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【廃道・隧道】山さ行がねが応援スレ【冒険・探索】
207
:
とはずがたり
:2013/05/01(水) 09:15:50
鉱山(ヤマ)さ行がねが♪
愛媛県境に近い高知県大川村にあった白滝鉱山だが索道で川之江三島港に運んで大分(佐賀関か?)で製錬したそうだ。なかなか大胆♪
白滝鉱山
http://www.geocities.jp/teamhaikyo/kouzan/sirataki/sirataki-1.htm
http://www.geocities.jp/teamhaikyo/kouzan/sirataki/sirataki-2.htm
http://www.geocities.jp/teamhaikyo/kouzan/sirataki/sirataki-3.htm
高知県内唯一ともいえる鉱山跡。 高知県の北部、愛媛県にほど近い場所に、その鉱山はあった。 土佐藩が開坑して以来、300年近くにわたって銅山として栄えたが、国内の他の金属鉱山と同じく、1972年に閉山した。
白 滝 鉱 山
http://wing.zero.ad.jp/~zbc54213/sirataki-.html
元々江戸時代の初頭にこの地域に銅などの鉱床があるということは地元では知られており当時の土佐藩が1699年、近くを流れる大北川沿いに本川銅山(大北川のこと)を発見開坑したというのが始まりである。しかし貧鉱だったため数年で閉坑。その後長く注目されず幕末近く1815年から明治維新頃にかけて藩主や家老等が何度か採掘を試みたがいずれも失敗。後明治から大正にかけて幾人かの資産家(ほんの一時ではあるが住友家も加担した)が鉱業権の取得、譲渡を繰り返したがいずれもうまくいかなかったようである。
最終的に1913年(T2)愛媛県の資産家、宇都宮氏に経営権が移り「宇宝合名会社」を設立、鉱山経営に入り積極的に発電所や機械化など近代化を進めこの付近の大北川、白滝、朝谷、樅の木など諸鉱山をまとめて”白滝鉱山”と名乗った。
この頃それまでの鉱石や物資運搬手段を人力に頼って白滝から徒歩で野地峰峠を越えて今の法皇湖に降り銅山川沿いに北上し富郷町豊坂辺りからまた北へ山越え寒川町に入って三島に着く、というまことに大変な工程を経ていた。そのため人夫も重労働だし事故も耐えなかったし鉱山経営にしても人件費や輸送の効率が悪く改善が急務の課題であったため1916年遂に架空索道を建設。白滝から三島まで延々20数キロの索道で鉱石や物資を運ぶことになる。
1919年久原鉱業(現日鉱ホールデイングス)に経営権が渡る。以後大正、昭和にかけて政府(軍部)の軍備拡張政策での(金属)物資増産の大号令により終戦まで積極的に採掘する。一時は鉱山人口2000人以上にまで達し関連施設はもちろん学校、病院、売店、映画館、居酒屋などなど山の中に一大ニュータウンを築いていた。そんな白滝鉱山も1972年ついに閉山となる。現在は青少年の野外活動センター”自然王国・白滝の里”として跡地が再利用されている。
日本鉱業(株)白滝鉱山
http://www10.tok2.com/home2/kurodaiya/No.3/sirataki/sirtaki.html
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