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近現代史綜合スレ

539とはずがたり:2014/09/21(日) 19:23:33

開戦前夜 「なと波風のたちさわくらむ」 御製読まれ暫時の沈黙
http://sankei.jp.msn.com/life/news/140921/imp14092111040001-n1.htm
2014.9.21 11:04

 《会議のまさに終了せんとする時、天皇より御発言あり。(中略)天皇は、毎日拝誦(はいしょう)されている明治天皇の御製(ぎょせい)「よもの海みなはらからと思ふ世になと波風のたちさわくらむ」が記された紙片を懐中より取り出し、これを読み上げられ、(陸海)両統帥部長の意向を質(ただ)される。満座は暫時沈黙の後、軍令部総長は、(第一に外交努力を尽くすとした)枢密院議長の発言の趣旨と同じ考えであり、(中略)参謀総長よりも軍令部総長の発言と全然同じである旨の奉答あり》

 対米開戦の準備方針などを決めた昭和16年9月6日の御前会議。昭和天皇実録には、軍靴の響きを高める陸海軍を何とか抑えようとする昭和天皇の姿が、克明に記されている。

 その前日、(1)自衛のため10月下旬をめどに戦争準備を完成する(2)外交手段を尽くして日本の要求を英米に認めさせる−とした「帝国国策遂行要領」の報告を受けた昭和天皇は、(1)と(2)の順序を入れ替えるよう要求。急きょ参内(さんだい)した杉山元参謀総長らを叱責した。

 《参謀総長より(中略)南方作戦は約五箇(か)月にて終了の見込みである旨を奉答するも、天皇は納得されず、(中略)支那事変当初、(杉山は)陸相として連戦即決と述べたにもかかわらず、未(いま)だに事変は継続している点を御指摘になる。参謀総長より、支那の奥地が広大であること等につき釈明するや、天皇は支那の奥地広しというも、太平洋はさらに広し(中略)と論難(ろんなん)され、強き御言葉を以(もっ)て参謀総長を御叱責になる》(同年9月5日)

 天皇の要求もむなしく、翌日の御前会議で同要領は原案通り決定された。この時の昭和天皇の思いは、明治天皇の御製を読んだ冒頭の場面からうかがえる。

 この御前会議の決定を、覆した人物がいる。開戦時の首相、東条英機だ。同年10月18日の組閣の際、天皇の意向に従い、同要綱を白紙に戻してぎりぎりまで外交交渉に努めた。

 開戦の最大の責任者とされた東条を、昭和天皇はあまり批判しなかった。そこにはこうした経緯もあったようだ。


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