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善とは何か

18イカフライ:2004/05/06(木) 22:43
人間ってさ、自分が良い事をすれば、気持ちが良いもんだ。
 中には悪いことをして、人が困ったり苦しんだりするのを見るのが楽しくてたまらない、という人もいるだろうが、まあ、一般的小市民というのは、良いことをする、少なくとも良いことをしたと思うことは、気分の良いもんだし、悪い事をしたと思えば良心が咎めるもんだ。
 それが、地域社会の安定を維持してきたとも言えると思うし。

 例えば世話好きなオバサンが、近所の年頃の娘さんにお見合い話を紹介する。
 で、このオバサンは、恋愛っていう一時的な感情でぼ-っとなって、見た目は良いけれど生活力が無かったり、口がうまくて遊び上手だけれど浮気もんな男と結婚するより、地味で堅実な男性を冷静に選んだ方がのちのち幸福な結婚生活を送れる、という考えだとするよね。
 そこで近所の娘さんに、安定した職業に付いて貯金もある男性を紹介する。

 ところが、その娘さんは、世間では適齢期を過ぎたと言われる年令でも自分は今結婚する気はない、とか、そもそもお見合い結婚なんてモテナイ魅力が無いことを証明するようなもんだからみっともなくていやだ、とか思っているかもしれない。
 それで「お話は有難いけど、今その気はないので気持ちだけで」とお断わりする。
 ここで終わればまあいいんだけれどさ。
 例えばそのオバサンが、なんで見合いしないんだとか、今付き合ってる男はいるのか、とか、女が30過ぎて独身でいるのはみっともないとか、老後がミジメだとか、まあ、そこまで露骨じゃないにせよ、結構、その娘さんにとっては失礼なこと言ったりする。
 これは「余計なおせっかい」だよね。

 まあ、そこまでは良い、としても。
 例えばそのオバサンが娘さんに直接ではなく、彼女の親にお見合い話を持っていったとする。
 で、実はその娘さんにはフリ−カメラマンの恋人がいて、しかもあまり仕事がない。
 で、彼女の両親は、「男なら女を養うもの、安定した生活こそ結婚生活の降伏の条件」という考えだとする。
 で、娘の恋愛に反対してるとするよね。
 そんな時に渡りに船でそのお見合いが持ち込まれたら、両親はムリヤリにでもお見合いをさせようとするだろうし、娘は親と自分の恋でなやむ。
 3文芝居にもならないネタだ、といわれるかもしれないけれど、ワシの周囲では結構アル話だったんだよね。

 で、こんな時、気の良い世話好きオバサンが善意で行った事は、その相手、ここでは近所の娘さんにとっては、それこそ、害にしか作用していないわけだ。

 そこで、善意を施す側、ここでは世話好きオバサンが、どうするか、どう思うか?

 理想的にはね、自分の価値観だけで相手の価値観や状況に対して考えが及ばなかった、ってことを鑑みられれば良いだろうし、それができてこその本当の善意なんだろう、と思うんだよ。
 ところが、人間、善意を施すのが心地よい分、自分の善意が否定されることは非常に我慢ならないんだよな。

 そこで、「フリ−カメラマンなんてわけのわからない仕事の男なんてロクなもんじゃない」とか
「あの娘はだまされている」とか、「今の若いコは、なんだか解らないカタカタの仕事の軽薄な男がかっこいいと思うんだ」とか。
 結構、そういう典型的なことを考えて、自分の善意を正当化してしまったりする。

 だらだらと3文話が長くなったが。
 つまりさ、人間って「自分が良い」と思ってていることは、本来「他者にとって良い」ことが目標な筈なのに、いつのまにか
「自分がした事が相手にとって良いはずだ」→「なのに良いと思わないのは相手に、またはそれ以外の所に原因がある」→「それはきっと悪いものだ」→「何故なら、善である自分の行為が良いと評価されないからだ」
 なんていつのまにか、目的が変貌してしまうんだよね。

 これがいきつくと、「善魔」となって、己の尺度に会わないものを排斥する、それこそ善の為なら人をも殺す、なんてなるんでないだろうか?

「他者に善行を施さねばならない、そしてそれに決して見返りを求めてはならない」
 という教えは、裏を返せば、人は見返りを求めずに善を行うのが、スゴ−ク困難だからだろうな。

 そして、それを命じるはずの宗教が、実は、己だけの善の正当化の為に殺しあっていたりするんだな。


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