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Yahoo!知恵袋 名Q&A集

734Hart Bel:2025/09/29(月) 03:22:32
Q:
保育園の園庭に立って、子供たちが砂場で何やらごそごそやっているのをぼんやり眺めていると、どこからともなく響いてくる笑い声や泣き声、そして小さな手と足が一生懸命動く様子に、
つい目が釘付けになってしまうこと、ありませんか。ああでもない、こうでもないとやり取りしながら、時には自分の思い通りにいかなくて少しむくれてみたり、時には他の子の真似をしてみたり、あるいは誰にも負けまいと頑張ってみたり……そんな小さな世界の中で、子供たちは毎日、他人と自分の違いを押し通したり譲ったり、ちょっとした勝負を繰り広げているのです。

ところで、現代では 英語は全ての日本人にとって 初めての、そして、半数強の人にとっては 唯一の外国語ですが、江戸時代は外国語と言えば オランダ語が主流だったのは みなさんご存知かと思います。 それで、福沢諭吉は江戸時代にオランダ語を学び、明治になって 英語に乗り換えた啓蒙思想家としても有名ですね。 当時はパソコンやネットはおろか、カセットレコーダーのような音響機器も存在せず、英語を覚えるのにも現代とは比べ物にならないくらい不便な時代でした。しかし、それでも、諭吉は英語の前にオランダ語を習得していて、オランダ語は英語に最も近い言語ということもあって、英語に対する抵抗も小さく、これは 私たちが逆立ちしても享受することのできない大きなアドバンテージだったはずです。そして、最初のうちは オランダ語の知識を駆使したと思われます。そこで、次の英文です。当時は、幼児は家で子守していて、保育園というシステムは まだなかっただろ という突っ込みは ご勘弁ください。

① "Nobody who has visited a nursery could fail to notice the difference between the behaviour of boys and girls and the determination which they enforce the difference."

諭吉なら、「エゲレス語の determinationは 蘭語で vastberadenheidと言ふなり」という感じで すんなり理解できたでしょう。

② "Niemand die een kleuterschool heeft bezocht kan nalaten het verschil op te merken tussen het gedrag van jongens en meisjes en de vastberadenheid waarmee zij het verschil handhaven."

ところが、明治になると オランダ語は途端に下火になり、代わって 英語が最初の外国語として学ばれるようになりました。そうすると、諭吉の手法は使えませんから、和訳するしかありません。

③ 「保育園を訪れた人なら誰でも、男の子と女の子の振る舞いの違いと、そして、彼らがその違いを押し通そうとする決意に気づくだろう。」

そこで質問ですが、皆さんは英語の ‘determination’ という単語を、ただ辞書通りに『決意』と訳すだけで、本当に保育園の子供たちのちょっとした仕草や、他の子と違う自分を意地でも押し通す様子のニュアンスまで感じ取れると思いますか? あるいは、ちょっと頑固で、自分のやりたいことを貫こうとするあの愛らしい執念や意地のようなものまで、訳文で伝えられるでしょうか? なんだか、辞書だけ見て『はい、決意!』と済ませてしまうのは、子供たちの細やかな動きや個性をすっぽり抜かしてしまうようで、少しもったいない気もしますね。皆さんはどう思われますか?

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10320390805


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