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歴史掲示板
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中東・欧州方位ライン
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また、秦野さん、わかちあいありがとうございます・・・。
先日の中国方位ラインに続いて、中東・欧州の方位ラインについても調べてみました。図1がそのライン図です。図2はその拡大図です。図3は昨晩もお知らせした東アジアの方位ラインの簡略図です。
以前からその中東・欧州の方位ラインの存在を予想してはいたのですが、ここまで精度が高いとは思いませんでした。
まず中東では、アラビアのマスカット、インドのニューデリーを主な起点としてあり、それに加えてカイロ、バグダッド、テヘラン、サマルカンドといったところが起点となっています。
また先日の中国方位ラインで西方の測量起点として予想したウルムチも、図のように欧州方面へのラインの起点となっています。
具体的にニューデリーを起点としたものは、ムンバイ⇔ニューデリー⇔ウルムチのライン、ニューデリー⇔サマルカンド⇔モスクワ⇔タリン、ニューデリー⇔グラスノダール⇔オデッサ⇔ブタペスト、ニューデリー⇔テヘラン⇔ガズィテアン⇔アンタルヤ、ニューデリー⇔バスラ⇔カイロのラインがまずあります。
またマスカットを起点としたものは、マスカット⇔テヘラン⇔ブリャンスク、マスカット⇔バグダッド⇔ガズィテアン⇔イスタンブール⇔ソフィア⇔ミラノのラインがあります。
欧州ではそれに接続するソフィアが主要拠点となっており、ソフィア⇔ブタペスト⇔ベルリン、ソフィア⇔キエフ⇔ブリャンスク⇔モスクワ、ソフィア⇔デュッセルドルフ⇔ハーグ、ソフィア⇔ミュンヘン⇔ロンドン、ソフィア⇔チューリッヒ⇔パリへのラインが見えます。
また、そこにみえるモスクワやパリも起点となっており、チェニス⇔リヨン⇔パリ⇔ロンドン⇔マンチャスター、パリ⇔ハーグ⇔オスロ、モスクワ⇔ミンスク⇔ワルシャワ⇔プラハ⇔チューリッヒ⇔ベルン⇔リヨン⇔トゥールーズ⇔マドリードへのラインがあり、そしてモスクワ⇔ベルリン⇔パリのラインは、またモスクワ⇔アスタナ⇔ウルムチ⇔成都へと至り、昨晩の中国方位ラインへと接続します。
同様に、チュニス⇔ソフィア⇔ウルムチ⇔西安、ベイルート⇔サマルカンド⇔西安といった西安への接続もみてとれます。
そして、成都⇔西安⇔天津⇔鶏西、広州⇔西安⇔鳥海、酉海⇔成都⇔昆明、広州⇔鶏西などのラインは昨晩の中国方位ライン分析でも指摘したとおりです。
それに加えて、カイロ⇔ベイルート⇔エレバン⇔アスタナ⇔鶏西⇔岩木山周辺へのラインがあり、これも昨晩の中国方位ラインの北東の測量起点として指摘した鶏西へと接続するラインです。
特にその岩木山周辺には大森勝山遺跡などの縄文時代後期の遺跡があり環状列石などを残していますので、やはりこれらのラインは、昨晩も指摘した紀元前2000年前後にストーンサークルや環状列石、支石墓を、欧州から東アジア各地、その東北・北海道等に多く残した集団による測量の結果だと考えるのが妥当かと感じます。
要するにストーンサークル・環状列石というのは、測量のための道具であり、日時と特定の太陽偏角、星位をもとにして、その拠点の位置を割り出す道具だったのではないでしょうか。それで地図を作成して、交易や支配を確実なものにしていったのでしょう。
ただ、問題はその測量方法ですね。ストーンサークルや環状列石を用いたことは予想がつくのですが、ここまでの精度をもたらすには、さらにひとつふたつ工夫が必要だったでしょう。
また、彼らの造ったであろう上記の都市が、後代の大都市としてほとんど変わらない位置で継承され続けているというのも考えてみると不思議です。
電子地図をみるかぎり、ひとつの特徴として、ほとんどが同心円状の都市構造をなしていることがありますが、それは当たり前といえばそうかもしれません・・。
ただその測量された位置の都市に住むことによって、交易・交通の目標が明確になるなど、人類の生存に好適な条件が生み出されていったことが、後代までその都市が継承され続けた理由なのではないでしょうか。
その辺の測量手段と都市構造についても、また少し考えてみたいところですね。
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