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近現代史綜合スレ

525とはずがたり:2014/08/26(火) 14:15:09

2400 :名無しさん:2014/08/26(火) 13:56:53
竹島・武装韓国人の居座りによる日本領不法上陸および不法占拠から60年…消えゆく竹島の漁業の記憶を、絵本で読み聞かせ

竹島(島根県隠岐の島町)で行われていた漁猟の様子を描いた絵本「メチ(同町でのニホンアシカの呼び名)のいた島」の作者、
杉原由美子さん(71)=同町久見=が20日、横浜市立小2校で読み聞かせ会を行った。「竹島に行ってみたい」「何で竹島
の自然が少なくなっているの?」−。児童らの率直な言葉に杉原さんは「今後も気力の続く限り、竹島のことを伝えていきたい」
との思いを新たにしていた。

http://sankei.jp.msn.com/region/news/140621/kng14062102040001-n1.htm

江戸時代から戦後にかけて島根県隠岐の島町に住む漁師たちは当時「メチ」と呼ばれたニホンアシカやアワビ、サザエを
求めて竹島に向かった。昭和29年6月、韓国政府は竹島に武装した海洋警備隊を上陸させた。不法占拠から60年目を
迎える今日も武装要員は居座り続け、竹島と同島周辺12カイリ(約22・2キロ)は日本の漁船が近づけないままと
なっている。

竹島での漁業に携わった漁師のほとんどが鬼籍に入るなかで一人の女性が遺志を受け継ぎ、地道な活動を続けている。
 女性は隠岐の島町に住む元小学校教諭、杉原由美子さん(70)。明治期から昭和にかけて、竹島での漁業の拠点に
なっていた久見地区に生まれ育った。

 東京・多摩地域の小学校教諭として勤務した後、6年前に故郷へ戻った。当時、島根県竹島問題研究顧問だった杉原隆さん
(75)から昭和24年に亡くなった祖父・八幡長四郎さんの遺言を聞き、「何かしなくては。絵本で子供たちに竹島
のことを知ってもらいたいという思いに駆られた」という。

 長四郎さんの遺言は「三家代々受け継いできた竹島の漁業が再び日本人の手に返る時が来たなら、必ず残るものの手で、
竹島を乱獲から守るため漁業権を獲得してもらいたい」というものだった。

長四郎さんは戦前、久見地区にあった「竹島漁猟合資会社」の代表だったが、晩年は連合国軍総司令部(GHQ)が設定した
通称・マッカーサーラインにより、竹島には日本漁船が近づけない状態となっていた。竹島で漁が再開できると信じていた
長四郎さんは、周囲の漁師たちに遺言として、竹島での漁業の将来像を伝えていたのだ。


http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140307/plc14030717430018-n1.htm


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