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それは砕けし無貌の太陽のようです
1
:
◆HQdQA3Ajro
:2021/10/16(土) 00:00:21 ID:jePDeZ3M0
昏
光。
燦然と降り注ぐその輝きに、例えこの目を焼かれようと構いはすまい。
身も心も焦がすこの灼熱は、予て待ち望みし恩寵に相違ないのだから。
それを見上げ、それに焼かれ、それに溶けてそれと成る。それこそが幸福。
穴蔵に潜み隠れたる者の、羽化を兆す福音の歓喜。然るべきは再誕の曙光、新生の暁なり。
ああ。
太陽だったのだ。
確かにそれは、太陽だったのだ。
誰がそれを疑おうとも、信仰は我が胸の裡にて完成していたのだから。
何がそれを疑おうとも、疑うことすら忘れようとも。
我が胸の裡にてそれは、然と完成していたのだから。
完成していたのだから。
砕けたもの。果たしてそれは、世界か己か。
太陽の失墜。
天は夜を主と定め、光輝を失して世は久しく。
現はもはや見知らぬ外地。氾濫せしめる疑似似非誤謬。
今や既に、我らが故里は彼方の過去へ。永久への夢は、潰えたり。
最下の無間に仄見えたるは、かつて拝んだ光の残滓。
蛆に塗れた腐敗の結に、天地を逆してただ拝む。
盲の孤狼は無貌の天へ、刻理に背いて遠吠える。
沈まぬ光を、祈願して。沈まぬ光を、夢想して。
沈んだ光を、放捨して。沈んだ光を、放捨して――。
太陽よ、我が太陽よ、ああ――――――――
.
2
:
◆HQdQA3Ajro
:2021/10/16(土) 00:00:58 ID:jePDeZ3M0
一
「照出麗奈、二五歳です! デレって呼んでください!」
デレ? ……ああ、『てるい“でれ”いな』か。
……絶対呼ばねぇ。編集長の高良が連れてきた新しい担当の、
そのきんきんと甲高い声を耳障りに感じながら俺はそう、固く誓った。
絶対呼ばねぇ。
「……ニュッ先生?」
「高良」
「はいはい先生、なんでございましょう?」
軽薄で無遠慮な、気色の悪い猫なで声。したら出版の高良。
こいつの声を聞くと、いつでも吐き気が止まらなくなる。
「いらないと、言った」
「えぇえぇ、それはもちろん存じ上げておりますとも。
しかし余計な雑事を取り払い、先生のために執筆環境を整えるのも私共の仕事でございまして。
ましてや最近先生は、些か筆の進みが鈍っているとお聞きしましたから。
……いえいえもちろん、先生の原稿を頂けるなら私共、いつまででもお待ちする心積もりでございますが」
「判ってる」
判っているさ。
お前らが俺のことを、金を生む鶏程度にしか思っちゃいないことくらい。
「えぇえぇもちろん、先生のことは信じておりますとも。
ですのでこの照出は私共のほんの気持ち、家政婦にでも出前代わりにでも好きなようにお使い頂ければ。
なに、こう見えて照出は優秀な編集ですよ。なにより若くてエネルギッシュですしね」
手を揉みながら、高良が側へと寄ってくる。思わず身体が引く。
しかしそれを追跡するように、高良は自らの頭を俺の耳元へ接近させてきた。
「それにほら、先生だって女の子の方がやる気でますでしょ」
ささやくように耳の奥へと流し込まれた卑俗な文言。視界が隅に捉えしにやけた口の端。
……下劣。余りにも。本当に気持ち悪い。所作の全てが耐え難い。
勢い身体をよじり切って、背中で拒絶を明示する。乾いた笑いが、背中を打った。
ああそうさ、面倒だとでもなんとでも思っていればいい。それで丁度、お互い様だ。
3
:
◆HQdQA3Ajro
:2021/10/16(土) 00:01:36 ID:jePDeZ3M0
「ほら照出くん、ぼうっとしてないで君ももっとアピールしなさい」
偉そうな声での命令。はんっ、今度は部下への転嫁か。
「はい! ……編集長、アピールって何をすればいいんでしょう?」
「そんなこと、予め考えておきなさいよ!」
オカマ野郎がきいきいと、傲岸不遜に喚き出す。どこまでも醜い。
初めて出会ったあの時から、まるで変わっちゃいない。俺が作家となったばかりの、あの頃から。
高良に連れてこられた女は入室時の威勢はどこへやら、
はいはいはいと社会人らしいその場しのぎの返事を繰り返すことしかできなくされている。
不憫と言えば不憫だ。こんな保身と出世欲が人皮を被って這い回っているような
男の部下になってしまったのだから。これ以上の不幸もそうありはしない。
けれどこれも、結局の所はポーズだろう。哀れを誘って居たたまれなくさせるためのポーズ。
知っているんだ、お前の手口は。同情など、するものか。
……同情は、しないが。
「……『煙火の断頭』」
「え?」
どうせ断っても、埒が明かない。折れるのはいつも通り、俺の方だ。
だったら――。
「『煙火の断頭』は、読んだか」
少しでも知っておいた方が、懸命だ。
「あ……は、はい! 『煙火の断頭』! 読みました!」
「どう感じた」
これから側をうろつくネズミが、どの程度のものなのか。
「私には、そのぅ……」
どの程度の、害獣なのか。
「ちょぉっと、むつかしくって。えへへ……」
笑い声。誤魔化すような、情けのない。見なくても目に浮かぶ。不誠実に歪んだ、その顔。
唾棄すべき小人の処世術。だが、構いやしない。初めから、期待などしていなかったのだから。
判った、勝手にしろ。背中を向けたまま、俺はそう、言おうとした。
言おうとしたのだ。しかし言葉は、直前に掻き消された。
4
:
◆HQdQA3Ajro
:2021/10/16(土) 00:02:07 ID:jePDeZ3M0
「――でも!」
鋭い、“でも”。
「『太陽を見上げた狼』は、大好きです!」
“でも”に続いた、言葉。
「何度も……何十回も読み返して、今でも読み返してしまうくらい、大好きなんです」
「……へぇ」
理解を示す返答をしておきながら、俺の心象は先程よりも強く波立つ。
あ……、と、声が漏れた。気配を、感じた。見上げる。目の前にあるもの。
『俺の木』。『俺の木』から、垂れ下がっているもの。吊るされているもの――
“その人”と、視線を、交わす。
『おまえはわるくないよ』
「せ、先生! どうされました!」
慌てふためいた高良の声。立ち上がっていた。立ち上がって、見上げていた。
そこにはなにもない。何も見えない上空。視線を下ろす。腰の高さ程度しかない、『俺の木』。
自重によってやや左へ曲がっているそれ。吊るされているものなど当然ない。
そこにはもう、誰もいない。誰も。誰も。
先生。
背後で高良が、部下を叱りつけていた。
部下の言葉が俺のへそを曲げさせたとでも思ったのか、
他者を責めることでノミの心臓を鎮めようとしているのか、はたまたその両方か。
どうでもよかった。高良のことなど、どうでもいい。考慮すべきは、唯一つ。
裁定は下された。照出麗奈――この女は、信用に値しない。
こいつもやはり、“編集”だ。
.
5
:
◆HQdQA3Ajro
:2021/10/16(土) 00:02:49 ID:jePDeZ3M0
※
書けない、書けない、書きたくない。
当然だろう。何故ならこれは、俺の書くべきモノでないのだから。
こんな愚かしくくだらない、芸術未満の紛い物。書けば書くほど恥の上塗りだ。
こんなもの、書きたくはない。そうだ、違うのだ。俺が書くべきは、俺が本当に書きたいのは――。
『そうだね、お前の書くものは――』
「私、先生のお役に立ちたくてこの仕事を選んだんです!」
所作振る舞いに同様、頭の軽さを感じさせる新担当の言葉は
やはり調子の良い媚びへつらいに塗れており、その一挙手一投足が癇に障り、
早くも苛立ちはピークを迎えつつあった。
しかも聞くところによればこの女、今年入社したばかりのド新人だというではないか。
当然他の作家を担当した経験もなく、常識もなければ能力も足りていない。
高良の野郎、何が優秀だ。厄介払いでもするつもりか。だったら他でやれ。押し付けるな、俺に。
「先生、なにか手伝えることはありませんか?」
聞くな、触れるな、自分で考えて自分でどうにかしろ。
お前なんかに構っていられるほど俺は暇じゃないんだ。
そうだ、俺は書かなければならない。書きたくもないものを書かなければならない。
書きたくもないものをどうやって書くか考えなければならない。
暇などないのだ。無限に時間を使用したとて、進捗など毫に等しく皆無なのだから。
ただの一文字とて、思い浮かびはしないのだから。故に俺に、暇などない。無駄な時間はない。
ただしそれは、無為といって相違はあるまい。愚人の無為に。
それでも、書かなければならない。俺は、書かねばならない。
『悲しむことじゃないさ。それはお前の――』
.
6
:
◆HQdQA3Ajro
:2021/10/16(土) 00:03:22 ID:jePDeZ3M0
「それに触るな!」
突き飛ばす。女を。引き剥がして、取り返す。
『俺の木』。勢い余って、鉢が傾く。内側の土が転がる。
塵と埃の堆積したバルコニーの上に、少量散らばる。塵と埃と土が重なる。
心の中で舌打ちしつつ、『俺の木』を抱えて部屋へと入る。
「雨が」
女がつぶやいた。
「雨が降り始めたから、取り込もうと思って」
言われて、空を見る。女の言う通り空には重く黒い雲がぐろぐろと蠢き、
大きめの雨粒をばちばちと眼下の地上へと打ち付け始めていた。
予報では、もう一、二時間後のはずだったが。
確かめる。軽く湿気を帯びてはいるものの、『俺の木』に濡れた様子はない。
葉だけではなく幹も、根にも異常はなさそうだった。とはいえこいつは繊細だ。
明日はバルコニーに出さないほうがいいかもしれない。
バルコニーから、笑い声が聞こえた。
「あ、ごめんなさい」
言いながらしかし、その声には喜色が混じっており。
「『これはぼくの木。ぼくの木なんだ』」
強く雨に打たれながらも、露と介さずうれしそうに。
「『太陽を見上げた狼』の、風謡いのフラギみたいだなぁなんて思っちゃって……えへへ」
俺の書いたものを例と挙げて、如何にも楽しそうに。笑う。笑う、顔。
見えてはいない。見なくとも判る。しかし……しかし、僅かに視線を上げればそこに、
想像ではない確かな表情が実在している。認識できる。僅かに視線を上げれば。上げてさえしまえば。
俺は――。
7
:
◆HQdQA3Ajro
:2021/10/16(土) 00:04:06 ID:jePDeZ3M0
『だからね――』
「先生?」
『お前はお前を――』
――ダメだ。
「先生、どうしたんですか? 先生?」
どこにある。どこにしまった。家の中をひっくり返す。
棚の中を、机の後ろを、時計の裏を、床の下を。ない、ない、どこにもない。
使い切ってしまったのだろうか。使い切ってしまったのだ。
前回の時に、前の本の時に全部使い切ったのだ。
次は頼らぬと、もう必要ないと、補充しておかなかったのだ。
でも――ダメだ。“アレ”がないと。“アレ”を手に入れないと、このままでは俺は、俺は――。
「先生!」
肩に、熱。人の手。動悸が止まる。瞬間、冷静になる。
「先生」。女の声。不安を帯びた。懐の携帯。既に我が手の先に触れたそれ。
いまここで使うのは、得策でない。顔を合わせぬまま、告げる。
「帰れ」
「先生、でも――」
「帰れ」
痛みを伴う乾いた呼吸。やがて、肩に触れていた熱が離れていった。女が、離れていった。
ぎぃぎぃと、フローリングの硬い床が軋む音。こすれる音。右往左往する人の気配。
不必要な所作を感じさせるそれは、しかして遂に、宅の入り口にして出口でもある場所へと到達する。
かたこんと、下ろした鍵が上げられる。
8
:
◆HQdQA3Ajro
:2021/10/16(土) 00:04:48 ID:jePDeZ3M0
「何かあったら、いつでも連絡ください。何時でも私、出ますから。絶対に、出ますから」
扉は、中々開けられなかった。俺は返事をしない。壁を越えて突き刺さる視線。それが、切れた。
遠慮がちに“きぃ”と音立て開いた扉から、外気と風雨の喧騒が入り込む。
それも、一瞬。訪れるは、再び静寂。
腰を上げた。上げられた鍵を、元の姿へ下ろす。下ろす。
のぞき窓から、外を見る。誰も居ない。隣人も、女も。見える限りは。
そして俺は、のぞき穴に顔を接触させた格好のままずりずりと身を崩し、扉を背にして座り込んだ。
座り込んで、取り出した。懐の、携帯。かける先は、履歴の上から三番目。
相手を呼び出す無機質なコール。
そのけたたましくかつ刺々しい音に頭の中を撹拌されながら俺は、天井を見上げる。
天井から吊り下げられたそれを。首をくくったその人を。俺を見下ろすその人を。
砕けた頭部を。無間の洞を。その奥にて仄見える、青白く腐敗した太陽の――その、残滓を。
先生、先生、ぼくは、先生――。
『――人々が、お前の小説を待っているんだから』
……そうだ、書くんだ。ぼくは、書くんだ。
.
9
:
◆HQdQA3Ajro
:2021/10/16(土) 00:05:20 ID:jePDeZ3M0
※
「例えるならそう……阿片。阿片でしょうな」
指の間に挟んだ煙草を突きつけるようにしてキツネは、自論を展開する。
「大衆の頭を蕩けさせ、蕩けて判断力を失った頭に強烈な快楽という餌を次々ぶら下げ依存に導く、
実に功名で犯罪的なやり口。昨今では、どこもかしこもこのような方法に溢れかえって……
くっくっ、いまや私らの方こそ見習わねばならん時代ですわ」
笑う度に紫煙がくゆり、火の粉がぱちぱち爆ぜ飛び燃ゆる。
その前時代的な情景は、この小汚い中華飯店の裡において驚異的な統制感を生み出していた。
外の今を、疑いたくなる程に。
「ところで先生、新作、拝読させて頂きましたよ」
溜まった灰が、とんっと皿へと落とされる。
「そうですな、率直に言って――どうやら先生は、今の作家さんになってしまわれたようだ」
燻った焔を抱えた灰が、生命の終わりかの如くにその輝きを失っていく。
……ああそうかい。ズケズケと、いう。ふんっ、言われなくても判っている。お前なんかに言われなくても。
壁の方へと、顔を向けた。視界の端で、紫煙が揺れる。キツネが笑い出した。
押し潰したのどから空気だけを漏らすような、独特な笑い方。
「なぁに、責めやしませんとも。顧客第一、結構なことじゃありませんか。私らも同じです。
売れねば食っていけません。食えねば生き残れません。生き残らねば、どうにも次へはつながらず。
とくれば明るい未来もそっくりパァ!……なぁんてものでね」
大仰に両手を広げたキツネは、何が楽しいのかやはり再び笑い出す。
腹の底の読めないキツネ。高良とはまた異なる意味で、信用できない。
……だが。
おまちどぅ……と、気力の感じられない声と共に従業員が、叩きつけるように膳を配した。
美意識など感じられない、無造作な盛り付け。見た目はともかく量だけは揃えたといった風情のもの。
はっきりいって、食欲をそそられる代物ではない。
……が、だからこそ、気取らぬそれらからは理性に反した安堵を抱く。
「ま、食いましょうや。売れなくても死にますが食わなくとも死ぬ。それが世の理ってもんです」
指の間の煙草をもみ消しいただきますと、キツネが一番に手を付けだした。
背広の上からでも瞭然な針金のように細く長く不健康な肉体に、
でらでらと油に光る料理の群れが吸い込まれていく。
見ているだけで胸焼けを起こしそうな情景。
しかし当の本人はまるで意に介する様子なく、皿の上の塊を平らげていく。
10
:
◆HQdQA3Ajro
:2021/10/16(土) 00:05:41 ID:jePDeZ3M0
「ほらトラ、お前も食え。先生が気を使っちまうだろ」
「はい、キツネの兄貴。頂きます」
キツネの隣で彫像のように押し黙っていた男が、静かに合掌する。
キツネとは対象的に、明らかにサイズの合っていない背広をぱつぱつに張らせた
レスラーかラガーマンかとでもいった体躯のこの男は、その見た目からは想像のつかないほどに行儀良く、
皿の中の飯に手を出し始めた。そして、しばし、黙々と、食う。黙々と食うキツネとトラ。
その様子を、首から下を、俺は見つめる。キツネが箸を止めた。
「……餃子、味、変わったな」
それとはっきり判るほど、大きく吐かれるため息。
「“昔ながら”が失われるのは、いつだってさみしいもんだ……」
止めた箸を、キツネが置いた。
「なあトラよ。お前さんもそう思うだろう?」
合わせてトラが、箸を置いた。
「はい、キツネの兄貴。俺もそう思います」
「そうかいそうかい、素直なやつだなお前さんは」
「恐縮です」
キツネが笑う。押し潰したのどから空気だけを漏らすような、独特な笑い方。
笑いながら、キツネが新たな煙草を指に挟んだ。隣のトラが火を灯す。
皿の上の餃子はそのままに、紫煙がくゆる。時間が停滞していた。この場、この時に置いてだけ。
だが俺は、止まるためにここへ来たのではない。
手を伸ばした。キツネの残した餃子の乗った、その皿へ。
つかみ、引き寄せ、流し込むようにそれらを胃の腑へ落としていく。
油にぬめった包の皮が、のどをずるりと滑っていった。
空。空いた皿を、叩きつける。店主の視線が、こちらへ向いた。
「寄越せ。金ならある」
「くっくっ……相変わらず繊細なお人だ」
指で強くテーブルを打つ。くつくつと、呆れるように紫煙が揺れた。キツネが合図を送る。
「はい」と、生真面目さを感じさせる硬い声で応じたトラは脇に備えたブリーフケースから、
全国展開されている新古書店の安っぽいビニール袋を取り出した。
見慣れたその、多くの作家が目の敵にしているデフォルメにデザインされたスマイルマークの刻印。
11
:
◆HQdQA3Ajro
:2021/10/16(土) 00:06:11 ID:jePDeZ3M0
「私からのおすすめでね」
トラが取っ手を両に開き、中身を顕す。
中に入っているのは色あせた文庫本が二冊と、古ぼけたCDケースが、三つ。
「検めますかね?」
紫煙の向こうでキツネが揺れる。俺は答えない。ただ無言で、手を伸ばす。
「くっくっ、ご信用の程、感謝致しますよ」
キツネが笑う。向こう側から。辿り着く先を、見据えるように。判っている。
こんなこと、いつまでも続けられるものではないと。この行いが公になれば破滅はまず免れ得ず、
よしんば隠しおおせたとしても肉体的な破滅が待ち受ける。“こんなやつら“に頼ってはいけない。
そんなことは、常識として理解している。だが――だが、書くためだ。
書くためであれば、なんでもする。書くためであれば、何もかもを捧げる。
俺は、書かなければならないんだ。そうだ、だから。
だから――。
「ダメです!!」
……は?
「おやおや、こいつはかわいらしいお嬢さんだ」
なんだ、どういうことだ?
「お客さんちょっと困るよ、この人たちはね――」
「ああいいんだ、いいんだ親父。どうやらこのくりくりなお嬢さん、私らの“身内”だ」
慌てた様子の店主を、キツネが追い返す。
突然の闖入者は当たり前のようにして、そこに立っている。
聞き覚えのある声。それもつい最近。それこそ、そう、つい数時間前まで耳にしていた。
照出麗奈、なぜここに?
「それでお嬢さん、何がダメだというんだい。
私らはほれこの通り、先生に頼まれて本やらなにやらを調達してきただけでさ」
「いますぐ」
らしくない、有無を言わせぬ語調。
「いますぐこのお店から、出ていってください。でなければ私、通報します」
12
:
◆HQdQA3Ajro
:2021/10/16(土) 00:06:32 ID:jePDeZ3M0
がたりりと、吹き飛ぶように椅子が倒れた。キツネの隣で、影に徹する巨躯が立つ。
「とぉーら、やめぇ」
「しかしキツネの兄貴」
兄貴分に諌められてなお、トラは敵意を剥き出しにしていた。
先程までの紳士な様子は影もなく、はちきれそうな背広の裡から
その生業に相応しい暴力の気配が放射されている。
トラという異名の通り、その姿からは肉食獣の攻撃性が余さず発揮されていた。
しかしキツネはまるで変わらず、自分のペースを崩さない。
「言ったろう、何でも力で解決するもんじゃねえって。それにほら、よく見てみ。
気丈に振る舞おうとしてその実、おっかなくてしょうがないってこの姿。震えがな、止まってくれねえのさ。
目尻には涙なんか溜めちまって、いじらしいと思わねえか?」
「はあ……」
トラはそれでも納得いかなかったのか、威圧した空気を抑えることなく女にぶつけている。
女は女で逃げることなく、握りしめた携帯へ銃口を突きつけるかのように伸ばした人差し指を構えている。
その手、その指先は確かにキツネの言う通り緊張に微震していたものの、
その屹立とした佇まいからはか弱さなど微塵も感じられはしない。
そこには、確たる意志が存在していた。
俺はといえば……俺はといえば未だこの状況に追いつけず、
ただ傍観者の如く成り行きを漠と見続けることしかできずにいた。
「なあお嬢さん、ひとつ構わんかね」
照出は答えない。
「くっくっ、嫌われちまったもんだ。まあいいさ、それじゃこいつは小汚いおっさんの寂しい独り言だがね」
あくまでも平生通りに、キツネは煙草を吹かす。
「どうもあんたは、私のことを稼業も含めてご存知のようだ。
とくれば、下手な誤魔化しは無意味でしょうな」
安閑と、急くことなく、己のリズムで話を続ける。
「ま、お察しの通りですわ。
私らはイケナイ薬の売人で、今日は先生に呼ばれてお品物を届けに来たってわけです。
ですんで、通報されたらそりゃ、ちっとばかし具合が悪い。だがね――」
キツネが俺と照出へ、ゆるりと交互に首を振った。
「見たとこあんた、先生の新しい担当でしょう。判りますともそれくらい。
あんたのことは知らずとも、先生とは“長い”ですからな。
可能性をひとつひとつ潰していけば、それくらいは容易に察せるもんです。
で、それでですがねお嬢さん――」
13
:
◆HQdQA3Ajro
:2021/10/16(土) 00:06:59 ID:jePDeZ3M0
長い、吐息。むわりと湿度の高い店内に、灰の煙が細く伸びる。
それは吹き出された場所から離れれば離れるほど急速に拡散し、
勢いを失って形状も失い、やがては色も失い店内の湿度の一部と消えていった。
それは、実際以上に、長い“溜め”に感じられた。そしてキツネが、言葉をつなぐ。
「あんたは公共の正義と企業人としての責務、どちらを選ぶおつもりで?」
「私は……」
張り詰めた、声。
「私はあなたたちを、許しません……!」
「……ああそうか、思い出しましたわ」
キツネが、笑う。
くっくっくっと独特な、押し潰したのどから空気だけを漏らすような笑い方で。
口の端を釣り上げキツネが、屹立する照出を見上げた。
「以前にお会いした時は、喪服姿でしたな」
照出の指が、携帯に触れた。「事件ですか、事故ですか、なにがありましたか」。
携帯から、応答者の声が響く。本当に、通報した。トラが飛びかかりかけた。
キツネがそれを留めた。電話の向こうから、呼びかけが続く。
「どうしました、もしもし、どうしました」。照出の胸が、上下していた。
呼吸が乱れているのだ。照出は立ち尽くして、固まっていた。
その様子を俺は、僅かに、僅かに視線を上げて、見る。
のどもとを、首を、顎を越えて、口元。 照出が、唇を震わせた。真一文字に結ばれていた口が、開いた。
「……すみません、間違えました」
静寂。キツネが煙草を吸う。じじじじと、先端で火の粉が爆ぜる。
その火が未だ消滅し切る前に、キツネは煙草を灰皿に押し付けた。
「ま、このまま商売という空気でもありませんし、今日の所は退散しますよ。
信用第一が私らのモットーですからな」
さてトラよ、ずらかるかね。そう言ってキツネは、のそりと椅子から立ち上がる。
……待て、おい。お前、本当に帰るつもりか。俺はまだ、ブツを受け取っていないんだぞ。
アレがないと、俺は――おい、キツネ、おい。
「それでは先生、機会があればまた。小説、次は楽しみにしてますよ」
念ずる声は力にならず、夜闇の商売人であるキツネとトラは、
売品である薬を携え消えていった。彼らの領分である、乾いた夜へと。
14
:
◆HQdQA3Ajro
:2021/10/16(土) 00:07:23 ID:jePDeZ3M0
「この餃子、おいしいですね。ね、先生」
異物だ。
「毎日だとカロリー気にしちゃいますけど、たまにはこういうのもいいですよね」
こいつは、異物だ。
「先生、いらないんですか? 私、全部食べちゃいますよ?」
この店には余りにもそぐわない、異物だ。
「本当に、いらないんですか? 餃子、おいしいですよ?」
俺の、生息域においても。
「先生やせっぽちだし、ちょっとはお肉、つけた方がいいと思いますよ?」
「尾けたのか」
「ほら、先生お顔は悪くないんだし、もっと健康的になれば、その……
そう、そうですそうです! モテモテですよ、モテモテ!」
「尾けたのか」
「モテモテ、ですよ、えへへ……」
「尾けたのか」
「……ええ、はい。尾行、しました」
「なんで」
「……」
「なんで」
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