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善とは何か
1
:
緑装薬4 </b><font color=#800000>(aL5K3vps)</font><b>
:2004/04/21(水) 22:44
「悪とは何か」ちうスレをずいぶん昔に立てたが(笑)
某人質事件において「善だからいい」ちうお話が出てて、「善ってなんだろう」と
思ったわけね。
まあ、悪についてもお話が進んでないんで、当然善についてもお話は続かないと思うけど
少なくとも「善」とか「ええこと」について語りたい御仁ならおるかもせんね(笑)
3
:
ヤッス
:2004/04/28(水) 04:30
善とは。
やってる当人が「いい気分」になれることだ。
「今、俺っていい奴? いいこと言ってる?」
「今、俺が言ってることって、支持されてる?」
「今、支持されてるってことは、俺無敵? 俺だけが責められる言われなし?」
「みんながそうだって言ってんだから、俺がそれをしたって許されるわけよ」
「つまり、俺、善。俺、正義。正義で善の俺がいいっていうんだから、
俺に従わない奴はクズ」
とゆう連想の正義、善に、文字通り「取り憑かれた」輩のなんと多いことか。
善、すなわちそれは、「弱い人間の心の隙に取り憑くもの」であろうと思うのだ。
もしくは、遠藤周作風に「善魔」という、やはり魔の一種が善であろう、と。
4
:
イカフライ
:2004/05/02(日) 20:33
「正義を行えば、世界の半分を敵に回す。」
って、映画のセリフがあるんだが。
正義っていうのは、対立構造を持っているんだよね、皮肉な話だが「悪」がなかれば、正義は存在しない。
で、善=正義だろうか?というと、ちょっと違う気がする。
そのボーダーがどこか?と言われると、とってもあいまいなんだけれど善意と言うのは、それだけではそこまでの対立性というか、絶対性、強制制はないように思えるんだよね。
例えば、杖をついた腰の曲ったおばあさんが大きな荷物を持って横断歩道を渡ろうとしている。
そこである人が、おばあさんの荷物を持って手をひいて横断歩道を一緒に渡る。
そこでその人が、「自分は今いことをしてるんだ」と優越感に浸る部分は有るにせよ、その行為自身は純粋素朴な善意から出ている事が殆どだと思う。
けれど、そこで、そのおばあさんがどう感じるか?
「今時、親切な若者だ、人情もまだまだ捨てたもんじゃない」
と非常に喜ぶかもしれない。けれど反面
「自分はまだ他人の助けを借りなくても、道くらい渡れる、だからこそ、こうやって出歩いてるんだ。年寄り扱いしよって」
と思うかもしれない。(自分、年取ったらこういうババアになりそうでw)
私は「善意」っていうものは、否定したくない。それこそ世界が全て獲物と泥棒の世界であるのなら、生きることがそれだけで哀しすぎる。
けれど、反面善意ってものは、非常に厄介なことも事実だ。
よく「悪気があってしたことじゃない」というよね、じゃ、悪気がなければ良いのか?
善意でした、という理由で全てを正当化しようとする事は、日常の中にすごく多い。
それは、「自分が善意である」ということだけがあって、その善意を受けた他者がどう感じるか、どう影響するか、がないからかな、って思う。
最初の例で言えば、おばあさんの荷物を持って手をひくのは「善い」ことだ、それをした人は「善い人」だ。
けれど、それによって年寄り扱いされた、と当人が不快になったとしたら、それは悪い事なんだろうか?それとも、善いことなのに悪くとるバアサンが悪いのだろうか?
私は善意そのものは信じたい、けれど、善意とは一番に相手を思ってするはずであるのに、相手の気持ちや立場を忘れるのもまた善意なのだ。
5
:
ヤッス
:2004/05/03(月) 01:03
GW中なのでPCのスイッチきっとった。
「相手のためにしたこと」について、された相手から同意が得られれば善意。
得られなければ「独善」。
共有された「善意」は喜ばしいが、押し付けた(もしくは理解されなかった)善意は
「独善」という悪である、と。
善意が「独善ではない」ことを証明するには、結局善意を向けた相手との間に
意識の共通化、または合意が成立させ得なければならないわけで、「自分が
善意だと思っていれば、それをされる側の同意は不要だ」と考えてしまったり
した時点で、善意は独善という「毒」に留まってしまう(変わるのではなく、留ま
る。独善からスタートして、合意ができて始めて「善意」になる)というものなの
かもしれんとオモタ。
6
:
D.R.
:2004/05/03(月) 09:30
>>4
ああ、それ知ってるわ、俺…
なんでだろう。
7
:
ヤッス
:2004/05/03(月) 18:26
>>6
押井守だよ。
ケルベロスでないかい。
8
:
D.R.
:2004/05/03(月) 18:57
正しくは、「紅い眼鏡」の予告の一節だね。
映画本編でこの台詞は出なかった。
ただし、漫画「犬狼伝説」では本編で室戸文明が口にしていた。
9
:
イカフライ
:2004/05/03(月) 19:18
>>7
はい、押井守です。
善意から行った行動が必ずしもよい結果をもたらすとは限らない。
だから、善意は不用だ、なんの意味もない、というと、これも違う。
>善意が「独善ではない」ことを証明するには、結局善意を向けた相手との間に
意識の共通化、または合意が成立させ得なければならないわけで、「自分が
善意だと思っていれば、それをされる側の同意は不要だ」と考えてしまったり
した時点で、善意は独善という「毒」に留まってしまう。
相手に合意が成立したかどうか、解る場合も有るし、解らない場合も有るよね、現実的に。
したほうからすれば、解らないまんまなら幸せなわけだ、「いいことをした」っていう良い気分でいられるから。
問題なのは、善意でしたことなのに相手にとって「悪」になってしまうこと。
悪と言うと大袈裟だけど、不快だったりよけいなおせっかいだったり。ありがた迷惑っていうやつ。
その場合、善意をした側が、それを認める事ってすごく難しい。また、周囲も殆どの場合、その行為を肯定する。
>「自分が善意だと思っていれば、それをされる側の同意は不要だ」
もっと言ってしまえば、それに同意をする事を強要される場合だってある。
己の善意がありがた迷惑だ、ということをなかなか認められないのはどうしてなのか?
それは人間にはエゴがあるから、といってしまうと簡単だけれど、ではエゴって必ずしも悪い事なのか?
人間ならエゴが全く無くなれば、それはそれで問題ではないか?とも思うし。
10
:
D.R.
:2004/05/03(月) 20:41
京極堂なんかは、
「言葉はどう言うつもりで発したかではなくどう受け取られたかが重要」
みたいな事を言ってるね。
11
:
ヤッス
:2004/05/03(月) 23:27
どういうつもりで受け取られるか、を、できるだけ発言時の「つもり」と
かけ離れないようにするために、言葉を重ね、言葉を凝らすわけだな。
少ない言葉、シンプルな単語で同意を得られればそれに越したことはない。
が、少ない言葉には、複数の語義があったりする。
「そういうつもり」が「別の意図」に勘ぐられることだって少なくはない。
むしろ多い。
>>9
善意が不要だとは思わない、という点には同意。
「ありがた迷惑」と言われた場合について、「善意なら許される」という
考えを見直すべきでは、という意見にも津意。
相手の同意を確かめないで、「見込み」で行われる善意は、報われな
くても腹を立てない、ということでしかないのかな、とも思うんだがどうだろう。
12
:
D.R.
:2004/05/04(火) 00:59
ただ、善意を受ける側に回った場合、
例えそれがありがた迷惑であったとしても、
善意からしている事であるのを考慮した
対応を取りたいものだ、とも思うな。
ま、俺なりの節度ってとこですかね。
13
:
ヤッス
:2004/05/04(火) 01:27
>12
うん。
でも、それはたぶん、ケースバイケースになるし、そのケースバイケースが
判断を難しくさせるんぢゃないかとも思うんだよな。
先祖代々住んでいる土地に、公共の都合で高速道路を通す。
公共の側の人間は、公共の恩恵を受ける人間に対して善意から道路完成を
目指す。同時に元々住んでいた人間には善意から「移転先」を用意したり、
補償金を用意したりする。
でも、元々住んでいた人間にはそれらの「善意」の全てがありがた迷惑で、
しかも考慮のしようがない。
そういうケースはけっこうある。
そういうケースを「例外」にするか、そうしないかで、「善意を受ける側の」
という話は変わってくるのかもしれない。
難しいやね。
そういう「公共の」を背負わないものとして話した方がもっと気楽にいろいろ
言えるのかもしれんが。
14
:
D.R.
:2004/05/04(火) 02:29
「国民」の中で、「道路を通すために土地を追われる人」と「それ以外の人」
がいると言うケースですな。
公共事業は、「恩恵を賜る人」「損失を受ける人」のプラスマイナスを考慮し、
差し引きどうかと言う意味での善意による事業だからね。
マクロ的にみれば善意でもミクロ的に見ればそうではない事もあるね。
俺はそういう事を言ってるんじゃなくて、
例えば歳をとっても、健康のために電車では立つ主義を貫いていたとしても、
席を譲られたときに「要らん世話じゃ!」などと言って、人の善意に
冷や水を浴びせるような野暮は慎みたいなと、そういう事です。
15
:
D.R.
:2004/05/04(火) 02:30
ところで、
>>13
の事例でも、「考慮のしようがない」のではなく、
「全ての事情を考慮しても受け入れ難いこと」であるのではないかな。
16
:
イカフライ
:2004/05/04(火) 23:18
>>11
>相手の同意を確かめないで、「見込み」で行われる善意は、報われな
くても腹を立てない、ということでしかないのかな、とも思うんだがどうだろう。
報われる、と思う事自体、良くないことなのかも知れないね。
よく宗教なんかでは、善行を積む事自体を修行とか言うよね、それは誰かの為に良い事をした自分は偉い、という傲慢を抑制するためなんだろな。
まあ、実際はその宗教をやっている人達が、傲慢のかたまりになったりすることは往々にして見られるから、その辺がまたこれはこれで問題なのだけれど。
善行の一番良いケ−ス
・その行為で相手が喜び、尚且つ相手のためになった時。
次
・結果的に相手のためになった時
でこの次が難しいんだわな。
・相手が喜んだが結果的に相手の為にならなかった時。
と
・何にもならなかった時。
一番問題なのは、相手にとって悪かった時、なんだろうけれど。
漠然としたいいかただけれど、自分が良かれと思ってほどこしたことが相手を不快にさせたり、もっと悪い結果をもたらしてしまったり。
人は善意を行う事で評価されるのではなく、その善意が相手に評価された時に、それをどう受けとめられるかにとって、その人が評価されるのかも知れないな、なんて思ったりする。
17
:
ヤッス
:2004/05/05(水) 03:08
>>16
>人は善意を行う事で評価されるのではなく、その善意が相手に評価された時に、
>それをどう受けとめられるかにとって、その人が評価されるのかも知れないな、
>なんて思ったりする。
うん。凄く同意。激しく同意。
だからきっと、我々全員にとっていちばん大事なことというのは、耳をそばだてること
なんじゃないかと思うわけだ。
相手の声、反応、そんなものを聞き逃さないように、よく耳を澄ますこと。
人の話をよく聞くこと。
噛んで含めることも大切だけど、相手の言うことを聞き漏らさないこと。
相手が、自分(及びその行為)をどう評価したかを、注意深く聞くこと。
つまりは、相互理解は「言い聞かせること」よりも「よく聞くこと」なのかな
と思ってみたよ。
>>16
を読んで。
18
:
イカフライ
:2004/05/06(木) 22:43
人間ってさ、自分が良い事をすれば、気持ちが良いもんだ。
中には悪いことをして、人が困ったり苦しんだりするのを見るのが楽しくてたまらない、という人もいるだろうが、まあ、一般的小市民というのは、良いことをする、少なくとも良いことをしたと思うことは、気分の良いもんだし、悪い事をしたと思えば良心が咎めるもんだ。
それが、地域社会の安定を維持してきたとも言えると思うし。
例えば世話好きなオバサンが、近所の年頃の娘さんにお見合い話を紹介する。
で、このオバサンは、恋愛っていう一時的な感情でぼ-っとなって、見た目は良いけれど生活力が無かったり、口がうまくて遊び上手だけれど浮気もんな男と結婚するより、地味で堅実な男性を冷静に選んだ方がのちのち幸福な結婚生活を送れる、という考えだとするよね。
そこで近所の娘さんに、安定した職業に付いて貯金もある男性を紹介する。
ところが、その娘さんは、世間では適齢期を過ぎたと言われる年令でも自分は今結婚する気はない、とか、そもそもお見合い結婚なんてモテナイ魅力が無いことを証明するようなもんだからみっともなくていやだ、とか思っているかもしれない。
それで「お話は有難いけど、今その気はないので気持ちだけで」とお断わりする。
ここで終わればまあいいんだけれどさ。
例えばそのオバサンが、なんで見合いしないんだとか、今付き合ってる男はいるのか、とか、女が30過ぎて独身でいるのはみっともないとか、老後がミジメだとか、まあ、そこまで露骨じゃないにせよ、結構、その娘さんにとっては失礼なこと言ったりする。
これは「余計なおせっかい」だよね。
まあ、そこまでは良い、としても。
例えばそのオバサンが娘さんに直接ではなく、彼女の親にお見合い話を持っていったとする。
で、実はその娘さんにはフリ−カメラマンの恋人がいて、しかもあまり仕事がない。
で、彼女の両親は、「男なら女を養うもの、安定した生活こそ結婚生活の降伏の条件」という考えだとする。
で、娘の恋愛に反対してるとするよね。
そんな時に渡りに船でそのお見合いが持ち込まれたら、両親はムリヤリにでもお見合いをさせようとするだろうし、娘は親と自分の恋でなやむ。
3文芝居にもならないネタだ、といわれるかもしれないけれど、ワシの周囲では結構アル話だったんだよね。
で、こんな時、気の良い世話好きオバサンが善意で行った事は、その相手、ここでは近所の娘さんにとっては、それこそ、害にしか作用していないわけだ。
そこで、善意を施す側、ここでは世話好きオバサンが、どうするか、どう思うか?
理想的にはね、自分の価値観だけで相手の価値観や状況に対して考えが及ばなかった、ってことを鑑みられれば良いだろうし、それができてこその本当の善意なんだろう、と思うんだよ。
ところが、人間、善意を施すのが心地よい分、自分の善意が否定されることは非常に我慢ならないんだよな。
そこで、「フリ−カメラマンなんてわけのわからない仕事の男なんてロクなもんじゃない」とか
「あの娘はだまされている」とか、「今の若いコは、なんだか解らないカタカタの仕事の軽薄な男がかっこいいと思うんだ」とか。
結構、そういう典型的なことを考えて、自分の善意を正当化してしまったりする。
だらだらと3文話が長くなったが。
つまりさ、人間って「自分が良い」と思ってていることは、本来「他者にとって良い」ことが目標な筈なのに、いつのまにか
「自分がした事が相手にとって良いはずだ」→「なのに良いと思わないのは相手に、またはそれ以外の所に原因がある」→「それはきっと悪いものだ」→「何故なら、善である自分の行為が良いと評価されないからだ」
なんていつのまにか、目的が変貌してしまうんだよね。
これがいきつくと、「善魔」となって、己の尺度に会わないものを排斥する、それこそ善の為なら人をも殺す、なんてなるんでないだろうか?
「他者に善行を施さねばならない、そしてそれに決して見返りを求めてはならない」
という教えは、裏を返せば、人は見返りを求めずに善を行うのが、スゴ−ク困難だからだろうな。
そして、それを命じるはずの宗教が、実は、己だけの善の正当化の為に殺しあっていたりするんだな。
19
:
ヤッス
:2004/05/06(木) 22:51
>>18
Excellent!!!!!
武蔵に聞かせてやりたい!!!!!!
20
:
D.R.
:2004/05/07(金) 21:48
一言で言うならば、「有難迷惑」だな。
21
:
イカフライ
:2004/05/08(土) 18:14
いや、別に武蔵さんに対して書いた意見ではなんだが……(^^ゞ
良いことをするといい気分になる、という作用は、悪いもんではない。というか、必要な部分はあるんだろうな。
てのは、善意によって行われる行動というのは基本的にする側に物理的な得はない場合が多い、つ-か損失の方が多いな。
例えば海岸でゴミを拾う、そこにいくまでの交通費だってかかるし、ゴミ拾いの時間だって費やすし、体力も使うし、その分バイトでもすりゃ時給800円でも入るってもんだったりする。
募金だってそうだよね、人の為だけにお金を使うわけだから。
その代価として自分が素晴らしい事をした、自分はなんて良い人間なんだろう、っていう精神的満足を得るようなメカニズムがあるのかな?
社会福祉がなかった時代の共同体の相互扶助とかからでたのかどうか、そのあたり解らないけれど。
「他者の為に善行を施し、己になんら一切の見かえりも求めない」てのは理想なんかもしれないが、そうなれる人間っていうのが、ホンマにごくごく少数だからこそ、聖者として尊敬されるのも事実だ。
例えばマザ−テレサとかはそういう人だったと思う。
あれは信仰の成せる業だ、とも言えるけれど、じゃあクリスチャンがみんなそういう人間か、つ-とんなことないしねえ。
この「善意に見返りを求めてはいけない」っていうのが、なんていうのかなあ、「物理的見返り」だけに限定されることって多くないだろうか?
前に別スレでヤマト福祉財団の会長さんの話があったけれど、福祉に長く携わっている人達にはどこか「福祉は尊い、金儲けは汚い」という意識がある、と言われていたじゃないですか。
別に福祉だけじゃなくて、どっかそういう意識ってあるよね。
まあ、お金って言うのは卑しいとされるもので、私なんかも大した育ちでもないし、ロクなしつけを受けていないが、子供の頃から人前でお金の話をするのは恥かしいこととは言われていたし、自分でもどこかにそういう気持ちはある。
でもさ、「無償だから尊い」という言葉は裏を返せば有償には限度があるが無償には限度が無い、って考え方もあるんだよね。
確かに人間って損得を考えたらアホ臭くてできないことはある。
身寄りも金も無い老人を世話したりするよりは、将来有望そうな子供や若者の教育に金や人手を割いたほうが余程社会的に得だ、という考え方は損得勘定で言えばあってんだよね。
でも、それでいいのかなあとも思うんだよね。
22
:
緑装薬4 </b><font color=#800000>(aL5K3vps)</font><b>
:2004/05/10(月) 22:45
>19
全く同意だね。
イカフライ御仁の最近のお話わ、筋が通って納得でけるものが多いのぉ。
23
:
緑装薬4 </b><font color=#800000>(aL5K3vps)</font><b>
:2004/05/10(月) 22:52
>21
>身寄りも金も無い老人を世話したりするよりは、将来有望そうな子供や若者の教育に金や人手を割いたほうが余程社会的に得だ、という考え方は損得勘定で言えばあってんだよね。
人間、誰でも老いるわけで、そーいう恐怖感から「年寄りわ大事にせにゃいかん」と、ある年齢になれば言い始めるのわ、当然の「利益」なんだわ(笑)
極端なこと言えば、「若者の利益」と「年寄りの利益」わ、当然ぶつかり合うわけで。
んで、お金が有限であり「どちらにお金かけるか」ちうお話になれば、そら若者にお金かけるのが、よりお金やそのほかの利益を生むから、当然厚くするのが合理的だわな。
だから、「なんとなく持っている罪悪感」に付け込んでいくために「尊い=善」ちうもんを使うんだわな(笑)
「善」わ、同じ価値観を持つ共同体におては、最大無制限の「武器」だからなぁ。
24
:
イカフライ
:2004/05/25(火) 23:12
善というテ−マに合うのか合わないのか、解らないが具体的な例をひいて、考えてみる。
今日、新宿に出て「ビックイシュー」を買った。結構販売員が増えているのか、あちらこちらで売り手がいた。
私がこの雑誌を買うのは理由がいくつかあって、一つはホ−ムレス支援にわずかでも力になりたい、と言う気持ちも有る。
もうひとつは帰りの電車の中で読むのに手軽だから、価格も安いし、ボリュ−ム的にも丁度良い、興味を引く記事も出ている。
あとは、もしかしたら将来プレミアがつくかもしれない、って気も無くは無いが、まあこれは付録みたいなもん。
で、思ったこと。
自分はお金も時間も(時間はそこそこあるといえばあるが)取り立てて役にたつ技術やコネクションもないから、この程度しか出来ないが、もし自分がおお金持ちだったら、ホームレス支援に何をするか、と。
ホームレスの人が入居できるマンションを建てる、で、そこに住まわせる。病気や高齢の人にはお医者さんを呼んであげたり、老人ホ−ムへの入居を進める。
で、それ以外の人には、職業訓練を受けられるように講師を集めたり、就職を斡旋する。
いっそ、彼等を雇用する為の会社を作っちゃてもよいな、なあんて考えたとき。
これは、あくまでホームレスの人が皆、いわゆるサラリーマン、というか、社会人というか、そういう風になりたいと思って恵宇、という前提だよな、と思ったわけ。
勿論、今まで真面目に働いていて不況で失職した人も多いと聞くし、また、働いて住まいを手に入れたい、と思っている人も多いとは聞く。
けれど、反面、そういった庇護を拒む人もいると聞くんだよね、施設に入る事を頑として拒否する人もいるというし、また、それぞれの理由で社会との繋がりを自分から捨てた人も多いと聞く。
ある意味、社会復帰をすることによって自分の過去と対面せざるを得ない状況になることもあるだろう。
そう考えると、これも善意の押しつけ的な考えかなあ、なんて思った。
一生懸命声を出してお客さんを呼ぶ販売員がいる反面、その横で路上に寝ている人もいる。
放っておくのが善意になる場合も、あるのだろうか、なんて、つらつら考えてしまった。
25
:
緑装薬4 </b><font color=#800000>(aL5K3vps)</font><b>
:2004/05/26(水) 11:01
>24
まあ、凡人の手にわ、お釈迦様みたいなおっきな水かきわ付いておらんからのぉ(笑)
すべてを救うこともできんし、すべての人間を満足させることも出来んわな。
ホームレスがすべて不幸かと言えば、そーでわないというイカフライ御仁の意見にわ賛成だね。
仕方なくホームレスになって、路上で寝たくないから施設に入れてくれちう御仁もおるだろうし
逆に、そーいったしがらみから逃れてきて、自由に生きる代償として路上生活を受け入れておる
御仁もおる。
どっちを、どうやって助けるか、ちうことだよねぇ。
募金して施設作って受け入れる。全然悪いことじゃぁないよ。
全部の路上生活者を施設に収容する。
これわ、かなり疑問である。
要は、その活動主体の方向性を見極めて支援することが重要でわないかと、ね♪
26
:
剣恒光 </b><font color=#800000>(QasJZ1Sw)</font><b>
:2004/06/08(火) 04:11
>>25
>全部の路上生活者を施設に収容する
けど、これはその地域にすむ住民からしたら善だよな。
公衆衛生上、治安上。
警備員と言う仕事をしてると、ホームレスが、弱者とは思えない。
と言うか、自分たちが社会的弱者であると自称しながら、自分たちのやりたい事をごり押ししてるだけでね。
少ない公園が、子供一人近づかず異臭漂う社会の影とかしてるのを見るとね。
排除を命ぜられて行くと、どこからともなく人権団体が出てくるのだよな。
警備区域に入って来たとき、退去願うと怒鳴りつけるホームレスもいるしな。
けど、自分がホームレスをやってるときは、彼らに助けられたのだな。ダンボールハウスの作り方とか・・・一ヶ月だけだったが。
やっぱり善悪と言うのは視点の違いだと思ったりする。
「積極的善意は迷惑で、消極的善意は感謝される」
27
:
イカフライ
:2004/06/08(火) 17:05
>>26
剣さんは経験豊富だなあ。
人生経験が豊富な人って好きさ(^.^)
ここはあくまで「善とは何か?」というテ−マであってホ−ムレス問題についてのスレではないのだけれど。
一体、何が善か?ということに関しては、個人的には結構考えさせられる問題だったりする。
身近だしね。
>警備員と言う仕事をしてると、ホームレスが、弱者とは思えない。
>排除を命ぜられて行くと、どこからともなく人権団体が出てくるのだよな。
これは、なんとなくだけれど、解るような気がします。
私の知人、というか正確には亭主の知人なのだが、小さな警備会社の社長さんがいてね。
その人がかつて新宿地下道のホ−ムレスの排除をした時、支援団体という人達がかなり過激で、実際、警備側に大怪我をした人も出た、と。
あくまでも、聞いた話なので、その真偽は解りませんが。
「弱者の為に」と言う言葉は一見優しくて思いやりがあるようなんだけれど、その弱者をどこに認定するか、ということなんだろうな。
弱者だったら何をしても許されるわけではないし。
物事を強者と弱者、悪と善、こんな風に簡単に分けてしまえれば世の中、これほど楽なことは無いけれど、実際はそんな風にいかないのが現実だよね。
けれど、人間って、どっかで自分の立場を選ばないといけない。
その時にどっちを選ぶかってことなんだろうか?
28
:
緑装薬4 </b><font color=#800000>(aL5K3vps)</font><b>
:2004/06/08(火) 17:29
>27
ええねぇ。
善悪がはっきりしてなくて、人間は善に安全性を求めるから、水戸黄門ちう
長寿番組がなくならなない、と(笑)
<言い古されておるがな。
29
:
イカフライ
:2004/06/08(火) 17:58
>>28
>人間は善に安全性を求めるから
どうしてだと思う?
善人、って言葉の響きは、実はあんまり良いもんではないね。ちっとマヌケな響きがある。
「人が良いから」っていうのは、いいように利用されている、とかいう意味合いで使われることが多い。
大抵の人が「悪人」にはなりたくない。
常に自分は善意の側でいたい。
けれど、そういう意味の「善人」にはなりたくない。
誰だって自分が一番かわいいし、損はしたくない。
実際は善を成す、ってことは、マヌケじゃできなんだよね。
悪事を行うにも頭が必要だが、善意を行うにはもっと頭が必要だ。
具体的に言えば、情報と判断力かな、分析力とかも必要なんだろう。
例えば、「恵まれない人の為に募金してください」と募金箱を差し出される。
そこで、ハイハイとお金を入れるのは、基本的には善意だろう。
けれど、そこで募金をしているのは、どういった組織なのか、どういった信条に基づく活動なのか?
それよりなにより、本当にそのお金がその言っている通りに使われるのか?
それって、勿論、現実問題としては、追跡調査をするのは困難、っていうか、不可能に近い。
最終的には信じるしかない部分はあるんだけれどさあ。
その団体の行動実績を調べるとか、その活動について(例えば障害者問題なら障害者、ホ−ムレスならホ−ムレス問題)についての報道を調べるとか。
個人的には善意を食いものにする、っていうのがイヤだな。
ボランティアやNGOにも利権がらみってあるようだし。
自分がだまされた分には、あまり気にはしないんだけれどね。
さほど、自分を犠牲にする(金銭的にも時間的にも)ようなことはしていないけれど。
30
:
剣恒光 </b><font color=#800000>(QasJZ1Sw)</font><b>
:2004/06/08(火) 21:02
きょう一日考えて、善とは、心地よい事なのではと思う。
自分が善(と思う事)を為せば心地よい。
で、社会と言う所は、何を心地よいと感じるかと言う事を三つ子のころから、その社会に都合が良いようにすり込むのではないだろうか?
31
:
剣恒光 </b><font color=#800000>(QasJZ1Sw)</font><b>
:2004/06/08(火) 21:10
強者で、善
弱者かつ悪(邪)
てのもあって当然だと思うがなぜか、弱者の味方は善なんだよな。
しかし、何を弱者とおくのかが曖昧で、タブーを作るから結局は弱者の味方が最大の強者であるような気がする。
いや、声の大きいものが強者かな。
32
:
イカフライ
:2004/06/09(水) 19:01
>>31
>強者で、善
>弱者かつ悪(邪)
>てのもあって当然だと思うがなぜか、弱者の味方は善なんだよな。
「正義の味方」は強者なんだよね。ウルトラマンや仮面ライダーが弱者だったら、怪獣や怪人に負けちゃうからね。
善と悪の相対化を描いたのはガンダムだ、とは言われているが、正義の味方が常に弱者の味方ではない、ってのを描いていたのはウルトラセブンだったな。
「ノンマルトの海」を見て、幼心に思ったよ。人間によって地上から海に追い払われたノンマルトを、人間が今度は海からも追い出そうとしている。
悪いのは人間のほうじゃないの? でも、セブンは人間の為にノンマルトを滅ぼすんだ。
あの頃は、子供向きの番組に子供向きって思えない内容が多かったな。70年代って時代のせいだろうか。
まあ、こんな話はおいとくとしても。
>いや、声の大きいものが強者かな。
文字通り、力のあるものが強者だろうね。お金がある、成績が良い、腕っ節が強い。
その世界において、力があるのが強者で、力が弱いのが弱者だ。
政治の世界なら自民党が強者で、社民党が弱者かな?
33
:
ヤッス
:2004/06/09(水) 20:27
>>31
弱者の【味方】は善だけど、弱者が「善とは限らない」
弱者(困窮しているもの)が、改善のための採る方法が「善とは限らない」
弱者が善か悪か見極めをせずに、弱者であることだけを善の根拠として救済するのは間違い。
だが、弱者が善か悪かを見極めることは極めて困難。
タブーを作ること(弱者をタブーの中に入れること)で、弱者を味方するものは根拠が手に入り、
裁量権が広がる。
「味方」であることが重要で、味方自身は弱者ではない。「弱者の代弁者」「弱者の味方」は、
肩入れをしている対象が善でも悪でも、自分自身は「善なるもの」と考える。善なる自分が
味方しているのだから、対象たる弱者は善でなければならない、と逆説的に思いこむ。
弱者が弱いのは力がないからで、力があれば弱者は困窮しない。しかし、それは弱者には
ないから、力があり困窮していない強者=弱者(善)ではないから「悪」と位置づける思考が
世の中には多すぎる。
それが、「数の暴力」であるとか「公共の横暴」であるとか「少数派を尊重しない」であるとか
といった、「少数、弱者であるから善」という誤解の温床になっている。
34
:
イカフライ
:2004/06/10(木) 18:48
>>33
「弱者=善」と思える人って、ものすごく恵まれた環境に居る人ではないだろうか?
ふっとそう思った。
35
:
ヤッス
:2004/06/10(木) 19:08
日本には、「正直者は馬鹿を見る」「悪銭身に付かず」に象徴されるような、
善=損
清貧=清らかなものは貧しい
銭=悪
のようなイメージがあって、そこから、
「金がなくて貧しい=善」
「金がある自分=悪銭を身に付けた、正直ではないから金がある→罪悪感」
というものが出てくるのでは、と。
大事故で数十人も死んだのに、たった一人だけの生還者が「自分だけ生き
残ってしまってすみません、一緒に死ねばよかったんです」と自分を責める
アレのようなのにも通じるのかもしれんが。
「努力して財を築いた」ということは褒められるはずなわけだが、「財を築いた
者は自分の財を削って、財を築けなかったものに分け与えるべきだ」という、
本来なら財を築いた者が自発的にすべきことを、財を築いたものに「強制」
する、そういう「善意を持つことを強制する存在」というのがちらつく。
弱者の味方と称する組織がそうした立場に立つのが、ちょっとね。
その意味で、成功者が貧者なり弱者なりに「成果を分け与える」のではなく
「機会を分け与える」という援助は賛成できるんだけど、「おまえは成功者で
悪財を築いたのだから、せめて成果ぐらいははき出せ」と強いるような「弱者
の味方」というのを駅前なんかで見かけると、ちょっとゲンナリする。
36
:
イカフライ
:2004/06/10(木) 19:37
>>35
>「財を築いた者は自分の財を削って、財を築けなかったものに分け与えるべきだ」
これは、アメリカにも図式的には無いわけではなくて、実際、アメリカの大金持ちは、自分の名を関した福祉財団とか文化財団持っている人は多い様だし、そこまでいかなくても、アメリカのハイソな奥様は
「ボランティアのお付き合い」が付き物のようだけれど。
日本の場合と、意識は随分違うんだろね。
これは私の推測だから、違う点があれば指摘して欲しいのだけれど、アメリカの場合、「金持ちの気前の良さ」を自慢する(悪い意味ではなくて、ね)。
それこそ、紀伊国屋文左衛門が小判ばら撒くような感じなのかな、と。
日本の場合、金持ちは悪人だから、貧しい人達を犠牲にしているから、その贖罪として金を出せ、みたいなところはあるよね。
この図式ってさ、封建社会でなら成立するとは思うんだ。
貴族は膨大な領地を持って、そこから重税を取り上げて贅沢三昧、庶民は朝から晩まで働いて食うや食わず。
ちょっと天候が悪くて作物の出来が悪いと、家族で飢え死に、または子供を売ったり年寄りを山や森に捨てたり。
で、貴族の家に生まれれば、貴族、庶民の家に生まれれば一生貧乏のどん底、みたいな。
でも、それって、少なくとも今の日本では成立し無いんじゃないの?どこにロマノフ王朝がある、ってか。
37
:
イカフライ
:2004/06/10(木) 20:12
弱者は善、か?
老人は善、か?
障害者は善、か?
同和地区出身者は、善か?
貧乏人は、善か?
外国人労働者は、善か?
下請け弱小編集プロダクションは善、か?
売れない漫画家は、善か?
ブス、ブ男は善、か?
音痴は、善か?
こう、問うていくと、おのずと見えるね。
34で書いたのは、「弱者=善」という図式を、そこまですんなり受け入れられる人って言うのは、自分があらゆる意味で、弱者だったことがなく、周囲にも弱者がいなかった人ではないだろうか?
人間は、自分に余裕がある時には、人にも優しくなれるもんなんだ。
38
:
緑装薬4 </b><font color=#800000>(aL5K3vps)</font><b>
:2004/06/10(木) 21:28
>37
>人間は、自分に余裕がある時には、人にも優しくなれるもんなんだ。
ていうか、「客観的に見て、余裕がない人間が善語るとうさんくさい」と思うな(笑)
ビルゲイツが何兆円だか寄付しても、誰も偽善たぁ思わないよな。
だって、「いくらでも金あるんだろ?」ちうくらいで終わるからな。
いくらビルゲイツだって、自分の資産の半分を寄付したんだぜ?
でも、その寄付から儲けようとか、いい人とか思われようと思ってるんて誰も思わない(笑)
俺が、肉まん半分誰かに分けたら、きっと偽善だと思われるわなぁ。
筒井康孝(だったかな?)が言っておってなるほどと思ったのわ
「毎日豪華な飯食って、美女に囲まれて遊んでるような奴が、飽きたかた地球環境を語るのは
誰もおかしいたぁ思わんが、金もなくて女にももてないような若者が地球環境語れば
そら女目当てだとか売名で金儲けとか、もっと行くと募金で飯食おうとしてるとか見られて当然
だろ」
ちうことだわな(笑)
39
:
ヤッス
:2004/06/10(木) 23:06
>>36
アメリカの場合。
カーネギーホールとか作ったオサーンとか、アメリカには「富豪」という階級
がある。まあ、階級つっても国家が保障してる体制としてではなく、「自力で
その地位を築いたアメリカの貴族階級」だな。
カーネギーを例に引いたが、「富の再分配は資本家にしかできない社会奉仕」
だという考え方があるらしく、アメリカで巨万の富を得た人というのは、だいたい
カーネギーのような「富を細かく再分配するのではなく、富豪でなければでき
ないような効率の良い集中のさせ方をすることで、社会に還元する」というのが、
「富豪としての徳(美徳でもいいんだが、日本人的には「徳」のほうがわかりが
いい)」という理念みたいなもんがある。
社会が、一応はプロテスタントの延長線上にある国だからかもしれんけど。
カーネギーは巨万の富によって「劇場」を建設した。
ビルゲイツはエイズの研究など、まとまった金額(資本)がなければできない、
または研究費が湯水のように使えれば画期的な進歩が期待できるジャンルに
集中投下している。
これも、「富豪にしかできない社会奉仕」の一形態なわけだ。
以前、民主党のゴア前副大統領が「寄付金が少ない」というだけで不人気に
なったりしていたけれども、このへんも「金持ちのくせに金を出しやがらない」
という、「再分配を期待する側」よりも、「社会奉仕意識が弱い」という、実力者
階級の支持離れに繋がった、という話を聞いたことがある。
「気前よさを自慢する」というのは、どちらかというとインドのマハラジャの場合
だよね。金ばらまくとか(w)>「踊るマハラジャ」を参照(w
アメリカ的「社会奉仕」というのは、教会に寄付するのと近い感覚らしいよ。
過去には「教会」がNGOの地位を占めていたからそれに、今は宗教と切り離
されて特定/専門に特化したNGO(ボランティア集団)に寄付する、というのが
「富豪じゃなきゃできない社会奉仕」のあり方、っていう考えらしい。
なぜ、「らしい」なのかって言えば、漏れはアメリカの大富豪じゃないからな(w
想像でしか言えん、つーことで。
「金を出せ」と誰が言うか? このへんで、金持ちが「非難されるか否か」が
変わってくるのやも。
40
:
イカフライ
:2004/06/11(金) 17:49
>>38
>「客観的に見て、余裕がない人間が善語るとうさんくさい」
はは、ワシの事かな(^^ゞ
うさんくさい、っていうか、現実問題として、金と時間に余裕が無いと善意はあっても、行動に移すのは難しいね。
>俺が、肉まん半分誰かに分けたら、きっと偽善だと思われるわなぁ。
大抵の人は、目の前で飢えている人がいたら、肉まん半分差し出すと思うよ。
ただ、「大抵の」と書いたのは、今の日本の現状においてね。
これは、もしかしたら社会福祉スレとか貧困スレに書く内容かも知れないけれど。
前にも、ライコスで福祉について話した時があって(多分、この中でロムされていた人が多かったと思うけれど)。
その時に感じた、というか解けなかった疑問として
「その金、どこからだしますか?」
なんだよね。
41
:
イカフライ
:2004/06/11(金) 18:21
>>40
で書いたことは、勝手に社会福祉スレに移行しまして(^^ゞ
>金もなくて女にももてないような若者が地球環境語れば
そら女目当てだとか売名で金儲けとか、もっと行くと募金で飯食おうとしてるとか見られて当然
だろ
まあ、女にもてる事と地球環境は別問題だから(笑)。
2ちゃんの「もてない男」板で、「どうせもたないから地球環境語ろうぜ」なんてスレできたらおもろかったりして。
ただ、確かに、ボランティアとかする人の中には、「自分探し」みたいな人が居るね。
自分の中の欠落を、例えばボランティアという行為で埋めようとしているような人って。
まあ、個人的には、それでも、その行動が役にたてばいいんじゃないか、とは思うんだがね。
欠落埋めを宗教に求めて、教祖肥え太らせてあげくの果てにサリンまいちゃったりするより。
まあ、宗教がみんなオウムってわけじゃないけどさ。
42
:
イカフライ
:2004/06/11(金) 18:44
>>41
の続き
その行動が役にたてば良い、と思う反面、自分の欠落感を埋めるのに弱者を利用しているところが見えると、ちっとヤダね。
それなら、どうせ利用するなら、神様仏様のほうがマシかな、とも思ったりする。どう利用されようが神も仏も痛くも痒くも無いだろうから。
神ってもの自体、人がなんらかの方便の為に作ったもんだからね。
43
:
イカフライ
:2004/06/24(木) 17:56
まあ、これは誰でもそう思うかもしれないが、善意を利用して人をダマす、ってのはイヤだな。
これは、別スレで大神さんが上げていた例をちょっとだけ借りるけれど。
>・「実は結婚したいけど田舎の父が病気で一千万円必要なの・・・」と
情にほだされて一千万円渡した途端、女は行方不明。
>・「実は運動を続けるためにはぼーんさん、800万円の資金が必要なん
です」と懇願され借金の連帯保証人になり、相手から金を持ってトンズラ
される
これ、別にぼーんさんがどうのこうのと言うことではなくて(今、掲示板に居ない人のことは行っても仕方ない、個人的には中途になった話に納得いくまで話したい気はチョトあるが)
善意を利用したダマし、の典型的なパターンだよね。
この例で言えば、前者の場合、本人がマヌケ(と言ってしまうと、実際そういった被害にあった人々には悪いが)ではある。
被害者が恨むのは加害者だけだ。
私がイヤなのは、後者(運動を続ける云々)のように、弱者や被差別者を、だましのダシに使う事、なんだよね。
一番、手っ取り早く解りやすい例で言えば、一軒一軒個人宅を回って
「アフリカの子供たちに」とか「障害者の為に」とか言って、どっかからコピーしてきた写真とそれらしい団体名をでっちあげて、集まったお金を自分のポッポに入れるヤツ。
まあ、寸借サギみたいなもんだな。
「サイフ落してお金が無いんで、電車賃貸してくれ」みたいなもんだが、どうせダマすなら、サイフ落した、にしてくれよ。
(所で、未だにあるんだね、このてが。私は今年に入ってからも2度、声かけられたよ、「交番行け」って交番の道順親切に(笑)教えてあげたけど。
見るからに金無さそうなのにさ、余程マヌケな顔してるのかなあ(^^ゞ)
サイフ落した、にダマされたんなら、自分がマヌケだ、アイツ(寸借サギ師)は悪いやつだ、だけで済む。
でもさ、「イラクの子供たちの為に」とか「障害者の自立の為に」でダマされてごらんよ。
大抵の人は、二度と「イラクの子供たち」や「障害者の自立」の為にお金も手を出そうとはしないよ。
今更このサイトの原点に戻るけど、反戦平和が嫌われるのも、「反戦平和」を隠れ蓑にしながら、別のイデオロギーに利用としている団体や個人が居るからでしょ?
実際、日本にはいろいろな人が居るようで、未だに、この日本に、現代の日本に「共産主義革命」を夢見ている人も居るらしい。
「文化大革命」をいまだに礼賛したい人もいるらしい。
まあ、そういう人はどうあったって少数だろうから(だから革命が起きてない)そういう考えを持つのは勝手だけれど。
そういう人達が「社会主義革命」に反戦平和や人権や弱者救済を利用するのはいやだな。
実際、こつこつと小さな一歩からそういうことを行っている人も居るんだから。
なにより、実際に戦争の被害や被差別や貧困で苦しんでいる人達に失礼だよなあ。
お金の寸借サギ、思想の寸借サギ、どっちもイヤだな。
自分自身がひっかかるのは、マヌケだから仕方ないと思うけどさあ。
44
:
緑装薬4 </b><font color=#800000>(aL5K3vps)</font><b>
:2004/06/24(木) 19:30
>43
>思想の寸借詐欺
うまいねぇ、まったくそのとおりだよ。
「別の目的の何か」のために、口当たりのええこと言って、行き着く先わ・・・(笑)
イカフライさん、愛してるよぉ〜
45
:
緑装薬4 </b><font color=#800000>(aL5K3vps)</font><b>
:2004/06/24(木) 19:41
>41
>2ちゃんの「もてない男」板で、「どうせもたないから地球環境語ろうぜ」なんてスレできたらおもろかったりして。
そらええ(笑)
んで、「もてない男たちが語る地球環境を考えるオフ」とかやって、「どーせもてないんだから、空き缶でも拾おうかオフ」
に変化して、最後に「どうせもてない男たちだから、せめて老人介護のボランティアでもやって、老人ホームで働いてるねーちゃんでも
眺めてこようオフ」に行き着く、と(笑)
原動力わどうあれ、やってるこたぁ一応「ええこと」なわけで。
んで、道行く人たちに「えらいねぇ」なんぞ言われたら、むっとした顔で
「どーせもてないんで、暇なんです」くらい言えれば、ええかと(笑)
こーいうオフ好きだなぁ。
46
:
緑装薬4 </b><font color=#800000>(aL5K3vps)</font><b>
:2004/06/24(木) 19:43
あ、あとわ
「うわーん」の顔文字とか、「もうこねーよ」の顔文字とか染め抜いた旗もって
「ただいまもてない男の暇つぶし中」とか書いたそろいのTシャツ着たくらいにしてね(笑)
47
:
イカフライ
:2004/06/25(金) 11:38
>>44
>「別の目的の何か」のために、口当たりのええこと言って、行き着く先わ・・・(笑)
行き着く先には何も無いと思うよ。
実際、この日本に共産主義革命なんてものが起きるには、GNPが今の100分の1位にならないと無理だろうし。
そもそもマルクスが唱えたらしい(実は資本論に何が書いてあるか全然知らないの(^^ゞ)資本主義がいきついたところで起きる富の再分配、という意味での共産主義(現実に起きたヨーロッパの中で資本主義が一番立ち遅れていたロシアに起きたような形ではなく)が起きる、というのなら。
まず、起きるのはアメリカだろうし(資本主義がいきつくところまでいきついた、という点ではね)。
現実的に考えても、例えば障害者の人にボランティアをとか、地球環境の為になにかをしようとか、ホームレスの救援支援を、と考えて行動した人が、そういった団体(別の目的のある)に入って活動していけば、段々にその違和感に気がつくと思う。
一部には完全にそのシンパになっちゃう人もいるだろうけれど、そういう人ってごくごく少数だよ、だからこそそういった組織は小さい。
(だから、私はサヨクの脅威なんて問題にする必要なんて無いんじゃない、って思う。朝日新聞がサヨクだ?あんなのただの商売でしょ。じゃなきゃなんであんな資本主義バリバリの企業広告一杯載せてるの?
共産党?万年弱小野党じゃない? 日教組? まあ、確かに真っ赤なセンセイって時々いるらしい。授業中に「天皇制反対、自衛隊反対」とはしょっちゅう演説してた担任が居た、って話は聞いた事ある。
でもさ、学校なんて出たらそれっきりだし、そもそも学校で習う事は社会に出たら役にたたない、っていうのは定説だし(^^ゞそれに、生徒って先生にそうそう煽動されないよ、もっと醒めてる、出来る子はこれ受験に関係ありますか?だし、出来ない子は早く放課後遊びたいなあ、だし)
問題なのはさ、違和感を感じて離れたアト、なんだよね。
中には、自分個人で活動する人もいるでしょう。今までその組織との関りで費やしていた時間分アルバイトしてそのお金を施設に寄付する人も居るかもしれない。
けれど、殆どの人は、離れてそれっきりなんじゃないかな、そして、そういった運動に対する不信感だけが残る。
そういったことがね、一番、イヤなんだよね。
(なんか、ただの愚痴みたい(^^ゞ)
48
:
緑装薬4 </b><font color=#800000>(aL5K3vps)</font><b>
:2004/06/25(金) 13:04
>47
>行き着く先には何も無いと思うよ。
いあ、行き着く先わ、「外患誘致」ちうこのなんだよね。
・日本の制度を非難する。
・日本の価値観を非難する。
・日本の存在を非難する。
まあ、体制等の矛盾やら運用の誤りやらを指摘することは重要なことだけど
「じゃぁ、どうするの?」と言う問いに対して、「全く答えがない」か「その
答えだと自己否定することにしかならない」ようなものは、日本を侵略(笑)
するための重要な足がかりになるんだよねぇ。
まあ、この平和っぽく見える世の中で、「外患誘致」だの「間接侵略」だの言っても
なんのこと?なんだろうが、確実にやっておるわけでねぇ。
共産革命なんぞ、別にかまわないんだよ(笑)
問題わ、共産革命に見せかけて、ソ連が日本を実行支配しようとしたことなんだよね。
同じようなことが、対朝鮮半島(あえて南北朝鮮を一緒にするよ)で行われておる。
「公務員に外国人を」とか言う主張が、一番目立つ話だね。
どこの世の中に、「他人の家の住人に、自分の家の家計簿握らせる」奴がおるかね?
「人種差別だ」ちう、耳に心地よい言葉で、「日本を実行支配しようとしている朝鮮人」
なんだよね。
49
:
イカフライ
:2004/06/25(金) 19:12
>>48
うーん、北朝鮮自体がいつまで政権が存続するかって国だし。南北朝鮮統一ってことになったらなったで、韓国は経済的にごっちゃごちゃになりそうな気がするんで。
日本の実行支配ところではない、と思えるんですが。(楽観的かな?)
それにさ、人種差別に憤る気持ちのある人なら、拉致事件にはより以上の憤りを感じると思うよ、普通の神経ならね。
それこそ「私の24年間を返せ」だよね、あの拉致ってさあ。
これは別スレで随分前に話が出たけれど、今困窮している人が、どこの国籍であろうが、少なくとも日本の国土にいるなら、助ける為に出来るだけの事はするもんだ、という事(具体的には在日世帯への生活保護や、在留外国人への疾病治療など)。
帰化して日本人になる方法が有り、緊急を要する問題でもないのに他国民に自国民と同じ権利を与える事(参政権や公務員受験資格)。
このふたつは、違う次元のことじゃないかな、と思うし、違和感を感じるとしたらこの辺りだと思うんだけれど。
50
:
剣恒光 </b><font color=#800000>(QasJZ1Sw)</font><b>
:2004/07/01(木) 13:03
>>49
>韓国は経済的にごっちゃごちゃになりそうな気
その為に他人の財布を実効支配ですよ。
51
:
イカフライ
:2004/07/15(木) 19:32
>>31
>強者で、善
>弱者かつ悪(邪)
>てのもあって当然だと思うがなぜか、弱者の味方は善なんだよな。
弱い、ということは、裏を返せば「自分の事だけで手一杯」「人のことまで考えている余裕が無い」ってことなんじゃなかろうかな。
弱者で邪,と言えるかどうか判らないが,個人的にずっとそれを感じていること。
いじめ、ってあるじゃない。子供の時分にもあったし、大人の社会にもある。
ああいうのって、いじめる当人もサイテーなヤツと思うけれど,私がそれ以上に腹立つのは,見てみぬふりをして目をそむける連中なんだよね。
それでいながら「いじめはいけない」とか、空々しいことを言ってのける連中。
そういう手合いのいいわけは決まっている。
「私は気が弱いから、そんなに強くないから」ってさ。
ヘタにいじめっ子を非難して,今度は自分がやられる側に回ったらいや,というのは、まあ、わからないでもない。
けれど、それなら、そう言えば良いんだ。私は自分さえ良ければ,人が目の前で苦しんでいようが自分が一番大切だ,と。
そういう人は、ある意味,自分の邪さ(とまで言うとおおげさだが)を自覚しているし,それで非難される事も承知での態度表明だと思う。
けどさ、自分が「弱いから」と弱さを言い訳にして,それで自分を正当化するとはいいわけにもならない。
「じゃあ、アンタは(いじめっ子と)同罪だ」
「アンタがいじめにあっても、どんなに困っても誰にも助け,求めるなよ,助ける必要の無い人間だ」
こういうことを言うと,決まってそういう人達ってのは,自分が傷tけられた被害者のようにこっちを責めるんだよな。
弱い自分が批判された,ということだけでお腹一杯になってしまって、いじめられている目の前の他人は目に入らないんだよね。
正義の味方は強くないと勤まらないわけだ。
しかし、正義の味方に甘えて吸いつくつ自称・弱者は多いんだろうな。
52
:
緋影
:2004/11/30(火) 04:26
「悪」の対極?
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