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つぶやきすれっど2
1
:
管理者
:2002/12/15(日) 15:25
つぶやきすれっどが、1000レスを越えて、使えなくなりましたので、新たに、つぶやきすれっど2を立ち上げました。よろしくお願いいたします。
何となく、普段からフツフツと感じている事を、ここに書き込んでみて下さい。
このスレッドは、独り言、ボヤキですから、会話、議論の応酬は避けましょう!
本音、弱根を、思う存分サラしてみましょう!
2326
:
蓮華
:2006/11/02(木) 20:36:43
ずいぶん陰湿で排他的なのですね。
教義にわたっては徹底的に論議するべきだと思っています。
真実を探求する姿勢は美しい。諸賢の方々のレスには感謝・感服しております。
私が申し上げたかったのは信仰心から見た宗教の本質、そして心です。
形式も大切だが、偏狭にとらわれずに宗祖本来の精神に光をあてたい。
宗教とは本来、庶民の祈りをかなえる為に生まれたものだと思っています。
庶民が己の人生をより幸福に彩る術であるべきです。
一宗派にとらわれずに、私は私の実践において、宗教がもつ「力」を、
自身の生活の上で発揮していきたいと願っております。
宗祖の門下であった一民衆も、ただひたすら宗祖を信じ、
祈りを実践してきたかのように・・・・。
2327
:
蓮華
:2006/11/02(木) 20:44:45
私は諸宗を転々として参りました。また、独歩様のレスやあまたの書籍で、
真実と思える学説に触れる機会がございました。
その結果、無残にも信仰心を消失しかけたのは事実です。
それ故に、敢えてシンプルに考えるようになりました。
宗祖在世中の弟子のように、本尊に題目を徹底的に上げ、宗祖の心を知るべきだと・・。
在世中の弟子には釈尊像を帰依の対象にした方もいらっしゃったでしょうし、
恐らくは主題と四菩薩のみの本尊に帰依してた方もいらっしゃたでしょう。
それがむしろ自然な信徒の姿に感じられました。
2328
:
蓮華
:2006/11/02(木) 20:51:34
「本尊に迷えり」。 一番本尊に迷っているのが皮肉にも日蓮系教団です。
私の場合はすっきりしてます。宗祖が表した本尊、それを模写した本尊、
写真複製した本尊、恐らく偽者であろう戒壇本尊、どの本尊に祈っても、
必ず功徳がある気がします。受け手と申したのはその意味です。
現に、身延系、正宗、創価、顕正、正信、その他の宗派は教えは各々異なれど、
沢山の功徳が生まれている現実は無視できません。
それで無ければ、ご本尊を持たない「内徳信仰」などに、功徳がある説明ができないからです。
2329
:
再挑戦者
:2006/11/02(木) 21:07:49
蓮華さん、、>、、内得、、、。
これである程度が判明しました、、。 そうです、、===、、今お騒がせの「、、某K会、、」、、様のご投稿のようです、、??
今後ともよろしくお願い申しあげます、!!! 早々。
2330
:
ボヤッキー
:2006/11/02(木) 23:29:13
個人の信仰体験を書かれても、心に響かない。説得力が無い。
2331
:
しゅんかん
:2006/11/03(金) 13:45:52
独歩さん、このような解りやすいスレがあったんですね。
(教えてくれはったらエエのに。お前の勉強不足や!おっしゃる
通りでごぜぇーやす)(大阪人なんで一人突っ込みです、あしからず)
蓮華さんと独歩さんのやりとりは私など駆け出しの者には両者共
おっしゃる通りと思います。
ここの掲示板は人を傷つける様な文面を見受けないので
好意を持っています。(ほぼ見受けない)
蓮華さんのおっしゃる通り、会話や議論の応酬は避けるべき
ですね。つぶやき=独り言=一方通行では寂しいですから、
会話のキャッチボールをしたいものですネ。
2332
:
しゅんかん
:2006/11/03(金) 14:27:18
蓮華さん、はじめまして。
素朴な疑問で駆け出し中のしゅんかんと申します。
蓮華さんの色々な本尊(曼荼羅)ようは受けて側の信心だ。
おっしゃる通りだと思います。多くの方にご理解をいただける
ものと思います。
私は信仰をしておりませんが、ネット上で他宗もこの様に活発な議論、
意見交換、会話のキャッチボールをしているのですかネ。
(しているのであれば私の勉強不足です、すいません)
日蓮上人は他宗はほうぼう?(字も分からず変換出来ませんでした)
って言うのですか。駄目って言ってるんでしょ。
日蓮宗派で色々な曼荼羅が有って全部オッケーって
私自身はなんとなく?って感じです。
信仰を行っている人は自分の派はやはり信じています。
他派の曼荼羅も良しなのであればその教義も良しでしょ。
それでは自我が揺らぐのではないですか。
日蓮上人の教えがこの様に沢山の板を作らせているのかなぁ
と思っております。
2333
:
絵空事
:2006/11/03(金) 14:39:51
、、ようは受けて側の信心だ、、。
私もそう思っているのです....が確かな授与も必要かと
一方的片思い...すとーかーもどき?もちょっと困る
様々な経緯は有るものの現在まで受け継がれた信仰としての授与....
かといって広宣流布のように多くの人へ
自分のためのオリジナル曼荼羅以外は仮も無理があるかも....
漫荼羅への大切さと思い入れが持てるのであれば.....
正確な複製の出来る今どきが時代相応なんでしょうかね...
複製に裏書きしてもらって伏せってかぁ.....
でも宗派を越えたような信仰の漫荼羅を誰が授与してくれんねん...
此処の掲示板を読むようになってから、そうだと肯定しながらも疑問を持つようになった...
唱題はいいですね....当面はひたすら祈れってかぁ....
2334
:
蓮華
:2006/11/03(金) 15:22:03
>・会話や議論の応酬は避けるべき
上記の趣旨をいささか脱線してしまうことをお許し下さい。
沢山のレスを頂いた故、感謝の意とご返信レスを記させて頂きます。
まずはじめに、独歩様をはじめとする諸賢の皆様の、真実への探求における、
真剣な姿勢、また、わかり易く後輩にご教示いただけるその行為に深く感謝申し上げます。
>ドーモ「、、某S会、、」、、の999%を超えるような「、、擁護論、?」
>今お騒がせの「、、某K会、、」、、様のご投稿のようです、、??
私は確かにとある宗教団体に所属はしておりますが、教義の面では納得しておりません。
ただ少なくとも、他宗教の言い分・主張も理解せずに頭より見下して、
「謗法」だと罵るような行為は、所詮、井の中の蛙であり、本来あってはならない姿勢であると信じております。
又、特別な本尊を崇盃しているが故に、我尊しと言う姿勢にも納得できません。
更に言及して言えば、単なる宗教的建築物を構築する事で、個人も国も安穏になると言う、
安直な考えにも賛同しかねる現状です。(特定の宗派を否定している訳ではありません)
>個人の信仰体験を書かれても、心に響かない。説得力が無い。
ボヤキ、独り言であると言う事でお許し下さい。
宗祖が弟子に伝えたかった世界に触れるには、徹底的な真実の検証行為と、
弟子に示された教えの実践しかないと思っております。
どちらか片方だけでは到達できない何かがあるような気がして仕方ないのです。
2335
:
蓮華
:2006/11/03(金) 15:29:03
>私など駆け出しの者には両者共おっしゃる通りと思います。
私の方こそ駆け出しであり、無学の極みであると認識しております。
故に、皆様のレスで学習させていただいております。
>日蓮上人は他宗はほうぼう?
私見でしかご返信できない無礼をお許し下さい。
宗祖は「妙法蓮華経」こそが唯一真実の教えであると説かれました。
故にそれ以外の教えは悉く邪義であると喝破されております。
しかし、その宗祖の言葉にも深い大意があると思っております。
当時と現代社会を比較するば、宗教的影響力、行政との関係性、常識的な仏教解釈が現代とは大きく異なっております。
現代のように、沢山の情報が当たり前のように取得できると言う、ある意味特殊な状況下では、
宗祖の言葉とは言え、文言を取捨択一し、言葉の裏側に内在する心をつかむ事が要であると信じております。
その上で申しますならば、私にとっては、「南無妙法蓮華経」の本尊であれば、
宗祖の弟子が修行を実践するにあたって、充分に事足りるものであると思うのです。
形式や作法も大切だと思いますが、宗祖が何故その本尊を顕されたのか、
また、何ゆえに弟子に修行を明示されたのか。その本質に肉薄できるよう修行するのみです。
回答になっておりませんね。失礼致しました。
>正確な複製の出来る今どきが時代相応なんでしょうかね...
私も個人的には、宗祖の漫荼羅の方が大切に感じます。
>唱題はいいですね....
はい。私も唱題行を大切にしております。
長々と失礼いたしました。
2336
:
ボヤッキー
:2006/11/03(金) 16:03:19
ちょっと前の書き込みにて、日蓮さんの「真意」をくみ取り、
現在に伝えている宗派は皆無、と書かれていましたが、
そうなれば、今は誰も「本当の修行」は出来ていない事になりますね。
みんなどうやって修行しているのだろう?
南無妙法蓮華経の本尊ならば、どれでも良いなんて言うのも、
なんじゃそりゃ・・・という感じです。
2337
:
しゅんかん
:2006/11/03(金) 18:54:42
蓮華さん早速のご返信有難うございます。
2336のボヤッキーさんと同感なんですが。他宗派なら
これもいいじゃない、あれもまぁ許そうかって言うなら
なんとなく納得出来るのですが。親兄弟やネット上での皆さん達、
日蓮上人門下の方々のご意見を見させてもらいますと。
やはり何処に蓮師の正当な教えがあるのかと追及されています。
その追求されているところが詰り蓮師の教えを守っておられる
様な気がするのです、蓮師に六老僧がおり孫弟子がおり又、弟子が
と・・・人それぞれ捉え方が違いますからええやろとは蓮師の
教えからは逸脱しているように感じられてしまうのです。
すいません信仰もしていない者が。
2338
:
再挑戦者
:2006/11/03(金) 19:30:30
ボヤッキーさん、、。
ウムッム、、!!!、、です。 ホンまに難儀なことでございます。
今、、今後、一体、、ドナイしたらエエンでしょうね、?? トホホ、、。
2339
:
犀角独歩
:2006/11/04(土) 08:34:35
ここは、つぶやきなので、レスト言うことではないのですが…。
日蓮の真意を汲み取り、いまに伝える‘宗派’は皆無でしょう。ただ、わたしが多くの方々との出会いから思うことは、日蓮の精神を伝える人は、しかし、決して皆無ではないと言うことです。では、仮にその精神を伝える人は、すべてを伝えるかといえば、また、そうではないわけです。それぞれが善いところがあり、また、欠点もあります。善いところは大いに参考にし、敬意もはらい、欠点は批判すると言うより、改善案を考え進歩させる、そんな人の集まりを、わたしはサンガというのだと思います。そこには、文字や形式を超えた生きた人間同士の‘修行’があります。
2340
:
絵空事
:2006/11/04(土) 14:29:33
百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
サンガ (曖昧さ回避)。「集団」を意味するサンスクリット語で、仏教では修行者の集団を指し、「僧伽(そうぎゃ)」と漢訳される
僧伽 (そうぎゃ、saMgha、संघ (sanskrit))はサンスクリット語の音写であり、「衆」(しゅ)「和合衆」(わごうしゅ)と漢訳される。
もとの意味は「集団」「集会」などであり、古代インドでは、自治組織をもつ同業者組合、共和政体のことをサンガと呼んだ。
これが仏教に採用されて修行者の集まりや、教団のことを指した。
略して僧と呼び、仏・法・僧の三宝の一つとして尊重され、三帰依の対象となっている。僧は仏陀の教えを実行し、
その教えの真実であることを世間に示し、あわせて弟子を教育し、教法を次代に伝える。
犀角独歩様の思慮深さには感心する事が多いです
その都度、私の想いは右に左に、吊り下げられた曼荼羅に風が吹き付けて揺れ動いたかのように
本当に揺らしていないでしょうねぇ
2341
:
名無しさん
:2006/11/04(土) 17:50:20
私は、「日蓮の精神を伝える人」とは、犀角独歩さんじゃないかと、
思ったりしています。真実を探求されている姿は、素晴らしいですね。
2342
:
しゅんかん
:2006/11/05(日) 23:32:14
今日、娘の大学の行事で京都に行って時間が余ったので。
本圀寺へ参拝に行ってまいりました。黄金の大梵鐘の下にあった一室
(仏像が沢山祀ってありました)に奉安してあった曼荼羅は平成に
書写された物の様でしたが、釈堤桓因大王ではなく正宗の寺院や
下付曼荼羅の様に帝釈天王だった正宗以外で初めて見たのでへ〜〜っと思いました。
クッソー腹立つなあーーー。
寺院案内のパンフが見当らず見物をしていました。
ある建物内でお経をあげておられ(本師堂でした)信者らしき方が2・30人
おられましたが構わず入って行き座りました。
直ぐにお経が終わり御僧侶さんのお言葉で法要だと判明しました。
(私はアロハシャツを着ていたので信者らしき方から何やこいつ、
といった目でにらまれた、皆さんすいませんでした、そう言やぁ
皆さん黒い服ばっかりやったなぁー)
本堂も拝観させてもらいました。南妙法蓮華経とだけ彫ってある本尊、
その前に釈迦像そしてその前が日蓮上人の座像でした。
寺院で南妙法蓮華経とだけ彫ってある本尊を見たのは初めてでした。
帰る前に寺院関係者の方に尋ねパンフをもらいました。
帰路の車中でパンフを読み、法要を行っていたいた所が本師堂としりました。
そしてそこに大聖人が片時も離さず・・・の釈迦像をお祀りしている事も
初めて知ったのです。(目に止まらんかった。クッソーーー、本圀寺ってこんな
お寺やったん。もう一回行こ〜っと)
2343
:
再挑戦者
:2006/11/07(火) 18:51:08
しゅんかんサン、 >、、、、。
御検足は、、、ご苦労様です、。 日蓮様の御真筆所要のベスト3に名を連ねる「本国寺様」でさえ、、「、、ガタガタ(日蓮的に、)、、」、、のようでしたか、?
真筆の曼荼羅を所有されていましても「、そのアリガタさを理解不能な方」、、にはムベなるかナ、、? と、、。
小生は過去、二度ばかり「真筆さま」をご拝見しました。 一回目は「、、ヤット、、周り道しましたが、遅くなってゴメンなさい、日蓮様、、!!」、、と泣きました、。
二回目は「、、一寸待てヨ、、ドーモ、、オカシイーぜヨ、、?」、、多少の余裕も出来たので、周りの雰囲気を見渡す度胸も得たのです、、。
それは、一般の観覧者が美術館、、博物館などでの「古代・中世の文物」を「見る視線」と全く同じに実感しました、、。
形式上の本物をうわべだけで拝んでも「日蓮様」の「お心」を体得して・体感・体現するのは、、「、、至難、、の難儀、、!!」、、のようです、、? えらそうに御託を述べて、ゴメン下さい、、。
2344
:
天蓋真鏡
:2006/11/08(水) 20:16:31
変遷【シャカ如来、法華等持院】【妙法華院、日蓮、仏彫像&漫荼羅&法華経、成仏得道、法華一乗、立正安国】【垂ジャク堂・御影堂・本堂、日興・石川】【日目・南ジョウ】皆成仏道
2345
:
とんび
:2006/11/09(木) 00:17:37
先の発言の付随しての発言です。
太陽の光に感謝する人は、多いでしょうが、地球の重力に感謝する人は、少ないだろうな...
とも感じたり。人類は、大気のオゾン層などによって守られないと、生きていけないと思います。
また、大地があるから、守られてもいます。
地球は、自転しているので、重力がないと、大気圏外に、飛ばされてしまうのだろうと...。
確か、かなりなスピードだったと、思います。われわれ人類の動いているスピードは。
それに、地球は、公転しているし、きっと銀河も回転しているでしょう。
海抜0メートルに住んでいる人より、海抜2000メートルに住んでいる人の方が、より光速に
近いので、老化が遅れる・長生きする...という理論があったと思います。
余談でしたが、私たちは、様々なものに助けられて生きているのだなと感じます。
2346
:
再挑戦者
:2006/11/11(土) 18:29:25
失礼します。
私事ですが、今般、実母が88歳で永眠しました。
小生の希望の「星」、、でした。 苦しい時、悲しい時、、「、、それなりに元気を」、、モライました。
ただ、残念は、、晩年の認知症ぎみからの救済が出来なかった事。
幾度かは「、S会の欺瞞性」を説得しましたが、日ごろの「聖教」に洗脳され他者の意見を聞きませんでした。
逆に、小生のオチコボレ人生ぶりを小バカにしていました。
ここで一句、、「、、涙拭く、青いハンカチ、、出しずらい、、。」、、「、、意地だけは、維持したいが、トホホ、、なり、」、、。
、、、トホほ、、かな、、。 アホのツブヤキ、、でした、、。
2347
:
再挑戦者
:2006/11/11(土) 18:49:59
続、、、。
実母は実妹と同居していたので一番イヤラシー、、「、、友人葬、?、」、、とかの僧侶不在の葬儀でした、。
小生は、とてもとても参加・出席する気持ちがもてず「、欠席中、、」、、しました、、。
これは、「、、家庭内の宗教の戦争、、」、、が勃発した、と思います、。 悲しいが、現実です、。 トホホ、、。
2348
:
犀角独歩
:2006/11/11(土) 23:11:49
再挑戦者さん
謹んで、御母堂様のご逝去を悼み、お悔やみ申し上げると共に、ご冥福をお祈り申し上げます。
2349
:
しゅんかん
:2006/11/13(月) 00:33:44
再挑戦者さん、はじめまして。
お母様のご逝去を悼み、謹んでお悔やみ申し上げます。
2350
:
再挑戦者
:2006/11/13(月) 19:27:38
、、、面目ありません、、お心遣いに深謝致します、、。 悔しいですが、これも厳しい現実のようですか、、。
諦めずにジリジリ進むことが、アノ化け者某会への打撃になると信じたい、、です、、。 ゴメン下さい。
2351
:
再挑戦者
:2006/11/25(土) 21:40:25
、、、失礼します。 今般得ました資料ですが。 「経のうちの肝心は題目におさまられり、、」に関しての考察です。
「、、日興門流の唱える題目は”旧来の法華経の題目”ではなく、本門かつ本因妙の”久遠初自受報身の所持するところの久遠名字の妙法”である、、とか、??、、この題目こそが、末法の荒凡夫である
我我衆生衆生を成仏”せしめる大法である、本門の題目として示されたのである、、。」、、、
、、皆様、諸賢さまはいかが御考察・検察でしょうか、、?
自愚考では、オイオイ、、!!、、、一寸、、お待ち、、お待ち下さいませ、、。、です、、。 題目には「格差問題と差別問題」、が存在だったのでしょうか、、?
本当に難儀で御座います、、。。。。。
2352
:
再挑戦者
:2006/12/09(土) 20:00:50
愚考ですが、家庭内宗教戦争継続の中、母の葬儀の写真が送付されて来ました。 驚きました。 位牌は紙にワープロ印刷して木製の位牌に貼り付けてある様でした。
棺の右側はガラス扉が有るとうでした。 奉掲本尊は紙にて遮断されていました。 これが「家族葬・友人葬」なる実態のようです。 また、墓地埋葬は12月〜4月の間は冬の期間で一切の参拝・墓参は不可(北海道・厚田墓苑関係、)との事でした。
紙を貼り付けた「位牌」、冬は墓参をさせない、、とは、、正しく、、信者を無視・軽視した一点が際立つ「、ボッタクリ宗教の闇事情、?、、」、、でしょうか、? トホホ、、。
2353
:
しゅんかん
:2006/12/18(月) 19:47:26
再挑戦者さん、お久しぶりです。
少しは落ち着かれましたか?
ここよりつぶやき。
私の家族{(認知症の母)姉二人、兄一人}は私以外、全てS会員です。
私、以外の親兄弟が無くなった時の葬儀様式の未来像。
{私は今のところ宗教をしておりません!ひょっとすると私の葬儀様式も?
あら!恐ろしや}
私は宗教に学がありませんから家庭内宗教戦争には至らない(願望)とは
思っています。(姉兄に相手にされなし、私自身、反論が出来ない)
ですが法華経を読誦し僧侶不在の葬儀は経験がないので違和感が有りますね。
自我が不安定になります。
何でも有って感じですね。
真さに人間です、人間の成せる技ですね。
2354
:
再挑戦者
:2006/12/21(木) 18:45:08
しゅんかんサン、ご機嫌のほど、御麗しゅうございます、、。
人生、、人の間の生活には、、トホホ、、が多いような昨今でございます、、。
小生も、寄る年波には負けます、。 昨日も今日も、、、、自分の「死」、、にかんして思う時間が多くなりました、、。 決して、自らが希望して、望んでの”生”ではないが、一概に親をを攻めることはには抵抗を感じました、、。
思うに「、、頼みもしないのに、生みやがって、、!!」と反抗したりもしましたが、、今は「、、頼みもしないの、、”虫(昆虫)、、牛・ブタ・鶏などの被肉食家畜動物”」にも生誕可能は否定は出来ませんようです、、?? しかるに、現生の我らの死亡率は999.999%のようです、、。 今後、自分なりの「、、生、、死、、」、をどのように捕らえ、マットウするのかは、、??? です、、。 各自の現生の、一応の死後は、一体どんな世界に追誕してドンナ動・植物にに連続・生誕、、するのでしょうか、、?? 心配でもあります、、。 愚考でした。
2355
:
しゅんかん
:2006/12/23(土) 00:17:27
人生は人が創生したようですね。(私は肯定派です、仏法で言う末法は?)
人が作った世ですがこの世は人に住み難いようです。
(なんだか漱石の草枕の文頭のようですが)
此れも人は現実を現実と見ることが出来ず現実と密着していないからでは
ないでしょうか。
人が言うところの高等動物(よりホモサピエンスに近い)と定義しているもの程ど
現実から乖離していて、人が言うところの下等動物と定義されているもの程ど現実と
密着している様に思われます。下等動物と定義されている彼らは(彼らと会話をした
事が無いが)本能のまま生きている様に思われるからです。
人には自我と言う物が存在します(人の驕り昂ぶりにより)
より人から見て下等と言われている動物の程、本能のまま生きている様に思われます。
本能と現実は密着していると思われます。
人は未熟児として生まれ(此処で言う未熟児とは一般に言われる未熟児ではなく
全ての人をとらえています)本能が壊れているのだと考えられます。
下等動物な程、生を受けて直ぐ地球上の環境に適応出来るが、人は人生の先輩の
手助けなしには、多く見積もっても一週間と生きられないのではないでしょうか。
2356
:
再挑戦者
:2006/12/23(土) 20:00:49
しゅんかん様。
誠に示唆に溢れる御指摘はとても勉強になりました。
先々のことは99%ほど意味・不明の一愚者ではあります、、。 ただ、「法華経・如来寿量品第十六の中で、、」、、「、、諸善男子 如来見衆生 楽於小法 徳薄苦垢重者 為是人説 我少出家、、、」、の聖文からも伺えるますのは、、ヒトは「難儀な苦労はしたくない、、少しでも楽をしたい」、という本音が存在のようでしょうか、?
その一点から、・、各方面の利害関係者らが、ウブな、?、、信者を、? 獲得しようと画策・欲望のダマシの入り口に、、??、、なるようでしょうか、、? 無防備の我々などは、レベルの低い、マヤカシの「、、小法、」、にさえいとも簡単に執着してもその意識すらも不感症の症候群にドップリでは御座います、でしょうか、、? 難儀な、、世の中ではございまするが、、?? 愚考で失礼、。
2357
:
ワラシナ
:2006/12/29(金) 10:10:57
「思い出すア先生指導」
0、ア先生の指導で忘れられないのは、1993年国連ボランティアだった中田厚志さんがカンボジアで殉死された事に触れた時のものだ。
1、「ボランティアなんかやっても無駄」といったア先生がはなからカンボジアを見下していた事は、その教義解説書に明らかであった。そこには御自身の小乗仏教観から東南アジア諸国の国民性を一様に「、、その無気力」などと精神的廃疾者のように決め付けた上で「それらは小乗仏教の害毒を如実に示すものである」などと書いてあったからだ。
だが、見た感じで言う。新宿周辺のパチンコ屋で早朝から行列待ちしていた人々のかなりが賭け事熱中体質のやる気満々の東南アジア系と言われていてとても無気力には見えなかったのである。
反対に、その新宿駅を西に六箇所ほどずらした駅あたりで線路に飛び込む邦人がいたりして大変お気の毒なのであるが、うわさでは株で失敗してしまった人が多い、と聞いた事がある。これなどもしア先生の言う通りなら「大乗仏教の害毒を如実に示すもの」と言えようか(!?)。
2、ところで、国連から明石さんが行ってそこそこの使命を全うされたのだったが、ア先生は根底が見下しているから否定的にしか見ていないのも明らかだった。和平が実現したことを素直に喜ばなかった。自分が期待する見通しの正しさを実証する為に内戦の再発を期待しているかのようだった。
その本音を意地悪く推量すると、「カンボジアに平和なんか生意気、早すぎだ、もっと殺し合っててくんなきゃこっちは困るんだ、何故かと言えば、もっと殺し合いが続いてくれれば言えた筈のお好きなセリフ「いずれ日本もあーなる」が言えなくなってしまった悔しさ」から来ている気持ち、、に見えた。
「第一、立正安国抜きの平和が実現してもらっては正宗信者の立つ瀬がない」とでも思っているようなそれにも見えた。確かに東洋の民の平和と幸福の実現を願わないわけではないけれども日蓮正宗信仰抜きのそれが実現されてしまっては(繰り返すが日蓮正宗信仰流布の暁にこそ真の平和が招来されると標榜している我々信者の)立つ瀬がない、との思い込みからきているのも明らかだった。
この思い込みの強さを見せ付けられると、信者にとっては信者以外の世界の平和と繁栄は忌むべき対象らしく、輝かしくも奇蹟的に招来されるべき立正安国実現のその日に至る迄は、世界は一層の不幸と悲惨で覆われるべき、とでも願っているかのように見えた。
3、確かに、多くの真面目な信者は世界の惨さに対して素直な同悲苦感情から布教による救済を志しているのだが、素直な同悲苦感情におぼれるだけではなく、このような或る懲罰感情めいたもの(一凶的罰論?)も同時に働いていると思うのである。
きっとその感情が強度になって、世界中が日蓮正宗信仰(むしろ顕正会信仰と言うべきか?)流布の国々になる迄は、世界では暗黒と悲惨だけがふさわしく思われてくるのであろう。決して偶然の不幸発生を認めず、万事に信仰中心の因果付けをしなければ気がすまない心理になってくるのであろう。
4、だが、上で触れたア先生のように自ら依拠する信仰基準から他人の幸福にけちをつけたがる心情は自分にもあるし、これをもってア先生をどうこう言うつもりはない。
「悲惨ですねええ、だがこれらはいまだ序分、みててごらんなさい、いずれ、日本も、あーなるとわたくしは思っております。」式のア先生指導が苦々しく思い出されただけなのだ。、、同時に、今も題目三唱の二回唱えをやってるのかなああ、と言う事も。(h18/12/29)
2358
:
再挑戦者
:2006/12/30(土) 21:38:29
ワラシナさん、、。
示唆に富むご意見と思います。 ヒトが沈黙することは、結局は、何回でも誤り、失敗を繰り返すと遠因になるようです。
今、IT時代、一人一人が自由に発言==言いたい事を遠慮もせずに「言える」、、アリガタさを実感します。
今、格差の拡大が心配です。 時に、貧しい子供や大人も世界中に増加しています。
貧しい方に「、食べ物、衣服などの提供、、??」、は本当の援助?では無いようです。
「ヒトは勉強を通じて、人生を切り開いて行く」ようです。 その為、途上国に50学校もの寄贈した方もいます(日経12月28日夕刊)。 レノンの奥方のオノ・ヨーコ氏です。
与えるどころか「貰う、、欲しい、、」、ばかりの御方と比較しましてもドヒャッ、と感じます一件、かと思います。 愚思でした。
2359
:
パンナコッタ
:2007/01/05(金) 15:20:42
”正月の一日は日のはじめ、月の始め、としのはじめ、春の始め。此れをもてなす人は
月の西より東をさしてみつがごとく、日の東より西へわたりてあきらかなるがごとく、
徳もまさり人にもあいせられ候なり”
以前、彰往考来さんが過去スレで幻日について紹介して下さりましたが、この正月にも
結構見られたようですね。
http://www.gifu-np.co.jp/photonews/?p=07010501
http://www.topics.or.jp/News/news2007010304.html
http://www.shinmai.co.jp/news/20070101/KT061231FTI090003000022.htm
2360
:
犀角独歩
:2007/01/05(金) 17:18:36
『立正安国論』の「仁王経云…其国土中有七可畏難…日月失度時節返逆或赤日出黒日出二三四五日出或日蝕無光或日輪一重二三四五重輪現為一難也…」辺りを引いて、浅井さんが、はしゃぎそうでいやですね、せっかく、きれいな自然現象なのに。
2361
:
しゅんかん
:2007/01/10(水) 22:56:58
は宗教学、私宗門学はまずもって理解を致しておりません(難し過ぎます^^;)
が、家庭の事情及び指摘見解上。石山並びにS会に再接触を(主に石山。学会はメディアのみ)
致しております。(学会二世ですが活動だ一切経験無しで、約30数年一切接触無し)
此処、数ヶ月こちらにお世話になって確信に至った事は、石山は他の日蓮宗とやはり違うな、
と言うことです。何時頃?何処から?誰が?何を?は多く議論されていますね。
大変欺瞞に満ち溢れている事でしょう。(今般の情報社会の賜物によるものかもしれませんが)
ですが、上古より石山も他門と接触をもた無ければならなかったはずです。
どうしてすぐばれるような嘘を言い始めたのでしょう。
何故このようなつじつまの合わない、事を起こすに至ったのでしょうか?精師、寛師ともあろう御人が?
私は此処に引っかかります。
地球上における(資本主義国家が指すところの)危険因子。
国家(自治体、団体)における危険因子。
家族内における危険因子。これらはこの存在が在る事によりそれら国家及び個が維持出来ているの
だと言う学説がありますね、バランスがとれているのだと。{俺ら(善良団体、人)だって何時も何時も
良い子ちゃんでいたくはない、爆発もしたい。(これは無意識の領域のことです)}
彼ら危険因子がわれわれの鬱積している物(欲求不満)を開放していてくれているのだと。
彼らを生み出したのは彼らを批判しているところの者だと。
必要悪なのだ、彼らが居なければ成り立たないのだと言う論理です。
2362
:
しゅんかん
:2007/01/10(水) 23:06:23
訂正
誤、は宗教学、私宗門学
正、私は宗教学、宗門学
誤、指摘見解上
正、私的見解上
2363
:
顕正居士
:2007/01/11(木) 05:06:07
大石寺のカルト化は直接的には大石日応からです。明治の終わり頃ですね。
「すぐばれるような嘘」は、相手が要法寺や北山で、すぐばれる嘘仲間だからです。
つまり今と同んなじなんです。
国会図書館のデジタルアーカイブにその頃の基本資料があります。
独学徒さんのサイトから行けますよ。
2364
:
再挑戦者
:2007/01/11(木) 21:19:08
横から失礼致します。
ウッム、と感じましたが、奥行きの深い御提言と思います。
要法寺、北山様の件につきましても示唆が深いようです、。
小生の独断をお許し戴ければ、、、。
日蓮さま在世の時に、京都界隈に御信者がどのくらいおられたのでしょうか、、?、、。
と、申しますのは、真筆本尊の現存在の数ですが、京都周辺の日蓮宗寺院関連が多いようです。
信者の数と供養者数に比例されての「下付」を日蓮さまは実行されたでしょう、。 ならば、富士山周辺〜千葉周辺などの信者への真筆下付が中心でしたでしょうか、?
それらの下付された方方がお亡くなりなりました後は、?
それなりの関連の重い方向の寺院に返納された、でしょうか、?
その後は、京都方面に数十回も意見具申したと??讃えられています方もいますようです、。
現今、大阪の堺=妙国寺さまが真筆さまを非公開ながら「 売り、、」、に出されて、身延本部がアワテ・フタメイタ噂も御座いました、。 話半分に致しましても、、寺院の経営に苦慮・苦闘が押し寄せれば、キレイ事ばかりでは座して餓死しか無いようです、。
宗教と言えど、これを支える誰かさんが存在せねば経営不振になるのは道理でしょう、。 メシの種に???、、かが存在は??しませんでしたでしょうか、? 愚問でした、。
2365
:
再挑戦者
:2007/01/15(月) 18:06:56
、、、、、懸念を捨てられないのは??? 何か?? を思いたいですが、、。
保田の真筆本尊さまが、北山様から、何らかの策略、、??で 回りまわって、、千葉のド田舎に到達とは、、????
是に類推いたしますと、、旧信者からの返却真筆本尊は、、どのような経過を辿ったのでしょうか? ?
マサカのマサカ、、?? 日目様の「天奉」と言う、数十回の京都詣でが、、俄然、、疑問視が、、?? 有るかも、?
2366
:
再挑戦者
:2007/01/15(月) 19:39:10
、、、うそ仲間の中心は、、??? どこの、、?? どなた様、、でしょうか、、???
2367
:
再挑戦者
:2007/01/22(月) 19:17:34
悲しい 、、 厳しい 、、 はかない 、、 当時 の醜い 欲望 、 と継続 ?? の シガラミ 、、
などが、、 存在 したので 、、 しょうか ,、、、??
2368
:
しゅんかん
:2007/01/27(土) 17:50:09
〇富士宗学要集、堀日亨編纂を手にしたく現在の発行元である聖教新聞社に問い合わせました所
絶版で現在の在庫のみの供給に成りますとの事で(聖教新聞社版4.5.7.8.9巻)を入手しました。
ここで?と思った事なのですが、この様に歯抜けで無くなるものか?1.2.3.6.10巻に
(勿論、単巻売りなのでありえるのですが)
記されている内容は如何ほどの物なのか?私が手にした全5巻は上記巻よりも見劣りするので在庫
があったのかと思っていたのです。こちらの掲示板で情報を頂き現在の未入手は3巻のみとなりました。
そこで1.2.3.6.10巻は本当に出荷されて在庫無しとなったのでしょうか?
1.2.6.10は古書で学会版です(10は実家にあり、他はネット古書店で入手)
まだこの書を実際に読んではおりません(他のメディアから得た情報です)が、
出版社の故意によるものとは考えられないでしょうか?私の感じた事を以下に記します。
●1巻、2巻本尊写は貫主のみの的な文面
●6巻、仙代問答の方便品読不読
以上なんですが1.2.3.6.10巻は出版社にとって不都合とは私の考えすぎで
しょうか?(3.10巻は未確認です)私の考えすぎですかね。
説得力不足も否めません、独り言です。すいませんでした。
2369
:
れん
:2007/01/27(土) 19:13:11
しゅんかんさん、取り敢えずは、別に現在の出版元には意図はないと思いますよ。
私も、かつて学会に所属していたとき、(平成10年ごろに)富士宗学要集を購入しましたが、当時すでに売れきれ(在庫切れ)があって、聖教新聞社版で購入出来たのは2・3・4・5・6・7・8・10巻で、あとは東陽堂書店あたりで出るのを気長に待って、欠巻を補いました。
2370
:
独学徒
:2007/01/28(日) 02:15:10
しゅんかんさん、はじめまして。
当方HPをご覧いただいていますこと、厚く御礼申し上げます。
ありがとう御座います。
どうぞ談議所の方にもお越し下さいませ。
富士宗学要集の絶版に関しては、私もれんさん同様で、特に深い意味は無いと思っています。
残すところ3巻のみとの事ですが、古い昭和30年代の富士宗学要集刊行会編のものでよければ、余分にありますので差し上げます。
箱なしで、鉛筆・赤鉛筆での書き込みなどもあり、状態は良くありませんが、読むには差し支えないと思います。
よろしければメールにてご連絡下さい。
http://fujikyougaku.fc2web.com/renraku.html
ともに冨士教学の再点検をできれば幸です。
2371
:
しゅんかん
:2007/01/28(日) 15:44:13
れんさん、独学徒さん、有難うございます。
浅学者の愚考でした。
2372
:
しゅんかん
:2007/01/28(日) 16:03:30
独学徒さん、お気遣い有難うございます。
まだ購入に要した期間が約二ヶ月ほどです、もう数ヶ月頑張ってみます。
それでも無理な時はご連絡いたします、その折にはよろしくお願い致します。
2373
:
犀角独歩
:2007/01/28(日) 16:10:57
れんさんの仰るとおり、意図はないでしょうが、しかし、富要の内容は、それはたしかに創価学会にとって、都合のいいものなど、何もありませんよね。大石寺とそこの本尊、坊さんがいちばん正しいという内容ですから。
松岡さん辺りは、日寛で完成する一切が日亨氏によって公開されたから、万人に開かれたと言った調子ですが、結局のところ、石山の相伝というのは以上のような性質のものです。他人の財産目録をいくら眺めても、金持ちになりません。石山の相伝を分で読んだからといっても、それは他宗の話です。創価学会とは何の関係もありません。単に勝手に石山・日寛本尊と教義を使っているだけです。
やるわけはありませんが、石山が牧口さんの『価値論』とか、戸田さんの『生命論』を勝手に出版して、正統はこちらにありと言うのと、何ら異なりません。やるのは勝手ですが、意味をなしません。石山本尊と教義と坊さんと何の関係もない創価学会が、そこの本尊と教義を使うことは結局他家の財宝を数えるのことならないでしょう。
日寛以降の本尊と教義は、「戒壇本尊」と、唯授一人の絶対性を強調することがすべてです。この戒壇の本尊とも、唯授一人とも何の関係もない創価学会にとって、これを説明する富要の記述はしかし、まったく不都合でしょう。
不都合というより、富要は「不要」でしょう。
よって、増刷、再版の必要なし、消えるに任せるという、『折伏教典』『創価学会入門』『人間革命』などと同様の扱いになるのでしょう。
日寛の記述が石山の絶対性を鼓舞している部分を捨て去って、都合のいいところだけ切り張りし、それを学問の世界でやるとすれば、まさに語るに落ちる愚挙というほかありません。
『創価学会の神話』と言ったところです。
いきおい「不要」からはみ出ました。
2374
:
独学徒
:2007/01/28(日) 21:55:05
しゅんかんさん、
>もう数ヶ月頑張ってみます。
わかりました。
先にご案内したとおりの状態ですので、きれいなものが入手できるならその方がいいと思います。
もしもの時は、どうぞご連絡下さいませ。
2375
:
再挑戦者
:2007/01/29(月) 19:43:03
横から失礼ですが、、。
諸賢様の御検察には御憧憬のいたりで御座います、。
今、 残念、、、かつ 遺憾 に思いますのは、夏季の二点です。
1: 日蓮真筆本尊の釈提桓因大王を帝釈などと間違うような方もも居ました。
2: 戒壇を特に開秘を許すともったいぶっての、登山を企画・運営した中心者もいます、、。
、、、このような方が、 はたして 999% 以上の確率 でもって マトモ まとも MATOMO な方 と言える ので しょうか、、。 トホホ、、。
2376
:
ラキ
:2007/01/31(水) 02:42:50
妙観講の樋田昌志さんのHPにて「犀角独歩 氏の邪難を粉砕す」と言うページがありました。
http://toyoda.tv/saikaku.hasyaku.htm
「TOPページ」
http://toyoda.tv/
2377
:
犀角独歩
:2007/01/31(水) 08:34:14
らきさん
読みました。ぜんぜん、破折になっていないですね(笑)
まあ、何を言うのも勝手ですが、肝心の図形鑑別部分については、何も言えずじまいになっていますね。
「本門戒壇の大御本尊は本物だ」と拳を振り上げた手前、いつまでの模造品を本物だと言い続けなければならないのはかわいそうですね。
贋作を掴ませるというのはこういうことです。
近代、日禅授与を原本にして造った模造品を、「日蓮大聖人が」と言っても始まらないでしょう(笑)
なお、細井さんの言動については、ちょうど、昨日から書いていたところでした。ブログにアップしました。
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/?blog_id=469468
浅井さんもそうですが、他人の前では威勢がいいんですが、何故かわたしには直接、何も言ってきません。
大石寺彫刻本尊については、日教研の発表の折、大石寺からも数人が来、その中で高橋粛道さんも聞いてくださり、何ら反論もなかった。その後、特に何も書いていないようなので、大石寺としては、これを認めたと、わたしは判断しています。
妙観講は、その大石寺の一在家団体に過ぎず、樋田さんというのは、そこの一部員…、この人、妙観講ですか? ともかく、信者の一人に過ぎません。わたしに文句があるのであれば、自分の指導教師の許可を取って、大石寺の代理人として、彫刻本尊と大石寺蔵の日禅授与漫荼羅の写真をもってくればいいだけのことです。
いずれにしても、一信者がどうこう段階はとっくに過ぎています。
大石寺が公式見解として、「本門戒壇の大御本尊」の原本の真偽考証、さらに彫刻造立課程、さらに!、大石寺持仏堂本尊の贋作であった点に関して、弁明をする段階です。
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/50865483.html
信者として、信じたい気持ちがあり、自分の信じているものを養護したい気持ちはわかりますが、気の毒というほかありません。
なお、ブログでも引用しましたが、細井さんは以下のようにいっています。引用の方は、この細井さんの教えに違反していますね。
「本書(板本尊偽作論)が既に公明なる求道心から出発したものではなく、全くの感情的な悪意によるものであるからである。かかる悪言は修羅界の徒の致すところであって、真摯(しんし)なる仏教者の口にすべからざるところであるからである。
凡そ宗門間の論争は飽迄(あくまで)清浄なる道念に立脚して教義の邪正を決し、仏教界の進展に寄与せしむるものでなくてはならない」(P2)
2378
:
犀角独歩
:2007/01/31(水) 08:53:52
ついでにブログにアップしなかった細井さんの言を挙げれば
「一宗をかけての邪正の論議決定の時であるならば明確に教えるのは意義がある、その時までは言はないことにする」(悪書「板本尊偽作論」を粉砕す P13)
ちなみに、この本が出たのは昭和31年、前年に小樽問答がありました。
本来、大石寺が日蓮宗と法論をするはずだったのに、創価学会に肩代わりさせ逃げてしまった翌年のことです。
これまた、威勢はいいですが、こんなこと言える立場か、というところです。
しかし、ここに「一宗をかける」と言っているのですから、自分たちの日蓮・日興両方の板本尊が贋作であることが白日の下に晒されたいま、‘教えて’くれるなら、教えてもらいたいものですね。
在家信者に肩代わりさせて逃げてしまうか、何も言わず、嵐が去るのを待つかどちらかでしょうか。いずれにしても、大石寺の公式見解を聞く段階です。
2379
:
犀角独歩
:2007/01/31(水) 12:09:02
ラキさんのために、ちょっと書いておきましょうか。
> 既に完膚なきまでに破折され尽くされている
既にブログで考証したとおり、細井さんの言うところは破折になっていませんし、「尽くされて」もいません。
> 此の説を見ると現存御真筆と称する百二十三幅によっている。此れ以外に御本尊がなければ此の説に一分の理がある。しかし若し他に何幅もあるとすれば其の御本尊が果して如何なる御書体であらせられるか、若し一幅でも此れに反するものがあれば、なり立たない説である。
これは一応、文面としては理屈は通りますが、ここまで言うのであれば、具体的に、どの大漫荼羅、どのようになっているのか挙げなければ反証とはならないですね。この義務を細井さんは怠っています。まあ、できなかったのでしょう。
> 然るに山中氏は石山関係の御本尊は全く含まれていないと言っている。
しかし、山口範道師の『日蓮正宗史の基礎的研究』のなかで、82、111、116は大石寺所蔵だと証しているわけです。
> 弘安二年の十月に於て両様の御本尊が存在しても不思議ではない。
これは机上の空論でしょう。その実際の例を挙げなければ、論証とは言えません。不思議でないのなら、実際の例を挙げればよいだけのことです。
> 御書体の変遷は厳格に日時を区切って御変え遊ばされたのではない事が明白である。
これはある程度言えます。
> 畢畢(つまり)或る時期に於ては斯様な書体が多いということは言い得るが、絶対的なものとは言えないのである。
これについては、山中師は123の実際の大漫荼羅を挙げて説明しているわけです。方や、細井氏は、単に想像でものを言っているに過ぎないわけです。これはお話になりません。反証になっていません。口だけなら何とでも言えます。
石山の遣り方はいつもそうで、図で示されても、想像憶測を言い、それが絶対であるかのように語ることで成り立っています。悔し紛れの言い訳に過ぎません。
> さて此れで安永君の第一節の説
ここで、挙げる安永氏の説は確かに、あまり参考になりません。
細井氏が反論したくなるのは当然でしょう。
> 御歴代上人が唯授一人・血脈相承によって御相伝され、御書写されるのは、御本尊の物理的・表層的な御相貌ではなく、戒壇の大御本尊様の”御内証”である。
得意の「内証」が出ましたね(笑)
そもそも内証というのはどうやって写すのでしょうか。
それを写すと書いてある内容が変わってしまい、それでも書写だというのはどういうことだというのが、こちらの質問です。この答えになっていないわけです。
> 御法主上人御一人の御所作に依られるのであり、犀角氏などの御相伝を全く知り得ない謗法者が云々できる領域ではないのである。
出ました。「謗法」のレッテル張り。口の悪い人ですね(笑)
まあ、わたしが「御法主上人」の相伝を知らないのは事実です。
しかし、反対に聞きますが、では、これを書いている当人は、その相伝の内容を知っているのでしょうか。知りもせず、書いているのでしょうか。
知っているのであれば、意味がありますが、知らなければ何とも言えないでしょう。
> 10月12日に大御本尊を御図顕あらせられた
そうですね。この日に細井さんは日蓮が日興と共同で本尊を建立したというわけです。それなのに、日興は、日蓮の許にいなかった。どうしてでしょうか。
> 妄弁者、犀角氏は、歪んだ自らの心を省みて、大いに恥じ入るべきであろう。
こういう汚い言葉を使う前に細井氏の『悪書「板本尊偽作論」を粉砕す』の冒頭の言葉を読みましょう。
それから、何より、図形でこちらは論証しているのですから、図形を持って反証しましょうというところです。
詳しくは、一信者が代表できるわけもないですから、わたしは大石寺の公式発表を望みます。
2380
:
犀角独歩
:2007/01/31(水) 12:21:35
補足です。
> 「熱原で法難が起こり、法華衆3人が首を斬られた。その事件に時を感ぜられた大聖人は、出世の本懐たる大御本尊を顕わされた」と書くのは、ごく普通のことであろう。
また第4世日道上人の『御伝土代』も、その趣旨で書かれたものに他ならない。
何で、『御伝土代』の原文を挙げないのでしょうか。
原文を出すと、困るのでしょうか。
「熱原の法華宗二人は頚を切れ畢、その時大聖人御感有て日興上人と御本尊に遊ばす」
‘畢’とは「動詞「おわる」の連用形に完了の助動詞「ぬ」の付いた「おわりぬ」の転〕多く動詞の連用形に付いて、動作の完了したことを表す。…し終わった。…してしまった」という意味です。
熱原の法華宗二人は頚を切られてしまった。その時(頚を切られたとき)、大聖人は感ずるところがあって、「(細井さんの言葉を使えば)日興上人と共に御本尊を建立」したという文章です。
また、「三人」と書いてきたのに、ここでは「二人」となっていることも原文を出すとわかってしまいますね。
文章のとおりでしょう。頚を切られたから感じ入って本尊と遊ばしたということです。
2381
:
犀角独歩
:2007/01/31(水) 12:59:23
これも書いておきましょうか。
『熱原法難史』に
「先師がかつて直ちに『聖人御難事鈔』の余は二十七年、この文を以って戒壇本尊(板本尊)顕彰(アラワス)の依文(タヨルブン)とされたようだが直接の文使はないようである」(P72)
堀日亨氏の文章です。
『聖人御難事』と戒壇本尊は関係ないと言っています。
こういうふうに、「歴代上人」が言っているのに、あんなふうに解釈してしまっていいんでしょうか。
あ、図形から見て日禅授与漫荼羅を原本とする臨模・作為した模造品ですから、こんな文章考証は不要なんですが、ラキさん、向こうの言い分に心が動いているようなんで、書いておかないと、反論できないと誤解されては困りますから(笑
)
2382
:
ラキ
:2007/01/31(水) 14:30:44
独歩さん。
解説ありがとうございます。
>ラキさん、向こうの言い分に心が動いているようなんで、書いておかないと、反論できないと誤解されては困りますから(笑
いやいや、心など動いてないですよ(笑)
板本尊が仮に本物であっても、「魂を墨に染め流し書きあらわして」て、文で、観心の魂の墨の部分が削られてないわけですから、魂の篭った本尊にならないと思ってます。
宗祖自身が彫刻でもしたなら別だと思いますが、隅に魂(心)をこめている大事な部分がないのですしね。
せめて、墨の部分だけ残す、浮き彫りならまだ、心が動いたかもしれませんが?(笑)
>何で、『御伝土代』の原文を挙げないのでしょうか。
原文を出すと、困るのでしょうか。
「熱原の法華宗二人は頚を切れ畢、その時大聖人御感有て日興上人と御本尊に遊ばす」
これは、ビックリです。
二人と三人では違いますね。
原文をだしたら、確かにおかしいとなってしまうから、調べる手段がない人には、効果的なごまかし方法だと思います。
2383
:
しゅんかん
:2007/01/31(水) 21:53:30
御内証と云う語が多くの処で引用されますが、以前からこの語義が解りません。
今回、論に上がりました樋田さんの説を読ませて頂き、(以前よりの考えも含め)
私なりに解釈したところを記させて下さい。
辞典に拠りますと
御内証= 仏語。自己の心の内で真理を悟ること。内面的な悟り。
表向きにせず、内々にしておくこと。外部には隠しておくこと。
また、そういう意向。内密。ないしょ。
>御歴代上人が唯授一人・血脈相承によって御相伝され、御書写されるのは、
御本尊の物理的・表層的な御相貌ではなく、戒壇の大御本尊様の”御内証”である。
1、貫主のみが「ないしょ」を操れる。
2、歴代貫主より内々に、一器の水・・・如く告げられこれは「ないしょ」ですよと。
3、下付曼荼羅は板曼荼羅の「ないしょ」である。
4、内証=上記の如く。内密、ないしょ、であるからとやかく云われる筋合の物ではない。
元より「ないしょ」と云っていると云われかねない都合の良い語である。
1=石山がそのように云っておられるので間違いはないですよね。
2=唯授一人・血脈相承・一器の水・・・ここまでして、「ないしょ」にせねばならない物って
仏教を実践する宗派に必要なのでしょうか。
3=内証は内密。ないしょ。外部には隠しておく事。ですからこれより連想されますのは、
非常に(大切Or恥)だから第三者(私、貫主)には知られない様に隠しておこう。
〇今回、樋田さんの説を読ませて頂いた感想をまとめますと。
>・・・戒壇の大御本尊様の”御内証”である。
〇下付曼荼羅=板曼荼羅の内なる物であって、本来外部に知られたくないものである。
叉、別の表現をすれば、大切で「ないしょ」にしていたい板曼荼羅の部分を顕したのが下付曼荼羅であるが、
捻くれた考え方の御仁は恥の部分を顕したと思われるかもしれません。
ですが、これも貫主さまの人徳の致すところにより顕していただいたのでしょう。
どっちにしろ、板曼荼羅より凄いと云うのが下付曼荼羅である。
2384
:
しゅんかん
:2007/01/31(水) 22:00:35
誤=(私、貫主)
正=(私、貫主以外には)
2385
:
佐賀県民
:2007/01/31(水) 22:45:57
島田洋七さんの「佐賀のがばいばあちゃん」という作品が大変高い評価を受けています。
とても素敵なお話なのですが、佐賀県民として一言・・・。
洋七さんは「すごいばあちゃん」という意味で「がばいばあちゃん」と表現してありますが、
佐賀弁で「がばい」は「すごい」ではありません。「すごく」です。
2386
:
犀角独歩
:2007/02/01(木) 14:12:23
2383 しゅんかんさん
なるほど、「内証」は「ないしょ」ですか。
内証は外相に対する言葉ですが、本尊書写に関してこの語が引用されるのはたぶん、日顕さんぐらいだと思います。
ただし、樋田さんは、引用の日顕さんの言葉を誤読しています。
樋田さんによると「御書写されるのは、御本尊の物理的・表層的な御相貌ではなく、戒壇の大御本尊様の”御内証”である」
日顕さんは、こんなことは言っていません。
「本門戒壇の大御本尊の御内証を拝してお写し申し上げ奉る」
ここで日顕さんは「本尊の御内証を拝」すると言っていますが、それを写したと言っているわけではないのです。石山で言う戒壇本尊は人即法の本尊である、つまり人に即せば日蓮である。しかし、日蓮というのは上行菩薩再誕という外用の姿である。内証の寿量品、深秘相伝から久遠元初自受用報身如来(南無妙法蓮華経仏)であると拝して、そのうえで本尊を書き写していると言うのが、文意でしょう。外に書かれたところが南無妙法蓮華経なら、内に証されたところも南無妙法蓮華経です。その内証を写したら違うものになるはずはありません
誤読されたのでは、日顕さんも迷惑でしょうね。
しゅんかんさんが仰るように、内証を写したのが書写漫荼羅だとしたら、「戒壇本尊」は外用を写したと言うことになる。では、「板曼荼羅より凄いと云うのが下付曼荼羅」という突っ込みにもなるわけです。
だいたい、わたしがサイトで記した趣旨すら、樋田さんは採れていない。
しゅんかんさんのご投稿を例に挙げさせていただければ、「母も私も家に有るご本尊さんは、本門戒壇の大御本尊の通りに当時の法主が書写したものだと思っていました」
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1014180269/2851
このような考えは、他の方もしばしば語るところです。
出入り禁止になった方ですが、「蓮祖の曼荼羅と相貌が違うのならば、偽曼荼羅です」と発言した現役学会員がいました。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1015575530/429
また、「
かなり多くの方々が、このように誤解しているわけです。
「そんなのは学会員が勝手に思っていることだ」という話をしたいわけではないのです。このような、誤解が多々散見できますから、故に「創価学会を含む大石寺系集団の信徒は、各家庭に下付される印刷漫荼羅本尊は板漫荼羅と相貌が一緒であると信じ込まされているようであるが、実際には違っている」とことわって、その真相を記したわけです。
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/itamandarasingi.html
2387
:
犀角独歩
:2007/02/01(木) 14:13:05
― 2386からつづく ―
それにしても、この樋田さんの発言は、北山の本間師との遣り取りで読み、顕正会員との遣り取りの録画見ました。弁も立つし、論理的に考えることもできる。それなのに、わたしへの批判は、まず、人格攻撃をし「謗法者の脳内は随分と固着」などと記すわけです。
このような文章は、わたしを貶しているつもりでも書いた人間の品性を悪く印象づける以上の意味はありません。細井さんの「既に公明なる求道心から出発したものではなく、全くの感情的な悪意によるものであるからである。かかる悪言は修羅界の徒の致すところであって、真摯(しんし)なる仏教者の口にすべからざるところである」に当たるでしょう。
ついで、答えられないところはすべてカットしているわけです。このような遣り方はカットした部分はすべて認めた・回答不能であることを意味することになります。だいたい、どなたからか、わたしのサイトの掲載文につき回答を求めれ、それに答えるのに答えられないところはカットしてしまった。これはつまり、回答不能、敗北ですね。
さらに細井さんの『悪書「板本尊偽作論」を粉砕す』を挙げていますが、この本自体、ブログで検証したとおり、まったく穴だらけで回答になっていません。
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/50871189.html
つまり、「日蓮正宗は絶対」という信仰上の罠にはまっているために、このような文章を検証することをしない思考停止状態に陥っています。
あれだけ弁舌が立つのであれば、模造品のためにその能力を使うのではなく、真実を語るために、その能力がよいのにと、その才能を惜しむものです。いまからでも遅くありません。懺悔するところに罪障は消えるというのが日蓮の教えですからね。
2388
:
犀角独歩
:2007/02/01(木) 15:54:53
【2386の訂正】
誤)内証は外相に対する言葉
正)内証は外用に対する言葉
2389
:
しゅんかん
:2007/02/01(木) 18:47:31
独歩さん、御ご教示有難うございます。
>「本尊の御内証を拝し」・・・
〇この部分が良く判りません。何時の頃から内証と云う物を語られるようになったのか存じませんが。
髷を結っている時代にも使用されていたとすれば多くの信徒は理解出来なかったのでは無いでしょうか。
内証=「ないしょ」とはせず(少し揶揄し過ぎたかも知れません)
内証=(仏語。自己の心の内で真理を悟ること。内面的な悟り。)を採用しますと、
>・・・大御本尊の御内証を拝し・・・
〇内証の意を当てはめますと
1.大御本尊の(自己の心の内で真理を悟ったOr内面的な悟りを得た)を拝し・・・は×
2.大御本尊を拝した処(自己の心の内で真理を悟ったOr内面的な悟りを得た)
と成りませんでしょうか?(この説も少し揶揄してますね)
石山は何時の頃からか自説がどうも辻褄が合わないなと自覚した、それを内証と云う
掴み所の無い物を持って来て多様しているのではないですかね?
どの様に突っ込まれても元より「内証と云ってるでしょ」と。
私自身が心の中でその様に悟り、感じ取ったのだと。
ただ、この様な稚拙な表現方法は御法主上人猊下ともあろうお方は述べられませんので、
内証と云っているのではないかと推察されますが。
2390
:
しゅんかん
:2007/02/01(木) 18:56:14
2389の続き
私はどうもこの名称にアレルギーが有りこの板を一度も拝見していませんでしたが
{クリックすると入ってしまいました(´`)}
>他五老方が書写したものも、現在の顕師の書写したものもすべて蓮祖漫荼羅ということになるでしょう。
あたりまえです。
〇ならばこのお方は仏具店等で身延派等が奉安する宗定本尊を祀られれば
良いのではないですかね、寛師曼荼羅は無い・・・など説明も要しないと思いますが。
>それを否定することは蓮祖漫荼羅を否定することになります。
不思議な人ですね、何故くどとあたりまえの事を声高に述べているのですか?
〇「>あなたがお感じになられないことは、ご自由ですよ」と、この様に一個人の権利を
認める様な事をおっしゃられていて於いて、「くどくどあたりまえ・・・」などと議論をして
下さっている、他者を愚弄する様な文を記すのはこの方自身の品位を下げる者ではなく、
この方の属している団体も同等と取られる事を理解されていないのでしょうね。
そもそも他者あっての議論ですから、相手を尊重すると云うものが根底にあって欲しい物です。
出入り禁止で、古いレスですし云ってもこの方には無駄ですか。すいませんでした。
2391
:
再挑戦者
:2007/02/01(木) 21:07:19
横から疑問です。
問題になる核心になるのは、、??、、でしょうか、、?
時代、、時代、の各人、が「、、書写、、」、するには、信者かた、と、身内寺内かたへの担保、?、かと、おもいます、。
後世の批判に耐えうるような「、書写、」、を、すべきでしょう、!!
それが不可なら、、マトモニに書写も出来ないようなオチコボレ僧侶、?、と、言えるかも、??
2392
:
犀角独歩
:2007/02/02(金) 07:06:26
2389 しゅんかんさん
> 何時の頃から内証と云う物を語られるようになったのか
天台の段階で、既にこの用法は見られます。
ただ、現代のような神秘的な用法ではなく、もっとシンプルです。
たとえば『止観弘決』では「經從外用故云明説 今從内證故名爲知」、我流でよく批正を受けますが、読み下せば、「経は外用に従う故に明らかに説くと云い、いま内証に従う故に名づけて知と為す」
いわば、外用とは外の向いた在り方で経をここに例を採り、それに対して、内証は心のなかで智慧で考え立証していった結果ほどの相対用法です。
日蓮の場合も、この筋に則っているようですが、経典の文字に表れる範囲と、心の中で思惟し立証した経典に相違を起きます。「内証の寿量品」といった用法です。経典の文字面で表れるところ(外用)より、さらに心中立証されるところ(内証)という分別論です。文上・文底、教相・観心といった対概念と一脈通じる用法です。
これが日蓮滅後に創られていく相伝文の段階で神秘化されていきます。
しかし、詮ずる所、本迹、一念三千、自受用身ということを証していきます。
ですから、用法の歴史から云えば、法華系では、1500年以上前から使われている言葉です。
>> 大御本尊の御内証を拝し
> この様な稚拙な表現方法は御法主上人猊下ともあろうお方は述べられませんので、内証と云っているのではないかと推察されますが。
しばらくわたしは日顕さんの仕事をやっていた経験があり、この人の説法を、たぶん、一般の信者さんのなかではいちばん聞いているほうだと思います。開観両抄のほぼ全編の説法を聞いています。その他、消息文も同じほどの時間聞いています。そんな経験から言いますが、実に明晰で記憶力もあり、頭に入っている経・釈・御書を縦横無尽に解し、立て板に水のように話す、非常に有能な弁者でした。まあ、それだけの才能ですから、本尊鑑識の目も確かで、「戒壇本尊」が日禅授与漫荼羅を原本にしていることを見抜けたのでしょう。神秘的な側面も有しますが、教学部長の時代から、ものの考え方は合理的な人でしたね。
彫刻された板の内証というと、何だか神秘的な話に聞こえますが、日顕さんは、そんな煙に巻くような誤魔化し論法はしないでしょう。
言っていることは、要は日寛の人即法という教理的な立場から、板彫刻に人本尊として生身の日蓮と拝し、その御意を内証という意味でしょう。証されるところは自受用報身如来の内証で、すなわち一念三千ということではないですか。『御義口伝』、日寛の教学で、伝・伝教の『秘密荘厳論』(日蓮の時代には成立していなかったと思います)を依拠とするわけですが、つまり、「一念三千即自受用身自受用身者出尊形仏矣。出尊形仏者無作三身云事也」です。(尊形(三十二相八十種好)を出たということは凡夫の姿ですから、ここで日寛は示同凡夫・日蓮を言うわけです。こちらは外用ですね)
2393
:
犀角独歩
:2007/02/02(金) 07:06:55
― 2392からつづく ―
この筋を拝して、本尊を写していると言っているのでしょう。
血脈相承という側面から言えば、「法水相承」というわけですから、外用・上行/再誕日蓮、内証・自受用身の「内証相承」も言っていいところですが、該当の説法では、そこまでは言っていません。襟度があります。
> 石山は何時の頃からか自説がどうも辻褄が合わないなと自覚した、それを内証と云う掴み所の無い物を持って来て多様している
この側面は確かにあります。先に記したように、創価学会という在家集団では、印刷本尊を有り難がって受け、これをいちばん根本の「戒壇本尊」を書写したものだから有り難いと信じてきたわけです。ところが、その書かれている内容が違っていた。書写というのは、略があり、また、意義、用途に従って、その書かれる内容が変わるというのは、これは石山ばかりではなく、日蓮門下一般の常識です。ところが、こんなことを知らない信者会員には通用しない。
そこで、引用された日顕さんの言は内証を写したとは言っていませんが、意味もわからない人々は、「内証を写したから同じにならない」などと筋の通らないことを言い出すし、苦しい言い訳に使ったと言うことでしょうね。
余談ながら、わたしがかつて日顕さんの仕事をしていた感覚で言えば「本門戒壇の大御本尊」を‘物理的’と表現しただけで、これはNGですよ。坊さんに怒鳴られたでしょう。生きておわす(生身)の日蓮大聖人と拝する信仰です。たぶん、石山の坊さんや、法華講員に「戒壇本尊の物理的な面」といったら「そんな信心のない、不敬な表現をするものではない」と窘められるでしょう。こんな説明では、日顕さんを弁明していることにはならないわけです。もっと、日顕さんの説法を知悉したほうがよい。まあ、しかし、日顕さん、その寺務を統括する内事部、さらに「日蓮正宗」出版発行の許可を出す教学部から、なんら許可を取らず、勝手に文章を書き、勝手に出版してきた書物なんかが、日蓮正宗の考えだと思うから、こんな軽はずみな石山のアナウンス、日顕さんとも違うことを言い出すことになるのでしょう。
… どうでしょうか、藤川さん。現役法華講員として、以上のわたしの説明に評論してください …
まあ、以上はかつて、法華講であった頃、宗務院内事部『大日蓮』編集室、並びに教学部から仕事を請け負っていた頃の、かつて自分に言わせると、そうなるというところです。
しかしながら、日蓮本仏を典型にする石山教学と、彫刻本尊が後世の捏造であったことで、それまで数十年に亘って、身命を捧げた研鑽と石山での仕事が泡沫に帰したことには、いまでも断腸の思いがあります。言辞に尽くせません。残念でした。しかし、事実を受け容れ、前に進むしかありません。
2394
:
犀角独歩
:2007/02/02(金) 07:12:59
【2392の訂正】
誤)天台の段階
正)天台学の段階
2395
:
ラキ
:2007/02/04(日) 02:19:33
節分ですね。
豆まきに落花生はどうしても馴染めません。
衛生上そして、豆まき後の掃除を考えての事だと思いますが、大豆の方が風情があって良いのにと思った1日でした。
御在世当時は節分に豆をまく習慣がなかったらしいとはじめて知りました。
落花生て古くから日本に来ていたんですね。
「本土へは宝永3(1706)年中国より伝播したが、栽培には至らなかったとされている。
しかし、江戸時代には「ナンキンマメ」の名称が残っており、すでに栽培されていたのではないかとも考えられるが、明らかではない。
一般に栽培されるようになったのは明治に入ってからである。」
参考「落花生の郷」から落花生の歴史。
http://www.nbn-jp.com/yachimata/histry.htm
2396
:
南京豆
:2007/02/04(日) 06:38:25
節分に欠かせない豆撒(ま)きといえば、煎(い)った大豆で、年齢の数だけ食べるのがわが家のしきたりだが、雪国では落花生を撒くというのを、本紙暮らし面の記事で初めて知った▼なんでも「殻つき落花生なら外に撒いて雪で濡(ぬ)れても食べられる」という北海道の開拓農家の知恵が、東北や上越地方に広がったらしい。関取の豆撒きで知られる千葉県の成田山新勝寺でも、撒く豆は大豆八百六十キロに落花生四百キロを加える。落花生が千葉県の特産品だからだそうな
(2007/2/3) 東京新聞 筆洗 から
2397
:
独学徒
:2007/02/06(火) 15:01:02
またしても法難?か、
「弥四郎国重」関連を投稿していた、『冨士教学研究会談議所』がなぜか表示されなくなっています。
???、何故でしょう?
2398
:
独学徒
:2007/02/06(火) 15:39:28
ひとまず別種の掲示板にて、談議所機能を移すことを検討します。
http://xbbs.knacks.biz/dangisyo
『弥四郎国重』関連より、上記掲示板にて再アップしました。
2399
:
天蓋真鏡
:2007/02/06(火) 16:32:58
既得権益と言う権力の魔性が起こさせる悪か? 日蓮が信じた信じさせたい仏法がシンプルイズベストであるので良かった。三国四師から来ていますけど。信仰の形から言えば、漫荼羅本意論で良いのではと思い考えます。
2400
:
独学徒
:2007/02/06(火) 19:36:27
お騒がせしました。
談議所の方が無事復旧したようです。
今後ともよろしくお願いいたします。
http://ip1.imgbbs.jp/read3/fujikyougaku/index.html
2401
:
しゅんかん
:2007/02/10(土) 23:10:59
静岡・女子高生ひき逃げ事件の日系ブラジル人。
彼の家の部屋と思われますが、彼が語っている後ろの壁面に
小さく神棚状でしたが十戒曼荼羅がはっきり確認できましたね。
厭ですね、現地で携わっていた報道関係の方の配慮が欲しかったです。
2402
:
しゅんかん
:2007/02/11(日) 00:47:05
訂正
誤−十戒曼荼羅
正−十界曼荼羅
2403
:
ラキ
:2007/02/14(水) 00:51:02
風塵社HPにて、独歩さんの反証に対して反証した文書がUPされてましたよ。
「犀角独歩と称する妄乱を憐れむ。(笑)」
http://otarunounga.hp.infoseek.co.jp/
2404
:
犀角独歩
:2007/02/14(水) 05:54:28
では、また、書きますか(笑)
2405
:
偶ロム偶ログ(別HN御免)
:2007/02/16(金) 13:56:12
>2404
独歩さん、煩わしいだけですよ。
反論とかする必要のないレベルだと思います。
言いたいだけ言わせておけば良いのです。
悪口雑言であなたを誹謗中傷する様をみて嫌悪しない人は少ないでしょう。
先方は日蓮正宗法華講の信徒とのことですが、どうせ自称です。
「逆誉め殺し」のパターンで、日蓮正宗を毀謗している自覚も無い相手です、自爆するに任せましょう。
日蓮正宗僧侶からの反論であれば相手にしても良いでしょうが、時間の無駄遣いは無意味ですよ。
独歩さんへの有効な反論はただ一つ、日蓮正宗のしかるべき僧侶が、鮮明な写真を公開することだけでしょう。
あ、写真といっても歴代の板ですから複数となるでしょうがね。
それにしても日正寺だかの僧侶は「指導」教師ではないのですかねえ。
たしか日蓮正宗の宗制宗規には、日蓮正宗の名誉を毀損したものは厳重処分の対象とする旨、規定があったはずですのにねえ。
それから、ラキさん、>2403は、私には煽りのように感じられます。
掲示板に書き込まず、独歩さんに直接メールして教えてさしあげれば済むことではないですか。
もっとも、私ならば、独歩さんを煩らわせたくはないので、そんなことはしませんが。
2406
:
きゃからばあ
:2007/02/17(土) 10:34:48
法太郎氏のサイトを見て感じることは
>札幌市の法華講員から問い合わせがあった。本門戒壇大御本尊に対する偽作論に対して意見が欲しいとのことである。
>この程度の低劣な痴論を直ぐに見破ることが出来ないのであれば、うかつな教学態度でありやめたほうが良いのではないたろうか、ということである。
とあるように同じ仲間の法華講員を完全に見下している点である。
この慢心が信仰者として、もはや失格である。
おそらく質問したこの法華講員は指導教師(僧侶)に問題の答えを聞けなかったか、その質問さえできない状況だったのだろう。
もちろん指導教師がきちんと答えていれば、このようなことはなかっただろう。
一日も早く大御本尊の疑難に対して、本山がきちんと、本物であることを立証すべきである。
花押以下の脇書きだけでも写真公開すべきです。
また裏に記されているといわれる「閻浮提云云」を明確にしてほしい。
それともうひとつ。
法太郎氏のように法華講員の中で教学を好み、それを武器にして他を攻撃する人々は、尊ばれているようだが、本当は僧侶達から邪魔にされている。それはなぜか?
僧侶達は御供養が好きなだけで、教学は嫌いなんです。
教学の質問をしてくる人も嫌いだし、教学のできる人も嫌いなんです。
さらに大御本尊の疑難は、本音は僧侶達自身が本山に聞きたいけど、聞けないんです。
つまり現状のままでは真偽の判定はできないのです。
ぜひ大石寺の重宝類を大石寺の総代方々のお力で明確にしてほしいじゃありませんか。
だいぶ話が逸れました。m(_ _)m
2407
:
きゃからばあ
:2007/02/17(土) 10:38:01
私自身は教学好きな人は大好きです。
もちろん法太郎氏だって…。
一緒に真剣に話し合ってみたい。
2408
:
きゃからばあ
:2007/02/17(土) 10:40:14
訂正
ここは「氏」じゃなくて「さん」でした。m(_ _)m
2409
:
ひきこもり
:2007/03/08(木) 20:47:20
私は人付き合いが苦手で、人間嫌いなのです。子供の時から家の中
で玩具で一人で遊ぶか、絵本や漫画を読んでいました。一人っ子な
ので大事に育てられました。幼稚園には在籍していましたが、祖父
母の家にいることが多く、欠席することがほとんどでした。
創価学会に入会したのは、中学3年の14歳の時です。学生部の時
には会合に時々出ましたが、家の中で勉強していることがほとんど
でした。
今悩んでいるのは、座談会に出ず、学会活動をしていないことに関
してのことです。一人で拝んでいても、幸福になれるのならば、家
からほとんど出なくてもいいのですが。
パスカルの『パンセ』には、人の不幸の原因は部屋の中で休んでい
られないことであると書いてあります。個人主義者として、人と接
触せずに、ネットで対話して折伏するのではいけないのでしょうか。
2410
:
れん
:2007/03/12(月) 11:53:35
富士門祖白蓮日興師・重須談所二代三位日順師の古写本が北山本門寺に現存する文永十年八月三日付けの宗祖遺文の南部六郎三郎殿御返事に「但仏滅後二千余年三朝之間数万寺々有之、雖然本門教主寺塔、地涌千界菩薩別所授与妙法蓮華経五字未弘通之。有経文無国土。時機未至故歟」「所残本門教主・妙法五字、流布一閻浮提無疑歟」とあります。ここに述べられた本門教主・寺塔・妙法五字が後の法華取要抄や報恩抄で説かれる本門三法門の原型であると愚考してます。観心本尊抄を書かれてから四か月程で、三法門の原型が示されるのは注目されるところです。特に南部六郎三郎殿御返事に「本門教主の寺塔」(この“寺塔”に戒壇は含まれるでしょう。寧ろ寺塔の象徴として戒壇が示されるのかもしれません)とあるところから、日興並びにその門下が建立を念願した“本門寺”構想の一つの源流と言えるのかもしれません。
2411
:
犀角独歩
:2007/03/16(金) 14:48:03
れんさん
興味深い資料のご呈示、有り難うございます。
わたしは、『本尊抄』述作の段階で、日蓮は三法門に考えが至っておらず、本尊と五字で戒壇義を存していなかったと考えてきました。
しかし、この点について、果たしてそうなのだろうかと反芻しています。
観心本尊という名目は、そもそも教相に対して観心から論じているのであって、その心を観る話題で、現実の国家に建てる戒壇は埒外であるわけです。
本尊抄は、まず教相面から本尊を考え、これを五百塵点成道釈尊とします。ついで、さらに己心達観を通じて「我等己心釈尊五百塵点乃至所顕三身無始古仏」といい、この観心面からすれば「経云 我本行菩薩道所成寿命今猶未尽復倍上数等云云 我等己心菩薩等也 地涌千界菩薩己心釈尊眷属也」といいます。
さらに「妙楽大師云 当知身土一念三千 故成道時称此本理一身一念遍於法界等云云…今本時娑婆世界離三災出四劫常住浄土。仏既過去不滅未来不生。所化以同体。此即己心三千具足三種世間也」
常住の浄土であると言い切ったうえに、では、戒壇建立など考える必要があるのかという疑問は成り立ちます。
以上の点を考えるうえで、先に問答さんとは議論をしましたが、わたしどもが習ってきた教学というのは、教相観心において混乱があるのではないのかと、わたしは整理しました。
つまり、久遠五百塵点成道釈尊とは教相の本尊であり、そこで上行等所伝される妙法蓮華経五字、そして、建てるべき戒壇という三法門は導かれます。
しかし、さらに観心の本尊と進めば、それは娑婆即浄土の国土世間・所化同体の一念三千、つまり、妙法蓮華経が観心本尊であるという教学場の整理を、日蓮は存しているのではないのかということです。
故に、そして三法門から建つ戒壇院(堂)安置本尊は妙法五字の漫荼羅ではなく、一尊四士となる。しかし観心本尊からすれば、法華経の題目こそ本尊である。では、ここに勝劣があるかといえば、それはなく、教観の異なりなのではないかということです。
教相観心本尊の混乱が、教義理解の妨げとなっていると考える昨今です。
2412
:
れん
:2007/03/17(土) 20:19:56
犀角独歩さん
愚文に対する重厚なるコメント痛み入ります。
観心本尊抄の流通段に「上宮、四天王寺…阿弥陀他方」「聖武天王、東大寺…花厳経の教主」「伝教大師…東方の鵝王」と示して、地涌千界が本門の一尊四士を建立する事が述べられておりますから、内意としては既に観心本尊抄の時点で地涌千界が建立する寺塔とその寺に安置する一尊四士(本門本尊)が示されていると言えるのかもしれません。
私があの三法妙図から得る感触では本門(教相)の本尊は久遠実成釈尊、観心本尊はその久遠実成釈尊の心法妙の直体とされる法華経の題目で、飛躍していえば本門本尊は色法で観心本尊は本門本尊(久遠実成釈尊)の心法であり、色心(教観)二にして不二という関係ではないかと思います。仏法妙・衆生法妙具足の心法妙(題目)を受持することにより、凡夫の己心にも久遠実成釈尊とその本眷属を感見できるのでは…というがの愚見です。
あまり整理してないので大雑把な愚見で申し訳ありませんが、今日の教相観心本尊の混乱が日蓮聖人のこの部分の教義の理解の妨げになっているというのは、まさに犀角独歩さんの仰る通りと存じます。
2413
:
犀角独歩
:2007/03/18(日) 08:57:55
れんさん
ご返信、有り難うございます。
> 本門本尊は色法…観心本尊は本門本尊(久遠実成釈尊)の心法…色心(教観)二…不二…関係
三法妙という配立に関しては、わたし自身は消極的ですが、しかし、ここで整理される点は理があると思います。
ただ、本尊抄の段階では、題目に関しても、色法面を論じているようにわたしは思うのです。
釈尊因行果徳二法妙法蓮華経五字具足 我等受持此五字自然譲与彼因果功徳
此本門肝心於南無妙法蓮華経五字仏猶文殊薬王等不付属之
但彼脱此種也。彼一品二半此但題目五字也
召地涌千界大菩薩寿量品肝心以妙法蓮華経五字令授与閻浮衆生也
如是現十神力地涌菩薩嘱累妙法五字
此十神力以妙法蓮華経五字授与上行安立行浄行無辺行等四大菩薩
但論理具事行南無妙法蓮華経五字 並本門本尊未広行之
此時地涌菩薩始出現世但以妙法蓮華経五字令服幼稚
不識一念三千者 仏起大慈悲 五字内裹此珠令懸末代幼稚頚
以上の記述は、心法における五字ではなく、明らかに文字で書かれた(色法の)妙法蓮華經の五文字を意味していると思われます。
つまり、本尊抄で査定されるところは、寿量仏像と文字として妙法蓮華經ではないでしょうか。
もちろん、本門本尊=寿量仏像(一尊四士)、観心本尊=妙法蓮華經五字で、後者は「我等己心釈尊五百塵点乃至所顕三身無始古仏…当知身土一念三千 故成道時称此本理一身一念遍於法界等」というわけですから、仰るとおり、教相の五百塵点成道の釈尊の心中と読むことはできようかと存じます。
その段階に至るとき、れんさんの整理は至当であろうかと存じます。
それにしても、富士門下において、等閑にされる教観相待につき、議論ができたことを嬉しく存じます。
2414
:
パンナコッタ
:2007/03/25(日) 12:22:27
能登地方で被害に遭われた方、
お見舞い申し上げます。
2415
:
ラキ
:2007/03/31(土) 21:51:58
「悪書板本尊論を粉砕する」を読みましたが、良く解らなかったが本音です。
この本自体が”悪書”だから、あまり見せたがらないのかと感じております。
また、「国立戒壇論の誤りについて」「本門事の戒壇の本義」などは、読んでみたいから貸し出しを願い出ても、宗門の人は誰も貸してくれません。
これも、悪書?だから、見せたがらないのかなぁ〜と感じた日でした。
2416
:
ラキ
:2007/03/31(土) 22:40:07
2chの正宗スレッドを見ていましたら、不思議な教団を見つけました。
「富士山本門寺」
http://www3.ocn.ne.jp/~isak/index.html
「正統大石寺」の部分で、「弥四郎国重は日目聖人の従兄で新田小野寺弥四郎国重の事です、」と、
記載されてましたが、大石寺系て不思議な教団を産む要因とかがあるのかと感じました。
それにしても最近は「七仏通誡偈」
諸悪莫作(しょあくまくさ)衆善奉行(しゅぜんぶぎょう)自浄其意(じじょうごい)是諸仏教(ぜしょぶっきょう)
「諸々の悪を為すことなく、もろもろの善を行い、自ら心を浄くせよ、是が諸仏の教えなり。」
この言葉が一番理解しやすくて、マイブームと言うか、お気に入りの言葉になってます。
2418
:
犀角独歩
:2007/06/03(日) 08:39:45
>
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1014181212/117
青蓮さん(はじめまして)と、同じく、かつて、わたしも北山の日興正墓に参じたことがあります。香花灯明すら、何年も上げていない有様で、この一事を見て、北山門下というのは、口先だけの日興崇拝だと思った次第です。
目の前にある派祖の墓を放りだし、自分たちの住まいばかり、せっせと綺麗にし、日興正当もないものだと思ったものです。
もっとも、実質的開祖・日目の正墓すらない石山は、もはや、問題外と言うことになりますか。
2419
:
再挑戦者
:2007/06/04(月) 22:47:02
、、毎度の失礼です、、、ゴメンします、、。。
さて、、先般、ニセ・ササニキ犯罪が報道されました。 その発端は、某中華料理店が発した情報のようです、、「、、これでは、マトモなチャー飯がデケンよよ、、」、、一体、米の会社はドナイなトン、、ジャ、、!!という、一問題の提起から、七名もの詐欺・容疑で逮捕者がでました、。
気位が高い調理人方の、、「、、真骨頂、、」、、でございました、、。
さて、宗教界、、方、では、、ドナイ、、でしょう、、???
「、、ニセ・日蓮ブランドがマカリ通っても、、長年の間、、当該者らは、ナぜか無言、、でした、、??
むしろ、儲けの手段に逆の利用をたくらんだ、シタタカナ、、???、、方方、、も、、居られました、、??ようでしょうか、、??
何も知らない、、小生、、一族、、、郎党、、「トホホ、、」、、で御座います、。ツブヤキでした、、。
2420
:
再挑戦者
:2007/06/04(月) 23:03:58
、、小生は、「、、悔しさ、、99999999.99999%、、」、、の毎日ですが、、これほどの「、大問題、?、、」を、、無視〜〜〜軽視〜〜〜、、するような方方も、、御存在、、のようでしょうか、?? クッソー、、!!!!
2421
:
再挑戦者
:2007/06/04(月) 23:20:59
、、ドナイしたら、、「、、本当の”、成仏、”とやら、、」、、が、、保障、されるん、、でしょうか、、??
経文にも、仏の境涯に到達したならば、、「、、いろいろな状況でも、999%もの確かな、、”分別、”、が可能だし、庶民へのお笑いも提供可能、、」、、と経文にはございます、、。 でも、疑問ばかりでございます、、。
2422
:
青蓮
:2007/06/05(火) 06:40:52
私も遅ればせながら独歩さんのブログを(携帯からなので写真等が一部読み込めませんでしたが)読ませて頂きました。
独歩さんはブログの中で半生を棒に振ったなどと謙遜されていましたが、とんでもない。先駆者です。
およそ犯罪など事件が起こり裁判となった時などに必ず問題となる事は、何時、何処で、誰が、何をしたかであって、その証拠が明らかとならなければ誰も納得はしませんし信用に足るものではない。この道理がそのまま10月12日の問題にも当てはまると思います。
釈尊の出世の本懐は人の振る舞いにて候いけるぞと何処かで聞いた事がありますが石山にはこの教えの如き振る舞いを忘れずに真摯に対応して戴きたいものですね。
2423
:
ラキ
:2007/06/05(火) 09:12:40
石山が佐渡塚原跡に記念石碑を建てました。
表には「日蓮大聖人佐渡御流摘」「塚原跡」「日蓮正宗総本山大石寺六十八世日如 花押」
裏には「維時 平成十九年五月十六日」「立正安国論正義顕揚七百五十年記念局 建之」
顕正会でも塚原跡に記念碑を建てると過去に発言があったのですが、どうするのかな?・・・
隣接地に建てるのか?独自に塚原跡を調査して、宗門の場所は違うとか言い張るのか?見ものですね。
2424
:
犀角独歩
:2007/06/06(水) 00:39:41
青蓮さん、ご高覧、感謝申し上げます。
2425
:
凡愚
:2007/06/15(金) 15:56:43
突然、失礼いたします。先に本尊の名や曼茶羅についての考察が述べられていた
今月の御講は「日女御前御返事」の一節だった。帰って全文を拝すると御本尊についてのお手紙である。もとよりここにお集まりの皆様には百も承知の御文なのでしょうが。
聖人は
日女御前御返事 御本尊供養の御為に鵞目五貫・白米一駄・菓子其の数送り給び候ひ畢んぬ。 抑 此の御本尊は在世五十年の中には八年、八年の間にも涌出品より属累品まで八品に顕はれ給ふなり。さて滅後には正法・像法・末法の中には、正像二千年にはいまだ本門の本尊と申す名だにもなし。何に況や顕はれ給はんをや。又顕はすべき人なし。天台・妙楽・伝教等は内には鑑み給へども、故こそあるらめ、言には出だし給はず。彼の顔淵が聞きし事、意にはさとるといへども、言に顕はしていはざるが如し。然るに仏滅後二千年過ぎて、末法の始めの五百年に出現せさせ給ふべき由、経文赫々たり、明々たり。天台・妙楽等の解釈分明なり。 爰に日蓮いかなる不思議にてや候らん。竜樹・天親等、天台・妙楽等だにも顕はし給はざる大曼荼羅を、末法二百余年の比、はじめて法華弘通のはたじるしとして顕はし奉るなり。是れ全く日蓮が自作にあらず。多宝塔中の大牟尼世尊・分身の諸仏のすりかたぎ(摺形木)たる本尊なり。略
一人ももれず、此の御本尊の中に住し給ひ、妙法五字の光明にてらされて本有の尊形となる。是れを本尊とは申すなり。
此の御本尊全く余所に求むる事なかれ。只我等衆生、法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱ふる胸中の肉団におはしますなり。是れを九識心王真如の都とは申すなり。十界具足とは十界一界もかけず一界にあるなり。之れに依りて曼陀羅とは申すなり。曼陀羅と云ふは天竺の名なり。此には輪円具足とも功徳聚とも名づくるなり。此の御本尊も只信心の二字にをさまれり。「以信得入」とは是れなり。
南無妙法蓮華経とばかり唱へて仏になるべき事尤も大切なり。信心の厚薄によるべきなり。 仏法の根本は信を以て源とす。されば止観の四に云く「仏法は海の如し、唯信のみ能く入る」
日蓮が弟子檀那の肝要、是れより外に求むる事なかれ。神力品に云へり。委しくは又々申すべく候。穴賢穴賢。 八月二十三日 日蓮花押 日女御前御返事
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