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善とは何か

21イカフライ:2004/05/08(土) 18:14
いや、別に武蔵さんに対して書いた意見ではなんだが……(^^ゞ

 良いことをするといい気分になる、という作用は、悪いもんではない。というか、必要な部分はあるんだろうな。
 てのは、善意によって行われる行動というのは基本的にする側に物理的な得はない場合が多い、つ-か損失の方が多いな。
 例えば海岸でゴミを拾う、そこにいくまでの交通費だってかかるし、ゴミ拾いの時間だって費やすし、体力も使うし、その分バイトでもすりゃ時給800円でも入るってもんだったりする。
 募金だってそうだよね、人の為だけにお金を使うわけだから。
 その代価として自分が素晴らしい事をした、自分はなんて良い人間なんだろう、っていう精神的満足を得るようなメカニズムがあるのかな?
 社会福祉がなかった時代の共同体の相互扶助とかからでたのかどうか、そのあたり解らないけれど。

 「他者の為に善行を施し、己になんら一切の見かえりも求めない」てのは理想なんかもしれないが、そうなれる人間っていうのが、ホンマにごくごく少数だからこそ、聖者として尊敬されるのも事実だ。
 例えばマザ−テレサとかはそういう人だったと思う。
 あれは信仰の成せる業だ、とも言えるけれど、じゃあクリスチャンがみんなそういう人間か、つ-とんなことないしねえ。
 
 この「善意に見返りを求めてはいけない」っていうのが、なんていうのかなあ、「物理的見返り」だけに限定されることって多くないだろうか?
 前に別スレでヤマト福祉財団の会長さんの話があったけれど、福祉に長く携わっている人達にはどこか「福祉は尊い、金儲けは汚い」という意識がある、と言われていたじゃないですか。
 別に福祉だけじゃなくて、どっかそういう意識ってあるよね。
 まあ、お金って言うのは卑しいとされるもので、私なんかも大した育ちでもないし、ロクなしつけを受けていないが、子供の頃から人前でお金の話をするのは恥かしいこととは言われていたし、自分でもどこかにそういう気持ちはある。
 でもさ、「無償だから尊い」という言葉は裏を返せば有償には限度があるが無償には限度が無い、って考え方もあるんだよね。

 確かに人間って損得を考えたらアホ臭くてできないことはある。
 身寄りも金も無い老人を世話したりするよりは、将来有望そうな子供や若者の教育に金や人手を割いたほうが余程社会的に得だ、という考え方は損得勘定で言えばあってんだよね。
 でも、それでいいのかなあとも思うんだよね。


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