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創価学会の功罪を考える

1管理者:2002/03/08(金) 17:18

ここから、このスレッドの過去レスを見る事が出来ます。

http://kamakura.cool.ne.jp/gomoyama/keijiban/kouzai.htm


板東様、アネモネ様、いちりん様から、スレッドテーマの提案が有りました。突っ込んだ議論をよろしくお願い致します。

提案文は以下の通りです。

名前: 板東 投稿日: 2002/02/10(日) 21:25

要するに公明党が政権与党になっている点,マスコミを抑えてしまった点,有り余る財産で銀行を掌握してしまった点,また,金にモノを言わせて,嫌がらせ裁判をたくさん起こして反対勢力を弾圧している点,完全に日本を支配している,これは問題ではないんですか.

名前: アネモネ 投稿日: 2002/02/10(日) 21:34

思い切って、「創価学会の功罪を考える」(仮題)といったようなスレッドを立ち上げてみてはどうでしょうか。私も、宗門サイドの半ば偏重的なアナウンスではない正しい認識として、過去も含めた事実を知っておきたいです。

名前: いちりん 投稿日: 2002/02/10(日) 22:02

「創価学会の功罪を考える」っておもしろそうですね。きっと活発な論議になるとは思いますが、たぶん荒れる可能性もありましょうね。でも、やってみないとわからないか。

1224犀角独歩:2004/12/08(水) 10:13

朝日新聞『AERA』で連載された『自公5年 創価学会に何が起きているか』は、従来の創価学会特集と取材・執筆において一線を画する内容になっていますね。

最も評価できることは、反創価学会ジャーナリストを完全に排除し、そこからの情報を使用しない編集方針で一貫したこと。先の『週刊ダイヤモンド』は、情報収集をその提供者に頼り、結局のところ、謝罪。(まあ、謝罪広告を出して、そちらのほうは今度は学会員に売れ、一粒で二度美味しかったのかも知れませんが)

いずれにしても、ここ数十年間、反学会の情報元となった人々を援用する時代は終焉を迎えたと言うことであろうと思います。その意味において、わたしは、今回の『AERA』の編集方針には賛同します。

わたしは、創価学会脱会に当たり、富要等の資料と石山僧から得た「正統教学と化儀」を足がかりに脱会したわけです。しかし、実際、ここに来て当掲示板で、問答さんをはじめ、皆さんと論攷を重ねてきた結果、その石山の教学も中世以降のまがい物であることが明らかになったわけです。

先には、日蓮本仏論が中世以降の勝止観劣法華・勝天台劣釈迦を焼き直し、勝御書劣法華・勝日蓮劣釈迦とした中世の派祖本仏を言わんがための中世の捏造であり、その根拠となったのが数々の偽書と他山からパクった相伝類。まったく呆れ果てていたところに、ここに来て石山彫刻本尊が禅師授与漫荼羅を臨模作為したパッチワークであることがわかりました。ここまで来ると、たしかに現創価学会からも、かなり距離ができた、そんな感じはありますが、実はわたしはそう思っていません。

池田さんが彫刻本尊が紛い物であると気付いたのは、いつのことなのか…、わたしは興味があります。戸田さんの意志を継いで昭和42年に800万信徒から500億円近い金を集めて、正本堂を建てました。この段階で彫刻本尊は修繕を加え、その際に詳細な写真を撮った、また、木片の一部を関西方面の研究期間に持ち込み、年代鑑定も行ったなどというまことしやかな情報も漏れ聞こえます。その実否はともかく、この頃既に池田さんは彫刻本尊が何たるものであるのか、しっかりと掌握していたのではないか…、わたしにはそんな思いがあります。東洋学術研究所(東洋哲学研究所)なんかを通して、科学的、且つ常識的な「仏法」というものの客観的に認識するに至る経緯もあったでしょう。

ただ、しかし、それ以前、昭和20年以降から昭和40年代中期まで、日蓮本仏と彫刻本尊、国立戒壇で驀進してきた流れがあり、その熱い想いを背負った会員層があるわけです。だから、すぐには方向転換はできないわけでしょう。「仏教は普遍的でなければならない」、こんな足枷もあるはずです。けれど、たぶん、池田さんのなかで、日蓮本仏も、彫刻本尊も、その実態はよくわかっていたはずです。となれば、目指す方向はそこからの脱却であり、一般社会に通用し、且つ世界に通用する仏教と集団の構築を考える形で歩み始めた。それは旧態依然とした中世の捏造教学とお宝信仰(器物崇拝)とは真っ向から対峙するものであったのでしょう。いまでも、学会では「三大秘法の本尊」と緩衝剤のように言葉を選びながらも「本門戒壇本尊」信仰を引きずっているわけです。しかし、これは、池田さん、もしくは創価学会執行部が目指す最終的な完成形からすれば、ただの通過点に過ぎないはずです。

1225犀角独歩:2004/12/08(水) 10:13

―1224からつづく―

学会は、現行学問から突っつかれて揺らぐような教学体系から「卒業」していく方向性で具体的に進んでいると思えます。その思いは、たぶん、彫刻本尊の欺瞞性を、池田さんが知った段階から始まったのではないのか…。わたしの学会感はそのように変貌してきました。

ただ、池田さんへの熱烈な思いが会員にはあり、個人崇拝感覚のない側からすれば激しいギャップに見舞われるわけです。けれどたぶん、会員はこれをギャップとは思わないはずです。何故なのだろうか。そんな呻吟が、わたしにはありました。

たぶん、これは証拠主義と体験主義という、二局面からの違いでしょう。
ここ掲示板で、数年来行ってきたのは徹底した証拠主義としてのアプローチです。事実を見極めるうえで、もちろん、この姿勢は何等批判されるところはありません。この点は今後も一貫して変わることはないでしょう。このような当掲示板と、その運営者である管理人さんにわたしは敬意を表するわけです。

一方、事実が明確にわかった。では、どうするという選択に迫られたとき、では、実践的、かつ実感としての歓喜(かんぎ)はいずこに求めればよいのかという問題が生じるわけです。

学会では過去50年の発展と各会員の体験に自信を持っているでしょう。
証拠主義は信頼できる資料から事実を見極めようとしたわけです。ある面、わたしはここで行われてきた理論実験は、昭和60年代に1650万会員を豪語し・いま820万・差し引き800万人の脱会者の代弁的な要素が強かったのかも知れません。
けれど反面、当の学会側は実際にあった発展と各会員の実体験を、では、どのように理論付けられるのかというのが教学構築の前提なのであろうとわたしには思えます。

以上は、創価学会・池田さんを肯定しているわけでも・否定しているわけでもなく、何故彼等があのように考え・行動するのかを考える前提で記すことです。

冒頭に戻りますが、過去数十年、考える資料としたところは反学会側ジャーナリストからの情報とスタンス、もうこの時代は終焉を迎えたわたしは断言してもよいと思います。
わたしはかつて法華経に書かれてあることを知りたければ、極端な話、天台教学と、それを踏襲した日蓮教学をまず横に置いて読んでみることだと語りました。

いまの学会を考えるのに当たり、従来言われてきたことを、ひとまず置いて、わたしは、池田さんが彫刻本尊の実態を知ったときから考え・進んだ方向性として創価学会の路線と今後を考えてみたい、そんなふうに考えています。

わたしが今回行った禅師授与漫荼羅に基づく拙稿は、かつて、どこぞの坊さんが目を凝らしてやったことであったでしょう。その御仁は、その実態を知ったうえで、最高権力者として君臨し、巨万の金銭を信徒に求め、800万信徒の思いがいとも容易く壊したうえで新たな建造物を造るのにまた金銭を指せることもなんら罪悪感もなく行えたのでしょう。一方、その実態を知りながら、過去800万の思いを背負い、数十年のスパンで方向を転換していこうとしたのが学会であったのか。さて、どうでしょうか。

今後の創価学科は、どうなっていくのか。そのもっともプロトタイプとなっていくのは、やはり、東京の創価学会でしょうか。将来のことをともかくとして、いま東京の創価学会は、どのようになっているのでしょうか。
どなたかレクチャーいただけませんでしょうか。

1226犀角独歩:2004/12/08(水) 10:19

【1225の訂正】

誤)ある面、わたしはここで行われてきた理論実験は、昭和60年代に1650万会員を豪語し・いま820万・差し引き800万人の脱会者の代弁的な要素が強かったのかも知れません。
正)ある面、わたしを含めてここで行ってきた理論実験は、昭和60年代に1650万会員を豪語し・いま820万・差し引き800万人の脱会者の代弁的な要素が強かったのかも知れません。

誤)創価学科
正)創価学会

1227名無し@富士門流:2004/12/08(水) 10:32

犀角独歩さん、こんにちは。

どうも「いま」の東京の創価学会は、すでに明年予定の都議選モードのようですよ。

近隣各県とも交流が始まったとか。

1228犀角独歩:2004/12/10(金) 00:36

名無し@富士門流さん、有り難うございます。

1229世知勉不:2004/12/10(金) 01:19
今後の創価学会は池田宗という色をより強めて行くのではないでしょうか。池田氏が亡くなった後も学会内での大分裂は無いのではと想像しています。牧口氏、戸田氏、池田氏もみなそれぞれ考えが異なっています。三代会長は戦国時代の織田氏、豊臣氏、徳川氏に非常に似ている気がします。日蓮正宗は天皇家といったところでしょうか。過去の歴史から見ると未来は歴然です。

浅はかな見識ですが、宗教法人で完全無欠なところは無いのではないでしょうか。

なら、これから大切なことは立正安国論(第八段)にあるように、一切衆生が謗法に供養しなくなったならば、邪義・邪宗は滅び、かわって正法が栄える。かくして一国が皆、正法に帰依したならば、いっさいの災難は消え、平和楽土が実現するという部分です。

“日蓮正法”は供養を受けてなくても広宣流布できるものであると信じます。

何が正しい宗教か知れる方法のひとつとして全宗教法人への供養停止を全民衆の運動にして行けないものでしょうか?

世知勉不は世間知らずの勉強不足の意味です。初心者ですので不具合等ご享受お願いと、お許し下さい。

1230犀角独歩:2004/12/10(金) 11:48

世知勉不さん、はじめまして。

創価学会の今後の方向性、池田さんの絶対的神格化の推進。
この点が外にいるとあまりぴんと来ません。しかし、たしかに新『会則』その他を見ても、そんな調子なのであろうとは想像できます。

経済機構のさらなる充足、政治的安定。この二つは、必須要件なのでしょうが、個人的な体験主義の理論化と技術化という側面が、対個人的な要素となるのでしょうか。これを支える相互扶助的な要素は大きな功利性を有しているのであろうと思います。
わたしはどちらかというと創価学会はボランティアをやらない団体、こんな批判を続けてきました。しかし、今回の新潟中越地震では会館を開放し、会員も積極的に支援救済に働いたと、まったく関係のない人々から見聞し、ややその考えを改めたところがありました。

1週間ほど前に長岡に会館が建ったのに地震が起きた顕正会の口上とは大きく違っていました。地震で会館が揺らいだとか・揺らがなかった、石に潰されて亡くなった方の信心がどうのという世間の顰蹙を買う非常識さ、はたまた門戸を固く閉ざして罹災者を入れなかった寺院とは格段の精神性の相違があります。

先頃、とあるマスコミ関係者と話していたところ、「何故、創価学会は病院を造らないのでしょうか」と不思議そうに尋ねていました。

この点はたしかに創価学会の伝統的な部分とも大きく拘わることなのかも知れません。いわゆる病気は信心で治すというところでしょうか。良観への敵愾心が社会運動を妨げてきた側面もあります。たしかに個人的な信仰として、どんな現れでも勝手ですが、では対他・対社会となったとき、単に法の流宣をもって完きとすれば、冷笑を買うのみです。「菩薩道」とは時には自分の身骨を裂き、人に与えてこそ成就するというのが古来より、一貫した理解でした。
800万会員が、社会運動に動き出すとすれば、社会は大きく変わるでしょう。

> 正法に帰依したならば、いっさいの災難は消え、平和楽土が実現

わたしはこの表現は、現代的には多少“翻訳”が必要であろうと思います。
人々が正しい考え方・正しい行動を採る方途を選べば、人的災難は消え、共同して当たれば、自然災害も克服でき、平和楽土は実現すると解釈し直す必要性を痛感します。
つまり、このような思考・行動規範を古来の言葉で言えば「正法」と言うと見るのが一貫したわたしの考えです。

特定の経典を信じ、お呪いを唱え、建物(戒壇)を建立すれば、世が安穏になるなどというおとぎ話は、現在ではただ物笑いの種です。

> “日蓮正法”は供養を受けてなくても広宣流布できる

このような仏法理解は、どのようなところから導かれるのか、心情的には理解できないこともありませんが、佛教理念としては無理があるのではないでしょうか。

古来より、托鉢は出家者の食を施すという実利的な面を持ちながら、供養する側は徳を積むという精神的功利面を持ってきました。修行できないけれど、供養によって徳が積めるという功利性です。その点から供養は否定されることではありません。
ただもちろん、世俗と何ら変わらない生活、いや、それどころか宗教貴族化した連中に供養などする必要をわたしはまるで感じません。寧ろ、貰いたいぐらいです。

以下、既に皆さんと話し合ってきた点です。菩薩とは世俗の有資産家であったことが残される彫刻絵画から推されます。その行で言われる「布施」は布き施すということで、つまり、菩薩が自分が持っている財産を積極的に人々に施し、時には身を粉にしても救済に当たる修行を意味したものであったことが知られます。在俗が坊さんに「布施をする」という語彙的用法はまったくの転倒であるわけです。つまり、現代的な意義からすれば、仏法に帰依する人々が自分たちの財産を積極的に人々に施し、その救済に当たる、いわばボランティア活動は菩薩の布施行と軌を一にするということです。

神秘化されたお宝・集団・個人が、奇跡的な力を発揮し世が変わるなどという与太話は20世紀で終わりにしましょう。

上述のような次第によって、人々に手を差し伸べることが、当たり前の佛教集団と構成員の姿に変われば、21世紀に佛教は生き残るとわたしは考えています。

いまのところ、このような方向転換の可能性は、顕正会では0%、石山の坊さんにもほぼ望めず、では創価学会本体はどうか、先の震災ではややその曙光が見えたか否か、わたしはそんな観察を行っています。

1231世知勉不:2004/12/10(金) 17:36
犀角独歩さんにご挨拶頂き光栄に存じます。また多くの素晴らしいご意見をありがとうございます。大変勉強になり非常に喜んでいます。

>神秘化されたお宝・集団・個人が、奇跡的な力を発揮し世が変わるなどという与太話は20世紀で終わりにしましょう。

お題目で奇跡的な力を発揮することは偶然ってことでしょうか?

犀角独歩さんは生命が永遠であると思われますか?

創価学会のお陰で仏法に巡り合いました。池田さんのお陰で全ての宗教法人に疑問を抱くようになりました。いまの大御本尊はパッチワークのようですね。法華経自体も出所がはっきりしないもののようですね。今に残る物証だけで佛教を考えるのには無理があるのでしょうか。

永遠の生命であるならば、どんなに苦労をしても今生で成仏したいと、ただそう思うのです。

1232犀角独歩:2004/12/10(金) 22:00

世知勉不さん:

> お題目で奇跡的な力を発揮することは偶然

お題目でも奇跡は起きるでしょうし、お念仏でも起きるでしょう。
キリスト世界は神秘と奇跡で満ちあふれています。
シャーマニズムではもっとそうかも知れません。
宗教の数だけ、奇跡はあり・体験はあり・御利益もあれば・罰もある、というのが宗教を俯瞰した実感です。

しかし、わたしは「神秘化されたお宝・集団・個人が、奇跡的な力を発揮し世が変わるなどという与太話」と記したのであって、お題目に奇跡がないとは記していません。

> 生命が永遠であると思われますか?

どうでしょうか。
お釈迦様が応えなかったことです。わたしも従来どおり、無記とします。

> 今に残る物証だけで佛教を考えるのには無理があるのでしょうか

その物証で考えるのが学であり、体験で実感するのが行なのでしょう。

> 今生で成仏

成仏とは何でしょうか。
また、これが度脱・解脱・到彼岸・涅槃を意味してのことであれば、二度と娑婆世界に戻ることはなくなるわけですね。

1233平和創価:2004/12/11(土) 16:50
私の方がもう悟ってますよ。生命の連続性や死と再生は体験しなければ分かりません
からね。

1234犀角独歩:2004/12/11(土) 21:15

では、死を語らなかった平和創価さん、あなたのほうがお釈迦様より悟りが上だというわけですか。
これはお笑いです。

1235山谷:2004/12/11(土) 23:03
生命を悟り切った事を平然と書きこめる精神はどれだけ病んでるのか容易に想像できる。しかしまたこの団体の多くはこの手の世迷い事を意図もたやすく言ってのける。そんな団体に何を期待するのか、そちらの方が全く理解に苦しむが。

1236半可通:2004/12/12(日) 07:18
>1230 犀角独歩さん

>>先頃、とあるマスコミ関係者と話していたところ、「何故、創価学会は病院を造らないのでしょうか」と不思議そうに尋ねていました。

昔、むかし、ある幹部に聞いた話です。「人がいない」と、
たとえば、天理教に「よろず相談所病院」というのがあります。ここは、各診療科のの部長さんは、みな京大のエリート医師です。

だから、何事か起きても、最後は京大のネットワークで最高の治療が受けられます。
天理教の教師さんは、身上の相談だけをする。まあ、いわゆるカウンセリングですね。

ところが、創価学会が病院を作る場合、たとえば東大の医局を回って頭を下げまくって同じような病院を作れるのかどうか?

かといって、ドクター部を糾合してみてもまともな病院一つできるかどうか?
病院というのは、上に連なるネットワークがないとまともに機能する病院とはいえません。
そこそこの医師を何人か集めたところで、難病の患者一人抱えただけで立ち往生です。

創価大学に宗教学部ができない事情と似通っているのかも知れません。

1237犀角独歩:2004/12/12(日) 08:07

> そんな団体に何を期待する

これはわたしに言っているのでしょうか。
期待しているのではなく、800万人の現世勢力があり、人々がいる。
実際に創価学会がなくなることはない以上、では、何をすべきかを記したのみです。誤解なきように。

1238犀角独歩:2004/12/12(日) 08:14

半可通さん、はじめましてでよろしいのでしょうか。
お記しのところ、なるほどなと思いました。

わたしは創価学会は病院を作るべきだと思います。
病院では、実際には治らない病気も抱え、日々、亡くなっていく方と向かい合うわけです。この現実を回避して「信心をすれば、絶対に病気は治る」「不可能を可能にする」という自分たちの謳い文句と真正面から向かい合うことです。

実際には治らない病気、そして、人はやがて死にます。その現実を前にして、治る、死なないだけが実証ではなく、では、どうやって病と向かい合っていくのか、死んでいく人と向かい合っていくのかという、寧ろ本来、宗教が向かい合うべき問題に一歩、踏み込んでいくべきであると思うからです。

力ある宗教であれば、治らない病人、死んでいく人を納得させることができます。そこにこそ、実は宗教の進化があるとわたしは考えます。
半可通さんには、ご投稿の文面から察して、ご賛同いただける点ではないかと思うものです。

1239世知勉不:2004/12/12(日) 10:48
既に政党があり教育機関があり地域拠点があるのですから、問題なく運営できる状態になれば病院もつくるのではないでしょうか。創価大学にまず医学部ができてからかも知れませんが。学会は用心深いところです。念には念を入れて、さらに念を入れてみたいな。あと、仏法は勝負らしく失敗は許されないようです。

個人的には宗教団体は宗教だけに専念して欲しいです。学会は日蓮正宗信徒という立場以外のことをして今のようになったと思います。宗教をしているひとが政党で活躍する、学校で活躍する、病院で活躍するでいいのではないでしょうか。宗教団体が政党、学校等を運営するのは社会を思い通りにしたいだけだと思います。

いつでも100%正しい指導者なんていませんが、仮にいま池田さんが100%正しいとしても、将来どんな上層部になるか疑問です。日蓮正宗然りです。その時に創価学会が公明党単独政権であったりしたら大問題です。

信者の方には、将来の責任は今の自分にあると自覚して頂きたいです。もし、そんなことありえないって言われる方は無責任なのではないでしょうか。宗教団体が団体でするのは教えだけで、行動は個人で、が安全なのではないでしょうか。

1240犀角独歩:2004/12/12(日) 11:28

世知勉不さん:

> 個人的には宗教団体は宗教だけに専念して欲しい

なるほど。御説、尤もであると思いました。シャキャムニの原始教団は、生産と貯蓄を留めましたから仰るところが、元来の有様であろうと。

宗教団体、つまり宗教法人には、職員が認められているわけですが、この人々は統治下では何等特権性が認められているわけではなく、一般人と同じ国民です。つまり、納税義務もありますし、何より生きるために衣食住が必要です。消費するために収入が必要と言うことになりますから、いきおい、その職員を有する宗教法人は収入が必要となります。また、活動の拠点を求められますから、その土地家屋の保有には、当然、経費がかかります。宗教団体が宗教活動だけに専念すると言うことは、つまり、宗教活動を収入源とする以外に方途はないという構造を背負っているわけですね。

ただ、個人的な感情からすれば、金員にまつわる宗教感情は不純であると考える傾向が、これはシャキャムニの時代から営々と受け継がれているわけです。
この理想と現実のギャップで、「お金が掛からない宗教」であるという表看板を掲げることになるのでしょうが、実際は、上述の事情がある故に、これは絵空事であることはわかります。

また論点を換えれば、大乗仏教などに登場する仏・菩薩には、薬王など、「薬」の名を付された諸尊が多く登場します。これには概ね二説あり、一つは向精神薬、つまり幻覚を催す薬物の使用が仏教教団のなかで一つの秘儀を生んでいたという指摘、もう一つは、仏教集団、若しくはその一部の人々は民衆救済、若しくは生業として医道を兼ねてきたという指摘です。
もし、この後者の指摘が適宜なものであれば、現行宗教法人が医業を兼ねることは、大乗仏教の経緯からして、宗教行為からスポイルできるかどうか。ただし、現代社会の医師(会)の特権性、非倫理性と仏教教義に整合性があるか否かは議論されなければならないでしょうね。

浄土真宗、また日蓮宗などでも、ビハーラからターミナルケア、いわば臨死医療に僧侶が関わる試みが静かに始まっています。これは無償の宗教行為とするか、それなりの代価を認めるか、その延長に宗教法人と、その職員の活動として代価を認めるか、種々、勘案すべき問題は山積されていると、わたしは考えます。

宗教は個人としての功利性に支えられますが、菩薩という利他行になるとき、単に法施に留まる消極性は、社会的には反感を抱かれていることは事実です。

以上、世知勉不さんへの反論では決してなく、当板でも皆さんと考えていきたい問題の一つであるということです。

1241世知勉不:2004/12/12(日) 12:31
説明不足と箇条書きで申し訳ないです。

今の日本なら純真なる宗教ができるのではないでしょうか。在家信者の集まりであればできるのではないでしょうか。食うに困らない資産がある方は専念することもできます。意思伝達もインターネットがあればできます。密教のようなこともなく今は教義も殆ど揃います。素晴らしく純粋な宗教団体がいずれ出現すると思います。既にどこかで活動されているかも知れませんが。偉大なる指導者もいりません。教義さえきっちり整理できれば可能ではないでしょうか。

犀角独歩様は真実を探し整理されている方のお一人ではないでしょうか。なんとかならないものでしょうか。

板の意図と違いますのでこれくらいにします。すみません。

1242犀角独歩:2004/12/12(日) 12:46

世知勉不さん、有り難うございます。

わたしは宗教団体信仰からの「卒業」を訴えてきた独りです。
ですから、仰るところよくわかります。
当板の管理人さんは、斯くも意義ある場を提供してくださっています。
わたしは、ここを現代のサンガと称したのです。
ここから道は拓けていく、わたしはそう予想しています。

1243きゃからばあ:2004/12/12(日) 16:10

せめて、唱題できる病院がほしい!
仏間もあったらうれしいな。
完全防音の個室があったならもっとうれしい!
ただし1日1万円以内が希望ですが。

1244半可通:2004/12/12(日) 17:33
>1239

>> 問題なく運営できる状態になれば病院もつくるのではないでしょうか。創価大学にまず医学部ができてからかも知れませんが。

医学部ができることは、ないと思います。なぜなら、医学部を作るためには、まず教授を40人程度集める必要があります。現役の教授・助教授程度でないとちょっと無理です。
内部に人材は、いないでしょう。博士号と留学経験と、欧米の一流医学雑誌に論文が掲載されていなければなりません。
外部から教授を招聘した場合、当然助教授、講師を連れてきますから、学会内部に人材がいたとしても、せいぜい講師あたりから始めなければなりません。
内部の人材が始めて教授選に立候補できるのにまず10年かかります。

地方の国立大学の医学部が、本学出身教授で教授会の過半数を占めるのに約80年かかったといいます。
東京の私立大学でも同様です。
池田さんはこうした事情を知った上で、医学部設立をあきらめたようです。

>1238

>> 実際には治らない病気、そして、人はやがて死にます。その現実を前にして、治る、死なないだけが実証ではなく、では、どうやって病と向かい合っていくのか、死んでいく人と向かい合っていくのかという、寧ろ本来、宗教が向かい合うべき問題に一歩、踏み込んでいくべきであると思うからです。

これをすると、「創価学会」でなくなってしまうのでは????

1245「御書の声」:2004/12/12(日) 18:07
池田大作の「寿命の尽きる日」が嵐のはじまり。
「池田大作のXデー」

創価学会はその日のために体制は整いつつあるが、池田大作の存在が大き
すぎて組織の本格始動は時間が掛かるだろう。

「池田センセイのために」頑張る創価学会員の心に真空タイムが襲う!
本部から地方組織までカリスマ依存の組織は暫らく方向感覚を失うだろう。

以前「池田大作倒れる!」のニュースが駆け巡った事があった。
その時も、池田の病状の真相は池田夫人側近にしか判らなかった。
副会長クラスも公明党幹部も判らなかった。
創価学会の奥の院は一部の人間にしか判らないのだ。

今ハッキリしているのは『池田家の創価学会』を存続させようと考えて
いる勢力がソノ準備は完成していることだ。
池田夫人と秋谷の連携で実質的な世襲は完成していよう。

問題は池田亡き後の創価学会の組織活力がどうなるかだ!
組織のタガがはずれ、沈滞なら・・・
創価学会に無いといわれている派閥も化学反応が始まる。
単なる友好的な人脈が核となり、不安が安心を求めて固まってゆく。

戸田城聖亡き後も3年の暗闘期間を経て池田大作が全権を掌握したのだ。
創価学会波乱は3年以降から始まる!

日顕宗門も狙っている!
池田センセイ亡き創価学会に「戒壇の御本尊さまの元へ還ろう!」の声
が迫ってくる。
心の焦点を失った学会員に「戒壇の御本尊さま」は引力が有る。
日蓮正宗にとって千歳一遇のチャンスがやって来る。

創価学会の組織が沈滞し、不信を誘発すれば、
「戒壇の御本尊さまの元へ還ろう!」の声は大きな力を発揮する。

一旦、宗門の信心に付けば、創価学会時代の
「組織活動に明け暮れた人生」「財務、財務の貢ぎ人生」に目が醒める。
ムラムラと創価学会時代の後悔が沸き起こることになる。

「池田大作に騙された」脱会した宗門信者の多くが実感する心境なのだ。
それは創価学会に対する怨念に変わってゆく。
そして「戒壇の御本尊」絶対の確信になる。

「池田センセイ」絶対が「戒壇の御本尊」絶対に置き換わる。
オセロの目が逆転するように、このような現象が庶民レベルで広がる
悪夢は空想ではない。

「池田センセイ」絶対が無くなれば組織のタガがはずれる。
創価学会に無いと言われる派閥が内部で動き出すのはソレからだ!
池田大作が作り上げた組織体質は謀略が横行する。
自壊本逆となればソレが災いして、分解反応は止められない。

「創価学会は外部からは潰せない、潰れる時は内部からだ!」
これは池田大作の言葉だ、よくその弱点を知っているからと言える。

「創価学会撲滅!」
池田大作は余りにも多くの怨念を買いすぎた。

1246大勇者:2004/12/14(火) 14:31
犀角独歩さん。

私には、「広布基金」に対して「お布施」という感覚は全くないのですが、
日蓮正宗創価学会時代は「お布施」だったのですか?

地方会館の建設や事業維持に使用する為の基金という感覚で寄付して来ました。
(もちろん本部職員の給与も)
会長や副会長職の方々が4000万〜程度の給与(週刊誌による)と言われているみたいですけど、
それほど驚くほどの額でもないような気がします。
民間企業と比べても妥当な年収ではないかと思っています。
副会長が多数いるのは困りますがね。

給与の話は余談でしたが、
現在「お布施」という感覚の会員は少ないのではないかと思います。

1247犀角独歩:2004/12/14(火) 18:53

大勇者さん:

> 「広布基金」に対して「お布施」という感覚は全くないのですが、
日蓮正宗創価学会時代は「お布施」だったのですか?

そう言ったのは池田さん本人です。
池田さんが『仏教史観を語る』という講演で述べた内容です。

また、真心の財務は金額に比例するという内部資料がありました。
「財務こそ、広布のための真実の供養であり、もっとも大聖人が喜ばれるところ」という内容です。

かつて、戸田さんは
「宗教で金儲けするぐらい簡単なことはないのだぜ。お賽銭をあげろと言うんだよ。
 金を出して神を拝めば、倍にも3倍にもなって返ってくるから、出せ、出せと言うのだよ。やりたければやってもよいが、必ず地獄へ行くからやってみたまえ」
と言ったものでした。

> 会長や副会長職の方々が4000万〜程度の給与(週刊誌による)
> それほど驚くほどの額でもないような気がします。
> 民間企業と比べても妥当な年収ではないかと思っています。
> 副会長が多数いるのは困りますがね。

それは週刊誌などで記す一般的な感覚と違っていることを意味するのでしょう。
民間企業は営利法人であり、利益追求を目的にした法人格です。そこでは成功に比例して報酬があり、それに準じた納税があるのは当然のことでしょう。
けれど、宗教法人は営利追求を目的にするわけではありませんから、一般企業と同等の経済効果からその給与・報酬を論じることはナンセンスです。
ここで意味を持つのは宗教邦人職員が高給であれば、インチキ宗教という印象を一般の人々に与えるという配慮でしょう。この点は何も創価学会に限らず、石山で阿部さんが東京の豪邸を建てれば、糾弾されるのと同様の意味があろうかと思います。
幹部の高給は、要は会員から吸い上げられた金銭に比例するわけですから、会員の奴隷会場の印象を与えないでしょう。それをそう思わないとしたら、神経が麻痺していませんか。

高給取り、大金持ちの宗教指導者はインチキというのは、そもそもかつての戸田・創価学会の論法であり、それを踏襲したのは若き池田さんでした。
なお、名誉会長、会長、副会長の給与は週刊誌が報道するのではなく、四谷税務署その他が発表した高額納税者一覧に池田さんをはじめとする名前が載ったことを転載したまでのことでしょう。

> 現在「お布施」という感覚の会員は少ないのではないかと思います。

そのような変節は、けっこうなことでしょう。
団体に金を出して、それに功徳があるなどというキャッチフレーズ、詐欺商法の口上以上の意味は持たないからです。

1248大勇者:2004/12/14(火) 20:43
犀角独歩さん

ご返事ありがとうございます。

「お布施」という感覚と言ったのは、
「修行できないけれど、供養によって徳が積めるという功利性」ではなく、
「広宣流布の為の財務は折伏と同じ」という意味で「お布施」とは違う意味ではないかと思ったものですから......
「全国の会員さんの為に使ってください」というような気持なのですが......
大事なお金をドブに捨てることは人間なかなか出来ないものです。
自分の心の整理に理由を付けてるだけなのかも知れません。
ですから、それに功徳があるというキャッチフレーズは現存していると思います。

職員給与は宗教法人と言えども労働対価であると考えれば、
民間企業や公務員などに準じてもおかしくはないと思います。
個人所得や資産においては納税を行っていると思いますので、逆に所得を少なくして経費を多く使わせるより健全であるとも言えます。
そう考えると職員自身は財務しないでしょうね。
財務から得た給与をまた財務したら税金の無駄払いですから・・・(そのこと方が悔しい気がする)

会員の財務も所得控除の対象にはならないし、企業として寄付した場合でも学会への寄付は経費扱いにはならないです。(当たり前ですけど)


個人資産についても、海外事業展開での信用度を考えれば必要な戦略と思います。

以上は全くの私の個人的な根拠ない思い込みを投稿していますが。

1249犀角独歩:2004/12/14(火) 20:55

大勇者さん、あなたのような考え方は、宗教貴族をのさばらせるだけ、宗教法人は金儲けのためと言っているようなものでしょう。
あなたが書いた宗教と団体は何の魅力もないただの俗物とわたしには映じます。

1250大勇者:2004/12/14(火) 22:07
宗教法人といっても、法人事業としての社会的責任(返済)を果たさなければいけないのですから...
「金儲け」と一括りに出来るものではないと思います。

そのお金を預かった銀行が他へ貸付るのですから...

何の魅力もないただの俗物の話であるのは仰るとおりです。
申し訳なかったです。
しかし信仰とお金は切り離せますが、
組織とお金は切り離せないものだろうと思います。

今年も女房に「ご供養しておいたから」と一言...
「あっ うん」と答えました(。。。
有意義に使ってもらう事を祈るばかりです。

1251犀角独歩:2004/12/14(火) 22:24

大勇者さん、金儲けとひとくくりに出来ないと言う希望的な完則は手前味噌で勝手ですよ。
しかし、会長、副会長が4000万の給料取っても大企業と一緒、当たり前というあなたの考えのほうが「金儲け」と一括りにしているんじゃないでしょうか。
よく飼い慣らされているという印象を懐くばかりです。

そもそも宗教法人が、法人事業として社会に果たす責任とは何でしょうか。
また、そのように社会に対してというのであれば、どこまで会内の情報が公開されているのでしょうか。

預けていると考えているようですが、ではどうやって返して貰うのですか。
組織が功徳で返してくれるのでしょうか。功徳はあなたご自身の努力によるもので組織とは無縁でしょう。

あなたがどんなに預けようが勝手です。
しかし、そんなことが正しいと思う外部の人間は一人としていないであろうとわたしは思います。つまり一般常識の代弁としてわたしは記しました。

実際の創価学会がどうだか知りませんが、あなたがここに書いた組織と金は実に杜撰で勝ひどいものであるというのが、偽らざる印象です。こんなことに金を棄てるあなたを心底、気の毒に思いますが、ご本人は満足なのでしょう。このギャップこそが、社会一般にあなたのようが考えが理解されない大きな原因であろうと思います。

1252犀角独歩:2004/12/14(火) 22:29

大勇者さんには何ら悪感情は抱きませんが、慌てて打ったために数カ所、間違えました。
判読いただけると思いますが、完則は観測、勝は且つ、です。

大勇者さん、目を覚ましませんか。

1253大勇者:2004/12/15(水) 00:46
犀角独歩さん。

私の文章が稚拙の為、誤解なされているようです。
私の1250の投稿は功徳論ではなくて、経営的面、経済的から見たものです。
もちろんその分野に於いても私は素人ではあります。

社会的責任の最低限のものは、例えば常時ある支払い負債の事です。
宗教法人でも破綻すれば取引業者に迷惑を掛けることになります。
そういう意味でどのような団体であれ健全な「経営」を行っていかなければならない筈です。
預けているというのは法人の銀行預金のことです。
その預金を各銀行が運用しているのでしょう。

宗教法人の日本円の銀行証書など「確固たる資産評価」になりえるのでしょうか。
銀行破綻の危険性はもとより、
宗教団体の分裂、解体、没収だって有り得ます。

株式や貴金属、海外貨幣での資産運用の影響を考えれば非公開は致し方ないところでしょう。

ま〜私がそんな事を心配する必要も無い訳ですが...
それと1250は打ち誤りで、財務は勝手に女房がするので、
実は幾ら寄付しているのか知らないのです...
聞かない様にしています(苦笑

1254会員:2004/12/15(水) 01:20
男子部長の指導の中に、我々は大聖人のでしで、下種しないと成仏しないと教えがあり、折伏、新聞啓蒙しないと駄目だといわれ、折伏は無理です 、友達は入会する気ないし、話も聞かないよ。と云うたら、真剣にお題目しかないから入会しないんだ。願って叶わない物は無いんだの一点張りで…、本来の目的が分からなくなってきました

1255犀角独歩:2004/12/15(水) 08:36

大勇者さん:

別に誤解などしていませんよ。
会長・副会長は4000万円以上の給与でもよいという点に納得が行かないと言っているのです。
また、あなたの言い方では、広布基金は経営面の支払いのため、また、預けられたお金は銀行も運用しているなどといっていますが、では、お尋ねしますが、広布基金は債務支払いのために、また銀行が預貯金を運用するために行っているわけですか。この財務の名称は広布基金、つまり、広宣流布の基となる金という意味ですね。となると、債務支払い、銀行の預貯金運用が広布であるということになります。

そうではなく、広布基金とは、あくまで広宣流布の基金とするという触れ込みで集めた以上、それ以外の用途で使用すれば、それは詐欺に該当することになるでしょう。そのなかで、特定個人が法外の給与を得ることも入っています。

わたしは創価学会員ではありません。しかし、あなたはそうなのであれば、宗教法人創価学会が健全な運営をする監視の義務を各会員を負っているはずですよ。創価学会の社会的影響、それはあなたの言葉に拠れば、日本にのみならず、世界的影響を持っているようですが、となれば、その会運営の監視の義務はさらに重いものになります。

わたしはあなたの広布基金への口上を聞いて、溜息が出るのは、全国津々浦々、財務に肯定的などの学会員に聞いても返ってくる同じ考えだからです。また、それが年末の今、書かれているという事実です。つまり、それはあなたご自身が考えたこととご自身で思いながら、‘植え付けられた’ものだからです。
創価学会から打ち出される口コミ、新聞、会合でまことしやかに語られる財務・広布基金をどう考えるかという‘指導’そのものを、あたかも自分の言葉・考えのように語っているその姿です。それはあなたの考えではなく、創価学会環境のなかに、知らずに刷り込まれた言葉を恰も自分の言葉のように、それも財務の時期にその宣伝マンのように、ここに書き込んでしまっているからです。

しかし、そのもっとも恐るべきご自身に起きている事実に少しも気付いていない点を言っているわけです。あなたはご自身の考え方を操作されているわけです。これは宗教問題と言うより、心理操作、集団煽動のメカニズムの好見本として、あなたの存在が今ここにあるという事実を厳正にとらえたほうがよろしいでしょう。

1256平和そうか:2004/12/17(金) 04:35
>>1244
半可通さん。初めまして。
>医学部ができることは、ないと思います。
これは大変私にとってはきついお言葉です。私は生命論の正しさを科学的に証明する
ために勉強しています。創価大學に医学部があればそこを受験し、そこで研究をすす
めたいと思っていましたが、存在しないため国立大學を受験してそこで研究をすすめ
ながら、創価大學に医学部ができる時を待とうという考えでいましたから。

人間の死はその人の個人の終わりではあるが、意識は死を通して連続するという創価
学会の生命論を科学的に証明することに因って広宣流布は現実のものになると思って
います。生命論を科学的に証明する方法は2通りあると思います。一つは生物物理学、
生物化学から証明する方法であり、もう一つは医学の方向から証明する方法です。

創価学会が創価大學に医学部や理学部生物学科を創設しないとなると、私は今まで何
のために自分の人生を犠牲にして勉強してきたのか分からなくなってしまいます。
創価学会の生命論の正しさを、他の大學の中で証明しようなどと言ったらそれこそ気
違い扱いされてしまいますよ。

1258愚鈍凡夫:2005/01/09(日) 12:35

創価学会も今回のスマトラ沖地震の被災地に救援物資を送ってるんですね。
素直にエールを送りたいと思います。頑張って下さい。 (^∧^)合掌
 セイノッ ⊂(^・^)⊃フレー \(〜0〜)/フレー

創価学会:学会ニュース
http://www.sokagakkai.or.jp/SITE1PUB/sun/4/news/report990.html?t=1095330019189

1259犀角独歩:2005/01/09(日) 13:04

わたしも創価学会のこのような支援にエールを送ります。
有り余る、潤沢な資金を、世のため・人のために惜しみなく使ってくれることを希望します。

1260吉祥仙人:2005/01/09(日) 20:20
創価学会一会員から
当年43歳 1980年代に学生部・青年部を過ごした者として一言
どうもどの掲示板を見ても「会長本仏論」なる邪義を、全学会員が支持して
いるように扱われていることが納得いきません。
池田先生は指導者であって、教祖でも信仰の対象でもありません。

1261おおい:2005/01/09(日) 21:03
吉祥仙人さん、ちゃんと資料読んでんの。
会長本仏論があったことは創価学会自体が認めていたことじゃないか。
その後、軌道修正したんだから、いまは鳴りを潜めているのは当たり前。
過去の歴史を覆い隠していなおるのはやめなよ、みっともない。

1262おおい:2005/01/09(日) 22:16
会長本仏論、池田本仏論
http://www13.ocn.ne.jp/~ryouran/html/souka_6.html
ただし、ぼくは法華講じゃあありませぬ

1263犀角独歩:2005/01/10(月) 01:32

百禍繚乱、なかなか勝れたHPですね。
これで大石寺・法華講の批判文書が載れば完璧です(大笑)

1264吉祥仙人:2005/01/13(木) 20:42
 おおいさんへ
 私が本で読んだ限りでは、帰命論を言い出したのは、福島源次郎元副会長
との事でしたが、違いましたでしょうか
 そしてその副会長の末路はいかがだったでしょうか

1265愚鈍凡夫:2005/01/13(木) 21:17

横レス失礼します。
小生は、福島源次郎氏や原島嵩氏をことさら弁護する気はありませんが、会長本物論は当時、学会内ではまことしやかに囁かれていたことだし、半ば常識であったといえるでしょう。
ただ、明確に会長本物論を示唆する文章として福島源次郎氏の言葉が残っているということではありませんか。それをいいことに、創価学会では会長本物論の責任を福島源次郎氏一人になすりつけようとしています。ここいったやり方は、フェアーじゃないと思います。
参考のため、会長本物論が当時の学会では常識であったことを示す証拠をいくつか提示します。

**************************************************
 現在でいえば、社会それ自体。しかし民衆の犠牲のうえで成り立っている主徳を失った社会もあり、その民衆は不幸です。
 真に人々を根底から幸福にするには、妙法を根底とした社会以外にない。全日本を、そして、世界を守る池田先生のみ、現在において主徳をそなえていらっしゃる。
 師徳――眷属を指導する力
 師とは、知識を教えるのみでなく、智慧を開かせてあげる者でなければならない。現代の教育は、知識に終始した師徳なき姿である。
 以信代慧の妙法によらねば、真実の師徳はありえない。私たちの師匠池田先生のみ師徳具備でいらっしゃる。
 親徳――眷属を慈愛する力
 親の愛は、相対的であり、子の発展をさまたげる場合がある。
 身命を惜まず、われわれ学会員のしあわせを願ってくださる池田先生こそ、親徳具備でいらっしゃる。

(「講師筆記試験答案」から 大白蓮華41年2月号)
**************************************************

「池田先生こそ本門弘通の大導師であります。私達は、かかる希有の師と会うことのできた福運をかみしめると同時に、必ず師の心にかなう弟子として生涯を貫き、学会総体に久遠元初の生命活動を確立し、広宣流布達成を決意するものであります。」(八矢英世論文 文集「教学と私」第一巻)

「御書に「今日蓮等の類いは善の導師なり」(御書全集712㌻)とあるごとく、別しては日蓮大聖人こそ末法の大導師であられるが、総じて民衆を幸福へと指し導いていく指導者こそ、この「導師」「大導師」の今日的な謂でもあると明示。さまざまな世界の指導者のなかにあって、牧口初代会長こそ、真実の成仏即幸福の道を指し示し、広宣流布の大願へ民衆を導いていった指導者であり、大導師であると論じた。」
(池田会長指導 聖教新聞52年6月2日付)

それと、不幸な死に方をした大幹部は福島氏だけではありませんよ。

1266犀角独歩:2005/01/13(木) 21:35

死に方がどうのってなんて考え方自体、くだらないですね。
正しく生きれば、正しく死ねる、そんなこと自体、日蓮仏教が作った幻想の一部でしょう。
池田さんは脳軟化症だそうですが、別段、わたしは罰だと思いません。
反面、阿部さんは元気いっぱいだそうですが、その生き方には納得はいきません。

1267犀角独歩:2005/01/13(木) 21:44

関連しますが、死んで色が白くて、軽ければ成仏(大笑)
これって、白王主義という人種差別がもたらした取るに足りない迷信ですし、太っていた人が死んだ痕も重いのは当たり前、軽くなるはずはないわけです。
軽ければ天に近い、死んで天に行く非科学的な発想で、こんなものをいまだにいって、「ええ!そうなんだ」というのなら、まだしも「わたしは見た」とまるでいつも見ている様に騙る大嘘つきの数が、その集団のインチキ度と正比例すると思う昨今です。

昭和30年からリアルタイムに生きたわたしにとって、創価学会で池田本仏論を語っていたのは、愚鈍凡夫さんが言うとおりで、何も福島さんに限ったことではなく、また、仰るとおり、その責任のすべてを果敢にも一人でしょって討ち死にしたのも福島さんでした。ただし、死人に鞭を打つわけではありませんが、副会長当時も、やめたあとも、福島さんのあり方には、まったく賛同できるところはありません。池田さんの非を責める以前に、片棒担いだ自分の非を贖うことを考えるべきであったでしょう。
さらに言えば、作った講が仰いだ指導教師、つくづく師に恵まれなかった気の毒な人でもあったと思います。

1268犀角独歩:2005/01/13(木) 21:55

それから吉祥仙人さん(はじめまして)、あなたは本で読んだだけでしょうが、わたしはリアルタイムで見てきました。学生時代に受けた教授東洋教学試験では「主師親の三徳とは」という設問の模範解答は「池田先生のこと」という試験を受けた人間です。聞いた話ではなく、わたしが育った創価学会では池田本仏論なんて当たり前でした。

それとさらに言えば、現代の創価学会で「池田先生、絶対」なんて当たり前のことでしょう。あなたがそれを否定するのであれば、創価学会員としてはまだまだということでしょう。まだ観心も本流も知らない上っ面しか教えられていない程度のところでさまよっているということでしょう。文底釈も、奥義も知らない素人会員ということでしょうね(笑)

1269愚鈍凡夫:2005/01/13(木) 22:31

>>1266:
小生のカキコが犀角独歩さんに誤解を招いたとしたらあやります。済みませんでした。
m(_ _;)m ゴメン!!
言葉足らずでした(「いつものことやろ」 by外野席)。

小生は、人の人生は死に方ではなく、生き方にあると思っています。
したがって、死に方を人生の集約とばかりに喧伝する教団の姿勢に我慢できません。
また、死に方云々で人を測ることは、災害で不幸にも亡くなった方々を冒涜する行為でもあります。
奇しくも、今年は阪神淡路大震災10周年であります。神戸市内でもっとも被害の大きかった長田町は、創価学会員の方々が多く生活されていた場所と聞いています。
吉祥仙人さん、死に方で人の人生を測ることは、あなたの同志を冒涜することになりますよ。

1270愚鈍凡夫:2005/01/14(金) 05:55

>>1265の「会長本物論」は「会長本仏論」の間違いです(決してギャグではありません。悪しからず)。
m(_ _;)m ゴメン!!

おおいさん紹介の「池田大作本仏論」に出てきますが、実は、会長本仏論の先駆けは池田さんなんですよね。既に昭和33年9月14日の講演で、戸田さんのことを「仏さま」と尊称しています。

「仏さまは、ウソをつかないと私は信じます。また、会長先生もウソはつきません。仏さまです。きちんと21年先を目指して、そうおおせになったのだもの。先生が4年前に『もう、自分はそろそろ眠るから、青年部しっかり聞いておけよ。聞いておけよ。あと25年だよ』とおおせになったのだから。それから4年目だから、ちょうど21年です。というわけで、必ず広宣流布はできるのです。」(「会長講演集 第3巻」 初版P317)。

この21年後は、言わずと知れた昭和54年ですね。池田さんが会長を辞任した年です。
この会長本仏論に対しての、日達師の言い訳がましい発言が下記です。

**************************************************
なるほど学会では、「池田会長本仏などということを言った覚えは無い、学会ではそういうことは無い」と、こう言っております。しかしながら考えてみますと、一番初めは昭和50年前後でしたか、『火の国』という小冊子を学会のある一部の人で作った。その本に明らかに「会長が仏様である」ということを述べておりました。又、もっと古くは、最近分かったのですけれども、既に昭和38、9年ごろから「会長が仏だ」という話は出ておるんです。それを我々は知らなかった。

御法主日達上人猊下御言葉 妙観会の砌
*************************************************

個人的に日達師は、早くから創価学会で言われる「会長本仏論」を知っていたと思います。ただ、当時立場上、公にできなかっただけではないでしょうか。

「御法主日達上人猊下御言葉 妙観会の砌」
http://www2s.biglobe.ne.jp/~shibuken/PAPER/1979/D54-04-03.html#1

1271犀角独歩:2005/01/14(金) 09:43

>1269

愚鈍凡夫さんのお考えと心情には賛成です。また、誤解して、とってもいません。(ご安心を)
あくまで、逝去の姿で判断する「恐怖操作」への憤りの範囲です。

それにしても懐かしい資料ですね。昭和50年代に目を皿のようにして読んだ資料です。
しかし、愚鈍凡夫さんが仰るように、達師は知っていたでしょうね。
わたしがいちばん不自然だと思うのは、模刻された学会成就本尊が本部に入仏式をやり、それを『聖教新聞』1面トップで報道もしていたわけです。それなのに、宗門は知らなかったで通したことです。当時、どの寺院でも『聖教新聞』は読んでいたはずです。

実際に達師に池田さんが口頭で許可を得たかどうかは別として、新聞で報道された段階でも気付かなかったというのであれば、母体・本山という立場からすれば、その段階で明らかに監督が行き届いていなかった。「石山700年の化儀」への冒涜であれば、その引責は達師にも及ぶところでしょう。まあ、そんなことで、知らぬ・存ぜぬだったのでしょうか。

わたしは模刻事件で学会を辞めた口ですが、いま考えると、池田さんや学会首脳は彫刻本尊の実態をその頃知り、「なんだ、そうだったのか。だったら、自分たちが勝手に本尊を作ったって、どうってことはない。何せ池田先生は、日蓮大聖人の生まれ変わりなんだから」なんて論調だったのかと想像しています。

正本堂に彫刻本尊を遷座する折、赤沢朝陽からAに、さらに下請けに出されて修繕された…、その際、聖教新聞社・カメラマンH氏が詳細な彫刻本尊の写真を撮影した…、腐朽し崩れ取れた彫刻本尊の木片をとある科学機関に持ち込み、放射年代測定を行った…、などという噂とも真実とも取れる情報が実しやかにささやかれた時期でした。もし、これらが事実であれば、その結果を池田さんと学会首脳が認知しなかったわけはないわけですね。

ここで始めて真実を知ったのでしょうか。しかし、国立戒壇といって800万人500億円近い金を集めて実際に正本堂ができてしまったあとの話です。いまさら、あとには引けないという思いが学会にはあったのでしょうか。それから、長いながい軌道修正がはじまり、いまもその道程にあるのだろうと思います。会員の不信感を惹起させず、上述の過ちから如何に軌道修正するか、そのことこそ、最も学会大本営が腐心してきたことでしょう。その時々に各会員に刷り込まれた口上が、どんなものであったか。時折、ここに書き込まれる学会・現体制を肯定し、言われたままを鵜呑みにし、それをあたかも‘自分の考えのように’にここに投稿する人々の心象で窺い知ることができるわけです。「ああ、いまは学会はこういう形で会員を納得させているわけだ」と。

外から見れば、こんなふうに操作されているんだと簡単にわかるわけですが、当の会員は自分の姿は見えないわけです。学会擁護の代理戦争の駒、歯車のひとつとして、どのように考えるかまで刷り込まれたプログラムで感情的になっているわけです。他愛ないというか、まあ、根が正直で素直な性格を利用されていることに気付くには時間はかかるでしょう。

まあ、そうは言っても、創価学会と会員は被害者である側面を持っている、そんなことを最近、夙に思い、軌道修正に纏わる、所謂「生みの苦しみ」に関しては、同情的な気持ちになっているのは事実です。学会員であった自分を騙したのは、創価学会だったのか、いやその創価学会もまんまと騙された当事者であったのであろうという認識です。

ただしかし、そうなると、「池田本仏論」なるものだけは、これは「学会の」(あくまで「」カッコつきですが)オリジナルの過ちということになるわけですから、この点を現創価学会が否定するのであれば、それは実に結構なことであるとも思うわけです。

被害者が加害者になる無限連鎖…、しかし、これがカルト問題の本質であるわけですが、まあ、こういう論法が学会を含む彫刻本尊信仰圏に当て嵌まるか・どうか…、これは各信徒のレスポンスと襟度で一般は判断することと言い添えておきましょうか。

1272吉祥仙人:2005/01/14(金) 20:54
犀角独歩さまへ
なるほど了解いたしました。
ただ、私が学生部当時は「会長本仏論」はすでに廃れもしくは破釈されて
いたようです。
過去の過ちを認め、懺悔するべきかもしれません。

1273吉祥仙人:2005/01/14(金) 21:08
愚鈍凡夫さまへ
同じく了解いたしました。

1274大勇者:2005/01/15(土) 19:23
遅ればせながら、
本年も宜しくお願い致します。
>>1271 犀角独歩さん 昨年は色々とご迷惑お掛けいたしました。

私は入会15年程度なので、その昔に「池田本仏論」が囁かれていたのかどうか
存じませんが、今のところ会員からは聞いた事はありません。
強烈な池田崇拝者は多く居られると私自身も感じます。

近年学会で説明されているのは池田本仏論ではなくて人間本仏論的な事ではないかと思うのは私だけでしょうか?
「我々も先生も皆が仏なのだ」と言ったような趣旨の話は聞かされる時はあるものですから、
これは、近年になってからの所謂、論理のすり替えだったのでしょうか?
皆様の御考察を伺えればと思います。

1275おおい:2005/01/15(土) 19:47
>1274
愚鈍凡夫さんが上げた資料を読んで言ってんの?

1276吉祥仙人:2005/01/15(土) 21:08
おおいさんへ
私も大勇者さんも、過去「会長本仏論」が無かったとは言っておりませんし
それは誤りだったと思っております。(大勇者さんそうですよね?)
現在学会でも「会長本仏論」は明らかな邪義とされています。
池田先生を広布の指導者と仰ぐのが本来の姿ですが、大勇者さんのおっしゃ
るとおり、個人的に崇拝する会員がいることも事実です。それは個人の趣味
のようなものと私は理解しております。
師弟ということを強調した場合、それが個人崇拝につながりかねない危険性
はあります。
しかし師弟とは師に盲従することではないと、学生部時代、指導されました
法華講では池田先生を誹謗するために、過去の遺物である会長本仏論をむし
かえし、邪見を広めていると言わざるをえません。
阿部日顕は自分こそ個人崇拝してもらいたくて伏せ拝を強要しています。
学会員は池田先生に伏せ拝などしません。

1277管理者:2005/01/15(土) 21:27

吉祥仙人さん

>1276 阿部日顕、乃至、池田先生

以前も議論になりましたが、阿部日顕氏は歴史上の過去の人物では有りませんので「阿部日顕」と呼び捨てするのは、聞き苦しいです。いわんや、その後に、対比させて「池田先生」ではなおイタダケマセン。日顕氏、日顕さん、程度の敬称はつけて戴きたいと存じます。今回は削除致しませんが、同じような表記が続くようですと、削除対象に致しますので、ご注意をお願いいたします。勿論、「池田」と呼び捨てする向きも同じく削除対象です。

1278吉祥仙人:2005/01/15(土) 22:20
失礼しました。反省し、以後日顕管長と呼ばせていただきます。

1279吉祥仙人:2005/01/15(土) 22:23
追伸
期待したとおり、実に真面目な掲示板で安心いたしました。

1280名無し@富士門流:2005/01/15(土) 23:13

横レス失礼します。

ここのところの議論と関連するかどうかわかりませんが、福島源次郎氏の「蘇生への選択」をパラパラと読んでいましたら、「『帰命論』の総括」と題する頁があり、そこには「『師への帰命』論は、当時の宗門が厳しく指摘するところの『池田会長本仏論』の最大の論拠としてもっとも強く批判されました。この件についてはいずれ稿を改めて総括をしたいと考えていますが、ここでひとまず断っておきたいことは、私は『先生』を本仏だとか大聖人の再誕と考えたことなど毛頭なかったということです。」と書かれていますね。

よく学会の方が、過去の「池田本仏論」なるものは福島氏の独創のように言いますが、その福島氏本人はそれを否定しています。
むしろ、当時の学会内での風潮がそうであったと言っています。

ま〜、どうでもいいことなんですけどネ。

1281大勇者:2005/01/15(土) 23:33
>>1275 おおいさん。
勿論、読ませて戴いております。 百禍繚乱も。
池田氏の揚々な発言も、仏性や仏界などの所謂 民衆主義や人間主義と言った学会の視点から見れば、
個人崇拝(池田教)の論証と破するのはフェアではないと思い愚見している次第です。

1282犀角独歩:2005/01/16(日) 00:02

創価学会のお二方。

15年やそこいらの短い時間ではこの問題はわからないでしょう。
なにせ、昭和3、40年代からの話です。すでに50年スパンの話ですよ。
いま言われていないなどというのは議論がずれています。
「日本は戦前から軍隊はなかった。なぜならば、現代の日本は軍隊を持っていないからだ」といううようなものでしょう。

わたしは創価学会を50年間、見てきたのです。
30年前、たしかに池田本物論は言われていましたよ。
わたしが中等部長になったときも、高等部衷心グループ長になったときも、その担当幹部は、「君は人材だから、特別に教えてあげるけれど、池田先生は日蓮大聖人の生まれ変わりなんだ」、そう諭されたものでした。

なお、「フェア」云々というのであれば、「池田‘先生’」に対して、会ったことも、実際に話を聞いたこともない阿部さんのことを「阿部日顕」と呼び捨てにし、管理者さんから指摘を受けるような創価学会一般の論調こそ、フェアではないわけです。

過去のことをいまの現状で推し量って云々するほど、ナンセンスなことはありません。
夏に「日本では雪は降らない。事実、いま降っていないから」というものでしょう。
実に馬鹿ばかし、反論であると思うわけです。

ただし、吉祥仙人さんの真摯な前向きな議論の参加の仕方には、わたしは誠意を感じます。今後とも大いに語り合いたいと思います。

1283犀角独歩:2005/01/16(日) 00:05

あれ、いかんですね。
愚鈍凡夫さんと同じ打ち間違いをしてしまいました。
池談本物論は池田本仏論の間違いです(笑)

1284犀角独歩:2005/01/16(日) 00:17

名無し@富士門流さん:

『蘇生への選択』という、あの上っついた本で、福島さんが何を言おうと駄目でしょう。
あの人は『人間革命は現代の御書』と言って憚らなかったんです。
わたしは高等部時代、信濃町の青年会館で個人指導を受けたとき、「『人間革命は現代の御書だ。100回読みなさい」と指導を受けましたよ。御書は石山門で言えば末法の法華経でしょうし、それを説いたのは御本仏です。つまり、本仏:御書=池田:人間革命という関係にあるわけですから、池田本仏を言ったと捉えられても致し方がないことです。

また、当時、福島さんは副会長です。池田会長に次ぐ、副会長職に会ったわけですから、「福島個人が言ったこと」という弁明は成り立ちません。創価学会副会長の指導として公式な意味を持ちます。故に責任をとって辞職もしたわけでしょう。

…とまあ、記しても、名無し@富士門流さんにはどうでもいいことでしょうが(笑)

1285大勇者:2005/01/16(日) 00:26
>>1282 犀角独歩さん
「君は人材だから、特別に教えてあげるけれど、池田先生は日蓮大聖人の生まれ変わりなんだ」
これはある脱会者のHPでも読んだことがあります。
そのHPでは、ある程度の役職まで行った者だけに特別に教えてあげるという様な、
陽動に使われているとの事でした。もしそうであれば、私などの末端が知らずに現在も囁かれてるのかも知れません。

信仰歴40年〜50年の会員の方からでも池田転生論は聞く事はありませんが。
幹部だけが知っていて秘密にしてるのでしょうか?笑える話ですね。
事実だとしても公開しない理論など信仰上無意味であると言わざるを得ません。

1286犀角独歩:2005/01/16(日) 00:43

大勇者さん、何をわけのわからないことを行っているのですか。
創価学会が公式発表以上に口コミで指導を徹底するのは周知の事実です。
ここでそういう見苦しい言い訳をすればするほど、あなたと、底から見える創価学会は不誠実と映るわけです。
なぜならば、福島さんも、また、愚鈍凡夫さんが紹介するHPに載る記事も、あなたが言う「信仰歴40年〜50年の会員」の言葉そのものであるからです。
わたしもまた、末端幹部であったといえ、昭和30年、生まれながらの創価学会であり、そのわたしが、ここにその転生論を書いているのに、聞いたことがないとはどこをよんでいるのかと言いたい訳です。
そのような、あなたの不誠実な会話に私は付き合う気はないと申し上げているわけです。

1287大勇者:2005/01/16(日) 01:14
>>1286 犀角独歩さん。
その口コミ指導は50年経っても未だ私の世帯には届いておりませんが。
不誠実な会話と仰りますが事実ですけれども。

悪意のあるプロバガンダなのかマインドコントロールの手法なのかどうかを判断する為の
見極めを考えるべきと言っているだけなのですが、「わけのわからないことを言っている」とは
非常に残念です。

1288犀角独歩:2005/01/16(日) 01:17

大勇者さん、あなたのところにとどいなかろうが、それが届いた数十万の人間が、それを届いて脱会したのは事実です。
プロパガンダとは、自分の見える範囲ですべてを決めるあなたにこそ、当てはまる言葉でしょう。
実際に愚鈍凡夫さんにしろ、その他に人々にしろ、資料は提示しているのです。
その資料は一切、無視で、自分の範囲などという態度こそ、残念です。

1289名無し@富士門流:2005/01/16(日) 01:18

犀角独歩さん、今晩は。

>1284

なるほど実体験からのお話しですね。
私などは福島氏のことは、この一書からしか知りえないものですから。

他所の学会系の掲示板などでは、「会長本仏論」は福島氏の独創のように語られていたのを記憶しています。
たまたま古本屋の100均コーナーで、「蘇生への選択」を見つけたので、学会員さんとも度々議論をする機会がありますので買っておいたものです。

ま〜、100円だからいいか!

1290犀角独歩:2005/01/16(日) 01:19

それに50年経っても、届くわけもないでしょう。数十年前に根絶やしになった話が、なんで居間、届くはずがあるのですか。
何を言っているのですか。

1291大勇者:2005/01/16(日) 01:21
また口コミ指導なるものを鵜呑みにするほど会員は愚かではないことを信じていることも
我見として付け加えておきます。

1292犀角独歩:2005/01/16(日) 01:25

名無し@富士門流さん。池田本仏論は、福島さんの独創という点については、愚鈍凡夫さん(たびたび名前を挙げて恐縮です)も挙げていますが、自作自演という見方もありますね。

その顕著な例が、蓮師縁の地に行った池田さんが、杉の古木かなんかに手をかけて「なつかしいな」といい、700年ぶりに、その場所と、その気の元に訪れたポーズをとった話は有名ですね。実際のところは、その木は数百年の樹齢しかなくて、笑い話になったというおちでしたが。

まあ、池田さんを笑いものにする気はありませんが、私の青春時代はこの手の話は事欠きませんでした。そんな実体験のある人間に「そんなことはなかった。話を聞いてない」と言われても、わたしとしては、単に実体験を記述しているのに過ぎないわけです。

いや、これはもちろん、名無し@富士門流さんに申し上げているわけではありませんが。

1293犀角独歩:2005/01/16(日) 01:26

口コミ指導を信じるほど、おろかではないのであれば、各会合で発表される新聞損他に載らない一切の指導を会員はまったく信じないことを意味します。
そんなことが現実的ではないことは会合に参加している会員であれば誰しもすぐにわかることでしょう。

1294大勇者:2005/01/16(日) 01:35
自分の範囲では「池田本仏論」なるものを聞いたことが御座いません。
これは事実です。
自分の範囲や体験を投稿して何か問題でもあるのでしょうか?

1295犀角独歩:2005/01/16(日) 01:39

> 1294

あるでしょう。
池田本仏論が語られていたのは、いまから30年前の話です。
それを今、聴いたことがないと言って、何の意味がありますか。

1296愚鈍凡夫:2005/01/16(日) 01:40

帰命論で思い出したのですが、「小説人間革命」に同じような記述があったと思い、探してみたら案の定ありましたので、引用してみます。

「ギャグではありませんので、池田さんと山本伸一を重ね合わせないようにお願いします」(by 独り言)

**************************************************
――『革命は死なり。われらの死は妙法への帰命なり』と、書いた時、山本伸一は妙法に帰命すべきわが宿命と、使命を、深く強く自覚していたのではなかろうか。それは『最高の栄光ある、青春の生きゆく道』の自覚であったが、また未知への恐怖をはらんだ自覚でもあったろう。すなわち、彼がみすがら強行した革命であったのだ。それはまさに『革命は死なり』であった。つまり己の一切を空しゅうして、悔いない覚悟とは、戦後のあまりにも平凡な、無名の一青年、山本伸一の死を意味する。しかし彼の死は『妙法への帰命』であったのである。この革命を強行したもの――山本伸一は、すでに妙法の革命家として、蘇生していたのである。したがって、彼は、あらゆる悩みのなかから、この時、はじめて雄渾な勇気と希望とをいだくことがてきたに違いない。
 この若い革命家の『妙法への帰命』という理念は、具体的な実践でいうならば、希有の師への帰命、すなわち『戸田城聖への帰命』でなければならぬことを、彼は知ったのである。

「人間革命 第3巻P182」より
**************************************************

「むむっ、自画自賛恐るべし。さすがに自分ではこうは書けないわなぁ」(by 独り言) (-"-;A ...アセアセ

おもいっきり「帰命論」→「会長本仏論」の流れですね。

1297犀角独歩:2005/01/16(日) 01:42

あと、1293に関しては、大勇者さん、なんか言うことはないのですか。

1298犀角独歩:2005/01/16(日) 01:46

面白い。

> 戸田城聖への帰命

換言すれば「南無戸田城聖」=「南無会長先生」=「南無池田先生」=「南無日蓮大聖人」=南無妙法蓮華経という脈絡ですね。

1299愚鈍凡夫:2005/01/16(日) 01:47

訂正

誤→すなわち、彼がみすがら強行した革命であったのだ。
正→すなわち、彼がみずから強行した革命であったのだ。

です。悪しからず。 m(_ _)m

1300大勇者:2005/01/16(日) 01:48
『戸田城聖の指導する仏法への帰命』と読むでしょう。普通。
会長本仏論の根拠とは全くなり得ないと考えます。

1301犀角独歩:2005/01/16(日) 01:51

> 『戸田城聖の指導する仏法への帰命』と読むでしょう

では、なぜそう書いていないでしょうか。
そうやって言いかけ、書き換え、言い逃れする態度が不誠実だというのです。
過去の過ちは過去の過ちとして認めないからプロパガンダと言われるのでしょう。

1302犀角独歩:2005/01/16(日) 01:51

だいたい、「会長先生は仏です」という言葉がある以上、動きがたいでしょう。

1303大勇者:2005/01/16(日) 01:52
>>1293
口コミ指導に対して、資料による研鑽作業を行い確認する会員さんが
一般的と思われます。

1304犀角独歩:2005/01/16(日) 01:52

前の質問に答えないで人の揚げ足ばかりを取るのはやめなさい。
みっともないですよ、大勇者さん、学会に恥をかかせるもんじゃないでしょう。

1305名無し@富士門流:2005/01/16(日) 01:53

愚鈍凡夫さん、例の「人間革命」第3巻の記述は、現在出版されているもの(聖教文庫版P183)は「希有の師への帰命、すなわち『戸田城聖への帰命』でなければならぬことを」の部分が「稀有の師と一体となっての『妙法への帰命』であることを」へと改竄されています。

したがって、最近学会に入った方や最近学会に興味を持ちはじめたものにとっては、わからないのでしょうね。

1306犀角独歩:2005/01/16(日) 01:55

> 資料による研鑽

大勇者さん、資料というのは創価学会発信ばかりじゃないでしょう。
愚鈍凡夫さんが、挙げている資料を、では、あなたは何で少しも研鑽しないんですか。

1307犀角独歩:2005/01/16(日) 01:56

> 1305

正鵠を射たご指摘ですね。
このように捜査された結果が1301ですか。
手に取るように操作の次第がわかりました。

1308犀角独歩:2005/01/16(日) 01:57

訂正すると駒を取るので恐縮ですが、「捜査」は「操作」です。

1309大勇者:2005/01/16(日) 02:00
>>1301
全く言い逃れでもなんでもないと思います。
犀角独歩さんが悪意を持って読むからでしょう。ご自由ですが。
>>1302
「弘教を行う人は仏です」と言う言葉でしょう。
会長先生のみが仏だとでも?

1310犀角独歩:2005/01/16(日) 02:05

書き換えについて言えば、わたしは戸田さんのスピーチレコードを多数、所持していますが、いま学会が発刊する戸田さんの言行録はまるで書き換えられています。
この点は御書全集でもそうで、富士宗学要集でもそうです。

それを、いま観光されているものが事実であると見ると、過去の事実は何も見えず、今言われていること、自分が知っていることが正しいという短絡で終わってしまいます。

つまり、構成員はいつの時代もそうやってだまされてきたわけです。
その意味で、大勇者さん、あなたも騙された被害者です。
お気の毒です。事実を知るためには過去の資料を自分の努力であたるしかありません。
いま、聞いたこと、読んだことは改善されたものである認識をまず持つことです。
あなたは、書き換えられた資料を鵜呑みにさせられることによって、操作されているのですよ。

吉祥仙人さん、ロムされていますか。ここいらの本質を、どうか凝視してください。

1311愚鈍凡夫:2005/01/16(日) 02:06

>>1300:大勇者さん。

> 『戸田城聖の指導する仏法への帰命』と読むでしょう。普通。

とは、読めないでしょう。普通。

何故なら、
「具体的な実践でいうならば、希有の師への帰命、すなわち『戸田城聖への帰命』でなければならぬことを、彼は知ったのである。」
と書いてあるのですよ。「希有の師への帰命」、すなわち、「人間・戸田城聖」への帰命でしょう。
何度読み返しても人への帰命を言っている文章ですよ。

1312犀角独歩:2005/01/16(日) 02:07

わたしは、悪意など、持っていませんよ。

>1309はまた、いまのことで昔を推し量っていますね。

1313犀角独歩:2005/01/16(日) 02:11

>>1302
> 「弘教を行う人は仏です」と言う言葉でしょう。
> 会長先生のみが仏だとでも?

なにを勝手に言い換えているんですか。

会長先生が仏といえば、会長先生が仏。なんで会長先生を「弘教を行う人」と言い換えるんですか。

では、弘教を行う人はみんな会長なんですか。
そうじゃないでしょう。
あなたが折伏をすると、あなた、大勇者さんは、会長なんですか(爆笑)

1314大勇者:2005/01/16(日) 02:15
>>1312
先ず、「池田本仏論」なるものを語る学会員など稀有であることを
確りと認識すべきではありませんか?
何度も書きますがこれは、現実であり事実です。

1315犀角独歩:2005/01/16(日) 02:18

>1314

だから、それは今の話で、30年前のことじゃないと何度も言っているでしょう。
いま、それは修正されたのは結構なことだ。しかし、その代償として、池田さんは会長職を辞任したという歴史が動かないといっているんですよ。

1316大勇者:2005/01/16(日) 02:21
>>1311
人への帰命などと解釈している会員はいないでしょう。実際に。

1317大勇者:2005/01/16(日) 02:29
>>1315
だから何故、その30年前の口コミを語る末端の会員が私の範囲に居らないのかと言っているのです。
犀角独歩さんは幹部候補生だったのではないですか?
極一部の幹部の間での口コミでの話しなど批判の対象にならないでしょうと
言っているのですが。

1318犀角独歩:2005/01/16(日) 02:31

以下の文章のように池田さん自身が「池田会長本仏論」に触れ、『聖教新聞』にも掲載されたわけですから、最近、入会した会員がいくら「会長本仏論」がないと息巻いても始まらないでしょう。


池田大作著・聖教新聞掲載『恩師の二十三回忌に思う』
http://www.geocities.jp/saikakudoppo/ikeda_toda23.html
(ジャンプが飛ばない場合は、上記アドレスをアドレスバーにコピペしてご覧ください)

1319犀角独歩:2005/01/16(日) 02:34

> だから何故、その30年前の口コミを語る末端の会員が私の範囲に居らないのかと言っているのです


その理由はいたって簡単です。会長本仏論にあきれ果ててみな脱会したからです。
創価学会は昭和63年に1650万人会員を正式に発表していました。
ところかが今は1000万投票を目指しているわけです。
意味するところはわかりますか。
創価学会は東京都の人口に匹敵する脱会者を出しているのです。
だから、30年前の口コミを語る人間は残っていないのです。
30年前からの会員でそれを語らないのは、その後、学会内で言われた口コミで言いかえをしてきた人間が現役会員だからだということを意味しているわけでしょう。

1320愚鈍凡夫:2005/01/16(日) 02:38

>>1316:大勇者さん

名無し@富士門流さんが、>>1305で紹介されている書き換えられた文章しか知らない会員の方々には解釈できないかも知れませんが、小生が所有する「人間革命第3巻:第4版昭和42年3月28日)では、間違いなく、「具体的な実践でいうならば、希有の師への帰命、すなわち『戸田城聖への帰命』でなければならぬことを、彼は知ったのである。」と書いてあります。
小生は、1962(昭和37)年入信ですが、長い間、会長本仏論は常識でしたよ。母によく、会長先生は天皇陛下よりも偉いと教えられました。
また、口コミで「池田先生は何でもご存じである」といった、"池田マジック"が末端組織まで流布していたものです。

1321犀角独歩:2005/01/16(日) 02:39

池田さんが「代々の会長を神格化などしてはなりません。とくに私は若くして第3代会長の任に就きましたが私などを絶対視してはならないし、かりそめにも、主師親の三徳とか、本門弘通の大導師といった表現を用いることは誤りであり、絶対にあってはならないことです」と、なぜ記さなければならなかったと言えば、それは

*代々の会長を神格化したことが実際、学会内にあり
*私(池田大作)を絶対視し、主師親の三徳具備といい、本門弘通の大導師

といった事実があり、それを問題視された経緯があったからこそ、このような弁明があったという歴史を創価学会員は言い逃れせず、真正面から、見なければいけないということです。

1322大勇者:2005/01/16(日) 02:45
>なんで会長先生を「弘教を行う人」と言い換えるんですか

会長先生が弘教を行う人の一人だからでしょう。

>では、弘教を行う人はみんな会長なんですか

そうです。その通りです。みんな会長です。
(個人的意見であることはお断りしておきますが)

1323犀角独歩:2005/01/16(日) 02:48

1318のジャンプだと『聖教新聞』の紙面が出ませんね。
以下だと、出ます。
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/ikeda_toda23.html


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