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近現代史綜合スレ
540
:
とはずがたり
:2015/01/03(土) 17:06:18
こんなことがあったのか。
スエズ危機の教訓、ロシアがIMF支援を求めない理由
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141222-00000004-bloom_st-bus_all&pos=3
Bloomberg 2014年12月22日(月)7時0分配信
(ブルームバーグ):軍事進攻が米国の逆鱗(げきりん)に触れ、通貨防衛で準備は枯渇し、ついに国際通貨基金(IMF)に支援を要請することになった。
21世紀の世界地図に描かれたロシアの青写真ではない。1956年に英国が残した足跡だ。衝突の地はウクライナではなく、スエズ運河だった。
IMF融資はロシアが入り込んでしまった金融海峡を抜け出すための明白な手段だが、プーチン大統領は当面これを求めない、求めたくてもできないのは歴史が物語っている。当時も今も、IMF融資には米国の拒否権という不吉な影が差しているからだ。
「IMFに関与を求めるべき状況に至っている」と指摘するのは、メリーランド大学のフィリップ・スウェイゲル教授。IMFと米財務省での勤務歴がある同教授は、「ロシアは助けを必要としているが、プーチン大統領が助けを求める図は想像しにくい。そんなことをすれば屈服したも同然と考えるだろう。それにロシアが支援を要請すれば、米国はそれをレバレッジとして利用する可能性がある」と分析した。
約60年前に当時のアイゼンハワー米大統領が取った行動が、まさにそうだった。
世界貿易のライフラインであったスエズ運河をエジプトのナセル大統領が強引に国有化し、同運河を運営していた企業連合を追い出した後、英国は1956年、フランスを引き連れてイスラエルに加勢し、エジプトに侵攻した。
スエズ危機、ポンド危機
ポンドが投機家の攻撃を受け、英国は窮地に追い込まれた。イングランド銀行(英中央銀行)は自国通貨の防衛で準備を取り崩すしかなかった。
英国にとって「スエズ危機は金融危機でもあった」と、IMFの歴史に詳しいジェイムズ・M・バウトン氏は2001年の研究で指摘した。
ポンド切り下げを回避するために最低限必要とされる20億ドルの準備の維持が困難をきたし、英国は助け舟を探し始めた。米国からの直接援助はなさそうだと判断し、創立から約10年のIMFに目を向けた。
英国の望みはかなえられなかった。ジョージ・ハンフリー米財務長官は英国に対し、IMFの枠組みの中でしか支援はしないと言い放った。当時のIMFは「米国に抵抗するどころか、米国寄りの姿勢にあった」。
エジプト撤退、ルーブル急降下
準備が20億ドルを割り込みそうになった英国はついに折れ、エジプトからの軍撤退を発表した。これによって13億ドルの融資を受けられるようになり、ポンドは救済された。
バウトン氏によれば、「英国が金融支援を必要としていた状況は、米国にこれ以上望みようのないレバレッジを与えた」。
今も同じことが言えるだろうか。
ウクライナに対するロシアの関与が国際的な制裁を招き、これに原油価格の急落が重なり、通貨ルーブルは急降下した。2013年末に4700億ドルあった外貨準備からは、約1000億ドルが消えた。
ブリュッセルの調査グループ、リスボン・カウンシルのチーフエコノミスト、アレッサンドロ・ライポルド氏は「IMFが関与する経済状況と政治的な現実の二つは、全く相いれないものだ」と指摘する。元IMF当局者でもある同氏は、「経済的ケースは昔から新興国にはよくあることで、教科書通りと言っても過言ではない。しかしこれがすぐに起きる政治的なリアリティというのは実際のところ、ゼロに等しい」と述べた。
原題:Cold War-Era Lesson of Suez Crisis as Russia Burns Through Cash(抜粋)
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