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鬼和尚の仏教講読会 別館2

67鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2020/10/31(土) 22:08:54 ID:1d4drIFg0
魚を釣るには豪華な船を持つことが大事ではなく、釣竿を工夫しなければならないというのじゃ。
善く歩くには蒲の穂で草鞋を編むべきというのじゃ。
雨をしのぐ蓑笠にも難しい工夫が秘蔵されているというのじゃ。
そのように人の目に付かない所に工夫を重ねることが大事というのじゃ。
それが出来る一風流の者は誰じゃと尋ねているのじゃ。

68避難民のマジレスさん:2020/11/01(日) 11:14:52 ID:zvxCgIyg0
くま訳改 210
魚を釣るには工夫が必要なのである。
達磨が蒲葉を編んだ舟で禅を伝えたように禅を伝えるには工夫をするのだ。
野にある一休も箕のを編む工夫をしているのだ。
さて、誰が俗世間から離れて一番風流と言えるかな。

211
示弄業文筆僧  らう業分筆の僧に示す
苦楽愛憎影與身 苦楽愛憎影と身と
寒温喜怒境兼人 寒温喜怒境と人と
平生吟興黄泉路 平生の吟興こうせんの路
地獄門前桃李春 地獄の門前桃李の春

くま訳
遊び半分に詩文を書く僧に示す
苦楽、愛憎は、いつも表裏一体である。 
寒温、喜怒は、人の知覚の対象である。
常日ごろその心模様を観察することが、冥土へ行く路である。
地獄の門前で試験官が待っている春である

*業:1 なすべきこと。仕事。わざ。2 暮らしの手だて。生業。職業。3 学問。技芸。4 「実業界」 
 「業界人」の略。 
 〈ギョウ〉1 苦労してなしとげる事柄。2 生活のために行う仕事。3 やしき。
 〈ゴウ〉1 報いを招く前世の行い。2 怒りの心。
 〈わざ〉
 《〈梵〉karmanの訳》1 仏語。人間の身・口・意によって行われる善悪の行為。2 前世の善悪の行為 
 によって現世で受ける報い。3 理性によって制御できない心の働き。
*弄する:もてあそぶ。思うままに操る。あざける。からかう。なぶりものにする。
*影身(かげみ):影法師が身に添うように、いつも寄り添って離れないこと。
*境:。視覚 (眼) ,聴覚 (耳) ,嗅覚 (鼻) ,味覚 (舌) ,全身体的触覚 (身) ,心の感覚 (意) の6種 
 の知覚器官 (六識 ) によって知覚される対象のことで,それぞれ,形 (色) ,音声 (声) ,匂い (香) , 
味 (味) ,接触されるもの (触) ,考えられるもの (法) をいう (→六境 ) 。
*平生(ヘイゼイ):ふだん。いつも。つね日ごろ。
*黄泉路(よみじ)黄泉へ行く道。冥途への道。
*桃李(トウリ)」:唐の劉禹錫(りゅううしゃく)の「満城の桃李春官(しゅんかん)に属(しょく)す」の詩 
 句から、試験官が採用した門下生。自分がとりたてた人材。
(´・(ェ)・`)つ

69鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2020/11/01(日) 21:45:08 ID:1d4drIFg0
だいたいそんな感じなのじゃ。
文筆も真面目に修行として修めるべきだというのじゃ。
苦楽愛憎感温喜怒を全て筆で現すことも出来るのじゃ。
そのように己を知るために吟興を用いるべきだというのじゃ。
遊び半分では地獄行きだというのじゃ。

70避難民のマジレスさん:2020/11/02(月) 18:51:15 ID:0QoXVJ3I0
212
山名金吾鞍馬毘沙門化身 山名金吾は鞍馬毘沙門の化身
鞍馬多門赤面顔 鞍馬の多門しゃく面顔、
利生接物人間現 利しょう接もつ人間にげんず、
開方便門真實相 方便門を開く真実の相
業属修羅名属山  業は修羅に属し名は山に属す

やまんなか先生 訳・解説
山名宗全は鞍馬の毘沙門天の化身である。
鞍馬の多聞天の容貌は赤面であり、
その多門天が利益をもたらす為に人間に現れた。
方便の門を開いて真実のあり方を示す。
その業は修羅の道を歩み、その名は山に属す、即ち山名である

武田鏡村先生訳
鞍馬寺の多聞天は、
赤い顔をして
衆生を利益せしめるために、人の世界に出現した。
仏の真実の教えを方便を用いて説いたが、
その行ないはあたかも修羅の如しで、その名を山名という。

くま訳
山名金吾は鞍馬の毘沙門天の化身
鞍馬多門は赤面顔。
衆生済度、待機説法の為に人間界に現われた
方便を駆使して真実相を説いた。
その業は修羅の如くであった。その名は山名である。

*接物利生(せつもつりしょう):衆生済度、待機説法(碧巖録第88則)
*金吾:支邦武官を称するの語なり、「吾は禦なり、金革を執りて以て非常を禦(ふせ)ぐなり」と、故に
「業は修羅に属し、名は山に属す」るなり。(國訳禪学大成・脚注)
*金革:1 刀剣と甲冑(かっちゅう)。武器。武具。2 戦争。いくさ。
(´・(ェ)・`)つ

71鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2020/11/02(月) 22:02:31 ID:1d4drIFg0
山名宗全は応仁の乱で西軍の首領だった者じゃな。
政治的にはいろいろあったが、信心深く寺社の保護をしたというのじゃ。
出家もしていたのじゃ。
それで一休も仏教を守護する毘沙門天の化身というのじゃ。

72避難民のマジレスさん:2020/11/03(火) 18:45:45 ID:cjHTbEFw0
213 陳蒲鞋 八首1/8 ちんほあい
老禪本鐡眼銅睛 老禪もと鉄げん銅ぜい
不是北堂慈愛情 是れ北堂慈愛の情にあらず
天下衲僧脚跟下 天下の衲僧脚跟下
宗門潤色綠蒲青 宗門の潤色緑ほ青し

くま訳
老禅僧は、もともと、真理を見抜く鋭いが眼力があるのだ。
これから言うことは、母親の愛情の様なものではないのだ。
天下の禅僧は、足下を見よ。
宗門は取り繕っているが、緑蒲は青く、未熟なのである。


*蒲鞋(ほあい):便所の草履。黄檗希運の法嗣なる睦州道縱、かつて自ら草履を製し、道路に棄て、以て 
 行人に便ぜしという、俗姓陳氏なる故に、時人呼んで、陳蒲鞋という。
*鐡眼銅睛(てつげんどうぜい):①鉄や銅の眼睛(仏祖の肝心要の道理)②すぐれた眼力を譬える言葉
*北堂:母の居る所、母の別称
*潤色:1 色をつけ光沢を加えること。2 表面をつくろい飾ったり事実を誇張したりしておもしろくする 
 こと。3 天の恵み。また、幸運。
*脚跟下:五祖法演禅師が、寺に帰る途中、提灯の火が突然消えた。「この場に臨んで各自一句を 
 述べてみよ」と命じた。克勤(こくごん)は、「看脚下」と答え、師匠を感服させた。
 暗闇に灯火を失ったような人生の悲劇に遭遇したとき、人は多く右往左往してこれを見失い、 
 占いや苦しいときの神頼みに走り、あるいは悲劇のドン底に沈淪しがちなものだが、道は近き 
 にあり、汝自身に向かって求めよと教えるのが、「看脚下」の一語である。
*緑蒲(りょくほ)」:緑色したガマ(の葉)
*青し:未熟。年少の。若い。
(´・(ェ)・`)つ

73鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2020/11/03(火) 22:31:11 ID:1d4drIFg0
大体そんな感じじゃな。
習熟した禅僧は鋭い眼を持つというのじゃ。
観察するためなのじゃ。
母親の慈愛の如き優しいものではないのじゃ。
天下の僧は己の足元のみを見よというのじゃ。
宗門がどうとか言っているのはまだ青臭い輩なのじゃ。

74避難民のマジレスさん:2020/11/04(水) 19:58:50 ID:caBPdlkw0
214 陳蒲鞋 2/8
唯有宗門零落愁 唯だ宗門零落の愁有り
錯來末法幾禪流 あやまりきたる末法幾禪流
春風桃李吟無酒 春風桃李吟に酒無し
尊宿榮華蒲葉秋 尊宿の榮華ほえふの秋
  
くま訳
ただ、宗門零落の愁あり。
混乱窮まる末法の世に幾つもの禅宗流派が存在する。
春風に桃李の花咲き、風流なお膳立てがあっても、吟も酒もない。
高徳の僧の榮華は蒲葉(ほよう)も枯れ落ちる秋を迎えているのだ。

*末法:仏の在世から遠く隔たったため、教法が次第に微細・瑣末になり、僧侶が戒律を修めず、争いばか 
 りを起こして邪見がはびこり、釈迦の仏教がその効力をなくしてしまう時期
*桃李:桃李(トウリ):1 桃とすもも。2 唐の劉禹錫(りゅううしゃく)の「満城の桃李春官に属(しょ 
 く)す」の詩句から試験官が採用した門下生。自分がとりたてた人材。
(´・(ェ)・`)つ

75鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2020/11/04(水) 22:24:16 ID:1d4drIFg0
末法の世になって禅もいくつもの宗派ができてしまったというのじや。
さらにそれぞれの宗派で争ったりしているのじゃ。
正に末法の世なのじゃ。
豪勢な寺とか高い経典などの膳立てがあっても、正しい法はないというのじゃ。
高僧の栄華も落ち目であると言うのじゃ。

76避難民のマジレスさん:2020/11/05(木) 20:37:13 ID:n0q2q3AQ0
215 陳蒲鞋 2/8
黄衣尊宿事如何 くわうえの尊宿こといかん
不是當機信手拏 是れ当機手にまかせてとらふにあらず
三家村裡野老業 三け村裡野老の業
棒喝商量豈作家 棒喝の商量豈に作家ならん 

くま訳
黄衣を着た高徳の僧(陳蒲鞋 )はこの件をどのように思われるであろうか。
これは、当機の手を使って相手を捉えようというのではない。
へんぴな田舎の村に住む爺さんの業で興味があるのだよ。
棒喝と、問答応酬により人生の一大事を明らめようというのが禅宗師家ではないのかい。

*当機(とうき):相手の能力素質に応じた導き方をすること。
*手。②(器具の)取っ手。横木。③筆跡。文字。④腕前。技量。⑤(物事の)やり方。型⑥部隊。軍勢。 
 配下。⑦傷。負傷。
*三家村裡:へんぴな小村 50の詩 参

77鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2020/11/05(木) 22:41:31 ID:1d4drIFg0
そんな派閥闘争にあけくれている今の僧をみたら高僧はどう思うじゃろうか。
これは当機即妙に導く法ではないのじゃ。
田舎の爺さんの派閥争いのようなものじゃ。
棒と喝や問答を形だけやっていてもそれが禅ではないのじゃ。

78避難民のマジレスさん:2020/11/06(金) 19:04:17 ID:emCATIgM0
くま訳改
第2句:これは、当機の手を使って相手を導く法ではないのである。
第3句:へんぴな田舎の村に住む爺さんの争いではないのである。
第4句:棒喝と、問答応酬を形だけやっていてもそれが禅ではないのである。

216 陳蒲鞋 3/8
元來黄檗下之尊      の尊
臨済師兄不要論   師ひん論を用ひず   
佛法南方今落地 仏教南方今地に落つ
北堂寂莫苦吟魂 北堂寂莫として吟魂を苦しむ

くま訳
元來、陳蒲鞋は、黄檗下の禅師様であって、臨済を黄檗に参じさせた、
臨済兄弟子は論は用いなかった、
(論重視の南方仏教は今落地に落ちた、
北のお堂(大乗仏教)は、ひっそりと静まり返り、吟魂に苦しんでおるのだ。

*師兄(すひん・しひん):禅宗で、法系上の兄弟子をいう。
*論:仏教の教説を解説した書物の総称。本来はアビダルマの漢訳語であり、経・律・論のひとつとして、  
 狭義にはこれを指すが、漢訳圏の大乗仏教ではアビダルマだけでなく、教学の綱要書や、経典あるいはア 
 ビダルマへの注釈の形を取った思想書などをまとめて論書として扱う。
(´・(ェ)・`)つ

79鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2020/11/06(金) 21:57:48 ID:1d4drIFg0
元は黄檗宗の者だったというのじゃ。
臨済宗の師兄は論を不要としたというのじゃ。
南方禅は地に落ちたのじゃ。
北方禅も寂しく苦吟するありさまなのじゃ。

80避難民のマジレスさん:2020/11/08(日) 18:30:59 ID:ebQjNP9E0
217 陳蒲鞋 5/8
眞正工夫任変通 眞正の工夫変通に任す
達磨建立佛心宗 達磨建立す佛心宗
雲起南山北山雨 雲南山に起れば北山は雨
夜來吹過樹頭風 夜來吹き過ぐ樹頭の風

くま訳
禅の奥義を窮める為の眞正工夫とは、状況に応じて自由自在に変化適用することである。
達磨は経論によらず、坐禅を主な修行法とする佛心宗(禅宗)を建立したのである。
雲が南山に起れば、北山に雨が降る ありのままを見るのだ
夜來吹きぬける樹頭の風 じゃい。 

*変通:その場その時に応じて、自由自在に変化・適応してゆくこと。
*佛心宗:経論などによらずただちに仏心を悟ることから、座禅をおもな修行方法とする仏教の一宗派。
 禅宗の別称
(´・(ェ)・`)つ

81鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2020/11/08(日) 21:55:54 ID:1d4drIFg0
本当の座禅の工夫とは何が起きてもあるがままに任せるということなのじゃ。
それが達磨の教えた仏の心という宗派なのじゃ。
雲が南に起これば北に雨が降るという人の理解できぬことも受け容れるのじゃ。
夜が来れば風が樹の葉を吹き鳴らす音を流れるままに受け容れるのじゃ。

82避難民のマジレスさん:2020/11/09(月) 19:00:38 ID:2UjGVukA0
218 陳蒲鞋 6/8
堪笑米山無米銭 笑ふに堪へたり米山米銭無し
誰参尊宿織蒲禪 誰か参ず尊宿織蒲の禪
衆生五欲八風起 衆生五欲八風起こる
看看正邪今現前 看よ看よしょう邪今現前

くま訳
しかし、陳蒲鞋が母を養った米山には米を買う銭も無しとは、お笑いである
高僧がわらじを織る寺で、誰が修行をするのか
人には五欲八風が起こるものなのである。
・・・ほれ見なさい、今まさにそれは正しい、いや、間違ってるという思いが起きたでありましょう。

*五欲:5つの感覚器官に対する5つの対象,すなわち形体のある物質 (色) ,音声 (声) ,香り (香) , 
 味,触れてわかるもの (触) をいう。これらは,欲望を引起す原因となるので五欲という。また,財欲, 
 色欲,食欲,名誉欲,睡眠欲を五欲という場合もある。
*八風(はっぷう):仏の教えに基づいた修行を妨げる8つの出来事の事。人間が求める4つの出来事四順
 (しじゅん)と、人間が避ける4つの出来事四違(しい)とからなる。四順①利い(うるおい)‐目先の
 利益、②誉れ(ほまれ)‐名誉をうける、③称え(たたえ)‐称賛される、④楽しみ(たのしみ)‐様々
 な楽しみ。四違①衰え(おとろえ)‐肉体的な衰え、金銭・物の損失、②毀れ(やぶれ)‐不名誉をうけ 
 る、③譏り(そしり)‐中傷される、④苦しみ(くるしみ)‐様々な苦しみ
(´・(ェ)・`)つ

83鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2020/11/09(月) 21:39:17 ID:1d4drIFg0
米山という地名で米も銭も無いのはお笑いじゃというのじゃ。
草鞋を編む僧は誰も参じないというのじゃ。
衆生は五欲と八風に囚われているからのう。
正邪が今現前しているのを見よというのじや。

84避難民のマジレスさん:2020/11/10(火) 20:12:27 ID:n2jj.iZI0
219 陳蒲鞋 7/8
説道談禪長利名 どうを説き禪を談じて利名を長ず
工夫乱裡築愁城 工夫は乱裡に愁城を築く
門閫空折韶陽脚 門こん空しく折るぜう陽のあし
折得江湖門弟情 折り得たりこう湖門弟の情

くま訳
道を説き、禪の話をして名利を上げる。
誤った工夫により、愁いの城を築き上げる
宗門の法脈が途切れてしまった、雲門宗のように、
禅宗の法脈も断たれてしまうこともあるものなのである。(既に断たれたしまった。)

*閫(しきみ・こん):門戸の内外の区別のために下に敷く横木。門や家屋の入口の横木。また、敷居。
*韶陽(しょうよう):雲門文偃の居た場所。雲門をさす
*江湖(ごうこ、こうこ):唐代に馬祖道一と石頭希遷の2人が活躍した地域。そこから禅宗僧侶の世界を
 「江湖」と称するようになり、後に「江湖会」と言えば、夏安居を指すようになった。
(´・(ェ)・`)つ

85鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2020/11/10(火) 22:29:35 ID:1d4drIFg0
売僧は仏道を説き禅を話すのも名利のためだというのじゃ。
その工夫も乱れて虚しいものじゃ。
門派の脚は折れ、徒弟も嘆くのじゃ。
何やら悲壮な感じじゃな。

86避難民のマジレスさん:2020/11/11(水) 21:13:16 ID:iUpUjRSA0
220 陳蒲鞋 8/8
無米米山名下空 べいなうしてべいさん名のもとむなし
宗門玄要老禪翁 宗門の玄要老禪翁
七寶荘厳之冨貴 七寶しゃう厳之冨貴
平生永雪又寒風 平ぜい氷雪又寒風

くま訳
米が無くて米山と言う名は空なのだ。言葉は、そのものではないのだ。
禅宗門の玄要とは、陳蒲鞋老禪翁の存在が示していることなのだ
仏具、仏像を七寶荘厳に飾る冨貴も、
日常の、永雪、寒風に堪えること、あるがままなのだ。
(´・(ェ)・`)つ

87鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2020/11/11(水) 21:51:48 ID:1d4drIFg0
米の無い米の山は空名なのじゃ。
それこそこの門の玄妙で大事なところなのじゃ。
七宝荘厳の富貴とは平生の氷雪寒風と同じなのじゃ。
皆空平等であるからなのじゃ。

88避難民のマジレスさん:2020/11/12(木) 20:12:18 ID:1HJphfiA0
221
童謡 二首 1/2
童謡逆耳野村謳 童謡耳にさからふやそんの歌
唱起家々亡國愁 唱起すかか亡國の愁
十年春雨扶桑涙 十年春雨扶桑の涙
稼穡艱難廃址秋 かしょく艱難廃址の秋

武田鏡村先生訳
近ごろの子どもがうたう歌を聞くと、野卑な歌ばかりで耳になじまない。
あちこちの家々では、国を亡ぼすような歌をうたい始めたぞ。
この十年ふりつづいた春雨は、日本の国の涙にほかならない。
生計するも困難な廃墟にも秋はめぐってくる。

くま訳 
童謡は耳障りな、下品な歌である。
このような歌が、巷で歌われるとは、亡国の兆しではないかと愁う。
十回目の春雨の時季節を迎えた、日本国の涙であろう。
農作業をして刈入ををするのも困難な大徳寺炎上後の廃墟にも、秋は廻り来る。

*鄙野(ヒヤ)下品で洗練されていないこと。また、そのさま。野卑
*逆耳: 耳障りである,耳に痛い
*鄭衛之音、亂世之音也、比於慢矣。桑間濮上之音、亡國之音也、其政散、其民流、誣上行私而不可止也。
『礼記』・楽記  
禮記の樂記に曰く、「鄭衛の音は乱世の音なり、慢に比し、桑閒濮上の音は亡國の音なり、其の政は散じ、 
其の民は流す、上を誣ひ、私を行ひ、しかして止むべからず」と。即ち其の鄙野の音を聞いて愁ふるなり。
*廃址(ハイシ):建物や城などのすたれたあと。
*濮上之音 :(ぼくじょうのおん):国を滅ぼすような淫乱な音楽のこと。春秋時代、衛の霊公が濮水の 
 ほとりで聞いた音楽が気に入り、晋の平公の前で披露させたところ、晋の楽官の師曠が殷を滅亡させた淫 
 靡な音楽だといってやめさせた故事から。
 鄭衛之音(ていえいのおん): 同 濮上之音。「鄭」と「衛」は春秋時代の国の名前で、両国の音楽はみ 
 だらなものであったとされている。『礼記』「楽記」
(´・(ェ)・`)つ

89鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2020/11/12(木) 21:45:57 ID:1d4drIFg0
中国の迷信では国が滅びる時は先ず子供の歌に兆しが現われるというのじゃ。
今おかしな童謡が聞こえるのも亡国の予兆ではないかというのじゃ。
十年も続く雨は日本の涙なのじゃ。
乱世で仕事もなく廃れていく家々があるばかりなのじゃ。

90避難民のマジレスさん:2020/11/14(土) 16:11:14 ID:vnzMlciY0
222 童謡 二首 2/2
皇城山野野皇城
変雅変風人不平 がを変じ風を返じて人平かならず、
骼皮秋瘦山骨露 かく皮秋瘦せて山骨露る
狂雲一片十年情  狂雲一ぺん十年の情

武田鏡村先生訳・解説
皇居は山野の田舎ほどに荒れはててしまった。
混乱の世の中をうたった詩は、人の不平と不満を述べている。
それは、あたかも秋に山肌の骨格がむき出しになってしまうように、荒れはてている。
狂雲子一休の詩も、この十年の荒涼とした風景を憤りをもって吟じたものである。

肝冷斎先生訳・解説
みやこが壊れて原野になったり、原野がみやこになったり、
みやこの歌も変わり、田舎歌も変わったが、人の不平は収まらぬ(から、いつの世にも歌は生まれてくるの
だ)。
それでも季節は廻り来る。
秋の大地は骨も皮も痩せ、山々は巌をむき出しにする(人間の心も乱世には真実の本心をむき出しにするの
だ)、
狂ったおれはただひとひらの雲になって、この十年を彷徨い続けている。

「雅」と「風」は「上流の文化」と「しもじもの風俗」と考えてもいいと思うのですが、「詩経」の王家の
儀礼歌「雅」と各国の民謡「風」をイメージしていると思うので、みやこ歌と田舎歌、とさせていただきま
した。
「骼」(かく・らく)は骨、特に「骨組み」という意味に使われます。ここは、秋の「骼」と「皮」は、お
そらく草とか木葉のことで、それらが痩せ落ちて山の本体である岩石が露出してきたことをかっこよく言っ
ているのでしょう。もちろんそこにはニンゲン世界の比喩がある。

くま訳
皇居が山野のようになってしまった。野が全て皇居である。
人々の情緒は変わってしまい、平安な気持ちで居られなくなっている。
秋に野枯れ、岩肌が露になるように、人の荒れた心もむき出しになっている。
狂雲、一片の雲として流れ流れてきた十年である。
(´・(ェ)・`)つ

91鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2020/11/14(土) 21:56:57 ID:1d4drIFg0
都も荒れ果て野も城も同じになったのじゃ。
それを見て人は不平をもらすのじゃ。
山も地肌がむき出しじゃ。
一休も乱世の十年を嘆くのじゃ。

92避難民のマジレスさん:2020/11/15(日) 16:44:39 ID:sCeJO2BA0
223
地獄 二首 1/2
十方世界盡乾坤     じん乾坤
水火寒温人命根     人のみょうこん
看看米穀閑田地 看よ看よ米穀閑田ぢ
是衆生之地獄門 是れ衆生の地獄門

くま訳
天上天下全世界
万物全感覚そして人命
看よ耕されることのない閑田地を、(自分とは何かを探求されることなく放置された心)
それこそ衆生の地獄の入り口だ。

*田:めいめいに備わっている心、仏心のこと。

おまけ:五祖法演 投機偈
山前一片閑田地
叉手叮嚀問祖翁
幾度賣来還自買
為憐松竹引清風

本覚寺HP 訳・解説
この寺の前に一片の休耕地がある
礼儀を正して、この田んぼは一体誰ものですかと人に聞いて回った
誰のものかわからないので幾度か売ったり買ったりしてきた
主は誰なのか分かってしまえば松竹の涼しい清風を味わうばかりである

※五祖法演禅師(1024-1104)は、臨済宗中興と言われ古則公案を通じた禅修行を確立。自らの悟りの境地を
詠んだ投機偈。
(´・(ェ)・`)つ

93鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2020/11/15(日) 21:46:55 ID:1d4drIFg0
十方の全ての世界に陰陽の気すらもなくなったというのじゃ。
エネルギーが無くなったということじゃな。
水火も感温もなく人の命も尽きたというのじゃ。
米穀を生み出す田もすっからかんなのじゃ。
是は衆生の地獄の始まりなのじゃ。
正に乱世なのじゃ。

94避難民のマジレスさん:2020/11/16(月) 20:28:24 ID:cbNVEJfo0
224
地獄 二首 2/2
黄泉境界幾多勞 くわうせんの境がい幾ばくか勞す
劒是樹頭山是刀 剣は是れ樹頭 山は是れたう
朝打三千暮八百 朝打三千ぼ八百
目前獄率眼前牢 目前は獄率眼前は牢

くま訳
黄泉の国へ行く境界線を越えて行くのは、幾らか苦労するのだ。
地獄の樹木は剣で出来ており、山には刀が植えてあるのだ。
禅修業では、朝三千、暮八百、警策で打たれるのだ。
目前には獄率が警策を持って立ち、眼前には、地獄の牢獄があるのだ。

*剣樹:枝・葉・花・実などがすべて剣でできているという地獄の樹木。
*刀山(トウセン):地獄にあるという、刀剣を植えた山。つるぎの山。
(´・(ェ)・`)つ

95鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2020/11/16(月) 21:09:57 ID:1d4drIFg0
黄泉の境界には幾多の労苦があると言うのじゃ。
つまり死ぬ時のことじゃな。
死の恐れと苦痛が剣の樹とか刀の山の如く襲い掛かるのじゃ。
朝には三千も打たれ、暮れには八千も打たれるような苦なのじゃ。
そして目の前には地獄の羅卒がいて牢がある如くなのじゃ。

96避難民のマジレスさん:2020/11/17(火) 00:33:36 ID:bMgyWGqw0
うむ。
恐ろしい「死」を克服する為には、真剣な修行か必要であると、くまは解釈したのでありますが、ちょぴっと違ったようであります。
いつも、ありがとうであります。
(´・(ェ)・`)つ

97避難民のマジレスさん:2020/11/17(火) 19:34:26 ID:JTqM/nX60
225
拝關山和尚塔  關山和尚の塔を拝す
荒草不鋤乃祖玄 荒草鋤かずない祖の玄
涅槃正法妙心禪 涅槃正法妙心の禪
杜鵑叫落關山月 とけん叫落す関山の月
誰在花園躑躅前  誰か花園ていちょくの前に在る

くま訳
関山和尚の墓塔を拝す
無明な僧たちは、未だ鋤き返されておらず、亡き師の「玄」を理解できない。
大悟の境界に於ける幽玄なる仏心を探求する禪
ほとどきすが声を振り絞ったように鳴き叫ぶのは、関山の偉功を偲んでいるのだ。
誰がつつじの花園妙心寺で、関山和尚の法脈を継いでいるといえるのだ。

*關山:①大燈國師が、妙心寺開山、関山慧玄(かんざんえげん、1277年-1361)に与えた道号。②日本原 
 産のヤエザクラ 
 禅風は厳格で、その生活は質素をきわめ、枯淡な禅風で修禅に専念したという。『沙石集』には「本朝な 
 らびなき禅哲なり」と称賛されている。 1360年12月12日、関山は旅の支度をして授翁に行脚に出ると 
 いい、「風水泉」と称する井戸の辺で授翁に遺戒し、立ったまま息をひきとった。
 語録や著書はなく、遺命して肖像を残させなかったた。
 南浦紹明(大応国師)から宗峰妙超(大灯国師)を経て関山慧玄へ続く法系を「応灯関」といい、現在、 
 日本臨済宗はみなこの法系に属する。関山の禅は、後に系統に白隠慧鶴が出て大いに繁栄し、他の臨済宗 
 諸派が絶法したのに対し、その法灯を今日に伝えている。(wikipedia解説抜粋)
*荒草(こうそう):荒果てた草地。禅宗では悟りに至る前の無明(むみょう)の喩に用いる。
 臨済録 上堂1-2
 座主有り、問う、「三乗十二分教は、豈に是れ仏性を明かすにあらざらんや?」
 師云く、「荒草曽って鋤かず」。
 禪と悟りHP訳
 座主(ざす)が質問した、「仏教の三乗十二分教は、すべて仏性を説き明かすものではありませんか?」
 師は云った、「そんなものでは無明の荒草を鋤き返すことはできんよ」。
*乃祖(ないそ):汝 の祖父。また、祖先。

*涅槃妙心:正法眼蔵涅槃妙心  釈尊が体得した甚深不可思議の真理?の内容を表現した語として、禅宗 
 で尊重される。単に、正法眼蔵とも。大悟の境界に於ける幽玄なる仏心は、言教をもっては表現したり、 
 認識によって把握したりすることはできない。
*316望帝杜宇(ぼうていとう):古代の蜀・古蜀の第4代君主・杜鵑に生れ変って春を知らせる
*杜鵑叫落桃花月 血染枝頭恨正長 
 咲き誇る桃の花を照らしながら傾く月のなかに、ほとどきすが血を振り絞ったように鳴き叫ぶ恨みの声
 (黄檗宗のみが用いている施餓鬼法要の経本『瑜伽焔口科範』)
*躑躅(つつじ)妙心寺のつつじは有名らしい。一休さんの頃から植えられてたのでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

98鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2020/11/17(火) 21:05:31 ID:1d4drIFg0
そのような感じなのじゃ。

祖師の玄妙なる境地は捨て去られているのじゃ。
涅槃に導く正法の妙なる心の工夫による禅なのじゃ。
ほととぎすも月に鳴いているのじゃ。
誰かそれを聞く者が花園躑躅の前に居るであろうかというのじゃ。

99避難民のマジレスさん:2020/11/18(水) 23:09:38 ID:L4550tNs0
一休さんの帝王学
226  1/4
善悪未嘗混     善悪未だ嘗て混せず
世為善者皆朋舜   世に善を為す者は、皆舜を朋とし、
而悪者皆黨桀也   而して悪を為す者は皆桀(けつ)に党すなり。
雉必為鷹所撃    きじは必ず鷹の為に撃たれ
鼠必為猫所咬    鼠は必ず猫の為にかまる、
是天賦所前定也   是れ皆天賦前定する所也。
一切衆生之歸佛   一切衆生の佛に帰して、
善而免生死之淪没者 善にして而してしょう死の淪没を免がるる者も
亦猶若茲      また猶ほかくの如し
因作偈以示衆云   因つて偈を作つて以て衆に示すと云ふ     

鷹雉鼠猫元自然   ようちそめう元じねん
威音劫來舊因縁   威音劫來旧因縁
照看華清残月暁   照らし看る華清残月の暁
明皇龜鑑馬嵬前    めいくわうの亀鑑馬くわいの前

くま訳
善悪が混ざり合うということは、未だ嘗て無い。
世に善を為す者は、皆、英明な古代の皇帝「舜」を朋とし、
悪を為す者は皆、古代の暴君「桀」(けつ)の仲間である
きじは必ず鷹に撃たれ
鼠は必ず猫にかまれる
是れ皆生まれながらにして決まっていることである。
一切衆生、佛に帰依したもので、
善を行い、生死に捕らわれた迷いの境地から逃れることができる者もまたかくの如しである。
因つて偈を作つて以て修行僧に示すと言って、
     
鷹と雉、鼠と猫の話は元来自然なことである。
大昔からの因縁である。
玄宗皇帝は、かつて華清宮で楊貴妃と見た暁の残月を眺め、
舜という英明な皇帝のお手本があったのに、玄宗は馬嵬(ばかい)で臣下に脅されて、いやいや楊貴妃を殺
害する命令を下し、後で後悔しているのである。(臣下の登用を誤ったのである。)

*舜(しゅん):神話に登場する君主。五帝の一人。儒家により神聖視され、堯(ぎょう)と並んで堯舜と 
 呼ばれて聖人と崇められた。
 母を早くに亡くして、継母と連子と父親と暮らしていたが、父親達は連子に後を継がせるために隙あらば 
 舜を殺そうと狙っていた。舜はそんな父親に対しても孝を尽くしたので、名声が高まり堯の元にもうわさ 
 が届いた。
 舜の周りには自然と人が集まり、舜が居る所は3年で都会になるほどだった。
 堯は舜を登用し、天下を摂政させた。そうすると朝廷から悪人を追い出して百官が良く治まった。それか 
 ら20年後、堯は舜に禅譲した。
 英明な皇帝の代表。
*桀(けつ)は、夏の最後の帝。暴君の代名詞となった。
*華清宮(かせいきゅう):唐代の離宮。『長恨歌』において、楊貴妃が湯浴みしたことで知られる。
*龜(亀)鑑(キカン):「亀」は甲を焼いて占ったもの。「鑑」は鏡の意。行動や判断の基準となるもの。
 手本。模範。
*照看:世話をする,面倒を見る,(物の)番をする,見張る
(´・(ェ)・`)つ

100鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2020/11/19(木) 22:02:10 ID:1d4drIFg0
大体そのような感じなのじゃ。
善悪は決して交わらないというのじゃ。
雉は鷹に狩られ、鼠は猫に食べられるのが定めなのじゃ。
衆生が仏に帰依して悟りを得られるのも定めなのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。

101避難民のマジレスさん:2020/11/20(金) 21:46:46 ID:eUuVdyI60
227    2/4
過現未誰人了達 過現み誰人か了達す
悪人沈淪善者脱 悪人は沈淪し善者は脱す
風流可愛公案圓 風流愛すべし公案まどかなり
徳山棒兮臨済渇  徳山の棒、臨済の渇

くま訳
いったい誰が、過去・現在・未来にわたって、一切を明らかに悟っていると言うのか。
悪人は落ちぶれ、善者は苦境を脱するのだ。
風流を愛すべきである。公案を円熟させるのである。
徳山の棒や臨済の渇も大切である。

*過現未(かげんみ):過去と現在と未来。前世と現世と来世。三世 
*三世了達(さんぜりょうだつ):過去・現在・未来にわたって、一切を明らかに悟っていること。諸仏の
智慧は3世を見通しであること。
*沈淪(ちんりん)「沈」も「淪」もしずむ意〕①深く沈むこと。②おちぶれること。零落。淪落。
(´・(ェ)・`)つ

102鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2020/11/20(金) 23:00:53 ID:1d4drIFg0
三世に誰がそれらの因果を知り尽くしているじゃろうかというのじゃ。
それを知れば悪人は地獄に沈み、善人は娑婆世界を脱して天にいくのじゃ。
更に善根の者は公案を実践するじゃろう。
そのような者こそ徳山の棒、臨済の渇を継ぐべき者じゃ。

103避難民のマジレスさん:2020/11/21(土) 10:16:24 ID:CZmSsnrc0
228    3/4
風流脂粉又紅粧 風流の脂粉又紅粧
等妙如来奈断膓 とう妙如来断膓いかんせん
知是馬嵬泉下魄 知んぬ是れ馬くわい泉下のはく
離魂倩女謫扶桑 離魂のせん女扶桑にたくせらる

武田鏡村先生訳・解説
紅とおしろいで化粧した
風流な女性の断腸の思いは、いかに仏さまであってもどうすることもできない。
その断腸の思いは、馬嵬で殺されてあの世に行った楊貴妃の魂であることを知っている。
楊貴妃の魂は倩女のように離れて、もう一人の楊貴妃すなわち日野富子として日本に現れて、罰せられてさまうだろう。

一休は富子が楊貴妃のように凄惨な末路で死をむかえ、・・・と断言した。だが、一休は富子の死をみることなく没している。

くま訳
風流に化粧した楊貴妃、
等妙如来は、彼女の断腸の思いを、どうやって救ってくれるというのだ。
馬嵬で処刑された、楊貴妃の思いを。
倩女のように肉体を離れた楊貴妃の魂が、戦乱威明け暮れる日本國を罰しているようだ。

*等妙如来:等覚と妙覚をもつ仏の尊称。
*離魂の倩女:『無門関』三十五則にある公案で、倩女という女性がその魂と肉体が分離し、一人の倩女は 
 結婚して幸せになり、もう一人の倩女は病床に臥して苦しんでいたが、その倩女が一つに合体した。どち 
 らが本当の倩女か、というもの。一人の倩女は楊貴妃をさし、もう一人の倩女は富子をさす。・・・一休 
 は富子が楊貴妃のように凄惨な末路で死をむかえ、・・・と断言した。だが、一休は富子の死をみること
 なく没している。(↑武田鏡村先生解説)
*魄(ハク):たましい。精神をつかさどる陽の気を魂(こん)というのに対し、肉体をつかさどるという陰
 の霊気。
*離魂(りこん):魂が肉体から分離すること。また、肉体から離れた魂。ドッペルゲンガー(二重身)
*『倩女離魂』(せんじょりこん)は、元の鄭光祖による雑劇で、鄭光祖の代表作。唐代の伝奇小説『離魂 
 記』に題材を取り、科挙試験のために旅だった王秀才を恋いる倩女の生霊が追う内容を持つ。
*謫(タク・テキ・せめる):とがめる。せめる。2.官吏がとがめを受け、位をおとされ遠方へ流される
(´・(ェ)・`)つ

104鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2020/11/21(土) 21:49:09 ID:1d4drIFg0
日野富子は応仁の乱の原因を作ったとも言われているのじゃ。
その乱を利用して財産を増やしたともいうのじゃ。
傾国の美女と思ったのじゃな。
宮廷の乱れが乱世の原因にもなったのじゃ。

105避難民のマジレスさん:2020/11/22(日) 08:56:52 ID:gsjWwTOg0
229    4/4
身心不定假兼眞 身心定まらず仮と眞と
欲界衆生沈苦辛 欲界の衆生苦辛に沈む
愁夢三生六十劫 愁夢三生六十劫
劫空無色馬嵬神  劫空無色馬嵬の神

くま訳
身心は定まらないものだ。仮のことか真実か。(分離した魂が、誰のものかも定まらない)
欲界の衆生は苦辛に沈むのだ。
悪夢は三回生れ変っても延々とつづくであろう。
世界が壊滅して空漠とした期間が。馬嵬の神仕業であろうか。

*真仮(しんか・しんけ):まことのことと仮のこと。真実と虚偽。
*空劫(くうごう・くうこう):世界が壊滅して空漠とした期間。

武田鏡村先生は、「一休は富子が楊貴妃のように凄惨な末路で死をむかえ、「三生六十劫」にわたって地獄
の輪廻をさまようと断言した。」と解してるのである。
(´・(ェ)・`)つ

106鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2020/11/22(日) 23:57:43 ID:1d4drIFg0
心身が定まらない時に仮も真もわからないというのじゃ。
それで欲界の衆生は辛苦に沈むというのじゃ。
地獄に落ちて過去現在未来と悪夢に見舞われるのじゃ。
それもまた空であり無色であるのじゃ。

107避難民のマジレスさん:2020/11/23(月) 19:18:15 ID:jN2NZNXs0
くま訳改
第一句:心身が定まらなければ、仮も真もわからないのである。

ハイテンション一休さん
230
華叟子孫不知禅 華叟の子孫、禅を知らず
狂雲面前誰説禅 狂雲面前、誰か禅を説く
三十年来肩上重  三十年来、肩上重し
一人荷担松源禅  一人荷担す、松源の禅

くま訳
華叟の子孫は禅を知らない
狂雲の面前で誰が禅を説けるというのだ
三十年来、禅を背負ってきた、肩の荷が重いのであるが、
これからも一人で松源の禅を担いで行くのだ。

*松源崇岳(しょうげんすうがく1132〜1202)南宋時代の禅僧。禅宗の看話禅及び默照禅に存在した不正 
 行為を正すため、松源崇岳は座禅の方法を改革した。
 「松源二転語」です。つまり、「開口不在舌頭上(口を開いて物を言うことは単に口先だけのことではな 
 い)」、「大力量人,因甚抬脚不起(力の強い人が、なぜ足を上げないでいるのか)」という二つの転 
 語から、看話禅と默照禅を見た。松源転語 >>112 113 114 参
(´・(ェ)・`)つ

108鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2020/11/23(月) 21:59:03 ID:1d4drIFg0
自分以外に松源の禅を知る者は居ないというのじゃ。
なかなか壮大な自負なのじゃ。
正に狂雲なのじゃ。
これからもただ独りで松源の禅を背負っていくというのじゃ。

109避難民のマジレスさん:2020/11/24(火) 19:33:31 ID:zt/s8/ZE0
自賛  2/3
風狂々客起狂風 風狂の狂客狂風を起こし 
来往婬坊酒肆中 来往のすい坊酒しのうち 
具眼衲僧誰一拶 具眼の衲僧誰ぞ一拶するは
画南画北画西東  南を画し北を画し西東を画す

ある男の残日HP 宇野直人先生訳・解説
自賛    自ら賛す   
自分自身の肖像画に書きつけた作品。 
何物にも囚われず 理想に突き進む私は いつも激しい風を巻き起こす
出入りするのは歓楽街や酒場     
見識のある僧侶で誰か私を叱る人はいないのか  
南と言えば北 いや西だ東だと 勝手なことを言う私を

(前半)
一句は露悪的に自己紹介。風は自由でとらわれないの意。狂は漢詩では「理想に向かって突き進む・これと
思ったことに熱中する」
二句の婬坊酒肆は公案の中の語で「本当の悟り」という事を象徴的に表す。山奥で得た悟りはまだ次元で低
いもので、逆に「巷の色々な人に付き合い、得た悟りこそ本当のものだ」という公案を採用している。とい
う事は、一見破戒僧の様に行動しているが、自分は一段高い次元を目指して行動していると主張している。
(後半)
周囲の禅僧に向けた挑発的な言葉となる。4句も禅の言葉。人を食った結びになっている。この詩で自分の
生き方を主張したが、では一休が主張した次元の高い悟りとはどんなものか次の詩で見てみる。

・婬坊いんぼう酒肆しゅし:歓楽街・酒場
・具眼:物の本質を見抜く力 見識がある
・画皆画北画西東 禅語で「指東劃西」と言えば、東を指したり西を指したりしていい加減にその場をごま 
 かすことを言う。お茶を濁す。

柳田聖山 訳
<訳>
風にいかれた酔っ払いが、狂った風を巻き起こし、
女郎屋や酒場をうろついている。
眼の開いた修行僧なら誰でも一突きにするがよい。
(狂風が相手ゆえ)東西南北あてもなく滅多打ちにするだけだ。
※一休自身を賛した詩であるが、どこか己と普化を重ねているように思われる。
(´・(ェ)・`)つ

110鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2020/11/24(火) 23:48:55 ID:1d4drIFg0
自賛ならば自分について詠っているのじゃ。

わしは風狂の者であるから世間の常識に囚われず教えるのじゃ。
売春宿や酒場で教えるのじゃ。
修行が出来た具眼の僧にはわかるじゃろう。
そのような者に四方の仏説を教えるのじゃ。

111避難民のマジレスさん:2020/11/25(水) 19:12:41 ID:sdUQpy3s0
自賛   3/3
大燈仏法没光輝 大燈の仏法、光輝を没す、
竜宝山中今有誰 竜宝山中、今、誰か有る。
東海児孫千歳後 東海の児孫、千歳の後
吟魂猶苦許渾詩 吟魂、猶、苦しむ、許渾の詩。

石井恭二先生訳
大燈国師の仏法は光を失った、
竜宝山大徳寺の中に、今、どんな人物がいるのか。
達磨大師このかた、千年の後、
日本の法孫である私は、詩情を抱いているのに、
  許渾の詩のように、すでに白髪頭となって苦しんでいる。
(´・(ェ)・`)つ

112鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2020/11/25(水) 21:50:26 ID:1d4drIFg0
もはや正しい禅の伝統は光をうしなったというのじゃ。
わしだけがそれを知っているというのじゃ。
伝法も千年を経て善い弟子が居ないことを苦に思うのじゃ。
もはや乱世であるから修行しようとする者もいないのじゃろう。

113避難民のマジレスさん:2020/11/26(木) 19:51:54 ID:T9jfcAc60
喜びいっぱいの一休さん
231
新造大應國師尊像 大應國師の尊像を新造す
活眼大開眞面門  活眼大いに開く眞面門
千秋後尚弄精魂  千秋ののち尚ほ精魂を弄す
虚堂的子老南浦  虚堂のてき子老南浦
東海狂雲六世孫  東海の狂雲は六世の孫

柳田聖山先生訳
尊像の眼は大きく開き、口元も鋭い。
何年経っても魂を見透かすようだ。
虚堂の高弟、南浦紹超、東海の狂雲、六世の孫。

くま訳
新造の大應國師尊像
目をくわっと見開き、ありのままだ。良く出来てよかったのだ。
長い年月を経ても、こちらの精魂を思いのままに操るようだ。
虚堂直伝の南浦老師、
正伝の狂雲は六世の孫弟子なのだ。

中村満次郎先生HP解説
1453年七月、大徳寺は焼失し、灰燼となっている。この漢詩は、康正二年、六十三歳の作で、大徳寺が
炎上して三年後のことになり、多分尊像も失われたので、新造されたのであろう。
ちなみに、このころ田辺の薪に入り、大応国師の塔所、妙勝寺が興されている。
*真面目:本来の姿・ありさま。転じて、真価 まじめであること。
*弄精魂:通常は妄想分別によって精魂を消し尽くされることを意味している。しかし、道元禅師は精魂を 
 尽くして日常底に修行弁道する意味であるとした。
(´・(ェ)・`)つ

114鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2020/11/26(木) 21:55:30 ID:1d4drIFg0
新しい寺の仏像ができたようじゃ。
一休もよろこんでいるのじゃ。
鋭い眼は今も己の心底を見抜いているようじゃ。
千年たってもまだ精魂をこめて実践しているようじゃ。
わしはその六世の弟子なのじゃというのじゃ。

115避難民のマジレスさん:2020/11/27(金) 19:09:34 ID:n2jj.iZI0
232
脱鱗鯉魚庖中得活 鱗を脱するり魚 庖中にして活するを得たり
活潑々時池水清 活潑々の時ち水清し
怪哉端的死中生 怪しい哉端的死中の生
飛潜天池衲僧眼 天池に飛潜す衲僧が眼
雲暗龍門點額情 雲は暗し龍門點額の情

くま訳
鱗を剥がされた鯉が包丁の下で活路を得た。
ピチピチト元気がよい時は、池の水は清い。
怪しいのである。わしの場合、まさに死中に活である。
天地を飛び廻り禅僧の洞察眼をもって、見てみると、
暗雲立ちこめる大徳寺、住持など引受けなけりゃよかったかも。

*死中得活(しちゅうにかつをうる):『碧巌録』九則絶体絶命のところで活路を開くこと。
*活潑潑地(カッパツハッチ):生き生きと活動すること、意気盛んで、元気のいい様子を言う
*怪哉:おまけ① 参
*飛潜(とびくく・ひせん):木々の枝の下をくぐるように飛ぶ。

おまけ①
怪哉:bigbossman先生解説解説東方朔というのは人名で、前漢の武帝に仕えた宰相、前2世紀頃の人物で
す。
 豪放磊落な性格で、仙人のような暮らしぶりであったとも言われ、
 いろいろと不思議な逸話が多い人です。
 中国の南北朝時代の殷芸(いんげい)が書いた『小説』には、
 前漢の武帝が東方朔をともなって旅行に出かけた際、行く道の途中に、
 頭、目、牙、耳、鼻、歯が人間のようにそろった奇妙な虫がたくさんいた。

 それを見た武帝が「怪哉 あやしいかな」と言ったので、その名がつけられた。
 東方朔は武帝の問いに答えて、「これは秦の時代、始皇帝が厳しい法律で
 人々を縛ったので、罪を受けた者の魂が虫に変化したものと考えられます」
 重ねて武帝が、「どうすればよいのか」と尋ねると、

 「古来から、酒を飲めば憂いを忘れるといいます」東方朔はそう言って、
 虫たちを酒の入った瓶に入れた。すると虫たちはみな、
 満足した様子で散り散りにその場を去っていた。
 後に、古地図を元に調べてみると、はたしてそこは、秦の時代に
 牢獄があった場所であった・・・こういう故事が書かれています。

「怪哉」をこの意とすると、訳は「妖怪怪哉は、刑死した人の生れ変りだから、明らかに死中に活だ。」と
なるが、これは、ないでありましょう。

おまけ②:點額魚(白楽天)
 龍門點額意如何
 紅尾青鬐却返初
 見説在天行雨苦
 為龍未必勝為魚

 ほととんぼ先生HP訳・解説(抜粋)
 意訳:龍門の急流を上りきれず、額を石に打ちあてて、
 むざむざと尾鰭を垂れて返る魚の気持ちは、如何(いかが)なものであろうか。
 聞けば、龍となって天に上れば、雨を降らせる苦しみがあるそうだ。
 そんな苦しみをするよりは、魚のままで、自由に泳ぎまわっているほうが、かえってましかもしれないよ。
 ※紅尾=魚は疲れると尾が赤くなるという。青鬐=魚の青い背鰭(ひれ)。

 白楽天の詩は、・・・人間、実力もないのに無理に出世し、後々苦しむよりは、むしろ下位にあって悠々  
 としているほうがよいという意味です。" "りゅうもん てんがくのい いかん
 こうびせいき きゃくへんのはじめ
 いうならく てんにあって あめをおこなうのく
 りゅうとなるは いまだかならずしも ぎょとなるにまさらず
(´・(ェ)・`)つ

116鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2020/11/27(金) 23:38:00 ID:1d4drIFg0
まな板の鯉は却って生きているというのじゃ。
清水の池の中では晩いのじゃ。
死の中に生があるとは人は怪しむのじゃ。
龍の如く天の池に潜む僧の目は飛翔に備えているのじゃ。
暗雲が立ち込める寺の門に入るのも慈悲なのじゃ。

117避難民のマジレスさん:2020/11/28(土) 11:30:40 ID:fukTh4tE0
233
香嚴擊竹 1/3     きゃうげんきゃくちく 1/3
對盡(畫)忽然盡情識 画に対してこつねん情識を尽くす
道人龜鑑太分明    道にんの亀鑑はなはだ分明
娘生佛見南陽境    にゃう生佛南陽の境を見る
断膓黄陵夜雨聲    はらわたを断つこう陵夜うの声

くま訳
「画にかけるもちひは、うゑをふさぐにたらず」と思い立ち、にわかに迷いの心が起った。
香厳道人は、模範になる禅師であることは、真に明らかである。
香厳は、母親から生れたこの身体を自分と思っていたが、仏を見たのだ(父母未生以前の本来の面目に気づい
たのだ。)南陽の境で。
はなはだ愉快で笑いがこみ上げる、墓守をする、南陽慧忠の陵墓に降る夜の雨音

*香嚴擊竹:正法眼蔵渓声山色の巻に香厳智閑の悟りの契機が語られる。
 愛知学院大学 禅研究所HP解説
 香厳は大潙禅師の下で修行していた。ある時、大潙が言った「君は聡明で物知りだ。お経の注釈なんかか 
 らでなく、君の父母も生まれる前の所からわしのために一句を言ってくれ」と(汝聡明博解なり。章疏の
 なかより記持せず、父母未生以前にあたりて、わがために一句を道取しきたるべし)。香厳は答えようと
 試みるがどうしても出来ない。今まで色々勉強してきたことは何だったのか、年来集めた書物も焼いて
 「画にかけるもちひは、うゑをふさぐにたらず。われちかふ、此生に仏法を会せんことをのぞまじ、ただ
 行粥飯僧(ぎょうしゅくはんそう)とならん」その後、大証国師の跡を武当山に訊ねて庵を結んで暮らし
 た。ある時、掃除をしていて、掃いた石が竹にカチンと当たった音を聞いて大悟したという。まさに、自
 然の語る真理の声を聞いたのだった。それこそが父母未生以前の一句だった。
*亀鑑:人のおこないの手本。模範
*道人:仏道の修行をする人。また、出家得道した人。
*黄陵:黄帝陵:中華民族の始祖とされる黄帝の陵墓
 黄帝:神話伝説上の五帝の最初の帝。紀元前2510年〜紀元前2448年)
*世俗の我(仮我)と真実の我(真我)は、仏教(『大般泥洹経』)。世俗の我(仮我)、自分という場
合、 一義的には、父母から享けたこの身体(人身)を私だと思ってきた(これを「娘生の面目」という。)
その一方に「本来の面目」がある)。
 この世俗の我を空海は 「五蘊の仮我」 と呼ぶ。人間は色・受・想・行・識の五蘊から構成された仮初の我 
 に過ぎないということ。
 本来の面目= 「父母未生以前の本来の面目」とは、何かと言う公案に答えられず、香厳は、一度悟るのを 
 諦めた。
*對法:阿毘達磨(アビダンマ)とは、仏教の教説(具体的には経蔵、律蔵など)の研究・思想体系、およ 
 びそれらの解説書・注釈書のこと。
 くま訳では、絵に描いた餅の香厳の故事に基づいた訳にしたが、 對法:阿毘達磨と解せば、「阿毘達磨 
 などの思想の探求が尽きて」でもよいかも。テキストでも、(盡・尽)と(畫・画)の2通りあり。
*断腸:① はらわたを断ち切ること。また、はらわたがちぎれるほどの悲しさ、つらさなどをいう。
 ② はなはだしく興趣のあること。また、哄笑するほどおもしろいこと。
*南陽慧忠(なんよう えちゅう、675-775唐代の禅僧。諡は大証禅師。
(´・(ェ)・`)つ

118避難民のマジレスさん:2020/11/28(土) 15:17:40 ID:W0SWfBm20
くま訳、全面改
清水の中にいる時は、元気がよさそうに見えるのだ
死中に生があるとはと、人は怪しむのである。
天の池に住む龍ような洞察眼をもつ僧は飛翔に備える。
暗雲立ちこめる大徳寺、住持を引受けたたのも、慈悲である。
(´・(ェ)・`)b

119鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2020/11/28(土) 22:50:17 ID:1d4drIFg0
>>117 情と識が尽きたのであるから三昧が起こったのじゃな。
 香厳の書か何かを見て情識が尽きたのじゃ。
 名僧の亀鑑は真に正しいのじゃ。
 南陽境で父母未生の仏を見たのじゃ。
 墓場で夜雨がっていても爽快なのじゃ。

120避難民のマジレスさん:2020/11/29(日) 17:16:40 ID:e5flW1XM0
234
香嚴擊竹 2/3
携來苕帚動風塵 ぜうしう(じょうしゅう)携え来って風塵を動かす
看看聞聲悟道新 看よ看よ聞しゃう悟道新たなり
半夜千竿脩竹雨 半夜千かん修竹の雨
南陽塔下弄精神 南陽塔下精神を弄す

くま訳
ほうきで、砂ぼこりを巻き上げる。
看よ、音を聞いて悟り、新たになったのだ。
深夜、高い背丈の千竿の林竹に降る雨
南陽慧忠の墓塔の下で心をもてあおぶ。

*脩竹:修竹:長く伸びた竹
*風塵:1 風で舞い立つちり。きわめて軽いもののたとえにもいう。2 わずらわしい俗世間。また、こま
ごました雑事。
*半夜:子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥の十二支で表した。子(ね)の刻は、午前0時 
 を中心とする2時間、前日の午後11時から当日の午前1時までを指す。(一つの刻を、30分刻みで四等 
 分して、たとえば、丑一つ(丑1刻)は、午前1時から午前1時30分までの間)
(´・(ェ)・`)つ

121鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2020/11/29(日) 23:41:09 ID:1d4drIFg0
掃除をしていたのじゃ。
今ここで風の音を聞いたりしていると悟道はいよいよ新たに見られるのじゃ。
塔の下で竹林にふる雨の音もありのままの精神を曝け出すのじゃ。

122避難民のマジレスさん:2020/11/30(月) 21:53:09 ID:GB63TOaY0
235
香厳撃竹 3/3
久響香厳一撃聲 久しく響くきゃうげんいっきゃくの声
可憐悟道発佳名 憐れむべし悟道佳名を発するお
蕭蕭逆耳竹扉雨 しょうしょうとして耳に逆らふ竹ひの雨
滴盡南陽塔下情 滴じんす南陽塔下の情

くま訳 
久しく鳴り響く香厳一撃の音
微笑ましいのである、悟りを開いたという名声が聞えることは
しかし、竹扉をうつ雨の音は、もの寂しくて耳障りなのである。
雨降り終り、なおつづく南陽慧忠の墓塔の下の感動である。

*可憐: いじらしく、かわいらしいこと。姿がやさしく美しいこと。愛らしいさま。
*佳名:名声・蔭木英雄先生によると、「佳名」は、好ましい名声として使われ、それに対する言  
 葉として、「蠚苴」(らそ・放胆。荒々しい。351、132の詩参)が使われている。
*蕭蕭(ショウショウ):1 もの寂しく感じられるさま。2 雨や風の音などがもの寂しいさま。
*逆耳: 耳障りである,耳に痛い.
(´・(ェ)・`)つ

123鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2020/12/01(火) 21:35:21 ID:1d4drIFg0
同じような詩が続くのじゃ。
やはり声の響きで悟ったというのじゃ。
悟道は良い名で発するというのじゃ。
雨の音が耳障りなのじゃ。
しずくが墓にも垂れるのじゃ。

124避難民のマジレスさん:2020/12/02(水) 19:05:53 ID:5u0Gq2zM0
236    1/2
小欲知足 二首
千口不多富貴愁 千口も多からず富貴の愁
家貧甚苦一身稠 家貧しうして甚だ苦しむ一身もおおしと
涓水鯉魚斗水望 けん水のり魚斗水の望
明朝臘扇廣河流  明朝らう扇広河の流れ

くま訳
千人いても足りないこともあるのが、富貴の愁であり、
家貧しければ、一人でもはなはだ苦しむのである。
今、水溜りにいる鯉は一斗樽の水を望むのである。
明日の朝の広い川は役にたたないのである。

*涓:(みず・さんずい・したみず)涓水(けんすい)①水のしずく。②小さい流れ。 ③わずか。すこし。
 ④はらい清める。
*斗:①ます。とます。ひしゃく。また、ますやひしゃくの形をしたもの。「科斗」 ②尺貫法の容量の単 
 位。一升の一〇倍。約一八(リットル)。③星座の名。天の南と北にある星座「南斗」「北斗」のこと。
*臘扇(ろうぜん):冬のおうぎつまり、役に立たないもの、無用なものという意味"
(´・(ェ)・`)つ

125鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2020/12/02(水) 21:42:24 ID:1d4drIFg0
金が有り余っていれば客が千人でも足りないと愁えるのじゃ。
家が貧しいと一人でも多いと苦しむのじゃ。
僅かな水に住む鯉は一斗の水でも欲しがるのじゃ。
黄河の水も不要なのじゃ。
自らの必要に応じて足るを知れということじゃな。

126避難民のマジレスさん:2020/12/03(木) 19:39:49 ID:hh98Jcm20
237    2/2
小欲知足 二首
果満羅漢有三毒 果満の羅漢も三毒有り
純一願小欲知足 純一に小欲知足を願ふ
無衣貧病得相治 無えの貧病あいおさむるを得たり
山堂一夜聞促織  山堂一夜促織を聞く

くま訳
修行の効により、果として阿羅漢になった者にも、貪・瞋・癡の三毒はあるのである。
一休、嘘偽り無く、小欲知足を願っているのである。
着るものも無い貧しさが、病を治し、病が治まったから貧しさから脱することも出来たのだ。・・断食療法
でありましょうか?
山堂で一夜、こおろぎの鳴き声を聞く。

一休さん、もしかして、こおろぎを食してたのでありましょうか?
*果満:修行の功により「果」としての悟りが完成すること。
*三毒:克服すべきものとされる最も根本的な三つの煩悩、貪・瞋・癡(とん・じん・ち)人間の諸悪・苦 
 しみの根源とされている。(むさぼり・怒り・愚痴(おろかさ))
*純一:まじりけがないこと。飾りけや、うそ偽りがないこと。また、そのさま。純一将軍・一休さん
*薬病相治(薬病相(やくへいあいじす):薬は病気を治すために用いるが、病気が治ると薬は不要になる。
*促織(そくしょく):こおろぎ(蟋蟀)中国では闘こおろぎ等の為、ペットとして盛んに飼育されたが、 
 東南アジアでは食用や民間療法の薬として、売られている。アメリカではコオロギの粉末を原料としたプ 
 ロテイン・バーを開発・販売し日本では徳島大学発スタートアップ企業で参入を計画している。養殖コオ 
 ロギから醤油もできるらしい。
(´・(ェ)・`)つ

127鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2020/12/03(木) 22:13:10 ID:1d4drIFg0
大体そんな感じじゃな。
断食かもしれん。
こおろぎは食べていないじゃろう。
声を聞いただけなのじゃ。

128避難民のマジレスさん:2020/12/04(金) 18:50:44 ID:1GQG89x.0
反権力クレーマーの一休さん
238
剪妙勝寺竹木  妙勝寺の竹木を切る
在官忘却不容針 官に在って忘却す針を容れざることを
妙勝封疆剪樹林 妙勝の封きゃう樹林を切る
立破商君胡亂法 立ちどころに商君うろんの法を破る
去來没跡一身吟 去來あとなし一身の吟

くま訳
妙勝寺の竹木をきる
官職にある者は、公の事をなすにあたっては、峻厳でなければいけない事を忘れているのである。
妙勝寺の敷地の境界の樹林を切れと言われたのである。
たちどころに、論破したのである。商君書のような強権的で根拠曖昧な相手の主張を。
過去の慣例を引き合いに出すなど未熟ものである。我が主張を通したのである。

うむ。一休さんに木を切れと言ったお役人さんは、かなり凹まされたでありましょう。

*妙勝寺:1288-1293年に南浦紹明が開いた妙勝寺が前身。1331-1334年に兵火にあって衰退していたのを、
 1456年に一休宗純が草庵を結んで中興し、宗祖の遺風を慕い師恩に酬いる意味で酬恩庵と号した。その
 後、一休は1481年12月12日、88歳で亡くなるまでをここで過ごした。
*官不容針私通車馬:官には針をも容れず、私には、車馬をも通ず。曹山と鏡清との問答の中で曹山が語っ 
 た言葉。公けには針をも通さないほど峻厳でも、裏口からは馬車をも通すほどツーカーであるということ。
 建前と本音とは大きく異なっていること。(龍泉院HP解説抜粋)
*封境・封疆(ほうきょう):領土のさかい。国境。
*立破(リュウハ・りっぱ):因明(いんみょう)で、論議の際の主張と、それに対する反論のこと。また、 
 自分の主張を立てて、他人の非説を破ること。りっぱ。
*商君書(しょうくんしょ):戦国時代の政治家で,法家の祖の一人,商鞅 (しょうおう) の著・土地の開 
 墾と戦功をあげることを国策の主眼とし,労働力増加のため貴族の特権を抑制し,分家を奨励し,耕作者 
 に耕地を解放し,諸子遊説の策謀を禁じ,学問,文学を排し,商業を押え,また厳罰主義をとり,隣保の
 連座制をしき,税制,度量衡の統一を説き,酷薄な国家統治の典型を示している。
*胡乱(ウロン):1 正体の怪しく疑わしいこと。また、そのさま。2 確かでないこと。真実かどうか疑 
 わしいこと。また、そのさま。
*没從跡(もっしょうせき):自分の跡を消す。修行の跡が見えるのは未熟者。努力の跡など見せるもので 
 はない。
(´・(ェ)・`)つ

129鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2020/12/04(金) 21:50:14 ID:1d4drIFg0
大体そんな感じじゃな。
本来切ってはいけない筈の寺の竹とか木を切りに来たのじゃな。
論破して立ち去らせたのじゃ。
乱世になって役人も法を破って儲けようとしたのじゃろう。
おかしなことじゃ。

130避難民のマジレスさん:2020/12/05(土) 10:24:43 ID:en9FgLnA0
239
一休贋詩作家説(83の詩 参)
偶作  1/3
患是衆生良薬訣 患は是れ衆生良薬のけつ
祖病當機臨済渇 祖病機に当たる臨済の渇
吟臺暮雲茂陵吟 吟台の暮雲も陵の吟
五十年来相如渇 五十年来相如が渇

くま訳
病こそが衆生にとって良薬というのが、奥義である。
祖師の病とは、相手の能力素質に応じて導くこものである。その一つが臨済の渇である。
黄昏時の吟台、古代司馬相如が茂陵で吟じたのだ。
五十年来相如のような艶詩を吟じてきたのだ。これが狂雲の渇愛(病)なのだ。

*患(カン・わずらう ゲン・うれえる)1.病気。わずらう。2.心を苦しめなやます。苦しみ。なやみ。う
 れえる。
*訣(ケツ):1 きっぱりと別れを告げる。2 簡潔に言い切った秘伝の文句。奥義
*当機(とうき):相手の能力素質に応じた導き方をすること。
*司馬相如:[前179〜前117]漢代を代表する賦の第一人者で、富豪の娘卓文君との駆け落ちは有名。
*渇愛(かつあい):十二因縁の一つで、対象のものごとを貪ったり、執着することを指す。仏教においては
中核的概念のひとつ、身体・精神的な「渇き、欲望、渇望、貪欲」を指している。愛(あい)とも訳される.
(´・(ェ)・`)つ

131避難民のマジレスさん:2020/12/05(土) 10:30:54 ID:en9FgLnA0
おまけ: 碧巌録 第八十七則 雲門薬病相冶 (禅者の一語 (isuzen)先生訳・解説 )
*垂示に云く、明眼の漢は窠臼(かきゅう)を没す。
 ある時は孤峰頂上に草漫漫(くさまんまん)。
 ある時は閙市裏頭(どうしりとう)に赤灑灑(しゃくしゃしゃ)。
 忽(たちま)ち もし忿怒(ふんど)せば、
 那吒(なた)のごとく三頭六臂(さんとうろっぴ)を現ぜん。
 忽ちもし日面(にちめん)月面(がちめん)ならば、
 普攝(ふしょう)の慈光(じこう)を放ち、
 一塵において一切身(いっさいしん)を現じ、
 随類の人となって、和泥合水(わでいごうすい)せん。
 忽ち もし向上の竅(きょう)を撥着せば、
 佛眼(ぶつげん)もまた覷不着(そふちゃく)ならん。
 設使(たとい)、千聖出頭(せんせい しゅっとう)し来たるも、
 また倒退(とうたい)三千里なるべし。
 また同得同證(どうとくどうしょう)の者ありや。試みに挙す看よ。

isuzen先生訳・解説
【垂示】圓悟が座下の求道者たちに垂示した。
 禅者は、何を言い、何を行っても、すべて禅にかなう=「禅による生活」をしている・・のだから、ある 
 時は、達磨の九年間の面壁・・のごとき気高いこともあるし、ある時は、繁華街のうるさい処で、商売繁 
 盛を願って、赤裸々に「大安売り」を声高に宣伝して振舞っていることもある。
 また、時には、インド、毘沙門天の息子、無双の力自慢、那吒(なた)太子のように、暴れて手が付けられ
ないこともある。また、ある時には、日面(にちめん)、月面佛(がちめんぶ 
 つ・・
 日夜、絶え間なく)となって、臨機応変(りんきおうへん)、泥まみれで衆生済度していることもある。
 さらには、忽然(こつぜん)として、廓然無聖(かくねん むしょう)の向上心を現わした、釈尊や、道を究 
 めた禅者達・・窺い知れない三千里も遠離(おんり)した所から超人的活動をなす場合もある。
 サア・ここに、そのような禅者に共鳴できる者がいるか、どうか。
 試みに挙す看よ。

*擧す。雲門、示衆して云く・・
 「薬病相治(やくびょうそうち)。盡大地(じんだいち)これ薬。
 那箇(なこ)か これ自己なるぞ」 

isuzen先生訳・解説
【本則】ある日、雲門文偃が、座下の求道者に・・
 「皆は、常識とか既定の約束とかに囚われて、迎合することに意義があると思い込んでいる。
 例えば、薬は病気を治すと決めているが、実は、病気が薬を治すのである。
 宇宙の森羅万象は、すべてこれ、薬そのもの。病は、この薬の悪用に他ならない。
 病気とは、人が薬を悪用する仕業なのだ。お前たちは今、宇宙の妙用に参画して、薬の役になっ 
 ているか・・それとも、病の役を努めているか・・どっちなのだ。答えて見よ」と迫った。

*盡大地(じんだいち)はこれ薬なるに、
 古今(ここん)、何としてか、はなはだ錯(あや)まれるや
 門を閉じて車を造(つく)らざれ。
 通途(つうと)は自(おの)ずから寥廓(りょうかく)なればなり。
 錯(あや)まれり。錯まれり。
 鼻孔(びくう)は遼天(りょうてん)なるも、また穿却(せんきゃく)せられん。

isuzen先生訳・解説
【頌】雲門は、宇宙すべての作用は、これ薬であると喝破(かっぱ)した(ソレ・・見抜いたぞ)
 これを、利得第一主義で生きている古今東西の欲深(よくふか猿=人間)は、自己中心的に考えて、軽率 
 な結論を出してしまう。
 (オイオイ・・そりゃ大変な間違い。大間違いだぞ)
 この間違いのもとは、常識とやらの世間体に拘泥するからだ。昔、中国の道幅は、車の轍(わだち)、両輪
 の幅まで杓子定規に策定されていたという。
 今どきの世間でいえば、どいつも規格(マニュアル化)されてしまった人間と、氾濫するスマホ文化に毒 
 された社会を言う。
 これを「禅者」に当てはめると「禅による生活」の大道は、寥廓(寥々廓々りょうりょうかくかく)実に 
 広大無辺なものである。
 道幅も、規制や規格サイズもあつたものではない。古今の人々は、自分の鼻は、天まで高いと思いこんで 
 いるが、雲門に自慢の鼻をひねられて半泣き顔になったのは・・どこのどいつだ。
(´・(ェ)・`)つ

132鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2020/12/05(土) 21:59:34 ID:1d4drIFg0
衆生が患うのは実は悟りに導く薬だというのじゃ。
祖師達も病に当たって臨済の喝に入ったのじゃ。
それが今も昔も変らぬ真実なのじゃ。
五十年来変らぬ喝なのじゃ。

133避難民のマジレスさん:2020/12/06(日) 13:13:11 ID:ephB6SPw0
くま訳訂正
渇 → 喝

240
偶作   2/3
我唯有一息出入 我唯だ一息出入有り
日面月面志左右 日面ぐわち面左右を忘ず
釋迦老師大覺尊 釋迦老師大覺尊
祖病治得用牛乳 祖病のぢとく牛乳を用ふ 

くま訳
私はただ、一息一息が有るのみである。
千八百年生きようが、一日生きようが、志次第である。
釋迦や老師や大学尊も同じである。
祖病に徳があるのは、命がけで瞑想し、スジャータの乳粥を食してい悟りをひらいた釈迦のお陰なのだ。

* 日面仏、月面仏:おまけ 参
* スジャータの乳粥供養:は、釈迦が悟る直前に乳がゆを供養し命を救ったという娘である(乳粥供養)。
 釈迦の苦行放棄のきっかけとなった

おまけ:『碧巌録』第三則( 細川景一先生訳・解説)
 馬大師不安。院主問う、「和尚、近日尊候如何」。大師云く、「日面仏、月面仏」。
 「馬大師」とは、禅宗第八祖馬祖道一禅師(唐代の代表的禅僧。709〜788)のことです。「不安」 
 とは、病気になること、「院主」とは、寺務を主宰する役です。
 馬祖道一禅師が、あるとき病気になられます。病勢いよいよ悪化して、余命いくばくもないとき、寺の執 
 事があたふたと見舞いにかけつけます。「和尚、ご機嫌いかがですか」という問いに対して、馬祖は答え 
 ます。「日面仏、月面仏」と。
 「日面仏」とは、賢却千仏(現世において出世される千人の仏さまたち)の第五十八仏で、千八百歳とい 
 う寿命の長い仏さんです。「月面仏」とは、“がちめんぶつ”と読み、賢却千仏の第二百二仏に当たり、 
 一日一夜という寿命の短い仏さまです。
 馬祖は千八百歳まで生きる仏さまもあれば、一日一夜の仏さまもあるではないか、病気など気にするな、 
 「生きるもよし、死ぬるもよし」と、泰然自若として言いきったのです。
 病む時は、病むがよろしく候
 死ぬ時は、死ぬがよろしく候 (良寛和尚)
(´・(ェ)・`)つ

134鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2020/12/06(日) 21:54:59 ID:1d4drIFg0
もはや自我は無く一息一息の出入りがあるのみというのじゃ。
完全にサマーディに入っているのじゃ。
日月も左右も無いのじゃ。
お釈迦様も牛乳を用いて病を治したというのじゃ。

135避難民のマジレスさん:2020/12/06(日) 22:27:40 ID:hslAgoC60
いつもありがとうであります。
釈迦が牛乳で病気を治したと言う話しは、どの経典にのってるのでありましょうか。
(´・(ェ)・`)b

136避難民のマジレスさん:2020/12/07(月) 17:51:48 ID:Q/57jf6g0
くま訳改 
第2句、日月も左右もないのである。
第3句、釈迦も老師も大学尊も、
第 4句、牛乳を飲んで病、、治したのである。
(´・(ェ)・`)b

137避難民のマジレスさん:2020/12/07(月) 18:50:01 ID:ZaLEVu0w0
241
偶作  3/3
室内閑吟一盞燈 室内の閑吟一さんの燈
自然無道箇詩僧 じねんに道無しこの一僧
愁人春興猶寒夜 愁人春興猶ほ寒夜
袖裡花牋梅蕚氷  愁人春興猶ほ寒夜

くま訳
室内で静かに詩歌を吟じる一燈の下
真理を説く道などなく、独り詩を詠む
風流人、春の興趣を詠う、まだ寒い夜である。
袖のなかに詩を書く為の美しい紙を持つ、梅のがくに氷つくような寒い夜である。

*閑吟:しずかに詩歌をくちずさむこと。
*盏(盞)(さん):1 小さな杯.2量詞 灯火・明かりの数を数える.一盞燈:おまけ 参
*自然(じねん):(1) おのずから,ひとりでに,(2) 事物の本性,仏教の真理,(3) 自然発生的な存在,
(4) 特別な原因がなく万物は自然に生成変化する (無因論) ,といったいろいろな意味に用いられる。
*愁人:① 悲しい心を抱いている人。なやみのある人。② もののあわれを解する人。風流人。詩人。文人。
*花箋・華箋(かせん):① (「箋」は料紙、手紙用の紙の意) 先方の手紙を敬っていう語。すぐれた書簡。
 ② 美しい料紙。花牋。
*萼(うてな):「花の台(うてな)」の意か〕花の萼(がく)花の最も外側に生じる器官。数個の萼片か 
 ら成り、多くは緑色。タンポポの冠毛は萼が変形したもの。 → 花被(かひ)"

おまけ:『碧巌録』第十七則【評唱】
 「後来、僧問う、如何なるか是れ室内一盞の灯。林云く、三人、亀を証して鼈と成す。又た問う、如何な 
 るか是れ衲衣下の事。林云く、臘月、火、山を焼くと。」
 後になって、ある僧が香林に尋ねた。
 「如何なるか是れ室内一盞の灯――部屋の中の一皿の灯明、これは何ですか」
  お互いの心の中の灯し火、お互いの生きておる命、これはいったい何ですか、と。すると香林が答えて、 
「三人、亀を証して鼈と成す――三人が皆な亀を呼んでスッポンだと言う」
  いろいろな人が説明するが皆ウソだ、説明してしまったら、亀がスッポンになってしまうゾ、と。説明 
  のできん生きておる命が、室内一盞の灯でなければならん。
  またある僧が問うた。
 「如何なるか是れ衲衣下の事――雲水の修行中の心得はいかがでございますか」
  それに香林が答えて、
  「臘月、火、山を焼く――暮れになると百姓が山に火をつけて草焼きをする」
  山を焼くことによって、来年の春、新しい立派な芽が出て来る。暮れに山を焼いておけば、来年の春、 
  素晴らしいワラビが採れるということだ。雲水をしておる間は、百姓が冬の山を焼くようにしっかりと
  苦労をして、煩悩妄想焼き尽くせ。雲水中に利口ぶったやつは駄目だ、馬鹿になって何もかも真箇焼き
  尽くした時に、将来、立派なワラビが生えて来て、皆がその山へ集まって来るのである。雲水中に功徳
  を積んでおかんと、将来、法は栄えんということだ。陰徳を積んでおかんといかん。
(´・(ェ)・`)つ

138鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2020/12/07(月) 20:59:53 ID:1d4drIFg0
>>135 スジャーターに乳粥をもらった時なのじゃ。
 苦行に囚われる病が治ったのじゃ。
 治らなければそのまま死ぬところだったのじゃ。

139鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2020/12/07(月) 21:06:43 ID:1d4drIFg0
部屋の中で明かりをつけて詩を詠むのじゃ。
自ずから道なき道を行く詩僧なのじゃ。
愁人には春でもなお夜は寒いのじゃ。
袖の中の花牋は氷った海蕚のようじゃ。

140避難民のマジレスさん:2020/12/07(月) 21:42:00 ID:9WeB0o4g0
鬼和尚、ありがとうであります。
(´・(ェ)・`)b

141避難民のマジレスさん:2020/12/08(火) 18:48:50 ID:ZQVqKKDE0
242    1/4
大慧武庫曰 有俗士投演出家   大慧武庫にいはく、「俗士有り、演を投じて出家し、
自曰捨縁 演曰 何請捨縁    自ら捨縁といふ。演いはく『何をか捨縁といふ』
士曰 有妻子捨之 請之捨縁   士いはく、『妻子有り之を捨つ、 之を捨縁といふ。』
演曰 我也有箇老婆還信否    演いはく、『我もまたこの老婆有り、還って信ずるや否や』
士黙然 演乃頌曰 我有箇老婆  士黙ぜんたり、演すなわちじゅしていはく、『我にこの老婆有り、
出世無人見 晝夜共一處     出世して人の見る無し、昼夜共に一処 
自然有方便 云云 余亦作頌記之 じねんに方便有り』うんぬん。」  余もまたじゅを作り之を記す。
     1/4
愛孫愛子對妻歌 そんを愛し子を愛し妻に対して歌う
滅却魔宮猶入魔 魔宮を滅却して猶ほ魔に入る、
貪着風流年少境 風流年少の境似貪着して
自然無一點漚和 じねんに一点のおうわなし

くま訳
大慧禅師が弟子に語った、こんな話がある。「見識の無い弟子入り希望者が、演禅師に身を捧げて出家し、
自ら捨縁して来ましたと言った。演禅師が尋ねた『何を捨縁と言うのかね』 
士が答えて言った、『妻子が有りましたが、捨てました』
演禅師が言った。「わしにも老いた母が有る。信じるかね』
士黙りこんでしまった。演禅師は詩文にして言った、『我に有一人の老婆有り、
わしが出家したので世話するもの無し、それで昼夜一緒に住んでいる、
人の本性として、自ずとなるべくしてなるための方便は有るのだ。云云 これを読んで、わしもまた、詩文
を作り示すのである。
         
孫子を愛し、妻に向かって歌う、
欲の魔宮は滅却したつもりだったが、なおもまた魔に魅入られているのである、
貪り執着しているのである風流な少女に、そんな境涯である。
自然にしていては、全く漚和(問題解決の方法)は機能しないのである。

*大慧宗杲1089-1163宋代の臨済宗の僧。諡は普覚禅師。仏日大師。
 真の禅法をめぐって曹洞宗に属した宏智正覚と、真の禅法をめぐって激しく対立した。宗杲は、公案を用
 いることによって言語による思考に大きな疑問を抱えつつ坐禅し、その疑問を打ち破ることにより悟りへ 
 と向かうという、臨済宗の禅法を正しいものと認めた。対立する正覚は、悟りという目標を設定すること 
 によって無明と悟りという二元論的構造が生じることを避けるために、坐禅すること自体が坐禅の目的で 
 あるような自己完結的な禅法の中で本来具有している仏性が顕れるとしたので、宗杲はこれを「黙照禅」
 と呼んで批判した。" "大慧武庫:宋朝禅林の逸話を集める。大慧が弟子たちに語ったもの
*俗士:世間並みの人。また、見識のないつまらない人。俗人。
*頌(しょう・すしょう・する・じゅ・ず)文体の一種。もと『詩経』の作品を風,雅,頌の3体に分けた
 一つで,周の宗廟の祭祀にあたって奏され,先祖の功徳をたたえる韻文であったが,のち一般に人や物事 
 をほめる内容の文章の一体をさすことになり,散文でも韻文でもつくられるようになった。
*自然:人為を離れて、法の本性としてそうなること。
*漚和:截流機指斷滅煩惱而得解脫;即以各種方便法而求絕對之解脫。Waheはサンスクリット語のupāya 
 (便宜)の音訳であり、閉鎖マシンとは、トラブルを解消して救済を得る、つまり、さまざまな便利な方
 法で絶対的な救済を求めることを意味する。
 18の詩 https://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/567-n >>638 参
(´・(ェ)・`)つ

142鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2020/12/08(火) 21:57:19 ID:1d4drIFg0
孫を愛し、子を愛し、妻に対し詠うのじゃ。
それは魔を滅却してまた魔に入るようなものじゃ。
風流にも貪り執着するのは子供の境地なのじゃ。
そうなれば自然に苦に陥って何も出来なくなるのじゃ。

143避難民のマジレスさん:2020/12/09(水) 17:50:21 ID:PfnRtg620
くま訳改
第3句、風流を貪り執着するのは子供の境地である。
第 4句、そんなことでは、苦に陥って何も解決しないのである。
(´・(ェ)・`)b

144避難民のマジレスさん:2020/12/09(水) 18:52:18 ID:Nev.XIZs0
243    2/4
有僧眼白在妻青 僧にありてはまなこ白く妻に有っては青し
對客唯言我薄情 かくに対して唯だ言ふ我れ薄情と
花前酌盡一樽酒 か前にくみ尽くす一そんの酒
半醉夜深猶半醒 半酔夜ふけて猶ほ半醒

くま訳
僧に対しては、視線をそらして相手にせず、妻とはしっかり向き合う、
客にはただ。わしは薄情なのだと言う、
花見酒で、一樽飲み干した
半酔ので更けたが、まだ、しっかりしてるんじゃい。

*おまけ:青眼白眼:晋書・巻四十九・阮籍伝
 籍又能為青白眼、 籍、又 能く青白眼を為し、
 見禮俗之士、   禮俗の士に見(まみ)ゆるに、 
 以白眼對之。   白眼を以に對す。
 
 紀 頌之先生訳・解
 阮籍は、青(黒)目と白目を使い分ける事ができ、
 礼儀作法にとらわれている俗人と会う時には、
 白目をむいて向かい合った。
 白眼とは、視線をそらす、ということ
 
 まともに目をあわせると、黒目がしっかりと見える。これが青眼で、顔はむけけてても視線をそらせると
,4相手に自分の白目を多くみせることになる。これが白眼である。視線をそらすとか相手の目をちゃんと
みないというのは、不誠実のあらわれ
 つまり、阮籍は世俗人には実に自由奔放に、気の無い冷たい態度で接するということで自分の意思を示し 
 たのである。
(´・(ェ)・`)つ

145鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2020/12/09(水) 21:49:20 ID:1d4drIFg0
もはや僧には白目で逢い、妻には愛想が善いというのじゃ。
それを聞いた客はわしが薄情というのじゃ。
花を前に。一樽の酒を飲む干すのじゃ。
半分酔って夜更けてまだ半醒なのじゃ。

146避難民のマジレスさん:2020/12/10(木) 18:35:12 ID:bIDx.y1I0
一休さん、泥酔しているようであります。
244    3/4
醉郷藁屋我家山 酔郷かう屋我がか山
燭影三更對玉顔 燭影三更玉顔の対す
夜雨無愁歌吹海 夜雨愁無し歌すい海
姮娥須是堕人間 ごうがは須らく是れ人間に堕すべし

くま訳
酔ってご機嫌なら、わらぶき屋根の我山の家も別天地である。
燭台に照らされ、深夜、美人の顔を見ている。
夜雨も愁い無いのが、遊里なのだ。
不死の薬を盗んで月に逃げ、ヒキガエルになった美人の仙女よ、人間界に皆戻って来い。

*酔郷:王績「酔郷記」酒を飲んだときの心地よい気分を別天地にたとえた語。
*藁屋(ワラヤ、・こうや):わら屋根の家。また、粗末な家。長男ブーの家
*三更:五更の第三。およそ現在の午後11時または午前零時からの2時間をいう。子 (ね) の刻。丙夜  
 (へいや) 。
*歌吹海(カスイカイ):歌舞または遊興の盛んな場所。遊里。
*姮娥(コウガ・ごうが):西王母の仙薬を盗んで月へ逃げたという「淮南子(えなんじ)」覧冥訓に見える
 女の名から》月の異称。嫦娥(じょうが)。蟾蜍(ヒキガエル)[1]になったと伝えられる(嫦娥奔月)。
(´・(ェ)・`)つ

147鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2020/12/10(木) 21:48:11 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。
今のキャバクラみたいなところに行ったのじゃな。
美人と飲んでこれは月に行った嫦娥が人間界に落ちてきたのかというのじゃ。
楽しいようじゃ。

148避難民のマジレスさん:2020/12/11(金) 19:46:35 ID:J6INucMs0
245   4/4
観法看経眞作家 観法看きん眞の作家
黄衣棒喝木床斜 黄え棒喝もく床斜なり
蠚苴元是我家業 らそ元これ我が家の業
女色多情加勇也 女色多情加男色を加ふ

くま訳
瞑想実践、経の黙読を行うのが真の禅僧である。
黄衣をまとい、棒喝を駆使する。禅堂の床は斜めでもよいのだ、
荒々しいのは、禅宗の業である。
女色、多情、に男色まで加わてしまった。・・・

*観法(かんぽう):真理と現象を心のなかで観察し念じる瞑想の実践修行法のこと。
*看経(かんきん):。経典を黙読すること
*蠚苴(らそ):放胆。荒々しい。171 235の詩参

うむ。この四連で何を言いたかったかと云うと、我が欲情を解決してくれる漚和(オウワ)などという、万
能な解決法などはなく、わしは相変わらず魔に魅入られたままであるが、ありのまの自分を観ることが、悟
りの境地につながるのだ・・・と、いう様なことでありまあようか?
(´・(ェ)・`)つ

149鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2020/12/11(金) 23:07:23 ID:1d4drIFg0
女色多情にも勇を加えるじゃな。
勇気を出して厭離するというような意味じゃな。
それで全体の意味が通じるのじゃ。

150避難民のマジレスさん:2020/12/12(土) 10:28:01 ID:yBAO6tJo0
原文は↓②③を参考にして、読み下し文は①を参考にしてるのであります。
ここは、鬼和尚解説の通り解釈しないと、意味が通じないでありますね。
①國譯禪學大成(二松堂書店・昭和5年)・・・男色
②狂雲集(寛永壬午孟春吉旦 西村又左衛門新刊)・・・勇色 
③狂雲集(民友社・明治42年)・・・勇也    

くま訳改
第4句、女色多情にも勇気を出して厭離するのだ。

246
相國寺沙喝騒動 相國寺しゃかつ騒動
元來長久萬年山 元來長久萬年ざん
葉戦松杉風外聞 葉そよぐ松さん風外の間
済北蔭涼宗風滅 済北の陰涼宗風滅す
白拈手段活機関 びゃくねん手段活機関

くま訳
相國寺沙喝(禅寺の給仕係の少年)騒動・・・何か世間を騒がせた騒動があったのでありましょうか?
元來、長寿の御利益があるといわれれ、萬年山と号す。
葉がそよぐ松杉、街の喧騒から離れたところにあるのだ。
済北庵の虎関禅師の宗風は滅してしまった。
白昼堂々、気づかれぬうちに、虎関禅師は禅師の活策略を発揮していたのだ。

*相國寺:臨済宗相国寺派の大本山。山号は万年山。開創は1383年、開基は足利義満、師の夢窓疎石が第1 
 世。京都五山の第二位。
*沙喝(しゃかつ)沙弥喝食(しゃみかつしき)の略:禅宗の寺院で、食事の時に食物の名を唱え、給仕を
 する少年。沙喝(しやかつ)。喝食(かつしき)。
*済北:虎関の庵の名称。『済北集』とは、虎関師錬が著したもので全20巻からなる。五山文学(鎌倉時
 代末期から室町時代にかけて禅宗寺院で行われた漢文学)の一つ。
*虎関師錬(こかんしれん1278-1346)諡号 本覚国師、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての臨済宗の僧。
 漢詩・漢文に優れ、五山文学の代表者の一人である。白河済北庵で『元亨釈書』を著した。
*陰涼(いんりょう): 物陰になっていて涼しいこと。
*白拈賊:碧眼録に雪峰禅師が、臨済禅師を「大いに白拈賊に似たり」と評するくだりあり。白昼に堂々と 
 仕事をする盗賊のこと。昼間でも人目につくことなく巧みに盗みをはたらくほど機敏な者、つまり相対し 
 ているヒトが気づかないうちにスッと迷いや煩悩を吸い取ってくれる導師だと評している
*活作略:作略は師家が弟子を導くために用いる方法は、手段のこと。いきいきとした適切な手段。
(´・(ェ)・`)つ

151鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2020/12/12(土) 23:48:38 ID:1d4drIFg0
小坊主が騒がしかったのじゃな。
今も昔も子供は騒がしいものじゃ。
むしろ活気があると言えるのじゃ。
活気の有る善い寺というのじゃな。

152避難民のマジレスさん:2020/12/13(日) 13:56:13 ID:YjUB.3ns0
ふむふむ。
小坊主が騒がしい→活気の有る善い寺と、読み解けばよいのでありますね。

247
題白樂天像   白楽天の肖像画と題して    
勲業名高白樂天 勲業名高し白樂天
自然流樂絶塵縁 自ねん流樂してじん縁を絶す 叢林こころざしを失す山林のともがら
叢林失志山林輩 叢林こころざしを失す山林のともがら
莫訝雙林寺裡禪 訝るなかれ双林寺りの禪

くま訳
詩の功績を以て名高い白楽天
自然の流れを楽しみ、俗世間から離れる。
禅宗五山叢林派の寺院は志を失ってしまい、山林派と同類になってしまった。
不審に思ってはいけない、公案禅を取り入れた曹洞宗の双林寺における禅を。

*勲業:国家や君主に尽くす働き、仕事。功業。絶塵(読み)ゼツジン
*絶塵:1 俗世間から離れること。絶俗。
*叢林:禅林:禅宗寺院のこと。中世以後の五山制度及びそれに所属していた寺院を一括した総称としても 
 用いられている。
*山林派・林下(りんげ、りんか]);中世以降の臨済宗を中心とする禅寺のうち、在野の寺院を指す呼称 
 である。京都において五山十刹など幕府の庇護と統制下にあった「禅林」または「叢林」の一派に対し、 
 林下は座禅修行に専心する厳しい禅風を特色としている。代表的な林下の寺院としては臨済宗大応派の大 
 徳寺や妙心寺が挙げられる。
*雙林寺 (群馬県渋川市) 1444年 -1452年)、州正伊が開創した寺 一休さん56歳頃
 ↑、くま調べ通りだとすると、京都から遠く離れた群馬の最新情報であります。一休の會裡徒の中には
 曹洞宗の人もいたそうなので、この一件には一休さんが一枚かんでるのかもしれぬと、愚考し 
 てみたである。
*ところで、白楽天は、どのように関連するのか。
 融通無碍な白楽天の生き様が、禅の存亡にかかわる事態に対して、是々非々で臨もうとする一休さんの心 
 情にマッチしたのかなと、これまた、愚考してみたのである。
(´・(ェ)・`)つ

153鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2020/12/13(日) 23:40:39 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。
林に掛けたのじゃな。
曹洞宗に負けるなというのじゃな。
洒落なのじゃ。

154避難民のマジレスさん:2020/12/14(月) 18:37:59 ID:NxgCcdWQ0
一休さんの歴史認識
248    1/2
冬夜螢火 
和州紀宗両國際 和州紀州両國のあひだ
山野充満    山野に充満す 
因禪詩二章   因つて禪詩二章  
以祝之云    以て之を祝すと云ふ
    
螢火争陽智與愚 螢火陽を争ふ智と愚と
衆生定業佛難扶 衆生のぢゃう業佛もたすけ難し
一天星斗皆朝北 一天の星斗皆北に朝す
帝業南方一點無 帝業南方一點も無し

くま訳
冬の夜の螢火(のように、あっというまに消える争乱の火種)が 
朝廷と紀州の国境では、
山野に充満していた。 
因って、禪詩二章を作り 
以って祝いを云うのである
    
螢火が明るさを争う、智と愚と
衆生の前世から定まっている善悪の業報は仏にも救えない。
天空の北斗星は明け方には北空に消え去るのである。正統性の無い北朝は消え去る運命である。
南朝の統治の正当性には一点のくもりもないのである。

*和州:大和国の別称
*紀州:古事記・神武天皇が大和に入る時に紀伊熊野を通った。奈良盆地を地盤とするヤマト王権から知ら
 れた国であった。平安時代後期に熊野三山が成立し、熊野古道が整備され熊野詣が流行った。紀三井寺、 
 空海の高野山金剛峯寺、道成寺、根来寺など大寺大社が紀州の地に建てられた。
 熊野別当家を総帥とする熊野水軍が発達し勢力を伸ばした。源氏方として源平合戦(治承・寿永の乱)に 
 も関与した。
 戦国時代には、ルイス・フロイスが「四つ五つの共和国的な存在があり、いかなる権力者もそれを滅ぼす 
 ことができなかったと述べている通り、雑賀衆に代表される国人衆や寺社勢力が割拠する状態が続いた。
 紀伊の割拠状態は1585年(天正13)の羽柴秀吉による紀州征伐によって終焉した。
*陽:1 易学で、陰に対置されて、積極的、能動的であるとされるもの。2 表から目に見えるところ。う
 わべ。3 日の照らすこと。明るいこと。また、そのような所。
*定業(ジョウゴウ):1 前世から定まっている善悪の業報。2 座禅によって精神を集中し、仏を観ずる 
 こと。
*北斗:「斗」は北斗星など天の南北にある星座の名。星辰(せいしん)。
*帝業:天子が国を統治する事業。
(´・(ェ)・`)つ

155鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2020/12/14(月) 22:38:14 ID:1d4drIFg0
智慧者と愚者の違いは蛍の火が太陽と比べられるようなものというのじゃ。
衆生が自ら悪業を作れば仏といえども救えないのじゃ。
全ての者が北朝になり、南朝にいくものは一人もいないのじゃ。
南北朝に喩えて今の世を嘆いているのじゃな。

156避難民のマジレスさん:2020/12/15(火) 18:13:18 ID:PVzkRgUY0
一休さんの現状認識。智者は歴史から学ぶのでありますね。
249    2/2
満山蛍火諸人看 満山の蛍火諸人看る
凶事南方也太難 凶事南方またはなはだ難
可憐貴賎共自滅 憐れむべし貴賎共に自ら滅するを
廢北秋風冬夜寒 廃北の秋風冬夜寒し

くま訳
南北朝時代においては、福岡県宝満山においても、戦乱の火を人々は見た。
不幸な出来事が南方で起り、なかなか解決しないのである。
貴族も平民も皆ともに自滅したのである。
そして今や、
南朝の重臣北畠親房の子孫が伊勢国司となって南伊勢に勢力を誇り、北伊勢を治める幕府守護と対立してい
たが、終に、1441年、伊勢国守護も兼ね、幕府軍を事実上屈服させたのである。
廃れた現政は秋風が吹き、寒い冬の夜を迎えようとしているのである。

*南北朝時代 1336〜1392 57年間
*南朝または吉野朝廷:南北朝時代に京都以南の大和国の吉野を本拠とした大覚寺統の後醍醐天皇に属する 
 朝廷。叙位や元号の制定など政権としての機能を有した。
*北朝:南北朝時代に、足利氏を頂点に、全国の多くの武士、及び大多数の公家が支持した持明院統の朝廷 
*紀州の南北:室町幕府成立後も、南朝の重臣北畠親房の子孫が伊勢国司となって南伊勢に勢力を誇り、北 
 伊勢を治める幕府守護と対立した。5代国司(伊勢北畠家としては4代)北畠教具の代に幕府と和睦し、 
 伊勢守護も兼ねるようになった。北畠教具:5代。嘉吉元年(1441年)任官。伊勢国守護も兼ねる
*宝満山は大宰府北東。古くからの信仰の山として知られる。『扶桑略記』に延暦22年(803)、最澄が渡 
 海の平安を祈るため、太宰府竈門山寺に薬師仏を造ったとみえる。修験道と結合して英彦山の胎蔵界に対
 し、金剛界の行場として、修験の山となった。筑前の守護武藤少弐氏が山中に城を構築し、南北朝の争乱 
 の舞台ともなった。
*六郷満山:大分県国東半島一帯にある寺院群の総称である。独特の山岳宗教文化が栄えた
*応仁の乱:1467年、一休さん74歳 6月、
(´・(ェ)・`)つ

157鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2020/12/15(火) 21:58:26 ID:1d4drIFg0
また戦乱が起ころうとしているのじゃ。
南方から凶事が来るというのじゃ。
帰属も庶民も自滅なのじゃ。
北朝の末も廃されて冬の夜空に寒風がとくのみなのじゃ。

158避難民のマジレスさん:2020/12/16(水) 20:47:22 ID:CD61wBH20
255
嘲文章  1/2  文章をあざける
人具畜生牛馬愚 人はそなふ畜生牛馬の愚
詩文元地獄工夫 詩文は元地獄の工夫
我慢邪慢情識苦 我慢邪慢情識の苦
可嘆波旬親得途 たんすべし波旬親しく途をうることを

蔭木英雄先生訳・解説
(牛は牛、馬は馬のままで至道無難なのだが)人間というものは(それに気付かず)畜生の牛馬の愚かさを
持っておる  
詩文はもともと地獄行きの工夫なのじゃ
我慢や邪慢の心で(詩を作って)情欲や分別的知識に苦しんで  
悪魔につけこまれるとは嘆かわしい事じゃ

一休にとり詩作は地獄入りの片道切符であり、本来否定さるべきものであった。結句は、『碧巌録』九十七
の、”伎禰既に無ければ、波旬途を失う”(清い透明な心を持っていて、情欲や知識の働きをとめると、悪
魔も誘惑のしようがない)の裏返しなのである。しかも一休は、”狂雲は大徳下の波旬”と、自分を大徳寺
門下の悪魔であると自認している。従って結句は、一休自身が詩魔にほかならず、その自己を嘲りつつ苦し
んでいると解釈出来よう。
中国の詩論書『詩品』の冒頭は、人の感性は外物からの刺激に反応して、そこから詩が生じることを述べる。
室町時代の気が物情を動かし、室町禅林の乱れた景物が一休の歴史的心情を揺り蕩かして、一見、抜舌罪や
不邪淫戒を犯すような罵署の偈や、耽色の詩が生まれたのであった。西脇順三郎が、詩人は詩作することに
よって、自分の脳髄の心理的調整をはかろうとする。あるいはまた心理的体操をやって脳髄の健康と安定を
保とうとする。        
と述べているのは、詩人一休の心情に部分的にあてはまる。

くま訳
人は、畜生牛馬の愚かさを備えてているのである。
地獄の欲界における工夫なのである。  
我に執着して拠り所とし、徳がないのに、あるといって昂ぶる、迷情による心の働きにより苦しむのである。
自分から進んで悪魔に付入る途を与えるとは、嘆かわしいことである。
(´・(ェ)・`)つ

159鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2020/12/16(水) 21:37:17 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。
人は畜生と同じくらい愚かだというのじゃ。
それが詩文でもっと苦しむというのじゃ。
慢心が起こるからなのじゃ。
魔と共に歩む道なのじゃ。
自省の詩じゃな。

160避難民のマジレスさん:2020/12/17(木) 20:24:40 ID:B8f1YkOs0
250
蛙       あ
慣釣鯨鯢笑一塲 けいげいを釣るに慣れてわらひ一場 
泥沙碾歩太忙忙 泥沙に歩をきしりてはなはだ忙忙
可憐井底称尊大 あわれむべしせい底に尊大と称す
天下衲僧皆子陽 天下の衲僧皆しやう

カエル
鯨釣りに慣れて、お笑いの一席である。
小者の奴らが、うるさく寄って来て、せわしないのである。
憐れむべきは、井戸の中で我尊しと称していることである。
天下の禅僧は皆、力量無いのに、天下を取ったつもりになり、やがて滅ぼされる運命の子陽のような奴らである。

*鯨鯢(けいげい):「鯨」は雄鯨「鯢」は雌鯨
*一場:①一つの場所。ある場所。②その場限り。わずかの間。③ひとまとまり。一席。
*泥砂・泥沙(でいしゃ):どろとすな。また、価値のないもののたとえ。でいさ
*碾(きしりて・テキスト読み)、ひく/うすでひく/うす/ひきうす/いしうす
 きし・る軋る/轢る/輾る 1 堅い物が強くすれ合って音を立てる。きしむ。2 すれ合わんばかりに近 
 づける。3 かじる。かむ。
*忙忙(セワセワ):せわしくて落ち着かないさま。せかせか。
*子陽:公孫述・前漢・後漢交代期の軍閥の一人。字(あざな)は子陽。蜀郡太守となり、その地の豊かさを
 頼りに自立して、まず、蜀王と称し成都に都を置いた。ついで劉秀(光武帝)が帝位についた年、天子を
 称して成家(成王朝の意)を建てた。10余年にわたり後漢と対抗したが、内政にみるべきものはなくや
 がて、破られて、一族とともに滅亡した。
(´・(ェ)・`)つ

161鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2020/12/17(木) 23:01:00 ID:1d4drIFg0
そのような感じじゃな。
戦乱の前から仏教の諸流派はかなりの権力をもっていたのじゃ。
後の一向一揆のように国も左右するほどの権勢だったのじゃ。
そのような僧は笑うべきものというのじゃ。
どんなに尊大に成ってもいずれは滅ぼされる定めというのじゃ。

162避難民のマジレスさん:2020/12/17(木) 23:02:22 ID:j2hGh5Q20
一つ抜けてしまったのである。

256
嘲文章   2/2
傑作詩文金玉聲 傑作の詩文、金玉の声
言言句句詩人驚 ごんごん句句諸人驚く
閻魔王豈雅頌妙 閻王豈に雅じゅの妙う許さんや
銕棒可恐鬼眼睛  鉄棒恐るべし鬼眼睛

くま訳
傑作の詩文、美しい声
一言一句が詩人の心を揺り動かす
閻魔大王がどうして雅な詩文の妙味を許すことがあろうか
獄卒の鉄棒恐るべし、閻魔様には鋭い洞察眼があるのだ。

*金玉の声(きんぎょくのこえ):美しい声。また、すばらしい辞句。賞賛すべき物事。
(´・(ェ)・`)つ

163鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2020/12/18(金) 21:59:03 ID:1d4drIFg0
人々を驚かす美しい詩も閻魔の前には無意味というのじゃ。
悪事をすればどんなに美しい詩歌を作れても地獄行きなのじゃ。
自分のしたことの報いが死後に現われるのじゃ。
どんどん善事を積むと善いのじゃ。

164避難民のマジレスさん:2020/12/19(土) 00:24:39 ID:QdkMQi020
くま訳改
傑作の詩文や美しい声、
一言一句が人々の心を揺り動かすが、
閻魔大王には、雅な詩文の妙味は通用しないのである。 
獄卒の鉄棒恐るべし、閻魔様には鋭い洞察眼があるのだ。
(´・(ェ)・`)b

165避難民のマジレスさん:2020/12/19(土) 14:03:14 ID:7eWkIgMw0
257
普明國師破百丈大智禪師法 普みょう國師百丈大智禪師の法を破る
破夏文殊宗旨勲 夏を破す文殊宗旨の勲
衲僧三昧似商君 衲僧の三昧商君に似たり
祖師大用現前境 祖師大ゆう現前の境
南嶽巫山一片雲 南がく巫山一片の雲

くま訳
普明國師が住持をつとめる相国寺は、百丈山を模して建立された建仁寺より高い格付けを、足利義満からも
らった。(ことにより、普明が百丈の法を打ち破った・・・わけではなかろう)
夏安居で文殊菩薩が宗旨において、大迦葉を打ち破ったようなものだ。
禅僧が三昧に入れば、政治家・軍人・思想家として秦の礎を築いた商君のような、働きをする。
祖師のおおいなるはたらきが、まさに現れた境涯であろう。(商君は最後には政敵に滅ぼされたが)
百丈の師であった南嶽懐譲禅師の夢に、一片の雲が流れてきた(が、直に消え去るだろう)

*知覚普明国師(諡号しごう・おくり名):春屋 妙葩(しゅんおく みょうは、1312-1388臨済宗相国寺の
 第二世・事実上の開山国師。五山文化の発展に寄与した。師 夢窓疎石の法嗣(1345)室町幕府に対して 
 五山第一の南禅寺(臨済宗)の楼門新築を提言。園城寺(天台寺門宗総本山)、比叡山(天台宗の総本山
 延暦寺)との紛争は政治問題に発展する。管領の細川頼之と対立して隠棲する。1379年頼之が失脚した
 後に入京し、南禅寺住職として復帰する。妙葩は頼之が失脚する直前に丹後を出立しており、政変への関
 与も考えられている。3代将軍足利義満の帰依を受け、初代の僧録となる。同年、義満の要請により全国
 の禅寺を統括。義満は相国寺を創建すると、師の夢窓疎石を開山始祖とし、妙葩は第二世住持となった。
 五山十刹制度を作り五山派を興した。五山文化の発展に寄与した。また多くの弟子を育て、彼らは日明貿 
 易を行う際に幕府の外交顧問となった。
*建仁寺:臨済宗建仁寺派の総本山は、栄西(ようさい)禅師により1202に創建された、百丈山を模して
 建立された。足利義満によって五山の第三位とされた。
*百丈懐海(ひゃくじょう えかい、749- 814唐代。諡は大智禅師。馬祖道一の法を継ぐ。
*南嶽懐譲(なんがく かいじょう、677- 744唐。大慧禅師 弟子 馬祖道一
*大用現前(だいゆうげんぜん):大いなる作用・はたらきが自由自在に現われること。
*商 鞅(しょう おう、紀元前390- 紀元前338)は、戦国時代の秦国の政治家・将軍・法家・兵家。
 商鞅とは、後に秦の商・於に封じられたため商君鞅という意味の尊称である。法家思想を基に秦の国政改 
 革を進め、後の秦の天下統一の礎を築いたが、性急な改革から自身は周囲の恨みを買い、逃亡・挙兵する 
 も秦軍に攻められ戦死した。
(´・(ェ)・`)つ

166避難民のマジレスさん:2020/12/19(土) 14:08:17 ID:7eWkIgMw0
おまけ:正法眼蔵 75巻本72安居 石井恭二先生
世尊は一つの所で、九旬安居されたが、最後の日になって、文殊が突然やって来て、法会に参じた。
大迦葉、文殊に問うた、「この夏は何処で安居したのか」。
文殊は云った、「今夏は三つの所で安居した」。
大迦葉は、これを聞いて大衆を集め槌を撃って文殊を追い払おうとした。まさに犍槌(けんつい)を挙げよ
うとしたとき、たちまち数知れず多くの寺院が表れて、その一寺ごとに一人の文殊があり、一人一人の大迦
葉があって、槌を挙げて文殊を追い払おうとしているのが見えた。
 世尊はそこで大迦葉に告げて云われた、「お前は今、どの文殊を追い払おうとしているのか」。
 そのとき大迦葉は茫然とするばかりであった。
 (39)園悟禪氏は拈古に云った、「鐘は撃たなければ響くことはない。鼓は打たなければ鳴ることはない。
 大迦葉がいま大切な涅槃に到る渡し場を占めれば、そのとき文殊は十方に坐った。その当時の仏道が顕現 
 した好場面である。惜しむべきは、一手も下さなかったことだ。釈迦老子がどの文殊を追い払おうとする
 のかと云うのを待って、一撃を与えてみればよいではないか、他にどんな収拾の仕方があるのか」。

 園悟禅師は頌古に云っている、
 大象は兎径に遊ばず、
 燕雀安んぞ鴻鵠を知らん
 令に拠ること宛ら風を成すが如し、
 破的し渾(す)べて鏃を囓するがごとし。
 遍界是れ文殊、
 遍界是れ迦葉、
 相対して各儼然たり。
 挙椎何れの処か罰せん好一箚、
 金色の頭陀曾て落却せり。
 
 大象は兎の小径では遊ばない、、
 燕雀はどうして大鵬を知ることがあろう。
 規則に拠りながら宛かも風を成すように自然である、
 的を射れば鏃(ぞく)がすべて命中するが如きである。
 世界に遍く文殊が出現し、
 世界に遍く迦葉が出現し、
 しかも相対してそれぞれは厳然としている。
 椎を挙げて何処に振り下ろして罰しようとするのか、これは好い見物だ、
 大迦葉はそのとき槌をとり落したのだ。、
 
*商 鞅(しょう おう、紀元前390- 紀元前338)は、戦国時代の秦国の政治家・将軍・法家・兵家。
 商鞅とは、後に秦の商・於に封じられたため商君鞅という意味の尊称である。法家思想を基に秦の国政改 
 革を進め、後の秦の天下統一の礎を築いたが、性急な改革から自身は周囲の恨みを買い、逃亡・挙兵する 
 も秦軍に攻められ戦死した。"
(´・(ェ)・`)b


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