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近現代史綜合スレ

503とはずがたり:2014/08/11(月) 19:34:14
>>502-503
 戦後の東京裁判でA級戦犯とされた東条英機元首相ら14人が53年に合祀(ごうし)され、60年の中曽根康弘首相(当時)による公式参拝以降、中国、韓国が反発を強めているが、市來さんはこう喝破する。「国のために戦って亡くなった軍人を慰霊するのはどこの国でも当然の行為。内政干渉だ」

 ◆生き残り「私だけ…」

 東京の夏の風物詩として親しまれ、毎年約30万人の参拝者でにぎわう靖国神社の「みたままつり」。今年も7月13〜16日、英霊への感謝と平和を祈念して大小3万超のちょうちんが境内に掲げられた。その中に、「第二師団第十六連隊」という連隊名とともに、個人名が記された33個のちょうちんがあった。

 「新潟県新発田市にあった歩兵16連隊での同年兵の数と、自分の出陣のときの番号です。今や同年兵の中の生き残りは、私だけになってしまいました」

 ちょうちんを献灯したのは東京都大田区の●屋(すみや)久平さん(92)。33個のちょうちんに込めた思いを、こう語った。

 新潟県魚沼市出身。17年11月に南洋のニューブリテン島(パプアニューギニア)に出征後、フィリピン、シンガポール、ビルマ、中国で任務に就いた。

 ニューブリテン島では苦戦していたガダルカナル島への出撃に備えていたが、直前になって中止に。その代わりに担当したのが、野戦病院での遺体処理だった。

 火葬にすると敵の爆撃目標になるので土葬にしたが、深さ5メートルほどの穴を掘っては遺体を埋めるというつらい作業の連続だった。「戦友たちに土をかけ終わるまで涙が止まらず、埋葬後も戦友たちの家族に思いをはせると再び涙が出た」

 戦後は都内で修理業や食肉販売店などを営んだが、くじけそうになるたびに「戦場で亡くなった戦友に申し訳ない」と歯を食いしばって耐えてきた。靖国神社に参拝すると、戦友の面影を思い浮かべながら平和の尊さをかみしめる。

 ◆「自立した日本を」

 戦後日本の平和の礎となった英霊たち。国の行く末を案じながら亡くなった彼らの思いを、どう受け継ぐべきか。

 市來さんにとって、国防を忌避する風潮を強める戦後日本の光景は「平和ボケ」と映る。「戦争を嫌う気持ちは誰にもある。しかし、自分たちが自分の国を守らなくてどうするのか」

 史上最大の戦艦「大和」の副砲長としてレイテ沖海戦に参戦するなどした元海軍少佐、深井俊之助さん(100)=東京都世田谷区=もこう口にする。

 「今の世代に言い残したいことは、とにかく、自立した日本を取り戻してほしいということだ」

 日本の安全保障環境が厳しさを増す中、英霊の思いを代弁する元軍人たちの言葉は重い。(花房壮)

 【用語解説】靖国神社 明治政府が明治2年、戊辰戦争での官軍の戦死者を弔うため、東京・九段に東京招魂社を創建、12年に現在の名称となった。「国を靖(安)んずる」の意味で、明治天皇が命名した。先の大戦はもとより日清戦争(明治27〜28年)、日露戦争(37〜38年)などの戦没者のほか、坂本龍馬や吉田松陰ら幕末の志士も合祀されている。祭神総数は246万6千柱余に上る。


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