したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

選挙・議員関連情報スレ

1■とはずがたり:2002/11/04(月) 21:34
とりあえず気付いたニュースなどを張り付ける事にしておく。

3750名無しさん:2012/10/25(木) 01:38:36
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121021-00000068-mai-peo
<訃報>ジョージ・マクガバンさん90歳=米元上院議員
毎日新聞 10月21日(日)22時24分配信

 ジョージ・マクガバンさん90歳(米民主党元上院議員)21日死去。ロイター通信によると、加齢による体調悪化で、ホスピスで療養していた。
 ケネディ政権の大統領特別補佐官として活躍し、米民主党のベトナム反戦派リーダーとしても知られた。1972年の大統領選に立候補したが、共和党のニクソン氏に敗れた。63年から81年までサウスダコタ州選出の上院議員を務めた。

3751名無しさん:2012/10/26(金) 16:17:19
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121026-00000025-asahi-soci
前国交相ら書類送検 市長選支援めぐり公選法違反容疑
朝日新聞デジタル 10月26日(金)15時47分配信

拡大写真
前田武志・前国土交通相

 民主党の前田武志・前国土交通相(75)=参院比例=が国交相在任中に岐阜県下呂市長選候補への支援を依頼する文書を送っていた問題で、岐阜県警が前田前国交相ら数人を公職選挙法違反(公務員の地位利用など)の疑いで岐阜地検に書類送検していたことが、捜査関係者などへの取材でわかった。

 ほかに書類送検されたのは、民主党の山田良司衆院議員(52)=比例東海、前下呂市長=と、前田前国交相の当時の政務秘書官ら。

 捜査関係者などによると、前田前国交相は山田氏の依頼を受け、4月の下呂市長選の告示前、民主党前衆院議員の新顔候補への支援を依頼する国交相名の文書を下呂建設業協会幹部に送るなどした疑いがある。政務秘書官はこの文書について、山田氏側からメールで受け取った文面を直して印刷するなどしたという。

3752名無しさん:2012/10/26(金) 16:23:01
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121026-00000054-mai-soci
<下呂市長選>前田前国交相ら書類送検 支援要請文書で
毎日新聞 10月26日(金)16時1分配信

 前田武志・前国土交通相(75)=参院比例=が国交相在任中、建設業界団体に岐阜県下呂市長選の立候補予定者への支援を要請する文書を送ったとされる問題で、岐阜県警が前田前国交相らを公職選挙法違反(公務員の地位利用など)容疑で岐阜地検に書類送検していたことが26日、捜査関係者への取材で分かった。ほかに書類送検されたのは民主党の山田良司衆院議員(52)=比例東海、前下呂市長=ら。
 捜査関係者らによると、前田氏は山田氏の依頼を受け、今年4月の下呂市長選の告示前、立候補を予定していた元愛知県犬山市長で元民主党衆院議員の石田芳弘氏への支援を要請する文書を、下呂建設業協会幹部に送付した疑いがもたれている。

 文書は「犬山市長時代に敏腕市長として全国に名を馳(は)せた実力は折り紙付き。石田氏に対するご指導、ご鞭撻(べんたつ)をよろしくお願いいたします」などと記され、前田氏が署名。前田氏の名刺を同封して国交省の封筒で送付されていた。

 下呂市長選で石田氏は、自民党などが推薦する現職に敗れた。

 参院本会議で4月20日、前田氏の問責決議案が可決され、前田氏は6月の内閣改造で国交相を退任した。【加藤沙波】

3753名無しさん:2012/10/28(日) 06:32:44
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/kagoshima/news/20121027-OYT8T01084.htm

徳田虎雄氏が徳之島訪問

 元衆院議員で医療法人徳洲会理事長の徳田虎雄氏(74)が27日、約9年ぶりに出身地の徳之島を訪れた。伊仙町の名誉町民授与式などに出席し、島民の熱い歓迎を受けた。

 徳田氏は徳之島町出身。1990年に衆院旧奄美群島区で初当選し、当選4回。2002年に筋萎縮性側索硬化症(ALS)を発症し、05年に政界を引退した。現在は神奈川県で闘病生活を送っている。

 徳田氏は今回、名誉町民授与式に合わせて奄美群島を訪問。26日には与論島、沖永良部島を訪れ、27日午前、ヘリで徳之島入りした。30、31日には喜界島と奄美大島を訪れる。

 この日、徳之島空港では大勢の島民らが出迎えた。車いす姿の徳田氏が現れると大きな歓声が上がり、涙ぐむ人も。天城町松原、前田伍一さん(69)は「みんな待ち望んでいた。よく帰ってきてくれた」と話し、徳田氏の手を握って久しぶりの再会を喜んだ。

 徳田氏は人工呼吸器を使用しているため声が出せず、文字盤を使って「あと10年は病院をつくり続ける。(あなたたちも)元気でいてくれ」などと出迎えた島民らをねぎらった。

 伊仙町の町制施行50周年記念式典では、大久保明町長から名誉町民の称号記が手渡され、妻の秀子さんが「難病にかかり、体を動かすことも呼吸することもできませんが、頭はますますさえわたっています。命のある限り故郷の奄美のため頑張り続けます」との徳田氏のメッセージを代読。会場から大きな拍手が送られた。

(2012年10月28日 読売新聞)

3754名無しさん:2012/10/29(月) 15:03:39

2012年10月29日12時3分
「秘書宅に事務所費計上」報道 前原氏「問題ない」
http://www.asahi.com/politics/update/1029/TKY201210290120.html

 前原誠司国家戦略相の政治団体「まえはら誠司東京後援会」が、秘書が住む東京都内のマンションに「主たる事務所」を置き、1千万円を超える経費を計上していたとする産経新聞の報道を受けて、前原氏側は29日、「事務所の実態はあり、問題はない。詳しくは午後に説明する」と答えた。

 同後援会の政治資金収支報告書によると、「主たる事務所」は東京都江東区のマンション一室。登記簿によると、この部屋は前原氏の元政策秘書で、現在は私設秘書を務める男性の所有になっている。マンションの表札には秘書の名字があり、後援会の看板はない。

 この秘書は朝日新聞の取材に、「(マンションでは後援会の)郵便物を受け取っている。別に悪いことはしていない」と答えた。

 収支報告書によると、経費の支出欄には2006〜10年の5年間で「人件費」が計約893万円、「備品・消耗品費」が計約93万円、「事務所費」が計約32万円が計上されている。代表者や事務担当者などの欄に、この秘書の名前はない。

3755名無しさん:2012/10/29(月) 15:04:50

前原大臣「事務所費」問題 野田首相と面会、問題を説明か
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00234366.html

前原国家戦略担当相の政治団体が、「主たる事務所」として総務省に届け出ている東京都内のマンションの一室が、前原国家戦略相の秘書の住居とみられることがわかった。前原国家戦略相は29日午前、首相官邸を訪れて野田首相と面会し、事務所費をめぐる問題について説明したものとみられる。

前原国家戦略相は、およそ30分間、野田首相と面会したあと、足早に首相官邸をあとにした。

前原国家戦略相は、「実態のない事務所に経費を計上したということですが、ご説明いただけますか?」という記者の質問に無言だった。

面会では、事務所費をめぐる問題について、説明したものとみられる。

一方、この問題について、藤村官房長官は「政治資金については、政治資金規正法にのっとり、従い、各政治団体が、責任を持って処理することが基本です」と述べた。

自民党の石破幹事長は、「その(事務所費)問題で、自民党・公明党政権時代に閣僚が辞任するということが起こっているわけであって、異同があるかということを、よく確認したうえで、ことの本質を明らかにし、大臣の責任というものを明らかにしたい」と述べ、事実関係を確認したうえで、前原国家戦略相の責任を追及していく考えを示した。
(10/29 11:52)

3756名無しさん:2012/10/29(月) 15:07:24

前原氏、進退波及も 秘書宅を事務所届け出1200万円計上2012.10.29
http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20121029/plt1210291135001-n1.htm

 前原誠司国家戦略相の政治団体「まえはら誠司東京後援会」が2004〜10年、秘書の自宅マンション(東京都江東区)の1室を「主たる事務所」として総務省に届け、1200万円超の経常経費を計上していたことが29日までに分かった。秘書の親族は、事務所の実体がないと証言した。かつて閣僚が相次いで辞任した事務所費をめぐるずさんな経理処理を続けていたことになり、悪質性が注目される。前原氏の進退問題に波及する可能性も出てきた。

 政治資金収支報告書や官報によると、東京後援会は02年末に秘書宅を主たる事務所として総務省に届け出た。04年から7年間で、事務所費と人件費に光熱水費、備品・消耗品費を合わせた経常経費の総額は約1232万円に上る。

 マンション1室には政治団体の看板はなく、収支報告書には東京後援会の連絡先として、京都市の前原氏の事務所の電話番号が記載されている。前原氏の事務所によると、部屋に会議室など専用スペースはなく、常勤職員も雇っていない。住人は産経新聞の取材に対し、「事務所として使われていない。事務機器などはなく、郵便物も届かない」と話した。

 前原氏の事務所は東京後援会について、「東京で政治資金パーティーを開催することを目的とする団体。名簿整理や発送などの大量の事務が発生した際、京都事務所に委託しているため、このような収支報告となっている」と説明。さらに、「京都事務所で委託を受けた事務を処理するために使用した人件費や光熱水費を計上した。意図的に(支出を)不透明にしているものではないが、より分かりやすい報告とするよう検討する」としている。

 前原氏は在日外国人から政治献金を受領したとして、昨年3月に外相を辞任。今月初めの内閣改造で、国家戦略相として再入閣した。

 事務所費問題をめぐっては、自民党政権時代に、佐田玄一郎元行革担当相や、松岡利勝、赤城徳彦、太田誠一の各農水相らの政治団体でも浮上。野党時代の民主党の追及を受け、佐田氏や赤城氏は閣僚を辞任した。

 前原氏がどのように説明するかとともに、野田佳彦首相の任命責任も注目されそうだ。

3757名無しさん:2012/10/29(月) 15:09:24

秘書宅を事務所に経費計上
[2012年10月29日 12:02]
http://www.oita-press.co.jp/worldMain/2012/10/2012102901001534.html

 前原誠司国家戦略担当相(京都2区)の政治団体「まえはら誠司東京後援会」が東京都江東区の私設秘書の自宅マンションを「主たる事務所」として届け出て、2005〜10年に1千万円超の事務所費などを計上していたことが29日、分かった。秘書の妻は共同通信の取材に「ここは事務所として使われていない」と話しており、不透明な経理処理と指摘されそうだ。

 前原氏側は「事務所の実態はあった。問題ない」としている。

 政治資金収支報告書によると、東京後援会は05〜10年に人件費計約893万円、事務所費計約32万円、備品・消耗品費として計約107万円を計上。

3758名無しさん:2012/10/29(月) 15:12:35

前原氏政治団体、秘書宅を事務所届け出
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye5167977.html

 前原国家戦略担当大臣の政治団体が秘書の自宅マンションの一室を「主たる事務所」として届け出て事務所費などの経費を計上していたことがわかりました。

 政治資金収支報告書などによりますと、前原大臣の政治団体である「まえはら誠司東京後援会」は東京都内にある秘書の自宅を「主たる事務所」として届け出て、2009年と2010年の2年間で人件費およそ500万円、事務所費およそ30万円など経常経費として550万円余りを計上していました。

 自民党の石破幹事長は「前原大臣本人から見解を聞くことがまず必要」と指摘していて前原大臣側は事実関係を確認した上で29日中にも説明したい、としています。

 また、事務所として登録されているマンションの住民は、JNNの取材に対し、「秘書は住んでいるが、事務所としての実態はない」と話しました。

Q.事務所として登録されていると聞いたことは?
 「ないです。書類が来るので受け渡しをしたことはあります。ここは事務所ではないので」(秘書の親族)

 事務所費の問題をめぐっては自民党政権時代に閣僚が「事務所としての実体が無い」などと指摘され辞任した経緯があり、臨時国会で野党側から追及されることになりそうです。(29日11:17)

3759名無しさん:2012/10/29(月) 15:15:59

前原大臣秘書のマンションを事務所費1230万円計上(10/29 11:49)
http://news.tv-asahi.co.jp/news/web/html/221029015.html

前原国家戦略担当大臣の政治団体が、前原大臣の秘書のマンションの一室を事務所として登録し、事務所費を計上していたことが分かりました。

 前原大臣の政治団体「まえはら誠司東京後援会」は、「主たる事務所」として東京・江東区にある秘書のマンションの一室を登録し、事務所費や光熱費などを計上していました。その額は、2009年に人件費255万円、事務所費26万円などで、光熱費などを含めた経常経費の総額は2004年からの7年間で1230万円余りに上っています。これについて、前原大臣の事務所は「東京都選挙管理委員会と相談して登録した。郵便物の受け取りなど事務所としての実態はあり、問題ない」としています。この件について、前原大臣は29日にも説明する予定です。

3760名無しさん:2012/10/31(水) 06:12:51

女性初の衆院議員、山口シヅエさん死去
2012.10.31 01:23
http://sankei.jp.msn.com/life/news/121031/trd12103101240000-n1.htm
 山口シヅエさん(やまぐち・しづえ=本名・山口静江、元衆院議員)4月3日、腎不全のため死去、94歳。葬儀は済ませた。後日、「お別れの会」を開く予定。

 昭和21年の総選挙で女性初の衆院議員に当選。「下町の太陽」と呼ばれ、社会党から自民党に移りながら30年以上にわたって議員を務めた。

3761名無しさん:2012/10/31(水) 06:50:20

2012年10月30日21時51分
山口シヅエさん死去 日本初の女性衆院議員
http://www.asahi.com/obituaries/update/1030/TKY201210300589.html

 日本初の女性衆院議員の一人で、「下町の太陽」と呼ばれた元衆院議員の山口シヅエ(本名・静江)さんが4月3日に腎不全のため死去した。94歳だった。葬儀はすでに行われており、支援者を中心に近く「お別れの会」を計画。代表取締役を務める山口シヅエガーデンが「故人の思いで誕生日の10月31日まで公表を控えるとの指示があった」として30日に発表した。

 東京都墨田区出身。1946年衆院選に社会党から立候補し、初当選。売春防止法制定に尽力した。67年に社会党を離党し、自民党にくら替えして話題を呼んだ。衆院当選13回。

3762名無しさん:2012/10/31(水) 06:51:52

女性初の議員 山口シヅエ氏死去
10月31日 1時50分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20121031/k10013133491000.html

女性初の国会議員の1人で13回の当選を重ねた元衆議院議員の山口シヅエ氏が亡くなりました。94歳でした。

これは、山口氏が代表取締役を務めていた企業が発表したものです。

山口シヅエ氏は、大正6年に東京で生まれ、昭和21年に当時の社会党に入党し、女性の立候補が初めて認められたこの年の衆議院選挙で初当選しました。山口氏は、その後、自民党に移り、経済企画政務次官などを務め、引退するまでに合わせて13回当選しました。昭和52年には勲一等瑞宝章を受章しました。

山口氏が代表取締役を務めていた企業によりますと、山口氏は、腎不全のため、ことし4月3日に94歳で亡くなったということですが、本人からみずからの誕生日である10月31日まで公表を控えるよう指示があったとしています。

3763名無しさん:2012/10/31(水) 06:53:35

訃報:山口シヅエさん94歳=元衆院議員
毎日新聞 2012年10月31日 01時33分(最終更新 10月31日 04時31分)
http://mainichi.jp/select/news/20121031k0000m060121000c.html

山口シヅエさん=1979年撮影
写真特集へ

 山口シヅエさん94歳(やまぐち・しずえ<本名・静江>元衆院議員)4月3日、腎不全のため死去。葬儀は既に営み、別途「お別れの会」を開く。

 東京都出身。婦人参政権が認められた1946年4月の衆院選に旧社会党から初当選し、わが国初の女性議員の一人になった。「下町のアイドル」として親しまれ、旧東京6区などで13期務めた。また、67年5月に同党を離党し、同年9月に自民党に入党した。山口さんが代表取締役を務めていた会社によると、「次の誕生日(10月31日)が私の第二の人生のスタート」という本人の意向を踏まえ、死去を伏せていた。

3764名無しさん:2012/10/31(水) 07:07:40

山口シヅエさん死去(元衆院議員)
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2012103100098
 山口 シヅエさん(やまぐち・しづえ、本名静江=元衆院議員)4月3日、腎不全のため東京都中央区の病院で死去、94歳。東京都出身。葬儀は済ませた。後日、お別れの会を行う。

 女性に参政権が認められた1946年総選挙で旧社会党から立候補し、初当選。離党後は自民党に入党し、当選13回。経済企画政務次官などを歴任。勲一等瑞宝章を受章した。関係者によると、故人から生前、10月31日までは公表を差し控えるよう指示を受けていたという。(2012/10/31-06:56)

3765名無しさん:2012/10/31(水) 10:51:43
民主党:離党の水野氏「第三極」に望み 県連幹部「政治行動一貫性ない」 /千葉− 毎日jp(毎日新聞)
http://mainichi.jp/area/chiba/news/20121030ddlk12010250000c.html

民主党:離党の水野氏「第三極」に望み 県連幹部「政治行動一貫性ない」 /千葉
毎日新聞 2012年10月30日 地方版

 民主党県連に所属する水野智彦衆院議員(比例南関東)が29日離党届を提出し、減税日本に合流する見通しとなった。選挙区地盤を持たない水野氏は、来夏の参院選で比例代表から立候補を模索していたが、業界団体の推薦獲得が難航し、「第三極」に加わることに望みをかけたとみられる。消費増税法案に反対して以来、離党を巡り態度が揺らぎ続けた水野氏に、民主党県連からは「政治行動が一貫せず理解できない」(幹部)と冷ややかな声もあがっている。【田中裕之、斎川瞳】

 「党の方針、政府の方針に疑問を感じ、ついていけない」。離党届を提出後、衆院議員会館で開いた記者会見。水野氏は、党・政府の消費税への対応や復興予算の使い方などを批判しながら離党の理由を述べた。

 歯科医師の水野氏は89年に勝浦市で水野歯科医院を開業。07年に無所属で県議選(勝浦市・夷隅郡選挙区)に立候補したが落選した。09年衆院選で、当時の小沢一郎・民主党代表代行(現国民の生活が第一代表)の誘いで民主党の比例南関東ブロックの単独候補になり、初当選した。当選後は小沢氏と行動を共にし、6月の消費増税法案の衆院採決で反対票を投じた。

 小沢氏は7月、他の造反議員と一緒に水野氏から預かった離党届を提出したが、水野氏は撤回。その際、支援者から「何しに国会に行ったのか」などの批判があったことを明かし「政策をやるという初心を忘れていた。来年度の予算までしっかり民主党でやらせていただく」と反省していた。

 しかし、水野氏の“迷走”は続いた。来夏の参院選の比例代表候補になるため、8月に日本歯科医師連盟の選考委員会で意見を述べるなど同連盟の推薦を得ようと活動していたが、自民党の石井みどり参院議員の推薦(今月18日に内定)が有力視されたことなどから、今月に入り断念。その一方で、9月には毎日新聞の取材に対し「いろいろなところから(勧誘の)話があって、話だけは聞いている」と第三極勢力に接触している事実を認め、「(離党は)これから先どうなるか分からない」とも述べていた。

 関係者によると、水野氏は民主党側から次期衆院選で同党の候補がいない県内の空白区に立候補を打診されたこともあったが、選挙地盤がない水野氏は躊躇(ちゅうちょ)。民主党県連の田嶋要代表は「(離党騒動の度に)本人は『二度とこういうことになりません』と言っていたのに。離党は残念だが、気持ちが揺らぐのは本人の性格だろう」と突き放した。水野氏を支援してきた県歯科医師連盟の砂川稔会長は「26日に本人と電話し、離党の意思を知った」と戸惑いを隠さず、「今後の成り行きを見て対応を考えたい」と述べるにとどめた。

3766名無しさん:2012/10/31(水) 11:44:56
http://www.wa-dan.com/article/2012/10/post-1289.php
生存見せかけ隠蔽工作か 山口シヅエ氏の元秘書直撃

 今年4月に息を引き取っていた山口シヅエ元衆議院議員。女性初の国会議員で、「タレント議員」の走りと言える存在だった。が、訃報はどこにも見当たらず、地元・墨田区押上の商店街でも、その死はまったく知られていない。内情を知る関係者のA氏によると、山口氏が所有する貸しビル会社「山口シヅエガーデン」の取締役で元秘書のO氏(62)が、死亡後もヘルパーを派遣させたり、死亡届にいとこの名前を使用して提出するなど、"隠蔽工作"と思われてもおかしくない不可解な行動を取っているという。

 周辺を調べると山口氏が所有する貸しビル会社「山口シヅエガーデン」の商業登記簿の記載におかしな点があることがわかった。

 山口氏は、4月3日に死去しているのに、5月28日にこれまで務めていた代表取締役の重任が決まり、6月29日に登記されている。死者が代表を務める会社が存在していいものなのか。5月28日には、O氏の親族とみられる男性も新たに取締役に就いた。

 この謎を解明するべく、週刊朝日はO氏を電話で直撃した。O氏は山口氏の死を認めた上で、「隠蔽」を否定した。

「密葬にしたのは、すべて山口先生のご遺志です。周囲に迷惑をかけたくないとのご意向で、公表を控えていました。社長職についても、ずっと生まれ育った押上で暮らしたいという先生の希望があり、名前だけを残しています」

 ヘルパー派遣を続けていることや、死亡届の不自然さなどを指摘すると、

「それも先生から言われていたことです。先生は親族とは絶縁状態にあり、私が生前にいとこに会って名前を使う許可を得ていました。いとこは、葬儀にはお見えになっていません。また、先生は神道ですので、死んだ後に祭壇にお神酒をあげたりといった作業を、生前に親しかったヘルパーにお願いしていました。生前はヘルパーは10人ほどいましたが、今は本当に親しかった3人で回しております。お金はこちらからお願いしているわけですから、問題はありません」

※週刊朝日 2012年11月2日号

3767名無しさん:2012/10/31(水) 11:46:22
http://www.wa-dan.com/article/2012/10/post-1306.php
山口シヅエ「死亡隠蔽」 名前使われたいとこ完全否定

 東京都墨田区押上の下町が、いま大騒ぎになっている。その理由はほかでもない、週刊朝日が先週号で報じた山口シヅエ元衆議院議員の訃報(ふほう)である。

 女性初の国会議員の一人として当選13回、「下町の太陽」と呼ばれた山口氏が4月3日、94歳で亡くなっていた。ところが、元秘書で身辺を取り仕切るO氏(62)が死の"隠蔽"を画策。埋葬も行わず、遺骨が置かれた押上の自宅に生前からのホームヘルパーが死後半年以上たった現在も通い続けるという、ただならぬ事態となっているのだ。

 週刊朝日は今回、新たに都内に住む山口氏の父方のいとこの男性B氏(75)から話を聞いた。B氏が語る。

「記事を見て驚きました。10月初旬に突然、税務署から相続税の問い合わせの書類が来た。わけがわからずO氏側に連絡を取ろうとしても電話がつながらず、困っていたんです」

 O氏は親族にも死を伝えず、品川区の桐ケ谷斎場で行われた密葬にも呼ばなかった。死亡届も、O氏がB氏の名前を使って提出しており、週刊朝日には「生前に(B氏の)許可を得ていた」と弁明していた。が、これについてB氏は、「そんな話は聞いてない」と完全否定するのだ。1970年代に山口氏の秘書を務めた男性(82)はこう語る。

「最近はO氏が会社を乗っ取ったような状態で、心配していたんです。先生は5、6年前まで昔の秘書仲間を集めて誕生会をやっていたが、車椅子になりO氏が身辺を取り仕切るようになると、昔からの従業員は辞めさせられ、秘書たちも遠ざけられた。財産の寄付は私も相談されていたが、立ち消えになってしまった」

 週刊朝日は再三、O氏に再取材を試みたが、事務所は「いない」と応じず、携帯電話もつながらなかった。先のB氏が憤る。

「せめてきちんとお葬式をして遺骨を家族の墓に埋葬したいのに、記事が出た後もO氏とまったく連絡がとれない。刑事告訴の可能性も含め、弁護士と相談するつもりです」

※週刊朝日 2012年11月9日号

3768名無しさん:2012/11/06(火) 21:17:05

元衆院副議長の安井吉典氏死去
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2012110600966

 安井 吉典氏(やすい・よしのり=元衆院副議長、元社会党副委員長)6日午前8時55分、肺炎のため横浜市の病院で死去、97歳。北海道東神楽町出身。葬儀は10日午前10時から川崎市川崎区砂子1の4の3の宗三寺養光閣で。喪主は妻弥生(やよい)さん。

 旧東神楽村長を経て、58年の衆院旧北海道2区から社会党公認で初当選。連続当選11回。89年6月から90年1月まで衆院副議長を務めた。90年、勲一等旭日大綬章を受章した。 (2012/11/06-20:38)

3769名無しさん:2012/11/08(木) 11:53:30

中曽根蔦子さん死去 「ロン・ヤス」外交 内助の功
産経新聞 11月8日(木)7時55分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121108-00000116-san-pol

拡大写真
来日したレーガン米大統領夫妻を別荘に招待した際、いろりを囲みお点前を披露する中曽根康弘首相(右手前)。蔦子夫人(右奥)はおそろいのチャンチャンコを用意した=東京・西多摩の日の出山荘 (昭和58年11月撮影)(写真:産経新聞)

 10月30日に91回目の誕生日を迎え、夫の中曽根康弘元首相や長男の中曽根弘文・自民党参院議員会長、ひ孫ら家族に囲まれてケーキのろうそくを吹き消し、にぎやかなひとときを過ごしたばかりだった。

 元首相と結婚したのは昭和20年2月、23歳のとき。復員して内務省に勤務していた夫は戦後、役所を辞めて政治家を志す。

 「役人だから安心してお嫁にきたのに選挙ばかり」とぼやくこともあったというが、初めての選挙のときは投票日が臨月にあたり、大きなおなかを抱えて挨拶回りに励んだ。関係者は「とても穏やかな人柄。内助の功で康弘氏と家族を支えてきた」と振り返る。

 ファーストレディーとなって公邸入りした際には「主人は睡眠5時間くらい。通勤時間がゼロというので主人本位で越して参りました」と、オーバーワークの夫を気遣いつつ、その激務を支えた。

 昭和58年1月の初の訪米時、当時のレーガン大統領が元首相に「自分をロンと呼んでくれ。あなたをヤスと呼んでいいか」と提案し「ロン・ヤス」関係を築いた水入らずの朝食会にも、蔦子(つたこ)夫人の姿があった。

 同年11月に大統領が来日した際には、別荘の「日の出山荘」に夫妻を招いた。昼食会ではチャンチャンコ姿で大統領夫妻と食事。元首相が「家内たちもファーストネームでやったらどうか。蔦子の蔦はアイビーだから、ナンシー、アイビーでどうか」と提案すると、ナンシー夫人が大笑いする場面もあった。

3770名無しさん:2012/11/09(金) 18:44:01

民主政権の機密費35億円超 政府答弁書 未使用額は3886万円
2012.11.9 18:21 [野田内閣]
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/121109/stt12110918240008-n1.htm

閣議に臨む(左から)前原国家戦略相、野田首相、岡田副総理=9日午前、国会

 政府は9日の閣議で、民主党が政権交代を果たした平成21年9月から今年11月5日までに歴代の官房長官に支出された内閣官房報償費(機密費)が計35億2千万円に上るとする答弁書を決定した。未使用額は約3886万円で、国庫に返納したとしている。

 答弁書によると、野田内閣が発足した昨年9月2日以降、藤村修官房長官に支出された機密費は計13億3千万円で、国庫返納した未使用額は約2172万円。24年度の支出日は4月6日、同27日、5月30日、6月29日、7月31日、8月30日、9月28日で各1億円。

 藤村氏は海外の事例を参考に機密費の使途公開の在り方を検討する意向を示しているが、取りまとめ時期が当初の9月中からずれ込んでいる。答弁書は米、英、ドイツ、フランスの4カ国を調査中とした。

 共産党の塩川鉄也衆院議員の質問主意書に答えた。

3771名無しさん:2012/11/15(木) 20:47:03
たかじんの委員会 三宅久之最後の出演回(2012.3.25)

http://www.youtube.com/watch?v=6QklHq8l2GY
http://www.youtube.com/watch?v=C9zpbeHvdU4
http://www.youtube.com/watch?v=ShfYdrumKiU
http://www.youtube.com/watch?v=vTpIuD49nd8
http://www.youtube.com/watch?v=q0lopDZDinI
http://www.youtube.com/watch?v=QS-VSgbFZJE

3772名無しさん:2012/11/16(金) 16:43:30
三宅久之さん死去

3773名無しさん:2012/11/29(木) 11:21:08
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121121-00000092-mai-peo
<訃報>階正さん75歳=階猛前衆院議員の父
毎日新聞 11月21日(水)21時12分配信

 階正さん75歳(しな・ただし=階猛前衆院議員の父)20日死去。通夜は22日午後6時、盛岡市材木町5の1のエヴァホール材木町別館。葬儀は23日午後4時、同市志家町1の10のサンセール盛岡。自宅は岩手県雫石町下町東20の1。喪主は長男猛(たけし)さん。

3774名無しさん:2012/12/18(火) 23:43:35
<イノウエ議員死去>後継不在「痛手」 日本からも惜しむ声
毎日新聞 12月18日(火)22時8分配信

 ダニエル・イノウエ米上院議員の死去に、日本国内からも「日米関係にとって大事な人を失った」と惜しむ声が相次いだ。藤村修官房長官は18日午前の記者会見で、「在米日系人社会の結束を強化するなど、日系関係の発展に尽力され、その功績は言葉では言い尽くせない。ご遺族、米国政府、米国民の皆さまに心から哀悼の意を表したい」と語った。

 イノウエ氏は中国が台頭する中、日米同盟の重要性を訴えてきた。10月に来日した際には、野田佳彦首相と会談。首相が尖閣諸島(沖縄県石垣市)をめぐり日米の連携強化を求めると、「日米関係は米国にとっても重要で、さらに強化するため全力を尽くしたい」と応じた。

 玄葉光一郎外相は会見で、「初めての日系議員で、50年以上にわたり日米関係の発展強化に力を尽くした」と指摘。前原誠司国家戦略担当相も「大事な方を失ったが、日米関係の重要さは変わらない。関係強化に努力した者として、さらに人間関係を太くして議員の労苦に報いたい」と語った。

 イノウエ氏が来日するたびに面会してきた河野洋平元衆院議長は「日米の議会交流を進めようと一緒に努力してきた。成果を得る前に亡くなり残念だ」と述べた。

 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題では、11年6月に来日した際の記者会見で、「(米国側の)堪忍袋の緒が切れることもある」と苦言を呈することもあった。

 外務省幹部は「大きな痛手だ。米国の知日派議員は少なくなっており、第2、第3のイノウエ議員を作らなければ」と沈痛な面持ちで語った。【吉永康朗】

3775名無しさん:2012/12/19(水) 04:25:05
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121218-00001564-yom-peo
中川露子さん(中川雅治自民党参院議員の母)が死去
読売新聞 12月19日(水)0時3分配信

 中川露子さん 87歳(なかがわ・つゆこ=中川雅治自民党参院議員の母)11日死去。告別式は20日午前10時、東京都品川区西五反田5の32の20桐ヶ谷斎場。喪主は長男、雅治(まさはる)氏。

3776名無しさん:2012/12/19(水) 18:13:31
<訃報>中内力さん81歳=元神戸経済同友会代表幹事
毎日新聞 12月19日(水)13時7分配信

 中内力さん81歳(なかうち・つとむ=元神戸経済同友会代表幹事、神戸ポートピアホテル元会長)15日、急性心不全のため死去。葬儀は近親者のみで営んだ。後日、お別れの会を開く予定。喪主は妻安子(やすこ)さん。

 ダイエー創業者の故中内功氏の末弟で、ダイエー専務や神戸ロータリークラブ会長などを歴任した。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121219-00000044-mai-peo

3777名無しさん:2012/12/19(水) 20:08:55
http://www.chibanippo.co.jp/c/newspack/20121219/115192
自民、交付金145億円で首位 衆院選受け試算
2012年12月19日 18:08

 衆院選で圧勝した自民党の2013年の政党交付金が、12年から44億3600万円増え145億9千万円になることが19日、共同通信の試算で分かった。09年の政権交代直前の約157億円に近い水準まで戻る。民主党は、79億4500万円減の85億5800万円とほぼ半減。

 初めて対象になる日本維新の会は27億2500万円、日本未来の党は8億6500万円。

 公明党は25億6600万円、みんなの党17億9400万円、社民党5億4200万円、国民新党2億4600万円、新党改革1億2500万円。

 新党大地と新党日本は政党要件を失った。制度に反対している共産党は除いた。

3778名無しさん:2012/12/20(木) 00:37:34
維新に27億円、民主は半減 政党交付金で明暗(12/20 00:05)

衆院選で大敗した民主党が来年受け取る政党交付金は、今年の約半分となることが分かりました。

 衆院選の結果を受け、来年分の政党交付金の各党への配分額を試算しました。その結果、政党交付金の見込み額は、民主党が前回の約165億円から85億5800万円とほぼ半分になることが分かりました。一方、自民党は前回より40%以上増えて約146億円となる見通しです。また、日本維新の会には27億2500万円、未来の党には8億6500万円が初めて交付される見込みです。
http://www.tv-asahi.co.jp/ann/news/web/html/221219064.html

3779名無しさん:2012/12/21(金) 03:34:41
http://www.asahi.com/obituaries/update/1221/TKY201212201027.html
2012年12月21日2時48分
元社会党衆院議員の中村茂さん死去

 中村茂さん(なかむら・しげる=元社会党衆院議員)が19日、心不全で死去、92歳。通夜は22日午後6時、葬儀は23日午後1時から長野県上田市上田2552の1の上田愛昇殿で。喪主は長男幸一さん。自宅は同市中央北1の8の8。

 1972年衆院選、旧長野2区で初当選。連続6期務め、党国会対策副委員長、党長野県本部委員長、社民党長野県連合顧問などを務めた。

3780名無しさん:2012/12/22(土) 19:32:35
.

3781名無しさん:2012/12/28(金) 11:35:47
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121225-00001618-yom-peo
中尾辰義氏(元公明党参院議員)が死去
読売新聞 12月26日(水)0時36分配信

 中尾辰義氏 96歳(なかお・たつよし=元公明党参院議員)20日、肺がんで死去。告別式は近親者らで済ませた。喪主は長男、邦広(くにひろ)氏。

 1959年の参院選全国区で初当選、4期務めた。党参院国会対策委員長などを歴任した。

最終更新:12月26日(水)0時36分

3782名無しさん:2012/12/29(土) 22:40:07
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121229-00000562-san-pol
「自民党は圧勝しすぎ」引退の池坊氏 親しい安倍首相を心配
産経新聞 12月29日(土)22時5分配信

拡大写真
「民主党は人の機微を学びなさい」再起を促す池坊保子前衆院議員=東京・紀尾井町のホテルニューオータニ、「KATO’S DINING & BAR」(酒巻俊介撮影)(写真:産経新聞)
 平成24年の暮れを自民、公明両党のマンモス政権で迎えるなんて、誰が予想したでしょうか。「ちょっと勝ちすぎ」と警鐘を鳴らすのが、今回の衆院選で引退した公明党の池坊保子前衆院議員だ。与野党に幅広い人脈を持つ池坊さんは、親しい安倍晋三首相が国のかじ取りを急進的に変えることに強い危機感を覚える。他方、民主党が復活するキーワードは「人間の機微」と強調。華麗かつ壮絶な人生経験をもとに、政界の今後を占ってもらった。

 池坊さんと待ち合わせたのは、東京都千代田区のホテルニューオータニ内にある和食店「KATO’S DINING&BAR」。池坊さんご指定の個室からは、首都高越しに赤坂御所の深い森が見える。「この部屋が数々の政治ドラマの舞台になった」といい、平成14年には、ここで山崎拓自民党幹事長(当時)から「二女の美佳さんを衆院補選に出してほしい」と頼まれたこともあったという。

 料理は、ホテルの高級料亭「千羽鶴」と同じ厨房(ちゅうぼう)で作る本格派だ。早速先付けの「野菜煮浸し トマトジュレ」が運ばれてきた。レンコンやカボチャなど根野菜の煮浸しに、酸味の聞いたトマトのゼリーがアクセントを効かしている。

 「私は公明党の議員だったけど、唯一(支持母体の)創価学会員じゃなかったでしょ。新進党から移籍するときにバッシングも受けたけど、不思議と私に面と向かって批判する人はいなかった。自立性だけは人一倍強いのよ」

 池坊さんの父は元貴族院議員の梅溪通虎。久邇宮朝彦親王は曽祖父にあたり、母上は香淳皇后と従姉妹同士にあたられる。池田動物園園長で天皇陛下の姉、池田厚子さんの夫・池田隆政さんとも再姉妹。昭和38年に500年以上の歴史を持つ華道・池坊家に嫁ぎ、平成8年の衆院選で政界にやってきた。

 一見すると華やかな一族と経歴が目を引くが、僕が池坊さんに感じるのは、決して受け身体質ではなく、強くたくましく、かつしなやかに筋を通すイメージだ。新進党から移籍先に公明党を選んだのも、教育や子育て対策など、子どもへの福祉政策をライフワークとして取り組むためだったという。

3783名無しさん:2012/12/29(土) 22:41:21
「私の父は終戦で爵位も奪われ、財産も取られた。山ほどあった満州鉄道の株は紙くずになり、いわば価値観が根底から崩れたのよ。そこで育った私は、小さなころから、すべてを『本当か』と一歩引いてみながら生きてきた。東京から嫁いだ京都でも、イケズ(意地悪)にある意味鍛えられ、たくましくなったわ。自分で考え、選び、責任はすべて自分が引き受ける。自分で言うのもなんだけど、主体性はすごくあると思う」

 そういう視点からみると、今回の衆院選の結果はどう映りますか。自民、公明両党が3分の2以上の勢力確保と大勝し、民主党はわずか57議席に終わりました。

 「自民党が正直ここまで圧勝するとは思わなかったな。安倍さんとは親しく、彼は官房長官時代、多忙の合間を縫って私主催の会で講演してくださった。とても優しい方だけど、心配なのは今のテンションが高いことね」

 5年前の安倍内閣は「お友達人事」などの批判を受け、わずか1年で崩壊した。今回は閣内にベテラン勢を配置し、まずは安全運転に徹しているように思いますが…

 「私が一番恐れるのは、経済対策ね。安倍さんはデフレ脱却を最優先課題に掲げ、日本銀行に2%の物価上昇目標(インフレターゲット)を据えるよう求めている。だけど、インフレで物価が上がっても、ただちに皆さんのお給料は上がるかしら。日銀法改正もちらつかせながら、過度に干渉する姿勢も危うさを感じる。平成24年度の補正予算案も、規模は10兆円でしょ。来年度末までに使い切れなければなりませんが、余ってしまうのではないかしら」

 テーブルに「炙りふぐ細造り 鉄皮和」が運ばれてきた。ふぐは山口県下関産で、ぷりぷりの食感と香ばしさがたまらない。池坊さんはお酒を飲まないが、「どんどん飲みなさい」との言葉に甘え、水内は冷やの日本酒をオーダーした。

 「私は日本に2大政党制をちゃんと根付かせたいと思っているけど、これだけ衆院で自民党の力が強くなると、安倍さんは『なんでもできる』と錯覚を起こさないかしら。右傾化しすぎることも心配。日本の政治にはある程度、リベラル的な力も必要よ」

 ただ今回民主党はあまりに大敗しすぎ、今後も2大政党の一翼を担うか不透明なところもある。

 「野田佳彦前首相はよくやった。消費税増税は誰かが決断しなければならないから、野田さんは火中のクリを拾われたのだと思う。後世には必ず評価されるわ。民主党の一部議員で問題だったのは、『松下政経塾』的な育ち方ね。松下幸之助さんも草葉の陰で泣いていますよ。政治家は国民生活に大きな影響を与える法律を作るのだから、人の痛みや苦しみが理解できなければならない。でも、優秀な人にお小遣いをあげて純粋培養しても、なかなか人の心の機微はわからない。組織に所属し、不条理な上司に口惜しい思いをしたり、嫌な同僚に気を使いながら人間力を養うのよね。政治は原理・原則ではダメ。情愛や包容力のない政治家は不適格よ。野田さんは政経塾出身だけど、人の心に寄り添う繊細なところは持っていたわね」

3784名無しさん:2012/12/29(土) 22:42:20
政経塾といえば、前原誠司元外相はどうですか。京都出身ということもあり、池坊さんはかなり親しい関係と思いますが。

 「彼は本当にかわいがっている。頭の回転の速さはピカ一だし、正義感も強い。ただ、まだ彼はまだ若いのだから、焦ることはないのよ。以前、『オバマ氏は47歳で米大統領になった。僕も頑張らなきゃ』といわれたことがある。『まだあなたは若いじゃない』と返しても『そうはいかないんです』と。苦労して育ててくれたお母様に、早く晴れの姿を見せたいと思っているのかしら。私も子を持つ親として、気持ちはわからないでもない」

 池坊さんは、民主党全体へのアドバイスとして「自民党の長老がいかにして若手議員を育てているかを学んでほしい」と説く。

 「長老の方々には、人のかゆいところに手が届く気配りを持った方がたくさんいる。その姿勢を丹念に教えていますよ。二階俊博元経済産業相なんて大好き。道ばたで出会い、『先生、このみかんおいしいから半分食べな』って突然手渡されたりね。何気ないけど、こうした気配りが有権者の心をくみ取る基礎になる」

 池坊さんが、まろやかな「カニの豆乳グラタン仕立て」をゆっくり味わう。カニに湯葉とカニの出汁を合わせたソースを絡め、オーブンでふっくら焼き上げた逸品だ。室内にはBGMのクリスマスソングが小さく響く。

 「それにしても、民主党の議員は1人1人は優秀なのに、どうして組織になるとダメなのかしら。みんな自分が一番偉いと思っているのでしょう。野球は投手だけでなく、野手も含めた9人でやるの。投手しかいなければ、勝てないのは当たり前よ。この体質が変わらない限り、民主党は再生しない。『日本維新の会』なんてわけのわからないものじゃなく、2大政党制をしっかりさせるためにも民主党に生まれ変わってほしいわ」

 美佳さんは、来年夏の参院選京都選挙区で民主党から出馬する。「私が祖母から受け継いだ政治のDNAは、美佳に引き継いでほしい」という池坊さん。美佳さんの背中を押す姿からは「民主党に立ち直ってほしい」との思いがにじみ出る。

 師走の喧噪をよそに、ゆったり流れる個室の時間。池坊さんが、「私のふぐ雑炊は、卵を入れて、ご飯少なめのサラサラね」とオーダーした。

 今回躍進した日本維新の会はどう映りますか。

 「橋下徹代表代行が注目を集めたけど、彼の石原慎太郎代表に対する気持ちって、自分の父親に対する憧憬(どうけい)の部分が見え隠れする。あの人は強くてリードする『親父』像にあこがれているんじゃないかしら。でも、2大政党制の片方が民主か維新かわからなくなるとは思わなかった」

 御所の森は深い闇に包まれた。ふぐ雑炊が、日本酒で温まった胃にハラハラと落ちていく。池坊さんは、揺れ幅が大きい選挙結果が続く原因として、一面的になりがちな有権者の意識を指摘する。

 「私は野党になった3年半前、すごくガックリ来たの。あの冬柴鉄三元国土交通相が、なんであんな人形抱えた人に負けるのか。逆にいえば、その前の『郵政選挙』も恐ろしかった。『郵政改革は正しい。改革改革』って叫べば、変な人でもバッジを付けてね。政治家自身は改革したくないくせに、よ」

3785名無しさん:2012/12/29(土) 22:42:52
池坊さんは今年8月、英国を訪れ、留学中の13歳の孫娘から痛烈な言葉を聞いた。

 「彼女は『日本の政治は最低よ。みんなで足を引っ張り合って、できるものもできなくしている』というの。私が初当選した16年前とくらべ、日本の政治は確実に劣化したわ。今はみんながテレビにどう出るか競うのみ。自分の周囲しか見えないのよね。政治って誠実で、着実で、真摯(しんし)で、真面目で、地味なものと思うけど、今はこんな考えバカらしく思われるもんね」

 劣化を食い止める重責は民主党が担うとみている。

 「1党支配は政治を傲慢(ごうまん)にさせる。与党を脅かす緊張感を早く取り戻してほしい。そのためにも『政治は規律』と学ぶこと。かつ、人の生臭い生き方にも対応できるようにならないとね。言い方は気をつけなければならないけど、『必要悪』ってあるの。沖縄に米軍基地はない方がいいに決まっている。でも、基地がなければ日本国民全体の生活が脅かされるのよ。必要性をしっかり判断しつつ、沖縄の人々の心に寄り添えるのが政治じゃないの」

 まだまだ池坊さんは意気軒高。若手政治家を鍛える大仕事も残っているように思いますが・・現役引退に未練はありませんでしたか。

 「本当はね、3年半前に野党に転落したとき、転機かなって思ったの。フルタイムで働くのもいやになっていたし、選挙応援で何度も同じ話をするのも負担になっていた。第一、いい天気の日に、あんな国会の暗い委員会でつまらない人の話なんか聞きたくないでしょうが!」

 池坊さんは21日、自身の半生を描いた「華の血族」(新潮社)を出版。心身に気力はまだ満ちあふれている。若手議員を叱咤する姿が永田町から消えるのはなんとも惜しい。

 【KATO’S DINING&BAR】東京都千代田区紀尾井町4ー1 ホテルニューオータニ・ガーデンコート ロビィ階 電話は03ー3221ー2857。営業時間はランチ・午前11時半〜午後2時、ティータイム・午後2時〜午後5時、ディナータイム・午後5時〜午後8時半、バータイム午後5時〜午後10時(ラストオーダーは午後9時半)。

3786名無しさん:2013/01/01(火) 17:36:35
http://www.jiji.com/jc/zc?key=%CC%A6%C7%AF&k=201212/2012122900124
野田毅、岡田氏ら65人=巳年に「復活と再生」誓う−政界年男年女

 2013年、巳(み)年生まれの国会議員は、自民党の野田毅税制調査会長、民主党の岡田克也前副総理ら65人を数える。蛇は脱皮することから「復活と再生」を連想させるといわれる。夏には安倍政権や各党の命運が懸かる参院選を控えており、それぞれ新年に向けて飛躍を誓った。
 最年長組は72歳となる1941年生まれで、自民党の野田氏、民主党の横路孝弘前衆院議長、江田五月元参院議長ら7人。野田氏は「社会保障と税の一体改革を仕上げるためにも、自民党は参院選で勝利し、責任を持ってやっていく」と決意を示す。
 同じく41年生まれの自民党の衛藤征士郎前衆院副議長は「衆参共に安倍内閣を支える政権基盤の確立を願っている」と語り、川口順子元外相は「日本は世界第3の経済国。世界の安定的な発展と平和のために貢献したい」と抱負を述べた。
 衆院選で歴史的大敗を喫した民主党は、党再生が最大の課題。横路氏は「あと10年ぐらいは政治活動を頑張りたい。来年は自民との対立軸を打ち出し、党再生の第一歩を踏み出したい」と意気込む。江田氏も「(新年は)国会に出て36年目。これでピリオドというわけにはいかない」と語る。
 還暦を迎える53年組は18人。岡田氏は「政権交代がきちんとできる一方の柱として民主党がある。党を立て直していくことが、日本の民主主義にとって必要だ」と決意を新たにする。東日本大震災の被災地選出の黄川田徹前復興担当副大臣は「真の復興元年の年にしたい」と力を込めた。
 最年少は36歳になる77年生まれで、みんなの党の井出庸生衆院議員ら5人。(2012/12/29-14:04)

3787名無しさん:2013/01/01(火) 17:37:48
http://www.jiji.com/jc/c?g=obt_30&k=2013010100081
ベアテ・シロタ・ゴードンさん死去=日本国憲法起草に従事

ベアテ・シロタ・ゴードンさん=2010年5月、ロサンゼルス

 【ニューヨーク時事】第2次大戦後、日本国憲法の男女平等に関する条項を起草したことで知られる米国人女性ベアテ・シロタ・ゴードンさんが12月30日、膵臓(すいぞう)がんのためニューヨークの自宅で死去した。89歳だった。関係者が31日、明らかにした。
 ゴードンさんは22歳の時、連合国軍総司令部(GHQ)のスタッフとして憲法案起草に従事。両性の平等を規定した24条など、人権に関わる条項を担当したほか、草案の翻訳作業にも通訳として加わった。
 1923年、オーストリア生まれ。著名なピアニストだった父レオ・シロタさんが当時の東京音楽学校(現東京芸術大学)で教職に就いたため、少女時代の10年間を日本で過ごした。 (2013/01/01-11:09)

3788名無しさん:2013/01/03(木) 09:53:32
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121229-00000354-yom-pol
安倍政権の閣僚ら、政治資金から不適切支出続々
読売新聞 2012年12月29日(土)11時35分配信

 安倍政権を支える閣僚や自民党幹部らが、自身が入会するライオンズクラブ(LC)の会費や慶弔費を、政治資金から支出していたことが、政治資金収支報告書から分かった。

 各議員は、会費を返金するなどの対応を取ったという。

 甘利明経済再生相の資金管理団体「甘山会」は2005〜11年、甘利氏と秘書が入会する地元LCの会費計約190万円を支出した。過去にも政治団体がLCの会費を支払ったケースはあるが、LCは政治活動を持ち込まないことがルールとされており、議員個人として参加したことになるため、政治資金から会費を支出することは「公私混同」にあたると指摘されてきた。甘利事務所は「政治活動はしていないが、過去の会費は本人が返金する」とした。石破茂幹事長の政治団体「石破しげる後援会」も10〜11年、LCの会費計約37万円を支出。石破事務所は「政治活動の一環と疑いを持たれることがあり得る」とし、石破氏が同後援会に返金したという。

 衛藤晟一首相補佐官の政党支部「自由民主党東京都参議院比例区第78支部」と資金管理団体「新世紀政策研究会」は09年、「香典」「結婚式祝儀」「お祝い」などの名目で11人7団体に計67万円を支出した。選挙区内の個人や団体に寄付を禁止した公職選挙法に抵触する可能性がある。衛藤氏の政策秘書は「常識の範囲内と思っていたが、税理士と相談し、10年以降の支出はやめた」としている。

 また、木村太郎首相補佐官の政治団体「木村太郎後援会連合会」も09〜11年、選挙区内の13人に香典計約27万円を支出。読売新聞の指摘を受け、木村氏本人が相当額を同会に返金した。稲田朋美行政改革相の政党支部「自由民主党福井県第1選挙区支部」も09〜10年「香典」「お祝い」「祝儀」として、自身の選挙区の3人に計8万円を支出。稲田事務所は「調査する」としている。

最終更新:2012年12月29日(土)11時35分

3789名無しさん:2013/01/13(日) 10:15:04
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130108-00001627-yom-peo
水田清子さん(水田三喜男元蔵相の妻、城西大名誉理事長)が死去
読売新聞 1月9日(水)0時23分配信

 水田清子さん 100歳(みずた・せいこ=水田三喜男元蔵相の妻、城西大名誉理事長)4日、老衰で死去。密葬は近親者で済ませた。大学葬は17日午後1時、東京都文京区大塚5の40の1護国寺。葬儀委員長は長岡実同大理事。喪主は長男、博久氏。

最終更新:1月9日(水)0時23分

3790名無しさん:2013/01/13(日) 10:16:39
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130110-00001674-yom-peo
山田英介氏(元衆院議員)が死去
読売新聞 1月11日(金)0時6分配信

 山田英介氏 67歳(やまだ・えいすけ=元衆院議員)昨年11月25日、S状結腸がんで死去。葬儀は近親者で済ませた。喪主は妻、礼子(れいこ)さん。

 1979年に衆院旧埼玉4区で公明党から出馬し初当選。計5期務めた。94年の新進党結党に加わった。

最終更新:1月11日(金)0時6分

3791名無しさん:2013/01/13(日) 20:54:26
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130113-00000596-yom-pol
瓦力・元防衛庁長官が死去、75歳
読売新聞 1月13日(日)20時32分配信

 元自民党衆院議員の瓦力氏が13日、肺炎で死去。

 75歳。告別式は近親者のみで行い、23日午前11時、石川県七尾市本府中町ヲ38の七尾サンライフプラザでお別れ会が開かれる。

 1972年に衆院初当選、竹下内閣で防衛庁長官を務めたが、88年の潜水艦「なだしお」衝突事故で引責辞任した。衆院当選12回。第2次橋本改造内閣では建設相を務めたほか、小渕新連立内閣、森内閣でも防衛庁長官に就いた。

最終更新:1月13日(日)20時32分

3792旧ホントは社民支持@鹿児島市:2013/01/15(火) 21:11:53
清水澄子さん死去(元社民党参院議員)
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_date1&k=2013011500750
 清水 澄子さん(しみず・すみこ=元社民党参院議員)14日午後0時37分、肺がんのためさいたま市内の病院で死去、84歳。福井県出身。葬儀は19日午前10時からさいたま市大宮区天沼町2の580のシルバー葬祭センターで、近親者のみで執り行う。喪主は夫茂夫(しげお)氏。
 89年参院選比例代表で旧社会党から立候補し初当選。当選2回。経済企画政務次官、社民党副党首を歴任した。(2013/01/15-18:12)

3793名無しさん:2013/01/22(火) 10:57:11
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130121-00001629-yom-peo
佐藤泰三氏(元自民党参院議員)が死去
読売新聞 1月22日(火)0時22分配信

 佐藤泰三氏 88歳(さとう・たいぞう=元自民党参院議員)21日、腎不全で死去。告別式は27日午前10時、埼玉県川口市芝5の16の30さがみ典礼芝葬斎センター。喪主は妻、孝子(たかこ)さん。1992年の参院埼玉補選で初当選し、当選3回。国土交通副大臣などを務めた。

最終更新:1月22日(火)0時22分

3794名無しさん:2013/01/23(水) 13:04:28
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130122-00001705-yom-peo
野々山一三氏(元社会党参院議員)が死去
読売新聞 1月23日(水)0時22分配信

 野々山一三氏 89歳(ののやま・いちぞう=元社会党参院議員)19日死去。告別式は24日午前11時、愛知県刈谷市東新町3の211イズモ葬祭セレモニーホール刈谷貴賓館。喪主は次男、孝也(たかや)氏。

 1962年の参院選全国区で初当選し、2期務めた。

最終更新:1月23日(水)0時22分

3795名無しさん:2013/01/23(水) 13:05:17
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130122-00000061-mai-peo
<訃報>貴志八郎さん82歳=元社会党衆院議員
毎日新聞 1月22日(火)19時9分配信

 貴志八郎さん82歳(きし・はちろう=元社会党衆院議員)21日、肺がんのため死去。通夜は23日午後7時、葬儀は24日午後1時、和歌山市吹上2の3の36の吹上ホール。喪主は長男啓一(けいいち)さん。

 90年、衆院旧和歌山1区で初当選し、1期務めた。

最終更新:1月22日(火)19時9分

3796名無しさん:2013/01/23(水) 13:06:36
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130123-00000161-mailo-l30
貴志八郎さん死去:元社会党衆院議員、「庶民の視点」惜しむ声 /和歌山
毎日新聞 1月23日(水)12時58分配信

 県選出の元社会党衆院議員で、県議や和歌山市議も務めた貴志八郎(きし・はちろう)さん(82)が21日、肺がんのため亡くなった。通夜は23日午後7時、葬儀は24日午後1時、和歌山市吹上2の3の36の吹上ホールで営まれる。自宅は和歌山市橋丁7。喪主は長男で同市議の啓一(けいいち)さん(56)。

 同市出身。1959年に同市議選に初当選して2期務め、67年に県議選に同市選挙区から初当選して6期務めた。その後、90年の衆院選に当時の和歌山1区から立候補して初当選、1期務めた。一貫して同党の議員として活動。86年に藍綬褒章、07年に旭日中綬章を受章した。
 啓一さんによると、議場では「庶民の視点」を大切に裏金や談合を追及する一方で、30代から糖尿病を患って闘病。6年前に肺がんが見つかり、2年前に再発して抗がん剤治療を続けていた。啓一さんは「政治家として信念を曲げなかったおやじは自分の原点」と話した。
 「貴志八(きしはち)さん」の愛称で親しまれた貴志さん。紀の国医療生協の設立を縁に約30年の付き合いという泉南生協(オレンジコープ)の笠原優理事長(62)は「糖尿病と闘いながら選挙を戦っていたが、苦しい時も前向きだった」と振り返る。今月28日に和歌山市弘西にオープンする同生協のサービス付き高齢者向け住宅「おひさま」の建設にも支援を惜しまず、開所式では乾杯の音頭を取る予定だった。「年賀状には『必ず行くから待っててくれ』と書かれていた」と惜しんだ。【中村好見、新土居仁昌】

1月23日朝刊

3797名無しさん:2013/01/24(木) 21:17:18
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130123-00001556-yom-peo
佐藤剛男氏(元自民党衆院議員)が死去
読売新聞 1月24日(木)0時26分配信

 佐藤剛男氏 75歳(さとう・たつお=元自民党衆院議員)23日、肺炎で死去。告別式は28日午後2時、福島市黒岩堂ノ後(どうのしろ)35たまのや黒岩斎苑中央ホール。喪主は長女の夫、雅裕(まさひろ)氏。

 1993年に衆院旧福島1区で初当選し5期務めた。内閣府副大臣や首相補佐官などを歴任した。

最終更新:1月24日(木)0時26分

3798名無しさん:2013/01/24(木) 21:18:54
http://www.minpo.jp/news/detail/201301246213
佐藤剛男元衆院議員死去 当選5回 内閣府、法務副大臣歴任 75歳

 内閣府、法務の両副大臣を務めた元衆院議員佐藤剛男(さとう・たつお)氏は23日午前5時55分、肺炎のため福島市の病院で死去した。75歳。自宅は福島市上野寺字竹ノ内76。通夜は27日午後5時から、告別式は28日午後2時からともに市内黒岩のたまのや黒岩斎苑中央ホールで。喪主は福島市選出の県議で長男の雅裕(まさひろ)氏。(21面に追悼記事)
 福島市出身。東京都立日比谷高、東京大法学部卒。同大在学中に司法試験に合格した。昭和36年、旧通産省に入省し、中小企業庁総務課長、同小規模企業部長などを歴任した。平成5年の衆院選で旧本県1区に自民党公認で立候補し、初当選を飾った。小選挙区制導入後は本県1区で連続3回当選。17年の衆院選では比例東北に立候補し、5選を果たした。郵政政務次官、衆院内閣委員長なども務め21年に政界を引退した。
 内閣府副大臣兼首相補佐官として北海道を襲った十勝沖地震をはじめとする災害からの復旧事業を推進、法務副大臣として裁判員制度の円滑なスタートに力を尽くした。通産官僚出身の経歴を生かし、福島市の福島西工業団地への企業誘致を進めたほか、常磐自動車道や東北中央道、福島西道路の整備促進にも努めた。21年秋の叙勲で旭日大綬章を受章した。
 東洋大名誉教授岡本磐男氏の妻千枝子さんの弟。

( 2013/01/24 09:34 カテゴリー:主要 )

3799名無しさん:2013/02/05(火) 10:30:05
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130204-00001647-yom-peo
竹本哲子さん(随筆家、故竹本孫一・民社党政審会長の妻)が死去
読売新聞 2月5日(火)0時20分配信

 竹本哲子さん 101歳(たけもと・てつこ=随筆家、故竹本孫一・民社党政審会長の妻)心不全で1日死去。告別式は3日済ませた。「誰も書けなかった選挙裏方30年」など著書多数。郷里宮崎県内の社会福祉法人・石井記念友愛社顧問。宮崎市内、正幸会文庫に竹本哲子展示室。源氏物語研究家としても知られた。

最終更新:2月5日(火)0時20分

3800名無しさん:2013/02/05(火) 21:21:08
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130201-00001792-yom-peo
エドワード・コッチ氏(元米ニューヨーク市長)が死去
読売新聞 2月2日(土)0時4分配信

 エドワード・コッチ氏 88歳(元米ニューヨーク市長)米メディアによると1日、ニューヨーク市内の病院でうっ血性心不全のため死去。1969年から連邦下院議員を4期務めた後、77年に同市長選に当選。市経済を立て直し、89年まで3期務めたが、犯罪対策などが後手に回り、4選を阻まれた。自伝がミュージカル化されたほか、引退後は民主党でありながら、2004年の大統領選で共和党のブッシュ大統領を支持するなど度々話題を集めた。(ニューヨーク)

最終更新:2月2日(土)0時4分

3801名無しさん:2013/02/06(水) 23:08:22
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130206-00000501-sspa-soci
“タダの人”以下(?)に成り下がった落選議員の今昔 有馬晴海氏
週刊SPA! 2月6日(水)14時0分配信
★「タダの人」になった元国会議員のその後

 「今回、落選した議員のなかには、そもそも政治家としての資質があったかどうか疑わしい人も多い」と政治評論家の有馬晴海氏は嘆く。

 「先日の衆院選後、民主党で落選者を集めての懇談会が行われ、その場で、今後の生活や活動資金への不安を落選者が党幹部に訴えました。『早く次期衆院選の公認候補に決定してくれないと困る』と7月の参院選の手伝いを引き換えに党からの支援を迫っていました。そこに政治家としての理念や哲学は感じられませんよね」

 「神風」によって当選し、その後落選した人たちは国会議員をカネを稼ぐ職業とでも考えているのか。

 「1期務めたくらいで国に貢献したとでも思っているのでしょうか。そんなこともわからずに、さもしい発言をすること自体ただの数合わせ要員だったことの証左になる」

 大勝に伴い、大量に誕生した1年生議員はむしろラッキーだ。

 「一方で『公認』があれば、所属や選挙区を替えながら立候補する候補も増えました。今回、日本維新の会から出馬した宇佐美登氏などは、新党さきがけから衆院選→民主党から衆院選→無所属で大田区長選→平沼グループで衆院選と渡り歩き、今回も落選しています」

 選挙は一生を懸けた大博打。それだけの覚悟がある人が当選するのは、有権者も案外ちゃんと見ているのではないか。一方、政界から消えていった元議員は?

 「杉村太蔵氏のように、タレントになれるのは稀。ほかに元民主党の山村健氏のように1期で出馬を断念して『まち起こしプロデューサー』としてイベントコンサルという違う道で頑張っている人もいます。学歴詐称問題で議員辞職した元民主党の古賀潤一郎氏はその後ダーツバーを経営していたようですが、連絡を取ろうとしても無理でした。政治とは無関係で生きていく選択をしたのでしょう。自民党では、経費の不正計上などを指摘された『ばんそうこう』大臣の赤城徳彦・元農水相も今どうしているのか情報はまったく入ってきません。まあ、江戸時代から続く名家の生まれですから、生活はどうにかなるんでしょうが」

 そうした議員を誕生させてしまう現在の選挙制度にこそ問題が。

 「小選挙区制では、政権与党への批判が『風』となって選挙を支配する傾向がある。中選挙区制に戻し、さらに複数候補者に投票できる連記性にすれば、死に票も少なくある程度民意が反映された候補者が選出されやすくなる。政党より政治家の資質で選ぶから、政治家も努力のしようもある」

 ■有馬晴海氏 ’58年、長崎県生まれ。政治評論家として、政治家の懐に飛び込むなど永田町の情報収集力に定評がある。政治研究会「隗始塾」を主宰するなど、政策研究にも積極的に取り組む

3802チバQ:2013/02/08(金) 00:55:35
http://nikkan-spa.jp/370235
「バッジはなくても政治はできる」意外と明るい落選議員の弁
2013.01.28 雑学先の衆院選では、多くの現役議員が職を失った。大野伴睦の「猿は木から落ちても猿だが、代議士は選挙に落ちればただの人」という言葉もあるが、当人たちは今、何を見据えているのか

◆真に今、逆境にある“元先生”たちは何を思うか?
(’12年落選⇒党代表代行を務めつつ再起を目指す・松木謙公氏)




松木謙公氏
 先の選挙戦では、民主党の候補者だけでなく、民主党を離党した政治家たちの苦闘も目立った。

 北海道12区で落選した、松木謙公氏もそのひとりだ。’11年の菅内閣の不信任案に同党の議員仲間の説得を振り切り、目を真っ赤にしながら賛成票を投じた場面を覚えている読者もいるだろう。結果、民主党を除籍処分になり、今回は新党大地から立候補するも、無念の落選となった。しかし、取材に現れた松木氏は定番のオホーツクブルーのスーツを身にまとい、表情も思いのほか明るい。

「実はヒゲも伸び放題だったんだけど、妻に『取材なんだからキレイにして行きなさい』と言われて今日、剃ってきたんだよ」と笑う。実は松木氏、選挙から10日以上がたったこの取材の直前まで、地元を行脚していたという。

「北海道12区は日本一広大な選挙区です。後援会や事務所の職員など、たくさんの方の力を借りなければ、選挙を戦うことすらできませんでしたから」

 国会議員一人あたりにかかるコストを計算すると、歳費の2200万円のほか、各種手当や公設秘書の公費などを含め、年間で平均7000万円が支給される。秘書や事務職員への給料もここから捻出される。

「私自身は、会社役員(建設・教育業界紙)としての収入もあるので、自分の食いぶち程度ならなんとかなります。しかし携わってくれた方にも当然、自分の生活がある。落選後は北見をはじめ、北海道内に7か所あった事務所のスタッフの次のアテを後援者など周囲に聞きまわり、頼み込む毎日でした」

 落選して議員バッジは失ったが、政治家としての活動は現在も続いている。年明けも4日から、地元への挨拶回りをスタートさせた。

「選挙に負けたのは悔しいし、反省もしなくてはいけないが、国会議員でなくなっても、政治家として活動できなくなるわけではない。極端に言えば議決権がなくなっただけ。国を、そして地元北海道をどうするか考え、理念を伝えることはできるでしょうし、地元の懸案の解決もこれまでの人間関係でできることはたくさんあります」

 現在は一人の政治家として、そして新党大地の代表代行として、今年行われる参議院選挙に向けての準備に追われる毎日だという。

「私自身が参議院選挙に出馬するかどうかも含め、現時点では白紙の状態です。他党との連携も現時点では何も決まっていません。現状の政党政治は、党の決めた事項に対して逆らうことができない。同じ議会政治でもアメリカでは、共和党と民主党が一緒に法案を作ることも……。民主党が大勝した前回、自民党が圧勝した今回の選挙を受けて『極端すぎる』と選挙制度に対する批判もありますが、党議拘束でがんじがらめになっている議決権の運用を変えれば、日本の政治はよりよくなると考えています」

【松木謙公氏】
’59年、北海道生まれ。’03年以来、衆議院議員を3期10年務めてきたが、先の衆院選において落選。現在は「新党大地」の代表代行として、党の運営に携わっている

3803チバQ:2013/02/08(金) 00:55:57
“ポリティカルフリーター”のよこくめ前議員、短期バイトも辞さず
2013.02.01 雑学先の衆院選では、多くの現役議員が職を失った。大野伴睦の「猿は木から落ちても猿だが、代議士は選挙に落ちればただの人」という言葉もあるが、当人たちは今、何を見据えているのか

◆「議員は落選してナンボ」と強気の“浪人のプロ”
(’12年落選⇒ポリティカルフリーターとして活動・よこくめ勝仁氏)




よこくめ勝仁氏
「正々堂々と戦っての落選。後悔はありません」

 無所属で先の衆院選に出馬、菅直人前首相らと戦い自民党候補者に敗れたよこくめ勝仁氏。背水の陣を敷いた背景には、前々回の衆院選で比例復活での当選後、菅内閣不信任決議案に賛成し、党を離れた「不義理」にあった。

「ほかの政党に鞍替えするなど、今回の選挙で生き残る方法はあったでしょうが、信念を曲げることはしたくなかった。まだ自分の理想と力が釣り合わない状態ですが、無所属で活動を続け、選挙を戦うなかで、『一人でもできること』が多くある一方で、『数が必要な場面もあること』も体で理解できたのは、大きな財産になりました」

 今回の選挙では後ろ盾のないなかで約4万票を集め、敵対陣営からも予想外の健闘を讃えられた。

「落選後も辻立ちを続けるなかで、多くの励ましの声をいただきました。負けはしましたが、地道に続けてきたことが、実を結びつつあると実感できた選挙でしたね。毎日約50kmを自転車で走り続けて体はボロボロなんですが(笑)」


真冬も毎日50kmの自転車移動を続けて手はしもやけでボロボロに
 今後は政治家、文化人、弁護士と三足の草鞋の「ポリティカルフリーター」(よこくめ氏の造語)として活動していく。

「文化人としては講演活動やテレビへのコメント出演のほか、クイズ番組などにも挑戦したいですね。講演では全国各地を回って、地域の現状を学ぶなど、さまざまなかたちで見聞を広められたらと」

 一方で落選後には1000万円の借金が残り、無所属のため党からの資金援助なども一切ない。「短期バイトもやぶさかではない」と話すほど財政面は厳しい。

「でも私は受験浪人、司法浪人のほか、『あいのり』でフラれて恋愛浪人もしている“浪人のプロ”です(笑)。過去を忘れ、ゼロからのスタートと考えれば、何も苦しくありません。また『落選を題材に本を書こう』など、失敗をプラスに捉え、成功者にはできないことにも挑戦したいと思います」

 一方で障害福祉等のNPO法人を立ち上げる準備も行い、地域に密着した政治活動も続けていく。

「落選して“タダの人”になるような人は、本来政治家になるべきではない。『よこくめは落選してもあれだけできるんだ』と感心されるような活動をして、議員バッジをまた手にしたい。『あのとき落選してよかった』と思えるような期間にしたいです。『1回生の仕事は2回生になることだ』という議員によく知られた言葉がありますが、私の生き方で『議員は落選を経験してナンボだ』という新しい言葉を作れたらいいなと思います」

【よこくめ勝仁氏】
’81年、愛知県生まれ。東京大学法学部卒業後、司法試験に合格。’09年の衆院選で初当選を果たす。テレビ番組『あいのり』では“総理”の愛称で呼ばれた http://www.lespros.co.jp/

3804チバQ:2013/02/08(金) 00:56:14
杉村太蔵氏「手元に残るお金は議員時代の数倍」
2013.02.03 雑学先の衆院選では、多くの現役議員が職を失った。大野伴睦の「猿は木から落ちても猿だが、代議士は選挙に落ちればただの人」という言葉もあるが、実際に落選し、バラエティ番組等で活躍するタダの人の成功パターン(?)ともいえる杉村太蔵氏に今の心境を聞いた

◆国会議員⇒タダの人の成功パターン? その秘訣を語る




杉村太蔵氏
 ’05年に“小泉チルドレン”として衆院選に比例で当選し、数々の迷言で話題になった杉村太蔵氏。政界を去った後は、バラエティ番組に出演、「薄口政治評論家」というキャッチのもと精力的に活動している。現在の生活は、「テレビや雑誌などメディアでの活動」が2〜3割、「講演活動」が2〜3割、残り半分ほどが「ベンチャー企業の支援やニート・フリーターの就職支援」。メディア活動のマネジメントなどはすべて本人が行う。

 ちなみに、政界に戻る予定は「ないけれど、わかりませんよ」。

「よく聞かれる質問なんですけど、転職した後に、以前勤めていた会社に戻るか聞かれても答えようがないですよね。それと同じです。今の仕事が大切です」

 とはいえ、不安はないのか。

「将来の不安などは何もないです。『タレント』とか『政治評論家』とかの肩書も、自分で言ったことは一度もない。ただの個人事業主ですよ。よく『忙しいんじゃないか』と聞かれますが、議員時代に比べたら大したことない。好きな株も買えるし、海外旅行も行けるし、今のほうがいろんな面ではるかにラクです」

 ほう。ぶっちゃけ、収入面は?

「手元に残るお金は、議員時代に比べたら何倍も今のほうがいいですよ。多額の議員報酬をもらっても選挙にも多額の費用がかかる。出ていくものが多いから、意外とお金は貯まらないものなんですよ」

 もともと、タレント志望でもなければ、バラティに出るなんてまったく思っていなかったという杉村氏。『サンデー・ジャポン』に声をかけられ、「記念に一度」と出演したところ、そこからテレビのオファーがたくさん来るようになったそうだ。

「人の評価ってわからないですよね。やりたいことと、周りがやってほしいことって違うものですね」

「薄口評論家」というのも、絶妙な隙間産業で、上手な手法だが。

「それも爆笑問題の太田光さんが名づけてくれたこと。最初はムッとしたんですが、つまりは『わかりやすい』ことだと言い聞かせ、今ではありがたく思っています」

【杉村太蔵氏】
’79年、北海道生まれ。筑波大学中退後、派遣社員、証券会社を経て、’05年総選挙で最年少当選。現在は、『サンデー・ジャポン』や『ナニコレ珍百景』などに出演

3805チバQ:2013/02/08(金) 00:56:32
田中美絵子前議員、収入ゼロでも「タレント転身はない」と断言
2013.02.05 雑学先の衆院選では、多くの現役議員が職を失った。大野伴睦の「猿は木から落ちても猿だが、代議士は選挙に落ちればただの人」という言葉もあるが、当人たちは今、何を見据えているのか

◆メディアの報じたタレント化の噂は一蹴。政治活動一本
(’12年落選⇒4年後の衆議院議員を目指す・田中美絵子氏)




田中美絵子氏
 ’09年の衆議院選で「小沢ガールズ」の一人として初当選した後、昨年6月に週刊誌でスキャンダルが報じられるなど、何かと話題となった田中美絵子氏。今回の選挙では石川2区から東京15区へ国替えして出馬するも、落選。取材日はちょうど事務所の引っ越し作業中で、室内には段ボールが山積み。今回の選挙について、田中氏は語る。

「大変逆風の厳しい選挙だったと思います。国替えは突然でしたので、実質3週間程度と、時間もありませんでした。そういった意味では確かに出遅れたところはあります。でも、敗因はすべて私の力不足です」

「民主党政権になっても何も変わっていない」「誰がやっても同じ」などの世間の声は強かったが……。

「民主党では社会保障を充実させ、温かい福祉国家を目指してきました。子ども政策や子育て支援、格差の是正、憲法論議もしてきました。でも、そういったことの広報活動がうまくいっていなかった部分はあると思います」

 落選直後は、各所に挨拶回りのほか、引っ越し作業に追われ、この日でスタッフも全員退職。翌日からはひとりで政治活動を再スタートさせる。収入は基本的にゼロで、貯金を取り崩して活動することになるという。田中氏といえば、フリーライターとして活動したり、小誌でもおなじみリリー・フランキー氏の主演映画での体当たり演技などの経歴もあり、一部では「タレントへ」という情報も出ているが……。

「まったくないです。参院選出馬もありません。今は、4年後の衆院選しか考えていません」と、政治活動一本で行く覚悟だ。

「私はむしろ挫折だらけの人間です。人生の中で、挫折を経験することは多いと思うんです。特に私たちの世代は、転職したらもう二度と正社員に戻れないという世代。でも、そういった人たちが再チャレンジできる環境をつくっていきたい。私自身がチャレンジし続けるということも、そういったメッセージに繋がると思っています」

【田中美絵子氏】
’75年、石川県生まれ。民主党所属の前衆議院議員。女性の病気の対策などに取り組んできた。帝京女子短期大学卒業、明治大学政治経済学部卒業、明治大学大学院政治学修士

3806チバQ:2013/02/08(金) 00:56:56
春香クリスティーン、落選議員の“引越し見学”でビックリ
2013.02.05 未分類◆政治家のパーソナリティに注目すると面白くなります




春香クリスティーンさん
「落選した議員さんって、もっと落ち込んでいるのかと思ってたんですけど、引っ越しのときに会いに行っても嫌な顔ひとつしないのがビックリでした」と語るのは、“国会議員の追っかけ” や “「政治家カルタ」づくり”を趣味とする人気タレントの春香クリスティーンさん。議員は落選後3日以内に議員会館を出ていかなければいけないのだが、その引っ越しの見学に行ったそうだ。そもそも政治家に興味を持ったきっかけは?

「日本の特に若い人は、政治の話を全然しないんです。それが不思議で自分で見てみようと思って国会議事堂に通い始めたんです」

 春香さんが興味を持ったのは、「政治家のパーソナルな部分」だ。

「たとえば、岡田克也さんは常に真面目なのに、カエルの置物収集が趣味だったり、自民党の平将明さんはガンダム好きだったり、大島理森さんは『となりのトトロ』のネコバスに似ていると言われていて、送られてきたぬいぐるみを部屋に飾っていたことがあったり。国を動かしている人たちでも、意外と身近な面があるんだと思うと面白いですよね」

 ほかに、「谷垣禎一さんはいつもプロポリスのど飴を持ち歩いている」「柿沢未途さんは辛いものが大好きで、事務所の近くの中華屋で『柿沢さんスペシャル』という辛い麺を食べている」などなど……。

 今回落選して気になった人は?

「横粂勝仁さん。落選スピーチを聞きにいったんですけど、明るく前向きで驚きました。激戦区の東京18区で戦いにいって、たくさん票も取ったので、次回有力ですよね」

 春香さんがそこまで政治家の人間性に興味を持つのはなぜか。

「脱原発が原発推進になったり、増税を進めていたのが、取りやめになったり、党が代わるだけですべてが変わるのは不思議ですし、不安ですよね。だからこそ、『この人ならやってくれそう』と政党ではなく個人を見たいんです」

【春香クリスティーンさん】
’92年、スイス生まれ。父は日本人、母はスイス人。日本に興味を持ち単身来日。『情報ライブ ミヤネ屋』(日本テレビ系列)にレギュラー出演中

3807チバQ:2013/02/08(金) 00:57:21
元大臣が「借金整理ひとすじ」の弁護士になるまで
2013.02.05 未分類先の衆院選では、多くの現役議員が職を失った。大野伴睦の「猿は木から落ちても猿だが、代議士は選挙に落ちればただの人」という言葉もあるが、政界とは別の道を選んだあの先生たちの今を追った

◆かの自治大臣が一般市民の債務整理を手がけている
(’01年落選⇒弁護士活動に専念・白川勝彦氏)




白川勝彦氏
「現在の国会議員に、政治哲学のある政治家などいません。法案採決時の数合わせ議員が9割以上でしょう」と嘆くのは、’79〜’00年にかけて自民党で6期衆議院議員を務め、自治大臣や国家公安委員長などを歴任した白川勝彦氏。だが、’01年に衆院選落選後、債務整理を専門とする一弁護士に。

「私が初出馬した当時は自民党公認候補でも、党からの活動費なんてもらえなかった(笑)。活動費目当ての候補者ばかりでは政治哲学を持った政治家など育ちません」

 白川氏が国会議員だった当時は、歳費などの報酬のほか、年間2億円近くを献金で集めていたという。

「最近の政治家はカネが集まらないと言うけど、政治がわからないバカにカネを出す人などいません」

 白川氏は議員になった後、’90年と’01年の2回落選を経験した。

「当時は命がけの選挙戦で支持を得ることができず、『なんで俺が落ちて、あいつが……』と嘆きながら残務整理をしていたね。『死んで終わりの戦国武将のほうがまだマシ』と思うほどでした」と笑う。

 さらに国家公安委員長まで務めたのに、落選後の’04年と’06年には、渋谷の路上で職質を受けるという憂き目に。

「笑い話だけど、信条とする『自由主義』から逸脱した、不当な職質がショックでブログに書いたら、思いのほか反響が大きかったね」

 ’08年からは弁護士活動に専念。

「今はブログなどを通じて、永田町の外から、『自由主義』を発信しようと考えています。議員という議決権のある立場でなくとも政治活動はできますから」

【白川勝彦氏】
’45年、新潟県生まれ。’79年の初当選から’90年まで、そして’93年から’01年まで衆議院議員を務め、自治大臣や国家公安委員長などを歴任。現在は弁護士として活動中

3808チバQ:2013/02/08(金) 00:57:41
長島一由前議員、リクルート系企業への転職に「らしいな」の声
2013.02.05 未分類先の衆院選では、多くの現役議員が職を失った。大野伴睦の「猿は木から落ちても猿だが、代議士は選挙に落ちればただの人」という言葉もあるが、当人たちは今、何を見据えているのか

◆特異なキャリアで民間へ転職
(’12年引退⇒民間のシンクタンクに転身・長島一由氏)




長島一由氏
 衆院選を控えた昨年11月に選挙への不出馬と、民間シンクタンクへの転身を表明した長島一由氏。その決断は臨時国会前に、民主党幹事長へ伝達済みだったという。

「逗子市長時代に特区として申請した年金時効の延長や、事業仕分けを通じた税金の節減など、任期中に自らの使命を果たし、道筋をつけられた場合は、1期で辞めてもいいと考えて仕事をしてきました。また転職先のシンクタンクも、実は’09年衆院選の出馬前に一度入社が決まっていた会社なんです」

 民主党への逆風と引退の関連は「そんなに短絡的でない」と話す。

「政治家だけが世の中を動かしているわけではないし、政治色がないほうができることもある。自分は常に『別の可能性』を考えて動くタイプで、ウィンドサーフィンでは全日本選手権1位となり五輪出場も目指したことも。その後テレビ局の報道記者、逗子市長、大学教員など、特異なキャリアを歩んできた。今回の引退も『らしいな』という声が多かったですね」

 転職後も、実務として行政のマネジメントを行った経験や、人事運用、行政の仕組みに関する知識を生かした仕事をしたいという。

「特に生き方、働き方、学び方の分野で、研究発表や政策提言を行い世の役に立てたらと思います」

 職を替えながらも“やりたいこと”へと向かい続ける秘訣は「職業選択の幅を広げること」だそう。

「私は就職後も複数の大学院で研究を重ねて、職業の選択肢も増やしてきた。『ほかの仕事でも食べられる』という自信があったからこそ、思い切って国政にも挑戦できました。チャレンジしたい人こそ“保険”を持つべきなんですよ」

【長島一由氏】
’67年、神奈川県生まれ。フジテレビ報道記者、逗子市長などを経て、’09年の衆院選で初当選。先の衆院選には出馬せず、リクルートワークス研究所の主幹研究員に転身

3809名無しさん:2013/02/12(火) 11:44:51
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130211-00000567-yom-pol
鳩山由紀夫元首相の母、安子さん死去
読売新聞 2月11日(月)23時13分配信

 鳩山由紀夫元首相の母、鳩山安子(はとやま・やすこ)さんが、11日午後9時15分、多臓器不全のため、都内の病院で死去した。

 90歳だった。葬儀・告別式は未定。

 安子さんは、ブリヂストン創業者の故石橋正二郎氏の長女で、初代自民党総裁だった鳩山一郎元首相の長男・威一郎元外相の妻。1996年に旧民主党を結成するなど「政権交代」を掲げた長男の由紀夫氏と、自民党政権で総務相を務めた次男の邦夫氏の政治活動を、物心両面から支えた。

 大量の同社株を保有し、2009年に由紀夫氏の元公設秘書が在宅起訴された偽装献金問題では、02年頃から09年5月まで毎月1500万円を由紀夫氏に提供していた。

最終更新:2月12日(火)11時8分

3810名無しさん:2013/02/12(火) 11:49:00
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130212-00000039-spnannex-soci
巨額資産保有…政界の“ゴッドマザー”鳩山安子さん死去
スポニチアネックス 2月12日(火)7時2分配信

 鳩山由紀夫元首相の母、鳩山安子(はとやま・やすこ)さんが11日午後9時15分、多臓器不全のため都内の病院で死去した。90歳。福岡県出身。葬儀・告別式は未定。ブリヂストン創業者の長女で、同社株を含む巨額資産を保有し、政界の“ゴッドマザー”と呼ばれた。

 鳩山威一郎元外相の妻で、長男、由紀夫元首相と、次男、邦夫元総務相を育てた安子さんが安らかに息をひきとった。晩年は都内の医療機関付属の施設で療養していた。

 1男4女に恵まれたブリヂストン創業者の故石橋正二郎氏の長女。初代自民党総裁の鳩山一郎元首相の長男、威一郎元外相と1942年に結婚した際には、政界と財界を結ぶセレブ婚として大きな話題となった。

 安子さんは相続で石橋家から100億円超、鳩山家から約150億円を受け継いだと取りざたされるなど、巨額の資産を保有。ブリヂストンの株式からの年間配当だけでも億単位(円)といわれ、由紀夫、邦夫両氏の政治活動を物心ともに支え続けてきた。

 1996年、両氏に「兄弟新党」旗揚げを促し、民主党の前身となる旧民主党の結成につながった。

 2009年に由紀夫氏の元公設秘書が在宅起訴された偽装献金問題では、安子さんが毎月1500万円を7、8年間、由紀夫氏に提供していたことが判明。検察側が読み上げた安子さんの上申書は「立場上、いろいろとお金がかかるだろう、いくらあっても足らないくらいだろうと思って用立てた。(由紀夫氏は)知らないはずだ」とした。

 由紀夫、邦夫両氏の11年分の所得報告書などによると、安子さんは両氏にそれぞれ約42億円相当の現金や株、不動産を贈与している。

 孫で邦夫氏の長男、太郎氏も東京都議を務めたことがあり、バラエティー番組にも出演している。

3811名無しさん:2013/02/12(火) 11:53:51
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130212-00000035-sph-soci
鳩山兄弟の母「ゴッドマザー」安子さん死去
スポーツ報知 2月12日(火)7時4分配信

 鳩山由紀夫元首相、邦夫元総務相の母、鳩山安子(はとやま・やすこ)さんが11日午後9時15分、多臓器不全のため都内の病院で死去した。90歳。福岡県久留米市出身。葬儀・告別式は未定。

 安子さんは初代自民党総裁、鳩山一郎元首相の長男・威一郎元外相の妻でブリヂストン創業者の故・石橋正二郎氏の長女。女子学習院高等科卒業後、1942年11月に4歳年上の威一郎氏と結婚。47年2月11日に由紀夫氏、48年9月13日に邦夫氏を出産した。多忙な威一郎氏に代わり、2人を東大に進学させるなど教育熱心だった。ブリヂストン株を含む巨額の資産を保有し、兄弟の政治活動を物心両面で支え「ゴッドマザー」の異名を取った。

 96年、両氏に「兄弟新党」旗揚げを促し、民主党の前身となる旧民主党の結成につながった。2009年に由紀夫氏が首相になった際、元公設秘書が在宅起訴される偽装献金問題が発覚。安子さんが毎月1500万円を7〜8年間、総額12億6000万円を由紀夫氏に提供していたことが判明した。

 検察側が読み上げた安子さんの上申書では「立場上、いろいろとお金がかかるだろう、いくらあっても足らないくらいだろうと思って用立てた。(由紀夫氏は)知らないはずだ」とした。由紀夫、邦夫両氏の11年分の所得報告書などによると、安子さんは両氏にそれぞれ約42億円相当の現金や株、不動産を贈与している。

3812名無しさん:2013/02/12(火) 11:54:53
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130212-00000544-san-pol
邦夫氏、兄と路線違い「余計な心配かけた」 鳩山安子さん死去
産経新聞 2月12日(火)10時48分配信

改装された鳩山邸で記念撮影する、左から鳩山由紀夫氏、母の鳩山安子氏、鳩山邦夫氏(写真:産経新聞)

 11日に亡くなった鳩山安子さんの次男で、自民党の邦夫元総務相は12日午前、兄の由紀夫元首相と自民、民主両党で分かれて活動したことについてに「兄弟が一緒に政治行動をとっていなかったことで母に余計な心配をかけた」と振り返った。都内の自宅前で記者団に語った。

 安子さんが亡くなったとき、兄弟らで看取ったという邦夫氏は「忙しくて月に1度ぐらいしか家で顔を会わせないような父親(故威一郎元外相)だったから、完全にお袋に育てられたのが私だ。90歳で天寿を全うした。ありがとうの一言だ」と故人をしのんだ。

 安子さんが正当な手続きを経ずに由紀夫氏らへ多額の政治資金を献金していたことには「『自分で心配していろいろやってしまったことが、こういうふうになってつらい』と姉に言っていた」と語った。

3813名無しさん:2013/02/12(火) 11:55:38
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130212-00000263-yom-pol
由紀夫氏憔悴「母いなければ、民主なかった」
読売新聞 2月12日(火)11時24分配信

母安子さんの死去を受けて記者団の取材に応じる鳩山元首相(12日午前9時、東京都大田区で)=高田育昌撮影

 鳩山由紀夫元首相は12日午前、母安子さんの死去について、「母がいなければ民主党はできなかった。民主党が存在していなければ政権交代もなかった。感謝の言葉しかない」と語った。都内の自宅前で記者団の取材に応じた。由紀夫氏は目を赤くし、憔悴(しょうすい)した様子だった。

 由紀夫氏は、「政治家を辞めて、これから親孝行できるかなと思っていただけに残念です。表には決して出ない女性だったが、陰でしっかり、我々兄弟や夫(威一郎氏)を支えてくれた」とも述べた。

 2日ほど前に安子さんと面会した際には、言葉をうまく発することができない状態だったという。

 また、弟の鳩山邦夫・元総務相は12日午前、都内で記者団に「ゴッドマザーとよく(言われたが)、そういうタイプではなく、心配ばかりする人だった。母親としたら、兄弟が一緒に政治行動をとっていれば楽だったかもしれない」と語った。

3814名無しさん:2013/02/13(水) 10:43:09
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130212-00001420-yom-peo
桜井郁三氏(元自民党衆院議員)が死去
読売新聞 2月13日(水)0時19分配信

 桜井郁三氏 68歳(さくらい・いくぞう=元自民党衆院議員)10日、多臓器不全で死去。告別式は18日午前11時、神奈川県藤沢市大庭3761藤沢市斎場。喪主は妻、敦子(あつこ)さん。

 1996年に衆院神奈川12区で初当選し、3期務めた。環境副大臣や総務政務官を歴任した。

最終更新:2月13日(水)0時19分

3815名無しさん:2013/02/15(金) 09:23:14
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130215-00000013-mai-peo
<訃報>東条由布子さん73歳=東条英機元首相の孫
毎日新聞 2月15日(金)2時30分配信

東条由布子さん=2001年8月、佐々木順一撮影

 東条由布子さん73歳(とうじょう・ゆうこ<本名・岩浪淑枝=いわなみ・よしえ>東条英機元首相の孫、NPO法人理事長)13日、間質性肺炎のため死去。通夜は19日午後6時、葬儀は20日午前11時、東京都渋谷区西原2の42の1の代々幡斎場。喪主は夫弘康(ひろやす)さん。

 保守派の論客として知られ、著書に「大東亜戦争の真実」など。

3816アーバン:2013/02/15(金) 18:50:27
http://www.sanspo.com/geino/news/20130215/sot13021505020000-n1.html
2013.2.15 05:00

「保守の論客」東條由布子さん死去


 東條英機元首相の孫、東條由布子(とうじょう・ゆうこ)=本名・岩浪淑枝(いわなみ・よしえ)=さんが13日、間質性肺炎のため、都内の病院で死去した。73歳。通夜は19日午後6時、葬儀・告別式は20日午前11時、ともに東京都渋谷区西原2の42の1、代々幡斎場で。喪主は夫、岩浪弘康(ひろやす)氏。

 東條元首相の長男、英隆氏の長女で、1男3女をもうけた。保守の論客として知られ、先の大戦後の戦勝国による極東国際軍事裁判(東京裁判)で死刑判決を受けた東條元首相らいわゆる「A級戦犯」の靖国神社分祀論には否定的な立場で発言してきた。NPO法人「環境保全機構」理事長を務めていたが、昨年秋から体調を崩していた。

3817名無しさん:2013/03/05(火) 15:52:03
test

3818名無しさん:2013/03/27(水) 10:21:15
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130325-00001695-yom-peo
中島武敏氏(元共産党衆院議員)が死去
読売新聞 3月26日(火)0時30分配信

 中島武敏氏 84歳(なかじま・たけとし=元共産党衆院議員)21日、肺がんで死去。葬儀は近親者で済ませた。喪主は妻、千鶴(ちづる)さん。1972年衆院選で旧東京9区で初当選し、7期務めた。

3819名無しさん:2013/03/27(水) 10:29:42
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130323-00000004-mai-peo
<訃報>寺西学さん77歳=元自民党愛知県連会長
毎日新聞 3月23日(土)1時37分配信

 寺西学さん77歳(てらにし・がく=元自民党愛知県連会長)22日、心筋梗塞(こうそく)のため死去。葬儀の日取りは未定。大村秀章・愛知県知事が葬儀委員長を務める。

 71年の愛知県議選で初当選し連続当選10回、02年に議長。自民党県連では幹事長などを歴任、11年に会長を務めた。県政界の実力者として知られ、県議時代は党県議団の最大派閥「寺子舎(てらこや)の会」を率いた。

3820名無しさん:2013/03/27(水) 10:31:38
http://www.chunichi.co.jp/article/aichi/20130324/CK2013032402000041.html
元県議・寺西学さん死去に悼む声相次ぐ
2013年3月24日

神田知事(当時)に自民の政策提言を手渡す寺西学さん(左)=2006年7月、名古屋市中区の県公館で

 二十二日に七十七歳で亡くなった元県議の寺西学(てらにし・がく)さんは、議長や自民党県連会長などの要職を歴任。愛知自民の重鎮として県政に影響力を発揮した。中部国際空港開港や愛知万博など県の大型事業の推進を後押しし、他党との連携にも腐心した。訃報に接した歴代知事や各党関係者から悼む声が相次いだ。
 寺西さんは名古屋市中村区出身。二〇一一年四月に引退するまで、県議生活は十期四十年に及んだ。
 一九八三年から四期十六年にわたって知事を務めた鈴木礼治さん(84)は「万博など、県が一丸となって動くときに助けていただいた。政治的勘の鋭い方でした」と振り返った。
 鈴木さんの後を継ぎ、九九年から三期知事を務めた神田真秋さん(61)も「寺西さんは国に太いパイプがあった。万博、空港など国の力が必要なときに支えてくれた」と語った。
 自民党県議団で寺西さんを慕うグループは「寺子屋」と呼ばれた。県政の中心だった党県議団のなかでも、存在感を発揮した。
 党県連会長の藤川政人参院議員(52)も県議時代は「寺子屋」の一人。「県議になって初めて、支持者らに報告会を開いた時に、ゲストとして来ていただいた。万博の会場変更などの難問にも当たり、実行力があった」と話す。前議長の岩村進次県議(58)も「若い議員をしかっても、あとで別の人間にフォローさせる優しさがあった」と人柄をしのんだ。
 寺西さんは二〇〇〇年総選挙の際に県連幹事長として、公明などとの選挙協力を取り仕切った。一部選挙区の候補擁立を公明に譲り、自民支持層から反発を受ける役回りだったが、公明の信頼を得た。公明党県本部代表の荒木清寛参院議員(56)は「自公協力のかなめだった。情に厚く、信頼関係を大事してくれた」と悼んだ。
 民主党県議団は神田知事時代、自民などと「与党会派」として県政を支えたことがある。県連幹事長の黒川節男県議(65)は「寺西さんは、気さくに他党の人間とも酒が飲める人。気遣いができるから、議会をうまくまとめられた」と話した。

 (内田康、後藤孝好、吉光慶太)

3821名無しさん:2013/03/31(日) 22:46:14
tt

3822とはずがたり:2013/04/14(日) 16:20:10

憎まれてたんですねぇ。。

サッチャー氏死去祝い集会 反対派、国葬級葬儀に抗議
http://sankei.jp.msn.com/world/news/130414/erp13041412070001-n1.htm
2013.4.14 12:06

サッチャー氏の死去を祝う集会で、骸骨のようなサッチャー氏の人形を掲げる集会参加者ら=13日、ロンドンのトラファルガー広場(共同)

 サッチャー元英首相の大規模な葬儀が17日に行われるのを前に、反サッチャー派の労働組合などが13日、ロンドン中心部のトラファルガー広場で「パーティー」と称して、サッチャー氏の死去を祝う集会を開いた。

 参加者は多額の公費を費やして行われる国葬並みの葬儀に抗議。一部の参加者が警官隊と小競り合いになり、逮捕者が出た。ただ、参加者は数百人にとどまった。

 集会は「サッチャー氏が死去した後の最初の土曜日に開く」として、活動家らによって数十年前から予定されていた。参加者らは「マギー(サッチャー氏の呼称)は死んだ!」などと連呼し、骸骨のようなサッチャー氏の大きな人形を掲げた。

 労働組合員のポール・カラナンさん(26)は「政治家や富裕層はサッチャー氏を称賛しているが、労働者や若者はサッチャー氏の政治によって今も苦しんでいる」と訴えた。(共同)

「オズの魔法使」挿入歌、人気急上昇の訳は…
2013年4月13日(土)13:00
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1205738962/333

3823名無しさん:2013/04/15(月) 00:04:18
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130414-00000658-yom-pol
元厚相・下条進一郎氏が死去
読売新聞 4月14日(日)21時27分配信

 元自民党参院議員で元厚相の下条進一郎氏が14日、東京都内で老衰のため死去した。

 93歳だった。

 葬儀は近親者のみで行う。その後、お別れ会を開くという。

 下条氏は1977年、参院長野選挙区で初当選。第2次海部改造内閣で厚相を務めた。95年の参院選で落選し、無所属で立候補した98年も当選はならず、政界を引退した。次男・みつ氏は、前民主党衆院議員。

3824名無しさん:2013/04/19(金) 22:30:07
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130415-00000528-yom-peo
下条進一郎氏(元厚相)が死去
読売新聞 4月15日(月)14時32分配信

 下条進一郎氏 93歳(しもじょう・しんいちろう=元厚相)14日、老衰で死去。葬儀は近親者で行い、その後お別れ会を開く。

 1977年に参院長野選挙区で初当選し、3回当選。第2次海部改造内閣で厚相を務めた。父は第2次吉田内閣で文相を務めた康麿(やすまろ)氏、次男・みつ氏は前民主党衆院議員。

3825名無しさん:2013/04/24(水) 07:50:36
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130424-00000019-yom-peo
田畑金光氏(元民社党衆院議員)が死去
読売新聞 4月24日(水)0時17分配信

 田畑金光氏 99歳(たばた・かねみつ=元民社党衆院議員)22日、敗血症で死去。告別式は26日午前11時、福島県いわき市勿来町大高中郡(なかごおり)123の4セレモニーアルコ会館勿来。自宅は同市勿来町関田和久80。喪主は長男、弘之氏。

 1953年参院選で福島選挙区から右派社会党で初当選。2期務めた後、67年衆院選旧福島3区から民社党で初当選し、2期務めた。

3826名無しさん:2013/04/24(水) 07:52:45
http://www.asahi.com/obituaries/update/0423/TKY201304230392.html
元民社党衆院議員の田畑金光さん死去

 田畑金光さん(たばた・かねみつ=元民社党衆院議員、元福島県いわき市長)が22日、敗血症で死去、99歳。通夜は25日午後6時、葬儀は26日午前11時からいわき市勿来町大高中郡123の4のセレモニーアルコ会館勿来で。喪主は長男弘之さん。

 1953年、参院福島選挙区で社会党から初当選し、当選2回。その後、民社党に移り、67年には衆院にくら替えし、当選2回。74年からいわき市長を3期務めた。

3827名無しさん:2013/04/24(水) 22:15:11
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130424/stt13042412120003-n1.htm
前参院議員の今野東氏が死去 野田内閣で復興副大臣 
2013.4.24 12:11

 今野東氏(こんの・あずま、本名・今野東吾=こんの・とうご=前参院議員、前民主党宮城県連代表)が24日、特発性間質肺炎のため死去、65歳。葬儀・告別式の日取りは未定。

 平成12年の衆院選で宮城1区から出馬し初当選。2期目に、選挙違反事件の連座制適用をめぐる判決を受けて辞職した。その後、参院選比例区で初当選し、24年には野田内閣で復興副大臣に就任。同年12月の衆院選で宮城2区からくら替え出馬したが、落選した。

3828名無しさん:2013/05/02(木) 16:52:44
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130501-00000113-mai-peo
<訃報>柴田睦夫さん84歳=元共産党衆院議員
毎日新聞 5月1日(水)23時21分配信

 柴田睦夫さん84歳(しばた・むつお=元共産党衆院議員)4月26日、急性硬膜下血腫のため死去。葬儀は近親者で営んだ。喪主は長男泰弘(やすひろ)さん。

 1972〜90年の間に5期、千葉県で初の共産党衆院議員を務めた。

3829名無しさん:2013/05/03(金) 12:08:10
電車でってことは新幹線じゃなくて在来線での話だね
京都〜名古屋は1日で移動可能
京都〜名古屋 運賃:2,520円

京都駅12時発を例に

京都12:00 →新快速・近江塩津行き→ 米原12:53
米原12:59 →普通・大垣行き → 大垣13:32
大垣13:41 →新快速・豊橋行き → 名古屋14:13

京都駅から名古屋駅まで行くにはまず京都駅の2番のりばに行きましょう。
来る電車は普通電車と新快速電車だけど、乗り換えをなるべく無くしたいなら、
普通電車なら米原行き、新快速電車なら、長浜、近江塩津、敦賀行きを選ぶこと。
ここで1つ注意したいのは経由で琵琶湖線経由と湖西線経由があって湖西線経由だと
乗り換え駅の米原を通らないので注意。

米原駅には6番のりばに到着するので階段等で7、8番のりばへ移動。
日中は大垣行きばかりなので大垣行きに乗りましょう。
終点大垣駅で乗り換えれば名古屋へ着きます。

3830名無しさん:2013/05/06(月) 14:11:21

高市早苗・自民政調会長の父・大休氏が死去

読売新聞 5月5日(日)20時47分配信



 高市大休氏 79歳(たかいち・だいきゅう=高市早苗自民党政調会長の父)5日死去。

 告別式は8日午後1時、奈良市秋篠町1180の43セレミューズ秋篠。喪主は長男、知嗣(ともつぐ)氏。
.
最終更新:5月5日(日)20時47分

3831名無しさん:2013/05/07(火) 22:19:38
http://dot.asahi.com/wa/2013041800002.html
衝撃! 約300の地方自治体で消えていた選挙記録
(更新 2013/4/18 07:30)

 首長選や議員選の記録が役所から消えた――。こんな事実を、学習院大学の福元健太郎教授(41、政治学方法論)が“発見”した。

 きっかけは、2003年の統一地方選。統一選は1947年に始まったが、03年時点では市町村議会で5割、首長に至っては2割程度しか“統一”されなかった。そこで、統一選から外れた理由を調べるため、08年から調査を姶めたという。ところが、想像以上に作業は難航した。福元教授がその理由を語る。

「総務省に確認すると『自治体選挙の記録は各自治体が保存しているからわからない』と言われたのです。次に各都道府県の選挙管理委員会に問い合わせましたが、把握しているのは鹿児島県など一部でした」

 それならと、各市町村選管に直接問い合わせた。約1700の市町村のうち、調査対象は1千ほど。結果、約100の自治体が「当時の選挙記録がなくてわからない」と回答したという。その約100の自治体には合併を経たところもあるため、最終的にわからなかったのは200から300の旧自治体となる。

 福元教授が調査で感じたのは、町の土台であるはずの選挙記録を、きちんと保存しようという自治体と、そうでない自治体の熱意の差だったという。

「ほとんどの自治体は町史や人事台帳などのコピーを送ってくれました。辞めた職員や、町の古老のような人を訪ねて調べてくれたところもありました。一方、『わからない』と回答してきたところは、合併によってかつての市役所や町役場が支所となり、合併前を知る職員も少なくなって、資料がどこに保管されているか把握していないのでしょう。中には『そんな過去のもの』というような態度をとる自治体もありました」

 火事や洪水で記録が失われていたケースもあったという。戦後に実施されたすべての自治体の選挙記録を調べれば、さらに「消えた数」が増える可能性は高い。福元教授は言う。

「選挙記録がなければ、これまでの首長や議会が選挙で正当に選ばれた保証はない。各自治体は平成の大合併を経験した職員が現役のうちに、きちんと資料を保有しておくべきです」

 国の公文書について、11年度に紛失や誤廃棄など不適切な管理が181件あった、と2月に判明。職員6人が免職などの懲戒処分を受けた。「公の記録」をどう扱うか、改めて問われている。

※週刊朝日 2013年4月26日号

3832アーバン:2013/05/08(水) 02:24:32
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20130507-OYT1T00441.htm?from=ylist
村山内閣で官房長官…五十嵐広三氏が死去

 元官房長官の五十嵐いがらし広三こうぞう氏が7日、肺炎で死去。87歳。近く、近親者で密葬を行う。




 1963年から北海道旭川市長を3期務めた。80年、当時の北海道2区で旧社会党から衆院議員に初当選。5期務めた。93年8月に細川内閣で建設相、94年6月の村山内閣で官房長官を歴任。阪神大震災や地下鉄サリン事件の対応にあたった。96年に政界を引退した。

(2013年5月7日13時19分 読売新聞)

3833アーバン:2013/05/08(水) 02:26:31
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/politics/463785.html
市民の視点忘れず 「買物公園」生みの親 五十嵐広三さん(05/07 16:30)

 官房長官や旭川市長を務めた五十嵐広三さんが、7日亡くなり、道内の関係者から惜しむ声が相次いだ。「市民」や「地方」の視点を忘れず、温厚な人柄と、リベラルな政策で、党派を超えて慕われた政治家だった。

 五十嵐さんと40年以上の付き合いがある旭川市の優佳良織工芸館館長、木内和博さん(67)は「突然で驚いた。入院をしていることもあったけど元気だと聞いていた。まさかこんなことになるとは」と、声を詰まらせた。

 旭川市長時代には日本初の恒久的な歩行者天国「平和通買物公園」をオープンさせるなど実績を目の当たりにしたという。「旭川の街がどんどん変わっていくのを実感した。市民参加の街づくりを実践していた人だった」と振り返った。<北海道新聞5月7日夕刊掲載>

3834アーバン:2013/05/08(水) 02:29:15
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2013050700707
「五十嵐氏、難局で努力」=菅官房長官

 菅義偉官房長官は7日午後の記者会見で、同日死去した五十嵐広三元官房長官について「地方の市長を経験して国会に出て来たということで、私も非常に親しみのある政治家の一人だ」と振り返った。「阪神・淡路大震災や(地下鉄)サリン事件が起きた時の官房長官だから、大変な中で難局を乗り越えるために努力した方だと思っている」とも述べた。 (2013/05/07-17:56)

3835名無しさん:2013/05/08(水) 19:03:22
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/fourseasons/463937.html
卓上四季

五十嵐広三さん

戦時中、東条英機首相は視察先のごみ箱を開けて見るのを習わしにしていたそうだ。敗戦2年前の旭川来訪でもごみを調べ、「食べられる物を捨てている。暮らしにまだ余裕がある」と語った
▼新聞で発言を知った旭川商業学校5年のコーゾー少年は、友人らと宿泊先の旅館に面会を求めに行った。「そんなことはない。みんな苦労しながら頑張っているんだ」と反論せずにいられなかった
▼もちろん会えるはずもない。駅前交番に引き渡され、油を絞られた。87歳で他界した五十嵐広三さんの若き日のエピソード。思想・言論統制が苛烈を極めた時代。いまでは想像できないほど勇気のいる行動だったろう▼絵を描くのが好きな少年は小学校の代用教員になった後、第7師団で爆薬を背負って戦車に体当たりする訓練を受けながら敗戦を迎えた。戦後は社会主義運動を通じて政治の世界にかかわっていく
▼「『おざなり』のない人」。同じ旭川の作家、故・三浦綾子さんは五十嵐さんをそう評していた。老人にも幼子(おさなご)にも、男にも女にも、「その場のがれの、まごころのこもらぬ、いいかげんな」言葉は使わないと
▼出馬を迷う故・萱野茂さんの背中を押して、アイヌ民族初の国会議員誕生につなげたのも、サハリン残留韓国・朝鮮人の帰国に尽くしたのも、少年時代から失わずにいた正義感とまごころがあったからこそだろう。
2013・5・8

3836名無しさん:2013/05/19(日) 16:57:51
http://article.okinawatimes.co.jp/article/2013-05-19_49427
元平良市長の下地米一さん死去

下地米一さん
[画像を拡大]
社会
2013年5月19日 12時08分
(4時間48分前に更新)

 旧平良市(現宮古島市)の市長を1986年から2期務めた下地米一(しもじ・よねいち)氏が17日夜、心筋梗塞のため宮古島市内の自宅で死去した。91歳。旧平良市出身。告別式は21日午後3時から5時、宮古島市平良下里1254の大米建設宮古本店で。喪主は妻節子(せつこ)さん。下地氏は大米建設の創業者で現会長。社長で県建設業協会会長の米蔵氏、政党そうぞう代表の幹郎氏の父。

3837名無しさん:2013/05/20(月) 10:54:23
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130520-00000240-yom-peo
北川石松氏(元環境庁長官)が死去
読売新聞 5月20日(月)9時37分配信

 北川石松氏 94歳(きたがわ・いしまつ=元環境庁長官)19日、老衰で死去。告別式は未定。

 大阪府議を経て、1976年に衆院旧大阪7区で自民党から初当選。連続6期務めた。90年の第2次海部内閣で環境庁長官。建設の是非が問題となった長良川河口堰(ぜき)を環境庁長官として初めて視察し、自然環境への影響について追加的な調査検討を求める異例の見解を発表した。96年に政界を引退した。

最終更新:5月20日(月)9時37分

3838名無しさん:2013/05/27(月) 15:38:06
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130527-00000116-mailo-l35
藤谷・民主参院議員:引退後も「平和貢献続ける」 /山口
毎日新聞 5月27日(月)12時34分配信

 平和の尊さを国会の場で唱えてきた民主党の藤谷光信参院議員(76)=比例=が26日、今夏の参院選出馬をしない意向を明らかにした。岩国駅前空襲など、戦争の悲惨さを身をもって体験した世代の国会議員がまた一人、政治の場を去る。

 藤谷氏は1945年8月14日にあった岩国駅前空襲や、原爆の被害を受けた広島の惨禍を目の当たりにし、国会議員になってからも、これらの体験を基に平和の大切さを訴えていた。
 広島への原爆投下の時は8歳の時。授業中に教室がピンクのまぶしい光に覆われ、直後に激しい揺れに襲われてしゃがみ込み、担任が必死に黒板を手で押さえていた姿を覚えているという。2カ月後、親戚の見舞いのため、焼け野原と化した広島市に入った。「広島は原爆投下まではおしゃれな街だったのに……」
 初当選は第1次安倍晋三政権。引退も安倍政権(第2次)となりそうだ。不思議な偶然だが、戦後生まれの安倍首相の政治姿勢には疑問を感じているという。「太平洋戦争に突き進んだ反省に目を向けず、経済人など一部の声しか聞いていない」。また、次期参院選の争点に掲げられるとみられる国防軍創設や改憲については不安があるという。戦時中、市民が逃げ込んでいた防空壕(ごう)に後から入って来て「奥に入れろ」と人を押しのけていったり、言うことを聞かない女性を殴る軍人の姿が記憶に残っているからだ。「軍人は外国と戦う前に、自国民を規制する考えしかなかった」
 引退の理由に「年齢」を挙げる藤谷氏だが、引退後は僧侶として幼稚園教育を通じ、平和や次世代への貢献を続けたいという。【吉川雄策】
〔山口版〕
5月27日朝刊

3839名無しさん:2013/05/27(月) 15:43:14
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130526-00000026-mai-peo
<訃報>高橋清孝さん92歳=元自民党参院議員
毎日新聞 5月26日(日)20時37分配信

 高橋清孝さん92歳(たかはし・きよたか=元自民党参院議員、元科学技術政務次官)24日、肺炎のため死去。通夜は27日午後6時半、岩手県花巻市北笹間17の105の自宅。葬儀は6月3日午後1時、同市野田335のJAいわて花巻総合営農指導拠点センター。喪主は長男清道(きよみち)さん。

最終更新:5月26日(日)20時37分

3840名無しさん:2013/05/27(月) 15:47:29
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130525-00000232-yom-peo
小池勇二郎氏(小池百合子自民党衆院議員の父)が死去
読売新聞 5月25日(土)8時46分配信

 小池勇二郎氏 90歳(こいけ・ゆうじろう=小池百合子自民党衆院議員の父)24日、死去。葬儀は近親者で行う。後日、偲(しの)ぶ会を開催する予定。喪主は長男、勇(いさむ)氏。

3841名無しさん:2013/06/07(金) 13:31:28
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130606-00000863-yom-peo
近藤忠孝氏(元共産党参院議員、弁護士)が死去
読売新聞 6月6日(木)15時12分配信

 近藤忠孝氏 81歳(こんどう・ちゅうこう=元共産党参院議員、弁護士)5日、肝硬変で死去。告別式は8日午後1時30分、京都市南区西九条池ノ内町60公益社南ブライトホール。喪主は長男、公人(きみひと)氏。

 弁護士としてイタイイタイ病弁護団に加わった。1974年、参院選全国区で初当選し、3期務めた。

3842名無しさん:2013/06/07(金) 13:32:17
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130606-00000039-mai-peo
<訃報>近藤忠孝さん81歳元イタイイタイ病弁護団長
毎日新聞 6月6日(木)14時8分配信

近藤忠孝さん=京都市下京区で2007年12月4日、森園道子撮影

 元イタイイタイ病弁護団長で、元共産党参院議員の近藤忠孝(こんどう・ちゅうこう)さんが5日、肝硬変のため京都府長岡京市の病院で死去した。81歳。通夜は7日午後7時、葬儀は8日午後1時半、京都市南区西九条池ノ内町60の公益社南ブライトホール。喪主は長男公人(きみひと)さん。

 東京都出身。富山県のイタイイタイ病訴訟では「裁判で勝利するためには被害者のいる現地で活動することがどうしても必要」として、一家で東京から富山へ移住した。全国公害弁護団連絡会議の初代幹事長などを経て、1974年から参院議員を3期務めた。議員引退後は京都弁護士会に所属し活動していた。

 富山市で2008年にあった提訴40周年の集いでは「中国などでは今、40年前の富山と同じことが起きている。世界の公害をなくす努力をすることが、私たち全員の責務」と訴えた。

3843旧ホントは社民支持@鹿児島市:2013/06/07(金) 23:15:56
ミッテランの片腕も逝ってしまったか。

モーロワ元仏首相死去
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2013060700971
 ピエール・モーロワ氏(元フランス首相)7日、パリ郊外の病院で死去。84歳。12年4月に肺のがん性腫瘍の手術を受けた後、13年6月に再び入院していた。
 北部カルティニ生まれ。高校教師時代から社会主義運動に参加し、70年代初めには後に大統領となるミッテラン第1書記(党首)に次ぐ社会党内の実力者となる。73年から下院議員とリール市長、ミッテラン政権下の81〜84年に首相を務め、週39時間労働制や、年金受給開始の目安となる法定退職年齢の60歳への引き下げを進めた。(2013/06/07-20:39)

3844名無しさん:2013/07/06(土) 14:27:21
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130703-00000228-yom-peo
上坂昇氏(元社会党衆院議員)が死去
読売新聞 7月3日(水)9時4分配信

 上坂昇氏 94歳(こうさか・のぼる=元社会党衆院議員)2日、肺炎で死去。告別式は8日午前11時、福島県いわき市小島町3の2の2せきのホール。自宅は同市若葉台2の26の8。喪主は妻、泰子(やすこ)さん。

 1972年衆院選に旧福島3区から社会党で初当選し、6期務めた。

3845名無しさん:2013/07/06(土) 14:28:32
http://www.minpo.jp/news/detail/201307039399
上坂昇元衆院議員死去 社会党で6期17年務める いわき

 元社会党衆院議員の上坂昇(こうさか・のぼる)氏は2日午前3時9分、肺炎のためいわき市の病院で死去した。94歳。自宅はいわき市若葉台2ノ26ノ8。通夜は7日午後6時から、告別式は8日午前11時からともに市内小島町のせきのホールで。喪主は妻泰子(やすこ)さん。(20面に追悼記事)
 いわき市出身。旧制磐城中(現磐城高)、早稲田大政経学部卒。旧平市議2期、県議2期を経て昭和47年の衆院選旧本県3区に社会党から立候補して初当選した。衆院議員を6期17年務め、衆院石炭特別委員長、党国会対策副委員長、党中小企業局長などを歴任した。
 戦後の護憲・民主主義運動に尽くしたほか、中小企業振興などにも力を注いだ。平成元年の叙勲で勲二等旭日重光章を受章した。

( 2013/07/03 09:39 カテゴリー:主要 )

3846名無しさん:2013/07/06(土) 14:31:27
http://www.hibinoshinbun.com/files/68/kousaka.html
日々の新聞 第68号 江戸時代のいわき

安藤家家臣の子孫で、元衆議院議員の上坂昇さん(87)が、司馬遼太郎の『この国のかたち』を読んでいた時だった。近江の「上坂氏」のことにふれているところがあった。それまで「東北に住んでいるから蝦夷の子孫」と、自分のことを思っていた。何となく上坂姓のルーツを調べたくなり、以後、滋賀県を何度か訪ねた。

 滋賀県長浜市。上坂神社、上坂城跡、それに東上坂町、西上坂町というのもあった。関西の上坂姓はかみさか、うえさかが多い。近江の上坂はこうさかが正しい読み方なのだという。
 上坂さんの本籍は平揚土五、平一小がある場所。先祖は安藤家の家臣で、安藤家6代の信成の入封とともに磐城平に移り住んだ。曾祖父にあたる助太夫は安藤家12代の信勇の時代、城代を命じられ、藩主の留守中、代わって城を守り、藩の一切の政務を担当した。そして、戊辰戦争を迎えた。
 10代藩主の信正は老中職を辞めた後、老中在任中に不正があったという理由で隠居謹慎を申し渡され、11代の信民に家督を譲ったが、さらに領地二万石を取り上げられ、無期限の謹慎を言い渡された。謹慎が解ける間に信民は亡くなり、内藤家から養子に来た信勇が藩主に就いた。
 戊辰戦争の藩の態度を決める議論がされたころ、恭順派の儒学者真木光と抗戦派の家老上坂助太夫の2派にわかれた。その時、信勇は美濃加納の領地にいた。助太夫は藩主の意志に反し、信正を担いで旗揚げをし、総監を務めた。そして激しい攻撃を受けて落城した。
 敗れた安藤家は陸中磐井藩への移封を命じられたが、信勇が忠誠を誓って嘆願し、移封は取り消され、そのまま磐城平藩で生活した。廃藩置県で平県知事になったが、その後、福島県が誕生し、学習院で書道教授をした。 
 上坂さんは小川町で生まれ。父親は次男で、運送業を営んでいた。戊辰戦争後、先祖は傘張りなどをしながら苦しい生活をしたという。いま、上坂さんは安藤家の縁の人たちの集まり「平安会」の会長をしている。


平安会
 
  家臣など安藤家の縁の人たちの集まり「平安会」は110年前に発足した。戊辰戦争で亡くなった西軍の兵士はすぐに弔うことができたが、負け組は弔うことさえ許されなかった。そのうちに、仙台などあちこちから亡骸を良善寺に集め、供養している。にらまれることは避け、目立つことはしないできたという。
 安藤家の最後の将軍、信勇の子どもか孫にあたる、信篤は磐城中学(現磐城高校)で学んだ。かなり優秀で、将来が期待された。「学費を支援してほしい」という呼びかけで、協力したこともある。信篤は八高(名古屋高校)に入学したが、八高時代に結核で亡くなってしまった。

3847名無しさん:2013/07/16(火) 15:09:47
http://www.asahi.com/obituaries/update/0714/TKY201307140070.html
元社会党衆院議員の戸田菊雄さん死去

 戸田菊雄さん(とだ・きくお=元社会党衆院議員)が13日、肺炎で死去、89歳。通夜は16日午後6時、葬儀は17日午後1時から仙台市青葉区木町通2の2の13の斎苑(さいえん)で。喪主は長女の夫、大山邦彦さん。連絡先は社民党宮城県連合(022・223・3081)。

 1965年、宮城県選挙区で参院議員に初当選。2期務めた後、80年に旧宮城1区で衆院議員に当選し、4期務めた。党大蔵部会長や国対副委員長などを歴任した。

3848名無しさん:2013/07/16(火) 16:22:27
http://www.kahoku.co.jp/news/2013/07/20130715t13015.htm
元衆院議員、旧社会党宮城委員長の戸田菊雄氏死去

 元衆院議員で旧社会党宮城県本部委員長を務めた戸田菊雄(とだ・きくお)氏が13日午後10時23分、肺炎のため仙台市青葉区上杉1丁目13の17の自宅で死去した。89歳。いわき市出身。葬儀・告別式は17日午後1時から、仙台市青葉区木町通2の2の13、斎苑で。喪主は長女の夫大山邦彦(おおやま・くにひこ)氏。
 仙台鉄道教習所卒。国労仙台地方本部委員長、宮城県労評議長を経て1965年、旧社会党宮城県本部委員長に就任。同年の参院選旧宮城地方区に党公認で立候補して初当選し、連続2期務めた。その後衆院に転じ、80年衆院選の旧宮城1区で初当選し当選4回。
 旧社会党県本部委員長は94年に退任するまで29年間務め、県内の革新勢力をリードした。96年の社民党結成以来、県連顧問を務め、後進を支えた。

◎革新勢力の指導者/穏やかな人柄惜しむ声

 旧社会党の衆院議員、参院議員を務めた戸田菊雄さん(89)が13日夜、亡くなった。労働者の地位向上に尽力し、長年にわたって宮城県内の革新勢力のリーダー的存在だった。後輩の社民党県連幹部や親交のあった人から悼む声が相次いだ。
 社民党県連顧問の菅野哲雄元衆院議員(64)は「4年ほど前にメーデー集会で会ったのが最後になった。国政の場で活躍する姿は雲の上の存在だった。社会党県本部の指導的立場として、党員を引っ張ってもらった」としのんだ。
 社民党県連の岩渕義教代表(64)は「国の財政問題に詳しく、後輩の自分たちにかみ砕いて教えてくれた。とても穏やかな人だった」と懐かしんだ。
 戸田さんは亡くなるまで社民党県連顧問を務めた。岩渕代表は「戸田さんたちが大きくした党を、小さくしてしまった。もっと助言をもらいたかった」と悔しさをにじませた。
 戸田さんは労働運動から政治の世界に入った。後任の県労評議長を務めた仙台市太白区の社会福祉法人理事長高橋治さん(84)は、戸田さんが「ささいな考え方の違いで分裂してはいけない。目的が同じなら団結すべきだ」と、よく話していたことを覚えている。
 高橋さんは「野党がバラバラになっている今の政治状況を見ると、戸田さんの言葉の大切さを痛感する」と語った。

2013年07月15日月曜日

3849名無しさん:2013/07/18(木) 16:42:51
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/130718/waf13071807010003-n1.htm
「天下一品」創業者が元衆院議員を提訴した「理由」…米進出?LED事業?双方の主張噛み合わぬ“不可解”
2013.7.18 07:00 (1/3ページ)[westセレクト]

人気ラーメン店の創業者と元国会議員によるLED事業への出資を巡る争いが京都地裁で行われている。異色対決の行く着く先は…

 こってりスープで知られる京都発祥のラーメン店「天下一品」。屋台から全国展開を果たすまで事業を育てあげた創業者が、公明党の元衆院議員を相手取り、LED事業に絡む出資金5千万円の返還を求める訴訟を京都地裁に起こした。人気ラーメンチェーンの社長がなぜ「LED」だったのか。背景には、米国進出を目指す天下一品の戦略があったという。これに対し、元衆院議員は5千万円の送金があったことは認めたものの、「寄付金は(創業者の)たっての依頼であり、勧誘したものではない」と主張。「断じて不法行為はしていない」と全面対決の構えをみせている。

元政務官の勧誘

 独特のこってりスープで、京都のみならず全国のラーメンファンの間では、その存在を知らない人はいないラーメンチェーン「天下一品」。その創業者、木村勉社長(78)が訴えたのは、公明党の元衆院議員、山名靖英氏(69)と山名氏が代表取締役を務める会社など2社だ。

 山名氏は元京都府議で、平成5(1993)〜17(2005)年には衆院議員を3期務め、総務大臣政務官なども歴任した。木村社長とは衆院議員時代に知り合い、政界引退後も交流を続けていたという。

 訴状によると、山名氏が木村社長に「LED事業」に絡む寄付を持ちかけたのは20年11月ごろのことだとされる。

 山名氏は、米国の企業や大学と共同で、より省エネルギーで発光効率の高い発光ダイオード(LED)を開発する「日米共同LEDプロジェクト」事業を紹介し、木村社長を理事に推薦するとした。

 弁護人によると、勧誘に使われた資料には、著名な大学を出たとする日米の研究者の顔写真入りのプロフィルや、プロジェクト発足パーティーの写真などが記載されていた。

 山名氏は「理事になれば米国の有力企業や大学との窓口になり、広大な利益を有することになる」と誘ったという。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板