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鬼和尚の仏教講読会 別館2

156避難民のマジレスさん:2020/12/15(火) 18:13:18 ID:PVzkRgUY0
一休さんの現状認識。智者は歴史から学ぶのでありますね。
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満山蛍火諸人看 満山の蛍火諸人看る
凶事南方也太難 凶事南方またはなはだ難
可憐貴賎共自滅 憐れむべし貴賎共に自ら滅するを
廢北秋風冬夜寒 廃北の秋風冬夜寒し

くま訳
南北朝時代においては、福岡県宝満山においても、戦乱の火を人々は見た。
不幸な出来事が南方で起り、なかなか解決しないのである。
貴族も平民も皆ともに自滅したのである。
そして今や、
南朝の重臣北畠親房の子孫が伊勢国司となって南伊勢に勢力を誇り、北伊勢を治める幕府守護と対立してい
たが、終に、1441年、伊勢国守護も兼ね、幕府軍を事実上屈服させたのである。
廃れた現政は秋風が吹き、寒い冬の夜を迎えようとしているのである。

*南北朝時代 1336〜1392 57年間
*南朝または吉野朝廷:南北朝時代に京都以南の大和国の吉野を本拠とした大覚寺統の後醍醐天皇に属する 
 朝廷。叙位や元号の制定など政権としての機能を有した。
*北朝:南北朝時代に、足利氏を頂点に、全国の多くの武士、及び大多数の公家が支持した持明院統の朝廷 
*紀州の南北:室町幕府成立後も、南朝の重臣北畠親房の子孫が伊勢国司となって南伊勢に勢力を誇り、北 
 伊勢を治める幕府守護と対立した。5代国司(伊勢北畠家としては4代)北畠教具の代に幕府と和睦し、 
 伊勢守護も兼ねるようになった。北畠教具:5代。嘉吉元年(1441年)任官。伊勢国守護も兼ねる
*宝満山は大宰府北東。古くからの信仰の山として知られる。『扶桑略記』に延暦22年(803)、最澄が渡 
 海の平安を祈るため、太宰府竈門山寺に薬師仏を造ったとみえる。修験道と結合して英彦山の胎蔵界に対
 し、金剛界の行場として、修験の山となった。筑前の守護武藤少弐氏が山中に城を構築し、南北朝の争乱 
 の舞台ともなった。
*六郷満山:大分県国東半島一帯にある寺院群の総称である。独特の山岳宗教文化が栄えた
*応仁の乱:1467年、一休さん74歳 6月、
(´・(ェ)・`)つ


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