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近現代史綜合スレ

519とはずがたり:2014/08/22(金) 10:50:02
>>518-519
 では、そんな吉田清治が「慰安婦狩り」という物語を創作したのはいつ、なにがきっかけなのか。吉田のことが書かれた記事が朝日で初掲載されたのは1982年9月2日の大阪本社版朝刊社会面。大阪市内で行った講演で、「済州島で200人の若い朝鮮人女性を『狩り出した』」とぶちまけた。つまり、シナリオは1980年から1982年の間に練られたということになる。

 ご本人もすでに鬼籍に入っているので真相は分からないが、この2年の間に吉田氏にインスパイアを与える「何か」があったと考えるのが自然である。

●経歴がほとんどウソ

 いったい何か。個人的には1981年から『しんぶん赤旗』で連載された森村誠一氏の小説『悪魔の飽食』が関係しているのではないかと思っている。

 ご存じのように、旧日本軍で人体実験を行っていたとされる「関東軍731部隊」について赤旗記者の下里正樹氏の取材に基づいたもので「日本軍のおぞましい戦争犯罪」を告発したノンフィクション小説として大きな話題になった。

 1963年、吉田は『週刊朝日』の「私の8月15日」というテーマでの懸賞手記に応募して佳作をとっている。早くから戦争体験でメシを食いたいという志向があった。そんな人物が『悪魔の飽食』を目にしたらどう思うだろう。

 単純に「悔しい」と思うのではないか。「人体実験」と比べたら、畑仕事をしている朝鮮人を無理矢理トラックにのせて連れ去るなどパンチが弱過ぎる。もっとエグく、もっとインパクトのある戦争犯罪に“脚色”しなければ埋没してしまう。そんな風に思わなかったか。

 そう考えると、これまではまったく言及されなかった「慰安婦狩り」がなぜ1982年にポンと飛び出したのかが分かる。ただ、その一方で、吉田清治(本名・吉田雄兎)という人物が単なる詐話師レベルではないほど怪しい人物であることもまた事実だ。

 吉田のウソをいち早く見抜いた秦郁彦氏の『慰安婦と戦場の性』(新潮選書)を読むと、吉田清治という人物の経歴がほとんどウソでかためられていたことが分かる。本人が在籍したと言い張る大学や勤務先には、そのような記録は残っていなかったという。確かに、私自身、下関へ仕事に行った際に時間があったので、吉田が下関市議に出馬したころの住所へ行ってみたが、そこには彼やその一族のことを知る者を見つけることはできなかった。

●吉田清治のバックグラウンド

 これは一般的な話だが、戦争犯罪を“捏造”する人というのは、なにかしらの政治的なバックがあることが多い。有名なのは、1990年の湾岸戦争で、イラク兵が産婦人科病院で生まれたての乳児300人以上を床に投げ捨てて虐殺したと証言した15歳のクウェート人少女である。

 この告発によって“イラク許すまじ”という世論が高まって戦争へと突入したわけだが、後に吉田清治の「慰安婦狩り」と同様に真っ赤なウソだったことが明らかになる。少女は在米クウェート大使の娘さんで、クウェートから世論形成を請け負ったPR会社の書いたシナリオどおりに「イラクの戦争犯罪を目撃した少女」を演じただけだった。だったら、この経歴不明の怪しい男も、なにかしらの依頼を受けて「吉田清治」を演じていたと考えられないか。

 1970年ごろに日ソ協会役員をしていた男が80年代になるとまるでなにかの“天啓”を受けたかのように突然、「慰安婦狩り」を触れ回ったのはなぜなのか。

 今回、朝日が出した記事は「謝罪」でも「訂正」でもなく、「慰安婦問題どう伝えたか 読者の疑問に答えます」という上から目線の解説記事だった。

 無知な我々に「慰安婦問題の本質」を教え諭すのもいい。そういう新聞だ。ただ、吉田清治にすべての罪をかぶせるのなら、せめてもうちょっと彼のバックグラウンドを調べて教えてくれないか。


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