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【廃道・隧道】山さ行がねが応援スレ【冒険・探索】

1とはずがたり@元林道部会長:2007/09/30(日) 23:18:53

山さ行がねが
http://yamaiga.com/index2.html
ヨッキれんを応援しようヽ(`Д´)ノ
皆の実行したアホな冒険譚も求む。

114とはずがたり:2010/02/25(木) 01:01:03
最早歴史家・遺構研究者の域だなぁ。
野に置いておくのが勿体ない。。

http://www.the-orj.org/

宇津峠 明治車道(三島新道)
※【FREE!】 序節無料公開中!

115荷主研究者:2010/02/27(土) 16:18:49
>>113
http://www.hokkoku.co.jp/subpage/H20100226101.htm
2010年2月26日03時06分 北國新聞
「愛本刎橋」復元へ一歩 黒部市視察団、金沢で設計図閲覧

刎橋の設計図に見入る黒部市からの視察団=金沢市立玉川図書館近世史料館

 加賀藩5代藩主前田綱紀が黒部川に架設し、日本三奇橋の一つと称された「愛本刎(あいもとはね)橋(ばし)」の調査に、藩政期の図面や関係史料を有する県立図書館と金沢市立玉川図書館近世史料館が協力していくことになった。25日には、復元も視野に調査を進める黒部市教委と同市歴史民俗資料館運営委員会の一行が両図書館を訪れ、所有する設計図などに目を通して研究の進展に手応えを感じ取った。

 黒部市は昨年3月、珠洲市の陶芸作家為重功さんから、同家に秘蔵されていた愛本刎橋の史料「越中新川郡愛本橋百分之一図」=1841(天保12)年製作=の寄贈を受けた。これを機に、当時の架橋構造や橋梁(きょうりょう)技術の概要が確認できるようになり、同市は復元を視野にいっそうの史料収集などに乗り出した。

 現在、愛本刎橋の設計図は4種類が確認されており、このうち為重さん寄贈の1種類を除く3種類は金沢市内の両図書館が所蔵している。黒部からは25日、3枚の現状確認を目的に、永井宗聖資料館運営委員長ら12人の視察団が金沢を訪れた。

 視察団は県立図書館で天保年間(1830〜44年)に描かれた「越中国新川郡愛本橋指図」、玉川図書館では1820年の「文政三年愛本橋四拾分一絵図」、製作年代不明の「愛本橋建築之図」を検分し、関係史料にも目を通した。視察団は「今後は4種の設計図の比較分析を進めて、往時の橋の姿を明らかにしたい」としている。

 一行は金沢工大も訪れ、橋梁工学を専門とする本田秀行教授から説明を受けた。視察には為重さんと、江戸時代に架橋に当たった笹井正房の子孫に当たる篠井隆正さん(野々市町)が同行した。

116名無しさん:2010/03/05(金) 00:05:07
>>111
どうもです。(^^)ヨッキ氏にプッシュしてくれたんですね。
広野小高線を走ったのも既に3年以上前だし、更新が1年ぶりだし
実際に走破したのは1日でもレポが完結するまでが壮大になっちゃってますね。
次の更新はいつになることやら(笑)

118名無しさん:2010/04/01(木) 01:08:32
ヨッキれん、「山さ行がねが」10周年おめでとう!
\(^o^)/

119荷主研究者:2010/04/10(土) 17:02:52
自然の穴だが…

http://www.shizushin.com/news/local/east/20100402000000000063.htm
2010/04/02 静岡新聞
三島風穴、埋め立て工事で対立 駅北口整備に難題

ttp://tohazugatali.web.fc2.com/nature/IP10031TAN000020001.jpg

 JR三島駅北口の地下に広がる「三島風穴(ふうけつ)」をめぐり、三島市とNPO法人火山洞窟(どうくつ)学会=事務局・東京都文京区、立原弘会長=が意見を対立させている。市は北口周辺の都市開発整備の一環として市道を通す予定で、道路の安全確保のため交差点直下の風穴を埋め立てる。一方、同学会は2月に独自調査を行い、「富士山の溶岩洞窟として極めて高い自然遺産価値がある。学術調査の徹底を」と市の方針に異議を唱えている。

 市によると三島風穴は地表から約8メートル下に広がり、空洞の面積は推計2500平方メートル。市はこのうち道路直下の約1600平方メートルを「グラウド」と呼ばれる特殊材を注入して充てんする。3月半ば、埋め立て工事の準備作業に取り掛かった。

 小池政臣市長は「貴重との認識はあり、観光に生かせないか私も5年ほど前に中に入ったが、崩落が進んでいて非常に危険。崩壊が起きたら行政は責任を問われる」と緊急性を強調する。

 市は2004年度に土隆一静岡大名誉教授を委員長に「三島風穴検討委員会」を開き、対応を検討した。地下レーダー探査やボーリング調査を行い「風穴内部は落盤の可能性があり、文化財として見学可能な保存方法は難しい。道路下の安全性確保には閉塞(へいそく)などの対応が必要」と結論づけた。市は昨年8月に再調査し、埋め立て工事の実施を決めた。

 一方の火山洞窟学会は、地元住民の依頼を受けて今年2月に実地調査した。会員ら14人が中に入り、広いホール状の洞窟を確認したという。川村一之事務局長は「天井崩壊はほとんどなく、珪酸(けいさん)鍾乳石など貴重な生成物がそのまま残されていた」と説明する。報告書をまとめ、工事設計図の公開と工法の再検討、洞窟の有効活用を求めて市に要望書を送った。

 同学会に調査を依頼し、立ち会った地元の三島市文教町の男性(62)は「新幹線駅の近くに風穴があることも、埋め立て工事をすることも多くの市民は知らない。火山学や生物学などいろいろな角度から議論してほしい」と話している。

120名無しさん:2010/04/14(水) 07:24:32
>>106
地図の南西の方角にある七面山とその周辺は日蓮宗の修行の場だそうですね。
七面山が2000m近くあるし、等高線の間隔からして険しそうな感じがするなぁ‥‥。

121とはずがたり:2010/04/14(水) 11:10:41
有り難うございます♪
飯豊山の山頂域と云い,霊山関係はちょっと市町村域イレギュラーなことたまにありますね。

地図は更新されて今ではロープウェイのマーク消えちゃってますね。。
Mapionもそうだけどなんでわざわざ見慣れたデザイン更新で変えて見にくくするのかなぁ。。

122とはずがたり:2010/04/26(月) 18:02:37

毎日がエブリデイ>> 国道の県境>> 不通区間の県境
不通区間の県境
http://www.eburi.road.jp/kenkyo/blocked/index.shtml

123とはずがたり:2010/05/06(木) 01:56:36
秘境駅へ行こう!はこれですね♪俺も知ってました。
http://hp1.cyberstation.ne.jp/hikyoueki/
このスレ向きでもあるので転載♪

GWは秘境駅探訪ツアーへ JR東海、飯田線で臨時列車
2010年3月14日9時18分
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1047289790/3834

「秘境駅」大にぎわい…ツアー企画・即完売
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1047289790/3934
 秘境駅は、広島県三次(みよし)市、会社員牛山隆信さん(43)のホームページ(HP)や著作「秘境駅へ行こう!」がきっかけになってブームに火が付いたと言われている。
 牛山さんは、国内の全線乗車を目指して各地を巡っていた10年余り前、「人家もまれな場所に、なぜ駅が……」と思い、調べていくうちに秘境駅にひかれるようになった。

124荷主研究者:2010/06/26(土) 18:50:25
釜トンネルの先にさらに廃道ができるということだな。

http://www.shinmai.co.jp/news/20100612/KT100611SJI090014000022.htm
2010年6月12日(土)信濃毎日新聞
上高地のトンネル計画 環境配慮したルートに

ttp://tohazugatali.web.fc2.com/road/KT100611SJI0900140000221.jpg

 昨年5月に落石死傷事故が起きた県道上高地公園線(松本市安曇)の抜本的な安全対策を検討する専門家の委員会は11日、松本市内で開き、新設する予定のトンネルについて、県が示した3案のうち環境負荷や予定工事費の比較的少ない案が妥当と結論付けた。県はこの案を採用し、国などとの調整が進めば来年度にも着工したい考えだ。

 採用されるトンネルルートは落石現場を避けるように尾根の地下を通る=地図。

 ほかには、カーブが緩いが伐採木の多くなる案と、カーブをきつめにして水力発電所の導水管と交差させない案があった。採用された案は工事費が約23億円で、ほかの2案より1億5千万〜1億円安い。委員4人は、希少植物の生育地を避けられることなどからも採用案を評価した。

 県は年内に、現在まで確認されていない猛禽(もうきん)類の営巣状況など環境・地質調査を終え、詳細設計に入る。

 県道路管理課は「できるだけ早く工事を進めたい」とする。ただ、一帯は国立公園内で国有林でもあり、特別名勝・特別天然記念物の上高地にも近い。同課は「関係省庁との調整や工事にどれだけかかるか分からず、完成時期は何とも言えない」としている。

 オブザーバーとして出席した青柳薫・上高地町会長は委員会後、トンネル計画について「上高地の環境に配慮していただいており、うれしい」と話した。

125荷主研究者:2010/07/19(月) 21:37:58
何だかワクワクする展開ではある
>坑内をさらに調査する予定

http://www.hokkoku.co.jp/subpage/H20100702101.htm
2010年7月2日 北國新聞
廃坑から異例の新鉱脈 小松・尾小屋鉱山跡

坑内調査で発見された右上に向かって延びる鉱脈=小松市の尾小屋鉱山跡

 小松市の尾小屋(おごや)鉱山跡で1日までに、藩政期から昭和にかけて採掘が行われていた坑内で新たに鉱脈が見つかった。同鉱山を管理する石川県尾小屋鉱山資料館によると、廃坑で新しく鉱脈が見つかるのは非常に珍しく、同資料館は鉱脈を保存、展示する。同資料館は「隆盛を誇った鉱山の様子や当時の労働者の苦労を知ってほしい」としている。

 鉱脈が見つかったのは、江戸時代や明治の坑内の作業の様子を再現する尾小屋マインロード入り口から約100メートルの地点。5月の坑内調査で、県尾小屋鉱山資料館の山本宗則館長が発見した。

 同資料館によると、幅20センチ、長さ5メートル以上で、奥行きは不明。黄(おう)鉄鉱(てっこう)や黄銅鉱(おうどうこう)、孔雀(くじゃく)石(いし)などが含まれているが、含有量はわずかとみられ、産業としての採掘は不可能だという。

 山本館長によると、断層や岩盤の裂け目に銅や鉄などの鉱物が溶け込んだ数百度の熱水溶液が長い年月をかけて沈殿し、水温の低下によって鉱脈となる。5月の調査で壁面の色がほかと異なっている部分が見つかり、掘ってみると鉱脈が出てきたという。

 同資料館は、坑内をさらに調査する予定で、鉱物学が専門の金大大学院自然システム学系、奥野正幸教授は「利用できる鉱物が含まれている可能性もあり、埋蔵量の解明など、今後の調査を期待したい」と話している。

 かつて日本一の銅の生産量を誇った尾小屋鉱山は1971(昭和46)年、海外の安価な銅に押されて閉山した。

 尾小屋鉱山(おごやこうざん) 1682(天和2)年に地域の住民が鉱物を発見し、1880(明治13)年に加賀藩の八家だった横山家が近代鉱山として創業。長く日本の工業発展を支え、最盛期の昭和初期には、銅の年間生産量が2800トンを超え、日本一の生産量を誇った。

126名無しさん:2010/07/31(土) 21:33:02
「出没!アド街ック天国」の横須賀特集でテレビに映ったヨッキれんさんを初めて見ました!
(ほんの一瞬だったけど)

127荷主研究者:2010/08/01(日) 22:14:27

http://www.chunichi.co.jp/article/shizuoka/20100723/CK2010072302000152.html
2010年7月23日 中日新聞
12年ぶり出現 浜松市天竜区の“幻の池” 林道通行止め『見物自粛を』

 浜松市天竜区水窪町の山中に出没し「遠州七不思議」の1つに数えられる“幻の池”が、12年ぶりに出現している。池が現れると毎回多くの見物者でにぎわうが、今回は現地へ向かう林道は先週の大雨で落石があり通行禁止に。地元の水窪観光協会は「安全確保のため見に行くのは見合わせてほしい。次の機会を待って」と自粛を呼びかけている。 (天竜通信部・間渕文隆)

 同協会などによると、幻の池が現れるのは佐久間町境に近い標高880メートルの亀ノ甲山の中腹にある「池の平」と呼ばれるくぼ地。ふもとの登山口から山道を約1時間半ほど歩いてようやくたどり着く。スギやヒノキに囲まれた場所に、7年に1度ほどの周期で7〜9月にかけて突如として池が現れ、数日から1週間ほどで消える。出現の謎は解明されていない。

 今月20日昼すぎ、池の平を訪れた地元住民が池を発見した。旧水窪町の記録では、近年では1975年、82年、89年と周期通りに現れたが、前回は2年遅れて98年、今回は実に12年ぶりの出現となった。

 池の広さは約70メートル×約40メートルで、水深は1・2メートルほど。21日に行政職員が確認に訪れたところ、深さは約1メートルと水位は下がり始めていて、今週末には消えるかもしれないという。

128荷主研究者:2010/08/29(日) 12:30:35
よっきれんの山チャリとはジャンルが違うが…。安倍峠は我々にとっても思い出深い場所ではある。

http://www.shizushin.com/news/local/central/20100818000000000029.htm
2010/08/18 静岡新聞
静岡→安倍峠←身延町 10月に初の自転車レース

 静岡、山梨の両県側から県境安倍峠のゴールを目指す自転車のヒルクライム(山登り)レース「ツール・ド・安倍峠」(同実行委員会主催)が10月10日、初めて開催される。

 金山の領有権をめぐる徳川、武田の争奪戦を模し、2年前に始まった静岡市と身延町の交流イベントの一環。20日から参加者を公募する。

 これまで地域住民が参加して行ってきた水風船の的当て合戦を模様替えした。静岡市側13・8キロ(標高差890メートル)、身延町側12・6キロ(同1010メートル)のコースを設けて各100人の参加を募り、上位10人のタイム合計で勝敗を決める。

 コースに設定した県道や林道はツーリングコースとして自転車愛好者が集う。市中山間地振興課は「安倍峠の名前を全国に知らしめたい」と幅広い参加を期待している。地元食材を使った「合戦鍋」を振る舞う交流会も予定している。

 募集は10月4日まで。参加資格は18歳以上、居住地は不問。レース参加の問い合わせは大会事務局〈電043(234)6588〉へ。その他イベントについては実行委員会事務局〈電054(294)8805〉まで。

129とはずがたり:2010/08/29(日) 12:45:37
>>128
おお,面白いw>ツール・ド・安倍峠

130とはずがたり:2010/09/13(月) 21:09:17
山行がは山手東側隧道>>2の公開停止したんですかねぇ??
検索掛けたらこんな頁も。新日鐵め話しの判らん会社やのぉ

http://www.geocities.jp/ryozanusagawa/plesures.html
探索記
然るべき機関より依頼がありましたので、探索記「八幡館インクライン」および「山手東側隧道」の公開を停止いたしました。 2010.04.20 管理人 宇佐川 亮山

131とはずがたり:2010/09/25(土) 18:53:46

皆さん買いましょう♪もしくは買い増そう?!
下のリンクはurlにyamasaiganegaを含んでるので,もしかするとヨッキ氏へのアフィになってるかも。

【「山行が」から皆様への、お願いキャンペーン】

「廃道をゆく2」http://www.amazon.co.jp/gp/product/4863203128?ie=UTF8&tag=yamasaiganega-22&linkCode=as2&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4863203128がもう少し売れると、続刊「3」が制作できます!

確定の期限は2010年11月です。
まだお持ちでない方のお買い上げを、お願いしております!

本の中身は、こんな感じです(6p公開中)(←PDF)。(全114pです)
本キャンぺーンの詳細は、こちらをご覧下さい。

132荷主研究者@秋田遠征中:2010/10/09(土) 12:42:17
現在、角館付近。これから仙岩トンネルに挑むところ。

133とはずがたり:2010/10/09(土) 15:33:36
>>132
旧道経由よろw

134:2010/10/09(土) 17:08:36
http://www.draft-bbs.com/index.html

135とはずがたり:2010/11/09(火) 03:20:26

新潟県には不通県道が多いようだ。

新潟県道387号吉水大和線 岩山不通区
http://yamaiga.com/koneta/koneta_122.html

ここら
http://map.yahoo.co.jp/pl?type=scroll&lat=37.193325436289605&lon=138.91873458187123&z=16&mode=map&pointer=on&datum=wgs&fa=ks&home=on&hlat=37.902473987365&hlon=139.02321198742&layout=&ei=utf-8&p=

新潟県主要地方道58号 小千谷大和線
http://yamaiga.com/koneta/koneta_107.html
小千谷方不通区間レポ

ここら
http://map.yahoo.co.jp/pl?type=scroll&lat=37.20703292928785&lon=138.83444884578745&z=16&mode=map&pointer=on&datum=wgs&fa=ks&home=on&hlat=37.902473987365&hlon=139.02321198742&layout=&ei=utf-8&p=

新潟県一般県道178号 山ノ相川下条(停)線
http://yamaiga.com/road/npr178/main.html
十日町川口間不通区間踏破レポ
r58小地谷大和線大和側(川口側)不通区間レポ

ここら
http://map.yahoo.co.jp/pl?type=scroll&lat=37.19445357833545&lon=138.83629420558984&z=16&mode=map&pointer=on&datum=wgs&fa=ks&home=on&hlat=37.902473987365&hlon=139.02321198742&layout=&ei=utf-8&p=

その他にも

r342田沢水沢線
http://map.yahoo.co.jp/pl?type=scroll&lat=37.04751112640218&lon=138.73301842968013&z=15&mode=map&pointer=on&datum=wgs&fa=ks&home=on&hlat=37.902473987365&hlon=139.02321198742&layout=&ei=utf-8&p=
道路は繋がってるのに指定されていない?

r71小千谷川口大和線
浦佐付近
http://map.yahoo.co.jp/pl?type=scroll&lat=37.171790646082215&lon=138.91497948925064&z=16&mode=map&pointer=on&datum=wgs&fa=ks&home=on&hlat=37.902473987365&hlon=139.02321198742&layout=&ei=utf-8&p=
明神付近
http://map.yahoo.co.jp/pl?type=scroll&lat=37.18919446945439&lon=138.8955388383105&z=16&mode=map&pointer=on&datum=wgs&fa=ks&home=on&hlat=37.902473987365&hlon=139.02321198742&layout=&ei=utf-8&p=
原付近
http://map.yahoo.co.jp/pl?type=scroll&lat=37.22911578413457&lon=138.8707337693406&z=16&mode=map&pointer=on&datum=wgs&fa=ks&home=on&hlat=37.902473987365&hlon=139.02321198742&layout=&ei=utf-8&p=

等枚挙にいとまない。。

新潟県の不通嶮道サイト立ち上げてるオブ派はいないんかねぇ!?

136とはずがたり:2010/11/09(火) 03:21:06

それにしてもヨッキ氏の記述が06.10から07.10の一年で随分視野拡がってるのがよく分かる

新潟県道387号吉水大和線 岩山不通区
http://yamaiga.com/koneta/koneta_122.html
探索日 2007.10.21
公開日 2007.10.25

 新潟県は県土が広く、かつ古くから米処として人口涵養力が高かったので、明治期には一府県として東京府を押さえ最大の人口を擁した。
自然と多くの自治体(マチやムラ)が立地したし、それらを結ぶ交通網が発達していた。

今日、新潟県内の道路地図を見ると、驚くほどに県道が多く存在することが分かる。
そして、それらの多くは明治以前からムラとムラを結ぶ道であったり、ムラの米を運び出すための重要な道であった。

 特に中越地方はその傾向が顕著であり、某大物政治家の出身地であることから多くの“はした道”が、強引に県道指定されているのだと捉えられがちである。
しかし、この地域の一部は米のトップブランドである「魚沼産コシヒカリ」の生産地であり、そこに古くから多くの人口と自治体が存在したことをふまえれば、必ずしも原因は政治的なものではなさそうである。県道の指定は、自治体の数が多いほどに、多くの路線が指定されやすい傾向にあるのだ。

 過疎化の進む現在となっては、ほとんど集落も無い山間部に幾筋もの細い県道が描かれている姿は異様であり、そこには一目見て繋がっていない道も多い。
 右の地図は、魚沼丘陵地帯の国道および主要地方道、一般県道の概要図であるが、国道沿道以外に見るべき人口地は無い。それにもかかわらず、網の目のように多くの県道が指定されていることが分かる。
 画像にカーソルを合わせると、2007年現在で自動車が通れない区間が削除される。
こうなると、いよいよ「不通県道天国」の様相を呈してくる。地域の国道に次ぐ幹線であるはずの主要地方道でさえ、ほとんど繋がっていないのだから。

 政治の問題か、歴史的に人口や自治体が多かったことが理由なのか、あるいはその複合なのか。
はっきりとした答えは分からないが、とにかくこの魚沼丘陵を含む中越地方の不通県道の数は、異常である。


新潟県一般県道178号 山ノ相川下条(停)線
http://yamaiga.com/road/npr178/main.html
公開日 2006.10.06
探索日 2006.08.12
 で、この道についてレポる前に、何だか妙にカラフルチックな上のMAPを見て欲しい。
カラフルなのは、狭い範囲に県道や国道がひしめいているからなのだが、これ、何か凄いよ。
よーく見ると、不通と思しき県道がどんなにか有るよ?!
というか、ちゃんと通じているのは国道だけじゃねーかと言うくらい、ダメだ。
不通県道マニアの私は、この辺りの地図を見ると息苦しさを感じさえする。 有り過ぎも良くない。
何でこんなに不通ばっかりなのかといえば…、おそらくは政治の問題なのだ。
秋田県内だったら、そもそも絶対県道指定できなさそうな、「ちょっと…」な道も、かなり指定されている。新潟県ではね。

137荷主研究者:2010/11/10(水) 23:19:13

http://www.kahoku.co.jp/news/2010/10/20101030t73019.htm
2010年10月30日土曜日 河北新報
二口林道来秋全通へ のり面補強12年ぶり 仙台・山形

ttp://tohazugatali.web.fc2.com/MIYAGI/p103006x0s200026_01hutakuti.jpg

 仙台市太白区秋保町と山形市山寺を結ぶ二口林道が来年秋、12年ぶりに通行止めを解除する見通しになった。のり面崩壊の危険があり、1999年以降、宮城県側の一部が通行止めとなっていた。仙台、山形両市を結ぶ山形自動車道、国道48号に次ぐ、3本目のルート。秋保温泉と山寺を最短距離で結ぶ観光道路として活用されそうだ。

 林道を管理する宮城県によると、通行止めを解くのは白糸の滝近くの規制ゲートから山形県境までの5キロ。コンクリートを吹き付けただけだったのり面の改修工事などを今年春に開始した。

 山形県側はすべて舗装済みだが、宮城県側10キロで舗装済み区間は計2キロにとどまっており、改修工事に併せ、降雨に弱い部分や急カーブなど計約550メートルを新たに舗装する。道路幅は3〜4メートルでバスは通行できず、車のすれ違いは待避所で行う。

 林道は99年8月の豪雨で路面が浸食され、宮城県側で全線通行止めになった。02年、白糸の滝近くに規制ゲートを設置し、仙台市秋保ビジターセンター付近からゲートまで部分開通したが、県境付近の5キロ区間はのり面崩落などの恐れがあり、規制が続いていた。

 現在は平日がビジターセンターから市秋保二口キャンプ場まで、土日はゲートまで通行できる。

 県は今回、昨年の国の経済対策に盛り込まれた地域活性化・公共投資臨時交付金を活用。国が事業費4億3000万円の95%を負担する。10年以上、工事が滞った理由として、県は従来の国庫補助事業で実施した場合、県負担が5割と高額だったことを挙げた。

 工事は冬期間休止し、来年5月末に再開する予定。県は、来年秋の紅葉シーズンに開通を間に合わせる方針。県林業振興課は「林業への活用はもとより、両県を訪れる観光客の周遊ルートになることを期待したい」と意義を強調している。

138荷主研究者:2010/11/14(日) 02:32:41

国道17号三国峠を群馬→新潟は走行したことはあるのだが、逆の新潟→群馬を11/6走ってみた。

R17号現道についてもヨッキれんのこの↓レポートに詳しい。

国道17号旧道 二居峡谷
http://yamaiga.com/road/r17_futai/main.html

土曜日の夕方6時頃、越後湯沢の市街地を抜けて三国峠への坂道が始まると、急に交通量が激減。この時間帯でこんな交通量なのかと驚く。
芝原トンネルの手前まで延々と登坂車線が整備され快調に山越えを目指す。しかしクルマは全く走っていない。雰囲気は三島からの箱根越えのR1号と少し似ているが、交通量は格段に少ない…。
http://map.yahoo.co.jp/pl?type=scroll&lat=36.91550882578773&lon=138.80339059646613&z=16&mode=map&pointer=on&datum=wgs&fa=ks&home=on&hlat=36.385936924505&hlon=138.24167165573&layout=&ei=utf-8&p=

この先も度々登坂車線が現れ、数少ないクルマを追い抜いて快調に走ることができる。しかしヨッキれんのレポートにもあるようにトンネルは幅員が狭く、やや走りずらい。トンネル外が幅広く造られているだけに余計そう感じる。

片側1車線でも急カーブの場所は中央分離帯と大幅に広げられた路肩のお蔭でストレスなく走られる。
http://map.yahoo.co.jp/pl?type=scroll&lat=36.86711389306531&lon=138.77661142166008&z=15&mode=map&pointer=on&datum=wgs&fa=ks&home=on&hlat=36.385936924505&hlon=138.24167165573&layout=&ei=utf-8&p=

三国トンネルの手前にもまとまった距離の登坂車線あり。直線に近い線形であり走りやすい。
http://map.yahoo.co.jp/pl?type=scroll&lat=36.77793208540015&lon=138.80854043777356&z=15&mode=map&pointer=on&datum=wgs&fa=ks&home=on&hlat=36.385936924505&hlon=138.24167165573&layout=&ei=utf-8&p=

群馬側は一転、細かなカーブが延々と続き、なかなか疲れさせる道となる。新三国トンネルを必要とするのも納得か…。
http://map.yahoo.co.jp/pl?type=scroll&lat=36.7420376879844&lon=138.83452567870984&z=15&mode=map&pointer=on&datum=wgs&fa=ks&home=on&hlat=36.385936924505&hlon=138.24167165573&layout=&ei=utf-8&p=

139荷主研究者:2010/11/14(日) 12:40:40

http://www.gifu-np.co.jp/news/kennai/20101105/201011050948_12073.shtml
2010年11月05日09:48 岐阜新聞
地下坑道まるで迷路 御嵩亜炭廃坑、報道陣に公開

◆支える“柱”折れる恐れ

亜炭を掘った跡が通路の両側から延びる=4日午前、可児郡御嵩町比衣

 先月20日に可児郡御嵩町顔戸で起きた亜炭廃坑による大規模な陥没事故は、今も避難指示や勧告が継続され、住民が仮住まいでの生活を余儀なくされている。同町は4日、報道関係者に町内の亜炭廃坑の坑道を公開した。内部は至るところから脇道が分岐して迷路のようだった。

 山際に水田が広がる同町比衣。住宅裏の山腹に坑道の入り口はあった。学術研究目的で整備した坑道で、陥没事故現場とは約1キロ離れている。

 階段を降り、入り口をくぐると、中には亜炭を求めて削られた岩が広がっていた。岩盤の中に黒く見える層が確認できた。亜炭だ。質の良いものはほとんど採掘されたという。

 安全上、公開されたのは入り口から約70メートル入った所まで。地上から約15メートルの深さだという。地下水が染み出しているためか、足元はぬかるんでいた。

 分岐する脇道はいずれも亜炭を掘った跡。坑道が崩れるのを防ぐために、一部を掘らずに残したのが「残柱」。柱の幅は約2メートルで、触ると表面の石が簡単にはがれ落ちてきた。劣化が進めば折れてしまう恐れがあるという。

 同町の亜炭は戦中戦後に国策として産出された。顔戸の大規模陥没は特定鉱害と確認、復旧工事費は国と県の基金で全額負担されるが、町民の不安は増すばかりだ。国による地下充てんなどの抜本的対策が求められるとあらためて感じた。(広瀬丈士)

140とはずがたり:2010/11/19(金) 17:51:45
>>131
やっと購入。間に合ったかな??
もう一冊買うべき??(;´Д`)
にぬけん,買ったらねぇ

141荷主研究者:2010/11/21(日) 14:45:28
>>140
ちも購入。発売直後に購入済みだら。

最近は月1ペースの現地調査やwebサイトの頻繁な更新など、手抜かりはないでね。

ちなみに同じイカロス出版の「首都高をゆく」も面白い。ま、こちらはヨッキれん氏の手助けにはならないが…。
http://secure.ikaros.jp/sales/mook-detail2.asp?CD=M-059

142とはずがたり:2010/11/30(火) 14:35:14
林鉄といえばここかな。
日本で観光用というか趣味者用に林業と森林鉄道を経営出来ないものかねぇ。動態保存的な位置づけで。過疎に悩む秋田辺りどうよ。
秋田内陸縦貫鉄道の駅に搬出して鷹ノ巣迄貨物レで輸送すると更に良い♪

森林鉄道機関車を売却へ、北秋田市 入札参加者を募集
http://www.sakigake.jp/p/akita/news.jsp?kc=20101127i

北秋田市が売却する森林鉄道機関車

 北秋田市は、2008年に閉鎖した市森林展示館に展示していた森林鉄道機関車を売却することにし、入札参加者を募っている。1960年に製造されたディーゼル機関車で、営林署が秋田杉の運搬などに使っていた。

 県外の鉄道ファンから「機関車が放置されていて忍びない。譲ってほしい」などの声が数件寄せられたことから、市は一緒に展示していた客車やレール、枕木などもセットにして売却することにした。機関車は重さ4・8トン、全長3・3メートル、高さ1・6メートル。客車は全長4メートル、高さ1・9メートル。レールの長さは14メートル。

 入札用の見積書は市のホームページから取得できる。提出期限は30日午前11時。最高額を付けた人を落札者とする。問い合わせは市財政課TEL0186・62・6603
(2010/11/27 13:48 更新)

143とはずがたり:2010/12/02(木) 20:28:23
廃道をゆく2より
もったいねぇなぁ。。

大規模林道真室川小国線・小国区間
詳細
http://map.yahoo.co.jp/pl?type=scroll&lat=38.14466292562882&lon=139.84240837751176&z=16&mode=map&pointer=on&datum=wgs&fa=ks&home=on&hlat=38.053275742865&hlon=139.77404423414&layout=&ei=utf-8&p=
広域
http://map.yahoo.co.jp/pl?type=scroll&lat=38.14466291481384&lon=139.84240837751176&z=13&mode=map&pointer=on&datum=wgs&fa=ks&home=on&hlat=38.053275742865&hlon=139.77404423414&layout=&ei=utf-8&p=

真室川・小国線 朝日・小国区間
http://www8.plala.or.jp/forestroad/daikibo/asahioguni.html

144とはずがたり:2010/12/02(木) 20:39:31
それにしても費用を浮かすためと邪推するけど地図が手書きのせいでイマイチテンションあがらないなぁ。。
画像もホムペに較べると小さいし。。

145とはずがたり:2010/12/02(木) 20:52:43
R422野又峠
http://map.yahoo.co.jp/pl?type=scroll&lat=34.26181226469278&lon=136.2622427988117&z=15&mode=map&pointer=on&datum=wgs&fa=ks&home=on&hlat=33.910798119526&hlon=136.042602067&layout=&ei=utf-8&p=

周回ルートに使えそうな池坂越えという表現があるがどれが其れか61頁の地図ではわからんし。。

ネットで調べてみると↓の様な記述がある。大野内から北へ抜ける野又越に対して西の方へ抜ける川筋の峠かいな?

池坂越(紀伊長島から)【東紀州】
http://genge-do.at.webry.info/200601/article_3.html
 4日、旧紀伊長島町・赤羽川上流の集落、大野内を越え池坂越の道を辿り池坂峠に登った。
画像
 大野内より一つ手前の集落は下河内。ここは、赤羽川本流から2つの支流が分かれるところ。本流は西に伸び、北に伸びる鍛冶屋又谷、北西に伸びる大野内川。
またここは、古道の交差点でもあった。鍛冶屋又谷に沿い春日越道、大野内川沿いには、野又越と池坂越の道がある。どの道も海辺の町紀伊長島から山の町宮川村へ抜ける道。海の産物が遠くは、宮川村・飯高境界の峠を越え、高見峠を越えて奈良・京都へ運ばれる道でもあったろう。往時は人の往来が絶えぬ生活道路としてあったのだ。交差する角には、地蔵さんが奉られ(庚申さん?お不動さんか?)、現在は店を閉じているが旅館がいまも残っている。
その旅館(朝日屋旅館)は、この地域の民家が過去そうであったように、人の背丈ほどの石垣に囲まれた平屋の家。庭には庭樹があり飛び石があつらえてあり興味深い趣をもっている。

 いまは、ハイカーさへほとんど歩かない道なのだがこの辺りの空間自然は興味深いところで、昔の人の足跡を偲びに通ってしまいそうになる。

146とはずがたり:2010/12/16(木) 20:36:22

山行がから秋田岩手県道2号線。正岡子規も通った荒川街道が現在は不通県道となっている。

秋田県主要地方道12号線 黒森峠と笹峠 その2
http://yamaiga.com/road/sasatouge/main2.html

気になって検索掛けてみたら美郷町は未だ造る気満々みたいで歩く会を行っているw
造りかけの施設を見ると経済効果はさておき全部最後まで造りやがれと本能的に思うけど,こんな所つくって維持費垂れ流してちゃんと欲しがった地元民を財政的に苦しめるような枠組みにしておかないと全国の過疎地域が道路欲しがって一向に過疎解消しないでカネだけドブに棄てている様な現状が解消しないのも事実である。その辺どうなってんのかねぇ。。

広報美郷お知らせ版
http://www.town.misato.akita.jp/download/1837/20070914p1.pdf
正岡子規が越えた峠をたどる
町民登山の参加者を募集します

「蜻蛉(とんぼう)を相手にのぼる峠かな」
明治26年,正岡子規が芭蕉に憧れ,笹峠(六郷〜岩手県)を越えた時に残した一句です。
眼下に拡がる仙北平野の紅葉を楽しみながら,かつて子規が歩いた道をたどってみませんか。
登山終了後には温泉もお楽しみいただけます。
日 時●10月13日(土) 午前8時30分〜午後3時30分頃.
集合時間●午前8時30分.
集合場所●トレーニングセンターろくごう
登山ルート●県道大曲花巻線の未開通部分
参加料●無料 ※ただし昼食,入浴料は自己負担
申込期限●10月10日(水)
持ち物等●(略)
その他●(略)
申込・(問)町教育委員会社会教育課 スポーツ振興班
Tel 0187(84)4915

147荷主研究者:2010/12/18(土) 17:19:37
面白い。

http://d-road.sytes.net/
廃報アーカイブでは新潟県、北海道の旧道・廃道を中心として、廃線、廃墟などを自転車で巡った記録をつづっています。

特に、
国道229号 大森大橋と大森トンネル
は良かった。
http://d-road.sytes.net/r.php/road/r229_oomorioohashi/1

148とはずがたり:2010/12/18(土) 17:38:10
>>147
こんな新しいのになんか勿体ないなぁ。。>大森

その他の記事もなかなか興味深いね。

149とはずがたり:2011/01/05(水) 01:55:57
群馬県道63号水上片品線旧道 須田貝地区
http://yamaiga.com/road/gpr63_sudagai/main.html

Yahooでは描かれている道路が廃道になっているそうな。
http://yj.pn/lIkYIS

それにしても奥利根ゆけむり街道(r63/R401)とか日本ロマンチック街道(R120)とかこの辺のセンスの無い醜悪な命名センスは反吐が出そうである。

また十二ノ森公園の謎の道も壮大な計画の代償として醜悪な公園を建設してて気持ちが滅入ってくる。
http://yamaiga.com/road/ozetokura/main.html

せめてもの救いは県道63号水上片品線の久保〜湯ノ小屋間に現在では小径も残ってないような山中の県道指定があったらしい事が解った事ぐらいである。

150荷主研究者:2011/01/25(火) 22:53:23
まだ読み始めていないのだが、先日購入した本。著者の西牟田氏はヨッキれん達がイベントをした同じ場所「東京カルチャーカルチャー」でイベントをやるようだ。

http://tcc.nifty.com/cs/catalog/tcc_schedule/catalog_110115203358_1.htm
ニッポンの穴紀行 近代史を彩る光と影
西牟田 靖 (著)

◎概 要
新潮ドキュメント賞候補作『僕の見た「大日本帝国」』から6年、気鋭のライターが、12の穴から「日本」を見つめなおすノンフィクション。

◎目 次
はじめに
第一章 軍艦島(長崎県) --------捨てられた集合住宅と穴
第二章 釜石鉱山と東北砕石工場跡(岩手県) --------宮沢賢治ゆかりの穴
第三章 新内隧道と狩勝隧道(北海道) --------開拓の苦闘が印された穴
第四章 国立国会図書館(東京都) --------書庫になっている地下8階までの穴
第五章 滋賀会館地下通路(滋賀県) --------文化施設がコラボする宙ぶらりんの穴
第六章 人形峠夜次南第2号坑(岡山県) --------怪しい光を発する希望の穴
第七章 黒部ダム(富山県) --------高熱隧道とクロヨンの穴
第八章 日韓トンネル(佐賀県) --------全長200キロの穴
第九章 吉見百穴と巌窟ホテル(埼玉県) --------親子3代の夢の穴
第十章 諏訪之瀬島(鹿児島県) --------ヒッピーと巨大資本の抗争史
第十一章 友ヶ島第3砲台跡(和歌山県) --------使われなかった要塞の穴
第十二章 糸数壕と山城本部壕(沖縄県) --------沖縄戦の傷痕が残る穴
おわりに

151とはずがたり:2011/01/31(月) 12:10:54
>>150
入手。
もっと淡々と書いてくれればいいのになんだか読みにくい。

152とはずがたり:2011/02/02(水) 02:40:54

鶏足山の二等三角点の記述から三角点を調べたらまたマニアックなページがウィキからリンク貼られてた。
http://homepage2.nifty.com/sangaku/index.html

八溝にも一等三角点があるそうな。
我らが筑波には筑波原点成る気になるものがあるそうな。

捜すと違うウェブサイトも引っかかり現在の事実上の基準点となっているそうな。

日本経緯度原点
http://www.geocities.jp/hebita7/keiidogenten.htm
筑波原点
http://www.geocities.jp/hebita7/tsukubagenten.htm

153名無しさん:2011/02/05(土) 23:41:48
ブルーシートの中に遺体、閉鎖トンネル入り口に
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110204-00001201-yom-soci

国道345号線笹川流れ 今川
http://yamaiga.com/road/sasagawa/imagawa.html

自分も笹川流れの帰りに車を止めて近づいたことがあります。
第一発見者にはなりたくはないが…。

154荷主研究者:2011/02/16(水) 00:50:05
トリさんがテレビ出演!
http://www.nhk.or.jp/n-stadium/41ple/index.html

トリさんのwebサイト 
http://kotokotori.com/

155とはずがたり:2011/02/16(水) 01:13:17
>>153
まじっすか!!
記事はYahooは削除済みでしたが読売本体は残ってました。。

ブルーシートの中に遺体、閉鎖トンネル入り口に
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110204-OYT1T01201.htm

 4日午前10時30分頃、新潟県村上市今川にある国道345号の旧道のトンネル入り口付近に、不審なブルーシートが置かれているのを散歩中の男性がみつけた。


 中から遺体が見つかり、県警は死体遺棄事件として捜査を始めた。

 発見した男性によると、シートは、トンネルを閉鎖する木の柵に押しつけるように置かれていた。足でつついたところ、人体のような感触があり、県警に通報した。シートは3か所に、粘着テープが2周ほど巻かれていたという。

 付近の集落の女性によると、1月4日午後にはシートが置かれていたという。

 現場は、JR羽越線今川駅から数百メートル離れた日本海沿いの道路。
(2011年2月4日23時52分 読売新聞)

>>154
おお!!我らが廃道界のアイドルとり氏が遂にテレビでびゅう!!お顔も拝見できて嬉しいす(はあと

156荷主研究者:2011/02/27(日) 11:56:20

http://www.chunichi.co.jp/article/mie/20110210/CK2011021002000111.html
2011年2月10日 中日新聞
住民整備100年ぶり開通 尾鷲の旧坂下隧道で27日歩くツアー

ttp://tohazugatali.web.fc2.com/road/PK2011021002100063_size0.jpg
住民の手で通行可能になった旧坂下隧道=尾鷲市の山中で

 明治時代に木材の運搬に使われた尾鷲市南浦の山中にある「旧坂下隧道(さかげずいどう)」が、地元住民の手で整備され、約100年ぶりに通行可能になった。東紀州の“秘境”を巡る探検ツアーを催す「くまの体験企画」がツアーを計画し、参加者を募集している。

 旧坂下隧道は、市北東部を通る国道425号から入る林道にある。1900(明治33)年に完成し、長さは約62メートル。奈良県上北山村で伐採された原木を尾鷲港に運ぶために林業家たちが作り、大八車や牛馬車が行き交った。トンネルは手掘りで内部は赤レンガ造り。当時では珍しい有料隧道で、2〜5銭の通行料を徴収していた。11年に新しい隧道が開通して廃道となった。

 整備したのは、古い道を歩くのが好きな同市野地町の宿泊施設経営福田晃久さん(51)ら住民有志5人。昨年1月から作業を始め、崩落し足の踏み場がなかった林道の崖をつるはしで削り、道幅を約40センチに拡幅。下草を刈って歩行客の転落を防ぐ安全ロープを張り、約10カ月間かけて道を整えた。福田さんは「伝統ある尾鷲の林業を支えた産業遺産を多くの人に知ってもらいたい」と話している。

 今回のツアーは旧坂下隧道を含む1周4キロの林道を歩くコースで、起伏はあまり激しくない。企画したくまの体験企画の内山裕紀子代表は「地元でもあまり知られていない隧道を歩くことで、文化財としての価値を見直してほしい」と参加を呼び掛けている。27日午前9時、県尾鷲庁舎前バス停に集合。参加費は1500円、定員は17人。申し込みは24日まで。問い合わせは内山さん=090(7865)0771=へ。 (福田大展)

157荷主研究者:2011/04/04(月) 00:07:17
おぉー、ヨッキれんが掛川に来てくれたのか〜!!

隧道レポート 掛川市の岩谷隧道 前編
http://yamaiga.com/tunnel/iwaya/main.html

隧道レポート 掛川市の岩谷隧道 後編
http://yamaiga.com/tunnel/iwaya/main2.html

それもよく知っている場所ぢゃないかっ! 小中学生の頃、探検気分で何回か通った場所だ。
しかし隧道内に横穴があるなんて気付かなかった…。

この隧道近くのここ↓にも素掘りの隧道があったし(現在は確か整備されてしまったと思うが…)、我々にとって素掘隧道ってそういえば割と身近な存在であったわけか。
http://yj.pn/McNXaj

ヨッキれんは、
「人の血が通っている。そう思える隧道だった。そして、それが今も生きている!」
と言っているが、確かに地元民にとって抜け道として使える隧道という位置付けになっているのかもしれない。

「さっそく、掛川市のファンになりそう。」
とまで言ってくれている。何だか光栄であるし、嬉しいな〜。

最後に
「掛川周辺は明治隧道が多いから」
というコメントもあるが、これは県道掛川大東線にある一連の旧道隧道のことかな?

158とはずがたり:2011/04/04(月) 20:25:10
>>157
俺もコメ欄に歓迎レスしといたら(・∀・)♪

160荷主研究者:2011/05/15(日) 13:51:45
東北鉄道鉱業線 岩上隧道
http://yamaiga.com/tunnel/kuzumaki/main.html

東北鉄道鉱業線 国境峠付近
http://yamaiga.com/rail/kunisakai/main.html

http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20110502_13
2011/05/02 岩手日報
幻の鉄道建設に光 一戸で東北鉱業計画90年展
--------------------------------------------------------------------------------
 一戸町小鳥谷と岩泉町小本を結ぶ鉄道計画の歴史を振り返る「幻の鉄道計画90周年展〜東北鉄道鉱業線〜」は1日から15日まで、一戸町一戸の町コミュニティセンターで開かれている。鉄道路線は石炭搬出を目的に計画されたが、世界恐慌のあおりを受け実現しなかった。展示会は大正時代の免許申請書などの資料で、県北部を横断する壮大な鉄路の建設計画を伝えている。

 小川炭鉱研究会代表の熊谷俊昭さん(54)=滝沢村滝沢=が企画、NPO法人いちのへ文化・スポーツNPO主催。1921(大正10)年に創業し、石炭の採掘を手掛けた東北鉄道鉱業の計画90周年に合わせて開かれた。

 計画は旧小鳥谷村から旧葛巻村を経由し、旧小本村を結ぶ路線。1期工事は旧小川村(岩泉町)にあった小川炭鉱までの延長56キロの計画で、採掘した石炭を東北線に運び出し、一戸機関区をはじめとする国鉄に販売する目的だった。

 鉄道計画は、一部区間で建設工事が行われたが、資金難や世界恐慌の影響を受け計画は中止。その後、別会社が引き継いだが、鉄鋼界の不景気で計画は終わった。

 展示会では、鉄道敷設免許申請書や同免許、建設費概要書などの資料を展示。資金難に伴う増資計画書では下閉伊地区の炭鉱と林業を開発することの重要性を強調している。

 そのほか、東北鉄道鉱業を引き継いだ岩手炭鉱鉄道の様子や、起点である小鳥谷駅の現在の場所などを写真で紹介している。

 熊谷さんは「大正時代は全国で鉄道と鉱山は密接な関係にあった。東北鉄道鉱業が壮大な計画を立てていた歴史を知ってほしい」と話す。

 90周年展は午前9時から午後7時まで(土日祝日は午後6時、最終日は同3時まで)

【写真=一戸町と岩泉町を結ぶ幻の鉄道計画展を開いている熊谷俊昭さん】

161荷主研究者:2011/06/05(日) 21:48:37

http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201105100064.html
'11/5/10 中国新聞
帝釈峡の遊歩道、15年間不通

ttp://tohazugatali.web.fc2.com/road/Tn20110510006402.jpg

 庄原市と広島県神石高原町にまたがる国定公園帝釈峡の遊歩道の一部が約15年にわたり、通行止めになっている。北側にある国天然記念物の雄橋(おんばし)と、南の神龍湖が分断された状態が続く。両市町は本年度、回遊性復活へ向けた調査に乗り出す。川船利用など通行止め区間のルート案を探る。

 帝釈峡は本来、南北をつなぐ約6キロの遊歩道がある。山腹崩落で1996年10月以降、途中の1・7キロが通行止めとなったままだ。県が迂回(うかい)路として約4キロの自然歩道を2000年度に整備したものの、険しい山道で、渓流の自然美も味わいにくいという。

 県自然環境課によると、通行止め区間の山腹は今も崩落の危険性がある。06、07年度に遊歩道や老朽化した橋の整備費を県が試算したところ約38億円かかることが分かった。

 両市町は、県の中山間地域観光メニュー強化事業の新設を受けて本年度、通行止め区間をつなぐ方法を調べることにした。帝釈川の渡船を使った代替ルートなどを検討し、本年度中に事業案を県に報告する。県に認められた案には、12、13年度に全体で計1億円の補助金が出る予定。

ttp://tohazugatali.web.fc2.com/road/Tn20110510006401.jpg
【写真説明】通行止めのフェンスが張られている帝釈峡の遊歩道

162荷主研究者:2011/06/05(日) 22:59:42

http://www.shinmai.co.jp/news/20110521/KT110520SJI090010000022.htm
2011年5月21日(土)信濃毎日新聞
遠山森林鉄道を再び 飯田市南信濃の有志らがグループ

 遠山郷と呼ばれる飯田市南信濃、上村両地区を40年ほど前まで走っていた「遠山森林鉄道」を一部でも復活させようと、南信濃の住民有志らがグループをつくって活動を始めている。各家庭などに散在していたレールを集めて駅跡地などに敷き、機関車を走らせるのが目標だ。林業で栄えた遠山郷の歴史を振り返りつつ、地域に活力をもたらそう−と、夢を膨らませている。

 南信濃木沢地区の活性化推進協議会のメンバーが中心となって、1月に「夢をつなごう遠山森林鉄道の会」を発足させた。廃線後、住宅の屋根の重しなどとして使われていたレールを回収。さらに、レールをつなぐ部品や枕木を新調するなどしてそろえる計画だ。

 旧木沢小学校近くの駅跡地にある観光施設「梨元ていしゃば」の前に、今秋までに長さ約50メートルの線路を復元する。同施設には、遠山森林鉄道を当時走っていたディーゼル機関車が1999年から展示されており、この機関車を利用する計画だ。

 同会によると、遠山森林鉄道は40(昭和15)年に着工。線路は「梨元」を起点として、天竜川支流の遠山川沿いをさかのぼり、総延長は30・5キロに上った。国有林材の搬出に活躍したが、73年に廃線となった。

 会長の前沢憲道さん(63)は「機関車を走らせるのはまだ先になるが、夢で終わらせないよう少しずつ進みたい」と話している。

163とはずがたり:2011/06/11(土) 03:02:21
これ,続きどうなっちゃったんでしょうかねぇ。。

廃線レポート 抱返り渓谷(生保内林用手押し軌道)
http://yamaiga.com/rail/dakigaeri/main.html

164荷主研究者:2011/06/11(土) 22:04:47

http://www.chunichi.co.jp/article/nagano/20110601/CK2011060102000106.html
2011年6月1日 中日新聞
「戻して!」橋名板が盗難 飯田・遠山郷や天龍で相次ぐ

ttp://tohazugatali.web.fc2.com/road/PK2011060102100063_size0.jpg
何者かによって取り去られたかぐら大橋の橋名板=飯田市南信濃で

 5月中旬ごろ、飯田市上村、南信濃と天龍村で、橋の名称などが記されたプレート「橋名板(きょうめいばん)」が相次いでなくなっていたことが分かった。飯田、阿南両署が窃盗事件として調べている。

 県飯田建設事務所によると、持ち去られた橋名板は同村の松崎橋で4枚、同市南信濃の金七沢(かねしちさわ)橋と、かぐら大橋で各2枚、同市上村の豆嵐(まめぞれ)橋で4枚の計12枚。豆嵐トンネルの名称板1枚も持ち去られた。

 17日に県下伊那南部建設事務所の職員が天龍村で被害に気付き、23日にトンネル名称板の盗難が発覚。24日に同事務所が調査、計13枚の被害を確認し飯田、阿南両署に届け出た。

 橋名板は縦20センチ、横60センチほどの青銅製の板で、四隅のボルトで欄干に設置する仕組みになっている。飯田建設事務所は「速やかに元に戻してほしい」と話している。

165とはずがたり:2011/07/13(水) 03:38:19
>>100-101,104,111

期せずして貴重な福島第一原発付近のレポになってますね。。
http://www.yamaiga.com/koneta/koneta_120_6.html

もう少し下ると第二原発付近も通るんだけど

166とはずがたり:2011/07/24(日) 22:15:32
こりは買いたす(`・ω・´)

東日本大震災 復興支援地図 昭文社
http://www.amazon.co.jp/%E6%9D%B1%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%A4%A7%E9%9C%87%E7%81%BD-%E5%BE%A9%E8%88%88%E6%94%AF%E6%8F%B4%E5%9C%B0%E5%9B%B3-%E6%98%AD%E6%96%87%E7%A4%BE%E5%87%BA%E7%89%88%E7%B7%A8%E9%9B%86%E9%83%A8/dp/4398691014

ヨッキれんの おぶろぐ! 〜廃は廃でもヤマイダレ〜
http://yamaiga.jugem.jp/?eid=71
2011.07.23 Saturday
author : ヨッキれん
昭文社の侠気を見た!【復興支援地図】1000円はマスト・バイ!

167とはずがたり:2011/08/22(月) 23:12:00
自然物という意味で明確にヨッキとは領域を異にするけど。

NPO法人日本洞窟探検協会
http://www.j-ace.org/

169とはずがたり:2011/09/28(水) 12:19:58

ゴルフ場開発跡地かぁ。現地の様子がこのスレ的な観点から気になるなぁ。。

南三陸町が議案撤回 ゴルフ場開発跡地に高台移転
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1062/20110813_18.htm

 宮城県南三陸町議会臨時会が12日開かれ、東日本大震災復興計画の高台移転候補地として町が提出した同町戸倉のゴルフ場開発跡地を先行取得する議案で、財源問題などをめぐって紛糾、佐藤仁町長が「土地利用計画も含め議員の理解が得られるようあらためて提案する」と議案を撤回した。
 ゴルフ場開発跡地は約106ヘクタールで、高台移転候補地として9300万円で先行取得する計画だったが、議員から慎重論が相次いだ。
 質疑では「決定から提案まで期間が短く唐突だ」「土地利用計画が決まらないうちの取得は時期尚早」などの批判や、「国の防災集団移転促進事業の補助率が75%の現状で、町が土地を先行取得することは制度を容認することにならないか」といった懸念が出た。
 町側は「国に対して引き続き100%の補助を求めるが、同時に一日も早く事業を具体化させなければならない」と理解を求めたが、起立採決で7対7の同数となり、休憩動議が出された。
 議会側は佐藤町長に対し「具体的な土地利用策などを示してほしい」と全会一致で議案撤回を申し入れた。本会議再開後、執行部が議案の撤回を提案し、承認された。
 議会終了後、佐藤町長は「戸倉地域の被害は大きく、移転先は提案した場所しかない。スピード感を持って復興に取り組んでいることを理解してほしい」と述べた。
 今回撤回した議案は、住宅や公共施設の土地利用計画を示した上で今月中に再提出する。
 この日の臨時会では、1億5636万円を増額し総額174億5670万円の2011年度一般会計補正予算など5議案を原案通り可決した。

2011年08月13日土曜日

南三陸の高台移転 候補地取得案を否決
http://www.kahoku.co.jp/news/2011/09/20110928t11028.htm

 宮城県南三陸町議会の東日本大震災対策特別委員会が27日開かれ、高台移転候補地としての同町戸倉のゴルフ場開発跡地取得議案が反対多数で否決された。ただ、賛成した委員から「少数意見の留保」が発議され、認められた。ゴルフ場開発跡地取得をめぐっては、今回の採決に加わらなかった町議を含めると賛否がほぼ二分しており、開会中の9月定例会で留保した賛成意見が述べられた場合、本会議の採決で議案が可決される可能性も残されている。

 この日の特別委員会では、「戸倉地区の復興の中心となる土地であり、早急に取得するべきだ」との意見が出た一方で、「土地取得は国の財源の裏付けが出てから」「地区の平等性を考えると先行取得は疑問」などの反対意見が出された。委員13人による採決は、賛成6、反対7だった。
 ゴルフ場開発跡地は約106ヘクタール。東京の投資会社から9300万円で取得する議案が8月12日の町議会臨時会に提出されたが紛糾し、町が議案を撤回した。8月23日の臨時会に再提出され、特別委員会に付託された。
 8月31日には戸倉地区の住民1497人が、集団移転先として迅速に取得するよう陳情書を提出した。
 議会を傍聴した戸倉コミュニティー連絡協議会の村岡賢一会長は「地区の住民が願っている高台移転が政争の具になっている。住民のことを真剣に考えているのなら、一日も早く土地取得を進めるべきだ」と話した。

2011年09月28日水曜日

170とはずがたり:2011/09/29(木) 13:31:23
>>127とか

大雨で7年ぶりに“富士六湖”が出現
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/disaster/530073/
配信元:産経新聞
2011/09/29 10:17更新

 山梨県富士河口湖町の精進湖近くに、台風15号による大雨の影響で「赤池」と呼ばれる池が7年ぶりに出現した。地元では山中湖、河口湖、西湖、精進湖、本栖湖の富士五湖に続く「富士六湖」とも呼ばれ、連日観光客が訪れている。

 近くでレストランを経営する渡辺けさ江さん(58)によると、池は楕円(だえん)形で長径約70メートル。普段は草地のため、陽光が当たると湖面がエメラルドグリーンに輝いてみえる。

 富士河口湖町などによると、前回は平成16年10月に出現した。地下水脈でつながっている精進湖の水位が大雨で上がると現れるとみられる。

 「幻想的で見ていると癒やされる」と渡辺さん。28日に母親と訪れた同県富士吉田市の片山朝陽君(8)は「台風のおかげで見られてよかった」と笑顔だった。

171荷主研究者:2011/10/30(日) 01:05:40
>>137
http://www.kahoku.co.jp/news/2011/10/20111008t15005.htm
2011年10月08日土曜日 河北新報
30日、二口林道12年ぶり全通 通行止め解除

ttp://tohazugatali.web.fc2.com/MIYAGI/20111008ea0zu.jpg

 宮城県は7日、1999年以来通行止めとなっていた林道「二口線」(仙台市太白区秋保―山形市山寺)の利用を今月30日に全線で再開すると発表した。秋保温泉と山寺の両観光地が、12年ぶりに最短距離で結ばれる。

 二口林道は全長約19キロ(宮城県側約10キロ、山形県側約9キロ)。今回、秋保の「白糸の滝」付近の規制ゲートから県境までの5キロ区間の通行止めを解除する。

 山形県側は全て舗装済みだが、宮城県側は一部を除き砂利道で、道路幅は狭い場所で4メートル程度。マイクロバス以上の大型車両は通行できない。車の擦れ違いは待避所で行う。

 仙台、山形両市を結ぶルートは、山形自動車道、国道48号と合わせ3本になる。冬期間は閉鎖する。時期は山形県と調整して決定する方針。

 再開に当たり、宮城県はのり面の改良や橋の耐震補強工事を進めた。事業費は4億円で、国が95%以上を補助した。県は来年度以降、排水設備の整備や舗装の延長など改良工事を実施する。

 二口林道は99年8月の豪雨でのり面が崩壊する恐れが高まり、県境付近を通行止めとした。

 同林道は73年、従来の二口街道を改修して開設。蔵王国定公園、県立自然公園二口峡谷の区域を通る。

172とはずがたり:2011/11/11(金) 01:16:43
地底湖とかそそられる気持ちは良く判るけどなぁ。。

2011年11月9日16時3分
25年前に不明の上智大生か 奥多摩の地底湖で遺体発見
http://www.asahi.com/national/update/1109/TKY201111090281.html

 25年前に東京都奥多摩町氷川の鍾乳洞(通称・聖穴〈ひじりあな〉)で探検中、行方不明になった上智大4年朴俊鉄さん(当時22)=世田谷区太子堂2丁目=とみられる遺体が地底湖で見つかったことが9日、捜査関係者への取材でわかった。着衣や装備、発見場所などから朴さんの可能性が高いという。警視庁が近く遺体を引き揚げる予定。

 青梅署によると、朴さんは上智大ダイビングクラブ海洋生態研究会のメンバー。1986年10月26日午後3時ごろ、研究会のメンバーとともに洞の入り口から約60メートル入った第2地底湖(水深約15メートル)に空気ボンベをつけて潜ったが、腰に結んでいた命綱が外れ、姿が見えなくなったという。

 メンバーからの通報で警視庁機動隊や青梅消防署のレスキュー隊が当時捜索したが、発見できなかった。

173荷主研究者:2011/11/23(水) 17:15:57

http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20111031_7
2011/10/31 岩手日報
亜炭廃坑の陥没急増 県南部は震災後、例年の20倍
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 県南部にある戦前から石炭の代用燃料として使われた亜炭の廃坑上の土地で、東日本大震災後に陥没したとみられる被害が急増している。宅地や農地の陥没報告は一関、奥州両市に集中し、震災後だけで189件と、例年の約20倍に上る。地震の激しい揺れに加え、相次いだ大雨も影響したとみられ、県は復旧関連予算を措置し市町村による早期修復を促す。

 県環境保全課によると、陥没は主に地下40メートルより浅い場所を通る坑道跡に沿って発生し、直径数十センチから7メートル、深さ数メートル程度にわたって地面がすっぽりと抜け落ちて穴ができる。地震や大雨などで地盤が緩むと陥没を誘発する可能性が高まるとされる。

 12日現在、一関市で同市花泉町を中心に85件、奥州市は同市江刺区藤里などから104件の被害相談が寄せられている。地目別の内訳は水田や畑などの農地が128件、宅地や家屋下が47件、市道や農道が14件。建物が傾く、水田の水が抜けるなどの被害が出ているが、人的被害は確認されていない。

 被害相談は最近10年間の累計で117件、毎年10件前後で推移しているが、震災後に急増した。4月に起きた県内最大震度6弱の余震では内陸南部が甚大な被害を受け、さらに6、9月の豪雨・台風も陥没発生に拍車を掛けたとみられる。

 亜炭 炭化度の低い石炭の一種。地表近くにあり採掘が比較的容易なため、石炭の代用燃料として戦前から1965年ごろまで全国で産出された。本県では一関、奥州、西和賀の3市町で採掘されていたことが分かっている。ただ、坑道の位置や分布は詳しく分かっておらず、全容を把握するにも巨額の調査費を要するため、陥没被害の予防は困難になっている。

174荷主研究者:2011/11/26(土) 15:16:46
散策道が整備されてしまうと山行が的には興味が失せてしまうだろうけど、廃村という響きには惹かれるものがあるな。

http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201111020070.html
'11/11/2 中国新聞
廃村へ5キロの散策道整備

 広島市安佐南区沼田町戸山地区の住民が1日、38年前に廃村になった丹原地区と地元公民館を結ぶウオーキングコースを整備した。13日、公民館の健康講座「健康ウォーキング〜丹原探訪」でお披露目する。

 片道5キロ。雑木林をくぐり抜け、往復5時間半かかる。地区には、今も田んぼの跡や屋敷の石垣跡が残る。道中には滝や集落跡を記録した碑もある。

 同地区には約900年前に集落が誕生。戦前は多い時で約30世帯160人が住む村だったが、1973年に人が住まなくなり廃村となった。

 企画は、住民らが元住民の手記「ふるさと丹原」を読んだのがきっかけ。

 当日は午前9時に同館集合。参加は無料で、事前申し込みは不要。同館=電話082(839)3320。

175荷主研究者:2011/12/11(日) 15:16:13
山行が的には遊歩道化は残念かもしれないが、地域に愛される廃線跡というのは素晴らしいかもしれない
>トンネル群を2006年に再発見したメンバーらが、手弁当で雑木を取り除くなどして遊歩道化
>08年からは一部区間を春秋に一般公開して毎回1万人規模の人出を集め、09年には経済産業省の近代化産業遺産にも選ばれた

http://www.chunichi.co.jp/article/aichi/20111118/CK2011111802000112.html
2011年11月18日 中日新聞
愛岐トンネル群再生委が三席 全国土地活用モデル大賞

地域活性化事業のコンテスト入賞に「全国的に認知されてうれしい」と話す山本理事長=春日井市鳥居松町の中日新聞春日井支局で

 地域活性化の成功例を対象とした全国コンテスト「土地活用モデル大賞」で、春日井市のNPO法人「愛岐トンネル群保存再生委員会」の旧国鉄中央線跡整備が、三席の審査委員長賞に選ばれた。年間予算が400万円足らずの地道な作業が、1000億円単位の大規模事業に交じって脚光を浴びた。トンネル群の全国的な知名度アップにもつながりそうだ。

 国土交通省の外郭団体「財団法人都市みらい推進機構」が04年から選定しており、今年は全国12の自治体、開発業者などが応募した。大学教授らによる書類審査や現場視察の結果、最高位の国土交通大臣賞や二席の推進機構理事長賞など3賞5点が決まった。

 応募の中には1000億円の遊園地跡再開発(東京都世田谷区)や2000億円近い駅ビル開発(大阪市)もあっただけに、会費やトヨタ財団の助成金など年380万円で運営される再生委員会の存在は異色だった。

昨秋の公開の様子。大勢の人でにぎわった=春日井市玉野町の愛岐トンネル群で

 1966年の廃線後に忘れ去られていた春日井市−岐阜県多治見市間(延長8キロ)のトンネル群を2006年に再発見したメンバーらが、手弁当で雑木を取り除くなどして遊歩道化を進めてきた。08年からは一部区間を春秋に一般公開して毎回1万人規模の人出を集め、09年には経済産業省の近代化産業遺産にも選ばれた。

 山本勝利理事長(73)は「企業でも官公庁でもない一般市民の取り組みが、全国的に認知されうれしい」と喜ぶ。機構の担当者も「手付かずの自然を相手に、知恵を絞って資金を捻出し、作業もすべて市民が担っている点が高い評価を受けた」と話した。

 今秋の愛岐トンネル群の一般公開は23〜27日、いずれも午前9時半〜午後3時。見学料は1人100円(保険料含む)。紅葉も見ごろだ。駐車場はなく、JR中央線を使って定光寺駅下車、北へ徒歩3分。(問)村上真善事務局長=電090(4860)4664

 (谷知佳)

176荷主研究者:2012/01/02(月) 01:53:03
都会の知られざる地下空間は「山行が」に通ずるものがある

http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/273565
2011年11月16日 17:06 西日本新聞
駐車場入り口跡、ひっそり 福岡市・天神

鉄柵に囲まれたままの天神地下街駐車場仮設入り口。さながら都会の“入らずの間”だ=福岡市・天神

 福岡市・天神のど真ん中の道路に、武骨な鉄柵に四方を囲まれた空間がある。幅約3・5メートル、長さ約20メートル。同市役所「ふれあい広場」西側の歩道と車道にまたがり、歩行者や車の進入を許さない“入らずの間”となっている。

 実はこの空間は、天神地下街駐車場のかつての仮設入り口。地下街の延伸工事で一時閉鎖された入り口の代わりに設けられた。2001年から05年1月まで使われた後、コンクリートのふたで覆うようにふさがれた。

 そんな遺物がなぜ今も? 市道路計画課は理由として、仮設入り口から地下駐車場に続く地下通路(約100メートル)の活用法が決まらないことを挙げる。地下通路がどういう形になるか分からない以上、地上の入り口に手を付けるのは難しいという。

 とはいえ、この入り口跡に圧迫された歩道の幅は半分になっている。役目を終えた構造物が道を狭めていることに「現状でいいとは思っていないが…」と同課。地下通路の活用案には駐輪場への転用などもあるが、通路に傾斜があることなどから実現には至っていない。道路を占拠する入り口跡。解決への出口は遠いようだ。

=2011/11/16付 西日本新聞夕刊=

177荷主研究者:2012/01/15(日) 12:57:20

http://www.at-s.com/news/detail/100086528.html
2011年12/21 09:37 静岡新聞
「天竜橋」の土台発見 明治―昭和初期の木製 磐田

 磐田市の天竜川河川敷で、明治初期から昭和初期まで天竜川に架けられていた「天竜橋」とみられる橋脚の土台部分が20日までに見つかった。9月の台風15号による出水で、岸が削られて露出した可能性が高い。

 関係者によると、主要幹線道路に架けられた木製の橋の基礎部分が発見されるのは珍しく、「遠州地方の交通史や近代土木遺産を考える上で貴重な発見」と驚いている。

 見つかったのは磐田、浜松両市に架かる天竜川橋の南側。3・2メートル×4・1メートルの範囲が木の板で囲われ、内側に直径50センチの柱が2本立つ。さらに周辺には、水流から橋脚を守るために設置されたとみられる直径20?30センチのくいが28本あった。11月ごろに住民が見つけ、国交省浜松河川国道事務所に届け出た。

 天竜橋は1878年3月に完成し、天竜川橋が建設される1933年ごろまで、国道橋として磐田市側の井通村(現・磐田市源平新田)と浜松市側の中ノ町村(現・浜松市東区中野町)を結んでいた。幅4・2メートル、全長約1・2キロで車も渡ることができた。

 天竜川を所管する同河川国道事務所によると、川の流れが頻繁に変化し、管理上の危険性も考えられることから、見つかった土台部分を保存するかは決まっていないという。

 発見を受け、磐田市教育委員会は24日午前9時半から、同所で説明会と天竜川周辺の文化財を巡るミニウオーク(5キロ程度)を行う。参加無料、希望者は直接現地に集合する。問い合わせは同市教委文化財課〈電0538(32)9699〉へ。

178とはずがたり:2012/01/30(月) 17:51:33

長野・栄村で橋崩落=大雪の影響か、けが人なし
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120130-00000060-jij-soci
時事通信 1月30日(月)12時59分配信

 30日午前8時半ごろ、長野県栄村の中条川に架かる中条橋が二つに折れて落下しているのを、村職員が確認した。橋は使用されておらず、けが人はなかった。栄村では年末以降、雪が降り続けており、村は雪の重みで崩落したとみている。
 村によると、中条橋は幅7メートル、長さ95.2メートル。東日本大震災発生翌日の昨年3月12日、栄村で震度6強を記録した地震で、道路と橋の継ぎ目にひびが生じたため通行は禁止されており、除雪も行われていなかった。

179とはずがたり:2012/02/07(火) 21:54:19
本格的なサイトであるなぁとおもったら管理者のヘヤネコ氏は「廃村をゆく」にも協力していたそうな。

「廃村と過疎の風景(5)」

編者が確認した全国の「学校跡を有する廃村・高度過疎集落」(学校の所在は昭和34年以降)は 1000ヶ所です(廃村800ヶ所,高度過疎集落200ヶ所,以下「廃村 千選」と略す)。

「廃村 千選」は,「廃村と過疎の風景」の一連の旅(平成17年8月以降)に並行して全国の「学校跡を有する廃村・高度過疎集落」(以下「廃校廃村」と略す)を「へき地学校名簿」,「全国学校総覧」,地形図,住宅地図などの資料を調べて,独自に編集・作成したものです。

「廃村 千選」は,全国の廃村の様子をより客観的に見ることを主眼しています。公的な施設である学校は,規模やへき地等級,閉校年などのデータがあるため,廃村の様子を調べるための拠り所となります。
また「廃村 千選」は,都道府県別の分類(北海道は4分割)を基本としており,西日本編では北陸,関西,中国,四国,九州,沖縄の26府県の317ヶ所の「廃校廃村」をまとめます。


「廃村 千選」Ⅰ −東日本編−
ttp://heyaneko.web.fc2.com/ghlw.html

「廃村 千選」Ⅱ −西日本編−
ttp://heyaneko.web.fc2.com/ghlw.html

HEYANEKOが訪ねた「廃村」リスト
ttp://heyaneko.web.fc2.com/haison-list.html

180荷主研究者:2012/02/21(火) 23:33:35
どの程度建設されたのかは分からないものの、未成道路である。

http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201201190170.html
'12/1/19 中国新聞
広島県「細見谷林道」を断念

ttp://tohazugatali.web.fc2.com/road/Tn20120119017001.jpg

 広島県は19日、廿日市市吉和の細見谷渓畔林を貫く幹線林道戸河内(安芸太田町)―吉和区間について、建設断念を決めた。厳しい財政状況に加え、県の林業施策との関連性は低いと判断した。林道整備には、西日本有数の生物多様性を誇る細見谷渓畔林の破壊につながるとして反対運動が起きていた。

 戸河内―吉和区間は24・3キロ。農林水産省所管の独立行政法人緑資源機構が1990年に整備を始めた。機構は官製談合事件を受けて2008年3月に廃止され、12・7キロの未完成区間を残して工事はストップ。県が事業を引き継ぐかを検討していた。総事業費106億円。うち残事業費は26億円。

 未完成区間には渓谷沿いにイヌブナやミズナラが茂り、希少な生態系が残る細見谷渓畔林がある。渓畔林を横断する大規模林道の整備計画には当初から自然保護団体などが反対していた。一方で林業関係者や廿日市市は早期整備を求めていた。

 県は林業振興に向け、民有林に重点的に作業路網を整備して木材の生産、搬出コストを減らす「低コスト林業団地」整備に力を入れる。戸河内―吉和間の沿線は大半が国有林で、施策に沿わないと判断。厳しい財政状況も踏まえて事業の継承を断念した。

 廿日市市の真野勝弘市長は「林業振興や森林の公益的機能の維持、増進のために林道の必要性は変わらない。県が事業継承しないと決めたのは非常に残念」と述べた。

 一方、幹線林道の建設に反対してきた広島フィールドミュージアムの金井塚務代表は「幹線林道建設は渓畔林を破壊する。林業振興につながるとも考えられず、費用対効果は低い。当然の判断だ」と話した。

 機構が県内で計画した林道整備は計約143キロで、未完成区間は戸河内―吉和間を含めた5区間計約42キロ。県は庄原(庄原市)―三和(広島県神石高原町)間の断念も決めた。

181とはずがたり:2012/03/22(木) 11:35:37
途中で中断していた千頭森林鉄道の続きがうp♪
折角未だ千頭から井川迄営業してるんだから寸又(大間)迄復活営業できひんだかやぁ。。(・∀・)
林鉄並の狭軌にするこたあないし復活の際は勿論日本標準軌で♪
まあ確かに井川湖や長島ダム湖と較べるとこっち側は大間ダムや千頭ダムがあっても大したことなさそうだし大間迄造ってもダムそのものは未だ未だ先であるからからダム関連の需要はなさそうやね。。
更にもう復活とは
遠くなってくるし観光資源としての魅力は減衰するけど奥泉といちしろの間に分岐点設けて長大トンネルで寸又川筋に行ってもええね。大日山隧道はそのまま使用だ♪


千頭森林鉄道 沢間駅〜大間駅
http://yamaiga.com/rail/senzu/main1.html

182とはずがたり:2012/03/28(水) 18:37:19

建設官僚お手盛りの下らん規制等糞喰らえであるヽ(`Д´)ノ残そう!!

川根本町青部のシンボル 吊橋撤去の危機(2012/3/23 07:40)
http://www.at-s.com/news/detail/100109307.html

 川根本町の大井川上流に現存する約20基の歩道つり橋の一つで昭和初期にできた「青部吊(つり)橋」(同町青部)が、河川法の設置基準を満たしていないことが明らかになり、管理する中部電力は撤去の方針を示した。しかし、地域活性化の要と位置付ける地元住民有志が22日、現状維持を願う小学生以上の全住民144人の署名を添えて、佐藤公敏町長に「残す方向で交渉してほしい」と要望した。
 橋は全長118メートルで一部木造。1934年、国の発電事業のために造られた後、中電に移管。2008年、中電の社内調査で河川法が定める占用許可を得ていないことが判明。11年末、中電は河川管理者の県に追認許可を申請した。
 ところがこの審査で、橋は洪水時に想定される大井川の最高水位より1・5メートル以上低いなど、設置基準に反することが分かった。今年1月、県は中電に「撤去」を指示し、中電が2月に住民説明会を開いた。
 町によると、選択肢は撤去か架け直すか。架け直せば2億円以上の費用がかかる。中電の担当者は「架け直しはできない」と話し、住民や関係者と協議する方針だ。
 青部では国道362号のバイパス工事が進む。開通に向けて住民は、生活道としての役目は終えたものの、「青部のシンボル」のつり橋を中心に、ハイキングコースを整備し始めた。つり橋は貴重な集客スポット。県観光協会によると、同町のように多くの歩道つり橋が集中的に残る地域は珍しい。町商工会も観光資源として生かす企画を展開中だ。

183とはずがたり:2012/04/10(火) 17:08:02
この辺
http://yahoo.jp/xcMmrA

竹之内峠
http://www.cyclekikou.net/modules/pass/show.php?id=100

【所在地】 奈良県天理市
【標高】 342m
【独断評価】 ★★★

天理ダムと竹之内を結ぶ山道の峠。この道は自動車通行不可ながら県道横川三昧田線となっている。天理ダム湖畔から竹之内峠の道標にしたがってシングルトラックの山道に入ると、比較的ゆるやかな上りで峠に着く。峠は湿っぽい植林の中で展望はまったくないが、小さな祠が祭られており、古くから人の往来があったことが偲ばれる。峠を越えて竹之内への下りはきつく、ほとんど乗車不能である。この道は夏期は下草がひどく、冬場でないと通行困難なので注意。

奈良県道267号横川三昧田線
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%88%E8%89%AF%E7%9C%8C%E9%81%93267%E5%8F%B7%E6%A8%AA%E5%B7%9D%E4%B8%89%E6%98%A7%E7%94%B0%E7%B7%9A
奈良県道267号横川三昧田線(ならけんどう267ごう よこかわさんまいでんせん)は、奈良県天理市下仁興町を起点とし、同市三昧田町へ至る一般県道。

概要

青垣山地から大和平野へ下る路線であるが、起点から天理市竹之内町までは未通となっている。
路線データ [編集]
陸上距離:km
起点:天理市下仁興町(奈良県道247号笠天理線と接続予定)
終点:天理市三昧田町

184チバQ:2012/05/14(月) 21:53:17
http://mytown.asahi.com/hokkaido/news.php?k_id=01000001205140016
中山峠 通行止め長引く 観光打撃
2012年05月13日

■観光打撃・医療も不安


 札幌市南区定山渓と喜茂別町尻別間の中山峠を通る国道230号の札幌側約14キロ区間の通行止めが長期化している。北海道開発局によると、開通した1969年以来、長期間の全面通行止めは初めて。開発局は5月下旬をめどに片側通行が可能になるとの見通しを示すが、観光客は落ち込み、救急搬送や通院など医療への影響を心配する声がある。


■下旬にも片側通行可能に


 開発局によると、通行止めは5月4日から。定山渓と中山峠の間で、土砂崩れが3カ所、路面の亀裂が1カ所で見つかり、復旧工事が進められている。雪解けが急激に進んだところへ短時間に大量の雨が降り、地下水位が上がったのが原因とみられるという。


 国道230号の定山渓の札幌中心部側では、車の通行量が平日約1万2千台、土日は約1万7千台を数える。中山峠付近はこれを下回るとみられるが、春の観光シーズンを迎えた関係者への打撃は大きい。


 喜茂別町の国道沿いで2年前に開業した「郷の駅ホッときもべつアスペーラ」は、この時期、50台収容の駐車場がほぼ満車になるというが、12日は数台。支配人の高橋正さん(53)は「売り上げは6分の1。客の7割は札幌からで、大型連休後半に期待していたのに……」と肩を落とす。


 菅原章嗣町長は、救急医療への影響を心配する。容体次第では札幌の病院への搬送が必要な例があるからだ。普段から札幌へ通院する患者も少なくない。深刻な影響はまだ出ていないというが、「一日も早い復旧を」と訴えている。

185とはずがたり:2012/05/16(水) 12:09:48
俺もぶっちゃけ今迄観光道路だとあんま認識してなかった(・∀・)
ただの矢鱈高い林道だと思ってたw

白山スカイラインにすればいいね。塩那道路や十和田湖八甲田山連絡道路等ぽしゃったり廃れたりした山岳道路は多いけどちゃんと観光道路として機能してる希有な例なんですねえ。

「スーパー林道」名前の印象 観光にやはりマイナス?
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1114776388/1683
2012年5月11日

186とはずがたり:2012/05/24(木) 12:28:05
若き私のバイブルは『国鉄全線各駅停車 駅』と『勾配・曲線の旅 日本鉄道名所』の2シリーズであった。前者が配線を,後者が線形と勾配の基本的な情報を教えてくれたのである。

当然,上越線の清水越えの特異点ぶりもこれらの二シリーズで識っていたが,今回のヨッキのレポhttp://yamaiga.com/rail/yubiso/main.htmlでこの2シリーズでも逃している部分(大穴仮乗降場)が有ることが判明。追加して纏めてみる。

<単線時代の上越線>

後閑 121K410 H=378M50

下牧(信) S19.10.11-S41.7.20 名称は上牧と対応するけど駅に成らずに廃止された様である。

上牧 128K460 H=422M50

水上 139K90 H=491M50

大穴(仮乗)─S24.12-S38.3→新湯桧曽(信) S38.12.20-S42.9.28→湯桧曽 137K530 H=555M70:新湯桧曽の位置が『駅』では明示されず(多分湯桧曽だろうとは思ったけど湯桧曽水上間にあるとなっていた。),また大穴仮乗降場の情報は『駅』には脱落。

(湯桧曽ループ)

湯桧曽─S42.10.1→北湯桧曽(信) 140K730 H=611M80 (土合地上駅の様な島式・構内横断式の駅だった様である。)

土合(信)─S11.12.19→土合 144K130 H=665M50

(清水T 9702M)
茂倉(信) 148K950 H=676M10

土樽 154K850 H=599M30

(松川ループ)

越後中里 162K190 H=470M60

岩原スキー場前(臨) 165K850 H=405M60

越後湯沢 169K020 H=351M90

赤坂(仮信) S39.11.30-S40.7.8

石打 175K420 H=257M00


越後湯沢より後閑の方が高地ってのは何か意外である。。

土合の不便さ考えると,各駅停車だけでも上下とも北湯桧曽と茂倉の交換設備つかって清水トンネル(旧線)経由出来ると面白いんだけどw
wikiによると新清水トンネル内に新茂倉(信)構想が有ったようでもある。寧ろ清水トンネル側を廃止してしまっても良いのかも。

茂倉信号場
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%85%E6%B0%B4%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB
新清水トンネル開通以前の単線時代は、清水トンネルの中間地点に列車交換のため茂倉信号場(しげくらしんごうじょう)が設置されていた(信号場の名称は、直上にそびえる茂倉岳にちなんで名づけられた)。設置は1943年5月15日、廃止は1984年11月1日である。現在も設備は温存されており、冬になると除雪のための保線車両が留置されることがある。なお新清水トンネルの中間地点にも列車交換設備を設置するための空間が存在するが、線路は敷設されておらず、清水トンネル内の茂倉信号場とも繋がってはいない。

187とはずがたり:2012/06/14(木) 13:30:29
こっちやろ

2012年05月24日木曜日 河北新報
旧村支えた遺構を後世に 仙台・「冠川根白石発電所」
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1212635128/1553

188荷主研究者:2012/07/08(日) 15:12:55
面白そう〜。行ってみたいねぇー。

http://www.chunichi.co.jp/article/shizuoka/20120615/CK2012061502000031.html
2012年6月15日 中日新聞
久根鉱山火薬庫跡か 国内の現存例まれ

ttp://tohazugatali.web.fc2.com/jimbun/PK2012061402100173_size0.jpg
佐久間町の山中で見つかった建造物と、「久根鉱山の火薬庫跡かも」と語る近藤饒さん=浜松市天竜区で

◆天竜区の山中で山歩き団体が発見

 浜松市天竜区佐久間町大井の山中で、周囲を土塁で囲まれた二棟のれんが造りの建物跡が、県西部の山歩きグループによって発見された。足尾銅山(栃木県日光市)の宇都野火薬庫跡(国史跡)に酷似しており、一九七〇年に閉山した久根(くね)鉱山(銅山)の火薬庫跡の可能性が高い。産業遺産的な価値について今後、注目を集めそうだ。

 建物跡は、「よみがえれ秋葉古道の会」のメンバーが今年一月末、古道調査の途中に発見。竜頭山(標高一、三五一メートル)の登山道から少し離れた杉木立の中にある。

 二棟は約十六平方メートルと、約十平方メートルの広さ。いずれも植物が絡みつき、屋根の一部が崩れ落ちているが、分厚い赤れんがと鉄製扉の頑丈な構造。高さ三メートルほどの土塁で、東西に隔てられている。

 敷地(約五百平方メートル)の周囲にも土塁が巡らされ、排水路跡もあった。防災面に細心の注意が払われたことをうかがわせる。

 同会は十一日、浜松市佐久間協働センターや文化財の関係者らを現地に案内。その結果、誘爆防止用とみられる土塁などの構造から「火薬庫だったことは確かなようだ」(同センター)という。

 付近には久根鉱山の跡や従業員住宅跡もあり、明治期から火薬類の保管に使われた可能性が高い。薬類、雷管、導火線などを保管する火薬庫は鉱山の「心臓部」的な存在だったが、国内で現存例はまれ。

 国内の鉱山は明治以降、火薬導入によって飛躍的な産出増を果たした。近代日本の産業発展を底辺で支える一方、足尾銅山や久根鉱山では鉱毒などの問題も起きた。世界遺産指定を目指す足尾銅山の場合、火薬庫跡は有力な構成資産候補と目されている。

 古道の会世話人の近藤饒(ゆたか)さん(65)=浜松市浜北区=や、最初に見つけた金原康広さん(56)=同市東区=は「いろんな歴史や魅力を秘める北遠の山々が、注目を集める契機になれば」と期待している。

(正木徹)

 <久根鉱山> 江戸時代初期から記録が残る銅山。足尾銅山を開発した古河市兵衛が買収し1899年に本格的に操業。良質な銅鉱石の産出量が飛躍的に増加。一時は約2000人が従事したといわれ、鉱石運搬船が天竜川を行き来した。

189荷主研究者:2012/08/12(日) 22:22:58

http://www.hokkoku.co.jp/subpage/H20120711102.htm
2012年7月11日02時47分 北國新聞
露天掘り、西部劇みたい 鳥越の河合鉱山

ttp://tohazugatali.web.fc2.com/industry/H20120711102.jpg
露天掘りの採掘現場=白山市河合町

 白山市鳥越地区に陶器の原料である陶石を産出する鉱山がある。露天掘りのダイナミックな光景が広がる鉱山は、昨年秋に認定を受けた「白山手取川ジオパーク」を体感できる場所として、限定ツアーが組まれている。普段、関係者以外はめったに入ることができないという採掘現場を訪ねた。(麻柄瑶子)

 鉱山の採掘を手掛ける「河合鉱山」=白山市河合町=の出口衛社長(53)にツアーコースを特別に案内してもらった。採掘現場に至る山道は砂利道で幅が狭く、崖地にガードレールもない。

 「ここが景色を楽しむには最高の場所だよ」。標高400メートル地点付近で少し寄り道する。出口社長に促されて車を降りると眼下に白山麓の田園風景が広がっていた。

 訪ねた日はあいにくの曇りだったが、晴れた日には白山が真正面に見えるそうだ。山の反対側に回ると、河北潟から柴山潟あたりの海岸線と日本海が展望でき、出口社長によると、「絶景を絵に描きたい」「写真に撮りたい」という依頼がたまに舞い込むという。

 ヘルメットをかぶり、山肌が階段状に削られた採掘場の底部に立つと周囲の岩肌が迫ってくるようだ。出口社長の話では、「ベンチカット方式」という掘り方で、安全確保のため各段の高さは一定内に決められている。約8万平方メートルの採掘現場は鉱山のほんの一部で、陶石が採れる鉱山全体は山数個の範囲に及ぶという。

 鉱山を見学コースに組み込んだ「ジオツアー」は、先月に第1回が行われ、8月と10月にも予定される。ジオツアーのガイドを行うNPO法人「加賀白山ようござった」によると、参加者は「西部劇の舞台みたい」「未知の体験だった」と大喜びだったという。

 鉱山はこれまで原則として見学者を受け入れてこなかったが、出口社長は、同NPOと市の熱心な要請に、3回限定ならと首を縦に振った。貴重な鉱物資源が地域にあり、生活に生かされていることを知ってほしいとの思いからだ。ただ、「危険な場所がたくさんあるから一般の人は入れたくない」というのが本音だそう。

 国内では閉山した場所が多く、操業中の陶石鉱山は数カ所しかない。河合鉱山は採掘中で危険が伴うことを考えれば見学機会が限られても仕方がないのだが、周囲の絶景を含め地域の大きな資源であることは間違いない。

190荷主研究者:2012/08/13(月) 23:22:53

http://www.chunichi.co.jp/article/shizuoka/20120719/CK2012071902000074.html
2012年7月19日 中日新聞
山間地の橋 ぐらつく安全

ttp://tohazugatali.web.fc2.com/road/PK2012071902100027_size0.jpg

◆浜松の原田橋通行止め問題 定期点検前に損傷表面化

ttp://tohazugatali.web.fc2.com/road/PK2012071902100026_size0.jpg
通行再開となって原田橋を渡る車=6月25日、浜松市天竜区佐久間町で

 建設から半世紀以上たつ浜松市天竜区佐久間町の原田橋が、橋をつるケーブルの損傷で二カ月にわたって全面通行止めになった問題を受け、山間地での橋の安全確保のあり方が問われている。点検をしていたはずが、突然重い損傷が見つかり、地域の「ライフライン」を遮断せざるを得なくなったためだ。市は今回の問題を教訓に、山間地で橋の点検を入念に進める考えだ。

 「古くて大丈夫だろうかと心配な橋は、たくさんある。原田橋だけでなく、山間地で共通の問題だ。しっかり点検してほしい」。天竜区自治会連合会長の鈴木政成さん(58)=同区龍山町=は訴える。

 市は、橋を長持ちさせる「長寿命化修繕計画」の策定のため、二〇一一年までに市内の主な三百二十三橋の目視点検を実施。原田橋は〇八年十月に調べたが、緊急対策の必要はなく、ケーブルの損傷もなかったという。

 天竜区では他に百四十橋を〇七年から点検。半数近くは建設四十年以上がたっていたが、金網の取り換えなど対策の必要な橋は四カ所だけだった。

 修繕計画に従えば、各橋の次の点検は五年後の予定だった。ところが、原田橋では三年後の昨秋、一部ケーブルに破断が見つかった。今年春までかけて詳しく調べると、別のケーブルにも損傷が発生。市は「危険だ」と判断して全面通行止めとした。

 重い損傷が急に現れたことに、市は古さに加え、過去の管理実態がつかみにくい問題を挙げる。原田橋の場合、一九五六年の建設以降は県が管理。〇七年の政令市移行で浜松市へ移管されたが、補強関係書類の一部が見当たらないという。

 修繕計画に挙げた三百二十三橋を見ても、県から移管された二百七十一橋、旧市町から引き継いだ十八橋の中には、どんな点検をしてきたのか分からない橋もあるという。

 他の橋でも、原田橋のように重い損傷が突然現れても不思議ではない。新たに架ける場合の費用は億単位に上り、重なれば市財政を圧迫する可能性もある。鈴木厚・市土木部長は「山間地の橋は点検の頻度を増やし、老朽化や傷みが目立ってきたら、早く個別の計画を立てて修繕を進めたい」と話している。

◆新しい橋完成まで通行制限

 天竜川に架かる原田橋は、天竜区佐久間町の佐久間地区と浦川地区をつなぐ唯一の橋。橋を渡らずに迂回(うかい)すると、車で二時間半〜三時間かかる。全面通行止め前の一日の交通量は千五百台ほどだった。現在、通行は再開したが、重量制限で八トン以上の車は通れず、住民の不便は続いている。

 市は四月二十四日に全面通行止めとし、国土交通省と耐久力を調べ、補助ケーブルを増設。重量制限を設けた上で六月二十五日に通行を再開させた。

 「大型車は迂回するため、時間ロスと燃料費増加で経営が圧迫されている」。天竜商工会佐久間支部の田高万之助支部長は今月九日、市役所で古橋利広副市長に八トン以上も通れるような橋の補強と、新しい橋の早期完成を求めた。「不測の事態で再び通行止めになれば、生活と地域経済への影響は計り知れない」と危機感を訴えた。

 全面通行止めの間、川を渡って両岸の河川敷を結ぶ緊急路が整備された。だが、浦川小学校は給食を一時中止。増水などで緊急路が使えなくなり、配送車が給食を運べない事態を想定したためだ。福祉施設「さくまの里」でも全面通行止めの当初、浦川地区の利用者のデイサービスを中止した。

 鈴木康友市長は六月末の定例会見で「新しい橋を造る」と表明したが、完成までに三年はかかるという。事業費は十数億〜二十億円と見込まれている。

(稲垣時太郎)

  <長寿命化修繕計画>  浜松市が今年3月に策定。市内にある長さ15メートル以上で、災害復旧時などにも使われる重要な323橋を対象としている。橋を長持ちさせるため、5年ごとに点検することにしている。

191とはずがたり:2012/08/17(金) 15:15:09
気になるぜ! あの林道・・・
http://homepage2.nifty.com/kenkensan/kininaru/k-menu.htm

192荷主研究者:2012/08/24(金) 00:37:31

http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201208110023.html
'12/8/11 中国新聞
幹線林道、県が整備引き継ぎ

ttp://tohazugatali.web.fc2.com/road/Tn20120811002302.jpg

 2008年に廃止された独立行政法人緑資源機構の幹線林道計画のうち、三次市の君田―布野区間を広島県が引き継ぎ、20年度の完成を目指して工事を進める。民有人工林が多い区間で、林道整備は効率的な木材運搬に役立ち、林業振興につながると判断した。4年間、中断されていた工事が再び動きだす。

 区間は約9・2キロ。緑資源機構が東端の君田町櫃田側と、西端の布野町上布野側の計約2・9キロを整備済み。県はトンネル部分を含めて残る約6・3キロの工事を引き継ぐ。

 県林業課によると、この区間に面する森林は約870ヘクタール。人工林がまとまっていて効率的な木材搬出が可能なエリア「低コスト林業団地」が78%の675ヘクタールに及び、林業面での投資効果を見込めるという。

 県は昨年度17万立方メートルだった県産材の生産量を、20年度に40万立方メートルまで増やす目標を掲げる。林業課は「この区間は、整備すれば県産材の利用拡大につながる」と説明する。

ttp://tohazugatali.web.fc2.com/road/Tn20120811002301.jpg
【写真説明】幹線林道君田―布野区間のうち三次市君田町側の起点。緑資源機構が既に整備している

193荷主研究者:2012/10/21(日) 18:47:31

http://yamagata-np.jp/news/201209/26/kj_2012092600728.php
2012年09月26日07:45 山形新聞
米沢−福島間の幹線道「万世大路」が選奨土木遺産に 学会が認定、県内6件目

ttp://tohazugatali.web.fc2.com/road/img_2012092600530.jpg
歴史的価値が評価され選奨土木遺産に認定された「万世大路」。写真は昭和期に開通した2代目栗子隧道(ずいどう)=米沢市

 初代県令三島通庸が開削し、明治天皇が命名した米沢−福島間の幹線道路「万世大路(ばんせいたいろ)」が、土木学会(東京)の選奨土木遺産に認定されたことが25日、分かった。近く公表される。本県の歴史的土木構造物の認定は6件目。申請していた万世大路連絡会(田畑実会長)と同学会東北支部は10月6日、米沢市で認定記念のフォーラムを開く。

 万世大路は国道13号の旧道で、米沢側の「刈安新道」と福島側の「中野新道」からなる48.2キロ。「明治・昭和期の先端土木技術を駆使し、山形・福島両県の物流並びに人の交流と絆を育んだ歴史的地域資産である」ことが認定理由に挙げられた。

 選奨土木遺産は2000年度、歴史的土木構造物の保存への寄与を目的に創設された。学会の推薦や一般公募に基づき選出される。県内では明鏡橋(朝日町)や直江兼続治水利水施設群(米沢市)など5件が認定されている。

 万世大路連絡会は、地域資源としての万世大路の価値を再評価し、後世に伝えようと10年に発足。米沢市万世地区の全戸(約1200戸)が加入する「歴史の道万世大路・万歳の松保存会」をはじめ、両県の学術関係者らで構成する。開通から130周年の昨年10月、米沢市内でシンポジウムを開いた。

 今年3月、土木学会に申請。9月21日の同学会本部理事会で承認された。本年度は全国で25件が認定された。本県は万世大路のみ。

 田畑会長は「万世地区の宝物が遺産に認められ大変うれしい。震災後に福島から米沢に多くの人が避難している状況もあり、両県をつなぐ道路が持つ役割の大きさを感じる」と話した。

194とはずがたり:2012/12/14(金) 09:39:19

東山油田跡(新潟県長岡市/栃尾市)
http://www.sam.hi-ho.ne.jp/maehasi/oil/higasi.html

榎木峠はこの辺。
http://yahoo.jp/wu4vfO

ちと行ってみたい。。

195とはずがたり:2013/01/15(火) 15:34:35
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1156427416/1326
>R458も十部一峠方面は難所っぽい

林道じゃないけど林道情報に十部一峠ものってるw

林道への案内板 日本全国の林道情報
全国の林道をデータベース・写真・地図で詳細に紹介
山形県寒河江市、十部一峠の周辺
http://www.rindo21.com/touhoku_minami/yamagata_sagae/yamagata_r458/

結構有名な峠みたいだ。
こんな所迄国道してしまって税金ばらまくのには非常に怒りを感じざるを得ないけど。

十部一峠
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E9%83%A8%E4%B8%80%E5%B3%A0

国道458号の一部となっているが、十部一峠を含む大蔵村肘折温泉-寒河江市幸生(さちゅう)間は28km弱の区間に民家が存在せず、実際に車道として開通している国道では、日本で唯一の未舗装区間が残る国道である。一年の半分以上は積雪により通行止、総重量6tを超える大型車の通行が出来ない。十部一峠から林道を下った場所に、かつて、銅の産出では日本有数の規模を誇った永松銅山があり、その産出銅の輸送のために道路が開削された。
峠名は、かつて峠に番所が置かれており、通行料として「十分一役銀」を徴収していたことに由来する。

かつては、大蔵村から十部一峠に向かう手前に「大師峠」が存在していたが、国道458号は大師峠を通らないため、大師峠には手前で車を止めて徒歩で向かう。
十部一峠には駐車帯が広めに取られており、永松鉱山に向かう林道と、葉山山頂に向かう登山道が分岐している。寒河江市に向けて視界が開けており、第2世代の携帯電話の使用が可能。

大師峠はこれ
http://pdb.the-orj.org/view.php?no=6758

この辺か。
http://yahoo.jp/3uuKeU

196とはずがたり:2013/01/15(火) 15:35:11
>>195-196

更に永松鉱山はこれ
ttp://haikyo.crap.jp/s/7569.html

だいぶ遠いな。。

レポ
ttp://psyzans.web.fc2.com/Newken/nR458/nR458_2.html
 ちょっと寄り道。十部一峠から延びる永松林道をさらに6キロほど走っていくと、銅山川河畔の永松鉱山跡にたどりつく。銅山川の名前はもちろんのこと、「十部一峠」の名もこの鉱山にちなんでいる。

 鉱山は江戸時代前から採掘がはじまり、以後300年にわたって銅を産出し続けた。江戸時代、採掘された銅は清水や合海に運ばれ、さらにそこから最上川舟運と北前船で全国に運ばれていった。明治以降も日本有数の銅山として、三千人もの人々がこの地に住み、採掘に従事していたという。
 しかし昭和36年に休山となり、住む人は誰もいなくなった。もちろん今は無人で、わずかばかりの遺構が残るのみとなっている。


〈遺骨は叫ぶ-28-〉 山形・永松鉱山
騙して連行、強制貯金の名で未払い 山菜採りで空腹しのいだ労働者たち
ttp://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2009/06/0906j0803-00001.htm

 1939年に「朝鮮人労務者内地移住に関する件」が発令されると、永松鉱山はさっそく申請し、「昭和15年5月半島労働者49名の移住」(「東北鉱山風土記」)の許可を得ている。

 その後の連行数は明らかではないが、「永松鉱山全体では朝鮮人は家族あわせて最低600人ぐらいいたと思います。設楽里太という人と武田長治という人が朝鮮に行って連れてきたのです。鉱山の本局(本部)の佐藤弥三郎さんが朝鮮人を連れてくる采配を振っていました」(東海林寅雄)と語っている。また、永松鉱山には「600人ほどいたが、大半は朝鮮南部から送られてきた人たち」という記録もあるので、約600人ぐらいだった。

 永松鉱山に連行された朝鮮人の年齢は平均して32歳で、27、8歳〜40歳までの人たちだった。
 朝鮮人の仕事は、ほとんどが車夫(トロ押し)で、支柱夫はあまりいなかった。労働時間は原則として3交替制になっていたが、朝鮮人が働いたのは遅番と早番であった。車夫の仕事は厳しかったうえに、早番と遅番で働かされるので疲れがひどかった。

 また、食事なども朝鮮人には十分に渡らなかった。永松鉱山では、生活必需品は切符による配給制度になっていた。購買部で品物を受け取るのは、役宅、職員、作業員、朝鮮人の順序となっており、山奥ではなかなか入手できない新鮮な魚や、野菜、果物などが朝鮮人の手に渡ることはほとんどなかった。そのため朝鮮人たちは、仕事の合間に山へ入り、草木の芽や葉、山菜などをとっては食べていた。山菜をよく食べる大蔵村の人たちも驚くほど、たくさん取って食べていた。秋になるとブナやナラ、ドングリの実などを食べているのをよく見かけたという。

 朝鮮人には食料だけではなく、衣服なども十分に配られなかった。永松鉱山は寒いうえに雪が深いので、長靴は必需品であったが、朝鮮人には配られなかった。深い雪の中を地下足袋で飯場と坑口を往来するのは大変だった。しかも、雪が降るころになっても、ランニングにパンツといった姿で、寒さにぶるぶる震えていた。坑内に入ると寒くないので冬は空腹でも坑内に長く入っていようとした。また、寝具、作業衣、地下足袋、カンテラなどの作業用具は、無料で支給する約束だったが、日本へきて働くと有料だったりと、朝鮮人は苛められた。

つわものどもが ゆめのあと
−−山形県最上郡大蔵村 旧永松鉱山−−
2001年3月 山形応用地質誌
松田 博之(山形県庁商工政策課)
ttp://www3.ic-net.or.jp/~motokazu/matsuda.htm

197とはずがたり:2013/01/23(水) 20:57:04
謎の多い草木トンネルを含む区間。
ヨッキが更新した時に色々検討して見たが纏めるのに時間が掛かってしまった。

飯田山本ICといなさJctの写真ぐらい有る筈なんだけど現時点で見つからなかった(´・ω・`)

三遠南信道路
青崩峠道路・草木トンネル
http://tohazugatali.iza-yoi.net/shin-tomei/R474/R474-00.html#aokuzure

198とはずがたり:2013/02/02(土) 15:07:26

近代建築Watch
hardcandy.exblog.jp
兵庫県丹波・但馬地区 ( 22 )
http://hardcandy.exblog.jp/tags/%E5%85%B5%E5%BA%AB%E7%9C%8C%E4%B8%B9%E6%B3%A2%E3%83%BB%E4%BD%86%E9%A6%AC%E5%9C%B0%E5%8C%BA/

199とはずがたり:2013/02/06(水) 17:58:44

別に大したことではないことをわざと騒ぎ立てて大きくしたがってるだけな様に見えるけど,俺が感じた胡散臭さは他の人も感じていたようだ。

秋庭俊・帝都東京・隠された地下網の秘密
youtube
http://www.youtube.com/watch?v=kuYCXBYOELE
http://www.youtube.com/watch?v=fa8ZfKL7TZ4

http://www.amazon.co.jp/%E5%B8%9D%E9%83%BD%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E3%83%BB%E9%9A%A0%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9F%E5%9C%B0%E4%B8%8B%E7%B6%B2%E3%81%AE%E7%A7%98%E5%AF%86-%E7%A7%8B%E5%BA%AD-%E4%BF%8A/dp/4896916808

地下妄の手記
http://www3.atwiki.jp/619metro/

200荷主研究者:2013/02/10(日) 12:49:23

http://yamaiga.com/road/ipr212/main.html
岩手県道212号雫石東八幡平線 網張工区 第1回

http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20130124_6
2013/01/24 岩手日報
奥産道の全通目指す議連発足 八幡平市で設立総会
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 八幡平市、雫石町、滝沢村の超党派の議員有志38人は23日、県道雫石東八幡平線(網張−松川間、通称奥産道)の道路促進議員連盟を設立した。県が1998年に工事を事実上中止した奥産道の車道での全面開通や観光振興を目指し、県などに働き掛ける。

 同県道は65年に車道として着工。自然保護団体の反対もあり中断し84年に一部をトンネルに変更し工事再開した。96年に原生林の無許可伐採が判明し98年に約3キロを残し事実上工事を中止した。

 現在は車両が制限され網張側の大松倉橋付近から松川側の松川大橋付近までは既存登山道も使い歩行者のみが通行可能。地元には雫石と八幡平を結ぶ奥産道を観光ルートとして期待する声もある。

 これに対し、「八幡平の葛根田ブナ原生林を守る会」の白藤力事務局長は「直接の開発でなく、奥深い自然を残して観察会や文化活動など間接的に生かす方が何倍も大切だ」と工事再開を目指す動きを懸念する。

201とはずがたり:2013/02/27(水) 09:46:06
どうも山行が内では見れなくなってしまった山手東側隧道>>2だがweb魚拓として見れるらしい。
ttp://web.archive.org/web/20070323154634/http://yamaiga.com/tunnel/yamatehigasi/main.html

また鉄の歴史館のurlも変更になっていた。行政が矢鱈urlいじるのは止めて欲しい。もっと他にすることあるやろに。
http://www.city.kamaishi.iwate.jp/index.cfm/8,356,46,245,html

202とはずがたり:2013/03/01(金) 12:21:52

鍾乳洞内で落石…大学探検部の2人、一時戻れず
http://news.goo.ne.jp/article/yomiuri/nation/20130224-567-OYT1T00281.html
2013年2月24日(日)12:02

 23日午後2時頃、福岡県苅田町山口の平尾台の鍾乳洞「 青龍窟 せいりゅうくつ」で落石があり、大学の探検部に所属する学生2人(ともに19歳)が一時、洞窟から出られない状態になった。

 約4時間後の同6時頃、仲間の学生が見つけた 迂回 うかい路をたどって脱出した。けがはなかった。

 県警行橋署の発表や北九州市消防局に提出された計画書などによると、九州大と佐賀大の探検部の計約20人で、22日から24日まで探検のために平尾台を訪れていた。3隊に分かれ、このうち9人が23日午前8時頃から、「青龍窟」内に入った。午後2時頃、人がはって通れるほどの狭い場所で、先を進んでいた2人が浮石を動かそうとしたところ、石が転がり落ちて道を塞ぎ、元に戻れなくなった。

203とはずがたり:2013/03/01(金) 12:23:42
>>200
俺も気になっている奥産道の亡霊が再び!
まああと数キロで抛棄は少々勿体ない気はするんじゃが。。

204とはずがたり:2013/03/01(金) 20:28:07

遂に単著ヽ(´ー`)/
最近沢山本出しているので全部は追ってないけど流石に買ってあげなくては♪

大研究 日本の道路120万キロ (じっぴコンパクト新書) [新書]
平沼 義之 (著)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4408109835/ref=as_li_ss_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4408109835&linkCode=as2&tag=yamasaiganega-22

205とはずがたり:2013/03/08(金) 15:11:56

分断国道として名高いR152にある峠,分杭峠はゼロ磁場のパワスポだそうな(笑)
分断峠の青崩峠と地蔵峠(とR256の小川路峠)には行きたいと思ってるけど序でに此処も寄るかw(地図で調べたら大部北だけど。。)

ゼロ磁場のパワスポ「分杭峠」で異常現象に遭遇
http://nikkan-spa.jp/77129

206とはずがたり:2013/04/11(木) 17:39:39
今度のヨッキのネタはこれみたいだ♪

伊豆新島に単成火山を貫く島嶼部最長のトンネル出現
http://www.gsj.jp/data/chishitsunews/03_12_04.pdf

207とはずがたり:2013/05/01(水) 09:15:50
鉱山(ヤマ)さ行がねが♪
愛媛県境に近い高知県大川村にあった白滝鉱山だが索道で川之江三島港に運んで大分(佐賀関か?)で製錬したそうだ。なかなか大胆♪

白滝鉱山
http://www.geocities.jp/teamhaikyo/kouzan/sirataki/sirataki-1.htm
http://www.geocities.jp/teamhaikyo/kouzan/sirataki/sirataki-2.htm
http://www.geocities.jp/teamhaikyo/kouzan/sirataki/sirataki-3.htm
高知県内唯一ともいえる鉱山跡。 高知県の北部、愛媛県にほど近い場所に、その鉱山はあった。 土佐藩が開坑して以来、300年近くにわたって銅山として栄えたが、国内の他の金属鉱山と同じく、1972年に閉山した。

白 滝 鉱 山
http://wing.zero.ad.jp/~zbc54213/sirataki-.html

 元々江戸時代の初頭にこの地域に銅などの鉱床があるということは地元では知られており当時の土佐藩が1699年、近くを流れる大北川沿いに本川銅山(大北川のこと)を発見開坑したというのが始まりである。しかし貧鉱だったため数年で閉坑。その後長く注目されず幕末近く1815年から明治維新頃にかけて藩主や家老等が何度か採掘を試みたがいずれも失敗。後明治から大正にかけて幾人かの資産家(ほんの一時ではあるが住友家も加担した)が鉱業権の取得、譲渡を繰り返したがいずれもうまくいかなかったようである。
 最終的に1913年(T2)愛媛県の資産家、宇都宮氏に経営権が移り「宇宝合名会社」を設立、鉱山経営に入り積極的に発電所や機械化など近代化を進めこの付近の大北川、白滝、朝谷、樅の木など諸鉱山をまとめて”白滝鉱山”と名乗った。
 この頃それまでの鉱石や物資運搬手段を人力に頼って白滝から徒歩で野地峰峠を越えて今の法皇湖に降り銅山川沿いに北上し富郷町豊坂辺りからまた北へ山越え寒川町に入って三島に着く、というまことに大変な工程を経ていた。そのため人夫も重労働だし事故も耐えなかったし鉱山経営にしても人件費や輸送の効率が悪く改善が急務の課題であったため1916年遂に架空索道を建設。白滝から三島まで延々20数キロの索道で鉱石や物資を運ぶことになる。
 1919年久原鉱業(現日鉱ホールデイングス)に経営権が渡る。以後大正、昭和にかけて政府(軍部)の軍備拡張政策での(金属)物資増産の大号令により終戦まで積極的に採掘する。一時は鉱山人口2000人以上にまで達し関連施設はもちろん学校、病院、売店、映画館、居酒屋などなど山の中に一大ニュータウンを築いていた。そんな白滝鉱山も1972年ついに閉山となる。現在は青少年の野外活動センター”自然王国・白滝の里”として跡地が再利用されている。

日本鉱業(株)白滝鉱山
http://www10.tok2.com/home2/kurodaiya/No.3/sirataki/sirtaki.html

209荷主研究者:2013/06/19(水) 23:52:50

http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201305300046.html
'13/5/30 中国新聞
手掘りのトンネル拡幅 尾道

ttp://tohazugatali.web.fc2.com/road/Tn20130530004601.jpg

 広島県は本年度、尾道市瀬戸田町の高根島にある内の浦トンネル(117メートル)の拡幅を計画している。珍しい手掘りのトンネル。道幅が狭いため消防車や大型車が通れず遠回りを余儀なくされている。2014年度内の完成を目指す。

 トンネルの幅員は約2・5メートルで、車両の通行制限は高さ2・2メートル。計画では、トンネルにつながる県道も合わせた約300メートルを約5メートルに広げる。

 市消防局によると、現在トンネル奥に数軒ある集落に緊急車両が出動する際、島に入る高根大橋から反対側を迂回(うかい)するため、3〜5キロ多く走っている。完成すれば約3分の1の距離になるという。

 高根小の閉校記念誌によると、トンネルは1952年開通。壁面は手掘りのため、ごつごつとした岩肌がむき出しになっている。近くの農業根角哲司さん(77)は「トロッコで土を運び出す横で遊んでいた」と振り返る。最近はサイクリストたちが訪れる隠れた名所になっている。

 着工時期などは未定。県東部建設事務所三原支所は「緊急車両の通行や離合が難しい状況が解消され、住民の安心や利便性向上につながる」としている。

ttp://tohazugatali.web.fc2.com/road/Tn20130530004602.jpg
【写真説明】岩肌がむき出しになっているトンネル内部。大型車は通行できない

210荷主研究者:2013/06/19(水) 23:59:16

http://www.kahoku.co.jp/news/2013/06/20130604t15012.htm
2013年06月04日火曜日 河北新報
江戸初期の古銭発見 仙台−東根間の「関山古道」付近

ttp://tohazugatali.web.fc2.com/road/20130603027jd.jpg

関山古道付近で見つかった永楽通宝

永楽通宝を発見した八嶋さん

 仙台市青葉区−山形県東根市間の関山峠を越える「関山古道」付近で、江戸時代初期まで流通していた古銭「永楽通宝」が1枚見つかった。関山古道はルートに一部不明確な区間があり、発見した登山者は「古道を解明する手掛かりになる可能性もある」と期待に胸を膨らませる。

 1968年に開通した関山トンネルの国道48号以前に、南側の山裾を縫うように関山隧道(ずいどう)を含む旧関山街道があった。

 古道はこの旧街道が完成する1882年まで街道として利用され、48号と旧街道のちょうど中間を通っていた。

 険しい尾根伝いの道のため「峰渡り」とも呼ばれ、市民グループの関山街道フォーラム協議会事務局(仙台市)によると、峠付近はルートがまだ明らかになっていない。

 古銭を発見したのは同市のNPO「東北アウトドア情報センター」代表の八嶋寛さん(63)。

 4月30日、主宰する登山講座の仲間8人とトンネルの仙台側入り口付近から旧街道に入った。隧道の真上に登り、古道を目指す山中で古銭を見つけた。

 標高800メートルの峠の頂から、南西に数十メートル外れた場所だった。

 持ち帰って枯れ葉や土を払い落とすと中央に四角い穴があり、「永楽通宝」の4文字がうっすらと浮かんだ。直径は約23ミリある。

 永楽通宝は中国で明代に造られ、室町時代に日本に大量輸入された。1608年に幕府が流通禁止令を出し、以降は国産の寛永通宝に取って代わられた。

 もちろん古銭が元からそこにあったのか、後世に誰かが持ち込んだのかは分からない。それでも古道には、一部登山愛好者以外はほとんど足を踏み入れないという。

 発見地点は尾根から南側に外れており、峠の頂を迂回(うかい)するように古道が築かれていた可能性もある。

 八嶋さんは「江戸時代以前から活発に人が往来した道かもしれない。さらに踏査し、古道の手掛かりを探したい」と話している。

211荷主研究者:2013/07/04(木) 23:57:43

http://www.kahoku.co.jp/news/2013/06/20130616t71004.htm
2013年06月16日日曜日 河北新報
両地域結ぶ林道開通 山形・飯豊−喜多方13.8キロ

ttp://tohazugatali.web.fc2.com/road/20130615018jd.jpg

山形、福島の両県知事らが参加した林道の開通式

 山形県飯豊町岩倉地区と福島県喜多方市山都町をつなぐ林道飯豊桧枝岐線・一の木線が15日、開通した。山形、福島の両県関係者は、森林整備の推進、観光の振興、災害時のライフラインの確保などを期待する。

 全長13.8キロ(山形側8.1キロ、福島側5.7キロ)。名称は林道だが、幅員は7メートルあり、全面舗装の片側1車線の規格で整備された。両地区の往来は国道121号経由に比べて約30分短縮するという。林道周辺には観光ワラビ園やキャンプ場などが点在する。降雪期は閉鎖される。

 両線の工事は、緑資源機構(2007年度廃止)が計画した大規模林道整備の一環で始まった。山形側は1978年に着工、99年に完成。福島側は93年に着工し、機構廃止後に福島県が未整備区間0.4キロを昨年11月に完成させた。総事業費は105億2100万円。

◎福島県、3区間で整備/「林業振興ならず」批判も

 15日開通した林道飯豊桧枝岐線・一の木線は、大規模林道として計画された路線だった。公共事業見直しで他県で中止される中、福島県は今後も3区間の工事を続ける。市民団体は「林業振興に役立たない」と中止を求めている。

 大規模林道は「無駄な公共事業の象徴」と批判されながら建設が続いていたが、事業主体だった緑資源機構が官製談合事件で廃止され、2008年度以降は道県に事業継続の判断が委ねられた。

 福島県は計画を継続し、一の木線のほか、新鶴・柳津線(30.5キロ)田島・舘岩線(7.9キロ)北塩原・磐梯線(9.6キロ)の建設を決めた。

 県は「林業振興につながるほか、地元自治体の要望もある」と、本年度は3区間で約4億円の予算を計上し工事を進める。完成年度と総工費は公表していない。

 広島県は昨年1月、旧大規模林道計画は県の林業政策との関連が薄いと建設中止を決めている。

 福島県の博士山ブナ林を守る会の東瀬紘一代表は「旧大規模林道は森林土木事業でしかなく、林業振興に直結しない」と計画中止を訴えている。

212荷主研究者:2013/07/05(金) 00:10:33

http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201306140011.html
'13/6/14 中国新聞
農道、15日開通 安芸高田<動画あり>

ttp://tohazugatali.web.fc2.com/road/Tn20130614001102.jpg

 安芸高田市高宮町の川根と羽佐竹を結ぶ川根原山連絡農道が15日、開通する。事業化から19年かかった。川根は江の川沿いと山間部の狭い県道しかなく不便だった。開通後は約45分かかっていた同市中心部の吉田町への通行時間が10〜15分程度短縮される。

 農道は広島県が建設。長さ6・6キロ、片側1車線で道幅は7〜6・5メートル。川根と羽佐竹の原山地区を結ぶ集落間農道として1994年に事業化し、当初は99年度に完成予定だった。

 しかし、硬い地質のためルート変更したり、農林水産省の農道再点検で事業の存続が危ぶまれたりしたが、川根側の道幅を7メートルから6・5メートルに狭めて事業を継続。今月初めに完成した。総事業費は41億5千万円。

 15日午後1時から、同農道の中間点で開通式があり、2時から通行できる。4時からは川根のエコミュージアム川根でホタル祭りもある。ホタル観賞や神楽が催され、手打ちそばも食べられる。

 動画はこちら

ttp://tohazugatali.web.fc2.com/road/Tn20130614001101.jpg
【写真説明】事業化から19年で開通する川根原山連絡農道

213とはずがたり:2013/07/11(木) 14:00:08
尾張瀬戸で仕事をしてた時からずっと気になってたr208上半田川名古屋線の末端部。
やはりR363迄通り抜け可能らしい。
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E137.9.50.063N35.15.59.325&ZM=9

愛知県道208号一般県道上半田川名古屋線
東尾張七変化
その7
http://turkey.6.pro.tok2.com/aichi208g.html


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