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現代人が納得できる日蓮教学
930
:
犀角独歩
:2008/06/05(木) 23:15:25
一字三礼さん
ここのテーマは「現代人が納得できる日蓮教学」です。その線に沿った議論です。
ちょっと、テーマから外れているように思いますが。
931
:
偶ロム偶ログ
:2008/06/06(金) 15:27:17
私は、一字三礼さんの意見は、それほどテーマからそれているとは感じません。
>極めて偏狭な知識に独断と偏見、プロパガンダを織り込んだ主張
では、たしかに誰もが納得できるような日蓮教学などできるはづもありません。
しかし、日蓮正宗系信仰圈にある各団体では、
疑問→不審・不信→謗法・退転→邪義→堕地獄
というプロセスを徹底して刷り込むわけです。
それに対して、こちらで真剣に議論をされている方たちは、
「確かな資料を基に、学的な姿勢を崩さずに、論証を試み」
ておられます、
その検証の過程においても、また様々な問題点が新たに見えてもくるわけです。
たしかに、現代の学問的諸成果を勘案しその立場に拠るとしたら、宗学・教学にとどまらず、日蓮信仰・法華信仰・仏教、ひいては宗教そのものも「虚構幻想」であるという捉え方があっても不思議ではありません。
たとえば、歴史上実在した釈尊(またはイエスでも誰でもいいですが)が残した言葉・教えだけが仏教(キリスト教でもなんでもいいです)である、という意見もあります。
これに対して、確実と断定できる言説はない、という意見もあります。
他に、伝承を含めて正統派の主張は認める、正統派の主張の一部は認める、正統派を一切認めない、など様々な意見や立場もあるわけです。
私は「現代人が納得できる日蓮教学」という場合には、とりあえずは、日蓮の言説及び日蓮が依拠したところの法華信仰のカテゴリー内で考察を加えていくということで良いのではないかと考えます。
もちろんそうした議論の中から、「現代人が納得できる日蓮教学など皆無である」という意見が出てくる場合もあるでしょうが、逆の見解がでてくることもありえるわけです。
蛇足になりますが、「お宝鑑定団」は、依頼する側も鑑定する側も、ある種の経済がらみでの行為です。
こちらでの議論は、直截に自身の経済行為に結びつくようなことを目的としているわけではありませんから、「お宝鑑定団」とは全く異なりますね。
932
:
犀角独歩
:2008/06/07(土) 09:11:11
> 「現代人が納得できる日蓮教学」という場合には、とりあえずは、日蓮の言説及び日蓮が依拠したところの法華信仰のカテゴリー内で考察を加えていく
うーん、どうでしょうか。
こちらのテーマの議論は、経典は仏陀が説いたもの、法華経はその最勝で無謬、天台教説は無謬、日蓮の御立法門は無謬といった前提で、「仏意仏勅を受けた唯一絶対に正しい」とされてきた‘日蓮教学’はしかし、経典は仏陀の説いたものではない、法華経は後世の創作、よって、天台教学も、日蓮教学も、その最勝の前提の崩壊したうえに立つものだから、無謬とはいえない、それでも、なにか日蓮教学で現代に通用するものがあるかどうかという議論です。
ですから、「日蓮の言説及び日蓮が依拠したところの法華信仰のカテゴリー内で考察」しようとするものではないと思います。
> 「お宝鑑定団」は、依頼する側も鑑定する側も、ある種の経済がらみでの行為…こちらでの議論は、直截に自身の経済行為に結びつく…わけではありません…全く異なります
たしかに、こちらの議論は経済に結びついていません。しかし、「本門戒壇の大御本尊」という彫刻は、戦後、50年で、創価学会を日本最大の宗教団体に一説に拠れば、5兆円資産を形成させました。そして、公明党を与党にして、日本の政財界を凌駕しています。また、石山ではこの彫刻の開帳料をとっているわけで、この集団の中心的な収入源になっています。この彫刻、「経済がらみ」でないですか。
ただ、わたしを含めて、その彫刻の真偽を問うものは、経済がらみではありませんが、元より、こんなものが本物であるわけがないと考えている人からすれば、学会を含む石山圏の真偽論は、あたかも「お宝鑑定団」のように映じるというわけです。わたしは、そうした外部の視点や、意見に真摯に耳を傾けるといった話です。単に言下に否定するより、何故、外からはそう見えるのかといった議論に発展するほうが意義があると考えます。もはや「お宝鑑定団」と映じてしまった人に「いや、違う」といってもあまり効果がありません。主張の方法を変えるほうが発展的な議論と理解を深めると考えるからです。
ただし、そもそも本尊の真偽を問うことは不敬、謗法だという信仰者から「お宝鑑定団」だと非難される謂われはありません。
もう一点、わたしが一字三礼さんに意見をしたのには二つ理由があります。
一つ。「人が何に価値を見出し、何を探究するかは、他人がとやかくいうことではありません。」といった投稿は議論を打ち切ってしまうからです。
一つ。「極めて偏狭な知識に独断と偏見、プロパガンダを織り込んだ主張を続ける者と、確かな資料を基に、論証を試みる学的な姿勢を崩さない人達とでは、まったく違います」という発言は、そもそも主語がありません。いったい、誰のことを言っているのかを記さなければ、議論にも反論にならないでしょう。他で投稿した宗麟と名乗る人もそうですが、具体的に相手を特定せず、非難だけを記すような投稿の仕方は、わたしのルール違反だと考えます。
殊に一字三礼さんの投稿の直前は‘彰往考来さんとわたし’、彰往考来さんはまた、‘行明師とわたし’の関連で述べたことを記したわけですね。読む人によっては、「極めて偏狭な知識に独断と偏見、プロパガンダを織り込んだ主張を続ける」犀角独歩、「確かな資料を基に、論証を試みる学的な姿勢を崩さない」彰往考来さん、もしくは「極めて偏狭な知識に独断と偏見、プロパガンダを織り込んだ主張を続ける」中村行明師、「確かな資料を基に、論証を試みる学的な姿勢を崩さない」犀角独歩 …後者の比較と思う人は希でしょう… という意味で記した投稿と思う方もいるでしょうね。
名指しで「極めて偏狭な知識に独断と偏見、プロパガンダを織り込んだ主張」と非難すれば、こちらの投稿規定に違反しますが、主語がなければ抵触しません。この手の投稿の仕方にはわたしは異議があります。
934
:
犀角独歩
:2008/06/07(土) 14:48:29
○一字三礼さん
> 自分とは違う視点・考え方を否定するようなことはするべきではありません
ならば、あなたと違うわたしの視点・考え方も否定しないでください。
また、わたしは自分の考え方と違う方を否定しているのではなく、違いがあるから、その点について、ご意見を彰往考来さんに問いかけたのに過ぎません。これは否定ではありませんよ。議論の願い出です。
○管理人さん
一つ。933にわたしの投稿が投稿規約に違反するとのことですが、ジャッジをお願いいたします。
一つ。「極めて偏狭な知識に独断と偏見、プロパガンダを織り込んだ主張を続ける者」はわたしを指すのだそうですが、こうした投稿は、こちらの規約に違反しないのでしょうか。
以上、2点、よろしくお願いいたします。
936
:
犀角独歩
:2008/06/07(土) 16:20:41
管理人さん
該当の記述が特定団体の攻撃に当たりますか?
そうすると、こちらで議論されてきたほとんどは、これに該当することになりませんか。「創価学会の功罪を考える」「顕正会の実態を検証する」といったスレッドほか随所で、わたしが今回なしたような投稿はいくらでも散見できます。攻撃と事実記述はどこで分かれますか。わたしはプロパガンダの意思はなく、単に事実を記述したという認識です。
殊に一字三礼さんが、わたしをして反復投稿であるといった「法華経が創作」という表現について、ご本人自らが『法華経について』で、以下のように記しています。
「独歩さんが思想信条から‘創作’という表現をお使いになるのであれば、それは私の関知するところではありません。」
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1030610752/172
以上のような記述をしながら、反復投稿であると詰ることは前言と矛盾を来しています。。
また、「法華経が創作」という表現は、該当スレッドが立った2002年から、わたしのみならず、複数の投稿者が繰り返し記してきたことです。また、当時から、一字三礼さん本人、この議論に参加していますよ。スレッドの過去の投稿をご確認ください。
以上の前提から、再度確認します。
> 「極めて偏狭な知識に独断と偏見、プロパガンダを織り込んだ主張を続ける者」
「③掲示板参加者に対する、一方的な個人攻撃は慎んでください。」
とあります。
「偏狭な知識」「独断と偏見」「…者」といった表現は、投稿規約に抵触すると思われる投稿をすれば、こうした個人攻撃は許されるのですか。
では、わたしが一字三礼さんに「あなたこそ、法華経を創作でないと極めて偏狭な知識に独断と偏見、プロパガンダを織り込んだ主張を続ける者」と言い返しても、よいことになりますか。もちろん、わたしはそのようなことを言うつもりはありませんが。
「非礼・無礼、人権侵害、言葉の暴力」等の侮辱表現、侮辱発言は、理由の如何を問わず堅く禁止」
には当たらないわけでしょうか。
一字三礼さんとわたしの間には一連の議論などありません。一方的な侮蔑を受けたという認識です。一連の議論とは彰往考来さん・偶ロム偶ログさんとわたしの間のことです。この議論を打ち切らなければいけませんか。ならば、その理由も併記願いたく希望します。
再度、回答をお願いいたします。
937
:
管理者
:2008/06/07(土) 17:36:52
犀角独歩さん
諍いを生まない為のルールが、却って争いを助長している様相は、当掲示板の主旨に最も馴染まない事では有りませんか。
これ以上の議論は不毛の対立を生むだけだと管理者は考えます。当然、ご納得戴けないかも知れませんが、しばらく休止するしかないと思いますが・・・
938
:
渡邊
:2008/06/07(土) 18:03:10
はじめまして
私はこちらを2年前くらいから見させていただいている真言宗の古ぼけたお寺の檀家総代です。
犀角独歩さん。はじめまして。
水を差すようなご質問で大変恐縮なのですが、一字三礼さんのご質問にもありましたが
>「『法華経』を含む経典が後世の創作物であると証明した近代科学の成果を出してきた人々もまた命がけでした。」ということですが、そのような視点で大乗経典を研究している人を私は知りませんし、しかも‘命がけ’で研究した人がいるというのは初耳です。
質問します。
まず、この‘命がけ’で研究した学者の名前とその研究成果をお示しください。
と、言う問いに大変驚いているのですが、すべて過去の創作だったとどのような資料を読めばわかるのでしょうか。
何かカルチャーショックを受けてしまいました。
もし面倒であれば「この辺を読め」と教えていただければ幸いです
どうかよろしくお願いいたします
そして、管理人様が困っているように見受けられます
いちロム者からも収束されますよう余計なお世話でしょうがお気遣いは必要に思います。
939
:
マターリ
:2008/06/07(土) 18:35:57
>一字三礼さん、「法華経は後世の創作」ということに関してですが、
一字三礼さんも、「二次創作」とお認めになっていますよね。
私は、法華経全篇を読んでみましたが、やはり最古の仏経典スッタニ
パータと比較して、差が激し過ぎると思いました。また、法華経寿量
品の「久遠実成の仏」という観点は、法華経だけのものということです。
キリスト教の「永遠の神」という概念が、法華経に取り入れられ「久遠
実成の仏」となったという意見もあります。
また、観世音菩薩は、「マリア信仰」に影響されているということもあり
ます。
法華経は、インド北西部のガンダーラで誕生したとされていますが、
このガンダーラは、今現在の地理でいうと、アフガニスタン・パキスタ
ンのあたりです。東西文明の十字路のようなガンダーラにおいて、西方
の宗教、つまりユダヤ教・キリスト教・ゾロアスター教などの強い影響
を受けたと思われます。
大乗仏経典の中でも、特異な経典である法華経は、やはり「創作」という
面が非常に強いと思われます。
法華経の「創作」に関しての議論は、法華経スレッドで、継続していただ
きたいと思います。
>犀角独歩さんの今回の主張は、一方的な特定組織攻撃・・・
私は、大石系教団の組織で悩む多くの人々に対して、犀角独歩さんが、
悩みの根源であるタブーを打ち破り、悩みから救うという強い意思で
発言されているのだと思います。
ただ攻撃しているだけではなく、そのバックに「宗教で苦しむ人々を何
とか救済しよう、」という、慈悲の力を感じます。
940
:
天蓋真鏡
:2008/06/07(土) 19:52:33
誰が遣るかでは無くて 何を遣るか
941
:
顕正居士
:2008/06/07(土) 20:09:45
お宝鑑定について:寺宝信仰は各宗寺院に見られますが、大石寺の場合は教義の中心にまでなっており
きわめて異様です。大石寺信仰圏には礼拝物自体にマナ(呪力)があるかのような理解が見受けられる。
それであれはニセモノだがこれはホンモノである。実は本因妙大本尊であるとか。一見は宗史の議論に
見えても、ホンモノがあるから妙本寺が素晴らしい類いの傾向を独歩さんは指摘しておられるのではと
おもいます。
ところで日蓮諸派の寺宝などいたってローカルなものであり、その鑑定などいかほどの意義があるのか
ですが、個人の趣味に属する事柄は特にそのような社会的意義を求めている訳ではない。かつ思想史を
論ずる上では史料の発見と批判がまず必要であり、これらは古物、古文書のマニアの方でないと持続が
困難です。日蓮学には比較的重要な遺文の真偽問題、口伝書の成立過程など新史料の発見が期待される
分野があります。
独歩さんの批判について:この掲示板では大石寺の戒壇本尊については十分議論されていますし、寺宝
を教義の中心に置くような宗派は皆無であるから、根拠がなく特定教団を批判したものとは思いません。
ただし、だからけしからないという批判は少なくとも効果があまり期待できない。なぜこのこのような
異様な信仰形態が生じたのかという観点からの議論が有益だろうと考えます。
942
:
顕正居士
:2008/06/07(土) 20:48:57
「創作」について:議論しましたようにこの語は個人の作品に使用するのになじむのではないか。
富永謙斎は「加上」という語を使った。つまり仏陀の直説から阿含の経が加上されて出来、また
それらに加上して大乗の経が出来たと。「思想の発展」というような意味でもあります。
独歩さんのおっしゃりたいニュアンスは「フィクション」であろうかとおもいます。ただしその
意味では阿含の経もほとんどフィクションですが。宇宙大のスケールではないだけで。
五時八教について:肝心の四教、八教を知らず五時の中のそれも通の五時のみを知って天台教判
が無意義であるかのように誤解する傾向があります。通の五時の重視は智旭が批判したように
高麗諦観の説と考えられています。今日各種漢訳大蔵経は依然天台教判によって分類しています。
また一切経金口は当時のやむを得ない約束であり、現代人の一部が信じているようなあり方で
漢訳仏教の先哲が信じていたわけではない。経がいつ結集され、いつ文字に記され、どの部派が
伝持し、大乗経がいつ世にあらわれたかを知っておりますから。
943
:
顕正居士
:2008/06/07(土) 20:58:22
上は × 通の五時 ○ 別の五時 です。
通の五時とは特に五部の教に説時はないという意味。
別の五時とは鈍根の声聞の一類に対してのみ順序がある意味。
944
:
犀角独歩
:2008/06/07(土) 23:14:55
○937 管理者さん
まるで応えておられませんね。
争いということですが、わたしがいつ争いましたか。
「彰往考来さんは、その生半可ではない命がけの研究で、では、いったい、何を証しようとしているのですか。それを証して、どうされようと考えてのことですか」という問いのどこが争いでしょうか。「気が向いたら、上述のご質問にお応えいただければ、参考にさせていただく所存」と記しました。これが争いですか。また、これに彰往考来さん自身は応じなかったわけですから議論の休止も何も、もとよりありません。
そこに議論をしていたわけでもない一字三礼さんが割りいって「極めて偏狭な知識に独断と偏見、プロパガンダを織り込んだ主張を続ける者」と断定的な侮辱をすることは一方的なことです。
休止というのであれば、929、933の削除を求めます。
また、一字三礼さんには、撤回と謝罪を求めます。
○938 渡邊さん
はじめまして。ご質問は、管理人さんから「休止」を求められている該当部分ですので、お応えしないこととします。
ただし、この部分のわたしの発言はややフライングがあり、休止を説かれて暁には弁明、乃至、修正を行う所存です。
> 過去の創作だったとどのような資料
まずは『法華経について』をお読みになってみては如何でしょうか。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1030610752/
○939 マターリさん
有り難うございます。法華経に関するご所感、賛同します。
○941、2 顕正居士さん
補完有り難うございます。
五時に関するご教示、殊に御礼申し上げます。
「創作」ということについては、上にも挙げた『法華経について』で2002年以来、複数の投稿者によって記述されてきたことでした。いわば、その先行議論をわたしは踏襲しました。2002年以来150程の投稿で30回近くも使用されてきました。顕正居士さんも154に「大乗経典が創作」と記されておられますね。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1030610752/154
ただし、「「創作」について:議論しましたようにこの語は個人の作品に使用するのになじむのではないか」というご見解は参考になりました。
「異様な信仰形態が生じたのかという観点からの議論が有益」というご指摘は、まことにもって仰るとおりであると考えます。
945
:
顕正居士
:2008/06/08(日) 00:02:30
>顕正居士さんも154に「大乗経典が創作」と記されておられますね。
わたしもこの議論があるまで特に意識しておりませんでした。大乗経は釈尊を隔たること数百年、
内容は多くドラマ形式の文芸作品なので「創作」といってもよいかと思っておりました。
ただしこの語は個人でなくてもあるグループがなんらか明確な意図をもって一気に作ったという
印象を与える可能性があることに気がつきました。たとえば「法華教団」の原型のようなものが
先に存在し菩薩派と声聞派の融和を図ろうとして作ったとか。多くの大乗経は長い時間をかけて
増広された、製作者は部派教団に所属する比丘であった、インド仏教の末期にならないと大乗の
学習を中心とする寺院はなかった、分別説三は部派の中の三乗であろうなどから別の表現がよい
と考えるに至りました。
946
:
管理者
:2008/06/08(日) 06:05:08
犀角独歩さん
>まるで応えておられませんね。
>争いということですが、わたしがいつ争いましたか。
>休止というのであれば、929、933の削除を求めます。
受け賜わりました。再開の暁に対処いたします。
休止の、今の段階では、管理者は応答、処置は実施しない事とします。
ご参加の皆様
誠に勝手ながら、当スレッドは本日6月8日午前6時より当分の間、管理者の都合により、閉鎖いたします。
管理者に対するご意見や抗議等は、「管理者からのお願い」スレッドにて引き続き請け賜わります。
947
:
管理者
:2008/07/18(金) 20:16:16
ご参加の皆様
当スレッドの閉鎖を解除いたしました。これ以後の手順に付きましては、「管理者からのお願い」スレッドをご一読下さいますようお願い申し上げます。
948
:
犀角独歩
:2008/07/18(金) 20:51:27
管理者さん
ご采配、有り難うございます。
再開にあたり、いくつか方向性を述べておきたいと思います。
富士門流信徒、就中、大石寺圏において「現代人が納得できる日蓮教学」というのは、わたしは二重の意味を有していると考えます。
まず一重には、「現代人が納得できる大石寺が言う日蓮教学」ということであり、これは殊に日寛が彫刻本尊を一大秘法とすることによって成り立っている教学です。つまり、ここでは、この彫刻の真偽は避けて通れない問題です。つまり、教学を論じる前提の本尊が偽物であれば、その後の教学批正など、まったく不必要です。偽物を肯定するための虚構など、不用だからです。
この場合、では、その彫刻を写したという本尊、また、印刷物を拝むことを、現代人の常識は受け入れるのかという問題が生じます。この問いはしかし、大石寺本尊を拝むすべての人々への問いかけです。「信仰は各人の自由」ですから、鰯の頭でも拝むのは自由です。しかし、本当にそれで、彫刻本尊が偽物であることを知り、さらにこの書写物を拝んできてしまった“私自身”は納得できるのか。これに対する確たる答えを議論をしようというのが、わたしの問いかけの一つです。
二重の意味としては、文字どおり、「現代人が納得できる日蓮教学」ということです。たとえば、「『法華経』が釈尊が説いたものではないと言えるのか」と一般人に問うたところで、返ってくる答えは決まっています。「では、釈尊が説いた証拠を示してください」でしょう。こうした問いに対して、「『法華経』を釈尊が説いてない証拠を示せ」と噛み付き返したところで、「そんな信仰、御免被る」と言われるのが関の山です。
日蓮の教学は広宣流布を標榜したものですから、布教に特命があります。その布教は、「信じないことは悪いことだ」といった独善に基づくのではなく、精緻な思惟と教学の組み立てによってなされたものでした。しかしながら、その土台は「法華経は釈尊最期八箇年の最勝の説」ということでした。この点が瓦解すれば、その上に建つ建物=教学・本尊も瓦解せざるを得ません。
現行の学問的成果は、日蓮教学を土台から揺さぶるものであることは否めません。
この点について、わたしは心ある日蓮門下の人々と積極的な議論を積み重ねてきました。『法華経』が釈尊の真説であるか否かという点には慎重な姿勢は崩さないものの、真実であるから御利益(功徳)があるということではなく、正しい法を捧持していれば、何を為すべきかという世間と衆生に面を向けた前向きな議論と実践が為されています。
かつて顕正居士さんもお書きになっていたことがありましたが、「もし、いま、日蓮が生きていたら」といった仮説に基づく教義の再構築も真剣に語られています。
「現代人が納得できる日蓮教学」というもので、残るとすれば、それは現代人が納得できる捧持者の“人間性”と“社会性”を土台にしたものではないのか、そして、その人間性と社会性を生み出す力が日蓮の精神、ひいては『法華経』の精神から汲み取れるのかどうかといった議論を、ここでなせないものかという底意をもって臨んでいました。
残念ながら、上述二重の意義において、現段階ではまったく成果を得ていません。
以上の点を踏まえて、再開いただいたこちらで、明日以降、議論をさせていただきたいと希望します。
949
:
犀角独歩
:2008/07/19(土) 09:32:07
渡邊さん
再開しましたので、まず、938のご質問の件から。
928に「『法華経』を含む経典が後世の創作物であると証明した近代科学の成果を出してきた人々もまた命がけでした」と、わたしが記した文章は言葉足らずであり、たしかに誤解を招きかねないものでした。
わたしが記したかったことは、後世の創作であるという説を立てたことが命がけであったということではありません。それまで、釈尊50年の説法と信じられてきたものが、実は、数百年、時には千年単位の時間を経て形成されたものであったことを証明するための物的証拠を集めた人々は、命がけであったろうということでした。
たとえば、南条文雄は19世紀に渡英したわけですが、当時の海外旅行は、数々の困難と危険を伴ったことでしょうし、また、その前提となる発掘その他に従事した人々が超えた困難もまた命がけといってよいことであったろうほどの意味でした。
ただし、誤解を招きやすいうえ、特に挙証義務を果たしたものではないので、ここにこの文章を取り下げることといたします。
ご指摘、有り難うございました。
950
:
犀角独歩
:2008/07/19(土) 10:01:26
以前の議論については、941・942に顕正居士さんが整理してくださりましたので、御礼を申し上げると共に、茲に繰り返さないことといたします。
ただし、再開しましたので、以下の点に就き、もう少し具体的にご教示いただければ有り難く存じます。
942に「一切経金口は当時のやむを得ない約束であり、現代人の一部が信じているようなあり方で漢訳仏教の先哲が信じていたわけではない。経がいつ結集され、いつ文字に記され、どの部派が伝持し、大乗経がいつ世にあらわれたかを知っておりますから」
ここでいう「先哲」とは、具体的に誰を指してのことでしょうか。
例えば灌頂述玄七では
T33n1716_p0765c20(01)║如恒河沙阿[門@(人/(人*人))]婆偈。今佛靈山八年説法。
といい、法華経を釈尊が最期8年に説いたものであるといっています。
この点は日蓮はさらに顕著で『一代五時鶏図』に
「華厳三七日・阿含十二年・方等般若三十年・已上四十二年…涅槃経[一日一夜]」(定2337)
などといいます。これは、富士門下の言や考えではなく、日蓮その人の真筆に遺るところです。
こうした説は、天台の学僧であった日蓮は、当然のこととして叡山等での修学を踏襲したものでしょう。ここに記されることは釈尊の説法を50年とし、その説時を分類したものです。元より、「富士門系教学の徒の五時判の誤認」などではありません。日蓮その人の言です。
こうした日蓮の有様もまた、「一切経金口は当時のやむを得ない約束…信じていたわけではない」のでしょうか。また、こうした50年説法の分類は、ただ富士門下のみで信じられていたことでしょうか。そんなはずはありません。日蓮門下全体で信じられてきたことでしょうし、叡山を頂点とする教学で信じられてきたことではないでしょうか。
こうした分類は「歴史の」ではなく、釈尊説法50年という「一代の」ことであり、実際に釈尊がこのように説いていないことは明白なので、わたしは「でたらめ」と記しました。
しかし、実際は「先哲」は知っていたが、やむなく、そう書いたのであれば、それは「誰が」であるかをご教示いただきたいのです。
また、「どの部派が伝持し、大乗経がいつ世にあらわれたかを知って」いたということですが、では、『法華経』はどの部派が伝持し、いつ世に現れたかも明確になっているということでしょうか。ならば、この点も具体的な部派名と、その時期をご教示いただけませんでしょうか。
951
:
犀角独歩
:2008/07/19(土) 16:25:07
問答名人さん
以下、mixi に書いたわたしの日記です。こちらのテーマと関係があるので、転載しました。厚かましいのですが、ご感想を頂戴できませんでしょうか。
*** 以下、mixiのわたしの日記から ***
臍から声と煙が…?
わたしが学生であった頃…ある時、大学の「第三文明研究会」、要は創価学会の部室にいると、青白い顔をした学生が、一人でやって来た。その対応を何故わたしがしたのかは覚えていないが、彼は部屋をノックして、入ってくると、「僕の親方様は…」と話し出した。
「…親方様は、寝たきり老人なのです。植物人間状態で意識もありません」
現行、「植物人間」という言葉は不適切な気はするが30年前の記憶。いまはそのまま記す。
「寝たきりで意識もないのですが、『この世はもうすぐ終わりになる』と仰ります」
「はあ? だって、意識がないんでしょう?」
「ええ、ありません」
「じゃあ、話せないじゃないですか」
わたしは[テレパシーだ]なんだと言い出すのか思った。ところが、せっぱ詰まった顔で、彼は、こう言い出した。
「親方様は、臍で話すんです」
「ヘソ?」
「ええ、臍から声を出して、お告げをされます」
「へえ、そう」と詰まらぬだじゃれの一つも言おうと思ったが、あまりに真剣なので、冗談も言えない。まして、学内でもっとも派手に「折伏」という名の勧誘を行っている創価学会の部室である。「飛んで火に入る夏の虫」という言葉があるが、少し知っている人間であれば、避けて通る場所だ。そこに宗教の話をしに乗り込んできたのだ。呆気にとられた。彼は勝手に話し続けた。
「みんなが信じないと『この世が終わってしまう』と親方様が仰るんですよ」
「だって、ヘソでしょうが」
「臍です。そうですよ、すごいでしょう。臍で話せるんですよ。ね!」
顔は鬼気迫ってきた。
「こうして、親方様のことをみんなに伝えないと世が滅びてしまうんです。信じてくださいよ」
[おいおい、ここはこっちが折伏する場所なんだぞ]という言葉が喉まで出かかったが、もはや、バカバカしくなってきた。どうでもよくなっていたが、訊いてみた。
「世の中が滅びるわけ?」
「そうですよ! 滅んじゃうんです」
泣きそうな顔だった。
「あのぉ、具体的にどんなふうに滅びるわけかな」
第三次世界大戦、核兵器最終戦争が起こるという危機感は、誰しも懐いていた。そんなことを言い出すと思った。ところが…
「親方様の臍から真っ黒な煙が出るんです」
「け、けむり?」
「煙です。煙。臍から煙が出て、その煙が世界を覆ってしまうんです」
「はい?」
「それでですね、その煙が晴れたとき、信じていた人だけが救われるんです。たいへんなことでしょう。ねえ、だから、一緒に信じましょうよ。ね」
望まぬ訪問者は蹴り出すとか、塩をまくとかいうが、もはや、脱力感で、怒りも、笑いも出なかった。慇懃に挨拶をし、お引き取り願ったものだった。「臍から煙が出て、世の中が滅んじゃうんですよ」と、部屋を出るとき、また、彼は繰り返した。
この宗教が何であったのか、いまだにわからない。当時、「創価学会は最高の宗教で、科学と矛盾しない唯一の宗教」と信じ込んでいた自分にとって、「何とも可哀想な非科学的な奴」と同情の念を抱いたものだった。
しかし、創価学会も、「日蓮正宗」も、やめて15年以上も過ぎた今の自分からすると、このいわば「おヘソ教」と自分の信仰が、どれほど、違ったものかと問われれば、「さした差はない」と応えざるを得ない。
『富士門流信徒の掲示板』でも引用したが、『マインド・コントロールの恐怖」のなかでハッサン師は
「このカルトの会員は、和紙の巻物 ― 御本尊 ― の前で不思議な言葉をくりかえし唱えれば、自分たちの欲しいものを何でも獲得する力が身につくのだと信じている」とNSA、つまり、いまのSGIのことを書いていた。
これがさらに大石寺になると、所謂「本門戒壇の大御本尊」は「生身の日蓮大聖人」であるといい、トーンダウンした創価学会を含めて、昔から、他の宗教を「邪宗」と詰り、「邪宗撲滅」を叫んできた。
木に題目や諸尊の名を刻んだ彫刻を「偽物である」というと「罰が当たる」とか、「地獄に堕ちる」にはじまり、ついには「先生に逆らうと、罰が当たる」という。この信仰圏で信じられることが、先の「おへそ教」と、では、どれほど、違うのだろうか。こう記すと「揶揄・嘲笑」と受け取られるのだろうか。わたしは、自分の過去を振り返って、揶揄でも、嘲笑でもなく、自分が信じていたものが、世間一般からすれば、どう見えるのかを本気で考えてみたいだけなのだ。
952
:
問答迷人
:2008/07/19(土) 17:46:24
犀角独歩さん
感想と言う事なので、ぼやっとしたお話になりますが書いて見ます。
>『マインド・コントロールの恐怖」のなかでハッサン師は「このカルトの会員は、和紙の巻物 ― 御本尊 ― の前で不思議な言葉をくりかえし唱えれば、自分たちの欲しいものを何でも獲得する力が身につくのだと信じている」とNSA、つまり、いまのSGIのことを書いていた。
このハッサン氏の表現は、実に正確に日蓮曼陀羅信仰の本質を捉えていると思います。
板本尊や池田本仏はまだ底が浅く判りやすいですが、この日蓮曼陀羅信仰は実に奥が深いと思います。ちなみに、僕はこの日蓮曼陀羅信仰を今日も続けています。
信仰というものはみんな、鰯の頭にしろ、臍の煙にしろ、荒唐無稽な要素が色濃く覆っていますね。人間が何か神秘的な物を信じなくては居られないから、このような荒唐無稽な信仰が生まれてくるのだろうと思っています。信仰はいつの時代もなくならないのではないかと。
問題は、この日蓮曼陀羅信仰を現代人が納得できるか、という事ですが、現代人の端くれである僕という人間が、この信仰を受容しているのは事実ですから、何らかの形で現代人を納得させる可能性を持っているのは動かせないのではないかと思っています。
ちなみに、僕が日蓮曼陀羅信仰を受容しているのは、日蓮という歴史上の人物の体験に対する憧れの要素が有ることは否定できません。
953
:
天蓋真鏡
:2008/07/19(土) 18:07:14
犀角独歩さん、問答迷人さん、其れは信じて仰ぐ信仰ですか? 自分の人生に活かす学びて問う学問では無いでしょうか? 人其れぞれ漫荼羅に対する接し方の質量は違うのでは無いかと断じます
954
:
問答迷人
:2008/07/19(土) 18:22:40
天蓋真鏡さん
僕が日蓮曼陀羅信仰と呼ぶのは、ハッサン氏の表現の如くです。僕はそのように今日も曼陀羅を拝し「嗚呼有り難い」と深く信じて南無妙法蓮華経とお題目を唱えています。「自分の人生に活かす学びて問う学問」という物ではなく、文字通りの信仰です。
955
:
犀角独歩
:2008/07/19(土) 18:54:13
問答名人さん
ご返信有り難うございます。
ハッサン氏が、否定的にとらえた日蓮曼陀羅信仰を、むしろ、肯定的にとらえ、継続しているというお考えであると拝して宜しいでしょうか。
わたし自身、中学1年から、石山の勤行をはじめ、いまも、気が向けば、日蓮宗寺院の朝勤に参詣したりします。最近の気分としては、発声と禅定による健康法のような気分ですが、しかし、唱えのなかでは、今は亡き父母を思います。
数年前、京都本願寺の朝のお勤めに出る機会があったのですが、日蓮門下とはまた違った魅力がありました。いまは、他宗の話は、取り敢えず、置くとして、もう少しお聞かせ願えますか。
> 日蓮曼陀羅信仰は実に奥が深い
わたしはかなり否定的な意見も多く書いてきました。しかし、実際のところ、いくら否定しても否定しきれない人間の情念といったものは比定できません。
“現代人である”問答さんをして納得させる、奥深さを、信仰的経験の側面から、少しばかりご教示いただけませんでしょうか。
天蓋真鏡さん
> 自分の人生に活かす学びて問う学問
問答さんとまた違ったお考えですね。わたしは、信仰とも学問とも思わず、仏道は実践道といった考えです。
956
:
問答迷人
:2008/07/19(土) 19:52:03
犀角独歩さん
>ハッサン氏が、否定的にとらえた日蓮曼陀羅信仰を、むしろ、肯定的にとらえ、継続している
その通りです。
>“現代人である”問答さんをして納得させる、奥深さを、信仰的経験の側面から、
何よりも僕が曼陀羅信仰に拘るのは、日蓮聖人が信仰の対象として残した物が、釈尊の木像と紙幅曼陀羅だからです。そして、それらの内、門下の在家には曼陀羅しか残されていません。
曼陀羅とは、日蓮聖人に取って何だったのか、「有供養者福過十号」という賛文が複数の曼陀羅に認められている事から、信仰の対象として信徒に授与されたという意味合いは有ると思います。
日蓮聖人に取って、自ら筆を執って認め、信徒に授与した曼陀羅とは、一体、何だったのか。
僕には、日蓮聖人が自身の信仰体験を伝えるための道具立てでは無かったかと思えてなりません。
この事から、僕は、曼陀羅信仰によって日蓮聖人の信仰体験を追体験したい、という思いに駆られます。
日蓮曼陀羅は日蓮聖人の信仰体験世界が現されたものに違いない、思うからです。
お答えになっていますかどうか、不安ですが、取りあえず書いて見ました。
957
:
天蓋真鏡
:2008/07/19(土) 19:57:41
問答迷人さん、返レスありがとうございます。 では更にお聞きしたいのですが、信仰が具現化した唱題とはどれだけの人生の質量を伴う事なのでしょうか? 自分は唱題と云うか本尊と云うか、 法の字を見て唱えなさい→雑念が消えるまで唱えなさい→一念三千因果倶時などを経て、最終的には「泥中でもキレイに花を咲かす」に思想哲学と言うか道徳信条と言うか此の考えに仏教は尽きるのでは無いかと想いを巡らしています。
958
:
天蓋真鏡
:2008/07/19(土) 20:10:10
犀角独歩さん、返レスありがとうございます。 自分の云う学びて問う学問は実践と不可分で、 問うには実際に行ってしか考えを纏め学びを進める事ができないでしょう。修行の質量にもよります。
959
:
顕正居士
:2008/07/19(土) 21:00:17
>>950
曾谷入道殿許御書(文永12年、真蹟中山法華経寺)には以下のように述べます。
「正法一千年の前の五百年には迦葉・阿難・商那和修・末田地・脇比丘等、一向に小乗之薬を以て
衆生の軽病を対治す。四阿含経・十誦・八十誦等の諸律と、相続解脱経等の三蔵とを弘通し、
後には律宗・倶舎宗・成実宗と号する、是れ也。後の五百年には馬鳴菩薩・龍樹菩薩・提婆菩薩・
無著菩薩・天親菩薩等の諸の大論師、初めには諸の小聖の弘めし所の小乗経之を通達し、後には
一々に彼の義を破失し、了りて諸の大乗経を弘通す。是れ又中薬を以て衆生の中病を対治す。
所謂、華厳経・般若経・大日経・深密経等。三論宗・法相宗・真言陀羅尼・禅法等也」
大乗は仏滅500年以後に現れたのであり、馬鳴・龍樹などが開祖であるというわけです。
上は漢訳仏教の共通の理解といえます。先哲とは漢訳経典を研究し、仏教史の大略を把握するに
至った中国仏教の多数の先駆者です。経・律・論の三蔵は各部派がそれぞれ別のものを伝持し、
漢訳には数部派のものが混在します。経・律・論を完備するから三蔵といい、その経を阿含(アーガマ、
伝承聖典)といいます。大乗には経・論しかありませんから、つまり教団としてはインドに存在せず、
またその経なるものは仏教教団が結集したものではなく、伝承聖典ではありません。
では大乗の徒は大乗経の由来をどう弁明したかというと、これは報身仏の説であり、仏弟子(声聞)
には感見できなかったが、法身の大士(架空の菩薩)はアカニダ天などで説法を聴き、竜宮などに
隠しておいた。それを龍樹などが発見したというのがインド以来のおおよその説です。仏滅1000年
以後の密教経典はさらにこれは法身仏の説法とし、やはり隠しておいたのを錬金術で不死となった
龍樹が南天鉄塔から見出したとする。要するに大乗や密教の経典は史実の仏教教団とは無関係
とわかっていたのです。
960
:
顕正居士
:2008/07/19(土) 22:03:14
インドには紙もパピルスもなく貝葉などに記録したのですが、気候のせいで数百年経つと
読めなくなってしまいます。数世紀昔はすべて神代、いわゆる歴史のないインドなのです。
したがって数世紀以前の事柄はすべて荒唐無稽な神話の中に覆われれてしまうのです。
対して早くに紙が発明された中国は歴史の世界です。それで仏家はあいまいな仏教の
歴史や釈尊の一生についても中国風の記述をしなければならなっかた。かつ釈迦は老子
がインドに行って仏教を説いたのだという道家の説に対抗する必要があった。周書異記と
いう偽書によって釈尊の年代を数百年繰り上げたのはそのせいです。大乗の経は応身仏、
つまり歴史上の釈尊の説ではありませんが、釈尊なる語に報身仏の意義を含有するとし、
単に釈尊と記して仏伝を記す。そして報身仏の説法に応身仏の50年を配当し、儒家が仏家
・道家の荒唐無稽の説を批判するのに対抗し、あたかも大乗経を歴史上の釈尊が説いたか
のように誤解させようとしたのが諦観四教儀でありましょうか(参照 法華経について 180)。
日蓮はしかもその諦観四教儀の別の五時正意だけを取り出して主張し、四教八教の考察
は皆無に近い。諦観原理主義者とでもいいましょうか。ここで儒家の原理主義(正名思想、
名分主義)+仏教の荒唐無稽な神話という合成が日本で出来上がってしまったのですね。
961
:
問答迷人
:2008/07/20(日) 06:36:52
天蓋真鏡さん
>信仰が具現化した唱題とはどれだけの人生の質量を伴う事なのでしょうか?
日蓮聖人が観心本尊抄に「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う、四大声聞の領解に云く「無上宝聚不求自得」云云、」と述べられていますが、その文字通りに考えています。
要は、人生で味わい、得る事の出来るあらゆる幸が、曼陀羅を信じて南無妙法蓮華経と唱える事で得られる、と。これが「無上宝聚不求自得」「功徳聚」たる所以であると。
962
:
犀角独歩
:2008/07/20(日) 07:18:44
問答名人さん
私事恐縮ですが、故母は、長いときは1日4時間も唱題をしていた人でした。
わたし自身、中学1年から朝晩の勤行1日1時間の唱題は欠かしませんでした。正本堂建立は高校時代で、学生時代は、創価学会は「広布第2章」の時期、換言すれば昭和52年度路線のまっただ中でした。当時の創価学会教学は、所謂会長本仏論で「池田先生は日蓮大聖人の生まれ変わり」といったことがまことしやかに囁かれた空気の中で青春時代を過ごしました。
生まれながらの「日蓮正宗創価学会」で、入信から数えれば50年を超え、勤行をはじめてからでも40年を超えています。新参の人々とは格段の時間経過です。人生の大半は、この信仰圏で生きてきましたから、ここで語られることがすべてであり、すべての中心、真実であると思っていたわけです。親戚一の貧乏家、姉は障害者で、ひどい差別と迫害の中を生きていました。その中で、頼りになったのは「日蓮正宗創価学会」だけで、自分を支え、勇気と希望、「生命力」を与えてくれたのは勤行唱題と、組織・活動でした。所謂「信仰体験」の体験発表を言われれば、一晩掛けても語り尽くせないほどあります。
しかし、それでも、わたしは、このスレッドで問うてきたのです。
所謂「本門戒壇の大御本尊」が日禅授与本尊が原本としたものであることにいち早く気が付かれたのは問答さんでした。生まれながらの「日蓮正宗創価学会」であったわたしにとって、この本尊が本物であるとか・偽物であるとかを論じることが事態が謗法であると骨の髄まで思わされてきていました。本尊の写真撮影の厳禁、まして、図形として扱うなどもってほかという操作にまんまとはまっていたわけです。たぶん、こうしたタブーを超える勇気を与えてくれたのは、2000年来の問答さんとの議論であったと思います。そして、わたしはおそるおそる「戒壇本尊」と日禅授与を図形処理し重ねてみました。この中央首題がほぼ重なったときの衝撃は親の死に匹敵するものでした。いや、それ以上であったかも知れません。
ご承知のとおり、わたしの社会活動は既に15年を経過しようとしています。脱会後、わたしが知り合ってきた多くの知識人、そして、脱会とその後を支援してきた人々は、それまで「日蓮正宗創価学会」で占めていた知人の質と根本的に異なっています。40才は、わたしの人生の転機でした。この第二の人生で知り合ってきた多くの人々に接するときに、殊日蓮、殊仏法というときに、いったい、何が語れるのか、いや、何を勧められるのかということが、大きなテーマとなりました。メディアの取材を受けたとき、わたしが脱会後の感想として語ったのは「人間は宗教無しでも生きていける」ということが生まれながらメンバーであったわたしにとって驚きの発見であったということでした。しかし、医学を含む、科学は人間をプラスマイナスゼロの状態にするものの、湯川秀樹博士の名言を待つまでもなく、科学は善でも悪でもありません。これを使う人間によって善にも悪にもなるわけです。つまり、人間の善への進歩は科学に拠ってではなく、宗教、または哲学といった人間の善意を考え発展させる叡智によって培われるものである。つまり、人間はたしかに宗教無しで生きていけるけれど、より自己を高め、そして、進歩させるために宗教はたしかに大きな役割を担っていることに、また、わたしは戻っていったわけです。もちろん、ここでいう宗教は、小田晋師が指摘された宗教団体信仰ではありません。渡部照宏師が日本人の善意を育ててきたのは仏教であったと書きましたが、それはまったくの事実でしょう。アジアで非暴力と慈悲の実践をする人生を与えてきたのも仏教であったでしょう。となれば、仏教は人々の善意を育て、そして、精進させる力を有しているわけです。さすれば、仏教者は自信を持って仏教を人に勧め、人をして精進せしめ、善をもって社会を変えていくことも勧めればよいことになります。たぶん、わたしがまずアンチテーゼとして、掲げてきた天台・日蓮の過誤、経典の創作を論じる殊への反発は、そうした仏教の善い面を無視、冒涜する発言と映じてきたからであったろうと、観察しています。
963
:
犀角独歩
:2008/07/20(日) 07:19:17
―962からつづく―
しかし、わたしがこうしたアンチテーゼを論ってきたのには理由があります。
たとえば日本の戦前では、日本を聖天主誕生の聖地と見なし、アジアのみならず、世界の中心聖地として、国立戒壇を建立するために世界最終戦争を辞さないといった錯綜が「日蓮」「仏教」をその当人は善意と思いながら、しかし、他者(アジア・世界)からすれば、悪意と映じる道具となったからでした。また、戦後の創価学会は軍隊の役職名を模して組織を構成し、「邪宗撲滅」「折伏大闘争」「東洋広布」「国立戒壇」建立をいい戦後数十年で日本最大の宗教団体となり、いまや政権与党の支援団体となっています。ここで日々、活動、勤行唱題に明け暮れる人々は「日蓮」「仏教」を当人は善意と思いながら半ば強引勧める人々でした。しかし、他者にとって、これほど、悪意に映じるものはなかったわけです。
わたしは脱会後、自己点検・自己観察をする方途として、他者の視線に立ってみる、それも徹底的に立ってみることに努めました。それは主客両視点に立って、次を考えるために不可欠な作業でした。また、新たに知り合っていった人々会話を交わすために、抗したことは不可欠でもありました。
そして、徹底して「他者」に立って、かつての「自己」、すなわち、仏教、取り分け、法華経の、それも日蓮の、特に、富士門下の人々と対峙してみたわけです。
わたしがやはりと思ったのは、本来、善を目指し、慈悲を標榜する信仰であるのに、ひとたび、自分の信仰に反対することを突きつけられると、悪口雑言、人格攻撃に転ずる人々の存在でした。上述した個人が善意が、なぜ、他者にとって悪意と映じるのか、他者になってみたとき、はっきりと身を以て体験できたわけです。この典型はご承知のとおり、顕正会と浅井さんであり、そして「日蓮正宗」でした。また、こちらの掲示板に投稿され、議論から悪口雑言・人格攻撃を露わにした人々でした。そうでなければ、信仰の意図と違えば、その場を去るかどちらかでした。こうした有様は、他者にとって、その人とその教えが悪であるという印象以外は与えません。たぶん、そんなことは少し考えれば、信仰者とてわかることなのです。しかし、感情の爆発を、なぜ、抑えられないのか。他者は、悪い要素を教え事態が有しているからだと思い、教えとそれを信じる人々から遠ざかります。
こうした過敏反応が、日蓮、法華、殊にここ富士門下の“実態”です。しかし、問答さんは、今に至る8年間、いつも変わらず、徹底して、この他者に接してこられた。わたしが深い尊敬の念を抱くのは、そのためです。また、そう接してくださるが故に、このスレッドでの議論は成り立っています。
以上の次第ですから、わたしは、いましばらく「他者」の視点でいくつか問いかけさせていただきたいのですが、よろしいでしょうか。
964
:
犀角独歩
:2008/07/20(日) 07:20:45
顕正居士さん
詳細なご教示、有り難うございます。
ご引用の筋は、日蓮の教説で言えば、教機時国序の‘序’、教法流布の先後、いわば歴史観ですね。わたしが先に挙げたのは書名が示すとおり一代記でした。日蓮は、この点を分けて立てていますが、こうして上げていただき、気づくことは、一代記は序(教法流布先後:歴史観)に置換されていること、そうなると近代仏教学と、ある程度の親和性を有していることがわかりました。
ここのところの議論では、『法華経』は部派の、それも比丘が記したものであるというのが近代の法華経学の説明であるということでした。しかしながら、
> 仏教教団が結集したものではなく、伝承聖典ではありません。
と記されてお出でです。となると、いったい、どこで、誰が、という点は、やはり、未だ解明されていないと判断してよろしいのでしょうか。
965
:
問答迷人
:2008/07/20(日) 08:21:37
犀角独歩さん
>たぶん、わたしがまずアンチテーゼとして、掲げてきた天台・日蓮の過誤、経典の創作を論じる殊への反発は、そうした仏教の善い面を無視、冒涜する発言と映じてきたからであったろうと、観察しています。
なるほど。そのような心理が働いて、激しく独歩さんに噛み付いた人々を多数出入り禁止にしてきたのは、他ならぬ管理者でした。これは、独歩さんを擁護しようとしたから、と思われがちですが、本当は、富士門信仰を俎上に乗せ、議論する場所を確保しなくてはならない、という使命感がそうさせたのだろうと思います。
顕正居士さんのお説によれば、富士門信仰を議論できる場所は、どうやらもう、ここしかないようなので、なおさら議論の場所を確保し続ける事の重要性を感じます。
そして、当掲示板の立ち上げを勧め、「書き込みルールを決めなくてはならない」と教えて下さった、チョンガーさんにこの場を借りて、再度感謝の意を表したいと存じます。
966
:
問答迷人
:2008/07/20(日) 08:22:55
>以上の次第ですから、わたしは、いましばらく「他者」の視点でいくつか問いかけさせていただきたいのですが、よろしいでしょうか。
どうぞ宜しくお願い申し上げます。
967
:
顕正居士
:2008/07/20(日) 21:16:16
>>964
犀角独歩さん。
大乗の律というものがないのですから、大乗の教団はインドに存在しなかったと
考えられます。しかし大乗経は仏教の学僧によってしか作り得ない内容ですから、
教団の比丘たちが報身仏にことよせて作成したのでしょう。
だいたいインドには作者不詳の膨大な文献がいろいろあります。第五のヴェーダと
称されるプラーナ文献とか。日蓮は龍樹以前にアシュヴァゴーシャ (馬鳴)が大乗の
事実上の開祖であると考えたようですが、この大サンスクリット詩人は仏教教団
(一説によると説一切有部)の比丘でした。龍樹も世親も有部の比丘でありました。
経量中観派と呼ばれるバーヴァヴィヴェー カ(清弁)や大論理学者ディグナーガ(陳那)
などはおそらく経量部(サウトラーンティカ)に所属する比丘であったのでしょう。
968
:
犀角独歩
:2008/07/21(月) 10:41:49
☆問答名人さん
有り難うございます。では、続けさせていただきます。
> 曼陀羅信仰によって日蓮聖人の信仰体験を追体験したい
先というのはなかなか見えないことはわかっていますが、それでも、敢えてお尋ねします。この信仰の追体験には、どのようなことが期待できますか。
☆顕正居士さん
重ねてのご教示有り難うございます。
厚かましいのですが、もう一つ、お願いいたします。
保坂俊司著『仏教とヨーガ』のなかに以下のような件があります。
「『リグ・ベーダ』の成立は古く、現在のかたちに編纂されたのは、紀元前1000〜800年ごろとされ、以来、暗誦によって今日までほとんどかわらず伝えられている」(P64)
まったく変化しないべーだの伝承に対して、目まぐるしく仏教経典は、変化していったのは何故なのでしょうか。
969
:
顕正居士
:2008/07/21(月) 18:00:03
神話・伝承・正史の類は原型から正典として完成するまで相当な時間がかかるものです。
この間に中間テキストが幾つも介在することがあります。完成してしまえばその後は改変
されません。歴史時代でも新約聖書の成立は紀元後150-225年です(四福音書の著者は
いずれも標題の使徒ではありません)。現代でも『明治天皇紀』は明治100年に刊行開始
されています。歴史の体験は記憶が安定するまで時間がかかります。仏教の聖典も釈尊
の記憶の部分は特に長い時間がかかってはいないと思いますが。仏教の場合、正典には
後世の学僧の論を含みます。パーリ三蔵の確定は後代ですし、大正大蔵経に至っては
大正時代ではありますが。リグ・ベーダはもうその頃に正典として確定してしまったのです。
970
:
犀角独歩
:2008/07/21(月) 20:24:59
顕正居士さん
重ね重ねのご教示有り難うございました。
大変に参考になりました。
971
:
問答迷人
:2008/07/22(火) 07:50:11
犀角独歩さん
>この信仰の追体験には、どのようなことが期待できますか
日蓮聖人の卓越している点はいくつも有ると思いますが、僕はやはり、その気宇の広大さに圧倒されます。北条氏を「わずかの小島の主」などと平然として言ってのける様は、常人とも思えません。追体験することによって、そのような雄大な世界観を自分の物に出来るのではないか、そんな事を期待していますね。
972
:
犀角独歩
:2008/07/22(火) 09:56:38
問答名人さん
「現代人が納得できる」という前提から考えるとき、仰るようなメンタル部分は、やはり、表に立つことになるだろうと思います。日蓮の視線が日本を閻浮のなかの小島に過ぎないとする視点は壮大です。(余談ながら、こうした点からすれば「日本国の諸人にしふし父母」という限定、国立戒壇は齟齬を来します)
創価学会が受容すれば、東洋広布、世界広布(顕正会もこれを模倣して、創価学会の『東洋広布の歌』を歌ったりしています)、戦前の日蓮主義者であれば、聖天主を立てた世界支配と国立戒壇による立正安国の実現といった形で大戦の肯定原理ともなりました。元となる日蓮は、法華誹謗の悪王の国となった日本は、隣国の賢王に治罰されて然るべきであるとしました。
創価学会は昭和末期には1650万人会員を豪語していました。実数はわかりませんが、現勢力は集票力で800万、要活動誌購買会員から類推して250万ほどといわれるます。顕正会や、法華講の人数は少なく問題となりませんが、それら総数が日本の民意のどれほどを占めるか、さらに日蓮門下全般と見なしたとき、どれほどのものであるのか、わたしはそうした確たる統計は知りません。しかしながら、現代の日本人にとって、「日蓮」は、とりわけ、その教えは、どこまで通用するのかを概算することは、あながち意味のないことではありません。つまり、現代の日本人がどれほど納得しているかの指標となるからです。この統計調査は学者に期待します。いまは置きます。
問答さんは「和紙の巻物 ― 御本尊 ― の前で不思議な言葉をくりかえし唱えれば、自分たちの欲しいものを何でも獲得する力が身につく」信仰の実践者であるとのことですが、わたしは、こうした信仰圏は卒業しました。(もちろん問答さんを否定しているわけではありません)
卒業した立場からすると、こうした信仰形態は、実に奇妙に映じます。渡辺照宏師が、具体名を挙げないまでも、こうした信仰様式を「薬そのものには目もくれず、効能書きを書いた紙を一所懸命に拝んでいるようなもの」といったようなことを書いていました。
不信者の感想とは別に信仰はあるとするのは簡単なのですが、こちらのテーマである「納得」という点は、やってみてはじめて納得があるというほか、説得があってはじめて納得があるという点に布教の意義が見いだせます。
取り分け、日蓮の教えは、大乗を標榜し、広宣流布を目指したものですから「弘教」というテーマと納得は切り離せません。
前置きは長くなりますが、まったく仏教を知らない人で、先に挙げたハッサン師の説明のような感覚でとらえている人に、では、どういった説明であれば、納得させることができると思われますか。
取り敢えず、ハードルを設けて、よくいわれる「やってみなければわからない」はNGとし、ロールプレイングのごとく、回答モデルを示してみていただけませんか。
973
:
問答迷人
:2008/07/22(火) 13:03:06
犀角独歩さん
「和紙の巻物の前で不思議な言葉をくりかえし唱えれば、自分たちの欲しいものを何でも獲得する力が身につく」という日蓮曼陀羅信仰を、他者に勧める勇気は、今の所、持ち合わせていません。先ずは自分がやって見ている段階です。そしてもし,日蓮聖人が指し示した世界を追体験できた時には、何かしら他者に向かって語ることはあるのではないかとは思います。
そして、その時には、日蓮聖人がもし現代に生きていたら、この日蓮曼陀羅信仰をどのように評価するだろうか、という事を、きっと常に念頭に浮かべて語るのだろうと思います。
回答になっていませんが、この点については、この程度でご容赦賜りたく存じます。
974
:
マターリ
:2008/07/22(火) 19:12:02
「祈って叶わざるなし」と教えられて、何十年と題目をあげてきました
が、祈りの叶わない事の方が多いですね。冥益という目に見えない功
徳もあるようなので、一概には言えません。しかし、人生の分かれ道
のようなところで、そのたび祈りが叶わず、平均的な人より、劣った
環境にいるのが残念です。
最近は題目をあげる気力が、だんだん無くなってきました。
「あのとき、祈りが叶っていたら」と思うことが多いです。
975
:
犀角独歩
:2008/07/23(水) 19:07:52
問答名人さん
有り難うございます。
曼陀羅信仰については、では、いったんこれまでとします。
少し話題を変えてまいりたいと思います。
富士門下、とりわけ、大石寺圏の‘人口’は、近代の創価学会員の増加と相俟って、在家信徒会員の数が凌駕しています。この点は、別段、否定されることではありませんが、しかし、こうした構成比率は、数の多いほうが少数派(僧侶)を軽視することを意味しないのが仏教でした。
しかしながら、大石寺僧侶の腐敗(この表現は投稿規約に違反するのであれば、ご指摘ください)は、在家信徒会員をして、この職業従事者をして幻滅し、僧侶抜きで仏教を考える所謂在家主義が、むしろ主流となっていきました。
しかし、日蓮の真蹟、もしくは写本を追うとき、日蓮の教えは徹底して僧侶中心なのであって、その点をスポイルして考えれば、僧侶である日蓮も、また、この界隈で崇敬の高い日興も、日目も要らなくなります。
「聖僧の恩をば凡僧に報ずべし。とくとく利生をさづけ給へと強盛に申ならば、いかでか祈のかなはざるべき」(祈祷鈔)
「僧の恩をいはゞ仏宝法宝は必僧によて住す。譬ば薪なければ火無く、大地無れば草木生ずべからず。仏法有といへども僧有て習伝へずんば、正法像法二千年過て末法へも伝はるべからず」(四恩鈔)
実際のところ、曼陀羅信仰における法具、曼陀羅は、それが印刷であれ、手書きであれ、寺院僧侶から受け取ったものであり、勤行の様式もまた僧侶の伝えを踏襲したものです。寺院僧侶から離れて勤行唱題修行をすることは、いわば、猿を離れて肝を求めるようなものと映じる側面もあります。
しかし、この界隈で僧侶を離れることでしか、信仰を守れないというジレンマがあることも事実です。
こうした点に就き、問答さんのお考えをお訊きしたいのです。
976
:
問答迷人
:2008/07/23(水) 20:11:23
犀角独歩さん
>仏宝法宝は必僧によて住す。
これは仏教伝来の歴史上の事実ですね。日蓮門下に有っても、六老の選定が歴史上の事実であり、しかも僕の、日蓮聖人との出会いが、日興門下の大石寺の信徒となることによって始まった事実は否定できるものではありません。
僧侶不要論を唱えた段階で仏教に似て非なる物と化していると僕は考えています。日蓮大聖人に直結、等と言う教えは、日蓮聖人の真跡遺文には少なくとも見出す事は出来ないと思います。
ただ、僕は、日蓮正宗の末寺に名簿は残っているものの、行方不明者と同じ扱いを受けており、連絡を自ら断った事は一度も有りませんが、一切連絡は来なくなっています。勿論、参詣する意思もありませんので、その方が気楽なのは事実です。まぁ幽霊信徒、と言ったところです。
暫くは、色々な雑音が聞こえてこないこの状態が自分に取って一番好ましいのではないかと思っています。今後については今は白紙です。岐阜市には身延派の末寺も有りますので、そちらに所属換えしてそちらに参詣するかもしれませんし、今まで通りの、幽霊信徒を続けるかもしれません。
まぁ、日蓮正宗が余程変わらない限り、日蓮正宗信徒として信仰する事は二度とないのではなかろうかと思っています。創価学会員さんからも、戻ってこないか、との誘いが有りますが、「残念ながら戻る勇気は持ち合わせていません」と言って丁重にお断りしています。
こんな所でお答えに少しはなっているでしょうか。拙い回答で申し訳有りません。
977
:
犀角独歩
:2008/07/24(木) 08:24:44
974 マターリさん
日蓮が在家に教えた唱題は、祈りだったんでしょうかね。
祈りとはもっぱら僧侶がなすことだったように思えます。
それがいつの間にか、在家も祈りはじめる。やがて、僧侶の職分を在家がはじめる。こうして醸造されていったのが、日蓮門下の在家主義につながっていったのだと思います。
石山の全部の坊さんが、ということではないと思いますが、わたしがまだ法華講だった頃、とある坊さん(と書けば誰のことかはすぐわかるかもしれませんが、、取り敢えず、名は伏せます)に「唱題の時には、どう祈ったらいいのでしょうか」と尋ねたことがあります。すると「祈る? 唱題をしながら、どうやって、祈るんだ?」と、とても、不思議そうな顔をされました。ですから、「題目を唱えているときに色々考えるのですが、ちゃんと祈らなければいけないと思うんですが」と再度訊いたわけです。すると「唱題しながら、何かを考える? どうやってだ」と反対に訊かれました。要は、唱題とは無心で行うものであって、唱題しながら、ものを考えたり、祈ったりできないだろうというのが、その趣旨でした。創価学会でいう唱題とはずいぶんと違うものだと驚いたものでした。
978
:
犀角独歩
:2008/07/24(木) 08:46:25
問答名人さん
> 僧侶不要論を唱えた段階で仏教に似て非なる物
そうなんですね。わたしもそう思います。だから、僧侶が必要かと問われるとき、少なくとも日蓮はそう考えていたというのが答えであることもわかります。
しかし、もはやちゃんとした僧侶なんかいいないじゃないか、だから自分たち(在家)でやっていく、というのが、創価学会であり、顕正会であるということになりますか。
先のマターリさんへのレスも関連しますが、「御祈祷」は本来、坊さんに委ねてきたことですし、日蓮もそう考えていたでしょう。坊さんは祈り・武士は戦い・国家安寧・万民快楽といった順番です。
こちらのスレッドテーマの「現代人」を、わたしは勝手に日蓮信仰者以外と想定していました。しかし、問答さんから、ご自身もまた「現代人」であると言われ、「なるほど」と思ったのです。そうなると、さらに創価学会も、顕正会も、現代人に違いないわけですね。
マターリさんのご投稿は、なかなか核心を突いていると思います。
極端な言い方ですが、本尊がどうか、教義がどうかといった、しち面倒くさい話、また、御祈祷は坊さんにといったしきたりよりなにより、ともかく、「祈って叶うこと」が何より大事というのが、民間信仰の至極であると思えます。
現代人が納得するという点を、どちらかというと、教理・本尊面で論じてきたように思えますが、在家集団が大好きな「実証」、一般的に言う「効験あらたか」が、では、現代のニーズに合っているかどうかは、どうもよくわかりません。
できれば、「現代人」を、信仰を持っていない一般大衆として、それら人々を納得させる日蓮の教えを考えたいと思っています。
ここ2日間、やや忙しくしていますので、また、改めて、ご賢察を賜りたいと存じます。有り難うございました。
979
:
富士川一郎
:2008/07/24(木) 11:54:36
>>「唱題しながら、何かを考える? どうやってだ」と反対に訊かれました。要は、唱題とは無心で行うものであって、唱題しながら、ものを考えたり、祈ったりできないだろうというのが、その趣旨でした。
どなたの言なのかは分かりました(笑)。
そこで素朴な質問ですが、創価学会が「唱題しながら祈る」と言うのを具体的にどのように指導していたのでしょうか。
創価学会の指導に興味があります。現役、元創価学会員の方でお教えいただけたら幸いです。
ちなみに顕正会ではそもそも唱題に重きを置いていないのが現状です。
「唱題に時間をかけるなら位なら折伏(勧誘)せよ。唱題は朝晩の勤行の5分ずつだけで良い」と言う教えでしたし・・・。
さすが拡張主義ですが・・・。
980
:
問答迷人
:2008/07/24(木) 12:48:40
仏壇の前の経机に祈る項目を書き出した紙を置いたり張ったりして、一項目について祈りながら100遍ずつお題目を唱えて行く。
こう言う事を教えられた記憶が有ります。選挙になれば、公明党候補の名前を書いた紙を置いたり張ったりして、必勝祈願のお題目を唱えたものでした。
要は、祈りは具体的でなければならない、と言われ、誰かの病気平癒を祈ったり、担当している組織の誰々が会合に出てくるように、と祈ったり、友達の誰々を折伏(入信)出来ますように、と祈ったり・・・
数限りない祈りを書き出して、具体的に祈るように教えられました。その通りにやっていると、一日一時間の唱題なんかは、ちょろい物で、あっという間に過ぎてしまったのを覚えています。
981
:
マターリ
:2008/07/24(木) 20:29:59
>犀角独歩さん、
>日蓮が在家に教えた唱題は、祈りだったんでしょうかね。
祈りとはもっぱら僧侶がなすことだったように思えます。
そうですね。「法華初心成仏抄」を見ますと、日蓮自身がいかに祈祷しても
在家の本人が不信なら、濡れた火口に火打石で火をつけるようなものだ、
と書いてあります。ですから、祈祷するのは日蓮自身であり、在家は祈祷
というより、法華経に対する信仰心そのものを強くして欲しい、と日蓮は
考えていたと思います。
「祈祷抄」に「・・・日は西より出づるとも、法華経の行者の祈りの叶わ
ぬ事はあるべからず」とあります。在家の私たちも、法華経の行者に含
まれると教えられてきました。しかし厳密に言えば、行者=僧なので、
祈祷抄では、法華経の行者=日蓮だとわかってきました。
つまり、この一節は、日蓮の祈祷にかける、並々ならぬ自信に満ちた
言葉なのだと思います。在家の祈りも叶う、ということではないと考
えます。
これら全て、このごろ勉強したことばかりです。
>富士川一郎さん、
創価学会が「唱題しながら祈る」と言うのを具体的にどのように指導して
いたのでしょうか。
祈りのない題目は意味が無い、と教えられました。一遍一遍に祈りを込め
て、唱題していきます。口では題目を唱えながら、頭脳では願い事を考え
ています。
問答迷人さんと大体同じですが、他に教えられた事を書きます。
1.夢や願望を全て、表に書き出す。
2.書き出した願望に優先順位をつける。
3.いつまでに願望を達成したいのか、期限を明確にする。
4.夢や願望を、座談会など会合で話す。(発表して恥ずかしくない事を)
5.毎日、題目表をつける。
6.重大な願い事を叶えるには、一日1万ベンを唱えていき、何ヶ月かで
総数100万ベンをあげきる。
その一方で、願い事ばかりするのは「乞食信心」で、「感謝の題目をあげな
さい」とも言われています。
982
:
犀角独歩
:2008/07/25(金) 22:39:06
富士川さん
たぶん、推量当たりです(笑)
いまさら、石山方のことをわたしが、このスレッドに書くのも変ですが、要は「余念なく」というのが、在り方だというわけですね。それで
「余念は謂く唱題成仏の外念慮あるべからず、故に当家の行者は若は誦経、若は唱題一向余事余念無して南無妙法蓮華経と唱る処に妙法の即身成仏を立たる者」
などというわけですから、文字どおり、妙法蓮華経への南無の一念は即身成仏以外の念慮があってはならないというのが教えなのでしょう。こうした点を某氏は言ったわけでしょうね。
ところが日寛『六巻鈔』を見ると、実は、そうなっていないわけです。
「南無仏・南無法・南無僧とは若し当流の意は、南無本門寿量の肝心、文底秘沈の大法、本地難思境智冥合、久遠元初、自受用報身、無作三身、本因妙の教主、末法下種の主師親、大慈大悲南無日蓮大聖人師。
南無本門寿量の肝心、文底秘沈の大法、本地難思境智冥合、久遠元初の自受用報身の当体、事の一念三千、無作本有、南無本門戒壇の大本尊。
南無本門弘通の大導師、末法万年の総貫首、開山付法南無日興上人師、南無一閻浮提座主、伝法日目上人師、嫡々付法歴代の諸師。
此くの如き三宝を一心に之れを念じて唯当に南無妙法蓮華経と称え乃ち一子を過ごすべし云々」
下種三宝を念じて、唱題して一生涯を過ごせといいます。創価学会、顕正会はお気の毒ですが、南無が直接かからないまでも「嫡々付法歴代の諸師」も念じる対象に入っています。「除歴対象の歴代は別」という口上は成り立つかどうか、成り立ったとしても、「先生」を念じろ、祈り殺せ、種々の祈念を具体的に念じろなどとなどいうのは、まさに創価学会の考案したところであって、日蓮とも、日寛とも関係のないわけですね。
「現代人が納得する」というテーマに沿えば、即身成仏より、「願いは何でも叶う」といった欲望充足型のほうが受けるということでしょうか。こうした戦後復興の民衆のニーズに巧みに合わせて改変されたのが、創価学会の「題目を上げる」というやつだったということになりますか。
さらに昨今では憎き相手は憎悪し呪うようで、もはや、黒魔術、呪術の域に達し、ここまでくると、現代人のニーズから離れた感があります。
983
:
犀角独歩
:2008/07/25(金) 22:49:21
> 979
顕正会の5分唱題というのは面白いですね。
これが事実ならば、要するに浅井さんは唱題が苦手なんでしょうね(笑)
「像法の智者大師すら尚毎日一万遍なり。何に況や末法の我等をや」
とは、日寛の言です。こうした点を匿して、5分でいいとすれば、浅井さんは、日寛に背いていることになりますね。
984
:
いちりん
:2008/07/26(土) 08:55:13
ちょっと脇に外れて申し訳ないですけど、
天台智ギが、毎日一万遍、南無妙法蓮華経と唱えていた、と日蓮さんは言うわけでしょうが、
、日蓮さんなり、なにかその根拠となるものはあったのでしょうか。
985
:
犀角独歩
:2008/07/26(土) 09:11:20
いちりんさん
日蓮ではなく、日寛です。富要ばかりの話で恐縮ですが、日寛以前では、日教がこれを記しています。
穆作抄「天台は唱へ奉る一切経の惣要毎日一万遍、玄師の伝に云はく一切経の惣要とは謂ゆる妙法蓮華経と文」
類聚翰集私「陳隋の天台智者は読誦し奉る一切経の惣要毎日一万遍と、玄師の伝に云く一切経の惣要とは妙法蓮華経是れなり云云」
六巻抄依義判文抄第三「天台大師行法の日記に云わく、読誦し奉る一切経の総要毎日一万遍と、玄師の伝に云わく、一切経の総要とは所謂妙法蓮華経の五字なりと云云」
観心本尊抄文段上「像法の智者大師すら尚毎日一万遍なり。何に況や末法の我等をや」
法華題目抄文段「天台大師、毎日行法の日記に云く『読誦し奉る一切経の総要、毎日一万遍』と云云。玄師伝に云く『一切経の総要とは所謂妙法蓮華経の五字なり』云云」
986
:
いちりん
:2008/07/26(土) 09:57:17
独歩さん
なるほど。日寛さんが言っていたのですね。
しかし、天台智ギは、妙法蓮華経は一切経の惣要ということは、玄義あたりで述べているのでしょうが、
それを「唱えていた」のかどうかという根拠は、どうも「天台大師行法の日記」あたりと。
そんなものがあったんですね。
でも、ほんとうに、それって智ギが著したものかどうか、はっきりしているのでしょうか。
たとえば、「摩迦止観」や「玄義」「文句」あたりで、智ギが、「わたしゃ、毎日、お題目を唱えているよ」とか、「みなも唱えるといいよ」などということは述べてないですよね、たぶん。
987
:
犀角独歩
:2008/07/26(土) 10:13:40
いちりんさん
そうですね、おっしゃるとおりだと思います。
ただしかし、日寛教学の無謬を信じる人々は、日寛の一文一句も背けないのに、背いているのはどうしてなんだという議論の流れでした。
988
:
マターリ
:2008/07/26(土) 10:44:54
初歩的な質問で申し訳ないのですが、中国でも、南無妙法蓮華経の題目
を唱えていたのでしょうか?
題目は、法華経が日本に伝わって、しばらくしてから唱えられるように
なった、と聞いていました。ですから、題目は日本独自の物だとばかり
思っていたのですが。
989
:
犀角独歩
:2008/07/26(土) 11:14:04
マターリさん
中国で唱えられていたという根拠は『当体義鈔』の以下の文などに拠るのではないでしょうか。
「南岳大師法華懺法云南無妙法蓮華経文 天台大師云南無平等大慧一乗妙法蓮華経文 又云稽首妙法蓮華経云云 又帰命妙法蓮華経云云。伝教大師最後臨終十生願記云南無妙法蓮華経云云」(
天台初期文献で検索すると以下のとおりです。
法華三昧「一心奉請南無妙法蓮華經中一切諸佛」「南無釋迦牟尼佛 南無多寶佛 南無釋迦牟尼分身佛 南無妙法蓮華經…」
禮法華儀「南無佛 南無法 南無僧 南無釋迦牟尼佛 南無妙法蓮華經 南無文殊師利菩薩 南無普賢菩薩 旋竟三歸依如常」
しかし、これは日蓮が言う唱題とは違うでしょうね。七文字「南無妙法蓮華経」の成句は遡れるといったところでしょうか。
さて、日本ですが、その真偽は置き、『修禪寺決』に以下の文があります。
「臨終之時 唱南無妙法蓮華經 由妙法三力之功成菩提」
「和尚深祕行法傳云 圖繪十界形像 十處安之 毎向一像 各一百反可行禮拜 口可唱南無妙法蓮華經心可念」
まさに先に挙げた日教、日寛の引用の如く、余念なき即身成仏の唱題の文証がここにあります。
わたしは不勉強で『修禪寺決』が日蓮が見聞していたかどうか失念しました。パンナコッタさんをはじめ、皆さんの批正をお願いします。
990
:
マターリ
:2008/07/26(土) 12:01:52
>犀角独歩さん、詳しく教えていただき、ありがとうございます。
天台の文中に「南無妙法蓮華經」が、明確に入っていて驚きました。
日蓮のいう唱題とは違うようですが、題目の起源のようなものは、
中国が発祥だと、初めて理解できました。
991
:
パンナコッタ
:2008/07/26(土) 12:25:35
お呼ばれしたので、おじゃまします。
偽撰といわれる本理大綱集は確実に読んでいたでしょうけど、
修善寺決は偽書の臨終一身三観に引用があるくらいで薄い線ではないでしょうか。
後代のネタ本としては、動かないでしょうけど。
「故智者大師。毎日行法日記云。奉讀誦一切經惣要毎日一萬反。玄
師傳云。一切經惣要者。謂妙法蓮華經五字也」
http://www.chohoji.or.jp/TENDAI2/dengyodaisi/
05/069.txt
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/database/bunken/goibun/tyu_syu.htm
992
:
犀角独歩
:2008/07/26(土) 14:38:47
パンナコッタさん
ご批正、有り難うございます。
いちばん、肝心なことを書き忘れました。ご引用のとおりですね。
伝全で、この文を見ると「僞撰書」としっかりと書いてあるのですね。
993
:
パンナコッタ
:2008/07/26(土) 15:39:09
あ、リンクが変になっていましたね。大変失礼しました。
修禪寺決
http://www.chohoji.or.jp/TENDAI2/dengyodaisi/05/069.txt
十八円満抄にも引用されていますが、これも仮託された偽書ですね。
百六箇抄の牛頭決引用も含め、恰も根拠になるような書き方をしていますが
はじめからボロが出ている と、いった所でしょうか。
994
:
犀角独歩
:2008/07/28(月) 14:18:12
問答名人さん
もう少し愚問を続けさせていただきます。
わたしはひとり暮らしをはじめたのは中学3年で一間のアパートに仏壇を置き、所謂「分世帯」で御本尊を貸し下げてもらい安置しました。15歳の時ですから、この本尊を20年間拝み続けました。実家は最初、日寛の小幅のもので、正本堂の時に日達さんの特別御形木に取り替えました。例の創価学会が水増し制作したという騒ぎになったものです。
2年前に母が亡くなるとき、特にほかの本尊があったわけではないので、付き添い時間が過ぎて家に戻るとこの本尊に、母のことを祈念していました。
しかし、過去5年、問答さんをはじめ、皆さんと、彫刻の真偽について論じてきたわけです。母の最期の切羽詰まっていたときでしたが、「奉書写之」の四文字は気になりました。
彫刻は日禅授与本尊を臨模作為した捏造品、それを写した本尊は、捏造の写し。さらに言えば、石山は御筆真筆とされる3舗は『御本尊集』に載りますが、この日禅授与本尊はついに未発表にしたままです。発表すれば、原本が特定される恐れからこれを秘匿するといえば、それまでですが、こうして影本すら公開しないものは、たいがい、偽物です。他にもいくつか所存はありますが、わたしは日禅授与本尊は偽筆であると考えます。この立証は議論とは別なので置くこととします。日禅授与本尊が偽筆であれば、あの彫刻は偽筆を原本にした偽物。つまり、二重に偽物であることになります。偽物を原本にした偽物を、さらにその内容とは違って書いて、写したといって憚らない石山の本尊、それも写真にとって大量生産した印刷物です。(印刷がいけないというのは伝日興の説を支持してのことです)
つまり、我が家に安置されていた本尊を冷静に記述すると以上のようになります。はたして、このようなものを「本尊」と恃めるのかというのが、今回のわたしの質問です。
過去数十年、拝んできたものにケチをつけるようで、恐縮ですが、問答さんは、この点を、どのようにお考えになり、また、もし、現代人に納得させるとしたら、どのようにご説明になるのか、これは、まさに信仰の根幹に関わる問題として、お尋ねしたいのです。お応えいただけますでしょうか。
995
:
問答迷人
:2008/07/28(月) 19:15:26
犀角独歩さん
>日禅授与本尊は偽筆・・・あの彫刻は偽筆を原本にした偽物・・・二重に偽物・・・さらにその内容とは違って書いて、写したといって憚らない石山の本尊・・・大量生産した印刷物・・・このようなものを「本尊」
僕は現在も日顕師制作による印刷曼陀羅を拝しています。元法華講講頭であった僕の親友は、「良くもお前、そんな物を拝んでいるな」と言います。彼の言いたい事は、概ね、犀角独歩さんの説に準じています。
僕も、過去、思い悩みましたが、もう思い悩む事は卒業しました。
果たして、日蓮聖人が、僕が顕師曼陀羅を拝んでいるのを見て、どういうだろうか、と考えました。結論は是認されるだろうという事です。
なぜなら、体裁は日蓮曼陀羅を踏襲して書かれており、しかも、日興師の末流の僧侶の手によるものだからです。
非常に乱暴な議論のようですが、元々、日蓮聖人は曼陀羅書写の法規を示していない事は、六老それぞれに曼陀羅書写を行っていることから逆算すれば明らかだと思います。
印刷がダメだというのも、日蓮聖人の文献が残っていない以上、絶対的な規範とは思えません。
曼陀羅の重要性は、「南無妙法蓮華経」の七文字をしたためて、それを拝む事に尽きていると思います。であれば、顕師曼陀羅も、身延山久遠寺の仏具店で買う事の出来る曼陀羅も、基本的には大差ないと思うわけです。
このような理由から、現在のところ、敢えて曼陀羅を変えるべき理由も見つからないので、そのままにしているわけです。
皆様のご叱正賜りたいと存じます。よろしくお願い申し上げます。
996
:
犀角独歩
:2008/07/28(月) 19:32:44
問答名人さん
わたしが投げかける疑問は、単に批判をしようとか、攻撃しようとかを目的としたものではありません。この点は、8年間一貫しています。ただ、信仰の根幹に冠する質問になると、途端に反撃に出て人身攻撃になってしまうのが、残念ながら、創価学会を含む大石寺圏の有様です。そのために、常連同士でさえ、率直な質疑応答が成り立たないできました。こうした愚は、発展的な議論の妨げにしかなりません。もちろん、問答さんがそのようなことをなさる型ではないことは十分に承知のうえです。しかし、横やりも多々ありましたので、念のため、おことわりしました。
わたし自身は、漫荼羅は允可証の用途であり、あとは護本尊で、正式な本尊は仏像であるというのが日蓮の教説本尊観という立場です。この点では、問答さんとは違うと思いますが、そのどちらが正しいという議論をしたいわけではありません。
以上のような考えですから、仮本尊としての漫荼羅が印刷であろうが何であろうが、あと信仰者の心根次第でさした問題ではないとは思います。
ただし、創価学会を含む大石寺圏では、「自分たちの本尊以外は駄目だ」と言い切ってきた歴史があります。こう言ってしまえば、では、「そんな偽物を写した、書いた内容も違うもの、何がすごいのだ」という反論となりましょう。これは、まず、創価学会、顕正会、なにより大石寺に向けた批判として置いておくことといたします。
広く日蓮信仰者を含む現代人からすれば、漫荼羅は身延の売店のみならず、町中の仏壇屋でも、仏壇のおまけのような感じで売っているもので、それを一般に「御本尊」として認可されています。その経緯からすれば、それが日県産の者で荒れ何で、同じようなものですから、拝む人が本尊であると思えば本尊でしょう。
今回のお応えからすると、要は書かれた内容が日蓮の漫荼羅を同じであれば、それはそれで是とするという意味と承りました。
では、この前提で、再度、お伺いしますが、そうなると、漫荼羅は、それが身延の売店のものであれ、いつであったか、顕正居士さんがご紹介いただいたダウンロード本尊、つまり、ネットで流通している日蓮漫荼羅画像を自家のプリンターで印刷して本尊とするといったものも、本尊であるとして、何ら痛痒はお感じにならないということでしょうか。これが一つ。
あと、たとえば、日蓮が書いた内容を同じであればよいのならば、わたしども少し習字の心得があれば、下手な横好きで漫荼羅など、いくらでも書くことはできます。こうして自分で書いたものも、本尊とすることも是とお考えになりますか。
繰り返しますが、批判攻撃を目的にしているわけではなく、当スレッドテーマに沿って「現代人が納得する」線を探る手だてとしての質問であることをご留意のうえ、お気軽にお応えください。
997
:
犀角独歩
:2008/07/28(月) 19:36:21
【396の訂正】
誤)問答さんがそのようなことをなさる型
正)問答さんがそのようなことをなさる方
誤)それが日県産の者で荒れ何で
正)それが日顕さんのものであれ何であっても
998
:
問答迷人
:2008/07/28(月) 20:31:17
犀角独歩さん
>漫荼羅は、それが身延の売店のものであれ、ネットで流通している日蓮漫荼羅画像を自家のプリンターで印刷して本尊とするといったものも、本尊であるとして、何ら痛痒は感じない
曼陀羅が本尊なのかどうか、日蓮聖人は余り明確にはされていませんので、この議論は、取りあえず、差し控えさせていただきます。その前提で、それらを曼陀羅として拝する事には、現在の幽霊法華講員の身としては、痛痒は何等感じません。将来において、日蓮宗信徒となった場合には、その所属寺院に従うのが筋だとは思っています。
>あと、たとえば、日蓮が書いた内容を同じであればよいのならば、わたしども少し習字の心得があれば、下手な横好きで漫荼羅など、いくらでも書くことはできます。こうして自分で書いたものも、本尊とすることも是とお考えになりますか。
これは、既に宮沢賢治がその様な試みをしていたようですね。末寺に所属したくない事情があれば、それも又、可であると思います。要は、日蓮聖人の教えに連なる意思があれば、これも又、日蓮聖人は是認なさるであろうと思います。
勿論、何でも有りではないと思います。「日蓮聖人に直結」などと言って、僧侶を排除し、却ってその組織の中心者を日蓮聖人の生まれ変わりの如く敬わせる様は、日蓮聖人に連なっているとは言いがたいので、日蓮聖人が果たして是認されるだろうか、という疑問は残ります。
999
:
犀角独歩
:2008/07/29(火) 08:00:58
問答名人さん
> …日蓮宗信徒となった場合…所属寺院に従う
議論とは直接、関係ありませんが、「日蓮宗信徒になる」という点について富士門流はかなり特殊であると感じます。
一種の囲い込みみたいなことをして、僧俗でも、恰も師弟子のような関係で、石山では特に「指導教師」などといって、その人以外からは指導を受けても駄目みたいな極端なことを言いますね。こうした関係は、所謂「日蓮宗」一般ではほとんど有り得ませんよね。もっとも加持祈祷をしてくれる坊さんを生き神様のように崇拝してその人自体の信者、つまり個人崇拝になるというケースは見受けます。
これらの点は、また、別に議論をしたいと思いますが、信者、信徒というのは、そもそも、何の信者なのかという点は、意外に曖昧だと感じます。
いずれにしても宗派の信徒ではなく、宗派が信奉する神仏の信者であり、その宗派に集う徒ということなのでしょうね。
日蓮宗の坊さんの話を聞くと、御経周りに行くと、仏壇に鶴丸があるところもあり、場合によっては石山の本尊があったなどという話も聞きました。仏壇を買ってきたときについてきた曼陀羅を掛けてあったりで、住職が裏書きをして開眼をするのが正式と言った程度です。
つまり、「所属寺院に従う」などという堅苦しいところは何もないのが、日蓮宗一般という印象を持っています。たぶん、現在の問答さんの寺院観、信徒観は、かなり富士門下的なのだろうと思いました。(批判ではありませんよ。日蓮宗一般信者と比較した感想です)もっとも、今後、所属される寺院が富士門下であれば、仰るようなことにはなるだろうとは思えます。石山研究で名高いある人の寺院は、富士門下で言う「身延派」ですが、万年救護の複製を奉懸しています。宗定とされる所謂「臨滅度時」の複製は、わたしの近辺では池上本門寺近くの日蓮宗新聞社書店で販売しており、これはなかなか立派なものです。坊さん経由ならば買えるということでした。
先だって久方にお会いした静岡・海長寺の菅野師は、檀家さん全員に手書きの曼陀羅を与えたと話されていました。身延の売店で曼陀羅を売ったり、印刷物には原則反対の立場を採っておられる方です。保田あたりは、万年救護の複製を「ちゃんとした信者には出す」なんていっていると聞きました。ちゃんとした信心をしているのであれば、手書きの本尊を与えるのが在り方だと思うわけで、わたしは首を傾げざるを得ません。だいたい、複製ならば、自分でも作れます。それを坊さん寺院が作ったものでなければ駄目だというのは、どんな根拠なのか、不思議に思います。もちろんこれは保田に限らず、石山でも、学会でも同様です。
こちらの常連のある方は、ネットからダウンロード、プリントアウトして、それを石山からも請け負っている表具屋さんに出して、軸にしてもらって本尊にしていました。
以上、揚げ足取りと誤解しないでください。門下全般をみると、曼陀羅そのものは古美術的な扱い、しかし、信者であれば、仏壇に懸ければ本尊、坊さんにすれば開眼をすれば本尊たりえるといった程度の感覚で、厳格さを感じないというだけの話です。
やや整理になりますが、石山や、時には富士門下では、寺院から信者として出されたものを本尊とする、顕正会もそうですね。創価学会では、旧来、石山の信徒団体であったときに受け取った本尊も本尊と認めたうえで、自分たちで複製頒布する日寛の印刷を本尊とし、日蓮宗などのものは、たとえば、それが日蓮真筆の複製でも本尊とはしない、この点は、石山、顕正会も同様ということになります。学会を含む石山圏、富士門下の有様はかなり特殊ということになりますか。
この本尊については、各人の信仰という側面から具ですから、「現代人が納得する」という議論には馴染まないのでしょう。
たぶん、議論の余地があれば、その本尊についての説明部分で学問が指示する現代の常識と食い違う点について、では、どうすれば納得が得られるのかという点に焦点があるように思えます。
たとえば「仏滅後二千二百三十余年」といった記載は、現在、考えられる仏滅年代と500年のズレがありますが、こうした点で、少し仏教学の知識を持ち合わせた人であれば、「遅れている」「間違っている」などと感じるかも知れません。そう感じた人に「各人の信仰は勝手なんだから、そんな議論はただちに打ち切るべきだ」などといえば、排他的と思われるだけで、納得を得ることはないことになりますね。
追って、教学と学問の齟齬については、議論の俎上に乗せたいと考えていますが、いま、これまでとします。
1000
:
犀角独歩
:2008/07/29(火) 08:01:36
―999からつづく―
>> 自分で書いたもの…本尊…是
>宮沢賢治…日蓮聖人の教えに連なる意思…日蓮聖人は是認
なるほど。
このあとにも、「日蓮聖人の是認」ということをお書きになっていますね。
つまり、問答さんは、この点が本尊裁定の基準になっているとお見受けします。
これも、議論と言うより、以下2問につき、お考えをお聞かせ願うかぎりでお訊きします。
(1)日蓮は、自らが書した本尊を複製することを是認したか
(2)日蓮は、弟子が書写した本尊を複製し大量生産することを是認したか
> 「日蓮聖人に直結」などと言って、僧侶を排除
わたしの感覚からすれば、坊さんの話は宗派の都合が多く、どうも信用できない面が多々あります。ですから、直接、資料に当たると、坊さんから聞いてイメージした日蓮とその教説とは天地雲泥の相違があります。そうなると、もはや、坊さんを通じて信仰するより、日蓮に直接向かい合うほうが、より純粋な信仰と感じます。世間一般でも、日蓮の遺文などを読んで日蓮の贔屓になる人々が、いきおい、寺院や遺跡を探訪しようとなっても、誰か坊さんについて学ぶことが正しいとはなりません。「それでは、信仰にならない」といえば、それまでですが、嘘と都合ばかりで固まった日蓮解釈より、直接、日蓮の真蹟遺文や本尊、なにより日蓮その人と向かい合うことは否定されることでしょうか。
富士門下において、この手の根拠は『佐渡国法華講衆等御返事』に求められるのでしょうが、ここでいわれるのは、「勝手に日蓮の直弟子を名乗ることの規制」と思えます。
「大聖人直結」は石山の学会批判の一つでした。学会がいう直結はしかし、学会、池田氏を通じての直結ですから、実は直結ではないのですね。
日蓮宗寺院などに行くと、日蓮御影像があり、まあ、顔が似ているかどうかはわかりませんが直接、日蓮に向き合っているような気分になります。こうした舞台装置は、ある面、寺院そのものが日蓮と直接向かい合う場を用意してくれているようなものと感じます。
日蓮宗に「日蓮聖人直結」を言下に否定する面はないように思えます。
長い前置きになりましたが、これまた、揚げ足取りではなく、率直な疑問として、ご意見をお聞かせ願いたいのですが、「日蓮聖人に直結」は、なぜ、いけないのでしょうか。また、日蓮が日蓮を直接信奉有することを禁じた文証にはどのようなものがあるでしょうか。
> 組織の中心者を日蓮聖人の生まれ変わりの如く敬わせる様…日蓮聖人に連なっているとは言いがたい…日蓮聖人が果たして是認されるだろうか…疑問は残ります。
こうした「今日蓮」といった有様は、日教などの文献に見られる当住中心主義で鮮明になったものですね。いつの時代の文献かわかりませんが、本尊相伝「代々の聖人悉く日蓮なりと申す意なり」を在家の「会長先生」に当てはめた、換骨奪胎といえば、そうなのでしょうが、坊さんなら善いが、在家なら駄目というのは坊さんの都合に過ぎない気もします。日蓮の是認ということになると、さて、どうでしょうか。
思いつくままに書いたところ、自分の管見の披瀝のようになってしまいました。お詫びします。文が冗長でわかりづらいかもしれませんが、以上、お応えいただければ有り難く存じます。
1001
:
問答迷人
:2008/07/29(火) 09:53:05
犀角独歩さん
(1)日蓮は、自らが書した本尊を複製することを是認したか
(2)日蓮は、弟子が書写した本尊を複製し大量生産することを是認したか
当時、印刷技術は未発達であり、経典書写に倣って、曼陀羅書写を考えておられたと思います。
曼陀羅と言っても、日蓮聖人本人がしたためた本物でなければ、価値がない、と考えられた節は伺えませんから、現代の複製技術、印刷技術を知られたら、是認されるであろうと考えます。
又、弟子が書写した曼陀羅を印刷授与することについても、是認されるであろうと考えます。なぜなら、曼陀羅の記載内容に価値があるのであって、それ以外では無いと思うからです。
勿論、曼陀羅を授与を以って允可の意義を含める、というのは判らないでは有りませんが、曼陀羅を受持することにこそ、本当の允可の意義は存するものと思います。
>直接、日蓮の真蹟遺文や本尊、なにより日蓮その人と向かい合うことは否定されることでしょうか。
むしろ、そうあるべきだと思います。僧侶は信徒が日蓮聖人と直接向かい合う手助けをするのが本来の任務であると思うからです。
ただ、六老の選定は、僧侶を中心にして、日蓮の教えを信仰し、ひろめて行くべきだ、とのお考えが伺えると思いますので、強ちに僧侶を否定するのは日蓮聖人の本意ではないと思います。
>日蓮が日蓮を直接信奉有することを禁じた文証にはどのようなものがあるでしょうか。
六老の選定が間接的に該当すると思います。御遷化記録がその文証という事になるかと思います。
1002
:
問答迷人
:2008/07/29(火) 09:57:00
舌足らずなので付け加えます。
御遷化記録は所謂、「大聖人直結」という僧侶を排除する論理を否定した文証という意味です。
1003
:
犀角独歩
:2008/07/29(火) 10:29:12
問答名人さん
重ね重ねのご回答有り難うございます。
同じ宗派に属し、そして、その嘘を暴いてきたという点で、問答さんとは共通するところが多いと思いますが、そのなかでも取り分け、相違していると思われる点を選びながら質問をさせていただいております。
漫荼羅の複製に関しては、日蓮は是認しないだろうと、わたしは考えています。
日蓮が所持していた法華経は版本であり、また、日興から程近い時代に「御筆の本尊を以て形木に彫み、不信の輩に授与して軽賤する由」という記述から、鎌倉時代には版木技術は既にあったと思われます。そうしたなかで、あえて日蓮がこの複製を採用しなかった歴史認識が、わたしにあるからです。
また、允可という点で申し上げれば、授与書がもっとも重要な点になるわけで、この点を複製は省かれますので、允可とは言い難いように思えます。
もっとも、日蓮には允可の意味をもって書き渡していたように思えますが、六老以下、そうした意識が継承されたようにも思えません。
以上は、わ僧侶を否定するのはたしの考えです。たぶん、こうした考えの相違から、問答さんは印刷可、わたしは不可という見解の相違が生じていることがわかりました。この点は、現時点で日蓮の真意を斟酌できかねますので、見解の相違の確認に留めたいと存じます。
> 僧侶を否定する
やや、わたしの投稿が悪文であるため、誤解を生じたかも知れませんが、わたしは僧侶を否定するというのではなく、僧侶が日蓮の本意を伝えないのであれば、日蓮に直接遡源するほか手だてがないという苦肉の選択を述べました。
この件は以上とします。
> 曼陀羅を受持…本当の允可の意義は存する
允可であるというわたしの見解に同意してくださったと理解してよろしいでしょうか。違っていれば訂正いただければと存じます。
曼陀羅受持が允可であったとして、ご質問いたします。
(1) 売店、仏壇屋、また、ダウンロードといった方法で得た本尊は自主購入ですから、これを允可とは呼べません。こうした印刷物は本尊としては不可ということになりますか。
(2) 允可された僧、もしくは組織が嘘偽りをもって信者を誑かすものである場合、この允可は、どのような意義を有するとお考えですか。
前後しますが、以下の点についてもお伺いいたします。
> 曼陀羅の記載内容に価値がある
ここで仰る記載内容とは具体的に何を指すのでしょうか。中央首題ですか、十界諸尊を含めてですか、日蓮在御判、授与書、讃文、釈文(若悩乱者など)はどうでしょうか。
一遍首題に二仏の本尊、また、四天王を配さない本尊、また、諸尊勧請は区々ですが、こうした記載内容の相違は価値の相違を意味するとお考えでしょうか。
以上、お願い申し上げます。
1004
:
犀角独歩
:2008/07/29(火) 10:31:30
ひどい打ち間違えがありました。訂正し、お詫びいたします。
誤)以上は、わ僧侶を否定するのはたしの考えです。たぶん、こうした考えの相違から、問答さんは印刷可、わたしは不可という見解の相違が生じていることがわかりました。この点は、現時点で日蓮の真意を斟酌できかねますので、見解の相違の確認に留めたいと存じます。
正)以上は、わたしの考えです。たぶん、こうした考えの相違から、問答さんは印刷可、わたしは不可という見解の相違が生じていることがわかりました。この点は、現時点で日蓮の真意を斟酌できかねますので、見解の相違の確認に留めたいと存じます。
1005
:
問答迷人
:2008/07/29(火) 11:43:18
犀角独歩さん
(1) 売店、仏壇屋、また、ダウンロードといった方法で得た本尊は自主購入ですから、これを允可とは呼べません。こうした印刷物は本尊としては不可ということになりますか。
日蓮聖人は妙法蓮華経の五字を法華経の会座において、確かに釈尊から譲り受けたと述べています。言ってみれば、これも自主購入だと思います。であるならば、日蓮聖人から譲り受ける、という信仰心を以って、その人がその曼陀羅を拝む事には、何ら問題が無く、広義で、允可に相当すると思います。
(2) 允可された僧、もしくは組織が嘘偽りをもって信者を誑かすものである場合、この允可は、どのような意義を有するとお考えですか。
残念ながら、これ場合は、允可が無効になる可能性が高いのではないかと思います。日蓮聖人と信徒との間に僧、或いは教団が入って教えを捻じ曲げた場合は、形としては允可とは言えても、内実は失われている可能性が有りますから。
> 曼陀羅の記載内容・・・具体的に何を指すのでしょうか。
中央首題を指します。
>一遍首題に二仏の本尊、また、四天王を配さない本尊、また、諸尊勧請は区々ですが、こうした記載内容の相違は価値の相違を意味するとお考えでしょうか。
価値の相違は無いと考えています。中央主題に全てが含まれていると考えています。それらは、無くて良し、有って良し、だろうと思います。
1006
:
犀角独歩
:2008/07/29(火) 16:18:26
問答名人さん
> 日蓮聖人は妙法蓮華経の五字を法華経の会座において、確かに釈尊から譲り受けたと述べています。言ってみれば、これも自主購入
そうですか。師が弟子に託したのではないでしょうか。わたしの管見はともかくとして、、いまはそのようなお考えと承ります。
> 日蓮聖人から譲り受ける、という信仰心を以って、その人がその曼陀羅を拝む事には、何ら問題が無く、広義で、允可に相当する
允可とは上位が下位に「許すこと」だと思いますが、こちらも、こうしたお考えと承っておきます。
では、その前提でお尋ねします。
「自主」性はよいというお考えですね。ならば、どうして、直弟子を「自主」的に語ることは駄目なのでしょうか。日蓮が「自主購入」であれば、自主的に「弟子」を自認するのもこれまた可としないと論理に一貫性がないように思えますが、この点は如何でしょうか。
>> 允可された僧…組織が嘘偽りをもって信者を誑かす…允可
> 残念ながら、これ場合は、允可が無効になる可能性が高い
> 内実は失われている可能性が有りますから。
わたしもこのお考えに賛同します。
となると、具体的に当て嵌めた場合、日顕さんは、どうでしょうか。こうした僧に当て嵌まりませんか。当て嵌まったとする場合、その本尊はどうなるでしょうか。
> 価値の相違は無い
この点は、わたしの管見とは異なりますが、お考えを承って、いまはこれまでといたします。
上記、やや突っ込んだ質問になり、恐縮ですが、お考えをお聞かせください。
1007
:
問答迷人
:2008/07/29(火) 18:56:36
犀角独歩さん
>自主的に「弟子」を自認するのもこれまた可としないと論理に一貫性がないように思えますが、
ところが、実際のところ、日蓮聖人は妙法蓮華経を釈尊から受けるのは、直弟子として、直接受けていますね。しかし、その一方で、六老を選定したのも事実です。確かに論理の一貫を欠くようです。この点については、深く考えていませんでした。
>日顕さんは、どうでしょうか
当然、捻じ曲げているとしか言えませんね。ですから、日顕さんの允可は有名無実でしようね。
日顕さんを師として信仰すれば、それは、日蓮聖人に従うことにはならないと思います。
日顕さん制作の曼陀羅は、そういう意味において、不備だと思いますが、その点を無視して、日蓮聖人から譲り受けるねという信仰心を以って拝すれば、その問題は一応クリアーできると考えています。
1008
:
問答迷人
:2008/07/29(火) 18:58:44
訂正です
× 日蓮聖人から譲り受けるねという信仰心を以って拝すれば、
○ 日蓮聖人から譲り受ける、という信仰心を以って拝すれば、
1009
:
犀角独歩
:2008/07/29(火) 19:20:14
問答名人さん
いま議論になっている点は、一般の「現代人」の皆さんにとっては、さして重要な話ではないですが、所謂「本門戒壇の大御本尊」は後世の捏造とわかった、日顕さんはそれを知っていたと理解した、しかし、その人が書写した印刷本尊を拝んできたという歴史を背負っている信仰者である「現代人」にとっては、けっこう看過できない問題です。ですから、もう少しお付き合いください。
998に問答さんは、「『日蓮聖人に直結』などと言って、僧侶を排除」するのは、駄目であると書かれました。この趣旨は、その後に続く「却ってその組織の中心者を日蓮聖人の生まれ変わりの如く敬わせる様」に係るわけですが、ともかく、創価学会がいうような「大聖人直結」といった信仰は駄目であるというお考えと承りました。
これに対して、わたしは1003に「僧侶が日蓮の本意を伝えないのであれば、日蓮に直接遡源するほか手だてがないという苦肉の選択」と記しました。
この点ですが、問答さんが1008に「日顕さん制作の曼陀羅…不備、…日蓮聖人から譲り受ける、信仰心を以って拝すれば、その問題は一応クリアーできる」と仰る意と、あまり差がないように感じるのですが、この点は如何でしょうか。
ただ、問答さんの場合、この日顕さんの本尊に替わる、本尊の供給元が現段階では確保されていないとお察しできるのです。これは例えばの話ですが、そうした替え納得がいく本尊を入手できることになったとしたら、日顕さんの本尊は、お役御免となりますか。どうなのでしょうか。
1010
:
問答迷人
:2008/07/29(火) 19:46:48
犀角独歩さん
>そうした替え納得がいく本尊を入手できることになったとしたら、日顕さんの本尊は、お役御免となりますか。どうなのでしょうか。
勿論です。身延派の寺院が地元にも有りますので、そこに所属するのが一番よいのではなかろうか、と考えています。実行はそんなに遠くないと思っています。その場合、当然のことながら、日顕師制作曼陀羅はお役御免となります。
>あまり差がないように感じるのですが、この点は如何でしょうか。
はい。差はほとんど無いと思います。
1011
:
犀角独歩
:2008/07/29(火) 21:16:50
問答名人さん
取り敢えず、今件は、これまでとします。
お付き合い有り難うございました。
引き続き、一般現代人?に係る点もお付き合いいただければと存じます。
もし、日蓮宗で御曼陀羅をいただくことがあれば、ぜひとも手書きのものをご所望ください。なかなか味わいのあるものですよ。
わたしは宮沢賢治を見習うでもいなく、自分で思うところを書いてみたいと思ってみたり。坊さん方は、一生涯の間に護本尊を造るのだそうです。これは木彫りの仏像であるそうですが、わたしの場合、これが手書きの漫荼羅でも良いと考えてみたりしています。まあ、実行するかどうかわかりませんが、こうなすと、魑魅魍魎から、何に昇進させてくれるのでしょうか(笑)
1012
:
犀角独歩
:2008/07/31(木) 09:50:14
問答名人さん
引き続き、よろしくお願いいたします。
さて、議論をはじめようとすると妨害に遭って、なかなか、始められなかった内容に進みたいと思います。
まず、はじめに『法華経』について。
最近の仏教学等の解説書に拠れば、『法華経』は、およそ紀元前100年ごろから後150年頃まで制作されたということでした。つまり、こうした考えが現在の常識となっていることを意味します。
富士門下に限らず、『法華経』が釈尊最期8年の最高の教えであり、仏陀の金言であることは近年まで不動の仏教常識であったわけです。ところが、経典の文字化は釈尊滅から、およそ100年以後のことであり、さらにそこから数百年を経て制作編纂されたとなると、それまでの教学は覆ることになります。日蓮自身、『法華経』を釈尊の金言であるとし、已今当に最為第一の教えであるとします。
「しかし、『法華経』には釈尊の金言も含まれているはずだ」といった希望的な観測は、いまはさておくことにします。
問答さんは、こうした学的成果を常識とする「現代人」に、どのように「日蓮教学」を納得させることができるとお考えですか。
1013
:
問答迷人
:2008/07/31(木) 10:53:59
犀角独歩さん
>それまでの教学は覆ることになります。
そうですね。説明不能に陥りますね。だからこそ、明治以降も、『法華経』を釈尊の金言であるとし、已今当に最為第一の教えとする教義を踏襲してきたのだと思います。
日蓮聖人が、今日の学問の成果を知ったなら、どのようにされたか、非常に興味の湧くところです。
一体、どこに釈尊の真意が説かれているのか、と追求して行った結果、法華経に辿り着いたのだ、と日蓮聖人は繰り返し説いています。その同じ姿勢で、今日の学問成果を踏まえて、釈尊の真意を追求した時に、果たして、同じように法華経に辿り着くのか、或いは、別の結論に至るのか。
もし、同じく、法華経に釈尊の真意が説かれている、という結論に達したとしても、説き方は、学問成果を踏まえて、しかも、日蓮聖人の独自の見解を披瀝する形で、現在の日蓮宗の教義とは組み立てが全く異なった物となっていると思います。
僕の感触としては、日蓮聖人の悟りがまず有って、それを説くための手段として、当時の仏教の常識を利用されたのではなかろうか、と考えています。
例の、虚空蔵菩薩から明星の如き大宝珠を授かった、という日蓮聖人の体験談が全ての始まりであり、日蓮聖人の教えの骨髄ではなかろうかと考えています。
後ほど、続きを書きます。
1014
:
問答迷人
:2008/07/31(木) 12:16:37
続きです。
このように僕が考えるのは、開目抄下に、妙楽の弘決を次のように引用しているからです。
『弘の七に云はく「文字法師とは、内に観解無くして唯法相を構ふ。事相の禅師とは、境智を閑はず鼻膈に心を止む。乃至根本有漏定等なり。』
これは、要は、文字の法師も暗禅の法師も共に不可。そして、教義も大事、悟りも大事、という意味であり、この主旨から考えると、日蓮聖人が法華経を選び取ったのも、教相と自身の悟りの両方からの総合判断で有ったろうと僕は考えるからです。
1015
:
問答迷人
:2008/07/31(木) 12:31:24
ご質問の回答からは、かなりずれているかも知れませんが、『日蓮聖人には独自の悟りが有り、それを法華経等の諸経典を利用して具体化したのが、日蓮聖人の教えである。』と言う意味合いで捉えれば、日本における独自の仏教展開として受け入れることが出来るのではないかと思います。
それが、「釈尊の真意を伝えるもの」として、納得に繋がるのか、或いは、「釈尊の教えとは似て非なるもの」との判断され、結果的に排除されるのか、これが、これからの課題なのだと思っています。
1016
:
犀角独歩
:2008/07/31(木) 13:06:15
問答名人さん
先にわたしは「おヘソ教」のmixi日記を転載させていただいたのですが、しかし、考えてみれば、たとえば、『聖書』の天地創造なんかも似たようなものだと思えます。天地から人間までが1週間ででき、さらにイブはアダムの肋骨から創られたとか、また、中世ヨーロッパの教会が天動説を指示、魔女狩りを行ったといった歴史…一部、反キリスト教からの批判があるかどうか精査していません…は、おヘソ教と大差はないと思えます。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1121476015/951
そんな非科学的な『聖書』の一面が、批判の俎上に載ることもないわけです。
俎上に載らない第一の理由は、仮に『聖書』のこうした非科学的な側面を批判したところで、悪口雑言をしたり、人格批判に転じるような攻撃をしないという「大人の対応」を心得ているからかもしれません。
そういった意味で創価学会を含む大石寺圏は、現役・脱会を問わず、いまだに中世ヨーロッパの魔女狩りレベルといったところなのでしょうか。しかし、近代社会が、およそ非科学的としかいいようのない天地創造説を前提にするキリスト教を依然と指示し続ける前例は仏教が生き残る可能性を示しているのかも知れません。ただ、愚かな反論をすれば、さらに反論に遭い、自滅を余儀なくされるでしょうが。
> 日蓮聖人が法華経を選び取ったのも、教相と自身の悟り
また、前置きが長くなってしまいましたが、この問答さんのご見解は、仏陀中心ではなく、日蓮中心の考えと判断してよろしいでしょうか。また、であれば、仏教というより、日蓮教であるという印象を受けるのです。
仏教といっても、どこまで仏教というかは議論の分かれるところですから、こうしたお考えは言下に比定されるものではないと思えます。
重ねてお尋ねしますが、ここで仰る日蓮の悟りとは、具体的にはどのようなものでしょうか。
1017
:
問答迷人
:2008/07/31(木) 13:58:53
犀角独歩さん
>仏教というより、日蓮教であるという印象を受けるのです。
日蓮聖人も、何しろ、歴史上の釈尊ではなく、久遠釈尊から、付属を受けたというのですから、これは日蓮教としか言い様が有りませんね。
その教えの根幹は妙法蓮華経という五文字に釈尊の因行・果徳が悉く具わると言うのですから、これは法華経にも他の経典にも何処にも書かれていない、日蓮聖人独自の見解であると思います。
如何なる悟りを根拠に、その様に断言されるのか、大変興味の湧く所です。何しろ、文字至上主義は余りにも極端ですから。
>ここで仰る日蓮の悟りとは、具体的にはどのようなものでしょうか。
恐らくは、その悟りの世界を具体的に図示したのが、日蓮聖人の妙法曼陀羅なのだと思います。
1018
:
犀角独歩
:2008/07/31(木) 15:26:26
問答名人さん
こうした日蓮の解釈は、法華経が釈尊の金言、最期8箇年の真説であるという前提で、700年間指示されてきました。
しかし、この前提が崩れたとすると、当スレッドのテーマである「現代人が納得する」ことがあるでしょうか。
1019
:
問答迷人
:2008/07/31(木) 15:54:53
犀角独歩さん
妙法蓮華経の五字の出どころは、言うまでも無く、羅什訳の法華経の経題ですね。日蓮聖人は、この経題を構成している五文字が全てだというわけです。別の言い方をすれば、この五文字が仏の教えの全てを尽くしていると。
戸田さんが「日蓮大聖人がその教えの究極を弟子・檀那に語るとすると『南無妙法蓮華経。お仕舞い。』」という意味のことを語っていたのを思い出しますが、そういう結論になると思います。
これを果たして、現代人が納得するのかと言えば、納得はほとんど絶望的だと思いますね。
恐らく、仏教考古学の研究が進めば進むほど、日蓮聖人のこの教えは、釈尊の教えからは懸け離れたもの、と看做されるのではないでしょうか。
それにもかかわらず、又、前に書いたことの蒸し返しになりますが、日蓮聖人が見た世界を追体験したい、という僕の強い心の欲求は、一体これは何なのでしょう。やはり、僕にとって、日蓮聖人という人は、それ程魅力的な存在なのだとしか言い様が有りませんね。
1020
:
犀角独歩
:2008/07/31(木) 17:04:02
問答名人さん
たびたびのご回答、有り難うございます。
わたしは先に、法華経は後世の創作、天台のでたらめ、日蓮の間違いといったいわば、現代、形成されつつある仏教へ向けられる「常識」からの批判を、殊に極端に沸騰させ、表現してみました。
こうした批判を排他すれば、逆に排他されておしまいになるでしょう。
ところが、法華経が後世の創作であったとしても、天台がでたらめであったとしても、日蓮も間違っていたとしても、それでも、依然として残る、人々を惹き付けて止まない何かがある。問答さんの元をお借りすれば「魅力的な存在」としての日蓮を、より言語化することができれば、わたしは日蓮は、それまで着飾ってきた五色の錦(法華経、天台、就中、仏法の無謬性)が襤褸(ぼろ)に替わってしまっても、日蓮は必ず21世紀に残っていくのだろうと思います。
そうした意味で、わたしの不躾な質問に対して、けして怒らず、逃げず、批判と正面から向かい合ったうえで、それでも、日蓮に魅力があると言い切った問答さんの言葉に「待っていました」という気分になりました。
御礼申し上げます。
1021
:
問答迷人
:2008/07/31(木) 17:42:22
犀角独歩さん
>「魅力的な存在」としての日蓮を、より言語化することができれば、
そうなんですね、是非とも、日蓮聖人の実像に迫りたいものだと思います。
>「待っていました」という気分になりました。
独歩さんの、巧みな誘導の結果ですね(笑)。
1022
:
犀角独歩
:2008/07/31(木) 17:47:31
問答名人さん
> 巧みな誘導の結果
いや、このお言葉はそのままお返しします。
わたしが、敢えてHNを替える無礼まで犯して、問答名人さんとお呼びする所以です。有り難うございます。
1024
:
蓮華
:2008/08/02(土) 12:57:24
はじめまして
私はさほど知識があるわけではありませんが、ブッダが悟りの境地に達したのは、インドの菩提樹が初めてでなく久遠(遥かかなた気の遠くなる遠いの昔)に悟った。その様な事が、記載されているのが寿量品との事。
寿量品に速成就佛身、つまり即身成仏できると解いてます。
ブッダの教えが何人かに漢訳され、どの訳が一番優れているか、それを感じる個々により違います。
日蓮聖人と釈尊の説いた、妙法蓮華経は同一です。
不自惜身命と寿量品に記載されている如く、日蓮聖人のご生涯は不惜身命を貫き通し、布教されたと思います。
「法華経方便品・寿量品講義」に触れてみてはいかがでしょうか。
1025
:
マターリ
:2008/08/02(土) 13:11:04
>蓮華さん、初めまして。日蓮聖人と書かれていますので、日蓮宗の方
かな、とも思いますが、決まりですので、いちおう自己紹介スレッドへ
の書き込みをしていただければ、と思います。
1026
:
パンナコッタ
:2008/09/12(金) 20:53:46
竜口法難の日ですね。(暦の違いはありますけど)
以前、12日or13日かとか、光物の議論があったのですが、久しぶりに遺文を通して整理してみたいと思います。
種種御振舞御書の内容が一般通説のようになっていますけど、腑に落ちない点が多々あることですし
多少スレタイと趣を異にしますが、改めて確認出来ることがあるかもしれませんので、そこはご了承をねがいます。
まずは文永八年九月十二日付近の記述を、真蹟遺文でみてみます。 ()内はおおよその時間。
土木殿御返事 文永8年 9/15 依智
・此の十二日酉の時(18:00)御勘気。武蔵守殿御あづかりにて、十三日丑の時(2:00)にかまくらをいでて、佐土の国へながされ候が
法華経の御ゆへに過去に頸をうしなひたらば、かかる少身のみ(身)にて候べきか
五人土籠御書 文永8年 10/3
・今月七日さどの国へまかるなり【実際は十日】
寺泊御書 文永8年 10/22
・今月〈十月なり〉十日相州愛京郡依智の郷を起ちて、武蔵の国久目河の宿に付き、
十二日を経て、越後の国寺泊の津に付きぬ
富木殿御返事 文永9年 4/10
・日蓮臨終一分も疑ひ無し。刎頭の時は殊に喜悦有るべく候
諸宗違目事 文永9年 5/5
・去年九月十二日の夜中には虎口を脱れたるか
撰時抄 建治元年
・二には、去にし文永八年九月十二日申の時(16:00)に平左衛門尉に向かひて云く、日蓮は日本国の棟梁なり。
・第二の文永八年九月十二日の御勘気の時は、
聖人御難事 弘安二年
・同じき文永八年〈辛未〉九月十二日佐渡の国へ配流、又頭の座に望む
1027
:
パンナコッタ
:2008/09/12(金) 20:54:40
続いて真蹟未断簡・曾存。
法蓮抄 建治元年
・去ぬる文永八年九月十二日の御勘気の時、重ねて申して云く、予は日本国の棟梁なり
一谷入道百姓女房御返事 建治2年 5/8
・又文永八年〈太歳辛未〉九月十二日重ねて御勘気を蒙りしが、忽ちに頸を刎ねらるべきにてありけるが、
子細ありけるかの故にしばらくのびて、
報恩抄 建治2年 7/21
・去ぬる文永八年九月の十二日には頚を切らんとす
・去ぬる文永八年九月十二日に平左衛門並びに数百人に向かいて云く、日蓮は日本国のはしらなり
・去ぬる文永八年〈辛未〉九月十二日の夜は相模国たつの口にて切らるべかりしが、いかにしてやありけん、其の夜はのびて依智というところへつきぬ。
・又十三日の夜はゆりたりととどめきしが、又いかにやありけん、さどの国までゆく。今日切る、あす切る、といゐしほどに四箇年というに
下山御消息 建治3年 6月
・去ぬる文永八年九月十二日に都て一分の科もなくして佐土国へ流罪せらる。
開目抄 文永九年 2月
・日蓮といゐし者は、去年九月十二日子丑の時に頸はねられぬ。此れは魂魄佐土の国にいたりて、
続いて写本分。
四条金吾殿御返事 文永9年 5/5
・去ぬる九月十二日御勘気をかふりて、其の夜のうちに頸をはねらるべきにて候ひしが、いかなる事にやよりけん、彼の夜は延びて此の国に来たりていま(今)まで候に
頼基陳状 建治3年 7月
・三位も文永八年九月十二日の勘気の時は供奉の一人にて有りしかば
三沢抄 建治4年 2/23
・而るに去ぬる文永八年九月十二日の夜、たつの口にて頚をはねられんとせし時よりのち、ふびんなり
次に未決文・及び確定偽書。
佐渡御勘気抄 文永9年 3/20
・九月十二日に御勘気を蒙りて今年十月十日佐渡の国へまかり候なり
佐渡御書 文永9年 3/20
・去年九月十二日御勘気を蒙りし時
顕立正意抄 文永11年 12/15
・去ぬる文永八年九月十二日御勘気を蒙りし時吐く所の強言
妙法比丘尼御返事 弘安元年 9/6
・又去ぬる文永八年九月十二日に佐渡の国へ流さる
・第二度は外には遠流と聞こへしかども内には頚を切るべしとて鎌倉竜口と申す処に、九月十二日の丑の時に頸の座に引きすへられて候ひき。
・いかがして候ひけん、月の如くにをはせし物江の島より飛び出でて使ひの頭へかかり候ひしかば、使ひおそれてきらず。とかうせし程に子細どもあまたありて其の夜の頸はのがれぬ
四条金吾殿御返事 弘安元年
・去ぬる文永八年九月十二日の子丑の時、日蓮が御勘気をかほりし時、馬の口にとりつきて鎌倉を出でて、さがみのえちに御ともありしが
中興入道御消息 弘安2 11/30
・去ぬる文永八年九月十二日には御かんきをかほりて、北国佐渡の島にうつされて候ひしなり
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
波木井殿御書 弘安5年 10/7
・同じき十月に訴状を書きて重ねて法光寺殿の見参に入れ奉りしに、
・文永八年〈辛未〉九月十二日には頚の座に登り、相模の竜口へ遣はさる
・既に頚切られんとせしが、その夜は延び候ひて相模の依智へわたされ、本間の六郎左衛門が預かりおきぬ。明十三日の夜ふけ方に不思議現ず。大星下りて庭の梅の枝に懸かりき
法華本門宗要抄 弘安5年
・日本国人王八十九代恒仁の御宇、法光寺殿の御代、文永八年〈辛未〉九月十二日、相州竜口に於て既に頭を刎ねられんとす
・法光寺殿の御所中に大星下り給ひて、石坪光を放ち之れを睨み、巍(いかめ)しき地震を以て四方を鳴動して之れを告ぐ
・合掌して之れを観念せしむる時、江の島より大いなる光物日蓮が頸の座の上に出現し、鷹隼の飛ぶが如くして後山の大木に移るかと之れを見れば、忽ちに雲霧を出だして即ち昏闇となり
・天明くる十三日の夜、方々に不思議の大彗星出現し、或は庭上の梅の枝に下りて夙夜に光を放ち、見る人目を驚かし聞く人之れを恐る
1028
:
パンナコッタ
:2008/09/12(金) 20:55:13
そして種種御振舞の記述部分。
・去ぬる文永八年〈太歳辛未〉九月十二日御勘気をかほる
・さては十二日の夜、武蔵守殿のあづかり(預)にて、夜半に及び頸を切らんがために鎌倉をいでしに
江のしま(島)のかたより月のごとくひかりたる物、まり(鞠)のやうにて辰巳のかたより戌亥のかたへひかりわたる。
・十二日の夜のあけぐれ(昧爽)、人の面もみえざりしが、物のひかり月よ(夜)のやうにて、人々の面もみなみゆ
・午の時計りにえち(依智)と申すところへゆきつきたりしかば、本間の六郎左衛門がいへに入りぬ
・其の日の戌の時計りにかまくら(鎌倉)より上の御使ひとて、たてぶみ(立文)をもって来ぬ。頸切れというかさねたる御使ひかともののふどもはをもひてありし程に
其の夜は十三日、兵士ども数十人坊の辺り並びに大庭になみゐて候ひき。九月十三日の夜なれば月大いにはれてありしに、夜中に大庭に立ち出でて月に向かひ奉りて、
自我偈少々よみ奉り 〜 いかに月天いかに月天とせめしかば、其のしるしにや、天より明星の如くなる大星下りて前の梅の木の枝にかかりてありしかば
・夜明くれば十四日、卯の時に十郎入道と申すもの来たりて云く、昨日の夜の戌の時計りにかうどの(守殿)に大なるさわぎあり
長くなって大変恐縮ですが、蓮祖の記述で時系列的にみてみれば
12日夕方捕縛→大仏宣時邸で預かり→明けた13日深夜佐渡へ出発→途中、竜口で頚を切ると脅迫される→そして依智へ連行される
この辺が、記述から読みとれるほぼ実像に近い姿でしょう。
すると種種の「十二日の夜のあけぐれ」は、やはり変ですね。13日のあけぐれでなければならない。
また過去に、種種と佐渡御勘気抄の分離していた所でもあり、混入も十分あり得るかと思います。
此処が原因かどうかは解りませんが、この場合の12日が(通しの)譬喩表現だったとしても一日ずれて後世の人々が
解釈・認識、偽書の作成が行われたようですね。
仮に光物があったとしたら、それは日付が変わった13日の深夜から夜明け前でしょう。日が完全に登ってからでは依智まで30〜40kmありますので
午の時(12:00)ぐらいに到着するのは護送されていることを考えれば、ちと無理でしょうね。
又、この日の日没後に星降りがあったことになります。つまり同日の出来事となります。
しかしながら学会等では、光物が発迹顕本とムリに位置づけして本仏論を唱えている割には星降りをスルーするのはどうなんでしょうかねぇ。
頚を切る という脅迫の事実は、佐渡に行く間も行った後も続けられていましたし、
伝説は伝説、後代の変な意味合いを無理強いする姿勢は改めた方がよいでしょうね。
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