レス数が1スレッドの最大レス数(1000件)を超えています。残念ながら投稿することができません。
反・反戦派の方々へ
-
え-、よく晴れたゴ−ルデンウイ−クにネットに向かってるのもネクラなんですが、時間のあるうち、ということで。
今更ですが、反・反戦派、まあ、戦争容認派、反戦懐疑派、いいかたはなんでもいいんですが、の方々の主張は、まとめるとこんなところでしょうか。
1・戦争に賛同するわけでも推進するわけでもないが、無くす手段が無い以上、容認せざるをえない。
2・だから、反戦運動は、無駄である。
3・人間は利益、利害で動くものだから、関係無い他者がいくら死のうが関係無い。
4・もし戦争になって、自分や家族が死んでも、その時は、仕方ない。
-
まあ、4に関しては、
「自分が死ぬのだけは許せない」
といった意見もあるようですが。
まあ、よくある現実的あきらめ主義だなあ、とは思います。
ある意味、普通のオトナの感覚と言うか。
で、なら、なんでわざわざ反戦サントにきて、議論するのか?
しかも、みなさん筆マメで、とても多いカキコミされます。
利益でしか行動しない、と言われている方もいるようですが、掲示板にカキコしても、別にバイト代が入るわけじゃありません。
(出会いサイトのサクラじゃなんだから)
で、その理由としては。
1・論破したい。
反戦者の知識の不足や論理の不備をつくことによって、自分がより知的に上である、という満足感、優越感を得るため。
これなら「利益」ではありますね。
2・反戦運動は、自分の利益を害する。
これは、別にみなさんが「職業・死の商人」とかいうことじゃなくて(笑)反戦運動が、間接的な人殺しになる、とか、害がある、とかいう意見ですね。
とはいっても、その具体的な像、ましてや、戦争以上の害については、今のところ、説得力のあるご回答はないようですが。
3・反戦者にこの世の悲惨の責任を押し付ける事によって、自分は責任から逃れたい。
4・単なる知的ゲ−ムとして、議論を楽しんでいる。
5・現行の反戦運動に疑問があり、それを解決して欲しい。
こんなところでしょうか?
まあ、尋ねれば、5あたりだ、ということは言われるかもしれませんが、今のところ、それって、伝わってません。
今までさんざんテ−ブルを蹴られたのも、まあ、話しても全く実りが無い、と、先方に判断されたのだと思います。
私が考えつくのは、その辺ですが、他にも、私が及びもつかない理由があるのかも知れません。
連休明けでもいつでもいいですので、レスお待ちしています。
-
毎日じゃないけど時々読んでるよ。
イカフライさんと武蔵さんが健闘してるのが頼もしいからね。
イカフライさんの言う通り俺は議論する気ないから、これはイカフライさんだけへの返事だけど、
俺もさ、最初反戦派に懐疑的っていうか、なんかちょっとムカついてたんだよ。
人間、誰も自分から進んで悪人になりたいって奴は滅多にいないって思ってたからさ。
みんな何らかの事情で何かを選択せざるを得ない、そお動かざるを得ない時ってのがあるだろ?
その事情無視して、世の中で起こる不幸は誰かが悪事を企んでるせいだって主張する奴らには疑問を感じてたよ。正直な話。
そんで、自分達だけがその悪事に気が付いて、果敢に戦う正義の味方なんだって言いたいげな反戦派に鼻持ちならなさを感じてたよ。
別に反戦とかじゃなくても、自分は正しくて良い人間なんだって酔ってる奴には噛み付きたくなるって気持ちあるだろ? お前、ちゃんと自分の足元見てんのかよ?って。
でもさ、人間流されやすいからこそ、その流れを止める人間も必要なんだよな。
反・反戦派は反戦派の陥りやすい偽善に疑問を投げかけるのに必要な人材だと思う。
だが、反戦派みたいに困難に立ち向かおうと思ったら、自分に酔うくらいの勢いがないとできないんだって俺なりにわかってきた。
俺は「反戦」とか言ってても、どうしても現実も見ちゃうんで、議論で真っ向から反・反戦派と対峙する気にはなれないが(向こうの言いたい事も重々わかるからさ)、少々乱暴でも無茶でも独善でも何でもいいから、今の戦争容認する空気を打ち破れる勢いのある奴は物凄く必要だと感じてる。
でさ、イカフライさん達の発言見て勇気付けられる事も多いから、反・反戦派も俺を勇気付けるのに一役買ってくれてることになるな。いい掲示板だと思うよ。ここは。
-
>>3
お久しぶりです、野次馬さん。
いや-、会えてうれしいな。
>別に反戦とかじゃなくても、自分は正しくて良い人間なんだって酔ってる奴には噛み付きたくなるって気持ちあるだろ? お前、ちゃんと自分の足元見てんのかよ?って。
うん、うん、これって、おおいにあるよ。まあ、実際に反戦運動している人をそれほど知っているわけではないし、その限りでは、そういう人は知らんけれど。
他の分野では、随分会った。
なんか、野次馬さんの意見は、ほぼ、100パ−セントといっても良いくらい、同意だな。
エ−ル、ありがとう。また来てくださいね(って、殆ど、ご挨拶になってしまった(^^ゞ)
-
公平スレ
254の壱学生さん。
>上記の事を簡単に言うならば、
「望んで大変な立場を選んだ以上、頑張ってね」程度の事でしかありません。
で、そういう立場を選んだ以上、ある程度の努力が求められる訳です(まさか努力なしに可能だとは思っていませんよね?)。
これって変だよ。
望んで大変な立場を選んだ以上って、別に職業選択をしたわけじゃあない。
戦争で殺される人がいる。手足が吹っ飛んだ人がいる。
これは放って置けないという自然な感情を持ったからといって、
世界中の苦しむ人々のために、何かをする責任が、その人だけに生じるってのか?
年に800人〜1000人の凍死者が出る・・・この豊な日本でなぜだ?
北朝鮮のこと言えるんかい?と疑問を持ったら、彼らの命は疑問を持ったものだけの責任なのかい?
人間として、壱学生さんはどうなんよ????
俺は自分以外の人間が何人死のうと、痛くも痒くもない人間なんだというのか?
そんな人間なら、自覚した人間だけを批判するためだけにこんなところへ来ることはないだろ?
一緒に知恵を出し合って、小さな力でも出し合って、反戦平和を目指そうと思うからこそ
「平和造りの部屋」へ来ているんだと思うんだが、どうなんですか?
反、反戦派?の方たち。。。。
-
>5
>これって変だよ。
>望んで大変な立場を選んだ以上って、別に職業選択をしたわけじゃあない。
つ-か、裏を返せば、そんな大変な立場を背負いたくないから、その選択をしないってことなんだ。
これは、つまり「なにもしない言い訳」と「他者に責任をおしつける」そんだけなんだよね、言ってること。
あのさあ、さかんにアフリカの内戦のことが出とるけど。
例えば、ニュ−スなんてろくすっぽ見ないで、見ても理解も出来ないばあちゃんが、アフリカの少年兵の悲劇をたまたま見た番組で見て、
自分の孫と同じ年頃の子供が、ゲリラにかられて、無理矢理に男の子は兵隊へ、オンナノコは性処理用の慰安婦にされるってこと聞いて、
「うちの孫と同じ年の子が、かわいそう」
って思ってさ、その国逃れてテント生活してる難民募金したら、
「アフリカの政情や内戦のことを、お勉強して詳し-くしってって」
でも、それを披瀝する以外、なんもしない人と、どっちがなにかをしてる、ってことになるんか?
つ-ことなんだよな。
勿論、だから、感情論だけでいい、とか、知識は不要だ、とか言ってるわけじゃない。
つ-か、多分、その頃のこと知ってる人は少ないだろうが、
「知ること、考えること」
の大切さは、このサイトの前身であるくまちゃんの戦争反対サイトで、さんざん、言い尽くしたことなんだけどね。
まあ、「なにもしない」って選択、それ自体は、その人が選んだ選択だ。
「何かをする」「しようとする」それも選択だ。
そりゃ、どっちが偉い、ってもんでもなかろうよ。
そこでさ「なにもしない」選択をしたんなら、それこそ、他者の選択について、うんぬんするのは、おかしいんでないかい?
それこそ、「言行不一致」じゃないか、と思うんだがさ。
-
>>1
おおかた、4か5かなあと感じるけどな。ただ、それだけ。
ただ、イカフライさんほど議論に熱くなっていないし、ここも時々見る程度なので、深いところまでは知らぬ。
では、失礼しました。
-
間違えた。>>2ね。
でも、4は偶で、5が殆どじゃないのかな?
-
イカフライさんこんばんわ。
私は、最初はわからないことを聞きにきただけですが、最近は、
反戦者が「人を死なせないための反戦」なのか「反戦のための反戦」
どちらの方にウェイトを占めているのかを知るために、見に来ています。
-
書き忘れです。
私は、反戦運動そのものにはたとえ効果がなくても、意味がないとは思えないのであった方がいいと思います。
-
あるるさん、お久しぶりです。
>>10
>私は、反戦運動そのものにはたとえ効果がなくても、意味がないとは思えないのであった方がいいと思います。
このように思って頂ける事だけでも、意味があると思います。
>>9
>反戦者が「人を死なせないための反戦」なのか「反戦のための反戦」
>どちらの方にウェイトを占めているのかを知るために、見に来ています。
ロムされていて、あるるさんは、どう思われていますか?
現時点でのお考えで良いので、よろしかれば聞かせてください。
-
それから、公平スレ>>254についてだけれど。
>それも一昔前なら図書館で一日仕事しなければいけないのを、現在ではネットと検索エンジンさえあれば30分もあれば一端の専門家を気取れる程度の情報を集める事ができます。
分からない事があっても、それなりのHPに当たりをつければ大学教授やジャーナリスト等の専門家の見解をすぐに知る事ができます。
>これは反戦運動にとってみれば、大いなる福音です。一昔前なら考えられない程の夢のような環境です。
>それをどうか有用に使いこなして下さい。イカフライ氏の選び取った立場からすれば、それは当然の事です。
これ読んで思ったんだけど。
まあ、これは、反・反戦側の方々が、現行の反戦運動に疑問があり、それを解決したい、と思っている場合、と仮定してですから、そうじゃないのなら、無意味になりますが。
今、「平和学」というのが、ありますね。
で、実際、そういうゼミをやっている大学の先生の中には、ご自身でホ−ムペ−ジをお持ちの方々も多い。
それこそ、ネットを検索すれば出てくるし、ここのリンク集にもあるよね。
で、そういうサイトの中には、ご自身がカキコミされている掲示板が併設されていたり、また、メ−ルを受けつけているところもあるでしょう。
で、「平和学」を学問とされている大学教授の方々なら、反戦運動に関しても、それこそ専門的な豊富な知識と理論で、答えてくれるんじゃないのかなあ、と。
こういういいかた、なんですが、所詮、シロウトの集まりの掲示板より、ずっと疑問の解決という点では有意義な気がするのですが。
-
いやー、想定通りのレスが帰って来てますね。
別に僕は「議論で言い負かそう」だとか「ディベートを楽しもう」だとかは全く考えていませんが、
それでもこうまで思った通りだと苦笑してしまいます。
特に武蔵氏の>>5の
>人間として、壱学生さんはどうなんよ????
>俺は自分以外の人間が何人死のうと、痛くも痒くもない人間なんだというのか?
>そんな人間なら、自覚した人間だけを批判するためだけにこんなところへ来ることはないだろ?
という部分には安易な反戦平和主義者が陥り易い思い込みが如実に現れています。
武蔵氏は僕に「人間としてどうなんよ?」と問いますが、そういう問いを投げかける部分が思い上がりなのです。
そういう問いに対して僕は常に「なんで『人間はかくあるべし』という貴方の思想を強制するのですか?」と逆に聞き返します。
そういう問いは、「貴方なりの理想の人間像」を他人に強制するか、或いは「貴方なりの理想の人間像」が全ての人間に共通する普遍的なものである事を証明するか、そのどちらかで無ければ意味が無いモノです。
ぼーん氏は以前僕に「貴方は問うの?それとも問わないの?」と聞きました。
イカフライ氏も同じことを僕に聞きました。
武蔵氏も「人間として、壱学生さんはどうなんよ????」と聞きました。
これらの問いは全て安易な反戦平和主義者が陥りがちな傲慢さから生まれるものです。
キリスト教徒が仏教徒を、キリスト教徒で無いがゆえに批判するのは傲慢です。
それと同様に平和主義者が上のような問いを強制するのも、批判してくる相手に「卑怯だ」と思うのも傲慢です。
「ある価値体系」で「異なった価値体系」を断罪し、上下関係を設けようとする点において。
それが僕の言う、『理念』の争いなのです。
-
武蔵氏やイカフライ氏は「悲惨な戦争があると認識した場合、人間は常に反戦の思想を持たなければいけない」と考えてはいませんか?
そう思うのは貴方達の自由ですが、残念ながら現実はそうではありません。
大抵の人間は自分に関わりが無い事象にはそんなに熱心に関心を注ぎません。それが僕が度々この場で述べている「利己的な人間」像なのです。
まずはそういう『現実』を受け止めてください。で、その上で、そういう「利己的な人間」にも受け入れられるような反戦運動のあり方を模索してください、そういう事を僕は以前から主張しているのです。
それこそが『理念』の違いを乗り越えた、器の大きい反戦運動なのです。
「じゃあなんであんたはここで発言しているの?自分ではなんもしてないくせに」という疑問が当然出てくるでしょう。
貴方達の言う「反・反戦派」の他の人の事は分かりませんが、僕個人に限って言うならば、「ちゃんとした反戦運動を構築して欲しい」と思っての事です。
まず上記のような「自分は正しい事をしているんだ」と自己認識している者が陥りがちな「傲慢さ」を取り除きたい。
反戦の『理念』が正しいとしても、それを他人に誇る理由にはなりません。そういうのは「信仰心」と同様に、自らの胸の内にしまっておくものです。
でなければ、それは「ただ単に政治的事柄を扱っているだけ」の「罵り合い」に堕してしまうでしょう。
次に、正しい方法で議論して欲しい。
自らの正しさを強く認識し過ぎている者は時として真っ当な批判を受け入れない。本来ならばそういう「真っ当な批判」を乗り越えてこそより有効な運動になるのに。
また「自分の頭」で筋道通して得られた「結論」は、「どこかの誰かの受け売り」ではない『本物』になります。
自らの自由意思で選び取った『結論』、それこそが有力な反戦運動の源泉となるのです。
上に付随して、議論に含まれる「明らかな間違い」を訂正したい。
ぼーん氏が以前提案した「有事法制私案」は、法律学的な観点から明らかに間違っていました。
イカフライ氏や第四期石器人氏がしでかした「バカ論争」は、明らかに不毛な議論でした。
そういう「明らかな間違い」は、反戦平和運動にとって有害です。
最後に、必要な知識・理論を幾ばくか提供したい。
真っ当な反戦運動をしていく上では、正しい知識は必要不可欠です。「アフリカの内戦」を知らずしてアフリカを平和にはできない訳です。
国際政治の理論を知らずして、「なぜ戦争が起こるのか?」は理解できないし、「世界を平和」にもできない訳です。
もちろん僕は「学べ!」と命令しているのではありません。僕はただ単に「紹介」しているだけです。
必要な事を学ぶかどうかは貴方達の自由ですから。でも「貴方達」は誰に強制される事も無くそういう道を選んだんですよ。
-
簡単に僕の考えをまとめておきますと、要するに
「もっと精進してほしい」
の一言に尽きますね。
僕が国際関係論を専攻したのも、「戦争と平和」の問題についてある程度以上の理論だった考えを身に付ける為でした。
そういう僕の目から見れば、イカフライ氏や武蔵氏・以前いたぼーん氏の述べているような意見、
その内少なくとも「僕が批判している部分」においては「大外れな意見」なんですよ。
「自分が言う事は常に正しい」と主張する気はさらさらありませんが、それでも、未熟な僕でさえも、「大外れな意見」かどうかは判断がつきます。
だからこそ、すごく歯がゆいと言うか、「もっと精進してほしい」と思う訳です。
僕を「反・反戦派」と認識するのは、そういう貴方達の未熟さゆえの部分がかなり大きいのですよ。
僕の方としては、「筋道だった考え方」ができてさえいれば、「反戦平和」であろうとも「国益が第一」であろうとも一向に構わないんですよ。
「筋道だった」考え方をすれば、両者とも似たような認識に行きつきますから。
その上でこそ、『現実的な』反戦運動が成り立つのです。
-
>>13 14
いや-、予想どうりの回答が返ってきましたね(笑)
>武蔵氏やイカフライ氏は「悲惨な戦争があると認識した場合、人間は常に反戦の思想を持たなければいけない」と考えてはいませんか?
別に、考えてませんよ。さんざ言ってることなんだけどね、
「自分は悲惨も悲劇も見たくない。自分の好きなキレイな世界だけ見ていたい」
って人を反戦集会にひっぱりだす気なんてないって。
それより、壱学生さん、あなたこそ思いこんでいませんか?
反戦主義者は、自分こそ正しいと思っている傲慢で思いあがった人間だ、と。
>「ちゃんとした反戦運動を構築して欲しい」と思っての事です。
はい。では、ちゃんとした反戦運動とはなんでしょうか?
となってしまうのですよ。
これは、感情的にならずに聞いていただきたいのですが、あなたは、正しい理論と必要な知識を、本当に善意から提供しているつもりではあるのでしょう。
けれど、あなたは、実はなにも言っていないのです。
例えば
>議論に含まれる「明らかな間違い」を訂正したい。
といわれていますが、多分、これは、あなたが行っている整理のことでしょうが、これって、議論の整理になった試しないんですよ。
公平スレなんていい例ですよね、
「公平でありたい」
という単純な概念(まあ、本当にわかんないのかも知れないが)をごちゃごちゃとこねくり回すだけで、なんの進展のないのがいい例でしょう。
関係無い枝葉にまかれて、本質が見えなくなっているだけです。
議論と言うものを、どこか勘違いしていないですか?
まあ、自衛隊バカ論争については、まあ、今更繰り返すだけアホ臭いし、こりゃ見解の相違だろうけれど、
>イカフライ氏や第四期石器人氏がしでかした
と、いわば、反戦側の名だけをあげてしまうことね。
理屈でごまかしてるけれど、どっか
「反戦側は正義派ぶってる、傲慢だ」
というあなたの感情、ありませんか?
「ご自身が中立、客観なつもりか?」と尋ねたのは、それもあるのですが。
また、
>必要な知識・理論を幾ばくか提供したい。
これはありがたいですが、失礼ですけれど、今まで、どれほど知識を提供なさったのでしょうか?
例えば、カンボジア総選挙における日本の役割、例えば、カルネアデスの板理論、今更のことでした(少なくとも私は)
ダイアモンドを巡る内戦については、「やりきれない話」と書きましたが、確かに、それほど詳しく深い事については、知らなかったことがあります。
が、今まで、アフリカ大陸の人々が、平和に素朴に暮らしている、と信じていたわけではありませんよ。
支援活動も行った事は過去にあるし。
まあ、理論よりまず自分に出来る事を実践、というのは、私のやり方ですが。
にしても、さんざ「アフリカの内戦」を言ってますが、これにしても、ぼ-んさんは、ご提供下さった知識であって、あなたは、後乗りしていただけでしょう。
なんか、随分きついこと、言っちゃたけれど。
結論としては。
正しい反戦運動を行って欲しいし、そのための理論、知識を提供します。
というあなたの気持ちは解りました。
それが、善意から出ているものだということも、今までのあなたの議論姿勢を見れば、良く解ります。
ただし、それは、世の反戦運動以上に、効果が無い、ということです。
-
16を書いている間に>>15のカキコがあったようで。
同じ結論がでちゃいましたね(笑)
>「もっと精進してほしい」
私が、16で書いた意味とくしくも同じような意味です。
面白いですね。いや、真剣な意味で、面白いです。
多分、全く正反対のようにかみ合わない事を言っていながら、お互いが鏡に移したように同じ事を相手に思うのは、何故だろう?
きっと、中心が見えていないからでしょうね。
これについて、ちょっと考えてみます。
-
まあ、多分、壱学生さんのいいたいことは
「反戦なんてケほども考えない利己的なニイチャンだらけの世界(まあ、この社会ってのがそうだとも言えるが)でも、戦争がなくなるシステムを考えてね。」
ってことなんだろうね、てのは、解る。
で、それやるには、反戦派って、精神論しか言わないし、頭悪いなあ、と歯がゆい、と。
で、歯がゆく思っている壱学生さんは、そういった
「利己的ニイチャンの世界」で「現実的な反戦システム」を構築できる理論的に筋道だった方法論はお持ちなの?
> 僕が国際関係論を専攻したのも、「戦争と平和」の問題についてある程度以上の理論だった考えを身に付ける為でした。
といわれている様に、国際関係論を学ばれたのでしたら、そのお勉強の成果を知りたいのですが。
-
あるる嬢、壱学生氏に続いて、私のことを。
>>2で挙げられている五つの項目の中で、最初に来たときの理由は2です。
ただし、これは「自分」ではなく、「日本」に置き換えた方が適切です。
というか、我が国が不利益を被った場合、私にも被害が及ぶので。
で、私はご存じの通り「日本第一主義」という大前提があります。
もしも、反戦平和なるものが、我が国に大きな利益を寄与するのでしたら、おそらくこの場にはいないでしょう。
が、実際はそうでないから、こうして反論をしているわけで。
今のやり方では、単に一方的譲歩を引き起こすだけに過ぎないのですから。
無限に譲歩し続ける平和など、私には到底、受け入れられません。
実際、現在の我が国の国防の不備は、一連の反戦平和の成果であると私は見ています。
ただ、ひょっとしたら、私の主張が間違っている可能性もあるのですよ。
例えば、戦前の我が国など、国益のためを思ってやった結果が大敗北でしたので。
もしかしたら、私とは違った理念に基づいた方々の中から、私など思いもつかない考えを示される可能性もあるかも知れません。
『お前の言っていることよりも、これこれこうした方が日本の利益になるよ』ってな具合に。
そうした場合のみ、私は反戦側の意見にも賛同するでしょうね。
が、今のところは残念なことに、そうした意見はあまり出てきません。
あるのは、お題目のように「反戦」「平和」を唱えるだけ。
とにかく戦争はいけない、戦争は悲惨だ・・・・・・と。
その理由も、国益、人権、国際秩序など、ころころ根拠が変わっています。
いったい、何のために反戦を主張しているのかと、疑問に思うわけですよ。
すでに手段が目的化し、宗教になっているんじゃないかと、私には見えるのですけどね(要するに、反戦のための反戦)。
戦争とはあくまで政治問題であり、そこに宗教を持ち込むのは、ナンセンスではないかと。
また>>13-14で、壱学生氏もご指摘の通り、ある宗教を絶対に正しいものと確信したり、他人もそう思っている、思っているに違いないというのは傲慢ではないですかね。
さらに、それを他人に押し付ければ、(反戦教育を受けた)私のように反発する者も後を絶ちません。
胡散臭いと思っちゃうんですね。
これが前から何度も言っているように、異教徒には通じないということです。
で、私が反戦派に対して言いたいことは、もっと政治的な視点から考えて欲しいということ。
この視点から意見を言うことが出来れば、また違った形になるでしょうね。
つまり、>>2で挙げられた5も入っているということです。
-
其々の立場で皆さん、どうしてそんなに熱く語れるのだろう?それが、此処に来る最大の理由だ。
そこに興味があって、内容に関係なく週に3回ぐらいはここを見る。
勿論、全部は読んでいない。
これ、イカフライさんへの「・・・興味あり」に対する返事です。
-
まあ、皆さんには申し訳ないが、「皆、議論が好きだなあ。」と、言うのが、正直な感想です。
反戦にしろ、反・反戦にしろ、どちらも何故そこまで語れるのだろ?
これ以上書くと荒らしになるので、以後続きは控えます。
-
おひさしぶりです。
イカフライさんの質問?まとめ?に対して私のスタンスを一応。
1・戦争に賛同するわけでも推進するわけでもないが、無くす手段が無い以上、容認せざるをえない。
→コレはそう思いますね。個々の戦争においてそれを回避する努力を怠るべきではないですが、
戦争自体をなくすことは無理だろうと思っております。
2・だから、反戦運動は、無駄である。
→コレはそうは思っていません。戦争そのものをなくすことは無理でも、
個々の戦争においては抑止力となることはあるし、(民主国同士の対立では効果高いでしょう)
人道的反戦活動の圧力が、米軍の「人道的」兵器群(精密誘導兵器、非ABC大量破壊兵器)
の開発を促して非戦闘員の被害を減らしたことの一助になっていると思います。
反面、今回のイラク戦争に関しては片方が独裁国家だったこともあってか、
やっぱり戦争は止められませんでしたし、イラク軍では人間の盾や
便衣兵まがいの自爆攻撃などを推奨したりと、いたずらに非戦闘員を戦争に巻き込もうと
する行動を止めることもできませんでした。
3・人間は利益、利害で動くものだから、関係無い他者がいくら死のうが関係無い。
→コレはそう思います。まあ若干心が痛むことはありますし、通りすがりの人に
親切に振舞うようなことはありますが、それは自分にかなり余裕があるから。
関係ない他者のことなんていざ自分に余裕がなくなったときはぶっ飛んでしまうだろう、
私はそれほど人間が出来ていない、と思っております。
また、自分が他者を思いやれるからといって、他者に自分を思いやれと要求・期待するのは
「甘え」だと思っています。
4・もし戦争になって、自分や家族が死んでも、その時は、仕方ない。
→これはそうは思いません。
戦争について述べるなら、
戦争を起こすのも、起こさないのも、自分の帰属する集団・社会、周囲の人々、
ひいては家族や自分自身が死なない、あるいは不幸にならないためと考えます。
というか、自分および家族を守るためならなんだってします。
そのなかに「戦争だけはしない/人殺しだけはしない」といった特例を入れるつもりはありません。
それが効果的な手段なら戦争に賛成することもあるし、反戦運動に参加する事もあるでしょう。
だから、「何が何でも戦争はいけない」「ダメなものはダメ」なんていう意見には反発するのです。
私から見ればそういう意見は目的と手段を取り違えているようにしか見えない。
イカフライさんのこの質問自体がなんか取り違えていないか?と思えます。
何で反戦サイトにきて議論するか。
まあ、上記4に書いたようなことです。
反戦運動自体はその内容や時と場合によって判断すべきと思っているので、
反・反戦派というつもりは無いのですが、
「軍備放棄」「戦争放棄」「非武装中立」「有事法制反対」「自衛隊員はバカ」
てな事を言われてるとどうしても反発してしまうんですよ。
まさに「目的と手段を取り違えているようにしか見えない」ので。
-
ひとまずお久しぶり。
>>14 >>15
壱学生さん、進歩ないねぇ。僕の去り際に述べたことを、もう一度繰り返しにきました。
ぼーんの宗教、イカフライの宗教、武蔵の宗教、壱学生の宗教、その他もろもろの宗教が
「違う」なんてことは、そんな程度のことは最初から分かっている。
また、「違うこと」それ自体は容認してもいる。
しかし、壱学生の持つ宗教がその宗教内部において人間の価値の等しさを否定しているな
らば、その一点において壱学生のもつ宗教全体の修正を迫る根拠になる。そう言っている
に過ぎない。
「α あくまでも、他者と自分に、「理念的な意味での」等しい価値を置かない。」
「β 他者と自分に、「理念的な意味での」等しい価値をおき、自分の宗教を修正する。」
これについて、ぼーんはかつてこういう意味のことを述べました。
「αを選ぶなら、心のそこから軽蔑するし、議論において人格を尊重することもない。まっ
たく相手にしたくないし、する理由もない。」
傲慢さでもなんでもない。「壱学生は、理念における各個人の等しい価値を認めていない」
という単なる論理的事実があり、それに基づいて感想を述べているに過ぎない。
むしろ傲慢なのは、現実に世界の一部である人間が、そうした世界とは切り離された存在
でいられると思い込んでいる壱学生の方だろう。
さらに、壱学生の理屈でいうならば、(少なくともサリン事件までの)オウムのような身
勝手な宗教すら、批判することは「傲慢だ」となりますけどね。意味わかってんのかね。
理念を理念そのものとして間違っている、と批判することは無理でも、理念が許容する現
実において、人間の等しい意味での尊重という最低限の基準を失っているならば、その点
において批判を受ける。宗教そのものを批判するのではなく、宗教が公共領域において他
者と両立できなくなっている点を指摘し、修正を迫るという、必要最小限の要求に過ぎな
いんですが。
これは当然、宗教の原理ではないです。異なる宗教を持つ者同士が生きていかねばならな
い、という社会の現実から生まれた要請、つまり、すぐれて「政治的な原理」なんだけど
ね。こんなことも分からないでなんで政治学者なんてやってられるんだろう?と思う人が
多すぎるなぁ。と思うね。
>>15
> 僕を「反・反戦派」と認識するのは、そういう貴方達の未熟さゆえの部分がかなり大きいのですよ。
> 僕の方としては、「筋道だった考え方」ができてさえいれば、「反戦平和」であろうとも「国益が第一」であろうとも一向に構わないんですよ。
> 「筋道だった」考え方をすれば、両者とも似たような認識に行きつきますから。
> その上でこそ、『現実的な』反戦運動が成り立つのです。
「平和部屋」に来ている人たちを、とりあえず「はんせーん」叫んでる人たちと同列に認識
しているのは、そういう貴方の未熟さゆえであるということに、半年も経ったら気づいてる
かとも思ったけど、まだ無理みたいね。
『 「筋道だった」考え方をすれば、両者とも似たような認識に行きつきます』と思うし、
『その上でこそ、『現実的な』反戦運動が成り立つ』とも思うが、
その行き着く先や現実というものの内実は、随分と違うみたいね。
-
>>23
しかし、こう述べたとしても、僕は「はんせーん」叫んでる人たちは嫌いでないな。
「自分と他者を、理念においては等しい価値を持つ者として承認する」という、
もっとも重要だ(と僕には思える)一点において共約可能だからです。
こっちはまだ、話ができるからね。
-
>>13
> キリスト教徒が仏教徒を、キリスト教徒で無いがゆえに批判するのは傲慢です。
> それと同様に平和主義者が上のような問いを強制するのも、批判してくる相手に「卑怯だ」と思うのも傲慢です。
> 「ある価値体系」で「異なった価値体系」を断罪し、上下関係を設けようとする点において。
> それが僕の言う、『理念』の争いなのです。
↑この部分に壱学生さんの勘違いがよく現れているように思いますね。
「キリスト教徒が仏教徒を、キリスト教徒で無いがゆえに批判する」
なんて、一体そんなことを誰がしているのでしょうか?
異なった価値体系を持つ者同士が互いを尊重してどうにかやっていけるためには、
「A 理念的には双方が人間として等しい価値を持つ」ことを前提しなければなりません。
そして、それぞれの異なった価値体系において、Aという命題を前提していなければなりません。
# 多少ややこしい言葉でいえば、
「公共的に有意味な価値体系は、Aをプロトコル命題として含みもっていなければならない」
ということです。
異なった価値体系に対して、Aを含むよう要求するのは、宗教の論理ではなく、
すぐれて政治の論理です。
上下関係ではないのです。
政治の領域は、(異なる価値観を持ってはいても)Aをプロトコル命題として前
提する人たちの間でしか成立しないのです。だから、Aを否定する人たちとの間
では、もはや、「Aが否定されているからあなたとは対話できません」という以
外の対話はできない。(これが、僕が平和部屋を立ち去った理由ですがね。)
-
どうもぼーん氏の方こそ半年経っても全く「反戦」という事について判ってらっしゃらないようで、苦笑してしまいます。
それはイカフライ氏も同じ事で、そこに気付いて無いとあなた方の『反戦』は全く意味が無いどころか逆効果なんですよね。
特にぼーん氏の言う所の
異なった価値体系を持つ者同士が互いを尊重してどうにかやっていけるためには、
>「A 理念的には双方が人間として等しい価値を持つ」ことを前提しなければなりません。
>そして、それぞれの異なった価値体系において、Aという命題を前提していなければなりません。
># 多少ややこしい言葉でいえば、
> 「公共的に有意味な価値体系は、Aをプロトコル命題として含みもっていなければならない」
> ということです。
ていう部分なんて、ぼーん氏ご自身が守っていない時点で失笑ものです。
僕は今まで一度も「他人なんてどうでもいい(これはぼーん氏が言う所の「あくまでも、他者と自分に、「理念的な意味での」等しい価値を置かない。」でしょう)とは言っていませんよ。
お二方がそう読みとっているならばそれは(あまり使いたくない言葉ですが)読解力不足であり、ご自身の『理念』の正しさを過信するあまりに目が曇っているのでしょう。
そうではなくて、僕が一貫して主張しているのは、
「『「他人なんてどうでもいい」というような人達』に対しても有効な反戦運動のあり方を模索するべきだ」
なのです。
よく反戦派の方々は「戦争で犠牲になるのは弱者だ」と言いますよね?それと全く同じ意味で「平和の利益は利己的な人間にももたらされる」のですよ。
逆から言えば、「利己的な人間」を納得させる事ができなければ、平和はすぐに破られるのです(パレスチナ和平がユダヤ人右派によりご破算になったのはご存知ですよね?)。
で、そういう利己的な人間たち(僕の事では無いですよ!)を説得するに当たっては、「利益」を媒介にするしかないのです。
「平和の大事さ」なんて「想い」は人それぞれですが、「平和の利益」は誰に対しても計算可能です。
そしてそういう人間たちを相手にする上では、「あなたは問うの?それとも問わないの?」なんていう問題設定は有害でしかないのです。
そんなモノは各人の内心のみで処理する問題であり、上段に構えて突きつける類の問題ではありません。
そういう問題設定をするのがまさに「あくまでも、他者と自分に、「理念的な意味での」等しい価値を置かない。」行為なのですよ。
正確に言えば「そういう問題設定を『押し付ける』」部分が、ですが。
それをぼーん氏は理解していらっしゃらない。それでは幾ら口清い『理念』を唱えたところで、醜悪なものでしかないのです。
話しをもう少し簡単な例え話にしますと、
利己的な人間が、長期的な利益計算に基づいて「戦争より平和の方が利益になる」と考えて反戦運動をするのも、
倫理的立場から「戦争は良くない」と考えて反戦運動をするのも、
同じ「反戦運動」という現象であり、政治的意味合いは全く変わらないのです。
僕が言うところの「器の大きい反戦運動」とは両者の融合した反戦運動です。
しかしながらぼーん氏が言うところのような問題設定をすれば、後者の「倫理的立場」からしか反戦運動は成立しません。
まぁ仲間内で結束を高めるのも良いですけど、少なくとも「政治的な論理」から見ればこんな行為は愚かな事極まりありません。
ぼーん氏の主張にはそういう問題点が内在しているが故に、僕は批判しているのです。
(それが、僕がぼーん氏の問題設定を『拒否』した理由ですよ!僕は「利己的な人間」であるが故に『拒否』したのではありません。「自己の内心のみで処理する問題」を公的な場で出す事の有害性ゆえに『拒否』したのです)
-
ぼーん氏は丸山真夫の「超国家主義の論理と心理」という論文を読んだ事はありますか?
あなたのしている問題設定は丸山が批判している「大日本帝国」と同じですよ。まともな政治学者なら全員が貴方のような問題設定は拒否するでしょうね。
「内心のみで処理する問題」を大上段で突きつけるのは思想の左右を問わず醜悪極まりありません。
(ちなみに以前丸山真夫を右派の少年に紹介した時、「今時丸山真夫かよ」と読まずに批判されましたが(苦笑)
思想の左右を問わず「正義」を公的な領域で突きつけるような人物は変わらないようですね。)
ぼーん氏は僕の意見を
>さらに、壱学生の理屈でいうならば、(少なくともサリン事件までの)オウムのような身
>勝手な宗教すら、批判することは「傲慢だ」となりますけどね。意味わかってんのかね。
と批判しますが、僕が拠って立つ「政治的な論理」からすれば正に上記の態度は当然あるべき態度です。
「政治的な論理」からすれば、「明白な法律違反」とか「公共の福祉の重大な侵害」が無ければ、そういう「内心の問題」に干渉しないのは当然でしょう(政教分離の原則は知ってますよね?)。
もちろん「家の財産を持ち出された親類縁者」が民事訴訟を起こすのも自由ですし、訴えが起これば公的な領域で取り扱いますが、
逆に言えばサリン事件以前では「公的な領域」で取り扱う事は出来ません(もちろん違法行為が立証されれば別ですが)。
それが「政治的な論理」に内在する限界です(それにしてもぼーん氏は何が言いたいのかな?公権力により宗教弾圧をしろとでも?)。
まぁぼーん氏が「倫理的な立場」からオウムのような宗教を批判するのは、それはそれで「あり」なのですが、
「政治的な論理」に限界が内在するように、「倫理的な立場」に内在する限界も認識するべきでしょう。
例えば今話題のパナウェーブ研究所にしても、「政治的な論理」からすれば道路交通法違反だとかの微罪でしか扱えません。
そういう「政治的な論理」の限界を無視して公権力が私的領域に干渉するのはより大きな問題が発生するでしょう(自由主義の思想史をしっていれば」当然に気付く問題なのですがね)。
で、話を反戦運動に戻しますと、いわゆる「反戦運動」の究極的終着点が「平和」の実現・戦争の防止である以上、これは「政治的な論理」を無視しては成り立ち得ない訳です。
したがって「政治的な論理」に内在する「個人の内心の問題」には踏み込めません(少なくとも「共有しろ」とは言えません)。
だからこそぼーん氏の問題設定は無意味ですし(ぼーん氏と志しを同じくする仲間内でのみして下さい)、有害ですらあります。
まぁ僕が言う「利己的な人間像」ってのも、「自分と同じく相手も合理的に利益計算が出来る」という点においては
ぼーん氏が言う「他者と自分に、「理念的な意味での」等しい価値」を置いているのかもしれませんが。
でも良くも悪くも人間の能力は様々ですから、「長期的な利益」の計算ができて平和を志向する者もいれば、「短期的な利益」を主眼にして戦争を志向する者ももいるでしょう。
でもそれこそが「現実」に近いでしょう。そういう「現実」を前提にしなければ「平和運動」は政策たり得ないのですよ。
まぁ「政策」として現実に影響を与えなくとも主張しているだけで良い、という立場ならそれも「あり」ですが。
-
ども、なんか、長いカキコがおおくて、スレッドが流れてしまいそうなんで、とりあえず、お返事を。
>>19
>今のやり方では、単に一方的譲歩を引き起こすだけに過ぎないのですから。
これ、ヤスツさんがさかんに言ってることだよね。
今更だが、この「無限の一方的譲歩」ってやつ、なあ-んか解るような解らなんような、ピンとこないんだけど、もう少し説明してくれるかな、今更だけど。
じゃないと、どうも、同じ言葉を使いながら、全く、違う事いってる、違う解釈してるって、結構、あるようなんで。
>実際、現在の我が国の国防の不備は、一連の反戦平和の成果であると私は見ています。
まず、個人的に言えば、戦争がいけないから軍隊もいけない、という考えは短絡的すぎる。
まあ、そこまで言う反戦主義者ってのは、今まで、お目にかかったことないから、これって、「反戦主義者」にたいするネットウヨの脳内妄想がかなり入ってると思うけど。
(自衛隊を嫌ってる、てのもそのひとつだよね、ちらっと読んだ、2ちゃんの自衛隊板の教師に人殺し呼ばわりされたAV女優の板スレなんかでも、個人の一体験を日教組全てにおきかえちゃって、当の自衛官の妻である現役教師から反論くらってちゃ世話無いわ、と思ったんだけど)
これは、前にも言ったけど、それより政府、国家に信用が無いってこと、ないのかな?
ひとつは、ある程度以上上(60代くらい)の人間にある経験から来る軍隊アレルギ−、もうひとつは、いわゆるタカ派と呼ばれる政治家達の問題ね。
石原慎太郎なんて、信用して任せられますか?
で、利益の問題なんだけどね。
まあ、私は日本人だから日本が平和で豊かなのが一番なんだけど、そのために、よその国を犠牲にしてよいのか?
それが許される範囲ってどこまでか?
ってこと、考えてるんだけど、「国益」さえかなえばそれっていいんだろうか?
これは、公平スレの命題かもしれんけど、てことは、例えば北朝鮮が日本にテポドン落とす事が北朝鮮の国益にかなう、と判断すれば、それって、いいんだろうか?
アメリカが自国の国益のためにイラクに爆弾ばらまいたことを容認するなら、それも良し、になるでしょ。
で、そ-ゆの良しにする世界じゃおちおち安心して暮らせない、つ-のがあるんっすけどね。
勿論、そうなると「世界政府」でもつくらんとならんだろうし、そ-ゆ点で「アメリカの世界征服こそ平和の第一歩」という考えもでるのかもしれんが、
それまでの犠牲を考えれば、とても飲めないし、第一、アメリカって平和な国か? ってきもするし。
>>22
場合によっては反戦、場合によっては戦争オ−ケ−ってことだよね。
一見、これってもっともなようだけど、一番プロパガンダにひっかかりやすい考えでもあるな。
まあ、「プロパガンダ10の法則」くらい、とっくにご存知だと思いますが。
で、4の質問について、取り違えてないか? ってことなんですが。
まず、戦争を容認するのならば、自分の身の上に戦争が起きた場合、それも容認する、というのではないと、矛盾があるのでは、ってことです。
実際、ヤスツさんは、「仕方ない」というような意味の事、言われていますし。
>戦争を起こすのも、起こさないのも、自分の帰属する集団・社会、周囲の人々、
>ひいては家族や自分自身が死なない、あるいは不幸にならないためと考えます。
で、実際、家族や自分自身が死んだり、不幸になってる人がいるんだよね。
これを「関係無い他者がいくら死のうが関係無い。」というのも、まあ、現実的に考えれば、仕方ないんかなあ、とも思わないわkではないんだが。
> 反・反戦派というつもりは無いのですが、
>「軍備放棄」「戦争放棄」「非武装中立」「有事法制反対」「自衛隊員はバカ」
>てな事を言われてるとどうしても反発してしまうんですよ。
これらのことは、それこそひとつひとつ板スレを作って議論する問題なので、ここで簡単には答えられないですね。
-
上記の事はぼーん氏だけでなくイカフライ氏にも向けた主張なのですが、それだけではおそらく理解されないでしょうから、
イカフライ氏向けにもっと簡単に述べますね。
イカフライ氏は
>>武蔵氏やイカフライ氏は「悲惨な戦争があると認識した場合、人間は常に反戦の思想を持たなければいけない」と考えてはいませんか?
> 別に、考えてませんよ。
と述べましたが、それが意味するところを全く理解されていらっしゃらない。なぜならその後で、
> で、歯がゆく思っている壱学生さんは、そういった
>「利己的ニイチャンの世界」で「現実的な反戦システム」を構築できる理論的に筋道だった方法論はお持ちなの?
とか、
>国際関係論を学ばれたのでしたら、そのお勉強の成果を知りたいのですが。
とか述べている部分が正にその証拠です。
イカフライ氏はご自身の自由な意志で「反戦」という立場を選び取って実践されているのですよね?
一方僕はそういう類の事は一切言っていません(この場において、ですよ!)。
つまりイカフライ氏はご自身の立場からすれば「反戦」論を述べるのは当然ですが、ぼくの方には一切その義務がありません。
例え話をすれば、マンガの読者はあるマンガをクソミソに貶すのも自由ですが、作者はその反論に「じゃあおまえが書いてみろよ」と言えないのと同様です。
難しい用語で言えば、イカフライ氏には反戦論の「挙証責任」があるのに対し、僕の方には「挙証責任」が一切ありません。
この「挙証責任」云々は、論理学の初歩の初歩の概念であり、公の場で議論する際の不文律です。
それを無視して「じゃあお前が考えてみろよ」と言うのは、議論相手に自らの『理念』を押し付ける、思い上がりな行為と見られても仕方の無い事です。
つまりイカフライ氏が上記で述べたような主張は、「相手に反戦の立場を押し付ける行為」なのですよ。
だから僕はその点をしつこいぐらい訂正するように求めているのです。
で、そういう事を述べた上で、僕の「好意」(あくまで好意ですよ!)で僕なりの見解を述べるならば、
「世界を平和にするなんて不可能だし、反戦運動で起こりそうな戦争を食い止めるのはほぼ不可能」です。
世の中にはどんなに願っても「実現不可能な願い」がありますし、実行しようとしても「実現不可能な行為」が厳然としてあります。
今なら簡単に治る病気でも、抗生物質の発見以前にはどんな金持ちがどうお金を積んでも治す事のできなかった「不治の病」があるように。
それを痛いほど認識した上で、平和に向けての「事実」を一歩一歩積み上げて行くしかないのです。
適切な途上国支援をするのも良いでしょう。それなりに信用の置ける団体に募金するのも良いでしょう。
あるいはもっとミニマムな事でも構いません。
問題意識を持って歴史について勉強するのもいいでしょうし、街中でごみ拾いをして街頭美化運動をするのも良いかもしれません。
あるいはネット上で「明らかに間違った反戦運動」を批判して認識を改めさせるのもまた反戦運動たり得ます。
その辺りは人それぞれです。
-
ぼ-んさんと壱学生さんのレス読んで。
ぼ-んさんは多分こういいたいのではないかな?
「壱学生さんは、「理念において自己と他者の違いに優劣を置くべきでない」というのなら、
それは反戦の思想「自己と他者の痛みや命を同等に置く」ということと同じことである。」
って。
それを壱学生さんは、読み取ってないんじゃないでしょうか?
それとも「理念」に置いては、同価値を置くべきだが、基本的生存権については、必要無い、とでも言いたいのかな?
-
>>29
> イカフライ氏はご自身の自由な意志で「反戦」という立場を選び取って実践されているのですよね?
一方僕はそういう類の事は一切言っていません(この場において、ですよ!)。
>つまりイカフライ氏はご自身の立場からすれば「反戦」論を述べるのは当然ですが、ぼくの方には一切その義務がありません。
例え話をすれば、マンガの読者はあるマンガをクソミソに貶すのも自由ですが、作者はその反論に「じゃあおまえが書いてみろよ」と言えないのと同様です。
難しい用語で言えば、イカフライ氏には反戦論の「挙証責任」があるのに対し、僕の方には「挙証責任」が一切ありません。
これって、言い訳以外なにものでもなんですが。
まあ、一切なにもいっていないという自覚があるなら、まあ、いいでしょう。
ちなみに、そのマンガがつまらないと思えば読まなきゃいいし、買わなきゃいい。
評論家気取りで、ああたらこうたらもっともらしい言葉を並べてなんら中身の無い評論もどきのお手紙を送られてきても、その漫画家の作品を読む気も買う気もない人に、漫画家はあいてする必要なんです、おわかりですね。
ただ、ここでいえば、壱学生さんは、無責任な立場でああだこうだいいたい、ッてことなんでしょうかね?
それから、ご好意はありがたいですが、あなたのいうアドバイスは本当に今更のいわずもがな、ですね。
まあ、ひとつ、つけくわえさせていただけば、ネット上で、「明かに間違った反戦者のイメ−ジ」をおもしろ半分に植え付けようと(意識的であれ、無意識であれ、無責任な遊びであれ)している意見を批判する、っていうのが抜けていますが。
ただ、これはもしかしたら、反戦者よりも、反戦側と本当にまともにお話しようとしている人がやるべきかも知れませんけれど。
-
>ぼーん氏
お久しぶりですね。
元・国家主義者こと柏葉英一郎です。
で、
>>25
>異なった価値体系を持つ者同士が互いを尊重してどうにかやっていけるためには、
>「A 理念的には双方が人間として等しい価値を持つ」ことを前提しなければなりません。
>そして、それぞれの異なった価値体系において、Aという命題を前提していなければなりません。
ですから、これが「宗教」なんですって。
「人間として等しい価値」なんて、いったい全体、誰が決めたんです?
仮にこれを、ぼーん氏が決め、それに則った「ぼーん教」としましょう。
極論すれば、これはつまり、ぼーん教の信者にしか通用しないですよ。
私は以前にねこれを指摘しましたよね?
「布教活動」が、あなたの平和論なのかと。
どうなんです?
-
>>32
に、ちょっとツッコミ。
>>「A 理念的には双方が人間として等しい価値を持つ」ことを前提しなければなりません。
>「人間として等しい価値」なんて、いったい全体、誰が決めたんです?
決めたのは壱学生さん。
-
>>28
>今更だが、この「無限の一方的譲歩」ってやつ、なあ-んか解るような解らなんような、ピンとこないんだけど、もう少し説明してくれるかな、今更だけど。
では、イカフライ女史にもわかりやすいように説明しましょう。
----------------------------------------------------------------------
あるとき、暴れん坊のA君がとても金に困っていました。
そこに通りかかったのが、ひ弱なB君です。
A君は早速B君に、こう恫喝しました。
『金をよこせ、でないとぶん殴るぞ!』
B君は殴られたくないので、泣く泣く金を渡しました。
これに気をよくしたA君は、あくる日、また同じことを。
B君は、さすがに我慢できず、これを拒否しましたが、A君は逆ギレし、軽くB君を殴りました。
『言うこと聞かねえと、もっと非道い目に遭うぞ!』
反撃能力を持たないB君は、また泣く泣く金をB君に差し出しました。
そしてB君は、完全にA君の金ヅルになりましたとさ。
めでたし、めでたし。
----------------------------------------------------------------------
ってなところですかね。(笑)
>これは、前にも言ったけど、それより政府、国家に信用が無いってこと、ないのかな?
>ひとつは、ある程度以上上(60代くらい)の人間にある経験から来る軍隊アレルギ−、もうひとつは、いわゆるタカ派と呼ばれる政治家達の問題ね。
>石原慎太郎なんて、信用して任せられますか?
知りません。
政府を信用するしないは、あなたがそう思っているだけでしょう。
ただ、政府というものは国家、国民の利益を考えるのが仕事なんで。
で、大多数の利益を実現する手段として、民主主義というシステムがあるわけです。
石原慎太郎が圧倒的得票数で再選したのも、都民達が自分達の利益になると思っているからでしょう。
もしも政府が大多数の不利益になると思えることをすれば、その時点で政権交代になるわけで。
それとも、国家や国民に関係ない「政府」なるものが、どこかにあるんですか?
イカフライ女史の言っていることを見ると、そうとしか思えないのですが。
>まあ、そこまで言う反戦主義者ってのは、今まで、お目にかかったことないから、これって、「反戦主義者」にたいするネットウヨの脳内妄想がかなり入ってると思うけど。
いやいや、実際にいますよ。
某党首なんかその典型。
あと、水島とか福島とかいう女性のセンセイなんかも、公言していますね。
無抵抗で降伏したあと、抵抗すればいいなんて戯言を。
>これは、公平スレの命題かもしれんけど、てことは、例えば北朝鮮が日本にテポドン落とす事が北朝鮮の国益にかなう、と判断すれば、それって、いいんだろうか?
>アメリカが自国の国益のためにイラクに爆弾ばらまいたことを容認するなら、それも良し、になるでしょ。
それが現実です。
だからこそ、自分の身は自分で守る必要があるのですよ。
善悪の問題ではありません。
私見ですが、反戦派はそういった現実を嫌悪している。
要するに、全人類を、ある何かに変えようと考えているわけで(神?)。
逆に私などは、人間はあくまで人間であり、その上でどうするかを考えているわけです。
簡単に言えば、反戦側は宗教的領域であり、反・反戦側は政治的領域であると。
どうでしょうか?
-
壱学生の言うような話はよく聞く話ではあるのだが。しかし、ほとんど実際上あんまり
意味のない問題にかかずらわっているようにしか見えない。
>僕が一貫して主張しているのは、
>「『「他人なんてどうでもいい」というような人達』に対しても有効な反戦運動のあり方を模索するべきだ」
>なのです。
↑このような主張なんて、とりあえず現実を見ないで、問題をいたずらに難しくしてし
まっているだけに見える。
アメリカ政府にしてもイスラエル政府にしても、自分たちの行為を「正義」と呼ぶわけ
です。彼らは決して「正義など知ったことか」とは、少なくとも公には言わない。彼ら
の力の基盤の多くが、正義を「装う」ことによって維持されているという事実を忘れて
はいけません。
「まったくの不正義であってもアメリカのする戦争を支持するか」と聞かれれば、多く
のアメリカ人が「支持しない」と答えるでしょう。世論調査からも、その程度のことは
伺えます。アメリカ人がアメリカ政府を支持しているのは、「それは正義の戦争だ」と
信じているからなわけです。「正義の戦争ではなくても、それが自分の利益になるから」
なんて理由で支持している人は、まずはいません。
だから、人々が利己的だから戦争がなくならない。というのは、半分以上間違っています。
大抵の人は、自分のことを完全に利己的だとは思っていない。たとえば、壱学生くんですら、「他人のことなどどうでもいい人」を「自分ではない」と述べているくらいです(笑)
なので、
>『「他人なんてどうでもいい」というような人達』に対しても有効な反戦運動のあり方を模索
する必要はないんです。できるんならやったらいいでしょうけど、どーも、そんな難しい問題には答えは出なさそうです。だから、「他人なんてどうでもいい」という人たちは、端的に、軽蔑し、相手にしないだけのことです。事実の問題として、そんなヤツは、圧倒的少数派でしょうから、そいつら以外の人がきちんと動けば事態は変わります。
それが難しい、っちゃ難しいんですけどね。
しかし、「器の大きな反戦運動」とやらを考え出すよりは、ずっと簡単そうに見える。
「他人はどうでもよくないが動かない」人たちに、「あなたには動く責任がある」と言
って回るほうがずっと分のいい作業だと思えるな。今までの経験からすると。しかも、
チョムスキーやサイードたちが途中までは作業を進めてくれているからね。
私たちは、不完全ながらも、道義というものが人々の意思決定に影響を及ぼしうるよう
な世界に生きています。だから、他人のことにもちゃんと関心のある人にだけ通用すれ
ば、それで十分。
# いやぁ、なんて現実的な判断なんだ。
-
>>35は>>26へのレスね。
次は、>>27へのレス。
>>27
>逆に言えばサリン事件以前では「公的な領域」で取り扱う事は出来ません(もちろん違法行為が立証されれば別ですが)。
>それが「政治的な論理」に内在する限界です(それにしてもぼーん氏は何が言いたいのかな?公権力により宗教弾圧をしろとでも?)。
「批判する」ことと、「公権力によって宗教弾圧をする」ことの間には随分と開きがあ
るのだが、どうも壱学生さんの言語センスにおいては「同列」らしい。
どうやったら、こんなのと建設的な対話ができるのだろう?とは思うが、とりあえず言
うべきことは言っておく。
>ぼーん氏は僕の意見を
>>さらに、壱学生の理屈でいうならば、(少なくともサリン事件までの)オウムのような身
>>勝手な宗教すら、批判することは「傲慢だ」となりますけどね。意味わかってんのかね。
>と批判しますが、僕が拠って立つ「政治的な論理」からすれば正に上記の態度は当然あるべき態度です。
>「政治的な論理」からすれば、「明白な法律違反」とか「公共の福祉の重大な侵害」が無ければ、そういう「内心の問題」に干渉しないのは当然でしょう
>(政教分離の原則は知ってますよね?)。
などといっているが、問題は「内心の問題」ではないの。
サリン事件を受けて、サリン事件を起したオウムの思想的体質について、あくまでもサ
リン事件が意味するものとの関係においてのみ、批判することは可能だし、それが政治
的批判というものだ。
どーも壱学生君は、ぼーんが「サリン事件を起したオウムのような宗教を全否定してい
る」と思い込んだみたいだね。
違うんだよ。
オウムは、Aを含むことが可能なように、その教義を含む価値体系を修正するべきであ
る。と述べているだけ。
-
>>30
> イカフライ氏はご自身の自由な意志で「反戦」という立場を選び取って実践されているのですよね?
> 一方僕はそういう類の事は一切言っていません(この場において、ですよ!)。
> つまりイカフライ氏はご自身の立場からすれば「反戦」論を述べるのは当然ですが、ぼくの方には一切その義務がありません。
↑なんなんだろうね。これって(笑)
言ったから義務がある。
言わないから義務がない。
って、小学生じゃないんだからさ。
壱学生さんは、
「α そこに義務があるという前提を持つと、表明する。」
のか、または、
「β そこに義務がないという前提を持つと、表明する。」
のか。どっちなんだ、と聞いているわけです。
αなら、壱学生さんがイカフライさんに向かって言っている責任が生じます。
だから、あえてαを選ばない。
ならば、βを選ぶかというと、そうでもない。
単に「αともβとも言わず、両方の責任から逃れようとしているだけ」
なわけだ。
「βなんですか?」「いや、βだとは言っていない」
「じゃ、αなんですか?」「いや、そこはなんとも。。ムニャムニャ」
なんか政治家の答弁みたいだなぁ(笑)
こんな答弁している政治家のことを「信用ならないズルイやつ」とみなすのは
多分、ほとんどの人たちの一致した見解でしょう。
こんな答弁をしている政治家は、「実質的にβを選んでるんじゃん。汚いやつ」
と見なされて当然でしょう。
以上、壱学生さんのとっている戦略の不誠実さを赤裸々に書いた上で、再度問う。
壱学生さんは、どっちを選ぶの?
そして、そうやって旗印を明らかにさせること。
βを掲げるやつは、まず、最初から相手にしません。で、終わり。
αを掲げるなら、そこからαと一貫した態度を求めることで追い詰めていく。
そして、相手が掲げたαを基点にして、相手の態度変更を求めていくことが、
「反戦平和運動」そのものなわけです。少なくとも僕にとっては。
で、この戦略って、結構有効でしょ。
実際、壱学生君はαともβとも言えず、「ムニャムニャ」としかいえないわけですから。
はたから見ても、「こいつバカ?」って思うと思うんだけどなぁ。
-
>>33
>決めたのは壱学生さん。
どこで?
壱学生氏は、単にある理念が、他の理念を非難するのは傲慢だといっているだけですが。
よろしかったら、具体的にご指摘下さい。
-
>>32
あーどーも。
おっしゃる通りですよ。僕は「ぼーん教」の布教をしているんです。
あなたの語法に従えば。
> ですから、これが「宗教」なんですって。
> 「人間として等しい価値」なんて、いったい全体、誰が決めたんです?
> 仮にこれを、ぼーん氏が決め、それに則った「ぼーん教」としましょう。
> 極論すれば、これはつまり、ぼーん教の信者にしか通用しないですよ。
> 私は以前にねこれを指摘しましたよね?
> 「布教活動」が、あなたの平和論なのかと。
> どうなんです?
別に否定しなかったと思うけど。まったくその通り。
問題は、人々がこの宗教に帰依しないからではないのです。この宗教に帰依してい
るにも関わらず、他者についてはその宗教の内在する論理を当てはめないことに起
因しているんですよ。
あるいは、その宗教に帰依することによるご利益はさずかりながら、帰依していま
すとは言わない。そのことによって「宗教的義務」を放棄しているわけです。
つまり、自分を守ってくれるそのルールを、等しく他者にも当てはめ、そこに不正
があれば、不正だといいなさい。ってことをさぼってるんです。
だから、僕は壱学生君に踏絵を踏ませようとしてるんですよ。
しかし、壱学生さんは決して「βだ」とはいえないわけです。
彼もきっと、心の中では「ぼーん教」の信者みたいですよ(笑)
それを前提しないあなたのような方は最初からお呼びではないんです。
-
>>32
>>39に補足して。
では、β、「他者がどうなろうとしったことではない」と述べる人たちは、
自らもそういわれることを覚悟しましょう。少なくともそこまではいえる。
日本が戦争に負けて、周りが悲惨なありさまになるとき、自分自身も殺されたり
するとき、そのことを「悲しい」とか、「腹が立つ」とか、そういうことは言っ
てもいいです。しかし、「それは不正である」とだけは、言う資格ありません。
正義、というものは、その根本において、「他者と自分に等しい価値がある」と
前提しなければ成立しません。だから、それを否定する人は、自分自身の権利と
いったものも一切合財否定したのだ、ということ。
しつこいですが、さらに言います。
サリン事件の被害者に対して「運が悪かったね」とはいえても、「あれは犯罪だ」
とはいえても、「あれは道義的に許せない行為である」とはいえません。
「ぼーん教」を否定することはそのくらい高くつくんです。
高い、ってのは僕の主観的な評価ですがね。
これを高いと見る人が一定以上いそうなので、とりあえずはそれを高いと見る人だけ
が、「ぼーん教」に帰依し、その「宗教的義務」を果たしてくれるのであれば、それ
で十分世界は平和になりそうなんで。
これを安いと見る人は、まぁ、救いようがないので、僕には話し掛けないでください。
どーぞご勝手に。
とまぁ、こういう話なわけですよ。
-
>>39
>あーどーも。
>おっしゃる通りですよ。僕は「ぼーん教」の布教をしているんです。
>あなたの語法に従えば。
こちらこそ、どうも。
ようやくあなたの口から、「宗教である」という言葉が出ましたね。
これはこれで、一つの進歩かも知れません。
相変わらず「ぼーん語」を連発しているようですが。(笑)
>別に否定しなかったと思うけど。まったくその通り。
>問題は、人々がこの宗教に帰依しないからではないのです。この宗教に帰依してい
>るにも関わらず、他者についてはその宗教の内在する論理を当てはめないことに起
>因しているんですよ。
えっ、私はいつから「ぼーん教」の信者になったんですか?
ひょっとして、日本国内における、法律、慣習、道徳などのことを指しているのですか?
これだったら、確かに私は帰依していると言って良いでしょう。
>あるいは、その宗教に帰依することによるご利益はさずかりながら、帰依していま
>すとは言わない。そのことによって「宗教的義務」を放棄しているわけです。
>つまり、自分を守ってくれるそのルールを、等しく他者にも当てはめ、そこに不正
>があれば、不正だといいなさい。ってことをさぼってるんです。
これはつまり、日本国内におけるルールを、外国もしくは外国人に適用しろってことですか?
そして我々日本人が、日本におけるルールによって受ける利益を、彼らにも与えろと?
どうなんです?
>それを前提しないあなたのような方は最初からお呼びではないんです。
要するに、話し合いそのものを拒否するということですか?
それでは、とてもではありませんが、「話し合いによる解決」など出来ないのでは?
結局のところ、「異端審問」による排除ではないですか?
-
>>38
「理念に優劣をつけるな」と言っているのは、同等である、ということではないんでしょうか?
過去ログをあたればよいのでしょうが、探しきれませんで、ごめん。
で、もうひとつのレスは、時間とってあとで書きます。
-
>>41
おもしろいなぁ。ある意味予想外。
国家主義者氏は、もう少し堂に入った国家主義者だと思ってたけど、案外セコイのね。
>>それを前提しないあなたのような方は最初からお呼びではないんです。
>要するに、話し合いそのものを拒否するということですか?
>それでは、とてもではありませんが、「話し合いによる解決」など出来ないのでは?
>結局のところ、「異端審問」による排除ではないですか?
話し合いそのものを拒否しているのは、君の方なのだが。
それすらもこんがらがっているのね。
他者と自分に等しい価値を置くとは前提しないあなたが、
どうして「ちゃんと話相手としてみとめろ」なんて言えるわけ?(笑)
あなたが、あなた自身と他者に等しい価値があると認めないなら、
僕も同様に、あなたと僕自身とに等しい価値を与えなくていいはずだ。
だから、僕は、少なくとも「他者と自分に等しい価値を置く」とあなたが認めるまで、
あなたをまともな話相手とは認めない。
それは、「あなたが」選び取ったルールの、論理的な帰結であって、あなたに僕を批判する資格はないのですよ。
>結局のところ、「異端審問」による排除ではないですか?
そのとおりかもしれません。しかし、だからどうだというのでしょうか?
>えっ、私はいつから「ぼーん教」の信者になったんですか?
「異端審問による排除」を、「不正だ」とあなたが言うなら、それが帰依している証拠です。
さて、どう「異端審問による排除」は、「不正だ」と、言うの?言わないの?
あなたの口調からすると、「ぼーんのやり方は異端審問による排除だ、けしからん」
といいたげなんだけど(笑)
さて、言うの?言わないの?
それとも、「私はαを選んだ人間なので、そうやって相手にされても仕方ないでしょう」
っていいます?それはそれで、僕は楽だからうれしいけど。
|
|
|
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板