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歴史掲示板

1管理人:2012/01/12(木) 17:24:57
古代史掲示板を新設しました
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10077国家元首:2019/12/25(水) 09:16:22
常世国
>秦野さん。

『現代語譯 古事記 武田祐吉訳』だと、『常世國』は「海外の國」と現代語訳されていますね。

アマツヒコヒコナギサタケウガヤフキアヘズの命は、叔母のタマヨリ姫と結婚してお生みになつた御子の名は、イツセの命・イナヒの命・ミケヌの命・ワカミケヌの命、またの名はトヨミケヌの命、またの名はカムヤマトイハレ彦の命の四人です。ミケヌの命は波の高みを蹈んで海外の國へとお渡りになり、イナヒの命は母の國として海原におはいりになりました。

ウィキペディア「常世の国」より

「・・・常世の国(とこよのくに)は、古代日本で信仰された、海の彼方にあるとされる異世界である。一種の理想郷として観想され、永久不変や不老不死、若返りなどと結び付けられた、日本神話の他界観をあらわす代表的な概念で、古事記、日本書紀、万葉集、風土記などの記述にその顕れがある。

こうした「海のはるか彼方の理想郷」は、沖縄における海の彼方の他界「ニライカナイ」にも通じる。・・・

しかしながら、常世の国には、ただ単に「海の彼方の世界」というだけでなく、例えば「死後の世界」、「神仙境」、永遠の生命をもたらす「不老不死の世界」、あるいは「穀霊の故郷」など様々な信仰が「重層的」に見て取れる。・・・」

10078荊の紀氏:2019/12/25(水) 09:50:36
Re: 参考…神輿の黙示録…
秦野北斗さんへのお返事です。

>本居宣長の創作・・・

本居 宣長(もとおり のりなが)は、江戸時代の国学者・文献学者・言語学者・医師。名は栄貞。本姓は平氏。通称は、はじめ弥四郎、のち健蔵。号は芝蘭、瞬庵、春庵。自宅の鈴屋(すずのや)[3]にて門人を集め講義をしたことから鈴屋大人(すずのやのうし)と呼ばれた。また、荷田春満、賀茂真淵、平田篤胤とともに「国学の四大人(しうし)」の一人とされる。伊勢松坂の豪商・小津家の出身である。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F

本居宣長は、伊勢松坂の木綿問屋小津家の次男とあり、小津という姓がでてきました。 本居姓なのに、なぜ小津なのでしょう。 実は、本居宣長と小津家は深い関係があります。
本居宣長は、小津一族の一員 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwheatbaku.exblog.jp%2F12082614%2F
小津…
肥前国佐嘉郡小津郷末次村
末次氏 (出雲国) : 宇多源氏流佐々木氏(近江源氏)一門。出雲国法吉郡(島根郡)末次郷[1]を拠点とした(出雲源氏)
この兄弟はそのまま肥前国に土着して、弟の季次は肥前国佐嘉郡小津郷の一部(現在の佐賀市 本庄町末次)に領地を得て地頭職となり、以降末次氏を名乗るようになった。
末次氏 (肥前国) : 藤原北家秀郷流佐藤氏一門。肥前国佐嘉郡小津郷末次村[2]を拠点とした。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fjapan.fandom.com%2Fja%2Fwiki%2F
藤原北家秀郷流佐藤氏…
魚名…マナ
マナ(ヘブライ語: ?? 、 ? ? [注釈 1] 、アラビア語: ??? [注釈 2] )は旧約聖書「出エジプト記」第16章に登場する食物。イスラエルの民がシンの荒野で飢えた時、神がモーゼの祈りに応じて天から降らせたという。

神様は、天からマナという食べ物をお与えになり、100万人を超える人々の食を助けてくれるという内容が書かれているのです。 そのマナとは、どのような食べ物だったのでしょうか。angel-news.com/2017/12/08/what-kind-of-food-is-manna/
名井神社…
籠神社の奥宮である「天真名井神社」には、石碑があり、かつてそこには「六芒星」が刻まれていました。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fplaza.rakuten.co.jp%2Fkotoha%2Fdiary%2F200605300000%2F
「籠目」とは「カゴメ」であり、「カゴメ紋」となります。
「カゴメ紋」とは「六芒星」であり、「タビデ紋」とも称され、イスラエルの国旗にもなっていますから、いずれにしても、日本とイスラエルとの関係が示唆されることになります。
籠神社…
藤原氏…
奈良時代から平安時代にかけて、藤原氏が政治権力を握ることによって、同族の中臣氏と卜部氏が宮中祭祀を独占し、物部氏および忌部氏の力は急速に衰えていきます。
これによって、物部氏が奉じてきた古代神道は完全に封印されることになります。
いったい物部神道とは、いかなる神道だったのか? /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Ftrakl.exblog.jp%2F17689395%2F
…古代イスラエル人の渡来には、少なくとも二つの流れがあります。
一つは失われたイスラエル10支族がスキタイと共に騎馬民族となって日本にやって来た可能性。
しかし、籠神社の極秘伝では、物部氏は騎馬民族や秦氏よりも古い、大量の渡来人が
朝鮮半島からやって来る以前、すでに物部氏は王権を確立していたといいます。
籠神社のある丹波を中心にして、近江や出雲を含む広大な地域を支配していました。

遂にわかった!日本民族のルーツ。物部、秦の争いが南北朝へ /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fameblo.jp%2Fici05876%2Fentry-11517008918.html
「縄文人」→「弥生人」→「古墳人」となります。まず「縄文人」は、1)太平洋系海人族・安曇氏、2)シュメール系海人族・橘氏(和田、楠、葛城、尾張、犬養、春日、小野)、平氏、3)北方アイヌ人(蝦夷)からなります。
?海人族・安曇氏は、山口県下関市彦島の杉田丘陵や角島、玄界灘にある沖の島、出雲の日ノ御碕沖等に、与那国島沖と類似する神殿跡やペトログラフ(岩絵文字)があることから、主に北部九州から近畿にかけて分布した海洋民族「メネフネ族」と考えられます。
?なお、これらと同形のペトログラフは、韓国、台湾、中国では全く見つかっておらず、特に朝鮮半島では5000年以前には人が居住した遺跡が存在しません。また
メネフネ族とは別に、同じく海人系ミクロネシア人
の「熊襲」あるいは「隼人」は南九州、南四国に分布しました。
?一方、シュメール系・橘氏ですが、アッカド人に国を追われ各地に分散した一派が、海路から和歌山県近辺に渡来し居住、海人族として後に物部氏とともに蘇我氏と争って下野したため、脚光を浴びることがありませんでした。
?が、天武天皇の代から橘美千代が宮中で命婦として勤め、女帝元明天皇から橘宿禰の氏姓を賜り、その子諸兄が有名です。皇室の警察犬を使う犬養氏、葛城氏も同族で、橘氏は和田氏、楠氏につながります。平氏の起源も、平清盛の話によるとペルシャ方面にあるということです。
?他方、アイヌですが、カムチャッカ半島など北シベリア方面に分布していたスーセン族と、サハリンからアムール川周辺地域など東シベリア方面に分布していたギリヤーク族(ニブヒ族)からなり、前者「阿蘇辺族」は主に北海道東部に居住し、後者「津保化族」は本州にも居住、後に「荒覇覇吐王国」を作りました。
?次に「弥生人」は、1)古代ユダヤ10支族・海部氏(物部氏)、2)支那大陸華南地域から来た「倭族」からなります。このうち海渡人(ウミワタヒト)という海人族が海部氏(物部氏)で、秦の始皇帝の側近・徐福によって連れてこられた数十万人の古代ユダヤ人の一団という説もあります。
?なお、海部氏が社家となる丹波地方にある籠神社では、「アマテルとニギハヤヒの両神は同体なり」として、海部氏と物部氏の合族を伝えています。
?最後に「古墳人」は、1)崇神天皇の時代にやってきた突蕨系の「土師(はじ)氏」、「西文氏」、2)応神天皇の時代にやってきたツングース系の「越氏」、古代ユダヤ10支族でスキタイ+アーリア系の「秦氏」からなります。
?土師氏は半島由来の騎馬民族で、主に古墳の造営を行うゼネコンのような立場だったようです。”はじ”という呼び方も、土地を与えられない"非定着漂流民”という意味での蔑称から来ていると言われています。
?西文氏は北陸に渡来し、半島からの移民、難民の受け入れ事務所を置き、漂着する渡来民を引き受け労働力として畿内の土師氏に送り込む”手配師”でした。ツングース系越氏も西文氏と同じく北陸地方に定着しました。尚、秦氏は100万人規模の大集団でやってきたとされていますが詳細は別項で述べます。

   トンデモ? ↓
「物部氏の祖であるニギハヤヒ命は、河内に降臨する際、天磐船(あめのいわふね)に乗って大空を駆けめぐった」そうです。藤原氏の北極星、北斗七星信仰はシャンバラ信仰、物部氏 のオリオン信仰はアガルタ信仰となるといわれます /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fyamadori0250.hatenablog.com%2Fentry%2F2017%2F04%2F06%2F174937
藤原氏の北極星、北斗七星信仰はシャンバラ信仰、物部氏のオリオン信仰はアガルタ信仰となる。(4) /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fyamadori0250.hatenablog.com%2Fentry%2F2017%2F04%2F06%2F174937
「ヤペテ系やハム系の神域がアガルタで、シャンバラは、セム系の神域ということである」といわれます。「物部氏の祖であるニギハヤヒ命は、河内に降臨する際、天磐船(あめのいわふね)に乗って大空を駆けめぐった」そうです。藤原氏の北極星、北斗七星信仰はシャンバラ信仰、物部氏 のオリオン信仰はアガルタ信仰となるといわれます。セム系氏族が北極星、北斗七星信仰、ハム系氏族がオリオン、シリウス信仰であることを明らかにしてきたそうです。我が国の神社の大半がスサノオやニギハヤヒ、つまりバールやミトラを祭祀し、その系列神を祭神とした物部氏の神社で、オリオン信仰といわれます。天の磐船(宇宙船)に乗って日本に降臨した宇宙人の種族の末裔の氏族が、勢力争いをして、日本の歴史を形成していったようです。宇宙人の出身により、それぞれの一族に分かれていったといわれます。権力を握った藤原氏は、神と天皇を繋ぐ役割であったといわれます。宇宙人は多くがタイム・トラベラーであるといわれます。
…日本に最初に降り立ったのは、シリウス人で、彼らは東北地方の青森県を中心に、下北半島、津軽半島、十和田湖周辺から秋田県の一部に展開したといわれます。「平氏の“平”がヘライ(ヘブライ)に由来すると考えると平氏はセム系、ユダヤ系ということになってくる。源平合戦はハム系とセム系の争い」といわれます。平家がプレアデス星人の末裔で、源氏がオリオン星人の末裔と語られています。「源平合戦はハム系とセム系のオリオン、シリウスと北極星、北斗七星の戦いということになってくる」そうです。米国には、シリウス星人がウォーク・イン(憑依・人格転換)やワンダラー(転生)の形態で飛来しており、その数は、非常に多いといわれます。日本民族の原郷はプレアデスにあるという説も有力でした。プレアデス人は古代リラ星人の末裔といわれます。


> 荊の紀氏さんへのお返事です。
>
> 先祖からの伝聞を基に創作・・・?、歴史は記録ですよ、韓国史籍と日本書紀の一部は創作ですが。
> それと、秦氏は創作です。天岩戸は本居宣長の創作です、真実はどこにあるのでしょう。
>


10079荊の紀氏:2019/12/25(水) 10:05:54
プレアデス…魔法陣に描かれる「六芒星」…
ヨブ記38章31節には「あなたはプレアデスの鎖を結ぶことができるか。オリオンの綱を解くことができるか。」という文章がある。
ヘーシオドスは夏の間、40日も太陽の後ろ側に隠されることに注目した。プレアデス星団が、太陽から離れ、初めて暁の東天の地平線に姿を現す天体現象は古代には重要な出来事であるとされた。ガイウス・ユリウス・カエサルは5月の暦にこの日を記した。
プレアデス星団[3](プレアデスせいだん、Pleiades )は、おうし座の散開星団である。メシエカタログでの名称はM45。和名はすばる[3]。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
日本では古来、プレアデス星団をすばる(昴)と呼んだ。他にも地方によって、「六連星(むつらぼし)」や「羽子板星」などと呼ばれている。その他日本各地で多くの方言が見つかっている。
「プレアデス星団の方言」も参照
「すばる(統ばる)」または「すまる(統まる)」という言葉は元来他動詞「すべる(統べる)」に対する自動詞形であり、「統一されている」「一つに集まっている」という意味をもつ。玉飾を糸でひとくくりとしたものを『万葉集』で「須売流玉(すまるのたま)」、『日本紀竟宴和歌』で「儒波窶玉(すばるのたま)」などと呼んだのと同様の用法である。
その後、中国でプレアデス星団を指す昴宿から「昴」を当てた。
奈良時代に成立したとされる『丹後国風土記』逸文に「其七豎子者(七人の童子)、昴星也。其八豎子者、畢星也」という記述があり、それぞれ隣り合っているプレアデス星団、アルデバランとヒアデス星団の事と見られる。伊勢神宮皇大神宮摂社の棒原神社には昴に由来するとされる天須婆留女命御魂が御前神と共に祭られている。
日本でプレアデス星団について言及した最古の記録は、平安時代に醍醐天皇皇女勤子内親王の命で作成された百科事典『和名類聚抄』だと考えられている。この中で、昴星の和名は須波流と記されている。
昴星 宿耀経云昴音与卯同和名須波流六星火神也
ほかに、清少納言の著した『枕草子』の一節(第236段)が有名である。
星はすばる。ひこぼし。ゆふづつ。よばひ星、すこしをかし。尾だになからましかば、まいて。
星はすばる、ひこぼし、宵の明星が良い。流れ星も少し趣がある。尾を引かなければもっとよいのだけれど。
「すばる」や「すまる」という名前を呼ぶ地域の南限は鹿児島県のトカラ列島であり、トカラ列島より南ではブリブシ(群れ星)、ナナツブシ(七つ星)などと呼ばれる[5]。

プレアデス星団「すばる」 ユダヤの六芒星「ダビデの星」
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fblogs.dion.ne.jp%2Ftanpopo0817%2Farchives%2F10121039.html
イスラエルの国旗や、悪魔を呼び出すときに使われる魔法陣に描かれる「六芒星」
私たち日本人の多くは、「何次元の世界に来た!」などということよりも、今の出来事を嘆き悲しんでいるのである。悲しみもせず、逆に生き生きとしているのはとても日本人とは思えない。まるで仮庵の地でストレンジャーとして暮らすユダヤ人のよう。
私たちは、生きるために、自分の力で戦う決意を固めているところなのだ。
もし、この破壊を自分たちが行っているというならば、自分が犯罪者であると認めているようなものだ。誤解を生むような物言いはやめたほうがいい。
プレアデスではなく、地球支配者からのメッセージの方が分かりやすくて良いのでは、その方が真実味もあると思うが。


10080秦野北斗:2019/12/25(水) 10:33:31
Re: 常世国
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010629M.jpg

http://tokyox.matrix.jp/wordpress/伊勢麻積、/



10081荊の紀氏:2019/12/25(水) 19:24:05
稗田阿礼(ヒダノアレイ)…「イェヒダアレフ」
ただの雑記hanbunningen.hatenablog.com/entry/2016/05/31/012704
最初に読むなら池澤夏樹訳が一番すんなり入ってくると思う、その後で福永武彦訳のしっかり固められた訳文を楽しむのがいいと思いました。

倉野憲司、武田祐吉、神野志隆光などの一流の学者による「古事記原文読み下し文」なら、どれも信用できます。

稗田阿礼(ヒダノアレイ)…「イェヒダアレフ」
『古事記』は昔の角川文庫(武田祐吉氏校訂)のものが原文と訳が一緒で良かったのですが、今売っているのかどうか…。
古事記と日本書紀で読みやすいのは?
初心者が読むなら断然、「古事記」ですね。
何と言っても「日本書紀」より短いですから。
…いずれもプロの国文学者が江戸時代以来の諸解釈を取捨選択しながら訳していますので、素人が読んで「解釈が微妙」なんてことはありません。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fdetail.chiebukuro.yahoo.co.jp%2Fqa%2Fquestion_detail%2Fq1098095220

『古事記』序文偽書説のことから話を始めなければならないangouyamanoue.sakura.ne.jp/z038.htm
阿礼(アレ)
ヘブル語アルファベットの数値 アレフ ? =1

(イェヒダは単位という意味)。そうそう、旧約聖書の詩篇で最も長い章、詩篇119篇などでも英語版を読むとアレフ、ベス、ギメル・・・と書かれています。昔からアルファベットが順番を表す数字代わりに使われているのですね。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fblog.goo.ne.jp%2Fusako_usagiclub%2Fe%2Fa91b0ac0b8a082cfd5baecce52ad616b

古事記の神話は歴史的事実が元に! /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Frokuzigenkai.com%2Fgenealogy%2F
『古事記』は西暦712年に稗田阿礼(ヒダノアレイ)が口述したものを大野安磨呂(オオノヤスマロ)が筆記した日本の最も古い文献です。
(稗田阿礼とは飛騨にあれませるお方という意味でヒエダと読むのは後世の読み誤りです)
『古事記』は中国から入った漢字の音で日本古来の言葉を写したために、長い間解読ができませんでしたが、江戸時代になり本居宣長(モトオリノリナガ)が二十年の歳月をかけて解読しました。
神話といわれる神代巻(かみよのまき)は、世界に比類ない美しい神話です。さらに『古事記』には日本の先祖が素晴らしい哲学を体得しておられたことがボンヤリと書かれています。
『古事記』の哲学が日本古神道の精神になり、『古事記』の心が日本の精神性の原点なのです。『古事記』の神話は歴史的事実が元になって創られています。


10082秦野北斗:2019/12/25(水) 23:23:49
Re: 稗田阿礼(ヒダノアレイ)…「イェヒダアレフ」
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010631M.jpg

http://www.seisaku.bz/kojiki/kojiki_01.html



10083荊の紀氏:2019/12/26(木) 00:55:47
造化の三神…參?作造化之首…
造化の三神
天御中主神(あまのみなかぬしのかみ) /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fnihonshinwa.com%2Farchives%2F6381
高皇産霊神(たかみむすひのかみ)
神皇産霊神(かみむすひのかみ)

秦氏は京都太秦の蚕の社に、上からみると三角形の鳥居「三柱鳥居」をつくった。三角形で造化三神、また三位一体神を表したのである。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fgakkenmu.jp%2Fcolumn%2F11087%2F
古事記に記された最初に出現した神──アメノミナカヌシ、タカミムスヒ、カミムスヒの三神は、造化三神と呼ばれ(造化は創造の意)、天地を造り成した神とされている。
一方、出雲大社の「心御柱」(神が宿るという本殿中央の最も神聖な柱)は、3本の木を束ねた「3本柱」だった。神道にはそのほか、3本1束の柱を立てて神聖視していることが多い。神を表す数として3が使われている。
神道では神を数える際、「一柱、二柱、三柱……」と、神の数を「柱」で表す。柱は神の象徴である。古代イスラエルでも、柱は神の象徴だった。古代イスラエル人は石の柱を立てたり、木の柱を立てたりして、神を礼拝した。
造化三神と三位一体
キリスト教では「三位一体なる神」が信じられている。この三位一体神とは、御父(神ヤハウェ)、御子(イエス)、御霊(聖霊)の三者が、互いに区別されるものの、存在と本質をひとつにした神であり、唯一の神であるという信仰だ。

参宿は燦として斜めに懸かかれり。 凍夜疎林上、 凍夜 疎林の上、 悠々世外天。 悠々たり 世外の天。 シリウスが今まさしく爛々と輝き、そのそばにはオリオンの三ツ星が、燦然ときらめきながら空に斜めにかかっている。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2F8628.teacup.com%2Ftoraijin%2Fbbs%2F3679
参宿(からすきぼし・しんしゅく)
オリオン座の中央部の三つ星を含む7星を指す。二十八宿(にじゅうはっしゅく、古代中国で月が地球を一周する間に通過する28の星座)の一つで西方白虎七宿の第七宿。白虎の胸にあたる。距星(きょせい、各宿の基準点となる星)はオリオン座ζ(ゼータ)星。「三つ星」の意。名は農具の一種「唐鋤(からすき)」に見立てたもの。「三つ星(みつぼし)」「三連星(みつらぼし)」とも。唐鋤星(からすきぼし)。参(しん)。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fhyogen.info%2Fgroupw%2Flist%2F5439

オリオン座の三連星は、住吉三神が天に見える姿である、というのです。
住吉三神はソコツツノオノミコト・ナカツツノオノミコト・ウワツツノオノミコトの三神です。漢字で書くと底筒男命・中筒男命・表筒男命となります。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fzinja-omairi.com%2Fsumiyosisanjin%2F

オリオン座です。中央の三つ星が「上中下の星の神」です。
このイラストでは横並びに近いから上中下には見えませんが、昇ってくる時には、縦になって一つずつ出て来るんですよ。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Flunabura.exblog.jp%2F15412072%2F


10084管理人:2019/12/26(木) 03:21:56
中国都城と畿内方位区画
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010633M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010633_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010633_3M.png

https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/152861/1/jor031_2_182.pdf



10085荊の紀氏:2019/12/26(木) 08:35:53
ニギハヤヒは宇宙人?さらに同じく瀬織津姫も宇宙人でシリウス文明が…(?)
「垚(土三つ。うずたかい)+兀(ひと)」兀…(祭壇座?)
炎の部分となるのが西の四角形である。祭壇と接する北の二辺(ζγ)は炎の火元となり、南の二辺(δη)が燃え盛り広がる炎の形象となる。祭壇座の北東の範囲外の星々は蠍座の長い尾の中ほどの三ツ星ζ3.6等星、η3.3等星、θ1.8等星
祭壇座 アラAra 英名the Altarhttps://ameblo.jp/mimba0621hori/entry-12347068703.html
祭壇座、Ara…原始キリスト教の奥義は、神道の中に隠されている /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2F8906.teacup.com%2Ftoraijin%2Fbbs%2F4963

尭[堯] ギョウ  土部 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fblog.goo.ne.jp%2Fishiseiji%2Fe%2F0fa4b97bbb9580fa5225e2ee3b639b24
解字 甲骨文は、ひざまずいた人の上に土のかたまりが二つある形。篆文第一字(古文)は、二人の人がそれぞれ土を上にのせている形で、土を運んで細工をする陶工を表していると思われる。ここから、古代の聖王のひとりが、陶唐という姓で陶器作りの祖であるという伝説と結びついてこの字が聖王「堯ギョウ」を表す字として使われたものと考えられる。
 篆文から、「垚(土三つ。うずたかい)+兀(ひと)」の堯に変化した。垚は陶工(兀)がつくった器をうず高く積んで乾燥させたり、焼くために窯に積んでいるさまと思われる。中国では、新石器文化期に窯の使用を開始しており、これにより高火度・長時間焼成が可能となり、より硬質のやきものが生産されるようになった。窯はかなり広いため、成形した器をそのまま積み上げたり、貴重なものは匣鉢(さや)に入れてから積み上げて焼成した。堯は、うずたかく積み上げることから、たかい意となる。また伝説上の聖王である堯に当てられる。堯は新字体に準じて上部の垚⇒卉に変化した尭が通用する。
意味 (1)たかい(尭い)。気高い。「尭尭ギョウギョウ」(高いさま) (2)中国古代伝説上の王の名。治水に舜シュンを起用しのちに彼に位を譲った。「尭舜ギョウシュン」(尭と舜は古代の聖王で、徳をもって天下を治めた古代の理想的帝王として並び称される)
イメージ  陶工が成形したのち乾燥させたり、焼くために窯にいれた「つみかさねた器」、うず高く器を積んださまから「ゆたか」のイメージがある。
  「つみかさねた器」(尭・焼・暁・橈・撓・蕘・遶・蟯・繞)
  「ゆたか」(饒・驍)
  「同音代替」(僥)
音の変化  ギョウ:尭・暁・僥・驍・蟯  ショウ:焼  ジョウ:遶・蕘・繞・饒
  トウ:橈・撓
ギョウ:尭・暁・僥・驍・蟯…
ぎょうしょうぶんか、ヤンシャオぶんか、英: Yangshao culture、漢語ピンイン: Yǎngsháo wénhuà)は、中国の黄河中流全域に存在した新石器時代の文化である。仰韶文化の年代は紀元前5000年から紀元前3000年あたりである。この文化の名称は初めて出土した代表的な村である仰韶にちなんで付けられた。仰韶村遺跡は1921年に河南省澠池県仰韶村で発見された。この文化が主に栄えた地域は、河南省、陝西省および山西省である。
仰韶文化は彩陶で有名である。仰韶の職人は美しい白、赤、および黒の彩陶で人面、動物、および幾何学模様を作成した。後世の龍山文化と異なり、仰韶文化は土器の作成にろくろを使わなかった。発掘調査により、子供達が彩文土器のかめに埋葬されていたことが判明した。
西安に近い半坡村の考古学遺跡・半坡遺跡は、仰韶文化のもっとも有名な溝で囲まれた集落の1つである。西安・臨潼区の姜寨と呼ばれるもう1つの主要な集落遺跡がその限界に発掘され、考古学者たちはこれらの集落が完全に環濠で取り囲まれていたことを確認した。これらの遺跡からは半坡文字と呼ばれる文字に近い記号も発見されている。

理想の天子…「玉璽ギョクジ」(天子の印章)…
堯(ぎょう)は、中国神話に登場する君主。姓は伊祁(いき)、名は放勲(ほうくん)。陶、次いで唐に封じられたので陶唐氏ともいう。儒家により神聖視され、聖人と崇められた。
堯の用語解説 - 中国古代の伝説上の聖王。普通,いわゆる五帝 (→三皇五帝 ) の1人に数えられる。
尭【ぎょう】 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fkotobank.jp%2Fword%2F
中国,古代神話・伝説上の帝王。天体の運行を正して暦法を定め,鯀(こん)に治水を命じ,舜に位を譲るなどの事跡が伝えられるが,むしろ天帝的神格で実在的人物でない。後世歴史化され,舜とともに理想的帝王として尊崇された。→三皇五帝

ニギハヤヒと言う神様はニギハヤヒノミコトと正式には呼ばれ、漢字では次のように書きます。
饒速日命
饒速日尊
邇藝速日命…爾(シ゛)  ジューJew(ジュー)はユダヤ人でなくユダヤ教徒では?訳と白人の奇妙さ  ←(各自検索願います)
      爾⇒尓に略される。現代の色糸の結び飾りは中国で「結」または「絡子」と呼ばれている。
      意味 (1)なんじ(爾)。おまえ。二人称の代名詞。「爾曹ジソウ」(なんじら) (2)その。それ。この。これ。「爾後ジゴ」(そののち)「爾今ジコン」(今から)「爾来ジライ」(それ以来) (3)しかり。 (4)のみ。限定の助字。 (5)ほほえむ。(=薾)。「莞爾カンジ」(にっこりほほえむ)
     「玉璽ギョクジ」(天子の印章)「御璽ギョジ」(天皇の印)「璽綬ジジュ」(天子の印と飾り紐。また、転じて、天子の印)
櫛玉饒速日命
ニギハヤヒの別名は?
天照國照彦天火明尊(あまてる くにてる ひこ あめのほあかり の みこと)
天照国照彦火明命(あまてるくにてるひこほあかり)
彦火明命
膽杵磯丹杵穂命
天照御魂神
ニギハヤヒは宇宙人という説
スピリチュアルが好きな方がネット上にたくさんの意見を乗せていて、その一つにニギハヤヒは宇宙人であるという意見もあります。
これは学術的な背景を持っている説ではありません。
この説は、ニギハヤヒの妻の瀬織津姫という女神は、シリウス文明の女神であるという説や、エジプトその他神話を持つヨーロッパ・中東地域の神とつなげるという説の様です。
ニギハヤヒとユダヤ?
古代のロマンが好きな人なら「日ユ同祖論」と呼ばれる、イスラエルに存在した部族の一つが日本に流れ着き王朝を立てたというニコラス・マクラウド氏が明治時代に提唱した意見を聞いたことがあると思います。
この意見では、日本の神様の名前の音がヘブライ語に似ているウガヤフキアエズという神様がユダヤの王と同一という考え方等たくさんの説があります。
ニギハヤヒもその一つという考え方です。


10086荊の紀氏:2019/12/26(木) 09:48:06
尭【ぎょう】…賁…窯…黄泉がえり…
窯の中で陶器の色や形に予期しない変化がおこること…黄泉がえり…
黄泉がえりの井戸 の中は発見後に整備されたのか「輪廻転生」と書かれた小さい穴 があるだけですosumituki.com/hack/kyotokanko/sights/112440.html
前方後円墳は被葬者の蘇りを願った形であるといわざるを得ません。www5c.biglobe.ne.jp/~n-aichi/ronbun2.html
第二十代安康天皇、第二十一代雄略天皇、第二十五代武烈天皇は何故、前方後円墳でなかったのでしょう。それは、蘇って欲しくなかったからなのです。

古墳に用いられる埋葬施設には、竪穴系のものと横穴系のものとがある。
古墳(こふん)とは、古代の墳墓の一種。土を高く盛り上げた墳丘を持つ墓を指し、特に東アジアにおいて位の高い者や権力者の墓として盛んに築造された。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
噴き出たものが「盛りあがる」 (墳)
「賁フン」 <ふき出る> /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fblog.goo.ne.jp%2Fishiseiji%2Fe%2F829d327aa24eaed5cab9ddad278a9a80
ふき出る…
最先端の脳科学から古代オカルトまで..「科学」と「非科学」を融合した成功法則 ホーム > 微生物と発酵食品の深すぎる世界 > 熱水鉱床に存在する生物、バクテリアが生命体の原始か? /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fspiritual-success.com%2F50192
なぜ海底熱水鉱床を探す必要があるのか レアアースを含むレアメタルは21世 紀の技術と産業のカギとなる資源 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fshingi.jst.go.jp%2Fpast_abst%2Fabst%2Fp%2F14%2F1453%2Fjamstec_04.pdf

『風土記』編纂の背景 和銅六年(七一三)、中央政府は地方諸国に『風土記』の編纂を命じた(続日本紀)。その時、中央政府が要求したのは次の五項目であった。
?郡や郷に二字名の好字をつける。?郡内に産出する品目をあげる。?土地の肥沃の状態について記す。?山林原野についてその名称の由来を記す。?古老の伝える旧聞異事を記す。このように政府は広範な内容を含む地誌を要求したが、これらの要求事項は同一基準で統一的になされたものではなかった。それは実際に残存する『風土記』にはさきの?〜?の内容が網羅されているものの、諸書に相異がみられ、それぞれ独自性の強い内容となっていることからもうかがうことができる。www.i-manabi.jp/system/regionals/regionals/ecode:2/62/view/7773
たとえば伊予国からも文武二年(六九八)七月に白□(金に葛)(なまり)・□(金に葛)鉱が献上され、次いで九月には朱砂が献上された記事などがみえ(続日本紀)、政府が国内の資源開発に熱心であったことがわかる。

『山伏』のノウハウが『大本教』通じて、神道系新宗教にも流れているわけですね。
オタク産業と『山伏』の宗教ビジネスの類似性…『聖地巡礼』って、元々『山伏』の仕事ですよね 7年前 『かんなぎ』は神道の近代史をなぞっている? /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fblog.goo.ne.jp%2Fmalcolm_x%2Fe%2F229214d2c96e305d9a13050c74d9bf96
オタクの聖地巡礼が、20年近く前から、宗教と縁があったことが判ります。

巡礼の杖をもち、ズダ袋とホタテ貝を背負っている。何故、ホタテ貝なのかは、これから調べなければ分からない。参考にした書籍では、地中海を股にかけた「海の人」としての象徴がホタテ貝であるとしている。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2F8906.teacup.com%2Ftoraijin%2Fbbs%2F4283
カミーノ巡礼者のしるし・ホタテ貝。
サンテイアゴへの巡礼者は、巡礼の証としてホタテの貝殻をつけて歩きます。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fblogs.yahoo.co.jp%2Fsignoramimi%2F19878407.html
5 ホタテガイ類は豊穣の象徴で、ギリシア神話の女神ヴィーナスとともに描かれるのは有名。
6 ヴィーナスの誕生にも描かれているホタテ貝。それには再生という意味が含まれていて、巡礼はその場所に古い自分を葬りに行き、目的地に着いた時に再生するということから。
古い自分を葬りに行き、目的地に着いた時に再生する
葬り 再生
縄文人にとって は亡くなった人を送るための場であったと同時に「再生の場」としての役割を担っていたと 考えられています /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fmuseum.city.fukuoka.jp%2Farchives%2Fleaflet%2F441%2Findex02.html
出土した六体の人骨のなかで、熟年女性と判定された人骨は左腕に十四枚の貝輪を装着していました。縄文時代の貝輪は主に女性が装着するアクセサリーであったことがこれまでの発掘調査からわかっています。
仏教が入るまでは、再生・ よみがえりにとって重要な方角であったことは明白である。
古墳とレイライン・方向性に一貫性はあったか? /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fblogs.yahoo.co.jp%2Fkawakatu_1205%2F54768792.html
倭人伝の方位についても同じことが言えるわけだが、どうも古代人は無用なところでは方角にルーズである。方角にこだわらねばならなかったのは、舟を動かす海人族だけだったはずである。

レイライン(ley line)は、古代の遺跡には直線的に並ぶよう建造されたものがあるという仮説のなかで、その遺跡群が描く直線をさす。レイラインが提唱されているケースには古代イギリスの巨石遺跡群などが … /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fakahanamai.com%2F2019%2F09%2F21%2F2723%2F
ホタテ貝が巡礼者のお守りで、この道のシンボルマーク。
ホタテ貝…
ホタテ貝 前方後円墳の画像 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.bing.com%2Fimages%2Fsearch%3Fq%3D%2520%25E3%2583%259B%25E3%2582%25BF%25E3%2583%2586%25E8%25B2%259D%25E3%2580%2580%25E5%2589%258D%25E6%2596%25B9%25E5%25BE%258C%25E5%2586%2586%25E5%25A2%25B3%26qs%3Dn%26form%3DQBIR%26sp%3D-1%26pq%3D%25E3%2583%259B%25E3%2582%25BF%25E3%2583%2586%25E8%25B2%259D%2520%25E5%2589%258D%25E6%2596%25B9%25E5%25BE%258C%25E5%2586%2586%25E5%25A2%25B3%26sc%3D0-10%26sk%3D%26cvid%3D4565A85924D24C8CAA8DDE33AAB54E14
ホタテ貝 古墳の画像 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.bing.com%2Fimages%2Fsearch%3Fq%3D%25e3%2583%259b%25e3%2582%25bf%25e3%2583%2586%25e8%25b2%259d%2B%25e5%258f%25a4%25e5%25a2%25b3%26qpvt%3D%25e3%2583%259b%25e3%2582%25bf%25e3%2583%2586%25e8%25b2%259d%25e3%2580%2580%25e5%258f%25a4%25e5%25a2%25b3%26FORM%3DIGRE
ホタテは『夫婦の和合』をあらわすとされ、 おめでたい席に登場します ホタテはフランスでは「聖ヤコブの貝」とも言われます /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.yamakiichi.com%2Ffs%2Fyamakiichi%2Fc%2Fkouhakuset
ホタテ貝古墳はヤコブのシンボル /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2F8906.teacup.com%2Ftoraijin%2Fbbs%2F1137
ロータス、 ... 帆立貝/ロカイユ (貝殻状) /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fflora.karakusamon.com%2Fenter%2Fguri.html
墳丘墓(パッセージグレーヴ)
ニューグレンジには、複雑な装飾が見られる。
横穴の内外に施されている精緻な彫刻は、主として螺旋、山形、菱形などから構成されており、これらの文様が、 後にやってきたラ=テーヌ時代のケルトの職人に多大な影響を与えたと考えられている。
ニューグレンジの存在自体が、 彼らにとっても重要なもの(一説には、ターラと並ぶ重要な「妖精塚」と考えられていた) と され、 多くの伝承物語に登場する。

穴(あな)+灬(火)…『夫婦の和合』…窯 …
窯 ヨウ・かま 穴部 解字 「穴(あな)+灬(火)+羊の略体(ヨウ)」の形声。ヨウは?ヨウ(かめ・もたい)に通じ、かめを丘の斜面の穴がまにいれて火で焼くこと。陶器を焼く穴窯や登り窯をいう
「羊ヨウ」<ひつじ>と 「羔コウ」<こひつじ>
解字 前からみた羊の象形。羊の角の下部に羊のからだを描いている。牛が角を上に向けて描かれているのに対し、羊は角を下に向けている。ひつじの意を表す。羊は古くから家畜として飼われ、毛は毛織物、肉は食用として利用された。古代の中国人にとって重要な動物で神事に使われることも多かった。また、羊の字はその発音:ヨウ・ショウで同音代替されることが多い。
意味 ひつじ(羊)。ウシ科の哺乳類。「羊毛ヨウモウ」「牧羊ボクヨウ」
参考 羊は部首「羊ひつじ」になる。漢字の上部や右辺や左辺に付いて「ひつじ」の意を表す。常用漢字で7字、漢字の中字典で約40字ある。なお、羊が上につくとき、美のように羊の下部が省略されることが多い。おもな字は以下のとおり。
 群グン(羊+音符「君クン」)、義ギ(羊+音符「我ガ」)、
 羚レイ(羊+音符「令レイ」)、美ビ(羊+大の会意)、
 羨セン(羊+氵(水)+欠の会意)、羞シュウ(羊+丑 の会意)、
 着チャク(著の変形字)、羔コウ(羊+灬(火)の会意)
イメージ
 「ひつじ」(羊・養・鱶・祥・詳・遅・美・躾・様)
 「同音代替」(洋・痒・恙・翔・窯)
音の変化  ヨウ:羊・養・様・洋・窯・痒・恙  ショウ:祥・詳・翔・鱶  チ:遅  ビ:美  しつけ:躾
祥 ショウ・さいわい ネ部
解字 「ネ(示:祭壇)+羊(ひつじ)」 の会意形声。羊を神にそなえて願うこと。すると、神からの前ぶれが表れること。その結果、さいわいがもたらされる。
意味 (1)きざし。前ぶれ。「祥雲ショウウン」「祥瑞ショウズイ」(めでたい前ぶれ) 「発祥ハッショウ」(?天子となるめでたいしるしがあらわれること。?物事が起こりあらわれること)「発祥地ハッショウチ」(ある物事が初めて起こりあらわれた土地)(2)さいわい(祥い)。さち。めでたいこと。「吉祥キッショウ」(めでたいきざし)「不祥フショウ」(不吉なこと。災難や不運)「不祥事フショウジ」(不名誉で好ましくない事件)
窯 ヨウ・かま  穴部
解字 「穴(あな)+灬(火)+羊の略体(ヨウ)」の形声。ヨウは?ヨウ(かめ・もたい)に通じ、かめを丘の斜面の穴がまにいれて火で焼くこと。陶器を焼く穴窯や登り窯をいう。?に穴のついた窰ヨウは、窯の異体字。
意味 かま(窯)。すえもの。陶器。「窯業ヨウギョウ」(窯を用いる工業、陶磁器・ガラス・煉瓦などの製造業)「陶窯トウヨウ」(陶器を焼く窯)「窯変ヨウヘン」(窯の中で陶器の色や形に予期しない変化がおこること)
天子となるめでたい前ぶれ…再生…

いのち 蘇る時 時を超えて 聴こえてくる呼び声に導かれ 古代の出雲へ 魂が帰還する 満月に満願の旅 これまでの 力を抜いて 愛する大地に立つ いのちの母胎の … 古の大地蘇る時 黄泉がえりの旅 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fameblo.jp%2Ftara-m0039%2Fentry-12256468538.html


10087秦野北斗:2019/12/26(木) 16:42:11
荊の紀氏さん羽根を伸ばしてます。
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010636M.jpg

これぞ!サンダー・ドラゴン大将軍!(dos/日本 、何処へ行ったのDNA先生

荊の紀氏さん羽根を伸ばしてます。



10088管理人:2019/12/27(金) 03:03:26
丹波・河内方位区画と天日矛のレガリア
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010637M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010637_2M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010637_3M.jpg

https://ja.wikipedia.org/wiki/日岡陵古墳



10089国家元首:2019/12/27(金) 03:16:54
新羅=秦氏ではない。
新羅の本隊は、ユダである。秦氏も祖先は同じであるが、比較的新しく東アジアへ移動してきた集団である。秦氏は、中国や西域の進んだ文化を持って来た。秦氏は必ずしも新羅の主流派と良い関係にはなかった。古事記でも、秦氏が新羅とうまくいっていなので、大和政権の力を借りて新羅から逃げ出したことになっている。

同祖とはいえ、長い間分かれていたので、文化や容貌に違いがあった。騎馬遊牧民の価値観からは、土木や工芸を職業とする人々は、支配階層とは扱われない。秦氏は中東・中央アジアに長くいた分、色が褐色がかっていたり、白人型の人たちと混血していただろうが、新羅の支配層はそういうことに敏感だったろう。

この事情は、基本的に日本の歴史でも変わらなかった。秦氏は文化や産業、土木建築で活躍し、金持ちも多かったが、そういう人たちは支配階層ではなかった。新羅の主流の末裔である源氏等の武士が、皇室・公家による支配の後の支配層だった。(秦氏である長宗我部や島津は大分後世の家であり、しかも武士になっていたので例外である。)源氏は秦氏の神を信仰したが、秦氏とは同じグループではなかった。

この辺の事情が、最近のユダヤ話で考慮されておらず、新羅と秦氏が混同されている。最近話題になっているユダヤ人埴輪は、秦氏ではなくて、もともとユダ部族の中にいた祭祀職の人たちではないだろうか。聖書の歴史的記述は後になって宗教上の理由で作った歴史なので、本当の事実とは違っている。

おそらく、ユダ(とイスラエル?)は一神教になりきらないうちに、ヒクソスの東への移動に伴って移動したのであろう。さらに、大和政権への編入の時に、一神教的な要素は全面的になくなっている。そこは、秦氏も同様である。八幡神=高御産巣日神(高木の神)ということで、大和(ヒクソス)側も納得した。

10090荊の紀氏:2019/12/27(金) 07:44:32
矞 (矛を立てる=トゲがある)…茨城(荊木)
飛鳥時代末、県犬養三千代が元明天皇から「橘宿禰(たちばなのすくね)」の氏姓を賜っ たことに始まる。その子・葛城王が橘諸兄へ改名した後、諸兄の子孫は橘氏を称した
郡衙の位置や役割 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2F8906.teacup.com%2Ftoraijin%2Fbbs%2F4056
海に身を投じた弟橘媛命の「櫛(くし)」を納める「橘神社」が合祀され、現在に至ります。 /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.geocities.jp%2Fflow_and_stock%2Fjisya-kanto%2Fhashirimizu.html
(くし)
串 カン・セン・くし 丨部 解字 ものを串ざしにした形の象形。つらぬく意を表わす[字統]。 篆文の字形は患から復元した。 意味 (1)つらぬく。うがつ。
つらぬく意…西から東…古東海道…日立?

古東海道の終点の都市 : 石岡www.rekishinosato.com/toukaidou.htm
古東海道は東京湾を舟で渡った
 東京湾アクアラインが開通したとき旧東海道の再現との話題があったが、昔の東海道は横須賀の走水(観音岬)より千葉県の富津岬へ舟で渡っていたという。神奈川側では鎌倉から葉山へ行き、そこから三浦半島を横断して衣笠を通って横須賀川へ歩いた。当時江戸はまだそれ程開発されていない地域であり、現在の東海道からはかなりズレていた。千葉県に入ると上総(かずさ)国=国府は市原-下総(しもうさ)国=国府は市川-常陸(ひたち)国=国府は府中(現石岡)と続いていた。江戸を中心に考えると下総の方が東京に近いが、当時の東海道で考えれば、五畿内(関西)に近い上総が上手である。
寅さん埴輪の画像
(矢切の渡しは江戸川を柴又へ渡る渡しである) /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.bing.com%2Fimages%2Fsearch%3Fq%3D%25e5%25af%2585%25e3%2581%2595%25e3%2582%2593%25e5%259f%25b4%25e8%25bc%25aa%26qpvt%3D%25e5%25af%2585%25e3%2581%2595%25e3%2582%2593%25e5%259f%25b4%25e8%25bc%25aa%26FORM%3DIGRE
 房総に渡った後の古道東海道ルートについて
 走水を出た船が上総(かずさ)のどこについたのか範囲が広く良く分かっていない。地図で見る限りは富津岬が一番近い(約6km)ように思われますが、木更津に近いところ辺りに着くのがルートであったのではないでしょうか。上総に上陸した後は、現在の国道16号に沿って海沿いに北上する。五井駅の近くで右折し、市原市役所の近くが旧国府(上総国分寺がある)である。国道16号を更に北上すると、国道14号にかわる。このまま海沿いに進むと下総(しもうさ)国府である市川市に入る。市川市外より松戸方向に北上する県道があり、少し行ったところに下総国府である国府台である。この道をそのまま北上すると野菊の墓、寅さんや演歌で有名になった「矢切の渡し」のある矢切を通り(矢切の渡しは江戸川を柴又へ渡る渡しである)松戸へ出る。ここからは6号国道を北東し、常陸国国府石岡へ出る。江戸時代前までは利根川は現在のように銚子へ流れるのではなく、東京湾に流れており、霞ヶ浦や手賀沼などは一体の大きな内海であった。利根川に相当する川として常陸川(小貝川と鬼怒川の合流)があったが、この川をどのように渡ったかは良く分からないが、あまり流れが速くなかったのではないだろうか。
さて、千葉の房総半島には下総、上総ともう一つ安房(あわ)国がある。ここは養老2年(718年)に上総の国から分割されてできた。国府は館山市国分(三芳村府中?)である。安房の言葉の由来は忌部氏(いんべし)が四国の阿波(徳島県)の民を連れてきて、阿波の神を祀ったことによるとされる。南総里見八犬伝で有名となった。
さて、古道東海道の終点、常陸国府中(現石岡市)に都より国司、常陸介が赴任すると、国府の浜(現高浜)より舟で霞ヶ浦を渡り、鹿島神宮のお参りに行くのが習わしであった。しかし、波が荒い日は、浜に青葦で仮神社をたてお参りした。こらが始まりとなり、青屋神社が建てられ、高浜神社が建てられた。


10091荊の紀氏:2019/12/27(金) 07:56:02
まっすぐで細長い道。…>畷 テツ・なわて  田部…
石岡(常陸国府)と鹿島神宮 現在の石岡(元の府中)に常陸国府が置かれたのは大化の改新のすぐ後で、7世紀半ばです。当時すでに鹿島神宮は存在し大和朝廷より国造が派遣され統治されていたと考えられます
常陸から見た日本の夜明けwww.rekishinosato.com/essayW_15.htm
常陸から見た日本の夜明け
 4世紀中頃に成立したとされる大和朝廷はその成立に関し、未だに謎が多く残されている。邪馬台国との関係も明らかになっていない。今から1660年位前のことである。邪馬台国の女王卑弥呼が死んだのは248年頃と見られている。中国の「魏志倭人伝」に記載された内容から、対馬から水行十日、陸行一月の行程の日数の解釈によりその場所が特定されていない。石岡の歴史を調べていくうちに私は不思議な感覚におそわれた。それは鹿島神宮の創建時期とその建立されている位置についてである。鹿島神宮の創建は神武元年(紀元前660年)とされているが、当然これは神話に基づくもので本当とは思われない。しかし、日本書紀や古事記に書かれた神話の中でも重要な地位を占めている。昔は太陽は絶対的な崇高なものとされていたことは今でも想像するに難くない。太陽が最も力強い生命力を与えてくれる夏至(6月20日頃)の頃の太陽の動きを考えて見よう。(これは間違っていることが判明しました。下記に訂正コメント記載)鹿島神宮より西南23.4度の線(地軸の傾き)を引くと、この下に「皇居」「明治神宮」「富士山」「伊勢神宮」「吉野山」「高野山」「剣山(四国)」「高千穂(宮崎)」とが並ぶのである。高千穂に降り立った神々(人々)は、太陽が昇る日の出の方向に何かを感じたに違いないので、日出る地を求めて夏至の日の出の方向に日本列島を進むのです。まず四国剣山の上から日が昇る。山の上に昇ると、四国は徳島の阿南から一番先に日が昇るのです。さらに阿南に行くとその先の陸地から日が昇ります。そこが吉野山です。吉野山から眺めて日が昇る場所は伊勢です。伊勢にある二見浦の岩の間に富士山から日が昇るのが丁度この夏至の時期です。そして富士山から眺めると日本で最初に日が昇る場所が鹿島なのです。これは偶然の一致でしょうか? もちろん神=天皇の歴史として神話(日本書紀等)は作られてきましたので、高千穂に最初に神が降臨されたというのは、大和朝廷ができた後に作られた物語であることは間違いないと思います。しかし、これは日本全土を統一するために神道を広め、民族の統一を図るために必要な事柄であったものです。この民族の統一に鹿島神宮の役割は大変密接に係わっていたと思われます。下図を見て下さい。昔の人々、特に占いで人民から厚い信頼を得ていた当時の権力者達にとって、この夏至の頃の太陽の昇る方向に何か特別な力があると考えたとしても不思議はありません。今のような明かりのない時代に太陽がどのような存在であったのかを考えるととても興味深いといえるのではないでしょうか。
(訂正(2011.10.29):地球は球体ですので、平面地図に直線を引いても、これだけ長い距離では同じ日の太陽の軌跡にはなりません。また赤道上から角度をあわせていないので、23.4度もこの地図上では意味がありません。最近は写真を撮る人のために日の出、日の入を表示してくれるソフトがあり、これにより、概算の日の出の方向を確認しました。するとこの直線(本当は上に凸の円弧)に近い日の出の日時は、夏至の頃ではなく5月5日〜15日頃になります。これは下記地図上の直線の左(西)側から右(東)側にかけて追いかけて行くと、日の出の日時が少しずつ変わってきます。当然活火山でもあった霊峰富士の上に登って日の出方向を確認したとも思えませんので上記の考えは、このような日の出方向に向かって進んだのではないかとの仮説に過ぎません。
逆に、鹿島に陸路または海路で降り立った人々が富士山に日が沈むのを眺めていたとすると、これは2月4日の立春に当たるとご指摘を受けました。ご指摘感謝申し上げます。)
・・・
2世紀後半から3世紀中ごろまでは北九州(?)に女王卑弥呼が統治していた邪馬台国(その他、末盧国、伊都国、奴国などが)があったと考えられています(諸説ありますが現在の最も有力な説はやはり北九州でしょう)。魏志倭人伝(三国志の時代)によると3世紀前半には邪馬台国の最大のライバルとして男の国王の国「狗奴国(くなこく)」があったとされています。この狗奴国はおそらく南九州(熊本)にあったのではないでしょうか。この魏志倭人伝に書かれているのは主に九州一帯には多くの諸国があったと思われます。卑弥呼が死ぬとその後男王が就くが国が乱れて13歳の壱与(いよ)が女王に就き、乱れは治まるのですがその後の大和朝廷の誕生まで100年〜150年が謎に包まれています。そして大和朝廷が誕生して日本は現在の天皇家が代々続くことになります。古事記や日本書紀には最初の天皇として「神武天皇」が日向国(宮崎県)の高千穂から東征し、紀元前660年2月11日に大和橿原の宮で即位します。そして斎場(まつり場)を鳥見山(桜井市東部?)に造営しました。これが伊勢神宮へと発展していきます。しかし、この神武東征は後から神話として作られたもので、どこまでが歴史的な史実に基づいているかははなはだ疑問といわざるを得ません。(橿原から伊勢はほぼ真東です)
 古事記や日本書紀が編纂されたのは7世紀後半から8世紀前半にかけてであり、大和朝廷が成立後300年程たっていますので、1000年以上も前の天皇の誕生については作り話であると考えるのが普通でしょう。さて、では何故神が最初に降り立ったのが日向国高千穂なのでしょうか?高千穂は邪馬台国の中心でも、狗奴国でもなく、九州のほぼ真ん中にあたる場所です。ここに降り立った神(天皇)が「日いずる国」を統一するために夏至の太陽の昇る方向へこの壮大なレイラインを追い求めて東へ進むと富士山を越えて、東端が常陸国鹿島神宮となります。ここが日本の日の出る最初の場所となるのです。
・・・
高浜入り江からの筑波山
 右の地図は筑波山から石岡方面に東南方向に23.4度傾けた線を引いたものです。これによると夏至の6月20日頃、高浜の入り江あたりからみて、筑波山に夕日が沈みます。石岡の国府からは筑波山より少し北側の加波山との間に沈み、筑波山に日が沈むのは夏至よりも1月前後ずれた時期になります。茨城百景に「高浜の入り江から見た筑波山」が選ばれています。男体山、女体山の2つの頂の間に沈む夕日は本当に素晴らしい風景です。お勧めポイントは高浜少し手前の恋瀬側に架かる橋上です。日が沈む方向は「死」を示す方向かもしれませんが、死者が眠る方向も尊いのです。参考までに、徳川家康の眠る日光は徳川御三家の水戸藩からみて丁度この方角です。これも方角がたまたま一致しているとばかりは言えないのではないでしょうか。
・・・


10092秦野北斗:2019/12/27(金) 09:05:54
Re: 新羅=秦氏ではない。
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010641M.jpg

https://www.youtube.com/watch?v=-lX9gssexrk



10093管理人:2019/12/28(土) 03:11:04
河内王朝の起源
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010642_2M.png

https://ja.wikipedia.org/wiki/垂仁天皇



10094秦野北斗:2019/12/28(土) 12:05:14
Re: 河内王朝の起源
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010643M.jpg

http://www.seisaku.bz/kojiki/kojiki_10.html



10095国家元首:2019/12/28(土) 14:19:16
倭の五王
秦氏の渡来について記述があるのは、古事記ではなくて日本書紀のほうのようです。勘違いしていました。

ウィキペディア「倭の五王」より

「倭の五王とは、古代中国の歴史書に登場する倭国の五人の王、讃・珍・済・興・武をいう。5世紀初頭から末葉まで、およそ1世紀近くに渡って主に南朝の宋(420年-479年)に朝貢した。・・・

宋の歴史をまとめた『宋書』には、宋代を通じて五人の倭王の使者が貢物を持って参上し、宋の冊封体制下に入って官爵を求めたことが記されている。・・・

方、日本側の史料である『古事記』と『日本書紀』は朝貢の事実を記していないが、倭の五王に比定される天皇の時代に「呉国」と使者のやり取りがあったという記述があり、「呉」とは中国南東部の地域に当たることからこれが南朝の宋を意味するとも考えられる。

・・・また朝鮮半島諸国との外交を有利に進め、なおかつ4世紀後半以降獲得した半島における権益に関して国際的承認を得ることも重要な目的であった。

・・・最終的には「使持節 都督 倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事 安東大将軍 倭王」に任ぜられ、新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓についての公認を得たものの、百済に関してはついに認められなかった。」

古代の朝鮮と日本の歴史を考察する上では、今の日本(人)と朝鮮(人)という枠組みで考えてはいけないことが、「倭の五王」の問題ひとつとっても分かります。

この「秦韓」という国と秦氏は、文字の上からは関係がありそうですが、古代朝鮮の国家や民族の実態を解明するのはかなり難しそうです。

10096秦野北斗:2019/12/28(土) 15:53:56
Re: 倭の五王
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010645M.jpg

国家元首さんへのお返事です。

舊唐書卷八十四/列傳三十四/劉仁軌伝に倭の五王が書かれています。

倭国の五人の王、讃・珍・済・興・武は、夫(日本)からの依頼で、中国から韓半島の平定のために送った将になる。
秦氏は創作で存在しない、「秦韓」の意味は220年の馬韓、辰韓、弁辰の辰韓=秦韓になる。
秦は中国の民族を意味する。

当資料は史記、古事記、日本書紀、万葉集の原文です。


> 秦氏の渡来について記述があるのは、古事記ではなくて日本書紀のほうのようです。勘違いしていました。
>
> ウィキペディア「倭の五王」より
>
> 「倭の五王とは、古代中国の歴史書に登場する倭国の五人の王、讃・珍・済・興・武をいう。5世紀初頭から末葉まで、およそ1世紀近くに渡って主に南朝の宋(420年-479年)に朝貢した。・・・
>
> 宋の歴史をまとめた『宋書』には、宋代を通じて五人の倭王の使者が貢物を持って参上し、宋の冊封体制下に入って官爵を求めたことが記されている。・・・
>
> 方、日本側の史料である『古事記』と『日本書紀』は朝貢の事実を記していないが、倭の五王に比定される天皇の時代に「呉国」と使者のやり取りがあったという記述があり、「呉」とは中国南東部の地域に当たることからこれが南朝の宋を意味するとも考えられる。
>
> ・・・また朝鮮半島諸国との外交を有利に進め、なおかつ4世紀後半以降獲得した半島における権益に関して国際的承認を得ることも重要な目的であった。
>
> ・・・最終的には「使持節 都督 倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事 安東大将軍 倭王」に任ぜられ、新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓についての公認を得たものの、百済に関してはついに認められなかった。」
>
> 古代の朝鮮と日本の歴史を考察する上では、今の日本(人)と朝鮮(人)という枠組みで考えてはいけないことが、「倭の五王」の問題ひとつとっても分かります。
>
> この「秦韓」という国と秦氏は、文字の上からは関係がありそうですが、古代朝鮮の国家や民族の実態を解明するのはかなり難しそうです。



10097管理人:2019/12/29(日) 02:05:34
三韓諸国の位置推定
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010646M.png

http://en.wikipedia.org/wiki/Samhan



10098秦野北斗:2019/12/29(日) 08:04:14
Re: 三韓諸国の位置推定
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010647M.jpg

https://www.youtube.com/watch?v=HJjoxKE_bEw



10099国家元首:2019/12/30(月) 03:14:21
とりあえず、三韓征伐時の古代朝鮮の図について
長文だと、NGワードがあるということで投稿できないかもしれません。投稿を分割します。

とりあえず、ネット上で見つけた、三韓征伐時の古代朝鮮の図があるWebサイトをリンクします。


任那(みまな)日本府(検索サイト2017~2019)より
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fkousin242.sakura.ne.jp%2Fwordpress018%2F%3Fpage_id%3D3921

「任那」(日本大百科全書(ニッポニカ)の解説)より
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fkotobank.jp%2Fword%2F
( /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fu0u1.net%2FwmRI

10100国家元首:2019/12/30(月) 03:16:37
三韓征伐
私は三韓征伐について学校などで教わった記憶がありません。世界史には比較的詳しいはずなのですが。ウィキペディアで確認しただけですが、かなり史実に近い神話だと思います。管理人さんが提示するあの半島図は、新羅・百済が成立する前のものに見えます。

三韓征伐時には、新羅と百済が成立しているようですから、新羅・百済の成立や実態を考える上では役に立っても、三韓征伐のあり方について調べるのには不適切ではないでしょうか?と思って、任那が掲載されている図を探したのですが、見つかったものがどこまで信用できるのか分かりません。

管理人さんの図を見て思ったのは、古代日本について中国人があてた地名と同じ漢字を使った地名が多く見られ、それらは対馬沖の対岸から広がっているように見えることです。もともと南朝鮮には倭人のテリトリーが広がっていたが、三韓征伐の時点では海辺まで縮小していて、そこがヤマト軍の侵攻の出発点となったのではないでしょうか。倭人はヤマトに吸収されていたので、倭人のテリトリーは、大和の支配下だったはずです。

対馬の対岸の海辺から周囲の国々を制圧し、その後西の新羅に侵攻して、国境付近の村々を制圧した、ということのようです。神武東征時には、同様のことが九州側で起きた可能性があります。ヤマト勢力を日本列島に引き入れたのは倭人の一部でしょう。

10101国家元首:2019/12/30(月) 03:32:42
命の木の実
管理人さんの「非時香菓(ときじくのかくのみ)」の8竿8縵(やほこやかげ)がメノラー型のレガリアと関係があるのではないかという説は、ヒクソス・ユダヤ理論からは鋭い見解です。西方では、メノラーは「命の木」のイメージで捉えられることがあるようですが、それは新羅でも同じだったと思われます。

ウィキペディア「ハヌッキーヤー」
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
( /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fu0u1.net%2FS8Ay

国立慶州博物館の名品:天馬塚の金製王冠(KOREA.net)
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fjapanese.korea.net%2FNewsFocus%2FHistory%2Fview%3FarticleId%3D137337

すると、永遠の命を与える「命の木の実」は、メノラーまたは8枝のハヌッキーヤーになっているとイメージされたのは自然なことです。私の考えでは、アメノヒボコが渡した8つの神宝の中に、そういうものが含まれている可能性があると思います。

日本に来た新羅集団の長が、天皇に「エデンの園に行って、永遠の木の実を取って来い」と命じられたのだと思います。その人はそれが出来なかったので、集団の立場を守るためもあって殉死した事件があったのだとも考えられます。その人の神話上の名前が「タジマモリ」(但馬の領主)になったのは、外国から来たその地域の集団は天皇に忠義心がある、ということを示してあげるための政治的な配慮からではないでしょうか。

10102管理人:2019/12/30(月) 05:40:15
三韓諸国の位置推定2
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010651M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010651_2M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010651_3M.png

https://ja.wikipedia.org/wiki/



10103秦野北斗:2019/12/30(月) 09:37:21
歴史捏造 韓国すごい
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010652M.jpg

https://www.youtube.com/watch?v=mbbSJ4q8G6c



10104荊の紀氏:2019/12/30(月) 11:21:05
いかがでしょうか?
   私的に ↓ 似ていると思いますが いかがでしょうか?
国立慶州博物館の名品:天馬塚の金製王冠 と ドゴン族
ドゴン族 被り物の画像 と 新羅 被り物の画像


10105国家元首:2019/12/30(月) 17:55:35
カラ
どこかで聞いたことのある説を元に考える。

高霊・コウレイ→コウライ(高麗)、カラ(加羅)

高霊原 タカタマハラ→タカアマハラ

高い所にある霊・・・天神?

こういうのは、こじつけかもしれないので、参考程度ですね。

10106 史実探偵: 平 素人:2019/12/30(月) 17:57:19
Re: 鬼の岩屋と、温羅遺跡と、鬼の釜を結ぶ三角形について
https://8023.teacup.com/shimoeda/bbs

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-1.html



10107管理人:2019/12/30(月) 23:31:51
武寧王と継体王朝
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010656M.png

https://ja.wikipedia.org/wiki/武寧王陵



10108管理人:2019/12/31(火) 01:35:32
馬韓諸国の位置推定
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010657M.png

https://map.konest.com/



10109国家元首:2019/12/31(火) 09:30:39
古代極東を単純に考えることはできない。
>さら西方に軍を進めて、比利(ひり) 辟中(へちゅう) 布弥支(ほむき) 半古(はんこ)の四つの邑を降伏させた記事がある。

そうですね。最初に制圧した地域から西は、新羅方面ではなくて、その逆ですね。勘違いしていました。


私の感覚だと、やはり昔からの噂どおり、ヤマト勢力ともっとも関係がありそうなのは百済である。ヤマトはもともと百済と同じ集団だった。それが分かれて、一方は日本列島に入りヤマトとなり、半島に残ったほうが百済になった。

百済には、中国や西域からの文化や技術を持った人々の流入があり、独自の文化を持つようになった。ヤマトは、倭人勢力を吸収したことで、基礎体力が爆発的に増加した。土木工事や軍事に強く、文化は旧来の伝統が維持されやすかった。縄文勢力は吸収合併されなかったため、ヤマトとの交戦がつづくことになった。

ヤマトの出自としてはやはり夫余が怪しい、と思って夫余を調べたが、どうも高句麗や新羅との類縁性はあってもヤマトとは違う感じがする。ユダヤ本隊(非秦氏)との関係は強くても、ヒクソス(ヤマト)との関係は薄いと思う。

ウィキペディア「夫余」
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F%25E5%25A4%25AB%25E4%25BD%2599

ヤマト勢力は実に不思議な集団である。どう考えても倭人とか江南文化の系統とは違うのに、西方・北方アジアに移動経路を辿ろうとしても見つからない。その一方で、文化的な実態は強く持っている。それに比べると、ユダヤ集団(本隊と秦氏の2系統)のほうは、分かりやすいと思う。

遊牧民の国家というのは、色々な勢力が離合集散を繰り返しながら成立してきた。「ヒクソス」という言葉も、一つの民族を表す言葉ではない。いくつもある異なる諸グループの中の一グループが優勢となって、それが国家の代表になったところで、他のグループが消えたわけではない場合もある。

だから、ある勢力・文化が長期間歴史的上に現れないからといっても、それが消えてしまったとは限らないし、また歴史上に新たな形をまとって現れないとは限らないのである。私にとって、ヤマトとはそのようなものの代表例なのである。

「古代装飾模様 九州の装飾古墳」
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.netpia.jp%2Fhistory%2Findex.htm

10110秦野北斗:2019/12/31(火) 10:32:25
『唐会要』倭国・日本国伝(天智天皇の朝貢)
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010659M.jpg

古代韓国は 天智天皇が領主になる、其の辺りが、整理できていませんな、みなさん、大丈夫ですか。
天智天皇は(六五四年) の意訳、は初めて見るだろう、万葉集にも同文がある・

天智天皇は(六五四年) 永徽五年十二月に唐の高宗に朝貢している。文章は以下、
永徽五年十二月。遣使獻琥珀瑪瑙。琥珀大如斗。瑪瑙大如五升器。高宗降書慰撫之。仍云。王國與新羅接近。新羅素為高麗百濟所侵。若有危急。王宜遣兵救之。倭國東海嶼中野人。有耶古。波耶。多尼三國。皆附庸於倭。北限大海。西北接百濟。正北抵新羅。南與越州相接。頗有絲綿。出瑪瑙。有黄白二色。其琥珀好者。云海中湧出。
意訳、永徽五年(654年)十二月。遣(つか、)い使わし、獻(たてまつ、)る、琥珀、瑪瑙。琥珀大如斗。瑪瑙大如五升器。高宗は降書で慰(なぐさ、)める、労(いた、)わる。此れ随い云う。倭王國は新羅を与える、新羅は高麗、百濟と接し近い、新羅は常(つね、)、高麗、百濟の地を侵す。もし、危急が有れば、倭王は宜しく遣(つか、)い兵で救う。此れ倭国は東海嶼(韓半島の南部)中の野人。有る、耶古。波耶。多尼の三國。皆、素(もと、)より倭。北は限る(狗耶)大海、西北を接する百濟。正北(せいきた、)は触れる新羅。南は与える越州に相接する。偏り有る絲綿。出(で、)る瑪瑙。有り黄白二色。其の琥珀好者。云う海中に湧き出る。

万葉集
茜草指武良前野逝 標野行 野守者不見哉 君之袖布流  額田王
意訳、
茜は伽耶を指す、武士よく先、田舎やに行く、標す田舎や道、田舎や守と言えるない、あらわれるかな。君(天智天皇)そで広げながす。(仲裁する)

http://



10111秦野北斗:2019/12/31(火) 13:47:07
大化の改新は捏造
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010660M.jpg

https://ja.wikipedia.org

http://



10112管理人:2020/01/10(金) 01:09:27
辰韓・弁韓の位置推定
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010661M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010661_2M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010661_3M.png

https://map.konest.com/



10113秦野北斗:2020/01/12(日) 01:57:52
百済、倭国位置推定
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010662M.jpg

管理人さん、辰韓・弁韓の位置推定 は出鱈目ですな、

つい最近、白村江と八咫烏の場所が、判明したので、提供します。
八咫烏は地名で、烏の名前で在りません。烏は「エボシ」と読みます。



10114国家元首:2020/01/20(月) 01:47:46
1500年間、天皇陛下はどこにいたのか。
明けましておめでとうございます。


ウィキペディア「夫余」より抜粋

「夫余が建国する以前のこの地には濊(わい)族が住んでいたと思われ、松花江上流の弱水を渡河南進して夫余を建国する以前の慶華古城(濊城)も発見されている。・・・

また『魏書』や『三国史記』には、高句麗の始祖朱蒙も夫余の出身であり、衆を率いて夫余から東南に向かって逃れ、建国した話が載っている。

『三国史記』や『三国遺事』には、解夫婁が治めていたがのちに太陽神の解慕漱が天降ってきたので解夫婁は東に退去して別の国(東夫余)を建てたという。・・・

夫余はもともと玄菟郡に属していたが、献帝の時代に夫余王の尉仇台が遼東郡に属したいと申し出たため、遼東郡に属した。この時期は玄菟郡にしろ遼東郡にしろ公孫氏の支配下になっており、東夷諸国は公孫氏に附属した。時に高句麗と鮮卑が強盛だったので、公孫度はその二虜の間に在る夫余と同盟を組み、公孫氏の宗女(公孫度の娘とも妹ともいう)をもって尉仇台の妃とした。・・・

夫余王の王印には「濊王之印」と刻まれており、国内には「濊城という名の故城」があることから、もともとは濊族の地であったことがわかる。・・・

武帝(在位:265年 - 290年)の時代、夫余国は頻繁に西晋へ朝貢した。太康6年(285年)、鮮卑慕容部の慕容廆に襲撃され、王の依慮が自殺、子弟は沃沮に亡命した。・・・

賈沈は慕容廆と戦い、これを大敗させると、夫余の地から慕容部を追い出すことに成功し、依羅を復国させることができた。しかしその後も慕容廆は夫余に侵入してはその民衆を捕まえて中国に売りさばいた。そのため武帝は夫余人奴隷を買い戻させ、司州,冀州では夫余人奴隷の売買を禁止させた。・・・

人々は体格が非常に大きく、性格は勇敢で、謹み深く親切であり、あまり他国へは侵略しない。通訳が言葉を伝える時、みな跪いて両手を地につけ、小声で話をする。・・・

中国の史書によると、夫余の言語は高句麗と同じとされ、沃沮と濊もほぼ同じとされる。」


日本人のベースは倭人で、そこに外来の血統が乗っかっているのだとすれば、朝鮮人のベースは濊族で、そこに外来の血統が乗っているのではないだろうか。

よく言われる、日本人と朝鮮人の衛生感覚や排せつ物に対する感覚の違いとかは、倭人と濊族の感覚の違いによるところが大きいのかもしれない。

朝鮮人に、長身でガッチリした体格の人が多いのは、夫余の人々の影響が大きいとも考えられる。Y染色体ハプロからは、中国人と倭人の影響が大きいが、あれは遺伝子そのものの話ではないので、民族の特質を考える上では、私はあまり参考にしない。顔つき等を見ると、モンゴル人の影響も強いようだ。

新羅と高句麗は、一時は夫余の中にあったと考えるのが自然。地理的な条件から、百済とヤマトも、一時は夫余の構成要素だったと考えるのが、とりあえずは妥当だろう。夫余は多様な集団だったが、それを構成する諸集団が朝鮮半島や日本列島に移動していき、残された夫余(の本隊)は、鮮卑との抗争で弱体化し、消滅していった、と推測する。

10115秦野北斗:2020/01/21(火) 01:08:34
天皇は始皇帝の末裔
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010664M.jpg

https://www.youtube.com/watch?v=9cz3HLwy11s



10116管理人:2020/01/21(火) 01:44:11
馬韓諸国の位置推定2
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010665M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010665_2M.jpg

https://map.konest.com/



10117秦野北斗:2020/01/21(火) 02:07:16
(無題)
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010666M.jpg

管理人さん、資料は有るんですか? どこかで高い値段で購入したんですか?
帯方郡は島ですよ、




10118秦野北斗:2020/01/22(水) 02:07:03
(無題)
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010667M.jpg

人口分布

現在5000万人 馬韓、辰韓、弁辰で50万人
百分の一 内陸部人口0



10119管理人:2020/01/30(木) 01:02:32
帯方郡の位置
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010668M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010668_2M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010668_3M.png

https://ja.wikipedia.org/wiki/帯方郡



10120国家元首:2020/01/30(木) 03:43:24
東南アジアなのか北方アジアなのか古代オリエントなのか。
古代国家の領域を考える上で、空間的な境界に意味があるのかと思います。問題となるのは、その村(国)や部族が、どこの政治勢力に服属しているかではないのですかね。広域指定暴力団のシマに境界はあっても、固定的なものではないでしょう。

村長(首長)とか部族長が、新羅・高句麗・百済・日本(倭)・夫余のどの政治勢力(王室)の指揮監督下に入るかによって、その人が支配する領域がどの国家に属するか決まったというのが真相だと思います。

ムロというのは、日本語で石室を意味しますから、ムロという発音の地域は、古墳が多くあったのかもしれません。石という漢字を使った地域とムロという発音のある地域に何か関係はありませんかね。

古代朝鮮には、倭人の村(国)がたくさんあったのではないでしょうか?地名を見ていると、そんな気がしてきます。日本(ヤマト)と倭の合体は、朝鮮半島ですでに始まっていて、ヤマトによる日本列島侵攻は、そのためにやりやすかったのだと考えます。三韓征伐も同じ理由で、やりやすかった。仲間の倭人国という橋頭保が初めからある。

ヒクソスとエジプトの関係が、元や清と中国の関係に似ているのに比較して、ヤマトと倭の関係は鮮卑と中国の関係に似ていると思います。ヒクソスはエジプトの影響を強く受けたのに、融合度合いは低かった。私は、ヤマトと倭の宗教のあり方や気質が偶然あまりにも似ていたので、極めて速く自然に融合してしまったのだと思います。

私は、倭人の国々は、対馬対岸から北西に向かって伸びており、伯済の南あたりまであったと考えます。近代化以降の日本のアジア諸国への対応の仕方は、かつての自分たちの融合経験が無意識にベースになっていたとも考えられます。

10121国家元首:2020/01/30(木) 04:33:04
勝手に推測
古代朝鮮語でフルには、村という意味があったと聞いたことがあります。だとすると、「ヒリ」みたいな発音の地域は、倭人から見て、朝鮮人(ワイ族)居住地域を意味したと考えられないでしょうか。「フィル・イ」みたいな意味だったとか。

「ソト」の発音の地域は、よそ者の住んでいるところ・異文化のところ、という意味で、倭人から見てかなり異質な文化の地域を意味したということはないでしょうか。「フシ」はよく分かりません。漢語で流刑地的な意味があるのですかね?

高句麗よりも早期に夫余から離脱していた新羅集団(ユダ)のところに秦氏がやって来た。「衝撃、古代ユダヤ人を発見」みたいな感じで近づいていって、文化的発展をもたらしたが、ガイジン扱いで不利な状況に追い詰められていった。そのうち、日本に助けを求めて離脱。秦氏が百済から来たというのは情報操作であり、新羅が本当のようです。

新羅王室には、倭人(または縄文人)も入っていて、かなり複雑な文化的・政治的状況の時期もあったのだと思います。



10122秦野北斗:2020/01/31(金) 01:13:36
帯方郡の位置
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010671M.jpg

https://www.youtube.com/watch?v=VWZ__gzSRuk



10123国家元首:2020/01/31(金) 02:35:56
馬韓
訂正です。管理人さんの古代朝鮮地図を眺めていると、やはり倭人の国々は、伯済の南までは伸びていないですね。中央あたりで終わっていたようです。伯済の南の月支国あたりも百済(≒ヤマト)勢力のテリトリーだったと思います。古墳がたくさんあったかもしれません。地名による推理です。

古代朝鮮人(ワイ族ではなくて、中国人に近かったかも)が「フル」、つまり「村・国」と言っていたのを倭人が聞き取り、彼らは朝鮮人居住地域を、フルに近い音で把握していた。それに倭人語のイを付けた言葉を中国人に伝えたところ、「ヒリ」と記録された。このように仮定する。

すると、「ヒリ」は、昔からの朝鮮人勢力が統治するテリトリーだということになり、その勢力は馬韓だと思われます。つまり、馬韓≒ヒリ地域でよいのではないでしょうか。

10124国家元首:2020/01/31(金) 03:17:31
高きところにいます霊
夫余集団は、諸部族共通して、「天の神」を崇拝していて、自分たちの運命は天の神の意思に左右されると考えていた。組織としてのまとまりは、各部族・各個人が共通して崇めるところの、天の神によるところが大きかった。こうした文化スタイルは、遊牧民には珍しくないと思います。天には太陽が輝いているので、太陽(神)は天の神の親類である。このくらいまでは、各部族がほぼ共通して持っていた観念だったと思います。

そうすると、国号には、自分たちの国家を成り立たせている神の名前をつけたくなります。天の神は高いところにいる霊的な存在なので、中国人に対しては「高霊」と言いました。コウレイです。これがなまって、コウライとかカラとなっていきます。天神=クリにもなったとすれば、コウクリで「高きにいます天神」となって、同じ意味になります。

つまり、高霊=高句麗コウクリ=高麗コウライ=韓カラということになります。これは国号でした。ヤマト集団(百済を含む)も、ごく基本的な宗教観は同じでした。タカミムスビ(高御産巣日神)という神様がいます。「高木の神」という呼び名もありますが、「高・タカ」という言葉は共通していて、高いところにいるということに力点があります。

コウレイ=コウクリ=コウライ=カラ=タカミムスビ(タカギ)ノカミという図式が見えてきます。遅れてきた秦氏は、ユダヤ教の確立・キリスト教の成立を通過してきていますが、宗教的にまったく入り込む余地がないわけではないことは、分かり切ったことです。

八幡神=タカミムスビ神ということで、神道と合体することができました。あまり一神教的な主張とか、イエスの物語を表面に出すと怪しまれるので、出さないようにしたようです。このやり方は日本に来る前、新羅でも通用したはずです。

ヤマト勢力は、太陽神アマテラス=スメラ・ミコトへの信仰に力点がありますから、国号をヒノモト(太陽の魂)、つまり日本としたのです。神を意味する言葉を国号としたことは、コウクリとかと同じなのだと思います。日本・アマテラスが国号ですが、タカミムスビノカミよりもアマテラスのほうが偉いということには、なっていません。

10125国家元首:2020/01/31(金) 08:19:25
漢文の学習
>秦野さん。

明けましておめでとうございます。


漢文について分かっていないと、秦野さんの説について判断することができません。

私は文系でしたが、漢文はあまり勉強をしませんでした。

受験は思い通りの結果を出せましたが。

面白そうなので、今から勉強してもよいと思っています。


漢文の勉強法(全部入りVer.)|教科別勉強法
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3DcY7zgzoAxG8

基礎漢文
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3DwNeIPjaAZ-w

10126秦野北斗:2020/01/31(金) 09:16:20
漢文の学習
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010675M.jpg

http://www.seisaku.bz/kojiki/kojiki_10.html

http://



10127管理人:2020/01/04(土) 01:49:55
新・魏志倭人伝方位ライン
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010676M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010676_2M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010676_3M.png

https://www.its-mo.com/



10128秦野北斗:2020/01/04(土) 18:42:47
漢文の学習
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010677M.jpg

https://ja.wikipedia.org/wiki/卑弥呼

http://



10129管理人:2020/01/05(日) 04:54:50
高良山・鎌田原・平塚川添ライン
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010678M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010678_2M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010678_3M.png

http://www.e-kama.net/area/鎌田原弥生墳墓群/



10130秦野北斗:2020/01/05(日) 10:33:09
魏誌倭人伝 塚田敬章、よくやるよ
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010679M.jpg

https://www.youtube.com/watch?v=VWZ__gzSRuk



10131国家元首:2020/01/05(日) 11:05:00
倭と日本は別
よく知られている色々な情報から、古代の中国南部・ヴェトナム人→倭人=弥生人で良いと思う。ただし、支配層は中国文化をかなり取り入れていたと思われる。卑弥呼が使っていた鬼道は、中国の道教に近いものだからである。支配層は、朝鮮半島で中国文化を摂取したした倭人か、中国人だった可能性がある。

夫余は、典型的な遊牧騎馬民族の文化を持っていて、その文化は倭人の文化とは大きく異なる。寒冷地の遊牧文化と温暖地域の稲作文化ということで、対称的な違いがあったとさえ考えられる。夫余の風俗・文化は、大和(日本)の風俗・文化とも違いが大きいと思う。新羅・高句麗の風俗・文化とは共通点もあるし、古代の文献上も高句麗と夫余は人的な関係が指摘されている。

倭とヤマト(日本)との関係については、中国側の記述に混乱が見られる。日本と倭は別種という記述があるが、日本が倭を併合したとなっていたり、倭が日本を併合したとなっていたり、文献によってその関係についての説明が違っている。混乱の原因は、日本側が中国人に対して、併合についての説明を避けていたからと思われる。それは、古事記に出雲の国譲りの話はあっても、倭の国々の併合の話がないのと軌を一にしている。

ヤマト(日本)は、倭人とヤマトの同化政策を取っていた。だから、別の民族だったということは不都合なので隠したかった。「天孫降臨」という宗教上の概念も、支配層の空間的な移動を誤魔化すことができたので、同化政策のための情報操作に利用できた。

「Hyksos Scarab」で画像検索すると、古代九州の古墳の壁画とかなり類似したモチーフが見られる。
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fu0u1.net%2FYJi7

装飾古墳データベース 九州内検索 模様検索
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fu0u1.net%2FAsWk

複数の同心円(円紋の一種)のもの、蕨手紋、S字渦巻き等である。私が注目するヒクソスの紋に、紐を曲げて立体的に交差させたタイプのものがある。あれらの立体的な組み合わせは、高度な文明に接触していないと、古代の遊牧民では維持が難しそうである。
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.numisbids.com%2Fn.php%3Fp%3Dlot%26sid%3D2526%26lot%3D1237

それと、古代日本の紋で特徴的な「直弧文」との関係を疑っている。直弧文は紐の立体交差紋のなれの果てではないだろうか。

10132秦野北斗:2020/01/05(日) 11:59:50
夫余は夫の余り
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010681M.jpg

https://www.youtube.com/watch?v=ItL8wF0vpD0



10133秦野北斗:2020/01/05(日) 12:20:41
日本の始まり 徐福伝説
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010682M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010682_2M.jpg

https://www.youtube.com/watch?v=9cz3HLwy11s



10134管理人:2020/01/06(月) 23:38:43
新中国方位ライン
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010683M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010683_2M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010683_3M.png

http://cnrail.geogv.org/jajp/



10135秦野北斗:2020/01/07(火) 00:15:39
古朝鮮の記録は捏造
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010684M.jpg

https://ja.wikipedia.org/wiki/綏靖天皇



10136管理人:2020/01/08(水) 03:48:04
中東・欧州方位ライン
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010685M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010685_2M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010685_3M.png

また、秦野さん、わかちあいありがとうございます・・・。

先日の中国方位ラインに続いて、中東・欧州の方位ラインについても調べてみました。図1がそのライン図です。図2はその拡大図です。図3は昨晩もお知らせした東アジアの方位ラインの簡略図です。

以前からその中東・欧州の方位ラインの存在を予想してはいたのですが、ここまで精度が高いとは思いませんでした。

まず中東では、アラビアのマスカット、インドのニューデリーを主な起点としてあり、それに加えてカイロ、バグダッド、テヘラン、サマルカンドといったところが起点となっています。

また先日の中国方位ラインで西方の測量起点として予想したウルムチも、図のように欧州方面へのラインの起点となっています。

具体的にニューデリーを起点としたものは、ムンバイ⇔ニューデリー⇔ウルムチのライン、ニューデリー⇔サマルカンド⇔モスクワ⇔タリン、ニューデリー⇔グラスノダール⇔オデッサ⇔ブタペスト、ニューデリー⇔テヘラン⇔ガズィテアン⇔アンタルヤ、ニューデリー⇔バスラ⇔カイロのラインがまずあります。

またマスカットを起点としたものは、マスカット⇔テヘラン⇔ブリャンスク、マスカット⇔バグダッド⇔ガズィテアン⇔イスタンブール⇔ソフィア⇔ミラノのラインがあります。

欧州ではそれに接続するソフィアが主要拠点となっており、ソフィア⇔ブタペスト⇔ベルリン、ソフィア⇔キエフ⇔ブリャンスク⇔モスクワ、ソフィア⇔デュッセルドルフ⇔ハーグ、ソフィア⇔ミュンヘン⇔ロンドン、ソフィア⇔チューリッヒ⇔パリへのラインが見えます。

また、そこにみえるモスクワやパリも起点となっており、チェニス⇔リヨン⇔パリ⇔ロンドン⇔マンチャスター、パリ⇔ハーグ⇔オスロ、モスクワ⇔ミンスク⇔ワルシャワ⇔プラハ⇔チューリッヒ⇔ベルン⇔リヨン⇔トゥールーズ⇔マドリードへのラインがあり、そしてモスクワ⇔ベルリン⇔パリのラインは、またモスクワ⇔アスタナ⇔ウルムチ⇔成都へと至り、昨晩の中国方位ラインへと接続します。

同様に、チュニス⇔ソフィア⇔ウルムチ⇔西安、ベイルート⇔サマルカンド⇔西安といった西安への接続もみてとれます。

そして、成都⇔西安⇔天津⇔鶏西、広州⇔西安⇔鳥海、酉海⇔成都⇔昆明、広州⇔鶏西などのラインは昨晩の中国方位ライン分析でも指摘したとおりです。

それに加えて、カイロ⇔ベイルート⇔エレバン⇔アスタナ⇔鶏西⇔岩木山周辺へのラインがあり、これも昨晩の中国方位ラインの北東の測量起点として指摘した鶏西へと接続するラインです。

特にその岩木山周辺には大森勝山遺跡などの縄文時代後期の遺跡があり環状列石などを残していますので、やはりこれらのラインは、昨晩も指摘した紀元前2000年前後にストーンサークルや環状列石、支石墓を、欧州から東アジア各地、その東北・北海道等に多く残した集団による測量の結果だと考えるのが妥当かと感じます。

要するにストーンサークル・環状列石というのは、測量のための道具であり、日時と特定の太陽偏角、星位をもとにして、その拠点の位置を割り出す道具だったのではないでしょうか。それで地図を作成して、交易や支配を確実なものにしていったのでしょう。

ただ、問題はその測量方法ですね。ストーンサークルや環状列石を用いたことは予想がつくのですが、ここまでの精度をもたらすには、さらにひとつふたつ工夫が必要だったでしょう。

また、彼らの造ったであろう上記の都市が、後代の大都市としてほとんど変わらない位置で継承され続けているというのも考えてみると不思議です。

電子地図をみるかぎり、ひとつの特徴として、ほとんどが同心円状の都市構造をなしていることがありますが、それは当たり前といえばそうかもしれません・・。

ただその測量された位置の都市に住むことによって、交易・交通の目標が明確になるなど、人類の生存に好適な条件が生み出されていったことが、後代までその都市が継承され続けた理由なのではないでしょうか。

その辺の測量手段と都市構造についても、また少し考えてみたいところですね。




10137国家元首:2020/01/08(水) 08:44:01
マンモスを追ったのか、太陽を追ったのか。
>中東・欧州方位ライン
>新中国方位ライン

偶然ではないのだとしたら、何か意味があるのでしょう。測量の結果ではないのではないですか?人間集団もある生物種の集合体だと捉えれば、粘菌の集団としての動きと類似性があるかもしれません。

地球規模・数万年規模での人類の移動の仕方を一生物種としてマクロ的に捉えたときに、また別次元の法則や構造が見えてくる可能性はあると思います。

個々の民族や個人の違いや思いを超えた何か、が見えてくるかもしれません。諸民族・諸個人は争いを繰り返しているにしても。


Y染色体とかのハプロ(遺伝子の突然変異の痕跡)の移動については、議論が混乱するので避けるとしても、身体を構成する遺伝子の流れは重要だと思います。

縄文人と中央アジアの先住民の間に系統的な近縁性がないか、疑っています。今はウイグル人に残っている昔の中央アジア人は、白人に見えたようですが、今の欧州人とは別系統ではなかったか、調べてみるべきだと思います。

10138荊の紀氏:2020/01/08(水) 10:57:38
(無題)
測量 三角網の画像・・・

10139荊の紀氏:2020/01/08(水) 11:06:31
36度、54度、90度の直角三角形
角度が、36度、54度、90度の直角三角形があります。この直角三角形の斜辺の長さを10とする時、残りの二つの辺の長さを知りたいです
正5角形をつくる36°-72°-72°の二等辺三角形ABCを描いて(AB=AC=10)
BからACに下ろした垂線の足をDとします。
△ABDが問題の三角形です。
この三角形は有名な黄金比の三角形ですから


10140荊の紀氏:2020/01/08(水) 11:22:15
六角形で球面が覆えるか?
六角形で球面が覆えるか??? 投稿日:2018年10月25日(木)08時17分32秒
三角比は二千年近くかかり三角関数に変身しました。さて、この変身の原動力こそ「抽象化」です。具体的な三角比はそれなりに十分に役立つ道具でした。しかし、三角関数はその比較にならないほど強力な道具です。数学の二千年の歩みとは「関数」という抽象概念完成への歩みだったということです。
すべては「地球を測る」に始まり「地球を測る」に終わる
「地球を測る(Geometry)」ためには膨大な計算が必要であることを身をもってわかっていたのが、天文学者であり数学者です。人類がずっと追いかけてきたこと、それは「自分たちがいったいどこにいるのか」です。
「地図を作ること(Geography)」こそ、時空を超えた人類共通の夢であり願いです。
すべてはここから始まりました。かくして地図と数学と計算機の夢は絡み合いながら発展し、今日、究極の地図を手に入れることになりました。何も描かれていない地上に緯線・経線を描き、地図を作るためにすべての数学が投入されてきました。同時に地図作成の中から新しい数学が作られました。
「地球を測る」ための三角比の計算、それは二千年近く続き、そのおかげで抽象概念「関数」を手にし、長年の夢「コンピューター」が実現し、コンピューターのおかげでGPS測量が誕生しました。はたして新次元の「地球を測る」ことが実現しました。

15度の三角比,黄金比が登場する18度の三角比は簡単に導くことができます。
頂角が36°の二等辺三角形の辺の比は黄金比です。
一辺が1の正五角形の対角線の長さは黄金比です。


10141秦野北斗:2020/01/08(水) 14:01:49
マンモスを追ったのか、太陽を追ったのか。
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010690_2M.jpg

>中東・欧州方位ライン
>新中国方位ライン

人類の移動ですな、近世ではアメリカ、オーストラリア、カナダですな、

>縄文人と中央アジアの先住民の間に系統的な近縁性がないか、疑っています。今はウイグル人に残っている昔の中央アジア人は、白人に見えたようですが、今の欧州人とは別系統ではなかったか、調べてみるべきだと思います。
何処の情報>中央アジア人は、白人に見えたようですが、・・・・
アメリカインデアン、オーストラリアアボリニジは白人など、差別は言っていない、・・・・
歴史をみると、武力で略奪したのが白人が圧倒的に多い・・・

日本の場合はハッキリしている、食料と争いをさける、遠回しに史記にある。
しかし、顛末は古事記にある、山のあなたの空とおく・・・のようです。

マンモス、太陽でもない、ただ、争いのない新天地を目ざしただけ。
アメリカ、オーストラリア、カナダは祖国からの逃亡かな・・

白人といい勝負をするのが、百済人(韓国)、日本に来て手始めに藤原を名乗り
大化の改新を捏造・・・楽をする、のには嘘でも騙しでもする。
また、百済の末裔の記録がある、偶像(秦河勝)を造り、成りすます。また、よい例が仏教のお経です、
悟ったと、云って、お経にデタラメのルビを打つ、お経を視ず空で読む・・さすが坊主は百済の末裔ですな。
現在の韓国を見ればよく解る。約束をやぶる、常習犯、すごいですな。




10142管理人:2020/01/09(木) 00:33:19
ユーラシア方位ラインの測量手段・年代
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010691M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010691_2M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010691_3M.png

https://ja.wikipedia.org/wiki/ソフィア_(ブルガリア)



10143秦野北斗:2020/01/09(木) 07:10:39
キシさんからご指摘あった三角測量の件
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010692M.jpg

疑問は東西南北の存在でしょう、距離単位はボンヤリ存在するでしょう、方位ラインの角度 例とするが西10度、20度、35度、50度、東20度、40度、70度・・・何処から来たのか疑問です。何故か北が基準になる?
 小学生が分度器を知り、世界地図を測量している模様ですな。

キシさん得意のインスピレーション



10144管理人:2020/01/10(金) 03:58:51
4大文明方位ライン
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010693M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010693_2M.png

https://ja.wikipedia.org/wiki/ギザの大ピラミッド



10145秦野北斗:2020/01/10(金) 10:18:09
神武東征に夫余
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010694M.jpg

https://www.youtube.com/watch?v=SNNVc6H3OkU



10146国家元首:2020/01/10(金) 12:40:16
別種
『旧唐書』日本国伝に、「日本國者倭國之別種也。」とあります。

「別種」というのは、「違う種」とも解釈できるし、「分かれた種」と考えれば、「元は同じ」という意味にも取れます。私は前者に解釈していますが、後者で解釈する人たちもいます。

それにしても、中国側の記述に、倭国と日本があって、一方が一方を併合したという記述があるのは、有名な話です。

秦野さんの漢文解釈がどこまで適切なものか、私には分かりませんが、従来の解釈を疑うのは良いことだと思います。

遊牧民国家は、別々の民族が集まって、一つの国家を形成している場合が多いはずです。遊牧民の一民族の中にいくつも部族がありますが、それらは、もともとは別の民族だったこともあるでしょう。

「民族」、というのは生物学的・血統的な同一性に基づく集団ではなく、歴史的・言語的な同一性に基づく集団ですから。

千六百年前の倭人に起きたことは、大昔のギリシャ人に起きたことに類似していると思います。ヒクソスと急に合併して、突然文明や国家の性質が変わったのです。日本とギリシャの神話が似ているのはそのためだと考えます。

ギリシャに侵入したヒクソスは、倭国を吸収したヒクソスに比べて人数が少なく、しかも彼らのファラオがいなかったので、ヒクソス性の影響は日本に比べて限定的となったのだと思います。

しかし、古代ギリシャの黄金時代は、ヒクソスの血統によるところが大きかった可能性はあります。

10147秦野北斗:2020/01/10(金) 14:01:13
「別種」
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010696M.jpg

国家元首さん、「別種」を理解するなら、日本の古代史全般になりますな、要点をだけなら・・・
日本国伝の「別種」は関東日本王国(創作名)、日ユ同祖論とか言っている連中が、居るが創作です。
「別種」は230年、卑弥呼を追って来た呉の連中になる、卑弥呼を追って神風(黒潮)で遭難して、
同化する、領地を貰い、今の鎌倉幕府の祖になる。
詳細にしりたければ、メールをして下さい。指導します。「別種」を貼り付けます。

『旧唐書』倭国・日本国伝
日本國者、倭國之別種也。以其國在日邊、故以日本為名。或曰:倭國自惡其名不雅、改為日本。或曰:日本、舊小國併倭國之地。其人入朝者、多自矜大、不以實對、故中國疑焉。又云:其國界東西南北各數千里、西界、南界咸至大海、東界、北界有大山為限山外即毛人之國。

意訳、日本国者、倭国とは別者なり、その国は日のほとりに在る。ゆえ、名は日本なり、云うに、倭国はその名は雅(雅州)であるが、雅でないことを憎む、此れを改め日本にする。日本、古く小さい国と併せる、和国此れ地。その地の人が入朝する、多く慎み、無口であるが、中国は疑わない。この日本国は東西南北に数千里あり、西と南は大海に至り尽きる、東と北は大山の尽きる所を堺とする。堺の外は毛人の国になる。




10148管理人:2020/01/11(土) 00:45:25
4大文明とハプロタイプ
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010697M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010697_2M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010697_3M.png

https://ja.wikipedia.org/wiki/遼河文明



10149国家元首:2020/01/11(土) 12:05:18
「私の遺伝子は特別優れているの。」
染色体のハプロを民族的な集団の移動と結び付ける考え方は、話が不確実になるだけで、あまり生産的な感じがしません。肉体的(そしておそらく精神的な)特徴を与える遺伝子そのものではなく、突然変異の痕跡なのですから。Y染色体は染色体そのものなので特別ですが、人種を決定するような要因ではありません。

Yハプロの拡散のしかたを見ると、民族の移動とか人種構成とは無関係に、地理的な条件を基礎にして、数学的法則に則って拡散しているだけに見えます。

犬の品種の維持・改良のような仕組みで、各民族の容貌とか特徴は維持される傾向はあるとしても、必ず混血はしているのです。民族の移動がなされた場合は、移動してきた側は通常は少数なのだから、混血の影響は大きいのです。それでも、ハプロの拡散とは別次元の仕組みによって、民族性は維持・拡散されうるのです。

そもそも現行の科学的な見地では、Yハプロの分岐は数万年前の話が多いはずで、歴史時代に入ってからのことではないでしょう。その科学的な見地が間違っている可能性はありますが。

10150秦野北斗:2020/01/11(土) 15:21:51
「私の遺伝子は特別優れているの。」
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010699_2M.jpg

国家元首さん、[10697] 4大文明とハプロタイプ では紀元前2700年前後など云っていますが、実の所七世紀の文章(古事記)すら、読めないのが現実です。ハプロタイプで創作が限界ですな、・・・
Yハプロと古文書をあわせて、理解できるのですな、添付は三世紀の古墳の埴輪

埴輪は卑弥呼の遣いのようですな、出兵祝い、入場行進?


>そもそも現行の科学的な見地では、Yハプロの分岐は数万年前の話が多いはずで、歴史時代に入ってからのことではないでしょう。その科学的な見地が間違っている可能性はありますが。



10151管理人:2020/01/12(日) 01:00:47
4大文明と分子時計論
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010700M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010700_2M.png

https://ja.wikipedia.org/wiki/ハプログループA_(Y染色体)



10152管理人:2020/01/12(日) 11:14:34
「79万年前の巨大隕石」が生んだクレーター
ちょうど今朝のヤフーニュースに下記の記事が掲載されていましたのでご紹介します。


およそ79万年前、巨大な隕石が地球に衝突した。これは巨大隕石の衝突としては最も新しいもので、吹き飛んだ破片や粉塵で地球全体が覆われるほどの規模だった。直径1キロ級と推定される隕石の衝突で形成されたテクタイトと呼ばれるガラス質の石は、アジアやオーストラリアのみならず南極からも発見されている。

その巨大さや年代が比較的新しいことから衝突地点は簡単に特定できそうだが、これまで明確なクレーターが発見されていなかった。

しかし、先日、学術誌「米国科学アカデミー紀要」に発表された論文で、この巨大隕石がラオス南部に衝突し、直径13〜17キロのクレーターが形成されたことが指摘された。クレーターはその後、溶岩によって埋まってしまったため、これまで発見されなかったという。
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fheadlines.yahoo.co.jp%2Farticle%3Fa%3D20200112-00031717-forbes-int

有史でも隕石落下の可能性があった事を示してますね。小さいものならば、数万年単位、あるいは数千年単位で落下しているはずで、その度に人類は気候変動や津浪などで滅亡の危機に遭遇していたことも考慮すべきかもしれません。

あともうひとつ留意しておきたいのは、溶岩で埋もれてしまったとのこと、これは以前も指摘したように、その隕石落下にともない、マントルを刺激し、噴火を誘発する可能性を示すものでしょう。その火山灰がまた二次的な気候災害をもたらした可能性もありそうです。

10153管理人:2020/01/13(月) 00:56:53
4大文明と津波地層
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010702M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010702_2M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010702_3M.png

https://ja.wikipedia.org/wiki/インダス文明#滅亡



10154国家元首:2020/01/13(月) 01:36:59
埴輪
>今城塚古墳

あの女性の埴輪は、葬式関係の儀式をしているように見えますが。

私のヒクソス・ユダヤ理論では、ヒクソス集団がファラオの死に際して、太陽神であるスメラ・ミコトの魂と共にあったファラオの魂が冥界に旅立つのを見送っていることになります。

埴輪が開発されるまでは、ファラオの周囲の人たちが生き埋めにされることがかなりあったようです。死後も仕えるように、ということでしょう。

「今城塚古墳の埴輪2019」
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Furx.blue%2Ff8tW


関東地方で出土するユダヤ教徒みたいな恰好をした埴輪は、祭祀に携わるレビ人の類ではないでしょうか。関東は新羅や高句麗から来たユダヤ勢力が多かったので、関西とは信仰形態に違いがあって、それが出土する埴輪のあり方の違いになるのだと思われます。


「レビ記 19章27節」より
「・・・ あなたがたのびんの毛を切ってはならない。ひげの両端をそこなってはならない。・・・」


10155 史実探偵: 平 素人(ヒイラ モト):2020/01/13(月) 08:12:28
Re: [10702] 4大文明と津波地層
管理人様> 超・古代史版へのコメントからきました。
 短日間のうちにすごい量の情報量ですね。それ等を四大文明にからめてのご考察、大変参考になります。じっくりと消化したいと思います。ありがとうございます。

岩淵先生や平の名前を出して頂きましてありがとう御座います。二人は、「四千年前の東北巨大隕石説」を持っているのですが、先さまも挙げられている、ミドルインパクトによる地球規模の気温降下、地震や巨大津波、そして火山の誘発等、人類を含めた生物への影響は多大なものがあります。それの一番身近なものである4000年前のものにしぼって喚起を願っているのですが未だ日の目を見ていません。

中で、世界共通の“地球規模の事象”として論じ合えることは、隕石の冬がおこす “海水位の後退” があります。わたしは推量値で、約1.6mの後退。気温ではおよそ13℃の降下とみています。これが短期2〜3年のうちに変動することに大きな問題があります。生物相の変化移動はもちろんですが、稲作文明を持つ大陸では大きな影響が考えられます。そして浅海化がありますので魚介類の変移等を地球規模で「共通の論題」として論じあえたらいいなと思っています。ありがとうございました。

追記 「年代の決定合意の難しさ?」
 こういったものを論じ合うとき、何時の場合もその年代の食い違いが出ることがあります。巨大隕石の衝突という“一瞬のできごと”でも、何がしかの補正があったり、堆積する地層についても “巨大津波” の発生によって経年の異なるものが混ぜ合わされたり、津波が第二波、第三波・・による堆積状をていすることから、一般的な斉一説をとれない難しさがあります。そして、現科学の多くは、巨大津波が内陸奥深くまで運んだ貝やサンゴ類を『かつてここは海だった!』とする考えが定着しており、この考えを取り除くのは至難です。

 十年以上前だったと思います。九州大の女先生が貝類の年代測定に着目されたことがありました。ご存知のように貝類の生息地はあまり移動しません。ところが巨大津波の性質として、それ等を根こそぎして津波の端部や、先端部へ置き去ることがあります。これはすべての事象に当てはまることですが『流体が媒体となって各々の物質を運ぶ時、それ等は非常に効率よく似たものは似たもの同志で分別される同似集合の原理・作用(筆者提唱)』があります。この考えは現科学が巨大(orミドル)隕石と、それによって生じる巨大津波へ、シフトしないかぎり難しいと考えています。(そこで素人的ヒラメキ^^!、人のDNA調査は著しく進歩しているが貝やサンゴのDNAは変わらないのかな??、汗~~!)

 そして、津浪についても一元的な論じ方がされていることに問題があります。津波の波高は、地形・地勢によって 震源地の直近にあっても大きく変わります。津波のやつはズルい^^!から抵抗の少ない方へ方へと移動します。「津波は川を上る」といわれますが、これは川が遠浅状になっていて津波は楽に登れるからだと申し上げたことがありました。□

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-1.html



10156秦野北斗:2020/01/13(月) 11:34:26
[10703] 埴輪
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010705M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010705_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010705_3M.jpg

>ユダヤ教徒みたいな恰好をした埴輪は・・・議論は年代が基準になる、
今城塚古墳の 埴輪ですが、モデルに成った情景が存在したのでしょうな。
ユダヤ教の恰好?当時、ユダヤ教は三角帽子をしていたのか?疑問です。
ところで、ユダヤ教は古代の葬式で埴輪を使ったの?埴輪は偶像ですな?

>あの女性の埴輪は、葬式関係の儀式をしているように見えますが。

>関東地方で出土するユダヤ教徒みたいな恰好をした埴輪は、祭祀に携わるレビ人の類ではないでしょうか。関東は新羅や高句麗から来たユダヤ勢力が多かったので、関西とは信仰形態に違いがあって、それが出土する埴輪のあり方の違いになるのだと思われます。
>「レビ記 19章27節」より
「・・・ あなたがたのびんの毛を切ってはならない。ひげの両端をそこなってはならない。・・・」



10157国家元首:2020/01/13(月) 12:50:27
ハプロは集団移動を考察する基礎にならないと思う。
ハプロというのは、実際に肉体的な要素を形作る遺伝子そのものではなくて、(ミトコンドリアとかの)DNA上の変異パターンに過ぎないのではないですか。だから、進化(変化)とは無関係。

ただし、Y染色体ハプロの場合は少し特別で、Y染色体そのものと一緒にハプロも移動する。しかし、Y染色体は、肉体的な特徴を大きく規定するようなものではない。

そのように理解しています。

ハプロが生存競争に関わることも、異性の選択の基準となることもない。

人種や民族とは無関係に、歴史的集団の移動とも無関係に、ただ人類の海の中を、地理的な条件に従って、拡散していく。

それだけのことでしょう。

頭蓋骨の形とか、目の色がY染色体と関係があるのだとすれば、Yハプロと顔相に関係があるとは言えるかもしれませんが、

それでも人種や民族とは直接の関係はありません。実際にそうなっています。

「ハプロの分布からは、過去にこういうハプロを持った人が移動してきた」ということがわかるだけで、歴史的な集団の移動は分かりようがありません。

地元にもともといた人々が多数派なのですから、よほどの大量虐殺でもしないかぎり、集団の移動によって、ハプロの構成比が変わるということはないでしょう。

普通に考えれば、移動してきた側のハプロは、時間が経つとともに消えると思います。それは、移動してきた集団の民族的特徴が消えることを意味するわけではありません。

ハプロと民族的特徴に関係がないだけです。ハプロと歴史的集団を紐づけることはできないのです。

ハプロはDNA上の変異のパターンですから、いつ発生したものか、直接測る方法はないのではないですかね。確率を基に推測するしかないでしょう。


太古の大洪水については、キリスト教の創造論の立場から、面白い見解を述べる人がいます。

【ノアの大洪水発生!】後編:科学の説明が聖書に近づいた(創造論5)久保有政・解説
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3DcD8WeEEPf8s

10158秦野北斗:2020/01/13(月) 18:11:38
[10706] ハプロは集団移動を考察する基礎にならないと思う。
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010707_2M.jpg

Y-DNA、mtDNAをどう理解するかですな。
生命 の 進化 図をDNAで統一して表したようですな・・、動物、植物、・・・
ハプロは犬でいいますと、外観はデカイ柴犬、柴犬とシベリアンハスキー雑種。注、秋田犬でない

仰るとうり、拘りすぎですな




10159管理人:2020/01/14(火) 01:36:58
N系統とR系統の拡散
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010708M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010708_2M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010708_3M.png

https://ja.wikipedia.org/wiki/ハプログループN_(Y染色体)



10160秦野北斗:2020/01/14(火) 10:26:27
サピエンス全史
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010709M.jpg

https://www.youtube.com/watch?v=xHbcJuOwUOM



10161国家元首:2020/01/14(火) 13:23:16
ハプロの拡散≠人の移動
ハプロの拡散は、人の移動ではなくて、ハプロの移動でしょう。基本的には、人の移動に伴うのではなく、ハプロだけが移動しているのです。ゲルマン民族の大移動とか、英米植民地の拡大みたいな例は、あまり聞いたことがありません。

ハプロを特定の集団に結び付けることはできませんし、特定のハプロの人たちが集団を構成することもありません。

Yハプロの拡散図から見えることは、それが地理的な条件にしたがって、社会集団とは無関係に広がっていくということです。

たとえば、現在の日本では、いくつものY-ハプロがありますが、その人が保有するYハプロによって肉体や精神の特徴が規定されているわけではありませんし、ましてやハプロの種類ごとに集団を形成しているわけではありません。

こうした状態は、今の日本だけでなく、世界中、昔から同じです。特定のハプロを保有する集団そのものが、よほど特殊なケースを想定しないかぎり、存在しないのです。

ある特定のハプロを持つ集団を仮に想定して、その集団に強固な民族意識があったとしても、その状態を維持するのは困難です。

社会的に劣位な他集団の女性が混血児を生む傾向があるから、世代交代が少し進めばYーハプロは混交します。少数派のハプロは消える場合も多いでしょうね。

10162国家元首:2020/01/14(火) 14:09:44
ストーンサークル
古代のストーンサークルが、日本とイギリスにしか見られないのであれば、両者の間に何か関係がないか疑ってみるべきでしょうね。

ウィキペディア「Drombeg stone circle」
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fen.wikipedia.org%2Fwiki%2FDrombeg_stone_circle

「大湯環状列石」
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.city.kazuno.akita.jp%2Fkanko_bunka_sports%2Fbunkazai%2F7%2Findex.html

「佐田京石」
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.usa-kanko.jp%2Fspots%2Fdetail%2F56

10163秦野北斗:2020/01/14(火) 14:37:20
[10711] ストーンサークル
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010712M.jpg

https://en.wikipedia.org/wiki/Drombeg_stone_circle



10164管理人:2020/01/15(水) 00:32:44
ストーンサークルとハプロタイプ
また、みなさん、わかちあいありがとうございます・・。

ストーンサークル、確かにイギリスのそれと縄文のそれ、とてもよく似てますね。

似ているというのは、可能性としては、あまりその拡散に時代差がないということを意味しているのかもしれません。

仮に1世代いないならば、ほぼ同じ形状のものを残す可能性がありますね。文字もそうでしょう。

数世代だと、双方で少しづつ特徴が違ってくるかも。

そして、元首さんご指摘のように、ハプロも混交していくでしょう・・・。

ただ、特殊ケースでユダヤ人のようにきわめて排他的な集団においては、初期のハプロの種類のまま維持される可能性もなくはないでしょう。

そして、ストーンサークルをつくった集団については、どうだったかも気になるところですね。

あと、いま見つけたんですが、これなんだろうね・・ユダヤ・タート語


ユダヤ・タート語(Judæo-Tat)、ジュフリ(JuhuriあるいはJuwri)は東部コーカサス地方、特にダゲスタンのジュフリーム(山岳ユダヤ人)の伝統的な言語。

この言語は中世ペルシア語と近接性が深く、印欧語族のイラン分派に属している。アゼルバイジャンのイスラム教徒タート人(英語版)(かつて山岳ユダヤ人もこのグループに属していたという説がある)の言語とも近いが、やはり異なっている。ジュフリの話者はジュフロ(Juhuro)と呼ばれる。ユダヤ人という意味である。

この言語はあらゆる側面でセム語(ヘブライ語・アラム語・アラビア語)の特徴を備えている。近隣言語にないヘブライ語の発音'ain(?)を持つのは、その一例である。

20世紀初頭、この言語はヘブライ文字を使って表記していた。1920年代にラテン文字で表記されるようになったが、のちにキリル文字で記されるようになった。最近では再びヘブライ文字で表記することが一般的になっている。

現在、ユダヤ・タート語の話者の数は10万1000人と見積もられている。

イスラエルに7万人
アゼルバイジャンに2万4000人
ロシアに7000人
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F%25E3%2583%25A6%25E3%2583%2580%25E3%2583%25A4%25E3%2583%25BB%25E3%2582%25BF%25E3%2583%25BC%25E3%2583%2588%25E8%25AA%259E

山岳ユダヤ人の言い伝えによると、彼らが東部コーカサス地方に住み着いたのは西暦722年のことである。ペルシア系の言語を話すのは、かつてペルシア南西部に住んでいた名残と考えられている。その起源については諸説が唱えられている。

遊牧民の侵入を防ぐ目的でパルティア朝とサーサーン朝の王たちの意向で配備された、ユダヤの武装入植者の子孫であるという説。
ユダヤ教に改宗したタート人の子孫であるという説。(ただし、イスラム教徒タート人こそイスラム教に改宗した山岳ユダヤ人であるという説もある。)
ハザール人の子孫であるという説。
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F%25E5%25B1%25B1%25E5%25B2%25B3%25E3%2583%25A6%25E3%2583%2580%25E3%2583%25A4%25E4%25BA%25BA

ブハラ語(Bukhori)は、インド・イラン語派の言語の一つ。ユダヤ・タジキ・ペルシア語、ユダヤ・タジク語とも呼ばれる。ブハラ・ユダヤ人の主要な言語である。

概要
古典ペルシア語に基づくが、ヘブライ語から多数の語彙を借りている。また、ウズベク語やロシア語からも少数の語彙を借りている。永い歴史を持つにも拘らず、タジク語の話者はブハラ語をおおよそ理解できるし、ジーディ(ユダヤ・ペルシア語)とも多くの共通点がある。
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F%25E3%2583%2596%25E3%2583%258F%25E3%2583%25A9%25E8%25AA%259E


やはりこのような閉鎖的な集団内だと、周辺諸民族の影響をうけながらも、2000年以上、独自の習俗や言語を保持する可能性を示してますね。


ハプロを当てにできるかどうかは、その集団の閉鎖性、環境的な孤立性にかかってきそうです。

10165国家元首:2020/01/15(水) 12:16:42
マリモ同祖説
マリモの場合は、遺伝子そのものを調べているのでしょうか。ハプロではなくて、遺伝子そのものを調べるとよいですね。

縄文人が白人と関係がない、とされるようになった理由は、Y染色体ハプロがD型だったことが大きいようですが、それはおかしいと考えます。

ハプロと人種は関係がないのです。Y-O、Y-C、Y-Dの白人がいたとしても少しもおかしくありません。

昔は、尿による遺伝子検査では、縄文と白人は同じ遺伝子配列が見られるという話がテレビでもありました。

私には、ハプロの不用意な取扱いが、合理的な思考や観察を阻害するような面があるように思えます。



「マリモは日本が起源、渡り鳥が運搬か 釧路の研究員ら、遺伝子調査で確認」
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.nikkei.com%2Farticle%2FDGXNASDG0701B_X00C12A1CR8000%2F

「・・・オランダなどの研究者と共同で日本やドイツ、フィンランド、アイスランドなど33カ所の湖のマリモの遺伝子を調査。最も古いタイプの"祖先型"は日本に集中。祖先型のマリモが最も時間をかけて変異を重ねたものが琵琶湖(滋賀県)にあることなどを理由に日本が起源と結論付けた。・・・」

10166秦野北斗:2020/01/15(水) 13:44:26
神功皇后の陵を発見
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010715M.jpg

https://ja.wikipedia.org/wiki/神功皇后



10167国家元首:2020/01/15(水) 19:17:17
邪馬台国は神功皇后に滅ぼされたか。
ウィキペディア「神功皇后」より

「・・・3月25日には筑後川下流域の山門県に移動して田油津媛という女酋を討ちとり、兄の夏羽は戦わずして逃げ出した。この女酋田油津姫は邪馬台国女王の末裔とする説もある。いずれにせよ最後まで抵抗していた九州北部もヤマト王権の支配下になり、ここにヤマト王権の全国制覇が完了したとされる。」

ウィキペディア「田油津媛」より

「・・・田油津媛(たぶらつひめ)は日本書紀によれば山門郡に居たとされる土蜘蛛族の巫女女王。日本書紀では仲哀9年3月丙申に神功皇后により誅殺されたとされるが、事実とすれば4世紀半ば頃の出来事になる。・・・

田油津媛には夏羽という兄がいたが、夏羽率いる軍は妹の死を聞いて逃亡したとされる。 (日本書紀原文)丙申 轉至山門縣 則誅土蜘蛛田油津媛 時 田油津媛之兄夏羽 興軍而迎來 然聞其妹被誅而逃之

山門郡の女王という記述から、邪馬台国連合の女王卑弥呼(西暦248年死去)の100年後の子孫の可能性がある。

福岡県みやま市の老松神社には、田油津媛(葛築目)を葬った蜘蛛塚とよばれる古墳が残されている。雨が降ると古墳から血が流れるという言い伝えがある。・・・

別名大塚。明治時代までの旧称は女王塚だった。 しかし大正2年の頃神社南の田の中まであった古墳を分断する形で新道建設がなされたとき、皇室への忖度で蜘蛛塚へと改称された。」

10168秦野北斗:2020/01/16(木) 00:26:12
邪馬台国は神功皇后に滅ぼされたか。
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010717M.jpg

https://osaka-info.jp/page/kishikijinja



10169管理人:2020/01/16(木) 01:04:49
ストーンヘンジ・環状列石の構造と位置測量
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010718M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010718_2M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010718_3M.png

https://www.youtube.com/watch?v=QAM3yOb5sqA



10170国家元首:2020/01/16(木) 03:30:46
謎の土版
「大湯の土版」と「ネブラ・ディスク」は似ているところもあるような。

「夏至冬至を環状列石に記し計数器を手にしていた縄文人」
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Furx3.nu%2F2axW

「紀元前1600年頃の天文盤?ネブラ・ディスク。」
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Furx3.nu%2F4eow


10171秦野北斗:2020/01/16(木) 10:13:21
ストーンヘンジは神殿
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010720_2M.jpg

https://rutsu.exblog.jp/12380356/



10172管理人:2020/01/17(金) 01:30:08
ストーンヘンジ・環状列石の構造と位置測量2
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010721M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010721_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010721_3M.png

https://ja.wikipedia.org/wiki/ウッドヘンジ



10173国家元首:2020/01/17(金) 01:52:43
大湯の土版
「秋田・大湯環状列石(ストーンサークル)観光で知る縄文時代の世界観」
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.travel.co.jp%2Fguide%2Farticle%2F37654%2F

大湯の土版をざっと眺めると、もしかしたらあそこでは6進法を使っていたということはないですかね。シュメールの60進法は、天文学と関係があるはずです。

縄文人が天文学を持っていたという話は聞いたことがありませんが。


URL短縮を使うと、ウイルス感染の警告が出やすい傾向があるようです。普通にリンクしたらどうでしょうか。

「夏至冬至を環状列石に記し計数器を手にしていた縄文人」
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fsyokota888.ec-net.jp%2Fmeasurement-news-site%25E3%2583%25BC2017-1-%2Fmeasurement-news-sice-2017-c1-%2F2018-02-13-stone-circle-ooyu-kanjyo-resseki-kaduno-kazu-no-doban-to-kazu-no-gainen-measurement-news-.html

10174国家元首:2020/01/17(金) 02:20:25
JVC(ヒト・ポリオーマ・ウイルス)
ウイルスの遺伝子というのも、肉体を構成している遺伝子はないのですが、過去にどういう人たちが来たかを推理する材料にはなりそうです。


『興亡古代史』(小林惠子、文芸春秋社)
「・・・東大の余郷嘉明、北村雄一氏ら医学研究グループによると、弘前・秋田・仙台など北日本の住人の一部からは一〜二割の割合で欧米の白人にしかみられないウイルスの遺伝子(ポリオーマ・ウイルスA型)が見つかるという。」


「青い目の東北人」
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.tankyu3.com%2Fentry%2F20090222%2Fblueeyes

10175鳩摩羅童子:2020/01/17(金) 08:07:38
禾(のぎ)偏(へん)の「のぎ」は、タミル語 かも。  【国語・中国語・インド語・英語、のお勉強】
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/220px-Danwon-Byeo.tajak.jpg

http://www5d.biglobe.ne.jp/~the_imai/etymology/AA_Indo.html



10176国家元首:2020/01/17(金) 11:55:49
JCウイルス(JCV)
先に紹介したJCウイルス(ヒトポリオーマウイルス2)についての情報は、正確さに欠けるようです。

ウィキペディア「JCウイルス」より

「・・・JCウイルスを用いたヒト集団の系譜を探る試みも行われている。JCウイルスは感染するために、純粋なヒト集団の系統を反映するわけではないが、ある程度の参考になる。西南日本には中国北部で高頻度のCYタイプが、東北日本には国外では朝鮮とアメリカ先住民にみられるMYタイプが、それぞれ高頻度である。

また、秋田県や青森県西部ではヨーロッパ人の系統に近いEu-a2(JK)がみられるとされ 、秋田美人や伝説上の鬼との関連性が指摘されることがある。 しかしながら、同様のEU型のハプロタイプは朝鮮半島にも見られることから必ずしもヨーロッパ人のみの系統を示すというわけではないということに留意すべきである。」

/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2FJC



一番科学的に正確な最新分析は、以下のサイトでしょうか。このサイトの分析からすると、日本の白人型JCVは、一部のヨーロッパ型に近い。


「JCウイルス(JCV)から見たヨーロッパ系の人々の分岐と移動/最古のヨーロッパ系JCVを極東アジアの先住民から発見!」
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Ftogetter.com%2Fli%2F1452702




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