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近現代史綜合スレ

475名無しさん:2014/08/06(水) 14:50:50
朝日、慰安婦報道で「誤り」…一部記事取り消し 読売新聞

朝日新聞は5日朝刊で、同社のいわゆる従軍慰安婦問題を巡る報道について、誤りがあったとして一部を取り消す記事を掲載した。

取り消したのは、「女性を強制連行した」との証言を紹介した記事。
同社は1982年から90年代初めにかけて、確認できただけで16回掲載したが、
裏付けが得られなかったとして、初報から32年後の異例の取り消しとなった。

済州島(韓国)で慰安婦にするために女性を強制連行したとする吉田清治氏の証言について、
追加取材の結果、「虚偽だと判断し、記事を取り消します」と結論付けた。
同社は97年3月31日朝刊でも、慰安婦報道の特集記事を掲載したが、吉田氏の証言の真偽は確認できないとしていた。

また、90年代初め、戦時下に労働力として女性を動員した「女子勤労挺身隊」と慰安婦とを誤って混同した記事が複数あったとも認めた。
原因は、参考資料などでも混同があったためだと指摘した。

同社は、91年8月に朝日新聞大阪本社版で報じた元慰安婦による証言記事についても事実関係を検証。
これによると、担当記者の義母は韓国人で、元慰安婦が所属した遺族会の幹部を務めていた。
これに対し、義母との関係を利用したとの批判があり、この元慰安婦が宴席での芸事を学ぶ「キーセン(妓生)学校」に通っていた事実も後に判明した。

しかし、記者は義母からの情報提供はなかったとし、「義母らを利する目的で報道をしたことはない」と説明しているという。
「キーセン学校」の件に関して も、同紙は元慰安婦を紹介する記事で触れなかったことを認めたものの、この点については「記事には、意図的な事実のねじ曲げなどはありません」と説明した。

朝日新聞社の杉浦信之編集担当は1面の署名記事で、「事実関係の誤りがあったことがわかりました。裏付け取材が不十分だった点は反省します」と記した。
同社広報部は5日、読売新聞の取材に「紙面で詳しく報じた通りです」と答えた。

http://www.yomiuri.co.jp/politics/20140805-OYT1T50154.html

476名無しさん:2014/08/06(水) 14:53:31
【メディア】読売新聞「誤った認識が世界に広がる一因となった吉田証言、20年以上にわたり放置した朝日新聞の責任は極めて重い」

 朝日新聞は1982年9月、「済州島で200人の若い朝鮮人女性を『狩り出した』」
とする吉田氏の発言をうのみにして報じた。

◆世界に誤解広げた一因
 これが韓国の反日世論をあおっただけでなく、日本について誤った認識が、世界に
広がる根拠の一つとなった。今回、吉田証言を初めて虚偽と判断し、それをめぐる記事を
ようやく撤回した。

もっと早い段階で訂正されるべきだった。92年には疑問が指摘されながら、
20年以上にわたって、放置してきた朝日新聞の責任は極めて重い。

 朝日新聞は82年以降、確認できただけで計16回にわたって、吉田氏について
記事にした。92年に歴史家の秦郁彦氏が吉田証言への疑問を指摘したが、
修正することはなかった。

 97年3月の検証記事でさえ、吉田証言について「真偽は確認できない」
と表記するにとどめた。

 吉田証言は、96年の国連人権委員会のクマラスワミ報告にも引用された。
これが、慰安婦の強制連行があったとする誤解が、国際社会に拡大する一因となった。

※本文より抜粋しました
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/20140805-OYT1T50178.html

477名無しさん:2014/08/06(水) 14:57:52
【慰安婦報道】 問題報じた雑誌SAPIOの注目度が上昇 「衝撃スクープ 朝日新聞 従軍慰安婦虚報 騒乱はうそつき男から生まれた」

朝日新聞が5日に従軍慰安婦報道に関する検証特集を紙面に掲載したが、
同日の社会面には「SAPIOに本社が抗議 『引用記事を歪曲』」の見出しの記事が掲載された。

これは国際情報誌・SAPIO9月号(8月4日発売)に掲載されたジャーナリスト・水間政憲氏による
『発掘! 朝日新聞の「韓国売春宿」突撃ルポ」という記事だ。

この記事は、元朝日新聞記者・前川惠司氏による『<衝撃スクープ>朝日新聞元ソウル特派員が告発・検証!
朝日「従軍慰安婦虚報」騒乱は「うそつき男」から生まれた』と題された特集の囲み記事として掲載されている。

水間氏は過去の韓国の妓生(キーセン=芸者と娼妓を兼ねた女性)を取材した朝日新聞の記事を発見。
SAPIOの記事では、「朝日の記事を読むことで、戦場慰安婦の多くは高給目当てに妓生から転身したものだった、
という歴史的経緯がはっきりするのである」と締められた。

朝日新聞はこれを「意図的な歪曲」とし、名誉と信用を著しく傷つけたと5日付けの記事で報じた。
この事態を受け、ネットでは「SAPIO」というキーワードが多数書き込まれる状態になっている。

その中には4日発売の同誌に合わせ、朝日が5日に慰安婦問題の検証記事を出したのでは? との指摘も。
http://yukan-news.ameba.jp/20140805-10882/

http://www.zassi.net/mag/SAPIO/201409/i/000.jpg

478名無しさん:2014/08/06(水) 14:59:51
【新聞】朝日新聞の「強制連行は使う人によって定義に幅がある」という言い逃れに池田信夫氏「朝日は見苦しい嘘の上塗りをやめよ」
従軍慰安婦なるものは、もともと吉田清治が性的好奇心に訴えて講演料を稼ぐためにつくった
フィクションである。もちろん戦地にも公娼はいたので、それに似た話をさがせばいくらでも
出てくる。それは吉田証言を信じた記者の確証バイアスが原因だ。

追い詰められた朝日新聞は「強制連行」は使う人によって定義に幅があるという言い逃れを
始めた。慰安婦の強制連行の定義も、「官憲の職権を発動した『慰安婦狩り』ないし
『ひとさらい』的連行」に限定する見解(秦郁彦氏)と、「軍または総督府が選定した業者が、
略取、誘拐や人身売買により連行」した場合も含むという考え方(吉見義明氏)が研究者の
間で今も対立する状況が続いている。

そんな対立は存在しない。吉見氏のいうような「軍の関与」は、日本政府が1992年の加藤談話で
認めて謝罪しており、すべての研究者も政府も一致する事実である。売春というのは紳士的な
仕事ではないので、民間の業者の「強制」や人身売買があったことは周知の事実だ。
そんな問題は争点ではないのだ。

「強制連行」という言葉をつくった朴慶植の『朝鮮人強制連行の記録』では、軍や官憲が
国家権力によって徴用したことをさしており、この意味での強制連行は245人の男性に
ついて確認されている。女性の徴用は制度としてなかったので、この意味での強制連行はありえない。

単純な嘘つきだった吉田清治より、定義を変遷させて問題をすり替える吉見義明氏のほうが
罪が重い。彼は民間業者の「誘拐や人身売買も強制連行である」と定義している。こう
定義すれば強制連行があったことは自明で、朝鮮戦争の時代の韓国にもあった。それに
政府や軍が「関与」したのも当たり前だ。戦場で軍が関与しないで商行為はできない。

朝日は1992年の女子挺身隊という報道が誤りだったことも認めたが、これは単純ミスではない。
宮沢訪韓の1週間前に「強制連行」のニュースを出して政権に打撃を与えるための政治的
演出だった。問題のコアである吉田証言が嘘であることを認めたのだから、朝日は見苦しい
嘘の上塗りをやめ、過去の報道をすべて虚心に見直すべきだ。

http://blogos.com/article/91851/

479名無しさん:2014/08/06(水) 15:05:19
【慰安婦問題】橋下市長「32年間、間違いを認めなかったことは大問題で、朝日の罪は大きすぎる」
読売新聞 8月6日(水)13時35分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140806-00050122-yom-pol

 朝日新聞がいわゆる従軍慰安婦問題を巡る過去の報道に一部誤りがあったとする記事を掲載したことに対し、
橋下徹・大阪市長は6日、市役所で記者団に
「(記事を最初に掲載した1982年から)32年間、間違いを認めなかったことは大問題で、
朝日の罪は大きすぎる」と批判した。

 朝日新聞は、5日朝刊で韓国で慰安婦を強制連行したとする吉田清治氏の証言を取り上げた過去の記事を
「虚偽と判断した」として取り消した。これについて、橋下氏は「証言が根拠となり、強制連行があったと
国際社会から不当な批判を受けた。この記事でどれだけ日韓関係がこじれたか、しっかり議論していくべきだ」と語った。

480名無しさん:2014/08/06(水) 15:17:07
朝日慰安婦報道 「強制連行」の根幹崩れた

■これでは訂正になっていない

 朝日新聞が慰安婦問題の報道について、一部の記事が虚構だったことを認めた。だが、その中身は
問題のすり替えと開き直りである。これでは、日本がいわれない非難を浴びている原因の解明には
結び付かない。

 最大の誤報は、慰安婦を「強制連行した」という吉田清治氏の証言である。朝日はこれを虚偽だと
認め、記事を取り消すという。

 根拠なく作文された平成5年の河野洋平官房長官談話などにおける、慰安婦が強制連行されたとの
主張の根幹は、もはや崩れた。

 ≪誤りは逐次正すべきだ≫

 遅きに失したとはいえ、朝日が慰安婦問題の事実関係について検証したことは評価できよう。記事
取り消しも当然である。

 だが、真偽が確認できない証言をこれまで訂正せず、虚偽の事実を独り歩きさせた罪は大きい。

 訂正に当たる「証言は虚偽だと判断し、記事を取り消します」との表現は特集記事中にあるが、
1面記事にもどの面の見出しにもない。削除対象の記事ぐらいは明記すべきだ。

 朝日新聞は今回、編集担当名の記事の中で、「問題の全体像が分からない段階で起きた誤り」と
して専門家による研究が不足していることに責任を転嫁している。

 取材などで事実が判明すれば、その都度、記事化して正し、必要があれば訂正を行うのが当然の
報道姿勢ではないのか。

 暴力で無理やり女性を強制連行したなどとする吉田氏の証言は、旧日本軍が慰安婦を「強制連行」
したり、「慰安婦狩り」が行われたりしたという誤解がまかり通るもととなった。

 吉田氏は戦時中に山口県労務報国会下関支部動員部長だったと名乗っていた。昭和58年に『私の
戦争犯罪 朝鮮人強制連行』という本を出し、18年に韓国・済州島に部下を連れて上陸し泣き叫ぶ
朝鮮人女性205人をトラックで強制連行したなどとしていた。

 朝日新聞は、吉田氏の講演内容を57年に報じたのをはじめ、コラムなどを含め、同証言をたび
たび取り上げていた。

 しかし、平成4年に現代史家の秦郁彦氏が済州島で現地調査を行ったところ、地元のジャーナリストや
古老らがそろって吉田証言を否定し、産経新聞がこの秦氏の調査結果を報じた。

 朝日新聞は9年の特集記事取材で、吉田氏への電話取材や済州島での取材を行ったものの、裏付けが
取れなかった。今年4〜5月、済州島で行った再調査でも証言は得られなかったという。

 慰安婦問題は、宮沢喜一政権発足まもない3年12月、慰安婦だったという韓国人女性が日本政府を
相手取り、謝罪と損害賠償を求める訴訟を起こしたのがきっかけだった。

 宮沢首相訪韓を控えた4年1月には加藤紘一官房長官が十分な調査も行わず「おわびと反省」の談話を
出し、宮沢氏も日韓会談で謝罪した。さらに翌5年に慰安婦募集の強制性を認めた河野談話が出された。

 当時、朝日新聞など日本の一部マスコミも慰安婦問題追及キャンペーンを展開した。この中には、
慰安婦と工場などに動員された「女子挺身隊」と混同した記事もあった。朝日新聞は今回、誤用したと
認めた。
(つづく)

産経ニュース 2014.8.6 03:43
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140806/plc14080603430002-n1.htm

 ≪事実が日韓の信頼築く≫

 朝日は今回の特集記事では、吉田氏の証言を他紙がどう報じてきたかという記事も掲載し、産経新聞が
5年に大阪本社版夕刊の連載「人権考」で「吉田氏を大きく取り上げた」とした。

 しかし、その後、本紙は取材や秦氏らの実証的研究をもとに、証言が「作り話」であることを何度も
報じている。

 朝日の報道が日韓関係悪化の発端となったにもかかわらず、「自国の名誉を守ろうとする一部の論調が、
日韓両国のナショナリズムを刺激し、問題をこじらせる原因を作っている」と、ここでも責任を転嫁
している。

 産経新聞が河野談話の虚構性や吉田証言が偽りであることなどをただしてきたのは、事実を重ね歴史
認識を正しく伝えることが長期的に日韓両国の信頼につながると信じるからだ。

 菅義偉官房長官は「客観的事実に基づく正しい歴史認識が形成されることを望んでいる」とした。
その通りである。事実を歪(ゆが)めては国際的な信用は得られない。

481名無しさん:2014/08/06(水) 17:00:24
【慰安婦問題】 “火付け役” 元朝日新聞記者の植村隆氏、神戸松蔭女子学院大学クビ→北海道の北星学園大学に

「誤りがあったかも知れませんがそれは彼の長い記者人生のなかでごく一部のこと。それだけで彼を評価するのはどうかと思います」
いわゆる従軍慰安婦問題の“火付け役”となった元朝日新聞記者の植村隆氏を非常勤講師として迎え入れた札幌市内の大学の学長はそう庇ってみせた。

植村氏といえば、日本軍人相手に売春行為を強いられた朝鮮人従軍慰安婦がソウル市内に生存していることがわかったとする記事を書き、
慰安婦問題の先鞭をつけた記者である。いまではこの記事に捏造と言えるほどの重大な誤りがあることが明らかになっているが、
当時はこの記事をきっかけに韓国世論が沸騰し、日本政府はいわゆる河野談話を発表。強制連行を認めたとの印象を世界中に与える事態を招いてしまった。

その植村氏、小誌2月6日号の記事「“慰安婦捏造”朝日新聞記者がお嬢様女子大教授に」で明らかにしたように、
今年3月で朝日を早期退社し、4月から神戸松蔭女子学院大学で教授となる、はずであった。

「文春の記事で批判が殺到し、神戸松蔭女子学院大学側は、植村さんと結んでいた雇用契約を3月に解消したのです。
すでに朝日を退職することが決まっていた植村さんはこれに激怒して、解約の無効を求めて大学を訴えると息巻いていました」(朝日新聞関係者)

2月6日号の取材では、植村氏は職場の朝日新聞函館支局を訪ねた小誌記者から走って逃げるばかりで、自らの記事について何ら説明することもなかった。

女子大教授の夢も叶わず、朝日も退社した植村氏は今、北海道内の大学で非常勤講師をしているという。

「札幌市内にある私立大学の北星学園大学の非常勤講師です。慰安婦問題についての記事の誤りが明らかになり、
処遇に困った会社が彼を北海道の支局で塩漬けにしていた2年前から講座を受け持つようになったことが縁だそうです」(同前)

現地で田村信一学長を訪ねて問うたところ、出たのが冒頭の発言だ。田村学長はこうも言う。
「韓国からの留学生に韓国語で講義できる人材を北海道で確保するのはたいへんです。その点、彼は韓国語に堪能で、うってつけの人材だと思っています」

だが、大学事務局に植村氏本人と連絡を取りたい旨を申し出たところ、植村氏が非常勤講師をしていることすら、なかなか明らかにしようとしない。
同大学関係者が話す。

「非常勤講師をしていると知った保守系団体がキャンパスのそばでビラ配りをしたこともあって大学はナーバスになっているのです。
学内で慰安婦問題の記事に触れるのはタブーで、誰も植村さんにこの話をしようとしません。

大学では主に韓国からの留学生を対象に、『メディアで読む日本 そして世界』という講義などを担当しています。
朝日の記事を学生に読ませて日本国内の問題や国際情勢について考えてもらうというもので、『早口だが、丁寧に教えてくれる』と評判です」

韓国人留学生に対し、自らの捏造記事を用いて再び“誤った日本の姿”を刷り込んでいたとしたら、とんでもない売国行為だ。
http://shukan.bunshun.jp/articles/-/4261

482名無しさん:2014/08/07(木) 06:34:54
【社会】朝日新聞が慰安婦記事の一部を取り消し…韓国紙は25年前に強制連行を否定

朝日新聞が慰安婦記事の一部を取り消した。
欧米諸国で流布されている反日プロパガンダに英文で反論するため、
近現代史に関する日本語文献を英訳、発表するなどの活動を行う
「史実を世界に発信する会」の茂木弘道事務局長はこう語る。

「『済州島で連行』証言は裏付けられず、というのは
もう一つのうそである。現地の調査でうそが判明している。
うそが裏付けられている」
吉田清治氏の「済州島で慰安婦狩りを行った」という講演が
朝日新聞の記事に大きく取り上げられたのが、1982年。
83年にその講演と同じ内容の「私の戦争犯罪」が、
89年にはその韓国語訳版が刊行されている。
茂木氏は「地元の『済州新聞』の女性記者、許栄繕氏が郷土史家とともに
徹底調査をしたところ、そんな事実はなかったことを確認して、
89年8月14日付の済州新聞にそのことを報じるかなり長い記事を
載せている」と指摘する。

その記事の中で、郷土史家の金奉玉氏は「1983年に日本語版が
出てから何年かの間、追跡調査をした結果、事実でないことが判明した。
この本は日本人の悪徳ぶりを示す軽薄な商魂の産物と思われる」
と憤慨している。
「もうこの時点で、現地で、吉田のうそは確認されており、
90年代以降もなお朝日新聞などが、吉田証言を取り上げていたのは、
報道として怠慢の限りである」と茂木氏。

*+*+ 東スポWeb +*+*
http://www.tokyo-sports.co.jp/nonsec/social/298202/

483名無しさん:2014/08/07(木) 07:39:50
朝日新聞が5、6日付の紙面で「慰安婦問題を考える」との大特集を組み、過去に同紙で取り上げた韓国・済州島での
強制連行があったとした男性の証言を虚偽とし、記事を取り消した。従軍慰安婦問題で国際世論をミスリードしてきた
非を認める大英断のようにも見えるが、その中身は言い訳がましい。“明確な謝罪なき検証”の先には、強烈なしっぺ返しが待ち受けている――。

朝日新聞は、5日付紙面で1面を含めた3ページで慰安婦問題を取り上げ、異例となる“釈明”に打って出た。

同紙は1980年代から90年代初めにかけ、日本人男性の吉田清治氏(故人)が済州島で
「女性を慰安婦として、無理やり連行した」という証言を何度となく掲載。強制連行があったとするキャンペーンを張っていたが
「再取材したが、証言を裏付ける話は得られませんでした」とし、記事を取り消した。

また90年代初めに女学生らを労働力とした「女子挺身隊」が慰安婦と同一扱いされた件も同紙は
「当時、慰安婦問題に関する研究が進んでおらず、誤用した」と間違いを認めた。

吉田証言は約20年前に吉田氏自身が創作と証言し、デタラメと判明。挺身隊と慰安婦の同一視問題も20年以上前に明らかとなっていたが、
朝日新聞は訂正に応じていなかっただけに、今回の特集は異例ともいえるわけだ。

ただ、保守論客で「マスコミと政治家が隠蔽する中国」などの著書がある前衆院議員の長尾敬氏(51)は「遅きに失するし、訂正はあっても謝罪がない。
誰も責任を取らない。捏造(ねつぞう)を確信犯で報じていながら、謝れない。朝日新聞の体質は全く変わっていない」と断罪する。

確かに特集では、慰安婦問題に火をつけたとされる91年に掲載した植村隆氏(当時記者)による元従軍慰安婦の金学順さんの証言は、
うそや隠蔽があったとされてきたが、同紙は「意図的な事実のねじ曲げはありません」と擁護すれば、女子挺身隊と慰安婦の混同は、
他紙でも見受けられたと責任逃れ。1面では「慰安婦として自由を奪われ、女性としての尊厳を踏みにじられたことが問題の本質」と問題をすり替えてもいる。

もっとも、吉田証言のうそ発覚から約20年にわたって、非を認めてこなかった朝日新聞が今回、わずかながらも訂正報道に踏み切った背景には社を取り巻く厳しい環境にあるようだ。

安倍晋三首相(59)は、一昨年の政権就任前に「朝日新聞の誤報による吉田清治という詐欺師のような男がつくった本がまるで事実かのように日本中に伝わって問題が大きくなった」と言及。
朝日関係者によれば、政権発足後は朝日バッシングが加速し、苦情や抗議活動、不買運動が連日展開され、部数を大幅に落とした。

明々白々なうそと分かっている慰安婦問題の過去報道を隠し切れなくなったというのが実情で、
同紙は「一部の論壇やネット上に朝日の捏造といういわれなき批判が起きている。読者への説明責任を果たしたい」と言及している。

自民党の石破茂幹事長(57)は「検証を議会の場で行うことが必要かもしれない」と朝日新聞関係者の国会招致の可能性もにおわせた。
保守陣営やネット上では「朝日の報道でどれだけの国益を損なったか。吉田証言がウソまみれと認めた以上、国は損害賠償請求するべき」
などと、朝日バッシングはやむどころか火に油を注ぐ事態となっている。
http://news.livedoor.com/article/detail/9121957/

484名無しさん:2014/08/08(金) 19:57:35
「慰安婦誤報訂正」なぜ今?関係者「実はネット調査で、朝日のイメージが“反日”と悪いため払拭したい意向もあるらしい」
朝日新聞が5日付の紙面で、従軍慰安婦をめぐり「強制連行」があったとした過去の
一部報道を取り消した。自民党の石破茂幹事長は6日夜のBSフジ番組で、過去の報道の
経緯を国会で検証すべきだとの考えを重ねて示すなど、問題は拡大している。

朝日新聞による強制連行報道は、30年以上にわたり日本のイメージをおとしめてきたが、なぜいまになって大新聞がそれを取り消したのか? その答えはインターネットにあった。

朝日新聞が初めて吉田氏の記事を掲載したのは1982年9月で、記事を取り消すまで32年近くもかかった。
 すでに本紙も報じたが、誤報を認めた背景には朝日バッシングによる部数減が大きい。

5日付の紙面で「一部の論壇やネット上に朝日捏造といういわれなき批判が起きている」
と言及したが、前出の関係者によれば、論壇と並列に匿名のネットの声を挙げたことに
驚いた者が多かったという。

「部数減が深刻で、朝日は急速にネット移行を進めている。新聞を読まない若者世代に
アピール中ですが、実はネット上の調査で、朝日のイメージが“反日”“親中、親韓”
と悪いため、そのイメージを払拭したい意向もあるようですね」(前出の関係者)

 最近ではネット上を中心に“韓流推し”を批判され、反日イメージを重ねられて
凋落したフジテレビが記憶に新しい。ネットの声が大手メディアを食う時代が来たのか。

※本文より抜粋しました
http://www.tokyo-sports.co.jp/nonsec/social/298672/

485名無しさん:2014/08/08(金) 19:59:59
元朝日特派員「記者の自負心ないのか」、朝日新聞の報道取り消しで、裏付けなど取材の基本をしなかったことが明らかに

慰安婦報道が、どのように日韓関係を歪(ゆが)め、日本の立場を貶(おとし)めたのか。
朝日新聞の慰安婦問題の2日間の「特集」は、その部分に関する検証が欠落している。

 日韓関係悪化の原因は、もちろん朝日新聞だけではなく、慰安婦支援団体や韓国側の
動きにもあった。だが、朝日新聞の一連の報道は、慰安婦支援団体に勢いを与え、運動を
正当化させた。そうした点を検証しないのはおかしいのではないか。点検であって検証
ではなかったと言える。

 吉田清治氏の証言を「虚偽」として取り消し、挺身隊と慰安婦の混同を「誤用」と
認めたのは、よいことだとは思う。だが、吉田証言は本来、吉田氏にデータ提供や面会を
拒まれた段階で新聞社として明確に疑問を呈すべきだった。挺身隊と慰安婦の混同に
ついても、当時は戦時中を知る人たちが大勢いたのだからそうした人に聞けばよかった。

「参考資料にも混同がみられた」と説明するが、それでは記者は一体何をしていたのか。
結局、「騙(だま)された」「騙した方が悪い」とすべて他人のせいにしている。
それでは「相手の言うことをうのみにして記事を書いているのか」ということになる。
かえって読者の信用を落とすのではないか。

後に「元慰安婦が強制連行ではなくキーセンに売られた」という話が出たのなら本人に
確認して報じればよい。取材の基本動作をしてこなかったことを自ら明かしてしまった
に等しい。ある意味で衝撃を受けた。

 産経新聞など他紙も吉田証言を取り上げたり、挺身隊と慰安婦の混同があったことも
指摘しているが、「他の人も同じことをやりました」というのは、報道の世界では
通用しない。自分たちが日本の報道を引っ張っているという自負があるならば
「他紙はどうだ」とは書けないはずだ。「朝日新聞にそういう自負心や誇りは
もうないんだな」と感じてしまう。

 一般商業紙は、政党機関紙とは違う。裏付けもしていない記事が新聞に出ているんだ
と読者に誤解させたことは業界全体にとっても大きなマイナスだ。朝日新聞だけでなく
新聞という媒体の価値を貶めることにもつながってしまったのではないか。

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140808/plc14080810300013-n1.htm

486名無しさん:2014/08/08(金) 20:02:05
【朝日慰安婦検証記事報道】
橋下氏が朝日記者にチクリ「僕だったら瞬間に辞める」

 朝日新聞の慰安婦報道の検証記事をめぐり、橋下徹大阪市長は7日の囲み取材で、
朝日記者に対して「僕だったら報道が出た瞬間に辞める。日韓関係をこじらせちゃって、
とてもじゃないが(社内に)いられない」と皮肉った。

 橋下氏はさらに「検証記事はあれで終わりか。(記事を見て)どう思うのか」と逆質問。
朝日記者が「社内で議論しているところ」と答えると、「よく(社内に)いられる。すごい精神力。
政治家向きだ。僕だったら辞めるが、朝日の人はそこまでのことだと感じていないんでしょうね」
とたたみかけた。

 さらに「強制連行という話は日本国民、もっと言えば子供や孫たち全員に対して汚名を着せた」と強く批判した。
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140807/wlf14080722410026-n1.htm

487名無しさん:2014/08/08(金) 20:08:59
【慰安婦問題】 朝日新聞の「世紀の大誤報」であり「捏造記事」だった

朝日新聞が、自身が展開してきた「従軍慰安婦記事」の検証と反省、訂正を始めました。なぜ今頃、とネット上では非難囂々です。
朝日新聞を国会へ招致し、事実関係の検証をしろ、という声まで出る始末。これは「世紀の大誤報」であり「捏造記事」だったわけで、
大いに「国益を損ねた」朝日新聞の信用失墜ぶりは目をおおうばかりです。

“被害者を「売春婦」などとおとしめることで自国の名誉を守ろうとする一部の論調が、日韓両国のナショナリズムを刺激し、
問題をこじらせる原因を作っているからです。見たくない過去から目を背け、感情的対立をあおる内向きの言論が広がっていることを危惧します。

戦時中、日本軍兵士らの性の相手を強いられた女性がいた事実を消すことはできません。
慰安婦として自由を奪われ、女性としての尊厳を踏みにじられたことが問題の本質なのです。”

慰安婦は売春婦である。戦前は売春は合法であり、多かれ少なかれ「性の相手を強いられた」のだ。
それは吉原の歴史を見ればわかる。朝日新聞は「軍が強制連行した」という証拠が出せなかったから「女性としての尊厳」に問題をすり替えているのだ。

問題の本質は女性の人権といった一般論ではなく、公権力による強制の有無である。民間の商行為に政府が謝罪する理由はない。
この点で特に問題なのは、1992年1月の植村隆記者の記事だ。

きのうの記事ではごまかしているが、植村記者の「解説」はこうなっている。

“一九三〇年代、中国で日本軍兵士による強姦事件が多発したため、反日感情を抑えるのと性病を防ぐために慰安所を設けた。
元軍人や軍医などの証言によると、開設当初から約八割は朝鮮人女性だったといわれる。太平洋戦争に入ると、主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。”

「当時は研究が乏しかったので挺身隊と慰安婦を同一視した」という言い訳には驚いた。私は当時、植村記者と同時に取材したが、
女子挺身隊は女性を工場に動員する組織であり、娼婦が含まれるはずがない。こんなことは「研究」するまでもない常識だ。

ここで朝日が「挺身隊の名で強制連行」という言葉を使ったことが問題を混乱させ、その直後に宮沢首相が訪韓して謝罪したために、
強制連行が既成事実になったのだ。今ごろ「訪韓の直前をねらったわけではない」などと言い訳しても、小保方氏ほども信用されない。

「軍関与示す資料」
については、原文を読めば
「慰安婦を誘拐するな」という業者に対する監督の文書であることは明らかだ。だからこれは秘密でも何でもなく、防衛研究所の図書館で公開されていた。

さらに唖然とするのは、「他社の報道は」

という記事だ。「吉田証言は他社も取り上げた」という。
しかし読売も産経も、のちに吉田の「慰安婦狩り」が架空だったことを認めた。朝日のように、いまだに「強制連行は本質ではない」などと言い張ってはいない。

慰安婦問題の本質は「日本政府は韓国に対する戦争犯罪を永久に謝罪しなければならない」という朝日の錯覚にある。
第2次大戦当時の朝鮮半島は日本の領土であり、戦争犯罪をおかすことはできない。旧植民地に謝罪した宗主国はなく、日韓条約でも謝罪はしていないのだ。

歴史に無知な記者が、こういう問題をごちゃごちゃにして「アジアへの責任」を語ることが、中韓が図に乗って「歴史問題」を蒸し返す原因だ。
日本政府が韓国に対して謝罪する理由はどこにもない。朝日の記者が歴史を勉強して問題の本質を直視することが出発点だ。

いまだに常務が開き直っているようでは、大きく傷ついたブランドイメージは回復できない。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140807-00010003-agora-soci

488名無しさん:2014/08/08(金) 20:11:14
リンクのワードがNGになってるので貼れない

489とはずがたり:2014/08/09(土) 11:43:53
一度に沢山のリンクを貼ろうとするとNGになることがあるのでその場合は俺はhttpのhを抜いて貼ってます。

あと一部のリンクはしたらばに貼れなくなっているようです。例えばfc2関係です。

490名無しさん:2014/08/09(土) 12:17:09
なるへそ、たまに改行を多様すると貼れる様になるのは不思議

491名無しさん:2014/08/09(土) 12:17:34
【慰安婦誤報】 朝日新聞の若手記者が悲鳴 「いい加減にしてくれ!直接批判にさらされるのは現場に出ている我々だ」

朝日新聞が5、6日付の紙面で「慰安婦問題を考える」との特集を組み、「強制連行があった」とした過去の一部報道を取り消したことに、
政界では自民党の石破茂幹事長や民主党の松原仁国対委員長、日本維新の会の橋下徹大阪市長などが批判した。

ネット上でも批判のオンパレードとなっているが、朝日新聞社内では若手記者を中心に「いい加減にしてくれ!」
と悲鳴に近い怒りの声が渦巻き、険悪な雰囲気になっているという。

ある20代の記者は本紙にこう激白した。「32年前のことをわざわざ『誤報だった』と報じて、直接批判にさらされるのは現場に出ている我々、
若い記者。取材先で『あれは何?』と聞かれても、僕らは答えようがないですよ」とため息交じり。

また30代の記者は「もし今、自分が書いた記事で『誤報でした』なんてことになったら大問題で、すぐ処分される。
内容次第では上司も飛ばされるでしょう。でも、32年前のこの記事では書いた記者も社会部長もおとがめなしどころか、結構出世してる。
退職金もきっちりもらってる。『こんな不公平はない』と社内は不満の声ばかりですよ」と明かした。

社内でも「なぜこの時期に検証記事を掲載したのか」との声もあるとか。
一因として「慰安婦問題の火付け役」の元記者U氏が今年3月、早期退職したのと関係があるともささやかれている。

「Uさんがまだ社内にいたとしたら、さすがに検証記事はやりづらいでしょう。
もっとも紙面ではUさんの記事について『意図的な事実のねじ曲げはありません』と擁護してましたけど…」(同)
http://www.tokyo-sports.co.jp/nonsec/social/299064/

492名無しさん:2014/08/09(土) 16:22:29
慰安婦の件で連日騒いでいるのは産経新聞だけ
新聞を見比べたけど他紙は冷静だ

むしろ産経新聞が騒ぎすぎでるから日中関係・日韓関係が悪化していくような気がするんだが

493名無しさん:2014/08/09(土) 22:37:35
朝日捏造問題動画

ウェークアップ!ぷらす
https://www.youtube.com/watch?v=XTUvnSrSQLk

辛抱
https://www.youtube.com/watch?v=jELH5Am-QJ4  8/5
https://www.youtube.com/watch?v=38iNnZ5U76E  8/6

関西テレ青山
https://www.youtube.com/watch?v=QMIQT-3ZSiY

https://www.youtube.com/watch?v=xDoWNBvm2_E

ミヤネ
https://www.youtube.com/watch?v=72-Irdg7RCY

494名無しさん:2014/08/09(土) 22:40:53
>>492
本当にそんな風に思ってるのか?www

495名無しさん:2014/08/10(日) 01:54:11
>>494
もち
煽って国民感情を悪化させてんだからさ

未来志向に水をさしているだけ

騒いでいるのは産経新聞とひきこもりニートが多数のネット保守だけだと思うよ
平日の昼間から騒ぎたてているんだから

ネット保守も人数はそんなに多くないけど声がでかいから目立つんだよな

ネットへの書き込みや抗議のメールなんかも1人で10回とかしちゃってるようだしね〜

経済面で中国・韓国との協力なしにはやっていけないのが現実で騒ぎ立てるのは国益も害する

ネット保守はネットの中しか知らないから教えても理解できないんだろうが

496名無しさん:2014/08/10(日) 07:58:52
大阪市の橋下徹市長(45)は8日、大阪市役所で開いた定例会見で、
朝日新聞が過去に報じた旧日本軍による従軍慰安婦の強制連行があったとする日本人男性(故人)の
証言を虚偽認定した問題に対し、追及第2弾を行った。

25分間にわたり「朝日の大誤報が日韓関係をブチ壊した」「これからどうやって自分のケツを拭くつもりか」と橋下節をさく裂させた。

会見は市政、大阪都構想関連の質疑・議論で予定の80分をオーバーしたが、
83分が経過した頃に慰安婦問題に関する質問が出ると、そこから25分間の“独壇場”となった。

橋下市長は朝日新聞が、5日付で80年〜90年代に16回にわたり報じた、
済州島(韓国)で女性を慰安婦にするため暴力を使って無理やり連れ出したとする日本人男性の証言に基づく過去記事を撤回した検証記事について
「言い訳じみてて、自分たちが日韓関係をこじれさせた最大の責任者だという認識が全くない。事の重大さを理解していない」と批判した。
http://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2014/08/09/0007218324.shtml

497名無しさん:2014/08/10(日) 08:03:10
池田信夫氏「慰安婦問題は朝日新聞の捏造だ。植村氏は民間の人身売買だと聞いたのに官憲による連行と書いている。」

きのうの言論アリーナでも話したことだが、朝日新聞の「慰安婦問題の本質、直視を」という記事は、なかなか味わい深い。特
におもしろいのは、次の部分だ。

一部の論壇やネット上には、慰安婦問題は朝日新聞の捏造だといういわれなき批判が起きています。しかも、元慰安婦の記事を
書いた元朝日新聞記者が名指しで中傷される事態になっています。読者の皆様からは「本当か」「なぜ反論しない」と問い合わせが
寄せられるようになりました。

慰安婦問題が朝日新聞のブランドイメージを失墜させ、植村隆元記者がネトウヨの標的になって再就職もパーになった
(大学が採用を撤回した)。これ以上放置すると部数が落ち、まともな社員が入ってこなくなるという危機感があったのだろう。
今年5月のOB会でも、批判があったらしい。

特に「捏造」というのは意図的に嘘の話をつくったという意味だから、報道機関としては致命傷だ。この特集では、そこに
こだわって「挺身隊」は植村氏の善意のミスだったと主張している。しかし産経の阿比留記者も指摘するように、植村氏の記事は
矛盾している。「元慰安婦 初の証言」は、元朝日記者の植村隆氏(今年3月退社)が3年8月11日付朝刊で書いた「元朝鮮
人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」という記事を指す。韓国メディアより先に、初めて韓国人元慰安婦の証言を伝えたもので、
これも「母に40円でキーセンに売られた」と別のインタビューなどで語っている金学順氏について「女子挺身隊の名で戦場に連行」
と記している。この「挺身隊」の記事の前に植村氏は「キーセンに売られた」という話を本人から聞いている。それがなぜ
「戦場に連行」になったのか。朝日が言い訳するように、挺身隊については「研究が進んでいなかったため同一視」したとしても、
植村氏は民間の人身売買だと聞いたのに官憲による連行と書いている。このように事実を知った上で嘘を書くことを捏造というのではないか。

ところが朝日新聞は「捏造はなかった」と主張し、それを根拠にいくつかの週刊誌に抗議文を送っている。どうやら捏造を論点に
して反撃に転じようという作戦らしいが、上のように朝日の検証にもとづいても植村氏の記事は捏造である。強制連行がなければ、
商行為としての慰安婦は問題にならなかったので、「慰安婦問題」は朝日の捏造である。

http://blogos.com/article/92069/

498名無しさん:2014/08/10(日) 08:15:15
「植村隆・元朝日新聞記者を国会に参考人招致すべきだ」、野党からも強烈な朝日批判わき起こる[08/08]

朝日新聞が慰安婦報道の大誤報を32年もたって一部認めたことを受け、政界で強烈な批判がわき起こっている。結果的に、日本と日本人
の名誉を傷付けていることに、朝日関係者の国会招致の機運が盛り上がってきた。

検証報道当日(5日)に国会招致に言及した自民党の石破茂幹事長は6日夜のBSフジ番組でも、「朝日の記事は日韓関係にも影響を与えた。
国権の最高機関たる議会で議論を行うのは当たり前だ」と重ねて強調した。

朝日が何度も報道し、長年放置し続けた吉田清治氏の虚偽証言が、国際社会では「事実」として広まっている。このことが、日本の国際的地位
を貶め、日韓関係などを悪化させているのだ。

日本維新の会の橋下徹(大阪市長)代表も同日、「(誤報から)32年間、過ちを認めなかった朝日新聞が白旗をあげたが、言い訳じみている」
「どこまで日本を侮辱し続けるのか」などと猛烈に批判。「朝日新聞の罪は大きすぎる。ここで収束させてはダメだ」と述べ、朝日自らがさらに
検証すべきだとする見解を示した。

民主党の松原仁国対委員長も同日「日本の不名誉に同調する記事を30年以上放置した責任は極めて重大だ」と、朝日を切り捨てた。

次世代の党の山田宏幹事長は同日、元慰安婦の証言を初めて取り上げた、植村隆・元朝日新聞記者を国会に参考人招致すべきだとの考えを
示した。

植村氏は1991年8月11日付朝刊(大阪版)で、後に金学順氏と判明する元慰安婦を匿名で取り上げ、「『女子挺身隊』の名で戦場に連行され、
日本軍人相手に売春行為を強いられた」と書き、慰安婦問題に火を付けた。ところが、金氏は記者会見や別のインタビューで「母に40円で
キーセン(朝鮮半島の芸妓=げいぎ=・売春婦)に売られた」と語ったのだ。

植村氏は、戦時中に徴兵、徴用された韓国人遺族らでつくられた「太平洋戦争犠牲者遺族会」の幹部の娘婿でもあった。

山田氏は「日本が国際的に非難される原点となった報道だ。予算委員会などを通じてただす必要がある」「朝日の検証に基づき、その内容を
聞くことは、取材や報道の自由に何ら抵触しない」と述べた。

http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20140807/dms1408071541013-n1.htm
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20140807/dms1408071541013-n2.htm

499名無しさん:2014/08/10(日) 08:20:09
日本維新の会の橋下徹代表(大阪市長)は9日、朝日新聞の慰安婦報道に言及し「日韓関係をこじらせた最大の原因だ」と改めて批判し、
「やっと朝日が30年以上にわたる誤報を認めたが、しつこく言ってやろうと思っている。ここで終わらせたらいけない」と述べた。
大阪市内で開かれた「維新政治塾」の修了式でのあいさつで語った。

橋下氏は「朝日が(慰安婦の)強制連行はあったと言ったものだから、国家が組織としてやったということで世界に伝わった」と強調。
国際社会で慰安婦問題は平和条約で解決できない問題と認識されていると説明し、「(朝日の報道が)日韓関係がこじれている最大の原因だ」と批判した。
その上で「(朝日が誤報を認めたことで)強制連行はなかったことが明らかになった」とし、政府が韓国に対して慰安婦問題は日韓基本条約で解決されて
いることを説明していくべきだとの見解を示した。
 
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140809/wlf14080915130021-n1.htm

500名無しさん:2014/08/10(日) 08:23:39
朝日新聞、英文サイトに検証記事なし…「お答えは、さし控えます」

世界に悪影響を与えた朝日の誤報だが、なぜか英語版の記述が見あたらない

 慰安婦問題の大誤報を32年もたって認めた朝日新聞に、国際社会で日本と日本人の名誉回復を求める声が高まっている。

ところが、同紙ウェブサイトの英字版を見ても、5、6両日に掲載した特集「慰安婦問題を考える」の英訳記事がなかなか確認できないのだ。
一刻も早い「真実の発信」が不可欠のはずだが、一体どうなっているのか。

 「朝日が本気なら、赤字覚悟で(検証記事の)国際版を毎日刷り、『強制連行はなかった』『性奴隷(という表現は)はやめて』と世界各国に配信するしかない」

 日本維新の会の橋下徹(大阪市長)代表は7日夜、こう述べた。

 朝日は、吉田清治氏の「韓国・済州島で200人の朝鮮人女性を強制連行した」といった一連の証言を1982年以来、16回も掲載した。
吉田証言は権威付けられ、韓国政府の報告書や、慰安婦を「性奴隷」と認定した国連の「クマラスワミ報告」(96年)にも引用された。

 5日の検証記事で、朝日は吉田証言を「虚偽」とし、「記事を取り消します」とした。
吉田証言が強制連行や性奴隷の根拠となり、日本と日本人を貶め続けている以上、朝日は、韓国や国連、国際社会に対し、誤解を解く責任があるはずだ。

 長年、朝日の慰安婦報道の誤報について指摘してきた東京基督教大の西岡力教授も8日午後、読売テレビ系『ミヤネ屋』に出演し、「朝日は国際広報をする責任がある」と糾弾した。

 しかし、朝日が運営するウェブサイトの英字版では9日午前9時現在、誤報を認めた記事の英文版は確認できない。
朝日の主要記事は当日中に英訳され、同サイトに掲載されている。これだけ日本にダメージを与えた証言を取り消す検証記事は、少しでも早く掲載する必要があるはずだ。
万が一、掲載しないとなれば、「姑息」といわれても仕方ないのではないか。

夕刊フジが、朝日にこの件について問い合わせたところ、同社広報部は書面による質問を求めてきた。
このため、7項目の質問をFAXすると、5時間以上かかって回答書がきた。

 注目の回答書は、「いただいたご質問にまとめて回答します」で始まり、改行後、黒く太いゴシック文字で「お答えは、さし控えます」と続き、再び改行後、「以上です。どうぞよろしくお願いいたします」と書いてあるだけだった。

 電話で、回答ができない理由を担当者にたずねても、「さし控えますということです」という答えしか返ってこなかった。

 朝日のこの対応を、どう受け止めればいいのか。

2014.08.09
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20140809/dms1408091546007-n1.htm

501名無しさん:2014/08/10(日) 11:00:12
産経の記事ばかり〜

502とはずがたり:2014/08/11(月) 19:33:49
個人が自立できずに全体主義招いたくせに自立した日本をとか何様かねぇ┐('〜`;)┌

「戦った父がいたから今の自分がいる」 靖国に思う「自立した日本を」
http://news.goo.ne.jp/article/sankei/nation/snk20140809537.html
産経新聞2014年8月11日(月)09:03

 8月15日、先の大戦が終結してから70年目を迎える。国のために戦い生還した人々や戦没者の遺族は、ますます高齢化している。薄れゆく大戦の記憶を語り継ぐため、生存者を訪ねた。

 あの時から70年近い歳月を隔てても、胸に秘めた思いが色あせることはない。

 「祖国のために命をささげたあなたは英雄です」「もう一度あなたの子供として生まれ、一緒にうまい酒を飲みたい」

 来年8月15日に戦後70年を迎えるのを前に、靖国神社遊就館(東京都千代田区)が企画した「英霊に贈る手紙」。先の大戦で亡くなった兵士の遺族を対象に今年2月から8月末まで募集しているが、その数はすでに300通に迫る。

 差出人の約半数が遺児で、残りは兄弟や妻、孫、おいなど。「これまで父親のいる友達に負けるものかとずっとがんばってきました。父の元に行ったらほめて下さい」。記憶のかなたに浮かぶ父親、兄弟、夫らに宛ててつづられた思いは、いずれも切実だ。今回の企画を提案した展示課主典の後藤智司さん(33)は、「いずれの文面からも、『戦争で戦った父たちがいたからこそ今の自分たちがいる』という共通した感謝の思いが伝わってきます」と話す。

 手紙は、来年春に行われる靖国神社での慰霊祭で神前に供えられる。その靖国には、英霊とともに戦った“同期の桜”が今も足を運び、慰霊を続けている。

 ◆「慰霊こそ私の義務」

 「祖国の行く末を信じ、勇戦奮闘した仲間を思うと、その御霊(みたま)を慰めることこそが生き残った私の義務であると考えています」

 元海軍大尉、市來(いちき)俊男さん(95)=さいたま市南区=は、毎年6月17日に靖国神社に参拝している。海軍兵学校67期卒にちなみ、この日に決めた。もちろん、数少ない同期生も一緒だ。

 鹿児島県出身で、昭和10年に海兵に入学。67期248人のうち、終戦時の生存者は88人。亡くなった160人の大半が戦死だった。

 市來さんは大戦の口火を切った16年12月の米ハワイ真珠湾攻撃に駆逐艦「陽炎(かげろう)」航海長として参加。その後も多くの海戦や輸送作戦に従事した。兵士約1万人が餓死するなどし、敗戦への分岐点となったとされるガダルカナル島(ソロモン諸島)の戦い(17年8月〜18年2月)では、機銃掃射を受けながら増援部隊や補給物資を輸送した。

 この戦いで今でも記憶に残るのは、陸軍士官学校52期卒だった中尉の面影だ。海兵卒の市來さんとは、卒業年次でいえば同期に当たる。「士官室で夜更かししながら『上陸したら(ガダルカナル島を)取り返すぞ』などと話し込み、艦長に注意されたこともあった」。対立関係が取り沙汰された陸軍と海軍だが、現場での“同期生”の絆の強さは組織の違いを超えていた。

 市來さんは戦後、海上自衛隊、防衛研究所などに勤務し、47年に退官。その後も戦史研究と執筆に取り組んできた。

503とはずがたり:2014/08/11(月) 19:34:14
>>502-503
 戦後の東京裁判でA級戦犯とされた東条英機元首相ら14人が53年に合祀(ごうし)され、60年の中曽根康弘首相(当時)による公式参拝以降、中国、韓国が反発を強めているが、市來さんはこう喝破する。「国のために戦って亡くなった軍人を慰霊するのはどこの国でも当然の行為。内政干渉だ」

 ◆生き残り「私だけ…」

 東京の夏の風物詩として親しまれ、毎年約30万人の参拝者でにぎわう靖国神社の「みたままつり」。今年も7月13〜16日、英霊への感謝と平和を祈念して大小3万超のちょうちんが境内に掲げられた。その中に、「第二師団第十六連隊」という連隊名とともに、個人名が記された33個のちょうちんがあった。

 「新潟県新発田市にあった歩兵16連隊での同年兵の数と、自分の出陣のときの番号です。今や同年兵の中の生き残りは、私だけになってしまいました」

 ちょうちんを献灯したのは東京都大田区の●屋(すみや)久平さん(92)。33個のちょうちんに込めた思いを、こう語った。

 新潟県魚沼市出身。17年11月に南洋のニューブリテン島(パプアニューギニア)に出征後、フィリピン、シンガポール、ビルマ、中国で任務に就いた。

 ニューブリテン島では苦戦していたガダルカナル島への出撃に備えていたが、直前になって中止に。その代わりに担当したのが、野戦病院での遺体処理だった。

 火葬にすると敵の爆撃目標になるので土葬にしたが、深さ5メートルほどの穴を掘っては遺体を埋めるというつらい作業の連続だった。「戦友たちに土をかけ終わるまで涙が止まらず、埋葬後も戦友たちの家族に思いをはせると再び涙が出た」

 戦後は都内で修理業や食肉販売店などを営んだが、くじけそうになるたびに「戦場で亡くなった戦友に申し訳ない」と歯を食いしばって耐えてきた。靖国神社に参拝すると、戦友の面影を思い浮かべながら平和の尊さをかみしめる。

 ◆「自立した日本を」

 戦後日本の平和の礎となった英霊たち。国の行く末を案じながら亡くなった彼らの思いを、どう受け継ぐべきか。

 市來さんにとって、国防を忌避する風潮を強める戦後日本の光景は「平和ボケ」と映る。「戦争を嫌う気持ちは誰にもある。しかし、自分たちが自分の国を守らなくてどうするのか」

 史上最大の戦艦「大和」の副砲長としてレイテ沖海戦に参戦するなどした元海軍少佐、深井俊之助さん(100)=東京都世田谷区=もこう口にする。

 「今の世代に言い残したいことは、とにかく、自立した日本を取り戻してほしいということだ」

 日本の安全保障環境が厳しさを増す中、英霊の思いを代弁する元軍人たちの言葉は重い。(花房壮)

 【用語解説】靖国神社 明治政府が明治2年、戊辰戦争での官軍の戦死者を弔うため、東京・九段に東京招魂社を創建、12年に現在の名称となった。「国を靖(安)んずる」の意味で、明治天皇が命名した。先の大戦はもとより日清戦争(明治27〜28年)、日露戦争(37〜38年)などの戦没者のほか、坂本龍馬や吉田松陰ら幕末の志士も合祀されている。祭神総数は246万6千柱余に上る。

504名無しさん:2014/08/12(火) 17:23:50
反省しても謝罪なし 責任転嫁と矛盾の朝日新聞検証・・・現代史家・秦郁彦氏
朝日新聞から検証記事への見解を求められ、同紙6日付朝刊に寄稿した。
「自己検証したことをまず、評価したい」と書いたのは、過去にコメントをボツにされたことが度々あったからだ。

原稿が掲載されなかったら、朝日読者に批判が届かない。
朝日と付き合う際は作戦が必要。朝日の人たちは「評価」されて喜んでいたらしいけどね。

検証記事の話を事前に聞いていたので、いろいろと注文を出した。「すっぱりと反省とおわびをしなさいよ」と伝えたが、
朝日担当者は「それはみんなで議論します」としか答えなかった。

検証記事では「反省します」とだけ書いてある。みんなで議論した結果、「謝罪はしない」ということになったのだろうが、
反省と謝罪はセットのはずではないか。

工場などに動員された女子挺身隊と、何の関係もない慰安婦を混同していた問題でも、
朝日は「原因は研究の乏しさにあった」と説明している。こんなことは調べればすぐ分かる。
STAP細胞論文みたいに難しい話じゃない。責任転嫁していると言われても仕方がない。

朝日はよく「他の国が同じことをやっているからといって、日本が免罪されるわけではない」という趣旨のことを書いている。
だが、検証記事では他紙も吉田証言を報道したことを取り上げた。悪いのは朝日だけではなく「似たり寄ったりだ」と言いたいようだが、矛盾しているのではないか。

慰安婦問題の核心は「強制連行の有無」と「慰安所で性奴隷の扱いを受けていたかどうか」だ。
この2点について基本的な態度をはっきりさせることを期待していたが、検証記事ではそうはならなかった。

「強制連行」は分が悪いと判断したのか、慰安所での「強制」や「軍の関与」を持ち出してごまかしている。
慰安婦の稼ぎは兵士の数十倍で、廃業や接客拒否の自由もあったのに「性奴隷」というイメージは守ろうとしている。
慰安所での生活が「強制的な状況の下での痛ましいものであった」とした河野洋平官房長官談話をうまく利用しているという印象だ。

強制連行を裏付ける証言が「虚偽」だと分かって20年以上がたっている。今回の検証記事で1番の驚きは、よくもこれだけ長い間、嘘を放置してきたということだ。
その理由は検証記事では分からないが、引くに引けなくなってしまっていたのだろう。(談)

■秦郁彦(はた・いくひこ) 1932年、山口県生まれ。東大法学部卒業。法学博士。大蔵省財政史室室長、
プリンストン大客員教授、千葉大教授などを歴任。著書に『慰安婦と戦場の性』(新潮選書)など。

朝日新聞が16回も取り上げた吉田清治氏の「韓国・済州島で200人の朝鮮人女性を狩り出した」との証言について、1992年に現地調査を実施し、証言は虚偽と確認した。
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20140812/dms1408121140003-n1.htm

505名無しさん:2014/08/12(火) 17:28:25
1982年に朝日新聞は、当時日本の植民地だった朝鮮で旧日本軍が若い女性を大量に強制連行
していたという内容の吉田清治氏の証言を虚偽であったにもかかわらず報じ、その後も
16回に渡って従軍慰安婦についての記事を掲載した。
しかし、朝日新聞は32年が経過した今になって、吉田証言を虚偽だと認めて訂正し、
記事を取り消している。

そして、当時の日本政府が慰安婦に対する旧日本軍の関与を認め、宮沢喜一首相が謝罪。
翌年に発表されたのが河野談話であり、その内容は慰安婦の募集などを軍が強制性を持って
関わったことを認めるものであったと説明した。

また、番組では、慰安婦問題を研究している東京基督教大学教授の西岡力氏が中継で出演し、
朝日新聞が訂正しても吉田証言が国連人権委員会の報告書に引用され、英語の世界では
吉田証言が基準となってしまっていると解説。
さらに、韓国メディアに先んじて生存した慰安婦の証言を報じた1991年8月11日付けの
朝日新聞の記事についても、「女子挺身隊として強制連行された慰安婦」と書いたのは
「誤報」であると指摘した。

そして、この記事の担当記者を「植村さん(植村隆氏)」と名指ししたうえで、この記者の
義母が、元慰安婦が所属した別の団体の幹部であり、義理の母の裁判が有利となるような
誤報を、紙面を使って行った疑いがあると指摘した。

コメンテーターの岩田公雄氏は、朝日新聞が訂正までに32年かかったことに疑問を呈し、
「根本の部分で間違ったことについてはきちんと謝罪すべきで、外交問題になっていることに
ついてどう取り組むのか是正していくのかにつても責任が伴う」とコメントした。

最後に、西岡氏は、朝日新聞は訂正を英文でも行うべきであり、英文サイトに今回の記事を
掲載していないことは問題で、また、吉田証言が間違いだっと国連に訴えるなどの国際広報を
していく必要があるとも指摘。

これに対し、司会の宮根誠司氏は、「日本のマスコミ・政府が一丸となってもう一回韓国と
冷静に話し合うという場所を設けないといけないと思いますね」と語った。

※本文より抜粋しました
http://news.livedoor.com/article/detail/9131786/

506とはずがたり:2014/08/13(水) 09:03:53
人民日報「日本は暗黒国家に」朝日慰安婦報道で
http://www.yomiuri.co.jp/world/20140812-OYT1T50127.html?from=yartcl_popin
2014年08月13日 08時36分

 【北京=五十嵐文】12日の中国共産党機関紙・人民日報は、朝日新聞がいわゆる従軍慰安婦問題を巡る過去の報道に一部誤りがあったとする記事を掲載したことについて、「安倍首相率いる日本で進む右傾化の産物だ」と批判する論評を掲載した。

 中国の主要メディアが今回の朝日記事について論評するのは初めて。

 論評は、「右傾化の道を進むにつれ、日本が暗黒国家に変わりつつあることを国際社会にはっきりと示すものだ」などと主張。さらに「安倍政権と日本のメディアはいっそう足並みをそろえてきている」との見方を示した。

2014年08月13日 08時36分

507名無しさん:2014/08/16(土) 00:32:12
【朝日の大罪】誤報放置は「犯罪的行為」 病の完治を 英国人ジャーナリスト・ストークス氏 (1/2ページ)

http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/images/20140814/dms1408141140010-p1.jpg
立派な社屋から誤報を発信した朝日新聞社【拡大】

 今回の件は、単なる誤報ではない。英国人ジャーナリストとして、一連の経過を観察してきた私としては、朝日新聞の慰安婦をめぐる恣意的報道は極めて問題である。
その背景を検証する必要がある。

 朝日が慰安婦報道の誤りを認め、記事削除を決定したことは、世界的にも異例の事態だ。
吉田清治氏の証言については、当時から疑義が指摘されてきた。
真実を伝えるべき報道機関が、それを30年以上も放置し、結果として日本と日本人の名誉を貶めた責任は重大で、「犯罪的行為」と言ってもいい。

 木村伊量(ただかず)社長以下、朝日の関係者を国会に招致して、徹底究明すべきである。
「報道の自由に抵触する」との意見もあるが、一連の報道が国家に与えた損害は甚大で、当然、その責任が追及されなければならない。
記事を削除すれば済む次元の問題ではない。

 朝日の慰安婦報道は「河野洋平官房長官談話」の素地ともなった。河野談話の欺瞞(ぎまん)性とともに、背景と真相を明らかにすることが重要だ。
河野談話は、日本政府と韓国政府がすり合わせて作成された。これは慰安婦問題ではなく、政治問題であり、国家主権の問題でもある。

 そして、どうして日本と日本人を貶めるストーリーが、巨大メディアや政府中枢で温存され、発信されるのか。
日本は一刻も早く、この病を完治しなければならない。

慰安婦問題だけではない。いわゆる「南京大虐殺」も、歴史の事実としては存在しなかった。
それなのに、なぜ「南京大虐殺」という表現が、刷り込みのように報道で使われるのか。南京大虐殺という表現を、報道で使うべきではない。

 すべての元凶は、連合国軍総司令部(GHQ)最高司令官、ダグラス・マッカーサー元帥が主導した
「東京裁判」(極東国際軍事裁判、1946年5月〜48年11月)と、それに先駆けてNHKがラジオ放送した
「真相はこうだ」(45年12月〜46年2月)にあると、私は考えている。

 GHQ主導の下、NHKはまったく事実ではない「南京大虐殺」など、日本軍の残虐行為に関する虚構を、国民に向けて報道したのである。
こちらも朝日の慰安婦報道に加えて、しっかりと検証することが必要だ。

 8月15日も近い。敗戦と占領の呪縛を知り、失われた独立主権国家としての気概を、日本が取り戻すべき時が来ている。 (取材・構成 藤田裕行)

 ■ヘンリー・S・ストークス 1938年、英国生まれ。61年、オックスフォード大学修士課程修了後、62年に英紙『フィナンシャル・タイムズ』入社。
64年、東京支局初代支局長に着任する。以後、英紙『タイムズ』や、米紙『ニューヨーク・タイムズ』の東京支局長を歴任。
著書に「英国人記者が見た 連合国戦勝史観の虚妄」(祥伝社新書)など。

2014.08.14
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/photos/20140814/dms1408141140010-p1.htm

508名無しさん:2014/08/16(土) 00:32:53
【マスコミ】 1989年 “サンゴ落書き捏造” 記事に見る、朝日新聞 「虐日偽善」の姿
http://ai.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1398573426/

http://www.geocities.jp/ky_asahisango/picture/p4-20-1.jpg
http://www.geocities.jp/ky_asahisango/picture/p5-16-1.jpg
http://www.geocities.jp/ky_asahisango/picture/p5-20-1.jpg


この事件では写真の捏造ばかりが問題になったが、実は、記事の文章も「極めて悪質」と言わざるを得ない。その末尾は次のようになっていた。

「日本人は、落書きにかけて今や世界に冠たる民族かもしれない。
だけどこれは、将来の人たちが見たら、八〇年代日本人の記念碑になるに違いない。百年単位で育ってきたものを、
瞬時に傷つけて恥じない、精神の貧しさの、すさんだ心の…。にしても、一体『K・Y』ってだれだ」

仮に写真が本物であったとしても、この文章は二重の意味で明らかに間違っている。
第1に、犯人はまったく不明なのだから、日本人の犯行と断定することはできない。アルファベットのイニシャルだから、外国人の可能性も十分考えられる。

第2に、犯人が日本人だとしても、一部の人間の行為を日本人全体の犯罪として糾弾し、
モラルなき悪質民族と決めつけるのは、誠に異様である。それは、「世界に冠たる民族」「八〇年代日本人の記念碑」といった極端な表現に現れている。

ではなぜ、こんな発想が出てくるのか。

日本人を悪者として貶めたい欲求があるからではないのか。日本や日本人を「悪」と決めつけて糾弾することで、
自分自身は正義の側に立つことができる。他を貶めることで自分を美化し、道徳的優越感を享受したいのであれば、それは根本的に偽善である。
日本や日本人同胞を虐げる偽善だから「虐日偽善」と表現すべきである。

http://livedoor.blogimg.jp/saihan/imgs/f/6/f684ade6.JPG

509名無しさん:2014/08/16(土) 00:36:44
橋下氏の朝日検証記事に対する批判

 日本維新の会の橋下徹代表(大阪市長)は
9日、朝日新聞の慰安婦報道に言及し「日韓関係をこじらせた最大の原因だ」と改めて批判し、
「やっと朝日が30年以上にわたる誤報を認めたが、しつこく言ってやろうと思っている。
ここで終わらせたらいけない」と述べた。大阪市内で開かれた「維新政治塾」の修了式でのあいさつで語った。

橋下氏は「朝日が(慰安婦の)強制連行はあったと言ったものだから、国家が組織と
してやったということで世界に伝わった」と強調。国際社会で慰安婦問題は平和条約で
解決できない問題と認識されていると説明し、「(朝日の報道が)日韓関係がこじれている
最大の原因だ」と批判した。

 その上で「(朝日が誤報を認めたことで)強制連行はなかったことが明らかになった」
とし、政府が韓国に対して慰安婦問題は日韓基本条約で解決されていることを説明して
いくべきだとの見解を示した。

http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140809/wlf14080915130021-n1.htm

510名無しさん:2014/08/16(土) 00:40:30
【痛快!テキサス親父】朝日新聞の幹部はなぜ謝罪しない? 米国なら責任問題だ 誤報問題

2014.08.15

朝日新聞は、謝罪も記者会見もしない

 ハ〜イ! みなさん。朝日新聞が慰安婦報道を検証して、大誤報を認めたそうだな。ただ、テキサ
スの自宅で朝日ウェブサイトの英字版を見たが、何も掲載されていないぜ。世界に真っ赤なウソを拡
散しておきながら、国際社会には説明なしか? 一部メディアが「姑息」「卑怯」と批判しているら
しいが、なるほどと思ったぜ。

 日本の友人を通じて確かめたところ、朝日は、吉田清治氏の「韓国・済州島で朝鮮人女性を慰安婦
狩りした」という証言などを虚偽として、32年もたって取り消したという。吉田氏については、こ
の連載や俺の動画で何回も取り上げてきた。どの国にも、大ウソつきはいる。

 吉田氏の著書『私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行』(三一書房)が出版された1983年以降、済州
島の地元紙や、韓国の郷土史学者、日本の現代史家、秦郁彦氏が追跡取材・調査をしたが、一切の証
拠や証言もなかった。20年以上前に「吉田証言=明らかな虚報」と分かっていた。

 ところが、朝日は吉田氏を82年から97年まで、16回も取り上げ続けたという。権威付けされ
た吉田証言は、国連に提出されたクマラスワミ報告(96年)や、米国下院121号決議(2007
年)などの証拠として引用され、日本と日本人を貶め続けてきたわけだ。

 俺が今年6月、大阪で講演会を開いたとき、大ベストセラー『永遠の0』で知られる作家の百田尚
樹氏がゲストとしてきてくれた。彼は最初から最後まで「ややこしいアジアの問題は、朝日が大半を
つくった」「身内の敵が一番やっかいだ」「朝日はクズと言っておきたい」などと、朝日に強い怒り
を表していた。一連の経過を聞いて、俺もなるほどなと思った。

 理解できないのは、朝日が大誤報を認めながら、社長などの幹部が記者会見もせず、謝罪もしてい
ないということだ。本当なのか? 朝日の大誤報は、購読者を欺いただけでなく、過去と現在、未来
の日本人全員の名誉を傷付けた。報道機関としてこの罪は重い。米国なら不買運動が盛り上がり、責
任問題が問われる。検証記事だけで済ませられる話ではないぜ。

 俺は、日本人の美徳の1つに「間違いに対しては、きっちり謝罪する姿勢」があると思っている。
だから、朝日が大誤報を認めるのに30年以上もかかり、謝罪をすることに抵抗しているのは、それ
なりの思惑・理由がある気がする。

 まさか、「慰安婦=強制連行」「慰安婦=性奴隷」という虚偽の事実が広まることが、誰かの利益
になるってことじゃないよな? この問題は今後も追及するぜ。

 親愛なるみなさんと日本に神の祝福がありますように。米国に神のご加護がありますように。

 では、また会おう!

 ■トニー・マラーノ 評論家。1949年生まれ。テキサス州在住のイタリア系米国人。サラリー
マンを退職後、動画サイト「ユーチューブ」などで連日、評論活動を行っている。世界のあらゆる“
悪”と戦う「プロパガンダ・バスター」でもある。大変な親日家であり、日本でも圧倒的ファンを獲
得している。著書に『テキサス親父の「怒れ! 罠にかかった日本人」』(青林堂)など。

http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20140815/dms1408151140008-n1.htm

511名無しさん:2014/08/16(土) 00:44:26
合同世論調査では、朝日新聞がこれまでの慰安婦問題の報道の一部を誤報だったと認めた検証発表について
「十分だとは思わない」とする回答が7割を超えた。慰安婦募集の強制性を認めた平成5年の河野洋平官房長官談話の発表や、
今日の日韓関係などに及ぼした影響を踏まえ、世論は朝日にさらなる検証と自己責任を求めているといえそうだ。

朝日の検証内容に関し、特に女性に厳しい反応が出た。
「十分だと思う」は男性の16・6%に対し女性は7・5%、
不十分だとしたのは男性が69・4%に対し女性は72・0%だった。
 特に、女性の20代は78・7%、30代の77・5%がいずれも不十分だとした。
男性も、20〜50代では不十分だとしたのが70%を超えた。一方、60代男性は、十分だとしたのが20・1%、不十分としたのは59・2%と出た。

 支持政党別でみると、不十分だとしたのは、次世代の党が100%に達し、
自民党74・2%、みんなの党71・4%、公明党と暫定的な「日本維新の会」が66・7%だった。
朝日の報道姿勢と似た主張を掲げてきた政党の支持層も、民主党の52・4%、
社民党の66・7%、共産党の64・3%がいずれも検証結果を「十分だとは思わない」とした。

 首都圏500人を対象にしたフジテレビ「新報道2001」の最新世論調査(7日実施)でも、
6割以上が朝日の慰安婦報道が日韓関係を悪化させたと回答した。

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140811/stt14081119360004-n1.htm

512名無しさん:2014/08/18(月) 19:57:34
アパ元谷代表、朝日への広告やめる 慰安婦大誤報「国家的損失は天文学的」 (1/3ページ)


http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/images/20140815/dms1408151820018-p1.jpg
元谷外志雄代表

 朝日新聞は、慰安婦報道の大誤報を32年もたって認めたが、検証記事には謝罪もなく、木村伊量(ただかず)社長は記者会見も開かない。
日本の名誉を傷付ける原因をつくりながら、誰も責任を取らず、逃げ切るつもりなのか。
慰安婦問題を追及してきたアパグループの元谷外志雄代表は、夕刊フジの取材に、
「現状のままでは、朝日への広告出稿はない。他の日本企業も抗議の意思を示すべきだ」と明言した

続きは
2014.08.15
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20140815/dms1408151820018-n1.htm

513名無しさん:2014/08/18(月) 19:59:33
69回目の「終戦の日」を迎えた15日の靖国神社は、政治家や政権への批判などはほとんど見当たらず、落ち着いた雰囲気だった。
その中で例年以上に目立ったのは、根拠がないまま慰安婦募集の強制性を認めた平成5年の河野洋平官房長官談話と、
慰安婦問題での自社報道の誤りを一部認めた朝日新聞への批判だ。

最寄り駅から靖国神社へ向かう歩道では、さまざまな団体が世相を映したビラを配っていた。例えばこんなものもある。

「『従軍慰安婦』は朝日新聞の捏造(ねつぞう)だ」
「韓国の大嘘宣伝【20万人が性奴隷にされた!】の火元は朝日新聞」

そのすぐそばでは、河野談話撤廃の署名活動も行われていた。

境内で毎年開かれる戦没者追悼中央集会では、司会者が次世代の党の山田宏幹事長について、
6月の政府による河野談話作成経緯の検証に道を開いたことを挙げて「英霊の名誉を守った」と紹介した。

河野談話によって旧日本軍兵士は、いわれなき罪を背負わされたからだ。

登壇した山田氏は、今月5、6両日に朝日新聞が掲載した自社の慰安婦報道に関する特集記事に関してこう批判した。
「朝日が捏造記事を書き、32年間も放置した。あの程度の記事で罪が償えると思うのか。なぜ今まで黙っていたのか。朝日は明らかにすべきだ」

この言葉は、韓国・済州島で女性を強制連行したと虚偽の証言をした吉田清治氏に関して昭和57年以降、
少なくとも16本もの記事を載せておきながら謝罪も訂正もせず、今回ようやく取り消したことを指す。山田氏の指摘には大きな拍手がわき起こっていた。

集会では、安倍政権の安全保障政策に関する次のような声明も採択された。
名指しはしていないが、これも朝日新聞をはじめとする左派メディアを念頭に置いていることは明らかだ。

「一部の報道機関から執拗(しつよう)かつ意図的な悪意ある報道が繰り広げられたことは周知の通りだが、その効果は意外なほど小さかった」

集会会場わきの書籍販売所には「〈河野談話〉の虚構」(勝岡寛次著)、「『従軍慰安婦』強制連行はなかった」(松木国俊著)といった本も並んでいた。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140815/plc14081523080043-n1.htm

http://sankei.jp.msn.com/images/news/140815/plc14081523080043-p1.jpg
http://sankei.jp.msn.com/images/news/140815/plc14081523080043-p2.jpg

514名無しさん:2014/08/20(水) 16:07:59
【慰安婦誤報問題】朝日は「虚偽認めたが、謝罪がない」…秦郁彦氏

現代史家の秦郁彦氏は19日、BS日テレ「深層NEWS」に出演し、いわゆる
従軍慰安婦問題に関連し、吉田清治氏(故人)による韓国で強制連行を行ったとの
虚偽証言について、「木刀ふるって女性を狩り集めるという非常にわかりやすい
話だった」と述べ、誤解を広める大きな要因だったとの認識を示した。

 朝日新聞は1982年以降、吉田証言を16回報道したが、今年8月5日の特集記事で
証言は虚偽と認め、記事を取り消した。秦氏は、朝日から事前に特集記事について
相談を受けた際、「謝罪をしていないのはなぜだという声が出るだろう」と指摘した
という。

 また、秦氏は吉田氏にまつわる話として、「国連に持ち込んで大騒ぎさせますよ」
とかつて語っていたことや、吉田氏の著書の出版社が「あれは小説だ」と話したことも
明らかにした。

 この日は、元慰安婦への「償い金」支給事業などを行った「女性のためのアジア
平和国民基金」(アジア女性基金)の下村満子・元理事も出演。同基金に強く反発した
元慰安婦の支援団体「韓国挺身隊問題対策協議会」について、「実は元慰安婦の
人権を一切考えていない。反日運動の道具に使っている」と批判した。

http://www.yomiuri.co.jp/politics/20140819-OYT1T50167.html

515名無しさん:2014/08/21(木) 16:41:02
朝日新聞の関係者「5日以降、年間購読している一般購読者の解約が後を絶たない。企業も広告出稿を控える事態になっている」

過去の従軍慰安婦報道について事実誤認を認めた朝日新聞が、さらなる窮地に陥った。
18日付の産経新聞で、先に朝日新聞が報じた「吉田調書」の内容について明確に否定する内容が報じられたのだ。

吉田調書とは、2011年3月11日の東日本大震災で東京電力福島第1原発が危機的状況に陥った際の、
吉田昌郎所長(享年58)と政府のやりとりを記した極秘文書だ。

朝日新聞は5月20日付の紙面で「所長命令に違反 原発撤退」というタイトルで、
震災直後の3月15日に第1原発にいた所員の9割に当たる約650人が、吉田所長の待機命令に背いて10キロ南の福島第2原発に撤退したと報じた。

これに産経新聞は調書の一部を独占入手した上で、吉田所長の命令に違反し所員が勝手に現場を離れたことはないと断定。
吉田所長から「退避」は指示されたものの、朝日新聞の言う「撤退」はなかったと強調した。

8月19日の朝日新聞デジタルは、朝日新聞社が8月18日付で朝日新聞社の名誉と信用を傷つけたとして、
産経新聞の東京編集局長と産経新聞に記事を書いたジャーナリストに抗議書を送ったと報じた。

朝日新聞といえば、従軍慰安婦の存在を広めながら、最近になって「確認できなかった」と一部の記事が事実誤認であることを認めたばかり。
その矢先に吉田調書でも大失態を演じたことから、ネット上では「また朝日か」「いい加減にしろ」と大ブーイングが飛び交っている。

事実、慰安婦の事実誤認以降、年間購読している一般購読者の解約が後を絶たないという。

同紙関係者は「一般読者だけでなく、企業も『慰安婦の誤報は許せない』と広告出稿を控える事態になっている。社内でも深刻な問題として捉えている」と話す。
http://news.livedoor.com/article/detail/9167414/

「済州島で連行」証言 裏付け得られず虚偽と判断
http://www.asahi.com/articles/ASG7L71S2G7LUTIL05N.html

516旧ホントは社民支持@鹿児島市:2014/08/21(木) 19:28:20
イデオロギー的なことはさておいて,出版されるのか。欲しいなぁ。

「昭和天皇実録」を両陛下に奉呈
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140821/k10013970101000.html
宮内庁が編さんを進めてきた昭和天皇の活動記録「昭和天皇実録」が、24年余りかけて完成し、21日天皇皇后両陛下に奉呈されました。
内容は、来月中頃に公開される予定です。

天皇実録は、歴代の天皇の活動を後世に伝えるため、天皇の日々の動静などを客観的な資料を基に、日誌のような形で年代順に記した記録集で、宮内庁は、平成2年から24年5か月かけて、「昭和天皇実録」を完成させました。
21日は、午後2時に両陛下のお住まいの御所で、宮内庁の風岡長官から、合わせて61巻、1万2000ページ余りからなる正本が両陛下に奉呈されました。
この際、天皇陛下は、実録の完成をうれしく思う気持ちと共に、作業に携わった関係者をねぎらう気持ちを示されたということです。
「昭和天皇実録」は、宮内庁の公文書や側近の日誌など、およそ3000件に上る資料を基に編さんされ、天皇の在位期間の長さや激動の昭和の時代を反映して、歴代の天皇実録の中で最も長編になりました。
当初、平成17年度に終わる予定だった編さん作業は、新たな資料の発見などで2度にわたって延長され、人件費を除いても2億3000万円余りの費用がかかったということです。
また、すべての内容の公開や書籍としての出版を前提に作られた初めての天皇実録で、一部を除いて口語体で記述されました。
「昭和天皇実録」は、来月中頃、内容が公開され、今年度末から5年をかけて順次出版される予定です。
昭和天皇の初めての公式記録集で、昭和史研究の基礎資料としての価値も高く、戦前から戦後の占領期を中心に、新たな事実や資料が示されるかどうかが注目されます。

「天皇実録」とは
「天皇実録」は、歴代の天皇の活動を後世に伝えるため、天皇の日々の動静や、関わりのある政治や社会情勢について、客観的な資料を基に日誌のような形で年代順に記した記録集です。
「天皇紀」と呼ばれることもあり、これまでに初代の神武天皇から大正天皇までのすべての天皇の実録が作られていました。
宮内庁の公文書をはじめ、側近が記した日誌や、皇族や歴代の総理大臣などの日記、それに外交や防衛関連の文書など膨大な資料を集めたうえで、関係者からも可能な限り聞き取りを行って編さんされます。
はじまりは、古代の朝廷が中国の例にならって編さんした歴史書で、奈良時代に成立した「日本書紀」から平安時代前期の「日本三代実録」まで6つが作られました。
その後、長く途絶えましたが、明治維新を経て、天皇の生涯の記録を残すため再び編さんされるようになり、明治時代に「孝明天皇紀」が、大正から昭和にかけて「明治天皇紀」が、昭和の初期に「大正天皇実録」が作られ、「孝明天皇紀」と「明治天皇紀」は、後に書籍として出版されました。
また、大正から昭和初期にかけて、江戸時代に至るまでのすべての天皇をまとめた実録も作られました。

公開と出版前提に編さん
「昭和天皇実録」は、すべての内容の公開や書籍としての出版を前提に編さんされた初めての天皇実録です。
「孝明天皇紀」と「明治天皇紀」は、いずれも完成後に公開されず、戦後になって書籍として出版されました。
「大正天皇実録」も長らく公開されず、平成13年の情報公開法の施行を受けて段階的に公開されましたが、宮内庁が個人情報の保護などを理由に、一部を黒く塗りつぶす措置を取ったことから、研究者などから「歴史資料としての価値が損なわれた」などと批判の声が上がりました。
宮内庁は、この時の公開の在り方の反省を踏まえ、「昭和天皇実録」については、すべての内容の公開を前提に、学業成績や病気の詳細など実録にふさわしくないと判断した部分を除いたうえで編さんを進め、両陛下への奉呈に続き、書籍として出版する方針を明らかにしていました。

517旧ホントは社民支持@鹿児島市:2014/08/21(木) 19:28:31
激動の時代背景に歴代再長編
87歳で生涯を終えた昭和天皇。
長寿で、在位期間も62年余りと長かったことに加え、戦前から戦後という激動の時代背景もあって、「昭和天皇実録」は歴代の実録の中で最も長編になりました。
本文は1万2000ページ余りに及び、これまでで最も長かった「明治天皇紀」のおよそ1.5倍の分量です。
これに目次などを加えて、合わせて61巻にまとめられていて、本を立てて並べても1.8メートルの幅を取ります。
「昭和天皇実録」の編さんに当たって、宮内庁は、公文書や側近の日誌などに加え、全国47の都道府県や海外にも職員を派遣して、およそ3000件に上る資料を集めるとともに当時の幹部や側近など50人近くから聞き取りを行いました。
当初は、平成17年度に終わる予定だった編さん作業は、新たな資料の発見や、事実確認に時間がかかったこともあり、2度にわたって延長され、編さんに要した期間も24年5か月と明治以降に作られた天皇実録では最も長くなりました。

専門家「歴史振り返る手がかりに」
近現代史が専門の日本大学の古川隆久教授は、昭和天皇実録の意義について、「昭和天皇の生涯が初めて日にちごとに詳細に分かる資料で、昭和天皇の全体像や歴史的な位置づけを考えるうえでの基本的な資料の1つになると期待される」と話しました。
そして、終戦を決めた御前会議やGHQ=連合国軍総司令部のマッカーサー最高司令官との会見など、昭和天皇の具体的な発言内容を巡って、専門家の間で意見が異なったり確実な資料が見つかっていなかったりする事柄が、新たな資料などによってどの程度解明されるかが注目されるとしています。
そのうえで古川教授は、「昭和天皇は、旧憲法下と新憲法下の両方の時代にまたがって在位し、さまざまな評価を受けてきた人で、実像が今まで以上に分かるということは、私たちの歴史を振り返るうえで、いろんな手がかりを与えてくれるのではないか」と述べました。

昭和天皇とは
昭和天皇は、確かな記録の残る歴代の天皇では最も長寿で、在位期間も62年余りに及び、戦前から戦後にかけての激動の時代を生きました。
昭和天皇は、明治34年4月29日、大正天皇の長男として誕生し、裕仁と命名されました。
天皇家の慣習に従って生後2か月余りで親元を離れ、厳しく育てられました。
明治天皇が亡くなると11歳で皇太子となり、学習院初等科を卒業後は新しく設けられた教育機関で、皇位継承者としての教育を受けました。
その仕上げとして、19歳の春から半年かけてイギリスやフランスなどヨーロッパ諸国を歴訪しました。
そこで、第一次世界大戦の爪痕を目にする一方で、ゴルフやお忍びのパリ見物なども楽しんだ昭和天皇。
後に、生涯で最も印象深かったことに挙げ、「あの旅行で本当の自由と楽しさを味わった」と語りました。
帰国後、病気の父・大正天皇を支える摂政に就任し、大正天皇が亡くなると25歳で第124代の天皇に即位しました。
日本は、昭和6年に起きた満州事変をきっかけに国際的に孤立する道をたどり、軍国主義の色合いも強まっていきます。
日中戦争に続いて、昭和16年には太平洋戦争が始まり、昭和天皇は大元帥として陸海軍を統帥しました。
戦局が悪化するなか、軍部の責任者などからもたらされる情報は、日本の不利な戦況を十分に伝えるものではなく、昭和天皇は長引く戦争に苦悩を深めたと言います。
アメリカ軍の本土爆撃が激しさを増すなか、沖縄での地上戦や、広島、長崎への原爆投下などを経て、昭和天皇も出席した御前会議で日本の降伏が決まりました。
昭和天皇は、終戦の詔書をみずから音読して録音し、8月15日に、ラジオを通じた「玉音放送」で国民に伝えました。
連合国の間から天皇の戦争責任を追及する声も挙がるなか、昭和天皇はGHQ=連合国軍総司令部のマッカーサー最高司令官との会見に臨みました。
そして、翌年の元日には、みずから神話と伝説に基づく神であることを否定する、いわゆる「人間宣言」を行いました。
この翌月、復興に向かう人々を励ますため、全国を回る旅を始めます。
戦後の民主化が進められるなか、新しい憲法で、絶対的な君主から、国の象徴へと転じた昭和天皇。
憲法に定められた国事行為を内閣の助言と承認に基づいて行い、東京オリンピックや国体の開会式などにも臨みました。
ヨーロッパ諸国やアメリカも親善訪問し、アメリカからの帰国後、テレビカメラを前にした初めての記者会見に臨みました。
この中で、在位中の最もつらく悲しかった思い出を尋ねられ、「言うまでもなく第二次大戦であると思います。こういう悲しむべきことが今後も起こらないことを祈っています」と話しました。
昭和62年に腸の手術を受け、一時は公務に復帰しましたが、再び体調を崩し、昭和64年1月7日、波乱に満ちた87年の生涯を終えました。

518とはずがたり:2014/08/22(金) 10:49:40

『朝日新聞』をダマした吉田清治とは何者なのか 慰安婦強制連行を「偽証」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140812-00000021-zdn_mkt-ind
Business Media 誠 8月12日(火)11時48分配信

吉田清治は『悪魔の飽食』(著・森村誠一、角川文庫)に影響を受けたのかもしれない

●窪田順生氏のプロフィール:
1974年生まれ、学習院大学文学部卒業。在学中から、テレビ情報番組の制作に携わり、『フライデー』の取材記者として3年間活動。その後、朝日新聞、漫画誌編集長、実話紙編集長などを経て、現在はノンフィクションライターとして週刊誌や月刊誌でルポを発表するかたわらで、報道対策アドバイザーとしても活動している。『14階段――検証 新潟少女9年2カ月監禁事件』(小学館)で第12回小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。近著に『死体の経済学』(小学館101新書)、『スピンドクター “モミ消しのプロ”が駆使する「情報操作」の技術』(講談社α文庫)がある。

 朝日新聞が「慰安婦」にまつわる記事を取り消した。

 といっても「テキトーな記事を32年も放置してごめんなさい」とかの謝罪の言葉は一切なし。それどころか、ドーンと紙面を割いて行った検証でも、「慰安婦狩りをした」という吉田清治(文筆家:慰安婦のねつ造を認めて、2000年に死去)の証言のみは誤りを認めるが、他は一歩も引かねえぞと“逆ギレ”のような釈明をしている。

 こうした一部の不正確な報道が、慰安婦問題の理解を混乱させている、との指摘もあります。しかし、そのことを理由とした「慰安婦問題は捏造」という主張や「元慰安婦に謝る理由はない」といった議論には決して同意できません。(『朝日新聞』〈8月5日〉)

 以前この『時事日想』のなかで、「報道」というのは「茶道」や「華道」と同じく厳密な作法があると述べた。それは、いかに頭を下げないでやり過ごすか。世間から叩かれようが、権力者から抗議がこようが、街宣車がワーワー騒ごうが、「取材には自信をもっております」と涼しい顔で切り返す。それこそが「報道」の真骨頂だ。そういう意味では、「さすが家元、けっこうなお手前でした」と唸ってしまうほどの期待を裏切らない記事である。

 この「〜〜という指摘もあります、しかし、〜〜だけは同意できません」という“朝日話法”を使えば、被害回復などの責任問題をウヤムヤにできるうえ、体面も保つことができる。これから謝罪会見などで朝日の社会部記者に厳しく断罪されるような企業はぜひとも参考にしていただきたい。

●ますます謎が深まった

 ただ、そんな朝日の検証記事を読んでみて、ますます謎が深まったことがある。

 それは、吉田清治の動機である。どういう目的で、どういう得があって、彼はこのようなデマカセを触れ回ったのか。ガセネタを食わされた“被害者”のような書きぶりなのだから、このあたりのもうちょっと探ってもいいはずなのに、朝日は気持ちいいくらいにスルーしている。

 仕方がないので、他の報道を見ていたら興味深い話を見つけた。『SAPIO 9月号』(小学館)に寄稿している元朝日新聞記者であるジャーナリストの前川惠司氏によると、ご自身が川崎支局員だった1980年ごろに吉田清治からネタの売り込みがあったというのだ。

 横浜市内の吉田清治のアパートで3〜4時間話を聞いたそうで、山口県の労務報国会にいて、朝鮮の慶尚北道(キョンサンプクト、けいしょうほくどう:日本統治時代の朝鮮の行政区画のひとつ)「徴用工狩り」をした体験を語ったらしい。ただ、強制連行したという現場を聞いてもはっきりせず、辻つまの合わないところがあったという。

 当時からうさん臭さ満点の情報提供者だったというわけだが、特筆すべきはこの時点で後に彼のメシのタネとなる「慰安婦狩り」についてはまったく触れていなかったということだ。つまり、1980年にはまだ“シナリオ”ができていなかったのである。

519とはずがたり:2014/08/22(金) 10:50:02
>>518-519
 では、そんな吉田清治が「慰安婦狩り」という物語を創作したのはいつ、なにがきっかけなのか。吉田のことが書かれた記事が朝日で初掲載されたのは1982年9月2日の大阪本社版朝刊社会面。大阪市内で行った講演で、「済州島で200人の若い朝鮮人女性を『狩り出した』」とぶちまけた。つまり、シナリオは1980年から1982年の間に練られたということになる。

 ご本人もすでに鬼籍に入っているので真相は分からないが、この2年の間に吉田氏にインスパイアを与える「何か」があったと考えるのが自然である。

●経歴がほとんどウソ

 いったい何か。個人的には1981年から『しんぶん赤旗』で連載された森村誠一氏の小説『悪魔の飽食』が関係しているのではないかと思っている。

 ご存じのように、旧日本軍で人体実験を行っていたとされる「関東軍731部隊」について赤旗記者の下里正樹氏の取材に基づいたもので「日本軍のおぞましい戦争犯罪」を告発したノンフィクション小説として大きな話題になった。

 1963年、吉田は『週刊朝日』の「私の8月15日」というテーマでの懸賞手記に応募して佳作をとっている。早くから戦争体験でメシを食いたいという志向があった。そんな人物が『悪魔の飽食』を目にしたらどう思うだろう。

 単純に「悔しい」と思うのではないか。「人体実験」と比べたら、畑仕事をしている朝鮮人を無理矢理トラックにのせて連れ去るなどパンチが弱過ぎる。もっとエグく、もっとインパクトのある戦争犯罪に“脚色”しなければ埋没してしまう。そんな風に思わなかったか。

 そう考えると、これまではまったく言及されなかった「慰安婦狩り」がなぜ1982年にポンと飛び出したのかが分かる。ただ、その一方で、吉田清治(本名・吉田雄兎)という人物が単なる詐話師レベルではないほど怪しい人物であることもまた事実だ。

 吉田のウソをいち早く見抜いた秦郁彦氏の『慰安婦と戦場の性』(新潮選書)を読むと、吉田清治という人物の経歴がほとんどウソでかためられていたことが分かる。本人が在籍したと言い張る大学や勤務先には、そのような記録は残っていなかったという。確かに、私自身、下関へ仕事に行った際に時間があったので、吉田が下関市議に出馬したころの住所へ行ってみたが、そこには彼やその一族のことを知る者を見つけることはできなかった。

●吉田清治のバックグラウンド

 これは一般的な話だが、戦争犯罪を“捏造”する人というのは、なにかしらの政治的なバックがあることが多い。有名なのは、1990年の湾岸戦争で、イラク兵が産婦人科病院で生まれたての乳児300人以上を床に投げ捨てて虐殺したと証言した15歳のクウェート人少女である。

 この告発によって“イラク許すまじ”という世論が高まって戦争へと突入したわけだが、後に吉田清治の「慰安婦狩り」と同様に真っ赤なウソだったことが明らかになる。少女は在米クウェート大使の娘さんで、クウェートから世論形成を請け負ったPR会社の書いたシナリオどおりに「イラクの戦争犯罪を目撃した少女」を演じただけだった。だったら、この経歴不明の怪しい男も、なにかしらの依頼を受けて「吉田清治」を演じていたと考えられないか。

 1970年ごろに日ソ協会役員をしていた男が80年代になるとまるでなにかの“天啓”を受けたかのように突然、「慰安婦狩り」を触れ回ったのはなぜなのか。

 今回、朝日が出した記事は「謝罪」でも「訂正」でもなく、「慰安婦問題どう伝えたか 読者の疑問に答えます」という上から目線の解説記事だった。

 無知な我々に「慰安婦問題の本質」を教え諭すのもいい。そういう新聞だ。ただ、吉田清治にすべての罪をかぶせるのなら、せめてもうちょっと彼のバックグラウンドを調べて教えてくれないか。

520とはずがたり:2014/08/24(日) 17:01:35
先日,練馬駅前の病院に入院している荻窪の伯母(我々は小さい頃から御世話になっており東京の伯母さんと云って懐いていた)を見舞った。

戦前生まれの伯母だが,元気そうであったが,戦争の話になった時に,当時荻窪には中島飛行機の工場があって空襲受けると云われながら,既に主力は三鷹その他に移転していたのを米軍は把握していて杉並は空襲受けなかったと云っていた。
女学生だったけど,中野辺りが空襲で焼けてるのは荻窪から見えたのだそうな。
当時は中野に陸軍の学校があって工場地帯では無いけど空襲を受けたとのこと。

521とはずがたり:2014/08/26(火) 14:13:57

2061 :名無しさん:2013/03/07(木) 20:11:09
 領有権や排他的経済水域設定をめぐって日本がロシア、中国、韓国と対立している北方領土、竹島、尖閣諸島
沖ノ鳥島に本籍を置いている日本人が、1月末時点で計642人に上ることが5日、管轄する4市町村への
取材で分かった。

 共同通信が2011年1月時点で同様の調査をした際は計約520人だった。2割以上増えた背景には竹島や
尖閣諸島をめぐる日中、日韓の緊張などがあるとみられる。

 本籍は原則として実際の居住地とは関係なく、日本国内のどこにでも移すことができる。北海道根室市が
管轄する北方四島は前回調査の175人から196人に増加。島根県隠岐の島町の竹島は69人から102人に
沖縄県石垣市の尖閣諸島は約20人から63人に、東京都小笠原村の沖ノ鳥島も262人から281人に増えた。
いずれも居住実態はない。隠岐の島町によると、昨年8月の李明博・前韓国大統領の竹島上陸後、本籍移転に
関する相談が急増したという。

ソース:MSN http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130305/plc13030511440016-n1.htm

2062 :名無しさん:2013/03/07(木) 20:13:33
1942、43年に旧日本陸軍の陸地測量部が発行し、日本海に竹島が記載された2種類の地図が
見つかったと島根県が6日、発表した。

所有していた宮崎市の男性が県に連絡して判明。竹島の近くに当時の国内発の航路も記されており、
県は研究用に地図を借り、複製を展示する予定。

県によると、地図は、アジア・太平洋地域などを収めた「太平洋素図」(42年、縮尺2000万分の1)と
「太平洋全図」(43年、縮尺1500万分の1)。

両方とも日本海に竹島が描かれ、「竹島」と島名を明記。そばには北海道・小樽と中国・大連を結ぶ航路を
示す点線が描かれていた。当時の竹島が、日本海を行き来する船の目印になっていた様子がうかがえるという。

鬱陵島の島名は「欝陵島(松島)」と書かれていた。

県が昨年11月に竹島に関する資料の提供を呼びかけた直後、男性から情報が寄せられた。県が調べた結果、
同じ地図は国立国会図書館や東北大などにしか残っていないという。県の呼びかけに対し、6日までに地図や
古文書など今回の地図を含む15件の情報提供が寄せられており、「竹島が日本領であることを示す資料が
あれば連絡を」としている。問い合わせは、県竹島資料室へ。

ソース
読売新聞 http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20130307-OYT1T00483.htm?from=main2

【画像】「太平洋素図」に記された竹島(中央)。そばに小樽と大連を結ぶ航路が点線で描かれている
http://www.yomiuri.co.jp/photo/20130307-865823-1-L.jpg

522とはずがたり:2014/08/26(火) 14:14:15
2067 :名無しさん:2013/03/20(水) 00:50:19
島根県は18日、日韓両国が領有権を主張する同県の竹島(韓国名・独島=トクト)で、
昭和初期に漁民が畑作をしていたことを示す県所蔵の地図を確認した、と発表した。
県は「昭和初期まで漁民が竹島で長期間生活していたことを示す資料」としている。

 地図は縦22センチ、横28センチ。青いインクで手描きされている。
畑跡のほか、アワビを塩漬けにする作業小屋や日露戦争時の望楼跡も記す。

 県によると、隠岐の島町の住民への聞き取りで、竹島で約1カ月滞在するため、畑にネギや大根を植えたとの証言があったという。
地図で畑跡の位置を初めて確認した。

 県は、地図に「昭和三年九月」と記されていることから1928年の状況を図示したとみる。
県が51年に外務省の事務官に宛てた報告書に添付していた。
県は昨年12月、県公文書センターを調査した際、報告書に挟んであった地図を見つけた。

http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201303190057.html
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn20130319005701.jpg

2234 :名無しさん:2014/01/22(水) 08:18:46
江戸後期の地図に「日本領・竹島」 幕府が作成に関与
2014年1月21日17時48分

島根県は21日、竹島を日本領と示した江戸時代後期の地図5点を確認したと発表した。
そのうち「蝦夷風俗人情之沙汰付図(えぞふうぞくにんじょうのさたふず)全図」(1790年)と
「蝦夷草紙(えぞそうし)全図」(同)の2点は、江戸幕府が関与。県は、幕府の要職も竹島を
日本領と認識していたことを裏付けるものとみている。

島根県によると、この2点は同じ内容で、幕府の蝦夷地調査隊で測量助手を務めた最上徳内がまとめた。
経世家の本多利明が序文を書いたうえで、幕府老中の松平定信に献呈されたといい、紀州徳川家の蔵書印
がある。日本領が赤茶色に彩色され、隠岐諸島の上方にある現在の竹島も同色だ。

島根県は昨年8月、竹島を初めて記したとみられる1760年代の地図を確認したが、地理学者の作だった。
今回は幕府の要職がお墨付きを与えた地図で、島根県竹島問題研究会座長の下條正男・拓殖大学教授(日本史)
は「日本が国家として竹島を日本領と認識していた証しで、大きな意義がある」と話している。

http://www.asahi.com/articles/ASG1N4Q9RG1NPTIB006.html
日本領が赤茶色に彩色された蝦夷草紙全図の一部。隠岐諸島(中央)の上方の右に現在の竹島が同じ色で記されている(神戸市立博物館所蔵)=島根県提供
http://www.asahicom.jp/articles/images/AS20140121001286_comm.jpg

524とはずがたり:2014/08/26(火) 14:14:51

2327 :名無しさん:2014/05/16(金) 04:42:05
国が昭和初期に出版した観光ガイド本「日本案内記」の中国・四国編に、竹島を紹介する記述があることが、
島根県竹島問題研究会の調査で分かった。

戦前に国が刊行したガイド本に竹島の記述が確認されるのは初めて。同会は「韓国の不法占拠以前から、
竹島が日本の観光名所として全国に認知されていた証拠になる」としている。
日本案内記は当時の鉄道省(現・国土交通省)が刊行し、北海道、九州など地方別の全8巻で構成。
沿線を中心に、各地の名所旧跡を図や写真を交えて紹介している。携帯しやすい三六判(横約9センチ、
縦約18センチ)で、ガイド本を旅先で持ち歩くスタイルを定着させたといわれる。
1934年の中国・四国編(453ページ)では、竹島について「隠岐島の西北一五七粁(キロ・メートル)、
日本海中にあり。二箇の岩嶼(がんしょ)より成り、断崖峭立(しょうりつ)、處々(ところどころ)に洞門あり、
海底深くして投錨とうびょう困難」と紹介している。
さらに、「海驢(あしか)の蕃殖地(はんしょくち)で、西郷町の竹島漁撈(ぎょろう)(合資)会社がその捕獲を
営んで居る。住民はない。この島は洋人の称するリヤンクール岩で、邦人はもと松島と呼んだが、明治三十八年
(1905年)島根県の所属となって、現名に改まった」と記載している。
日本案内記は人気を集めて改訂版も発刊され、竹島の紹介はそのまま残った。42年版(446ページ)には、
「(竹島漁労合資会社に代わって)隠岐五箇村がその捕獲を営んで居る」と、アシカ猟の漁業権の移り変わりに言及。
韓国が一方的に李承晩ラインを設定した後の54年版(441ページ)には「戦前は隠岐の島民が漁期に来て
その捕獲を営んでいた」の一文がある。
同会関係者が、図書館で昭和初期の資料を調べていた際に、竹島の記述があるのを見つけた。同会は
「昭和初期には、国が竹島を日本の主な観光地の一つと認めていたことがわかる。日本人に関わりの深い
名所であったことを再認識できる資料」としている。

ソース/読売新聞社
http://www.yomiuri.co.jp/national/20140514-OYT1T50255.html

2348 :名無しさん:2014/06/23(月) 21:32:26
竹島でアシカ漁に従事していた漁師たちの住所を記した明治後期の文書を確認[06/21]

 明治時代後期、竹島でアシカ漁に従事していた漁師ら6人の住所が記された文書が
県立図書館(松江市)に保管されていたことが、県竹島問題研究会の調査で分かった。
 居住地は隠岐諸島だけでなく、現在の出雲市や鳥取、鹿児島両県にも及んでおり、
同会は竹島漁労の実態を示す貴重な資料とみている。

 当時の竹島漁労に従事した漁師らの住所が判明したのは初めて。

 同会関係者によると、6人は、1905年に日本が竹島を編入した後、アシカ漁などを行うため
島後に設立された「竹島漁猟合資会社」所属の漁師ら。
 住所は、島後の西郷町と磯村(ともに現・隠岐の島町)、園村(現・出雲市)のほか、
鳥取県の田後村(現・岩美町)と赤崎村(現・琴浦町)、鹿児島県知覧村(現・南九州市)もあった。

 6人は操業中とみられる08年(記者注:1908年)4月19日午後2時頃、竹島付近で水雷を発見し、
同社の代表だった中井養三郎(1864〜1934年)が同年5月、6人の名前と住所を記した
報告書を島後の西郷署(当時)に提出。この書面を半世紀後に県職員が筆写した文書が残されていた。

 同会は「竹島が隠岐住民らの生活圏だっただけではなく、各地から漁師が集まるほど好漁場として
国内で広く知られていたことを示す証左」としている。(矢沢慎一)

読売オンライン 2014年06月21日 (リンク先に画像あり)
http://www.yomiuri.co.jp/local/shimane/news/20140620-OYTNT50202.html

525とはずがたり:2014/08/26(火) 14:15:09

2400 :名無しさん:2014/08/26(火) 13:56:53
竹島・武装韓国人の居座りによる日本領不法上陸および不法占拠から60年…消えゆく竹島の漁業の記憶を、絵本で読み聞かせ

竹島(島根県隠岐の島町)で行われていた漁猟の様子を描いた絵本「メチ(同町でのニホンアシカの呼び名)のいた島」の作者、
杉原由美子さん(71)=同町久見=が20日、横浜市立小2校で読み聞かせ会を行った。「竹島に行ってみたい」「何で竹島
の自然が少なくなっているの?」−。児童らの率直な言葉に杉原さんは「今後も気力の続く限り、竹島のことを伝えていきたい」
との思いを新たにしていた。

http://sankei.jp.msn.com/region/news/140621/kng14062102040001-n1.htm

江戸時代から戦後にかけて島根県隠岐の島町に住む漁師たちは当時「メチ」と呼ばれたニホンアシカやアワビ、サザエを
求めて竹島に向かった。昭和29年6月、韓国政府は竹島に武装した海洋警備隊を上陸させた。不法占拠から60年目を
迎える今日も武装要員は居座り続け、竹島と同島周辺12カイリ(約22・2キロ)は日本の漁船が近づけないままと
なっている。

竹島での漁業に携わった漁師のほとんどが鬼籍に入るなかで一人の女性が遺志を受け継ぎ、地道な活動を続けている。
 女性は隠岐の島町に住む元小学校教諭、杉原由美子さん(70)。明治期から昭和にかけて、竹島での漁業の拠点に
なっていた久見地区に生まれ育った。

 東京・多摩地域の小学校教諭として勤務した後、6年前に故郷へ戻った。当時、島根県竹島問題研究顧問だった杉原隆さん
(75)から昭和24年に亡くなった祖父・八幡長四郎さんの遺言を聞き、「何かしなくては。絵本で子供たちに竹島
のことを知ってもらいたいという思いに駆られた」という。

 長四郎さんの遺言は「三家代々受け継いできた竹島の漁業が再び日本人の手に返る時が来たなら、必ず残るものの手で、
竹島を乱獲から守るため漁業権を獲得してもらいたい」というものだった。

長四郎さんは戦前、久見地区にあった「竹島漁猟合資会社」の代表だったが、晩年は連合国軍総司令部(GHQ)が設定した
通称・マッカーサーラインにより、竹島には日本漁船が近づけない状態となっていた。竹島で漁が再開できると信じていた
長四郎さんは、周囲の漁師たちに遺言として、竹島での漁業の将来像を伝えていたのだ。


http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140307/plc14030717430018-n1.htm

526とはずがたり:2014/08/26(火) 14:15:26
2401 :名無しさん:2014/08/26(火) 13:59:12
島根県の竹島問題研究会 竹島の漁業”隠岐で調査[08/24]

NHK 松江放送局

 県の竹島問題研究会は、かつて竹島で行われていた漁業を調査するため、24日、隠岐の島町の住民から、
当時の様子を聞き取りました。

 有識者などでつくる県の竹島問題研究会は隠岐の人たちが、かつて竹島で行われていた漁業やアシカ猟の
実態を明らかにしようと4年前から住民への聞き取りや資料の調査を進めています。

 24日は研究会の委員らがかつて漁を中心になって行っていた隠岐の島町の久見地区などを訪れ、当時の
様子を知っている4人の町民に聞き取りを行いました。

 このうち、夫の父親が漁船を所有し、船長として竹島に漁に出ていたという吉田はる子さんは(94)「竹島は
土がない石ばかりの島だったということですが、周辺の海は海産物が豊富だったので義理の父からは土産に
どんぶりのように大きな貝をもらったことを覚えています」と話していました。

 また「昭和初期には家の近くに木のオリがあり、竹島から連れて帰ってきた牛のように大きなアシカが入れられていて
『ウオーウオー』と夜中鳴いていました」と当時のようすを語りました。

 竹島問題研究会の委員、忌部正英さんは「竹島を知る人の高齢化が進んでいるので、迅速に調査を行い
竹島は隠岐の人たちの生活の一部であったことを記録に残していきたい」と話していました。

 今回の聞き取りは25日と26日は知夫村で行われることになっています。

NHK NEWS WEB 08月24日 19時01分 (リンク先に動画あり)
http://www3.nhk.or.jp/lnews/matsue/4033712061.html

527名無しさん:2014/08/27(水) 01:28:47
朝日新聞関係者「慰安婦報道以降、一般読者の解約が急増し企業が広告出稿を控える事態。シャレになりません」と顔面蒼白

読売新聞と双璧を成す大新聞の朝日新聞が、窮地に陥っている。

最大の原因は8月5〜6日に掲載された、過去の慰安婦報道の検証記事。

簡単にいえば、慰安婦が「強制連行された」と再三報じてきたが、今になって裏付けが取れず、記事を「取り消す」という内容だ。
これには、普段“お情け”をかける傾向にある同業界の新聞、雑誌も猛反発。
連日「反・朝日」の報道を繰り返している。
中でも威勢がいいのが産経新聞だ。7日には「編集日誌」で乾正人編集長の名前で以下の記事を掲載した。

<さすがは、朝日新聞。と思わずうなりました。5、6の両日にわたって掲載された慰安婦報道の検証記事に、です。
 記者たちは、21年前の小社夕刊(大阪本社版)に載った記事まで引用する取材力を発揮し、
 一部の記事が誤報だったことを(32年の歳月を経てですが)認め、取り消しました。
 ところが、記事の内容とは裏腹に、「おわび」や「訂正」の見出しがひとつも見当たりません。
 これは大変な技術(世間ではごまかし、ともいいます)が必要です。
 そればかりではなく、1面では、社の偉いヒトが「慰安婦問題の本質 直視を」と読者に教え諭してくれています。
 「慰安婦問題」の本質を直視しないといけないのは、とんでもない誤報をした新聞側にあるのに大したものです。
 朝日の読者は、本当に優しいですね>

皮肉以外の何物でもないが、産経の攻勢は続く。
18日付の同紙では先に朝日が報じた福島第一原発事故をめぐる「吉田調書」の内容を完全否定。
吉田調書とは、東日本大震災で福島原発が危機的状況に陥った際の、吉田昌郎所長(享年58)と政府のやりとりを記した極秘文書のこと。
朝日は5月20日付の紙面で「所長命令に違反 原発撤退」というタイトルで、
震災直後の3月15日に第一原発にいた所員の9割に当たる約650人が吉田所長の待機命令に背き、
福島ニ原発に撤退したと報じた。

これに、産経は調書の一部を入手した上で、吉田所長から「退避」は指示されたものの、
朝日新聞の言う「撤退」はなかったと否定した。

朝日はただちに「記事は確かな取材に基づくもので、『事実を曲げて』といった記述は誤りです」と産経に抗議書を送ったが、後の祭り。
ネット上では慰安婦問題に続く“重大誤報”と判断されたようで「また朝日か」「廃業しろ」など厳しい意見が飛んでいる。

朝日新聞の関係者は「慰安婦報道以降、一般読者の解約が急増し、企業が広告出稿を控える事態にもなっている。シャレになりません」と顔面蒼白。
産経が勢いづく理由について、舞台裏を知る関係者は「産経は系列の夕刊フジを含めて、右寄り。
さらに、安倍晋三首相と近い関係にある。官邸から『朝日をこらしめろ!』と指示が出ている可能性はある。

また産経は、ここ数年部数が落ち込んでいた。そこに、朝日の大スキャンダルが発覚。
飛んで火に入る夏の虫とはまさにこのことで、この機に乗じて、朝日の読者を根こそぎ奪ってやろうと考えている」と話す。

産経内では連日、朝日の過去の報道の“怪しい部分”を探しているという。朝日VS産経、軍配はどっちに上がるか――。

http://news.infoseek.co.jp/article/cyzo_20140826_571031

528名無しさん:2014/08/27(水) 01:30:42
 夏休みに合わせて朝日に「従軍慰安婦」大誤報訂正をぶつけられ(?)、夏休み明けの
各誌、その間の切歯扼腕(やくわん)ぶりが伝わってくるような誌面だ。

 『週刊文春』(8月28日号)「朝日新聞よ、恥を知れ!『慰安婦誤報』木村伊量社長が
謝罪を拒んだ夜」

 『週刊新潮』(8月28日秋風月増大号)「全国民をはずかしめた『朝日新聞』七つの大罪」

 『週刊現代』(8/30)「日本人を貶めた朝日新聞の大罪」

 『週刊ポスト』(8・29)「朝日新聞『慰安婦虚報』の『本当の罪』を暴く」

 『フラッシュ』(9・2)「エラいぞ、朝日新聞!(怒)『従軍慰安婦問題』誤報検証を検証する」

 内容は各誌、大同小異。
 唯一『文春』が加藤清隆氏(政治評論家)が最近、本人から聞いた話として木村社長の
肉声を。ある勉強会で加藤氏が「朝日はちゃんと謝った方がいいんじゃないか」と言うと、
木村社長、こう繰り返したという。
 「歴史的事実は変えられない。したがって謝罪する必要はない」
 歴史的事実を朝日がねじ曲げたのではなかったか。

 各誌、記事の結論部分を比較。
 『文春』〈謝罪なき言い逃れや、処分なき責任転嫁を繰り返していては、朝日はいつ
までも新たな一歩を踏み出せないのではないか〉
 『現代』〈自らが残した深い傷跡を自覚してほしいものだ〉
 『週刊ポスト』〈朝日が真に自らの報道を間違っていたと反省しているのかを量るため
には、「検証記事」を出すまでの経緯もきちんと検証するべきだ〉
 『新潮』がいちばん手厳しい。〈朝日が求める《隣国と未来志向の安定した関係を築く》
(5日付朝刊1面)ための早道は、真実よりプロパガンダを優先し、都合が悪ければ
頬かむりする、この詐話師ならぬ詐話紙にご退場いただくことだろう〉

http://sankei.jp.msn.com/life/news/140823/bks14082312050001-n1.htm

529名無しさん:2014/08/27(水) 01:36:05
32年間放置した朝日新聞の死に弔辞を送る 「社会の公器としての役割を終え、どうか安らかにお休みください」

「朝日新聞が死んだ」──8月5日、6日両日の紙面で従軍慰安婦問題について、連日2面にわたる“遺言記事”を掲載し波紋を呼んでいる。
32年前に慰安婦問題の火付け役となった証言を偽証と位置づけ、世紀の大誤報であることをようやく認めたのだ。
日韓関係の悪化に拍車をかけたメディアの死に何を思うのか?

弔辞

まさかこんな形で、朝日新聞が、大マスコミの看板を下ろす日が来るとは思いもよりませんでした。あまりにも急な別れで、言葉もありません。
忘れもしません。8月5日に突然、「慰安婦問題を考える」と題して、慰安婦報道に寄せられたさまざまな疑問の声に答えたのが、最後の言葉でした。
あなたは過去に、“慰安婦問題の先鞭”として、強制連行に直接、携わったという吉田清治氏の証言を、82年9月2日大阪本社版朝刊で紹介しましたね。

「済州島で200人の若い朝鮮人女性を『狩り出した』」
というセンセーショナルな見出しとともに、吉田氏の証言を掲載。トータルで16回にわたって、広く慰安婦問題を世に訴えかけました。

〈(朝鮮)総督府の五十人、あるいは百人の警官と一緒になって村を包囲し、女性を道路に追い出す。木剣を振るって女性を殴り、蹴り、トラックに詰め込む〉
〈吉田さんらが連行した女性は、少なくとも九百五十人はいた〉

こうした発言は世界に発信され、韓国は、今も既成事実として、日本に謝罪と賠償金を求めています。
ところが、この期に及んで、読者に向けてこのように説明しましたね。

〈吉田氏が済州島で慰安婦を強制連行したとする証言は虚偽だと判断し、記事を取り消します。当時、虚偽の証言を見抜けませんでした。
済州島を再取材しましたが、証言を裏付ける話は得られませんでした〉

なぜ32年間も外交問題に発展した発言を検証もせず放置してきたのでしょうか? 理解に苦しみます。
それもこれもあなたの頑固な性格が招いてしまったのかもしれません。90年代には、周囲の指摘に耳を貸さず、「挺身隊」と「慰安婦」の違いを混同したこともありましたね。

〈太平洋戦争に入ると、主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。その人数は8万とも20万ともいわれる〉(92年1月11日付)
これも20年以上が経過してからようやく釈明したのですから、あなたらしいやり方と言えます。

〈女子挺身隊は、戦時下で女性を軍需工場などに動員した『女子勤労挺身隊』を指し、慰安婦とはまったく別です。
当時は、慰安婦問題に関する研究が進んでおらず、記者が参考にした資料などにも慰安婦と挺身隊の混同がみられたことから、誤用しました〉

最後まで謝罪をせずに“誤用”と言い切るのですから、その意固地ぶりには脱帽です。

91年8月11日の朝日新聞大阪本社版では、元朝日新聞の植村隆記者が韓国の支援団体が聞き取りした元慰安婦の体験談を、録音テープを聞いただけで、
「思い出すと今も涙 元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」という“スクープ記事”に仕立て上げたこともありましたね。

かつて「クオリティペーパー」と言われていたあなたの発言は、常に世論をリードしてきました。今でも販売部数760万部を誇り、その影響力は国内外に絶大なものがあります。

あなたがこれまで16回も吉田証言を取り上げたことで、慰安婦問題は韓国でも広く知られるようになり、
韓国政府や慰安婦支援団体は、「天下の朝日新聞」に背中を押されて、「外交問題」として日本に痛烈な抗議を展開しています。

今では韓国内だけではなく、米国にまで慰安婦像が設置され、「日本軍が強制連行して性奴隷にした20万人の婦女子が慰安婦に──」
などという大風呂敷を広げた主張が碑文に盛り込まれ、世界中に喧伝されています。
http://www.excite.co.jp/News/society_g/20140826/Asagei_25764.html

93年には日本軍による強制連行を裏付けるような文書は発見できなかったにもかかわらず、
元慰安婦へのおわびと反省の意を表して、政府は河野談話を発表しました。

96年の国連人権委員会のクマラスワミ報告では、慰安婦制度を「性的奴隷制」と指摘されましたし、
日韓両国の中学歴史教科書にも、「慰安婦強制連行」が書き加えられて、子供たちは日本軍の“非道行為”を学びながら育ちました。

創刊から135年、「社会の公器」としての役割を終え、どうか安らかにお休みください。

合掌

530とはずがたり:2014/08/27(水) 13:27:03
【社説】慰安婦報道撤回 本質は強制連行にない
http://www.kanaloco.jp/article/76014/cms_id/95741
2014.08.10 10:30:00

 朝日新聞が従軍慰安婦の報道の一部が虚報だったと認め、記事を取り消した。それをもって、慰安婦が強制連行されたとの主張の根幹が崩れたと唱える論が横行している。

 「木を見て森を見ず」のような、稚拙な言説である。

 朝日が誤りだったとしたのは「強制連行をした」という吉田清治氏の証言だ。韓国・済州島で朝鮮人女性を無理やりトラックに押し込め、慰安所へ連れて行ったとしていた。

 30年余り前の吉田証言は研究者の間でも信ぴょう性に疑問符が付けられていた。旧日本軍による強制連行を示す証拠は他にある。日本の占領下のインドネシアで起きたスマラン事件の公判記録などがそれだ。だまされて連れて行かれたという元慰安婦の証言も数多い。

 研究者による公文書の発掘は続いており、新たな史料に虚心に向き合わなければ、歴史を論じる資格を手にすることはできないだろう。

 強制連行を否定する主張はさらに、誤った記事により日本がいわれなき非難を受け、不当におとしめられてきたと続く。

 しかし、国際社会から非難されているのは強制連行があったからではない。厳しい視線が向けられているのは、人集めの際の強制性のいかんに焦点を置くことで問題の本質から目を背け、歴史の責任を矮小(わいしょう)化しようとする態度にである。

 問題の本質は、女性たちが戦地で日本軍将兵に性的行為を強要されたことにある。慰安をしたのではなく性暴力を受けた。兵士の性病まん延防止と性欲処理の道具にされた。その制度づくりから管理運営に軍が関与していた。それは日本の植民地支配、侵略戦争という大きな枠組みの中で行われたものであった。

 歴史認識の問題が突き付けるのは、この国が過去と向き合ってこなかった69年という歳月の重みだ。国家として真(しん)摯(し)な謝罪と反省の機会をついぞ持たず、歴史修正主義を唱える政治家が主流になるに至った。

 朝日が撤回した記事について、自民党の石破茂幹事長は「国民も非常に苦しみ、国際問題にもなった」と、その責任に言及し、国会での検証さえ示唆した。過去の国家犯罪の実態を明らかにし、被害国と向き合う政治の責任を放棄し続ける自らを省みることなく、である。国際社会の非難と軽蔑を招く倒錯は二重になされようとしている。

【神奈川新聞】

531とはずがたり:2014/08/27(水) 14:12:12
「自虐的」頓挫した平和祈念館 寄贈の戦争資料さまよう
http://www.asahi.com/articles/ASG8964H4G89UTIL024.html?iref=com_alist_6_01
佐藤純、吉浜織恵2014年8月13日13時46分

 5千点もの戦争資料が、東京都心の倉庫で眠ったままになっている。将来つくる平和祈念館のためにと、都が約15年前に市民から寄贈を募ったが、建設構想は頓挫。多くの提供者が、思い出の品を見ることも、見てもらうこともできぬまま、年齢を重ねている。

 港区白金台。

 都庭園美術館の敷地を進むと、1933(昭和8)年に建てられた旧朝香宮(あさかのみや)邸がある。その裏手、2階建ての倉庫の中で、資料は桐(きり)の箱に仕分けられ、保存されているという。

 「金庫で焼け残った目覚まし時計」「無事を喜ぶ手紙」「機銃掃射を受けた時に着ていた胴衣」

 絵画や日記、軍の内部資料とみられる文書なども含め、計5040点に上る。

 きっかけは平和祈念館の建設構想だった。都は戦時中の資料提供を広く呼びかけ、97〜00年度に281人から3492点の寄贈を受けた。さらに独自に1548点を購入した。

 だが構想がつまずき、資料は行き場を失った。当初は墨田区の江戸東京博物館で保管していたが、06年度にいまの場所へ。都生活文化局文化事業課の松下裕子課長によると、倉庫内の温度や湿度を管理する専門設備はないが、学芸員が随時、点検しているという。

532名無しさん:2014/08/27(水) 14:27:16
私は米国に住んで40年になりますが、ここ数年ほど「日本の危機」を感じたことがありません。
その1つが、韓国系団体によって、全米各地に慰安婦の碑や像が建てられていることです。

カリフォルニア州フラトン市議会で先週19日、日本政府に慰安婦問題での謝罪を求める決議が可決されました。
韓国系団体が提案したもので、慰安婦の碑の設置も提案されました。また、現地の日本人、日系人が罵(ののし)られ、つらい思いをするのでしょうか。

この根拠になっているのは、日本政府に慰安婦への謝罪を求めた2007年の米下院121号決議です。
これは韓国・中国ロビーから支援を受けるマイク・ホンダ下院議員が提出したもので、彼がよりどころにしたのが朝日新聞です。

朝日は5日、慰安婦報道の大誤報を認めました。その後、批判されて22日にようやく英文での訂正記事をHPに掲載しましたが、
それだけでは不十分です。中国人や韓国人の中には、英語を解さない人もいます。

中国語や韓国語、ロシア語やフランス語などで、朝日には慰安婦報道の大誤報を説明し、日本の国益を損ね、日本人を貶めてきた事実を謝罪してほしい。
そうすれば、どれだけ在外邦人が救われることでしょうか。

大誤報によって刷りこまれた日本や日本人のイメージを元に戻すことは困難です。
朝日は32年間も大誤報を放置し続けたため、日本人に対する悪い印象は消し去ることは難しくなっています。

実際、朝日の誤報記事は、米国でまだ「事実」として扱われています。先のフラトン市で開かれた公聴会でも、
韓国系住民が「朝日新聞も慰安婦の悲劇を認めている」と発言していました。誤報記事はまだ「生きて」おり、利用されています。

韓国系団体が求める碑文については、さすがに同市市長が「文面を中立にすべきだ」という意見を出しました。
これは現地の日本人や日系人が努力を重ねてきた結果です。とりわけ、若いお母さんたちが高い関心を持っており、公聴会にも出席して真剣に議事の進行を見守っていました。

彼女たちは、自分の子供が「忌まわしい日本人の子孫」として、イジメられ、危害を加えられるかもしれないと心配しているのです。
私たちの身辺には、それほど大きな恐怖があるのです。

このような現状を、朝日の木村伊量(ただかず)社長や社員の方々は分かっているのでしょうか。
「自分の子供、孫が米国に住んでいたら…」と想像しないのでしょうか。自社の責任を感じているのでしょうか。

朝日がまっとうな報道機関であり、報道機関の役割が「真実を伝えること」と理解しているなら、世界の隅々まで誤解を解く努力をしてほしい。
在外邦人たちはそれを切に願っています。
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20140827/dms1408271140005-n1.htm

533名無しさん:2014/08/27(水) 14:31:21
朝日新聞の元ソウル特派員が真実を告発 「そもそも強制連行の証言者はいなかった」

朝日新聞が8月5日付朝刊で、過去の慰安婦問題報道についての一部「誤報」を認めたが、
そうした中で「そもそも強制連行の証言者はいなかった」と語るのは、
慰安婦報道真っ盛りの1990年代に朝日新聞のソウル特派員だった、ジャーナリストの前川惠司氏だ。

新刊『朝日新聞元ソウル特派員が見た「慰安婦虚報」の真実』(小学館)を上梓したばかりの前川氏が、「当事者」として初めての告発をする。

私は、ソウルで伝手を総動員して、60歳を超えた人たちに、「身近な人で慰安婦にされた人はいるか。
当時住んでいた村とか町で、日本兵や日本の警察官に無理やり連れて行かれた娘がいたか。そんな噂を聞いたことがあるか」と、尋ね回った。
訪ねて行った先は、友人のお母さんから新聞社幹部、元軍人、大学教授など様々で相当の人数になったが、私の質問にうなずいた人はいなかった。

ある人はこう言った。

「無理やり娘を日本人がさらったりしたら、暴動が起きましたよ」

別の人が言った。

「酒一升のために娘を売る親はたくさんいました。街の女郎屋に売ったら、娘が稼ぎを渡されるか分からなかった。
軍絡みの所なら、稼ぎはちゃんともらえる。だから軍隊の方に売ったのです。売った先が軍の慰安所というのは、せめてもの親心だったのです」

日本軍の元将校だった人に、戦場の慰安婦はどうだったかも聞いた。

彼は、「敗戦後の南方戦線から釜山港への引揚船の甲板にテントを張って、彼女たちは商売をしていました。その根性に圧倒されました」と、自宅で振り返った。

この人たちの証言は、私の従軍慰安婦問題を考えるときの物差しの一つになった。
声高には叫ばなかったものの、そんな私の見方は、親しい同僚らとの打ち解けた席ではおりに触れ、話していたものだった。

ソウルで、おばあさんたちのデモに合わせて歩いていると、会社名の入った茶封筒を抱いた若い女性が眺めていた。
気持ちを尋ねてみると、「可哀想だと思う。でも、昔のことだから。そういうことがあった時代だったから」という答えが返ってきた。
そうだろうなと思った。沿道でデモを眺める人は少なかった。

強制性を認めたとされる、1993年8月4日の「河野洋平官房長官談話」よりかなり前の話だが、
日本の外務省にあたる韓国の省庁に行くと日本担当幹部は、「これはねぇ、日本にとって恥ずかしいことだろうが、韓国にとっても恥ずかしい話なのですよ」と、頭を抱えていた。

同胞の女性が従軍慰安婦だったことが、韓国の国家イメージ上昇につながるはずはないとの、当たり前の感覚だった。

従軍慰安婦報道の特徴の一つは、当事者の元従軍慰安婦のおばあさんがいるソウルに駐在している記者が、
おばあさんの証言などを細かく伝えるような記事をそれほど書いていないことだろう。

ほとんどは【東京発】か【大阪発】であったように思う。それが、従軍慰安婦報道の軌跡を方向づけたと言えるかもしれない。
http://www.news-postseven.com/archives/20140827_272961.html

534名無しさん:2014/08/27(水) 14:33:41
朝日新聞・編集担当の杉浦信之氏が検証記事(5日)で書いた、「私たちは元慰安婦の証言や少ない資料をもとに記事を書き続けました。
そうして報じた記事の一部に、事実関係の誤りがあったことがわかりました」という文面を読み、私は一瞬、朝日の勇気と良識に敬意を表したい、
という気持ちを抱いた。朝日が自らの過ちを自白することで、日韓両国を32年に渡って関係を悪化させてきた問題の源が消えたと思ったからだ。

ところが、続く文章を読んで愕然とした。そこには、「問題の全体像がわからない段階で起きた誤りですが、
裏付け取材が不十分だった点は反省します。似たような誤りは当時、国内の他のメディアや韓国メディアの記事にもありました」とあった。

この文章からは全く誠意も反省も感じられない。

私は、朝日の誤報によって韓国のナショナリズムを刺激し、日本の世論を二分し、世界中で日本と日本人のイメージを傷つけ、
読者を欺いてきたことを、読者や国民、国家に謝罪する文章が続くことを想像していた。

他社もやっていたから…という開き直りとも思える文章は、嘘を上塗りするものだ。真実を公正に伝える義務がある新聞社としては、世界から軽蔑されておかしくない。
見苦しい弁明である。

朝日は日本を代表する新聞社だ。もし、日本以外の民主主義国家で同じような「誤報」があったら、
重大事件として世論はもっと大騒ぎする。読者は購読を辞め、企業は広告を打ち切るだろう。

私は、朝日と国会に対し、次のことを提案したい。

第1に、朝日は、国民をだまし続けてきたことを率直に認めて、すべての真相と謝罪の意を、自社の紙面だけでなく、
他の国内メディアにも発表すべきである。今回の誤報は一部とはいえ、新聞社として重大な過ちである。

第2に、朝日は、海外メディアに対して、誤報の訂正と自国のイメージを著しく傷つけたことへの反省の記者会見を行うべきである。
誤報を根拠として発展した慰安婦問題の重大性と深刻性を認識すべきだ。

第3に、国会は調査委員会を設置して、朝日の誤報と、河野洋平官房長官談話の関係などを、徹底的に解明すべきである。
話が誤報から生まれて、「慰安婦=性奴隷」「日本=悪」といった汚名が広がったとすれば大問題だ。
韓国や中国も彼らの主張に自信があれば、日本の再調査を恐れる必要はないはずだ。

■ペマ・ギャルポ 国際政治学者。
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20140826/dms1408261140003-n1.htm

535名無しさん:2014/08/27(水) 23:45:06
元朝日記者が書く「従軍慰安婦虚報」の書籍が発売開始

2014年08月27日 13時11分
提供:アメーバニュース/政治・社会

 27日、『朝日新聞元ソウル特派員が見た「慰安婦虚報」の真実』という書籍が発売された。これ
は、朝日新聞元ソウル特派員でジャーナリストの前川惠司氏が執筆したもの。

 朝日は8月5日に過去の慰安婦報道の一部を取り消した。同氏はその日に発売された雑誌・SAP
IOで朝日報道について言及。従軍慰安婦報道の根拠となった吉田清治氏の嘘について言及した。

 そして、今回の『朝日新聞元ソウル特派員が見た「慰安婦虚報」の真実』では、同氏が実際に韓国
で体験したことや吉田氏との接触と証言がコロコロ変わることなどについても言及。慰安婦報道の検
証に加え、韓国の文化についても分析した。そして、日本が世界にこの件をどう訴えるべきかを提言
している。

 終章では日本が政府レベルですべきことについて「完全にプライバシーを守れる環境のなかで生存
者の聞き取りを徹底的に行ない、河野談話に絡んで聞き取った16人の内容を含めて、彼女らが記憶
する場所や時間など、ひとつひとつ裏付け調査し、その結果を韓国政府と一緒に、世界に向けて公表
することだ。亡くなったおばあさんには肉親からでも、できるだけ聞くべきだ。真相究明を訴えてき
た韓国政府が、協力を断るはずはないだろう」と提言している。

 同書の担当編集者は「韓国に詳しい元朝日の記者だからこそ書けた本だと思います」と自信を見せる。

http://yukan-news.ameba.jp/20140827-15509/

536とはずがたり:2014/09/04(木) 09:43:40

中曽根元首相が慰安所開設の証拠
中曽根元首相が「土人女を集め慰安所開設」! 防衛省に戦時記録が
http://lite-ra.com/2014/08/post-413.html
2014.08.29


 朝日新聞の慰安婦訂正記事で右派陣営が勢いづいている。「朝日は責任をとれ!」と気勢をあげているのはもちろん、自民党の政務調査会議は河野談話も朝日報道が前提だとして「河野談話を撤回し、新たな官房長官談話を!」とぶちあげた。また、同党の議連では朝日新聞関係者、さらに当時の河野洋平元官房長を国会に招致して聴取すべき、という意見までとび出している。
 
 だが、朝日や河野洋平氏を聴取するなら、もっと先に国会に呼ぶべき人物がいる。それは第71代日本国内閣総理大臣の中曽根康弘だ。
 
 大勲位まで受章した元首相をなぜ従軍慰安婦問題で審訊しなければならないのか。それは先の大戦で海軍主計士官(将校)の地位にあった中曽根元首相が、自ら慰安所の設置に積極的に関わり、慰安婦の調達までしていたからだ。
 何かというと左翼のでっちあげとわめきたてて自分たちを正当化しようとする保守派やネトウヨのみなさんには申し訳ないが、これは捏造でも推測でもない。中曽根元首相は自分の“手記”の中で自らこの事実を書いており、しかも、防衛省にそれを裏付ける戦時資料が存在していたのだ。そこには、部隊の隊員によるこんな文言が書かれていた。
「主計長の取計で土人女を集め慰安所を開設」
 まず、“手記”の話からいこう。中曽根が慰安所設立の事実を書いたのは『終りなき海軍』(松浦敬紀・編/文化放送開発センター/1978)。同書は戦中海軍に所属し、戦後各界で活躍した成功者たちが思い出話を語った本だが、その中で、海軍主計士官だった中曽根も文章を寄稿していた。
 タイトルは「二十三歳で三千人の総指揮官」。当時、インドネシアの設営部隊の主計長だった中曽根が、荒ぶる部下たちを引き連れながら、いかに人心掌握し戦場を乗り切ったかという自慢話だが、その中にこんな一文があったのだ。
「三千人からの大部隊だ。やがて、原住民の女を襲うものやバクチにふけるものも出てきた。そんなかれらのために、私は苦心して、慰安所をつくってやったこともある。かれらは、ちょうど、たらいのなかにひしめくイモであった。卑屈なところもあるし、ずるい面もあった。そして、私自身、そのイモの一つとして、ゴシゴシともまれてきたのである」
 おそらく当時、中曽根は後に慰安婦が問題になるなんてまったく想像していなかったのだろう。その重大性に気づかず、自慢話として得々と「原住民の女を襲う」部下のために「苦心して、慰安所をつくってやった」と書いていたのだ。
 ところが、それから30年たって、この記述が問題になる。2007年3月23日、中曽根が日本外国特派員協会で会見をした際、アメリカの新聞社の特派員からこの記載を追及されたのだ。

 このとき、中曽根元首相は「旧海軍時代に慰安所をつくった記憶はない」「事実と違う。海軍の工員の休憩と娯楽の施設をつくってほしいということだったので作ってやった」「具体的なことは知らない」と完全否定している。
 だが、これは明らかに嘘、ごまかしである。そもそもたんなる休憩や娯楽のための施設なら、「苦心」する必要があるとは思えないし、中曽根元首相の弁明通りなら、『終りなき海軍』の“手記”のほうがデタラメということになってしまう。だが、同書の編者である松浦敬紀はその10年ほど前、「フライデー」の取材に「中曽根さん本人が原稿を2本かいてきて、どちらかを採用してくれと送ってきた」「本にする段階で本人もゲラのチェックをしている」と明言しているのだ。
 いや、そんなことよりなにより、中曽根元首相の慰安所開設には、冒頭に書いたように、客観的な証拠が存在する。

537とはずがたり:2014/09/04(木) 09:44:03
>>536-537

 国家機関である防衛省のシンクタンク・防衛研究所の戦史研究センター。戦史資料の編纂・管理や、調査研究を行っている研究機関だが、そこにその証拠資料があった。
 資料名は「海軍航空基地第2設営班資料」(以下、「2設営班資料」)。第2設営班とは、中曽根が当時、主計長を務めていた海軍設営班矢部班のことで、飛行場設営を目的にダバオ(フィリピン)、タラカン(インドネシア)を経てバリクパパン(インドネシア)に転戦した部隊だが、この資料は同部隊の工営長だった宮地米三氏がそれを記録し、寄贈。同センターが歴史的価値のある資料として保存していたものだ。
 
 本サイトは今回、同センターでその「第2設営班資料」を閲覧し、コピーを入手した。
 宮地氏の自筆で書かれたと思われるその資料にはまず、「第二設営班 矢部部隊」という表題の後、「一 編制」という項目があり、幹部の名前が列挙されていた。すると、そこには「主計長 海軍主計中尉 中曽根康弘」という記載。そして、資料を読み進めていくと、「5、設営後の状況」という項目にこんな記録が載っていたのだ。
「バリクパパンでは◯(判読不可)場の整備一応完了して、攻撃機による蘭印作戦が始まると工員連中ゆるみが出た風で又日本出港の際約二ヶ月の旨申し渡しありし為皈(ママ)心矢の如く気荒くなり日本人同志けんか等起る様になる
 主計長の取計で土人女を集め慰安所を開設気持の緩和に非常に効果ありたり」
 さらに「第2設営班資料」のなかには、慰安所設置を指し示す証拠となる、宮地氏の残したものと思われる手書きの地図も存在していた。

 それはバリクパパン「上陸時」の様子(昭和17年1月24日)と、設営「完了時」の様子(17年1月24日〜同年3月24日)を表す2点の地図資料だ。バリクパパン市街から約20km地点のこの地図から、中曽根たちが設営したと思われるマンガル飛行場滑走路のそばを流れるマンガル河を中心に民家が点在し、またマンガル河から離れた場所に民家が一軒だけポツリと孤立していることがわかる。
 そして2つの地図を見比べてみると、“ある変化”があることに気づく。「上陸時」から「完了時」の地図の変化のひとつとして、その孤立した民家の周辺に、設営班が便所をおいたことが記されている。さらにその場所には「上陸時」にはなかった「設営班慰安所」との記載が書き加えられている。
 つまり、上陸時に民家だった場所を日本軍が接収し、「設営班慰安所」に変えてしまったと思われるのだ。 
 もはや言い逃れのしようはないだろう。「主計長 海軍主計中尉 中曽根康弘」「主計長の取計で土人女を集め慰安所を開設」という記載。それを裏付ける地図。中曽根元首相が自分で手記に書いたこととぴったり符号するではないか。
 しかも、「土人女を集め」という表現を読む限り、中曽根主計長が命じて、現地で女性を調達したとしか考えられないのである。
 実際、インドネシアでは多くの女性が慰安婦として働かされており、彼女たちは日本軍に命じられた村の役人の方針で、どんなことをさせられるのかもしらないまま日本兵の引率のもと連れ去られたことを証言している。そして、年端も行かない女性達がいきなり慰安所で複数の日本兵に犯されたという悲惨な体験が語られ、その中にはこのパリクパパンの慰安所に連れてこられたという女性もいる。
 
 つまり、中曽根首相がこうした“強制連行”に関与していた可能性も十分あるのだ。
 朝日新聞の訂正で勢いづいた保守・右派勢力は銃剣を突きつけて連行したという吉田証言が虚偽だったという一事をもって、強制連行そのものを否定しようとしている。さらには従軍慰安婦への軍の関与そのものを否定するかのような虚偽を平気でふりまいている。
 しかし、もし、強制連行はない、軍の関与もないといいはるならここはやはり、「土人女を集め」たという元主計長・中曽根康弘を国会に喚問して、どう「集め」たのか、「苦心」とはなんだったのか証言させるべきではないのか。一メディアの誤報をあげつらうより、そのほうがはるかに「歴史の検証」になると思うのだが、いかがだろう。
(エンジョウトオル)

538チバQ:2014/09/09(火) 21:17:42
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140909-00000017-jij-soci
2度の「聖断」で大戦終結=「国体も国家もなくなる」―終戦・昭和天皇実録
時事通信 9月9日(火)5時37分配信

 米国は1945年8月6日に広島、同9日に長崎に原爆を投下。そしてソ連が突如、対日参戦した。昭和天皇の2度の「聖断」により、日本はポツダム宣言を受諾し終戦に至ったが、戦争継続を求める陸軍との攻防が最後まで続いた。
 8月10日午前0時すぎ、昭和天皇は皇居・吹上御苑内の防空施設「御文庫」付属室で開催された御前会議に出席。ポツダム宣言受諾の条件をめぐって意見が分かれ、鈴木貫太郎首相が「聖断」を求めた。昭和天皇は「人民を破局より救い、世界人類の幸福のため(国体護持のみを条件とする)外相案にてポツダム宣言受諾を決心した」と述べ、午前9時、連合国側に伝えられた。
 これに対する米国側の回答をめぐり、政府と軍部で再び議論が続いた。昭和天皇は14日午前11時すぎ、御前会議に姿を見せ、鈴木首相は改めて「聖断」を求めた。
 昭和天皇は「戦争を継続すれば国体も国家の将来もなくなる。即時停戦すれば将来発展の根基は残る」と述べ、終戦の詔書を自らラジオ放送すると提案。午後11時、ポツダム宣言受諾が米国に伝えられた。
 放送の録音は午後11時25分から、宮内省の内廷庁舎「御政務室」で行われた。録音盤は侍従職事務官室の軽金庫に収納された。
 同日夜から翌朝にかけ、「聖断」撤回を求めた一部の陸軍将校がクーデターを決行。近衛第1師団長を殺害して偽の命令を出し、皇居内に侵入した。通信施設などを占拠して録音盤や御璽などを捜したが発見できず、朝には鎮圧された。目覚めて報告を受けた昭和天皇は、事件の発生を嘆いた。
 昭和天皇は15日午前11時20分、御文庫付属室で枢密院会議に出席。同50分、会議場に隣接する「御休所」に移り、正午から、前夜録音したラジオ放送を聞いた。平沼騏一郎枢密院議長ら会議参列者は、御休所外の廊下に整列し放送を聞いていた。

539とはずがたり:2014/09/21(日) 19:23:33

開戦前夜 「なと波風のたちさわくらむ」 御製読まれ暫時の沈黙
http://sankei.jp.msn.com/life/news/140921/imp14092111040001-n1.htm
2014.9.21 11:04

 《会議のまさに終了せんとする時、天皇より御発言あり。(中略)天皇は、毎日拝誦(はいしょう)されている明治天皇の御製(ぎょせい)「よもの海みなはらからと思ふ世になと波風のたちさわくらむ」が記された紙片を懐中より取り出し、これを読み上げられ、(陸海)両統帥部長の意向を質(ただ)される。満座は暫時沈黙の後、軍令部総長は、(第一に外交努力を尽くすとした)枢密院議長の発言の趣旨と同じ考えであり、(中略)参謀総長よりも軍令部総長の発言と全然同じである旨の奉答あり》

 対米開戦の準備方針などを決めた昭和16年9月6日の御前会議。昭和天皇実録には、軍靴の響きを高める陸海軍を何とか抑えようとする昭和天皇の姿が、克明に記されている。

 その前日、(1)自衛のため10月下旬をめどに戦争準備を完成する(2)外交手段を尽くして日本の要求を英米に認めさせる−とした「帝国国策遂行要領」の報告を受けた昭和天皇は、(1)と(2)の順序を入れ替えるよう要求。急きょ参内(さんだい)した杉山元参謀総長らを叱責した。

 《参謀総長より(中略)南方作戦は約五箇(か)月にて終了の見込みである旨を奉答するも、天皇は納得されず、(中略)支那事変当初、(杉山は)陸相として連戦即決と述べたにもかかわらず、未(いま)だに事変は継続している点を御指摘になる。参謀総長より、支那の奥地が広大であること等につき釈明するや、天皇は支那の奥地広しというも、太平洋はさらに広し(中略)と論難(ろんなん)され、強き御言葉を以(もっ)て参謀総長を御叱責になる》(同年9月5日)

 天皇の要求もむなしく、翌日の御前会議で同要領は原案通り決定された。この時の昭和天皇の思いは、明治天皇の御製を読んだ冒頭の場面からうかがえる。

 この御前会議の決定を、覆した人物がいる。開戦時の首相、東条英機だ。同年10月18日の組閣の際、天皇の意向に従い、同要綱を白紙に戻してぎりぎりまで外交交渉に努めた。

 開戦の最大の責任者とされた東条を、昭和天皇はあまり批判しなかった。そこにはこうした経緯もあったようだ。

540とはずがたり:2015/01/03(土) 17:06:18
こんなことがあったのか。

スエズ危機の教訓、ロシアがIMF支援を求めない理由
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141222-00000004-bloom_st-bus_all&pos=3
Bloomberg 2014年12月22日(月)7時0分配信

  (ブルームバーグ):軍事進攻が米国の逆鱗(げきりん)に触れ、通貨防衛で準備は枯渇し、ついに国際通貨基金(IMF)に支援を要請することになった。

21世紀の世界地図に描かれたロシアの青写真ではない。1956年に英国が残した足跡だ。衝突の地はウクライナではなく、スエズ運河だった。

IMF融資はロシアが入り込んでしまった金融海峡を抜け出すための明白な手段だが、プーチン大統領は当面これを求めない、求めたくてもできないのは歴史が物語っている。当時も今も、IMF融資には米国の拒否権という不吉な影が差しているからだ。

「IMFに関与を求めるべき状況に至っている」と指摘するのは、メリーランド大学のフィリップ・スウェイゲル教授。IMFと米財務省での勤務歴がある同教授は、「ロシアは助けを必要としているが、プーチン大統領が助けを求める図は想像しにくい。そんなことをすれば屈服したも同然と考えるだろう。それにロシアが支援を要請すれば、米国はそれをレバレッジとして利用する可能性がある」と分析した。

約60年前に当時のアイゼンハワー米大統領が取った行動が、まさにそうだった。

世界貿易のライフラインであったスエズ運河をエジプトのナセル大統領が強引に国有化し、同運河を運営していた企業連合を追い出した後、英国は1956年、フランスを引き連れてイスラエルに加勢し、エジプトに侵攻した。

スエズ危機、ポンド危機

ポンドが投機家の攻撃を受け、英国は窮地に追い込まれた。イングランド銀行(英中央銀行)は自国通貨の防衛で準備を取り崩すしかなかった。

英国にとって「スエズ危機は金融危機でもあった」と、IMFの歴史に詳しいジェイムズ・M・バウトン氏は2001年の研究で指摘した。

ポンド切り下げを回避するために最低限必要とされる20億ドルの準備の維持が困難をきたし、英国は助け舟を探し始めた。米国からの直接援助はなさそうだと判断し、創立から約10年のIMFに目を向けた。

英国の望みはかなえられなかった。ジョージ・ハンフリー米財務長官は英国に対し、IMFの枠組みの中でしか支援はしないと言い放った。当時のIMFは「米国に抵抗するどころか、米国寄りの姿勢にあった」。

エジプト撤退、ルーブル急降下

準備が20億ドルを割り込みそうになった英国はついに折れ、エジプトからの軍撤退を発表した。これによって13億ドルの融資を受けられるようになり、ポンドは救済された。

バウトン氏によれば、「英国が金融支援を必要としていた状況は、米国にこれ以上望みようのないレバレッジを与えた」。

今も同じことが言えるだろうか。

ウクライナに対するロシアの関与が国際的な制裁を招き、これに原油価格の急落が重なり、通貨ルーブルは急降下した。2013年末に4700億ドルあった外貨準備からは、約1000億ドルが消えた。

ブリュッセルの調査グループ、リスボン・カウンシルのチーフエコノミスト、アレッサンドロ・ライポルド氏は「IMFが関与する経済状況と政治的な現実の二つは、全く相いれないものだ」と指摘する。元IMF当局者でもある同氏は、「経済的ケースは昔から新興国にはよくあることで、教科書通りと言っても過言ではない。しかしこれがすぐに起きる政治的なリアリティというのは実際のところ、ゼロに等しい」と述べた。

原題:Cold War-Era Lesson of Suez Crisis as Russia Burns Through Cash(抜粋)

541とはずがたり:2015/01/12(月) 09:14:38

旧ソ連から帰国したがなじめず、2人が永住断念
http://www.yomiuri.co.jp/national/20150101-OYT1T50078.html?from=ycont_navr_os
2015年01月02日 14時54分

 第2次世界大戦末期、旧ソ連侵攻後にシベリアなどに抑留され帰国できなかったり、戦後も樺太(現サハリン)に残ったりして、ソ連崩壊の1991年度以降に永住帰国を果たした邦人のうち、少なくとも2人が旧ソ連やサハリンに戻っていたことが、読売新聞の取材でわかった。


 高齢で日本の生活になじめないことなどが理由で、戦後70年近くがたち、帰国した邦人支援の在り方が課題になっている。

 45年8月9日、旧ソ連は満州(現中国東北部)や日本領だった南樺太などに侵攻し、計約60万人を抑留。多くは日ソの国交が回復した56年までに帰国したが、帰国の手段がなかったり、現地にできた家族の事情があったりして、残留を余儀なくされる人もいた。

 厚生労働省によると、91年まで同国内に残っていた邦人のうち、これまでに計108人(サハリン85人、旧ソ連本土23人)が政府の支援などで永住帰国した。

 樺太生まれで60年以上、旧ソ連・カザフスタンで過ごした阿彦哲郎さん(84)は、現地で結婚した妻(78)と2012年から札幌市に住んだが、昨年6月、同国に戻った。同12月、現地で読売新聞の取材に「湿気の多い日本の気候が合わなかった」などと語ったが、知人の一人は「日本語を話せない奥さんが、生活になじめなかったのが原因では」と話す。

 また、残留邦人の帰国を支援する「日本サハリン協会」(東京)によると、04年にサハリンから北海道函館市に永住帰国した女性(97)も、近所にいた別の永住帰国者が亡くなるなどして孤独感を募らせ、13年、親族のいるサハリンに戻ったという。

 厚労省では、永住帰国した残留邦人がその後、旧ソ連領内に戻ったケースについて統計がないという。

 同協会の斎藤弘美会長は、「高齢でも永住帰国を願う残留邦人は多いが、頼れる日本の親戚は高齢化し、生活環境への適応も難しいのが現実。日本にずっと住めるよう支援を見直す時期に来ている」と指摘している。

2015年01月02日 14時54分

542名無しさん:2015/02/11(水) 13:28:01
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150210-00000558-san-pol
日本総領事館が米教科書執筆者に「事実誤認」指摘 「言論の自由侵害された」ハワイ大准教授主張
産経新聞 2月10日(火)19時33分配信

 【ワシントン=加納宏幸】米国の公立高校で使用されている世界史の教科書に「旧日本軍による慰安婦強制連行」など事実と異なる記述がある問題で、ハワイ州ホノルルの日本総領事館は9日、教科書の共著者のハーバート・ジーグラー・ハワイ大学准教授に対し、事実誤認を指摘するなどの申し入れを昨年12月に行ったことを明らかにした。

 申し入れについて報じた9日の米紙ワシントン・ポスト(電子版)によると、ジーグラー氏は日本政府から接触を受けたことを明かし、「私の言論と学問の自由を侵害した」と批判した。昨年暮れに日本総領事館の職員から教科書の記述について協議したいとの申し出があり、これを断ったが、2人の職員が大学を訪れ、教科書の文章を削除するよう求めたとしている。

 一方、日本総領事館は9日、産経新聞の取材に対し、ジーグラー氏とのやり取りの詳細は明かせないとしながらも「昨年12月に慰安婦問題に関して執筆者に申し入れを行い、事実誤認や、わが国の立場と相いれない部分が存在することを指摘した」と述べた。

 米歴史学者19人が発表した、教科書に関する「いかなる修正にも応じない」との声明をまとめたコネティカット大のアレクシス・ダデン教授もポスト紙に「声明は日本たたきではなく、日本の仲間を支援するためのものだ」と述べた。

 記事は、慰安婦問題で日本政府の責任を追及する吉見義明・中央大教授の研究が声明の根拠になっていると紹介。教科書を出版した米大手教育出版社マグロウヒルが「記述は史的事実に基づく」として修正を拒否したことも伝えている。

543名無しさん:2015/02/11(水) 17:26:22
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2015021100237
日中韓の歴史修正主義に懸念=アジアの将来は多極化-米専門家

10日、ニューヨークで時事通信のインタビューに答える米外交評議会のシーラ・スミス上級研究員
 【ニューヨーク時事】米国の有力シンクタンク、外交評議会のシーラ・スミス上級研究員(日本担当)は10日、時事通信とのインタビューで、日中韓とも歴史を見直そうとする「修正主義者」(リビジョニスト)であり、米政府は「日米の利益に合わない状況が北東アジアに生まれる恐れ」を強く感じていると語った。安倍晋三首相が発表する戦後70年談話に関しては、村山富市首相談話を継承すべきだとの考えを示した。主な発言は次の通り。
-米国は東アジアの歴史論争をどうみているか。
 歴史問題には、危険なため触れてはならない側面がある。日本の政治指導者が過去をどう考え、それが近隣諸国との関係に与える影響をどう考えるかを、米国人は問題にしている。戦争の記憶の問題は中国にも韓国にもある。3国とも歴史修正主義であり、それを声高に語る指導者を持つ。
 背景には力のバランスの変化がある。現状に不満を抱き、異なるバランスへの希求は極めて強い。歴史問題のため、米国と日本の利益にならない状況が北東アジアにつくりだされるかもしれない。それを米政府は強く感じている。
-戦後70年談話への期待は。
 安倍氏は(過去の)謝罪の基礎から離れたがっているように見える。村山談話が今でも尊重されるのは、日本の深い反省を直接に認めたからで、これを原則の一つとすべきだ。70年談話で日本の将来像をどう描くかに関心が高いが、村山談話を放棄するのは誤りだ。ただ、(慰安婦問題に関する)河野洋平官房長官談話の扱いは難問になるだろう。
-中国がアジア新秩序づくりに乗りだした。
 中国がどこに行くのか、まだわからない。経済的にダイナミックな巨大な国だが、将来アジアが中国中心になると思い込む必要はない。周りには日本、インドネシア、マレーシアなど活力あふれる国が多い。アジアは一つの重心ではなく、複数の重心を持つことになるだろう。米国もこの活力ある社会の一員となるべきであり、それがアジアの将来にとっても重要だ。 (2015/02/11-14:22)

544名無しさん:2015/02/15(日) 20:04:12
法学論集スレ、中華スレ、警察スレ、差別スレに跨りそうなこの話題。
後半部分が残留邦人中心だったのでこのスレへ書き込んでみます。

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150215-00043615-playboyz-soci
“半グレ”として語られる犯罪集団「怒羅権(チャイニーズ・ドラゴン)」の有名無実化した存在とは
週プレNEWS 2月15日(日)6時0分配信

正直、よくわからない…というのが実情だろう。限りなく暴力団に近い犯罪組織=半グレとして語られる「怒羅権(チャイニーズ・ドラゴン)」。

中国残留邦人2世、3世という出自からメディアは彼らを「日本社会への怒り」と「差別への憤(いきどお)り」が生んだ“悪”として紋切り型に報じることが多かった。

しかし、その里帰りを密着する中でまったく別の顔が確かに見えてきた。常軌を逸するような凶悪犯罪の根っこにあるものとは?

■関東連合と怒羅権

「府中の不良にTという奴がいるんですが、怒羅権らしいんですよ。別に中国人じゃないんですけどね。川崎のM、知っているでしょ? あいつ、去年からいなくなったじゃないですか。

“飛んだ”って言われていますけど、そうじゃなくて。Tのグループにバラされて、青梅の山の中に埋められちゃったみたいなんです。これ、ヤバイ話なんで週刊誌でもいけると思います。全然書いてもらって構わないので。ちょっとTの素性を調べてもらえませんか?」

新宿の喫茶店で、ブローカーが言った。「取材の足しに」と続けて、5万円入りの封筒を差し出してきたので、金主付きの依頼なのだろう。僕は私立探偵ではないので封筒は断り、「詳しい筋に尋ねてみます」とだけ答えた。

彼のようなロートルのブローカーが現金を差し出してくるのは珍しく、与太話(よたばなし)ではないと思ったが、その府中のTなる男が怒羅権だという話は信じなかった。

週刊誌の世界では、定期的に「魔法の言葉」が入れ替わる。毎週、ネタ出しを迫られる週刊誌記者を使って、別の情報を集めたいと目論(もくろ)む人々は、まったく関係のない人物に「魔法の言葉」を塗(まぶ)すことで、記者をタダ働きさせようとする。古びることなく使われているスパイスは「内調」と「公安」で、この10年ほど流行っているのが「怒羅権」と「関東連合」だ。

「なぜ、フジノさんが関東連合ではなく、怒羅権に興味を持ったのか。その動機を書いてください」と担当編集者は言うが、それは、ただの偶然だ。僕が知っている関東連合と怒羅権の関係者を比較した場合、現時点で、より信憑(しんぴょう)性の高い言葉や行動の裏づけを提供してくれるのが、怒羅権の関係者だったというだけで、それ以上の動機はない。

545名無しさん:2015/02/15(日) 20:04:27
>>544

2013年3月。警視庁は怒羅権と関東連合を準暴力団に指定した。準暴力団とは、組長や若頭など整然と階級区分された犯罪組織としての暴力団ではないが、限りなく暴力団に近い「犯罪集団」を指す新しい概念だという。溝口敦が著書『ヤクザ崩壊』(2011年、講談社)で提唱した「半グレ」を官僚風に言い換えた名称だと考えて、特に不足はないだろう。

しかし、その直後、警視庁は準暴力団としての怒羅権の呼称を、実質的には「チャイニーズ・ドラゴン」という呼び方に切り替えている。それは、なぜか。

実のところ、怒羅権という存在はすでに有名無実化しており、警視庁が当初、「怒羅権のメンバー(OB)」と呼んでいた者たちは別段、「怒羅権の者たち」ばかりではなく、その多くが「怒羅権的なる者たち」であったことを悟ったからだ。準暴力団という造語が現れる前から、警視庁はこのふたつの呼称の間を右往左往していた。

「自分は怒羅権じゃないですね。もちろん、絡みはありますけど。最初は暴走族をやっていて、その後、10人ちょっとの義兄弟たちと契(ちぎ)りを交わして『自分らのグループ』をつくったとき、怒羅権の知れている幹部から連絡がありました。『(怒羅権の)傘下にならないか?』って。

でも、ハッキリ断りましたから。それから200人近くメンバーが増えましたけど、怒羅権の下に入ったことはありません。自分らは“ファミリー”なんで、怒羅権じゃないんです」

警視庁の捜査資料で、かつては怒羅権のメンバーだとされ、後にチャイニーズ・ドラゴンに立場を書き換えられた男は、僕に言った。一方、取り締まる側である警視庁の捜査員は、呼称への拘(こだわ)りを持っていない様子だった。

「彼らがどう考えるかなんてのは、どうでもいいですね。一応、リストは別々に作成していますが、結局、怒羅権もチャイニーズ・ドラゴンも、ただの呼び方です。

明らかに、彼らには以前から特定の人間関係が構築されていて、その人間関係を通じて継続的に犯罪が起きているなら、ワッパかけたとき、どうやって報道しますか? なんらかの名称をつけないと、“普通の犯罪”と同じになっちゃうでしょ」

■中国残留邦人という存在

そもそも怒羅権とは何か。80年代後半に結成されたとき、怒羅権は、いわゆる暴走族のひとつにすぎなかった。仮に、この時点で怒羅権に“独自性”を見いだすとすれば、話は第2次世界大戦以前に遡(さかのぼ)らねばならない。

1932年。日本は、現在の吉林省を中心とする中華民国の東北部に満州国を建国し、満蒙開拓団を筆頭に20万人を超える開拓民を送り込んだ。国策として、大規模な海外移民を推進した背景には、それ以前に開始されていたハワイ移民やブラジル移民と同じように、近代化による日本国内の急激な人口増加と、産業革命による農村の貧困問題があったが、満州入植の要因はそれだけにとどまらない。

かの地への入植が特に重要だったのは、中華民国の東北部がソビエト連邦(現ロシア)と国境を接するアジアの要衝だったからである。日本は、巨大な関東軍と国内で養えなくなった貧農を東北部に入植させることで植民地戦略の要衝を保持しようと考え、最終的に、100万人を超える日本人が満州で暮らすようになった。

しかし、すでに僕らが知るとおり、日本は第2次世界大戦に敗れる。玉音放送が流れる直前の1945年8月9日、ソ連軍は満州に侵攻し、怒りに燃える中国(中華民国、のちに中華人民共和国)人たちは、日本人を襲撃した。

全盛期には70万人ともいわれた関東軍は戦況の悪化にともない、大部分が満州の外の戦地に送り込まれており、また農民として入植した日本人男性も多くが徴兵されていたため、ソ連軍の侵攻時に兵士自身の家族を含む残留邦人を守る余力は残されていなかった。

その後の混乱は凄惨を極めたといわれる。ある者は殺され、ある者は自決し、ある者は信頼を寄せる中国人にわが子を託し、また、ある者は足手まといだとして自らの子を畑に捨て、残された日本人は離合集散を繰り返した。

これが「中国残留邦人」の起源である。日本政府のカテゴライズに従えば、中国残留邦人の対象者は「残留孤児」と「残留婦人」のふたつに区分される。残留孤児は、日本の敗戦当時、0歳から12歳の男・女児。残留婦人は、13歳以上の女性を指す。

彼らの大部分は、1946年から断続的に1958年まで行なわれた「集団引き揚げ」で日本に帰国したが、その網から漏れた1万人を超える残留邦人の帰国は、日中国交正常化後から開始された公開調査(1975年)まで待たねばならなかった。

●この続き、怒羅権の出自と里帰り密着ルポは明日配信予定!

(取材・文/藤野眞功)

546名無しさん:2015/02/19(木) 06:58:39
http://jp.wsj.com/articles/SB11442920196806124664104580468653993571856
安倍首相の歴史観で日米関係にかげり 訪日米議員が漏らす
By JACOB M. SCHLESINGER
2015 年 2 月 18 日 11:14 JST

 【東京】今週東京を訪れている米国の議員らによると、安倍晋三首相の歴史観が日米関係の将来にとって最大の懸念材料になっているという。

 ダイアナ・デゲット下院議員(民主)は16日、一部の記者団との会見で、「第2次世界大戦終戦70周年に関連したこれらの問題の一部が両国関係にひびをもたらす可能性がある」と述べた。

 同議員は「日本が慰安婦問題やその他の終戦時期あたりのいくつかの問題で逆戻りをしていると見なされないことが本当に重要だ」とし、慰安婦問題に関する米国歴史学者と日本政府の間の論争に言及した。

 デゲット議員らとともに10人の超党派訪日下院議員団に参加したジェームズ・センセンブレナー議員(共和)は「われわれの道にはでこぼこがあったが、今はこれを平らにする時だ」とし、安倍首相の「修正主義歴史観」は「近隣諸国との関係」に打撃を与えていると述べた。その上で、「これはクールダウンさせなければならない」と付け加えた。

 議員団の訪日は、米国議会日本研究グループと笹川平和財団USAがスポンサーとなった。前者の共同座長を務めるデゲット議員は、今回の訪問について、同グループが1993年に設立されてから行われている訪日の一環だとし、人数は1年前の4人の倍以上になったと指摘した。

 参加者は民主党が6人、共和党が4人で、この中にはジョセフ・ケネディ議員(民主)もいて、同議員は日本で特にキャロライン・ケネディ駐日大使に会いたいとしている。ケネディ議員は、大使の父である故ケネディ大統領の弟、故ロバート・F・ケネディ氏の孫。

 これとは別の、ポール・ライアン下院歳入委員長(共和)を代表とする議員団も今週、日本を訪れ環太平洋連携協定(TPP)について協議する予定だ。

 センセンブレナー議員は「今では日本に多大な関心が持たれている」とし、10年前に日本に継続的な関心を抱いていたのは同議員らほんの一部で、当時はほとんどの議員は「北京に向かう3万5000フィート(1万0500メートル)上空の飛行機の中から日本を見下ろすだけだった」と述べた。

 日本を訪れた議員らはおおよそ、両国関係が健全だとし、特に四半世紀前の通商問題で緊張状態にあった時に比べてそうだとしている。

 デゲット議員は「米国で圧倒的に語られているのは相互防衛と安全保障、アベノミクスの成功への期待、条約交渉などについてだ」とし、「だから、なぜ第2次大戦のころの問題がまだ現れてきているのか困惑させられる」と話した。

 同議員は特に、安倍首相の言葉が4月末か5月初めに予定されている首相の訪米に暗影を投げかける可能性があるとしている。同議員は「この訪米にわれわれは懸念している」とし、「首相はこれらのネガティブなセンチメントを引き起こすようなことはしてはならない」と語った。

 日系のマーク・タカノ議員(民主)は、ひどく2極化された米国の政治環境の中でさえ、安倍氏の歴史観は超党派の反発を引き起こしかねないと警告した。同議員の両親と祖父母は戦中に拘束されていた。同議員は「これは党を問わず反発を呼ぶ」としている。

 訪問団は16日に記者会見したあと、安倍首相と会った。参加者によると、デゲット議員はこの場で、訪米の際に米議会で演説をしてくれれば光栄だと首相に伝えた。実現すれば1961年の池田首相以来の日本首相による議会演説となる。演説するには下院議長の正式な招待が必要だが、歴史問題での韓国との関係悪化に対して一部議員が懸念していることから、招待は簡単にいきそうもない。

 韓国の朴槿恵大統領は13年5月にワシントンを訪問した際に議会演説を行い、この中で安倍氏の歴史観を批判した。

547名無しさん:2015/02/19(木) 06:58:52
>>546

 安倍氏は、前民主党政権下で悪化したと同氏が指摘する日米同盟を強化すると繰り返し表明している。同氏は、自衛隊が米軍とともにもっと活動できるようにすることや、中国によって形作られつつあるアジア太平洋地域での米国のリーダーシップを確立する上で不可欠のステップと米国が見るTPPの受け入れなど、米政府が働きかけてくる多くの政策を実現しようとしている。

 しかし、安倍氏とその多くの側近や支持者は、大戦中の日本の行為についての米国の取り上げ方に反論し、日本は国家の名誉にかけてこうした取り上げ方と公に論争することが必要だとしている。日本の外務省は昨年12月、教科書に載っている大戦中の「慰安婦」に関する説明を変えるよう、出版元のマグロウヒル・エデュケーションに申し入れた。

 これに対して米国の著名な歴史家から成るグループは抗議の書簡を日本に送った。この批判に対して外務省の伊藤恭子報道官は「われわれはより正確にわれわれの見解を表明する機会を持ちたい」と述べた。安倍首相が日本の戦争記録を修正しようとして関係を悪化させているとの批判について同報道官は「慰安婦問題についてわれわれは何度も何度も、これまでの政権の考えを支持すると言ってきた。戦後70周年での政府談話は、大戦中に日本がしたことへの反省、この70年間に日本が成し遂げてきたこと、それに将来日本が行うことという三つの要素を反映させたものになる」と語った。

 センセンブレナー議員は、安倍首相と朴槿恵大統領の首脳会談がまだ行われおらず、アジアにおける米国の二つの主要な同盟国同士の協力が困難になっていることなど、米国のアジアでの安保活動が歴史的緊張によって難しくなっていることに懸念を表明した。同議員は「北アジアの平和という観点からはこれは本当に不要なことだ」と述べた。特に北朝鮮が脅威となる可能性に対して「米国と韓国と日本はこれが一触即発の状態にならないように協力しなければならない」と話した。

 伊藤氏は、日韓間の緊張が日本のせいだとの指摘に反論し、「両首脳は無条件で会うべきだというのが日本の姿勢だ」とし、「日本側からはドアは常に開かれており、そのメッセージは多くの機会に出されている」と語った。

***

ジェイコブ・スレシンジャー


ウォール・ストリート・ジャーナル アジア経済主席特派員・中央銀行担当エディター

 ハーバード大学経済学部卒業。St. Petersburg Times 記者を経て、1986年ウォール・ストリート・ジャーナルデトロイト支局に記者として入社。89〜94年東京支局特派員。その時の取材をもとに日本の政治についての『Shadow Shoguns:The Rise and Fall of Japan's Postwar Political Machine』を執筆。帰国後ワシントンで経済記者、政治記者、ワシントン支局副支局長を経て2010年東京支局長に就任。2014年より現職。03年、特別報道チームの一員として企業不祥事を暴いて解明した報道シリーズでピュリツァー賞を受賞。14年、スタンフォード大学「2014年ショレンスタイン・ジャーナリズム賞」を授与された。

Twitter @JMSchles

548荷主研究者:2015/02/21(土) 18:37:16

http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201502/20150215_15012.html
2015年02月15日日曜日 河北新報
<被災資料>鴎外、漱石らの生原稿を初公開

被災家屋から救出後、初めて公開された文豪の肉筆に見入る来館者

 亘理町教委と文化財の研究者が東日本大震災の津波や揺れで損壊した町内の家屋から救出した資料を集めた企画展「東日本大震災と救い出された資料」が14日、町郷土資料館で始まった。旧家や神社など7戸が収蔵していた美術品や日用品など200点を展示。明治、大正時代の文豪の肉筆など貴重な資料が並ぶ。

 肉筆は、森鴎外の晩年の傑作「北条霞亭」、夏目漱石の「文鳥」、武者小路実篤の「なにかと」などの生原稿、石川啄木、島崎藤村、坪内逍遙らの書簡など。竹久夢二のデザイン画や岸田劉生のデッサンも公開した。

 展示品の多くは、同町荒浜の旧荒浜村村長の江戸清吉氏(1938年没、享年52歳)が収集した2万点の一部。津波被害に遭った倉庫から救い出し、応急的な修復を施した。一般に公開されるのは初めてという。

 東京から駆け付けた日本学術振興会特別研究員で日本近代文学を専攻する多田蔵人さん(31)は「個人でこれだけ多くの作家の肉筆を趣味で収集するのは、めったにない。津波での流失を免れたのも奇跡だ」と驚く。

 このほか、同じ荒浜の旧家が収蔵した亘理伊達家の初代当主伊達成実の書状、揺れで損壊した内陸の家屋に眠っていた家電、津波で損壊した神社のみこしなどもある。

 企画展は3月29日まで。観覧料は一般100円、高校生50円。郷土資料館はJR亘理駅東側の悠里館1階にある。連絡先は資料館0223(34)8701。

549とはずがたり:2015/02/25(水) 22:39:29

【借金に追われて】日本が太平洋戦争に突入した理由が悲しすぎる【原発・靖国まで】
http://matome.naver.jp/odai/2136214578373977801
日露戦争で日本は、米国系ユダヤ人らから借金をして戦争を行い、「ロシアに勝利」しました。しかし、実際には、同じユダヤ人がソビエトに金を回し、ロシアの崩壊を誘導していたと言われます。そして、やがて太平洋戦争で米国に敗戦した日本ですが、太平洋戦争開戦時も日本は米国の借金を負っていました。
更新日: 2015年01月17日

借金につかまった日本

日露戦争で日本は、米国系ユダヤ人から借金をして戦争を行い、「ロシアに勝利」しました。

しかし、実際には同じユダヤ人銀行家がソビエトに金を回し、ロシアの崩壊を誘導していたとも言われます。
太平洋戦争開戦時もまだ、日本は米国のユダヤ系資本に莫大な借金を負っていました。終戦後、米国は同盟国に戦争賠償金を課さないことを呼びかける一方で、結局、しっかり昭和の終わりまでかけて金利を加えて日本から借金を回収したのです。

"日露戦争遂行のためのポンド建て日本国債は、借換債を発行しながら1986年(昭和61年)にようやく完済した"

最終的に返済を完了したのは82年経ってからでした。82年前の人の借金をせっせと返済していたと、団塊世代の何割が意識していたでしょう。

"日本人は戦後賠償よりも負債返済を優先「させられた」"

アメリカ合衆国は、戦争賠償金を大きくしないよう各国に要求しました。「第一次世界大戦でのドイツへの多額の賠償金請求に対する反省」などと言われますが、その一方で、日本から戦前の借金を取り立てを続けていました。日本からの回収率を上げるために、他国への賠償をしないよう圧力をかけていたのです。

結果的に現在の日本人は、隣国から領土問題をもちかけられ、さらなる戦後賠償を要求され、実際に政府開発援助や円借款という名の事実上の賠償金支払いを継続しています。そして、自分たちは、さらに大きな負債を抱えることが正義だと錯覚しています。

550とはずがたり:2015/02/26(木) 00:52:33
2006-06-10 告発される近代の悲劇
■[書評]原武史『大正天皇』朝日選書
http://d.hatena.ne.jp/pentaxx/20060610/1151723618

 ここで大正天皇の病歴を推測を交えて記述してみよう(用語は現代のものに変換してある)。明宮(大正天皇)は生後間もなく髄膜炎に罹患し、その後遺症に生涯苦しんだ。後遺症の重篤さを考えるとおそらくウィルス性で、脳炎も伴っていたのではないか。抗生剤のない時代でもあり、漢方治療のみでは十分な治療効果は得られなかったであろう。一〇代はほとんど持病のようになった感冒のほか、気管支カタル、腸カタル、胸膜炎などにしばしば罹患した。

 二〇代は後述するように健康を回復したが、天皇即位後は髄膜炎の後遺症とおぼしい脳器質性障害にもとづく言語障害、歩行障害などが進行した。知能の障害がどの程度であったかは判然としないが、記銘力の減退や一過性ながら幻視の訴えもみられている。裕仁皇太子が摂政となった一九二二年以降は、静養に徹したものの、病状は徐々に進行する。不整脈、浮腫、脳虚血発作などがたびたび見られ、慢性的な発熱が続く。おそらく脳虚血発作は多発性脳梗塞をもたらしていたであろう。一九二六年一二月二五日、「肺炎に伴う心臓麻痺(宮内省発表)」にて死去。四七歳の若さだった。  

 以上は身体医学の側からの所見である。しかし本書を読んで驚かされるのは、その病状がきわめて状況依存的である点だ。つまり環境要因、心理的要因によって病状が大きく影響されていた可能性が高いのである。本書の主題の一つも、実はそこにある。  

白粉(おしろい)と明治天皇
http://ohsawa.exblog.jp/17213822/

明治天皇が生まれ育った京都の宮廷文化は純和風で、遷都となって東京に来るまでは、洋装して各国の外交官達と社交するなどということはまったく考えられなかった。ある観菊会でも、外交団を皇居に招きながら1時間も待たせた挙句、一人馬に乗って現れ、彼らと直接挨拶もまじ合わせなかったという(オットマール・フォン・モール「ドイツ貴族の明治宮廷記」金森誠也訳 - 講談社学術文庫)。これにポルトガル公使夫人が激怒し、そのあとの宮廷行事をポルトガル公使館全員がボイコットしたらしい(同書)。これ以外にも、皇后と一緒に並んで歩かないなど男尊女卑の傾向があったという(同書)。

そんなことで明治天皇に興味を持った。調べてみて不思議なことを見つけた。側室が 5人、生まれた子供が 15人、内 2名が死産、6名が夭逝だという。日本も以前は乳幼児死亡率が高かったことは知っていた。でも、生まれた子供の半数以上が 1-2年で亡くなっているというのはかなり多い。側室は皆公家の系統だから、何か家系的な遺伝性の病気でもあるのかとも思った。ちょうど、「ドイツ貴族の明治宮廷記」に謎めいた次の文が出てきてますます気になった。

「 ---- 宮中で天皇の一番下の皇子昭宮猷仁親王が歯と関連のある脳の病気、脳膜炎にかかられた。皇太子明宮を除き、天皇のすべての皇子がこの病気で亡くなられている。この病気は日本の高位の貴族の家系に秘められた悲惨な伝統である。実にこの病気は日本の平民の間ではなく、とくに五摂家や大名家に多く発生している。」

そこで更に調べてみた。すると、明治天皇の皇子女は 10名が脳膜炎(現在の髄膜炎)で亡くなっているらしいことがわかった。その原因は白粉(おしろい)だという。大正の頃まで、高い身分の女性(明治以降は一般人も)はお化粧として首から胸まで白粉を塗っていた(公家や一部武家では男性も)。当時、白粉は鉛白 = 2PbCO3Pb(OH)2 を使っていて、それを使う女性は鉛毒を患っていた。その粉を乳幼児が吸ったり、母乳から摂取してしまうわけだ。存命した皇子の一人、明宮嘉仁親王(後の大正天皇)には乳母がいたが、彼さえも、その乳母から鉛を摂取し、結局脳膜炎にかかったと言われている(後年、病弱天皇として知られる)。

551とはずがたり:2015/02/26(木) 01:04:03
明治天皇は元田永孚や佐々木高行の影響下に伊藤博文らと対立して親政を試みた様だが,結局折れて機務六条となったそうな。何が折れるきっかけになったのかwikiの記述ではよおわからんが,立憲君主を選んだのは賢明だったと云えよう。明治天皇の皇子皇女が夭逝が多かったのはどうやら白粉のせい>>550という意見も。まあゆうても明治時代やからなぁ。

機務六条
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A9%9F%E5%8B%99%E5%85%AD%E6%9D%A1

機務六条(きむろくじょう)とは、1886年(明治19年)9月7日に明治天皇と伊藤博文(内閣総理大臣兼宮内大臣)が内閣を代表する形で交わした約束事。これによって、天皇と内閣の関係を規定すると同時に、明治天皇が親政の意思を事実上放棄して、天皇の立憲君主としての立場を受け入れることを表明した。

明治天皇
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E6%B2%BB%E5%A4%A9%E7%9A%87
若い頃(とりわけ明治10年代)には、侍補で親政論者である漢学者・元田永孚や佐々木高行の影響を強く受けて、西洋の文物に対しては懐疑的であり、また自身が政局の主導権を掌握しようと積極的であった時期がある。
元田永孚の覚書(「古稀之記」)によると、天皇は伊藤博文の欠点を「西洋好き」と評していた。
教育に関しては儒学を基本にすべしとする元田の最大の理解者でもあり、教育行政のトップに田中不二麿や森有礼のような西洋的な教育論者が任命されたことには不快感を抱いていた。特に明治17年(1884年)4月下旬に森が文部省の顧問として御用掛に任命されることを知ると、「病気」を口実に伊藤(宮内卿兼務)ら政府高官との面会を一切拒絶し、6月25日まで2か月近くも公務を放棄して引籠もって承認を遅らせている。

こうした事態を憂慮した伊藤は、初代内閣総理大臣就任とともに引き続き初代宮内大臣を兼ねて、天皇の意向を内閣に伝えることで天皇の内閣への不信感を和らげ、伊藤の目指す立憲国家建設への理解を求めた。その結果、明治19年(1886年)6月23日に宮中で皇后以下の婦人が洋装することを許可し、9月7日には天皇と内閣の間で「機務六条」という契約を交わして、天皇は内閣の要請がない限り閣議に出席しないことなどを約束(「明治天皇紀」)して天皇が親政の可能性を自ら放棄したのである[4]。

男子5人、女子10人がいたが、成人した男子は大正天皇ただ一人である。また成人した皇子女も、房子内親王(北白川宮妃)と聡子内親王(東久邇妃)を除き、皆40〜50代の若さで亡くなっている。

552名無しさん:2015/02/28(土) 02:58:07
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150227-00010002-agora-pol
大正デモクラシーはなぜ自壊したのか --- 池田 信夫
アゴラ 2月27日(金)15時50分配信

衆議院予算委員会は、西川農相の辞任騒動で紛糾し、予算の年度内成立が困難になったようだ。予算委員会が予算と無関係なスキャンダルで止まるのは、戦前から続く悪習である。

「大正デモクラシー」で政友会と民政党の二大政党が交代する慣行ができたが、予算は内閣がつくるので、帝国議会は予算に「協賛」するだけで修正する権限がなかった。このため注目を集める予算審議が、スキャンダル暴露の場になった。

こういう状況は、1928年の普通選挙で悪化した。高畠素之は「普選法による有権者は有象無象が多く、政党や政策を見て賛否を決するよりも、候補者の閲歴や声望に基づく有名無名が、彼らの判定する人物的上下の標準となる場合が多い」と評している。

普通選挙で巨額の選挙資金が必要になったため、政治腐敗が拡大し、各官庁の官僚や全国の地方官庁が政党に系列化された。一般の有権者は政策なんか知らないので、誰でもわかる金銭スキャンダルが投票に大きな影響を及ぼし、議会はその暴露合戦になった。

政治がこのように「劇場型」になると、新聞の役割が大きくなった。当時の新聞は「リベラル」な姿勢で反軍的な論調を取ることが多く、1930年のロンドン軍縮条約までは軍事支出の抑制を求めて軍部と対立していたが、1931年の満州事変以降、戦争報道で部数を拡大すると、新聞は軍を美化する報道に転じた。

腐敗して何も決められない二大政党に代わって「第三極」による「維新」運動が盛り上がり、その結果が青年将校のクーデタや大政翼賛会による「近衛新体制」だった。つまり大正デモクラシーは、それを弾圧する治安維持法や軍部につぶされたのではなく、デモクラシーの担い手だった議会と新聞によって自壊したのだ。

新憲法では国会の権限が強化されたが、野党に予算を修正する権限も能力もないのは同じだ。このため野党やマスコミは、スキャンダル叩きに奔走する。これに対して首相が「日教組はどうなってるんだ」などとヤジで応酬するようでは、昭和初期のように政党政治も終わりに近づいているのではないか。

池田 信夫

553名無しさん:2015/02/28(土) 13:36:52
田原総一朗「戦後レジームの正体」
安倍晋三首相は「戦後レジームからの脱却」を提唱している。70年前、GHQによって作り上げられた日本の制度は、どこに向かおうとしているのか。「戦後」を一貫して見つめ続けてきた著者、畢生の新連載!

【第2回】 東京裁判で問われたもの---日中戦争、真珠湾攻撃は正当だったか2015.02.27
田原 総一朗
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/42280

【第1回】 GHQと東京裁判2015.01.27
田原 総一朗
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/41864

554名無しさん:2015/03/07(土) 12:34:19
http://www.sankei.com/politics/news/150306/plt1503060023-n1.html
2015.3.6 12:41
独立国かは「回答困難」 琉球王国で政府答弁書

 政府は6日の閣議で、かつての琉球王国が独立国だったかどうかについて「『琉球王国』をめぐる当時の状況が必ずしも明らかでなく、確定的なことを述べるのは困難」とする答弁書を決定した。社民党の照屋寛徳衆院議員(沖縄2区)の質問主意書に答えた。

 琉球王国が米国、フランスなどと結んだ条約を国際的な合意文書と位置付けるかどうかについては「日本国として締結した国際約束でなく、確定的なことを述べるのは困難」とした。

555名無しさん:2015/03/08(日) 15:53:02
統帥権干犯問題で国策誤り、安倍首相「その通り」
朝日新聞デジタル 3月4日(水)1時0分配信
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1043205301/3129

 戦前に軍部の台頭を招いたとされる統帥権干犯問題などの歴史認識をめぐり、民主党の枝野幸男幹事長が3日の衆院予算委員会で、安倍晋三首相らの見解をただした。

 枝野氏が「統帥権干犯問題と、(陸・海相を現役軍人のみから選任する)軍部大臣現役武官制で、我が国が国策を誤った。教訓にすべきだと思うか」などと質問。首相は「その通りだと思う」と述べた。

 中谷元・防衛相も「その通りだと思う」と述べた。そのうえで、戦後の自衛隊の文民統制(シビリアンコントロール)について「国民から選ばれた政治家が軍事組織をコントロールすると改めたわけで、大事な原則だ」と説明した。

 統帥権干犯問題は、1930年にロンドン海軍軍縮条約に調印した浜口雄幸内閣に対し、軍の指揮権を握る天皇の統帥権を犯すものだと軍部などが批判。政党政治が衰退する一因となった。

朝日新聞社

556名無しさん:2015/03/14(土) 17:11:01
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150310-00813995-sspa-soci
資産2兆円のポール・アレン氏「戦艦武蔵は日本に寄贈したい」
週刊SPA! 3月10日(火)16時21分配信

 マイクロソフトの共同創業者であるポール・アレン氏が発見した旧帝国海軍の戦艦「武蔵」が、戦中・戦後世代はもとより、往年の軍艦ファン、ミリオタまで多くの人を興奮のるつぼに巻き込んでいる。

 なにせ、武蔵はあの「大和」の姉妹艦にして、旧帝国海軍が建造した最後の戦艦だ。両艦に搭載された46cm砲は世界最大を誇り、40km先の標的を攻撃できたというから、世界最強の艦に偽りなし。武蔵は竣工から2年足らずのレイテ沖海戦であえなく撃沈されてしまったが、「魚雷20本、爆弾17発、さらに無数の至近弾という、他に類を見ない集中攻撃を受けても10時間近く沈まなかった」(SPA!きってのミリオタ)と、その逸話は今でも語り草となっているのだ。

 3/10発売の週刊SPA!では、『宇宙戦艦ヤマト』で知られる松本零士氏が武蔵に対する思いを熱く語っているのだが、気になるのは今回、武蔵を発見したポール・アレン氏のこと。なぜ、当時の敵国の、それもマイクロソフト共同創業者というまったく畑違いの人物が発見するにいたったのか?

 その背景を知るのは、SPA!の連載陣としてもお馴染みの中年金融マンことぐっちー氏だ。「日本人は彼のことを“アレン”って呼びますけど、本当は『アラン』です。彼はアレンと呼ばれるのを嫌がるから注意してください」と前置きしつつ、アラン氏との出会いを振り返る。

「僕がモルガン・スタンレーに勤めていたときから、アランとは友人です。当時のマイクロソフトはお金がなくて、困窮していた。それで、日本からも出資を募ろうと来日したときに、僕が50億円集めたんです。そのことを、アランは今でも恩義に感じてくれている。それ以降、何度もアランの自宅には遊びに行きました。もう、サンダーバードの基地のような自宅ですよ(笑)。2010年のバンクーバー五輪のときなんかは、その自宅の前の湖から、自家用水上ジェットを飛ばして、五輪会場に連れて行ってもらいました。今回、武蔵を発見するのに使った『オクトパス』という名のクルーザーにも何度も乗りました。僕も昔、お金を貯めて3億円のクルーザーを買ったんですけど、アランにオクトパスを見せられたときは唖然としましたね。僕の船の何倍もの大きさですから。4階建てだから、もう客船クラス。当然のようにプールが備付で、ヘリも積んでいて、無人潜水艇も搭載しています。それと、シャンパンを山ほど(笑)。沖に出ては、何日もシャンパンを飲んだくれて過ごすわけです」

 米経済紙『Forbs』の2015年版長者番付によれば、アラン氏の資産額は175億ドル。日本円にして2兆1000億円! マイクロソフト以外にも複数の企業の大株主となっているほか、6つの財団を傘下に率いるポール・G・アレン財団を運営し、NFLのシアトル・シーホークス、NBAのポートランド・トレイルブレイザーズ、プロサッカーリーグのシアトル・サウンダーズのオーナーも務めているのだ。そんな超資産家にはもう1つの顔があった。

557名無しさん:2015/03/14(土) 17:12:15
>>556

「マイクロソフトのイメージからアランをエンジニアだと思っている人がいると思いますけど、彼が大学時代に専攻していたのは考古学です。昔からトレジャーハンターになりたかったとよく話していました。あまり知られていませんが、過去にアランは1898年のアメリカ=スペイン戦争のときの沈没船を引き上げています。そのときに見つかった財宝で200億円手に入れた、という話をしていました。今回、武蔵を探した理由について、『父親が太平洋戦争に従軍していたから興味があった』と話しているようですが、実際には一番になりたかったっていうのが理由でしょう。彼は『大和はすでに発見されているから、俺は武蔵を見つけたいんだ』と10年ほど前から話していましたから。アランはものすごい負けず嫌いなんですよ。共同創業者なのにビル・ゲイツにも対抗心丸出し。というのも、ビル・ゲイツを口説いたのはアランですからね。だから、『なんで、ビルばかり注目を集めるんだ……』と悔しがってた時期もあるようです(笑)」

 そんなアラン氏に、今回、ぐっちー氏は祝福のメッセージを送ったという。

「『おめでとう』メールを送ったら、アランから『日本に寄贈したいと思っているんだけど、フィリピン政府が介入してきて困っている』という返信がありました。どうやら、自腹で引き上げて、無償で日本政府に寄付するつもりだったみたいですよ?(笑)。どれだけ太っ腹なんだ!って話ですけど、彼にとっては数百億円の引き上げコストなんて屁でもないのでしょう。『フィリピン政府から買い取ってでも寄付する』とメールをくれました。本当にスケールの大きすぎる男です!」

 武蔵が日本に帰還する日はそう遠くない!? アラン氏の心からのご活躍をお祈り申し上げます! <取材・文/池垣 完(本誌) 写真/AP アフロ>

日刊SPA!

558名無しさん:2015/03/15(日) 08:53:11
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_date1&k=2015031400360
日韓は「独仏と異なる」=歴史問題で見解-仏外相

 フランスのファビウス外相は14日、東京都内の仏大使公邸で記者会見し、フランスとドイツを引き合いに、日本に歴史認識での反省を求めた韓国外務省当局者の発言に関し、「(仏独と)アジアでは取り巻く状況も地理的条件も異なることを忘れてはいけない」と述べ、単純に比較できないとの見解を示した。
 ファビウス外相は「仏独は(歴史上)互いを侵略したが、第2次大戦終結を機に和解した。今では世界で最も仲の良い国だ」と強調。「そこから何か感じてもらえると思う」と語った。 
 また、ウクライナ政府軍と親ロシア派の新たな停戦合意から1カ月を迎えるウクライナ東部情勢について、ファビウス外相は「おおむね停戦は守られている」と評価。その上で「緊張感が残るのは事実だ。ウクライナ東部に独立性を持たせることが求められる」と指摘し、東部への自治権付与を盛り込む停戦合意の着実な履行を訴えた。(時事)(2015/03/14-20:45)

559名無しさん:2015/03/21(土) 20:00:10
http://news.infoseek.co.jp/article/21kyodo2015032101001296
硫黄島戦で日米合同の慰霊式典 戦後70年、閣僚が初参列- 共同通信(2015年3月21日13時47分)

 太平洋戦争末期の激戦地・硫黄島(東京都小笠原村)で日米合同の慰霊式典が21日、開かれた。初参列した塩崎恭久厚生労働相は「先の大戦の記憶を次世代に継承する」と誓った。ほかに中谷元・防衛相ら両国政府高官、遺族ら約550人が参列し、日米計約2万9千人の戦没者を追悼した。

 今年は戦後70年の節目となるため、参列者数を昨年の式典より大幅に増やし、規模を拡大した。遺族らでつくる硫黄島協会によると、閣僚の出席は初めて。

 塩崎氏は「大戦から学んだ教訓を深く心に刻み、悲惨な戦争を繰り返さない」と指摘。中谷氏は「日米同盟の一層強化に努力する」と表明した。

560名無しさん:2015/03/21(土) 22:31:23
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150317-00000536-san-pol
民主・細野氏「東京大空襲は米軍による残虐行為」 記者から問われて言及
産経新聞 3月17日(火)15時33分配信

 民主党の細野豪志政調会長は17日の記者会見で、東京大空襲について「10万人以上が短い期間で命を落としたことは、米軍による非常に残虐な行為だと考えている」と述べた。細野氏は10日の記者会見で、東京大空襲が非戦闘員の殺(さつ)戮(りく)を目的とした米軍の無差別爆撃であることには一切言及していなかった。

 17日の記者会見で、無差別爆撃である事実に言及しなかった理由について質問されると、細野氏は「それは当然のことだ」と語った。

 その上で当時の状況について「日本は制空権、制海権も完全に失っていた。いかんともし難い状況になっていても戦争を終結できなかった。政府の国策の誤りであることは明らかだ」と指摘した。

 細野氏は10日の記者会見で東京大空襲について「国策の誤りを反映した結果だ」と述べていた。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150317-00000557-san-pol
「いかんともし難い状況になっていても、戦争終結ができなかった」民主・細野氏の東京大空襲発言詳報
産経新聞 3月17日(火)18時46分配信

 民主党の細野豪志政調会長の東京大空襲をめぐる発言の詳報は以下の通り。

 【17日の定例記者会見】

 --先週の東京大空襲についての発言で「国策の誤りの反映」といわれたが、なぜ無差別爆撃という点に触れなかったのか、改めて認識を聞きたい

 「東京大空襲は10万人以上の方が本当に短い期間であれだけ命を落とした。それ自体は、米軍による非常に残虐な行為だと私は考えている。ただ、それは当然のことであって、日本としてはそういう認識だ」

 「もう一ついえることは制空権、制海権も完全に失っていた。もはや、いかんともし難い状況になっていても、戦争終結ができなかったことも含めて、わが国の政府の国策の誤りということは明らかだと。この間(先週は)そういう説明をした」

 【10日の定例記者会見】

 (冒頭発言)

 「今日は東京大空襲からちょうど70年だ。10万人の方々が命を落としたといわれる。やはり、あれだけの犠牲を出したこと自体、わが国としてしっかりと胸に刻まなければならないし、国策の誤りを反映した結果だと思っている」

561とはずがたり:2015/04/08(水) 10:29:00
メルケルがこの前日本にやってきて偉そうに講釈垂れていたが,独逸も第二次大戦の精算が済んで居ないんじゃないか!?(笑)

其れは兎も角,ギリシャと独逸の間に正式な第二次大戦の決着を付ける条約的なものは結ばれていないのか?
>、欧州の複数の国の政府との合意の一部として1960年に支払われた賠償金や、1990年にかつての東西ドイツと連合国が調印した第2次世界大戦を正式に終結させる条約により、賠償問題は解決済みだとしている

ギリシャからの戦時賠償請求は「ばかげた話」、独副首相
http://www.afpbb.com/articles/-/3044789
2015年04月08日 08:11 発信地:ベルリン/ドイツ

【4月8日 AFP】ギリシャがドイツに対し、第2次世界大戦(World War II)の賠償として2780億ユーロ(約36兆円)以上の請求権があるとしていることについて、ドイツの副首相兼経済相は7日、戦時賠償の請求とギリシャのさらなる融資交渉を混同するのは「ばかげた話」だと一蹴した。

?ジグマル・ガブリエル(Sigmar Gabriel)独副首相兼経済・エネルギー相は、同日ドイツの首都ベルリン(Berlin)で開かれた行事で発言し、ナチス・ドイツ(Nazis)による4年に及ぶ非道なギリシャ占領に対しギリシャが賠償請求を行えば、巨額の債務を抱えるギリシャへの金融支援を継続していこうとする努力の進展を阻害するものでしかないと指摘した。

?さらにガブリエル氏は、ギリシャの返済能力を高めるためのギリシャと債権者との協議を「1ミリ」たりとも前進させるものではないとして、「正直に言って、ばかげた話だと思っている」と苦言を呈した。

?ギリシャの新しい急進左派政府は、自らの政策を遂行していく「余地」を確保しておきたい考えなのだとガブリエル氏はみており、「政策が転換されたこととそのための余地の確保は、第2次世界大戦やその時の賠償金の支払いとは一切関係がない」と断じた。

?今年1月に発足したばかりのギリシャ急進左派政府は戦時賠償を、解決を要する「倫理問題」と位置付けている。感情に訴え論争を巻き起こすこの問題を持ち出すことで、ギリシャはドイツに対する圧力を強めている。

?ギリシャの債務危機をめぐり、ギリシャとドイツとの間で意見対立が続く中、ナチスがギリシャを残虐かつ壊滅的な形で占領していた1941年からの4年間という痛ましい歴史の記憶が、改めて呼び覚まされてきた。

?ギリシャの財務副大臣が6日議会に対し、ドイツが負担すべき賠償額は2780億ユーロを超えると報告。これにはナチス占領軍によって強要された融資額およそ100億ユーロ(約1兆3000億円)も含まれている。

?ドイツ側は、欧州の複数の国の政府との合意の一部として1960年に支払われた賠償金や、1990年にかつての東西ドイツと連合国が調印した第2次世界大戦を正式に終結させる条約により、賠償問題は解決済みだとしている。(c)AFP/Kate Millar

562とはずがたり:2015/04/09(木) 12:44:54
>>561
ドイツが歴史の清算をちゃんとやってきたってのはやや美化しすぎで,ちゃんと体制内の枠組みにはめ込めれてただけだし,右翼がどっかで云ってたけど日本人は中韓と違って米ソの残虐行為に賠償を求めるような気質がないなんてのも東京大空襲への賠償を求める動きがあったし(アメリカを訴えたかったけどアメリカでは政府を訴えられない仕組みみたい)同じく嘘っぱちである。

ナチス戦後賠償は36兆円とギリシャ、独は否定
http://www.yomiuri.co.jp/world/20150408-OYT1T50104.html
2015年04月09日 08時08分

 【ローマ=青木佐知子】ギリシャのマルダス副財務相は6日、第2次世界大戦中のナチス・ドイツによるギリシャ占領の損害賠償の推計額は2787億ユーロ(約36兆円)に上るとの見解を議会で明らかにした。

 緊縮財政と景気低迷にあえぐギリシャでは、財政規律を重視するドイツに対する国民の反発が高まっており、戦後賠償を求める動きが議会などで活発化。地元紙によると、銀行が強制された貸付金の返済分や占領下で生じた施設、個人に対する損害賠償だという。

 これに対し、ドイツは「賠償問題は法的に解決済み」との立場で、ガブリエル経済相は7日、「ばかげている」と述べ、ギリシャの訴えを否定した。

2015年04月09日 08時08分

563名無しさん:2015/04/11(土) 20:38:38
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150408-00000010-pseven-int
両陛下ご訪問のパラオ 親日国で国旗も日章旗に因むデザイン
NEWS ポストセブン 4月8日(水)7時6分配信

 日本の南3200kmに浮かぶ島国パラオを、天皇皇后両陛下が4月8日から慰霊に訪れる。この地は、ペリリューの戦いなど日米の激戦が繰り広げられ、約1万8000人が戦死した、太平洋戦争の大激戦地のひとつだ。

 世界屈指の美しい海に囲まれた島には、戦争の爪痕が今も数多く残されている。最後まで戦い抜いた日本将兵が籠もっていた戦闘壕。守備隊を率いた中川州男(くにお)大佐が自決した山頂の司令部壕。ジャングルに一歩足を踏み入れれば、不発弾や兵器の残骸が緑に埋もれている。兵器や基地の跡だけではない。パラオにはいまだ7000柱以上の日本兵の遺骨が眠っているのだ。

 第1次大戦後、委任統治を認められた日本政府は教育とインフラ整備に力を入れ、今日のパラオの基礎を作った。この地を計4度訪れたジャーナリストの井上和彦氏は「パラオの人たちはそのことに今も感謝している」と話す。

「日本に親近感を持っているためか、1994年に独立して国旗を決める際に、日本の国旗にちなんだデザインが住民投票で選ばれました」(井上氏)

 親日国家パラオ──英霊たちが眠る彼の地のことを、もう一度、思い起こす必要がある。

写真◆『パラオはなぜ「世界一の親日国」なのか』(井上和彦著、PHP研究所)より

※週刊ポスト2015年4月17日号

564名無しさん:2015/04/11(土) 20:39:28
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150404-00000016-pseven-cn
日本人200人超虐殺の通州事件 中国指摘する南京事件と酷似
NEWS ポストセブン 4月4日(土)16時6分配信

 日本に対して、「歴史の直視」を訴える中国政府の急所は、自国の歴史認識に他ならない。1937年に北京郊外で発生した通州事件と1946年に吉林省で発生した通化事件。いずれも多くの日本の民間人が虐殺されたが、中国共産党は、現在に到るまで隠蔽し続けている。戦後70年の今年、中国は戦勝国としての「面子」と「立場」を盛んに強調するが、自国の戦争犯罪を検証できない国に未来はないとジャーナリストの櫻井よしこ氏は指摘する。

 * * *
 今年に入って中国が、日本に対して次々と「歴史カード」をきってきています。最近では、虐殺の事実を確認できない南京事件の犠牲者を「40万人」とまで言い始め、「日本兵の残忍さ」を世界中に宣伝しています。3月21日の日中韓外相会談でも中国の王毅外相は日本の岸田文雄外相に「歴史を直視せよ」と述べ、安倍政権を厳しく牽制しました。

 しかしこの言葉は、中国にこそ向けて発せられるべき言葉だと、私は思います。

 中国の地で日本人が及んだとされる残虐な行為のほとんどは根拠に乏しいからです。たとえば南京では「赤ん坊を空中に投げ、落下するところを剣で刺した」という話を中国政府は広めています。日本の先人たちが、その種の暴虐に及んだとは俄(にわか)には信じがたいのです。

 調べてみると、そうした蛮行はむしろ中国人が日本人に対して及んだ行為であることが分かってきました。日本ではなぜかあまり知られていませんが中国では日本人に対する虐殺事件が幾度も起きています。代表的な事例が1937年7月29日の通州事件です。

 通州事件では約400人の在留日本人のうち200数十人が虐殺されました。女性たちは辱められ、遺体を切り刻まれ、中国兵たちは切り落とした頭部で遊んだとさえいいます。首を固定して吊るされている人たちも目撃されました。彼らは食事も水も与えられず放置され、何日間もの長い間苦しんで死に至ったのでしょう。

 気付かれたでしょうか。これらは、南京で日本人が犯した残虐行為だと中国政府が主張するものと酷似しています。

 人間は、自分の行動や価値観に基づいて、他人の行動を推し量ろうとする生き物です。中国政府が、日本軍が南京で及んだと主張する行為には裏付けがない。それどころか、日本人の犯罪を後からでっちあげるべく、自らの過去の蛮行を参考にした可能性があるのです。その一つが通州事件だったと私は考えています。

 通州事件は中国人の民族性の一端を表していますが、それは100年や200年のスパンで築かれたわけではありません。紀元前500年から紀元1000年までの約1500年の中国の歴史を、北宋の学者・政治家だった司馬光がまとめた『資治通鑑』という歴史書があります。

 1万ページに及ぶこの大著の中に中国人が長い歴史のなかですさまじい拷問を編み出し、政敵や反逆者たちへの罰として、繰り返してきたことが書かれています。中国では刑は残酷であることをもって是とされ、捕らえた者をより多く、より長く苦しませなければ、逆に刑吏が罰せられました。通州事件で日本人が受けた残虐な行為は、いずれも同書に繰り返し繰り返し登場する刑罰そのものでした。

 そうした民族性は、戦後も綿々と受け継がれました。 『資治通鑑』を17回も読んだとされる毛沢東は、大躍進政策で約2000万人の農民を餓死させ、文化大革命で3000万人以上の知識人や富裕層を死に追いやりました。

 現在も、反政府の活動家や中国共産党内の不満分子に対して、人を人とも思わないようなすさまじい拷問が繰り広げられている、国家主席をはじめとする中国の指導者層は、同書に書かれていた恐怖政治を体制安定のために敷いているのです。

※SAPIO2015年5月号

565とはずがたり:2015/04/27(月) 22:53:55
与党中にやっとくべきだったよなぁ

民主党:「反軍演説」復活働きかけへ
http://mainichi.jp/select/news/20150424k0000m010052000c.html
毎日新聞 2015年04月23日 20時38分(最終更新 04月23日 21時39分)

 民主党の長妻昭代表代行は23日の記者会見で、戦前の帝国議会で軍国主義に反対した「反軍演説」など議事録から削除され非公開になっている部分の公開に向け、衆院議院運営委員会で各党に働きかける考えを示した。自民党が社民党の福島瑞穂副党首の「戦争法案」発言の修正を求めた動きを念頭に、「野党が声を上げないと自由の範囲が狭くなる危機感がある」と懸念を表明した。

 衆院記録部によると、反軍で知られた戦前の政治家、斎藤隆夫(1870?1949年)が帝国議会で40年に日中戦争への疑問を表明した「支那事変処理に関する質問演説」(反軍演説)の削除部分を含む12件が非公開になっている。これらの議事録は95年に公開を検討したが、見送られたという。

566名無しさん:2015/05/03(日) 15:07:39
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1061910652/643
ブラジルでひっそりと逝った「明治天皇の孫」〈週刊新潮〉
BOOKS&NEWS 矢来町ぐるり 4月29日(水)8時1分配信

 ブラジルに日本人移民が初めて到着したのは、1908年のこと。以来、移民は戦前に19万人弱、戦後に5万人余を数えるが、中には明治天皇の孫もいた。

 4月15日、サンパウロの自宅で逝去した多羅間(たらま)俊彦さんがそのお方だ。享年86。

 1929年、後に首相を務めた東久邇宮稔彦(なるひこ)王の四男として誕生。母親は明治天皇第九皇女の聰子内親王。つまり明治天皇の孫で昭和天皇の従弟にあたる。

 47年10月、秩父、高松、三笠の三直宮(じきみや)を除く11宮家、51人が皇籍を離脱。俊彦さんは慶應義塾大学法学部を卒業後、51年に元サンパウロ総領事の多羅間鉄輔さんの未亡人で、広大なコーヒー園を持つキヌさんの養子になり、ブラジルに渡った。

 俊彦さん本人は、小誌に〈皇籍を剥奪されても、特に何も感じませんでした。これでようやく身軽になれると思いました〉などと当時を振り返っている。

 皇籍を離れ、一農民になる意志で移民になったのに、ブラジルの日本人社会は天孫降臨だと大騒ぎで迎えた。

「日本人同士で敗戦を信じない『勝ち組』と『負け組』の対立がありましたから、元皇族が移民で来たことで、本当に負けたと悲しむ人もいたそうです」(ブラジルに詳しいジャーナリスト)

 コーヒー園の経営の後、外国からブラジルに進出する企業向けの不動産業を手がけた。沖縄出身の移民の娘と現地で結婚、1男を授かる。迷わずブラジルに帰化、普段はポルトガル語を使う。

「腰が低く、日系人の親睦会のまとめ役をなさったりして、尊敬を集めていた」(同)

 2008年、皇太子殿下のブラジル御訪問の際には、懇談の席で「両陛下からよろしくとのことでした」とお言葉を賜っている。

 日本よりブラジルが落ち着くと言いながらも、皇室の慶弔に礼を尽くしてきた。

※「週刊新潮」2015年4月30日号

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567名無しさん:2015/05/03(日) 15:14:54
>>566
>首相を務めた東久邇宮稔彦(なるひこ)王

東久邇宮稔彦王
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%B9%85%E9%82%87%E5%AE%AE%E7%A8%94%E5%BD%A6%E7%8E%8B

第二次世界大戦終結後の1945年(昭和20年)8月17日、敗戦の責任を取り辞職した鈴木貫太郎の後を継いで内閣総理大臣に就任、憲政史上最初で最後の皇族内閣を組閣した。
東久邇宮は内閣総理大臣として、連合国に対する降伏文書の調印、陸海軍の解体、復員の処理を実施した。また、「新日本建設に向けて活発な言論と公正な世論に期待する」とし、政治犯の釈放や言論・集会・結社の自由容認の方針を組閣直後に明らかにし、選挙法の改正と総選挙の実施の展望を示した。

1915年(大正4年)に予定通り明治天皇の第9皇女泰宮聡子内親王と結婚。1920年(大正9年)からフランスに留学。サン・シール陸軍士官学校で学び、卒業後はエコール・ポリテクニークで、政治、外交をはじめ広く学んだ。そして、後述するように、この留学時代、フランスの自由な気風に馴染み、クロード・モネやクレマンソーと親交を結んだり、自動車運転や現地恋人との生活を楽しんだ。この留学時代の影響から、皇室随一の自由主義的思想の持ち主として知られるようになる。

日中戦争では第二軍司令官として華北に駐留する。自身の自由主義的思想に基づいて、対中戦争の開戦及びその長期化、対米戦争突入にはきわめて批判的であった。そのような思想の持ち主でありながら、皇族・陸軍幹部というポジションにもいた東久邇宮は、和平派からはたびたび首班候補にあげられるようになる。
1941年(昭和16年)8月5日、昭和天皇と会談した際、天皇は「軍部は統帥権の独立ということをいって、勝手なことをいって困る。ことに南部仏印進駐に当たって、自分は各国に及ぼす影響が大きいと思って反対であったから、杉山参謀総長に、国際関係は悪化しないかときいたところ、杉山は、何ら各国に影響することはない。作戦上必要だから進駐いたしますというので、仕方なく許可したが、進駐後、英米は資産凍結令を出し、国際関係は杉山の話とは反対に、非常に日本に不利になった。陸軍は作戦、作戦とばかり言って、どうもほんとうのことを自分にいわないので困る」と宮に述べた。これに対し、宮は「現在の制度(大日本帝国憲法)では、陛下は大元帥で陸海軍を統帥しているのだから、このたびの仏印進駐について、陛下がいけないとお考えになったのなら、お許しにならなければいいと思います。たとえ参謀総長とか陸軍大臣が作戦上必要といっても、陛下が全般の関係上よくないとお考えになったら、お許しにならないほうがよい」と、明治憲法の枠を越してでも天皇の大権によって陸軍の暴走を食い止めた方が良いと助言したという。しかし、英国訪問時に感銘を受けた立憲君主制への拘りから、昭和天皇には宮の助言は届かなかったという。

米軍占領直後には「終戦」という語句を用いて敗戦の現実を有耶無耶にしようとする流れを批判し、敗戦の現実を認識してはじめて国土再建が成ると閣僚に説いたが、下村陸軍大臣に国民の混乱を防ぎ、時局収拾を円滑にするため「終戦」という言葉を使ってほしいと説得され応じたという。
当時は、まだ制度上は帝国内閣だったにも関わらず、東久邇宮は国民の意見を国政に反映したいと考え「私は皆さんから直接手紙をいただきたい。嬉しいこと、悲しいこと、不平でも不満でもよろしい。参考としたい」と呼びかけたという。すると毎日数百通に上る国民からの手紙が舞い込んできたという。

568名無しさん:2015/05/03(日) 16:51:14
>>555
>>567
統帥権干犯問題って、
濱口雄幸内閣に対して、野党・政友会の犬養毅と鳩山一郎が、
ある意味党利党略のために、統帥権干犯論を利用して、
「批判のための批判」をしたことが、きっかけだったんですね。
五・一五事件で軍部に犬養が殺されたのは皮肉だ。

統帥権
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%B1%E5%B8%A5%E6%A8%A9
濱口雄幸
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BF%B1%E5%8F%A3%E9%9B%84%E5%B9%B8
犬養毅
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8A%AC%E9%A4%8A%E6%AF%85
鳩山一郎
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A9%E5%B1%B1%E4%B8%80%E9%83%8E
森恪
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%AE%E6%81%AA
佐郷屋留雄
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E9%83%B7%E5%B1%8B%E7%95%99%E9%9B%84
藩閥
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A9%E9%96%A5

569とはずがたり:2015/05/04(月) 07:08:52
>>567
おお,俺も,2,3日前たまたまなんか調べてて東久邇宮稔彦王に辿り着いたところでした♪

治安維持法の廃止とかGHQに迫られて国体が維持出来ないと直ぐに内閣を投げ出して総辞職した印象だったのでもっと皇室出身でごりごりの人物かと思ってたけど自由主義者だったんですねぇ。

571名無しさん:2015/05/16(土) 23:13:48
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150513-00010000-bjournal-soci
歴史認識で知日派研究者187人が声明 安倍首相は忠告を受け入れられるか?
Business Journal 5月13日(水)6時1分配信

 米国を中心とした日本研究者、歴史学者ら187人が連名で、日本側の歴史認識を憂慮する「日本の歴史家を支持する声明」と題する文書が公表された。

 署名者の中には、『ジャパン・アズ・ナンバー1』で知られる社会学者のエズラ・ヴォーゲル(ハーバード大名誉教授)、日本近代史が専門で『敗北を抱きしめて』などを書いたジョン・ダワー(マサチューセッツ工科大学名誉教授)、日本の経済や社会構造を専門に研究しているイギリスの社会学者ロナルド・ドーア(ロンドン大名誉教授)ら、著名な知日派学者も含まれている。

●知日派からの愛ある忠告

 書面は「戦後日本が守ってきた民主主義、自衛隊への文民統制、警察犬の節度ある運用と、政治的な寛容さ」「科学に貢献し他国に寛大な援助を行ってきた」点を称賛したうえで、歴史認識、とりわけ慰安婦問題について、昨今の日本から発せられる主張に強い懸念を示している。

 慰安婦制度については、(1)その規模の大きさ、(2)軍による組織的な監理が行われた点、(3)植民地と占領地から貧しく弱い立場の女性を搾取した――という点で、戦時における性的暴力と軍隊にまつわる売春の中でも、「特筆すべきもの」と指摘。「強制連行はなかった」という点を強調し、あたかも朝鮮半島で女性たちが自発的に慰安婦になったかのような主張に対しては、「大勢の女性が自己の意思に反して拘束され、恐ろしい暴力にさらされたことは、すでに資料と証言が明らかにしている」として、被害者が受けた残忍な行為から目を背けないよう、たしなめている。

 この文書が重い意味を持つのは、いわゆる「反日」的な人たちからではなく、日本に好意を持ち、日本をよく知る専門家から出されているからだ。書面の冒頭には、「私たちの多くにとって、日本は研究の対象であるのみならず、第二の故郷でもあります」と、“日本愛”が吐露されている。アメリカで奴隷制度を廃止した後も今なお人種差別が残っていることや、欧米を含めた人種差別や植民地支配についても言及されていて、決して「上から目線」で日本を非難している内容ではない。

 しかも、慰安婦問題をめぐっては、「日本だけでなく、韓国と中国の民族主義的な暴言によっても、あまりにもゆがめられてきました」として、日本だけに問題があるわけではないことも、明記している。この声明は英語と日本語で発せられているが、できれば韓国語と中国語のヴァージョンも発表してもらいたいと思う。

572名無しさん:2015/05/16(土) 23:14:03
>>571
●現政権による出版社や記者への圧力

 書面全体から強く伝わってくるのは、日本に対する「批判」より、「懸念」「心配」「落胆」と、それでも捨てきれない「好意」「願望」「期待」だ。

 こうした知日派の意見が今の時期に発せられたのは、過去の日本の「侵略」を認める発言を避け続ける安倍晋三首相の歴史認識への懸念や、この夏に出される戦後70年の首相談話への関心が高まっていることに加え、日本政府の歴史認識に関する対外発信のやり方に対する違和感が強まっているからだろう。

 例えば、日本の外務省は昨年11月、米国の高校向けの教科書に慰安婦についての誤った記載があるとして、出版社に訂正を求めた。米国では、日本の教科書検定制度のように国が教科書に関与する制度はないため、この訂正要求は「国家による出版に対する圧力」と受け止められた。今年に入ってから、ウォールストリート・ジャーナルなどの有力紙が、日本政府に批判的にこの問題を報じている。3月には、米歴史学者らが日本政府を批判する声明を発している。

 この問題については、その後、日本の歴史学者らが、誤った記載を指摘し訂正を求める要求を出版社に行っている。このように、間違いがあれば、学者同士の議論の中で正されるのが望ましい。いきなり政府が要求を突きつけたことは、出版や学問の場に権力がずかずかと踏み込んでくる印象を強く与えたに違いない。

 こうしたやり方は、米国においては逆効果であり国益に反する結果を招くと駐米外交官がわからないはずはないだろう。それでも抗えないほど首相官邸の指示が強力なのか。それとも日本の外交官の主体的判断力が著しく低下しているのか。あるいは、その両方なのか……。

 現政権は、欧米のメディアに対しても積極的に“意見表明”を行っているようだ。

 4月には、日本に滞在する海外メディアの特派員らで作る日本海外特派員協会の機関誌に、5年間の東京勤務を終えて帰国する独フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイツゥング紙のカーステン・ゲルミス氏が寄せた手記が話題になった。ゲルミス氏も、「私のこの国への愛情は募るばかりだ」と述べたうえで、日本の政府が海外メディアに対して閉鎖的になっている一方で、批判的な報道に対して高圧的な対応をとるとして、次のような経験を書いている。

573名無しさん:2015/05/16(土) 23:14:19
>>572
「私が安倍政権の歴史修正主義に批判的に書いた記事が掲載されると、フランクフルトの日本総領事が、新聞本紙の外交担当のデスクを訪ねてきて、『東京』からの異議を伝えた。中国がこの記事を反日プロパガンダに利用していると抗議したのだ。

 冷え切った90分間の会談の終わりに、デスクは記事が間違えているという事実を証明する情報を総領事に求めたが、それは無駄に終わった。『金が絡んでいると疑わざるを得ない』と外交官は言った。それは、私を、デスクを、そして新聞社全体を侮辱することにほかならない。そして、私の記事の切り抜きのフォルダーを引き出しながら、『中国のプロパガンダ記事を書く必要があるとは、ご愁傷様ですな』と続けた。私がビザ申請の承認を得るためにその記事を書く必要があったらしいと考えているようだった。

 私が? 北京の雇われスパイだって? そこに行ったこともなければ、ビザの申請をしたこともないというのに」(編註:日本語版原文ママ)

 このような対応で、記者や新聞社の論調を変えることができると政府が考えているとしたら、愚かなことだ。

●安倍首相は忠告に耳を傾けるか

 しかし安倍首相自身は、このような手法によるマイナス面には、まったく目を向けないようである。1月29日の衆院予算委員会で、先の米国の教科書の問題について問われると、「主張すべき点をしっかりと主張してこなかった結果、このような教科書が米国で使われている」と述べ、「国際社会においては、決してつつましくしていることによって評価されることはないわけでありまして、主張すべき点はしっかりと主張していく」と意気軒昂だ。

 ところで、米国の大学やシンクタンクでは、中国に対する関心が高まる一方で、日本研究の衰退が著しいという。これが米政権にも影響を与えているのではないかという危機感から、安倍首相は今回の訪米で、ハーバード大、マサチューセッツ工科大、スタンフォード大と相次いで大学を訪問して講演を行った。さらに日本研究への支援のため、マサチューセッツ工科大とコロンビア大、ジョージタウン大に対して、政府予算から約16億円を拠出することを明らかにした。

 日米政府だけでなく、国民同士の理解を深めるためにも、日本をよく知る専門家は大切な存在だ。知日派の研究者を増やしていく努力は必要だろう。ただ、そうであればなおのこと、日本の最もよい理解者である人たちの忠告には、真摯に耳を傾ける必要があるのではないか。

 今回、知日派研究者らが出した書面は、安倍首相の体面にも、十分に配慮している。安倍首相が米国議会での演説の中で、「人権」や「アジア諸国民に苦しみを与えた事実」に触れたことを高く評価。「過去の植民地支配と戦時における侵略の問題に立ち向かい、その指導力を見せる」ことへの期待が述べられている。

 書面は発表前に、首相官邸にも届けられた、とのことだ。友人たちからの心のこもった忠告は、安倍首相の心に届くのだろうか……。

江川紹子/ジャーナリスト

574名無しさん:2015/05/16(土) 23:16:23
http://www.asahi.com/articles/ASH575KGGH57UHBI01Y.html
日本の歴史家を支持する声明(全文)
2015年5月7日21時22分

 米国の歴史研究者らが公表した声明の全文は次の通り。(原文のまま)

     ◇

 日本の歴史家を支持する声明

 下記に署名した日本研究者は、日本の多くの勇気ある歴史家が、アジアでの第2次世界大戦に対する正確で公正な歴史を求めていることに対し、心からの賛意を表明するものであります。私たちの多くにとって、日本は研究の対象であるのみならず、第二の故郷でもあります。この声明は、日本と東アジアの歴史をいかに研究し、いかに記憶していくべきなのかについて、われわれが共有する関心から発せられたものです。

 また、この声明は戦後70年という重要な記念の年にあたり、日本とその隣国のあいだに70年間守られてきた平和を祝うためのものでもあります。戦後日本が守ってきた民主主義、自衛隊への文民統制、警察権の節度ある運用と、政治的な寛容さは、日本が科学に貢献し他国に寛大な援助を行ってきたことと合わせ、全てが世界の祝福に値するものです。

 しかし、これらの成果が世界から祝福を受けるにあたっては、障害となるものがあることを認めざるをえません。それは歴史解釈の問題であります。その中でも、争いごとの原因となっている最も深刻な問題のひとつに、いわゆる「慰安婦」制度の問題があります。この問題は、日本だけでなく、韓国と中国の民族主義的な暴言によっても、あまりにゆがめられてきました。そのために、政治家やジャーナリストのみならず、多くの研究者もまた、歴史学的な考察の究極の目的であるべき、人間と社会を支える基本的な条件を理解し、その向上にたえず努めるということを見失ってしまっているかのようです。

 元「慰安婦」の被害者としての苦しみがその国の民族主義的な目的のために利用されるとすれば、それは問題の国際的解決をより難しくするのみならず、被害者自身の尊厳をさらに侮辱することにもなります。しかし、同時に、彼女たちの身に起こったことを否定したり、過小なものとして無視したりすることも、また受け入れることはできません。20世紀に繰り広げられた数々の戦時における性的暴力と軍隊にまつわる売春のなかでも、「慰安婦」制度はその規模の大きさと、軍隊による組織的な管理が行われたという点において、そして日本の植民地と占領地から、貧しく弱い立場にいた若い女性を搾取したという点において、特筆すべきものであります。

 「正しい歴史」への簡単な道はありません。日本帝国の軍関係資料のかなりの部分は破棄されましたし、各地から女性を調達した業者の行動はそもそも記録されていなかったかもしれません。しかし、女性の移送と「慰安所」の管理に対する日本軍の関与を明らかにする資料は歴史家によって相当発掘されていますし、被害者の証言にも重要な証拠が含まれています。確かに彼女たちの証言はさまざまで、記憶もそれ自体は一貫性をもっていません。しかしその証言は全体として心に訴えるものであり、また元兵士その他の証言だけでなく、公的資料によっても裏付けられています。

 「慰安婦」の正確な数について、歴史家の意見は分かれていますが、恐らく、永久に正確な数字が確定されることはないでしょう。確かに、信用できる被害者数を見積もることも重要です。しかし、最終的に何万人であろうと何十万人であろうと、いかなる数にその判断が落ち着こうとも、日本帝国とその戦場となった地域において、女性たちがその尊厳を奪われたという歴史の事実を変えることはできません。

 歴史家の中には、日本軍が直接関与していた度合いについて、女性が「強制的」に「慰安婦」になったのかどうかという問題について、異論を唱える方もいます。しかし、大勢の女性が自己の意思に反して拘束され、恐ろしい暴力にさらされたことは、既に資料と証言が明らかにしている通りです。特定の用語に焦点をあてて狭い法律的議論を重ねることや、被害者の証言に反論するためにきわめて限定された資料にこだわることは、被害者が被った残忍な行為から目を背け、彼女たちを搾取した非人道的制度を取り巻く、より広い文脈を無視することにほかなりません。

 日本の研究者・同僚と同じように、私たちも過去のすべての痕跡を慎重に天秤に掛けて、歴史的文脈の中でそれに評価を下すことのみが、公正な歴史を生むと信じています。この種の作業は、民族やジェンダーによる偏見に染められてはならず、政府による操作や検閲、そして個人的脅迫からも自由でなければなりません。私たちは歴史研究の自由を守ります。そして、すべての国の政府がそれを尊重するよう呼びかけます。


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