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選挙・議員関連情報スレ

3769名無しさん:2012/11/08(木) 11:53:30

中曽根蔦子さん死去 「ロン・ヤス」外交 内助の功
産経新聞 11月8日(木)7時55分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121108-00000116-san-pol

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来日したレーガン米大統領夫妻を別荘に招待した際、いろりを囲みお点前を披露する中曽根康弘首相(右手前)。蔦子夫人(右奥)はおそろいのチャンチャンコを用意した=東京・西多摩の日の出山荘 (昭和58年11月撮影)(写真:産経新聞)

 10月30日に91回目の誕生日を迎え、夫の中曽根康弘元首相や長男の中曽根弘文・自民党参院議員会長、ひ孫ら家族に囲まれてケーキのろうそくを吹き消し、にぎやかなひとときを過ごしたばかりだった。

 元首相と結婚したのは昭和20年2月、23歳のとき。復員して内務省に勤務していた夫は戦後、役所を辞めて政治家を志す。

 「役人だから安心してお嫁にきたのに選挙ばかり」とぼやくこともあったというが、初めての選挙のときは投票日が臨月にあたり、大きなおなかを抱えて挨拶回りに励んだ。関係者は「とても穏やかな人柄。内助の功で康弘氏と家族を支えてきた」と振り返る。

 ファーストレディーとなって公邸入りした際には「主人は睡眠5時間くらい。通勤時間がゼロというので主人本位で越して参りました」と、オーバーワークの夫を気遣いつつ、その激務を支えた。

 昭和58年1月の初の訪米時、当時のレーガン大統領が元首相に「自分をロンと呼んでくれ。あなたをヤスと呼んでいいか」と提案し「ロン・ヤス」関係を築いた水入らずの朝食会にも、蔦子(つたこ)夫人の姿があった。

 同年11月に大統領が来日した際には、別荘の「日の出山荘」に夫妻を招いた。昼食会ではチャンチャンコ姿で大統領夫妻と食事。元首相が「家内たちもファーストネームでやったらどうか。蔦子の蔦はアイビーだから、ナンシー、アイビーでどうか」と提案すると、ナンシー夫人が大笑いする場面もあった。


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