 ID:/Qy7ayBQ0





「どうって、ただの腐れ縁よっ」
「本当に?」
「嘘つくはずないでしょ。そりゃあ、馬鹿だし一直線だけど……あたしはただ世話を焼いてるだけだし」

瑞希は呆れたように、遊佐に簡単に告げた。
そして、気に障ったのか少し歩く足を速めていく。
瑞希の背を見ながら、遊佐はその反応を分析し始める。

(腐れ縁だけでずっと世話を焼き続ける……ですか)

一応、筋は通っている。
けれど、納得は勿論出来るわけが無い。
遊佐の中で疑念は強まっていく。


高瀬瑞希は極度のお人好しだ。
それは間違いない。

けれど。

「瑞希さん」
「今度は何?」
「『銃の安全装置』が外れてますよ?」
「えっ……ま、まぁいつでも撃てるようにした方がいいか……と思って」
「暴発するかもしれませんから、平常時はかけておいた方がいいです」
「そう……解かったわ」



お人好しだからこそ、誰かを殺す可能性だってある。
例えば、『誰かを護るため』に。
勿論、簡単に殺す事なんてお人好しだからこそ、出来ないだろうけど。


でも、


(安全装置をはずしてたの……実は、私達を殺そうとしてたんじゃないですか?)


最初に、高瀬瑞希が遊佐と春原を見つけた時。
彼女が勘違いしなければ、遊佐が誘導しなければ。
二人纏めて、殺そうとしていたんじゃないのか。
その、千堂和樹の為に。

勿論、覚悟がぶれて、殺せず、今に至るのだろうけど。
そして、安全装置をかけられない理由が、未だに誰かの為にという意識があるのではないかと。


遊佐は、まるで他人事のように、観察し、分析をする。
勿論、今考えているのは、可能性の話でしかない。
考えている事が正解と言えるには、まだ大分弱い。
だから、遊佐は瑞希を観察し、見極める。

もし、遊佐が考えた通りならば、それはそれで考えは無数にある。


(それはそれで、扱いを変えて使いますよ、高瀬瑞希さん。貴方がどんな考えでも―――)


だから、遊佐は静かに笑う。
冷静に、誰にも気付かれないように。



(今は――――私の駒でしかありません。私は私の目的に……その駒を有効活用する、それだけです)



目の前の駒を、上手く扱ってみせる。
その自身が、遊佐にはあるから。
遊佐にだって護りたいものはある。

その為に、遊佐は遊佐の本分を発揮する。

観察し、分析し、そしてそれを指揮官に伝え、場合によっては自らが判断を下す。


オペレーターとして、自らやる事をやる、それだけだ。

274例え、届かなくても ◆auiI.USnCE:2011/06/18(土) 03:40:19 ID:/Qy7ayBQ0




     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




そして、あたし達は殺し合いに呼ばれた。
理由はわからない。
わからないけど、殺さなければならない。
それはきっと悪い事だと思う。
してはいけない事だと理解できる。


けれど、もう、生きれないと一緒なのだ。
あたし達が生き残る可能性なんてきっと低いだろう。

なら、ならね。


あたしは、最後まであいつに真っ直ぐいってほしい。

ずっと、ずっと先へ。

真っ直ぐ貫いて欲しい。


あいつの背に手は届かなくても。


あいつの、進むべき道は護りたい。
他の何もかもを捨てても。

護ってやりたい。


だって、あたしはあいつが今でも――――



まだ、迷っている。
だから、あの子も助けた。
護りたかった。それもあたしの本心だった。


でも、それでも、あいつを、あたしは――


それでいいのか、解からない。

本当に、いいのか、解からない。

解かる訳、無い。


でも、だけど。


あたしは、あいつに真っ直ぐに進んで欲しい。
たとえ、あたしを見てなくても。
振り返らなくても。

それで、いいから。


いいから、あたしは。



あいつに生きて欲しいから。


だから。


その為に、戦うんだ。

275例え、届かなくても ◆auiI.USnCE:2011/06/18(土) 03:40:36 ID:/Qy7ayBQ0






 【時間:1日目午後4時ごろ】
 【場所:D-4】

 遊佐
 【持ち物:不明支給品、水・食料一日分】
 【状況:健康】

 高瀬瑞希
 【持ち物:SIG SAUER P220(残弾14/15)、水・食料一日分】
 【状況:健康】

276例え、届かなくても ◆auiI.USnCE:2011/06/18(土) 03:40:55 ID:/Qy7ayBQ0
投下終了しました。
このたびは遅れてしまい申し訳ありませんでした。

277風は秋色 ◆g4HD7T2Nls:2011/06/19(日) 06:07:42 ID:GV94q9HQ0

穏やかに、風が吹いていた。
緑の葉が僕の目の前を流れていく。

二人で進む、深い森。
並べられた杭のような木々の前を、僕らは通り過ぎていく。
この木の名前はなんだろう、見知っているような、見たことも無いような、曖昧だった。
ただ進むほどに色が変わっていくような、奇妙な感覚があった。

「…………」

歩く僕と、ミチルの間に会話は無い。
沈黙というよりも、これは静寂だった。
気まずくはない、むしろ心地のいい、ひんやりとした空気。
なんだか不思議なくらい、穏やかな時間。

明るい黄色が、視界の端で光るように思えた。
僅かに見上げれば、深く澄んだ秋色の瞳がある。
その瞳からは、すぐに目を逸らした。

耳には足音と、虫の泣く声だけが聞こえている。
目を閉じれば隣に誰もいなくなるような気がして、試してみるけれど無駄だった。
足音は二人分、一人じゃ出来ない間隔で、音が鳴る。

さく、さく、さく。

簡素で、軽い、ただの足音。
とっくに聞きなれて、聞き飽きた筈の音だ。

さく、さく。

僕自身の足音。

さく、さく。

隣にいる彼女の足音。

さく、さく、さく、さく、さく。

この音は、二人いないと、鳴らせない音だ。


さく……。


「急にどうした、グラァ。歩き疲れたか?」

予告もなく立ち止まった僕を振り返り、ミチルは呟くような声で話す。
僕が黙っていると、同じ調子で続けて言った。

「無理するのはよくない」

僕を心配している、そんな意図を感じた。
こんな反応を見れば、
彼女はこういう場にふさわしくないな、と思う。

「いや……」

首を振って、否定しかけて、途中でやめる。
当然、僕が疲れている筈はなかった。遠征には慣れている。
疲れているとすれば、きっと彼女の方だろう。
かといっていまさら否定の否定をするのも憚られて、
言葉を続けられなくなった僕たちは押し黙る。

ひぅ、ひぅ、ひぅ。

と、風が吹いていた。少し、先程よりも冷たく感じた。
やはり言葉もなく、僕らは佇んでいる。
心地のいい、いつまでもこうしていたくなる、静寂。
甘えてしまいそうになるのが、なんだか嫌だった。

「……ミチルに」

だから自分で破るように、僕は彼女に聞いたんだ。

「大切な人はいるの?」





278風は秋色 ◆g4HD7T2Nls:2011/06/19(日) 06:08:31 ID:GV94q9HQ0


穏やかに、風が吹いていた。
少し黄色を帯びた葉が、山田ミチルの目の前を流れていく。

「自分の半身だって、言えるような、そんな人はいるの?」

ミチルはそんな事を聞かれていた。
素直に、戸惑う。
いきなりだった事もあるし、質問の意図も分らない。
だからミチルはいつもの無表情で、ちょっと考えてみた。

「うーん……」

掛け替えのない物。
家族がそれに当たるとするならば、間違いなくそうだ。
けれど、半身と言える存在と言われても、イマイチピンと来ないのだ。

半身とは、どんなものだろう。
と、ミチルはより深く考える。
自分を二分の一以上構成しているもの、言葉通りに受け止めれば、そういう物である。
ならばミチルにとって、半分以上を満たす他人。
なんて、いるのだろうか。

「親友なら、いるけど」

答えは、分らない。
親友が居た。これは確かなことだ。
きっと唯一無二の、他人。
ミチルを構成するもの。
だけど、半身と呼べるほど大きかったかどうか、それは分らない。
分るときがあるとすればきっと……。

「…………」

分かりたくないな。と、ミチルは思った。
人の価値、自分にとってそれがどれだけ大きな存在か分る時。
タイミングは、限られている。

「……グラァは、いるの?」

また、同時に思う。
ここで彼がミチルに聞いたという、意味。
思いつめたような彼の表情、その意味に思い当たる。

彼は知っているのではないか。
自らの半身に値する、存在を。
そして、知る機会が訪れたとすれば……。

「うん」

こくりと、少年が頷く。
寂しそうな。
とてもとても寂しそうな表情で、噛み締めるように頷いた。


「『いた』よ」


と、彼は言ったのだ。





279風は秋色 ◆g4HD7T2Nls:2011/06/19(日) 06:13:24 ID:GV94q9HQ0

穏やかに、風が吹いていた。
赤みすら帯びた葉が、僕と彼女の間を流れていく。

自分で言って、より深く喪失を知った。
『いた』、と。
あいつが僕の隣に居たのは、もう過去のことだ。
今はいない。
違えた道は戻れない。

僕も、ミチルも、言葉は無かった。
今度はさっきまでとは違う、嫌な空気だった。
いたたまれない沈黙だった。

「……ごめん」

僕は何を聞こうとしたのだろう。
そして、何を得ようとしたのだろう。
分らないけれど、結局なにも掴めなかった。
ミチルを困らせただけだった。

穏やかな空気を壊して、僕はただ立ち止まっただけじゃないのか。
悔しさがこみ上げる。
あいつは、この瞬間にも人を殺そうとしているかもしれない。
僕と違って、動き続けている。
なのに僕はここで何をしているのだろう。

「行こう」

ミチルの顔もまともに見れず、僕は歩みを再開する。
意味の無い問いを繰り返す時間も、僕には許されない。
あいつの半身だった僕は、きっとあいつを止める責務がある。
すり抜けるように彼女の隣から一歩踏み出して、僕は行こうとした。

なのに……

かくん、と。
体が引き止められる。
振り返ると、僕の手がミチルの両手に包み込まれていた。

「……ミチル」
「駄目、やっぱり辛そうな顔してる。無理はよくない」

ミチルの目が、心配そうに僕を覗き込んでいる。
ああ、またその目だ。
深く澄んだ秋色の瞳が、僕を落ち着かせていく。
見られていると心が休まってしまう。

駄目なのに。
僕はもう僕一人で進んでいかなくちゃいけない。
だからこの高ぶりを、嫌な気持ちを、忘れないようにしないといけないのに……。



「もうちょっと、ゆっくりいこう?」



穏やかな秋色の風と一緒に流れてくる、
その小さくて優しい声に、甘えそうになる。









 【時間:1日目午後3時30分ごろ】
 【場所:C-6】


 グラァ
 【持ち物:ベナウィの鉤槍、水・食料一日分】
 【状況:健康。若様をお守りする。ドリィは……】


 山田ミチル
 【持ち物:コルト ガバメント(9+1/9)、.38Super弾×54、水・食料一日分】
 【状況:健康。グラァについていく】

280 ◆g4HD7T2Nls:2011/06/19(日) 06:21:42 ID:GV94q9HQ0
投下終了です。

281風は春色 ◆auiI.USnCE:2011/06/23(木) 01:03:37 ID:pWQOZ3z60

柔らかな、風が吹いていた。
淡い薄紅色の蕾が、僕の目の前で今に咲こうと膨らんでいる。

僕は手を引かれながら、川辺を進んでいた。
その周りには、何かを祝福するように、薄紅色の花を咲かせた木々が並んでいる。
この樹は、僕らが春に見る美しい花を咲かす樹と一緒だろうか。
どちらにしても、とても儚くて、凄く綺麗だった。

「綺麗だね〜。ダーリンと見たいなぁ」

僕を引っ張りながら、前を歩いていくはるみ。
何が楽しいのか、嬉しいのか、跳ねるように歩いている。
そんな彼女はころころ笑いながら、何時も何かを話していた。
僕は戸惑いながら、返事を返したり返さなかったり。
だけど、嫌な感じはしなかい、むしろ心が温まるような、ぽかぱかとした空気。
なんだか、驚くくらい、優しい時間。

薄い桃色が、視界の端で光るような気がした。
僅かに見上げれば、淡く輝いた春色の髪がある。
その髪からは、すぐに視線をそらした。

耳には足音と、鳥のさえずり、川のせせらぎだけが聞こえてくる。
目を閉じれば隣に誰もいなくなるような気がして、試してみるけれど無駄だった。
足音は二人分、一人じゃ出来ない間隔で、音が鳴る。
けれど、僕の足音は少しだけ遅れて、音が鳴っていた。
それはきっと、彼女が僕の前で、少しだけ早く歩いてるからだろう。

たっ、たっ、たっ、さく、さく、さく。

簡素で、軽い、ただの足音。
とっくに聞きなれて、聞き飽きた筈の音だ。
その足音に、聞きなれない足音が重なる。
僕やあいつの足音と違う、駆ける様な、足音。


さく、さく。

僕自身の足音。

たっ、たっ。

前を歩く彼女の足音。
やはり、少しだけ、早い。

たっ、たっ、たっ、さく、さく、さく。

この音は、二人いないと、鳴らせない音だ。




さく……。


「……うん? どうしたの?」

急に、その場に踏み止まった僕を振り返り、はるみは朗らかに笑いながら、明るい声で話す。
僕が黙っていると、同じ調子で続けて言った。

「もしかして、寂しくなっちゃった……とか?」

僕が寂しそうに見えた、と言いたげそうだ。
何となくだが、
そんな彼女の反応はらしくないなと、思う。

「いや……」

首を振って、否定しかけて、途中でやめる。
寂しくないといえば、嘘になる。
それに、僕には何故だか彼女も寂しそうに見えた。
けれど、その事を指摘する気にはなれなくて。
結局、言葉を続けられなくなった僕たちは押し黙る。

さや、さや、さや、

と、風が吹いていた。先程よりも温かく感じられる。
やはり言葉もなく、僕らは佇んでいる。
穏やかで、いつまでもこうしていたくなる、静寂。
すがりそうになるのが、なんだか嫌だった。

「……はるみに」

だから自分で破るように、僕は彼女に聞いたんだ。

「大切な人はいるの?」








     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

282風は春色 ◆auiI.USnCE:2011/06/23(木) 01:03:55 ID:pWQOZ3z60







柔らかな、風が吹いていた。
淡い薄紅色の花びらが、河野はるみの前でひらひらと散っていた。

「自分の半身だって、言えるような、そんな人はいるの?」

はるみはそんな事を聞かれていた。
素直に、戸惑う。
いきなりだった事もあるし、質問の意図も分らない。
だからはるみは苦笑いを浮かべながら、ちょっと考えてみた。

「そーだねー」

掛替えの無い存在。
はるみにとって思いつく人達は沢山、いる。
はるみを造ってくれた人、大事な姉と妹。
大切な、大切な、無くしたくない家族達。
それでも、半身と言われると、それは違うとはるみ思う。

半身って、なんだろう。
自分と同じような存在。
けれど、それは別個の存在で。
同じであり、けれども、確実に違う。
そんな、自分の半分とも言える位大切な人。
それ位までに大切な存在なんて、いるだろうか。

「……ううん、私にとってダーリンは『それ以上』……かな」

答えは見つかった。
けれど、半身なんてものではなかった。
はるみにとって本当に大切な人は、それ以上だった。
河野はるみの全存在と同じぐらい、大切な人。
そう言える、言い切れる。
だって、大好きだから。
もし、彼が居なくなってしまったら……

「…………」

考えない、考えたくない。
少なくとも、今は。
ずっと、ずっと前を向いて笑っていたい。

「……ドリィはいるんだ?」

浮かんだ最悪の可能性を振り切るように、はるみは思う。
自分の事を語ろうとしなかった彼が、このタイミングではるみに尋ねた、その意味は。
迷ったように、振り切ろうとしているその表情、その意味をはるみは知っている。

きっと、彼にも居る。
はるみと同じように大切な存在が。
自分自身と同じような存在が。
きっと、彼にも居たんだ。
そして、今、後悔してるような彼の様子、その真意は……

「うん」

こくりと、少年が頷く。
寂しそうな。
とてもとても寂しそうな表情で、噛み締めるように頷いた。


「『いた』よ」


と、彼は言ったのだ。








     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

283風は春色 ◆auiI.USnCE:2011/06/23(木) 01:04:17 ID:pWQOZ3z60






柔らかな、風が吹いていた。
淡い薄紅色の花びらが、僕と彼女の間を吹雪いて、散ってゆく。

自分で言って、より深く喪失を知った。
『いた』、と。
あいつが僕の隣に居たのは、もう過去のことだ。
今はいない。
違えた道は戻れない。

僕も、はるみ、言葉は無かった。
今度はさっきまでとは違う、嫌な空気だった。
心が掻き毟られるような沈黙だった。

「……ごめん」

僕は何を聞こうとしたのだろう。
そして、何を得ようとしたのだろう。
分らないけれど、結局なにも掴めなかった。
はるみの笑顔を曇らせてしまった。

暖かな空気を壊して、僕はただぐるぐると回り続けていただけじゃないか。
悔しさがこみ上げる。
あいつは、この瞬間にも僕を救おうとしているかもしれない。
僕と違って、あいつは真っ直ぐに進んでいる。
なのに僕はここで何をしているのだろう。

「…………」

はるみの顔もまともに見れず、僕はその場で立ち尽くす。
意味の無い問いを繰り返す時間も、僕には許されないはずなのに。
あいつの半身だった僕は、あいつを捨てた僕は、進む義務があるのに。
金縛りにあったように彼女の後ろで、僕は立ち止まっていた。

なのに……

ぐいっ、と。
体が引っ張られる。少し歩き出してしまう。
振り向くと、僕の手がはるみの手に掴まれていた。

「……はるみ」
「うん、寂しい顔しないで。前に進もうよ」

はるみは、髪をはためかせて、笑っていた。
ああ、またその笑顔だ。
淡く儚い春色の髪が、その笑顔、僕を温かくしてくる。
見られていると心が昂ぶってしまう。

駄目なのに。
僕はもう僕一人で何もかも決めないといけないのに。
だからこの優しさを、嫌な気持ちを、忘れないようにしないといけないのに……。



「笑って、進んでいこ?」




柔らかな春色の風と一緒に流れてくる、
その眩しくて明るい声に、縋りたくなる。




【時間:1日目17:30ごろ】
【場所:D-6】

河野はるみ
【持ち物:トンプソンM1928A1(故障の可能性あり)、予備弾倉x3、水・食料一日分】
【状況:右腹部中破】

ドリィ
【持ち物:イーグルナイフ、水・食料一日分】
【状況:健康。若様のために殺す。グラァは……】

284風は春色 ◆auiI.USnCE:2011/06/23(木) 01:05:22 ID:pWQOZ3z60
投下終了しました。
今回あえて、g4氏の前作に似せて、書きました。
何かありましたらよろしくお願いします。

285第一回放送 ◆auiI.USnCE:2011/06/23(木) 01:49:11 ID:pWQOZ3z60
さて、定刻となった。
これから、この放送までに命を落とした者達を継げる。
一度しか言うつもりは無い。
故に、聞き漏らしが無いように注意したまえ。

桜井あさひ
宮沢有紀寧
大庭詠美
大山
木田恵美梨
向坂雄二
立川郁美
藤林椋
柚原このみ
吉岡チエ
ウルトリィ
猪名川由宇
折原明乃
小牧都乃
春原良平
仁科りえ
カムチャタール
サクヤ
菜々子
松下
ユズハ
長瀬源蔵
一ノ瀬ことみ
竹山
ひさ子
芳賀玲子
アルルゥ
井ノ原真人
木田時紀
幸村俊夫
高松
古河早苗
ユイ
早間友則

以上三十四名。

そして、次の時間帯から、ある規約を制定する。
これから、規定の時間になったら、進入を禁止する領域を定める。
警告を無視し、その領域に入った者は首枷に仕込まれた爆薬で、命を落とすことになる。
ゆめゆめ注意するがよい。

では、発表に映る。

20時から、G−1。
22時から、E−7。

以上だ。


中々順調に遊戯は進んでいるようだな。
しかしまだ始まったばかりでしかない。
戦い、戦い、殺し続けて見せろ。
諸君らの健闘を期待する。

さあ諸君、放送は終わりだ。
また6時間後、生きている者はまた会おう。


では、諸君。






――――最期まで、生きてみせろ。







     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

286第一回放送 ◆auiI.USnCE:2011/06/23(木) 01:49:28 ID:pWQOZ3z60








彼の目に沢山の人間の生き様が映っては、消え、映っては消えていく。
その生き様を彼は興味深そうに見ていく。

「定まらぬか、相楽美佐枝」

彼が選びし、人間の一人。
殺し合いを進ませるように、彼は彼女と契約を交わした。
しかしながら、彼女は一人を殺そうとしただけで精一杯だったようだ。
特別に支給させた物も使えなかったようだ。

だが、それでいい。
迷い、それでも尚、願いを捨てずに進む。
彼女の行く末も最期まで見届けるべきだろう。
契約を履行する意志さえ捨てなければ、それでいいのだから。


「定まったか、我が友よ」

次に映るのは老練の武士。
長き付き合いがある眷属であり、彼の最大の友。
彼はあえて、何も告げず此度の殺し合いに参加させた。

そして、彼の期待通り、友は迷いながらも、それを断ち切った。
進むべき道を、自ら選び取って。
彼にとって、友が選んだ選択は自分のように誇らしいものだった。
少し笑みを浮かべながら、友が進むべき道を見守っていた。


「………………歩き出したか、名も無き少女よ」

そして、最後に映るのは、髪が白い目が紅い少女。
元に存在した、ただの分身であった彼女に、彼が殺し合いの為に蘇らせた存在。
蘇らせたといっても、ほぼ創造したといった存在。

彼女に自我ができる事はある意味予想は出来た。
そのように仕組んでいた節が彼には、あるからだ。
何より、彼女の自我の確立には、彼にとっても大きな意味を持つのだ。
彼女が自我を持ち、そして歩む事に、彼にとっての目的もあるのだから。

しかし、彼はそれを語らず、暫しの間、目を閉じる。


彼にとっての望みは唯一つ。


しかし、それを語ることも無く、今は、ただ。


この島での人が生き続けるさまを。



静かに、ただ、見つめていた。

287第一回放送 ◆auiI.USnCE:2011/06/23(木) 01:50:51 ID:pWQOZ3z60
放送投下終了しました。
何か意見がありましたらよろしくお願いします。

そして、放送空けの予約ですが、金曜午前0時、土曜午前0時のどちらの解禁がいいでしょうか?
意見よろしくお願いします

288名無しさんだよもん:2011/06/23(木) 01:59:20 ID:mO40Fo4M0
金曜午前0時でいいんじゃないでしょーか

289名無しさんだよもん:2011/06/23(木) 03:25:11 ID:0p9Hc.rE0
私としてはどちらでもかまいませんが、金曜の午前0時だと実質明日で少し急にも思えます
今日(木曜日)中に多数の人のレスがつき、その上で金曜で構わないという内容が多ければ、金曜でもよろしいかと

290 ◆auiI.USnCE:2011/06/23(木) 22:40:56 ID:m8/Bp2F20
では、少し急だと思いますので、、土曜午前0時の解禁でいいでしょうか?

291名無しさんだよもん:2011/06/23(木) 22:55:17 ID:0p9Hc.rE0
okです

292葬歌  ◆92mXel1qC6:2011/06/27(月) 21:14:41 ID:pRvV7Wus0
投下します

293葬歌  ◆92mXel1qC6:2011/06/27(月) 21:15:29 ID:pRvV7Wus0
処刑の刃が振るわれる。
それは紛れもなく人を殺すための動作だった。
振り上げ、降ろす。
言葉にすればただ二言に過ぎないことだが、芳野祐介には分かる。
人殺しの道を歩み始めたばかりで、己が手を血に染めはすれども、未だに他人が他人を殺すのを見たことがない彼にでも分かる。
立ち込める殺気に、分からざるをえなかった。
今、彼と共にある女傑がなさんとしたことは素振りなどではない。
人殺しだ。
彼女は殺そうとした。
その振り降ろした刃で。
目の前の人物を殺そうとした。

そこまで察知できているのに。
再び掲げられた刃を前にして祐介は一言も声を発することはできなかった。
おい、とか、よせ、とか、やめろ、とか。
喉から出かかった言葉は、全て、女の鬼気に飲み込まれていた。

故に。
芳野祐介は指一本動かすこともできず。
その刃が振り下ろされるのをただただ見ていることしかできなかった。

ギロチンが振り落とされる。
ずぶりと肉を断つ音がして首が跳ね飛ぶ。
芳野祐介は必死で声が漏れ出るのを抑えた。
それが彼ができる唯一の抵抗で、彼に残された数少ない矜持だった。


†  †  †

294葬歌  ◆92mXel1qC6:2011/06/27(月) 21:16:08 ID:pRvV7Wus0

「……で。何をしていたのか教えてくれないか?」

漸くひゅーひゅーという呼吸音以外の音を取り戻した喉を駆使して、カルラへと問いかける。
その声に微かな震えが含まれているのを自分でも感じはするが致し方がない。
芳野祐介は既にして人殺しだ。
目の前の女と対峙した時に、自身が殺されかけるという体験すらした。
されど。
彼はまだ眼にしたことがなかった。
他人が他人を殺した跡には触れども、他人が他人を殺すという光景を直に眼にしたことはなかったのだ。

「貴方には何をしているように見えまして?」
「人を……殺しているように見えた」

それなのに。
この笑みを携えた女は、芳野祐介にその未知を圧倒的リアルとして幻視させた。
女がしたことは剣を誰もいない所に向かって振り上げ、振り降ろしただけだったにも関わらずだ。

「人を、ですの?」
「ああ。年端のいかない少女を二人続けて斬り殺しているように見えた。違うか」

一振り目と二振り目。
共に首を跳ねる動作ながらも、刃が薙いだ高さには明らかな違いがあった。
その生々しさが祐介へと、カルラが確固たるイメージをもって二人の幻想の標的を殺したことを理解させた。

「あら、感受性がお強いですのね。わたくしが構築したイメージをそこまで感じ取れるなんて驚きですわ」
「驚いたのはこっちだ。明らかに俺を狙った攻撃じゃないとはいえ、訳も聞かされずにに剣を振り回されるのはたまったもんじゃない」

それに。
続く言葉は口に出さず、心の中で祐介は吐き捨てる。
感受性なんて褒められたもんじゃない。
そんなものはとうの昔に夢と共に捨ててきた。
引換に得たのはくそったれな人殺しの経験だ。
その経験こそが、祐介に、カルラの架空の標的を見抜かせた。
重なったのだ。
カルラが薙いだ一人目の幻想に、祐介が殺した一人目の少女が。
カルラが薙いだ二人目の幻想に、祐介が殺した二人目の少女が。
重なって、しまったのだ。

「それもそうですわね。ごめんなさいですわ。今から殺す三人目はこれまでの二人と違って簡単には斬られてはくれませんし。
 大立ち周りは必須。そうなるとその前に訳を話さないわけにはいきませんわね」

そんな祐介の心中を知ってか知らずにか。
カルラは今一度剣を掲げ直し、逆に祐介へと問いかけてくる。
深く、深く、傷を抉る問を重ねてくる。

295葬歌  ◆92mXel1qC6:2011/06/27(月) 21:16:34 ID:pRvV7Wus0
「ねえ、ヨシノ様。先程の死者を告げる声にて、貴方の知り合いの名は呼ばれまして?」
「……っ。ああ、呼ばれたさ。数人な」

幸いにも祐介が一番護りたい人の名を呼ばれはしなかったが。
それでも、放送で彼らの名が呼ばれた時、祐介は何かが心から抜け落ちたのを感じた。
思い起こせばあの時、一瞬ながらも放心してしまったが故に、祐介はカルラの奇行を許してしまうことになったのだ。

「わたくしも呼ばれましたわ。昔馴染みを含めて三人。誰も彼もわたくしの大切な人達……」

僅かに顔を伏せるカルラ。
つまりは大切な人達を殺されたショックに、我武者羅に暴れたとでも言うのか。
いや、あれはそんな衝動的なものではなかった。
衝動にかられただけの行為で、ああもリアルな仮想敵を構成はできはしまい。
それに物騒な武器に反して、あの時のカルラからは殺意は感じはすれども、憎しみや怒りは感じなかった。
訝しむ祐介を余所にカルラは続ける。

「初めてお会いした時、甘いと、ヨシノ様はわたくしにおっしゃいましたよね? ええ、その通りですわ。
 わたくし、思ってしまいましたもの。彼女達の名を呼ばれた時に、怒りや悲しみと共に、僅かながらの安堵を。
 良かったと。この手で殺さなくて済んで良かったと。情けなくも女々しいことを考えてしまいましたの」

殺すと心に決めていたのに。
最愛のあるじ様のために、他の全ての愛する人をもこの手で殺すと誓ったはずだったのに。
あいも変わらず笑みを浮かべたままのはずなのにどこか苦しげな言葉に、祐介もカルラの言わんとしていることに気づく。
ああ、そうか、例外ができてしまっただと。
自分以外の誰かが代わりに殺して“くれた”人という例外が。

「貴方以外の殿方にも、同じことを言われたことがありますわ。
 わたくしは、自分が思っているよりずっとずっと甘ちゃんなのだと。
 非情になりきれない、自分の辛さには耐えられても他人の辛さには耐えられないのだと」

それでは駄目だ、駄目なのだ。
カルラは言外に語る。
殺さなくて済んで良かったと。
そんな想いを抱いたままでは、いざ、自らの知り合いに会ってしまった時に、その刃が鈍ってしまう。
否、それだけではない。
もしもその知り合いが彼女ら死者の名前を出してきて、こちらを説得してきたとしたら。
斬り捨てられるのか、無碍にできるのか。
相対することなく棺に納め、安堵という土を収めて埋葬した彼女らのことを。
できまい。
まだ会って数時間しか経っていない祐介にすら断言できる。
伊達や酔狂で愛を歌ってきたのではない男は、女の言葉の端々に宿る想いが本物だと確信できる。
女は本当に好きだったのだ。
死んでいった家族のような彼女達のことが。

296葬歌  ◆92mXel1qC6:2011/06/27(月) 21:17:16 ID:pRvV7Wus0

「ですから」

だというのに。

「殺すことにしましたわ。その甘さを。この手で」

綺麗なまま、箱にしまうことをよしとせず、カルラはその輝く想いに泥を塗る。
先送りにしてしまうことで、いつの日か、誰かの言葉の中で蘇った彼女らを前に迷いが生じてしまわぬように。
今、この手で墓を暴き、愛する人達を想像の中で蘇らせ、直視し、受け止め、再殺する。
ウィツアルミネティアの契約のもとに。
最愛の人の為に、他の“全て”を殺すという契約を履行する。
全ては全てだ。一度誓った以上、そこにあらゆる例外は許されない。許す気もない。

「アルルゥ」

最愛の人の子を孕んだ少女を殺したと、カルラは酒を手の取り、一口含み、飲み干す。

「ユズハ」

共につまみ食いをして笑いあった少女も殺したと、また一杯こくりと喉を潤す。

「……ウルト」

そして今から、幼少の頃よりの付き合いだった親友をも殺すのだと。

「ふふ、少し離れていてくれますかしら。最後の相手にはわたくしでも手を焼きそうですし。
 先ほど胎児を母親ごと殺したこともありまして、鬼母神もかくやといわんばかりに怒ってますもの」

三杯目はその後に。
酒瓶が投げてよこした横顔には、これまで以上に楽しげな笑みが浮かんでいて。
本気とも冗談ともとれる言葉にも一切の悲壮感は感じられはしなかったけれど。
それでも、どんな形であれ、死者へと真摯に向き合うカルラの姿に。
祐介はこれが単に覚悟を固めるためだけの儀式ではなく、彼女なりの死者への弔いに思えてならなかった。

「同じ散る花なら、愛するこの手で手折りたい、か」
「……詩人ですのね」
「……昔の話だ」

無意識のうちに零れ出た詩はギロチンがたてる刃鳴りの音に飲み込まれ消えていく。
ああ、こいつはこれからずっとこんなことを続けていくのだろう。
そう祐介は確信して、ふと思う。
あってはならないことだが、もし、この身が志半ばで朽ち果てたとしたのなら。
自分もまたカルラの葬送の唄におくられることになるのだろうか、と。

「愚問だな」

所詮自分たちの関係なんて、利害が一致しただけの一時的なものだ。
ただそれだけの絆とは無縁のものに過ぎないのだ。

297葬歌  ◆92mXel1qC6:2011/06/27(月) 21:17:35 ID:pRvV7Wus0



【時間:1日目午後6時20分ごろ】
【場所:F-7】


カルラ
【持ち物:エグゼキューショナーズソード、酒、水・食料二日分】
【状況:健康】
※エグゼキューショナーズソード:D&Tより。斬首刑用のとても残虐な剣。心証的によくない、不安になる、寝付きが悪い。両手用


芳野祐介
【持ち物:ベレッタM92(残弾10/15)、トランプ(巾着袋つき)、 水・食料2日分】
【状況:健康】

298葬歌  ◆92mXel1qC6:2011/06/27(月) 21:18:03 ID:pRvV7Wus0
投下終了

299 ◆5ddd1Yaifw:2011/06/30(木) 01:05:00 ID:6iq9aZLQ0
とーかします

300刃鳴散らす ◆5ddd1Yaifw:2011/06/30(木) 01:05:34 ID:6iq9aZLQ0
夕焼け空が黒に染まりかけた中、二人の男が対峙する。
一人は年老いた男。身に纏った軽装の鎧、ゴツゴツとした手、傷だらけの顔。
それらと老人が出している威圧があい重なって歴戦の猛者とたらしめている。
老人の名前はゲンジマル。エヴェンクルガ族の生ける伝説とまで言わしめられた誇り高き武士である。
身体を半身前へ出し、腰に差した刀剣の柄に手を当て居合の構えをとる。

「準備は良いか?」
「……ったりめーだ」

もう片方は少年。ブレザーを着崩し、下はスラックスというありふれた日常のどこにでもある服装だ。
それになぜか上から割烹着を羽織って変な雰囲気を醸し出している。
ゲンジマル程の鍛え抜かれた身体つきでもなく、研ぎ澄まされた闘気もない。
だが、不屈。絶対に負けてやらないという強い眼力はゲンジマルに負けずとも劣らず。
少年の名は藤巻。死んだ世界で神々との戦いを続けている者。
左足を前に踏み出し、右足を少し後ろに。右手に持った刀は正面に。

「行くぞ」

ゲンジマルは地を強く踏みしめて前へと駈け出した。そして、藤巻が気づいた時には一足一刀の間合いに在る。
そのままの勢いで抜き放ったショーテルを横薙ぎに振るう。風を切り裂いて迫る一撃を無理に刀で受けずに後方へ跳ぶことで回避する。
初撃への対応としてはまずまず。だが、及第点は与えられない。

「っらああ!!!!!」

初撃のお返しとばかりに藤巻は斜め上からの斬撃を放つがショーテルで刀を軽く弾くことで軌道をそらす。
その隙にショーテルを一閃。銀色の閃光が弧を描く。

「遅いぞ」
「ちっ……!」

藤巻は下段に下ろした刀を無理矢理に軌道を上昇させ、閃光に当てることで自分の命を刈り取る一撃をギリギリの所で乗り越える。
鈍い金属音が二人の耳に響く。金属音が響き終える時には藤巻は次の行動に移していた。
ゲンジマルの右目が眼帯で封じられていることを利用しその死角に回りこみ叩き潰すが如く刀を振り下ろす。
これぞ敵の隙を突いた必中の剣なり。

「温いぞ、フジマキ。そんな浅い策で某を打ち倒そうとは。もっと敵を見ろ」

最も、それが隙でなかったら必中でも何でもないのだが。ゲンジマルにとっては相対する敵が自分の死角から詰め寄ってくるなど知れた事。
なればこそ視界が塞がった部分を攻めてくると分かりやすい。
故に、死角からの一撃を防げるようにゲンジマルは血の滲むような修練を経た。
その結果、目で見えずとも気配のみでどうとでも対応できるようになったのだ。

301刃鳴散らす ◆5ddd1Yaifw:2011/06/30(木) 01:05:58 ID:6iq9aZLQ0
(畜生……! わかってたけどバケモンだ、このジジイ!)

必中の剣をあっさりと防がれたのにも藤巻はめげずに手首を返して上に刀を走らせる。ガキンと鳴る鈍い音。
続けて刀を後ろに返しての勢いづけた突き。ヒュンと空を斬る軽い音。
やけくそに突きから横へと走らせるといった藤巻自身では意表を付いたと感じられる一撃。何かを斬る感触のない無味の音。

「受けてばかりでは戦いとは呼べんな、そろそろ反撃といこうか」

刀とショーテルが乱雑にぶつかり合う。最も、勢い良く動いているのはショーテルだけであり、刀はそれに合わせて受け止めているだけ。
いや受け止めるのが精一杯なのだ、攻勢に出る余裕がないだけだ。天翔ける剣尖の数々を受け止め、躱すのが今の藤巻にとっては精一杯だ。

(剣先だけを見るんだ! いずれ浮かぶ隙を突いて反撃すれば……!)

今は耐え忍ぶ時。その考えが甘えだと知らずに。
不意に腹部に衝撃がかかった。蹴撃が突き刺さる。その勢いのままに後ろに転がっていった。

「攻撃は剣だけではない、もっと全体を見ろ」

藤巻は腹部に走る痛みを気合で抑えながら立ち上がる。このまま蹲っていてはやられるだけだ。
攻めなければと心中で考えながら、手に持った刀を両手持ちに変えて迫り来る刃を受け止めた。
ガンガンギンギンと嫌になるくらいにぶつかる刃に「ああ、耳に響いてうるせえ」と愚痴りながらも必死に喰らいつく。

「くそっ! くそっ……!」

しかし口から出る悪態とは対照的に藤巻の刀は押されていく。
突き刺し、唐竹割りと様々な剣技でゲンジマルを打ち倒そうと躍起になるが全ては跳ね返される。
勝てない。諦めという四文字の言葉が頭をかすめる。

(ふざけんなよ、何勝手に諦めようとしてやがるんだ!)

ここで膝を屈し倒れてしまったら、それこそ本当に負け犬と成り果ててしまう。
戦う。同じ四文字だけど意味合いは真逆。
血を這いずりまわろうとも乗り越えなければ胸を張って誇れないから。

「負けたくねえっ!」

藤巻はショーテルの斬撃を後ろに大きく跳んで躱すことでゲンジマルから距離を離す。
ただ我武者羅に戦っていては体力が無駄に消費されるだけだ、ならば自分の全身全霊をかけた一撃でケリを付ける。
だが、藤巻が持ち合わせている技術は既に使い果たしている。それらを使用したとしても当然返り討ちに合うのが関の山だ。

302刃鳴散らす ◆5ddd1Yaifw:2011/06/30(木) 01:06:28 ID:6iq9aZLQ0

(あれを、やるしかねえか)

藤巻の脳裏に浮かぶのは天使との戦いでゲンジマルが解き放ったあの神速の抜刀術。
たった一度見ただけの技。それは神の業とも言える剣技。その剣技を模倣して全てを賭けようというのだ。
紛い物なれど、万が一の確率で一撃を入れられるかもしれない。
しかし、それができるのか。藤巻の拙い腕で。
ライブに負ける程度の戦いしかできないこの剣技で。

(出来る出来ないじゃねぇ……やるんだよ、必ず! それぐらい出来ねえでこっから先、生き残れるか!!!)

成功したとしても相対するゲンジマルはそれ以上の超絶技巧の剣技で打ち破ることだろう。
だが、それがどうした。何もせずにただ朽ち果てていくのを待つのは御免だ。
刃鳴散らすこの戦場で刃の輝きを失わないように。

「前へ進むためにも」

鞘に刀を戻し、見様見真似ではあるが構えを取る。
ゲンジマルも藤巻の心意気に何かを察したのか同じく鞘にショーテルを戻し抜刀の構えで防衛の意を示す。

「勝つんだ、絶対に」

トン、と地面を強く踏みしめる音が鳴った。
前へと、ゲンジマルの元へと弾丸の如き速さで駆け抜ける。
幸いのことにゲンジマルは藤巻を迎え撃つ態勢を崩さず、その場からは動いていない。
そして二人の距離が近づき、互いの鞘から剣閃が解放される。
斬光が二つ、空を凪いだ。

「某の勝ちだ」

幾多の戦いを生き抜いてきたゲンジマルに藤巻の刀が突き刺さることはなかった。
藤巻の持っていた刀は弾き飛ばされ、遥か後ろの地面に突き刺さった。
無論、それを取りに行く隙をゲンジマルが与えてくれるはずもなく。

「……俺の、負けだ」

勝者はゲンジマル。藤巻は敗北を認める他なかった。完全なる敗北。
手を抜いていたゲンジマルにすら勝てない。
頭の中でグルグルと回る強い無念と同時にどこかすっきりとした感情が藤巻にはあった。

「少しは気が晴れたか?」
「……ああ」

この剣劇の発端は藤巻から持ちかけられたものだった。
放送が終わり、幾許かの静寂の後に藤巻が突然言ったのだ。

303刃鳴散らす ◆5ddd1Yaifw:2011/06/30(木) 01:06:48 ID:6iq9aZLQ0

「ジジイ……俺と戦え」

その時の藤巻はなぜだか知らないが無性に暴れたい気分だった。
その起因には放送で呼ばれた仲間達だということは自身でもわかっていた。
ガルデモのボーカルで皆の盛り上げ役だったユイが死んだ。
無駄に筋肉を見せたがる馬鹿だったがすごくいい奴な高松が死んだ。
麻雀をやったり、時には一緒に悪巧みをしたりしていた悪友であるひさ子が死んだ。
よく飯をたかられたり、たかったりの日常を共に過ごした松下が死んだ。
得意分野のパソコンを駆使して戦線をサポートしていた竹山が死んだ。
いつも自分の横で笑って仲良くやっていた大山が死んだ。
こんな屑な自分と仲良くしてくれた友達が消えていく。
手から零れ落ちていく幸せだった日常の欠片。
このやりどころのない喪失感を何かにぶつけたかった。
結果、ボロクソに負けてしまったが思考は少しクリアになった。

「気にするな。某も良い発散になった」

ゲンジマルも藤巻には当然見せないが、放送を聞いて衝撃を受けた。
孫であるサクヤの死。盟友たるディーの放送は真実だと信じている。
悲しくない、といえば当然嘘にはなるが、同時に安堵もしているのだ。
自分の手で孫を殺さずに済んだことに。とは言ってもゲンジマルには殺す覚悟はあった。
言葉通りこの戦いはゲンジマルにとって良い発散となったのだ。

「フジマキ、迷いは晴れたか」
「……全然全くこれっぽっちも解決してねえよ。だけど、迷いを抱えたままでも突き進む。もう、後悔したくねえし」
「ふむ……だがその前に一つ」
「何だよ」
「正しい抜刀術を教えてやる、あのような見様見真似な中途半場なものでは様にならん」
「けっ……勝手にしろよ」

何かを成せる力を得る、大切な日常の欠片をもう零さない、殺す覚悟は本当に自分にはあるのか。
それらの願いと迷いを抱えて藤巻は前を向く。もう、奈々子の時のような後悔だけは絶対にしないと心に刻みつけて。



【時間:1日目午後6時30分ごろ】
【場所:F-8】


藤巻
【持ち物:防弾性割烹着頭巾付き、手鏡、日本刀(銘付き)、水・食料一日分】
【状況:健康。このジジイの正体を見極めてやる+迷いを抱えたままでも突き進む覚悟】


ゲンジマル
【持ち物:ショーテル、水・食料一日分】
【状況:健康。契約を守る】

304 ◆5ddd1Yaifw:2011/06/30(木) 01:07:10 ID:6iq9aZLQ0
とーかしゅーりょーです

305絶望と希望のリーインカーネーション ◆R34CFZRESM:2011/07/01(金) 03:27:36 ID:5RpMW6Fs0

 直幸はフリースローラインに立ちボールを構える。
 その視線の先のバスケットゴールは、夕日に赤く染まった体育館に物言わず鎮座していた。
 フリースローラインからバックボードまでの距離はたった4メートル。だがその4メートルがあまりにも遠かった。

(これが……私と朋也の距離か……)

 すぐ近くにあるというのに届かない距離。
 手を出せばすぐ届きそうなのに縮まらない父と子。
 直幸と朋也の間に広がる隔たりそのものだった。
 
「……左手は、添えるだけ」

 昔――怪我をする前の朋也がそんなことを言って鏡の前でフォームの確認をしていた。
 遠い過去の記憶。まだ親子の絆が存在したころの記憶。
 直幸は軽くジャンプしてシュートを放つ。フォロースルーは白鳥の首のような形。
 手から離れたボールは弧を描き、ばさっと音を立ててゴールをくぐり抜けた。

「ふぅ……」

 跳ねるボールを見つめ直幸は息を吐く。
 うまくシュートできたという達成感と同時に、何故こんなことをしているのかという虚しさに包まれる。

「よお、岡崎さん」

 体育館の入り口に立つ秋生の姿。直幸は初めて秋生と会った時と同じようなデジャヴを感じた。
 彼はいつだって生命力に溢れ若々しかった。

「一人でどこをほっつき歩いてると思ったらこんなとこにいたのか」
「……すみません」
「別に責めちゃいねえよ……っと」

 秋生は床に転がったボールを拾うとゴールに向かって手を離す。
 エンドラインからの0角度シュート。もっとも距離感を掴みづらい位置に関わらず、秋生はたやすくゴールを決めた。

「うっし、俺様絶好調!」
「さすがですね」
「あったぼうよ!」

 子どものように笑う秋生を直幸は羨望の眼差しで見つめていた。

「……昔、バスケやっていたのか?」

 秋生の問いに直幸は無言で首を振った。
 スポーツなんてせいぜい学生時代の体育の授業ぐらいだった。
 なのにこうしてコートに立つのは何故なのだろうか?

「少しでも――これに近づけば朋也に近づける。そんな気がして――」

 今となっては唯一直幸と朋也と繋ぐ存在。
 そして直幸と朋也の絆を断ってしまった存在。

「そうか、なら練習しなくちゃな」
「は?」
「朋也と――バスケで勝負してやれよ。お互い全力のサシの勝負だぜ」
「まさか……今更そんなこと……それに朋也は右肩が上がらないんですよ。勝負なんてできるわけが――」
「アホか、バスケなんてものは右手が使えなくても――」

 センターラインでボールを持った秋生は左手でドリブルをしながらゴールに向かって疾走する。
 フリースローラインを抜け、一歩、二歩――秋生の身体が跳ねる。
 左手に持ったボールを天高く突き出した先にはゴールリング。秋生は左手一本で華麗なレイアップを決めた。

「左手だけでもシュートは打てるんだぜ? 朋也だってこれぐらいできるはずだ。つーか体力のないあんたにゃあ十分なハンデだぜ」

 本当にこの人には敵わないな――
 白い歯を見せて無邪気に笑う秋生に直幸は思う。
 子どものような天真爛漫さと年相応の思慮深さが同居した不思議な男。
 直幸もまたこの古河秋生という一人の人間に父親として、男として惹かれつつあるのを感じていた。

306絶望と希望のリーインカーネーション ◆R34CFZRESM:2011/07/01(金) 03:29:21 ID:5RpMW6Fs0



「もうっ二人ともこんなところにいたんですか」

 体育館に入ってきた二人の少年少女。
 この学校で知り合った子どもたち。
 名前は確か二木佳奈多と直井文人と名乗っていた。

「おっ佳奈多に文人じゃねえか。いいところに来たな」
「気安く僕の名を呼ばないで貰いたいですね」
「べっつに呼んだところで減るもんじゃねーだろ。俺様の親愛の証だ。うわははは」
「ふん……」
「で、私たちに何のようですか?」

 はぁ、と呆れた表情でため息を吐く佳奈多。
 この二人はどこか人生を冷めた目で見ている。直幸はそう感じていた。
 初めて会った時、自分たちに向けられた感情は警戒心と敵意。
 いつ誰に襲われるかわからない極限状態から発露された感情とはまた違う。
 大人という存在に対して純然たる敵意の篭もった感情だった。

 思春期の子どもたちには多かれ少なかれ反抗期というものが訪れる。
 だがこの子たちには反抗期という物を一切感じ取れない。むしろそういうものを強引に押さえ込まされて生きてきた。
 大人に対する服従を強要されて育てられた。精神的にも肉体的にも。そんな物を直幸は一人の子を持つ親としての本能で感じていた。

「バスケやろうぜ! 2対2の勝負だ!」
「はぁ?」
「何をバカなことを……いい年した大人が」
「いい年こいた大人だからたまにはバカなことしなきゃいけーねんだよ! それにガキんちょはバカをやるのが仕事だからなっ」
「無茶苦茶な論理ね……」
「同感だな」

 呆れ返る佳奈多と直井に秋生はふっと優しい笑みを浮かべると、二人の頭にぽんと手の平を乗せた。

「おまえら……そういうバカなことできなかったんだろ……? 俺にはわかるぜ」
「……っ。貴方に僕の何がわかる」
「何もわかんねーさ。でも、おまえらが普通のガキみたいなことできずに育ったことぐらいわかるぜ。こう見えても俺は19年父親やってんだからよ」

 佳奈多は思う。なぜこの男はこうも遠慮なく他人の内に入ってこれるのだろう。
 物心ついた時から周囲の大人たちの悪意に晒された自分の人生も知らずに。
 ただ大人たちの顔色を伺うばかりの毎日を過ごし、結果を出せなければ生きる価値がないと教え育てられた自分。
 血を分けた妹と守ろうとして、妹を傷つけ続けた自分。
 そんな悲惨な人生を歩まされたことなんて知りもしないのにこの男は――

 だけどその大きな手の平はひどく温かった。

「……一回だけよ。こんなことで無駄な体力を消耗したくないもの。いいかしら直井君」
「……いいだろう」

 直井も佳奈多と同じ事を思ったのか静かに頷いた。

307絶望と希望のリーインカーネーション ◆R34CFZRESM:2011/07/01(金) 03:30:33 ID:5RpMW6Fs0
 
「チーム編成は佳奈多と文人、俺と岡崎さんの子どもチームVS大人チームだ!」
「ええ、構わないわ」

 勝負は先攻後攻で一本ゴールを決めれば勝利。ボールを奪われる、もしくはゴールを決めれば攻守交代。
 先攻も後攻もゴールを決められなかった場合、勝負は引き分け。
 先攻は直井・佳奈多チームだった。

「いつでもいいぜ、どこからでもかかってきな」
「言われなくとも」

 ボールを持った直井のディフェンスに付いたのは秋生。
 まるで、そびえ立つ高い壁だった。

(右……いや、左から攻める!)

 馴れない左手ドリブルで直井は懸命にダッシュする。だが秋生のディフェンスはぴったりと直井に貼り付いて来る。
 ダメだ――この男をドリブルで抜くのは不可能だ。
 気を抜けば秋生はすぐにボールを奪いに来るだろう。攻めあぐねる直井に佳奈多の声が響く。

「こっちよ直井君!」

 直幸のディフェンスを抜いた佳奈多が逆サイドから直井の元へ走ってくる。
 やはり体力面では中年である直幸と佳奈多では大きな開きがある。
 直井は素早くパスを繰り出すと佳奈多は台形の外側でゴールに背を向けてボールを受け取った。

 選択肢は二つ。佳奈多単独で直幸にポストプレーを挑むか、再び直井にパスを回す連携プレーか。
 頷き合う直井と佳奈多。選択は後者――

 直井は駆ける。
 秋生は直井の身体の右側にぴったりと付いている。
 先にはボールを持った佳奈多とその向こうに見えるゴール。

「直井君!」
「ああ!」
「ちィッ!」

 直井は佳奈多の向かって左側。佳奈多の身体の右側を走り抜けると同時にボールを受け取る。
 秋生は直井の身体の右側に付いていたため、佳奈多の身体に進路を阻まれる。
 完全なフリーとなった直井はそのままジャンプシュートを放つ。

「やった!?」
「まだだ!」

 リングに沿って回転するボールはネットをくぐることなく外にはじき出される。
 外した――だがボールはまだ死んではいない。

「二木! リバウンドをッ!」

 落下地点に向かう佳奈多と直幸。秋生は佳奈多に進路を阻まれたせいでスタートが一瞬遅れている。
 直幸が跳ぶ。だがタイミングが少し早く直幸の手は空を掴む。絶好のチャンス。
 佳奈多は跳ぶ。自分の邪魔をする者はいない。――はずだった。

308絶望と希望のリーインカーネーション ◆R34CFZRESM:2011/07/01(金) 03:31:39 ID:5RpMW6Fs0
 
「うおおおおおおおおおおおおおおおりゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!!」

 佳奈多の真横を黒い影が駆け抜ける。
 タイミングは完璧だった。絶対にリバウンドを取れる自信があった。
 だが秋生は信じられない身体能力を発揮して先に跳んだ佳奈多よりも高く跳んだ。

「うそ……」

 空を掴んだ手で佳奈多は呆然と宙に舞う秋生を見つめる。
 着地する佳奈多。そのコンマ1秒後に秋生が着地する。彼の両手にはしっかりとボールが握りしめられていた。

「へへっ、あの連携は上手かったが惜しかったな。だが、リバウンドを征す者がゲームを征すだぜ」

 笑う秋生。顔を見合わせる直井と佳奈多。
 何なんだこの中年は――? 

「さあて次は俺たちの攻撃だぜ。せいぜい引き分けに持ち込んでくれよなっ」
「ちょっと待ってくれませんか? 僕たち少し作戦会議を」
「おう、いいぜ」

 そう言って直井と佳奈多は少し離れた場所で話し合う。

「直井君、何か策があるの? 正直あの人の身体能力は異常よ」
「ああ……とてもじゃないがマンツーマンで押さえ込める相手じゃない」
「正攻法じゃ無理ね」
「そう、この勝負負けなければいいんだ。引き分けに持ち込めさえすればそれでいい」

 直井は秋生たちに聞き取れないように佳奈多に耳打ちした。

「確かに……それなら可能性はありそうね」
「おっ、ガキんちょども俺たちを抑える策でも見つかったか?」
「まあね。何もしないよりは望みのある作戦だよ」
「言うねえ……んじゃ始めるとするか!」

 試合再開。ボールを持つ秋生。
 そして秋生のディフェンスに付いたのは――

(なるほどねぇ……まあ俺を抑えるにはそれしかねえよなあ)

 秋生の前に立ち塞がる二枚の壁。直井と佳奈多。
 直幸を完全にフリーしてまで秋生を抑える。ある意味でセオリーを無視した戦術である。
 こうでもしなければ二人が秋生を抑える方法は無かった。

 ドリブルを始める秋生。だが二人は秋生に食らいついて離れない。フェイントを織り交ぜた移動も二枚の壁は容易に抜くことはできなかった。
 直井の狙いはただ一つ。業を煮やした秋生が強引に攻めてくること。無理矢理シュートを打つかドリブルで切り込んでくるかだ。
 フリーの直幸にパス? それはありえない。彼の身体能力なら直幸にパスを回すぐらいなら一人で攻めた方が成功率が高い。
 引き分け狙いだからこそできる戦術だった。

309絶望と希望のリーインカーネーション ◆R34CFZRESM:2011/07/01(金) 03:33:31 ID:XeN.BmLM0
 
「よお、文人」
「なんですか?」
「付け焼き刃の策にしては十分すぎるぜ。こうするしか俺を止める方法がねえ」
「だが貴方にはもっとも効果的な策だ」
「だけどよ、この策は俺が一人で攻めることを前提とした策だ」

 シュートは封じられている。ドリブルで抜くこともできない。
 だが、パスを通す隙間はある。

「岡崎さん――受け取れ!」
「なっ――」

 直井と佳奈多の隙間を縫って放ったパス。直幸は懸命に追いついてボールを受け取る。
 頭が真っ白でどうすればいいかわからない。秋生に再びパスを回す?
 無理だ。秋生は完全に封じ込められている。今、シュートを打てるのは直幸のみ。

(左手は添えるのみ。そしてフォロースルーは白鳥の首を意識して……)

 いつの日か鏡の前でフォームチェックしていた朋也の姿を思い出して。

(打つ……!)

 ゆっくりと直幸の手を離れたボールは弧を描く。
 そして、ばさっと音を立ててボールはネットを通過した。

「いよっしゃあああああああああああああ!!」

 歓喜の声を上げて駆け寄る秋生。そして二人はハイタッチを交わす。

「まだまだわけーモンには負けねぇぜ! いやっほおぅぅぅーーー!! 岡崎最高ぅぅぅ!」
「あはは……」

 苦笑する直幸。だが気分は爽快だった。
 こんな気分になれたのはいつ以来だったのだろう。
 こういう時、どんな顔をすればいいのかも忘れてしまった。
 それでもこの素直な喜びの感情を噛みしめよう――

「負けちゃったわね」
「そうだな」
「悔しい?」
「まあ……な。でも気分は悪くない」
「少しは私たち素直になったほうがいいかもね」
「勝手にしろ……」

 腰を床に下ろし喜び合う秋生と直幸を見つめる佳奈多と直井。
 負けたことは悔しいが気分は晴れやかだった。
 願わくはこんな夢のような時間が続いてくれればいい。

 時計の針が午後六時を指した。
 夢は終わる。悪意に満ちた現実が浸食を始める。

 体育館のスピーカーから、ノイズ混じりの現実が溢れだした。



『さて、定刻となった。これから、この放送までに命を落とした者達を告げる――』

310絶望と希望のリーインカーネーション ◆R34CFZRESM:2011/07/01(金) 03:35:24 ID:5RpMW6Fs0
 


 ■



 日が落ちて非常灯の光にぼんやりと照らされた薄暗闇の中で四人は誰一人言葉を発せず黙りこくっていた。
 時計の針は午後六時半を回ろうとしている。あの放送からもう三十分が経過していたのだ。

「……誰かいた?」

 静寂を破り佳奈多が口を開いた。

「別に、僕にとってどうでもいい人間が何人か。せいぜい顔を合わせたことのある程度の仲だよ」
「そう、私も似たようなものよ」

 幸いにも読み上げられた名前の中に二人が目指す者の名は無かった。
 突きつけられた現実は重く、呼ばれた名が特に自分に関係のない人間であることだけが平静を保っていられた。

「岡崎さんは……?」

 直幸は無言で首を振った。大丈夫まだ朋也は生きている。
 それだけが救いだった。

(だけど――古河さんは――)

 直幸は秋生を一瞥する。しかし暗闇で秋生の表情は伺いしれなかった。


 古河早苗――秋生の最愛の妻は死んだ。
 この島のどこかで、家族に看取られることなく死んだ。


「よお、何シケた面ぁしてんだよ。元気出せよ」

 明るい声が暗闇に響いた。

「古河さん……」
「朋也、無事で良かったな。俺だって渚無事だったよ」
「佳奈多も文人も今のところは無事だったんだろ? そいつらちゃんと守らないとなっ」
「古河さん! 無理しないでください……」
「無理ぃ? いつ俺が、無理、なんてしてん……だよ」

 明るい声色が変わる。必死で感情の爆発を堪えるような声だった。
 直井と佳奈多はどうして秋生の様子がおかしいのかわからないでいた。
 それもそのはず、二人は自分の大切な人間の名前が呼ばれていないか確認するのに必死で、
 それ以外の死んだ人間の名前は聞き流していたのも同然だったのだから。

311絶望と希望のリーインカーネーション ◆R34CFZRESM:2011/07/01(金) 03:36:31 ID:5RpMW6Fs0
 
「……悪い。やっぱ俺無理してるわ。ちょっとタバコ吸ってくる」
「えっ、そんな一人で――」
「二木さん……彼を行かせてあげてください。お願いします」
「すまねえ……」
「ここに戻って来ますよね……?」
「ははっ、何言ってるんだよ。俺がどこか行っちまうことなんかねえって」

 直幸はここで釘を刺しておかないと彼がどこか遠くに行ってしまいそうな気がした。
 大丈夫、彼は強い人だ。自分とは違う――

 体育館を出て行く秋生。
 ややあって……風に乗って響く男の慟哭。
 行き場のない悲しみと怒りを最愛の妻の名に乗せて男は月に吼える。

「岡崎さん……古河さんは……」
「彼は……家族を……最愛の女性を……生涯を誓った女性を失った」
 
 直幸はかつて自身の妻を亡くした時を思い出していた。
 何でもないどこにでもある交通事故。ただ運が悪かっただけ。そこに誰の悪意も介在しない。

 だが秋生はどうだ?
 運命の悪戯が彼の妻を奪ったのではなく、
 人の悪意が彼の最愛の妻を無残に奪っていった。

「でも……彼はそれを乗り越えてくれると信じている。彼は私と違って強い人だ」
「では……貴方はどうだというんです?」
「私かね? かつて愛する妻を亡くし、忘れ形見の息子の将来を奪った救いようのない男だよ……ただの抜け殻さ」

 少しだけ直井は直幸の家族について興味を持った。だがそれ以上は聞かなかった。
 能力を使えば聞き出すことは可能でも、それを行わなかった。

「彼には私のようにならないで欲しい……」

 そう言って直幸は項垂れた。直井も佳奈多もそれ以上何も言うことは無かった。


 しばらくして秋生は帰ってきた。
 薄明かりに照らされた目元には涙の後がはっきりと浮かび、手の拳からは赤い血が滴り落ちている。

「すまん……心配かけちまったな」
「手……血が出てるじゃないですか」
「ん? あー……ちょっとムシャクシャしてイラ壁しちまった。おー痛ぇ……」

 佳奈多は保健室から持って来た包帯を秋生の手に巻いた。

「古河さん……あなたは……」
「大丈夫だ岡崎さん……俺は乗り越えて見せるさ……例え渚を失ってしまったとしても、俺は負けねえ……」
「そんな縁起でもないこと言わないでくださいよ……」
「あー……そうだな。そうだよな……ははっ」

 寂しげに笑う秋生。
 佳奈多は思う。家族を失ったばかりなのにどうして彼はそんな風に振る舞えるのだろう。

「泣きたい時は泣いてもいいんですよ……」
「ばっかおまえ。そんな台詞は早苗ぐらいいい女になってから吐きやがれっつの……てめえにゃあ十年早ぇよ」

312絶望と希望のリーインカーネーション ◆R34CFZRESM:2011/07/01(金) 03:37:38 ID:5RpMW6Fs0



 ■



「さあて、どうやら奴さんは本気で俺たちに殺し合いをさせたいようだ」
「どうします? ここなら立て籠もるには最適だけど……」
「僕は反対だな。学校という施設は目立ちすぎる。本気で殺し合いに乗った人間がいる以上いつかはここに現れるだろう。それに……ここでいつまでも引き籠もっていても誰も助けられない」
「そう、ね……」

 自らの身を守るだけならここに立て籠もるのがベストな選択なのかもしれない。
 だが四人には守るべき人間が残されている。ここで立ち止まるのは緩慢なる死に他ならない。
 そして――この島の中にはまだ希望を棄てていない人間がきっといる。
 だから四人は学校を出ることにした。

 校門を出て秋生は振り返る。唯一の心残りは資料室で眠る二人の少女をきちんと弔えなかったことだった。
 だからせめて……その亡骸を人目に晒させないように。彼女達の遺体に保健室のベッドのシーツを被せてやった。
 亡骸から流れだした血はとっくに凝固し、白いシーツは赤く染まることなく彼女達の身体を包み込んだ。

(早苗……俺はおまえを守り切れなかったダメ亭主だ。それでもまだ……俺を想っていてくれるなら、渚を見守っていていてくれ……)

 僅かに目を涙で濡らし秋生は歩く。
 その横を歩いていた直幸だけが彼の涙に気づいていた。
 


 【時間:1日目午後7時ごろ】
 【場所:E-6 学校】

 岡崎直幸
 【持ち物:バスケットボール、水・食料一日分】
 【状況:疲労】

 古河秋生
 【持ち物:不明支給品、水・食料一日分】
 【状況:健康】

 二木佳奈多
 【持ち物:大辞林、水・食料二日分】
 【状況:健康】

 直井文人
 【持ち物:マスク・ザ・斉藤の仮面、不明支給品(有紀寧)、ボウイナイフ、水・食料二日分】
 【状況:健康】

313 ◆R34CFZRESM:2011/07/01(金) 03:38:09 ID:5RpMW6Fs0
投下終了しました。

314 ◆auiI.USnCE:2011/07/02(土) 02:10:37 ID:ZOqvsygo0




――――愛されたい 愛して会いたい アイタイシタイ









     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

315 ◆auiI.USnCE:2011/07/02(土) 02:11:10 ID:ZOqvsygo0






やらなきゃ、やらなきゃいけない。
やらなきゃ、また、あえない。
やらなきゃ、あいしあえない。

こんな事じゃ、だめだ。


なのに、言葉が頭の中で響き続ける。


―――ひとごろし!


たった五文字。
たった五文字の言の葉が私を苦しめていく。
何もかも吐き出しそうになる感覚に襲われていく。
凄まじい後悔に全身が襲われそうになってくる。

後悔なんて、しても遅いのに。
あの少女は、恐らく、死んだ。
自分が、殺したから。
小さなナイフで、小さな胸を切り裂いた。
小さな紅い川を作るほど流れでた血の量は、きっと少女を死なせる量だろう。


ああ、そうだ。

相楽美佐枝は人殺しだ。
自分の願いで、人を殺した。

だから、もう、戻れない。

なのに、この後悔は、なんだ。

ゆっくりと歩き出しているのに。
歩き出した自分の足に、殺した少女が纏わりついている感じがする。
しっかりとしがみ付かれて、脚が上手く動かせない、そんな気がしてならない。

自分の欲望で、殺してしまった自分を責めるように。
まるで、自分を縛る鎖のようだ。

ダメだ、こんなのじゃ、ダメだ。

契約を交わして得た特別な支給品。
それは人には余りにも不相応なモノ。

この世に、『存在』してはいけない、代物。

これを使うなら、自分は、きっと、戻れないかもしれない。
そんな、危険な代物。

こんなものを使ってまで……自分は……願いを叶えたいのだろうか。


あいたい人がいる。
大好きな人がいる。


だけど

だけど、自分は――――



「あ、美佐枝さんですっ! 一緒にソフトボールやりましょうっ!」



不意に茂みから飛び出してきた少女。
懐かしい制服を着て、自分を無垢に見つめていた少女は、


何処か、殺した少女に似ていて、心が鷲掴みにされた気分になる。


純粋に輝いていた瞳が、とても、遠いモノに感じた、感じてしまった。







     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

316 ◆auiI.USnCE:2011/07/02(土) 02:12:36 ID:ZOqvsygo0






「で、あたしらは何やってるんだろう……」
「ソフトボールのメンバー集めですっ!」
「やっぱり、其処に戻ってくるのね……突っ込む気がもう無いわ……」
「……あさはかなり!」
「……………………」

そして、あたし達は女四人顔あわせて何をやってるだろう。
殺し合いの最中で、ぼろっちい小屋で、ちっちゃい少女に振り回されてる。
あたし――十波由真は思わず、溜め息をついてしまう。

風子は変わらず。
椎名も変わらず。
そして、新たに加わった相楽美佐枝という人は着てからずっと押し黙ったままだった。

彼女は風子が男に襲われかけたのも学ばず、また勝手に飛び出して、連れてきた人だった。
どうやら、風子の学校の寮母さん、らしい。
確かに、そんな雰囲気が出ている大人の女性という感じがする。
でも、そんな役職とは裏腹に、なんか暗い気がした。

……というか、ちょっと怪しい。
ぐるぐる歩き回っていたと相楽さんは言うけど本当だろうか。
殺し合いに乗っていないといってたけど、その割りに何か悲観的な空気を醸し出してる。
周りが明るい能天気な奴らといるせいか、余計そう感じるのだ。

どちらかといえば……そう、風子を襲ったあの男と同じ雰囲気がする。
だけど、直感でしかないから、指摘なんて出来ないし。
不用意に指摘して、逆にこっちが信用失いたくない。
だから、あたしはあえて自分が感じた印象を言わなかった。
危険かもと言えなかった、それは臆病じゃないと思って。
折角、こう人数が増えたんだからと。


……って、また流されてる。


そう、そうだ。

……ずっと忘れかけたけど、自分をしっかり持たねば。
此処は、殺し合いなんだ。
流されてはいけない。

あたしは、生き残るんだ。

でも、ここまで、流されっぱなしだなぁ。


「はぁ……」
「どうしましたっ?」
「どうしようもないわよ」

ある意味風子は流されてない。
自分の考えのまま突っ走っている。
……その考えが可笑しい事を、抜きにすれば。

羨ましいなと見つめると、不思議に思ったか、少し首を傾げていた。

そしたら、あたしもふっと笑えて。

まあ、いいか。


そう、思った瞬間。



―――――さて、定刻となった。



聞こえてきた、声。

それは丁度六時間前に聞こえてきた声。

それは、きっと聞きたくないモノを伝える声。


そう、死者を告げる声だった。






     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

317 ◆auiI.USnCE:2011/07/02(土) 02:12:53 ID:ZOqvsygo0






――――大山、松下、竹山、高松、ひさ子、ユイ


その名が呼ばれた時、椎名が眉を顰め


――――春原陽平、古河早苗


伊吹風子が目をはためかせ


――――長瀬源蔵


十波由真が、口を開けたまま、動かなくなり


――――アルルゥ


最後に、相楽美佐枝が静かに肺に溜まった息を吐き出した。


これが、放送の間の短い一幕。



そして、人の心が動き出す、ハジマリだった。






     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

318未練という叶わぬ哀しい願い ◆auiI.USnCE:2011/07/02(土) 02:13:40 ID:ZOqvsygo0






「はは…………なんで…………」

放送が鳴り終わった後、由真は虚空を見つめてそしてぺたんと座り込んでしまった。
不意に呼ばれてしまった名前、祖父の名前。
称号でない名前を聞いたのは久しぶりで。
まさか、呼ばれるなんて露にも思わず。

「嘘でしょ…………なんで……」

嘘と信じたいのに、そうだと思いたいのに。
それを受け入れていた何処か自分が受け入れているの事に驚きながら、呆然とする。
じわじわと感じてくる哀しみに、由真は思わず、手で顔を覆った。

どうしていいか解からずに。
湧き出てくる無数の感情を処理できずに。
十波由真は呆然とする事しか出来ない。

「……十波さん」

そんな由真に、かけられる声。
由真が顔を向けると、先程まで、笑っていた風子が由真を見つめている。
その表情は何処か真面目で、こちらの気持ちを見透かすような瞳をしていた。
いつもの風子と違う感じがして、何か心が掴まれる気持ちがした。

「…………未練がありますか?」

呟いてきた言葉は、慰めでもなく問いかけ。
未練という言葉は、何処か哀しく響いて。
そう呟いた風子も、何処か切なそうだった。

「私も……今二人呼ばれました……哀しいです」

風子が思い浮かぶ人は二人。
自分によくしてくれた人の母親。
その母親はとても、優しかった。
そして、金髪の少年。
馬鹿だったけどいい人だったと思う。

「もっとお話したかったです……けど……もう叶いません」

もっと優しくして欲しかった。
もっと笑顔を見たかった。
もっとお話したかった。

叶わない、願い。

心に残り続ける、想い。

それが、未練というものだった。

「あるわよ……未練が……大好きだった人だから」

由真は呻くように呟く。
辟易するぐらい、孫煩悩な祖父だったけど。
それでも、とても優しかった。
まだ、死ぬなんて思わなかった。
告げたかった言葉も、思いも心に残ってる。
ちょっと喧嘩もしてたけど、何れ仲直りできたかもしれない。
だって、大切な家族だったから。

でも、叶わないんだ。
死んでしまったから。

319未練という叶わぬ哀しい願い ◆auiI.USnCE:2011/07/02(土) 02:14:23 ID:ZOqvsygo0


「じゃあ、それでいいんです。未練があるなら、きっと十波さんは……」

それでも、風子は儚く笑う。
由真に、語りかけるように優しく、言葉を紡ぐ。


「未練の分だけ、哀しんで……そして泣けますから」


優しい言の葉。
哀しくて、切ない言の葉が由真の心に染み渡る。
そして、


「――――あーくそっ…………こんな事だったら」


頬に一筋の涙。
それは温かくて冷たい、不思議なモノ。
優しさと哀しさできた、とても尊いモノ。


「少しぐらい……話を……真剣に聞いてやっても……良かったかな……ねぇ――」


由真は手を宙にかざす。
祖父にひかれていたあの小さな手は、もうこんなに大きくなった。


「――大好き、だったよ」


想いを、ささやいた。
それは、涙と優しく溶け合い。


とても儚くて、悲しい光景が、其処に、あった。






     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇






由真の泣き声が響いて。
そして、風子が、また何かを言葉を紡ごうとした瞬間。

320未練という叶わぬ哀しい願い ◆auiI.USnCE:2011/07/02(土) 02:14:51 ID:ZOqvsygo0



――――ソレは起きた。



「とな……げふ……がふっ………………ごほ、ごほ……がぁ……!?」


風子が突然身体を震わせて、そのままドサッという音と共に倒れ伏せる。
そして、そのまま震えが止まらず、激しく咳き込んでいた。
咳には、血が混じり、苦しみに身を捩じらせている。

風子の急変に、椎名と由真が風子に駆け寄ろうとして、その時、



「ああ……そうよ、そうだったんだ……とても、簡単な事だったんだ」


明朗に、透き通るような声。
椎名と由真が振り返る先には、相楽美佐枝がいた。


「そう、とても、簡単な事。 私はその為に、この道を選んだんだ」


けれど、雰囲気が一変していた。
陰鬱さは少なくなり、何処か傲慢さを含めた明るさが、其処にあった。


「そう、私は未練を、叶わないはずの願いの為に、そして止まない涙の為に――――」


小さな空っぽのフラスコを握りながら。
椎名達を睥睨し、


「ヒトを、殺すんだ」


相楽美佐枝は笑っていた。





     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

321未練という叶わぬ哀しい願い ◆auiI.USnCE:2011/07/02(土) 02:15:46 ID:ZOqvsygo0






未練。
ああ、そうだ、この願いを一言で言うなら、ソレだ。

叶わなたかった願い。
叶えたかった願い。

でも、叶わないまま、未練だけ、残ってずるずる引きずった。

そして、私は今も、その未練を持ち続けている。


私が殺した少女の名前が改めて呼ばれた。
これで、私は人殺しになった。
その五文字の言葉は、重みをもって私を責めたてる。

息を吐いても消えない、この重みを感じていた時、

あの少女が呟いた、未練。


とても、解かりやすい言葉だった。
未練があるなら、ヒトは哀しめる、涙を流せる。

そうだろうな、と思う。
私はどれだけ泣いただろう。
私はどれだけ哀しんだろう。

叶わない願いを抱いて。


そして、思った。
なんで、契約を交わしたか、その時の、本質を。


ああ、そうか、私は



――――もう哀しみたくないんだ、涙を流したくないんだ。



叶わない願いを抱いて。
泣きたくないから、願いを叶えたいんだ。

未練を、叶えたいんだ。


ああ、そうか。
なら、もうよかった。

人殺しの禁忌とか、苦しみとか、もうどうでもいい。


それ以上に、未練で、泣きたくないんだ、哀しみたくないんだ。

どうせ、もう殺したんだ。


だから、もう、


――――私は哀しみたくない。

322未練という叶わぬ哀しい願い ◆auiI.USnCE:2011/07/02(土) 02:16:02 ID:ZOqvsygo0


だから、未練を叶えるんだ。


そう、私は、大好きな彼に――


会いたい、愛されたい、愛して会いたい、アイタイシタイ。



その瞬間、支給された特別な支給品の栓を抜いた。
もう迷いは無かった。

例え私のエゴだとしても、



私は、ずっと流れ続けて止まらない涙を止めたい。


そして、


大好きなあの子に、会うんだ、愛すんだ。


今までの哀しみの分、目一杯に。


会いたい愛したい。




     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

323未練という叶わぬ哀しい願い ◆auiI.USnCE:2011/07/02(土) 02:16:30 ID:ZOqvsygo0






相楽美佐枝が、栓を抜いた瞬間、ソレはあっという間に広がった。
支給された特別なもの。
存在してはいけないもの。


NYPによって、作られたウィルスが存在する。
それは大した事ものではない、遊び用のものだった。
だが、ディーはその効力を高め、彼女に支給させた。
長時間高熱や振るえ、咳を与えながら、動きを封じ込めるウィルス。
ただ、耐え難い苦しみを与えながら、それ自体に殺傷性の無いウィルス。

ただ、ヒトを苦しめるだけに存在する、ウィルスになった。


そう、人類最強最悪と悪名高い、存在してはならない、人の身にあわない兵器。


いわゆる、『細菌兵器』と呼ばれるものだった。






     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

324未練という叶わぬ哀しい願い ◆auiI.USnCE:2011/07/02(土) 02:16:55 ID:ZOqvsygo0






「……がは……がふ…………逃げて……くださいっ……椎名さ……ごほごほ……とな……がふっ!?」

椎名枝里は風子の言葉とは裏腹に、由真と一緒に動けなかった。
既に軽く、風子がなっている症状と同じものになっているらしく、身体が言う事をきかない。
だが、椎名は重い身体を引き摺って、少しずつ出口に向かおうとする。
仲間である風子を見捨てていいのか、迷いながら。
だが一つ、自分達を襲った相楽美佐枝に聞きたい疑問があった。

「一つ聞く……相楽美佐枝……その力は『何』だ?」

答えてくれる事は、ないと思った。
わざわざ手の内を明かす人間なんていないだろうが。
しかし、美佐枝は笑いながら、告げる。

「別に……あの天使のような、悪魔の人間との契約の代物よ」

契約という言葉に椎名は目を見開く。
椎名が抗い続けていた神に。
まさか、この女は

「神に屈したのか……? 傘下に加わったというのかっ!?」

神に屈したのかというのだろうか。
信じられないように、椎名は美佐枝を指に指し問い詰める。

「ええ、そうよ。未練があるから」


相楽美佐枝が告げた未練という言葉。
それに椎名は唇をかみ締める。
こみ上げてくる、堪らないほどの感情。


「……あさはかなり! 相楽美佐枝!」


椎名は心の中で、そう言えた。
激昂といっても、相応しい、怒りだった。
この女は、未練で、未練を叶えたいから、神に従った。

ふざけるな、あさはかなり。

椎名が持っている死にたくないという感情は未練だろう。
叶えたいけど、叶わない願いだろう。

だけど、


「神の摂理に従って、神に縋って叶える未練に、意味など無いっ!」


神に抗わず、屈して従って。
契約まで交わして、叶える願いに、未練に。

意味などあるものだろうか。
ある訳が無いと椎名は断言できる。

だからこそ、椎名は、椎名達は抗った、抗い続けた。


そんな、願い、未練に、意味は無い事をわたしは知っているから。

325未練という叶わぬ哀しい願い ◆auiI.USnCE:2011/07/02(土) 02:17:23 ID:ZOqvsygo0


「意味の有る無しは、私が決める事。貴方が決める事ではないわ。だから私は願いを叶える」
「なら、わたしが貴様を討つ! 神に従うあさはかな者を!」

そして、椎名達は睨み合い、宣言しあった。
神に従うあさはかなるものを倒すために。
椎名は静かに刃を抜き、神に従う者にに真っ直ぐに向けた。

「けど、そろそろ貴方にも、効果あるんじゃないかしら……そんな状態で戦える?」
「……くっ」

不適に笑う相楽美佐枝を、椎名は悔しそうに見据える。
由真は既に呼吸が荒い。椎名自身も大分身体が重たく感じている。
相打ち覚悟かでいくしかないのか、それとも他の手段があるのか、椎名は逡巡し

「逃げて……くださいっ!」

その時に、風子が立ち上がり、椎名と相楽美佐枝の前に立ちふさがった。
椎名達を護るように、動くの辛い身体に鞭を打って、立ちふさがっていた。

「椎名さん……由真……さん……ありがとう……ごふ……ございましたっ!」

何がだろうか。
椎名は彼女にお礼を言われる覚えなどないはずだった。


「一緒に……ソフトボールやってくれると……かふ……いってくれて……嬉しかった……ごふ……です!」


ああ、と椎名は息を漏らす。
この小さな少女は、そんな小さな事を、大切に思って。
そんな、少女は馬鹿で、本当あさはかで……

優しい子だ。


「そのヒトデは……預けておきます……約束ですから……また一緒に……だから…………ごふごふ………………逃げてぇぇええ!」


必死の叫び。
椎名は風子の決死の姿に愕然として、動けずにいた。
その椎名を叱咤するように由真が、私の手を引いた。
風子に任せて、逃げようと言う事だ。
ここで、彼女の願いをきかなきゃ、それこそ、彼女の未練になる。
そう、由真は絶え絶えにに言って、椎名は苦々しく頷き、重い身体を引き摺り逃げ出す。

悔しい思いと未練を抱え、

けれどまだ、諦めず、反抗する為に。


椎名は、逃げながらも、振り向いて、相楽美佐枝に言葉を告げる。


「……私は諦めない……神に従う者など……抗わず摂理に従う者など……絶対に認めないっ!」
「認められなくて、結構。 私は私がやりたいまま……あの子を会って愛すわ」


ぶつかり合う意志を感じながら。
そして、逃がしてくれた少女に、椎名は最後の言葉を。


「………………ありがとう、風子」


その言葉に風子は最後に、儚く笑った気がした。



悔しい思いが、椎名の心の中に溢れ、



そして、ソレは未練に変わるだろう。










     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

326未練という叶わぬ哀しい願い ◆auiI.USnCE:2011/07/02(土) 02:18:09 ID:ZOqvsygo0







「がふ!……がふっ!……えへへ……美佐枝さんやっちゃいました」

凄く寒いです。
凄く苦しいです。
凄く気持ちが悪くて涙があふれてきちゃいそうです。

椎名さん達が逃げられたと思った瞬間、そのまま崩れ落ちてしまいました。
もう指先も、全然動きません。
目もかすんでよく見えません。
吐くものも、もうなくて血だけでした。

でも、なんだか、嬉しいです。

それは、きっと役目を果たした気がするせいでしょう。

「そう、まあいいわ」

美佐枝さんは指して興味も無そうに私に近づいてきます。
私が紡げる言葉はなんでしょう。
未練を重ねた彼女に。
未練を持ち続けた私が言える言葉はなんでしょう。

「美佐枝さん…………やっぱりやるんですか?」

彼女は笑ってました。
それは喜びにも見えるし哀しみの笑みにも見えました。
私は何だか哀しかったです。

「ええ……御免ね」

彼女は謝りました。
優しさの篭るような申し訳ないような。
でも、絶対に退かない意志を感じられました。

「美佐枝さん……やっぱり哀しいです……こんなの……こんなで……かふぅ……叶える願いなんて哀しくなるだけです……幸せな叶え方が……あると思います」

未練を叶える事。
それはいいことだと思います。
でも、それは、祝福されて、叶える事だと……思います。

327未練という叶わぬ哀しい願い ◆auiI.USnCE:2011/07/02(土) 02:18:42 ID:ZOqvsygo0

「哀しみなんて……もうこの手に沢山にあるのよ」

彼女はそう言って。

「会いたい、会いたい、愛したい。愛したい 愛しあいたい」


大好きな人だけを思って。


「私は、それだけで、報われるのよ。 今まで涙を流した分も、きっと哀しみはそこで終わる」


報われるのだろうか。
私には解かりません。


「だから、私は殺していく。これから、涙を流さない為に」


光るものが見えました。
ナイフでしょうか。
きっと胸につきたてるつもりなのでしょう。


「…………そう……ですか…………ごほ……でもやっぱり……哀しいです」

私は強がって笑いました。
悔しいけど笑ってました。
哀しいけど笑ってました。

328未練という叶わぬ哀しい願い ◆auiI.USnCE:2011/07/02(土) 02:19:09 ID:ZOqvsygo0

「お姉ちゃん……………………会いたかった……です…………おねえ……ちゃん」

涙が溢れました。
悲しみが溢れました。
これが、きっと未練なんでしょう。

私はこれをずっとずっと叶えたかったんです。
そして、美佐枝さんはこの哀しみが、涙が、耐えられなかったのでしょう。


だから、

「美佐枝さんは、やっぱり……弱くて……優しい人……です」


私は笑いました。
彼女の表情は見えませんでした。


椎名さん、十波さん。


「約束ですからね…………一緒に……そふと……ぼーる……しましょ――――」


そこで、意識は途絶えました。
ナイフが胸に刺さったんでしょう。


そして、私の心に最後に会ったのは、


ここで出会った仲間と出来た思い出と。


温かくて哀しい――――未練でした。

329未練という叶わぬ哀しい願い ◆auiI.USnCE:2011/07/02(土) 02:22:02 ID:ZOqvsygo0
【時間:1日目午後6時40分ごろ】
【場所:C-6 古びた山小屋】

伊吹風子
【持ち物:木彫りのヒトデ(6個)、水・食料一日分】
【状況:死亡】

相楽美佐枝
 【持ち物:ナイフ、NYPウイルス(強化型)×29、水・食料一日分】
 【状況:健康 ディーと契約】


十波由真
【持ち物:木彫りのヒトデ(1個)、水・食料一日分】
【状況:少しの間不調】


椎名枝里
【持ち物:トウカの刀、五方手裏剣、木彫りのヒトデ(1個)、水・食料一日分】
【状況:少しの間不調】

330未練という叶わぬ哀しい願い ◆auiI.USnCE:2011/07/02(土) 02:22:26 ID:ZOqvsygo0
投下終了しました。
此度は少し遅れてしまい申し訳ありませんでした

331二人だけの楽園 ◆auiI.USnCE:2011/07/09(土) 00:13:46 ID:pVfIZelM0




―――こんな世界で、ふたりきり。









     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

332二人だけの楽園 ◆auiI.USnCE:2011/07/09(土) 00:14:12 ID:pVfIZelM0








「……ああ……ああ…………あぁぁぁあぁあぁ」

壊れた空の下で、響く、絶望の声。
身体を抱えて、彼女は慟哭していた。
瞳から溢れ出る涙が、彼女の哀しみを現しているんだ。


彼女――小牧さんにとって、大切な妹が死んでしまったから。


僕――直枝理樹を利用して護りたいといった妹が、放送で呼ばれたんだ。
嘘だと叫びたくても、彼女の妹の後に呼ばれた早間の名前で、それが真実だと示してしまう。
そして、僕の友達も死んだ。大切な親友が。

「真人……そんな……」

決別するかもしれない、親友が。
僕よりも先に逝ってしまった。
その事実に、僕はうちのめされる様に立ちすくんでいる。
護ると約束した、小牧さんの所にすらいけずに。
泣いてる彼女の元に、行きたいのに。

僕は、その場で立ち竦んでいる。

筋肉、筋肉と言っていたバカみたいな友達だったけど。
優しくて、とても頼りになる、大好きな友達だった。
そんな真人が、死んだ。
信じられない、信じたくない。
殺すかもしれなかったのに。

「あれ……?」

僕の頬に温かい雫が。
泣いてるのか、僕は。
捨てると言ったのに。
僕は……僕は……

「くそっ…………くそっ……」

何故か悔しくなって、地面を蹴る。
哀しくなってるのが、何故か悔しかった。
今すぐ、小牧さんを助けに行かないといけないのに。
護ると約束したのに、僕は哀しみで動けない。
目の前で、真人の幻影が僕を笑っているような気がした。

こんなんじゃ……ダメだ。
こんなんじゃ……ダメなんだ。

僕は…………僕は……


だらしがないな、という真人の声が聞こえた気がした。
僕はハッとなって前を向く。
真人は当然居なくて、代わりに居たのは……


「…………小牧さんっ!?」


自分の頭に、銃を突きつけた小牧さんだった。
僕は頭が真っ白になって、そのまま愛佳さんに向かって駆け出していく。
哀しみも悔しさも、追悼の気持ちも、もう、どうでもよかった。
ただ、彼女を護りたかった。
僕の手を取ってくれたから。
僕が護らないといけないから。

そう思ったから。

後ろでへっと笑っている真人がいた気がした。


そして、これが、僕の、僕が、選んだ道であり、


親友との決別だった。







     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

333二人だけの楽園 ◆auiI.USnCE:2011/07/09(土) 00:15:38 ID:pVfIZelM0








「小牧さん、やめるんだっ!」

僕は引き金を引こうとする、愛佳さんの手を間一髪で止めた。
小牧さんは、ゆっくりと振り返り、僕の顔をしっかり見つめて、


「…………直枝君…………やっぱ、だめだよぉ…………これは罰なんだ」


泣きながら、呻くように彼女は呟いた。
絶望に染まりきった顔で。
彼女は、罰と言った。

「一度でも、人を騙そうとした。その報いだよ……」

報い……報いなのか。
これが、こんな残酷な事が。
報いなんて……


「そうだ…………あたしは……もう穢れたんだもん……だから、やっぱり……」


穢れた?
小牧さんが?
大切に妹を思っていた彼女が……穢れた?


「きっと…………こんな残酷な世界に、あたしはいらない……んだ……」


彼女は、儚く、泣きながら、笑った。
その表情の小牧さんは、何処かに消えてしまいそうで。
僕の表情が歪んでいくのがわかる。


「だから、約束……護れそうもないや……ごめんね、直枝君」


そう、彼女は、哀しく言った。
この世界に居場所は無いと。
こんな世界で生きたくないと。
罪を背負い、穢れてしまった彼女は。
大切な人を失ってしまった彼女は。


――――死にたい、と願っていた。

334二人だけの楽園 ◆auiI.USnCE:2011/07/09(土) 00:16:50 ID:pVfIZelM0



僕は…………


僕は。



僕は――――!




「ううん、ダメだよ、小牧さん……生きなきゃ……生きていかなきゃ、ダメだ」
「……直枝君?」


僕は、
僕は、震える小牧さんを、力強く抱きしめていた。
この世界に留まる事を選んで欲しいから。
そして、僕は誓ったんだ。
彼女だけのリトルバスターズになるって。
彼女を護る為に、彼女を生かす為に。

だから、


「君が、この世界で生きる事が辛いと言うなら、僕が隣で護ってあげる」


壊れた空の下。
生きる事が苦しいと言うなら、僕が隣に居る事を誓う。
彼女を護ると心から、誓ってみせる。


「君が、背負っている罪が重いというなら、一緒に背負おう。君が受ける罰が大きいと言うなら、一緒に受けよう」


彼女が背負う罪がどんなに重たいとしても、僕が一緒に背負うと誓う。
彼女が受ける罪がどんなに大きいとしても、僕が一緒に受ける事を誓う。
それが、彼女の救いになると言うなら、僕はどんな苦しみでも甘んじて受けいれる。


「君が、どんなに穢れてるとしても、僕は君をどんなものよりも、綺麗と思う」


ああ、そうだ。
彼女が穢れてる訳が無い。
大切な妹のことを思って、身体を使ってまで僕を一生懸命に護ろうとした彼女が。
穢れているはずがない。そんな訳があるもんか。
むしろ、どんな人よりも、綺麗で優しいんだ。

335二人だけの楽園 ◆auiI.USnCE:2011/07/09(土) 00:17:22 ID:pVfIZelM0


「君が、この残酷な世界でいらない存在だとしても、僕は、僕と君が生きる世界で、君を必要だと誓う」


もし彼女が、この世界から、否定されたとしても。
僕は、僕が生きる世界で彼女を必要だと誓える。
僕は彼女を護る為に、生きたい、生きていきたい。

それが、僕の生きる世界だから。

だから、


「僕と生きよう、小牧さん。僕は君が必要だから……二人で作ろう、二人だけの楽園を」


ぎゅっと彼女の手を握り締める。
とても、温かい。
そんな、温かく、小さなてのひらのような、世界で、楽園で。
僕は彼女と一緒に生きていきたい。


「君を護るから、護って、護り抜いて。そして僕達の、空の色で溢れる、楽園の中で生きよう」


だから、僕は護る。
君を護って、護り抜く。
その先に僕達が生きる楽園があるから。


「なお……えくん……」


潤んだ瞳で彼女は僕を見つめた。
彼女は、握り締めていた僕の掌を優しく包む。

336二人だけの楽園 ◆auiI.USnCE:2011/07/09(土) 00:17:46 ID:pVfIZelM0


「なら、あたしは……貴方の為だけ、生きたい。生きていきたいです」

優しい告白。
僕を見つめながら、彼女は言葉を紡ぐ。


「あたしも、直枝君の傍に居ます。直枝君が背負う罪も、受ける罰も一緒に抱えます」

それは、誓いの言葉。
僕達が、僕達の楽園で生きる為の、宣誓の言葉だった。

「どんなに、穢れていても、貴方の傍に居る時は綺麗で居たい。あたしは、貴方が必要だから」

何もかも失った彼女が。
頼れる存在が僕しか居なくて。
それで、僕に依存するしかなくても。

それでいい、それでいいんだよ。


「だから、あたしを護ってくれますか? あたしと一緒に、あたし達の楽園で生きてくれますか?」


彼女の最後の確認。
彼女の為に何もかも捨てる誓い。
二人きりの小さなてのひらの楽園で、生きる約束。


「小牧さん……」
「……あっ」


言葉じゃ、伝わらない。
そう思ったから、僕は唇を重ねた。
強く抱きしめながら、思いを伝えるために。

337二人だけの楽園 ◆auiI.USnCE:2011/07/09(土) 00:18:14 ID:pVfIZelM0

「もっと……あたしが必要だって、証明してください……お願い……あたしを――――」

僕も彼女が必要だから。
彼女も僕が必要だから。

だから、僕は、震える彼女をそのまま、静かに押し倒した。
柔らかな、感触が、手に伝わる。
僕はそれを貪る様に、触った。


「愛佳って……呼んで……理樹君」
「うん…………愛佳さん」



そして、僕たちは身体を求め合った。


互いが必要である事を証明するために。


二人だけの、二人きりの楽園で、


僕達は生きていく。








     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

338二人だけの楽園 ◆auiI.USnCE:2011/07/09(土) 00:18:29 ID:pVfIZelM0








すぅすぅと彼女は、僕に寄りかかりながら寝息を立てていた。
僕は、何も着ていない彼女に僕の上着をかけて上げた。


もう、僕がずっと望んでいた楽園


親友達と望んだリトルバスターズは、もう、見えない。


けど、大丈夫。


僕は、彼女を護るんだ。
彼女と一緒に生きるんだ。

僕と彼女だけの楽園の中で。
僕と彼女だけのリトルバスターズで。


暖かな小さな手のひらの楽園を護る為に。


僕は生きていく。


例え、それが親友を殺す事になっても。


僕は、今の楽園を護っていく。



それが、僕が彼女に誓った事で。



僕の生きる世界だった。

339二人だけの楽園 ◆auiI.USnCE:2011/07/09(土) 00:18:46 ID:pVfIZelM0







 【時間:1日目午後7時30分ごろ】
 【場所:E-6】

 直枝理樹
 【持ち物:レインボーパン詰め合わせ、食料一日分】
 【状況:頭部打撲】



 小牧愛佳
 【持ち物:缶詰詰め合わせ、缶切り、レミントンM1100(2/5)、スラッグ弾×50、水・食料一日分】
 【状況:心身に深い傷】

340二人だけの楽園 ◆auiI.USnCE:2011/07/09(土) 00:19:06 ID:pVfIZelM0
投下終了しました。
何かありましたらよろしくお願いします

341なまえをよんで ◆R34CFZRESM:2011/07/12(火) 00:10:34 ID:1AOE4CbI0
 
 わたしは何もなかった。
 わたしにはお父さんもお母さんも初めからいなかった。
 わたしは虚無から生み出された人形でしかなかった。

 そう、人形だ。
 立華奏という少女の姿と記憶だけを与えられた人形。
 肉の体を持って生まれただけで、そこに『わたし』という個(魂)は存在しない人形のはずだった。

 なのに『わたし』は『立華奏の記憶』を他人の記憶としか認識していない。
 本当にわたしが彼女のコピーであるならばわたしも彼女のように振る舞うはずなのに。
 持たされた記憶と『わたし』という個我のズレ。
 ならばわたしはいったい何者なの?わからない。

 記憶の奥底にかすかに刻みこまれた言葉。
 立華奏の記憶でない『わたし』の唯一の記憶。


 「あるがままに生きよ」それはわたしを生み出した存在がわたしに向けた言葉だった。


 ひとり大海に小さなボートで投げ出されたわたし。
 ボートを陸地に繋ぐ自我という名の舫は初めから切られていた。
 大海を彷徨うわたしがすがれるものは立華奏の記憶と――彼女が生み出した分身の記憶だけだった。

 怖いから。
 わたしが何者かということを考えなくて済むから。
 それだけのために他者を襲った。
 そして最初にわたしが襲った人を助けたのは本物の立華奏だったのはなんとも皮肉めいたことだろう。
 彼女はわたしと違う。それを再認識させられて、そして音無結弦に出会った。

 彼はわたしを完全にをハーモニクスによって生み出された存在と勘違いをしていた。
 当然だろう。本物の立華奏ですらもわたしをハーモニクスの分身と認識していのだから。
 でも、それならそのほうがわたしも都合がよかった。
 ハーモニクスの分身らしく振る舞えばいい。そうしたほうが余計なことを考えなくていい。


 『わたし』は凶暴な『分身』だから。
 そういられていれば歪な形で生み出されたからっぽの人形でなくなるのだから。

342なまえをよんで ◆R34CFZRESM:2011/07/12(火) 00:11:24 ID:1AOE4CbI0
 



 ■




 夕闇が広がる森の中で少女は木の根に腰掛けている。
 赤い瞳は何も語らずただ膝を抱えてたまま、眼前の作業を見つめていた。

「ふぅ、これでよし」
「マッチもライターも無しで火を点けるなんてすごいじゃない。こんな原始的な点け方テレビしか見たことなかったわ」
「火ぐらい点けられて当然だろう。まあ火打ち石があったほうが火は起こしやすいがな」

 ぱちぱちと音を立てて燃え広がるオレンジ色の炎が少女の顔を染める。
 これから夜にかけて森の移動は危険が伴うと判断したオボロが下手な移動を避け、完全に日が暮れる前に野営の準備をしようと提案したのだった。
 もちろん同行者である可憐も瑠璃もオボロほどのサバイバル術に長けているわけでもないので、素直にオボロに従った。

「ところで可憐、その『まっち』や『らいたあ』とやらは一体なんなんだ? 火打ち石の一種か?」
「「はぁっ?」」

 可憐と瑠璃は二人同時に素っ頓狂な声を出す。
 色々と時代錯誤な雰囲気を持つ男であったが、まさかここまで現代の常識が通用しない人間とは思いもしなかった。
 言われてみればオボロとかつての仲間らしき女もまるで時代劇の世界から抜け出してきたような古めかしい装束を纏っていたことを可憐は思い出していた。

「なんやぁオボロ、マッチもライターも知らんなんてどんだけトゥスクルとかいう国は遅れとんねん」
「なにおぅっ! おまえトゥスクルを……兄者の國をバカにする気か!」
「だって車も電車も飛行機も知らんなんてありえへんやろー」
「ぐぬぬ……」

 オボロは島――否、この世界が自分の知っている常識とあまりにかけ離れてた世界であることを薄々と理解していた。
 まず目の前の少女の着ている服がそうだ。こんな作りをした服など見たこともいたことがない。
 そして材質も正体不明である。木綿とも麻とも違った材質で作られている。
 強いて言うなら絹に近い質感を持っているが、もっとよく手触りを確認しようとしたら可憐に殴られた。

343なまえをよんで ◆R34CFZRESM:2011/07/12(火) 00:12:33 ID:1AOE4CbI0
 
(こういうのは兄者の分野だな……俺にはさっぱりわからん)

 新しい技術の開発は義兄のハクオロの分野である。
 彼は痩せた土地だったヤマユラの里を豊かな土地と変え、さらには秘伝とされた鉄の量産をも成功させた。
 一体彼の知識はどこからを由来をしているのか、根っからの戦闘屋であるオボロには皆目理解しがたいものであった。

「そんなことはどうだっていい。もうすぐ日が落ちる。夜の森は危険だ――特にこのような状況はな」

 この状況――いつ、新たな襲撃者が現れるか。
 夜の森でお互いが鉢合わせする可能性は低いが用心に越したことはない。
 同行者がトウカやカルラなら多少の夜間の強行軍もものともしないだろうが可憐と瑠璃という非戦闘員を二人も抱えた状態では無理はできない。
 移動中に奇襲を受ければとても二人を守り切れる自信はなかった。

「だからってのんびりキャンプとは悠長なことで。男なら二人とも守ってみせると言ってみなさいよね」
「ほんまや、オボロって意外と根性無しやなあ〜」
「ふん、おまえたちは夜の奇襲を知らんのだ。数百人の大部隊がたった十数人の部隊の奇襲によって壊滅した例なんてごまんとある」
「なによそれ……まるで見てきたみたいに」
「見てきたじゃない。実際に経験してるんだよ。ま、俺は夜襲をかける側だけどな」

 普段はトゥスクルにおいて歩兵部隊の指揮を執るオボロだが、本来得意とするのは少人数の遊撃隊を率いた奇襲・後方攪乱・待ち伏せ戦術による非正規戦である。
 中でも夜襲はオボロがもっとも得意とする戦術であった。

「大部隊ほど少人数による奇襲は効果的だからな。兵の練度が低い部隊はそれだけで戦闘にならんよ。そして俺はそれが一番得意な戦法だからな。だからこそ奇襲・夜襲の恐ろしさがわかる」
「ねえ……オボロってどこかの国でゲリラ部隊にでもいたの……?」
「なんだぁ? その『げりら』とやらは」
「あーもうっそんなことも知らないの!? だから、あなたのそういう戦い方のことよ!」
「ほう、おまえの國でもそういう戦い方は一般的なのか」
「まさか、私の知らないどこか遠い国の話よ」
「なに? ならばおまえの國に戦はないのか?」
「あるわけないでしょ。私が生まれるずっとずっと前――もう60年以上前にあった戦争で最後よ」

 オボロは可憐にそのことについて詳しく聞いた。
 可憐や瑠璃の國はかつて世界を二つの陣営に分けた大きな戦に参加したこと。
 そして同盟国が次々と降伏してゆく中、最後まで戦い敗北したことを。

「そうか……それは心中を察するな」
「どういうことよ」
「おまえたちは勝った國の人間から奴隷のような扱いをされているんだろう?」
「いや、全然」
「なにぃっ!? そんなことがあり得るのか? ううむ……」

 聞けば聞くほど可憐たちの世界の常識はオボロの常識の範疇を超えている。
 皇ではなく民が國を統治するなど理解すらしがたい概念である。
 考えれば考えるほど知恵熱が出そうだった。

344なまえをよんで ◆R34CFZRESM:2011/07/12(火) 00:13:52 ID:1AOE4CbI0
 
「……この話はもうやめよう。頭が痛くなってきた」
「そやそや! ウチも可憐の言ってることが難しすぎるで!」
「あなたたち……」

 はぁっとため息を可憐は吐いた。
 少なくともこのオボロという男が日本人で、日本人からは想像もできない戦乱の地の出身であることは十分に理解できた。
 何度も見た戦闘技術、そしてそのメンタリティは日本人のそれとは到底思えなかった。
 なら――何故自分も瑠璃も日本人でない彼の言葉が理解できているのかという疑問が浮かぶが深く考えないことにした。

 可憐はふと視線に名無しの少女の姿が目に入った。
 皆の輪に入らず隅のほうでちょこんと膝を抱えて座っている銀髪の少女。
 可憐たちを襲い、オボロと戦うも彼の説得に応じ戦いを止めた彼女はあれから一言も言葉を発することもなく、無表情な赤い眼差しを可憐たちに向けているだけだった。

(もう……襲われることもない……よね? なら……)

 少し怖かったが、彼女は戦いを止めたことを信じて可憐は少女に声を掛けた。

「ちょっとあなた。いつまでもそんなとこに座ってないで……その、ちょっとは皆の輪に入りなさいよね」

 少女の瞳が僅かに揺れる。そしてややあって無言で頷くと、少女は可憐たちの間に入ってきた。





 ■




 じっと炎を見つめていたわたしは可憐に呼ばれ、みんなの輪に入った。
 揺れる焚き火は篝火のように闇を明るく照らし出し、みんなの顔をオレンジ色に染めている。
 わたしは無言で焚き火を見つめている。話したくないわけじゃない。ただ何を話せばいいかわからないだけ。
 そんな空気に痺れを切らしたオボロがわたしに話しかけてきた。

345なまえをよんで ◆R34CFZRESM:2011/07/12(火) 00:14:57 ID:1AOE4CbI0
 
「なあ、おまえは名前を無くしたと言ったな。それは一体どういうことだ?」
「わたしの……この姿も、記憶も、名前も……借り物だから」
「借り物? それってよくわからないんだけど」
「わたしは……立華奏の姿をした人形だから――」

 わたしは彼らにわたしの出生について説明した。
 わたしがこの『ゲーム』を取り仕切っている翼の男によって創造されたこと。
 そして立華奏の姿と記憶を持たされただけで、数時間前にこの世界に産み落とされた存在であることを。

 みんなの反応は半信半疑だった。でも、わたしの出生について否定する材料が無い以上それを認めることしかできないといった感じだった。

「にわかには信じられないけど、信じるしかないわね……」
「だが、これだけは言える。確かにおまえは名前を無くした存在だ。おまえを立華奏と呼ぶのは相応しくないだろう」

 オボロの言っていることがよくわからなかった。
 小首をかしげるわたしにオボロはさらに語りかけた。

「おまえは、自分のことを奏と認識していないのだろう? そんなおまえを立華奏と呼ぶのはおまえを否定するのと同じだ」
「よく……わからない」
「つまりだ。おまえはおまえ自身であって、他の誰でもない唯一無二の存在として自分を認識してるんだろう? なら、おまえは人形でも空っぽでもないさ」
「???」
「さしずめ。我思う、ゆえに我ありかしら?」
「なんだそれは? 知ってるか瑠璃」
「ウチもそんなん知らんで」
「……デカルトの言葉よ。本当の意味は微妙に違うみたいだけど、というか瑠璃、学校の授業で習うでしょうがっ」

 やっぱりよくわからない。でも不思議と悪い気はしなかった。

「でもさすがにいつまでも名無しの権兵衛はかわいそうやで?」
「そうだな……いずれおまえに相応しい名前が必要だな」

 名前――わたしをわたしたらしめ、他と区別するためのただの記号。
 だけど、そんな記号もわたしが一つの個であることを証明するために必要な物だった。

「あーそれならウチがとびっきり良い名前を考えたでっ」
「なんかすごく嫌な予感しかないんだけど」
「どんな名前だ?」
「トンヌラ!」
「却下」
「じゃあ、まゆしぃや!」
「却下」
「速攻で却下せんといてや! ウチ一生懸命考えたんやで!」
「俺も良い名前だと思うんだが……」
「全っ然可愛くないわよっ。もっと女の子らしい名前を考えるの!」

346なまえをよんで ◆R34CFZRESM:2011/07/12(火) 00:16:08 ID:1AOE4CbI0
 
 みんなわいわいとわたしの新しい名前を考えてくれている。
 こんなわたしのために何かしてくれることが嬉しかった。



『さて、定刻となった。これから、この放送までに命を落とした者達を告げる』



 ふいに夕闇の彼方から聞こえる男の声。それはわたしをこの世界に産み落とした神の声だった。
 淡々と、一切感情の色を見せない声色で名前を次々と読み上げてゆく。
 そして――折原明乃とユズハという名前を読み上げられた瞬間、可憐とオボロの表情が一変した。

「う、そ……でしょ?」

 可憐はへたり込むように地面に崩れ落ちる。
 そしてオボロはというと――

「ユズハ……? そんな……うそだ……ユズハが……ユズハが……死んだ――?」

 うわごとのようにユズハと言う名を呟いたオボロは地面に拳を打ち付け――

「うぉぉぁぁぁぁぁああああああぁぁぁぁぁぁッ!! ユズハぁぁぁぁあぁぁああァァァァーーーーッ!!!」

 あらん限りの声を上げてオボロは叫び続けていた。

「ちょ! オボロっ少し落ち着きっ!」
「ユズハがっ! ユズハが死んだんだぞ! これが……これが落ち着いていられるかぁぁぁァ!!!」

 慟哭の叫びをあげてひたすら拳を地面に打ち付けているオボロ。
 その拳は皮が裂け、赤い血が滴り落ちていた。

「もうやめてや! 血が……血が出とんやで!」
「それがどうした……! ユズハが……ユズハが受けた痛みに比べればこんな傷など……! うおおおおお!」

 あまりの取り乱し様に瑠璃も可憐もどうしたらいいか困惑していた。
 わたしは無表情でオボロを見つめている。
 わたしは無意識にハンドソニックを展開するとオボロの首筋に光りの刃を突きつけた。
 突然のわたしの行動に驚愕する瑠璃と可憐。オボロは無言でわたしを見つめていた。

「教えて……さっきあなたはわたしになんて言ったの?」
「…………」
「『おまえを救ってみせるっ!』なんて大層な口を聞いて、自分はそんな様でいいの?」
「お前に……お前に俺の……ユズハを失った俺の気持ちが解るものか……!」
「ええ、わからないわ。でもあなたもわたしの持つ喪失なんてお構いなしに踏み込んだ。お互い様」
「ぐっ……うおおおぁっ!」
「!?」

 オボロは一瞬の隙をついてわたしを弾くと刀を抜いた。

347なまえをよんで ◆R34CFZRESM:2011/07/12(火) 00:17:22 ID:1AOE4CbI0

「ちょっと二人とも! もう止めて!」
「ユズハは……ユズハは俺の全てだったんだ。俺の人生全てだったんだ! それを否定するなぁぁぁぁ!」
「……ばかみたい」

 オボロは完全に逆上してしまっている。
 あれだけわたしに偉そうなこと言って酷い姿だ。
 心がないはずのわたしでも、今のオボロは醜い姿だと理解できた。

 オボロは斬りかかる。
 わたしは難なくそれをかわす。
 我を忘れた太刀筋にガードスキルやディレイを使うまでもない。


 ――空虚な心の刃で、俺の意志を籠めた刃で勝てると思うなっ!


 彼はわたしにそう言った。
 でも今の彼の刃はそんな空虚な心の刃以下。
 
 交錯する刃、煌めく剣閃。
 オボロの刀が弾き飛ばされ地面に突き刺ささった。
 勝負はあまりにもあっけなかった。

「あなたがわたしに向けた言葉は、たった一人大切な人を喪っただけで消えてしまうほど軽い言葉だったの?」
「そ、れは――」

 がっくりと膝をついて項垂れるオボロ。
 きっとユズハという人は彼にとってかけがえのない人だったのだろう。
 だからこそ、ここまで感情を爆発させられたのだ。
 わたしにはとてもできないことだった。
 そして彼がそこまで想いを寄せることができたユズハという――きっと女性が少し羨ましかった。

348なまえをよんで ◆R34CFZRESM:2011/07/12(火) 00:18:26 ID:1AOE4CbI0
 



 ■




「すまん……俺はどうかしていた」

 少し時間が経って、頭が冷えたオボロはそう口にした。

「もう……気にしてない。それより可憐は……?」
「……大丈夫よ。まだ引きずるかもしれないけど、目の前でみっともない姿晒した男見てたら冷静になれたわ」
「ほんまオボロかっこ悪かったで……」
「うぐ……」

 オボロは言葉に詰まっていた。彼自身もさっきの取り乱し方は相当恥ずかしかったのだろう。
 哀しみと恥ずかしさを押し殺して彼は言った。

「俺は護るべき人がいるかぎりこの力を振るい続けよう……きっとユズハもそれを望んでいる。後悔しないよう俺は俺の信じる道を貫く」
「そう、それはよかったわ」

 名無しの少女は表情を変えること無く言った。

「ねえ、私……あなたの名前を考えたわ」
「わたしの、名前?」
「そう、あなたのオリジナルに負けないほど素敵な名前」

 燃える炎に照らされた可憐は微笑んで彼女の新たな名を口にした。

「篝――」
「か、がり――?」
「そう、篝火の篝。そこの炎のように闇夜を明るく照らす光となってほしい。私たちを護る輝きに」
「みん、なを……護る?」
「そして私たちのように闇夜に惑い怯える人を導く篝火に――」
「……そんな大げさなものになれないかもしれない。きっと名前負けする」
「いいのよ、名前なんて多少大げさなほうがいいの。それに……名前負けしないように頑張ればいいじゃない?」
「うん……わたしは、あなたを護る」
「ちょっと違うわ。私とあなたは友達よ?」

 そう言って可憐は少女に手を差し出した。

「とも……だち……」
「ええ、これからもよろしくね、篝」
「ありがとう……可憐」

 篝と呼ばれた少女は可憐の手を握り返す。
 彼女はもうからっぽの人形ではなかった。
 名無しの少女でもなくなった。

 
 名前という祝福を受け取った少女は小さな一歩を踏み出す。
 ここから始まるのは篝と名付けられた少女の新たな生きる道だった。

349なまえをよんで ◆R34CFZRESM:2011/07/12(火) 00:18:53 ID:1AOE4CbI0
 





【時間:1日目午後6時45分ごろ】
【場所: F-5】


 篝
 【持ち物:なし】
 【状況:右肩に銃創(治療済み)】

 オボロ
 【持ち物:打刀、水・食料一日分】
 【状況:肉体的疲労(中)】


 姫百合瑠璃
 【持ち物:クロスボウ,水・食料一日分】
 【状況:健康】

 綾之部可憐
 【持ち物:水・食料一日分】
 【状況:健康】

350 ◆R34CFZRESM:2011/07/12(火) 00:19:29 ID:1AOE4CbI0
投下終了しました。

351アンドロイドは電気羊の夢を見るか? ◆auiI.USnCE:2011/07/13(水) 00:57:40 ID:8qRxreBA0



――――ヒトと、心を持つ機械の違いは、なんなのだろう?









     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

352アンドロイドは電気羊の夢を見るか? ◆auiI.USnCE:2011/07/13(水) 00:58:03 ID:8qRxreBA0







目前に、横たわっている二つの死体。
小さな子供と母親だった人間。


誰が、殺した?


私だ、私が殺した、殺しました。


メイドロボである私――イルファが。
ヒトを護るべき存在である機械が。
ヒトを害してしまった。
先ほど流れた放送で死んだ事を確認しながら。
私は再び殺した事を実感していた。
大切なヒト達を呼ばれてないことに安堵しながら。

大切なヒトを護る為に。
それ以外のヒトを殺す。

正しいはずなのに、何かが狂っている。
この島では、当たり前のルールなのに。
けれど、メイドロボとしては、失格だった。

なのに、心が訴えるのだ。
大切なヒトを護れと。
大好きなヒトを、護れと。

だから、私はそれに従った。
私も護りたかったから。
大切な家族を。


でも、それは、メイドロボとしては失格に等しい事だ。
私と同じく大切なヒトがいて、それでも殺す事に迷ったあの子は、メイドロボとして正しい事なのだろう。
それが本来のメイドロボなのだから。

けれど。


けれども、私達は心を持たされて、生まれてきた。


ヒトが持つ心を。
それはとても幸せな事で。
それはとても苦しい事だった。

心を持ったからこそ、こんなにも大切なヒトの事を思っていられる。
心を持ったからこそ、こんなにも、葛藤して、苦しまなくていい事まで苦しんでしまう。


私は……
私には……よく解からない。



ヒトは……ヒトは、



――――心があるから、ヒトであると言えるのではないでしょうか?



ならば、ヒトと、心を持つ機械である私との違いはなんなのでしょうか?

353アンドロイドは電気羊の夢を見るか? ◆auiI.USnCE:2011/07/13(水) 00:58:56 ID:8qRxreBA0



解からない、解かりません。
私が殺した母親であったヒトはきっと大切なヒトを想っていた。
心の底から、きっと。

なら、私もそれは変らない。
プログラムから規定された感情ではないと私は断言したい。

なら、違いなんてないはずなのに。
血の繋がりなんて関係ない。
思いで繋がりあっている。


なら……なら……っ!



「どうして、私は、メイドロボなのですかっ!!!」


咆哮。
ただれた半分の顔の機械を触りながら。
流れるはずの無い涙を感じながら。


メイドロボであるからこその苦しみを。




ただ、ただ、吐き出していた。

354アンドロイドは電気羊の夢を見るか? ◆auiI.USnCE:2011/07/13(水) 01:00:26 ID:8qRxreBA0


【時間:1日目18:20ごろ】
【場所:C-4】

イルファ
【持ち物:、M240機関銃 弾丸×295 NRS ナイフ型消音拳銃、予備弾×10、不明支給品(早苗)、不明支給品(アルルゥ)、水・食料一日分】
【状況:右眼損傷】

355アンドロイドは電気羊の夢を見るか? ◆auiI.USnCE:2011/07/13(水) 01:00:56 ID:8qRxreBA0
投下終了しました。
何かありましたら、宜しくお願いします。

356ただ、御許で、永遠に、咲き誇って ◆auiI.USnCE:2011/07/20(水) 00:57:03 ID:JLOossJs0



――――何時までも、何時までも、何時までも、お傍に。








     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

357ただ、御許で、永遠に、咲き誇って ◆auiI.USnCE:2011/07/20(水) 00:59:48 ID:JLOossJs0






「ユイちゃんっ! ユイちゃんっ!」

紅い紅い夕焼けが、少女達を照らしている。
けれど、一人の少女はやすらかそうに目を閉じたまま、永遠に開かれる事はなかった。
幾ら呼びかけても、返事は返ってくることは決して無く。
鮮やかな薄紅色の髪を、それよりも鮮やかな真紅の血の色で染め上げながら、


――ユイという少女は死んでいた。


けれども、ユイを抱えている少女は未だに呼びかけを止めはしない。
薬師である彼女――エルルゥはユイが恐らく死んでいる事をもう理解していた。
理解はしていたが、認めたくなかった。
あれだけ、明るかった子が、あれだけ、自分の意志を見せてくれた子が

自分の大切な仲間に、家族に殺されたなんて、信じたくなかった。

ユイを殺してしまった女性――トウカはそのエルルゥの様子を、静かに、感情を殺しながら、見つめていた。
そのトウカの手には、くすんだ紅を塗り替えるように新しい真紅の血がついている木刀が握られている。
後悔は無いとトウカは心の中で言葉をただ繰り返す。
だから、あのまま逃げなかった。
エルルゥを、仲間を、殺すために。
なのに、心のざわつきが一向に収まらない。むしろ酷くなっていくばかりだ。
自分が殺した少女の言葉が心に突き刺さったまま、抜ける様子が無い。

けれど、それをトウカは表に出す訳にはいかない。
このまま、忠尽くすべき聖上の為に殺すだけ。
たとえそれが、仲間でも変わらない、そのはずだ。

「――どうして、どうしてですか?」

なのに、エルルゥの眼差しがどうしてこんなに心を貫くのだろう。
どうしてと純粋な目で問われると言葉が紡げない。
口がぱくぱくと息を求めるように動くだけだった。

「優しい、優しい、いい子だったのに」

本当に哀しそうなエルルゥの表情を見て、トウカは目をふせてしまう。
言い訳なんて、出来る訳が無い。する訳が無い。
言葉を発する事も無く、ただ立ち尽くすだけだ。

「お嫁さん……ですって。トウカさん。私とトウカさん、二人に資格あるって事……言ってくれたんですよ」

エルルゥは亡くなった少女の頭を静かに撫でながら、優しげに語る。
今、ここで早くエルルゥを殺してしまえばいいのに。
それをトウカには行う事が出来ない。
金縛りがあったように、その場で立ちすくんでいる。

358ただ、御許で、永遠に、咲き誇って ◆auiI.USnCE:2011/07/20(水) 01:01:31 ID:JLOossJs0

「トウカさんもハクオロさんの事、大好きなんですよね? ねえトウカさん……止めましょうよ、こんな哀しい事」

その言葉は、祝福のようで、また呪詛のようでもあって。
まるで、母親の優しい温かい言葉のようで。
トウカの心にしみいって来る。

「この子言ってましたよ……笑って、喜んでって……お嫁になるって事は……幸せになるって事だって……だから、トウカさんもいいんですよ」

お嫁さん、と言う言葉にトウカは苦しくなっていく。
救いの言葉を慈悲深い目をしながら伝えてくるエルルゥを、信じたくなってしまう。
殺そうと言う気持ちが、薄くなってしまう。


「一緒に……皆と一緒に、幸せになっていいんですよ……だから、こんな事止めましょう……きっとこの子も許してくれるはずです」


エルルゥは儚げに微笑んで、トウカに心からの言葉を伝える。
慈母のような眼差しが、真っ直ぐにトウカを射抜いて。
木刀を持っている指が震えて、言う事が聞かなくなってきて。
心が揺さ振られて、堪らなくなってくる。

そして、手に持っていた木刀が、するりと抜け落ちようとした瞬間、





――――さて、定刻となった。





流れ始める、モノ。
誰かの死を告げる、無慈悲な放送が、静かに聞こえだした。







     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

359ただ、御許で、永遠に、咲き誇って ◆auiI.USnCE:2011/07/20(水) 01:02:29 ID:JLOossJs0








「あぁ……ああああ……あぁ!」

沈む夕陽と共に、空に響くすすり泣きの声。
トウカは沈痛な表情で、泣いているエルルゥを見つめている。
呼ばれた三つの名前。

ウルトリィ、ユズハ、そしてアルルゥ。

大切な仲間であり、家族である大切な仲間達。
トウカにとっても、衝撃であり、それは胸が張り裂けるくらい哀しい事だった。
特にユズハやアルルゥはか弱い子供なのだから、きっと抵抗できずに無残に殺されただろう。
けれど、いずれ自分で殺す存在であると思っていた、思おうとしていた。
だから、哀しくても、大丈夫だと言える。
でも、彼女は、エルルゥは。

「……アルルゥ……アルルゥ……」

肩を抱いて、涙を流して、哀しんでいるこの少女にとって。
アルルゥという存在は唯一無二の、とても大切な妹なのだから。
エルルゥは姉として、時として母のように厳しくも優しくアルルゥを見守っていた。

そんな、アルルゥが死んでしまった。
そのエルルゥの哀しみを、トウカが理解できるのだろうか。
出来る訳がない、その哀しみを語る事なんて、出来る訳がない。

「いや…………いやぁ…………アルルゥ……アルルゥ」

エルルゥはそのまま両手で顔を覆い、慟哭を止める気配がない。
これが慈母のようなエルルゥなのだろうか。
今は違う、ただ一人の妹を失った小さな女の子でしかない。
トウカは何か言葉をかけようとして、そして思いとどまってしまう。

かける言葉なんて、見つからない。
余計な同情は彼女を苦しめるだけだ。
じゃあ、自分はどうすればいい?


――――彼女を殺す?


これ以上、哀しまないように。
これ以上、苦しませないように。

それが、最善であり、最良なのだろうか。
いや、忠義を果たす為にやるべき事だろう。
元々、そのつもり、そのつもりなのだから。

360ただ、御許で、永遠に、咲き誇って ◆auiI.USnCE:2011/07/20(水) 01:03:26 ID:JLOossJs0


けれど、けれども


(――――そんな事……できるものかっ!)


そんな事、できやしないかった。
武士を名乗る資格が無いとしても。
もう、血塗れた手だとしても。

家族を失って哀しんでいる彼女を。
共に過ごした家族である彼女を。

彼女に自分が与える事が出来る事が殺す事なんて、思いたくない、考えたくもない。

じゃあ、どうすればいい?
殺さず見逃すこと?
何か言葉をかけて慰める事?


こんなトウカが彼女に出来る事は……



「ねぇ……………………トウカさん」



虚ろな目で、エルルゥが此方を見つめてくる。



そして、



「――――私を殺してください」



結局、トウカにとって、エルルゥに出来る事は、殺すことでしかなかった。








     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

361ただ、御許で、永遠に、咲き誇って ◆auiI.USnCE:2011/07/20(水) 01:04:56 ID:JLOossJs0








「…………エル……ルゥ殿……?……ふざけた事を言わないで……くだされ」

何故、何故なのだろう。
不思議なぐらい喉が渇いて、言葉が上手く出せない。
今、目の前に居るエルルゥが言った願いを嘘だと言って欲しい。

「ふざけた事じゃないです……トウカさん。お願いです」

けれど、彼女は嘘だと言わなかった。
殺して欲しいという残酷じみた懇願を真実だと言った。
それでも、トウカは信じたくなかった。

「嫌でございまする……そんな願い……あんまりでございましょう」

あんまり、あんまりだ。
聖母のような慈しみと優しさを持った彼女が。
妹の死で、自らの死を選ぶというのだとしたら。

哀しすぎる、哀しすぎる事だろう。

「エルルゥ殿……貴方は言っていたではないか……お嫁さんだって……幸せになれるって……言っていたのではないのですか!」

エルルゥは言っていた。
笑って、祝福されて。
それがお嫁さんだと。
優しさに満ちた笑顔で。
自分を止めようとしていた。
そうだ、エルルゥはお嫁さんになると言ってたではないか。
エルルゥには、幸せになる権利があるって。


「だからエルルゥ殿にも――――」


トウカはその事を言葉にしようとして。




「――――でも、トウカさんは殺すのでしょう? ハクオロさんの為に」


言葉が、紡げなかった。
金縛りにあったように、虚ろな目をしているエルルゥに釘付けになってしまう。
背負ってる罪を突きつけられてように、エルルゥの言葉は鋭くトウカの心を抉っていく。

これが、報いの一つか。
大切な人を護る為に、無垢な人を殺した報いの一つだ。
トウカは無垢な人を殺した、その事実が、結果としてエルルゥの命すら奪おうとしている。

362ただ、御許で、永遠に、咲き誇って ◆auiI.USnCE:2011/07/20(水) 01:06:13 ID:JLOossJs0

「で、ですが……エルルゥ殿には聖上が……慕っている聖上がいらっしゃるではないですか!」

そうだ、エルルゥには慕っている聖上、ハクオロがいる。
エルルゥが心底惚れていて、慕っているあの聖上が。
聖上がいるのに、エルルゥが死を選ぶなんて……


「――――知ってますか? 私がハクオロさんを慕っているのは、『アルルゥを救う』為に、契約で作られた感情でしかないんですよ?」


けれどエルルゥは冷たく、哀しい『真実』を伝える。
嘘だとトウカは叫びたかった。そんな哀しい事あってはいけないのに。
なのに、エルルゥの表情から、嘘ではないことを察してしまう。
信じたくない、信じたくなかった。
奥方に相応しい彼女が、そんな事を、言うなんて……
考えたくない、信じたくない、思いたくもない。

だからトウカは、


「作られた感情だとしても――――エルルゥ殿、貴方が聖上に見せていた感情はそれ以上のモノだ!」


エルルゥを否定する。
作られた感情だとしても、それが偽りから出来たとしても、


「ユイ殿に語ったエルルゥ殿の聖上への想いは……本当の温かい想いだった……そうであろう……?」


幸せそうに語ったあの想いは、何よりも温かいものではないか。
何よりも可憐で、綺麗で、輝いていた宝石のような想いではないか。

それこそが、エルルゥの作られた感情を超えた『本当の想い』だったと言えるだろう。

363ただ、御許で、永遠に、咲き誇って ◆auiI.USnCE:2011/07/20(水) 01:07:15 ID:JLOossJs0


「聖上の傍に居るのは、エルルゥ殿……作られた感情を超えた『本当の想い』を持つ、貴方でなければならないはずだ」


だから、トウカは力強く、聖上の傍に居なければならないと言う。
これはもうエルルゥを殺すとか、そんな問題ではない。
心から、彼女に伝えたかった言葉だから。


その時、


初めて、エルルゥの虚ろの目に、感情が篭り、そして揺れた。



「――――もう」


そんなエルルゥの瞳から、雫がこぼれ始めて。
それは、哀しみを象徴する冷たい涙で。


「哀しみたくないんです……アルルゥが死んで、こんなにも、空っぽなのに、苦しいのに」


泣きながら、トウカに近づいてきて。
トウカは、そんなエルルゥを見ながら、動く事ができなくて。


「――――もし、ハクオロさんが死んだら、私は耐えられない」


ああ、この人は。
強い少女でもあって、とても脆くもあったのだ。
優しくも、慈しみのある少女は、こんなにも弱かったのだ。


「きっと、狂い泣くでしょう。哀しみと苦しみで、きっと、生きていくのが苦しいぐらい」


一歩、一歩、近づいてくる。
嫌だと、トウカは思う。
怖いと、トウカは思う。
これから、起こる事がとても、嫌で怖い。

364ただ、御許で、永遠に、咲き誇って ◆auiI.USnCE:2011/07/20(水) 01:08:07 ID:JLOossJs0

「此処で、トウカさんと会えたのも、定めかもしれません」

ここで、トウカと出会わなければ。
まだ、彼女は生きていく事を選択したかもしれない。

だけど、トウカと出会ってしまった。

「私はハクオロさんが大好きです。頼りになるし、凄くかっこいいし、優しいし、傍に居ると、温かくなるぐらい……大好きです」

彼女は、可憐に笑って、想いを告白した。
きっとそれは、偽りの感情を超えた本当の想いなのだろう。
けれど、今はそれが、とても重い。

「けれど」

エルルゥは、トウカの目の前に立つ。
彼女は笑っていた。
自分は泣きそうになっていた。


「それは、トウカさんだって同じだから」


トウカの想い。
ハクオロに抱く想い。
それは、言われるまでもなく、エルルゥと一緒で。
だから、エルルゥは泣きながら、笑って、言葉を紡ぐ。


「トウカさん、お願いです。
 私の分まで笑っていて。
 私の分まで幸せになって。
 私の代わりに、ハクオロさんの傍にいてあげてください。
 それが、きっとハクオロさんの為になると信じています」

365ただ、御許で、永遠に、咲き誇って ◆auiI.USnCE:2011/07/20(水) 01:08:35 ID:JLOossJs0


エルルゥは微笑んで、トウカの手を取る。
トウカが持っている木刀の先を細い首にあてて。
トウカは、静かに涙を流していた。
哀しすぎる、哀しすぎて。

「トウカさんはこれからも殺すのかもしれないけど……もし叶う事ができるのなら……」


エルルゥは、言葉を紡ぐ。
エルルゥの思いをトウカに受け渡すように。

子守唄を歌うように。


「――――何時までも、何時までも、何時までも、お傍に」


トウカがハクオロの傍に居る事を、願った。

366ただ、御許で、永遠に、咲き誇って ◆auiI.USnCE:2011/07/20(水) 01:09:03 ID:JLOossJs0



「嫌だ……止めて……くれ」


張り裂けそうになる心をトウカは必死に抑えて。
喘ぐように、言葉を紡ぎ。


目の前で死のうとする少女に、トウカは懇願するように。


「お願いだ……」


きっと、これからトウカはエルルゥの呪いにも似た願いを受けて、生きていかなければならない。
どんなに苦しくても、哀しくても、ハクオロの為に。
それは、いい。叶えて見せよう。

けれど、けれど。


こんなにも、ハクオロのことを想っている少女を、殺したくなかった。
こんなにも、優しくて、慈しみを持っていて、一途な少女を。



ただ、殺したくなかった。





「嫌だ……某に……某に殺させないでくれぇええええええええぇえぇえええぇぇええええぇええっ!!!」

367ただ、御許で、永遠に、咲き誇って ◆auiI.USnCE:2011/07/20(水) 01:09:23 ID:JLOossJs0











エルルゥ
【状況:死亡】











     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

368ただ、御許で、永遠に、咲き誇って ◆auiI.USnCE:2011/07/20(水) 01:10:03 ID:JLOossJs0








紅い紅い夕陽を浴びるように。
死んだ少女の傍に花がひっそり咲いていた。

姉妹のように寄り添っているように見えるし。
夫婦のように寄り添っているようにも見てた。



少女がずっと願っていたように。




何時までも、何時までも、何時までも、傍で。



永遠に、永遠に、永遠に、花を咲かせていてた。






【時間:1日目午後6時半ごろ】
【場所:F-5】

トウカ
【持ち物:木刀、サクヤの支給品、銀のフォーク、UZI(残弾零)、予備マガジン*5、水・食料三日分】
【状況:健康】

369ただ、御許で、永遠に、咲き誇って ◆auiI.USnCE:2011/07/20(水) 01:10:39 ID:JLOossJs0
投下終了しました。
何かありましたら指摘など、宜しくお願いします

370キミを泣かせたくないから  ◆iDqvc5TpTI:2011/07/23(土) 04:27:50 ID:jhftVIzI0
投下します

371キミを泣かせたくないから  ◆92mXel1qC6:2011/07/23(土) 04:29:19 ID:jhftVIzI0
正直、困ったことになった。
いや、これまでは困ってなかったのかと言われれば、既に困った状況ではあった。
神への反逆を目論でたと思ったら、天使二号みたいなのに殺し合いに放りこまれてた。
この状況を困ったると言わずになんつうか。
けど、それはそれ、これはこれだ。
なんだかんだで非常識なできごと自体には慣れている。
こちとら死後の世界なんていうでっかい非常識を味わった後だ。
今更ちょっとやそっとじゃ動揺しないさ。
どんぱちだって散々経験してんだ。
殺し合いってのはいけすかべえが、それこそ、慌てるようなもんじゃない。

だから、今俺を困らせてるのはもっと別のものなんだ。

「びええええええん、ですの〜」

女の子が泣いていた。
俺の目の前で、女の子らしくぺたんと地面に座り込んだ御影すばるが泣いていた。
これが困ったことその1である。
説明はわざわざするまでもないだろう。
女の子が泣いている。
それだけで、世の男性の半分以上にとってはすんげえ困った事態なのである。
正直、どう声をかければいいのか分からない。
俺がいわゆるスケコマシじゃないというのはモチロンのことだけど、それ以上に、正直女の子に泣かれるなんつう状況は未知の未知なんだ。

生前俺は野球一筋で生きてきた……んだと思う。
いまいち記憶が曖昧なところもあるが、少なくとも、それが未練で成仏できないくらいには野球に入れ込んでいた。
年がら年中汗水流して練習していた。
女の子と仲良く和気あいあいと付き合う暇なんて、あるはずがない。

おい、そこ!
青春を棒に振ったとか言うな!
誰が上手いこと言えと言った!
確かに棒は振ってたけど!

かといって死後はというと知っての通りだ。
確かに戦線のメンバーには女の子もいっぱいいるさ。
ただ、そん中に人前で泣くような可愛げのある女の子がいたか?
……いねえ、一人もいねえ。
いやまあ可愛くなかったってわけでもねえんだけどさ、あいつらも。
……可愛く“なかった”ってわけでもない、か。
あーくそ。

と、に、か、く、だ!

372キミを泣かせたくないから  ◆92mXel1qC6:2011/07/23(土) 04:29:43 ID:jhftVIzI0

話を戻そう。

「そんな、そんな、由宇さんと詠美さんが、びええええええ〜〜〜ん!」

今、俺の前で女の子が泣いている。
俺には別に女を泣かせる趣味なんてないが、それ以前に、女の子が泣いているという状況にかなり参ってた。
困惑してたと言ってもいい。
これまで直面したことのない事態にめちゃくちゃ焦ってる。
ほんとまじでこういう時どうすりゃいいんだ!?
音無、音無ー!
お前、なんか、俺よりは慣れてそうだから助けてくれー!

「ぱぎゅ〜! 由宇さんと詠美さんが、死んでしまったなんて、嫌ですの、嫌ですの〜!」

……そして、これが困ったことその2だ。
俺には泣いている女の子に胸を貸してやる甲斐性もなけりゃあ、女の子を笑わせる方法も知りやしない。
でもそれ以上に分からないのだ。
知人の“死”を重く捉え、誰にはばかることもなく、素直な想いのままに声をあげて涙し、悲しんでいる奴にどう声をかけていいのかが。
ユイ達が死んだと聞かされても、実感が沸かず、泣けないどころか悲しいかも判別つかない俺には、なんて慰めてやればいいのか分からないのだ。

俺達にとって“死”はあまりにも近すぎた。
自分の“死”に関してはまだいい。
もう死んでんだしと半場自棄気味に意味もなく死に芸をやってみたりもするが、それでも、俺達はSSS――死んだ世界解放戦線だ。
未練を残して死なねばならなかった運命に激怒し、その怒りを神にぶつけようとしているのだ。
少なくても、これでも俺達はみんな、自分が“死んでしまった”ということは軽く扱ってはいないさ。

けれど。

他人の“死”についてはどうだろうか。
野田が爺さんを殺しちまったことを思い出すまでもない。
言えない。
自分の“死”と同列に扱ってるなんて、口が裂けても言えない。

だってそうだろ?
もし俺達が他人の“死”をも重く扱っているというのなら。
俺達は誰か新しいメンバーがあの世界にやってくるたんびにお通夜ムードになっちまってたはずじゃねえか。
なのに実際はそうじゃなかった。
あの世界に誰かが来るたびに、俺達は、そいつを戦線に勧誘しようとした。
そいつの事情はお構いなしに、ただ自分達の戦力を増やしたいがために、だ。

……あれ?
よく良く考えてみっと、俺達案外、ろくでなしじゃね?
いやいやいや、これはこれで、空気が重くなりすぎないっつう利点もあるんだぜ?
あるんだけどなー、参った。

「びええええええん、びええええええ〜〜ん!!」

どうしても、いつものように、馬鹿をしようとは思えないんだ。
それはきっと、こいつがあんまりにも当然のように悲しそうに泣くからだ。
本気で泣いたり悲しんだりなんて、俺はいったいいつが最後だったか。
あの夏の日。
俺が死ぬきっかけになったあの日。
飛んでくるボールを取れなかったあの日でさえ、俺は泣けなかった。
ただ呆然としていただけだ。
……思えばあの日から、俺は文字通り、魂を奪われていなたのかもしれない。

373キミを泣かせたくないから  ◆92mXel1qC6:2011/07/23(土) 04:30:38 ID:jhftVIzI0
その奪われた魂が、今頃になって震えている。
どくん、どくんと。
すばるの嘆きに共感するように震えている。
泣いている。
……泣いている?

「あ……」

頬に手で触れる。
もちろん俺は涙なんて流しちゃいない。
それでも。
理解はできる。
誰かが死んで悲しいという気持ちは理解できる。
理解できるからこそ、巫山戯られない。

「ああ、そっか……」

俺達にとって“死”はあまりにも近すぎた。
“死”に慣れきって、“死”に麻痺してしまっていた。
だけど。
その凍っていたものが俺の中で少しずつ、少しずつ動き始めていた。
もう誰かが死ぬのは見たくないと強い意志で言い切った少女の言葉に。
親しい者の死を前に、感情のままに嘆く少女の涙に。

「誰かが死ぬっつうのは、こういうことなんだよな」

“死”は悲しい。
“死”は人と人を切り裂く。

実を言うと、こと此処に至っても、ユイ達が死んだってことが信じられない俺がいる。
岩沢みたいに成仏ならともかく、幽霊が殺されるってそれこそおかしな話じゃねえか。
実際にこの目で見たわけでもねえのに、納得出来るかっつうの。

ああ、そうだ、そうだよ、俺は、あの天使野郎の言葉は信じられない。
けど、けどな。

374キミを泣かせたくないから  ◆92mXel1qC6:2011/07/23(土) 04:31:10 ID:jhftVIzI0
御影すばるは信じられる。

こいつは正しい。
正義だとか、正義の味方だとか、恥ずかしげもなく口にしまくるこいつは、ホントの本当に正しいんだ。

“死”を悲しいと想い泣く。
死んだ奴ともう会えないことを寂しがって泣く。

どっからどう見ても、誰がどう聞いても、そいつは正しい感情だ。
正義だ。

だから俺はこいつを信じる。
あのクソったれな放送を信じて泣くこいつを信じて、俺もユイ達が死んだってことにする。
もうあのアホと馬鹿なこともできねえんだなって寂しがったりもする。
そんで、あのアホ達が実は消えてなかったって判明したなら。
そん時は、思いっきり笑えばいい。
騙された俺達アホみてえだなーって笑えばいい。
んなわけないと認めないで、後の本当のこと知って悔やんでやれなかったと後悔するよりは、さ。

「なあ、御影。そいつら、どんな奴だったのか聞かせてもらってもいいか?」
「ぱぎゅ? 由宇さんと詠美さんのことですの?」
「ああ」

なあ、野田。
お前の怒りはもっともだと思う。
俺だって、あの女の物言いにはカチンと来たさ。
狂ってるなんて一言で否定されていいほど、お前やゆりっぺ達を戦いに赴かせた死んでも残る想いは安っぽいものじゃない。
死んじまった俺たちの事をまだ生きていると言い放ったあの女は、分かろうともしてくれなかったと思う。

「えう、ぐす。いいですの。あたしも、お二人のこと、聞いて欲しいですの。由宇さんと詠美さんは、正義の味方ですの」
「正義の味方ってことは、お前みたいに、変な合気道使うのか?」

でもよ。
俺達も分かってなかったんじゃないか。
死んじまってる俺達だからこそ、誰かに死なれちまった奴らのこと、分かろうとしてなかったんじゃないか。
誰かを置いてきぼりにするか、置いてけぼりにできる誰かさえもいなかった俺達だからこそ、遺された奴らの想いを理解してなかったんじゃないか。
理解してたら……殺せねえよ。

「ぱぎゅ〜! 変なじゃないですの! 大影流合気術ですのー!
 それに、由宇さんも詠美さんも、格闘術はやってませんでしたの。同人作家さんですの!」

すばるの笑顔が眩しい。
さっきまで泣いてたのに、そいつらを想うと笑わずにはいられないほど、お前はそいつらのことが好きだったんだな。
分かる、分かるよ、分かっちまったらやっぱりだ。

やっぱり俺にはもう、人を殺せない。
人が死ぬのを俺が見たくないって以上に。
誰かが、こいつみたいに泣いてるのを見たくない。
こいつの笑みが曇るのを見たくない。

375キミを泣かせたくないから  ◆92mXel1qC6:2011/07/23(土) 04:34:25 ID:jhftVIzI0

「作家? それのどこが正義の味方なんだ?」
「自分一人の力には限界がありますの! 
 でも、正義の味方の漫画を書いて、沢山の人に読んでもらえたら、その分だけ、みんなの心に正義が宿りますの!
 それが、すばるの目指す漫画家で、由宇さんと詠美さんはそんな漫画が書けるすごい人でしたの!」

そっか。
ならきっとお前もすごい漫画家になれるよ、すばる。
俺はお前に会えたから、人を殺したくないだなんて、当たり前のことを当たり前のように思えるようになったんだからさ。



……口には出してやらねえけどな。なんか恥ずかしいしよ


【時間:1日目18:20ごろ】
【場所:G-3】


御影すばる
【持ち物:拡声器、水・食料一日分】
【状況:健康】


日向秀樹
【持ち物:コルト S.A.A(0/6)、予備弾90、釘打ち機(20/20)、釘ストック×100、水・食料一日分】
【状況:健康】

376キミを泣かせたくないから  ◆92mXel1qC6:2011/07/23(土) 04:34:38 ID:jhftVIzI0
投下終了です

377紅い紅い夕陽が沈む中で ◆auiI.USnCE:2011/07/29(金) 00:16:05 ID:fov/uWPw0





――――だから、彼女は、嗤っていた。楽しくもないのに。









     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

378紅い紅い夕陽が沈む中で、歌い続けるモノよ ◆auiI.USnCE:2011/07/29(金) 00:19:34 ID:fov/uWPw0
     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「――――っ」

何処までも続く水平線に、血のように紅い夕陽が沈んでいた。
紅い紅いその夕陽を、燃えるように紅い髪の少女が見つめている。
少女は、ただ、何かを耐えるような表情をしながら、唇を強く噛み締めていた。
唇からは夕陽と同じぐらい真紅の血が流れていた。

「……このみ、雄二」

呟く二人の大切な人の名前。
かけがえの無い妹のような存在と血の繋がった弟。
護りたかった二人が、仲良く寄り添うように連続で放送で呼ばれた。
嘘だと思っても、自分が殺した人が呼ばれたのだから、紛れも無い事実だろう。
柚原このみと向坂雄二は、この島で早々に誰かに殺された。
少女――向坂環はその事実を認め

「―――」

何も、言葉を紡ぐ事はせず、ただ沈みゆく夕陽を見つめていた。
胸中を巡る感情は、後悔だろうか、憤怒だろうか、それともただの悲哀だろうか。
それは、環にしか解からない事だろう。
けれども、何かに耐えるように、彼女はただ静かに、夕陽を一心に見つめていた。


「……選ぶ必要無くなっちゃったわね」


柔らかな風が頬を撫でて、そして紅い髪をなびかせた。
環は右手を、夕陽に伸ばして、そっと呟く。
二度と会えない大切な人達。
両方とも大切だった。
選べるわけが無かった。
その事を噛み締め、目を閉じて。
死んでしまった人達に、言葉を贈る。


「――――御免ね」


その言葉は、護れなかった事への、謝罪でしかなかった。
それしか、浮かばなかった。言葉が出なかった。
涙が頬を伝っていたかなんて、解かるわけがなくて。知りたくも無くて。



向坂環はそのまま、ずっと惜しむ様に、夕陽を見つめていた。







     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

379紅い紅い夕陽が沈む中で、歌い続けるモノよ ◆auiI.USnCE:2011/07/29(金) 00:20:28 ID:fov/uWPw0





「環……」

そんな向坂環の後ろ姿を、宮沢謙吾は呆然と見つめていた。
夕陽を見つめていたまま、真紅の髪をなびかせているその姿は、何故かとても崇高に見えたから。
自分と同じ人殺しでしかないというのに。
それでも、環の姿は尊く見えて。
ただ、見蕩れる様に、その少女の姿を眺めていた。

そして、謙吾は環についてふと、考え付いた事があった。
最初の印象では、ただ冷たくて、大切な人の事しか考えない冷酷な人間だと思った。
今でも、その印象は消えない訳ではないか、でもそれは本当に一面でしかないのかもしれない。
彼女は、コイン一枚で、自分を取るべきスタンスを決めたと言った。
聞いた時はその事に憤慨もしたが、でも今なら、ある別の疑問が謙吾の中で浮かんでいる。

「なあ、環」
「…………何?」

環の隣に立った謙吾の呼びかけに、彼女は素っ気無く答える。
表情は、長い髪に隠れて、よく見えなかった。

「お前……自分がどう動くかを本当は『選べなかった』んじゃないのか? だから、コインで決めたんじゃないのか?」

自分のスタンスをコインに託した。
もし、向坂環に責任力が強く、高潔な一面があるというなら。
殺し合いに乗らず、大切な人を護りながら戦うと言う選択もできたはずだ。
けれど、環はそれでも本当に大切な人達を護りたかった。
人を殺してでも、護りたかったと考えてもいたのではないか。

「……………………」

だから、彼女はコインに『託すしかなかった』んじゃないかと謙吾は考える。

向坂環は恐らくとても強い人間だ。
けれど、弱さが無い人間ではないのだろう。
それが、コインでスタンスを決めた答えに感じて、謙吾は彼女を見つめる。
環は、黙ったまま夕陽を見つめていて。

「大切な人達も、お前は一人に選べなかったんじゃないか? 皆大切だから」

そう。大切な人も選べなかったんじゃないかと思う。
皆大切で、どれもかけがえないから。
それを表に出さないだけ。そう感じて。

「……ねえ、謙吾」

環は、謙吾の方を向いて、ふっと笑った。
柔らかで、けれど、とても魅力的な笑顔で。
謙吾に近づいて、彼の顎に手をかけて、至近距離で。


「―――――もう、そんな事は終わった事じゃない。これ以上惑わすと、殺すわよ?」


柔らかな、笑みのまま。
嗜虐性を加えて、彼女はそう、告げた。
謙吾はぞくっとするような感覚に襲われる。

「けれど、お前は……」
「どうも、こうも無いの。タカ坊の為に、私は、彼を護る為に殺すと決めたの。それしかない。死んでいった子の為にも」

環はあくまで、冷たく。
底冷えする瞳で、謙吾を射抜いて。

「雄二にとってタカ坊は親友。このみは…………タカ坊のことが好きだった。あの子達も好きだったタカ坊を私は護るの」

死んでいった大切な人達の為にも。
貴明だけは守り抜くと環は想い。

「……蘇るとか……正直考えてられないわ。ただ大切な人を護るだけ。貴方もそうでしょう?」

だから、今は護る。
その事だけを考えて。

「謙吾ともそのための協力よ……同情なんていらないわ」

そう言って、二人は見詰め合って。
夕陽に照らされたその姿は恋人同士のようで。
けれど実態はそれよりも程遠い、ただの人殺しの協力でしかなかった。


「環……」
「そういう事……変な勘違いしないでくれる?」

そして、環はにっこりと笑った。
笑顔なのに、感情が見えなかった。
それに謙吾は戸惑い、何か言葉を発しようとした瞬間。

380紅い紅い夕陽が沈む中で、歌い続けるモノよ ◆auiI.USnCE:2011/07/29(金) 00:20:48 ID:fov/uWPw0




「――――なんだ、からかえる関係だと勘違いしそうだったが。それだったら面白かったのに。つまらんな」



背後から、つまらなそうに響く声。
二人が驚くように振り返ると、


紅く染まる空に、黒く長い髪をなびかす少女が、面白くなさそうに、嗤っていた。






     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇






「く……来ヶ谷唯湖っ!」
「そう、来ヶ谷のおねーさんだ」

謙吾が驚愕したままの表情で、その少女の名前を呼ぶ。
少女――唯湖は、謙吾の表情に満足したように、頷いた。

「ああ、面倒臭いから自己紹介のし合いとかはしないぞ。大体聞こえたからな、向坂環君」
「……っ、つまり貴方は謙吾の知り合い?」
「まあ、ご察しの通りだ。ところで」

唯湖は作り笑顔のまま、手に持っていた銃で、少し離れた海岸を指す。
謙吾と環は示された場所で、其処にあるモノが何か察しが着いた。

「向こうで、真人少年とあと一人が死んでたが、お前達の仕業だろう? 血の臭いがぷんぷんする」
「……ああ、そうだ……そういうお前も」
「隠す事もないか、ああ、そうだ。私も同じ穴の狢だよ」

そう言って、唯湖は嗤った。何も楽しくもないのに。
互いが殺し合いに乗っている確認だって、知っている事を改めて確認しているようで退屈だった。
人殺しは人殺しでしかない事を知っていて、簡単にも同じ臭いをしている事が解かるのだから。


「しかし、コインか……はっはっはっは」


そして、唯湖は環を銃で指して、嗤う。
少しだけ、面白いモノを見つけたように。
くるくると、銃を回しながら、冷たい視線を環にぶつけていた。

「何かしら?」
「別に、一緒だったから……面白かっただけだ。殺しを選んだ手段がな」
「……貴方も?」

銃口を環達につけつけたまま、唯湖は言葉を紡ぐ。
油断をせずに、けど余裕も崩さずに。
唯湖は泰然としながら、けれど、何処も楽しそうでもなかった。


「ただの、戯れだよ。どうでもいい。示した先が、殺しだっただけだ」


戯れと唯湖は言い、謙吾は信じられないように唯湖を見つめる。
元々、何処か達観してたような所があったが、こんなものだっただろうか。
壊れ物を見るような謙吾の視線に気付いたように、唯湖は言葉を紡ぐ。

381紅い紅い夕陽が沈む中で、歌い続けるモノよ ◆auiI.USnCE:2011/07/29(金) 00:21:16 ID:fov/uWPw0


「ふぅん……」
「何だ?」
「別に。私からすると、君達の方も、歪んでいるように見えるがな……特に、君」

そして、来ヶ谷唯湖は、環に向けて、もう一度銃を向けた。
向坂環と宮沢謙吾を歪んでると称しながら、壊れ物は、声だけで笑う。
楽しいなとも、下らないなとも思いながら。

「何故、無理に情を捨てようとする? 無理に冷徹になろうとする?」
「無理?……これが、私よ」
「ふぅん……私がさっきあった集団は自分の意志で、大切な人を護ると選んでいたがね」
「……っ」
「コインでしか、決められない君が、本当に大切な人を護れるのかね」

底冷えするような、視線で環を一瞥し、唯湖は嗤う。
情を捨てきれず、そして自分を『演じようとする』環をあざ笑うかのように。
そして、興味を失ったように、何処か空虚な笑みを零す。

「まぁ、私も、コインで決めたんだが……ふふっ……それで謙吾君、少し驚いたぞ」

唯湖は自虐しながら、今度は謙吾の方に向く。
懐かしそうな視線を向けたが、それも一瞬だった。
いつもの様に、笑ってない笑みを称えて、泰然とした視線を謙吾に向ける。

「君は乗らないと思ったんだが……理樹君の為か?」
「……ああ、そうだ」
「君なりに覚悟をしたんだろうが…………流されすぎないように、注意した方がいいかもしれんよ」
「何にだ?」
「情にだよ、情に。まぁ……既に流されていると思うが」

唯湖はそう言って、ちらっと環の方に視線を向ける。
少し、青ざめている様だが、どうでもよかった。
どのように二人が出会ったか唯湖にはしらないが、大よそ予想は出来る。
多分、環の方が謙吾に提案をし、それを飲んだのが謙吾だろう。
そして、今環が見せた弱みに見事に流されそうになっていた。
傑作だった。全く笑えないが。

「情に流されて足元すくわれないようにな………………まぁ、流されるのが君らしいと思うがな」

最後に、唯湖は笑って、謙吾に忠告する。
最も、この忠告も意味が無いと察していたが。
それが、宮沢謙吾なのだから。

唯湖は、もう一度歪な関係に見える二人を見て。
この二人が組んでいる事に少し、楽しいと感じた。
単なる退屈しのぎ、楽しさでしかなかったが。
歪な関係が、どうなるかが、少しだけ興味があった。
だから、彼女は笑って、提案する。
空虚な、笑みのままで。

382紅い紅い夕陽が沈む中で、歌い続けるモノよ ◆auiI.USnCE:2011/07/29(金) 00:21:36 ID:fov/uWPw0


「さて…………どうする? 私はこのまま、何処かに言ってもいいが、殺し合ってもいいぞ」
「来ヶ谷……馬鹿にするのもいい加減にしろ……当然だ、ころしあ……」
「……いいえ、やめなさい謙吾。来ヶ谷さん……だったかしら。私達は今、貴方と殺しあう気は無いわ」

唯湖の提案に、殺し合うと言いかけた謙吾、を静止したのは、少し回復した環だった。
言われぱなっしで腹が立っているが、それを無理矢理押し込んで。
ただ、自分達が生き残る為に、言葉を放つ。

「何故だ、環」
「いい、謙吾? 私達は『逃がされてる』のよ。彼女が持つ銃だと……苦戦する所か命を落とすわ」
「……なっ」
「それに彼女は殺し合いに乗ってるんだもの……人数を減らしてもらいましょう……という事で、どうかしら? 聞こえてると思うけど」 

環は、あえて唯湖に聞こえるように、謙吾を諭す。
唯湖の真意をちゃんと悟っているとアピールするように。
唯湖はその環の意図に、苦笑いをしながら。

「ああ、それでいいよ……ならば、長居する事もない。では……またな」

ひらひらと、気持ちの篭ってない手だけを振って。
またなと、言ったはものの、再会する前に自分か向こうが死ぬ可能性の方があるかもしれない。
けれど、まあそれもそれでいいかと内心で、つまらなそうに呟いて。
唯湖は泰然としたまま、その場を去ろうとする。



「来ヶ谷さん………………貴方は、私達よりも…………壊れた、単なる――――化物よ」


環が、鋭い笑みを浮かべながら、唯湖に告げる。
それが、この短い邂逅で、感じた唯湖への印象を、皮肉のような、言葉を彼女に贈った。



唯湖は、振り返って、嗤う。


今度は、本当に、楽しそうに。





「はっはっはっ――――大正解だよ」











     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

383紅い紅い夕陽が沈む中で、歌い続けるモノよ ◆auiI.USnCE:2011/07/29(金) 00:22:05 ID:fov/uWPw0







楽しいものなんて、何も無く。
感じるものなんて、何も無い。



だから、だから、殺していくだけ。



大切なものなんて、何も無い。
けれど、大切なものを持つ彼女らが、ちょっと羨ましかったのかしれない。
だから、見逃したのかもしれない。



でも、それも、きっと、一瞬の考えでしかない。



だから、もう、何も残るものなんて無い。
刹那的に楽しいものを物を求め。
退屈を埋められば、それでもいいかもしれない。



ああ、だから、私は壊れ物で、化物なのかと、彼女は思い。




そして、何が楽しいのか、楽しくないのか。



嗤っていた。




【時間:1日目午後6時50分ごろ】
 【場所:G-3】


 宮沢謙吾
 【持ち物:ベネリM4 スーパー90(5/7)、散弾×50、水・食料二日分、不明支給品(真人)、インスリン二日分】
 【状況:健康】


 向坂環
 【持ち物:AK-47(0/30)、予備弾倉×5、USSR ドラグノフ (9/10)、不明支給品(高松)、予備弾倉×3、水・食料二日分】
 【状況:健康】


  来ヶ谷唯湖
 【持ち物:FN F2000(29/30)、予備弾×120、バーベキュー用剣(新品)、水・食料一日分】
 【状況:アンモニア臭】

384紅い紅い夕陽が沈む中で、歌い続けるモノよ ◆auiI.USnCE:2011/07/29(金) 00:22:27 ID:fov/uWPw0
投下終了しました。
少々遅れて申し訳ありませんでした。

385 ◆Ok1sMSayUQ:2011/08/06(土) 15:44:16 ID:JUlLmXSM0
 激しい嘔吐感。脳そのものが直接攪拌されるような気持ちの悪い感覚に、古河渚は幾度となく胃の中のものを吐き出しそうになったものの果たせず、
 喉元まで込み上げてくる苦酸っぱい味を覚えるだけに留まっていた。
 急速に自分の身体そのものが硬化を起こし、思うように動いてくれない。機能という機能が停止したようにも思え、
 だから吐き出すことすらできなかったのかと鈍い納得を覚えた渚は、自分でもわけの分からない情動に突き動かされて掠れた笑い声を出していた。
 血なまぐさい現実を直視してしまったことに対する失笑であり、今までを夢見心地で過ごしてきたことに対する嘲笑であり、
 死なずに済んだ、という安堵感に対する哄笑でもあった。
 未だにしっかりと握りこんでいる小さな拳銃も、そうした己の浅ましさを象徴するもののように感じ、
 投げ捨てたいという衝動に駆られたがどうしても指が動かず、手はひとを殺す凶器を放そうとしない。
 そうしてしまえば、自分の身を守るものはなくなってしまうから。
 脳裏にこびりついて剥がれない鮮烈な血の赤色と、見捨てられた絶望が生み出した笹森花梨の嘆きが呪詛となって恐怖を駆り立てるのだった。

「……どうして」

 それでも、振り上げて投げ捨てようとした。力いっぱいに叩きつけてしまえばあるいは壊れるかもしれない。
 こんな恐ろしい武器を使わなくて済むかもしれない。こんなはずではなかった世界に、戻れるかもしれないのに。
 恐怖がそれを邪魔する。捨てれば、殺されるという脅迫じみた重圧が銃を手放させない。
 そこまでして己を守りたいのか? 普段ならば考えられない我が身の卑小さに戦慄し、渚は自分が自分でなく、
 人間としての大切ななにかを失ったものに成り果ててしまったのではないかという疑念に襲われた。
 つい昨日までは至って平凡な、日本人の学生らしい生活をしていただけだった。
 病気により留年してしまったという経緯はあるもののそれさえ除けば一般的な、殺し合いなどとは縁もゆかりもない人生でしかなかった。
 優しい父母に囲まれ、ささやかに暮らしてきただけの自分が、なぜこのように変質してしまったのか――
 目の前で撃ち合いが始まったときから? 竹山と名乗る人物がこれは死後の世界だとか吹聴したときから?
 それとも、最初に死人というものを見てしまったあのときから……?
 色々と原因を考え、理解しようと努めてみた渚ではあったがなにひとつ納得が行くはずもない。
 何も悪いことなんてしていない。しようとも思っていなかった。なのにどうして理不尽が自分の身ばかりに……

「……え?」

 そこでふと、自分が悪くはないのだと必死に言い訳しようとしている己の姿に気付き、渚は思わず間抜けな声を出してしまっていた。
 『わたしは悪くない』という言葉が自然に浮かんでいた事実がまるで信じられず、呆然とした面持ちで周囲を見回す。
 無意識で行ったことだったが、数秒の後にそれも「狡く、浅ましい己の姿を見られたくなかったのではないか」という気持ちから発された行動のようにも感じられ、
 渚は蒼白になった顔で「ち、違うんです……」と誰にともなく呟いていた。

386 ◆Ok1sMSayUQ:2011/08/06(土) 15:44:34 ID:JUlLmXSM0
「ひ、人のせいなんかに、しようと思ったわけじゃ……竹山くんも、笹森さんも悪くない、悪いのはわたしで、全部わたしが、情けないから……」

 自分が悪い。自分が悪い。自分が悪い。己自身に言い聞かせるように、縋りつく声で弁解を続ける。
 誰に? 何のために? 聞こえてくる疑問の声を幻聴だと無理矢理に思い、全ては弱い自分が為させた悪なのだと頑なに思い込もうとした。
 弱いことがいけない。いつだって自分の弱さを理由にして諦めてきたから、今回の悲劇だって起きた。
 甘えてしまったのがいけなかった。昔から変わってゆく皆を見つめるばかりで、変わろうともしなかったくせに優しさに身を委ねてしまったから他者が傷ついた。
 現実を見ようとせず、そればかりか、「友達ができるかもしれない」などという期待を抱いてしまったから罰が下った。罰に人を巻き込んだ。
 分相応にしていれば良かったのだ。ひとりで、最低限の人間関係の中で、悪い人間としての人生で。
 でも、と。どんなに大声で喚き散らしても遮ることのできない、納得と理解を求めようとする、古河渚の本心が問いかける。
 病気だったからって、弱かったからって、こんな馬鹿げた理不尽にどうして付き合わされる必要があるのか。
 弱かったからという、ただそれだけの理由で、ほんの少し甘えることさえ自分には許されないというのか。
 自分だって、人間だ。どこにでもある友人という関係くらい求めたい気持ちくらいある。それさえ許されないとでもいうのか。
 普通以上は望んですらいない。なのに、弱者という、ただそれだけの理由で、自分は世界から否定されなければならないのか。
 ……それは、強くあることを押し付けようとする世界の傲慢ではないのか。

「違うっ!」

 自分のものとは思えない絶叫が無人の林に木霊する。
 悪いのは己の弱さではない、それを受け入れようともしない世界だと言い続ける本心を追い出すために振り絞られた声だった。
 沈黙を返事にする姿なき『相手』は、見下しているようにも感じられた。
 滑稽な見世物にされているようにも思い、渚は我知らず目の淵から涙を流す。
 それがどんな感情から流させた涙なのかすらも分からず、うつむくことしか出来ず、歯噛みすることしか出来ず、反論のひとつも出来ない。

 なにが「違う」?

 さざめく風と共に、皮相な声が聞こえてきたような気がして、渚は絶望的な気分になった。
 では、どうすれば良かったのだ? どうすれば、世界が認める強い自分になれたというのか。
 努力。経験。勇気。そんな言葉は曖昧模糊としすぎていて、何の答えにもならない。
 力不足を認め、それでも精一杯に溶け込もうとしてきた。やろうとしただけでは意味がないと言いたいのか。
 上には行けなくとも、せめて普通には。それでは弱い存在でしかないというのか。
 どうすればいいのか、分からない。弱過ぎる己を認めてしまった自分には、なにも……
 助けてとも、抗ってやるとも言えず、渚はただ泣き続けた。
 そのままふらふらと、当て所もなく歩き出す。
 目的もなにもなく、弱さだけを抱き続けて。
 ――だから、なのかもしれない。
 強者の傲慢を押し付けてくる世界が、次に突きつけてきたものは……

     *     *     *

387 ◆Ok1sMSayUQ:2011/08/06(土) 15:44:50 ID:JUlLmXSM0
 木陰に身をうずくまらせているはずなのに、頭がどうしようもなく茹っている。
 まるで夏の熱気にあてられたかのように意識がぼんやりとしている。
 それでいて、意識の滲みに一点、これだけ鮮明に浮き出てくる映像がある。
 棗鈴に無力を実感させ、理不尽を痛感させ、僅かに残った生きるための灯火さえ吹き消そうとしてくる光景だ。
 鈴は頭を抱える。
 なにをすればよかった?
 今更考えたところで過去が変えられるわけではないし、なくなってしまったものが戻ってくることはないのに、
 それでも鈴の中に宿る後悔が考えさせずにはいられなかった。
 一番初めに浮かんでくるのは、問答無用で邪魔者を排除すればよかったという考え。
 アルルゥのような幼子が人間のうちに潜む悪意に気付けるわけがなかった。だから『ひとごろし』に近づかれるのを許してしまった。
 自分はそれに気付いていた。気付いていながら、曖昧で漠然とした不安としてでしか片付けられず、結局は流れに身を委ねてしまった。
 だから刺された。だから手遅れになった。
 だから……嫌な予感がしたら、殺してしまえば良かった?
 排除するとはそういうことだと結論を結んだ鈴は、しかし次には、それでは『ひとごろし』と同じだと思っていた。
 呼吸でも行うかのように、ごく自然に人を刺してみせた『ひとごろし』は、今では守るための一つの手段なのだと思うことができる。
 確かに、守れる。怪しいと思った瞬間攻撃していればこんなことにはならなかった。
 だが一番確実だと割り切って、それでアルルゥがどう思うかという発想も持てず、己の気持ちを押し付けてしまうのは最低の行為ではないのか。
 学もなく、敬語だって満足に使えるかどうか怪しい自分でも、やってはいけないことくらい分かる。
 目的を全てに優先させ、共に行動する仲間の気持ちを無視するのは身勝手なものだし、無視されている方もつらい。何もいいはずがない。
 兄だって――棗恭介だって、リトルバスターズに入ることを強制させはしなかった。
 勧誘を行いながらも、最終的な判断は本人に任せた。
 楽しいから、気が向いたら来い。その程度に言葉を残し、無理矢理に連れてくることはしなかった。
 考えてみれば、バスターズのメンバーは最初から友好的に接してくれようとした。
 なんのことはない。自分から関わろうという意志を持ち、関わろうとするものを知りたいと思ったから友人になろうとした。
 あの『ひとごろし』は違う。バスターズメンバーのような意志はなく、自分も相手も騙して、信じるという気概も持てずにいるだけだ。
 鈴にとって、人と人の関わりは何よりも大事なものだった。
 時に鬱陶しく、時にお節介と思える厄介な代物。けれども大切なことも思い出させ、学ばせてもくれる唯一無二の代物。
 口にも出してこなかったが、鈴はバスターズが大好きだった。正確にはそこに漂う雰囲気が、自然に誰かと何かをしてみようと思える空気があることが。
 自分ひとりでは思いつきもしないこともやってみようと思わせる、勇気をくれる雰囲気があるのだ。
 ゆえに人との関わりを捨ててしまう選択だけはしたくなかった。けれどもその選択が、アルルゥも古河早苗も失わせた。
 失わせてしまったことが、鈴を苦しませる。この世界は、代償を要求してくる。
 自らを犠牲にしなければ何も守れず、自らを保とうとすると誰かが犠牲になる。
 自分の心を捨てずにいるか、他人の心を無視するか。突き詰めるとそこに行き着き、どちらも選べないからこそ鈴はうずくまるしかなかった。
 理不尽だ。蚊の鳴くような声でそう絞り出すのが精一杯でしかなかった。
 そして理不尽に対して、自分は無力でしかいられない。『ひとごろし』にならずに誰かを守れる力がないのは証明済みだし、どうすればいいのかも分からない。
 けれども現実に迎合するつもりも持てずにいる自分は、我が強いだけの世間知らずに過ぎないのだろう。
 結局、何も変えられていない。兄の背中を見ているだけだったときから、なにも。
 だったらいっそ、諦めさせてくれ。強く生きろなんて、言わないでくれ。
 どうしようもなく、自分は弱すぎる――この数時間で得た結論は、黙って待つしかできないということだった。
 黙って待てば、いずれ……破滅願望に似た思いを抱きかけた自分に嫌悪し、顔を振ろうと少しだけ持ち上げたとき。
 すぐ近く。足元に、誰かがいるのに、気付いた。

388 ◆Ok1sMSayUQ:2011/08/06(土) 15:45:11 ID:JUlLmXSM0
「ようやく気付いたようだな」

 いつから立っていたのだろう。落ち着き払った声は男のもので、どことなくどっしりと構えている感覚がある。
 少しだけ視線を移すと、男のものに比べて華奢な足が見える。白い足だ。いや、靴下なのだと鈴は思いなおした。
 見覚えはない。他人という言葉が頭を貫いたが、何者であるかということは半分どうでもよくなっていた。
 ただ恐らく、これは賭けになるのだろうという予感だけがあった。

「ここで、何をしている」

 ゆっくりと尋ねる声。尋問じみた色ではないことに少しだけ安堵する。
 単純に、うずくまっている自分の不自然さを問うているのだろうと思い、鈴は思いのほか素直に返事をしていた。

「……なにも」
「仲間が殺されたのに何もできなかった、か?」

 心の中を読み取られたかのような男の言動に驚愕し、思わず上を向き、男の顔を直視していた。
 そこにあったのは、仮面である。何かの骨のような仮面だ。
 普段ならば「なんだおまえ!? こわっ、鬼こわっ!」とでも言っていたのだが、状況が状況だけにそんな言葉も出てこない。
 ただただ言い当てられた事実に慄然とする思いだけがあった。

「なんで、わかった」
「体に血がついている。尋常の事態ではないことがあったと分かるさ」
「……なるほど、すごいな」

 勘でしかなかったが、この男には力があるのだろうと鈴は思った。
 これくらい観察できる能力でもあれば、アルルゥだって死ぬことはなかっただろうに……

「誰を殺された?」
「どうして聞くんだ」
「それが我々の仲間だった場合、殺した相手が脅威であることは間違いないからだ。君達の言葉で言うならば、我々は軍人なのでね」
「軍人さん……」

 だとするとこの落ち着きようにも、観察眼にも納得がいく。そしてそれを公言したということは、逃げられもしないということだ。
 たかが学生の自分に逃げ切れる道理はない。もっとも、逃げるつもりもなかったのだが……

「名前、だけでいいか」
「理由を聞く」
「……思い出すのが、つらい」

389 ◆Ok1sMSayUQ:2011/08/06(土) 15:45:32 ID:JUlLmXSM0
 そこで男がはっと息を呑み、やがて「すまない」と小さく付け足していた。

「誠意が足りないっ」
「ぐっ」

 途端、男が脇から小突かれていた。女のものだとすぐにわかる。
 また少し視線をずらすと、長髪の凛とした顔があり、仮面の男に怒っているようだった。

「ハクオロさんさぁ、怖いんだからもう少し優しくしなさいよ」
「ど、努力はしている」

 どっちが立場が上なのだろう。明らかに女は「ハクオロ」と呼ばれた男よりも年下……それどころか自分と同年代のようにも思えるのだが。
 見られていることに気付き、女が苦笑して「ごめんね」と謝ってくる。

「でも、私も知っておきたいことなの」

 だが、同年代でありながらも、精神は一回りも頑健なように感じられた。
 知りたい、と尋ねられる誠実さ。これも鈴は持ち合わせているものではなく、ただ羨ましいという気になる。
 この人たちは強いのだろうと簡単に納得することができて、だったら多少自分がつらいくらいなんだと考え直して口を開いた。

「アルルゥ。あと、さなえさん……」
「な……」
「なによ、それ……」

 そこで二人が一様に信じられないという顔になり、鈴は最悪の偶然に出会ってしまったらしいと分かった。
 アルルゥも、早苗も、この二人の知り合いであるらしい。
 ひどい偶然だと思う一方で、なら二人を見殺しにしておめおめと生きている自分はもっとひどいのだな、と無力感が再燃する。

「誰が殺した! 誰が、アルルゥを……!」

 胸倉が掴みあげられる。真正面に向かい合った顔にははっきりと分かる怒りの色がある。
 当然だ。アルルゥの仲間だというのなら、あの小さな子が殺されるなどという事実に納得するはずがない。
 その気持ちは自分も同じであり、だからこそ守れなかったという事実が悔しくてたまらず「知るもんか!」と怒鳴り返してしまっていた。

「いきなりやってきて、アルルゥを刺したんだ! あたしは気付けなかった! ばかだ! なんで、なんで……!」
「……お前」

390 ◆Ok1sMSayUQ:2011/08/06(土) 15:45:50 ID:JUlLmXSM0
 じんわりと視界が滲んでくる。逃げている間に流しきったと思った涙が性懲りもなく溢れ出して来る。
 悲しいし、悔しい。諦めようと思って諦められるものではない。ほんの数時間に満たない間だったが、確かに仲間だったのだ。

「ハクオロさん、やめてあげて……見殺しにしたんじゃないって、わかってるでしょう?」

 女がそこで手を差し伸べ、ハクオロも激情に任せることはせずゆっくりと鈴の体を地面に下ろす。
 開放された鈴だったが、涙は簡単に止まるものではなかった。
 話さなければならないことはいくらでもあった。早苗の死もそうだし、二人の死について山ほど謝らなくてはいけない。
 だが言葉が言葉にならない。悔しいという感情が口に蓋をしてしまったかのように、嗚咽しか出させてくれない。
 女も、ハクオロも、それが分かっているからこそ何も言えずにいたし、やり場のない思いを苦々しい表情にするしかなかった。

「これだけ、訊いてもいいか」

 返事ができる状態ではなかった。鼻を鳴らした鈴に構わずハクオロは続ける。

「アルルゥは……どんな子だったか」
「いい子、だった」
「分かった。ありがとう」

 それで納得できているはずはなかった。だが無理矢理にでも、この場は納得して収めるしかなったのだろう。
 そうせざるを得ないハクオロの立場が分かり、泣いているだけの自分が情けなくなって、こちらも無理矢理に涙を止めた。
 止めきれるはずはなかったが、しっかりとハクオロを見返し、言葉を紡いだ。ぎりぎり涙声でなかったのは、鈴なりのけじめのつもりだった。

「……次は私ね。早苗さんって、言ったわよね」
「いった」

 彼女にとっても大切な人だったのだろう。
 許してもらえるはずもない。近しい人がいなくなれば誰だって悲しいし、つらい。
 無力で愚かな自分は今ここで殴られても殺されても文句は言えない立場だ。
 だから。だから、逃げることだけはしない。何もできないからって、それが逃げ出していい理由にはならないのだ。

「私の友達の、お母さんなの。その人……」

 友人の母親。間接的な繋がりでしかないのだろうが、それでもショックを受けていることから早苗の人柄が……
 本当は『優しい人』だったことが分かる。いや、彼女は実際に優しかった。
 娘を守ろうとするあまりに、一度は『ひとごろし』に身を堕としてしまうほどに。

391 ◆Ok1sMSayUQ:2011/08/06(土) 15:46:12 ID:JUlLmXSM0
「知ってた。だって、早苗さん、こどもを守るからって、一度は……」
「え……それ、って」

 否定を望む声色だった。言うべきか、一瞬躊躇してしまう。
 しかしまたしてもそんな鈴の心を見抜いたかのように「言わなくてもいい」とハクオロが言っていた。

「辛いのなら、無理しなくていい。どうするかはお前が選べ。お前の心に、従え」

 先ほどの激昂ぶりが嘘であるかのように、ハクオロの声は落ち着いていた。
 だがその代わりに、自分を、死を目撃した一人の人間として扱っていることが感じられる。
 厳しく問い詰める大人の声。以前ならば、怖いと思うだけだった声。しかし今は不思議なほど素直に受け止めることができていた。
 逃げ場がないし、逃げられない己の立場もあり、そして逃げたくないと思っているからなのだろうか。

「早苗さん……アルルゥの友達――『ユズっち』、殺したって、言ってた」

 ぐっ、とハクオロの目が強張るのが分かった。当然だろう。アルルゥの『おとーさん』なら、知り合いでもおかしくはない。
 殺したという事実を知らされた女も、どうしてと途方に暮れている様子だ。

「だが、それでも、アルルゥはその女を許したのだな?」
「うん、許した……頭、なでてた」

 今にして思えば、あれで早苗は救われていたのかもしれない。
 優しい人だったから『ひとごろし』になり、『ひとごろし』であることに苦しんでいた。
 一生苦しむはずだったその罪を、アルルゥは許した。許されたから、最後には身を投げ出してまで自分を助けようとしてくれた。

「すごかったんだ、アルルゥは」

 思い返すと、償却されない罪をあっさりひっくり返してみせたアルルゥが、自分などには追いつけないものであるような気がしてくる。
 誰かを、許す。簡単なようでそうではないこと。ただのケンカでさえ自分から謝るには相当の勇気と器の大きさが必要だというのに。

「そうだ。大した奴だった。……だから、連れて行かれてしまったのかもしれない」
「天国か?」
「神に、だな。神は有能なものを近くに置きたがる」
「……だったら、それ、ずるいな」

 本当に神様が連れていったとは思っていないし、ハクオロも本心ではそうなのだろう。
 ただ、何が一概に悪であると言えなくなっているゆえ、納得するための方便として神という単語を持ち出したのかもしれない。

392 ◆Ok1sMSayUQ:2011/08/06(土) 15:46:30 ID:JUlLmXSM0
「でも、早苗さんも殺された。誰に殺されたの? さっき言ってた、いきなりやってきて刺した、って奴?」
「ちがう。そいつは別だ。やったのは……バケモノ女だ」
「バケモノ?」
「なんか、映画で見たような機械っぽい女」
「……来栖川重工のメイドロボシリーズ、かしら……」

 メイドロボ、という単語は見たことがある。確か井ノ原真人が読んでいた雑誌にそんなものがあったのを鈴は覚えていた。
 そして確かに、あの機械女は異様な耳をしていたし、エプロンドレスらしき『メイドの服装』もしていた。
 けれどもメイドの雰囲気を打ち壊すかのような気色の悪い金属骨格に、何より耳に残る、耳障りなモーター音……

「我々がやりあったのと同型か……もしくは、同一か」
「かもね。もうちょっと情報があればいいけど……」
「じょうほう……そうだ! あいつ、でっかいマシンガン持ってた! それでアルルゥと早苗さんを撃ち殺したんだ!」

「撃ち、殺した……?」

 ――その声は、この場にいる誰のものでもなく、後ろに佇む神社の影から、はっきりと聞こえたものだった。
 会話の内容を盗み聞きされていたことに驚き、鈴を含んだ三人が一斉に振り向く。
 現れたのは、先ほどまで話していた女と同じ制服の人間だった。同じ学校なのだろう。
 顔面蒼白で、呆然と鈴の方に虚ろな視線を向けていた。

「渚……?」

 やや間をおいて、声がかけられる。
 その名前は、以前早苗から聞かされた名前だった。誰よりも大切な家族で、何よりも愛していた家族だと。
 だったら、こいつが、早苗さんの娘さん……?
 確かによく見てみれば、顔立ちはどことなく早苗に似ている。

「殺され……? 何言ってるんですか? 杏ちゃん、冗談、冗談、は、やめてください」

 見ているのが痛々しくなるほどの泣き笑いを浮かべられ、杏と呼ばれた女はかける言葉を失ってしまったようだった。
 彼女だけではない。ハクオロもいきなり現れた第三者に対応できていない様子だ。

「だって、お母さん、そんなことするような人じゃないし、される理由なんて」
「嘘じゃ、ない」

393 ◆Ok1sMSayUQ:2011/08/06(土) 15:46:47 ID:JUlLmXSM0
 だから自分がやる。こうなってしまったことの一端を担っている者として、果たさなければならないことを果たす。
 どうなるかは分からない。正直なところ、どうなってしまうか予測もつかない。ここで殺されても、文句は言えない。
 ただアルルゥや早苗に、せめて恥ずかしくないようにしたいという一心で鈴は渚の声を遮って喋っていた。

「殺されたんだ。あたしを、かばって。いい人だった。すごくやさしかった。でも……殺されたんだ」
「……なんで」
「それは……分からない。でも――」
「なんで、お母さんなんですか! なんで、わたしじゃないんですか! なんで、なんで、なんでっ!」

 鈴は声を詰まらせるしかなかった。
 なぜ、という、それだけの問いに対して何も答えられない。
 理不尽に晒されたひとりの人間を救うことはおろか、かけてやる言葉さえ持てない。
 「なんで、わたしじゃない」。自分ですらそうだ。人を救えるアルルゥ。家族という世界の一員である早苗。
 二人を差し置いて、自分だけが生き残っている。なぜと問われれば、何も答えられない。それほどまでに無力でしかない自分。
 けれども、意味までなかったわけじゃない。

「だから、理由を探してるんだ。強く生きろって早苗さんに言われたから……納得できるまで答えを探す。
 なんで早苗さんが殺されて、なんであたしたちが生きてるのか。あたしも知りたいんだ」

 知りたい。知りたいから、まだ歩き続けている。どうしようもなくちっぽけでも、歩いている限り可能性はある。
 歩き続けている限りは諦めてはいない。現在を駆け抜けることが、二人に恥ずかしくないことだと鈴は思っていたから。
 そして渚を固く見据える。来い、とは言えなかった。本当は一緒に理由を探したかったし、たくさん謝らなければいけない。
 しかし今言ってしまえば押し付けでしかないと思ったから、敢えて無言で呼びかける。一緒に行こう、と。

「強く……生きろ……?」

 だが渚の口から漏れたのは、自らを嘲笑うかのような皮肉染みた音色の声だった。
 意識してそうしたのではなく、それが現在の自分を極限まで否定しているがゆえに出させたものだったのかもしれない。
 実際、渚はこの世の全てが信じられないといったような絶望に喘いだ表情をしていた。
 喘いでいながら、笑っていた。何もかもを、親にさえ否定された。笑うしか術がないというように。

「強く……? じゃあ、わたしは……弱いから、悪くて、生きてちゃ、いけないんですね」
「え……おまえ、なにを――」
「わたしは悪くない!」

 そこで渚が拳銃を持っていたということに、鈴は今更ながらに気付いた。
 渚の手が持ち上がった瞬間、トリガーにかけられた指が動いていた。

     *     *     *

394 ◆Ok1sMSayUQ:2011/08/06(土) 15:47:04 ID:JUlLmXSM0
 なぜ。
 果断なく繰り返される言葉が、渚を苦しめる。
 頭の中で反響を繰り返し、頭痛と熱を以って苦痛を与え続けてくる。
 強く、生きろ。
 なぜその言葉を残した。
 なぜその言葉を自分ではなくあの女に託した。
 母の最期を思いも拠らぬ形で耳にしてしまったことの衝撃が、
 最期を看取ってやれなかった情けなさと無念が、
 次を託されたのが自分ではなくこの女だというどうしようもない怒りが、
 何よりも、自分は母にさえ否定されたのではないかという理不尽が。
 わたしは悪くない、という言葉となって飛び出していた。

「弱かったら……それで、それだけで、生きることさえ許されないなんて、わたしは認めない!」

 ぐわんぐわんと耳鳴りが繰り返され、同時に誰も彼もから見下されている感覚を受ける。
 弱さは罪だと謗るだけの連中を振り払うかのように、渚は手にした《チーフスペシャル》で発砲を続ける。
 歪む視界と頭痛が邪魔をして上手く狙いがつけられず、目標に当たらない。
 母まで取り上げたあの女を、否定し返すことができない。
 先ほどからいくつもの悲鳴と怒号が混ざり合って聞こえる。
 何が誰の声なのか分からない。友達の声と、怒鳴る男の声と、困惑した女の声と、やけに落ち着き払った男の声。
 名前が呼ばれている気がする。いくつか見知った名前があった。竹山。ことみ。椋。仁科。春原。そして、早苗。
 やめろという声がそこに重なり、弱さを認めず否定しようとしてくる「なぜ」も重なる。

「うるさい! 誰があなたなんか、あなたなんかに、あなたなんかにっ!」

 苛む苦しみから逃れたい一心で渚はこれまで発したことさえない罵声で怒鳴り散らす。

「お母さんがそんなこと言うもんか! わたしがどれだけみじめでもお母さんはそんなことしない!
 みんなあなたたちが持っていったんだ! それなのにまだこれ以上、何を持ってくって言うんですか!
 ふざけないで! あなたなんかに助けてもらうもんか! わたしなんかとは違うくせに! お母さんを奪ったくせに!」

 吐き出せるだけの呪詛を吐き出し、渚は弾を撃ちつくす。
 いくら引き金を絞っても弾が出ないことをようやく理解したときには、もう自分を苦しめる三人の姿はなかった。
 死体がないことから逃げられたらしかったが、どうでもよかった。

「……わたしは、悪くない……」

 だらりと拳銃を下ろし、誰にともなく呟く。
 理屈ではなかった。何もかもを否定された悔しさが、自分を受け入れてくれない残酷さが人を殺させようとしたのだ。
 こんな自分でも、生きていたかった。誰かに受け入れてもらって、家族になりたかった。
 死にたいはずが、不幸せでいたいはずがない。自分の代わりに誰かが幸せになるならまだしも、
 たったひとりで、孤独にそうなってしまうのは、耐えられないことだった。
 それだけの願いを持つことさえ許さない理不尽を、黙して受けるわけには、いかなかったのだ。
 渚はまたふらりと歩き出す。
 自分の居場所であるべき、ここではないどこかを目指して。生きていい場所を探して。
 表情をなくした顔で、古河渚は救われるために歩き続けることを選択したのだった。

395 ◆Ok1sMSayUQ:2011/08/06(土) 15:47:20 ID:JUlLmXSM0



【時間:1日目18:30ごろ】
【場所:B-3 神社近く】

棗鈴
【持ち物:不明支給品、水・食料一日分】
【状況:健康】

藤林杏
【持ち物:H&K P2000(15/16)予備弾倉(9mm)×6、水・食料一日分】
【状況:健康】

ハクオロ
【持ち物:ゲンジマルの刀、エクスカリバーMk2(0/5)、榴弾×15 焼夷弾×20 閃光弾×18 水・食料一日分】
【状況:健康】

※ミニバイクはb-2の近くに放置されています
※放送をどれだけ聞き取れたかは後続にお任せ


【時間:1日目18:30ごろ】
【場所:B-3 神社】

古河渚
【持ち物:S&W M36 "チーフス スペシャル"(0/5)、.38Spl弾×30、水・食料一日分】
【状況:頬にかすり傷、精神喪失】

396 ◆Ok1sMSayUQ:2011/08/06(土) 15:48:29 ID:JUlLmXSM0
投下終了です。遅れてしまい申し訳ありませんでした。
タイトルは『枯死』です

397喝采すべき、英傑の唄 ◆auiI.USnCE:2011/08/08(月) 02:36:13 ID:KjMBXv.20




―――さあ、喝采せよ、喝采せよ! 英傑の出陣だ! 喝采せよ!









     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇







「……んだよ、なんだ、そりゃ………」

突然流れ出した、死者を告げる放送。
それを聞いた岡崎朋也はぺたんと、情けなく地面に尻餅をついてしまう。
知り合いが死ぬと考えていない訳ではなかった。
薄情という訳ではないが、人の範疇を越える戦闘を目の前で見せつけられると、そう思ってしまうのも仕方ない。
それぐらいにこの殺し合いがやばい事はもう朋也も理解している。
だから、知り合いが死んでしまう可能性だって、解かっていた。
理解はしていたが……

「なんで、だよ」

余りにも、死んだのが多すぎる。

頭がよかったけど不思議な少女だった、一ノ瀬ことみ。
クラスメイトでそれなりに世話を焼いてくれた藤林椋。
不良の朋也にも温かく接した、宮沢有紀寧。
知り合いの優しい母親の、古河早苗。
やたら面倒を見てくれた、幸村俊夫。
そしていつもつるんでいた、春原陽平。

知り合いが6人も死んだ。
けれど朋也の胸には哀しみは少なく、むしろ苛立ちが溢れてくる。
何故苛立ちが溢れるか解からなくて、それがとても悔しくて。
ただ、感情を発散したくて、朋也は地面を蹴ってしまう。

398喝采すべき、英傑の唄 ◆auiI.USnCE:2011/08/08(月) 02:36:36 ID:KjMBXv.20

「くっそ」

感情のもやもやが心の中を支配されて。
悪態をつきたくなるが、その悪態を聞いてくれる悪友がもうこの世に居ない事を思い出して、なおイラついてしまう。
どんと思いっきり地面を殴りつけるが、何も変わらない。変わる訳が無い。
そして心に残るのは、何とも言い表せない感情でしかなかった。

「…………春原……じじい……皆」

結局、朋也は名前を呼ぶだけしか出来なくて。
がっくりと肩を落として、俯くだけだった。
哀しくない訳が無い。けれど、哀しいだけで心が埋まる訳でもない。
ただ、感情が心の中で不完全燃焼するだけだった。

「…………」

そんな朋也の様子を、琥珀色の瞳が見つめていた。
綺麗な色の瞳の持ち主の立華奏は、感情の見えない顔で朋也を見つめている。
少しだけ空を見上げて、やがて奏は口を開く。

「………………わたし達はもう死んでいるのに」

独り言のように、ぽつんと。
余りにも自然に、その一言を呟く。

「あ……?…………おい、何だよ……何なんだよ、それ!?」

けれど、朋也はその一言に強く反応し立ち上がる。
自分達が死んでいる、その一言が理解できずに。
ぎりっと拳を強く握って、奏を見る。

「……?」

奏は素っ気無く意味が解からないと言うようにちょこんと首を傾げる。
その態度に朋也は苛立ちを隠せずにいた。
『死んでいる』という言葉の本当の意味。
この場合、命が終わってる事を言うのか。
それとも、昔、誰かに言われたように、人として終わっていると言うのか。
バスケの道を絶たれ、腐っていた朋也を見て、言われた侮蔑と一緒なのだろうか。

「おい、何とか言えよ! くっそ……ちくしょう……」

沢山死んでしまった知り合い。
死んでいるという言葉。
それが朋也の心をちくちくと苛め続けて、やまない。
零れる言葉は、どうしようもない気持ちを表したようなように、諦観に溢れていた。

「……でも、きっと本当に死んだなら、満足に死んだはず……」

激情をぶつけられた奏は初めて瞳を揺らしながら、言葉を紡ぐ。
口下手な奏が精一杯出せた言葉は、奏が居る世界の常識でしかなくて。

「満足……?……満足な訳あるかよ!……こんなくそったれみたいな島で死ぬ事が満足な訳あるか!……ふざけるんじゃねえ!」

朋也の心を更に、揺さ振り、感情を昂ぶらせることしか出来なくて。
朋也は仲間が死んだ哀しみ、どうしようもない苛立ちを怒りに変えて喚き散らす事しか出なくて。
強い口調で、奏を攻め立てる。

399喝采すべき、英傑の唄 ◆auiI.USnCE:2011/08/08(月) 02:37:00 ID:KjMBXv.20

「くっそ……ちっくしょう……ふざけんじゃねえ……」

どうしようもない怒りと哀しみがごちゃごちゃしたまま、朋也は苛立ちながら地面を蹴る。
奏はどうすればいいか解からず、きょろきょろするだけ。
険悪な空気が辿り始めた時。

「……なんだ、この音!?」

ドォンと、何かが崩れるような音が響いてきた。
朋也は顔を上げ、音が聞こえてきた方向を向く。
どうしようかと思った瞬間、

「お、おい……待てよ!」

隣に居た奏は音の聞こえた方向へ、もう駆け出していた。
一人にされるのは少し不安だった朋也はそのまま、奏の背を慌てて追いかける。
そして、空を見ながら、ごちゃごちゃした感情のまま

「ありがとう……ございました……先生」


ただ、出てきたのは、恩師への感謝と。


「よお…………大分後になるだろうが……向こうにでもよろしくやろうぜ…………なあ、悪友」


悪友への、軽口だった。



それが、今、朋也にできた、精一杯の強がりの言葉だった。







     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇






「…………あ」

思わず、情けない言葉ならない声が出る。
流れてきた、放送。
死んでしまった人達。

わたし――――春原芽衣は、その放送で歩みを止めてしまった。
呼ばれたのは、木田時紀。
そして、春原陽平。

知り合ったばかりだけど、仲間だった人。
そして、大事な大事な、お兄ちゃん。

「そん……な……」

そのまま、倒れ込みそうになるのを必死に耐えて。
胃の中のものを吐きそうになるのを必死に抑えて。
黒い感情が溢れ出そうになるのを必死に我慢して。

400喝采すべき、英傑の唄 ◆auiI.USnCE:2011/08/08(月) 02:38:19 ID:KjMBXv.20


「えぐっ……」

けど、涙が滲む事はどうしようもなかった。
なんで、なんで、こんなに人が死んじゃうんだろう。
もう、いやだった。何もかも投げ出したい。

お兄ちゃん……お兄ちゃん……
わたし……もう嫌だよぉ……
帰りたいよ……お兄ちゃん……


お兄ちゃん……わたしは……


「い、いや……いやぁああああああああああああ!!!!」


その時、後ろから響く声が。
いつの間にか、離していた手に、気付き慌てて振り返ると、同行者である大人の折原志乃さんが頭を抑えて叫んでいた。
またかと思う気持ちが襲い掛かってきて、うんざりしてくるが、はっとする。
聞こえてきた名前の中に、ある一つの名前があったことを。


――――折原明乃


多分、それは、志乃さんの娘。
きっと、それは、志乃さんを怯えさせるのに充分な出来事だった。
どうしようかとわたしが迷っている内に

「いや……あぁああああああああああああ!!!」

志乃さんは、何かから逃げるように駆け出してしまった。
わたしは慌てて追いかけようとしようとするも、その一歩が出ない。

『大人』である彼女が、こんなにも可笑しくなって。
子供である私がどうしてこんなにも我慢しなくちゃ……ならないんだろう。
解かってる……こんな事考えちゃダメな事くらい。
でも、けど……疲れてしまった。

ねぇ……お兄ちゃん。


お兄ちゃんは……どうして死んでしまった……の。


わたしは……こんな島に一人で居たくないよ。
哀しいと泣きたい。
苦しいと叫びたい。
辛いと正直にいいたい。


お兄ちゃん…………嫌だよ。


一人は嫌だよ。

401喝采すべき、英傑の唄 ◆auiI.USnCE:2011/08/08(月) 02:39:01 ID:KjMBXv.20


何もかも、投げ出したい。

「うぁぁああああああああああああ!!!」

そう思って、私は叫びながら走り出す。
走った先は志乃さんと同じ方向だったけど。
きっと独りは嫌だったから。
でも、見つからなくてもいいと思った。
彼女の世話もしたくなかったから。


「うわぁあああああああああ!!」


叫んで。
叫んで。
走って。
走って。



そして。



「お、おい大丈夫か!」


どんと、身体にぶつかる衝撃。
抱きかかえられた事に気付いて、前を向くと。


「……大丈夫?」


とても、儚げで消えそうな印象の少女が、微笑んでいた。






     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇






「くそっ!」

ドンッと鈍い音が静かな街中に響く。
それは、ブロック塀に拳を強く叩きつけた音。
音を鳴らしたのは、一人の少年――――香月恭介。
流れてきた定期放送の内容で、二人の人間が呼ばれてしまったからだ。
少々悪乗りする所もあったが、悪い奴ではなかった早間友則。
そして、

402喝采すべき、英傑の唄 ◆auiI.USnCE:2011/08/08(月) 02:39:26 ID:KjMBXv.20

「……明乃」

とっても、トロい子だった。
早く見つけてやらないといけなかった。
大切な幼馴染だった。

全員護ると誓ったのに。


「………………くそっ!」

結局、護れなかった。
心の中で自責と哀しみと怒りがごちゃ混ぜになっている。
けれど、恭介はそれを表に出す事なんてしなかった。
出来なかった理由がある。

「…………大丈夫?」

隣で、雪がそっと解けるような囁き声が聞こえる。
其方を向くと、哀しそうな表情の同行者、須磨寺雪緒が居た。
此方を覗き込むような瞳が恭介をじっと見つめている。

「ああ、大丈夫だ」

だから、恭介は強がって大丈夫だと言う。
そうだ、彼女の前で哀しんでなんかいられない。
死のうとした彼女を救う為には、強くなければならないから。
哀しみを見せて、苦しみを見せて、彼女を死に向かわせてならない。
そう、思ったから。だから恭介はあえて強がって見せる。

「そういうお前は……」
「ええ、二人……仲良く兄と妹揃ってね」

皮肉ねと、笑って雪緒は言うが、とても哀しそうに見えた。
自分の生を終わらそうとしていた雪緒。
でも、それでも、やはり知り合いの死は、辛いものなのだろうか。
感情を見せずに、儚い表情だけ浮かべてる彼女。
恭介にとって見れば、それはポーズでしかなく、雪緒は普通の少女でしかなかった。

「そうか」
「ええ」

でも、それを指摘する事はなかった。
言葉にしては、きっと伝わらない。
彼女が抱えてるかもしれない哀しみを癒す事なぞできない。
だから、

「……あっ」

何も言わずに、恭介は彼女の手を握った。
粉雪が静かに解けていきそうな、温かさだった。
彼女の為でもあり、自分の為でもあって。

「……そうね」

その一言だけいって、彼女は握り返した。
大切な友人を失った恭介へ、温かさのお返し。

大きい哀しみとほんの小さな温もりの共有だった。

403喝采すべき、英傑の唄 ◆auiI.USnCE:2011/08/08(月) 02:39:46 ID:KjMBXv.20


そんな、細雪が舞うような静けさが暫く続いて。



「いやぁあああああああああああ!!!!」


静寂をぶち破るように、女の金切り声が響く。
恭介は手を繋いだまま、その方向を向くと。

「し、志乃さん!?」

彼にとって機知の想像もしない乱れた姿。
狂うように叫びながら、走ってくる彼女を、恭介は捕まる。

「し、志乃さん……大丈夫か?」
「あぁぁあ…………恭……介くん?」

志乃が、縋るような目で恭介を見て。
何があったんだと聴こうとした瞬間


「うわぁあああああああああ!!」

続いて響く、少女の叫び声。
今度は誰だと思って恭介は慌てて振り向くと。
少女が前も見ず、ただ走っていた。

「お、おい大丈夫か!」

恭介は、声をかけるが、止まる気配も無い。
それ以前に気付いているかも怪しい。
闇雲に走って、その先には雪緒が居て。
注意するまもなく、少女は、雪緒にぶつかってしまう。


「……大丈夫?」

けれど、雪緒は痛がるそぶりも見せず、とても優しく抱きかかえて。
微笑みながら優しい言葉を、小さくかける。
少女は雪緒に気付いて、その顔を見て。

「……あ、あ……あぅぅうう……あぅうぅう」

そして、静かに泣き始めた。
まるで母親に抱きついてなく子供のように。
雪緒は何も言わず、そっと抱きしめたままだった。


恭介は、その時、感じた。


こんな光景こそ、美しいものじゃないかと。


そう、感じたから。







     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

404喝采すべき、英傑の唄 ◆auiI.USnCE:2011/08/08(月) 02:40:45 ID:KjMBXv.20








香月恭介は、錯乱しかけた志乃と少女――春原芽衣を落ち着かせようと思い、彼女達を近くの民家に移させた。
幸い、雪緒に芽衣が信頼し、志乃は恭介自身と知り合いだったのもあり、直ぐに信頼してくれたのだ。
衰弱や錯乱が激しい志乃を一旦ベッドで休ませ、リビングに集まったのは三人。

「そうか……大変だったな」
「……はい」

恭介のねぎらいの言葉に、芽衣がほっとしたように頷く。
芽衣は少し落ち着いたのか、民家においてあったお茶をすすっていた。
最も、彼女が体験した事はとても辛い出来事で。今でも物音にびくっと身体を揺らす事がある。

「しかしバジリスク号がなんで此処に……?」

一方、恭介は芽衣から事情を聞きだして、ある程度の事は理解できた。
けれど、彼が乗っていた船までこんな島にあるとは思わなかった。
電気関係が少し可笑しくなってるらしいが、不思議でならない。
船で脱出できるとは思わないが、こんな船を持ってきた意図が本当に不明だ。

それに、志乃の状態だってそうだ。
芽衣が恥ずかしがりながら説明した事によると、本当に悲惨な状況だったらしい。
誰がやったかはわからないが……恐らく岸田だろうと恭介は考える。
そういう危ない奴だと、はんば確信していたから。
あの志乃がまさかこんなに錯乱してると思わなかったが。
明乃が死んだ事で更に錯乱してしまったのだろう。
やりきれないなと溜め息をつくも、溜め息をついたところで何も変わりはしないのだ。
だから、恭介は次に気になっている事を聞く。

「それで来ヶ谷唯湖……だったな?」
「はい……何の躊躇いも無く殺して……ぞっとする瞳でした」
「…………確か凄く聡明な人と言ってたわよね?」
「はい……凄く頭が切れて……恐ろしかったです」

そして、一時とはいえ、平穏を保っていた芽衣達。
その平穏を奪ったのが、長い黒髪の女、来ヶ谷唯湖と言った。
凄まじく鋭く、人とは思えないような女。
そいつが、芽衣の仲間のことみを殺したらしい。
容赦なく人間を殺す少女、充分警戒に値するだろう。
そして

「多分、木田さんもあの人に…………」
「…………そう…………馬鹿ね……木田君も……」

雪緒の知り合いだった時紀。
彼も恐らく唯湖に殺されたのだろう。
状況的に時紀が芽衣達を逃がして囮になったのだから当然だろう。
無鉄砲なのか、馬鹿なのか解からないが、悪い奴ではなかったらしい。
雪緒は懐かしむように、言葉を紡いだその姿は哀しそうだった。

405喝采すべき、英傑の唄 ◆auiI.USnCE:2011/08/08(月) 02:41:02 ID:KjMBXv.20
「須磨寺さん……」
「貴方が気にする事ではないわ」

逃げてきた事に負い目があるのか、芽衣はすまなさそうに雪緒を見つめる。
けれど、雪緒は優しく彼女に声をかける。

「怖かったでしょう……?」
「はい……」
「……だから、いいのよ……きっと」

そっと芽衣の頭を雪緒は撫でる。
優しく、出来るだけ優しく。
何故、雪緒がそんな気持ちになったのかは解からない。

けど、その雪緒の思いやりが、今。


春原芽衣の傷ついた心を優しさで包み。


平穏で温かいモノに溢れ、やすらがせている。


そう確信できる温かく、やすらげる光景を。


須磨寺雪緒が作り出していたのだ。






     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

406喝采すべき、英傑の唄 ◆auiI.USnCE:2011/08/08(月) 02:41:25 ID:KjMBXv.20







「………………」

静かな街の中を、三人組がこれまた静かに歩いていた。
先程まで街中の診療所を騒がしていたのだが、流れてきた放送で途端に押し黙ってしまった。
それは、三人の知り合いが呼ばれていたから。
放送が終わった後、診療所に居続けるのが辛くなってしまって、三人纏めて外に出た。
休憩なんかしてられない、そう思って。

「あはは……冗談がきついですヨ……」

空元気で言葉を発するのは、三枝葉留佳。
井ノ原真人という友人を失って、それを笑い飛ばす事は流石に出来やしなかった。
筋肉、筋肉言っていたあのバカが簡単に死んでしまうなど思いたくない。
けど、本当に死んでしまったのだろう。それが何となく解かってしまう。
だから、気軽な言葉を発する事が出来ない。


「このこの……皆」

しょんぼりと肩を落として、歩くのはシルファ。
柚原このみ、向坂雄二。他にも貴明や珊瑚を通して知り合った人達。
どの人もシルファにとって大切で。
ただ、悔しくて、哀しくて。
一人で、落ち込むしかなかった。


「………………」

そして、ただ押し黙るだけだったのが音無結弦。
沢山の仲間が死んだ。
ユイ、高松、竹山、大山、松下、ひさ子。
しかし、彼女達は本当に死んだのか。
いや、死んだはずだこの世界では。
でも、それも確証が持てない。
どうなのかが、はっきりしない。
そう、自問自答しながら、音無はただ歩く。

けど、今はそんな事はどうでもいい。
ぐちゃぐちゃな心が、ぐちゃぐちゃなままだ。
結局自分自身は無で空虚でしかない。
それを、突きつけられて、結局結論もでないまま、歩いていた。
こういう時、シルファ達が黙っていて助かった。
どんな顔すればいいか音無にも解からないから。


解からないまま、歩いて。
どうすればいいか、答えも出ず。


ただ、歩いて、歩いて。
それで答えが出ればいい、なんて甘い事を考えて。
でも、何も解からなくて。



歩いて、歩いて、その時。

407喝采すべき、英傑の唄 ◆auiI.USnCE:2011/08/08(月) 02:42:25 ID:KjMBXv.20




「――――はっ?」


真っ直ぐ、矢のように、飛んでくるモノ。


長く太い、コンクリートの柱。


そう。


電信柱が、貫くように、音無たちに向かって来る。


「ぴぎゃー!?」

何が、わからないまま、音無たち三人は横に飛び退いて、避ける。
間一髪、大丈夫だったが、何が起こったか、よく解からなかった。
三人が、前を向いた瞬間


「はっ……?」


空から、落下してくる、電信柱が二つ。
音無たちを貫こうと向かって来る、電信柱が二つ。


計4本の電信柱が、弾幕のように、降り注いできて。


ズンと、鈍い地鳴りのような音が、街中に響き続いていた。







     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

408喝采すべき、英傑の唄 ◆auiI.USnCE:2011/08/08(月) 02:44:00 ID:KjMBXv.20






「さて、見慣れない街ですが、こういう柱は投げるに限りますわ」

そう言って、獣の耳と尻尾を持つ女は可憐に笑う。
そう、ありえない膂力で、電信柱を投擲したのは彼女。
ギリアギナの剣奴、カルラだった。

殺すべき敵を発見した彼女は、まず街中にあるものを利用した。
隙を突く為に、まずは投擲から。
幸い、投げる物は沢山あった。
鉄の塊などなどあったが、一番都合のいい物がある。
それはカルラにとって硬い石のような柱が乱立していたからだ。
少し力を入れれば簡単に折れた。
だから、それを殺すべき相手に、投擲した。
それだけ。それだけの規格外の事をしただけだった。

「……し、死ぬかと思った」
「……おや、まだ生きてるようですわね……意外ですけれども、別に構いませんわ」

どうやら、まだ生きていた。
少年達はあの弾幕を脇の路地に入って回避したらしい。
瞬時にその判断が出来たのは賞賛すべきだろう。
けど、別にやる事は変わらない。

「ちょっと、お前なに……」
「殺そうとしてるだけですけれども?」

音無達何かを言いかける合間に、細い鉄の棒に何か丸い物がついたものを投げる。
それは道路標識で、素早く矢の様に向かっていくがそれも、避けられる。
投げる物が大きいから、避け易いようだった。


「くっそ……なら、手加減をしない!」

そう、言って音無は銃を構える。
助けるとか初音の意志とか、今はどうでもいい。
そんな事を考えていたら、自分が死んでしまう。
だから、今は生き残る事だけを考えろ。
自己のことを見つめなおすなら、戦闘の後だと思いながら。

「おや……鉄の塊を撃ち出す道具…………当たったら死にますわね」

そして、銃を撃つが、心の乱れのせいか、あらぬ所にいってしまう。
カルラは見慣れぬ道具に驚きながらも、平然としていて。
音無が今度は狙いをつけて再度、銃を撃つ。

409喝采すべき、英傑の唄 ◆auiI.USnCE:2011/08/08(月) 02:44:48 ID:KjMBXv.20

「……が、」

カルラは向かってくる鉄の弾。
今度は、カルラの胸に一直線に向かっていく。
しかし、カルラは余裕を保ったまま、

「当たらなければどうともないですわ」

強く地面を蹴った。
そして、砕け地面に舞うコンクリート。
そのコンクリートの壁に銃弾は防がれてしまう。

「……んな、アホな」
「……有り得ないれす」
「……凄いしか言えませんな」

音無と、シルファ、葉留佳は唖然としたまま、カルラは見つめる。
常識外、規格外、予想外。
それしか言葉が浮かばなかった。
カルラはにっこり笑って

「終わりですわね? じゃあこちらから、いかせてもらいますわよ」

そして、彼女に背後においてあった鉄の塊―――バイクを片手に一台ずつ持って。

笑って。


「死ぬ気で避けてくださいな」


バイクを、音無に向かって、軽々と投げつけた。




  ◇ ◇ ◇ 



「避けろっ!」

音無の合図で派手に、横飛びする三人。
そして、その合図と共に、ドンと地面にバイクが叩きつけられる音が響く。
またしても奇跡的に、三人は避ける事が出来た。

410喝采すべき、英傑の唄 ◆auiI.USnCE:2011/08/08(月) 02:46:15 ID:KjMBXv.20

「あぐっ……」

だが、完全に避けられた訳ではなかった。
戦闘慣れしている音無。
メイドロボで基礎能力が高いシルファ。
この二人は難なく避けられたが、もう一人はそうはいかない。

「足……挫いた……いたい」

三枝葉留佳。
ただの女子高生でしかない、彼女は避ける瞬間に足を挫いてしまった。
そのせいで、避けた場所から、動く事が出来ない。

そんな決定的な隙を――――カルラが逃す訳がない。


「あ……」


向かってくるのは、ただの石。
けれど、カルラの膂力で投げられた石はそれだけで、肉体を貫く威力がある。
まるで、それは鉄砲と同じ威力だろう。

そんな、威力の石が、恐るべき速度で、葉留佳の顔を貫こうとして向かって来る。

「……っ」

葉留佳が目を閉じ、死を覚悟した瞬間、



「れぁあぁああああああああああああああああ!!!」


聞こえてくる舌足らずの声の、裂帛の気合。
驚いて、葉留佳は目を開けると、其処に立つのは一人の少女。

鮮やかな黄色の髪を揺らして。
血のように、真紅の剣を両手で持って。

「らいじょうぶれすか! はるはるっ!」

剣で横を薙いで石を弾き飛ばした、シルファが其処に立っていた。
そう、葉留佳を庇ったのだ、シルファは。
葉留佳からみたシルファの表情は引き締っていて、とても頼もしくみえて。

「これから、はるはるを庇います。れすから、音無さんは援護してくらさい!」
「わ、解かった!」

その掛け声と共に、音無は拳銃で、カルラを狙う。
カルラはその音無の動きを察して、音無に向かって石を投擲する。

「やらせないれすっ!」

しかし、シルファのメイドロボ故の超反応で、剣で石を弾き返す。
今度向かって来る石は、葉留佳に。
それも、シルファは弾き返して。

「護ります、私が皆を護るんれす!」

その攻防が何度か続いて。
シルファは護り続けて。


そして――――




  ◇ ◇ ◇

411喝采すべき、英傑の唄 ◆auiI.USnCE:2011/08/08(月) 02:47:01 ID:KjMBXv.20




「あぁ……愉しいですわ」


手持ちの石は尽きた。
全部あの金色の髪の少女に弾き返された。
手加減をして投げたから、予想はしていたが。

でも愉しい。
あの少女は、味方を庇いながら戦っている。
恐らく、あの子の中にある矜持に従って。

なら、ならば、カルラはがやる事は一つ。


全ての罪人に断罪を与える剣を掲げ。


そのまま、少女に向かって駆け出していく。


「はぁ!」
「ぴぎゃ!」

気合を入れた横薙ぎ。
それも、少女に、弾かれる。
単なる挨拶代わりだから、別にいい。

近距離で、自らの膂力で、剣戟にて戦う。

これこそが、カルラの誇り。

さあ、戦おう。


そして、聞け!


カルラの矜持を!


喝采せよ!


英傑の出陣だ!

412喝采すべき、英傑の唄 ◆auiI.USnCE:2011/08/08(月) 02:47:21 ID:KjMBXv.20



「我は、カルラ! カルラゥアツゥレイ!
 元はギリアギナのナクァン!
 今はトゥスクルのハクオロ皇に仕えし、臣下である!
 ウィツアルミネティアの契約により、この身全て、血の一滴、髪の一つまで、主の物なり!
 我がやるべき事は唯一つ!
 主が為に戦い、礼を尽くし、忠を尽くし、武の極みをこの戦場に示す事!
 最強のトゥスクルのカルラの名を、この地に轟かす事なり!
 一歩たりとも、退く気はあらず! ただ、主の為に戦うのみ!
 さあ、見知らぬ戦士達よ! 名もない英雄達よ! 
 このカルラに敵うというならば、かかってこい!
 そして、我に打ち勝ち、武と名を轟かせ!
 我は退かず、主の為に忠義と武を尽くす!
 故に、戦場に残るは汝らの屍のみよ!  
 それでも、我と戦うと言うのなら!
 さあ、恐れを知らぬ、戦士達よ!
 
 ――――トゥスクルのカルラは、此処に在り!」


その名乗りは、正しく英傑の名乗り。
大気を震わせ、大地を震わせ、人の心をも震わせる。
なればこそ、名乗りを聞きし者達よ。
今一度言おう!
喝采せよ、喝采せよ! 喝采せよッ!! 



――――英傑の宣戦布告は、街中に響き、そして、ただ、喝采されるべきなのだッ!






  ◇ ◇ ◇

413喝采すべき、英傑の唄 ◆auiI.USnCE:2011/08/08(月) 02:48:15 ID:KjMBXv.20




「さあ、そこの可愛い貴方。貴方は何故戦うのでして? 足手纏いを護りながら戦う、その理由。貴方の矜持を聞かせなさい!」



英傑は、ただ、笑い、少女の戦う理由と、矜持を問う。

少女もまた、毅然としながら、舌足らずな口調で語るのみ。


「決まっているれす! おもいらしたらけなんれす!
 私はメイドロボれす! 大切な人達を、弱い人間を護るのが、私達の役目なのれす! 
 其処に理由なんてないんれす! いらないんれす!
 大切な人たちを失って、おもったんれす!
 もう、失うのはこりごりれす! 私は持てる力を護るべき人たちの全てのために使うんです!
 わたしは、メイドロボらから! らから!
 もう、哀しい思いはしたくないから!

 ――――私はメイドロボとして、大切な人を、人間全てを、護るんれす!」



それこそ、メイドロボの矜持。
そして、シルファの誇りだった。




「ならば、その矜持と信念……カルラにぶつけなさい!」
「当然れす! シルファは負けません!」



そして、忠義を尽くすモノ同士が、衝突する。


互いの譲らぬ信念と、大切な人の為に。
 







     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

414喝采すべき、英傑の唄 ◆auiI.USnCE:2011/08/08(月) 02:49:15 ID:KjMBXv.20





「……銃声?」

時は少し遡って、民家にて、休憩を取っていた恭介達。
安らいでいた彼らの耳に届いたのは、何度も続く銃声だった。
命を狩る音が、響き続けていて。

「近いな……どうする?」

恭介は仲間達を一瞥して、少し迷う仕草をする。
現状、三人の女性を抱えて、戦場に向かうのは自殺行為でしかない。
けれど、もし其処に仲間や雪緒達の知り合いが居た場合の事を考えるなら、安易な撤退を選ぶことは出来ない。
どちらの選択もメリットとデメリットがあり、恭介が選択に迷っていると

「あぁ……あぁあああぁあああああああああ!?!?」
「し、志乃さん!?」

突然ベッドから飛び起き、出口に駆けて行く志乃の姿が見えた。
何事かと恭介は唖然とするも、原因を直ぐ理解する事は出来た。
それは、

「ちっ……銃か……」

恐らく聞こえてきた銃声が、スイッチだろうと恭介は推測する。
一ノ瀬ことみを目の前で殺されたそのショックがフラッシュバックしたのだろう。
参ったなと思いつつも、見捨てる事は出来ない。する事なんか絶対にない。

「……皆、志乃さんを追うぞ!」

恭介は二人の少女に、そう声をかける。
雪緒は無感情のまま頷き、芽衣は怯えながらも頷いてくれた。
そのことにあり難い気持ちになりながら、恭介は駆け出す。
そして、

『我は、カルラ! カルラゥアツゥレイ!』

外に出た恭介達に、聞こえるカルラの名乗り。
その内容は、つまり宣戦布告。
相当自信あるような名乗りだが、街に響く倒壊音が彼女が強者である事を証明しているようだった。
そして、視界に移る志乃は恐らく戦場の方に向かっている。
状況は最悪だなと思いながら、恭介は志乃を追いかけていく。

そして、志乃が、路地に入り込もうとした瞬間

「きゃあ!?」
「おっと」

415喝采すべき、英傑の唄 ◆auiI.USnCE:2011/08/08(月) 02:49:46 ID:KjMBXv.20

長身の男の同じく飛び出してきた。
志乃はそのままぶつかり、尻餅をついて呆然としている。
その男が参ったなと頭を掻いてる素振りをしている時、恭介達は追いついて

「あ、芳野さん!」
「…………ああ、あの時の野球の子か」
「知り合いか?」
「はい! 憧れの人です」

芽衣が、男に向かって喜びの声を上げる。
男――芳野祐介は芽衣を驚いた風に、見つめていた。
ちょっとした縁で知り合っただけの仲なのだが、祐介は芽衣に懐かれていたのだ。

「俺も銃声や、あの女の声を聞いてきたんだ。そしたら女の人が飛び込んできてな」
「俺達は志乃さんを追って此処まで来たんです」
「そうか」

事情を説明する芳野に、恭介は笑顔で答える。
芽衣が懐いてる段階で悪い人ではないだろうと踏んで。
事実、芳野は笑顔で答えて、いい人そうに見えたのだ。

「俺は芳野祐介だが……お前は?」
「香月恭介、その人が折原志乃さんです」
「……須磨寺雪緒よ」
「……!……そうか、お前が……」

恭介の名乗りに吉野は納得したように頷き続け、恭介の方を見続けている。
恭介は俺の事を知ってるのかと訊ねようとしたその時


『――さあ、宴は始まったばかり。やがて、のぼり来る美しい月を肴に、宴を続けましょう!』


カルラと名乗った少女の、宣言が街中に響いてくる。
振り向けば、カルラと言う女の戦闘も視認できそうな距離になっている。
宴の継続という内容なのだろうが、その宣言をした意味が解からない。
なんだろうと芳野に尋ねようとした瞬間


「ああ――――因果なものだな」


芳野は、無表情のまま、ただ、銃口を、折原志乃に向けていた。






     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

416喝采すべき、英傑の唄 ◆auiI.USnCE:2011/08/08(月) 02:50:09 ID:KjMBXv.20





折原志乃は呆然と、その光景を見ていた。
まるで他人事のように。
ただ、怖くて男の人とぶつかった時から、動けなかった。
やる事が自分にあるのに、ずっと怖かった。
ただ、何も動けず。
大人の責務も果たせず。

「母親と娘……両方揃って殺す事になるなんて……な」

目の前の男が明乃を殺した事に、大きく目を見開いて。
何か、罵倒を言おうかと思って。


「い…………いや……いやぁああああ!!!」


結局、恐怖に悲鳴しか出なかった事に絶望しながら。


ただ、恐怖に怯え続けていた折原志乃は


――――パァン。



最後に娘を想う事も出来ずに、怯えながら退場した。



折原志乃
【状況:死亡】






     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

417喝采すべき、英傑の唄 ◆auiI.USnCE:2011/08/08(月) 02:51:06 ID:KjMBXv.20






「芳野さん……どうして……夢や希望を歌った芳野さんが……どうして?」


芽衣が、唖然としながら芳野を見る。
芳野は表情を出さずに、言い放つ。

「もう、夢も、希望も、歌わない」

何も、ない。
そう、言うように。

「だから、俺は、殺す……他人の為ではなく、自分の為に」

もう、後悔なんて、しないのだから。
だから、芳野祐介は、笑う。


「折原明乃を、殺したのは、俺だ、香月恭介」


恭介の驚く顔が見え、やがて、激怒する表情に変わった。


ああ、それでいい。


芳野祐介は、泣きそうになりながら笑い、銃を向け



「あの子の最後の様子を聞きたいか?」



それでも、芳野祐介は殺していく。







     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

418喝采すべき、英傑の唄 ◆auiI.USnCE:2011/08/08(月) 02:51:53 ID:KjMBXv.20






(上手くいきましたわね)

背後から聞こえてくる銃声で、作戦の成功をカルラは知る。
この後芳野が生き残るかは、正直カルラにも解からない。
けれど、この程度で生き残らなければカルラの傍に居るに値しない。
いわば、この戦いは芳野の第二の試金石でもあるのだから。

そもそも、音無達も、恭介達も、カルラ達は発見していた。
各個撃破しようという、芳野の提案をカルラが一蹴しただけ。
だって

(つまらないし、華がありませんの)

そう言った時の芳野の間の抜けた顔が忘れられない。
思い出し笑いをしながら、カルラは目の前のシルファを一度弾き飛ばす。

カルラは、そろそろ腕鳴らしに本格的に暴れたかったのだ。
自分と言う存在を示しつけるためにもとりあえず派手に立ち回る。
その立ち回りに、誘蛾灯の如く集まってきた獲物を芳野に誘導してもらう。
集まったのを感じたら自分が合図をするから、その時芳野も牙をむいて戦え。

それが、カルラの作戦だった。

結果、発見した両方ともが入り乱れての乱戦になっている。
これは、これで楽しいし、成功したといえるだろう。

(とはいえ……少々歯ごたえがないですわね)

目の前のシルファは非常に頑張っている。
とはいえ、勝てない相手ではない。
むしろ、本気を出せれば、余裕で殺せる。

419喝采すべき、英傑の唄 ◆auiI.USnCE:2011/08/08(月) 02:52:17 ID:KjMBXv.20

なのに、それをしないのは、もう一組来ないだろうかという期待だった。


だが、もう、来ないだろうとカルラは結論付けて


「はあっ!」

戦場を駆け抜け、命を狩ろうとする。
まず対象は、援護射撃をちくちくしていた卑怯な男。
一瞬で間合いを詰めて

「しまった!?」


断罪の剣を振り下ろそうとした、その瞬間




「――ガードスキル」


割り込んだ、白銀の少女。


琥珀色の瞳をもった、彼女は、まるで



「――――handsonic!」



命を護る天使のようだった。


カルラの剣を弾き、光る剣を頭上にかざすのは、


「奏……?」
「お待たせ」


音無が、天使と称した少女――立華奏だった。

奏は、音無に柔らかく笑い、そしてカルラを睨む。



弾かれた、カルラは、笑い、そして。



「ふふっ……ようやっと面白くなってきましたわ!」



最後の踊り手の参加を持って、戦いの宴は酣を迎えるのだった。

420喝采すべき、英傑の唄 ◆auiI.USnCE:2011/08/08(月) 02:52:47 ID:KjMBXv.20




【時間:1日目午後7時00分ごろ】
【場所:F-7】


 音無結弦
 【持ち物:コルトパイソン(1/6)、予備弾85、水・食料一日分】
 【状況:疲労小】



 三枝葉留佳
 【持ち物:89式5.56mm小銃(20/20)、予備弾倉×6、水・食料一日分】
 【状況:右足捻挫】


 シルファ
 【持ち物:エドラム、水・食料一日分】
 【状況:健康】


 岡崎朋也
 【持ち物:日本刀、水・食料一日分】
 【状況:負傷(切り傷・治療済)】

 立華奏
 【持ち物:不明、水・食料一日分】
 【状況:左肩口負傷(再生治癒中)】


 カルラ
 【持ち物:エグゼキューショナーズソード、酒、水・食料二日分】
 【状況:健康】


 芳野祐介
 【持ち物:ベレッタM92(残弾9/15)、トランプ(巾着袋つき)、水・食料2日分】
 【状況:健康】


 香月恭介
 【持ち物:ハリセン+鼻メガネ、火炎瓶×3、硫酸ビン×2、マッチ、水・食料一日分】
 【状況:健康】


 須磨寺雪緒
 【持ち物:不明支給品、水・食料一日分】
 【状況:健康】


春原芽衣
【持ち物:DX星杖おしゃべりRH、水・食料一日分】
【状況:健康】

※折原志乃の支給品(不明支給品、水・食料一日分)志乃の死体の傍にあります。

421喝采すべき、英傑の唄 ◆auiI.USnCE:2011/08/08(月) 02:54:10 ID:KjMBXv.20
投下終了しました。
このたびは遅れて申し訳ありません。
何かありましたら、よろしくお願いします。

422揺れる少女の天秤 ◆R34CFZRESM:2011/08/08(月) 05:24:00 ID:fPoUcH5M0
 
「ねえ、ちょっと聞きたいんだけど」
「はい?」
「今何時だと思う?」
「さあ……正確にはわかりませんけど……」

 沙耶の唐突な問いに優季は空を見上げる。うっそうと繁った木々の間からは赤紫の空が見えていた。
 もうすぐ日没が近づいているはずなのだが、時計を持っていないため正確な時間は分からなかった。
 優季は思う、そもそも今は一体何月なのだろうか?
 着ている服は学校の冬服。そして沙耶の服装もおそらく冬服だろう。
 それでいて暑くもなく寒くもないといった気温。おそらく春か秋……なのだろう。
 植物に詳しければ周囲の植生からおおまかな月を推測できるかもしれないが、優季にそこまで専門的な知識は持ち合わせていなかった。

「もうすぐ日没みたいですから……たぶん五時か六時ぐらいじゃないでしょうか?」
「でしょうね。つまり、これってどういうことかわかるかしら?」

 優季は「はぁ……?」と小首をかしげる。
 いまいち沙耶の言ってることがよく分からない。

「あたしたち日の高い時間からずっと森で迷いっぱなしなのよっ!」 
「えっ? 朱鷺戸さんは街までの道を知っていたんじゃあ……」

 優季はずっと沙耶の後ろをついて歩くだけでそんなことまでは考えてもいなかった。
 単に沙耶の「こっちよ」「この道は危険だわ。あちらを通りましょう」という声に導かれるまま歩いていたのだから、現在進行形で道に迷い続けているとは思いもしなかったのである。

「ああそうよ、NASTY BOYほどじゃなくても凄腕のスパイが森の中で迷ったのよ! さも森の全てを把握してるように道案内していてその実、
 あれっ道に迷っちゃった。この木さっき通ったときに見たわよ? やべっもう夕方じゃんと内心ヒヤヒヤしながら歩いていたのよ!
 森で迷子になったスパイの惨めな姿をあざ笑うがいいわ! 滑稽でしょっ、哀れでしょっ、自称凄腕スパイ(笑)でしょっ!
 ほら笑うがいいわ、笑いなさいよ、笑えばいいじゃない。ほらあーっはっはっは!って笑えよベジータぁぁっ!」

 涙目になって本日二回目の自虐パフォーマンスを披露する沙耶。
 どうもこの少女、頼りに見えそうでいて肝心なところが抜けているようだ。

「おっ落ち着いて朱鷺戸さん。そ、そこまで思っていませんから……」
「ボドドドゥドオー」
「ひっ」

423揺れる少女の天秤 ◆R34CFZRESM:2011/08/08(月) 05:25:04 ID:fPoUcH5M0
 
 突然奇声を発する沙耶。涙目になりたいのは優季のほうだった。
 ただでさえ色々と抜けているうえに躁病的な気質なため、大人しい性格の優季にとって相手をするのは非常に疲れるのである。
 唯一救いなのは、悪人ではなさそうなことぐらいだった。

「ど、どうかしたんです――」
「ボドドドゥドオー」
「ひっ」
「ああ、ボドドドゥドオーというのはね。思春期の女の子が後悔と悲哀の意味を込めたラブリーワードのことよ。ボドドドゥドオー」
「…………」
「えぇっ嘘よ。嘘に決まっているわ! 思わず可愛い女の子がボドドドゥドオーなんて千年の恋も冷めるような意味不明ワードを呟いてしまったことを、
 誤魔化すためにとっさに吐いた嘘に決まってるじゃない! バカみたよいね、アホの極みよね、可愛い女の子(笑)よね! 笑いなさいよ。笑えばいいじゃない
 ほらボドドドゥドオー!――ってボドドドゥドオーちゃうわっ!」

 本日三回目の自虐パフォーマンス。
 今度は一人ツッコミの中にボケを混ぜ、さらに一人ツッコミを入れるという高度な技だった。
 もうやだこの人。会って数時間にして優季は一緒に行動することを後悔し始めていた。

「ちょっとあんた! 今あたしのこと変な女って思ったでしょ」
「い、いえ決してそんなことは……」
「いーえ、その目は確かにあたしのこと『やだ……なんて電波ゆんゆんな人……』と思ってるでしょっ。そうよあたしはエキセントリックな女よ!
 エ〜キセントリック、エ〜キセントリック、エ〜キセントリック少年ボウイ〜♪って少年ちゃうわっ! あたしは少女だっつーの」

 ツッコむところはそこかよと頭を抱える優季。
 この沙耶という少女、スパイよりもピン芸人としてやっていくほうがよほど大成しそうだった。
 このままだと延々と一人漫才を聞かされる羽目になる。
 何か話題を変えるものはないだろうか……薄暗くなり始めた森を見渡してみると――

(あっ、あれって……)

 木々の切れ目から灰色の地面が見えていた。間違いないアスファルトで舗装された道路だ。
 なんだかんだ言って優季たちはほぼ森を抜けかけていたのである。

「あの、朱鷺戸さん」
「なによ」
「ほら、あれ……道路ですよっ」
「ええっ? どれどれ……うおっマジで道路じゃん! イヤッッホォォォオオォオウ草壁最高ー!!」

424揺れる少女の天秤 ◆R34CFZRESM:2011/08/08(月) 05:27:22 ID:fPoUcH5M0
 
 まるで子どものように大はしゃぎする沙耶だった。
 最高潮のテンションに達した沙耶は「さあ! 完全に夜になる前にこの斜面を下るわよっ」と勇み足で坂を駆け下りようとして――


 ずるっ。


「え゛っ!?」
「朱鷺戸さん!?」
「びゃぁぁぁぁぁぁぁぁあ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁぁぁぁーーーーーー!」

 当然足場の悪い斜面を無理に駆け下りようとした沙耶は足を滑らせて一気に転がり落ちていった。




 ■
 
 


「あの〜……生きてますか」
「…………」
 
 坂を転がり落ちて行った沙耶はそのまま森を抜けアスファルトの道路の上でうつ伏せで倒れていた。
 その姿はまるで車に轢かれたヒキガエルのようで、年頃の少女がとってあまりにも恥ずかしい姿だった。
 ときおりぴくぴくと痙攣してるので一応生きてはいるらしい。
 そんな彼女を優季はつんつんと指で突いていた。

「大、丈夫……よ、この程度でこの、あたしが……死ぬもんか」

 沙耶はゾンビのようにむくりと起き上がる。
 黒い制服は転んだ時に木の枝に引っかけてあちこちがボロボロで、擦り傷を負った手足も痛々しいが命に別状は無さそうだった。

425揺れる少女の天秤 ◆R34CFZRESM:2011/08/08(月) 05:28:48 ID:fPoUcH5M0
 
「つーかあたし何回も死んだことあるし」
「えぇっ?」
「トラップに引っかかって溺死したり、毒ガスで死んだこともあるし……ああ、首を刎ねられたこともあったわ。個人的に一番グロい死に方したのは
 網目状のレーザーにサイコロステーキにされた時ね。痛いと感じる間もなく全身をバラバラにされるのは快感……いえ恐怖だったわ。ヘイ、トラップカモーーーン!」
「冗談……ですよね?」
「ま、信じてもらおうとも思ってないし」

 沙耶はそっけない口調で言うと服に付いた埃を払い落とした。

「怪我、大丈夫ですか?」
「大丈夫よこんなの。唾つけときゃ勝手に治るわ。それよりやっと森を抜けられたんだから街を探索しましょ」

 すたすたと歩き出す沙耶。その後ろに慌てて優季はついてくる。
 赤紫色の空はさらに日が落ちて青紫色に変わろうとしている。
 その時だった。静寂に包まれた街に男の声が響き渡った。
 
 厳かな雰囲気を持った男の声は淡々と誰かの名前を読み上げていく。
 それはこの島で命を落とした者の名。
 かつて平凡で平和な日常を過ごしてした者達の名。

 優季は静かにその名前に耳を傾ける。
 その中には見知った名前があった。
 同じ学校の生徒の名。
 特別親しい間柄でもなかったが、それでも自分の日常の中にいる人間の死というものを信じたくはなかった。
 一方沙耶は「ちっ」と忌々しげに舌打ちして優季を見た。

「その様子、誰か知ってる人でも死んだかしら?」
「いえ……私の直接の知り合いは――」
「そう」

 黙りこくる二人。さっきまでずっとハイテンションだった沙耶も今は静かだった。
 二人は無言のまま幅広い川に架けられた橋を渡ろうとした時、前を歩いていた沙耶が唐突に足を止めた。

「わっ、なんですか」

 危うく沙耶の背中にぶつかりそうになる優季。
 沙耶は橋の袂に広がる河原の一点を凝視していた。

426揺れる少女の天秤 ◆R34CFZRESM:2011/08/08(月) 05:29:48 ID:fPoUcH5M0
 
「誰か倒れているわ……!」
「えっ」

 夜の帳が訪れた河原にわずかに倒れている人らしきシルエットが見える。
 性別までは分からないが確かに人が倒れているようだった。
 優季がそれを見つけたのを確認した沙耶は「行くわよ、もしかしたらまだ生きてるかもしれない。可能性は薄そうだけど」と言って河原に下りて行った。


「うっ……」

 河原へ下りた優季はそれの惨状に思わず嘔吐感を覚え口を押さえた。
 それぐらい初めて見た死体の状態が酷かったからだった。

 手足が千切れられた半裸の男の死体。
 手足が無いというだけでも常軌を逸した惨状なのに、それに加えて男の死体の顔面は原形を全くとどめないほど無残に叩きつぶされていた。
 優季にとってはまさに死者への冒涜といった状態だった。

「ま、どう見ても死んでるわ。脈を取るまでもない」
「こ、この人に何があったんですか……! 手とか足とかまるで猛獣に襲われたみたい……!」
「そうねぇ……相手が猛獣だったらどれだけ良かったか。優季、殺ったのは人間よ」

 殺したのは人間――単純明快な答えに優季は頭を殴られたような感覚を覚えた。
 いや、ようやく現実を見てしまったと言うべきだろうか。
 今まで優季はどこかこの島で行われいることに現実感を抱かず、夢の中にいるような気分だった。
 きっと話し合えば分かってくれる。そんな程度の意識でしかなかったのだ。

「手足の欠損はおそらく大口径の銃でしょ。重機関銃か散弾銃か対物ライフルかまではわからないけど。
 しっかしそんなものを参加者に景気よくバラ撒いてるとは太っ腹よねえ……あのコスプレ羽男はあたしたちに戦争をさせたいのかしら」

 沙耶は目の前の死体に恐れることなく、死体の状態を確認している。

「でも妙よねこの死体」
「何が……ですか」
「なんでこの男パンツ一丁なのか意味がわかんないんだけど。それに手足を大口径の銃で撃たれてるのに直接の死因は顔面を潰されてることもよくわかんないわ」

 沙耶は腕組みをして死体を凝視すると首を捻っていた。
 その姿はとても一介の女子高生とは思えず、まるでドラマのように死体の検死をする検視官のようだった。

427揺れる少女の天秤 ◆R34CFZRESM:2011/08/08(月) 05:31:51 ID:fPoUcH5M0
 
「あの……」
「ん? どうしたの」
「……朱鷺戸さんはこういうのに馴れているんですね」
「まあね」
「それもスパイをやっているから――ですか?」
「んー……そういうことにしておくわ。ま、そのへんの銃の値段よりも命の値段のほうが遥かに安い国じゃあよくある光景よ」

 沙耶は答えをはぐらかしながら昔のことを――『朱鷺戸沙耶』ではなく『あや』だった時のことを思い出していた。

 彼女は幼い時より国境なき医師団に所属していた父親に連れられて世界中を飛び回っていた。
 一年のほとんどを海外で過ごし、日本に帰ってくることなんてほんの数日しかない。
 そのおかげで物心つくまでは外国の言葉しか話せない状態だった。
 そして滞在する外国は欧米のような先進国ではなく、そのほとんどが貧しい国であり紛争が絶えない地域ばかりだった。

「モガディシオにいたときはさすがに死ぬと思ったわ。なにせあたしたちを案内するために前を走る車にロケット弾が撃ち込まれたもの」

 度重なる内戦で国は政治機能を失い、国連にすらも見捨てられた国ですらも医師である沙耶の父は医療を受けられない人々のため奔走した。
 難民キャンプに向かう途中、案内のための現地スタッフを乗せた車にRPG-7が炸裂したこともある。
 沙耶の目の前で爆発し、燃え上がる車両。中から飛び出す火だるまになって荒野でのたうち回る人間。
 つい数時間前まで沙耶と世間話をしていた若い現地スタッフが嫌な臭いを周囲に漂わせ燃えている。
 ガソリンと肉が焼けむせ返る臭いの中、どこからともなく武装した一団が車に乗って現れる。

 彼らは何か必死に叫んでいるが、英語と片言の現地語しか話せない沙耶には何を言ってるかも分からない。
 彼らの手に握られた自動小銃――見飽きるぐらい見たAK-47が沙耶の乗った車に向かって火を吹く。
 車体に響く着弾音。この狭い車内が自らの身を守る唯一の盾だった。
 沙耶は耳を塞ぎながら車内で小さくなる。武装した一団が車に近づいてくる。
 銃を構えた男が車のドアに手を掛ける――もうダメだと思った時、その男の頭が爆ぜた。
 次々と血煙をまき散らし倒れてゆく武装勢力。後続の護衛の援護が間に合ったのだ。

 銃声、悲鳴、怒号。阿鼻叫喚の光景が網膜に焼き付けられる。
 十数分後、沙耶たちを襲った武装勢力は一人残らず全滅した。
 沙耶は見ていた。護衛の傭兵は戦意を喪失し逃げだそうとした男にも平然と発砲していたことを。
 戦闘が終わった後、沙耶は逃げだそうとして殺された武装勢力の男の顔を見た。
 沙耶とそんなに年の変わらない少年だった。

428揺れる少女の天秤 ◆R34CFZRESM:2011/08/08(月) 05:32:44 ID:fPoUcH5M0
 
 後に聞いた話では沙耶たちを襲った一団は反政府ゲリラでも何でもなく、食い詰めた果てに略奪に手を染めた地元住民だったそうだ。
 その話を聞いたときにはすでにその国を発った後だった。

 常に世界中を駆け巡り、平凡な生活を送ることが出来なかった少女の結末はあまりにあっけない死だった。
 久しぶりに戻ってきた日本の地。あの時の少年はどうしているだろう? 会えるなら会ってみたい。
 そんなささやかな恋心も降り注ぐ雨と土が押し流していった。

(ようやく……ようやくあたしは手に入れたんだ。ささやかな幸せを)

 二度目の生が夢でも幻想でもいい。
 『あや』が求め手に入れられなかった幸せを『沙耶』は手に入れることができたのだ。
 それだけは確かなことだった。

「朱鷺戸さん? どうしたんですか怖い顔して」
「ボドドドゥドオー」
「ひっ」
「え、いや何でもないわよ……そう……何でも……ね。それよりもうここに用はないわ。行くわよ」
「は、はい……」

 沙耶は男の死体に軽く黙祷を捧げると河原を離れ橋を渡ることにした。

(ボドドドゥドオー……か。理樹くん……どこなの……あたしキミに早く会いたいよ……会って……会ってそれから――)

 沙耶は恋心を寄せる少年の名を心の中で呟く。
 少女の心は未だ揺れ続ける。それはまるで天秤のように――





 【時間:1日目19:00ごろ】
 【場所:E-6】


 草壁優季
 【持ち物:不明支給品、水・食料一日分】
 【状況:健康】


 朱鷺戸沙耶
 【持ち物:玩具の拳銃(モデルグロック26)、水・食料一日分】
 【状況:手足に擦り傷】

429揺れる少女の天秤 ◆R34CFZRESM:2011/08/08(月) 05:33:15 ID:fPoUcH5M0
投下終了しました。

430キミとは致命的なズレがある ◆g4HD7T2Nls:2011/08/08(月) 22:51:02 ID:b/5dKhjA0

  

牧村南は己の視界が急激に霞んでいくのを感じていた。




遥か遠くの空で暮れようとする西日は、まばゆいオレンジ色を放っている。
目前につらなる枯れ木の群は、吹き抜ける北風にゆられている。
少し前を歩く青年の背中が、遠のいていく。

その、全てが霞むようだった。
ぐわんと揺れ、輪郭がブレて、重なり合いを繰り返す。
息のつまるような衝動は意図せず、南の足を止めていた。

「………………」

咄嗟に震えかけた唇を手で覆い、声を抑えた。
余計なことを言わないように、あふれ出したものを零さないように。
だけど抑えきることなど、できなかった。

「そん、な……」

ひときわ強い北風が南の正面から吹き付けている。
向かい風は酷く冷たく感じられたが、しかし南にとっては不幸中の幸いかもしれなかった。
声は風に流されて、零してしまったものを、前を行く青年には聞かれずにすんだのだから。

「……由宇ちゃん……詠美ちゃん……」

二つの名を初め、南は噛み締めるように、幾つかの名を呼んでいた。
それは南の日常を形成していた、欠かせない大切な者たちの名であった。
同時に、先ほど鳴り響いた放送で呼ばれた、もうこの世に生きてはいない人のものだった。

分っていは、いたはずだった。
決して状況を楽観視していたわけではない。
きっと最悪に向けてのみ、加速していくであろう事態。
結果、この時間、何が起こるか、何を聞かされるのか。
大切なモノを失ってしまうと心のどこかで知っていて。
それでも、前へ進もうと、立ち止まるまいと、決めていたはず、なのに。

「…………っ」

だけど結局、覚悟など、出来ているはずもなかったのだ。
襲い来るものは胸に穴が開いたような喪失感。
息のつまるような、目の眩むような、痛み。

笑顔の思い出は何時だって、克明に思い浮かべられる。
『こみっくパーティー』と呼ばれる、素敵なお祭りの中で巡り合えた、特別な仲間たち。
例えば、
いつも気さくで、明るく話す関西弁の少女。
ちょっと自信家だけど、本当は寂しがりやな少女。


彼女達は南にとって、友人であり、仲間であり、きっと今では妹のような、掛け替えのない存在になっていた。
みんなで笑いあえた日々が、楽しかった。
暖かで、穏やかで、別に漫画の中のように特別だったわけじゃなくて、それでもきっと、幸せだって言い切れた。
こんな唐突な別れが来るなんて思わなかった。
別れの時は、きっとみんな笑顔で、手を振って別れられると。
いつまでも色あせない、永遠の思い出を互いに残すのだと、信じて疑わなかった。
なのに、今は――

431キミとは致命的なズレがある ◆g4HD7T2Nls:2011/08/08(月) 22:55:31 ID:b/5dKhjA0

「どうして……みんなが……っ」


もう、いない。
もう、戻らない。
もう、話すことも出来ない。
笑いあうことも、二度とない。


楽しかったその何倍もの痛みが、この瞬間において南の胸を刺す。
自身が傷つく以上の深度で心を抉り、意志を挫こうとする手斧の一振り。
それは南の肉体でなく心にとって、途方もない苦痛であり、悲痛であり、激痛だった。

思ってしまう。本当に、出来ることは無かったのか、と。
人に限界がある事は分っている。漫画に出てくるヒーローのようにはなれない。
知っている。だけど、過去を遡れば、失ってしまった彼女達を救うために、自分に出来ることは無かったのか。
やるべき事があったのではないか。
頑張っている彼女達を助けたい。それが、南が南自身に課して、望んだ在り方だったというのに。

それとも何も出来ないというのだろうか。
南では、ちっぽけな、ただの一人の人間の力では、
この絶望的な事態を前に、何もできる事は無いのだろうか。

そんな、自分を責めるような、苦しみだけを増やす思考。
自覚していながらも、止められない。

(こんなものをあと何度、感じればいいだろう)

引かない眩暈に、南は口元を押さえていた手を離し、額に指を当てた。
呆、と熱を感じる。
いつまでも立ちくらみのような不快感が収まらない。
心の痛みがここまで体に影響を与えるものなのだろうかと、訝しみ。

(ううん。それ以前に私が……いつまで……)

それとも、疲れているのだろうか、と。南は自問して、
疲れていないはずもないか、と思い至る。
鑑みてみれば、このところはずっとイベントの準備にむけて働き続けていた。
同僚にも少し休んだ方がいいのではと忠告されたばかりであり、
そこにこんな途方も無い事態が舞い込んでくれば、心身ともに疲労が滲みもするだろう。

こんなことで、『この先』に向けて歩いていけるのか。
根本的な問題。この大きな事件を解決する糸口など、見出せない。
一人の人間の力では到底太刀打ちできない事態を前に、やはりできる事は何も無いのか。
立ち止まったまま、悲しみにくれたい衝動が、南の中にもある。
心を、蝕んでいく。


「っ……駄目よ……駄目。しっかりしなくちゃ」


だけど、今ここにいるのは自分ひとりじゃない。
その感情だけが、この瞬間において南を縛り、そして何より強く、支えていたのかもしれない。


「あの子だって……」

432キミとは致命的なズレがある ◆g4HD7T2Nls:2011/08/08(月) 22:59:19 ID:b/5dKhjA0

そう今は、南一人ではないのだ。
前を歩いている青年もまた、南と同じように死を聞かされたのかもしれない。
彼の気性の激しさはこの短期間の間によく知らされただけに、心配だった。
大丈夫だろうか。もしもの事があれば、私が何とかしなくては、と。
顔を上げ、南は額に当てた指の隙間からどうにか前を見る。

「野田く――」

そして声をかけようとして、だが、その瞬間。

「ちッ」

南は、前方から発せられた鋭い意志によって言葉を失っていた。
風に乗って届いた舌打ちの音は、刺すように冷たい響きを含んでいる。

「まったく使えんな」

言葉の意味を、南はしばらくの間、理解する事が出来なかった。

「五人も死んだのか、はッ、いずれ生き返る意識が在ったにしろ情けなさ過ぎるぞ。
 常日ごろから適当に死に過ぎて日和りでもしたのか、あいつらは。
 それとも、天使との戦いがなくなったからと、鈍ったか?」

しかし意図を解せば寒気すら感じるような、あまりに軽い言葉だった。

「新参に舐められれば戦線の名折れだと言うのに。
 ゆりっぺの顔に泥を塗るつもりなら、いっそこの俺が――」

言葉も無い南をよそに、目前にいる彼の声はあまりにも冷え切っている。
青年、野田という存在は誰にでもなく、吐き捨てるように言い放つ。
知人の死を聞いても、殺した者の死を聞いても、彼には何ひとつ響かないように。
冷然とした嘲りと、不甲斐なさへの苛立ちのみを滲ませていた。

「まあ、いい。元よりアテになどしていない」

命を、命と捉えるにはあまりに冷たすぎる批評はそのまま、野田にとって生死の価値であり。
渇ききった、その言葉は紛れもない彼の真意なのだろう。
そう、南に理解させるほどの、鋭利な意思がここにあった。

「使えん奴は、そも必要が無いのだからな」

悪意とも、敵意とも違う、異界の法則のような。

「死にたい奴は、永遠に死に続けていればいい」

南とは、あまりにもかけ離れた、渇ききった倫理だった。
干乾びて、枯渇して、腐り落ちて消えてなくなって尚、在り続けることを止めない者達を動かす摂理のカタチ。
この言葉を聞いた今なら、南にも感じ取る事ができる。
それは南にとっては実際に野田が人を殺す瞬間より、よほど決定的なものだった。

「……のだ……くん……」

このとき、牧村南はようやく、本当の意味で知らされたのだ。
目前に在る、ただひたすらに絶対的な、差異を。
根本的なものが違うのだと。
命に対する価値観、純粋に感じる生と死の想いの全てが、
野田という存在は南と異なっている。
それはまるで、致命的なズレのように、埋めがたい溝のように。

「……? 牧村、何をぼんやりしている。早く行くぞ」

一瞬だけ南を振り返った野田は、またすぐに前をむいて歩み始める。
その背に、南はうなだれるしかない。

433キミとは致命的なズレがある ◆g4HD7T2Nls:2011/08/08(月) 23:01:52 ID:b/5dKhjA0

いったい何を理解した気になっていたのだろうと思う。
こんなにも違うのに、こんなにも遠いのに、分ったようなことを言っていた。
彼は悪い子じゃない。その思いを改めるつもりはない。
ただ、違っていただけ。
乖離は想像を絶していて、彼を語るには、あまりに理解が足りなすぎたのだろう。


「野田、くん」
「なんだ?」

名を呼ぶ声に足を止め、けれど振り向かない彼。

「何も、本当に何も思わないんですか?」

南は一歩を踏み出しながら、暮れる空を眺める彼に、問う。

「もしも……この世界が、人の生き返らない世界だとしたら……」

まだ、引き返せるとしたら。

「大切なものが、失ったものが、何も帰って来ない世界だとしても。それでもあなたは――」
「くだらない質問だな」

けれど彼は、南の問いを最後まで聞かず、切り捨てる。

「世界がどうだろうが、生きてようが死んでいようが、やる事は変わらない。
 なぜならば俺は死者で、だがここにいる。この二つだけが絶対だ。
 ここでは戦線の、ゆりっぺの力が俺だ。
 それ以外など見えん、聞こえん、知りもせん。
 言ったはずだろう? 牧村。理解できんなら、お前は俺達の前から消えていけ。
 俺の目障りになる前に、そうしたほうがいい」

そして野田は、こう続ける。
ほんの一瞬、けれど間違いなく、南に殺意すら向けながら。

「俺は俺の死も、俺達の抵抗も、誰にも否定はさせない。覆す全てが俺達の障害だ。断ち切り、潰す対象。
 それを忘れてしまった奴も、何人かいるんだろう。だからあいつらはまた、死んだ。それだけのことだ。
 だがな、俺は違う。俺は絶対に、忘れない」

表情は見えない。されど底知れぬ憎悪が滲むような声だった。
怨嗟なのか、嫉妬なのか、苦痛なのか。
元がどのような形を取っていたのかさえ、もはや判別できないほどに捻じ曲がり、
混じり合い塗り重ねられたような、不定形の激情。

「所詮、お前の言う生も死も、俺には無い。欲しいとも思わない」

全てを拒絶するような背中を、彼が握る抜刀された大刀を見つめながら、思う。
ああこの子は、野田という青年は、まるで抜き身の刃のようだ、と。
常に解放された切っ先。
目前に立ちふさがる敵、感情、倫理の全てに、刃を向ける鋭利。それが彼なのだ。
彼は常に、打たれたばかりの刀身の如く熱しており、同時に澄み渡る白刃の如く冷めている。
それはきっとこの異常な世界において、過不足のない危険分子。
信じる者以外の、出会う全ての人々に切っ先を向けるであろう剣は、おそらく凶刃にしかなり得ない。

「ゆりっぺが、俺たちが求めたモノはただ一つ。
 他の全員が忘れようとも、俺は忘れない」

南の声を拒絶する背中が、こう言っているように見えた。
己を抑えるものなど、不要。
生も死も、不要。
存在と、目的と、力が在ればそれでいい。

「話は終わりだ」

最後まで南の顔を見ることも無く。
話は終わりだと言うように、野田は歩み始める。

434キミとは致命的なズレがある ◆g4HD7T2Nls:2011/08/08(月) 23:02:49 ID:b/5dKhjA0


絶対的な相違、意志を目にすれば。
俯いたまま立ち尽くす南はひたすらに、無力を思い知る。
なにも出来ないまま、掛け替えのない物を失ってしまって。
目の前にいる人との価値観すら、こんなにも遠いことに今更気づいて、そして――

「でも、私は……そんなの辛すぎると思いますよ……」

目の前にある者を哀しいと、思ってしまうのだ。
痛みばかりを感じてしまう。
彼の言葉を聞いて、どうしようもなく切なくなる。

「私は……いま、辛い」

南は大切な人たちを失った。
それはとてもとても、悲しいことだった。
いま、この瞬間、胸が痛くて痛くて、堪らなくて。

けれどこの痛みが、悲しみが、彼には無い。
それはいったい、どれほどの無感なのだろう。
どれ程の死を見て、どれ程の死を感じれば、至れる無痛なのだろう。
きっと彼はだからこそ、南よりもずっと強くて、迷わない。


「でもそれ以上に、哀しいじゃないですか。それを悲しいと、思えないことは……」


自分でも知らず、小さくしぼり出したような声。
全てが向かい風に吹き消されて、彼の背中にまで届かない。
でもこれでは、きっとどちらにせよ届かない。届いたところで響かない。
無力で、悔しくて、手の平を、腰元でぎゅっと握り締める。

どう言えば、彼に伝わるのだろう。
開いていく距離は、物理的なものだけではないように思えた。
南の思い、世界が彼とはあまりにズレていて、噛み合わない。

それでも『哀しい』と、思う事だけは確かなことなのだ。
どう表現すればいいのか、何故そう思うのか、南自身まだ分らないけれど。
ただそれは、とても悲しいことなのだと。
伝え方の分らないままに南もまた、新たに歩を進めようとして。


「……あ、あれ?」


しかし、風が通り抜けたと同時。
南はふと、踏み出した足の軽さに気づく。
あれほど重かった己の歩みに、少しだけ、力が戻っているような。
胸に開いた穴が少しだけ、何か違うもので埋められたような。
錯覚があった。

435キミとは致命的なズレがある ◆g4HD7T2Nls:2011/08/08(月) 23:04:20 ID:b/5dKhjA0


力を与えられる感覚がある。
眩暈も、気づけばなくなっている。

「どうして……?」

いったい己の体、あるいは心に何が起こったのだろう。
萎えかけていた気力を支えた、この原動力はどこから来たのだろうと。
南が先程よりもクリアな視界で前を見たとき、答えは得られた。

――殺し合い。
事態はとても南の手には負えなくて、
――人の死。
掛け替えのない物を失って、
――世界と心の距離。
いま目の前にすらこんな大きな問題があって、

なのに何故だろう、今は、苦痛が少しだけ、緩和されている気がした。
野田の背中。
南に言いようのない悲しみを与えるそれが、同時に活力を与えてくるようだった。
何故か今、前に進む力を与えられている。


「……そっか」


理解する。


ここに、あった。
出来ること。
やらなきゃいけないこと。
ちっぽけで、無力で、ただの人間である南でも。
出来ることが、あったのだ。


眺めている景色の違う子がいる。
埋めがたい溝を抱えた人がいる。
致命的なズレのある、存在が目の前にある。
だけど南からすれば、ただ見ていて危なっかしい彼を、この子を支える。
簡単なことじゃない。障害は幾つもある。
少なくとも今は方法すら思いつかない。
もしかすると、挑むだけ無駄な、不可能な事なのかも知れない。

だけど、もう決めてしまったのだから。
今だけは、この世界でたった一人、南にしか出来ない事だから。
この子をサポートすること。
それをまず己に課す役割として、進むことを決めたはず。
頑張ってる人を助ける仕事を担いたいと、ずっと前から。

「それじゃあ、上等です」

436キミとは致命的なズレがある ◆g4HD7T2Nls:2011/08/08(月) 23:04:55 ID:b/5dKhjA0

できる事がある。立ち向かえる問題が目の前に在る。
だからこそ、牧村南は立ち向かうものを見失わずにいられた。
足を、止めずにいられた。

「私は負けませんよ、野田くん」

表情を引き締めて、彼に届かないくらい小さな声で、宣誓する。
誰にも内緒で、心中だけの決定を下す。
例えば野田という青年が、抜き身の刃であると言うならば、
鋭利を抑え、何とかして彼と他の人たちを繋ごう。
そこから始まるものに、賭けてみよう。

「一期一会。せめてこの巡り合せに、この縁に、意味が在ると思いたいから」

暗中模索なスタートでも、まずは決意する。
南は己が手に握る、残された外装を見下ろして――


「私はあなたの鞘になる」


己の役割をそう定めた。この先に行くと、決めた。
どれだけ困難な道程であろうと。
ここで、『目の前のこと』からも目を逸らしてしまったら。
きっとこれから先に待ち受ける、これ以上に大変な事態にも、立ち向かえるわけがないのだから。

「おい、さっきからいったい何をブツブツと……」
「いいえ。何でもありません」

弱くても、微笑を返す。
強がりでも、力強く踏み込む。

「さ、はやく行きましょう」
「……お前」

まずはカタチだけでも、彼と同じ視野を理解するために。

「ほら、止まってる暇は無い。ですよね?」
「む。まあ、当然だが……」


牧村南はこのときから少しだけ、歩むスピードを速めることにした。





 【時間:1日目午後6時20分ごろ】
 【場所:G-4】




野田
【持ち物:抜き身の大刀、水・食料一日分】
【状況:軽傷】


牧村南
【持ち物:大刀の鞘、救急セット、水・食料一日分】
【状況:健康 少し疲れ気味】

437 ◆g4HD7T2Nls:2011/08/08(月) 23:05:42 ID:b/5dKhjA0
投下終了です

438嘆きの種子 ◆R34CFZRESM:2011/08/09(火) 01:48:21 ID:umvJyOwQ0
 
 世界は強くあろうとする者には祝福を与え弱い者には呪いを与える。

 棗鈴は祝福を受け取った
 古河渚は呪いを受け取った。

 名の知れぬ少女に祝福を与え、渚に呪いを与えたのは他ならぬ最愛の母親だった。

 選ばれたのは棗鈴。
 選ばれなかったのは古河渚

 母が――古河早苗が最期に想いを託したのは娘である渚ではなく、赤の他人だった。

 どうして?
 どうして?
 どうして?

 それは――自分が弱い卑怯者だったから。

 アルルゥを、早苗を目の前で失いながらも懸命に生き抜こうとした鈴。
 一方で友達に銃を向けた挙げ句死にたくない一心で仲間を見捨て何もかもから逃げ出した渚。

 







 だからわたしは、お母さんから、捨てられた。

439嘆きの種子 ◆R34CFZRESM:2011/08/09(火) 01:49:18 ID:umvJyOwQ0
 
「違う違う違う! そんなことない! お母さんはわたしを捨てな――きゃっ」

 足がもつれ地面に倒れ込む渚。
 擦りむいた膝から血が滲み、じくじくとした痛みが広がっていく。
 
「えぐっ……あぅぅ……うぁぁぁ……」

 こぼれ落ちる涙。
 自分が今何をすればいいのかも、何を拠り所にすればいいのかもわからない。
 弱い心の自分に依るべき舫は繋がれてなく、倒れそうになる心を支える杖もない。
 差し伸ばされた手は自分で振り払ってしまった。

 地面に伏したまま渚は嗚咽の声を上げ続ける。

「助けて……誰か助けてください……わたしをたすけて……わたしをすてないで……」

 必死に哀願し助けを請おうと空に手を差し伸ばすも、誰も手を取ろうとしない。
 むなしく渚の手は宙を掴むだけだった。

「そう、だ。おとうさんなら……ともやくん……なら」

 ふいに浮かぶ二人の顔。
 生まれた時からずっと自分を見守ってくれた父を。
 口は悪くても演劇部を手伝ってくれた初めての友人を。
 
「お父さんなら、朋也くんなら、わたしを見捨てない……わたしを助けてくれる」

 僅かに見えた一筋の光。
 渚の最後の拠り所。
 それを求め気力を振り絞って立ち上がり。

 一歩を踏み出した。

440嘆きの種子 ◆R34CFZRESM:2011/08/09(火) 01:50:47 ID:umvJyOwQ0
 










「だぁーれが、あんたみたいな卑怯者を助けるわけ? ばっかみたい」










 銃声。そして肩に焼けた火箸を突き刺されたような痛みが走り、渚は地面に崩れ落ちた。
 地に倒れ伏して顔を上げると背後に人影が立っていた。
 雲に隠れていた月が顔を出して、そのシルエットを青白く染め上げる。
 特徴的なピンクのセーラー服の少女が立っていた。
 その表情は全くの無表情なのに口元だけが醜く笑っていた。

「笹森……さん」

 ――生きていたのとは言えなかった。なぜなら渚はは彼女を見捨てて逃げた。
 そして彼女はあからさまな敵意を渚に向けているのだから。

「あたしたち、最初はみんな仲良くやっていけるかなって思ったんよ」

 花梨は旧友に語りかけるような口調で言った。
 やっと――見つけた。
 花梨はほくそ笑む。みんなを見捨て逃げ出した卑怯者をやっと始末できるのだから。

441嘆きの種子 ◆R34CFZRESM:2011/08/09(火) 01:52:08 ID:umvJyOwQ0
 
「でも、誰かさんが逃げ出したせいでおわり。みぃんなパァ」
「ぁぁぁ……」

 がたがたと震える渚の身体。
 なんといういい気味だ。この女はただでは殺さない。
 もっともっと精神的に痛めつけてから殺してやる。
 花梨は嗜虐的な笑みを浮かべてさらに呪詛を紡ぐ。

「その肩痛いでしょ? 当然よね銃で撃たれたんだから! あたしも撃たれてすっごく痛かったんだからねっ!」

 花梨はすたすたと渚の傍らに近づくと血を流す左肩――さっき銃で撃ち抜いた傷口を思いっきり踏みつけた。
 激痛が全身を襲う。渚は金魚のように口をパクパクとさせて乾いた叫び声をあげた。

「あんたさぁ……さっきからなんで自分が世界一不幸って顔してるの? それってすっごくムカツク」
「あっ……がぁぁっ」

 堅いローファーのつま先が渚のお腹に突き刺さる。
 息が詰まり、胃液が逆流して大きく咳き込む。
 息を落ち着かせる暇もなく再び花梨のつま先がめり込んだ。

「あたしも撃たれたんだよ? 今も傷がじくじく傷んで泣きそうなんよ。ねえ、あたしを撃った奴ってさあ……あんたと同じ制服だよね」

 渚の反応と撃った人間の反応から二人の関係は容易に予想できた。

「あれってあんたの友達でしょ?」
「あああ……杏、ちゃん……」
「やっぱりね。あの子のせいでみんな滅茶苦茶。あたしは肩を撃たれて――」

 にやりと花梨は笑う。
 もっともっと絶望させてやろう。
 もっとあんたを壊してやろう。

「竹山くんは死んじゃった」
「う、そ……」
「あんた放送聞いてなかったのぉ? あっきれるわー。さすが「私は世界一不幸な女の子なんですぅ」な顔して現実逃避してる子は違うよねえ」
「そんな……どうして……」
「決まってるじゃない。竹山くんはあの女に殺されたのよ。あたしの目の前で脳みそがパーンってなってね」
「あ゛ぁぁぁぁぁぁああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああぁぁぁ」

 もちろん口からでまかせだ。
 竹山を殺したのは花梨本人だ。
 でもそのことをわざわざ渚に告白するまでもない。
 むしろその友達が竹山を殺したと勘違いさせて絶望させたほうが面白い。

442嘆きの種子 ◆R34CFZRESM:2011/08/09(火) 01:54:15 ID:umvJyOwQ0
 
「ほぉら、立ちなさいよ」
「…………」
「立てっていってんでしょうが!」

 花梨は渚の胸倉を強引に掴み上げると、その顔面を思い切り殴りつけた。
 もんどり打って倒れ込む渚。唇が切れて口の中にいっぱいに錆びた鉄の味が広がる。

「あんたさえ……! あんたさえ逃げなければこんなことにならなかったのよ! このっこの!」
「あぐっぅぅっ」

 花梨は憎しみを込めて何度も渚の身体を蹴り上げた。

「そういやさ、あんた気づいてた? 竹山くんのこと」
「な……に……が……」
「彼、あんたのこと好きだったのよ。彼のあんたに対する態度なんてまんまそうじゃない」
「そ、んな……」
「あっははははは! 彼、最期まであんたのこと心配してたというのに。当のあんたは気づきもしなかったなんてひどい女」
「竹、山……くん……」
「あんたが竹山くんを殺した」
「わた、しが……殺した……?」
「あんたが逃げたせいで、竹山くんは死んだ」
「わたしの、せい……」

 わたしのせい。
 わたしのせい。
 わたしのせい。

 ぐるぐると渚の脳裏を回るその言葉。
 わたしが逃げたから。
 わたしが見捨てたから。
 だからわたしはお母さんに見捨てられた。
 
 ぎちぎちと首が絞まってゆく。
 花梨は渚に馬乗りになって、その細い首を万力のような力で締め上げてきた。

「死んじゃえこの卑怯者」

 恐ろしく冷たい声が耳に響く。
 朦朧とする意識。この意識が途絶えた時死ぬ。

443嘆きの種子 ◆R34CFZRESM:2011/08/09(火) 01:55:26 ID:umvJyOwQ0
 
 


 どうして――




 どうして、みんなわたしのせいにするの?



 わたしはそんなに悪いことをしたの?


 
 わたしは悪くないのに。


 
 わたしはただ死にたくなかっただけなのに。


 
 枯死した心に撒かれた黒い種がどくんと脈打つ。

 どうしてわたしだけがこんなひどい目にあわなければならいのだろう。
 どうしてあの子はわたしからお母さんを持って行ってしまったのだろう。
 どうしてわたしは殺されなければならないのだろう。
 どうしてわたしが全ての罪を背負わされなければいけないのだろう。


 そんなの、嫌だ――
 死ぬのはイヤ。
 死ぬのはイヤ。

444嘆きの種子 ◆R34CFZRESM:2011/08/09(火) 01:56:23 ID:umvJyOwQ0
 



 だから、渚は無意識に掴んだそれを大きく見開いた花梨の眼に突き刺した。




「っぎゃぁぁぁぁぁああああああぁぁああぁッ!」



 少女とは思えない花梨の絶叫が周囲に木霊する。
 地面をのたうち回る花梨の右眼からささくれ立った木の枝が生えていた。
 ただの道に落ちた小枝。殺傷力なんてほとんどない。
 だけど柔らかい眼球を潰し、眼窩をに突き刺さるには十分だった。




「ぁぁぁあ゛あ゛あああッ痛い痛い痛い痛い痛いぃぃぃぃぃぃ!」




 激痛に身をよじらして悶える花梨、落とした銃に手が伸びる。
 あと10センチ。
 あと5センチ。
 あと1センチ。

 ばきりと音を立てて手の指が砕け散る。
 砕けた指の上には渚の足があった。
 憎悪の顔で見上げる花梨の半分しかない視界からは枝を握りしめた渚が幽鬼のように立っていた。
 渚は握りしめた手を振り上げる。
 花梨の左眼が見開かれる。

445嘆きの種子 ◆R34CFZRESM:2011/08/09(火) 01:58:00 ID:umvJyOwQ0
 



 ぐしゅり。




 花梨の声にならない絶叫が木霊し、花梨の顔からは二本の枝が生えていた。
 だが、両眼を潰されただけでは死なない。
 花梨は潰れた眼窩から血を流しながらも這いずりながら渚の足にしがみついた。

「殺してやる殺してやる殺してやる殺してる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してる殺してやる殺してやる――うげっ?」

 間抜けな声を発した花梨の顔面に渚の靴の裏がめり込んだ。
 渚の足に伝わる何かを砕いたような音。それっきり花梨は動かなくなった。
 両の眼窩に突き立った枝が、蹴られた拍子に眼底骨を突き破り脳を破壊したためだった。

「…………」

 渚は冷めた視線で花梨の骸を見下ろしていた。
 花梨の死体は両の眼から木が生えて悪趣味極まりない盆栽のようだ。
 おまけにその枝は花が咲いている。なんて醜悪な光景なのだろう。




「嫌い。みんなみんな大っ嫌い」




 自分から母を奪った鈴が嫌い。
 自分ではなく鈴を選んだ母が嫌い。
 自分に想いを寄せてくれた人を殺した杏が嫌い。
 自分を助けに来てくれなかった父が嫌い。
 
 そして自分をこんな目に遭わせた世界全てが嫌いだった。




「わたしを、みすてないで」





【時間:1日目19:00ごろ】
【場所:B-3】


古河渚
【持ち物:S&W M36 "チーフス スペシャル"(0/5)、.38Spl弾×30、水・食料一日分】
【状況:頬にかすり傷、膝に擦り傷、顔面打撲、精神喪失】


笹森花梨
【持ち物:ステアーTMP スコープサプレッサー付き(32/32)、予備弾層(9mm)×7、水・食料一日分】
【状況:死亡】

446 ◆R34CFZRESM:2011/08/09(火) 01:58:40 ID:umvJyOwQ0
投下終了しました。

447Sorrowless ◆R34CFZRESM:2011/08/14(日) 00:52:17 ID:bGSqhka.0
 
「あ〜あ、やっぱり悪いことはするもんじゃないわねえ……神さまはなんでもお見通し、私の悪事もみぃんなまるっとお見通しね。うふっ」

 春夏はテラスのフェンスに背中を預けると寂しげな笑みを浮かべて天を仰いだ。
 夜の帳が下りようとしている空は深い群青に覆われて、西の空には海の向こうに沈んだ太陽の残り香が広がっていた。
 ちらりと視線を屋敷の門に移すと薄暗がりのなかに人影のような物が倒れていた。
 全身を鉛の飛礫で貫かれ頭を叩き割られた少年の死体。

 それが彼女のわるいこと。
 その対価は彼女の全てを支払ってなおも支払いきれない大切なものだった。

「覚悟決めてここまでしたってのにいきなりつまずいちゃった」

 ほんのつい数分前のことだった。
 どこからともなく聞こえてきた男の声。
 屋敷の外にいても中にいてもはっきりと聞こえたそれは死者の名を読み上げる。

 柚原このみ。

 春夏はその名前を聞くと力ない笑みを浮かべるだけだった。
 愛する人との間にもうけた最愛の一人娘。
 16年間愛情を注ぎに注いで育ててきた愛娘。
 母の非情な決意を嘲笑うかのように、世界は娘を早々に連れ去ってしまっていた。
 もう二度と手の届かない場所へ――

「私ってほんとバカ……馬鹿だわ」

 俯いて、くすりと自嘲の笑みを浮かべる春夏。
 その傍らに立つささらはかけるべき言葉が何も見つからなかった。

「ごめんねささらちゃん。春夏さんもう生きる意味も目的もなくなっちゃった。あはは」

 明るい口調で乾いた笑みだけを浮かべて春夏は蹲る。
 涙は出ない、悲しみもない。
 ただあるのは後悔と絶望だけ。
 真冬の寒空のように凍えきった春夏の心は涙を流す気力も失わせていた。

448Sorrowless ◆R34CFZRESM:2011/08/14(日) 00:53:54 ID:bGSqhka.0
 
「春夏さん……」
「ちょっとそれ、私のほうへ向けてくれない?」

 力なく伸ばした指の先には鈍く光る金属の塊。
 巨大なそれはひとたび引き金を引けば周囲に圧倒的な暴力をまき散らすだろう。

「何を、言っているんですか……」
「私にそれの銃身を向けて引き金を引くだけの誰にでもできる簡単な作業よ? ちょっとテラスのお掃除が大変になるかもしれないけど」
「だから! 何を言っているんですかっ!」

 それが何を意味しているかささらも十分理解している。
 至近距離で引いてしまえば門の前の少年よりも酷いことになる。
 きっと弾けた西瓜のようにテラスに春夏だった肉塊を撒き散らすだろう。

「決まってるじゃない。私はこのみの所にいける。あなたは足手まといの元・相棒を始末できる。後は……」

 春夏は人差し指を顎に当て「うーん」と考えた後、少女のように微笑んで言った。

「あなたは人を殺す事への覚悟のを学べる。かな? ささらちゃん、あなたの目的はなあに?」
「それ、は……」
「なら、やるべきことは一つ。でしょう?」

 春夏の言うことに間違いはない。
 所詮二人の関係はいずれ破棄されるためにある同盟関係。
 目的のためにいつかお互い殺し合わねばいけない。
 その時期が少し早まっただけだけ。そう、これはチャンスなのだ。
 ささらは自分に言い聞かせてテラスに鎮座するM134の銃座に立った。

 そして銃口を春夏に向ける。
 銃口の先には春夏の姿。なんて哀しい顔で微笑んでいるのだろう。
 後はこの引き金を引くだけで全てが終わる。否、始まるのだ。
 これは開幕を告げる合図。果て無き修羅への道を始めるための号砲。

449Sorrowless ◆R34CFZRESM:2011/08/14(日) 00:55:19 ID:bGSqhka.0
 
 カタカタと全身が震える。
 あの少年を撃ったときのようなテレビの向こう側のような感覚ではない。
 撃てば目の前で春夏は肉片を撒き散らす。それが春夏の言う殺人への覚悟。
 ささらは震える手を抑えて引き金に指をかけ、そして――



「もうやめましょうよ……最初から私たちに人殺しなんて無理だったんですよ」



 ささらはがっくりと膝をついて項垂れた。
 結局、そんな覚悟なんてできなかったのだ。

「あら、身勝手な言い分ね。私たちはもうあの男の子を殺したのよ? もう後戻りなんてできないわ」
「身勝手なことなんてわかってます! でも……これから誰かを殺すたびにこんな思いをしなきゃならないなんて私耐えられないっ!」

 顔を両手で覆いささらはすすり泣く。
 こんなことを続けていてはいつかは心が壊れてしまう。
 大切な人を護るためにささらが持とうとしていた最後の矜持まできっと失ってしまう。
 心を無くした鬼にはなれない。なりたくなんてない。

「あの人を殺したから気づけたんですよ……人を殺すことへの痛みと恐怖を。
そんな当たり前の事に気づくためにあの人を犠牲にしたのは身勝手なんてものじゃないのはわかっています……」
「それじゃあ私はどうすればいいの……? このみを失った私にはもう何も残ってないわよ……」

 一粒の大きな雫が春夏の頬を伝う。
 無理なのだ。春夏を支えていた柱はとっくに折れてしまっていた。
 まだ何も失っていないささらの言葉なんて届くわけがない、そのはずだった。

「春夏さんっあなたは大人でしょ! お母さんなんでしょっ! だったらこの島で道に迷って泣いている子どもたちを護ってやるとぐらい言ってください!
 道を踏み外しそうな子どもたちを優しく諭し見守っていてください! そして――
 どうしていいか分からなくて途方にくれている馬鹿な子どもの私の手を握りしめて……私を抱きしめて……っ……ぁぁぁ……」

450Sorrowless ◆R34CFZRESM:2011/08/14(日) 00:56:57 ID:bGSqhka.0
 
 ささらは感情を爆発させて泣き崩れる。
 その姿は道に迷って一人泣き続ける一人の子供の姿。
 どうすることもできない運命に翻弄された一人ぼっちの子供の助けの声。

「ささ、らちゃん……」

 春夏の最愛の娘は死んだ。無情にも死んでいった。
 だがこの島には今もなお子供たちが悩み戦い殺し合い、そして助けを求めながら死んでゆく。
 それを大人である自分が、母親である自分が何もしないで命を投げ出していいのだろうか。
 否、いいわけがない。
 なぜなら目の前の少女は泣いている。
 今、一人の子供が助けを求めて泣いている。
 それに手を差し伸ばさず何が大人だ。何が母だというのだ――

「ふふ……子どもに叱咤されるなんて私ったら親失格ね……」

 くすりと微笑む春夏。
 枯れ果て、色を失っていた瞳に光が舞い戻る。
 
 まだ――私はがんばれる。

「春夏さん……もう少しだけ頑張ってみようかしら」
「春夏っ……さん!」
「ふふっ……どこまで頑張れるかわからないけどね」

 その言葉だけでささらは十分だった。
 彼女は自分に手を差し伸ばしてくれた。

「ささらちゃんに一つだけお願い」
「なんです――あっ……」

 ふわりとささらの身体を包み込む春夏。
 そしてぎゅっとささらの身体を抱きしめる。

451Sorrowless ◆R34CFZRESM:2011/08/14(日) 00:57:59 ID:bGSqhka.0
 
「今だけ……今だけでいいから――あなたをこのみと思って抱きしめさせて」

 今にも泣き出しそうな声で春夏はそっと呟く。
 ささらはこくりと静かに頷いた。

「このみ……なんでお母さんより先に……あああっ……」

 娘の死を受け止めてから流す初めての涙。
 一度溢れだした涙は止まらない。次から次へと止めどもなく涙があふれ出す。
 娘を失った悲しみ、そして背負った罪をその涙に乗せて――

「このみ……ううっ……ぁぁぁぁぁあぁぁぁぁ……」

 ささらは幼子のように泣きじゃくる春夏の髪を撫でる。
 その表情ははまるで母親のように優しい微笑みだった。




 ■




 泣き腫らした赤い目で春夏は立ち上がる。その瞳にはもう迷いは無い。

「もういいんですか?」
「ええ、もう十分。これ以上めそめそしてたらこのみに怒られてしまうわよ」
「春夏さんは強いですね……私が同じ立場ならきっと――」
「母は強しってやつかしら? ふふっ。でも、本当はささらちゃんのおかげ。あなたが手を差し伸べてくれたから、私はまた頑張れる」
「春夏さん……」
「さて……いつまでもここにいられないわね。こわ〜い女の子たちに私たちの居場所バレちゃってるもの」
「あの人たちは……これからも人を殺し続けるんでしょうね」
「できることならあの不良少女たちのお尻ひっぱたいてごめんなさいとさせてあげたいけど……きっと無理でしょうね」

 かろうじて春夏とささらは踏みとどまれた。
 だが、ささらが言う『あの人』たち――来ヶ谷唯湖と香月ちはやは違う。
 彼女たちを野に放ったけじめだけは取らなくてはならない。
 それが春夏の唯一の――殺めた少年への罪滅ぼしだった。

452Sorrowless ◆R34CFZRESM:2011/08/14(日) 00:59:29 ID:bGSqhka.0
 
「ところで……この銃どうしましょう? さすがに持ち運びは無理ですよ」
「そうね。ここに置いておきましょ。でも、誰かが悪用すると困るから――」

 春夏は子供のような悪戯な笑顔を見せて言った

「銃口にたっぷりと土を詰めてしまいましょ。そうすればこの銃を誰も使えないわ」
「そうですね……」

 さっそく春夏たちは花壇から持って来た土を銃口に詰めてゆく。
 こうしてしまえば引き金を引いた瞬間、暴発してしまうだろう。
 誰もこの銃を使うことがないよう祈りながら土を詰めていった。

「さあ、行くわよささらちゃん」
「は、はい」

 銃の処理を終えた後、テラスを下りて色とりどりの花が咲き乱れた庭園を歩く春夏とささら。
 庭園は月光に照らされて幻想的な光景を浮かび上がらせていた。
 そして、その幻想の終点にある現実――二人の罪の証。
 名も知らぬ少年の亡骸。彼女たちは彼を一瞥する。
 二人はこの罪を一生背負うことを約束して新しい世界に一歩を踏み出した。






【時間:1日目 19:00ごろ】
【場所:H-6】




柚原春夏
【持ち物:水・食料一日分】
【状況:健康】

久寿川ささら
【持ち物:水・食料一日分】
【状況:健康】


※洋館のM134には土が詰められています。撃つと暴発します。

453 ◆R34CFZRESM:2011/08/14(日) 01:00:27 ID:bGSqhka.0
投下終了しました

454Sorrowless ◆R34CFZRESM:2011/08/16(火) 23:27:27 ID:sfOT/nK20
 
 唯湖さんを見送った私は彼女にくるりと背を向けると元来た道を引き返していった。
 赤い夕日に照らされた丘にそびえ立つ洋館――仮初めの信頼関係を結んだ仲間の元へと。
 途中、後ろから彼女に襲われるような気がして背後に警戒しつつ歩いていたけどそれは杞憂だったみたい。
 私は門の前に立って唯湖さんの姿を完全に消えたことを確認すると、どっと疲労感が押し寄せてきた。

「はあ……あの人といると神経使って疲れるよ……」

 世界を冷めた視線で見つめる彼女――来ヶ谷唯湖。
 全てを戯れと称し刹那的な快楽に身を委ねる彼女にとって生と死は等価値の物なのだろう。
 友人の命も、知り合いの命も、そして自分の命さえも快楽という名の博打に賭けてしまえるのかもしれない。
 私は命が惜しい。死にたくない。生き残るために、お兄ちゃんのために。だけど彼女にはそんな感情すらもない。
 完全に私とは異質の存在。もっとも――私は自分自身がまともな人間だとは思ってはいないけど。

 生き残るために力を欲し。
 愛する兄のために力を欲し。
 そして他者を食らう。

 うん、私も十分に異常者だよね。でもそれが普通なんだよ。
 今この世界でラブ&ピースを謳うほうがおかしいの。
 ああ、まあでもお兄ちゃんラブは認めるけどね。

 バジリスク号からこの島に飛ばされた時から私の世界を構成するレイヤーはがらりと変わってしまった。
 この世界は間違っている。間違った世界で生きるためには世界を変えるか、自分を変えるか。

 世界を変える――あの翼の男の人が作ったルールを壊す。
 自分を変える――自らをこの世界のルールに適応させる。

 私が選んだのは後者だった。
 適応して、進化して、この世界の食物連鎖の頂点に立たないといけない。

 庭園の奥にそびえる屋敷のテラスには春夏さんとささらさんがいた。
 二人はこちらに気づいているのだろうか。
 あそこからは屋敷に入ろうとする私を簡単に蜂の巣にできてしまう。
 二人が裏切れば足下に転がる木田さんと同じ末路を辿ってしまうだろう。

 私はごくりと唾を飲み込んであの黒光りする巨大な銃の射程に踏み込もうとした時、聞き覚えのある声が周囲に響き渡った。
 

 
『さて、定刻となった。これから、この放送までに命を落とした者達を告げる――』

455Sorrowless ◆R34CFZRESM:2011/08/16(火) 23:28:36 ID:sfOT/nK20
 静かな声で男の人は名前を読み上げてゆく。
 その中には私の知っている人がいた。

「明乃さん、やっぱり死んじゃった」

 どこの誰か知らない人の糧になってしまった明乃さん。
 でも悲しくなんかないよ。最後はどうせ死ぬんだから。――この私に食べられて。
 後もう一人、お兄ちゃんの友達が死んでいた。
 あの人は別にどうでもいい。あの人はたまに私のことをいやらしい目線で見ているんだもん。
 さっさと死んでせいせいするよ。

 そして何より私が楽しみにしていたのはある人の名前が呼ばれたこと。

 柚原このみ――
 そう、春夏さんの娘さん。
 春夏さんは彼女のために私と手を組んだんだから。
 唯湖さんですら一目置いていた大人の女性。でも、娘さん死んじゃったよ?
 それでも私といっしょに戦ってくれるのか楽しみだなあ。あははっ。

 ダメだよ私を裏切ったら?
 最後の日まで一緒に戦ってくれないとね?


 ……あれえ? どうしたのかな春夏さん。そんなところに座り込んじゃって。
 ダメだよ。立って、立ち上がって戦う意志を私にみせてくれないと。
 ほぉら立って?


 ……はぁ。ささらさんまで何をやってるのかな。
 私は二人にそんなこと一つも望んでいないんだよ?


 ……あーあ。ダメだなぁ、本当にダメダメだよあの二人。
 その程度で戦う意志を放棄するの?
 自分を変えることを放棄して世界を変えるなんておこがましいんだよ。
 ちゃんと進化、しようよ。ねえ?

 
 私は門の陰に身を隠してテラスの様子をじっと伺っていた。
 でも、結局二人は戦う意志を最後まで見せてくれなかった。
 そして――屋敷の扉が開かれ春夏さんとささらさんが姿を現した。
 二人はこちらに向かって歩いてくる。ああ……この屋敷の外に出るんだね。


 本当にあの人たちったら……

456Sorrowless ◆R34CFZRESM:2011/08/16(火) 23:29:26 ID:sfOT/nK20
 




 ■





「あ〜あ、やっぱり悪いことはするもんじゃないわねえ……神さまはなんでもお見通し、私の悪事もみぃんなまるっとお見通しね。うふっ」

 春夏はテラスのフェンスに背中を預けると寂しげな笑みを浮かべて天を仰いだ。
 夜の帳が下りようとしている空は深い群青に覆われて、西の空には海の向こうに沈んだ太陽の残り香が広がっていた。
 ちらりと視線を屋敷の門に移すと薄暗がりのなかに人影のような物が倒れていた。
 全身を鉛の飛礫で貫かれ頭を叩き割られた少年の死体。

 それが彼女のわるいこと。
 その対価は彼女の全てを支払ってなおも支払いきれない大切なものだった。

「覚悟決めてここまでしたってのにいきなりつまずいちゃった」

 ほんのつい数分前のことだった。
 どこからともなく聞こえてきた男の声。
 屋敷の外にいても中にいてもはっきりと聞こえたそれは死者の名を読み上げる。

 柚原このみ。

 春夏はその名前を聞くと力ない笑みを浮かべるだけだった。
 愛する人との間にもうけた最愛の一人娘。
 16年間愛情を注ぎに注いで育ててきた愛娘。
 母の非情な決意を嘲笑うかのように、世界は娘を早々に連れ去ってしまっていた。
 もう二度と手の届かない場所へ――

「私ってほんとバカ……馬鹿だわ」

 俯いて、くすりと自嘲の笑みを浮かべる春夏。
 その傍らに立つささらはかけるべき言葉が何も見つからなかった。

「ごめんねささらちゃん。春夏さんもう生きる意味も目的もなくなっちゃった。あはは」

457Sorrowless ◆R34CFZRESM:2011/08/16(火) 23:30:08 ID:sfOT/nK20
 
 明るい口調で乾いた笑みだけを浮かべて春夏は蹲る。
 涙は出ない、悲しみもない。
 ただあるのは後悔と絶望だけ。
 真冬の寒空のように凍えきった春夏の心は涙を流す気力も失わせていた。

「春夏さん……」
「ちょっとそれ、私のほうへ向けてくれない?」

 力なく伸ばした指の先には鈍く光る金属の塊。
 巨大なそれはひとたび引き金を引けば周囲に圧倒的な暴力をまき散らすだろう。

「何を、言っているんですか……」
「私にそれの銃身を向けて引き金を引くだけの誰にでもできる簡単な作業よ? ちょっとテラスのお掃除が大変になるかもしれないけど」
「だから! 何を言っているんですかっ!」

 それが何を意味しているかささらも十分理解している。
 至近距離で引いてしまえば門の前の少年よりも酷いことになる。
 きっと弾けた西瓜のようにテラスに春夏だった肉塊を撒き散らすだろう。

「決まってるじゃない。私はこのみの所にいける。あなたは足手まといの元・相棒を始末できる。後は……」

 春夏は人差し指を顎に当て「うーん」と考えた後、少女のように微笑んで言った。

「あなたは人を殺す事への覚悟のを学べる。かな? ささらちゃん、あなたの目的はなあに?」
「それ、は……」
「なら、やるべきことは一つ。でしょう?」

 春夏の言うことに間違いはない。
 所詮二人の関係はいずれ破棄されるためにある同盟関係。
 目的のためにいつかお互い殺し合わねばいけない。
 その時期が少し早まっただけだけ。そう、これはチャンスなのだ。
 ささらは自分に言い聞かせてテラスに鎮座するM134の銃座に立った。

 そして銃口を春夏に向ける。
 銃口の先には春夏の姿。なんて哀しい顔で微笑んでいるのだろう。
 後はこの引き金を引くだけで全てが終わる。否、始まるのだ。
 そうこれは開幕を告げる合図。果て無き修羅への道を始めるための号砲。

458Sorrowless ◆R34CFZRESM:2011/08/16(火) 23:30:53 ID:sfOT/nK20
 
 カタカタと全身が震える。
 あの少年を撃ったときのようなテレビの向こう側のような感覚ではない。
 撃てば目の前で春夏は肉片を撒き散らす。それが春夏の言う殺人への覚悟。
 ささらは震える手を抑えて引き金に指をかけ、そして――



「もうやめましょうよ……最初から私たちに人殺しなんて無理だったんですよ」



 ささらはがっくりと膝をついて項垂れた。
 結局、そんな覚悟なんてできなかったのだ。

「あら、身勝手な言い分ね。私たちはもうあの男の子を殺したのよ? もう後戻りなんてできないわ」
「身勝手なことなんてわかってます! でも……これから誰かを殺すたびにこんな思いをしなきゃならないなんて私耐えられないっ!」

 顔を両手で覆いささらはすすり泣く。
 こんなことを続けていてはいつかは心が壊れてしまう。
 大切な人を護るためにささらが持とうとしていた最後の矜持まできっと失ってしまう。
 心を無くした鬼にはなれない。なりたくなんてない。

「あの人を殺したから気づけたんですよ……人を殺すことへの痛みと恐怖を。
そんな当たり前の事に気づくためにあの人を犠牲にしたのは身勝手なんてものじゃないのはわかっています……」
「それじゃあ私はどうすればいいの……? このみを失った私にはもう何も残ってないわよ……」

 一粒の大きな雫が春夏の頬を伝う。
 無理なのだ。春夏を支えていた柱はとっくに折れてしまっていた。
 まだ何も失っていないささらの言葉なんて届くわけがない、そのはずだった。

「春夏さんっあなたは大人でしょ! お母さんなんでしょっ! だったらこの島で道に迷って泣いている子どもたちを護ってやるとぐらい言ってください!
 道を踏み外しそうな子どもたちを優しく諭し見守っていてください! そして――
 どうしていいか分からなくて途方にくれている馬鹿な子どもの私の手を握りしめて……私を抱きしめて……っ……ぁぁぁ……」

 ささらは感情を爆発させて泣き崩れる。
 その姿は道に迷って一人泣き続ける一人の子供の姿。
 どうすることもできない運命に翻弄された一人ぼっちの子供の助けの声。

「ささ、らちゃん……」

459Sorrowless(修正版) ◆R34CFZRESM:2011/08/16(火) 23:32:20 ID:sfOT/nK20

 春夏の最愛の娘は死んだ。無情にも死んでいった。
 だがこの島には今もなお子供たちが悩み戦い殺し合い、そして助けを求めながら死んでゆく。
 それを大人である自分が、母親である自分が何もしないで命を投げ出していいのだろうか。
 否、いいわけがない。
 なぜなら目の前の少女は泣いている。
 今、一人の子供が助けを求めて泣いている。
 それに手を差し伸ばさず何が大人だ。何が母だというのだ――

「ふふ……子どもに叱咤されるなんて私ったら親失格ね……」

 くすりと微笑む春夏。
 枯れ果て、色を失っていた瞳に光が舞い戻る。
 
 まだ――私はがんばれる。

「春夏さん……もう少しだけ頑張ってみようかしら」
「春夏っ……さん!」
「ふふっ……どこまで頑張れるかわからないけどね」

 その言葉だけでささらは十分だった。
 彼女は自分に手を差し伸ばしてくれた。

「ささらちゃんに一つだけお願い」
「なんです――あっ……」

 ふわりとささらの身体を包み込む春夏。
 そしてぎゅっとささらの身体を抱きしめる。

「今だけ……今だけでいいから――あなたをこのみと思って抱きしめさせて」

 今にも泣き出しそうな声で春夏はそっと呟く。
 ささらはこくりと静かに頷いた。

「このみ……なんでお母さんより先に……あああっ……」

 娘の死を受け止めてから流す初めての涙。
 一度溢れだした涙は止まらない。次から次へと止めどもなく涙があふれ出す。
 娘を失った悲しみ、そして背負った罪をその涙に乗せて――

「このみ……ううっ……ぁぁぁぁぁあぁぁぁぁ……」

 ささらは幼子のように泣きじゃくる春夏の髪を撫でる。
 その表情ははまるで母親のように優しい微笑みだった。

460Sorrowless(修正版) ◆R34CFZRESM:2011/08/16(火) 23:33:14 ID:sfOT/nK20
 



 ■




 泣き腫らした赤い目で春夏は立ち上がる。その瞳にはもう迷いは無い。

「もういいんですか?」
「ええ、もう十分。これ以上めそめそしてたらこのみに怒られてしまうわよ」
「春夏さんは強いですね……私が同じ立場ならきっと――」
「母は強しってやつかしら? ふふっ。でも、本当はささらちゃんのおかげ。あなたが手を差し伸べてくれたから、私はまた頑張れる」
「春夏さん……」
「さて……いつまでもここにいられないわね。こわ〜い女の子たちに私たちの居場所バレちゃってるもの」
「ちはやさん……戻ってきませんね……」
「そのほうが好都合よ、もうあの子と私たちは袂を分かったもの」

 かろうじて春夏とささらは踏みとどまれた。
 来ヶ谷唯湖と香月ちはやは違う。彼女たちを野に放ったけじめだけは取らなくてはならない。
 それが春夏の唯一の――殺めた少年への罪滅ぼしだった。

「ところで……この銃どうしましょう? さすがに持ち運びは無理ですよ」
「そうね。ここに置いておくしかないわ。とりあえず弾だけ抜いておきましょう」

 春夏たちは銃から弾薬を抜いてゆく。弾さえ無ければただの金属の塊でしかない。

「これでよしっと。ちはやちゃんが戻って来る前にスタコラサッサね」
「は、はい」

 足早にテラスを下りて、色とりどりの花が咲き乱れた庭園を歩く春夏とささら。
 庭園は月光に照らされて幻想的な光景を浮かび上がらせていた。
 そして、その幻想の終点にある現実――二人の罪の証があった。
 名も知らぬ少年の亡骸。彼女たちは彼を一瞥する。
 二人はこの罪を一生背負うことを約束して新しい世界に一歩を踏み出した。

461Sorrowless(修正版) ◆R34CFZRESM:2011/08/16(火) 23:33:58 ID:sfOT/nK20
 


「二人とも、どこへ行くのかな?」



 ふいに声をかけられた。にこやかな声色だった。
 だがそれは二人にとって鉢合わせをしたくない相手――香月ちはやである。
 彼女の手には先がぐにゃりと変形し、赤黒い物がこびりついた鈍色の鉄パイプが握りしめられてた。

「よくないなぁ、こういうのは」
「ち、ちはや……さん」

 思わずささらの声が上ずる。
 最悪のタイミングだった。口調こそ穏やかだが明らかにちはやは不機嫌そうだ。
 当然だろう、彼女は最後の一人になるための手段としてささら達と仮初めの同盟を結んでいた。
 それをこちらから反故にしようとするのだから――

「そんな気はしないでもなかったんですよ。特にささらさんは私や唯湖さんのこと苦手にしてる感じでしたから」
 まあ唯湖さんはわからなくもないかな? あの人、私以上にビョーキですから。厄介なことになる前に始末しておきたいのは私だって同じ」

 ちはやは一息吐いて話を続ける。
 そして先ほどよりもやや強い口調で口を開いた。

「でもですね……私とささらさんに何か違いありますか? 私はお兄ちゃんのため、あなたも大切な人のためにと目的は変わらない。
 そんなに木田さんを顔色一つ変えずにこれで殴り殺したことが異常ですか? あなただって木田さんを蜂の巣にしてるくせに」
「それ、は――」

 自分と一緒にするな――
 ささらは思ったが言葉にできなかった。
 
「ちはやちゃん、単刀直入に言うわ。私たちもう殺しはやるつもりはないの。だからこのまま黙って春夏さんたちを黙って行かせてくれたなうれしいなって」
「正直だなぁ。春夏さん。あなたのこと好きになりそうですよ。下手に誤魔化すよりよっぽど好感持てます」
「あらどうも」
「だけど、それはあまりにも身勝手すぎますね。娘さんが死んで早速心変わりですか?」
「そうなのよねえ……春夏さん正義のママに目覚めちゃったの。ま、正義と名乗るにはちょっと汚れちゃったけど。うふふっ」

 春夏は頬に手を当て笑う。その言葉に嘘偽りは無く春夏の本心であることはちはやも嗅ぎ取った。
 そのストレートな言動にちはやは苦虫を噛みつぶしたような表情になる。
 本当に食えない女だ――唯湖と違ったタイプの飄々とした態度でやりにくい相手だった。

462Sorrowless(修正版) ◆R34CFZRESM:2011/08/16(火) 23:35:02 ID:sfOT/nK20
 
「でも、それって私への裏切りですよね?」
「そう思ってもらっても構わないわ」
「そんなこと私が許すとでも思っているんですか」
「あら? こっちは二人、ちはやちゃんは一人。どう見てもちはやちゃんのほうが不利だと思うわよぉ」

 一触即発の不穏な空気が二人の間に流れる。
 そんな春夏とちはやの様子にささらは気が気でならなかった。
 しかし、口を挟むわけにはいかない。そうすれば余計にややこしい事態になるのは目に見えている。
 ここは春夏の交渉術に任せるしかないのだった。

「そうですね。普通なら私のほうが不利です。でも――春夏さんたちは私を殺す覚悟まではないでしょう?
 春夏さんはともかくささらさんはまだそういうのに抵抗持ってそうですから。でも私は違いますよ? 私は二人を殺すことに躊躇なんてしませんから」

 ちはやは唇を歪め邪悪に微笑む。これまで二人の人間を無慈悲に殴り殺しているのだ。今更戸惑いなんてない。
 今、戦えば確実に春夏かささらのどちらかは死ぬだろう。

「私、春夏さんのこと好きですよ。だからできれば考え直して欲しいなと思うんですけど」
「それはお断りするわ」
「そうですか――それは仕方ないですね」

 交渉決裂――いや、元より交渉などできる相手ではなかったのだ。それをここまで引き延ばしただけでも十分だろう。

(さあて、どうやってささらちゃんを逃がそうかしら……)

 春夏もささらも丸腰。一方ちはやは鉄パイプを持っていて、おそらくまともに扱えないだろうが大型の拳銃を持っている。
 正直八方塞がりの状況だった。春夏の表情に初めて焦りの色が表れる。

 
 そして――ちはやがにいと唇を歪めて鉄パイプを振り上げる。
 だが鉄パイプは春夏には振り下ろされず、ちはやはくつくつと笑っていた。


「あら、ちはやちゃんもいきなり心変わりかしら?」

 攻撃をしてこないちはやは春夏にとっても予想外だった。それでも春夏は表面上は余裕を装う。
 春夏はささらを見るがささらは無言で首を振るだけだった。

463Sorrowless(修正版) ◆R34CFZRESM:2011/08/16(火) 23:36:33 ID:sfOT/nK20
 
「ふふっ、私の目的は最後までお兄ちゃんを生き残らせること。でもその前に私が死んだら意味ありませんから。だから私は頼りになりそうな人を探しているんですよ?
 誰彼かまわず殺して回ると勘違いしては困りますね。今春夏さんたちを殺しても私にはメリット一つもないですから」
「へえ……意外と冷静な判断できるのね。もっと殺人狂な女の子だと思っていたわ」
「それは唯湖さんでしょう? 私にとって殺人は目的でなく生き残るための手段ですから」
「それで、ちはやちゃんは私たちを黙って見逃してくれるのかしら?」
「まさか、そうしたら私一人になっちゃうじゃないですか? 唯湖さんの他にも純粋に殺人を楽しんでる人がいるかもしれないのに一人で行動なんてできっこないですよ。
 だから、私もお二人に同行させてもらいます」

 ちはやの予想外の申し出にささらは困惑する。
 こんな危険人物と一緒に行動なんて到底受け入れられるわけがなかった。

「春夏さん!」
「ささらちゃんなあに?」
「まさか……彼女の言うことを受け入れるつもりですか!?」
「ええ、そのつもりよ」
「そんな……っ」

 ささらは絶句する。一体この人は何を考えているんだろうと。

「いい、ささらちゃん? この申し出はちはやちゃんの出来うる最大限の譲歩よ。これを蹴ったらどうなるかわかるでしょう?」
「さすが春夏さんですね。話が早くて助かります」

 この申し出を蹴れば完全に交渉決裂。今度こそちはやは二人を殺しにかかるだろう。
 春夏にとっては予想外の譲歩案をちはやが自ら持って来てくれたのだ。これに乗らずにこの危機を乗り切る方法は無い。
 元々主導権はちはやが握っている。そのちはやが譲歩してくれるのであれば万々歳だった。

「一つだけ約束してちょうだい。私たちが生きてる間は殺人を犯さないと」
「もちろん約束します。私だってわざわざ敵を増やすようなことはしたくありませんからね。敵は敵同士でつぶし合ってくれるのが一番ですから」
「く……そんなこと信じられるわけが……っ!」
 
 相手はすでに二人をも人間を殺害してる人間。
 そんな人間がそんなことを言ってもささらにとって信じられるわけがなかった。
 ちはやはそんなささらの態度を見ると呆れるような表情で肩をすくめる。そしてあからさまに見下した視線をささらに投げかけながら言った。

「ささらさんって聡明なように見えて、存外飲み込みが悪いんだなぁ」
「なんですって……」
「あなたが今、生きていられるのは誰のおかげかなぁ?ってことですよ。本当ならそこで転がってる木田さんのようになってもおかしくないんですから」

 血で汚れた鉄パイプでささらの背後に転がる死体を指し示してちはやは嘲笑う。

464Sorrowless(修正版) ◆R34CFZRESM:2011/08/16(火) 23:37:27 ID:sfOT/nK20
 
「そういうこと。この場はちはやちゃんのほうが立場が上。春夏さんたちに拒否権はないのよね」
「わかり、ました……」

 春夏にそこまで言われてはこれ以上食い下がっても意味がない。
 ささらは渋々ちはやに従うことにした。

「話は決まったようですね。ではよろしくお願いします。ささらさん。至らない点は遠慮なく指摘してほしいです」

 白々しい口調で挨拶し、わざとらしくぺこりと挨拶するちはやだった。
 当面の危機は去ったが獅子身中の虫を飼う羽目になった春夏とささら。
 春夏は仕方のないことだと割り切れていたが、ささらはまだ納得出来ていないといった様子だった。

「ところで一つ聞きたいことがあるんだけど」
「何ですか?」
「もしちはやちゃんよりも先に『お兄ちゃん』が死んでしまったらどうするの?」
「その時は私が生き残るだけですよ。少なくとも私の心の中で兄ちゃんは永遠に生きていられますから」
「はぁっ……最近の子って歪んでるわねぇ」
「褒め言葉として受け取っておきますよ。それと春夏さん」
「なに?」
「私からも一つだけ忠告。次に唯湖さんと再会したときは問答無用で殺しにかかってくださいね。彼女にこんな茶番劇通用しないと思いますから」
「あらあら、ちはやちゃんともあろう人が彼女を怖がっているのかしら?」
「ええ、怖いですよ? 見送ってる途中何度殺されると思ったか。彼女の姿が見えなくなるまでずっと、ずっと」

 ちはやは純粋に唯湖に恐怖していた。
 一見すると自分よりもまともに見える言動に見え隠れする底知れぬ狂気。
 きっと再び会えば一片の慈悲も無く、嬉々として自分たちを狩りに来るだろう。

「だってあの人はバケモノですから。私と違って」




【時間:1日目19:00ごろ】
【場所:H-6】



柚原春夏
【持ち物:水・食料一日分】
【状況:健康】


久寿川ささら
【持ち物:水・食料一日分】
【状況:健康】


香月ちはや
【持ち物:鉄パイプ、フェイファー・ツェリザカ(4/5)、予備弾×50、水・食料一日分】
【状況:健康】

465 ◆R34CFZRESM:2011/08/16(火) 23:38:27 ID:sfOT/nK20
修正版投下完了しました。
この度はご迷惑かけて申し訳ありませんでした。

466 ◆R34CFZRESM:2011/08/16(火) 23:39:02 ID:sfOT/nK20
修正版投下完了しました。
この度はご迷惑かけて申し訳ありませんでした。

467レクイエムは誰がために  ◆92mXel1qC6:2011/09/27(火) 04:22:46 ID:oc4bCHTY0
それでは投下させて頂きます

468レクイエムは誰がために  ◆92mXel1qC6:2011/09/27(火) 04:23:13 ID:oc4bCHTY0

人間とは、儚き生き物だ。
そうは思わぬか、空蝉よ。
かの者達は常に身の程をわきまえぬ願いを抱く。
時には、我らが業の真似までして、生命の進化を促し、新たな命までも創造する。
されど。
人間達に与えられた力も時間も、我らからすれば実に小さく、実に短い。
それでも。
それでも汝は人を信じると言うのだろうな。
我が子ども達を愛しているように。
汝は子ども達を信じている。

それもまた、よかろう。
汝は我、我は汝。
我には理解できぬ想いであれど、汝の感情は我の願いに他ならず。
我の願いもまた、汝の想いと形は違えど同じものなのだから。

ああ、なればこそ、子ども達よ。
今を生きる人間達よ。
死しても尚抗う霊体達よ。
子ども達によって生み出された孫たちよ。
応えてみせよ、空蝉の想いに。
叶えてみせよ、我が願いを。
果たすがいい、原初の契約を。
さあ、今一度、汝らに言おう。




「――生きてみせろ」





     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

469レクイエムは誰がために  ◆92mXel1qC6:2011/09/27(火) 04:23:42 ID:oc4bCHTY0
倒壊音が立て続けに背後より響く中、シルファ達は必死の思いで逃げていた。
追ってくる者もいない以上、逃げるという言葉を使うのはおかしいかもしれない。
あの時、あの場では、妥当な判断であった以上、戦術的撤退と呼んでも差し支えないかもしれない。
それでも、シルファからすれば、これは紛れも無い逃亡だった。
人間を護ると誓ったはずの身でありながら、人間に助けられ、あろうことかその恩人をおいて逃げた、ただの逃亡だった。

あの後。
立華奏、岡崎朋也両名が、いや、正しくは、立華奏が駆けつけてくれたこともあり、戦況は一変した。
音無と二人がかりをして圧倒された女傑、カルラを相手に奏は一人で互角以上に戦いを推し進めた。
それほどまでに、立華奏は強かった。
人ならぬメイドロボの身で言うのもおかしな話だが、否、人の叡智に作られたメイドロボだからこそ言える。

立華奏は人智を超えた存在だった。

無から有を創造するハンドソニック。
条理をねじ曲げるディストーション。
世界より身を浮かすディレイ。

垣間見たのは少女の手札のほんの一部だけだったが、それでも、シルファは断言できる。
如何なメイドロボにもあのような芸当はできないと。
その超越した能力を使いこなす立華奏は、こと戦闘面においては、自分はおろか、姉のミルファ、イルファすら追随を許さない存在だと。
分かっている、分かっているのだ。

「おい、良かったのかよ、あんた! あいつ、あんたの知り合いだったんだろ!? あーっと……」
「音無、音無結弦だ。奏から俺のことは聞いていないのか?」
「あいつ、あんま自分のこと話してくれなかったからさ。それに何だかよく分からねえことも言い出すし」
「……よく分からない、か。それでも、あいつの強さは分かってるだろ」
「まあ、な」
「なら、そういうことだ。あいつは絶対に、あのカルラってのには負けないさ」

音無の言葉は何も希望的観測に沿うものではない。
そのこともシルファには十分に分かっている。
カルラが全てを貫く矛だとすれば、奏は全てを弾く盾だ。
そう言い現せば、矛盾という故事のように結果は相討ちだが、カルラも奏も人間だ。
誰かに使われるのではなく、自ら動く、人間だ。
そしてその動くという要素にこそ、奏がカルラに負けないと言い切れる秘訣がある。

速さだ。

こと速さにおいて、奏はカルラを遥かに上回っているのだ。
それは、もし奏が身の危機に瀕しても、逃げの一手を打てば、確実に逃げ切れるということを意味する。
常人ならば、カルラに背を向けるなど自殺行為にすぎないが、奏なら、逃げ切れるまでの数発は、ガードスキルで凌ぎきれる。
そう判断したからこそ、奏のことをよく知る音無はもとより、不満を感じている朋也も、こうして逃げを選択したのだ。

ああ、だから。
だから。
今この身が切り裂かれん程に軋みを上げているのは、奏のことが心配だからじゃない。
護ると誓ったはずの人間に助けられ、あろうことか置いて来た我が身の不甲斐なさを恥じてのことだけではない。
要らないと、邪魔だと。
言外に訴えられたことが答えているのだ。

何度でも言おう。
シルファ達は逃げている。
奏の助力で優勢に立ったはずのカルラから、逃げている。
何故か。
普通に考えれば、奏と協力して立ち向かうべきではないか。
いくら奏が相性もあり優位に立てているとはいえ、カルラが強敵なことには変わらない。
ならばこそ、微力ながらも、助太刀すべきだ。
特にシルファはメイドロボだ。
人を助けることが本業だ。
元がロボサッカー用に設計されていたこともあって、ただでさえ高性能なメイドロボの中でも、運動能力は群を抜いている。
経験不足故にイルファほどではないが、それでも、カルラと紛いなりにも打ち合えた位だ。
援護の一つや二つはできるはずだ。
シルファ自身、そう思っていた。
思っていたのに。

470レクイエムは誰がために  ◆92mXel1qC6:2011/09/27(火) 04:24:03 ID:oc4bCHTY0

紛い物は紛い物で。
想像は幻想だった。

繰り広げられる英雄同士の戦いを前にして、シルファは打ちのめされた。
カルラにどれだけ手を抜かれていたのか、思い知らされた。
援護?
冗談ではない。
手助けどころか、余波から身を守るだけで精一杯で、それさえも出来なかった。
メイドロボの本業である、人間を護ること以前に、自分の身さえ、自分で守れなかったのだ。
シルファは恐怖と共に思い出す、彼女達が逃亡に踏み切った時の光景を。
絶大な防御技能と急加速力を誇る奏に対し、カルラは広範囲に大威力の攻撃を成すことで対処しようとしたのだ。
カルラが選んだ手段は、大質量攻撃。
具体的に言えば、ビル崩し。
持ち前の怪力で振り回した電柱による打撃と、トドメの一撃とばかりにビルを駆け上がって叩きこんだ蹴りで、奏に向かってビルの上層部を崩し落としたのだ。
だがそれさえも、奏にとっては対処可能な範囲だったらしい。
現に彼女は証明してみせた。
あまりの出来事に絶句して硬直していたシルファ達を、落下してくるコンクリートの塊から救うことによって。

あの時の自分は一体何をしていたのだろうか。
本来ならば、メイドロボである自分が、動くことも叶わない葉留佳達を護らなければならなかったのに。
咄嗟のことで動けず、護るはずの人間に救われて。
そして、そして。

『逃げて。私一人じゃ、護り切れない。あの人は、あなた達を庇いながら戦える相手じゃない』

邪魔だと、不要だと、言外に告げられたのだ。

それはシルファの被害妄想かもしれない。
奏は一言も、そんなことは口にはしなかった。
けれども、だけれども。
人を護ることを生業としているメイドロボを前に、天使の如き少女は言ったのだ。
私一人では、と。
シルファは、奏に護られる側ではなく、護る側の者だとは捉えられなかったのだ。

(私はメイドロボなのに。護るろころか、足を引っ張って。
 護られて。……やっぱり私はらメイドロボなのれすか?
 欠陥品なのれすか? 要らないのれすか?)

そのことが、呪いのようにシルファを蝕んでいく。
今でこそ、イルファの差金による河野貴明という主人を得たことで、シルファはある程度、メイドロボとしての自信と自覚を得た。
しかし、少女は元来、人と接するのが苦手という、メイドロボとして致命的な弱点を持っていた。
転じて、それ以外の能力には問題ないにも関わらず、シルファは自分ことをダメなメイドロボだとしてコンプレックスを持っていたくらいだ。
そのコンプレックスが、ここに来て、再び鎌首をもたげ出す。
いくら克服してきたとはいえ、生誕以来ずっと抱えてきた悩みは、そうそう完全に消え去るものではない。

加えて、追い打ちをかけるように、朋也が、音無へと問いかけてしまう。

「あー、なんだ。ところでだ、音無。お前、なんだかかなり奏のことに詳しいみたいだけどさ。
 ちょっと聞きにくいことなんだが、奏はその、電波ちゃんかなにかなのか?」

朋也からすれば、奏を置いて逃げたことへの負い目をごまかそうという思いもあったのだろう。
或いは、信じたくない言葉だったからこそ、早く事の真偽を知りたかったのか。
だがそれは、苦しむシルファに止めをさして余りある、問いかけだった。

「俺達が既に死んでるって」

471レクイエムは誰がために  ◆92mXel1qC6:2011/09/27(火) 04:24:22 ID:oc4bCHTY0

は?

「な、何をいってるのれすか、岡崎さん。私達が、既に死んれ、る?」
「そうだよな、死んでるなんてんなわけねえよな。
 そりゃあんな不思議な力を使えたら、中二病になっちまうのもしかたねえけどな。
 はは、ははは。……おい、頼むよ、なんとかいってくれよ、なあ!」

始めは茶化すように、おちゃらけているような表情で、問いかけていた朋也の顔が、無言の音無を前に、徐々に焦りを帯びていく。
そして、僅かの沈黙を経て、音無は答えたのだ。
シルファには許容できないその答えを。

「……少なくとも、俺とその仲間達は、な」

知られてしまった以上、下手に隠していても悪い想像や憶測を呼ぶだけかと。
音無は自分が知るかぎりの全てを話してくれた。
自分が事故に巻き込まれ、既に死んだ人間であること。
記憶を失い死んだ世界へと紛れ込んだこと。
その世界と、その世界へと来る人間達のルールについて。
全部、全部、話してくれた。
あくまでも、この殺し合いに呼ばれるまではの話で、この殺し合いに参加させられている今の自分達や、他のみんながどうかは分からないと前置きはしていたけれど。

説明はつく。
ついてしまう。
覚えもないのに、突然にあのホールにいたことも。
ディーや奏、カルラといった人を超えた者が存在することも。
ここが死後の世界ならば。
自分達が死者ならば。
……自分達が?
一つの可能性に気付き、シルファが青ざめる。
そうだ、自分“達”だ。
名簿には、シルファだけでなく、ご主人様である貴明や、姉妹であるイルファ、ミルファ。
創造主である珊瑚とその姉達も記載されていた。
それは、つまり。

「ちょっと待って欲しいのれす。今の話からすれば、この名簿に載ってる人はみんなもう既に」
「……否定も肯定も俺にはしきれない」

言葉を濁す、音無。

「っ、嘘だろ……。そんなのって、ありかよ。けど、古河がここにいるってそういうことなのか?
 身体の弱いあいつなら……。それでおっさんたちも後を追って。
 けど、いくら何でも、おかしいだろ、俺の知り合い全員って!? そんなわけ、ねえよな……」

朋也は必死に自分を納得させようとしているが、そんなわけが有りうるのがシルファなのだ。
彼女の創造主、姫百合珊瑚は来栖川エレクトロニクスの新型メイドロボの設計も行っている程の天才だ。
無論、それ相応どころではない財産も所持している。
その頭脳にしろ、財産にしろ、悪意を持つ者達に命を狙われてもおかしくないのだ。
そしてもし、これが、その結果だったのなら。
この殺し合いに、姫百合姉妹と、彼女専属のメイドロボ、そしてご主人様と、ご主人様専属のメイドロボ二体、全てが参加させられているということは。
珊瑚も、琥珀も、貴明も、死んでいるかもしれないということは。

472レクイエムは誰がために  ◆92mXel1qC6:2011/09/27(火) 04:24:40 ID:oc4bCHTY0

(……私は、マモレナカッタ? ご主人様も、イルイルも、ミルミルも、珊瑚様も、全部、全部マモレナカッタ?)

がらりがらりと、何かが崩れる音がシルファの中で反響していく。
崩れ行くはレーゾンデートル。
人を護るという存在意義の元に成り立つ、メイドロボとしての自分自身。
嘘だと言いたい。
朋也のように否定したい。
でも、だけど。
直前まで、彼女の心を蝕んでいた呪いが、シルファに前向きな思考を許してくれなかった。
どころか、再発したコンプレックスと、誰も護れなかったというレーゾンデートルの崩壊が、螺旋を描き、悪循環を産んでいく。
ありもしないはずの悪夢が脳裏へと描かれていく。

(私が欠陥品らったから? 私が、イルイル達の足を引っ張ったから? それでご主人様が。巻き込まれて、ああ。

「ああ、い、い、いや、嫌、いっ」

遂に、悪夢が現実へと漏れで、悲鳴を型作りかけてしまう。

「お、おい、しっかりしろ! まだお前達までそうだと決まったわけじゃ!」

音無が咄嗟にシルファの肩を掴み、正気へと戻させようとする。
けれど、もう遅い。ここまで来れば後は叫ぶしかないだろという寸前で。

「あいやー、困ったなー。そっかそっか、はるちん死んじゃってたのかー」

シルファの悲鳴は場違いな調子の声で寸断された。
声の主はこれまでシルファに肩を貸されるままだった葉留佳だった。

「はる、はる?」

思わず、葉留佳の方を振り向いたシルファは、ぞっとした。
先ほどまでシルファが抱いていた恐慌、それを全て飲み干してしまうかの如く。
笑みのような何かを浮かべる葉留佳の瞳には。一切の光が宿っていなかったのだから。


     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

473レクイエムは誰がために  ◆92mXel1qC6:2011/09/27(火) 04:24:56 ID:oc4bCHTY0
芳野祐介は春原芽衣にとってのヒーローだった。
熱く、強く、激しく歌われる夢と希望は、辛い時や苦しい時に、再び立ち上がる勇気を与えてくれた。
少女にとっては頼れる兄であった春原陽平が夢を捨て堕落してからは、より一層、芳野祐介の歌を心の拠り所とした。
幼き少女とて知っていた。
芳野祐介もまた、禁忌を犯し、夢破れて失墜した人間だということくらいは。
兄以上に荒れ、兄以上に壊れ、光り輝く舞台から追放されたということも。
知っていて尚、少女は、男の歌を心の支えとし続けた。
思い出の中に残る在りし日の兄の姿が、尚変わらず、少女の心を守ってくれていたように。
記憶媒介の中に残された男の歌は、いつまでも変わることなく、少女の背を押してくれた。
春原芽衣はそうやって、二人の男にずっと、ずっと、ずっと、守られて生きてきた。
守られていたからこそ、幼き心は、生きる苦しみにも負けずに真っ直ぐに生きてこられた。

なのに。

兄は、もういない。
芽衣が泣いていれば絶対に助けに来てくれた兄は。
少女が涙を流すよりも速く、この世から去っていた。
助けてと嘆いても助けに来てくれないはずだ。
兄は既に死んでいたのだから。
もしかすると、兄のほうこそが、妹に助けを求めていたかもしれなかった。
死の間際に、彼女の名前を呼んでいたのかもしれなかった。

ならば、これは罰なのか。
助けを求めるばかりで、兄を助けようとしなかった自分への罰なのか。
兄が後ろ指を刺された時に、すぐに助けに行かなかった罰なのか。
そのきっかけになった暴動事件を起こすほどに兄が追い詰められていたことに気付かなかった罰なのか。
……これが罰だというのなら、余りにも酷すぎるではないか。

呆然としたままだった芽衣は、いつしか男に腕一本で首から抱え上げられていた。
首筋に感じるのは研がれた鉄の冷たさ。
大人顔負けレベルに料理も嗜んでいる少女は、それが何かを知っていた。
誰に何をされているのか理解してしまった。

春原芽衣は、憧れの芳野祐介に包丁を突きつけられている

芳野、さん……

カタリ、カタリ、カチリ。
男の名を呼んだはずの口は、自らの意思に歯をかち鳴らし意味を成さない音を立てる。

「動くな」

言われるまでもない。
言われるまでもなく、動けない。
どれほど年齢の割にはしっかり者だとはいえ、芽衣はまだ中学生の少女なのだ。
刃物を突きつけられて、怖くないはずがない。

いや、それ以前に。
春原芽衣はこの現実を受け入れられず、未だ愕然としたままだった。

殺し合いなどという非現実に巻き込まれ。
凄惨な陵辱現場を目の当たりにし。
二度も眼前で人を殺され。
自分を守ってくれた人と、自分を絶対に助けに来てくれると期待してしまっていた兄の死を知らされ。
追い詰められていた芽衣にとって芳野祐介は最後の希望の砦だったのだ。

その彼が、あろうことか。
自身から兄を奪い、絶望の底に突き落とした人達と同じ“人殺し”だということを、信じられようはずがなかった。
信じたくなかった。
たとえしかと彼が人を殺す光景を我が目に焼き付けてしまっていたとしても。
心が受け入れられるはずがないのだ。

だからだろうか。
少女は泣くでもなく喚くでもなく、この期に及んでただ、自らを害そうとする男の歌が無性に聞きたくなった。
こんな時だからこそ、絶望の中で喘ぐ少女は、希望に満ちた男の歌が聞きたくなった。

474レクイエムは誰がために  ◆92mXel1qC6:2011/09/27(火) 04:25:23 ID:oc4bCHTY0


     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「やーやー、参った参った。本当に参ったヨー。
 メイドロボなんていうロマンな存在をこのはるちんが知らないなんてと思っておりましたが、そりゃあ天国産じゃあ知るわけもなく」

三枝葉留佳は笑っていた。

「おまけにさっきのあの子は天使さんということですかー? 
 うっはー、すげえぜ、天国! 美少女、いっぱいじゃねえかあ! 
 あ、でも、あのケモミミ野郎は獄卒っぽいってことは、もしやここは賽の河原!?」

けたけたと、けらけらと、乾いた音を立て、笑っていた。

「親よりも早く死んだ子どもは罰を受けねえとだめってことですかい。つまりはその罰が殺し合いっつうわけですな。知ってますヨ、はるちん」

可能性にすぎない話を受け入れて。
自分は死んだのだと決めつけて。

「三枝、お前……」
「お、おい、どうしちまったんだよ、何いってんだよ!?」
「はるはる……?」

何かを理解したかのように目を細める音無の声も、突然の変容に呆然としている岡崎とシルファも無視して。

「極卒達は、な、なんと! 積み上がった石を崩しちまうとか。
 あれ、でもあの極卒さん、石どころか直接子ども達をぶっ殺そうとしてましたなー、こう、ぐしゃりと。
 いやあ、賽の河原っつうよりも、もはや地獄じゃないですかー」

あーまたですかと。
いつものことだよねと。
自嘲と諦めを含んだ声で笑っていた。

「……死んでからも地獄だなんて、素敵過ぎるじゃねえか、このやろがーっ!」

呪詛と憎悪を込めてワラッテイタ。

「だいたいなんですか、それは? 親より先に死んだから罰だあ? またですか、そうですか、またあいつらのせいかよ!
 その上名簿に載ってないってことは、あいつらは生きたままってことですか。子どもを生贄に捧げて逃げた親にはお似合いですなー」

生まれて間もない自分を見捨てて家を出ていった両親を。

「あ、でもでも。“あいつ”の名前が載ってるってことは、あいつも死んでるんだよね?」

自分から全てを奪った双子の姉妹を。

「……ざまあみろ。ほんといい気味! あははははは! えらそうにしていたくせに!
 あたしより長生きできないんじゃ世話あないよねー」

ただただただただ嘲笑っていた。
けたけたと。
ケラケラと。

475レクイエムは誰がために  ◆92mXel1qC6:2011/09/27(火) 04:25:41 ID:oc4bCHTY0

「ね、そう思うでしょ、朋也くん?」
「な、何いってんだよ。なんでそこで俺に振るんだよ」
「さあ、なんでだろ。なんとなーっく、朋也くんなら分かってくれそうな気がして」

なんとなくはなんとなくなのだ。
理由なんてない。
理由なんて……理由?

ピタリと、葉留佳の狂笑が止む。
当たり前といえば当たり前過ぎる疑問に行き着いてしまったからだ。

「はて、なんでといえば、疑問が一つ。はるちん、なんで死んだんだろ?」

問うまでもなかった。

「……決まってるよね」

その問への答えこそ、葉留佳にとっては当たり前のものだった。

奪われてばかりの人生だった。
家族も、自信も、居場所も、存在価値も。
全部、全部、全部、三枝葉留佳は奪われ続けた。
過去の栄光に縋り、自分達の神を崇める愚かな血族。
彼らの傀儡たる姉妹により、葉留佳はずっと、ずっと、ずっと、奪われ続けた。
今回だってそうだ。
きっとそうなのだ、そうに違いない!

「私っからいつも何か奪うのは、あいつだもんね。あいつが、二見佳奈多があたしを殺したんだ」

二見佳奈多。
優秀な片割れ。
三枝葉留佳の比較対象。
全てが葉留佳より優ってるとされ、その結果、犯罪者の娘だというレッテルを一人、葉留佳に押し付けた、諸悪の元凶!

(あいつだ、あいつが殺ったんだ。全部あいつのせいなんだ。あたしは悪くない、あたしは悪くない!)

音無も言っていたではないか、死者の中には直前の記憶を失っている者もいると。
自分もそうなのだ。
ただ、忘れているだけなのだ。
だからこれは被害妄想なんかじゃない。
真実だ。
三枝葉留佳にとっては疑いようのない真実だ!

「そうだ、そうに決まってる。理樹くん達が死んでるのもそうなんだ」

三枝の家にいる時、葉留佳は学校に行くことさえも許してもらえなかった。
それが通学できるようになったのは、佳奈多が逃げた両親を探し出し、葉留佳を彼らに預け、三枝の家から追放したからだ。
別に感謝なんてしていなかった。
佳奈多にとっては単に三枝の面汚しである自分を追い出したかっただけなのだと葉留佳は踏んでいる。
ただ、それでも。
間違いなく、学校に行きだしてからの時間は幸せだった。
どこにも居場所がない家とは違い、学校には自分の居場所があったからだ。
リトルバスターズというありのままの自分を受け入れてくれる最高の仲間達さえできた。
楽しかった。
今までの人生の中で、初めて楽しいと感じられた。
楽しくてしょうがなかった。
なのに、なのに!

476レクイエムは誰がために  ◆92mXel1qC6:2011/09/27(火) 04:26:04 ID:oc4bCHTY0

「私から、すべてを奪うために、リトルバスターズのみんなを殺して、最後に笑いながらわたしの命を奪ったんだ」

今になって佳奈多は惜しくなったのだ。
気まぐれで与えたものが、予想以上に葉留佳を幸せにしてしまったことを妬んだのだ。
だから、全部奪うことにしたに違いない。
そう考えれば、リトルバスターズのメンバーが全員死んでいることにも説明がつくではないか。
腐っても、三枝家は地元の名士だ。
子どもの一人や二人、殺すことくらい容易いことだろう。

何よりも。
葉留佳が全てを失うことになったきっかけは。
佳奈多と比べられて育つことになった理由は。
異父重複受精だった自分達双子の父親が、犯罪者だったからではないか。
なら、ならば。犯罪者の娘ならば。人殺しくらいやすやすとできてもおかしくはない!

(はて? この理論だと、つまりはあいつが犯罪者の娘ということになるってことじゃあないですか。
 そうだよ、やっぱり私じゃなかったんだ! 悪くなかったんだ! 悪かったのはあいつだったんだ!)

ようやく掴んだ真実は、けれど、葉留佳にとって今更のものだった。
だって彼女達は死んだから。
二人揃って死んだから。

「それで自分まで死んじゃってるってことは、りきくんや恭介くんが刺し違えてくれたのかな?
 さすがりきくんです。偉い子偉い子なのですよ〜」

嬉しいことのはずなのに、ぼろぼろと涙が零れ落ち始める。
何度でも言おう、いまさらなのだと。
自分が犯罪者の娘じゃないと分かったところで、奪われたものは戻ってこない。
どころか、巻き添えにしてしまったと思い込んでいるリトルバスターズのメンバー達が、代わる代わる葉留佳の脳裏に現れ彼女を苛んでいく。

おまえのせいでぼくたちはしんだって
ぜんぶおまえがわるいんだって
おまえなんかいらないって

(ごめんなさいごめんなさい巻き込んじゃってごめんなさい
 私のせいですごめんなさいごめんなさい全部私のせいですごめんなさい)

幻影の彼らにいくら謝れど、葉留佳の涙が神に許され酒に変わることはなかった。
真に望んでいたはずの人の輪にも、葉留佳はもう帰れない。
結局、三枝葉留佳は、どこまで行っても、死んでからでさえ、奪われ続ける宿命だったのだ。

「私、こんななら、こんななら――生まれてこなければよかった」
「……そうか、お前も、直井と同じで」
「へー、わたしみたいな人もその戦線の中にいたんだー。少佐、もう一つ証拠が増えましたぜ! やっぱりあいつがわたしを殺したんです!」

諦めと共に静かに呟く。
それを目ざとく聞きつけた音無は何か得心が言ったようだった。
どうでもいい。
自分と似た人間がいようが、そいつが今、どんな想いでこの地にいようが、そんなのはどうでもいい。
あれだけ求めていた居場所を失くしてしまった葉留佳に残されているのはただ一つ。

「あ、よくよく考えればチャンスじゃね、これ? 
 どうせ死んじゃってるけど、せっかくの機会だし。
 あいつより先に死んじゃうのも癪だし。今度はわたしがあいつから……」

消える事無き、半身への恨みだけだ。

477レクイエムは誰がために  ◆92mXel1qC6:2011/09/27(火) 04:26:23 ID:oc4bCHTY0

「いいかげんにしろよ! 奪うとか、殺すとか! 
 偉いわけないだろが! 死ぬんだぞ、死んじまうんだぞ!? 
 偉いわけ無いだろが! 命を何だと思ってるんだ! それに、お前の命だって!」
「うるさい、離して!」

その恨みさえ、どうやら糞ったれな三枝の神さまは晴らさせてくれないみたいだ。
ぐらり、と葉留佳の身体が大きく傾く。
足を怪我し、一人で立てない身であるのに、肩を貸してくれているシルファのことを突き放す勢いで音無から逃れようとしたのだ。
葉留佳同様ありもしない罪に囚われ気力の削がれていたシルファは暴れる少女一人支えることもできず、突き飛ばされる。
それは同時に、葉留佳が支えを失うということで。
ぐしゃり、と。
少女は自らの流した涙で濡れたアスファルトの上に崩れ落ちた。

「はは、あれですか。負け犬には地を這い蹲る姿がお似合いってえことですか。
 笑え、笑えよ、本家の連中みたいに。わたしを見下ろしてさ」

その痛々しい様に、誰もが言葉を失った。
何かを伝えようとした音無でさえ、一度強く唇を噛みしめると、視線を葉留佳から、倒れたシルファへと移す。

「シルファ、立てるか?」
「らいじょうぶ、なのれす……」
「そうか。だが三枝のことはしばらく俺達に任せろ。岡崎、もう片側を頼む」

シルファの無事を確認した音無は、今度は葉留佳の右側へとしゃがみ込み、肩を貸してきた。
ありったけの呪詛を出しきったからか大人しくなった葉留佳は、されるがままに、立ち上がろうとして。

気付く。
“左側”を任されたはずの朋也が、苦悩も顕に立ちすくみ、一向に葉留佳に“右肩”を貸そうとしないことに。

「岡崎、お前、まさか……」
「……っ、すまない、三枝、俺は、俺のっ」
「あーあー、いいんですよ、いいですよ」

何かに気付いた音無と、何かを伝えようとする朋也を遮り、再び葉留佳は乾ききった笑みを浮かべる。
そうして少女は言葉を吐いた。
それは、葉留佳にとっても、この場の誰にとっても、とびっきりの呪いの言葉だった。


     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

478レクイエムは誰がために  ◆92mXel1qC6:2011/09/27(火) 04:26:39 ID:oc4bCHTY0
芳野祐介はかつて、光の中にいた。
それは単に、多くのスポットライトやコンサートスティックに照らされていたということの比喩ではない。
愛を歌い、命を歌っていた祐介は、文字通り“光”だった。
絶望にくれる者達や、怠惰に沈む者達にとっては、生きる希望を与えてくれる“光”だった。
だが、当の祐介にとって、その“光”は強すぎた。
ある難病を抱えた子ども達の施設を訪れたことで、自分の歌がどれだけ多くの人の人生の支えとなっているのかを知ってしまった祐介は。
その重責に苦しみ、強すぎる自らの“光”に焼かれ出した。
それでも、祐介は歌を止めることができなかった。
彼が歌うのを止めてしまえば、あの子ども達のような多くの人間が、生きて行く希望を失ってしまう。
実際に一つ、彼が歌から離れようと休暇をとっていた時に事件が起きたこともあり、祐介は強迫観念に支配され、歌い続けた。
文字通り血反吐を吐く想いで支離滅裂な歌を歌い続け。
挙句の果てには歌を歌い続ける為に手を出した麻薬が元で歌えなくなり。
太陽に近づきすぎ、自らが太陽と化してしまったイカロスは、哀れ、羽を失い、地へと堕ちた。

けれども、それは、祐介にとっての救いだった。
彼を待ち続け、堕ちた心と身体を受け止めてくれた人が、地上にはいたからだ。
彼はようやっと、自分だけの“光”を見つけた。
それは昔彼を焦がし続けた“光”と比べて、本当に小さなものだったけれど。
祐介にとっては他の全ての“光”よりも大切な、ただ一つの灯火だった。

だから、だから。
この道を選んだことを、祐介は後悔していない。
護りたい“光”の為に、“闇”の道を行くことに、一切の躊躇はない。
神が何度も何度も皮肉な出会いを以てして問いかけてきても。
芳野祐介は揺らがない。

それがたとえ、自らが殺した少女の想い人を相手にしてでも。
在りし日の自分のファンで出会えてよかったと言ってくれた子どもを人質にとっても。

芳野祐介は揺るがなかった。
揺るがな、かった。
それを前にするまでは。
その瞳の奥に眠るものを垣間見る前は。

(くそっ! どこまで、どこまで俺を試すようなことをすれば、神様ってのは気がすむんだ!?)

湧き上がる感情を必死に押しとどめ、表面上は冷静を保つ。
祐介には、一時の相棒であるカルラのような卓越した武力はない。
電気工を職にしている以上、一般男性よりは体力があることは確かだが。
それでも、凡人の範疇である以上、数や装備の利で軽く覆される程度の優位性だ。
愛する人のために、死ぬ訳にはいかない以上、祐介は打てる手は全て打つことを選んだ。
その為に、恭介が怒りに囚われ、視野が狭くなった隙をつき、人質を取るという非道な真似もした。

しかしそれは失敗だったのかもしれない。
或いは、自らを好いてくれたファンの想いを裏切った罰だろうか。
少女の首をフックし、掲げ上げ、銃を突きつけたその時。

479レクイエムは誰がために  ◆92mXel1qC6:2011/09/27(火) 04:27:05 ID:oc4bCHTY0

「あ……」

僅かに響いた悲しげな女性の声。
それを追い、恭介の背に庇われるように立つ一人の少女と目を合わせた時、祐介は。

不覚にも、一瞬、小女以外の全てが、脳裏から消え去っていた。
それほどまでに、少女は、須磨寺雪緒が芳野祐介に与えた印象は、圧倒的だったのだ。

(なんて美しいのだろう)

少女を直視してあろうことか、祐介は第一にそう思った。
それ以外に雪緒のことを言い表すすべを祐介は知らなかった。
一線を退いたとはいえ、祐介は一つの時代を築き上げたアーティストだ。
その感受性は、恭介や木田姉妹のものとは段違いの良さだ。
故にこそ、ただ一目見ただけで、否、ほんの僅かといえど、雪緒が感情を揺らしてしまった声を聞いてしまったからこそ。
祐介は直感的に、少女の本質を悟ってしまった。

かつて、生きることを醜いこととし、醜いからこそ、美しいと感じたように。

(そして、なんて醜いんだ……)

祐介は雪緒を、雪緒を通して見た“死”の醜さを痛いほどに理解してしまった。

(さしずめ、彼女は死の天使といったところか?
 なら俺はどうなんだ? 三人もの罪なき人々を殺めてきた俺は……)

自分がこれまでにもたらし、これからももたらすであろうものの醜さを、理解してしまった。

芳野祐介はかつて光の中にいた。
今は闇の中にいる。
そして、そしてその果ては。
かつて“光”に焼かれたように。
今度は“闇”に溺れてしまうのではないか。

“光”と対を成す“闇”のおぞましさを知ってしまった祐介を、新たな恐怖が襲う。
人は堕ちる時はどこまでも落ち続けるのだということはこの身で十分思い知っている。
誰かの為に“無理して歌った”あの時のように。
たった一人の為に“無理して人を殺している”今もまた失敗してしまうのでは。

恐ろしかった。
ただただ恐ろしかった。
あの時はまだ良かった。
失うのは芳野祐介の全てでことが済んだ。
だが今回は違う。
失うのは、我が身全てですら引換にしても足りない程のものだ。
愛する者だ。

ああ、そうだ。
そうなのだ。

たとえ他の全てがあろうとも、一番大切な人がいなければ、何も無いのと同じだ。

ならば。
ならば。

迷うことなどない。
恐れるものなど何もない。
たった一つの灯火をこの胸に抱き、“闇”の底だろうとなんだろうと。
大切な人を護るために、どこまでも深く、深く、堕ちてやる。
死神にだってなってやる。

(俺は、“光”でも“闇”でもなく、俺の“愛”を信じる……ッ!)

永遠にも思えた思考の闇から回帰する。
どうやら思ったほど闇に囚われていた時間は長くはなかったらしい。
一度強く、雪緒を睨みつけた後に、恭介へと注意を戻したが、変わった様子は見られなかった。
だが、これ以上、人質をとった上で、何も要求しないのでは、こちらに何かがあったと悟られるかもしれない。
そう判断した祐介は、デイバックを投げてよこすよう命じつつ、同時に、まだ答えが返ってきていない問を再び恭介へと投げかけた。

「もう一度聞く。あの子の最後の様子を聞きたいか?」

答えは言葉よりも雄弁な形で返された。
命令に従い祐介に投げ渡されたデイパック。
それが突然、火の玉と化し祐介を襲った。

480レクイエムは誰がために  ◆92mXel1qC6:2011/09/27(火) 04:27:27 ID:oc4bCHTY0


     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


轟音が鳴り響き、巨大な建造物が崩れ落ちる。
朋也達が逃げるきっかけとなったようなビルによる圧殺を狙ってのものではない。
そんな手が通じる相手ではないということは、カルラは既に理解していた。
だから今回ビルが崩れたのはただの余波だ。
少女の鉄壁の防御を打ちぬかんと繰り出し続けたより大威力の攻撃の余波に過ぎない。
……いや、余波などという格好のつくものではないか。
これは残骸だ。天使を害そうとして成し得なかった哀れな破壊の使徒、その残骸だ。

「つくづくデタラメですわね、あなた」

ため息混じりにカルラが天使を賞賛する。
皮肉ではない、うんざりもしていない。
カルラはただただ、自分の攻撃を真っ向から受け止めきれる珍しい存在に感心しているのだ。

「……? えっと、ありがとう?」

派手に吹き飛ばしはしたものの、瓦礫を跳ね除け立ち上がって来た少女は案の定無傷だった。
いや、流石にカルラの改心の一撃を受けて無傷ということはなかった。
ただ、せっかく防御を突き抜けてつけた傷も、次に繋げる前に回復されたのは刻まれなかったのと同じだ。

(惜しい、ですわね。もう少しこの剣が頑丈ならもっともっと楽しめましたのに)

カルラは己の得物に視線を落とす。
彼女に支給された剣――エグゼキューショナーズソードは悪い得物ではない。
処刑用に作られただけあって、ただの一撃で首を落とすことを目的とした剣は、力の伝達効率の点で他の武具に抜きん出ている。
転じて、怪力を武器とするカルラにとっては相性がいい武器だ。
だが。
相性は良くとも、カルラに相応しい武器かと問われれば否だ。
脆いのだ。
首どころか、一撃で人間一人を木っ端微塵にするだけの筋力を誇るカルラにとって、エグゼキューショナーズソードは余りにも脆すぎるのだ。
恐らく、全力で振るえるのは一度や二度が限度だろう。
そして、その力の使いどころは、今ではない。
今ではないのだが……惜しいものは惜しいのだ。

(いけませんわね。武器のせいにするなんて無粋もいいところですわ)

せっかくの待ちに待った歯ごたえのある強者との戦いだ。
楽しまないで何とする。
全力で眼前の敵とぶつかり、そして勝利を主人に捧げるのみ!
武器を言い訳になどしない、させもしないとカルラは笑みを浮かべる。
対する少女もどこか楽しげなのを察し、ますます気を良くする。
カルラは笑顔のまま、今度こそ、その防御を突き崩してみせると剣を構え、少女に向かって駆け出そうとしてふと気付く。
そういえばまだこの少女からは名前を聞いていなかったと。
互いに全力で打ち合うのが楽しすぎて、すっかりと聞きそびれていた。
あれだけ大きな声で宣戦布告をしたのだから、こちらの名前は知っているだろうけれど。
自身の信念や誇りを述べる前口上や名乗りもまた、戦場の華だ。
これだけの腕のたつ相手を前にして、一方的に名を名乗りっぱなしというのは風情がない。

481レクイエムは誰がために  ◆92mXel1qC6:2011/09/27(火) 04:27:47 ID:oc4bCHTY0
「一つ教えてくださいな。わたくしの名はカルラ。あなた様はなんという名前でして?」

カルラは一度足を止め、剣をおろし、少女に名を聞くことにした。

「奏。立華奏」

少女もまた、剣を降ろして答えてくれた。
律儀なものだ。
こういう人物が相手なら、敵同士であれ、普段なら、一時戦いを中断し、酒を飲みかわせたものを。
正直にそう告げると、奏もまた、私は麻婆豆腐が好きらしいから一緒にどう? と場違いな言葉を返してきた。
本当におかしな人ですのねとカルラは更に笑みを深め、先ほど、シルファにもした問い掛けを奏へと続けて口にした。

「わたくしはあるじ様の為に戦っておりますわ。カナデの矜持はなんでして?」
「……矜持?」
「何のために戦うのか。あなたは何を願って剣を手にしているのか。そういうことですわ」

小首を傾げる少女に、カルラは易しく言い直す。
奏はそういうことと頷いて、どう言葉にするか迷っているかのように黙りこくる。
その様は歳相応以上に幼く見え、カルラは、既にこの世にいない者達を幻視した。

(可愛らしいお人ですこと)

そのまま待つこと数秒。
奏は話慣れていない口調ながらも、ぽつぽつと、静かに自らの願いを教えてくれた。

「わたしは、みんなに満足して欲しい」
「満足?」
「ん……。わたしは昔、動くのもままならない身体で、そんな時に、わたしを助けてくれた人がいて。
 わたしは、満たされた。とてもとても、幸せになれた」
「……そうですの。あなた、可愛らしいだけでなく、いい子ですのね」

葬送の歌で送った一人の少女のことを思い出しながらも微笑むカルラ。
少女がカルラを相手に真っ向からのぶつかり合いに付き合ってくれていたのは、自分が楽しいからだけではなかったのだ。
強者と戦えることを喜びとするカルラの趣向を汲み取り、カルラが満たされるために全力で相手をしてくれていたのだ。
けれども、奏はふるふると首を横に振った。

「そうでもない。さっきは満足してもらえなかった」
「どういうことですの?」
「さっき、すごく強い人に戦いを挑まれた。負けた。
 少しすっきりした様子だったけど、わたしがもっと強かったら卒業してくれたかもしれない」

どこかしょんぼりとする奏。
カルラは卒業の意味するところは知らなかったが、自分と互角レベルの奏でさえ勝てないであろう人物を一人知っていた。

「……その御方、ゲンジマルという名前ではなくて?」

こくり、と少女は頷く。
最悪の想像が的中し、カルラは僅かに顔をしかめた。

ゲンジマル。
最強のエヴェンクルガにして最強の武人。
カルラの父の宿敵にして、仇。
戦乱の世だ、父を殺したことをとやかく言うつもりはない。
エヴェンクルガはその驕り故に滅んだのだと、カルラは納得してさえいる。
それでも。
カルラにとつて最強の代名詞であった父に勝ったゲンジマルは、いつか超えねばならない壁だった。
奏を襲ったらしいことからも、あの男もまた、主君のために戦っているのだろう。
エヴェンクルガ族は“義”を貫く一族ではあるが、“義”には大義もあれば、忠義もある。
シャクポコルの先王に仕え一つの国を滅ぼしたくらいの男だ。
驚きはしない。

482レクイエムは誰がために  ◆92mXel1qC6:2011/09/27(火) 04:28:04 ID:oc4bCHTY0

(もっとも、同じエヴェンクルガでも、もう一人のほうがどうしてるかは、五分五分としか言えませんわね。
 まあどちらの道を選んでいようとも、うっかりなことだけは変わらないは確実ですわ)

とはいえ、この付近にゲンジマルがいるというのなら、装備に不足のある今、逃げねば負けだ。
加えて、万一出会ってしまった時のためにも、体力の消耗は極力抑えるべきだ。
装備も、体力も万全の状態ですら戦って勝てる確率はごく僅かなのだ。
認めたくない話だが、未だ、思い出の中の父にさえ勝てない自分では、ゲンジマルにも届かないのが現実だ。

(仕方ありませんわね。もう少しカナデとの戦いも楽しみたかったのですけれど……)

カルラは戦いの継続を放棄し、撤退することを選ぶ。
相性上、決着がつくとすれば互いに一瞬ではあろうが、その一瞬を掴み取るまでは千日手になりかねない。
普段のカルラなら、望むところではあるが、今は状況が状況だ。
優先順位を間違えてはならない。
この身の全ては主の為に。

(それに、カナデの言うように“うっかり”満たされてしまっては浮気になってしまいますわ。
 わたくしの体と心を満たしてよろしいのは、主様だけでしてよ?)

そうと決まれば話は早い。
こんな時の為に投げずにストックしておいた隠し玉をカルラは瓦礫の山より引き摺り出す。
この戦いの開幕時に、散々にカルラが弾幕がわりに投げはしたが、あれは、単に武器として使っただけでなかった。
祐介が、他の者達に脚として使われないよう、敢えて、カルラに提案し、自分達の分以外、街に放置されていた物を破壊させたのだ。
まあ処分方法をカルラに任せた祐介も、まさか、弾幕に転用されるとは思ってはいなかったろうが。
だが結果オーライだ。
いくら奏が生身の速度ではカルラに勝るとはいえ、バイクには追いつけない。

「待って!」

奏もそれを十分承知しており、手を伸ばし、カルラを制止しようとする。
戦闘を仕掛けた側としては、少し、悪い気もするが、背に腹は変えられない。
カルラは少女の願いを聞き届けることなく、バイクに跨り、発進させる。
無論、カルラにとってバイクは乗るどころか見るのも初めての代物ではあったが、大体の概要は祐介より聞いていた。
それに、カルラの気性的には、思うように行かない暴れ馬というのは、中々に好みだ。
下手に人間になついているウォプタルよりも上手く乗りこなせる自信はあった。
その自信に任せて、カルラは一気に、フルスロットル。
行かせないと奏もディレイで追いかけんとするも、ディレイは緊急回避用の技だ。
継続加速には向いていない。
ディレイの効果が切れ、見る見ると速度を落とす奏。
カルラはその姿をバックミラーで目にし、一度だけ振り返る。

「あなた、他の誰かではなく、自分の満足も求めないと、手遅れになってしまいますわよ?」

それは一騎打ちを不意にしてしまったことへのカルラなりの詫びか。
一人の女性として、一人の少女への忠告を残し、カルラは再び前を向く。
ミラーには、既に奏の姿はうつってはいなかった。


     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

483レクイエムは誰がために  ◆92mXel1qC6:2011/09/27(火) 04:28:54 ID:oc4bCHTY0


「ちいっ!」

眼前に迫ってくる紅蓮の炎の塊。
舌打ちと共に、祐介は横に跳び、辛くも避けることに成功する。
炎の塊が地面に着弾。
祐介達の周りを紅く染め上げていいく。

(外れたが……それでいいんだ!)

恭介は投げ込んだ火の玉の原因、お手製の火炎瓶が外れた事に落胆はしない。
元々、当てるつもりで投げた訳じゃないのだから。
芳野祐介が見せた隙、隣に居た雪緒の瞳に呑まれていたその隙を狙ったのだ。
当たりはしなかったが、結果として祐介が見せた隙は、更に大きくなり、

「喰らえ!」

恭介は蓋が開いたペットボトルをオーバースロー気味に祐介に向かって投げ込む。
デイバックに仕込んだ火炎瓶が外れることを予測し、前もってデイバックから抜いておいたのだ。

「見えついた手を!」

それさえも祐介は避けてしまう。
祐介は、恭介が人質である芽衣を奪還しようと考えているのだと思い、警戒していたのだ。
だからこそ、恭介が追撃してくる事も予測し、簡単に避けられた。
投げ込まれた水は、周囲の炎を少しだけ消火し、しかし、直ぐにジュッという音と共に蒸発する。

「……今だっ!」

そう、この時を香月恭介は待っていた。
火炎瓶を避け、ペットボトルの水を避けた後に出来る、この光景を。
芳野祐介が投擲物を避け続けた結果、どうしても生じてしまった隙と“距離”。
先程まで、祐介の足元の傍にあった志乃の遺体とデイバックが、今はもう祐介の傍から離れていて。
恭介の本当の狙いはそこにあった。
志乃の遺体の元へと駆け出していく。

もう二度と、取りこぼさない為に。

「……まさかっ!?」

ようやく祐介は、気付く。
駆け出した恭介の狙いに。
志乃の遺体の傍に転がっていた物の正体に。
ハリセンや名簿を媒介に燃え広がった炎に焼かれ、顕になった彼女のデイパックの中身に。


紅蓮の炎の中、白銀に光る銃――SIG GSRに。


祐介はすぐさま、銃口を芽衣から逸らし、黒鉄の銃を恭介に向ける。

「やらせはしない……芳野祐介ッ!」

484レクイエムは誰がために  ◆92mXel1qC6:2011/09/27(火) 04:29:35 ID:oc4bCHTY0

だが、もう遅い。
祐介と同じように、恭介もまた掴み取った白銀の銃を祐介に向けていた。
ペットボトルの水でいくらか鎮火された炎の中から拾い上げた銃をしっかりと握り締めて。
祐介から、一瞬たりとも視線を外しはしない。

紅く染まる中、二人は銃を突きつけ合い。

「あいつの……明乃の最期が聞きたいかと言ったな?」

そして、恭介が吐き出すように呟く。
脳裏に浮かぶのは、明乃の姿。
長い間、一緒に居続けた幼馴染。
とろくて、受け身な少女。

きっと、この殺し合いでもそうだったに違いない。
それはどこまでも推測で、明乃を殺した祐介のように事実を知っているわけじゃない。

「そんなこと…………」

けど。

けれど。

けれども。

「―――――そんなこと、お前に言われなくなったって、解かるさ!」

おっとりとした、明るい笑顔を。
ずっとずっと笑っていたあの子は、

「ずっと、傍に居たんだから……解かるよ……そんな事はっ!」

ずっと、傍で、笑って、恭介を想っていてくれたのだ。
そういう子だから、そういう子だったから。
きっと、この殺し合いでも、そうだったのだと言い切れる。

「誰がお前なんかに聞いてやるものか!
 お前は、あいつの何を知ってるんだ!」

ああ、そうだ、そうだとも。
聞くまでもない。
変わらない、変わりはしない。
明乃から恭介への想いも。恭介から明乃への想いも。
芳野祐介“如き”に変えられはしまい!

「俺は、俺は、俺は! 知っている、知っているんだ!。ずっと傍らにいたんだ。いてくれたんだ!」

想いが、廻って、廻って、廻り続けて。
恭介は、哀しくなって、明乃への思いを叫びに変えていた。
身を引き裂かれるような、恭介の切ない叫びが響く。
泣いていないのに、泣いているみたいで。
そんな恭介を見つめていた祐介は、表情を変えずに、言葉を紡ぐ。

「なら……俺が憎いか? 許せないか? 復讐したいか? 香月恭介」

折原明乃を殺した芳野祐介を香月恭介はどう思うのか、問いかけてくる。

「そりゃあ……許せないさ、悔しいさ……けれど!」

頷きたい気持ちもあった。
消え切れない怒りもあった。
だけど。

恭介は、一瞬だけ、儚げな少女を見る。
吸い込まれそうな瞳が其処にはあって。

「護らなきゃいけない人達が居るんだ、護りたい人達が居るんだ!」

恭介はその瞳に吸い込まれないくらいに強い、強い意志を込めて、拳銃を握っていない手を振るって叫んだ。

「もう懲り懲りなんだよ。誰かを護れないのも、誰かを奪わるのも!」

485レクイエムは誰がために  ◆92mXel1qC6:2011/09/27(火) 04:29:53 ID:oc4bCHTY0

何よりも護りたいのだと。誰かの命を奪うのではなく、護りたい人達を護り抜きたいのだと。
思いの丈を、恭介は祐介に強くぶつけていた。

その叫びに、祐介は、遂に気付く。
二人の少女から銃口が外れたこの構図こそが恭介の真の狙いだったのだ。
芽衣だけを救うのではなく、銃を手にし復讐を遂げるのでもなく。
“二人の少女”を護る、その願いに命を賭け、恭介は相打ち覚悟で立ち向かってきたのだ。

今も恭介は、雪緒を背で庇うようにじりじりと動き始めていた。
祐介はそれを見て取り一言だけ呟く。

「そうか」

その顔には、僅かながら笑みを浮かべていたけれど。

「なら、護りきれ。どんな手を使ってでも。どんな罪を重ねてでも。男なら、愛した女“一人”だけは護りきれ」

告げられたのは切なくも冷たい言葉。
何もかも振り切ってしまった哀しい男の残酷すぎる忠告。
恭介に嫌な悪寒を走らせる、“一人”という言葉を強調したメッセージ。

「それが、もう戻れない先達から、唯一若いお前に贈れる言葉だ」

それだけを言い切って。
芳野祐介は先程と同じように表情を消して。
銃口を向け合っているこの状況にも関わらず、後ろを振り向き、僅かに背を向ける。
銃に無防備な背を晒すというあからさまな隙を作る予想外の行為に、混乱する恭介。
だが、祐介の振り向いた先を祐介は直ぐに目で追い、相手の思惑を察する。
祐介が見つめる先、其処に青い髪をした少年が迫ってきていた。
少年の表情が強ばり、不信の視線が“他人に銃を向けている恭介”を射ぬく。

「気をつけろ、岡崎! こいつらが、春原芽衣を!」

止めとばかりに咄嗟の嘘をつく祐介。
抱えていた芽衣の気管を咄嗟に締め上げ、黙らさせた上での念の入りように恭介はしてやられた。

よりにもよって青い髪の少年――朋也は芳野祐介の知り合いだったのだ。

しまったと思うも時既に遅く、恭介に向かって勘違いに惑わされ、怒りに駆られた朋也が突っ込ん来る。
繰り出された朋也の拳をなんとか避けるも、恭介は見た。
目の前で祐介の唇が動くのを。

「言ったはずだぞ。どんな手を使ってでもと」

声なき声は、確かに恭介の心へと突き刺さった。


     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

486レクイエムは誰がために  ◆92mXel1qC6:2011/09/27(火) 04:30:13 ID:oc4bCHTY0
朋也達は逃げていた。
重い沈黙を抱かえたまま、逃げ続けていた。
カルラからか。
違う。
自分達が死んでいるのなら、自らを殺しに来る人間から、逃げる意味なんてない。
逃げているのは、足を止めることからだ。
足を止め、事態を整理し、事実と向き合うことを恐れ、朋也は走り続けていた。
シルファが足を止めないのも、朋也と似た理由からだろう。
音無は、彼らの心中を測り、何も言わずについてきてくれている。
彼に肩を貸され、連れていかれている形の葉留佳は、ぶつぶつと虚ろな視線で何事かを呟いている。
なんて言っているのかは途切れ途切れにしか聞こえない、聞きたくもない。
だけど否応なしに耳を掻きむしる葉留佳の怨嗟は、朋也の心にも徐々に徐々に影を落としていく。

犯罪者。逃げた親。あいつ。奪った。

(違う、違う、違う! 俺は死んでいない、殺されてもない!)

耳を抑え、眼を閉じても、一度絡みついてきた呪詛は、その侵食を止めようとはしない。
葉留佳が紡いだ最悪の妄言の種が、朋也の中で発芽し、根を貼り出す。

(けど、だけど、万一、俺が死んでいたとしたら。未練を抱かえて死んだのだとしたら、それは、それは、それは!)

音無の語った死後の世界。
それは誰しもが訪れる場所ではないという。
極稀に起きる例外を除き、この世に未練を残した者達だけが、集まるという。

未練。

その言葉に、その感情に、朋也は心当たりがあった。
いや、心当たりなどという生やさしいものではない。
死ぬまでもなく、朋也には、生きているうちから抱えている未練があったのだ。

バスケ――いや、親父だ。

仕事ばかりの父にかえりみられない寂しさを埋めるように、中学生時代、朋也はバスケ一本に打ち込んでいた。
もとから運動神経はいいほうだったし、努力することも嫌いではなかった。
自分の腕がぐんぐん上がっていくのを実感していくことは楽しくもあり、その度にバスケのことも大好きになっていった。
何よりも、バスケの世界で活躍し、自分が注目されるほど有名になれば、父も自分を見てくれるかも知れない。
すごいな、偉いなと褒めてくれて、それがきっかけで父と子の関係を遅まきながらも紡げるようになるかも知れない。
そう信じていた。そう願っていた。願うだけでなくそれに見合うだけの努力もした。
幼いながらも人生の全てをバスケに打ち込んでいたとさえ、臆面も無く言えるほどにだ。
その甲斐もあって、中学3年生になる頃には、将来を期待されるまでの実力を身につけることができた。
大人たちにも認められ、進学校にバスケの推薦入学をもらうこともできた。
嬉しかった。
父と同じ、大人たちに認められたのだ。
あと一歩、あと一歩で、父にも認めてもらえる。
そう思ってた。そう信じていた。

現実はそうはならなかった。
岡崎朋也は裏切られた。
夢も未来も打ち砕かれた。
他ならぬ父の手によって。
バスケプレイヤーの命である、右肩を故障させられるという形で。
父との仲がどうなったかは言うまでもないだろう。
息子の未来を奪ったことを後悔して、父が歩み寄ってくれたのなら、まだよかった。
未来は失いはしたが、ずっとずっと心の底で求めていた父親の愛を得るという夢の方は叶ったと言っても良いのだから。
でも、夢は儚く消えるからこそ夢なのだ。
父は、岡崎直幸は、心の弱い人間だった。
自らが息子の未来を奪ったという自責の念に駆られた末に、息子に対し他人行儀な振る舞いをするようになったのだ。
自分に父親である資格がないと踏んだからか、或いは、他人のように振る舞うことで“息子の”未来を奪った呵責から逃れようとしたのか。
朋也には父の心情は全く分からなかったが、そんなこと、どうでもよかった。
父は、自分の家族であることを辞めたのだと。
その絶望的な事実が変わらない以上、理由なんて、知ったところで意味なんて、ない。

487レクイエムは誰がために  ◆92mXel1qC6:2011/09/27(火) 04:30:41 ID:oc4bCHTY0
“朋也くんなら分かってくれそうな気がして”
“朋也くんなら分かって”
“朋也くん”
“朋也くん”“朋也くん”
“朋也くん”“朋也くん”“朋也くん”
“朋也くん”“朋也くん”“朋也くん”“朋也くん”
“朋也くん”“朋也くん”“朋也くん”“朋也くん”“朋也くん”
“朋也くん”“朋也くん”“朋也くん”“朋也くん”“朋也くん”“朋也くん”
“朋也くん”“朋也くん”“朋也くん”“朋也くん”“朋也くん”“朋也くん”“朋也くん”
“朋也くん”“朋也くん”“朋也くん”“朋也くん”“朋也くん”“朋也くん”“朋也くん”“朋也くん”
“朋也くん”“朋也くん”“朋也くん”“朋也くん”“朋也くん”“朋也くん”“朋也くん”“朋也くん”“朋也くん”

(黙れ、黙れ、黙れよ、おやじ! やっぱり、あんたなのか!? あんたが、あんたが俺を!?)

葉留佳の毒に誘発され、留置所に拘束された父親の姿が脳裏に浮かぶ。
空想だと一蹴するには何故か余りにもリアルだと思える構図。
それが朋也の悪夢を加速させていく。

親子のすれ違いから無理心中を図るというのもよくある話ではないか。
葉留佳の姉妹が葉留佳を殺したように、自分も父によって殺されたのだということも、十分にありえるではないか。
だが本当にそうなのか?
仕事も止め、抜け殻のようになったあの父が?
家族の縁を一方的にあの男が、今更に、“息子”と上手くいかなからと、無理心中なんて選ぶだろうか。
奴を家族として未だに意識しているのはどちらだったか。
家族なんかじゃないと批判しつつも、親父と呼び続けているのはどちらだったか。
朋也だ。
他ならぬ朋也の方が、よほど、先に手を出しかねない。

(違う、違う、俺は、殺人犯なんかじゃない!)

しかし現実として、父もこの殺し合いに参加させられている――死んでいるのだ。
自分の性格からして、無理心中を企てられたところで、はいそうですかと大人しく死んでやりはしないだろう。
そしていざ、朋也と父が戦ったとしたら、肩の故障を抜きにしても、ほぼ確実に朋也が勝つはずだ。
それは、つまり、どちらが先に仕掛けたにせよ、岡崎朋也が岡崎直幸を殺したということではないか?
子どもから愛も夢も未来も奪ったあの最悪の父親以上に最低な存在になり果ててしまったということではないか。

(違う、違う、違うっ! 春原を、先生を、早苗さんを、委員長を、ことみを、有紀寧を殺した奴らと同じであってたまるものか!)

否定したかった、自分は殺人犯なんかじゃないのだと。
けれども肝心の自分が死んだ時の記憶がない以上、否定できようはずがなかった。
そのことが更に朋也を焦らせる。
なんでもいい、なんでもいいんだ。
とにかく殺人犯でないと証明させてくれ!

そう願っていた矢先に、走り続けていた道の果てに、朋也は覚えのある背を眼にした。
遠目だが、あの作業着は間違いない。
祐介だ。
芳野祐介だ。

「芳野さん!」

朋也は縋るように祐介の名前を呼ぶ。
臭いセリフも平気で言うあの人なら、朋也が殺人犯でないと、力強く否定してくれる。
そう思ったからだ。
だが、祐介が振り向いた時、それまで祐介の背に隠れていて見えなかったその向こう側が垣間見えて、瞬時に血が引いた。
銃を突きつけてくる若い男と、祐介に抱えられぐったりとした親友の妹。

「気をつけろ、岡崎! こいつらが、春原芽衣を!」

極めつけにかけられる祐介の言葉。
朋也を動かすには十分だった。

「てめえ、このやろがああああああっ!」

朋也は走ってきた勢いのままに、銃を突きつけていた男――恭介へと踏み込み、殴りかかっていた。
誤解だと恭介は訴えるものの、朋也は聞く耳を持たなかった。
よせ、先走るなと止めようとした音無も振り払った。
知り合いの祐介と見も知らぬ男、どちらを信じるかと言われれば前者だ。
春原の妹である芽衣の苦しげな様に、激昂に駆られ冷静に判断できなかったこともある。
何よりも人殺しを否定したい一心で朋也は、人殺しだと信じた恭介を否定しようとした。
人殺しを殴り否定したところで、自らが人殺しでない証になんてなりはしないのに。
その果てに、人殺しの手助けをしてしまえば、人殺しと変わらないのに。

488レクイエムは誰がために  ◆92mXel1qC6:2011/09/27(火) 04:31:02 ID:oc4bCHTY0
一発の銃声が響く。

撃たれたのかと自らを見下ろすも、朋也に傷があろうはずはなかった。
何かのはずみで引き金を引いてしまうことを恐れた恭介は、拳を避けながらも、必死で射線を朋也から逸らしていたからだ。
しかし、向かってくる朋也から射線を逸らすということは、その向こう側にいる祐介からも逸らしてしまうこととなった。

ここに、拮抗状態は崩壊する。
芳野祐介は、殺人犯は自由となり、そして、その牙は香月恭介――ではなく、音無結弦へと向けらた。
恭介を狙ったところで、朋也が邪魔になり、正確に撃ち抜けたとは限らなかった。
ならば、より確実に始末できそうな朋也の連れの三人、その中でも武器を手にし、男性である音無を、一番厄介そうだと排除することにしたのだ。

葉留佳に肩を貸していたことが災いし、音無は銃弾を避けられなかった。
茫然自失状態が続行中だったシルファは、庇いに入ろうとさえできなかった。
心臓を射抜かれ崩れ落ちる音無。
そのさまを見て、朋也は、ようやっと自分が騙されたことに気付いた。

「嘘、だろ……。なんで、なんで、祐介さんが……」

気付いても、認められようはずがなかった。

「その言葉、この子にも言われたさ。けどな岡崎」

朋也一人が認めないと喚き散らそうと、世界は変わらず、悲劇は続く。

「これが現実だ」

再度銃声が鳴り響き、幼き少女を貫く。

「芳野、さん。わた、わたし、歌、歌が聞きた……です」
「ごめんな。俺はもう、君の、君達のためには歌えないんだ」

今際の際の願いさえ、祐介は泣きそうな声で一蹴。
かつて少女だったものはそれ以上、何も言わず、軽い音をたてて、地に落ちる。
それが、結果だった。
人殺しであることを否定したいばかりに衝動に身を任せた愚かな青年が招いた結末だった。

否、結末だと言うにはまだ早い。
悲劇の幕は降りていないのだから。

「芳野祐介ええええええええええええええええッ!」

明乃と志乃に続き、ちはやと似た年頃の少女達の命を奪った祐介を恭介は許せなかった。
現実を受け入れられず立ちすくむ朋也を押しのけ、恭介は銃の撃鉄を起こす。
けれど引き金を引くよりも早く、巨大な質量弾が恭介を襲い弾き飛ばした。
恭介に押されるがままにアスファルトに尻餅をついていた朋也は、バスケプレイヤーとして鍛え上げた動体視力で、その正体を見抜く。
シルファだ。
シルファが何者かに恭介に向かって投げ飛ばされたのだ。
そして、ロボットである以上、人間より重いであろうシルファを軽く投げ飛ばせる人間を、不幸にも、朋也は一人、知っていた。

「間一髪でしたわね」

響く声は朋也の想像通り、彼らが必死の思いで逃げてきたカルラのものだった。
鬼の如き女は炎を背に妖艶に笑う。

「助かった……と言いたいところだが一ついいか。バイクはどうした」

親しげに語りかけられた祐介もまた、憮然としながらも自然に言葉を返していた。

489レクイエムは誰がために  ◆92mXel1qC6:2011/09/27(火) 04:32:05 ID:oc4bCHTY0

「わたくしの背後を見てのとおり。……爆発しましたわ」
「おい!」
「やはり慣れぬからくりは使うものではありませんわ。
 止められなくなってしまいましたので、なんとか向かう先だけは制御していましたのに。
 先ほど、そこな可愛らしいメイドロボを轢いたはずみで、こうドカーンっと」

交わされる言葉と言葉。
頭を抱える祐介と、反省感皆無なカルラ。
それだけを見れば、もう二度と戻ってこない春原との馬鹿な日常を思い出させるやりとりは、しかし、朋也に否が応でも現実を理解させた。

「つまりあんた、恭介にシルファとやらをぶつけれたのは偶然だったのか。
 ……俺に当たっていたらどうする気だ」
「そこはほら、わたくしが見込んだ殿方ですし、気合でなんとかしたはずですわ」
「……まあいい。バイクはまだ俺の分もある。後で取りに行くとしよう。なにはともあれ、これで」

芳野祐介はあの女とぐるだったのだと。
人を殺しておきながら、平然と殺人犯の女と馬鹿なやり取りができるほどに、遠い向こう側へと行ってしまったのだと。

「形勢逆転だな」「形勢逆転ですわね」

その証のように銃を朋也につきつける祐介。
一方カルラは葉留佳の前へと歩を進める。
朋也が前に出、音無が倒れ、シルファが恭介ごと吹き飛ばされた今、葉留佳を護る者は誰もいなかった。
置き去りにされた葉留佳は、いつものように独りぼっちだった。

「や、止めろおおおおおおおおお!」

今まで二度、眼前で行われた光景が朋也の脳裏にフラッシュバックする。
これ以上、自分のせいで誰かが死ぬことは受け止められないと地を這ったまま手を伸ばすも届くはずもなく。
ずしゃり、と。無慈悲に処刑の刃は振り下ろされる。
刹那、生きる気力もなく、されるがまま虚ろに刃を見上げていた葉留佳の口が静かに動く。
紡がれたのは、朋也が肩をかせなかった時と同じ、呪いの言葉。

「やっぱりはるちん、要らない子だったんだあ」

それが神を憎み、姉を恨み、世界を呪った少女が、最後に残した怨嗟だった。

ごろごろ。
こつん。

間の抜けた音と共に、胴を離れた首が、伸ばしたままだった朋也の腕へと転がりつく。
その悲しみとも憤怒とも諦めとも絶望とも取れる顔が言っていた。

お前も父にとって要らない子だったのだと。

「違う、違うんだ! 俺は、俺はこんなつもりじゃなかったんだ!」

頭の中で反響する声を消し去ろうと喚き散らすも、心の声が消えるはずもなかった。
そんな朋也を葉留佳を殺したままの場所からカルラは見下ろす。

「見苦しいですわ。その服装、貴方がフジバヤシリョウの好きな殿方かもと期待していましたのに」

思いも寄らない人物から出てきた名前にびくりと震える朋也。

「とんだ勘違いみたいですわ」

その怯え様に更にカルラは見下げ果てながらも、朋也を絶望に陥れる更なる事実を叩きつける。

490レクイエムは誰がために  ◆92mXel1qC6:2011/09/27(火) 04:32:26 ID:oc4bCHTY0

「なんで、お前が、藤林のことを……」
「わたくしが殺したからですわ。
 彼女は身体は弱くとも、貴方とは違い心は強かった。
 最後の最後まで好きな人のことを想い、自分を殺そうとする私のことまでも気遣い続けてくれましたわ」

ほんの僅かに悲しみを滲ませるカルラ。
居場所を失った青年は、死んだ少女に求められていたかもしれないことを知り、更に泣き叫ぶ。

「……さあヨシノ様、送ってあげてくださいまし。
 万一彼がリョウの想い人なら、望まぬ形とはいえ、これで一緒にいられますわ」

それを視るに耐えなかったのか、カルラは一度目を伏せ、朋也と知り合いである様子が見て取れた祐介へと場を譲った。

「藤林椋、か。そうだな、俺も知らない仲じゃない。
 じゃあな、岡崎。あの世とやらがあるのなら、そこで存分に呪ってくれ」

カルラの心遣いに頷きを返し、銃を朋也に向ける祐介。
死をもたらすであろう一発を前に、朋也は思う。
おかしな話だと。
あの世だって?
既にここは地獄じゃないか。
音無は何か色々難しいことを言ってたけど、どうでもいい。
ここがあの世じゃなくてなんだってんだよ。
ここは地獄だ――全ての希望が燃え落ちる地だ。

だというのに。
それを否定せんと立ち上がり、祐介を羽交い絞めにし、三度放たれた銃弾をカルラの方へと逸らした影があった。

「よう、何勝手なこと言ってんだよ? あの世ってのはな。
 あいつが、奏がつくろうとしてたのは。そんな呪いに満ちた世界じゃないんだよ!」

よりにもよってあの男が。
あの世のことを朋也達に教えた音無が、あの世が地獄であることを力強く否定した。


     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

491レクイエムは誰がために  ◆92mXel1qC6:2011/09/27(火) 04:32:53 ID:oc4bCHTY0
「馬鹿な!? 心臓を確かに撃ちぬいたはずだ、何故立ち上がれる!?」
「……これは、流石にわたくしも驚きですわね」

驚愕の声が耳を打つ。
心臓を貫かれ、それでも立ち上がった当の音無本人は、それ程自分がなした奇跡に驚いてはいなかった。

(お生憎さまだな。こちとら心臓を貫かれるくらい朝飯前なんだよ!)

死んで早々、奏に心臓を刺された身だ。
それに比べれば、高々銃弾の一つや二つで貫かれたところで、痛くも痒くもない。
ギシギシとぎりぎりと、持てる力の全てを賭けて祐介を締め上げる。
火事場の馬鹿力か、戦線での戦いの成果か、音無は振りほどかんとする祐介を何とか御すことに成功していた。
……いや、その最たる理由を上げるとすれば、ただ一つか。

怒りだ。

初音の意思だとか、残骸だとか、そんな全ての悩みを置き去りにして、音無の心をただ、怒りだけが支配していた。
この芳野祐介という男の言い草が堪らなく気に食わなかったのだ。
あの世はゆり達がしてきたように戦うための場所じゃなかった。
皆が解き放たれて幸せに消えていく為の世界だった。
少なくとも、奏はそう願っていた。
けれど。
初音と同じ年頃の女の子は最後に好きだったらしい歌さえ聞けずに殺された。
三枝葉留佳は直井とは違い、自らの人生を肯定できずに死んでいった。
音無は志乃の、芽衣の、葉留佳の死体を見回し憤る。
彼女達の死に顔はどれ一つ満たされたものではなかった。
恐怖が焼き付いたまま固まった顔。
願いが聞き遂げられずに寂しげで悲しげな顔。
世界のどこにも居場所がなく全てを呪って果てた諦めきった顔。

(これのどこが満足な死だ!?)

ここが死後の世界なら、彼女たちは生き返るかもしれない。
死後の世界でなくとも今度こそ死後の世界に招かれるかも知れない。
でも、こいつらに今刻まれた無念は残る。
それがそう簡単に払えないものだってことを、音無は痛いほどに知っている。
見てきたから。
ずっと、ずっと、ずっと、見てきたから。
その無念と戦ってきた者達を。
その未練と戦ってきた者達を。

死んだ世界解放戦線。

彼らの気持ちを今この時、真に音無は理解した。
くそったれだ。
こんな死を強いる神さまなんてくそったれだ。

(なら、俺は今こそ、あいつ達SSSの一員として、このくそったれな殺し合いに反逆しよう)

人に未練を強いるこいつらに。あの羽男に。神に!

「俺は、俺達の死を。奏の願いを。奪わせはしない!」

手にしたままだった銃を祐介につきつける。
すんでのところで銃は、カルラが投擲した剣に弾き落とされた、これでいい。
意識をこちらに向け、武器を投じたことで確かに生じた隙を逃すまいと音無は叫ぶ。

「俺が抑えているうちに、逃げろ、みんな!」

祐介を抑えながら、カルラにも向け、落とされた銃を蹴り上げる。
我ながら器用な真似をしていると思うが、この程度の無茶、ゆりに付き合わされるのに比べたら軽いものだ。
だがいつまでもそんな無茶で食い止められるほど、相手は甘くはない。
祐介はともかく、カルラが本気を出せば、自分程度一瞬でお陀仏だ。
それをできないように、押さえ込んだ祐介を上手く盾代わりにしてはいるが。
それも、いつまでもつかは分からない。

(だから早く逃げてくれ、頼む!)

492レクイエムは誰がために  ◆92mXel1qC6:2011/09/27(火) 04:33:12 ID:oc4bCHTY0

その想いを察したのだろう。
誤解から朋也が襲ってしまった青年は僅かに躊躇を見せた後、女性の手を引き背を向ける。

「あんた、名は!?」
「音無、音無結弦だ!」
「俺は香月恭介、こいつは須磨寺雪緒だ! ……すまん」
「いいんだ、こういう役には慣れてる」

恭介は振り返ることなく問いかけ、そしてそのまま、雪緒と共に遠くへと消える。

「岡崎、お前も早く逃げろ!」
「けど、この状況は俺が。残るなら、俺が!」

しかし朋也の方は、この事態を招いてしまった責任を感じているのだろう。
逃げることをすぐにはよしとしてくれなかった。

「肩の壊れてるあんたじゃ、死にぞこないの俺以下だ!」
「っ、どうしてそれを!?」
「これでも医者を目指してたからな。気づくさ」

それでも朋也達をここに残すわけにはいかなかった音無は、弱みにつけ込むことも辞さない。
痛いところを突かれ朋也の抵抗の意思が薄れたと見るや否や、バイクの衝突のダメージからようやっと立ち直ったシルファに有無を言わさず命じる。

「シルファ、無理やりでも連れていけ!」
「れ、れも、れも、わたしはご主人様達も護れなくて。欠陥品で」
「メイドロボなんだろ! 人間を護るんだろ!? それがお前の夢なんだろが!」

シルファはメイドロボだ、人に仕えるものだ。
音無はその習性を利用して、シルファに命じることで、朋也を、シルファ自身も逃がそうとしているのだ。

「だったら、果たせ!」
「っ! う、くっ、うああああああああああああああああああ!」
「シルファ!? 待て、離せ! 音無、音無いいいいい!」

シルファが意を決し、顔をくしゃくしゃにしたまま、朋也を担ぎ、走り去る。

(そうだよ、それでいいんだよ、シルファ。
 俺が人を救えて満足できたように。お前なら人を守れて満足できるさ)

納得できず音無の名を呼び続ける朋也の声も、既に聞こえなくなっていた。
安心したからだろう。
あれだけ祐介が振り解こうとしても離さなかった音無の腕から、力が抜け落ちていく。
地に伏せる音無。
ようやく解放された祐介は疲れ果てた声で吐き捨てた。

493レクイエムは誰がために  ◆92mXel1qC6:2011/09/27(火) 04:34:08 ID:oc4bCHTY0

「……よくも、やってくれたな」
「こういう時は、よくぞ、ですわよ、ユウスケ」

対して称賛の声をかけてくるのはカルラだった。
思えば彼女一人なら、祐介を捨ておいて恭介達をそのまま追いかける選択もできたはずだ。
それをしなかったのは祐介の同盟関係を維持しようとしたことに加え、命懸けの健闘を見せた音無を看取ろうとしてのことでもあったのだろう。

「……敵ながらお見事ですわ。介錯、任されてもよろしくて?」

けれど、音無には、カルラの賞賛なんて必要なかった。
介錯さえもいらなかった。

「遠慮する。俺の命はとっくの昔にどこかの誰かにやっちまったんでな」

何故か、不思議と確信できたから。
銃弾に貫かれたあの時に。
自分の心臓がここではないどこかで鳴り響いている音を聴いたから。

(そうだ、心臓。俺の……心臓)

この人生はずっと初音の為のものだったけれど。
初音のものではなく、借り物でも偽物でもない、確かに自分のものであるホンモノの心臓が、誰かを生かす力になれたというのなら。
それが、あの心臓こそが。音無結弦の、音無結弦だけの、生きた証。

(他でもない、俺は、俺の心臓で、俺自身の存在で、誰かを助けた……)

なら、それで、満足だ。
音無結弦はホンモノの笑みを浮かべたまま死ねる。

空が、眩しかった。
夜にも限らず、空に数多の白い光が溢れて見えた。

(食券か……? いや、違う。これは……)

天より降り注ぐ光は真っ白な羽だった。
現のものではない、幻の羽だった。

(ああ、そうか。お約束だもんな。人が死ぬ時は、天使が迎えにくるって)

何故か唐突に浮かんだ奏の幻像を、音無は振り払うことなく、その瞳に焼き付ける。

(俺、消えるのか……。まあ、いいかな)

天使がいてくれるってことは、そこは天国なのだから。
地獄なんかじゃない幸せな世界なのだから――。


     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

494レクイエムは誰がために  ◆92mXel1qC6:2011/09/27(火) 04:34:48 ID:oc4bCHTY0
須磨寺雪緒は香月恭介に手を引かれるがまま、走り続けていた。
前を走る恭介の表情は、雪緒の位置からは伺えない。
だけど、雪緒は知っていた。
恭介が音無の命を犠牲に生きながらえたこんな結末は望んでいなかったことを。
ぎゅっと強く雪緒の左手を握りしめてくる恭介の右手は、同時に、泣いているようだった。
初めて彼の手を握った時にはなかった震えを伴っていたから。
繋がれた腕を通して、恭介の後悔が伝わってくるみたいだと思うのは、多分間違いではないはずだ。

きっと、恭介は。
助けようとしてくれた音無のことも、助けられたかも知れない岡崎とシルファのことも、置いてきぼりにはしたくなかったのだろう。
死を望む雪緒さえ見捨てることをよしとしなかった恭介だ。
誰かを見捨てるなんて選択を本当はしたくなかったに違いない。

それでも恭介は選んだ。
他の誰かを見捨ててまでも、雪緒を生かすことを選んだ。
そうだ、恭介に誰かを見捨ててまで逃げるという道を選ばせたのは、他ならぬ自分だ。
雪緒の、死への望みが、彼女を生かし、もしかしたら、置いていかれた誰かを殺した。

あの時、シルファをぶつけられた恭介は大きく後ろへと吹き飛ばされていた。
結果、立ち位置は逆転し、雪緒は、恭介の前で立ち尽くすこととなった。
向けられる銃口。
雪緒は動じることもなく、恭介の盾になるかのように、銃口に身を晒していた。
それでいいと思った。
別に殊勝にも誰かを護ろうとだなんて思ったわけじゃない。
ただ、頭のおかしい死にたがりが死のうとしただけ。
そう思って、更に一歩、雪緒は前に出ようとした。
なのに。
後ろから強く雪緒を引く手があった。
まだ衝撃の抜け切らないシルファを押しのけ、必死に立ち上がろうとしていた恭介だ。
雪緒は息を飲んだ。
引っ張り倒されるようにして射線から強引に逸らされる。
恭介の腕の中に雪緒が抱きとめられた時には、銃の狙いは朋也へと移っていた。
その隙を見逃す恭介ではなかった。
恭介は祐介を刺激しないよう、黙ったまま、抱き寄せた雪緒を立たせ、自分も立ち上がり、息を殺し機会を伺っていた。

同時に、その目が言っていた。

まだ賭けは終わっちゃいない、と。
あるんだろ、お前も俺も綺麗だと思える世界が、と。
ならそれを俺に見せてみろ、と。

恭介が待っていた機会はすぐに訪れた。
強く響いた逃げろという声。
声の主、音無結弦は、恐らく綺麗な世界を見つけられたのだろう。
死にひんして、けれど、音無には一切の悲壮感がなかった。
どこか満たされたように、彼は自分で自分の死を勝ち取ったように見えた。

けれども、それは、雪緒にとっての価値観で。
恭介にとっては違って。
彼は、逃げろという音無の声に一瞬、苦しそうに、悔しそうに、悲しそうに顔を歪めて。
それでも。まるで雪緒を死なせない様に。皮肉にも、芳野祐介に言われたように。
何としてでも、自分の怒りや嘆きを押し殺してでも、雪緒を護る道を選んだ。
恭介は雪緒の手を掴んだまま駆け出して。
今も、ずっと、手は掴まれたままだった。

495レクイエムは誰がために  ◆92mXel1qC6:2011/09/27(火) 04:35:17 ID:oc4bCHTY0
心中がひどい有様なのを表情や声から気取られ、雪緒に自分のせいだと思いつめさせない為か。
恭介は、振り向かずに、何も話さずに、ただ、これまでよりもずっとずっとずっと、力強く雪緒の手を握りしめ続けた。
恭介に苦渋の選択をさせた自分は、どうすればいいのだろうか。
雪緒は考えるも、死を諦めることもできず、時紀に償いとしてそうしたように身体を許すのも何か違う気がして。

“歌が聞きたいです”

ふと、自分に懐いてくれていた少女が、死の間際に歌を望んでいたことを思い出す。
歌を望まれたのは雪緒ではなかったけれど。
少女が望んだ歌がどんな曲かさえ分からなかったけど。
雪緒は、歌うことにした。
死のうとしていた自分を引き止めた歌を、死んだ少女の最後の願いに応えるように。

歌が、響く。

儚くて消え入りそうな拙いメロディ。
恭介との出会いの時に彼が歌っていたそれを耳にし、恭介は前を向いたまま切なげに呟く。

「……綺麗な、歌だな」

その声は、震えていた。
彼の左手と同じように震えていた。

「あなたの歌じゃない」

雪緒は、微笑んでいた。
恭介が前を向いたままなのは分かっていた。
だから、この笑みは恭介を励まそうとして意識して浮かべたものではなかった。
ただ少し、おかしく思ってしまっただけ。
だって、言葉通り、雪緒が歌ったのは、“恭介の歌だったから”。
雪緒はこの歌の本来の歌詞やメロディを知らない。
時に不自然に音が飛んでいるのも、恭介が歌っていたものを、そっくりそのまま、模倣しているからだ。

「ああ、ちきしょう」

恭介も、そのことに気づいたのだろう。
悔しそうに、切なそうに、悲しそうに笑みを漏らして。
ちきしょう、ちきしょうと、空いた右手で、自分の顔を覆って。
そのまま、右手を顔からどかそうとはしなかった。

「こんなことならもっとちゃんと覚えとけばよかったな……」

握ったままの左手から込めらてくる力が少し強くなる。
雪緒はどうすればいいのか分からなかったけれど、ただ強くその手を握り返した。


     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

496レクイエムは誰がために  ◆92mXel1qC6:2011/09/27(火) 04:35:42 ID:oc4bCHTY0
そうして、立華奏がその場に駆けつけた時、全ては終わった後だった。
恭介達が西に逃げ、朋也達が北に逃げ、祐介達もゲンジマルに遭遇せぬよう支給品を回収してすぐ何処へと去っていた。
だからそこには誰もいなかった。
生きている人間は誰もいなかった。

「ゆず、る……?」

物言わぬ音無を前に項垂れる奏。
カルラに言われたように、全ては手遅れなのだろうか。
そんなはずない。
そんなのはあっちゃだめ。

「起きて、ねえ起きて、結弦……」

彼には心臓がなかった。
初めて出会った時に、奏自身の手で、そのことは確認している。
心臓を貫かれたからといって、彼が死ぬはずがないのだ。
もし死んでいたとしても、ここに、この胸に彼の心臓がある以上、この心臓を返せば結弦は生き返るはずだ。
そんなことをすれば、自分は間違いなく死ぬだろうけど、この命はもとより、結弦にもらったものだ。
返すことに一切の躊躇はない。

「結弦、私、まだあなたにお礼を言ってない。
 それに約束してくれたよね。協力してくれるって。一緒にって」

だから、だから。
目を覚まして、と祈る奏。
その願いが届くかどうかは、ただ神のみぞ知る。

497レクイエムは誰がために  ◆92mXel1qC6:2011/09/27(火) 04:36:01 ID:oc4bCHTY0
【時間:1日目午後8時10分ごろ】


【場所:F-7 北部】
 シルファ
 【持ち物:エドラム、水・食料一日分】
 【状況:打撲他ダメージ(中)、心にダメージ(大)】

 岡崎朋也
 【持ち物:日本刀、水・食料一日分】
 【状況:ダメージ(軽)、心にダメージ(大)】


【場所:F-7 西部】
 香月恭介
 【持ち物:SIG GSR (残弾8/8)】
 【状況:打撲・擦り傷などダメージ(小)】

 須磨寺雪緒
 【持ち物:不明支給品、水・食料一日分】
 【状況:健康】


【場所:F-7 中央】
 立華奏
 【持ち物:不明、水・食料一日分】
 【状況:疲労(小)】

 音無結弦
 【持ち物:なし】
 【状況:死亡?】

 三枝葉留佳
 【持ち物:なし】
 【状況:死亡】

 春原芽衣
 【持ち物:なし】
 【状況:死亡】


【場所:F-7 付近】
 カルラ
 【持ち物:エグゼキューショナーズソード、酒、DX星杖おしゃべりRH、水・食料四日分】
 【状況:疲労(小)】


 芳野祐介
 【持ち物:ベレッタM92(残弾6/15)、コルトパイソン(0/6)及び予備弾85(.357マグナム弾)、
  トランプ(巾着袋つき)、89式5.56mm小銃(20/20)、予備弾倉×6、水・食料三日分、バイク】
 【状況:疲労(中)】

※折原志乃の支給品のうち、回収されたSIG GSR本体以外は、予備弾倉を含め、火炎瓶により燃え尽きたり変形が激しかったため放棄されました。

※音無についてのあれこれはあくまでも奏の願望混じりですが、AB本編で心臓がないままだったことや、
 ディーが人体改造もよしとするため、もしかしたらもしかするかもしれません
 お任せします

498レクイエムは誰がために  ◆92mXel1qC6:2011/09/27(火) 04:38:56 ID:oc4bCHTY0
以上により投下終了です
感想、ご指摘あれば是非

尚、音無の死亡表記につきまして、次に任せるのはやはりまずいということであれば修正させて頂きます

499貴方の流せない涙に、私が出来る事 ◆auiI.USnCE:2011/10/14(金) 05:01:55 ID:MwJRZbIU0







――――私が貴方の為に、涙を流せるのなら。








     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇







「……………………あ……う」

眩い夕日の光が差し込める病院のロビーで。
純白のケープを纏っている少女の指先は虚空を彷徨って。
何かを手にしようとして、何かを求めようとして。

結局、何もつかめやしなくて。

細くて白いしなやかな指は、そのまま少女の胸元に静かに置かれた。
とくんとくんという心臓の鼓動が感じられて。
ああ、生きているんだと少女――長谷部彩は実感する。


「ああ……あぅぅぅ」

そして、温かい涙が溢れてくる。
先程流れてきた放送が、哀しいことを教えたから。
彩の友達が、仲間が、命を終わらせてしまったと言う事。
温かくて、やさしくて、親切な人達が簡単に命を散らしてしまった。

なんで、どうして、こんな事って哀し過ぎる。

そんな思いが彩の心の中を廻って。

死んでしまった由宇も、詠美も、玲子も、郁美も、あさひも、こんな事で死んでいい人じゃない。
きっと死んでしまった人達、皆そうだろう。

なのに、なんで、なんで。

「うわ……あぁぁぁぁ」

ああ、涙が止まらない。
泣く事で、彼女達が救われる訳じゃないのに。
泣く事で、彼女達が喜ぶ訳じゃないのに。

それでも、長谷部彩は泣く事は止めなかった。

誰かを喪った哀しみを隠そうとしない。
誰かの死に涙を流せる事はきっと、悪い事ではないから。
亡くなった人の為に、弔うように、泣いて。
それが今を生きている自分の救いになるなら。
哀しみの先に、続く未来があるなら。
そして、涙の先にある沢山の想いが伝わるのなら。

500貴方の流せない涙に、私が出来る事 ◆auiI.USnCE:2011/10/14(金) 05:02:34 ID:MwJRZbIU0


「あぅぅぅ……あぅぅうぅあぁぁぁぁ」


長谷部彩は泣き続けよう。
祈るように、惜しむように。
ずっと、ずっと、ずっと、ずっと。



病院で、哀しみ、泣く彩の姿は切り取られた絵画のようで。
とても美しくて、まるで天使のようで。
その光景を彼女の同行者であるベナウィはずっと見つめていた。

何故だろう、泣いている彼女を見ていると何処か不思議な気分になるのだ。

こんなにも、こんなにも誰かの為に涙を流せる彩に。
こんなにも、儚く壊れそうな少女に。


こんなにも、罪にまみれた自分が触る権利などあるのか。
こんなにも、手を真紅の血で自分が言葉をかける権利などあるのか。

答えは出なかった。出る訳が無かった。
だから、不浄のものを寄せ付けない、純白の少女をベナウィはただ見るだけだった。


そして、泣いてる彼女を見て、ベナウィはやっと気付く。

ああ、やはり自分は泣けなかった。

大切な仲間が、家族が死んだというのに。
自分は泣けていないのだ。
予想した通りのままだった。

哀しいという感情はあるだろうに。
いや、自分の感情なのに、確証をもてない時点で恐らくダメなのだろう。
だから、ベナウィという人間は何も変わらない。変わっている訳が無い。
何故ならば、ベナウィは主君に忠誠を尽くす武士なのだから。



ああ、やはり、私と彼女は違う。

501貴方の流せない涙に、私が出来る事 ◆auiI.USnCE:2011/10/14(金) 05:02:52 ID:MwJRZbIU0


あんなにも純粋に涙を流せる彼女と。
哀しんでいる事さえ解からない自分は、こんなにも違う。

ふうと、ベナウィは大きく息を吐いて。
ゆっくりと病院の壁に身を預けた。
これさえ、ただの感傷にしか過ぎないのかもしれない。
でも、それでもいいと諦観にも似た考えを持ちながら、ベナウィは彩が泣き止むのを待っていた。



けれど、ベナウィは気付かなかった。


ベナウィの一瞬見せた憂いの表情を。
彼女が泣いている時、彼の表情が戸惑いに変わった瞬間に。


長谷部彩がじっと見つめていた事に、ベナウィは気付いていなかった。



そして、それは――――








     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「………………」


夕陽が、静かに歩き続ける二人を照らす。
病院を後にして、ベナウィ達は、歩き続けていた。
ベナウィを前にして、彩がちょこんとベナウィの服の袖を掴みながらの隊列だった。
元々、ベナウィは必要な事以外あまり喋らないし、彩も無口と言ってもいいくらい口数は少ない。

だから、この沈黙は必然で、当然ともいえる光景で。
ベナウィはそれでいいと思い、彩もそうなのだろうと思っていた。
今まで、亡くなった人の為に祈るように泣いていたのだ。
色々思うところがあるのだろう、静かに考える事も必要なのだろう。
それはベナウィにとっても一緒で、なにより。

今、彼女の言葉を聞いたら、更に戸惑いそうで、嫌だったから。


だから、これでいい。

502貴方の流せない涙に、私が出来る事 ◆auiI.USnCE:2011/10/14(金) 05:03:11 ID:MwJRZbIU0



そう、思っていたのに。





――――くいっ。


今まで一番強い力で、袖を引っ張られる。
言葉は無いけど、間違いなく、強い意思表示で。
複雑な思いを抱えながら、ベナウィは、ゆっくりと振り返る。



其処には、とても脆くて、儚くて、でも、とても澄んでいて、優しい、瞳があった。


「………………哀しいんですか?」

それは、問い掛け。
とても小さな囁きで、けれどすっと耳に入ってくる言葉。

「さあ、どうでしょうか」

まるではぐらかす様な言葉。
けれど、それがベナウィの本心だった。
哀しいのか、哀しくないのかの判断さえ、よく出来ない。
哀しいや、苦しいという感情を捨て去って、武士になったのだから。


「……………………いいえ、きっと哀しい筈です」

けれど、はぐらかしの言葉をかけらながらも、彩は視線を外さない、外しはしない。
強い意志で、ベナウィをただ見つめ続けていた。
その瞳はまるで、ベナウィの心を見透かすようで、ベナウィはとても嫌になって。


「何が、何が解かる。私の心が貴方に解かる訳が無い」


そうだ、簡単に解かってたまるものか。
逢って六時間しか立っていない少女に理解されてたまるものか。
何もかも見透かされてまるか。

だからこそ、強い言葉で拒絶したのに。
きっと、彼女は怖がって言葉を紡ぐのを止めると思ったのに。


「…………でも、これだけは解かります」


彼女は、ベナウィを見つめながら。

503貴方の流せない涙に、私が出来る事 ◆auiI.USnCE:2011/10/14(金) 05:03:27 ID:MwJRZbIU0



「――――家族が死んで、哀しまない、人間がいると思いますか?」



長谷部彩は、言葉を紡いだ。
優しく、残酷で、温かい言葉を。
当たり前の事を、自然に。


そして、その言葉は、ベナウィを戸惑わせ、心に沁み到らせていく。


「ベナウィさんの仲間……家族ともいえる人が死んで、それで哀しまない人なんて……居ません」


彩は何かを思い出すように。
辛い過去を思い出しながら。
それでも、言葉を紡ぐ。


「ベナウィさんは哀しみ方を、泣き方を、忘れただけなんです」


人を失う時の哀しみを。
人が涙を流す感覚を。

ベナウィは、きっと、命が沢山失われていく中で、磨耗し、忘れていった。


「………………きっと……いつか、思い出せる時があると……思います」


でも、何時かは思い出せる。
だって、哀しまない人なんていないから。


「けれど……今は――――」


そっと伸ばされる彩の温かくて、優しくて、小さな手。
ベナウィの頬に、静かに添えられて。



「――――――私が泣けない貴方の為に、貴方の代わりに……泣きましょう」



ぽろぽろと、彩の瞳から雫が落ちた。

泣けないベナウィの為に。

彩は静かに、涙を流し始めた。



その彩の行為は傲慢かもしれない。
単なるエゴでしかないかもしれない。

504泣けない貴方の為に、私が出来る事 ◆auiI.USnCE:2011/10/14(金) 05:04:36 ID:MwJRZbIU0


けれど、ベナウィは、添えられた手を、払う事など出来なかった。


出来るはずもなかった。



だから、ずっと、立ち竦むしかなかった。




そして、純白の少女の涙が、夕陽に照らされて。




ずっと、ずっと輝いていた。







     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇







また、その瞳だった。
私を射抜く瞳が其処にあって。
ただ、真っ白な純白の心が、私を包んでいた。


堪らなかった。
私の心を何時までも揺さ振り続けて。
苦しくて、この温もりを突き飛ばしたかった。


けれど、私は出来なかった。
あの瞳が、私を捉えて離さなかった。
日向のような温もりが私を包んでいる。


まるで、武士の自分を忘れさせるような、そんな涙で。
きっと武士を辞めるのなら彼女の言う通りにになるのかもしれない。
けれど、武士を辞める自分なんて考える訳も無くて。
それは自我を捨てると同じ事で。



だから、突き飛ばせばいい。
傲慢な彼女を突き飛ばせば、全てが終わる。
こんなのが嫌なら、其れで終わるのだ。
こんな堪らない気持ちから、こんな苦しみから、解放されるなら、それでいいのだ。



でも、私は立ち竦むしかなかった。

505泣けない貴方の為に、私が出来る事 ◆auiI.USnCE:2011/10/14(金) 05:04:52 ID:MwJRZbIU0


終わらせたくなかった自分が居て。


この日向のような暖かさに。
真っ白い羽根のような心に。


私は、救われてるような気持ちに感じてしまう。


それが、どんなに、自分を裏切る事だとしても。



止める事が出来なかった。








     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇









………………きっと、私のやってる事は出過ぎた事だと思う。

私はベナウィさんの事を詳しく知らないのに。
知ったような事を言って、ベナウィさんを苦しめているだけなのかもしれない。


でも、けれども。


其処にある哀しみを。
泣けない人を見たら。

私は、身体が動いていた。


怖かった、拒絶されるんじゃないかと思った。
嫌われるんじゃないかと思った。
踏み込んではいけない所まで踏み込んでしまったかもしれないと思った。

506泣けない貴方の為に、私が出来る事 ◆auiI.USnCE:2011/10/14(金) 05:05:08 ID:MwJRZbIU0



けれど。


哀しい瞳をした、貴方を護りたかった。
あんなにも切なそうにしていた瞳が、私を捉えて離さなかったから。



私に出来る事は少ないけど、たいした事無いけど。


貴方の為に、無くなった人の為に。


涙を流す事は、祈る事は……出来たから。



だから……これでいいんです。



誰かの哀しみが少しでも癒えるなら。
誰かを護る事になるなら。




私は涙を流そう……と思う。



それが、私が出来る事なのだから。



涙の温かさを、頬に感じた。



きっと、この温もりが、想い合う事なのだろうかと思いながら。



私は、温かい雫を流し続けた。





【時間:一日目 午後5時50分ごろ】
【場所:F-1】

ベナウィ
 【持ち物:フランベルジェ、水・食料一日分】
 【状況:健康 彩と共に行動】

長谷部彩
 【持ち物:藤巻のドス、救急セット、水・食料一日分】
 【状況:健康、ベナウィと共に行動】

507泣けない貴方の為に、私が出来る事 ◆auiI.USnCE:2011/10/14(金) 05:05:37 ID:MwJRZbIU0
投下終了です。
タイトルは此方の方でお願いします

508終わった世界で何もかも終わる ◆auiI.USnCE:2011/11/02(水) 03:11:20 ID:s4BZfIA20





だから、私は世界に、縋り続けた/だから、私は世界に、お別れをした








     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

509終わった世界で何もかも終わる ◆auiI.USnCE:2011/11/02(水) 03:11:35 ID:s4BZfIA20





走る、走る。
一目散に、何かから逃げるように。
嫌だった、何も見たくなかった、何も信じたくなかった。
こんなにも、哀しいのは、嫌だった。
私――古河渚は、逃げていた。

お母さんは、私を見捨ててしまったのか。
最悪な事をした私だから、こんなにも弱い私だから。
だからこそ、お母さんは私を否定するのか。

私は悪くない、悪くなんか、無い。

そう、思うしかなかった。

嫌いだ、嫌いだ、本当、大嫌いだ。


私は悪くないんだ、なのにお母さんは私を否定した。
だから、もう、嫌だ、大嫌いだ。
お父さんもそうだ、何で助けに来ないんだ。
こんなにも苦しいのに、こんなにも辛いのに。
誰も、誰も、助けてくれない。


嫌だ、嫌いだ、嫌だ、嫌いだ。


思えば、生まれたから、碌な事なんて無い人生だ。
お父さんもお母さんも私のせいで、人生を棒に振った。
私は、治る見込みが病気のせいで、楽しい事なんて全然無かった。
友達だって出来やしない人生で。

全然、誇れる人生じゃない。


なんで、こんな目に私を合わせるんだろう。
なんで、こんな辛い人生を送らないといけないんだ。


嫌いだ、嫌いだ、こんな目にあわせる世界なんて、だいきらい。
終われ、終わってしまえ。



でも、私は、私は悪くない。


生まれてきた事を悪いと思いたくない。
この世界に生まれた事を、私は否定したくない。
皆、皆、私を否定するけど、私は生まれたんだ。



だから、私は死にたくない。


こんなにも嫌いで終わった世界だけど、私は死にたくない。


そうだ、私は生きている。
私は悪くない。
だから、私を受け入れてくれる人だってきっと居る。

朋也君みたいな人が、きっときっと。
竹山君だって、私の事を。


そうだ、こんな醜い終わった世界にだって、私を必要としてくれる人が居るんだろう。

だから、ねぇ、


「わたしを、みすてないで」


わたしは、



「まだ、いきていたい」









     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

510終わった世界で何もかも終わる ◆auiI.USnCE:2011/11/02(水) 03:12:04 ID:s4BZfIA20





月が真っ白でした。
驚くくらい綺麗で、ずっとずっと眺めていました。
私は地面に磔になったように、寝転がったままでした。

まるで、世界の一部になったように、私――能美クドリャフカは、世界に、埋没しそうでした。
先程聴こえた放送。そして死んでしまった、真人さん。
私は目蓋を閉じて、そのままでした。
雫が流れたのは、私にとっても幸いで。
まだ、涙を流せるんだと思いました。

そして、そのまま、月を眺めていました。


隣には、終わってしまった命が二つあって。
それは、私が終わらしてしまったと一緒なのでしょう。
これが、私の罪と言うなら、そうなのでしょうか?

解かりません。
解かりっこありませんでした。
そんな事を理解できるすべはもう失ったのですから。

だから、そんな私は空虚で。
あのヒトは、壊れたと私に言いました。

そうなのでしょう。
きらきらと輝いていた世界がもう靄がかかったように見えないのです。
穢れたように、黒く、汚れてるように。

私の世界は、醜く、終わりそうでした。

それでいいのかという声と。
それでいいのよという声が。

両方とも、聴こえて、もうよく解からなくて。

それとも、もう終わっていたのかもしれない。

あの時、引き金を引いた瞬間から、何もかも。


ううん……もしかしたら、最初から、そう、何もかも。


何もかも失って、狂いに狂った、こんな終わった世界で。


そんな終わった世界で、私は終わるのでしょうか。


こんなにも、穢れてしまった(美しい)世界だというならば。


もう、何もかも、失った方がいいかもしれません。
もう、何もかも、捨てた方がいいかもしれません。


夜空が、綺麗でした。


遥か彼方の月と星はとてもとても綺麗で。


そんな、綺麗な(醜い)世界を。




―――私は捨てることにしました。








     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

511終わった世界で何もかも終わる ◆auiI.USnCE:2011/11/02(水) 03:12:20 ID:s4BZfIA20






だから、

何もかもから、逃げて、それでも世界に縋り続けようとした少女と。
穢れに穢れて、何もかも失い、世界を捨てようとした、少女が。


白い月の下、出会った。






     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「ひぃ…………二人も……し、死んでいる……なんで」
「…………なんで、なんででしょうか?」
「……あ、貴方がやったんですか!」
「……どう……なのでしょうか……もう、解からないです」


「解からないって……なんで、殺したんでしょう!? 自分が生きるために!」
「……かもしれません」
「ほら、皆そうやって殺していくんだ……私だけじゃない!」


「そうだ、私だけじゃない……私だけじゃないんです!
 みんなみんな……そうやって自分の事ばかり考えて……だいっきらい……だいっきらい
 弱いから……生きたいから、仕方ないんだ」


「本当にそうなのですか?」
「……え?」


「そうやって、目を背ける事は簡単です。べーりーいーじーです。
 それに、それはとても優しいです。温かいぐらい優しいです。
 けれど、だからって何も変わらない、罪から逃げてるだけなんです。
 全てを嫌う事は、きっと救いなんて、ならないです」


「……何が、何が解かるんです! 貴方に私の何が!
 いつもいつも、誰も誰も救ってくれなかった! 一生懸命生きようとしたって、皆それを邪魔をする!
 私は弱かったけど、どうしようもないぐらいに弱かったけど、それでも生きてたかった、生きたかったんです!
 でも、皆、皆、それを許してくれない。母も父も、友達も、世界も! 
 だから、だいっきらい! こんなにも醜い終わった世界がだいっきらい!」


「……じゃあ、一緒に終わってしまえばいいのに」


「それでもっ……それでもっ、私は世界に縋るしかないんです! 終わってしまったら、私の生すら、否定してしまう!」


「そうなのですか……私は、こんな終わった世界がもう、よく解からないんです。
 穢れ狂った、世界で、私はどう生きるんでしょう? 何を見ていくんでしょう?
 何もかも失って、もう何も無いんです。きらきらと輝いていたものはもう、見えない。いや、見たくないのかもしれません
 真っ白いものを真っ黒で汚れ穢されて、何も無いなら、何もなくしたのなら」


「私は、世界をお別れして、捨てればいいのかもしれません。
 あんなにも綺麗なものを思い出せないなら、忘れて。
 何もかも、終わった中で、そして、わたしも終わるのかもしれません」


「じゃあ、終わってしまえ! 終わってしまえばいいじゃないですか!」
「そうかもしれません。でも、それは貴方も一緒かもしれませんよ?」
「違う! 私はそうじゃない!」
「そんなの誰にもわからない。あいどんとのー。ゆーどんとのー」


「壊れて、狂って、そして、終わった世界で」



「私達は何もかも終わるしかないんですよ」









     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

512終わった世界で何もかも終わる ◆auiI.USnCE:2011/11/02(水) 03:12:35 ID:s4BZfIA20






そして、醜くも、美しい、終わった世界で銃声が鳴った。





 

 【時間:1日目 20:00】
 【場所:C-2】


  能美クドリャフカ
 【持ち物:CZ75(?/15)、不明支給品、水・食料一日分】
 【状況:?????????????????】



  古河渚
【持ち物:S&W M36 "チーフス スペシャル"(?/5)、.38Spl弾×?、ステアーTMP スコープサプレッサー付き(32/32)、予備弾層(9mm)×7、水・食料二日分】
【状況:??????????????????】

513終わった世界で何もかもが終わる ◆auiI.USnCE:2011/11/02(水) 03:13:20 ID:s4BZfIA20
投下終了しました。
此度は遅れてしまい申し訳ありませんでした

514 ◆g4HD7T2Nls:2011/11/14(月) 00:37:12 ID:vz7rKIk20
投下します。

515My Beats, Your soul. ◆g4HD7T2Nls:2011/11/14(月) 00:42:22 ID:vz7rKIk20






ずっと、聞こえていた。



――トクン、トクン。



流れていく街道の灯り。



――トクン、トクン。



舞い落ちる雪の白。



――トクン、トクン。



ふたり歩いた、クリスマスの夜。



――トクン、トクン。



あの日、背負った命の軽さを、憶えてる。
背中に伝わった、儚い鼓動の音を忘れない。






― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―

516My Beats, Your soul. ◆g4HD7T2Nls:2011/11/14(月) 00:44:37 ID:vz7rKIk20





何も、何も聞こえない。




静寂。
それがいまの俺、音無結弦の認識できる全てだった。
暗闇のなかで一人、俺はいつかのように横たわっている。

感覚がない。
指一本動かない。
目を開ける気力すらない。

俺は限りなく停止している。
しかしそれは当前のことだった。
胸を鉛の弾丸に貫かれ、致命傷を負ったのだから。

死んでいる。
音無結弦の肉体は死んでいる。
死に際の恐怖や痛みもとうに過ぎ去り、既に暗闇しか感じられず。
なのに、道端に捨てられたような死体の俺は、霞む意識で尚、思うことを止めていなかった。

体が死んでも意識が在り続ける、違和。
俺は真っ当に死んでいない。
死なない筈の俺の同類達は、ここで死んだと聞いた。
ならば同じように俺も、この場所ならばあるいは死ぬのかもしれないと、考えていたけれど。

やっぱり、死ねてない。
死ねないのと同時に、生きていない。
死に掛けのまま、時が止まったみたいに。
中途半端な、死だった。


何も、何も聞こえない。


音が無かった。
あまりの静けさによって、なるほどな、と。
二度目の死で、俺は気づいたことがある。
そもそも俺には、鼓動(おと)がないようだった。

いつか誰かに譲った俺の心臓。中核無しに動いていた肉体。
道理で死ねないわけだと納得し。
ではこの場所で、今まで俺を動かしてきた仕組みとは、いったいなんだったのか。
ふと考えて、そんなことに意味はないか、と打ち切った。

なぜなら俺は、ここで消えるわけにはいかない。
消えたくないと思っている。
まだ、俺がここに居るのなら、居れるのなら。
未練のないくせにあの場所にいた俺は、その代わりに誰かの為に出来ることを、しなければならない。

517My Beats, Your soul. ◆g4HD7T2Nls:2011/11/14(月) 00:48:00 ID:vz7rKIk20


音無結弦は、あの場所にいたときと変わらない。
ならば理由もまた、天上の学園にいたときと同じように。
この場所で、最初から死者だった俺を動かしていたものは、留まろうとする意志だけなんだろうから。

死にながらでも行くべきだ。
血反吐を吐きながら、動き続けなければならない。
たとえ指一本動かすのも覚束ない、潰れた虫のような体であっても。

「……っ」

そう思い、闇の中を這いずろうとした俺は、しかし不意に、



――トクン、トクン。


「……」


そんな、聞こえる筈のない幻聴を聞いて。


「……ぁ」


その懐かしさに、何故だろうか。
僅かに掴んでいた意識さえも、手放してしまっていた。









― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―

518My Beats, Your soul. ◆g4HD7T2Nls:2011/11/14(月) 00:49:27 ID:vz7rKIk20

























My Beats, Your soul.















― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―

519My Beats, Your soul. ◆g4HD7T2Nls:2011/11/14(月) 00:50:16 ID:vz7rKIk20









ずっと、聞こえている。



――ドクン、ドクン。



暗い地下道の瓦礫。



――ドクン、ドクン。



震えるペン先で記した黒い線。



――ドクン、ドクン。



ひとり息を止めた、最後の日。



――ドクン、………。



生きる音を憶えている。
死ぬ音を知っている。

あのとき、零れ落ちた命の音を、今も背負っている。
あのとき、死ぬその時まで鳴り続けていた暖かな音は、今もこの胸に――










― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―

520My Beats, Your soul. ◆g4HD7T2Nls:2011/11/14(月) 00:52:55 ID:vz7rKIk20










何も、何も聞こえない。
それがどうしてか、悲しかった。



「………ぅ……ぁ」


断裂する意識。
底なしの闇の中。
うめき声を上げて、塵のような意識をかき集めた。

走馬灯を見たのは二度目だった。
先ほどから途切れ途切れに、ぼんやりと浮かんだ光景、それは俺にとって忘れがたい記憶だった。
俺は死後も、あのことを思い出してから、考えることがある。
いや、それはずっと、俺の脳裏にあり続けた命題だったのかもしれない。

死後の世界。
報われない人生を歩んだ者達がたどり着き、未練をなくして消えるための場所。
そこで見てきた、二つの在り方。

不満足に、在り続けること。
満足して、消えること。
いったいどちらが、幸せなのだろうか。

二度目の、いいや違う、もう何度目かも分らない死を、感じながら。
実感しながら、俺は思い続けてる。
答えは後者なのだ、と。働かないはずの、枯れた思考で思ってる。
良かったんだ。あれで、良かったんだ。
不満足に生き続けるより、きっと満足して死ねたほうが、幸せだったんだ。
昨日の、もう戻れない自分に見切りをつけて、次に行くことが正しい。

振り返れば俺の人生、楽しいことばかりじゃなかった。
むしろ辛いことの方が多かったようにすら思える。
だけど、だからこそ思う。
幸せを感じられない生は、嘘だと。
そういうのは生きてるとは言わない。ただ存在してるだけだ。

521My Beats, Your soul. ◆g4HD7T2Nls:2011/11/14(月) 00:54:00 ID:vz7rKIk20


死の瞬間、俺なりに満足できた、幸せを感じられた。
満たされることが出来た。
死の間際で、夢は叶わなくて、今と同じような日のあたらない場所で、それでも俺は生きる証を残せた。
誰かを救えたと思ったとき、生きた意味を作れたときに。
俺は確かに満たされて、満足して、逝けたんだ。

それでよかった、そう、死んだ後にすら思えたから。
俺に、未練はない、ないはずだ。
だからこそ、死後の世界で、
消えない俺は、やらなくちゃいけないことがあると思ったんだ。

あいつらにも、教えてやらなくちゃいけない。
死んだ世界の仲間達。
意地を張ってへそを曲げ続けてるあいつらにも、教えてやりたい。
お前らは満たされていいんだって、幸せになっても良いんだって。
俺の感じた思いを、知らせてやりたかった。


天国は、満たされて次に行くための場所なんだと、誰かが信じていた。
それを綺麗だと思ったから、俺も。
自分達の天国を、自分達で地獄に変えちまってるあいつ等の背中を、押してやりたかった。
あいつらを縛ってる何かから解放して、卒業させてやりたかったんだ。
それこそが、俺がここに来た意味じゃないのかって、思ったから。

だから俺は、音無は死にながらも、まだ生きなければならない。
死ねないなら止まっちゃ駄目なんだ。
動かなくちゃ駄目なんだ。
ほら、今だって、唯一死なない存在としてここにいる。
だったら、俺にしか出来ないことをやらなきゃいけない。

俺は俺がある限り、誰かに教えてやらないと。
お前は救われていいんだって、満たされていいんだって。
喩え暗闇でもなんでも、在り続けて、知らせなきゃならない。


なのに、なんで……。



――トクン、トクン。



どうして俺は、未だに動くことが、出来ないんだろう。

522My Beats, Your soul. ◆g4HD7T2Nls:2011/11/14(月) 01:00:42 ID:vz7rKIk20

「……る」



――トクン、トクン。



それはさっきから聞こえているこの、優しく引き止めるような、耳に響く音のせいなのか。


「……づる」



――トクン、トクン。



どうして俺は、この鼓動がこんなにも、懐かしく思えるんだ。
どうして俺は、止めてはならない筈の身体の動きを、止めてしまいたくなっちまうんだ。


「結弦」



なぜ、聞こえる音色はこんなにも、優しい。

「結弦、聞いて……」

薄らと、俺は閉じていた目蓋を開けた。
その気力が、不意に与えられたんだ。

するとそこに、夜の闇はない、黒はない。
目の前に在ったのは白と、蒼の降り注ぐ、煌く光景だった。
ざぁ、と。長髪が、ぼやけた視界を流れていく。

「あなたの、心臓は」

俺を見下ろす、少女の瞳。
包み込むが如く広がる、荘厳の翼。
雪のように舞い散る、白い羽根。

俺は抱きしめられている。
柔らかな腕に包まれている。
耳に当たる少女の胸元から、どこか落ち着く音が聞こえてくる。

523My Beats, Your soul. ◆g4HD7T2Nls:2011/11/14(月) 01:03:01 ID:vz7rKIk20

「ここにある、だから」


懐かしい鼓動だった。
愕然とする。
聞いているだけで、涙が出そうなくらい、満たされてる俺自身に。


「あなたに、わたしは……」


満たされる、満たされちまう、俺が。
おかしいだろう。
これじゃあまるで、俺が救われるみたいだ。
誰かを助けなきゃいけない俺が、この少女に、癒されてるみたいだ。
未練なんて、不満なんて、俺にはなかった筈なのに、どうして。

「どうしても言いたいことが、あって……だからどうか……」

今の俺の、駄目になった耳じゃ、少女の声はまともに聞こえない。
悲しげな声で、必死に伝えようとしている何かを、分ってやれない。
それが悲しくて、だけどこのとき俺は不思議なことに、救われてたんだ。


「あぁ……」


――トクン、トクン。


って、鼓動が、聞こえるから。
聞こえ続けるから。
あの夜みたいに。
いつか失くした筈の、鼓動が聞こえるから。
はは、なんだ、そういうことかよ、ちくしょう。

「ゆず、る?」

そうかここに、あったのか。
俺の音。俺の生きた証。俺の心臓。俺の未練。ああ、そうか君が――

「そう……か」

気づいてしまったら、嬉しくて、堪らなくなる。
空っぽのはずの胸から溢れ出す気持ち。
その衝動に抗えない。
抑えられなくなって、つい。

「…………とう」
「……え?」

掠れた声で、俺は言ってしまった。
ずっと胸に秘めていたものを、俺自身も気づいていなかった思いを。

524My Beats, Your soul. ◆g4HD7T2Nls:2011/11/14(月) 01:04:46 ID:vz7rKIk20

「ありが、とう」

残したものはここにある。無駄じゃなかった。
何も成し得なかった俺の人生は、それでも無駄じゃなかったんだって、やっと確信できた。
この鼓動を聞けたから。
俺がいた意味を今も君が、奏で続けてくれてるから。


「命を繋いでくれて、ありがとう」


俺はいま、やっと分ったよ。
ずっと、そう言いたかったんだ。
残した命の証を、形にしてくれた誰かに礼が言いたかった。
それこそがきっと俺に残された、たった一つの未練。

満たされている、満たされちまってる。
それはつまり、かつての世界のルール通り、終わり示した。
消えていく身体の感覚、今度こそ霧散する俺の意志。
どうやらこの場所で、あるいは死後の世界で、
果たそうと思ったことは、もう手に取ることが出来ないみたいだけど。

「ありがとう、君は……」

それでも君に会えてよかった。
言えてよかったと、思ってしまうんだ。
笑って俺は、消えられる。

「君は……天使、だ」

そして儚くも眩い、君の姿に、俺は願う。
天使を、願ってしまう。

「違う私は、天使なんかじゃない」

たとえ君が否定したとしても、言い切るよ。
満たしてくれた、救ってくれた、助けてくれた。
これで俺は救われた気持ちで逝ける。
君は俺にとって、紛れもなく天使だった。
叶うなら、これからもそうあってほしい。
本物の天使のように、この悲しいことの多すぎる場所で、俺に出来なかったことを、俺の代わりにして欲しい。
俺を救ってくれたように、ここで救われないまま消えていこうとする人を、救ってやって欲しい。

「どうか天使で、あってくれ」

勝手な言い分かもしれない。
呪いのような言葉を、君に背負わせることになるかもしれないけど。
俺は願いたい、なぜなら、


「――俺の魂は、君の鼓動だから」


どうかこの気持ちも、受け継いで欲しい。
そう、祈らずにはいられない。

525My Beats, Your soul. ◆g4HD7T2Nls:2011/11/14(月) 01:07:14 ID:vz7rKIk20

「……、……」


最後、薄らと見えた、頷いた少女の顔。
いいや、今は天使、なのかな。

「よかった」

本当に、よかった。

「それじゃあこれで、やっと……」

俺はやっと、心から安堵して。
疲れた体を休めることができる。
曇りきった目を、閉じることができる。




――トクン、トクン。




って、聞こえる。
俺が消えてもずっと響き続ける、鼓動の音を聞きながら……。









― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―

526My Beats, Your soul. ◆g4HD7T2Nls:2011/11/14(月) 01:10:03 ID:vz7rKIk20


そこは夜だった。


陽の日は海の向こう側に沈みきり、もうない。
日光の不在の空に訪れたのは黒色の天と、蒼白い月光。
冷たい色をした、裏側の世界である。

地上にて、闇を深くする林の下。
虫の一匹も鳴かぬ、凍えるような静けさの渦中。
少女が一人、そこにいた。
地べたに膝をついて、不死を止めた青年の死体を腕に抱く、彼女の名は立華奏といった。

彼女の抱える青年。
もう二度と口を聞かない音無結弦の表情は、とても晴れやかなものだった。
苦痛のない、満たされた表情。
不満のない、救われた表情。
満足して逝った者の微笑が、彼に刻まれた残痕である。

少女はそれを眺めていた。
澄んだ黄色の眼で、青年の死に顔を見ていた。
動きを止めたまま、食い入るように、じっと。
蒼と銀の交わったような美麗の長髪が、土の上に垂れるのも構わず。
光の粒子となって消えていく、青年の体を抱えていた。

しばらく、凍ったような時間だけが、流れ過ぎて。
そうして夜の寒気によって、彼女の細いからだが冷え切った頃。
青年の全身が形を無くして宙に舞い上がった時。
抱く者の失くした少女の唇に、やっと僅かな動きが見られ、夜風に透明な言葉が乗せられた。


「……ありがとう」


それは、置き去りにされた言葉だった。
何の意味も、価値も、重みも、存在しない。
対象を失った言葉になど、当然なにも篭らない。


「ありがとう」


それは、告げられた言葉であり、告げるべき言葉だった。
少女が言う筈の、言葉だった。
青年に告げるための、伝えなければならない筈の、少女の為にあった筈の、


「ありが……」


永劫に届かない、死んだ言葉だった。
最早、果たすことの叶わない願いだった。
青年の成した充足の結果であり、
同時に、少女の果たせなかった未練の、残骸だった。

「…………ううん、違う、これじゃない」

断ち切るように少女は眼を閉じ、首を振って何かを否定する。
呟いていた言葉か、彼女の未練か、あるいは青年の結末か。
どれでもない、肯定だった。

「わかった」

527My Beats, Your soul. ◆g4HD7T2Nls:2011/11/14(月) 01:13:10 ID:vz7rKIk20


僅かに現れようとしていた感情を消し去って、告げるべき言葉は、一つ。
肯定の返答。
同時に否定する、少女自身の在り方。
それ以外の答えは、彼女に残されてはいなかった。

「あなたが望むなら、そうする」

繋がせてくれた命に、返せなかった思いが、あった。
だからその言葉ごと此処に、立華奏は置き去りされ、それは在り続けるのだと。

「Angels Wing」

すなわち、いま純白の翼を広げた者は、立華奏ではない。
名を捨てた一人の少女。
否、少女ですら、今はなく。

「だって……」

私はかく在ろう、と。
願われたから、それを果たす、と。
舞い上がる白の羽、雪の降るような景色の中で。
この時、かつて立華奏という少女だった、存在は――



「私の鼓動は、あなたの魂だから」



天使は、また一つ、消える願いを見送った。







「……よかったね」


夜空に消えていく光へと、心からそう告げて。

528My Beats, Your soul. ◆g4HD7T2Nls:2011/11/14(月) 01:14:26 ID:vz7rKIk20



【時間:1日目午後8時30分】
【場所:F-7】

 天使
 【持ち物:不明、水・食料一日分】
 【状況:受継】


 音無結弦
 【状況:消滅】

529 ◆g4HD7T2Nls:2011/11/14(月) 01:14:53 ID:vz7rKIk20
投下終了です。

530護るということ(Ⅰ) ◆auiI.USnCE:2012/01/28(土) 04:48:18 ID:SBZLXUfQ0






――――護るということはとても難しいこと。でもそれを思える貴方はとても優しいのです。











     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

531護るということ(Ⅰ) ◆auiI.USnCE:2012/01/28(土) 04:49:37 ID:SBZLXUfQ0






「……それで、うちらは逃げてきたんや」
「本当……よく解からない二人だったな。コスプレしてるような……まあ、そんな感じです」
「……コスプレ?」
「ええと……仮装みたいなものです、クロウさん」
「おっちゃんでいいよ、なあおっちゃん」
「おっちゃん言うな……そんな歳でもねえよ」
「うそっ!?」
「こんな時、嘘言っても仕方ないだろう……」

夕暮れの中、私達は新たに出会ったお二人と会話していました。
強面のガチムチ系の人、クロウさんと三枝さんに似た賑やかな人、河南子さんのお二人です。
最初、和樹さんは警戒して、珊瑚さんと私――美魚を護ろうとしてくれたのです。
ですが、河南子さんが攻撃の意志はないということを示して直ぐに纏まりました。
その際、クロウさんの強面を河南子さんを弄ってるのが印象的でした。

まぁ、それは今置いておいて、此処まで私達に起きた事を話したのです。
最も、変な人達に会って逃げただけですが。
話したのは主に珊瑚さんと和樹さんでした。
私は日傘を差しながら、二人を見ていただけで。
何となく、それでいいなと思ったから。

「しかし、両手に華ですな」
「な、何言ってるんだよ」
「何って、この状況を見てそれを思わない方が可笑しいですよ、ねぇ、こんなにも可愛い所二人も連れて」

河南子さんはげへへというおっさんみたいな笑い声を出して、和樹さんを弄ってます。
両手に華ですか…………ぽっ。
………………何を考えてるんでしょう、私は。
ただの冗談でしかないのに。

「それとも、そっちの気ですか?」
「……はっ」
「ほら、其処にいい感じの筋肉が居るじゃん」
「………………それは、断じて違う!」

クロウさんの方に、和樹さんを押し付ける河南子さん。
クロウさん×和樹さん……………………
うーん、美しくないですね。
というか、暑苦しいです。そういうのはノーサンキューです。
どちらかというと薔薇が散ってるような美しいのでないと。
恭介さん×理樹さんみたいなのが実にベネです。
ガチホ……ごほんごほん。
兎も角、それとBLは全然違うのですから。
そこの所を勘違いしてもらっては困ります、はい。
………………こほん。
………………私は何を考えてるのでしょう。
いけません、また暴走したようです。

532護るということ(Ⅰ) ◆auiI.USnCE:2012/01/28(土) 04:50:35 ID:SBZLXUfQ0

「和樹、そっちの気やの?」
「絶対に違う!」
「またまたぁ、恥ずかしがる事ないのに」
「河南子っ! 茶化すのもいい加減にっ!」
「……やれやれ、随分と騒がしいこった」

そして、和樹さんの周りには沢山の人が集まっていました。
本当に、いつの間にかですが。
珊瑚さんが不思議そうに、河南子さんは笑顔で、クロウさんは呆れながら。
和樹さんを中心に、いつの間にか輪が出来上がっていました。
それは、偶然でしょうか?……いや、違うと思います。

きっと和樹さんの回りには自然と人の輪が出来るのではないかと思うのです。
あの人は誰よりも優しくて、誰よりも真っ直ぐだから。
そんな和樹さんを見て、人が集まってくる。
きっと彼がいた日常でもそうなのでしょう。
何となくですが、そう思います。

だから、彼は誰にでも優しくて、手を伸ばす。
誰かに望まれれば彼は、何時までも傍に居てくれるだろう。
そんな人じゃないでしょうか。
それだからこそ、彼の元に人が集まる訳で。
だから、私が特別とかそんな訳じゃなくて。

……あれ、どうしてこんな事を思うのでしょう。
結局、一人になろうとしてるのでしょう、私は。
解かりません……わかり…………



――――だったら、早く変わってしまおうよ。

533護るということ(Ⅰ) ◆auiI.USnCE:2012/01/28(土) 04:50:55 ID:SBZLXUfQ0



「………………っ!?」

響く声。
あをに混じるのを誘う、声。
私は思い切り目を見開いて、空を見る。
紅く染まった空が見えて。
私は見えるわけがないのに、『あの子』の姿を探した。
でも、確かに聴こえた。あの子の声が。
あの子の声が、聴こえたのだ。

……ねぇ、私は…………私は…………


「………………美魚ちゃん……どうしたの?……大丈夫?」



ああ、それなのに、貴方はこの瞬間に話しかけてくれるのですね。
それでも、私を見つけ出そうとするのですね。
其処には心配そうな和樹さんが居て。
私はぎこちなく笑って

「大丈夫ですよ、和樹さん」

そう答えた。
答えるしかなかった。
和樹さんは何か言いたそうにして。


その瞬間





『――――さて、定刻となった』



響く、死者を告げる放送。











     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

534護るということ(Ⅰ) ◆auiI.USnCE:2012/01/28(土) 04:51:18 ID:SBZLXUfQ0









「そ……んな……」

哀しみしか告げなかった死者の放送が終わって。
千堂和樹は、言葉を失い、崩れ落ちるしかなかった。
怒りと後悔と哀しみがぐるぐると心の中で巡っていく。

「くそ、なん……で……皆…………」

覚悟はしていた、していたつもりだった。
なのに、こんなに呼ばれるなんて、予想が出来る訳がなかった。

プライドが高くて、でも、人一倍頑張り屋だった大庭詠美。
騒がしかったけど、誰よりも仲間想いだった猪名川由宇。
どんな時でも笑っていて、懸命に仕事に取り組んでいた桜井あさひ。
病弱ながらも、いつでも素直だった立川郁美。

皆こんな所で死ぬべきじゃなかったのに。
なのに、死んでしまった。

「畜生……護れなかった……くっそ……」

和樹は思いっきり拳を地面に叩きつける。
悔しかった、ただ悔しかった。
護れなかったのが、悔しくて。
大切な仲間を死なせてしまったのが哀しくて。


「オレは……オレは……くそ……オレに力があれば……皆を、皆を護れたのにっ!」



ただ、力が欲しかった。
こんなに後悔をするなら、皆を護れる力を。
こんなにも哀しいなら、皆を護れる力が。

ただ、和樹は欲しくて。


夕焼けに染まる空の下、千堂和樹は無力さを叫んでいた。

535護るということ(Ⅰ) ◆auiI.USnCE:2012/01/28(土) 04:51:53 ID:SBZLXUfQ0




「――――なめんじゃねえよ。兄ちゃん」

そして、重く響く低い声。
クロウが目を鋭くさせ、和樹を睨んでいた。
和樹は驚いて、クロウの方を見る。

「力が欲しいだと……? 皆を護れただと?」
「ああ、そうだよ……オレに力があれば護れたかもしれな……」
「だから、なめんじゃねえ!」

クロウは、和樹を近づいて、そのまま胸倉を掴む。
鋭い剣幕のまま、和樹を睨み続けて。
抑えきれない思いを抱えて、クロウは言葉を吐く。

「力があってもなぁ、護れないものは護れないんだよ。どんなに護りたくてもな」
「だけどっ!」
「兄ちゃん、勇者にでもなるつもりか? 力があれば、誰でも護れると思っているのか」
「ああ……オレはそれでも護りたいんだよ! 皆をっ」
「そうか」

クロウはそう言って、和樹を胸倉を放して突き飛ばす。
そして、二人寄りそって見つめていた美魚と珊瑚の元に駆け寄っていく。
クロウはそのまま二人を抱え込んで

「何を……っ!?」
「ほら、兄ちゃん。今、俺がその気になればこの二人を殺す事ぐらい簡単だぜ」
「っ!?」
「助けに来いよ。護りたいんだろ?」

まるで、挑発じみた言葉。
クロウの和樹を試すような言葉に、和樹は立ち上がりクロウを凄い剣幕で睨む。
次いで、事態を静観していた河南子を見るが、河南子は腕組んだまま動こうとしなかった。
先ほどのふざけた態度が嘘のように冷静な顔で、ただ二人を見つめていた。
和樹が最後に見たのは、護らなければならない少女達。
怯えた表情で、和樹を見ていた。
その顔を見た瞬間、和樹は駆け出していた。

「二人を……放せぇぇえええ!」
「……あめぇよ」

和樹は我武者羅に突撃を繰り出すも、クロウに簡単に避けられて、そのまま突き飛ばされてしまう。
直ぐに和樹は立ち上がり、また向かうも結果は一緒だった。
何度かそれを繰り返して、クロウの何度目か解からない突き飛ばしに

「ぐっ……くそっ」

遂に和樹は起き上がれなくなってしまう。
まだ体力はあるのに、何故か起き上がれない。
悔しさだけが、和樹の心を支配していて。

536護るということ(Ⅰ) ◆auiI.USnCE:2012/01/28(土) 04:52:36 ID:SBZLXUfQ0

「ほら、お前さんはこの二人ですら護れない」

クロウの言葉が重く圧し掛かって来て。

「勇者になれやしないんだよ、この戦場で誰もかも護るなんて無理だ」

千堂和樹じゃあ、勇者になれない。
この当たり前に人が死ぬこの島では。
誰もかも、護るなんてのは、ただの理想論しかない。

「だから、オレは……力が欲しいんだよ……皆を護る力を」
「二人も護れないのにか?」
「……っ」
「兄ちゃん。その意志は大切だけどよ……それで闇雲に力を求めちゃダメだ」

厳しくも、今度は和樹を諭すような言葉だった。
地に伏せる和樹を見ながら、クロウは言葉を続ける。

「まず、自分を正しく見つめろ。そして、目の前の事を確かめるんだ」
「…………」
「おめぇは真っ直ぐだな。皆を護りたい、だから力が欲しい。けれど、ただ、それだけじゃダメなんだよ」
「じゃあ、どうすればいいんだよ……」
「さぁな、自分で考えな。それはお前がこれから見つけなきゃ駄目なんだよ。手掛かりは教えたぞ」
「……くっそ、オレは…………」

和樹は、クロウの言葉を考えながら空を見つめる。
悔しいくらい綺麗だった。
この空を、死んだ皆にもみせてやりたかった。
哀しいのか、悔しいのか、もう心がグチャグチャだった。

「まあ、更に手掛かりをやるなら…………まず、ほら、この二人を護る方法を考えるんだな」
「……美魚ちゃん、珊瑚ちゃん」

クロウの言葉に、和樹は二人の少女を見つめる。
和樹を心配するような、顔だった。
ああ、ダメだなと和樹は思う。
心配させちゃ、ダメだ。
二人をそんな顔、させちゃダメなのに。
悔しかった、ただ、悔しかった。
二人をこんな顔にしてしまった自分が。

537護るということ(Ⅰ) ◆auiI.USnCE:2012/01/28(土) 04:53:06 ID:SBZLXUfQ0


「なあ、兄ちゃん……素直な自分の気持ちを言ってみろ」

素直な、気持ち。
自分の素直な気持ち。
死んでいった皆。
どれも、皆、綺麗な未来があったのに。
皆、綺麗な、夢を見ていたのに。

こんな所で、しんじゃダメなのに。


「オレが……オレが……かわりに死ねば良かったのに…………皆、素晴らしい夢を希望を未来を持ってたのに」


詠美も、由宇も、あさひも、郁美も。
皆、皆、死んじゃ、ダメだったんだ。
生きて、生きて、生きて。
夢も希望も未来もあったんだ。
だから、そんな素晴らしいモノを持っていた人達が死んでいい理由なんて、無い。
代わりに自分が死んでしまえばいいとさえ、思ってしまう。


「こんな、ところで、死んじゃ、ダメだったんだよ…………ちくしょう」


目が滲んでいた。
ああ、オレは哀しいんだ。
ああ、オレは悔しいんだ。


「オレは護りたかった……くそっ……オレが死ねば……くそっ……くそう……あぁ」


護りたい、護りたかった。
でも、護れない。オレじゃ護れない。
力が無い、でも力を求めても、ダメだ。
じゃあ、どうすればいい。
答えが、見つからない。

悔しくて、悔しくて。


「ちく……ちくしょうううううううううう……あああああああああああああああああああぁ!!!」



そして、オレは泣いて、叫んでいた。


どうしようもない哀しみと悔しさを抱えながら。


ただ、慟哭するしかなかった。

538護るということ(Ⅰ) ◆auiI.USnCE:2012/01/28(土) 04:53:35 ID:SBZLXUfQ0










     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇







「ほら、後は嬢ちゃんの役目だぜ。怖い思いをさせて悪かったな」
「ええんよ。美魚ちゃん、いこ」
「ええ」

クロウが抱えていた二人を解放すると、少女達は一目散に和樹達の下に向かっていた。
それでいい、後はあの子達の仕事なのだから。

「お疲れ、おっちゃん」
「だから、おっちゃんじゃないと何度言ってる」
「まぁまぁ」

そして事態を静観していた河南子がクロウの元にやってきた。
河南子は、放送で知り合いが呼ばれる事はなかったようだったが、死者が多いことに驚きを隠せないようだった。
けれど、河南子は河南子なりに考えて、クロウの行動を理解してくれたらしい。

「和樹、どうなるかな」
「さあな、これからだろ」
「そうだねぇ、でもいいな」
「何がだ……?」

河南子は、髪を押さえながら、少し遠くを見つめていて。
躊躇いがちに、言葉を紡ぐ。

539護るということ(Ⅰ) ◆auiI.USnCE:2012/01/28(土) 04:54:21 ID:SBZLXUfQ0

「……あたしも死んだら、あいつは、あんな風に泣いてくれるのかな? あいつは、あたしの為になにかしてくれるのかな?」

それは此処に居ない人へ。
今も、今でも想い続けてる人へ。
届かない言葉を、ただ、紡いでいて。

「……あたしも、あいつが死んだら、あんな風に泣けるのかな? あたしは、あいつの為になにか出来るのかな?」

そんな、切ない想いを。
ただ、言葉と想いを紡いで。
河南子は、遠くだけを見て。


「……なんてね」


最後は、おちゃらけて、笑った。
クロウは言葉をかけられなかった。
かけるべきではなかった。


「おっちゃんもさ、誰か亡くしてしまったんでしょ」
「……なんでそう思う?」
「じゃなきゃ、和樹にあんなに熱くなれないって」
「……ふん、じゃあ、そうなんだろうよ」

河南子の言葉に、クロウは誤魔化した。
見透かされてるが、詳しい事を話す気はなかった。
死ぬなら、あの子らというのは解かっていた。
子供だったのだから、死ぬならあの二人と思っていた。
あの包容力ある人まで死ぬとは思わなかったが。
それに、あの自分を慕ってくれたらしい人まで死ぬとは思わなかった。

けれど、それを言葉にすることは出来ない。
護れなかったのは仕方ない。
そのことに後悔するほど、青くは、もうなかった。

だから。


「…………すまねぇ」


クロウは、それしか言えなかった。


それだけで、充分だった。








     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

540護るということ(Ⅰ) ◆auiI.USnCE:2012/01/28(土) 04:54:57 ID:SBZLXUfQ0







真人さんが亡くなってしまった。
信じられないが、事実なんだろうと思う。
哀しいけれど、仕方ない事だろうかとさえ思ってしまう。
でも、仕方ないかも知れないけど、やっぱ哀しかったんです。


そして、和樹さんは数多くの仲間が死んでしまったらしい。
護れなかったことを悔しんでいた。
凄く哀しがっていた。


そして、代わりに自分が死ねばよかったという言葉に心が掴まれたような気分になってしまう。


あの人は、とても優しいんだ。
誰かの夢を、誰かの未来を、誰かの希望を、本当に大切に思っている。
だから、それを護りたかったんでしょう。
優しいから、そんな想いを持てるんでしょう。


「……和樹」
「珊瑚ちゃん……御免……護れなくて御免」
「ええんよ、和樹」

珊瑚さんもきっと同じ事を考えてるんだろう。
だって、和樹さんを見てればきっとそう思うんでしょうから。

「和樹……焦らんでええよ。ゆっくり、ゆっくりな」
「……オレは」
「一緒に、一緒にな、和樹だけやないんから。ウチも美魚ちゃんもおるんやから」

珊瑚さんは、和樹さんの右手を握った。

「せやから、一緒に、考えよ……それでええんから……護るって事を、考えるのは一人やなくてええんやから」


そして、珊瑚さんは私を見ました。
次は、私の番やよというように。

541護るということ(Ⅰ) ◆auiI.USnCE:2012/01/28(土) 04:55:20 ID:SBZLXUfQ0


私は……私は…………



「和樹さん。一緒に行きましょう。和樹さんなら……きっと見つけられますから」
「美魚ちゃん……」
「はい。三人で一緒に、ゆっくり、考えましょう……大丈夫ですよ、きっと、きっと」



私は、和樹さんの左手を強く握った。
寄り添って、労わるように。
私の意志で、そう言葉を紡いだ。


真っ直ぐな和樹さんだから。


きっと、きっと、大丈夫。



そして、あの子への意思表示だった。




私は。



私は、まだ此処に、この人達の傍に、居たい。


たとえ、残された時間が短いのだとしても。


私は、まだ、此処に居たい。


そう示すように、手を、握り続けていた。



其処には、とても、とても、温かいものが、存在していたのです。



私は、それが、とても、とても、心地よく感じたのです。

542護るということ(Ⅰ) ◆auiI.USnCE:2012/01/28(土) 04:55:40 ID:SBZLXUfQ0






 【時間:1日目午後6時40分ごろ】
 【場所:E-5】

千堂和樹
 【持ち物:槍(サンライトハート)水・食料一日分】
 【状況:深い哀しみ】

姫百合珊瑚
 【持ち物:発炎筒×2、PDA、水・食料一日分】
 【状況:健康】

西園美魚
 【持ち物:水・食料一日分】
 【状況:健康】

クロウ
【持ち物:不明、シャベル、アイスキャンデー、ゲンジマル、水・食料一日分】
【状況:健康)】

河南子
【持ち物:XM214”マイクロガン”っぽい杏仁豆腐、予備弾丸っぽい杏仁豆腐x大量、シャベル、アイスキャンデー(クーラーボックスに大量)水・食料二日分】
【状況:健康】

543護るということ(Ⅰ) ◆auiI.USnCE:2012/01/28(土) 04:56:23 ID:SBZLXUfQ0
投下終了しました。
このたびはオーバーしてしまい、申し訳ありませんでした。

544survive song ◆auiI.USnCE:2012/02/05(日) 01:29:00 ID:kUz.Vn.s0







――――だから、私達は歌い続けるんだっ!









     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇






走っていた。
ただ、我武者羅に走っていた。
普段走りなれてないから、足がもう大分痛い。
山道なんて、インドアだった私には経験がないから、尚更だ。
でも、私は走る事を止めるなんて、出来やしなかった。


―――…………まだだ、まだ! 死んでない!


今でも、頭にリフレインする言葉。
芳賀さんの、最後の言葉。
紡がれたのは、生の渇望。
そして、きっと、私を逃がす為の強い意志が籠められた言葉。

だから、私は逃げる事ができた。
だから、私は生きている。
芳賀さんのお陰で、私は生きていた。

そう、私は生きている。
口から漏れる荒い息、とても速い心臓の鼓動。
その一切すべてが私の生を証明している。

545survive song ◆auiI.USnCE:2012/02/05(日) 01:29:22 ID:kUz.Vn.s0

そして、先程から、聞こえて来た放送が、芳賀さんの死を証明していた。
芳賀さんだけじゃない、戦線の皆とひさ子先輩、ユイにゃんの死をも伝えていて。
私は言葉を失うしかなくて。
でも、走る事を止める事は出来なかった。

皆が『死んでない』なんて、もう私には言えない。
きっと、本当に死んだんだろう。
本当に、簡単に、死んでしまった。

ガルデモも二人になってしまった。
ひさ子先輩は満足に逝けたのだろうか。
ユイにゃんは満足に逝けたんだろうか。
確認しようも、確認なんて、出来やしない。


…………ううん、満足に逝けたはずなんてないんだ。
今までずっと満たされなくて。何処か空虚なようで。
簡単に死んでしまった自分自身を認められなくて。
だから、私達は歌っていた。精一杯、精一杯に。

何を?


――――生きる事をだ。


ガルデモの初代ボーカルだった岩沢さんはまるで鬼気迫るように歌っていた。
何が哀しいのか、何が苦しいのか、狂ったように歌って。
何となくガルデモに入れられた私には、彼女の気持ちがよく解からなかったけど。
今なら、それが本当によく解かる。
死にたく、死にたくなかったんだよ。

だから、その想いを歌に籠めてたのかもしれない。

そして、岩沢さんは満足して、本当に逝った。
自分の生きる事に、歌う事に満足したのだろうか。
私には解からない、他人の心なんて解かりはしない。
けれど、解かりたくなかったのかもしれない。
生きる事に満足するってのが解からないから。

546survive song ◆auiI.USnCE:2012/02/05(日) 01:29:38 ID:kUz.Vn.s0


ガルデモってなんだったんだろうと、ふと思う。

戦線のバックアップ?
岩沢さんが歌う為に作ったバンド?

どれも正しいようで、違う気がする。


じゃあ、何なんだったろう。
じゃあ、何で、私はガルデモにいたんだろう。


生きて、死んで、また蘇って。
そんなありえない世界で、私達が歌い続けた理由。
私が、ガルデモに居た理由。


――――まだだ、まだ! 死んでない!


そして、またリフレインする、言葉。


……ああ、そうか、そうなんだ。

きっと、そうなんだよ。



私達は、この思いを、歌っていたんだ。

547護るということ(Ⅰ) ◆auiI.USnCE:2012/02/05(日) 01:30:04 ID:kUz.Vn.s0



「死んで、たまるか」


死んでたまるか。
こんな死なんて認めてたまるか。
まだ、まだ、死んでない。
生きてやる、ずっと生きてやる。
そんな思いを歌ってんだよ。

死んで生き返る世界で、忘れかけてたけど、きっとそう。


「死んで、たまるか」


何度も、何度も私はその言葉を口に出す。
ガルデモはもう二人しか居ない。
ボーカルのユイにゃんも、支えてくれたひさ子先輩も、もう逝ってしまった。
けれど、けれども。

――しおりんは、自分だけがやりたいこと、やりなよ。

私が、やりたい事。
今、私がやらないといけない事。
ああ、それはきっと決まってるんだ。


――あたしはね、しおりんにここをなくして欲しくないだけだよ


今なら、きっと言える。
私はガルデモが好きだったんだ。
なら、その好きなことを忘れないために。

548survive song ◆auiI.USnCE:2012/02/05(日) 01:31:31 ID:kUz.Vn.s0


「死んでたまるかっ!」



――――関根しおりは生きる事を、歌い続けよう。


みゆきちも、まだ生きている。
私達、ガルデモは、まだ終わっていない。
だから、まだ、歌える、歌っていける。
ユイにゃんやひさ子先輩の分も。
生きるという事を。
死んでたまるかという事を。

歌っていくんだ。
歌っていけるんだ。


生きたいという思いを抱えて。
死んでたまるかというおもいをかかえて。





「死んでっ! たまるか――――っ!」





――――だから、私達は歌い続けるんだっ!




生きたいという、精一杯の歌を。





私達は歌い続けるんだっ!








【時間:1日目午後6時30分ごろ】
【場所:C-4】

関根
【持ち物:不明支給品、水・食料一日分】
【状況:健康】

549survive song ◆auiI.USnCE:2012/02/05(日) 01:31:48 ID:kUz.Vn.s0
投下終了しました

550 ◆g4HD7T2Nls:2012/02/11(土) 02:36:17 ID:EPxY4dKI0
投下します

551ワールド・イズ・エネミー ◆g4HD7T2Nls:2012/02/11(土) 02:41:38 ID:EPxY4dKI0













声がする。


















敗北者の声がする。
何者でもない何かが、何か、言ってる。













― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―

552ワールド・イズ・エネミー ◆g4HD7T2Nls:2012/02/11(土) 02:44:35 ID:EPxY4dKI0






月明かりの下、少女の声が野風に乗って響く。


「これから、どこにいくんですか?」


ぼそりと、久寿川ささらはそう切り出した。
落ちた日。
訪れた夜が深く沈みいく過程、僅かな期間の一場面。
冷たい月光に照らされたあぜ道を、三人の女性が歩いていた。
柚原春夏と久寿川ささらが並んで前を、
二人の後ろから、香月ちはやが少し遅れて進んでいる。

「んーそれじゃあ、どこに行きましょうか?」

小気味良い調子で隣人にそう切り返したのは柚原春夏である。
三人の中で最も年長者であり、中心に立つ者。
たとえ、殺すものから守るものへと変じようと、これからもそれは変わらない。
洋館を出てから数分ほど経った現在、ささらはそう信じていた。
彼女に追従するように進んできた。

「……決めて、ないんですか?」

だからこそ憔悴を滲ませるささらの声が、夜のどこか生暖かい空気に染みわたる。
ささらは困惑していた。
自身を導いてくれると確信していた女性の、任を放棄するような言葉。
どこか不安を煽るような夜気。
目を細める春夏を見上げながら、
ささらは制服の袖を握り締め、怪訝な表情を浮かべる。
それはしかし、怯えの濃く滲む、泣き顔に近いものだった。

「ええ。決めてないわ」

だからその、春夏の返答はある種、容赦のないものだった。
少なくともささらにとっては。

「決めてるわけないわよー。
 どこに行くのかも、どこで何をするのかも、ね。
 だって全部、これからじゃない?」

言葉には緩みが無い。
ささらの不安を拭う為の、甘さ。
漂う諦念を誤魔化す為の、気休め。
何一つ含まず、ただただ笑顔で、朗らかに、
そして突き放すように、春夏は言っている。

「だからほら、どうするのか、春夏さんに教えて?」
「でも……春夏さんの意見も――」
「ああ、それは駄目よ」

この先の道に標は無い。

「考えなさい、あなたが、自分で」

甘えるな、と。
ほんの一瞬、厳しく色を変えた春夏の瞳に、

「…………っ」

押し黙り、俯く、ささらの歩みが僅かに遅くなる。
見透かされたような羞恥か、あるいは春夏の言葉が重く心に沈んだ結果か。
ぎゅっ、ぎゅっ、と短く二度、握り締められた制服の袖に、数本の皺が走った。

553ワールド・イズ・エネミー ◆g4HD7T2Nls:2012/02/11(土) 02:47:36 ID:EPxY4dKI0


「確認するわ。もう、止めるのよね。人を殺すのは」
「……はい。」

自分で決めたことだった。
己には続けられぬと知った道だった。
日の光に背く、暗い重い陰惨な生き方。
想像するだに怖気が走り、もう二度と、戻れるとは思えない。
人から奪って生き延びるという、ぐずぐずと肉を潰すような、消せぬ感覚。

「罪を背負って生きる。殺さずに生きる。
 今からは、正しく生きると、あなたは選んだ」

だからそうやって生きると言う事の、なんと簡単な事だったろうか。
そして実行するという事の、どれだけ難しい事なのか。
罪を罪として受け止める苦痛を、身をもって今、理解している。

「だったら、進む方向を私に聞くのは止めなさい。
 あなた自身の選択を、あなた自身の責任で、行動にしなさい」
「……」

諭すような春夏の言葉。
罪科を、ささらは知った。
知ったからこそ、無意識に押し付けようとした責任に、恥じる。
己の卑しさを、己の口で、滅茶苦茶に詰りたくなる。

「…………」

僅か、ほんの僅か、静寂が流れた。
力を込めて握る袖と、唇を噛む小さな音が、静かなあぜ道では誰の耳にも届いて。

「あのねぇ」
「?」
「えいっ!」

掛け声が一つ。

「――ひゃあ!?」

ばしっ、と鳴る音と、軽い衝撃。
遅れて脚の付け根のあたりがジンと、痺れる感触。

「……っ」

スカート越しに、平手で尻を叩かれる。
自分の口から飛び出した間の抜けた声に顔を赤くしながら、
ささらはその唐突な展開に困惑していた。

「なぁ、なにを……っ?」

するんだ、と。
混乱交じりに見上げた、その人物はやはり、笑んでいた。

「そうそう、ちゃんと顔上げて、前を見る」
「……春夏さん」

朗らかに、未だ突き放すように、けれど確かに、優しく。
春夏はささらの目を見ていた。

554ワールド・イズ・エネミー ◆g4HD7T2Nls:2012/02/11(土) 02:50:13 ID:EPxY4dKI0

不意にまた、俯きたくなる衝動が湧き上がる。
頼りそうになってしまうから、甘えそうになってしまうから。
この先の自分に、自身が持てないから。

「もう、また下向いてる」
「……」
「しょうがない子」

だから、肩を抱き寄せられたとき、
ささらは思わず身を捩りそうになっていた。
情けなくて、払いのけて、走りだしたくなる衝動がある。

「怖いわね。強く、正しく生きようとするのって」

それでも包むように回された腕は暖かく。
浸りたいという衝動に、どうしても抗えない。

「もう……取り返し、つかないんですよね……?」

甘えた思いが、止まない。
弱い言葉を、止められない。

「そうね、償うも何も、今更っておはなし。
 人をひとり、私たちは死なせたわ。
 わたしも、あなたも、それは変えられない事実。
 特にあなたには、長い人生でこのさき一生の重荷になる。
 まったく……最後までやりきる覚悟も無いくせに、馬鹿なことやったのね」

支えてくれる女性の声は、厳しく残酷だけれども、
ぽん、ぽん、と、肩を叩く手の平の感触に心が安らいだ。
たった数時間前のこと、初めて出会った時とは別人のような、春夏の表情。

「それでも、あなたのこれからは、続いていく」

まるで優しい母親が支えてくれているように思えて、また泣きそうになる。
甘えそうになる。
縋りつきたい衝動をなんとか耐えきったとき、
けれど続けられた言葉が、あった。

「私はね、あなたのお母さんじゃないわ」

それは当然のこと。

「あなたはね、このみじゃない、私の娘じゃない」

知っていたこと。
だけどもしかしたら、逃げ道だったかもしれない、そんな思い。

「だから私はね、あなたが全てだって、一番大切だって、言ってあげられない」
「分ってます。私は自分で生きなきゃいけなくて、自分で償わなきゃいけなくて……」

だから掠れた声で、強がろうとして。

555ワールド・イズ・エネミー ◆g4HD7T2Nls:2012/02/11(土) 02:51:35 ID:EPxY4dKI0


「でもね」

遮られる、声に。

「私はあなたを助けてあげたいって、思ってる」
「……っ」

結局それだけで、簡単に、感情が決壊しそうなる。
自分が嫌になる。
弱い人間なのだと、自覚させられるから。

「行き先は、あなたが決めなさい。生きたいなら、諦めないなら」

厳しい言葉だった。
もしかすると本当の母親以上に、厳しい言葉だった。
そして同時に、空虚な言葉でもあった。

「少なくとも生きるんだって、
 決めたのは、決める事が出来たのは私じゃなくて、あなたでしょう?
 私には、自分の為に出来ることなんて、もう見つけられないけれど」

だけど正しくて、そして今はどこか空虚なこの女性の、残り火が暖かい。

「あなたにはまだ、あるんでしょう?」

硬く、強い、自分を取り戻すには、ささらにはまだ時間が足りず。

「守りたいもの、生きる理由がある。そうでしょう?」

だから、一言。


「……はい」


噛み締めるように答えて、涙を拭う。
それが今のささらにとっての、精一杯。
ゆっくりと正しい道を歩き始めた、一歩だった。





















― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―

556ワールド・イズ・エネミー ◆g4HD7T2Nls:2012/02/11(土) 02:56:13 ID:EPxY4dKI0






















声がする。










「…………なのでひとまずは道沿いに歩き、道中で情報を集めましょう。
 あの館のように地図に載っていない要所も存在するでしょうし」
「なるほどね、途中で他の人に出会っちゃった場合はどうするのかしら?」
「攻撃の意志のない人ならば、情報交換からですね、まずは」
「じゃあ、来ヶ谷ちゃんみたいに、攻撃的な子に見つかっちゃったら?」
「……逃げるとか、説得するとか、とにかく努力して生き残ります」
「そっか、それがささらちゃんの考えってことか」
「はい」
「じゃあ春夏さん、了解したわ。行きましょうか」






敗北者の声がする。
何者でもない何物かが、何か、言ってる。






「ちはやちゃんも、それでいいかしら?」


そう呼んで、私の方を振り向いた二人の女性に、私は黙って首をかしげた。

557ワールド・イズ・エネミー ◆g4HD7T2Nls:2012/02/11(土) 02:58:24 ID:EPxY4dKI0

あまりにもつまらなくて。
茶番すぎて、情けなさすら感じてしまって、なんだか苦笑すら浮かばなかった。

単純な疑問。
どうしてこの人たちは、こんなにも気楽にしているのだろう。
憑き物の落ちたような表情で、清清しさすら纏って、からっぽの言葉の羅列を並べていられるのは、何故か。

私には理解できなかった。
したくも、なかったけれど。
少しだけ聞いてみたくもなった。

ねえ、どうして?
どうして、そんなにも無様な有様で、そんなにも安らいでいられるの?
どうして、そんなにも見当違いの綺麗ごとを呟いて、馬鹿みたいに笑っていられるの?



私は、あなた達を知らない。
だけど――



『怖いわね。強く、正しく生きるって』



ねえ、それが、あなた達が欲しかったものなの?



『もう……取り返し、つかないんですよね……?』



ねえ、それが、あなた達が辿り着きたかった結末なの?



『でもね。あなたを助けてあげたいなって、思ってる』



ねえ、それが、あなた達が本当に守りたかった『何か』なの?




違うよね。
違うくせに。
そんな綺麗ごとを吐くために、生きてきたんじゃないくせに。
そんなつまらない『正しさ』を守る為なんかに、戦ってきたんじゃないくせに。


「聞いてる? ちはやちゃん、それで、いい?」

558ワールド・イズ・エネミー ◆g4HD7T2Nls:2012/02/11(土) 03:00:14 ID:EPxY4dKI0

正しい生き方。
正しい倫理。
正しい言葉。
正しい人としての行い。


「えっと、そうですね。はい。それでいいわけ、ないですよ?」


世界の大半は、正しさで出来ているらしい。
それは、私の忌むべき正しさだった。
外れたものを異端と名指して駆逐する、私、香月ちはやの抗うべき、絶対存在。
きっと彼女たちもこの場所で、一度は対敵したはずの、そういう形の大多数(かせ)。


「でも、好きにしてください」


だけど今はもう――


「お任せします。興味ない、ですから」


負けてしまった、あなた達には、と心中で付け加える。
そう、とどのつまり、彼女たちは負けたのだ。
白旗を揚げて、そういうものに吸収された、何かの残り滓。


あーあ。
残念だな。

ただ、そんな事を思った。
正しさに食われた、在り方。
大多数に呑まれた、その一部にされた者。
それがこの、無様な、見るに耐えない末路なのだろう。
気高き愚かさと間違いはここに、容赦なき現実の前に、くだらない正道へと降された。


「そう? じゃ、好きにするわ。ね、ささらちゃん」
「あ、はい」
「ほらほら、ぼーっとしない」
「ちょっともう……叩くのはやめてくださいって……っ」


敗北者の声がする。
何者でもない、何者でもなくなった何かの残骸、何か、言ってる。
とても、とても、つまらない。

559ワールド・イズ・エネミー ◆g4HD7T2Nls:2012/02/11(土) 03:02:56 ID:EPxY4dKI0



「……ほんと、残念だな」


少しだけ足を止め。
茜色の霞んで消えかけた空を見上げ、私は一言だけ、未練を乗せた。
吐いた余韻が去る前に、きっとこんなものは無くなってしまうのだろうけど。
やっぱりほんの少しだけ、失望は隠せない。
とくにあの人には、ちょっぴり期待していたのだけど。


「ま、いいか。これは戒めということで」


かわりに強く、強く目に焼き付けた。
私の立ち向かうべき、敵(ただしさ)の姿を。
絶対に、こうなるまいと誓う、抗うべき末路の景色を。


「もう一度、最初からかな」


心機一転、残骸の後ろを、私は私のままで、進む。
私はまだ、戦い続けている。それを誇りに。
胸の奥で燻る、私だけの間違いを、愚かさだけを強く抱えて。
どこまでも自分の、自分だけの戦いを、続けよう。


「ワールド・イズ・エネミー……なんてね」



この、途方もなく巨大で、途轍もなく強大な、私の敵と。








【時間:1日目20:00ごろ】
【場所:H-6】

柚原春夏
【持ち物:水・食料一日分】
【状況:健康】

久寿川ささら
【持ち物:水・食料一日分】
【状況:健康】

香月ちはや
【持ち物:鉄パイプ、フェイファー・ツェリザカ(4/5)、予備弾×50、水・食料一日分】
【状況:健康】

560 ◆g4HD7T2Nls:2012/02/11(土) 03:04:02 ID:EPxY4dKI0
投下終了です

561Laughing Panther ◆R34CFZRESM:2012/02/15(水) 01:12:51 ID:2CmCYd0E0
 
 真人が死んだ。
 幼い頃からずっといっしょにいた親友だった。
 バカで粗野で筋肉を鍛えることしか脳のないバカだったが
 誰よりも優しく、誰よりもリトルバスターズを愛していた男だった。

「真人……すまない。そして――ありがとう」

 恭介はそっと呟き、目を閉じて親友の冥福を祈った。
 不思議と哀しみよりも彼に対する感謝の気持ちのほうが大きかった。

 『野球をしよう』そう恭介が皆に声をかけた日から始まる無限の日常。奇跡が生み出した恭介の馬鹿げた計画。
 来る日来る日も繰り返される学園生活に彼は文句一つ言わずに理樹と鈴を見守っていてくれた。

「きょーすけぇ……」

 珠美が恭介の顔を覗き込む。
 彼女もまた悲痛な表情で今にも泣きそうな顔だった。

「俺は……大丈夫だ。珠美こそ無理するな」
「無理なんか、してない……もん」

 きっと彼女も誰か大切な人を失ったのだろう。
 小さな身体で必死に哀しみに耐える姿が見ていて辛かった。

「…………」
「朝霧……どうした?」

 隣で難しい顔をして考えているまーりゃんに恭介は声をかけた。

「だからまーりゃんと呼べっての。今後の事をちょっとねー」
「今後?」
「ま、あたしゃ最終的に生き残って欲しいのは二人なわけだし。顔見知り程度の人間が死んだぐらいでいちいち悲しんでいられねーよってことでさぁ」

 彼女は口調は明るいがどこか冷たく陰のある言い方だった。

562Laughing Panther ◆R34CFZRESM:2012/02/15(水) 01:14:18 ID:2CmCYd0E0
 
「それで、あたしたちを裏切る算段でもしているのかしら?」
「おい仲村!」
「ま、親友や恋人を殺された程度で神の手先に成り下がる敗北主義者なんて死んで然るべきよ。あたしが直々に粛清してやるから」
「おーおー、さすが死んだ世界戦線の総帥サマは言うことは違う。……やんのかコラ? あ?」
「朝霧もやめろ!」

 今にも掴み掛からんとするまーりゃんを必死で抑える恭介。
 大山の死体を見てからというものゆりとまーりゃんはずっと険悪なままだった。

「きょーちん、こいつマジうぜぇ」
「朝霧!」
「…………」
「仲村と仲良くしろとは言わねえよ。だけど今は目的を同じにする『協力者』だ」


 恭介は敢えて『仲間』とは言わなかった。
 恭介自身もゆりの考えは理解に苦しむものがある。手放しで仲間とは到底呼べないでいる。
 だから『協力者』。利害が一致しているため行動を共にしているだけなのだ。

 だが――いつまで『協力者』であればいい?
 例え順調に仲間を得ていったところでいつかゆりと新たな仲間の間で決定的な対立が起こるだろう。
 ゆりはゆりでその言動から一種の狂信的な信奉者を得るだろう。
 少なくとも元々の死んだ世界戦線のメンバーはそうである可能性が高い。
 集団を真っ二つに割った対立――そうならない保証はない。


「ごめん……きょーちん」

 まーりゃんは肩を落として俯いた。



 ――あの女は嫌いだ。

563Laughing Panther ◆R34CFZRESM:2012/02/15(水) 01:15:21 ID:2CmCYd0E0
 


 ゆりは自分の感情を見透かした上で挑発してくる。
 心の底では貴明とささら以外はどうなろうが知ったことではないのがまーりゃんの本音である。
 出会ったのがゆりでなければ、恭介と珠美でなければきっと躊躇いもなく誰かを殺して回っていただろう。現にそうするつもりだった。
 だけど――今は恭介と珠美は少なくとも『仲間』と思っている。『仲間』と思いたい。

(あー……マジでヤキまわってんなー……ははっ)

 まーりゃんは柄にもなく自分が迷っていることに自嘲の笑みを浮かべていた。




 ■




「ひい、ふう、みい……六人、ね」

 歩きながら指を折り何を数えていたゆりが声を発した。

「何がだ?」
「死んだあたしの仲間。思ってたより少ないなって」

 そう言ってくすりと笑うゆりだった。

「ウチのメンバーってとにかく命の価値が低いのよね。学食のカレー程度の値段にしか思っていない」
「きょーすけー、どういう意味だ? あたしゃさっぱりわかんね」
「安心しろ俺もわからん」
「学食のカレーってたかだか300円か400円でしょう? 節約しようと思えばいつでもできるけど、使うことに躊躇いなんか一切感じない値段。だから学食のカレー」

 痛みはあれど何度でも死んで蘇るゆりがいた死後の世界。
 そんな世界で生きる彼女たち戦線のメンバーはいつしか死への恐怖を感じなくなっていた。
 痛いのは嫌だけど後で生き返るから――それがゆりの語る学食のカレーの意味。

564Laughing Panther ◆R34CFZRESM:2012/02/15(水) 01:17:11 ID:2CmCYd0E0
 
「不幸なのはここが死ねば終わりなことを気づけなかったことね。そうと知らず簡単に命を投げ出した人が何人いたのかしら? 
 ま、今回の放送聞いて考えを改めるメンバーはいるでしょ」

 くっくと笑みをこぼすゆり。
 ――あんたも大山が死ぬまでそう信じていただろう。
 まーりゃんは喉の奥まで声が出かかったのを必死で堪えた。
 つまらないことを言って恭介と珠美を困らせたくないのだから。

「でも、解せないわ」
「何が?」
「あなたよ棗くん。あなたはなぜそんなに落ち着いていられるの? まるであたしたちみたいね――ふふっ」

 ゆりは放送を聞いた恭介の反応が気になっていた。彼の反応から親しい人間が死んだのは理解できる。
 だが、珠美とは違ってどこか悟ったような表情。そんな表情が一介の男子学生ができるわけがない。

「……リトルバスターズという仲良しグループがあったんだ。ガキの頃から何をするのもずっと一緒でバカやってはいっつも大人たちに叱られていた
 高校に入ってもその関係は変わらず、新しいメンバーも増え楽しい日々。リトルバスターズは永遠に不滅だ。俺自身そう信じて疑わなかった」

 恭介は遠い目を語り出す。

「だけど永遠なんて無かったんだ。修学旅行の日――乗っていたバスが崖から転落した」
「きょ、きょーすけ!?」
「横倒しになったバス。奇跡的にその段階では俺も含め全員が生きていた。だけど誰もが重傷で意識を失いまともに身体を動かせない、そんな中で俺の妹と親友の一人――鈴と理樹だけが無傷だった。
 いずれ救助がやってくる。気長に待っていれば全員助かるはず。そう思っていたが神様というのはどうにも意地悪でな。横倒しのバスからガソリンが漏れ今にも引火寸前だった」

 ゆりも珠美もまーりゃんも真剣に恭介の言葉に耳を傾けていた。
 恭介の身に現在進行形で起こる出来事を――

「せめて、理樹と鈴だけはと俺たちは願った。そして俺たちがいなくなっても逞しく生きる力をと。そうしたら……奇跡が起きた
 俺たちが現実に暮らす学園と寸分違わない虚構の世界。そこに俺たちはいた」
「へぇ……まるであたしたちの死後の世界そっくりね」
「幸い理樹と鈴は事故のことを覚えていない。俺たちは何食わぬ顔で普段の日常を演じ続けていた
 だけど……奇跡は終わった。終わったんだよ……この島に連れて来られた時点で」

 何度も繰り返される日常。
 奇跡の欠片にすがり続ける毎日。
 虚構世界の神として君臨し続ける恭介。
 恭介は悲痛な声で語る。

565Laughing Panther ◆R34CFZRESM:2012/02/15(水) 01:18:07 ID:2CmCYd0E0
 
「それで? あなたは諦めたの?」
「あのバスがどうなろうと俺はここにいるし、理樹も鈴もここにいる。ここで諦めたら真人に申し訳たたねえ。だから、俺は二人を何が何でも守り続ける」

 奇跡は終わった。しかしまだ希望は潰えていない。
 それが今の恭介を支えていたのだった。

「なら頑張りなさい。運命に抗いなさい。あたしはそのための協力は惜しまないわ」
「仲村……?」
「なによその顔……あたしが血も涙もない人間だと思った?」
「ああ、割とかなり」
「もう、失礼ねっ。あたしは理不尽な世界。理不尽な運命に抗う者を見捨てるつもりなんてないの。そんな人は誰でもウェルカムがあたしのポリシーなのよ」




「――素晴らしい思想だ。だが人間、誰もが運命に抗おうとして生きているのではないのだよ」




 闇から聞こえる女の声。
 夜の暗黒が揺れる。
 闇から染み出すように一人の少女が現れた。





 ■





「何やら君たちが楽しそうな会話をしていたのでね。おねーさんもぜひ仲間に入れて欲しいのだ」
「来ヶ谷――唯湖……」
「おはこんばんちは恭介氏。なかなかのハーレムっぷりで嬉しいぞ」

566Laughing Panther ◆R34CFZRESM:2012/02/15(水) 01:19:16 ID:2CmCYd0E0
 
 この場にあまりにも似つかわしくない明るい声の来ヶ谷唯湖。
 珠美もまーりゃんも突然の来訪者に警戒を強める。

「まて、こいつは――」

 敵じゃない。そう言おうとした恭介を遮ってゆりが躍り出た。
 その手に握られた抜き身の長剣を構え風のように唯湖に肉薄する。
 唯湖の喉元に突きつけられた長剣。
 ゆりの眉間に突きつけられた銃。
 一触即発の空気が二人の間に流れる。

「いきなり敵意剥き出しの挨拶とは危ないじゃないか」
「臭いわ……あなた臭いわ。あなた――あたしがこうしなければそれをみんなにバラ撒いていたでしょう?」
「思わせぶりな台詞で注意を引きつけ、間髪入れずに一斉掃射……としたかったのだが失敗したなあ。はっはっは」
「来ヶ谷――お前」
「勘違いしないで欲しい恭介氏。私はあの妙ちくりんなコスプレ男の手先になった覚えはないぞ。おあつらえられた舞台に乗っただけだ。
 誰も彼もが裏切り裏切られ殺し殺される地獄の釜の底という舞台――精一杯楽しまなければ損だろう? 理解してもらおうとはおもわんがな」

 唯湖は唇を歪めて笑いゆりを見た。

「だけど君は理解はできるだろう? ただ自らの目的と相容れないだけで」
「そうね――『誰か大切な人のため』なんてお題目を掲げて神の手先に堕ちる敗北主義者よりは、自らの快楽のために殺人を犯す人間のほうがまだ好感が持てるわ
 だけど、棗くん達はあたしの大切な同志。あなたには殺させない。殺すなら先に敗北主義者どもをお願いするわ」
「くくく、澄んだ目をしているな。――だけどその清らかさでは小魚は住みづらかろう。誰もが君のように強く生きることはできないぞ?」

 唯湖は剣を突きつける少女が嫌いではなかった。
 つまらない感情を抜きにして物を語れるのは彼女ぐらい良い感じに狂っている人間だけなのだから。

「ま、奇襲に失敗した今、君たちに危害を加えるつもりをないぞ。剣を下ろしてくれたまえ」
「先にあなたが銃を下ろしなさい」
「やれやれ……これでどうだ?」

 唯湖は銃を静かに下ろし、デイバッグにしまい込む。
 ゆりもそれを確認し剣を下ろす。

567Laughing Panther ◆R34CFZRESM:2012/02/15(水) 01:20:24 ID:2CmCYd0E0
 
「まあここで出会ったのも何かの縁だ。少し立ち話と洒落込もうじゃないか恭介氏」
「何を企んでいる来ヶ谷?」
「別に――? ああ、そうそう真人君が死んだぞ。お悔やみ申し上げます。くっくっく……」
「……知っている」
「そらそうだ。放送されていたからな。はっはっは。だが私はもっと特ダネを知っているぞ? 真人君を殺した人間だ」
「な……に……?」

 笑みを絶やさず唯湖は語りかける。
 事実を知った恭介の反応を想像しただけで胸が高鳴る。

「謙吾少年だよ――君の唯一無比の親友の宮沢謙吾君だよ。恭介氏」
「な……謙吾が……真人を……?」
「ああ、本人がそう告白したのだからな。君も予想していないわけではあるまい。彼は誰よりも理樹君を想っている人間だ。そしてもっとも愚直な人間だ
 思い詰めた彼がそういう行動に出るのも頷ける。そして真人君も彼の悲壮な決意を汲んで自ら命を差し出したのだろう。まあこれは私の勝手な想像だが」

 おそらく唯湖の想像は当たっている。
 謙吾のことだ。誰よりも理樹の事を案じその結果修羅となる道を選んだのだろう。
 そして真人も理樹のために命を投げ出すことを厭わない。
 ゆえに起こった悲劇だと。

「壊れるだろうなあ彼、鬼になるには少々優しすぎる。そんな人間がいつまでもまともでいられるわけがない。ところで前々から疑問に思っていたのが……」

 実に唯湖は不思議そうな表情をして言った。

「そうまでして理樹君と鈴君は君たちの中で何物にも優先されることなのかね。結果リトルバスターズの仲間同士で殺し合いするぐらい」
「そ、れは……」
「私もあの世界を経験させて貰ってる身なので君たちの苦悩は分かっているつもりだ。だから問おう、十分君も謙吾少年も二人のために生きたんじゃないか?
 いい加減自分のために生きてみてもいいんじゃなかろうか。いつまで彼らを背負って生きるつもりだ?」

 恭介膝がが崩れ落ちる。こいつは何を言っているんだ?
 反論できない。いやそんなこと考えたこともなかった。
 今の自分は二人のためにある。二人がいるからこそ心が折れなかった。
 その二人を見捨てて、楽になれと――?

568Laughing Panther ◆R34CFZRESM:2012/02/15(水) 01:21:27 ID:2CmCYd0E0
 
「――そこまでにしておきなさい」

 剣の切っ先を唯湖に突きつけたゆりの姿が恭介の目の前にあった。

「つまんない自己啓発セミナーじみたことやってんじゃないわよ」
「おっとこわいこわい。そろそろ時間だ。私はお暇することにするよ」
「逃がさないと言ったらどうする?」
「その場合確実に二人は死ぬだろうな。誰が死ぬとは言わないが戦力低下は君の本意じゃああるまい。ふむ、君の名は何という?」
「ゆり。仲村ゆりよ」
「覚えておこう仲村嬢。今度会ったらじっくり君と話をしてみたい」
「そうね――それまであなたが生きていたらゆっくりと」
「はっはっは。楽しみにしておこう」

 唯湖は歩き出す。そしてゆりとすれ違いざまそっとゆりに囁いた。





「ああ――ひとつ忠告しておくが……あのピンクの制服を着た娘……いつか君を裏切るぞ」





 ちらりとまーりゃんの姿を盗み見る唯湖。
 彼女は静かに唯湖に敵意と殺意を向けていた。

「承知の上よ――彼女は彼女で手元に置いておいたほうが役に立つもの。棗くんがいる限りね」

 ゆりはくすりと笑みを浮かべて言った。
 その答えを聞いた唯湖はとても楽しそうな表情で嗤う。

「はっはっはっ、立場さえ違ってなければ本当に君とは仲良くできそうだ」

 そう高笑いを浮かべながら唯湖は闇の中へ消えていった。

569Laughing Panther ◆R34CFZRESM:2012/02/15(水) 01:22:06 ID:2CmCYd0E0





 【時間:1日目19:30ごろ】
 【場所:F-3】



 棗恭介
 【持ち物:忍者セット(マント、クナイ、小刀、傷薬)、水・食料一日分】
 【状況:健康】


 綾之部珠美
 【持ち物:ビームサーベル(電池状態:緑)、水・食料一日分】
 【状況:健康】


 仲村ゆり
 【持ち物:岸田さんの長剣、水・食料一日分】
 【状況:健康】


 朝霧麻亜子
 【持ち物:オボロの刀、水・食料一日分】
 【状況:健康】


 来ヶ谷唯湖
 【持ち物:FN F2000(29/30)、予備弾×120、バーベキュー用剣(新品)、水・食料一日分】
 【状況:アンモニア臭】

570 ◆R34CFZRESM:2012/02/15(水) 01:22:43 ID:2CmCYd0E0
投下終了しました。

571 ◆Ok1sMSayUQ:2012/05/20(日) 00:44:26 ID:1iyckHjA0
 頭を抱えている。
 うずくまっている。
 岡崎朋也は、気持ちを乱している。
 人目につきにくいであろう森の入り口。戦火の声も呪詛の呻きも遠く、生き物の気配すら薄くなった沈黙の中で、
 岡崎朋也とHMX-17c、ミルファは互いに会話すらなく、佇んでいた。
 いや、正確には、ミルファの方は気持ちの整理をつけたといってもいいのかもしれない。
 朋也の方を気にしつつも、その視線は外界――殺し合いが繰り広げられていた市街地へと向いている。
 戦うことを決めた、音無結弦の結末を知りたがっているのだろう。或いは、半死の人間を半ば見捨てる形で逃げ延びた自責も含まれているかもしれない。

「……行けばいいだろ。俺なんか放っておいて」
「岡崎さん、れも」

 まともに名前を呼んでいる彼女の表情は、暗い。
 それをするということは、朋也を置き去りにするということである。
 音無から伝えられた、護衛任務の放棄である。命令の無視はできない。彼女はメイドロボだ。
 ああ、と朋也は思った。命令して欲しいのだ。シルファは。

「俺なんか守ってても仕方がないだろ。俺は、たくさんの人を殺したんだぞ」

 怨嗟のように、朋也は言葉を紡いだ。
 自らの失策で春原芽衣は殺された。三枝葉留佳という少女は世界を呪いながら死んでいった。
 音無結弦を、見殺しにした。三人死んだ。殺した。自分は悪くない存在だと欲を出し、這いずり回った結果だ。
 誤解し、激昂し、容易く踊らされて。そんな自分は、今すぐ罵られながら殺されても文句も言えない立場だ。

「それは、岡崎さんが、やったんじゃ……」
「俺に責任がないって、本気で言い切れるのかよお前は」

 問い詰めると、シルファは言葉をつぐんだ。ロボットの明晰な電子頭脳なら分かっているはずだ。
 現在の状況を構築した要因の一つに、朋也が大きく関わっていることを。
 しかし人間を補助し、味方であることを義務付けられているシルファははっきりと言えない。曖昧な衣に包んで渡す。
 傷つけないように。立ち直れるように。慰める言葉を探して。これはシルファにとって、そういう対話なのだ。

「否定して欲しいんだよ、俺は。悪いのは俺じゃない、殺して回っているあいつらだ。あいつらは許さない。そう言うのは簡単だよ」

 それまでの沈黙が嘘であるかのように、朋也はまくしたてる。
 許せなかった。芳野祐介が。確かな事実ではある。怒って、敵討ちだと叫んで怒りに酔いしれることだってできただろう。
 だが、朋也は分かってしまった。思い知らされた。日常だけでなく、この地獄でさえ、求めて行動すると取り返しのつかない結果を生むだけなのだと。

「だけどな、それで立ち直って、精一杯生きようとか、いなくなった人達のためにとか、そういう正義を叫んだところで、全部自分のためじゃないか。
 誤魔化してるだけだ。許されたいと思ってるだけじゃないか。……そんな簡単に、死なせてしまったことは許されるのか?」

 決意一つで全てが許されるわけがない。反省一つで昇華されてしまうほど、命とは軽いものだったのか?
 そんな簡単に、許したり許されたりするものなのか? もしそうだとしたら――魂の価値なんて、あまりに薄すぎる。

「……らったら、わたしも同じれす! “めいろろぼ”なのに、役に立てなくて、守れなくて、そんなわたしに価値なんてないんれす!」

 泣きそうな表情だった。人間なら実際、泣いていたかもしれない。
 対話が、それまで無理矢理納得しようとしていたシルファの思考を引き剥がしたのかもしれなかった。
 先刻までの冷静な口ぶりなどなく、朋也の言葉を聞いているうちに滲み出してきた矛盾の数々に、シルファは苦悩していた。

572 ◆Ok1sMSayUQ:2012/05/20(日) 00:44:53 ID:1iyckHjA0
「そう、言ってたれすよ。わたしの頭が。使命を果たせない、不良品らって」

 力なく、木の幹に拳を打ち付ける。いやそうではないのだろう、と朋也は思った。
 ロボットは自らを害さない。自傷という概念がないからだ。自衛機能が、目的のない傷を防ごうとする。
 もしも彼女に、自殺が行える機能が備わっていたのだとしたら、とっくに自壊していたのかもしれない。
 もしもシルファが完全な人間の心を持ち合わせていたら。自分は、第四の犠牲者を目の当たりにしたのかもしれなかった。
 なんて、皮肉――

 そしてそれが、朋也にとっては小さな共感でもあった。
 この状況に絶望しかしていないなら。己は無価値でしかないと悟っているなら。自分は自殺を試みているはずだ。
 だのに行動に起こさない。取り返しのつかないミスを嘆く一方で、森に隠れて自らの身を守ろうとしている。
 未来には失望の結果しか残されていないと分かりながら、なお命を紡ごうとする。
 理由などない。生かされているから、生きている。シルファが己を害せないゆえに生きているのと同様に。
 死にたくはない。しかし死にたくない理由はない。生きていたい。しかし生きる理由などない。
 信念なき生。目標を持って生きている者から見れば、今すぐ殴られてもおかしくはない。
 だから価値がない。だから意味がない。勝ち取ろうとしていない、努力を怠ったゆえにこうなったのだと言われているように、ふと朋也は感じた。

「だから、今度は俺を守るのか? いなくなった連中の身代わりに、俺を」

 気がつけば、朋也は立ち上がっていた。突然の行動に絶句するシルファの肩をこれでもかと強く掴む。
 シルファを責めたいのではない。そうした信念を強要させようとするなにかが、
 揺らぎないものさえあれば何をしても許される、と語ろうとしている論理が、許せなかったのだ。
 そうだ。芳野祐介も、あの怪力の女も。やると決めて、躊躇なく殺した。ある種の潔さが格好いいではないか。
 覚悟を決めて行動する人間の、美徳。それは紛れもなく、魂の価値を薄めるものでしかなかった。

「あの人たちはダメだった。今度は間違えないようにしよう。いい言葉だよ。けどそれであいつらが慰められるわけじゃない!
 許されないんだ、俺たちは! 何をどうしても、俺たちは一生人殺しで、苦しまなきゃいけない!
 それでも、繋がれた命だ。死ぬはずだった俺たちの命の価値ってなんだ!? 自分が慰められればいいのか!? 違う、絶対に!」

 半分意味を為していない言葉だと自覚しながらも、朋也は内奥からせり上がる熱を抑えることができなかった。
 許されたい。父親に、誰かに。その一心で行動して、犠牲になっていった連中の意味は何だったのか。無意味にしてしまった。
 そうだ。父親は自分の価値を認めさせたいがあまりに心を壊し、殺された皆はどことも知れない地で、食い物にされた。

「許すな。そういうことを、許しちゃいけない。自分のことしか考えてない奴を、絶対に許すな」

 強く。抉るように、朋也は己に言い聞かせた。
 自分を認めさせようとしなければ。自尊心などというものに溺れたりしなければ。
 もう少し周りを見るだけで、誰も犠牲にならなかったのかもしれないのに――

「は、はい。はい……」
「誓ってくれ。平気で他人を犠牲にするような奴を、絶対に許さないって」
「……わ、わたしは。敵を許さない、れす」

 少々乱暴だったか、と雰囲気に押されるようにして応じたシルファの声を聞いて、朋也はちょっとだけ冷静さを取り戻した。
 掴んでいた肩を放し、僅かに頭を撫でてから離れる。
 生き延びる、生きて帰る。そんな約束ではなく、ただ敵を許さないというだけの、刹那的な約束。
 信ずるべきものも、拠るべき神もない。破滅的ですらある、誇りや矜持などとはほど遠い誓いである。
 けれども、今はそれ以外の道を見出せなかった。綺麗事よりも、怒りが自分にはお似合いだと、朋也は思っていた。

「岡崎さん、顔、怖かったれす」

573 ◆Ok1sMSayUQ:2012/05/20(日) 00:45:18 ID:1iyckHjA0
 顔にも柔和さが少しは戻ったのか、シルファは半分泣き笑いのような表情で言った。

「不良なんだよ、俺は」
「フリョーなんれすか?」
「ああ。……だから、さっきはちょっと乱暴だった。悪かったな」
「フリョーは、謝らないれすよ」

 おどけた言葉。朋也は肩を竦めて、うるせえと軽口を返すことができた。
 精神的な状況は悪くない。大声で喚いたことが、活力を取り戻させたらしかった。
 敵に狙われなかったのが奇跡的ですらある。どうやら他人の血を吸って、悪運も吸い取ったらしい。

「……れも、わたし、何したらいいんれしょう?」

 敵を許さない。そうは言ったものの、目標となるものなどありはしない。
 人間の防衛も、朋也が否定してしまった以上優先事項から外されてしまったのだろう。
 首を傾げるシルファに、しかし朋也はどう言ったらいいのか自分でも分からなかった。
 当然である。信念を拒み、持つことを否定した自分達には大きな目標などありはしなかった。
 自分で考えろなどとは言えなかった。無責任である。最低限の礼節程度は、まだ持ってはいたかった。

「戻ろう」
「戻って……ええと、お葬式れすか?」
「できるかは怪しいけどな。なにせ俺は腕がこんなだ」

 持ち上がらない方の腕を情けなく伸ばす。
 隠そうとする自尊心など、とうに消え失せている。
 シルファの腕力なら或いは、とも思いもしたが、コンクリのジャングルに打ち捨てられた死体の処理方法など検討がつかなかった。
 斎場が都合よくあるとも思いがたい。埋めるのも燃やすのも難しいと思えた。

「まあ、葬式じゃない。ハイエナみたいな真似だけどさ、武器がなきゃ始まらない。使い慣れない刀なんかじゃなくて、もっと強い武器だ」
「戦うんれすか?」
「ああ……なんていうかさ……俺は、ここが許せないんだと思う」
「ここ?」

 空を見上げた朋也につられるように、シルファも夜陰に浸かりきった夜空を見上げる。
 米粒ほどの星々は、しかし地上で這いずり回る、自分達を見下ろして嗤っているようにも感じられた。
 誰も彼もが己を慰めたいと欲し、大義名分で罪を塗り固めようとしている。滑稽に相違ない。
 そこで、ふと朋也は立華奏の存在を思い出す。もしかすると、奏はそういう連中と戦う意志があったのかもしれない。
 何を考えているか全く以って不明な彼女だが、奪おうとした者からは、積極的に守っていた。
 死後の世界でさえ勝手を為す連中を、許せなかったのだろうか?

「……死後の世界とかなんとか、言ってたろ?」
「はい」
「もしかすると、そうなのかもしれない。色々な世界とか時代とかから、マジに集められてさ」
「ふむ」
「死んでるのかもしれない。夢の中かもしれない。何も分からない。わけわかんねぇ。
 でもさ、だからってじゃあ何してもいいですよってのは、違うだろ?」
「はい、分かるれす」
「なのに、何してもいいように言われててさ……俺もそうなっちまって、ムカついたんだ」
「……みんな、自分のやりたいことばっかり?」
「殺し合いしてるの、全員そうだったよ。俺も、死んだってことはなんか悪いことしたんじゃないかって思って、俺は悪くないって言おうとして」
「わたしも、そうかも知れないれすね……役に立ってない“めいろろぼ”れすし……」

574 ◆Ok1sMSayUQ:2012/05/20(日) 00:45:35 ID:1iyckHjA0
 生きて帰れるとは思えない。地獄の底にまで落ちた自分には、蜘蛛の糸すら垂らされることはないだろう。
 それでいいと思った。代わりに、敵を道連れにすることを決めた。
 芳野達のような連中にだけは、勝たせるわけにはいかない。大切なものを持たず、人生の目的など持たなかった朋也の、それは逆恨みにも等しい怒りだった。
 父親にすら理解を得ず、隣人の死に悩み、苦しんで。なのに決意や覚悟とやらで全てを奪ってゆく彼らが、彼らが従う論理が許せなかった。
 この上もなく醜い。だから地獄に落ちたのだろうと朋也は思った。

「……れも、わたし、許せないんれす」

 口には発していないはずの、朋也の内奥に応えるようにシルファは言った。

「はるはるを殺されて。音無さん見殺しにして。役立たずってわたし、理解してます。……ます。のに、納得しないんれす。こわれてます、こんなの」
「お前……」
「こわれてるから、欠陥品らから、ここにいて、捨てられて…………イヤって、思ったんれす」

 それは、理由のない拒否反応だった。本人すら理解できないほどの、強い感情が、「イヤ」という一言に内在していた。

「わたしを、こわして欲しかった。……れも、あの人たちは、イヤれしたから……」

 本来の機能を果たしてもいない自分など、いなくなってもいい。だが芳野達に壊されるのだけは我慢ならなかった?
 舌足らずの、中身の足りない言葉を、朋也はそのように咀嚼する。
 ここにも、ひどく矮小な逆恨みがある。
 人工の心。取るに足らない末端でしかないもの。しかし確かに、小さな怒りがあったのだ。
 日常から非日常に、理不尽をこれでもかと押し付けられて、機械の心でさえ、己を侵害されたと感じた。

「それを、岡崎さんが言ってくれました。敵、って。敵を許すな、って」

 言語化不可能だった感情。プログラムされたパターンの中になかった、矛盾だらけの識別不能の情感。
 定義付けてしまったのか、と朋也は苦く、深い感慨を抱いた。けれどもやはり、共感を覚えずにはいられない。
 あまりにも無力で愚かだと知ってしまった自分達。救いも許しも求められるものではないのだと、価値のなさを認識してしまった自分達。
 だからと言って、奪われるだけの結果を、決して認めない。認めてはならない。
 心があるのに。感じられる、人間なのに。

「行きましょう、岡崎さん」

 敵を許さないために。
 食い物にされてたまるものか。
 噛み付いてやる。牙を砥ぎ、狙いを定め、弱者と断じて見下ろす連中の喉笛に噛み付くのだ。

     *     *     *

575 ◆Ok1sMSayUQ:2012/05/20(日) 00:46:03 ID:1iyckHjA0
 思考は、随分とクリアになってきていた。
 人間風に言えば、胸のつかえが取れたと言うべきだろうか。
 メイドロボは人間のため、人間の代わりに様々な問題に取り組み、解決し、貢献しなくてはならない。
 それがシルファの、いやHMXシリーズの命題である。疑問は抱かない。問題の解決が人間を助け、解決が自己の喜びとなるようプログラムされている。
 だが、その基本的事項にあってはならないはずの――いや、可能性としてありえないはずの問題が生じた。
 主、あるいは同族と見做した親愛なる存在の抹殺である。正確には、抹殺してしまったのではないかという可能性問題が生まれたことだった。
 音無結弦の言葉が真実であるなどという保障はどこにもない。にもかかわらず、シルファは真実味が高いと判断してしまった。
 己自身、人間に接することを苦手とし、要求スペックを満たせなかったという事実があったこと。不良品が人間に害を為さないという保障もないのである。
 次いで、周囲の人間が「わたしは死んだという自覚がある」という旨の発言をしていたこと。あまりにも、数が多すぎた。
 シルファ自身が人間に仕えるための要求スペックを満たしきれていなかったという自覚があり、それゆえ彼女は己の判断、思考に対して評価を低く置いていた。
 周囲の人間が間違った認識であり、事実誤認をしているなどという思考に至れなかったのである。
 それが彼女に、ここは死後の世界であるというありえないはずの前提を植えつけた。そしてシルファは、新しい前提に則ってロジックを組み立てる。
 死後の世界。であれば、自分達は死んでいる。ならば同様に、この島にいる姉妹機や主も死んでいる。
 なぜ死んだのか――該当する記憶のデータはない。ないならば、憶測で考えるしかなかった。
 そして自己評価の低いシルファは、己が一家全滅の要因に大きく関わっている可能性が高いと、結論付けた。
 あくまでも可能性である。しかし十分あり得ると判断してしまった。
 結果、さらに可能性が生まれる。自らが人間を害する可能性。要求事項を満たせなかった可能性。
 ありとあらゆる、「自分はやはり欠陥品である」ことを証明できる可能性が生まれ、シルファは自己を見失ったのだ。
 要求を満たせない欠陥品。ならば破棄されてしかるべきなのだが、こうして思考している自分とは何か。なぜ自らを破壊しようとしないのか。
 岡崎朋也を連れて逃げていたときには、既にしてその疑問に侵されていたといってよかった。
 シルファには、自殺の概念はない。だから自壊の論理を持てなかった。用を為さぬ、為せないはずの「わたし」がなぜここにいるのか。
 壊して欲しい。しかし要求を伝えようとしない。朋也にも、他の誰かにも。
 全ての答えを探した。模索した。しかし答えは出てこない。答えが見つからない。
 思考に思考を重ね、電子頭脳が焼き切れてもおかしくはなかった。そうならなかったのは、他ならぬ朋也が納得できる答えを与え、証明してくれたからだ。

 敵。

 侵害しようとする、敵。

 わたしの中にいる。わたしを壊せという願いさえも奪う、それは紛れもない敵だ。
 許してはならない。絶対に許してはならない。戦わなくてはならない。
 敵はするりと己の中に入り込んできた。存在をはっきりと感じたのは、あの時。
 三枝葉留佳が悲壮な死を迎え、音無結弦が逃げろと叫んだあの瞬間だ。
 あいつらだ、とシルファは答えを結んでいた。あの二人組。一言しか名前を聞き取れなかったが、憶えている。
 芳野祐介と、カルラという男女が、自分の中に敵を送り込んで、奪ったのだ。
 奪って、彼らはきっと食い物にする。証拠に、カルラという女は争いながら笑っていた。愉快そうに。
 だからシルファは、立ち向かうと決めた。人間であっても、あれは敵なのだと断じた。
 人間は優しいはずなのに、思いやる心があるはずなのに。彼らにはそれがなかった。

 敵を教えてくれた優しい人間に、岡崎朋也に最大の感謝を。
 人でありながら敵である、彼らに最大限の怒りを。

 シルファに新たに記述されたクリアな認識。
 人間の中にも、許すべきではない巨悪が潜んでいるという事実を知ったこと。
 それは安全的見地から本来絶対行えないはずの、彼女が人間を殺せるということでもあった。
 しかも紛れもなく、ただ己を守るためだけに、である。

 ……
 …………
 ………………

576 ◆Ok1sMSayUQ:2012/05/20(日) 00:46:28 ID:1iyckHjA0
 やがて、街の中に入った。周囲を注意深く観察しつつ、シルファと朋也は慎重に現場まで足を運ぶ。
 渦中にいたときは気付けなかったが、街の破壊された様子は記憶以上に惨憺としている。
 コンクリの建物にひびが入り、電柱が根元からへし折れ、看板やガラスが無残に割られている。
 気を抜いていると歩いているだけで怪我をしかねない環境である。シルファ自身はメイドロボであるためその心配はない。

「……」

 観察する。朋也も、その心配はないようだった。
 千切れた電線には近づかず、壊れた建物にも同様に。誘導するまでもなかった。
 と――

「あ、わ、わっ」

 地面の断層部分につま先が引っかかってしまう。
 バランサーが利かなくなったシルファを、伸ばした朋也の手が支えた。
 平易な言い方をすれば、朋也に気を取られて足元がお留守になっていたのだった。
 はぅ、とシルファは赤面し、恥じ入った。なんと無様なことだろうか。

「すみ、ません」
「お前本当にメイドロボなのかって、ちょっとばかし疑っちまうな」
「……こわれてますから」

 ハード的には何ら問題はないはずなのに、シルファはたまにこういうことをする。
 プログラムでアトランダムに小さい失敗を繰り返すように設計されているわけでもなかった。
 こうした原因不明のエラーは、彼女の『姉』でもあるHMX-12《マルチ》の時代から散見されていたらしい。
 感情プログラムの自己アップデートの際に起こるノイズかもしれない、という見解を聞いたことはある。
 が、だとしてもそうしたノイズを処理できないことは機能不全を起こしているのと同義であるとシルファは考えていた。

「違う。そこらの人間よりよっぽど『らしい』って言ったんだ」

 多少語気を強くして朋也は言った。
 しかし裏腹に、彼の視線は優しさを帯びている。
 一瞬、思考が凍結した。原因は不明である。これもノイズなのかとシルファは考えたが、判断がつかない。
 つかないから、彼女は礼に礼で応じることにした。見た目を取り繕うことも人間には必要なのだ。

「……ありがとうございます」
「別に。誰にだってできることさ」

 ぺこりと頭を下げたシルファに対する朋也の態度は、冷たい。
 冷たいが、拒絶ではない。彼は意外と、他者を尊重するのだと分かった。
 不良ではないな、と改めてシルファは思い、同時に自分の処理優先事項から、ノイズの消去作業を取り止めることにした。
 消さなくてもいいと、認められたように感じたからである。

「俺が同じようにコケそうになったら助けてくれりゃいい。それでチャラだろ」
「はい。そうします」

 シルファは、それとない程度の微笑を浮かべている。
 朋也は察したのかそうでもないのか、「誰もいないな」と話題を変えていた。
 この場合の誰か、とは死体も含まれるのだろうと想像する。
 地面に血痕や服の切れ端のようなものが残ってはいるが、肝心の体がない。
 生き返る。唐突に音無の語った『死後の世界のルール』が想起されたが、果たしてそうなのだろうか。
 ここはあまりに、持ち合わせた常識が通じなさすぎた。

577 ◆Ok1sMSayUQ:2012/05/20(日) 00:46:48 ID:1iyckHjA0
「……せめて、音無くらいは」
「結弦ならもういない」

 唐突に発された声だった。
 空気のように透き通った声の主は、シルファと朋也のすぐ後ろにいた。
 いつの間に現れたのか。関係者の名前が出てきたから登場したと言わんばかりのタイミングに、驚愕と絶句が重なるのみである。
 少女、立華奏は荷物を抱えてその場に立っている。ひとつだけであることから、自分の持ち物なのだろう。
 あまりにも、自然すぎた。

「……やっぱり、致命傷だったのか」

 朋也もそれには気付いているようであった。
 立華奏は音無結弦の知人であることは知っている。なれば、奏は音無を喪失しているのだ。
 なのに奏からは一切の化学変化を感じなかった。人間の死を消化したにしては、彼女は自然体のままでありすぎた。
 言うなれば、カルラと戦っていたときの彼女と、今の彼女の雰囲気は全くの同一であるように、見えた。
 面識の浅いシルファでも感じられるほどに。朋也が気付いていないはずがない。
 しかし朋也は先に結末を求めた。渋面を作り、奏の対面に立つ彼は、何かを確かめようとしているようにも見えた。

「ええ。助けられなかった。助からなかった」
「だけど、最後には立ち会えた。そうなんだな」

 奏は頷く。
 音無は奏に看取られながら死ぬことができていたのだと知る。
 最低限の尊厳は守られていたことに少しばかり安堵は覚えたが、喪失であることには変わりがなかった。

「結弦は満足してくれていた。命を繋いでくれて、ありがとう、と」

 言葉の中身は分からない。自分が死のうとも、奏が生きているから発された言葉なのか、それとも本人にしか分からない別の意味があったのか。
 朋也はしばらく待ったが、奏は続きを語ろうとはしなかった。最後に言葉を交わしたという事実だけを告げた。
 表情も変えず。シルファにはそれが、表情を変えられないのではなく、変えようとしていないように思えた。
 悲しみを隠しているわけではない。憤りを抑えているのではない。それ以上に強固な決意が、感情すら支配している。
 なぜだかシルファは、そう思った。思うほどに、奏は何かに酷似していたからだ。

「……お前は、それで良かったのか? 音無が何を思ったかは、俺には殆ど分からないが……」
「良かった。そう思うことにする。……だって、確かに結弦の気持ちは救われたから」
「俺が聞きたいのはそういうことじゃない。お前だ、立華。死んだのに、殺されたのに、良かった、だけなのか?」

 朋也の声色が、変わり始めていた。
 シルファに対して声を荒げたとき同様に。
 音無の死の是非を問うているのではない。分かった。分かりすぎた。
 だって、それは――

「そんなんじゃ、まるで」

 ――敵。

「肯定じゃないか」

 奪われることの肯定。
 侵害されることの肯定。
 本人が良いと言ったなら、略奪されてもいいという肯定だ。

578 ◆Ok1sMSayUQ:2012/05/20(日) 00:47:09 ID:1iyckHjA0
「私は、そうしたい。肯定することが、結弦が私に望んだことだから。皆を認めてあげたい、よかったね、って」

 それが心を癒し、慰めるのであれば。
 殺し合いで起きた悲劇ですら、彼女は肯定するのだ。
 無駄ではない。否定する必要はない。彼女が受け止めてくれるから。望めば、与えさえしてくれるだろう。
 天使だ、と瞬間的に、該当する言葉が浮かんだ。
 行いを全肯定し、救い上げてくれるもの。
 超越者の所業である。天使と言わずして、どう表現するのか。

 だが、しかし。シルファは、朋也は――それを、彼女が救ってくれることを、痛烈に拒否した。

 拒絶だと言っても良かった。
 シルファは奏の言葉を聞き終えた瞬間、エドラムをデイパックから取り出し、全力で斬りつけていたのだ。
 突然の襲撃だったにも関わらず、奏は攻撃意志があると見るや、すぐに身を引いて距離を取った。
 一歩で5メートル以上は飛び退いた。シルファでは到底追いきれる距離ではなかったが……敵意は、増すばかり。
 シルファの行動を受け取って、朋也も続く。

「……ふざけるな。お前のやると決めたことがそれか。俺は、俺達は、認めない」

 何を思って、朋也が奏と対話したのか。
 或いは、朋也は奏を引き入れたかったのかもしれない。
 一緒に行動していたという経緯があり、朋也なりに思うところもあったのだろう。
 自分達のために戦ってくれた彼女なら、とも思っていたのかもしれない。
 けれども、しかし。彼女は音無の死を受け取った結果、肯定する方向へと動いた。
 報われているから。救われたのだから。その結果を求めるために、あらゆる感情でさえ奪い去って。

「何考えてるかイマイチよく分からなくて、それでも、自分勝手なあいつらとは違うと思ってた俺が馬鹿だったな……立華も結局、あいつらと同じだ」
「――! それは、」
「親父にすら否定されて、ここでやること為すこと全部失敗して、何が良かったんだ?
 つらいことを忘れればいいのか? 新しい価値観とやらを持てばいいのか? 何をしてでも?
 そいつはいいな。お前が肯定してくれるんだ。幸せだ。……でも、幸せになりたいんじゃない。ただ許せない。
 俺は、他人の望む慰めのために奪われたくない。自分の壊し方くらいは、自分で決める!」

 なにかを言おうとして口を開いた奏を遮って、朋也は決別の怒りを叩き付けた。
 朋也の、シルファの敵意は、他者を殺す領域にすら達している。
 それほど。ここには、侵略を行う敵で溢れかえっていたのだ。

「天使なんだろうな。そう思うよ。でも、敵だ」

 朋也も刀を抜き放つ。それが使い慣れない武器であっても、眼前の敵を見逃してはならない。
 立ち向かわなければならない。気持ちを同じくする人間とメイドロボが、ただ立ち向かう。

「違う、私は」

 天使が後ずさる。またもや何かを言おうとしたが、口を閉ざした。無表情に。
 片や朋也とシルファは、凝然と睨む。沸騰寸前の怒りを内包して、天使でさえ殺すと決めた。
 歩く。一歩ずつ距離を詰める。
 天使は、反撃だって出来るはずの、彼女は。

「――ディレイ」

579 ◆Ok1sMSayUQ:2012/05/20(日) 00:47:28 ID:1iyckHjA0
 ……
 …………
 ………………

 そんな声が聞こえた次の瞬間、天使の姿は忽然と消えていた。
 魔法でも使ったかのように。
 逃げられた。そんな認識がシルファを覆い、次いで握っていたエドラムがずっしりと重みを増したように感じられた。
 そんなはずはない。物が突如重くなるはずはないのだから。
 なぜか、と考えて、一つ思い至ったシルファは空を見上げた。
 怒りは、力になるのだ。敵対するものを排除するために、リミッターを外せるのだ、自分は。

「……行こう、『シルファ』」

 やがて、完全に天使は逃げ去ったと判断したのか、声がかかった。
 朋也が自分を呼んでいた。今まで呼んでいなかったはずの名前を言ってくれていた。
 仲間と認められた、自覚があった。そして仲間だと思う、自覚もあった。

「はい」

 それまでの形相がなかったかのように、シルファは笑顔を花開かせた。




【時間:1日目午後10時00分】
【場所:F-7】

 天使
 【持ち物:不明、水・食料一日分】
 【状況:逃走。F-7近辺に移動した】

 シルファ
 【持ち物:エドラム、水・食料一日分】
 【状況:打撲他ダメージ(中)】

 岡崎朋也
 【持ち物:日本刀、水・食料一日分】
 【状況:ダメージ(軽)】 

580 ◆Ok1sMSayUQ:2012/05/20(日) 00:48:07 ID:1iyckHjA0
投下終了しました。
タイトルは『心の最果て』です

581死を想え、生を謳え ◆auiI.USnCE:2012/07/14(土) 03:30:09 ID:0ooAAfGI0





――――それが、死っていうものさ。







     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

582死を想え、生を謳え ◆auiI.USnCE:2012/07/14(土) 03:30:30 ID:0ooAAfGI0







「…………」

一歩、一歩ずつ。
重い身体を引き摺りながらも。
確実に、確実に歩いていた。

その足取りに、『生きている』事を感じながら。

私達は、歩いていたんだ。

隣に歩く由真の肩を借りながら、私――椎名枝里も肩を貸しつつ、歩いている。
一歩、一歩ずつ。


――――私は、逃げていた。


そう、これはただの遁走。
悪意の牙を曝け出した相楽美佐枝に対して逃げているのだ。
私は、私達は。

大切な仲間であった伊吹風子を犠牲にして。
ただ、遁走を続けてる。

ああ、逃げていてるのだ、私は。
誘ってくれた仲間を置いて。
自分を信じてくれた人を置いて。


……何を、やっているのだろうか。


神に従う相楽美佐枝が許せなくて。
彼女が神に従って未練を叶えようとするのが、許せなくて。
だから、討とうと誓ったのに。
なのに、自分は逃げ出す事しか出来なかった。
そして、風子を犠牲に……したんだろう。


……あさはかだ……自分は。


「ねえ、椎名……風子は……やっぱり……」
「………………」

由真の問いに無言で返す事しか、私は出来なかった。
言わなくても……理解できている。
風子とまた会う約束したとはいえ。いや、だからこそ。


伊吹風子は、死んだのだ。

583死を想え、生を謳え ◆auiI.USnCE:2012/07/14(土) 03:31:52 ID:0ooAAfGI0


「うん……やっぱり死んだのよね…………風……子」


ああ、死んだのだ。
出来ない、約束をして。
私達に精一杯の感謝をして。

たった一人で、相楽美佐枝に立ち向かって。



伊吹風子は、死んでしまった。



…………なんだ。
なんなのだ、この心を支配するものは。


「あんなに笑っていたのに……風子」


胸が締め付けられてくる。
息が出来なくなってしまう。
心がとても、とても重い。


「………………私を慰めてくれたのに」


哀しい?
寂しい?
苦しい?


何故、何故?
こんなにも、心を支配する。

死なんて、いつも傍にあったのに。

いつも、私自身が死んで。
いつも、仲間達が死んで。

当たり前のように誰かが死んで。
だから、死なんて、当たり前の筈なのに。



何で、何で。

584死を想え、生を謳え ◆auiI.USnCE:2012/07/14(土) 03:32:07 ID:0ooAAfGI0



「死んじゃった…………」




何で、こんなにも、『死』が重たい?


苦しくて、哀しくて、寂しくて。
心が軋んでしまう。

仲間が死んだだけなのに。
それだけのはずなのに。

こんなにも、こんなにも、感情が溢れる?
こんなにも、こんなにも、心が壊れそうになる?


「風子…………風子……」


由真の涙が見えた。

とても哀しそうで。
とても悔しそうで。


ああ、ああ。

これが、本当の『死』なのか。

死というものは、本当はとても重たくて。
死というものは、人の心を大きく軋ませて。

そして、こんなにも、沢山の感情を溢れさせるのか。

585死を想え、生を謳え ◆auiI.USnCE:2012/07/14(土) 03:32:22 ID:0ooAAfGI0


「……あさはかなり……あさはかなり……椎名枝里」


ああ、本当にあさはかだ。
私は、私は、本当の死の事を全然知らなかった。

人一人の命の重さを受け止める事は、こんなにも、重たくて。


そして、こんなにも苦しい。


「椎名……私達は……弱いっ!」
「……ああ……」

由真の言葉が響く。
それは悔しさの篭った言葉で。
私達の無力を訴える言葉だった。

私達が強ければ、風子は助かった。

私達が強ければ、きっと、きっと。


「力が欲しいっ!」
「ああ……自分達で勝ち取る強さが欲しい!」


出来るならば、この悔しさを解く力を。
神などに頼らないで、自分自身で力を受け取って。

そして、強くなりたい。


こんなにも、重い死を抱えながら。
もう二度とこんなものを経験したくないから。



伊吹風子の『死』を背負いながら。



「強くなりたいっ!!!」




私達は、歩いていた。



私達は、確かに、一歩、一歩ずつ歩いていたんだ。

586死を想え、生を謳え ◆auiI.USnCE:2012/07/14(土) 03:32:36 ID:0ooAAfGI0





     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇






――――それが、生きるっていうものさ。









【時間:1日目午後7時20分ごろ】
【場所:C-6 南部】


十波由真
【持ち物:木彫りのヒトデ(1個)、水・食料一日分】
【状況:健康】


椎名枝里
【持ち物:トウカの刀、五方手裏剣、木彫りのヒトデ(1個)、水・食料一日分】
【状況:健康】

587死を想え、生を謳え ◆auiI.USnCE:2012/07/14(土) 03:32:47 ID:0ooAAfGI0
投下終了しました。

588 ◆Ok1sMSayUQ:2013/02/02(土) 20:54:09 ID:VIv/OSvE0
「終わってない」

 紡ぎだされた声は、深く、静かに、しかし臓腑を抉るような掠れた声で。
 硝煙のたなびく銃口は真上に。能美クドリャフカを狙い撃たず。誰をも否定することなく。

「わたし達は、まだ、終わってない」

 ただ《醜くも、美しい、終わった世界》を拒絶した。
 いらないと言われたのならば、耐え難い理不尽が肯定され犠牲になるのが正義だと言われたのならば。
 そんなものは、端から捨ててしまえば良かった。

「そうですよ、簡単なことなんです。終わったなんて誰が決めたんですか?」

 古河渚は壊れてなどいない。笑っていなかった。目に生気があった。
 しかしそこに、元来彼女が備えていたような控えめな優しさはない。
 今あるものを拒み、憎み続け、呪い続ける意志だけがある。
 クドリャフカは多少呆気に取られたような面持ちをしていた。殺されるという確信が外れたのだろうと渚は想像した。

「……目を背けているだけです、あなたは」
「だとしても」

 その問いに、彼女の論理に、今度こそ渚は詰まることはなかった。

「認めるんですか? 死ぬことをじゃない、こんな……こんな、正しさを」
「私は、そう願われて育てられてきたんです」

 クドリャフカは小さな手を持ち上げ、何かを弄ぶような仕草をした。
 手には何も乗せられてはいなかったが、そこにはきっと誰かの願いが、祈りに通じるなにかがあったのだろう。

「世界の良き歯車となれ」

 握り締めて開く。そこには何もない。
 クドリャフカの周りの死体は、彼女が失くした『それ』の代わりに生まれたのかもしれない。

「ひとを見殺しにしたんです」

 目を伏せて、死体に触れる。

「説明が必要ならしてあげましょうか? それで、私がどうしたら正しくなれるのか教えてもらえれば」

 まだ終わっていないと言えるのかもしれませんね、と低く笑った。
 ひとを殺したことを悔い、価値のない自分がいることを皮肉だと論じ、だから罰されるべきなのだという笑いだった。

589 ◆Ok1sMSayUQ:2013/02/02(土) 20:54:35 ID:VIv/OSvE0

「必要なんかないです。わたしが聞きたいのは――あなたは、幸せになりたくなかったんですか?」
「なにを」
「友達がいて、家族がいて、退屈だけど明日に繋がるはずだった毎日があって」
「……っ」
「一瞬でもそれを望まなかったんですか? 今までの全部が自分なんて二の次で、誰かの幸せだけを願って、そんな聖人君子みたいな生き方」
「でも、それは」
「わたしだっていい子なんかじゃない。本当は……本当は、普通に遊んで勉強して恋だってしたかった。それこそ、無理をしてでも。
 けどできなかった。色々なことがあって、お父さんやお母さんに守られないと生きていけなくて。我がままなんて言えなかった。悪いことだったから」
「そんなの……とっくに、私だって」
「我慢してきたんです。これでいいなんて、心の底じゃ思ってなんかなかった! きっといつかは、こんな不自由ばかりの世界でも報われるって思ってた!」
「……」
「でも裏切られたんです。苦痛は幸せのためにあるんじゃない。どれだけ搾り取れるかっていう、神様の意地悪なんです」
「……だからあなたは、わたしは悪くない、と?」
「理不尽には怒るのが人間でしょう! わたしは優しいだけじゃない! 何をされても耐え忍べる人間なんかじゃない! なのに」
「裏切……られた、んですね」
「……お母さんは、最期にわたしだって見てくれなかった」
「誰も見てくれなかった……」
「そうです。……悪いことをした罰だっていうのなんて分かってました。でも、だからって……わたしは、乗り越えられるような優しさなんてない」

 耐えれば報われる。それだけを信じて愚かなまでに我慢してきた渚は、言い換えれば自分の弱さにも気付けない、生きるに値しない人間なのだろう。
 少なくとも神はそう判断したに違いない。でなければこうして何もかもを奪い、その上罪を償えなどという理不尽を押し付けてくるものか。
 それでも本当に強い人間とやらなら乗り越えられるのだろう。でも自分はそうじゃない。強いという言葉があるなら、弱いという言葉だってあるのに。
 弱い人間は、怒ることくらいしかできないというのに。

「あなたはどうなんですか。こんなことをされて、それでも正しさに従うんですか。何も望まない、何も望まなかったいい子のままで」

 彼女が、それでも首を縦に振るなら……彼女は本当に聖人君子なのだろう。機械的なまでに優しい。
 でも渚はそうだとは思わなかった。分かっていた。似ていたから。相槌を打つ彼女が、あまりに、渚自身と。

「……それ、は」

 口を開いて、閉じて、俯いて、顔を上げて、クドリャフカは逡巡していた。
 口にしてしまえば一歩を踏み出すことになってしまうと思っているのだろう。
 見知ってさえいない仲。渚は目の前の彼女を知らないし、彼女だって何も知らない。
 何があったかなんて知らない。ただ共通しているのは、『ここ』には居場所なんてないこと。
 己の中にある聖域さえ踏みにじられているということだけだ。

「……私、だって」

 震えた声だった。
 蒼い双眸が、月光を受けて鈍く輝いていた。
 眉根を歪ませ、拳をきつく握り締め、彼女は何かを睨んでいた。

「こんなの、望んでなんてなかったです!」

 その絶叫は森を貫き、風を裂き、底に仕舞われてきた思いの深さを実感させるものだった。
 そして同時に渚は思う。――やっぱり、この世界は呪われている、のだと。

590 ◆Ok1sMSayUQ:2013/02/02(土) 20:55:02 ID:VIv/OSvE0

「いいはず、なかったじゃないですか……! いきなり寮長さんが殺されて! 私も殺されかけて! 出会った人も自殺して! なのに壊れてるなんて言われて!」

 口調からは恐怖と混乱、そして理不尽に巻き込まれたことへの怒りがあった。

「誰も本当の言葉なんてかけてくれなかったんです! 自分で解決しろって、誰も彼もが押し付けて! それができないから、できないからって……私は……」
「だから弱いんです。わたしと同じように」
「分かってます! そんなの……!」
「だから死ぬしかない」
「……」
「生きている資格がないって言われたんです。自分でも分かってる。でも」
「……納得が、できない」

 間違っているからいらない。殺し合いの中で、我慢することしか能のない弱い自分達がそう言われて当然なのだということはこの数時間で痛すぎるほどに分かっている。
 分かってはいるが、正しさを受け入れることとはまた別なのだ。呪われた世界で何の報いもないまま終わる。では、弱く生まれてきたわたし達の意味とは何だと言うのか?

「納得なんてできないんですよ……! 認められないんです、わたしは!」
「じゃあどうするって言うんです。みんな殺して生き延びるんですか? そんなのできるはずがない」
「できないでしょうね」
「だったら……」
「逃げるしかないんです。わたしはあなただって殺せなかったんです。撃とうと思って、頭の片隅に浮かんでしまったんです」

 一呼吸置いて、渚は弱者の吐息を漏らした。
 正確に答えるなら、渚は撃とうと思えば撃てた。傷つけることはできた。
 殺すことができなかっただけだった。

「殺したあなたが頭の奥でわたしに恨みを言い続ける姿が見えたから……それが怖かったんです」

 結局、傷つけることはできても殺すことはできない、渚はそんな臆病者にしか過ぎなかった。
 最後の一線で踏みとどまっていると言えば聞こえはいい。しかし実際は、覚悟もない半端者でしかない。
 優しさなどとは決して呼ばれないだろう。甘さと謗られるだろう。そうしてまた、自分は否定されるだけなのだろう。

「……自分が可愛いだけの、臆病者」

 クドリャフカの吐き出した辛辣な言葉は、しかし渚に向けられた矛ではなかった。
 彼女は、導き出される答えを代弁したに過ぎなかったのだろう。

「逃げても殺されるだけかもしれませんよ」
「そのときは……きっと、ありったけ呪って、恨んで、苦しんでしまえと言い残すしかないと思います」
「そうでしょうね」

591 ◆Ok1sMSayUQ:2013/02/02(土) 20:55:18 ID:VIv/OSvE0

 私もそうしたと思います、と付け加え、クドリャフカは立ち上がった。
 亡霊のようなゆらりとした足取りで、彼女は渚に近寄る。

「私は……私は、赦されたいんです。私だけで解決なんてできないんです。ひとを見殺しにしたことを、誰かに……赦して……」

 そして渚にもたれかかり、嗚咽と共に、否定され続けるだけの本音を吐き出した。

「わたしは、生きていたい……当たり前のように、誰かから必要とされて、ここにいてもいいと言われたいんです」

 受け止めて、渚も言葉を返した。

「……赦してもらえるなら」
「ここにいてもいいと言ってくれるなら……」

 きっと、なんだってする。
 示し合わせたように最後の一言が重なり合った瞬間、二人は粘ついたような笑みを浮かべていた。

「一緒に行きませんか? これまでは、しょうがないことだったんです」
「そうでしょうか」
「そうですよ」

 体を離し、渚が改めて手を差し出す。差し伸べる。
 お互いに『群れ』を見つけたことの、確認のようなものだった。

「私には分かりません」
「分かってくれる人を見つければいいんです。わたしは、しょうがないことだったと思います」

 本心から渚はそう思っていた。
 思わなければいけなかった。今の悲惨が、全て己自身が原因で引き起こされた因果応報などとは間違っても思いたくなかった。
 自分が無意味であるまま死んでしまうことだけは耐えられなかった。それが忍耐を重ねる人生ばかりだった渚の聖域だったのだ。

「……能美、クドリャフカです。よろしくお願いします」

592 ◆Ok1sMSayUQ:2013/02/02(土) 20:55:37 ID:VIv/OSvE0



  【時間:1日目 20:30】
 【場所:C-2】


  能美クドリャフカ
 【持ち物:CZ75(?/15)、不明支給品、水・食料一日分】
 【状況:赦してくれる人を渚と探す】



  古河渚
 【持ち物:S&W M36 "チーフス スペシャル"(?/5)、.38Spl弾×?、ステアーTMP スコープサプレッサー付き(32/32)、予備弾層(9mm)×7、水・食料二日分】
 【状況:ここにいてもいいと言う人を探してクドと歩く】 

593 ◆Ok1sMSayUQ:2013/02/02(土) 20:56:00 ID:VIv/OSvE0
投下終了です。
タイトルは『くずれるせかい』です

594名無しさんだよもん:2013/03/24(日) 21:07:52 ID:dRDDR5hM0
投下乙

595ヒビ割れエクソダス ◆5ddd1Yaifw:2013/04/26(金) 23:45:58 ID:U.QkpsE.0



――――最期まで、生きてみせろ。



「……」
「…………短時間で、こんなに」

無機質な男の声がどこからともなく流れ出してから数分後。
翼の男が告げた真実は、二人の胸を貫いた。
これは夢じゃない、現実だ。呼ばれた犠牲者の数が、物語っている。
今まで誰とも出会わなかった為に、イマイチ殺し合いを信じきれなかった二人を、無理矢理に現実へと引きずり込む。
死んでいる、今もどこかで誰かが死んでいるかもしれない。
数時間前の微笑ましいやり取りが、どこか遠くの事のように感じられた。

「知り合い、呼ばれたの?」
「ええ……絶対に死にそうにない馬鹿な人でしたのに。正直、信じられませんわ」

佐々美は顔を青ざめながら必死に身体の震えを押さえつける。
それは、弱みを見られたくないが為の意地か、自分が殺されるかもしれない恐怖か。
女の子の気持ちなんてわからない鷹文には想像もつかないが。

(まぁ、僕の方は無傷。万が一って覚悟は無駄になった訳だけど)

放送の中では彼の知る人名は呼ばれなかった。
最も、100を超える参加者の中で知り合いは一割にも満たないのだ、死ぬ確率が低いのは当然といえるのか。
どちらにしろ、運が良かった。姉も、その恋人も、元彼女も。
全員がこの島で生きている。それは、鷹文にとっても喜ばしいことだ。

(うん、ラッキーラッキーってことで。それに、一番死にやすいのって絶対僕だよね。心配するだけ無駄かもね。
 他の皆、腕っ節強いし。ねぇちゃんとかヤバイもんね、勝てる確率ゼロパーセントだよ)

中学時代の姉はまさしく最強だった。
誰も顧みず、ただ喧嘩に全てを委ねた化物だった。
化物は言い過ぎかもしれないが、当時の鷹文にとっては化物以外の何者でもない。
一人で男性複数を余裕で蹴散らしていた姉は、この島でもその力を発揮しているかもしれない。

(……思い詰めてないといいけどね。ねぇちゃん、正義感強いし。目の前で救えなくてヤケになる可能性も否定出来ないよね)

姉である智代は、外面は至って冷静で頼りになる姉御タイプではあるが内面は違う。
自分が死にかけた時、姉は泣いていた。
この世の絶望ありったけを詰めたかのようなぐしゃぐしゃの表情を浮かべて。

596ヒビ割れエクソダス ◆5ddd1Yaifw:2013/04/26(金) 23:46:46 ID:U.QkpsE.0

(うーん、前言撤回。やっぱ、心配だよ)

そんな風に、姉は弱いのだ。
自分みたいにドライではない、情に生きる女性であるから。
できるだけ、早く合流して安心させないと、と鷹文は心の中で誓う。

(まっ、僕は大丈夫だからいいんだけど。それよりも、今は――)

横でフラフラになっている佐々美をどうにか立ち直らせないといけない。
今にも倒れそうな、ワンパン一発でKO、格ゲーで言う赤ゲージというやつだ。
鷹文としても、いつまでも滅入った空気はごめんなので声をかけることを考えたが。

(どうやって慰めるべきなのかなぁ……下手なこといって怒らせたら最悪だしなぁ。
 バッドコミュニケーションは勘弁して欲しいよ)

鷹文はうんうんと頭を悩ませるながらも、気の利いた言葉を必死に捻り出す。
ギャルゲーみたいに選択肢が出れば楽なのに、とは口が裂けても言えない。
現実は二次元とは違って厳しいのだ。一つのミスで取り返しがつかないことになってしまう。

「えっと」
「……ご迷惑をおかけ致しました。申し訳ありませんわ」
「あ、はい。大丈夫……?」
「正直、まだ落ち着けてはいませんけれど。
 今は泣く時ではありませんわ。しかるべき時に、悲しんで。ちゃんとしたお線香も上げますわ」

鷹文がナイスでウイットに富んだ慰め方を考えている内に佐々美は立ち直ってしまった。
よかったのか、よくないのか。いやいやいいに決まってる。
正直、女の子の扱いなんて慣れていないから助かった。
無論、何かあったら支えるつもりではあったが。

(でも、今でこそ僕達は無事だけど。次に放送で呼ばれるのは、僕達かもしれないんだよね?)

この六時間で鷹文達は他の参加者と出会えていない。
自分達と同じ殺し合いに異を唱える人達であったり、進んで殺し合ってる怖い人達だったり。
どちらの部類にせよ、鷹文達は早急に他の参加者と対話をすべきなのだ。

(呼ばれた名前がそれなりに多いってことは怖い人達もそれなり、かな?
 どっちにしろ僕達に足りないのは情報だね。情報ゼロでどうにか抜け出せる程、あの翼の人も甘く無いだろうし)

つらつらと現状の打破を鷹文は考えるが、どうしてもふいに思ってしまうのだ。
もしも、脱出なんて不可能だとしたら?
自分たちがいる場所が袋小路の絶望に包まれているとしたら?

597ヒビ割れエクソダス ◆5ddd1Yaifw:2013/04/26(金) 23:47:50 ID:U.QkpsE.0

(その時、僕達はどうするんだろうね……? やっぱ、殺し合っちゃったりするんだろうか?
 内部分裂嫌だなぁ。外も内も気にするってすっごく大変だし)

考えたくもないが、佐々美が気が狂って自分に襲いかかってくる可能性だって否定出来ないのだ。
加えて、ここから逃げる方法すら定かではない。
船に乗って逃げるのか? それとも飛行機か?
わからない、何もかもがわからない。
加えて、不確かな情報だけで物事を進めることなんてできない。

(もう八方塞がりなんだよねぇ。諦める気はないけどさ、すっごく大変。
 首に巻かれてるコレもあるし)

そして、この島から脱出する前に外さなくてはならない首輪。
これがあるおかげで自分達は常に命を握られている。
考えれば考える程、詰んでいるとしか思えないくらいに、自分達は追い詰められているのだ。

「……ないない尽くしでもうお終いってね」
「何か言いまして?」
「いや、何でもないよ」

嘘だ。何でもなくなんかない。
佐々美はきっと知らないのだ。自分達が置かれている現状がどうしようもないぐらいに、危機的なものだということに。
逃げ道すら封じられた今、この世界はまるで檻のようで。

(僕達は、誰も生きて帰れないんじゃないか?)

――――僕達は、逃げられない。



 【時間:1日目午後18時20分ごろ】
 【場所:F-2】

坂上鷹文
 【持ち物:こども銀行券の入った財布&プラスチックのコイン、包丁、シャベル、金属バッド、コンビニの食料品、水・食料一日分】
 【状況:健康】

笹瀬川佐々美
 【持ち物:猫(志麻)、水・食料一日分】
 【状況:健康】

598ヒビ割れエクソダス ◆5ddd1Yaifw:2013/04/26(金) 23:48:11 ID:U.QkpsE.0
投下終了です

599 ◆Ok1sMSayUQ:2015/03/14(土) 20:33:03 ID:uEQroVbk0
ゲリラ投下します。
ドリィ、河野はるみで。

600心を捧げる ◆Ok1sMSayUQ:2015/03/14(土) 20:33:54 ID:uEQroVbk0
 恐らくそれは、降って湧いた機会であると同時に覚悟を迫る最後通知であるに違いなかった。
 見知った顔が空を飛んでいる。いや正確にはふわふわと浮いていると説明することが正しかったのだが、
 『彼女』をよく知っている彼からすれば飛んでいる以外の何物でもないのだから、飛んでいるのだった。

「……」

 その隣では、彼と行動を共にする少女がぽかんと口を開けていた。間違いなく、彼女にとっては理外の沙汰に違いなかった。
 『彼女』をよく知る彼であるからこそ、あの行動は『彼女』らしくはあり、しかし馬鹿げている行動であり、
 直後会場に響き渡った声と共に、彼に決断を促す材料になった。
 息を吐いて、彼は当て所もなく動かしていただけの足を、はっきりとした意思を伴う形にして動かした。
 行かなくてはならない、と思ったからだ。

601心を捧げる ◆Ok1sMSayUQ:2015/03/14(土) 20:34:21 ID:uEQroVbk0
「……あ、えっと、あっちに、行くの……?」

 未だに困惑冷めやらぬ様子の彼女――、はるみと名乗った少女に、彼は――、ドリィは、うんと頷いた。

「なんか浮いてたんだけど」
「偵察のつもりだろうね。僕からしてみれば迂闊だ」

 弓さえあれば。この遠距離からでも間違いなく、抱えていたもう一人ごと撃ち貫くことができただろう。
 仲間にそれができるかどうかはともかくとして……。付け加えようとして、打ち消す。仲間ではない、敵だ。
 胸中がざわめいているのは、きっと目が良すぎて『彼女』の、カミュの表情までがはっきりと見えてしまったからに違いなかった。
 いつものように暢気な表情をしてきょろきょろと周囲を見回す彼女は、きっと自分達トゥスクルの人達を探しているであろうというのは、ドリィにはすぐ分かった。
 こういう時ばかりは射手に必要な視力の高さが鬱陶しいとドリィは思う。視力がなければ射手は務まらないとはいえ、殺す相手の表情がくっきりと見えるというのは気分の良いものではない。
 弓は殺す感触が薄いから、尚更だ。もっとも、今はその弓も手元にないのだからどうあっても近づいて殺さなくてはならないが……。
 腰に差している厚い刃を持つ短刀の感触を確かめるように撫でて、ドリィは今度こそやる、と言い聞かせる。
 既に三人。アルルゥ、ウルトリィ、そして自身の仕える主君たるオボロの妹君たるユズハが命を落としたらしい。
 特にユズハの死については、若様がさぞ心を痛めておられるだろうとドリィは思った。或いは血気盛んな主君のことだ、既に仇討ちのために動き始めている可能性は高い。
 時間に猶予は、無い。

「そうじゃなくて」

 気にするべきところはそこではないだろう、とでも言いたげに、はるみはぶんぶんと手を振った。

「飛んでるんだよ、人が!」
「……翼があるんだから、飛ぶと思うんだけど」
「人に翼はないでしょ!」
「だってそういう種族だし……」

 はるみは頭を抱えた。どうやら自分が気にしていないところが、はるみにとってはえらく不思議な事態であるということに、ドリィはようやく気がついた。
 しかし説明しているような時間はなく、ドリィは目的だけを簡潔に告げることにした。

602心を捧げる ◆Ok1sMSayUQ:2015/03/14(土) 20:35:01 ID:uEQroVbk0
「僕はあの子を殺しに行く」

 やれるのか? 即座に湧き出たその疑問を、肚の底に押し留める。他人は殺せても仲間は殺せないというのでは、自分は何のために半身を切り捨てたのか。
 生まれた意味を果たせずに死ぬ。捨て子として生まれ、命を長らえさせるためだけに生きてきたドリィにとって、戦士ですら在れないということは、死ぬよりも恥辱だ。

「……邪魔をするなら君も殺す」

 そのことを思い出さなければならない。はるみに出会った時に投げかけられた言葉に、感傷に浸ってしまい、今の今までぬるま湯に浸ってきたが……それも、ここまでだった。
 短刀に手をかけたドリィに、はるみは表情を強張らせた。だが、それも一時のことで――、次に彼女は、こう言い放った。

「『今』、殺さないんだ」

 それは己の弓よりも正確に、ドリィを射抜いた。

「あそこに見えた子は殺せて、私に今手をかけられない理由って何?」
「それは」
「本当はさ」

 それは、の次の一句。咄嗟に浮かばなかった間隙を見逃さず、はるみは二の矢を放つ。

「キミは、優しいんじゃないの?」

 違う、と返せなかった。そう、目の前にいるこの少女を、殺そうとしない理由は何だ?
 当たり前のように見逃そうとしていた、その理由はどこにある?

「……だったら、どうだと言うんだ」

 理由を探す前に、ドリィはまだ半人前ですらなかった頃の、修行を重ねていた時代に周囲からかけられていた嘲りの声を思い出すことにした。
 優男。雑用でもしているのがお似合いだ。戦士になんかなれるわけがないという声に満ちていたあの頃の記憶を頭に充満させ、ドリィは感覚を凶暴に研ぎ澄ませていく。
 短刀の取っ手に手を付ける。己の後ろに立つこの少女を、言葉次第で斬り殺す。なぜ今ではない、という疑問そのものを、かつての記憶で埋めることによって追い出した。

「止めはしない、けど。……つらいと思うよ」

 短刀は。

「私も、迷ってるから。心と違うことをし続けると壊れるって、聞いたことがあるから。だから、そうした方がいいって分かってるのに、できない」

 抜かなかった。

603心を捧げる ◆Ok1sMSayUQ:2015/03/14(土) 20:35:26 ID:uEQroVbk0
「ダーリンはきっと……、心のある私を、望んでると思うから……」

 半身よりも大切だと語ったはるみの姿が思い出され、ドリィはようやく、彼女に手をかけなかった理由を思い浮かべることができた。
 何の事はない。多分彼女は、グラァとよく似ているのだ。だから、今、手にかけられなかった。

「じゃあ君は、心を失くさない道を進めばいい。……僕は、失くしてでも」

 生まれた意味を果たさなければならない。いや、違うのだろう。全てを失くしてでも、若様のための戦士でありたいという、挟持という名の、心を守りたいのだろうとドリィは思った。

「守りたいの?」
「うん」
「自分が壊れてしまっても?」
「うん」
「それで、大好きな人に嫌われても?」
「うん」

 きっとそれは、自分に対する疑問以上の言葉であるはずで。
 だから、ドリィは最後に振り向いて、己の挟持の中身を明かした。

「命を捧げることは、僕の中だと、たぶん、心より尊いんだと思うから」

 はるみは泣きそうな、迷子になった稚児のような、途方に暮れた顔をしていたが――、ドリィの言葉を聞いて、目を見開いて、「心より尊いもの……」と呟いた。
 頷く。この感覚は、女子に分かることだろうか。考えても詮無いことだと思い、ドリィは踵を返してそのまま立ち去るつもりだった。

「待って」

 自分に続いて地面を踏み鳴らす音。
 ドリィはもう一度だけ、足を止めた。

「私も一緒に行く」
「止めはしない、けど。つらいよ」
「……心より尊いもの。私にも、見つかったから」

 はるみが隣に並んだ。改めて分かったことだが、彼女はドリィよりも少し背が高かった。
 自然と見上げる形になる。垣間見えた彼女の表情は……、稚児のような様子など、どこにもなかった。
 本当に、彼女は、それを見つけたらしいと確信して、ドリィは少しだけ意外な気分になった。

「行こうか」
「うん」

 意識してそうしているわけでもないのに、歩調は全く、はるみと同じだった。

604心を捧げる ◆Ok1sMSayUQ:2015/03/14(土) 20:35:44 ID:uEQroVbk0




【時間:1日目18:00ごろ】
【場所:D-6】

河野はるみ
【持ち物:トンプソンM1928A1(故障の可能性あり)、予備弾倉x3、水・食料一日分】
【状況:右腹部中破。ドリィに同行して人を殺す】

ドリィ
【持ち物:イーグルナイフ、水・食料一日分】
【状況:健康。17:30ごろC-5上空に見えたカミュともう一人を殺しに行く】

605 ◆Ok1sMSayUQ:2015/03/14(土) 20:37:58 ID:uEQroVbk0
もう一つゲリラ投下します。
グラァ、山田ミチルで。

606命を捧げる ◆Ok1sMSayUQ:2015/03/14(土) 20:38:28 ID:uEQroVbk0
 恐らくそれは、降って湧いた機会であると同時に覚悟を迫る最後通知であるに違いなかった。
 見知った顔が空を飛んでいる。いや正確にはふわふわと浮いていると説明することが正しかったのだが、
 『彼女』をよく知っている彼からすれば飛んでいる以外の何物でもないのだから、飛んでいるのだった。

「……」

 その隣では、彼と行動を共にする少女がぽかんと口を開けていた。間違いなく、彼女にとっては理外の沙汰に違いなかった。
 『彼女』をよく知る彼であるからこそ、あの行動は『彼女』らしくはあり、しかし馬鹿げている行動であり、
 直後会場に響き渡った声と共に、彼に決断を促す材料になった。
 息を吐いて、彼は当て所もなく動かしていただけの足を、はっきりとした意思を伴う形にして動かした。
 行かなくてはならない、と思ったからだ。

607命を捧げる ◆Ok1sMSayUQ:2015/03/14(土) 20:38:51 ID:uEQroVbk0
「あれ」
「……うん、間違いない。カミュ様だ。らしいといえばらしいけど……危なっかしいな」
「そうでなくって」

 グラァの苦笑に返ってきたのは呆れ声だった。偵察目的だろうとはいえ姿を発見されやすい上空に飛翔するのはいかがなものか……。
 彼女も、ミチルもそう思っていたと考えていただけに、グラァは冷や水をかけられた気分になった。

「飛んでたんだけど」
「……そりゃまあ」
「いやおかしいから。人は空を飛ばない」

 ミチルが腕を振り下ろす。手刀だった。幸いにしてそれほど痛くはなかった。
 が、なんとなく叱られているような感覚ではあったため「ご、ごめん」と己に非があるわけでもないのにグラァは謝罪してしまっていた。

「説明。……と言いたいところだが……、あの人、知り合いか何かか」
「知り合いというか……護衛対象?」

 言ってから、いや濁す必要などないだろうという己の声が聞こえてきたのだが、普段のカミュの姿を幾度と無く目撃しているだけに自信は持てなかった。
 肩書を思い出す。オンカミヤムカイの第二皇女。紛れも無くやんごとなき血筋のお方である。しかしその実態は……。

「……護衛対象?」
「なんで二度言った」

 再び手刀を振り下ろされた。幸いにしてそれほど痛くはなかった。

「とにかく、僕た……僕が守らなきゃいけない人達の一人だよ」
「……ふーん」

 見ていた限りでは、カミュは誰かを抱えて飛んでいたように見えたが、そちらについてはグラァの知るところではない。
 パッと観察した限りでは、女性のように見えた。カミュは人懐っこい性格であり、誰とでも仲良くなれそうなので意気投合したのかもしれない。
 そこまで考え、今は戦の最中だよな、とその状況に疑問が浮かんだのだが、説得したのだと思うことにした。

「お前ってSPか何かなのか?」
「……えすぴー?」
「ガードマン」
「がー……?」

 聞き慣れない単語の連続に首を傾げると、ミチルは難しい顔になってこめかみに指を当てた。ミチルの國では護衛役をそう言うのだろうか。
 えすぴー。がーどまん。どちらかを選べと言われたら言葉の響き的に考えてがーどまんの方がまだ良さそうに思えた。

608命を捧げる ◆Ok1sMSayUQ:2015/03/14(土) 20:39:10 ID:uEQroVbk0
「軍人」
「……大枠だとそうなるかなあ」

 その枠に当てはめるなら、オボロ軍団の弓術隊隊長……という事になるのだろうか。グラァにその自覚は薄かったため、やはり自分では護衛というのがしっくりくる。
 弓と言えば、弓が手元にあれば良かったのにと今更ながらに思う。弓があれば、対応して矢を上空に打ち放ち、合図のようにすることもできたはずだった。
 弓と矢の調達は優先すべきかもしれない、と頭に入れたところで、とりあえずの納得を得たらしいミチルの目と目が合う。
 信じられない……。と訝るような目だった。侮られているとは思わなかったが、体格が小さめなのでそう見られるのは仕方のないことではあった。
 実際、上背だけ考えてもグラァは僅かにミチルよりも低い。

「これでも実戦経験は豊富に積んでるつもりだから」
「実戦……」

 だが、これでもグラァはトゥスクルの中でも最古参のうちの一人にあたる。弓を用いての中距離支援が主な任務だとはいえ、
 嵐のように矢が飛び交う戦場では流れ矢に当たって戦死というのも少なくない。戦いの中で、弓を使えず近距離戦闘をしたこともある。
 戦場では安全な距離など存在しない。剣を交える距離で、矢が降る距離で、それでもグラァは生き延びてきた。その実績と実力は、多少は結びついているはずだった。

「人を殺したことが?」
「あるよ。周りはいつも戦だらけだったし」
「……当たり前のように言う」

 そのつもりで言ったのだが、多少なりとも怯えた雰囲気がそこにあれば、期待していた答えではなかったらしい。逆を言えば、ミチルは戦のない國で生きているということなのだろう。
 戦が起こらず、人を殺めなくてもよい國。それはトゥスクルの皇ハクオロが目指している理想であり、グラァには不可知の領域であり、
 違うのだな、という感想に行き着くだけだった。
 羨望も、嫉妬もなかった。言葉通り生きている場所が違う。トゥスクルでさえ、非戦闘員であっても戦に巻き込まれる例に暇がない。
 略奪の横行、家を失くした民が野盗になる。その手の話は吐いて捨てるほどどこにでも転がっていて、グラァ自身もそうした環境の中から生まれてきた。
 それが当たり前だったから、ない、というものを想像もできなかったのだった。

「じゃあ、グラァの守りたい人が誰かに襲われたら……やっぱりその誰かを殺すか?」
「それは、そうすると思う」
「……敵だからか?」

 敵。これ以上ない程に分かりやすく示された単語に、しかしグラァはすぐ頷けなかった。
 その一語を飲み込んでしまえば、敵だと見做したもの全てを殺してもいいのだという考えが働きそうな気がしたからだった。
 最初に出会った己の半身にも等しい存在が、「若様以外の全ては必要ない」と見做していたように……。
 ではどう答えればいいのか。戦だから? それではドリィと同じだ。そうではないはずだ。
 ドリィと対峙することを決めたとき、ドリィの考えは分かっていながら首肯しなかったのは、敵だから、戦だからであるということを超えたなにかがあったからだ。
 それを口にしようとして――、遮られた。

『これから、この放送までに命を落とした者達を告げる』

     *     *     *

609命を捧げる ◆Ok1sMSayUQ:2015/03/14(土) 20:39:31 ID:uEQroVbk0
 内容を信じるなら、それは最悪の一言に尽きた。
 先ほど目撃したカミュの姉――オンカミヤムカイの第一皇女たるウルトリィ、トゥスクル皇ハクオロの実質的な親族に近いアルルゥ、
 ……そしてグラァの主であるオボロの、その妹君であるユズハが命を落としたらしい。よりにもよって、としか言い様がない。
 いずれも戦闘能力が低く、戦ともなれば真っ先に命を落としかねない人物ばかりで、誰かが護衛についていなければこうなるだろうという予感はあった。
 直接的な責任はないとはいえ、守るべき対象を見つけられないままこの時を迎えてしまったことは、グラァには痛恨事であった。
 まずいのは、今の通達で影響を受けるであろうカミュがどのような行動を起こすか予測できないことだ。
 通達はなされたとはいえ、にわかには身内の死を信じたくないというのが人というもの。事の真意を確かめようと動きを早めることもあり得る。
 そうなってしまえば合流はますます困難になる。今だからこそまとまって行動することが必要なはずなのに、離れられるとさらなる死を招きかねない。
 合流しなければ――。そう考え、ミチルにも促そうとしたグラァだったのだが、変化は既に彼女にも起こっていた。

「うそ……よっち……このみ……?」

 一目ではっきりと分かる、色をなくした表情。力なく垂れ下がる両腕。それはグラァにとって飽きるほどに見慣れた光景でもあった。
 焼ける家。血を流し、倒れ伏したままの大人の側で、その子供がひたすら体を揺さぶっている。着の身着のままで、ガリガリに痩せ細った老女が定まらぬ足をふらふらさせている。
 戦が起こる場所ではよく見かける光景だ。彼らは一様に、今のミチルのような表情をしているのだ。まるで禍の神がそうしたかのように皆精気を抜かれたようになる。

『親友なら、いるけど』

 少し話したとき、ミチルがそう言っていたのをグラァは思い出す。呼ばれたのだ。よりにもよって、とグラァは二度目の感慨を抱いた。
 付け加えなければならない。大切なものを失った人は、二種類に分かれる。目の前で起こったことを信じられず、泣き叫び、怒り狂い、目の前を否定しようとするもの。
 もうひとつは、まさに眼前のミチルがそうなっているように、一切の気力を削がれて虚ろとなるもの。
 ……そして両者に共通するものもある。
 それは、こうなるとしばらく人間としては使い物にならなくなることだ。
 まともな判断、まともな行動、一切合切が期待できない。民草に関わらず、兵士の間でもよくあることだった。
 グラァが経験則として覚えたことの一つに、こういうものがあった。
 そうなってしまった奴は捨て置いた方がいい。構うと余計な傷を追うどころか、致命傷にだってなりかねない。
 錯乱した奴の処置は自分が責任を負うところではないし、領分でもない。戦士の役割は敵を倒すことだ。だから、自分にはどうにもならないから捨て置く。
 ただ戦い続けてきたグラァの、それは鉄則にも等しいはずの経験則のはずだった。
 こうなってしまったからには仕方がない。連れて行く価値を失くした人の処置は自分の預かり知るところではない。
 ――では、それでは、敵とは何だ? 捨て置いて、誰を殺しに行く? 彼女は……誰が守ってくれる? 戦を知らない彼女を、誰が。
 離れれば、ふたりだったものはひとりだ。誰も助けてなんかくれない。

「……しっかりしろ!」

 グラァは、ミチルの肩を揺さぶった。刻がその間にも過ぎてゆく。彼女よりもよほど近しい人がすぐ近くにいて、探さなくてはならないのに。
 それでもグラァは、ミチルを一人にすることができなかった。理屈では辿りつけない正体不明の感情に突き動かされて、グラァは正気を呼び戻すように怒鳴った。
 優しい言葉なんて分からない。慰める術なんて分からない。ついこの間までただの戦士でしかなかったグラァは、感情に任せて動くことしかできなかった。

「このままでいいのか! このままだと、死ぬぞ! 何もできないまま!」
「あ……」

 怯えた視線がグラァを射る。先程とは全く別種の、虚無の底でうずくまりたい彼女の意思がそこに見える。
 見たくない。見させないで。憶測でしかないが、そういったものを含んでいた。
 知った事か。吐き捨てて、グラァは耳を塞ごうとするミチルの両腕を掴んで言葉を続ける。

610命を捧げる ◆Ok1sMSayUQ:2015/03/14(土) 20:39:54 ID:uEQroVbk0
「目を閉じて耳を塞いだらそこまでだよ……!」
「そんなのは……っ!」

 分かっている、とでも言いたげに掴む腕を振り解こうとしたが外れない。外さない。
 細腕に似合わぬ相当な力に一瞬たじろぐ挙動を見せたミチルだが、雰囲気は変わらなかった。
 むしろ、グラァを忌々しく思う感情が上乗せされたようで、下唇をぎりっと噛んで「分かるもんか」と震える声で抵抗する。

「人を殺すのを当たり前にしてきたお前に……しん……」

 そこまで言い、後は言葉にできなかったミチルは、打って変わって途方に暮れたような表情となってうなだれた。
 親友を失った私の気持ちが分かるもんか。類推するに、そういうことを言いたかったのだろうとは伝わる。
 言い淀んだ理由までは分からなかったが、少なくとも発せなかったのは、彼女がやさしいからなのだろうとグラァは思った。
 恨み事すら満足に吐けないやさしさ。きっとそれは彼女だけが持ちあわせているものではなく、彼女の國に住む人に基本的に備わっているものなのかもしれない。

「……僕は、敵を殺しに来たんじゃない。君を、ミチルのような人を守るためにここにいる」
「なにを……」
「『敵だから殺すのか』……。その答え。敵と見たら殺して、そうでなくても邪魔なら放置して、それじゃあいつと変わらない……」

 ミチルと視線を合わせる。うなだれていたので腕を拘束しつつ見上げるようなおかしな格好になってしまっているが、この答えだけは正面から伝えなくてはならなかった。
 命令ではなく、大義名分のもとにではなく、己自身で考え出した答えだった。

「僕は確かに、殺すことを何とも思ってないけど……。誰のために命を使うかは僕が決める。多分、これは、命令でも変えられない」
「……なんで、私なんだ」
「なんで……?」
「よっちもこのみもいなくなって、もうどうすればいいか分からない私に、何の価値があるんだ。私より大切な人だってグラァにはいるだろう……?」

 それでも、私を守りたいって言うのか。途方に暮れたままの、親を失くした子狐のような瞳がグラァを見据える。
 確かに、それはそうだ。ミチルは出会って間もない上、重ねられた恩の数で言えばオボロにも遠く及ばない。
 グラァの知る価値観で言えば、ミチルの順位など下から数えたほうが早い位置でしかないのだろう。

611命を捧げる ◆Ok1sMSayUQ:2015/03/14(土) 20:40:10 ID:uEQroVbk0
「……でも、ゆっくりいこうって、言ってくれたから」

 きっと一人のままであれば。やっぱりあの時言われたことは正しかったのではないかと思い、敵は誰なんだ、殺すべきは誰だと考えていたのかもしれない。
 ミチルがそれを押し留めてくれた。ミチル自体に価値はなくとも、彼女はグラァの価値観を変える切っ掛けになった。

「無理は良くないって、言ってくれたから」

 グラァがそう言うと、ミチルは目を見開き、やがて何かを悟ったような顔になって「酷いことを言う……」と呟いた。

「そんなことを言われれば……立ち上がるしかなくなる……」

 殺し文句だ、と付け加えられた。グラァ自身にそこまで気障なことを言った覚えはなく、ミチルの声に戸惑うしかなかった。

「離して。もう平気……、それに、近い」
「あ、ああ……」

 言われてみれば、両腕を拘束した挙句に息のかかる距離まで近づいて話していた事実に気付き、グラァは慌てて手を離して距離を取った。
 もしかすると、状況があまりにも気障なのではなかったか? 思い返せばそんな気がしないでもなく、グラァは赤面する思いがこみ上げてくるのを感じた。

「……そっちが照れてるのはおかしい」
「い、いや……」

 言葉に出来なかった。それを見て取ったミチルが、苦笑混じりではあるが表情を崩す。
 色が戻った彼女に安心する思いが生まれないではなかったが、それ以上に落ち着かなければいけないのは自分だと言い聞かせ、
 グラァは染まりかけた顔を二、三度叩いて仕切りなおすことにした。

「……本当にもう大丈夫? 僕についてこれる?」
「平気……。そっちこそ、私についてきていいのか?」

 一瞬首を傾げたが、合点がいった。ミチルを守ると言ったのだから、形式的にはグラァがミチルについていくということなのだろう。
 もちろん彼女だって本気でそう思っているわけではないだろうが、一歩先に進むための、それは儀式のようなものなのかもしれなかった。

「うん。僕が君を守る」

 だから簡潔にそう言ったグラァだったが、あまりに真っ正直に言ったからなのか、ミチルは少し戸惑い、それでも嫌ではなさそうな微妙な表情になった。
 慣れていないのかもしれない。

「……やっぱり、殺し文句だ」

 ぼそりと、返事なのか独り言なのか分からない言葉が来るだけだった。

612命を捧げる ◆Ok1sMSayUQ:2015/03/14(土) 20:40:24 ID:uEQroVbk0



 【時間:1日目午後18時00分ごろ】
 【場所:C-6】


 グラァ
 【持ち物:ベナウィの鉤槍、水・食料一日分】
 【状況:健康。守れる人を守る。17:30ごろC-5上空に見えたカミュともう一人に合流する】


 山田ミチル
 【持ち物:コルト ガバメント(9+1/9)、.38Super弾×54、水・食料一日分】
 【状況:健康。グラァについていく】

613 ◆Ok1sMSayUQ:2015/03/21(土) 17:35:29 ID:sxrvJTLI0
ゲリラ投下します。
ベナウィ、長谷部彩、九品仏大志、栗原透子で。

614遭遇は光の中で ◆Ok1sMSayUQ:2015/03/21(土) 17:36:05 ID:sxrvJTLI0
 戦はどこにだって転がっている。
 それはベナウィという男が、物心ついてから初めて理解したことだった。
 武人の家系に生まれたベナウィは、幼いうちから戦場に連れて行かれ、実戦を間近で見ながら育ってきた。
 武勲を上げて一族を繁栄させてきた家の、一種の習わしのようなものだった。
 戦術、戦略を書から学ぶ一方、時には兵に混じって実戦経験を積み、名実ともに大将となっていく。
 なぜ、どのようにして戦が起こるのかを考える時間はなかった。いや、当たり前のように戦が起こりすぎていて疑問に思う余地もなかった。
 あることが当然であり、考えるべきはどのようにして敵を倒すか、我軍の損害を減らすか。効率的に殺していくことが功績に直結していた。
 まだトゥスクルという國がケナシコウルペという名前であったころの、ベナウィという男はそれが全てだった。

     *     *     *

615遭遇は光の中で ◆Ok1sMSayUQ:2015/03/21(土) 17:36:26 ID:sxrvJTLI0
「……尋ねたいことがあります」
「……はい?」

 無言の時間をしばらく続けたかと思えば、藪から棒にというように口を開いたベナウィに、隣を歩く少女、長谷部彩は少し当惑したような顔になっていた。
 彼女が泣きはらしてから、落ち着く時間を取って、また人探しのために歩く。それまで必要なことしか聞いてこなかったのだから当然の反応だと言えたが、
 ベナウィ自身、なぜこの時に、という気持ちがないではなかった。それでも質問の口を開かせたのは、昔、家族に連れられて歩く時間があったことを思い出したからか。

「貴女の國には、戦はないのですか」
「……ない……ですが」

 質問の意図が分からないというより、なぜ今、という語尾の濁し方だった。
 そう思うのも当然だったが、まさか自分の後ろをついてくる彩に幼年の日の己が重なったとも言えず、
 ベナウィは「貴女も私に國のことを聞いた」と返した。「私も気になったからです」と重ねると、ようやく彩は納得したというように、夜明かりに僅かに浮かんだ影が動いた。

「……平和だと思います。最後に戦争が起こったのが60年ほど昔で」
「そんなに……」

 流石に舌を巻く。それだけの期間戦がないというのは相当に政治手腕が優れているか、他を寄せ付けない軍備があるということなのだろう。
 市井の民であると思われる彩でさえ高い教養を備えている様子がある以上、國民の教育も行き届いており、かつ内容も充実しているということなのだろう。
 ハクオロ皇が常にから語る國のあり方。彩という少女は、それを体現しているかのように思えた。
 だが、ベナウィが聞きたかったことはこれではない。

「では、國を守る軍はどのようになっていますか。やはり強大な武力があって、それが抑止力になっている?」
「軍隊は……、ええと、厳密に説明するとあまりに時間がかかってしまいます……から、要点だけ言うと、
 あるにはありますし技術力という点でも世界に比肩するものですが、核のような絶対的な抑止力というものではなく、あくまで通常兵器に収まっている形で……あ」

 こめかみを摘んでいるベナウィを見て、これでも難しい内容を喋りすぎたと思ったのか、彩は済まなさそうに身を縮こませた。
 気にしていないという風に手を振ると、彩はふるふると首を振った。

「……つまり、軍はあるにはあるが、突出したものではないと?」

 こくこく、と。理解できる言葉をつまんで要約してみたのだが、合っていたらしくベナウィは息を吐く。
 ならば外交手腕が優れているのだろうが、それにしても気になる点が多い。カク、というもっと上位の武力がありながらそれは手にしておらず、
 口ぶりからして軍備は最小限に抑えているかのようにさえ感じられる。まるで国力はあるのに軍備の縮小をしなければならないといった風だ。

「では、武勲はどうやって立てているのでしょうか」
「……というと?」
「戦もなく、武人が繁栄できるわけがない。であれば何か他の手段で武勲を立てているものかと……」
「……それは、分かりませんが」

616遭遇は光の中で ◆Ok1sMSayUQ:2015/03/21(土) 17:36:47 ID:sxrvJTLI0
 そこで彩は一旦口を閉じた。或いは、そのまま黙っていようと思ったのかもしれない。口を開きかけては閉じる動作を何度か繰り返して、
 それでも、というように。

「戦いがなければ繁栄できないというのは……悲しいように思います」

 恐らくは、口にしてしまえば自分達の間に変化を起こしてしまうだろうとは分かっていたはずだった。
 逡巡していたのはその証に他ならない。
 侮辱しているわけではないとは分かっていた。
 己の考えを口に出しただけだということも。

「貴女は、残酷なことを言う」

 しかしベナウィもまた、これを口にしないわけにはいかなかった。
 血を流して家を育ませることを信条としてきたベナウィにとって、紛れも無く彩の言葉は痛恨だった。
 彩の住む世界ではそのような生き方は認められたものではないと知って、鉄面皮は貫けなかった。

「そのようにしか生きられない者もいるというのに」

 言わなくても済むことを口に出してしまう。トゥスクルでさえやってこなかったことだ。
 何故だ? 肚の底から沸き上がる正体不明の感情が止まらず、その事実にベナウィは困惑していた。
 彼女とは生きている世界が違うと、最初の邂逅で理解していたはずではなかったか。価値観が違うと納得したはずではなかったか。
 その上で付き合い方を考えると、そのように決めたはずではなかったか?
 なのに自分は……識ろうとしている。近づこうとしている。それが己を焼き焦がすと知っていながら……。

「……生き方はひとつじゃない……はずです」

 自身を灼く炎から離れるには、消してしまえばいい。最後の理性を働かせ、鉄面皮を取り戻そうと放った言葉の槍は、しかし容易く受け止められた。
 押しこめばそのまま萎んでしまうだろうとばかり思っていた彼女は――、想像していたよりもも遥かに強い力を以って反発してきた。
 ベナウィはさらに何かを言葉にしようとしたが思いつかず、思いつこうと考えていること自体が不毛な行為だと悟る。
 やめよう、と思った。何を言っても無駄だからと思ったのではなく、好きにさせようと思ったのだ。
 言葉を口にすることが一種の刃となり、傷つけかねないということを承知の上で彩は紡いだ。
 武器を取っていなければ生きる術を知らぬ自分に。恐らくは彩自身も、それが己の身を焼き焦がすと分かっていて、だ。
 まったく、厄介なものに出会ってしまった。
 本心からそう思ったものの、嫌悪感を覚えていない自分もどうかしているという気持ちもあり、強引にでも締めくくってこの時間を終わらせようかと思案した矢先、
 突如として目の前が、弾けた。

「ハーッハッハッハ! そこの実に愉快な格好をした、喩えるならばMr.ブシドー! 貴様には実に興味をそそられるぞ!」

 強引に締めくくられた。

     *     *     *

617遭遇は光の中で ◆Ok1sMSayUQ:2015/03/21(土) 17:37:14 ID:sxrvJTLI0
「くくく九品仏さぁ〜ん! やめましょうよぉこんなの!」
「何を言うか栗原女史! こんなものがあればこう使わないわけにはいくまい!」
「で、でも危険ですってぇ! ほら今の人、目が、目が! ひぃ!」
「慌てるな愚か者! 探照灯に照らされて目を細めているだけだ! 状況は我軍有利!」

 ……端的に言うと、屋根の上からベナウィがサーチライトで照らされているのだ。
 本当に唐突なタイミングだった。そのようにしか生きられないと言われ、身体の奥底が跳ね上がったかと思えば自分でも想像できないような台詞を言って、
 自分自身どうしよう、と軽くパニック状態になりかけていたところに降って湧いた闖入者。それがサーチライトと共に一戸建ての民家の屋根上に陣取る二人組だった。
 逆光のせいで彼らの姿は全く分からないし、咄嗟に盾となっているベナウィが前に出させてくれないせいで状況がどうなっているのかも分からなかった。
 が、会話を聞く限りでは片方は全く知らされていなかったようで泣きそうな声でもう片方を諌めて……諌めていると彩は思うことにした。

「ああぁこんななら支給品の中身なんて見せなければ良かったよぉ……」
「役に立っているではないか。夜分にはまさにうってつけの代物! これを授かった栗原女史は夜の女王!」
「何ですかそれぇ!?」

 ……そして件の二人組は、自分達を全く無視して喋っている。

「アヤ、怪我はありませんか」
「え、あ……はい」

 先ほどの微妙な空気をまるで感じさせない風に、ベナウィは彩を守ってくれていた。
 半分以上は本能というか、身体が動くに任せてやったことであるのだろうし、案じてくれているということに驚嘆を覚えるくらいだったのだが、
 実際のところはサーチライトで照らされているだけなので真面目に心配されると申し訳ない気分になってしまう。

「この光の術、直接害を与えるわけではないようですが……」
「えっと」
「光量が強すぎて敵の正体が掴めません。一先ず射線から離れるのが先かと」
「あの」
「敵の狙いが分からない以上、ここに留まるのは危険です。私が隙を作りますからその間に撤退します」
「……はい」

 あまりにシリアスな声で言うので、彩は思わずそう言ってしまった。

618遭遇は光の中で ◆Ok1sMSayUQ:2015/03/21(土) 17:37:39 ID:sxrvJTLI0
「あーあー! 聞こえているかそこの二人組! 我輩は九品仏大志である!」
「……私はトゥスクルが侍大将、ベナウィである。わざわざ名乗るとは自信家のようですね」
「ほほう! 侍大将! なるほど面白い、その格好は伊達ではないというわけだな?」
「試してみますか?」
「いいや結構」

 ベナウィが曲がりくねった刀身の剣――確かフランベルジェと言うのだったか――を構えかけようとしたのを見て取ったのか、
 最初よりは幾分か落ち着いた声が返され、サーチライトは消えた。何となく彩はホッとしてしまう。
 必要以上に警戒するベナウィを見ることがなくなったからかもしれない。

「何故攻撃を止める?」
「貴様が仕掛けてくる気配がなかったからだ。必要がなければ攻めない相手とは交渉の余地がある」

 逆光がなくなったからか、徐々に話している相手の姿が見えてくる。それでも夜の闇に紛れてはっきりとは分からないものの、
 一人はスーツスタイルの男に、もう一人はセーラー服を着た女だと知れ、彩はほんの少し安堵する思いがあった。
 ベナウィがまともでないというわけではないが、ここにやってきてから初めてまともな……。
 彩は無言で首を振った。これがまともであると認識してしまえば何かが狂ってしまう気がしたからだった。

「さ、最初から話し合いする気があるならそうしましょうよぉ……」
「馬鹿者。暢気に話しかけてそいつがはいそうですか話をしましょうと言ってくる保証があるか。現に栗原女史も見ているのだろうが」
「それは……」

 女の方が項垂れるような格好になった。元々男の方の服の裾を必死に掴んで屋根から落ちないようにしていたらしく、
 傍目から見ると情けない姿であったが、彩の立場も似たようなものだったし、むしろこの男に振り回されているのであろう境遇に大変そうだ、とすら思っていた。

「なるほど。先ほどの光の術は様子見だったと」
「然り。目眩ましにもなるしな。いざとなれば消して闇に紛れ逃げれば良いと判断したまでだ。もっとも、我輩の辞書に敗北の文字はないがな!」

 そして男は高笑い。こんな声を出していれば他の誰かに気付かれそうなものだった。
 ベナウィもそれに気づいていないはずがなく、「……詰めの甘そうな男だ」と零していた。彩も同調してしまった。

「さて交渉の時間と行こうか。単刀直入に言おう。情報の交換……と言うほどではないが、各々の現状を確認し合う気はないかね?」
「そうする目的と、こちらに対する利を説明願いたいものですが」
「流石に慎重だな」
「油断や慢心は死を招きます」

 フン、と鼻息を荒くした様子で、男は話を続ける。

「話をしようと言ってはいそうですねと乗ってくる保証がないように、たとえ殺し合いをして最後の一人になったところで帰してくれる保証もない。
 なればこそ我輩は取るべき道を探さなくてはならん。殺し合いをするべきか、脱出するべきか。
 選択肢はどれほど存在するのかをな。ゆえに情報が欲しいのだよ、分かるか侍大将?」
「え……九品仏さん、まさか殺し合いをするのを考えて……だってさっきは世界征服って」
「おい! 真の目的を軽々しく話すな馬鹿者!」

619遭遇は光の中で ◆Ok1sMSayUQ:2015/03/21(土) 17:38:03 ID:sxrvJTLI0
 そして男は女の頬を引っ張り始めた。情けない調子で「ごめんなさい」と思しき声まで聞こえる。
 ベナウィが神妙な顔をして彩の方を向いた。明らかに興醒めしたような様子だった。

「あの男は馬鹿かうつけ者か、判断に困るのですが」
「……お話は聞いてあげた方が……」
「あれと比較するのは失礼極まりない気がしますが、最初に出会えたのが貴女で良かった気がします」

 彩がベナウィの立場でも間違いなくそう思っていたはずなので、彩は特に何も言うことが出来なかった。

「貴様の目的が何であろうと知ったことではありません。が、時間を浪費しているような余裕も無い。
 話は聞きますが間違っても協力する気はないと思っていただきたい。よろしいか?」
「フン、構わんよ。こちらも無闇に同志を増やして大名行列するような趣味もない。純粋に情報交換をしたいだけだ。では場所を移すか」
「そうして貰いたいですね」

 女の頬を引っ張る格好のまま返答が来る。女の方は仲間が増えないと知って若干表情に失望の色が灯っているような気がしたが、気のせいだろう。
 そういえば、と彩は今更ながらに男の声はどこかで聞き覚えのあるような、という引っ掛かりを覚えていた。

     *     *     *

620遭遇は光の中で ◆Ok1sMSayUQ:2015/03/21(土) 17:38:20 ID:sxrvJTLI0
 死んだ。木田君が。
 意地悪で乱暴で……それでも私にとっては数少ない繋がりのひとつだった木田君が、死んでしまった。
 それなのにさほどのショックもなく、「死んじゃったんだ……」の一言で済ませてしまったのはもう心が麻痺しているからなのかもしれない。
 だって、始まって早々に私の見ているところで、楽しそうにお話してたのに殺して、そういう人がいて。
 でもどこからともなく現れた、ドラマでしか見たことがなさそうな九品仏さんという人が現れて。世界征服をするなんて言い出して。
 半分、夢の中の世界にいるような感じだったから木田君の名前が呼ばれても響かなかったのかもしれない。とってもたちの悪い夢ではあるけど。

 九品仏さんはどうなのだろうと少し様子を伺ってみたりしたのだけど、特に顔色は変わることはなく……、ううん、石のように固かった。
 世界征服だなんて言ってたから、人がたくさん死んだぞ、って喜んでるイメージがあったけど、それはとても失礼な想像だった。
 頭のおかしい人だけど……、人、なんだな、って思った。
 そんなよく分からない九品仏さんだからこそ、私は安心する気分が生まれていた。なんというか、生々しくないのだ。でもおかしくはない。
 自分自身でさえ言葉にできるかどうか……ううん、きっとしーちゃんあたりなら上手にやってくれるんだろうけど、私には分からない。
 分からないけど、九品仏さんには、もう少しついていっていいと思った。ついていくしかないじゃなくて。

 しばらくすると、九品仏さんは「栗原女史の持ち物はどうか」と尋ねてきた。ふぇ、と返すと、「そろそろ動かなくてはな」と言った。
 世界征服のためにな! と付け加えて。そして高笑い。やっぱりこの人はおかしいんじゃないかと少し思ったけど、私は何の含みもなく持ち物を出していた。
 やっぱり、そうするしかないから、という気持ちはなかった。自然にそうしていたのだった。
 出てきたものはサーチライト。手に収まるほどの携帯小型サイズで、試しにつけてみるとすごく眩しく輝いた。
 これならそんな暗闇だって照らせるだろう。明かりのない場所でも大丈夫かな、となんとなくそんなことを思っていると、
 でかしたぞ、栗原女史と九品仏さんが褒めてくれた。偶然とはいえ、これを持っていたことでまた少しの間見捨てられなくて済む。ホッとした。
 そう思っていたところで、九品仏さんがニイッ、と悪役のような笑みを浮かべた。
 見捨てられなくて済むけど、とんでもない泥沼に足を踏み入れてしまったんじゃないか、という確信があった。

 実際、とんでもない泥沼だった。
 やっとまともそうな人達と出会えたと思ったのに「間違っても協力する気はない」と正面切って言われてしまった。
 頭のおかしい集団だと思われたのだろう。私もそう思うよ。
 見捨てられたくない……はずなのに、見捨てられたいというか、もうなんというか、助けてよぉ……しーちゃん……。
 九品仏さんに散々弄られたほっぺをさすりながら、私はまだ生きている友達の名前を呼んだ。

621遭遇は光の中で ◆Ok1sMSayUQ:2015/03/21(土) 17:38:40 ID:sxrvJTLI0




【時間:一日目 午後7時30分ごろ】
【場所:F-1】

ベナウィ
 【持ち物:フランベルジェ、水・食料一日分】
 【状況:健康 彩と共に行動】

長谷部彩
 【持ち物:藤巻のドス、救急セット、水・食料一日分】
 【状況:健康、ベナウィと共に行動】


九品仏大志
 【持ち物:水・食料一日分】
 【状況:健康】

栗原透子
 【持ち物:サーチライト、水・食料一日分】
 【状況:軽い恐慌】


4人の簡単まとめ:
場所を移してそれぞれ情報交換をする。
それぞれ話はするが一緒に行動するつもりはない。

622戦斗、夜叉と合間見ゆ ◆Ok1sMSayUQ:2015/03/27(金) 23:41:06 ID:ISb2WrHg0
 簡単に言えば、そう。思うところがあったからだ。

「んじゃまあ、ここでお別れだ」

 しばらく時間が経過し、千堂和樹がようやく落ち着いたころを見計らって、クロウはそう切り出した。
 唐突な別れを告げられ、和樹は、いや、彼が連れている二人の少女共々不意を突かれたような驚愕の表情を見せる。

「ちょ、ちょっと待てよ。どういうことだ」
「どうもこうもねえな。俺が動くには邪魔ってとこだ」
「なに……!?」

 邪魔、の一語を聞き取った瞬間、和樹の声色が怒りとも悔しさとも取れる、感情を大きくした声で聞き返す。
 河南子は予想済み、先刻承知といった色を崩さず、しかし呆れたような冷ややかな目を寄越す。もっと言い方ってもんがあるでしょ。
 言葉にするとそんなところだろうが、生憎クロウという男は言葉を選んで喋れるような繊細さは持ち合わせていない。そのようにしか生きられない男だった。

「まず俺には探してるヤツがいるが、そいつはかなりの手練れでな。あんたらを連れて追跡できる余裕がねえ」
「……待てよ、それは」
「二つ。とりあえず何か言うのは全部聞いてからにしてくれ。そいつは既に一人殺ってる。そこの直情女はともかくあんちゃんが連れてる女の子二人は弱い。
 悪いが襲われた場合、まず間違いなく殺られるな。正面切って挑まれるならともかく今のヤツは手段を選んでいない」
「ヘイおっちゃん、直情女って誰のことかな」
「三つ。そもそもの話、俺は誰かを保護しようなんて気はサラサラねぇんだ。情報が欲しかっただけだしな。俺の仕事は――」
「ヲフ」
「……ひ、人殺しだ」

 シャベルという、地面を掘る道具(河南子に教えてもらった)の切っ先を和樹に向け、脅すつもりで言おうとしたのだが、
 決めようとした瞬間を見計らったかのように犬が足元に擦り寄ってきたものだから気勢を削がれた。
 犬はまあ落ち着けよとでも言うようにクロウの足に頬ずりしている。「おっちゃんカッコ悪い」河南子の野次が聞こえたと同時、場に失笑が起こった。
 てめぇのせいだぞこん畜生。憎々しげに犬を睨んだクロウだったが、犬は舌を出して平和そうな顔を向けるだけだった。

「おっちゃんカッコつけて嘘つかなくていいっしょ」
「本気だよ本気! 後何度言わせんだ! オッチャンじゃねえ!」
「まーまー。後はあたしが代弁したげるから」

 まさか犬をけしかけたのはてめぇじゃねえだろうな。そんな風にクロウが思っていると、河南子がニヤと意地の悪い笑みを浮かべた。
 こいつ……。直情性悪女だと印象を新たにして、「勝手にしろ」とクロウは憤懣やるたない様子を隠しもせず腕を組んだ。
 食って掛かろうとしていた和樹も気勢を削がれており、西園美魚と姫百合珊瑚の二人に至っては口元を隠しつつもくすくすと笑っている。
 こうするのも河南子の狙いだったと思うと癪な気分になるので、舌打ちだけはしておく。

「おっちゃんの言ってることは嘘じゃないよ。ああいやおっちゃんが探してるヤツが人殺してるってとこね。少なくともそいつは止めなきゃなんだけど、
 言い方から察するにおっちゃんと同じくらい強いらしーんだよね。君ら、あの筋肉ムキムキマンに勝てると思う?」

 いや、と和樹たちは素直に首を振った。

「だから、おっちゃんは身体張って君らを守ろうとしてるってわけ」
「……それは」
「君らが強くなるまでの間ね」

 和樹が何か言おうとしたのを遮って、河南子はそう続けた。それでいいだろ、と目で言われればクロウも納得せざるを得ず、好きにしろと手を振ってやった。
 後々厄介事を抱えることが確約され、どうにでもなれという気分と、穏便に収まるのならいいかという気分がない交ぜとなり、溜息も出てしまったが。
 一方の和樹は弱いのなら強くなれ、と当たり前の正論をぶつけられては納得しないわけにもいかず、「……分かった」と返事をする。
 様々なものは含んでいるのだろうが、今はそれで収めておくといった和樹の態度に、クロウは意外という感想を抱いた。

「絶対強くなって、今度はあんたと対等に話せるようになってやる」
「……勇ましいね」

 河南子の肩越しに和樹から言われても、クロウは無表情に返す。失笑はなかった。恐らく、きっと、正しい道を歩けばこの男は逞しくなるだろうという予感があるからだった。
 こういう男を部下に持ちたいものだとしみじみと思ってしまう。しごきがいのある新兵というものはなかなか見つからないものであるからだ。

623戦斗、夜叉と合間見ゆ ◆Ok1sMSayUQ:2015/03/27(金) 23:41:33 ID:ISb2WrHg0
「そんじゃま、話はついたってことにしとくぜ」

 そのまま話を続けると未練が出てきそうだったので、クロウは話を切り上げ、踵を返して山を降ろうとする。

「うむ、キミらも頑張りなよ。行こうかおっちゃ――」
「テメーはこっちじゃねぇ向こうだ!」

 ずけずけと隣に並ぼうとした河南子の肩をぐいっと掴んで和樹側に押し出す。
 乱暴に突き飛ばされた河南子はたたらを踏みながら「何すんじゃこのアホ!」とクロウを睨む。

「お前があんちゃん達を守ってやるんだよ」
「えー! あたしはおっちゃんと一緒がいい! チャンスが巡ってきたときすぐにぶっ飛ばせないよ!」
「ふざけてんのかお前……アレの色バラすぞコラ」
「ごめんね今すぐぶっ飛ばすわ」

 笑顔になった河南子から放たれた鋭い回し蹴りを、クロウは軽い調子でいなす。そのやりとりを唖然と見守っていた和樹たちだったが、
 やがて見ている場合ではないと思ったのか次々に口が開かれる。

「ちょ、ちょっと待てよ! 河南子さんはあんたの仲間だろ?」
「そ、そうや。そこまでしてもらうのも……」
「……お気遣いは、ありがたいのですが」
「そーだそーだ!」

 そこに交じる河南子。これ以上喋らせるとしっちゃかめっちゃかになりそうだったので、「だーもう!」とクロウは周囲に響くことを承知で叫んだ。

「兄ちゃんはそこの嬢ちゃんから学べってんだよ! 本気で強くなりたいんなら学べ! 盗め! 自分より格上からモノにしろ!」

 殆ど怒鳴り声だったためか、美魚や珊瑚はともかく、和樹も河南子でさえも勢いに飲まれてたじろぐ。
 ここまで言うつもりはなかったんだよクソ、と内心に毒づきながら、最後のお節介だと言い訳をして、頭をがしがしと擦りながらクロウは続ける。

「そういうワケだから、聞き分けろ、な」

 口を開こうとして、しかし口を閉じる河南子。もう蹴りは飛んでくる気配もなく、不満そうな顔が残るだけだった。
 それでも聞き分けてくれたことには変わりなく、クロウは河南子の頭を撫でながら「頼むぜ」と言ってやる。
 河南子は気に入らなさそうにクロウの腕を跳ね除けて、「ずるい」とだけ言って和樹たちの元に歩いて行った。
 和樹たちも反論の言葉もなく、じっとクロウを見るだけだったが、河南子と並んだのを切っ掛けにしたように軽く頭を下げる。
 いらねえよ、と首を振って。クロウは改めて和樹たちの元から去っていく。視線を感じたが振り返らなかった。本当に甘っちょろいヤツ、という感慨を抱いて、
 やはり未練が残ったじゃねえかと苦笑を浮かべる。その甘っちょろさがどこまで続いて、どんな強さを得るのか見てみたくなってしまっていたのだった。

「ま、それは置いておいて、だ」

 駆け足に山を下る。急な勾配であるにも関わらずクロウの足取りは軽い。夜の闇が深くなってきているにも関わらず、木々の間から差し込む僅かな光を頼りに軽快に足を運ぶ。
 それはクロウが鍛え上げ、実戦でも培ってきた肉体があるからだけではない。匂いがあった。殺気があった。迂闊なくらいに、ダダ漏れさせていた。
 いる。必ずそこにいる。機を窺っていたそれは、しかし一つだけ別れ、回り込むようにして背後から寄ってくる気配に気付いたようだった。
 だろうな、とクロウは確信する。和樹たちと話している間から気配はあった。追跡されていたらしかった。さらに闇が深まるのを待って仕掛けるつもりだったのだろうか。
 その判断は正しい。いくら多人数であろうが、夜の闇は知覚を脆弱にする。不意打ちのひとつでも仕掛けられたら数の利は用を為さない。
 だが。気付いてしまえば話は別だ。仕掛けられる前に仕掛ければいい。完全な夜を迎える前に。これは逃がすための囮ではない。勝つための策だ。
 捨て駒なんて真っ平御免だ。俺が殺るんだ。戦ってのはそうだ。大義のために命を捨てるなんてお為ごかしだ。俺が殺りたいと思ったから、戦は始まるんだ。

624戦斗、夜叉と合間見ゆ ◆Ok1sMSayUQ:2015/03/27(金) 23:41:56 ID:ISb2WrHg0
「そうだろ、トウカよ」
「……やはり貴殿は一筋縄ではいかんか」

 獰猛な笑みを浮かべたクロウの目の前に居るのは、茫漠とした、さながら亡霊のように佇む剣士である。
 辱を濯ぐべき相手の名を、トウカと言う。

「死にたそうな顔してんな。俺が楽にしてやろうか?」

 クロウは戦意を高揚させるつもりで挑発してみたのだが、トウカは口元を少し歪めただけで、そこには卑屈ささえあった。
 気に入らない。その一投足を見ただけで、クロウはまともな戦いにはならないだろうと予感できた。

「楽になれるならばそうなりたいものだな」
「お前さんらしくないな。いつもなら『某を愚弄するか』とかなんとか言ってよ、馬鹿正直に怒るところだぜ?」
「そんなことをする某はもう死んだ。今あるのは、主上の刀となり、目の前の敵を叩き切る某だけ」
「……気に入らねえ」

 エヴェンクルガ族の性のようなものとはいえ、ここまで紛い物の忠誠心を前面に出されると虫酸が走る。
 少なくともクロウの知るトウカは、忠誠心と己の欲は両立させていた。大義を口に出しながらも、武人として血を滾らせることも追い求めていた。
 今のコイツは、完全に自分を殺してやがる。気に入らねえ。もう一度口中に吐き捨て、なら腐った性根でも叩き直してやるかとでも思ったクロウに、トウカは嗤った。
 そうすることでしか現在を認知できない、世の中を心底見限っている者の嗤いだった。

「気に入らないで済むといいがな」
「……お前、誰を殺った」

 言わなければいいと分かっていながら、クロウはそう口にすることを止められなかった。
 既に一人は殺しているトウカが、さらに手を血に染めることは見えている。誰がそうなったのかまで知る必要はない。
 それは戦場に余計な感傷を持ち込む――。

「エルルゥ殿だが」

 ――知ったことじゃねえ。

「ああ、そうかい」

 口調は冷静だった。
 だがひどく煮え滾っていた。

「決めたわ。お前、殺すぜ」
「手合わせ願う。誰にも邪魔されない決闘だ」
「決闘? 何言ってんだ」

 せせら笑い、クロウは肩に抱えていたシャベルを振り下ろし、地面に突き刺す。
 それが合図だった。斜面を滑り降りてくる影がもう一つ――。四足歩行で毛むくじゃらの、それは獣だった。
 クロウに付き従う彼の名は、ゲンジマル。

「殺し合いだよ。手段は選ばねぇ。裏切り者はどうやってでも処分するってな」
「ヲフ」

 そしてシャベルを抜き、ありったけ殺意を秘めた視線ともどもトウカへと向ける。
 宣戦布告だった。身内の恥は身内で濯ぐ、クロウの誓いであった。
 トウカがどのような思いで皆の『母』であったエルルゥを殺害し、自らに見切りをつけたのかは知る由もない。
 それが何だ。越えてはいけない一線を踏み越えた者に、同情や憐憫などは与えるだけ無駄だ。かつての仲間は、今は叩くべき敵だった。
 クロウへと返される冷笑。できるものかと言っているようだった。

「やってみろ。某もまだ、殺すべき者がたくさんいる。貴殿とはもはや背負っているものが違うのだ」

 裏切りの言葉にも反応しねえか。
 木で出来ていると思しき刃を腰だめに構え、いつもの抜刀術に入ったトウカに、クロウも応じた。
 悪いな、ちょっとだけ付き合ってもらうぜ。その思いが伝わったかは分からなかったが、隣に立つ相棒からは荒く鼻息が吐き出された。
 却って、頭を冷やしてくれた。

「来いよ。――ブッ潰す」
「では。――参る」

625戦斗、夜叉と合間見ゆ ◆Ok1sMSayUQ:2015/03/27(金) 23:42:20 ID:ISb2WrHg0




 【時間:1日目午後7時00分ごろ】
 【場所:E-5】

千堂和樹
 【持ち物:槍(サンライトハート)水・食料一日分】
 【状況:健康】

姫百合珊瑚
 【持ち物:発炎筒×2、PDA、水・食料一日分】
 【状況:健康】

西園美魚
 【持ち物:水・食料一日分】
 【状況:健康】

河南子
 【持ち物:XM214”マイクロガン”っぽい杏仁豆腐、予備弾丸っぽい杏仁豆腐x大量、シャベル、アイスキャンデー(クーラーボックスに大量)水・食料二日分】
 【状況:健康】


【時間:1日目午後7時00分ごろ】
【場所:F-5】

トウカ
 【持ち物:木刀、サクヤの支給品、銀のフォーク、UZI(残弾零)、予備マガジン*5、水・食料三日分】
 【状況:健康】

クロウ
 【持ち物:不明、シャベル、アイスキャンデー、ゲンジマル、水・食料一日分】
 【状況:健康】

626スラップスティック ◆Ok1sMSayUQ:2015/04/02(木) 20:20:39 ID:x8I3UeQo0
 会いたい、と思って会えたのは。
 きっとそれは運命的なことで、本当は素敵なことなんだろう。
 再会を喜んで、ひょっとしたらハグなんかもしちゃったりして。
 そんなこと、あるわけがなかったのに。あたしはここに生まれ落ちた瞬間から、
 楽園を追放されていたんだってことに、気付いていたはずなのに……。

     *     *     *

627スラップスティック ◆Ok1sMSayUQ:2015/04/02(木) 20:21:32 ID:x8I3UeQo0
「……理樹くん?」

 朱鷺戸沙耶は、聡明である。
 だから、彼が浮かべるその表情の意味も、向けられたショットガンの銃口の意味も、直後に放たれた言葉の意図も一瞬で察してしまった。

「……君は、誰だ」

 出会えたのは、紛れも無い幸運だったと言ってよかった。
 森を抜け、さあこれから街を探索しようかというところの道で、沙耶と草壁優季は見つけたのだ。
 とりあえず方向だけは間違えないようにと、川べりに沿って歩いたことが要因だったのかもしれない。水場は色々と役に立つ。
 ともあれ、彼を――、直枝理樹を発見した沙耶は狂喜乱舞(心の中で)した。ついボドドドゥドオーと口走ってしまったような気がするが、
 そんなことは沙耶にとっては瑣末なことだった。沙耶にとって理樹とは殆ど唯一の心の拠り所であり、朱鷺戸沙耶の記憶の大部分を占めており、
 彼なくしては、とさえ言えてしまうほどの存在だった。だから優季に見せたスパイらしくもなく、大声を上げ、手を振りながら近づいていった。
 優季の戸惑う声にも、彼は大丈夫と言うだけだった。説明など後回しだった。ともかく……話がしたかった。
 隣で歩いている女の子は、きっと同行者なのだろう。優しい彼のことだ、困っているのを見捨てられずというところだろうと、思ってしまった。

「もう一度言う。君は、誰だ。なんで僕の名前を知ってる」

 警戒心――。そんなものではない。明らかに敵を見る目であり、必要とあれば沙耶を、あるいは不安そうに沙耶を窺う優季を撃つだろう。
 恐怖や不安からではなく、冷静に下した判断によって。ああ、と沙耶は思う。
 ある程度は想定はしていた。自身が『何度目』かを経験していても、理樹がそうだとは限らない。いや、毎回そうだったではないか。
 彼は覚えていない。いつでも、いつだって……。
 理樹の隣に立つ女の子は、ぎゅっと力強く理樹の腕を掴んでいた。彼女はこちらを敵視している様子ではなかったが、
 視線の先は、理樹だけに向かっている。彼を案じる瞳。心配する瞳。理樹は頼られていた。自分が守るまでもなく、守るものを見つけていた。
 入り込む隙間なんてない。そのように理解できてしまい、言いようのない喪失感、敗北感がない交ぜとなり、沙耶は泣き出したくなった。
 けど、それでも……。すんでのところで堪え、ならばと沙耶は会話を試みる。せめて、彼の最後の優しさを焼き付けようと思った。
 好意が自分に向けられなくとも、彼は自分が覚えているあの直枝理樹だと確認したかった。
 それからどうするのだ、ということは考えなかった。言葉が欲しかった。自分の中にある理樹と、目の前にいる理樹は繋がっているところがあるのだと、信じたかった。

「そっか、ごめんねいきなり。フェアじゃないことをしたわ。あたしは朱鷺戸沙耶。きみのことを知ってるのは……そうね、あたしがスパイだから」
「誰から聞き出した。言って欲しい。僕の知り合いか?」
「スパイってとこガン無視しないでくれる?」
「知らない人に冗談言われても面白くないよ。僕はもう……身内しか信じない」

 身内なんだけどなあ。口に出したかったが、そうしたところで信じてもらえる道理はないし、刺激しかねない。
 身内しか信じない――。明確に放たれた、弓矢だった。何があったのかは察することもできないが、相当に辛いことがあったのだろう。
 力になってあげたい、と沙耶は思う。望めば理樹のために刃を振るい、引き金だって引ける。許されるならば抱きすくめることだって。
 ズキリ、と心が痛む。いや心は既に傷んでいて、やっとの思いで我慢しているのに過ぎないのだ。
 距離はこんなにも近いのに。手を伸ばして届かせるには、あまりにも遠い距離がそこにある。

「きみが、きみらが有名だから、ってことにしといて。ほらあたしの服。きみの学校の制服でしょ? 生徒なのよね。リトルバスターズも知ってる」
「……ああ」

628スラップスティック ◆Ok1sMSayUQ:2015/04/02(木) 20:21:58 ID:x8I3UeQo0
 ひらひらと袖を振ってみせると、理樹はようやく得心したという風に銃口を少し下げた。
 教えてもらったことだ。リトルバスターズの活躍。武勇伝。日々のどんちゃん騒ぎ。楽しそうに語っていた彼の姿も。

「僕を知ってることには納得した。じゃあ僕に近づいてきた理由は何?」
「同じ学校の人間同士、話ができるかなって。草壁さんもそう思うでしょ?」
「えっ、あ……はい」

 突然話を振られ、しどろもどろになりながらも優季も頷く。
 すぐに気付いたのだが、理樹に寄り添う女の子の制服は優季と同じデザインだ。よっぽどのことでもなければ同じ学校だと思っていい。
 優季の様子からすると女の子のことは知っている風ではなかったが、共通項があれば十分。
 とにかく、沙耶としては問答無用などという状況に追い込まれることだけは避けたかった。いや、あるいは――、単に、話を続けたいだけなのかもしれなかった。
 未だに自分は、理樹のことを好いているらしいのだから。

「愛佳さん、どう思う?」
「あんまり……騙そうとしている風にも見えない、かな」
「そんなっ、騙そうとなんて」
「はいはい草壁さん。そこは察してあげるところよ」
「察するって……でも」

 抗議の声をあげようとする優季を、沙耶は押し留める。それに対して、優季は睨めつけてくる。
 あなた、さっきまで飛び上がらんばかりに再会を喜んでたじゃないですか。小声で言われるが、詳しくを説明するには時間がなさすぎた。
 状況が変わったの、あたしがぬか喜びしてたってことで今は納得して、と言うと、優季は目の前にいる二人と、沙耶とを見比べて、不承不承ながらも頷いた。
 誤魔化されたように写ったか、と少し思ったものの、直後に「私を殺さなかった朱鷺戸さんを信じます」と言われると、不覚にも少し心が緩んでしまった。
 確かな事情がある、と思ってくれているだけの、なんとありがたいことか。

「もう一つ尋ねてもいいかな」
「ん、なに? スリーサイズ以外でなら何でも答えるけど?」
「君たちは何をしようとしてたの」
「少しはジョークに反応して欲しいわね……」
「その余裕さを含めて気になるんだよ」

 どうにもこうにも笑いが起こるような雰囲気ではないらしい。痛むあたしの心も察しろとぼやきたくなったが、伝わるはずもなく。
 はぁ、と少し肩を竦めつつ、沙耶は「みんなで脱出かな」と口にする。
 正確には『みんな』の中に『理樹くん』が含まれていることが前提条件だが。そして脱出の手段は問わない。
 つまるところ、理樹さえ生きていればというところなのだが、そんなことをバカ正直に話すほど沙耶は間抜けではない。アホだとは思われているかもしれないが。

「そう」
「何よ、そっけないな」

 口を尖らせてみせたが、信じられてないのは分かるので、一緒に行動しようとか、今はそこまで踏み込むつもりはない。
 常に側にいられなくとも、尾行して護衛するとかなどのやりようはいくらでもあるのだ。沙耶の能力をもってすれば。
 優季が反対するかもしれないが、そこはどうにか上手い理由を思いついて納得させよう。ダメなら武力行使に訴えてでも――。
 思考をそこまで走らせ、なるべく穏便に事を運ぶべく次の言葉を口にしようとした沙耶より前に、理樹が淡白な反応の理由を告げる。

「必要ないから」
「はい?」
「僕達は脱出なんてしない。ここに留まり続ける」
「……は?」

629スラップスティック ◆Ok1sMSayUQ:2015/04/02(木) 20:22:21 ID:x8I3UeQo0
 最初の反応は、言葉の意味を察しきれず。次の反応は、理解できた内容が常軌を逸していたからだった。

「思い違いであって欲しいんだけど。今きみが言ったの、ずっとこの島に居るつもりだ、という意味にしか聞こえなかったわ」
「その通りだよ。殺し合いに参加するつもりはないけど、脱出するつもりもない。ここを僕達の根城にして、居続ける」
「馬鹿じゃないの!?」

 沙耶の冷静さを装った仮面が剥がれる。一体何を言っているのだ、としか思えなかった。
 殺し合いに参加するつもりはない。ここまではいい。理樹らしいやさしい選択だ。そう言うだろうと思っていたからこそ、沙耶は理樹の敵を排除するつもりでいた。
 ところが続きがあった。脱出するつもりはない。それは元の日常に帰るつもりがないということであり、捨てたということだ。
 あり得ない。沙耶の頭がその一語で満たされる。

「殺し合いをしてるんだよ!? きみよりもっと凶悪なヤツがうじゃうじゃいる!」
「僕が護る。自衛くらいはさせてもらうつもりだから」
「放送聞いてた!? 一定時間ごとにこの首輪を強制的に爆発させるエリアが設定される! ずっと引きこもるのも不可能だって!」
「脱出はしないけど、生き延びるつもりで行動はするから。首輪は解除しないといけないかな」

 そんなの無理だ。沙耶が反射的に口にしようとした言葉は、そのまま自らに跳ね返ってくる。
 名目上脱出を掲げているならば首輪をどうにかしないといけないのは理樹たちと共通しているからだ。そこを否定すれば、自分たちも嘘をつくことになる。
 反論できずに、沙耶は唇を噛んだ。言葉は飲み込むしかなかった。代わりに出来たのは、その真意を問いただすことだけだった。

「……仮に、できたとしても。それ、元の生活に帰る気がないってことでしょ? なんで? だって、きみの日常は――」
「そんなもの、とうの昔に死んでる」

 底暗い目。秘めた深淵から紡ぎ出されたと思える、深い決意の意思と全てを飲み込もうとする暗黒があった。
 ちがう。理樹の目を見て、沙耶はそう思うことしか出来なかった。体も震えている。怯えてさえいる。
 自分の知る理樹はもっと強くて、最後まで諦めない、自らが絶望の淵に立ってさえ手を伸ばそうとする、そんな人間だった。
 だからこそ、あたしは彼に惚れて、全てを捧げようって……。

「真人が死んだ。きっともっと死ぬ、これから。失われ続けるだけなんだ。今まであったものなんて。取り戻せない」
「あ……」
「だから創る。ここで得たものだけを頼りに。僕の、そして愛佳さんとの楽園を」

 朱鷺戸沙耶は、聡明である。
 愛佳さんとの、という言葉と同時、強く彼女の体を抱きしめた理樹を見て、沙耶は全てを悟った。
 理樹は、端から未来を受け入れるつもりがない。ここに居る限り、全ては現在に帰属する。失われてしまった先を考える必要なんてない。
 井ノ原真人の死も、いやリトルバスターズの死でさえ、ここにいる限りは途上に過ぎない。まだ『受け入れなくて』いいのだ。
 ここから離れてしまえば。ここであったことは全て靄のように消え、失われた結果だけが残る未来なのだと、理樹は断定してしまったのだ。
 先に進もうとすれば行き止まりであると。未来なんて存在しないと、理解したのだ。
 沙耶はよろめく。理樹の結論は同時に――、沙耶をも殺した。
 沙耶も同様に、『現在』しかない。夢の中で生まれたような自分が、うたかたの夢でしか生きられない自分が、可能なことは奉公でしかない。
 尽くして、その人のために死ぬ。沙耶が生まれた意味を全うするには、これしかないと思っていた。
 消えてしまうことはまだ我慢できる。だが生まれてきた意味さえなく無為に消えることは、耐え難い苦痛だった。
 だから残ろうとした。未来に生きる、心から愛したひとのために戦ったという思いがあれば、消えることは許容できた。
 理樹の結論は……、自分なんていてもいなくてもいい存在だと断言したに等しかった。

 それじゃ、あたしがここに居る意味って何?
 あたしは『あや』じゃない。帰る場所なんてない。帰属できる集団なんてない。
 だから結果しかなかった。理樹くんが生還したのは、朱鷺戸沙耶という存在があったからという、結果が。
 その可能性が、なくなった。あたしはいようがいまいが変わらない。理樹くんにも入り込める隙間なんてない。
 もう彼に、あたしが関われる余地なんてどこにもないんだ……。

630スラップスティック ◆Ok1sMSayUQ:2015/04/02(木) 20:22:44 ID:x8I3UeQo0
「でも仲間はいる」

 崩れ落ちかねなかった沙耶を支えたのは、皮肉なことに自らを殺した理樹本人の言葉だった。

「さっき言ったように、首輪は外さなきゃいけないし自衛のためにやることは山ほどある。そのために仲間は必要だ」
「……仲間」
「だから、その分だけ集めようと思う」

 仲間に入らないか? 言外に理樹はそう言っている。それは地獄の淵で垂らされた蜘蛛の糸だった。
 手は伸ばさなかった。嫌なら嫌でいいし、自分達に害を及ぼさないならどうだっていい。その程度の認識でしかないのだろう。
 それでも……。彼のために仕えられる。代替の効く労力程度の扱いでしかなくても。関われる。側に居られる。
 このまま無為に消えてなくなってしまうよりは――。沙耶は掴もうとした。絶望よりはマシだと判じて。

「ちょっと、待ってください」

 その間に割って入ったのは、草壁優季だった。
 沙耶の前に躍り出るようにして、彼女は理樹の前に立ちはだかった。
 意図が分からなかった。自分はともかく、彼女は何も分かっていないはずだ。分かっていることと言えば、
 理樹たちが脱出しないと宣言したということ、そして協力者は募るということだ。
 優季の視点からすれば、とりあえず協力はできるはずだ。殺し合いをする気がないという時点で、理樹と組むことにデメリットもないはずだ。
 なのに何故……彼女は、怒っているかのような顔をしているのだろう。沙耶は分からない問題を出された小学生のように呆然と優季を見つめていた。

「朱鷺戸さんが黙っててって言うから我慢してましたけど……もう我慢できません! 理樹さんでしたっけ? 朱鷺戸さんはあなたのことが好きなんですよ!」

 ビシイッ! と。クラスの学級委員長がこらーそこの男子ー! とでも言うように指を指した。
 理樹が固まる。隣の愛佳も固まる。沙耶は固まれなかった。

「ほあああああああーーーーーーーーーー!? ななな何いってんですかオノレはぁーーーーーーー!?」

 なんでなんでなんで!?
 あたし一言も理樹くんが好きだなんて話してない! コイバナNGで来たっつーの!
 何だコイツエスパー!? はっまさか闇の生徒会の一員!? そうかコイツ無力なふりをしてあたしを探りに来たスパイね!
 ってなんでやねーん! そんな都合のいい設定があるかーいっ! ってあたしも設定デタラメだっつーの!

 沙耶は優季に掴みかかろうとした。しかし顔面を片手で抑えられる。抑えられるもんですかという謎の力強さだった。

「そりゃあなたにとっては赤の他人かもしれませんけどね! 朱鷺戸さんはすっごく心配してたんですよ!
 名簿を見た時だって仰天してましたし、あなたを見つけたときはとても嬉しそうな顔をしてて!
 あなたがどんな目にあったのか私には分かりませんし、きっとどうこう言う資格だってないって分かってます!
 でも朱鷺戸さんはあなたのことを想って言ってるんです! 今すぐ考えなおせとは言いませんが、少しは話を聞いてやったらどうなんですか!」

 一息にまくし立てると、優季は沙耶の頭を突き飛ばした。沙耶は地面に倒れ込む。話を聞いてやれと言った相手に対してするものじゃないだろうという言葉が浮かんできたが、
 それよりも沙耶の心には、じんわりとした感情が生まれてきていることの方が大きく、むしろゲラゲラと子供のように馬鹿笑いしたい気持ちがあった。
 察されていたところもあり、勘違いされていた部分もある。名簿を見て驚いたのは『長谷部彩』に対してだし、そこは違う。
 でも大筋は間違っていない。どうやらバレバレだったようだ。少なくとも、朱鷺戸沙耶は誰かを好いているという推測まではあったのだろう。
 自分の不手際もあるとはいえ、こうも短い時間で見透かされていると恥ずかしさよりも優季の洞察力はいいものがあると賞賛したい気持ちの方が勝り、
 沙耶は何かしら救われたようにもなった。そこまで考えられるということは、優季はそれだけ沙耶という人間を見ていたということなのだから。
 思えば、そうだ。騙そうとしていないと強く抗議していたのは、この推察があったからだと思えば容易に納得がいく話である。
 馬鹿みたいな人だ。フリとはいえ殺そうとした自分のために、理樹のためにしか行動しようとしていなかった自分のために。
 きっと彼女は、沙耶と出会っていなければ騙され、裏切られ、無残に殺されていたのだろう。

631スラップスティック ◆Ok1sMSayUQ:2015/04/02(木) 20:23:15 ID:x8I3UeQo0
 でもその馬鹿にあたしは救われた。
 あたしはいつだって、馬鹿に救われる。

 仰向けに倒れたので、空が見える。星が輝いている。月がある。
 世界は、こんなにも広いのに……。

「関係ない」

 沙耶の思惟を遮ったのは、理樹の声。
 あれほど恋焦がれていた少年の声は、今となっては別人の声のようにしか聞こえない。
 いや、と沙耶は思う。きっとこれが、真に失恋したということなのだろう。
 己の傲慢さにほとほと呆れる。朱鷺戸沙耶という女は、今までずっとフラれた男に尽くせるだけの甲斐性があると思っていたらしいのだから。

「僕は既に愛佳さんを選んでるんだ。だから、朱鷺戸さんの事情は関係ない。僕達はここに残るために。君たちは脱出するために協力する。それでいい」
「なっ、あなた……」
「はいはいはーい! 草壁さんもういいストーップ!」
「ひゃあっ!?」

 食って掛かろうとしかねかったので、復活した沙耶は優季を羽交い締めにした。

「あたし、これ以上惚気見せつけられると死んじゃう」
「で、でも!」

 なおも抗議しようとする優季だったが、沙耶が耳元で「理解したから。フラれちゃったって」と囁くと、
 優季は一転して青褪めたような表情とともに済まなさそうに「ごめんなさい……」と返してくれた。
 余計なお節介で機会を潰してしまったと思ったのかもしれない。殺し合いの場で浮かべる思考ではなく、沙耶はかえって愉快な気分になった。
 いいじゃないの。殺し合いで人の恋路にうつつを抜かしたって。それが青春ってやつでしょ。

「オーケーオーケー。そんじゃ協定を結びましょうか。あたしは『アンタ』の敵じゃないしアンタもあたしの敵じゃない」
「うん、それなら」
「しばらくはここに留まるんなら、ひとつお願いがあるわね。爆弾か何か作ってくれると嬉しいかなーって」
「簡単に言うね……」
「簡単よ。そこらへんの本屋にでも行って科学の本でも読めばひとつやふたつどうとでもなるって。あっこれあくまでもお願いね、お願い」
「……じゃあ、こちらからも。なつめ――」
「恭介ね。確かにあいつならって気はする。探しとくわ。そっちの愛佳さんはなにかリクエストは?」

 話を振ってみたが、ふるふると首を振られた。なるほど、探す人もない、か。
 そういえば名簿には小牧という苗字は二人いて、一人は死んだ。つまりは、そういうことだと類推して、沙耶は最後の恋慕の残滓を手繰り寄せた。
 探す人も帰る場所もないのは、自分も同じ。もし彼女の位置に自分がいれば……。
 暗い情念。人の不幸さえ羨む、恋という名の闇。そこには幸せはない。幸せと恋とは、同一ではない。
 それでも焦がれてしまう。たとえそれが己を死に至らしめようとも……。

632スラップスティック ◆Ok1sMSayUQ:2015/04/02(木) 20:23:28 ID:x8I3UeQo0
「それじゃお別れね。草壁さん、先に行ってくれる?」
「え、どうして……」
「後ろから撃たれたらたまんないでしょ? あたし、たった今振られたコワーイ女だし。怖いから殺しとこってあるかもだし? あたしが警戒して――」
「……泣き言、私で良ければ聞きますよ」
「泣かないって」
「失恋って凄く痛いと思います。一人じゃ……辛いですよ」
「……っ」

 一人じゃ辛い。その言葉を聞いてしまった。だから。抑えていた涙が出てしまった。決壊してしまった。限界だった。
 見られたくない。優季にではなく、理樹に。涙を見せてなお、無関心でいられる恥辱に耐えられなかったのかもしれない。
 踵を返した。動じる気配もなかった。沙耶の中にあった最後の大義名分が、崩壊した。

「……ちくしょう……」

 優季の手をとって、走った。悔しさを孕んで走った。無念を吐き出して走った。
 救われてなお、全部なくなった、朱鷺戸沙耶として生きなくてはならない現実は絶望的だった。
 誰かのためにではなく、自分のために生きなくてはならない現実が。

 あたしは、なんで生まれてきたんだろう。
 あたしの幸せは、どこにあるのだろう……。

     *     *     *

633スラップスティック ◆Ok1sMSayUQ:2015/04/02(木) 20:23:41 ID:x8I3UeQo0
 嵐のように、朱鷺戸沙耶は去っていった。
 気配が遠ざかるのを待ってから、ショットガンを下ろす。
 草壁という少女の言葉から発せられた、朱鷺戸沙耶は直枝理樹を好いていたという内容は、しかし理樹の心には何の波紋も残さなかった。
 聞いた瞬間は驚いたのに。今は平常となっている己の心の中を見つめて、それだけ愛佳が大切となったのだろうと結論付ける。

「……あの、理樹くん」
「ん?」
「さっきの」
「気にしてないよ。僕の大切な人はまな……」
「そ、そうじゃなくてっ! ずっとここにいるって事の方……!」
「あ……あー」

 顔を真っ赤にした愛佳にそう言われると、こちらの心拍数も急に跳ね上がってきてしまう。
 考えてみれば、他人の前で自分は彼女が好きだコールを繰り返していたことも思い出してしまい、乾いた笑いが出てくる。

「いや……うん、それ自体は本気だったけど……もしかして」
「だ、ダメじゃないよ! むしろ驚いたっていうか、理樹君、いつの間にあたしが考えていたことをって……」
「ん……まあ、それは、なんて言うか」

 興奮した様子の愛佳に、理樹は微笑む。
 言ってしまおうか、少し悩む。なかなか恥ずかしい理論だったからだ。
 だが人前で惚気まがいのことをしたのだから今更かという気分にもなったので、言葉を続ける。

「帰る場所なんてないから。ここが僕達の居場所でしかないから。帰る必要なんてないんだ」

 理樹にとっては愛佳と一緒に居られる現在こそが、唯一の希望の在処だった。

「うん。やっぱり、あたしと一緒」

 愛佳は笑ってくれた。
 想いを重ねていられる、幸せがあった。

634スラップスティック ◆Ok1sMSayUQ:2015/04/02(木) 20:23:54 ID:x8I3UeQo0




 【時間:1日目20:00ごろ】
 【場所:E-6】


 草壁優季
 【持ち物:不明支給品、水・食料一日分】
 【状況:健康】

 朱鷺戸沙耶
 【持ち物:玩具の拳銃(モデルグロック26)、水・食料一日分】
 【状況:手足に擦り傷】



 直枝理樹
 【持ち物:レインボーパン詰め合わせ、食料一日分】
 【状況:健康】

 小牧愛佳
 【持ち物:缶詰詰め合わせ、缶切り、レミントンM1100(2/5)、スラッグ弾×50、水・食料一日分】
 【状況:心身に深い傷】

635Show time ◆Ok1sMSayUQ:2015/04/12(日) 00:52:44 ID:SMelFDJU0
 風が吹いていた。
 ざぁっ、とアイリスの花が揺れ、香りを乗せて夕暮れの紅に流れてゆく。
 合わせて女性の長いスカートと短く揃えられた髪も揺れる。
 足元には死体。老人の死体。
 視線の先には人。血塗られた少女。
 さらにその背後には男。腕組みをして悠然と佇んでいる男。
 ああ、と女性は思った。
 これから殺し合いが始まるのだと。

「いやあ、待ってて正解だったよ」

 開幕の音頭を取るのは男。仰々しい口調だった。それでいて朗らかで、楽しそうだった。
 途中、何者かの声が聞こえてきた。人が死んだ。名前が読み上げられている。
 全て蚊帳の外の出来事だった。

「あの爺さん、何をこんなところでボサッとしてるかと思いきゃ」

 女性――伊吹公子――は見据える。男の前に立ち、サバイバルナイフを握り締める少女を。
 明らかに尋常の様子ではなかった。生気がない。半笑いの表情のようにさえ見える。
 この年頃の女の子が浮かべるようなものではない。当たり前か、とも思う。おおよその察しはついていた。

「待ち合わせだったんだな。なるほど、花畑はそれなりに分かりやすい。悪くない。だが、運がなかった」

 つかつかと男は歩き、少女の肩に手を置く。少女の体が跳ね上がるのが見て取れた。
 殆ど馴れ馴れしいとさえ思えるくらいに、男はねっとりとした手つきで少女の体をさすり、そして、押し出した。
 たたらを踏みながら、しかし少女はすぐに中腰の姿勢となる。テニスラケットを構えるかのように。
 距離はそれほどもない。数秒も走れば公子の胸にナイフを突き立てられるだろう。

「この女に見つかった」

 空を仰ぎ、腕を広げ、さながら悲劇を語る語り部というように男は嘆息しながら言葉を口ずさむ。

「仕方がないことだった。少女は脅されていたんだ。殺さなきゃ俺に殺されるんだ。誰だって自分の命は惜しい。
 たとえ非力な老人相手だったとしてもやらなきゃいけなかった。こんな状況じゃなきゃ手に掛けるどころか仲良くお喋りだってできただろうさ」

 待ち合わせをしていたわけではない。むしろその段階はとうに過ぎている。出会って、別れた。
 公子は銃声を聞きつけて戻ってきたに過ぎない。そこで老人の……、恩師である、幸村俊夫が倒れているのを見つけた。
 呆然としているうちに、この二人組がやってきたのだ。待ち伏せだったのだろうということは男の言動から分かった。
 実際に手を掛けたのは眼前に居るこの少女だということも。ただ、いきさつを訂正したところで聞き入れられないだろうと公子は思った。
 この男は酔っている。自らが演出した劇場に。多少の違いなどどうだって良いに違いないのだ。

「ま、結局はサクッと殺してしまったわけだがな。手慣れたもんだったよ。何せ二人目だったからな。すごいだろ? 生粋の悪党のこの俺と同じキルスコアだ」

 今度はけらけらと哄笑しながら、男は実に嬉しそうに言う。
 子供みたいだな、と公子は場違いな感想を抱く。彼が喋っている様子だけ見るなら、とても自分と同年代のようには見えない。
 置き去りにしたのだな、と思った。悪党になったその瞬間、未来という名の全てを。
 いや、元からそういう人間しかここには集まっていないのかもしれないとさえ感じていた。
 公子でさえそうだった。未来を保留にして、現在にだけ居続けている。現在を保つことしか選べなかった。
 妹を見捨てることが出来ない、その一事のために。

636Show time ◆Ok1sMSayUQ:2015/04/12(日) 00:53:09 ID:SMelFDJU0
「こんな可愛い面をしているというのに。なのにこいつは平気で殺しやがった。なあ、どう思う?」

 気安く。世間話をするように。男は公子に話を振った。自分が仕向けたとは欠片も自覚していなさそうな口調だった。
 否、自覚したうえでこの男は喜劇の仮面を取り繕っている。ステージの上で踊る公子達を笑うために。

「――」

 公子は口を開いた。だが、一旦閉じた。
 それを言ってしまえば、己の進む先が決まりかねないと怯懦したがゆえというのがひとつ。
 そして、止めていた時間が進んでしまうだろうという確信にも似た恐怖を感じたというのがひとつだった。
 それでも尚。彼女は愚かしいほどに優しかった。
 アイリスの花が風に揺れる。

「その女の子は、かわいそうな子だと思います」
「可哀想? はっはっは、そうだな。そりゃそうだ、何故なら――」
「貴方に全てを奪われたから。人の全てを奪うだけの貴方に」

 続く言葉を邪魔されたがゆえか、核心を突かれたからか。男は笑みを吹き消し、敵意を伴った険しい顔となる。
 この男に対して、公子の言いたいことはそれが全てだった。もはや見る価値もないと断じ、公子は少女に微笑みかけた。

「ね、貴女の名前、教えてもらえる?」
「え……」

 おおよそこの場に相応しくない質問であった。
 少女が虚を突かれたようにぽかんと口を開けるのも無理はない。
 だが公子には必要なことだった。必要なのは理由や同情などではない。繋がりだ。

「私は伊吹公子。学校で教師をやってたんだけど……、まあ、今はちょっと休職中かな。それでもまだ心は先生のつもりよ」
「あ、あ……」

 少女は怯える。差し伸べられた言葉に。公子にそんなつもりはなかったが、そのように捉えられているとは想像がついた。
 それほどまでに、彼女は奪われている。あの男から――。
 紛れも無くそれは、公子にとっての敵だった。

「真帆。その女を殺せ」

 低く威圧感のある声が少女を男に振り向かせる前に差し向けられた。

「分かっているはずだ。お前はもう戻れないとな。この期に及んでまだ救ってもらうつもりか」

 その言葉で少女の顔が硬くなる。言葉尻から察するに、いくらか説得はあったということらしかった。
 恐らくは、きっと、足元に横たわるこの老教師からも……。

「戻れなければ進むしかないわ。決めるのは貴女よ。慣れてしまったら……、その先にあるのは、死ぬより辛い地獄よ」

 消失を、喪失を。そればかりが待っているものが、地獄でなくて何だ。
 それを公子は知っているから……、自らの命が脅かされようとも、背中を向けるわけにはいかなかった。
 因果なものだと思う。あれこれ悩んだ挙句、見ず知らずの他人のために危険な橋を渡っている。
 家族のためでもなく、目の前に絶対に許せない敵がいるからという理由であるのが何とも愚かしい。
 けれども後悔はなかった。あの男だけは、自分でも殺せるからだ。

637Show time ◆Ok1sMSayUQ:2015/04/12(日) 00:53:30 ID:SMelFDJU0
「……わたし、は……」
「真帆ッ!」

 男が苛立ちを隠しもしない様子で怒鳴る。それでも手出しをする様子はない。
 傍観者を気取り、思いのままに他人を操ることに固執している。
 それが命取りだ。公子はゆっくりと、気取られないようにしてスカートのポケットに手を入れる。

「……葉月……真帆……」

 泣き笑いのような、そんな表情で。
 しかし彼女は確かにそう言った。

「――うん。ありがとう」

 頷くと同時、公子は走り出す。
 真帆の横を通り過ぎる。
 駆けて、その先。

「っ、クソが!」

 狼狽する男。元より真帆に殺させるつもりだったためか、丸腰の状態である。
 やるなら今しかなかった。スカートのポケットの中で握りしめた、銃に装填されている弾丸の数が全てだ。
 何発あるかは分からない。狙いも正確につけられない。それでも、全部は外さない。
 決意を込めて、拳銃を取り出そうとして――。瞬間、男の顔が豹変する。

「ばぁか」

 悪鬼の顔に。

「っ、あ、か……」

 男の手には拳銃が握られていた。
 公子は胸元からじくじくとなにかが溢れ出るのを感じていた。
 銃口からたなびく硝煙。撃たれたのだと分かった。
 力が入らない。前のめりに崩れ落ちる。土か花か分からない味が口腔に広がり、ごほっと咳き込んだ。

「丸腰だとでも思ったのか? そんな馬鹿ならもうとっくに死んでるよ。もっとも、俺の場合銃がなくとも女なぞに負けるわけがないが」

 せせら笑う声が聴こえる。ならば、自分はまだ生きているということだ。
 公子は手のひらにまだある拳銃の感触を確かめる。手放していない。まだやれる。まだ一太刀を浴びせることくらいは可能だ。
 死にそうになっているというのに、驚くほど思考は冷静に回っていた。土壇場では女の方が肝が据わるらしいが、どうやら本当のことのようだった。

「手間かけさせやがって……。台無しだ。これはきついお仕置きが必要なようだな、なあ真帆」

 注意はとっくに公子から逸れている。あの一発で即死させたと思っているようだった。
 全ての力を上半身に集める。数秒、いや一秒で十分だ。それだけの時間身を起こしさせすれば、やれる。
 口腔の中に溜まっていたものを静かに吐き出して、公子は息を整えた。
 花をかき分ける音が大きくなってくる。隣を通りすぎようとするそのタイミングで――、

638Show time ◆Ok1sMSayUQ:2015/04/12(日) 00:53:48 ID:SMelFDJU0
「ま、だっ……!」
「なに……!?」

 体を起こし、両手に銃を持つ。目の前には驚いた様子の男。明らかに動転している。
 ドンピシャ。この至近距離なら避けようがない。それを男も分かっているのか、急いで拳銃の狙いをつけようとしているが間に合わさせない。
 既に引き金に指はかかっている。後はほんの少し力を入れさえすれば、誰も彼もから全てを奪おうとするこの男を殺せる。

「……ぁ」

 はずだった。
 だが、出来なかった。
 引き金を引く前に、公子は背中から刃物を深く突き立てられていたからだ。
 眼前にいる男の方に、そんな芸当ができる余地はない。
 このタイミングで公子に刃物を突き刺せることのできる人物は、一人だけだった。
 葉月真帆。彼女しかいなかった。

「……そ、う……」

 花をかき分ける音は、二人分あったような気がした。
 公子を撃った男は公子に驚いていたが、果たして驚きの対象はひとつだけだっただろうか。
 ずるりと刃が引き抜かれる。糸が切れた人形のように公子は再び崩れ落ちた。
 引きぬかれた際に背中に力が入ったからなのか、仰向けに倒れる。公子を見下ろす真帆の顔が写った。
 歪んだ泣き笑いだった。そこには一言では到底表現することなど構わない、様々に交じり合った混沌とした感情が渦巻いているように公子には思えた。

「これで……これで、許してください……お願いします……」

 それは公子に向けたものだったのか、窮地を救われた男に対するものだったのか。
 公子には判別はつかなかった。代わりに頭の中にあったのは、かつて親しく過ごした家族の姿と、自分を愛してくれた男の姿だった。
 ふぅちゃん……。ゆうくん……。ごめんなさい……、わたしは、また……。
 手を伸ばそうとする。届くはずがなかった。遠い、大切な人たちの姿は、何故だか血に塗れているように見えた。

     *     *     *

639Show time ◆Ok1sMSayUQ:2015/04/12(日) 00:54:05 ID:SMelFDJU0
 汚い。
 私は、汚い。

 葉月真帆を構成するものは、その一語が全てだった。
 ひょっとしたら助けてもらえるかもしれないと一瞬思った。
 無力な老人などではなく、力を持った人がやっつけてくれるかもしれないと期待した。
 しかし無駄だった。女性の力などであの化け物を退けられはしなかった。
 だからトドメを刺した。ダメだったのだから見捨てなきゃという打算が働いた。
 ますます自分を汚いと思った。腐臭を放っていたものがさらに膿んで、どろりと溶け落ちてゆくのが感じられた。
 戻れるかもとありもしない期待を抱いた自分が汚い。
 簡単に人を見捨てられるようになった自分が汚い。
 命が惜しい自分が汚い。媚びへつらって岸田洋一に懇願する自分が、とても汚い。

 岸田洋一がやってくる。
 真帆は怯えた羊の顔を作った。この男の前ではいつでも殺される家畜になっておかないといけない。
 いつでも殺せるということは、好きなときに殺せるということで、優先順位が低くなるということだ。
 殴られるかもしれない。ことによればまた刺されるくらいのことはあるかもしれない。
 しかし、死ぬよりはマシだった。だから葉月真帆は服従する。

「やるじゃねえか」

 だが、岸田洋一の反応は想像外のものだった。真帆はあっけに取られかける。
 楽しそうだった。ただの家畜を見る目ではなかった。面白いオモチャを見つけた子供の目だった。

「俺はな、面白いものが好きだ」

 真帆の髪を掴み、ぐいと上に持ち上げる。いぎっ、と思わず苦痛に塗れた声が出た。
 そうだ。この男はそれを忘れない。恐怖を与えるということを忘れない。
 被虐的な安心感があった。この男はこうでなくてはならないという感覚があった。

「サプライズは好きだ。まさかこの俺にビックリ箱とはな。いいぞ、もっと俺を楽しませろ」

 そしてかなぐり捨てる。粘っこい手触りの土の上だった。鉄のような匂いが鼻腔に染み付いてくる。

「良かったな、お前。何もしてなきゃそのまま犯してやるとこだ」
「……はい」
「もっと嬉しそうにしろよ、真帆。お前は認められたんだ。凶悪な殺人鬼の俺に認められたんだぞ」
「……はい、嬉しいです」
「怖い笑顔だ」

 見下ろす岸田洋一は、それで一時の満足を得たようだった。
 このまま堕ちる。どこまでも堕ちる。岸田洋一の興味を引きながら。
 二人で、どこまでも堕ちていきたかった。
 それが真帆の唯一の願いだった。

 一緒に、沈んで。

640Show time ◆Ok1sMSayUQ:2015/04/12(日) 00:54:19 ID:SMelFDJU0




【時間:1日目午後18時半ごろ】
【場所:F-4】

 岸田洋一
 【持ち物:サバイバルナイフ、グロック19(5/15)、予備マガジン×6、各銃弾セット×300、
  真帆の携帯(録画した殺人動画入り)、不明支給品、水・食料一日分】
 【状況:健康】

 葉月真帆
 【持ち物:不明支給品、水・食料一日分】
 【状況:左腕刺傷】

 伊吹公子
 【持ち物:シグザウアー P226(16/15+1)、予備マガジン×4、9mmパラペラム弾×200、水・食料一日分】
 【状況:死亡】

6414+1 ◆Ok1sMSayUQ:2015/06/14(日) 21:29:38 ID:GCAYWBHk0
 オボロという人間は、一見すれば血気盛んで突っ込むことしか脳がなさそうな単細胞のように感じられる。
 しかし彼の実際を知っている人間は、その評価は誤りだと笑うだろう。
 確かに、彼は直情な性格であることには違いない。良く言って勇猛果敢、悪く言ってしまえば我慢弱い気質はそれを利用されることもしばしばだ。
 それでもオボロは、トゥスクルがまだケナシコウルペと呼ばれていた時代に、独自に軍団を築いてヤマユラの里を賊から守り抜いてきた。
 人を束ねるというのは相応の資質がなければ不可能なことである。ただ強いというだけでは信用も信頼も勝ち取れない。
 心を把握し心を理解していなければ軍団の長というものは務まらないのだ。
 彼を最も信頼し、最も有能な部下の一人だと考えている男は、彼をこう評する。

 適切に補佐し冷静に戒める者が側にいれば、オボロは誰よりも強い長となるだろう。

     *     *     *

6424+1 ◆Ok1sMSayUQ:2015/06/14(日) 21:30:09 ID:GCAYWBHk0
「ということでだ。寝ろ」
「いや……」
「そないなこと言われてもな……」
「……」

 少女が『篝』という名になってからしばらくして。
 簡単な食事を取り(とは言ってもパンを齧るだけのことだったが)人心地ついたところで発されたオボロの言葉に、同行者の三人は当惑したように顔を見合わせた。

「なにのために野営の準備をしたと思ってるんだ」
「休憩のためやろ?」
「分かってるなら言うことを聞け」
「いやあのね、寝れると思ってるの」
「以下同文……」

 姫百合瑠璃に続いて不満の口をきいた綾之部可憐と篝に、オボロは難しい顔になる。
 むしろ喜んで提案を受け入れてくれるものだとばかり思っていたオボロは、どうやら戦場における考え方の違いに大いに隔たりがあるようだと改めて確信していた。
 常識、文化の違いと言えるならまだマシで、知識の基板そのものが違う。何せこちらが優秀な携帯食だと評価した『ぱん』なる食べ物をそこの可憐は「まずい」と一刀両断したのだから。
 しかも聞くところによると、より美味でより滋養も優れている携帯食があるらしく、オボロは慄然とした気分になったものだった。
 一事が万事そうなのだから、自らの常識は彼女らにとって時代錯誤の田舎者の考え方なのかもしれないという疑惑も生まれてくるというもので、オボロは説得するべきかどうか悩んだ。
 疲労は軽視していいものではない。休めと言ったのはこの一事に尽きる。
 たかが昼から夕刻にかけて歩きまわっただけかもしれないが、その程度と思っていると急激に体に来るのが疲労だ。
 しかもそのような時というのはあらゆる判断力が低下し、普段なら気付けるような事柄にも気付けなくなる。奇襲というものはその機を狙って行われるもので、
 それを幾度と無く実践し知悉したオボロにとっては早め早めの休息、特に眠るという行為は重要だった。ほんの少し目を閉じただけでも頭の冴えが違ってくる。
 彼女らには必要ないとも思えず、ならば別の手段をもって解決する手段があるのだろうかと考えてしまう。
 悩んだ末、オボロは正直に尋ねてみることにした。

「疲労は早めの対処をした方がいい。少し目を閉じるだけでかなり違ってくるもんだが……。何か他にいい方法があるなら教えてくれ」
「え? 寝ろってそういう意味なん?」
「……他にどんな意味があるんだ」
「朝まで寝ろって指示かと……」

 オボロは頭を抱えた。他の二人にしても同じ考えだったらしく、視界の隅で首を縦に振る姿が見えた。
 こいつらは俺より賢いのかバカなのか教えてくれ兄者ぁ! と叫びたくなった。さっきの悩みは一体何だったのか。

「……お前たちのいるニホンとかいう國は分からん……」
「な、なんやよう分からんけど、それくらいやったら大丈夫や。要は交代で見張りしながらちょっと休めってことやろ?」
「ああ……。まあ、もういい……。俺は後にするから、先にお前たちが寝てくれ」

 意図は伝わったのなら良しとする気持ちと、もうどうでもいいやという投げやりな気分が半分混ざった口調でそう言ったオボロに、
 今度は可憐が「……それはいいのだけど」と口を挟んでくる。

「貴方は大丈夫なの?」

6434+1 ◆Ok1sMSayUQ:2015/06/14(日) 21:30:34 ID:GCAYWBHk0
 先ほどの醜態を指して言っているのだろうとオボロは思った。言葉は粗野だが自分を案じるところもあるようで、ジッと見つめてくる。

「じっくりと咀嚼したいからこそ休息するんだ。安心しろ、一人でどこかに行ったりはしない。俺の剣に誓ってもいい」

 大丈夫、とは言わなかった。正直なところ、未だに腸は煮えくり返っている。妹を、ユズハを殺した者の顔を見ればどうなるか自分自身分かったものではなかった。
 ただ、どうするか考える気にはなった。自分と行動を共にしてくれている彼女らをどう守っていくか。大見得を切った者として、どのように責任を果たすか……。
 何にしても考える時間、消化するための時間は必要だった。それは嘘偽りのないことで、だからこそオボロは剣に誓うと言ったのだった。
 真っ直ぐに見返して太刀を突き出されれば反論のしようもないと思ったのか、可憐は「それならいいけど」と引き下がる。

「……その、ちょっと血の気が多いとは思うけど。オボロはいいリーダーだから。私には分かるから」
「リーダー?」
「う……に、二度は言わない!」

 オボロは単純に言葉の意味が分からず聞き返したのだが、可憐はなぜか顔を赤くして怒ったような顔になり、そのままオボロの前から離れた場所に座り込んだ。
 篝を見てみたが、彼女は既に目を閉じていた。器用にも、体を赤ん坊のように丸めた格好である。瑠璃を窺ってみたが、肩を竦められた。分からない方が悪いとでも言いたげだ。
 そうは言われても分からないものはわからないのだからどうしようもない。頭に『いい』とついていたのだから決して悪い意味ではないのだろうが。

「逢えたら、兄者にでも聞いてみるか……」

 ぱちぱちと小さな音を立てる暖かな赤を眺めながら、オボロは独りごちた。

     *     *     *

6444+1 ◆Ok1sMSayUQ:2015/06/14(日) 21:30:58 ID:GCAYWBHk0
 失敗だったかもしれない、と片桐恵は思った。
 何がと言われれば、今一人で居るこの状況が、である。控えめに言っても困っている。

 先ほど放送があった。少なからぬ数の人間が死んだ。かつて友人だった者も死んだ。
 明乃も早間も、到底岸田に太刀打ちできるような人物ではなかった。当然とは言わなくてもこの状況に放り込まれればそうなってしまうだろうという予感はあった。
 少しだけ心も痛む。恵の受けた傷の重さを理解できるとも思わなかったが、上辺ではあっても慰めの言葉くらいはかけてくれる程度の甘い優しさはあったから。
 そして思う。人がこれだけ減ったということは、相応にこのゲームに『乗った』輩も多いということで、敵は岸田だけではないと恵に認識させるのには十分過ぎた。

 つまりそれは、未だに味方の一人もいない恵にとっては不味い状況だった。ただでさえ非力な女の身である恵に、敵が集団で襲いかかってきたらどうなるか考えるまでもない。
 もちろん入る集団は選ばなくてはならないのだが、入るにしても出遅れた感覚もある。
 ゲームが開始されてからおよそ六時間。それだけの時間がありながら誰とも行動を共にしていないというのは不審を抱かれる一因足りうる。というか、自分でもそう思う。
 これまでやったことと言えば、殆ど我を失った自称『死後の世界の人間』にトドメを刺したことくらいである。

「……馬鹿なのかな、私」

 肩に乗っている猫に恵は話しかけた。にゃー、という間延びした返事が来るだけで特に有用な答えが得られるはずもなかった。
 恭介がいれば、と臆面もなくそう思ってしまう。あいつなら何の疑いもなく仲間に入れてくれるだろうという想像ができた。
 そんな都合の良いことはないと分かりきっているのに。仮に出会えたとしても頼っていいわけがないのに。
 一瞬でも考えてしまう自分の甘さに嫌気が差す。先ほどまでそういった手合いを軽蔑しておきながらこの体たらくというのはお笑い草にもならない。
 とにかく、自分一人でどうするかを考えなくてはならない。何とかして、相互に身を守りあえるような仲間を作らなくてはならない。
 出来なければいずれ殺られる。群れから離れた一頭を仕留めることなど『奴』にとっては造作も無いことだ。
 まだ殺されるわけには――。

「……っ」

 恵は顔を強張らせた。
 恵は視界一面に広がる花畑を歩いていた。だからすぐ近くに来るまで気付かなかった。
 二つの死体が転がっていたということに。
 一人は老人。これは知っている。
 そしてもう一人は若い女性だった。近くにデイパックもあるが、中身は全て抜かれていた。
 誰かが殺害して、奪っていったということだ。いつ殺されたのかは正確には恵には分かるはずもなかったが、
 少なくとも自分がここを離れ、戻ってくるまでの間には殺されている。近くに潜んでいないという保証もない。
 恵は離れ、身を隠しやすくなるであろう山の中に移動することにした。山というよりは森と表現する方が近いが。
 腰ほどの高さもある草が生い茂り、真っ直ぐに伸びた木々が群れを成すそこは、身を隠すには最適であると思う一方で、
 気をつけなければ木の根などに引っかかって転んでしまいそうだった。身を守るために山の中に入るのに、転んで怪我をしたなどとあっては本末転倒だ。
 慌てる必要はない。まだ誰にも見つかってはいないのだから。慎重に足を運ぼうと思ったとき、ふと恵の肩から重さが離れる感触があった。

「にゃ」

 猫だった。飛び降りたかと思えば、そのままがさがさと草をかき分けながらどこかへと進んでゆく。

6454+1 ◆Ok1sMSayUQ:2015/06/14(日) 21:31:14 ID:GCAYWBHk0
「あ、ちょっと」

 思わず静止をかけたが、聞く耳を持たないという風に動きは止まらない。
 無視しても良いことには良かった。初戦は行きずりで出会っただけの関係、しかも人間ですらない。
 気まぐれに付き合う必要性などどこにもなかった。なかったが――、

「仕方ない……」

 恵に行く当てがあるわけでもなかった。人間ですらないが……人間のように、騙そうなどと考えることもない。
 罠が待ち受けているわけでもないだろうし、あったとしてもこちらが最大限気をつけていればいいだけの話だ。
 楽観的に過ぎるだろうか? 一度俯瞰するように己を見つめ直し、恵はそんなことはないと結論付ける。
 油断や慢心というのは容易に『人を信じてしまう』ことだ。優しそうだから大丈夫だろう、という類の不用意な信じ方だ。
 気をつけるのはそれで、むしろ行動自体は積極的に起こすべきだ。動かなければ、決して奴は殺せない。
 そう考え、猫の後を追う形で足を進めようとした恵は、ふと気付いてふっと苦笑を漏らした。

「あいつみたい」

 脳裏に浮かんだのは一人の少年だった。今の恵の思考は、いかにも彼の考えそうなことだった。

     *     *     *

6464+1 ◆Ok1sMSayUQ:2015/06/14(日) 21:32:03 ID:GCAYWBHk0
 目の行き届く範囲を歩き、枝をかき集めて焚き木にはしてみたものの、所詮はたかが知れている数だった。
 既に焚き火は手のひらに収まる程度には小さくなっており、半刻もすれば完全に燃え尽きて灰となるだろう。
 それはそれで丁度いいか、ともオボロは思った。一晩中つけていられるわけではないし、焚き火が目立ち敵をおびき寄せてしまうとも限らない。
 特に夜半での襲撃は避けたい。オボロ自身、微かにではあるが疲労はないではなかった。余裕こそあれ、無駄に体力を消耗はしたくない。

「らしくないな」

 独りごちる。力がありながら使わず後々のことを考えて温存するという思考は己の性分からは離れている。
 どちらかと言えば、このような思考は兄者――ハクオロ――の領分だったはずだ。
 腹心のドリィ、グラァが側にいればそのようなことを口走っただろうと思うと苦笑も浮かんでくる。
 いつからこうなったのだろうと意外なほど冷静になっている己の内を眺め、オボロは、或いはこれが上に立つということなのかもしれないと類推する。
 それまでも立場は上の方ではあった。兵を率いる立場ではあったが、それでも上にはハクオロがいた。最終的な判断を委ねられる頭がいた。
 しかし今はオボロが頂点である。自分の決断、一挙手一投足が全体の命運を左右するような立場は、生まれて初めてだった。
 自分の判断で可憐や瑠璃、或いは篝が命を落とすかもしれない。自分を信じる者に、裏切りの結果を与えてしまうかもしれない。
 恐怖はなかった。だが重くはあった。常にこんな思いをしてきたのだと思うとハクオロという男はやはり偉大なのだと、オボロは改めて思わされた。
 それでもやらなくてはなるまい。自分はそう決断した。今は目を閉じて休んでいる彼女らの言葉を振り切らず、妹の死を一度は飲み込むという選択をした。
 復讐心に狂い、全てを投げ打ってでも妹の敵を討つ自分を、選ばなかったのだから……、

 だから、俺はそれでいいんだ。

 それがオボロの結論だった。選んだ自分を認め、肯定し、未練がましく頭の片隅に留まっていた『選ばなかった自分』を断ち切った。
 側に置いておいた太刀を取り、オボロは立ち上がる。冷たいと思えるほど鋭利な視線を森の奥に向ける。油断なく構え、いつでも戦闘に入れるよう腰を低く落とす。

「そこに居るのは分かっている。寝首をかこうとしても無駄だ。大人しく去るか、そのままゆっくりと出てくるんだな」

 人の気配があるのは分かっていた。焚き火の明かりを見つけてやってきたのかは分からなかった。
 分かるのは、それが他者であるということだけだった。

「ん〜……? なんやオボロ……」
「瑠璃……なんだかんだ言って寝てたの……?」

 オボロのただならぬ調子の声を聞いてか、瑠璃と可憐が起きだしてくる。
 瑠璃は浅いながらも眠りについていたようだったが、可憐は目を閉じていただけだったらしい。
 己の研ぎ澄ました気とは裏腹にのんびりとした空気が背後では作られていた。

「篝には負けるで」
「……熟睡してる」

 可憐の呆れ声が聞こえた。ずいぶんと肝が太いとオボロは思った。
 だが、かえってそれがオボロを楽にさせた。視野が広くなったというべきか。戦い一辺倒だった選択肢が薄れ、様々な選択肢が見えてくる。
 説得する、交渉する。言葉次第で情報を拾える、或いは味方につけられるのではという考えも出てくる。
 オボロは考慮した末、太刀を鞘に収めた。無論すぐに抜けるように手を掛けてはいるものの、一種の譲歩をまずは見せてみせた。

6474+1 ◆Ok1sMSayUQ:2015/06/14(日) 21:32:30 ID:GCAYWBHk0
「話をする気なら応じよう。俺達は『生きる』ために行動を共にしている。お前の目的は何だ」
「……同じよ」

 そうして木の陰から出てきたのは、一人の少女だった。

「今はまだ『生きて』、事を成すためにここにいる」

 恐らくは可憐や瑠璃と同じ文化圏の出身なのだろう。服装は彼女らに似ており、太腿が見えてしまうほどの短い腰巻に、上はそれほど厚くなさそうだが清潔感のある白い服。
 髪は後頭部で団子状に結っており、落ち着き払った顔色と合わせて涼しげだという印象をオボロに抱かせた。鈴の音のような声もその雰囲気に似つかわしい。

「えっ、め、恵!?」

 さてどう反応したものかとオボロが思っていると、それよりも先に可憐が反応した。
 知り合いかとオボロが尋ねる間もなく、可憐はオボロの横まで駆け寄ってきて話を始めた。

「……久しぶり」
「久しぶりって……いや久しぶりだけど! 大丈夫だったの!?」
「ずっと一人だったけど。私のこと心配する余裕があるのね。可憐にまで心配されるとは思わなかったわ」
「余裕というか……いやちょっと待ちなさいまでって何よまでって」
「別に」
「絶対何か含んでる!」
「別に」
「あーもう! あんたって相変わらずムカつくわね!」

 オボロは瑠璃の方に向いた。瑠璃は熟睡している篝の頬をつんつんとつついて遊んでいた。
 既に状況は問題ないと判断したらしい。オボロは答えを承知で声をかけてみた。

「俺のいる意味は」
「今はないんとちゃう?」

 知ってたと心の中で答え、オボロはぎゃーぎゃーと煩い可憐と風と受け流す恵と呼ばれた人物の会話を眺めることにした。
 きっとこれでいいのだ、知ったる者同士その方が話はまとまるだろう。分かりきったことだ。
 オボロは肩を落とした。

「可憐はどうでもいいの。用があるのはそっち」
「なっ!」

 が、指名があった。俺か、とオボロが自分を指差すと恵は神妙に頷いた。
 完全に無視される形になった可憐は怒り心頭とまではいかなくとも不満がありありといった様子だったが、
 頭であるオボロを邪魔するというわけにもいかず、腕組みをしつつ、上手くやりなさいよと言外に含むように睨んできた。

「見たところあなたがリーダーみたいだし」
「りーだー?」
「とぼけなくても分かるわ。あなたがこの群れをまとめている」

 オボロは少し考え、ちょいちょいと可憐を呼び寄せた。

6484+1 ◆Ok1sMSayUQ:2015/06/14(日) 21:33:31 ID:GCAYWBHk0
「……何なのよ」
「すまん、りーだー、ってどういう意味だ」
「ああ、貴方外来語分からなかったわね……。ええと、まとめ役。頭でもいいかしら」
「ふむ……」

 いきなり可憐を呼びつけ、耳元でささやき合っているオボロを見て恵は首を傾げていたが、こうするより他にないのだ。
 分からないことを分からないまま話を進めると話がこじれる結果になりかねないし、オボロは可憐達の文化圏の言葉を殆ど知らない。
 取り敢えずこれで分かったことは一つある。恵という人物は、一目見ただけで自分をリーダー……、頭と見抜く洞察力があるということだ。
 女が三人、男が一人ということで単に消去法で導き出しただけかもしれないが。

「確かに俺がまとめている。が、俺にしか分からんことなんてないぞ」
「だけど決定権はある。そうでしょ」

 特に間違っているとも思わなかったので、オボロは頷いた。
 わざわざ自分を指定したのは、自分が決定権があるからということか。
 この時点でオボロは恵が単なる情報交換を持ちかけてきたという線は捨てた。そうであるなら相手は可憐でも構わないはずなのだから。

「単刀直入に聞くわ。あなた、殺したことはある?」

 恵は澄ました表情を変えないままそう言い放った。
 殺したことはあるか? 何を? この場において、その対象は決まりきっている。
 隣にいる可憐が息を呑むのが分かった。若干の動揺も見られる。察するに、それまで可憐の知っていた恵はこんなことは言わないような人だったのだろう。
 それまで遊んでいた瑠璃も意識をこちらに向け、動向を窺っている。
 静寂が広がる中、オボロは答える形で口を開く。

「ここに来る以前の話か? それとも後か?」

 牽制する意味で言う。恵が可憐達と同じ文化圏に属する人間なら、逆を言えば可憐達と同じく、ここに来る以前は殺しなどとは縁遠い暮らしだったはず。
 オボロは違う。生まれ落ち、そして今日に至るまでいつもどこかで戦が始まり、人が死んでいく、そんな時代に生きていた。
 この返答は予測していなかったのだろう。目を丸くし、ややあってから恵は「そういう答え方ができるのね」と唇を歪めた。
 感情は読めない。歓喜であるようにも、恐れているようにも見えた。

「ならいいわ。できる人なら教えてあげる。岸田洋一……こいつは危険よ」
「岸田って……あの男?」

 挙げられた一人の人物の名前に、先に反応したのは可憐だった。共通の知り合いであるらしいが、同時に危険人物でもあるらしい。

「私は見たわ。ここであいつが人を殺す姿を」
「そんな……。確かに、その……、状況はあんな感じだったけど……」
「バジリスク号にあいつがやって来てからの変事を見たでしょ? ブリッジで船員を皆殺しにしたのもきっと……あいつよ」

 殆ど鬼の形相とさえ思える顔で、恵は吐き出すように言った。
 話の筋は見えないが、前々から岸田洋一なる人物に疑わしい要素はあったということになる。
 しかし皆殺し、か。オボロは奇妙な安心感のようなものを覚える。可憐や恵の暮らす國でも、殺人がないというわけではないということに。
 本来、痛ましいことなのかもしれない。しかしオボロにとって、戦がない平和な國で争いもなく暮らしていけるというのは信じがたいことであり、
 可憐達をどこかで未知の異人のように思っていたのも確かだった。はっきり言ってしまえば、本当に同じ『人』なのかとさえ感じていたほどで。
 もちろん、戦の常態を知っているオボロも争いがあっていいはずがないと感じている。そんなものはないのが一番に決まっている。
 しかし『全く』なくなるわけでもないというのも確かなことであり……。
 だから、少しは自分の知っている世界と同じだということに安心してしまったのかもしれなかった。

「その岸田洋一なる奴が、誰を殺したのかは分かるか? 特に俺達に似ている格好であるなら是非教えて欲しい」
「……分からない。見てしまったときには殆ど手遅れで、私も見つからないように逃げるのに精一杯だったから。ただ……そういうのはなかったと思う」

6494+1 ◆Ok1sMSayUQ:2015/06/14(日) 21:33:57 ID:GCAYWBHk0
 恵の指す『そういうの』とは格好のことだろう。
 正確には分からないとはいえ、ユズハを殺した可能性としては低いということで、オボロは少し落胆する気分があった。
 もしそうであるなら、何の呵責もなく殺してやれるというのに。

「……助けには行かれへんかったんか」

 そこに割って入ったのは瑠璃だった。
 話を聞いていて思うところがあったのだろう。若干険がある様子はあるが、オボロはそのまま言わせることにした。

「手遅れって言っても、襲われてたんやろ? 見殺しにしたんか」
「……簡単に助けられるならそうしてる。あなたはあいつを知らない。一度でも見れば分かるわ。あいつがどんなに恐ろしい獣か……」
「フォローするわけじゃないけど、あの岸田洋一という男はただ者じゃないわ。オボロよりも背が高くて筋肉も同じくらいはある。それこそプロスポーツ選手かってくらいにはね」
「俺より高いだと……?」

 オボロの上背はそこそこある。トゥスクルにはもっと大柄な同僚もいるが、それでもかなり高い部類には入る。
 それを超えている上、身体も同等に鍛えてあるとなれば、オボロとしても脅威と認識せざるを得ない。加えて、大勢の人間を皆殺しにできる容赦のなさもあると来ている。
 恵が異様なまでに恐れた様子なのも気にかかった。可憐は気づいていないようだが、『獣』と口にしたときの恵は怯えとさえ取れる声色があった。
 オボロが威嚇してもそれほど動じていなさそうだった恵が岸田洋一を話題にすると変質した。それほど恐ろしい人物ということになる。

「……ごめん。よう知らんで言ってもうた」

 雰囲気を察したのか、それとも可憐も加わったからなのか、瑠璃は引き下がる。
 瑠璃も一度は殺すか殺されるかの場に踏み込んだ立場だ。はっきりとでなくとも、感じられるものがあったのかもしれなかった。

「別に。何も知らないならそう言いたくなるのは当然でしょう」

 気にしていない風であって、そこには棘が混ざっている。見捨てたということ自体に間違いはないというところなのだろうか。
 恵の反応は単純にそれだけでもなさそうなようにオボロには感じられたが、ここに今踏み込む必要はないことだった。

「情報の提供は感謝する。岸田洋一を倒せと言われれば倒そう。それで、お前はどうする? 協力できるなら協力したいところだが」
「私を引き入れると言うの?」
「当然だ。戦力は多ければ多いほどいい。可憐の友人だという信用できる証拠もある」
「随分と信用してるのね。可憐も、今しがた出会ったばかりの私も。正直その判断は甘いのではないかしらと思うけれど」
「そうだな。だが可憐に関してはあれが演技だと言われたら俺は騙されるしかない」

 オボロは肩をすくめてみせる。恵もちらりと可憐を見やり、「それもそうね」と渋い顔をしながら頷いた。「ちょっとそれどういうこと!?」と抗議の声が聞こえたものの、
 それが却って可憐に対する判断の裏付けとなった。まあそれは仕方ないかといった様子で恵はため息をつくと、「では私は?」と次の回答を求める。

6504+1 ◆Ok1sMSayUQ:2015/06/14(日) 21:34:16 ID:GCAYWBHk0
「まずはその可憐の友人をやっているというのが一つ。もう一つは……そうだな、動物をこんな状況で大切に保護しているからかな」
「っ!?」

 さすがに驚いた顔をされる。当たり前だ。オボロ達の前に出てきてから今まで、そのような気配は微塵も見せなかったのだから。
 可憐や瑠璃は、動物? と不思議そうな顔をしていたが、まあこれは当然だ。普通はそうだ。だが自分は違う。質が違う。

「……いつ気付いたの。全く見せた覚えはないのだけど」
「どんな動物かはおおよその想像でしかないがな。足音から小動物と分かったくらいだが。俺達を見つけて隠しただろう。足音が一つ消えたからな。
 そして俺が声をかけるまで、お前はその場でじっと身を潜めていた。違うか?」
「よく聞こえる耳ね……」

 否定がないことが、肯定の証だった。そしてそれは同時に、恵に対する牽制にもなる。
 常に先手はこちらが取っていた。殺ろうと思えばいつでも殺れたという事実を示すことで、恵に舐めた判断は出来ないと理解させる。
 実のところ、疑わしいというか、不審に感じている点はある。可憐や瑠璃がオボロの身体的特徴を見て驚いたのに対し、恵にはそれがない。
 初めて出会ったのなら言及されてしかるべきだ。それがないということは、彼女は既にこちらについて触れたことがある。
 にも関わらず、岸田洋一について話した際に話題に出すことはなかったし、ずっと一人だったという彼女の言が正しいなら自分達の仲間と同行もしていない。
 矛盾しているのだ。ならばどちらかに嘘がある。そして嘘をつくというのは後ろめたいことがあるという可能性が高い。
 自分のような手合いに一度は遭遇していると見たほうがいい。その情報を隠す理由までは分からないし、これだって推測の域を出ない。
 だから、隠していようがそうでなかろうが関係ないという方向性で打って出ることにした。恵を牽制することで、小細工する隙はないと見せたのだ。
 目論見通り、恵には有効に働いたようだった。あの澄まし顔が一瞬でも凍りついたときにオボロには確信できた。

「まあ、俺は偵察なんかもやることがあるからな。目と耳が良くなければ務まらん仕事だ」
「ご明察通り、私はこの子を連れてたわ。保護とかじゃなく、単に会話中に騒がれたら困るからというのが理由だけど……」

 観念した様子で、恵は袋を開ける。中からはにゃあと鳴き声を上げて動物がひょいと顔を出した。

「あっ、猫」
「おー。可愛い猫やな」

 出てきた動物はネコというらしい。小さな体躯に三角形の耳、丸い瞳、しなやかな手足。トゥスクルでも似たような動物は見たことがある。
 似てはいるが、それなりに異なる部分もあった。個体差なのか、それとも彼女らの文化圏において独自の発達を遂げたものなのか。
 学者ではないオボロにはその程度の想像しか出来なかった。ぱっと華やいだ女性陣の様子を見るに、小動物が女性に人気なのはどの國でも変わらないらしいと思う程度だ。

「……それはいいわ。少し誤魔化されそうになったけど、私がこの子を連れてるからといって、それは信じる理由になるの?」
「ああ。……俺の守りたかった子も動物好きでな。よく可愛がっていた……。その子と重ねてるわけじゃない。
 ただ、思いやる心がなければ、言葉も交わせない動物を連れて歩くなど出来ないことだ。それが信じる理由だ」
「そう……」

 放送を信じるなら、亡くなったのはユズハばかりではない。アルルゥ、ウルトリィ。共に過ごす仲間が減ってしまった寂しさを噛み締めながら、
 オボロは信じようと思ったもう半分の理由を告げた。疑わしい部分はあるにしろ、アルルゥのように好き好んで戦闘の役に立たない動物を可愛がれる精神性の持ち主なら。
 信じてみたかった。可憐の友人であるということも含めて、今はそちらに賭けてみたかったのだ。

「オボロ……それって、ユズハさんのこと?」
「いや、別人だ。兄者が大切にしていた家族でな……。それ以上は、今は言いたくはない」
「……ごめんなさい」

 これ以上口に出してしまえば、一旦は飲み込んだ怒りが再燃し、爆発させてしまう可能性があった。
 可憐もそれが分かったようで申し訳無さそうに体を縮こませたが、「お前が悪いわけじゃないさ」と肩を叩いてやるとこくりと頷いてくれた。
 気に病まれるよりは意図を察してくれる方が有難かった。今は、怒りを迸らせている時ではない。

6514+1 ◆Ok1sMSayUQ:2015/06/14(日) 21:34:33 ID:GCAYWBHk0
「そういうわけだ。協力し合えるならいいが、どうだ」
「……分かったわ。それじゃ、よろしくお願いするわ」
「こちらこそ頼む。俺はオボロ。で、あっちの団子頭なのが瑠璃だ。あっちの寝てるのは……まあ、起きたときにでも」
「けったいな説明せんといてや……」
「片桐恵。呼び方は好きにしていいわ」

 言って、恵は焚き火から少し離れた場所に腰を下ろし、膝を抱えるように座った。歩き詰めだったのだろう、軽く息を吐くと膝裏をぽんぽんと叩き始める。
 その様子を見ながら可憐は「あいつ、いつも通りね」と感嘆とも呆れともつかない調子の声を漏らす。

「知らない仲じゃないのに距離を取って、私は平気ですって顔してる」
「そいつの友としてはどう思う」
「実際冷静だと思う。見た目通りに、肝も据わってる感じ。本心じゃどう考えてるか知らないけど」
「疑わしいか?」
「全部信じられるかって言えば嘘になるわよ……。でも、そう簡単に人を殺したりはしないと思う」

 自分に言い聞かせるように。どこか祈りを込めた様子で、可憐は言葉を紡ぐ。
 友でさえ、ここでは殺し合う。オボロとトウカがそうしたように。願いの向きが僅かに異なるだけで、人と人は容易く刃を向け合う。
 己や、己よりも大切な誰かの為に――。

「あいつだって、血の通った人間だもの。殺さなきゃ殺されるかもしれないで、はいそうですよって割り切れる機械のような子じゃないと思いたい」
「俺もそう思いたいものだ」

 それで会話を打ち切り、オボロも元いた場所に腰を下ろした。
 自分から仲間にしたくせに、疑わしきを見つけようとする己に少々嫌気が差したのだった。
 必要なことではあるが、気分がいいものではない。謀略には向いてない性格だと思いながら、オボロは相変わらず熟睡している篝を見やった。
 ついに会話中起きることがなかった。案外鈍いのか、それとも大事には至らぬと感じて寝ているのか。最初のころと大違いである。
 何にせよ、彼女が起きたときに説明は必要だろうと思いながら、オボロもほんの少しの間、頭を休ませる意味で目を閉じることにしたのだった。

     *     *     *

6524+1 ◆Ok1sMSayUQ:2015/06/14(日) 21:34:48 ID:GCAYWBHk0
 多少計算外のことはあったものの、概ね結果は悪くないというのが恵の感想だった。
 特にあのオボロという男、油断も隙もないということを先ほどの会話で見せてきた。
 下手な気は起こさないほうが身のためだ、という釘を差されたに等しかった。
 もちろん恵は最初から皆殺しにする気などなく……というより、人数の差から見ても相手にする気などなかった。
 しばらく様子を見て、それなりに安全そうな集団であるならという気分で遠巻きに見ていたところを、先手を打たれた。
 オボロがただ者ではないと理解すると同時に、やはり恵の実力などそんなものかという認識ができたことも有難かった。
 所詮はただの女子高生。隠密行動のレベルだってたかが知れている。自分の力を過大評価せずに済んだという安心感さえあった。
 可憐や瑠璃はともかく、オボロについては信用を置いていい。当面、戦闘に関する指示は仰いでおいても問題はない。
 こちらとしては岸田さえ殺せればいいのだ。手段は選んでいられない。岸田は必ず殺す。
 自分を邪魔し道を塞ぐ者、自分の行いを悪として糾弾する者も排除する。
 どうせ何も失うものなどないのだから……。

(ただ……可憐には、いや、友達『だった』人たちには見られたくないものね)

 失望されることなど分かりきっている。頭に思い描くまでもなく、友達などという薄っぺらい皮を剥ぎ取って罵倒という名前の槍を突き刺してくる光景は見えていた。
 恵はその領域に踏み込んでしまっているのだ。もう戻れない。命が惜しいがために、道徳を破り捨ててしまったのだから。
 想像は出来たが、いざ実践されるともっと酷いことになるのも、見えていた。現実はいつだって想像を上回ってくる。
 ゆえに。既に渇ききっているこの心にもさらにヒビが入り、もっと壊れてしまうかもしれないと思えば……、
 自分が人殺しの化け物であることなど、知られたくはなかった。見られたくはなかった。

(……ひとが、四人)

 恵は周囲を胡乱な目で見た。目を閉じているオボロ。どこか落ち着かない様子の可憐。まら知らぬ少女の隣でぼんやりとしている瑠璃。
 遠く、見えた。いや実際遠いのだ。同じ場所にいながら恵だけが離れている。望んで手を伸ばしても届かない。
 私は、孤独だ。

 当たり前になってしまった事実を再認識して、恵は自分の膝に顔を埋めた。

6534+1 ◆Ok1sMSayUQ:2015/06/14(日) 21:35:02 ID:GCAYWBHk0




【時間:1日目午後21時00分ごろ】
【場所:F-5】


 篝
 【持ち物:なし】
 【状況:右肩に銃創(治療済み)。寝。】

 オボロ
 【持ち物:打刀、水・食料一日分】
 【状況:健康】

 姫百合瑠璃
 【持ち物:クロスボウ,水・食料一日分】
 【状況:健康】

 綾之部可憐
 【持ち物:水・食料一日分】
 【状況:健康】

 片桐恵
 【持ち物:デリンジャー、予備弾丸×9、レノン(猫)、水・食料二日分】
 【状況:健康】

654名無しさんだよもん:2015/10/06(火) 01:03:20 ID:b2bcKfvg0
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655名無しさんだよもん:2016/04/13(水) 14:00:28 ID:u4coKF9s0
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659名無しさんだよもん:2016/05/10(火) 13:10:20 ID:pWZrjWew0
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660名無しさんだよもん:2016/05/13(金) 04:15:27 ID:ZcHiXPf.0
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