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立ち話・雑談スレッド

1副管理人Z★:2010/11/25(木) 22:35:03
特にテーマを絞らないフリートークのスレッドです。

49堅皇:2010/12/24(金) 04:30:43
>>しげきょんさん

それだと「南無妙法蓮華経は宇宙のリズム」ではなく
「南無妙法蓮華経を唱えると宇宙のリズムを感じられる」と言う説明になりますよ。

つまり池田さんと言っている意味と違います。

何度も書くけど
「南無妙法蓮華経は宇宙のリズム」の意味を説明して欲しいんですね。

50エキストラオ:2010/12/24(金) 11:16:29
★宇宙のリズムっ・『オッパッピー♪』ってことじゃないの????

///////////////////////////////////////////////////////////////////

51堅皇:2010/12/24(金) 14:53:22
「南無妙法蓮華経は宇宙のリズム」であると言う事が
ちゃんと会員の人たちの口からも説明できないとなると

それは池田さんだけが知っている秘密のアッ子ちゃんですよ。

ちなみにテクマクマヤコンは宇宙のリズム?

52しげきょん:2010/12/25(土) 01:00:22
まあ説明の前触れですけど  、宇宙と生命のあり方ですね
宇宙が生命を創出した、その生命が年数と共に進化を果たした
ちょと立証しがたいが、宇宙には生命の母である働きがあるとして
前述の進化を育んだとも言える、その大前提にあるのが
無限の宇宙も生命創出の因果と縁があり 生命も宇宙であるという考えとの
過去世という概念が宇宙の中で(生命も宇宙として)
知的生命が過去世の因と縁を思い出した
因果と縁により生命及び宇宙が仮に和合しているのを解明したのが釈尊の
仏法である、究極宇宙は生命を育み因果と縁の生命の活動を続けるその
価値的法則というものを己心と宇宙の大我の存在に見出したのが胸中の妙法蓮華教とした
のが法華経の四師たちであって釈迦、天台、伝教、大聖人であって
各々十界の生命で変化の縁に触れながら活動するこの縁の最高善が日蓮の生命である
価値を見出し、会得することを、弘教と妙法流布したのが
日蓮及びその眷属である地涌千界の菩薩たちである
変化に価値的変化の栄えの道と堕落的変化の滅びの道(貪り愚かいかりの生命に翻弄される人人)を本来内在する
善い価値の生命つまり仏性を開発する修行法を確立したのが日蓮大聖人であると思う
ぶっちゃけ日蓮の大我の生命に境智冥合する体験を日々自己の生命のに行えば信解するもので
即身成仏の意味でも唱題決意の修行されるのがよろしいと思いますよ

53しげきょん:2010/12/25(土) 01:04:15
宇宙のリズムとは随縁真如の道に他ならない
広宣流布とは日蓮の請願に同意の眷属を導きだす運動である

54しげきょん:2010/12/25(土) 01:14:54
地涌の菩薩を自覚することです
「日蓮と宿縁深き」と観ずる本尊があるではないか?

55堅皇:2010/12/25(土) 03:25:20
>>しげきょんさん

> 宇宙のリズムとは随縁真如の道に他ならない

この回答で宜しいですかね。
と言うより俺は「宇宙のリズム=真如」と考えてもいいと思いますけどね。
それが解りやすいと言うのであれば。

では「題目」と「真言」との随縁真如を宇宙のリズムに当てはめて違いを述べますね。

「真言」の場合は真如である言葉を随縁として真如を得ると言う事ですね。
これに対し「題目」はその名の通り真如ではない。
題目と言う言葉を随縁として真如を得ると言う事ですね。

違いは解りますよね、両者ともその言葉を随縁として真如を得ようとしているわけですが
それ自体が真如か否かと言うことです。

つまり真言の場合はそのまま「真言=宇宙のリズム」であり
題目の場合は「題目を通じて宇宙のリズムを知る」となるので
題目自体は宇宙のリズムではなくあくまで随縁であり真如ではない。
よって「題目≠宇宙のリズム」となります。

池田さんは「南無妙法蓮華経は宇宙のリズム」と発言していますので
南無妙法蓮華経は真言であると解釈されているという事になります。

さて、南無妙法蓮華経は「真言」なのか「題目」なのかと言う話。

56堅皇:2010/12/25(土) 03:41:29
真如に関しては金剛般若経の出典となりますので
無量義経での「四十余年未顕真実」や法華経を蔑ろにしてしまうと
そのまま真如の追求に目が行ってしまうわけですね。

まさしく真言宗が陥ってしまった過ちであると言えますね。
「未顕真実」や法華経をちゃんと理解すれば真如は顕す事のできないものであると言う事が
ちゃんと学習する事ができたのにと言う話になるかと思います。

この真言の過ちをちゃんと理解した事により
日蓮は「題目」という形で南無妙法蓮華経を広めたのだとも言えますね。

57エキストラオ:2010/12/25(土) 07:10:40
★まず、仏法は『理解』する対象ではないだろう。
次に釈尊の法華経はラーメンのスープ程度の役割。
次に言葉を以って宣べる事なかれ。言語道断とね。
最期は言語遮断心行遮断不可思議を顕す言語無し
言語無ければ分別も無分別もなし。仏法は学習し
理解するものと思うのは、かなり慢心がなければ
できないわな。シャク佛の思慮も及ばないものを
末法のド凡夫が『理解しましたコンナン出ました
それはないだろ・と云う話。イケダセンセもまた
末法のド凡夫。 理解し学習で済めば大学を創り
全員其処へぶち込めば解決するだろう。

//////////////////////////////////////////////////////////////////

58堅皇:2010/12/25(土) 09:24:05
>>エキストラオさん

> まず、仏法は『理解』する対象ではないだろう。

なかなか面白い事をいいますね。
では、何故に「信心は行学の二道」だと言うのでしょう。
それは行も学もやる事により信心が増す事になるからではないでしょうか。
ちなみに学をやり過ぎると頭が狂うと言うのは創価学会の指導でもありましたが
こんなバカな指導をし始めたのは日蓮正宗さんのご指導なのですかね?。

ただ残念な事にちょっとだけ学びを入れてみたことにより解った事が多々あります。
それは学を通せば頭がおかしくなる事ではなく確実に信心が増すと言う事。
加えて頭が狂うのではなく組織が狂っている事を見極める力が付くと言う事。

結局のところ組織が狂っている事がばれて欲しくない為に必要以上に学ぶなというのが答えだったと言う事が解ったと言う話ですね。
また、法門の邪正を考えずに如何様に判断するべきか。
理解なしに仏法を語ることの方が奇なる行為と言えますね。
理解でなければ何を持って信心と言うものを確かめるのかと言うこと。

「唯仏の遺言の如く一向に権教を弘めて実経をつゐに弘めざる人師は権教に宿習ありて実経に入らざらん者は或は魔にたぼらかされて通を現ずるか、
但し法門をもて邪正をただすべし利根と通力とにはよるべからず。」

法主と言う立場や池田さんと言う組織的評価という利根ではなく
また、功徳体験といった通力によるものでもなければ法門による邪正で判断するものではないでしょうかね。
法華経、南無妙法蓮華経は法門が完璧な理論の上で構築されているから「信心は行学の二道」が成し得ているのだと言えますね。
逆に創価学会及び日蓮正宗は法門に無理な理論を積み上げているから『理解』する対象ではないと言った答えが出るのかと思います。

ま、大丈夫です、僕は"仏法は『理解』する対象ではないだろう"と解釈する日蓮正宗は信じてないのでご安心を。

59堅皇:2010/12/25(土) 09:31:09
「在世の本門と末法の初は、一同に純円なり」

エキストラオさんのおっしゃるところのラーメンのスープ法華経を語らずにして
ラーメン本体は語れないと言う事ですね。
こんな事でもはや日蓮正宗や創価学会には騙されないと言う事です。

60しげきょん:2010/12/25(土) 15:54:46
題目をとなえること御本尊という最高善日蓮の魂魄に髄縁し元品の無明の汚れを
取り除き自我の真如が無作の三身と顕れると真如の自分は無始無終以来
久遠の釈尊日蓮と宿縁深き眷属としての実力が顕れる本尊と言えるでしょう

61しげきょん:2010/12/25(土) 16:07:35
日蓮は法華経の経文に色心の身をまかせ経文どおりの現証をおこし
邇前の諸氏の邪説に埋没していた法華経の無作の三身の色心を顕した
この日蓮の修行も信の題目と日蓮を根本の師とする行学で我々にも無作の三身の
境智を顕すことのできる修行法が確立した 皆大聖人の慈悲救済の菩薩行のおかげである

62しげきょん:2010/12/25(土) 16:27:18
>逆に創価学会及び日蓮正宗は法門に無理な理論を積み上げているから『理解』する対象ではないと言った答えが出るのかと思います。

僕も無理な理論に型はめられた戦いは結局一番道理から外れると思い
先生の書物で武田信玄公の戦い方を学んできました
信玄公は科学的で無理な戦術を嫌う所があり兵卒を一番死なせない戦法を
熟慮してました人は石垣人は城と人材の損失が自国の損失と思っていたのです
なおさら仏法の力は皆幸福へと成就する兵法を取るべきです

63堅皇:2010/12/25(土) 17:09:52
日蓮が久遠元初の御本仏であると言う事はどの経文にも記されてない絵空事ですよ。
理証とすべく日蓮の真筆にもそういった類の物は見受けられませんね。

確固として残っている「日蓮本仏論」と言うものは
日蓮正宗の法主である日時さん、日有さん、日寛さんといった書でしかないと言う事。

結局のところ創価学会と言う組織は日蓮正宗から脱却し切れずに
歴代法主という我見に執着している団体であると言う事なのでしょう。
これでよく日蓮正宗の事を日顕宗と揶揄する事が出来るよなと言う話。

学会員も充分に立派な日顕宗の一派とも言える団体です。

で、結局しげきょんさんにとっての主・師・親とは一体何なのでしょう。
俺は日蓮以外考え付きませんが
しげきょんさんは池田さん?日時さん?日有さん?日寛さん?
それとも武田信玄なのですか。

64エキストラオ:2010/12/25(土) 23:38:34
★ほっほっほっ・・・行も学もによって信心は『増しません』もしそう思うなら
それは・『思い込みシンドローム』 俗諦の範囲ですね。残念ながら・・・・
////////////////////////////////////////////////////////////////////

65エキストラオ:2010/12/25(土) 23:45:06
★とりあえず・・・日顕宗という宗派は事実上 存在するのでしょうか???

もし・実体不在の架空の宗派なら SF ということでいいでしょうか。

////////////////////////////////////////////////////////////////////

66しげきょん:2010/12/25(土) 23:46:56
究極は日蓮が主師親の三徳であるが
池田先生も武田信玄も広布の御僧侶も徳の資質はありと思っています 学ぶものは学びます
実際に池田先生に学ぶのが多いですがね

67エキストラオ:2010/12/25(土) 23:56:50
★あたしゃ・イケダ先生からは 何も学ぶもの ありませんね。
自分で自分の事を褒めそやす指導者ってのは・ちと・頂けませんからね。

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68堅皇:2010/12/26(日) 01:12:45
>>エキストラオさん

なるほど、日蓮正宗では「行学の二道」は存在しないという事ですね。
それはそれで構わないと思います。
文底独一本門と言う事で南無妙法蓮華経と唱えられているわけですから
理由は何でも良いわけですからね。

>>しげきょんさん

師の徳と言うことであれば誰でも備わっているんじゃないですかね。
学ぶ事に関して言えば法然からも空海からも学ぶべき点は多いです。
と同時に反面教師にする部分も多々あるわけですがね。

それはそうと仏法者としての武田信玄の有り方は非常に突っ込みどころが多い人物でもありますね。
史実的には多くの寺社に寄進し、自らも在家出家という僧である側面もあるのですが
その根底には仏法の政治利用の側面が強く感じられる人物とも言えますね。
その有り方は同じく仏教に精通していた上杉謙信との比較される事も多かったりします。

池田さんの性格上、武田信玄に思いを寄せる気持ちはある意味理解できるところがあるかも。
共通するのは戦いのため、自身の勝利の為に仏法を利用すると言う姿勢などに置いてもね。

69堅皇:2010/12/26(日) 04:18:11
>>しげきょんさん

取り合えず話を戻して
まず、南無妙法蓮華経は真言か題目かの二者択一をお願いします。

真言であれば「南無妙法蓮華経は宇宙のリズム」と言う主張は理解するよ。
但しその時点で創価学会は日蓮の意に反する別宗教であると言う事になるけどね。
題目は真如では無いですからね。

次に南無妙法蓮華経は題目であり真如は久遠元初の日蓮その人だとする。
そうなると今度は「人法一箇」と言う事が崩れてしまう。
一箇と捉える時点で南無妙法蓮華経と久遠元初の日蓮は
随縁と真如の両方兼ね備えないといけないからね。

これに置いても南無妙法蓮華経が真言であれば話は直ぐに解決ね。

どのみち日蓮が久遠元初の御本仏という真如であるとか
人法一箇なんて言葉は仏法には無い話なんだけどね。

70エキストラオ:2010/12/26(日) 12:06:19
★あたしゃ〜 ダイモクでもシングゥオンでも どっちでもかまやしない派。

横スレ ですまん。 うっ・・ぐぐぐ。〔涙〕・・・でもないか・・

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71堅皇:2010/12/26(日) 14:12:19
>>エキストラオさん

> どっちでもかまやしない派。

そうなのよ。
それも1つの回答なんだけどそれすら答えないのよね。

72堅皇:2010/12/26(日) 14:23:51
以前に、しげきょんさんは「理由なんて解らなくていい」と言う回答をしたので
それならそれで話は終了と思ったのですが
「あの時は寝起きだったから」と、またぶり返したので付き合っている訳です。
基本信仰の自由は認めるべきものだと思うので
池田さんを信じたいと言うなら勝手にすればという考えもあるわけよ。

ただし、しげきょんさんの場合、創価だけが絶対的に正しいと主張するものだから
白黒つけましょうよとしているわけなのだが
質問に対して無回答のままだったらこれにて終了ね。

73しげきょん:2010/12/26(日) 16:05:51
僕が池田先生を信ずるのは僕の自由ででしょう他者が入り込むものでもないから
こちらから窓は開けているが
南無妙法蓮華教は日蓮が法華経の題目としているのだから
題目でしょう誰も法華経の真言と読んだりしないのが事実だからね
人法一箇はまた 別の機会にお願いします

74しげきょん:2010/12/26(日) 16:28:05
創価学会員が創価学会を信じるのは当たり前でしょう白も黒も功徳の教団だから
貴方は退転して疑いかかってなんでも観てしまう命の人だから
多分疑いありきと確信犯だろうけど

75堅皇:2010/12/26(日) 22:37:47
>>しげきょんさん

まー別に池田信仰を続けたいと言うのであれば
これ以上何も言うつもりはないというところなんですね。
あえて違いを提示しても受け入れる機根では無いとも思うからね。

ところが創価学会の方々は自分たちの信仰だけが正しいと
根拠なしに説き伏せようとしているからその根拠を問うているわけですね。

しげきょんさんの場合でも日蓮正宗が間違っているだの
沖浦氏の考えが誤りであると糾弾しているところがあるわけでしょ。
だったらちゃんとした根拠を示せと言っているわけですよ。
明らかに怨嫉謗法と思えるから。

少なくとも怨嫉謗法が得策ではないと言う事は共通認識であるわけでしょ。

ハッキリ言って学会員を見ていると怨嫉謗法が酷すぎる。
このまま続けていると確実に身を滅ぼすぞと忠告しているわけですね。

76エキストラオ:2010/12/26(日) 23:07:41
★学会員の怨嫉謗法は・度を越してるのは事実。日顕上人の写真を会館の
入り口に置いて 足で踏ませる・というのもやっていたが、思わず噴出した
くらいである。 あれは何?  漫画の世界でしかないと思っていたからだ。
普通は『大人げないしみっともないから止めなさい』と云う人がひとりも、
居ないのだ。これは間違いなく『菩薩の振る舞い』ではない・・・・
四悪道の命そのものなのだが、誰一人気付かない。そして・恨むに当たって
その根拠の希薄なことおびただしいのだ。 こんなに貢献した先生を クビ
にしやがって・・・・の類である。彼は人師気取りの凡夫であるが・それを
師弟不二とか言って憚らない。今も会員の前に姿を見せられない状況が続いて
いる。世間では罰当たりではないのかの声が高まっている。

/////////////////////////////////////////////////////////////////////

77堅皇:2010/12/26(日) 23:59:14
ま、実際の話第一次宗門問題の流れの中で
三代会長と言う席から失脚させられたのを結果的に名誉会長と言う形で前線復帰に持って言ったのは
理由はどうであれ日顕さんの意向が強いわけですからね。

その後第二次宗門問題の時点で振り出しに戻ったと考えると
あえて日顕さんだけに怒りを覚えるのも筋違いな話ではないかとも思うし。

学会が宗門と離れた行為自体はどうとでも言う事ではないし
それはそれで良かったのではないかと思うくらいでもあるけど
必要以上に日顕さんの人格攻撃する行為は単なる怨嫉謗法でしょ。

日顕さんが間違っていると言うのであればあえて攻撃するまでも無い話。
諭して叱ると言う事なら理解できるが
単に怨みの感情で怒っているだけですからね。

どっちが最初に売った喧嘩か知らないけど
売る方も売る方だし買う方も買う方じゃないかと思うだけですね。

78日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/12/27(月) 09:50:27
>>76
>日顕上人の写真を会館の
入り口に置いて 足で踏ませる・というのもやっていたが、思わず噴出した

………………………………………
管理人(管理主事さん?副管理人Zさん?)さん、おはようございます。
エキス氏の投稿は事実無根であり、デマ記事の類いです。
この掲示板が学会員主宰の板であるならば、早急に警告を発し、後に削除の対象となる極めて酷い内容だと思います故、忙しいとは思いますが、是非ご一考頂ければと思います。



って事でエキストラレクン。嘘は書かないように。

79通行人:2010/12/27(月) 12:09:03
>>78
いや、やってたよ。婦人部の人写真を踏ませてたって言ってたよ。
江戸時代かと思いました。写真踏ませたの何十年か前の話だよ。
会館の人が出入りするところに置いてあったって。
婦人部のおばさん「日顕さんの顔を踏んでたよ、私あんなことできないって」
聞きました。日々前進のところでしなかっただけではないんですか?
もう昔のことになると証拠写真とかが必要になりますね。嘘嘘っていはれるなら。

80通行人:2010/12/27(月) 12:10:41
79訂正
誤日々前進

正日々前進さん

81エキストラオ:2010/12/27(月) 21:11:06
★通行人さん・・の言うとおりです・・・実際にやっていましたっす。

組織として 一斉にやれという指示はなかったらしく、実際にはやった組織も

在ればやらなかった地域もあったわけね。    ホント。  日々君は

不運にもやらなかった組織に属していたわけのようね。しっかし・・・

なんちゅう組織かね・・・・・

/////////////////////////////////////////////////////////////////////

82日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/12/27(月) 21:54:19
嘘だっ!!。
タワシは信じないっ!!。

それが事実?だとしても……


あっそうだったの(-_-メ)。くらいの話し。


もっと酷い事したんだからね。日顕の自慰さんはっ!!
って事です。
で……嘘でしょ。ケッキョク南極放送局。





あっ!
タワシではないワタシでした。

83エキストラオ:2010/12/27(月) 22:02:11
★おいっ・・万年亀タワシっ・・か・・・タワシ事で吸いませんっ・・
事実だとしても信じないってか???  見たくない・・現実から目をそらせっ・
見るなっ・聞くな・云うなっ・・これが学会精神だっ・・♪♪・・

///////////////////////////////////////////////////////////////////////

84日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/12/27(月) 22:47:50
>>83

だってェぇェぇ〜〜〜(^。^)
「エキストラレぱなしさん」と、ちょいと横を通った「通行人さん」のカキコミなんだもーーん(-_-メ)♪!。

信じろっつうほうが、ムリポじゃぁァぁァーん(^0^)/♪!←アーンみたいにクチを開ける図。
俺、経験してねえし(^_^;)。踏み絵的なの。


もしあったら、その上で、Jumpしちゃう(^。^)かも♪!。子供がはしゃぐみたいにo(^-^o)(o^-^)o!。

ラジオ体操第二の最初のようなJump!→トップロープからのニースタンプ!→ついでにぶっちゃけブッチャー的なエルボードロップ→力道山ばりの空手チョップ→猪木の卍固めして→馬場の32文ロケット砲→長州小力のラリアット→そしてサソリ固め→???



で、なんの話しだっけ?。

って事でエキスさん、お休みなさい。

85しげきょん:2010/12/28(火) 00:16:54
僕は日顕氏を別段恨みもないですし
写真踏ませたとか知りません
早く相じょう箱示して日達上人から受けられてないのが証明される
日が来るよう御本尊に祈る日々です

86しげきょん:2010/12/28(火) 00:21:56
>ま、実際の話第一次宗門問題の流れの中で
>三代会長と言う席から失脚させられたのを結果的に名誉会長と言う形で前線復帰に持って言ったのは
>理由はどうであれ日顕さんの意向が強いわけですからね。

日顕氏の意向で名誉会長に就任???聞いたこともない
堅皇さんには僕とは別な歴史の流れがあるようで

87堅皇:2010/12/28(火) 02:09:15
>>しげきょんさん

この辺は第一次宗門問題が何故起きたかとか
池田さんが何故三代会長を辞任する経緯となったのかと言う話になります。
しげきょんさんは北条会長時代ってまだ未入信でしょ。
俺は辛うじて記憶があるのよ。
日達さん時代から日顕さんの法主就任時も僅かながらその記憶がある。

聖教新聞から池田さんの名前が消えた時期というのが実際あるわけよ。
当時は何故なんてことは考えたりもしなかったけど
いろいろ調べてみるとなるほどなと思うことがあるわけね。

一度この辺の出来事を自分で調べて整理してみたらいいと思うよ。
そうすれば正信会の発足の歴史も見えてくるし
正信会ってもともとは学会から僧になった人が多いという事実もね。

池田さんの前線復帰は宗門側の正信会の切り捨てとの交換条件みたいなものだから。

> 早く相じょう箱示して日達上人から受けられてないのが証明される
> 日が来るよう御本尊に祈る日々です

これを証明させているのは正信会ですからね。
正信会の歴史も自身でいろいろと調べてみれば。

88日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/12/28(火) 06:47:50
ナハ、ナハハ、ハ(@_@)(*_*)(@_@)(*_*)!

小力って言っちゃった(>_<)(*_*)(>_<)(*_*)♪(>>84のラリアットの件)


おはようございますm(__)m。

89日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/12/28(火) 07:06:53
しげきょんさん(^0^)/♪!お久しぶりですっ!!。

>早く相じょう箱示して日達上人から受けられてないのが証明される日が来るよう御本尊に祈る日々です


その祈りっ!別な事に祈り向けが善いとワタシは思いますよっo(^-^)o!。
「証明される日」

すでに証明されてますっ!C作戦以降の双方の興隆と衰退の事実で。

日顕さんは超がつく程の嘘つきだったんです。ナハ♪、ナハハ♪、ハ♪言っちゃった(@_@)(*_*)(@_@)(*_*)!

箱なんてナインいんですよ多分……(>_<)(*_*)。
基本的に先代が用意し渡すんでしょ。お亡くなりになったんですから、シメシメって日顕坊は思ったんだと……思います。

ワタシの中でそれで納得納豆食うo(^-^)o♪!です。

ケッキョクナニが言いたいかと言えば……

朝ご飯は納豆o(^-^)o!がいいっすっ!。

90日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/12/28(火) 10:02:02
結局、朝ご飯はお茶漬けでした(^^)。

鮭フレークあとのせの豪華なやつです。

92怖くて名乗れません<m(__)m>:2010/12/28(火) 20:04:14
★さて起きるかな・・・
////////////////////////////////////////////////////////////////

93怖くて名乗れません:2010/12/28(火) 23:50:30
★さて寝るか・・
//////////////////////////////////////////////////////////////////////

94ぜんまい:2010/12/29(水) 00:28:16
>>92
>>93

3〜4時間程しか起きていなかったようですね。





95エキストラオ:2010/12/29(水) 17:36:56
★京阪君の書き込み見ていると、独善的な臭みのある異臭感じるのはおそらく、
私一人だけではないだろう。 ミニ池田先生になりきっちゃっているというか、
そう・・解る人には解る・・アレ・・である。内容はごたいそうなのだが、高い
所からの物言いの典型的な スタイルだ。 たぶん本人も気付かないまま、逝く
のだろうが、むしろ其のほうが本人にとっては幸せだろう。なぜかと云うと・な
まじ、途中で気付いたりすると『自己嫌悪の塊り』なる可能性がおおきいからで
ある。自分ほどたいした者はいないという錯覚・・自分ほど苦労してきた者は居
ないと思ううぬぼれ・・慢心がそうさせるのかもしれない。世間の言動に・
武士の品格みたいなものに、当て嵌めて・さもしたり顔で〔ドヤ顔〕解ったふう
な口利きをする輩・・・生き様を語る・・とかの類である。彼がそうだと決めつ
けているのではない。 そういう臭いがするのである。 そういう人々が寄り合
いてできた団体・・それが創価学会なのだろう。一言で言うと『慢心』で・・
チョン・・である。

////////////////////////////////////////////////////////////////////////

98日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/12/30(木) 17:37:37
粛々坊管理人さま、管理主事さん、副管理人Zさん、京阪さん、しげきょんさん、ぜんまいさん、堅皇さん、そして……、法華★のエキスパンダーさん、

今年一年お世話になりましたm(__)m。
よい年越しをお迎えくださいm(__)m。

99日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/12/30(木) 17:38:33
おっ!ついでなので……

100日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/12/30(木) 17:39:49
キリ番を(^0^)/!って事でロンっ(@_@)♪!

101エキストラオ:2010/12/30(木) 22:49:16
★おっ・・・♪日々君♪お前もよく健闘したな・まノーベル賞はやれんが、
ノー味噌賞くらいなら あげてもいいよ。矢野委員長の褒章は・まずかった
誰かがまた、焼もち焼いて いじめられるとかわいそうだしぃ〜・・

今年こそ 日々君もいい年になるように。。 でわ
////////////////////////////////////////////////////////////////

102ぜんまい:2010/12/30(木) 23:22:13
>>101
>今年こそ 日々君もいい年になるように。。


今年こそって、あと1日で終わりですよ。




103日々朗らか(前進) ◆kzJPIT27Ks:2011/01/01(土) 23:17:15
新年明けましておめでとうございますm(__)m。
今年も宜しくお願いいたしますm(__)m。

104エキストラオ:2011/01/04(火) 12:03:22
★あ・・オメデトオメデト・・今年もしっかり 前を見て生きていってください。
すこしは・成長したすがた・みなさん期待してませんが、 息子にだけは・
お年玉 はずんであげてください・・・///////////////////////////////////

105堅皇:2011/01/09(日) 02:44:32
取り合えずしげきょんさんからの返答も無さそうですし
説教オヤジさんも書き込みをする意志も感じられないので
折角この板に誘っていただいたのですが
もう話す事はないと言うことで宜しいでしょうかね。

P.S
しげきょんさん。
うちの兄に送ったメールでの謝罪文の内容は兄から聞かせてもらいました。

確かに兄はこれまでのしげきょんさんからのメールには大変迷惑していた様ですが
俺個人はしげきょんさんのボヤキぐらいは迷惑とは思っていませんけどね。

人の事を相手にされてないと表現するのは
おそらく自分が相手にされてないという心の葛藤の裏返しだと思いますので
その辺は寛大に受け取ろうと思っています。

ま、今あるしげきょんさんの環境が幸せと感じられるのであれば
何も言う事はないという感じなのですけどね。

106エキストラオ:2011/01/09(日) 22:37:38
★表に出て来ないというのは・何かを隠しているという事ですよね。
久しく 大衆の面前に出てきていない・・・関係者は・正直どう思
って居るのでしょうか。たいていなら 互無沙汰してますとかの・
メッセージがあってしかるべきなのにね・・・もう・・1年近くも
経ちますよね。
///////////////////////////////////////////////////////////////////

107ぜんまい:2011/01/09(日) 22:53:21
>>106
>★表に出て来ないというのは・何かを隠しているという事ですよね。

相承箱は33年近くも行方不明ですよ。





108エキストラオ:2011/01/10(月) 14:03:14
★表に出て来ないというのは・物理的な物体ではなくて、ある・人物をさして
います。それまで・・馬糞きのこのように出没していた人物が・挨拶もなく
ご無沙汰しているのは・どうおもいますか? ぜんまい君・という話ですよ。

/////////////////////////////////////////////////////////////////////

109ぜんまい:2011/01/10(月) 17:11:17
>>108

1年近くでしょ?誰の事を言っているのですか?




110エキストラオ:2011/01/10(月) 20:47:11
★ほれ・・昔 言論出版妨害事件で断罪された かつての指導者ですよ。

いまでは・ほとんど忘れかけられた 指導者ですよ。

高利貸しになんか手を染めていた過去なんかもありましたね。

わたしは奥ゆかしいから言えませんけどね・・・

///////////////////////////////////////////////////////////

111堅皇:2011/01/11(火) 17:10:07
>>エキストラオさん

いやいや、その方はかつての指導者ではなく永遠の指導者ですよ。
ちなみにこの方はご心配かとは思いますが
最低でもあと2.3年は亡くなる事はないと思いますね。
その間に表に出てこられることがあるかどうかは別としてね。

それはそうと
この指導者の師匠が在籍していた大日本皇道立教会ってどう思います?
創価学会のルーツと言われる組織と言うことなのですが。

112エキストラオ:2011/01/11(火) 17:28:00
★よくわかんなぁ〜〜いけどぉ〜・・・牧口・戸田の口癖にはペラペラと・
出て来る言葉がありますわね。

いわく『万系一世の 我が皇国で アメリカの閲兵式を見るとは思わなかった
はらわたが煮えくり返る心持だ』/////////////////////////////////////

・・・・・そういう『感覚』の持ち主だったことは確かだろーーね。
///////////////////////////////////////////////////////////////////////

113堅皇:2011/01/11(火) 23:18:00
牧口さんの思想が南朝支持が根底にあったとすれば
創価教育学会の旗揚げの意味も戦時中神札を拒否した理由もかなり明確になると思うんですね。

創価側からの発信に寄れば日蓮正宗と別の法人格を取得したのは
早くから日蓮正宗の体質を見抜いていたからとの主張なのですが
これだと少し疑問が残る話なんですね。

法人格と言うのはあくまで宗教法人としての認可な訳でして
事実上の組織作りは戸田さんではなくそれ以前の牧口さんにあるわけですよね。

牧口さんが日蓮正宗に入信したのが1928年で創価教育学会の設立が1930年。
僅か2年の出来事なんですね。
加えて牧口さんが日蓮正宗への信仰に本腰を入れ始めたのは創価教育学会の設立以降であると言うことです。

つまり牧口さんの場合、日蓮正宗の教義や体質に疑念を抱く以前に
自分たちの組織作りから始めたと言う事になります。

となると牧口さんが何故に組織作りを考えたかの理由が不明の状態だったんですね。
目的もなしに組織作りを考えると言うのはあまりにも不自然ですね。
別に目的があったと考える方が矛盾はなくなります。

終戦後、天皇制に関してその殆どがタブー視されて戦後世代にはこの件に関しては
まともな教育すら受けてないのが現状なんですね。
当時の情勢を考えると今の価値観と違うものがあるのではないかとは思います。

神札の拒否という事を今の感覚で捉えると単純に右派ではないと思ってしまってましたが
南朝支持が事実であればその考えは根本的に覆ってしまうんですね。

加え戸田さんと岸信介さんとの交友関係の事実も俄然納得が行く話ともいえますからね。

114備前 ◆TtzwqSGci2:2011/01/14(金) 13:02:25
  こんにちは、堅皇さん

  > 牧口さんの思想が南朝支持が根底にあったとすれば

 戦前は、皇室は「南朝」が正統とのことですが・・・・(^^;
 ですから、楠正成が忠臣で足利尊氏は朝敵の扱いですよ。

115堅皇:2011/01/14(金) 16:43:04
>>備前さん

明治天皇が南朝の末裔の替え玉説と言うものもありますが
公式では北朝の末裔である孝明天皇の子息ですからね。

日本が神の国と言われるのは即ち天皇の事を示すと言う事もあります。
で、幕末に国が乱れたのは単に帝が国を治めなかったと言う事ではなく
南朝が正統としなかったと言う考えも同時にありますからね。

そこで北朝の大本と南朝の大日本皇道立教会とすれば
その対立の図式が見えてくるのではと言う話ですね。

加えて入信間もない牧口さんが創価教育学会を立ち上げた理由も明確になるのではと言う話。

何故に牧口さんは単に日蓮正宗の信者となっただけでなく
組織作りから始めたのかなと言うことですね。

ある程度知識を得て、そこで思想による対立軸が生じてからでも
暖簾分け、組織作りは遅くなかったのではないかと思うわけです。

普通、思想なしで組織なんか作るのかと言うことですね。
あるとすれば日蓮から学んだ思想ではなく他からと言う事ですね。
だって組織を作ってから日蓮正宗へ日蓮の思想を学びに行っているのですから。

116堅皇:2011/01/14(金) 18:36:59
日蓮が立宗宣言を行うに至るまで
30年も掛けて諸経を学んでいるわけです。
対し牧口さんの創価教育学会の設立は入信から僅か2年。

もっとも南無妙法蓮華経が本因妙で直達正観されたと言うのであれば
何も言う事はないのですけどね。
牧口さんは立派な御本仏であると言う事だろうから。

では直達正観された方が何故に日蓮正宗から教義を学ぶのか
まーいろいろ考えるところがあるわけですよ。

牧口さんがそこまで凄いものであれば
何故に創価学会は牧口さんの「創価教育学体系」を根本に据えないか。
基本今のベースとなっているのはどちらかといえば
戸田さんの教義からの発展であり
実際に用いているのは池田さんの指導ですからね。

117高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2011/01/14(金) 19:06:12
堅皇さん こんにちは! ご無沙汰しております。

>>115
 以前、蛍さんとの対話を進めるにあたって、このような、内容の事を私も考えました。
 話としては、「逆説の日本史」のようで面白いし興味を掻き立てられます。

 しかし現実はどうだったのかとなると、チョット違うかなと私は思います。

 蛍さんとの対話に書きましたが
創価教育学会を創立する27年程まえに、牧口先生が若き日(32歳)に著された、人間生活を地理学の観点から捉えた
 「人生地理学」(明治36年)は、当時、社会一般において注目され普及しました。
 しかし、アカデミックな地理学(会)からは、ほとんど軽視、無視されたようです。
 このことは、牧口先生がいわゆる大学では地理学を学んでおらず、北海道尋常師範学校卒業と言う事も大きな
 原因だったのだと思います。

 この事から、牧口先生は日蓮正宗と出会う以前に、人生(人間生活)に真正面から取り組んでおり、牧口先生の
 人生哲学がその時点である程度確立されていた事が解り、その延長線上に創価教育学会があると理解する事が
 大切であり、でなければ視点を間違ってしまう可能性がある、と私は考えています。

 「創価教育学体系」での牧口先生の「価値論」は、相対主義的・主観的・功利主義的価値論(「創価教育学入門」
 熊谷一乗)とされており、この事も大切な視点だと思います。
 「価値論」では、真理は、「人にも時代にも環境にも関係なく不変である」と定義し、変化していく価値とは明確に
 区別されています。

 『而して生命の維持保全に対して有害と認められる其の種類程度に応じて悪といい、害といい、醜という』
 この一文は、一個人に取って、自分を犠牲にして国の為に尽くす(滅私奉公)事は、相手が国と言えども
 価値ある事では無い、「一人の人を大切にする事」に価値が有ると、私には読み取れます。

 つまり、私は、牧口先生は国家主義的な人間を作る事を、否定しているのだと捉えています。
 なぜなら、牧口先生は、その時代に教育者・思想家として何を問題視し、どの様に変革しようとしたのかを考えると
 「教育勅語」に見られるように、また時代背景として日清日露の戦争があり、教育は、知育よりも徳育を
 重んじられており、徳育も、我々が考える道徳や理性ある人間を育てる事よりは、国家主義的な人間をつくる要素が
 強かったと考えられるからです。

118高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2011/01/14(金) 19:11:29
つづき 
 そのような中で、牧口先生は庶民、人間に重きをおいた教育が大切とは考えていたのでしょうが、批判するに
 足りるモノサシとなる理論を持ってなかったのではないでしょうか。
 人生地理学に、『不肖、教育の職に在ること多年、其の間、地理学の教育上、重要の地位にあらざるべからずして、
 しかも甚だ軽んぜらるること久し。而して、嘗て思えり。もし、この学の教授法にして、今少しく改良せらるるを
 得ば、現今における教育上の痼疾の大半は除去せらるべしと。』と記されているように、教育(界)に批判的な
 考えを持っていた事は明らかであり、変革の思いを込めて書かれた書だと理解出来ます。

 池田諭氏(実践的思想家1923〜1975)は、牧口先生を「福沢諭吉、中江兆民、北村透谷のような人権論者、
 自由論者、平等論者ではなくて、彼は、人権、自由、平等を具体的に存在する庶民大衆の中に発見していく
 とともに、庶民大衆自身が、自らの中にそれを発見し、定着させることのできる思想を創造していこうと
 したのである。」と評しており「このように考えるとき、牧口は、現代日本の誇りうる思想家であると同時に、
 現代日本が深く学ばなくてならない思想家である。(中略)牧口の思想が、そして彼の学問、教育論が長い間、
 一部の人を除いて、殆んどかえりみられなかったということは、日本の学問と教育にとって大きな不幸である。」
 とも著しています。 私も正にその通りだと考えます。

 そのモノサシともなるべく日蓮正宗に三谷素啓氏の折伏で入信しましたが、「創価教育法の科学的超宗教的実験証明」
 (牧口全集第8巻:第三文明社 74-75頁)の中で『まず師とするに足る正しい人の言を信じ、如説の実行をなし、
 体験によって価値の有無を証し、無価値なる主観的の観念論を捨て、以て人をも離れて、生活関連の法を信ずるので
 ある。更に何故に価値が証明されるかを、経文及び道理にただして、いよいよ信仰を確立し、かくて価値の遠大と
 近少とを比較対照して研究し、遂に無上最高の極意に達し、ここに初めて畏れる所なき安全の境地に達する。
 『一信二行三学』という科学のそれとは全く異なった研究法がすなわちこれであるが、これはすべての技芸乃至
 生活法の研究に適用されるべきもので、現に無意識的に如何なる技芸の修業にも実行しつつある所である』
 と述べています。
 
 生活法、言い換えれば社会(民衆)への価値・意味(公益性)を宗教は考える必要があり、
 全文からは、教義より道理に合った論理を重視していると考えられます。

 つまり、宗教というのは伝統的な教義が第一では無く、杜会の繁栄や個人の幸福を実現する事が最重要であり、
 もしそれが実現出来なければ、宗教としての意味(価値)がないと言う事です。

119高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2011/01/14(金) 19:13:44
つづき

 ■結論

 以上の内容から、

>>115
>普通、思想なしで組織なんか作るのかと言うことですね。
>あるとすれば日蓮から学んだ思想ではなく他からと言う事ですね。
>だって組織を作ってから日蓮正宗へ日蓮の思想を学びに行っているのですから。

 これは、違うと思われると云う事です。

 誤解を恐れずに云うと、創価教育学会は、庶民の為に価値ある会(人間主義)とする為には、
 日蓮正宗の教義があって、創価教育学会が有ると云う事ではなく、
 創価教育学会に、日蓮正宗の教義を利用出来ると云う事だと思います。

120堅皇:2011/01/14(金) 21:32:03
>>高速太郎さん

> 日蓮正宗の教義があって、創価教育学会が有ると云う事ではなく、
> 創価教育学会に、日蓮正宗の教義を利用出来ると云う事だと思います。

冷静に考えるとそういう事ですよね。
別にそれが良いか悪いかは別としてね。

ただそれはきちんと公言するべきではないですかと言うことです。
加えて「大日本皇道立教会」という組織は全く創価学会内では語られない歴史ですね。
同じように皇道思想を利用していたのならそれでも構わないですね。
隠さないでちゃんと説明すればと言うところです。

隠すと言う事は牧口さんはそのまま皇道思想であり
皇道思想を通す事が目的であり仏法を利用しようとしたか否かは闇の中であると言うところですね。

ですから問いかけですね。
創価教育学会は大日本皇道立教会を母体としてのものなのか否かです。
その為にもちゃんとこの辺を会員の人にも説明してあげないとね。

南朝支持派の日蓮系教団の本門正宗サイトには
大日本皇道立教会のメンバーの写真としてしっかりと牧口さんも写っていますね。
http://syohnan.jp/syoumetu.html この写真はねつ造写真なんですかね?

写真には右翼運動家で錦政会顧問、政財界の黒幕、フィクサーと呼ばれた児玉誉士夫さんも同席しています。
この辺の人脈があれば戸田さんと岸信介さんとの交友関係や
出版言論問題の時に田中角栄さんの力添えがあったとされても疑いは持ちませんね。

さてさて、実際問題はどうなんですかねという問いかけですね。

121高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2011/01/14(金) 23:47:21
堅皇さんへ

>>120
>ただそれはきちんと公言するべきではないですかと言うことです。
>加えて「大日本皇道立教会」という組織は全く創価学会内では語られない歴史ですね。

 なぜ、語られないかは、学会にとって必要のない事だからです。
 もし、牧口先生が皇道思想だけで事足りたら日蓮正宗には、入らなかった訳です。
 前の投稿は、牧口先生にとっては、皇道思想を含め日蓮正宗以外の思想は、
 自分のモノサシにならなかったと云うことを述べたのです。

 日蓮正宗に入ってからも会に参加しているようですが、其れまでの付き合いがあったからだと思います。
 堅皇さんが現在も創価系の掲示板に投稿しているのと同じ程度の話ではないでしょうか。

 つまり、創価教育学会も創価学会も皇道思想を必要としておらず、実際に教義上なんら取り入れられていません。
 だから、今となっては語るべきものがない、と云う表現が合っているかも知れません。

>創価教育学会は大日本皇道立教会を母体としてのものなのか否かです。

 否でしょうね。
 この事を言っているのは、「本門正宗」の小野寺直(日了)氏です。
 このような件は、シッカリと自分で調査をして100%間違い無いと判断してから問題提起をするべき内容です。

>この写真はねつ造写真なんですかね?
 捏造では無く、本物だと私は思います。

>さてさて、実際問題はどうなんですかねという問いかけですね。

 上記と同じ様に、シッカリ調査の上で書かないと、単なる興味本位の戯言になってしまいます。
 もっと、シッカリと調査、分析をして事の意味も深く捉えて提起することをお勧めします。

122堅皇:2011/01/15(土) 01:56:46
>>高速太郎さん

> なぜ、語られないかは、学会にとって必要のない事だからです。

必要かないかは個々の判断ではないでしょうかね。

> >この写真はねつ造写真なんですかね?
> 捏造では無く、本物だと私は思います。

とすれば少なくとも大日本皇道立教会と言うのは奇しくも
創価学会初代、二代会長が在籍していた組織と言うことなのでしょうから。

母体でないのであれば尚更明確にそうではないと言う事を
事前に経歴として触れておけば何の問題もないことですね。

創価学会と言う組織はどうも情報の後出しが多すぎますね。
かなり苦し紛れの物も多かったりしますが狂信者にはそれでも納得すると言う事でしょう。

もっともそのやり方が問題でどんどんの不信を覚える人や退会者が
後を絶たないと言う事と言うわけですね。

どのみち僕は組織運営に関しては部外者の立場ですから
これはあくまで傍からの助言と言うことですけどね。

123堅皇:2011/01/15(土) 02:08:18
そうそう

> この事を言っているのは、「本門正宗」の小野寺直(日了)氏です。

と同様にそうではないと言っているのは創価学会の人ですから同じく信用は出来ませんね。
それこそどちらの思想にも傾かない中立に人の明確な判断を待つのみです。

今のところ断定は出来ないが本当の話と捉えた方が多くの事柄の辻褄が合うと感じるだけですからね。

124怖くて名乗れません<m(__)m>:2011/01/15(土) 19:43:50
堅皇さんへ

>>122 >事前に経歴として触れておけば何の問題もないことですね。

 例えば、堅皇さんが幼稚園や小学校の時にA君と云う友達が居たとします。
 A君家へ遊びに行って、A君の父母や家族と一緒に写真を何回か撮ったとします。
 その写真を元にB氏が、実は堅皇さんは、A君家の子供なんだよと皆んなに、言いふらしたとします。
 その時に、堅皇さんは、どの様な行動をとりますか・・・。

 堅皇さんが他人と写真を撮ったら、全てブログにでも写真撮影に関する、事の顛末を書いておくのですか。
 
 そんな程度の話しですよ。
 ようするに、創価学会に対するタメの話ですよ。 揶揄とか難癖と言える事柄です。

>創価学会と言う組織はどうも情報の後出しが多すぎますね。
>かなり苦し紛れの物も多かったりしますが狂信者にはそれでも納得すると言う事でしょう。

 こう云う対話の進め方を、後出しジャンケンと云うのです。

 なぜならば、堅皇さんの >>115 に対して、私は、自分が調べたことを元に
>普通、思想なしで組織なんか作るのかと言うことですね。
>あるとすれば日蓮から学んだ思想ではなく他からと言う事ですね。
>だって組織を作ってから日蓮正宗へ日蓮の思想を学びに行っているのですから。

 上は、違うと云う事を証明しているのであって、それに対して話を進めるのでなければ、対話は成立しませんよ。
 おそらく、堅皇さんの、今まで他の人との話も、この様な話の流れなんでしょうね。 相手にする人は少ないと思います。

 と云う訳で、真摯な前向きな対話に成りそうもないと判断出来ますので、私は、ここ迄とさせて頂きます。

125高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2011/01/15(土) 19:46:51

失礼しました。 >>124 の投稿は、私です。

126堅皇:2011/01/16(日) 01:37:28
>>高速太郎さん

> 例えば、堅皇さんが幼稚園や小学校の時にA君と云う友達が居たとします。
> A君家へ遊びに行って、A君の父母や家族と一緒に写真を何回か撮ったとします。
> その写真を元にB氏が、実は堅皇さんは、A君家の子供なんだよと皆んなに、言いふらしたとします。
> その時に、堅皇さんは、どの様な行動をとりますか・・・。

A君とは幼稚園や小学校の時仲良くしてたんだ。
そしてA君の両親とも仲良くさせてもらってたんだと話します。

学会のやってる事はA君やA君の両親との関係すら伏せている状態ですからね。
この事実を知らなければそりゃーB氏からあらぬ誤解を受けられるのも当然と言う話です。
最も誤解かどうかも定かではありませんけどね。

> 違うと云う事を証明しているのであって、

証明には何もなってないですよ。
高速太郎さんの話はあくまで創価学会側の主張と言う域を出ていませんから。

法華経では真実を得るために良い言葉がありますね。
それは「諸法実相」です。
つまりは創価学会の主張、本門正宗の主張、日蓮正宗の主張。
これ等の整合性の中に実相があると言う事ではないですかね。

ですから僕はそれぞれの人たちの主張を全て鵜呑みにする事無く
集められた事実の中で真実を見出したいと考えています。
創価学会がそう言っているから正しいとか本門正宗のが言っているから嘘って話はないんですよ。
学会のこれまでの流れを見ると信憑性が高いと言う確率の問題ですね。
この確率を覆す確固たる証拠があれば話は別ですけどね。

127エキストラオ:2011/01/16(日) 20:36:50
★日蓮大聖人の教えは『人間主義ではないですよ』

★日蓮大聖人の教えは人間主義ではありません』

★現代に『人間主義』と云う都合のよい言葉を当て嵌めたい

という人間が居るだけでしょう。

日蓮大聖人と 人間主義・・まったく無関係です。

/////////////////////////////////////////////////////////////////////

128堅皇:2011/01/16(日) 22:41:00
>>エキストラオさん

確かに仏法は人間が作ったものではありますが
『人間主義』って事ではないとは僕も思いますね。
また仏法とは価値創造にありとの考えも違うと思います。

何れにせよ創価学会は仏法を何らかの目的のため利用しようとしたと言うのが始まりって事ですかね。

129釈子・創価門流:2011/01/16(日) 23:32:58
「大日本皇道立教会」ですか。
  久しぶりに聞きましたね。
確か、日蓮正宗の人々が創価学会員に変わって、反論提起していた事を思い出しました。

 確か、戸田第二代会長が時習館の生徒?に「南朝の正統」を話した事を何かの書籍で見た記憶がございます。
ただ、その内容は「楠正成」を正しいと思えばという内容だったかなと。

130堅皇:2011/01/17(月) 14:46:29
>>釈子・創価門流さん

お久しぶりです。
僕は釈子・創価門流さんにはいろいろとお伺いしたい事はあるんですけどね。
で、その際たるものが釈子・創価門流さんが何故に創価に拘るかと言う点ですね。

あちらでは僕の発言を「板を汚す」と表現されましたから退去させていただきましたが
どのみちアクセス禁止や制限が頻繁にあるところはあまり好きではないと言うのもあります。

創価思想は僕は仏法ではないと思っているんですね。
もっとも諸法実相という観点から入り口は仏法でなくてはいけないという拘りはないのですが
自らが実相だと名乗った時点で法華経を第一と捉える事ではなくなり
また法華経を捨てているとも思えます。

もっとも題目が法華経の題目ではなく法華経とは釈迦の法華経と捉え
捨て去りなさいと言うのが日寛教義ですから
その時点で題目が法華経の題目では無くなってしまって
法華経を捨て去っている行為だともいえるんですけどね。

131釈子・創価門流:2011/01/17(月) 18:23:38
>>130
堅皇さん

・ではなく法華経とは釈迦の法華経と捉え捨て去りなさいと言うのが日寛教義
⇒日蓮正宗の「日蓮本仏論」は、本仏・釈迦牟尼仏の垂迹として存在する「本仏・日蓮」なんですね。
  「捨て去る」の意味が違うと私は考察します。
・創価思想は僕は仏法ではないと思っているんですね
⇒訳経僧 鳩摩羅什が『法華経』を『妙法蓮華経』八巻として訳し、その『妙法蓮華経』の訳し方が"正しい"と言う論理に立ち、
  日蓮大聖人は、天台大師・妙楽大師などの釈を基にし、己流の解釈をした訳です。
 創価学会の三代会長諸師が、その教えを基にし、己流の解釈及び論を以って成り立つのが「創価思想」であると私は考察します。
  なので、「仏法ではない」と言う意・論は堅皇氏が思ってる分には、よいのではと。

132堅皇:2011/01/17(月) 23:19:00
>>釈子・創価門流さん

> 訳経僧 鳩摩羅什が『法華経』を『妙法蓮華経』八巻として訳し、その『妙法蓮華経』の訳し方が"正しい"と言う論理に立ち、
> 日蓮大聖人は、天台大師・妙楽大師などの釈を基にし、己流の解釈をした訳です。

これはその通りですね。
純然たる釈迦の教説のみを仏法と名づけるならば日蓮の南無妙法蓮華経は仏法ではありませんね。
それ以前に法華経が歴史上の釈迦の説法ではないとすれば
これもまた仏法と呼ばれる物ではありませんから。
事実、法華経を語るにはあまりにもヒンズー教の影響を否定せざるものでも有りますから。
それ以前の釈迦が説いたとされる仏法もその影響下を避ける事はできませんからね。

その理を持ってすれば僕が考える創価思想は仏法に当たらないのではと言うとは的を外していますね。
創価思想は単に西洋の人文主義を取り入れているだけであり
仏法自体が人文主義から成り立っているわけですから創価思想も立派に仏法と呼ばれるものかもしれません。

ただそれでは『法華経』とはなんなのかと言う話になりますね。
釈子・創価門流さんの中では日寛教義の様に
釈迦が説いたとされる法華経と日蓮の南無妙法蓮華経は別の法門であるというお考えなのでしょうか?

僕は日蓮が唱えた題目とはまさしく法華経の題目の事を指していると思っています。
つまり釈迦の法華経だの天台・妙楽の法華経といった立て訳があるとは考えておりません。
法華経と理が異なる時点でそれはもう法華経と呼べるものではないと思っています。

ではその法華経の理とは何かと言うことですが
それは諸法実相であり本因妙ではない、久遠実成であり久遠元初ではないと言う事だと思います。
理が異なる時点でそれはもう法華経とは呼べなくこれを蔑ろにする事で
法華経をいくら用いてもそれは真言宗と同様に法華経を盗んでいるものと考えています。

釈子・創価門流さんの中での法華経の定義があればそれをお聞かせいただきたいです。

133釈子・創価門流:2011/01/17(月) 23:58:10
堅皇さん

⇒『妙法蓮華経』の釈を、天台大師・妙楽大師などがされ、更に、その「釈」を用いたり・用いなかったりしながら
日蓮大聖人が現して行く。
 原版→訳経僧 鳩摩羅什→大乗人師・論師→日蓮大聖人と「釈」がされ、「法華経」が幾つものフィルターを通り、今の私たちに届いている。
「定義」と言うのは何でしょうか?
 記した一連の流れの中で生まれた解釈が「法華経の定義」と捉えるか・捉えないかです。

 「法華経と理が異なる時点でそれはもう法華経と呼べるものではないと思っています」←御自身で選ばれては?

134釈子・創価門流:2011/01/18(火) 00:08:32
>>127
エキストラオさん

・★日蓮大聖人
⇒「日蓮大聖人」とは、富士門流の方ですか?
 何処の宗団ですか?
  立ち位置如何で、お答え方を変えてようかなと思いまして。

135堅皇:2011/01/18(火) 00:32:36
なるほどですね。

その中で創価思想が法華経と中枢であるとのご判断なのですかね。

僕は日蓮が言うように法華経の肝は方便品を経ての寿量品にあると思うので選んでいるわけです。

それは方便の必要性
「諸法実相」実相とは諸々の法の中に存在していると言う事。
また、諸々の法とはそれぞれ方便であると言う事。
「久遠実成」釈迦が仏とは言ってもインドにおいてはじめて悟りを得た始成正覚ではない。
つまりは仏とは突然世に現れたものではないと言う事。

これだけに置いても物凄く素晴らしい考えだと思っていますから。
この考えを中心に据えるだけで全ての法や思想を取り入れることが出来ますからね。

そうすればキリスト教やイスラム教の思想ですら取り入れることが可能ですからね。
それぞれの思想が単独の実相ではなく、全てが仏に導くための方便であると捉えたら。
また、それぞれの思想の整合性の中に実相があると互いに捉えればそこからは戦争は生まれませんから。

戦争が生まれるのは自分たちの教えこそが実相であり唯一の正義であると捉えるから争いが起きるわけですからね。

また、それぞれの神と呼ばれる存在もその時突然現れたというものではなく
「久遠実成」と捉える事によりいわゆる世を司る神や御本仏と言った存在がなくなりますからね。

僕はもう仏法だけに拘るつもりも無いのですが
世界各国のあらゆる思想、宗教の中にこの法華経と同様の理にたどり着いた思想と言うものがあるのかなと考えます。
少なくとも仏法内、日本国内に置いて法華経より優れた法は無いのではと思って
法華経の題目を信じて唱えているわけなのですが。

136堅皇:2011/01/18(火) 00:48:57
ですから僕の中ではあるゆる思想の持ち主であっても僕にとっての敵と言う概念は無いんですね。
あらゆる考え方は自身の目的である実相に到達すべき上での方便であると捉えていますから。

学会員さんであれ日蓮正宗を信じておられる方でも敵ではありません。
ただ、自身の考えこそが万民に通じる実相であると押し付けてくる人たちには
違うのではないかと言う必要はありますけどね。

日蓮の行った折伏と言うのもこのような感覚だったのではないかと思います。

ともかく日蓮正宗も創価学会も日蓮が本仏だとか我々が唯一の正義であるとか言っている時点で
法華経を捨てているのではないかと思っているわけですね。

僕の考えはまーそんな感じと言うことです。

137エキストラオ:2011/01/18(火) 11:00:38
★わたしは 日蓮正宗の信者ですから・・・

結論として楠の板で 成っている御戒壇様をそのまま 人法一個の

本佛 日蓮大聖人と信仰しています。  ここから外れることは

ありません。法華経の捉え方は 究極ここに、極まるわけです。

信じる人とそうではない人々の間には 縁というものがありますから

強く曳かされる側に 系統していくのは当然でしょう。とにかく

縁の問題という事になりますよ。ともあれ 如何なる縁にてあっても

最期は強いほうに 曳かされていきますから、とにかく『縁』つまり

『下種』ですね・・日蓮大聖人の題目そのまま末法の法華経に『縁』

した者たちが最期はその法華経の渦に組み込まれていく・・故に・・

順縁なり逆縁なりでも 結構な話であります。  ま・・言ってみれば

一度被爆したものが最期までその影響下に置かれるのだというようなもの

でしょう。・・というように池田大作さんも 最期は帰命の途につかざる

を得ないと思いますから、去るものは追わずというスタンスは定着している

と思いますね。

//////////////////////////////////////////////////////////////でわ。

138エキストラオ:2011/01/18(火) 11:09:34
★電灯の二月じゃなかった・伝統の二月・・折伏じゃなかった・・・
会員勧誘は進まないかも・です。////////////////////////////////////

139堅皇:2011/01/18(火) 13:12:56
>>エキストラオさん

> わたしは 日蓮正宗の信者ですから・・・

学会員さんにしても日蓮正宗の信徒さんにしてもこの辺は関しては
生真面目といえばそうなんでしょうけど
義理堅いと言うべきか日寛さんの「師弟不二精神」と言うべきか
理由が信者だからと言うのはかなり窮屈な思考なのかなとも思いますかね。

もっとも僕の信仰動機も日蓮という人が凄いと思ったからと言うのもあるから人の事は言えないんですけどね。

ただおかげで会長さんがどうとか歴代の法主がどうとかと言う事は
まるっきり最初から眼中に無かったと言う事はありますね。

御戒壇様も人法一個も本佛日蓮大聖人も日蓮の意志とは反していると言うのを感じた段階で
直ぐにこの考えとはサヨナラ出来たという感じではありますね。

ただ、そこまで日蓮と言う人を信じる事が出来た背景には
日蓮正宗の日蓮本仏論があってこその側面があったからかもしれませんし
その部分では自分とっては良い方便となったのかなとは思いますけどね。

ただ今現在の考えとすれば僕は日蓮本仏論は有り得ないと思っています。

140エキストラオ:2011/01/18(火) 19:25:24
★それでいいんじゃないのですかね・・・どう捉えようとも本人の因縁
だと思うし、理屈だけでは人は動きませんからね。心変わりは人間なら
また、いつしか起こり得るわけですし、その時はその時で考えればいい
事でしょう。

いろいろと変わりますからねひとは。
若い頃の考えと・年老いてからの考えは多少なりとも変化していきますよ

////////////////////////////////////////////////////////////////////

141堅皇:2011/01/18(火) 23:03:31
>>エキストラオさん

どう捉えようが良いですよね、また考えが変わる事があっても。
二世、三世・・・はともかくとして
学会員さんに関しても正宗の方に関しても先祖代々の宗派を捨てて信仰している人が大半ですから。

良いと思ったら良いと思うものを信仰する、信仰は自由ですからね。
「日蓮正宗の信者ですから」と言う理由だけなら
義理やなんかで縛り付けられているような印象を受けて何だか可哀想に思えたのでと言う話です。

特に学会員さんは直ぐにご恩返しと言う事を口にしますけど
先祖に対して改宗する事が恩返しとの判断で今の宗派を選んだのではないかなと思いましてね。

普通に自分自身が納得しているのであれば別段問題はないのですがね。

142エキストラオ:2011/01/19(水) 23:36:54
★学会員がご恩返しというのですか????

でも一番の恩知らずは総か学会員ですよ・・・宗門の軒下を借りる形で入信
してきて 御法主に信伏随従 御戒壇様は究極などと言ってきたわけですから
ね。

単にあの指導者が 御法主の上にはどうしてもなれない・・しかも・
叱られるのがことのほかキライだった・・・

すべては其処から来ているものだとおもいますがね・・・つまり感情
がね・・地獄界の感情がかれの中で爆発してしまった・・・・
・・・という事なのでしょうね・・・解り易く言えば・・・・・・

会員は会員で『ちくしょうめ・おらたちの 親分コケにしやがって』
・・ただ・そのへんの・低次元の判断ですよ。
仏法のなんやらかんやらが解って創価学会に残った人なんかひとりも
いませんよ。

単なる感情論なんです。

////////////////////////////////////////////////////////////////

143堅皇:2011/01/20(木) 02:40:56
>>エキストラオさん

てか、僕は第二次宗門問題の際に創価学会に残った訳ですが
その残留理由は正宗には法主の絶対視があったからなんですよ。
正直言えば池田さんと日顕さんがどちらに指導者としてすばらしいかと言う発想はまるで無かったですね。

ホントに日蓮しか興味なかったですから
それでも当時の創価学会は充分アリだったんですけどね。

「白鳥の恩をば黒鳥に報ずべし・聖僧の恩をば凡僧に報ずべし」

とあるわけですから恩返しするとすれば仏法を知らない人であるとか
悩んでいる方に対してですよね。

に対して池田さんにご恩返しとかお守りをとか法主猊下に信伏随従ってのは
池田さんも日顕さんもどんだけ真っ黒い鳥でどんだけ凡僧なのかと思ったりするわけですね。
島流しにあってる話でもなかろうに。

それまでは池田さんや法主の事を上行菩薩の様な役目をする人と好意的解釈していましたが
師弟を前面に出してきたあたりで完全に萎えたと言うところです。
守んなきゃいけない師匠って良く解らないんですね。
そんなに懐が狭くヨボヨボなのかって、こっちはまだまだヨチヨチだってのにさ。

今となっては学会をやめたことによりいろいろと自身で仏法を学ぶ機会が増え
返って良かったというところではありますけどね。

144エキストラオ:2011/01/20(木) 12:21:18
★護んなきゃならない師匠ね・・・たしかにね・・わかんないね・
学会の師弟はね・異常ですよ・・なんの世話にもなってないはずの
人達がね・先生には御恩があるって言うんですよ・・・ねっ・・

確かに千円くらいずつ 小遣い貰った人達は居ますよ・・ピン札でね・
それを後生大事に取っておいて自慢する人がたくさんいますからね・

しかし・中には『なんだこの金だって おらたちが 寄付したものじゃ
ないのかっ』て憤慨していた会員も居たのは事実ですけど・・ね・・・

うちはね・・恩といっても御法主個人そのものに対しての信伏随従ではなく
袈裟衣を着て二乗台にて法要される御法主の信心に対しての信伏ですから・

二乗台から降りた御法主は凡夫僧であるわけ。という筋目の上からのまた
法を司る立場に対して・・・でしょうね。それ以上は個人的な関係のある
人々はそれぞれに 違うでしょ。尊敬の仕方はね。

恩といってもあくまでも『法』が大事だとするところからは逸脱しません
よ。

ところが学会は『人間イケダ大作』に対して これでもかというほどに、
尊敬を強要してますよ。明らかに『依法不依人』から逸脱していますがね
殆んどの人々が『あんなに勲章貰った先生は偉大だ』との理由で個人宣揚
の担い手になっていますよね。

////////////////////////////////////////////////////////////////////

145エキストラオ:2011/01/20(木) 12:40:53
★堅皇さん・・師弟といっても、 僧の世界は ま言ってみれば
礼儀礼節の世界です。 僧の世界も俗の世界も 基本的には
同じでしょうけどね・///////////////////////////////////////

僧と俗では まったく違う世界ですからね・・・『四恩抄』にある
とおり・俗からみれば、僧に対しての恩は確かにあると 日蓮大
聖人もおおせですからね。

ですから個人的には自分の信心で すべてを拝していけば言い訳で
別に束縛されるなにものもありませんよ。

///////////////////////////////////////////////////////////////

146堅皇:2011/01/20(木) 17:03:03
>>エキストラオさん

> 僧の世界も俗の世界も

僧俗の捉え方が変なんじゃないですかね。
創価学会や日蓮正宗には僧俗和合たる変な言葉が蔓延していますがこんな言葉御書に載ってますかね?
俗との対義語は明らかに僧ではなく聖です。
僧は信じるもの全般に当てはまる僧伽の略称ではないですかね。

現代用語では一般に僧と言えば比丘・比丘尼といった出家者を指し
優婆塞・優婆夷と言った在家信者を俗と解釈されているところもありますが
これらを全て含んでの僧伽と言うのが本来の僧の意味だと思われます。

つまり破和合僧と言う場合は僧伽ではない不信者も含めての和合と言う事であると思われます。
日蓮はそもそも僧俗と言う言葉はほとんど用いておりませんね。

用いてないというと御幣がありますので1つ
「当世の僧俗多は人を本として経文を本とせず」てのを上げて見ますが
ここでの僧俗と言うのは俗である僧と言う意味であると思われます。
僧になったからといって直ぐに聖になるわけではないので
日蓮はよく「聖なる僧」とか「俗である僧」と言う表現は良く使われておりますからね。

つまり職業僧侶といえども聖僧か俗僧かは解らないと言う事ですね。
これが法主と言う立場であっても聖であるとは断言できるものではないと僕は考えますね。

特に日蓮正宗の法主は直ぐに総講頭罷免を口にしますので
これは破和合僧の破壊僧であると僕は捉えているという事ですね。

仏法にない文言「僧俗和合」と言う言葉が人を惑わす天魔の働きをしているものと思います。

147堅皇:2011/01/20(木) 17:22:34
> 二乗台から降りた御法主は凡夫僧であるわけ。

その割りきりがあるというのはいいかもしれませんね。
ただ二乗台に乗っているから信伏ってのはね。

もちろん教壇にだった講師の話は真剣に聞くと言う事は悪い事ではないと思いますし
いちいち茶々を入れるのもおかしいと思いますが
教壇に立ったからといって明らかにおかしなことを言えば信伏の必要もないと思います。

1つ宗門側を持ち上げるとすれば池田さんより日顕さんの方が
教学力はあるのではないかと言う事は思いますね。

ただ両者とも伏せているというか隠している事は多いと思います。
仏法における「秘密」と言うものは単に伏せると事ではなく
全てを明るみにして尚且つ解る人には解るといったものであると思います。
「雖近而不見」ってやつですね。

148堅皇:2011/01/20(木) 17:27:51
末端には理解できないであろうと隠し通すのは単なる傲慢だとも思えますね。
すべてを見せても解る人には解る、理解できない人は理解できない。
これが仏法上の「秘密」であり、これが道理ではないかと思いますね。


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