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善とは何か

4イカフライ:2004/05/02(日) 20:33
「正義を行えば、世界の半分を敵に回す。」
 って、映画のセリフがあるんだが。
 
 正義っていうのは、対立構造を持っているんだよね、皮肉な話だが「悪」がなかれば、正義は存在しない。

 で、善=正義だろうか?というと、ちょっと違う気がする。
 そのボーダーがどこか?と言われると、とってもあいまいなんだけれど善意と言うのは、それだけではそこまでの対立性というか、絶対性、強制制はないように思えるんだよね。

 例えば、杖をついた腰の曲ったおばあさんが大きな荷物を持って横断歩道を渡ろうとしている。
 そこである人が、おばあさんの荷物を持って手をひいて横断歩道を一緒に渡る。
 そこでその人が、「自分は今いことをしてるんだ」と優越感に浸る部分は有るにせよ、その行為自身は純粋素朴な善意から出ている事が殆どだと思う。
 けれど、そこで、そのおばあさんがどう感じるか?
 「今時、親切な若者だ、人情もまだまだ捨てたもんじゃない」
と非常に喜ぶかもしれない。けれど反面
「自分はまだ他人の助けを借りなくても、道くらい渡れる、だからこそ、こうやって出歩いてるんだ。年寄り扱いしよって」
と思うかもしれない。(自分、年取ったらこういうババアになりそうでw)

 私は「善意」っていうものは、否定したくない。それこそ世界が全て獲物と泥棒の世界であるのなら、生きることがそれだけで哀しすぎる。
 けれど、反面善意ってものは、非常に厄介なことも事実だ。
 よく「悪気があってしたことじゃない」というよね、じゃ、悪気がなければ良いのか?
 善意でした、という理由で全てを正当化しようとする事は、日常の中にすごく多い。
 それは、「自分が善意である」ということだけがあって、その善意を受けた他者がどう感じるか、どう影響するか、がないからかな、って思う。
 最初の例で言えば、おばあさんの荷物を持って手をひくのは「善い」ことだ、それをした人は「善い人」だ。
 けれど、それによって年寄り扱いされた、と当人が不快になったとしたら、それは悪い事なんだろうか?それとも、善いことなのに悪くとるバアサンが悪いのだろうか?

 私は善意そのものは信じたい、けれど、善意とは一番に相手を思ってするはずであるのに、相手の気持ちや立場を忘れるのもまた善意なのだ。


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