- 1 :Hart Bel :2022/08/04(木) 03:49:28
-
Q: フランス語ができる方にお尋ねします。英語よりもフランス語の方が簡単だと思う点を挙げていただけないでしょうか。
私自身は発音、綴り字の読み方の点でフランス語の方が簡単だと思います。 また、フランス語は必要語彙が少ないと聞きますが、一方で1つの単語に複数意味があって覚えにくい、という話も聞きます。この点はいかがでしょうか。単語数が少なくて1つの単語に意味が複数あるほうが楽か、それとも意味ごとに単語が異なっている方が楽なのか。
語彙の点も含め、総合的に見てフランス語の方が楽だなと思った点を色々挙げていただけるとありがたいです。
フランス語の方が英語より難しい点については質問の対象としておりませんので、今回の回答に含めることはご遠慮いただければと存じます。
A: 発音に関しては、小さい時から英語に親しんでいて 発音の上手な人と、英語の発音を疎かにしていて 下手な人が口を揃えて「フランス語の方が発音が難しい 」と言うんです。でも、当然 両者が理由は違います。
さて、animalとい単語ですが、これは 英語もフランス語もスペルが同じで、意味もほぼ一致します。
ところで、↓の動画の 5:48頃をお聴きください。
www.youtube.com/watch?v=QpcmwopGDxw&t=357s
動画の女性は animalを「アニマる」と、ほぼスペル通りに発音しています。 でも、英語だと 発音記号では【ˈænəm(ə)l】で、むしろ「エナモ」みたいに聞こえます。
ja.forvo.com/search/animal/en/
ちなみに、こちらが フランス語の発音です。
ja.forvo.com/search/animal/fr/
つまり、↑の動画の女性は 後者に属し、ホントは難しい英語の発音を認識していないということになります。 しかし、英語の学習サイトなのに、フランス語に近い発音というのも 何とも皮肉ですね。
・・・・・・
wan********さんに代わって フランス語の方が文法がしっかりしている点を挙げます。
例えば、次の英文です。
① I must go out today.
ここで、todayをyesterdayに変えて過去形にしてみます。mustには過去形がないので、have toに置き換え、これを過去形にします。
② I had to go out yesterday.
次は todayをtomorrowに変えて 未来形にしてみます。
③ I will have go out tomorrow.
それでは、今度は 否定形です。mustの否定形は禁止を現します。
④ I must not go out today.
これも、 todayをyesterdayに変えて 過去形にしてみます。 これも、mustをhave toに変えて... ちょっと待って、have toの否定形は mustと違って禁止を現さないので どうしよう?
⑤ I didn't ・・・ go out yesterday.
それじゃ、todayをtomorrowに変えて 未来形に....
⑥ I will not ・・・go out tomorrow.
困っちゃったなあ.... でも、フランス語なら 何ら悩む必要がありません。
① Je dois sortir aujourd'hui. ② J'ai dû sortir hier. ③ Je devrai sortir demain. ④ Je ne dois pas sortir aoujourd'hui. ⑤ Je n'ai pas dû sortir hier. ⑥ Je ne devrai pas sortir demain.
ちなみに、kam********さんは フランス語もロクに知らないし、↑の英語の問題も解けないはずです。
detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11265701181
- 723 :Hart Bel :2025/07/29(火) 22:22:26
- Q:
“まだ終えている”…うーん、これはどういうことなんでしょうか。終わったのに、まだ終わっている。 まるで『夏休みの宿題は7月中に全部やったはずなんだけど、なんとなく達成感がなくて、8月31日にもう一度確認しちゃう』みたいな、あの不思議な感覚に似ています。いや、やったんです。確かにやった。ノートにも書いたし、親にも見せた。でも、心のどこかで“終わった気がしない”…。それが“まだ終えている”。一種の思春期的未練、あるいは文法界の幽霊部員みたいな存在かもしれません。終わってるけど、まだ名簿に名前はある。完全に終わったようで、どこか余韻を残して漂っている。“まだ終えている”──これはもはや文法の話というより、人生の態度の話かもしれません。
ところで、現代では 英語は全ての日本人にとって 初めての、そして、半数強の人にとっては 唯一の外国語ですが、江戸時代は外国語と言えばオランダ語が主流だったのは みなさんご存知かと思います。 それで、福沢諭吉は江戸時代にオランダ語を学び、明治になって 英語に乗り換えた文化人としても有名ですね。 当時はパソコンやネットはおろか、カセットレコーダーのような音響機器も存在せず、英語を覚えるのにも現代とは比べ物にならないくらい不便な時代でした。しかし、それでも、諭吉は英語の前にオランダ語を習得していて、オランダ語は英語に最も近い言語ということもあって、英語に対する抵抗も小さく、これは 私たちが逆立ちしても享受することのできない大きなアドバンテージだったはずです。そして、最初のうちは オランダ語の知識を駆使したと思われます。そこで、とある英語塾の元講師は 自身のページ(makki-english.moo.jp/6newspaperothershowtohelpstudents1.html )でとあるネットニュースの記事を解説していますが、第2パラグラフの文です。(予め スラッシュを入れています。)
"However, /many students still complete their studies/ without confidence in their ability/ to hold a conversation."
諭吉なら、日本語よりも 次のように オランダ語に訳した方が 分かりやすかったでしょう。
"Toch, /maken veel studenten hun studie nog steeds af/ zonder het vertrouwen in hun vermogen/ om een gesprek te voeren."
ところが、明治になると オランダ語は途端に下火になり、代わって 英語が最初の外国語として学ばれるようになりました。そうすると、諭吉の手法は使えませんから、和訳するしかありません。
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)
- 724 :Hart Bel :2025/08/03(日) 07:44:58
- Q:
キャロライン・ディキンソンの事件は、その痛ましさと共に、言葉の壁を越えて報じられ、多くの人々の記憶に刻まれました。 その英文を読み解く中で、私たちは改めて「言語の違い」がもたらす理解のズレや難しさに直面することになります。
ところで、現代では 英語は全ての日本人にとって 初めての、そして、半数強の人にとっては 唯一の外国語ですが、江戸時代は外国語と言えば オランダ語が主流だったのは みなさんご存知かと思います。 それで、福沢諭吉は江戸時代にオランダ語を学び、明治になって 英語に乗り換えた文化人としても有名ですね。 当時はパソコンやネットはおろか、カセットレコーダーのような音響機器も存在せず、英語を覚えるのにも現代とは比べ物にならないくらい不便な時代でした。しかし、それでも、諭吉は英語の前にオランダ語を習得していて、オランダ語は英語に最も近い言語ということもあって、英語に対する抵抗も小さく、これは 私たちが逆立ちしても享受することのできない大きなアドバンテージだったはずです。そして、最初のうちは オランダ語の知識を駆使したと思われます。そこで、次の英文です。
① "In the case of Caroline Dickinson there was the added mystery of how this young girl had been raped and murdered in the same room as her sleeping school friends without them being woken up."
諭吉なら、「エゲレス語の asは 蘭語の alsに当たるなり」という感じで 割とすんなり理解できたでしょう。
② "In het geval van Caroline Dickinson was er het extra mysterie hoe dit jonge meisje was verkracht en vermoord in dezelfde kamer als haar slapende schoolvriendinnen zonder dat zij wakker werden."
ところが、明治になると オランダ語は途端に下火になり、代わって 英語が最初の外国語として学ばれるようになりました。そうすると、諭吉の手法は使えませんから、和訳するしかありません。 (省略されました・・全てを読むにはここを押してください)
- 725 :Hart Bel :2025/08/04(月) 08:48:09
- Q:
2025年夏現在、海外からの観光客を含む渡航者も増えていますが、約7割が英語が母国語でないとのことです。でも、私たちは 道案内などでも 英語を仲介言語にすることが 多いのではないでしょうか? しかし、英語を話すにしても 母国語の訛りが英語に出ますよね。 それでは、とある英文を カタカナで表記してみました。
「ゴー・ストレート、ターン・レフト・アット・ザ・セカンド・トラフィック・ライト。」
でも、大半の人は 次のように 英語にスペルアウトできるのではないでしょうか。
"Go straight, turn left at the second traffic light."
日本語には rとlの区別はありませんが、それでも、コンテキストも手伝い、日本人は日本語の癖を知っているので、問題はなさそうです。しかし、英語を仲介言語とするということは、非ネイティブの話す英語も理解しなければなりません。それでは、先程とは違う英文を ハングルとタイ文字で表記してみました。Google Translate、または、いつも お使いの読み上げソフトで 音声を確認してみて下さい。
①ハングル: 하우 캔 아이 겟 투 시티 홀 온 풋?
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)
- 726 :Hart Bel :2025/08/04(月) 17:17:09
- Q:
たとえば、ある町の紹介文で「すがすがしい環境」と「便利さ」が同じ文の中に並べられているのを見かけることがあります。 緑に囲まれて、空気が澄んでいて、鳥のさえずりが聞こえてきそうな場所――そうした自然環境は、確かに多くの人にとって魅力的です。一方で、三本の鉄道路線が交差し、快速電車に乗れば都心まで50分――それもまた、現代の生活においては大きな価値があります。 でも、だからといって「すがすがしい環境」と「交通の便のよさ」を、まるで同じカテゴリーに属するかのように“ひとまとめ”にして語ってしまうと、読み手はふと首をかしげたくなってしまいます。そもそも、森林浴をして心が洗われることと、都心までのアクセスが良好なこととは、気持ちの流れも利便性の尺度もまったく異なる次元の話だからです。
さて、学校の先生は五文型を教えるのに必死で、次は冠詞を教えようとするので、 日本人が非常に苦手とする「同等性」については教えません。 As well as、exceptなどが代表格です。 なので、多くの日本人は下の様な英語を平気で使います。たとえば、とあるサイト(makki-english.moo.jp/6advertisement.html )でも ご多分に漏れず、As well asの使い方を見事に間違えております。
"A City is surrounded with lush greenery and is known for its good Nashi pears. As well as refreshing environment, it is very convenient because of three railways intersecting at B Station. You can get to Tokyo within 50 minutes if you take a rapid train."
ここで、itは A City を指していると思われます。しかし、それだと A Cityと refreshing environmentが同等性を表すことになるんですが、そうすると、refreshing environmentも convenientなんでしょうか。この covenientも少し変だけど、refreshing environmentと three railways intersecting at B Stationも因果関係はないでしょう。
そこで質問ですが、このように「A市」と「すがすがしい環境」が As well as によって同列に並べられてしまうと、「すがすがしい環境も、鉄道が三本通っていて便利だからです」といった、因果関係としては明らかに成り立たない印象を与えてしまわないでしょうか? (省略されました・・全てを読むにはここを押してください)
- 727 :Hart Bel :2025/08/06(水) 21:22:54
- Q:
「小学生には複数形なんて難しすぎるっしょ?」──そうつぶやいた瞬間、少女の目はひとつになった。 家庭で英語を教えようと張り切る親や、手製の教材で近所の子に教え始める“素人先生”たち。 その熱意は否定しないが、ときに暴走し、「複数形は中学からでいいよね」という謎ルールを発動させる。 結果、目がふたつあると説明が面倒なので、少女は一つ目に加工され、教材の中で奇妙に微笑む。 これを“やさしさ”と呼ぶのか、それとも現実の改ざんと呼ぶべきか── 気づけばそこには、“two eyes”が禁句となった世界が広がっている。
ところで、現代では 英語は全ての日本人にとって 初めての、そして、半数強の人にとっては 唯一の外国語ですが、江戸時代は外国語と言えばオランダ語が主流だったのは みなさんご存知かと思います。 それで、福沢諭吉は江戸時代にオランダ語を学び、明治になって 英語に乗り換えた文化人としても有名ですね。 当時はパソコンやネットはおろか、カセットレコーダーのような音響機器すら存在せず、英語を覚えるのにも現代とは比べ物にならないくらい不便な時代でした。しかし、それでも、諭吉は英語の前にオランダ語を学んでいて、オランダ語は英語に最も近い言語ということもあって、英語に対する抵抗も少なく、これは 私たちが逆立ちしても享受することのできない大きなアドバンテージだったはずです。そして、最初のうちは オランダ語の知識を駆使したと思われます。そこで、例えば 次の英文です。小学校の英語でも出てきそうですね。 当たり前すぎる文ですが、イラストや実物を見ながら なるべく日本語を解さず 英語で ダイレクトに体の名称を覚えたり、パターンプラクティスの練習として よく登場するようです。
① "The girl has two eyes."
諭吉にとっては 単数複数の概念は オランダ語でも お馴染みだったので、なんら造作もなかったでしょう。
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)
- 728 :Hart Bel :2025/08/08(金) 05:37:16
- Q:
外国語の勉強は異文化の勉強とも言えると思いますが、英語を勉強する動機が日本の文化を世界に紹介したいなんて(そういう人も必要かもしれませんが)外国語の勉強の意味が逆になってませんか?
detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14318386554
- 729 :Hart Bel :2025/08/09(土) 18:28:36
- Q:
チキンほど、世界中で幅広く親しまれている食べ物も珍しいかもしれません。牛や豚のように宗教的なタブーに引っかかることも少なく、誰もが気兼ねなく口にできる存在です。 フライドチキンやチキンカレー、チキンサラダにローストチキン…子どもも大人も、日常の食卓から特別なごちそうまで、さまざまな場面で登場します。国や文化を問わず、チキンは“安心して出せる料理”の代表格とも言えるでしょう。そんなチキンですが、たったひとつの言葉の違いで、その「姿かたち」ががらりと変わってしまうことがあります。
ところで、現代では 英語は全ての日本人にとって 初めての、そして、半数強の人にとっては 唯一の外国語ですが、江戸時代は外国語と言えば オランダ語が主流だったのは みなさんご存知かと思います。 それで、福沢諭吉は江戸時代にオランダ語を学び、明治になって 英語に乗り換えた文化人としても有名ですね。 当時はパソコンやネットはおろか、カセットレコーダーのような音響機器も存在せず、英語を覚えるのにも現代とは比べ物にならないくらい不便な時代でした。しかし、それでも、諭吉は英語の前にオランダ語を習得していて、オランダ語は英語に最も近い言語ということもあって、英語に対する抵抗も小さく、これは 私たちが逆立ちしても享受することのできない大きなアドバンテージだったはずです。そして、最初のうちは オランダ語の知識を駆使したと思われます。そこで、次の英文です。
e① “I ate chicken.” e② “I ate a chicken.”
諭吉なら、日本語よりも オランダ語に訳した方が 違いが分かりやすかったでしょう。
n① "Ik at kip." n② "Ik at een kip."
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)
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